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2003年01月31日(金) 発し損ねたことばたち。

●忙しすぎたり、疲弊し過ぎたりしている時、大事なことばをかけ損ねることがある。
 後輩に「違う!」といったあとで、なぜそれが間違っているのかちゃんと教えてあげることば。
 うまくいってない俳優を、叱咤激励することばと、こんなことなんてことないんだと逆に激励することば。
 労をねぎらうことば。叱ることば。感謝することば。さらなる進化を共有しようとすることば。苦労を分け合うことをちょっとした喜びに変えることば。

●帰りの電車に揺られながら、酒を飲みながら、ベッドで明日への目覚ましを合わせながら、わたしはいつも、足りなかったことばのことを思う。
 わたしはことばで、仕事をしている。
 全体を思いやり、個を思いやり、自分を伝えるための、ことば。

●明日は劇場仕込みのため、朝が滅法早い。一分でも早く寝なきゃと思いつつも、今日自分が発したことば発し損ねたことばを反芻し、過ごす。
 発し損ねたことばたちを、正しく弔い、正しく埋葬してから、ようやく明日にたどり着けるような気がする。


2003年01月30日(木) 疲れてる。

●目を配るべき、人が多すぎ、情報量が多すぎ、ちょっと追われ気味。追われると、人間的な行動を選び取りにくくなる。大事なことを取りこぼさないようにと願いながら、ただひたすらに、やるべきことを一つ一つこなしていく。つぶしていく。……ちょっと疲れてる。


2003年01月29日(水) ソーネチカのようであれたら。

●休日、2冊の本を読了したが、穏やかな、ゆるゆるした感動を押しつけられて、読んでいる時こそその気になってちょっとぐっときたりするのだが、本を閉じた途端、「けっ」と投げてしまうつまらなさがある。
 夜、ベッドに、新潮クレストの新刊、リュドミラ・ウリツカヤの「ソーネチカ」を持って入る。ボリュームの半分を読む。

●ソーネチカは、読書することにおいて、類い希な才能を持っている。物語を読んでいる限り、誰よりもその物語世界と上手に和合することができる。彼女はどんな苦境にあっても、その読書の才能から得た世界との対峙の仕方を崩さない。つまりは揺るがない。現実と虚構を行ったり来たりする才能を持った者には、現実など、「半分」でしかあり得ない。
 ソーネチカは、人生を捧げる夫に「ドストエフスキーなんてつまらない」と言われても、揺るがない。ドストエフスキーを読むことの喜びを知っている彼女は、ただ、こう思う。「もう彼とはドストエフスキーの話をしなければよいのだ」と。

●わたしには、そんな強さがない。だから、揺らぎに揺らいだ1日の後で、仕事の後で、またお酒を飲んで、引き戻し作業をする。
 わたしは、「ドストエフスキーなどつまらない」と言われたら、いかにドストエフスキーが面白いかを語らずにはいられない人間でしかないから。その程度の自我なので、毎日苦しむ。
 ああ、ソーネチカのようになれたら、と、自分を憐れみながら。


2003年01月27日(月) OFF前日。

●明日はお休み。もう、やりたいことが一杯。
 まず、本を読む。とにかく、昨日買った中から、ゆっくりじっくり1さつ読む。そんなことが楽しみで仕方ない。明日の1冊の頁を気持ちよくめくり始める前に、今夜のベッドで読みかけの1冊を読み終える楽しみもある。そして、いくばくかの洋服を買おう。弾んで家を出ることのできる、新しい服、稽古場で背をぴりりと伸ばすことのできる、新しい作業着。

●たった1日のお休みをひかえているだけで、このウキウキ感。やりたいことをちょっとやったら、きっとまた仕事をしてしまうお休みだとわかっているのに、やっぱり弾む気持ち。
 毎日の繰り返しをちょっと崩すことができるということ、それが、いちばんの明日の活力になるのかもしれない。


2003年01月26日(日) 書けない。書ききれない。

●1月に開けた芝居が、今日、東京の千穐楽を実に幸福に迎えたり、現在の稽古場でいろんな特筆すべき事件があったり、酒を飲む場所でちょっとした人生の機微に接したり、暮らしは限りなく起伏に富んでいるのだけれど、毎晩酔っぱらって帰ったり疲れ切ったりしていて、書けない。書き留められない。

●久しぶりに渋谷の劇場に出向き、少し自由な時間を得たので、本屋にて散財。大きいお札を2枚、気前よくレジに差し出す。いつ読み切れるかわからない現在にあっても、新しい、まだ自分の知らない物語を抱えているというだけで、心がときめく。


