Journal
INDEXbacknext


2003年02月28日(金) OFF間近。

●温泉はあきらめて、3日に迎える休日はのんびりホテルステイする計画。  
 横浜の、海の見えるホテルを予約。
 山下公園近くのお気に入りの北欧料理レストランで、美味しいランチとビールにありつき、散歩をして、夜は中華街へ繰り出し……。まあ、とにかく、ひさしぶりに休養を取る。たまには仕事を忘れて、休む。

●ここのところ、毎日とってもいいお天気。空が青くてうれしくなる。その分、花粉が舞っているのか、くしゃみばっかりしているけれど、それでも天気がよいと、心ウキウキ。
 でも、やるべき仕事はいっぱい。天気がよいとついついふらふらしたくなるので、夜公演だけの日も、とりあえず朝から劇場へ向い、楽屋で資料つくり。まったく、仕事ばっかりしてるなあ。
 


2003年02月27日(木) 幸福のエネルギー。

●久しぶりに、恋人と食事し、飲んで帰る。そこに、今度新しく組む演出家からの電話。「何時でもいいから一人になったら電話をください」と。
 そして、深夜2時から3時過ぎまでの長話。
 世の中には、色んな演出家がおり、いろんな人間がいるという、何か妙な実感を得つつ、電話を切ったところ。
 今年の夏は、また新しい働き方をしているんだろうな。

●今現在公演中の戯曲は、シェイクスピアの駄作とも言える、実に荒唐無稽なロマン劇だ。こんな物語じゃ信じられないよ、と思ってしまうし、お話しの展開は実にご都合主義でできあがっている。それでも、ハッピイエンドや大団円の場面を見ていると、頬が緩んでくる。毎日、ちゃんと同じように緩む。
 それが自分に属するものでも、他人に属するものでも、幸福な情景というものは、プラスのエネルギーを持つものなのだな、と、思う。
 わたしは、人が幸せでいることが、とても好きなのかも知れない。


2003年02月26日(水) 花粉症発症。

●一昨年まで、花粉症に苦しむ友人たちに「わたしはそんな現代病、罹んないもんね、縁ないもんね」なんて言ってたわたしが、昨年の春、突然発症。ひと春中、自分が花粉症であるなどと思わず、ずっと風邪だと信じていた。
 病気の母を訪ねようとしたところ、今は風邪をうつされると命とりだからと言われ、「もしかしたら……」と、検査してみた。そして、かなり重度の花粉症と判明。おかげで母を見舞うことはできた。

●今年はもう覚悟していた。で、この1週間、症状が出始める。でも、このわたしの「わたしはそんな現代病、罹んないもんね、縁ないもんね」の精神はまったく崩れておらず、鼻水が出ようが涙目になろうが、外は好きだし、風に吹かれるのは好きだし、これだけ気にしていなければ、そのうち治るんじゃないかとさえ思っている。……まったくお気楽だ。
 わたしのくしゃみは、幼いときからまったく変わらない「けったいな」くしゃみで、40歳を過ぎてからも「かわいいくしゃみ」と言われてしまう、ちょっと情けないコケットリーを伴っている。ま、幾つになっても「かわいい」と言われている内はいいか、と、これまたお気楽に、毎日、「くしゅん、くしゅん」やっている。頭が朦朧とするほどになっても、ベッドがティッシュだらけになっても、それでも、花粉症如きに負けていては、生きていけないんである。世の中、辛いことはほかにもっとある、とまあ、このところは自分に言い聞かせて暮らしている。

●初日が開けて何日かたっても、ロンドンでの大勝負が控えているので、毎日、直しや稽古の連続。時間に追われる苛酷な毎日。家でこなすべき仕事もどんどんたまってきた。やるときゃやんなきゃな。人生に大イベントはそうそういつもあるものじゃないから、やるときゃやんなきゃいけないんである。うん、頑張ろう。と、自分に言い聞かせる。
 なんだなんだ、自分に言い聞かせてばっかりじゃないか…………ふう。


