即興詩置き場。

2002年02月28日(木) いろいろ宣伝しようと思ってたけどメンドくさいんでテキトーに。


↓を読んでいただければ。ということで宣伝終わり。
http://poenique.jp/sonota/senden.htm

とりあえず年間の連載を手に入れたんだけれど、
やっぱ問題はその後なんだよな。
1年後に何ができるのか。
状況はどうなっているのか。
俺自身はどうあるべきなのか。
そういうことを具体的に考えておく必要が、そろそろね。


ネット詩に限って言えば、
情報インフラの整備とワークショップ関連が急務だと考えてる。
たぶんネット詩の今年のキーワードはこの2つになるんじゃないかなと。
裾野(ターゲット)をさらに広げるのはその後のこと。

インフラの整備は、情報網構築とデータベース整備の2面。
こっちはコスト(=時間)がかかるんでたぶん俺はやんない。できない。
ま、他の人がいろいろやり始めてるんで、頼りにしてます(笑)。
どっちにしろコストが一番の問題になるので、
コストの削減、あるいは分散の方法(システム)を構築しとかないと
行き詰まるかもしれません。要注意。

個人的にはねぇ、そろそろ、
宣伝用BBSが各サイトに独立して置いてある状態ってのを、
何とかしといても面白いかなぁとか、勝手に思ってたり。
あと、宣伝内容の振り分けも考えるべきだと。
というか、ニュース自体をデータベース化しといたほうが良いような。
あー。ちなみにこういうのは、言うまでもなく、
宣伝用BBSだけの話で終わらないよね。
ちっと頭を使えばいろんな場所で応用できるっしょ?
んと、事象Aにおけるコスト分散案としてA内の項目の共有化を考える場合に、
その分散モデルが機能している他の事象はないのかってところから始まって、
そのモデルを機能させるための要素を抽出しておくのね。
で、そういう要素はたいていの場合フラクタルなので、
一定のパターンさえ発見できれば規模などに関係なく使用できるのね。

分散されている事象A内の項目(a、b、c、…)を
統合(共有)することにメリットが発生するモデル。
たとえば。
多くの諸侯の領有地で分散されていた土地から、
どのようにプロシア(現在のドイツ)が発生したのか。
その経緯、当時の情勢や社会的力学を学ぶことで
宣伝用BBS共有化の起点や機能構築までのプロセスをシミュレートできないか。
あるいはネット詩のサイト間の連携がどのように始まってどのように進んでいるのか。
その時に弊害になったもの、推進剤となったものは何か。
量子コンピュータの基本モデルはこれに似たシステムを持ってるけれど、
それは何かに応用できないのか。
または、パソコンの並列処理機能(マルチタスク)から何か得ることはできないか。
たとえば。
詩の構成からだって考えることができる。
1篇の詩(事象A)内の描写(項目)がどのように統合される形が美しく見えるのか。
それはモデル図として使用できないか。
詩の様々な構造の中に使用できそうなモデル図は存在していないか。
逆に、世の中にある様々な美しいモデル図を詩の構成に応用できないか。
などなど。などなど。

こういうのを考えるのはすげぇ楽しい(笑)。



2002年02月27日(水) 手首のスナップを効かせて大吉をゲットするのだ!


スナップ効かせても意味ないって。
しかも大吉ゲットしてもあんまりいいことないぞ(笑)。


つーわけで、抜き打ちで梵天夜行ってきました。
川村さんのエクボはいい。とてもいい。いつ見てもいい。


ユーリのね、リーディングを聞きたくてね。ちょいと。
発声が役者向きだなぁと思ったんだけど、
放送研にいたとのこと。なるほど。
ポエフリの東京会場では、
詩集のコーナーのテーブルの下で頭ぶつけるそうです(微)。

奈緒っちは俺の詩をリーディングしてくれた。
なかなか良かった。
俺のイメージより読むスピードが速かったんだけど、
それもまた一興。こういうのもアリだな、と。

もちろん他の人のも良かったです。
個別に全部書くと時間がないのですまん(笑)。


俺は相変わらずヘタクソで、んー(笑)。
ちと完全リーディング仕様の詩でも書こうかしらん。
などなど、と。


ま、今日の結論は「やっぱり川村さんのエクボ」で決まり。



2002年02月26日(火) 眼鏡っ子禁止。


会社の近くのコンビニで眼鏡っ子発見。
眼鏡に弱いことを再認識。眼鏡3割増。

昨日の日記で投票数についてちょこっと書いたら効果てきめんで嬉しい。
同情票を集めたらしいな。うん。
投票についていろいろ考えたんだけど、
内容以前に、投票する人にメリットがないことが問題点なのではないかと。

エンピツの投票ボタンでよくあるのは、押すと文が変わるやつ。
成人向けなんかになると、押すとプライベートフォトが出てくるのとかある。
そりゃ押したくなるのが人情でしょー(笑)。
メリット・デメリットで考えると、
押すことによって何らかの文/写真を享受できるというメリットを発生させてるんだな。
これさぁ、もっと発展させて、
押さないと本文が読めないようにしたらどうなるんだろう?
で、タイトルはかなり刺激的にする!(爆)


こういう姑息な手段を考えるのが得意なんだよ俺は(笑)。

要は投票するという行為にメリットを付加させればいいわけだろ。
たとえば、投票ボタンにおみくじ機能をつける。
あるいは、投票ボタンに懸賞つけて、
100回に1回くらいでアタリが出たらなんかもらえるとか。
他には、投票数のランキングでなく、投票者のランキングをつけるとか。
その月に一番多く投票してくれた人を表彰すんの。

で、これらは、投票という行為そのものにおけるメリットの付加なんだけれど、
もう少し間接的に、やわらかく、
投票すると自分の日記にも票が入るようなシステムはどうだろう。
これちょっとやってみようかなぁ。

今現在、俺の「マイエンピツ」と「whoisMy」に登録されている人数は28名(重複省く)。
これらの日記が更新されたら、俺は1票入れます。
1票欲しい人は俺の日記をマイエンピツに登録してください。
(設定を「告知する」にするのをお忘れなく)
で、俺が1票投票する代わりに、俺の日記が更新されたら1票入れてくださいな。
とりあえずコレで行ってみよー!
上手く行けば1日28ぴょー!(取らぬ狸。ついでに韻も踏んでみたり)