2003年01月24日(金) 怒髪天を衝く。

●1月に開けた芝居のギャラで、プロデューサーから、ひどく非人間的、無理解きわまりない扱いを受ける。わたしは怒髪天を衝く思い。
 耐えきれない怒りに、また酒場へ。わたしが、数少ない正しき大人として認めている恋人に話すと、職業人としての正しい抗議の仕方を色々と説いてくれる。でも、わたしは今の現場に夢中で、その気になれない。そして、そういう現在をも彼は分かってくれているものだから、結果、癒される。
 
●求めるのは、報酬の額ではない。折り目正しい、人間的な、コミュニケーションの在り方だ。
 わたしは長らくこの仕事をやっていて、頑張ったご褒美は金銭では与えられないということをよく知っている。大体が、割の合わない、理にかなわない商売なのだ。だからこそ、人間的なことが、重要になってくる。
 また、その割のあわない現状を、なんとかひっくり返していこうとするのがプロデューサーの存在する意義なのに、ことごとく幼い論理と、甘えと、面倒からのすり抜けで生きていたりする。……落胆。

●帰りに乗ったタクシーの運転手が、渋谷のタクシーであるというのに、「世田谷通りは何処から入るんですかね」「井の頭通りってのは何処から入るんでしたっけね」って訊いてきたりする。わたしはとりあえず「表示を見てたらわかるんじゃないですか」と答えておく。リストラでタクシー運転手を始める人が多いとは聞くけれど、それを職業とするんだったら、道くらい覚えていたっていいじゃないか。

●こういう日って、ままあるよな。どうにもこうにも、腹立たしい。
 仕方ない。こんな時は寝ちゃうに限る。そして、また、新しい明日。


2003年01月23日(木) それぞれの暮らし、ともにする仕事。

●我が家から稽古場までたどり着くのに、乗り換え2回。電車に乗っている時間は、のべ45分。5分、10分、30分の割合。最後の30分の電車に乗り込んだら、まず携帯のアラームを到着の1分前にセットする。そして色の濃いサングラスをかける。わたしの大事な睡眠時間の始まり。眠くない場合は、迷わず新聞を広げる。……朝、毎日毎日、繰り返していること。

 最寄り駅に着いたら、途中のコンビニで、朝と夕の御飯を買う。昼はほぼ食べる暇がないので、省略。選べるものはおにぎりかサンドイッチ。迷うこともない。

 10時まで働いて、また電車に乗り込む。馬鹿話をしたり、稽古場で終わらなかった打ち合わせを続けていたり。そして、ほぼ2日に1日の割合で、美味しい食べ物と美味しいお酒と、美しきおしゃべりを求めて、寄り道をする。真っ直ぐ家に帰る気になれない。

 毎日、そんなことの繰り返し。外から見ると、実にドラマティックで、実に責任の重い、かつ派手な仕事をしているようだが、現実は地味なもの。

●このたび初めて一緒に仕事をする若い舞台監督と、帰り道、ちょっと話をした。「大変でしょう? 朝起きるの大変じゃない?」と訊くと、「かみさんがコーヒーを挽く音で毎朝起きちゃう」と言う。かみさんの起きる時間は、彼が毎朝起きる時間によって決まる。
 同じ仕事をしていても、生活はそれぞれ。仕事が終わったら、とにかく早く家に帰りたい人、そうでないわたしのような人。

 でも、こうやってまったく違う人間が、集まって、ともに過ごして、1日1日を懸命に過ごしているうちに、ひとつのものが出来上がる、と、そんな仕事。

●昨日、仕事を降りたはずの老俳優が、3時頃、ふらりと稽古場を訪れた。現実を、きっちり認識できないのだ。
 傷つけないようにと、「今日はたぶん出番までいきませんから帰ってもいいですよ」と告げると、「いやいや、見てますよ」と言いつつ、机につっぷして寝てしまう。そして、わたしが忙しく立ち働いている時、知らぬ間に帰っていったらしい。
 胸が痛んだ。胸が痛んでも、そのたび誰かの力になれるわけでもないし、仕方ないから、自分の選んだ仕事をまっとうしようと思う。その仕事の積み重ねが、劇場に足を運んでくれる人たちの心を、少しでも動かし続ける限り。
 
 


