堀井On-Line



6742,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―1

2019年08月31日(土)



   * 娑婆は、生きていてナンボのもんじゃ! 
           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >

 昨今、100歳まで生きるとすると、2000万とか、6000万が必要とか、真面目
くさった議論が出ている。 少し考えれば大した意味の無い議論を、何とまあ。
「死んでしまえば、ハイそれまで」、一円もかかりはしない。足りなかったら、
市営アパートに入って、生活保護で生活をすればよい。
 数十年、家系を含めると100年スパンの家計体質の計画が必要なこと。
目先で何とかなるものでなし。老人社会は、それこそ社会主義のよう。
「皆で弱れば、怖くない」 死を前にして、万人平等の原則が強力に作用する。
 ここで、著者は、老後という言葉に惑わされている社会風潮を批判する。
著者は、<50歳までを生命としての人生、それ以降は人間としての自らの価値
をいかす人生と割切るべし>とする。50過ぎで中途半端に区切った我が人生。
50歳代の10年で30年分を圧縮をした生き方をした。 確かに手ごたえは充分
あったような。 還暦以降、13年以上も生きてきたが、あまりに情報化による
時代の進化が刺激的で面白い。 その実感とは…
 『娑婆は、生きて味わってナンボのもんじゃ!』 そう思うしか?

《  〜Amazonの内容紹介〜
「人生が100年になる」という人類が今まで経験したことのない時代を迎えた今、
50歳からをどう生きるべきか、科学的に考えてみようという本です。
「老化」の不安や「お金」の不安、「いつまで働くのか」「いつまで働けるのか」
という不安を抱えるすべての人に読んでほしい本です。
 人生100年時代
 いつからが老人なのか?
老化も寿命も定年も病も錯覚です。
武田先生が50歳からの人生のウソと矛盾を整理します。》

 ――
▼ 確かに、老後なんてありはしない。身近な(男)の場合、還暦で、4分の1は、
 鬼籍に入った。ということは、彼らには老後はなかった? 67歳で癌で倒れ、
1年後に亡くなった父親。死期を悟り、呻いた言葉が、「あと3年、生きたい!」。
その真意は、「小さな世界で、思い込みで、何も知らずに生きてきた。それが
何だったのか。それから離れて、より深く、広く、世界を味わってみたい。」。
 父には、その3年が、この妄想としての「老後」だった。 その意味で、
26,27歳の時節に、父の死に様から、多くのことを学ぶことが出来た。その父親
の死亡年齢より5年、生き長らえている。確かに、この5年は、人生の豊穣な収穫
が間違いなくあった。生活習慣と、行蔵の御宝のためだろう。
 ここで、「子狐」とか、「御世間様」とかに捉われ、現実社会に、ドップリと
浸かった人たちを批判しているのは、「それら老人(無知の人)が、あまりに
??… 生き方に対して語らずにいられないため。分厚い我が固定観念を彼ら
から見えてくるため。 この著書の内容とは、そういう人に向けた、説法。
「老人」=「病人」である。死にゆく老化は避けることはできない。 
「全てが死に逝く過程にある老化」は、生まれてきたが故に避けられない宿命。
安易に目を叛けるから不安になり、迷い、慌てる。
 …次回は、フォロアーなどの意見や、詳細の内容など…

・・・・・・
2018年08月31日(金)
6379,閑話小題 〜怒りの静め方

   * まあお暇なことで…
 創業となるとトラブルの連続。そこに嫉妬、妬みが加わる。
バブル華やかな頃、経営の神様と言われた故・邱永漢が、
『地元で事業を興すな。烏合の衆の中で革新(創業)をすること自体、
大きな無理がある。それぞれ代々の因縁で雁字搦め、絶対に避けるべし!』と。
 5年近く、実家の本店を引継いでみたビジネスを通してみた地元社会が、
邱永漢そのままの現実に、驚くやら、飽きれるやら。地元は私にとって限界。
で、邱永漢の論に従い、新潟駅で起業を始めることにしたが、これが正解。
長岡とは風土が全く違う開放された社会。長岡では、日本地図そのまま見るが、
新潟では180度ひっくりかえし日本海を背景に見る。これは、金沢でも同じ。

 新潟市の本質は天領文化が故に、外海と表日本に向けて開かれている。
血筋、因縁など、アナザーワン。その事業を清算して住み心地良い?御屋敷で、
7年半前から御隠居暮し。そこで生じるのが城下町住人との感覚の違い? 
気持ちは地元を去った100%が外モノ。その一部の軋轢も一通り終わりつつ…?。
 長岡というより、地方は納豆のようなベタベタの人間関係。
地元は、小・中・高校の人間関係で済ませ、距離が置いていたのが幸い?。 
それでも平均、3〜6ヶ月に一度は、何やらの「サイコパス」が一瞬の隙を
ついてくる。今では手慣れたもの、全身全霊でイメージで 打砕く。
これがストレス解消にうってつけ。‘その1〜2年後に何かの巡り合わせで
因果?が現れるという物語にして…。あとは自然の成りゆき…。 これで
怒りが冷まる期間が二週間、1年後に完全忘却。ところが、その辺りに対象に
マイナーが具体的に現われ出る。それも罪悪感と後味の悪さが残らない範囲で。
これを「内的処理」として丁寧に実践。それが来年3月〜8月に、めじろ押し。
どうなるのでしょうか? 私自身のカエリ矢の可能性も。
ところで、図書館で、『怒り〜心の静め方』という本を借りてきた。
まあ、可愛らしい内容である。

・・・・・・
2017年08月31日(木)
6012.閑話小題 〜実際の長生きは苦しい
          ー新潮45 6月号・特集:私の寿命と人生
               『実際の長生きは苦しい』久坂部羊―
   * 老衰は、そんな生やさしいものじゃない
 身につまされるテーマである。確かに、この年齢まで生きることが出来て
有難いと思っている。特に、20年来の本格的情報化社会への激変は、刺激的、
かつ劇的であった。ネット社会が現実社会の上を覆って別世界をつくったが、
これを目の当たりに出来たのは人類の一員として無上の喜びである。。
 逆に、医療効果で、寿命も延びてきたが、その影も浮び上がっている。
姉、兄、その連れあい、いとこ、など身内が70、80歳半ばに到達した。
痴呆症を含めた老々介護などの問題が直面している。長寿がめでたいのは過去
の話。他人事と思っていたが、古希を過ぎた現在、自分の問題にもなってきた。
― 
≪ 医師で作家の久坂部羊氏による「実際の長生きは苦しい」は高齢者医療に
 携わる氏の本音であり腑に落ちる内容である。元気のままで長生きできると
思っている人が多いがそれは夢想であり、実際は体が弱り機能が衰え、生き物
としてダメになっていくのを実感するのが長生きだという。
がんにせよ心臓・脳血管障害にせよ老化によるものなので自然の寿命なのである。
それをなまじ病院などに行けば無理やり死を遠ざけられ想定外の苦しみを味わう
ことになる。病院に1,2か月通っても良くならなければ医療は無力とあきらめた
ほうがいいという。≫

≪ メディアでは盛んに健康、アンチエイジングを謳っているけれど、高齢者
 医療の現場は大変なことになっている。「老衰」で死にたいと、多くの人は
思っているのではないだろうか。実際、私もそう思ってた。でも、久坂部さん
いわく、「老衰はそんな生やさしいものではない」と。確かに眠るように、と
言っても、よく最後は肺炎でとか聞くけれど、実際は息苦しいだろうし…。
どんなに死を恐れ、拒絶し、悲しんでいる人も死に顔は無表情だったという。
死はそんなに悪くないということ。≫

≪ … 死をどう考えていますか?
・久坂部: 私は死を全面否定しない。死は悲しいし、つらいし、苦しい。
 しかしそんな死にも良いところはある。そう考えることでバランスが取れる。
  … 高齢者の大半が病院にかかっていますが
・久坂部: 老人の病院通いは害が大きい。時間と労力、お金をかけて検査を
 重ねた結果、分かったのが治らないということだけだったりする。それなら
 何もしない方が有意義だ。老化が原因の病気に対し、医療は限界がある。
 病院に行けば治るというのは幻想です。≫


▼ いざ、自分に「余命半年」と告げられると、動転するようだ。長生きの
 リアルを知らない人が、長寿に憧れ、メルヘンの世界をイメージするが、
それは綺麗ごとに終始するメディアと、健康関連業者だけ。死ぬに死ねないで、
「健康法で、長年、散歩をしてきたが、あれが悪かった!」とさえ… 
「で、どうすればよいか?」というと、「自然な寿命を受入れること」。
現実問題としては、「病院に行かないこと」。
 医師として多くの看取りをしてきた著者が、<「死を受け入れることは
難しくない。いつも、死のことを考えていれば慣れるし「あきらめ」もつく。
ヤケクソではなく、「明らかに観る」という意味の「あきらめ」が必要>と。

・・・・・・
2016年08月31日(水)
5647,「家、ついて行っていいですか」

   * ぬいぐるみに話かける男
 ときどき見る番組、「家、ついて行ってイイですか?」だが、必ずという
より偶然、見るほうが多い。そこでは人生の多様性を見ることが出来る。
先日見た中で印象に残ったのが、「ぬいぐるみ」に話しかける青年。
ネット検索で、「家、ついて行ってイイですか?」「ぬいぐるみ」と検索した
ところ、本人?が直接ネット上で、「自分は変か?」の問いかけがあった。
「なりすまし」? それともTVに出た人とは関係ないかどうかは不明。
都会には、地方出の孤独な群集がいる。誰もが過去を引きずり、面白い
人生劇場を生きている。哀しく、ほろ苦く、温かく、複雑な人生が・・

≪ 20代後半の男。
 家に3歳くらいのときに買ってもらった手の平サイズの子猫のぬいぐるみが
あります。名前もあります。小さい頃は肌身離さず持っていて、さすがに年齢を
重ねるにつれて肌身離さず持つことはなくなりましたが、捨てることは出来ずに
今も大事においてあります。さすがに20数年持ってるとボロボロになって背中
とか綿が丸見え状態で全身の毛も半分くらい抜けています。汚くなってるので
洗濯したいけど洗濯したら多分頭と体ちぎれる可能性あるので、もう出来ない。
そんな子猫のぬいぐるみですが、学生時代はあまり置いてある場所から出したり
することもなかったんですが、社会人になってからたまに出してきて撫でたり、
話しかけたりしています。ただ、毎日じゃなくて3日に1回のこともあれば、
1週間に1回、1カ月に数回の時もあるし、忙しいときは1ヶ月全く触らない
こともあります。 でも、ここ最近触ったり撫でたりしていると癒されるし、
昔と違った感じでまたものすごくかわいいと思うようになっています。
他の「ぬいぐるみ」は別に欲しくもなんともないんですが、この「ぬいぐるみ」
だけは特別というか愛着がすごくあるんです。小さいころに持ってたぬいぐるみ
もこれだけです。他人から見たらただの汚いボロボロのぬいぐるみですが、僕に
とっては小さいころから一緒に暮らしてきたので家族みたいな感じです。
捨てろと言われても絶対に捨てることは出来ません。
 将来的に一人暮らしもしたいと思っていてその時には連れていくと思います。
ただ、客観的に見るといくら家の中でプライベートな空間とはいえ、かわいいと
思いつつ20後半にもなってぬいぐるみ撫でたりしているのはちょっとまずいん
じゃ・・て考えたりもしてしまいます。いい年した男がぬいぐるみを可愛がって
いるて、精神的に子供というか・・ でも、止められません。 いい年して
ぬいぐるみを持っている、可愛がっている男性をどう思いますか?
キモイというかドン引きて感じですか?男女問わずよろしくお願い致します。≫
 ―
▼ よく読むと違う青年のようだが。 青年がぬいぐるみに語りかけるのを見て、
「大の男が気持ちが悪い!」とも思わず、自然に受入れることが出来たのは、
この随想日記が、ヌイグルミに近い存在と思えたため? 親元を離れ、都会の
中で暮らす孤独は、慣れるまで本当に辛く侘しい。が、青年期には親元から
自立する必要条件になる。だから、地元から上京した時は、同郷の友人より、
都会の新たな友人を見つけるチャンス。 ブログ内検索をすると、以下のように
書いていた。 「いま、ここ、わたし」は、垂直に立ち、現在と、過去と、未来に
ループして、多くの時空を飛びまわることが出来る。だから止められない。 
何度も経験することが、過去の文章に、「あんた誰?」と見知らぬ誰かを実感する 。


6741,閑話小題 〜カラスと遊ぶ ―2

2019年08月30日(金)

    * 隼型の人形を括りつけ3日目に
 一週間程前に、カラスの死骸に模した人形をベランダに括り付けた。
去年の‘カボチャの張りぼて’ほどの効果がないのではと考えて、ネットで
百均の「ダイソー」に「隼」の姿を模したのを見つけ、念押しに付け加えた。 
そのため静粛の日が続いた数日間後、1羽のカラスが斥候で?庭先に来て
鳴いていた。まずは様子見、で、その数時間後、3羽のカラスが庭先の松の木
から激しい威嚇の鳴き声。 野生動物は、テリトリーへの天敵の侵入に敏感。
怖れる風もないため、もう一羽、「隼」の人形を購入し応援に加えた。
今のところ近所にきてない。それでも数日に、再び威嚇してくる? カラスと
戯れるのも面白い。次は、新たにハロウィンのカボチャを加える予定…。
 ―
    * トランプも酷いが、何も酷い
 韓国の大統領が交代する度に、75年前の日本による朝鮮統治時代の問題を
新たなカード持ちだして反日運動を喚起して国民の目を向けることで、国家
体制維持の政策をとってきた。今回は徴用工問題。 国家間で解決済み問題を、
「個々の問題は解決してない」と強引に理屈づけてきた。さすがのアメリカも、
呆れ果ててしまった。韓国の歴代の大統領は、逮捕か、自殺の運命が間違い
なく待つ御国。その上に、側近の汚職問題を国民から目を逸らすため、軍事の
秘密事項の共通開示の協約を破棄。これではクーデターさえ起きかねない事態。
いまだに朝鮮戦争の終結がされてない臨戦状態で、権力が大統領に集中する国。
貧すれば鈍するそのもの。諸外国からみれば「近親憎悪」と思って然るべき事態。
戦勝国家たる朝鮮が、未だに分断され、日本との格差は歴然となれば、嫌日感情
も仕方がないと、上から目線が彼らのプライドを傷つけるのだろう。

・・・・・・
6378,閑話小題 〜同月、同日分を先に読んでみて
2018年08月30日(木)
   * 過去文からテーマを考えた
 テーマを考えあぐねて、同月、同日の17年余のテーマの幾つかを読みをして、
その感想を書いてみることにした。何時も、当日分を書いた後に読返していた。
当日の文章から、「過去」をふり返っていたのが、過去の文章内容からテーマを
起案するのは初めての経験。新たな気持ちで読返すと、思いの外に重く真面目
くさったテーマばかり。この程度でもテーマ探しを入れると3時間のエネルギー
が入っている。それが重苦しさ?を生み出している。本来、生真面目?なのか。
 毎日、過去の文章をコピペする過程で読返しているが、真っさらな気持ちで
ジックリと読返すのは初めて。毎日、一期一会で選び出してきたテーマと内容。
ネット上に連日ともなると、極度の緊張と、集中が必要となる。尤も、それが
狙いだが。としても、我ながらシリアスである。それも毎日毎日。
 そうともしてないと、精神のバランスが保たれないため? こんなことを
誰に頼まれた訳でなし。ただ面白いため。秘異郷の大自然の光景との邂逅で、
日々、生きている価値が認識出来るようになったためだろう。極限を超えて、
広く、深く、明るく、経験と知識を重ねる必要性を、改めて感じた。
重くても、軽くても、暗くても、シリアスでも良し。広げ、掘下げた知識、
経験しか、世界は感知出来ない。 で、このテーマは何? 過去の文章は、
今の私に何を語りかけてくる? <肩に羽根を付けて、もっと、舞え>と!
これが隠れテーマ! 死んで三日もすれば、元もと存在してないのと同じこと。

・・・・・・
4916,一度、死んでみましたが
2014年08月30日(土)
             『一度、死んでみましたが』神足 裕司著
   * 重介護5のスーパー闘病記
 平々凡々の日々を当たり前のように過ごしているが、実は、これが最上で
あることに気づくのは、失ってから! あと一年余りで、平均すると同年齢
の男の過半数は介護生活、5年後には寝たきりに、10年は死んでしまう。 
TVや、西原の漫画に度たび出ていた神足裕司を、この数年見かけなかった。
実は三年前にくも膜下出血で倒れ、重介護度5でリハビリ生活の中、
去年12月に、不自由なベッドで書いた『一度、死んでみましたが』という
スーパー闘病エッセーを出していた。コラムニスト復帰の第一弾の本を、
偶然、図書館で見つけ、借りてきた。脳の大手術で、現在も殆ど動くことが
できず、寝たきり。ここで、介護、寝たきりとか、言っているが、この書を
読むと、さほど遠くない未来に似たような事態になる可能性が十分にある。
50歳半ばから還暦辺りにかけて、友人、知人が次々と、半身不随になったり、
癌で死んでいるが、どれもこれも、最期は壮絶な状態。これは、その実況
中継のような闘病エッセーで、ベッドの中の苦闘が、そのまま伝わってくる。 
本の題名が『スーパー闘病エッセー! 一度、死んで見ましたが』 
HONZ http://honz.jp/36901 の書評が、要点の7〜8割は押さえている。
「その時から、それまで生きてきた一生分を生きることになる」と言うが、
そう信じさせられる内容。 ーアマゾンのレビューの、息子のレビューより
≪ はじめに、家族という立場にあるものからのレビューであることをお許し
 いただきたい。本が手元に届いてからも、私はなかなか本を開く気に
なれなかった。怖かったのだ。父の、つまりはこの本の筆者の状態はもちろん
百%ではない。ページを繰っていけば、彼がこれまで積み上げてきたものが、
私の前に立ちはだかる者としての彼が、崩れ去ってしまうのではないか、
そんな恐れを抱いていた。杞憂だった。そこにあったのは、私にはとても
紡ぎ出せない「凄み」のある言葉の数々。いや、もしかしたらこれは、
以前の筆者にも書けなかったのかもしれない。薀蓄をちりばめ、変幻自在の
修飾語を用いながら、ページを埋め尽くすのが豊穣な表現だとするならば、
この本はそれには当たらないかもしれない。むしろ、そのような表現は
全てが余白へと沈み、筆者にとっての瞬間の全てがこめられている。
少なくとも筆者の生きる「世界」において、その瞬間、それ以外の表現は
あり得なかったのだろう。切り詰められた音の数。他の人が弾いたら、
ミスタッチだと思われかねないフレーズ。彼の憧れたジャズピアニストを
思い出す、なんていったら笑われるだろうか。
・・ 病気は誰にでも訪れうることだ。「病気」とはなんなのか、「家族」
とは「友人」とは、そして「生きること」とは何か。誰しも考えたことのある
テーマについて、文章を書いているその瞬間の筆者にとっての虚飾のない、
研ぎ澄まされた言葉が胸に迫ってくる。深刻なテーマに思われながら、
どこかにおかしみを含んでいるのは筆者のコラムニスト魂だろうか。
くも膜下出血、高次脳機能障害の患者・家族の方はもちろん、今立ち
止まって「これから」について考えたい方には、ぜひお勧めしたい一冊です。≫
▼ こうなるか、癌で壮絶死をむかえるか、今の私に出来ることは、日々を
 味わうしかない。どのみち、少し早いか遅いだけ。それでも奥さんが優しい
人のようだが・・ 本人は、このスーパー闘病記を、自分の愛読者に読んで
もらうことが、慰めのようだ。私のエッセイ『事業人生を決心して・・』
の続編として「その後、脳溢血で倒れてと、この事態になった」と
吾が身に例えて読むと、他人事でない内容である。

・・・・・・
5646,不幸な国の幸福論 〜
2016年08月30日(火)
       <不幸な国の幸福論  2009/12/16 加賀乙彦 (著)>
    * 考えないと、正しく悩めない
 ここまで生きてきて、思うことは、多くの「人は、考えない」ということ。
だから、正しく悩めない。5年半前に、会社の清算に至ったが、その創業設計に、
破綻前提に「万一に備え」を組みこんでいた。幼児期に、太平洋戦争の戦災に
焼けだされた両親の血の滲む苦労の後姿を見て育ったこともある。 夜半、
隣で、母が父に、『死にたい、何もかもが嫌になった』と話しているのが聞こ
えていた。 両親にとって、長年かけて築いた財産の大部分を長岡空襲で焼け
出された前後に、様々な問題が家庭内に起こっていた。両親は、子供8人を
含めた10人家族分を稼が必要があったため、普通の働きでは、生活出来ない。
(当時は、多くの家庭が大家族だったから、別に珍しいことではない)。
この幼児体験があったため、準備を含めた45年の事業人生、大変だったとか、
会社整理に対し、何ら後悔がなかった。決心をした時点から、万一の覚悟も
立てていた。 何事も、『事前の一策は、事後の百策に勝る』。そのためには、
考えて考えて考えなければならない。博打は、恐怖を見据え、乗越える中で
勝機がやってくる。そのため、考えてない人は、直ぐに感知できていた。
日本人は、島国で海に守られている閉鎖社会。考えないで済まされることも、
ある。 〜ネットによる書評から〜
≪ 日本人特有の性質は、自分で考えることをせずに評価の基準を他者に求め
 それに合わせようとする。狭い人間関係の中で簡単に人間にレッテルを貼り、
本来なら複雑な要素から出来ている人間を単純に理解してしまう。それが故に
別の環境であれば何でもないことでも必要以上の敗北感やつまづきを覚える。
 だが、気の持ちようでいつでも人間は幸福を手にすることが出来る。
本来幸せに形なんかない。むしろ理想の幸せの形を決めてしまった時から、
自分はアレが足りない、コレが出来ないとあら探しをしてしまい不幸が始まる。
 人生万事塞翁が馬である。変えることが出来ないものを受け入れる冷静さ、
変えることが出来ることを変える勇気、そしてその2つを見極める知恵。
正しい諦めから生まれるしなやかさを手に入れれば、幸福はもうそこにある。≫
▼ この城下町では、「同化圧力」が異常に強い。だから、地元の長岡高校の
校訓、「和して同ぜず」の和同の精神があるが、実際は、同化しないと、
「どうかなる」のが実情。地元の41年前になるが、Uターンをしてきて、
直ぐに直感したのが、この「同化圧力」の毒素で、脳がやられる恐れである。
そのため、地元の卒業校の同級会以外の会は、一切、参加しないことを決めた。
会社整理で、この御蔭で、人間関係では最小のストレスで済んでいる。
 人間は感情の動物、理性で割切れといっても、そうはいかないが、感情が
元もと皆無のため、同級生の範囲で済まされる。怒りの感情は、全てここで?
 <考えない、なやめない、カッパエビセン> が、何故か浮かんできた。

・・・・・・
5281,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー
2015年08月30日(日)
      ーその時、言葉は私の「神」となるー   (新潮45/6月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
   * 言葉は原罪から生まれた
 他人からみた私を意識する「自意識」過剰が果たして罪なのか。
二つの私、「自意識の私」と「自我の私」の両者が頭の中で、常に問答をする。
老齢期では、「私の人生、果たして、これで良かっただろうか?」と。
 良かったのだろうか? 人間は生きている限り、原罪を犯すもの。
老いて、その原罪を見つめて悔悟する。知識を持つことは原罪なのか?
知恵を持つことが原罪なのか。他者=世間の目を神のごとく信じるのは、
プラ・マイの両面を持つ。 最後は、自分の自意識で、どう受け止めるか?
 死線を漂い、社会復帰をする中で思った心の奥底は深いもの。〜その辺りから
≪ ああ、諸君。「自我の私」として唯我独尊で生きるのと(もちろん、孤独は
 感じない。もとより孤独という概念がないからね)、「自意識の私」として
他者と繋がりながら傷つけ合いながら生きるのと、どちらが幸福なのだろうか?
少なくとも心肺停止前の「自我の私」で生きていた私は、多幸感に満ち満ちて
いた、他者のいないたったひとり楽園に住んでいて、寂しさも不安も感じず、
その中でぬくぬくと微笑んでいた。周りの人々から見たら、それは呆けた抜げ殻
であったようだが、本人はそんなことちっとも気にかけず、ふわふわと漂い
幸せに生ぎていた。・・心肺停止の後に生ぎ返って、目覚めた私は自意識も取り
戻していた。肉体が回復すればするほど、自意識も回復し、他者との関係に
悩まされるようになった。特に例のMXTVの降板以降は、人と会うのが嫌になって
完壁に引きこもった。社会に拒絶された気分になってひどい孤独感に苛まれ、
誰にも必要とされない自分にはもはや何の価値もないと苦しんだ。
おそらく「自我の私」であったなら、そのような苦しみは味わわなかっただろう。
「孤独」も「自分の価値」も、他者との比較や承認から生じる相対的な概念である。
他者を通して自己を確認するから、他者から拒絶されることが自分の存在まで
脅かすのだ。自己の存在の絶対性を疑いもしない「自我の私」は、仕事を失って
経済的な不安を感じることはあっても、それを己の存在意義の問題とは捉えまい。
そうやって考えると、我々の苦しみの原因は、ほぼ「自意識」に起因している
ように思える。 我々は「自意識」を持つべきではなかったのか。エデンの園で
幸福に暮らしていたイヴに蛇が勧めた「知恵の実」は、やはり禁断の木の実で
あったのか。「自意識」を持つことで我々は他者の目に裁かれ続け、他者に
見捨てられる不安に怯え、大きな苦しみを背負うこととなった。だから聖書は
それを「原罪」と呼んだのか。「自意識」は「罪」であったのか。
犬や猫は鏡に映った自分の姿を「私」だと認識しない。鳥にいたっては、鏡の中の
自分に向かって求愛のダンスを踊るらしい。彼らには己を客体視する能力がない。
彼らにとっての「私」は、ほぼ百%「自我の私」である。彼らは幸せなのだろうか。
他者にとっての客体ではなく、「私」という主体としてのみ生きていくことは、
どんな苦しみも生じさせないのだろうか。いや、待て。「苦しみがない」ことを
「幸せ」と考えていいのだろうか? 苦しみば確かに幸福感とは程運いものでは
あるが、我々は「甘美な苦しみの自意識」というものも知っているではないか。≫
▼「起こってしまったことは変えられなくとも、受止めかたは変えられる」と
 いうが、これも、「自意識の私」を「自我の私」への変換ということ。
「他者を通した自己の確認」を超越して、己の原罪を見つめることが必要である。
そこまで自分を追詰めないと、内なる二つの問答が、蒟蒻問答になる。
・・・・・・
6011,『超一極集中社会アメリカの暴走』
2017年08月30日(水)
   * アメリカ分断の大元は
 図書館から『新潮45・6月号』を借りてきたが、面白いリポートがあった。
【世界を呑込む「超一極集中」社会〜アメリカの暴走」を著者が解き明かす―
 上位0.1%の超富裕層がすべての富を牛耳り、ますます金持ちに
 (小林由美)】のレポートがあった。
 〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった〜
  〜ネット検索をすると、ジャーナリストの池上彰の解説があった…
【 アメリカ“強欲資本主義”の現実
 <池上彰が『超一極集中社会アメリカの暴走』(小林由美・著)を読む>
      
・アメリカのトランプ大統領による予算教書が五月に提出されました。
アメリカの大統領には予算編成権がありません。予算を編成するのは議会。
そこで大統領は、「こういう予算を組んで欲い」という要望を予算教書として
提出するのです。 トランプ政権は所得税や法人税の大幅減税を打ち出して
います。金持ちほど大幅に税金が戻ってきますが、庶民には恩恵がありません。
その一方で、貧しい家庭に食料を支援したり、低所得者が医療を受けられる
ようにしたりする施策は予算が大幅にカットされます。去年の大統領選挙で
トランプに投票した支持層が打撃を受ける予算案です。金持ちは一段と金持ちに、
低所得者はさらに生活が困窮していく。アメリカの現状を象徴する予算案。
金持ちの一極集中が進むアメリカ。書名通りの事態が進行しています。
・アメリカの所得格差が大きいことは日本でも知れ渡っています。国民のわずか
1%の人が富の大半を所有している。そういう認識を持っている人が多いと思い
ますが、もはやそんな状態ではないと著者の小林由美さんは指摘します。
上位0・01%の2014年の平均年間所得は2009百万ドル(約32億円)という驚く
べき数字です。上位0.1%で見ると平均所得は6百万ドル(約6億6千万円)ですが、
上位1%で見ると、126万ドル(約1億4千万円)に下がります。 過去の歴史を
見ると、1980年代以降、上位0・1%の所得は増え続けているのに、それより
下位はほとんど増えていないという現実があります。
・こんな格差社会で我が子を「勝ち組」にするには、質の高い教育を受けさせる
必要があります。そのためには幼稚園から私立に入れる。ところが私立の幼稚園
の学費は日本円で年間300万円。私立大学の四年間の学費は計3300万円。
いったい誰が払えるというのか。もちろん奨学金制度はありますし、学費ローン
を借る手もありますが、大学卒業と同時に多額のローンの負債を抱えることに
なる若者も少なくありません。「大学を卒業して社会人として第一歩を踏み出す
時には、多くの人が既に多額の借金を負っている。これがアメリカの現実です」
・こんなアメリカで繁栄を謳歌しているのが金融業です。資金を集めて投資する
ファンド。その周辺には、アナリストやトレーダー、ブローカー、投資顧問、
コンサルタントなど数多くの人が群がります。「こうした介在者の増大が金融
サービス従事者を増やし、その人件費と利益が金融サービス業の付加価値として
国内総生産(GDP)に現れ、不動産金融も含めると、金融サービスはGDPの12%
近くを占める主要産業になっています」
・強欲資本主義の支え手である富裕層は、自らの利益のため政治家に接近する。
「民主党は都市の進歩派富裕層やハイテク産業から政治資金を得て、都市部に
集中しているマイノリティを取り込み、共和党は重厚長大産業やエネルギー、
金融界から政治資金を得て、中西部や南部に集中している貧しい白人を取り込んだ」
アメリカという国が分断されるわけです。アメリカという国を分析する著者の筆法
は鋭く、ときにアメリカに対して絶望的な気分になりますが、他方でアメリカの
強さも知ることができるのです。(池上 彰)

▼ トランプ大統領になって以来のアメリカの分断は、この本を読むと、理解
 出来るようだ。10年前に、同じタイトルの本を出している。出だしからして、
<アメリカ人は4種類しかない。超金持ちと、仕事のプロと、貧乏人と、社会的
 落ちこぼれだ--。>である。この現実が社会問題にならないのは、誰もが、
アメリカンドリーム、「いつか私も大成功し… 」の妄想があるため。現在の
日本も、同じ傾向になっている。 情報機器も含め4割が情報関連を占めている
現在、若い人は、何はともあれ上質な情報と知識に対し、敏感であらねば。 


6740,閑話小題 〜映像社会、そのすえ恐ろしい時代

2019年08月29日(木)



   * 怖ろしいかな映像社会、…気の毒?としか
 昨日の朝のこと。 朝方の3時半に、目が覚め、ブログを書上げた後、雨の
ため、信濃川への早朝チャリは休止に… そこで民放のニュースをみたところ、
4人の駅員と、4人の高校生と、止めに入った小母さんとの入乱れたトラブルの
映像が流れていた。ネット上で拡散された映像ネタである。 ところが最後に、
それが地元・長岡駅での出来事と初めて知った。 
 さっそくユーチュブで、「長岡駅 キセル少年」で検索すると、あるある。
何と36万回のフォローというから、他のサイトを加えると数百万に拡大? 
としても、少年たちは、あまりに悪質、かつ安易で、運が悪い。キセルで全国区
ニュースで放映とは。とはいえ、10人近くの現場の迫力ある映像は見応えが…
 それを逆に食ってかかるとは… ユーチュブの映像は顔が丸見え。地元の
?業高校生で、飲酒をしていたとか。 名前も直に拡散するのだろうが… 
スポーツジムでは、誰もが知っていたようだ。映像や写真で撮られてなければ、
些細な地方駅でのキッセルトラブル。問題は、スマフォで撮影され、全国区の
民放で流され、拡散されたこと。その上に、名前も、在籍している高校名も、
ネット上に載せられてしまったこと。更に悪いのは、ここは閉鎖的城下町で、
退学に至る可能性もある。 チンピラも、ヤクザも、フマフォや、隠しカメラ
の中で、恐喝、強請りがますます難しく、日陰に追いやられてしまう。 
 考えてみれば、厚労政務官 上野宏史衆議院議員が 口利きの要求を秘書と話し
あっている現場の録音をされて公開され失脚した。これも逮捕に至るだろうが… 
これでは、利権?による集金も、おちおち出来やしない。暴力団事務所には、
下ネタを含めたすっ飛ぶような、危ないネタが数多くあるのだろうが… 。
 特に酔っ払いの皆さま、ご注意を! ある意味で、世間体も必要ですか?

・・・・・・
6377,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜2
2018年08月29日(水)
      <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
               |松沢哲郎・動物心理学者、霊長類学者>
   * 持ち運べる言語(情報・経験を)を獲得
 Amazon内のネットサーフィンに、以下なる内容があった。
人間教育の原点が、この辺りから出発している。自己認識と同時に、人は
他者認識も必要である。自己と他者の違いから、自己と他者を理解する能力
が培われる。その意味では学生時代のシェアハウスのような「寮生活」は
ベストに働いた。各自の共通する要素と、違った要素を振り分ける目線である。

≪・西アフリカのギニアで25年間チンパンジーを見てきた。チンパンジーから
 見た、人間とは何かとは、生活史や親子関係から見ると共に育てる、共に育つ
「共育」そして、「認める」が人間の特徴となる。 
チンパンジーは「教えない教育」「見習う教育」である。それは、師匠と弟子の
関係に似ている。認識における「関係性」(三つを超える)、再帰的構造(入れ子)
の有無がヒトとチンパンジーを分ける。自己認識(自他の明確な区別)について、
ヒトでは3歳迄と4〜5歳からでははっきりと分かれる。自分が見ているものとは
違う認識世界に他者がいるというのが分かるのは4〜5歳になってからである。
そして他者を理解するというのは自己埋込み的な再帰的構造にある。≫

・人間とは何か。言語という情報、経験を持ち運べるものを獲得した。
そして、想像(イマジネーション)するちからである。
チンパンジーは、絵を描くが抽象的である。似顔絵を与えるとなぐり書きを
するか僅かに顔の輪郭をなぞる。多分、眼の前にある、そのものを見ている。
たとえ一瞬であるとしても。想像できる時間と空間の広がりは極めて狭い。
だから、チンパンジーは絶望しない。人間は、そこにないものを思考する。
だから、人間は絶望するし、希望も持てる。
 最新の成果として、チンパンジーの子どもが人間の大人よりも優れた直観像
記憶を持っているという発見がある。人間は、それを失う代わりにシンボル、
表象、言語と呼ばれる認知機能を手に入れた。直観像記憶は、他者と共有出来ない。
そして、脳の容量は決まっているからだ。日本の研究は、欧米の母子分離による
研究でなく日本オリジナルな「観察参与」という方法によるものである。

・人の希望や絶望もこの「想像するちから」を身に付けたところから始まった。
人は、系統樹でチンパンジーから分かれてから後、言語や文化、あるいは文明は
飛躍的に発達したかもしれないが、その代償としてチンパンジーたちの
「明日を思い煩うことのない心」の世界からは遠く離れてしまった。≫

▼ 情報機器の飛躍的進歩は、ネット上に写真・録画などの画像を記録し、
 公開出来るようになった。逆に言えば、想像力の減退につながる。ポルノ
写真が、その代表。言語獲得で、想像力が生まれ、その過剰が文化、文明が
生まれていった。この「テーマ日記」も、毎日、膨大に入ってくる情報・経験
を物語風にして、パッケージすること。そこにHP内検索機能を付けて、忘却の
彼方の記録を瞬時に引き出せる。 拙い脳の大枠の公開でもある。今さらと…
としても、非常に危険である。過去の文章を読返すと、そこに現れ出るのは、
過去の自分という他者。明らかに現在の自分ではない。誰だろうか、過ぎ去った
あの人は? そこから過去の他者と、現在の私の会話が始まる。これが内省?

・・・・・・
5645,不幸な国の幸福論 〜
2016年08月29日(月)
         <不幸な国の幸福論  2009/12/16 加賀乙彦 (著)>
   * 幸福を阻む考え方・生き方
 著者が東京発大阪行きの新幹線に乗車したところ、典型的な上流と
思ぼしき上品な奥様方3人のグループがすぐ後ろの席に場所を取った。
ご婦人たちは京都に着くまでの時間、大きな声で“会話”の話が著者の
耳に飛び込んできた話題を紹介している。  〜要約すると〜
《・「ご主人、部長になられたんですって? さすがねぇ」
・「さすがどころか、やっとなのよ。○○さんはもう役職待遇なのに」
・「でも同期の中では二番目に早いご出世だって聞いているわよ。羨ましいわよ。
 息子さんは○×大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」
・「主人の母校の△△大に行かせたかったのに落ちちゃって。○×大も悪くは
 ないけど、義姉のところの子供たちが△△大出て外務省だから肩身が狭いのよ。
 それに娘の相手がねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校
 しか出てないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで・・」
京都駅で降りていく三人組は、それぞれブランドのバッグを持ち、ブランド
らしき服やアクセサリーで着飾っていた。 夫は難関大学出身で、日本有数の
大企業で働いているらしい。 住んでいるのは東京・世田谷の高級住宅街。。
 著者は「快楽の踏み車」の言葉を用いている。 カゴの中で踏み車に乗って
ぐるぐる回転するハツカネズミ。そう自分で自分の欲望を果てしなく肥大化させ、
疲れ切ってしまう人間たちを重ね合わせている。
 与えられた理想形「これこれの条件を満たせば幸せになっる」を疑うことの
ない人は、そのレールの上は走れても、レールから一歩はずれたら、自分が
どのように考えて進んでいけばいいのかわからなくなる。外的価値に拘れば、
束の間の満足と引き換えに、永遠の二十日鼠の、快楽のふみ車をまわし続ける
ことになる。》
▼ 面白い内容である。私が5年前の会社整理をした時に、外的価値に縛られ
 一生を終えるハツカネズミと、ドブネズミに罵声を浴びせられた。しかし、
ネズミはネズミと分かっているから平然としていられる。新潟駅前のチンピラ
に何度も暴言罵声を浴びせられてきたが、これ以下の連中と確信できるので
超然としていられる。
 家内が某女子大の県内の地元OB会で、大小規模の経営者婦人たちとの会話は
大同小異で、こんなもの? オーナー会社の御婦人が中心もあり、少し違うが、
亭主の力関係が、そのまま当人に跳ね返ってくる。それを何とも思わないのが
家内の特性。幼少期の幾かの習い事のベースと、受験高校に在籍、地方の子女に
人気の女子大(短期)を卒業。実家の仕入先のメーカの茶汲みを丸の内でして、
その直後、私と見合い結婚。 割引新幹線で年に10回は東京名所巡りが趣味。 
40回近い秘境・異郷の修羅場をくぐってきた経験がある。そこで、遥かに違った
人種とのやり取りの経験も多々ある。 「あなたの状況がどうして? 私には
関係ないこと!」の開き直りがある。 開き直りは私にも無いではないが、
遥かにドライときている。 元もとサラリーマン系ハツカネズミの単一思考
など何もない。5年前に「もしか、原信のレジをしなければならないの?」と、
する訳が無いのに、至って超然。この程度は、彼女にとって、幸せを阻止する
要因でない。単一の理想系すらない。生まれ、楽しみ、その時が来たら、死ぬ。 
こういうのを幸福形(系)の人という。 それにつけても、私は何をしてきた?
 以下の「うさぎちゃん」みたいのも、存在しているのに。
・・・・・・
5280,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー
2015年08月29日(土)
      ーその時、言葉は私の「神」となるー  中村うさぎ
         〜心肺停止になって考えたこと! (新潮45/6月号)
   * 二種類の私と、純粋な自我
 死に際を経験すると、傍目に縛られすぎてきた自分に気づかされる。
そして、裸の己を直視し、それを言語化し、それに従うことが、自分の真実を
生きることと、著者は悟る。 死線を漂うと、虚無の彼方から、宇宙の向こう
側から、小さな世界に縛られている自分を客体化する視線を持つ。
 その実体験から得た、重層の心の構造を、醒めたタッチで解体する。
≪ 心肺停止の数日前に私は別人格になっていたらしい、という話を以前に
 書いたと思う。 ・・誇大妄想的な発言を真顔でしてみたり、「魂が抜けて
言葉だけ残った空っぽの中村」になっていた。あの時の私はいったい何者だった
のだろう、と今でも時々考える。あの頃の私は別人になっていたわけではなく、
自意識とかいうものを一切失い、純粋な「自我」のみになっていたのでは。
私が「私」と言う時、そこには二種類の「私」が混在しているように思う。
・ひとつは「他者から視られている私」という「客体としての私」で、
・もうひとつはデカルト言うところの「我思う、ゆえに我あり」的な
「主体としての私」である。
「客体としての私」は「自意識」に支配されており、
「主体としての私」は「自我」そのものだ。たとえぼ「世界を救う」などと
いった壮大にして荒唐無稽な使命感を私が意識の底に抱えていたとしても、
それが他者の目にどんなに愚しく狂気じみて映るかを知っている「自意識の私」
は決して人前でそのような発言をしないし、何とか己の意識下に無理やり、
その人格を封印してしまうだろう。だが当時の私は、そのような他者の視点で
己を視るというスキルが崩壊していて、頭に浮かんだことを自意識の検閲なしに
ぺらぺらと喋っていたのだった。まさに「我思う、ゆえに我あり」だ。
私が思考し、私が語るから、私は「私」の存在を実感する、という感覚。
そこに他者は介在しない。他者を通して自己確認することもない。
私という主体を中心に世界は存在し、自分の存在価値など問う必要もない。
「価値」などという相対的な概念が最初からないのだ。なんと単純明快な
世界だろう。アダムとイヴが他者の目を気にして己を恥じたり隠し立てしたり
することもなく、素っ裸で歩いていた「エデンの園」そのものではないか。
「自我の私」のみで生きるということは「エデンの園」に戻るということである。
他者の評価に怯えることもなく、己の存在価値だのに悩まされることもなく、
獣のように天衣無縫に生きられる楽園の生活。が、その代わり、社会性は著しく
失われる。自意識が高度に発達した現代社会で、このような人間は生ていけない。
生きていくことを許されない。 ≫
▼ 先日、一番上の義兄の葬式に参列した。地元の名士?の中で、精一杯、
 背伸びをして生きた人だった。表面的な人付き合いに生きるのも、それは
それで、一つの生き方である。それぞれにとって、中味は別として、それが
全世界である。ただ、自意識に支配されている、「客体として私」を、
「主体としての私」が、見つめ、「自意識過剰」を「自我」がコントロール
する基盤が必要となる。それが教養である。「独り」を「独り」で楽しめる
素養は、家系を含めた長年の蓄積が必要となる。城下町は、それは有り余って
いる筈だが、変化を嫌う体質が、「独り」の世界を小さく変質させてしまう。
・・・・・・
4915,閑話小題  ー宝塚歌劇団「ブスの25か条」
2014年08月29日(金)
  宝塚歌劇団には「ブスの25か条」なる教訓が舞台裏に貼ってあるという。
 右側の⇒は、私が真逆にした「美人の25か条」。
  これはスターの内的要素の骨格である。
 「ブスの25か条」           「美人の25か条」
1.笑顔がない            ⇒ 常に笑顔で
2.お礼を言わない          ⇒ 前回のお礼の挨拶から
3.美味しいと言わない   ⇒ 美味しい、嬉しい、楽しい、幸せを口癖に
4.精気がない            ⇒ 精気を満たす
5.自信がない            ⇒ 自信を持てる何かを持つ
6.愚痴をこぼす           ⇒ 愚痴は言わない
7.希望や信念がない         ⇒ 希望と信念を持つ
8.いつも周囲が悪いと思っている   ⇒ 周囲のお陰様に気づく
9.自分がブスであることを知らない  ⇒ 自分の程度をわきまえる
10.声が小さくイジケている     ⇒ 声が大きく溌剌としている
11.なんでもないことに傷つく    ⇒ 何ごともケセラセラと楽天に
12.他人に嫉妬する         ⇒ 他人の美点を凝視する
13.目が輝いていない        ⇒ 何ごとにも興味をもつ
14.いつも口がへの字の形をしている ⇒ 笑顔を心がけて、口元を上げる
15.責任転嫁がうまい        ⇒ 元は此方、そのまま結構の心がけ
16.他人をうらやむ         ⇒ 人を賛美する
17.悲観的に物事を考える      ⇒ 楽観的に、そのためには教養を
18.問題意識を持っていない     ⇒ 常に問題意識を持つことを心掛ける
19.他人に尽くさない        ⇒ 人の役にたつ生き方を
20.他人を信じない         ⇒ 信じられるだけの知識を持つ
21.人生においても仕事においても意欲がない ⇒ 積極一貫の心かけ
22.謙虚さがなく傲慢である         ⇒ 謙虚に、注意を常にもつ
23.アドバイスや忠告を受け入れない⇒アドバイス、忠告を聞き、受け入れる
24.自分が最も正しいと信じ込んでいる   ⇒ 唯我独尊の人から学ぶこと
25.存在自体が周囲を暗くする  ⇒ 光り輝くよう、自分を磨き続けること
▼ 老いるとは、人間としてブスになっていくプロセス? 無知で我ままなら、
 誰もがブスの要素が多くなる。とすると、これは戒老録にもなる。タカラ
ジェンヌが光り輝いて見えるのは、内側からの輝きを心掛けるため。物理的
貧困と精神的貧困は「貧すれば鈍す」で、『ブス』になりがちになる。 
それと無知!これを常に自覚していないと、左側の要素が増えていく。
タカラジェンヌのミニスターを、まず彼女たちは演じることから始まる。
そして大スターの道をめざし、日々、努力をする。 
幸せへの道しるべ!である。
・・・・・・
6010,幸せの確率   −5
2017年08月29日(火)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
                アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
   * 「現状維持バイアス」と「保有効果」
 この本で紹介している「現状維持バイアス」と「保有効果」。人生は、常に、
この二つとの戦いと言って過言ではない。自分だけでない、親兄弟、連れ合い、
同僚のそれらもある。情報機器の劇的進化をする社会の中で、このバイアス
を乗越えて自分を変化させ生き延びなければならないから現代人は大変だ。
とはいえ、この二つ、動物としては生きる術でもある。〜ネット検索によると
≪ ☆ 現状維持バイアスとは
「大きな変化や未知なるモノを避け、現状を維持したくなる」という心理作用。
バイアスとは「先入観」「偏見」という意味。人は、変化そのものを嫌います。
その背景にはプロスペクト理論における「損失回避性」が働いているからと
いわれています。損失回避性は、
「人は利益から得る満足度より同額の損失から得る苦痛の方が大きいと判断する」
という心理作用です。現状を変えることによって「何かを失うかもしれない」と
いう不安が「何かを得られるかもしれない」という期待よりも上回るのが、
現状維持バイアスがかかる理由なのです。≫
▼ 3C主義=チェンジ、チャレンジ、コンペティションという主義は、現状
 維持バイアスを打破するにはベスト。人間は本能的に、「変化、挑戦、闘い」
を避ける。しかし、成長、進化には、現状打破が必要条件である。第二の天性、
「習慣」というシステムも現状維持が出来る、良質なら悪いことではない。

   ☆ 保有効果とは
人は、現在所有しているものや環境に、それを所有していないときよりも価値
を感じる傾向があります。これが「保有効果」です。これは、新しいものを手に
したときに得られるメリットよりも、現在持っているものを失うことや環境が
変化することによるデメリットを大きく感じるとも言えます。
 保有効果のWeb広告活用例
【例1:ダイエットジム】
効果がなければ全額返金
入会前に絶大な安心材料となる返金保証。「実際に返金を要求されたらどう
しよう…」と不安になり、なかなか大々的にアピールできない方もいらっしゃる
と思います。しかし「手続きが面倒くさい」などの保有効果が働くため、実際に
利用する人はほとんどいないようです。どんどんアピールしましょう!
【例2:保険会社】
契約しなくてもOK!保険の見直しを相談するだけで粗品をプレゼント!
【例3:ファッション通販】何度でも試着・返品OK
届くまでは「現物を見て気に入らなかったら返品しよう」と思っていても、
いざ自宅に届き「自分のもの」になってしまうと、保有効果が働き返品しづらく
なってしまいます。返品送料を無料にしてアピールしているサイトもありますね。
▼ テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」をみていて思うことは、「何で金まで
 払って手元に置きたがるのか? それより遥かに良いものは、世界に幾らでも
あるのに、美術館でジックリとみれが良いものを!」の疑問。絶対数をみてない
ためだが、その人の好みもあるため…これ以上は言及できない問題である。


6739,閑話小題 〜何ごとも因果応報!

