momoparco
  怪談
2003年06月29日(日)  

 家の中を慌ててバタバタ駈けずり回っていたら、階段を昇る時にスリッパの先っちょを引っ掛けて転びそうになってしまった。
バタン!慌てて両手を突いたら、勢いがついていた分ズシっと腰に来た。向こう脛がかすかに角に触れていた。
少し前に、職場の先輩が家の中のトイレで転んで向こう脛を切り何針か縫った。(汽車便式というやつらしい)それから2ヶ月して再度洗面所で転び同じ場所を切って縫った。椅子に乗って洗面台の上の棚から物を取ろうとして足もとを外して洗面台に向こう脛をぶつけたらしい。その時の痛そうな姿が目に焼きついていたので、咄嗟に脛をぶつける!とそのことばかり気にしていた。あんな所はぶつければ目から火が出るほど痛いのは想像がつく。それにも増して切って縫うなんて弁慶じゃなくたって泣きたいだろう。
しかし実際には向こう脛は無事で、「見よ、この反射神経の素晴らしさ」などと思ったりしたのも一瞬。

 あーヤバ!腰をやっちゃった〜と思った。ズシっというのが今まで感じたことのないズシっだったから。
翌日痛くなるのを覚悟していたら、腰の方は何ともないのに肩の方がとっても痛い。勢いがついていた分衝撃が集中したらしい。
肩を痛めたのは随分前だが、この関節(正確には胸鎖骨関節/胸と鎖骨の間の関節)を刺激してしまったらしくて息を吸うのも痛いじゃないか〜 腰の次は肩かいっ! と言われそうなので先に自分で言っておく。(あたしだって言いたい)

 このところ何だかお年寄りみたいにあちこちあちこち痛めるなぁ。お蔭でマウスを使うのが痛いんだもの。
慌てる乞食は貰いが少ないとか言うけど、家の中でバタバタするものじゃないどぇっす!



  木曜日
2003年06月27日(金)  

 PCの前に座ったのがすでに11時半を回っていたので、目がショボショボしています。(笑)
今日は木曜日、一週間で一番疲れている日がいつもこのあたりです。

 ・・・書きかけたのに、もうダメだわ。
 おやすみなさい。

                 ・・・何やってんだか(笑)



  明日の日付になっちゃって(笑)
2003年06月23日(月)  

 先週の平日の新聞に老人への虐待件数が増加しているという記事が載っていた。
80歳の母親をタンスに縛り付けたり、殴ったり、食事は一日にコンビニのお弁当1つだけしか与えないとか、部屋から一歩も出さないとか、部屋から出られない老人は排泄するのに困り、コンビニの空容器に用を足し部屋の中は悪臭で充満しているとか。
こういうことが、あちこちで起こっていて、それが明るみに出たのは、介護医療制度になって他人が家の中に入るようになったからで、その件数が増えているというのはそれだけ高齢者のいる家庭が増えているということだろう。
幼児虐待同様に耳にするのも痛ましいが、自分の母親を殴る蹴るというのは、背後に幼少の頃の何かがあるのだろうか、とも思ったりする。
ひと言で何とも言えることではないが、事柄事態は悲しい出来事だと思う。

 高齢になり、心身共に不自由になると介護は大変なことである。
よく、年をとると子供に返るというが、確かにお年寄りは自己中心的になるきらいがあるし、回りに気配りが出来なくなっていく。
その聞き分けのなくなった姿や動作が思うように行かなくなることが、子供に返ると言われるのだろうし確かに小さい子供のように手がかかる。
ただ違うのは、小さい子供の世話をしても子供はいつまでも子供ではないし、昨日出来なかったことが出来るようになり、分からなかったことが分かるようになる。
七五三やら入園、入学やらと成長の楽しみもあるし、生命力に満ちている。
しかし、老人の介護には夢も希望もない。老人は成長も発育もしないし、進むとすれば老化だけである。
しかし体は大きいから見る方の忍耐と体力も相当必要となる。仮に気持ちに余裕があってもそれが延々と続くとやはり疲れてくるだろう。

