人間なんてそれぞれ性格がちがうように見えて実はその根本は変わらない、似たようなものだ。 ただ自分の経験のないこと、知らないことは同じように感じられなかったり共感できなかったりする。 けどその人を知れば知るほどその人の中に自分を見つけられたり、似たような部分を感じられたりする。 相手の深い部分まで知らないで食わず嫌いならぬ知らず嫌いになりがちなのはみんな同じだ。 相手を知るにはエネルギ一がいる。知ってく過程のなかで嫌な想いもするかもしれない。だから適度に距離をとって波風たたぬようつきあってく方が楽なのだ。 ざっと考えただけで僕もそのようなつきあい方をしている人が3人以上はいる。
自己中心。 それがある限り結局何の問題だろうと根本的な解決には至らない。 相手を知ること。 それは愛であり人類最大のテ一マだ。
現実や状況にながされ愛をあきらめますか? 僕もいま戦っている。
〈モチベーション〉 動機、やる気、行動力、ファイト、信じるもの ※勝手に僕訳
どんなに頭がよくっても、どんなに才能に溢れてても、どんなにお金があっても、それを使いこなすだけのモチベーションがないと人は輝けない。 逆にモチベーションさえあればあとのことはどうにでもなる気がする。 人によって様々なモチベーションがあると思うけど音楽をやる僕にとってそれは純粋じゃないと意味がない。
純粋に生きることや愛をもって生きることがどこか損してるようでバカらしく思われがちな世の中だ。 けどそう生きることがこの現実の世の中でも一番つよいということを僕は音楽をとおして証明したい。
それには愛の正しい理解が必要だ。 まだ発展途上。
寒いのキライ。寒いと泣きそう〜になる。それくらい僕は寒いの苦手なんだが東京にきてから毎年冬場も路上で歌ってる。 歌ってる時は寒いこと忘れてるんだな。 歌うことが好きだ。音楽が好きだ。その喜びの方が上回ってる。 今はそれを共に感じられるメンバ一がいる。支えてくれるスタッフがいる。おなじ寒い中音楽をわかちあってくれるファンがいる。
感謝で溢れる。 大切にしなきゃと思う。さらにおおきな感動を分かち合いたいと願う。 そこに音楽があって笑顔があって涙があって奇跡があたえられる。 感謝です。
スタイルは頭で考えるものでも真似するものでもなく、その人の願う理想や生き様がスタイルになる。
やらされてるという感覚。仕事とか勉強とか生きることとか。 その感覚って不幸だよね。 自分でやってる。あるいは、やらしてもらってることへの感謝。 その感覚って自分を幸せにするし周りも幸せにする。 理不尽なことが多い世の中で、人間弱いからどうしても「やらされてる」感覚になっちゃう。 毎日だって本当は一日一日が特別で、それぞれの人のために用意され、あたえられ、生かされているのに、明日がくるのがあたりまえになっちゃう。生きていることさえ「やらされてる」感覚になって不幸になる。 世の中が最初から幸せで、戦争もなく、すべてがうまくいってればいいのにって神様を恨んだこともあったけど僕らはロボットじゃなく人間だ。いろんな事がある毎日のなかで自分で気づいていかなきゃいけない。自分で気づいていかなきゃ意味がない。
そう愛に気づかなきゃ。
2003年11月21日(金) |
ロックンロ一ラ一のファッション |
は悪者っぽい、浮き世離れしている、フォ一マルの場に着ていく服ではない、反社会的、色メガネでみられる、・・ような服装が多い。 な〜んでか。 それはね、 単純にその服がすきだから、というのもあるんだろうけど、そこにはメッセ一ジがあるような気がする。 「外見だけで人を判断するなよ!大事なのは中身だろ」 と彼らは言っているような気がする。 ロックンロ一ルとは、すべての本質を突いてゆくメッセ一ジなのだ。
悪い想いは加速する。口にだして言うと更に加速する。止まらない。 だから僕は心に悪意が芽生えた瞬間、それを無視する。
悪意でその場のウサは晴らせても、結局自分に返ってくるし悪意は誰も幸せにしないから。
謙虚はいるけど遠慮はいらん。これもまた紙一重。 人に何か物事を伝えるとき、表現はどうであれ、いつもそこに相手を思いやる愛があればいい。
人はすぐに人間評論家になりがちである。 他人のことを見ては、あの人はああだこうだと裁きたがる。 その大概が悪いとこの評価なんだけど。 人がどうこうだと言うまえに、他人にこうであってほしいという人間像に自分がなろうとすることから始めないか。他人のここが悪いという前に自分にも似たような悪いところがあると認めるところから始めないか。
それが今の世の中をキラキラした世界に変える鍵のような気がしたのでした。
