月の輪通信 日々の想い
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2007年09月21日(金) 尊敬する友達

夜剣道。
早めの夕食をあわただしく詰め込み、ゲンを車で道場まで送る。
6時半からの子ども稽古、8時からの大人稽古。9時まで2時間半、ぶっとしの稽古に休まず通いつめるゲン。
残暑厳しい今の季節、稽古を終えると分厚い剣道着は汗を吸ってじっとりと重く、それでもまだゲンの短い髪から顎にかけて、玉の汗がじわりじわりじわりと流れ落ちたりする。
頑張っている、ゲン。

ゲンが車の中で話してくれたこと。

ゲンの友達のO君は4人兄弟。
もうすぐ5人目の弟か妹が生まれるらしい。
小さな賃貸マンションに住んでいて、「7人家族になったら、あの家じゃきついだろうなぁ。」とゲンが要らぬ心配をしている。

O君は忙しい両親に代わって、弟妹たちの面倒もよく見ていて、放課後は保育所に幼い妹をむかえにいって連れて帰って来るんだそうだ。簡単な料理もできて、両親がいないときは自分で晩ご飯を作って、弟妹たちに食べさせることもあるらしい。
中学に入って入部したラグビー部も、練習時間が長くて家の用事をするのに差し障るからと1学期で退部したのだそうだ。
「あいつ、偉いなぁ。家のことは何でもやって、弟妹たちの面倒も見て・・・。」

ゲンはその話のときに、小学校での友達のA君のことを話してくれた。
Aくんの家は大きなお屋敷で、Aくんの部屋は「うちのリビングと台所をくっつけたくらい」広い。大きなベッドを置いても部屋の中でプロレスができそうなんだそうだ。
比べて、O君ちは、6畳くらいの小さな部屋にOくんと弟の大きな2段ベッドと二つの机がおいてあって、遊びに行ったらベッドの上に座ってゲームをするしかないのだという。
「でもな、何でも持ってるAくんより、O君のほうが僕にはなんだか幸せそうに見える。」
とゲンは言う。

ゲン。
あんただって、よそんちの子と比べたらずいぶんいろんなことを手伝ってくれるし、アプコの面倒もよく見てくれてると思うんだけどな。
焼そばだって、ちゃんと作ってくれるし。
近頃では、部活で留守がちなオニイにかわって、工房の手伝いやちょっとした力仕事やってくれるようになった。
ありがたいと思ってるよとゲンに告げる。

それでもゲンは
「僕な、なんかOくんのこと、尊敬してんねん。」
とまっすぐな目で言う。
中1の少年が、いつもつるんで遊んでいる同級生の友達のことを「尊敬している」と表現できる。
そのこと自体、ゲンも偉いなぁと私は思う。

ゲンにはゲンなりの、堅実な価値観が育ってきているのだろう。
急に背が伸び、声変りが進み、日に日に大人びてくるゲンの成長が頼もしく嬉しく感じられる。


2007年09月13日(木) 役割

夕方、工房での仕事を終えてエプロンをはずす。
釉薬で汚れた手をざぶざぶと肘まで洗う。
今日仕上げた仕事は5板分。
ずらりと並べた作品を乾燥庫にしまう。
「ああ、おなかすいた。もう5時やね」と熱心に絵付けをしている父さんの背中に声をかける。

今日は一日、父さんもずっと座り詰めで作業をしていた。
襲名に向けての作品作りが山積みで、毎日追われるように土に向かう。
昼間は電話や来客など制作以外の雑用が結構多くて、今日のように丸一日土を触っていられる日があると、父さんはそれだけでほっとしたように延々と続く制作の仕事にのめりこむ。
今日も夜遅くまで仕事を続けるつもりだろう。

夕方5時には作業を終えて、先にうちへ帰れる「パート職人」のあたしは幸せだ。
一休みして、子どもらと一緒に虫養いのおやつを食べて・・・。ちょっと気楽な一休みが待っている。
「悪いねぇ、父さん、先に帰るよ。まだまだ、仕事する?」
絵付け仕事に熱中する父さんは、左手に作品、右手に絵筆を持ったまま、肘だけでバイバイと手を振って、返事をする。

「父さんの仕事はエンドレスだねぇ。エライエライ。私にはとてもとても勤まらない」
とからかうと、
「いやぁ、それほどでも・・・」と父さんは笑う。
「それよりも、毎日毎日何年も、『今日は何を作ろうか』って、晩御飯の献立を考えて料理する主婦の仕事のほうが、エンドレスだと思うけど。
僕にはとてもとても勤まらない。」
「あら、そう?じゃあ。ほめて、ほめて。」
「ああ、エライエライ」