 私が両親の病気の世話で忙しくしている間に、品川に住む友人がついに実家に帰ることになったと知らせてきた。
彼女は私の中学1年生の時からの親友で、中学時代に両親が離婚をしている一人っ子なので、母一人、娘一人の家庭環境であった。
母上は今はまだお元気だが、この先いつまでも元気でいてくれるかどうかの保障はないし、今のうちから近くにいた方が良いということである。

 彼女の現在の住まいは品川なので、今までは会おうと思えばいつでも会えたが、今度は東京のはずれになるので少し不便になる。引越しは今月の末なので出来れば今月中には一度会おうと言っていたのが、私の方が父の看病などで時間が取れなくて、そうこうしているうちに引越しの日取りが早まりついに今月は会えなくなってしまった。
 
 そんなやり取りをしていたら、もう一人の親友から連絡があってやはり実家に帰ることにしたという。
彼女も中学1年生の時からの親友だが、今は名古屋に住んでいる。実家のご両親は高齢で、母上は長く会社勤めをしていたが、定年退職をして間もなく痴呆症になり症状は少しずつ進み、今では痴呆症の4度とかで、おむつを当て、家族のこともさっきのことも何も分からなくなってしまっている。
ある時期までは、私もたまに電話をして、おばさんの話し相手をさせて貰ったりしていたが、いつの間にか私のことも分からなくなってしまって、随分とお話していない。
時々、デイケアのような制度にお世話になったり、たまに宿泊をする以外はおばさんは家で暮らしていた。
今までは、彼女の姉上が一緒に住んで働きながら介護をしていたが、この姉上が突然に亡くなってしまい、彼女はこれから先を考えて途方に暮れていたが、80になる父上一人ではとても世話をしきれないことなどもあって、結局彼女が実家に戻ることになったという。
 
 この友人とはもう何年も会っていない。時々実家には帰って来ていたが、それは姉上を休ませるためで遊びに来ていたわけではない。いつも電話で話すだけだったが、それも横浜にいるより名古屋にいる時の方が連絡がとり易かった。

 痴呆症の老人をあずける施設などもあるにはあるが、今必要なのに入所出来るのは申し込んでから何年もかかるという。私立の施設はそれこそ億に近い金が要り、そういう場所に入れる人はごく限られた人ということになる。世の中は何でもそうである。彼女の覚悟も大変なものだと思う。

 これから先、親も子も年はどんどん取る一方で若返ることはなく、深刻な問題が増えていくら平均寿命が延びてもちっとも誇れることじゃない。
何かもっと良い方法はないものだろうか。


 せいぜい、またみんな近くに集まると麻雀が出来るね、などと他愛もないことを言っている。



  区別のつもりが差別?
2003年06月22日(日)  

 このところ足跡めぐりはお馴染みの方のお部屋だけで、コミニュティーの外のページばかりネットサーフィンしている。
目指すのは読み物系の場所で、こういったページを次から次へと渡り歩く。
大抵日記サイトで字ばかりを読んでいるが、こう見えても読み物系は好きなので、文字が沢山書いてあると嬉しかったりする。

 昨日覗いた場所は主婦の部屋だったが、この人のご主人が不倫をしていて(していたらしい)もう終わったと言っているのにまだコソコソとやっている様子で、そんなこんなの日々のあれこれが書かれていた。
この主婦は30代の後半子供も一人いるらしい。彼女はもともとそうであったのか、この件でそうなったのか分からないが、書かれている言葉が男の人のようであった。

