おひさまの日記
日記インデックス前の日の日記を読む次の日の日記を読む


2011年03月30日(水) アティシャのエクササイズ

ひとつ前の記事に引き続き、
OSHOトランスフォーメーションタロットから。

アティシャのエクササイズです。

私はこのエクササイズが大好き。
とても不思議な感覚になる。
すごく効くんです!!!

しばらく忘れていてやってなかった。

こういう時に思い出させていただけることも、
また、偶然ではなく、
私は大好きなこのワークを祈りにかえて、
自分ができることとして、
やっていこうと思うのだった。


**********

38. 変容
Atisha Heart Meditation

アティシャのエクササイズをただ試みてみましょう。
世界のすべての苦しみを自分のハートのなかに取り込んで、
祝福を注ぎ出します。
それはすばやい効果をもたらします。
今日それをやってみましょう。

+++++

さあ、彼は、慈悲心をもつことを始めなさい、と言う。
そして、その手法とは、息を吸うとき

――注意して聴きなさい、それはもっとも偉大な手法のひとつだ ――

息を吸うとき、
自分は世界のあらゆる人びとの惨めさを
すべて吸い込んでいると考えることだ。

あらゆるところに存在するあらゆる暗闇、
あらゆる否定的なもの、あらゆる地獄、
それをあなたは吸い込んでいる。
そしてそれを、あなたのハートに吸収させる。

息を吸い込むときは、
世界の――過去、現在、そして未来の――
すべての存在のあらゆる惨めさと苦しみを吸い込む。

そして息を吐き出すときは、
あなたがもっている喜びのすべて、
あなたがもっている至福のすべて、
あなたがもっている祝福のすべてを吐き出す。

息を吐き出す――あなた自身を存在に注ぎ入れる。
これが慈悲の手法だ。
すべての苦しみを飲み込んで、すべての祝福を注ぎ込む。

それをやってみると、あなたは驚くだろう。
世界のあらゆる苦しみを自分の内側に取り込んだ瞬間、
それらはもう苦しみではない。
ハートがすぐにそのエネルギーを変容させる。
ハートは変容する力だ。
惨めさを飲み込むと、それは至福に変容されている……。
それからそれを注ぎ出す。 
一度、自分のハートはこのマジックを、
この奇蹟を行うことができると学んだら、
あなたはそれを何度も何度もやりたくなるだろう。

それを試してごらん。
それはもっとも実用的な手法のひとつだ。
単純で、しかもすぐに効果が現れる。
今日それをやってみるがいい。

Osho THE BOOK OF WISDOM, Vol.1, pp.21-22

**********



2011年03月29日(火) なまっちょろい理解じゃどうにもならないこともある

大好きでよくクリックしにいく
OSHOトランスフォーメーションタロット。

久しぶりに引いてみた。



人の言葉、行動、有り様から生まれる
自分自身の反応、それにより苦しむ自分、
そんなものについてすっかり考え込んでいた夜、
自分を見つめることを、
改めて思い出させてもらったのだった。

わかっててもハマッっちゃう時、
こうやって感情を超えた部分で中心に戻れる、
そんな機会を与えてもらえるものが、
本当にありがたい。

投影が、とか、シャドーが、とか、
心理学のなまっちょろい理解じゃ
どうにもならないこともいっぱいある。

それを、ふっ、と抜ける瞬間というのは、
いつもある時突然訪れる。

その時、自分の中心に戻る。

すると、苦しい感情はそのままそこにありながら、
まるで、台風の目の中にいるように、
不思議と穏やかな自分の存在に気づく。

生きろ、生きろ、と声がする。
逃れて死ぬために生まれてきたんじゃないだろ、
辿り着くために生まれてきたんだろ、と声がする。
それはきっと自分の声に違いない。



今日出たのはこんなカードだった。


**********

20. 理解
The woman and the river crossing

あなたが他人のなかに見るものは、
あなた自身が抱えているものだということを理解しましょう。
あなたの判断は、実際にはあなた自身の内側で抑圧されたか、
あるいは拒絶されたものの反映なのです。

+++++

ふたりの禅僧が河を渡ろうとしていた。
彼らは同じように渡りたがっているとても美しい女性と出会ったが、
彼女は怖がっていた。
そこで、僧のひとりが彼女を肩にかついで向こう岸に運んだ。

もうひとりの僧は怒り狂った。
ひとことも口には出さなかったが、内側では煮え立っていた。
こんなことは禁じられていたのだ! 
仏教の僧は女性に触れてはならない。
しかも、この僧は触れるだけではなく、
その女性を肩にかついでいた。

何マイルもが過ぎた。
僧院に着いて、扉を入るところで、
怒っている僧は最初の僧の方を向いて言った。

「いいか、このことを私はマスターに話さなければならない。
 報告しなければならない。
 禁じられているんだぞ!」

最初の僧は言った。

「なんのことを言っているのだ?
 なにが禁じられているだって?」 

「お前は忘れたのか?」

二番目の僧はたずねた。

「お前はあの若くて美しい娘を肩にかついだのだぞ!」

最初の僧は笑って言った。

「そのとおりだ、私は彼女を運んだ。
 だが、私はあの河に彼女を置いてきた、何マイルも後ろに。
 お前はまだ彼女を運んでいるのか?」

抑圧され、拒絶され、
地下室に放り込まれたあなたの内面もまた、
あなたの行動に影を投げかけつづける。
ときとしてあなたはなにかを避ける!
そのときですらまた、
あなたの逃避そのものの中にあなたの理解が姿を現している。

**********


グッと心に来る、
時にドンピシャな、
時に痛いところを突く(笑)
そんな知恵を授けていただける
私の好きなページが、
このOSHOのタロットシリーズ。

「OSHO禅タロット」と
「OSHOトランスフォーメーションタロット」
ふたつがあって、

まず、
ここに行くと、
「OSHO禅タロット」が引けて…

左側のメニューから
「OSHOトランスフォーメーションタロット」を、
クリックすると、
また、別に「OSHOトランスフォーメーションタロット」を、
引けるページに行けます。

オススメです。



2011年03月28日(月) abuが写真のチャリティー販売開始しましたーっ

パートナーabuが、
アメブロで、
震災復興支援のための、
写真のチャリティー販売を始めました。

(*´∀`) へぇぇぇ〜。

売り上げは全額、
義援金として寄付するそうです。

ぜひのぞいてやってくださいね。

ちなみに、
そのブログのヘッダーは、
Pray for Japanに賛同して、
abuが新しくしたものですが、
端っこにいるのは、
abuが撮影したムスメです。

写真の力、かわいさ50%増量ですな…
親が見ても、
誰だかさっぱりわかりません(爆)
  
