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2004年03月29日(月) 映画三昧。

●長らく書かなかった。書かなかった間、ビデオとDVDで映画を見まくっていた。一晩一本。
 毎日毎日、心がひずんだり、へしゃげたりすることが起こるものだから、何か自分にカンフル剤を打ちたかった。特効薬を探していた。で、一日の終わりに映画を見始めたら、これが結構良かった。
 本を読むことと違うのは、連続した時間でドラマの中に入り込めるところ。そして、世界が目に見える形で提示されるから、自分の想像力に委ねられる部分が少ない。よって、自分と少し距離を置くことができる。
 
 自分を取り巻く現実だけが人生ではないのだと、俯瞰する目を持つのに、映画はやはりいい。

●携帯をなくしてしまった。仕方なく電池パックがいかれている古い携帯を取り出して、バージョンダウンの機種変更。2日ほど待って出てこなかったら、新機種を買うしかあるまい。
 変な人に拾われていたら、電話帳データが悪用されかねない。そのことの方が心配。これからは気をつけなければ……。


2004年03月22日(月) 寒い一日。●塩一トンの読書(須賀敦子)

●もう三月も末だというのに、春分の日も過ぎたというのに、雨の降り続く寒い寒い一日。
 須賀さんのことばを支えに、頑張って過ごすが、一人で闘うということは、やはりそれなりに寂しい。
 こんなときに恋人がいてくれれば、と思うが、それも叶わぬこと。それも含めて、塩一トン舐めるまでの心持ちでいなければ。……あと半年たてば、また、ここ東京で、一緒に過ごせるようになるのだ。

●いかりやさんが亡くなったことを、多くの人が悲しんでいると思う。わたしはまさにドリフターズ世代で、「8時だよ!全員集合」の最盛期に小学生、中学生時代を過ごしていた。夫婦共稼ぎでテレビっ子だったわたしは、弟と二人、いつもテレビの前にかじりついた。あれだけの視聴率を稼いだ番組なのだから、多くの同世代が、同じ思い出を抱えていることだろう。
 一度、仕事で、ご一緒できた。1ヶ月弱ほどのおつきあいだったが、穏和で、自分の仕事に厳しい方だった。緻密に演技を分析する論理性と、動物的なノリの良さ、両方を兼ね備えた俳優さんだった。
 いちばんの思い出は、打ち上げの席で、いかりやさんのギャグを生で聞けたこと。
「ウィーッス」「だめだ、こりゃ」「いってみよーぅ」
 もう、嬉しくって嬉しくって、キャーキャーはしゃいでるわたしがいた。俳優もスタッフも、先輩も後輩も、これらのことばを前にしては、もうみんな只のこどもに戻ってしまい……。あの独特のだみ声が、忘れられない。
 昨日今日と、いかりやさんとの仕事が一緒だった後輩と、「あの日のことは一生忘れないね」と、何度も、思い出した。
 時代を支えた人が、また亡くなってしまった。
 どうぞ安らかに。


●このレンタル日記には、検索機能がある。時折、任意のことばで、自分の過去の日記を検索してみたりする。思わず、自分の過去の行動やことばに励まされたりすることがある。思い出したくもない事柄もそこにはあって、抹消したくなったりもする。すべて自分の為したこと書いたことではあるのだが。
 荷風のように書ければ、と、飽かずあきらめずつけているが、あまりにも成長がなく、もの哀しい。
 何かと、センチメンタルな夜。


2004年03月21日(日) 塩一トン舐めるまで。

●今日から、須賀敦子さんのエッセイを読み始めた。
「塩一トンの読書」という一冊。

冒頭部分を引用。


……「ひとりの人を理解するまでには、すくなくとも、一トンの塩をいっしょに舐めなければだめなのよ」
 ミラノで結婚してまもないころ、これといった深い考えもなく夫と知人のうわさをしていた私にむかって、姑がいきなりこんなことを言った。とっさに喩えの意味がわからなくてきょとんとした私に、姑は、自分も若いころ姑から聞いたのだと言って、こう説明してくれた。
 一トンの塩をいっしょに舐めるっていうのはね、うれしいことや、かなしいことを、いろいろいっしょに経験するという意味なのよ。塩なんてたくさん使うものではないから、一トンというのはたいへんな量でしょう。それを舐めつくすには、長い長い時間がかかる。まあいってみれば、気が遠くなるほど長いことつきあっても、人間はなかなか理解しつくせないものだって、そんなことをいうのではないかしら。」


