momoparco
  悲しいニュース
2006年05月30日(火)  

悲しいニュース


 米原万里さんが亡くなられたそうだ。
享年56歳。
卵巣がんだそうである。

 まだまだこれからも楽しみにしておりました。





謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


 早朝につきこれで・・・。



  逃避願望
2006年05月29日(月)  



 大人というものをひとくくりに定義づけることは難しい。
自立していること。
自分以外の何かの世話をやいていること。
世の中が甘くないと知っていること。
・・・。


 少し前に、長いネットの友人が、サイトを閉めると日記に書いていた。
忙しい、とても忙しくて時間がない。
それだけでなしに、さまざまな問題もあるだろう。
ネット上のわずらわしいスパムに悩まされることも続いていた。

 サイト暦は私よりも長く、その場所を何よりも大切にしていたのだから、閉めるという決心は断腸の思いだったろう。
色々な問題がなくて、忙しさが少しでも軽減できていたら、スパムなど彼女の敵ではなかったと思う。

 まだサイトがある頃、彼女の書いたある日の日記は私の心を捕らえた。
大変に失礼かつ、不躾だとは思ったが、黙ってコピーさせていただいた。




しんどくないっていえば、大嘘つきだ。
逃げたくてしかたない。


かっこ悪いって言われるかもしれないけど。



言わないほうがなんぼか、かっこいいだろうさ。



けど、、わからんやろ?
言えない人間の気持ち。




 それは、あることについて書かれていたものだが
言葉たちは、彼女の魂からしぼりだされて、私の深いところに届き、痛いほどに胸を打たれた。
共感・・・共鳴・・・共振。


 今、少しだけ、彼女の姿を見ることができる。
何よりそれがとても嬉しい。
時に助けられ、時に励まされ、ネットの上だけとはいえ、とても大きな存在である。
私も彼女を応援しているし、どこにいてもその存在があることが何より嬉しい。
いつでも心にいるのだから。

 書いたものを無断でにコピーして、載せたことを心の中で彼女に詫びつつ、やはり書かずにはいられないと思ったので・・・。
遠い空より。



  緑の誘惑
2006年05月27日(土)  



 最近特に、緑に対しての憧れが強い。どこか緑の沢山ある場所で、何もせずに緑だけを眺めて過ごしてみたいと思うようになった。自然の中で遠くを眺めて過ごしたい。逃避願望が混じるかも知れないし、いささか疲れているせいかも知れない。

 なんにせよ、雨上がりの木々の葉などを見ていると、とても癒される気がする。何ものも人工の手を借りずに営まれる自然の姿は、変化に富んでいて、植物や生物は季節を如実に語る。あるがままの生命は時に残酷に姿を変えて老いてゆくが、ものの哀れや無常を感じるよりは、心の邪悪を浄々とさせると思うようになった。

 時間があれば、ヒルズで食事をするより、どこか近場でも山などに登り、道端のそちこちに目を向けながら自然と語らってみたいと思う。いや、山登りなど体力的におこがましいから(笑)バスで一日何とか観光めぐりでもいいけど(爆)。

 近くの公園の桜の木は、とうに葉桜の季節を迎えて久しいが、このごろ赤い実をつけている。私は植物にほとんど無知なので、あれは確か山桜のはずだったのに、何で赤い実がついているのか、桜の木ではなかったのか?などと思ったりしていた。

 先日、もう少し実が濃く色づき始めてハタと気づいた。さくらんぼじゃーん。(笑)ほんとうに、我ながらなんという物知らず!実はよくわからないから、近くに住む後輩に密かに聞いてみようかと思っていたのだ。彼女になら恥をしのべるし、何しろ学生時代の彼女は大根踊り。(爆)

 でもたぶん、食べられたりはしないのだろうと思う。ていうか、検索でもして調べろよってか。ふ。


 今住む場所は山の上にあり、坂道の多いのは少々不便だが、景色が良くて緑が多いのが何より気に入っている。年を取れば、山の上に暮らすことに無理があるのは、近隣のお年寄りを見ていて感じるので、将来は下町に下りて暮らそうと、密かに購入するマンションなども決めているが、やはり眺めの良さと緑の多さには魅力があって、時間的余裕が出来るころには山を降りるのかと思うと(そんなに高い山でもないのにそれじゃ仙人みたい・笑)、いささか寂しい気もしている。



