晩夏
2003年08月28日(木)
ずいぶんと日暮れが早くなりました。 蝉の声も昨日、今日はほとんど聞いていないかな。 まだ虫の声も聞こえませんが、朝夕は少し秋の気配でしょうか。 夏が過ぎゆきそうになると、何でさみしいのか。 こどもの頃は、楽しかったひと夏の思い出が瞼の中によぎってきて、 毎年今頃はとてつもなくせつなくなりました。
せつないという言葉はその頃知らず、 「夏ってなんでこんなに懐かしいんだろう」って思ってました。
本当に短い季節・・・。
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何とか、かのサーバーに接続が出来て、全てのファイルを引き上げました。 再び新たなサーバーを借りるのはチョット避けたいのでどうするか・・・。 結局自サーバーを使うことにいたしました。 他サーバーにUPしたメニューを別窓で出すことはしたくないのと、まぁそれならどこからもクレームはつかない、というのがありまして。 だったら初めからそうすれば良かったんですが、あまりドメインを出したくなかったっていうような・・・(笑)
で、一気に FTTTP で押し込めて、ほとんどのファイルがそちらとのリンクになりました。 これでデカい顔をしてやれます。(笑) ただ、心配なのが文字コード。今まではEUC-JP←こちらだったのが、今度はこちら→Shift_JIS。 直したものもありますが、そのままのものもある。(笑) ですので、文字化けが気にかかるのですが、私からはちゃんと見えています。皆さまからはいかがでしょう?何か不具合がありましたら、教えてくださいね♪
ご心配をおかけしています
2003年08月27日(水)
ファイルはあったようです。(笑) 消えてしまったワケではなかった。(汗) 急に仕様が変わり、昨日は探しきれませんでした。ちょっと慌てていたのかも・・・。お騒がせしてごめんなさい。 依然として、サーバーの方では色々な不具合があって、しばらく様子をみないと動きが取れない感じです。 いずれにしても、このページのフレーム内にはファイルを呼び出すことは出来なくなってしまったので、何らかの方法を考えなくてはなりませんが、慌てても仕方がないので、しばらくはこのDiaryとBBSだけが更新されて行くと思います。 火星が地球に再接近の夜ですが(18時51分)、ご覧になれましたか? 午前中は雨、午後から少し晴れてきたので期待していましたが(ほんの少し)夕方はまた曇ってしまいました。 次の機会まで長いので(私が450歳ぐらいになる頃でしょうか)もう少しクリアな空になって欲しいところでしたが、今も何だかなぁ〜という感じです。
露と消えるファイルの山(笑)
2003年08月26日(火)
先日このダイアリーにも書きましたが、沢山のファイルを置いてあるHPスペースで大きなシステム改正があり、それまで出来ていたファイルの外部への呼び出しが出来なくなりました。 この件でのお知らせがあったのは19日ですが、既にメンテナンスのために更新、編集共に出来ない状態で本日メンテナンスは終了する予定でしたが、まだ繋がらない状態です。 今のところ、状況も分からないのは多分そちらのサーバーにアクセスが殺到しているからではないかと判断しております。 それにしても、サクっと消えていますね〜 (やるなぁ、インフォ。)
ところで、このHPスペースは有料でシステムの改正により sendmail やhtaccess が使えなくなり cgi の仕様も変わるということで、会員の運営する掲示板では、商用でサイトを運営する沢山の会員の方が途方に暮れていらっしゃいました。
大きな改正があることは、4ヶ月前よりお知らせがありましたがその改正があまりにも大き過ぎ、今まで商用として使われていた方にとってはまさに寝耳に水の出来事です。 多くのお客様を抱えて仕様が変わると言うことは、仕事への支障をやむなくされた形であり、サイトの移転とひと言に言っても、日に何百とアクセスのあるサイトでこれをするのは大変な作業となるわけです。 従ってこの掲示板上では、契約不履行、公正取引委員会や消費者保護センター、総務省、サイバー警察、マスコミといった言葉が飛び交い、実際に動いている方も沢山いらっしゃいます。
そういったやり取りを見る限り、私のような一個人の問題は大して大きな問題ではないと思い始めております。 何かとても勉強をしたような気持ちもあります。
私事ですが、今のこの部屋もアクセス制限を受けたり、画像を表示出来なかったりという問題が起こり、試行錯誤でこのHPにファイルを呼び出せる便利なスペースとして借りた場所だったのですが・・・。 当時は、このようなことになるとは思っておりませんでしたので、全てをそちらに移してなおかつプリズンホテル(もう1つのサイト)を新築しつつあったのですが・・・。 このようなことになりますと、また新たにスペースを見つけて引越しをするにはあまりにも多くのファイルを作りすぎた感があり、同じことをもう一度するエネルギーもジツのところないかな?っと(笑)
これからのことを考えるにおよび、逆に個人で楽しむ私自信のHPの存在価値ですとか、存在の意味ですとかを考える機会となりました。 う〜ん、今ハタと考えてしまっています。 今後どのようにしていくかは未定ですが、元に戻すのは不可能に近いです。 今の段階でも、こちらに呼び出していたコンテンツのファイルは、メニューからだけでなくファイルそのものがサクっと削除されております。 つまりもう無くなってしまったものがあり、それは今後も増えていくものと思われます。 Celestial はもうないですねぇ、世の中から消えて無くなりました。 こうなると何が残るのか分かりません。 リンクの部屋の Gaiax Friend 以外の全てのファイルが消えたようで、これは痛いです。(泣) 大したものは作っていなかったのですが、費やした時間とエネルギー、更に情熱(!?!)は惜しいなぁ。ぐはは(爆)
何だかついこの間、あちこち駆けずり回ったような気がするのにまたこのような状態で、皆さまにはご心配をおかけすることは必至で、本当に申し訳ありません。 何しろ、編集することが出来ず指をくわえて見ている事しか出来ないので、ジレちゃいますが(笑)
とにかく今の状況を書いてみました。 しばらくはまた、こんなメニューの少ない部屋のままですが、よろしかったらたまには覗いてやっていただければと思います。 淋しいから 自作の gif アニメのバナーなんか載せてみました。(笑)
ご清聴、ありがとうございました。(え?)
