DEAD OR BASEBALL!

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Vol.140 監督をスケープゴートにしたがるメンタリティ
2003年06月24日(火)

 予想していたこととは言え、実際に目にした時は流石にショックだった。本日付の日刊スポーツ1面の見出しが「ジーコ辞めろ」。コンフェデレーションズカップの予選A組第3戦で日本はコロンビアに敗れ、ベスト4に駒を進めることができなかった。その試合に対して現地に飛んだサポーターがキレたというのが見出しの内容だった。

 ジーコ監督自身もコンフェデ杯の目標として最低グループリーグ突破を公言していたので、悔しい結果であることに間違いはないのだろうが、予想していたジーコ解任論に対してはどうしても違和感を覚える。私が思うに、ジーコに限らず日本のスポーツはスケープゴートを仕立てることに背広組もファンもご熱心過ぎるのだ。

 私は逆にこう思う。ここで仮にジーコの首が飛ぶようなことになれば、次回のドイツワールドカップで日本がベスト16以上に進む確率は限りなくゼロに近くなる、と。

 ここ数年のサッカー日本代表の監督を振り返ると、オフト、ファルカン、加茂周、岡田武史、トゥルシエ、そして現在のジーコと、ざっと思い返しただけでもとにかく目まぐるしく変わっていることに気付く。1人当たりの平均就任年数は2年近く。監督が変われば戦術も理論も変わってくる。これではチームとして成熟した強さを持ちえる筈がない。

 監督が安易に変わる度に迷惑を被るのは、実際にプレーする選手だ。そしてチームを応援するサポーターのフラストレーションの大きさはチームの成績と反比例する。そう考えれば、成熟した強さを持ちえない代表チームの姿をサポーターだって本当は見たくない筈だ。

 ジーコにドイツまで任せたのならば、余計な雑音はシャットアウトしてジーコに4年という年月を預けるべきだと思う。

 日本のサッカー界がワールドカップ出場にこぎ着けるまでに何十年かかったか。いくら日本がワールドカップの決勝リーグに進んだと言っても、ここに辿り着くまでに費やした年数を考えれば、ちょっとやそっとの時間でチームが強くなるとは間違っても思わない筈だ。1年や2年でチームの結果が劇的に変わるなんてことは、余程の幸運と偶然が重ならない限りは起こらない。起こる訳がない。

 ジーコ解任を叫ぶサポーターは、Jリーグの理念を忘れてしまったのだろうか。Jリーグが日本のスポーツ界に提示した最大の強み、それは育成と強化を一本化した選手養成システムだった筈だ。

 各チームに下部組織の設置を義務付け、全国のトレセンで同世代の選手を同じ指導者・同じ環境の中で切磋琢磨させることでサッカー界全体の底上げを長期間かけて積み上げていく。稲本潤一、明神智和、宮本恒靖らクラブ育ちのいわゆるJリーグ第一世代が現在の日本代表の重要な核になっていることは、Jリーグの後押しした一本化養成システムが一定以上の効果を上げたことを示していると言っていい。

 日本の野球界を考えてみれば、中学野球、高校野球、大学野球、社会人野球、プロ野球と組織がバラバラのまま既得権益争いに明け暮れ、一本化して世界に通用する選手を育てていこうという姿勢は微塵も見られない。年齢を重ねるごとに短期間で指導者が変わり、その度に自分のプレースタイルを見失ってしまうという危惧が野球界には常に付きまとっている。そう考えれば、Jリーグのシステムは合理的且つ実際の成果も上げていて、野球界に比べれば万倍優れたシステムと言えると思う。

 それなのに、たった1年でジーコをクビにしろという論調が大手を振って歩いている。本気で問いたいのだが、監督の顔がコロコロ変わるチームが本当に磐石な強さを持つことができると思うのか。一貫されない戦術や理論の下で戦う選手達が、本当に120%のパフォーマンスを発揮できると思うのか。本当にチームとして強くなることができると思うのか。

