とうとう最後、でした。 - 2007年03月30日(金) 今日で1年目の病院での研修が終了しました。 最後の最後で結構大変な目に遭いましたが。 事の始まりは昨日。家に帰ったら携帯がない。 病院に忘れたのかと思ったけれど、全く繋がらないとはどういうこと、と不安が過ぎる。 今日、病院の机に携帯はなく、相変わらず繋がらない。 唯一心当たりと言えば、前日に駐車場で鞄を落としたこと。 まさか駐車場に…と思いつつ探したのだけども見つからず。 念のため医局の秘書さんに拾得物として届いてないか確認をお願いしたら。 駐車場にあったらしいよ。見事に轢かれてるしorz もちろんデータは全消え。 ぎゃああ前の大学の友人がぁぁ、と叫んだことは想像に難くないでしょう。 幸い昨年11月に機種変したときの端末が残っていたので、電話帳は大体復旧できたのですが。 久しぶりに本気で胃が痛くなりました。 で今日は病棟の送別会だったのです。 何故送別会でこんなにゲームをするんだ、というぐらいゲームをさせられましたが まぁ楽しかったからいいとする。 ただ外科の病棟の送別会だったので、内科の先生はお一方しかいなくって。 もちろんあのひとはいなくって。 今日は病院でも全然会えなかったからもう会えないんだな、と思っていたら 送別会に出席されていた内科の先生と、やっぱり異動になる3年目の先生交えて呑もう!という話になり、呑みに行った。 そうすると他の内科の先生にも連絡を取ってみよう、ということになり いろいろメールなんかしてみることになる。 そのうち、その内科の先生があのひとに連絡を取っていたのだった。 聞くと、あのひとはもう自宅に帰られているということ。 もう無理だろう、と思っていたのだが、何と来ちゃったよ。 凄いな、と思う。それほど呑みたいのか。いや私は呑みたいけど。 ていうかあなたと呑めて嬉しいのだけど。 そうこうしているうちにグループの先生が一人を除き全員集合していて こんなことってこの1年、無かったから本当に楽しかった。 最後にこういう呑みができて楽しかった。 しかしあんまり真正面に座ってしまって、むしろ目を見ることが出来なかったのだけど。 あのひとの連絡先だけ聞けなかったな。 いつか機会があれば聞いてみたいと思う。 というか。あのひとの家庭。大丈夫なのか。結構心配なのである。 この恋、続けるのかな。 解らないや。 今でも好きなことは変わらないし、あのひとに抱かれたいと願っている。 でもこの恋の炎が今後どうなるのか。解らないし。 4月から。環境が変わったところで推移を見守りたいと思う。 でもね。やっぱり、あのひとが好き。 できることなら何度でも伝えたい。 あたしは例えどんなに短い時間でも、あのひとの側に居てみたい、ということを。 - 淋しさが降り積もっていく。 - 2007年03月27日(火) 昨日の日記にも記した通り、今日で2年目の先輩研修医が勤務終了となった。 本当はカンファとかもあったのだけど、大変微妙な立場で出ても出なくても良さそうだったので 当直の合間を縫って彼女の荷物を運び出すのを手伝ったりしていた。 荷物番をしている時、いろんなことが頭を過ぎって行った。 先輩が「この病院の匂いともお別れだな」と呟いた。 泣きたくないな、と思っていたのだけど、自然に涙が出てきた。 「泣かないでよ」と言われたけれど、どうしようもなくって でも精一杯、涙が落ちないように頑張った。 先輩と握手をして、またね、と挨拶して そうして先輩は去って行った。 医局に戻ったら もちろん向かいの机の荷物はすっかり無くなって 返却する院内用のPHSと白衣だけがそこに残っていた。 明日も先輩は元気にやってくるんじゃないかと錯覚しそうになる。 けれど机はがらんどうだ。 それが悲しくて淋しくて、また涙が出てくるんだ。 3年目の先生と二人、しきりに「淋しいね」と呟いた。 3年目の先生も来月から別の病院だ。 私たちも来月から別の病院だ。 見送る側と見送られる側、どちらも経験することになるなんて。 今日もあのひとのことを考えなかった訳ではないけれど 今日はずっと先輩のことを考えていた。 あのひとと4人で、長いこと話をしていたのだけど 内容は私にはあんまり関係のないことだったし 考えていたことは先輩との思い出だったり 誰もいない向かいの机のことを考える淋しさだった。 - もういろんな想いが去来する。 - 2007年03月26日(月) この季節はいつも嫌いだ。 送る側になるのも嫌だけれど、送られる側になるのはもっと嫌。 『新しい環境』なんてもの、大嫌いだ。 だから物凄く悲しくなる。 明日で2年目の先生は勤務が終了する。 私の向かいの机は住人がいなくなる。 考えるだけで泣きたくなる。 だからきっと明日は本当に泣いてしまうんじゃないだろうか。 一番長く一緒の時間を過ごした人だったし 解らないことだらけの環境の中で、一番身近で頼りになる人だった。 