Revoltion
2003年08月25日(月)
期間限定でUPしたメニュー、動きがちょっと笑えちゃうと思うんですが。(笑) 向かって右側はともかく、左側、惑星が一番下から上部に向かう時の動きが何ともね。(笑) なかなか難しいものです。 ただあれを見ていると、衝突しないためには適度な距離感が必要だなと妙に感心したりします。(するなって) と思っていたら、やはり突っ込まれました(爆) う〜ん、これも愛嬌だと思って(笑)
一難去ってまた一難
2003年08月23日(土)
このページを作るにあたり、ファイルがかなり増えてしまったために一時ジオシティーのサーバーでファイルをUPしていたことがあったのですが。 その後ジオの規約が変わり、外部にファイルをリンクさせることが出来なくなり、一時的に画像のない淋しい部屋を営んでおりました。(笑) その間、スペースを貸していただけてなおかつ外部呼出しが出来るサーバーを探し、やっとやっと画像を戻したりファイルを作ってUPして、かつて営んでいたもう1つの部屋も改築を兼ねた引越しをしようとコツコツコツコツやっていたのですが・・・。 レンタル元では大きなシステム改正があり、19日のお達しによりますとファイルの外部呼出しは禁止事項となっておりまして・・・。 そもそもこのサービスを行っていた会社そのものが、インフォシークに吸収され、それはふた月前にお知らせを受けていたのですが、ファイルに関しての新しい規約はまだ公開されておらずでした。 つまり、インフォシークの規約に準ずる形となったわけですね。
というようなわけで、今そちらのサーバーでは大きなメンテナンスのために閲覧のみが可能、編集は26日まで出来ない状態です。 でも、規約は19日に変わっている・・・ さぁ、今あるファイルをどうしようかと、頭を抱えて私もシ・アンクレール亭(ん?)
ってまぁ、ホントにもう〜やんなっちゃう〜 ファイルの数が多くて、ガイアのファイルなんてとっくに使い切っちゃってるし、何でこんなにページを沢山作っちゃったのかと、トホホな感じでございます。 これから何とかサイト構築を考え直さなければならないのに、編集することが出来ない。 またしても画像のない淋しい部屋どころかファイルも大幅に減らすとなると、メニューもガクっと減る可能性大です。
仕方がないので、貯蔵してありましたファイルを期間限定でUPしました。 画面を最大にしてご覧になっていただけたら、と思います。
それにしても、やれやれ・・・気落ちして、言葉もないくらいでございます。
極私的昔のこどもの見分け方
2003年08月22日(金)
こどもの頃のことを昔というとして、その昔は一体いつの頃のことかと言うと・・・。 自分の名前をひらがなで逆さまに読んで遊んだことのある人がこどもだった頃。(笑)
De Í
2003年08月21日(木)
永劫の中の泡沫
ガラスの中で遊ぶ蛍のように
ほんの一瞬 輝いているだけなのかも知れない
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7月の終わりに参加させていただいた Cosmic Fantasia というサイトで、「宇宙の色」というテーマで絵を3枚、そしてそれぞれにコメントを入れさせていただいた中の1つです。 ご覧いただいてお分かりいただければと思うんですが、ふと考えた時にこれこそ恋愛(出会い)のようなものではないかなと。
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万物は常に時空の中で動き漂い、刻一刻と変転しているもの。 今在るものは全て、1つずつの流れ星のようなもの。 時空を輪切りにすることが出来たなら、あなたも私もたった一つの点かも知れない。 それぞれが流れて来た軌跡は過去となり、今あるその場で誰もが光り輝いている。 次の瞬間にはもう別の場所に動き、更なる過去が出来上がる。 永劫の中にあって、流転する2つの点がほんの一瞬、たったその時にだけお互いをみつける。 それぞれにとって唯一無二のものとなる。 暗闇の中でもしも見逃していたならば、永遠に出会うことのない二つの点がお互いを見つけること。 万物の中に在って唯一無二になること。
出会いたいと思っていても、そうやすやすと見つかるものでなく はずみで生まれるものかも知れないし ひずみで生ずるものかも知れない。 出会いとは、ほんの一度瞬きをしていたら見逃してしまうような、そんな偶然の中で起る奇跡のようなものではないかと。 ただの一度、交差するためだけなのかも知れないとしても、それでもやっぱり奇跡じゃないかと。
ベクトルが1つになり同じ時の河にただよう この奇跡のような出会いから 春の暖かな日向で 淡くかすかに身をゆだねられることもあれば 嵐のような雨と風にさらされて、身の置き所のないほどの激情がほとばしることもある。 たった一瞬の出会いなのに、すべてがそうなるように初めから決まっていたことに思えたりする。
恋したり愛したり、それは人の内側から意図しなくても溢れ出る感情で したいと思って出来るものではないし、されたいと思って叶うものでもない。 溢れるものを止めることは出来ず、溢れようにも枯れてしまうこともある 感情は意志とは関係なくて、体の奥のもっと奥、生まれる前のずっと前からあらかじめ決められていたような心のうねり。 教えられていたことじゃなくてもっと前から憶えていたこと。
出会い・・・言葉は蔓延しているけれど、奇跡のような事象です。
夏よ恋
2003年08月19日(火)
