momoparco
  ババア発言に寄せて大晦日の一筆
2003年12月31日(水)  

 本年度の流行語大賞などには絶対に登場しないと思われる、東京都知事の石原某がいった
「ババア発言」。

 その内容は、
「文明がもたらした最も悪しき有害なものはババァ」だと。
そして
「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは無駄で罪」であり、
「きんさん、ぎんさんの年まで生きてるってのは地球にとって非常に悪しき弊害」であると。

 当の石原某は、
「これは僕がいっているんじゃなくて、松井孝典(東大教授)がいっているんだけど、・・・」
として、物理学者の松井孝典氏の言葉の引用として言ったそうだが。(笑)
公人が他人の言葉を持ち出して発言すれば、本人が言ったと同じこと。
この発言によって、世はさまざま、当然のことながら、高齢、子供のいない女性らの社会的名誉を傷つけたとして、東京地裁に提訴するという展開も。

 かくいう私は、東京都民ではないが、この発言にはたいそう憤慨するところである。
しかし、無用の長物とされた東京都の、生殖能力を持たない女性からは税金を納めないなどの処置がなされるのであれば、それは他県の人間がとやかくいうことでもないが、この発言によって、都民ならずとも、多くの敵を益々増やしたことは必至である。

 インターネットのあちこちでも、この発言に対する意見が侃々諤々と書かれているところを見ると、東京都民ならずともインパクトの強い発言であったことは確かである。
しかし、よく言ったもんだね。(笑)


 さて、深読みの私は、この時何を感じたかというと、この石原某の見栄っ張りさ加減である。

 敢えて”生殖能力をもたない”と断るところなど、あたかも自分にはまだその能力があると言わんばかり。
これは、墓穴を掘っている。

 よく、女なんかにゃモテもしないクセに、家に帰ればネズミ一匹いないくせに、
「女が五月蝿いから帰る」とか何とか言って、付き合いを断る男や、
家計は火の車のクセに、
「税金が高くって嫌になっちゃうわぁ〜」
などと、聞かれてもいない一言を言葉の中に組み込む見栄っ張りとなんら変わりない。

 石原某、すでに生殖能力はおろか、その機能も失い、バイアグラの世話になろうとも、心臓疾患が邪魔をして服用すら医師に止められ、涙(涎?)を飲んでその錠剤を見つめるしかないのに違いない。(爆)

 ダンディな(とされていた)アニキの蔭で様々なコンプレックスに埋もれ、アニキ亡き後は、上原謙だの、岡田真澄が羨ましくってしょうがないのだ。
語るに落ちたな?(笑)

 うっかり口が滑ったばかりに、あんな墓穴を掘るなんて、あぁお気の毒♪
あんな奴が知事だなんて、大晦日、返す返すも東京都民の皆さまに、ご同情を申し上げる私なのであった。

 せめてこの先は、くれぐれも、
「東京都の男メカケ」
なんて言われないようにねん♪






  お疲れさまでした
2003年12月30日(火)  

 今日からおやすみ。
お正月の買出しをするために朝一で出かける。
昨年は、午後になってから出かけて行き、その人の多さと、すでに品物の薄さに驚いたので
今年は二の舞を踏まないようにと早めに出ていった。

 お正月といっても、最近は元旦から営業しているお店も多く、
どうしても買っておかなければならないような物はないのだが、
なるべくなら三日あたりまではスーパーなどには出かけたくないので、ついでのあれこれも混ぜると、買い物の量はそれなりになる。

 帰宅後遅めの昼食をとり、家のそちこちを片付け。
普段からやっておけば良かったと思うのはいつもこの時で、こういう後悔は役に立たず、後を絶たず。

 だんだん体中が痛くなりはじめる。
休みに入った途端に、体が休みモードに入ったらしい。
今までの溜まりに溜まった疲れがここぞとばかりに痛みとなって訴えてくる。
疲れは出しきってしまう方がいいのでしょうね。

