即興詩置き場。

2002年01月31日(木) 会社にXboxのコントローラーが届いた。



いや、コントローラーだけなんだけどなこれが(爆)。
なんかガチャガチャついてて面白かったよ。
つーか、梱包が、でかいビニール袋にすごく雑に入れられていて、
「このへんがアメリカだなぁ」と妙なところで感心(笑)。

詩学の2月号は、ネット通販の注文数がいつもより多いそうです。
もっと頼もう(笑)。
すげぇ売れたら、売れただけネット詩が注目されるよん。
↓のサイトから注文可能。
http://www.curio-city.com/shigaku/


俺の詩はどうなんだろうか?
ファンがいるのは知ってるけど、
ファンがいるからってそれが良い詩だとは限らないのね。
極論を言えば、ファンのために書いてるわけじゃないし。

わかってもらえなくてもいい部分が、
どの詩にもやっぱりあって、
だからこそそこをわかってくれると嬉しいんだけど、
んー、どうなんだろう。
自分の詩は自分が考えているよりももっと難解なのかもしれないと、
最近思うようになった。
たぶんこれからもっと難解になっていくと思う。

その「難解さ」ってのはおそらく、
技巧や描写から発生する難解さではなくて、
主題の深さからやってくる。やってきます。
何を伝えようとしているのか。その部分。
「ウイルスの夜」だって、
あれなんか恋愛詩を装ってるけど、じつは恋愛詩じゃないのな(笑)。
ほとんどの人が気づいてないんだけど。
わかるように書けよって声もあるだろうけど、
もちろんわからないのが悪いってんじゃなくて、
そういう方向性ではなく、
そういうところを、故意に隠そうとするような、方向性。に、向かう。

描写そのものはたぶん、もっとシンプルになる。
限りなくシンプルにしていく。読みやすくわかりやすく。でも難解。
そういうスタイルになりつつある。

詩情で訴えるのではなく、詩情でカモフラージュする。
詩情だけを感じていたら到達できない場所を、詩の中に作る。
それが俺の新しいテーゼになる。テーゼにする。そこを目指す。



2002年01月30日(水) ネット詩の今後の方向性に関する個人的断片的考察メモ。


インフラ整備が急務

情報網の構築→データベースの必要性

ネット詩間及び他の媒体間ともに。


意識改革のためのワークショップ

強制ではなく進んで参加できる場の提示、システム構築

読む力の強化


各媒体との連携方法の構築

詩誌による投稿コーナー設立への働きかけ
イベントレポートサイト
詩集に特化したネット通販サイト


ネット詩の商品力強化

オンデマンド出版の意義
付加価値をどうやって付ける?


新規媒体・新規流通経路の構築

ビジュアルポエムとTシャツ→詩人以外の層の取り込み

マスコミの活用

アライアランスのための啓蒙活動

ブランド構築の弊害について

ブロードバンド普及によるリーディングサイトの可能性

ネット上における小口決済システムの可能性とその活用方法の素案

ストック構築のための詩誌・詩集

出版社の動向をチェック
オンライン専門詩誌
電子ペーパーの普及とその波紋は?

インターフェースの変化による影響と弊害

音声認識で詩が書けるのか



2002年01月29日(火) 「お帰りだけで埋まっていく」/「舌のある風景」


某サイトに即興詩をひとつアップ。ポップなやつ。
推敲中の詩は、そろそろ推敲が佳境に入ってる。
今週中にアップできそう。

即興詩と言えば、
タイトルにある2つの作品は即興で書いたやつで、
どちらもサイトに正式にアップしてないけど、
けっこう気に入ってるので、そのうち残しとくつもり。
ま、気が向いたら。

読めばわかるけど、毛色が全然違ってます。
んがしかし、
瞬間的なイメージ(映像)を元に構築したってのはどちらも同じで、
俺の中では、かなり似通った場所(部分)から発生してる。
兄弟みたいなもん。



「お帰りだけで埋まっていく」


エレベーターに乗るとお線香の匂いがしておじいちゃんが帰って来たんだと思いました
10階にあるマンションのドアを開けるとおじさんやおばさんや知らない人がいっぱいいて
みんなでお寿司を食べていました
私は制服を脱いでこの前買ってもらった喪服に袖を通します
お母さんも喪服です
今日はお通夜です

病院にはあまり行かなかったけれど
行ってもチューブだらけで話ができなかったので面白くありませんでした
おじいちゃんはエレベーターがつらいようであまり外に出なかったけれど
倒れる前に一度だけ
「ここから棺桶を入れるのか」と
エレベーターの奥にあるフタを見つめていました

「夏は腐敗が激しいから」と
誰かが小声で話しています
おじいちゃんは棺の中で
なんだかよくわからない顔をしています
夜になってお父さんが戻ると
お線香の匂いが強くなったので
私はおじいちゃんのそばに行って
「すぐにいなくなっちゃうけど、今日はお帰りなさい」と
もう一度お線香をあげました
明日おじいちゃんはエレベーターに乗って
どこかで焼かれてしまいます
部屋中がお線香の匂いで埋まっていきました





「舌のある風景」


真夜中は
目を覚ます
ためにあるので咳を
ひとつ
ふたつ
くぐもるが音は出ない
仕方ない
舌がない
布団の中は
暖かい
ので夢では
ない
夢ではない
証拠に
いつものおんなの顔が
まただよ
目の前を
ふつうではない
まただよ
夢ではない
証拠に
舌が生えてくるのです床
じゅうに舌が

ザザッて
ザザザッて

ああ
私の舌です
ああ
こんなところに

たぶん
せんもう
という言葉は
私の舌のために
あって
這いずるのは
私の舌では
なくて

の背中に私の舌の感触が
まただよ
ふつうではないね
せんもう
うんどう
ザザッて
ザザザッて
運ばれていきます

運ばれて
いつものおんなの顔から
いつものおんなの顔から
まただよ
あしのうら
ぼんのくぼ
みみのあな
伸びた舌は
私の舌ではなく
ぬるり
ぬるりって
まただよ
舐められながら
まただよ
せんもう
うんどう
どこにいくのか
運ばれるのか





2002年01月28日(月) 日記は1日休み。今日も休もうかと思ってたけどやっぱり書く。

26、27日と名古屋で遊んでました。
リーディングイベント。
俺はレポート苦手なので書かないけど、
のんさんが相変わらず良質なレポートを書いてるので
それを読んだ方が良いと思われ。↓
http://www.os.rim.or.jp/~orchid/

