momoparco
  どんな年の瀬か
2003年11月29日(土)  

 この月が開けるともう師走です。
今年は一年早かったなぁ〜。
何だかあれよあれよと月日が過ぎて、心の中はまだ夏ぐらいなのに。
って、いつもこう書いてますね。(笑)

 昨日は、あまり良い知らせがなくて、というかどちらかと言えば良くない知らせを受けて、チョット凹んでました。

 先週受けた父親の肺がん検査の結果が、どうもそうらしいというのですね・・・。
 この検査は、FDG−PETというのですが、まだ研究段階といったところ。
(興味のある方はこの辺が参考になるかと↓)

コチラとかコチラ

 で、まぁそれらしいというので、来週CTや、組織採取をして結果次第ではまた手術とか。

 そんなに切り刻んでどうする!
というのが正直な実感。
今度手術をしたら、間違いなく起きられなくなるでしょうね。

 個人的には、老人の癌の進行などそれほど怖くないのではないかと思っており、むしろ風邪から来る肺炎の方がよほど怖い。それにも増して、手術をすることのダメージの方がはるかに大きいのは、前回の手術で分かりきっていること。
医者はその辺りを見て、何で判断しないのかなぁ、といぶかしい気持ちが大きいのです。術後の父は、まるで別人のように衰弱、老化に欝が加わってしまっているのは、誰の目にも明らかなのに。

 母がお世話になっているがんセンターの先生は、患者の性格や様子を実によく把握していて、勿論スタッフとの話し合いもひんぱんで、その辺りを考慮しながら家族に対しても説明があったし、何より母本人のため(性格も含めて、ダメージを出来る限り少なく)ということを前提に、何が何でも医学的にこれが理想というやり方を押し付けなかったので、非常に信頼感があるのですが、父の方はまるでその辺りがスポンと欠落しているのですね。

 私の感情で見ている部分もあるでのしょうが、話の仕方や患者との接し方を見ていても、そこに個人差というものは、あるとすればデータの差だけで、内面というものを全く考えていないのですよ。

 するとやっぱり、臓器オタクとしか私には見えないし、一つの症例として、データーが欲しいんじゃないかとも思えてしまう。
 父のように年齢の行った、もう弱ってきてしまった老人など、まな板の上の鯉のような目でしか見られていないように見えてしまう。

 まだ若くて、人生これからというならそれはそれ、父のようにもう充分生きたと言って手術を拒んだ人間が、そんなに色んなことを調べられて、切ったり貼ったりされることが、それほど重要なことなんですかね。
もっと別の生き方をしてもいいような気がするのですよ。


 何だろ、こう続くと、私がイライラしてしまうだけなのかな。怒りが湧いてしまうんです。

 月末のDiary、2日で流れますからお許しを。



  読後感(笑)
2003年11月25日(火)  

 先日のDiaryを後から読み返して思ったんだけど。
よく言うでしょ、どうせ私を騙すなら、騙し続けて欲しいのよ・・・みたいな。
秘密は自分一人で抱えて墓場まで持っていけ、みたいな。

 知らないものは無いのと同じ。
何もなければ、裏切られたも何もないわけで、涼しい顔で生きていられる。
苦しい思いをするのは秘密を持つ側のツケだから。

 勿論、秘密はない方が良いに決まっているのだけど、万が一抱えてしまったら、微塵にも悟られてはならない。完璧に騙さなくてはならない。

 で、墓場まで持って行けと・・・、あれは、確かにもっともだと思っていたんだけど、こうして考えてみると、騙す本人がその秘密を死ぬまで抱えて持っていっても、死んだ後でバレたら意味ないやん。

 だから秘密は、(騙す)相手が死ぬまで抱えておけという方がベターなんじゃないかしらん。
かなり高度な技術がいるよね。(笑)



  春女の嫉妬
2003年11月22日(土)  