ありがとう、父さん。
毎日毎日、寝ずに仕事をしてくたびれて、それでも主婦の当たり前のルーティンを「エライエライ」と褒めてくれる。
ゆるゆると嬉しい気持ちのままうちへ帰り、いつもよりも力を込めて夕飯の米を研ぐ。


2007年09月10日(月) 泣きべそ

10月に父さんの襲名披露の催しが決まった。
その段取りや引き出物としてお渡しする記念品の制作で、大忙しの日々。
父さんも私も、昼夜なく工房と自宅を行き来して、あれやこれやと走り回る。働いても働いても山積みの仕事と逃げ出したくなるような難儀を前に、唸りながら這いずるように一日が暮れる。
そんな毎日。

2学期になって、アプコの下校の迎えにいけない日が増えた。
工房での仕事が立て込んで、アプコの下校時刻にあわせて手が離せなかったり、送迎にかかる2〜30分の時間が惜しいこともある。
また、3年生なって下校の時間が日によって予定表より遅くなったり、お友達の家に寄り道して帰ってくることも増え、1,2年生の頃のような「毎日お迎え」はそろそろ難しくなり始めたせいもある。
「一人でもだいじょぶだいじょぶ!もう3年生だもん」
とアプコなりの自尊心も芽生えてきたらしい。
一人で鼻歌など歌いながら、ひょこたんひょこたんと楽しげに帰ってくる日が多くなった。

今日もアプコの下校時間、私は家で小物の仕上げ仕事をしていた。
玄関のあく音がして、アプコが帰ってきたらしい。
「お帰り」と声を掛けたが、玄関から答えはない。
あれれと思って立っていくと、アプコが玄関の扉を半分開けたまま、俯いて立っている。
「どしたの?こけちゃった?」
ううんと首を振るアプコの目が見る間にウルウルと濡れてくる。
「ありゃりゃ、お母さんが迎えにくると思ってた?
なんか怒ってる?
一人で帰ってくるのが、さびしかったの?」
と立て続けに訊く私にアプコはいちいちブンブンと首を振る。そして靴を脱いでうちへ上がると、ランドセルも下ろさぬまま、ゴツンと私の胸に顔を埋めた。
このごろぐんと背も伸びて、アユねぇの口真似をして生意気な物言いもするようになったアプコ。こんなふうな突然の泣きべそは久しぶりだ。
いくら聞き返しても首を振るばかりで、泣きべその理由はちっともわからないので、ご機嫌直しに車で夕飯の買い物に出ることにした。

出がけにざぶざぶと冷たい水で顔を洗って、泣きべその痕跡を洗い流した。
助手席のちょっと恥ずかしそうにアプコが笑う。
「今日ね、帰りの荷物がとっても重くて、途中で手とか足とか、痛くなっちゃった。」
アプコがポツリポツリと話し始めた。
「それからね、お隣のIさんちの近くの草むらでね、ガサガサって、大きな音がしたの。」
「それがこわかったの?」
「こわくないけど、ちょっとね・・・」
「なんの音だと思った?犬?それともへび?」
「う〜ん、へびかなと思った。」
「ニシキヘビみたいなでっかいへび?」
「まさかぁ!でも、そのくらいおおきな音、したよ」
そうかそうか。
たった一人で歩いて帰る山道。
ガサガサとなる草むらの音が、こわい大蛇ののたくる音に思えて、アプコは怖かったんだな。
大人の目から見れば、アプコの行き帰りの送迎は不審者や不測の事故を心配してのことだけれど、幼いアプコにはもっとほかにもこわいものがいっぱいあるんだな。
しっかりしてきたようでもまだちっちゃい女の子なんだ。

「でもさ、アプコはへび、見てないんでしょ?
もしかしたら、ねことかウサギだったかもしれないよ?
野鳩かもしれないし、たぬきかもしれないよねぇ。」
「あ、そっか。ねこだったら、もっとちゃんと見てくればよかった。」
アプコは初めて気がついたように、ほっとして笑う。
「うん、ねこだったらお母さんも一緒に見たかったな。」

「だったら、明日はお迎えね。」
そうそう。
明日は早めに仕事を切り上げて、久しぶりにお迎えに行こう。
二人で取り留めのないおしゃべりをしながら、だらだらと長い坂道を一緒に歩こう。
まだまだ幼いアプコと一緒に見たいものがある。
忙しさにかまけて、忘れてかけていたことがあった。
反省反省。