  ストレスが溜まると
2006年05月26日(金)  



 といいつつ、下世話な話で恐縮なのだが、というか、実に書くに値しないような話なのだが、ストレスが溜まると有名人いじめをしたくなるのは私の悪い癖である。それを承知でお読みいただくと・・・。

 この前テレビで、あの子の結婚会見(というのかな)をやっているのをチラッと見た。(それをやる価値があるのかどうかはわからない。) 割と可愛らしい奥さんを迎えて、自分がお守りしたいとか何とか言っていたっけ。まぁ、それは良いでしょう。ひとのことだしね。(でも、世の中のみんなはあの子のお守りをしたいわけじゃないのよね。)

 だが、それから、それを知らせた街頭インタビューが写されると、なんとみんなおめでとうムードで、結婚という慶事だから、それらしいインタビューの答えばかりを抜粋したのであろうが、そういう一辺倒のマスコミの報道には本当に恥ずかしさが先にたった。


「へー、アイツがねぇ・・・」とか
「あの娘は一般人なのに、あんなに映していいのかしら?でもまんざら嫌がっていないわね。っていうより、何だか出たくて出てきたって顔してるわね。嫌じゃないのねぇ、きっと」とか
「出来れば、結婚指輪なんか見せてくださいなんてやって欲しかったクチかもね」とか
「指輪なんか下手に見せたら、金の出どこを追求されそうだから、きっとそれはないでしょうね」とか
「あの娘のお父さんは、大反対だってさ。当たり前よねー」とか
「でもまぁ、あんな子を結婚相手に選ぶくらいだから、きっとあの娘も大したことないわよ」とか
「どうせ、すぐに別れるわね」とかとかとかとかとか・・・

 そんな巷の話は絶対の絶対に流れない。
何であの子の結婚がそんなに目出度いのかよくわからないが、たぶん、離婚になれば(もうそうなると決めているのか?)慰謝料がいくらで、それは一体どこから来たとか何とか。離婚の理由も大見出しになったりして、なんかもう、そういう手の平をひっくり返したような様子が見えてしまって、その片手落ちの報道にしらけるだけしらけた。マスコミの恥知らず。

 後日、新聞を読んだら、あの子ってば、他人の文章を盗用してブログに記事を書いていたっちゅう情けない話が載っていて、本当にもう・・・

 私はクレヨンしんちゃんの漫画は好きではないが、あの子を見ていると、しんちゃんの母みさえが大がに股になって、「しんのすけぇ〜」と言いながら、両のこぶしでしんのすけの頭をグリグリやる絵を想い出して、あの子の頭に同じようにやってやりたいという気持ちになる。

 んとにもー、一から生まれなおしてらっしゃい。といいたくなるんだよね。
太蔵バブちゃん。






  期が充ちること
2006年05月25日(木)  

 人間には誰にも平等に毎日銀行から同じだけのお金が振り込まれている。その日一日でそれをどのように使おうと、平等に自由で、全てを使い尽くしても良いが、足りなくなっても翌日の分を先に使うことは出来ない。また、使いきれずに残ってしまっても怒られないが、残高は決して翌日には繰り越されず、午前零時になるとどれほど残っていても0になる。そして、0になった途端に、再びその日の分が振り込まれる。

 というようなお話をどこかで読んだ。(あれこれあちこちにある何かを手にして読んでしまうので、出所は定かではない。)のだが、このお金とは、時間のことなのであった。

 私たちには誰にも平等に、一日には24時間が与えられていて・・・、あとは上に書いたとおり。
どんなに忙しくても、どんなに忙しくなくても、あれをしたいこれをしたいと思っても、それをどうするかはそのひとによるものである。あの時無駄にした時間を取っておいて今日使いたいと思ってもどうすることも出来ない。

 テレビ、雑誌、インターネット。
現代の世俗にまみれる三種の神器。ではないかと、この数年思っている。正確には神器ではなくて、新奇、いや辛気かも。

 呑まれずに、ふわふわとせずに、およそ自分というものをしっかりと持ち続けて生きていくことは大変な時代だ。その原因を作るものが先の三つなのではないかと思う。何かを選んでいるよりは、ここかと思えばまたまたあちらというような腰の落ち着きのなさは、何だかとっても危なっかしい。

