momoparco
  誓い
2006年04月26日(水)  


 忙しい日々を送る中、心がささくれそうになるのを持て余して無意識に検索したのはスタイリスティックス。目の前の現われたのは、今の今、彼らが来日中、ライヴをやっていることを告げる画面。食い入るように見つめた。一週間の日程の中でライヴはほぼ終わりに近く、全席指定と書かれていたので、ほとんど諦めの境地でライヴハウスに電話をかけると、まだ少しだけ座席が残っていると言われた。

 スタイリスティックスといえば、多くのひとが知っているのは「愛は全て」であり「ユー・アー・エヴリシング」であり、「ディスイコ・ベイビー」である。「誓い」・・・この曲の知名度がそれらの曲より低いのは、彼らがリアルタイムで歌っていたころ、ディスコのチークタイムでしか流れなかったからかも知れない。

 ミュージカルバトンに綴ったが、私にとっての「誓い」は、真夏の夜に天から降りてきた曲だ。夜風に撫でられながら聴いた夜空と音楽の抱擁。あのときの私は、将来彼らを目の前で見ることなど決して出来ないと思っていた。それはついこの前まで同じだったし、現時点での時間のなさをどうしようかと思った。

 それに、私にはどうしてもこの曲を一緒に聴きたいひとがいた。沢山の思い入れがある。こんなことが現時に起こるとは予想もしていなかったが、そしてしばらく近況を伝え合っていなかったが、一緒に行って欲しいところがあるとだけメールを送った。かなり忙しいに違いない。近況など伝え合っていたら、誘えないと思ったから。

 しばらくして、二つ返事で快諾の短い返信があった。何も聞かず、ただ何とかしてくれる気持ちがとても嬉しくありがたく、もうそれだけで気が済んだような気持ちにすらなった。それからは、夢を見るような気持ちでいた。

 カウンター席しか空いていないと言われていた銀座のライヴハウス。テーブル席はかなり低く、カウンターからは至近距離で彼らが見える。5mもない極上の位置。ソウルやR&B、ブラザーやシスターの歌を聴くのはチープな場所で良い。高尚にするのは回りだ。小さな箱で、集まるひとたちもかつて聴いたひとたちだろう。日本ではない大人の場所、ハーレムの少しお洒落な気分。


 
 ベージュのスーツを来た彼らが登場する。始まりは「ロッキン・ロール・ベイビー」そして、「ユー・アー・エヴリシング」。かくもスィートなソウル。声は聴きなれた声そのまま。踊りもそのまま。何もかもがそのまま。彼らがそのままの形で目の前にいるということが、奇跡のように思えた。「サンキュー・ベイビー」「ストップ・ルック・リッスン」「君がテレビスターなら」「ラブ・イズ・ジ・アンサー」。

 そしてお終いから三番目に始まった「誓い」。この曲は目を閉じて静かに聴こうと心に決めていたのに、低いボーカルが始まると嗚咽が漏れてしまう。高いブラザーの声になれば、わおわおと泣き止めず、結局ぼうぼうと涙を流しながら聴いた。私は確かに抱擁されていた。彼らに、彼らの音楽に、想いに、そして隣にいるひとに。

 決して味わえるとは思えなかった奇跡の夜。ラストの「愛がすべて」で踊り、二人のボーカルと握手までする。頭が混乱、錯乱、何もかもが幸せで全てに感謝しても足りなくて、貧血を起こしてしまうほど。

 ライブを知ってから、今も、ずっと彼らの曲が頭のなかに流れている。夢を叶えてくれたメンバーに感謝して、後から聞けば、かなりの無理をして不可能を可能に変えて付き合ってくれたひとに感謝して、昨夜のことを大切な想い出としていつまでもずっと記憶に留めていたい。

 ありがとう。「好きにならずにいられない」この曲はなかったけれど、ありがとう。ありがとう。



  記憶
2006年04月25日(火)  

 母の具合は思っていたより悪いものではなかったが、依然として歩くことは出来ずに病室にいる。年齢のせいか、ガンの進行は遅いがそれでもゆっくりと進んでいる。歩行が困難になったのは、昨年の放射線治療の後遺症。骨がもろくなっているためで、今後ペインクリニック(麻酔科のケアが始まる)今は抗がん剤の治療を施し、経過様子を見ながら過ごしている。

 家にいる間に、車椅子や電動のベッドを使用しはじめた。一人で歩けるのはせいぜい三歩。インターフォンやトイレの入り口から三歩のところにベッドを置くために家具を移動し、一人にしておく時間はとても短く、看病と介護が合わさったような状態であった。