2019年08月28日(水)

   * 自分にとって、一番いいようになるから大丈夫
 ある本にあった一節「自分にとって、一番いいようになるから大丈夫」。
この視点で、人生を振返ると、幾つか思いあたることが… 逆もあったか!
「自分にとって、一番悪いようになることもあるから、それを前提に考え
準備しろ。そう考えると、何ごとも上手くいく」ということ。
‘ものは考えよう…’ 最悪に思える事態に、最善が隠れていることが多い
ため、そう確信をしていれば、泥が落ちて最善が現われ出てくる… 
 …確かに幸せな状況の磁力は強力である。そのために最善を思い浮べれば
良いが、思わなくても磁力が、引寄せてくる幸運な人がいる。
 生命誕生から40億年。進化論でみれば、最善が続いた結果、この世界が
あって、現在の自分が存在しているため、「一番いいようになる」のは
至極当然。だが、真逆も。それは紙一重で左右することが多い。
 だから、人生は摩訶不思議で絶妙な味がする。
情報化の進化は、膨大な上質な知識・情報をシャワーのように吹きかける。
目を凝らしていれば、様ざまな材料を見出すことが出来る。
要は、何を目指すか、つくり上げるか? 平均80年の限定旅行の中で!
思い込みを、とにかく、横において、まず、一番、いいことを探そうよ。
そうしている(因)と、更に、いいことが、向う側(縁)で、やってきて、
因縁が出来る。 「善因、善果」の逆の「悪因、悪果」。その見極めが
第一歩。 そのための第一歩は、「何をするか」より、「何をしないか」。
「何処に行くかより、何処に行かないか」、「誰を触媒にするかより、
誰を近づけないか」にある。 …そうこうしてたら、誰も居なくなり、
孤独死?ですか。 

「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
兎角に人の世は住みにくい 」。 夏目漱石の「草枕」冒頭の言葉。
「智から目を背け、情に流され、意地など考えず、世間の常識を疑いようも
なく、無事、人生を流離い、生きるしかないのか? 他者の中に合せ鏡と
して自分の姿を見えるなら、まだよいが、それすら考えられない人が、
「世間様」。これが日本では神様として崇めたてられるため、烏合の衆に。
別名「ゾンビ」。魂も肉体も干からび、集団で群れるしか能がなった人たち。
都会に、田舎に、そういう孤立し、干からびれた一群が存在する。それを
掬い取って信者にしてきたのが新興宗教。 その御経が、たった一言、
『教祖を信じさえすれば、一番いいようになるから大丈夫』の洗脳。
個々が孤立し、隔離されるため、洗脳は簡単。 あとは奴隷のごとく。

・・・・・・
6376,閑話小題 〜人間たる由縁は「想像するちから」 〜1
2018年08月28日(火)
        <チンパンジーと人間との違いは想像するちから
                |松沢哲郎 ・動物心理学者、霊長類学者>
   * 想像力は感激、感動から
 今さらだが、人間たる由縁は「想像するちから』である。霊長類学者が
語る論は説得力がある。想像の力は、異質との出会いと邂逅から生まれ出る。
それが発達、発展して人間は万物の霊長と言われるようになった。 人間は
一万時間を一つに集中すると、専門能力が形成されるという。そこで、毎日、
一テーマを自らに課して17年。二万時間をブログに投入し、蓄積をしてきた。
「馬鹿の考え休むに似たり!」の休息にいなっていた? 何かを得たか?の
問題ではない。休まるのである。 得た一つが、集中の継続から得た想像力。
夜半の半睡眠かgら起床し、書きかけのテーマの内容を考える。
ふと【検索】で、「チンパンジーと人間」を入力すると、面白いのがあった。

≪ もっと簡単な方法は外国に行くこと。外国に行き、外から日本を見れば、
どういう国かすぐわかる。これと同じように「人間とはなにか?」という問いを
立てられたとき、人間に近いチンパンジーという「アウトグループ(よそもの)」
を知れば、人間がより深く理解できます。
 地球に住む数千万種類の生命のなかで、いちばん人間に近いのがチンパンジー
であるというのが、21世紀の人類が到達した理解です。ヒトゲノムが2003年に、
チンパンジーゲノムも2005年に解読されました。これによって両者のゲノム
塩基配列が98.8%同じだとわかった。新しい人間観が生まれるなかで、いちばん
重要なアウトグループがチンパンジーなんですね。
 人間とあまり変わらないチンパンジーと、私たちはどこが違うのか。
人間の特徴は「想像する」ということです。チンパンジーは未来を想像しない
から絶望はしませんが、人間は容易に絶望する。でも、絶望するのと同じ能力の
「未来を想像するちから」があるから、人間は希望をもてる。私たちは必ず
死にます。だけど、自暴自棄にはならない。「毎日をよりよく生きよう」と
思うのが人間で、そう思い、希望をもつように進化してきたのです。≫

▼ 過って霊長類学者にして京都大学総長だった山極 壽一(1952年〜)が同じ
 ようなことをいっていた…。 松沢氏は、人間が有している「想像力」に注目。
ところで米国合理主義に、プラス思考を発展しイメージを豊かにすることで、
自己育成をするプログラムがある。 またヨガを最初に持込んだ中村天風も。
その理念『積極一貫』の中から「想像力」を育成する効果を説いている。
『想像する能力』は、感動、感激する心から生まれ出る。大自然でもよい、
世界的芸術作品との邂逅でもよし。感激、感動は、その瞬間、対象と同化する。
その蓄積が、熟成し、更に感動を求め、自己を開放していく。そして、次の
新たな感動を求めて想像が膨らむ。好きなことを見つけ、継続することが
第一歩のようだ。

 で、偶然、以下の内容に脈絡として続いていく。
・・・・・・
4547, 閑話小題 ー海外ツアー48回のフラッシュ
2013年08月28日(水)
   * 秘異境ツアーからのフラッシュ
 突然、思いもよらない過去の記憶が飛び出すことを「フラッシュ」という。
アメリカのTVドラマ『LOST』で、陸の孤島に墜落した登場人物の素性を表現
するのに各人の「フラッシュ」を利用していたが、巧い技法と感心した。
秘異郷ツアーの中では、次次と思いもよらない経験をする。しかし、その都度、
それを解釈をしている余裕がない。それが長い年月を経て、フラッシュとして
記憶の奥底から飛び出てくる。それはツアーだけではないが。還暦を過ぎた頃
から、バイアス(固定観念)が溶けてきたこともある。家内とは40回近くともに
旅行をしてきて、旅先の記憶が共有している。BS/TVなどで毎日のように
行先の何処かが放映されていて、それを録画で夕食時に見ているが、そこで多く
の記憶が蘇ってくるため、番組が行き先の追体験になる。出来る時に、出来た
ことに感謝している。『秘境旅行ーフラッシュバック』をテーマに書くつもり。
  * 消費税の増税の是非
 消費税を上げれば、その分、国民にとって実質所得ダウンになる。
それに2%のインフレターゲットとすれば、年金生活者など低所得者に大きな
負担が被ってくる。それも生活消費財から上がるから深刻な問題である。
しかし財政事情からみたら、消費税は上げざるを得ない事態。上げるも地獄、
上げないも地獄なら上げるしかない。現在の年金の収入では、月に10万円持ち
出しだが、今月から家内の年金が数万円アップで持ち出しは少しは減るが。
当初の予定は、敷地内の貸家の家賃収入で収支ゼロの予定だったが、古屋は敬遠
されて、2年間も空家状態。で、この二年半で、大きな買物はiPadを買っただけ。
自転車も、パソコンも、自動車も限界に近づいているが、それでも充分に使える。
家の中は要らないゴミの山。実際のところ、欲しいものは殆どないから不思議。
で、消費税増税の是非の話に戻すと、株式と国債の暴落を待って、一度、根本
から精算するしかないのは、誰の目にも明らか。今の日本では改革の断行は
無理の中、外国へのポーズとしても、増税は99%は、やってくる!
・・・・・・
4172, 木を見る西洋人 森を見る東洋人
2012年08月28日(火)
 * 認知科学者は間違っていた? 
       「木を見る西洋人 森を見る東洋人」ニスベッド著
 最近になり「自分が理解していることは、言葉で説明すれば相手は理解して
くれているはず!」が、私の思い込みに気づいた。人間は知りうる範囲で理解
しているだけだが、自分が理解している範囲とは違うのである。 
「自分が真実と思っていることと、真実は違う」のである。真実と思っても、
思い込みのことがあまりに多い。今まで国や文化や肌の色や宗教によって世界観
が変わっても、人間がものを考えるために用いる道具は同じと誰も疑わなかった。
「ものごとを知覚したり、推論するために用いている道具は同じである。
論理的に正しい文章は、日本語も英語も中国語であれ、正しいことに
変わりはない。だが、もし、それら全てが間違っていたとしたら、認知科学の
大前提を覆ることになる。」と、いう。
緑の原野で、何を見て、何を信じてきたのだろう。 
 ー以下の部分は、その部分ー
≪ ヨーロッパ人の思考は「対象の動きは(それが物体であれ、動物であれ、
 人間であれ)単純な規則によって理解可能である」との前提で成り立っている。
西洋人は物事をカテゴリーに分類することに強い関心をもっている。なぜなら、
分類することによって、今問題となっている対象にどの規則を適用すればよいか
がわかるからである。また、問題解決に当たっては形式的な論理規則を適用する
ことが有効だと信じている。これに対して、東アジア人は対象を広い文脈のなか
で捉える。アジア人にとって、世界は西洋人が思うよりも複雑であり、出来事を
理解するためには常に複雑に絡み合った多くの要因に思いを馳せる必要がある。
形式論理学はほとんど問題解決の役には立たない。実際、論理にこだわりすぎる
人間は未熟だとみなされることもある。私は心理学者として、これらの主張が
革命的な意味をもっていると感じた。もし彼らが正しければ認知科学者は
間違っていたことになる。つまり「人間の認知はどこでもみな同じ、ではない」。
人文・社会科学諸分野の研究者たちは、明確にそれと言わなかったが、実は
思考の本質について非常に重要な主張を行っていた。
 第一に異なる文化の人々は、世界の本質についてそれぞれの根本的
  メタフィジックスな信念、彼らなりの「形而上学」を有している。
 第二に、それぞれの人々に特徴的思考のプロセスには大きな違いがあること。
 第三に、そうした思考プロセスは、世界の本質についての信念に合致したもの
  であること。言い換えれば、人は自らの世界観に合致した方法で世界を
  認知するということである。 
注目すべきことに、社会の構造や人間観というものは、それぞれの社会に生きる
人々がもつ信念体系や認知プロセスと非常によく合致しているように思われる。
アジア社会は、集団や周囲の他者との協調を重んじる傾向があると言われる。
こうした特質は、アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向を
もっていることや「出来事は極めて複雑なもので、その生起には多くの要因が
関係している」と信じていることと合致。これに対して西洋社会は、個人主義的
でお互いの独立性を重んじる傾向があるとされる。こうした西洋人が特定の事物
を周囲の文脈から切擁して観察する傾向をもっている。≫
▼「アジア人が文脈を重視して広い視野で世界を眺める傾向をもっている
 ことに対して、西洋社会は、個人主義的でお互いの独立性を重んじる傾向が
あるとされ、西洋人が特定の事物を周囲の文脈から切り離して観察する傾向を
もっている。」ことより、「気を見る西洋人、森を見る東洋人」という本の題名
になっている。同じ森林を見ても、これだけ思考の仕方が違ってくる。
また一神教の欧米と多神教の東洋人とは、同じ現象でも受け止め方が違って当然。
それと、好き嫌いという感情で違ってくる。「世界についての考え方は根本的に
ひとつである」 大前提が違うとすると、文明の相克はあって当然。
争いは永遠に続くことになる。

・・・・・・
5279,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー
2015年08月28日(金)
         <その時、言葉は私の「神」となるー中村うさぎ著>
       〜心肺停止になって考えたこと!(新潮45/6月号)
   * ナルシシズムと自己愛と、自尊心
 下の文章の初めの10行は、この数年の私の状況と気持ちそのもの。
状況からみて、人間の弱さを知っているためもあって、うつ病に陥らないため、
毎日の生活習慣を良好に保たなければ、自己愛も、自尊心も地に落ち、粉々に
なってしまう。全身全霊で日々を過ごさないと、あのゾンビのような魂の抜け
殻になってしまう事態は、むしろ、ベストである。 なるほど、
女無頼漢作家の言葉だからこそ、説得力がある。〜その辺りから〜
≪ 読者諸氏は私の文章を読んで「最近の中村は躍起になって自己肯定しようと
しているな」と思っていることだろう。そのとおりである。私は今、崩壊した
ブライドを必死になって立て直し、なんとか生き続けている。
何しろ「おまえなんかいらない。おまえになんか価値はない」と言い渡されて
しまったのだから、私の自己評価は地に堕ち、生きる意味も理由も見失ったのだ。
 それでも今後行き続けるためには、なんとか自分の人生の価値を再確認し、
生きる理由を見つけ出さなくてはならない。「私は生きてていいのだ」と自分
を納得させなくてはならない、そうでなければ私は死の誘惑に負けてしまう。
人はナルシシズムゆえに己を見失うものであるが、自己愛や自尊心といったもの
を失っては生きていけない。この「ナルシシズム」「自己愛」「自尊心」の違い
については私なりの定義がある。
・まず「ナルシシズム」の語源は、ご存じのように、ギリシャ神話の美少年
ナルキッソスで、彼は水に映った自分の美しさに恋い焦がれて死んでしまう。
そう、これは「愛」ではなく「恋」なのだ。我と我が身に陶然と惚れ込んで、
正しく自分を見られなくなってしまう。我々が恋人に自分の幻想を投影し、
相手の本当の姿を正しく見られなくなるのとまったく同じ構造である。
 ゆえに「ナルシシズム」とは「自分に恋すること」だ、と私は定義ずる。
・では、「自己愛」とは何か。「ナルシシズム」が「自分に恋する」ことなら、
「自己愛」とは文字どおり「自分を愛する」ことであろう。となると「恋」と
「愛」、の違いが、そのまま「ナルシシズム」と「自己愛」の違いになる。
「恋」が己の幻想に目を眩まされて盲目となる状態であるのに対して、「愛」
はより客観的な視点を持つ。相手の欠点も、きちんと見えていて、そこも含めて
愛するのだ。それは寛大さや公正さを含んでいる。したがって、「愛」は「恋」
よりも利己的ではなく独占支配的でもない。この「恋」と「愛」は非常に混同
されやすい感情である。たとえば「母性愛」の言葉で表現されている感情は、
私に言わせれば必ずしも「愛」ではない。盲目的で排他的な母性愛はもはや
「愛」ではなく「恋」に限りなく近いものであり、「ナルシシズム」の延長
線上に位置するものだと感じる。このように紛らわしく似て非なる存在である
「ナルシシズム」と「自己愛」をきっちりと分けて考えると、おのずと我々に
とって必要なものは何であるかが明確になってこよう。
 我々はナルシシズムから極力脱却しようと試みる一方で、正当な自己愛を
失わないよう気をつけなくてはならない。自分をしっかりと見つめ、その弱さも
醜さも受け容れて愛すること…それが自己愛のあるべき形であろうと私は思う。
己の弱さや醜さを受け容れられずに目を背けたり美化したり、逆に激しく憎悪
したりするのは、すぺて「自己愛」ではなく「ナルシシズム」の仕業だ。
 自分嫌いは自分好きの裏返し、と、私は以前、子ども向けの自著で書いたが、
自分を憎んだり嫌悪したりする気持ちはじつはナルシシズム過多の証なのだ。
理想の自分、幻想の自分に恋するあまり、現実の自分を受け容れられない。
このようなナルシスティックな自分嫌いは、己の価埴を貶める行為であり、
いつまでたっても正当な自己評価には至らな仏のである。
・次は自尊心について考えてみたい。自尊心とほ、これまた文字どおり、
目分を尊重する気持ち」である。誰かに不当に賠められたりした時に傷つく
のは、この「自尊心」だ。「不当に」と言った、のは、それが正当な批判で
あれば、自尊心は傷つかないからである。自尊心はナルシシズムではなく、
公正なる自己愛によって裏付けられる。他人「批判されてカーッとなるのは
ナルシシズムだ。自己愛は、それが正当な批判でなければ謙虚に受け容れ、
的外れだと感じれば冷静に反論する。ただ、批判ですら根も葉もない誹謗中傷
に関して、それがたいてい陰口という形をとるために反論する機会すら与え
られず、自尊心が深く傷つく羽目になる。私はずっとナルシシズムによって
盲目⊂なることを恐れ、その一方で正当な愛を培おうと努力してきた。
それが成切したとはいわないが、少くともその切口の区別は常に意識していた
し、拙いながらも己の弱さや醜さと対時し、受け容れようと心がけてきた。≫
▼ 「ナルシシズム」が、異常に強い女性を身近で見かけるが、それが、
その人を。そして傍の人を、傷をつけていることに気づかない。
「ナルシシズム」は、「自己愛」「自尊心」と似ているため、混合してしまう。
その危険性に、無頓着過ぎることが、大きな悲劇を呼びよせることになる。
・・・・・・
6009,閑話小題 〜駐車場事故は3割!
2017年08月28日(月)
   * 大手大橋をヒキチャリをして…
・先日、スポーツジムに、ヨガ予約・チップを取りに行った帰りの駐車場内で、
80歳半ばの老女が自転車に乗ったまま、突然、飛び出してきた。「危ない!」と、
思わず叫びながら急ブレーキを踏み、1m手前で辛うじて停止、事なきを得た。
その横道は一時停車の文字が書いてあるが、痴呆症が入った風で… 今まで、
無かった経験。雨だったら間違いなく事故っていた。
「交通事故の3割は駐車場事故」と聞いていたため、特に注意をしていた。
老女をひけば、ほぼ運転手側の責任になる。しかし、これでは避けようがない。
自動車運転の経験もなく、痴呆症が入った老女の自転車運転は、恐ろしい限り。
・半年ぐらい前に、同じSC内のスーパーで買物をした後、駐車スペースから
バックで出ようとした際に、80歳半ば過ぎの老人が運転席の前を横切った。
「ならば相方がいるはず」とバックを一瞬控えて、後ろを見ると、その連れ
合いらしき老婆が飛び出してきた。その直後、「もう、運転を止めよう。
前期高齢者が、後期高齢者を轢いてしまうケースになるところ!」」と、
真剣に考えてしまった。
――
   * 世の中、喜びや悲しみで満ち溢れている
 雨のため、早朝のポタリングを休んでいたが。昨日は大丈夫だった。
早朝の自転車散歩は、心身にとって、非常に良い。昨日の朝、大手大橋を
ヒキ・チャリをしながら、「この辺りから… 不明だった少年が飛び降りた
のでは?」と思うと…。 人生の深淵を垣間見る思いであった。
 来春は高校に入学、その3年後に大学で上京し、色いろな人と出会い、
酒を飲んで、人生を語り、殴り合い、旅行に出て、恋愛をし、失恋をし、
就職をし、結婚をして家庭をつくり、挫折を重ね、泣いて笑って、数限り
なく感動し… などの全て失ったのである。 もし自分の子供だったら、
両親の気持ちは如何ばかりか。人は、ただ生きているだけでも充分だが、
それは、生抜いてきた人の言葉。


6738,閑話小題 〜「老いの可笑しさ」ですか!

2019年08月27日(火)


 
   * 過って70歳過ぎの老人を、冷ややかに見ていたが…
 老いていく日々は、何やら時代の隅に追いやられていくようである。
それでも毎日、自分でたてた少し過密ぎみのスケジュールを熟して8年半も経過。
厳しめでないと、良からぬ過去を想いだし、捉われ、行きつく先は、老人性鬱に
なる危険がある。行き先に夢があるでなし、逆に遣り残し感などの壁も想い出て
こない。とはいえ、茫然と立ちつくす事態が何時くるか分らないが、その不安感
がほぼ無いことが我ながら不思議。どのみち、何れは誰もかも死ぬのである。
考えても如何なることもなし! なら考えないで、TVに、ネット・サーフィンに、
スポーツに精を出すしかない。平凡の日々の中でも、けっこう、起伏が存在する。
最後は自問自答で、内省の自己対話で納得する。

 けっこう、このテーマ日記の、習慣と、蓄積が杖かわりになっている。背後に
広がる膨大な世界の直感が、人間には必要と日々、痛感する。 毎日、真面目
くさっている割に、大した内容でないのは、解ってはいるが、この程度の習慣を
してなかったら、どうか?と思うと、決して無駄ではないはず。 好き放題して
きた割に、致命的失敗に至らなかったのは、その都度、知識と情報を得るか、
知っていた御蔭で、助かったことが多々あった。萎びた老人の頭には、豊穣の
感情と経験が果てしなく存在している。その老人になってしまったが、心は、
全く受け付けない。時どき、腰の曲がった老人をみて、腰痛で辛うじて歩く姿が、
自分に重なる。

 面白いのが、40歳、50,60、70歳の峠から眺望する下界が、違って見えること。
それも、過っての自他の心情も、後になって初めて気づくことが多い。それと、
新鮮な感覚が、内なる魂から吹きあがってくる経験。これほど内的、外的に
世界を経験できるとは、思っていなかったことも事実。しかし、その背後には、
底知れぬ膨大の世界と宇宙が直感できる。

 この時節、何といっても生命誕生以来40億年来の『情報革命』に、遭遇して、
経験していること。10年100倍、20年で100×100=1万倍、30年で1万×1万=1億
の情報量の増加の恩恵を現に受けているのである。これは現実社会の岩盤を
日々刻々、壊し続けている。そして、AIたるものが、人間社会を支配するとも
言われ出してきた。AIが、逆に人間を利用し、世界を統治する可能性が、2045年
問題としていわれている。これから10年先は想像を絶する世界が待っている
のだろう。 10年、20年、30年前を振返ると、これから先が、思いやられる。
面白く、刺激的だが、その中で生抜くことは、何ともスリリングである。
そうこう考えると、ひと回り年上の「従兄」の切実な願望… 
「あと10年、生きて、1億×1億= ? の世界を見てみたい。いや、如何か?

 ……で以下に、また偶然、脈絡として丁度良い内容が、控えていた。
それにしても、不思議! 行ってみたいのは2045年。いや、まず2029年である。
寝たきりの可能性もあるため… バーチャルリアリティもあるから、それでも?

・・・・・・
6375,閑話小題 〜行ってみたい時代
2018年08月27日(月)
   * いまないものに憧れて
 朝日新聞‘beランキング’に『行ってみたい時代』のテーマの記事があった。
私の生きた時代が太平洋戦争の敗戦半年後から現在までの72年に至っているが、
人生のメインを、この時代に乗れただけでも非常に幸運である。右上がり経済と、
バブルの高揚。おまけに「第二の敗戦(バブル敗戦とデフレ)を味えたのだから…  
  〜私の行ってみたい時代?
『現在の年齢のままだったら 20年後! 加齢するなら 10年後!』
『過去限定なら… 5〜9歳と、20歳代、50歳代後半! それと大正時代。』

  〜記事の一部より〜
< あのころはよかったなあ。最近そんな言葉をつぶやいてばかりいるあなた、
 タイムスリップができ、過去に戻れたら、いいと思いませんか?
「歴史はくり返す」と言います。過去へ行けば、歴史の謎が解けるかも。
で、日本のどの時代へ行ってみたいですか?
「どんな時代へ行っても、命の危険はなく、無事に現在に戻ってこれるものと
します…」 遠くの平安、江戸など遠い過去の中で、ここで1、2位を占めた
のが「近い過去」。
・第一が高度経済成長期(1955〜73年)。50代以上の世代、特に男性が多い。
・次が「バブル期」1989〜92年)。こちらは、女性が多かった。
「遊びも、恋愛も、仕事も楽しかった。もう一度、無茶してみたい。」
・3位が、「平安時代」(794〜1185)。何と平安時代が300年もあった。
 ここまでが300票前後で、
・4〜5位が幕末(1853〜68年)と、江戸後期18C初頭〜1853年)、両者とも
 200票半ば。>

▼ 自分が終戦の半年後に生れて、廃墟の中から、経済成長期に。
 そしてバブルとバブル崩壊で経済敗戦で、デフレ経済を20数年経験した。
世界は1992年のソ連・東欧の崩壊、2001年の9.11テロから、イスラム教と、
キリスト教国の本格的戦争が始まり、現在に至る。 日本経済未だに経済敗戦
のショックから抜出せない。団塊世代の鏡い蓮⊃討鮓て育ったが、その下の
世代は、それを知らない為に、憧れるのだろう。比較的恵まれた?家庭環境に
あったことも含めて、ベストに近い人生環境であった。一つ間違えると、朝鮮、
ベトナムのように、国を二分され… もう二度とこない国家繁栄のピーク時代に、
生きてこられたのである。今では、日常的に、地震、台風、火山とたて続きに
発生している。それは国家としての財政基盤を大きく削ぐことなるが、何故か
誰も直視しようとしない。 で、親の代の「竜宮城」のおとぎ話の名残りに、
憧れるしかない。味わい尽くした私たちは、沈黙するしかない。
 しかし、よく出来たもの。科学技術の進化が、情報化という時代をもたら
してくれた。そこに情報格差という大問題が、生れている。未来、現在だけで
なく、過去の情報も鮮明に映し出し、次世代に提示する。我々の世代に少ない
のは、近未来の情報化がもたらす恩恵。羨ましい限りだが、未来は少ない。
「いま無いのが、見えてきた近未来の情報社会」 その狭間に私たち世代が
立たされ、消え去ろうとしている。近未来の一端を毎日、味わっているが、
羨ましい限りである。
 「上を見れば限がない、横をみれば情けない、下を見れば底がない」 
まさに周囲の情報がリアルタイムに知りざるを得ない哀しみと喜びを
味合えるのも余裕があればこそ。何も知らないのも生き方のひとつかも!
時代の変遷も、情報環境も、人生も、驚きの連続。 夢見ているようである。
 「辛うじて楽しんでいる」というのが実感。
両親、特に父親が、戦中、戦後の混乱の中で、倫理的に厳しく過ぎた? 
反動を、私に向けてくれた感があった。その上に、この時代である。

・・・・・・
4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5
2014年08月27日(水)                
     『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太著
  この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、
<京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。
               (古今東西の幸福論を読み漁った結果)
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。>  
『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど
余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという
説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。
  ーまずは、その辺りを抜粋ー
≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば
 あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ
といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。
それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより
鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの
高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと
したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に
お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な
お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、
専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で
うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから
こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが
泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての
美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動
を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、
そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので
あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く
のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫
▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が
 いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない
不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、
実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに
驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える
様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く
見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く!
ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、
4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界!  
(一言多いが)平屋もマンションもある・・・
・・・・・・
4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの?
2013年08月27日(火)
   * 小学、中学校の同級会で、どうしてる?
 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席
するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず
なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。
それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに
来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 
早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、
ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。
「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、
「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを
味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、
実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、
結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、
現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、
この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、
「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 
時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、
が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 
   * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常
 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった
『エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。
(番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに
浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が
胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、
ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの
一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も
重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 
観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。
ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が
起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを
リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の
生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに
ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が
交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 
Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。
次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 
・・・・・・
5278,「読書の腕前」 ー
2015年08月27日(木)
            〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜
   * 独りの楽しさと、読書
 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。
これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年
前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。
 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、
底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜
≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」
 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。
たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド
へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、
というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、
あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、
「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、
谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。
「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら
〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、
大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化
する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって
いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。
 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を
占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた
がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。
本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。
出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり
自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」
ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」
ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本
ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。
「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。
詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも
表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、
とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり
するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる
のはいつだってひとりの自分なのだ。
 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。
だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という
言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら
どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、
伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。
『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。
それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な
時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。
「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。
「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。
なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、
「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、
と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を
ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫
▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、
「ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本に
偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点
では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの
ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。
 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。



6737,閑話小題 〜ランチ考

2019年08月26日(月)

    * ランチ考
 8月に入って、家内に連れられて、郊外の新規の店に三軒、入ってみた。
・まず一軒目が「ゆず庵」。信濃川の川西の新興のSC内の「しゃぶしゃぶ」の
食べ放題の店。そのランチが、セットで980円で、種類が多くて美味しいと
ジム仲間から聞きつけてのこと。食べ放題もあるが、歳が歳。腹いっぱいの食べ
放題に気が向かず… 取り放題の多くの種類を小鉢に並べて組みたててあるため、
値段の割に豪華。 店内は広くて、高級感がただよう。千円コースでは、合格。
・二軒目が、お盆に、立寄った、家内の実家のある柏崎郊外のイタ飯屋の
「ARCI-GOLA」。売りの言葉が、イタリアが県内でトップと認めた店。なるほど、
炭火焼の釜土で焼き上げただけのことはある。 この数年で、三度、ツアーで、
イタリアに行っているが、決して自画自賛の味ではない。 スパゲッティと、
ピザと、コヒー二杯で、2800円。来年のお盆も、ここにと満足して店を後にした。
・三軒目が、長岡の東バイパス沿いの新しいSC近くのウエストカフェ。
【 ウェストカフェ 長岡店/WEST CAFE (長岡/カフェ)の店舗情報は食べログで
 チェック! 口コミや評価、写真など... ウェストカフェ - アンガス牛はらみ
ステーキランチセットなど.... 新潟県長岡市花園南1-71 OUTDOOR LIFE STORE
WEST長岡 2F. ウェストカフェ 長岡 ... 】
なかなか面白い店だが、経営的に果たして? しかし、噂のステーキは値段の
割には美味しい。自宅から車で10分の至近距離?が、よい。
この話を、そのまま、酒友に話すと、『夫婦でランチを三度も行くなんぞ…
仲の良いことで…』と、冷やかされてしまった。たまたまとしても、言われて
みれば至極、ごもっとも。週一のシネマ館通いの前後に単独で入る、回転寿司、
牛丼、カツ丼、以外、同伴は家内位。 他の何でないだけ、良しとしなければ。
 
 シンプル、シングル、スペシャル、スピード、スタンダードが、まず基本。
ベースはチープもあるが、それでは、冷食を自宅で食べればよいが、それでは
面白味が加わらない。それでも、夜の御付き合いからみれば、数分の一。
年金暮らしを考えると、当然のことですか? それはそれなりに!
 としても、ソフト・ランディングで何とか終えて良かったが、何かドラマ
仕立てが薄れたことが良いのか悪いのか? 良いに決まっているが!
で、‘ランチ考’を書いてます。まあ、ペラペラですか! じゃあ「へらへら」
を書いてみたら。ヒラヒラで、空を舞うことに… 気分は良いはず…。
「ばかばかし!」と、一番思っているのはこの私め。 ブログは慈愛と、
自愛と、自嘲と、他嘲で成立っていると言って過言でない。書いている過程で
思いもしない心の影が、表立つこと屡々。 欧紅の刑事ドラマの定期的視聴者
たる由来が、底から出てくる? それが「分人」ですか。 同月同日の過去文を
読み返すと、得体のしれない自分が、そこに控えているのが納得。 

・・・・・・
6374,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー4
2018年08月26日(日)
   * 一度抜いた方便を今さら
 ネット上にあった「長岡弁」を紹介してきたが、忘却の彼方の言葉が次々と
出てくるには驚いたが、私自身が気づかない長岡弁を使っている可能性がある。
県外に住んだ経験がないと、標準語を使う機会がないため、方便しか使えない。
前回の続きになるが、まだまだ面白いのがある…

なじら(ね)   : [慣用語]相手の調子やある物事に対する評価を求める。
         「〜はどうですか」に当たる。
なんぎい     :[形容詞]具合が悪い、の意。
ねーなる     :[ラ五動詞]無くなる、の意。
「亡くなる」は  :「のーなる」ないし「なくなる("な"を高く発音)」と
          言い分ける場合が多い。
のめしこき    :面倒くさがり、の意。
馬鹿〜      :[助詞]強調表現。すごく、の意。
          馬鹿はえー  = すごく速い。
冷やかす     :[サ五動詞]食器(ご飯茶碗など)を水に浸す、の意。
ぶちゃる     : [ラ五動詞]捨てる、の意。不要なものを破棄する、
          放置するという意。
ぼっこす     : [サ五動詞]壊す、の意。
もぐす      :[サ五動詞]沈める、の意。燃す[サ五動詞]燃やす、の意も。
やっこい     : [形容詞]柔らかい、軟らかい、の意。物理的なやわらかさ
          を表し、穏やかや融通が利くといった意味では用いない。
よした      :子供に対して、よくやったと言う時に用いる。必ずよした
          よしたと2回言う。 

▼ TVの普及で、若者の標準語に触れる機会が増え、様変わりのようだが。
 まずは言葉が重い。中学校の同期会があるが、確かに長岡弁が多く行うが、
年に3〜4回ともなれば、違和感が全くない。一度、抜いた方言。元に戻ることは
ないようだ。地方が閉鎖的になるのは、言葉の問題が大きく関わっている。
これは日本という国にも言えること。長岡弁の最大の特徴が「〜が」を語尾に
多用すること。 
  これが金沢では、「〜け?」が付く。
「いーけ?」→「いいですか?」
「そーけ?」→「そうですか?」
「かーけ?」→「蚊ですか?」
「きーけ?」→「木ですか?」
「くーけ?」→「食べますか?」
「けーけ?」→「毛ですか?」
「こーけ?」→「こうですか?」
  三重弁では
「〜わや」「〜なん」「〜なんさ」など「そうなの」と相手に確認する表現。
「そうや二〜」「そうなん」→と若い女性が話すと、それは色っぽくなる。
 これらと比べると、長岡弁は、ふくよかさが足りない。(人による?)
土壌が御国言葉をつくるようだ。 … 『シャッコイ雪に数ヶ月もモグサレ、
雪ホゲで身体をぼっこし、ズルのが難ぎいて、のめしこいて、せつねいって』

・・・・・・
5642,閑話小題 〜幸・不幸の実相
2016年08月26日(金)
  * 幸・不幸の実相
 10年位までは、青少年向きのテーマとして、その話題は一般的に避けられて
いた、幸福論、不幸論が表舞台に出てきた。世界的に政治・経済の停滞が、
起因している。 同じ人生で、これほど違うかと思うほど、孝・不幸の差がある。
よくみると、その差は親の愛情と、教養の差にあるようだ。
 人生の甘味、辛さも一通り味わったつもりだが、孝・不幸は、自己責任と、
痛感する。要するに、幸・不幸は起こってしまった現実の解釈と、受容の人生
への姿勢にある。それは長年かけた心のベースから派生する。それが稀弱な人は、
目先に動転、その責任を外に求めてしまう。自分の足で、地べたを踏み込むことが、
出来ないため、同類合い哀れむ群れで屯するしかない。こういうのを蓄群というが、
群れることで、己の思考を放棄するため、 何が問題かを知ることができない。
そして「残念な人生」をおくる。その自覚さえないから、それは「残念な人生」
ではないのだろう。 という論も、羊の群れを馬鹿にする山羊? でしかないが。
――
   * オリンピックも終わって
 リオのオリンピックが、先日、終了した。 メダルの数からして、今回の
オリンピックは、丁度良い塩梅の数。何はともあれ、テロが起きなかっただけ
でも、良かった。 次は2020年の「東京オリンピック」に向けて動き出す。
 目安は金メダルが25個辺りか。オリンピック委員会も、開催国に金をもたらす
追加種目を宛がうのは周知のこと。 4年後は、世界はテロや戦争で、混乱が
激しくなっているはず。 テロの効率からみて、ISに狙われて不思議でない。
 私の寿命は、その辺りと設定しているので、健康状態で迎えられるかどうか。
冬季(12月〜3月)を除いて一日、3時間は運動をしているが、問題は酒量。

・・・・・・
4912,世界の美しいさを一つでも多く見つけたい ー4
2014年08月26日(火)
   * 現場の壮絶! 
 内容は 題名とは程遠く、映画や小説でさえ描写できない現実の凄みがある。
デジタル機器の進化で、生首を刎ねる写真や映像などがネットで流される。
臨検など今では無理。それにしても、このルポは、凄惨で、これが現実である。 
 ーその辺りからー
≪ 話を聞いてわかったのは、LRAの兵士たちのあまりに残忍な行動でした。
 彼らはまず戦力を増やすために村を襲い、食糧や金品を略奪します。
そして村人の中から子供を選び出し、彼らに銃を突きつけて自分の親や兄弟を
殺害させる。「この場で親の首を切れ。そうしなければ、おまえを殺すぞ」
そう脅して無理やりやらせるのです。家族を殺した子供は、村で生きていく
ことができません。兵士はそんな子供たちを連れ去り、部隊の兵士にする。
家族を殺させるのは、子供を村と決別させ、殺人マシーンにするべき通過儀礼
のようなものなのです。子供たちは部隊に入った後、全員が従順に兵士として
生きるわけでありません。途中で逃げ出したり、命令に従わなかったりする
こともあります。そんな時、ゲリラ兵は見せしめのために裏切った子供たちの
鼻や耳、それに唇を切り取ったりします。人間には見えないような容貌にする
ことで恐怖心を植え付けるのです。おそらくこうした事実だけ見れば、私は
LRAのゲリラ兵を「鬼南のような兵士」として描き、彼らにつかまって兵に
させられた子たちを「悲劇の被害者」として描いたはずです。でも、さらに
調べていくにつれ、違う側面があることもわかってきました。
LRAの子供兵の中には、誘拐されて兵士になった子以外に、自分の意思で自ら
兵士になった子もいるのです。貧しい農村で一生暮らすことが嫌になり、銃を
持って略奪をして暮らしをしたいと思っている子供、銃で人を殺して出世する
ことがカッコイイと思って参加する子、もともと反社会的な人格を持っていて、
それがエスカレートして、兵士になることを望んだ子供がいるのです。・・≫
▼ これに匹敵する残虐行為に、ドイツのナチと、カンボジアのポルポトに
 よる数百万単位の大量殺戮がある。北朝鮮も一歩内部に入れば、このような
弾圧が現在進行で行われている。中国文化大革命では1千万〜5千万人が虐殺
されたが、詳細は隠されている。25年前に桂林に行った時の現地添乗員が
『文化大革命時には、この辺りは死体の山だった。それが全国の各村で同じ
ように・・・』と、何気なく話すのを聞き耳を疑った。当時は、日本国内では
タブーで、現地であればこそ聞けた話。 島国で、海で外界から守られ、
平和ボケの日本。グローバル化は、その平和を儚くも砕いてしまう。 
憲法を変えるのは当然のことだが・・ この国では無理?  
〜 また偶然だが、以下の二年前の随想日記に続く! 〜
・・・・・・
5277,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー
2015年08月26日(水)
       ーその時、言葉は私の「神」となる (新潮45/6月号)
               〜心肺停止になって考えたこと! 
   * 人生の価値とは何か
 生死の境目で、彼女(中村うさぎ)は大きく変わった?
『何を成し遂げたかでなく、如何に生きたか』というが、実は人生は、
『何を成し遂げようとして如何に生きたか』である。ただノンベンダラリ
という生き方も、あるとしても。同じ人生なら、何かを目指し、問題解決を
し尽くし、燃焼した生きかたを私は選ぶ。女無頼派作家が心肺停止で見えた
ことは・・ 挫折、問題こそ価値の源ということ。 〜その辺りから〜
≪ 我々はそれぞれが自分なりの方法で己を表現しながら生きている。
 そもそも「生きる」こと自体が表現なのである。どう生きたかを見れば、
その人物の価値観や世界観がわかる。生きていく過程でどんな選択をしたか、
何を大切にし、何を捨てたか。その選択や行為によって形作られていく人生
こそが、その人の作品なのだ。
むろん、本人が作りたいと望んだ作品と出来上った作品は、似ても似つかぬ
ものになっていることもあるだろう。さまざまな要因によって人生はその形を
変え、思いも寄らない方向に転がっていったりするからだ。
それゆえ多くの者は、人生の後半において「こんなはずじゃなかった」と
臍を噛む想いに打ちのめされる。だが、それでもその人生は、「私の作品」だ。
不可抗力的な外的要因で捻じ曲げられても、そこで我々が下した判断や選択は、
まぎれもなく我々自身のものだからだ。ままならないことも含めて、「人生」
である。そして、その「人生」は、よくも悪くも、我々自身を見事に反映して
いるのだ。 私の人生は、私そのものである。
 このように考えると、「いかに生きるか」という問題が我々にとってどれだけ
重要であるか気づかされる。組織内や世間の評価を得ることに血道をあげようが、
世間に背を向けて自分だけの世界を作り上げようが、それは各人の自由であるが、
その目標のためにどんなことをしたのか、己の中のどの欲望を優先したのか、
その欲望を自分自身がどこまで明確に把握していたのか、そこが問われることに
なるのだと思う。 己の人生を「いかに生きるか」に、我々は責任を取らねば
ならないのだ。・・(略) どんな人生であろうとその人にとってはかけがえ
のないものであるし、何の業績も残さずとも本人か精一杯生きれぱ、そこに必ず
価値が生ずる。問題はその人が何も考えずにだらだらと生きたか、己や他者や
いろいろなものと格闘しながら悩み苦しみ葛藤を繰り返して生きてきたか、だ。
たとえ挫折や失敗ばかりの人生であったとしても、その挫折や失敗は絶対に
無駄ではないのだ。そう、そこには必ず意味も価値もある。
「何を為し遂げたか」という結果ばかりに目を奪われて「どう生きたか」という
過程を見落とすと、この世の多くの人の人生は無価値という結論になる。
何事かを為し得る人間など、ほんのひと握りだからだ。そのような価値観で生き
ていたら、「結果を出さなきゃ自分には価値がない」という強迫観念の虜となり、
己の人生を正当に評価できなくなるのではないか。若い人の悩みを聞いていると、
多くがこの強迫観念に取り葱かれていて、「何者かにならなくちゃ」
「何事かを為さなくちゃ」と焦っている。まあ、若いうちはそういう悩むのも
ひとつの過程と思うが、彼ら彼女らにいずれは気づいて欲しい。
何者にもなれない人生、何事も為し遂げられない人生にだって価値はある、と。
人生は結果ではなく、そうやって答を探して長い長い旅をする、あなたのその
足取りこそが貴重なのであり、その過程の積み重ねがあなたにしか生きられない
この世で唯一無二の人生を形作っていくのだ、と。≫
▼『ご覧のとおり、そのまま、結構!』を、4年前の事業断念時に自分自身に
 対して言い聞かせていた。バブル崩壊が、どれだけ大きな経済敗戦だったかを
見抜けなかったことが、ある。 盤石と信じていた事業が根こそぎ崩壊するのも、
一瞬の出来事。更に同時進行の情報革命も、大きな要素に加わる。
これに9・11テロ、リーマンショック、3・15大地震なら、仕方ない。
面白かったから、まあいい、と思えるのは、何とか避難が出来たから。
『総括として、面白かった!』という実感は、何ものにも代えがたい。

・・・・・・
6007,閑話小題 〜水難事故って、本当?
2017年08月26日(土)
  * 自死として、真正面に向合うことが供養では?
遺書でも出てこない真実は限り分からないが、「遺体には外傷はなく、
少年には持病があり、体調が心配されていた」という。それも登校日の前日。
どんなに哀しかったことか。悲しいことに、死んだ方が幸せな人が、世の中
には存在する。…別に私(貴方)のことではありません。
 死ぬには死ぬ深い訳がある。 〜ネット・ニュースによると〜
≪ 〜不明の中3男子を遺体で発見、誤って川に転落か 目立った外傷なし〜
 新潟県長岡市で行方不明になっていた中学3年生の片桐悠馬さん(15)が
 24日午前、およそ20キロ離れた燕市の川で遺体となって見つかりました。
片桐さんは、20日早朝に自宅を出たまま行方不明になり、前日に「最近走り
に行っていない」と話していたことから、ランニングコースだった川沿いを中心
に捜索が続いていました。警察は、誤って川に転落したとみて調べています。
片桐さんが通っていた中学校は、25日が2学期の始業式でした。(24日)≫

▼ 中3の少年の遺体が、数十キロ下流で発見されたということは、増水して
 いる本流に流されたと推察される。 そのランニング・コースが、早朝の
ポタリング(チャリ散歩)コースに重なる。特に、土日・祭日には、老若男女
がランニングをしている姿が多く見られる。何度か、すれ違っていたはずだが…
知る限り、川に転落など間違っても考えられない。川面は土手から離れている。
自らの意志でないと川には近づけない、とすると… 
 ところで、虐めは、どうだろう。 10年程前に知人が、長岡大橋で車が動け
なくなり、衝動的?に投身をした… 
 大手大橋上をヒキチャリをしながら、
・「あと3月と宣告されたら、この辺りから飛込みも有りだが、増水が前提。
 ならば新潟飛行場近くの阿賀野川の河口辺り?ここは日本海沖まで流され、
 上がらない… 」と、思わないでもない。 
・家族のため、海外ツアーに参加、多めの保険をかけ、何処かの絶壁から
 事故を装って足を滑らし… 
・それとも東京湾の何処かで、一切の身分を隠して… 
〜今どき、変な冗談が大変な事態を引き起こすか? 
 そこで思い浮かぶのが、夏目漱石の義父が宣った、
「人は死ぬまで苦しまなきゃならない!」の真言?
私には管をまかれて悶絶死が似合っているか。実際、キツイだろうが。
シリアスに向合えば、その時に、動転しないで済むと、露悪的に書いている。
問題は、その時に、死に対し、「正・中心・一点・無」になれるかどうか。
 なれる訳がないと知りつつも、土壇場の土台上のイメージの基礎は必要。


 


6736,閑話小題 〜映画観賞 ―『ロケットマン』

2019年08月25日(日)

    * ロケットマンの映画評論・批評。
 昨年、大ヒットを記録した「ボヘミアン・ラプソディ」を陰の監督として
完成に導いたデクスター・フレッチャーが続いてメガホンを取ったのは、
英国のロックスター、エルトン・ジョンの伝記映画。「ボヘミアン・ラプソディ」
同様、私にそぐわないホモセクシャルの世界。それが、前作よりリアルに映像化
されていた。としても、ステージは感動もの。アルコール、薬物漬なればこそ、
湧き出てくる? 物語の出だしは、薬物依存症のグループでの、そこまで至る
経緯を暴露するカタチで進行していく。夫婦間の亀裂が、いかに子供にとって、
痛手になるか… そうこう振返ると大家族の末っ子の立ち位置が、いかに恵まれた
幸運に思いがめぐる。 「ボヘミアン・ラプソディ」が、95点なら、これと、
レディーガガ初主演の「アリー・スター誕生」は… 90点。
  
  〜先ずはネット上の幾つかの映画評から〜
《 物語は、エルトンが抱える「誰からも愛されない」という孤独に
 ヒューチャーしている印象。非常に素晴らしい音楽の才能があるのに、
と一般人は安易に思うけど、一人の人間なのです。傷ついて育って、音楽に
身を委ねて、その音楽を通じて知り合った人たちとの出会い別れを経て...
『キングスマン ゴールデンサークル』でそんな思いを、きっとそこまで
言葉にせずともエルトンはタロンに伝えてたのかなぁ、と。
伝説のミュージシャンってほんと人間臭いよね。
だからこそ素晴らしい音楽を生み出してくれるんだろうなぁ。
いやぁもうこうなったら、次はジョージ・マイケル待ちです。
Sir、あなたの曲たちは素晴らしい贈り物です。》
  〜他にも〜
《 本作『ロケットマン』。ロンドン郊外の住宅地で生まれ育った学童期から
 世界的なミュージシャンにのし上がり、やがて沈静化していく50代半ばに至る
エルトン・ジョンの足跡が描かれています。時代でいえば、1950年代から1996年
まで。つまり自伝的な映画です。昨年、引退したとはいえ、まだ健在なのに、
自分の人生が赤裸々に暴かれるなんて……。
 英国人ミュージシャンの伝記映画といえば、やはり大ヒットした
『ボヘミアン・ラプソディー』(2018年)と比較したくなりますよね。それに、
「二匹目のドジョウ」を狙っていると思いますよね。おそらく、そうでしょう。
でも、映画の作りが異なっています。ヒット曲を散りばめているのは同じですが、
ミュージカル仕立てになっているのです。ごく自然に歌と踊りの世界へと移行
していくところが妙で、どことなくファンタジーみたい。そこが本作の売り。》
 


▼ ここで、やはり「孤独」の問題を扱っている。最たる孤独なればこそ、
 それが人の心に感動を呼寄せる。この年齢まで至ると、それぞえが抱えていた
問題を、語りだす。それぞれの立ち位置の家族の問題が非常に多い。その対処が、
その人生を支配し、時には破壊もし、反対に、起爆剤になる。
 お盆で次男の家族が帰省してきた折のこと。孫娘が大好きなグループダンスを
YouTubeの映像に合わせて踊りだした。それと、同時に息子夫婦も、何時のまに、
踊りだした。そして家内も仲間入り。さすがに私は入れなかったが… これが
家族の原型かと見惚れていた。 家族には満ち足りた愛情が必要ということ。
その温みこそ、互いを温めてくれる優しさ。幼児期に、音楽による情操教育を
如何に取入れてやるか。ともあれ、恵まれた人生で良かったといえる幸運に感謝。 
 <良かった好かった、これで良かった!> が、私の辞世の言葉。
   お目出度いことで… 
 
・・・・・・
6373,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー3
2018年08月25日(土)
 ネットに、数多の長岡弁があるある。こうして真正面に向合うのは
初めてだが、首都圏の法事などででる話題が「長岡弁」。姉三人が車で20分
以内に住んでいるため、長岡弁から抜出せないようだ。元もと、駅前の繁華街
に住んでいて標準語に慣れていたと思いきや、どうも、そうではないという。
 私の場合、上京をして標準語を使えるまで2年近い時間を要した。それでも
寮生活で日常生活で多くの人との接点が多かった利点があった。 改めて当時
を思いだすと、無意識で標準語を外国語として組込んでいたようだ。それまで
話してきたほゞ全てが癖の強い長岡弁なればこそ。全てが標準語に置換え可能
であった。 福島、秋田など東北各地の地方出は、もっともっと癖があった。
 
 〜ネットにあった長岡弁を二回に分けて、幾つかを紹介してみる〜
あっちゃい、あっちぇー : [形容詞]熱い、暑い、の意。(対:しゃっこい)
あんにゃ、あねさ   :兄、姉の意。
一緒くた       :混ざっている、の意。
いっぺこと      :沢山、の意。
おじ、おば      :弟、妹の意。いずれも"お"を高く発音する。
おっかかる      :寄りかかる、の意。
おっぱなす      :放っておく、放置する、の意
おめさん       :貴方、の意。
おめった       :お前たち、の意。
かしがる       :傾く、の意。
がすごみ、      :屑の意。専ら廃棄物のことなど罵倒語。
かんじん、くゎんじん :卑しい、卑しい人、の意。
きーもむ       :心配する、の意。
げっぽ        :ビリ、最下位、の意。
けつまづく      :勢いよくつまづく。「け」は蹴るの意。
けむ、けぶ      :煙、の意。
豪儀(ごうぎ)     :大変、すごい、(人が)堅牢な、気が強い。
こすい        :ずるい、の意。
こって        :すごく
しゃぐ /しゃつける  :なぐる、たたく、の意。
しゃっこい、ひゃっこい :冷たい、の意。(対:あっちゃい)。
しょーしい      :恥ずかしい、の意。
しょったれ      :だらしがない、の意。
…らすけ、すけに   : [接続詞]「〜から」「〜だから」の意。理由を表す。
ずる         :[ラ五動詞]動く、の意。「電車がずる」は、電車が
           (普通に)動く・進むことであり、脱線の意味はない。
せつない       :悲しい,辛い,苦しい,参った,困ったなど不愉快系感情。
せぼんこ       :猫背
そ(ー)いが     :「そうなのだ」、の意。
そろっと       : [副詞]そろそろ、の意。静かにゆっくり、慎重に、の意。
だまかす       :[サ五動詞] 騙す、の意。
たまげる       :[ラ五動詞] 驚く、の意。
ちっと、ちっとばか(し) :[副詞] 少し、の意。
…らて        :…だよ、の意。
とぶ         :[バ五動詞]走る、の意。
(ん)な        :お前、の意。


▼ 「げっぽ」「こすい」「しゃぐ」「ずる」「ためげる」「とぶ」など、
 数十年ぶりに目にする言葉。特に「げっぽ」は、旧知の友に再会したような気分。
年に数回ある同期会で、ほぼ誰とも会話がない。昔とった杵柄で、「ふんふん」
と聞役になるしかない。御品よくしてるのではなく、恥ずかしくて(しょうしくて)
言葉が出てこない。「こって」「…らすけ」も使えない。よくよくみると、昔ながら
の城下町言葉が脈々と続いているのだ。新潟に通っていた30年で、新潟では多弁に、
地元では無口になったのは、言葉の問題も大きい。使い分ける必然性もなかった。
柏崎出身の家内は、ほぼ標準語。私と家内の両親も、方言は皆無に近かった。
7年半通っているSJの会員の言葉つかいは長岡弁が多いが、気になるほどでない。

・・・・・・
6006,閑話小題 〜随想日記、6000回超え、
2017年08月25日(金)
   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが逆に利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
――
2014/11/22
閑話小題 ー今日で5000回!
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな
かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 
 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった
ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室
を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」
として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな」
のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。
もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも
11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回
を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む
つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を
書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と
して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ
にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その
まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 
自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた
分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、
ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産
とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結
でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣
をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分
だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する
ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、
アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が
何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって
しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。
また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と
入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣
だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない
からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 
その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く
ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の
経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が
魂ということになる。
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の
つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく
変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う
と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって
書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して
しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって
きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん
だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・
5641,閑話小題 〜ジムに異変が!
2016年08月25日(木)
    * 通っているジムが活気づいてきた
 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の
「コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の
私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、
街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 
但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。
 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、
二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、
外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう
見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、
週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、
かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい!
 ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、
最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、
「ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を
持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。
平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。
 市場規模:4,316億円
 施設数 :4,375軒
 会員数 :4,193,706人となっています。
この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。
会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、
売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。
 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。


6735,閑話小題 〜10年前には

2019年08月24日(土)

    * 人生を振返って俯瞰すると…
 あまり嬉しい話ではないが、義務教育前に、幼稚園、保育院通いしていたか、
それも名だたる大学の幼稚舎からエスカレーターで、既に大きな差がついている
のが現実。 公立の分別前には、苛めっ子などの問題児が、存在する。
その絶対数の少ないコースを登ってきたかがある。 本当に実力がある人は、
公立の小・中・高校を上りつめた人が多いが、全体として、間違いなく、付属校
のコースの人には、伸び伸びとして、明るく、素直な人が多い。 実は、それが
人生を決めている。 …16〜18歳の多感な青年期に、受験地獄で過ごしたか、
学園生活を謳歌できたかで、一生が違うのは、至極当然のこと。
「条件=原因」というが、成るほど俯瞰すると納得せざるを得ない。
この30年で、中国の一人っ子政策と、自由経済の導入を相まって飛躍的に国家
成長を成し遂げた。共産党員などの一部の特権階級以外の階層の人が、よじ登る
には子供の受験能力を高めるしかなかった、そのことが、結果として短時間で、
あれだけの変容を遂げた。人口の長期低減に加え、骨抜きされた日本。
グローバル化の中で、さて如何なることに! 
地頭という意味での『インテリジェンス』が向上したとは思えないが… 
 またまただが、
<上をみればキリがない。下をみれば底がない。横をみれば情けない。>
できることは、比べないこと! どのみち、死んでしまえば、そこまで!
 … 死ななくとも、「ここ」まで。 好きなこと、好きな人、好きな場所を
早々に見つけて、熱中することしか、ないでしょう。群れていては、腐るだけ。
でも、群れているのが好きなのは、如何すれば? 時どき、群れれば良いが…
 ―
    * 10年前には地元の文理高校が決勝に進出していた
 書くテーマが見当たらず何気なく過去の同月同日分を振返ると、10年前に
地元の日本文理高校が決勝戦を戦っていた。現在の、「履正社」対、「星稜」を
比べると、間違いなく数段の力量の差が見てとれる。それだけ、年々、スマート
フォン、タブレットPC、AI付きバッテングマシーンなどの進化があるのだろう。
ということは、資金力のある高校が、有利ということに… 
例えば「履正社」の部員のバッテングは、各人がPCに録画された奥川投手の録画
を何度も、見て練習していたのでは? 現在のAIの投球マシーンなら、奥川の
球種を似せて打ち込む練習は可能なはず。奥川投手に臆することなかったのは、
そのため? 囲碁将棋や、卓球にAI付きの練習マシーンがあるのだから、当然、
あって然るべき。

・・・・・・
3063,閑話小題 
2009年08月24日(月)
  * 日本文理高校が決勝だと 
日本文理高校が、あれよあれよという間に決勝戦まできた。
国体開催の一月前ということもあり是非とも優勝をしてほしいもの。
今日は県内は大きな盛り上がりになるはず。昨日は県岐阜には勝てないと
踏んでいたが、まさか勝つとは。過去に準々決勝が最高だったから、新潟県
にとっては大快挙である。地元の予選では対戦相手とは段違いの力だったが、
ここまで来るとは思ってもいなかった。彼らナインも監督も同じだろう。 
新潟県は、このところ二度の大地震が続き、景気も最悪の事態の上に、
この天候で稲作も期待できない。優勝でもしたら国体までのつなぎになる。
たまたま今日は飲み会が入っているので、酒の味が美味くなる。
 
・・・・・・
6372,閑話小題 〜 コミック版・トランプ劇場
2018年08月24日(金)
   * お笑いで済まされない危機!
 少し収まりかけていたトランプ劇場、何やら火の手が本格的に上がりだした。
たびたび閲覧する<豊島逸夫の手帖>の『 トランプ大統領、女性スキャンダル  
(2018年8月22日)が、アメリカ国内の緊迫度を紹介している。

《 今米国はこの話題で持ちきり。日本のモリカケみたいな騒ぎで。トランプ氏
 の個人弁護士マイケル・コーエン氏が、選挙資金法違反などを認め司法取引に
応じたのです。トランプ氏のお相手女性に13万ドルの口止め料を払ったと
されています。いよいよ女性スキャンダルからお尻に火がついてきましたね。
当のストーミー・ダニエルズ嬢は今や米国で最も話題の女性でしょう。
60minutes という人気テレビ番組で60分にわたる生インタビュー
が放映された時は、6千万人の米国人が見たほどです。翌日職場はこの話題で
持ちきりでした。かなり際どく生々しい話でしたから。
 この問題がロシアゲート疑惑にも飛び火してます。口止め料についてロシア人
富豪も関わったとされるからです。ロシアゲートを捜査中のモラー特別検察官
率いる精鋭弁護士チームもマイケル・コーエン氏を聴取するようです。
トランプ氏にとってはこれから中間選挙を控える段階で極めて「やばい」ね。
国民の関心をそらすために保護主義などをこれまで以上に激しく展開する可能性
もあるので要注意です。昨晩米国のテレビを見ていたら、NYの裁判所ビルの前
にカメラが並び、コーエン氏が有罪を認めると同時に脱兎の如く記者たちが走り
出てきたので「日本と同じだな」と思いました。これから詳細が明らかになり
事態が急展開する可能性もあるので要注意です。》

▼・寅:出ては消えを繰返してきた、トランプのスキャンダル。くすんだ火の手
  が、本格的上がってきたね。元もと、アメリカ建国の理念を全面否定した泡沫、
  ロシアのスパイ網に助けられ当選したことが衆人が知るところ。
・大家:よくぞ、ここまで持ったことが、アメリカの不健全? ということ。 
  こんなのが大統領に選出されるのが変ですよ。北朝鮮というより、中国とロシア
  がトランプが弾劾される前に、アメリカに痛手を負わせようと打合せた茶番劇が、
  米朝首脳会談。困ったもんだね。
・熊:与野党も、中間選挙の大敗を待っている節があるのは、俺でも分かるよ。
  「これで、自分は相応しくない人材と少しも思ってないから始末が悪い」と、
  ある側近が言ったとか言わんとか。でも、これがアメリカの中核の本音さ。
・八:この男だったら、北が隠密に核開発をしていると決め込んで保身のための
  戦争を仕掛ける可能性が出てきたね。あってはならないことだが、日本が
  丁度良い標的になる。いざとなると誰も助けてくれないのが国際政治。
・寅:だいたい北朝鮮が核廃棄するなんて有得ないこと。国家としての脳梗塞状態
  ですか。いや、このままじゃ脳溢血? ベストの筋書きは、本人が、その病で
  倒れること? 
・大家:「プーチンよ、何てことをしてくれのさ」である。バカなポピリズムを
  最大限に利用してくれたね。年末は何が起きても不思議じゃない状況ですか。
・八:あの肥満度からして、体力的限界も含め、何かあるよ! 