 選ぶということが出来るのは、それが出来る基礎が備わっていてこそで、何もないまま、現れてくるものを頭や目で受け入れる習性がついてしまうと、そうしたものがなければ不安で仕方がなくなるような気がする。セールスの電話ではないが、良いものが向こうから飛び込んでくるなどということは本来あまりない、というかまずない。待っていて、受身でいるばかりではどうにもならない。

 ひとつのことをじっくりと行うのも24時間のうちなら、いくつかのことをあれこれと考えるのも24時間のうちだ。だとすると、同じことをじっくりと構えて続けるほうが、限られた時間の中でいくつかのことをするよりも深いと思う。言いかえれば、あれこれ落ち着かずにいるのは浅いということだ。

 こんなに色んな情報が溢れていて、いちいち感知してもそれについて考えることができるのは数限られている。そんな中、あれにもこれにもいちいち足を突っ込むのは、それは考えているのではなくて、考えた気になったようなものなのではないかと思う。ほんの一瞬の洗脳、軽佻浮薄。そうした言葉が浮かんでくる。

 私もインターネットをするし、どっぷりと浸かっていると思う。HPをはじめてから6年目に入った。長いお付き合いの色々な方を拝見するうち、結局のところ、その方のされたいような形で、その方の好きなときに、回りにおもねず媚びることなく、他人がどのように思おうと、掲示板に書き込みなどなかろうと、いっさいを気にせずに延々と同じ事を続けていられる方に大きな魅力を感じるようになった。

 実社会では、仕事やしがらみ、その他もろもろの理由で色々なことがあるのは、大人の社会人ならごくごく当たり前のことだと思う。しかし、そうした世知に長けていくことを世俗にまみれているとは思わない。むしろ、ちっとも世知にも長けずに、テレビや雑誌、インターネットにどっぷりと浸かり、内面がふわふわと過ごしていることの方が、よほど世俗にまみれたひとだと考えてしまうようになった。

 出来ればじっくりと考えて、じっくりと生きていきたいと思う今日この頃なのである。



  むらしぐれ
2006年05月24日(水)  



 朝から降りしきるはしり梅雨のような雨は、細かい透明の糸が縦に並んで揺れるように、ところどころできらきらと光り、音もなく落ち続ける。

 二日前の夕暮れ時、昏れなずみはじめたころに窓のシャッターを閉めてからは表の様子がわからないでいたら、突如としてモーターが鳴り響くような、わおわおごうごうという音が聞こえ始めた。何の音だかしばらくわからずに耳を澄ましていると、どうやら表から聞こえてくるようだ。村時雨。

 なんの音だかすぐにわからなかったのは、雨の激しさのせいで、あまりにも強くふりしきるものだから、耳慣れた雨音とは全く違っていたからだ。じっと聞いているうち、もともと雨には音がないのだと思った。雨雲の粒子のひと粒ひと粒がほどけて降り落ちる時には何の音もしてはいない。雨粒が、屋根や窓や、地表に触れ、樹木の葉の一枚一枚にさわったときに奏でられる小さな衝撃の重なりが、初めて『音』ととしてわおわおとごうごうと鳴るのだろう。

 しばらくして、突如雷が鳴った。すぐ近くに落ちたのではないかと思えるほどの大きな雷鳴は、家の空気を揺るがしている雨音よりも更に力がある。思わず背筋が伸びるほどに。しかし、轟くほんの一瞬の、音源に裂かれた闇の向こうには、依然として青空が何ごともないようにしているのだ。

 あの夕の雨で、地球がずしりと重たくなった。草も樹も、地上のあらゆるものは、潤い、生命力を得て重みを増した。翌朝の晴れた空に、すでに乾いた地面の上で、光と影の協奏が聴こえると、とても強い力で背中を押されて、それはとてもあたたかく躰の内側に充ちていくような気がした。



  母の日
2006年05月14日(日)  


 母は8日に退院してから家にいるものの、抗がん剤の副作用のために食欲は落ち、というより目で見て食べられそうだと思っても、体に入ると拒絶反応を起こすようで、どのようなものを作れば良いのか頭を悩ませる日々。
 「どうせ食べられないから沢山いらない」とは言うものの、何もしないでいるのは虐待しているようであるし(笑)、少しでも栄養を身につけて欲しいと思うのだ。