 来年こそは!
ネット人間を返上して、早寝早起きを心がけ、健全な生活を送ろうと、これまた去年と同じようなことを思ったり・・・。

+

+

+


 皆さま、今年もお世話になりました。
一年どうもありがとう。
どうぞ良いお年をお迎えくださいね。

     * momo *





  年末の土曜の午後に思うこと
2003年12月27日(土)  

 一年の締めくくりというのにはまだ早いが、そろそろ今年も大詰めである。

 この一年何をしたのかと考えると、何もしていないようで、やはり随分と色々なことをしたような気がする。
と思うのは、充実していたということになるのかも知れない。

 ふと考えると、私はとても幸せな人間である。
何が幸せかといえば、何かをしている時に、他の全てのことは100%近く忘れているということである。
また別のことをすれば、さっきのことは飛んでいる。
それが良いか悪いか知らないが、とにもかくにもそうである。
しかし、だからといって、これといって大きな失敗をしたこともないし、不都合なこともない。
その場その場でその時々のことだけを考えていられるのは、相当に単純なのだと思う。

 その都度没頭できるほどの単純さを持ち合わせていられたことは、幸せなことだと思うのである。

* * * * *


 さて、ネットサーフィンをしていて思うこと。
断っておくが、他所の部屋のことをとやかく言うのは好きじゃない。自分のことをとやかく言われるのも、もっと好きじゃない。
しかし、我慢に我慢を重ねていたことを、一つだけ。

 部屋に音楽を流すときは、最低限コントロールパネルを出して欲しい。
コントロールパネルを出すのが、部屋の美観をそこなうと思うのなら、せめてオン/オフのスイッチを付けて欲しい。
パネルを出すのも嫌だが、スイッチを付けるスキルもないなら、曲を流すのは諦めて欲しい。
曲を流すのは自由だが、聴く、聴かないの自由を奪わないよういたしましょう。




  近況?
2003年12月23日(火)  

 このところさすがに忙しい日々が続いております。
更新が止り気味。

 夜になりますと、父のことで知人、友人、親類等よりの電話やメールが多くなっております。
色々と心配をしていただき、良いと思われることなど教えてくださったり、私自身のことを心配してくれたりと、ありがたいことでもあります。

 友人の場合、話し出すと軽く1時間やもうちっとは経ってしまうということもあります。(笑)

 加えて年末、普段しない場所を掃除したり、あれこれ整えるべき項目を整えたりと雑用も増え、チョコマカチョコマカいたしておりますので、なかなか更新が出来ませんが、風邪も逃げるほどの元気でおりますので、どうかご安心くださいませ。

 もう少し落ち着きましたら、またコツコツ始めたいと思います。

 皆さまも、お風邪など召しませんように♪



〜平井堅を聴きながら〜

* momo *





  
2003年12月20日(土)  

冬の朝は静謐で透明
ついこの間まで
銀杏並木の木々には
黄色くなった葉が半分も残っていて
まるで11月の風景を見るようだったのに
それはほんの数日の間にみごとに散り
今はほとんど枝ばかり
すき間になった枝の間からは
静かな朝の空が見える
公園にむかって坂道をおりるとき
遠く家々のむこうには
枯れ葉色の稜線が流れ
はるかな海へと消えてゆく
公園の中の砂や落ち葉をふみしめる
ぐるりとまわる木々の枝の頭上に
雪のかたまりみたいな雲が
朝の太陽を乱反射する
さまざまな光と影が
色とりどりの白を織りなして
水平線のむこうまで
海は冬色




  やっぱり
2003年12月19日(金)  

 酔っ払いはなってない。
ダラダラ書くのは自分のことばかり。
この場合、主役は父なのにである。
あ〜、しょうもない。

 しかし、人間は同じ座標の上にはいない。全く同一の条件で生きるのは無理である。
一人一人の単体が、それぞれの向きを向いて動いている。
向きは突如として変わることがある。
少し前までは、あんなに仲が良かったのに、いまとなってはどうだろう?
なんていうことがあるのは、だからちっとも不思議じゃない。

 もとい、家族といえども別の単体。
いくらそのためにと思っていても、そう思うこと自体、そのためにと思っている自分自身のためなのだ。

いとをかし。




  昨日の続き
2003年12月18日(木)  