●これに続け、須賀さんは穏やかな筆致で、急ぎすぎない「本とのつきあい方」を述べていくのだが、わたしはこの喩え話の直接的な意味合いに、感じいってしまった。

……わたしが今、毎日劇場で顔を合わせている人たちのこと。

出会っては別れを繰り返すこの仕事をしていると、どうしてもどうしても出会い方がせっかちになっている自分がいる。
人と人との、面倒な問題が後から後から噴出する今、わたしはもっとじっくり人と出会うべきなのではないか、と。

読み進めるにつれ、この喩え話と、須賀さんの文章から垣間見える彼女の時間の流れ方が、わたしに、「あせってはだめ、あきらめてはだめ」と、呼びかけてくるのだ。

●見慣れた芝居が少し違って見えてきて、いくつかまだまだ手を加えるべき点を現実的に見いだした。

個人的に、仕切り直しが始まる。状況と他者が変わらないのを嘆く前に、少しでもわたしが変わってみよう。


2004年03月20日(土) メビウス全快。●11分間(パウロ・コエーリョ)

●わたしがプロデューサーに意を決して話したことは、現実的には何も反映されないのだということが早くも分かってくる。
懲りずに、あきらめずに、自分の仕事をし続けていくしかないのだ。世の中には「見えない」人もいるが、「見える」人もいる。確かにいる。だから、自分は自分として、がんばり続けるしかないのだ。

●奈良のシャープ工場に送られていたメビウスが、早くも戻ってきた。実質一週間で!
もう液晶が突然ブラックアウトすることもないし、ぺこぺこして時折打鍵を認識しなくなっていたキーボードもすっかり新しくなった。モバイルノートが手元に戻ったので、これからはまたベッドでも書ける。うれしいことだ。シャープさん、ありがとう。


2004年03月19日(金) 過不足のないことば。●見えないドアと鶴の空(白石一文)

●昨夜はプロデューサーと食事。
 現在の仕事が抱える問題について、先々の再演予定が内包する問題について、65歳のプロデューサーに見えていないことを、わたしが意を決して提言する場となった。
 
 尊敬しているこの道の先輩ではあっても、年齢から見えなくなることは、ある。最近それを痛感し、カンパニーのために、提言の場が必要だと思っていた。
 40代になり、どんな立場であれ、社会の中心になっていく世代の仕事を、しなければならない。
 話し終えて、1時半。……とっても疲れた。

 言い過ぎていないか、失礼ではないか、そして、伝えるべきは伝わったか?
 過不足ないことばの選択の難しさを感じながら。プロデューサーの秘書は「パーフェクトだった」と言ってくれたが、某かの不安が残る。

●今年になって、まったく発症しなかった花粉症だったが、今日、ついにやってきた。それでも朝昼と薬を飲めばおさまったので、軽いものだ。このまま気分よく春を過ごしたいものだ。

●白石一文の新作を読了。好んで読む作家ではあったが、どうも馴染めない傾向も認めていた。その馴染めなさばっかりが集まっている。
 押しつけがちな哲学と、偏った女性描写と、一辺倒なセックス感。読んでいると苛々してきた。まあ、本ばっかり読んでいると、こういうこともある。
 しばし余暇の気分転換手段を映画に乗り換えようかと、久しぶりに帰り道、レンタルビデオ店で長々と物色。


2004年03月17日(水) こころざしの問題。●トゥルー・ストーリーズ(P・オースター)

●平穏な日々はなかなか続かない。今日も、仕事場でいっろいろあって、叫びだしたい気持ちをこらえて1日過ごした。
 話の通じるスタッフ仲間が観に来てくれたので、待っていてもらって一緒に食事。