 週間新潮の連載に、[男も悩む人生相談]というタイトルで、読者が相談事を持ちかけると瀬戸内寂聴氏が答えるものがある。先日、この相談事に下記のようなものがあった。

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 79歳の父が亡くなりました。その父が老人会仲間の女性と最近まで通じていたことが80歳の母の耳に入りました。激怒した母は、葬儀、納骨に出ませんでした。今後、お盆の迎え火も焚かない、彼岸の墓参りにも行かないというのです。これから母に何と言ったらいいのでしょうか。

答:よくある例です。夫が死んで、今まで全く気づかなかった夫の愛人の存在がわかったり、愛人の子供が母親と一緒に死顔を拝ませてくれとあらわれたりするのです。
たいてい妻は逆上して、墓なんかつくってやるものかとわめきます。でもみんな二ヶ月もすると逆上が静まります。しかし、信じていただけ、長く裏切られたという口惜しさで心に受けた傷は長く残ります。
 今はそっとしておきなさい。下手に慰めたり、意見するとますます怒りの火に油をそそぐ結果になります。少し落ち着いたら、その女とのつきあいは、夫婦の共有した長い歳月に比べたら、ほんの短い時じゃないか、苦労もあったけど、愉しい思い出も一杯あるでしょうと言ってあげてください。79歳で現役で浮気が出来る体質は、あなたに遺伝しています。将来気をつけた方がいいですよ。



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春女はたいそう美貌な人であった。当時には珍しい彫りの深い、目鼻だちのはっきりした顔つくりは、いまだに春女を知る人の語り草になるほどである。

 春女が生まれてすぐに、春女の父が他界した。この家は代々医者で、春女は三女として生を受けた。二人の姉たちの上には兄が一人いたが、兄は春女が生まれる前に幼くして病死、家には春女の母と姉妹三人の他に、父方の仕事を引退した祖父とその後妻が残された。

 祖父と後妻の間には、二人の娘がいたが、この家には跡取りとなる男子がいなかったため、二人は医院をたたみ、全ての財産を分けて春女の母は離縁され、実家に戻ることになった。
まだ乳飲み子だった春女も一緒に、二人は二人分の財産分与としていくばくかの金を与えられたが、少し大きくなっていた姉たちはこの家に残され、それまでの使用人のような生活を強いられながらこの家で過ごすことになった。二人の姉の取り分は全てこの継祖母に取り上げられていた。

 その頃春女の母は針仕事ぐらいしか出来ずに、春女を育てるために改めて一から和裁を習い、後々は教室を開くようにもなる。
 女手一つで春女を育てる苦労をした母はまた、全ての子供を自分の手で育てることが出来ない悲しさも手伝い、将来自立の出来る教育を受けさせようと必死で春女を育てた。春女はこの母によって父親のいないことを卑下せぬ躾に加えて蝶よ花よと育てられ、女子師範学校へと進学卒業の後、高等女学校で気位の高い華やかな師範となった。

 春女の夫になる芳雄は、陸軍士官学校を卒業し、職業軍人として働いていたが、成績が優秀であったので、国家援助を受けて帝国大学の工学部に入学、軍人でありながら大学で勉強をするという生活を送っていた。
 ある時芳雄が春女を見初め、決して裕福ではなく、苦学して士官学校を卒業した芳雄は、春女と結婚する時には春女を育てた母も一緒に引き受けるという立派な心がけを持っていた。

 母と共に嫁入りした春女は仕事を辞めて家に入り、三人の男の子を産んだ。夫は大学を卒業後アメリカに留学したが、大東亜戦争が始まる直前に交換船に乗って帰国し、それから終戦の日まで、戦地に赴くことはなく、陸軍の戦車隊に属した。
戦争に敗れてからは、自動車会社の重役となり、家族は不自由のない生活を営み、春女はこの夫を尊敬し、信頼し、また自慢にもしていた。生き別れた二人の姉たちの分まで、幸福というものを独りじめしたような日々であった。

