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2004年04月27日(火) 見えない目。

●解放された人質の男性二人が、メディアの前に現れた。日本という国に戻ってきて、彼らはどんな喧噪に巻き込まれ、何をどう感じ考えて過ごしたのだろう?
 30日に開かれるという記者会見で何が読み取れるとも思わないし、彼らの内面の旅がどのようであったかなど、想像の及ぶところではないが、それでも、わたしはあり得ることを想像しようとしてみる。考える。

●昨夜、パトリシア・アークエットの監督した映画「デブラ・ウィンガーを探して」を見る。40代になって、表現と生活の板挟みで悩む彼女が、同世代の女優たちを訪ねてまわり、そのインタビューを構成したもの。
 心にふれる素顔を見せる女優もいるし、飽くまで女優としての発言の枠を守る女優もいる。どちらも正しい女優の姿。
 その幾つかは、40代になったばかりのわたしの琴線に触れるものだった。

 すっかりおばさんになったテリー・ガーはかつてない魅力を感じさせるし(「ONE FROM THE HEART」や、「トッツィー」の彼女は、等身大の女性を演じて素晴らしかった)、引退したことを揺るがぬ強さで肯定するデブラ・ウィンガーには、人生には無数の可能性があることを知りつつ、自らの選択に生きる、大人の強さと孤独を感じる。
 もう女優に戻ることはないと確信しつつ、演ずることのすばらしさを語るジェーン・フォンダのことばには、涙を禁じ得ない。……恵まれた俳優は、当たり前に人生を生きているだけでは決して味わえない、濃密な時間を体験することがある。それは蜜の味だ。……蜜の味がどんなものであるか知り尽くした彼女が、戻れないものとしてそれを語ることは、人生の歓喜と哀切を同時に語ることとなる。

「NO MAN’S LAND」に、サラエボの現地レポーター役で出演していたカトリン・カートリッジは、2002年に41歳の若さで亡くなっている。その彼女もインタビューに応じていた一人で、飾らない当たり前な笑顔をふりまきながら、
「情熱がなければ、朝がきても起きられない。せめて情熱がなけれね」
と語っていた。自らに直後突然ふりかかる死のことなど知りもしない彼女の、そのおおらかなしゃべり方は、生きることを讃える力に満ちていた。

●北朝鮮の爆発事故の映像が配信されつつある。そこに映る情報だけでも、目を覆いたくなる悲惨さだ。ただ、その映像の向こうに、どのような隠蔽作業があり、どのような作為があるのかはわからない。
 9.11があれほどに衝撃的だったのは、事故の映像が同時配信されたことの力が大きい。だって、世界では時を同じくして、悲惨なことがそこかしこで起こっていた。わたしたちは、それを映像という手段で知らされていなかっただけのことなのだ。

 わたしたちは、明きながら見えない目を持っている。それゆえにコーディーリアを喪ったリアのように。



2004年04月26日(月) もう半分しかない。

●昨日、絶不調と記したのを消してまで、奇跡的な回復と感動を書いたのだが、奇跡が持続したのは一晩だけだった。長い時間をかけてため込んだ疲れは、やはりそう簡単には消えてくれないらしい。
 それにしても。
 一晩だけにせよ、なぜあれだけ体が軽くなったのか? 15分ほど体を触ってもらっただけで……? 
 何もわからないとコントロールも節制も努力もできないので悔しい。いつか大病することがあったとしたら、医者に分かって自分に分からない病気の実態に、わたしはいらいらするに違いない。
 知ることのできることは、すべて知りたい。

 世の中は知りたいことだらけで、その知りたいことの山に押しつぶされそう。

 わたしには、穿つべき自分の道がもうあるし、残りの人生はそれで手一杯だろう。でも、知りたい知りたい。なんでも知りたい。

 疑問を持てば、どんな分野でもどんどん穿って知りたくなる。

●というわけで、わたしの仕事机は、今、読むべき本と見るべきDVDが山積み。書籍の半分以上が戦争関連で、一冊読めば、また別の視点の一冊を読みたくなる、読書の連鎖が始まってしまっている。
 それなのに、仕事仕事で、自分の時間がほとんどない。