女子というものが結構苦手な私だけれど、彼女とは仲良くなれたし 私とは全く性格の違う人だったから、尚のこと憧れた。 そんな先輩がもういなくなってしまう。 堪らなく淋しい。 もちろん、もう会えない訳じゃないけれど 共有するべき時間はあまりにも速く過ぎ去っていってしまった。 慣れるのが遅い分、思い入れが強くなり過ぎるのが私。 解っているけれど、それでも淋しくて悲しくて仕方が無いよ。 でもちゃんと言わなきゃね。「ありがとうございました」と。 これが一番相応しい言葉だから。 結局は、新しい環境が怖くって仕方が無い私なのだ。 本当に勇気が無い。 あのひととも同じ別れがやってくる。 それを考えるといっそここで時間を止めてしまいたいとまで思う。 できればあのひととはさよならしたくない。 無理なこととは解っているけれど。 あのひとに聴いて欲しい歌が、もっともっとたくさんあったのに。 - 泣きたくても涙が出て来ない。 - 2007年03月24日(土) 昨日の当直はやっぱりそれなりに楽しかったのでした。 2歳・1歳祭りだったし。 やっぱりちっちゃい子を見ているのは楽しいと思う。泣いたり笑ったり忙しくて。 でも私には小児科は無理だけど。 そんななかも、もうずっと、あのひとに会いたくて会いたくて でももちろん会えるはずなんかない。 自分でもどうしたらいいのか全然解らない。 だからずっと泣きたい気持ちなのだ。 けれども泣いていい場所なんてなくって。 胸が痛い。 どうしようもないくらい、あのひとが好き。 もう一緒にいられないから 余計に気持ちが大きくなっているんだろう、ということは頭では解っている。 私の中で吹き荒れる嵐は、いつか消えてくれるのだろうか。 穏やかな風に変わってくれるのだろうか。 今願うのはあのひとの腕のなかに包まれること。 決して叶わない願いであっても。 叶って欲しいと真に願う。 誰にも許されないとしても。 - 結局何だか纏まらない文章になってしまった。 - 2007年03月22日(木) 昨日から弟の卒業式のため親が上京。 何でだか浅草にいて卒業式は日吉なのに、と思っていたら 寄席が目的だったらしい。父よいいのか、仕事は。 そんな彼らに週末帰ったときに忘れて行ったデジカメなどを受け取るべく、我々も浅草に行ったのでした。 仲見世には一度だけ行ったことがあるのですが、浅草寺の本堂は初めて。 4月からの人間関係が上手く行きますように、ということと 密かに不倫の恋が成就しないかなぁと祈ってしまうわたくし。 仏様の前で絶対バチが当たるぞ、と思っていたが取り敢えずおみくじは大吉でした。 複雑な気持ち。 仲見世で来客用と夫婦用の新しいお箸を買って帰りました。 その後、以前大量にメダルを預けたゲーセンの前を通りかかり、誘惑に負けて入ってしまう。 それで二人で2時間、モノポリーに興じました結果。 更に倍以上にメダルを増やしてしまいました。何をやっているんだ我々はorz また60日以内に家から1時間近くかけてメダルゲームをやりに行くのか。 今日は整形の手術が夜まで掛かっており 別に義務は無かったんだが様子を見に行ってみたら既に壊疽した足が切断された後だった。 ついつい好奇心に負けてホルマリンに浸かってた切断肢を持ち上げてみる。 ぎゃー、と変な声を上げつつしげしげと眺めたのだが 見た目よりもホルマリンによる目の刺激にやられ、降ろす。 ビジュアルよりもむんずと捕まえた手の感覚の方が長いこと残りそうである。 今日は午後から検査を見学させてもらっていたこともあり、あのひとと話す機会が割と多かった。 変な対応はしていないはずだ。よそよそしい感じとか。そこは割と気をつけたつもりだし。 でもそれなりに普通に話せて楽しかったので良かったのである。 ただここ数日、いろいろ考えた。 あのひとの前で暗くならないでおこうと決めたこと。それは続けるつもりだ。 私が勝手に好きになったのだから、そんなところで要らない迷惑を掛ける訳にはいかない。 そもそも気持ちを伝えてしまったこと事態、大変迷惑であっただろうと思う。 けれど4月でさぁ心機一転!ということになるとは到底思えない。 告白したことは確かに気持ちの区切りをつけるという意味で、良かったのかなと思うけれど。 それで簡単に忘れてしまえるほどの想いじゃなかったということだ。 4月になっても。5月になっても。あのひとのことが好きだと思う。 だからきっと、4月に会えなくなって、私は泣くのだろう。 すぐに泣く私のことだから、それは容易に想像がつく。 泣いてもどうしようもないことに泣くのは苦しいのだけど、自分で選んだことだから仕方が無い。 それでもあのひとが好きであることを絶対に後悔しない。 できることなら4月以降も、時々会うことが出来るような仲になれたならいいと思う。 けれど私だけの一方的な想いだけではそんなこと、どうしようもない。 つまり。 