 腰の痛みは相変わらず、これはもう悪くもならないが良くもならないという状態で、家の中では歩行器を使うが、動けるのはトイレと洗面とお風呂くらい。一日のほとんどの時間をベッドの中で過ごしているので、よりいっそう筋力は落ち、今は髪もずいぶん抜けた。

 また今週半ばには二度目の抗がん剤投与のために入院をするので、副作用の拍車もかかるような気がするし、治療なんだか痛めつけているのか正直わからない。年老いてのがん告知にも疑問を感じるが、治療のためとはいえ、「つわり」のような様子を見ていると、せつなくなる。こうした日々が、早く過去のものとなることを祈るような毎日である。

  なので、このところあまり外遊びができず、家の中にくすぶっているから、デジカメで写真を写して遊んでいるようなわけで、更新するものに画像が多いんである。(笑)

 で、我が家の薔薇の花を写してみた。キッチンの片すみと窓辺の白い薔薇。デジカメは、フィルムを買う必要がないし、現像する必要もないし・・・

 そういえば、カメラのフィルムを買うひとがほとんどいなくなって、某メーカーでもフィルムの製造はしなくなり、大きなリストラが行われたという新聞記事を読んだのは数ヶ月前。一眼レフのカメラもしかり。時代が変わり、一時はもてはやされた物が不要になると、それに伴いひとも動かざるを得なくなる。そう思うと身につまされる。

 などと書いていると、昨日の続きのようだが、明日のことはわからないというのが切実な時代になったのだと思う。確かな今日一日を過ごすこと、そうした日々を積み重ねること、それしかないのだし、たぶん、それは今に始まったことでもないのだが。

 それにしても、花の命は儚く、そして美しいと思ふのである。





  ♪私がおばさんになったら
2006年05月12日(金)  

 家の中を超整理していたら懐かしいものが出てきたので写してみました。なんと、私の子ども時代のバービー人形。古いものです、とっても。(人形も年齢不詳なの)時代がかっている感じがしますでしょ?このメイクなんて特に。

 アイホールにはたっぷりブラウンのシャドウ。
瞼にはブルーのグラデーションがくっきりと。
そして、これでもかっていうくらいの真っ黒なアイライン。
ほら、メイクの正道を行ってるでしょう。

 お若い頃の美空ひばりさんですとか、こんなメイクをしていらっしゃいませんでしたっけ。


 それから、子世代ともいえるこれまたバービー。見比べると本当に時代を感じますね。体つきもメイクも、親世代の方が圧倒的にナイスバディーで色っぽいのに比べて、やはり若い世代の方は伸びやかといいますかおおらかといいますか。

 お洋服も、体のメリハリにぴったりと添うようなデザインは親世代。それも、背中はちゃんとファスナーがついているので、本当に純ボディコン。それに比べて子世代のお洋服はマジックテープですから、なにかこう、体の線もゆるみがちといいますか、人形そのものの素材が柔らかいのでそんな感じがします。

 特に靴など、画像には写っていないのですが、親世代のサンダルは、土踏まずの形に添って履かせるとカチッと音がするほど精密な作りで、ピンヒールの部分は一ミリも満たないほどの細さなのに、なんと人形が立つのです。

 それに頭はカツラで、本体のヘアスタイルの他に、全くスタイルの違うカツラが三つあります。黒い色のシニョンと、赤茶色のセミショート。

 子世代の方はといいますと、靴などもリカちゃん人形の靴みたいにほにゃほにゃで、何をどうしても絶対に自力では立てたりしないのです。髪型はこの一つだけ。

 古いものってあなどれないですね。このように、お人形ひとつとっても、作りの何から何まで手のかかり具合も古きよき時代という感じがします。

 
 ところで、それまで携帯電話を持たなかったのに持つようになったという方がずいぶんいらっしゃいます。年の頃は50代より上の方。理由を聞けばさもありなんで、お孫さんの画像なのですね。今は手軽に写真が送受信できるわけですから、可愛いお孫さんの写真ともなりますと、それまでは、「携帯なんていらないわ」とおっしゃっていらした方もお変わりになります。