今日こそは今日こそは、と期待するのにまた雨でした。 雨に煙る外の景色は、まるで硫酸でも嗅いだように目に痛くて いつも今にも夕立が来そうな空ばかり見ていると、失われた夏が惜しいですね。 一年のうちで一番短くて強烈な夏は今頃どの辺りにいるんでしょう。 この雨が上がると、もう空は高くなっているような気がして もしかしたらもう雨の上では赤とんぼが飛んでいるかもしれない 柿みたいな月が出ているのかもしれないなんて思います。
こんなに夏が恋しいなんてね。
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お米、大丈夫なのかしら。
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ところで、夜の9時半を回った辺りから、gaiax 全体がとても重くなりますね。 これは今に始まったことではありませんが、冬休み、夏休みといった長期のお休みには特にそう感じます。 やっと一日落ち着いて、ちょっと皆さまのお部屋にお邪魔しようと思うともう重たい。 メニューは見えるのに、メインが出てきてくれなくて、お部屋に入れないようなこともしばしばです。いや、もっと待てば入れていただけるのでしょうが、少々短気なのかも。 cgi を使ったメニューは特に顕著で、お邪魔して掲示板に書き込もうにもなかなか送信させてくれない。 エイッ!と力んでも、ダメなんです。(泣)あるいは、送信は出来たのに書き込まれていないとか・・・。 何べんやってもあら不思議、ないんですよねぇ。押しても押してもないんです。 押してもダメなら引いてみなって、引く場所があったらやってみたいものですが、そんなボタンはどこにもない。で、すごすごと戻ってくると、またまた不思議。 先様に反映されていなかったものが、我が家に2つも3っつも入っていたりして、何だかねぇ、トホホな気分。
そのようなわけで、夜の訪問がなかなか出来ないでいます。 やはり、ネットは真夜中のものでしょうか。といって、そうそう毎晩丑三つ時にお邪魔も出来ない。明日がありますから。 で、早朝にお邪魔することがありますが、決して不審なものではございません。良からぬ魂胆もございません。ただただひとえに、「朝の方がスムーズ」とこれだけの理由でございます。 時間に余裕がないために、書き込みすることもほとんどございませんが、(書き込み不精というのもある)更新された場所は必ず拝読させていただいております。 また、皆さまの足跡を見つけるととても嬉しく、それだけで和めるような気持ちにさせていただいております。 いつもありがとうございます。 この場を借りて、お礼を申し上げます。
あれ?何改まってんだろね。(笑)
話せば分かると思う人たち
2003年08月17日(日)
話せば分かるというのは嘘である。 かねてよりそのように思っていた。思っていたというよりは、いつの頃からかそう思うようになっていたというのが正しい。その前はそうじゃなかったかも知れない。 一体いつ何のきっかけでそう思うようになったのか、というようなことをまるで憶えていないのは、実際に何のきっかけも出来事もなく、日常の中から漠然と言葉になって浮かんでいたものらしい。
話せば分かると思う人たちほど、話をしているうちに益々話をこじらせている。大抵の場合、話さなくてはならないほどにこじれているいたものがである。話せば分かると思う人たちほど、実に実際よく喋る。不利な立場にならないように、都合の悪いことは喋らない。嘘はつかないまでも何らかのニュアンスを変えて話している、という感じが露見したりすることもある。自らが饒舌に飲まれている。分かり合おうとすることに酔っているのかも知れない。 しかし端で見ていると、それは理解し合いたいというより、理解させたいだけなのである。 だから、譲るということを知らない。分かり合いたいのなら、黙ればいい。 どうせ、取るに足らないことばかりじゃないかと思う。言葉の上でいくら言い負かしたって、何かが変わるわけじゃない。
話せば分かることというのは、話して分かる相手かどうかを知ることじゃないかと思う。
無我の境地
2003年08月16日(土)
無とは何ぞや?
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ビデオ三昧。 『隣のヒットマン』『ラッシュアワー』『しゃべりすぎた女』『ピンポン』 初日に借りたものを返却しに行って、またまた借りてしまいました。 『スズメバチ』『レッド・ドラゴン』『パニック・ルーム』と『小林サッカー』 ハマってしまいました。 見逃した映画がかなりビデオ化されていて、もう胸がワクワク。 あれもこれも見たい物ばかりです。
去年の夏に壊れたステレオコンポのスピーカーを取ってあったので、新しいコンポに繋げてDVDを観ると、音が四方から聞こえて来て迫力があります。 後ろからの音というのは、効果絶大です。 これで、部屋のライトをダウンライトだけにして、『レッド・ドラゴン』を観たら・・・怖かった〜(笑) 『ハンニバル』でがっかりしていたので、あまり期待していなかったのですが、なかなかです! 『パニック・ルーム』が楽しみ。 PCのこの2つのスピーカーも繋げちゃおうかしら。(笑)
冷夏
2003年08月15日(金)
よく降る雨です。 昨日からずっと、どしゃ降りの雨が勢いも衰えずに降り続いて。 真夏だというのに肌寒く、窓に伝う雨だれは、やっぱり冬とも春とも秋のものとも違うのだけど、どこか寂しくどこか悲しく。 こんなに降り続くのも珍しい。 悲しいことがあって空が泣いているみたい。 よほど我慢していたのか、耐えに耐えてたものが溢れて止らなくなってしまったようで。 そんな時には、とことん泣いた方がいいんだよね。