想いに区切りを、なんて格好いいことを言っていたけれど未練たらたら、な訳で きっと4月は苦しいだろうと思う。あのひとへのどうしようもない想いで。 けれど全て自分が選んだことだ。 - 酷い目に遭いました(しかし現在進行形)。 - 2007年03月20日(火) 先週末、友人の結婚式の為に沖縄に帰っていたのである。 昨日結婚式で、そのまま帰りの飛行機に乗った訳だが。 飛行機の中で襲い掛かる寒気・関節痛・そして発熱。 最初は認めたくなかったのでそんなものは存在しないフリをしていたのだけど、途中から無視できない程に症状が強くなった。 そして追い討ちを掛けるように吐き気が。 そんな私に気がついた客室乗務員が「大丈夫ですか?空酔いですか?」と声を掛けてくれた。 朦朧とする意識の中で「飛行機酔いって言わないんだ」と思いつつ生返事していると、隣から旦那が 「あ、吐き気は多分酒のせいなので大丈夫です。」と答えてくれたんだが。 そんな旦那に一瞬殺意を覚えた私を許してほしい。確かに酒をしこたま呑んだけどさー。 結局飛行機のトイレで吐いたらば、多分ノロウイルスへの対処なんでしょう。トイレが封鎖されていました。 その後も客室乗務員の方々は横になれる席を用意してくれたり(しかしその10分後に着陸態勢に入り、結局座らされた) 到着口に車椅子を用意しようとしてくれたり、一番近い救急病院を紹介してくれたりと、本当に気を遣って頂いたのである。 でも車椅子と救急病院は拒否しましたが。だって、病院遠かったんだもの。 ていうかそもそも早い段階で実は夫婦どっちも医者、ってことを話しておけば きっと彼女らもこんなに心配することはなかったんじゃないかと。 でもさ、何か途中で言い出すのって恥ずかしいじゃないですか。だから結局言えず仕舞い。 ごめんなさい。でも本当に有難うございました。ANAの客室乗務員の皆様。 そして昨日は熱が出るわ下痢が凄いわで全然仕事ができなかったのである。 結局インフルエンザの可能性も否定できなかったためタミフルと整腸剤と点滴を出してもらい、帰宅。 夕方幾分かマシになったのだけど、深夜やっぱり39℃の熱が出た。 でも朝の感じは昨日より良かったから一応今日は仕事しているが。 仕事をしていたら薬疹が出てしまった。別に痒くなかったから平気だけど。 えっ、と思っているうちにみるみる広がったのには大変驚いた。 良く考えたら以前にもタミフル飲んでた時に薬疹が出たんだよな。 でもその時はタミフル飲めなきゃ困る!と思って他の薬のせいにしたんだった。 ええー、今後もタミフル飲めないのかしら。本当に困るんだけど。 世間じゃ何だかんだ言っているけれど、あれはやっぱり凄い薬だし 本当なら薬疹でても飲みたいぐらいなんだけど。 今回は結局インフルエンザではなさそうなので内服中止したけれど。 今後どうにか手を考えないと、仕事をしていく上で辛いと思う。 ああでも本当にインフルエンザになったら薬疹覚悟で飲むんだろうな、私。 痒くても頑張る!って言って。怒られそうだ。 それにしても何だかまた熱が出そうな感じがします。 今日頑張って仕事に来たのは、確かに麻酔の日ってのもあったのだけど あのひとに会えるのがもう幾日も無いというところが大きい。 本当なら昨日、告白してから初めて会うはずだったから 絶対気まずくなんてしない、と。笑顔でいよう、と思ってたんだけど。 昨日一応お会いしたんです。ええ。しかし一番体がキツい時だったもので せっかくあのひとが心配して「大丈夫?」って言ってくれたのを、頷きだけでしか返せなかった。 今日は何度かお会いしているんだけど、特に言葉を交わす機会はなく。 そう考えると、少し焦ってしまう。焦ったって仕方ないんだけど。 でも明日もお休みだし。やっぱり会えない。 こんなに会いたいのに。 会いたいと思う気持ちはけれどきっと私の一方的なものなのだろう。 もしあのひともそう思っていてくれるのなら。本当に嬉しいのだけど。 期限が迫るにつれ、焦りが大きくなる。 焦りが大きくなると悲しくなってしまう。 焦らないのは無理だと思うけど、あんまり悲しい顔はしたくない。 あのひとの前では笑っていたい。 あのひとのことが好きだから。 - 明日からまた沖縄に行ってきます。 - 2007年03月16日(金) 明後日は友人の結婚式なので 週末利用して沖縄に行ってきます。 明日も例によって朝6時半羽田発だ!早いぞ! 先輩にそのことを話したら「じゃあ明後日行けばいいじゃん」と言われた。 ごもっとも!しかしせっかくだから遊びたいしー。 早速明日着いたら母を交え3人でホエールウォッチングに行くのである。楽しみ。 その前にどうにかしてタコライスを食べに行きたいのだが。どうしよう。 そして友人の結婚式で同級生に会うのもとても楽しみである。 夏に帰ったときに会えなかった友人にも今回は会えそうなのです。 みんなどうなってんのかなぁ。わくわくしちゃうよ。 昨日大学のサークルの先輩のブログを発見した。 