 責任の所在を求めたがる気持ちはもっともだし、結果が振わない以上はどこかに問題があるに違いない。だが、その責任を求めるベクトルが、この国では監督というポジションに向き過ぎている。

 負けた結果を追求するには、戦術やシステムはもちろんだが、それと同時にその国の国民性やスポーツ環境、さらには国家体制やスポーツの存在意義にまで考えを掘り下げていく必要がある。あらゆる角度から「なぜ負けたのか」という原因を追求し、敗北という現実と真っ向から向き合うことは非常に辛くしんどい作業だ。

 辛いからやりたくない。やりたくないから安易なところに責任をぶつける。その結果としての「ジーコ辞めろ」であるなら、賭けてもいい。この国のサッカーはあと100年したってこれ以上強くはならない。

 監督はスポーツの勝敗において大きなファクターであることは間違いない。間違いないが、それが全てでは決してない。ましてやサッカーやラグビーのように監督がほとんど試合中に選手や戦術に関わることのできないスポーツにおいて、監督がその試合の内容に介在する余地は実際のところほとんど存在しない。

 サッカーの監督にできることは、準備をすること。料理で言うなら、材料を調達し下ごしらえをするまでの人だ。実際にどんな料理に仕上がるのか、そこの問題の大部分は実際に腕を振う料理人が握っている。どんなに豪華な材料を集めて丁寧に下ごしらえをしても、料理人次第では食うに食えない料理になってしまう。材料の持ち味を生かすも殺すも、最終的には料理人の腕次第だ。

 試合において結果を出すのは、言うまでもなく選手である。試合になれば、その行く末は全て選手に預けられる。厳しいことを言えば、試合に負けた原因は選手達の力が及ばなかったという要素が最も強いことがほとんどだ。それなのに、勝敗の責任はほとんどの場合で監督に丸投げされ、「トゥルシエニッポン!」の大合唱に象徴されるように手柄も監督第一主義。

 監督の名前だけで結果が出るならば、野村監督時代の阪神は3年連続最下位なんて惨状に喘いでいないし、横浜の森前監督も任期満了を待たずしてクビにはなっていない。この2球団、監督と選手の心が乖離しているということは散々言われていたから、監督とチームの歯車が合わなかったということは間違いない。だが、最終的には選手の力が足りなかったから散々たる成績に終わったのだ。監督と選手の気持ちが通じていなくても、地力のあるチームなら一定の成績は残せた筈だろう。

 負けた責任を二言目には監督にぶつけたがるこの国のメンタリティは、要するにこの国のスポーツにおける背広組やファンの成熟度を物語っているのだと思う。現状に対する批判だけなら誰だってできる。対案を用いない評論なら子供だって可能だ。本当にこの国のスポーツを強くしたいのなら、具体的な方法論は絶対に必要だ。

 日本が負けました。監督を替えましょう。そこからどうしようと言うのか。監督を誰にすればいいのか。どのような戦術を試していけばいいのか。その結論を出すに、1年や2年という時間ではあまりにも短過ぎる。何かを示すこともできなければ、現状を批判して否定する資格は誰にもない。

 オリックスの石毛前監督が突如解任され、レオン監督が急遽就任したことも同じだ。確かに石毛の監督としての手腕にはクエスチョンを付けざるを得なかったが、はっきり言って昨年や今年のオリックスでは誰が監督をしてもそう大した結果は得られないだろう。あの程度の戦力で優勝争いをしろと言い、2年の我慢もできず電撃的に監督の首を挿げ替えるフロントの丸投げ神経には、ほとほと恐れ入る。

 イチローを始めとした多くの選手が抜けたことを言い訳にする前に、その後の備えを満足にしてこなかったフロントの責任こそ追及されるものだ。そして、結局はそういう状況下でチャンスを生かしきれなかった選手達の力がなかった、というのが結論でもある。レオン監督も、因果な時期に因果なチームの監督になってしまったものだ。

 「チームはファンが育てるものでもある」と言うのなら、ここでジーコ解任というカードを切ることは自滅行為もいいところ。何が大事かと言えば、結局「なぜ負けたか」ということに対してあらゆる角度から徹底的に対峙し、その原因を突き止め、これからの発展につなげることだ。その上で現状の経験値を積み上げていく。それしかない。