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寒いですね。 お昼、何を食べましたか? いつもの夏なら暑くて食欲もないし、お昼だとやっぱり冷やし中華とかそうめん、冷麦なんて感じなのに、今日なんて冷たい麺類?ひぇぇぇ〜やめて〜!みたいな(笑)
今日はおでんが食べたくなったりしてます。限りなくおでん日和。 一口におでんと言っても、関東と関西では違うみたいですね。 それを言ったら、色々なお料理が違うんでしょうけど。
チャットなんかしていた頃、チャットだから勿論色々な地域の人たちがいるわけですが、折りしもお正月をもう数日に控えた頃、お雑煮の話なんかが出たわけです。 私のいる横浜では、お雑煮に入れるお餅というのは四角い形をしていまして、それもまぁ一般的に自家製ではないわけです。 自分の家で、臼や杵を使ってお餅をつくっていう家は、私の記憶が確かならば聞いたことがありません。 大抵は、お米屋さんとか和菓子屋さんで、自家製ののし餅を売りはじめて、それを予約しておいたりするんですね。 それを30日とか大晦日に買って来て、まだ柔らかいので少し硬くなり始めたら、包丁で四角く切って保存するわけです。保存が悪いとすぐにカビが生えてしまいますし。 で、まぁ足りなくなったらどうするかというとサトーの切り餅かなんかで代用するんじゃないかと(爆)
チャットでは、丸いお餅を食べるという地方の子なんかもいたりして、それは家族みんなで丸めて作るというのを聞いて驚いたことがあります。そういうのがその辺りの土地の人には当たり前の年中行事ということのようでした。で、そういった行事ってあまり経験がないので、昔の話だとばかり思っていたのに、現代でもそういったことをする若者がいるということにも驚いたりしたのですが。(ただの世間知らず) で、もっと驚いたのはそのお餅の中にあんこを入れるということで。 あんころ餅っていうのかな? とにかく白いお餅の中に甘いあんこ。 で、それはそれで和菓子のようなおやつとしていただくのかと思ったら、お雑煮の中に入れると。 「それ、もしかしてお汁粉のことじゃないの?」 「違うよ〜お雑煮だよ〜」 「ええ〜? 汁も甘いんでしょ?」 「甘くないよ〜醤油味」 「ええ??」 「出汁をとったショーユアジ!!」 出汁をとった醤油味の汁の中にお砂糖たっぷりのあんころ餅! が〜〜ん! ボーイ・ジョージは真っ白のカルチャーショック(爆)
これはびっくりしましたね。 その場にいた一同がびっくり。地方によっては汁が味噌味だったり、具の中に鰤なんかの魚介類が必ず入るというのもありましたが、しょっぱい汁に甘いあんこというのがとてつもなく斬新。誰も食べてみたくないお雑煮でした。 でも、彼女にとってのお雑煮と言えばもうそれしかないものなんですね。 そう、誰にとっても生まれ育った土地の食べ物こそが、それなわけです。
と、おでんの話から飛んでいますが。 今夜はおでんです。(笑)
気を取り直して
2003年08月14日(木)
この休みのために初日にしたことは、書店で本を買うこととレンタルビデオショップでビデオを借りること。 本は書店で3冊、ブックオフで8冊購入して、ビデオは4本借りて来た。 書店で手に入れたのは、大好きな大沢在昌と浅田次郎の本だが、ブックオフでは思い切って全く別のものを手に入れてみた。
小池真理子・・・短編集『薔薇の木の下で』 この人の本はまるで初めて読んだのだが。 んまぁぁぁ〜 なんと暗い。(爆) 想像では、もっと現代的で洒落た表現をする人かと思っていたら、今まで見聞きしたイメージとは全く違い、なんと言うか辛気臭い。 ん〜 なんだろこれ。 代表作も読んでいないし、数ある中のたった一冊それも短編集だけを読んでこう書くのもナンだが、ファンの方にはお叱りを受けるかも知れないが。 枯れてるなぁ〜 とそう思えて。 サスペンスはあまり読まないが、そういえば夏木静子って人もこんな感じだったなぁ。 出てくるのは、あまり幸せとはいえない結婚生活を送る主婦がメインで、その不倫たらなんたらのどろどろと殺し、みたいな。 それも何か時代背景が古いというか、主婦の年齢が60代とかで過去を邂逅した形が多かったりするのだけど、作者の生まれたのが1957年というからまたびっくり。 納められていた7編がみんなこんな感じで、勝手に片岡 義男みたいなイメージを抱いていたので、精神的に楽しくなかったものが余計にくら〜くなってしまった。 最後の「秘密」だけ、ちょっと良かったかな。 でも、次に書店で手を伸ばすことがあるかどうか・・・。
仕方がないので次に三谷幸喜の「気まずい二人」を読んでみたら、これは自らの対談集を戯曲風に編集した形となったものだった。なので軽く一時間ぐらいで読み終わってしまったが、この人はそもそも好きなのでその人柄がほのぼの伝わって来て面白かった。うん、話下手な人だったんですね。
次に浅田次郎の短編集「月のしずく」を読みきる。 なんでかまた泣かされる。この人の本を読んだことのある人なら分かると思うが、あの「鉄道員」(ぽっぽや)を読んだ時の感動は忘れがたいものがあって、あんなに短い短編なのに次の最後の最後、思いもよらぬたった数行でストーンと魂を揺るがされたのにはびっくりした。 本を読んで感動することはあるが、その時にどのくらい感動したかを覚えているものというのはとても少ない。 次の「ラブレター」も同じであった。 かと思うと、長編では映画『グリーンマイル』のように、何度も山がありそのつど不意に揺さぶられるという、なんとも油断もスキもないものばかりなので、だからこの人の書く物は、長短編に関わらず、絶対に人のいる場所では読まないでいる。だって、電車の中でもポロポロと涙が出てしまうんだもの。