卒業した方の大学の先輩なのだけど、とても凄い人。尊敬している。 沖縄に大学生として来るまでは全然声楽とかやったことの無かった人なのだけど 大学で合唱を始めて、そこで歌にのめり込んで行って声楽の指導を受けて 卒業後1年間勉強をした後、なんと東京藝術大学の声楽科に入学したのである。 それを聞いた時には本当に驚いた。確かに上手い人だったけど。 子供の頃から英才教育を受けていた訳でもないのに、東京藝大。 しかし確かに先輩のヨーデルは凄かった。そもそも何故ヨーデルが歌える!と思ったし。 それは置いといて。その先輩のブログを発見し、懐かしさでコメントを書いてみたところ返信してくれていた。 やった、覚えていてくれたらしい。 4月に演奏会があるらしいので、せっかく千葉に住んでいるしできれば行ってみようと思う。 その先輩は、結構私の歌のことを評価してくれていて 「いつかまた一緒に歌いたい」と言ってくれたのである。 その頃から考えると先輩は随分と高みに上ってしまったし、もう覚えていないかもしれないが。 それでもそんな人にそう言って貰えたことを今でも誇りに思っている。 どんな形でもいいから、歌い続けていられるといい。 ついに「のだめカンタービレ」に手を出してしまった。 流行っているものに手を出すのは実はプライドが許さない、という 変な漫画好きの意地があったのだけど 昨日の本屋での買い物一連、勢いで購入。 夜更けに笑い転げる私。きっと一気に集めてしまうんだろうな。 そのまま午前1時頃に流れていたアニメも見てしまうし。やっぱり『Rhapsody in Blue』は格好良い曲。 あれだけ笑えたからあんまり暗くならずに済んだのである。 基本ネガティビティでできているこの私、が。 感謝すべき。か? 土日は職場に足を踏み入れることはないので あのひとに会うことができるのは週明けになる。 週末は予定があるからいいけれど この2日間は職場で張り合いが無くって、ちょっと苦痛だった。 そもそも木金はやることがあんまりないんだものね。 あのひとに会える、ってのが一つの張り合いだったんだな、と気がつく。 いいのかこんなんで社会人。 こうなるんだったら少しは患者さんを持たせてもらえば良かったな。 やることがあれば職場にいる意味も少しは違ってくる。 …なんていろいろ言い訳をしてみるけれど 結局は会いたいだけなんだもんな。 何だか情けない話な気もするんだけど。 週明けにはちゃんと笑顔で挨拶するんだ。 というか、無理なんてしなくてもちゃんと笑顔になれる。大丈夫。 だってあのひとに会えること自体が嬉しいのだから。 あと2週間で会えなくなってしまうけど。 せっかくだからあんまり悲しい気持ちで過ごしたくない。 因みに旦那に、あのひとへバレンタインのチョコをあげたことがばれてやしないか 特に今回個人的にお返しも頂いているので冷や冷やしていたのだけど。 旦那さん全然気がついてなかった。ある意味驚きだ。有難いけど。 危うくメッセージの付箋まで見られそうになったのには正直、焦った。 とはいえ見られても、それほど焦るようなことは書いてなかったが。 机に置いてあったし、あのひとはその辺を考えてくれたのだろう、きっと。 明日は早起きです。というか寝坊すると悲惨です。頑張ります。 またHABU BOXにTシャツ買いに行ってきます。 - 長い更新になってしまいました。 - 2007年03月15日(木) 今日は旦那さん当直なので、晩酌の日なのである。 茉莉花(ジャスミン)酒のCCレモン割りが大変美味い。 たまたまMSNの専門家に聞く恋愛相談に辿り着き、読んでしまう。 で偶々「子どもの頃の出来事がトラウマになり彼と体の関係が持てません。」という記事を見つけ、大いに凹む。 私もそうなりかけたんだよな、と思い出す。 ただ私の場合は体の関係を持つ前ではなく、持って後。相手と大分慣れてからのことだ。 なんか兄妹みたいに感じてしまって、気持ち悪かったし、何よりフラッシュバックが恐ろしく強かった。 このことから考えると、行為そのものへの嫌悪感はもちろんあったのだろうけど 『血の繋がり』が何よりもおぞましいのだろうと思う。 あれはそれほど血の繋がりが濃い人ではなかったけれど。 ただちゃんと治療を続けていた時期だったので、酷い崩壊に陥らずに済んだことがせめてもの救いだった。 しかしそういうことを読む為にこのページを開いていた訳ではなく ああ世の中っていろんな恋愛しているひとがいるんだな、とぼんやりと読んでいたのだった。 それでも何のかんの言って、恋愛している人はやっぱり楽しそうだ。 昨日の出来事、は自分では何でも無いというか、前向きな出来事として捉えていたのだけど 実際想いが叶わなかったことというのはやっぱりそれなりに落ち込むことだったらしく 今日一日、感情の浮き沈みが激しくって敵わない。 外には極力出さないようにしているけれど。 