 わたしのあれこれの憂さをガンガンガンと吐き出し、彼女は彼女で「どうよ、それって」って感じの仕事場での憂さをツラツラツラと述べ立て、二人でストレスを発散。
 世の中の、納得できないことを、すべて並べ立てて、異議申し立てしたい気持ちだった。
 もちろん、納得できないこと、不公平なこと、すべてすべてどうしようもないことを含めて「仕事」なのだとお互いに分かっているので、それぞれにそれぞれの場所でひたすらに働いている。社会の中にいれば、目をつむることだって口をつぐむことだって、そりゃあ知っているから。……でも、志の高さだけは負けない二人なので、会うとついつい、「どうだよ、それは? ありかよ、それは!」と盛り上がってしまう。

●ポール・オースターのエッセイ、読了。「その日暮らし」という、書くことで生きていけなかった頃の貧乏話を読みながら、自分が貧乏だった頃のことを思い出した。
 今だって貧乏には違いないが、若い頃はそりゃあとんでもなかった。
 俳優時代は仕事をしてもまともなギャラをもらえなかったから、20代はずっと風呂のないアパートだったこと。……仕事とアルバイトの二重生活で毎日帰りが遅く、いつどこでお風呂に入るかが日々の大問題だった。現場にたどり着く電車賃がなくって、とんでもない距離を自転車で通っていたことがあったり。人目を避けながら、質屋に足を運んだり。そして……数々の、数々のアルバイトのこと。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」なんて言うけれど、今思えば、お金を払ってでも経験したくなかった様々なことを思い出す。ひどい仕事、いろいろしたものなあ……。

 ただ、無茶苦茶でもなんでも、未来の自分のことしか考えず走り続けるエネルギーがあった。それだけは、いつまでも持ってようって、そんな風にも思ったり。

 わたしくらいの稼ぎの者がお金を使って得られる喜びは、お金を使って満たされる時間は、誰だって入手可能。
 わたしはわたしの心と体で、わたしだから知ることのできる、喜びが欲しい。だから、あれこれに心砕きつつ、毎日扉を開けて外に出て行く。こころざしだけは高くして。


2004年03月15日(月) 休演日前の朝帰り。

●かつて一緒に仕事をした演出家の新作を観にいく。よく出来ているし完成度も高いのに、人間が見えてこず、フラストレーションが貯まる。終演後、楽屋に立ち寄り、演出家に思い切って不満をぶつけてみる。「やっぱり……」という顔をした演出家は、楽屋の隅っこにわたしを連れて行き、現場の事情説明をしてくれる。よくよく分かっていることなのだけれど、現実的に俳優がそこまでたどり着いてくれなかったし、自分もそこまで引っ張りあげられなかった、という話。
 なんだか聞きたくないタイプの話だったなと、フラストレーションをさらに強くして、その芝居の舞台監督と飲みに行く。彼とは、去年大きな仕事で苦労を分け合い、話の通じる大事な友人になっている。
 観終えたばかりの芝居のこと、演出家のこと、俳優のこと、それぞれの仕事のこと、話は弾みに弾んで、気がつけば朝の5時。お互いに翌日が休演日という開放感から、テンションあがりっぱなしの夜だった。
 
●劇場で、わたしが東京に出てきてから初めて所属した劇団の先輩に会う。懐かしい話にひとしきり花が咲き、「あの人は今?」の話題で盛り上がる。その中に、私の知らなかった情報がひとつ。先輩女優が、1月に亡くなったとのこと。一緒に仕事をしていた時、わたしは18、9歳、彼女は23、4歳。とにかく可愛らしい人で、ヒロインを必ず演じていた人だった。退団以来一度も会っていないし、彼女は結婚して女優をやめてしまったので、わたしのイメージは、23歳くらいの彼女のままだ。なんともなんとも、可愛い人だった。
 生きている者であることを、しばし考える。




