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のりすけの日記 DiaryINDEX|past|will
会社の呑み会に誘われていたのだけれど、流石に寝不足と疲れでキャンセルして帰宅した。下腹部の痛みも気になっていたこともあるが、なんとなく乗り気がしなかった、というのが本音である。この日も爆睡。お風呂にも入らず寝てしまった。金曜の夜にくつろぐと土日が長く感じられる。仕事の疲れは金曜の夜に解消し、土日を有効的に過ごす。以後、このことを意識していこう。
残業中、おなかが減るので机の中に隠してあるおかしを食べる。ポッキーやフランがさりげなく食べやすいのではないかという気がしている。ある程度空腹感を満たすもので、且つ咀嚼中外線の対応に差し支えない、そんなおかし。さりげなく口に運べるおかしは他にないだろうか?えっと、煎餅とか柿の種とかは音がうるさいからダメです。
残業を終え、帰宅。気が付くと炬燵で寝ていた。知らない間に眠りに就いてしまったのだ。冷たい布団に潜って再び眠りに就く。しばらくしてまた目が覚めた。下腹部に痛みを感じる。それで寝返りがうまく打てないのだ。うっすら脂汗でも浮かべていたのではないだろうか、それくらいに痛かった。これは盲腸に違いない、と思いこんで、次に目覚めたときはきっと手術の後なのだろうと空想した。きっとわたしは疲れていたのだろう、仕事を放棄したい気持ちがおかしな空想に表れてしまった。なんてバカ。
このところ母はドラマばかり見ている。どのチャンネルもニュースが始まる23:00、「あー、もうこんな時間!お母さんお風呂やめとくから、あんた入りなさい。」わたしが帰ってくる時間は何かしらドラマを見ている。それもとても真剣に。「あの男の子なんて言う名前?」「キムタクかっこいいねぇ。」「お母さん、あの子好きやわー。」わたしよりもミーハーである。以前は織田裕二が好きだと言っていたのだけど、最近の趣向は木村拓哉、藤木直人、なのらしい。中居正宏の番組もよく見ている。最早、わたしや父にチャンネル権はない。今日も父を「あんたどうせ途中で寝ちゃうんだからビデオ撮りなさいよ。」と一蹴。今更かも知れないが、母は強い。
仕事で残業をしている時、「どうしてわたしはこんなに要領が悪いんだろう。」と思う。エクセルの関数がもっと詳しく解っていれば、データの抽出だってもっと早くできるのに、と勉強不足を痛切に感じる。こんな風に仕事を続けていたのではいけないな、と思う。勉強する時間を設けないといつまで経っても要領の悪い仕事しか出来ないのだろう。成長がないのはつまらない。
起きたら5時だった。それも夕方の5時である。15時間くらいの睡眠は今では休日しか出来ない。どこにも出かける気がないそんな週末はとことん眠るに限る。至福の時。
やっとのことで歯科に行けた。取れた銀をティッシュに包んで受付で手渡すのは恥ずかしい。美しい歯科助手に大口を開けたマヌケな顔をさらすのも恥ずかしい。それでも、ひとつ好きなものがある。それは診察椅子。あの椅子が部屋にあれば、昼下がりに本でも読んでそのまま眠りにつけそうだ。あの椅子は優れものだと思う。
会社の売店で毎日セコイヤチョコレートを買って食べる。それもストロベリーと決まっている。1本30円。それが今日、なんと品切れだった。わたしは仕方なく隣の普通のセコイヤミルクチョコを買ったが、やはりストロベリーが美味しい。因みにセコイヤミルクチョコレートはキットカットを大きくした様な感じでチョコの中にウエハースが入っている。わたしは飽きもせず、セコイヤチョコを食べる。それで、虫歯になる。
会社で制服の襟元からババシャツが覗いているのに気が付いた。シャツが後ろ前なのだった。誰かに指摘されたら笑ってごまかそうと思っていたのに、誰も気付くことなく時間は経過。昼休憩にトイレで着直して先輩に「シャツ後ろ前に着てたんですよね、実は。」と白状したら、がはがは笑ってくれた。まぁ、いつもこんな感じで。
「一人でやろうと思わず、誰彼巻き込んでやらないと帰れないよ。」本当にその通りなのだけれど、予算の立て方なんか部長くらいしか知らないみたいなのだ。聞ける人がいない。合ってるのか、間違ってるのかも解らないのが辛い。
恐るべき予算申請の季節がやって来た。来年度の通期予算。職制が変わったため、今年度の実績が参考にならないのだ。恐ろしすぎる。また、これから残業の日々が続くのだろう。
耳鳴りが酷い。こんなに鳴ってるのに自分しか聞こえてないなんて不思議なくらいだ。実に五月蠅い。そういえば耳鳴りはいつも耳を劈く様な高音である。重低音なら耐えられそうなんだけど、どうなんだろうか。