 芳雄がまだ50歳の若さで脳溢血で急死した時、三人の息子は社会人になっていて、長男はすでに結婚、初孫は小学一年生であった。

 葬儀の席に現われたのは、春女より随分年の若い女と、初孫よりほんの一つか二つ小さいだけの幼女である。この若い女は、芳雄がずっと面倒を見ていて、女の子は二人の間に出来た子であるという。女は、娘の認知と、しかるべく遺産相続を申し出たが、話を聞くと芳雄はこの二人に家を一軒与えたばかりであった。

 夫の急死で悲しみに暮れていた春女はこれを知って驚き、悲しみから一転逆上し、後この女と接触することはいっさいしなかった。
 家を与えていたことが分かればそれが遺産ということで、墓参りも許さず、今後は縁はないものとした全ての話をつけたのは長男であった。

 裏切られた春女の怒りは相当なもので、気位の高い春女には夫の裏切りは勿論のこと、子供の存在や家まで与えていたことは、彼女のプライドを傷つけるには充分であった。般若となった春女の心は、残された夫の遺品という遺品を全て切り刻み焼き捨てた。
「その時のおばあちゃんの顔と言ったら、それはそれはもう怖いものだった。おじいちゃんのものは何から何まで切り刻んで、羽毛の布団までちぎった時には、部屋にはもうもうと羽が舞って、その中でおばあちゃんは、まるで幽鬼がただよったような、今まで見た事もないような怖い顔をしていたのよ。あれは人間じゃなかった。長い間の信頼を裏切られたこともだけど、やっぱりあれは焼餅だったと思う。今までの綺麗なおばあちゃんのどこにあんな顔が隠されていたのか、今思い出してもぞっとする。嫉妬とは怖いものね。」
長男の嫁は、そういって、おぞましいものを思い出したように背中を揺らした。

 それからどのくらい経ったか、春女はいつの間にかまたもとの毅然と居ずまいを正した春女に戻り、長男夫婦の家で日々を送った。年相応以上に身だしなみには気を配り、いくつになっても春女の回りには美しいという形容詞が漂い、嫉妬に狂い逆上したことなど想像もつかなかった。

 そして九十歳の誕生日を迎える前日、まるで老木が朽ち果てるようにして息を引きとったが、ついにその日まで、春女の口から芳雄の名前が出ることはなかった。



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だから、寂聴氏の答えは少々甘いかも知れない。人間は深く傷つくと、それを封じ込めたまま、許すとか許さぬとかより、全てを忘れてしまわなければ過ごせないということがある。
 余談だが、
「あの時おじいさんの尻拭いで相当苦労したから、あの人はその点だけは私に苦労をさせなかった。それはもう、大したものだわ」
と長男の嫁は言っていたので、「あなたに遺伝しています。」
これもあながち当たりとも言い切れないようである。
しかし、隔世遺伝がどうなのかは定かではない。

 ・・・・・だから我が家には、祖父の写真は一枚もないのだ。





  尚子選手の場合
2003年11月19日(水)  

 日曜日のマラソンのレースで、期待の大きかった高橋尚子選手がまさかの二位に終わった。
 私はその日は朝から出かけていて、試合を見ていなかったし、結果は聞いていたが、そのことについて映像で見たのは実は昨夜のテレビが最初であった。
 昨夜の番組は、レースそのものを伝えるより、レポーターが尚子選手を追いかけるというようなつくりだったので、実際のレースの場面はそれほど見てはいない。
 
 かような次第で、この件については何も書かずにいたら、昨日の掲示板の書き込みに、この件についてmomoさんはどう思いますか?とお訊ねいただいた。(汗)
 前置き長!(笑)