イベント自体はもちろん、
名古屋まで行く価値のあるものでした。
んが、いっぱい女の子とお話できて俺はそっちのほうが嬉しい(違)。

打ち上げで
さいとういんこさんや川村むつみさんなんかと、
アメリカのナプキンの話で盛り上がる。
アメリカのナプキンはなんであんなに分厚くて紙オムツみたいなんだ?てな話。
あと、日本ではなぜナプキンのCMが普通に流れてるんだ? とか。
結論は、アメリカ女性はタンポン派が多いということで(謎)。


イベント会場のバイトの女の子が、
以前書いたヤバイタイプの女の子で、
もう、本当にヤバかった(笑)。
注文頼むだけでドキドキしてた(笑)。
で、もちろん少しだけだけどお話もしました(爆)。
ネットやってないらしく、メルアド持ってなかったのが残念。
初対面で電話番号聞くのもアレだし、
聞いたら絶対かけちゃうんでいろいろアレだし(笑)。

ま、自制自制。自省もしなけりゃ。


       ★


「ぽえたすたあ」さんからメール。
勝手にファンをしている人なので、
とても嬉しい。しかもかなり有益な情報をいただきました。
ありがたいことです。こうやってつながっていくのね。
俺もいっぱいメール出そうかなぁ(笑)。

あー。自制自制。



2002年01月26日(土) というわけで今日は例の宣伝がメインなのです。



商業詩誌読んでる?

俺は高校の頃に現代詩に出会って、
よくわから〜〜んとか思いながら
大学生の頃まで読んでた。
ま、今でもよくわからんが(笑)。

「現代詩手帳」「ラ・メール」「ユリイカ」このへんかな?
「鳩よ!」は創刊号から読んでた。今はもう、詩の雑誌じゃないけど。
「詩とメルヘン」も読んでたけどな(笑)。
「MY詩集」は中学生の頃読んでた。

で、7、8年のブランクのあいだは全然読まなかったんだよな。
再び詩を書き始めて、その頃も読んでなくて、
またちゃんと読むようになったのは去年あたりからか。

読む目的が変わってるのね。
昔は詩に触れるために読んでたんだけど、
今は、情勢を知るために読んでる。詩の情勢。
「ネット詩」という概念を本格的に意識し出してから、
他の媒体、他の流通経路のことを学ぶ必要が出てきたのね。
詩の市場全体における、「ネット詩」の位置付けと役割。
そして今後の方向付けについて。
そういうのを学ぶ必要があった。俺の中では。
なまじ俺のスタンスがネット詩の中に位置しているので、
外を知らないと中がわからなくなる。あまつさえブランクあるし。
内側だけ見てると、絶対に閉塞しちゃうのな。

みんな、詩は好きですか? 俺は大好きです。
詩を発表できる場も好きなんだけど、
それ以上に、俺は「詩」が好きです。

アンダスタン? 本当に?

「詩が好き」と発言することにどれほどの責任が覆い被さってくるのか、
それを知らない人が多すぎる。

ん。脈絡なくなってきたな(笑)。
宣伝宣伝。

以前の日記にも書いてますが、
今日、1月26日発売の「詩学」2月号に、
俺の論考が掲載されます。
詩とインターネットについて。ちとカタイ文章です。

ぜひぜひ買ってください。
俺のためでなくていいから。
ネット詩のために、そして詩のために買ってください。
詩が好きな人ならば。詩を憂いている人ならなおさら。

ネット通販もできます。下記のサイトより購入できます。
http://www.curio-city.com/shigaku/

よろしう。




2002年01月25日(金) ありふれた言葉をわかりやすく使うために。



「やさしい」とか
「かなしい」とか
「愛してる」とか
「せつない」とか

発達心理学によると、
言語あるいは感情の細分化は
歳を取るとともに行われるんだよね。
赤ん坊の頃の「快」「不快」という二極のみの感情が
やがて喜怒哀楽になって、
さらに、やるせなさとかせつなさとか妬みとか
そういった高度の感情認識へ細かく分類されていく。
それは認識されるものだけではなく、獲得していくものでもあって。

安部公房がとあるエッセイに残した名言(だと俺が勝手に思ってる)に、
「名付けるという行為がなければ、アメリカ大陸は発見されなかったであろう」
というのがあって、
概念認識には必ず言語獲得行為が付随するって話なんだけど、
じゃあ、詩的表現において、プリミティブ(原初的)な言葉を
有効に活用(配置)するためには、
その言葉の発生の源を、読者に再認識させるための装置が必要なんじゃないのかなと。
その装置はたとえば、
作品内における設定であったり、
他の言葉との比較であったり、
全体の流れの中のワンポイントであったり、
ま、いろいろあるけど、
ありふれた、ありがちな表現を響かせるためには、
「どうやって使うか」よりも、
「何のために使うか」を考えたほうが大切なんだと
いつも思ってます。
そこに力点が置かれていない表現、あるいは作品は、
結局「ありきたり」で終わってしまう。
「ありきたり」と「わかりやすい」の差はそこにある。

細分化された感情、言葉が溢れるなか、
未分化の状態で使うのではなく、
細分化されたものを統合するために使ってこそ、
効果が現れるんじゃないかなと。




2002年01月24日(木) あなたが腕をなくしたら、僕は腕の代わりにはならずにあなたが足を腕として使えるようになるまで特訓してあげる。



生きるってのはそういうことじゃないのか?


さてさて。書くことないぞ(笑)。

んと、詩学社が、
(最近詩学の話ばかりしてるけど、もちろん詩学派閥なんてもんはないし、ないものに加入できるわけもない。俺は俺ということで。)
詩学3月号の企画の「ネット詩抄」という、
ネット詩を紹介するコーナーに掲載するネット詩を探しております。
紙媒体に出ても遜色のないネット詩を知っている人は、
その作品が掲載されているURL、その作者の連絡先(サイトURL、メルアド)を明記のうえ、
この日記のメールフォームよりご連絡いただければ。
責任を以って詩学社にお送りいたします。
ま、送りはするけど掲載されるかどうかは知らん(笑)。

締め切りは1月27日まで。
自薦はやめてね。それは恥ずかしいことだから。
自薦したいのなら各商業詩誌の投稿欄にでも自作詩を送ってね。




2002年01月23日(水) 戸川純が谷川俊太郎の詩を朗読したレコード(!)があるんだよな。


CDなんてまだなかった頃の話。
なんかの大きな詩のイベントの記念に制作されたらしい。
昔持ってたけど、今はもう手元にない。残念。
まだ持ってる人とか、詳細な情報を知っている人がいれば掲示板にでも。