2003年02月25日(火) 仕事モード。

●休日を過ぎ、仕事場へ赴くと、もうすっかり仕事しか頭にない人に戻っている。本番をランニングしながら、かつロンドン行きの準備をしなければならないので、夜1回公演の日も、ほとんど稽古や打ち合わせで埋まる。そうそうは休ませてもらえない。まあ、それも5月までのこと。これが終わったら、この1年まったくできなかった自分の勉強にどっぷり漬かりたい。勉強って言ったって、まあ、半分は遊んでいるようなものなのだけれど。

●温泉にいきたい! と、ふと思う。家に帰り着くのがいつも1時頃で、2時には寝ないと、わたしの健康を保証してくれる6時間の睡眠がとれない。なんだ、自分の時間は1時間しかないんじゃないか。その上飲んで帰ったりするものだから、もう、大好きなお風呂につかる時間なんてありゃしない。どっぷりあったかいお湯につかって、上げ膳据え膳で食事して、恋人としこたま酒を飲んで、人にしいてもらったお布団で夜通し本を読んで……。うーん、実現の見込みは薄いけれど。
 とりあえず、今のところいちばん喜び溢れる瞬間は、あったまった電気毛布の中に、ひとり本を持って滑り込む瞬間だなあ。まあ、そんなもの、現実は。


2003年02月24日(月) 休日。●僕のなかの壊れていない部分(白石一文)

●昨晩から、白石一文著「僕のなかの壊れていない部分」を読む。目ざめて、午後から仕事をするつもりだったのに、外出するまで読み続ける。
 登場人物に、徹頭徹尾、人生哲学を代弁させる小説。……といった表現をするのは、けなしているのではなく、まさにそういう小説だという意味で、実に読ませる、いい作品なのだ。
 白石氏は、プロフィールからすると、わたしより3歳年上。しかしながら、哲学を語らせるために登場させている人物たちは、28歳から32歳という年齢分布。実に若い。
 誰にも等価として与えられた「生まれてくること」と「いつか死ぬこと」の間の生き方を、色々な角度から提示してくれるが、どうして、仮託するのがそういう年齢だったのだろう?
 現在の自分の年齢に近く設定するには青臭いと感じるからか、それとも、年嵩ゆえの濁りが生じるからか?
 あと、5分の1ほどを読み残している。これは、今夜のベッドへ。

●劇場に足を運び、松尾スズキの新作を見る。大いなる失敗作。2年前「キレイ」を見たときに感じた「演劇を見る喜び」がまったくない。危うい女優奥菜恵を使ったかつてと、名優勘九郎を使った現在の違いだろうか? 

●恋人と夕食を共にする。仕事に追われる彼と、初日を開けて安定期に入っているわたしの休演日のノリは、明らかにすれ違いを呼び、違和感を感じつつ、それぞれの家に帰る。恋人は、九月になるとパリへ一年間の国費留学に出向く。パリには、別居中の奥さんが住んでいる。わたしの心は、一日一日、九月に近づき、乱れ始めている。

●かつてベルリンで買ってきた、ロッテ・レーニャジャズを歌うのCDを、昼間かけて過ごす。
 女ゆえの潤い、あるいは湿っぽさを、一切排除した歌いっぷりに、ぐっとくる。
 歌には、その人の人生が反映されるみたいな論調を、よく耳にするけれど、そういう歌い手に出会えば出会うほど、天賦の歌声の方こそが、その人の人生を決定づけているような気がしてならない。人生が歌声を呼び込むのではなく、歌声が人生を呼び込む。
 人生は、きっと、求めることと、見えないものに求められることのバランスの中で、決まっていくような気がする。