それでぼんやりとしてしまう自分が嫌で 唐突にピアスホールを増やそうと思ったのだった。でも結局開けなかったけど。 今週末友人の結婚式なので、意外と傷が化膿し易い私が今新たなピアスホールを開けることは それほど賢明ではないと考えたのだった。既に3つあるしな。 このままだとどうしようまた切ってしまう、と思っていたところで ふらりと本屋に入ったらあっさり救われてしまった(笑) 文庫本2冊、漫画4冊買ってほくほくして家に帰った。単純である。 更に借りていた漫画2冊も読んで、泣いたり笑ったり。 単純なことだけど、それで救われることができて良かったと思う。 買った文庫本のひとつが『純な恋 不倫のルール365』。 その中の面白かったフレーズがこれなのだけれど。 “女は想像の中で恋ができる 不倫の恋はとくに女のたくましい想像によって、ドラマチックになっていく。 しかし、想像はいつか妄想になる” あはは。その通り。しかも恐らく人より強い妄想癖のあるあたしは 始まってもいない不倫の恋を想像し、楽しんでいたのだ。 結局は始まることはなかったのだけど。 しかしこの本はいろいろ考えさせられるというか 一応妻の身でもある私としてはどうにも相容れない部分もあるのだけど おおよそ納得できるような内容であった。全肯定はしないけどね。 そうしてあのひとのことを考える。 昨日の夢は驚くほどたくさん、あのひとがでてきたのだった。 目が覚めたとき、気が付いた。 あたしは自分が思っているよりずっとあのひとのことが好きだ。 だからできれば叶って欲しかった。 あのひとも同じ気持ちでいてくれないかと祈ったのだ。 ある日あのひとが見せた優しさに心を奪われた。 けれど本当に心魅かれたのは、あのひとの優しさの裏側に感じた淋しさ。 あたしに何ができるかなんて解らなかったけれど できることならあたしがあのひとを包んであげられればと思った。 もちろんお互いそれぞれのパートナーがいるのだし あたしはあのひとの家庭だって壊したくないし、自分の家庭を壊したくもない。 いくらそれがずるくっても。 あのひとにとって単に都合がいい存在であっても、全然構わない。 ただあのひとの手が触れる場所にいたいと願った。 でもあのひとはあたしを選ばなかった。 それが全てだ。 それがやっぱり悲しかった。 だけどあのひとを好きであることに全然後悔はない。 歳の差とか、どうでもよくって 今だって好きだ。 あのひとに出逢えたことが、本当に愛おしい。 今日たまたま6年前のあのひとの写真を見ることがあった。 その写真で見るあのひとは確かに若いな、と思ったけれど その頃のあのひとと出会っていたら、あたしはあのひとを好きになったのだろうか。解らない。 解らないけれど、今のあのひとに出逢ったからあたしはあのひとを好きになった。 心に響く歌を聴いて、その歌を歌いたいと思うように。 美しい曲に触れて、その曲を奏でたいと思うように。 それは本当に自然な流れだった。 今のあのひとがあたしは好き。 そもそも結婚しなければあたしは沖縄で研修医をしていただろうと思う。 絶対にあのひとと出逢うことなんてなかっただろう。 全てはタイミングだった。このタイミングでしか成り得なかった。 あなたを好きになったこと。 今のあたしがあなたを好きなこと。 - 気持ちが - 2007年03月14日(水) Yahoo!の写真ニュースで「かに星雲」なるものを見つけてしまった。 でもなんでおうし座で見つかったのに「かに」なのかさっぱり解らない。形か? 気になったのでWikipediaのかに星雲を検索してみる。 やっぱり微細なフィラメント構造がかにの足を思わせるから、らしい。解らんでもない。 ていうかこの超新星についての記載が1054年に中国の記録にあるということが一番の驚きだ。 そのまま超新星へのリンクに飛んでみた。 ああ基本文系の私にはちょっと無理、と文章半ばにして挫折。一応頑張って最後まで読んだけど。 星座は大好きです。何故ならギリシャ神話が関わってくるから。 ギリシャ神話は神様のはずなのに物凄く人間的で、そこが好き。 同じ理由でヒンズー教の神話も結構好きである。 聖書は教養として読まなきゃと思うけれど、結局黙示録しかまともに読んでいない。ああでもそのうちちゃんと読もう。 話が逸れてしまったけれど、結局のところ 最近寒くって風が強いから星が綺麗だなぁ、と 帰り道に空を見上げることが多いのです。 寒いのは嫌いだけど、空が綺麗なのは嬉しい。 今日はたまたま午前中手術が無かったので あのひとの検査を見学させてもらった。久々で大変勉強になったのである。 ああやっぱり凄い先生だな、と改めて思ったのだった。 本当に尊敬に値する、凄い技術を持ったひとだな、と。あたりまえの感想なのだけど。 そうしながら時々、その手に見入っていた。 手そのものというよりも、手の動きが綺麗、ということなのだけれど。 