momoparco
  
2003年07月30日(水)  

 なかなか梅雨が開けませんね。
今年は冷夏で残暑が厳しいらしいですが、夏が涼しいと寂しい気がします。
やはり、ジリジリ照りつける太陽と青い空と海がたまにでもいいから見たいです。
 毎年そんなことも言っていられなくなるほどの暑さで、早く涼しくならないか、などと勝手なことを思ったりしますが、雨続きの梅雨空は何だか鬱陶しくて、いつまでもこのままだと、季節を取り逃がしてしまったような喪失感があります。

 このところ、すっかりダイアリーがお留守になっていました。
新しいコンテンツに参加させていただいていたので、そちらのページ作りに専念していました。
「『 お絵描き画像で3コラボ 』ちゅうのどう?」
ってな具合でお話をいただいたのが、6月の末。
マロ先生と HIGHWAYSTAR+ さんと3人でのコラボです。
UPは8月末をメドに、なんて形で始まったのに、みんなのパワフルな頑張りで何とひと月早い今月の今日UPすることが出来ました。
モノを作るのはとても楽しい作業でした。
この場を借りて、お2人に感謝します。

 皆さまのお部屋への訪問や、BBSのお返事等がチョット間遠になってしまいましたが、それもこの場を借りてごめんなさい♪

 また、我が家作りに頑張ります。
よろしくお願いいたします。

 本日UPしたページはコチラです。(メインにもログにもありますが、しつこく・笑)

『 Cosmic Fantasia 』





  目の上のたんこぶのような存在
2003年07月24日(木)  

 ここに750ページにも及ぶ一冊の説明書がある。ちょっとした製品には必ず付いている、使い方のあれこれである。
これを入手したのは日曜日の午後。早く目を通して内容を把握し、使いこなせるようにならなくてはならないのだが、ゆっくり手にする時間がない。正直にいうと、時間がないというより億劫である。一から説明書を読みながら、ふむふむと品物をいじるのが億劫で仕方がない。それは何かとタズネタラ 、あ〜ん、携帯電話の説明書〜べんべん。

 そうなのよ。携帯電話の機種変更をしたのです。
今までの携帯は、2年と9ヶ月使っていてたものでもう古いなんていう範囲を超えて化石に近かった。
新しい機種が後から後から出てくるし、その度に機能は改良されてあらゆる面で便利になっているから、私のはハイテクのシーーラカンス。

 どちらかというと物は使い倒す方なので、ギリギリ壊れるまで新しい物が欲しいと思ったこともなかった。
しかし、充電は夜満タンにしてもその日の夕方にはコト切れるし(携帯の意味ナシ)マナーモード(音が出ずにバイブレーションで着信を知らせる機能)のバイブは震えず(意味ナシ)メールは地球を3周半ぐらいして届くほどの時差メール(意味ナシ)画面の明瞭さに欠けて、文字や色は薄ぼんやり(意味ナシ)通話は電池切れを気にして後で家の固定電話からかけなおす始末。(意味ナシ)

 ついでに言えば、充電器のコードなんか非常にヤワでとっくに切れていた。これは回りの誰彼が新しい物を買うたびにお古を貰って使っていたので、最後のは4代目であったりもした。(ケチ!)私のは、人気のある機種だったようで、同じものを使っていた友人が多いのだ。(にしてもケチ!)

 さて、それでも何とか用をなしていたので(本人だけそう思っていたのかも)新しくするつもりはまだまだなかったが、ある時フと気付いたのは、中のデータが飛んだら!?ということであった。
携帯電話を使うようになってから、以前なら誰もが持っていたアドレス帳を使わなくなり、あらゆる連絡先は全て携帯の中のアドレス帳に入れてある。
友人知人や親戚一同、いきつけのお店や、両親のかかりつけの全ての病院、救急情報センター、休日急患情報センターなどなどなど。
それが飛んだら?!
フと気が付けば怖いことである。やはり大事なことは紙に書いておかなければ。。。などと方向違いの決心をして、やっとやっと重たい腰を上げて携帯ショップへと出向いたのであった。