写真家abuの息抜きブログ
あぶろぐ
写真チャリティー販売


abu、アメブロに仕事用とプライベート用、
ふたつブログがあるからわかりづらいねぇ (´・ω・`)

私のブログのヘッダーの女神さまが、
思いのほか好評だったので、
チャリティー販売を、
考えていたんですが、
abu、動きが早い。

って、女神さま、
欲しい人いるでしょうかね。
ニーズがあればうれしいし、
なかったら別のものでもいいかなとか、
色々考えてます。

逆に、みなさん、
何が欲しいんでしょうか、
たとえば壁紙とか。

と言うか、
壁紙にも使えるサイズの、
グラフィックだの、写真だの、って。

ブログのヘッダー作ってとか。
バナー作ってとか。
ロゴ作って、とか。

参考にご要望があれば、
聞かせていただけると助かります!
メールフォームから、
いただけるとうれしいです。

ニーズのないものをほれほれってするより、
この際聞いてしまいます(笑)

って、
全然レスポンスなかったら
どうしよう ( ̄▽ ̄;)



自分達ができる形で何かを、
と、考えて動き出しました。
どうぞよろしくお願いいたします。



2011年03月25日(金) 夜明け前

私の右手は、
すっかり冷えきっていて、
ベッドに入ってもじんじんした。

ずっとマウスを操作しているから、
常に寒さにさらされて、
左手よりうんと冷えるのだ。

これじゃあ眠れない、
そう思って、
右手を左手で包んだ。

右手に触れた左手が冷たい。
氷みたい、そう思った。

ずーっと、ずーっと、
左手で右手をあたためていると、
そのうち、今度は、
右手で左手の
あたたかさを感じるようになった。

おもしろいなぁ。

左手は右手の冷たさを、
右手は左手のあたたかさを、
同時に感じている。

両極端の感覚が、
同時にそこにある。
同時にそれを感じている。

不思議な感覚。
同じ私なのに。

そのうち、右手も左手も、
同じくらいのあたたかさになった。

右手の冷たさが左手を冷やして、
左手のあたたかさが右手をあたためて、
温度が行き交う。

やがて、右手と左手は同じ温度になって、
温度差でお互いが違うものだという感覚が消えた。

温度差がなくなると、
右手が冷たいだとか、
左手はあったかいだとか、
何も考えなくなった。

本当はただ「手」というものが
存在しているだけなのに、
その温度が違ったから、
その違いでそれぞれが違うと感じていたけれど、
ただ右と左の「手」がそこにある、それだけなんだ。
実は最初から同じなんだ。

冷たい手、あったかい手、
くっついて、寄り添って、
それぞれの温度を行き交わせて、
ただそれだけ、
ただそれだけを、
ひたすらしていると、
お互いになったものが行き交い混じり合い、
違うものだった右手と左手は、
その境がなくなり、
ひとつの「同じもの」になった。

ほんわりとしてきた意識の中で、
思った。

ああ、私達人間も、
こうしてひとつになっていくんだ…



誰かを見て、
許せなかったり、受け入れ難かったり、
感情が逆撫でされるものに出会うと、
嫌悪感や怒りや憎しみを覚える。

否定し、批判し、攻撃し、
問題の責任を追及し、裁きを与える。

心の中で裁きを行うこともあるし、
実際に、態度や行動で、
コントロールを仕掛けることもある。

それはおかしいのだと、
それはなくすべきだと、
それは変えるべきだと。

許せない、許せない、許せない。
あんたはひどい、あんたは悪い、あんたのせい。

小さなことから大きなことまで、
日常茶飯事に行われる裁き。

自分と違うものの否定。
それに対する攻撃。



そして、私達が、
右手と左手のように、
ただ寄り添い、
私にはないあなたのもの、
あなたにはない私のもの、
私からあなたへ、
あなたから私へ、
行き交わせて、
お互いのものがお互いに流れ込み、
お互いが同じものを持つようになれば、

いや、お互いが同じものを
元々持っていたことを知れば、

お互いが同じだと気付き、
本当はひとつだと気付き、
人はみんなつながるんだ。

私達は、今、その時を迎えようとしてるんだ。
そのために、今まで私達は、
自分とは異なる(と感じる)ものを見続けてきたんだ。
見せられ続けてきたんだ。

両極を見せられ、与えられることにより、
そこで体験したこと、感じたこと、
そこから生まれる思い、
思いから生まれる行動、
それらを行き交わせ、
それによってつながり、
ひとつであることを思い出す、
そんな体験をしているんだ。

そう思った。

私は心地よい眠りに落ちていった。



もうすぐ地球の夜が明ける。
おはよう、おはよう、みんな、おはよう。
おはよう、おはよう、私、おはよう。


2011年03月22日(火) 笑おう、泣こう、そして、また笑おう

今日は娘アンナの小学校の卒業式。

予定通り涙ぽろぽろ(予定なのかよ・笑)

座布団でハンドタオルかけて寝てたのにね。
おっきくなったなぁ。

式を終えて、
卒業生が担任の先生について並び、体育館から退場。
通る先生、通る先生、目をまっ赤にして泣いている。

娘のクラスは最後。

先生が歩いてきた。
背の高い男の先生。
先生は堂々と胸を張り、
涙を流さず、きりりとした表情で、
子供達を連れて退場した。

その先生の表情を見て、
なぜか余計に泣けてきた。



子供について親も教室まで移動。

各クラス、教室や廊下に、
子供と先生と父兄が入り交じる。

あることに気づいた。

アンナのクラスの子供達だけ泣いていない。
みんな笑っている。

つか、壊れてる(爆)

おおはしゃぎで、
転がるように笑う子供もいるし、
ふざけ合う子もいるし、
先生の髪をむしろうとする子供もいる。
シャイな感じの子もみんなにもまれている。

先生も一緒になってぎゃーぎゃー大騒ぎ、
記念撮影では床に寝転がるいいキャラ。

ノンストップ涙な私も、
いつの間にか笑顔になって、
先生と子供達を見て大笑いしていた。

abu、ひたすら撮影。
父ちゃん、写真はまかせた(笑)



アンナもみんなとはしゃぐ。

教室の中は笑いの渦。
そこにみんなの美しい涙を感じた。

大好きな先生と、
仲良しの友達と、
慣れ親しんだ学校と、
お別れする切なさや、さびしさ、
そんなものが、
いっぱい、いっぱい、ひしめきあっていた。

あまりに美しい、
切なさやさびしさが、
キラキラ輝いていた。
それが、涙の代わりに笑顔になって、
まぶしいくらい輝いていた。



先生にお礼を言いに行った。

「小学校生活の中で、
 6年生がいちばん楽しかったと、
 娘が言っています。
 学校に行きたい、休みたくない、
 そう言ったのは初めてです。
 先生のおかげです。
 本当にありがとうございました」