私は手の動きが綺麗、というのに本当に弱くて、やられてしまう。 今の旦那に惚れた一因は彼の麻雀の時の手の動きだった、というくらい。 話が逸れた。 午後の手術の準備時間まで、検査に参加させてもらって。 どうしようか、本当に迷ったんだけど、結局隙を見て手紙を渡してしまった。 つまり、気持ちを伝えてしまったんだ。 身勝手な想いだけど、伝えてしまったことで、何だかすっきりしたのも事実だ。 あのひとからはホワイトデーのお返しと一緒に、簡単なメッセージが添えられていた。 「素敵な女性になってください」か。 凄く素敵なメッセージで、そんなメッセージを付けてくれたことが本当に嬉しかった。 不快に思われないか、それが一番心配だったから。 旦那に見られそうになったのは本当に焦ったけど。 それでもやっぱり私には女性としての魅力が足りないのかな、と思うとちょっと凹んだ。 今日証明写真が必要だったので撮りにいったのだけど、その自分を見てさらに凹んだ。 あのひとともっといろんなことを話してみたかった。 あのひとの優しさと、何故だか感じてしまう冷たさや淋しさ。 そういうものについて聞いてみたかった。 私のことも聞いて欲しかった。できれば相談に乗って欲しかった。 でももう遅いのかな。 ぼーっとしながらいろんな曲を聴いていた。どうせ家では感傷に浸れない。 夫の前では何もなかったかのように過ごさなければならないのだから。 今の気分に合うのは何かな、とKate Bushだったり「Killing me softly」とかを聞いていたのだが ピアノの音が聞きたくなってウォン・ウィンツァンの「Asian Sea」を聞いたところ 危うく泣きそうになるところでした。でも心に本当に沁みるなぁ、と思った。 さすがに「彼と彼女のソネット」は聞けなかった。 でもあっさりショッピングセンターで流れていて、即撃沈。 何故今日に限って流してくれるか、と思う。 instrumentalだったのがせめてもの救いだったけど。 歌のほうだったら泣きたくなったに違いない。 “もう一度 あなたのこと 聴かせて 愛を諦めないで” 今日は夫に抱かれないといけないというか、そういう雰囲気の日なんだけど よりにもよって。と思う。でも仕方がない。 できることならあのひとに抱かれたかった。 明日は夫は当直だ。 気を紛らわせるためには何をしたらいいだろう。 でも何冊か買い込んである小説があるから、きっと大丈夫。 そして少し泣けばいい。 - - 2007年03月12日(月) 今日は昼過ぎまでずっとふらふらしていました。 なのに外来は忙しくて、つい苛々してしまった自分に反省です。 でも立っているのが辛いっていうのは結構キツイ。 夕方から回復したので良かったけど、以前よりふらつく時間は長くなっている。 困った。 今目の前にあのひとがいるの。 だから帰るに帰れない。帰りたいけど、帰れない。 無駄なのだけどね。 いくら好きでも。 それでもいつか伝えることができたなら。 どんな結果でも。区切りを付けることが出来ると思う。 沢山考えた。ここまでずっと。 自分の気持ちを疑ってみた。これまで何度も。 それでもやっぱりあのひとのことが好きなことは変わらなかったの。 一時の気の迷いかもしれないけれど 今は間違いなくそれが真実だ。 - - 2007年03月10日(土) 昨日は病棟の送別会で。 本当は、チャンスがあったらあのひとに言ってしまおうか、と思っていたんだ。 でも二人になれる機会なんてなかったし 一回だけ、チャンスがあったのだけど 席を立つことはできたんだ。でも 言いに行くことはやっぱりできなかった。 そうしてやっぱり後悔した。 本当に身勝手な想いだってことは解ってる。 それでも、やっぱり伝えたいんだ、私。 一緒の当直とかあれば、またチャンスがあるのかもしれないけど 残念だけど最後の当直は、別の先生とだ。 もうないのかもしれないけど もしまた呑みにいったり、機会があるのならば 今度こそ伝えたい。どういう結果になったとしても。 あなたが好きです、と。 偶々一次会の席が背中合わせで そんなに広いお店ではなかったから、時々背中が触れ合うようなことがあったのだけど とても些細なことなのに、それがとても嬉しくて、愛おしいと思った。 - どうしたらいいんだかわからない。 - 2007年03月08日(木) 今日はあのひとをずっと見ていたかった。 とても好きで、普段なら近い場所にいるときは見ないようにしていたのだけど 今日は見ていたくて仕方が無くて 人目を憚りながらも、できるだけ見ていたかったのだった。 明日は送別会がある。 私達も参加するし、あのひとも来る。 ここ最近想いを伝えたい気持ちが本当に強くて 明日、周りに誰もいない状況になったら伝えようと思っていたんだ。 でもいろいろ考えるとやっぱりできない、と思う。 伝えたあとに顔を合わせることの気まずさだったり 夫への申し訳ない気持ちだったり そういったものが頭を駆け巡っていく。 