もちろん純粋に内容で判断すべきだと考えてる人もいると思うので、
そういう人に「投票してくれ」って強制はしません。
そういう立場の人にとっては、俺が勝手に投票してるだけになるっしょ。
少なくとも参加しないことに対するデメリットは生まれないよね。
それどころか、マイエンピツに登録しただけで1票が確約される。
あとは自分のポリシーや良心に従って投票してくれるだけでOK。


というか、わかる人はわかるけど、
この方式は、囚人のジレンマです。ゲーム理論。
みんなですればみんながハッピーになれる。
自分だけしなければ自分だけがハッピーになれる。
けれど、みんながしなければみんながアンハッピー。

なのでみんなで幸せになろー(笑)。



2002年02月25日(月) 谷川俊太郎と茨木のり子は、じつは詩学新人だった。



という本当の話。


さっきまで、家で酒盛りやってました。
焼き葱と葱ぬたを作った。美味しい。


んー。書くことないなぁ(爆)。

最近詩の話ばっかりしてたので、
なんか別の話をしよう。


今日、とある女の子からファンレター(?)もらったのね。
詩学2月号に掲載された論考と日記の感想、みたいなもの。
で、「マジメだなぁ」なんて書いてあったんだけど、
どうなんだろー? マジメなのか?(笑)
マジメって言うよりは、好きなだけなんだよな。
好きなことを好きなようにやってる。
本人はいたって不真面目です(笑)。
めんどくさいことが嫌いで、
いかにめんどくさくないようにするかってのをいつも考えてて、
その結果、効率の良いことをやろうとする(笑)。

女の子口説くのもじつはそうなんだよな。
口説けないと思った女の子は口説かない。
口説けると思った女の子だけ口説く。
自分にできることとできないことを区別して、
とりあえずできることからやる。
できないことは放っておくか、誰かにやってもらう(爆)。

poeniqueが今後どうなるのか
じつは今の時点で最終像ってのをまったく考えてなくてね。
んと、方向性はいっぱいあって、
たとえば会社作っちゃうとか、
あー、ネット詩専門の商業詩誌を作りたいなぁなんて思ってるのね。
もちろんネット詩専門だけで終わる詩誌なんか作らないけど。
1日1万アクセスくらいになったら、そういうの作っても採算取れるかなぁとか、
夢想(あるいは妄想)してたり。
で、それとはまったく別方向で、
自分の詩と掲示板だけ残して、
他のコンテンツはもう、全部、他のサイトに譲渡して、
隠居生活しても面白いよななんてことも考えてるし、
「ぱろうる」や「詩人の血」みたいな
詩集専門の書店や喫茶店なんかやっても楽しいだろうし、
オンデマンド出版にもすげぇ興味あるし、
もっと他に、詩に興味のない人にうちのサイトに来てもらう方策とか、
そういうのもいろいろ考えてるし。

つーか、あー。詩の話になってる(爆)。やめやめ。


ファンレターの返事をね、
日記で書こうと思ってたんだけどね。
返事になってないよね(笑)。

結局、好きなことに首突っ込んでるだけなんだよ。
首突っ込んでたら、いろいろ責任が発生したりしてね、
ま、そんなこんなで、今こんな状態なのです。と。
そういうことが言いたかっただけ。

あと、日記読んでくれてるなら、
投票してくれると嬉しいなぁとか(笑)。

今、この日記、1日200アクセスくらいあるんだけど、
投票は1日5〜8くらい。
この差は何? なんて時々悲しかったり(嘘)。




2002年02月24日(日) アイスダンスえっちぃ/詩の絶対主義



エキシビジョン観てたんだけど、
アイスダンスのが一番良かった。
追う男。拒む女。でも追われないと不満(笑)。
わかりやすい(爆)。

つーわけで飲み過ぎでまだ酔っ払いなんですが、
昨日は、あれだね。
「詩は表現形式においてすべてを凌駕している」
という論をうかがいまして。

いやー。かっこいいわぁ(笑)。

そこまで言い切れる人はなかなかいないよ?
詩は絶対である。すげぇ。
昨日はもう、このインパクトが凄くて
他はあんまり憶えてない(爆)。


でまぁ、例の連載は受けることにしました。
詩学。2002年5月号から2003年4月号までの1年間。
1ページほどのコラムです。

いとうフリークは定期購読するように(爆)。



2002年02月23日(土) 俺の目は違うらしい(微)。



妻の日記より。
問い詰めたら、「いとうちゃんはらぶりーだから」とかわされてしまった。
絶対に言いくるめられてると思うのは俺だけではないはず。くそ。


あー。カラオケ行きてー(謎)。



システムの功罪、について、とあるきっかけから考えていて、
今の時点での結論として、「システムは道具に過ぎない」
という場所に行き着いてるのね。

どんなシステムであろうと、システムそのものに罪はない。
なので、システム批判は基本的に意味がない。
批判されるとすれば、
それはシステムの運営者、そしてシステムへの参加者、
それぞれに対する姿勢/あり方を批判すべきじゃないかなと。

んー。抽象的すぎるな(笑)。ま、いいや。


詩の批評なんかでも、最近思うんだけど、
その詩がそういう形式(システム)を取っているのかという観点からの批評は
なんか意味がないように思い始めてる。
たとえば平仮名だけで書かれているとか、
ビジュアル詩だからとか、
空白を多用しているからとか、
…を使ってるからとか、
それはその詩がそういうシステムだから悪いのではなく、
そのシステムを使いこなせていないからなんじゃないだろうか。
どう書かれているのかってのは、
もちろん詩を読むにあたり重要な要素だけれども、
それを額面どおりに受け取るのではなく、
そのシステムを使うことによる効果が現れているかどうかを
論じるべきなんだろう。

ちょっと前に、TBSのガチンコのラーメン道で、
ミソラーメンを作って1位になったような、
あんまり憶えてないんだけど、なんかそういうのがあって、
ミソラーメンってのはシステムなのね。
ああいった勝負(?)においては不利なシステム。
ミソラーメンであることに寄りかかりやすいから。
けれどそれは、
ミソラーメンだからダメって言われるようなものじゃなくて、
ミソラーメンというシステムの中でどのように表現しているのか、
それを判定されてこそ、良い悪いが決まるべきものなんだろう。



