momoparco
  言葉のつなぎ目
2006年06月30日(金)  

 会話には、説明をすることの難しさを感じることがある。聞き手に正確に伝わるように気を配りながら説明をする場面はとても多い。

 母の世話をするにあたり、さまざまな場面で訊ねられたことに答える場があるが、病院で医師の質問に母が答える様子、あるいは、求められて代わりに私が答えるとき、または介護のスタッフの方との会話においても、個々の違いが見えて、物事の説明をいかに的確に伝えることが難しいかを感じるのだ。

 母の場合、高齢ということや緊張もあるだろうが、そもそも本人の持っている癖や性格が左右するのだろう、話が回りくどくなりやすい。物事の1〜10のうち、6と7の部分を訊ねられても、3から話始めないと6へは進まず、9まで話さないと7が締めくくれない。全てを言葉に出してからでないと、答えがまとまらないのだろう。時と場合によっては、相手に有効な話もあるかも知れないが、客観的に見てほとんどの場合無駄なお喋りになってしまう。

 一方、お訊ねになるお医者さまにも個性がある。比較的ゆったりと、分かりやすい言葉で、最後までお付き合いくださる先生もいらっしゃるが、それでもあまりにも余計な話が終わりそうもなくなれば、どこかで話の方向を変えられる場面がある。上手に、今貴女のお話は伺いましたよというような意図を優しく言葉で添え、次の話題へと誘導される。そのくらいに回りくどい話し方になるのは、母だけではないのではとも思う。私は二人の話に頷いたりといった反応以外は、ほとんど黙っている。

 単刀直入に、無駄なく余白なくお話したがるお医者さまの場合には、母の話を遮られることが多く、次第に私の目を見てお話になり、会話は、まるで医師と私の一対一のようになっていく。

 こうしたお医者さまは、比較的若い男性に多く、きっと一度聞いたことは忘れないような頭脳の持ち主なのだろうと思わさせられる。看護士の方の緊張の仕方でも伝わってくる。一切の無駄は無用とばかりに、たたみかけるようなお話のされかたをなさるので、質問、あるいはお答えする私の口調も一切の無駄がなくなり、喧嘩ごしとまではいかないが、殺伐としたものだ。しかし、だからといって先回りをされるのは大いに嫌なようである。

 立石に水のような説明は、商品を売り込む営業マンに多いが(彼らは滑舌が良くないのに早口だ)、メモを取る余裕も反芻する余裕もない。要点は正確に伝わり無駄はないが、セールスと違って愛想というものがないので、会話としてはクッションとなる物のない骨の連なりのようで軋んでいる。神経そのものが疲弊する。何より、一緒にいる母本人にはまるで理解できない。母は認知症ではない。

 こちらの容態を説明する場合にも様々なケースがあるが、お医者さまのお話をを母に分かりやすく説明をするというのにも、根気がいる。状態を知らせるのと、相手のわからないことをわかってもらうのとでは、同じ説明でも全く違う。

 介護に関わるスタッフの方の場合、教育を受けていらっしゃるせいか、非常にゆったりと根気よくお話を聞いてくださる代わりに、逆に無駄なお話が多く、お喋りに発展してしまう場面が多い。

 こうしたスタッフはほとんど女性なのだが、必要なことを伝えようとするより、口数の多さで話を進めていかれる印象があり、余計な話が多く、とっくに結論が出ているのに結論に届かない。

 言葉の何を必要とし、何を不要とするのかの判断は会話においては瞬時に必要なものだが、なかなか難しいものだと、半ば参考にしながら半ば面白いと感じながら・・・。

 的確でやさしく、無駄なくゆっくりと、やんわりではっきり、論点のずれない適度なクッション、限られた時間の中で会話が出来たという充実感・・・。

 限りなく勉強をさせていただいている。



  目病み女と風邪引き男
2006年06月29日(木)  

 次兄が中学生だった頃、鼻の手術をした。私は9歳年下だから、幼稚園の頃だったろうか。
地元の病院は、耳鼻咽喉科と歯科と胃腸科があり、それぞれ、院長先生、院長の奥さま、娘婿先生が診察にあたられていた。有床の専門病院で、患者数が多くいつも混雑していた。

 今思うと本当に昔の話だと感じるのは、手術室のドアが木製のドアだったことや、ドアのすぐ向こう側にはもう手術台があったり、誰もがそのドアを手動で開け閉めして出入りしていたことだ。現代の病院の造りから思うと、何と古めかしいことだろう。嫌になるほど古い。ドアノブの下には小さな鍵穴が空いていた。