さて。
妻は彼女のらぶり〜はにーと喫茶店でしんみりお話しているみたいなので、
俺は洗濯洗濯。洗濯中。


同棲を何回かしたことがあって、
正確に数えれば4回なんだけど、
あー、妻との同棲も含む。
つーか、妻とは結婚する前に1ヵ月ほど同棲してた。
結婚前というか、不倫がバレて妻が転がり込んでくる前。
他人の妻と同棲すんなよな(笑)。

んと、洗濯の話と不倫の話。どっちにしよう?(笑)
たぶん読者の皆様は不倫の話を御所望だと思うので不倫の話だな。

男女関係における一般的な「モラル」ってのが、
俺にはまったく存在してないみたいで、
まぁ、それで嫌いになる人は勝手に嫌ってくれていいんだけど、
今の妻(というか、今しか妻はいないが)は、不倫の末にぶん捕りました。
俺が捕まったとも言うけど(笑)。

あー。なんか書こうと思ったけど予想以上にプライベートに入り込みそうなのでやっぱやめる。
洗濯の話にスイッチ(笑)。
つーか、同棲相手と必ず洗濯の仕方でケンカになるのな(爆)。
俺が自分流に洗濯すると、必ず「なんて洗い方してんの!」って怒られる(笑)。
別にフツーに洗ってるつもりなのに、
水を入れるタイミングとか、すすぎのやり方とかが気にくわないらしい。
なので俺は全自動洗濯機が早く欲しいです(笑)。
いろんな都合が重なって、じつはまだ、全自動洗濯機を使ったことがないのね。
全自動洗濯機バージン。誰か奪ってくれ(違)。

でまぁ、結論としては、
いろんなことは気の持ちようだってことだったり。
あたりまえの話だけれど、なかなか難しい。
たとえば、
こうやってちょっしゅうノロケ話して幸せそうに見えるんだけど、
(実際に幸せなんだけど)
見方によっては、
既婚者で子供2人いて鬱病保持で元リスカで3歳年上の女なんかと、
フツー、結婚しないよ(爆)。
そんなタイヘンな苦労、わざわざ自分で背負わないよ。一般的なモラルを持つ人は。
でもそんなもん苦労だとは全然思ってないし、
好きな人と一緒にいられるのはとても幸せなことだと思ってるし、
不倫したからってあーだこーだどーだ言うヤツは、
一度、既婚者で子供2人いて鬱病保持で元リスカで3歳年上の女を
結婚したいと思うまで惚れてください。そして結婚してください。
そのうえで、幸せだと言い切ってください。
それができないなら俺に対して何も言う資格はないです。

というわけで、今日は俺の勝ちだな(笑)。



2002年01月22日(火) 華倫変って漫画家知ってる?


俺の好きな漫画家のひとり。
あーいう詩も書いてみたい(謎)。
ちなみに昨日の日記の中で、
「灰谷健二」と書いたんだけど、
「灰谷健二郎」さんの間違いでした。訂正します。
ツッコんでくれた人ありがとう。
こうやって人は成長していくのさ(違)。


さて。今日は某詩誌のための座談会でした。
かなり有益な時間でしたことよ。
ずっと会ってみたかったZAMBOAというサイトの管理人さん
(http://www.web-corrado.com/zamboa/)
木村ユウさんにお会いできました。わーい。
ダンディダンディ。ナイスガイ。
サインもらいそこねた(笑)。

今日の対談とか、
あと、メール対談でもそうなんだけど、
ネット詩の現状について、
意識の高い人たちのあいだでは、わりと共通した認識を持ってるのね。
けれど、それに対する見解や今後の方向性について、
面白いように千差万別なのよ。
今日の対談で最後に、
それぞれのサイトの今後の目標みたいなのを述べていったんだけど、
これがもう、みんなバラバラ(笑)。
そういうのがいいよね。そうでなくっちゃつまんないよな。

あ。
宣伝してた、詩学2月号掲載の俺の論考、
なんと巻頭です。トップページ。わーい。びっくり(笑)。
1月26日発売予定。25日にまた宣伝するぜ。



2002年01月21日(月) 歌は世に連れ世は歌に連れ。


ミュージカル観に行ったんだけど、ま、いろいろ。
面白かったです。
その後すぐにベンズに直行。
ムリ言って俺もリーディングさせてもらった。


ちょっと前に、とある人の詩をメールで添削推敲させてもらっていて、
アレだね、あーいうのは、自分の勉強にもなるね。
2月の詩会に出すそうです。楽しみ。
灰谷健二さんが小説で書いてたんだけど、
先生ってのは、教えるんじゃなくて、
一緒に学ぶのが先生なんだよな。

最近自分の詩を読む目ってのが、もの凄く厳しくなってるように感じる。
良いことかどうかわかんないけど。
というか、良くないんじゃないかなとなんとなく感じてる。
自分のことは棚に上げてて、
自分の詩は、あー、いいじゃんかって思うけど、やっぱマズイよな。うん。
自分の詩をそういう目で読んだら、
たぶん90%くらいは恥ずかしくて表に出せない。
今、自薦詩集作ったら、5つもない。5つも選べない。

どうなんだろ?
良い詩が読みたいだけなんだけど。
でもそれは贅沢なんだろう。たぶん。



2002年01月20日(日) 知り合いに電話してかからなくて、返信が来ないと寂しいよね(爆)。



いろんな事情があると思うので
一概に言うのはアレだけど。
ま、後で電話ちょうだいね。

で、明日、というか今日はミュージカル行って来ます。はい。



何書こう?

詩のタイトルと導入はとても大切だと思っていて、
最後のまとめの次に気を遣います。

「読者をどこへ連れて行くか」がオチ(まとめ)だとすると、
「読者をどこから入り込ませるか」が導入部。
真っ白な状態の、どこから色づけしていくか。
詩に対してではなく、読者に対して。
遊園地の入口みたいに。
入っていきなり広々としていてどこへ行っていいかわかんなかったり、
ガチガチに舗装された道路まっすぐの直線で出口が見えてしまってたり、
なんかゴチャゴチャしててどれから手をつけていいのかわかんなかったり、
園内の独自のルールが多すぎてその説明を読むだけで疲れさせてしまったり、
なんかそういうのはイヤ。個人的に。あくまでも個人的にだけど。

ディズニーランドの入場口なんか、参考になるかもしれない。
詩における導入部の参考としてのTDL。
そういう考察もなんかいい。なんか楽しい。



2002年01月19日(土) 気になる人が忙しそうなときは、そうっとしておいてあげたい。



ポエフリ頑張ってね。

んと、今日の夜は良い暇つぶしでした。石渡紀美さんのイベント。
暇つぶしと言うと失礼かもしれないけど、
俺の中では「暇つぶし」は悪い意味ではないので、
ま、許してくれ(ワガママ)。