 カメラを使う気はなかったが、この頃はカメラ付きの携帯が主流でオードドックスな電話の方が種類が少ない。
うーん、薄くて軽くて見た目にオシャレでそこそこの機能が付いていれば何でもいいや〜と思っていたのが、何だか目ぼしいものがない。

 しかし、俄然気が変わったのは私のポイントがどのくらい溜まっているのかを知った時。なんとなんと、最新の人気商品をゲットしてもポイントが余るくらいある! このポイントは電話を使う度に毎月増えていくものだが、使わずにいると古いものから消失してしまうので使わなければ勿体無い。
その他、旅行や食事も出来るらしいが、存在そのものを忘れていたので今まで野放しになっていたのだ。そうとなれば話は早く、軽くてオシャレでそこそこと言わず、パッと見で一番気に入ったのを購入(タダだけど)した。

 この携帯、2cm四方ぐらいのちっちゃなメモリーカードが付いているので、大事なものは記憶させておくことが出来るし、更に3cm×2.5cmぐらいのアダプターに繋いで更にもう1つ繋ぐとパソコンに連結出来る。(爆笑)写真が写せるだけでなく、連写、動画フラッシュ付きのライト搭載。要するにデジカメ。
というわけだが、使い方が分からない。(自爆)

 もとはといえば、携帯メールだって面倒だからあまりしないのに、このようなものが私に使いこなせるワケがない。私は機械モノにはウトイのだ。
メールの場合は、パソコンからも送れるし、出先からは電報文しか打たないし、それも辞書登録をフルに使い、『後で連絡します。』なんていうのは、『あ』と入れれば一発変換。『こんにちは、○○です。』なんか『こ』だってば。 ついでに『例の件は』は『れ』なので、『こんにちは○○です。例の件は後で連絡します。』は、『こ』 『れ』 『あ』でおしまい。例の件は、その人にとっての例の件だからこれでつかみはOK。 後はパソコンからパカパカ送る。

 というわけでまず辞書登録をしなくちゃならない。しかし画面が少し大きくなってボタンの位置も若干変わったので(正確には大きくなった分ちょっと感覚が変わっただけ)、誤操作が多くてイライラ。なのでますます使うのが面倒になる。一分いじっては、今日はコレでお終いの日々。価値観の違いだろうが、車やパソコンを買い換えた時のような喜びがないんだもの。
なので、画像を撮れる日など、永遠に来ないのじゃないだろうか。

 やらなくちゃやらなくちゃ、とそう思っていること自体が鬱陶しいったらありゃしない。また3年ぐらいの間にどれだけ機能をマスターするか見物でござる。(笑)

 やらなくちゃとはわかっちゃいるが、今夜こそ、今夜こそと思いつつ、つい読みかけの本を手にベッドに入る私なのだ。



  連休で
2003年07月20日(日)  

 この3日間はパソなしで過ごそうと考えています。
掲示板のお返事も遅れて申し訳ありません。
たまにはネット抜きの生活を と思っています。

 moon-diary の方も久しぶりにUPしてみました。^^;
心を静かに過ごしたいお休みです。

 以前も書きましたが、句読点を入れる場所がとてもいい加減な私です。
それにしても、句読点のないものを書くと
何だかとってもだらしないような気がしてしまうのは何故でしょう。
私だけでしょうが。(笑)

皆さま、素敵な休日を☆



  古いよ
2003年07月16日(水)  

 鴻池さん。(爆)
「親を市中引き回しのうえ、打ち首に」
時代錯誤なんだなぁ〜それ。
それじゃ、今時の極悪非道な少年には何の影響もないって。
時代をもっと先取りしてよ、政治屋サン。
私ならこういう
「仇討ち赦免状の復活」ってね。



  学習能力
2003年07月11日(金)  

