股・戯れ言


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高血中アルコール濃度圧ガール 中編

怒涛の更新。
ヒマなわけじゃあありません。

4/1

作業当日。
前日の酒がたんまりと残っていたがのろのろと外出。
いやぁ、どの酒を飲もうが、翌日、かがんで机の下に潜って電源やケーブルを抜いたり差したりするために下を向き続けていれば気持ち悪いね!
下を向くのが心底しんどかった。
下を向くと、口から手を突っ込まれて内臓を引っ張り出されそうになるのである。
そして頭にもずくが絡まってるような感覚に陥るのである。

だったらそんなに飲むなっつう話なんですけどね。
作業先でお茶を出してもらったんだが、それを飲んでも水分が足りやしない。
南国での作業は心なしか他地方よりも陽気なもんであった。
いい意味で緊張ストレスから解放されているというか。
しかし、作業場に来ていた別の業者の人の浮かれっぷりはハンパなかった。
作業しているというのに電話で「俺ね、今、沖縄来ちゃったのよぉ、うらやましいでしょぉ?あ、今日頼んどいた弁当、食べちゃっておいてねーケケケケケ」とか自慢し続けてた。
仕事中に言うなっての。
ハタで聞いてた人間全員苦笑。

作業は滞りなく終了。
終了後は秋田のときと同じく、お客さんと泡盛を買いに行く。
事前に「泡盛はスーパーや酒屋で買うといい」と聞いていたので迷うことなくスーパーへ。いろんな泡盛があるなーそしておみやげ屋より遥かに安いな。
しかし私もお客さんも昨晩飲んだ「かねやま古酒20年」の味が忘れられなかったのだった。もはや贅沢病の域。
だがそれはスーパーで売っているわけがなかった。一杯3400円だもんな、一本ならばいくらなのだろう。
で、結局スーパーで買ったのは「のまんじゅう」だけであった。
その後国際通りに出て探したのだが見つからず。
ただ、普通に買ったら2万5千円くらいすることがわかった。たけーよやっぱ。
購入したのは「残波ホワイト」でした。普通だったわ。

その後牧志に出て、市場に行って島らっきょうを買ったり豚の頭を見たりして普通に観光。らっきょは臭いけどうまい。
この市場の辺りも含めて、沖縄は台湾に似ているなぁとつくづく思うのです。
距離的にも近いからだろうか。
市場の食堂は「ランチタイム 午前11時から午後9時まで」と書いてあった。
そういうユルさも台湾っぽいよ。

まあその日は酒が残っていたので沖縄そばくらいしか食えなかったが。

お客さんはその日で東京に戻ってしまった。
さあ、こっからがバカンスの始まりである。(前日の飲みはバカンスに非ず)

といっても、沖縄は夜になったら一気に天気が悪くなってしまった。
天気が悪くなる前から具合が悪かったし、状況も悪かったし、腹の具合も悪かった上に気分も悪かったという悪いこと尽くしだったのでホテルでダウンをしていたのだった。
いわゆるふて寝というやつか。
まあ起きたら軽くメシでも食って「観覧車」に再び行こうかなと思ってたら
起きたらすでに夜10時過ぎだった。
なんか腹も減ってないし、そのまま観覧車に行ってしまえ、と思い雨が降る中「観覧車」へ。
この日は金曜日だったので、金曜の夜は混んでるのかなー座れないのかなーなどと思ってたんだけどまだ混みだす前だった。よかった。
「名刺忘れてっちゃたでしょー」とやっぱり指摘される。ごみんなさい。
で、着いて早々にやっぱり泡盛。

前日まで泡盛に怯えていたのはどこのどいつだったんだ。

前日はマンヨッパだったので気がつかなかったんだが、壁を見てみたらエンケンのフライヤーが沢山貼ってあった。
わー!エンケン好きのママさんの店だったんだ!
うれしくなってエンケンの話をいろいろとしていたら、店のBGMも「幾つになっても甘かあねェ!」にしてくれた。
うひゃー。沖縄でエンケン聴きながら飲めるなんて!感無量。
純音楽の道や男のブルースにしびれつつ、幾つになっても甘かあねェではゴゴゴーとかコーラスを入れてしまう。
沖縄で四畳半ロックな気分になれるとは!
電氣菩薩からエンケンに繋がるなんて、この店と知り合うのは必然だったのかもしれません。絶対に縁があったとしか思えない。

その後、お客さんが何人か来て、映画の話になる。
スコセッシの話やらタランティーノの話やらをしていたのだった。
スコセッシといえば、かの「タクシードライバー」も藤村さんとこで出している純米酒になってるし。
なにかといろんなことが結びつく場だと思った。
と、その時、前日もこの店で会ったおじさんが「映画に出たことあるよ!」というので何の映画かと尋ねたら

「ザ・カラテ」

というやつだった。
この時はその映画がどんな映画か知らなかったので、マス大山の極真空手ものなんだろうなぁと思ってたんだが、その後調べてみたら

>黒い強拳、世界を制す!世界の強豪、日本に集結!
>その真っ只中に帰ってきた、沖縄小林流七段・山下タダシの閃光必殺技!
>ブルース・リーに古武道を指導し、
>全米に空手ブームを巻き起こした男・山下タダシが、
>日本凱旋主演第1回作品として、空手の真髄を披露した痛快アクション映画。
>キャストは山下タダシを中心に、山城新伍、堀越陽子らが出演している。

というシロモノだった。
沖縄小林流七段って!
ブルース・リーに古武道を指導したって!
なんて「映画秘宝」の匂いがプンプンする映画なのだ。
でもそのおじさんはただのヨッパの陽気なおじさんで、やたらとオリオンビールを飲まされた。
そういうさりげなさがいいんだよな、沖縄は。
サブカルがサブカルをひけらかさずに、自然にそんな話が飛び出るあたりが。
(ああ、清酒タクシードライバーも映画秘宝と縁のある酒だったわ、いろんなことが本当に繋がっているなぁ)
この時、なつかしの歌謡曲がBGMでかかってたんだが、相良直美の「世界は二人のために」が流れたら「この人ホントにレズだったんだっけ?」とかいう話になってた。

その後に来たお客の人がこれまた不思議な人だった。
もうすでにマンヨッパで来店したらしく、英語で大声で歌う歌う。
さっきまでいた人たちも陽気だったが、輪をかけて陽気で泡盛のうんちくを話したりする(歌の合間に)
AORをこんなに聴いたのは久々かもしれん。
ママが「お客さんに合わせてBGM変えるの」と言ってた。