●休日が一日あるだけで、自分が自分に戻っていくのを感じる。仕事をし続けていると、自分の中のある部分だけをかたよって使って暮らしていることを、痛感する。


2003年02月23日(日) ゆるゆるした心持ち。

●明日はお休み。今夜だけは仕事を忘れよう。
 
●恋人は、今夜も仕事。一緒に電車に乗り、帰ってきて、別れ際、その背中を見ながら、二人、ゆうるりと抱き合って過ごせたりしたら……と切なく思ったのだけれど、叶わないことを知っていたので、ひとり、本屋へ。
 1時間ばかりかけて、5冊の本を選んだ。本を選び出すうちに、どんどんどんどん気持ちが柔らかくなってきて、また、置いてきたばっかりの切なさを思い出したりした。
 いくばくかの写真を見たり、本の帯を読んだりしているだけで、たくさんんの他者の人生が自分に染み込んでいくような、妙な感じ。
 お休みなんだな、本当に、久しぶりに。だから気持ちが、こんな風なんだ。

●今夜は5冊から1冊を抜き取って、ベッドに入ろう。思いっきり、ゆるゆるしよう。物語に取り込まれて。


2003年02月21日(金) 夢見る力。

●昼夜公演、早起き必至の中、恋人と飲んで話して、自分の現在を確かめる。

●「夢見る力」がすべてだ。こんなこと、ただ単純に書いたってなんの力も持たないけれど、この数日間、ひどく底まで行ってきたわたしが、ようやく認識できたこと、「夢見る力」がすべて。それさえあれば、なんとかやっていける。
 そのことは、いつか、ちゃんと書かなければ、言わなければ。

 と、いうくらい、大事なこと。


2003年02月20日(木) 明日は3時入り!!

●明日は3時半入り! 2時まで家にいられるということだ。ああ、なんて素敵。待ち侘びたこの時間。

●とりあえず、読みかけの本とビールを持ってベッドに入るでしょ。そして時間を気にせず、最後まで読み切る。もちろん、途中で眠りに落ちるもよし。目が覚めたら、1月1日以来掃除してなかった部屋を、思いきり掃除する! ああ、なんて素敵! 当たり前の人の暮らしに、ようやく戻れるんだな、しばらくのうちは。ああ……。

●終電に駆け込みつつ、次の仕事の電話を受ける。新しい演出家との仕事。まあ、働かなきゃ生きていけないから嬉しいんだけれど、一体わたしはいつ、自分の仕事を始めるんだろう? とうなだれつつも、せっかくわずかに自分の時間を持てたのだから、落ち込まずに、ゆったりしよう。
 5月までは走り続けて、6月7月は完全休養、勉強期の予定。
 結婚もせず、子供も持たず、働き続ける女の幸せなど、幼い頃は想像もできなかった(当たり前か……)。今や、そのまっただ中。
 よし、今夜はとことん本を読むぞ。


2003年02月19日(水) 初日を開けた!!

●初日を開けた! 一体何本の初日を開けてきたのか、もう覚えてもいないけれど、この度は喜びひとしおだった。本当に、責任重大で、大変きわまりない仕事で、心身ともに疲れきった。このところの精神の不安定は、疲弊しきった心と体、そして責任の重さがなせるものだったのかもしれないと、振り返って思う。

●それにしても、とにかく、とっても幸せに開いた。ほっとすると同時に、明日はロンドン公演に向けての打ち合わせが、朝から。5月まで緩めちゃいけないんだ。

●韓国の地下鉄事故、痛ましい。痛ましいことばっかり起こる現実にふと目をやると、自分の居場所の感触が変わってくる。あらゆる幸福はあらゆる不幸を実感させ、あらゆる幸福はあらゆる不幸を実感させる。この不均衡を納得するには、とことん自分は自分と生きていかなければならないということを、認識しなきゃならないんだろう。そうでしかありえないということを。1度しかありえない人生をこの体とつきあうしかないのだということを。

●今回の公演は、7時開演で3時間半の上演時間。しかも埼玉県でやってるものだから、観客も我々も、終わるとすぐに終電状態。みな、ばたばたと劇場を出る。
 今夜の観客は、何を持ち帰ってくれたのか。ひとりひとりに会って、話を聞いてみたい気持ちだ。