 人生はかくも短いのだと、若いうちから気づくほどわたしはクレバーではなかった。馬鹿なことばかりで大騒ぎしてきた若い頃を悔やむ気持ちはさらさらないが、でも、今は時間が欲しい。ようやく「考える」ということが出来る年齢になったのだもの。

●こんな風に思っていても、恋人が戻ってくれば、それだけでもう何もいらなくなったりする自分がいることも分かっている。
 ただ隣にいるだけで、何も生まず、何も得ず、ただ時間が過ぎていっても満足できることがあることは分かっている。
 そう思うと。
 ああ、人生ってなんて短いんだろう。
 もう半分以上終わっちゃったよ。


2004年04月25日(日) 奇跡の治療院。

●肩とか首が痛くて眠りの浅い毎日。
 昨日は気分が悪くなって、昼夜の間、楽屋のソファーでダウン。寒気までしてきて、まずい状態。

 今日も痛みがあって、これでは先々やっていけない、と、終演後は次作の稽古場には行かず、半日休むことにする。
 帰る前に楽屋でプロデューサーに症状を訴えていたら、主演俳優のマネージャーが、
「いいとこ知ってるわよ。いく?」
と言うと同時に電話していて、電話すると同時に、もう予約してくれていた。


===

診療後。

もう、感動と感謝の嵐。

 紹介してくれた主演俳優の名前の力か、すぐに院長が出てきてくれて。
「ここまで筋がはってたら、マッサージしても駄目。かえって腫れてくる。ほら、ここ痛いでしょう? 普通の人は痛くないんだよ。この筋がここからここまで張ってるから痛くなる。今治すからね。(バキバキッ×10)あなたの場合は、この胸のところ、ほら、ここまで筋が張ってる。奥の奥から張ってる。筋肉をもんだって駄目なんだよ。今楽にするからね。(バキバキッ×15)どう?ほら、さっきのところ、痛くないでょう? あとはかなり鬱血してるから、循環をよくしよう」
院長はここで退場。弟子が現れ、背中に軟膏を塗ってじっくりなでさすってくれる。

診療室を出るときのわたしの驚きたるや!

なんだか背負子を二つばかり置いてきたみたい。軽い軽い。
自分の首と肩が、こんなに軽かったなんて。

症状が重いからしばらくは一週間に一度くらい通わないとすぐに元に戻ってしまうと言われたものの、そのときだけでも、自分の体がそんなにいっぺんに変わってしまうなんて、思ってもみなかった。
もちろん、痛みがすべて取れたわけではないけれど、明らかに、体が違う。

半ば強引に予約してくれたマネージャーに感謝だなあ。

●朝、掲示板を開いてみて、治療院を友人が紹介してくれているのを発見。でも、本当に時間が出来るまで行けないな、と思っていた。
 でも、今日、こうして半ば強引に予約してもらって行った治療院で、感動的に体が役になった。半ば強引だったからこそ、行った。ありがたい。

 自分の体のことは自分がいちばん知っているから、などとよく嘯いてみるけれど、なんの、なんの。自分の体の訴えさえ、なんにも分かっていない自分がいる。

 柔らかい心で、いなければなあ。
 軟らかい心で、人とつきあわねばなあ。


 


2004年04月24日(土) 個人的な醍醐味。●戦争広告代理店

●ステージマネージャーが急病で昼公演のあと病院へ。彼抜きで本番をまわす体制を急いでつくりあげる。
 テレビ収録が入ったことを意識しすぎたメインキャストの芝居が大きく崩れ、長らく修正のための対話をする。なんだかんだ、忙しい一日だった。
 生きている人間がたくさん集まっての仕事だけに、何があるか分からない。そこが面白いところでもあり、怖いところでもあり。
 何も事が起こらないことが勿論いちばんいいのだし、それを望んで仕事場に行くのだけれど、それでいて、事が起こると急に生き生きして仕事の醍醐味を味わっている自分がいることも否めない。