●仕事場では、こんな話題。
 子役として長い間、わたしたちのカンパニーの仕事に出ていた男の子が、某有名老舗劇団に合格し、上京してくることになった。
 はじめて会ったのは、彼が小学校2年生の時だった。つぶらなつぶらな瞳が実に愛らしい子どもで、手足が長く、芝居は素直。何をやらせても一生懸命で、天才子役の名を恣にしていた。中学2年生で子役をやめるまで、何本の仕事を一緒にしただろう。両手ではおさまらない本数だ。旅公演ではよく一緒に遊んだし、オフの時間にも、プロ野球を見に連れてったげたり、我が子のようにかわいがったものだ。
……その彼が、もうわたしたちと同じラインに並んで、仕事を始める。ほんとうに、時間のたつのは早いなあ。感慨ひとしお。



 


2004年03月14日(日) 鮭、来たる。

●昼1回公演で、4時には仕事から解放されて、我が家へ直帰。4日前から不在届けが入っていて、荷物を受け取りに戻ったのだ。差出人のところには昨秋一緒に仕事した俳優の名前。何だろうなあって思ってたら……

 なんと、北海道から送られてきた新巻鮭。それもかなりでっかい。そう云えば、彼に仕事の参考ビデオを何本か見繕ってあげたら、「今度旅先から何かお礼を送りますよ」って言ってたっけ。すっかり忘れてた……。

 立派な箱を開けてみると、な、な、なんてこと! 4日受け取れなかったからか、自然解凍してしまっている! これはやばい! と、早速おろしてしまうことに。(不在の時間があっても凍ったままにしてくれなきゃ、クール宅急便の意味がないよ、ヤマト運輸さん!)

 一人暮らしの女が新巻鮭を一本貰うってのもなかなか珍しいことなので、さばくのは初めて。立派な鮭だったので、うきうきと初体験。カマを落として、四片に切り分けて、三枚におろして、出来上がり。魚をさばくのって、なかなか気持ちのいいものなのね。
 解凍してしまっているものの、とりあえず、5分の1は冷凍。残りの切り身一切れを焼き、カマは塩抜きしてみそ汁にし、肉のびっちり残った中骨を焼いて、ほぐして、おにぎり用にフレークにして……。2時間くらい、たっぷり料理を楽しむ。カマは意外と食べるところが少なかったけれど、みそ汁の味は抜群。何より、中骨を焼いたのが、香ばしくって実に実に美味しくって。
 でん!とした素材があると、料理って楽しい。恋人がいたら、すぐに呼んで、鮭鍋パーティーとしゃれこみたいところ。今の仕事の友人どもを呼ぼうかとも思ったけれど、部屋を片づけるのが億劫でやめることに。そのうち、でも、やろうかなあ。

●オースターの、まったくもって小説より奇なる事実に、その記述に、魅了されている。彼の小説を、初期作品から全部読み直したくなってしまった。


2004年03月13日(土) 愛すべき女優たち。

●休憩中は、外に本を読みに出るか、主演女優二人とお喋りして過ごすことが多い。今日は後者のパターン。
 一人は今をときめく日本を代表する女優となっているし、一人は売り出し中のフレッシュな女優。二人は姉妹のように仲が良く、日がな一日顔をつきあわせているというのに、休みの日にまで一緒にショッピングに出たりしているらしい。
 彼女たちと、芝居の話をする。飽かず、今の仕事の話をする。自分の心と体で勝負している彼女たちは、真摯この上ない。現場をキープすることだけになっているわたしとは、熱さが違う。彼女たちの話に耳を傾け、アドバイスしながらも、エネルギーを注ぎ込まれることの方が多い。
 彼女たちと、男の話をする。20代と、30代と、40代の女が三人集まって、笑い転げながら話す。時間を忘れて、「あ、もうこんな時間、支度しなきゃ」ってことになる。
 自らの未来将来を夢見ることで生きているような彼女たちは、わたしが忘れそうになっているものを思い出させてくれる、素敵な仲間だ。

●ポール・オースターの新刊エッセイを読み始めた。彼が実際に体験した、実際に聞いた、小説より奇なる事実を集めたもの。それはこれまで読んできた彼の小説にことごとくリンクしており、興味深く、エッセイというよりは短編小説を読んでいるよう。
 野球を題材にした一編を、書き写して恋人に送った。