で今、阿刀田高の短編をいくつか読んだところ。 阿刀田高は好きなんだけど、短編ばかりなので最近はあまり読んでいなかった。この本は、帯に「きっと泣ける純愛ホラー」って書いてあったから(爆) ん〜 まだ泣いてない(笑)
普段、あまり読んだ本のことなど書いたりしていないが、(書く時間が惜しいから、読める時間が減るでしょ)今は夏休みでちょっと時間があったから書いてみた。書きなぐりだけど(笑)
火曜日の話。
2003年08月13日(水)
ピーンポーン。 「はい」 「訪問介護の○○会の者ですが。」 「はい、何でしょうか」 インターフォンの向こうにあまり話したくない相手。 「申し訳ありません。車をぶつけてしまったんです。」 「は?」 「申し訳ありません。ちょっと見ていただきたいのですが」 出て行くと、玄関の前で「申し訳ありません」といいながら腰を二つ折りにして頭を下げる主婦がいる。あれ以来嫌な予感がしていたのだが、こうも早く何かが起こるとは。あの時に、私が思いきり嫌な顔をして見せたので、少しは何かが通じると思っていたのは甘かった。 「一体、どういうつもりでやってるの?」 「申し訳ありません〜」 「訪問介護って、一人一台大きな車で訪問するのが当たり前なの?」 「申し訳ありませ〜ん」 「そうしろって教えられてるの? 「いいえ、違います」 「どんな教育受けてるの?」 「申し訳ありませ〜ん」
とにかく車を見に行く。 どうやら私の車の前のスペースにギリギリに突っ込もうとしたらしいが、バックで吹かし込み過ぎて、彼女の車のマフラーの形が傷となって、私の車のナンバープレートをへこませている。余談だが、彼女の車は傷だらけ。あちこちにこすったような後がある。私の車のナンバープレートは、正面から見ると真ん中ではなくて左寄りについている。彼女の車のマフラーは左側にある。ガレージのこの面は少し勾配があり、道の角にあたる部分なので電信柱が邪魔をする。この場所に入れるには、切り替えしつつ、サイドブレーキを引きながら吹かし込むいう慣れた私でも面倒な場所なのだ。 「このマフラーが、こちらのこの部分に当たってしまいました」 当たりすぎ。ちょっと触れたぐらいじゃ黒く傷がつくほどにはへこまない。 ナンバープレートぐらいでどうこういうつもりはあまりないが、今回も前回同様に甘い気持ちでやって来たようなその姿勢が私には気に入らない。 「一体何やってるの?こんなことを行く先々でやってるの?」 「申し訳ありませ〜ん」 「この前来た時に止めたその道に、救急車や消防車が来たらどうするの?」 「申し訳ありませ〜ん」 「人の家を訪ねる時に、いちいちその家や周囲の家に迷惑をかけないと行かれないの?」 「申し訳ありませ〜ん」 「運転する人は、みんなそんな風にするとでも思っているの?」 「申し訳ありませ〜ん」
ダメだこりゃ。 何を言っても同じことしか言わない。マニュアル以下。私の悪い癖は、分からない相手と話をするのが嫌になってしまうことで 「もう、いいです」と言って去りかけると 「車の修理の方、保険でさせていただきたいんです」 「勝手にやれば?」 「今警察を呼んで、事故証明を取りたいんですが」 「面倒だからいいです」 「いえ、全てこちらでやりますから」 「は?手続きはそちらでするでしょうよ、そりゃ。で、誰がいつ修理屋さんに連絡して車を出して取りに行くと思ってるの?」 「申し訳ありませ〜ん」 「お話することは何もないです」今度こそ家に入る。再び呼びに来たがもう知らん顔をしていたら一時間ぐらい経って再びピーンポーン。 今度はネクタイをした○○ナントカの課長が名刺を差し出して立っていた。さっきの主婦も脇にいる。 「このたびは大変にご迷惑を・・・」 「どういう主義でやっているんですか?」 「本当に、申し訳ありません」 「自分さえよければいいという風にしか見えませんが、あまりにも常識がなさ過ぎませんか?」 「本当に、申し訳ありません」 何を言っても同じ。この男もテンプレート。 「さっきから同じことしか言わないけど、私は質問しているのよ、なにも答えになっていないじゃないの?言い訳なり反論なり、意見なり何もないの?考えってないの?」 「申し訳ありません」子供と同じだ。 「お引取りください」
今朝、今度はマネージャーという女性から電話。 お詫びに伺いたいので、何時ごろがよろしいでしょうか?という。 結構です、と断る。
夜7時、ピーンポーン。 「はい」 「○○会のナントカです」 出て行くと、ネクタイ男とマネージャーの女性。 はぁ〜 いい加減うんざり。
話すのも書くのも何もかもうんざり。 彼らのやりたいことは1つしかない。 医療法人社団○○会。 介護医療の費用は公費だから、ここで騒がれて大事になると困るのだ。 とにかくお車の修理を・・・
彼らとひと言でも会話をすれば、その度に嫌な気持ちになるし、もう面倒臭いを通り越して投げやりになる。 相手が車で良かったじゃない?人でもやったら大変よ。 と思ったが、大きなお世話なので言わなかった。今にそんな事が起こるような気がした。 他人の不快な顔色も読めずマニュアル通りの会話しか出来ないで、生きた人間の世話をするというのは欺瞞である。
「車の修理?しなくていいわよ。ずっと。」 そう言ってお引取り願う。 貸しにしておいてあげるわよ。ずっと。
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身辺に色々と不本意なことが続くと、自分が何かをしてしたったためにこのようなことになってしまうのかと思ったりする。 私というのが歯車の中心で、その中心が狂っているために1つ1つの歯車が上手くかみ合わずに物事が上手く行かないのじゃないかと。 そうしてそう考え出すと、自分自身のことをあれこれと悪い方悪い方へと考え、マイナス思考のかたまりになる。 誰かがどこかで 「あんたのココが悪いからそうなってしまうのよ」と教えてくれたらどんなに楽だろうと思ったりする。