●「戦争広告代理店」という本。もうすぐ読み終わる。ボスニア戦争に於いて、アメリカのPR会社が情報操作という形で、いかに介入したかを描いたもの。
 この本も、ボスニア側を支援したPR会社に寄ったものではあるが、穿つべきをきっちり穿っていて面白い。
 この間、キャパの写真展を見た時も思ったことだけれど、優秀な才能が、戦争という大状況に於いてこそ、見事に結実しているという皮肉。人生の醍醐味を何に感じるかは十人十色。
 お気楽にバッシングして満足している日本人を見るより、彼らの人生の充実の方が、わたしを複雑な気持ちにさせる。



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2004年04月23日(金) 労働者の独り言。

●茶髪詐欺まがいマッサージ師のおかげで、わたしの上半身は痛みを訴え続ける。体に詳しい殺陣師の出演者に聞いてみると、どうも筋を痛めているらしい。……ひどいよなあ。
 こういうのってなんかかっこ悪いよね、と、ずっと避けてきた低周波治療器を、仕方なく購入。やだなあ、歳には勝てないのかなあ?

●忙殺され、なかなか自分の時間が持てない。本を読むのは電車の中とお風呂の中、そしてベッドの中に限られてきた。それものんびりとは時間を割けない現実。電車に乗ったら、ついついぐうぐう寝てしまっているし。
 
●師匠のスケジュールの都合で、今年の秋の予定が大幅に変わりそう。このままいけば、9月が思いがけずOFFになる! もう一度恋人を訪ねてパリに行けるかもしれない。パリを拠点に、一ヶ月くらい劇場と美術館を巡るヨーロッパ周遊というのもいいが、彼は仕事と勉強で、そうはいくまい。3日くらい彼と会って、あとは一人で、というのが現実か?
 それにしても、OFFが近々あると思うだけで、俄然やる気になってくる。恋人からの電話は、このところ一週間に一度くらい。ロンドンに仕事場を移してから、回数が減ってしまった。寂しくなると、心はロンドンに、パリに、いつも飛んでいく。4日続けて休めれば、すぐにでも飛行機に飛び乗るんだけどなあ。


2004年04月22日(木) 行くんじゃなかった。

●昨夜、疲れをとろうと早くベッドに入ったのに、あまりに肩が痛く、どう寝返りをうっても、枕の位置をあれこれ変えてみても眠れず、仕方なくDVDで「8人の女たち」を見始める。結局、眠ったのは6時前。
 
●こんなにひどい肩こりも珍しい、これではこの先闘えない。で、昼公演と夜公演の間に、劇場の近くのマッサージを予約。行きつけのところまで行く時間がないので、仕方なく飛び込み。それでも、施術料は変わらないし、それなりの効果はあるはずと期待して出かける。

 トレーナーにGパン、茶髪、どうみても20代の男の子が出てきて、なんと、彼がマッサージ師らしい。人を見かけで判断すまいとベッドに横になったものの、信じようとしたわたしが馬鹿だった。……下手すぎる。それでも貧乏性のわたしは、お金を払った時間分はマッサージを受けて帰ってきた。

 夜公演が始まって、上半身がどんどん熱を持ってくる。マッサージ前より痛い。かなり悪い状態のもみ返し。吐き気までしてきて、自分の貧乏性を呪った。……そんなんじゃ効かないと抗議して、お金は捨てて帰ってくればよかったのだ。それにしても、不愉快な話。

●それでも仕事は、自分がそこにいる価値が十分に見いだせる一日で、気分よし。
 体調が悪いまま、気分の良さでなんとかなるだろうと、見に来てくれた先輩俳優と飲みに行ったら、やっぱり体調最悪なことが露見してくる。残念ながら終電で帰宅。


2004年04月20日(火) また始まる。

●帰国した三人のPSTDは、誘拐監禁されたショックより、帰国して知ったバッシングの方に、より起因してるのではないだろうか。
 日本人であるということだけで事故に遭った彼らなのに、迎える日本は彼らの故郷でもなんでもなくなってしまった。

●パレスチナとイスラエルの関係も泥沼化。全身に憎しみを漂わせるガザ地区の人々の群れに、気分が悪くなってしまった。この連鎖は、いったいどうしたら終わるの?