この前某所に様子見で投稿した新作を
なんとなくそこはかとなく推敲中。
最近は詩作どころか、推敲の時間さえままならず、
いろいろ苦慮しております。
できれば2時間くらい、まとまった推敲の時間が欲しい。
ま、どうしようもなくなったら
あんなサイトちゃっちゃか閉じて詩だけ書いてればいいし(笑)。
パトロン見つけて毎日詩だけ書いて暮らすのもいいよね。
いっぱい書いて、詩集を出して、
初刷りの2冊にサインして、妻とパトロンに手渡すのだ。
そういうのもいい。

散歩が好きで、
本当に、そこらじゅう歩き回ってるだけで楽しいのね。
なるべく人の気配があって、なるべく人のいないところ。
昼間の住宅街とか。そういうところが好き。
夜の繁華街とかも好きだけど、
人が多い繁華街はあんまり好きじゃない。
それだったら、夜の繁華街なら、
女の子連れて遊んでるほうが楽しい。
昔は六本木がテリトリーで、
裏道とか、少し外れると住宅街なんだよな。六本木は。
深夜、クラブで踊り疲れたときなんか、
一人でそういう住宅街をブラブラして、
そういうのが楽しかった。今でも楽しいと思う。
もうそういうふうに遊ぶ機会はあまりないのだけれど。

新作は、この前の休日、フラっと近所を散歩してたときに出てきた詩。




2002年01月18日(金) 別れた女がみんな幸せになってくれていると嬉しい。



初めて付き合った人は高校の後輩で、
俺が三年生のときに一年生だった。
付き合い始めたのは俺が大学生になってから。
遠距離恋愛で、半年くらいしか続かなかったけれど。
(じつはけっこうオクテなんだよ俺は(笑))

そのコはすごく成績が良くて、
大学進学率が99.7%、国立大学入学率70%くらいの、
進学校の中で学年1位を取るような女の子だった。
在学中に1年ほどアメリカ留学して、
その後医大に行ったという話を風の噂で聞いた。

お母さんは家裁で働いていて、お父さんは医者だった。
若い頃は僻地医をしていたそうだ。
彼女のお父さんとは仲が良くて、
彼女の家に遊びに行ったときとか、お父さんといろいろ遊んでた。
お母さんはなんか気の強そうな人で、少し苦手だったんだけど、
家族の話になったときに、あれやこれやで、俺はテキトーにごまかしてたんだけど、
(俺の家庭はいろいろ崩壊してたのよ)
後になって彼女からそういった話を聞いて「悪いこと聞いたなぁ」とこぼしていたことを、
彼女の口から聞いて、「ああ。」と思った。
(日本語になってないけど、「ああ。」としか表現できません。すまん)


はっきり言っていろんな女の子と付き合ってきたけれど、
彼女たちの名前は全部覚えている。
泣きながら別れた女の子とか、ケンカ別れした女の子とか、
いろいろいるけど、そして、
だいたいいつもフラれてばかりで、
でも、この歳になると、
「フッてくれたんだな」ってのはちゃんとわかっていて、
自分の若さとか身勝手さとか、
そういうことを思い出すたびに、
みんな幸せに笑ってくれていると嬉しいと切に願ってしまう。
みんな、そんなふうに、俺を育ててくれたのだから。



2002年01月17日(木) 日記のタイトルは長いほうが目立って読まれやすいと思うのは俺だけか?



タイトルに本文書いたりな(笑)。

もうすぐずっと会いたかった人に会えます。
女の子ではないけれど(笑)。月曜日よろしく(微)。


ミドルメディア上の存在がマスに認知されるのには、
どういうきっかけがあるんだろうか?
たとえば侍魂なんかは何故あれだけ有名になったのだろうか。
コンテンツの魅力だけではないのは確かなのね。
ネットというミドルメディアで良い商品を作っても、
それが直ちにマスに流れるわけではない。
付加価値もついていない。侍魂を付加価値とするサイトはあるけど。
どこかの市場に訴求したんだろうか。あるいは訴求されたのだろうか。
それとも口コミだけで広まったんだろうか?
いろいろ考えてるけどよくわからん。
何故商品が売れるのかを考えてるようなもんだからな。

知り合いの知り合いにネット上で死体観察日記を書いてる人がいて、
んと、葬儀屋のバイトやってるからそういうのが書けるんだけど、
(ちなみにすげぇかわいい女の子です)
MSNの特集で取り上げられて場が荒れて
1日数万アクセスとか、凄いことになったことがある。
ちなみにそれ以前でも1日7000アクセスくらいはあったけれど。
今でも書いてるんだろうか。出版の話もあるって聞いてたけど。

うちのサイトなんて1日1000〜2000アクセスの間をウロウロしてて、
巨大とかなんとか言われるんだけど、
巨大でもなんでもないのね。微々たるサイトのひとつに過ぎない。
巨大ってのはイトイ新聞みたいなサイトのことを言います。
詩というコンテンツを扱っているからこのくらいにしか伸びないのかもしれない。
ネット上で詩に関わる人の総数がまだまだ他と比べて少ないのかもしれない。
俺は最低でも1日5000アクセスくらいには持って行きたいのね。
そのくらいにならないと、世間(大衆)に認知されない。

ライバルは詩のサイトではなくアダルトサイトだと、マジで思ってる。




2002年01月16日(水) 食われずに回り続ける回転寿司のネタと不良債権はよく似てると思う。



なんか秘密にしておくのがもったいなくなったので
隠しコンテンツとしてではなく、
サイトからきちんとリンク貼ることにしました。
投票などよろしう(姑息)。


で、今日は珍しくタイトルと日記の内容が一致する見込み。
昼ご飯に回転寿司行ったんだけど、寿司食いながらぼーっと考えてた話。

回転寿司のネタって、食われなくて残っていてもネタはネタなんだよな。
放っておけばおくほど誰も食おうとしなくて干からびて哀愁バッチリなんだけど、
ネタはネタ。哀愁の寿司ネタ。
寿司ネタを会計上で考えると、人気のネタも干からびたネタも資産には変わりなく。
どちらも「寿司ネタ」というカテゴリーで計上されて粉飾決算まっしぐらになっちゃう。
会計上は債権に入っているけど回収できそうにない、いわゆる「不良債権」と同じ。
不良なのに優良のものと同じ場所にカテゴライズされるので、
見た目は黒字でも会社は傾きかけてるなんて事態が起こる。

寿司ネタの不良債権はどうするかっていうと、
滅却しちゃうのね。捨てちゃう。バシバシ捨てまくる。
ファーストフードなんかだと商品販売の機会ロスを防ぐために
生産予定量に最初からわざと滅却分を計上してるのね。
だいたい生産量の10%が滅却分になるのが理想らしい。回転寿司がどうなのかはよく知らんが。