2002年02月22日(金) 最近ちょっと調子悪いのよ。デートもしてないしなぁ。



あー。すごくすごいデートしたくなってきた。
ポエフリのメンツは忙しそうでデートしてくんないしなぁ。


詩会のレスをぎゅんぎゅん付け終わり。
俺的には10篇てのはちょうどいい。適度な緊張感。
来月はきちんと参加しよっか(笑)。


土曜日は詩学の寺西さんと秘密の打ち合わせ。
詩学と言えば、3月号、座談会が掲載されます。
これはもう少ししてから宣伝開始。
同じ号で、ネットから選ばれた詩が「ネット詩抄」として掲載されます。
ちなみに俺のは掲載されず(泣)。
いいんだもん。どうせ俺の詩なんかつまんないし現代詩受けしないんだもん。
って、昨日ちょっとだけヤサグレてた(笑)。
ま、「ネット詩抄」は1回限りでなく継続して行うという噂を聞いてるので、
そのうち。たぶん…。


がんばろっと。




去年、「詩と思想」の5月号の「インターネット時評」というコーナーで、
俺の作品が少しだけ取り上げられた。
最初、「サイトの紹介をする」って聞いてたんだけど、
原稿を読むと、自分の作品についても取り上げてくれていて、
それがとても嬉しかった。

やっぱりね。詩を書いてるからね。
論考が載ったりするのももちろん嬉しいけど、
自分の詩が取り上げられたり載ったりするってのは、
やっぱ格別の思いがあるよね。




(前半、一部某ゲームのパクリのような言い回しがありますが、完全にパクリです)



2002年02月21日(木) ネット詩は楽しい? いや、つまらないけどさ。


全体像を見据えるなら、「つまらない」という意見は正しいと思う。
文芸の1ジャンルとして詩を捉えている人にとっては。

もちろん質の高い作品は生まれてくるし、
そういうのを読んだりみつけたり集めたりするのはすごく楽しい。
けれど、そんなことするんだったら、
本屋巡りしてお気に入りの詩集を探してるほうがよほど楽しい。
詩誌を読み耽ってお気に入りの詩人をみつけるほうが、楽しい。

真面目な話。客観的に見れば、そう。
だから相手にされてこなかったんだよ。紙媒体の詩誌や詩人たちに。
今までずっと。

ネット詩に目を向けてもらうために、
「質の高い詩もありますよ。つまらない詩ばかりってのは偏見ですよ」って
言い始めてるんだけれど、
ネット詩の財産ってのは、本当はそこにあるんじゃないんだよね。

ネット詩の財産は、我々自身だと思ってる。
こうやって、詩についていろいろ考えてる、そしていろいろ楽しんでる自分たち。
そういう人たちが、目に見える形で存在している。
それが一番の財産。


不思議に思うことがあって、
なんで現代詩やってる人たちのほとんどは、
詩のサイトで遊ばないんだろうって、考えるのね。
自分自身のサイトを持ってる人たちもいるのに、
投稿のひとつも見たことない。
議論に加わったりすることもない。
自作詩を投稿サイトに投稿した現代詩人の話なんか、ほとんど聞かない。
プロだから? 違うよねそれは。
話が合わないから? そんなこともないでしょう。

詩の投稿サイト作ったり、そこで批評したり、見聞を広めたり、
そういうのは、本当は俺たちの仕事じゃないんじゃないだろうかって、
ふと思うこともある。
俺の言ってることはまるきり見当違いかもしれない。
他の事情があって、そういうことができないのかもしれない。
でも、見当違いだよって言ってくれる人もいない。
なぜ? なぜなんだろう。
こんなふうに、目に見える場所に俺たちはいるのに。


「つまらない」と言ってそこでおしまいにするのはとても簡単。
そうやって切り捨てて自分だけ前に進むんだったら、誰にだってできる。
もったいないと思わないのかな?
というか、「つまらない」状況にしてるのは俺たちだけのせいなんだろうか。
面白くしようって思う人が、こんなに少ないのは何故なんだろう?

少なくとも俺は、紙媒体中心に活動しているいろんな詩人さんと、
“直に”詩の話がしたいと思ってるし、
いろいろ教えを乞いたいとも思ってる。





今年中に、2つの商業詩誌が
詩誌の投稿欄へのメール投稿受付に踏み切るという話を聞いている。
そういうのがすごく楽しみだったりする。
壁が少しずつ崩れていく。



2002年02月20日(水) 言葉で表現できないものを言葉を使って表現する。あるいは限界の設定について。


表出じゃないんだよな。あくまでも表現。
表出させるだけなら、
ある程度の技術を持っていれば誰にでもできる。
そんなところでは満足できない。

あと、言葉で表現できるものを詩で表現したってつまらないのね。
それが目的だったら散文のほうが早いし正確。
どんなふうに表現したって、
それが言葉で表現できるものであるのなら、詩を書く意味がない。俺の中で。
すげぇ矛盾してるけど(笑)。


最近、谷川俊太郎さんのエッセイ(「風穴をあける」草思社)を読んでいて、
なんかすげぇ、「うんうん」ってうなづきながら読んでる。
この人は絶対、詩の限界を知っている。

詩ができること、できないこと。
それは厳然として存在している。

自分が詩を使ってできること、できないことではなくね。
それは詩の限界ではなく、自分の限界です(笑)。



2002年02月19日(火) もっと良い詩が書けるようになると思われる経験則からの方法論。



の、前に。
最近また身辺が忙しくなりつつあって、
ま、仕事は相変わらず怒涛のようにせわしくて、
たぶんゴールデンウィーク前まで年末より忙しいんだけど、
ちとまた某詩誌から連載企画が舞い込んできました。
1年間の連載。
受けるかどうかはまだ決めてない。
今度直接会って打ち合わせしてから決めるつもり。
それとはまた別の、某極秘企画もいろいろ動き始めてるし。


んでタイトルのやつだな。
俺の予定よりそっちのほうが気になる人が大多数と思われ。

けっこうちょくちょく言ってることだけれど、
「無作為に詩を読んでその感想を言語化する」
これに尽きます。経験としては。
感想って言っても「共感しました」とかそんなんじゃなく、
内容に関してよりも、その作り、構成などに対して、
「ここが良い、ここは悪い」ってのを自分なりに検討して、
それを言葉で紡いでいく。そういうのが大切。