2004年03月12日(金) アルバムとしての本棚。●デイヴィッド・コパフィールド(5)

●デイヴィッド・コパフィールドを全巻読み終えた。仕事で神経が弱っているときに、丸善で一冊ずつ購入し、ホテルに籠もって読み始めたのだった。今やすっかり精神も安定し、気持ちよく仕事をしている。一つの物語を読む時間の中に、その時々の自分の感情の記憶が織り込められている。
 わたしの場合、読書という行為は、読んだときの自分の状態と大いに関係がある。本棚に並んだ背表紙を眺めているだけで、その時々の自分の記憶がよみがえったりする。
 自分の写真を残すのが好きではないわたしは、記念写真を撮ることがまずなく、友人が一緒に撮った写真をくれたりしても、押し入れにある写真袋(ただのデパートの紙袋!)に投げ込んでしまう。わたしのアルバムは、やっぱり本棚だ。そこに納められた本や映画のパンフレットたちが、自分の過去の記憶を、甘酸っぱくくすぐってくれるのだ。しかしそのアルバムも、このところ本棚の容量不足で、読んだ本をすぐに売ってしまうものだから、成長を止めている。
 だいたい、過去を振り返ることに興味がないのだろう。今が大事だし、何より、先へ先へと進みたい。
 
 デイヴィッド・コパフィールドは、実に面白い物語だった。ゆっくりと感想文など物してみよう

●気温の変化が激しい。今年のわたしは花粉症に苦しめられることがなく絶好調なので、季節の変わり目の揺らぎを楽しむことが出来るが、脳梗塞から立ち直ったプロデューサーは、とても苦しそう。麻痺の治りかけていた手が、硬直してつらいのだそうだ。……長嶋さんは、大丈夫かなあ。
 父親が大の巨人ファンで、長嶋さんと王さんがホームランを打った翌日には、朝の食卓に、4紙くらいのスポーツ新聞が並んでいた。父が早起きして駅で買い求めてくるのだ。父の顔が長嶋さんに似ていることもあって、ずっとずっと、生きるエネルギーを与えてもらってきた。早く元気になって欲しい。きっと遍く日本国民の願いだろうな、これは。


2004年03月11日(木) 春がきた。

●わたしを励ます会という飲み会が催された。
 構成メンバーは、わたしがオーディションで選んだ俳優たちだ。稽古中ずっと続いた役取り合戦で、いい役や台詞をもらった者もあり、敗退した者もあり。それぞれが、自分の現在と闘いつつ、怖いくらいの結束力、気持ち悪いくらいの仲良さで、日々の公演をこなしている。
 わたしが旅公演中にへこんでいたことを何気に察知して、誘ってくれた。

 彼らがどきどきしながらオーディションに臨んだこと、わたしが彼らを選んだこと。そこからすべてが始まっており。稽古でわたしの期待に応えた者、応えることができなかった者、それぞれがそれぞれの事情と心情を抱えながら、わたしを信じ慕ってくれていることが、うれしかった。
 3時間、これでもかと大騒ぎして、笑って、今まで聞くことのなかったぶっちゃけた話をたくさん聞いて、他者と出会う仕事の喜びを実感した。

 看板とのつきあいで人間不信のような状態に陥っていた時も、彼らの視線がわたしに降り注がれていたと思うと、何やら神妙な気持ちになる。彼らがわたしの背中を追いかけていたと思うと、気持ちが引き締まる。
 社会人としての、自覚のようなもの。自分は開かれている場所で、人の視線を浴びながら仕事をしているということの再確認。

 まあ、そんな難しいことを言う前に、実に実に楽しい夜だった。いつもそうなのだけれど、人間とのつきあいで傷ついた時は、人間によって救われている。なんだか、生きてるって感じだな、これは。

●今日、東京には、暖かい、暖かい、風が吹いた。今年はなぜか花粉症の症状が出ないので(酒量が減ったせいか?)、ひたすらに春を感じて心地よかった。
 なんたって春はいい。何もかもが、新しく芽吹いていくじゃないか。
 でも、夏がきたら、夏は最高と思い、秋がきたら秋が好きと思い、冬がきたら冬が心身にしみると思い、生きていけば、面倒な人生でも、そんなにへこみ続けることがないんじゃなかろうか?