2003年01月22日(水) 老いるということ。今を生きるということ。

●今携わっている仕事で、二人の老俳優に参加してもらっている。お二方とも、70代中盤。そこにいてくれるだけで味のある、貴重な俳優だった。
 今日、そのうちのおひと方が、稽古に遅れてきた。家を出たのは早い時間だとわかっているのだが、稽古場にはたどり着かなかった。ご本人も遅れてきたという自覚がなかった。先日は、更衣室で失禁し、その匂いに閉口する声が、密やかに聞こえてきた。
 本日をもって、演出家とプロデューサーの談合の上、仕事をおりることに合意していただいた。

●2年前、ご一緒した時には、ことあるごとにかつての演劇界の話をして、わたしたちを楽しませてくれた。「ぼけちゃったんじゃないの?」ということばが、まだ冗談として通用していた。でも、この2年で、彼は本当の意味で、ぼけてしまった。……老いるという、避け得ないこと。
 一人暮らしの彼は、仕事を奪われ、明日からどう暮らすのか? ようやく覚えた台詞は、彼の中でどうなってしまうんだろう?

●降りていただくということでしか、問題を解決できない。そこが仕事場である以上。でも、わたしの中にわだかまりが残る。わたしも1日1日、そこに向かって生きているのだもの。 
 女ひとり、結婚もせず、収入が安定しているわけでもなく、苛酷な世界で精神と体をいじめて闘い続けている。自分を慰撫することを、知らずにきた。

●昨日、貴乃花関の引退で考えたこと。今日の降板劇で考えたこと。
 まっすぐ帰る気になれず、また恋人と酒を飲んだ。そして、明日には、また早起きして、現場へと向かう。とりあえずは、今を生きること。


2003年01月21日(火) 劇場での出会い。

●本を読みたい。新しい物語を読みたい。そんな風に毎日思いながらも、本屋が開いている時間には帰れず、また、ベッドに入ると、すぐに眠ってしまう。ちょっと早く帰れても、すぐにお酒のある場所に走ってしまう。こんなこと今までなかった。本を読まない生活なんて。
 毎晩、ベッドで、かつて読んだ本をちょっとずつ読み囓りながら、1日が終わる。ああ、ずぶずぶと物語の世界に入り込みたい、時間を忘れて……。でも今は、自分たちが創りあげる世界と出会うのを待っている観客のために、ただひたすら働く。

●貴乃花関引退。一昨年末、わたしたちの劇場を訪れてくれたことがある。それはちょうど、マッサージ師との関係で親方やお兄さんと反目しているとマスコミにあげつらわれている頃。
 一般客席では目立ち過ぎるのと、座席が小さすぎるため、スタッフが本番を見る音響ブース席で、一緒に観劇した。開演直後、まだ客席は静かなのに、一人で声を出して笑い、自分の声が劇場に響いてしまって、わたしたちに「笑っていいんですよね」と顔を赤くし、小さな声で話しかけてきた。礼儀正しく、観劇中は姿勢正しく、終演後の楽屋では、目をきらきらさせて、「面白かった!」「あれはどういう仕掛けになってるんですか?」「どきどきしました!」と、感動を露わにしてみせる。なんて素敵な青年なんだろうとわたしは思った。
 劇場を去る時、彼にとっては見知らぬ人間であるわたしたちスタッフに、深々と頭を下げ、「ありがとうございました」ということばを、その場に残していった。劇場という場所が、わたしたちにとって神聖な場所であるということを、知っているかのような、ことばの響きだった。
 勝つことのために邁進してきた青春。勝つことのために、どれだけのものを捨ててきたんだろう? そこには、わたしみたいな凡人には到底想像しつくせないものがある。
 引退。そして、新しい道。きっと、彼はまた闘い続けるんだろう。
 ああ。
 わたしに出来ることは、やっぱり舞台を創ることだ。ただそのことにおいてのみ、わたしはこうして、色々な人と出会っていける。
 


2003年01月20日(月) 寝姿を眺める休日。

●1月1日以来の、完全OFF。待ちに待った1日。
 休日前夜、恋人と、「休みが潰れてしまうから、今夜は軽くね」と飲みにいったら、朝7時まで。わたしも彼も、よほどクールダウンが必要な仕事をしているということか。
 午後2時起床して、雑事をこなし、ひたすらに、仕事の復習と予習。彼はその間、わたしのベッドで眠り続け、ようやく起きあがってきたのは日付が変わった0時過ぎ。なんと16時間眠り続けていたことになる。今までの疲れを癒し、これからの力を蓄えている、戦闘前の姿といった感じで、その寝姿はなかなか好ましかった。