で、自分の読みやすい詩だけにレスつけてちゃ効果ないのね。
できれば読みにくい、
「なんじゃこりゃあ?」ってのを読んでいくと、力がつきます。
俺の場合、以前、自分のサイトの投稿コーナーに投稿された詩すべてに
毎日感想を付けてた。それを1年くらい続けてた。
その後、批評の部を作って、そこでも全作品を徹底的に分解していった。
ひとつの詩を読み込むのに数日。そしてレスを付けるのに5時間くらい。
そういう作業をやってきました。
その経験は現在確かに、俺の糧になっています。
詩を読む目が鋭くなるのね。作品の深い場所まで入り込んでいけるようになる。
そしてそれは、自分の作品を書くとき、チェックするときに力になってくれる。

「言語化する」ってのは、表現力をつけるためです。
自分が思ったことを言葉を使って相手に伝える。
その技術は当然詩作に役立ちます。
で、それをレスとして残すということは、
自分の「読み」に対する他人の反応を受け取れるということで、
これはとても貴重な経験になります。

ちなみにそのへんに関しては以前、
自分のサイトの「詩人専用シナプス」のエッセイで
大脳生理学的見地から書いたことがある。
「詩の裏側。」ってエッセイ内の、「詩と大脳生理学」。
お暇な方はいっぺん読んでやってください。<宣伝


そうっすね。
たとえば、1日1篇、時間のある人は1日3篇くらい。
どこでもいいけど、投稿サイトに掲載される詩を無作為に選んで、
それに必ずレスを付ける作業をやるといいかもしれない。
一度開いた詩には必ずレスをつける(笑)。
「あ。わかんない詩なんでやっぱヤメ!」ってのはナシ(笑)。

最初は見当外れのことばかりやっちゃうかもしれません。
「全然わかってない」って怒られたりもするかも。
俺もいっぱい怒られてたし(笑)。
でも、半年くらい続けてれば、必ず自分の詩が格段に良くなります。
これは保証する。保証できる。俺が通ってきた道だから。



2002年02月18日(月) たまには今日したことをダラダラ書いてみようか。



ま、日記だしな(笑)。



昨日(というか、土曜日)の夜は
妻が近所で彼女のらぶり〜はにー(女性だよ)と飲んでで
土曜日じゅうには帰ってくるようなことを言ってたのに
夜中の2時頃になっても連絡なし。

心配になったんで電話してみればなんか盛り上がってて
「いとうちゃんも来れば?」などと。

俺は眠いんだよ(爆)。

結局帰ってきたのは3時過ぎ。
らぶり〜はにーは泥酔してて
妻は珍しくあまり酔ってない。
いつものように2人はベッドで寝て
俺は来客用の布団で就寝。
が、目が冴えてしまって結局寝たの5時過ぎ。
起きたのは11時半くらい。

それからうだうだ自分のサイトのチェックを始めて
1時くらいに髪を切りにいきました。すっきり。
帰ってから3人でお好み焼きを食べに行き、
その後別行動。妻は雑貨屋を見に行った。
ちなみに雨降ってた。

俺は近所のゲーセンで1ゲームほど遊んで
(今頃「ギルティギアゼクス」で遊んでる)
帰ったら、すでに妻が戻ってた。
このとき5時くらいかな? 
酒入ってたんで(もちろん昼間から飲んでます)
俺はそのままベッドで寝る。2時間くらい。

起きてから洗濯して後はうだうだ。
テレビ見たりゲームしたり妻と遊んだり。
で、10時過ぎくらいからネット入って
(繋ぎっ放しにしてるので入るというより向かうと言ったほうが正しい)
今に至る。

これからもうちょっとネット巡回してサイトのチェックして寝ます。
ま、そんなもんだ。オチはない。おやすみ。



2002年02月17日(日) あー。なんか書かないとなぁ。たるいなぁ。とりあえずあの秘密でも暴露してみようか。


嘘に決まってるだろ。

弱点さらけだすときは相手の弱みを握ったときか、
自分の弱みをエサにして敵味方はっきりさせるとき。
もちろん他人の弱みは暴露せずに、弱みを握ってることを暴露する。
そいでもって自分の弱みを盾に甘えるなんてことはしたくない。

なんてね。


たるい時ってのがあって、
まるっきり無気力。今。
メンテナンスの時間です。充電中。


5年くらい前、健康診断で
肝臓のγ-GTP値が通常の20倍くらいになってて
要検査だったんだけどばっくれた。
つーか、仕事忙しくて病院なんか行くヒマなかった頃。
で、数年後の健康診断では正常値だった。
こんだけ飲んでるのに脂肪肝のひとつもありません。
父親はアル中で精神病院行ったり来たりしてたんだけど、
アル中になれるほどの肝臓を受け継いでるみたいだね(笑)。
俺はまだ依存症で止まってるけどね。

ま、包丁持って追っかけられたのも今では良い思い出だ。


この前人間ドック受けて、
そのときに高血圧性眼底なんて診断くらって
要精密検査なんだけどまだ行ってない。
そろそろ行かなきゃ。
心配してくれる人がいるからね。

有り難いことです。
成長させてもらってるよ。本当に。
いろんな人に感謝しなきゃいけない。もちろん父親にも。



2002年02月16日(土) 何がコワイって自分がウザイってことがわかっていないのが一番コワイ。


用心用心。他山の石。



今月、詩会にレスだけで参加しようかなとふと思い立ち。
点数つけてるけど俺は作品出してません。

評者ではなく、作品にスポットが当たるレスを付けてみたい。
褒めてても貶してても、
読んだ後にその作品が読みたくなる、そういうレス。
間違っても、
この人こんなふうに読むなんてすげぇ
なんて思われないようなレス。
作品を踏み台に自分をアピールするのではなく、自分のためではなく、
作品のためのレス。うまくいくかどうかは知らんが。


んでまぁ、土曜日の夜は妻が夜遊びするのでお留守番はつまんないから誰か遊んでくれないかなぁと思いつつめぼしいところにいろいろ電話したけどみんないそがしそうで遊んでくれないみたいでやさぐれ。ヒマな人は遊んでくれ。遊んでくれなくてもせめて投票数が上がってくれることを夢見て。<姑息



2002年02月15日(金) 子供の頃、バレンタインとバンアレン帯には密接な関係があると思っていた。



いやいや。マジで。
全然関係ないことを知ったときはかなりショックだった。
サンタクロースがいないことを知ったときよりもショックだった。



ちょっと前まで、
詩を読む目が偏狭になっていて、
かなり厳しい目で読んでたんだけど、
最近少し緩んできた。
こういうのでもいいじゃんって感じ。
違うな。これはこのままでもいいじゃん。そんな。

「花を沈めに」なんて、
あんなの詩じゃないんだよな。本当は。
本当は、というか、俺の意識の中では。
でも、これでもいいじゃんかっていう、余裕が出てきてる。
もちろん自分の詩の話ね。
他人の詩はそんなふうに読まない。
もうちょっとゆったり読む。楽しんで読む。
読むことと書くことは別。

自分がこの地点で満足できていないことを
きちんと消化できた時点で
そしてその後の進むべき道筋がなんとなく見えてきたことで、
その地点にあるものを否定せずに受け入れることができるようになった。
そんな余裕。

焦ってたんだろう。たぶん。



2002年02月14日(木) 上目遣いの女の子に勝てる男の子はそうそういない。



というわけで、上目遣いで先手必勝!
相手がひるんだらチャンス!
「手を握る」→「目を瞑る」の連携攻撃でたたみかけろ!