すると、先生はこう答えた。

「楽しいと言ってもらえるのが何よりです」

その時、ハッとした。

この先生は、涙を笑顔に替えたのだ、
そう思った。
そして、子供達は、
先生が選んだ笑顔を選んだのだ、と。

体育館を退場する時の先生の表情を見た時、
泣けて泣けて仕方なかったのは、

「子供達と楽しく!」

そのポリシーを最後まで貫こうとする先生の志や、
その陰にある子供達への想い、別れの切なさ、
そんなものすべてが、
先生の面持ちに現れていたからかもしれない。



最後の花道。
先生方や下級生に囲まれ、
廊下から昇降口へ移動していく卒業生。

泣きはらし、
目と鼻を真っ赤にしている子供達も多い中、
アンナのクラスの子供達は笑っていた。
笑って別れを告げていた。
先生に、学校に、友達に、思い出に。



泣くのがいいとか悪いとか、
笑うのがいいとか悪いとか、
どんな状態がいいとか悪いとか、
そういうんじゃない。

ただ、ただ、思った。

笑っていることを、
選択することができるんだ、と。
楽しくいることを、
選択することができるんだ、と。

先生は楽しいということを大切にし、
選び続ける人だった。
1年を通して、いつも、いつも、
それを感じさせてくれた。

私も楽しかった。
先生と親の二者面談なのに、
子供や勉強の話はそこそこに、
お互い車好きで、車の話で盛り上がり、
時間が過ぎてしまったり。

お迎えの時に、
乗っていったチャリの話で盛り上がったり。
(先生もロードバイクにハマっている)

だから、私も学校が好きになった。
行事への参加も苦ではなくなった。
学校に行くのが楽しくなった。

それを思い出し、
ああ、子供達もこうやって楽しんでいたんだ、と、
今日、改めてわかった。

先生の力なんだ、と。

最後の最後である今日という日も。



子供達の異常なまでの
テンションの高さは、
切なさやさびしさの裏返しかもしれない。
それもいい、そう思った。
笑顔の卒業式はとても美しかった。

アンナはきっとさびしいだろう。
あんなに素敵な先生と仲間だったんだもん。
卒業前の最後の登校の日、
だっこしたら泣き出した。
さびしさをこらえていたんだろう。

またアンナを抱きしめようと思った。
最後の1年、本当に楽しかったね、って。
いいクラス、いい先生で、
本当によかったね、って。

その時、一緒に泣こうと思う。
そして、また笑おうと思う。

アンナの歴史に残るであろう先生が、
教えてくれた笑顔で。

楽しいがいちばん、
そう教えてくれた先生に敬意を込めて。

私も笑おうと思った。
どんな時も。
そして、笑顔に陰にある涙も大切にして、
また、最後に笑おうと。

楽しいがいちばん。
どんな時も。



先生、ありがとう。
私も娘と共に多くを学びました。
アンナと一緒に、
今日、小学校を卒業します。

くそーっ、泣けるぜ(笑)



2011年03月20日(日) プロセス

あらゆる状況、
あらゆる立場、
それぞれの場所で、
それぞれの体験を、
私達はしている。

それに比較は必要ない。

それぞれの場所で起こること、
起こることから感じること、
それこそが、
今、私達への真の呼びかけ。

そして、その呼びかけで訪れる、
気付き、目覚め、それこそが、
今、私達に与えられたプロセス。

私達は、それぞれが、今、
自分に必要な体験をしている。



2011年03月19日(土) 若いのにはまだ負けない

娘の靴下を買いに、
そう、今度通う中学校にはいていく、
白いやつね、
スクールソックス、
5キロちょっと先のサンキに行った。

千葉茨城のみなさんにおなじみの、
財布にやさしいサンキ(笑)

でも、探すと、
すっげー掘り出し物があるサンキ(笑)

そう、そのサンキに、
アンナとチャリで行った。

いつもは車で行くんだけど、
ガソリンもったいないし、
昨日インドカレーがっつり食べたし、
天気いいし、
チャリで出動。

友達からイカすチャリ、
ルイガノをいただいてから、
REIさんkinakoちゃん、ありがとーっ!)
チャリレンジャーな日々だったので、
そこそこの距離なら平気でこげるようになったけど、
アンナは長く乗ったら結構つらそう。

おぉ、若いのに、
そんなにくたばっちゃって、
5キロなんざー、
ちーともくたばる距離じゃないぜ、娘よ。
と、母ご満悦 ( ̄▽ ̄)ワカイノニハマダマケナイ

悦に入るところじゃないよという、
突っ込みはなしで(笑)

かく言う私、
乗り始めた頃は1分しないうちに、
くたばってたんだよな(爆)



風の中に春の匂いがした。
あたたかい風を切って走った。
おひさまの光じかに感じた。
車だと見落とす景色が見えた。

うれしかった。
気持ちよかった。
幸せだった。

車で走ってたら、
こんな体験しなかったよな。



何かを失うことで、
得る何か、
それにフォーカスしてもいいじゃないか、
そう思った。

被害のほとんどなかった者として、
今ここに生かされているからこそ。





2011年03月17日(木) かつての空想妄想少女が語る

私は子供の頃から空想妄想少女だった。
中学生頃からは特に。

夜眠る前には、
思い浮かべた世界で、
自分の大好きな場所に行き、
好きな友達と遊んだり、
実際には叶わない望みを叶えた。

空想の世界で色々な体験をすると、
ワクワクしたり、ドキドキしたり、
おおはしゃぎしたくなるほど楽しかったりする。

お父ちゃんが激しくこわかったので、
私はそんな世界で遊ぶことで、
自分の居場所を作っていたんだと思う。

毎晩それを楽しみに布団に入ったものだ。

ゆえに、何かをイメージするということが、
知らず知らずのうちに、
生活の一部になっていたんだろう。

大人になって、
そのイメージを駆使する仕事を、
することになるとは(笑)