 神戸の淳君の事件があったあと、マスコミの取材攻めに耐えかねた淳君のお父さんが手記を書いたのをご存知だろうか。
 その中には、命を奪われた最愛の我が子を悼む気持ちや悔しさ、言葉にならない慟哭と、加害者の人権が守られて被害者の人権はまるで守られない報道のあり方についての憤りが切々と訴えられ、事件で二重三重に傷つき疲れ果てた親御さんの姿があった。

 報道する側はそういった物は読んでいないのだろう。今回もまた淳君のお父さんからコメントを聞き出した。
マスコミの取材の仕方は、他人の傷に塩をなするような行為が多すぎる。取材という名の元に、他人の心の中に土足で踏み込む権利までがあるとでも思っているのだろうか。
 真実はそう多くはないし、必要なことは一日中がなり立てることでもない。
まるで、サスペンスを紐解くような勝手な当て推量は、衝撃的な事件が起る度にそれを楽しんでいるかのようにすら見えてしまう。

 サスペンスが楽しみたいのならサスペンス小説を読めばいいし、サイコが見たいならビデオでも借りてくれば良い。小説や映画の中ではどういった方法で何が起ころうと、実際には何も起きていないのだから。そうして井戸端会議でもやれば良いのだ。
 
 
 少年犯罪についても、報道のあり方についても、全く歯止めが効かなくなっている。
人間は、もう少し学習できる動物ではなかったのか。




  眠いんだけど腹が立ち
2003年07月10日(木)  

 Diary の続きを書こうと思っていたのに、昨日も今日も眠くて眠くて書けなかった。
やはり木曜日は私にとって、週のうちで一番疲れる日のようで、体内時計がそうなっているみたいだ。
今夜もあの続きは断念して、だったらもう落ちて寝ればいいのにと思うんだけど・・・、何かひと言書かないといられないような心持で・・・。

 何について一言かというと、私的にあの中学生の起こした事件のこと。
朝、家を出てからさっき帰って来るまでにテレビは朝の番組しか見ていないし、情報源は新聞だけ。と言っても昨日からこの件に関しては沢山の場面を見たのだけど、一言で言うと腹が立ってしょうがない。

 もうかなり昔の事件で、女子高生が未成年の少年たちにひと月以上も監禁され最期には殺され、ドラム缶の中にコンクリート詰めにされて捨てられた事件があった事を憶えている方も沢山いらっしゃるだろうと思う。
ほとんど時期を同じくして、アベック殺人事件というのが起り、こちらもまた未成年の少年たちによって、残虐極まりない事件となったことも記憶の中から消えてしまった方は少ないのではないかと思う。
後者の主犯格の少年(当時19歳)自分はまだ未成年だから捕まっても死刑にはならないとうそぶき、結局異例の死刑判決を受けた事件であった。
あの二つの事件は、それまで未成年が起こした事件の中では最悪のものであったと記憶している。

 それからもう15年近くの年月が経っているような気がする。
あの時に、少年法というものを何でもっと早く改善しなかったのだろうか。
政治家にマイクを向けても、言葉がありません、学校の先生しかり、どこぞの誰彼もしかり。
そうなのか? 本当にそうなのか?
一体何が?だとかどうして?だとかじゃないだろう。いけないことはいけないのだ。
殺していいという理由は何1つなくて、人一人殺すということがどういうことなのか、徹底的に分からせなくてどうするというのだ。

 生い立ちや、心理的な問題や、精神鑑定などなど、いわゆるプロファイリングもいいが、犯人がどのような人間であるのかを理解するのと、犯人の気持ちを理解するのとは徹底的に違う。

 少し前に、本を万引きしたところを店主に見つかって捕まりそうになった少年が、逃げるときに電車に跳ねられて死亡するという事件があった。
その時には、店主がまるで人殺しのような扱いをする近隣の人間もいたという。
お店は閉店。一度は再開したものの、結局紆余曲折を経て、また閉店。
何か間違っているだろう。子供に理解のある大人が多すぎるのじゃないか。