2003年02月18日(火) 心と体の助け合い。

●初日前の最後の通し稽古で、ようやく見えてきたものあり。
 明日、1万円也のチケット代を払ってやってきてくれる観客に、さて、この仕事が、どう映るのか。

●わたしの精神は安定への一途をたどり、何か悪い夢を見ていたかのよう。これからも、幾つになっても、きっとこんな悪い夢を、度々見なければ生きていけないと思うと、何やら心細くなってくる。
 勝負は体力だな。心が駄目になると、体が助けてくれる。体が駄目になると、心が支えてくれる。そんな繰り返しで、これからやっぱり一人で暮らしていかなければならないんだな。


2003年02月17日(月) 回復の兆し。

●ゆっくりと回復している。
 自分を取り戻し始めると、いい歳をして、なぜ青春期のように突然ぶれてしまったのか、分析がはじまる。
 分析の結果を自分で納得できるのは、きっともっと時間が経ってから。

●あさって初日を迎える舞台の、初めての通し稽古。ロンドン公演のプロデューサーもやってくる。
 いよいよなのだが、仕上がりにどうも乗り切れない。細かな調整作業がまだまだ続く。


2003年02月16日(日) 縮んでしまった心を抱えて。

●最悪の精神状況で、大事な仕事の最も大事な3日間を過ごした。人からさほど変わりないように見えても、自分としては、最悪の仕事ぶり。
 消え入りたいような気持ち。
 
●かつて1度だけ、自殺したいと思ったことがある。仕事場で。人であることに絶望して。人に絶望して。
 その引き金となった人から、また圧力を受けている。

●恋人とお酒を飲んで帰る。仕事上のアドバイスを受ける。すべて理解できるが、現状のズタボロなわたしには、素直に聞く能力もない。
 そんなわたしに、彼が言う。「この3日間で、あなたの印象がプラスになりもマイナスになりもしない。いいなと思うところは、本屋で潔く大量の本を買う姿と、シャンパンを一晩に何本も空ける姿だから。」
 わずかに救われる。

●それでも、また明日、仕事場に行く。
 昨秋、ロシアにて、劇場でのチチェン人テロ事件に居合わせたとき、こう思った。「どんなことがあっても、わたしは一生、劇場にいよう。」
 その時の思いが、不思議にわたしを支えている。
 どんなに駄目でも、どんなに恥じ入りたくても、やっぱり劇場という仕事場に出向こうとするわたしがいる。

●わたしのこの不調に気づく人は、きっと少ない。一緒に仕事をしてきた人々は、わたしを頼って声をかけてくる。そりゃあ、愛情を注いで一緒に頑張ってきたのだもの。
 皆、それぞれに懸命に生きている。だから、人の不調になど、そうそう気づかない。気づかないままに、いつも通りわたしを頼ってきてくれる人々が、やはりまた、わたしを救ってくれている。

●生きていると、本当にいろんなことがある。
 3日間、泣きすぎて、目がかゆい。


2003年02月14日(金) 眠りの彼方に。

●仕事中、ちょっとしたことで精神ずたぼろになり、1日中負け戦。帰りの電車の中で、涙が出てくるので、ティッシュで押さえてごまかした。

 心ない人のことばの強さに、負けた1日。

●泣くと、っていうより、涙が止まらなくなると、小さな女の子に戻ったような気持ちになるのは、何故か。誰かの庇護の下にいるということへの、遠い憧れか。あるいは、整理できない感情を持て余しているという、体の記憶か。

●仕事をしていて、明日からもう行かない! と、これまでも何度思ってきただろう。その度に、ちゃんと目覚ましを合わせながら、「新しい1日」を切望して眠りに入るわたしがいる。眠りが昨日と明日を区切り、少し新しい世界と少し新しい自分を呼んできてくれると、わたしはどこかでやっぱり信じているんだ。信じないとやってけないくらい、理不尽なことで溢れているから。