他人に対して何かを言うのも、気持ちのよいものじゃない。 考えて話してはいるつもりでも、後になるとそのこと自体よりも自分自身が嫌になってくる。そもそも気に入らないことがあること自体、自分がわがままなのかと思えてくる。気持ちが沈みこみ、転がってしまうような気持ちになる。元気が奪われる。時間に任せるしかないのだろうと思いつつ。
夏休み
2003年08月11日(月)
今日からしばらく早起きしません。(笑) 今年は諸般の事情で旅行へ行ったりすることも出来ませんが、それにしても日々のあれこれから脱出して気分転換、心身共にリフレッシュしたい気持ちには変わりなく、この変に自由でありながら不自由な時間をどのように過ごそうかと模索しましたが。(大げさ)
この夏休みは、本を読んでビデオを観て、のんびり静かに過ごそうかなと考えています。 それから、夏の空はやはり綺麗だから私もデジカメラマンになって、散歩でもしながら色々写してみようかな〜なんて思ったりしています。 何でもない空でも、編集次第で素敵なカードになったりしますよね。 ただし性格上、そのようなことにハマり出すと徹底的にやりたくなってしまうので、疲れない程度に、ということで。(笑)
どちらかといえば、やりたいことはして来た方だし夏休みにどこかに行かれないぐらいでどうということもありませんが。 人生には、そんな時というのもあるのではないかと思っています。(大げさ?・笑)
+ おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり + (高杉晋作)
取るに足らない話2
2003年08月10日(日)
小さなチョコレートを少しずつ齧りながら、 「いやさ〜、年を取るってのはつまらないもんだね、本当にさ」老人は続ける。 「そうですか?」 「だってさ、俺はどちらかというと昔は体力には自信があったんだよ。50歳の頃なんてさ、ゴルフだって麻雀だってバンバンやったもんだよ。足腰なんか回りの50代よりずっと丈夫でさ、ちっとも疲れないし仕事だって面白かった」 「それがさ、どうだろ。55歳になった途端に何だかさー、疲れやすくなっちゃってさ、あんなに自信があったのに、あれ?ってなくらいガターーーーっと体力が落ちちゃった」 無声音を交えてガターーーーーっと言い、、チョコレートを持っていない方の手が空に一本の直線を描く。 「ゴルフも半分ぐらい回るともう疲れちゃって、後は皆で行ってきてってのも悪いじゃない、だからだんだん行かなくなっちゃったし、麻雀だって同じことさ、半ちゃんやったらもうダメー。それじゃ他のメンバーに悪いだろ?お酒はもともと飲めないしさ」
少々血圧が高い以外には、これといってどこか悪い場所もなかったとも言う。 最近になって、かかりつけの病院で新たに出された血圧の薬がどうも合わなかったらしく、そのせいでこの病院で検査を受けるようにと紹介されて来たらしい。 「今さらさ、狭心症だの何だのって医者は手術を勧めるんだけどさ、冗談じゃないよね。俺は絶対に手術なんかしないんだ、しないと言ったらしないよ」 「怖いから?」 「そりゃー怖いさ。だって心臓だろ?だけどさ、俺は今75歳だよ。もういいだろ?定年してから10年ぐらいは生きると思っていたけどさ、その間にちょっとはまぁ、のんびり好きなことでもして、あとはもうお終いと思っていたの。こんなに長く生きちゃうとは思っていなかった、本当に思っていなかったさ。今なんかおまけだろ?おまけもおまけ大おまけ。もういいよ、そこまでして生きたいとも思わないさ、やることはやったし思い残すことだってないよ。そうだろ?」
あれが悪い、これが悪いと言ったって、どうせ残りは僅かじゃないか、そんな風に話す老人は遠くを見たり私を見たり、それはひとごとのようでまるで手術中の父が言いたいことを老人に言わせているのじゃないかと思えてくる。
父はまったく同じことを言っていた。今まで何事もなく生きて来られたのがありがたい事で、この先何もしなくてもそう長くはないだろう。今、手術をしても体の回復が先か、寿命が先か。残りの年月に大差がないなら、出来れば何もしたくはないと。
私の中には、父が手術をすることには沢山の逡巡があったし、何より私以上に父本人の心の葛藤は想像がつかない。最終的に、父は観念した形で手術を受けることになり、それならもう良くなることだけを考えて協力しようと思ったのは実は理屈の上だけで、私のどこかで何としても辞めさてやれなかった自分自身に少しだけ後悔があり、それを知っている自分には更に小さな罪の意識があったのだ。
風は何度でも頬をくすぐる。 老人が笑うと少し下がる目尻には、3本のシワがくっきりとしなやかに刻まれる。 傍目から見れば、暖かな日の当たるベンチで日向ぼっこをする穏やかなおじいさんである。 木の葉や花がゆらゆら揺れて、ときどき止っていたタクシーが、お客を乗せて走り去る車のエンジン音だけが聞こえてくる。返す言葉もなく遠ざかる音に目線をやりながら、手術中の父を思う。
老人の家族は、誰もが心配はしているが無理にどうしろとは言わないという。 「煙草を吸ったりしたら、お家の人から止めなさいって言われませんか?」 「そりゃ言うさ、ばぁさんがさ」笑いながら老人は言う。 「やれ、本数を減らせだとか深く吸い込むなとかさ、でもこれだけは止めたくないさ。だって、他に楽しみがないんだもの。もうせんからそれは知ってるんだよ、うちのばぁさんもさ。刑務所にでも入らないと俺は煙草を止められないさ」 ますますいたずらっぽく笑う老人の目が小さくまん丸になる。