 で、どう思ったかというと、実はそれほどショックでもなく、意外でもなく、比較的すんなりと受け止めた。

 全く期待をしていなかったわけではないが、マラソンというスポーツで常勝するのは非常に困難なことだと思っている。
 42.195キロは一人で走るにはとてつもなく長い。マラソンは個人、団体を含めて他のスポーツと違い、ベンチタイムやハーフタイムはおろか、選手交代なども皆無である。
スタートからゴールまで、誰かと言葉を交わすこともなく、作戦もかけひきもたった一人の、まるで孤独な作業が延々と続く。
そのような中で万が一何かしらの変調を来たしたとしても、それをフォローする手立てを見つけるのは不可能に近いと思うのだ。

 このレースのことは他に情報を持っていないので、何がどうしたのか分からないが、ラストスパートをかけてしばらくしてから、見るからに尚子選手が何かの変調を感じたことは確かで、しかしどこかを痛めたような様子ではなかった。
 こういう場合、死闘の限りを尽くして走れば、今後の選手生命に関わるようなことにもなりかねないし、その辺りのことを考えてあの走りになったのではないかと思うと、そこに彼女のセルフコントロールを感じるのだが、どうだろう。

 実際、ゴールに着いた時の彼女は、特別悲壮感を感じさせることもなく、といってどこかが痛そうなそぶりでもなく、淡々とありのままを受け入れていたように見られた。
 内心はとてもショックであったかも知れないが、これを次に生かそうとしているように私には見えたのだが、それは買いかぶりだろうか。

 勝負は時の運と言うし、運も実力の内ともいう。勝負事にはつき物のこの言葉も、二位から一位に浮上した選手に当てはめてみれば、そこでチャンスをものに出来たことは、それはそれで素晴らしいことではないか。
 
 尚子選手は、その後は抜かれることもなく、世界の大会で二位に終われたのは、負けは負けだとしてもやはり大きな結果ではないかとも思う。マラソンはそんなスポーツだと思うのだが。
 
 まだ、今後に期待が出来る余韻は残っているし、一度ぐらい負けたっていいじゃないかと思ったりする。



  男子バレー
2003年11月18日(火)  

 男子バレーボール、開幕3連勝していますね。
日本男子、なかなか上手いなぁ〜と思ったりして、格好いいし。(爆)
ラリー戦速いですねぇ、凄いスピード。
あのボールの時速って相当なものでしょ、反射神経とか判断力とか気持ちいいくらい。
うん、楽しみです。

 こういった団体スポーツを見るといつも思うんですが、女子と男子ではスピードに差がありますね。
これは一体何ででしょう。
身長はあっても女子の方が脂肪分が多くて、その分動きが重くなってしまうのかな。

 身長で言えば、一昔前は、身長2m近いバスケットの選手などは、男子でも動きに速さがなかったのに、最近はもうどこの国の選手も運動量がとても多くなり、とてもスピード感があり、スポーツの醍醐味が味わえますね。

 ところで、ジャンプの高さがものをいう、バレーやバスケの試合を見ると、身長別の試合ってあってもいいんじゃないかと思いますが、いかがでしょうね。
 多分、高さ以外のものも沢山見られると思うんですよね。
 こういったスポーツで、体重別というのはちょっと敬遠したいですが。(笑)
 平均身長がどんどん高くなっていくばかりでは、つまらないし、勿体無い気もします。



  もう週末
2003年11月15日(土)  

 今週に入って突然寒くなりました。
それまでが暖かだったせいもあるのでしょうが、週明け、雨の降る日には12月の気温だったとかで、それはもう寒くて室内に暖房がないと凍えそうでした。
体がついて行かなかったようです。

 お店にはもうクリスマスの飾りつけがなされて、年賀状やおせちの予約。何だか季節に終われ、時間に追われ、一年が何もしないうちに暮れて行きそうです。
私の場合には、時間に追われるというより、とっくに追い越されているような気配すら感じています。お正月は一年おきでもいいなと思ったり。(笑)
 かといって、それほど忙しいならさぞや充実しているのかというと、それはちょっと違います。単にこなしているだけ、という感じかなぁ。
 子供の頃はそんな風に思わなかったんですが
「早く来い来いお正月」って思ってましたもの。