・・・じゃねぇよ。
・・・おめぇが○○だろ。 
・・・うるせぇよ。 
・・・やってらんねぇ。と、まぁこんな具合。

 私は特別男女差別の考えはないが、日本語に限って言えば男女の区別というものがあると思う。
言葉使いというと、男らしい言葉使いという言い方はあまり聞かないが、女らしい言葉使いという方はよく聞く。
ダイアリーで特別女らしく書く必要もないし、女を売り物にすることもないと思うが、かといってあまりに言葉使いが汚いと読んでいて挑発的だしあまり共感しない。
するとやはり、私も気持ちのどこかで男女を差別しているのだろうかと思ったりする。

 こういった言葉使いに男女の違いがあるのは日本と他にどこの国があるのだろう。
洋画を見ていても、字幕や吹き替えはすでに日本語として違和感がないように翻訳されているから女性は女性らしい言葉に、男性は男性っぽく喋っている。(たまに男性が女性言葉を話している時には、その男性はオカマだったりすることもある。)
しかし実際は、言っている事は同じで、耳に聞こえてくる言葉には、声以外男女の違いはないではないか。
言葉使いには何の違いもない。
「私○○よ」 と言えば女性だし、「俺○○さ」なんて言えば男だが、それはそうこちらで勝手に訳しているだけなのだ。

 イタリアにいる時に、向こうでは日本のアニメにはとても人気があって、『魔法使いサリー』とか『キャンディキャンディ』とか、はたまた『アルプスの少女ハイジ』とか誠に古〜いアニメをやっていたが、その中のサリーちゃんは、友だちを呼ぶ時も、低い声(声優の声が非常に低い)『よし〜こ』『すみ〜れ』とか言っていた。
日本では、サリーちゃんと言えば甲高い声で、「よしこちゃん♪」「すみれちゃん♪」とか呼ぶのに、トン吉チン平カン太だって、サリーちゃんのパパだって、よしこちゃんもすみれちゃんも言葉使いはみんな同じ。
「ナントカよ」とか「ナントカだわ」なんて言ったりしない。私は何だかちっとも可愛くなかったが、向こうの子供たちは、『サリー可愛い』とか言っていた。
そうやって可愛くないと思うのは、頭の中のイメージと違うからというのもあるが、その言葉使いにもあったのじゃないかと思うのだ。

 海外から来た人たちにいきなり女性らしい言葉使いとか男性的な言葉使いを話せと言ったって変化が複雑でとても難しいことだと思うが、日本に生まれ育った者は教えられての場合もそうでない場合も含めて、知らず知らずに身についていることだろう。
しかし、それを敢えて違うように使うのはかえって意識しているようで、不自然なことではないだろうか。

 コミニュティーの中では中高生の部屋も多くて、そういった所で女子高生や女子中学生がやたらと汚い言葉使いをしている日記を目にすることがあるが、内容から言って私の範疇ではないのですぐにバックボタンで戻ってくる。
しかし、中年の主婦の場合だと、内容はちょっと読んでみようかな、と思えるものもあるのでつらつら読み進めて行くが、やはりあまりに言葉使いが汚いともう行かなかったりする。喧嘩を売られているような気になってしまうのだ。
これはやはり差別だろうか。 
 
 と書いたが、私のダイアリーは、である調の可愛くない書き方なので、あまり女性らしくないかも知れない。もっと可愛らしく書こうかな。
これはやはり差別かしら?って(笑)



  カサブランカ
2003年06月18日(水)  

 一日の仕事を終えて帰って来ると、仕事中と同じ人間とは思えないほどくてくてしてしまう。
仕事を終えて同僚と話しながら帰宅する途中までは、仕事中と変わらずにいられるのに一人になった途端に表情筋が動かなくなる。
家に入って一寸でも座ってしまうと、全身が弛緩する。
表情筋は固まるのに、全身の筋肉は弛緩するのである。