 部屋の前の廊下に待機するひと専用のソファーがあり、私は母と一緒に緑色の地に白抜きで手術室と書かれたライト・・・ではなくて、木の目に墨で手術室と書かれた札の前にいた。中の音が聞こえて来ていて、退屈した私は鍵穴から中を覗いた。

 見えるのは白い白衣を着た院長先生の後姿で、先生が横に動くたびに、その向こうに横たわる次兄の顔の辺りが見えた。狭い鍵穴の中で見え隠れする先生の手の動きや、次兄の顔の辺りの様子と、聞こえてくる物音とを合わせると、事前にどのような手術を行うかを母と誰かの会話から聞いていた私は想像をつけていた。小さな小槌のようなもので、トントントンと叩く様子。(まったく何という時代だろう。)それを逐一母に報告をし、窘められた。

 しかし、それでも興味は止まらず、何だかいつまでも覗いていたような気がするが、夜中に夢を見て魘されて泣き、それはしばらく語り草のようになってしまった。私は、あるものは見てしまう子どもだった。

 それだからというのではないが、歯科医に行って治療を受ける時、私は目を瞑ることができない。それは単純に、歯の治療が大のが苦手だからで、何が行われているのかをしっかり見ていないと怖いからに他ならない。

 ひとにそれを話すと、怖いからこそ目を瞑るのだと言われるが、試してみたら、恐怖が増すばかりで、3秒と目を閉じてはいられなかった。ずっと見られている事は医師にとってどうなのかは分からないが、口中をいじられながら話しかけられると、しっかりと医師の目を見て反応しているのだから、無作法ではないような気もする。・・・?

 先日、私は生まれて初めて、麦粒腫の切開をした。眼科のちょっとした手術は、診察の椅子の上に座ったまま、膿盆のような物を持ってするのかと思ったら、しっかりベッドに寝かせられた。濃い緑色のビニールシートのようなものの上に頭をおき、片目の部分だけ開いたガーゼを顔に乗せられて、しばらく待っていたら、何だか緊張して来る。

 ひとから聞いた話だと、麻酔で目が閉じられないから、近づいてくる器具が全て見えてしまうのがとても怖いらしい。目といえば目だ。物を見るのにこれ以上ないくらいの至近距離で針やらメスやらが見えたら巨大だろう。更にそれが、これから何がしかの痛みを与えるとわかって近づいて来たら実に怖い話である。

 しかし、どうなることかと思ったら、私の好きな女医さんは、私の頭の側に座った状態だったので、うんと横目にならなければ見えないほどの横から細い棒状のものが近づいて見えたけだった。そして私は何と目を瞑ってしまった。といっても先生の手によって開いていたのかも知れないが、とりあえず瞳を反対の方へ思いきり向けて、意識としては瞑っていた。

 看護婦さんが、何度も目薬を差してくれるので、あれが麻酔なのだろう。チクっとしますと言われて少しだけチクッとし、「ごめんなさい、少し痛いかも知れません」と言われ、眼球が潰れるかと思うくらいに押されると聞いていたので、痛いのを今か今かと待っているうちに、プチっと音がして「終わりましたよ」と声をかけられて、あっけに取られた。

 私は歯科医で緊張すると、左手を大仏さまのようにあげている癖があるのだが、どうやらこの時も同じ状態で、先生は軽くその手に触れてくださり、緊張が大いに解けた。この先生は耳鼻科も診ていらっしゃるのだが、その時も必ずこちらの緊張を解くように体を少し触れて笑顔でひと言、言葉をかけてくださる。そのタイミングが絶妙で、どんな痛みも緊張も薄らいで、ああ、この先生に診ていただいて良かったと思うのである。

 というのは、
- 目病み女と風邪引き男 - はもてるらしい、という話を書こうと思っていたのに、書き始めからずいずいと横道にそれてしまった話である。

 さて、- 目病み女と風邪引き男 -
 いつも潤んだ瞳で眩しそうに見つめたりする女は、それはそれで風情があるのだろうか。
頬がそげて、咳をするたび前髪が額にかかるような、それが青白い顔に影を作るような、そんな男だと風情があるのだろうか。

 想像してみても、あまりモテそうな気はしない。目病み女なんて、何だか薄幸の美しくない女を想像するし、風邪引き男は鼻をすすってくしゃみをしているだけでも煩わしい。
と思うのは、想像力の欠落かしら。

 ええ、単に一時 -目病み女- になったから、もっと艶っぽいお話を書こうと思っていたのに、何の色もつかなかったというお粗末でした。



  梅雨時は・・・
2006年06月19日(月)  

ねぇ、コーヒーを飲まない?


