momoparco
  ハーレム・ナイツ
2005年07月31日(日)  

 ドライアイと眼精疲労のダブルパンチで、更新が厳しいので、あまり書けないのですが、素晴らしかったです。
え?あ、29日に行ってきた田舎のお話。

 サックスが素晴らしくて、勿論全部が良かったのだけど、サックスなくして何のソウルぞ、と思っていましたから、もう感動。

 特に後半、この方(ジェームス・カーター)が登場してからは、4ビートと16ビートの交錯の世界。生意気な事を言えば、音楽は体で聴くものだと思うから、その感じを表現するとしたらそのように書くしかないのだけど。4ビートと16ビートの交錯。ブラザーの踊りはそもそも16ビートのノリなんだけど、演奏しながら、この方の体躯でそのパワフルなノリがなんともファンキーなのに、音がベツモノみたいに発散される。全身全霊でサックスそのものになっているような。照明のせいだけでなく、楽器がキラキラ輝いていて美しいこと。
愉しい!あくまでもその感じ。←なんとベタな感想文!(爆)

 それから、オマー・エドワーズのダンス。タップダンスとソウルダンスのミックスしたような踊りが登場するのだけど、なんというんでしょうね、フュージョンか?(爆)

 初めは真っ白なナイキのスニーカなんですね、ストリートダンスのようでいて、タップを踏むわけです。今まで見たことのない踊りなんだけど、その後裸足になって、それからタップシューズを履いて。金具もぶっ飛んでおりましたが。JAZZ 系の音に合わせるとかなり前衛的な踊りに感じます。体が楽器みたいなの。私が思うに、たぶん彼の踊りなら、もっとファンキーなノリの曲でばしばしと、マシンガンみたいに魅せてくれたらなお美味しいだろうな。

 そして、極めつけは、サックスとベースだけのスローテンポな一曲。これはもう、楽器と楽器の、あるいは奏者と奏者の、いえいえ、音楽と私のネッキングの世界。目を閉じてうっとりと陶酔してしまいました。それだけで、もう大満足。私の田舎は、そんな一夜の夢でございました♪







↑これはわたしのヘタレ絵(笑)




  いい女考 休止編
2005年07月25日(月)  

 女が気になるのは女のことだ。

男のことが気になるのとは、まるで違う意味で。



暑中お見舞い申し上げます




  愛をひっかけるための竹
2005年07月24日(日)  

 虫愛づる姫に教えていただいて、少しらしくなった我が家のクワガッタ飼育。
マットを引いて、マットには乾燥しないように適度な水分を与えて、食べ物は栄養満天のゼリー。

 このゼリー、色んなフルーツの匂いがするのだ。(味は知らない)
いちご、オレンジ、メロン、パイナップル。それぞれ匂いが違うのだが、最も好きなのはパイナップル。あっという間になくなり、次のを入れるとすかさずかぶりついております。

 ケースは透明で、向こう側へ行かれると思うらしく、壁面をわやわやとやっているので、竹串で作った遊び場を入れてみると?
待つこと数日・・・。ある朝起きてみたらこの通り。わははは。

 朽ち木を入れておいたのだけど、食べ物にかぶりつく際に、全身で、そらりゃもう抱きかかえるみたいにして食べるので(まるで愛し合っているようだといっても過言ではないのだ)、体中にゼリーがくっついて、その体で木の上を動き回るせいで、だんだんカビが発生。それだと元気がなくなってしまう気がしたので、思いきって朽ち木は撤去。(ゼリーを置かない方の高い朽ち木は大丈夫♪)確かに元気がなかったような気がしたのだ。こう、手足がだらんと、特に日頃よく使う右手首から先が、脱臼?とか捻挫?などと思えるほどにだらんとしているような気がして。

 しかし、朽ち木を取り除いたら、妙に空いた地面は何もなくて、ひっくり返ったときに起き上がれないと困るので・・・。

 またまた竹のこんなやつ(笊豆腐のザル・爆)を置いてみると・・・。30分くらいは触覚を大きく開いて、ザルに触れないように回りを徘徊していたのが、やおら登ってみましたとさ。

 そういうわけで、ザルとジャングルジムを行ったり来たり。今じゃ、どちらもお手の物のサスケ状態。そうそう、元気になりましたよ。手足がしっかりとしているもん。(勝手に思うだけ?)