・・・・・・
6005,幸せの確率   −4
2017年08月24日(木)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
               アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
  * 地位財・非地位財
     〜幸せになる近道は「非地位財」の追求
 会社清算の結果、「地位財」を無くしたが、「非地位財」が行蔵として残った。 
この感覚は、解りやすくいうと、充実感、達成感の手ごたえで、第三者からは
窺い知れないこと。趣味で手造りのヨットを完成し、世界一周をすれば、目的は
プロセスと満足感。 最後に遭難をして全て失ったも、悔いがないのと同じ。
  〜その辺りの、簡潔な洞察が面白い〜
≪ 幸福について、「持続性」という観点からもう少し考えてみましょう。
 経済学者のロバート・フランクは
・周囲との比較で満足を得るものを「地位財」、
・他人との相対比較とは関係なく幸せが得られるものを「非地位財」と整理。

「地位財」の具体例は、所得や貯蓄、役職などの社会的地位、家やクルマなどの
物的財。一方の「非地位財」は、健康、自由、愛情などです。この2つの違いに
ついて、心理学者のダニエル・ネトルは著書『目からウロコの幸福学』で、
「幸福の持続性が異なる」と論じています。図では「結婚」が両者の間にある。
 これは「結婚」が、「他人に自慢できる配偶者」「家庭を持っているという
社会的ステータス」という意味では地位財であり、「パートナーとの絆」
「家族への無償の愛、つながり」という意味では非地位財だからです。

重要なのは、地位財による幸福は長続きしないのに対し、非地位財による幸福
は長続きする、という点です。「少しでも年収を上げたい」は地位財の獲得を
目指す志向ですが、それでは幸福が持続しません。

それなのに、なぜ人はついつい地位財の獲得に走ってしまう。〔目の前に
ぶらさがった具体的な餌に飛びついてしまう〕のでしょうか。フランクは、
人間は自然淘汰に勝ち残って進化してきた生物だから、と説明しました。
子孫を残すために重要なのは「競争に打ち勝つこと」。だから人間は、競争に
勝つと嬉しくなるようにできている。そのため、他人との比較優位に立てる
「地位財の獲得」を目指してしまう。

しかし現代社会では、生存競争にそこまで躍起になる必要はありません。
平均年収を超える程度までは「地位財」を目指し、それ以降は幸福の持続性が
高い「非地位財」を追求するのが、幸福をつかむ近道かもしれません。 ≫


▼ とすると、本来は、地位財を非地位財に交換するのが目的だったため、
 結果は何であれ非地位財以上?の何かを手に入れたため、サバサバできている。
5年半にかけ、アルツハイマーの母親を看送った51歳から、還暦まで、好きなこと
を遣り尽くすと決心、10年近く捨身で生きた。その時が、非地位財を、さらに
昇華させ消しさっていたことになる。その後、10年少し経ったが、地球の生活が
ますます面白くなっている。いい歳をして、意固地になり、肩肘を張り、比較地獄に
汲々としている「世間人」が可愛らしくもある。その最たる者が内なる化物だが… 

〜ところで、8年前に日本文理が、決勝戦に進出していた〜 
さらに、5年前にはトランプの本を読み書評までしていた。ったく!
 以下、参照… 

・・・・・・
4168, あなたが大金持ちではない10の理由
2012年08月24日(金)
     「あなたが大金持ちではない10の理由」ドナルド・トランプ著 
 アマゾン内のネットサーフィンで見つけた不動産王ドナルド・トランプの著
「あなたが大金持ちではない10の理由」が面白い。
耳が痛いが・・ まず基本的な考えは「お金持ちになりたいなら、
お金を持つ前からお金持ちのように思考しなくてはならない」である。
まず金持ちであるかのように考え振舞うことから始めよ、である。
そう振舞ってもダメなのはダメだが・・・
  ー「あなたが大金持ちではない10の理由」ーとは
 ゝ戮澆鬚箸蕕覆ちゃいけない・・・と思っている
 「休みをとりたいなぁ」と思ったらその仕事はあなたに合っていない。 
  まず自分が好きになる仕事を選ばなくては!
◆/臾欧箸蕕覆ちゃ・・・と思っている
 著者は一日4時間しか寝ない(午前1時〜午前5時)。
 寝る間を惜しむほど仕事に打ち込むことが基本。
 集中力に欠けている
 「私は相手が二、三語話しただけで次に何を話すかがわかる。
  それが出来れば会話をリードできる」 相手に集中する能力。
ぁ.謄ノロジーに頼り過ぎ
 メールでは感情を伝えられない。電話したり、直接相手に会うこと。
ァ〜蠎蠅隆待値を考慮していない賞賛や驚きは相手の期待値により変わる。 
  相手の期待を知って初めて効果があがる。
Α|膣屬僕蠅蠅垢ている
 最後は一人。「どんなことでも自分でできる!」と思い、自分でやるべきこと
 をやらなくては何も進まない。人に頼りすぎると仕事の遂行が遅くなってしまう。
А\功グセをつけていない
 一つの成功は次の成功を呼び込む。まず実際に行動を起こし何かを成し遂げる。
 著者は「彼の触ったものは黄金に変わる」評判がある。
─^媚弖萃蠅いいかげん
 「意思決定は恋人を決めるときと同じように」。 多くの人が意思決定を
 「一目ぼれ」のように扱っていることを嘆く。会議で他人の意見を聞くのは
 「あの子のことをどう思う?」と聞いているのと同じ。意見を聞きつつ、
  注意深く意思決定を進めること。
 家族とうまくいっていない。
 家族はもっとも重要。 家族と良い関係が、基本中の基本。
 好奇心をもっていない
 成功者は何にでも興味を持つ。興味はイノベーションにつながり、
成功の鍵。起きていることすべてに興味を持つこと。
 ▼ 今さら金持ち云々など、関係ないが、それでも道理は面白い。
上手くいっている人は上記はクリアーしている。会社を創業し軌道に乗せるに、
ほぼ上記をカバーしないと不可能だが、それも震災ひとつで、パーである。
  お金は、お金を意識しないで済む程度が一番よいという。年齢にもよるが、
一般的に100万ドルか、一億円が目安。
・・・・・・
3803, 哲学人 ー
2011年08月24日(水)
 ここでもテーマにした吉本隆明の「共同幻想」という言葉がある。
その典型が国家である。その元になっているのが、ウパニシャッドといわれる。 
また信長が好んで舞ったといわれる部分の敦盛の歌詞
《 思へばこの世は常の住み家にあらず 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほ
 あやし 金谷に花を詠じ、栄花は先立つて無常の風に誘はるる 南楼の月を
弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり 人間五十年、下天のうちを
比ぶれば、夢幻の如くなり  一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
 これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・・》 
所詮は、幻想のようは儚い一生を鳥瞰した歌詞。
   マギーは、ウパニシャッドを簡潔にまとめてあり、分かりやすい。
  * ウパニシャッドとは   ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 15、6歳のころ、世界の偉大な宗教の経典を集めた「世界の聖典]という
 本を学校の図書館で見つけ、好奇心から読んでみた。この本の中で、唯一、
私の想像力を心底かき立てたのが『ウパニシャッド』だった。驚いたことに
次のような記述があった。「ー人間の知識と経験の全領域はイメージだけで成り
立っており、そのイメージは流動的であって、永遠不変の存在を持たないのだが、
 それに対して実在する現実は、永遠に存在するものであるけれども、我々は
直接それを知ることができず、それを明確に把握することもできないー」。 
私は自分の考えが目の前のページに、それも数千年前の昔の書物に載っている
のを見て愕然とした。そこには、さらに、私の思いもつかない説明まで書かれて
いた。それによれば、「私たちの心には無数の多様なイメージが浮かぶが、
そのイメージを去来させているのは、個々とのイメージと同数の、直接触れる
ことのできない対応物ではなく、あるひとつの大きなものである。
 私たちは個人として生まれたときから分化し、死ぬと再びそこにとけこむ。
突きつめると、実際には、その大きなものしかない。互いに相容れることなく
個々に分離しているのは、イメージだけである。また、イメージはあくまで
イメージであって、主観的ではかないものである以上、そしてとくに、人間には
生来、イメージを独立して存在する事物と混同する傾向がある以上、イメージを
 幻想とみなすのは、しかるべき理由があることになる。分離した個々の事物、
人間を含む個々のあらゆる事物は、してみると現像ということになる。現実には
万物はひとつである。」… 私には、この見解は確認できないように感じられた
のである。たとえこれが真理であったとしても、そのことを知るすべが見当たら
なかった。 とはいえ、この見解は、ある重大な事実を痛感させてくれた。
私は自分でも気づかぬうちに、ー存在しているものは基本的に私たちの考えて
いることに「似ている」、すなわち多種多様なものが存在していると想定して
いたーのだが、この想定には根拠がないことが明らかになった。考えてみれば
確かに、現実の本当の姿はどういうものかをめぐるいかなる意見にも根拠が
ないように思われる。】
▼ 過去を振り返ると、実際あの時の経験は記憶とていて残っている。
 その対象も物理的に残っているものもある。しかし時間は、記憶も、物理的
残存しているものも、容赦なく変えてしまう。そうすると、残っているのは
イメージである。そうこう考えると、ブラフマンの存在こそ、そこから発生し、
そこに戻っていくという考えに、ついつい・・・夢幻でしか!と。
恋愛など、性欲がつくりあげたイメージのダンスでしかない。
ダンスが終わったら・・・ 類推は、いくらでも出てくる。


6734,閑話小題 〜暇人の遊ぶ・・・・

2019年08月23日(金)


    * 庭からカラスを追払う…
 この時節に「カラス」の話題が多いのは、自宅周辺で若いカラスのテリトリー
争いで騒ぐため。 去年の8月22日に、カラスをテーマにした掲載文があった。
一昨年、百円ショップで、ハロウィンの売れ残りの「カボチャのボンボリ」を
玄関先に掲げたところ、暫く、姿を見せなくなったことは、ここで書いていた。
最近、玄関先の電柱の下に、大量のカラスのフン。その上に、2Fへの階段と、
玄関先に数ヶ所も。 …これまでは雨が流しさってくれるが、さてと掃除?と
迷っている内に、お盆が過ぎた先日、大雨が流しさってくれた。 これでは、
カラスの御不浄になってしまう。 そこで再び、古いハロウィンのカボチャの
ボンボリを玄関横に吊るしたところ、逆側の庭に来て騒ぎ出した。 そこで、
使い古しの靴下をペットボトルに被せて、カラスの死体に似せた人形をつくり、
エジプト土産の魔除けの7〜8僂留澤舛量楸棉のガラスを一緒に括りつけ、
ベランダに吊るして様子をみた。 それに加えて、黒いビニール袋を空缶に被せ、
紐を括りつけた首吊カラスに似せて、やはり庭側ベランダに吊るして二日、経過
するが、今のところ近寄ってこない。 まあ、暇人の遊び…
 ―
    * 本命の履正社が優勝
 飛びぬけていた優勝候補の『履正社』が優勝をした。 14時の開始時間、15時
過ぎにイソイソと車載のTVをみると、やはり… 「3対1」。 帰宅後、家内に、
『3対1なら、互角に近い試合になってるじゃないか!』と聞くと、『そうじゃ
ないの!一方的で見てはいられない試合なの。見ていれば分る!』と。
ところが、3対3と、同点に追いついた。しかし、その直後、直ぐに履正社が2点、
勝越し5対3に。『そうでしょ。力が全く違うのは私でも分かるわ』の、展開。
身体つき、顔つき、動作が全くの違いが、そのまま、画面に現われていた。
監督への勝利インタビューが、試合内容と同じで考え抜かれた内容。
『このチームは星稜の奥川投手に育てられたようなもの。奥川か、同レベルの
投手を打込めるレベルまで、負けて以来、練習に打ち込んできた!』と。
これでは、奥川も勝てはしない。 
 今度、大学の優勝チームと、対抗試合をしたみたら? 少なくとも東大は?

・・・・・・
6371,閑話小題 〜17年余で、3回目の失態
2018年08月23日(木)
   * アップする前に、全て消去
「何てこっちゃ〜!」。 昨日の朝方のこと、アップする直前に、チョッと
した勘違いで、書上げた文章全てを消去してしまった。17年半で3回目になる。 
このテーマの内容は止めておいた方が良いというサインと、自分を納得させる
しかない。こうなりゃ、意地でも何か書上げてポタリングに出かけようとしたが、
やはり無理。で、違う書きかけのテーマに差替えて改めて今朝方、あらため読むと、
やはり大幅な修復が必要。やはり、注意されるべくして注意されたのである。
  
  〜カットした昨日のテーマ内容をそのままを、かいつまみ書くと〜
≪「前日の朝、信濃川の土手でのトラブルの話。長岡大橋を渡った西側の土手で、
 後ろから大声で、「道の真中を走るんじゃない!」と、怒鳴られた。みると、
本格的チャリダ―。7〜8mの土手で真中を走って何故悪いのか、数秒考えても
何故か分からない。ところが数百m先で、自転車を停めて、道端の金具を拾って
いたので、「何故、真中か悪いのか分からないので、その理由を教えて!」
と聞くと、激怒をして「この馬鹿野郎。何を言いやがる!」と。何々と、戦闘
態勢に入り、‘ベルトを抜いて殴りかかるイメージ!をもって睨むと、急に怖気
ついて、自転車を急発進して、走り去っていった。体格は大柄のアスリート風。 
 その後、同じ場所を自転車を走らせて「何故、真中を走っていたか」を考えた。
整備された土手の自由道路で、正面からウォーキング、犬の散歩、チャリダ―が
テンデンに行きかうため、中央から少し左側を走りながら、その都度、左右に
ハンドルを切って寄せる。何も怒鳴られる筋合いがない。明らかにチャリダ―
の優越行為。まさか、何か言い返されると思っていなかったようだ。
 生きていればこそ、怒ることが出来る。喜怒哀楽で怒りが一番のエネルギー源。
怒れ怒れ、もっと怒ればよい。そして、その分、喜び、哀しみ、楽しめばよい。
おさえる必要などない。≫

▼ 上記を改めて読み直すと、誰も居ないからこそ左側に沿って走るのが道理。
 直に思いついたのが、ジムで12人定員でステップ台とストレッチマシーン
を交互にやる「イージーライン」というエアロ。終わる直前、マシーン台を
拭くのが礼儀。しかし、面倒なので肩にかけたタオルをマシーンに被せる。
ところが人によって、汗を拭いたタオルでも嫌がる人が当然いる。後の女性に露骨に
嫌な顔をされた。で、当然、私も「怒りへの処置」をした。10年近く誰も
居ないことをよいことに道路を傍若無人に走っていた。スポーツジム、近所でも
誰とも目を合わさず、挨拶もしない態度。一番上のボタンから掛け違えている。
私も社会というより、まず「500m内の世間」に生きている。 今さら、
愛想も直せないし… 意識をして会釈でも始めますか。
 そう、誰も居ない時こそ、マナーの勉強ですか。
<人は人、我は我。されど仲良く>ですか、娑婆は! 
『偉そうに何を書いているかだ、この野郎!』 ったく!嫌な野郎だ。
 
 で、新しい試み、これをアップする前に、一度、ポタリングに出てから、
帰った後に、新鮮な気持ちで、これを読返し、更に校正する必要があるようだ。
ハイ出発!
 
 一時間後 …で、帰ってきました。日常の中の非日常を書くのが日記。
生きていればこそ。毎日の非日常の中に、日常に慣れてしまって気づかない
ことが隠されているということ。人それぞれが、歪な日常を過ごしているが、
第三者には見えるが、当人だけが気づかない。それが娑婆といわれる由縁。 
 ということに気づきました。「そうだよな〜、歪だよな!」

・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる
事物の領域に自分の人生を閉じこめることだった。最初に挙げたクルーブと比べ
ると、わずかながら深遠で批判的でもあったが、結局、両者の態度には多くの
共通点があったのである。大人になるにつれて、世界にまつわる驚異の念にひたり、
世界が差し出す解決できそうにない問題(とくに、時間、空間、物体の知覚、
物体の本質などに関する問題)にのめりこんでいったおかげで、私はまわりの
人たちからやや孤立することになった。こうした問題を語りあえる相手が
見つからなかっただけではない。そんな問題をもち出せば変人扱いされかねない
ことを思い知らされたのである。人づきあいをしなかったわけではなく、
人生のほかの局面ではとても社交的な人間だった。昔から友人はいたし、
17歳になって恋愛もした。 パーティが大好きで、熱烈な音楽愛好家にして、
芝居通でもあった。それでも、経験のきわめて形而上学的な次元に心を奪われて
いることは、たとえ日々そうした問題に取リ岨んでいたとしても伏せておくべきだ
と知った。そんなふうに孤独感を覚えながらも、この問題に取り組んだのは、
なんといってもこの問題が圧倒的に重要であったからだ。私たちの本質や、
私たちが暮らしている世界の本質にとって根本的であるのに、こうした問題に
何故誰も魅了されないのか理解できなかった。頭の良い人なのに、何よりも
重大な問題に暗黙のうちに禁じられているには、何とも奇妙に思われた。 】
▼ ここで、マギーは「 私にとって自明だったのは、常識は正しくない
ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の泥沼に嵌ってしまう
からである。さらに正直に言うと、彼らは常識的な世界観を否定することを
ばかげているとみなしたけれども、私からすれば、それを容認することこそ
ばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みないあいだしかもちこたえ
代物だった。」と、述べている。常識は、殆ど正しくないことは、今さらだが、
あえて事を荒立てることもない。私も常識とやらは、ほぼ間違えていると、
この年齢で実感する。考えてみれば「あの人は常識人」ほど侮蔑の言葉はない。
大部分である常識人のいうことを、まともに聞いてきた人生、何だったのだろう。
 
・・・・・・・
3437, 64歳の現時点で、感じること! ー2
2010年08月23日(月)
 * あと5ヶ月で65歳になるが
 65年の人生を振り返ると、月並みだが長いような短いような感じだが、
決して長くはない。アッという間である。家庭に恵まれていたし、時代背景にも
恵まれていた。 満足度は70、いや80点である。明日の金が無くて呆然とした
ことも無かったし、人間関係で悩むことも比較的少なかった。また事業を四十年
近く、やれたことが良かった。また装置産業を選択したため、自由時間に恵まれた
のが良かった。好きな秘境ツアーも、私の環境=条件内では最大限に楽しむことが
できた。 好きな本も充分に読むことができた。 好きな箱物(ビル)造りも、
小規模だが増築を含めると8棟を立ち上げることができた。もっと事業を大きく
できたチャンスがあったが、恐慌になった現在、それが良かったかどうか。
 第二次世界大戦の終了から、米ソの対立、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中国の
文化革命、そして、ソ連と東欧の崩壊、日本の高度成長、バブルと、崩壊、
そして失われた20年という長期停滞。ニューヨークの9・11テロと、
アフガン・イラク戦争。そして、極めつけがアメリカ発の大恐慌である。
それが今後、10〜20年と色いろなカタチで、20世紀的なものや、文化の
破壊がすすむ。65年の人生で、半分以上は成長期の時代を味わってきた。
特に20代、30歳代は、高度成長期にあたっていた。もう日本が、これだけの
右上がりに成長を謳歌する時代は二度とこない。そうこう考えると本当に良い
時代背景だった。情報化社会の到来で、劇的変化を始めた時代の入口を生きている。
その変化は想像を遥かに超えている。毎日が驚きと、感動と、おののきの日々。
それにしても知らないことが多すぎる。

・・・・・・
6004,幸せの確率   −3
2017年08月23日(水)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * 高い貯蓄率、ただその一言につきる
 『アーリーリタイアにとって必要なのは、高い貯蓄率、ただその一言につきる』
早期のリタイアだけでなく、誰にとっても、幸せの確率を高めるには、貯蓄率が
高いほど良いはず。ここで、著者は、トマ・ピケティ著『21世紀の資本』を引き
合いに出して、「富める者はますます富み、そうでない人たちとの格差が開いて
いく一方であろう」というのを‘r>g’という不等式で表している。夢も希望
もなく、恐ろしい限りである。 私が何とか、会社清算を軟着陸で終えることが
出来たのは、家内への給与と、厚生年金積立てがあればこそ。40年近くになれば、
チリも積もれば小さな山になる。それは両親の方針で、中小企業の知恵でもある。
 (Amazonの内容紹介)
≪  r>g
「資本収益率が産出と所得の成長率を上回るとき、資本主義は自動的に、
 恣意的で持続不可能な格差を生み出す」
 格差は長期的にはどのように変化してきたのか? 資本の蓄積と分配は何に
よって決定づけられているのか? 所得格差と経済成長は今後どうなるのか?
18世紀にまでさかのぼる詳細なデータと、明晰な理論によって、これらの
重要問題を解き明かす。格差をめぐる議論に大変革をもたらしつつある、
世界的ベストセラー。
 〜本文より〜
・「本書の答えは、これまでの研究者が使えたものよりもはるかに広範な、
 長期的で比較可能なデータに基づいた答えとなっている…格差の根底にある
仕組みについて、もっと深い理解を与えてくれるような、新しい理論的な枠組
に基づいたものでもある」
・「1970年代以来、所得格差は富裕国で大幅に増大した。特にこれは米国に
 顕著だった。米国では、2000年代における所得の集中は、1910年代の水準に
戻ってしまった――それどころか、少し上回るほどになっている」
・ 「私の理論における格差拡大の主要な力は、市場の不完全性とは何
ら関係ない…その正反対だ。資本市場が完全になればなるほど、資本収益率
「r」が経済成長率「g」を上回る可能性も高まる」
・「格差の問題を経済分析の核心に戻して、19世紀に提起された問題を考え
 始める時期はとうに来ているのだ」
・「あらゆる市民たちは、お金やその計測、それを取り巻く事実とその歴史に、
 真剣な興味を抱くべきだと思える…数字との取り組みを拒絶したところで、
 それが最も恵まれない人の利益にかなうことなど、まずあり得ないのだ」 ≫

▼ 「恒産あって、恒心あり」である。ピケティのいう、今後、世界の成長率
 が1〜2%しか望めないなら、「若いうちから意識的に蓄財をして、さっさと
‘r’の側になってしまえば、後半の人生を幸せに過ごすことが可能になる。
「第二の人生など、さほと大切?」「25%近くの預金も惨め」「若いうちに、
楽しめるだけ楽しんでおかないと…」 という常識的な考えもあるが、人生を
全体を、二分する考えも必要では。仏教的な考えでは、「八正道」の道があって
欲望をコントロールする。 しかし、欧米的考え方には、幸せの状態、
「プラス3〜6に、マイナス1」にすべくプラスを追及する。問題は人生観。
著者は、医者になり、独立をして成功。創業利益も背景にある。〜つづく

・・・・・・
5639,女はギャップ  〜
2016年08月23日(火)
           <「女はギャップ」名越康文 (著)>
   * 男の鎧とは
 図書館の返却コーナーで見つけた本。 著者のいう「男って愚かで臆病で
どうしようもなく勝手な生き物」、は本当。 一生、抱え込む可能性があれば、
臆病にもなって当然。 人によるが、8割は、そうだろう。 男女に関わらず、
不特定多数の男性に軽く声をかけた結果が、好かれ、モテるってこと。
 「まえがき」にある、<多くの女性がこう嘆きます。
「女から見るとブサイクなアフォ女がモテたり超美人なのに彼氏がいない人
がいる。なぜ?」の疑問に、男は女を「顔がキレイだから」「洋服のセンスが
よいから」「お金をもっているから」「セックスしたいから」好きになるわけ
ではない。声をかけられた相手にしか、反応できないため。
男は「臆病と気遣い」を、鎧に生きてます。この鎧をはがしてくれる女性たち
がモテルわけ。独身時代の女の職場で知ったことは、自信があるのだろう、
美人系の2割が、何事にも積極的で、青春を謳歌していたようだ。
 (内容紹介)
「彼氏のいない性格もよい美人」と「アホでもモテるブサイク」。
この差はどうして生まれるのか? それは男の臆病と気遣いの鎧を上手にはがす
「女のギャップ」に答えがあった。人に愛されるためには、美貌もマナーも媚も
必要ありません。心が楽になる恋愛のカタチを、精神科医がレクチャーする。
▼ この本の冒頭で、図表で、男女別の250人に対するアンケートをある。
・男性250人に、あなたは「臆病な男」ですか?に対し、65%が「はい」と答え。
・女性250人に「臆病は男」が、嫌いですか? に、64%が「はい」と答える。
臆病には、男からすると慎重が含まれ、女性からすれば「私を守ってくれない」
が含まれる。このミスマッチを早々、理解した女性に多くの福がくる。
「男の鎧の脱がし方」が、実際のテーマである。そのためは、笑い、質素に、
気楽に、カジュアルであること。 要するにコンビニ、ファーストフードの
店員のマニュアルどおりであれば良いことになる。 手軽で気楽に、清潔感が
あって、安価で、笑顔で・・ 大衆食堂よりは、若い男には遥かに良いはず。


 


6733,閑話小題 〜煽り運転暴行事件

2019年08月22日(木)



   * 煽り運転
◉ 連れと組んだ煽り詐欺。当たり屋の変形としても、酷く乱暴である。
常習者のため、これから過去の痕跡が露わに? 車内カメラが、その一部始終を
暴いたが、今まで出てこなかった、この手の映像が次々と出てくるのだろう。
 暴行といえば、過ってヤクザが平然と平手打ちをしているのを見たが、今では、
即刻、逮捕に。特に画像と録音機器の普及が口封じを破られる。としても、
生の脅しの現場は、それは氷つく。暴力の加害者の快感があるのだろうが… 
映像が証拠では、言訳もできない。ヤクザが恐れるのは警察の介入。少しでも
可能性があれば、そこが境目で手を引く。ブランドの幻影で、威圧するのが仕事。
 YouTubeには、このような映像が数限りある。その一つをニュースで流していた。 
バスを停車させた運転手に、逆切れした数人の乗客が殴りかかっている映像。
 そういえば、40年前のこと、追い越した車に怒鳴られ、切れてしまい3m間隔に
ピッタリ付けて20分ほど付けたことがあった。怖れて、駐車場に逃げ込んだ為、
そこで終えた…。 今から思うと、逆切れをされたり、事故の危険もあった。
運転にはファジーの約束事が多々ある。一歩二歩譲って、命が助かれば…という
気持ちが必要。

◉ 2人で組んで脅しをかける。それだけで底の浅さがみてとれる。としても、
あれは酷い。数千万の外車に乗り慣れると、安車に乗っている連中が格下に
思うのだろう。 以前、書いたが、自転車で、信濃川土手を走っていたところ、
ツーリスト用の自転車に乗った男が、後ろから「端を走れ、バカ野郎!」と
怒鳴りつけ追い越していった。誰も居ない10mの土手の自由道で、何故に?
「自分はツーリスト自転車でマナーを守っているのに、 …クロスバイク
(パパチャリ)を、いい歳をして早朝から乗り回す年寄りめ!と考えたか」
と思っていたら、数百m先で、止まって道路の釘を拾っていた。 そこで、
「何で怒鳴るのか! それほど、悪いことか?」と聞くと。 喧嘩腰で、
「何だ馬鹿野郎。自由道だからこそ、守るべきだろう」と、殴りかからんばかり
の剣幕。 要するに優越感からの見下し行為。 唖然としたが、ベルトを抜き、
殴りかかろうと思った瞬間、殺気を察知したのか、あわてて猛スピードで、
逃げ出した。 警察か、消防の夜半勤務明けか、何かのスポーツ選手か? 
ハンドルを手にすると、人格が変わるというが… 

・・・・・・
6370,閑話小題 〜カラスの話題は尽きない
2018年08月22日(水)
   * 今度、生まれたい動物は?
 先日の早朝、大手大橋で、ヒキチャリをして歩いていると、30僂曚斌椶隆屬法
白いものが落ちてきた。カラスのフンである。電灯の上を見ると、カラスが一羽。
‘さて、これは狙ったものか、偶然か?’ 20年前の駅前でやはり、カラスの
フンがもろに… その時、思ったのは「ウンがついたので宝籤でも買うか?」
 その直前にも自転車を乗っている時に鼻先に落された。
数ヶ月後の新聞で、カラスのフン攻撃?が意図的か否かのテーマの記事があった。
そこで、学者のコメントが、「カラスは頻繁に糞をするので、機会が増える為で、
意図的でない」と。私は「カラスの遊び心」と… 鳥は滑空する生きもの。
地上では見えないモノが見えているのだろう。他の生物に生まれるなら、鳥類。
墜落死も出来る。HP内の検索をすると、何とまあ、多くのテーマがあった。

――
2017/08/22
閑話小題 〜カラスの話
   * カラスの話
 これまで、何度かカラスについて話題にしてきた。早朝のポタリングで、
2つの大橋の手摺や、道すがら、電柱のカラスと毎日、御対面をしている。
一ヶ月前、自宅の2F玄関前にいたカラスを強く追い払ったところ、その場所と、
1Fの門の横にある電柱から、毎日のように大量のフン攻撃が続いている。
意図的か偶然か、判明できないが、掃除をしても、直ぐに汚してくる。
 10数年前になるが、近所を自転車で走っていた時、前方から低空で前車輪
にフンをかけていった。 その直後、新聞とラジオで、「カラスのフンかけは、
意図的かどうかを専門家が答える内容を報じていた。専門家は、「あくまで偶然。
とにかく、小出しで、回数が多いための偶然」と否定的。 散歩とポタリング
を含めて40年近く出歩いているため、一番、接触が多いのがカラス。
得体のしれないカラス社会のごく一部は垣間見れるが、鳥類は「空飛ぶ恐竜」
そのままの原型が一番多く残っている。
 〜以下がネット内検索の内容。日頃、余程、閑(時間持ち)のようだ!〜
――――
2014/07/24
閑話小題 ー最近、またカラスが・・
   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が
鳴響いている。 一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が
続いている。ポタリングを毎日2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。
その中でカラスが目立って多い。その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が
次々とやってくる。  ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に
糞を落としていった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に
考えていた。 ところが一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、
専門家に質問する形式で、「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。
よくあるので、取り上げたのだろう。 答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら
利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的。専門家とはいえ、
私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた訳でない。
で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で
威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって
見ていたが、明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦。
よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、
決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。
 鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。
上下に体勢を入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、
どうも、我家のインコが 野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット?
と思ったが、他の野鳥も来なくなる上、無粋。 
そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々減っているのが
気がかり。 至近距離の田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな緑地の
我家の庭のテリトリー争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が
多くなると、今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、
軽井沢、那須などに行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。
――――
2013/03/27
閑話小題 −つれづれに
 * 一昨日、カラスの交尾をみた。
ポタリングの何時ものコースの通りの脇の花壇にいたカラスに、小さなカラスが
舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根をそば立てて小さくうずくまった。そこに
オスが・・ メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは… 
――――
2011/11/11
閑話小題 〜〜
   * カラスの怒り
 一月ほど前の話になるが、信濃川の大橋を自転車で走っていると、橋の下から
飛んできて欄干にとまろうとしたカラスと50センチ位の間近かの鉢合わせをした。
カラスは不意をつかれヒックリ返って橋の下の方に落ちていったが、体制を立て直した
のだろう、30Mも行かないうちに自転車の数m先の欄干に止まって羽をいからせ威嚇
してきた。それを4度も繰返したことから、怒り心頭で怒っているのが分った。
カラスにも人間のような意地があるようだ。散歩などで時おり威嚇してくる。
黒色系の服装が刺激するのだろう。鳥は、人間が思っているより遥かに頭がよい。
それもカラスは、地元密着で多くの知識の蓄積がなされている。人間社会との微妙
な距離を守り、共存している。土鳩・カラス・雀は世界の街の何処にでもいる鳥
――――
2007/11/04
2406, カラスの話 −2
 「カラスの話」でもテーマにしようかと思いたった。
ところが、そういえば一年ほど前に書いたような気がしたので調べたら
(Hp内の検索)やはりあった! 一年近くに書いてあった。

先月の10月23日のこと、中越地震三周年の花火が通勤の帰路に
(亡くなった人の数?)打ち上げられて、その音と地響きが聞こえてきた。 
その時、彼方此方からカラスの鳴き声が聞こえてきたが、
「恐怖の叫びと、互いに安全の確認」と推測できた。

「カラス語」で検索してみたところ、仏の鳥類学者デュポンのカラスの研究
があった。彼の長年の研究の結果、カラス語が幾つか解るようになった。
・カラス語は25の語数からなっていて、ほぼ全ての意思を伝えることでき、
・「クラ、クララ、クラオ、クラオ、クロア、クロネ・・・」とある。
 フランス人は日本のように「カ〜カ〜」の音ではなく、「ク〜ク」の
「ク」の音階で聞こえるという。それぞれ ーここ、そこ、前、うしろ、
人間、寒い、暖かい、というようなことを話しているという。

この数日のウォーキングの道すがらカラスの鳴き声に耳を澄ませているが、
成る程、意思交換をしている。 カ〜カ〜カ〜という長い声と、カッカッカッ
という短い声、音程の上下、回数、などが微妙に違っている。それと、朝晩
の集会での意思交換をしている。

話は少し変わるが、先日のこと、カラスが宅上犬をからかっている場面に
出くわした。宅上犬の歩いている先の橋の欄干にとまって挑発をしていた。
その可愛いい犬が吠えても逃げようとしないでカ〜カ〜と鳴きかえしていた。
飼い主は面白がって、その犬とカラスの攻防をなすがままに任せていた。
それをまた、私も見ていたのだから・・・
カラスが子犬を馬鹿にし、からかっているのが何とも人間的であった。
 数分のやり取りの後に、電線に飛んでいった。
最近のカラスは、一番身近な野生?の動物である。

――――
2007/06/18
2267, 「遊び」
                (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から
「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。
その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
年、月、週の計画に組み込んでいた。
人生で最後残るのは、特に「遊び」の中の充実感である。               
「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。
人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。
そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。
何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化
が楽しみへ持ち上げるポイントであった。
ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。
到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、
遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として
一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然
とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象を与える。
 学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。
遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。
一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。同じ人生、楽しまなくては!
何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。
 … (略)
 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、動物学者の研究観察
から認められている。その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて始めた
 “遊び”といわれる。
 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽(もうきん)類に
襲われた場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、
それを遊びにすることが、高度な知的行為である。
 ーー 
イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に遊びが入っている
ところが、注目に値する。   d=(^_^)=b
 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
――――
2006/10/24
2030, カラスの話
           (*^○^*) ハ〜 ヨウ
20年間にわたり散歩の途上、色いろの鳥を観察してきたが、特にカラスが面白い。
低空で飛んできて糞を落とされることがあったが、あれは狙ったのではないか?と、
今でも思っている。時々からからかったりしていたからだ。

散歩の時は黒ずくめのためカラスは敵と見るらしく、近くを通るとき威嚇される。
雀や、セキレイや、百舌鳥などを襲っているのを何回か見かけたことがある。
日本のカラスは生きた成鳥は襲わないと言われているが、時には襲うようだ。

ある日、思いもつかない不思議な場面に出会うことがあった。
小雨の中、近くの高校のグランドの地べたに数百羽のカラスが舞い降りて、
ただならぬ雰囲気で情報交換しているような場景があった。
また電線に千羽以上もとまっていることもあった。
あれは何かの集会ではないだろうか?

カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、
動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。

・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような行動で
 仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて
 始めた“遊び”といわれる。
 そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びに
することが、高度な知的行為である。

遊びのほかにも、驚くべき観察がされている。
取ってきた木の実を土に埋めて隠しても、その場所を正確に記憶している。
驚くべきことは「百箇所以上に埋めた場所と、それぞれの賞味期限も知って
いて丁度良い時期に掘り出して食べていた」という観察もある。
その瞬時に記憶する能力は人間以上とさえいわれている。

イギリスの動物学者のエメリーの研究によると、
一度隠した木の実を、別の場所に移し替えたので観察をしていたところ、
過去に自分が隠した木の実を盗られたカラスに見られたときだった、
というから人間並みの知能といえよう。ハイエナが自分の巣穴を覚られ
そうになった時に、子を違う巣穴に移すのに似ている。

他にも、銭箱から小銭を盗ってきて、鳩の餌を売っている自動販売機に
その盗んだコインをくちばしで投入、餌を得たり、
また胡桃を空高くから落として割る行為もよく知られている。
街中で生きる内に知恵がついたのだろうが・・・

「羽の生えた類人猿」とは、言いえて妙である。逆のカラスの立場から見れば、
人間は「羽の無いカラス」といえる。弱っている動物をみると、それだけで攻撃
する習性など、そっくりである。
  
 自然世界には、面白く不思議なことが満ちている。
ただ、見てないだけである。いや、見ても観えてないのだろう!
                    
                    \(^▽^*)バイ!

 


6732,閑話小題 〜「分人」という言葉

2019年08月21日(水)

    * 自分の生成
 平野啓一郎の『私とは何か―「個人」から「分人」へ』に分人主義。
  〜ネット検索によると〜
《 ◉ 人間が、相手によって、あるいは置かれた状況によって、言動が変わる
 のは普通のことではない。例えば、会社員が上司にはペコペコするが部下には
威張るといったように。「分人」と言われると、多重人格者や、統合失調症の人
を連想してしまう。 いろいろな自由に対応できる人生に、「分人主義」という
考え方を提唱。個々の関係性のなかの、それぞれの自分を、個人に対して分人と
呼んでいる。
「分人主義」。なにか仏教的な印象を受けます。その場その場で対応する自分
がいて、その場その場で使い分けをしている総体的な自分がいる。多様な切り札
をもっている、あるいは、いろいろな引出しを持っている自分である。
分ける。時間を分ける。それを無限に分ける。1/nでn>∞にする。
そうすると無になる。すべては空。時間を無限に切り分けた多次元世界に、
見えない世界、見えない自分がいるかもしれません。見えない自分を生かす自由
(というのがあるとしたならば、それ)を行使できれば、息苦しさをかなり軽く
できそうな気がします。仏教でいうところの「無我」に通底するような気がした。》

▼ 役者、政治家、役人などは、それぞれの役割を演じ、成りきる人をいう。
 人、生物、モノも役割があるため、彼らだけでなく、一般にいえること。
毎日、ブログを書いていて、過去の同月同日の文章を読み返す度に、誰だ、
この人?と思うことが多い。自分は毎日、生まれ変わっている実感がするから
続く。時代が目まぐるしく変化している中で、私たちも日々刻々変わっている。
としても、そこに見える「分人」たちの幼稚で、卑小な見識に、驚かされる。
成るほど、「内省」とは、このことかと。これをしている御蔭で、他者の、
軽さ、重さを計ることも出来るが… 先日のテーマ、『サードプレス』も、
様々な分人から、一歩離れて、真実の自己に出あう場所ということか。

・・・・・・
6369,閑話小題 〜オウム死刑執行、打上げ花火
2018年08月21日(火)
   * 意味ある偶然の一致ですか…
 意味の「意」とは、 「心に思うこと。気持ち。考え。」
「味」とは、「そのもののもっている趣。含蓄。」 とすると、
「意味の意味」は、「思い、考えの含蓄の内容」となる。現在、毎週のように
上陸している一連の台風を、『オウム死刑執行、打上げ花火(台風)』と仮説を
たてると、一応の理屈になる。
 まず、教祖を含む真理教元幹部の死刑囚7人が7月6日に、残る6人が7月
26日に執行された。 <平成30年7月豪雨>が6月28日から7月8日にかけてで、
意味ある偶然一致とも捉えられる災害であった。 問題は、その後、関東から
上陸して南下する台風や、房総半島から宮城沖を辿る奇妙なコースの台風が
たて続けに発生している。台風の時節も重なるが、49回忌からすると、
9月上旬まで続くことに。この一連をオウムの死刑執行に関連付け、自然災害
を借りた彼らの意思表示の筋たてになる。オウムにやさし過ぎますか。

   * 2歳児の子供って??
 おお事になって動揺した母親と、不明男児がニコッともしない顔と、2歳児が、
海がつまらなくと、独りで家に帰った行為が、何とも子供らしくない。それと、
3日間、発見されなかった事も… しかし二歳児である。  
 78歳の御老人、最期の生甲斐を求めたボランティアの災害地巡りが良い。
しかし背景には、表に出ない地道な活動がある。ボランティアは秘すれば花。
とはいえ、独行で一人の子供の命を救えたことは、素晴らしいが…。

――――
2018/07/30
閑話小題 〜変といえば変だが?
   * オウム教の大量死刑で
 麻原はじめ、7人のオウム教徒が処刑された時には、中国地区で大雨が。
そして今回の6人の死刑で、この不自然な台風発生と、東京拘置所のある関東を
カスって名古屋拘置所のある近畿地区に逆走し中国地区を抜けていった。
東から西への逆風は気象庁初待って以来、初めて。前の大雨の土砂崩れの地区を
狙いすましたようなコースを吹いている。 これは「意味ある偶然の一致?」。
 この2つの災害と、オウムの死刑執行を結びつけるべきでないだろうが… 
それにしても、出来過ぎ? こじ付けといえば、それまで。
 
≪ オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の
 松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、
合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭った。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた
松本元死刑囚など13人の死刑が確定した。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化したが、ことし1月に
地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで
終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなった。
 その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ
移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に
刑が執行された。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていたが、
法務省によると、26日午前、刑を執行したという。教団に対する強制捜査
から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行された。≫
ー―
寅:八つぁんに聞くけどさ、こんなことを、言うと「変じゃないか?」と
 言われるけど、偶然の一致にしても出来過ぎじゃない。「意味ある偶然に一致」
 の手の話なら、得意分野でしょう。 実際のところ、如何?
八:東京拘置所のある関東まで一度行って、そこから逆コースを辿るんじゃ、
 何かのサインと仮説をたてやすいね。でも、集団によるヒステリックで、自然
 現象を発生させることは非科学的だね。それより、そのタイミングに自然に
 合致した刑の執行とすると、何にも不思議ではない。「意味ある偶然の一致」
 とは、本来、そういうもの。
寅:それにしても、宗教団体がさ、サリンテロはないよ!誇大妄想もいいところ。
熊:寅が言われるまで、全く関連して考えてなかったね。言われれば、やはり
 何かを感じるけどね。ネット上だから、あまり深い問答をしない方がいいよ。
寅:カルトだし、公安もピリピリしているからね。20年以上経過した現在、
 早々に、消し去る必要は、あったね。
八:最近、何か変な力が自分の内部で動き出したので、今回の件に気づいたの。
 半年に一度は、クラス会とか、ジムで、露骨な嫌がらせに合うの。そこで、
 二日かけて、100回、全身全霊で首を削ぎ落すイメージを持つの。そうすると、
 怒りの繰返しから解放されるの。でも、1〜2年後に、対象者か、身辺に異変が
 起こるの。元もと異変を抱えているから、わざわざ、私に仕掛けてきただけだが。
熊:ほぼ、8〜9割方は、そうだよな。でも、コジツケもあるね。これを自分も
 真似をして遣りだしたが、良いね、これ! スッキリするしね。
寅:どうも、最近、俺が変なのは、熊のせいかい? 嫌味を言うと、数日、
 変な目つきをしてさ、その後、スッキリした顔をしていたな。
熊:御前の場合、その都度、念を入れて200回はしているよ…。 冗談、冗談!
八:問題はさ、無心で怒りをこめて、打ち落とすことさ。それで、解決すればね。
 ここで言いたいのは、オウムの死刑囚が13人も、全身全霊で日本という国家に、
 怒り心頭で呪ったら、この程度のことは可能ではないか?ということ。
 私の場合、信濃川の大橋の上で、地球の芯に向かってエネルギーの補充をして
 いるイメージを持って… これ凄いエネルギー。でも現象化が二年後だからね。
大家:御前の良くないのは、この一連を楽しんでいることさ。でも、合理的だね。
 八つぁんの心象風景も貧しいね。もっと、豊かなイメージを持てないのかね。
八:リタイアまでの20数年は、秘・異郷ツアーで、バッサと、削ぎ落とせたが、
 今ではね… それでも、TVでYouTubeなどの行き先の映像を見て楽しめるしね。
寅:寝室に連日、籠って、TVを嬉しそうな声を出してさ… 楽しそうじゃないか。 
 でも、俺なら変になるな… 
八:『3:10:60:27の法則』のさ、「3」だけを取り出して、紡いだスケジュール
 がね、非常に効果的に動いているからね。あと僅か?の残された人生なら、
 「3」を最優先して毎日を過ごさないとね。

・・・・・・
5272,「エリック・ホッファー自伝」〜А 愆望より勇気を』
2015年08月21日(金)
            「エリック・ホッファー自伝」中本義彦訳
   * ホッファーが生きた時代背景と、弱者
 ホッファーは、自分の生きた時代背景と、そこに適応出来ない人々の
精神状態が、いかなるものか?を、自身をそこに置くことで詳細に観察した。
当時は、現在の断絶の時代に酷似しているようだ。情報機器を使いこなせない
中高年たちは、情報段差に呆然とするしかない。それでも、タブレット、
スマホの普及がフォローをしてはいるが。物理的な金銭に加え、現在は
情報格差の問題が加わっている。  
≪ ホッファーが分析の対象としたのは、何よりも同時代の「気質」であり、
 そこに生きる人々の「精神状態」であった。近代人は、長きにわたって拘束
された神から逃れ、ようやく自由を手に入れたものの、今度は、
「かれ自身の魂の救済を、しかも四六時中、行なわねばならなくなった」。
自らに対して、そして社会に対して、自らの価値を日々証明し、自らの存在を
理由づけなければならなくなった。 これは容易ではないし、絶え間なく変化
する社会に生きる一個の人間にとっては途轍もない重荷である。
われわれは、往々にして、自分自身に満足できず、「自己自身と異なったもの」
になりたいと熱望する。そして、「真に欲していて、それを持つことができない
ものの代用品」を追求して多忙をきわめる。好ましからざる自己から自分を
引ぎ離し、文字通り「心を亡くそう」と試みる。かくて、「人生のあらゆる
部門に熱狂の噴出がある」のであり、「社会組織そのものが、一般に、心の病
に冒されやすい、すぐ燃えやすい体質になってしまった」とホッファーは洞察。
本書に鮮やかに描かれているように、この簡潔で力強い分析の源泉は、
彼自身の浮浪者としての原初的な生活の中にあった。
「金がつきたらまた仕事に戻らなければならない」生活に自殺未遂をするほど
うんざりしながらも、それを克服して「旅としての人生」を生き抜いていく
ホッファー、その彼は、季節労働者キャンプでのささいな出来事から、
自分も他ならぬその一員の「社会に適応しえぬ者たち」に興味を抱き始める。
そして、彼ら固有の自己嫌悪が放出する「生存競争よりもはるかに強い
エネルギー」こそが、人間の運命を形作るうえで支配的な役割を果たしている
のであり、「弱者が生き残るだけでなく、時として強者に勝利する」ことが、
人間の独自性であるという洞察に到達するのである。
 ここで本書の歴史的な背景に少し目を転じてみると、ホッファーは
路上にあった1930年のカリフォルニアには、浮浪者がかなりたくさんいた。
F・L・アレンの『ジンス・イエズタディ』(1939年)が記している、その原因
のひとつは、テキサス州からカナダ国境から大平原地帯で起きた異常気象。
1933年から二年余りにもわたって無数の嵐が起こり、過度の放牧で荒廃した
広大な地域で大量の砂が吹き上げられた。大恐慌ですでに苦境にあった。
この「黒い大吹雪」と大洪水によって、決定的な打撃を受ける。
 農業の崩壊は、町を衰退させ、住民は、「約束の地」西部へと逃れる。
そして、ホッファーと同年生まれのスタインベックが『怒りのぶどう』
(1939年)で鮮烈に描いたあの苦難を経験したのである。
「普通の安定した地位に留まることができず、社会の下水路へ押し流された人々」、
「居心地のよい家を捨てて荒野に向かった者たち」こうした人々の内面に欝屈する
「こんなはずではない」という不満と「別の人間になりたい」という変身願望を、
ホッファーは折に触れて感じていたのかもしれない。そして、自分の内面を
厳しく見つめ、自分が存在する歴史的世界を認識することによってこそ、
あの近代人の「情熱的な精神状態」を見抜くことができたのであろう。
 人間の抱く"情熱"の現実を見ようとしたホッファーは、常にその両面性を
指摘した思索者でもあった。われわれは、まずもって、情熱的な精神を
「創造の新秩序の発生」として見なければならない。情熱のない人間など、
その独自性を放棄した存在に等しい。しかし、同時に、それが「退行化」
そして死をも辞さない狂信になることに絶えず警戒を怠ってはならない。
 この世の悪を絶滅しようとする宗教的、民族的・イデオロギー的な熱狂の
罠に陥ってはならない。そもそも「山を動かす技術があるところでは、
山を動かす信仰は要らない」のである。
 情熱を飼いならし、加工し、創造的なカへと変容させること ーそれは、
きわめて困難な作業である。「抵抗しがたい渇望」は突然襲ってくるもの。
 しかし、われわれは、「希望」より「勇気」をもって、それをやり抜かねば
ならないのだとホッファーは訴える。自己欺隔なくして希望はないが、勇気は
理性的で、あるがままにものを見る。希望は損なわれやすいが、勇気の寿命は
長い。希望に胸を膨らませて困難なことにとりかかるのはたやすいが、それを
やり遂げるには勇気がいる。闘いに勝ち、大陸を耕し、国を建設するには、
勇気が必要だ。絶望的な状況を勇気によって克服するとき、人間は最高の
存在になるのである。≫
▼ 考えさせられる内容である。時代に合わせ、自分を変えてるリスクと勇気
 こそが激動の世に求められる。それは常に不安定が伴うが、それを観察し、
楽しめる精神の強さが求められる。現在は、「情報革命による断絶の時代」。
『勇気』こそが、時代を切開くキーワード。人生を創造していく勇気!である。
・・・・・・
4907,ホントに大事なお金の話 −5
2014年08月21日(木)
  * 真のお金持ちは紙袋を持つ
 元ネタは、プレジデントオンラインー2010年8月頃の記事
              『なぜお金持ちは紙袋を持つのか?』
  ー面白いと思った部分の要約をするとー
◎ お金持ちはなぜ紙袋を好むのか? 彼らは紙袋で移動してもOKだからだ。
 運転手付きの車、タクシー移動とドアtoドアで雨にも濡れない。
 だから紙袋でも平気。必要なくなれば折りたたむことも、処分することも
 できる紙袋が、一番使い勝手がいい。
◎「海外ではいい時計や靴がセレブの証だ」というが、本当のお金持ちに
 とって、それも無意味。なぜなら予約の際すでに彼らの身分は割れている。
 お金持ちは決して粗雑に扱われないルートで予約するし、定宿は決まっている。
 一流ホテルとなれば、常連の顧客の顔を覚えていないわけがない。安い時計に
 スーパーで買ったシャツでも、彼が歓待されるのはそういうわけがある。
◎ ブランドショップにもいない。ものを買うなら知り合いから少しでも
 安いものを買うのが基本。
◎ さらにお金持ちは「ブラックカード」や「プラチナカード」も持たない。
「ゴールド」ですら必要ない。「年会費がバカ高くてもったいない、普通の
 カードで十分」。必要な局面ではコネがあるので優遇されるし、不必要な
 場所で自分がお金持ちであることを、ことさら触れまわるのはリスクが大きい。
◎ また彼らは絶対に見栄を張らない。元もと、「お金持ち」であることを人に
 知らせる必要がない。ランチは1円まで割り勘。でも慈善事業に多額の寄付を
 している。使い切れないお金を持てる人は、それに振りまわされない独自の
 価値観をしっかり持っている。見栄を張ると無駄な出費も多くなります。
 本当のお金持ちは絶対に見栄を張らない
▼ ここで著者がいう本当の金持ちは、上の上の人たち。百億以上の資産を
持つ人たち。上の中といえば、純資産が10億以上。上の下が1〜2億。 
上の下から上の中ギリギリが、その嫌らしさが現れ出てくる。知識同様、
その辺りの「似非」が金持ちを演じたがる!金持ちのラインは10億の現金か、
純資産である。 47年前の学生時代に、一ヶ月間の大名旅行をした時、
ここでいう大金持ち?の子弟が多くいた。 身なりからして違う人種。しかし
お金には、非常に敏感で細かい。何気ないオシャレでブランド品をさり気なく
着こなしていた。見栄を張るのは一部の人たちのみで、開放的でフレンドリー。
漂う空気からして、それまでの友人とは違っていた。周囲の思惑など気にしない
で、紙袋などを平気で、何処にでも持って行く。その紙袋が実にセンスが良いが。
こういう存在を身近で見る初めての機会だった。 当時、その段差を、さほど
意識はしなかったが、現在、考えると、上記の通り。
時おり海外ツアーで、それらしき人を見かけるが、まずユニクロを着ている
ことを隠さない。アンダーとして割切っている。元もと隠す必要がない。
ブランド品を着ること自体、自分のセンスに自信がないため、ブランドで、
それを覆い隠すしかない。 TVドラマで、セレブ世界のドロドロした社会が
出てくるが、その世界を知らない人が演出したものとしか思えない。実際は、
あんなものではない。それぞれ独自の価値観を持って振り回されない人が殆ど。
この一連の経験から見えたのは、それぞれ独自の価値観の質の格差。 
その視点の質は、隠せないようだ。 
・・・・・・
6002,「死ぬまでは苦しまなくちゃ」の覚悟
2017年08月21日(月)
         ー 「世間の捨て方」ひろさちや著 ―
   *  死ぬまでは苦しまなくちゃ
 「身内の最期の悶絶を見て、早々の安楽死を望むが、それは現象の問題と
いうことを忘れているのかも」という問いが、内から浮かび上がってきた。
悶絶の末、「もう、いいや」という諦念へのプロセスも最期の最期には…
考えさせられる。還暦、古希を過ぎた人には、その覚悟は出来ている?