年老いて穏やかに生きるとは何だろう。家族とは何だろう。 1つのことの受け方や態度のとり方で、人は穏やかになれたりなれなかったりする。 最も身近な家族は一体、どの目線でどの次元で物を考えれば良いのだろう。
「今はこうやってお喋りをすることぐらいしか楽しみがないからさ、悪いね、つまらない話でさー」 肩をすくめて笑って見せると、老人はチョコレートを食べ終わった両手をパンパンと叩く。 「とにかく年を取るとつまらないよ。何にも出来なくなっちゃう。俺なんかさ、70を過ぎたらアッチの方もさ、ダメになっちゃってさ、ほーんとつまらない」 そう言うと老人は、叩き終わった左手の小指をピンと立てた。
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7月7日の続きです。
怒ってます
2003年08月09日(土)
どこで読んだか憶えていないが、考古学者がエジプトの遺跡を発掘し、何世紀も前の偉人のピラミッドの中から見つけ出した古い石版には、 「まったく、今時の若者は・・・」と掘られていた。という逸話があった。 昔々から、世の中を嘆くといっったら年齢を重ねた長老が若者の在り方を嘆く場面が多かった。
時代が変わり、しばらく前には缶コーヒーBossのCMで、サラリーマンに扮した永ちゃんが 「まったく、今時の若い者もナンですが、古い者もナンですね・・・」と言うのがあった。
更に時代が進み(退行?)この頃は老いも若きも関係なしに、あらゆる世代の色々な人がとても常識があるとは思えないような行動を取る場面を実によく見かける。 大抵は電車の中が多いのだが、あのような人口密度の高い場所というのはある意味社会の縮図のようなもので、多分、彼らは電車を降りてもちりぢりに同じような行動をとっているのだと思う。
混雑した電車の中で、毎日決まってフルコースの化粧をするのは中年の女性だし、中高生を連れた母親が携帯電話についているゲームに熱中してそのかまびすしさと言ったら恥知らずを通り越していたりする。 立ったままで週間漫画(少年ジャンプみたいな)を読むために、その硬い背表紙がページをめくる度に他人の頭にゴツゴツ触れるのもおかまいなしなのは、ネクタイをしたサラリーマン。 1つ先のドア付近から、こちらのドアに立つ私の耳にまではっきり歌の歌詞が聴こえるほどの大音量で音楽を聴いている大学生。 駅のホームでは、2歳ぐらいの子供がゴミを拾って母親に渡す。 「あら、偉いわね」と言ってそれを受け取り、後ろ手でその場に捨てる若い母親。 終日禁煙にも関わらず、灰皿もない場所で煙草を吸うのは、おやじとOL。
勿論電車の中ばかりではない。とにかくどこにいても何をしていても非常識としか思えない行動を取る人のなんと多いことか。いちいち書いていたらキリがない。 他人の不快さはものともせずに、自分さえよければいいというその立ち居振る舞いが、何とも腹が立ってしまうのは私が狭量なのだろうか。
我が家では最近、両親が病気をしてからどんどん体が弱っていくので、ちょっとしたことをお願いするために介護医療制度を利用して、訪問介護のお世話を受けることにしたばかりである。 介護の度合いというのは、それぞれの体の状況によって違うので、厳密には2人が同じ介護を受けられるわけではなく、父のためにすることと、母のためにすることはキッチリと分けられているらしい。 これを受けるにあたっては、私個人としては全く抵抗がなかったわけではないが、私もつきっきりでいられるわけではないので、ちょっと相談してみたらすんなりと決まってしまったのだ。
そして先日、訪問介護というのが初めて来た時のこと。 私の家のカースペースは車が2台止められるようになっていて、無理をするとギリギリ3台入るが、そうすると奥の車を出すためには一台を動かさなくてはならない。 その日は用があってちょっと車を出そうとしたら、そこに見慣れない車が止っている。私の車しか駐車していないはずなのに、大きな車が道にしっかりとはみ出している。回って行って向こうを覗くと更にもう一台の車もいる。 お客サンでも来ているのかと思い、動かしてもらうように言いに行ったら・・・。 床を拭き掃除している2人の主婦。・・・そう、訪問介護に来た人たちらしい。 私はその日にその人たちが来ることをすっかり忘れていたのだが、介護人一人につき一台の車? 2台ともかなり大きい。一台は外車。(爆) 何ですか?それ。 笑っちゃったよ。 「すみません、今日は初めてなので2台で来ました」 はぁ?何寝ぼけたこと言ってんの?(←心の声) 2人の主婦はいきなり直立不動になり、さも申し訳なさそうに平身低頭な態度ではある。 急いでいたので呆れかえって表へ出ると、慌てて一人が飛んできてもう一度頭を下げる。 「今日からよろしくお願いします」 ハハーン。あの頭の下げ方は、苦情でも行ったら困るんだな・・・。(←心の声) 本来ならば、こちらからよろしくと頭を下げなければならないのに、(私だってそのくらい弁えているってば)あまりの非常識さに鼻で笑ってしまった。
ばっかじゃないの? 介護の仕事をする友人は何人かいるが、誰に聞いたってそんなことはしない。大きな車で行けば失礼だからと、わざわざ小さな車で行ったりバイクで行ったり。まして初めての家なら、駐車場があるかどうかも分からないのだ。それをデカイ車2台で来るとは。ここは横浜だよ。
更にそれから私が用を済ませて戻ってくると、なんとさっきの車は家の脇に路駐してある。この道は狭くて、大型の車が止ると一台も走るスペースはない道なのだ。救急車や消防車が来たらどうするの?(爆) そんな事は教育を受けているはずじゃないの?というよりも常識じゃないの?