 監督をあっさり挿げ替えるということは、時間をドブに捨てるということとイコールだ。その責任は監督一人のものではない。サポーターにとってもまた我慢の時が始まることを意味している。そしてまた短期間のうちに結果が出なければ「辞めろ」となる。その繰り返しは、本当に不毛な時間だ。全くもって無為な時間だ。

 人生七転び八起き。いいこともあれば悪いことだってある。何が良くて何が悪いのか、それを見極める目を養うことがこの国のスポーツを強くする策になり得る筈ということだ。「取り敢えず監督が悪い」というメンタリティから脱せなければ、この国のスポーツがスポーツとして成熟することもまた、あり得ないことなのだ。

 ジーコ解任を謳う人達に改めて問いたい。あなた達はそれだけの覚悟と信念があってジーコ解任を叫んでいるのか、と。監督を交代させるだけでチームがあっさり強くなれるほどスポーツというものが甘いものだと思っているのか、と。大袈裟でなく、チームを率いる監督だって良い意味でも悪い意味でもあなた達の代表なんですよ。


Vol.139 「ナベツネ帝国」後の青写真は
2003年06月18日(水)

 今月10日、プロ野球界の実質的最高権力者だった巨人の渡邊恒雄オーナーが、今期限りでオーナー職から退くことを発表した。後任に指名されたのは球団社長の堀川吉則氏。渡邊氏は「堀川が後任のオーナーなんだから、あとは堀川に聞いてくれ。俺は安全保障とか日本の経済のこととかを考えないといけないんだ」とコメントしている。

 これまでの渡邊氏の暴言・妄言・暴走の数々は改めて取り上げたくもないのだが、渡邊氏が野球界の表舞台から一応姿を消すとなれば、「ナベツネ体制」の何が問題だったのか、それを検証する上でも改めて考えてみる価値はある。

 渡邊氏のオーナー退任は、私にしてみれば朗報であると思う。なぜ朗報なのか。もしかしたらプロ野球界が健全な状態に近付く大きな一歩になるかもしれないからだ。

 野球協約第2章に定められているように、プロ野球界の最高権力者はコミッショナーである。コミッショナーには、プロ野球界の決定事項について最終的な権限が委ねられている。全ての裁定の最終的な決定権はコミッショナーに預けられているのだ。

 しかし渡邊氏は、巨人という人気球団のオーナーであることを通り越して、これまで巨大な影響力を臆面もなく行使してきた。「ナベツネ時代」のプロ野球は、9割方の重要案件が一球団のオーナーの意向によって左右されてきた。一言で言えば、プロ野球は渡邊オーナーによってほぼ私物化されていたと言っていい。

 逆指名ドラフトを強行導入する為に、「新リーグ結成も辞さない」というブラフを堂々とかけたこと。五輪へのプロ選手の派遣を自球団の既得権益の為に拒み、日本野球の世界的地位を貶めることに堂々と加担したこと。選手会が熱望するインターリーグ導入に真っ向から反対し、ストライキも辞さずとした古田敦也選手会長に「ストライキなんかしたらファンに殺されるぞ」と脅迫したことetc……渡邊氏の暴走は、それこそ枚挙に暇がない。

 渡邊氏が野球界に与えてきたマイナスの影響をまとめると、野球の国際化やプロ・アマのボーダーレス化を自己の利益の為に阻害し、野球マーケットを拡大してこようとしてこなかったということに尽きる。大新聞社の社長ともあろう御仁が、自メディアの影響力を野球の為に用いず、自分の所有している球団の利益の為だけに豪腕を振った。

 経済原則に則れば、自分の利益の為に自分の球団とメディアを駆使するのは当然のことかもしれない。ただ、プロ野球はエンターテイメントである。12の球団とファンの満足が噛み合って、初めて100%の満足に近い成長が促される世界である。プロ・アマ全体を含めた球界のマーケットを拡大し、「野球を面白くすること」こそが真の利益を巨人にもたらすことに気付こうとしなかったのが、渡邊氏の重大な失策だった。