不良債権も同じでね、滅却しちゃえばいいんだけど、
そんなことは誰もわかってるんだけど、
滅却すると店が潰れるんだよ(爆)。
公的資金導入ってのは、もともと滅却のためのシステムであって、
「じゃあ、金やるから誰も食わないネタ捨てとけよ」って言われてんのと同じなのね。
ただ、それをすると、
「ウチの店のネタは新鮮じゃなく食えないもんがほとんどです」って公言するようなものなので、
銀行はいろいろジレンマに陥るわけだ。困ったもんだ(笑)。
んでさらにバカなことにせっかくもらった金を
捨てたネタの補充用にではなく、
新しいネタを仕入れるために使うんだよな。
新しいネタで商売して、その利益で徐々に干からびたネタを捨てていこうという考え。
バカだよねぇ。
事業撤退時に個人贈与資産で赤字分を全部滅却したドリームキャストを見習えばいいのに。
セガがハード事業撤退時に一気に滅却しないで
故人である会長の個人贈与金を新規事業に回してたら、絶対生き残れなかったね。

でまぁ、当然のごとく、新しいネタを仕入れても干からびたネタが回り続けてるので、
置く場所がない(笑)。
置く場所がないからどうしようかって考えて、新しい店を出店するんだな(笑)。
置く場所がないなら置く場所を作ろうという発想。

その発想はまぁ、一長一短なのね。
最近、合併なんかとは別に新しい銀行ができてるんだけど、
これは新たにネタを置く場所を作って、
そこには新規に仕入れた新しいネタを中心に置きましょうという動き。
そうやって干からびたネタの少ない店を作ろうという発想。
ちなみに合併は、
大きくなってそれぞれの新しいネタを持ち寄りましょうって発想なのね。
んで、思惑どおり干からびたネタの少ない店ができればいいんだけど、
その店でまた干からびたネタが出てきたりすると元の木阿弥になっちゃうんで、
今現在みんなが動向を見守っているところ。
ま、どっちにしろ、ネタを捨てるという発想が銀行にはないみたい。
発想そのものがないのか、プライドがジャマしてるのか、
まったく捨てられないほど会社が疲弊しているのかのどれかなんだろう。


(ちなみにかなり独断で書いてるので事実と違う部分があるかもしれません)



2002年01月15日(火) みなしごハッチとエディプスコンプレックス。


つーか、蜂に親父いねーじゃん(笑)。


なんの話をしよう。んー。何も考えてない。


今年はリーディングをもう少しマジメにやっても面白いかなぁと
個人として考えてる。考えてるだけだが。どうなるかわからん。

以前某詩人さんにも指摘されたのだが、
シャウト系だと映えそうなんだよな。俺の声は。
自分でもそう思っていて、思ってるんだけど、
シャウト系のネタがない(笑)。
自分の詩はけっこうモゴモゴ系(謎)なので、
んー、詩のスタイルをいじることから始めても面白いかもしれない。
詩作において、発声からのアプローチをもっと突き詰めるのもいいかも。

あとは、んー、やっぱ発声訓練だな。訓練が足りない。圧倒的に。
体が腹式呼吸を忘れてしまっているらしく、
意識しないとできなくなってるのね。

メロディのない歌を歌うような感覚。
そういう感覚が俺のリーディングの発声方法において必要なんじゃないかなと。
そんなことを感じてたりする。



2002年01月14日(月) 不健全なデートがしたい。



「恋愛回路説」というのを勝手に唱えていて、
人を好きになるかどうかってのは、
脳の中に恋愛回路ってのがあって、
そのスイッチが入るかどうかなんだと思ってる。

好きなタイプだとか、全然関係ないんだよな。
スイッチの問題。オンかオフか。
それが人によって
すごく重いスイッチになってたり、
パカパカすぐにオンオフできるようになってたり、
カットインやフェードイン機能があったり、
直列や並列があったりするんだよ(笑)。

なので口説くときには、
どうやってスイッチをオンにさせるかってのを考える。
その人のどこにスイッチがあって、どうすればオンに傾くのか。
その人のスイッチにはどういう機能が備わっているのか。
それさえ把握できれば、たいへん効率よく口説くことができます(爆)。
俺ははっきり言って手が早いんだけど、
たぶん、このおかげだろうな(笑)。

まぁ、逆にね、
スイッチの重い人をオンにさせて、
その人に、スパって切られちゃったり、つまり、
その人のスイッチがカットアウト的にオフになっちゃったりしたときは、
それだけの負荷を俺がかけちゃったんだなぁって、
すごく申し訳なく思ったりもしてます。


ごめんね。(誰にというわけでもなく)



2002年01月13日(日) 詩をひとつ書いた。



某投稿サイト、1ヵ所のみに発表して様子見中。
もっと推敲の必要あるかなぁ。
やっぱわかりにくいかなぁ…。
ま、そのうち気が向いたら自分のサイトでも発表するでしょう。


今日はちょい鬱々してるので短めに。

共感から発生する感動は薄っぺらいです。
それが薄っぺらいということに気づいて初めて
詩が始まります。詩を書けるようになります。
そこが入口。


そんだけ。ひとことだけ。



2002年01月12日(土) 詩集全然読まない詩人もアレだけど、詩集ばっか読んでる詩人もアレだよな(笑)。



メール書簡による対談とは別に、
某詩誌からもうひとつ別の対談の依頼が来てる。
でもまぁこれは見知った人たちとの対談なので、
なんとなく流れが読める感じ。
あーなってこーなって結論はこんな感じかなぁと。

「ネット詩の責任」ということを年末くらいからよく口にするんだけど、
メール対談でいろいろ考えてるうちに、なんか、
「ネット詩の責任」の中には、
「ネット詩だけの責任」ではないものも含まれているような、
そんな気もしてきてる。
ある意味、詩の市場全体がないがしろにしてきたものが、
ネット詩において表出してしまってるような。
それはネット詩だけに押し付けられるべきものでもないし、
逆にネット詩が被害者ヅラするようなものでもない。
そんなものが、ネット詩に漂ってるような。