はぁ。

んと、なんだっけ。

2/13の日本経済新聞の「春秋」という欄に
(朝日新聞の天声人語みたいなもんだ)
中谷宇吉郎の話が載ってた、
雪の結晶を世界で初めて人工的に作った人で、
「雪は天からの手紙である」という言葉を残したそうだ。

でまぁ、それは全然かまわないのだけれど、
この執筆者、件のフレーズについて
「物理学者の詩的な感性」などと評していて、
かなり脱力。個人的に。

「雪は天からの手紙である」

これのどこが詩的なのか俺にはまったくわからん。
比喩を使ってれば詩的なのか?
このフレーズのどこに「詩的」な「感性」があるんだ?
退屈な隠喩があるだけじゃねーか。

詩に対する誤解(敢えて誤解と言い切る)はいつになったらなくなるんだろう。

春秋では続けて、
「詩的な感性」の背後に科学者としての実証精神がある、と書いていて、
「一定条件の元なら卵は必ず立つ」ことを実証したことに触れてるけど、
俺としては、
この実証精神こそが「詩的」なんじゃないかなと。ふと。
雪の話に戻れば、
「雪は〜」云々のフレーズに詩的感性があるのではなく、
雪の結晶を人為的に作ろうしたその姿勢/行為こそが
詩的な感性なのではないでしょうか。


詩的な物理学者と言えば、やっぱり寺田寅彦は外せなくて、
この人は随筆家としても有名なんだけど、
尺八の音響学とか、蛍の光学現象についてとか、割れ目に関する物理学的考察とか、
そういう面白い研究をいっぱいしてるのね。
絶対ね、そっちのほうが詩的だと思うんだけど、

どう?




2002年02月13日(水) 「粘膜」という言葉をイヤラシクなく使うにはどうすればいいんだろう。



粘膜。


やっぱ俺が使うとイヤラシイな。うん。諦めよう(微)。




叙事詩を書いてみたいのね。
長いやつ。
長いって言っても、
「ギルガメッシュ」とか
「ホメロスとオデッセイア」とか
「ラーマーヤナ」とか
そんなに長くなくていいけど。
ノンフィクションじゃなくていいけど。


ファンタジーがいいかもしれない。
「ファンタジーノベル」ってのがあるんだから、
「ファンタジーポエム」があってもいいよな。
脚韻も踏むんだよ(笑)。
日本語で脚韻。死にそう(笑)。
そいでもって、
カドカワファンタジーノベルズあたりから文庫で出すの。本を。詩集を。
「アルナムの牙」なんかと一緒に(笑)。隣に(笑)。
(「アルナムの牙」は古過ぎるかぁ…)


ま、そういうやり方もあると思う。
たぶん誰もやってないんで、先駆者になれるよ。きっと。




2002年02月12日(火) 女の子をソープで働かせることを業界用語で「風呂に沈める」と言う。




というわけで
うちのサイトの即興詩コーナーに出したのを少し手直し。
思ったより反響が少ない(爆)。
ま、リアリティ重視で深いところまで考えてないので、
さもありなん。


今日は正津勉さんのサイトをのほほんとロム。
日記(?)に笑った。楽しい。





「花を沈めに」



花は言わない
どこに行くのですかとは
もう言わない
車に乗った時点で覚悟はできているのだ
その代わり
大丈夫ですよね
借金返したら戻れますよね

肩がまだ震えている
大丈夫だよ
すぐに戻れるから頑張ってね

無責任に答えるが
この花は
「沈める」という意味がまだわかっていない
わかろうとしていない
助手席で握りしめられた拳は
汗で滲んでいるけれど

裏口につけて連絡を取る 「着きました。はい。…はい。」
単なる手続き 滞りなく
助手席のドアは開けるけれど
事務所のドアは開けさせる
開けさせたほうが逃げない
もちろん逃げられないが

よろしくお願いしますと
早々に立ち去る
助けを求めるように視線を向けられるが
もちろん無視して
その瞬間
値踏みをする別の視線に
花は気づいていない





2002年02月11日(月) お母さん。お父さんあんなところにぶら下がったままで本当に天国に行けるの?


あー。明日からまたタイトルネタ考えねば。


というわけで、
今日は谷川俊太郎でした。ノーメディアというイベント。
谷川さんと田口犬男さん目当て。

田口さんは「トマスの一生」他。
これはこれで面白かったんだけど、
やっぱ谷川さんは別格だね。うん。

谷川さんは最初、「アルカディアのための覚書き」を朗読。
かなり古い作品。俺が高校生のときに読んだ記憶がある。
次は「ウェーベルン」。これは記憶になし。
でも面白かった。

で、その後、未発表作品を3編朗読。
「不機嫌な妻」「鍵を探す爺さん」「夜のミッキーマウス」
つーかねぇ、
「夜のミッキーマウス」だぜ! 勝てねぇ。くそ。

イベントの後、
さいとういんこさんのお誘いを泣く泣く断って
別嬪さん2人と近くの飲み屋へ。両手に花(笑)。
「夜のミッキーマウス」に勝てるタイトルを一所懸命探す。
で、
「猫背のキティちゃん」
「ドナルドのフォアグラ」
「夜のシルベスタスタローン」
この3つが出た。

でも、勝てるかなぁ。びみょー。



2002年02月10日(日) お母さん。ちゃんとしまっておかないとお父さん腐っちゃうよ。


お母さんお父さんシリーズは明日で終わり。
1週間もやればじゅうぶんだろー。

んー。今日見た夢の話書こうと思ったけど、
やっぱつまらんので却下。
大場・オッテンハイマーという女子高生が出てきた。
誰だコイツ?(笑)