 子供はずるいものである。
子供同士の人間関係など、大人のそれに比べればとことん冷たくとことん利己的だ。
大半は同じような子供たちとのその世界の中で、お互いが色々なものを身につけていくものだと思う。
しかし、大人の前での子供というのは、目の前で見えていることだけを信じてはいけない。
大人を見ている子供は、大人たちの前で都合の悪いことは言わないしやらない。それが『良い子』だと思う大人が多いから。
だから大人はナメられる。
一週間も、何食わぬ顔をして学校へ行った子供が、捕まったとたんに『ごめんなさい』という。それが、通用すると思っているのだ。

 薔薇という少年もそろそろ出て来ているらしい。彼はインターネットに顔も名前も出てしまったので、姓名も変えてこれから過ごすという。
さぁ、一体どこにいるのでしょうか。
今回の事件の子供も、2〜3年後には出てくるという。成長すれば、容姿も変わる。もう誰にも分からない。
十数年かかって育った子供が、たったの数年で別の在り方になれるわけがない。異常な体験だって忘れているわけがない。

 こんなにモタモタしていれば、第二第三の薔薇がいたって可笑しくはない。
今頃どこかでほくそ笑んでいることだろう。大きな犯罪を犯す子供の年齢はもっと低くなっているかも知れない。
その時になって、また誰も彼も『言葉がありません』と言うのだろうか。
ヴァッカじゃない?
殺される方はたまらない。

 スイマセン。ひと言が長くなっちゃったのに、眠くてキレがないです。
 おやすみなさい。



  取るに足らない話1
2003年07月07日(月)  

 父が手術している時、家族は専用の待合室にいた。ここは畳で言えば10畳ぐらいか、長いソファーが向かい合い、真ん中にテーブル、窓際の壁にテレビと電話に冷蔵庫が置かれた珍しく贅沢で清潔な部屋であった。
 朝は8時半には軽い麻酔をかけるので、話したいことがあれば7時半までに来るようにと言われ、まさかこれが今生の別れでもあるまいしと思ったが、そうならない保障もないのでやはり早くに出かけて行った。
 それから手術室に運ばれて、この部屋に落ち着いたのが9時半を回っていた。
 朝食はここで摂るつもりで、早朝からサンドイッチなど作ったりしたらこの時間には軽く疲れていた。しかし遅い朝食を済ませてからは、やることは何もない。
 窓の外には手術室のある別棟の建物が見える。ここは3階なので視界がさえぎられている。見えるのは鳩よけのためか、ベランダの手すりの隙間に置かれたおびただしいほどの水の入ったペットボトルと、それでもこびりついている更におびただしい鳩のフンだけである。
 窓からの眺めは、昨日までの小雨続きの日々の記憶と今の状況で憂鬱色の斜がかかり、何の慰めにもならなかった。

 手術が終わるのは3時頃と聞いていた。たいていの場合、遅れることはあっても早まることはないから、夕方までかかるだろうと覚悟をしていた。それにしても一日が長い。万が一の話は沢山聞かされていたので、不安要素がない方が不思議である。
 部屋の電話は手術室の隣にある集中治療室から緊急あるいは終了の知らせを受けるためのもので、いつこの電話が鳴るかわからない。
あとは、1つだけポケットベルを渡されて、席をはずした時にはそのベルが鳴るようになっていたが、かと言って病院の外へ出るわけにも行かない。
昼間のテレビをほとんど見ないので、こんな時にテレビをつけてもちっとも面白くない。母はお馴染みの時代劇などを見ている間は黙っていたが、それが終わると不安を口にする。こちらが答えられるのは気休めだけなので、繰り返すとくたびれた。

 ソファーは1つの長さが人2人ぐらい横になれる長さなので、それぞれ楽な体勢になっていたが、それにしても何だか疲れる。
やおら横になって読みかけの本を読み始めたら、それまでの疲れがどっと出たのか、だんだん眠くなってしまった。いけない、いけない親父が手術中だというのにと思ったが、そこで私が起きていても何がどうなるわけでもないと誠に都合良く思いなおして睡魔に任せてぐーすか寝た。家族の手術中であっても良く寝た。