≪ 森鴎外の次女の小堀杏奴が、こんなことを書いてました。
 鴎外の長女莉莉と次男不律が同時に百日咳にかかったときのことです。
生後半年の次男が死んで、長女も危篤になり高熱が出て、あまりに可哀そうで
見ていられないと言って、医者は「モルヒネを打ちましょうか」と提案をし、
安楽死をさせようとした。すると、医者であった鴎外は「自分もそう思う」と
同意し、奥さんも賛成、まさに注射を打とうとする時、奥さんの御父さんが
やってきて、その場面をみて、こう怒鳴ったという。
「馬鹿もの!何をやってんだ。人間はそんなに苦しかって、死ぬまで苦しまな
ければいけないのだ」 その一言で長女の命が助かりました。
鴎外はお義父さんに完璧なまでにやられました。でも、「俺も医者として
言いたい」と思ったのでしょう。その数年後に、安楽死の問題を取扱った
『高瀬舟』を書いてます。…≫

▼ ハッとする問題の提示である。私は常日頃から、<駄目だとしたら、
 早々に「モルヒネ」を打って安楽死をして欲しい>と家内に言っている。
子供のケースとは、前提が全く違う。しかし、「余命3ヶ月・半年」と宣言
され、死ぬまでの間、これまで生きてきたエネルギーを使って悶絶する?
のだろうが、鴎外の義父の言った「人間はどんなに苦したって、死ぬまでは
苦しまなければいけないのだ」の言葉が杖になる? 人生経験を味わい尽く
した老人なればこその言葉である。「どんなに苦しくとも生きろ」という人の
基本である。宗教心を持つ人間にとって当り前のことだが。神様に頂いた
命。苦しいときは苦しいまま生きるものだという真理を忘れて、どうしたら
楽になれるかを追求しがちなのが人間。しかし、「せっかく頂いた命を
面白おかしく生きる」のことも大事である。死んだ瞬間、元もと無かった
のと同じことになるのだから。


6731,読書日記 〜『サードプレス』 ー3  あぶねえ

2019年08月20日(火)

           <『サードプレイス』―― 大都会の魔界>
   * 東京ディープといえば、歌舞伎町でしょう
 日本の猥雑な『サードプレス』といえば、歌舞伎町でしょう。
学生時代に数度、路面電車で30分のところに住んでいたこともあり、年二回ほど、
踏み込んだことがあったが、当時の純朴な学生には、デープなサードプレイス。
そのドキュメントがNHKで放送していた。それは、母娘二代の目を通したディープ
な切口の歌舞伎町の物語が展開されていた。 吹き溜まりの街、歌舞伎町。
ファーストでなく、セカンドでなく、サードプレイスの街。恵まれない故に、
傷つき汚れた人たちの、行場のない人たちの集いの場所が故の味わいがある。
   〜ネットより〜

< 歌舞伎町で生きる人はどんな人たちなのか?
 ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町
7月28日(日)[BS1] 第一部 後9:00〜9:50 / 第二部 後10:00〜10:49
 アジア最大級の歓楽街、新宿・歌舞伎町。東京オリンピック・パラリンピック
を前に再開発が進むこの街に、NHKのディレクターが潜入しました。
「ラストトーキョー “はぐれ者”たちの新宿・歌舞伎町」は、歌舞伎町のほど
近くで45年、新宿で一番古い麻雀店を営むディレクターの母親の姿を中心に、
この街で出会った人々の人生や、変化の波にさらされる様子を約2年にわたって
記録したセルフドキュメンタリー
  “いま”を生きている人々
──実際に歌舞伎町に足を踏み入れ、感じたことは?
母が歌舞伎町を語るとき、「毒の持つ美しさ」という言葉がよく出てきます。
悲喜こもごも合わせ、良いも悪いもごった煮ゆえの美しさ。確かに、狭くて
古くて汚い部分もたくさん見ました。でもなぜか、それがなくなるかもしれない
思うと、何とも言えない気分になりましたね。その言語化できないモヤモヤは
一体なんなのか。比較的貧困層が暮らす地域が、再開発によって高級化し、しば
しばもともといた人々を追いやってしまう現象をジェントリフィケーションと
いうそうです。番組では、その言葉を入り口にしつつ、母との会話や出会った
人々との出会い、変わりゆく街の姿を通じて、そこを探っていきます。

 「歌舞伎町には絶対に入るな」
──この番組を企画した経緯と自身のお母様を取材した理由を教えてください。
私は新宿の近くで生まれ育ちました。母は新宿で45年間麻雀店を営んでいるので、
私にとっての新宿・歌舞伎町は“母が生きてきた場所”です。同時に幼いころから
「歌舞伎町には絶対入るな」と母からキツく言われ、遠ざけられてきたところでも
ありました。ただ、NHKのディレクターとして働きはじめたころから、実は母の
店って題材としておもしろいんじゃないかなと思うところはありました。
母は、新宿・歌舞伎町が再開発で変わりつつあることを嘆き、平成が終わる
2019年4月末で店を閉めると言い出したのです。それで、“これはいまこそ
歌舞伎町に入るべきでは?”と思ったんです。

──どれぐらいの期間、撮影をされたのでしょうか?
2017年冬からスタートし、今年の7月上旬までです。スマートフォンを使って自宅
でも撮影していました。だからテレビに映せないような格好をしていたり…(笑)。
でも、娘の私だから聞けること、撮れたものもあったと思います。 〜つづく ≫

 ―
▼ 昭和40年代は、学生時代の華やかなりし頃、政治家志望が多い割には、
 学生運動には冷静な学生が多かった。25人のシェアハウス的な寮生活は、人間
観察にはもってこいの環境。全国から多種な学生が存在していた。学問に熱中する
もの。女遊ぶに狂うもの。ほぼ生活費を稼ぐに一杯いっぱいのもの。バランスの
とれたもの。など、田舎と親の臭いが、個々に違っていた。誰か、部屋に来ては、
コーヒーを飲み、議論をするのが生業のような。月に一度は酒を持ち込み、コンパ。
3月に一度は、合ハイ。バスを使うことはなく、電車移動が主。 可愛い女子大生と
胸を躍らせ… ただ、深入りには注意。何やら、変な立志を立ててしまったのが、
壁になっていた? 決めていたら、その後の女性の職場の面白さが半減していた?
 当時の日記を読返すと、第一の居場所が、実家と寮、第二が大学生活… 
クラスと、クラブと、ゼミと、軽井沢のアルバイトの…  その世界が、年々、
広がっていく面白さ、楽しさ。それは、サードプレイスの触媒が多かった。
 リタイアをした結果、自由の不自由が、まず壁になる。未来の照度が暗くなった?
ためか、エネルギーが年々、減っていく。

・・・・・・
6368,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー2
2018年08月20日(月)
  * 「が」と「〜すけ」の多用が特徴
「長岡弁」のキーワードでネットサーフィンをして、驚くのが多さ。
次々と限りなく出てくる。街中で育ったこともあって、比較的訛りは少ないが、
それでもあるある。必死に消し去るのに苦労した「長岡弁」を改めて凝視するのも
恥ずかしいような気がする。とはいえ、それらの言葉が、心、魂の故郷のような。
違和感もないが、親しみも何も感じない「長岡弁」。言霊は訛りの中に染みつく。
  〜以下はネット検索による〜
≪ ex: 
「そういうことでしょ?」=「そいがろ?」、
「その物体を取って」=「そのがン取って」、
「赤いのが良い」=「赤いがァが良い」、
「何をしているのだ」=「なぁしてが」、
「どういう事なのだ」=「どいがいや」
・理由を表す「〜だから」が、「〜だすけ」または「〜すけ」と使われるが
 これは関西弁の「〜さかい」、北陸弁の「〜さけ」と同じ物。
前回の他の特徴は 仝貳が濁る、上がる(がぁ〜、やぁ〜)
      語尾を強めに発音
  【初級編】
捨てる→ ぶちゃる
 投げる→ ほんなげる(ほげる)
甘いもの→ あ〜めぇ〜がん
おしゃべり→ しゃべくっちょ
あのひと→ あのしょ
だいすき→ でぇ〜すきら
おかね→ ぜん
だから→ だぁ〜すけん
そうですか?→ そいがぁ〜けぇ〜
 そうなのです→ そいがぁいやぁ〜
 やだけどさ→ やらすけさ
 めちゃめちゃ→ だいこっぱい
 【中級編】
おかねをなげるな →ぜん ほんなげんなんやぁ〜
あの人は甘いものが好きなんですよ →あのしょ あ〜めぇ〜がん 
                  でぇ〜すきらっけん
 【上級編】
あなたは何をしているんですか? →なぁ〜なぁ してるがぃやぁ〜
あの人はおしゃべりで困っています →あのしょ しゃべくっちょらすけんに 
                  やらいやぁ〜        ≫

▼ 都会でも、郷土の人を仲間にしていると、どうしても抜けきらない。
 言葉は生きていく上で重要な役割をしめるため、都会暮らしでは一度、抜く
必要がある。地方訛りとチッと違うが、社会人として、『俺』から、『私』が、
一歩目。出来たら、『わたくし』。女性の『わたくし』は、人生をアップ
スケールをしてくれる。次の言葉が丁寧になるから。  〜つづく

・・・・・・
4164, 老年行動学 ー2
2012年08月20日(月)           
 * 自伝的記憶       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤眞一(著)
 最近、思い出す頻度が高いのは20〜25歳の頃のことが多い。当時の日記が
残っているためと思っていたが、その年頃は強い感情が満ち、自由で未来への
旅たちの時節。少しの決断が、人生を大きく左右に分けてしまい後悔も大きい。
多くの自伝的記憶は、この頃がピークになる。あの極度の緊迫感のあった日々は
過酷だが懐かしさが残る。  ー次の部分は、理解しやすいー
≪ 日常のできごとの記憶である「エピソード記憶」のうち、自分の人生に
 関する「自伝的記憶」だけは、20代をピークに、10歳後半から30代前半まで
の青春時代のできごとを、たくさん思い出すのです。なぜか青春時代よりも
今に近い、30代後半以降のことは、青春時代ほどには思い出しません。
この、青春時代の記憶を突出してたくさん思い出す現象を、
「レミニッセンス・バンプ」と呼びます。レミニッセンス・バンプは、老人に
限ったことではありません。中年以降の人ならば、誰にでも起こります。 
では、いったいなぜ、青春時代の記憶だけが突出しているのでしょうか? 
その理由の一つは、「強い感情を伴うできごとは、記憶しやすく思い出しやすい」
という、記憶の特徴が挙げられます。10代後半から30代前半にかけては、進学
したり就職したり、親元を離れたり、友と出会って友情を育んだり、けんかを
したり、恋愛をしたり結婚をしたりと、強い感情を伴うできごとが多くあります。
そのため、それらのできごとが、ことごとく心にしっかりと刻み込まれるのです。
また、親の監視下から離れ、なおかつ重要な仕事を任されることも、養うべき
家族もないといった、社会的責任のない青春時代は、人生でいちばん自由かつ
可能性に満ちたた時代です。親や地域の抑圧から解放され、社会からの抑圧は
まだない。ほんのひととき。その、今は失ってしまった自由と可能性に満ちた
時代に、人はノスタルジアという感情を喚起され、好んで思い出すのです。≫
▼ 自伝的記憶は、その時どきで再編成される。あらゆる可能性に満ちた青春
時代は、老いるほど懐かしいものとなる。俗世の縛りから解放され、そこはか
となく楽しい気分でいられる時間がある老人は、楽しいことを思い出しやすい。
人間は楽しい気分の時は楽しいことを、悲しい気分の時は悲しいことを思い出す
傾向にあるためである。人生のピークは、青春の真っ只中にあるため、その辺
の記憶が鮮明に戻ってくる。 老年は、自分の人生という物語の記憶を校正
している。過去の日々を思い出し、「日々是好日」というより、過去の
「日々是口実」を都合良くすることになる。自伝的記憶の再構成である。

・・・・・・
6001,「自己実現」と「自我実現」
2017年08月20日(日)
   * 「自己実現」と「自我実現」の違い
 自己実現を果たすべく生きてきたが、「自我実現」でしかなかったのか?
そういえば私も、40代後半から、事業面だけでなく、私的ライフワークに、
シフトを大きく変えていた。
  〜ネットに、理解し易い内容があった〜
≪・『「自己実現」は、スイスの心理学者であるユングが考えたもので、
 彼は人生の前半は「自我実現」を目指し、後半に「自己実現」に取り組むのだ』
 と言いました。
 私がみなさんの相談にのっている感覚だと、30歳台〜40歳台頃に、この
「自我実現」から「自己実現」へのコーナーを曲がる人が多いなと感じます。
 自我実現から、無意識と共に歩む「自己実現」に入ってきている人はたくさん
 いるはずです。
  ☆<その人生の前半に目指す「自我実現」と、
    人生の中盤から目指していく「自己実現」の違いは何でしょうか?>
 =ユングいわく「自我実現」とは、「社会的に評価されるようなこと」
  分かりやすく言うと、
【やると決めて、それができた!→みんながすごいと言ってくれたり、
 自分も達成感がある→自分を褒められる、認められる】
 そんな感じが、自我実現モード。
「意識的・理性的に予想していた(意図していた)成功や実現を得ていく」とか
「(目に見える形で)何かできたら、自分を認められる」というのは、自我実現
 的といえます。
=それに対し「自己」とは、意識だけでなく、無意識も含んだものを意味します。
 ですから、「自己実現」というのは、 潜在意識や無意識という訳のわから
 ない要素が突入してきますので、思い通りにいかないことも増えます。
☆ <え?自己実現って、やりたいことを実現することではないの?>と思うかも
 しれませんが(それが普通の反応かもしれません)
 人生中盤以降で取り組む、ユングのいう「無意識と共に歩む自己実現」とは、
【どうなるかを決めて、その通りに実現させてナンボ】(自我ワールド)から
【どうなるかわからない世界も、自分の中に取り込んで統合していく】
 (自己ワールド)という世界になってくるという意味があります。
・でも・・・いままで、どうするか決めて、結果を出したら自分を認めてきた、
 コントロール好きの「自我」にとって、どうなるか分からず、訳も分からず、
 成果が見えないというのは、コントロール不可能ですから、ストレスフルで、
 怖いものです。そうなると、自我にとって、自己は脅威になり、必ず、自我は
 抵抗します。
「わけのわからない事とか、どうなるかわからない世界を取り込むなんて、
 振り回されるし嫌!」
「そんなの不安で耐えられない」
「成果が見えなかったら、どうやって自分を評価するの?」
「成果がなければ、誰も認めてくれないんじゃないの」
このような思考の自分は、ヤングな自我実現モード。 …  ≫

▼ 何気なく使っている、「自我」「自己」も、無意識が含まれるかどうかで、
 分かれてくるという。「自己ワールド」と、「自我ワールド」の境目を明確
にしておかないと、自己分裂に陥ることになる。そう、「他者の自我」に、
「自分の自己」が、押しつぶされる「群れの自己」いや「群れの中の自我」に
陥ることになる。それが「世間」という群れの正体、「劣化した自我ワールド」
の立派な一員の姿である。
オバマ前米国大統領と、トランプを、例えてみると、「劣化した自我ワールド」
は、明らかに? 腐った裸の王様のシャッポを被ったアメリカの混乱、天罰と
言えば、それまでだが… 面白いことも確かである。

・・・・・・
5636,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー最悪の想定
2016年08月20日(土)
   * 最悪の想定
 新しい分野へ一歩踏みこむ場合、そこに不安と、苛立ちが立ちふさがる。
不安状態から、行動にうつるためにはどのようなステップを踏めばよいか。
カーネギーの『道は開ける』では、非常に簡潔な下記の3つのステップを
紹介している。
一、「起こりうる最悪の事態とは何か」と自問すること。
二、やむをえない場合には、最悪の事態を受け入れる覚悟をすること。
三、それから落ち着いて最悪状態を好転させるよう努力すること。
『道は開ける』 〜悩みを解決するための魔術的公式 P.53〜

この道理を、学生時代に読んでいたお陰で、どれくらい難関で、助け
られたことか。特に、最悪を想定し、そこから、計画を設定していく。
創業では、事業失敗からくる自己崩壊の回避である。
 賭け事で、一番確率が良いのが『創業』という。それでも5〜6%の確率。
失敗の94〜95%の想定をして事前に手を打っておかなければ、踏み出せない。
事業整理を、まだ止めときでない時節に、決断を出来たのは、創業計画段階で、
最悪の想定をしていたため。そこが出発点のベースになる。その辺りを「畜群」
には知りようがない。長年かけた人生設計、事業設計など分かりはしない。
 事業の失敗を想定して
・息子も含めて、親戚縁者は会社に入れない
・15%は家内名義の給与を与え、別通帳にしておく
 当然、連帯保証に妻子はしない
・当月の20日締め、月末払い(実質的現金払い)を守る
・手形決済は、問題外
・合法的裏金を長年かけて準備する。例として(会社が私に掛けた生命保険の
 掛金7〜8割が、契約解除と同時に戻ってくる契約で、その期ごとの経費で
 落ちて、その存在は、帳簿上から消える。しかし現在は禁止されている。)
(妻子への無税相続の贈与)などなど。これも長年かけなければ効果は少ない。
 だからこそ、畜群の視線の幼稚さが浮上がって見えてくる。まさかの最悪が
 起るのは事業であり、人生である。 当然、畜群に、その後、次々と酷い最悪
 が襲っているが、本人は、そのことに気づかないから始末が悪い。
『それにしても、まさか自分がネ!』は、同世代なら、全て人の問題である。


6730,閑話小題 〜カラス除けグッズ

2019年08月19日(月)



   * カラス撃退に…
 庭が広いためか我家の庭はカラスと猫の遊び場になっている。そこで、
去年のハロウィンの時節に、百円ショップで、カボチャの顔をしたボンボリを
購入し、ベランダに掲げたが、数ヶ月は効果があったような。その後、積雪のため、
しまい込んだところ、即座にカラスが戻ってきた。それで再び、ボンボリを掲げた
ところ、掲げたベランダには近寄らなくなったが、反対側の庭側に、何羽か屯を
している。そこでネットで百均の店を検索すると、カラスの首吊りの切抜きと、
蛇の人形があった。そこで考えたのが、「空のペットボトルに古い黒の靴下を
被せ、カラスの首吊り風にしてベランダに吊るしたら?」の案が…。今のところ
効果があるが… さて、数日後には如何なる結果に?
 ―
   * お盆が終わると、今年も
 去年も、「今年の後半は、何やら起きそうな?」と、この時節に書いている。
今年も何やら変な空気が漂ってきたが、9月半ばが鬼門か。軍事産業からしたら、
トランプが、まだ元気な内が狙い目だが、数百万レベルの死傷者の戦争の可能性
があるため… 香港のデモに対する中国の武力介入も危ない。ホルムズ海峡も…。
それを契機にした世界的株価の暴落。大災害の可能性も。一番恐ろしいのが、
それらに不感症になってしまった感覚。 情報化で詳細が拡散し過ぎではないか?
 ―
   * 甲子園もベスト8が出揃い、佳境に
 毎年、甲子園野球を見ているが、さほど、熱中はしない。しかし、今年は
面白い試合が多いためか、我を忘れて見ることが多い。結果論だが、勝つべき
チームが残ってきた。彼ら一人一人は、一期一会の人生の大舞台。自ずから、
そこにドラマが生まれてくる。とにかく勝ってナンボの世界。 チームとし、
個人として、勝利のため全神経を傾け、集中する姿は素晴らしい。

・・・・・・
6367,閑話小題 〜何やってんのか!
2018年08月19日(日)
   * 3日間×160人に対し、老人一人×20分
 160人の捜策隊が3日間かけて、発見されなかったのが、他県の78歳の
ボランティアに、20分で発見された…のニュースに何か違和感が残った。
それも発見地点が不明地点から500mというから、捜策隊が何をしていた?
<親に日頃から見知らぬ人と話さないよう注意を受けて隠れていた云々…>
とかが考えられるが、警察犬や、ドローンも使っていただろうに… 
ところが何故か、捜策隊に対する非難が聞こえてこない。ボランティアの
老人に特殊能力があったのか、捜査隊が甘かったのか。
  〜ネット記事によるアラマシとは〜
《 山口県の周防大島で行方不明となったのが、藤本理稀(よしき)君2歳。
 12日の午前10時ごろ、祖父とお兄ちゃん(3歳)と400m離れた海岸で海水浴を
楽しんでいた。すると、理稀君は一人で「帰る」と述べた。100mは大した
距離ではないから、祖父は一緒に寄り添わなくていいと思った。その結果、
行方不明に。3日間×160人の捜索に対し、老人一人が何と20分で発見。
 藤本理稀ちゃんの発見時に一緒にいた老人は、14日から現地に来ていた
78歳の捜索ボランティア。誘拐の線も考えられたが、発見直後に撮影した
エックス線写真に、胃の内容物が写っていなかったため誘拐の線が消えた。》

▼ 至近の誰か?曰く、『大部分の高給?の人たちが、3日もかけて発見され
 ないのは、どういうこと? …それも部外者に20分で発見されるなんて大恥!』
 この問いかけへの私の答え、『飢えた野良猫一匹に対し、訓練された犬の
群れが遥かに劣っていた証明? 餌(捜査対象者)への嗅覚が効かなくなって
しまった上に、見ているのが仲間と、内なる事情(盆休の心配)のみ。娑婆って
のは、えてしてこんなもの!』。マスコミも、現場の大変さ分かっているため、
下手に非難が出来ないのが実情。
 
〜ネットサーフィンの中で、なかなか味な教訓があった。恐らくアメリカ発?
  「子育て四訓」
 乳飲み子は肌を離すな
 幼児は肌を離して 手を離すな
 少年は手を離して 目を離すな
 青年は目を離して 心を離すな

基本中の基本である。中学校の担任の退職時に私に問いかけてきた、その時も、
矍鑠としていた両親への深刻な「怒り」。この逆をやられて、振りかえ見れば、
「自分の人生は無かった!」。
これに成年になったら、目も心も離せ! を加えたくなる。

成るほど… 世界の金持ちに子弟は、以下のような理想的?教育をしている。
<朱に交われば赤くなる> 世間にドップリ浸かった家庭より遥かに良い!
 問題は金のストックと、フローになりますか? 資本主義だよオッカサン!

――――
2018/07/09
閑話小題 〜今年も半期の終了 −7
   * 〜スイス 名門寄宿学校〜 検 悒棔次Ε愁譽ぅ罅
 様々な授業を紹介していたが、「地理」が、非常に面白い。
マダガスカルの貧困問題の扱いの切口が良い。同じような年代の真逆の立場の
少女の悲鳴に似た訴えを紹介し、キーワードを幾つか提示して、考えさせる。
ある生徒の一日の使用水道量が、マダガルカルの少女の運ぶ数十、数百倍の量と
知らしめる。

≪ 地理ではリーダーシップというテーマをもとに、アフリカのマダガスカルの
 水問題についてケーススタディをします。水を得るために一時間かける女性。
安全とはいえない水を19L頭に抱えて女性は水を運びます。それを一日に3〜4回。
マダガスカルは貧困を抱えています。先生は女性が持っていたのと同じ19Lの水を
用意し生徒に運んでもらいます。生徒たちと同じ年代のある女の子(ララ)は
最貧の地域に住んでいます。ララは靴もなくはだしで泥道を水くみに出かけます。
ララは次のような詩を詠みました。
< 私の一日もあなたの一日と同じだったらいいのに
  学校に行って勉強して公園で遊ぶの
  頭に浮かぶのは蛇口をひねるだけで出てくるきれいな水
  歯磨きしてシャワーを浴びるのもいいわ >
地理の先生は生徒たちに問いを投げかけます。生徒の一人が自分たちは水を
無駄遣いしていると言いました。またある生徒はどんな気持ちか想像します。
ある生徒はその水はどんな用途に使うのか質問しました。先生はララのお母さんは
子どもたちの面倒を見なければならないので水を運ぶことができないと言いました。

地理の先生は貧しい地域の人々についていくつかのカードを示しました。
 •公衆衛生
 •子どもの健康のケア
 •教育
 •栄養
 •疫病の予防
 •食の安全確保
 •妊婦の健康ケア
 •住宅環境
 •女性の社会進出

自分がリーダーならどのキーワードから優先して取り組むか生徒たちは考え
三人一組で話し合いカードを優先順に並べます。女生徒のグループは妊婦の健康
ケアが一番大事だと答えました。多くの生徒が女性の社会進出は優先度が低いと
考えました。先生は女性の社会進出が進まず地位が低いままで職にも就けなければ
一番大事だと言った妊婦の健康ケアは改善されるのか?子どもを産む機械として
利用され続けるだけではないかと問題を投げかけます。女生徒はまず力を持つ
男性とともに解決し… …わからないと答えました。地理の先生エリオット・
グリーン氏は裕福な家庭の子供たちが旅の経験や両親の仕事、授業から学んだ
ことを議論してもらい、将来持つであろう財力と影響力で世界が直面する問題に
取り組んでもらいたいと語ります。

生徒たちは年十三カ国を旅して自分の目で世界を知ります。
キリマンジャロへの登頂に挑戦することもできます。   ≫


▼ 半世紀近く、早朝と、午前中に数時間の読書習慣を持って、それまでの基礎
 知識不足をホローしてきた。受験システムに縛られ、自らも格付けをしていた
愚かさに気づくことが、第一歩であった。英会話能力や、対話力、文章化能力は、
付け焼刃では、直に欠けてしまう。このような指導と、長年かけたベースの知識が
必要となる。その理想形の教育システムが、これ。 このスイスの寄宿舎が素晴
らしいのは、スイスが長年、中立国家で、権力者の手前勝手な価値観から、解放
されていることが重要である。「何が英国王室だ、日本の天皇だ。」を、スイス
の山麓で気づくこと、それが、教養ということ。そう、それぞれの内側から
見えている世界としての世間だけでなく、その真逆の視点に気づくこと、多様な
世界を知ることの必要性に気づくこと。特に、ネット社会こそ、理想形の、知識
獲得が必要になる。「クールヘッド、ウオームハート」こそ、情報化社会の絶対
条件といえる。 でないと、世間人の典型の、「ウォームヘッド、クールハート」
で、近所の500mを、徘徊するだけで… あれらは小池のホワイト・ナイトですか。
薄汚れて、愛嬌を振りまいて生きる姿も良し、外の世界で汚れたダーク・ナイトの
生き方もある。どのみち、同じでしかないが… 地球外生命の眼で、宇宙の彼方
からの生命体の視線で見る世界は、何と、綺麗で、明るく、刺激に満ちている。
早朝の自転車散歩で、大手大橋上をイオンよりから、ヒキチャリをしながら、
見える信濃川と、旧市内と、その向こうに見えてくるパノラマは、正しく、宇宙舟
からの視線のようである。スイスと、ロッキーの山並みに近い絶景とさえ思える
光景である。世界の絶景を知ればこそ、これに気づかされたこと。足元の世間の
素晴らしこそ、気づかないと… 52回目のチャレンジで、スイスアルプスの
向う側のイタリア・アルプスに行ってみたくなってきた。 
問題は、腰痛など体力と、固くなった頭と、気合。
 で、これまた偶然、丁度よい脈絡として、以下につづく。

・・・・・・
5959,閑話小題 ―帰りの宇宙船内で 〜5 人生の元をとったかい
2017年07月09日(日)
   * 人生の元をとったかい
 ふと気づくと、学生時代の友人だったAが、隣に座っていた。30年前に
脳梗塞で亡くなった男だが、突然の死で、当分の間、成仏できなかったようだ。
 開口一番『人生の元を取ったかい?』と問うてきた。
 A君が言うには、
『人生の最も美味しい時節の前に、突然終えたのは残念。成仏出来ないまま、
見えていた情報化時代と、ソ連と東欧の共産圏の崩壊の時代に立ちあえた君ら
が、羨ましい限り。あと、老いた父親から強引に実権を取ったことも。』と。
ここでは故人の愚痴の聞き役になっていた。幸せを絵にしたような男だったが…
『堀井な〜。生きている内だよ人生は。それも日常の平凡と、それとは別の
非日常でトリップする経験の組合せを、楽しむことを心掛けることだよ。
それと、孤立でも、孤独でも何でもいい。自分を閉じ籠めて、暗闇の漆黒を
味わうことだよ。そうした分、外の世界の輝きが違って見えてくる。地球は、
広く、深いと、つくづく思うよ。地球は極上の観光名所であり、そこには、
地球自身がつくり上げた大自然と、人間のつくり上げた文明・文化もある。
 それらと可能な限り、触媒し、直感し、味わうことだよ。自分は現実に
溺れ過ぎて、一番大事なこと、平凡の日々と、トリップして現実から離れた
時空を味わうことが、あまりに少なかったよ。』 といって、消えていった。
フッと気付くと、宇宙船が消え、宇宙の漆黒の中、魂だけが独り漂っていた。
30年前に、新潟駅前で事業をしていた時の不動産屋社長で、町内会長だった
酒友で古町を月に一度、10数年、飲み歩いた人と、私の母親の二人への質問
と同じだった。二人とも、「よくぞ聞いてくれた」と?、急に顔色が輝き
だしていた。 老いるに従い、「人生、これ果たして良かったか、悪かった
のか」の自問自答が深くなる。良し悪しとは別に、充実した人生かは、本人
の心の問題になる。2人とも、『とったとった充分とった!』であった。
2人とも、当時70歳後半だった二人の共通点が、何れの時点でも人生を
楽しんでいた。太平洋戦争の最中、何とか家庭を支えて生き抜いてきた。 
その質問を、学生時代の友人が、私に質問をしたのには驚いた。そして、
私の答えも同じ『充分とった!』。

★ 後記= で、偶然だが、以下に続いていく。あの世だけでなく、
 娑婆も漆黒の闇である。 偶然にしても、少し気味が悪い… 

・・・・・・
6000,「心を震わすことが、考える出発点」
2017年08月19日(土)
           ー「ひとり達人のススメ」山折哲雄著―
   * 「まずは、心を震わすこと」
 学生時代の卒論『流通革命論』を書くため、1ヶ月ほど大阪・船場の衣料問屋
に住込んだことがあった。最終の夜、慶応出の社長に、北新地のクラブで、
「若いうちに、感動、感激する能力を養うこと」と教わった。その後の生き方
に大きな教訓になっていた。 前年の21歳時の『30日間の欧州一周旅行』の
感激・感動経験が何ものにも替えがたいことを改めて知った。 次々と息を
つかせない衝撃的感動が、その後の人生を大きく変えることに…。
そのためには、まず己の感覚が研ぎ済まされていること。
そして、自分の意思で、そこまで辿り着かなければならない。
(今ではTV・ネットで、比較的楽に様ざまな場面に立ちあえるが…生体験は違う)
  〜その辺りから〜
≪「ヤイコシラムスイェ」。直訳すると「自分自身に対して自分の心を揺らす」
 ということから「考える」というアイヌ語。「ヤイ」が「自分自身」のこと、
「コ」は「に対し」、「シ」は「自分の」、「ラム」は「心」、「スイェ」が
「を揺らす」になる。 考えるということは、単に頭で考えるのではなく、心を
揺らすほど感動することであり、魂を振動させることだと、アイヌ語は教える。
現代の私たちは、考えることを、論理を立てて、合理的に、言葉で思考を構築
していくことだと思っている。それは大切だが、もっと重要なことがあると、
このアイヌ語が教えている。… … 戦後教育は、知識を教えるだけ、詰め込む
だけだった。その前に「考えること」を教えることが必要で、それは要するに、
感動することを学ばせるということだったはず。≫

▼ 振りかえ見れば、人生の大きな境目が、この旅行。その後、数限りない感激、
 感動体験をしてきたが、この感動体験があればこそ。 20歳・21歳の立志と
感動体験と、幼児期の家族単位の創業体験が、私のアイデンティティ。それらが、
好奇心を補強しているような。 その頃から、絶対的読書量の少なさを実感し、
早朝読書を始めていた。現在、TVのYouTubeで、過去に感動した旅先や、絵画を
観て、感激・感動の追加経験をしている。これが現場の再体験の感覚となり、
綺麗な画面と雰囲気が、視聴するというより、追体験を現実にしているような
感覚になっている。今ではVr(バーチャル・リアリティ)で、より深い追体験が
可能の実体験をしているような。〜で、以下の同月同日の文章に続く…
 好奇心は、何故か、今でも衰えがないが、「馬鹿は死ななきゃ、直らない」
今でも遅くない。図鑑でも、買いますか。「…ったく、頭の悪いのだけは!」
――
5635,「賢い子」に育てる究極のコツ
2016年08月19日(金)
          <「賢い子」に育てる究極のコツ:瀧 靖之 (著)>
   〜まずは、内容紹介より
《 本書は、16万人の脳のMRI画像を解析・研究してきた瀧靖之先生による、
 脳の力を最大限に伸ばす子育ての本です。 世界最先端の脳研究から、
「ぐんぐん伸びる子」と「そうでない子」の差が見えてきました。
「頭のいい子」「能力の高い子」は皆、好奇心のレベルが他の子どもより高い。
  好奇心を伸ばすコツは、たったの3つ。
「秘密道具1ー図鑑」
「秘密道具2ー虫とり網」
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」を子供の成長に合わせて取り入れていく
ことで、その子は学ぶことや知ることがもっと大好きになり、脳はみるみる
賢く育っていきます。さらに脳の発達に合わせた習い事で、芸術的センスや
運動能力・語学力も伸びやすくなります。 》
▼ 結論からいうと、賢い子に育てるには、「好奇心」の強い子に育てること。
 そのために、まず身の周りの自然などが分かりやすく掲載されている図鑑を
与えるのは道理。 また、昆虫採取などの実体験は必要。音楽の演奏もいい。
「人生最初の習い事は?ピアノと英語なら、ピアノが勝ち!」という。
「賢い子」と「成績の良い子」はもちろん違う。本当の意味で「賢い」とは
「自ら進んで学習する能力がある」ということ。子どもの脳は、学校の勉強
だけでなく、人間関係や社会についてもさまざまなことを日々「学習」
しながら成長する。『二人の息子の部屋に、百貨図鑑を置いていた。暇だと
何時も見ていた』と家内は言う。 下の子にはピアノ与えた。 二人とも、
ゲーム好きで、少し嵌りすぎたきらいがあった。
 7〜8歳の頃、近くの大学生だった従兄弟にバイオリンを勧められ、
『教えてやるから、バイオリンを買ってもらいなさい』と・・ 
で、父親に頼むと、即刻、『駄目!』と拒否をされた。あの時に父に、
『何があっても、止めない』ことを条件にバイオリンを始めていたら、
人生が変わっただろうにと、40歳を過ぎた頃から思い返してきた。
両親の素養も必要ということ。尤も、バイオリンは私には向いていないが。
幼児期に、真に受けて始めていたら、人生は変わっていたはず。
 レコードと本の購入は、フリーで、何も言わなかった。

・・・・・・・
5270,閑話小題 〜久々の大物が出現
2015年08月19日(水)
   * 久々の大物スターアスリートが出現
 高校野球に、久々の大物・清宮選手がデビューをした。まだ15歳だが、
風貌は20歳後半。三年前のTVの報道で、彼の大物ぶりを報じていた。
当時のプロの目から見て、「ベーブルース並み」の潜在能力があると
報じていたが、「まさか!」と思っていた。当時の身長は、現在とほぼ同じ。
 この4試合を見る限り、決して、その言葉が大げさに思えないが。
球をとらえる前さばき、全身のシナリ、バットの鋭さ、ふてぶてしさ、
風貌、どれもを見ても、イチロウ、松井秀樹レベルか、それ以上?
 しかし、ネット上の記事の辛口のものもある。
《 準々決勝含む4試合で16打数8安打の打率5割。2試合続けて本塁打を
放つなど、計4試合で8打点。本塁打まで打った1年生のどこが「まだまだ」
で、「パワーヒッター」じゃないのか?。「脚力を含めて絶対的なパワーが
ないしフォロースルーも小さい。打つポイントが体に近く、ボールを最短距離
でとらえているので基本的にはセンターから左方向へライナーを飛ばすタイプ。
スイング自体もコンパクトで、レベルよりダウンスイングに近いため、打球も
上に上がりづらい。ホームランバッターがよく、とんでもなく高いファウル
フライを打ち上げますけど、そういう飛球がいまの清宮にはありません。
松井や清原が1年生で甲子園デビューしたときと比べると体のキレ、躍動感、
スピード、パワーで物足りない印象ですね」(同)
 別の球団のベテランスカウトによれば、「東海大甲府戦(15日)の本塁打
にしても、芯でとらえればあれくらいの飛距離は出て当然。それより何より
対戦する投手のレベルがヒド過ぎる。130キロちょっとで、打ちごろのボール
が甘いコースに来れば打って当たり前。清宮だけがとらえているならともかく、
それ以外の早実の打者までボカスカ打ってるじゃないですか」。》
 少し買被り過ぎに、この位の内容で少し冷静に見た方が、本人にも
良いのだろうが、問題は今日明日の内容になるが、やはり逸物である。
 相撲でも、同年代の少年に清宮並みの大物が、何かの大会で優勝をした。
こっちは買被り? それぞれのスポーツに、こういうのが次々と現れてきた。
親がかりのマシーンをつかった天才教育の結果だろうが、清宮は、まだ12歳で、
既に183僂離▲好蝓璽箸箸靴峠侏莨紊った身長があったところがポイント。
 一風変わった、沖縄のトルネード投法のピッチャー、アフリカのハーフ、
オジサン顔の15歳の超大物など、面白いのが出てきた。時代は、変わった。


6729,読書日記 〜『サードプレス』 ー2

2019年08月18日(日)

       <『サードプレイス』―― コミュニティの核になる>
 サードプレスといえば、スペインのバール文化。都市の繁華街、田舎の
街の中心地には必ずと言ってよいほどある。昼時、夕暮れ時に自然と人が
集う場所。日本の居酒屋と違うところは、家族連れや、若者、女性が、加わる
ところ。それと値段が格安。それぞれの店の多様性と奥行きの深さは、濃厚な
空気を漂わせている。何やら世間話で花を咲かせている。料理は、日本人好み。
それにワインか、ビール。とにかく楽しそうだ。家、職場、そしてバールの世界。
まず思うことは、金が続くこと。それが可能なだけ安いとしても。
 ――
  〜Amazonのトップレビューより〜
≪"サードプレイスというのは、‘家庭と仕事の領域を越えた個々人の、定期的で
自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、様々な公共
の場の総称である’1989年に発刊された本書は、都市生活における孤立への警鐘、
そして人間中心の社交場の復活を提唱していて興味深い。‬
 個人的には、ここ数年はいわゆる【場づくり】のイベントへの登壇やコミュニ
ティスペースの相談を受ける事が多くなってきた中で、本書は【だったら!ちゃん
と読んでおかなければ!】と以前から内心思いつつも【値段とページの分厚さ】
に正直、敬遠気味であった中、今回、ようやく覚悟を決めて(笑)手にとりました。

さて、本書ではジェイコブズが【アメリカ大都市の死と生】(こちらも"まちづくり"
関係者の間ではバイブル的な本ですね)で指摘した都市開発の問題点の後に続くかの
様に、家庭や職場以外の楽しさを大切にした【誰にでも開かれた平等な場所】
としての『第三の場所』の必要性をドイツのビアガーデンやイギリスのパブ、
フランスのカフェ文化の変遷を紹介しながら"ややノスタルジックに"指摘して
いるのですが。随分と昔ですが。ドイツ、イギリス、フランスのそれぞれの
場所を実際に私自身も訪れたことがある為、記憶に懐かしくも、あらためて
新鮮な学びとなりました。  ≫
 ――

▼ 勤務先、仕入れ先、観光地で、まず探すのが現地の居酒屋。‘店頭が
 醸し出す空気は嘘をつかない’は8〜9割は正しい! 人間は集う動物。
他人の下ネタ、失敗話、死に話が主な話題に。 とどのつまり、
<俺たちは大したことないが、あれ程に酷くはない。他人の何は蜜の味。万歳!>
てなところ。臨時裁判所が、即席で出来上がり、検事役、弁護役、判事役が、
その都度、変わっていく。そこは、娑婆の憂さの捨てどころ。そう、第三の
無責任の溝沼の温みがある。 鬼は外、福は内、目出度し目出度し! 
そして、ある日、死神に曳かれていく。『まさか、自分が!』の絶叫を残し。

・・・・・・
6366,映画評 〜若者向きのゾンビ映画ですか
2018年08月18日(土)
   * 映画評: 『カメラ止めるな』
「他におもしろそうなのもないし」と妥協して見た映画。驚いたのが客の多さ。
120人はいただろう。女・子供が主だが、年代はバラバラ。 それが面白い。
B級映画で、B級映画館で上映されていたのが、圧倒的若者の人気に格上げされ
全国版になったユニークな映画。
 
 〜まず、映画解説から〜
< 映画専門学校「ENBUゼミナール」のワークショップ「シネマプロジェクト」
 の第7弾として製作された作品。 前半と後半で大きく赴きが異なる異色の
構成や緻密な脚本、30分以上に及ぶ長回しなど、さまざまな挑戦に満ちた野心作。
「37分ワンシーンワンカットのゾンビサバイバル映画」を撮った人々の姿を描く。
監督はオムニバス映画「4/猫 ねこぶんのよん」などに参加してきた上田慎一郎。
 とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画の撮影をしていたが、
そこへ本物のゾンビが襲来。ディレクターの日暮は大喜びで撮影を続けるが、
撮影隊の面々は次々とゾンビ化していき…。
 2017年11月に「シネマプロジェクト」第7弾作品の「きみはなにも悪くないよ」
とともに劇場で上映されて好評を博し、18年6月に単独で劇場公開。当初は
都内2館の上映だったが口コミで評判が広まり、同年8月からアスミック・エース
が共同配給につき全国で拡大公開。>
―ネット時代の口コミ効果―ということ? 
  〜レビューより〜
<「つまり、監督やスタッフはわざと下手な風に撮っている。
そして、ところどころ謎なシーンが出てくるけれど…それも伏線だということが
想像できてしまう。 このあたりは何も知らずに見に行った方がいいよね。
『あ〜…また変な映画か』と思いきや…という意外性が楽しめるからさ。
そして本作はコメディということは、だいたいこの手のパターンで言えばこう
くるのかなぁ……というのが想像できる
しかも、劇場内ではリピーターの客がシリアスなシーンでもゲラゲラ笑っていて…
ということは、このシーンは何らかのコメディが裏で発生しているということ」

▼ ハリウッド映画が主のため、時どき邦画にするが、何かしら新鮮味がある。
 若者向きのエログロ映画が、前半。一度、終わり、キャストの名が流れた後、
暗幕に、そしてしばらくして「その一月前」の字幕が。 後半が始まる。
制作者、監督サイドの目線の物語に入っていく。前半が過激だった分、観客
サイドは、ホッとした気持ちになる。前半の異様な世界が、出たとこ勝負の内側
の事情と絡ませて、観客を引きこんでいく。期待しなかった分、甘くみて90点。
毎日が面白くてたまらない。特に金曜・土曜日は、たまらなく楽しい。

・・・・・・
5999,閑話小題 〜トランプ劇場
2017年08月18日(金)
   * 事実は小説より奇なり
 国際政治が、ブラックコミックの様相を現してきた。私流に言わせると、
< ソ連崩壊前のKGBの一員が、スパイの手法を活用してロシア大統領に上り
 つめた。政敵を闇のうちに葬るのはお手のもの。それを国政政治でも通用
することを知り尽くしていれば、彼の思惑どおりに世界を操ることが出来る。
そのひとつが、アメリカ大統領選で泡沫候補の白人ファースト主義のトランプ
を国家単位で勝たせること。黒人の大統領と、女の国務長官に長年、不満を持つ
白人主義者は、こぞってトランプを支持した。それを国家単位のスパイ総動員で
後方援助をして思惑どおりに大統領に祭り上げ、国家分断を目論んだ。それが、
アメリカ建国以来の最低、最悪の大統領の下で、ハリウッド映画並みの分断が、
連日のデモ。 ロシアのスパイ上がりプーチンが、北朝鮮に、ミサイルと核の
技術を与えて、米韓日と北朝鮮の戦争をあおっている。 >

 面白いと笑ってはいられない重大な局面であるが… 世界大戦を狙う、
武器商人のシンジケートにとって、これ以上の機会はない。「世界は理性より、
感情で動く」を地でいくフリをしたトランプにとって、北朝鮮戦争は神風か?
中国も然り。北朝鮮は、疲弊した中国経済と、世界進出の隠れ蓑になっている。
 で、私の結論は、「戦争か暗殺」は必然。
クリントン女史の大統領より、トランプが遥かに面白いことは確かだが… 
――――
2017/08/14
閑話小題 〜第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
   * 第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
 「そう遠くない先に、朝鮮戦争はある」とみるのが、自然である。
第二次朝鮮戦争は、アメリカの力を削ぐに、中国、ロシアにとって非常に
優位になる。その点、トランプ大統領と、金主席は、これ以上ない人材。
まずは、ロシアが大統領選で小細工をして、トランプ大統領を祭り上げ、
次は、中国が…? もってこいの取組になる。しかし、始まれば、数百万単位
の死傷者が出るが、この百年だけでも、数千万単位の死者、餓死者を出してきた。
戦争は、そういうもの。 但し、以前のように、中国、ロシアは、北朝鮮へ、
直接的支援が出来ない。その時、ロシアと中国は、沖縄、北海道を狙う?
「戦争は何でもあり」である。とすると、私の人生は、「第二次世界大戦
直後に生まれ、第二次朝鮮戦争直前の狭間に生きた」ことになる。
 日本にとっても、トランプと、金主席は、偉大?な厄病神に御なりですか。

――――
2017/05/20
『しあわせ仮説』 −8「純粋な悪」を、トランプ大統領にみる
            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * 諸悪の根源は「純粋な悪」
 哲学的に表現すれば「素朴な実在主義者」の心のありよう、有りていに言えば、
「大人、子供に見られる表層の現象で決め付ける幼稚な精神と知能の持ち主」。 
幼稚な心は、自分たちの世界を破壊されることが「純粋な悪」。誰の心にも
ある「純真な心」でもある。それ故に猛毒を含む。 このフィルターで、
世界を単純に切り取ると、これが面白い。
 ー今回は、アメリカの白人の本音、「白人至上主義」ー
黒人のオバマに対して、2期・8年間、不満を持っていた比較的恵まれない白人層
にターゲットを絞り、ロシアの間接的?援助も加え、まさかの泡沫が当選した。
そ素朴な白人優位主義と、有色人種への偏見を前面にうち立てたトランプ。
全くの政治に素人である。純朴に、白人の優位性を脅かすことを「純粋な悪」
とする彼らの偏見は、グローバリズムに逆行する側面がある。これは、他民族を
受け入れてきたアメリカの理念と逆行する上に、ナチスの思想にあい通じる。
そろそろ、これに気づきだした国民に弾劾され処分されるのは時間の問題… 
 世界は白色、赤色、黄色、黒色の順の人種差別が歴然としている。その露骨に
現われ出ているのがインドのカースト制度。4層が、さらに細かく500層になって
いて、その網目から逃れることが出来ない。何せ3千年かけてつくり上げた階級。
交通事故で、最下層の被害者に対し、日常的に轢逃げが罷り通っているという。
 ISは赤色人種のイスラム原理主義を忠実に守り、それを守らないのは、
「純粋な悪」として殺害か奴隷というから恐ろしい。対する欧米は白色人種を
中心に国力に比例した序列がある。日本は地政学的に、白色(米国)側の、黄色
のポチ。ドス黄色の中国には、島国のため、独自のウス黄色だったため、ポチ
として、庭先の犬小屋に番犬?として、敷地内に飼われている? 白人至上者
から見れば、こんなもの。で、逆オバマ効果で、こんな人物を大統領にした。
 としても、日本は飼主がどうであれ、忠実な犬を装ってないと、エサの配分
が減らされる。門から外に出ようものなら、直ぐにドス黄色・中国の攻撃対象
になる。ふ抜けた日本の「純粋な悪」は、他国からの「侵略と、戦争」。
「平和憲法の改憲」である。何せ72年前に三百万人が亡くなっている。
ポチでも何でも、目立たないように犬小屋で大人しくするしかない。
バナナ(外が黄色で、中が白色)とか、イエローモンキーと言われようが、
ただ大人しく、忠犬を装うしかない。何?としても、大統領の一存で、
「沖縄は中国に、北朝鮮はアメリカに」の取引で、中国に売り飛ばされない
とは限らない。取引を業とするトランプなら、ありえない話ではない。
――――
2017/05/04
『しあわせ仮説』 −3 〜素朴実在論と、純粋悪
           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 純粋悪
《「純粋悪は、素朴実在論の究極形態である。これが、大半の長期的な
 暴力形態の循環の究極的原因である。無差別殺人など、その犯行動機で
よく言われる、
 貧困のせい、虐待のせい、格差のせい、環境のせい、etc...
そんな外的要因(不純物)が存在しない「悪」。そんなものが無くても
成り立つ「悪」。 純粋悪=完全悪を「純粋悪」という。》
《 哲学で、私はよく世界が幻想であるという考え方に遭遇した。それは
 深い意味がある。20年間道徳心理学を学んだ末に、理解できたように思う。
人類学者のクリフォード・ギアツは、
 <人は、自分が紡いだ意味の網目に吊るされている動物である>と書いた。
つまり、私たちの住む世界は実際には、岩や木、物理的な物体から構成されて
いるのではなく、侮辱や機会、地位の象徴、裏切り、成人や罪人で構成されて
いるのである。これらはみな、人類の創造ぶつであり、それなりに存在するが、
岩や木が実在するという意味では実在しない。 これらはバリーの
『ピーターパン』の妖精のようなもの。あなたが信じるときにのみ存在する。》

▼ 個人も、集団も、その純粋悪に気づかない。北朝鮮が、この現状。
 素朴実在論は、この毒である「純粋悪」の汚染の自覚も持たない。
トランプ大統領も、金主席も、自分が素朴実存主義者という自覚がない。
世界を、日米韓を純粋悪のバイアスで見ている。 (逆も言えるが)
目的は手段を正当化するが、そこからも「純粋悪」が派生する。
カント倫理学における 根本的な原理であり、無条件に「〜せよ」と命じる
絶対的命法に似ている。私は、我々は絶対正しく、「外の人」は、所詮は
旅人、時間が経てば消えていく。しかし、消えるのは? そう呟く人たち。
 9・11事件のテロリストの行為の理由を「私たちの自由への憎悪」と述べて、
驚くべき心理洞察の低さを露呈した。アラブ諸国の長年にわたる屈辱と怒りの
歴史から出ていることを、一概にした市民を大量殺戮にするに至った。
知識も知恵も経験も少ない私たちは、素朴実在論を述べ、「純粋悪」の毒を
吐くしかないが、そのことを少しでも自覚できるかどうか。そのためは、
独学でいいから自分の世界を広げるための知識と、新たな経験を必要とする。
・「純粋悪」もピーターパンの妖精のように、「素朴実在論者が、純粋に
悪と思っているなら、存在している」ことになる。 それで自分を縛り付けて
牢獄の罪人に押し込んでしまう。しかし、牢獄が全世界なら、知らないまま
消え去るなら、それはそれで人生の完結になる。全て、自分自身に言えること。
――――
2017/04/18
世界がもし100人の村だったら お金篇 〜1
     『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
             池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
    〜まずはAmazon(内容紹介)より〜
≪ 「お金」を糸口にすると、世界の仕組みがよりリアルにわかる!
   累計160万部のシリーズ最新
 世界のGDPは2000年からの15年で2倍以上になりましたが、
貧しさはなくなりません。
 世界がもし100人の村だったら
1人の大金持ちの富と 99人の富はだいたい同じです。
なぜ、そうなったのでしょう?

