momoparco
  手紙
2005年06月29日(水)  

 手紙をよく書いた。伝えたい事があっても、逢うことも、電話で話すこともかなわないとき、手紙を書くという手段しかなかった時代があった。インターネットがない時代、それはまだそれほど昔のことではないと思うのだが、今はあまりペンを持って文字を綴ることがなくなった。沢山のひとがパソコンを使うようになった今、文字を送る手段が手紙からメールに移行したからだ。

 一番沢山書いたのは、外国に暮らした時だ。もしかしたら、誰かしらに日に一通くらいは書いていたかも知れない。同じくらいの数の返事を、2週間くらいして受け取り、その返事をまた書いて送ると、更に2週間くらいして相手に届いていたと思う。

 もっと前、中学や高校生の頃、交換日記なんていうのもやったことがあった。何もかも、全て肉筆の文字の連なりだ。今、あれはどうなっているだろう。今は、ほとんどメールになった。交換日記ではないけれど。

 私はメールと言えば、携帯のメールよりもパソのメールの方が手紙に近い気がしている。携帯のメールは、会話のようで便利だしすぐに伝わるけれど、何かをしながらでも送れる文字は、時として、じっくり考えて送ることができていない。送信してしまった後で、頭を抱えて回収したい気持ちになってしまうことがある。実にうかつに、不用意に、考えているようで無分別なことを書いてしまうときがある。そう思うと、手元に残った送信済みのメールを見て、愚かさに後から気づいた罪人のように、舌を噛み切ってしまいたいくらいにさいなまれたりする。いくら会話の延長のようであっても、文字は後に残り変わることはなく、なかったことにもなってはくれない。

 勿論、口に出していう言葉だって、一度出たものはいくら拾い集めようとしても元には戻ってくれないのだが、お互いの顔を見て、目を見て話すことが出来たなら、無に返すことは出来ないまでも、軌道を修正することは出来るかも知れない。目を見て会話が出来る場合に限ってのことだが。ただ文字だけだと、正そうとすることでよりいっそうねじれてしまいそうになる。だからといって、嫌だと思うのとも違うのだが。

 パソコンのメールは、その時その相手にきちんと向き合っている気持ちになれるし、実際にそうだ。送られてきた文字も、同じように感じられる。したためる、あるいは、したためられた、そんな気持ちがとてもする。文字は肉筆ではないが、手紙と同じような感覚がある。

 メーラーに、それらが残っている。最近それを読み返してみた。全てのメールではないけれど、送ったものも送られたものも残っていて、その時どんな気持ちでどんなやりとりをしていたのか、忘れてしまっていたことも、改めて想い出したりした。よく憶えていることと、これほどまでに忘れてしまうものなのか、ということと。その時の私と今の私が、行きつ戻りつ。

 ひとから送られてきた、便箋にしたためられた手紙は、そのまま封筒に入れてとってある。あまり中をあけて見ることはないが、何かの拍子にひもといたりすることがある。読み出すと止まらなくなることもある。だからといって何をするわけでもなく、ただただ、ひとりタイムスリップするだけだ。そこにいるのは、その時それを書いたそのひとだ。決して今ではなく。そして、私は読み終えれば、その前と何ら変わりない日常に戻るだけ。


 私が送ったあの手紙たちはどうだろう。勿論、コピーなんかしていなかったから、送ったものは手元にはない。誰かのところにはまだ残っているのだろうか。私が書いた、私自身が忘れてしまっているようなことを、誰かが読み返すことがあるだろうか。自分では決して読むことの出来ない送った手紙。その時その時の本物の私。どこかにそれがあると思うと、なんだかとても面映い。

 手元にある誰かの手紙、送ってしまった私の手紙。そのどちらもが、あけたとたんに息を吹きかえすのかと思うと、過ぎた日々が愛おしく、そしてわけもなくせつない。



  愛の言葉
2005年06月28日(火)  