ヒプノセラピスト。



イメージの力は絶大だと、
いつも思う。

もう時効だ。
カ、カミングアウトしよう。

20過ぎの頃、
会社で猛烈なイジメを受けたことがあった。
イジメの主犯格(笑)の人がいて、
その人に激しい怒りを感じていた。

あからさまで大人げないイジメに、
精神的に限界が来て、
私の怒りはピークに達した。
怒りで眠れないという人生初の体験をした。

その夜。

あんなヤツ、交通事故にでもあって、
苦しめばいいんだ、
ふと、そんな考えが浮かんだ。

眠れないわ、怒り心頭だわ、で、
その人が交通事故でドカーン!とぶつかる場面を、
何度も何度もイメージして、
ほくそえんでいた。

その翌々日。

その人は交通事故にあった。
しかも、私がイメージしていたのと、
全く同じ状況だったのだ。

幸い、車だけの損傷で、
その人にケガはなかったけれど、
私は恐ろしくなった。
自分のせいだと思った。
どうしよう、どうしよう、と怯えた。
誰にも言えなかった。

当然だよな。

自分の念が生み出したイメージは、
現実になってしまうんだ、
二度とあんなことイメージするまい、
そう心に誓った。

若過ぎた私の苦い体験。

ゴメンナサイ…
(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル



そーなんです。
イメージの力は絶大なんです。
イメージは現実にもまんま出現するし。

特に、強い感情が伴えば、
なおのこと。
感情がポイントなんだ。

それは実際の出来事として具現化する。

ヒプノセラピーをしていても、
理屈抜きで感じる。
イメージの世界でだけの体験なのに、
それが、その人の現実を、
そして、人生を動かす。

イメージはもうひとつの現実なのだ。



たとえばだね、
今、自分の周りに、
蛇がうじゃうじゃいると考えてみて。
考えただけでもゾッとしない?
足に絡まる様子を想像しようものなら、
ぎゃーっ!じゃない?

あ、蛇大好き?
すりすりして首に巻きたい?
ちゅうしたい?
そういう人は平気だね ( ̄▽ ̄)

逆に、
今、自分の周りに、
キレイな花畑が広がっていると考えてみて。
考えただけでも気持ちよくなったりしない?
そこに寝転んで花に囲まれた様子なんか想像すると、
さらに気持ちよくなったりしない?

私はそうなんだ。

面白いよねー。
実際には、蛇も花畑もここにはない。

けれど、自分がイメージの世界で、
それを体験することによって、
そこにないはずの何かから、
感覚や感情が生まれて、
それに大きく影響される。

それは、
そのイメージの中に生きているということ。
たとえつかの間でも。

つまり、現実もイメージも同じなのだ。
意識ちゃんにはそういう区別がつかない。
現実であれ イメージであれ、
体験したものが自分の世界であり、
そこから生まれた感覚や感情が、
自分のものになるのだ。

そこにないものさえ出現してしまうほど、
イメージには力がある。



なぜ苦しくなるのか?
それは、苦しくなることを考えるからだ。

そんな、シンプルかつ衝撃的な問答を、
ある本で読んだ時、
目からウロコだった。

でも…
確かにそうだ。

思考したもの、
その思考から生まれたイメージ、
そのイメージから生まれた感覚や感情、
それが私達の現実なのだ。

たとえば、

「あの人私のことを嫌いなんだ」

と思って誰かを見ていると、
その人の一挙手一投足が、
みんな自分を責めているように感じる。
私はねー ( ̄▽ ̄)
せきばらいさえイヤミに思える。
だんだん腹が立ってくる。
見かけるだけで気分が悪くなる。

でもさ。

それは「私の世界」で起こってるんだよね。

その人が私を嫌いかどうかなんてわからない。
そこにあるのは、

「あの人私のことを嫌いなんだ」

という自分の思いだけ。
そして、その思いから生まれた世界を、
生きてしまっている。

ある時、その人が、
自分に好感を持っていると
感じる態度をされたとする。

すると、それまであった世界が消えて、
新しい世界が生まれる。

「あの人いい人だ!」

という思いから生まれる世界。

すべて、すべて、
自分の中で起こっているだけのことだ。
相手はいつも変わらずただそこにいるだけだ。



私達は自分が住む世界を選べる。
選択肢はあちこちに転がっている。
どれを選んでもいい。

相反するものがひしめき合って、
この世界には溢れている。

それらはただすべてそこにある。
そして、それを知っておくことは大事だ。
目をつぶったりせず、
かと言って過剰に反応したりせず、
ただ、それがそこにある、
それを知っておく。

その上で、自分は何を選ぶかを決める。

それは、つまり、

「自分が住みたい世界を選ぶ」

ということ。
描く(イメージする)
世界を選ぶということ。



それだけ?

ええ、それだけです ( ̄▽ ̄)

それに尽きるのだから。



今、私達は、何を選ぶのか。
すべてがここにありながら、
何を選ぶのか。

それは、どんな世界を描きたいか、
つまり、どんな世界に生きたいか、
そんなシンプルな問いの中に、
あるんじゃないだろうか?

peteronanaさんのこんな記事もあります。



祈りも同じ。

届ける祈りは具現化する。
イメージを添えればなお強く。

今できることは祈ることだけです、
とおっしゃる方もいるけれど、
その祈りの力がどれほど大きく、
今の日本に、世界に、働きかけることか。



今も余震で、
ウチ揺れてますけど(爆)
私は描く世界を決めたんで、
その世界で生きてます。

そして、日々、祈り、イメージを送り、
メシを食い、トイレで出し、眠り、
節電したり、節水したり、チャリで移動したり、
時々電気消し忘れて焦ったり ( ̄▽ ̄;)
ガソリンスタンドのオヤジと言い合いしたり ヽ(`Д´)ノキィー
ゴキゲンになったり、フキゲンになったり、
それでも、描いた世界の中にいます。



出来事はすべて自分の内側で起こっている。
それは、イメージ遊びのようなものなのだ。
そのイメージは具現化する。

住む世界を自分の意思で選び、
世界を想像で創造するようなもの。



どんな世界に行きたい?
どんな世界に生きたい?

私は愛がいっぱいの世界に生きたい。
こんな時だからこそ、
私達は自分の内側にとどまり、
心の声を聞き、
住む世界を選び、
思い描くことが、
できるんじゃないかしら?