まだ果たしていない口約束がいくつかあって、
思い出すと心苦しい。

詩の批評をいくつか頼まれてるけど、
まったく手付かずのままです。はい。ごめんなさい。
あと、飲みに行く約束が2件。
これもなんとかしなければ。

デートの約束もいくつか。
まぁ、相手は社交辞令だと思ってるみたいなんでどうでもいいか(爆)。
女の子としてはどうなの?
やっぱ相手によるんだろうけど、
「今度デートしてねー。」「うん。」
というやりとりで、マジでデートの日取りなんか連絡されたら、
やっぱ引かないかなぁ?
「やべぇ。こいつマジだぜ」とか(笑)。

んー。やっぱ相手によるか。
んじゃ俺はガシガシ行くぜ(爆)。
つーか、気軽に飲みにいける女の子のお友達が欲しいねぇ。うん。



2002年02月09日(土) お母さん。お父さんは嘘吐きだよ。お空を飛べるって言ったのに地面で潰れちゃってるよ。



コラボレーションってのはいろいろあって、
リーディングだと音楽(楽器)とのコラボが一般的なんだけど、
なんかもっと、他にいろいろパターンがあるよなぁと。
概念をもっと広く取ると、ユニットもある意味コラボの性質を持ってるかもしれない。

以前、即興リーディングの夢を見て、
そのときは死にかけたシーラカンスと一緒にコラボやったんだよな(爆)。
いつ死ぬんだろうってハラハラしながらリーディング。
クラゲとのコラボレーションとか面白いかもしれない。
水槽持ってやるんだよ。ゆらゆら。
わざと揺らして大丈夫かー?とか。つまらんか。
携帯電話も使い方によってはいろいろできそう。
魚村晋太郎さんなんかすでにやってそう。
映像とのシンクロは芝居とか、いろんな場所ですでに行われてるし。

フルーツ盛り合わせとのコラボ。
食いながらリーディング。なんか方向性違うな(笑)。
それだったらキャバクラのお姉さんとの掛け合いリーディングとか。
そっちのほうが目の保養になる(笑)。
ま、もちろんパフォーマンス狙いだけではなくてね。いろいろね。
パフォーマンスの装置としてではなく、
あくまでもコラボレーションとして。

少し前にうちのシナプス掲示板にも書いたけど、
交響楽団や合唱団みたいなリーディングがあってもいいと思う。
数十名で指揮者付き。指揮者のいるリーディング。

ゴルコンダみたいに、
たとえば共謀(?)してどこぞのオープンマイクで、
いろんな人が同じ作品でリーディングしてみるとか、
そういうゲリラ戦みたいのも楽しい。

誰かやんない?(笑)



2002年02月08日(金) お母さん。やっぱりお父さんは大きいね。僕、食べきれないよ。



批判するだけで何かを成したように悦に入る人がいて、
さいとういんこさんに言わせるとそういうのは
「敵を間違えてる人」となるんだけど、
でもやっぱり世の中にはそういう人もいる。
つーか、俺もときどきやっちゃうので反省。

人づてに聞いた話だけど、
昨年何月かのベンズカフェのスラムで、
出演者に一様に野次を飛ばす人たちがいたらしい。
そういうことして何が楽しいんだろう?
何を得られるんだろう?
何のためになるんだろう?


批判、あるいは否定は、
建設的意見を述べる前段階としてあるべきだと思う。
それがなければ批判なんかするもんじゃない。
正しければ何をしてもいいってもんじゃないのは世の中の常識だ。


敢えて名前を公表しないけど、
現代詩手帳2月号の対談の批判をネット上でしている人がいて、
まぁ自分のサイトでやってるので何言ってもかまわないだろうし、
(イヤなら俺が行かなければいいだけなので)
批判の中身自体は説得力があって、なるほどとうなずく面もあるけれど、
「この人は批判を行って、何がしたいんだろう?」
そういう場所でどうしても引っ掛かってしまう。
批判の内容は正しくても、全然建設的じゃない。
そこから前に進まない。進もうとしていない。

数日前にとある人から、
以前この人が荒らしたせいで、
清水哲男さんのサイトから掲示板が消えたことを聞いてしまった。
もちろん今回の件とつなげて考えるのは浅はかだけど、
いろんな意味で、なんかモヤモヤする。
その人に対してだけではなく、自分も含めた、いろんなものすべてに対して。


エンピツの日記を見て回っていても、
上から見下ろすように状況を批判して満足してるような、
そういう日記が時々あって、
なんでそんなことを書くのか全然わからないことがある。
読んでる人を不快にさせることが、
そんなに楽しいことなんだろうか。
俺が勝手に不快になってるだけなんだろうか。
自意識過剰の「私を見て見て」タイプの日記も嫌いなんだけど、
そういう日記も嫌いだ。
調子に乗り過ぎて同様のことをしてしまうことが時々あるので、
自戒込みでイヤになってしまう。

たとえば今、この文章は、読んでる人を不快にさせてないだろうか。
批判するためだけの批判で終わってないだろうか。
自分を棚に上げた文章になってないだろうか。

一抹の矛盾を感じながら書いてしまっている。



2002年02月07日(木) お母さん。お水をいっぱいあげてるのに新しいお父さん生えてこないよ。



カレーはいいなぁ。困った時はカレーだなぁ。うん。


さて。
オンラインとオフラインの融合というか、
メディアミックスというか、
イベント、詩誌・詩集、そしてネット上での活動、
これらを同時にこなしている団体ってのは昔からいくつかあって、

たとえば、MY DEAR。
http://homepage1.nifty.com/oedih3amis/mydear.htm

ここはイベントはやってないけど、
「ネットの中の詩人たち」というアンソロジー詩集を発行してます。
詩の質は、はっきり言って“んー”って感じだけど。

また、@NIFTYのFPOEM(詩のフォーラム)も、
「げ・ぱーな」という詩誌を2号作ってます。


あと、タデクイなんてのもある。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~tadekui/

こちらはリーディング系の人たちが集まってるのかな?
詩誌の4号ではさいとういんこさんとか、有名どころの名前がずらり。
また、サイトには、
ベンズカフェの主催、稀木真皓さん、
Ojas Loungeの主催、MIMIさんなどの詩が掲載されてます。
はっきり言って貴重。


