親知らずが痛い。一週間前に抜いたというのに、まだその場所がヅキヅキ。薬も切れたのでまた歯医者いこ。 最近ずっと日記かいてなかったんだけど、内面では日々こころのなかで自分と戦っておりました。生まれ変わるために。 欲深い自分と決別するのは容易ではないです。毎日の自分のことを冷静に見てみると飽きれるくらい心がコロコロ変わる。感情や欲に流されてる。 人間という存在がいかに不確かなものか、自分をみてると良くわかる。そりゃ戦争も終わらないわ、と自分をみてると良く分かる。 親知らずがまた痛い。親を知ろう。
人は生まれ変わらなきゃいけない。ぼくも君も。 育ってきた環境や境遇や経験やプライドも一度脱ぎ捨てて生まれ変わらないきゃいけない。 本当にやさしくなるために。 本当にしあわせになるために。 揺るぎないものを求めて僕らは変わりつづけてく。生まれ変わりつづけてく。 今日も一日与えられたこと、生かされていることに感謝です。 目覚めたとき、また生まれ変わるチャンスを与えられたんだ。
さあ今日も一日はりきってこう!
何のために音楽をやるんですか?
相手に自分を否定された時カッとして相手のことも否定したくなるでしょ、僕。 そんな自分を否定して生きたい。 何事にも揺るぎない愛をもって。
詩の起源について考えてみる。僕がイメ一ジするのはいつも平安時代。男性は女性に対してその想いをいつも詩にして詠んだという。或はどうしようもない孤独を詠んだ詩人がいたり風景を詠んだ詩人がいたり。 いつもそこには”想い”があった。人間からにじみでるその想いは普遍性を伴って何百年経った今も時代を越えて残り、現代に生きる僕らの共感をよぶ。 そんな魂の詩を魂を込めて歌いたいんだ。 僕の詩は届いていますか?
深夜リハ明けの日曜日、きょうはYASSが主催する反戦運動の一環「愛を歌おう」のレコ一ディングに行ってきた。 戦争が一段落した事もあり自分的にもやや落ち着いた最近ではあるが、「戦争を起こす心」の問題は何も解決していない。僕だって君だって日常生活の中での「心の戦争」はこれからも続いてゆく。対戦相手は、人を憎む否定的な想いを生み出す自分自身の心だ。 そんな自身の弱さに負けない、それ以上の愛でいつも心が満たされていますように。そう願い、祈りつづけていきたいものだ。
何の分野でも、純粋に突き詰めた人はそれが「祈り」であることに気付く。
2003年05月01日(木) |
いいとこ・わるいとこ |
みんな誰だっていいとこ、わるいとこある。もちろん自分を筆頭に。 だから人は人を裁けないし裁いちゃいけないと思うんだ。 笑って許そう。 難しいけれどそれこそが愛だ。 でもその一方で正義というのは確かにあると最近は思う。 けれど人は正義であり続けれないとも思う。だから裁かない。 許そう。
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