momoparco
  おたのしみはこれから
2005年05月21日(土)  

 その時私はトリノに向かう列車に乗るために、駅に向かって歩いていた。ここはトリノからは列車に乗って4時間ほどの都市で、今は夏の暑い午後だ。夏休みのために繁華街の多くの店はシャッターが下り、鎖型のシャッターの隙間から見えるショウウインドウには、これから夏物のセールになるはずの服が蠱惑的に飾られていた。私の乗る列車の時刻まではあと30分ほどある。

 私はホテルリッツのガラス張りの廊下にいて、その場所からは駅舎が真近に良く見える。駅舎はあまりにも近代的な建物で、ルネッサンスの建築など少しも面影のない、銀色のカプセルみたいなアーチ型をして、獰猛な夏の太陽をはじきかえして、眩く輝いていた。

 駅舎の中に、同じ列車に乗ってトリノに向かうひとがいる。さっき街中で偶然に見かけたそのひとは、そう遠くない過去に、空港で出合ったハンサムだ。空港の出口でジプシーの子どもにバッグをひったくられそうになった時に救ってくれたひと。

 真っ黒な髪を汚らしくたらしたその女の子の手首を私が掴んだとき、向こうから父親らしき大男が大声で私に怒鳴りながら近づいてきた。その時そのひとが現われて、酔っ払いのラテン親父みたいな大男と、目ばかり白い女の子のジプシー親子を追い払ってくれたのだ。親子は上下の唇に下を挟んでジプシー独特のブーっという音を発しながら憎々しげに去っていった。ジプシーなんて相手にしない方がいい。とその人はいい、子ども相手に剥きになってしまった私は涙ぐみそうになりながら、曲がり角でその人に礼をいって別れたが、私がそのひとにとても魅かれたのは、彼がトム・ハンクスに似ていたからだ。トム・ハンクスを、少しばかり若くして優男にしたようなひとだ。

 何故か私は、今そのひとが同じ列車でトリノに向かうことを知っていて、30分後にはふたたび逢うことが出来るとわかっていた。それが私を、いつもよりずっと嬉しくさせていることもわかっていた。そして、大切な入れ物を開けるまで、少しでも楽しみの時間を長びかせようとする気持ちに似て、私はゆっくりとそれを味わっていた。とてももったいぶりながら。

 リッツの廊下からは、どちらへ行けば、目の前に見える駅舎にたどり着けるのか分からなかった。後ろからボーイが二人、ワゴンを押しながらやって来た。白い夏の制服には、金ボタンのほかに、同じ色のモールが派手に飾られ、前方にいた若手のボーイが、この廊下を少し行って右側にある扉を開くと、そのまま駅舎に行かれますとうやうやしく教えてくれた。

 その褐色の髪とブルーの瞳をしたボーイに礼を言って、言われたように少し歩くと扉は見つかったが、ドアノブがない。はめ殺しの窓枠のような重たげな扉を少し下がって眺めていると、もう一人の年かさのボーイが、それは騙し絵で、本物は、もう少しまっすぐ歩いた先にあると、ウィンクをしながら教えてくれた。仕事中、同僚のウィンクを見て、青い目をまん丸にした若いボーイを見て思わず笑った。

 ふと見ると、さっきは行き止りに見えた廊下は、更に更に迷路のように長く続き、誰もいないこの廊下を言われるままに真っ直ぐ歩くと、正真正銘の扉があった。

 扉を開けると数段の階段があり、中庭の小道に下りる。小道を歩けば目の前に再び階段があり、それを昇ると駅舎の入り口だ。中庭の小道の左側には、花壇に囲まれた噴水があり、季節の花々が色鮮やかに咲き乱れるジュネーブの公園のようだ。赤い大きな花がひときわ冴え、風にゆらゆら揺れながら、太陽の国を挑発的に誇っていた。

 地面はレンガで敷きつめられ、噴水の前を、コバルトグリーンのノースリーブのワンピースを着た白髪の女のひとと、ワインカラーのポロシャツに、真っ白なチノパンツを履いた老人が並んで歩いていた。噴水の水のほとばしりは老夫婦の回りを涼やかにするようだ。ゆらゆらゆれる陽炎の奥で、そこだけがはっきりと精彩を帯びて静かな時を刻んでいる。二人の歩く歩調はゆっくり、時が刻まれるのもゆっくりと。

 小道の右側は、鮮やかな緑色だ。丁寧に手入れされた芝生は、低目の木々に囲まれて、ところどころにベンチが並ぶ。炎天下の街に人影はあまりない。向こう側の道路には、ジェラートと書いた白くて小さなクラシックカーが、カラフルなテントを張って一台止まっている。そのバンパーの上に、ティーネイジャーくらいの女の子が腰かけて、紫色のアイスクリームを舐めていた。夏なのに、真夏なのに白いしろつめくさの花が咲き、風が吹くといっせいに同じ方向になびいて、まるで五線譜の上に並んだ逆さまの音符みたいだ。

