喜びと悲しみ。その両方を分かち合えるのが本当の仲間であり友達であり家族であり人間愛だ。 喜びは倍に。悲しみは半分に。
人は喜びを分かち合うことは案外得意だが(ワ一ルドカップの時とかね)悲しみは・・苦手である。人の暗い話聞くと疲れる、ひく、テンションさがる・・。とりあえず表面的に元気づけておしまい。お得意パタ一ンだ。 だから悩んでる人は暗い話など人に言えない。別に答えなんか求めてないのにね。すこしの時間でも、その悲しい気持ちを共有できたらいいのにね。 人はすぐに自分のことでいっぱいになる。僕もそう。でも1/10でも1/100でも人のために何かをすることから始められたらな。 実はそこに自分にとっての本当の幸せも隠れているのかもしれないな。 分かち愛。喜びは倍に悲しみは半分に。 そんな人に僕もなりたいのです。
今日は本当に久々の本当の休日で、いま上京中の爺婆とオカンの三人で温泉にいってきた。家族といえど色々あるなかで今日は本当にすばらしい時間がもてた。好きだからこその不満だとか、こうあってほしいだとか、いわゆる人を裁くような気持ちが僕にはあった。けれど例え自分の言い分が正しかったとしても愛がなくては伝わらないってこと最近気付かされた。僕は本当の意味で人の気持ちが分かってあげられる人になりたい。大きな愛で心が満たされることいつも願ってる。 神様ありがとう。素敵な一日でした。
僕は罪人だ。どんなに世界平和を願ってみたり愛を訴えたりしてみても、目の前の誰かに腹を立てたり、許せない人がいたりする。そんな時すごく自分が嫌になったり、嫌になりすぎて開き直ってアイツが悪いんだと思ったりする。人間て弱いね。 人それぞれ個性は違えどたいして変わらない。みんな弱い。これだけは言える。 一人が好きな人でも、ずっと一人だと寂しい。どんなに強そうにかっこつけてみても結局人は人からやさしくされると嬉しい。行き着くところみんな愛されたいんだ。 僕は罪人だ。すぐ腹立てるし人を許せないから。だけど願っている。やさしくなれるように。だけど祈っている。人を許す心が持てるように。そして信じている。いつかみんなと仲良くなれる日がくること。 愛なくばすべてはむなしきもの。何事も愛がなくては伝わらない。
人は一生懸命やっても結果がついてこないときヘコむ動物だ。 自分には向いてないだとか自分で自分の限界を決めてしまいやがてあきらめてしまう。 何かをやめることが悪いことではなく、そこに何らかの後悔や憂鬱があるのなら、それはまだあきらめる事ではないんじゃないか。 やめる時は本当に心が晴れ晴れしていたいものだ。 あきらめないこと。 信じ続けること。 それが何をするにせよ人生で大切なことだと気付かされた夜でした。
2003年10月03日(金) |
出会ってくれた人たち |
サルーキ=をはじめて3年。いままで僕らと出会ってくれた人たちのことを思った。バンドをやっていると沢山の人たちと出会う。何度もライブハウスに足を運んでくれた人たち、雨のなか傘をさしながら路上ライブに参加してくれた人たち。 思い出すいろんな出来事、エピソード。その一個一個が宝物であり僕らがここまでやってこれたエネルギーだ。 挑戦。いまサルーキ=は何度目かにして史上最大の挑戦の時を迎えている。いままで僕らの音楽を応援してくれた人ありがとう。そのすべてをエネルギーに変えて12/7ワンマンまでの道をのりこえたい。そして奇跡の瞬間に共にその感動を分かち合いたいんだ。
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