 昨夜は、変な時間に書いてますね。
まぁ、とにかく来春早々に、父は再び入院をして手術を受けることに決まりました。

 今になって思うと、やはり先月末のDiaryは、ちょいとばかりヒス気味でしたね。(笑)
かいつまめば、現実をあまり受け入れたくないために、その現実を提示した医師に八つ当たり気分が湧いていたとしかいい様がない。
ええ?またぁ?みたいなさ、何となくそういう気分だったんですね、私。
まだまだじゃの〜(笑)

 検査入院は、当初7日には退院予定だったのが、検査が増えたことや上手く行かないこともあり、伸びに伸びて昨日退院。
その間、つらつら考えるうちに、だんだん考えている私の方が変わってきたのか、最終的に父の決断を聞くまでには、多分父はやるだろうと思っていました。

 というより、私自身がそちらの方向へと考えが向いていたと言う感じ。
母は、最後まで手術を受けさせたくないと思っていたし、今も内心はそのようです。

 これが、足に出来た魚の目を取るとか、目に出来たものもらいを取るとかいうのなら、何も考えたりもしなかったのですが、やはりさすがに、昨年秋からこちら、夫婦そろって予想もしなかったような病気が続くと、神経の休まる時がないとでもいう状態ではありましたから、誰の気持ちもそれぞれで、母の気持ちも分かる。少し前までは私も同じでしたし。

 何で私が、手術を受ける方向へと気持ちが向いたのかというと、秋の初めに亡くなった友人の母上との会話が蘇ったからでもあります。

 このDiaryにも綴りましたが、彼女は看護婦さんでしたから、点滴の薬を一つみただけでも自分の病状というものはわかってしまう。
全てを受け入れた上で、彼女は
『私は死ぬことなんて何にも怖くない。ただ、痛いのだけは嫌』
そうなんですね。
いくらもう思い残すことはないと思っても、たとえ周囲から大往生と言われる年齢であろうとも、この世に執着がなかったとしても、やはり痛いのは嫌でしょう。
少なくとも、私は嫌。絶対に嫌!
それを考えたら、最終的に痛みや苦しみの可能性を少しでも遠ざけたいと思うようになった、ということです。

 今ならまだ初期の初期、たいていの場合にはまだ気がつかないような状態だというので、考えようによっては運が良かったのでしょうね。

 となると、見方や感じ方が変わった私のことはさておき、お医者さんも難儀な商売だなぁ〜、なんて今は思っています。
ほら、私みたいなのに、ナンだカンだといわれなくちゃならないしさ。(笑)

 
 しかし、昨年の今頃は、もしかしたら今度のお正月が母にとって最後なのかも知れない、と思っていたのに、一年経ってみれば、事態はまったく別な方向へ向いていて、だとすると、来年の今頃は何を思っているんだか・・・。

 なんてことを考えると、鬼が笑うとか豚が走るとかいうので、明日のことはケ・セラ・セラ。
わたしゃ、疲れるのは嫌だから、柳に風で行きますよ。
だって、ホント疲れるっんだってば。(笑)

 ちょっと今書いてるこれ、読んでいて意味ちゃんとなってるのかな?
今ちょっと酔ってるからさ。(爆)

 あ〜、そうそう
話は変わりますが、やっぱり人間って面白いですね。
こうやって、同じ人間なのに物の見方や考え方がいくらでも変わる。
良いか悪いか、人から見たらどうなのか分かりませんが万物は流転しているといいますから、それもいいかなと、考えるのは楽しいなと、思ったりして。
考えるだけなら、ダタですし。(笑)

 万物は流転といえば思い出したのは、『バカの壁』
何でかというと、そんなことがちょこっと書いてあったからですが、あの『養老孟司』ってさ、名前の字面からして、すごい難しいことばかり書いてあるのかと思ってたのね。
何かほら、孟子みたいでさ、モーシと名乗るからにはやるんだろうね?みたいな。タケシなんだけどさ。(笑)
読んでみたら、簡単。(爆)
何であんなに売れたんだろ、やっぱりネーミングなのかな?
私としては、あまり新しい発見がなかったなと、ちょいと肩すかしではありましたが。