 あちこちで、イライラしたような人や、キレてしまったような人をよく見かける今日この頃ですが、私なぞ問題じゃないくらいに、こなしきれない色々なモノを抱えていらっしゃるんでしょうかねぇ。


 バレーボール、昨日は勝ちましたね!
ちょっとどうかなぁ〜なんて思っていたんですが、前日の流れからよく立ち直ったというか、やりましたね。
崖っぷちでしたし、よくやった!と拍手です。
この一勝は大きいですよね。



  謹んで
2003年11月11日(火)  

 新聞に、インターネットのショッピングサイトでパソコンの価格を誤って表示し、注文が殺到した問題があったという記事が載っていた。
 サイト運営者は、すでに注文を受けた人に限り、誤表示通りの価格で販売することを決めたそうである。
 今回のミスは、本来19万8000円のパソの価格を、謝って一ケタ少ない1万9800円で表示してしまったということで、これがネットの掲示板等でも広まり、担当者がこのミスに気がつくまでに、約1000人から計約1500台の注文を受けてしまったという。
 一度は、注文した客全員に契約を取り消すメールを送ったが、苦情、反発もあり、社会的信用を優先せざるを得ないと、2日後に方針を変えたそうで、1万9800円で注文を受けた人には、改めて購入の意志を確認した上で、そのままの値段で売るそうである。
 こういった多くのショッピングサイトでは、注文が入ると自動的に承諾のメールが返送される仕組みになっているが、電子契約法によると、承諾メールが注文者に届いた時点で契約は成立するのだそうである。

 あらら、0という、たった1文字の打ちミスによって、10分の1の価格にされたパソを買えた人は羨ましい。(笑)19万8000と言えばそこそこ良いパソコンが買えるではないか。
 しかし、この損失は非常に大きくて、一体これをこのサイト運営者はどのように回収するのだろうか。

 そうなると、全く同じものを正規の価格で買おうという人はいなくなるだろうし、そもそもそのパソコンは正規のルートで製造されるのかどうか、チョット怪しい気がする。

 およそ何でも、機械にばかり頼っているとこのようなことが起るものだ。
 かと言って人間の仕事は、このように多分何人もの目でチェックが入っただろうにも関わらず、それをかいくぐってしまう場合がある。どういうわけだか見ているのに見えていない、あるいは過信状態で見ているのに見ていないとか。
 たいていの場合、どこかで謝りに気がつくもので、最後の最後までミスのまま通ってしまうというのもまた珍しいが、しかし、ヒヤッとするような場面が全くないとは言えない。
 誰かがこの魔がさしたような件の責任を取るだろうし、と考えると他人事で良かったが、チョットお気の毒な気もしなくもない。(笑)

 たった一文字抜かしたために、莫大な損失が生じるのは怖い話だ。
多分、『猫用の缶詰』の中の『用』を書かずに『猫の缶詰』と書くよりも怖い気がする。(笑)

 赤の他人のことを、生きているのにまことしやかに死んだと書いてしまう人もいる。
はい、それは私でありんす、ごめんなさい。(笑)
中島らもは生きていた。(爆)
 昨年、テレビかどこかで読んだかして、てっきり亡くなったと思っていたら、それはどうやらガセネタであったらしい。
 そのことを寸分の疑いもせずに信じていた私は、先日あのような話を文字通りでっちあげてしまったが、当の中島らもは、ただ今プリズンにて休養中らしいし、そのことで何の損失もなく、誰も困らないのは本当に良かった。
 ついでに言えば、中島らもの書いたものをまだまだ読めるらしいのがまた良かった。
 なんて誤魔化してるけど、ホントにごめんなさいねぇ♪



  愛をひっかけるための釘
2003年11月09日(日)  