 そんなオーナーが表舞台から姿を消すとなれば、マイナス要因がなくなったということで朗報だと言うことはできる。だが、渡邊氏は同時にこんなコメントも発している。

 「未解決の問題があるだろう。ダイエー(の身売り)が、どうなるか。近鉄はサラ金に選手の体を売った。オリックスはどうなるか。体を張って球界の改革だけはやる。1年でやらなきゃいけないだろう」

 これは1年でどうこうできる問題ではないし、ましてや球界の改革という聞こえのいいものでもない。立派な内政干渉であって、一球団のオーナーが介入してどうこうする問題ではない。以前、ヤクルトが古田を五輪に派遣するかどうかで協議していた時に「今から古田を派遣することはペナントレースを放棄するようなものだ」と口を出したことと、全く同じことを渡邊氏は言っている。もうオーナー職を辞任すると言った矢先に、である。

 彼はオーナー職を辞める気はあっても、野球界への自身の影響力は行使し続けるつもりなのだろうか。球団運営から離れてもなお「院政」を続けようというのだろうか。そうであるなら、オーナーとしての姿すら見えなくなることはかえってマイナス要因になる可能性が高い。

 さらに言うなら、渡邊氏は近鉄やオリックスに対して個人的な感情があるようだ。オリックスの宮内義彦氏とは理念上の違いでの対立が長いことスポーツ紙を賑わせ、近鉄が消費者金融の広告をヘルメットに付けることになったことに対しては明らかに個人的な感情でケチを付けた。

 子供のケンカをスポーツビジネスに持ちこまれたら、結局損をするのはファンや選手である。正直言って付き合っていられない。

 問題を突き詰めていくと、一球団のオーナーがこれほどまでに暴走し、それを許すどころか「寄らば巨人の影」という体質を形成してしまった理由は、真の最高権力者であるべきコミッショナーのだらしなさに行き着く。

 2001年11月15日、横浜ベイスターズの筆頭株主であるマルハ(大洋漁業)がニッポン放送への株式譲渡を発表した。もともと30.4%の株式を保有していたニッポン放送は、マルハ所有株53.8%を譲渡されることで筆頭株主となり、経営権を保持することになる。発表前に行われたコミッショナー主催のプロ野球実行委員会でもこのことは承認された。

 これに噛み付いたのが渡邊氏だった。ニッポン放送は、ヤクルト球団の株20%を持っているフジテレビの株も所有している。同一グループが複数球団の株式を保有することで、八百長や不明瞭なトレードなど球界が不正に操作される疑惑があるということが野球協約183条に抵触する、と異議を唱えた。

 コミッショナーはこの問題の調査を指示し、29日の臨時実行委員会で一度は認めたマルハからニッポン放送への株式譲渡を白紙撤回するように命じた。最終的にマルハは東京放送(TBS)に株式を譲渡することになる。

 確かに渡邊氏の主張は的を射ていた。だが、問題はそんなことではない。なぜ一度はコミッショナーがGOサインを出したことが一オーナーの意向によって簡単に覆ってしまったのか、ということだ。

 ニッポン放送が横浜球団の株式を手にすること自体に関しては、協約上重大な問題に間違いない。ただ、その決定はプロ野球最高の意思決定機関である実行委員会が了承したものでもあり、最高権力者のコミッショナーが認めたものだ。それが渡邊氏の「鶴の一声」で朝令暮改の如き転換を迫られるというのは、プロ野球の権力構造が完全にイビツな形になっているということだ。はっきり言えば、「ナベツネ帝国」によってプロ野球界は牛耳られていたということである。

 実行委員会がなぜこんなにも簡単に決定を覆してしまったのか、そのことについての明確な説明はついになかった。歯に衣着せずに言えば、コミッショナーは渡邊氏の傀儡に過ぎなかったということだろう。こういうことが簡単にまかり通るなら、コミッショナーの存在意義は小指の先ほどもない。実行委員会の存在意義もない。