最も怖いのは、夫がある身でありながら、あのひとに恋している私を あのひとに軽蔑されることなのだ。 だから伝えない方が余程良いことは解っている。 それでも伝えなかった時の後悔と、苦さを考えるとそれも辛くって。 どうしたらいいかわからなくて泣きたくなる。 できることなら誰かに助けて欲しい。 でも、助けることなんて誰にもできないんだ。 私自身か。若しくは、あのひとでないと。 - 週末にも死にそうかもしれん。 - 2007年03月07日(水) 今日は麻酔の日。週の中で一番緊張が高まる日。 そのため倒れるとまずいから薬を飲んでおこう、と思ったが 実は今日は手術が多かったため、入室が30分早まったことを入室直前に知ったのだった。 というか患者さんが入室していくのを見て初めて気がついたのよね。 やばい薬とか何も準備して無いじゃん!と焦って手術場に入ったら、上の先生が既にほぼ準備完了していたorz ああ絶対もう地雷踏んじゃったよ、と思う。 計ってないけど恐らく血圧は薬を飲まずして上がっていたのである。 緊張のあまり反射が起こらなくて良かった、というか 何だか反射すら許してもらえないような心境で胸痛が。 一応大きな地雷は踏むことなく一日が終了したのですが 久しぶりに死ぬかと思った。 明日は旦那さん当直。 私は独りでご飯を食べることがあんまり好きではないので(酒は呑むのだが) 常々ご飯を食べに行こう、と約束していた看護師さんとご飯を食べに行くことにする。 何故食べに行くことになったかというと、私の中では半分はお詫びの気持ちである。 以前酒を呑んでぶっ倒れた時に看病して貰ったのです。うわ情けない。 相手が何を食べたいのかはっきりしていると良いんだけどな。 人に『何が食べたい?』と聞かれるのが苦手と言うか とどのつまり『何でもいい』のである。 夫婦揃って同じスタンスなものだから外食するときに店が全然決まらない。 明日は彼女の方が指定してくれることを願って止みません。 今週末は月曜の日記に記した、夫の従姉妹に話をする件だけにとどまらず 半年だけ在籍した大学の友人の送別会に誘われていたり 中高の友人と会う約束があったりと 時間のやりくりとか、そういうことを考えただけで 頭が痛くなってきそうです。 分散してくれるときっと楽しいのに、纏まると何でこんなに面倒くさいんだろう。 よりにもよって面倒くさいオーラ全開の時期なもので困ってしまいます。 しかし大学の友人って、「8年前に」「半年だけ」付き合いがあった人達で。 会えるのはとても嬉しいし、呼んでいただけるのは有難い。何か凄いなぁ、と思ってしまう。 まぁ夏に一緒に熱海行ったけどね。 問題は今回の送別会にあいつが来るのかってことだ。 いいんだけどさ。来ても来なくても。 来ないと残念で、でもホッとするんだ。 来ていると嬉しい反面、やっぱり会いたくないんだ。 自分の気持ちが複雑で、それが全てを面倒くさく感じさせているのかもしれない。 とはいえ、絶対あいつのペースには巻き込まれないという意思は強いので 例えあいつが来たとしても大丈夫だと思っている。 でも本当に問題なのはあいつの存在じゃなくて あいつの存在に揺れる私の心なのだけど。 それでも。過去にできたと信じたい。 今の気持ちは何だか訳が解らない。 どうしたらいいのかも、どうしたいのかも。 自分の気持ちすら疑いたくなる。 こんな状態であいつに会うのは嫌だなと思う。 きっと掻き乱してくれるんだろうな、あいつのことだから。 あのひとのことはどうなんだろう。 いまいち自分でもはっきりしないから 何だかそれすらストレスになる。 間違いなく好き、なんだけど こんなにも苛々とするのは何故なんだろう。 - 浮き沈みと、激しさと。 - 2007年03月05日(月) 一昨日・昨日と生まれて初めてのスノーボードに挑戦しました。 一昨日は入籍した記念日でもあったのですが、 記念日のお祝いを人の金でさせて頂くってどうなんだ。 しかしながら大変楽しませて頂きました。 沖縄で生まれ育った身であります故 もちろんこれまで雪上のスポーツなど本当に縁遠いものだったのです。 一度だけ高校の修学旅行でスキーをしたことがありますが 何せみんな初心者、200人で凄い勢いの直滑降という恐ろしい状況だったため あんまり楽しかった記憶はありません。 で、今回のスノーボードです。 調子こいてインストラクターも2時間つけてもらったのです。そうして2日間頑張ったのですが。 殆どの時間が滑っていたというより、斜面から流れ落ちていた、という表現が最も正しいのではないでしょうか。 恨むべきは私の運動神経の無さ。というか、腰が引けてしまう度胸のなさでしょうか。 今全身を駆け巡るすっごい筋肉痛で大変です。 しかも職場では行ったことは内密にしているので 笑顔を装いながら痛みに耐える一日でございましたよ、ええ。 