 イギリスのEU離脱、トランプ大統領就任……
新しい時代に生きるわたしたちが知っておくべき世界の実態を
わかりやすい数字と解説で紹介する 新『100村』の「お金篇」、緊急出版! ≫
 ―― 主な個所を抜粋 ――
▼ 出版以来、15年経過するが、
・ その後の世界はネットが飛躍的に普及し、
 世界の半数近くがネット環境を持つようになった。
・ 人口は60億人から73億人と20%増加。
・世界のGDPは2倍以上になりましたが、貧しさはなくならない。
・100人のうち、
 26人が子供で
 74人が大人で、
 8人がお年寄り
・60人がアジア人で、
 16人がアフリカ人で、
 13人が南北アメリカ人で、
 10人がヨーロッパ人で、
 あとは南太平洋地域の人です。
・54人が都市に、46人が農村や砂漠や草原に住んでいる。
 その都市に住む54人のうち12人がスラムの住人です。
・33人がキリスト教
 23人がイスラム教
 13人がヒンドゥー教
 7人が仏教を信じている
 18人が、ほかのさまざまな宗教を信じているか、
 あるいは何も信じていません
――
▼ 僅か15年で、世界の人口が2割も増えているとは驚き。
 このままいけば20年数年後に100億人になる。地球にとっては
異常な人口過剰状態になる。そこで起こるのが何らかの自然淘汰。
そして現在起きている一強多弱の世界。そこには当然、争いが多発する。
「お金は、剥き出しの真実」とすると、この<お金篇>は、
シリアスの世界を、そのまま写しだすことになる。 〜つづく


6728,読書日記 〜『サードプレス』 ー1

2019年08月17日(土)


      <『サードプレイス』―― コミュニティの核になる
           「とびきり居心地よい場所」レイ・オルデンバーグ著>
 
   * そこは、竜宮城のような解放区
 何故に、この本を知らなかったのか、読まなかったのか? 
誰もが持っている行きつけの店と、お気に入りの疑似家族世界。東京、金沢、
新潟、地元の長岡でも、まず出来るのが酒友。そして行き付けの店。30〜60歳
までは、週に一度は居酒屋通い。その先が「サードプレス」という心の憂さの
捨てどころ。家と会社が第1、第2の居場所なら、そこはサードプレス。
そこは主のオヤジかママが存在する平等な解放区。この手の話題は尽きること
なく底なしに… 酒に飲まれた半アル中が集う魔界でもある。その最たるのが
新宿歌舞伎町。ママもパパも、客の8〜9割はガンか糖尿の壮絶死が待つ世界。 
これはタブーに立入ったテーマ。敢えて書くのは男の沽券にかかわる。 が、
呑み助からしたら、一番興味をそそる魔界。恐ろしくも、哀しい話題が、巷に
転がっている。欧米のリッチ層に、バカンスの習慣がある。日常から離れて、
ひたすらボーッとする。 そこは現象世界から離れた真実の世界。
その一連は、パックとして区切られる。それぞれ、その世界を持つことで、
ストレスの解消を持つことに。

  〜Amazonの内容紹介より〜
≪居酒屋、カフェ、本屋、図書館 …情報・意見交換の場、地域活動の拠点と
 して機能する〈サードプレイス〉の概念を社会学の知見から多角的に論じた書。

第一の家、第二の職場とともに、個人の生活を支える場所として都市社会学が
着目する〈サードプレイス〉。そこでは人は家庭や職場での役割から解放され、
一個人としてくつろげる。
著者オルデンバーグが、産業化‐効率化‐合理化を進めてきたアメリカ社会と、
そのもとに展開されてきた都市計画が生んだ人々の孤独の問題を批判しつつ、
地域社会を再び活気づけるための〈サードプレイス〉として注目するのが、
地域に根ざし、長く人々に愛されつづけている地元の飲食店だ。
「見知らぬ者どうしの気楽で面白い混交」を創り出し、情報交換・意見交換の
場所、地域の活動拠点としても機能する、地元の飲食店や個人商店ならではの
特質が社会学の知見をもとに照らし出される。

第I部では、〈サードプイレス〉の機能、特徴、物理的な条件が詳細に解説され、
第II部では、イギリスのパブやフランスのカフェなどの具体例から、文化や
国民性が生み出す〈サードプレイス〉のヴァリエーションが紹介される。
第III部では、社会・政治面での〈サードプレイス〉の課題とその解決策が論じ
 られる。
全編を通じ、オルデンバーグが〈サードプレイス〉に向ける期待は揺るぎない。
そこには長年「とびきり居心地よい場所」に親しみ観察してきた者の実感と、
「コミュニティの問題は住民の力で解決できる」という市民魂がみなぎっている。
店舗設計、都市計画、マーケティング、地域社会づくりの分野に刺激を与え
つづけてきた書の待望の邦訳。 ≫
 ―
▼ 人間の営みには、「遊び、働き、学び」がある。その日常の循環に、
 第四の居場所が必要となることは、今さら言うことではない。般若心経を
暗記して、ことあるごとに唱えていれば、それは、「サードプレイス」の
精神状態になる。暗記は無理なら、『南無法蓮華経』でも、『南無阿弥陀仏』
でもよい。没入すれば、そこはサードプレスの世界。 ところで、リタイアを
した現在の私め。第一の場が、我が家。第二が、日常の習慣範囲の地元の市内。
第三が、その外?   息苦しくもあり、快適でもあり。
                           〜つづく
・・・・・・
6365,閑話小題 〜長岡弁に魅せられて ー1
2018年08月17日(金)
    * 「なじらね?」
 お盆の13日、市内に住む兄夫婦と、新たに加わった(兄がいう宇宙人の)
姪と、自宅の居間で定例のお盆の飲み会。 様々な話題が矢継ぎ早に出るが、
兄嫁が、<最近、凝っているのが「長岡弁。『それが面白いのなんの!』>と。
 学生生活のため上京をして、まず突き当たったのが地方訛り。当初は
一言一言、話す前に、一度、言葉を呑込んだ後、標準語を選んで話すしかない。 
25室のシェアハウスのような寮生全てが地方出身者の割に、方言は少ない。
が、少々の訛りは隠せない。それも、二年も経過するうちに、修正される。
福島、名古屋、滋賀、石川など癖の強い訛りがある出身者たち。 
私が先ず、顰蹙を買ったのが、同級生の友人に対して、『御前さ〜!』。
一瞬で、顔色が変わっていた。「御前」は首都圏では目下、それもバカにした
言い方に使用。コマーシャルで漫才家が、相方に『貴様は?』と言って顰蹙を
かう場面がある。金沢で、親しみを込めて使う場合が多いが、それと同じ。
地方出身者の言葉が重くなるのは、一度、標準語かどうか、精査するため。
 さっそくネットで『長岡弁』で検索すると、限りなく長岡弁が多いのに吃驚。
改めて集中して長岡弁を精査してみたが、ほぼ全部カバーをしてあった。
当時、よほど注意し、苦労したかが窺える。 しかし、配転先の三重、神戸、
金沢の訛りと方言が、若い女性の職場もあって、何とも魅力的に聞こえていた。
それに対して、長岡弁は東北弁に近くて泥臭くて、色気が感じられない。
意外と当人は気づかず使っている若い女性の『俺』。司馬遼太郎の『峠』の
中で河井継之助の口を通して語られる、「おめしゃん」(お前さん)。
 〜成るほど、ネットサーフィンでも、調べると面白い!
――
≪  【言語学的特徴】
◉ 長岡弁は新潟県中越地方で使われる方言の総称ですが、新潟県は上・中・下越
 +佐渡に大きく分けられ、言語的にも上越は北陸(関西)系の要素が多く含まれ、
下越は東北系の要素が多く含まれます。中越においても魚沼は関東系の要素が
含まれてくるため、長岡弁は越後弁の中核を為すもの。とも言われます。
アクセントは中輪型東京式に準じますが、一部東京式とは異なるアクセント
を持つ物があります。
◉ もう一つの特徴として、古語や文語的な表現に起源を見ることが出来る物が
多いと言うことがあげられます。
発音の特徴として気候・風土条件からか、はっきりとした発音よりこもった発音
が多くまた、短縮したりリエゾンしていると思われる表現も多々見受けられる。

・イとエが曖昧、もしくは逆転する場合もある。
 ex:「色鉛筆」=「えろいんぴつ」
・ダ行、ザ行の音がラ行に変ずる。
 ex:「そうだ」=「そうら」、「したけども」=「したがろも」
・〜〜の物、〜〜と言うような事、その行為と言った話題の対象物を「が」
 もしくは「んが」と表現することにより会話中に「がぁ、ンが、が」が多く
 含まれ、結果として「ガーガー語」と表現される。≫

▼  SNSが、これまた面白いのがある。
じじ「おい、町長自殺したてや!」
ばば「なにね〜?おおっこの〜、またどうしたこんだてや?」

じじ「わからねぇ、今テレビ見てたまげたこてや」
ばば「ほんね、ば〜かたまげたて〜」

じじ「おれも死んだら楽になるろか・・・」
ばば「おめさん、死むあんは勝手らろも人に迷惑かけるのだけはやめてくれね」

じじ「・・・」
うちのばーちゃんは「何やらせてもダメな人」のことを
「あれは“ずくなし”で」と言っている感じでした。
--
この前、新潟一番でフリーズドライ食品の特集しているときに、堀さんが
「こういうのは、よく「ノメシこき」といいますけど・・・。」といってた。

・・・・・・
4161, 節目時に何をしていたか ー1
2012年08月17日(金)
 ここで人生を5年スパンに区切り、振り返ってみる。ミニ自分史である。
自分の姿が浮き上がってくるようで、面白い。何度も書くが両親と時代に恵まれ
ていたことが見て取れる。歴史的にみて、終戦後40年間ほど豊かだった時期は
ないという。その中で、その豊かさを充分味わった実感は、何ものにも
代え難い財産である。   
  ー まずは前半から ー
・60年前=6歳、長岡市立阪之上小学校一年生だった。担任は女性の茨城先生。
 20歳後半のヒステリックの先生で、優しい反面、厳しい先生だった。 当時の
 住まいは長岡一番の繁華街の4階建てのビルの3Fに住んでいた。家は、そこで
 衣料店を経営していて、まさに小説のような異様な家庭環境にあった。  
 成績は普通で、とにかく毎日が面白く刺激的だった。
・55年前=11歳、阪之上小学校6年。勉強に少し目覚め、虐めの要素も
 あったが級長にされた。街中もあり、生徒の質は決して悪くはなかったが、
 異様な緊張した雰囲気が漂っていた。この辺で、その人の素質が決まって
 しまうという。
・50年前=長岡高校二年生で、試験試験の日々。何時もギリギリの成績だった
 が追試は受けたことがなかった。勉強をすれど、どうしたら成績が上るかの
 術が分からない辛く暗い日々。受験校のため成績で人間が区分される。
・45年前=21歳、立教大學三年。欧州の30日間旅行で、それまでの自分が
 粉々に壊れてしまった時期。人生で一番、光っていた。見るもの触るもの
 全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に
 帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで
 東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の
 宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の
 伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、
 死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。
 翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の
 できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、
 商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い
 ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は
 一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。
 30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。           

・・・・・・
5998,「考えるとは、まずは、ひとりになること」
2017年08月17日(木)
       「ひとり達人のススメ」山折哲雄(著)
       ―ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある― 
  * 「考えるとは、まずは、ひとりになること」
≪ ・現代の若者は、見事なほどモノゴトを考えようとしないように見える。
 そして、ひとりになることを極端に嫌がる、人嫌いになっている。… 
・「ひとり=不安な状態」というのは、社会が作り出した雰囲気と思ってます。…
・戦後教育に原因があるという「ひとりで考える」ことを忘れた日本人。
姿勢を正して、呼吸を整え、瞑想する、それがひとりになる出発点だ。
この教育は、戦後の家庭でも学校でも地域でもしなかった。これは重大な
問題です。日本が平等主義の時代になると、人間関係が横並びになり、仲間内
で簡単に群れるようになりました。群れは寄りかかる相手がいるため安心の
ため、ひとりを避けるようになる。行動する時も、何かを考える時も、群れた
状態の中でそれをしている。…
・人間関係には縦の軸がある。師と弟子、上司と部下。親と子。その関係の中で、
上のものが下のものに、自分の経験や知恵を教えていく。そこには強制的な力が
働くが、それをしっかり受け止めて、ひとりで考える。この緊張感を抜きにして、
人は成長しながら生きていくことはできない。しかし、戦後の横並び平等主義は、
この上からの強制的な力を避けようとする傾向を生み、ひとりでいることが
耐えがたくなってしまった。これは見逃せない大きな社会的問題です。
私たちは縦の軸を蔑ろにしてしまった。≫

▼ 考えるとは、判断すること、決断すること。 正しい判断、決断に、己の
 甘さが土台を弱くする。「馬鹿の考え、休むに似たり」も確かにある。しかし、
決断の結果の成否が、考えを深めることも確か。 20時過ぎに就寝するため、
0時には目覚める。そこから4時までの起床まで、様ざまな想いや、不安が錯乱し、
意識と無意識の世界を交差する。それを面白い!と考えるかどうかは、訓練次第。
「要するに考えていることになる」と思えば、これは最高のカオス。大海をヨット
で漂うと同じ? 死ぬときは、こんなものかと。そして起床、これを成書している。

・・・・・・
4903,閑話小題 ー自転車乗りは危険に満ちている!
2014年08月17日(日)
   * ポタリングは、危険! だから面白いのだが
 電動アシスト自転車を乗り始めて5年、一万数千キロは走ったことになる。
急なドシャ降利の中、赤信号になる前に強引にかけ抜けた直後、スリップをし
転倒、自転車共々、数メートルも投げ出された。心臓が固まり、息が止まり
そうになったが、何とか骨折も無く、立ち上がることが出来た。
それ以来、雨と、スピードには充分に注意をするようになった。
乗り続ければ、大事故の可能性が自転車にはある。 近くに住む従兄は、
ポタリングを数年間続けたが、電信柱に衝突して、その危険なことを察知して、
一切、乗らなくなった。特に交差点での左折車の出会いがしらの接触事故には
注意をし、数回は右後ろを振り返っている。
 半月ほど前に、ある交差点で右後ろを二度振り返ったとき、50歳絡みの
農家風の夫婦が話に夢中になっているのが見えたので、車道に入る直前に念の
ため、一度、急ブレーキをかけたところ、旦那らしき運転手が、左を見ない
まま、左折をした。 その瞬間、私に気づいて慌てて急ブレーキ、臨席の
奥さんらしき人はフロントに激しく突っ込んでいた。 常日頃から十二分に
注意してなかったら大事故! 恐ろしい限りである。毎日の1〜2回の
ポタリングでは、危険を最小にするため、車の少ない土手とバイパスの沿道が
95%のコースにしている。 それでも長年の間には人身事故の可能性は大。
土手とバイパス沿道は、加害者のになる可能性がある! 
それにしても、乗っている開放感は格別である。
   * 晩酌に、毎晩、5本以上の缶ビールでは
 私の中学校の同級生が急逝をして2ヶ月が経つが、ショックが今でも大きく
残っている。故人は7〜8年前に転んで腰骨を骨折したが、何とか半身不随に
ならずに、少しだが足をひいて歩いていた。去年の同級会の三次会に二人で
スナックで飲んだ時に、『晩酌が楽しみで一日、缶ビールを5本は飲んでいる』
という話を聞いて、驚いた。その上、運動不足なら! 発見された時には、
末期の膵臓ガンで、苦しみ抜いた末に亡くなったという。 
ツアーの旅先や周囲で、缶ビール5本以上を毎晩、晩酌をする話を、何人からも
聞いていたが・・ 私は缶ビール一本に、ノンアルコール一本を目指しているが、
どうしても、ウィスキーのオンザロックか、焼酎のお湯割りが加わる。
これでも、何か危ない領域の感がする。


6727,閑話小題 〜東京オリンピックまで1年

2019年08月16日(金)


   * 東京オリンピックまで、一年をきった
 地球温暖化で天変地異が日常化し、ネット社会の到来による世界的動乱に
入った時節に、自国でオリンピック開催とは? これ如何に? 開催までは、
政治的な安定が続くが、その後は、深刻な反動が起こるのは避けられない。
そのため、先進国では、国威発揚なぞと言っていられないのが現在の事情。
何はともあれ、テロの心配が出てくる。 それにトランプ・リスクが加わった。
オリンピック開催の名の下で、過剰な公共投資が行われ、そのツケは次世代に
送られる。 そろそろ先に何やら大きなブラックスワンの気配がする。
イランか、香港か、朝鮮半島か… その時節に、何を今さら!と、誰も声を
上げられない。オリンピック後のギリシャ、ブラジルの惨状は、それはそれは! 
中国は巧妙に隠されているだけだが、目が離せない。
ところで、東北大震災から立ち直れた? 解決途上に本当にあるの?
 ――
   * 閑話小題 〜回転寿司、栄枯盛衰
 自宅から200m程先の『かっぱ寿司長岡店』が、この7月15日に閉店した。
近くにあるにも関らず、10数年で数度しか入店しなかったが… 開店当初から、
明らかに外れの店。数年前に川西の郊外に別に新規オープンした店は当たりの
店という。回転寿司は、後発の最新のシステムの店が、先発の店を食い散らす
シリアスの闘いが繰り広げられている。店舗規模がより大きく、握りたてが、
パネルで注文した後に、高速で送られてくる「廻らない回転寿司」が主流に
入りつつある。 平日の割引券を使って500円が顧客のニーズの中心値。
これに競争相手が、コンビニと冷凍食品が加わる。それに加えて、慢性人手不足。
利用者側からすれば、シリアスにプラスになる。その大元は、スマ―フォンに
よる情報化。B級グルメでも、その評価は直ぐに拡散される。… 
 まあ可愛いもの、御隠居生活にも楽しみ方一つで味わいが出てきた。

追: 地震や、台風騒ぎが続いているが、去年の以下の内容を読返すと、
  延長上の事象でしかない。20年、30年前は、これ程でなかった。 
 異常気象の日常化でしかない。怖ろしいことだ!

・・・・・・
6364,閑話小題 〜まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑
2018年08月16日(木)
   * ますます災害の頻度が増していく
 オウム教の教祖と側近の幹部の大量の死刑の一週間後に、
・中国、四国地区で豪雨が発生、(以下にコピー…)
・その一週間後に、関東から上陸、左折して東海に向かう不自然な台風。
・その一週間後に、関東をかすって、右旋回をして東北の海岸沖に向かった。

 コジツケだが、オウム死刑囚の刑場を三回に分けて周ったことになる?
何かしら不思議な因縁の現象と思えないでもない。としても、形而上、表現しては
ならない仮説だが。恐らく信者の何割かは、この仮説をたてて当然。台風の季節
到来としても、毎週欠かさない到来。「バカバカしい」で終わる話だが。
まだまだ物語が、続いていくのだろうか… 
 
 こういう世界的異常気象などが頻繁に起きている時節に、何故か、トランプ、
プーチン、金主席、中国の習主席の顔ぶれが並ぶ。そして矢継ぎ早に、愚策が
公然と実施され、世界が息を飲む図式。世界的異常気象、本格的ネット社会の
到来、そして情報機器の果てることない進歩が、20世紀的社会構造を破壊する。
で、オウム教のようなカルト教団の勃興と衰退。

 NHKBSプレミアムで5年前から【幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー】
の科学ドキュメンタリー番組がある。先日、この番組で、アメリカでは屡々、
社会現象としてUFO騒ぎが起きているが、これは第二次大戦以降から始まった。 
国家には、神話が存在しており、そこにはミステリーな物語が存在している。
しかし、歴史の浅いアメリカでは、それに替わる物語として「UFO、宇宙人との
遭遇騒ぎが代行している」と… オウム教と、この豪雨、台風を関係づけるのも、
カルトに手助けになるため、この辺りで打ち止めにする。

寅:7月末に、俺がさ、何か変?と、取上げただろう。その後さ、その変が、
 延長して続いていないかい?
熊:最後の、東北の海岸線への台風も仙台の刑場と、辻褄があってるね。
八:それがカルトの教祖の手軽の手法さ。でも、大本教祖の出口王仁三郎が、
 <空から火の玉が降ってくるぞ>と予言していたが、そのとおり、東京空襲、
 広島、長崎への原爆投下で、現実になってしまった。
寅:変な予言めいたことを言う前に、上手く隠したね。これもコジツケ?
大家:そう見れば、少しは面白いが、何か八つぁん、変じゃないか。
 前回の文章で、<魂で、対象の魂を屠る!> って話。あれ、やられた方は
 堪らないよ。でも、私も、あんまり腹が立ったんで、やってみたよ。
 10回でも、スッキリしたね。但し、アンタにね。

――――
2018年07月30日
6347、閑話小題 〜変といえば変だが?
   * オウム教の大量死刑で
 麻原はじめ、7人のオウム教徒が処刑された時には、中国地区で大雨が。
そして今回の6人の死刑で、この不自然な台風発生と、東京拘置所のある関東を
カスって名古屋拘置所のある近畿地区に逆走し中国地区を抜けていった。
東から西への逆風は気象庁初待って以来、初めて。前の大雨の土砂崩れの地区を
狙いすましたようなコースを吹いている。 これは「意味ある偶然の一致?」。
 この2つの災害と、オウムの死刑執行を結びつけるべきでないだろうが… 
それにしても、出来過ぎ? こじ付けといえば、それまで。
 
≪ オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の
 松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、
合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭った。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた
松本元死刑囚など13人の死刑が確定した。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化したが、ことし1月に
地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで
終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなった。
 その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ
移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に
刑が執行された。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていたが、
法務省によると、26日午前、刑を執行したという。教団に対する強制捜査
から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行された。≫

ー―
寅:八つぁんに聞くけどさ、こんなことを、言うと「変じゃないか?」と
 言われるけど、偶然の一致にしても出来過ぎじゃない。「意味ある偶然に一致」
 の手の話なら、得意分野でしょう。 実際のところ、如何?
八:東京拘置所のある関東まで一度行って、そこから逆コースを辿るんじゃ、
 何かのサインと仮説をたてやすいね。でも、集団によるヒステリックで、自然
 現象を発生させることは非科学的だね。それより、そのタイミングに自然に
 合致した刑の執行とすると、何にも不思議ではない。「意味ある偶然の一致」
 とは、本来、そういうもの。
寅:それにしても、宗教団体がさ、サリンテロはないよ!誇大妄想もいいところ。
熊:寅が言われるまで、全く関連して考えてなかったね。言われれば、やはり
 何かを感じるけどね。ネット上だから、あまり深い問答をしない方がいいよ。
寅:カルトだし、公安もピリピリしているからね。20年以上経過した現在、
 早々に、消し去る必要は、あったね。
八:最近、何か変な力が自分の内部で動き出したので、今回の件に気づいたの。
 半年に一度は、クラス会とか、ジムで、露骨な嫌がらせに合うの。そこで、
 二日かけて、100回、全身全霊で首を削ぎ落すイメージを持つ。そうすると、
 怒りの繰返しから解放されるの。でも、1〜2年後に、対象者の身辺に異変が
 起こる。元もと異変を抱えているから、わざわざ私に仕掛けてきた返り矢だが。
熊:ほぼ、8〜9割方は、そうだよな。でも、コジツケもあるね。これを自分も
 真似をして遣りだしたが、良いね、これ! スッキリするしね。
寅:どうも、最近、俺が変なのは、熊のせいかい? 嫌味を言うと、数日、
 変な目つきをしてさ、その後、スッキリした顔をしていたな。
熊:御前の場合、その都度、念を入れて200回はしているよ…。 冗談、冗談!
八:問題はさ、無心で怒りをこめて、打ち落とすことさ。それで、解決すればね。
 ここで言いたいのは、オウムの死刑囚が13人も、全身全霊で日本という国家に、
 怒り心頭で呪ったら、この程度のことは可能ではないか?ということ。
 私の場合、信濃川の大橋の上で、地球の芯に向かってエネルギーの補充をして
 いるイメージを持って… これ凄いエネルギー。でも現象化が二年後だからね。
大家:御前の良くないのは、この一連を楽しんでいることさ。でも、合理的だね。
 八つぁんの心象風景も貧しいね。もっと、豊かなイメージを持てないのかね。
八:リタイアまでの20数年は、秘・異郷ツアーで、バッサと、削ぎ落とせたが、
 今ではね… それでも、TVでYouTubeなどの行き先の映像を見て楽しめるしね。
寅:寝室に連日、籠って、TVを嬉しそうな声を出してさ… 楽しそうじゃないか。 
 でも、俺なら変になるな… 
八:『3:10:60:27の法則』のさ、「3」だけを取り出して、紡いだスケジュール
 がね、非常に効果的に動いているね。あと僅か?の残された人生なら、「3」
 を最優先して毎日を過ごさないとね。もったいないじゃないか。

・・・・・・
5997,視覚と聴覚、どちらが大切
2017年08月16日(水)
         ー「ひとり達人のススメ」山折哲雄著―
   * 視覚と聴覚、どちらが大切
 著者による学生たちへの質問、「視覚と聴覚、どちらが大切か」に対し、
半々に分かれたという。私に問われたら「視覚」と答える。その生徒たちに、
「聴覚を選んだ人は神に近い。視覚を選んだ人は悪魔に近い。」と語ったとか。
近代人は、その点、悪魔に近いことになる。何も考えず静かに目を瞑っている
状態は、神に近いのか。 逆にいえば、静かに目を瞑ると8割の情報が遮断さる
ことになる。 ところで、味覚が無くなった当人から直接、聞いた話だが、
これが、「厳しい」という。 〜その辺りから〜
≪・<ひとり目をつぶり、聴覚だけで何かを感じ取ろうとすると、その先に
 自分の姿や形が見えてきて、いつの間にか、自分の心に直面させられる。
芸術芸能の伝統に、盲目のアーティストの系譜がある。… 彼らがあれだけ
の喚起力を持つのは、視覚を遮断して聴覚のみに自分を預けたからである。>
・<戦後の変化といえば、TV文化の普及もそのひとつ。家庭内の娯楽の主役は
 ラジオからTVに移り変わった結果、現代人は視覚を過剰に重要視し、それに
振り回されるようになった。>
・<視覚は人間を比較の世界に誘います。この人は(自分より)良い服を着て
いる、容姿が整っている。…自由だ平等と教えられている中、現実は、何から
何まで違う。そして、「比較地獄」に陥ってしまう。その恨みがつのって、
「嫉妬地獄」に移行する。> ≫

▼ 人間が情報を得る8割は視覚からであるならば、やはり視覚を取るのが
自然である。 群れの、「比較地獄」「嫉妬地獄」から逃れるために、
「ひとりの時間」が必要になる。世間とは、「比較・嫉妬地獄」の人をいう。
その毒ガスで、大方が脳をやられるのが現実社会だが、彼らにその自覚はない。
「孤独と、孤立に慄いて、互いの顔色を窺い過ぎている」 面白いといえば、
それまでだが… もう少しクラシック音楽を聴かないと! 確かにTVのドラマ、
映画の見過ぎ。車中のラジオの人生相談からは、悩みが直に伝わってくる。
音楽、歌舞伎、演劇、ピアノ・リサイタルなど、多彩な趣味を持ち、羽根の
はいた天使の様に飛び回る「連れ」の感受性に、違いを感じることがある。
67年間、思いのまま、ひたすら、面白いことだけに集中した結果。
 その点、負けてはいないと思っていたが、感受性には… 「ったく!」
長女への幼児期の「習い事」の‘渡り’と、8人兄弟の末っ子では、感受性が
違うのは当然… 人間、誰しも「未発達」のところを多く持って差引ゼロ。
失敗すると必ず言われる、「あの男、実は出来が悪い!」は、自分の秘密を
指摘しているに過ぎない。 特に「比較地獄」の住人の常套の言葉である。 
最後は、いつも「世間」に対する非難になるが、それも「比較地獄」の産物。

・・・・・・
5632,お金に強くなる生き方 〜
2016年08月16日(火)
            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 幸福のパラドックス
 ここで紹介している、イースタリンの「幸福のパラドックス」には、
考えさせられる。  〜ネット検索によると〜
・《『貧しい人は、お金により幸福感が増すが、中流に達すると、それ以上
の金が増えても、幸福感はあまり変わらない。ある研究によれば、年収が
7万5千ドルを超えると、お金が増えても幸福感はほとんど増えない。』
という、お金の増大が必ずしも幸福と比例しないパラドックスを表した言葉。
これはリチャード・イースタリンという経済学者が考えた説である。》
・《逆に、「幸せはお金で買える。しかもお金が多いほど多くの幸せが手に入る」
と、米ミシガン大学の2人の経済学者が結論づけ、逆説で挙げられるような、
飽和点(7万5000ドル)を示す証拠はなく、「一国の中では、平均幸福度と
平均所得との間に明らかに相関関係が見られた」という説。
 彼らの研究で、国が豊かになると所得から得られる満足度は低下していくが、
(イースタリンの逆説で挙げられているような)幸福度の上昇がほぼなくなる、
と主張。「イースタリンの逆説」を否定している。》
・《今では所得が幸福に与える影響に関するデータは世界中ほぼどこにでもある。
一部の国(たとえば南アフリカやロシア)は、他の国(日本やイギリス)に比べ
相関が強いものの、それでもどこでも成立している。 人生満足度は国ごとに
すさましくちがう。トップの諸国(ほとんどが先進国)は満足度が十点満点の
8点をたたき出す。底辺の諸国(ほとんどはアフリカ諸国だが、ハイチとイラク
はたった3点。金持ち諸国は明らかに幸せだが、相関は完璧でない。
これは他の、おそらくは文化的な要因も作用していることを示唆するもの。
 アジア人は、所得が示唆するよりはちょっと幸福度が低いようだし、
スカンジナビア人は所得相応よりもちょっと幸せだ。たとえば香港とデンマーク
は、一人当たりPPP所得は似たようなものだけれど、香港の平均人生満足度は10点
満点の5.5、デンマークは8だ。南米諸国はえらく陽気だし、旧ソ連諸国は
とんでもなく惨めだ。そして一人当たり所得から見て地上で幸福度最低なのは、
ブルガリアだ。》
▼ イースタリンの説が正しいとすれば、750万を目安に必死になって稼ぎ、
 その辺りで、人生を楽しむような人生設計をすれば良いことになる。
小・中学校の同級生を振りかえると、貧富などの家庭環境と成績が正比例。
還暦、古希の会でも、それそのまま、拡大して現在まで続いていた。
 20歳代は、激しい浮沈みの環境にあったため、生活の幅があった。
やはり、「興産あって恒心」で、リッチであるほど、幸せ度は高い。
2倍の1500万円が、私の実感である。 いや、今と大して変わりはしないか!
「好きなことに散財をしてきたかどうか」が、分岐だが、その点、
「面白かった、楽しかった、充実していた!」と、心底いえる。
何処かから、<お金は、あればあるほど、良いに決まってるじゃないか>
<余裕があるからこそ言える言説!> という声が聞こえてきそうである。
「で、如何した?」「どうもしません!」 自問自答が趣味と誰かが言っていた。

・・・・・・
5267,忘れていた「ホッファー」
2015年08月16日(日)
 実は、この6月末に書いた、「ホッファー」は、8年前に4回シリーズで
書いてあった。書いたような気がしたので、HP内の検索で、チェックを
したが何故か?引っかからなかったが、改めて読んでみて、再び取上げる
価値は充分にある。 これを再読すると、要点は理解していたようだ。
 考えてしまうのは、8年前のシリーズの内容の方が上?と思えること。
としても、現在、書いた内容を補足とすると、丁度よいから不思議。
 以前は、図書館で借りて読んだ後、ネット検索を中心にまとめたが、
最近のは、具体的エピソードを中心にした内容で、微妙に違っていた。
 ホッファーを読んでいると、己の甘さ、軟弱さ、無知を突きつけられる。
一つの哲学を貫き通すなら、その他を、捨て去らなければならない現実を
彼の生き方から教わる。
 ネパールのツアーで、元学校関係者が参加していた。 ホッパー同様、
早死にの家系で、「実家・親戚が殆んど40歳半ばまでに死ぬ家系。で、一年
一年、可能な限り国内の「家族ドライブ旅行」に出ていた。 ところが、
何故か今でも生きている。恐らく、人から教わった、一日一個、生キャベツ
にドレッシングをかけて食べ続けてきた効果だろう。その結果、国内は隅々
行き尽くしたのため、還暦を過ぎた現在、毎年、海外に出ている」という。 
 数奇な激しい人生を送ってきた人が秘境ツアーには多いが、逆に、淡々と
何も考えずに生きてきたが、急に死の問題が現れ出て、慌てて世界の果てで、
その答えを探しに来ている人もいる。
 これだけ熱を入れて、まとめていたのに、全く忘れてしまうとは、我
ながら恐れ入る。成るほど人が看破する、『あんまり頭が良くない男』に、
私自身、大いに納得する。ただ、それは、万人に当てはまることと、
自分に言い聞かせておかないと・・ こうみると、パッケージにして
書き残す効果は、頭の悪い私には、最適だ。             


6726、閑話小題 〜嘘だろう

2019年08月15日(木)

   * 今日はお盆、墓の話題でもしようか!
 昨日は例年どおり、連れの実家の墓参り。聞くところ、墓に、先祖が、
それぞれの家に帰っているため、墓は留守宅。 実家の仏壇と、墓の両方
を参いるのが自然の姿と。 成るほど… 残っているのは、何代前の行場
のない祖先たち。彼らも生臭い永遠の彼方に消えまいと、墓の底で踏ん
張っておられる。その前に、墓は生きている人の、魂の拠りどころ。
 ところで、遺跡といえば古代の大王の巨大な墓が多い。特にエジプトの
ナイル川の沿岸には世界の墓の遺跡の7割が存在していると… まだまだ
埋もれている遺跡が、数知れずあるという。マヤの遺跡、インカ帝国の遺跡、
エジプトの遺跡など、世界には遺跡が数知れずある。石の文化は、あとあと、
リアルに残るため、時代を乗越えて様ざまな当時の生活を垣間見れる。
カイロのフス王のピラミッドを始めナイル川沿岸の遺跡が素晴らしいが、
中東のメソポタミア文明の遺跡が良い。ぺトラの遺跡、アレッポの遺跡は、
何とも強く印象に残っている。 2千数百年前のパルミアの遺跡に、
墓のマンションが造くられ分譲していたという。それらを目にして驚いた
のを今だ記憶している。そのほとんどが、ISに破壊されつくしたという。
 ――
   * 実際にあるんだ!
 人生の中で、嘘だろうと思ってしまうようなことが、しばしば起こっている。
望んだことが、いや、それ以上のことが現実化してきた。その真逆もあったが、
比率は6対1の割合でプラスが多い。 最近は、マイナーの対処で、内的な
デドックス(毒)を消す自己暗示の習性がついてしまった。 そこでプラスの
具体的にイメージをすると、次つぎと、現実に出てくる。老いのため、淡々と
した日常で、さしずめ何もないのは何も望まなかったため。具体的には底が
浅いため、言葉にするのを憚るが、例えば… 噂を聞いて入ったイタ飯屋とか、
思いもしない新知識とか、ランチの店とか…。ランチは、ほぼ家内が見つける。
リア充を心がけていれば、何があって何ら不思議でない。 リア充では、まず、
 1、‘現在の満足度は何点ぐらいですか?’ 次の質問、
 2、‘これまでの人生の満足度は?’ に対して、
…我が垣根の内側は、1=80点、2=85点になる。 客観性では、自己欺瞞
だろうが、自分の心の内は、これが現実。気に入った要素を組み込んだ日程を
たて、淡々と熟している為もある。毎日が遊び疲れ、面白いこともある。 
 これも何時まで続くやら! そろそろ…?

・・・・・・
6363,閑話小題 〜つれづれに、煮豆と納豆
2018年08月15日(水)
   * 煮豆も、また良し! 
 30歳直前に、Uターンで地元に戻ってきた時に直感した「城下町の煮豆」
に同化してしまう恐怖感がリアルに心の片隅に残っている。当時は、煮上がり
具合の比較が楽しみで… 外界が激しく揺れ動いていく中、この町の人たちは、
「変化、転身、戦いは悪」と信じて疑わない人が多い? 閉鎖社会なら当然か。
リタイアの身から見える世界は、あまりに脆い。 安倍首相は日々実感している
のだろう。政権トップ以外は、そのリアル感がないため、その意味が実感できず。
「日本総煮豆論」も、言葉を替えて存在するはず。「煮豆」は、学生時代に
母から聞いていた。当時、昔の人は面白い例えを使うものと驚いた。
「煮豆」の類推した言葉は何か? そうそう、「納豆」がある。 
藁の中で醗酵、互いに絡みあう。 こうなると、活きた豆より、少しはマシか。
とすると「日本総納豆論」が自ずと出てくる。これが腐ると、如何なることに?

   * お盆は例年のごとく!
 今日でお盆は終わる。これが終わると、今年を折返した感覚になる。
お盆の初日の13日は、3時半に起床し、随想日記を早々書き上げ、信濃川への
ポタリング後に、3つの寺の墓に花を上げる予定だった。ところが急に雨が
降ってポタリングを中止し、例年とおり3ヵ所を周って、帰ったのが7時過ぎ。
空をみると、まだ雲行きが怪しいので、再度のチャレンジのポタリングを中止。
 夕方には市内の兄夫婦と、姪っ子が来訪。飲み会に。宇宙人のような孫がいる
と兄から聞いていた。なるほどと… 宇宙人ならまだいいが、他宇宙からの
訪問者も出てきそう。お盆なら、宇宙の話が思いつく。 〜ネットでに
《 宇宙の果ては桁数でいうと、10の27乗mの世界。その逆、極小世界は、
10のマイナス35乗の世界。物質は原子(元素)の集まりで出来ている。
極微世界である10マイナス35乗の世界は… 素粒子(クオーク)の世界。
原子の中心は、原子核。原子核にも陽子や中間子といった内部構造があり、
その周りを電子が回っている。またその陽子や中間子もいくつかの粒子により
形成されております。(中間子理論では湯川秀樹氏が有名)
その粒子がクオークと呼ばれ、クオークこそが「素粒子」なのです。》
 年に一度の霊魂の帰還話が形無しになるので、話は終わる。

・・・・・・
5996、あんた達(人間)、変じゃないかい!
2017年08月15日(火)
       「脳がよろぶ話 ー幸せを見つける5つの対話」茂木健一郎著
  * 人間より、動物の方がよっぽど悟りに近いと思う
                     〜小菅正夫:対談
 分かったようなことを書いているが、とどのつまりは、
「人間、生きていることが一番に価値がある。死んでしまえば、それまで」
「生きていればこそ人生。世界を少しでも知り、経験を広め深めてナンボ!
そのために、何ごとも極限までいき、その先を何歩、超えられるか」である。
 野生動物は無理な生き方はしないが、常に生存の極限に立たされている。
だから、悟りに近い意識が出来ている。 〜その辺りから〜
≪ 茂木: アメリカでフクロウの研究で分かったのが、ある種のフクロウの
   繁殖が難しい、なかなか子供をつくらない。でも、その研究室のフクロウ
  は繁殖をする。何故か聞いても教えてくれなかったのが、ある時に分かった。
 毎回食べきれる程度を与えていたのを、食べても食べきれないほど、与えた
 ところ、繁殖行動を始めるという。
小菅: たぶん動物というのは、自分が命をかけて育てる子どもが、ちゃんと
 育ってひとり立ちできるという「見極め」があって初めて子育てをスタート
 すると思う。自分だけでなく、もう数羽いても生きていける環境があると
 わかったから、じゃあ雛もそこで生きていけると判断する部分がどこかある。
茂木: 最近の日本の少子化は、安心できないということですか。
小菅: 誰に聞いても、「育てていけるか不安だ」とかね。
茂木: 人間は自分が動物だということを忘れて不幸になっている。
小菅: 基本は、まず、しっかり生きて、しっかり子供を育てて、それが軸で、
    それ以外はプラスα―なんだから…
茂木: 生きているということが、一番価値があるということ、それが当り前。≫

▼ 還暦を過ぎた頃から、年々、老化をしていくのを実感する。年末、一年を
 振り返り、無事、過ごせた幸運にホッとする。そして、己の存在の不思議の念
が強くなるばかり。「長岡空襲」で焼き出された商家が、新たな出発を模索する
環境が、三つ子の魂に刻印され、不安定な気持ちが、心の芯にあった。それが、
エネルギーの源にもなっていたようだ。団塊世代の心には、これがエネルギー源
にあった。そして次の激動の不気味な風が漂い出してきた。家族が生き抜くには、
少子化は必然である。

・・・・・・
5631, お金に強くなる生き方 〜
2016年08月15日(月)
            【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 貯蓄率からみる日本の貧困
 バブル崩壊後の長年のデフレを含めた不景気で、日本国家の体力が大きく
後退した結果、貯蓄好きだった日本人の貯蓄率も激減した。他人ごとではない。
崩壊のプロセスで不動産を主とした事業も、デフレのため資産が目減りをし、
清算に至った。
 3人に1人が貯蓄ゼロ、単身者の平均貯蓄額は774万円、中央値は75万円。
これからすると、単身世帯の8〜9割は貯蓄ゼロになる。ということは、病気に
なっても、自己負担の1〜2割のお金さえ無いため、病院にも行けない人が
多く存在する。 そういえば、久しぶりに会った倒産した知人の歯が抜け落ち、
全身が剥れた異様な相をしていた・・  〜その辺りから〜
≪  〜国家体制の違いで貯蓄率が変わる〜
 少し前まで、日本人は貯蓄好きな国民とされてきました。
ところが、今や貯蓄率で見ると日本は先進国の中で最低ランクです。
2013年のOECDによる調査では、消費大国と言われる米国の2・4%を大きく
下回る0・9%になってます。ちなみに1970年代は20%台、1980年代は10%台。
バブル崩壊後の経済の低迷、非正規社員の拡大、少子高齢化などの影響が
重なっているのでしょうが、これほど短期間にお金に対する向き合い方が
変わった国というのも珍しいかも。
 お金に対する考え方や向き合い方というと、ラテン系の国は貯蓄率が低い、
アングロサクソンは投資好きなどと、国民性や民族性に左右されるものと
考えられがちです。しかし、その国がどういう体制なのか、どういう国家を
目指しているかということの影響のほうが大きいのです。
 なかでも一番影響を与えるのは社会保障と税金です。
米国などは政府を極力小さくして税金を少なくし、その分自由な経済活動を
することに最大の価値を置いています。そういう社会では競争と自己責任が
前提で、社会保障や福祉にはそれほど頼れません。そうなると当然自分頼み、
お金頼みになります。米国人のマインドは、自立して成功しお金を稼ぐこと、
それを投資で増やすことを最も重視しています。
 これとは逆に、社会保障を徹底的に充実させる代わりに税金が高いのが北欧
の国々です。たとえば、スウェーデンでは一定以上の年収の人は所得税率50%、
消費税率25%です。それでも、手厚い社会保障があるため国民が文句を言うこと
はありません。教育費は、誰がどんな大学や大学院に行こうが一切かからず、
医療にかかる費用も原則無料。失業しても1年間は高額な失業保険が下ります。
高福祉社会では貧富の差が小さく、将来の不安が少ないので貯蓄性向は低く、
家族との関係やコミュニティのつながりを重視するため出生率は高くなります。
面白いのは、スウェーデンの企業でもよく労働者を解雇しますが、高額な失業
保険が下りるため、クビになった当の本人はそれほど気にしません。
その間にじっくり別の会社を探すのです。 ≫
▼ ギリシャの経済危機の最中、アテネの歯医者が廃業して、失業している
 人のインタビューで、「歯医者の治療の資金的余裕のない人が殆どで、開店
休業状態で、廃業に追い込まれた」と、語っていた。終戦後からの右上がり
経済と、バブルと、その崩壊を経験しているため、貯蓄率の推移が実感として
わかる。欧米に比べ、日本経済は底が浅いのである。アベノミクスの崩壊が、
さらに日本経済にトドメを指すことになる。

・・・・・・
5266,人生に必要な洞察と困難 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月15日(土)
              〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
    * 人生に必要な洞察と困難
 創造とは、脳のイメージを具体的なカタチに仕上げること。同じく創業も、
計画段階で洞察が必要となる。そして、一つずつ、目先に出てくる困難を
処理していくプロセスそのものが仕事になる。だから、困難がたち現れると、
それが、解決の塊になる。人生とは困難の解決をするプロセスをいう。
困難の中心点を問題から洞察して、心を無にして、答えを探す。
毎回、問題は違うからこそ、面白い。ことに当たっていると、問題そのものに、
解決の答えが隠れていることが分かる。それを、遊びにするのがゲーム化。
 人生は、真剣に生きるほど過酷になっていく。 〜その辺りから ーp127
≪ 人生において必要なのは知識ではなくて、洞察だろう。
 確かに、知識は知恵を生む母胎になるものだ。しかし、おおかたの人は
処世の知恵で満足してしまう傾向にある。また、処世の知恵がいつもその時代
その場所で有効だとは限らない。 一方、洞察は正体を見破る力を持っている。
誰によって何がそこに隠されているのかを透視する。考えることなく、中身を
あてることができる。人生の中で決断しなければならないとき、洞察が役立つ。
知識だけでは足りない。洞察がいつも正しいとは限らない。それはニーチェの
洞察の哲学が証明している。しかし、まちがった部分があろうとも、ニーチェ
の洞察の仕方はわたしたちに新しい見方、新しいおもしろがり方を教える。
 ふつうの生活では、自分の洞察は秘密にしていたほうがいい。他の人には
とうてい理解しがたい.からだ。また、他の人はどうしてそう思うのかと根拠や
理由やデータを知りたがるものだ。洞察にそういうわかりやすいものはない。
洞察と勘は、似てはいるが、ちがう。勘は観察を土台としたもので、対象に
広く大きく網をかけるようなものだ。洞察のほうは鋭く切り込む。
すぱっと切って断面を見る。洞察は視線の一種の名人芸みたいなものだ。
洞察力が自分に備わると、何事をするにもコツを掴みやすい。
また、既存のものから離れた独特なものを生む契機に触れやすくなる。
そういう洞察力を養うには、どうしても感受性が必要だ。情感を豊かにし、
やさしい配慮の心を持っているほうがいい。さらには、耐え、くじけず、
幾度も立ち直り、絶対にあきらめない強靭な精神も必要になる。
そして、自分に対しても容赦のない視線が必要になる。
そんな洞察力を持つのは困難なように思えるだろう。 
しかし、この人生においては困難なことのほうが安易なことよりも多くの
喜びを与えてくれるものだ。克服していくこと、それは難しいのだが、
そういうものほど生の充実と自己の力を実感させてくれるものはないだろう。
洞察も、二者択一のときは困難を選べと教えている。困難から逃げ続ける
ならば、いつまでたっても本物の人生が始まらないからだ。老いて気力が
とぼしくなって、自分の人生はなかったのではないかと疑うほどの苦痛はない。
 単純で安っぽい価値観を土台にした一方的な観点から、二ーチェの人生は
悲惨だったという主旨の生涯をまとめた書物やメディアがあるようだが、
ニーチェ自身はまったくそうは感じていなかったろう。多くの困難に耐え、
それなりに克服してきた生涯でもあるからだ。彼の内なる喜びは他の人には
見えないのだ。それは山の高みにいる人を裾野からはっきり見ることが
できないのと同じなのだ。  二ーチェはこう述べる。
「何度も自問した。私の人生でもっとも困難な年月に対し、私はいっそう
深く感謝すべきではないだろうか、と。必然的に起きた困難。それは苦しい
ものではあるが、高い場所から眺めてみれば、また、人生の差し引き勘定から
すれば、そういう困難こそ私にとって有益なものだったからだ」 いくたの
困難危険。それらがなけれほ、人間はいつまでもそれにはなれない。
単純な価値観からは不必要にさえ思える人生のしんどさこそが、わたしたち
の生命力強め。より高い喜びを与えてくれるのだ。 ≫
▼ 感受性を高めるための情感を豊かに、鋭くするために、感動・感激の
 経験の質量を高める必要がある。大自然の美しさ、芸術作品、人生経験など
から、長年かけた蓄積が、それを高めてくれる。困難、苦難と、その解決過程
こそ、人生にとって有益になる。幸せの最上階の4Fに、解決できないほどの
不幸を設定してあるのが、このことから理解できる。


 


6725,読書日記 和式/洋式トイレの謎を探る

2019年08月14日(水)

           <『世界のしゃがみ方』ヨコタ村上孝之著>
   * 旅先の最も切実の問題
 ツアーで世界中の秘・異郷を中心に訪れてきたが、問題は窃盗と、トイレ問題。
強硬なスケジュールに身体がついていけない。 旅行代理店がツアーを
組む時に、最低限のトイレ施設があるところを組むが、それでも、無理の場合が
多々ある。 例えば中国の新羅ウィグル地区の道路沿いのトイレなど、卒倒し
そうな不潔なところに行き当たることがある。また女性の場合、砂漠の真中で
予め予定して持ってきた傘を立てて用を足すケースなど序の口。ことトイレに
関しては注意に注意を重ねても、突然、襲ってくる難物。そのためか、多くの
書籍が出ている。「入れたものは出さねばならない!」のは、出産と一緒?
   〜まずはAmazonの「説明」より〜
《 和式/洋式という二項対立的な呼び方のせいで、西洋のトイレはすべて洋式と
 日本人は思いがちだ。しかし、ロシア(旧ソ連)各地や東欧圏では和式(しゃがみ式)
トイレが主流であり、西欧においても農村などでは同様のトイレが散見される。
つまり、和式/洋式という図式で考える見方は誤りなのだ。「和式トイレ」の観察・
分析を柱に、世界各地のトイレの背景にある社会的・文化的事情を読む。 》
 ―  
   〜ネットでみつけた概要より〜
《 本書の趣旨は、ほぼタイトル通り『しゃがみ方』に纏わる国際的な“民俗誌”
ーー端的には副題の『和式/洋式トイレの謎を探る』レポートーー と言って良い。
本書をして“トイレ民俗学”と言うべきかは心許ないが(近年では国内だけだが
斎藤たま氏に依る『便所の民俗誌』・論創社刊があるのでこの方面の民族的学究
は存在するようである)、本書の構成・内容、考証・分析は極めて史料実証的で
あり、かつ現場臨床的である。但し本稿を含めて本書は、些か「尾 籠」な方面
の具体的描写・トピックが多く(「便器」等の物理的構造・写真・態様・史資料
描写・失策・後始末ほか)、率直な筆致が散見されるので、食事中の方や耐性の
ない方は予めご注意願いたい。このページの「商品の説明」には、本書の“核心”
を突く紹介があって、「和式/洋式という二項対立的な呼び方のせいで、西洋の
トイレはすべて洋式と日本人は思いがち…ロシア…や東欧圏では和式(しゃがみ式)
トイレが主流であり、西欧においても農村などでは同様のトイレが散見……
和式/洋式という図式で考える見方は誤り……『和式トイレ』の観察・分析を柱に
……背景にある社会的・文化的事情を読む」とある。「和式/洋式」の分類の
矛盾と、西洋における「しゃがみ式」の非特殊性、日本及び西洋に見える
「立ち小便」の男女の様態(歴史的一般性)、“後始末”(拭う・洗うなど)
の様々、中国式のいわゆる「ニーハオ・トイレ」に限らない“開放型”から
個室化の変遷と意義など、実証的・分析的に考察しており、なかなか面白い
(目から鱗の)トピックから成っている。

・個人的に興味を惹いたのは、やはり「和式」ーー著者の分析(「便器」に
拘泥しない前提)に従うと正しくは「しゃがみ式」ーーが、日本独自の言わば
“未文明的”な様態ではなく、ロシアを含めヨーロッパ等でも歴史的には一般的
であり、現在でも残る地域があるということである(第1章)。
 中でも興味深いのが「トルコ式」形態とオスマン朝の勢力関係を連関させる
見解に異を唱え、「しゃがみ式」がオスマン朝の特有の文化でないことを実証的
に反証している(71〜75頁)。
またフランスでの「腰掛け式」(いわゆる「洋式」)が19世紀頃まで優勢だった
理由に、「便座」の非衛生感(“感染症”の忌避)があったと、説得力のある
考察が見える(44頁)。元々フランスなどヨーロッパでは、家屋内には「トイレ」
を作る習慣がなく、携帯式「便器」が主流であったことは著名な事実である
(122〜129頁)。しかも終わった「便器」の中身を窓から戸外へ遺棄したとも
仄聞するところで、江戸期の完成された農業リサイクル型インフラがよほど
“文化的”であろうか。但し前者では“疫病”、後者では“パラサイト”の
循環と言う問題は残る。また第4章での「ペーパー」事情と「洗浄」スタイル
の文化圏も興味深いトピックである(132〜148頁)。
また余談で“有料トイレ”に言及があるが(162頁:ベルギーで「1.1ユーロ」)、
・私は10数年前ながらイギリスの某有名デパートで確か1ポンド(入口で係員
が料金徴収)、アメリカのSF市内で1クォーター(ドア横の料金口にコイン
投入するとドアが開く方式)だったと記憶する。実物写真やイラストを多用した
ユニークな“トイレ民俗誌”の1冊と思う。 》

▼ どうしても我慢ならないのが、仕切の無い中国のトイレ。あと飛行機内の
 トイレ。男女の別なく… まあ、そこから始まる非日常の苦行の一つ。
旅先でお腹の問題は、男は下痢系、女は便秘系になる傾向が強い。失禁、一歩
手前は4〜5回のツアーで一度は経験する。特に着陸直後が、気圧の関係で… 
ツアーは日程が強行軍のため、慣れる2日間は苦行になる。留置場、刑務所内や、
軍隊のトイレ事情が… それは家畜並み。 何故か、お城、牢獄を周ると、底冷
もあるが、突如くることが多い。 何かしら怨霊が? と思われるフシがある。
ある作家は、神社仏閣では何故か100%下痢になるという。

・・・・・・
6362,閑話小題 〜問題はバカの扱い方
2018年08月14日(火)
            『問題は右でも左でもなく下である』適菜収 (著)
   * B層のバカこそ大敵!
 俗にいう世間様を「下」と切り捨てている文章。 何も考えない27%と、
考えても何も行動に移せない60%、合計87%の人たちを『下』と。
トランプは、アメリカ白人の右翼的レベル25%に狙いを定め、ロシアのスパイ網
と組んで政権をとった疑惑の痕跡がいろ深く残っている。社会には、考えられ
ない人たちが存在する。まだ流動する社会ならよいが、固定社会の舟底には
牡蠣がへばりつく。こういう人を一言、『問題は右でも左でもなく下である』と!
常に自分も知らずに同化しているのではと… TVの人気バラエティ番組の視聴者
の多くは、こういう人が狙い目。 で、その層に心地よい評論家がお出まし。
バカがバカを裁く模擬公開裁判らしき討論が、まことしやかに進行する。
他人様に思考と、決断材料の収集を任せ、演劇側のステージに上がろうとしない、
「ウォームヘッド、クールハート」の87%の人たちが、これに動かされる。

   〜ネットで、著者を検索すると〜
《適菜収を一言で表すならばバカの敵である。既得権益が叫ぶ改革に乗せられる
バカ(いわゆるB層)を敵視しており、バカに知識をつけさせて(C層)がまともに
なることで住みよい世の中になることをニーチェ等の哲学者を参考に紐解いている。
 特に現在詐欺師筆頭である安倍晋三、小池百合子、橋下徹を敵視しており
そいつらを支持する輩をバカと断罪、詐欺師の現実を突きつけることにより
バカに対する継承を鳴らしている。》
   〜 Amazonー内容紹介
財界のケツを舐めて密かに移民導入を進める政権。
グローバリズムによる社会の疲弊を推進する政権。
クソが付いていても米国のケツを舐めたがる政権。
共産党でさえ口にしない「〜革命」を標榜する政権
クズの忖度はしても陛下の意向を忖度しない政権。
それが「保守政権」を名乗る「美しい日本」ぶり。
本書で日本は終わっていることに納得した僕は、
仲間と家族を大切にして子孫に託することにした。
「近代の終わりと知の崩壊」を適菜収が警告した最新の書。
 〜 著者の内容紹介
◉ 私はファッション右翼やコスプレ右翼、街宣右翼は大嫌いだが、
質の高い右翼思想には常に敬意を払ってきた。また、花畑左翼、
市民活動家は大嫌いだが、質の高い左翼思想には大きな影響を受けた。
私は性格的にも学問的にも保守思想(すなわち近代的理念・理想・理性・
合理主義に対する懐疑的な姿勢)に馴染んできたので、右翼や左翼、
要するに理想主義者とは相容れないところがある。
未来にせよ過去にせよ、理想郷を設定するのが不可能な時代に生きて
いることを自覚できない時点で、やはりそれは弱者の思想だと思う。
その前提の上で、半ば自嘲気味に、あるいは戦略的に右や左を演じて
いる人々は面白いし、場合によっては知的な刺激を受けることもある。
本書で扱うのは彼らではない。「下」である。
右翼の底辺「右下」もあれば、左翼の下層「左下」もある。
いわゆる「B層」も多いし、橋下という政治家もいた。

◉今の政治は、マーケティングにより「下」の気分を探り、
プロパガンダで「下」を動かすことで成り立っている。
この手の政治家は、「風が吹く」のを待ち、問題が発覚したら
「嵐が過ぎ去る」まで口をつぐむ。
議論を軽視するのは、それが世の中を動かさないどころか、
墓穴を掘ることを熟知しているからだ。
大衆の熱狂だけが 政治を動かすことができるという深い確信
バカがバカを支持する今の世の中を見れば、それは正しいのだろう。
(「はじめに」より一部抜粋)
さあ、読者であるあなたは、この狂気の時代をいかに生き抜くか。
ないのか?
合理主義者が世界を破壊する


▼ 『下』は、ネット社会の産物と言うより、社会構造が本来、この層を
 生み出す現象。現在、嵐が吹きすさんでいる体育会系社会の変質した体質。
何も今さらの話ばかりで、殊更騒ぐ内容でない。
朝鮮社会の体質に、事大主義がある。小国が礼をもって大国につかえること、
また転じて「勢力の強いものにつき従う行動様式」をさす。中国近隣にあり、
常に侵略対象にされた中では、弱者の戦法として必要な知恵だろうが…
社会においては、これが固定されて人間価値まで判断される。それに目を瞑り
馴化するしかないのが実情。で、こういう社会哲学者が、87%を冷たく切捨てる。
問題は、27%でなく、一応、考えるが深堀ができない60%。それも上位10%との
際の人たち。10%の次善の人に加えた10%、合計20%が社会を静かに動かす。
この質を上げるには、長年かけた地道な教育システムを必要とする。政治家は、
その育成より、目先の権力維持のために大部分のエネルギーを消耗するしか
ないのが実情。20数年かけて現実社会をネット社会が世界を覆ってしまい、
社会の基盤が根こそぎ崩壊しだした世界で、右も左もない、必要なのは、
個々人の地頭(インテリジェンス)になってくる。非常に生きにくい時代である。

・・・・・・
5995,閑話小題 〜「楽しみに金のかからない人は、最も幸福」
2017年08月14日(月)

   * 楽しみに金のかからない人は、最も幸福
 ソローが、「楽しみに金のかからない人が最も幸福である」というが、
「楽しみに無条件で金をかけられる人は、更に幸せである」とも、いえる。
楽しいと思うかは心の素養の問題でもある。書籍の購入と同じで、命の次に
大切な金を、割切って使うことは難しい。仕事を楽しみまで昇華すれば良いが、
仕事バカも面白味がない。実際のところ、そこそこの「お金」は「遊び」に必要。
「一万を持って千円を使うのと、二千円を持って使うのと、気持ちが違う。」 
現在、一番効率良く遊べるのはネットである。次は「読書」だろうが、
これも素養が必要となる。

   * 本家消滅
 「本家、分家」の言葉も、自営業が激減している中、「死語」になってきた。
私が事業整理をしたことで、我が堀井家の「本家」筋も、消滅したことになる。
『堀井』の実家は太平洋戦争前までは、老舗の古美術商で、父親は二代目。
父が引き継いだ時点でも、徹底した節約の家で、結構の資産があったという。
祖母が『吉岡』の家から婿養子をもらって分家として商売を始めたのが出発点。
 その本家は、長岡駅裏から5分のところにあり、商売を止めていた。
母親が生きている間は、行き来があったが… 法事で、その一人息子と一度、
言葉を交わしたことがあったが、影の薄い人だった。ところが、昨日知ったが、
息子が独身で、先日亡くなり、家が実質、消滅したという。 享年64歳。

   * 第二次朝鮮戦争が、あるのだろうか?
 「そう遠くない先に、朝鮮戦争はある」とみるのが、自然である。
第二次朝鮮戦争は、アメリカの力を削ぐに、中国、ロシアにとって非常に
優位になる。その点、トランプ大統領と、金主席は、これ以上ない人材。
まずは、ロシアが大統領選で小細工をして、トランプ大統領を祭り上げ、
次は、中国が…? もってこいの取組になる。しかし、始まれば、数百万単位
の死傷者が出るが、この百年だけでも、数千万単位の死者、餓死者を出してきた。
戦争とは、そういうもの。但し、以前のように、中国、ロシアは、北朝鮮へ、
直接的支援が出来ない。その時、ロシアと中国は、沖縄、北海道を狙う?
「戦争は何でもあり」である。とすると、私の人生は、「第二次世界大戦
直後に生まれ、第二次朝鮮戦争直前の狭間に生きた」ことになる。
 日本にとっても、トランプと、金主席は、偉大?な厄病神に御なりですか。

――――
5630,閑話小題 〜オリンピックも中盤に
2016年08月14日(日)
  * リオのオリンピックも中盤に
 オリンピックも、中盤に差し掛かった。ブログ内検索をして分かったが、
12年前のアテネ・オリンピックで16個の金メダルを取っていた。そのうち、
柔道で8個の金メダルを取っていた。今のところ、メダル獲得ラッシュとは
いえ、アテネ並みでしかない。それとロシアの選手の金メダリストが、
例年に比べて異常に少ない。
 日本にとってのハイライトは体操の個人総合で内村選手が、2位選手の
最後の着地の乱れで奇跡的逆転をした場面だろう。ドラマとして、これ以上の
シーンは作ろうとして作れるものではない。
 以前、内村選手が面白い話しをしていた。<自分の脳に、小さな自分がいて、
それが、自分に指示をしている。>と。小さな自分が、この奇跡を生みだした
のだろうが、これは練習と、これまでの試合経験の中から生まれた存在?である。

 ここで、オリンピックについて、何か書いてないかと検索したところ、
以下の内容が出てきた。書き残こしておく価値を、改めて思い知る。そこには、
垂直に立った(永遠)、その時の、「いま、ここ、私」が存在している。
 ブラジルの財政悪化も含めて、緊縮の設備投資で、日本が目論んでいる
数分の一、いや数十分の一で済んでいる。この辺りをマスコミは徹底的に報道
すべきである。「小投資、省エネルギーで済む」と、いう当初のアピールが、
何時の間に消えてしまった。 それぞれのドラマが生まれ出るオリンピック。
 これまで、大規模のテロは起こってないが、どうなることか?
以下を読み返すと、オリンピックに、あまり興味がないみたいである。
日本の時期開催もあって、その空気に流されている自分が面白い。
 目標は、心身とも元気で、2020をむかえる事だが・・ 

――――
2004/08/18
1233, アテネ・オリンピック

時差の為、夜半に行われることが多かったこともあって、オリンピックは
あまり興味がなかった。柔道の金メダルか、女子マラソン位か優勝に絡む
試合しかみた記憶がない。日本があまりにも弱いこともあったが。
ところが今年の日本はイヤに盛り上がっている。
不況ということもあり、国策として力を入れていたのだろう。

柔道の女子の谷選手と、野村選手の決勝も目覚まし時計で起きて見たが、
これは過去には無いこと。 この勢いでは、金を15個以上取る可能性も?
体操と柔道とレスリングと水泳など過去に強い種目に、絞って強化した。
他には、野球とマラソンかもメダルの可能性も高い。

TVで見ているかぎり、観客が少ないのが気になる。
欧州人にとってオリンピックなど、あまり興味が無いのか。
それにしても、東京オリンピック以来のメダル・ラッシュには驚いている。
歳をとったせいか、その人の人生まで重ねて見るようになってきた。
・私の記憶は、小学生の時のメルボルンの時からである。
 体操の小野選手の演技をラジオで聞いていた記憶がある。
・次は、中学生時のローマ・オリンピックで、白黒TVで見ていた。
・そして、東京オリンピックは、カラーTV。
・前々回のアトランタはブラウン管のハイビジョンTV
・今回はプラズマTVである。
情報媒体の機器で、時代の変遷が見えてくる。それと、自分史も。

――――
2004/08/30
1245, オリンピックが終了
 アテネオリンピックは、2004年8月13日から29日まで行われ、
昨夜(日本時間では今朝方)終わった。 結局、金メダルが16個。
前回の三倍、東京オリンピックと同数だから大成功だった。
復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。
 〜印象の強い順に書くと
・金メダルを16個取ったこと
・女子マラソンで野口が優勝したこと (丁度ツアーで、ウィーンの
 ホテルでチェックインをした直後にゴールを見た)
・柔道が8個の金メダルを取ったこと
 ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、
 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど
・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった
 選手が優勝をしたこと
・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝
・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の逆転優勝
・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと
 −日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが判明
 したこと。 これで、一リーグ制に加速がつくだろう
以上、誰もが同じ印象であろう。
大不況の中、一服の飲料水の代わりになった。
ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と
北朝鮮が冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。いつの間
にか彼らの得意競技になっていた。それを一部とりかえしたといってよい。
いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって金メダルを
狙いにいった結果だった。まあ素晴らしいことだ!