 「ナベツネ帝国」時代の問題の根幹は、恐らくここにある。渡邊氏が専制体制を築いたことで、最終決定権を持つコミッショナーの存在意義に根本的なクエスチョンがつけられたことが最大の問題なのだ。

 となれば、渡邊氏が「院政」を敷かなかったとしても不安は残る。渡邊氏退任について好意的な反応は色々なところで見受けられるが、「ナベツネ帝国」後のプロ野球でイニシアチブを取るのは誰なのか、という問題は結構危うい。

 渡邊氏がいなくなってプロ野球は良くなるだろう、巨人の感覚もまともになっていくだろう、そういうことは方々で言われているようだ。だが、実際にはどう良くなるのか、具体的な青写真はなかなか描けない。指針どころか、指針を示すべきコミッショナーの顔が全く見えてこないからである。

 いっそのこと、オーナー会議の権限を大幅にコミッショナーに移した方がいいのかもしれないが、今のように天下り官僚が腰掛けでコミッショナーを歴任しているようでは、恐らくそんな荒療治もほとんど効果はない。彼らは肩書きこそ立派であるが、スポーツビジネスについてはズブの素人も同然。これならば渡邊氏に首根っこを抑えられても仕方ない。

 コミッショナーが権限を当たり前に持てるぐらいにならないと、渡邊氏が球界から去ったところで問題は何も解決しない。渡邊氏がいなくなっただけで球界がよくなると思われれば、それこそ球界の首を締めることになる。ここで構造改革の手を緩めることなく、本腰を入れて球界の体質を改めることが求められる。最高権力者が具体的な羅針盤すら持ち得ないようなプロスポーツに、真の前進はあり得ない。


Vol.138 あのカーブを、もう一球
2003年06月04日(水)

 松坂大輔は、現役では極めて高い次元で総合力を持った投手だと思う。爆発的なストレートの球威にどんな球種でも投げられそうな器用さ。おまけに投げる変化球全てが一級品の切れ味を持っている。これだけストレートが速くて、且つ球種を多く持ち、その全てが凄まじい質を持っている投手は、もしかしたら過去に遡ってもいないかもしれない。

 松坂は、その存在自体がもはや一芸であると言ってもいいのかもしれない。一芸という言葉が失礼ならば、唯一究極に最も近い選手と言い換えてもいいだろう。

 松坂の真に恐るべきは、その飽くなき探求心だと思う。シーズン前のキャンプ、松坂はここ数年必ず新しい球種の習得に取り組み、実際にその球種をシーズンに入って有効に使っている。この貪欲さと吸収力こそ、松坂最大のスキルかもしれない。

 プロ入り1年目に習得したサークルチェンジは、今では左殺しの必殺球として定着した。3年前のフォークボールは意識的に封印したようだが、一昨年から使い始めたカットボールはもともとの球威を考えても脅威的な猛威を振っている。

 今年の松坂はカーブを意識的に投げ込んだという。高校時代からカーブは投げていたが、今年は高速に鋭く曲がり落ちる縦のカーブ……昔で言うドロップを頻繁に使っている。

 元来からの宝刀だった縦スライダーと見分けがつきにくいが、スライダーよりは意識的にバックスピンを強くかけている分、「曲がる」というよりは文字通り「落ちる」という印象。最近で言うなら、前々回の日米野球にレッドソックスのクローザーとして来日したトム・ゴードンのドロップが近い。

 松坂はプロ入り後、カーブをあまり放らなくなった。松坂のカーブと言えば、あの98年夏の甲子園、伝説にもなったPL学園との延長17回の死闘を思い出す。あの試合で松坂はカーブを狙い打たれていた。

 延長11回裏、6-5と横浜が勝ち越した直後。一死ながら二塁にランナーを背負った松坂は、PL4番の古畑和彦を高めのストレートで空振り三振に切って取る。あと1人。ここまでの松坂の投球数は171を数えたが、ストレートの威力は衰えを見せない。