外側で寒い風が吹くなら、
それはそれ、
ただそうだと知っていればいい。

そして、その風の中にいて、
自分はどう在るか決めればいい。



かつての空想妄想少女が
実況中継でお届けしました ( ̄▽ ̄)



えみやさん、ブログ、長いですよ!
ああ、ハイ、しーまっしぇん(武田鉄矢風に)



2011年03月15日(火) 愛が届く【動画・あなたたちは一人じゃない】

売れる天職運命学コーチ
夏見モンドさんのブログで紹介されていた動画です。



abuと一緒に泣きました。
見ながら泣きました。

私達は今人間の本質が持つ輝きを見ています。
愛が届く。
日本中から。
世界中から。

私も今できることを。
今届けられる愛を。


2011年03月13日(日) New World

愛野ルミエさんのブログで紹介されていたクリップです。
心打たれ涙が流れました。
私のブログでも紹介します。
ルミエさん、ありがとうございます。





2011年03月12日(土) 本来できることに立ち返る

えみやです。

川面円さんのブログで、
紹介されていた記事を読み、
とても共感しました。

松原靖樹さんのブログの
「不必要な情報は取らない。混乱を拡大させない。本来できることに立ち返る」
です。

ぜひご覧になってみてください。
今、まさに、これに尽きると感じています。



また、peteronanaさんのブログに、
以下のような記事がアップされたので、
転載し、ご紹介します。

ライフラインを断たれている地域が多く、
果たしてどれだけの方が
これを読んでくださるかわかりませんが、
女性が被災した上にさらに悲しい思いをしなくてすむように、
拡散させていただきます。

以下、peteronanaさんのブログより


********************

chie*脱ヒキコさんのブログから

これから夜になります。
阪神大震災で
最後に襲った最悪の災害は「治安悪化」による「人災」です。
大切な人を守ってください。
一人でいる人は、最寄りの知り合いと
小さくても良いのでコミュニティを作りましょう。
今夜は大事な仲間達をお互い守る時です。

【女性の方へ】
歩いていたら
「地震すごいですね、よかったらホテルへいきませんか?」
と声をかけられ無理やり連れ去られそうになりました。
一人歩いている方、明るいところをなるべく歩いてください。
こんな時だからこそ非常識な方はいます。

紳士な方は声をかけてあげてください。

「阪神大震災、強姦」で検索すれば分かると思いますが、
混乱状況の時こそ犯罪は増えます。

「女はどうせ役に立たないのだからこれぐらい役に立て」

こういう事を言われ性犯罪に巻き込まれて
レイプを苦に自殺した方も居るそうです。

震災後の、あの暗闇のガレキの中で、避難所で、
校庭の隅で、男たちによるレイプ事件は
頻発していたのにもかかわらず、
それらは一切報道されず、
社会問題として浮上してきませんでした。


貴方に良心があれば、拡散願います。
追いつめられると人間は何をするか分かりません。



こちらも拡散願います。

【避難の際に確実にもっていたいもの】

□現金
□身分証明書
□印鑑・預金通帳・保険証
□飲料水(1人1日3リットルが目安)
□非常食(缶詰等)
□携帯電話と非常用充電器
□家族の写真(はぐれた時の確認用)
□ホイッスル(倒壊に巻き込まれた際に
 最小限の労力で居場所を伝えられ生存率が格段に上がる
□母子手帳(乳幼児の子がいる場合)


【災害用伝言ダイヤルと伝言板】
(利用エリアに制限あり)

■被災者の方
・利用方法は「171」をかけるとガイダンスが流れる。
・そのあと「1」をかけ電話番号を入れる
・一つの伝言あたり30秒の録音ができる。
・その音声の伝言は48時間保存されます。

■それを外から聞きたいときは
・「171」をかけたあとに「2」をかける
・被災地の方の電話番号を入れれば

音声の再生が可能になります。
つながらないと思ったら、
「171」をかければガイダンスが流れるので
使用法を忘れてしまっても大丈夫。


【通信各社の災害用伝言板】

▼NTTドコモのiモード災害用伝言板サービス
http://www.nttdocomo.co.jp/info/notice/page/110311_01_m.html

伝言板にメッセージ登録が可能なのは青森県、
秋田県、宮城県、山形県、福島県。
PCからメッセージを確認する場合は
http://dengon.docomo.ne.jp/top.cgi。

▼KDDIの災害用伝言板サービス
EZWEBトップメニューかauoneトップから災害用伝言板へ。
安否情報の確認はhttp://dengon.ezweb.ne.jp/。

▼ソフトバンクモバイルの災害伝言板
http://mb.softbank.jp/mb/information/dengon/index.html
Yahoo!ケータイの災害用伝言板メニューかMySoftbankからアクセス。
安否情報の確認はhttp://dengon.softbank.ne.jp/。

▼NTT東日本
http://www.ntt-east.co.jp/saigai/index.html
災害用伝言ダイヤル「171」と災害用ブロードバンド伝言板「web171」。

▼ウィルコムの災害用伝言板
http://www.willcom-inc.com/ja/dengon/index.html
ウィルコム端末からのアクセスはhttp://dengon.clubh.ne.jp/。
他社携帯やPCからのアクセスはhttp://dengon.willcom-inc.com/。

▼イー・モバイルの災害用伝言板
http://emobile.jp/service/option1.html#saigai
アクセスは、ブックマーク(お気に入り)→EMnetサービス
→災害用伝言板→災害用伝言板トップページ。
安否確認はhttp://dengon.emnet.ne.jp/

Google では、本日(2011.03.11)起きた地震のあと、
連絡のとれない家族や友人がいる方のために、
Google Person Finder というツールを提供しています。
http://goo.gl/rlR07


【特に知っておいてほしいこと】

・避難した女性の方。
絶対に一人で公衆トイレに行かないで。
便乗する性犯罪者がいます。
常に誰かと行動して、
トイレも二人以上で行くようにしてください。

・赤ちゃんがいる方。
赤ちゃんの頭にタオルでも何でもいいので、
クッションになるようなものを置いてください。
阪神大震災で、テレビが飛んできて死亡した乳児がいました。
彼の死を無駄にしないで。

・電話の使用は極力避けてください。
非常の為の119番や110番がかかりづらくなっています。 
安否の確認は災害用伝言ダイアル171番 
またはツイッターなどのネットの利用でお願いします。

・地震が起こったら、必ず窓を開けてください。
そして、家にいる人は、水道が止まる前に、
お風呂に水をためてください。
まだ、電気が通じる人は、ご飯を炊いてください。
阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。

・停電をした地域は、必ずブレーカーを全て落としてください。
また避難する際も絶対にブレーカー落としてください。
送電時に火災になって家が燃えてしまいます。
停電から復旧した瞬間ショートして火災というケースも
多いようですので、停電してても落としてください。
通電されたら小さなブレーカーを一つづつ入れて下さい。
漏電ブレーカーが落ちるようでしたら、無理に入れず、
電気事業者等に連絡をとって下さい。

・ガスの元栓をしめてください。
ガスが充満すると静電気だけで大爆発が起こります。

・断水の可能性がありますので、
お風呂に水をためてください。
飲料水の確保もお忘れなく。
ネットが使えるうちに自分の住んでる地区の
避難場所を確認してください。

・足元数十センチの津波でも足をすくわれ
一気に沖合まで流されます。
絶対に見物などには行かないようにしてください。

・車のトランクにタイヤ交換用のジャッキが
ついているはずです。

阪神淡路大震災の経験から、皆さんに伝えます。
X字の亀裂が入っているとこはすぐに崩壊するから注意!

携帯と充電器、ラジオ、ペットボトル水必要!
ヒール履いてる人は折る!