 あ〜、なんだかどうでもいいコトばかり書いてますね。
これ、いつまで続くんだろ。
まだまだ今、思いついたこと沢山あるのよ。もっと書く?(笑)
終わりそうもない。
だって頭の中に湧いてくるんだもの。
でももうやめよっと♪(笑)

 あ、酔っていると言ってもね、気は確か。ある種の覚悟もついてます。
大丈夫よん♪(はぁと印大)



  親父の選択
2003年12月17日(水)  

 いよいよ今夕、最終的な検査結果と説明を聞き、手術が決まる。
親父の肺がんは、まだまだほんの初期で、今なら、今ならばという医師団の考えを受けて、親父自身が決断をする。

 今日と言っても、実際には日付は17日なのだが、帰宅後しばらくすると、かなりの疲れを感じて熟睡。
おかしな時間に起きてしまった。
といって、冴えているわけでもなく、どちらかといえば半分寝ている。(笑)

 続きは明日にでも。
どちらさまも、おやす眠。



  悩みがないのは悩みじゃない
2003年12月14日(日)  

 よくよく考えると私には悩みがない。あるのは心配ごとだけである。
心配ごととは、私にとっては課題であって悩みではない。

 どうすれば、この状況から良い方向へいかれるのか、自分にとって誰かにとってどうすることが良策なのか。そう考えるから、色々調べたり相談もする。

 しかしそれは、悩んでいるのではなくて、あくまでも前進するために考えているのである。心配事がつきないとしても、悩みがあるより幸せだ。

 人間と言う字は、人の間と書く。
まぎれもなく、私は人間で、人の間で生きている。

 人は常に理想と現実の狭間にいる。
現実が上がれば、理想も上がる。見えているのはそのギャップだけ。
上を見ても下を見てもキリがない。
でも、努力をして現実が上がれれば、やっぱりまた少し上を目指したい。
人と人の間で。



  ハゲとか年寄りとか
2003年12月12日(金)  

 昨日、朝のTVで、ブルース・ウィリスが婚約したとかしないとかやっていた。米スター紙が報じたというだけで、ブルース・ウィリスは否定しているし、真偽のほどは明らかでないし、第一どうでもいいけど。

 その中で、ブルース・ウィリスのプロポーズの言葉が、
『僕みたいにハゲで年取った男と結婚するというのは、どうかな』っていう言葉。勿論、訳された言葉だから、ハゲだの年取ったって言葉そのものじゃないんでしょうけど。愛があればハゲだろうが、年取っていようがそういうものは関係ないのが心なんだと思うでしょ?


 友人Kちゃんは、29才までに結婚するのが夢だった。何で29才かというと、最初の子供はどうしても30才ギリギリまでに生みたいからで、だからとにかく29才の誕生日までには結婚をするのだと決めていた。相手はいない。恋人もいない。ただとにかく、本人が一人でそう決めていた。
しかし、恋人も出来ない。彼女は結婚はお見合いでなくて恋愛結婚とこれまた決めていた。更に言えば、結婚相手の条件は、3高。3高って何だっけ?高学歴、高収入、高身長かな?(たぶん)とこれまた絶対に決めていた。お嬢の彼女は仕事はせずに家事手伝い。お嫁に行ってもいいように、花嫁修業の習い事などしていたが、そんなコトははっきり言って必要ない。家事手伝いといえば聞こえはいいが、要するにただのプー。

 月日は流れ、Kちゃん、いよいよ28才になった。
あと一年・・・。
相変わらず恋人も出来ない。従って夢の結婚話は『け』の字もない。日に日に焦燥は深まるばかりの青息吐息。夜になると、思いつめたように電話がかかる。話の内容は、要するに愚痴。もうすぐ問題の29才になってしまう。その前に何とかしたい。でも相手がいない。何で私には恋人が出来ないのか・・・、素敵な人と結婚できないのか・・・、などなど。