 「どこがちがうの。つまりはこの私が欲しい、ただそれだけじゃない。誰も私の幸せなんて考えてやしない。自分の欲望を満たしたいだけ。男の考えることはみな同じよ。サイッッッテェーッ!」
 思いのたけをこめにこめ、ためにためて、ディアナは「最低」と罵った。ふつう男が三十を過ぎれば、この手の罵倒を三回以上は受けている。そしてそのつどツラの皮が厚くなって、しまいには何とも思わなくなるどころか、むしろスッキリするのである。人生標語を一句ひねるのならば、「サイテーは未練を断ち切る合言葉」とでも言うべきであろう。この言葉を浴びせかけられたあと、一呼吸おいて呆れ顔で女をマジマジと見つめ、「そうさ、俺はサイテーの男さ。そのサイテーに惚れたんだから、おまえだってサイテーの女だろう。じゃあな。」とか言えば、失恋の痛手はあんがい残らないものである。

 しかし、不幸にしてマイエは生まれて初めてこの言葉を浴びせられたのだった。不慣れな分だけひどく応えた。べつだんプライドが高い性格ではなかったが、自分が最高の男ではないにしろ、まさか最低の男だと思ったことはなかった。しかもただの「サイテー」ではなく、ためにためた「サイッッッテェーッ!」だったのである。
 一年分の精気を放出した後のように、マイエは萎えてしまった。

−浅田次郎 『 王妃の館 』より−   


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


 このくだりを読んで思いきりせつなくやるせなくなってしまった。最低という女の言葉と言われた男の胸のうち。何だか顔まで見えるようだ。もって回った情緒も含みもなく、これほどに単刀直入な文章なのに、かき立てられる想像が大き過ぎて、なんだかすごい。だんだん回数を重ねるうちに変わっていく男の表情だとか見えるみたい。こんな時の男の顔はたぶん、あんな時の男の顔だろうと思うと、ああそうか、男ってそうなのかと、鑑定書つきの血統書をつきつけられたような気分だ。納得しながらも、男と女のどちらもが、いじらしくて泣けてしまう。


 その昔、付き合う女ごとにこの言葉を浴びせられる男がいた。彼は実際最低だったと思うのだが、いつも女にそういわれると落ち込んでいた。ある時は腹立たしげに、実際内面はひどく傷ついていたのだと思う。女に一番言われたくない言葉は「最低」とか「最低の男」だと言っていた。そういえば、「最低」と言われるのが一番傷つくという男や男の子を何人も見たことがある。見たというか、話に付き合わされたというか。

 要するに、女がそういう時、それは確かに最低なのだ。実際にそうなのだ。それは本当なのだよ。そう思うという点において。例えば関西人に比べて関東人が口癖のように「ばか」という言葉を使うみたいに「最低」が口癖のようなひとは別として。

 女の怒りには悲しみがある。怒っている分だけそれは愛情の裏返しなのだけど、男はあまりそれを気づかない。何でだろうと考えると、男って怒っている時本当に怒っているものね。そんな気がする。よく、男を本気で怒らせてはいけないっていうでしょ。たぶん、怒るという感情の意味合いが、男と女では少し違うのじゃないかと思う。あるいは体感する感情が。といいつつ、女にキンキンキンキン怒られているときの男の顔は、どこか恍惚としていて、コイツはまだ俺に惚れてるな、なんて思っていたりするのじゃないかしら?と思うとわかっているのかしら?

「何で怒るの?」
「悲しいからよ」
「悲しいなら悲しそうにすればいいだろう」
「あんたってヴァカじゃないのっ!?!」

 で、この「最低」。これは愛情の表現としては、一番末尾の言葉ではないか。愛してるわ、とか、好きよとか、あなたなしではいられない とか何とか、そういう愛の言葉より、どんなシチュエーションにおいても、最上級は「あなたって最高」。

 だとしたら、愛の言葉のしんがりは「最高」どんじりは「最低」
なんだわね。



  塔婆から豆腐まで
2005年06月27日(月)  