 家の中のことを仕事中に思い出すと、帰ったらあれもやろうこれもやろうと思うのに、いざ帰ってくると「そんな昔のことは忘れた」と思う。
疲れているから明日やる?と自問すると「そんな先のことはわからない」と自答する。ロクデナシである。
なんにもやりたくないし、考えるのも面倒臭い。
とことん疲れていれば、ヨコの物をタテにすることすらやりたくない。
なんというズボラ!
そう思うが体が動かなかったりするので、体力温存、明日の為にやらないでおこう、とかなんとか自分で言い訳をして必要最低限のことだけしてお終い。

 家に帰ってまで緊張しているのはごめんだが、かと言ってあまりの落差にそれが疲れたりもする。
きっとそれは私だけで、他の人は違うんだろうなぁ、偉いなぁなどと思うと自己嫌悪とまでは行かないが、少々の罪悪感が芽生えるのもこんな時。
自分のことが世の中で一番ダメなヒトに思えて、それがまた疲れる。



  梅酒とらっきょう
2003年06月15日(日)  

 季節の話が続きますが、毎年この時期になると梅酒とらっきょう漬けを交互に漬けます。
 今年は梅酒の年。
梅は回転の良いお店で選んで買って来る。
これ、2年目ぐらいになるとなかなかいいお味。(笑)
漬けたばかりの頃は、容器の底の方に沈んだ梅の実と、氷砂糖が形のまま詰まっていて、溶け始めた氷砂糖の回りがいかにも濃度の濃い水分の色をしています。
しばらくはこれを毎日容器ごとゆすってサラサラのアルコール部分と馴染ませるようにします。
ようやく氷砂糖が溶けきってから台所の日の当たらない場所へ移して。
何とか飲めるようになるには数ヶ月を要し、それまではいくら飲んでも梅の香りよりアルコールの香りの方が数倍きつくて美味しいものではありません。

 今の時期になると、古いものから飲んでいくわけですが、何となく勿体ない気がしてついちびりちびりになってしまいます。(笑)
何となく、梅酒って健康に良いような気がしていますが、自分で作るようになったら市販の梅酒は美味しいと思わなくなりました。

 私の友人には、生まれた時にお父さんが漬けてくれた梅酒がある、という人がいますが、味は梅酒のようでも色は真っ黒で美味しい気がしないと言っていました。

 私の梅酒は一年おきに漬けるので、並べてみるとやはり色が違います。
古いものの方が琥珀色をしていてそりゃもう絶品♪
自慢ばかり(笑)

 らっきょうの方は、泥付きの物をすりばちの中でタワシでゴシゴシこすってから水に入れ、浮かんだ薄皮を取り除いて、茎の部分を切り落とし、分量の酢と水と塩と少しのタカの爪と一緒に漬け込むだけ。
 これは保存食と言っても、1年ぐらいのうちに食べきらないとだめみたいです。
初めて作る時には、勿体無いような気がして茎の部分を長めに切ったらあまり美味しくはなかったですね。
思い切ってストンと切り落として漬け込むと、これまた美味しいらっきょう漬け。
酢にはピンからキリまで色々ありますが、あまり高価な良いお酢だと濃厚な味になります。
お酢の値段によって、味が濃厚から酸味の強いものへと変わっていく気がしますね。
これは好みですが。
で、これを刻んでカレーを食べるとこれまた絶品。(爆)
またまた自慢ばっかり(笑)

 どちらにしても、あまり生活の足しになるようなことはしていませんね。
でも、潤いはあるかもです。



  
2003年06月14日(土)  

 今日も一日、暑くて蒸しましたね。
この季節独特の湿度を含んだ空気とどんよりとした空模様は、それはそれで季節感がある気がしますが、体にまとわりつく湿気は苦手。
午前中には晴れ間も見えて、天気予報では明日は雨と言っていたので、少し溜まっていた洗濯をして、レースのカーテンを洗っている間に窓ガラスも磨いて少しすっきりとしました。

 この季節はカーテンを洗って窓を磨きたくなります。
それはきっとリフレッシュしたい気分になるからじゃないかと思います。
確か去年もカーテンを洗ったなどとここに書いた記憶があったので、古いダイアリーをひもといてみると、7月9日に同じような事を書いていました。
といって、カーテンを年に一度しか洗わないわけではないのですが・・・。