 何でと言われても、今を一生懸命に生きている様子でもなくて、毎日毎日そんなことばかり考えていたのでは、来るものも逃げるのじゃないかと思うと、話相手もいささかうんざり。初めのうちは、相手のいることだし、そうそう思い通りにはならないものだとか何とか、色んな事を言ったりしたが、そのうちだんだん受け答えもいい加減になっていき、するとそれを察知したのか、Kちゃんからの電話はかからなくなった。

 と思ったら、ある時別の友人から電話がかかり、実はKちゃんは方々へ電話をしては同じことばかり言っているらしいという。彼女のところにも毎晩のように電話がかかり、彼女は私と同じコースを歩む。そうしてKちゃん、次から次へと友人間を渡り歩き(電話で)しばらくすると、だんだん相手にしてもらえなくなり・・・ということを繰り返しているらしい。

 しかし、本人は病気になるのではないかと思うくらいに思いつめ、それはそれは聞くも涙、語るも涙の物語。で、しょうがない、女同士ここは世のため人のため、なんとか心当たりを探しましょう、などということに。放っておくのも気がかりであった・・・、というより鬱陶しかったのかも。(女の友情はかくも冷たし)

 『こうなったらさ、何でもいいから男よ、オトコ!いいのがいたら紹介!』
 『そうね、お古でも何でもいいわよね』
 とりあえず、恋人が出来れば少しはKちゃんも変わるかも知れない。そんなこんなでそれぞれが、知り合いの男の人にそれとなく、Kちゃんに似合いそうな人はいないか聞いてみることになる。

 しばらくして、友人間の電話が鳴る。
 『あの話どう?』
 『それがさ・・・、男友達が言うのよ』とか
 『ウチの旦那が言うのよ』とか
 『彼がいうのよ』とか・・・。
この話を持ち込まれた男どもの言ったことは、みんな同じ言葉だった。何て言ったかって?

 『その娘、綺麗?』


 かつて、ウィンブルドンで伊達君子とグラフの試合があったこと、記憶にありますか?グラフが勝った方の時。グラフ優勢でゲームが進み、会場の男性からは絶好調のグラフに野次が飛ぶ。
『merry me!!』
するとグラフ、サーブ前のボールをポンポン弾ませながら、余裕しゃくしゃく言い放った。
『How much money you have?!』

 同じく友人間の話では
『あれは全女性を代表してる言葉よね。や〜っぱりお金がないとね。』
なんて盛り上がる一シーンであった。

 で、それじゃあ、友人のみんなは、それぞれ美しい女と金持ちの男のカップルかというと、それは友達の私が言うのもナンだが、言っちゃ悪いが、言いにくいが、そうとばかりは言いきれない。綺麗な女がいいと思う男と、金持ちの男がいいと思う女のカップルの、しかしそうでない二人の間にあるものがあると、ここに矛盾が生ずる。

 もうおわかりでしょう?あるものって何があるの?
それはね、愛だよ愛!

 それでKちゃんは、どうしたかって?
そりゃもう、まだ一人でいる。最近は、恋愛じゃなくてもお見合いでもと妥協しはじめたらしいが、お見合い話が来る年齢かどうか・・・。あ、そうそう、彼女の条件は初婚だから。

 難しいよね、彼女そのものに愛がないんだもの。

 うん、だからハゲだろうと年取っていようと、関係ないんじゃないですか?ブルース・ウィリスのおっちゃんは。ただ、怖いのは相手の打算ですけど。(笑)

 まぁ、例えば金さん銀さんのように(ちょっと思いついた例がアレですが)年を取れば男なんだか女なんだかも分からなくなる。(失礼か?ごめんね)そんな風になってしまえば、ハゲも綺麗もみな同じ。その日まで、共に白髪の生えるまで、愛し合っていかれそうなお方と結婚してくらはいね。と、この場でKちゃんには伝えたい。



  ミホ
2003年12月10日(水)  

