Journal
INDEXbacknext


2005年08月07日(日) 蜜の味。

■毎日苛酷な仕事が続く。10時から10時まで仕事場に詰める現在の生活は、当分変わりそうもない。休みも、しばらくは取れないだろう。だいたい、一週間に一度仕事が休めるなんて夢のような生活ではないけれど。

■そんな苛酷な暮らしの中だというのに、精神の揺れる恋人から手痛い仕打ちを受け、一晩中泣き続け、一時間泣き疲れて眠って、そのまま仕事場へ。……死ぬかと思った。仕事すること自体より、何事もなく明るく平穏な自分を保つのが辛すぎて。
 それでも、反省してわたしに謝罪し、愛を求める恋人の姿があまりに真摯なので、それに心打たれてしまい、またさらに愛することになってしまう。生きてる辛さを一気に共有してしまったようで、お互いにさらに離れられない関係になっていく。
 わたしと年若き恋人は、何度も何度もこんなことを繰り返している。これが蜜の味になってしまっているようで、ちょっと怖い。……そのたびに、わたしは色んな代償、代価も、支払っているから。いつか、とんでもない喪失の日が来るかもしれない。でも、その恐怖もまだ想像の裡。心と体に染み渡る蜜の味には屈してしまう。




2005年08月04日(木) 風味絶佳。

■闘わねばなあ、と、思う。ふがいない今の自分とも、許せない他者とも、改革すべきシステムとも。
 このところの自分の心の揺れを振り返って、強く、強く、そう思う。
 もちろん、人生をひいて見る個人の生活に没入することもできるだろう。生きていくための収入さえ安定していれば。でもなあ、それじゃあ物足りない、生き足らない自分だってことは、よく知っているから……。

■山田詠美さんの「風味絶佳」にいたく感動して、早くも読み返している。読み返したら、もう一度読み返したい。すべては男と女の「愛」に帰してあるのだが、それだけでは終わらない。そこに、人間の根源的な生きる意味、人間の死すべき運命が知らしめるものが、巧みに埋め込まれている。食って、寝て、異性を求めて、セックスして。息を吸って、吐いて、止めて。喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで。もう、あれこれあれこれが、美しい日本語で、語られる。まだ8月だけれど、これが今年のわたしのナンバー1小説になるだろうと予感する。

■今、わたしは、わたしにとっての「風味絶佳」の男がいる。我が人生を惑わせ我が人生を彩る人。どんなに惑いが深くっても、無駄な時間を如何ほどに過ごそうと、鮮やかな彩りに喜ぶ瞬間は捨てられない。わずかな至福の一瞬が待っているという期待感のために、どれだけ涙を流してもよいと思う。


2005年08月03日(水) 神経が……。

■眠れない。実に36時間、眠れずに過ごした。ワインを体に染みこませて、ようやく眠ったと思ったら、36時間起床の見返りにはわずかな5時間で目覚めてしまう。それでも少し眠れたのがうれしい。今までの不眠症は、眠りたい時間に眠れなくっても、一度落ちたら眠りは深かった。こんなの初めてかも。

神経をひりひりさせることが、確かにたくさんあるのだ。
新らしい仕事にまつわるあれこれ。
一緒に仕事をしている人間に対するあれこれ。
自分の未来に対するあれこれ。

それらをうまく整理できなくって、ひりひりひりひりし続けていて、神経が逆立っている。すぐには解決できない問題ばかりだし、ずっと自分の中に内包していかなければならない問題ばかりだし、参ったなあ。やれやれ。

■どうせいつか灰に帰す身と知りながら、こうして悩み続けて生きるのは、まったくどうしたものか。もちろん、それだからこそ、芸術の世界の隅っこに存在する意味があるのだけれど。


2005年08月02日(火) ささやかないいこと。人々の笑顔の後に。

■時差ぼけというやつを初体験。何度も海外旅行してきてきたけれど、普段から不規則な生活を送るわたしに時差ぼけは無縁だった。ところが昨日、1時半に眠って、起きたら3時。それから8時まで眠りにつくことはできなかった。あまりに覚醒しているので時間をもったいなく感じ、掃除を始めたり、気になっていたことを書き付けたりしていたので、よけいに眠気の訪れが遅かったのかもしれないけれど。
 