6724,閑話小題 〜今日のひと言… 引き籠りの意味

2019年08月13日(火)

   * 「べきオバケ」と、「べきエンジェル」
 「オタク」の原因は、両親の、「普通であるべき」「世間常識であるべき」
や、仲間内からの「差異」に対する無理解からの虐めが起因することが多い。
「子供は親に従うべき」「良い学校に入り、良い会社に入るべき」「バランス
のとれた相手と結婚すべき」等々。これで動きが取れなくなる。
人間は、自惚れがあり、自らを冷静に判断できない。これに「べきオバケ」が、
絡みつく。 しかし、それがエンジェルの役割をする要素もある。
「べきエンジェル」の外装が、「べきオバケ」であることが多い。それに気づく
のに数十年も要することが多い。 私の兄姉たちは、太平洋戦争を跨いだ青春
時代を生きていたが、そこに、大きな価値観の変容があった。その時代の大家族
が生き抜くには、父親の絶対的存在が必要であった。戦前、戦中、戦後の時代の
変遷の中で、その都度、「…であるべき」という縛りの変化は、仕方がなかった。
家族主義は、国家体制の変動の何れの時代の前提条件になっていた。上の七人の
兄、姉たちを末っ子の立場で見て、「べきオバケ」にガンジガラメで縛られた
彼らは、自分の数年先の道標であり、先行の姿が、リアルに見えていた。
それは、家風として必要だった半面、お飾りの商品とした枠が大きく、それぞれ
を縛りつけていたようだった。その鬱憤が、他者に向けられているうちは良いが… 
 20歳の頃、「創業を目指す!」と、夏休みの宿題を真面目に受け止めたレポート
を提出した。「兄・姉たちは、反発したが、私は、父親のように生きたい!」と。
これが、「べきエンジェル」への転換だった?  しかし、私にとっては、
立派な「べきオバケ」ということ?は、数羽のブラック・スワンの出現で、
アッサリと化けの皮が取れてしまった。「べきエンジェル」の縫いぐるみも、
なかなか着心地が良かった。 自分自身も魂の上に肉体という縫いぐるみを
着ている存在でしかないことを意識せざるを得ないから…。 大方の人は、
その縫いぐるみに、リタイア後に初めて気づく?。いや、それさえ気づかない?
『天皇』という御職業。縫いぐるみもいいところ。国家の象徴という縫いぐるみ。
誰かが着なければならない代物。 国家の祀りごとの重要な役割になる。
 さしずめ「べきオバケ」が政府なら、皇室は「べきエンジェル」ですか。

――――
2001/12/21
[109] 偽坊主

今の仏教界ーいや仏教業界よりましな話!
10年ぐらい前か、ー男はつらいよ(風てんの寅)を見ていたとき、
ふと哲学的になってしまった。内容というと「世話になったお寺の和尚
が風邪をひいたとき、法事に坊主に成りすまし、口からデマカセの法
事で無事代役を終える役(偽坊主)を、トラが演じていたー
そのとき奇妙な感覚になった。

まず本人ーこれを1・能作がまづあり2・本人の苗字があり3・俳優の
渥美清4・寅さん5・偽坊主ーと重なりがある。
能作?が2345を演じていることにきずいたのだ。このような場面は
私も何回も経験をした事がある。

仕事も役割もこの重なり合いといってよい。
この重なりを名優はこれを簡単にやってしまうのだろう。
渥美清もそのときその重なりを感じたと思う。
                      2001/08/15

・・・・・・
6361,閑話小題 〜つれづれに、お盆の朝
2018年08月13日(月)
  
◉ 昨日の朝、例年、恒例のとおり長岡駅近くの大手通りアーケードの、
 臨時売場の「お盆花」を買ってくる。これは早朝のポタリングの帰りに偶然
見つけた穴場? スーパーで、1000円以上はするのが、600円×4束で2400円。 
ここで買い始めて10年は経つ。さて、三か所のお寺廻りに出発だ。
 ところで、本家筋の家が昨年、「絶えた」と… 発達障害の息子が独り身で…、
5年ほど前に一度だけ法要の席で同席したことがあった。葬式の知らせがあれば
出席したのだろうが。 寺廻もあって3時半に起床して、これを書いているが、
4時45分、何故か、雨が降ってきた。直に止みそうだが… 涙雨ですか、これ。
まず仏壇に参って、ポタリングは急遽中止、寺廻りだ。このアップは、この後!

◉ お腹が少し出てきて気にしていたが、ここ数ヶ月で体重が2キロ近く増えた。
 週5日、通っていたSJ通いを週4日にして運動量を減らしたことと、暑さで、
水分を倍近く?摂取したため。早朝のポタリングは、雨の降らない限り欠かさず
続けているので、太らないと油断したこともある。また暑さで食欲低下より、
何故か食欲増加もある。 特に、モナカのアイスクリームに美味しいのが多い。
物欲、性欲、自己顕示欲などで、満たされるのは食欲のみ? それも牛丼、
カツ丼、回転寿司でお茶を無制限に飲めば、然もありなん。ここで自動的に
コントロールするのが、これまでの習慣。猛暑の一事例が、これ!

◉ 先週末、川西の牛丼屋で昼飯。1000円札を出すと、「レジに何故か札が入ら
 ないので「他の札にして貰えますか」と。その瞬間、客が一斉に偽札か?と、
注視された。新札と入替えるとスンナリと入った。その後の映画館の自動発券機
では入金することが出来た。何だろう、あれ!

・・・・・・
5264,徹底した自分主義  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月13日(木)
               〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
    * 徹底した自分主義 
 人間の遺伝子の基本は「エゴ」である。イエスでさえ「自分を愛する
ように、隣人を愛しなさい」と。他人を愛する前に、まずは自分を愛せよと。
18歳までに、家庭や学校などから洗脳された固定観念を、壊し始めるのが、
大人への第一歩。そのためには、「徹底した自分主義」に徹しないと、あれらの
ように、同一化された従順の羊になってしまう。 まあ、何も考えずに、世間様
におさまって、何も気づかず一生を終えるのも一つだが。何故なら、その範囲し
か知りえないのだから。その外は、知らないのだから! 〜その辺りから抜粋〜
≪ 処世術や、倫理や道徳、これは、してはならない、人には優しく、親切に、
 等々、これをさらに細分化されて実践的なものになったのが、ノウハウとか
ハウツーというものだ。それだけではあきたらず、特定の現場でもっとも有効な
ハウツーすら出てくる。それがマニュアルだ。生き方、商売、セックスさえまで
マニュアルが用意されている。何をどうやるのか。なぜ、自分で考えて自分なり
に実行しないのか。世間の目がそんなに怖いのか。あるいは罪悪心を持つのを
恐れているのか。それとも、自分で考えることすらできないのか。
 たぶん、教えられた通りにやればうまくいくという迷信が蔓延したあげく、
真理のように信じられている? 教えられた通りに勉強しておけば、テストで
いい点数がとれる。それをくり返してきたあげく、考え方が固ってしまっている。
だから、学校の成績のよかった人はもろい。挫折すると立ち直りにくい。
 人生は固定観念を習う時間ではない。自分が生きていく時間であり、自分が
生きていく場だ。頭と行動を固定観念で染めてしまうと、自分はいなくなる。
自分の中に古い他人がたくさん詰まっているだけだ。そんな人に個性などないの
も当然だ。定年を迎えた人が「第二の人生」と称して、俳句、絵画だのエッセイ
だのを始める。誰もプロになれない。下手な俳句、下手な絵画、下手なエッセイ。
なぜ自分が下手なのか理由さえ知らない。その理由はシンプルだ。固定観念で
物事にあたっているからプロになれないのだ。俳句とはこういうものだ、絵画
とはこう描くものだ、という固定観念しか頭の中にないのだから仕方がない。
 人が何かクリエイティブなことをして成功したいのなら、必ず概念、固定観念、
常識といったものを超越しなければならない。名人や芸術家というのはそれを
果敢にやってきた人々のことなのだ。固定観念の再現とか人の真似事がクリエイ
ティブであるわけがない。誰もの固定観念にある何か、ではなく、自分の中に
ある何かを表現することがクリエイティブというものだ。
 多くの人が忘れがちになるが、この世に、生きていくこともクリエイティブ
なことだ。つまり、多くの人は自分を生きずに世間の人々を生きている。
だから、こういうことをすれば隣近所はどう思うだろう、親戚から白い眼で見ら
れないだろうかと危惧するのだ。自分の中に道徳も価値も基準もタブーもない。
そういった精神を支えるものすら、世間に依存する。これでは、自分を生きて
いる、といえない。したがって、この一回限りの人生を本当に生ききりたい
のなら、自分主義でいかなければならない。自分が自分のルールを決め、
自分がその責任をとるのだ。人にいわれたことをするのではなく、自分の意志と
計画で行動するのだ。そういう生き方は他人から見たら、わがままで自己中心
主義に見えるかもしれない。自由奔放で、掟破りで、アウトローに見えるかも
しれない。けれど、そういうふうにしてこそ、自分というものが掴めるのだし、
自分の能力を発揮できるものなのだ。それが他人にはわからないかもしれない。
いや、わかる人はまだ少ない。誰も理解してくれないどころか、世に認められ
ないかもしれない。しかし、いつか必ず、それが斬新なことだと認め称賛して
くれる人が現れる。でも、立ち止まってはならない。さらに自分主義で行く。
突っ走るのだ。これこそ、新しい時代を運んでくる人間の生き方なのだ。≫
▼ 20歳時に、「創業の人生」を生きると決めたと同時に、自動的に「自分主義」
 が、確定した。その一点が、価値判断になった。当時、ある人に詰られたことが
あった。「ガチガチの個人主義者!」と。純朴な当時の心の奥の決心が、それが
見える人からしたら、そのまま‘その言葉’になっていた。 今からすれば、
それはそれで良かった? それほど、創業の決心は重く暗く、圧し掛かっていた。
4年前に、それらから解放された時の、心の軽さは、想像を遥かに超えていた。
 そして現在、違った意味の人生からの解放への「自分主義」に向けて歩みだした。

・・・・・・
4899,ホントに大事なお金の話 〜4
2014年08月13日(水)
  * 金の持つ力ー魅力・魔力・暴力とは
 世の中の8割は?金の力で自由になる。だから魅力と魔力と暴力性を備えた
金を持つ人間に惹かれるのである。今の世界は資本主義社会であり、資本=金
が価値基準の元になっている。金とは、自由であり、力そのもの。金さえあれば、
世の中の8〜9割が自由に出来る。逆に、金を失うと、不自由この上なくなる。
そして、裸の自分と向きあう事になる。それが、逆に効用になるのは、
皮肉といえば皮肉。 ーお金の持つ力について、以下で、ずばり指摘している!
≪ お金とは何か、を考える際のキーワードは、金の持つ「力」である。
 お金は、3つの力(魅力、魔力、暴力)を、兼ねそなえている。
1、お金は、価値がコンパクトに保存されていて、
  必要なときに必要なものと交換できる(お金の魅力)
2、お金は、人々の欲をどんどん大きくする (お金の魔力)
3、お金は、そのカで人々を操ったり傷つけたりももできる 
 (お金の暴力)≫
▼ この3つの力は、人生を生きていく上で大きな働きをする。
100万なら100万の、1億なら1億の、10億なら10億の、100億
 なら100億の力を発揮するし、それを動かすだけで世界も、視野も開ける。
・小学、中学と、高校、大学の友人を見ていると、学力だけでなく、
 家系からくる貧富格差が明らかに見て取れる。
・お金の魅力については、その交換価値にある。 世界旅行に出たければ、
旅行代理店の旅行パックを選び、金を振り込めば、世界各国に気楽に行ける。
こんな便利で、都合の良いものはないが、これを稼ぐとなると、それなりの知恵
と努力が必要になる。 剥き出しの真実の塊は、そう簡単に得ることは出来ない。
・その金には、魔力が潜んでいる。金の魅力に対し、欲が無制限に広がっていく。
それが逆に命取りにもなる。
・お金は、その力ゆえに、人を支配した上に傷つける「暴力」性が出る。
お金で何事も解決できる
という錯誤を持ってしまう。しかし、解決のための一番の力でもある。
人間の持つ自由への無限の願望の、手段そのものになる。
・お金は、知識、情報に非常に似ている。知識、情報は、自由と力をもたらす
点である。持った分、使った分、自由を得ることが可能になる。 全てが、
終わってしまえば夢幻! それを金で買えるのか?買えるのである!
だから、魅力と、魔力があり、暴力性が伴うのである。恐ろしいかな幻覚。 
で、饅頭欲しい!  で、いやに去年の同月同日の文章が微妙に響いてくる。

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5994,幸せの確率  −2 ~ベスト・メモリーの作り方
2017年08月13日(日)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
             アーリーリタイアのすすめ ―内山直 (著)
   * ベスト・メモリーの作り方
 人生も先が見えてくると、目先の快楽追及より、過ってのベスト・メモリー
の世界に舞い戻ることが楽しみになる。
 ・秘異郷を中心にした51回のツアーでの至高体験や、
 ・創業をテーマにしていた生き方も、その機会を多く得ている。
 ・節目節目の何気ない人たちとのクロスのベスト・メモリーかある。
それらを凝視すると、何れも深い闇が背景があればこそ、光を濃くしていた。
それをコンパクトにしたのが秘異郷ツアー。その場に置かれた状況からくる
ストレスが窒息しそうな闇。ツアーでの至高体験が「光輝く」のは濃厚の闇が
あればこそ。現地まで3、4日かけ飛行機、車を乗り継いで辿り着いた先の観光。
 これは人生と同じ。20,30,40,50歳代の何れの時代にも、至高体験がベスト
・メモリーとして残っている。 魂レベルの御宝である。事業を立ち上げて、
ホッとした直後に、押し寄せる喜び。また、思いもよらない大自然との邂逅。
 この積み重ねが、求心力になって、幸福感の機会を呼び寄せる。
数千までとはいわないが、数百は軽く経験してきた。
 今では4kTVで、YouTubeに行先の「ベスト・メモリー」のキーワードを
入力すると、高画質の光輝く映像が次々と出てくる。 記憶と現場感覚が、
ベスト・メモリーに新たな映像が追加され、更に魂に刻印されていく。
 その都度、印象の記録としての文章化と、写真を撮って整理をしてある
ため、余白の追加のようでもある。「アーリーリタイア」は、「第二の人生」
の前倒しであり、『空即是色』で、新たな『色』を呼寄せる吸引力になる。
 算盤の「御破算で願いまして」で、さっさと、「白紙に戻す」ことである。
切れた首輪をつけたままの犬が、行先もなく徒党を組んでいるが…
群れるのが犬の本性なら、それは幸せで自然なこと。さて、墓参りだ。

・・・・・・・ 
4157, 老後は夫婦の壁のぼり
2012年08月13日(月)            
  ーまずは、内容紹介よりー  「老後は夫婦の壁のぼり」ねじめ 正一著
 すべての団塊世代に捧げる老後のヒント。団塊世代の作家・ねじめ正一が、
人類永遠のテーマ「夫婦、男女のすれ違い」を縦軸に、今、団塊世代が直面する
「老後の問題」を横軸に、ユーモラスに、時に真摯に縦横無尽に紡ぐエッセイ集。
 ーー
 図書館で、この本を手にして早速よんでみたが、身につまされる話が次々と
出てくる。人生は坂を上ったり、下ったり、マサカの坂に出会ったりするが、
老いは、そんな生易しいものでなく、ロック・クライミングの室内用壁のぼり、
のようなもの。とにかく一日一日が、下に落ちまいとニジリ登っていく壁である。
亭主が外で働き稼いでいるうちは、奥さんも一歩下がってきた。
しかし稼ぎを無くして年金暮しで収入も激減し、家でゴロゴロしていると、
それだけで腹がたつのは道理。そのため、すれ違いと溝は深まるばかり。 
ここで、ー夫婦喧嘩‘健康法’ーを紹介している。NHKの健康に関するTV番組に
出演した時の、鈴木清順のー夫婦喧嘩‘健康法’ーである。 番組が始まり、
「ねじめさんの健康法は何ですか」と、著者に話を振ってきた。著者は草野球を
していたので、「年間25試合の草野球が楽しい。身体を動かす喜び、仲間との
交流の嬉しさ、そして、試合が終わってから家へ40〜50分歩いて帰ること」
と上ずって話した。次に、清純さんに、その質問が移った。
≪「うん、そうですね。夫婦喧嘩ですかね。ばあさんと喧嘩していると、
腹が立ってきてぼけないし、脳みそが活性化し、どなると大声が出て肺に良い。
毎日欠かさず喧嘩しています」 いやはや凄い。隣に座っていた私は目から
鱗が落ちた。私の草野球健康法は海の藻屑、いやスタジオのゴミになった。≫ 
 以上だが、それにしても大変なエネルギーだが、それなりの信頼感がないと
大声で喧嘩もしていられない。家内とも大喧嘩は日常茶飯事だが、どうも
こうも、精神的にも肉体的にも健康法とはいえない。それよりも、家に入って
からは、互いの壁のぼりが言いえて妙である。「神様は連れ添いに世界一相性の
悪い人を選ぶ!」という格言がある。若いときは、自分にない部分を持っている
人に惹かれるもの。それは逆に、自分と重なる部分が少ない人。それが長年かけて
鬱積として蓄積されている。それでも昼は、すれ違いで何とか耐えてきたのが、
年金暮らしで昼も夜も一緒なら叩き合いになって当然である。特に男は、縦社会
に生きてきたので、日常という横社会中心の場での生活に慣れてないため、
どうしても妻一人に気持ちがいってしまう。小さな家の中での啀み合いが、
「老後は夫婦の壁のぼり」になるのである。
もしか、これ、ロック・クライミング? 酸素切れ?


6723,閑話小題 〜少し早く生まれ過ぎ?

2019年08月12日(月)


              〜 『堀江貴文の言葉』より 
   * 懐かしき「堀江貴文の言葉」
 バブル王子の堀江の言葉も、デフレの時節が続くと懐かしく思える。時どき
 TVのバラエティで見かけるが、前科者の暗さは全く感じさせないのはさすが。
 〜まず、その幾つかをネット上から抜粋〜   註:【…】内は私の感想
「できない理由を先に考えるな」
   【入口を、間違えるとしないと、出来ないが判別できなくなる】
「皮膚感覚で嫌なものは、絶対に断れ」
「ネガティブな事を考える人は、ヒマなのだ」
「満足したら思考が止まる」
「お金から自由になるために働こう」
   【満たされないから、執着するしかない人が娑婆に満ちている…】
「仕事はみな娯楽である」 …【仕事だけじゃない】
「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ」
「物事を出来ない理由から考えるのか、それとも出来る理由から考えるのか」
「悩むとは物事を複雑にしていく行為。考えるとは物事をシンプルにしていく行為」
「人生を変えるのは簡単。現状に縛られず、一歩踏み出す。それだけのことなのに、
 多くの人は行動を起こそうとはしない。古い価値観に縛られ、変化することは
 危険で、現状維持が安定につながると思い込んでいる。」
   【変化の先のイメージが出来ないから困ったもの】
「バンジージャンプをするのに、特別な能力など何一つ必要ない。ロープを巻いて、
 ただ飛び降りるだけだ。それなのに、恐怖で泣き出してしまう。過去のトラウマ
 だかプライドだか知らないが、せっかくのチャンスを前に尻込みするなんて…。」
  【43mと100mから飛び降りてみたが、その恐ろしいこと… 死の恐怖の仮想体験】
 ―
 Amazonの内容紹介より
古い価値観の呪縛から解き放たれ、動きまわる楽しさの様々な言葉で伝える
 既刊『堀江貴文の言葉』に、新時代の名言を70以上加えた決定版が本書。
「走る」「貫く」「生きる」「思考する」「稼ぐ」「つながる」「学ぶ」「見通す」。
堀江を象徴する8つのキーワードごとに、人生の指針となる力強い言葉を紹介。

 ――
▼ 圧倒的に面白い人生だっただろに。ホリエモン自身がyoutubeチャンネルで
 紹介していたが、2018年6月に会員数が2万人を突破したようだ。これに800円を
掛け合わすと、月に1600万。年に二億近くですか。これに印税が入るし、何とも…
その分、濃厚な嫌なこともあるのだろうが… 
  ネットで堀江貴文の会員数と検索すると…
<月額980円のホリエモンメルマガの人数はどれくらいかは分からないが、
2013年時点では15000人以上はいると…。ちなみにホリエモンの月額1万円の
オンラインサロンの会員数は2018年時点では1500人はいる>と、あった。
そりゃ、娑婆の小童は、バカばかりと、思うわけだ! 

・・・・・・
6360,読書日記 〜喜びのツボ
2018年08月12日(日)
             <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
  * 随想日記の楽しみのツボ
 「好き!」と実感できるには、1万時間、10年は要しただろうか。
それでも素直に好きと言えないところがある。毎日毎日、底の浅い自分と向き
合うのも… しかし底を見つめ直す機会になっている。出たとこ勝負のテーマと
素材探しも、全神経をはったり、緩めたの中で可能になる。書き終えて、信濃川
へ向け解放されるポタリングの早朝の霊気は心地よい。 その前に、テーマに
ついて、まず自分が「わかった」「おもしろい」の瞬間がないと、数年後の私に
伝わらない。だから、浅い理解、小さい感動としても、己の振動が必要である。
「だから何になる?」など論外。面白いから、好きだから以外の何ものもない。
その後のポタリングを含めた早朝の3時間セットの他は、「おまけ」という感覚。
(「おまけ」あればこそだが、その達成感で元をとっている。)

   〜その辺りから〜
≪◉ 楠木: 常日頃見たり聞いたりするなかで自分の興味関心に引っかかったり
 する出来事や現象からロジックを思いついていくのが好きなんですね。データ
ベースとか体系的に収集したデータセットではなく、偶然出会った素材や事例が
自分の考え事のタネになり肥料になる。自分のアタマにある好き嫌いフィルター
を通じて自分の思考に入ってきた現象をじっくり考え、そこにどういうロジック
があるかを考える。これが僕の仕事の基本動作です。 〜米倉誠一郎先生との対談で、
喜びのツボの話が出ました。青島先生の喜びは源泉に近い川上にあり、米倉先生
は河口。楠木先生は中間という比喩でした。〜

◉ 楠木: 学者ごとに喜びのツボは違っていて、どんな時が楽しいのか、青島君
 に聞いたことがある。そうしたら、「わかった!」という瞬間が一番楽しいと。
これは僕の推測ですが、彼にとっては「わかった!」という感動がというか、
精神の高揚さえあれば、あとは全部「おまけ」なんじゃないかと。誰かに認め
られるかどうかはオマケ、付け足しのようなもの。自分が面白いと思ってる
ことを届けて、相手が面白がってくれれば最高です。僕が好きなのは定量的な
実証研究ではなく、事例の断片から自分の論理を組み上げていくような定性的
な研究ということです。30歳半ばで開き直って、「掲載されなくても結構、好き
なように書こう」となりました。これが、「定性復古の大号令」。発令された
ことは僕以外の誰も知らないことですが。

◉ 楠木: …芸風は一つしかない。自分の好き嫌いのツボと心中する覚悟で
 やらないと、努力の娯楽化という好循環は生まれないし、良い仕事が出来ない
じゃないか。つまり、自分の芸風を知るとか、自分の土俵が分かてくることは、
土俵の外にアルモノを捨てるということ。何かを得るということは、常に何かを
捨てているわけです。考えてみれば、これは実は、すごく人間にとって自然な話
になる。≫


▼ 上記は、17年間、一日一テーマで6千数百を書きつづけられた有り体その
 ままが、表現してある。ここの小項目に「読み、書き、推敲」が好き。」と
ある。何のためでなく、この面白さが、教養ベースの蓄積の実感があるため。
これを続けていると、過去文と、書上げた文章との偶然の出会いがシバシバある。
他にも多々、「意味ある偶然の一致」の機会がある。偶然と必然の境目が何とも
考えさせられる。 それと自分とは、そもそも何とは何ぞや? 何者でもない
多重性格者? 単純でいて、小難しくて、いい加減で、怠け者で… 

・・・・・・
5993,幸せの確率 ー1
2017年08月12日(土)
          ー幸せの確率 あなたにもできる!  内山直 (著)
   * アーリーリタイアのすすめ ―
 新潟の医師が開業12年後の40歳後半でリタイア。医院は後輩医師に任せ、
悠々自適の第二の人生を始めて1年余り経って、この本を出版した。内容は
さすがにシリアスで、長期的天引き預金と、硬い投資を勧めている。
私の場合、引き足が遅く、母親を見送った51歳時に、還暦にラインをひいて、
1年1年を全エネルギーを投入し生きた経験がある。大よそ80歳までの30年で、
し残したこと、やりたいことを、9年間に圧縮した生き方をした。
それもあってか、この内容に興味を魅かれ、読むことが出来た。
   〜内容紹介〜
 アーリーリタイア(早期リタイア)そのものや、自由度の高い生き方に興味を
持つ人に対し、幸福学や心理学の学術データを用いて、真の幸せとは何かと問い
かけると共に、ファイナンシャル理論や行動経済学の観点から、そのために必要
な蓄財・運用術を、わかりやすく紹介しています。
生存率・貯蓄率・満足率・リスクリターン率という4つの「率」から、生涯を
通してみた「幸せの確率」がどうすれば上がるのかを考察し、アーリーリタイア
にひとつの答えがあるのではないか、とのアイディアを提起しています。
停滞を始めた現代の資本主義社会で生きる我々が、真に幸せに生きるには
どうすべきなのかを問う、新しい生き方の指南書^p1
   〜出版社からのコメント〜
 生活のためにあくせく働くのはもうたくさん!
 もっと家族や友だちとのんびり過ごしたい!
そんな人にぜひ読んでいただきたいのが本書です。まだ40代の著者は、現在、
無職。幼い3人の子供を育てながら、執筆、イベント企画、ヨガ・瞑想など、
興味あることに次々と挑戦しています。この「隠居生活」を支えているのは、
行動経済学や現代ポートフォリオ理論に基づいた蓄財法や運用法。もともと
金融のプロでもなんでもない著者は、アーリーリタイアを夢見て独学し、
独自の資産形成術を編み出しました。 そのノウハウを本書で余すところなく
お伝えします。 稼がなくちゃ! という縛りから解放されて、自由で幸せな
生き方を求めるすべての人に、本書を送ります。
   
   〜カスタマー・レビュー〜
この本で真に書かれていることは何か? それは、社会的に成功して、まだ
まだ現役として活躍できる医師がセミリタイアするまでの記録、そこに至る
までの考えです。
成人男性の生存確率は
60歳で約92%
65歳で約88%
70歳で約82%となっています。
定年と言われる60歳までに12人に一人。
更に6人に1人(!!!!!)は70歳まで生きられないことを統計は示しています。
人は、なんとなく平均寿命の80歳まで生きられると考えてしまいますが、
そんなことは決してありません。
著者はそのことをある日の夢(悪夢)で自覚しています。そして、人生の残り
時間を真剣に考え、残った時間で何がやりたいのかを真剣に考え、アーリー
リタイアを目指しています。資産形成、過剰な欲望のコントロール、質素な
生活を実践して、アーリーリタイアを実現させています。
著者にとって、セミリタイアは目的ではなく、自身がやりたいことの実現手段
として書かれています。普段は意識していませんが、人間はいつか必ず死にます。
明日生きているという保証もどこにもありません。

人生の残り時間を意識し、その残り時間でなにをやりたいのか?
それを自覚することの大切さを、この著書は教えてくれます。
そして、著者の辿ったアーリーリタイアへの過程は、間違いなくアーリー
リタイアを目指す人にとっては道標になるでしょう。
リタイアのための資産形成について書かれた本は多数ありますが、アーリー
リタイアする際の精神面での問題に書かれた本はあまりありません。
アーリーリタイアは、大多数の人とは異なる生き方を選ぶことになるので、
そこで様々な精神的な葛藤や迷いが生じるのは必然です。
その必然の葛藤や迷いの解決に、著者の考えは大いに役立つはずです。

▼ 百歳を超えても医師を続けた日野原重明の生き方もあるが、さっさと
 現役をひく生き方もある。あとは、その人の人生観である。世界の秘境を
見て歩きたいため、医師になり、冒険家と掛持ちの星野道夫の人生もある。
最期は熊に襲われ喰いちぎられて亡くなったが、はや、21年も経った。
生き方、死に方には、考えさせられる。
 恵まれた才能があればこそだが、そこには長年の計画がある。
で、何時ものような偶然で、以下の文章が文脈として現れ出てくる。
・・・・・・
4898,ホントに大事なお金の話  −3
2014年08月12日(火)
        『知っておきたい ホントに大事なお金の話』佐伯 良隆 (著)
 * お金と「幸せ」について ー幸せは金で買えるか?
  幸せは金で買えるかは古代哲学からの大問題。
   ー以下で、その辺りを取り上げている。
≪・2002年に、ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カネーマンが
『年収7万5千ドル以上になると、それ以上の所得の増加は「生活満足度」は
 高めても「幸福度」は殆ど変わらない』と結論づけた。
・2013年、ミシガン大学のスティーブンソンとウォルファーズは、各国の詳細
 なデータ分析から、一人当たりGDPと「生活満足度」には明確な相関があり、
「幸福度」とも一定の関係がある、とした。
・それでは日本人の幸福度はどうでしょう。国の豊かさを示すGDPは50年前
 には4000ドルでしたが、現在は43000ドルと、10倍以上になりましたが。
 一人当たりの経済活動費は飛躍的に増加し、私たちが手にする金も増えました。
 それが連動するなら、日本人は10倍も幸せになったはず。
・ある調査で、世界各国で自分の幸福度を10段階で自己評価したものを集計した
 結果、2012年時点で、日本は6・5で、1960年度から50年で、ほとんど変化を
 してなかった。一方、北欧諸国は8・0前後と高く、他の欧米諸国の多くも
 7・0〜7・5、深刻な経済危機をかかえている失業率20%のギリシャさえ6・4%。
 日本は主要先進国中、最低レベルなのです。OECDの幸福度指数でも、
 経済力の割りに高くない。一人当たりGDPが14位にかかわらず、
 幸福度指数が34ヶ国中21位でした。・・・ ≫
▼ バブルの崩壊以降、右下がりの経済環境の中、戦前世代、団塊世代、
 団塊ジュニアは、右上がりの時代と比べてしまうのが要因の一つ。私の場合、
終戦から40年近く右上がりの時代に生きて、それまでの40年は日本の歴史的
繁栄時代に生きることが出来て、非常に良かったことは確かである。で、現在は? 
というと、バブル崩壊までに、その恩恵を充分に受けていたこともあり、当時の
温もりがあってか、それなりに良いし、満足をしている。
 森の生活の30数年間は、7百万〜千5百万の収入だったが、年金生活の現在、
3分1から4割の収入になったが、収入なりに楽しみがあって、当時が良かった
と思いは皆無。7万5千ドル(750万円)といえば、一般の家庭生活で、生活を
していくに気にしないで済むレベル。御隠居生活なら400万もあれば、充分。
父親の質実剛健の教えが、年金暮らしで再度、生きてくる。預金が10億もあれば、
やはりハワイに夏場と冬場の数ヶ月は滞在しているのだろうが!
饅頭嫌いは建前で、饅頭大好きが、やはり本音である! 
小さな中古マンションに引越し、半分はハワイに行くことは可能だが、
そこまでは出来ない!のは・・ この考えも、バブル期の残物?
・・・・・・
5628, お金に強くなる生き方 〜
2016年08月12日(金)
             【お金に強くなる生き方 〜佐藤 優 (著)】
   * 金融資産1億以上は、2・5%
 以前にも書いたが、日本の富裕層(一億以上の金融資産家)は2・5%=
358万人という。紀元前のギリシャでも、現在のアメリカでも、支配層が3%、
中間層が30%、下層階級が67%の割合は変わらないという。資本主義国の
優等生の日本では、一億円以上の金融資産がトップ層の目安になる。 
 年金生活に入って、今さら渇望するほど欲しいものもないし、日常の生活の
楽しみを良しとして淡々としているだけで充分。10億、100億あったところで、
使う意欲もない。 反面、日常生活でのお金の有難さは、強く感じている。 
 700万円位までは幸福度と比例して右上がりになるが、その辺りから、収入
増加に比例しなくなるという。 ということは、日本では公務員の平均給与が、
600〜700万辺りのため、高給取りの部類になる。 ならば、公務員になって、
大人しく生きることが一つの模範かも。アメリカでは、7割の人が「自分は幸せ」
と思っているという。何か変と思うが、これが事実である。 〜その辺から〜
<3分1の世帯が貯蓄率ゼロでありながら、全世帯の貯蓄平均値が1000万以上。
 これは何を意味しているか。とんでもない金融資産を増やしている世帯がある
ためである。 大多数の日本人はさほど賃金が上がった実感がなく、物価上昇
だけは感じているというのが現実。反面、ポルシェを買っていく人も多い>
▼ 都会サラリーマンの退職者に、2千万以上の預金を持つ人が多い。
 それに比して、地方は、親から引継いだ商店を潰して、夫婦して国民年金で、
預金がゼロに近く、何とか生活している人が増加している。地方格差の問題で
ある。とはいえ、今のところ、生活費を切詰めれば何とか生きていける。
リタイア後の生活で、お金を使わなければならない場面が圧倒的に少ない。
その上に、酒などを切詰めれば、年金内で、生活が出来ないことはない?
 娑婆は良いように出来ている。持った額だけ、それがパワーになることも
現実である。「金持ち、金をつかわず」である。使う必要がないためである。
・・・・・・
5263,ホモ・サピエンスの誕生と、生き残り 
            〜地球大進化46億年 ー
2015年08月12日(水)
      ー「NHK 地球大進化 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * ホモ・サピエンスの誕生と、生き残り
 最後まで残ったネアンデルタール人と、私たちホモ・サピエンスの差が、
複雑な言語を操る能力の差であった。 これは、現代社会の人間の能力にも
当てはめることが可能である。人間にとって最も重要な能力は、これである。
とすると、現代では情報端末を使いこなし、欲しい知識を得て、知恵に変える
能力=インテリジェンスになる。それが、そのまま、能力格差につながる。
 今では、ネット社会が、現実社会の上を覆ってしまい、それが現実を左右
する時代になってきた。IS(イスラム国)などは、その典型事例といえよう。
 ネアンデルタール人として、死滅するか。ホモ・サピエンスの次世代の人間
として生きるか?それぞれが大きな分岐点に立たされている。〜その辺りから〜
≪ ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの間に横たわっていた大きな溝、
 それは複雑な言葉を操る能力の差。もしネアンデルタール人が現在に生きて
いたらいつも会話をしている私たちの姿はとっても奇妙に見えたことでしょう。
言葉を獲得したホモ・サピエンスは、その能力を最大限に役立てました。
狩猟民族は言葉によって緊密な連携プレイを取り効率よく狩りを行っている。
そして狩りが終わった時、改めて言葉の果たす大切な役割が分かります。
その日の狩りを皆で振り返る時、言葉がさらに交わされます。
大人同士は狩りが失敗した理由を考え、新しい工夫を話し合います。
大人の会話を聞いた子供たちは狩りの技術を学んでいきます。
私たちは自らの経験を言葉で仲間や子供に伝えています。言葉を持って初めて
私たちは世代を超えてそれぞれの知識を共有できるようになったのです。
 言葉を持ったホモ・サピエンスとうまく操れなかったネアンデルタール人。
二つの氏族の運命を分ける時代がやってきた。4万年前、ヨーロッパーは
200万年間続いていた氷河期の最後のピークを迎えていきました。
寒さは厳しさを増し北半球ではぶ厚い氷河が欧州の北側を覆い尽くしていた。
この過酷な世界で生きるために言葉はホモ・サピエンスにとって大きな助けとなる。
寒冷地に住む動物たちは季節の移り変わりとともに大きな群れをつくって移動。
その時、ホモ・サピエンスは言葉によって獲物が移動してくる時期や場所の
情報を交換しそれに備えて狩りの計画を練ることができたのです。
言葉が未来を予測する力になったのです。 ≫
▼ 現在では、情報機器とネットが、日々進化して、現代人は、それに翻弄
 されている。しかし、時間とともに、それらを使いこなすことになるが、
その能力格差が果てしなく大きくなり、制御不能になるのでは? と思われる。
 言語能力だけでなく、洞窟画も、ネアンデルタール人には無かったという。
そこにも人間の能力の意味を知ることが出来る。より広く、深い知識を得て、
様々の世界を知り、音楽、絵画、演劇など多くの芸術に感動し、それを満たし、
新しい何かを創造することが人生であることを示している。


6722,閑話小題 〜職業は、その人を現す

2019年08月11日(日)



    * 「ああ、司会者か」… ね!
 その人の外郭を知ろうとすると、まずは職業、そして家柄、出身校、人柄、
センス… 等が続く。それだけ職業が、その人物を大きく体現する要素になる。
ところが、本人は意識していない。クリステルは、それを聞いた時、「ムッ」
とした表情だったような。 それぞれのキャリアといえば職業である。
そのため、男には名刺がある。とすると、名刺は、「釣書」「吊り書」の役割
を示す。ネットで、小泉元首相が、息子の相手を知った時のことが紹介された
時のひと言が注目に値する。
《 小泉進次郎衆院議員と滝川クリステルが結婚することを父親の純一郎元首相
が知ったのは、今年6月(2019年)のことだったという。元首相は「よかった。
一度はした方がいい」と喜んだが、相手の名前を聞こうとしない。
兄で俳優の幸太郎さんが同席していて、「相手が誰なのか、気にならないのか」
と聞いて、進次郎氏がスマホで写真を見せると、「ああ、司会者か」とひとこと。
初対面の席でも「クリスタルさん」名前間違えてる! 》
 ―
▼ 熟年同士の有名同士のカップル。クリステルあれだけの美貌で、華やかな
職業からして、あんのじょう浮名も多かったようだが。
…10年前の2009年に熱愛が報じられたのが中田英寿。
その直後から小澤征悦(2009年末〜2015年)。
最近では外国人の新恋人のデートの画像がマスコミを賑わせていた。
芸能世界は、特殊とみれば、進次郎など、赤子を捻るようなもの。その経歴が
災いになり、親父と同じ道を歩むことに? 数年の新婚生活は、それは楽しい
だろうが、骨抜きに? お二人の心の内までは解らないが、それも人生には必要に。
特に、離婚経験は、この政治家にとって必要条件とすれば、最適な御相手。年寄り
の冷や水の一歩手前で。成るようになるのが、娑婆世界。でもまばゆいばかりの
絵に描いたようなカップル。何をや言わん! 幸せな人には幸せの人が集まる! 
問題は危機管理。 糸の切れた凧のように… そこまで心配することもなし。

・・・・・・
6359,読書日記 〜嫌なことはやらない
2018年08月11日(土)
            <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
   * まずは「嫌いなことをしない」
 「好きな事をやる」より、まず「嫌いな事をしない」が、第一歩。
戦略とは「何に焦点を合わせ、集中することより、何を絶対にしないかを
決めることを優先すること」といいうが、人生でも、ビジネスでも同じ。
黒柳徹子の「仕事も、遊びも、好きなことしかしない」からこそ、現在でも現役
でいられるコツ」の言葉は有名だが、それ以前に「嫌いなことはやらない!」が
優先するとは… 20歳の頃、「キリスト教倫理」の課題に『人生の将来設計図』
が夏休みの宿題にあった。 考えあぐねた結果、『創業人生を生きる』で、両親
の戦後の転職の苦労話を書き連ね、自分も、同じ人生を生きたいと、書上げ提出。
その時に、驚いたことに、丁寧な長文の返事が返ってきた。
 『素晴らしい、その人生を生きるべきです!』
この遣り取りで、自分の性格が一変してしまった。丁度、都会生活と、寮の先輩
夫婦がペアレントをしていた軽井沢山荘のヘルパーに駆り出されて、単調な学生
生活から抜け出し始めた頃であった。何か世界が明るく輝き出したような… 
 世界は「自由、平等、博愛」を理想としているが、世界は真逆。それらは一つ
ずつ自分で獲得するものと。人生は自分の意思で選択するものと。考えるとは、
何が好きで、何が嫌いかから出発する。
 
  〜著者の、以下の部分が、一番の要点…
≪ テレビの創成期の日本テレビのプロジューサーだった井原高忠さんが
 書いた『元祖テレビ屋大奮戦』という本に、ガツンとやられた。…
<自分の好き嫌いで仕事をしている!これこそ理想だ>と思いました。
漠然とした自分の方向感覚が出来ました。以来、井原さんが僕のモデルです。
会ったことがないが、勝手に心酔しています。彼の本の素晴らしいところは、
<「好きなことをしろ」より「嫌いなことをするな」である>というメッセージ
が前面に出てくるところです。 フツーの人はそもそも自分が好きなことが何か
わからない。それで困っているのに「好きなことをやれ!」って言っても…。
好きなことはわからなくても、まず嫌いなことをやらないと決めたのです。≫

▼ 兄姉たちは、両親から距離を置いていたが、末っ子の私は、常日頃、
 親元にまとわりついて育ってきた。 面白いのが、商売のコツの話。
情報と知識の重要性、特に読書と新聞購読がベースと… それと知恵の捻り
出しの具体的ケースの数々。何ごとも好きになるまで努力をすること。
それと師と仰ぐ人の存在。父は津上製作所社長の「津上退助」「野本恭八郎」。
努力の量も、質に変化していくこと。ここでいう、『努力の趣味化』。
まずは「嫌いなことをしない」こと。好きなことをすれば、当然「嫌いなこと」
は薄れていく… ただし、これも慣れ、コインの裏表と同じく、そこに素晴ら
しい何かが隠れていることがえてして多い。時と、場合次第である。 
 誰がすき好んで、17年も連日、頼まれたわけでなし、小難しいテーマを
取上げ、書きつづけますか。嫌が応でも意地で続けてきたため。 
人生で一番良かったことは、嫌なことでも、嫌と思わなくなれたこと。
良し、悪いの比率が6対1のため。好きを増やすか、嫌いを減らすかは人による。
<500mで安住してきた人、大好き。> お前自身のことかい? 皮肉かい?

・・・・・・
5262,贅沢を敵にしない 〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月11日(火)
              〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 贅沢を敵にしない        
 ここで何度も書いているが、小・中・高・大学の同級会に毎年、出席して
いるが、進学するほど当然、空気が違ってくる。その大学でも、進級するに
つれ、属したグループの人の質(知識、家柄、人柄,etc)もアップしていく。
 4年前から、世界が住居の長岡だけに狭まったが、この小さな世界の段差が
嫌でも見えてくる。この城下町は未だ『贅沢は敵』の精神が付いてまわる。
 稼いだだけ、堂々と使えば良いだけだが。で、30年間、堂々と使ってみて、
どうだったか? いや、良かった。本当に!使った分は、あの世とやらに、
持っていける。ということで、両親にも教わっていたが、以下の論に納得! 
≪ やせた土地には作物が育たない。これと同じことが人間にもいえる。
 貧しい状況から豊かなものは生まれてこない。しかし、経済的に豊かな
状況からのみ何かが生産されるということではない。心が豊かであれば、
あるいは豊かな感受性を持っていれば、そこから生まれてくるものが必ずある。
豊かな知識、豊かな経験、豊かな能力、豊かな力、豊かな度量、そういった
ものから必ず生まれるものがある。
 しかしまた、いくら莫大な資産を持っていようとも、それを使わなければ
何かが生まれてくるということはない。当然のことながら、贅沢から生まれる
ものは多い。贅沢を好む気持ちからでさえ、蕩尽からでさえ生れるものがある。
ケチ、節約、出し惜しみ、死蔵、衰弱、弱気、過度の貯蓄などから豊かなもの
は生まれない。それでは、豊かなに生きられない、人生を十全に生きられない、
いきいきと生きられない、ということを意味する。
 たとえば、返済に数十年もかかるローンを組んだために好きな本も買えずに
図書館から借りては返し、質の悪い衣服をまとい、質素な物を食べなければ
ならない生活というのは、それ自体が豊かなことではないし、豊かなものを
生むのがとても難しくなる。実際に、そのために子供すら育てられない家庭が
あるのだ。粗食だの節約だの質素だのというのは、早々に人生を見切った老人
にまかせておけばいい。わたしたちは人生を見切るという愚をおかさないため
にも、豊かさを好み、贅沢を味方にしておかなければならない。
 そうでないと、ただ生きるだけになるからだ。税金をはじめとした支払いの
ためだけに生きることが人生といえるのだろうか。それはそもそも人生と呼べ
るのか。 豊かに、多彩に、悲喜こもごも、味わい尽くすのが人生である。
 あのイエスさえ、粗末な衣服をまとってはいなかった。ニーチェもまた
質素な生活はしていなかった。昼はいつもホテルのレストランでステーキと
オムレツを食べていた。ニーチェは、人間はもともと贅沢を好むものと述べる。
 人は豊かさを好むものだ。禁欲よりも放縦になびく。誰が好んで広い空より
も狭い空をあおぎたがるだろうか。誰が好んで、多くの可能性よりもわずかな
手だてを選択するだろうか。人間の本性の顔は贅沢に向いているのだ。
 たしたちは、机上の計算をするだけで金銭を得ることが当然だと思っている
ような経理的な人間にだまされてはいけない。これだけの金しかないのだから
この程度しかできないと彼らはいうのだ。彼らは金こそ可能性と力だと思い込ん
でいる。数字の計算が重要だと思っているような彼らより、本当に生産に
たずさわっている人たちは知っているはず。狭さよりも広さ、制限よりも解放、
圧迫よりも自由、計算上の明日よりも望みを含んだ今、貧弱よりも豊満、臆病
よりも大胆、反撥よりも限りない抱擁。そういったものこそ、人間をもっとも
人間らしい自由に導き、そこから新たなものを生むことを。かがんで身構えて
いては何も掴めない。踏み出し、進み、手を伸ばし、欲望をあらわにし、
求めなければならない。賛沢は何かを捨てることではない。何か新しいことを
得ることだ。贅沢は人間の能力を解放することなのだ。〜p109〜111  ≫
▼ 上記の意味すら理解できない人が、地方には多い。周辺の思惑に左右され、
「かがんで身構えて何も掴もうとしない!」 そう、ただ彷徨っているゾンビ
のような人が、身近な顔色を伺っているだけ。近づかなければ良いだけだが、
それが、また・・ 21歳時に、一ヶ月で、現在の300万以上の大学の欧州一周
ツアーに参加してみて、それまでの、小さな先入観が粉々に粉砕された。
そこで知ったのが、上記のこと。可能な限り力を発揮し、その力で、最大限、
豊かさを得て、この世を楽しむことこそ人生。 だからこそ創業を目指した。
 創業45年の人生、一応、豊満で、面白おかしい経験が行蔵に残っている。
贅沢は敵でなく、素敵である。どの道、直ぐに死ぬのだから!で、以下に続く!

・・・・・・
4897,閑話小題 ーシャバシャバ
2014年08月11日(月)
   * 娑婆とは
 「娑婆」の定義を知りたいとネットで検索したところ、次の内容があった。
≪ 娑婆とは仏法では人が生きる世界を指し、世界四苦八苦に耐える自由の
 ない世界としている。しかし、俗語的に娑婆は刑務所に入っている人にとって
の外の自由な世界を意味する。これは江戸時代、遊郭を娑婆に対する極楽安堵の
地と例えていたが、遊郭で働く女郎からは「娑婆(外の世界)こそ自由の世界」
になるためで、意味は逆だがどちらも人が普通に暮らす世界をさす意味では
変わっていない。俗語的意味で娑婆がよく聞かれるのはドラマの出所シーンで
「シャバの空気はうめえ」というセリフ。また、日常生活でも合宿中の生徒や
新入社員、人里離れた地で勤務する人など自由のきかない生活をしている人が
「早くシャバに戻りたい」といった形で使用する。≫ 
≪「彼岸」は「此岸」に対する言葉で、ともに仏教から出た言葉。「此岸」
(こちらの岸)とは、私たちの住む世界のことで、仏教では娑婆(しゃば)世界
ともいいます。「娑婆」とは昔のインドの言葉で、堪忍土とも訳され、耐え忍ぶ
世界という意味です。≫ とあった。
▼ 父の口癖が娑婆。日常的に世間を娑婆と言換えて使っていたため、たびたび
 聞いていた言葉。商家は、日常が戦場の真只中で四苦八苦世界の側面があった。 
終戦直前に、空襲の焼夷弾で街が焼かれた直後に物心がつき、一家は転業を
しながら日々を過ごす娑婆世界の環境であった。若者言葉に「やばい」と
「シャバ」をかけ「シャバイ」があるとか。今の私の日々は、シャバイになる?
この言葉から「ショバイ」が連想される。ショバイ日々、商売に熱中する日々。
ショバショバである。現在の私は「ショボショボ」になるのか!