 ミホは18才。学校に通っていれば高校三年生になる。父親は事業をしていた。かなり羽振りよくやっていたので、ある時期までミホはお嬢様であった。母親は病気がちだったし、もう若くはないという頃になって出来た一人娘は両親に溺愛されて育っていた。そのせいかミホは、育ちのよさそうなおっとりした子供で、いつも笑顔を絶やさなかったし、小学校を卒業する頃には稀に見る綺麗な少女になっていた。綺麗というのは、その辺にいる可愛い子というのじゃなくて、もうすでに将来どのくらい美しくなるのかがうかがえるほどの、めったにいないというくらいの綺麗さ。

 中学からは裕福な家の子供が集まる私立へ進み、その後はあまり見かけることはなくなったが、たまに道で行き交えば、きりっと整った眉とすっきり通った鼻筋は相変わらず、少しずつ少女から大人になりそうな予感を匂いたたせて、ますます綺麗になっていた。

 しばらくして、ミホの父親の会社が家があまり良い状態ではないことを風の便りに聞いた。噂はいつも尾ひれがついて回るので、半信半疑でいた。しかし、ミホにばったり会って話をするうちに、ほとんどのことが本当で、それは私が思っていた以上の状況であることを知った。

 お父さんの事業が上手く立ち行かなくなって、そのためにお父さんはほとんど家に帰れないこと。お母さんは病気が進み、今は車椅子の生活をしていること。それまで住んでいた大きな家は借金に取られて、今は狭い団地の4階に住んでいること。だから車椅子のお母さんはほとんど表に出られず、代わって家事一切をミホがやるようになったこと。生活費もほとんどないので、ミホが働かなくてはならなくなり、それに加えて家事があるから、学校は二年生になった時に中退したこと。両親は、なんとか高校だけはと思ったらしいが、あまりにも生活が変わり、そのまま学校へ通い続けても、友達と同じような生活は味わえないと悟ったミホ自身が、続けるのを断念したということ。しばらくは、フリーのアルバイターとして、ドコモショップなどで働いていたが、高校を中退した未成年者がいくら働いても、それだけではとても母と二人の生活は立ち行かず、今はキャバクラで働いているということ。

 話をしなければ、ミホは以前のミホのまま、大人っぽくなった分、ますます美しい子になっていて、笑顔を絶やさず、大きな瞳はクルクル動く。今の状況を悲観してはいない様子や、それでも何とか学校には行きたいと、お金を貯めているという話。早く今の状態から抜け出したいが、とにかくせっせと貯金をしたい。家事やお母さんの世話があるから、働ける時間も限られて、手っ取り早く稼ぐにはこれが最譲歩だと。


 わずか18才の少女の肩には色々なものが乗っていた。救われたのは、金銭感覚が狂いそうになるから、気をつけていると聞いた時。学校は、何の屈託もない同級生と、常に明日のことを心配しなくてはならない今の自分との差が大きすぎてやって行かれなかったと言った。


 同じことが起きた時に人はそれぞれどんな風に過ごすのだろう。病人の世話にせよ、障害者の世話にせよ、他人ごとなら何でも言える。理屈だけでなら立派なことも言えるだろう。しかし、日々の暮らしの中にその全てが含まれて、後から後から追いかけてくる、そんな状態でいることが、一体どのくらいの重さなのか。

 ミホは育ちの良い、もとのままのおっとりとした顔をして、笑みを浮かべて話していた。今を悲観したり、恨みつらみや愚痴はなかった。見事なままに。それを聞いているのは辛かった。

 仕事で一番嫌なのは、自分のお父さんぐらいの年のお客が来ることで、こんな年齢のスケベ親父にはうんざりだという。ミホは未成年だから、年はサバを読んでいる。父親ぐらいのお客にはきっと同じ年頃の子供がいるだろう。あんな親父の子供は可哀想だというのを聞いて、ミホが可哀想だなどと思った私は自分が恥ずかしくなった。

 大した苦労をしたわけでもないのに、苦労話の語りたがりは多い。両親を思いさっぱりとやるべきことをやっているミホは偉いと思う。物事を悲観しない明るさと健気さは、あっけらかんとした若者特有というより、やはりミホの性格なのだろう。強いと思う。