食料は最低3日間は自立しなきゃいけない。
トイレは基本ないからビニール袋を。

火事などの2次災害に注意!

パニックになったら周りもパニックになるから
しゃがんで「落ち着いて!」と叫ぶ。

ストッキング履いてる女性はできるだけ脱ぐ。
火傷したら広がるから。

あとナプキンがいい止血帯になるから
覚えておいてください。

瓦礫の下敷きになっている人を救助する場合、
かなり重要になってきますので、提供をお願いします。

********************

以上転載でした。



みなさん、どうかご無事で。
みなさんの大切な方、どうかご無事で。



2011年03月11日(金) どうかご無事で|地震情報

えみやです。

みなさん、ご無事ですか?



地震の被害がテレビやラジオで報道されています。
また、中学生がUSTREAMで
テレビをそのままネット配信してくれています。
停電でテレビやラジオが使えない方、
海外の方、こちらで情報が得られます。

***************

USTREAM 地震情報

***************

こういう時こそワンセグが役に立つのですね。
この中学生に頭が下がる思いです。
今現在も2万人近くが視聴しています。



以下はいずみさんのブログからの転載です。
被災者の方、足止めをされている方に役立つと思います。
いずみさん、ありがとうございます!

***************

TBSのUSTREAM
Googl安否確認のサイト

携帯の電池がない方はビックカメラへ。
充電器を無料開放しているようです。
飲料が欲しい方はサントリーの自販機が無料開放しています。

全国非難場所一覧 http://bit.ly/eVdXpd
au災害用伝言掲示板 http://bit.ly/euuWSb  
ウィルコム http://bit.ly/ehTZkT  
docomo災害用伝言掲示板 http://bit.ly/etnjvX


避難解放先:
【笹塚】タイワハウス
【品川】品川プリンスホテル
【池袋】立教大学11、14号館
【新橋付近】新橋第一ホテル
【お茶ノ水】明大リバティタワー
【新宿】高島屋タイムズスクエア、その他、築地本願寺
【浜松駅】浜松市中区田町万年橋パークビル7Fマチノバ

帰宅困難者用無料開放まとめ:
【お茶ノ水→明大リバティタワー】
【新宿→高島屋タイムズスクエア】
【池袋→立教大学11、14号館】
【浜松駅→浜松市中区田町万年橋パークビル7Fマチノバ】
【品川→品川プリンスホテル】

***************



以下、スズキヒカルさんのブログから転載します。
ヒカルさん、ありがとうございます!

***************

被災者の方へ
伝言ダイヤルの使い方


●被災者の方
・伝言ダイヤル
「171」を押す
⇒録音は1を押す
⇒自宅の電話番号を押す
⇒伝言を録音する

●安否確認をされたい方
・伝言ダイヤル
「171」を押す
⇒再生は2を押す
⇒安否を確認したい方の電話番号を押す
⇒録音された伝言を再生する

***************



山志多みずゑさんのメルマガより
みずゑさん、ありがとうございます!

***************

動けなくなった方「2・5・2」でものを叩いてください。
ノック・生存者・有り の合図です。
落ち着いてください。救助隊が来ます。

***************



どんどんコピーしてお使いください。



被害の大きい東北地方に親しい知人もおり、
音信不通で気にかけています。

私にも安否を気遣うメールなど、
くださったみなさん、
本当にありがとうございます。
うれしかった!

私と家族は無事です。

こちら茨城県南地区は、
テレビで報道されているよりも、
揺れの状況や被害は小さく、
私の家の場合は、
物の落下と家の一部が壊れた程度で済みました。

電気は復旧し、今度は断水に備え、
バケツやタライに水の汲み置きをしているところです。
余震続きで避難所も設置され、
安全確保のために環境を整えてもらっています。

近隣では、室内の壁が落ちたり、
建物や塀の一部倒壊、
窓ガラスの破損もあったようです。

周りの被害の状況を見て、
大工のいとこのあんちゃんが作ってくれた私の家は、
木の家でしっかりしていて、
古いのにこの程度で済んだんだ…と実感しました。

生まれてから今まで体験したことのない、
大きい地震でした。
こんなに長く余震が続くのも初めてです。

みなさん、どうかご無事で…



2011年03月10日(木) ますますの愛よ、降り注げ

昔、自分にとって大切だったことや、
昔、自分が救われたり癒されたりしたことや、
昔、変化していくために必要だったことが、
最近、そんなに重要じゃないような気がしてきてしまった。

そして、それらとは違うものが、
今の自分にはしっくりきたり、
大切だったりするのだ。

これには戸惑った。
築き上げてきたやり方やスタイル、
これいいんだよ!と前面に押し出してきたものが、
なんだかふにゃっとしてきてしまって、
やろうとしても力が入らないのだ ( ̄Д ̄;)アウアウ



人はそれぞれのプロセスの中にいて、
その時その時必要な必要な学びをする。
それに必要なものも違う。

小学1年生の教科書と、
中学生の教科書が、
当然ながらまったく違うのと同じで、
人生勉強の学習内容が違うのだ。

かと言って、
じゃあ小学1年生はレベルが低いのかと言うと、
そうではなく、小学1年生の学びが基礎にあるから、
中学生のさらに高度な学びにつながる。

人生もそれと同じで、
魂が成長していく過程で、
その時その時必要な学びをする。
それに必要なものも違う。



ふっ…と、頭にそんなことが落ちてきた。

そして、
そっかぁ、私、前に進んだのかもなぁ、
そう思った。
生きるというプロセスの中で。



変化というのは、
フェードイン、フェードアウトだと思っている。

ある瞬間を境に、
あっちとこっち、って、
パキッと違う場所に行くんじゃなく、
あっち(古)がフェードアウトしながら、
こっち(新)がフェードインしてくる、
そんな感じなんだと思う。

だから、古い場所を抜けようとしている時、
新しい場所の兆しのようなものを感じる。
何かが差し込んでくるのがわかる。
それがなんだかわからなくても。

そして、ある時、
あ、私、ステージが変わったんだ、と気づく。

新しい場所に行くと、
まだフェードアウトし切っていない
古い場所の名残がどこかに残っていて、
新しい生き方をしようとする傍らで、
古い生き方の習慣みたいなものが
足元に絡まっていて戸惑う。