●0時半頃、用意しておいた食事を温め、一緒に食べる。鰆の西京焼きに、菜の花の芥子醤油和え。いくらの醤油漬けと、卵とたまねぎのみそ汁。しばしぼんやり深夜テレビを眺めていたりして、少しだけ休日気分。明日の仕事に備えて、彼はさっき帰っていったところ。
 明日からまた戦闘再開。


2003年01月17日(金) 他者を見る。自分を見る。

●稽古は休みだが、スタッフは追いついていない作業をガンガンこなす。わたしも白熱した打ち合わせを。2時間大声でしゃべり続ける。皆は8時に作業を終えて幸せに帰ったらしいが、わたしは公演中の劇場に行き、がんがん駄目だし。終演後、大阪公演に向けての打ち合わせ。結局家に帰り着いた時には日付が変わっていた。

●1ヶ月にわたる稽古の苦労を供にしたスタッフやキャストが頑張っている劇場を訪れるのは楽しい。普段ならずっと劇場で本番を見守るわたしだが、今はすぐに新作の稽古に入ってしまったので、ままならない。それでも、久しぶりに訪ねると、芝居は崩れてなかったか?とか、あそこの芝居をちょっと変えたんだけれどどうだったか?とか、質問責め。そういう時間はひどく楽しい。だからわたしも、一生懸命見る。自分が演じているような精神の熱さで、見る。初めて見る客のような新鮮さで、見る。

●髪が伸びた。ずいぶん伸びた。
 いつも鏡を見ていても、あんまりそんなこと気にしてもいなかったのに、知らぬ間に撮られていた写真をもらって気がついた。昨年の巴里公演。ライトアップされたエッフェル塔をバックに、夜中のサングラスをかけて闊歩しているわたしは、なんだか自分とは別人のように、かっこをつけたちゃんとした「女」だった。ふーん、わたしもまだ終わってないんだな、と、写真の中で長い髪を風に踊らせる自分を見て、そう思った。
 大変な毎日だけれど、いつも美しく、かっこよくありたい。生きている限り、かっこよくありたい。仕事でも、プライベートでも、形だけでなく、芯からかっこよく。
 


2003年01月16日(木) 知力、体力、愛情力。限界に挑戦の日々。

●いやはや、まったく、とんでもない日々だ。闘い続けている。

●ロンドン公演に向けての大カンパニーを仕切り、段取りの鬼と化しつつも、どうやったらここに集うより多くの人が幸せになれるのだろうと、人々に目を向ける。煩悶、反省、自負、そして理想、現実、なんてものが、毎日
わたしの中を熱い血となって駆けめぐっている。
 仕事をしているだけで、すべてを使い果たしているはずなのに、帰途についてからも仕事のことに囚われ続けているものだから、酒を飲んでクールダウンしないと眠れない。ありがたいことに、恋人が同じ現場に入っているから、毎日グラスをお猪口を傾ける。
 わたしの助手をしている子たちの体力を気遣って「大丈夫? 疲れてない?」とたずねてみると、「××さんみたいに大変な仕事してる人が元気なんだから、わたしだって……」と、答えてくれたりする。彼女たち、わたしが人知れず2時3時まで毎晩飲んでいるなんて知ると、びっくりするだろうな。

●とは言え、これからは、家に持ち帰る仕事も増えてくる。現在東京公演中の大阪公演の初日を開けにいったりしなければならなかったりもする。
 まったく、なんて日々だ。

●わたしはもともとタフな人間だけれど、まわりの仲間たちは疲れきっている。とんでもないスピードで稽古が進展していくものだから、俳優たちが台詞を覚える作業も追っついていない。よって、スケジュールを仕切る人間の特権として、演出家に、予定になかった「お休み」を進言。取り入れられる。もう、みんな予期せぬことに喜びを隠せない。
 明日の休みを決めたことは、実に大きなわたしの「仕事」だった。まったく、自分を
いくら誉めてやっても誉めたりない。
 でも、自分自身は、やっぱり明日も稽古場で作業。夜は公演中の劇場に出向く。そんな生活が楽しいということ。この仕事が、劇場が、「好きだ」という以外、説明がつかないな。


2003年01月13日(月) ハイテンションな日々。

●初日を開け、翌日から、さらにハイテンションな現場へと突入した。休む間もなく、新しいドラマへ。

●埼玉にある稽古場にたどり着くのは午前9時。東京に戻ってくるのはいつも午後11時過ぎ。それでも、仕事の興奮を鎮めたくて、ほぼ毎日飲んでいる。生き急いでいるような暮らしだ。