 お金で買えないものはある。しかし、先立つものはお金だろう。この先どうなるのか分からない。別れ際、『頑張ってね』というのは抵抗があった。スケベ親父相手に頑張れもない。少しでも今の状況が好転することを願うばかりで、『体をこわさないように』そう言うのが精一杯だった。

 私は18才のミホを励ましたどころか、逆に元気をもらってしまったような気がする。



  繋がり
2003年12月08日(月)  

職場のボスは急に思い立って、昼休みにみんなで食事に行こう!とスタッフを連れ出すことがある。
そんな時は、大急ぎで仕事をやっつけ車に飛び乗り、みんなで繰り出す。
昼間だからそれほど時間はないのだけど、とにかく繰り出す。
その日はバイキングのお店だった。

ひとしきり食べた頃、お店の奥の方に座っているカップルを見て
「あれは不倫だね」というボス。
その視線の先に目をやると、中年のカップルが楽しそうに語らいながら食事をしている。
「あんな中年が、こんな昼間に二人きりで食事なんてさ、絶対に不倫だよ。
夫婦なんてさ、君、あのくらいの年になったら食事の時間だって黙っているもんさ」
「それはボスのところだけでは?」
「よく君はそういう言いにくいことを言うね」
このボスは、10数年前に20歳も年の若い奥さんをもらい、当時を知るスタッフの話だとそれはそれはアツアツのカップルだったのだとか。
最近は、どうも秋風が吹いているらしいというのは、風の噂どころか本人が嘆いてはいるのだけど。
10年の月日でもう秋風?

「今度は僕も、君たち一人ずつを連れて来ようかな」
「その時は、休日出勤手当てもつけてくださいね」
「君はだね・・・」


今日は久しぶりに昼間の月を見た。
暮れかかった薄紫色の空に、サモンピンクに染まる雲。
その隣には、まるで梳き紙みたいな大きな大きな真っ白な月。
地球の上にいるんだなぁと思う。
この地球の上の遠く離れた彼方まで、何もかもが繋がって宇宙がある。
時の流れと過去と未来と。


年月が人を変えるのか、それとも二人は初めからそうなる運命だったのかはわからない。
だけど、絆というものは、やっぱり育まなくちゃ育たないのだろうと思った。



  謹んで
2003年12月07日(日)  

 イラクにてお二人の同胞が弾に倒れ、ご遺体の帰国、合同葬儀の様子はTVで国民に知らされた。故奥克彦参事官、故井ノ上正盛三等書記官。

 お二人の殉職が示すように、イラクでの復興支援活動には大きな危険が伴う。
自衛隊のイラク派遣に関しては、様々な論争がなされ、万が一の覚悟をなくしてはこれを遂行することは難しい。
小泉首相はその重みを十二分に国民の理解を求める必要はある。
しかし。

 外務省は故両氏に二階級昇進を贈り、両氏の功績と名誉を称えた。
 故奥克彦参事官は大使昇進、故井ノ上正盛三等書記官は一等書記官昇進。

 ・・・、死んで花実が咲くものかというのが率直な感想である。
故両人を初めとし、残されたご遺族の心中を思えば、お慰めする言葉も見つからない。
謹んで、お二方の鎮魂と、ご遺族の皆さまには、それぞれの方の想い出が少しでも慰めとなることをお祈りするばかりである。


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 戦争はもとより反対である。その経験はないが、映画のコンテンツの中には戦争映画から受けたメッセージを受容し、それをまた私の言葉に代えてメッセージとして伝えてきている。
これからもその意に変わりはないが、それにしても反戦を唱える行為そのものが不毛に感ずる。

 ウサマ・ビンラーディンが日本を敵国として名指している以上、どこにいても同様の危険は生じている。
この場合の危険とは、多くの傷あとと輪廻のような怨恨である。
このサイクルが続く限り、この地球に平和が訪れる日は遠い。
不毛からは不毛しか生まれない。
脱するためには、何をなすべきか、途方に暮れる始末である。


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 先週は体が3つも欲しいような多忙な日々で、パソの前に座っても集中力が続かずにこの場への更新も一週間ぶりとなりました。
遅まきながら・・・、ではありますが。