 昨日思ったことなのだけど、炎天下の納骨で頭が痛くて書くのを断念したこと。ああ、でも書いてみると大したことじゃないデス。


 法事へ行ってふと思ったのだが、こういう行事が続くと忙しいと思っているのは実はウチの場合、ご先祖サマの方じゃないかと。
「浮き世の義理もてぇへんだぜ」て。

 それから、読経の間にお塔婆に書かれている文字をつらつら読んでいたら、三十五日とか四十九日というのは、書き方が違う。
 三十五日は、五七日と書き、四十九日は、七七日と書く。これ、横に掛け算すると、三十五、四十九になる。ああ、そういえば、三七日(みなのか)という言い方があったのだ。いつなのか、とか。法事の後のご挨拶状って、そんな風に書かれていたような気がする。ちゃんと読んでいないのがミエミエかもだけど。
まぁ、ひとつ利口になった。(なわけない)


 っていうか、この前も、ひとつ利口になったと思ったことがあった。(ひとつ利口にこだわるわけじゃないけど、脳細胞が毎日いくつもパラパラなくなっていくのだと思うと、知らないことを知るのは貴重かなと思っていたりして)私は豆腐とがんもどきに目がないのだが、それはもう、特に今からの季節、冷やっこなら毎食おっけ♪みたいなくらいに。

 で、先日、伊藤八日堂の豆腐売り場を覗いたら、今ってさまざまな形のお豆腐がある代わりに、例のあの、昔ながらの長方形の豆腐がひとつもないのだ。あれは驚き。お料理に使うのに単純に豆腐一丁欲しいと思っていたらないんだもの昔ながらの長四角。ずらりと並ぶのは、丸いのやら球体やら、瓢箪型やらあれこれさまざまで、そうなると量的にどのくらいなのだかわからず固まってしまった私は、長方形のあの形=一丁という固定観念がかなり強いらしい。

 で、最近の豆腐は、かなり贅沢なものが出回っていて、これはバブルの煽りなのかしら。豆腐くらい金に糸目をつけずにいけるだろー、みたいな。ずい分美味しそうなものが沢山あって、目のない私は嬉しいのだけど、その時目を引いたのは、緑の竹のような筒の形の入れ物に入った(プラスチックだけど)豆腐。その名も『豆腐屋ジョニー』だって。なんちゅうネーミング!と思ってよくよく読んだら、横に書いてあるのは
『沖縄県糸満沖海水苦汁北海道産大豆使用』。

 この苦汁使用っていうのがまた目について、苦渋に満ちたとか言うじゃない?・・・、じゃなくて、苦汁を舐めるとか飲んだとか言うじゃない?咄嗟にあれを思ってまたまた、なんちゅう!とか思ったりしたわけなのだ。なんというかそこまで目を引かなくても、みたいな。で・・・、つらつら思ったのは、ひょっとして?これが?『にがり』?と読むのかも?な〜んて。家に帰って早速調べたらやはりそうだった。知らなかった。知らなかったのは私だけだろう、たぶん。だけど、何だかひとつ利口になったようなならなかったような気分。私はどこへいって何をしても、一体何を見ているのか自分でもわからなくなる。あんた、どこ見てんの?といわれるわけ。

 そういえば、その隣にあったのはもっと凄い。
『喧嘩上等やっこ野郎』。
横には
『生ビールとお前がいればそれでいい!
 男前豆腐店
 北海道大豆の豆乳仕込み』。

 すごいよね。九州の隣には北海道。ジョニーと男前。あなたならどちらを選ぶ??お菓子の世界みたい、こんなネーミング。私は勿論、男前を選んできた。美味しかったこのハンサム。また行かなくちゃ伊藤八日堂。それ、変換しないとイトーヨーカ堂だけど。



  ラッシュ
2005年06月26日(日)  

 今日は三十五日&四十九日&納骨に行ってきます。
来月になると、三回忌、そして新盆×2 百か日、一周忌と
今年の夏は法事が続きます。

 浮き世の義理も色々だけど、こういうのもなかなか。
ウチのご先祖さまも忙しいだろね、きっと。(笑)