●新作の稽古初日は、緊張と、わくわくする気持ちで、いい。実にいい。現在の仕事が終わるまでかけもちでしか通えないのが辛い。楽しい現場は、体をふたつに分けてでも、そこにいたい。
 5月に入ったら新作に専念。これは7月頭まで続く。
 しばらくは仕事しかない生活。読書と映画がちょっと遠ざかるのはちょっと寂しいけれど。


2004年04月19日(月) 過酷。

●前々からスケジュール表の上では覚悟していたのだけれど。
 過酷な日々が始まってしまった。
 現在の仕事が終わっていないうちに、次の新作の稽古始まる。現在のを最後までつきあって責任持つ上に、休演日と一回公演の日の本番後は、新作の稽古場へ。移動距離1時間半。ああ。
 新作の稽古に最初から参加できない心苦しさの上に、しばらくは働きづくめの日々。

 予定では、これから10月まで、月に2日くらいは休めても、まず、2日続けて休むことはありえないスケジュールが詰まっている。いや、このペースは来年の秋まで続きそう。大丈夫か、わたし。

 ただひらすらに、じっくり勉強する時間がほしい。自分の生涯で、「勉強したい」とこんなに強く願う時がくるなんて、思いもしなかったなあ。それもこれも、今までいい加減に生きてきたツケだろうか。



2004年04月18日(日) 二日間。●なぜ戦争は終わらないか(千田善)

●土曜の夜、長らくいろんな仕事を共にしてきたプロデューサーが二人、観にきてくれる。終演後、一緒に食事。
 現在の仕事に入ってから、どうも一緒に呑みたい相手が少なく、この酒好きのわたしがほとんどアルコール断ちの状態。飲み友達の二人がやってきてくれたので、飲むわ飲むわ、話すわ話すわ。
 現在のわたしの仕事、もうすぐ始まる次の仕事、仕事仲間たちの様々な現状、果てはこのところの社会情勢など、尽きることなく、9時から2時半まで。
 望ましい相手が得られると、話すということが自己の表明や伝達だけではなく、他者とともに思考を構築していくことなのだということを思い出す。

●ぽかぽか陽気の日曜日。一回公演を終え、本来は次の仕事の勉強をしなければいけないのだが、ついつい映画館へ。ひとりの時間をもてあましていた製作の若い女の子を誘ってあげ、仕事の愚痴など聞いてあげ、ちょっと美味しい遅いランチをご馳走する。それでも時間があまっていたので、近くの写真美術館で、ロバート・キャパ展。断片的にしか見たことのなかった彼の生涯などを知る。
 戦争を撮るとき、彼は冴えた。戦争があったから、彼は名を残した。戦争は彼の人生を彩る冒険の場であり、仕事場であった。ジャーナリストの仕事のあり方自己責任の取り方などが口々に語られる現在であるが、わたしは彼の写真を次次と眺めながら、その人生を否定することはできなかった。20代前半から、戦場にて、驚くべき被写体との近さで撮影を始め、名声を得た彼が、ベトナムで撮影中、地雷を踏んで死ぬまで、確かに彼の切り取った時間は、息づいている。
 タローという恋人と、20代、戦場で仕事を共にしていたことを、わたしはこれまで知らなかった。美しい恋人の写真がわずかに展示されていた。タイプを打つ姿、スペイン内戦で、壁に隠れて銃をかまえる兵士の横に、迷彩服を着て並ぶ彼女。彼女は、戦車に轢かれて若くして亡くなっている。
 過去の個人の人生を知ること、他者の時間を想像してみることが、現在の時間を考える自分を支え、変えていく。