  師走
2003年12月01日(月)  

 一日ですね、いよいよ12月。
先月末は、ちょっと凹み加減のDiaryを書いてしまったので
みなさまにはご心配をおかけして申し訳ございません。。
ホントに、たまにはわたくしめもチョット凹む時もあるのでございます。
といっても、いつまでもクヨクヨしていても何も始まりませんから
気を引き締めて、目の前の一つ一つをクリアしていかなくては、と思っております♪


 昨日は朝からどしゃ降りの雨、月末処理のために仕事に行って来たので
2日で流すはずのDiaryが一日遅くなってしまいました。
さすがに昨日は、チョット疲れておりました。
朝から起きられなくて、気がついたら寝坊しておりました。(汗)
なわけで、いつものように完璧なお面も被らずに、すっ飛んでいったわけで
いやはや何とも、とほほな朝でございましたが。

 一日仕事をして帰ると疲れます。
5時ごろには帰宅したものの、帰った途端にソファにて撃沈。(笑)
2時間ぐらい爆睡しちゃいまいました。
夕ご飯はどうしたかって?
それはね、魔法の杖を一振りキラリーン☆
っていうか、前日の夜更けにコトコトとおでんなんか仕込んでおいたのでね。
ばっちぐーでございますよん。

 あ、おでんに限らず煮物って知ってます?
煮込むときより、冷める時に味が沁みるって。
ですから、これを一晩寝かせて、日中は気が付いた人がチョット火にかける。
止める、またかける、の繰り返し。
そうすると、夜には食べごろの美味しいおでんの出来上がり♪

 恥ずかしながら、艱難辛苦ここにあり、というような心境はこれでパスでしょうね。
考えるまでもなく、世の中には大変なことをかかえる方は沢山いらっしゃる。
こうしてみると、私など暖かい家の中でぬくぬくと美味しいおでんなんか食べて
与は満足じゃの世界ですから、そんなこんなで凹んでいちゃいられません。

 何しろあなた、私ってば、暖衣飽食、五体満足、品行方正、頭脳明晰、安居楽業、
容姿端麗 羞月閉花の如し、嶺上開花、通ればリーチの国士無双
でございます。
どうです?てぇしたもんだでございましょう?(笑)

 ですが、この先ちょっと忙しく
能事畢矣に向かって、東奔西走する所存でございますので
ネットライフの方は体力温存のため、留守がちになるかと思います。
昨年のように長期の休止はしないつもりでおりますが、更新の方は滞るかも知れません。
とは申しましても、時々チョコっと気まぐれに姿を現すこともあるかとは思います。
私も皆さまのお元気なご様子や、美しいおみ足など眺めるのはスキでございますから。(爆)

 ご心配おかけするとは思いますが、
その時にはどうぞ、上の大風呂敷でも思い出してやっていたけましたら幸いです♪

 今日も一日どしゃ降りの雨でした。
この時期はいつも、比較的晴天が続いて掃除などし易いものですが、
今年は雨の多い年ですね。
空気が乾燥し過ぎなくて良いかも知れませんが、太陽が恋しいですね。

 年の瀬に向かい、どなた様もご自愛の上
つつがなく日々をお過ごしになられますよう、お祈りしております。

 


疲れ果てていることは
誰にもかくせは しないだろう
ところがオイラは 何のために
こんなに疲れて しまったのか

今日という日が
そんなにも大きな 一日とは思わないが
それでもやっぱり 考えてしまう
アーこのけだるさは何だ

いつかはどこかへ 落ちつこうと
心の置場を捜すだけ
たどりついたら いつも雨ふり
そんなことのくり返し

やっとこれで オイラの旅も
終ったのかと思ったら
いつものことでは あるけれど
アーここもやっぱり どしゃぶりさ

心の中に傘をさして
はだしで歩いている 自分が見える
人の言葉が 右の耳から左の耳へと
通りすぎる それ程オイラの
頭の中はカラッポに なっちまってる

今日は何故かおだやかで
知らん顔してる 自分が見える

たどりついたらいつも雨降り
作詞/作曲:吉田拓郎




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