 
 なんと言っても、ゼリーにかぶりついている時の後ろ足が可愛いといったらないのである。やんちゃぼうずみたい。
静かなときはとことん静かなので、生きていないような気がするのだけど、そういう時はちょっかい出して起していたり(爆)

 手足はあまり反応しないけど、背中を触るとてき面!元気に反応するのだね。(笑)
あと、金属のキラキラしたものを近づけると、反応が大きい。なんていう感じで。





 この前ひろった愛のその後であります。
がんばれ がんばれ♪



  その感じを忘れない
2005年07月21日(木)  

 仕事場の近くに公園がある。その公園のベンチにはたいてい I さんがいる。I さんは75歳だといっていた。男性である。彼は数年前に脳梗塞の後遺症で話し方に不自由がある。話し方に不自由というのは、滑舌が上手く行かないというようなこと。舌が回りにくいので、喋り方がゆっくりだし、たいてい話そうと思うことを最後まで話す前にI さん本人が面倒になってやめてしまう。知らないひとが見たら酔っぱらいみたいである。

 I さんの話を聞いていると、彼はかつてエリートであったようだ。某一流の大学を出て、某一流の商社にいたらしい。ロッキード事件のことは当事者としてかなり詳しい。3人の息子がいて、その3人ともがIさんに負けず劣らずエリートだ。

 I さんは、相当にエリート意識が強かったようだ。話しぶりから伺い知れる。そのようなわけだだろうか、近隣の人たちからはあまり好かれていない。3人の息子たちもそれぞれ独立して、そして寄り付かないらしい。彼は寂しいのだが。妻もあまりかまってはくれないようだ。そうしたことは、たぶんそれまでの彼自身が決めたことだ。

 I さんはお金持ちらしいが、息子が家を建てるので、いくらか出してやると言ったのに断ってきやがった。と言っては寂しそうである。そしてお金の使い道に困った彼は、全ての歯を(総入れ歯だった)インプラントにした。インプラントは一本30万円だから、全ての歯20本をそれにすると軽く600万である。現役時代の名残りだろうか、披露宴に呼ばれた時に、入れ歯をしっかり治しておかないとスピーチが出来ないからというのが理由だった。

 若い頃はどれほど切れ者であったかわからないが、I さんの現在は、ロレツのよく回らない酔っぱらいみたいな老人だ。少々太り過ぎのために、足もとが常におぼつかない。後遺症のせいもある。したがってよく転ぶ。年明け早々に、転んで手首を骨折したかと思うと、次は膝をすりむき、その次はおでこを傷つけ、入れたばかりの前歯を折るといった具合に。そして毎日毎日病院へ通う。常連といってもよいくらいにあちこち身体に難癖をつけては診てもらう。家には居場所がないらしい。

 I さんはいつも、私を見つけると嬉しそうに話しかけてくる。もうどのくらいだろう。毎日のように私を見つけると必ず声をかけてくる。だんだんI さんのことがわかるにつれ、私は彼にずけずけと物を言うようになる。

 いつだったか、ひどく疲れた顔をしていたので
「I さん疲れてる?どうしたの?」
「俺さー、昨日友達の葬式だったんだ。中野まで行って来たよお」
「お友達の?そりゃ疲れたでしょう」
「俺と同い年。元気な奴だったのになあ。医者になんかかかってこともなかったんだよなー」
「そうなんだ」
「俺もさあ、もう長くないよお。あんなに元気な奴がいっちゃうんだもんなあ。俺もそのうち死ぬよお」
「何言ってるんだかね。ちょっと胃が痛いといえば胃カメラ。食欲がないと言えば点滴。毎日毎日お医者に通って、あちこち診てもらってるひとなんか、そうそう簡単に死ねないよ」
 すると I さんは嬉しそうな顔をする。
「いや、ほんと。俺もうだめだよお」
「あ、そう。じゃあ、遺ったものみんな私にくれるってちゃんと書いておいてよ。余ってるんだからさ」
更に嬉しそうになって、くつくつ笑う。
「momo* さんはすぐそうやっていじめるんだもんなあ。まいっちゃうよー。おっかないんだからさー」
というのだが、それはまんざらでもないのだ。
「どうでもいいけど、いい加減気取ってないで、杖ついて歩いた方がいいからね。また転んで怪我したって知らないよ」
「杖なんかみっともなくてついてられないよお」
「なこといって、じゃあ、打ち所が悪くていっちゃう前に、ちゃんと書いておいてよね」
といいながら私はその場を離れ始める。
「momo* さんは本当におっかないなあ、まったくー」
後ろから I さんの声が追いかけてくる。
たいてい同じような会話の繰り返しだ。