いいね、入れてくれるのかい?


熱いのがいい?
それとも冷たい方がいいかしら?


そうだな、熱いのがいいな・・・
待てよ、蒸し蒸しするし、冷たいのにするか
いや、どうしよう
こんな陽気だと、何だかビミョーな気分だ


わかったわ
それじゃ、ヌルいのにするわね



  雨が誘う
2006年06月18日(日)  

 深夜、激しい雨が降っていたが、風がとても心地よくて通りに面したバルコニーに出た。今の季節に、夜の空は昼間よりも澄んでいて、薄墨色の向こう側に、雲のあるなしもよくわかった。道路の上には大きな水溜りができていて、街頭の明かりを吸いこんで太い電線が映っているのが見えた。

 子どもの頃、水溜りを覗くのが好きだった。雨上がりの道に出来た小さな水溜りを上から覗く。水面には覗きこむ自分の顔が映る。しばらく見ていると、頭より遥か上にある電線や、それより上の空の様子がはっきりと見えて、自分の顔が見えなくなる。

 すると、石ころほどの深さの水たまりは、底のない水を湛えた深い深い洞のようで、怖くて目が離せなくなり、決して落ちてはいけない場所のようで、両の足に力が入った。

 不安になって、近くにある小石を落としてみる。小石は決して吸いこまれることなく、すぐに小さな音を立てて浅い底に当たる。途端に深い洞は壊れて、揺らいだ水面に私の顔を映している。
 
 繰り返し同じことをすると、深い深い洞は、3Dの絵を見る時のように、焦点を合わせたりぼやかしたりしなくても、石ころひとつでたちまちただの安全な水たまりに戻り、私の顔は映ったり消えたりしているのだった。あの深くて暗い底には何があるのか、想像をすると飽く事がなかった。

 子どもの頃は、小さな遊びをくりかえした。人間の手によって創り出せないものの中には、沢山の深い洞や要塞がある。未だに私は、自分の回りには、知らない場所の知らない世界がそちこちに存在していて、ふいにその中へ入りこむことが出来ると信じている。



  ヤケ読み
2006年06月17日(土)  

 生理的範疇に触れるほどのストレスを感じることがある。理性では抑えられないような感覚は、回を重ねる毎に沸騰点が低くなり、身体にも少なからず影響を与える。

 ストレスは、それ自体体を壊す要因にもなる。解消するには、大元の原因を取り省くのが最も有効だが、それがそうはならないから、大きなストレスとなるのだろう。

 食事はあまり欲しくなくなる。甘いものはますますいらない。アルコールは、研ぎ澄ますばかりで、重症に拍車をかける。なだめるものを探すと、書店にいる。

 本の帯にあるフレーズが目に飛び込み、なんの脈暦もないのに手放せないような気持ちになって、手にしてしまう。乱読が始まる。集中力がはずれているから、一冊の本を読むことが出来ない。いくつかの本を横並びにして、気のむくままに併読する。目は文字を追うときもあるし、上滑りすることもある。

 無意味なようで、それでも、何かが沁みることもある。僅か一行で救われたと思うこともある。

 11の物語・パトリシア・ハイスミス
 コスモポリタンズ サマセット・モーム
 反貞女物語 三島由紀夫
 ジゴロ 中山可穂
 2days 4girls 村上龍



  好きで好きで
2006年06月14日(水)  

 先日、女性ばかり数人で話していたときのこと。
60代の女性が、最近見たという「思いっきりテレビ」の電話相談で、80代の女性からの相談を話題にした。

 ご主人に先立たれ、息子さんたちも独立して独り暮らしをしている女性のところへ、毎日64歳の男性が、あれこれと世話を焼きに来てくれるそうだ。ときどき泊まって行くこともあるらしい。男性は、この女性のことが大好きで、大好きで、彼女の躰中を舐めるのだそうである。遺産が目当てなのか、何なのか、男性の真意を量りかねての相談だったらしい。

 想像通りだが、みのさんはやはり
「結構なことじゃありませんかー」というような受け答えをしていたらしい。
相談の結末はどうだったのか知らないが、私はその場にいた女性たちの反応の方に気を取られた。

 誰もが気味が悪いといったしぐさで、顔をしかめたり、身震いをしたりする。その場にいたのは、30代、40代、50代、60代、70代の女性。誰ひとり肯定的な様子ではなくて、二人のことをどちらかといえば異常なことと捉えているのがわかった。