 映画は、「グッバイ、レーニン!」を。壁が崩れる直前の東ドイツで、社会主義を高揚するために働いてきた母が、事故で昏睡状態に。ようやく目覚めたときは、すでに生活はすっかり西側色に取り囲まれている。母にショックを与えないために、息子は懸命に喪われていく東側を母の周りにだけ再現しようとするのだが……。
 着想や小さなモチーフのひとつひとつは卓抜なのだが、シナリオのバランスがいかんせん悪い。説明不足なシーンがあり、饒舌すぎるシーンがある。素材が素晴らしいだけに、ドラマ作りの反面教師となるような映画。とは言え、忘れられないだろう美しいシーンもある。大事なのは、とりあえず作ることなのだというエネルギーも、看取する。


2004年04月16日(金) わたしの足腰。

●心不全で死亡と発表された鷺沢萠さん、実は首つり自殺だったと新聞で読んだ。
 これまでに自ら命を絶った、少なからぬ数の友人を思う。「なぜ?」と虚空に問うても、問いはそのまま自分に返ってくる。答えに姿を変えず、問いのまま。

●現在の仕事場で、わたしは人間に苦しみ、人間に助けられながら、喘いでいる。
 うまく噛みあわないままに動き出してしまった歯車を修正するのは難しい。それが人間であるから、なおさら。
 長い友人が観にきてくれる。こころざし高い、同輩ではあるが、尊敬できる俳優だ。
 1時間、主演女優の楽屋であれこれと芝居の話をした後、劇場の前で二人、長らくの立ち話。わたしは心ある人のことばを、本音を、聞きたかった。
 やはり、出演者の前ではことばにしなかった批判やアドバイスが出てくる。
 プロダクションの建前の裏に隠されている根の深い現実を彼は理解してくれているので、批判はそのまま、励ましに変わる。
 話の最後に、彼が言ったことばが、しみた。
「大丈夫、今の苦労は、おまえの足腰になってるよ」

 血肉になってる、という言い方はよく聞くが、足腰って言われたのははじめてだ。
「よっしゃ、ふんばってやろう!」と、単純にも勇気と気力が沸いてくる。
 たかが、いや、されどのことばを支えに、足取りも軽く踊り続けようと、自分に活を入れる。


2004年04月15日(木) 今、在るべき姿。

●喜ばしいこととして、3人が解放された。一方、新たに二人の日本人が拉致された可能性がある。
 テロリストたちの要求を呑んだ結果としての自衛隊撤退に問題があることは分かる。が、今改めて、自衛隊派遣の是非を問い始めることは出来ないのだろうか?
一方的に、「だって、人道的支援なんだものね」と言い張って、何の姿勢表明になるだろうか?
 コソボ紛争の時にNATOが国連の許可を求めず空爆を開始したときも、使われたのは「人道的」介入ということばだった。

 あれこれと思いめぐらしつつ、昨夜、映画「NO MAN'S LAND」を見た。ボスニアとセルビアの中間地帯の塹壕に負傷したまま残された、ボスニア兵とセルビア兵の映画である。様々な映画賞を獲ったものなので、見た人も多いと思うが、今また、日本中の映画館にかけて欲しいと思う。「アンダーグラウンド」と共に、旧ユーゴの芸術性の高さ、それに伴う人間性の豊かさ、他者に対するまなざしの暖かさがあふれる、素晴らしい作品になっている。
 他者に対する、想像力。まなざしの正しい厳しさと優しさ。
 このたびのテロで露わになった日本人の姿に、がっかりしながら、在るべき姿を考えた。

 当たり前のことだが、戦争には必ず「さあ、始めるぞ」という人間がおり、「じゃあ、準備するよ」という人間がおり、「じゃあ、参加するよ」という人間がいて、起こる。起こってしまうと、ひとりひとりの人間から、顔が消えていく。敵か、味方か、何人か。でも、必ず、被害の及ばないところで、顔を持つ者が己の顔のために、指令をくだす瞬間を重ねている。理不尽で、非生産的にならざるを得ない構造だ。
 アメリカが世界をリードしていくことに、今ほど脅威を覚えることはない。

