何よりももっと人を愛せるようにして下さい。
戦争=悲しみです。自分が自分の恋人、家族をかけがえのない大切な存在と思うように、みんなもまたそれぞれ同じように大切な恋人家族がいます。 昨日の反戦デモに参加してみて、そんな当り前だけど普段なかなか「感じる」ことができない事を僕は感じました。 それを感じれるようになったときにはじめて「人のために何かすること」が偽善ではなく善になるような気がします。 まずは感じることから始めたいな。
自分は大した人間ではない。前にも書いたように自分の身に直接危険がふりかかる状況下でもなお反戦できる覚悟があるかと言えばわからない。 けれどだからと言って何もしないのは違うと少し思った。 僕らは戦争の経験もないしそのリアリティもない。だけど人ではなく、戦争という行為そのものが悪であり人殺しという行為が罪だという事は知っている。 こんな弱い僕でもできる事はあるはずだ。
金曜のデモではどこの国、誰が悪いというのではなく平和への願いをみんなで愛をこめ歌いたいと思う。 金曜までにこの戦争が終わっている事を祈りつつ。
きのう悩んだ末、知っている人全員に反戦デモ参加についてのメ一ルを送った。僕自身デモに参加するのは初めてだ。しかし戦争が始まって以来、平和への願いは募っていき、何か自分にできる事はないかと考えていた。そんな時先輩のミュ一ジシャンYASSから反戦デモに参加しないかと誘われた。考えてはいたけれど何もできずにいた僕はこの時「きっかけ」を貰ったのだ。そして昨日みんなにメ一ルした所‥驚いた。ものすごい数の返信があったのだ。これだけの人が平和の願いを持っている事を知り感動した。僕は貰ったきっかけをバトンタッチできた。
喜び、怒り、哀しみ、それらをひっくるめて楽しむ事である。 それが人生。 それが音楽。
今日テレビみてたら、世界中のいたる所で市民による「戦争反対」のデモがおこなわれていた。 スペインでイギリスでロシアでアラブ諸国でそしてアメリカで‥ 涙が出てきた。これだけ世界中の人が反対している。世界はみんなの手で変えられるのかも知れない、と瞬間思った。 戦争の本質を知ろうとすることは大切だけれどもその前に、「戦争反対」という概念を頭から持つこと、胸を張って「戦争反対」と叫ぶことが大切なんじゃないか、と瞬間感じた。 そして何より「戦争は人殺しなんだ」という当り前の事を忘れたくないと思った。
戦争が始まってしまった。 人の欲がまた人を傷付けてゆく。人の弱さがまた人を傷付けてゆく。 愛で世界は救えるのだろうか? 本当の愛。究極の愛。 それは自分が傷付く事を恐れず敵対する相手を愛する覚悟の事だ。 理想論だろうが何だろうが、それができない限り人間の世界平和は永遠に訪れない。 愛でしか世界は救えない。 けれど究極の愛を手にすることは表面的な世界平和を維持することよりも数倍難しいことだ。 戦争反対する僕に「自分の身に危険がふりかかろうとも尚」という覚悟はあるだろうか
真実の歌とはどういうものだろう。悲しい時は100%かなしい、喜びの時は100%喜ぶ、赤ちゃんのような歌。 そこに嘘はない。 大人になって色んな事が脳ミソにくっついて頭ん中はいつだって雑念でいっぱいだ。 だからこそ歌ってる時はそこに真実があるのかがいつも気になる。 真実の歌を追い求める者。それはプロ、アマに関わらず、きっといつも何かと闘っていると思う。 僕のライブの判断基準。結果の良し悪しはそこに一番あるのかも知れない。 いま成長への過渡期で結構悩んでるんだな■テ。あ〜考えすぎた。今夜はビ一ル飲んで寝よう
人生は勘違いの連続だ。人生においてはいつだって相反する二つのことが大切になる。 例えば自分を大切にする事と他人を大切にすること。 例えば生きていくためにしなきゃならない事と何のために生きていくかということ。 例えば理想と現実。 一見反対のことの様にみえる二つの事柄の間できっとどこかに真実が存在している。 人はその見極めを完璧にすることはできないけれども、いつだって生かされていることに感謝できれば周りの人にももっとやさしくなれるのに。 いま世界で戦争が起ころうとしている。僕に何ができるだろう。
「今」やらなきゃ変わらない。これからもずっと。僕らは再三のチャンスをいつも与えられている。にも関わらずいつも最初の一歩が限りなく重たく後回しにしてきた。続くかどうかを恐れる必要はない。とりあえずやろうと思った今やらなきゃこの後もやることはないと思って今を大切にしよう。その積み重ねこそが振り返ったときに栄光の道になるのだから。あくまで楽しくいつもあなたを思って喜んでいよう。なんとなく頭のなかに広がるキラキラした世界をイメ一ジしながら。
ほとんどの場合が割合はあるにせよ両方に非があるもの。 意地やプライドがあるからついつい譲れないんだよね。 でも本当に勇気があるのは先に自分の非を認めること(すげ一難しいけど)。 それで相手も自分の非を認めてくれたら一番いいよね。 けどそんな相手ばかりじゃないだろう。 先に謝ったのにつけ込んで更に責める人もいるだろう。 それでまたケンカになるならこの世の中には永遠に争い事は絶えないだろう。 相手に見返りを求めず自分の非を認めない限りは。 いつか分かってくれると信じて先に謝ることができるようになりたいものだ。
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