 お話を伺っておりますと、50代の方は、時間がかかるものの何とか簡単なやり取りや画像の保存、待ち受け画面の画像もお孫さんにされたりと、ご自身でなされるようですが、60代の方となりますとそうはいかないご様子で、ご家族のどなたかの手をお借りになっていらっしゃるようです。メールは読めても送れないとか、後れても件名だけ、用件の方へまで入れないなどなど、可愛らしいお話が多く。

 かくいう私の母など、メールなんて夢のまた夢。呼び出し音が鳴っていても、出るということすら危うい。ですから、マナーモードに切り替えたり、一度電源を切ったりしてしまうと、二度と元の状態には戻せなかったりで、一体何のために持っているのかわからないような有様です。

 などということを、微笑ましい思いで拝見しているのですが、いづれ、いまに、近い未来に私も同じようになるのだろうなと考えると何だか笑えないどころか、少し背筋が寒くなったりしています。↓(今は使えておりますが、何とか)

 携帯もパソコンも全くない時代というのがあって、私はまさしくそういう時代に生まれ育ったわけですから、高齢者になる頃には、今はまだ見たこともない何かがあっても当然とも思えます。そして、そうしたものをさっぱり使いこなすことが出来ず、若者の会話にはさみこまれる単語、例えば今でいうところの「ダウンロード」だの「着メロ」だのなんてさっぱりわからず。

 もしかしたら、電車に乗ることはおろか、切符を買うこともも出来ないかも知れない。電話という電話は、片っ端から音声アナウンスになっていて、子どもの家にもかけることができない。銀行へ行っても自分のお金をおろすこともできないとか・・・。いえいえ、そう思いつくことではなくて、何かこうさっぱり思いつきもしないような何かによって、居ながらにして世の中からはみ出ているような気がしてなりません。

 もしかしたら、もっと違う画期的な何かによって、世の中は、ある世代にとってもっと便利になっていて、SFちっくだけれど、ちっともSFなんかじゃなくて、何をしようにも、手も足も出ない時代がくる・・・。

 などと、近未来の高齢者は、鼻歌まじりに二世代に渡るバービー人形を並べて、じつは不安な思いにふけってみたりするのでありました。



  美しいって難しい
2006年05月07日(日)  

 生まれて初めてひとの顔を美しいと思ったのは、カトリーヌ・ドヌーブを見たとき。なんて美しいんだろうと、ひとの顔を、美しい、綺麗と息を呑んだ初めてのことで、それはそれはショッキングな出来事だった。

 その頃私はまったくの子どもで、テレビも映画も好きなように観ることなんてかなわなかったから(チャンネル権は父にあったし、我が家では映画館などいかわがしいという教育だった)カトリーヌ・ドヌーブの映画を観たわけではなくて、きっとどこかの雑誌か何かを見たのだと思う。

 小学4年生のとき、新しく担任になった女の先生が、好きな女優さんは、岩下志麻さんとか若尾文子さんと自己紹介をして、イワシタシマという名が私の中にインプットされた。しばらくして、何かのテレビで彼女を見たとき、日本の中にもこれほど美しいひとがいるのかと、再び強いショックを受けた。

 カトリーヌ・ドヌーブ=美しい=外国人 だからという勝手な想いを日本の岩下志麻さんが変えた。晴天の霹靂であった。以来、私の中での美しい顔という基準が彼女たちによって出来てしまったようである。正当な美人として。

 ところで、私が知らなかった昔の映画スターの写真を見ると、本当に美しいひとが多くて、何だかわからないが恥ずかしくなってしまうほどだ。若かりしころのエリザベスー・テーラー、グレタ・ガルボ、ローレン・バコール・・・、日本では、高峰秀子さん、鰐淵晴子さんなど同じ人間とは思えないほどに愛らしかったし、それにそれに、あの三輪明宏さんのデビューの頃のプロマイドを見たときは、今活躍しているビジュアル系タレントは皆嘘だと思ってしまうほどだった。

 現在にも、綺麗なひとは沢山いるのだが、今はその枠が広くて正当というところからはずれているように思える。個性という許容が加わって美人とされるひとも多い。もっとも個性は誰にでもあるものだから、磨き方で綺麗に花開く場合と、埋もれてしまう場合とあるのだろう。しかし、正当さにおいては、そもそもの地だとか成り立ちは作り変えられるものではないような気がする。私の中でそこが違う。といっても、美醜の判別など、見る側の価値観によって千差万別だし、好みにも大きく影響される。