ま、詳細は雑誌に載ってからだな(笑)。
心に留めておいてくれれば。



2002年01月11日(金) 夏の日に冬の寒さを感じることが大切だと思う今日この頃。



タイトルはもちろん嘘(笑)。
そんな今日この頃は送っておりません。
3月いっぱいまで仕事が忙しい。
困ったもんだ。遊んで暮らしたいなぁ。


今日はなんか食べ過ぎで調子が悪い。
ついでに日記のネタがない(笑)。
なので詩集の話でも。

最近あんまり詩集読んでないんだけど、
北川浩二さんの「涙」、読みました。
ZAMBOAでも特集組まれてた人。
俺的には、良いのも普通のもなんじゃこりゃぁ?ってのも混在してて、
でもまぁ、面白かったです。良いと思ったのが本当に良いんだよな。
そういうのが1個でもあれば、ま、詩集としてはアタリでしょう。
平易な文章で書かれてあるのね。わかりやすい文章。
時々述べるけど、
俺の中では「わかりやすい」は褒め言葉です。
北川さんの詩はわかりやすいけど、ありきたりではない。
言葉の使い方をわかってないと、こういうのは書けない。

最近の人だと、田口犬男さんが一番お気に入り。
この人はすごいなぁ。俺もこういう詩書きたいなぁと思わせる。
田口犬男さんのサイトもあるので、ヒマな人は探して行ってみてください。
詩集は見つけたらぜひ買ってください。損はない。オススメ。

あと、昔好きだった白石公子さんの詩集も最近買った。
現代詩文庫だっけ? そういうシリーズの詩集。
この人は初期と後期でけっこうスタイルが変わってきていて
初期のなんつーか、だらだらとした雰囲気も好きだけど、
後期のもう少し絞った感じのも面白い。
後半、井坂洋子さんが白石公子さんに対する詩論というか、考察を書いていて、
それがまた興味深かったです。
井坂洋子さんもお気に入りの詩人さん。
彼女の詩は少し難解かもしれない。
意味を追っていくとよくわかんなくなるかも。
けど、この人の感性がとても好き、というか、
こちらがスパっと切られてしまうような感性。



2002年01月10日(木) 何でもあげるって言われたら迷わずド●えもんが欲しいと言おう。


ド●えもんのプログラミングミスは、
従事者(の●太くん)に甘すぎるってところだな。
鬱病のプログラマーがプログラムしたら
あんまり関係ないけど、
鬱病傾向の強いロボットになると思うのは俺だけか?



夢の中で詩を書いてた。
夢の中だということはわかっていたので、
記録しとかなくてはと、テキストをコピペした。
それでなんか安心したんだけど、
もちろんそれも夢の中なので記録できるわけもなく、
起きたときには詩の内容をきれいさっぱり忘れていた。残念。

時々夢の中で詩を書いてることがある。
ちょっと前には即興リーディングしてる夢を見た。
内容はたいてい覚えていない。すごく悔しい。
以前「インディアンサマー」というタイトルの詩を書いた記憶がある。夢の中で。
タイトルだけ覚えている。
あとは忘れた。

(今日は短めに)




2002年01月09日(水) 奥様は黒胡椒がお好き。



もちろん相変わらずタイトルに意味はありません。
最近マジメな話ばっかり書いてて疲れた。
息が詰まっちゃうよ(笑)。


昨日は家にお客さんが泊まりに来てました。
そのためにベッドをお客さんに占領されて(違)、
俺は居間で寝ることに。
(妙齢の女性なので妻と1枚の布団で寝たのだ。想像するとちょっとえっち)

居間にはホットカーペットがあって暖かいのだけど
(ちなみにこのホットカーペット、
 ヨドバシカメラのポイント使って無料で購入)
その暖かさをナメてた俺は妻の制止も聞かずに
カーペットの上に毛布を敷いてそこに布団かけて寝たのな。

なんつーか、俺自身は編集という仕事の職業病だと思ってるんだけど、
必ず自分でチェックしないと気が済まないのね。
編集の仕事ってのは、企画考えるのが半分、人を動かすのが半分って感じで、
最終責任はすべて編集者にかかってくるんだよ。
たとえばライターがヘンな文章書いてクレームが来たり、
デザイナーがわけわかんないレイアウト仕上げたりしても、
それはライターの責任でもデザイナーの責任でもないのね。
全部編集の責任。編集者が叱られます(笑)。
ま、あたりまえと言えばあたりまえなのだけれど。
というわけで、
編集者はすべての事象に対してすべからく自分自身でチェックを行います。
ライターやデザイナーがいくら「完璧です。大丈夫です」って言っても
「ここの数値は私が調べて書いたので大丈夫です」って言っても、
必ずチェックします。
後で何か起こったときに、
「誰それがこう言ったからそれを信用して…」なんて言っても、
それはただの言い訳になっちゃうので。
そんな言い訳は通用しないので。
それが編集者の仕事。
他人を信用してちゃ編集はできないのよ(爆)。

で。話が元に戻るけど、
人から危険と言われてもとりあえず自分で確認しないと安心できない性質なので、
(妻は俺のそういうところすげぇ嫌う。人を信用してないって。
 だけどねぇ、人を信用しないのが職業病なんだってば(笑))
「熱がこもって寝るどころじゃないよ」という妻の暖かい助言に背を向け、
寝ました。寝ましたが、やはり眠れない。熱い(爆)。
さすが俺の妻。的確な助言です。
妻の助言が的確であったことを自分で確認いたしました(笑)。
だからね、確認しないと安心できないのよ(笑)。
人の言うこと聞かないわけじゃないのよ。そのへんわかって欲しい(笑)。
でまぁ、ありがたいと思いつつ、カーペットのスイッチを切ってぐーすか寝ましたとさ。
スイッチ切っても熱が残ってるので、ほどよい暖かさでした。

今度はちゃんと言うとおりに寝ます(笑)。



2002年01月08日(火) 暴れん坊将軍世にはばかる。



はばかってあたりまえだってば。将軍なんだから。

というわけで受験生もビックリ
役に立ちそうなサイト見つけたので掲載↓
http://www.hi-ho.ne.jp/~asawa/proverb.htm


以前さいとういんこさんと雑談してたときに、
いんこさんが才能至上主義であることが判明。
「才能のない人はどうしようもない。ダメ」と、けんもほろろだったことよ。
才能のある人が言うとカッコイイよね(笑)。

俺は「才能は重要だけど努力で補える部分もある」と思ってるんだけど、
努力する才能ってのも必要で、
一生努力しても才能に追いつけない分野もあるのでは。なんて。

詩を書き始めたのは中学生の頃で、
3年間くらい、箸にも棒にも引っ掛からないようなものばかり書いてた。
上手くなりたいと思ってはいたけれど、
書くだけで満足してた時期だったんだろうな。たぶん。

高校生になると心情吐露を脱却し始めて
幾分マシなものが書けるようになったんだけど、
まだまだ独り善がりなものだった記憶が残っている。
それなりの主題とそれなりの技術でホイっと書いて自己満足してる世界。