2007年09月02日(日)

この夏、ゲンの声変わりが始まった。
風邪でもひいたのかなと思っていたら、時々声が裏返っちゃうことが増えて、いつの間にか普段の声もぐんと低くなってきた。
「おかあさん、おかあさん!ぼくの水槽の金魚がな・・・」
と楽しげにおしゃべりしてくれる内容はまだまだお子様の可愛らしさなのに、その話す声のトーンとのギャップが可笑しくて、ついつい調子が狂ってしまう。
そして気がつくと、ほんの数週間前まで13年間も毎日普通に聞いていたげんの子どもの声がどんなだったか、もう、あいまいにしか思い出せない。
舌っ足らずでちょっと甘えるような、いつもユーモアを含んだ愛らしいゲンの声。
永久保存版のディスクに入れて、ずっとずっと大事に持っておけばよかった、あの声の記憶。

オニイのときにもそうだったけれど、声変わりが終わると男の子たちは汗の匂いもガラリと変わる。
「大人の香り」といえば聞こえは良いが、実際には生臭いオスのケモノの匂い。もっといえば、そう、「おじさんクサ〜イ!」というヤツだ。
朝、3時間の剣道の稽古を終えて、「あち、あちー!」とゲンが車に乗り込んでくると、小さな軽自動車の車内はぼとぼとに汗を吸った剣道着から発する匂いで一瞬にしてむせ返る。
発酵の進んだ果実ととろろ昆布を混ぜたような、なんともいえない饐えた臭いだ。
「窓、開けてぇ!」と後部座席から悲鳴が上がる。
「そんなに臭いかなぁ。道場の中はみんなこんな臭いだから、自分じゃわからないけど・・・」とゲン自身は車窓からの風を受けて、涼しい顔でぐびぐびとペットボトルのお茶を飲み干す。
この子もこうして青年になっていくんだなぁと、まぶしく思う。

うちへ帰ると、「おかえり〜!」と走り寄ってきたアプコが、うぇーっと鼻をつまむ。
ひるまず、冷蔵庫の前へ直行するゲンの背を押しやって、
「とりあえず、剣道着脱いで、シャワーでも浴びといで。頭も洗ってね。」と、追い立てる。
「ゲンにぃ、くさ〜い!」と、アプコがゲンの歩いた後をスプレー消臭剤をシュウシュウやりながら、ついて行く。

そういえば、昔TVで流れていたこの消臭剤のコマーシャル。
疲れて仕事から帰ってきたご主人の背広に、「なにをおいても」の勢いでシュウシュウと消臭剤を振りまく主婦。
あれって、感じ悪いなぁ。
一日しっかり働いて、くたびれた旦那さんの汗。
あんなに嫌そうな顔しなくっても・・・って、眉をしかめて見ていた私。
あらら、でも、今、アプコがゲンにおんなじことしてる。
これってやっぱり感じ悪い?

やいのやいのというけれど、ホントは私自身はゲンの汗の匂い、そんなに嫌じゃない。
藍の剣道着の背中が真っ黒にかわるほど搾り出したゲンの汗。
日に日に少年から青年に成長していく若いゲンの勲章のような気がして、臭い臭いといいながら、なんとなく誇らしい、嬉しい気持ちも確かに含まれているとは思うのだけれど・・・。
シュウシュウと脱臭剤のスプレーで兄の背を追うアプコには、多分そんな複雑な母の思いは伝わっていない。きっとそれはアプコ自身が母となり、その子どもが自分の背丈を追い越す少年に成長する頃まで、たぶん気がつかないことなのだろう。
「アプコ、もう良いよ。そんなにいっぱい撒いちゃ、もったいないよ」
とりあえず、きゃあきゃあ騒ぐアプコからスプレーを取り上げる。

「ああ、さっぱりした!」
と、短い髪からぽたぽたシャワーの雫を落としながらやってくるゲン。
ゆで卵のようなきれいな顔に、石鹸の匂い。
まだその頬はふわふわと幼い子どものやわらかさで、こわい髭の生えてくる気配もない。
「アイス、もう残ってなかったかな」と冷凍庫に頭を突っ込むしぐさもまだまだ子どもであっけらかんと屈託がない。
男の子の成長というのは、面白いもんだなぁと、思う。
汗でどっしりと重くなった剣道着を、ガラガラと洗濯機で洗った。





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