今自分はそんな状態なのかも…
って思った。



変化とは凪いだ海のように静かだ。
そして、かすかに波が揺れて命が息づくように、
そこに確かなものがある。

すべてがこのままでよかったのだ、
すべてはただそこにあったのだ、
そして、これからもそれでよいのだ、
そう知ることが私にとっての変化だった。

だからこそ、始まるものを、
私は体験しようとしているに違いない。



父の怒りと暴力、
屈折して過ごした幼い日々、
大人になっても渦巻く重苦しい感情、
それを引き寄せる出来事、
ひたすら人を傷つけた日々、
そして、自分を傷つけた日々、
2度の離婚、
仕事の行き詰まり、
絶頂期からどん底への転落、
金銭的困窮からの精神的ねじれ、
成功哲学に振り回されて見失う自分、
ありとあらゆること…

けれど、それはみんなあってよかったのだ。
わかっていたことではあったけれど、
とことんわかった気がした。
私のすべてはそれでよかったのだ。
私に関わったすべての人のものも。
そして、これからも。

私の中に去来したのは、
父の怒りと暴力、
そんな親になるものかと唇を噛み締めながら、
同じく子供に与えた仕打ち、
存在を消してしまいたくなるほどの自己嫌悪、
満たされない心が愛をむしり取ろうと、
あちこちに向けた怒り。

でも、いいんじゃん。
それで。
よかったんじゃん、すべてが。
それがいいとか悪いとかじゃなくて、
そこを通って来たんじゃん。
だから、今ここにいるんじゃん。

私は初めてとことん自分を許した気がした。
いいじゃないか、私、これで、って。
指の間からさらさらと砂が落ちてゆくように、
私の中から何かが流れ出ていった。

すべてはただここにあり、
そして、本当は何も起こっていない。
自分の内側で世界を体験して、
必要なかけらを集めていたのだ。



窓を開けると外は静かだ。
私は心の窓を閉めたまま、
空気が淀んで息苦しいと感じていた。
窓があることさえ知らなかった。
いや、外があるなんて知らなかった。
自分の世界がすべてだった。

窓があると感じ始めた頃は、
窓の方を見ないようにしていた。
自分の世界以外のものを信じたくなかった。
けれど、確かにそこにある窓からは、
やさしい光が差し込んで来た。
けれど、私は、その光を見ないようにと、
今度はぶ厚いカーテンを閉めた。

窓の外は宇宙だ。
宇宙の愛だ。

私は、今、ぶ厚いカーテンを開けて、
窓のそばに立った。

よちよちと頼りなく歩こうとする私に、
ますますの愛よ、降り注げ。
私は大きく手を伸ばすよ。



わけもなく涙が流れる夜。


2011年03月09日(水) 「人を呪わば穴ふたつ」の意味

昔の人はイイこと言います。

「人を呪わば穴ふたつ」

これなんかホント言い得て妙。

人を呪うと、
呪った相手と、
自分の分の、
墓穴がふたつ必要なんスよ、
ふたりとも呪いで死んじゃうんスよ、
って意味。

「牛の刻参り」がよく浮かんだものだ ( ̄▽ ̄)

昔は、ただ単に、
呪いが強くて跳ね返ってくるんだ、とか、
呪いを叶えた代償に悪魔に魂を取られるんだ、とか、
人にしたことは自分にも返ってくるんだ、とか、
そういうふうに思ってた。

でも、今思うと、
もっともっと深い言葉なんだなぁ、と、
思ったりするワケです。



そもそも、人に言うこと、すること、
それはすべて自分に言うこと、すること。

相手を呪うってことは、
つまり、自分を呪うってことなんだよね。

相手を呪い殺すつもりで必死だけど、
あれ、実は自分に呪いかけてんじゃね?
って状態。



そか、そういうことか、と、
妙に納得するこの頃。

って、別にオチはなくて、
それだけなんだけど(コラー)



「人にすることは自分にすること」
という言葉を証明することができるとするなら、
私はこんな感じじゃーないかと思うワケだ。

誰かに対して、本意で心から、
ほめたり、認めたり、やさしくしたり、
親切にしたり、助けたり、
する時って、どんな気持ちになる?
私の場合はあったかい気持ちになる。
うれしくなる。

逆に、誰かに対して、
批判したり、攻撃したり、
意地悪なこと言ったりしたり、落とし入れたり、
する時って、どんな気持ちになる?
私の場合はすごーくイヤな気持ちなる。
余計に重たくて胸の辺りにぐるぐるヘンな感じが渦巻いて。

これがまさに、
「人にすることは自分にすること」
の証明だと思うんだよね。

相手にした「それ」、
実は「自分にした」から、
自分が「それ」を受け取って、
その結果としての気持ちを味わってる、
ってことで。

たとえば、批判や攻撃をかますと、
すっごく後味悪いんだよー。
自分の思いのままに相手にぶっ放してるのに、
全然スッキリしなくて、
それどころか、もっとイヤな気持ちになる。
そして、それをもっと相手のせいにしちゃう。
負のスパイラル。

それって自分に向けてるからだよね?
と、気づいた時に、妙に納得。

責めれば責めるほど苦しくなる、
だからもっと責める、
でも、本当は自分を責めていた…

という(笑)

まさに、
人にすることは自分にすること。
例外なく。

なんでそうなわけ!?
と、仮に質問されても、
私は明確に答えられない。

もし、答えるのなら、

「いやぁ、だってそういうふうになってるから」

って答えるだろう(笑)



「人を呪わば穴ふたつ」という言葉で、
そんなことを考えたあたくしでした。

かと言ってね、
そういう気持ちになっちゃダメよってことじゃー、
まったくなく。
それをどう扱うかが大切なのね。



最近、

はっ…!Σ( ̄ロ ̄ )

と気づいたことがあるんで、
そして、それを自分のものにすることで、
かつてないくらい楽になったので、
また今度、書くねーっ。



2011年03月08日(火) 本当はそこにある

人は、自分のものであれ、人のものであれ、
つらい感情を感じるのを避けたがる生き物だと思う。

自分のものであれば、
感じないようにしたり、
違う感情に置き換えたり、
無意識に代替行為で紛らわせてしまうこともある。

人のものであれば、
否定したり、
理解、共感を飛び越えて、違う見方を強要したり、
理論や方法論にに走ったり、
無意識に相手の感情を
感じずに済むようにしてしまうこともある。



それをどこかでわかっておく。

感じずに済むように逃げてしまう自分さえ、
オッケーしちゃう。
それは、わかっているからこそできることであり。



そして、本当はそこにある自分の気持ち、感情、
しっかり受け止めて感じていくと、
時にはそれができなくても、
時々でもそうしていくと…

春になって、冬の眠りの間、
地面の中で青い芽を出す準備をしていた種が、
芽吹くように、
人生にも、かわいらしい青い芽が、
固く冷たい場所から、
ひょっこり顔を出すんです。



人生は思ったよりシンプルよ。
難しくなってしまうのは、
本当はそこにあるものを、
そこにあると認めなかったり、
認めても意味づけをしたり、
こねこねしちゃうからなんだよね。

