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2004年05月26日(水) 乱れ。

●世界中でいろんなことが起こっている中、わたしの周りでも相変わらず埒のあかないいろんな問題が起こっており、もう、ただただ、振り回されている。
 ひとつところに腰を下ろして、じっくり考えたいと思うのに、わたしはふらふらふらふらと、個人と、わたしを取り巻く小現実と、大現実の間を、行ったり来たりしている。足元の覚束ない日々が続いて、夜、寝る前に、自らの一日を振り返って、がっかりしたりする。

●ずいぶん年下の男性と惹かれあって、心を交わし合っていることが、わたしの日常を乱してもいる。
 持ち時間はそうそうないのに、わたしは何をしているのだろう?
 それなりの幸福を享受することと、更なる人生の成果を切望することの狭間で、気持ちは乱れる一方だ。
 


2004年05月25日(火) 多忙多感。

●久しぶりに、自分の時間がたくさんある毎日を送っている。3時に仕事場に出向いて、11時半には帰っているのだから、普段から思えば夢のような生活。
 そうなってみると、某かが起こる。某かを考える。某かを感じる。
 思いがけず、多忙多感なプライベートタイムが展開していて、忙しい時より、落ち着いて書いていたりする時間が少ない。
 
 おかしなものだと思う。
 楽しくも、険しい生活。

●昨日のOFFは、久しぶりに横浜に出かけ、海風に吹かれた。
 5月の、最も心地よい季節、そういう時間が持てて幸せ。ただただ働いているばかりと思える生活にも、こんな時間がある。幸せ。


2004年05月16日(日) ひたすら、ひたむき。●きっと「イエス」と言ってもらえる(シェリー・ブレイディ)

●この何日か、もうジェットコースターに乗っているような気分。これで上がっていくのかと思いきや、大どんでん返し、真っ直ぐ進んでいるかと思いきや、目的地から遠ざかっていたり……。ただただひたすらに、今信じるところを信じて、その時間時間を過ごしている。もちろん、ゴールは待っているはずなので、走り続けるのだけれど。
 それでも、たくさんの人間が一度に乗り込んでいるから、走り損ねないようにバランスを取らなきゃいけない。創るって仕事は、大変。個々である人間が複数集まってひとつのものを創ろうとがむしゃらに動く限り、そこには幾ばくかの理不尽や不合理だって生まれるし。

●家に帰り着いたら、もう、明日の朝起きて現場にたどり着く時のことを考えている。繰り返してるなあ、こういうことを。
 仕事中、突然の頭痛に襲われることがある。かなり痛い。ひどく痛い。ふだん頭痛持ちとして過ごしていないので、すごく不安になる。やりたいことが山ほどあるのに、突然ぽっくり死んだりしたくない。休みになったら、また整体に行って肩の荷を少し下ろしてもらったり、CTを撮ってもらったりしよう、などなどと考えながら、忙しく立ち働く日々。

●眠るまでのベッドと車中で、脳性麻痺の男性がトップセールスマンとして生きる手記を読む。そのひたすらさ、ひたむきさに、単純に感動する。出来が良くっても悪くっても、人間は自分という存在をフル活用することで、某かを勝ち取ることができるのだという、とっても当たり前で難しい真実。


2004年05月10日(月) 大詰め。●コーネルの箱(チャールズ・シミック)

●仕事はいよいよ大詰め。

●カディロフ氏に関するあれこれを、昨夜眠りを少し削って読み続ける。
 チェチェン総合情報を訪ねるだけでも、概ねのことは分かる。
 このサイトから、「コーカサスの虜」を配信しているサイトにも飛べる。


2004年05月09日(日) 誤消去。■コーカサスの虜

●いつものようにこのページにことばを埋めていたら、二度も誤って全文消去してしまう。考えながら考えながら時間をかけて書いていたし、久しぶりに長文だったので、ちょっと嫌な感じ。