 レースのカーテンを洗うと必ずバリバリに糊付けをしてそのまま部屋に吊るすのですが、この時洗濯糊に香料が含まれていると部屋にその香りがほのかに香って気持ちがいいのです。
でも、今年は洗濯糊が無臭だったので代わりにとって置きの香を焚きました。
香を焚くというのは、実はよくやることなのですが、非常にスッキリとします。
私が好きなのは、沈香(ぢんこう)、白檀の2つの香りで、この2つの香は少しばかりコレクションがあります。

 沈香というのは、水中に完全に沈む香木です。
沈むのは木質に沈着した重い樹脂成分のためで、芳香を放つのは樹脂が揮発するため。
猟師達が淡路島の浜辺で、流木で焚き火をしたところ、えも言われぬ芳香に驚き、朝廷に献上したというのが「日本書紀」に記述されており、それが香木「沈香」に関する最初の記述だそうです。
この木から採取された沈香を香りの質(甘い、辛い、苦い、酸っぱい、鹹い)で、タイ、カンボジャ、マレーシア、インド、インドネシアと産地と思われる六国に分類したそうですが、香道においてはこの分類に貴賎の差別をしていないとか。
しかし中でも伽羅の香りは特別高価なものとして、他の5種とは区別して考えられていたようで、これは徳川家康が伽羅を偏愛し、多量に収集したこともこの一因だそうです。
実際には、伽羅も他の5種の沈香と同じく沈香の木から採取したものですが、大変に高価なものばかりですね。

 私が好きなのは、甘く濃厚な香りの伽羅ではなくて、どちらかというと軽くて爽やかな白檀と、少し漢方の薬のような香りの混じる沈香です。
今、手元にいくつかの白檀と沈香があるのですが、中でも好きなのは香十というところの白檀。
これは形が細いお線香。実は仏壇で焚くものの形なのです。(笑)
それからもう1つは、松榮堂というところの沈香。
これは1cm四方ぐらいに割ってある香木です。香木というのはそのまま香りを楽しめるもので、入れ物がここにあるだけでもかなりの香りがしていて、実際に焚くより爽やかな感じ。
この香木の入っている包みの中に、香十徳というのがありまして、ちょっと書いてみると

感は鬼神に格る(かんはきじんにいたる)
心身を清浄にす(こころをきよらかにす)
能く汚穢を除く(よくけがれをのぞく)
能く睡眠を覚す(よくねむりをさます)
静中に友と成る(せいちゅうにともとなる)
塵裏に閑を諭む(ぢんりにひまをぬすむ)
多くして厭わず(おおくしていとわず)
寡くして足れりと為す(すくなくしてたれりとなす)
久しく藏えて朽ちず(ひさしくたくわえてくちず)
常に用いて障り無し(つねにもちいてさわりなし)など。

良いことばかりですね。(笑)
爽やか、清潔で静謐。落ち着くし気分転換になります。
今が一年のうちで一番香を焚く回数が多い季節です。




  嘘のよう
2003年06月10日(火)  

 仕事を始めて2時間ぐらい経った頃、ふといつもと違う不思議な感覚を憶えてそれが一体なんだろうかと考えた。
痛くない・・・。
あれほど痛くて、重たい感覚が取れなかった腰がまったく痛くない。
腰を痛めてから、動けないほどの痛みは取れたものの、いつも神経が腰に行っていた。
立っていても座っていても、今腰がどこにあるとか、重心がかかっているとか意識しない時はなかったので、何も気にしないでいられたのがとても不思議な感覚だったのだ。
体のどの箇所だって、痛い時には気になるが、痛くないと気にならない。
健康な状態なら、何も気になることはない。
その気になることがないという感覚はとんと忘れていたので、とても不思議な気持ちになった。
何で急に何にも気にならなくなったのか分からない。
昨日も一昨日も、重たくてこれといって何か変わったことをしたわけでもないのに。