 掲示板、ありがとうございます。
戻りましたらお返事したいと思います。
今日は昨日より涼しそうです。
みなさま、ラヴリーな休日を♪
   注:ラブリーじゃない、くれぐれもラヴリー♪(爆)



  愛を捕まえた夜
2005年06月22日(水)  

 お友達の虫愛づる姫の掲示板に入れようと思ったら、画像は入らないみたいだったので、ここにUP。

 昨日の夜、駅の近くを歩いていたら、足元にカサコソやってきたのはクワガッタ〜
ぎょひ〜って感じ。
こういうものを見慣れている土地柄の方には笑われそうな話だけど、私の住んでるこんなところでクワガッタがただ歩いて来るなんて、奇跡!

 何となく捕まえて連れ帰り、何もないのでザルに入れたのだけど、どうやって飼育したら良いのやら。(笑)

 割と大きいんではないかと煙草を並べて写してみたのだけど、どうでしょう?
中クワガタくらいのサイズ?? でもないのかな。

 下世話な話ですけど、これ、スーパーとか行くと2000円くらいしますよ。歩く千円札だね。(笑)ちょっかい出すとけっこう元気に動くのだ、このお札。じゃない、クワガッタ。

 一体どこから来たのか。誰かの飼っていたのが逃げて来たの?と考えるのが妥当な線かしら?と思うと夢も希望もないので、きっとこれは、遠い彼方からやって来た愛の化身なのだと思うことにして。




  傾聴ボランティア
2005年06月17日(金)  

 のセミナーというものがあるらしい。傾聴とは、話を聴くことだが、老人介護の訪問ヘルパーさんの役割りとして注目されているもので、今までも掃除、洗濯、買い物や、病院の送迎などはあったが、話を聴くためだけというのはなかったらしい。つまりお年寄りの話し相手、というより聴き相手とでもいうのだろうか。

 「主人が亡くなり一緒に暮らすことになったのだけど、息子の嫁と折り合いが悪くて困っています。私も年を取って体が言うことを聞かないし、どうしたらいいでしょう」

 「本当に、どうしたらいいでしょうねぇ」

 お年寄りとの会話において、傾聴者の返事は上のようなものが正しいそうである。一見、お年寄りは相談をしているように見えるが、それについて意見を言ったり、アドヴァイスをするのは正しくはないのだそうで、ただオウム返しに繰り返すだけのような会話が、お年寄りに話をさせたと言う気持ちになり喜ばれるらしい。

 つまり、言いたいんである。思っていることをあれこれと吐き出すわけだ。それを誰かに聴いてもらい、しかもご意見無用なのである。

 後日、新聞の投書欄に、お年を召した女性からの投書があった。要約すると

 年を取るとだんだん自分のことしか考えられなくなり、自分のことだけに関心を持つ。話し相手がいようと、ひとの話を聴くのは嫌だが、自分の話は聴いて欲しい。最近傾聴ボランティアなるものの存在を知った。こういうことはどんどん広めて欲しいと思う。

 というようなものだ。つまり、何でもいいから一方的に言いたいのだ。相手がただ肯定するだけ、ふんふんと聞いているだけでもかまわないというと、会話とはいえないような気もするし、相手はひとであってひとでないような気がするのだが、それでもよいということだ。


 話はそれるが、ブログである。ブログのシステムが出てから、ネット上に発信するひとの数が著しく増えた。何かを検索しようとするとヒットする数が以前の数倍、怖ろしいほどの数になり、その多くがブログである。

 ブログ以前の発信は、それなりにスペースを持ったひとが、多少のHTMLを理解した上でしか出来なかったから、そうしたことが面倒だと思っていたひとにとっては、ただ眺めているだけのものであったが、今は違う。文字さえ入れれば、カテゴリー別に目次よろしく区分けしてくれるし、コメントを入れれば掲示板の役割りもする。更にリンクや、トラックバッグなども自動的にやってくれるので、好みを別にすれば、ある意味いたれりつくせりではある。