 I さんは、出会い頭に必ず私の手を必ず握る。歩きながら泳いでいる私の手を、捕まえてそうっと握る。I さんの手のひらは、男のひとのものとは思えないほどにほっそりとしていて柔らかい。すべすべと、しっとりと、そしてつるつるだ。

 私の手に触れることが、I さんにとって何になるのか私にはわからない。ただ、ほんの少し触れたとき、その手の平が白魚のような手というのはこんな感じなのだろうかと私に思わせるだけである。I さんは、このところ、少しずつ冗談ではなくて元気がなくなっているような気がする。たぶん、そんなに長いことこうして話したりはできないだろうと思えたりする。私はただ、ぴかぴかのその手のひらの感じを、憶えていようと思うだけである。



  いい女考 2
2005年07月18日(月)  

 とっても格好いいと思った女優さんに、倍賞美津子さんがいる。ショーケンと別れたときだ。あの時、ショーケンは、石田えりとの浮気が発覚。浮気といっても、倍賞さんとは結婚していたわけではないのだが(確か同棲)。ともかく、二人は公認の中であったが、ショーケンの遊びがわかった(ばれた)途端、あっと言う間に別れてしまう。

 レポーターがショーケンのところへ押しかけたとき、彼はまだまだ余裕だった。ごめんなさいをすれば倍賞さんはきっと許してくれるとふんでいて、神妙な顔をしつつ、これからゆっくりお話をします、という姿勢。

 次に倍賞さんがインタビューに答えているのを見たら
『終わりました』
表情は硬くとても苦しい顔をしていたけれど、目のふちに精一杯力をこめて決して許さないというかまえ。

 それを見た後のショーケンは、今度は世界中の苦悩を一手に引き受けてしまったような、苦い顔だ。失ったもの、もう二度と取りもどすことの出来ないもののあまりの大きさに気づいてガックリと、たった一日で尾羽打ち枯らしたような。終わったと言われてしまえば、否も応もないと言う感じ。倍賞さんはショーケンより6歳くらい年上で、離婚したアントニオ猪木氏との間の子どもがいた。だから子持ち年上女の包容力で接してもらえるとでも思ったのだろう。甘い、甘すぎ。何を悟ってももう遅いと顔に書かれていたような感じ。どれほど自分を呪っただろう。快楽と苦悩は紙一重なのである。


 話は少しずれるが、離婚して記者会見でわおわお泣いていたタレントが、少したって落ち着くと
『あ〜ら、男は年下よ♪』
などといっているのを見ることがある。例えば、マリアンだったり、奈美悦子だったり、黛ジュン(?)だったり、まあそこらへんのタイプ。要するに、私たちもう、結婚もしたし子どもも生んだし、離婚もしたし、怖いものなんかないんだわ。母性はたっぷりあるし、包容力も忍耐も、若い子なんかには負けないわよ。年上の良さを味あわせてあげるんだからばりの女たちだ。なんとまぁ、俗物。年いって、母性と包容力だけが売りかよ。みたいな。そういう女にくっつく男はマザコンか甘ったれで、この先大した男にはめぐり合えないだろうと思うとお気の毒。

 話を戻すと、ところが倍賞さんは違った。いつだったかさっぱり憶えていないのだが、ずい分昔、アントニオ猪木氏と結婚していた時のことを、どこかで誰かが書いていて、それによると、猪木氏の誕生日に裸の自分にリボンをかけて、仕事から帰ってきた猪木さんに飛びついたらしい。
『あたしをプレゼントしてあげる』って。
おおー!恰好いい!存在そのものがプレゼントだよ。私はまだまだひよっこだったが、むっちゃ印象に強かった。