来年も行きたいかどうか。うーん。解らん。 でももう一度くらいチャレンジしてみてもいいのかな、と無謀にも思ったりするのでした。 今回怪我はしていないせいか、ちょっと懲りてない。 気分の変調がちょっと激しい。 割とテンションは高いのだけど、ちょっと足元に目を落とすと、すぐに沈んでしまいそうになる。 理由は二つ。 一つは、今週末旦那の従姉妹に話をしなければならないということ。 彼女は膠原病をまだ若いうちに患い、今も加療中なのだけど 『病気』という肩書きを持ってしまったために、 人とのコミュニケーションにおいて少々問題が生じている。 そのことを彼女に納得してもらうには、恐らく 昔の私の話も引き合いに出すのが効果的だろうと思うのだ。 ただ気になるのはその話を夫の実家でしなければならないということ。 これまで夫の家族にその話をしたことは一度も無い。 話すことで、どういう目で見られてしまうのか。 それを考えるのが憂鬱で仕方が無い。 もう一つはあのひとのこと。 あと何日。とつい数えてしまうけれど 数える度に心が痛くなる。 訳も無く、焦ってしまう。 気持ちは大きくなる。 焦ったって仕方が無いのにね。 伝えたいと思ってしまう。 けれどどうにかなるような想いじゃない。行き止まりだ。 だからせめてここで気持ちを吐き出したい。 愛しているなんて絶対に言わない。 あなたが欲しいと強烈に思ってしまった。それだけだ。 あなたには届かない、私の中にだけ、押し込めた想い。激しさ。 苦しい。 - 残すところ本当にあと1ヶ月になってしまった。 - 2007年03月01日(木) 火曜・水曜と大変体調が悪かったのでした。 原因は以前からある失神です。すっごい格好悪くって嫌なのですが。 いやね、これが中高生ぐらいからあるってならば、まぁいいと思うんです。 失神の適齢期というか。なんかイメージ的に合うっていうか。 ところが私が失神を起こすようになったのは大学4年生から。20歳越えてからって。うー。 でもそれにしても最近多い。 シャワー浴びた直後に倒れそうになった時にはどうしようかと思った。 失神の原因のひとつには私の性格というか、過度の緊張があると考えます。 結構テンパっちゃうのです。何故なら基本の性格がビビリだから。 人にそれを話すたびに「ええ〜、全然そう見えない。」と言われるのですが、それが本当なのだから仕様がない。 結構外見で損をしている気がします。何だか自信がある人のように見えるらしいです。 まぁそれはともかくとして、私としては結構困っている訳です。 倒れると絶対に困る局面というのは意外と多い。 そういう訳で今研修させてもらっている循環器の先生に相談し 今日外来を受診する予定だったのです。 ところが、その先生が何かいっぱいいっぱいで しかも私も午後一で手術に入らなきゃいけなかったので、敢え無くキャンセル。 明日は循環器の先生が何人か外来に出ていらっしゃるので、その中の誰かに診てもらうことにします。 いっそあのひとに診てもらおうか。一回相談はしているのだし。 今日から2年目の先生が再び病院に戻ってきて、研修している。 明るい人だし、最後の1ヶ月、一緒に楽しく過ごせるのはとても嬉しい。 結構笑いのポイントが一緒だしな。 で、あのひとはきっとその先生のことを気に入っている。 少なくとも私よりはずっと。 当然のことだと思う。 私は基本的に根暗だし、あまり人に打ち解けられるタイプではないし。 少し悲しくなるけれど。 それでもそれが想いに終止符を打つきっかけになるのならばいいのだと思う。 あと1ヶ月、か。 好きだと思う気持ちはどこから来るのだろう。 不思議だ。 いつの間にか好きになっていて、そしていつのまにか消えていく想い。 好きになった瞬間はいつだったのだろう。 思い出せそうで、思い出せないその瞬間。 心に何かが起こったその瞬間を できることなら一度客観的に見てみたいと思う。 坂本美雨がカバーした『彼と彼女のソネット』を最近頻回に聞いている。 いつも恋をすると、なにかの曲に想いを重ねる癖がある。 実際の状況はそんなに叙情的なものではないのだけど。 今すとんと入ってくるのがこの曲で、きっと今私はこれに重ねているんだな、と思う。 【いくつもの偶然からあなたに魅かれていく】 歌詞の中のこの言葉が今一番自分に引っかかっている。 でも歌詞の中で唯一今の状況と重なる文言は、これだけ。 あとは当てはまらないの。だって私の独りよがりな想いだから。 相手が自分を見てくれなくても構わない、と思っていたころから そんなに大きく隔たれてはいないのに できることなら見つめて欲しいと思ってしまった そんな欲が出てきたのはいつのことからだっただろう。 デスクトップをミュシャの『黄道十二宮』にしてみた。 大変美しくて気に入っている。 -
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