chiyoの日記

2004年12月26日(日) ザ イエロ一モンキ一

が解散した。今年の7月7日の七夕に。
高校の頃、洋楽にどっぷりはまっていた僕はこのバンドのことをバカにしていた。
で、ある日雑誌の表紙になっていて、そこには『歌謡ロック?上等じゃね一か!』と書かれていた。
音は洋楽ぽいのにメロディ一は歌謡曲。たぶんそういうところが当時の僕がバカにしていた所なのかもしれない。
けれどそれからしばらく時がたって僕はくやしいけれど、このバンドの曲好きだな、と思うようになった。
その理由はバカにしてたはずの歌謡曲的なメロディ一ラインに鳥肌がたったからである。
洋楽にはまってかっこつけていた当時の僕は実は生来日本的なメロディ一が大好きだった!ということにその時気づかされたのである。

今日東京ド一ムで行われた彼らの解散後のビデオコンサ一トにいってきた。
ビデオのラストに流れた『バラ色の日々』という曲に不覚にも泣いてしまった。
ビデオ上映後、メンバ一が登場し事実上バンドとして最後の演奏を一曲だけ披露してすべては終わった。

THE YELLOW MONKEYはかっこいい日本のロックバンドだった。



2004年12月25日(土) 怒りのパワ一

怒りのパワ一はすごい。気持ちがたかぶってる時は何でもできる気がする。時にはそれも必要なのかもしれない。
けれどそれはやはり間違いで、それを上回る喜びのパワ一をもちたいと切実に願うのです。
僕は汚いし冷たいしどうしようもない。
偽善だし偽物だしどうしようもない。

だけど成長したい、生まれ変わりたい。

その想いがある限りまだまだ枯れない。

どんな痛みも逆境も、生きている限り続くが、それは成長するための天からの恵みなんだと知る。
感謝の泉を枯らさぬように人にやさしくなりたいな。



2004年12月24日(金) ハッピ一クリスマス!

クリスマスソングが多く流れる季節、今更ながらジョンのハッピ一クリスマスが耳に飛び込んできた。
カバ一したいなと思いCD屋で借りてきたら対訳の所、「ハッピークリスマスキョ一コ、ハッピ一クリスマスジュリアン」と書いてあったのでアレ?間違い?と思った。ずっとこの曲「ハッピ一クリスマスヨ一コ、ハッピ一クリスマスジョン」と言っているのかと思ってたから。
でも解説よんだらこの曲はジョンと前妻との子ジュリアン、ヨ一コと前夫との子キョ一コへの語りかけから始まる、と書いてあった。
何とも感慨深い。

曲は隣人も親愛なる人も老人も若者も強い人も弱い人も金持ちも貧しい人も白人も黒人も黄色い人も赤い人も争いをやめてクリスマスを祝い平和を祈り迷うことなく新しくくる年を良いものにしよう、ということを歌っている。
涙が出そうになる。

クリスマスは全世界の人の安らぎと平和を祈る日でもあり周りにいる誰かに改めて感謝してやさしくなれる日でもあると思うんだ。



2004年12月19日(日) 求道者

世の中わからないことが多すぎるけど、僕は死ぬまで求道者でありたいと思う。



2004年12月17日(金) 深夜リハ明け

今日はもう柏路上の日だ。寝なきゃ。
今日の路上もまた素晴らしい一音一会を期待してる。
すべてのことは何一つ無駄なことなどないのだ。本当にそうなんだよ。



2004年12月15日(水) 路上は

路上ライブをもう5年もやっているのに、路上はいつも僕にいろんなことを気づかせてくれる。
こんなにもカッコ悪い等身大の自分をみせてくれる。
路上には用意されたステ一ジがない。
よって聴いてくれる人との差がまるでない。
路上には何のカモフラ一ジュも演出もない。よって浮き彫りにされるのは裸の自分自身だ。
路上には約束されたお客もいない。
よって当然歌っているのに誰も聴いていないこともある。
そんなとき、僕は誰に対して歌っているのか、何の為に歌っているのか、という自問自答を当たり前のように差し出される。
お客が増える。
調子にのっている自分に気づく。
お客が減る。
ヘコむ自分に気づく。弱気になる。
お客がまた増える。
商売気をだす。
口調もかわる。
お客がまた減る。
集中力がなくなる。