・・・・・・
5992,閑話小題 〜最後の講義・12 ー石黒浩:対談
2017年08月11日(金)
   * 人の感情を推し量ることからの開放
 大人数の家族の末っ子として育ったこともあり、周囲に気を使い過ぎる
きらいがある。 SJでも、軽い会釈か、挨拶さえしないで独り、無言で、
イージーライン、ヨガ、ウォーキングマシン、マッサージのコースを大よそ、
2時間、熟している。メンバーをみると、3分の2が独行で、残りが2〜3人で
談笑しながら過ごす。対話の話題には、こと欠かないが、日常会話は苦手。
どうしても口が重くなってしまう。 まずは、何気なく褒めれば良いのは
分かってはいるが… 表情を最小にしたロボットが、思いの外、重宝して
いるようだ。無表情な部分を人は、想像でカバーしているようだ。無口で、
無表情の人に何やら魅かれるのは、そのせいである。
――
<石黒>
 アンドロイドの研究を行ってきた結果、最終的に行きついたのが、
「人の存在をどうやったら表現できるか」、「その条件は何か」ということ。
人間の脳は、「見る」と「聞く」を足し合わせて、1+1の2で認識すると
思われがちですが、実は、2つ情報が重なったときに、4とか5に反応する
しくみになっています。その結果、「知っている」という状態になるのです。
ハグビーの場合も2つの情報は「声」と「触感」です。
 人間そっくりのアンドロイドをつくって分かったことは、人間は大事では
ない要素を引き算して認識するということです。さらに、あるところまで行き
つくと人間は相手のことを想像でカバーし始めます。テレノイドが受け入れ
られるのは、人間は、「誰かはっきり認識できる相手に話しにくいこともある」
という性質があるからです。後期高齢者や認知症の人は、人に対して申し訳
ないといった感情から、話ができなくなっています。ところがテレノイドに
対しては、自分の記憶の中で適当な想像を働かせながら話すことができます。
<本荘>
 それは面白いですね。リアルな人間よりも、テレノイドに対しては、人間に
対する遠慮のような感情が湧かなくなるから、ピュアに受け入れられるのですね。
<石黒>
人間は相手のことを推察しますが、相手の感情を直接見ることができるわけ
ではない。すべて自分の想像の産物です。ネガティブな想像をはじめれば、
とことんネガティブになってしまう。ところが、ロボットだと分かっていれば、
ネガティブな想像をしなくなります。 私たちが行った実験では、高齢者、
認知症の人、自閉症の子ども、みんなロボットが大好きです。
今の社会では、人の感情などを推し量る必要があるため、そこで問題が起きる
ことが多いのです。もちろんロボットで全ての問題が解決できるわけではあり
ませんが、少なくとも治療の手段にはなります。ロボットを使用してある程度
話せるようになれば、人間を相手にして話す、といった活用です。 既に、
自閉症専門病院では、小型のコミュニケーションロボットであるCommUが使われ
ています。精神障がいの女の子の例ですが、大ゲンカをする嫌いな相手の女の子
がいるのですが、嫌いな理由は一切医師には言わない。しかしCommUにはすべて
話すのです。CommUを通じて、次は相手の女の子と話すことを約束した結果、
普通に話すことができて、関係を回復させることができました。 
心に引っかかっている、ちょっとした何かを取り除く助けになるかもしれない。
それがロボットの可能性です。
<本荘>
認知症や精神障がい以外にも、ロボットは、転職や職探しのケースで効果がある
と聞きましたが。
<石黒>
 ジョブカウンセリングも同様、人間のカウンセラーだと遠慮して言えないこと
があります。遠隔操作のロボットであるとわかっていれば、心を開きやすい傾向
があります。マツコロイドのお悩み相談は何度もやりましたが、相談者は素直に
話してくれます。落ち着いて緊張することなく、論理的に話せるのが特徴です。
――
▼ スマートフォンの普及で、仲間同士がネットで繋がりを持つことが可能に
 なった昨今、ブログが、感情の吐きだしとして有効に働くことになる。
マイナスも多いのだろう。 歳を重ねる度に、人は自閉症的になるようだが…


6721,閑話小題 〜今日のひと言… ―引き籠りもキャリアになる

2019年08月10日(土)


   * 何とも… 驚かされた言葉
       〜引き籠りもキャリヤ成りうる〜
 御隠居生活は、どうしても引籠り傾向になるが、それでもスポーツジムや、
シネマ館通い、自転車散歩、このブログなどで、鬱憤晴らし?が出来るので、
むしろ御隠居生活が有難くもある。ここで何度も書いている『世間』の批判。 
 NHKのクローズアップ現代の夏季特集の再放送で、「キャリアの引き籠り」
の問題。10年、20年の長期引き籠りの人たちを集めて、その深刻な胸の内を
披露していた。 問題は、世間に対する親の妄信。私が知る限り8割が重症。 
特に都会から放れるほど理解の低さ?が強くなる。彼らは、まず親の無理解を
指摘する。
 「引き籠りは世間体が悪い」「常識じゃ考えられない」「普通であれ」と。
何も考えようとせず、押し付ける。これじゃあ、堪ったものではない。その
序の口が、小中高校時代の虐め。特に両親の不仲なるが故の苛めっ子の虐め。 
彼らの狙い目の対象が、まず変わった普通でない子供。子供は加減を知らない
ため、それは残酷極まりない。実社会にはパワハラの残酷さが待っているが、
幼児・少年時の虐め体験で必要でもある。しかし弱い子供が、ここでやられる。 
500m圏社会の常識、噂に怯える人びとへの気配りで神経を擦り減らす。
その子供版が、クラスの仲間内での虐め。「世間並みに」「社会常識」
「普通であること」。 これらは、一見、正しいようだが… いや正しいが、
それを鳥瞰できる視線があればの前提がつく。引き籠りの本人にも問題がある。
引き籠りを、当の本人が自己否定する。 そして親からして無知とくれば!
 それでも親・兄弟がいればよいが… 存在しないと、ホームレス、そして
孤独死が待っている。当人にとって、それに抵抗感がないとしても…
欧米の一神教に対して、日本は『御世間教』が厳然と存在している。
この酷く感化された低俗の?両親の子供が、親と、幼友達から遣られてしまう。

・・・・・・
・・・・・・
2018/03/07
閑話小題 〜大変な人のでき方

   * 旅は根こそぎ人生観を変えた
 何度も書いてきたが、51年前の21歳の「30日間・欧州旅行」が人生を変えた。
国内さえ殆ど旅行したことがない私が、年間20万人しか渡航してなかった当時に、
ツアーに大金持ちの子女・子息たちと豪遊旅行に参加したのだから…、当時の
日常との段差が如何ばかりか。それまでの人生と、その後の人生というほどの
段差によるカルチャーショックが、そこにあった。 
 良かったのが、事前情報が皆無に近かったこと。名所名跡に出あいがしらの
感銘がより大きくなっていた。その衝撃は、その後の秘異郷旅行のライフワーク
に繫がっていた。 
 
 当時よく聞いた話が「カルチャーショックで気が変になる人が多々ある」。
今では情報化で現地の事前情報があるため少ないようだ。私も帰国後の数ヶ月は
自失茫然状態であった。それまでは、私なりの世界観、価値観を保って秩序を
守ってきたが、そのベースが根本から揺れ、それが新たな再生になっていた。
 老いる度に、私たちは小さな世界に閉じこめられ、その世界しか知らなかった
ことに気づき、慌てる。その後、数知れない衝撃を受ける度に、生き方、人生観
が根こそぎ変化していった。成るほど、「大変な人」と言われるのは至極当然。
私の限界の中の衝撃で、破壊と再生の「変化」を経験すれば、「変」が大きく
なる筈である。 とはいえ、その道のプロ、例えば、秘境の地への赴任とか、
添乗員から見たら、何をバカなことと笑われる半端なド素人でしかない
。 
 一歩、旅行に向け踏出すと、非日常の世界になる。 新幹線から成田線に
乗継いで、機内に入ると、非日常が、日常になり、これまでの普段生活の日常が
非日常に逆転する。黄色のミニ集団の一員として、こちらの正しいことは、旅先
では正しいとは限らない世界になる。世界は多様であり、それぞれが特殊であり、
また自分の世界も特殊であることに、気づかされる。それぞれの地域で、それ
ぞれの言葉を話し、様々な考え方をし、地産地消をしており、それぞれの文化
の中で生活をしている。その実体験が旅行の醍醐味になる。一回の旅行で、
ホテルや、観光先や、乗り物内で、様々な文化文明に触れ、感動や感激をする。
変わっていく旅先に順応しながら、自分も変わっていく。感動、感激の経験は自分
の感情を豊かにする。旅に出て、感動し、感激し、感涙する度に、違った自分に
変化していることに気づく。

一年前に入れた4KTVが内なる世界を変えた。『アクティブ・カウチポテト族』
と言うが、世界の秘異郷先を、実際の人間の視力より、遥かに鮮明に映し出す。
今では、YouTubeで4kの映像を見ることが可能になっている。数十年経っても、
これで追体験が可能になる。更にブログで、旅先からライブの生々しい写真と
映像と実感の言葉を見ることが出来る。 21世紀は、楽しみ方を知ってるものに
とって面白い時代だ。 これは何事でも言えることが…

・・・・・・
6358,閑話小題 〜年寄りの不幸感覚
2018年08月10日(金)
   * 老いの自覚を…
 年齢と共に、年々、肉体的、精神的の老いの新感覚に唖然とする。
ボクシング協会の老醜丸出しの78歳の会長。ここまで唯我独尊となると、
漫画の世界。 引き際を間違えた典型。勝手に立場を悪用して「終身会長」
とは、何をか言わん。 …ハーフの朝鮮人で、元暴力団・準構成員上がり。
前科が無かったのが幸いし、過去の身体検査から漏れたようだ…
論理は、ヤクザの脅しと同じ手法。脅し口調に、ナダメと涙を駆使して、
自分のペースにまきこんでいく。演劇的で面白いといえば面白いが… 
よくみればハッタリかましのオジイチャン。肉体系駆使の格闘技の世界は、
こういうのが多く生き残っているようだ。

  * 再び、長岡花火の話題に
 一昨夜、TVで長岡花火のハイライトを放映していた。今日も同じ内容かどうか
定かでないが… 放映される。それを見ていたところ、家内がYouTubeの4k録画
を『綺麗だから見たら!』という。昨年、熱の冷めやらぬ8月末に「大曲の花火」
を見ながら、YouTubeの長岡花火を見ていたが、今年は、その前に、見ることに。
この数年、寝室で独りで見ていたことを家内は知らなかったようだ。
 今年も家内は二日間とも、駅まで自転車で行き、あとは駅か信濃川に向かう
群れに加わり二キロ程先の大手大橋近くまで行くという。数年前まで同行して
いたが、家内も自由気ままの単独行動に慣れてしまった。
 二日目のこと、家内の後ろの男の人がフェニックスに感極まって、
<『凄い、凄い!』の感動そのままの言葉が伝わってきた… けれど、もう私
には、それほど感動は無い…。>と宣わく。 花火文化の中で、毎年、繰返し
見れば、初回の格差は大きくて当然。これは悠久山、福島江の桜にも言えるが。 
 
 夜空の比較の話なら、北極圏のオーロラと段違いのスケールの差がある。
比較すること自体、オカシイ自慢話の領域になる。
――――
2003/10/13
922, アイスランド旅行記−2
              ー 2003年10月13日(月)
   ーアイスランドを印象順に書いてみる
・何といっても、『オーロラ』である。
 オーロラは二度目だが、前回のノルウエーのトロムソは外れであった。
 今回は一回だけだが大当たり!しっかり目に焼き付けてきた。
 ー明日オーロラについて書く。
・海に突き出た雄大な断崖のディルホゥラエイのパノラマが素晴らしい。
 高さ100mの断崖がどこまでも続く絶景と、断崖から見えた果てしない
 海岸線が何とも美しい。
 北の果てという感じが一番でている場所であった。
・クレーバルバトン湖の背景に広がる景観は、 正しく月の景色に一番似て
 るといわれている。スターウォーズの映画の場面を思わせる茶色のパノラマ
 が別の惑星にいるようだ。アームストロングがここで訓練をしたという。
・氷河から流れ出た滝が、それぞれ素晴らしい。
 何といっても迫力のあったグトルフォスの滝が印象的であった。
 イグアスの滝に似ており、北極のイグアスとう感じだ。
 またスコォガフォスの滝の美しさも忘れることができない。
・霙の中で見た3〜4分ごとに吹き上げるストロックルの間欠泉も
 アイスランドならではのものだ。
・溶岩でできている大地がほとんど国を覆っている。
 土がまだ殆どできていないのだ。大地の上を数百年かけてできた20cm
 ほどの苔が土の役割をはたして、その上を草が生えているのだ。
 我々は何げない土の上に住んでいるが、数億年かけて有機物の新陳代謝を
 繰りかえして土になっていったのが、このアイスランドに来てよく解った。
 岩山も緑の苔が覆っていて、景色としはアイスランドならではの異様な景色だ。
・少し場所を移動しただけで、景色がドンドン変わっていくのが印象的である。
 テーブルマウンテンや溶岩で出来た岩山、氷河に荒涼とした荒野などなどだ。
 そこに羊と馬が放牧されている。
 その中で目立ったのが、アイスランドポニーという小型の馬である。
 冬でも極北の寒さに耐え、そのまま放牧をしておいても大丈夫だという。
 性格が穏やかで欧米で人気があり輸出用だという。
 
 見た感じとして似ている国としては、ニュージーランドとパタゴニアである。
 氷河とどこまでも続く荒涼とした大地と、吹き付ける冷たい風は北も南も一緒だ。

「一生に一度に行きたいアイスランド」という言葉が一番にあっている国である。
    本当に世界は広い!

――――
2003/10/14
923, アイスランド旅行記ー3
          ー 2003年10月14日(火)
ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラが
カーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが無かった。
夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。
 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。

 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。
 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」と話しかけてきた。
「実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。
 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
それを聞いて、「ちょっとオーバーではないか?」としか思ってなかった。
しかし、この言葉の意味が実際見て初めて解った気がした。
 あと一度見たら、アフリカの大地のように完全にハマってしまうのだろう!
 


6720,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか?  −3

2019年08月09日(金)

    * 具体的な美女の共通点とは…
 昔から,好きなタイプの女性には共通点があった。そこで、それぞれの地区で
出あった(というより、傍観?してきた)5人を想い浮かべると、共通点がある。
 
 ・お嬢様タイプ
 ・清潔感抜群
 ・輪郭が卵型
 ・目が生きている
 ・衣装のセンスがよい
 ・自信を持っている
 ・明るく、積極的
 ・肌がきれい
 ・歯並び、口元が締まっている
 ・健康的
 ・姿勢がよい
 ・知性・教養が満ちている
  〜これらに、5人の特殊要因…
 ・身長が中肉中背の162cm当たり
 ・血液A型?
 ・長女タイプ
私の知る限り、性格の明るさ・暗さと、知性・教養を除くと、上記の条件を
ほぼ満たしている。4人の姉が基準があったため、ある程度は冷静でいられたが、
やはり男の生理が?目を眩ませる。「一人を選ぶということは、一人以外から
除外される」周囲の事例をあまりに知り過ぎていた? 青春が一瞬で消滅して
しまう現実。
 誰もが認める美女には悩みがある。適応できる相手の絶対数が少ない。
条件が良質ほど機会が少ないのである。 こんな筈がなかった、何で? 声を
かけても、自信なさそうに、反応してこない。 現実に妥協した相手の内実を
知れば知るほど、隣の芝生が緑に見えてくるが、反応なし。自分を、少なくとも
二ランク上の逆上せが、更に自尊心を傷つける。世間の常識に縛られて、息も
出来ない程のプレッシャーの結果の妥協が、今の私? そして、それも諦めが…
で、その結果が、世間にまみれた小母さんに! 何より可哀そうで、哀れな
のが初な男! 人類の永遠のテーマ? でも、何故か、何れのステージでも、
美女に恵まれていた! 4人の姉の基準があったお陰ですか。 いや、逆か?
ところで、小泉進次郎と… 何、あれ? お似合い過ぎて、嫉妬が湧き上がる?

・・・・・・
6357,閑話小題 〜つれづれに哲学=言語ゲーム
2018年08月09日(木)
   * 日常生活の中で言語を考える!
1日1テーマで、文章を書上げ、ここに提示しているが、これはテーマ探しから、
起承転結の文を書上げ、推敲し、完成に至るゲームでもある。毎日、何か黒い影
に追いたてられている感覚になるが、これも慣れ。気ままに、ゲーム感覚で、思い
のままにテーマを決めて、論理を組みたてる遊び。どうしても、過去の話に捉われ
がちになるが、前向きな創造的内容も多くある。 5年、10年、17年間、読み続けて
いる読者(自分も含め)に向け書いている点でゲームに近い。
 ウィトゲンシュタインとは少し意味合いが違う。彼は日常用語に注目し、
諸活動に織り込まれた言語に注目し、分析する。 〜その幾つかを紹介する〜

≪ 言語ゲームとは、言語哲学者ウィトゲンシュタインの用語。
 彼は言語を、「命令する」「演劇をする」「ジョークを作って話す」などの、
諸々の活動に織り合わされたものとして考察した。
このような言語を伴った諸活動が、言語ゲームと呼ばれる(『哲学探究』1953年〉)。
 そこには「言語に先立って個人の内的感覚や客観的事実があらかじめ存在しており、
言語はそれを写し取る道具である」とする古典的言語観を解体しようとする意図がある。
・言語が客観的事実を描写するとしても、それは単に事態を写すのではなく、例えば
 火事を知らせる場合のように、「自己や他者に対するなんらかの活動」なのである。
・第2に、言語による表現は、人々の間に共有されたルールにもとづくものとされる。
 個人の内的感覚でさえも、そうしたルールに基いてはじめて表現され理解されうる。
・第3に、ルールはたまたま成立している慣習的なものにすぎず、絶対のルールなど
 存在しないとされる。 例えば真偽を判断する際も、なんらかの慣習的なルールに
 基いて行われる以外になく、絶対的な判断基準などは存在しない。
こうして言語ゲームの考え方は、相対主義的ニュアンスを強く帯びることになった。
現在では言語ゲームは、社会学上の用語としても広く用いられている。例えば、学校
や家庭やもろもろの宗教などを、それぞれ異なったルールをもつ言語ゲームと見なし、
それぞれの特質を分析することができるからである。≫

≪ 言語の本質はなにか、というのを考えて行き着いた概念。
例として挙ているのは、石置き場におけるやりとり。親方が「柱石」と叫ぶとする。
すると、弟子が柱石を持ってきてそれを親方に渡す。この場合、別にその「柱石」
という語の意味を把握して何かの行為をしているわけではない。この台詞を聞けば
このように行為せよ、というのを既に習得していて、それに従って行為したという
だけだ。だから、たとえばこの「柱石」という言葉は、別のところに行けばまた
別の意味を持ってくるわけである。個々の状況から独立した言葉の意味というものは
存在しない。すべての語の意味は、状況に規定されるものだ、ということになるわけ。
このことを、ゲーム(互いに理解しているルールに基づいてやりとりするもの)と
似ているという理由で言語ゲームと呼んでいる。≫


▼ <諸活動に織り込まれた言語活動という点で、このブログ活動は言語ゲーム。>
 新たな読者が読みはじめて半年、一年では、脈絡が理解しにくいだろうが、
慣れてしまえば、こんなものか?と。ウィトゲンシュタインの後期には、日常言語
に立ちもどって日常会話に注意を向け分析をしている。哲学者たちは神、魂などの
語りえないものについて語ろうとしているわけになるが、彼は哲学から、こういう
形而学を排除し、語りえないことには沈黙を守るべし!と主張した。それは、この
ブログを読めば、生半可な知識、情報を、未消化で提示している愚かを気づくはず。
それでも、私にとってプラスと思えるから続けている。毎日、同月同日分の
文章を読み直しているが、書き、提示する目的が自分自身向けのためか、状況説明
が甘い欠点と、それ故の誤解も多くなる。大相撲協会の怪しげな体質を代表とする
諸々のスポーツ協会の問題。現在は、レスリング協会、日大アメフト問題、そして
ボクシング協会へと問題が移動しているが、彼らの言語活動から垣間見る異常な
世界が、言語ゲーム感覚で何とも面白い。格闘技など、言語の代わりに「暴力」を
入替えた「暴力ゲーム」でしかないため、そこには、『言葉足らず』の活動が
独り歩きし、独特の世界を形成する。「力」とは「知空」とゲーム感覚で当て
はめるのも言語ゲームですか。スマートフォンの進化の御蔭で、言語ゲームから、
インスタバハエの『映像ゲーム』に世の中は変化をしている。これも、添えて書き
こまれた言語次第だが、それさえ必要としない映像が溢れている。
豊かさって何でしょう? その根本が、世界で問われている。「意味の意味?」…
 さて、エネギー補充のため、信濃川土手に向けて出発だ! 
・・・・・・
5260,永劫回帰  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月09日(日)
             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 永劫回帰 〜人生の肯定
 ニーチェといえば、「超人思想」の他に「永劫回帰」があるが、この本
では、大きく取り扱われてない。しかし、これを避けてニーチェは語れない。
『哲学で自分をつくる』瀧本往人著の中に、以下のような文章があった。ーp141
≪ 二ーチェは「奴」のいない「主」を超人とした。超人は誰にも何にも依存
しない。確かにこれは人間を超えている、人間はもとより社会的な生き物で
あるがゆえに、誰にも何にも依存しないということはほぼ考えられない。
考えられないことを創出したからニーチェの思考は飛びぬけているが、
同時に危険でもある。それはまた自分の生き方にも適用される。
「いやもう一度、いや何度でも、まったく同じ自分の人生を」といった、
自分の生を絶対的に肯定する。これがニーチェの言う「永劫回帰」である。 
人は誰もが死に至る。しかしこの「私」とは、生まれてきた以上、永遠である。
生まれ変ったら別の人生を歩もうとか、前世は立派な人間だったはずだ、とか、
そういう考えはたわごとにすぎない。永遠にくりかえし、足し引きがなく、
まったく変わらず、そのままの人生に戻ってくる、と二ーチェは述べる。
永劫回帰は、どうみても当時ヨーロッパにおいて流行した仏教の輪廻思想との
近似性を感じるが、ただし輪廻においては全く同じ人生に戻ることはない。
世界のあらゆる事象が有機的に結びつき、死もまた新たな生と結びついている
ということを輪廻は教える。また、輪廻思想では、自分が死んだあとには
別の何者かに生まれ変わるが、ニーチェは生まれ変わってもまた、全く同じ
自分が「生きる」だけなのだ。これは、一般的には好まれない考え方だろう。
人はみな、生まれ変わったら、別の自分でありたい、と思う場合が多いからだ。
 つまり何かしら後悔をしており、やり直したい、別の人生を歩みたい、
あのときもし、ああしていれば、そういった後悔の修復・訂正を求めている。
 しかしニーチェはそういった考えをやめよ、と強く主張しているのである。
つまり死んだらおしまい、である。永劫回帰とは、絶対的な虚無主義を基盤と
しつつも、だから人生は虚しい、と考えるのではなく、人間は本来、この一度
きりの生を十分に楽しみ自己を肯定して生きるべきである、という人生観を
現している。そこにニーチェの強烈な、魂の咆哮を感じずにはおれない。
二ーチェの嫌ったソクラテスが自らの運命として毒杯をあおったように、
ニーチェは自らの「表現」に稲妻を落とすのであった。しかし、ニーチェは、
このように並なみならぬ強さ、超人的な生き方を強調するが、実際の彼は
きわめて病弱だった。そんな彼が異常なまでに健康や生の強度(内的な充実性
に溢れた自己経験)にこだわった文章を遺していることこそ、実は、彼の生の
弱さを物語っているとも言える。そして同時に(だからこそ)彼がここで「超人」
に至っているのは、それでもなお、自分の生を肯定的に受けとめ、しかも
それを永遠にくりかえしてもかまわない、と言い切ってしまったところである。
ここに他の哲学者にはない迫力と緊張を私たちは見ることになる。・・ ≫
▼ 『再び、生まれ変わったても同じ人生を!』と言えるかどうかが、晩年の
 私たちに 突きつけられる大問題。自分の人生が肯定できるか、否かは、
本人にとっての一大問題。しかし、肯定できたとしても、死んで三日もすれば!
ならばこそ、「一度限りの人生を楽しみ、自分を肯定して生きるべき」になる。

・・・・・・
5625,人生を幸福で満たす20の方法 〜
2016年08月09日(火)
         <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
    * 空虚な日々を楽しむ方法  
  5.海を渡って心をリセット
≪ あなたは、あなたという船の船長です。乗組員がいてもいなくても、海に
乗り出した以上、あなたは航海しなければなりません。漕ぎ手や修理係りは
来てくれるでしょう、でも舵取りはあなたの役目です。・・(略)
  川では小さすぎる。隔てるものもあるが、文化を結びつける働きもする。
 しかし、海は「文化を隔てる」ものである。だから、海を渡ると、実に
 多くのことが見えてきて、心も経験も豊かになる気がする。海を渡ることは、
 リセットの極意である。 ・・海を渡るということは、自然の境界を越える
 ということである。自然や文化を大きな変化を体験できるということ。
 これは、一つの冒険であり、リセットの極意でもある。 ≫
▼ 21歳の「欧州30日間の旅行」は、人生にとっての大きな分岐点(リセット)
 になった。アラスカ経由でデンマークのコペンハーゲンに下り立った時の、
あの空気と、宿舎への道すがらのバスからみた光り輝く緑の中にある街並み。
その時から行く先々の光景のどれもが、異界を見ているようであった。
この経験は、それからの人生の浮沈みの中で大きな支えになっていた。
 その時の経験が私にとって、いかに衝撃だったかである。それから10数年は、
仕事、家庭に専念、十数年間は出ることが出来なかった。 40歳前半辺りから、
年に二回は出るようになっていた。年に二度のリセットで、何とか人生の峠を
のり超えてきた。これも絶対量が蓄積すると、強力な磁力なる。


 


6719,閑話小題 〜今日のひと言… 

2019年08月08日(木)


    * 人間には「勇気」は一つしかない
 昨日は、暑さを言い訳にスポーツジムを休んだ。そこで何気なく、警察内部の
暗部を背景にした弁護士モノの録画をみることに。それを昼時に、寝室で独りで
見ている御隠居生活に笑そみ… その中で強烈に残った上司の、
若い女弁護士に語ったひと言があった。  …大まか、こんな内容。

『告発された刑事の弁護を御前を担当させたのは若いから。人には一つだけ
勇気が与えられている。これは、一度、失うと二度と戻ってこない。わしは
権力に叩き潰されて、それを失った。告発された刑事は、その勇気を持っている。
そして正義を貫いている。この「正義」ってのを権力を持ったものは弱いのだ。
その勇気を彼は失おうとしている。救ってやれるのは若いアンタだよ。』
この言葉に、俄然、駆け出しの女弁護士に火が燃え上る。
 ―
 事業撤退を決意した時節に思ったことは、この結果も想定内。準備の
シェルターは、ほぼ完ぺき。20歳の創業の決意と、34歳からの実践の
結果には、自ら決意でのこと。後悔は絶対にしないと決めていた。
何故か、平然としていられるのは、「勇気」だけは残してあったため。

 最期はフランクルの【態度価値】になる。 これは、
<人間が運命を受け止める態度によって実現される価値のこと。 たとえ病や
貧困やその他さまざまな苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ
(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が
人間にはまだ残されている、ということ。>
 ―
▼ 最近、よく目にする、死んだ弟を背負った、「焼き場の少年」の写真。
 何故か、少年と弟の想定が次々と浮ぶ。もし、それを口に出したら…
当事者の一生の傷になる可能性がある。今回は、背負われた弟が、『勇気』。
何処の家庭内にも、この構図が当てはまる事象がある? 
『神ありか?』ではなくて… 『神はあらねば!』である。 最近、思うことは、
このこと! 特に因縁という言葉。因は直接原因。縁は間接原因。その結びつき。
<孤立する、孤独する勇気> 何ごとにも立向かう勇気こそ、今・ここ・わたし
にとって、まず必要ということ。 さて、まだ5時前だが、信濃川の何時もの
コースの一周に出かけますか。

・・・・・・
6356,読書日記 〜努力の趣味化
2018年08月08日(水)
            <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
   * 好きこそものの上手けれ!
 両親が常日頃、言っていた言葉が、『仕事も何でも、取組んだら好きになるまで
集中し努力すること。そうすると努力が遊びになる。それと質の良いライバル。』 
そのわりに、この程度とは、これ如何に? 人生、最大の謎? いや楽しみ過ぎ!
 
・この随想日記も趣味、遊びの領域に入るのに10年近く要した。で、己の限界が
この程度と我ながら内省するしかないが、この程度の文に、テーマ探しと選定を
入れると、2〜3時間のエネルギーが入っているため、どれもこれも愛着を感じ
取ることが出来る。ここで編者は、『努力の娯楽化』とは言いえて妙である。
17年数ヵ月続いたのだから、ライフワークである。
・いま一つのライフワークの『秘・異郷を中心にしたツアー・ゲーム』 
地球儀を五目目版に見たてゲーム感覚で埋めていく、これは『娯楽の長期継続化』。
所要期間、30〜40年。夫婦と子供を含めて4000万、年150〜200万が高いか安いか? 
は…別問題。『一点豪華主義』と、国内旅行は中断、普段の生活は合理主義に
徹していたため、家計の収入内で収まっていた。
・あとは、早朝散歩とポタリング(自転車散歩)。早朝散歩が30年、チャリが
10年近くになる。駅裏にある自宅から、長岡大橋と大手大橋を一時間かけ一周
するが、この間が、公園として整備されている上に、左右50キロの展望が抜群。
パリのセーヌ川、ドナウ川の展望に遜色ない景色。これを4〜11月の8ヶ月間も
毎朝、味わえる… 毎朝、ほぼ誰も、歩行者も、チャリダ―も居ないのは、
実際のところ知らないため? さすがに、土日は少し居るとしても少ない。
・それと毎日、数本はみているドラマと映画、これも… 
・更に読書習慣!
話は、尽きなくなるので、この辺で止めておく。

  好きと嫌いと どれほど違う 命ただやる ほど違う

残照の中で、好きなことをスケジュールで紡いで楽しんでいるが、
天気晴朗なれど、大した遠くない先に、うねりが近づいているような。
――――
Amazon 説明:
《 何をやるにしても「好きこそものの上手なれ」が最強の原理原則だと信じて
 いる楠木建が、さまざまな分野で余人を以て代え難い仕事をしている19人との
対談を通じて、それぞれの才能の起点にある「好き嫌い」を探る対談集。
〜レビュより〜
【「客観的に見れば大変な努力投入を続けている。しかし、当の本人はそれが理屈
 抜きに好きなので、主観的にはまったく努力だとは思っていない。むしろ楽しん
でいる。すなわち『努力の娯楽化』、これが仕事における最強の論理だというのが
筆者の考えだ」】
【「自分のほうを向いた趣味と違って、自分以外の誰かの役に立っての仕事。
人に価値を提供しなければ話にならない。人の役に立てるということは、そのこと
についてよっぽど上手だということ。じゃあ、なぜそれほど上手なのか。有り体に
言って努力投入してきたから。しかも、長い間やり続けているということですね。
結局のところ、努力量の積分値が大切に決まっている。ここから先がポイントだが、
『努力の長期継続』といっても、実際のところフツーの人にとってはなかなか難しい。
僕にしてもそうです。娯楽なら何の苦もなく続けられるのに、努力は続かない。
で、ある時に脳内革命が起きた。『努力』をしようと思うから続かない。
『努力が努力じゃない状態』になればいい。すなわち『努力の娯楽化』が仕事の
カギだという発想です。客観的には努力であることがその人にとっては娯楽に
等しくなる。その理由は、要するに『好きだから』。以上の一連のロジックの最初
と最後を取ると、『好きこそものの上手なれ』になる」。
自分の一番好きなことは何か、よし、その好きなことをこれからも続けていこうと、
心に誓った私。】

▼ 普通の人でも、「努力の長期継続」で普通でなくなる。で、努力を遊びに
 すれば良い。遊びはゲーム化。ゲーム化とは、ルールを何気なく決めていくこと。
それが出来るかが境目のポイント。そこで目につくのが、何も考えない、しよう
しない世間様の存在。 だから、繰返し、しつこく、取上げている。何でそんな者
というが、舟底に知らずにヘバリツク牡蠣のように舟を沈めてしまう力を持つ。
好きこそモノの上手けれを見いだせないで、それを他者に向けるヘドロ。
他者の中のそれは、自分の姿だから。半径500m、直径1000mの世界では、常に
舟底の牡蠣が… それも良いのだろうが、半世紀もかけて殺ぎ落としてきたのだ
から、今さらとなる。だから、好きなことを見つけ『努力の娯楽化』をしないと!
「あいつら、何やってんだ。それも夕飯時の残照の中で。」が、自分に言えること
だから? 美味い酒飲んで、涼しい部屋で、面白いTVの映画をみて、グッスリ寝て、
朝早くから、これ書いて、チャリで、信濃川で新鮮な空気と霊気を浴びて、朝風呂
入って、インコに餌やって、ジュースを飲んで、ネットサーフィンをして、それも
【努力の趣味化』の御蔭ですか。 …というより、痴呆化の入り口ですか?
他人のは分かるけど、自分だけは。合せ鏡で同年代を見ていると、それはもう… 
殆どが自己否定を他者否定への振替作業が主となり、身体同様の硬直化が日々進行。
――――
4152, 「B層」の害毒
2012年08月08日(水)
   【ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒】ー適菜収著 より
 哲学者の適菜収のー日本を蝕む「B層」の害毒ー論が面白い。B層といえば
(何度か取り上げたが)、小泉元総理が「ワンフレーズ」で、「マスコミに扇動
されやすい大衆に名付けた層」をいう。2005年の郵政選挙の際に選挙戦略として
国民をIQと構造改革への姿勢からA層、B層、C層、D層に分類、B層を選挙の
ターゲットとしたことに由来する。これで当時の自民党に圧倒的大勝利を収めた。
この層について、著者は以下のように分析している。
≪ 「B層」とは何かというと、
◎〈マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち〉
 とあり、〈B層は絶対に反省することがありません。無制限に拡大した
 権利意識と被害者意識がB層の行動を規定します。郵政選挙で騙され憤慨し、
 再び民主党のマニフェスト詐欺に騙され失望し、将来にわたり「騙された!」
 と喚き続ける存在がB層です。〉とある。
◎〈今の世の中が肌に合わない人。今の世の中のどこかおかしいと感じている人。
 今の世の中を深く軽蔑している人。そういう人はニーチェの言葉に耳を傾けて
 みるべきでしょう〉という
◎〈B層の問題とは、すなわちキリスト教の問題なのです。〉 
〈B層が無知を自慢し、偉大な人物が死んでも「アタシ知らなーい」「誰それ?」
 などとわざわざネットに書き込むのは、彼らがキリスト教の影響下にあるから。〉 
◎〈まともな哲学者・思想家は、例外なく民主主義を否定しています。人類の知性
 は、民主主義と戦い続けてきたのです。 民主主義は、十八世紀に発生した
 キリスト教カルトです。〉(わが国にも「民主主義には寛容の精神がある」
「民主主義は少数意見を尊重する」などと言う人がいます。バカなんでしょうか?
 民主主義に一番たりないのは寛容の精神と少数意見の尊重です。) ≫
▼ 問題は、B層が悪いのではなく、彼らは、どの様にも操作されやすいという
 ことである。これまで、マスコミは、大衆として、彼らを捉えて、その操作を
駆使しトップダウンを役割にしてきた。 ところが、そのB層に超小型パソコン=
モバイル携帯が普及して、これが情報のコンテンツになってしまった。B層には、
自分がB層の自覚がないため、そのレベルの判断が体勢を占めてしまう。
これが「B層の害悪」になるのである。B層はA層にコントロールされてこそ、
社会は保たれるのに、B層が主導権をとったら、そこには混乱があるだけである。
現在の民主党の混乱は、これである。A層を自認してきた自民党も、あのざまで、
C層化している自覚が全くない。この超小型パソコンが、今後もたらす影響は
モンスターのように、世界を混乱に陥れることになる。タブレットPCも含めた
端末情報機器が、プラスにもマイナスにも社会を激変させている。

・・・・・・
5624,人生を幸福で満たす20の方法 〜
2016年08月08日(月)
          <人生を幸福で満たす20の方法>三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜
3.手触り感のある生活
<迷ったら、天に、地に、命に触れよう。それがあなたのこころを
 すませ原点にかえしてくれるから。>
<何故、ではなく、どうすれば、と問いなさい>
▼ カーライルという詩人が、一人の女性か. ら身の上の悩みを相談された時、
「帰って、あなたの針箱の 中を整理しなさい。そうすればあなたの悩みは
やがてなくなります」と答えたというが、まさに、これ。無心で何かに集中
すると、無心の彼方から問題解決のヒントが、沸いてくる。そういえば、
朝ドラで、編集長役が、ヒントを考えるときに、「知恵の輪」に集中する
手法を使っていた。
 ――
4.幸福に働くために
 働けることは幸福なことである。 果たすべきことをやる。
 仕事に楽しみを見出し、感謝することである。
「働き、遊び、学び」は、人間が生きていく上で必要な要素である。
「恒産あって、恒心あり」である。
「いま、ここでしか出来ないことを、自分から見つけてすること」である。
▼ 外海なら、一つの判断ミスで、致命傷になる。 だからこそ面白いが、
視界は、その人の能力範囲しか見えない。孝不幸など、考えていられる
ほど自然現象は甘くない。万一の場合の、準備が常日頃から必要になる。
空虚な日々など、経営にあろう筈はない。
 
・・・・・・
4527, 生きる悪知恵  ー6
2013年08月08日(木)
  「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 * 娘が、漫画家になりたいと言い出しました
Q: 高2の娘が、漫画家になりたいから、大学に行かずマンガを描くと言い
 出しました。昔からお絵かきが好きな子でマンカもよく読んでいましたが、
 まさかそんなことを考えているとは思わず、驚いています。特に成績がいい
 わけでもなく、この就職難の時代に中途半端な大学に行くより、なれるなら
 なってくれたほうがいいという気もします。でも、プロの漫画家になる
 なんて簡単なことではないでしょうし、娘の描きかけのマンガを見ましたが
 才能があるかどうかわかりません。娘に才能があるかどうか、どうやって
 判断すればいいのでしょう? 今は大学もマンガ学科があるようですし、
 そういうところやマンガ専門学校に行かせたほうがいいのでしょうか? 
 アドバイスいただればと思います。 
A:私が美術予備校に行って勉強になったのは、自分の作品と他者の作品を
 冷静に見比べることができるようになったこと。300人の絵を並べて、その中
 で最下位だということがわからなかったの、最初は。「なぜ、自分が最下位で、
 この人が一番?」なのか自分が見えてなかったの。 ・・すごい不細工なのに
 自分のことを可愛いと思い込んでるコがいるでしょ。あれと同じ。でも、
 予備校で本当に上手な人の絵を見て、大学に行ったらもっとみんな上手かった。 
 で、「ダメだ、こりゃ」って、自分の実力がいかにないかとわかって、
 「じゃあどうするのか」って、そこからですよね。そういう意味で、専門学校
 みたいに人が集まっているところに行くのも自分の位置を知るにいいかも。
 ・・才能があるかどうかなんてやってみないとわからんし、親が判断すること
 でなく、それは世間様が判断すること。・・まあ、別に漫画家じゃなくても、
 高校生にもなった娘が進路について「これをやりたい」というのに反対する
 ことはない。ひとつだけアドバイスするなら、「アルバイトはさせたほうが
 いい」ってことかなあ。お金をもらって、他人に怒ってもらえるという経験は
 貴重です。私もアルバイトでいろんな経験させてもらったのが財産になってる。 
 いるだけで「可愛いね」って言われる時代から、いるだけで「邪魔、パパア!」
 って言われる時代まで、女の人の方が描くことの引き出しが多いんですよ。
 だから、やっばりいろんな場所でいろんな経験してほしいですね。
▼ 早期退職のサラリーマンの蕎麦屋をしたいという話と同じ。遊びや趣味で
 やるのと、それで生活していくのは別問題。17〜8年前になるが、甥っ子が
京セラに勤めて10年、何かで社長賞を貰ったのを契機に漫画家に転身と聞いた。
当初は、そこそこ売れっ子だったと聞いていたが・・ 漫画家の名は、自分の
名前を逆読みにした「きもと○○」という。次々と若い漫画家が出てくる中で
若い人の感覚を取り入れ続けて生き抜くのは大変のはず。この娘の場合は、
専門学校に入れるのがベスト。その世界で仕事が出来るだけでも、本人に
馴染むからである。


6718,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか?  −2

2019年08月07日(水)

   * 特に女性は外見で損得が大きく変わる
 そうこう考えると、私も男が故の分厚い美人優位に気づかなかったのかも。
美人は力のある男に優先され狩られる。その積み重ねの遺伝子が残るため、
遺伝格差の背景がある。とはいえ、アインシュタインと、モンローの組合せの
問題が…逆も考えられるから。また、特徴に一つが、『計上が上手』がある。
たんなるブリッコとの違いが、ここにある。相手が如何思うかを、読んで、
好い加減な落としどころを経験で熟知している。初な男には、その辺りが
弱点と知り尽くしている。クレオパトラが、この計上のうまさで知られている。
 ―
≪  〜前回のつづき
 ◉ 1972年に発表された社会心理学の古典的論文「美しいものがいいものだ」
と、それに続く数多くの研究が、外見がいい人は、そうでない人より <知的で、
有能で、信頼出来そうに見える>という説を確立している。振返ると、やはり、
部下の判断に美人に甘くなるのは否めない。
◉ これに加え、仕事において、「女性は美しくなければならない」という
「美の神話」が作用することで、本来労働者としての能力で評価が行われるべき
職場において、美しい女性が贔屓され、美しくない女性は差別されるという指摘が
されている。現代では女性の雇用や昇進の条件としてPBQ が広く慣行化されつつ
あり、ファッションモデルや女優などのセックス・ワーカーのように、人に見て
もらう職業ではない職種や仕事でもPBQ(美の職業資格、女性は美しくあることが
職業の資格であるかのように重視されること)は求められるという。そうした
強制力の中で、働く女性は働きながらも、美しさを気づかわなくてはならず、
疲れ切ってしまうという。
◉ このような、Wolf(ibid.)が美の神話に関して女性同士の関係や仕事について
指摘した事柄は女子力にも共通するのだろうか。検討したい。また、先ほどの
上野千鶴子や碓井真の指摘からは、女子力が仕事上の能力・活躍をも意味する
概念となったことが強調されているが、果たして女子力はフェミニズムにとって
それほど望ましい概念となりうるのだろうか。≫
 ―
▼ 映画、ドラマの主人公は、当然、美男美女だけ。それが逆に、美男美女
 なればこそ、有能で、善人で、自分を助けてくれるヒーローと思い込んで
しまう。 …誠実そうな人と、誠実な人とは全く違うことに、気づかない。
特に女性に関しては、美しいことが存在意義になっている。 それも美しさが
高いほど、その重要度が比例して増していく。それに加えて、美人度に加えて、
振る舞いが加味される。 数日前に、全英ゴルフで、1年前までアマチュア
だった20歳の日本女性が40数年ぶりに優勝をした。姿見は悪くないが、発する
言動が何とも… 半年もすれば、変身、するのだろうが! 10年ほど以前の
話になるが慶応高校が甲子園に出場した時、その父兄を含めた応援団の姿が
地方出身校と、全く違っていた。
 
・・・・・・
6355,閑話小題 〜つれづれに夏
2018年08月07日(火)

◉ ボクシング協会の会長。同年代に近い?が、時代掛かった昭和残存の唯我独尊
の姿が、自分に被さって見えて気恥ずかしくなった。…そういえば、偉そうな肩書
『何々協会会長』になって、急にふんぞり返って… とかくあるケース。 
ヤクザの親分とのトラブルで、怒らせてしまいネタバラシをされたザマ。さすがに
TVで放映されるプロの世界タイトルマッチには、疑惑の判定は少なくなった。

◉ 毎日のように入ってくるニュースは、災害絡みのニュースばかり。 国内では、
中越地震、柏崎刈羽沖地震の二つの地震から、大きな地震、噴火、大豪雨が、たて
続きに起こっている。それ以前の淡路・神戸大地震が、前ぶれとも考えられる、
地球規模の自然災害の一連のため、手の施しようがない。
 過って、こんな自然災害の連鎖は無かった。東欧とソ連解体、中国の自由
経済圏への参入。インドなどの自然化石エネルギーの爆発的消費の拡大が大きく
影響を及ぼしている。首都圏直下型地震、富士山噴火、南海トラフ巨大地震など、
何が起きても不思議でない状況と悲観的見方も出来る。で、今日を愉しみますか。

◉ 金曜日の振替で、昨日、映画『ミッション・インポッシブル』を見てきた。
評価は85点。極限の中で、主役は絶対死なないと解っていても、次々と押寄せて
くるアクションに、爽快さより恐怖心が先に立つ。とはいえ、製作会社の思惑に
乗って、何時の間に、その世界に順応し楽しんでいる自分がいる。老いのストレス
は年々大きい。その分、楽しむしかない為、必要悪でもある。何かの標語?の、
『最短距離の最大インパクト』があるから、これほど人気になる。映画館の観客は
老若男女60人位はいた。終了後の15時過ぎに、SJのヨガに参加。帰って、高校野球
を見ながらビールを飲んで20時過ぎに就寝。

◉ 昨日の中越、慶応高校の一戦、最後の回の三・本塁間のタッチプレー、
私の眼には中越選手へはノータッチ、20センチほどの間隔があいており、
セーフに見えたが。当人もビデオを繰返し見るだろうが、高校野球にこそビデオ
判定システムを入れるべきと痛感。一生一度のゲームに、あれじゃ浮かばれない。

◉ 今ほど、20分をかけて過去文を読返したが、特に今日の過去文が、自分で書く
のも何だが、面白い。毎日、毎日、よくネタが尽きないもの。時どき、芯の底
からバカバカしくなるが、今さら、「こんなに面白いことを止められない」。 
努力というより、『娯楽』。没頭して、自分を消してしまわないと集中出来ない 
フロー状態の結果のようだが…。

・・・・・・
4151, 虎穴問答
2012年08月07日(火)
 以前に少し取り上げた「虎穴問答」について。 金沢の「いとはん」という
衣料チェーンにいた時の話。同期10数人で勉強会をつくって、そこに石川県
知事を呼んで話を聞いたことがあった。それが社長の逆鱗にふれ、「預りの身?」
の立場上、抜き差しならない事態になった時に、書店で見つけた本にあった問答。
そして自から、その会を潰すことになった。去年の倒産劇の時も、この問答を
思い出していた。死に体の会社を一歩早く潰すか、ぎりぎりまで踏んばるべきか
の決断の際に、この問答を何度も類推し、考えてみた。  
  ーそこでネットで「虎穴問答」を調べてみたが、その部分からー
≪ 大阪控訴院でのこと、ある日、審理の最中に王仁三郎は裁判長に向い、
「人虎孔裡に墜つ」という禅問答をいどんだことがある。これはひとりの人間が
虎の穴へ落ちこんだ場合どうしたらよいか、という問答だ。王仁三郎が、
「裁判長、あなたはどうお考えになりますか」というと、裁判長は自分は法律家
だからわからないが、どういうことかと逆に問う。そこで王仁三郎の説法が
はじまった。人間より虎のほうがつよいから逃げようとすると殺される。
刃むかっても同じことだ。ジッとしていても虎が腹がへってくると殺しにくる。
どっちにしても助からない。けれどひとつだけ生きるみちがある。それは
食われてはだめだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたらあとにはなにも
残らんが、自分のほうから食わしてやればあとに愛と誇りとが残るのだ。 
王仁三郎はこの問答で大本事件を語った。裁判長はさすがにうたれるものが
あったとみえ、うーんと嘆声を漏らしたという。また、粛然とした空気が法廷に
流れ、敵味方の区別なく一同思わず襟を正したそうだ。さて、この虎穴問答は
もうひとつ深い意味をもっている。というのは、虎に身を与えた愛と誇りの
犠牲が、現実の事件全般の進行に一大転機をもたらしたからだ。奇跡的に死地
に生を得たもので、九分九厘だめだったものがあと一厘で逆転にむかうのである。
これこそ一厘の仕組みとかいうものだろう。≫
▼ 戦前戦中の時代に、破竹の勢いで信者を増やしていった大本教が、軍部や
 政治家から目をつけられ、大弾圧にあった。その過程の裁判での、この虎穴
問答は人生に色々な示唆を与えている。虎を、生老病死としての四苦八苦と
例えることができる。それぞれの苦に、自ら受け入れ苦しむことこそ解決の最短
の道になる、と考えることができる。 事業断念も決意も、虎を3つの断層=
9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11大災害の三つの震災と
みなし、その重なりから、虎穴に落ち込んでしまったと想定。逃げ回るより、
先んじて喰われてしまおうという最後に思い出したのが、この問答。
 その時に、当時の大本教を題材にしたー『邪宗門』高橋和巳著ーを
読んだが、これが面白い。

・・・・・・
4893,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー45
2014年08月07日(木)
   * 面白かったという手応えが残った有難さ! 
 改めて45年を振返ると、これは人生そのものの総括であり、自分の限界の
再認識にもなる。経済雑誌『財界』を発行する財界研究所の創設者・三鬼陽之助
の弁『経営者たるものは、その行蔵を表立てないこと、秘しておくこと』がある。 
経営者失格の私が、こんな行蔵を書くべきでないのが、本当だが、今さらである。
先日、ここで取上げた『意味としての心』の中で
《「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、
実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 
逆に、何が足りなかったか、の棚卸は、ある意味、内省になる。》と書いた。
 生きてきた中で、その時々に空虚な心を少しでも満たそうと、エネルギーを
ひたすら注ぎ込んできた。それが、そのまま自分の姿であり、その凝視が内省に
なっている。 逆境時にも、ひたすら読書三昧を重ね、1日、2〜4時間の読書
を続けてきた。 最近ではネットサーフィンを含め、現在も続いている。
それでも、一番肝心なところを理解し得なかった。知らないこと、知らない知識
へのチャレンジが少なかったことになる。 「得意淡然/失意泰然」は勝海舟
のことばだが、私には、逆の「得意泰然/失意沈然」が悲しいかな、見て取れる。
最期に、この結果が当然である。逆の結果としても、私には大して変わらない? 
ご覧のとおりの結果を、現実に経験をしてみて、事前で考えていたことと、
大きく違う! 事前の見方をしていた自分が薄っぺらに見えている。 
まず<倒産が悪い!という一連の思い込みの間違い>がある。
<倒産には、悪い倒産と、良い倒産があり、良い倒産は、むしろ勧めるべき
決断であって、ワーストでなく、ベターでもなく、ベスト>という経験から
得た実感である。もちろん、ケースによるが。激動の時代ほど、事業サイクルが
短くなる。だから、見極めをつけたら、銀行などに植付けられた<倒産は悪い>
という先入観をかなぐり捨て、見切りをつけるのが「良い倒産」に繋がる。
『倒産に良いも悪いもあるものか!』が間違い。<従業員の生活を破綻させる>
<取引先を連鎖倒産させる><家庭が破綻する><生活の目処が立たない>等々、
多くの問題があるが、決断しなければならない時節には、決断しなければなら
ないことがある! 結果からすれば、戦争などで大家族が生き抜くなどの事情が
ない限り、起業家などすべきでない! しかし、後悔が少ないのは、日本の
歴史上に過って無かった高度成長期で、良い思い味わったり、起業の面白さを
充分経験できたことがある。『面白かった!』という実感が、間違いなく残って
いるのは、有難いことである。意味のミが満(ミ)ちていたため。装置産業の
プラス面の「時間持ち」と、マイナスのブラックスワンとの遭遇の経験も、
振り返ってみれば、光の中での夢幻でしかない。

・・・・・・・
3786, ユング −17
2011年08月07日(日)
  * ユングについての総括
・ 父親の死の時の不思議な体験をキッカケに奇妙な感覚が10年余りの間、
 身についておたこともあり、ユングの理論には非常に興味をひかれた。
ユング本人に元もと通常以上のシックス・センスがあったため、それを、
そのまま発達すればよかった。大本教の出口なお、天理教教祖の中山みきは、
そのセンスが強力だった。また日蓮には身体全体にオーラが包み込んでいたと
いう記述が残っている。 27歳時の父の死亡時での実体験が無ければ、
シックス・センスに対して信じることはなかっただろう。現に幽体離脱の
ような体験をしたのだから、これは信じるしかない。ユングがフロイトと
対立・離別をしてまで、この方面の研究を続けた内容は侮れない。
・ ユングが取上げた中で、「共時性」と「布置」に、まず興味をひかされる。 
 奇妙な偶然の一致の不思議さ。これは多くの人が経験しているはずだが、
 それを話すと、何か軽薄と誤解されるのを恐れてか、あまり口外をしない。
 子供の頃に親戚の人が、その類の話しをするのを聞いて、「いい大人が、他
 愛無い話をしている」と心底で感じていた。しかし人生経験を積み重ねる
 うちに、親戚の人たちの言っていることは、決して他愛無い話でなかった
 ことを知った。幽霊の話しも、その一つになるが、これも、あり得ること。
 共時性、布置とは少しズレルが・・
・ またオカルト現象も、ユングを読んで、実際のところ驚いてしまった。
 これも個人が持っている、ある能力が何かに感応した働きだろう。そうこう
 考えれば、哲学の存在論に関わってくる。現在、自分が、現に此処にいる
 不思議からみれば、オカルトなど、他愛にないもの。エスキモーで5キロ先
 にいる白兎を見つけることが出来る人がいるとか、犬が数千キロ先の親の
 鳴声に反応するとかを疑問に思うこと自体が、小さな限界の範囲内で決めて
 いるからである。脳には20億年の生物進化の記憶がある。
・ 最近、特に感じるのが、それぞれが持っている経験と能力の深さと広がり
 である。特に、ブログなどで、それが比較的簡単に覗き見ることが可能に
 なったこともある。デジタル化で人間の五感を遥かにしのぐ機器が不朽を
 はじめると、逆に人間の持つ不思議さが一つずつ解明されることになる。
 ブログ、ツイッターなどの普及はユングの世界を超える可能性がある。
 ネット世界の出現こそカルト?

・・・・・・
5988,閑話小題 〜最後の講義・8 ー石黒浩:対談
2017年08月07日(月)
   * 意識の場所を指し示すことは難しい
       ―他人を見る以外自分の姿は見えない―
 彼は、小型の人型ロボットを幾つか並べて、色いろな相談の質問に対応する
効用を示している。専門分野が違ったフレンドリーの人型ロボットなら、対話
も進むことになる。初めて知った時は、仰け反るほどの驚きであった。
 ――
<石黒> 「嫌なことはやらない」というのを貫いています。やりたいことを
 やるのは小学校の時から同じです。だから、つらいと思った記憶はありません。

<本荘>  普通、これはやるけど、これはやらない。と決めてしまうと、
 可能性が限定されそうですが、石黒さんは興味のあるものだけをやるという
 考えを持ちつつ、他分野・異業種の人と関わり、フィールドを広げていますね。
<石黒> 他人を見る以外に自分の姿は見えてこないじゃないですか。
 自己意識を持つには、人と関わるしかないわけです。異業種の人でも、意外に
 自分との共通点を見つけると面白くなって、一緒に何かをしたくなります。
 要するに、すべて自分を知るためです。自分自身や人間という存在に興味を
 持っているので、大抵何でもできるし嫌なことはないわけです。

<本荘>  一般の人は、自分の録音した声を聞いたり、録画したものを見たり
 するのは違和感があると思いますが、石黒さんはそういう感覚はないのですか。
<石黒> 自分自身の感覚がよくわからないフワフワしたものだから、それを
 確かめたい思いがあるので全く抵抗がありません。もしかすると、リアリティ
 がないのかもしれませんね。「意識の場所」は、このあたり(場所)にあると、
 ピンポイントで指し示すことは難しいですよね。
――
▼ 秘異郷ツアーには全国から「面白い人、大変な人」を選りすぐったと信じ
 ざるをえないこと屡々。その旅仲間の中に、それぞれが合せ鏡で自己を見つめる
研修をしていることになる。行先は、異世界が次々と現れ出てくるから面白いこと、
この上ない。違った異世界を目指し、感動するのが目的。どれもこれも、生涯、
忘れえぬ人生体験になる。<他人だけでなく、他所を見る以外、自分の居場所は
見えてこない。> ということ。魂を大自然に開放するため、私たちは旅に出る。


6717,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか?