●書いていたこと。

 ・昨夜、観劇後後輩と語り明かしたのが、年齢を超えて、思わぬ「対話」の経験になったことについて。
 
 ・仕事仲間が自己破産したことについて。

 ・一昨日観た映画「コーカサスの虜」について。
 
 ・チェチェンの傀儡政権大統領カディロフが、爆弾テロで死んだことについて。

●こうして箇条書きしていると、自分の書いていたことばには、実はさほど意味がなく、書きながら考えた時間だけが、自分にとって必要だったのだと思えてくる。


2004年05月07日(金) 人と暮らしの矮小化。

●仕事場では、文字通り、劇的な瞬間とつきあうことが多い。心を揺さぶる大感情と接した帰り道、シブヤを歩いていると、ここにはなんと矮小化した人間、矮小化した生活が多いことよ、と思う。別にシブヤに限ったことじゃない、目に立ちやすい街だってことだけで、今の日本全体に蔓延していることなのだろうけれど。
 ささやかなこと、ささやかな暮らしが、わたしは好きだ。それでも、感情がささやかなぶれしか示さないわけじゃない。
 振れ幅が広くっても、静かな表出しかしない人だっている。

 問題は、貧相な想像力と甘い自己認識。他者との距離の読み間違い。人の矮小化は、だいたいそこら辺から始まるような気がする。

 そういうことを、こうしてここに曖昧に書いていても何にもならないのだけれど、このところこの国を賑わす事件を眺めていると、ついついこぼれてきてしまう。
 
●明日はお休み。このところ休みと言えば、心と体の疲れで使い物にならず、病院にお世話になったり家で寝込んでいたり。明日は久しぶりに、元気な状態で休める。
 来年の仕事の打ち合わせ一本と、夜には、次に仕事する俳優の主演作を観劇。……休みのような、休みでないような。でも、大丈夫。心は解放されている。


 


2004年05月05日(水) 仕事漬け。

●現場に12時間いる生活をしているので、家に帰り着くと、もう明日の朝起きることを考えている。そんな数日が続く。あと2日頑張れば1日休める。休日は、次に一緒に仕事をするプレイヤーの舞台を見に行こう。

●過酷な仕事をしていても、運命共同体がしっかりと築かれているので、へこたれないでいられる。
 現場には、もう20年来この業界で一緒に働いてきた仲間がたくさんいる。すでに幼なじみのような気分で、いるだけで、それぞれがそれぞれを支え合っている。
 今までたいした人生を送ってこなかったような気もするし、奴らの顔を見ていると、ずいぶん素敵な人生を送ってきたような気もするし。


2004年05月02日(日) 孤独を認識する。●宿命の交わる城(I.カルヴィーノ)

●4ヶ月の大仕事を無事終えて、さあ明日から新作の稽古場に本格的に参加だと思っていたら、突然の高熱、激しい頭痛、2日間、倒れ込む。
 わたしはよほど疲れていたらしい。目覚ましなしで眠ったら、なんと16時間ぶっ続けで寝てしまったし……。
 このところ、普段はほとんど経験しない頭痛に悩まされていたので(たぶん目の疲れと肩こりからくるのだろうと自己判断していたが)、人はこういう時、くも膜下とか脳梗塞に襲われるのではと、小心なわたしはベッドで不安を覚えつつ過ごす。

 弱っているときに弱っている姿を見られるのが嫌いなわたしは、こういう時、誰にも救いを求めない。只一人恋人だけが別なのだが、彼が今はロンドンにいるのだから、仕方ない。
 この夏、恋人以外の男性にプロポーズされてその気になりかけたときも、相手がわたしを守るのだと執拗に主張し始めたとき、さーっと気持ちが冷めてしまった。そんな自分なのだから、仕方ない。
 この孤独は自ら選んでいることと、認識する。

 でも、まあ、本日、仕事復帰。

●日本はゴールデンウィークに突入。電車が空いていて快適快適。帰りの電車の中は、いつもの風景と違って、親子連れがいっぱい。お父さんたちの疲れた顔が目立つ。

●カルヴィーノの小説は、78枚のタロットカードの絵にインスパイアされて、物語をねつ造していくもの。ねつ造にとどまらず、そこからギリシャ神話だのシェイクスピアの物語だのも読み取っていく。
 人生の顛末や、ドラマと呼ばれるものは、たった78の状況状態だけでつむいでいけるものなのだ。タロットの占いで言うと、正位置逆位置でその2倍で読み取ることになる。
 世の占いと呼ばれるものに全く興味のないわたしは、突然タロットに猛烈な興味を示し、早速カードと解説本を購入。美術的にも惹かれるものがあって、しばらくはまりそう。


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