なんてカッコ悪いんだろう。裸の僕自身は、と気づかされる。

いつか確かな自分を手に入れたとき、僕は例え東京ド一ムを超満員にした後でも、誰も僕のことを知らない街でも同じ気持ちで歌えるようになるんだろう。
そんなふうな歌うたいに、人間になりたいんだ。



2004年12月14日(火) ハ一ドフォ一クジャンボリ一

今日、四谷天窓のイベントに飛び入りで参加してきた。アコ一スティックエボリュ一ションVOL.30というイベントである。
企画者であるMさんから誘いを受けたのだ。今回の主旨はこのMさんの右腕として長年スタッフとして頑張ってきたKさんが諸事情により今回をもって辞めるからというものだった。そういうことなら、と二つ返事で出演を快諾したミュ一ジシャンたちで会場はいっぱいになった。
四年前の2000年、いまや伝説となったイベント『ハ一ドフォ一クジャンボリ一』。今日の出演者はほとんどその頃からの顔みしりのミュ一ジシャン達である。企画者のMさんをはじめ、YASSさん、サスケ、患者さん、本名カズトさん、水野映仁さん、長谷川直樹さん、ヨシケンさん、森本ヒデキ、ボルフガング、ぶんやともあき、・・・数え切れないほどのミュ一ジシャン達との出会いをくれたのがこのイベントである。
それが今日この日、まるで同窓会のように一同に介した。
イベントの最後、本名さんの本当にすばらしいステ一ジが終わったあとに企画者のMさんのあいさつ。
Mさんは泣いた。
右腕だったKさんが辞めること、イベントをここまで続けてきたこと、懐かしい出演者が集まったこと、様々な想いがかけ巡ったのだろう。Mさんは涙を見せまいとサングラスをかけた。
僕は何とも言えない気持ちになった。ハ一ドフォ一クジャンボリ一という素晴らしいイベントがあったから、こうして素晴らしい人たちに会えた。
改めてそれぞれにとってのハ一ドフォ一クジャンボリ一が胸に蘇った気がする。
そこには僕だけでなく、あのイベントに関わったすべての人たちが感謝を感ぜずにはいられないだろう。

2000年8月26日。
今夜はあの日付が刻まれたTシャツを着て寝ることとしよう。

Mさん、Kさん、ひとまずお疲れさま。
そしてありがとう。



2004年12月10日(金) 早一年。

年末ですね。この前2004年の決意を日記に書いたと思ったのに早いものだわ。
サル一キ=的には4月にムサ公やって、その後ちょっと悩んだ時期があり、マンスリ一インストアやって、秋冬の陣!が始まり今に至る訳です。
けれど振り返ってみると予定とは違っても何ひとつ無駄なことはないなあと思える。
何事も予定通りにはいかないし、大切なのはその都度その都度で真剣だったかどうかということ。それさえあれば何も後悔はない。
それはまた人生も然り。
自分がイヤだなと思うときは大概がんばっていない時だもんね。
でもその時期はその時期で大切。つぎに爆発すればいいんだもの。
僕にとって大切なのは過去でもなく未来でもなく『今』であって、『今』の充実が過去を肯定できるし『今』の頑張りが未来に希望を持たせてくれる。
だって生きるということは今の連続なんだもの。

早一年。今年も残すところライブもあと2本だけど全力で走りきります。
それが終わったら3年ぶりくらいに実家に帰って少しのんびりしてまた来年走り出すんだ。


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