名刺を貰った。
名前、読めにゃい・・・!
でも社長って書いてあった。
酒卸問屋を経営しているらしい。そら泡盛に詳しいわけだ。
それ以上にえらく気分よく歌うので、社長さん感は皆無であった。
「ギター弾く」とか言い出してたし。その場にないのに。
それにしても沖縄の人ってその場で仲良くなるのがうまいね。まあ酒の場だから尚更なのかもしれないが、ホントに普通に皆話してて、「知り合いですか?」と聞くと「ううん」とあっけらかんと答える人が多いのに驚く。
まあ、なんにせよ、隔たりなく飲めることはいいことだ。
あと年齢の隔たりも感じさせずに飲んでくださる方が多くてこれも大感謝。
幾つになっても甘かあねェが、幾つになってもこういう風に飲んで行きたいものだ。

そんな感じに夜も更けたので、「観覧車」を出、社長さんに連れられ社長さんの知っているカラオケスナックへ。
沖縄に来てカラオケスナック行くとは思わなかった。
ディープ沖縄おもしれー。
店に入るとママさんがマラカスを振っていて陽気ぶりがビンビン伝わってくる。
そして「公務員何が悪いさー」と管を巻くおじさんに、
「硝子坂」を熱唱するクラブのチーママがいるという
ほんとにディープな空間だった。
私ももうすでにヨッパだったのでおじさんがアツく語ってる姿を見て「いやぁ、沖縄、おもしれーなー」を連発してたのだった。
そんで「笑うところじゃない!」と怒られたけど。でも陽気だったのでゲラゲラ笑ってたけど。
調子に乗って「冬のリビエラ」を歌ったりもした。「森進一離婚記念!」とか言って。


そんな具合にその日も大いに酔っ払って終わったのだった。
沖縄は、皆が同じレベルに酔っ払ってくれるので自己嫌悪しないで済むのがいいよ。


2日間が酔っ払ったまま過ぎ、ついに翌日は最終日・・・


ではない。
ホテルでダウンする前に、帰りの便を日曜に変更していたのだった。
そういうことは忘れません。
すなわち、2泊3日の旅ではなく
3泊4日の旅になってたわけだ。

ホントに沖縄おもしれーよ。
2000マイル飛び越えた甲斐あった!
連れて行っておくれどこまでも、高気圧ピープルたちよ。

自分の中で沖縄に対する憧れがいまいちなかったとか言ってたのはどこのどいつなんだ!まったく!


続く
2005年04月13日(水)

高血中アルコール濃度圧ガール 前編

ってもうガールって歳でもないんだけどな。
まあ山下達郎へのオマージュってことで。

3/31

沖縄全然期待してねーよ飲みに行くしか思いつかねーよと出発まで散々いろんな人に言っていたのだけれど、GO-GO'sの「ヴァケーション」を聴きまくったりしてイメージトレーニングしてました、実は。
あ、ヴァケーションじゃなくてちゃんと仕事なんですけどね。

昼間までに仕事をこなして、羽田に急ぐ。
♪なめらかーなー白い砂は〜
などと高気圧ガールを歌っておきながら、乗ったのはANAではなくJALなのね。なぜなら!俺は絶対!JALスイカ派ですから。(やや嘘、熊本から帰ってきたときはANAだった)

それにしても出張なんで沖縄までの航空代は正規料金なんだが、その金額が!

往復70000円!

たけーよ!
自腹じゃ絶対出せねえよ!

タイ往復航空券プラス宿つきでも7万より安いだろう。まあ、経費なので別にいいんだけど。でも立替しんどい。
飛行機の中ではみうらじゅんの「Love」を読んでいたのだがひとりでゲラゲラ笑う箇所多すぎ。午後3時過ぎの、比較的空いた便ではあったがスチュワーデスに怪訝な顔をされた。

軽く寝ているうちに飛行機が着陸態勢に入り、雲の切れ間に海が見えたと思ったら、
目の前に大きな島が浮かんでいたのでした。

これが沖縄か!
君はこんな体をしていたのか!(「失楽園」の時の古谷一行風)

あいにくの曇り空であったため、海のきれいさは上空からはわからなかったが、それでも海の上に浮く南国の島を目にした途端、こーれーはいいところに来たなぁと心が躍ってしまったのだった。
飛行機から降りるとむあん、として南国の空気がまとわりつく。
わー空気がぬるい!東京に比べて遥かに蒸し暑い!ジャケットとか着てきて失敗!

那覇着後はホテルに荷物を置いて、すぐにお客さんと合流。
お客さんはこの蒸し暑い中、ちゃんとスーツを着てたのだった。えらいなぁ。めちゃくちゃ暑そうだったけど。
私より先に那覇入りしていたお客さんは、すでに「いい感じの飲み屋があるあたりはチェックしといたから」とのこと。さすが酒飲みのアスリート!
というわけでお客さんに連れられ、その界隈(観光客用ではない飲み屋が並んでいた)を散策し、「ここよさそうじゃないですか」と決めて入った店は
「回」という店であった。
何も調べないで入ったけど、人気のある店なんだな、こうして見ると。
とにかくお客さんと「当たりでしたね!」と喜ぶ。

沖縄行く前に沖縄出張経験済みの方々から
「沖縄は料理が飽きるよ!とくに魚がうまくないからね」
と言われていたのだけれど、
なんの衒いもなく「刺身が食べたいんですけど」と頼み、
出していただいた赤マチ、シチューマチは見事な白身魚、というか鯛で、あっさりしていて美味でした。歯ごたえもよかったし。
とにかくどこに行ったって、白身魚しか食べない女なんだぜ!
(the WHO風に言えばエニウェイ・エニハウ・エニホエア白身魚女。ってこう書くと半漁人みたいだな。楳図かずおの漫画に出てきそうだ)

料理もさることながら、私はこの日「那覇に飲みに来た」わけですから当然泡盛を飲みました。
泡盛を口にするまで、どんなに私の中で「泡盛に対する偏見」がうずまいていたことか!
酔ってベロベロになって、声がでかくなって、いらんことを言い過ぎて、翌日の胃の気持ち悪さと頭痛と吐き気と腹痛、そして自己嫌悪の津波が押し寄せてくるという地獄絵図が・・・
って、地獄絵図のわりには1ヶ月に一回くらいそんなことやってるわけだが。
しかし、郷に入れば郷に従え。今までだってそうしてきたじゃないか。
日本酒だって山形でンマイのを飲んで魔の水と思わなくなったじゃないか。