もうひとつ。ポエマリックカフェ。
http://homepage.mac.com/poemaholic/

つくばで毎月最終日曜にオープンマイクのイベントやってて、
1年ごとに活動記録をアンソロジーとして出版してます。



で。敢えてPoeticFreeは紹介しない(爆)。
ま、何か新しいことをやってくれるでしょう。期待してます。




イベント開催のノウハウとか、
何年か後で必要になるかもしれないと思って、
昨年の「ウエノ・ポエトリカン・ジャム」にスタッフとして参加したのね。
とりあえずスケジュールとか留意点なんかは押さえたんだけど、
たとえば俺が今イベントやろうと思っても、
時間的なコストがかかり過ぎて不可能なのね。
少なくとも今の時点で、
俺がイベントを開催することはできない。
なので、
やろうとする気概を持ってる人たちは、それだけで尊敬する。
少なくとも俺の中では尊敬に値します。
関西のほうが、そういうのは多いけどね。
関西の人は本当にバイタリティあるよね。


ま、俺はふわふわやっていきますか(笑)。



2002年02月06日(水) お母さん。お父さんはいつまで冷蔵庫の中で寝てるの?



お母さんお父さんシリーズ(勝手に命名)はなんか面白そうなのでしばらく続けよう。



詩において言葉を用いるときには、
「裏を匂わせる」ってのが重要で、というか、基本で、
裏がないとただの心情吐露や説明で終わっちゃうのね。
叙景詩だろうと抒情詩だろうとそれは同じ。叙事詩は当てはまらないかも。
ま、言葉を言葉のまま使わないのが詩の基本です。
そこから先の道程がまた長いんだけれど。

「好き」なんていうありふれた言葉も、
その一言で隠された背景を示すことができるなら、
「好き」という言葉が詩として活きてくる。
ときどき勘違いして、
その裏側やそこに至る過程まで丁寧に詩で説明しちゃう人がいるんだけど、
それは本末転倒でしょう。
「好き」という言葉を「好き」という意味でしか使えませんってさらけ出してるようなもんだ。

というわけで、
ときどき「自分の気持ちを素直に言葉にすればそれが詩だ」という人がいるんだけど、
俺自身はそれを否定します。完全否定。全面否定。
「好き」という言葉を
「好き」という意味を立ち現せるためだけに使うなんてもったいない。
そんなもったいない使い方したくない。言葉に失礼だ。



2002年02月05日(火) お母さん。ネズミがワナにかかってちゅーちゅー言ってるよ。ベッドの下のお父さんより元気だね。



昨日の日記はなんか肩肘張ってんな。
もっと肩の力抜けよってな。
気楽にやんないと息切れしちゃうかんな。
趣味で楽しくわいわいでいいじゃんか(笑)。

それはそれでいいんだよ。
んーと、「わかってる人」はいいんだよ。
どこにいるのかではなく、何が見えるのかについて話したかったんだよね。
知らない間に目隠しされてないかい?って。そういう話。
目隠しの有無は居場所には関係ないからね。



そうそう。そう言えば、
「ポエトリカレンダートウキョウ(PCT)」にうちのサイトの年間広告入れました。3月配布用から。
PCTを知らない人は下記のページへGO!
http://pct_web.tripod.com/about.html

宣伝といえば、
詩学の3月号(2/27発売)でネット詩についての座談会が掲載されます。
参加メンバーはえーと、メンドくさいんでまた今度書く(笑)。
あと、「ネット詩抄」という、ネット詩から選んだ作品を掲載するコーナーもあります。
俺の詩は選ばれるんだろうか。んー。ムリっぽい(笑)。

もうひとつ。
「midnight press」の春号で、
@niftyのFCVERSE(現代詩フォーラム)主催の片野さんとのメール対談が掲載されます。
2月号で書いた論考よりも濃い内容になってる。
また、本決まりじゃないけど、
俺と片野さんと、もう一人、
現代詩の人たちに名前を知られている人(という言い方はヘンだけど)と
対談させたいとかなんとかという話もある。
田中庸介さんや平居 謙さん、長澤 忍さんの名前が候補に上がってた。


ネット詩の行く末について考えながら活動してきたんだけど、
いつのまにか、ネット詩だけに関わっていればよい時期が終わりになってきているのね。
比喩としては語弊があるんだけど、
箸にも棒にも引っ掛からないと思われていた新入社員が、
「ん? コイツちょっとはやれるんじゃねーのか?」って認められてきた感覚。
もちろん「あん? まだまだ半人前だよ」って言う人もいるし、
「俺は最初から、コイツはできるヤツだと思ってたんだよ」って自慢する人もいる。
要は自分自身のスキルアップだけを考えていれば良かった新人が、
社会の中での自分の立ち位置を求められるようになってきたってこと。
そんな中で俺としては、
「実はこういうこともできるんですよ。ふふふ。」って不敵に笑っていきたい(笑)。

そういう意味で、今の時点で「ネット詩」という言葉を使うこと、
「ネット詩人」と名乗ることにためらいはないのね。今はそういう時期だと思う。
けど、最終的には「ネット詩」やら「紙媒体の詩」やらごちゃ混ぜになって、
ただの「詩」として語られる時期が来て欲しい。

効果的にね、「ネット詩」という言葉を使っていきたいのね。
そしてそれは、「ネット詩」を滅ぼすためにね(笑)。



2002年02月04日(月) 詩のテロル「ネット詩絨毯爆撃委員会」設立。



秘密の会合にて上記の委員会設立。
成功すれば凄いことになります。わーい。
成功どころか、実行できるかどうかもまだわからんが(笑)。

ま、すべては秘密裡に。


「詩とは何か」について、
もっと語られるべきだと思う。
語られなくてもいいけど、個々人がもっと突き詰めていくべきだと思う。
語られることがそのきっかけになればいい。

詩は自己表現の道具(ツール)であると同時に、
れっきとした「文芸」です。
(文芸は所詮自己表現じゃないかなんてツッコミはやめてね。
 そんなことを書いてるわけじゃないのはわかってるでしょ)
何故詩を書くのか。何故詩じゃないといけないのか。
たまたま詩を選択したにせよ、詩に対する責任を我々は果たしているのか。
あなたが詩を書いて発表することで、詩がどのように思われるのか。扱われるのか。
詩がどういう位置に立たされるのか。