●毎日があまりに興奮に満ちていて、休んでいるのが惜しい。2日から休みなく、ほぼ平均睡眠4時間で過ごしているのだが、仕事をしている限り、酒を飲んでいる限り、元気この上ない。わたし、早死にするかもなあ、と、真面目に不安に思ったりする。


2003年01月08日(水) 初日の幸せ。

●午前2時20分帰宅。酒を飲んで帰った、今日も。

●初日を迎える。長らくこの仕事をやっているが、こんな幸せな初日はめったにない、と思えるような初日。
 わたし自身、過分な責任と、過分な職務をこなしてきて、達成感みたいなものはあったのだけれど、今日、舞台の上に立つ俳優たちを見ていて、自分のやっていることなど実に当たり前で普通なことのように思えてきた。それほどに、俳優たちはプレッシャーを乗り越えて、実に伸び伸びと、生き生きした人間だった。わたしは、自分があれこれと創ってきたものであるに関わらず、単純に感動してしまった。
 そして、逆に、彼らにそのような場を、平和に与えることができた自分を、ちょっと誇らしく思った。……実に幸福なことだ。

 愛情を感じて。自分(自我)を忘れて。知力も体力もフル稼働して。そして、他者からいろんな種類の愛情が返ってくるということ。

●明日から別現場。あさっての稽古初日を控えて、稽古場仕込み。午前7時起床。こんな大変な毎日なのに、元気で快活な自分が不思議。責任をしょっているから、ということもあるだろうが、基本的に楽しいんだろうな。
 そして、こんな日々にあっても毎日酒を飲んでいる自分に驚く。まわりの人々に比べてどう考えたってスタミナのある体に産んでくれた、母に感謝。
 でも、たまには酒を飲まずに帰って、勉強しなきゃな……。


2003年01月07日(火) 明日は初日。

●2日間劇場の側のホテルに泊まり込み、昨日はタクシー帰り。今日、最終的な舞台稽古を終えて、ようやく日付の変わらぬうちに仕事を終えた。
 自分の職能から言えば、当然のことをしているだけなのかもしれないが、時折、自分で自分を誉めてやりたくなる。よくやってるよなあ、わたしって、って。

●明日は初日。通し稽古があまりにうまくいって、感動的だったものだから、逆に初日が心配。さて、どうなることやら。
 これを開けると、息つく間もなく、次の稽古初日を迎える。当分は、昼間は新作の稽古を仕切り、夜は劇場で本番を見守る仕事。困ったことに、この両現場を移動するのに、1時間半を要する。
 わたし、生きてられるかな。


2003年01月03日(金) 劇場入り。

●最終通し稽古を終えて、劇場入り。ここまでも頑張りどころ。ここからがまた頑張りどころ。
 人の心に触れる、仕事の仕方をしていきたい。
 急がしくっても、時間的に追われていても、失うべきでないものは、忘れちゃいけないものは、たくさんある。
 じっくり思い返したら、何か気楽な本でも読んで、眠りにつこう。早朝から深夜までの仕事が、初日を開けるまで続く。


2003年01月02日(木) 雨が降ったら「雨が降った」と書く。

●新しい年開けて2日目だと言うのに、のっけからハイテンションの通し稽古。昨日食べたお餅や昨日飲んだ酒の重さも感じさせず、日常の匂いをはねのけて劇的時間を生きる俳優たちに感動。
 明日は最後の通し稽古。その後、劇場入り。さて、いよいよ。

●今年はとにかく、この何年かで最も忙しい上半期になりそう。こういう時期、わたしはとかく書き留めることを忘れてしまうのだが、これからは少しずつでも、書いていこう。何が書けなくっても。雨が降ったら「雨が降った」と書く、そんなのりで。
HPのIndex頁に引用している、あのアイザック・ディネーセンのことば通り。


2003年01月01日(水) 正月というよりは、ただの休日。

●のんきな休日。夜の12時を過ぎて、やおら仕事を始める。本当は2日の休日の間、やっておくべきことは山ほどあったのだけれど、どうしても一度仕事を忘れて休みたかった。でも、忘れていることなど、もちろんできない。敢えて、仕事をせず、のんきに過ごしてみることくらい。
 次ぎに休めるのは、20日の予定。今の芝居の初日を開けたら、翌日から、次の稽古が始まるのだ。これは、ロンドンのナショナルシアターに持っていく、大きな仕事。5月の千穐楽を終えるまで、ノンストップだ。
 


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