つうわけでレッツトライ泡盛。
最初はお店の人に勧めてもらった「宮の華」をば。

とにかく泡盛=度数が高いという頭しかなかったので
一杯飲めば雷に打たれたように一気に酔っ払うんではないかとヒヤヒヤしていたんだが(今までいろんな酒を飲んできてそんな風になったことは一度もなかったっつうのに、ものすごい思い込み)

飲んでみる。

ひょうきん族の「ひょうきん懺悔室」のように、酒の神が目の前で手を交差してバッテンが出て、水がドバーっと落ちてくるような衝撃を受けるものだとばかり思っておりました。

が、実際には、酒の神が手でマルを作ってくれたかのようだった。
まろやかでポワーン。
なんて飲みやすいのでしょう。
香りもきつくなくて、あたかも水のように感じる。
神の光が差したかのように穏やかな気分となったのだった。
ああ、私は泡盛に全速力で謝らなければならんね。
水のようにするりと喉を駆け抜けると、まろやか、穏やか、のちに愉快になるのだから。

そんな風に陽気に愉快になったらもう泡盛を飲む手を止められない。
お客さんと次々に飲む。飲むたびにするりと体を駆け抜ける泡盛は、まるで沖縄という島を駆け抜ける爽やかなブリーズ(大瀧詠一風)のようだ。
仕事の話もさておき、酒好きのお客さんですから、話す話題は酒ばかり。
「お酒の味の表現方法に乏しいのが悔しい」
と私が漏らしたのだけれども(上記までの表現を見てもおわかりだろう。単にボキャブラリーの欠陥なんだろうが)、ワイン通のお客さんによると
「ワインと言うのは大体〜系と味(匂い?)が分類されてね、泥系とかスパイス系とかあるんだよ。で、その表現をどう自分なりにアレンジするのかなんだよね」
ということらしい。
そうなのか、納得だ。ちなみにお客さんの最上級のほめ方さZOKKON、な香り表現は「小学校の時、校庭で転んで口元についた泥の香り」らしい。
私も精進することにしよう。

と、そんな話をしていた私の目に飛び込んできた貼り紙が
「本日の泡盛 かねやま古酒20年」
というものだった。
20年物の古酒かーこいつはめでてぇな、と気軽に眺めていたのだけれど
値段を見てたまげました。

一杯 3400円

一杯なのかよ!一本じゃないのかよ!
「いやぁ、あれすごいっすね」と感心しているとお客さんが
「せっかくだから飲んでみようよ、ワイン一本買ったと思えば安いもんだよ」
と陽気に誘ってくるではないか。
ディス・イズ・酒飲みの発想!
が、私は根が「安物買いの銭失い」な人間なので怖気づく。
一杯3400円×1=一杯700円×約5杯などと換算している自分がにくい。
しかし先に注文したお客さんが一口飲んで「たのんじゃえ!」と言った瞬間、自分の中の「せっかく来たんだからいいじゃねーか贅沢しても」性分に火が点いてしまい、頼んでしまいました。

目の前に出てきたグラスの中には、わずかな量のかねやま古酒が。

手がブルブル震える。
高い酒なので、ロックにすることすら勿体ない。無論ストレートである。
震える手で口元にグラスを傾けると、もう、「年季」「熟成」としか言い様のない香りが鼻孔を突く。香りにも地層のようなものがあるんだろうか。年輪のようなものがあるんだろうか。さっきまで飲んでいた3年ものや5年ものの古酒の香りを何重にも重ねたような、高らかな香りが吹き抜けているのである。
先ほども書いたけれども、普通の泡盛はそんなに香りがきつくないように感じたから、尚更だ。いや、それは氷を入れて冷えていたからなんだろうか?日本酒がそうであるように、泡盛も常温のほうが香りが花開くんだろうに。
重厚な香りに導かれて、液体そのものに自分の粘膜が触れる。

舌に触れたわずかな量の液体が
ズシンと響く。
なんちゅー高密度の酒なんだ。

そして舌からじわじわと痺れていくのだった。
なんちゅー甘美な痺れなんだ。

体の奥のほうへと流れていった後に残るのは、
火照りと満たされた感であった。
口腔がまろやかさに包まれる。


口の中で見事な打ち上げ花火が咲いたのかと思った。


「酒は百薬の長」と言う言葉があるが、かねやまは傷口に吹きかけたら一発で治るような酒でもあった。
いやぁ、飲んでおいてよかった。渋らなくてよかった。
しかもその店では結局お客さんが奢ってくれたのだった。
本当にありがとうございました!



かねやま古酒に完全に気分をよくしてしまったので、2軒目行きましょーということに。
もう2軒目といえば、そりゃ藤村さんに紹介してもらった「観覧車」しかねェ!
もうこの時点でかなりのヨッパだったので、場所もうろ覚えだったんだが、国際通りを歩きに歩いてここらへんじゃねえかな、と適当に歩いていたらなんとか辿り着いた。
小さなバーでした。
しかし!
もう入った途端に「ああ、那覇でいい店を発見してしまった!きっとこの先しばらく通うようになるんだろう」ということに気づいてしまったような気がする、
直感で。
おそるべし「ちょっと飲みに行きたいからといって地方まで行って飲んでしまう人種」(=俺)の直感!
へべれけな状態で「電氣菩薩を飲みに来たんですよぉ」と告げるとママさんがあらまー!と感心しながら出してくれました。

沖縄で岩手の最高大吟醸に再会するなんて!
2000マイルどころではない。
日本って素敵な国だなぁ。

電気菩薩を飲むのは、思えば1月初めに喜久盛の蔵にまでお邪魔して、樽から直接飲ませていただいた(関係者以外で世界初!)以来なのだった。
あ、違ったわ、酒田に行った時にお土産で持ってって、日本海の海の幸を堪能しながら飲んだわ。
電気菩薩も日本を股にかけるお酒だなぁホント。

那覇で飲む電気菩薩は、東北の雪の中で飲んだときと同じように、一口目の東北男児のマッチョなアルコールっぷりがズギャンと打ちつける衝撃(それこそエレクトリックショック!)ののちに、ライスフルーティーな香りとふくらみが広がって全身を幸福感が包み込むのだった。それこそ菩薩のまなざしの如し。
日本のどこに行ったって、電気菩薩は絶対的普遍なのである。
でも、やっぱり雪深い中で飲む電気菩薩とはちょっと違ったかな。
東北でストイックに向き合うよりは、精神をアッパーな方向に導くためのリラックス酒という心持ちで飲んだからかもしれない。(東北でもアッパーに飲んでたけど)
菩薩さんも南国の陽気の中でアロハでも着てるんじゃねえか。
お客さんも「おもしろいお酒だね」と言っていた。