 とにかく今日は体が軽くて、人の腰を借りていたような日々が嘘のように自分の体が戻った気分。
嬉しい気持ちと、またすぐに痛くなるのじゃないかと不安な気持ちと半々だったが、一日を終えて、夜になっても痛くない。
こんなことってあるのでしょうか?
これが夢でなくて、ずっと続きますように。




  10年
2003年06月09日(月)  

 今日9日が皇太子ご夫妻の結婚十周年だそうで、昨日の新聞に宮内記者会の質問に文書で回答されたものが掲載されていた。

 その1つに『お互いの評価、円満の秘訣』というのがあって、その中に「感謝したい点は、雅子がそこにいてくれることです。そこにいてくれるだけで心が明るくなるのを感じます。」という言葉があり、ぐっと感動した。
人が人を思うとき、存在そのものを感謝すると言う言葉は、それ以上の言葉がないのではないかと思う。
好きだとか愛しているという言葉より、そこにいてくれるだけで有難い、そのことに感謝したい、いつもそんな気持ちでいられたらそれはとても幸せなことだと思う。
 
 その言葉を受けて雅子さまは「このようにおっしゃっていただいて胸に熱く迫ってくるものを感じますと同時に、私としては穴があったら入りたいような気持ちです。皇太子さまにはすべてにわたり本当にありがとうございました、と感謝の気持ちで一杯です。もし、満点というものがあるのでしたら、満点以上は確かではないでしょうか。」と書かれている。

 いるのが当たり前、何かをして当たり前と考えるととかく不満ばかりが目についてしまうものだが、こんな言葉を読むと何だか心が洗われたような気持ちになる。

 皇室関係のニュースというと、子供の頃はあまり興味がなかったし、母たちがテレビで見ていても面白いと思うこともなかった。
しかし、秋篠宮さまと紀子さまがご結婚された辺りから何となくそういったものをマスメディアで目にすると関心を持って見てしまう。
これは年を取った証拠なのか、それとも開かれた皇室になったからなのか。
皇室というのは一般人には想像もつかない世界だから、単に私が興味を持つようになっただけのことなのか。
 最近のニュースは特に愛子さま関係のものが多くて、テレビで見ると「大きくなったわねぇ〜」なんて思ったりしている。やはり小さい子がいて、その子を慈しみ深く見守る両親のお姿は微笑ましいのひと言だと思う。

 しかし一方では、10年と少し前にお妃候補としてマスコミに追いかけられていた頃の雅子さまは今とは全く印象が違った記憶も鮮明である。
外交官としてバリバリのキャリアウーマンを地で行っていた雅子さまは、トレンチコートに身を包み颯爽と街を闊歩し、追いかけるマスコミに笑みを見せることもなく、むしろ毅然としていらした。
小和田雅子さんは絶対に今の職を辞めて皇室に入られることはないだろうと思えた。
それでもその方が皇室に入られると決まった時、今までとは違った全く新しい風が皇室に吹くような予感と期待をしたものだが、今になるとものの見事に納まっていらっしゃる。
言い方は悪いが、すっかり型にはまってしまった感じで、同じ人とは思えない。
それが皇室という所の怖さではないか言ったら、言いすぎであろうか。10年間という月日はこれほど人を変えるものなのか。雅子さまも変わられたが、私の見方も変わった。そんな風に思う私もいたりする。



 今日は映画『あずみ』を観て来ました。洋画でないのが珍しいこと。
きっと眠くなってしまうと思っていたら、あっという間に終わってしまい、アクションシーンのスピード感と迫力がなかなかでした♪




  徒然に
2003年06月08日(日)  