 僕は三十六歳になるが、恋愛に限らずとも、人との新しい出会いはなるべく避けたい。そんな気持ちが徐々に濃くなっていきつつある。(中略)
「失う側」としての痛覚がわかってくると、今度は逆に「失われる側」としての自分の存在についても考える。(中略)
「ああ。あの人はいつもあんなにニコニコして嬉しそうにお酒を飲んでいた。あのとき、とめたりせずにもっと飲ませてあげればよかった」などということがあると、その人はいたたまれないにちがいない。だからできるだけつまらなそうに生きて、「ほんとにあの人は何が楽しみで生きていたんでしょうね」とお通夜が悪口で盛り上がるような、そういうイヤなおっさんになりたいものである。


「愛をひっかけるための釘」は、フランスだかイギリスだかの格言からとったという中島らものエッセイ集のタイトルである。
 中島らもは、あちこちの月刊誌や週刊誌のコラム、エッセイ、ショートストーリー等でよく見かけた名前である。
この人の書くものは私にはとても面白く、好きな作家の一人であった。
まだ若くてよく見かけることが出来たので、改めて書店で本を買ったことはなかったが、ほんのちょっとしたページの隅っこのコラムでも、中島らもの名前は向こうから私の目に飛び込んできた。
だからいつでも読むことが出来る、そう思っているうち確か昨年急死してしまった。

 それからは勿論、この人の名前を見ることは滅多に出来なくなったが、先日たまたま立ち寄ったブックオフにこの人の本が2冊あり、懐かしさのあまり購入した。
一冊はこのタイトルのエッセイ集。もう一冊は、長編小説『今夜、すべてのバーで』である。

 個人的なことはあまり知らずに読んだのだが、中島らもは重度のアルコール中毒で入院したことがある。エッセイにもその辺りのことは触れられていたが、小説はこのアルコールにとりつかれた男が、自ら病院に出向き診察を受けるところから始まり、退院するまでの出来事が記されている。
 
 主人公は、中島らもの分身であるだろうし、描かれる医者や他の入院患者たち、それぞれの場面も創作ばかりではないだろう。小説に仕立てられたそれは、私が今まで見た事のない中島らもの知らずにいた一面であった。

 17年間、酒を毎日ボトル一本ノ飲み続け、おしまいの数ヶ月は、アルコール以外は口にせず、黄疸や性的に不能、体はだるくて思考能力は0に近いこの男が、最終的に自ら病院へ行くのは、彼の中のどこか最後まで自分を見ているもう一人の自分だけが健在だったからではないか。
 その場で入院が決まり、数時間後にベッドが空くまで近くの公園で彼は最後のワンカップを口にする。アルコールという「性悪女」と別かれるために。

 アルコール中毒の人が書いたものの中で、ここまで冷静で論理的なものはないそうだが、それだけに説得力というものに圧倒される。中島らもは若い頃、アルコールを口にしながら数千冊の本を読んだという。それはとてつもなく難しい、哲学書であったり理論であったり、また詩人の残したものであった。
 彼の書いたショートストーリーを読んだ時に感じた、不思議な世界の中に妙な信憑性があるのは何故だか大いにうなずけた。人間は、ただの想像力だけでは物は書けないのだと思う。精神意識の中にある世界とでもいうものが彼の中には確立されていて、それがストレートに表れていたのだろう。

 話がそれるが、この小説の中に出てくる医者というのがまた人間的である。人間的であるというのも何だが・・・。(笑)
 個人的偏見から言えば、医者も人間ではあるが(一応)、内臓オタクでない医者というのはなかなか巡り会えるものではない。私は大学の医局というところに出入りしたことがあるが、そりゃもうキているのかと思われるほど目が据わり、(寝る間もないほど忙しいのだろうということにしておくが)ロクに挨拶すら出来ない医者だか医者のたまごたちを見て驚いたことがある。勿論、そういう視点もなければやって行かれないという部分もあるだろうが、「人間はプラモデルじゃねぇ」と言いたくなるほどのものである。
 腕も良く、中身が人間の名医という人も中にはいる。ほんの少しのこういう医師に巡り合えると、私は神様だと思ってしまう。