2004年03月10日(水) メビウス臍を曲げる。

●新しいPCを買ったら、それでなくても調子の悪かったメビウスがすっかり臍を曲げて(それとも新しいのがやってくるまで待っていてくれていたのか?)、液晶が暗くなったまま戻らなくなってしまった。修理に出すために、最低限のファイルをLavieにコピーする。暗い画面を光にあてて透かし読みしつつの作業。かなり面倒くさい。今日は早くやすみたかったのになあ。

 思えば、37歳までワープロユーザーだった。シャープの書院を15年以上使い続けていた。恋人に勧められてパソコンに乗り換えたものの、時折、あの何にも芸のないワープロが懐かしくなる。言葉を打ち込んでいくことしか能のないワープロが。
 確かにパソコンを使うようになって、自分がいる「ここ」から居ながらにして動き出せるし、「ここ」にいるのに様々な情報を得ることが出来る。でも、ワープロを立ち上げていたときの、自分だけの世界への偏執は、薄まってしまったように思う。
 携帯だって同じこと。便利なもので失っていくことは多い。

●恋人が誕生日を迎えた。遠くにいながら、その幸せを祈ろう。


2004年03月09日(火) しばしの安定。

休演日。確定申告を何とか終えて、帰り道。目に飛び込んでくるのは終わりかけの梅の花。わたしはあの花たちの、濃い紅色に染まった萼と、花びらの薄桃色と、おしべの黄色のコントラストが好きだ。カメラを持っていないのを悔しがりながら、滅多に使わない携帯のカメラを持ち出して、パシャッとおさめる。

●旅公演のときの迷妄状態から抜け出し、安定した日々が始まっている。すべては仕事がうまくいっているから。
 夜公演と昼公演の間に、長いつきあいの主演女優の楽屋で馬鹿話に盛り上がったりするのも楽しい。子役たちをからかっているのも楽しい。静かに本を読んでいるのも楽しい。夜公演の準備が続く空舞台を何気なく眺めているのも楽しい。
 すべては穏やかに、時間が進む。自分を泡立てる何かが欲しい、見つけなければという心は常にあるが、先月の心の乱れを思うと、今しばらく静かに過ごしたい、と、どこかで願っているようだ。



2004年03月06日(土) 疲れた!●デイヴィッド・コパフィールド(4)

●穏やかであれば、それでよし。
 毎日同じことの繰り返しでしばらく暮らすわけだが、2月のことを思えば、なべてことなく過ごせれば、それだけでいい。
 100人の人間と同じ場所で膨大な時間を過ごすということの難しさを、改めて、いやというほど知り、そのまとめ役として、わたしはただただ祈るようにして職場に赴く。

●体に積もり積もった疲れ。わずかばかりの眠りでは解消されそうもない。この仕事を終える前に、もうダブって次の仕事に入ることになっているし、いったいわたしはどこでどうやって疲れを癒していけばいいのか。そういう、現実的な自分自身のサポートのことを考えると、頭が痛い。
 いくつになっても、格好良くいたいし、不良でいたいし、暴れん坊でいたい。そのためには、健康であるべきなんだよなあ。


2004年03月05日(金) ぶれまくる数日が過ぎ。

●またまた眠りを削って働き、困難を乗り越え、やっと初日を迎えた喜びを味わったと思ったら、スッタフワーク失敗の連続。悔しさで興奮冷めやらず、後輩を連れ4時まで飲んでクールダウン。朝から汚名挽回のため立ち働き、今日は最高の出来。感情の針が、ぶれまくる数日。

●長嶋さんの様態が気がかり。日本の宝物だもの。

●パリのテロ予告が心配。恋人はパリでも移動移動で仕事をしている。

●眠くて倒れそう。今夜はとにかく少しでも疲れを取ろう。


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