 あまりによく寝てしまったので、気分転換に下の売店へ降りて行くと、隣にガラス張りの喫煙室が見えた。四畳半ぐらいの狭い場所で、空気の悪いのが見ただけで分かる。院内広しといえども、喫煙者が何の糾弾も受けずに大きな顔をして紫煙をくゆらすことが出来るのはこの場だけらしい。
白濁した要塞の中で、ソファーに並んで煙草を吸っているのは、私服を着た見舞い客ではなくてパジャマを着た患者ばかり。確かに皆大きな顔をしている。中には80がらみのお婆さんもいて、さも美味そうに煙草をふかす。お婆さんは右手にロングピースの箱を持ち、左手のピンと伸ばした二本の指に、軽くはさんだ長い煙草を、手の甲を真っ直ぐに立てて正面から吸い込むさまは、稀に見る粋ではあったが、パジャマの胸元からはみ出した大きなガーゼが白すぎて痛々しい。やせ細った体で至福の時を過ごす顔に
「あたしゃ何があってもこれだけはやめらんないよ」
 と書いてある。

 廊下を抜けて正面玄関を出るとちょっとした庭がある。客待ちのタクシーが数台並び、その脇にはベンチがあった。珍しく晴れ渡った空であった。
病院は高台にあるのでこの場所は見晴らしがよくて、くっきりとした白い雲の下に海が見える。
ロケーションはいい。その場所で本を読んだら気持ちがいいだろうと思ったが先客がいた。ベンチの脇にも灰皿が置かれ、老人はそこで一服している。
「こんにちは」
 私が近付くと灰皿に近い場所を譲ってくれようとするので、私は座るだけだと断って隣に腰掛けさせてもらう。

 五月晴れである。色づいた木々の若葉を背景に、忘れていた五月の匂いが頬を撫で 真っ赤なポピーが風にたゆたう。
 今の今、色鮮やかな花は毒々しい。こんなときには秋桜だろうなどと無意味なことを思っていると、ふいに
「失礼しておやつをいただきますね」と老人が言った。
 家族の付き添いだと思ったのと、この人の印象か、何やら親近感を抱いた。
「どうぞ、どうぞ、お見舞いのお帰りですか?」と聞くと
「いやね、僕は患者さんなんだよ」と笑う。
「じゃあ診察の帰り?」
「いや、これから検査があるんだ、まいっちゃうよ。心臓がさ、悪いらしい、狭心症なんだってさー」
「あら、そうなんだ。それは大変。それでもやっぱり煙草は吸う?今、売店の脇の喫煙室を覗いたら、患者さんが並んで一服していてね、80歳ぐらいのお婆さんも。あんなになってもやっぱり止められないものなんですね」
「取るに足らないことさ」 
 ガサガザとミルキーウェイの包みを開けながら老人が言う。
「昔はさ、煙草がどうだとかなんだとかなんて誰も言いやしなかったさ。煙草は大人の男の特権さ。ホントだよ。それがさ、今じゃどうよ、やれ肺がんになるだの、回りの方が病気になるだのって言ってるけどさ、俺に言わせりゃ取るに足らないことさ、そんなこと。我慢してたら体に悪い。ストレス溜まっちゃうよ。ま、ストレスって言葉も昔はなかったんだけどさ。俺に言わせりゃ何もかも、こーんなちっぽけなことさ」
 袋から出したチョコレートを見せて老人は言った。それはホントに小さかった。



  Stop the Season in the Sun
2003年07月05日(土)  

 気のせいかもう日が短くなり始めているような。
季節感があまりないのは今に始まったことじゃないが、日が長くなり始める時期もとっても早くなって、1月の半ばを過ぎるとみるみるとそれは長くなる。
結果的に日の短くなるのも早まって。

 私はやっぱり日の長い季節が好きで、夕方5時6時なんていうと、まだまだしっかり明るくて、これからもう1日過ごせそうな気がするくらい元気な気分になれる。
空が茜色になるまで、そして幾重にも重なったあらゆるブルーのグラデーション、どの方角を見ても同じ形なんかしていなくて、だんだん空と雲が1つに混じりあっていく。
あんなに綺麗な色は、どんな絵の具だって出せないだろうと思う。
そんな、絵にも描けない美しさを毎日毎日眺められる夏の夕暮れ、ゆっくりと日が暮れる時間がとっても好き。