百円均一で毛玉取り機を発見した。数年前からずっと気になっていて購入できないでいたもののひとつである。電気シェーバー式で毛玉を切り取るタイプのもの。百円なら失敗してもまあいいか、と腹を決め、帰宅後試しに靴下の毛玉を取ってみた。すると、んもう面白いくらいに取れるのである。今までT字カミソリやはさみで取っていたのが馬鹿らしく思えた。こんなに素晴らしいものが百円で買えるなんて感激である。今日、わたしは久々に感動したような気がした。
こんな調子だと友達なくすなぁ、と切実に感じる。わたしはメールも返さないぐうたらな人間である。それが今月、抗うつ剤を切らしたり、インフルエンザに罹ったり、はたまた3ヶ月ぶりの生理が来たりで、情けない話だが毎日体調が優れず、泣きながら運転し、泣きながら寝ていた。正直なところ、こんな調子なので誰にも会いたいとは思わなかったし、会っても今のこの状態をうまく説明できるとも思えなかった。また、誰に話しても理解されると思えなかったし、そんなことを考えるのが億劫だった。はっきり言うと、わたしは楽になりたかった。昨日よりナンボかマシと考えるようにして毎日やり過ごそうと考えていた。そうこうしているうちに、調子を取り戻すだろうと思い、それが賢明だと感じた。でも、あのときのメールの返事は出すべきだった。
部内の席替えが行われた。折角覚えた部員の内線番号も覚え直しである。これからまたしばらくは、座席と内線表が手放せない。まぁ、わたしは相変わらず管理職の前の席で内線だって変わらないんだけれど。
年末に職制が変わって、苦手な課長が隣の部へ異動。新しい課長が引っ越してきた。他の部員はどう思っているか解らないが、わたしにとってはラッキーである。もう本当に嬉しい。声を大にして「さいこーでーす!」と叫びたい。新しい課長は温厚で話しやすい。ねちねちしたいい方なんてしない。長々とイヤミを垂れて仕事を妨害しない。(前課長の直属の物静かな部下Kさんがキレて「そんないい方しなくたっていいだろう!あんた、いつだってそんなだからだめなんだ!」と言い放ったのは拍手喝采モノ)わたしの嗅覚を刺激しない。(前課長はポマードがすごい。それもわたしが苦手とするタイプの臭いであった)すいませんが、本当にわたし嬉しいんです。ふふふ。
午後から本社に赴き、派遣社員向けの教育研修を受けてきた。会議室にて長い話を聞く。社長や専務が話しているというのに、わたしの頭はかっくんかっくんしていた。あまりにも眠すぎる。向かいの先輩はかっくんかっくんしないように俯いていた。流石先輩である。
銀がとれたのである。先週インフルエンザで処方された薬が苦くてたまらないので、服薬後にキャラメルを噛んでいたら、カポッと取れてしまったのである。あれからもう1週間が経つ。歯医者に行く時間が取れないままだ。
筋肉痛がとれない。就寝時、横になりながら咳き込んでいるせいか。それでも熱がないだけまだましか。あー、だるいったらない。
職場の更衣室で着替えるのがめんどくさいわたしは家からスカートをあらかじめ履いていく。そのため平日は毎日黒やグレーのスカートしか履かない。もうこうなったら、バーゲンで購買意欲なんか沸かないのである。ふーんだ。
体調不良と睡眠不足でやつれているというのに、体重が2キロも増えていた。これは、、毎日残業をして食事が遅いせいだろう。また、毎日の家での夕食が何故かご飯とうどんの炭水化物セットだからなのだろう。加えて、食後すぐに寝てしまうからなのだろう。
これもインフルエンザの症状なのか、おなかの調子があまりよくない。出るものは出るのだが、残尿感が残りまくりでその上頻尿ぎみである。おまけに胸の下から下腹部にかけてパンパンに張っている。とても気分が悪い。スカートもキツイ。
眠れないのは、咳のせい。
とまらないのは、咳である。げほ。
昼休み、会社の健康管理室へ行って解熱剤を貰って飲んで寝た。噂には聞いていたが、ここの布団はめちゃくちゃふかふかしている。気持ちよすぎる。仕事にも家にも帰りたくなくなる。が、起こされて事務所に戻りちょっと仕事をこなし早退。帰路にある公立病院の内科の受診。「保険証を忘れたので明日持ってきます。」と申し出ると、「近いんですから、受診後取りに行けませんか?」との返事。いつもなら「はい、すみません。取りに行ってきます。」と言えたかも知れないが、これもやはり熱のせいか、融通の利かない受付に腹が立って仕方なかった。忘れる方が悪いのだけど、「保険証を取りに帰れ」と言われたのは生まれて初めてである。10年ぶりのインフルエンザはわたしを傲慢にさせた。病は人間を謙虚にもさせるが、傲慢にもさせるものだと感じ入った。