 当然今は沢山のひとがブログに進出。あることについて非常に詳しいが、家族や友人、職場のひととは話にならず、一人オタクでいたひとがブログを作ると、あっという間に同じような趣味を持つひとが集まり、パソの前でよりいっそうのオタクになったようなひとから、なんということはないが、ただ何となく書いているというひと(私のように)まで、実に沢山のブログがあってその数に驚く。今更だが、みんな言いたかったんである。投書のような類は、採用されなければ載らないし、まして小説やらエッセイなど、商業的に○でなければタダではどこにも載らないが、ネットの上の自分の場所に自発的に載せるのだから何の問題もない。会話と違い、書き終わるまで誰も口をはさまないし、言いたいことは最後まで言えるのである。

 HPにしたところで、「この件について、ご意見、苦情はお断りします」などと書かれているのを見たことがあるし、掲示板に別な視点からの書き込みなどあった場合、「議論するものではありません」というような断り書きとともに、削除されているのも見たことがある。自分の場所で自分の言いたいことを言う。私だって同じである。

 そうして今やありとあらゆるひとが語るのだ。言うのだ。
すると・・・。私たちの世代も、年を取って、ひとの話なんぞ読むのはどうでもいいが言いたい。という時がくるかも知れない。で・・・、拝読ボランティアというひとたちが読んでくれる。「そうですねー」とか「ごもっとも」とか、カキコまでしてくれる。もしかして、その頃には、声に出しただけでも文字になるかも知れないし、いや、そうじゃなくて、思っただけで念写出来るようになるのかも知れない。

 すると、2050年頃は、ネットはもはや私たち未来のお年寄りだけのものとなり、「うちのおばあちゃん、またパソの前でぶつくさ言ってるとか、物思いに耽ってる」とかいわれるのだ。ネットは今でいうゲートボールのようなのになっていて。

 それじゃあ私の子どもや、孫くらいの若い世代は何をしているのかというと、ネットなんぞもう古くてやってられない世界なのだ。何かまた新しい何かが流行っているのだ。インターネットが世に出たくらい凄いことが、まだ見ぬ何かが、それはそれは画期的な素晴らしい何かが。それが何か、今もしわかれば、私だって未来のビル・ゲイツになれるかも知れない。



  スパム対策
2005年06月15日(水)  

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 という類のメールがよく届いてくる。
件名も内容も少しずつ違う。一日置きくらいに届くこのメールは、ウィルスではないが、ありがたくないので、OEのツールを使ってサーバーから受信しないように設定してみるのだが、しつこく届く。
勿論送信元も件名もその度に違うので、ツールに設定するのは、本文から抜粋した単語や文章になるのだが、手に負えないのは、たった8行のメールをコピー&ペーストするとなんと以下の文章になることだ。

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Hplantation farthest from the stockade, towards the dense woods thatome deIivery.

 短いメールの中で、キーワードとしてぱっと目につくのは、VIAGRA だが、これをコピーペーストすると、
Vsuch a dummerhead. While you waste your time here, the hours arelAGRA
となっている。同じように、短い文章の大文字の単語の中に沢山の小文字の単語が埋め込まれているのである。初め一つの単語を拾ってみたら、どうも違う言葉がペーストされるので、私のパソがおかしいのかと思ったのだが、全部をコピーしてみたらそうではなかったのだ。

 念のために、どちらもツールに設定してみるが、同じメールは二つとしてないので、後から後から同じ手口(?)のメールが届く。
仕方がないので、その都度削除しているのだが、とってもうざい。

 アンダーラインを引いた部分はリンクになっていて、単語は毎回違う。勿論飛ばない。心当たりも何にもない。バイアグラにも、バイアグラ服用のおっちゃんにも、用がないんだけど〜!!!
これ、どうしたら良いのでしょうか??
どなたかご存知ありませんかしら???