 久しぶりに何にも予定のない一日。
自分の時間、自分の休みという感覚をしばし忘れていたので、今日は敢えて何も予定を入れずに過ごしました。
と言っても洗濯したり掃除したりって、やる事は色々あったんだけどね。
心身ともに制約の無い「時」って必要ですね。
何かいつも、あれをしなくては、こうあらねば、と思っている時間が続くのは知らず知らずにストレスになってしまう気がします。
何でもストレスって言葉で片付けてしまうのもナンですが。

 先日、金曜日だったかな。
銀行へ行ったら、近に住むカメラマンの方の写真が20枚ぐらいですが展示されていて、じっくりと拝見してきました。
それらは全て『花火』の写真なんですが、あんな花火の写真は初めて見ました。
300mmの写真なんですが、遠目で見ても近くで見てもまるで花びらのよう。
それもごくごく近くで一輪の花の花の部分だけを写したようで、芥子の花、ひまわり、ガーベラ、菊、サボテン、それから柘榴の実みたいなもの。
あんな風に花火が撮れるものなのかと驚くような、それはそれは美しく斬新な写真でした。
一枚だけ、よく見かける海月のような花火の写真がなかったら、花火だとは思わないようなものばかりでした。
かねてより、写真家さんの写真ってとても凄いと思っていたんですが。
改めて実感しました。

 天体系の写真を撮る方のお部屋は、Relaxes の中に少し載せさせていただいているのですが。
宇宙の何かの現象を写すというのは、世界各地へどうにかして時間を作り、重たい機材を運んで、経費もかかるでしょうし、何より天候によっては全てが水の泡となってしまう場合も多くて、1つの現象を追いかけて地球のこちら側からとあちら側からと何年もの間をあけて写されたものを見ると感動しますね、人生そのものみたいで。

 この花火の写真家の方のお名前を帰ってから検索してみましたが、サイトはお持ちでないようで皆さまにお教え出来ないのがつくづく残念でした。

 
 といえば、その前の土曜日に従姉妹の結婚式で横浜プリンスへ行ったんですが、披露宴の帰りにたまたまホテルの中の一角で絵画の展示会をしていまして、やっぱり歩きながら目に止まったものがあって、しばし鑑賞させていただきました。
私、比較的油絵で細かい花が描かれたものってワケもなく好きなんですが、大きな中に見はるかす限りのラベンダーがたっくさん描かれているものがあって、それが雄大で素敵でした。
少し小さ目の物もあったんですが、あの大きさにあれだけの細かい花がぎっしりと描かれていると、大自然の大きさを感じて気持ちにゆとりが出来るような気がしました。

 絵画や写真は展示場で見ると差ほど感じなくても、実際に家に持ち帰るとかなり大きかったりしますよね。
家具屋サンで家具を見るのと、一般家庭で見るのとの違いというか。
この絵はとっても私を誘惑したんですが、売価を見たら6桁なので「また明日ね」と言って帰って来ました。明日はないんですけどね。(笑)

 いずれにしても何事も、プロとアマの違いとは本当に月と地球ぐらいの距離があります。
そういったものを用意にネットで見られることが良いのかそうでないのか分かりません。
というのは、人が人生をかけて作り上げた物を、断り書きがしてあるにも関わらず容易に無断借用してしまうサイトの管理人さんが多いからです。
特に天体系は顕著なので、悲しい気持ちになりますね。

 話がそれましたが(笑)
とにかくのんびりしたということでしょうか。



  回りも楽
2003年06月05日(木)  

 今の医学が凄いのか、父の手術の傷跡に縫い目はない。
傷は胸の丁度真ん中辺りに、タテに30cmぐらいはあるのだが、表面の傷はテープを貼っただけで縫合していないのだ。
それも術後5日ぐらいでテープは外され、つまり傷がむき出しのままで既に痛くないと言っていた。