電気菩薩でつかのまの日本酒気分を取り戻した後は再び泡盛。
瑞泉を飲ませてもらったんだが、私はよくわからなかったが、どうやらそれはニューヨークボトルというやつで、そこからお客さんの華々しいお話が。
でもそういうのをサラっと言うのがこのお客さんの素晴らしい所以である。
それくらいから俺、泥酔。
ママさんに貰った名刺を忘れて帰るという失態。
でもしっかりと「明日も来るからね!」と告げたのだけど。通いつめることだけは忘れない、だって直感が働いた店なのだから。

3軒目はさらに泥酔でほとんど記憶ナシ。


という具合に結局、泡盛飲もうが、日本酒飲もうが、焼酎飲もうが失敗するのである。
飲み方が悪いんだ、飲み方が。
いや、飲むと調子に乗るという性質が悪いんだな、たぶん。


次回に続く
2005年04月12日(火)

高血中アルコール濃度圧ガール 序章

先週、目の奇病(単なるものもらいなんだが)のため、午前休を取っていた時にたまたまテレビショッピングの番組を見たら、ゆうたろうが石原裕次郎のコスプレなしで、素のままで出演していた。
髪とかもナチュラルで、一瞬誰かわからなかった。
「こいつ、ゆうたろうに似てるなぁ」と思ってたらホントにゆうたろうだったからビックリしたもんだ。
というか、ゆうたろうって、もう既に石原裕次郎の格好をしなくてもテレビに出ることが可能なタレントだったのか!知らなかったぞ。
春一番もある時期から猪木のマネをしなくてもテレビ解禁となってたが、あれは浅草キッドの番組内だけのことだったからな。午前中のテレビショッピングとはワケが違う。むしろゆうたろう>春一番なのか?
一体いつの間にブレイクしてたんだゆうたろう。
そのうち「ゆうたろう 熱愛発覚」とかもヤフーニュースに載ってしまうんではないか。
そもそも、こんなに「ゆうたろう」という単語を連発したのは初めてだ。
そしてもっと驚いたのが、一緒に「素のゆうたろう」を見ていた妹が
「やっぱ、石原裕次郎にそっくりだよね」
と一言漏らしたこと。別にコスプレしてないのに!
それでいいのか?ゆうたろう。

と、ここまでを書くためにゆうたろうのページを何個か見たんだが、
会社でゆうたろうのHPとか検索してるとホントに恥ずかしいな。
後ろを通った人に見られたんじゃないかと思ってヒヤヒヤしたぜ。


つうわけで昨日の宣言どおり、3月終わりから4月初めにかけて沖縄に行ってきた話をば。

まあ、出張だったのですがね。
それまで東北出張専科であったのになぜか唐突に上司から「沖縄行き、決定!」と言い渡される。

南国!
トロピカル!
高気圧ガール!

こういうこと言うから「実年齢、35歳でしょ?」って言われるんだろうな!

が、正直、沖縄行きを言い渡された際には困惑してしまいました。
なぜならば、「沖縄行くんだったら、車が運転できなければダメだぞ」と言われたからなのです。
いちおう免許は持っているが、当方車の運転はできません。
免許取立ての時に3回くらい運転した程度だ。
それから早3年。
運転なんて忘れちまいました。私にとって免許証は、お金のかかる身分証明書でしかなかったのです。

しかし上司に「そんなんじゃダメだ、特訓しろ」と言われ、上司による「会社内教習」が開催された。
車庫から車を出すだけで「死んでしまう」と半泣きになりました。上司は「バカヤロウ、車庫出しで死ぬわけないだろ」と言ってたが、私が両足を使ってアクセルとブレーキを踏もうとしている姿を見て
「ああ、これはホントに死んでしまうかもしれない」
と思ったらしい。
さらに、上司が教官になって2日間教えてもらった後、3日目は先輩による教習だったんだが(本格派会社内教習であったのだ)直線200m走ったところで「中止!交代!」を言い渡されたのだった。
そういや私は仮免試験の時も本免試験の時も「試験中止!」を言い渡されたんだったなぁ。
仮免時はセンターラインを大幅に超えて、道路を逆走したから。
本免時は車庫入れでブレーキ踏んだつもりがアクセル踏んでて急発進したから。
それなのになぜ免許持てたんだろう。謎だ。

そんなわけで沖縄ではタクシーを乗り回すことが決まる。

沖縄行きで困惑してしまったのは、何も車の問題だけではない。
北は行き慣れているし、知り合いもいる。日本酒も旨い。
が、南国は初めてなのですよ。
知り合いもいないのですよ。
何よりも泡盛で泥酔とか失敗をしたことがあったのですよ。
不安だったのです。

ま、正確に言えば仲良くしているみやらさんは石垣島出身だし
日本酒や焼酎でも失敗しているのだから、というか酒を飲んで泥酔は日常茶飯事なのだからいまさら泡盛こわいとか言ってる場合じゃないんだけど。
でも自分の中で沖縄に対する憧れがいまいちなかったのでした。
サーフィンもダイビングもやらない私にとって、白い砂、青い海に対する思い入れは皆無。
しろいすな、といえば、わたしのーあしあーとー、というふしぎな島のフローネの歌はすぐに思い浮かぶんだがなぁ。
(余談だが「ふしぎな島のフローネ」と「南の虹のルーシー」はよく混同するんだよな、主に「南の島のフローネ」と言ってしまいがち)

しかも作業は金曜日。土日は仕事ナシなので日曜まで滞在可能。
なのに「沖縄でここに行ってみたい!」というのが皆無なんて、一体どうすりゃいいんだ。泡盛も苦手だし、飲みに行ってもダメかもしれんってどうすりゃいいんだ。
ここはおとなしく、金曜出発の土曜帰りにしておこうか・・・
などと沖縄に対してひどく消極的な考えでおりました。


ところが!
ひょんなところで救世主現る。
秋田出張時に日本酒を一緒にしこたまのんだお客さんが
「俺も沖縄出張行くことになったよ!現地で飲もうよ!」
と連絡してきてくれたのである。
しかも「3月31日から行くから、31から那覇来ちゃいなよ」とまで言ってくれてるではないか。なんというありがたいお誘いなのか。しかもこのお客さんはとんでもなく酒が強いので楽しいこと間違いなし。
こんな誘いを断らないわけがないではないか。

さらに、藤村さんから「那覇で電気菩薩が飲める店があるんですよ」という耳寄りな情報を教えてもらう。
おお、行きますとも。沖縄訪問先ができてヨカッタ!(いや、仕事で行くのだから訪問先はあるんだが)