●仕事後、知り合いの現在を楽しみに、ミュージカルを観に行く。去年、4ヶ月苦労をともにした同士であり、これからの演劇界を支えていく逸材だ。1800人の客席を沸かせ、彼はのびのびと歌っていた。客席にて、自分の選んでいる仕事のことを思う。
 終演後、楽屋で、ストレートプレイの、ミュージカルの、将来を語る。


2004年04月13日(火) 届かなかったメールたち。

●OFF! なんだけれど、次の仕事の作業に参加。世間話をしながらの気楽な作業だったので、心はしっかりお休みをした。ただ、そろそろ次の仕事の勉強を始めなくてはなあと、尻に火がつく。
 いろんな人生があるけれど、わたしは夫も子どももない分、一生、勉強しなきゃ勉強しなきゃって思い続けていく気がする。
 幼い頃、こんな風になるとは想像もしなかった。……勉強、好きじゃなかったもの。どっちかと言うと優秀な生徒ではあったけれど、やらなきゃいけなかったから、やってただけで。

●モスクワの本屋さんで買った、ヤン・アルテュベルトランの「地球」っていう本が、なんと日本でも翻訳出版された。
 モスクワで見つけたときは、旅先なのに、5キロ近い本の重さと、9千円相当というロシア旅行者にとっては高価すぎる値段に尻込みして、すぐには購入しなかったのだが、劇場占拠事件で心が鬱々としていて、3回立ち読みに通ったあげく、購入してしまった。おかげで、現地でスーツケースを買い足す羽目になったのだが、それでも素敵な宝物を手に入れたことで、心が弾んだ。
 原書は、フランスの出版物。同じ本を、パリとロンドンとモスクワの本屋で、わたしは見かけることになる。中でもロシア語バージョンを買ったものだから、大学時代にロシア語を選択したとは言え、辞書と首っ引きになったって、読めたものではない。

 それが翻訳されたものが、とうとう我が家にやってきた。
 ロシアで9千円相当した本は、日本では19800円。まあ、仕方あるまい。一生の宝物になるのだから。
 写真一葉ずつ、説明の一文ずつ、ゆっくり楽しんでいこう。

●オンライン書店bk1の書評子が文章を寄せた、本が出版された。わたしも奈伊里というペンネームで、一文寄せている。
 献本が届く予定なので買うことはなかったのに、本屋で横積みされているのを見て、つい一冊買ってしまった。思ったよりしっかりした本になっていて、ちょっとうれしかった。わたしにも、まだ可愛いところがある。

●このレンタル日記でJournalを書き始めてから、もうずいぶんになる。それが、今日になって、ここにあるすべての【Mail】のリンクからたどれるフォーム形式のメールが、我がメールボックスには届いていないことを知った。
 わずかの人しか訪れないところではあるが、それでも何人かは、感想などを書き送ってくれていたのだろう。……心が痛むな。
 今日、直接自分のメールアドレスにリンクをはり替えました。これからはちゃんと届きます。
 今まで書いてくれた人、ごめんなさい。


2004年04月12日(月) 憂国。 ●生き方名人(池内紀)

●多くの人が、誘拐された三人を非難し始めている。
 こんな時期に行くからには死ぬつもりで行け、とか、勝手に行って迷惑をかけているとか、自覚に欠けるとか、NGO、国に迷惑かけるなとか、自分のレゾンデートルを戦争に求めるなとか、まあ、あれこれあれこれ。

 でも、よくそんなに大声で他者を非難することができるよなあ、と、わたしは思う。確かに、興味本位でバグダッドを目指しアンマンに入る若者は多いと聞く。でも、彼らに関しては、行くからには、それなりの覚悟で行っているでしょうよ。自らの死だって、想像の内にあって行ってるでしょうよ。それでも、死が目前に迫るとびびるのは、そりゃあ当たり前でしょうよ。

 家族への非難も存外に多いのだけれど、それだって、肉親が遠い地でテロリストに殺されてしまうと思えば、当たり前でしょうよ。取り乱しもするし、国のこと考える前に肉親のこと考えもするでしょうよ。