 閑話休題。
 中島らもの描いた医師は、名医じゃないかと私は思うが、これが事実のことであったのか、それとも彼の創作なのかは分からない。
 優しい言葉で優しいことをいうのはごくごく簡単なことである。しかし、言っているその人間が実は冷たい人間であることはまた多い。
 むしろ、口は悪いが根はいい人、こんな人の方が個人的には好きだし、信用出来る。その辺りは好みかも知れないが。
 この病院での場面を読むと、随分前に読んだ浅田次郎の長編「日輪の遺産」の、ゆきずりのジイさんが急死して、その場にいた男とその絡みの場面がダブる。
浅田次郎もまた、伝法な言葉使いの温かい人間を描くのが上手い。
 これもまた個人的好みだが、修羅場というものを知った人間の描く優しさは、いくつもの深みと味がある。

 もっともっと早くから読めば良かった、もっともっと長生きしてもらいたかった。つくづくそう思う。死んで花見が咲くものか。本当に悔しい気がする。


 この盃を受けてくれ
 どうぞなみなみつがしておくれ
 花に嵐のたとえもあるぞ
 さよならだけが人生だ



  50txts
2003年11月07日(金)  

 メニューの中の、50txtsは、タイトルの数が文字通り50あります。
この中をファイルで埋めて行くのはかなりの時間を要すると思いますが、少しずつ更新しております。
 
 私の書くテキストは、どちらかというと長文が多くて泣きたくなりますが。(爆)
筆力のなさにどのくらい読んでいただけるかも、はなはだ疑問ではありますが・・・
もし読んでやろうと思われたら是非開けてみてやってください。
 
 テキストだけを書くにあたり、作成支援の部屋でアドバイス等を読みますと、上手な人は途中で上手く段落を入れたり画像を入れて飽きさせない工夫をしているというものがありましたが、あえて画像は使っておりません。

 ただやってみたことは、メニューがいつも見えていることと、一行の文字数を文庫本と同じにしたことです。
これで、本を読む時と同じ感覚で目線を移動することが出来るので、疲れ方は少し違うかと思います。

 新しく更新されたものは、メニューの一番下のupdateに記録されております。
 PRはあまり得意ではないので、この場には書きませんが、updateをご覧いただけると更新状況がお分かりいただけると思います。

 部屋が見難い、読みにくいなど、またはご意見、ご感想などをいただけましたら嬉しく思います。



  Floating on Love.
2003年11月05日(水)  

 Prison Hotel 新装開店のお祝いに、masahiko さまより、また素敵な曲をいただきました。
 今流れているこの曲です。
いいですね〜、どんな時間帯に聴いても優しい幸せな気持ちになれる曲です。

 落ち葉の季節ですが、それすら fall じゃなくて floating 、みたいな。
心が安らかにゆったりと、漂い、舞い、浮遊する。
優しい奏でに swing しています。
タイトルは、on にしようか in にしようか迷いましたが、いかがでしょうか。


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 今日は、何もかも完全オフというめったにない貴重な一日が、降って湧いたように訪れました。

 で、何をしたかというと、映画を観てまいりました。
『S.W.A.T』と『踊る大走査線』(笑)
とても面白かった。
映画のこと、またすぐに書きますね。

 ただ、『S.W.A.T』の後に『踊る大走査線』って、ちょっと後者の分が悪かったですね。(笑)
 たまたま警察、特殊部隊、事件が起きて解決までのストーリーという点で同じような Situation だったので、米画と邦画、どうしてもスケールが違い過ぎて比較するものではないのですが・・・。

 久しぶりに友達とおしゃべりもして。
それに、電車の中で読んだ浅田次郎の小説にも胸を熱くして・・・。
行間に熱いものがたっぷりと詰まった物を書く人ですね。
これもまた、近いうちに書きます。
今日は、これからまた、バレーボールを見なくっちゃ。(笑)
 