 私が日本の中で美しいと思う女優さんは、夏樹陽子さんと、中島ゆたかさん。大いに好みが影響している。いつ、どのときに見ても、同じ感覚を持つ。綺麗と。

 それをいうと、たいていのひとが、冷たそうだというし、キツそうだという。確かにそうだが、冷たいとかキツいとか、どちらかといえばマイナスなものが顔に現われていてなお美しいと思えるのが、私には綺麗なひとなのであるからしかたがない。まさしく私の好みは、冷たそうなキツそうなひとの顔なのである。

 清純そうだとか可憐だとか、あどけないとか、穏やかそうだとか、暖かそうだとか、ただそれだけの、マイナスの部分が少しも現われていない顔を見ると、きっと性格はキツくて意地悪に違いないと思えてしまう。

 美しいさというのは実に難しいものだと思う。冷たさやキツさを含んでいて、なお上品であらねばならず、そしてやっぱり美しくなくてはいけない。

 ・・・ああ、本当に難しい。



  生業ということ
2006年05月05日(金)  

 子どもの日なので、近くの和菓子屋さんで柏餅を求める。このお店は、長年続くこの辺りの老舗で、町に和菓子屋さんはこのお店一軒だけである。
 和菓子のひとつひとつは比較的小ぶりで、餡は上品で控えめな甘さ。餅は全て純粋な餅のみを使われているので、翌朝にはどれもカチコチになってしまう。それでも、名物の豆大福の豆の塩味はなんともいえず、柔らかな餅は美味しくて、平日でもお昼過ぎには品物がほとんど売りきれてしまっている。和菓子を作るのはご主人たちだ。

 私が越してきた頃は、お店には90歳近い大奥さまが店番をしていらした。いつも和服を召していらして、驚くことに計算機やそろばんをいっさい使わずに、お客の注文の品を丁寧に包み終わる頃には頭の中で会計が出来ていた。もちろん、おつり銭も即座に返され、凛とした美しさは明治の女というオーラを漂わせていた。

 しばらくして大奥さまが亡くなられ、二代目の奥さまがお店の番をされるようになった。間口の小さなお店は、道路に面してショーケースがあり、その上にも少し品物が並ぶだけ。ケースの向こう側にレジや包装台があり、開店の間は表と中を隔てる扉やついたてがない。夏の間はどれほど暑く、冬の間はどれほどお寒いだろうと思っていたが、二代目の奥さまも洋装で立ち働いていらっしゃる。

 最近、若い女性がお店番をするようになった。アルバイトの方かと思っていたが、どうやら三代目の奥さまらしい。時節柄後から後から柏餅を買い求める方が絶えず、合間にお赤飯やお饅頭の注文を受けたりして、まだ二十代と思われるその方は、若々しく楽しそうにお客の相手をしていらっしゃる。

 商うということがどのようなことなのかを良くわかっていらっしゃるのだろう。甲斐甲斐しい立ち働きは、若さだけで出来るものとは思われず、とても好感が持てた。親子三代に渡り、生業というものを大切にされる姿勢には、どの奥さまにも頭の下がる思いである。

 

 そういえば、この商店街の中ほどに、それは美味しいお寿司屋さんがあった。こちらもそれほど大きな構えではないが、寿司の他にも、うなぎやふぐ料理があり、いつもにぎわっていた。

 出前をお願いしても、器が丁寧に扱われているのがよくわかった。塗りの寿司おけには小さな傷ひとつなかった。このお店の奥さまはとても綺麗好きな方で、中はいつ行っても、これ以上は無理と思われるほど清潔だった。店の前には小さな雑草一本生えていない。食べ物を扱う場所は、第一に清潔であるということは必須だと思うが、この頃は、そうしたところに目が行き届いている飲食店があまりない。

 このお店の周りにも、後から後から色々な飲食店が出来、値段だけを比較するとはるかに安くても、いつのまにか消えてしまう中で、お値段は他所より少々張るが、いつでも賑わっているのは大変なことだったと思う。しばらく前から何ヶ月もお店が閉じられたままなのは、お二人がご高齢のためかも知れない。とても残念なことである。今でも私は、お店の前を通ると、背筋が伸びる気がする。