 私はベンチに座ってしまおうかと考えた。そのままその景色の中に溶けてしまいたいような衝動にかられたからだ。立ち止まって足元を見つめた。ベンチの外側にある、規則正しく植え込まれた低い木々が、同じように規則正しく短い影をつくり、私の足元は濃い緑と淡い緑の横断歩道のように見える。横断歩道の縞を、少し大股にひとつひとつ踏みながら、どちらにしようと考える。

 このままベンチにいたら、たぶん私はあの列車には乗れないだろう。列車には乗り遅れるが、夏のイタリアの日暮れは遅い。今なら夕暮れは午後10時だ。物騒なトリノで冬の日なら、午後4時を過ぎれば暗くなり、あまり出歩きたくはないが、今はその時じゃない。と思うと誘惑がつのる。一方で、駅舎の中で同じ列車に乗るであろうあのひとに逢えることはもうないのだと思うと、それが考えを変えようとする。もし今、またあのひとに逢えたら、素敵な旅が出来そうだ。何かが始まるとか始まらないとかでもなく、ときめくというのでもない。だけど旅の数時間が、私にはきらきらまばゆい時間のような気がするのだ。とても貴重な。

 どちらにしても素敵な時間が始まろうとしている。本当に。どちらでも良いのだ。今までなかったような、夢のような時間。どうしよう。どうしよう。天国に向かう横断歩道の上で、遠くからそんな声が聞こえてくらくらする。どうしよう。どうしよう。次第にその声がはっきりと聞こえてくるようになる。大急ぎで決めることもない迷い。迷うことすら至福だった。本当の愉しみはこれからだ。どうしよう。どうしよう。それがもう、とても現実的な声となって聞こえた瞬間に、私はこれが夢だと悟り、目が覚めると唐突に朝だった。



  Shall we dance?
2005年05月16日(月)  

 観てきました♪
素敵でした。

 仕事も生活も順調な弁護士ジョン(リチャード・ギア)は、毎日の生活にこれといって不満があるわけじゃない。妻との間には、ロマンティックな気分もセクシーな気分もないけれど、愛していないわけじゃない。

 誕生日のプレゼントは何が欲しい?と聞かれれば、とりたてて手に入れたい品物もない。生活には困っていないし、たいていのものなら手に入る生活レベル。そして生活臭に溢れた家族は、これといって問題もなく、気がつけば20年、毎日同じ電車に乗り、同じような仕事をしてごくごく単調で平和な生活。幸せには違いないが、家に帰れば、妻は仕事や会合で忙しく、「パパあっち行って」という娘年頃の娘がいて、息子はまだ帰っていない。家族の仲はいいけれど、何となくみんながそれぞれの世界にいてバラバラで、自分の居場所がないような心のすき間、何か忘れ物をしたような、そんな日々。仕事帰りの車窓から見上げたビルの一室にダンス教室。毎日同じ場所から同じ場所を見上げると、窓の向こうには寂しげ気に、道に迷ったようなポリーナ(ジェニファー・ロペス)がいる。


 筋書きは、日本版の Shall we dance? と全く同じではないのですが(アメリカ風味に仕上げられていたというか)、何ていうのでしょうね、すき間すき間にある何気ないシーンで、さざなみのような小さな波動が涙腺を10℃くらい暖めてしまうような時が、沢山あるのですね。悲しいとか辛いとかいう負の感覚ではなくて、とても暖かいもの。

 「あなたへの誕生日のプレゼントは、箱にいれた物が贈りたいのよ」という妻の顔だとか、ガールフレンドと踊る長男の、ガールフレンドを見つめる熱いまなざしとか、駅のホームで一人練習をするジョンの姿とか、探偵とのやり取りや、ダンス教室に来ている仲間のボビーがぶっ倒れてしまった時、彼女の娘が意見する場面だとか・・・。色んな場所でじわんじわんと涙ぐみそうになってしまう。暖かいのです。何もかも。登場人物、ひとりひとりがみんな可愛くてチャーミングで、みんな善人。愛すべきひとたち。みんなどんどん幸せそうになってゆく。大きく魂をゆさぶるようなものとは違う、細やかなちょっとした揺れみたいなものが、心のひだにすうっと沁みいって、少しだけふくよかになったような気持ち。お終いの方は、涙が流れてしょうがなかった。暖か〜い涙です。

 

 日本での周防監督の映画の印象がとても強くて、特に草刈民代さんの怜悧で気品のある美しさや、「Shall we dance?」という時のやや低目の落ち着いた声や、凛とした背中は忘れ難く、ハリウッドでリメイクされると聞いたとき、草刈さんの役をジェニファー・ロペスが演じると知り、少しだけ???と思っていたのですが。全く別な形で素敵な映画になっていました。

 竹中直人さんが演じた役を誰がどのように演るんだろうと思っていたら、やっぱりそれなりに面白くておかしくてそして愛すべき人物。ちょっと恰好良かったかも。えり子さんの役にいたっては、登場した瞬間に、あっ!とわかってしまうくらい、ピッタリ。声出して笑っちゃうくらいに。容姿が似ているわけじゃないのに、声や喋り方、ニュアンスがまるで同じで、驚いたほど。