2003年02月13日(木) 新聞の効用。

●今、我が家は、読み切れないままに積み上げられた新聞で埋もれている。出かける時に鞄に入れて、車中で読むのだが、座れた時はすぐに眠ってしまうので、半分も読めない。で、もったいなくて、古新聞の紙袋ではなく、テーブルの上に積まれていく。
 これをいつかまとめて読む日が来るのかしら? と思いつつも、積み上げる。なんだか、自分だけ情報から取り残されていくみたいで、悲しい気もする。時間があって、詳読している時には「つまんないから取るのをやめようか」と思うのに、こういう時ほど、やめる気になれない。おかしなものだ。

●忘れてしまうのが怖いんだろう、きっと。
 今、自分がいるところがすべてではない、ということを。
 本を読む時間もないこの暮らしの中で、すべての人生の同時進行の中、毛ほどの一筋を自分がたどっているに過ぎないことを、簡単に、毎朝定期的に、思い出させてくれるのが、わたしにとって一番の、新聞の効用なんだろう。

●今夜は、靴下がきれて、深夜の洗濯。ベランダで、午前1時からまわり始めた、わたしの洗濯機。これを始末するまでベッドに入れない。
 洗ったり、汚したり、毎日は、やっぱり大変なんである。


2003年02月12日(水) 生きてるだけで、苛酷。

●たくさんの人間の中に取り込まれて仕事していると、そりゃああらゆる誤解を受け、あらゆる賞賛を受け、あらゆる感謝の念をもたれ、あらゆる恨みをかうわけで。
 今日は、ちょっとしたことで、誤解を受けてしまい、まったくの誤解であるに関わらず、わたしはひたすらにあやまった。あやまるべき人はほかにいても、誤解が生じた後ではどうしようもない。
 その事件だけで、このところのわたしの努力や頑張りや愛情が、露と消えてしまうような気がした。

●毎日毎日、どんなに前向きに頑張ってても、そういうことってあるもんだ。幾つになっても、「強くなろう、強くなりたい」と願う。毎日ただ生きていくだけでも、そこが社会である限り、苛酷なことがいっぱいある。いつ地雷を踏むかわからない。
 かなり落ち込んだので、また恋人と酒を飲みに寄り道するも、お互いにあまりに疲れているので、ビール1本で散会。
 昨日ベッドで読みはじめた小説の手触りが良かったので、今夜はしばし物語の世界に行ってから、眠ろう。たとえ眠りが少し削られようとも。そういうことが、必要な夜だ。


2003年02月11日(火) 毎日が勝負。

●苛酷な日々が続き、相変わらず4時間くらいの睡眠で自らをたたき起こし、仕事場についたら、格好悪いなと思いながらも、QPコーワゴールドとかを忘れずに飲んでいる。
 そんな暮らしの中で、父親を亡くしても明るくタフに働く人あり、愚痴を言い続ける人あり、どんどん他人に厳しくなる人あり、流れにただただ身を任す人あり、様々。みな、いい奴ばっかりなのだけれど、状況が苛酷になってくると、それぞれの資質みたいなものがうっすらと見えてくる。

●仕事も佳境。毎日が勝負って気分で、しばらく暮らす。


2003年02月10日(月) 現在のこと。近い将来のこと。

●3日間ほど留守をしたものの、感覚はあっという間に現在の仕事場に戻り、集中を楽しむ1日。

●来年初頭、再演の仕事が決まる。立場はぐっとあがったものの、再演は再演。1年先に自分のやっている仕事が見えてしまうということに、一抹の淋しさを感じる。

●とは言え、まだまだ到達点の見えない目の前の仕事。日本で開けたら、ロンドンへ持っていくという、演劇人としての、日本人としての、責任感。
 初日まで、とにかく、現在の自分のフルで生きることだな。


2003年02月09日(日) 千穐楽。帰京。

●大阪公演の千穐楽を終え、終演5分も経たぬうち劇場を出て、新幹線に乗り込み、現在の現場へ。先のまだ見えぬ闘いがそこでは続いていて、すぐさまそこに仲間入り。明日からようやく腰を落ち着けて仕事ができる。