心情吐露の詩、共感を求めるだけの詩、コミュニケーションツールとしての詩、
そういった存在を俺は否定しないし、
そういう側面を詩が持っているのは
他の表現形式に対するアドバンテージ(長所)だとも思ってるけど、
それが詩じゃない。それだけが詩ではない。
というか、それだけを詩だと思って欲しくない。
それは詩の一部に過ぎない。

もっとね、「詩」について考えて欲しい。
その後で、「詩が好きだ」と言って欲しい。
自分にとって詩とは何かではなく、
詩にとって自分は何なのかを考えて欲しい。




2002年02月03日(日) いったい何を企んでるんだ僕のかわいい子猫ちゃんたち


会社の社長の話でもしよう。

はっきり言って、
俺より頭の切れるヤツはそうそういないと思っていて、
(と書いちゃうのが俺の馬鹿なところなんだけど)
社長はその、「俺より頭の切れるヤツ」なのね。
あの仕事っぷりは舌を巻くね。量じゃなくて、質に舌を巻く。

今勤めている会社は社員10人くらいのすごく小規模なところで、
給料はすごく安いんだけど(笑)、
あの社長の下でなら別にいいやって思える。思ってる。
というか、いろいろ盗める。

社長は社長で、俺のことを全面的に信頼してくれていて、
俺はたいていの職場で上の人間と衝突してきたんで(爆)、
今はすごくやりやすいのね。
俺のマーケティングリポートはほぼノーチェックで通してくれるし、
(つーかチェック入るようなもんを作ってるつもりはないけど)
俺は俺で、
たとえば俺が作ったデータ関連の商品が
もちろん営業のおかげでもあるけど
年間数千万の利益を会社にもたらしてるとか、
ギブアンドテイクの関係が上手く成り立ってる。

俺が詩を書いてなかったら、
もっとね、あの会社できちんと働いてるね。
今は50%くらいだな。会社に費やしてる労力は。
で、詩関連の労力と妻と遊ぶのに20%ずつ(笑)。
残り10%は秘密です(爆)。
ま、逆に考えれば、
仕事やめて食っていけるなら、
70%くらいの労力を詩に費やせるんだけどね。
でもだいたいみんなそんなもんだよな。
会社より詩のほうが好きだけど、
労力の使い方は好き嫌いではなく責任と比例するので。



さて。
とりあえず某所にアップした即興詩を記録しておこう。
テーマ詩のコーナーで、このときのテーマは「チャット」。
予選落ちの詩(爆)。
世間は主題と表現の両方がわかりやすいものを求めているらしい。
えっと、後半、さいとういんこさんの詩のパクリがあります。




「いったい何を企んでるんだ僕のかわいい子猫ちゃんたち」



参加している女の子の名前がすべて
昔付き合っていた女の子の名前と一致しても
慌ててはいけない
もちろんそれはただの偶然
たぶんおそらく
偶然だと思いたい

参加している女の子がすべて
思い出話を秘話機能で語り出したとしても
慌ててはいけない
もうそれはただの偶然
ではなく必然なのだけれど
慌ててはいけない
知ってるのは僕一人
女の子は誰も知らないここにいる女の子全員が僕と寝たことあるなんて
誰も知らない
知ってたら怖い

深呼吸をひとつ。
(もちろん僕が深呼吸したなんて誰もわからない)
そして手際良くかちゃかちゃと
キーボードはキーを打たれ
電話線は何も考えずに電気に変換された言葉を送り
モニタは望んでもいないくだらない言葉を映し出され
そして僕はそれぞれの会話をクリアするのに精一杯で
まったく
辟易している
辟易している
僕は辟易しながらおののいている


意思をもて石を持つもの そのいしを投げつける先に僕は佇む(即興短歌)


そんな夜もあるよベイビー
そんな夜もある
思い出話にもなれない
そんな夜は
詩を書くしかないじゃないかベイビー
詩を書くしかない
詩を書いてみんなに見せようベイビー
子猫ちゃん全員に見せるんだベイビー
そしてみんなに笑ってもらうんだ
みんなに石を投げてもらうんだ
そして本当に
本当にこの僕と寝た女の子がこの詩を読んでも
僕は平気なのさベイビー
だって全部フィクションなんだから
わかってるくせに
ベイビー





2002年02月02日(土) 眠れない夜くらい騒ぎ立てずにじっとしてればいいのに。

昨日は「黄金夜」というトークイベントにパネラーとして出演してました。

企画&司会進行は大村浩一さんという方なのですが、
あの人はもう、「段取り」という言葉に無縁な人なので、
それはもう、ただ単にみんなでダラダラ喋っておしまいという、
とんでもないイベントでした(爆)。
ま、段取りなくても「ま、いいかぁ」と思わせてしまうのは、
大村さんの人徳なのですが(笑)。

まーね。イベントタイトルが
「二度と来たくないポエムなバトルロワイヤル」だからね(笑)。
イベントの趣旨としては正しいんだろうけど、
やっぱ金払わせてるんだから、それ相応のことはやろうよ。
パネラーとしては、
せめて意見の歯車を噛み合わせようとするくらいのことはしようよ。

つーわけで、俺はツッコミ&切り込み役に終始していたような記憶が。


イベント終了後、
何人かで飲んで、その後何人かはうちに遊びにきて、
そのうちの何人かはお泊り。
こっちで話した内容のほうがよほど濃かった(笑)。
金取ってもいいくらいの内容だった(爆)。



2002年02月01日(金) 生かされていることを知っているなら「どうせ私なんか」なんてセリフは絶対に言えない。



そういうこと言うヤツは蹴倒してやりたくなるね(笑)。



リミット(限界領域)ってのが自分の中にあって、
それを超えた人は、「さよなら」になる。
「私のいないところで生きてください」になる。
俺の中では、死んだ人、いない人として扱われる。
そういうところがすごく偏狭なんだよな。

ま、超える人は滅多にないけど。
そういう偏狭さを直すつもりもないけど。

妻の日記を読んでればわかるけど
(妻もエンピツで日記書いてるのよ)
最近、妻が怪我をさせられて、
俺はすごく怒ってるのね。怪我させたヤツに。
妻が「怒らないで」って言ってるんでやらないけど、
本当はその馬鹿のところに乗り込んでいってぶっ殺してやりたいのね。
警察沙汰になってもかまわないと思ってるのね。


もしまたソイツが同じようなことやらかしたら。
そのときは俺のサイトの更新が止まると思うので、
ま、そゆことで(笑)。
ニュースで俺の顔でも見てください(爆)。


 < 過去  INDEX  未来 >


いとう [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加