というわけで31日から行っちゃいました、2000マイル飛び越えて。


2泊3日の顛末は次回に続く
2005年04月11日(月)

5月の旅僧団

なんとなくマンヨッパで気分が良いので短く書いてみる。

俺の旅は4月末に仙台へアラバキロックフェスティバルを見に行くことなのですが、5月の旅の目処が立っておりません。

候補地
1.青森(長年憧れ続けた土地!ブルーフォレストシンドローム返上!)
2.福岡

なんですよぉぉぉぉぉぉ!(炎上)←ターザン山本風
ライバル候補地として九州が浮上してきちまいました。
そういえば九州はまともに行ったことねえや、と思ったので。
いまんところ7割の確率で福岡に行きたいとか思ってるんですが、「それ以外にもこの土地いいぞオイ」ってのがあったら教えていただきたいのれす。
ちなみにそれ以外だと行きたいなと思ってるのは山陰地方。王禄を飲みまくりたい。結局飲みなんだ俺は。
金は旅のためならいくらでも出せるんだ。(それ以外は渋るが)
意見とかくださる方はウェル歌夢です。(メールは8thekey@infoseek.jpでございます)

つうわけで鉄割見に行った話も書きたいが、明日以降は沖縄バカンスの話などを。
以上、ヨッパの戯れ言更新でございました。
2005年04月10日(日)

モリゾープレイバック90

モリゾーさんが生まれたのは1914年のこと。

1914年というのは第一次世界大戦が勃発した年らしいが、この頃は第一次なんて頭文字はついていない。その時代の人は第二次世界大戦が起こった時はきっと、「第二次かよ!」と突っ込んだことだろう。知らないけど。
上野では東京大正博覧会なんてものが開かれ、日本初のエスカレーターがお目見え。東京駅も開業し、明治に花咲いた文明開化もたけなわの時代であったことだろう。カチューシャかわいやわかれのつらさ〜、という「復活」の歌がかつて日本で流行ったらしいというのは私も「復活 文庫版」の解説で読んだことはあったが、ちょうどこの年のことであったようだ。
なんて感じの1914年、すなわち大正3年。モリゾーさんは7人兄弟の末っ子として埼玉の奥地に生まれたわけである。
兄弟が7人もいるわけだから、モリゾーさんが生まれた時には大分年上の兄さんや姉さんがいたんだろう。
モリゾーさんが9歳の時、おそらく小学校に通っていたんだろうけども、大きな大きな地震が起こった。東京のほうの山を見ると、山の向こうが真っ赤に燃えていたらしい。モリゾーさんの家は埼玉の奥地だったから火災などの難は逃れたようだ。

その後、小金井に出ていった兄弟を頼って東京に出てきた。昭和の初めのことである。
時代は戦前の日本。軍国主義もたけなわな時だったのだろうが、そんなことよりも東京に出たくてたまらなかった。モダンなものに対する憧れが相当強かったらしい。
兄さんの一人が建築事務所を開いていたようで、そこを手伝いながら夜学で大学に通い、建築をおぼえた。そんな技術の腕を買われたのか、志願したのかはわからないのだが、軍の技師助手として中国へ。
上海や満州を5年ばかり転々とする。
技師だったので徴集されずに済んだという強運の持ち主でもあった。
単に身長が足りなかったのかもしれないが。
終戦前に帰国し、小金井から高円寺に移り住んでいた兄さん達を頼って高円寺に住む。
この時、高円寺の下宿の向かい側の家に住んでいた娘さんと出会って、お見合いをして結婚。
モリゾーさんが30歳の時だった。当時にしては遅い結婚だったかもしれない。

兄さん達の家の近くに土地を買い、建築事務所を開こうかとも思ったが、ほかの兄さんの食料品を買い付ける仕事(ヤミ市とかのために買ってたんだろうか?不明)を手伝うことになってしまい、建築事務所の話はオジャン。
毎日、高円寺からチャリンコで築地まで出かけ(!)食料品を仕入れるのに精を出していた。
この買いだしの間に腰を悪くしたようだ。
モリゾーさんは末っ子だけど、兄さん達思いだったのだな。そして人一倍シャイで口数も多いほうではなかったので、一人だけ大学に行っちゃったことなどで態度をでかくしたりはしなかった。
自分の土地に掘っ立て小屋を立てて食料品屋を営んでいたが、区画整理で区に土地を持ってかれちゃったりする。
そして、やっぱり建築士の免許も持っていたし、それなりに自分の建築したものを残したかったのかもしれない。いや、単に建築費を浮かせるためだったのかもしれない。とにかくそんなわけで新しい家を設計して、見事に建てたのだった。
新しく建てた家で再び店を開く。乾物屋であった。

モリゾーさんは新しいモノ好きだった。
だから、自転車にしてもカメラにしても8mmにしても手に入るようになったらすぐに購入してたしなんだ。
中国滞在中はギターも弾いた。「モダンだなぁ」というのが口癖だった。
機械いじりが好きでギターが好きでカメラが好きで、そのうえ自己主張控えめだったというのは、かなり男子度が高い人だったのだろう。結婚も遅かったし、ヘタすりゃ今で言うD.Tの域だったのかもしれないな。

若いうちに戦争だの外国生活だの食料買いだしだのいろいろ経験したからだろうか、60を過ぎたあたりから乾物屋もいつのまにか駄菓子屋に転身。
そしてモリゾーさんは店先でひなたぼっこを楽しむ身分となった。
店先にはビニ本販売機が置いてあったり、スタンドで普通にエロ本を売るというかなり教育によろしくない駄菓子屋だったが、モリゾーさんはそんなことおかまいなしに毎日、毛糸の帽子をかぶりながらニコニコと店番をやっていたのだった。

駄菓子屋のおじいちゃんになってから、階段から落ちて何度か入院。
リハビリのためになぜかバイオリンを始めた。
「おじいちゃんはもうボケちゃってるから」と言われていたが、話しかければ普通に受け答えをしていた。ぼけちゃっていたのではない。元々口数が少なかったのだ。
もう危ないかも・・・と言われ続けてから10年以上平穏に暮らしていた。
モリゾーさんの人生は前半スパートをかけていたけど、後半はクールダウンだったから長く続いていたのだろう。