 でも、ピークを過ぎて日暮れがどんどん早くなると、何だかもう胸を締め付けられそうなくらい寂しい気持ちになってしまう。
家々に明りが灯り始めるのを見るのはとてつもなくせつない。

 そんな季節を経て、夕方がもう暗くて夜が長くなればそれはそれでまた何とも感じないのだけど。

 夏は日が長くていいのに、もう短くなり始めてちょっとばかり寂しい気がする。実際の夏はまだこれからなのに。

 日本もサマータイムになってくれないかしらん。



  鏡の向こう
2003年07月04日(金)  

 むか〜しむかしのお話で、(あ〜何だっけ、名前が出てこない!)まだ鏡というものが世の中になかった時代に、ナントカというの女房が姑の世話をしていた。
「これは決して開けて見てはいけない」
そういって、姑がこの嫁に渡した包みがあった。
最期の時が来て嫁は姑を看取り、しばらく時が過ぎると、あの包みの中が気になってしょうがない。
開けてはならぬと言われれば、それはますます開けてみたい。
とうとう、我慢しきれなくなった女房は怖る怖るこの包みを開けてしまう。

 すると、中から怖い顔をした女の顔だけがあったという。恐れおののいた女房は二度とこの包みを開けることはなかった。
この包みの中身が実は鏡なのだが、鏡のない時の話だから、この女房は勿論自分の顔を知らない。
決していけないと言われた禁断の包みを開けてしまったよこしまな心が、怖ろしい女の顔をさせていたというような話であった。

 確かその反対もあった。(ような気がする)それは中から現れたのは心が休まるようなとても優しい女の顔で、女房は時々この包みを開けて心を和ませていたのだとか。

 つまり両方とも、心のあり方で人の顔は変わるというようなことだったのか、それは今私がこじつけたのかも定かじゃないけど・・・。

 ところで、親しい友人と鏡の前に並んで立ったとき、鏡に映るお互いの顔がいつも見ているお互いの顔と違って見える。
鏡に物が映るのは、かいつまんで言えば反射しているからでひっくり返しに映っているからだし、人間の顔は幸か不幸か左右対称ではないから、だから違うのだということは分からなくはないが、それはとてつもないことである。
「アンタ誰?」の世界。
これは、ごくごく親しい、見飽きたぐらいよく見ている人との間に起こることで、通りすがりの人や大して顔なんか眺めていない相手だとわからない。

 人は鏡でしか自分の顔を見た事がないし、見ることが出来ない。
生まれてこのかた、その鏡に映った顔を自分の顔として認識して過ごしてきた。
しかし、回りの人間は、自分の目でみた誰彼の顔をその人の顔として認識している。
だが、そこには大きな違いがある。このギャップは恐ろしい。左右対称であるかどうかより、整っていればそれはそれで顔としては何の問題もないが、ひっくり返っていると単純に「あら逆さまね」では済まないものがある。

 お互いに知っているお互いの顔は違うのだ。
自分の顔は、他人の目でみることは出来ず、実は常にひっくり返しに見ているとしたら。
それとも、そのひっくり返しは実は正しくて、ナマで見たものが(こういうのをナマというのかどうか)ひっくり返しなのか。
本当の私はどこ?
何かとても大事なものを本当は見ていない気がする。




  7月1日
2003年07月01日(火)  

 仕事をしながら、日付を書いていてとっても不思議。
もう一年の半年経ってしまったのが・・・。
体内時計ではまだ4月ぐらいなのに。
何もしないうちに月日だけがどんどん経って行くような気がする。
頭の中にイメージする時間の感覚が、現実に流れる時間について行かれていないような不確かな気持ち。
私の時間の河の上では、私が舟を漕いでいるはずなのに。
何かに押されて流されているような。
わかっているのは、確実に時が経っていることだけ。




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