 もしかしたら、その頃から私の倍賞さん贔屓は始まっていたのかも知れないが、ところどころの出来事に、やっぱりこのひとはさすがだ、と思えてしまうのだからしょうがない。あの時のショーケンの浮気で、彼女がどれほど落ち込んだかははかり知れない。愛情の裏返しの分だけ、裏切られた怒りや憎しみもあったはずだ。つまり心中どろどろ。いくら綺麗でも、あの年頃の女が、やつれた姿は悲惨だろう、というのを一切顔に出さず、ましてやほろほろと泣いたりもせず、毅然と言い放ったのが
『もう終わりました』
何を聞かれてもその一点張りである。ひぇー恰好いい!私の中で、またまた女をあげてしまった。

 もしも、あの時彼女が許していたら、ショーケンはきっと同じことをまたやっただろう。延々とやり続けていたかも知れない。男として、相手の女を下げさせるのは最低だ。だから、尚更、きっぱりと切って捨てた。彼女には先が見えていたのだろう。ショーケンは、つい、だか魔が差しただか知らないが、まさか、石田えりとの浮気と引き換えに倍賞さんを失うなんて思ってもいなかったに違いない。一方の彼女だって、立ち直るまでにどれほどの月日を要したのかはわからない。

 今年になって、何だかの逮捕劇があったときのショーケンが、あまりにもずうずうしいただの中年男になっていたのを見たとき、やっぱりあの時が別れ目だったのだろうと勝手に思った。口元のいやらしさが(入れ歯があってないのかも)物語っていたものはとても大きかった。


 去年の秋頃、例によって病院の待合室で婦人公論をパラパラ見ていたら、もうすぐ60代の『いい女特集』というのをやっていて、勿論というか当然というか、その中に倍賞さんがいた。グラビアの写真は真っ赤な口紅がもうとっても艶やかで、本当に美しかった。ドキドキしながら記事を読んだら
『娘を産んだとき、あまりにも幸せで可愛くて、何年か仕事をしないで子どもを育てていた。その娘が最近娘を産んで、当時の私みたいに一生懸命子育てしていて、それを見ているのがまた楽しい』と書かれていた。
恰好いい!(爆)←もう何を言っても恰好いいとしか見えない私である。

 勿論恋の話も書かれていた。いい女は男が放っておかないのだから当然だ。う〜ん。恰好いい。いくつになっても女は我がまま(あるがまま)でなければならない。それが通る女でいなければならないのだとつくづく思ったのである。



  脱力〜
2005年07月17日(日)  

 何かまとまったことをしたいと思うのに、目的もないので時間ばかり過ぎてしまう。休日でもあるのだし、寝転んで本を読む。
このところ読んでいたのは江國香織の『神様のボート』と辻仁成の『目下の恋人』。何日か前から『神様のボート』を読み始めているのだが、物を読んでいるといる気がしない。気が散ってしかたない。

 関係ないが、文庫本の表紙の内側にある著者の写真は、ときとして邪魔になる。江國香織の顔写真はもっと前の彼女の写真より綺麗になっていて、イメージが違う。どちらがより近いのかわからないが、今の方が彼女の小説の顔をしているような気がしなくもない。そう思うとそれだけで気が散る。

 この読書が遅々として進まないので、買い置き(?)のいくつかの文庫本の中から『目下の恋人』を選んで同時進行で読み始める。同時進行といっても、実際にはあちこちを読むわけで、まさか二つ同時には読めないのだが。しかし、こちらもなんだか進まない。私はなんだか余計にたるたるしてしまい、読むということをやめたくなる。実際、神様のボートは、途中を読み飛ばし、斜め読みしておしまいにたどり着いた。強引に。物語は最初からそうなるような気がした。読み飛ばした途中は、いつかパラパラ見ればいい。そう、見るのだ。そういう気分。残った目下の恋人は短編集だから・・・、まあいいやなんだって。何故かわからないが、こちらを読んでいる間中、阿部和重の顔がチラついて仕方ないのだから。

 結局時間を大きく無駄にして、何をやっているんだろうと焦りにも似た気持ちで、ぼうっと白い壁を見つめている。



  
2005年07月16日(土)  

 先日連れ帰ったクワガッタ君は、その後新しい家に引越しをして、このように元気に過ごしております。
この後ろ足の可愛いこと!それを見てにんまりとしているわけです。







 ケースの4辺が透明なので、向こう側へ行かれると思うのか、手足をわやわやとさせていたので、竹串で遊び場を作ると、数日後にはこのように。



  いい女考
2005年07月15日(金)  