ただただそれはそこにある、
それでいいと思うんだ。

どんな出来事も。
どんな体験も。
どんな感情も。

そこからこそ、始まるものがある。



次に続いたりします(笑)


2011年03月04日(金) 「プロフィール写真を撮ります!」

ダーリンabuがまたひとつブログを開設しました。
プロデュース&カスタマイズ by 俺 ( ̄▽ ̄)エヘヘ…

いつかやったろ!と思ってた、
ブログのカスタマイズ。
自分のをやるはずだったのに、
なぜか先にabuのブログ。

またいじってる途中で、
これからもっと変えていくつもりだけど、
ひとまずは見られるようになったので、公開。

「ねぇ、なんで俺の写真が
 ヘッダーにあるの?」

ガン無視(笑)

そして、ブログを書くabuの隣で私は口うるさい。

文章は横に長く書かないようにね、
読みやすいように句読点で改行してね、
ああしてね、
こうしてね、

ごめんよー、あぶりーん、
うるさい奥さんだねぇ ( ̄▽ ̄)

abuのブログは、
ブログやウェブページのプロフィール写真撮影のご案内を軸に、
彼が感じていることなどを書いていくようです。
これから撮影したポートレートもアップしていく予定。
ぜひぜひアクセスしてみてくださいね。

「アシスタント日記」のテーマでは、
写真のこと、撮影のこと、私もあれこれ書きます。

写真家・大関学
「プロフィール写真を撮ります!」


ちなみに、abuが撮った写真を、
アメブロのプロフィール写真に
使ってくださっている方がいらっしゃいます。

願いが叶うバー Emisu オーナー本間さん
仙台ソウルメイト Emisu バーテンダー親方

ヘッダー画像に使う許可をくださって感謝です。
ありがとうございます!

おふたりともモノクロですね。
私のアメブロのブログのプロフィール写真もabuが撮りました。

abuのプロフィール写真と、
ヘッダーにでかでかといるabuは、
私が撮りました。
ほらぁ、子供だから〜、言いたくなるんだよ〜、
お絵描き見て見て状態(コラー)

はっ Σ( ̄□ ̄ )

メインのネタはabuのブログの紹介だった;(笑)


2011年03月03日(木) オートマチックに先手必勝

見てると感情が過剰に反応してしまう人、いますなぁ。

なぜかカチンとくる…
なぜか苦手…
妙に気に障る…
とにかくイヤ…

いますな、いますなぁ、うんうん ( ̄▽ ̄;)



自分にとってどうでもいい人に対しては、
人って無反応。

イヤ、腹が立つ、キライ、って感じるってことは、
そこに「なにか」があるってこと。



私、すごく気に障る人がいたわけですよ。
彼女のすることがなんか癇に障り、
いちいち文句つけたくなったり、批判したくなったり。

でも、自分でわかってるわけだ。
自分が彼女に過剰反応していること。

ただ、感情的反応は食べたら出てくるう○ちと同じなので、
そのままにしつつ、
自分は過剰反応しているんだ、という理解だけはしていて。

ある時、彼女と話すことがあって、
彼女が私に好感を持っていることがわかった。

すると、どうだろう。

私は天にも昇る心地になった。

そして、それまで、いちいち気に障っていた彼女のすることが、
まったく気に障らなくなり、
むしろ好意的に受け止めるようになっていた。
素敵よね、って(笑)



んまままーっ、なんて変わり様。



私の心の奥の奥でどんなことが起こっていたのかと言うと、
彼女に脅威を感じていたのだ。

ま、簡単に言えば、スゴイと認めていたのに、
そうなると自分がダメなような気がしてしまって、
ふんっ、負けないわよ!みたいな変な気持ちになり、
私あんたなんか眼中ないし、
なんかあんたのしてること共感できないし、
おっかしーんじゃないの!?
という気持ちにすり替えて、
無意識のうちに、自分を優位に立たせるという、
姑息な手段(笑)を取っていたのだ。

まさに、オートマチックに先手必勝。

こういう先手必勝はいらないよねぇ ( ̄▽ ̄;)アハハ…



そんな気持ちの時に、
彼女が自分に好意を持っているとわかったものだから、
自分はダメじゃん!って気持ちが、
認めている人から認めてもらえることで消えて、
真ん中にあった「彼女はスゴイ」という気持ちに、
しっかり着地(笑)することができたのね。



自分の痛い気持ちを感じないようにするために、
ホントあれこれと色々するもんですなぁ(笑)
しかも、無意識に、オートマチックに。



相手に見るものは自分が持っているもの。
例外なく。
彼女がスゴイと思ったもの、その素晴らしさは、
私が持っているからこそ見えたものなのだろう。

けれど、自分を認められずにいる部分を彼女が見せてきたので、
彼女に嫌悪感を感じたんだなって、後からわかった。



自分がうまくいないと感じる部分で、
誰かがうまくいっていると、
妬んだり、イラついたり、不快な感情が出てくる。

しかも、その「自分はうまくいっていない」ということを、
感じているんだということを感じることさえ拒否したいから、
相手に向けてそういう感情を感じることで、
自分の中の痛い気持ちをごまかしちゃう。

人はそういうふうにできているらしい(笑)

それをわかりながら自分の感情を味わっていくと、
「本当の気持ち」に辿り着く。

そして、イラつく相手がいるからこそ、
それがわかるのであり、
その人がキッカケで自分のそんな部分に出会い、
認め受け入れるという作業が行える。

そういうメカニズムになってるんだってことを、
知っていくことは、
そして、知って、自分に当てはめて、
それに基づいて自分を眺めていくことは、
人生を今よりももっと心地よくするための大切なプロセス。



私がネガティブな感情を持つという話をすると、
クライアントさんで驚く人もいる。
でも、みんな同じだってば(笑)

けれど、もし、違うことがあるとするなら、
それは、そうしたことをわかった上で、
ネガティブな感情を感じているということかもしれない。

何かがあって感情がわいてくるのは、
食べたらう○ちが出るのと同じ(またそのネタかよ・笑)
大切なのはそこから。
その感情とどう付き合うか。
そして、どこに辿り着くか。

それは、セラピストじゃなくたって、
ちょっとコツをつかめば、
みんなができること。

自転車に乗れるようになったのと同じで、
繰り返して体で覚えるようなもの。

私はそういうことのサポートをしていくことに、
力を入れているんだぁ。

セラピストなんかいなくても、
みんな自力で色々なものに向き合って、
そこから何かをつかんで前に進めるように、
なれるんだもの。


エイミー |MailHomePage
今日も読んでくれてありがと♪すごくうれしい!
My追加
エンピツユニオン