  ご無沙汰しました〜
2005年06月12日(日)  

 長らくお休みしてしまいました。
皆さまお変わりありませんでしたか???
なんと3週間近くも空いてしまいました。m(_ _*)m

 初めの一週間は、ごくごく身近なところで不幸がありまして、あっという間に過ぎてしまいました。
その後、少し生活習慣が変わったのもありまして、なかなか繋ぐことが出来ませんでした。

 今日、久しぶりにここへ来て、前々回のDiaryを今改めて読んでみました。普段あまり夢を見ないというか、見ているらしいのですが、私は憶えていなくて、ほとんど見ていないと自分では思っているので、あのように鮮明に憶えているのは珍しく、たいていこの場に書いているのですが、そんな時は必ずカラーの夢です。

 私の場合、その憶えている夢というのは不思議なもので、後から考えると何かしらの辻褄が合うのです。無意識が見させる潜在意識とでもいうか、ああ、そういうことだったのかな?と思えるものがいつもあります。

 実は、あの日見た夢の中に登場したひとが、その二日後に亡くなったのでした。あの時も何で今朝見た夢にあの場面が出てきたのかな?と思っていたのですが、今になるとものすごく納得。納得というのもおかしいけれど。これからは(も?)、しっかり生きていけ、というような啓示と受け止めて、日々過ごしています。当たり前のことですが、ひとが亡くなるのはとても大きな出来事ですね。

 さて、その後毎日起床時間が早くなりまして、夜になると目が空いていられない状態でした(汗・笑)
私は今まで6時〜6時半ごろ起きていたのですが、今5時に起きています。ああ、そんなもん早いウチに入らないと言われる方もおいででしょうが、朝の一時間半ってデカイのよ。(爆)

 で、仕事に出るのは8時ごろですから、その3時間の間に何をしているのかというと、一日の家事を集中してやってしまおうということに。朝ごはんを作ってガツガツ食べ、掃除洗濯アイロンかけとか、夕飯の下ごしらえとか、その間座らないと自分に命じ(爆)せっせと動いていると、かなり色んなことができますね。そして、朝風呂とかシャワーを済ませて身支度をすると、バナナを一本食べて(爆)出かけています。

 するってぇと、夕方帰って来たとき、家の中がビシーっときれいで気持ちいいの。夕飯の支度も楽だし、ビール好きの貴方なら、冷蔵庫の扉を開けると、ほどよく冷えたビールの缶が「うっふん♡」と身をくねらせ「いいコだ」とか何とかいいつつ鷲つかみにしてプシューッと蓋を開けるところでしょうが、ビールは一滴も飲めない私は、やおらコーヒーなんぞ落としてるわけで。

 洗濯物だけは、その時間ですと少し湿気を含んでしまいますから、朝畳むことにして、ユーティリティの中にかけ、後はゆっくりコーヒータイム。それがまた至福なんざます。だって、家事はほぼ完了だもの。うふふ。

 予定では、夕食、お風呂と済ませたら、後はもう何をしようと自由、のんびり過ごしてネットも繋げる、と思っていたのに、予想外に疲れて(爆)眠くて眠くて、そりゃもう初めのころは9時前にダウンとか(恥)(* ̄m ̄ )

 ええ、やっぱり朝から飛ばしこんでいると疲れますね(爆)ようやく少しずつ慣れて来たかな〜というところです。
ああ、そんなこんなですっかり更新が止まり、何かとご心配おかけしていたら申し訳もなく、そんなことかぁー!(怒)なんて言わないでね♪(笑)

 これを機会に生活週間を改善、なんだかけっこう新鮮で気持ちよくやめられそうもありません。だんだん慣れてきたら、もう少し何とかなると思います。それまで、少〜うし更新がノロノロになりますが(いままでもだってが)、よろしくお願いいたします。

 本当に、すっかりパソ離れでごめんなさい。
レスも遅くなってしまったし・・・。^^;

 またおいおいにまいります♪



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