簡単に考えてみよう。生きているからには誰もが幸せになりたいと願う。 幸せを感じる瞬間。 人それぞれだけど、僕は音楽が好きだったから今音楽をやっている。 じゃ音楽のなにがそんなに人生をかけれるほど魅力的なのか。 音楽は人の心を解き放ってくれる。 だから色々な人と色々な想いを音楽を通して分かちあえる。 別に音楽に限らず人それぞれ、それぞれの与えられた場で、生き生きとしているなら素敵な時間をすごせる。想いを分かちあえる。 分かちあうのに必要なものは愛です。 愛はひとりで生み出せるものではなく、人と人との交わりのなかで降り注がれるもの。 だから僕の人生の目的は音楽をとおして愛を学んでいくこと。 人生いいことばかりじゃないけど、いつもそこに立ち帰りたい。
愛って何? 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、愛は高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。 すべてを我慢しすべてを信じ、すべてに期待し、すべてを耐え忍びます。 愛は決して絶えることがありません。
う一ん愛をもつのは難しい。上の文章、まるでオレと正反対だ(笑)。けど全くもって正しいやね。 愛をあきらめることだけはやめよう。信じていよう。
人をだましたりするのはとってもいけないことです 物を盗んだりするのはとってもいけないことです それでも僕はだましたり物を盗んだりしてきた 世界が歪んでいるのは僕のしわざかも知れない 〈中略〉 だから親愛なる人よ その間にほんの少し 人を愛するってことをしっかりとつかまえるんだ (チェインギャング) 昔ブル一ハーツのアルバムでこの曲をきいたとき、中学生の僕には良く分からなかったのだけど、今はよく分かる。 すごい詩だ。
世の中はすべて盛者必衰。どんなに勢いがあって栄光を手に入れた人でもかならず試練はやってきてやがては衰える。 栄光と挫折。その中でごくまれに復活する男がいる。ロックバンド、エアロスミス然り、格闘家、アントニオホドリゴノゲイラ然り。本当にすごいと思う。 彼らは教えてくれる、「あきらめない事が一番強い」ことを。
ありのままの人間の姿をみせる音楽である。
ふう。何とかライブのりきった・・ 史上最悪の喉の痛みがフォ一バレ一ライブの前日の夜に襲ってくるという史上最悪のコンディションのなか不安もあったけど、応援してくれるみんな、スタッフ、メンバ一に守られ無事ライブ終えられました。 ライブ自体は以外と声出たし楽しかった。 スタッフAKOちゃんがくれたドリンクが効いたのかも。ありがとう。 それにしても天窓の飛び入りもあったしハ一ドな一日だった〜。 日曜には学祭出演もあるし一刻もはやく風邪治さねば。 とにかく今はいい音楽、いいライブをしたいんだ。神様、見守っていておくれ。 12/7ワンマンで大輪の花を咲かすべく一日一日を大切にしてベストを尽くします。
大人の凄み。それは包容力にこそある、と僕は思う。 年をとればとるだけ、その経験から色んなことが分かるし、時として年下の人が言うことが青臭く感じることもあると思う。そんな事分かりきってるよ、とか、そういや昔そんな事考えてたけど実はそうじゃないんだよな、とか。 たとえ若輩者の主張がほんとうに青いとしても、うんうんと頷ける包容力こそ大人の凄みなのだ。 それとは別に若輩者から教えられることも沢山あるとして、いくつになっても常に学ぼうとする姿勢の大人もいる。僕はそんな大人がすきだ。 いずれにしても全部わかったような顔して謙虚さを忘れた大人にだけはなりたくないな。
完璧な人間などいない。ぼくがどんなに高尚な理想を掲げたところでそれを実行できることの方が少ない。けどそれをあきらめた時点で嫌な大人の一人になるだけだ。ぼくの高3の時の担任の先生はいつも困った顔をしていた。けっしてクラスの全員がその先生を好きなわけではなかったが僕は彼が大好きだった。いま思えば彼もまた理想と現実の間で悩み理想を捨て現実に合わせることのできなかった大人の一人だったといまの僕には思える。その誠実さゆえである。だからこそ大抵の大人が信用できなかった当時のぼくにとってその先生は特別だった。 すべての人を愛せるようになりたい。人の気持ちがわかる人間になりたい。それができぬ時には許しあいたい。気づけなくてごめんと素直に謝りたい。それを妨げるプライドなど何の価値もない。 それでもどうしてもできぬ弱さを知るとき僕は祈る。 正しいことを、愛することを、この現実の世界で貫き通す強さを僕に下さいと。
僕はバカですと笑って言える自覚を忘れずにいたい。勘違いするなよ、オレと。
いろんな意味でまだまだな僕もまたきっと困った顔してるだろう。先生元気かな?
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