 リチャード・ギアは、その前にシカゴで、流暢なダンスやタップをたっぷり見せてもらった後だったので、予感はあったのですが、やっぱり彼は素敵ですね。ダンスが上手になって、タキシードを着て真っ赤な薔薇の花を持って、なんて決まりすぎるくらいに決まっていて、もう、この映画だろうと何の映画だろうと、彼にしかない雰囲気があって。初めのころの何となく冴えないシーンもとても良かったのだけど、ああいう感じは日本では出ないのじゃないかと思いました。

 ジェニファー・ロペスは・・・、ラテン系の色が濃くて、日本でのヒロインより肉感的、やや野性的な印象すらして、どちらかというとエレガンスとか怜悧な気品はないかな。そこのところがちょっと違う?と。・・・難を言えばですが。

 最初の場面、息をのんでしまうほど美しいマンハッタンの煌びやかな夜景に、魔法をかけられたみたいな、お洒落で素敵な大人のお話でした。



  小さい魔女 -オトフリート・プロイスラー作 大塚勇三訳-
2005年05月09日(月)  



 むかしむかし、ひとりの小さい魔女がいました。年はたったの百二十七でしたがね、百二十七なんていえば、魔女のなかまでは、まだ、ひよっこみたいなものなんです。
 ふかい森のおくに、おいつんと一けん、魔女の家があって、小さい魔女は、そこにすんでいました。

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 小さい魔女は口のきけるカラスを一羽もっていました。アブラクサスというカラスです。それはね、しゃべるのをしこまれた、ふつうのカラスでも、「おはよう」とか、「こんばんは」くらいはいえますけれど、アブラクサスは、それどころじゃなくて、なんだってしゃべれました。なにしろ、アブラクサスときたら、めっぽうりこうなカラスでしたし、どんなことについてでも、まるでえんりょせずに意見をきかしてくれたからです。

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 生まれて初めて一人で読んだ童話である。たぶん小学一年生くらいだったと思う。私は子どもの頃(ずいぶん大きくなるまで)一人で二階へは行かれない子どもだった。二階には仏壇がある。私は幽霊の存在を本気で信じていて、どの部屋にいても一人で二階のどこかにいるのはとても耐えられないほど怖いのだった。夜になると、眠くなるのだが、私が眠くなる時間、両親も10才や9才年の離れた兄たちはまだ誰も階上へ上がらない。私は眠くなっても一人で部屋には行かれないので無理をしてみんなと同じ場所にいるのだが、どうしてもこっくりこっくりしてしまう。その時、本を読む振りをして居眠りをする技を身につけたのだ。おそらくそれはばれていたに違いないと今は思うが、その時は本を読んでさえいれば、誰も寝なさいとは言わないのだった。そして実際にもいくつもの本を読んだ。

 この本は、一体何度読んだか知れない。小さい魔女はある年、ワルプルギスの夜の大きな魔女たちの集まりに出たくてしかたがない。小さい魔女にはまだその場所へ行くことは許されていないのに、小さい魔女はこっそりとブロッケン山の頂上で、みんなの踊りの輪に混じって踊り、そして口うるさいルンプンペルおばさんに見つかってしまう。そして、おかしらのところに連れて行かれてほうきを取り上げられてしまう。やっとの思いでアブラクサスの待つ森の家に帰った魔女は、来年までに良い魔女になると決心をする。魔女の世界で良い魔女とは、人間どもにいたずらやいじわるをする魔女だ。しかし、小さい魔女とアブラクサスの決めた良い魔女とは・・・。そして、次の年、小さい魔女はブロッケン山で踊り歌う。
「ワルプルギスのよーる!」
「ワルプルギスの夜、ばんさーい!」


 子どもの私がどのくらい時間をかけてこの本を読んだか憶えていないが、ともかく何度読んでも楽しかった。どうなるのかが早く知りたくて読み進むのに、最後のページに近づくと、読んでしまうのが勿体無いような、終わってしまうのを引き止めたいような、それでもやっぱりおしまいがきて、そうしてとても淋しくなった。今までいた世界がとても恋しいものになるのだった。


 この本のことは、プロフィールの中の本好きに100の質問の中にも書いたのだけど、やっぱりこれこそが最初の読書体験だったと思う。

 それから何年も何年も経って、ある時初めてHPを作るのに、私のプロフィールに書いた、職業・・・魔女 年齢・・・127歳、まだひよっこですが。は、実はここから来ているのだ。またしばらくして、ある方とコラボサイトを作ったときつけたサイト名は、Walpurgis Night 。

 この本はずいぶん傷み、あちこち旅をして、どこにいるのかと思ったら最近、新しくなって戻ってきた。表紙も中身も挿絵も何もかも全てあのまま。とても懐かしい。会うのは何年ぶりになるのか。物語の一つ一つの章のタイトルを読んだだけで、中身が想い出せてしまう。誰にでも、こんなことってあるのだと思う。それが本でなくても。 



  目に青葉
2005年05月03日(火)  

新緑が眩しい

















静かな公園の片隅で
















君は何を想う?




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