 最も警戒すべき主砲の古畑を完璧な三振に打ち取り、捕手の小山良男は「勝ちを意識して、気持ちが緩んでしまった」と振り返る。打席には5番の大西宏明(現近鉄)。カーブを打たれ2本の安打を許している。

 サインを出した小山の頭にも打たれている松坂の頭にも、当然そのことは頭にあった筈。松坂の球威を考えても、ストレート主体で投球を組み立てるのが自然な考え方ではあったが、ここで小山はカーブのサインを出す。裏をかいたのではなく、小山曰く「頭の中で薄れてしまった」故の漫然としたサイン。

 松坂は小山を信頼してカーブを放った。その瞬間、小山の頭の中に大西にカーブを打たれている記憶が蘇る。バッテリー間で打ち取りにいく意識の徹底されていなかったカーブは、魅入られたように真ん中の甘いコースへ。大西が引っ張った打球は三遊間を抜け、二塁走者の平石洋介が生還。

 打球が外野に転がっていった瞬間、松坂は何事か叫んでいたように見えた。「なんでカーブなんだ!」という思いが込み上げていたのかもしれない。小山が慌ててマウンドに向かった様子を見ても、取り乱しかけていたのは明らかだった。

 後悔のカーブ……もしこの試合を横浜が落としていたら、あの一球は松坂の中にずっと引っ掛かって傷として残ったかもしれない。

 松坂がプロ入り後にカーブを多投しなくなり、3種類のスライダーを投げ分けるようになったのは、あのカーブが何かしら自分の投球の中で残っていたのかもしれない。ちなみに、あの時に投げていたカーブはドロップというよりも縦割れの大きなカーブ。切れ味自体はあの時点で他の高校生を圧倒する質を持っていた。

 今投げているドロップは、そのカーブを松坂なりに進化させた産物かもしれない。今では過去の産物になったドロップという球種を器用に習得し、それを既に決め球にも使う松坂という投手は、やはり怪物というに相応しい。

 ただ、と思う。

 百花繚乱の松坂世代。この年のPL学園ナイン3年生の中でプロに進んだのは、あのカーブを打った大西だけだ。松坂は、プロ入り5年目で恐るべき進化を重ねていった。あの時に大西と対戦した松坂とは、次元の違う力を蓄えてきた。そんな松坂を見てきた同世代は、松坂とは違う道程を辿りながら新人離れした活躍を見せつつある。

 大西は、まだその輪の中に入れていない。近畿大時代に定評のあった外野守備は充分に一軍戦力ではある。だが、やや粗さの見えた打撃でレベルアップを遂げない限り、いてまえ打線外野陣の一角を崩すことは難しい。

 松坂は負けん気の強い投手である。恐らく今まで自分の打たれたシーンというものは、逐一覚えている。そういうタイプの投手だと思う。ならば――打たれた後にあれだけ感情を剥き出しにした相手を、覚えていない筈がないと思う。その一球を、覚えていない筈がないと思う。

 大西が一軍の打席に立った時そのマウンドに松坂がいたら、ということを想像する。初球には何を放るだろう。ノスタルジーは、時に身勝手な空想を膨らませる。

 あのカーブをもう一球放る。大西がそれを打ちにいく。結果は――。

 伝説が名勝負を生み出す。過去のノスタルジーを飛び越えて、新たな名勝負が紡がれる。伊良部秀輝と清原和博の名勝負数え歌。13年前の西武球場で、伊良部のストレートを完璧に粉砕した清原の満塁弾。千葉マリンスタジアムで計測された伊良部の日本最速158kmは、清原相手に投じられた伝説の一球になった。

 真剣での斬り合いすら思い起こさせる果し合い。再び目の当たりにした生きた伝説に、今の世代が記憶と共に重なっていく。

 打ち取りにいく意図のはっきりした一球。それを打ち崩す意図のはっきりした打撃。散る火花。そんなシーンが、あってもいい。



(参考文献:ドキュメント横浜×PL学園 アサヒグラフ特別取材班 朝日新聞社)



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