そんな具合に2005年。モリゾーさんは90歳になっていた。

日本は懲りもせずにまた戦争に兵を派遣したりしていたので、昔の戦争を知っている人だったら「まだやってんのかよ!」と突っ込んだとこだろう。

今年の冬は寒くて、モリゾーさんはちゃんちゃんこと毛糸の帽子がなかなか手放せなかったけれど、3月も中頃になり、外が陽気になってくると散歩に出かけたりもするようになった。
もう少ししたらもっと外に出ようとも思っていたのだけれど。

ある日の晩ご飯に、マグロのぶつ切りを食べたのだった。
マグロは堅くなかったけれど、90歳のモリゾーさんには堅い食べ物だったらしい。
あっという間に喉に詰まってしまって、コロッと逝ってしまった。
あんまり苦しまないで逝けたようだ。
自分の作った家で天寿を全うできたようだ。


それが私の祖父、モリゾーさんの一生。


私はじいちゃんに何もしてあげられなかったな。ごめんな。
うちのターミネーターこと妹は、じいちゃんの写真好きの血を隔世遺伝で継いだみたいだけど。(って私もいちおう腐れエンジニアなので、技師という点では受け継いだのかもしれないが)
ああ、私はじいちゃんの行った場所に行ってみるとしよう。
その人生を旅してみよう。

と思っていた矢先に、会社から日帰り出張が命じられる。
場所はなんと、じいちゃんの生まれ故郷である埼玉の奥地。ちょうどじいちゃんが逝っちゃってから一週間後のことだった。こういうことってあるんだな。
というわけで作業の合間を縫って、じいちゃんが見た山々などを見てみました。
あっちの山の向こうが真っ赤だったのかもしれんな、などと勝手に想像してみる。
幼い頃のモリゾーさんもおおむらさきを追ったりしたんだろうか。
私は遠出をすると、いつも頭の中に「遠くへ行きたい」を流れさせるのだけれど、この時ばかりは頭の中を「ふるさと」が流れたのであった。

♪ 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

ああ、この曲が流行ったのもちょうど1914年のことらしい。


それじゃあ次は上海に行くかな、私は。
2005年04月08日(金)

ああ、果てしない仙台追い続け・・・〜ドライビング・ノース出張ツアーズファイナル

和田アキ子の「介護番長」
ちょろっとしか見られなかったんだが、敵役がナンノってどんだけ時代錯誤なんだよ。しかもアパホテルの社長のような帽子かぶってるし。諸星和巳が出ているのもアッコ内予定調和でいやだったな。

そんな話はともかくとして、4月ですから会社内再編成も順調に行われました。
わたくしのグループも微妙にリニューアル。
会社に入ってから3年間、「おまえウンコ食うんだろ」という噂を流されたり
「失敗したら電気あんまかけてやる!でもおまえは電気あんますると悦んでしまいそうだからダメだ!」と言ったり「まんこ」というタイトルのメールを送ってきたりしていた上司が
ついに本当の上司となりました。
今まで本当の上司ではなかったことのほうが不思議だが。

で、グループ変え全体の感想として「チェリーのにおいがプンプンするグループですな!」ということを上司に告げたら膝蹴りが返ってきました。
まあ職場でそんなことを言った私が悪いんだが。
相変わらずわたくしは、「女子幻想を侵害する外敵」と見なされることでしょう。
しかし、まあ、外敵なりに言わせてもらうが、
「私が男子だったら、男のたしなみをもっと覚えようとするけれど」
って思うんだけど。なんか皆さん無菌状態なんだよな。男のたしなみって言葉は妥当じゃないかもしれないが、ギャンブルも一切しないし、酒も全然飲めないし、風俗も完全NO!で「趣味=カラオケ」とか言ってるのを見ると不思議な気持ちになるのです。その人なりのこだわりの趣味(エロスクラップ作成とかでもいいから)があるのならいいのだけれど、そういうところに飛び出すことすら拒否してぬるま湯に浸かっている男子を見ると・・・もったいねーなーホント。
だったらいっそのこと、女子的気質でも獲得しやがれ!と思う。
私は肉体的な男性形質を獲得できなかったが、精神的な男性気質はかなり体得したと自負しております。
そいから生まれ持った女子気質も豊富だと自負していますよ。
中性的なところに落ち着きたいのよ、心底。
女だけ、男だけなんて絶対損してら。もったいねーよ。

つうわけで東北ツアーズ最後の目的地、仙台編

4日目夕方
山形から仙台までは1時間に3本もバスが出ていて、おまけに乗車時間は1時間。
それで750円だ。安い!
つうわけでバスで仙台に移動。山形に山登りにきていたおばちゃんたちが沢山いて、あまりの勢いで整列を無視して入り口に群がるのでモタモタしていたら、その山登りおばちゃんの一人に手を掴まれ、
「あんた、ちゃんと並んでたんだから先に乗りなさい」
とか導かれる。誰が整列を崩しているのか、自覚がないらしい。まあ、優先的に乗せてもらったのでいいけども。

北上→秋田→酒田→山形と巡ってきて、最後に辿り着いた仙台は

クリスタルキングも真っ青の大都会!なのだった。

アーケード街には人がうじゃうじゃいるし、
道はバスが沢山行き交ってるし(福島行き、古川行き、盛岡行き等が多かったが)
ビルが立ち並んでいるし
はてしないなぁ、ホントに。さすが大都会。(何が果てしないんだか)

そんな仙台での目的は大都会なのにスノーボード。
仙台在住の大学時代の盟友マリコ嬢と落ち合って、仙台のはずれの山を目指す。仙台もいろんな町や村を合併した巨大な市なだけあって(仙台市の横がいきなり山形市なくらいだ)、車を走らせていけばすぐに大田んぼ地帯に突入する。
途中視聴率最低ドラマ「天花」の看板などを見かけた。藤澤絵麻、ヘタだったなあ。何よりもヒロインの相手役の男が坊さんって。そりゃ視聴率も悪くなるわけだよ。
うねうねと山を登っていくとあっという間に東北雪景色。小さな山なんだがスリップ事故が多いらしく、ところどころに「泉ヶ岳をなめんなよ」という挑発的な看板がたっていた。なめちゃいないってば。

辿り着いた「泉スプリングバレー」は小さなスキー場なんだが、夜10時まで営業というところだった。仙台だけど十分寒い!仙台だけど十分雪多い!
今シーズン最後のスノボなのでここぞとばかりに滑りまくる。
毎年、ここは雪がそんなに降らないので「つまんねえスキー場」(マリコ嬢談)らしいのだが今年は雪が多いのでおもしろいらしい。確かに、コースこそ少ないが、今年行った夏油、山形蔵王に引けを取らないスキー場であった。
が、いかんせん寒い。
ビールを飲む→大滑走→ビール→滑走ってな具合に寒さを感じないように努力をしたんだが、やっぱり寒くて、酔っ払って、もうどうでもよくなっちゃって退散。