 そりゃあ、人それぞれ、意見が違って当たり前だけれど、わたしはどうも、この、他人事になると大声で好き勝手なことばを無責任に生み出す、日本人資質が嫌いなのだ。それが世論だなんて、大間違い。ことが長引けば長引くほど、それは顕著。子供じみた国だなあ、ほんとに。

●職場の同僚が、「あれって、狂言だったらすごいよね」と言う。「あの映ってたイラク人と友達でさ、自衛隊撤廃を求めてみんなで演じてるのかもよ、これくらいしなきゃ日本政府は動かんだろうって」って言う。へええええ、そんな風にも考える人がいるかと、わたしは驚く。想像もしなかった。

 これだけの事件が起こると、どれだけの人がどれだけの持論や想像力を振り回すのかと、なんだか考えていると頭が痛くなってくる。世論ばっかり気にしてる政治家は、そりゃあ目の下に隈くらいできちゃうよね。

●モスクワの劇場占拠のときは、劇場内部での話し合いによって平和的解決に向かっていたにもかかわらず、ロシア政府はテロリストも自国民もひとからげに毒ガスの犠牲にして強行解決し、善と悪の二元論に事件を収束させてしまった。
 アメリカに協力を仰いだ仰いだって言ってるけど、今のアメリカはあのロシア政府とあんまり違わないような気が、わたしはしている。

 どうなっちゃうんだ? ええ? どうなっちゃうんだ?




2004年04月11日(日) 解放の知らせはまだない。●難民の世紀〜漂流する民(豊田直己)

●朝、解放を伝えるニュース番組に、仕事に出かけるぎりぎりまで釘付けになっていた。今は今で、NHKをつけっぱなしにしてキーボードをたたき続けているが、臨時ニュースはまだ入ってこない。家族の人たちは、何処で、どんな思いで過ごしているのだろう。そして、イラクの3人は。
 あの、驚くほど人間的に書かれていた表明文の通り、彼らが無事解放されることを、心から望む。


 ネット上で、この事件に寄せて書かれたたくさんの文章を読んだ。名のある人のものも、そうでない人のものも。
 その多くが、自衛隊撤退を求める考えに基づいているものだった。
 政府があまりにも早急に出した結論に、異を唱えるものがほとんどだった。
 
 国民の声は、なんと無力なんだろう。
 屈せず、やり続けられることは、何がある?

 誘拐された3人も、同じことを考え、実際に行動を起こしている人たちだった。

●この4月頭にチェチェン紛争の実際を書いた本を読んでから、戦争を知るための本を読み続けていた。イラク戦争の実際から始まって、今は、まったく系統だって知っていなかったユーゴスラビアの歴史について読んでいる。
 そんな時に、この事件が自分の国で起こった。
 知るべきことはたくさんある。考えるべきことはたくさんある。選び取るべきことはたくさんある。行動すべきことはたくさんある。



※Book Reviewに「チェチェンで何が起こっているのか」をアップ。



2004年04月06日(火) このところ。●チェチェンで何がおこっているのか(林克明、大富亮)

●映画を見る生活をはじめてから、もう12本を見た。すでに評価が出ているビデオやDVDばかり選んでいるので、無駄な時間はほとんどない。
 
「チェチェンで何が起こっているのか」という、ロシアとチェチェンの紛争を解説した本を読み、衝撃を受ける。一昨年前、ノルドオストの劇場で憤死したチェチェン人の女たちが延々と映し出されていたテレビの映像を思い出す。
 彼女たちには理由があったのだ。
 「テロ」と呼んでしまえばそれで人々が納得してしまう「今」が恐ろしい。

●このところ、この日記のページを書き続ける意味が、自分の中で少し薄れてしまった。自分のための日々の記録はとり続けているが、公開するために伏すことの方が多い文章を書くことに、ちょっと疲れてしまったのだと思う。

 いずれにしろ、今年に入ってから、心が変調を訴えている。だからなんだろう。のんびり自分を癒しながら、書きたいときにゆっくり書いていこう。




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