 う〜ん、今日はとても良い一日でした。
映画っていいですね〜
一本目を観終わって、映画館を出たときに、もう気持ちがスカーっとして晴れ晴れというか、ストレスすっきりというか、生き返ったような気持ちになりました。
無理して時間を作ってでも、やっぱりもっと観よう!と思いましたね。

ふふふ I'm Happy 〜♪〜♪



  あっと言う間に一日終わる
2003年11月03日(月)  

 バレーボールワールドカップの韓国戦、を観戦。
日本、勝利!
オリンピックでは予選敗退、このところ日本のバレーは振るわない場面が多く、景気低迷の中で各チームの活動が以前に比べて思うようにならないことも大きな一因となり、今回のワールドカップではまたかつての強いニッポンのバレーが見られるかどうか非常に気がかりであったが、今日の試合、吉原、高橋両ベテラン選手ここにあり、といったバレーを見せてくれた。
 
 吉原選手は、引退した大林素子と同期の人。かつては2人で日本を引っ張り、プロに転向しようというのを日立が許さずという例の一件で、大林選手は燃え尽きて引退、一方の高橋選手は日立を辞めて海外リーグへ。その後帰国して、今回は5年ぶりの代表復帰である。

 17〜8才の若手に混じり、キャプテンとしてチームを率いて、期待の若手の不調をフォローしつつ落ち着いたプレーは、ベテランの貫禄を充分に発揮して、悠々とはいかないまでも勝利を収めることが出来て、うん、良かった!

 私はどちらかというと、スポーツ選手がいつかは引退をしてしまうのは仕方のないこととして、その後タレントとなって活動するというのがあまり好きではない。
スポーツマンは、最後までスポーツマンであって欲しいと思う。

 はっきり言えば、スポーツマンからスポーツをとったら何も残らない。そのくらいそのスポーツ一色の人生を歩んだからこそその時の地位や名誉があり、それはそれで素晴らしいことだ。
 そのスポーツを取ったら何もない中で、お笑い芸人もどきになったり、別のスポーツをやったり、はたまた政治をやったとしても、大したことにはなかなかならない。
むしろ、元スポーツの選手なんだからしょうがないでしょ、といった甘えばかりが目だち、こちらをナメているのじゃないかとさえ思わされる場面が多い。

 柔道の元女三四郎、山口香さんのように時々解説をやるのは許せるが、選手を引退しても、いつまでもそのスポーツに携わっていて欲しいものだと思う。

 
 しかし、スポーツの試合を見ているといつも思う・・・。
何で日本じゃ、バスケの試合は全くと言っていいほど見られないのだろう。
ぶっちゃけた話、儲けが少ないのだろうか。
 
 テレビで見せてくれたら、涙を流して喜ぶファンは沢山いるはずなのに、いつまでマイナーで置いておくのだろう。
高校野球はもとより、高校総体、バレー、水泳、それからサッカー、こういうものは昼日中、テレビで放送されるのに、バスケの決勝はいつも深夜、ローカルテレビでしかやっていなかったりする。これは片手落ちじゃないか。田臥君だって、アメリカで頑張っているんだぞ!凄いんだぞ!と個人的に声を大にして言いたい。


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 久しぶりの休日、あれもこれもしようと思っていたのに、寝て過ごしてしまいました。
サッカーの試合を見ていたら、いつの間にか爆睡。
気がついたらもう表は真っ暗。
明日もう火曜日やん!
金曜からクロス屋さんが来るので、ちょっとは身辺整理(爆)をしようと思っていたのに。
恥ずかしい物は隠しておかないとね。(笑)

といいつつ、もう10時だよ。
何にも出来ずに終わった休日でありました。
仕事は好きですしね、働くのはいいけど、ここまで疲れるとちょっとね・・・。


いくらたんまり稼いでも、使う時間がありゃしない!

(冗談だってば)





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