 特に今回感じたのは、この部位は筋肉がないので後が楽であるということ。
例えばお腹や、胸でももっと脇に寄っていると、腹筋や胸筋を一度切断されるから、繋がるまでは運動機能は低下するしそれに痛い。
かつてオリンピックで金メダルを獲った体操の森末サンだって、お腹を切ったあとは足を組めなかったと言っていた。
母の場合も、階段を登ったり、何でもない動作が1つ1つお腹の傷に響いていた。
それが日常生活に戻って、少しずつ動くことで筋肉の機能も復活していくのだが(母の場合も、階段を登ったり、何でもない動作が1つ1つお腹の傷に響いていた。)
 
 しかし父は、集中治療室にいる時から食事の時にお箸を使い、コップを使い、私にとっては驚異であった。
後が楽、というのは良いことだ。

 今日も退院の手続きを終えて、同室の患者さんに挨拶などしていると(ちょっとくっ喋っていた)廊下の向こうを両手に荷物を持ってスタスタ歩く父の後ろ姿があった。
自分の荷物を両手に持ってスタスタ歩く術後の患者。
なんという違いなのだろう。
あっと言う間に進む医学。
すごいですね。

 とはいえ、帰ってくれば院内にいるよりはやはり疲れるらしくて、起きたり寝たりしているけれど。
後は追々に元気になってゆくことだろう。
病院通いをしなくて良くなったというのは、とてつもない開放感であります。



  平均寿命
2003年06月04日(水)  

 父の病院で、退院後の食生活指導というのがあった。
手術を終えた同じような患者さんが数名集められて、栄養士さんのお話を聞く講習会のようなもの。

 内容は、心臓病に大敵なのが塩分のとり過ぎということとカロリーのお話。
これはまぁ、大抵の成人病には共通の話題ではないかと思うが、栄養士さんのお薦めする一日の塩分の摂取量は7gだとか。
日本人の平均の塩分摂取量は1日ナント13g、厚生省で薦める塩分の量は10g、病院での院内食事は7g。
平均から比べると半分近いので少なく感じるが、食塩0.5g入りの小さな袋を見せられると私ならゆで卵1つぐらいは充分に食べられるような量なので、あまり問題はないように思う。
しかし父の場合、味は濃い目が好きで、ソース醤油の類は食材が泳ぐほどにかけてしまうから、不満かも知れない。

 興味深かったのは、論点がズレるが日本人の平均寿命が世界でもトップクラスであるということ。
しかし健康な高齢者となると話は別で、寝たきり、痴呆、何かの障害を持ち介護が必要な高齢者がまた世界でもトップクラスであるということ。
これをどのように捉えるかは人によると思うが、それだけ深刻な問題が多くあるのではないかと個人的には思う。

 栄養士さんのお話が終わり病室に戻ると、看護師さんから
「担当の先生から大切なお話があります」と言われ一瞬緊張が走った。
同じく緊張の面持ちで近付く医師はおもむろに
「え〜・・・っとですね・・・」
家族3人の耳は、犬ならピンと立った状態。
「もう、いっつでも退院して大丈夫です」
へたり込む父。
「これでやっと生き返れる・・・」
全員破顔。(笑)

 というわけで明日退院出来ることになりました。
嬉しい嬉しい、良かった良かった。\(^o^)/
みなさま、ご心配をおかけしました。
そしてありがとうございました!

何だかホッとして力がちょっと抜けています。(笑)(笑)(笑)



  いよいよ6月
2003年06月01日(日)  

 1年って早いとつくづく・・・。

 少しずつですが父の様子も落ち着いて、後は時間の経過と共に元気になってくれると思います。
ご心配ありがとうございました。
退院するのはもう少し先ですが、心配事からは遠ざかり精神的に少し楽になりました。

 先週は疲れがピークでしたが、何とか乗り切れました。
これから少しずつ余裕が出てくるといいと思っています。
更新が止ったままですが、少しずつボチボチと・・・。
今月のカレンダーと moon-diary も少しだけ更新してみました。

 さて、そろそろおやすみなさい。



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