 ひと月まで行かない前のある日、眼科の待合室にあった女性週刊誌をペラペラめくっていたら、浅丘ルリ子さんと新しい恋人の話題が載っていた。ルリ子さんは63才(よく憶えていないけど60代だった)、恋人は確か20代の後半(よく憶えていないけど29だったか)の俳優だ。特に彼女のコメントはないけれど、二人で仲良く一緒にいる場面はちょくちょく見られているらしい。(例えばホテルの部屋に一緒に入ったとか、二人でどこかへ消えていったとかとか、堂々とした写真つき)

 ルリ子さんが、『大勢の若い方がいらっしゃるのに、どうして私を選んでくださったの?』と聞いたら『好きだから』と恋人の言葉。守ってさしあげたい可愛い女性なのだそうだ。

 常日頃思っていたのだが、恋をするのに年齢を気にするのは邪道だ。それに、ある年齢になると年のことなどあまり関係なくなるのではないかと思う。学年によって色んな能力や経験値の違いが顕著な小学生じゃあるまいし。それに、恋はいくつになってもするものだと思う、70でも80でも。

 そもそも、そんな時、本人が自分の年齢を憶えているのだろうか。なんだかそんな気がしない。相手がえらい年下だからといって、自分がえらい年上だからといってそれがいったい何でしょう。スンナリ受け入れられるってそれだけでいい恋だ。素敵なひとたち。

 ルリ子さんて、体重は35キロ前後しかないんだと記憶にある。なんだか折れてしまいそうで、間違っても豊満な肉体という女性ではなさそうなのに、内側から醸し出される豊饒さや妖艶さや可憐さってどうだろう。年齢なんか飛ぶのもわかる。


 奇しくも同じ号に、室生佑月のこんなエッセイが載っていて、こちらでは笑わせてもらった。何でも彼女も一回りくらい年下の男の子に可愛いといわれて有頂天になった時のことを書いていた。そう、そんな年下に可愛いと言われるなんて今まで味わったことのない快感という、ちょっとミーハーな室生。二人は毎晩のようにデートをして、それは彼から同い年(彼と)の彼女のことで相談を受けるまで続く。ショックを受けて(色んな意味で)あったまに来た(色んな意味で)室生は、店で一番高いワインを二本も飲み倒して帰って来たとくくられていた。若ぇな室生。まだまだルリ子さんになるには100年早ぇ。

 同じ号の、ルリ子さんの写真と室生佑月の写真をペラペラと見比べて、なんとなく納得。(なんだ)
やっぱり、年を聞いて舞い上がるものじゃないんだ、恋は。そういうものじゃないと再確認した次第である。

 つづく。



  ミュージカル・バトン
2005年07月11日(月)  

 jazzin5 さまのところから、いただいたバトンです。
今更だが、音楽を語るというのは最も苦手だ。詳しいことをまるで知らないのだ。例えば楽器のこととか。。。(例えば子どもの頃、ピアノを習っていたことがあるなんてひみちゅだ)だから、解説のような薀蓄のような、そうしたことを書かなければならないとしたら、まったくッブー!なのである。(だからプロフィの音楽のところだって、列挙だけだし)。なので、このお話はどうしようかしら?と思ったのだが、遊び気分でというただし書き?をいただきましたので、チョットお目汚しするんである。こうして前置きが長いのも、何かこう構えているようだが、いやはやなんとも。これで良いのでせふか。^^;

 では。

Q1 今コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
 容量は数えたことがないけれど、.mid .mp3 .wma などが。これらのファイルが容量が大きいので、何とかせねばと思ひつつ、たっぷり持っていますという方より少ないと思う。

Q2 今、聴いている曲

 Back to the Future/The Very Best of Jodeci
 よく、今何々を聴いています。と書いてある Diary など拝見すると、いつも思う。よく聴きながら書けるなと。私の場合、それがまず無理だ。両方同時にできないから。

 だから、この場合の今は、ここ最近は、という意味で。このところ流しているのは、これです。ちょっとした合い間に聞いている感じ、ステレオのスイッチを入れると入っている曲です。