異論反論もあって、これが正しいとは言いきれないのだけれど、
「読者を意識する」という目は、必要だと思っています。
媚を売るとかそんなんじゃなくて、「他人が読むものである」という意識。
たぶん、ある段階から必要になってくると思う。感じてる。

詩が上手くなりたいって人はいっぱいいて、
じゃあ、どうすればいいのかって問題があるんだけど、
技術の向上とかそういうもの以前に、
意識の変革が必要なのは確か。詩に対する意識。
「詩とは何か」という自分なりの定義を、いつも疑ってかかる必要がある。
自分の定義を否定できて初めて、次のステージに進むことができる。
たぶんそれが、「努力する」ってことだ思う。経験上。

俺自身は「読者を意識する」ということを、現在必死で否定しようとしている。
それを越える場所を探してる。次のステージへ進むために。
才能ないのでそういうところからやっていかないとね(笑)。
(昨日と言ってることが違うのがまた俺らしい(笑))




2002年01月07日(月) 目の前で起こったことではない あれはテレビの中 あれは11日


タイトルネタがないのでまた即興短歌。
短歌作ると破形が多い。というか、定型破形は気にしない。
にしても短歌の才能はあんまりないなぁ。
(詩の才能はあると暗に言っているところが俺らしい(笑))

「さがな。」という詩の有料メールマガジンがあって
何号か前の大村浩一さんの詩に抗議のメールが来たという
すげぇ情けない話を1月4日の朗読引かせ王選手権で聞いた。
情けないってのは、もちろんメールを送った人のことね。

ときどき、ズレを感じる。
わかっている人とわかっていない人がいる。
世の中の見え方が、まるきり違う人たち。
精神的に子供だとか大人だとか、そんなのは関係ないのね。
大人でもわかっていない人はいるし、
こいつガキだなぁって思う人でも、わかっている人はいる。

詩を読んでいて、詩の良し悪しとは別に、
「あ、この人わかってるな」って感じる人が時々いて、
そういうのを読むと、とても安心している自分がいる。



2002年01月06日(日) 時々わけわかんないことも言ってみたりする。


自分のサイトの批評の部でよくわかんない酷評をつけました(爆)。
ま、知り合いだからできるのだけれど。
さすがに自分のサイトとはいえ、
顔見知りでもない人にあそこまでグチャグチャな評はつけられない。

言いたいことの半分も伝わらないかもしれない。
ヘンなイチャモンつけられたと感じるかもしれない。
ま、あれで反感を買われてもしょうがないでしょう。
ちゃんとした文章になってないのだし。
微妙なニュアンスやわずかな差異を説明する時に
言葉はものすごく不向きな道具となります。

「詩情があればそれは詩なのか」という、数年来抱えている命題に
もう少しで結論の糸口を掴めそうな、そんな気配が出てきている。
その気配から沸き立つ、苛立ちにも似た感情があの評を書かせている。
たとえば自分のサイトの即興コーナーで俺が書いてるようなものは、
俺の中ではすべて「詩」じゃないのね。
あんなもん、
どれだけ上手く書いて
どれだけ人を感動させたとしても、
詩なんかじゃない。
詩情が溢れているものに過ぎない。
俺は詩が書きたいんであって、
詩情に溢れたものを書きたいわけでもないし(そんなのはもう飽きた)、
ましてや、
詩によって自分の気持ちを言葉にして表明したい気持ちなんかさらさらない。
詩の核ってのは、もっと別の場所にあるような気がする。
詩情なんかとは全然別の場所でニヤニヤしてる。

たぶんね、詩を書こうと思ったら「詩」は書けないんだよ。
超ひも理論における素粒子みたいに、振動しているのかもしれない。
観察するという行為によってその姿を変え、
本質を把握されるのを拒んでいるのかもしれない。



2002年01月05日(土) 女のコはやっぱりぎゅうぅぅぅぅってしたいよね(笑)。


はぐはぐ。

セックスするよりも抱きしめてるだけでいいって時はいっぱいあって、
あー、もちろんセックスは好きなんだけど(笑)、
セックスするよりも大切なことはいっぱいある。


恋愛論を語り始めると一晩では終わらないので
普段はあまり語らないようにしてるんだけど、
結局、関係性の問題に行き着くんだよな。
両者の心情の内部から生まれるものではなくて、
両者の関係性において発生する一形態に過ぎない。

でまぁ、
嫉妬深いヤツが多いのは何故なんだろう?
そんなに自分に自信ないのか?
嫉妬とか執着心とか所有欲とか、
そういうのは愛情の表出形態の一種類ではなく、
愛情から派生する別の感情なのであって、
愛情ではありません。ありえません(キッパリ)。
そこんとこわかれよ。つーか、ウザイよ(笑)。
束縛の表明はテクニックのひとつとして使いましょう。うん。

束縛していないと束縛できないのは、束縛する力がないだけなんだよ。
不安から発生してるだけなんだよ。
自分のためだけに恋愛してるんじゃないのか?
幸せでいたいとか、幸せにするとか、そういうんじゃなくて、
一緒に幸せになるんだよ。
男女間の恋愛に限らず、
そこをお互いが理解してないと長続きしないんだよな(笑)。



2002年01月04日(金) ついにバレてしまった…。ヤバイ(違)。



妻にこの日記のありかを発見されてしまった。
これでもう、ヤバイことは書けない(笑)。
うちのサイトからはこの日記、
隠しコンテンツとして秘密にリンクしてあるんだけど、
隠し場所変えようかなぁ(笑)。

さてさて。
詩学2月号掲載の論考に続き、
別の詩誌の企画が今日からスタート。
往復メールによる対談です。掲載はいつになることやら。
内容に関してはあたりまえだけど秘密。
こういう記事や企画の依頼が多くなると、
俺も「詩壇の人」って言われてしまうんだろうか?(爆)。

「詩壇」ってのは俺はよくわかんなくて、
あるって言う人もいれば、ないって言う人もいるのね。
詩壇=閉鎖的というマイナスのイメージで語られることが多いんだけど、
どうなんでしょう?
案外閉鎖的に見えるだけかもしれなく。
あるいは、権威を振りかざしてるのかもしれなく。
近づいたことないのでよくわからん。

「ネット詩では権威性をともなったパワーは発生しない」
と俺は楽観的に思っていて、
悪い意味での「ネット詩壇」は生まれないんじゃないのかなと。
ネットという媒体は原則としてセルフプロデュースの場なので、
紙媒体のように、何かを通過して表に出るというシステムが
基本的にはないのね。良くも悪くも。
なので権威というものが一方的に発生することはないんじゃないかなと。
逆に、そういう方向へ行くように動く必要はあるのかなと。
アンチテーゼを否定しない方向へ。歓迎する方向へ。
もちろんただの誹謗中傷は論外だけど。
否定するだけで何か行動を起こした気になってる輩は大嫌い。