 大好きで大好きで全身舐めてしまうなんて、本能だもの、艶かしくて、素敵じゃないと思ったのだが。年齢という数字から、ひとの何もかもを判断してしまうのは、人間の大いなる誤算だと思う。

 密かに憧れの女性は、81歳にしていまだ仇っぽく、それは昨日今日で備わるものではないと伺い知れるものがある。そう考えると、この相談者も男性をそそる何かがあっても少しも不自然ではないと思う。もしかしたら、相談とは名ばかりのお惚気だったのかも知れないと思えばますます微笑ましい。

 座の中で、女性の年齢に近づけば近づくほど、彼女たちの反応は芳しくなく、誹謗するのにかまびすしい。

  きっと相応しくはないけれど、
「人生の勝ち組と負け組み」・・・。
そんな言葉が浮かんでしまった。



  エゴイズムのバランス
2006年06月02日(金)  

 先日、「いいひと」について書いたら、今日出先で手にした雑誌に立川談志師匠の「男にとってのいい女」(というような・・・)と興味深いコラムがあった。

 中には、さる場所でそのテーマについて募ったところ、寄せられたとされる沢山のいい女が列挙されていて、

 化粧が上手い女
 聞く耳を持つ女
 想い出の中の女
 あんまり喰わない女
 残さず喰う女・・・などなど。(他にも沢山あったが、忘れてしまう ^^;)

 この中で、言葉のゲームとして面白いとお墨付きなのは、想い出の中の女だそうだ。
(・・・本当ね・・・とは心の声)

 師匠曰く、いい女とは、己に都合のいい女なのだそうだ。
これは、男に対しても言えることで、問題は、相手にも都合があるということだそうだ。
対人関係は、ひとことでいえば、エゴイズムのバランスであろうと締めくくられていた。

 
 立川談志さま、大変参考になりました。



  6月1日は晴れのち晴れ
2006年06月01日(木)  

 6月1日はたいてい晴天である。何故それを思うのかというと、その日は子どものころに住んでいた地域のお祭りの日で、毎年天気が良かったからだ。2週間後に行われた隣町のお祭りは、毎年曇天か雨で始終し、晴れというときがほとんどなかったのだから、梅雨は毎年2週目あたりから始まっていたのだと思う。

 昔は地域の色々な方のはからいで、地元の小学校は半日授業。午後から子どもはお祭り三昧ということになる。学校の帰り道、道すがらの家々の玄関には、祭礼と書かれた大きな提灯が下がり、ちらし寿司をつくるときのような甘酸っぱい匂いが漂い、辺りは平日なのに浮かれていた。

 3時と5時に町内の山車が出る。日ごろ作業着を着た工務店のおじさんは、浴衣の裾をからげて尻はしょりをしている。襷がけの背中に編み傘を下げて先頭をきる姿は、粋でもいなせでもないのに色気があった。とととん、とん。高い山車の上で鉦や太鼓を鳴り、お囃子を聞きながら、真っ赤になって暑い町内をゆるゆると練り歩く。横浜駅ちかくの国道に出ると、車はごく一時的に通行を止められるが、誰もクラクションなど鳴らさないのどかさなのであった。

 一丁目から五丁目まで、どの公園にも大きな櫓が組まれ、盆踊りはにぎやかに9時まで続いた。縁日は、夜ともなれば人人人になる。遠くからわざわざ来る人もあったらしい。前へ進むことも後ろへ戻ることもままならない時間があった。

 ところが、翌日の6月2日は横浜港の開港記念日で学校はお休みだから、私たちは昼間からたっぷりと縁日を愉しむことができるのであった。


 毎年6月1日は、子どもの頃の記憶を体内時計が蘇えさせる。あの場所に住まなくなってから、それまで以上の年月が経つのに、未だに今日という日は心があの日に戻る。ずっと記憶にある限り、この日の天気は晴れ。雨は一度か二度しかない。

 厳重な警戒などしていなくても、何も心配をすることがなかったし、何ごとも起こらなかった。誰かがいなくなるとか、事件が起こるとか。

 最近、お祭りは1日のみとなったらしい。山車は一度。盆踊りもなく、縁日は8時を回ると早々に片付けはじめられる。継承するひとが減ったこともあるが、それ以上にさまざまな問題がある。町内会、子ども会、婦人会、老人会、警察、学校。地域の連帯があるだけでは対応しきれない、何が起こるか予測のつかない世の中だからなのである。



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