Q3 最後に買ったCD

 Q2 と同じです。

Q4 よく聞く、または特別な思い入れのある5曲

 これは今までに Diary に綴ったものばかりになのだけど。

 誓い/スタイリスティックス
 まだ10代の頃、横浜駅のバスターミナルの周りには、いくつかの高いビルが建ち並び、そのひとつに東急ホテルがある。このホテル、夏になると屋上がビアガーデンになり、その場で流れていた曲。

 私はバスに乗って自宅へ帰るので、ターミナルにいてバスを待つ間に聴こえたこの曲は、まるで音楽が空から降ってくるような感覚だった。当時の夏の夜は、今ほど暑くはなくて、夜更けの風は心地よく、午後11時05分の最終バスまで私はいくつものバスをやり過ごしてガードに腰かけ聴き入った。何日も。ブラザー特有の高い声と、相当に低目の声とのデュオ。ただただ美しいハーモニー。ビルの間の小さな夜空と音楽が熱く抱擁する。幻想的な風になる。そして落ちてきた。そんな曲。

 Lovin'you/ミニー・リパートン
 溶けかかったソフトクリームを手にこちらを向いているミニーが写っているジャケットを「このコ14歳なんだよ」と友達から手渡されたのが始まり。早速家に帰って聴いた途端、何よりピュアな歌声に、一目惚れ(一聴惚れ?)14歳でこんなに素敵な歌が歌えるんだね。というような、意外と簡単な感想で(爆)。

 以来、彼女が亡くなるまで彼女の曲は沢山聴いて。このアルバム、何でかちょっと気持ちが落ち込むと聴いている。Lovin'you だけではなくて、どの曲も何故かわからないけれど、ひと月くらいずっと聴き続けていると(私は飽きっぽくないのでしつこい)、じわじわと元気になってくる。今は亡きミニーから、元気を授けられて。


 12:01AM/コモドアーズ
 昔からソウルとR&Bやがとっても好きで、手持ちのCDもほとんどブラック系ばかり。どうしてそれが好きなのかと聞かれても、これはもう、血としかいいようがなくて説明がつかない。ただ、好きなものには理由はいらないとそんな風に思う。

 ブラザー&シスターの歌を聴くと、リズムから発することが大きく起因しているのでは?とも思うのだが、なんというか、安心する。ほっとする。血液が向かうべき方向へ流れを変える。そういう感じ。

 この人たちの曲は(ライオネル・リッチーの声もですが、その演奏の全てに、)私のことを生まれた時から知っている、ご町内のちょっと世渡り下手のお兄さんから、ヘイヘイヘイと語られているような気分。気にかけているけど、遠巻きで。顔さえ見ればおふざけ気味な声をかけてくれる、みたいな。たちどころに、ふっと気持ちが軽くなれる、少しだけ甘えた気分にもなったりもする。強いてあげる一分弱のこの曲は、彼らと私の全てである。

君が代・The Star-Spangled Banner/小柳ゆき
 アルバムなどで紹介できないのだが、心に残るということなので。
日本のアーティストで好きなのが、安室奈美恵と小柳ゆき。アムロちゃんはデビュー当時からファンで、未だにちょっとしたオッカケか。(笑)彼女は日本人だけど、やっぱり血の問題だと思う。(笑)流れているなぁと感じて。それから初めて小柳ゆきを聴いたときの感激! ああ、血が!という感じ。(笑)(だから、血としかいいようがないんだってばね。)

 で、この二つの曲、日本と合衆国の国歌である。もう何年くらい前になるか、日米野球の開幕セレモニーか何かで(定かでなくて申し訳ないです)彼女が歌ったもの。君が代が先で、そのあとに合衆国の国家。(順序はどうでも良いのだが)もう、忘我して聴いてしまった。あんなに素晴らしい君が代も初めてなら、星条旗よ永遠なれも初めて。会場はしんと静まりかえり、まるで神が降りたみたい。忘れられません。

 ボレロ

 時々聴く。この曲のことについては古いDiaryから抜粋しようと思ったのだが、どこも削りたくなかったので、よろしかったらBOLÉRO←こちらへ。

讃美歌312番

慈しみ深き友なるイエスは、罪、咎、憂いを取り去りたもう。
心の嘆きをつつまず述べて、などかは下さぬ、負える重荷を。

慈しみ深き友なるイエスは、我らの弱きを知りて憐れむ。
悩み哀しみに沈める時も、祈りに応えて慰めたまわん。

慈しみ深き友なるイエスは、変わらぬ愛もて導きたもう。
世の友われらを捨て去る時も、祈りに応えて労りたまわん。


 中学・高校と毎日礼拝のある学校に通い、文字通り毎日礼拝をした。賛美歌の中に心に残るものは沢山あるが、とりわけこの312番は、今でも色々な場所で歌うことがある。キリスト教の結婚式に出席する時が最も多いかも知れない。