●千穐楽は、長い演劇生活の中でもめったにないほどの幸福なものだった。このわたしに心から感謝してくれていた人々に、逆に静かな感謝の意を表しつつ、仕事を終えた。
 首脳陣に加わると、お金のこととか、どんどん面倒なことが増えていくものだけれど、でも、やっぱり、この商売はよいのだと実感して、少し心がリフレッシュ。
 明日も朝が早い。さあ、眠らなければ。


2003年02月08日(土) 定住者であると、気づかないこと。

●大阪、東京の、行ったり来たり生活。悲喜こもごも。

●定住していないと、自分が誰だかごまかせなくなる瞬間があり、ホテルのベッドで、移動を控えた仮眠のための我が家のベッドで、考える。
 わたしは誰で、何をする人で、何処に必要とされている人間なんだろう?って。
 すると、やはり、思うわけだ。今の自分が、本当にやりたいことは何なのかって。

●今やっている仕事は、社会的には、外せない仕事。でも、いなくなっても社会は動く。その中で、どう闘い、どう自分自身であり続けるか。そういう疑問と対峙して、明日、東京に戻る。大阪公演は千穐楽。それを見届けずに、現在進行形の仕事場に戻る。移動生活、とりあえず終了。


2003年02月06日(木) 移動生活。

●稽古後、ドタバタと支度して、稽古場から前作の地方公演初日を控える大阪の劇場へ移動。仕事して、日付が変わってからそこの仲間と賑やかに酒を飲み、翌日は平和に舞台稽古を進行。その平和さを祝ってまた酒を飲み、6時起床で新幹線に乗り込み東京へ。現場に着いたらすぐに稽古。すべての仕事を終えたのは11時。2日ぶりに会う恋人と酒を飲んで、ようやく帰宅。明日はまた6時起床で大阪へ。

●忙しいのが、性分として好きらしい、と、この間書いたが、やっぱり、居場所がふらふらするってのは、疲れることらしい。新幹線の中では、常に、泥のように眠って、みっともないったらない。明日の朝も、きっとそう。

●ロシア旅行の貴重な時間をともにしてくれた女性が、明日、大阪の劇場を訪ねてくれる。これはちょっと楽しみ。どんな話ができるかしら?
 


2003年02月02日(日) 忙しいのが好きらしい、どうも。

●早朝出勤、終電帰りが続く。明日もこの調子。あさってはその上、稽古後新幹線で大阪入り。前作の大阪公演の照明づくりを朝まで。そのまま舞台稽古を終えて、東京の稽古へ。その稽古が終わったらその日のうちにまた大阪入り。本番の面倒。どうなってるんだ、まったく。

●でも、忙しければ忙しいほど燃えてくるわたしが、確かにいるんだな。睡眠もとれないのに、元気が失せない理由は、逆説的に、この忙しさにあるのかもしれないな。


2003年02月01日(土) いたわりつつ、いじめつつ。

●稽古はお休み。劇場で基礎工事が行われる間、これからの仕事を円滑に進めるための、資料作成を一日中。朝の9時から夜の10時まで、コンピュータに向かう。
 明日も朝が早い。40歳を過ぎていると見られることがほとんどないが、現実は現実、もういい歳なわけで、こう寝不足が続くと、さすがのわたしもこたえてくる。
 でも、20代の後輩たちの方が、もっとこたえているように見えるのは、どういうわけか? わたしがたまたま仕事の後飲みに行ったことを知ると、「こんな疲れる中で、飲みに行くんですか?」と目を丸くしたりする。ほぼ毎日飲んで帰るってなんて知ったら、どう思うだろう?……逆に恥ずかしくって言えないな。
 元気だけが取り柄でやってきた。わたしの元気は人に派生する。だからいつも元気でなきゃいけない。自分をいたわることといじめることのバランスを、上手にやってかなきゃあな。


MailHomePageBook ReviewEtceteraAnother Ultramarine