 生業とは、その業で生きて行くということだ。



  遊び心で
2006年05月04日(木)  

 叔母の個展に行った。「布と遊ぶ」。
叔母と、布と色との関わりは長く、大学時代の専攻は染色だったから、叔母は人生の半分以上の年月を、家族よりも長く布と共に過ごしている。
 個展は、何度か開いていたが、数年前に一緒にやっていらした画家の方が亡くなれたこともあって、今回はしばらくぶりとなった。

 この作品は、「瓢箪梟」と題されたパッチワーク風の飾り絵。梟が愛らしい。叔母の作品には動物と植物を描いたものが多い。何点かの梟や猫、想像上の生き物、ちょっと不思議な動物たち。それが私はとても好きだ。
 植物の方は、薔薇やポピーの赤の色が美しい。ひとつひとつの赤はもちろん違う。ショッキングともいえる深紅、真紅の花びらが目を捕らえて離してくれず、ひと針ひと針の針目はいとも丁寧で素朴で叔母の想いがそこかしこに籠められているようである。


 額に入ったものを写すと、ガラスの部分が反射して写しているこちらが写ってしまい、あの赤色を上手に撮れなかったのが残念だった。

 右の画像は、かつて叔母から授かった帯たち。一つ一つ手描きの帯は更紗風の綿。中でも好きなのは白地のもの。私は寒色が好きなせいか、さまざまな表情の青い色、蒼い色に魅かれるのだが、この色は花浅葱色というか千草色というか。唐草模様風の模様のふちを細く彩る金の色が、よりいっそう柄ゆきを際だたせていて、繊細なひと筆ひと筆には、いつ見ても溜息がでる。

 帯は全て名古屋帯仕立てになっているので、とても締めやすく、何といっても軽いので楽だ。叔母の帯から一本を選んで締めて行く。



 着物は小紋。
この着物も色がとても好きで、とりわけ白から紺青色にぼかされた八掛の色が何とも愛すべき色である。そして、瑠璃色に近い叔母の帯の地色が、なんともぴったりぴったり。帯揚げは紅鬱近色にして、遊びの混じる白地に紺と、同じく紅鬱近の細い線が組まれた帯締めをすると、会場では叔母のお友達の方々から、まるで帯のために誂えたようだと言っていただき嬉しくなる。
何より、叔母の喜んでくれた顔が嬉しくて、素敵な良い一日だった。


 みなさま、どのような連休をお過ごしでしょうか。
素敵なおやすみになりますように・・・



  ささやかな幸せの香り
2006年05月03日(水)  

 大きな家具の移動もほぼ終わり、明日の朝業者が取りにきてくれるので、すぐに運び出せるように持っていってくれる物たちをひとつの場所にまとめた。一番大きなものはやはり母のベッドだろう。マットだけでもかなり重い。その他にも、沢山の家具を整理したので家の中はずいぶんスッキリとした。

 この家に暮らしてからかれこれ14年目に入り、建てる時にはずいぶん考えたようでも、長く暮らすうちには不都合を発見したりして、気になる箇所はチェックしてあった。今回は、非常に大掛かりな模様替えとなったが、集中してこれだけの大仕事が出来たのは我ながら快挙である。(笑) 本当に、火事場の馬鹿力の働きをして、それ以上の満足を得た。

 中でも一番嬉しかったのは、ごみ箱の収納である。横浜では、16年の10月より始まったごみの分別のために、それぞれの置き場所に頭を悩ませていた。

 もともと、キッチンや洗面所など、特に水のある部屋ではごみ箱が見えるところにあるのが好きではなくて、箱そのものを見えないように収納していたので、ごみが沢山の項目に分かれてしまうと、どうしてもはみ出してしまっていた。かと言って、バルコニーや勝手口に置くのも嫌なのであった。

 それらを、キッチンの広さは変えず、分別しながら全て見えない場所に置くことが出来るようになったのが、ささやかだが、何より一番嬉しいことである。

 昨夜は、一日中立ち働いてかなり疲れていたのにもかかわらず、深夜12時を過ぎてから、キッチンのワックスがけなどをして、今がさかりの茉莉花の花の香を愛でながらご満悦なのであった。



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