山を降りてから、いったんマリコ嬢の家に戻り、そこから程近い居酒屋へ。
東北最後の夜の飲みであある。
「この居酒屋、ずっと気になってたんだよねー」と言われて案内されたのは、小さな居酒屋だったが酒の種類が豊富!おもに焼酎が豊富であった。ピーマン焼酎だのかぼす焼酎だの見たこともないような種類がどっさり。
でも東北最後だし、今までも散々地酒を飲んできたのだからここでもやっぱり宮城の地酒を飲みました。
店の人とマリコ嬢にすすめられてとりあえずは「澤乃泉 大吟醸」。芳醇でキレがよい。ワインのようだ。地元では大人気みたいだ。高いらしいし。
そいから「乾坤一」「栗駒山」「一の蔵」などをたしなんだが、乾坤一は淡麗で飲みやすいなと思った。最近は芳醇さとかフルーティーさが控えめな、程よく酸味が効いているもののほうが美味しく感じるかもしれん。
そういえば、名古屋の飲み屋で聞いた「これから梅酒ブームがくるんだって」って話をしていたら、ここのお店の人も「梅酒ブーム、もう来てますよ!」と言っておられた。名古屋で聞いた話が仙台で通用するなんて!感動。

不覚にも店の名前を失念してしまったんだが、いい店でありましたよ。
黒松駅の近くなんだけどな。
「OH!バンデス」で取り上げてくれねぇか、ムネさんよ。

その日は焼酎をガブガブ飲んでいたマリコ嬢が酔っ払ってしまい「吐く」と言い出したので慌てて帰宅。
なんとか復活したので同世代女子らしくピロートークなどをしつつ就寝。

5日目
9時半くらいに起きて、前日おみやげで持ってった武蔵の蕎麦を食べる。
大絶賛。よかったー。
その後、ダラダラしてたんだが、午後からマリコ嬢の予定があるというので出かける。しかし、結局コンビニで「Men's egg」を立ち読みしてゲラゲラ笑ってるうちに昼も過ぎてやんの。福岡で地震があったことも知らないという体たらく。
その後仙台に出て、日本一のかりんとうである「岩出山かりんとう」を大量買いし、いつも通り阿部かま路面店で「ひょうたん揚げ」を食し、東北グランドフィナーレは牛タン食らうぞ!と息巻いていたんだが、
仙台ってやっぱり楽天効果でちょっぴり好景気になってんだなー。
牛タンの店、どこに行っても混みまくりなのだった。
以前に連れてってもらった「閣」という牛タン屋ならば穴場かもしれない、と思って足を運んだのだが、残念ながら夜しかやってないらしい。
うーん、どうするか、と悩んだ挙句、結局入ったのはすし屋であった。
秋田、酒田に続いてまた寿司ですよ!
俺ってばホントに贅沢病としか言いようがないわ!

でも、まあ、日本海と太平洋じゃ魚の種類が違うからね!とよくわからん理由をつけて入店。そして昼から「綿屋」の特別純米なんかも飲んでしまう。
これはほとんど純米吟醸なんではないのか。スッキリした味で、魚とよく合うぜなどと思ってたが、脂っこい料理にも合うかもしれませんな。
魚は結局、日本海側と同じく白身魚ばかり食ってたけど(どんだけ白身魚至上主義なのかと)、太刀魚が!もう思い残すことはあるまい。

ちなみにこの寿司食事中にマリコ嬢が大変なことになり、気の大きくなったわたくしは途中から自分の行動力おすそわけ的ないらん説教などをしてしまったのだった。いろいろウジウジした状況になったりしたが、結果的にうまくいったようなのでよかったよかった。
という、報告のメールを受け取った時にはすでに東京行きのはやての中だった。
疲れ果てて眠っているうちに東京着。

まあ、どんなことも猪木の言ったとおり
「迷わず行けよ、行けばわかるさ」
なんだと思った東北出張であった。
いやぁ、東北、いろいろ行ってよかった。
各地で相手をしてくださった方々にはなんと言っていいのやら。本当に本当に大感謝である。いろんな人と交流をすることは本当に楽しいことである。
ますますこの土地が好きになってしまったじゃないか。

というわけで実は4月の終わりも行くのです。
もう、ほとんどビョーキ!とでもなんとでも言ってくらはい。

んで、後日談。
東北から帰った1週間後、会社の別の部署の人に
「こないだの日曜日、仙台にいなかった?」と尋ねられて「へ?」と返す。
「阿部かまでひょうたん揚げ食べてたよね?」
「女の子と2人だったよね?」
・・・なんでそんなに詳しいのよ?と返したら
その人、仙台で私を見かけたらしい。大声でガハハと笑っていて、絶対本人だと思ったらしいが「まさか仙台で見かけるわけがない」と思ったから声をかけなかったんだと。

日本は狭いねホントに。
そして俺はいつでも声が大きいよね。反省。
2005年04月07日(木)

ィヤマガタ、ィヨッパー深夜族〜ドライビング・ノース出張ツアーズその5

気がつけばもう4月。
時の流れは速いな、ホントに時の過ぎ行くままにこの身をまかせてるな。
今年は田縣神社豊年祭も行けなかったし、かなまら祭りも行けなかったので祭り関係はサッパリだったのだけれどその代わりに沖縄でバカンスを満喫してきましたわ。
って、いちおう出張で行ったんだけど。
最近の私の出張は(いや、最近だけじゃないんだが)半分以下仕事、半分以上レジャーだからな。がはは。
なんて呑気に行ってる場合ではない。出張が激減するかもしれないのだから。
いやだなぁ、今と全然違う仕事になったら。
もしなったらならば、ニートにでもなろうかしら。
(ダメだ、ニートになったら旅資金がないじゃないか!)