酷い咳でうまく睡眠がとれなかったせいか、仕事が手に付かない。頭がぼーっとして、身体が重い。どうにか定時まで我慢し、かかりつけの医院まで車をとばす。そんなにとばしてもいなかったが、雪、である。わたしの車はスリップしハンドルが取れなくなり、対向車線を突っ切った。幸い人身事故には至らなかったが、タイヤが路肩からはみ出してしまって、どうにもこうにも動けなくなってしまった。こんなにしんどいのに、何で病院に行けないんだろう。。救急車でも呼んでやろうかなぁ、とも一瞬思った。しかし、優しい人はいるもので、1人、また1人、もう1人、と車を止めて助けてくれる人が現れた。しかし、わたしには少しの注意力も残っていなくて、その人たちに対する感謝の気持ちよりも、きっとどうにかなっているに違いない身体とそれを持ちこたえられない脆弱な精神が気にかかって仕方がなかった。わたしの車は救出され、わたしは情けない思いで礼を述べ、泣きながら時速10キロで除雪車の後ろを走り、医院へ向かった。医院は当然しまっており、わたしは医院裏の自宅へ回りインターホンを押した。「しばらくおやすみ頂いているのよ。いつからやるかっていうのも目途が付いてないの。」と夫人は言った。わたしはどこからか情報を得ていたのだろうか、その先生は胃癌なのだ、と思った。そして、もうこの医院を受診することはないのだろうという気がした。そして、またわたしは嗚咽しながら車を運転した。「ああ、この道でわたしは事故を起こすなぁ」という考えが浮かび、また「こんなこと考えてたら本当に事故起こすなぁ」と打ち消す。身体の細胞がフツフツと化学反応でも起こしているに違いないという妄想を考えてみたりするうち、わたしは無事帰宅した。食事の際、炬燵の上のペン立てに懐かしい水銀の体温計を発見し、それを手に取り脇に差し込んでみると、水銀は40度近くを示した。わたしも壊れてるけど、この体温計も壊れてる。咳き込み過ぎて血痰が出る始末。就寝時、自分の電子体温計で測定してみると39度。やはり熱があったのである。濡れタオルを顔に乗せ横になっては測定する。39度。39度。うはー。こんなにある!39度。まだ下がらないなぁ。39度。もう朝、げぇ、会社だ。。結局寝れなかったのである。
友人とスノボに行く予定だったのに、朝起きてみると50センチくらい雪が積もっていた。それでも何とか行けるだろうと思って、ウェアに着替えて車に乗り込もうとしたが、ドアが凍り付いて開かない。悪戦苦闘の上、エンジンをかけるまでに至ったが、今度は車が動かない。道路まで除雪していたのでは時間がかかりすぎる。結局諦めて友人に電話をしてから、炬燵に潜り込み寝てやった。
夜、バッグの中から投函し忘れた年賀状が出てきた。今から投函しても、相手に届くのは月曜日。うっかりしていた。毎年毎年わたしは年賀状の投函が遅い。年賀状印刷に合わせてプリンターまで購入したのに、まったく情けない話である。
夕飯は恐ろしいことにたぬき鍋だった。部屋中に臭いが充満して、わたしは食欲を失ったばかりか、気分が悪くなってしまった。今日のわたしは疲労していた。疲労しているときは決まって身体は肉や魚を受け付けない。それにしても誰が一体どこからたぬきの肉を調達してきたのだろう。たぬきの肉なんてスーパーに売ってるのだろうか?うーむ。。
急遽、高校の部活のメンバーを一部集めて同窓会をした。連絡先が解ったメンバー4人だけで、ボーリングとその後カラオケのコースである。大学を卒業し就職してしまっているので、こういう機会にしか会うことは出来ない。数年ぶりに会ったメンバーではあるが、そう懐かしいという感じもなかったのは何だか嬉しかった。4人ともまだ独身。後また数年経ったときにはそのうちの誰かが結婚しているかもしれない。また子どもの話だって出てくるんだろうと思う。年々独身の友達は減る。また、結婚してしまった友達とは会う機会が激減する。わたしの未知の世界に行ってしまったようで寂しくもあるが、そういう寂しい思いを与えられることは悪くもない。刺激は必要。自分が何者かを再確認することが出来るから。わたしは独身。彼氏なし。そういうことです。
友達と山登りに出かけた。当たり前だが急斜面のアスファルトは凍結していて、おまけに風邪が強い。足下はつるつる、上体はふらふら。もう、元旦から何やってるんだろうって感じである。登りはガードレール伝いに、まるでスケートへたくそ連中みたいなへっぴり腰で。下りはうまく転べないスノーボーダーの様に滑り降り、またすっころびながら。転んでもなお滑り続けるのが恐怖だった。それでもアホなわたしたちは相手がすっころび滑り落ちて行く様を腹を抱えて笑っていた。「早く帰りたい。。」鳴き声とも笑い声ともつかない声を発しながら、車へ戻ったわたしたちの第一声は何と「ヤッホー!」であった。
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