介護の仕事というのは大変な仕事だと思う。それをしようと思う精神は一目置いても良いと思う。 しかし、彼らは慈善事業ではない。ノーギャラのボランティアとは違うのだ。 何だか、仕事もしたこともないような専業主婦が、ただのパートでは大した仕事もないけれど、介護の仕事なら聞こえもいいしギャラももらえる。あの仕事は人対人なので、相性が悪ければお互いに相手を変えるのは日常的で、つまり気に入らなければ行く先を変えれば良い。 そんな安易な気持ちで世の中にデバって来たんじゃないかと思えるような、その安っぽい動機が透けて見えてしまったようで、非常に気分が悪かった。
今度やったら仕事奪ったるで!そう心に決めて様子を見ている。(いけず?・爆)
今や、警察官やお医者に教員、昔なら聖職と言われた職種の人間までが犯罪を犯す世の中である。 電車の中で立ったままカップヌードルを食べる小ギャルなんか可愛いものなのかも知れない。 しかし、他人を不快にするような振る舞いを平気でするような非常識な連中を、たとえ神さまが許しても私は許したくはないのよ! ホント、怒ってるってば!!(←日にちが経ってもおさまってない)
虚でもなく無でもなく
2003年08月07日(木)
言葉というものを使わずに、物を考えることは出来ないか。
No War
2003年08月06日(水)
E = mc 2
今までに人類が発明した中で、もっとも恐ろしい発明が核爆弾であるということには異論がないのではないか。 核爆弾といえば、おおざっぱには原爆と水爆に分けることが出来る。いずれにせよ、核爆弾の原理をたどると、上に書いたアインシュタインの式に行き着く。 核爆弾の開発は、人類が行った大きな愚行の1つだろう。 しかし、その責任をアイシュタインの式に負わせるのは、銃の弾が人を殺すのは、ニュートンが運動の法則を発見したせいだというようなものだろう。 日本に原爆が投下されたと聞いた時、アインシュタインは 「なんと痛ましいことだ・・・」と言って絶句したという。
私のページの moon−diary には、毎月の月の様子を画像で示して、カレンダーの部分にちょっとしたコメントやらその月の行事や記念日を(気分で)書いているが、今月は、月が変わった時にどうしようかと迷った記念日が2回あった。 6日の広島原爆記念日と、9日の長崎原爆記念日である。 記念日、という言葉が似つかわしくないような気がして書かずにいたのだ。 記念日というにはあまりにも悲惨なこの2つの日が、今日という日の前後にある。 かつての人間の犯した過ちは、もう二度と繰り返さない、繰り返してはならないと、のちのちの人間は思い暮らして来たのではないだろうか。
また、15日は終戦記念日でもある。 平和であることに慣れてしまった人間の思いあがりを、見直す日でもあるのではないか。
凍結
2003年08月05日(火)
どこから火がついたのかは分からない。 知らぬ間に少しずつ熱せられて、鍋の中には喜びや悲しみのごった煮が出来る。 それまで深く沈んでいた塊が攪拌されて、上澄みの澄んだところまでがみんな濁り、 目を開けても何も見えない。 人にはそんな時があるのじゃないだろうか。 何がそうさせたのかいつの間にか鍋の中はグツグツあわ立つ。 どうやって火を消していいのか分からない。 消し方なんかないのじゃないか。 ただただごった煮の中で上へ行ったり下へ行ったり、心の中がかき回される。
やがてまた、いつの間にか火は消えて、少しずつ鍋の中も冷めてくる。 沈むものは静かに沈み、もとの場所で固まりになる。 澱みは消えてうわずみが残る。 澄んでくれば何かが見える。 何を見ようとしているのかは分からない。 入り口なのかも知れないし、出口なのかも知れない。 どこから来て、どこへ行くのか。
そしてまた、次に火がつくまでそっと静かにおいておく。
夏きたりなば・・・
2003年08月04日(月)
梅雨が明けて花火のアプレットをUPしたのに、気がついたらメインのコメントが『梅雨明けがまちどおしいですね』でしたね(笑) さっき気がついて、玄関を変えてみました。 ちょっと夏らしくなったでしょう。
今年は梅雨明が遅かったとは言え、やはり7月の終盤ともなると湿度は高くエアコンを使っている状態が続いていました。 真夏の暑い時のエアコンと違い、どんよりした中で一日エアコンの空気の下で仕事をしていると、何となく体のあちこちがだるいような、痛いような不快な気分になります。 それでなくても曇天がずっと続くと、体全体が重くて、あまり良い気分ではないのですが。 首筋がなんとなく固まって来るような感じで、頭が痛くなったりしませんか? それで、帰宅すると首の回りを暖めてみたりしていたのですが、ナントそうではなくて足首を冷やさないのがいいんだそうです。 言われてやってみたら、不思議不思議、本当に楽なんですよね! 1つ利口になりました。
その他、長年のギックリ腰に悩む友人から薦められたのは5本指のソックスで、仕事から帰ったら、すぐにそれを履くようになってから腰も非常に良い状態だと。 「それも絹のよ、あーた、絹の混じったのじゃないとダメよ!あーた」 で、またまた言われてやってみたんですが・・・。 何だか暑くて〜 でも、体がだるいし楽になれるならとある晩無理をして履いて寝てみたら・・・。 朝起きたらベッドの脇に・・・床に転がるくるりんとひっくり返った2つの5本指ソックス・・・。 面妖でした。
・・・どうでもいいこと書いてますね。 ^^;
夏
2003年08月02日(土)
ようやく梅雨があけて夏。 青い空に白い雲。 洗濯物がカラッと乾く。 やっぱり夏はこうでないとね。
先週末と今週末はお仕事です。 2週続けて土日がないと、何となくツマラナイ。 ここに書こうと思っていたことも、日にちと共にどんどん過ぎてしまいます。
月曜日ごろの新聞に、『ひきこもり』の30%は30代の人であるという記事が載っていて驚いたのですが・・・。 『ひきこもり』歴10年以上の人も多いとか。 一人暮らしの人はどうやって生活しているのか不思議だし、親元にいる人はまた家族の中でどのような位置にいるのかも不思議。 ほとんどの人が昼夜逆転で、昼間は寝ていて夜中に起きているのだとか。 理解出来ないことなのですが・・・。 日本って、どうなっちゃうんだろう、と思います。
皆さま良い週末を。 私も夏休みまであと少し、がんばらねばな〜(笑)
窓の外がまだ明るくて、久しぶりに気持ちの良い空を眺めて。
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