 前奏が流れてくると自分の中の何かが変わる。ひと中で歌を歌うことなどめったにないが、決して口パクにならない私がいる。(たいていは口パクだから)学校のチャペルの硬い木の椅子や、パイプオルガンの響きや、いろいろなことがよぎり、当時の私と今の私が重なる。思わず涙ぐんでしまう。

 以上、私の中の永遠の曲。


Q5次に、お願いしたい人5人

 えるぜさん(お体に差しさわりがなければ)。織音。小寺池さん。ねこまじろさん。
ふふふ。




  のりおくれ
2005年07月09日(土)  

 乗り遅れる。いつもいつも乗り遅れる。私はなんというか、ひとが騒いでいる時に一緒になって騒げない。何かのブームがあるならそれにも乗り遅れる。もしかしたら、そのことを全く知らなかったりもする。

 確かに私は、ひとと同じことをするのは好きじゃない。ジャズダンスとかエアロビみたいに、みんなが右向けば私も右向くというのは、出来れば嫌いだといいたい。確かに私はそういう天邪鬼ではあるが、話をしていて盛り上がる時、その事柄がどうだ、こうだ、ではなくて、みんなの盛り上がりがある程度のボルテージに達すると私ひとりいなくたっていいじゃないかと思ってしまうのだ。そして、無意識のうちにコレ幸いと夢想にふけっているようだ。つまり、その場にいるのにその場にいない状態である。体はいるけど頭はいない。そういう形。気がつくと、そんなことがとても多い。

「何のこと?それ知らない」
「あら、やだ!一緒にいたじゃな〜い!」

 ひょっとして、このひと変なひとと思われているかも知れない。
でもたぶん、一生このままだと思う。

 



  サッカーに読めたの初めは(笑)
2005年07月04日(月)  

 中国ハッカー日本攻撃計画

 1日付けの中国系香港紙「文匯報」は、中国最大のハッカー組織が、「抗日戦争勝利60周年」に当たる今年の7〜9月に日本に対する大規模なハッカー攻撃を計画していると報じた。「愛国」を標ぼうする同組織は昨年末に解散を宣言したものの、今年に入って復活。すでに3万5000人のメンバーを集めた。
ハッカー攻撃の実行に備え、それぞれのメンバーを情報収集、攻撃、防御などの役割りに分けて訓練を実施中という。
 同紙は、中国に対抗する日本のハッカーも、同連盟のコンピューターに対して、攻撃を続けているとしている。日中のサイバー空間では、それぞれのハッカーによる「戦闘」が繰り広げられている模様だ。


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


 土曜日の朝刊に載っていたこの記事を読んで、思わず笑ってしまったのは私だけ?
愛国だの、戦争勝利だのというとモノモノしいのだけど、なんだか平和。微笑ましくすらある。だって戦争が起こっているわけじゃなし、実際にミサイルが飛んでくるのでもない。

 ハッカーというと、大変に失礼かも知れないが、どうしてもヲタクを連想するからかも知れない。そういうことに剥きになっている人々は、なんだかあんまり害を感じない。ヲタッキーとヲタッキーが攻防・・・いいじゃない、それならと思う。一般人が巻き込まれないのは理想である。

 サイバー空間というのも笑える。確かにそうだ。ネットは瞬く間に広まって、色んなひとが行き交うけれど、まだまだ未体験なひとも沢山いる。こうしてこの場所にいると、お互いの最低条件はネットをすることだから、それが当たり前のように思われそうだが、実は違う。そんなことはやらないわ、というひとびとも沢山いるのだ。そうしたひとにとって、この世界はマイナーだ。そこで何が起ころうと、何にもないのとおんなじだ。だから、あまり危機感を感じない。

 うん、これはちょっと面白かった。(不謹慎?)


 昨年のDiaryより抜粋したものを、また Essay にまとめてみました。
こうしてみると、一年の後半は記事が少なく、それもまたその年を表しているようです。



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