仲間内だけでやってるような、閉鎖性は生じるかもしれない。
ただそれも、そういうふうに見えてしまうだけなんだと思う。
昔はアヴァンセとか、ぺんてかとか、清水鱗造(漢字うろ覚え)さんのところとか、
俺もコワイっつーか、書き込みがためらわれるような、そういう雰囲気があって
仲間内だけでやってるように、すごく閉鎖的に見えたんだけど、
でも実際はそんなこと全然なかった。
普通に挨拶して普通に何か喋ってれば、きちんと開かれた場として対応してくれる。
少なくとも閉鎖性は権威性と結びつかない。ネットにおいては。
というか、ネットという媒体は、
マスメディアではなくミドルメディア、でっかい井戸端会議みたいなもんだと
俺は思ってるので、
そういう意味では仲間内みたいに見えちゃうのはしょうがないのかもしれない。
「見えないように工夫する」という姿勢が、今後重要になるのかもしれない。



2002年01月03日(木) かねたかかおる宇宙の旅。


つーか、かねたかかおる知ってる人はいるのか?(笑)


もっとふらふらするのもいいなぁと最近思う。
あっちふらふら。こっちふららら。
フットワークをさらに軽く。らいくあふぇざー。
あ。女関係ではなく(爆)。

結婚するということが
そういう方面でのデメリットになっているのは確かで、
行きたいと思った場所に
好きに行けなくなるのね。
もちろんそれはプラスマイナスで見れば微々たるものなのだけれど。

他にも、この歳になると仕事関連でも
より重要な立ち位置を求められるようになってきていて、
歳を取ると、
負うべき責任の量が格段に増えていく。
「そんなのメンドくさいからヤダ」ってのは
もちろん本音なんだけど、
そんなこと本気で言うヤツはただのガキで、
自分が「生かされている」ことに気づいていないだけなんだよな。

責任は、感謝とともにあるべきなのかもしれません。


でまぁ、
そういうのを考慮したうえで、
ふらふらできると楽しいよなぁ(爆)。
結局ふらふらしたいだけなんだよな(笑)。



2002年01月02日(水) 桜の木の下にはドジョウが埋まっている。



昨日の補足。

んと、詩を読んでないと良い詩が書けないとか、
昔の詩や現代詩がすべて素晴らしい詩だとか、
そういう意味で書いたのではなく、
「詩」に対して真摯であろうとするならば、
「詩とは何か」という問いに対する先人の軌跡を確認したり、
現在の詩をとりまく環境がどのようになっているのか、
そういうことを知ろうとしてもバチは当たらないんじゃないかなと。
詩作においてそういった知識は確かに不可欠なものではないけれど、
んー、なんて言えばいいんだろう?
「詩」に対する礼儀みたいなものかな。そんな感じ。

そういうことをしようともしないで
「詩を愛している」なんていう人は
「詩」を愛しているんじゃなくて
「詩によって自分の思いを形にして発表できる」
という状況を愛しているに過ぎない
と、個人的には思ったりなんて暴言を吐いてみたり。


んー。メンドくさくなったんで今日は補足で終わり(笑)。




2002年01月01日(火) ナマハゲは歩いてこない。


もちろんタイトルに意味はありません。

サイト的には区切りとして1月1日があるんだけど、
個人的には全然意識してなく、
店がいっぱい閉まって不便だなぁくらいにしか考えてない。
というわけで、新年だろうとだらだらと。

昨日は渋谷でMILKとその仲間たち(爆)と一緒に飲んで
その後MILKは某フェティッシュ・バーでカウントダウン、
俺はそのまま家に戻って一人でお留守番。の予定だったのだけど、
MILKは軽い癲癇症状が出たらしく
23:30過ぎくらいにタクシーで急遽帰宅してきた。
その後少しワヤワヤと。ま、そういう年明けでした。
ま、今は薬飲んで寝てるんで、もう大丈夫でしょう。


渋谷でミッドナイトプレス冬号をようやく入手。
ちなみに詩学は今年から年間購読。まだ1月号来てない(泣)。
詩手帳は立ち読みしたけど、なんかつまんなかった。
んで、谷川俊太郎と正津勉(ゲスト:鈴木志郎康)の対談。
インターネット上での詩についてちょこちょこ述べている。
内容に関しては違うんだよなぁと思うところもあったけど、
谷川さんが、「今の若い世代は詩を読んで詩を書いてるのかな」
という内容の発言をしていて激しく同意。
詩を読まずに書いてる人が多いんじゃないのか?
あるいは、自分の周囲のみの詩を読んでるだけなんじゃないのか?

なんだろ?
詩会のレスなんか見ててもそうなんだけど、
詩を読む幅の狭い人が多い。特に最近顕著になってる気がする。
(もちろん広い人もいっぱいいますが。)
でまぁ、狭いのは問題ではなく、
それは人それぞれの技量や、発展途上ってのもあるので
狭いのが悪いとは言わないけれど、
狭いことを認識してないのは、問題だと思う。
ちょっとね、そのへんなんとかしないとね。
システムとして、認識してもらう何かを作ることは可能なんだろうか?
詩会とか、自分の作品へのレスを見る前に、
他の人の作品への、他の人のレスを見て欲しいよな。
それを自分が書いたレスと比較して欲しいよな。
たぶんね、そういうところから始まるような気がする。気がしています。

で、それと同時に、言ってることが違うんだけど(笑)、
詩への入口が、詩ではなくなってきてるのかなとも思ってます。
たとえば俺なんかは、
近代詩や80年代の現代詩人などが詩の入口だったんだけど、
今はなんか違うもんね(笑)。
「ミスチル」やら「あゆ」やら、それは歌手だっちゅーの。
詩の入口が歌になってる。
だから好きな詩人の欄に歌手を入れて、
その違和感にまったく気づかない人とかいるんだよな。
それが悪いのかどうなのか、まだよくわからん。
個人的にはふざけんなって思ってるんだけど、
詩史的な流れとして、もしかして大勢になってるのかなと、感じてたりもする。
なのでよくわからん。
流れとしてそうなら、ネットという媒体の登場によって、
詩の活性化と同時に歴史的断絶が起こるんじゃないのかなと。
そういう危惧も、頭の片隅にあったりします。
それが詩の変化なのか、滅亡なのか。
現在が過去にならなければわかり得ないことだけれども。

まーね、もっとね、“詩”を読もうね(笑)。
読んでから書こうね(笑)。


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