■昨日も書いた、ブルックリン橋への散歩の半日は、ささやかないいことに恵まれていた。

→地図を見ながら地下鉄の入り口を探していたら、紳士らしい服装をしたおじさんが、まるで道案内が我が仕事とばかりに「どこに行きたいの?」と声をかけてくれ、的確に教えてくれた。
→トークンで地下鉄に乗る時代しか知らないわたしが窓口で「ブルックリン橋に行きたいんだけれど・・・・・・」と言うと、売り子のおばさんはカードを発券しながら地図を出し、地下鉄を降りてからの道案内までしてくれた。
→中華街に向かって歩く道すがら、けたたましくクラクションの音。「何事?」と振り向いたら、後ろを歩いていたおじさんが財布を拾いつつ、「ありがとう」を車に向かって叫んでいた。お財布落としたのを、教えてあげてたのね。
→中華料理屋で注文中、牛肉料理を一品頼んだら、それが野菜料理の中身とかぶっていたらしく、店のおじさんは「牛肉は俺のお奨めを出すから、それにしなさい」と言う。まあ、気ままな散歩中の食事だから、と、申し出を受けて料理を待ったら、実に美味しい一品だった。「こ、これはもしかして高いのでは?」と不安になったが、伝票に書かれた値段は実に良心的なものだった。
→料理を頼みすぎて食べきれず、おじさんに「食べきれなくって持って帰りたいから、パックしてもらえますか?」と頼むと、いやな顔ひとつせず、ちゃんとTAKE OUT用のパッケージにいれて包装してくれた。もちろん、ただで。
→半日の散歩の中で、たくさんの人がわたしに笑顔をくれた。小さな黒人の子供たち、犬を連れた奥さん、中華街のおじいさん、筋骨隆々の家族連れのお父さん、友達とおしゃべりに興じていた高校生、ほかにも、たくさんのたくさんの人が、わたしに笑顔を投げてくれた。で、わたしも笑顔を返した。笑顔率の高さは、ここ何年かのわたしの人生で、一番だった。

と、そんな風に歩いていたあと、橋の真ん中で、9.11以来の喪失の風景に出会った。

個人が、夥しい数の他者が形成する世界で生きることの、喜びと悲しみを思う。




2005年08月01日(月) 帰国。

■海外公演の大変さと醍醐味と感動を、いっぱいに味わって帰国。

■タイトなスケジュールだったので、自由時間があったのは二日間、それも夜公演を控えての昼間だけ。

 ひとつめの昼は、最初の渡米で印象に残っていたブルックリン橋を訪れる。
 地下鉄で中華街まで出て食事してから、マンハッタン橋を徒歩で渡り、ブルックリンへ。そしてブルックリン側からマンハッタンに向けて、ブルックリン橋を渡る。橋上は徒歩ラインと自転車ラインに分かれており、颯爽と駆け抜けていく自転車を眺めながら、ゆっくりと木製のステップを踏んでいく。
 橋の真ん中まで来ると、二棟の高層ビルを喪ったマンハッタンを一望できる。9.11以来はじめて見るN.Yの姿。しばし立ち止まって、いろんなことを考える。ただ歩いているだけでは傷を見せない街の、消えない傷のことを思う。

 ふたつめの昼は、海外に出るたびの娘の義務、父へのアンティークカメラ探しに時間を費やす。ようやく探し当てた代物は、ヨーロッパで探し当てたものたちほど素敵なものではないが、土地ごとにとにかく持って帰ってあげることに価値があると、大枚を支払う。
 
 劇場に5時いりという時間の制約から、短めの上演時間のマチネを探し、「プロデューサーズ」を観る。この間日本に来ていたものだが、まあいい、見逃しちゃったんだもの。本場で見る。
 極上のエンターテイメントを、楽しみつつ、勉強する。
 「ヘアスプレー」とか「ライト・イン・ザ・ピアッツァ」とか、見逃してる本場「ライオンキング」とか、観たいものは山ほどあったのに、劇場を目の前にしつつ、我慢して帰国。ああ・・・・・・。

■時差ぼけがさて、いつになったら取れるのやら、そんなことはおかまいなしに、とにかく明日から、また新しい仕事場へ。とりあえずの洗濯を終えたら、眠らねば、眠らねば。


MailHomePageBook ReviewEtceteraAnother Ultramarine