そんなわけで東北出張シリーズ 鶴岡→山形編
もう少しで終わるからしばしのご辛抱を

3日目
まにさん・さだえさん夫妻のおうちへ。
酒田は海の近くだし、3月も半ばを過ぎているため雪はもう降らないだろうと思っていた。しかし、ものすごい勢いで降ってきたのは雹!というか霰!
バコバコバコバコという、地面の打ちつけられる音が外で響いたのでこの平和な町にも事故が?などと思ったんだが。
それにしても当たると痛そう。氷だからな。
この日もまにさんの「ディスクユニオン酒田店」なCD棚を見せてもらい、オリジナルラブやコーデュロイが並んでるあたりは「さすが渋谷系出身!」と思う。
その後、夫婦のご厚意に甘えて、酒田から鶴岡まで送ってもらうことに。
車中の音楽はコーデュロイでございました。CD棚見せてもらってた時に指摘したかららしい。
鶴岡まで行く間にこのあたりで一番でかいジャスコというものを見たのだが、そのジャスコの横にこれまた広大な工事中の土地が。なんでも日本最大級の面積のアウトレットモールだか専門店街だかを作るらしい。
なぜ日本最大を酒田に?
と思ったが、土地がたくさんあるからNO問題なんだろう。
そして鶴岡のまにさんおすすめのそば屋へ。名前失念。
しかし蕎麦味噌がうーまーいー。昼からビールを飲んで蕎麦を堪能。蕎麦アイスや蕎麦あんみつが気になったがおなかイッパイだったのでやめておく。
外は相変わらず天気が悪く、ずっと雨が土砂降りであった。
鶴岡のおみやげセンターにバスが止まるというので、そこまで送ってもらったのだが雨の止む気配もない。そして荷物が盛りだくさんなのでここでお土産を買う余裕もなかった。まあ、もう一泊山形に泊まるのだからいいんだけど。
ここで買ったずんだジェラートは甘くなくておいしかったです。ズームイン朝で紹介されたらしいんだが。
まにさんとさだえさんと回し食いをして軽くDAISUKI気分。
そこで鶴岡を後にして山形に向かう。
まにさん、さだえさんありがとうございました!また酒田行くぜ!

というわけで山形。
鶴岡→酒田間は大変な大雪であった。これがホントに3月後半なんだろうか。
あまりの雪いっぱいの姿に思わず「おしん」を思い出した。
って、おしんが奉公に行くのが酒田の加賀屋だったか。カヨ様んとこだったか。ああ、泉ピン子が川に入って流産してたのが寒河江だったな、確か。
こんなことならば銀山温泉にも足を伸ばして(しかし、泉ピン子が枕芸者やってたという設定はいまだにいただけないな)おけばよかった。
そんなことを考えつつ寝ているうちに山形着。
旅も3日目後半となれば当然疲れが溜まってくる頃合である。
いったんホテルにチェックインした後、古レコードや古着を買いに行くぞと意気込んで外出したはいいが、山形も雨ザーザー。すぐ帰ってくるからいーやと傘を持たずに出たのだけれど、古レコードを売ってる店は閉店だったりして四苦八苦。
路地裏にあった古着屋でスカートを買う。
小さいけれどいい品揃えの店であった。ここも名前失念。
以前山形行ったとき入った「North」という古着屋も品揃えが大変よかったです。赤いパンプスなどを買ってしまったんだった。今回もまた靴を買ってイメルダ夫人気取りになるところだったが、すんでのところで思いとどまる。もうこれ以上荷物を増やすことはできないからな!

雨に濡れたのもあってか、具合が悪くなりしばらくホテルでダウンしてたんだが、夜は山形に来たらここに行くしかない!というわけで蕎麦屋「酒豪 武蔵」へ。
蕎麦屋なのに「酒豪」を名乗っているあたりが出会うべくして出会った店である。私と武蔵の出会いはこの日記参照
実は、3月だけで山形に来たのは2回目なのだった。
3月初めにもここに飲みに来ていたんだった私は。どんだけ通ってるのかと。東京山形間って何百キロあんのかよ。
その時はしょーもない、くっだらない悩みで凹んでいて、武蔵さんにウジウジグタグタ話を付き合ってもらい、具合悪くなるまで飲んだんだった。
今考えれば本当にどうしようもない話だったが、それに付き合ってくれたうえに「秋田行ったら帰りに寄ってけ」と言ってくれた武蔵さんは本当にありがたいお人である。
いつもいろいろな酒を出してくれるのだが、今回は山形の蔵である六歌仙の限定・蔵の隠し酒を出してもらう。純米吟醸。800本ばかりの限定らしいが、これがまろやかでマッタリでポワーンとした気分にさせられるお酒でしたよ。やや辛口だがいくらでも飲める。マイルド。あ、まろやかと同じ意味か。かといって口の中にべとついた感じが残るわけでもない万能な酒である。
県内限定でしかも売り切れ必須な酒らしいので、ここぞとばかりにたくさん飲み、いつも通り武蔵さんを前に管を巻くのであった。
で、案の定ヨッパ。

4日目
飲みすぎはよくない!と思うのはいつだって朝である。
しかしこの日の午前中はヨッパで倒れている場合ではなかった。電話でいろいろとやり取りする仕事があったのである。しかもそれが変に梃子摺ってグタグタ。
めんどくせーなー。でも、こんだけ遊んでるのだからちょっとばかり仕事をするのは当たり前である。
とりあえずその仕事を終わらせ、きもちわりぃと思いながら再び「武蔵」に行って前日食えなかった蕎麦を食う。いちおう蕎麦屋だからね。そしてなんで食えなかったのかって、マンヨッパでとても食える余裕がなかったから。
前日に酔っ払って「仙台の友達のところに蕎麦をお土産で持っていきたいんで打ってくれー」と頼んだらしく(あんまり覚えてなかった)、それを覚えていてくれて打ってくれた武蔵さんには大感謝だ。

蕎麦のおかげでなんとか持ち直したので、その調子のいいまま仙台に向かう。
だって仙台では・・・

以下、ようやくファイナルの仙台編に続く


余談だが、東北巡礼から帰った翌日に武蔵さんから六歌仙・蔵の隠し酒が送られてきました。キャー!まったく予想していなかったので大驚き。
県内限定だから東京では飲めないと断念していたんだが、ああ、なんともありがたいなぁ。
山形に行ったら「酒豪 武蔵」に行ってみるといいよ!


お知らせ

「股・戯れ言」から旅日記だけを抜き出してみました。

股旅・戯れ言
http://mykit.jp/pc/maaa55/

まだ編集中ですが、11月のいわき漁村参りとか、10月のらむさんのコメダに行った話などもこちらに書いてあります。読んでやってくださいまし。

ちなみにもう一度貼りますが、旅先写メール日記は

ネタ・戯れ言
http://blog01.yapeus.com/users/maaa55/

こっちでございます。
これにはもうすでに沖縄出張の話も沢山載せているのでどうぞ。

HPもようやく重い腰を上げてリニューアルすることにしましたのでしばしのお待ちを。

2005年04月06日(水)

字読みづらい!けどメッセージフォームです


股・戯れ言 / ヤツザキホームページ

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