 母は、ひどい痛みのせいで気弱になり、死を強く意識し始めていた。来る日も来る日も、幼いころの、女学校時代の、職場の、父との出会い、関わるひとたちとのこと、その他もろもろを語りに語る。

 自分の葬儀のことや、あちこちから集まるお弟子さんたちのこと、跡目を継いでもらうひとのことや、遺していく道具の差配などは、元気なときであれば、聞き流していたようなことだが、ひとつひとつ真剣に聞いてしまう。私はかなり疲れ、自分が喪服を着て動き回る夢を見る。狭い世界にずっといると、ノイローゼになりそうな予感がして、職場に戻るとほっとした。

 病院では、ブザーを押せばすぐに看護婦さんが飛んできてくれる。ありがたいことである。何より安心感がある。母も同じことだろう。足はかなり細くなっている。

 母が語るのは、記憶の中に眠っていたあらゆることだ。今まで知らなかったこともある。古い古い記憶。ひとつひとつの小さな断片も、ひとの心の中にはずっと眠っているのだろう。決してなくなってしまうものではないのだ。母は、大切な記憶のカケラたちが、自分の死とともになくなってしまわないように、残して行きたいのだろうと思う。これで全て話した。もう満足したと嬉しそうに言っていた。

 どのくらいになるかわからないが、退院してくることと思う。少しでも、痛みが薄らいで過ごしやすくなれたらと祈るばかりである。



  ご無沙汰してしまいました
2006年04月13日(木)  

 今年の桜は遅咲きで、気温が低めだったせいか、ソメイヨシノも山桜も、名残を惜しむように遅くまで花が残っていましたね。

 昼間は楚々として可憐に春の訪れを教えてくれる花たちも、宵闇に混じるころにはすっかり妖艶な姿に変わり、桜の樹に宿る精はどうしても女だと思えます。いつの春に見ても、美しくて、さまざまな思いを馳せることのできる花。

 このごろは、雨上がりの砂浜に、視線を落とした方が散りばめられた薄桃色を沢山みるようになりました。


 すみませ〜ん。
何の前触れもなしに、すっかり留守をしてしまいました・・・。
皆さまお変わりありませんでしたか?
長いと思われた冬が過ぎて、一日ごとに春が色濃く、とても気持ちの良い季節となりました。新学期っていいですね。^^
そして私は元気です〜

 パソが繋がらなくなっていました。
月末は忙しく、月が変わってかねてより申し込んであった光フレッツの工事があり、CATVからプロバイダが変わりました。モデムの接続は難なく出来たのですが・・・。

 実はこのパソ、LAN で3台のパソに繋いでいるので、その後ルーターに繋ぎなおす際に、ちょっと思い立って本体の中の埃の掃除をしたのですね。CPU の上のファンを取り除いて、埃を綺麗に取って繋ぎなおしたまでは良かったのですが、ハードディスクは動いているのにシグナルが送られない状態に・・・!壊したみたい?。どじった?。。。
一台動かないと当然他の二台も動かないわけでして・・・。

 仕方がないので、父の部屋のパソを失敬してきて(爆)(こちらはYahoo BB、しかも買ったばかりの新しいままでした←元気になるために買い変えていた)元のドライブの中身を外付けにして、繋ぎなおして、さまざまな不具合も修正しつつ、などということを、まとまった時間がないので時々やってはいたのですが・・・。

 先月半ばから、母の具合が良くなくて、パソの前に座る時間がほとんどありません。どうも、昨年転移が認められて放射線治療を施した場所にガンが再発しているようだということがわかりました。来週には入院をして、新たにいくつかの検査を行い、結果を待って今後の治療方針等が決まると、そのまま治療が始まるというのが大まかな予定ではあります。

 ご心配をおかけしました。申し訳ありません。m(_ _*)m
本当に、そういうつもりではなかったので、私もやきもきしてはいたのですが、時間がなさ過ぎて放置になってしまいました。ごめんなさい。
コメントや、掲示板へのメッセージも沢山いただいて、本当にありがとうございます。おかげさまで、私自身はとても元気にしています。おまけに、光フレッツになって、外付けのドライブが加わって容量が増えたものでパソも元気(爆)。

 ただ今午前零時半。今夜のところはこれで落ちます。明日以降にゆっくりとレスを入れさせていただきますね。綴りたいことも沢山あったのですが、疲れてしまって、夜更かしが出来ませんね。しばらくは、時間がどれほど取れるかわかりませんが、皆さまと楽しい交流を続けさせていただけたらと思います。 ^^;このような調子ですが、よろしくお願いいたします。

本当に、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
取り急ぎ、近況のご報告とお詫びまで。



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