2019年08月06日(火)



   * 美の神話に支配される社会
 ある意味で、世界中で最もタブーが、「美の神話」。風貌は、先祖代々、
受継がれたがゆえに、本人の責任でないが、そうともいっていられない大問題。
 アメリカの大学教授ダニエル・S・ハマーメッシュ氏は、著書
『美貌格差−生まれつき不平等の経済学』において「美人はそうでもない人より
も生涯約3000万円得をする」と… シリアスな論がある。女性は二人でつるんで
行動することが多い。その二人の風貌は、同レベルが多い。まず友達からして、
選び選ばれている。 そこで、ネット検索をかけると、それはシビアな…
 ―
≪ Wolf(ibid.)によれば、現代社会においては美の神話が存在しているという。
◉ 美の神話とは、
「女は美しくなければならない」、
「男性から愛されるためには美しくなければならない」、
「職場で成功するためには美しくなければならない」という神話のことである。
「妻であれ」、「母であれ」、「女らしくあれ」という「女らしさの神話」が
女性解放運動の中で崩壊していくにつれ、美の神話は、雑誌と広告主(アパレル
業界や化粧品業界など)の生き残りのために生み出され、拡大膨張し、現代女性
を支配する新たなイデオロギーとなっている。 そして、女性解放を目指した
フェミニズムの遺産を挫折に追い込んでいるというのだ。
◉ 美の神話の下では、女性たちは「恋人の目に自分がどう映るかなどは無視し、
『美の神』の目にどう映るかを必死に探らなくてはならない」(ibid., 296)
という。美の神話に生きる女性たちは、美しくないのに男性に愛されるという
ことを信じることができず、男性ではなく「美しさ」こそが至上の価値だと
思っているという。
このような美の神話は、男性のためだけではなく自分のために美しくなろうと
する女子力と共通するものがあるように思われるが、どうだろうか。雑誌分析
において検討したい。
◉ また、女性同士の関係においては、美の神話は女性たちを世代ごとに分断
するだけではなく、容姿を通して女同士の警戒心を助長するという。 女性は
「美」をめぐって「他の女性」と敵対するのだ。女性は他の女性を見る時、
まずは外見を見て、自分よりも良いと「良すぎる」と憤慨し、自分よりも悪いと
無視する。女性たちは美をめぐるライバルであるため、男性のように結束する
ことが出来ないのだという。そして、同じ性別同士で連帯できないことが男性
に比べて女性が社会変革の手段を持たないことにつながると指摘がされている。≫
 ―
▼ まだまだ続くので、あとは次回につづく。幼児の頃から、7人の兄姉のもと、
 特に4人の姉の重圧のもとで、全神経を使って我が身を守る知恵がついていた。
女の特殊な自己に対する目線が、知らずに理解できたのが、ある意味で、人生を
豊かにさせていたことに、老年期になって気づくことになった。三次産業に身を
置いていたこともあり、何処も女性の職場が多いが、直にNO1の女性に無意識に
近づいていくコツがあった。人畜無害で、自然体で警戒されなかったことも?
そこには女社会の残酷な『美の神』の格差社会がある。若い時分は、一いち面倒
なため、NO1に、とにかく三度、自然に褒めてしまう。まず褒め殺しをボスから…
それで女社会は、円満に過ごすことが可能に。 付いている機能は同じなのに、
何なんでしょうか? 世の中の7不思議の最も不可解なところ!  〜つづく
 
・・・・・・
6354,読書日記 〜修羅場を愉しむ
2018年08月06日(月)
          <「好き嫌い」と才能 楠木建 編著>より
    * 修羅場は人を純化させる!
  ヤマトホールディングスの社長の木川眞の言葉〜
『修羅場では人間はものすごく純化する!』が目に入った。20歳、30歳代は、
修羅場の連続。 有能の人からすれば、能力不足が招いた事態でしかないが、
私にとって、初めての経験。 ひたすら、真正面に無心で全身で立ち向かい、
知恵を出しながら「貫き抜けること」しか頭にない一種、無心の気違い状態。
 それは純化した心持であればこそ可能になる。20歳代後半、30、40、60歳代
の半ばに、修羅場がやってきた。 失敗は許されない。そこで自分を道具に
化して、無心の何かに憑りつかれた純心の魔物のような存在が感じ取れた。
それが後々、返り矢として問われるが、当然、覚悟の上。甘んじるしかない。
 挫折、崩壊の節目時の修羅場に到達した中の純粋性から知恵が湧出てくる。
節目に、チャンスを見出すのは、その内なる純粋性の知恵からであり、普段の
自分から昇華したエネルギーである。人生に大から少なかれ誰も経験すること。

 ロマン・ローランの『ベートーベンの生涯』にある手紙の一節、
『苦悩をとおり抜けて歓喜に!』の言葉を代表に様々な言葉がある。
他にも、
『純粋な心だけが美味しいスープを作る!』
『不死の心を持つ我々人間は、苦悩と歓喜の為だけに生まれる。その中で
 最も優れた者は、苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得ると言える。』
『友よ拍手を! 喜劇は終わった。』
『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』
『音楽とは精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。』
『困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。』
これらの言葉の中に、彼の辿ってきた修羅場の激しさを感じ取ることが出来る。

交響曲第9番「合唱付き」ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ヴァイオリン・ ソナタ第5番「春」。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の代表曲に、
その純化した魂を感じ取ることが出来る。特に難聴の病になった時の絶望感その
ままの、交響曲第5番「運命」が魂をうつ。『苦悩を付き抜けて歓喜に至る』、
そのままが伝わってくる。余命数ヵ月を直感したときに、誰もが陥る絶望感。
その後の『歓喜』はあるのだろうか? いや、乾いた『ピーッ、プツン!』か。

・・・・・・
4892,定年後の4年目のリアル −2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)
・「私が死んでも、・・世界にとってはまったく大したことはない。
  この世はつねに生きている者たちのもの」(235頁)
 食って、寝て、本(新聞・週刊誌・小説を含む)読んで、勉強(歴史、思想史、
 数学、等々)して、AV観て、何か執筆でもし、たまには小料理屋で一杯やって、
 あるいは散歩や旅行にでも行って・・・そういう生活に私は入りたい。≫
▼ 私が一番、実感したことは、「どんな立場もなくなることが、これほどまで
 自由だとは知らなかった」である。確かに、少し寂しいし、肩書き無しの自分に
向合うと、今まで如何に、その土台の上で好い気になっていたかを、思い知る。
しかし、それも時間が解決してくれる。ただ、突きつけられるのは収入が激減
してしまう現実。仕事上を含め付合いなどの経費は殆ど無くなるが、可処分所得
も皆無になり、ヘソクリをしてない?自分に後悔する。この辺りが、一番の
「定年後のリアル」の問題。次が、「自由の不自由」の問題。 何もかも自分で
計画をたて、判断をしなくてはならない。が、更に厄介なのが、今までの仕事の
拘束に換わって家庭内の、差別が待っている。
 
・・・・・・
5257,二度の地球規模の大爆発 〜地球大進化46億年 ー
2015年08月06日(木)
      ー「地球大進化 第3回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 爬虫類から哺乳類への主役交代
 地球環境により、その都度、新しい生命が生まれ出てきた。 そして、
環境の激変で、それらが絶滅。違う環境に適した生命が生まれ出てきた。
知的生命たる人間が、それ故に、自滅するのに百年はかからないというが、
何か時代の様相からみて、考えられないことがない。 〜その辺りから〜
≪ 2億5千万年前、突然生命に襲いかかった地上最大の火山噴火、それが
 当時生きていた生物の実に95%を絶滅させるしまうことになった。
さらにその後訪れた巨大恐竜の全盛時代、私たちの祖先はその影に怯えながら
暮らすことを余儀なくされていきます。しかしこの暗黒の時代を乗り越えた時、
私たちの祖先は爬虫類から哺乳類へと一気に進化し、大きな飛躍を成し遂げる
ことになる。おなかの中で子供を育て哺乳で養うという哺乳類独特のLife style
の誕生。それは全ての生命を絶滅の危機に追いやるような地球の途轍もない
大変動とその後の恐竜の支配がなければ生まれなかったことが分かってきた。
地球生命史上、最も劇的といわれる哺乳類誕生のドラマとは・・・
 ○ 大量絶滅:地球が95%死んだとき
 私たち哺乳類を語る前に、まず2億5千年前に起きた史上最大の生物絶滅事件
の実態を探る旅からスタートする。実はこの事件こそ私たちの哺乳類の誕生の
ためになくてはならないものだと考えられているからです。それは恐竜が登場
するはるか昔の出来事でした。案内してくれたのは南アフリカ博物館、ミジャー
スミス博士です。20年に渡ってここカルー盆地で動植物化石を調査してきた。
乾燥した大地に絶滅が起こる直前の地層がむき出しになっていた。
ここに童子の陸上を闊歩していた動物の足跡が残っているという。
この動物の体長は3m、しかし恐竜ではありません。最初の恐竜が地上に現れる
のはこの足跡よりさらに2000万年も後のこと。足跡をつけたのは一体どんな
動物だったのか。実はこの時代に繁栄していたのは現在の哺乳類と非常によく
似た動物、ディクトドンと呼ばれる草食動物の化石(南アフリカ蔵)。
体長は50僉穴熊のように地面を掘った巣で暮らしたと考えられています。
またゴルゴノプスと呼ばれる肉食動物、体長3m。鋭いきばが特徴です。
この時代の百獣の王、いわばライオンのような存在だったと考えられている。
これらは皆、爬虫類のように卵によって繁殖したと考えられています。
しかし骨格や歯に私たちの哺乳類と共通の特徴が数多く見られるため、哺乳類型
爬虫類と呼ばれています。この仲間の中からやがて哺乳類へと進化的動物が現れる
ことになります。「哺乳類型爬虫類は一般にはあまり知られていない存在です。
しかし実に多様で当時の環境に非常にうまく適応していた動物であること知ると
皆さん驚くことでしょう。しかも私たち人類の祖先にあたる動物なのです。
彼らは恐竜が現れる数千万年も前に繁栄しました。いわば地球を初めて
支配していた動物たちだったのです。」≫
▼ 上記のプロセスを経て、哺乳類が、そして類人猿が地上に現れ、主役の
 座を占め、人間へと進化?してきた。乗越えることが出来ないような、
大きな壁が、逆に進化をもたらすのは「人生」と同じ。成長後、挫折と崩壊、
そして灰の中からの再生から、その都度、新たな自分が生まれ出てくる。

・・・・・・
5987,閑話小題 〜最後の講義・7 ー石黒浩:対談
2017年08月06日(日)
    ―所属する集団で意識が左右される―
 20歳代を振りかえ考えると、意識、価値観が、その時々に所属した集団で
大きく変わっていった。その中で、自分の志(天に輝く星)を目安にして判断
していったが、若さが故のエネルギーがあってこそ。大きな判断ミスは比較的
少なかった? それぞれの節目時での自問自答を、少ない経験と知識の範囲で、
するしかなかった。 何事にも自由に触媒し、実戦出来ることが、若さの特権
であった。20歳で「創業」を志して、21歳で「欧州+東南アジア・ツアー」に
参加をし、アッパーの人種を知り、22歳で「武澤ゼミ」に参加。そして、
「ジャスコの合併」に立ち合い、その後、産能大に編入。その後、金沢に
一年半、修行の身を経験。 26歳で千葉市郊外の新興住宅地・千城台で、
「千城ビル」の一年の準備。27歳で最大の協力者の父親の死に立ち合う。
その半年後に結婚と同時に、ビル内で飲食ビルを立上げ、焼きたての、
パン屋のFC店をオープン。数ヶ月後に実家で「御家騒動」が生じて、急遽、
二つの店は知人の紹介で経営委託をして、Uターン。振返ると、濃厚な10年間
だった。尤も、30歳代は、さらに濃度が増していったが。「所属する集団で
意識が左右される」というが、その中で、それに流されない強力な意志が必要
となる。それは「発狂」状態。狂う時には、狂わないと、出来ないことがある。
学者の生き方と自ずから違って当然。他人のことなど、所詮は理解しようが
ないし、出来るわけがない。 〜その辺りから〜
 ――
≪ <本荘>
皆さんの中で、小学生のときに、人の「気持ち」や「考える」ということに
対して、疑問を持ったことのある方はいますか。
<石黒>
みんな問いは持っていると思います。その問いを大人に投げかけると、
「うるさい」と言われ、「そういうことは、大人になったら分かるよ」と、
うそをつかれるのです。僕自身は、人の話を聞かない子どもでした。授業参観
とかで、先生の言ったことを全部無視して、1人だけ絵を描いていたら、それを
見た母親が泣いていました。自分は、「人とは違うのだ」と思いました。
<本荘>
アインシュタインみたいですね。 以前、中学生に対して「若いのだから、
何でもトライすればいい」と言ったところ、「初めてそういうことを言われた」
と返されたことがありました。 周りの大人は、日常的に「(○○を)やっては
いけない」、「オマエにはできない」などと言ってしまっているのです。
<石黒>
もっと不思議なのが、PTAなどの場において、「こういった親はダメだ。」
と説いて周囲からは賛同されている大人が、家に帰ると、自分自身がダメな大人
になってしまうことです。つまり、所属する組織や群れに適応するように振る
舞うことができても、別の集団に属した瞬間に意識が変わってしまう。
自分の中で、何が疑問で何を解決しないといけないかを考えていないと、集団の
意識に簡単に振り回されてしまう。だから人の話を聞いてはいけないのです。≫
――
▼ 6年前に長岡・新潟間の31年間の通勤生活を終えて、自宅周辺の生活圏に
収まった。高校を卒業をして30歳近くまでの県外生活を含め、合計43年間を、
曖昧な二重生活をしていたため、現在、息苦しい生活を強いられているが…
 とはいえ、割切ってしまえば、それはそれで… 問題は受け止め方。
<共同体には、それぞれの長年かけた価値観や道徳感があり、それを前提に生活
している中で、何やら得体のしれない妙なことを、ここで書いている。>が現状。
 最近、泡沫候補上がりのトランプが大統領になって失態を重ねているが、
根底に、「コミュニタリアニズム」がある。「自分の生れた場所や、仲間が第一」
の考え方。地域社会は、外の世界に対する無知のヴェールで覆われているため、
本来、強固である。グローバリズムの弊害が顕著になっている現在、原点回帰も、
当然かもしれない。EUの問題と同じ。「悪貨は良貨を駆逐する」ではないが、
唯我独尊の姿勢も、情報化故に必要となる。 ロボットはロボットでしかない。
されどロボットでもあるが。 所詮、人間の心など、泡沫でしかない。

・・・・・・
5622,人生を幸福で満たす20の方法 〜
2016年08月06日(土)
          <人生を幸福で満たす20の方法> 三宮 麻由子(著)
   * 空虚な日々を楽しむ方法 〜好奇心が世界を開かせる
 好奇心が幸福を満たすための第一歩という切口は新鮮である。
老いるとは好奇心が萎んでしまうことだろう。特に知的好奇心から萎む。
教養とは知的好奇心のベースを言うのだろうが、その枯渇したのが「おばさん」。
現象を、そのまま現実として受け止める蓄群である。やはり、知的好奇心が、
萎んだ心を開放させてくれる。
≪  1、好奇心で心を満たそう
  情報の八○パーセントを受け持つといわれる視覚を失うのは、正直なところ
 かなりしんどいことである。しかし、その特色を生かして音を味わい、音で
できた風景を心のなかに再構築することは実に楽しい。これによって、私は
scenelessからscenefulへ止と生まれ変わることができた。そして、ここまでの
道程を楽しくリードしてくれたのは、他ならぬ好奇心だったのである。
  好奇心は、幸福の真空を埋めるばかりか、このように人生に新しい世界を開き、
人を生まれ変わらせる可能性を秘めた宝物だと思う。それを豊かに養い、年齢に
関係なく育てていくポイントはただひとつ。少しでも印象に残ったことがあったら、
それを迫いかけて一歩を踏み出すことである。
 素朴な疑問を素直に追いかけ、何か新しいこと、面白いことはないかと目を
キラキラ輝かせ、耳をピンと澄ませて受信アンテナの感度を上げていくのである。
もちろん、野次馬はいけないけれど、よい好奇心、特に知的好奇心は、必ずや
私たちにワクワクする世界を開いてくれることだろう。

 きょうからできること
興味の向かなかった分野を覗いてみよう
きょう発見したことをメモしてみよう
明日は何をチェックしようか、と考えてみよう  ≫
――
【とにかく、やってみましょう!やれたらそれだけ豊な1日になるのです】
子供の頃の好奇心は、何処に行ったのだろうか。何もかもが面白く、世界は
光り輝いていた。そして、学生時代にみた世界の、あの輝き。高度経済成長期
に青春を過ごせた幸運。 好奇心は感性である。磨くほど、それは光り輝く。
        


6716,閑話小題 〜AI卓球ロボットの驚き

2019年08月05日(月)

    * AIロボットに驚かされる日々
《 サイエンスZERO「進化する超絶技巧!スーパーロボットアーム大集結」>
 餃子を包んでくれる!卓球の練習相手になってくれる!
日本が世界シェアトップを誇る「ロボットアーム」の進化が止まらない。これまで
ロボットは、安全制御の観点から活躍の場が限られ、工場の生産ラインの“柵の中”
や、人間から隔離された場所で働くのが一般的だった。ところが、今やトレンドは
「協働」。安全性の向上で人間を助けてくれるありがたい存在となっている!
ユニークでかわいいロボットが大集結!》
 ―
《 卓球未経験の記者が体験したロボットとのラリーでは、打ちやすいコースに
 配球してくれたほか、「完璧なサーブですね!」などとプレーを褒めてくれ、
まるで友人と卓球を楽しんでいるような感覚を味わうことができた。
 しかし、オムロンはこのロボットを商品化する予定はないという。
コーポレートコミュニケーション部の大西栄樹氏は「昨今は『ロボットが人の仕事
を奪う』などとマイナス面が取り上げられる傾向にある。 しかし当社では
『ロボットは人のためになる』『人ができることを増やしてくれる』と考えており、
人とロボットの適切な関係性を示すためにフォルフェウスを開発した」と話す。》
 ―
▼ 卓球AIアームロボには、驚いた。卓球を上達するには、1〜2ランク上の実力
 を、持った対戦相手と練習するのがベスト。当事者の実力を読みこみ、練習相手
と対戦するソフトが現にある。その他に、相手を撃破するソフトも別にあり、それを
相手に普段の練習に取入れる。将棋、囲碁の世界は、幼児の頃から、そのソフトで
実力を磨かれ叩き上げられた若手が、それぞれの世界を席巻をしている。これでは、
AIロボットに勝てないのは、至極当然。株、為替の相場も、AIロボット同士の競争に
入っているようだ。こういう情報機能を駆使した器械をフルに利用可能な階級と、
出来ない層との格差は広がる一方。何かしら20世紀が、どんどん遠くなっていく。

 ――
    * ISの消滅の蔭に、住民諸共の虐殺が…
 ネット・サーフィンで、行き当たった一枚の写真。恐怖に泣き叫ぶ男と、
冷淡に縛りつける兵士の顔と、汚職?キャンペーンを掲げる背後の無表情な顔
の人たち。 日本では有りえない公開銃殺が日常生活に存在する国が、現に隣国
に存在している。ISが一時期、中東を席巻していた頃、檻に入れられた男を油で
焼き殺す録画があった。ISが、占領地域の住民を盾にする戦術。ロシアも含めて、
ISの抹殺を決定した後に、中東の戦闘のニュースが全く途絶えた時期があった。
住民諸共、虐殺されていた。アメリカ本土で、白人対有色人種、とりわけ近隣の
ヒスパニック系の対立からくる、内乱を思わせる事件が続いている。
ときの大統領が極右の白人第一主義者とくれば、この亀裂は、更に拡大。
日韓の問題の本質も、格差と差別の問題を含む文明の相剋。大変な時代に入って
しまった。娑婆とは本来、不自由で、常在戦場で、差別の世界を端的に現す言葉。

・・・・・・
5986,閑話小題 〜最後の講義・6 ー石黒浩:対談
2017年08月05日(土)
 ロボット学者ゆえに、切口が新鮮である。自分のロボットをつくり、常日頃、
対峙すると、無機物のロボットの、サルトルのいう、「対自」「対他」「即自」
が、クッキリと浮かび上がってくるのだろう。 ヨガの仕上げの5分間の
「死者のポーズ」として、宇宙の彼方から魂の抜けた己の姿を逆照射する
イメージと同じような。「定年までの自分」と、「それ以降の自分」の対峙も
似たような? これらは、一般的には「余命半年、3ヶ月」と宣言された時に、
初めて、自分に突きつけられるのだろう。落語の米朝のロボットが、生身の
米朝と高座に上がっている写真があるが、文化遺産として残すには最適だろう。
――
   ―人の気持ちの正体とは―
<本荘> 石黒先生は小さいころから「テーマ(問い)」を持たれましたよね。
<石黒> 僕は、小さいころ夢がなくてぼんやりしていたのですが、小学5年の時、
「人の気持ちを考えなさい」と大人に言われて衝撃を受けました。
その気持ちを考えることは大事なことなのに、考え方自体を一度も教わって
いないし、大事にしろというその「気持ち」を見たことがないわけです。
皆さんは「気持ち」が何か知っていますか。

<本荘> 「気持ち」を100字以内で説明せよ、というやつですね。
<石黒> そうです。「気持ち」でも「考える」ということでもどちらでもよい
ですが、それを定義した瞬間にコンピューターが勝ってしまいます。 だから、
小学校5年生のときには、「自分の考えている次元とは違う世界に行けるなんて、
大人はすごい」と思っていました。ようやく高校生ぐらいになって、全員うそを
ついていると分かったので卒業しないままずっと学校の中にいるのです。
▼ 石黒は、「気持」について、逆照射して考えるため、曖昧な定義を
 戒めているのでは? 

そこで、<「気持ち」を100字以内で説明せよ>の私の答を即興で書くと…
【「気持ち」で浮かぶ言葉は、感情である。感情といえば「喜怒哀楽」と、
「感動、感激、感謝」になる。「クールヘッド、ウォームハート」と分けると、
温かい心。逆に、冷たい心とは、生物の本能の「エゴ」を優先すること。】
 たまたま、考えを進めるに、去年の以下の文章が参考になる。ロボットには
無い真逆の問題だから。幸・不幸など、感情でしかないことが浮かびあがる。

・・・・・・
6353,閑話小題 〜二年続けて「長岡花火は行かずしまい!
2018年08月05日(日)
    * 猛暑の朝、やはりTVの話題ですか!

 ◉ 暑い夏は、寝室でTV映画とスポーツ観戦を
 一月生まれもあってか、暑さに弱い。そこで、例年のごとく、寝室に籠って
録画した映画とドラマ三昧。ブルーレイの300本以外に、ディスクに数十本、録画
をしたのを、当たるも八卦と、一番面白そうなのから順次見ているが、当たりが
当然、多い。 空いていたら迷わず録画をして、閑な時間に頭出しをして、90点
に到達してないと消去をする。それでも、なかなか少ない。それでも時々、飽き
がくるが、そこで、YouTubeの何時もの定番のコースへ。
 
 ◉ ワールドカップも終わり…
 甲子園の高校野球が今日より始まる。地元からは中越高校が出るが、相手は
慶応高校で、強豪チーム。残念だが、8〜9割は勝てないのだろうが、そう思って
みれば、負けても落ち込みは少なく済むし、甲子園、何が起こるか分らない。
前評判の良いのは、この数年、準々決勝まで勝ち上がっていたチームばかり… 
多くの有望選手もいる。さて、今年のスターに誰が? ますます俗っぽくなった
自分が良いのか悪いのか。 成るほど、<命短し、恋せよ乙女>である。

 ◉ 去年に続き、今年も花火見物に行かず自宅のTVで…  
 以前から人混みが苦手。会場で生でみるか? ドッチが好きかの好みの問題に。
現場に溶込んで雰囲気と共に楽しむか、冷房の効いた寝室で、独り、電気を消し
TVで見るのも、なかなかのモノ。TVの画面がリアルで、これはこれで…
 3日、BS:TBSのライブの花火中継に回すと、花火案内人が見たことのある
お年寄りがいた。 …それが何と小学校同期生の「長谷川健ちゃん」。
「60歳超えからは、その5歳上は「大年寄り」と言うが…。 先生の子息で、
当時から、人を寄せ付けない異様な感があった人。 当時から現在に至るまで、
殆ど口はきいたことがなかったが、古希の同期会のスナップの写真を送って
くれた。 無難に花火の蘊蓄を話していたが、どこかソワソワした浮いた感が
あったが、これで当分、良い、悪いの世間話のネタの恩恵?を受ける羽目に。

 ◉ 私の知人に数年前にリタイアした人がいる。それをキッカケに65インチの
 有機TVを入替えたのはいいが、夫婦して嵌って、夫婦交代制で見ているため、
24時間、TVを付けっぱなしで、僅か二年で、加熱のため、修理に出したとか。
考えてみたら、我家の二台のTVを合算すると他山の石ではない。 
NHKで、4k、8kの専門チャンネルが新設され、これが生活を一変えるというが。
現在でも現場の数倍、数十倍の臨場感を味わえる?と、言うから…。
これにゴーグルでも使えば、更にライブ感が増す。
 
・・・・・・
4891,定年後の4年目のリアル −1
2014年08月05日(火)
             「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 朝日新聞の新刊広告に『定年後の7年目のリアル』があった。3年間、私が、
ここで書いてきた内容と同じような見出しにあった。 そこで、アマゾンで
内容紹介を見たところ、前著の『定年後のリアル』があり、『・・7年目のリアル』
の内容は続刊。 内容紹介だけだが、生々しいだけ私の内容の方がシリアスの筈・・  
 ーまずは、内容紹介よりー
《 ◇お金、仕事、健康、生きがい……退職したら、どんな毎日が待っている?
不況のいま、いかにして生きていくかという問題がクローズアップされている。
特に定年退職が迫った人に対してメディアは、定年後は「6,000万円の貯えが必要」
「孤独死にご用心」を語る。著者は、さまざまな定年本、定年者たちの生き方を
引き合いに出しながら、メディアが煽る「不安」など、実際にはそれほど思い
わずらう必要もないことがほとんどという。いまの日本人は、過剰な情報に振り
回され、不必要なほど不安になってしまっているというのだ。たとえば貯蓄や
健康状態の「平均」がどの程度かといった話が盛んに語られ、自らを引き比べて
不全感を増している人も多いが、現実には「平均」は自分の生き方とはあまり
関係のない情報であり、気にしすぎる意味はない。またアンチエイジングや若さ
を保つ方法が日々声高に喧伝されているが、本来、人は年を取ったら取ったなり
の自分を認めていくのが自然であり、若さを過度に持ち上げる価値観自体がいびつ
だともいえる。 ・・人は死ぬ、年を取ったら衰えるのが当たり前であり、
そうした事実を正面から受け入れて、初めて本当の人生に出会える。そのうえで
一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていくのが、定年後の理想的な
生き方だという。さまざまな不安の正体を解き明かし、心をほっとしてくれる。》
▼ 私の喩えで、「森の生活からサバンナへ!」がある。 森の中でイメージを
していたサバンナの生活は、そこはそこで面白く、生きがいもあり充実をしている。
森の住人には、それが理解できない。そのことを、森の住人に問いかけている
内容のようである。しかし、これは森の生活で、準備をしてきたかで大きく違う。
私の場合は、ハードランディングだったとしても、万一の備えを長年にかけして
いた為、何とか着陸をした。そして、リアルな毎日が待っていた。そして
4年目に入って、そんなことより、老いそのものの方が現実として迫ってくる。
この紹介の中で「老いの一日一日から得られる人生の喜びを享受して生きていく
のが、定年後の理想的な生き方だ」というが、享受するのは、喜びと楽しみだけ
でなく、怒り、哀しみが伴なう。老いは確実に精神も肉体も衰えさせている。
哀しみに覆われた日を何とか過ごすのもリアルの一日になる。逆に有余る時間で、
思いのままに一日を過ごす楽しみもある。
夕暮れの残照の中での、最後の宴も良いもの!

・・・・・・
5256,蓄群本能  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月05日(水)
             〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * 蓄群本能 
 誰も持っている『群蓄本能』。城下町では、その小さな世界で群蓄本能が、
互いの足の引張りあいになり、その個性を内に押しとどめるしかなくなる。
違うということが、マイナスの世界。割切るしかないとしても。〜その辺りから〜
≪ わたしたち現代人はただなんとなく、道徳とは個人の行為に関する規範だと
 思い込んでいる。あるいは、人間性が生んだ規範、社会を健全に生きるための
知恵のようなものだと思っている。 ところがニーチェは、「道徳とは、共同体
のために個々人の内部で作用する一種の畜群本能から生まれたものなのだ」
(『悦ばしき知識』116)という。 この畜群本能というのは、「共同体が個人より
も価値が高いのだから、個人の利益より共同体の利益を優先すべきということと、
「一時的な利益よりも永続的な利益を優先させる」という、国家や社会の全体を
益するための考え方を因習とし継承してきたあげく生まれた。
 たとえば、盗んではならないという身近な一つの道徳律を考えても、ニーチェ
の説はあてはまっているように見える。実際に、空腹ゆえにパンを盗んでも、
社会に損失を与えたとして罰せられる。そして、「個人よりも全体を優先する
という因習が覆う社会で人間は教育され、生活してきた」。よって、「人の心に
ある道徳性とは、これらさまざまな因習の全体に向かう感情にすぎないのだ」
になる。一般的な道徳が自然な心情や宗教の神の配慮から生まれてきたのでは
なく、利益の重さをどこにおくか、つまり功利がその出発点になる。
そう考えた二ーチェは、もちろん道徳の発生を理性に見るカントに反対する立場
にいるわけだ。二ーチェのこういう考え方は、現代哲学で使われている用語で
いえば明らかに構築主義的だということはもうわかるだろう。
 だから、ニーチェはこうもいう。
・「道徳的、倫理的であるというのは、古くからあった掟、古くからの因習に
 従順であることを意味しているのだ」・・
・「良心の中身とは何か。幼少時代のわれわれが尊敬し、かつ恐れた人々が、
 理由もなく規則的にわれわれに要求してきたものすべてが良心の中身だ。
 …そういうさまざまな古い権威に対する信仰が良心の源泉なのだ。したがって、
 良心は人の胸の中にある神の声などではない。その人の心の内にいる幾人かの
 人間の声である」(「人間的」)
 つまり、良心は群れとして生きる人間がみずから生み出したものだということ。
だから、本当に個性的であることはいやがられるし、個性的ゆえに良心の痛みを
覚えやすい。しかし、そこを越えなければ、新しいものは出てこないのだ。
けれども、自分の中に巣くっている古い群れの声にしたがわない行為、考え、
発見はどれも社会からは悪だとみなされる。過去をふりかえれば、みなそう。
新しい思想、新しい知識、新しい方法は、それぞれの時代で弾圧され、
狂気だとみなされ、犯罪扱いされてきた。≫
▼ 一匹狼的か、群れる羊の一匹として生きるか。論語も蓄群の精神マナー?
 確かにマナーは必要だが、古くからある因習に従順過ぎると、世界を自分
から小さくするし、個性的人生からは遠ざかることになる。「個性、個性と
いうが、所詮は砂利の一つの石ころじゃないか」ともいうが、その石ころの
デザインを自分でしてきたか、してなかったか? それも同じことか?

・・・・・
4149, 強迫性障害
2012年08月05日(日)
 オリンピック開会式で久しぶりにサッカーのベッカム選手の姿があったが、
彼は強迫性障害であることを最近、告白した。「何でもまっすぐに並んでいない
と気が済まないし、何でもペアになってないと気が済まない」という。自宅の
冷蔵庫や、宿泊先の部屋でもすべてを「左右対象でまっすぐ」に並べ直す作業に
長時間を費やす。 ディカプリオ主演、『アビエイター』のモデルになった
大富豪のハワード・ヒューズも、この病。この映画をみたが、
「すべてのものが汚染されている」という考えにとりつかれ、人との接触を
避けるようになり、自分が買い取ったホテルで20年間も暮らして、最後は
孤独死を遂げた。 ーそこで、ネット辞書で検索してみるとー
≪ 強迫性障害とは、簡単にいうと「わかっちゃいるけどやめられない症候群」。
自分でも不合理だと思いながら何回も繰り返すので、本人には大変つらい病。
よくみられるものは、トイレに入った後何回も手を洗う、ドアのカギをかけたか
どうか、ガス栓をしめたかどうか何回も確認するというもの。本来これらの行為
は安全を確保するために誰でも行うが、それが何回も何十回も確認しないと
気がすまない状態になると社会的に支障をきたすことになり、何らかの治療が
必要となります≫ とあった。 これは、心の病と、脳の病の原因があり、
それぞれの治療がおこなわれているという。心の病の場合、過去の「喪失と悲しみ
が、原因になっていることが多い。病気に至るのは、喪失の悲しみを乗り越え
られないため。人生は、考えてみれば喪失と悲しみがつきもの。
そんなことをいったら現在の私は、重症の強迫性障害に陥っていて当然である。
定年も転職も失業も同じ。「喪失と悲しみ」の中で、最も辛い一つは、連れ合い
との死別。傷が癒えるに最低二年は要するという。 亡くなった姉が晩年、
合唱の先生をしていたが、未亡人だけのグループをつくって(歌で互いに癒しを
隠れテーマにして)いた。その姉が私に「誰も平静を装っているが、死別の傷の
ためか尋常でない何かを感じる!」という。躁鬱症も、分裂症も、この強迫障害
も、誰もが多かれ少なかれ持っている。それをコントロールしようとしてできる
ものでない。私も当然、それに思い当たる強迫障害に近い症状が幾つかある。
多人数の兄姉の末っ子で、両親が終戦直後で、家業の再創業期にあり、異常な
生活環境にあった影響が、心の奧底に大きく存在していた。人生を通して、
その脱皮が人生のテーマだった。それぞれが、それを抱え生涯を生きている。
私の場合、心の底から笑える性格があったのと、両親の温もりが地熱として
あったのとが、症状を軽くしてくれた。分裂、躁鬱、強迫障害症の三つを
束ねるのが自己になる。


6715,閑話小題 〜私も、あと一年で後期高齢者

2019年08月04日(日)



   * 衝撃の「魂の書」の邂逅から17年ですか!
 これを読んだ時に衝撃は、計りしれないものだったが、今では、あと一年
あまりで後期高齢者。少しは枯れるかと思いきや、少し足腰の弱りと、物忘れが
気になる程度で、毎日が面白く、楽しい日々。ふと、去年の同月同日をみると、
≪6352,ある老女の遺書−3 魂の書との邂逅 >があった。
『年寄りとは、自分より5歳、年上をいう』とは、言い得て妙だが、8人兄姉の
末っ子のため、3,5,7,9、…年先の「人生、甘くない露払い」と見えてくる。
各々の『生老病死』と、『四苦八苦』が、あからさまに、合せ鏡として。
 自分の世界を確保し、そこを基盤に自由を満喫できる教養を持つ必要の重要性と、
日常に埋没しない『孤独』の世界の確保が如何に重要かを教えてくれる。
そして、私も、老人に仲間入り。人は、ごく身近な人以外は、その行蔵をみない。
それも呆けて、身体の不自由であれば尚のこと。あの怠そうな動きは、足腰が
実際に鉛を身につけたような重さがあり、鈍痛があることに、老いて初めて知る
こととなる。老いるほど、楽しさも、面白さも、好奇心も、心の高まりの激変して
いくことに、老後に初めて気づき涙する。これを読んだ時分は、51歳で母親を
看送り… その詳細は、飽きるほどに書いてある。この17年で、世界も、日本も、
さま変わりをした。特にスマートフォンと、ネットTVの映像世界は目を見張る。

・・・・
6352,ある老女の遺書−3 魂の書との邂逅
2018年08月04日(土)
   * 老人の時節に、再び
 一昨日、同月同日分の文章をコピペのため振返ると、この文章に出会った。
これを読んだのは22年前、その6年後にテーマにしていた。 捨身で人生を
楽しんでいた56歳、この個人HPを開設し二年目に入っていた。壮年から、
老年に一歩、足を踏み入れた頃で、人生のハイライトの時節。
海外ツアーには、
【39】パタゴニア。ー002・12。
【38】スイス。ー2002・07。
【37】西アフりカ ーコート−ジボアール・ガーナ・ベナン・トーゴ
    ―2002・03
その6年前の1996年には、
【22】 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖) ―1996・06    
【21】エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)―・02に参加。 

当時、少し過剰気味かと思ったが、この感動の御蔭で、翌年、5年半のアルツ
ハイマー病の母親を見送った後に、心というより‘魂のスイッチの切替’に
なった人生を俯瞰させてくれた内容である。
 で、現在、前期老齢者の半ばを超えた72歳。近未来に、彼女の状況と、
心境が、間違いなくやってくる。このテーマを書いて16年。一年、一年が、
新たな老境との出会いになる。何もかもが面白く、新鮮で、知らないことばかり。

・・・・・・・・・・
2002年08月02日(金)
475, ある老女の遺書−1

 この文は「心に残るとっておきの話」第五集に載っていた話で、そのまま
写し書きしてみる。ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの
中から見つかった詩、書き置きです。
≪「何がわかっているのです! 看護婦さん、あなたは何をわかっているの? 
 さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして行動力も
緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。(努力して、やってみて
欲しいの!}とあなたが大声でいっても、そんな事少しも気にかけない様子で、
靴下や靴はいつもなくしたまま、何も逆らわず、何をしようというわけでなく、
長い一日を入浴と食事で埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんな
ふうにあなたは私のことを考えているの? もしそうなら、看護婦さん、目を
開いて、私を見つめてごらん。あなたのいうままに、あなたにしたがって食事
をし、私がじっと静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
・私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
・十六の若い少女のときはウキウキし、すぐに愛する人に巡り会えることを夢み、
・やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、永遠に守ると
約束した誓いの言葉。                 ー続く
――――
476,ある老女の遺書ー2
2002年08月03日(土)

・25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
・30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
・40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
・50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、
 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
・夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。

私は年老いた女。自然は残酷だ。
老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!
しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。

そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。

さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、
気難しい老女でない、‘私を知って!’
… …
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。
一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。
いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。


▼ < この古い身体の中に、若い少女は住み続けている。そして今も
  再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
 私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、あまりにも短い、
あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。>
 老人の深い悲しみ、怒り、心の悲鳴が聞こえてくるようだ。

442  子供叱るな、来た道じゃ
    年寄り笑うな 往く道じゃ

    来た道、往く道、一人道
    みんな来た道、往く道じゃ

    これから通る、今日の道
    通り直しのきかぬ道
    いまやらねば、いつ出来る
    わしがやらねば、誰がやる (平櫛田中)
443  八笑七敗(負けても笑える心を持つ事)
444  腹たたば 鏡を出して
    顔をみよ、鬼の姿が
    ただでみられる
445  僕は(+)(−)をはずして生きるという事を、
   若い時よりやっていたと思います。
   常識でいえば(−)と考えられる事も、
   体験の大きさでは(+)(−)も同じ。
  (+)3と(−)300なら、マイナスが損と思うが
  (+)(−)の符号をとれば…(日野啓三)  
                 〜『事業百訓』より〜
・・・・・・
5620,恋愛心理学 〜恋愛論の最終章
2016年08月04日(木)
          『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 恋愛論の最終章
 恋愛論、美人論は、なかなか面白いが、そろそろ最後にする。
「美人が何だ、それが如何した」といえば、それまでの話。しかし、綺麗で、
優しい女性は年齢に関係なく、やはり良い。清潔感と、緊迫感に、色気が
加わった一期一会の出会いの中で、何ともいえない輝きが生じる生身の美は
人生の花でもある。 特に20歳前半の一瞬の輝きは、美の極致を垣間見ること
が出来る。全国の美人を数多く見てきたが、地域ごとの個性の輝きがある。
特に金沢の加賀美人は、その趣からして美人の極致だった。世の中には、いる
のである。とはいえで、そうそう絶世の美人は存在しない・・ 
 若い女性の美は一時的輝きでしかない。それを知ってか知らずか、
男たちは、目が眩み一生を棒にふることになる。 新潟県は美人の産である。
これは、水と、米に、関係している。 全国的にみて、近くに大きな神社が
あるところに美人が多い。水、米が上質で、人の出入りが、淀みを少なくする。
 越後新潟でも、弥彦神社の近くは、昔から芸者の産地?と言われてきた。
細面の色白の美人である。
 ところで、森光子が最盛期の天地真理に、
「この輝きと美しさは、いつまでも続くものではないのよ」と諭したという。
「その時には、何のことか理解できなかった」と、往年になって語っていた、
のが印象的だった。 女性の美も生花と同じ一瞬の輝きでしかない。
それもこれも、幻想、幻覚の一つでしかない。大自然の美に感動させられるが、
女性の美は、そのミニ版というところ。

・・・・・・
3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)
   * ユング心理学、3つの流れ ー � 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍
 しているユング派の人たち。ロンドンというユング派とフロイト派の両方が
交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の精神分析に近い考え方
を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の
重要性を強調」している。その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきた
かが、その人の現在の人格のあり方にとって大きな影響力を持っているという
考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコントロールに関して、
非常に重要になる。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は大人に
なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、
「自分は、いつも良い子でないと受け入れてもらえなかったから、この人にも
良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んでいきやすい性格に
なってしまう。
 ー発達派の治療態度ー
 治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を
取り扱うことを主な作業とするのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で
相談者がそれまでの人生において重要だった人物(親・養育者)との関係を、
治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。これと逆に、
治療者が相談者に抱く特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を
「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が分かりやすい。そこに、
集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるので、それが重要な分析材料になる。】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の
 成熟の鍵が隠されている。10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されて
しまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。そこまで、立ち戻って
治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 
両親との関係から、現在の自分に至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚
させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が自分ということになる。

・・・・・・
5255,ルサンチンマン  〜ニーチェ「超」入門〜
2015年08月04日(火)
               〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦著
   * ルサンチマン
 ニーチェといえばルサンチマンである。ユダヤ教は、男と強者のための宗教
に対し、キリスト教は、女と奴隷などの被支配者の弱者を愛する教えだった。
支配者にとって、弱者の宗教ほど、支配するため都合の良い教えはなく、
中世から近代にかけて、欧州がアフリカ、南米などを世界進出する際、
キリスト教の普及が有効に働いた。 ーその辺りを抜粋ー
≪ モラルもまた遠近法的な見方から生まれた価値解釈とニーチェは考える。
 道徳、モラルというものは、誰か特定の人々が定めて広めたものだ。
古代君主道徳と奴隷道徳においては、しばしば暴力によってその地を占めた
支配者やその所属の人々だ。彼らは貴族と自称した。支配者や貴族たちは自分
たちを中心にして善悪を定めた。つまり、自分たちの気質や行為を「善」とし、
そこから遠ざかっている行為を「悪」とした。これはもちろん遠近法的な思考
から生まれたものだ。貴族のような力を持った者たち、いわゆる強者から生まれた
道徳を、ニーチェは「君主道徳」とした。ちなみに、現代では辞典に採用される
ようになったこのドイツ語は「主人のモラル」とも「支配者のモラル」と訳すこと
ができる。それと対立する支配される側の者たち、いわゆる弱者たちから生まれた
道徳、キリスト教道徳に代表されるようなものを「奴隷道徳」と名づけた。
こちらの原文のドイツ語は文字通りに「奴隷のモラル」と訳せる。 ところで、
こういう名称からくる印象によって現代のわたしたちは二ーチェは差別主義者
のように思えるかもしれない。しかしニーチェは、どんな道徳にしても遠近法的
な思考から生まれたものだということを述べているのだ。つまり、どちらも真の
道徳だというわけではない。それどころか、真の道徳というものなどなく、
あるのは何を自分たちの道徳にするかという遠近法的解釈だけ。
 道徳はその時代の文化、その土地の文化から生まれ、それゆえ多様だからだ。
この地での悪とみなされる行為が、別の地では悪ではないことは往々にしてある。
たとえば、古代においては人間を殺して神への供え物とする風習の地があった。
これは悪習ではなく、宗教上の道徳的義務でもあったのだ。
  ールサンチマンー
どんな道徳も当時の遠近法的思考から生れたものだとニーチェは認識しながらも、
やはりキリスト教道徳に対しては嫌悪感を見せている。なぜならば、キリスト教
道徳は恨みから発したものだからというのだ。この恨みはルサンチマンと呼ばれる。
強烈なやっかみ、屈折した逆恨みのニュアンスを含ませるためにルサンチマンと
いう語を使ったのだ。 モラルなど最初からなくて、あるのは何を自分たちの
道徳とするかという遠近法的解釈だけなのだ。
 ニーチェは、キリスト教道徳の生まれた紀元の時代の人間関係にこの道徳の
発生の原因を見た。つまり、ローマ帝国が地中海を中心にヨーロッパのほぼ全域
から北アフリカまでを支配していた頃である。当時、ユダヤ教徒は支配される側の
民族の神だった。ユダヤ教徒の右派はローマ帝国に対して三回も戦争をしたが、
戦闘技術にたけたローマ兵にかなうわけもなかった。≫
▼ ニーチェは、何も考えないキリスト教を妄信している穏やかな平民を、まず
槍玉にあげた。恨みから発したルサンチマンを「支配者のモラル」として徹底的
に否定。そして神にかえ、「超人」を置いた。キリスト教社会では、否定されて
当然である。これこそ、ニーチェの真髄である。


6714,閑話小題 〜長岡花火

2019年08月03日(土)

   * 長岡花火のTV見物記
 数年前から一緒に花火見物に行っていたが、互いに煩わしいと、別々の単独
に切替えた。それも、一昨年からTV放送が始まり、思い切って寝室で独りで見たが、
<悪くはないというより、私には、その方が…> 今年は、 MHK/BSの全国放送
もあって、全国レベルのメジャーな本格的なカメラ目線と、番組の構成が向上
していた。 他局の‘ねぶた祭り’と、プロ野球を同時進行で観る予定が、一回
もチャネルを回させなかったのは全国に向けた生放送効果のためか。 それと、
数秒、遅れて流れてくる障子戸を揺るがす爆発音の効果がある。 4月初旬の
悠久山公園+福島江の花見と、花火は長岡人の魂と言って過言ではない。
独り勇んで行った家内が、『暑い! ここで、見ておけば良かった。
録画してある映像を、明日、キンギンに冷やした部屋で見直すわ…』は老い
の言わせる言葉。なるほど、この手を用意していた。
空には強風のためか、バックグランドに、花火雲が邪魔をすることがなかった
「花火日和」が幸いした。わざわざ全国から花火見物に来るってのに、何で
またTVを通して観るか? 歳を重ねる度に、暑さと人混みに堪えられなく
なっているということですか。クーラ効果で胃が痛くなったが…

――――
2018/08/10
閑話小題 〜年寄りの不幸感覚
   * お年寄りの不幸感覚
 年齢と共に、年々、肉体的、精神的の老いの新感覚に唖然とする。
ボクシング協会の老醜丸出しの78歳の会長。ここまで唯我独尊となると、
漫画の世界。 引き際を間違えた典型。勝手に立場を悪用して「終身会長」
とは、何をか言わん。 …ハーフの朝鮮人で、元暴力団・準構成員上がり。
前科が無かったのが幸いし、過去の身体検査から漏れたようだ…
論理は、ヤクザの脅しと同じ手法。脅し口調に、ナダメと涙を駆使して、
自分のペースにまきこんでいく。演劇的で面白いといえば面白いが… 
よくみればハッタリかましのオジイチャン。肉体系駆使の格闘技の世界は、
こういうのが多く生き残っているようだ。
 ――
  * 再び、長岡花火の話題に
 一昨夜、TVで長岡花火のハイライトを放映していた。今日も同じ内容かどうか
定かでないが… 放映される。それを見ていたところ、家内がYouTubeの4k録画
を『綺麗だから見たら!』という。昨年、熱の冷めやらぬ8月末に「大曲の花火」
を見ながら、YouTubeの長岡花火を見ていたが、今年は、その前に、見ることに。
この数年、寝室で独りで見ていたことを家内は知らなかったようだ。
 今年も家内は二日間とも、駅まで自転車で行き、あとは駅か信濃川に向かう
群れに加わり二キロ程先の大手大橋近くまで行くという。数年前まで同行して
いたが、家内も自由気ままの単独行動に慣れてしまった。
 二日目のこと、家内の後ろの男の人がフェニックスに感極まって、
<『凄い、凄い!』の感動そのままの言葉が伝わってきた… けれど、もう私
には、それほど感動は無い…。>と宣わく。 花火文化の中で、毎年、繰返し
見れば、初回の格差は大きくて当然。これは悠久山、福島江の桜にも言えるが。 
 
 夜空の比較の話なら、北極圏のオーロラと段違いのスケールの差がある。
比較すること自体、オカシイ自慢話の領域になる。
――――
2003/10/13
922, アイスランド旅行記−2
              ー 2003年10月13日(月)
   ーアイスランドを印象順に書いてみる
・何といっても、『オーロラ』である。
 オーロラは二度目だが、前回のノルウエーのトロムソは外れであった。
 今回は一回だけだが大当たり!しっかり目に焼き付けてきた。
 ー明日オーロラについて書く。
・海に突き出た雄大な断崖のディルホゥラエイのパノラマが素晴らしい。
 高さ100mの断崖がどこまでも続く絶景と、断崖から見えた果てしない
 海岸線が何とも美しい。
 北の果てという感じが一番でている場所であった。
・クレーバルバトン湖の背景に広がる景観は、正しく月の景色に一番似てる
 といわれている。スターウォーズの映画の場面を思わせる茶色のパノラマ
 が別の惑星にいるようだ。アームストロングがここで訓練をしたという。
・氷河から流れ出た滝が、それぞれ素晴らしい。
 何といっても迫力のあったグトルフォスの滝が印象的であった。
 イグアスの滝に似ており、北極のイグアスとう感じだ。
 またスコォガフォスの滝の美しさも忘れることができない。
・霙の中で見た3〜4分ごとに吹き上げるストロックルの間欠泉も
 アイスランドならではのものだ。
・溶岩でできている大地がほとんど国を覆っている。
 土がまだ殆どできていないのだ。大地の上を数百年かけてできた20cm
 ほどの苔が土の役割をはたして、その上を草が生えているのだ。
 我々は何げない土の上に住んでいるが、数億年かけて有機物の新陳代謝を
 繰りかえして土になっていったのが、このアイスランドに来てよく解った。
 岩山も緑の苔が覆っていて、景色としはアイスランドならではの異様な景色だ。
・少し場所を移動しただけで、景色がドンドン変わっていくのが印象的である。
 テーブルマウンテンや溶岩で出来た岩山、氷河に荒涼とした荒野などなどだ。
 そこに羊と馬が放牧されている。
 その中で目立ったのが、アイスランドポニーという小型の馬である。
 冬でも極北の寒さに耐え、そのまま放牧をしておいても大丈夫だという。
 性格が穏やかで欧米で人気があり輸出用だという。
 
 見た感じとして似ている国としては、ニュージーランドとパタゴニアである。
 氷河とどこまでも続く荒涼とした大地と、吹き付ける冷たい風は北も南も一緒だ。

「一生に一度に行きたいアイスランド」という言葉が一番にあっている国である。
    本当に世界は広い!


 ――――
2016/08/03
閑話小題 〜日本五大花火大会について
    
   * 日本五大花火大会について
 昨日、今日と、長岡花火。昨夜は、早朝の自転車コースの水道町公園に
19時半から20時半まで一時間ほどの花火見物に行ってきた。「フェニックス」
が終わるのを待って、帰ってきたが、空が曇っていたが、「フェニックス」が
上がる頃には、何とか空が晴れていた。 〜ネット検索によると〜
<二大といえば「大曲」「土浦」。三大で、「長岡」が入る。
 次に、PL、諏訪湖、片貝、熊野、 袋井、豊田とある。>
 〜他のネットでは、
< 1位 長岡まつり 大花火大会;
  2位 全国花火競技大会(大曲の花火);
  3位 土浦全国花火 競技大会;
  4位 ふくろい遠洲の花火;
  5位 赤川花火大会;
  6位 豊田おいでんまつり花火 大会;
  7位 常総きぬ川花火大会;
  8位 熊野大花火大会;
  9位 古河花火大会;
  10位 水戸 ...           >
 それぞれの特質があって、どれがベストかは言いがたいようだ。
長岡花火は、二年前に、『この空の花』で、映画化されて一躍、有名になった。
昭和24年の夏、山下清が日本一の花火を見るため長岡に現れた。その翌年、脳裏
に焼き付けた記憶で生まれたのが、貼絵の技法で描かれた「長岡の花火」である。
 これらを鑑みると、三大花火の一つというのが、正しいのだろう。
10年前までは、ツアーなどでの自己紹介で<長岡出身です>といえば、
<『田中角栄』『田中真紀子』の出身地ですね!>だったが、
「フェニックス」以来、<「長岡花火」の長岡ですね!>と言われるようになった。

――――
2018/08/05
閑話小題 〜二年続けて「長岡花火は行かずしまい!
   
    * 猛暑の朝、はりTVの話題ですか!
 ◉ 暑い夏は、寝室でTV映画とスポーツ観戦を
 一月生まれもあってか、暑さに弱い。そこで、例年のごとく、寝室に籠って
録画した映画とドラマ三昧。ブルーレイの300本以外に、ディスクに数十本、録画
をしたのを、当たるも八卦と、一番面白そうなのから順次見ているが、当たりが
当然、多い。 空いていたら迷わず録画をして、閑な時間に頭出しをして、90点
に到達してないと消去をする。それでも、なかなか少ない。それでも時々、飽き
がくるが、そこで、YouTubeの何時もの定番のコースへ。

 ◉ 去年に続き、今年も花火見物に行かず自宅のTVで…  
 以前から人混みが苦手。会場で生でみるか? ドッチが好きかの好みの問題に。
現場に溶込んで雰囲気と共に楽しむか、冷房の効いた寝室で、独り、電気を消し
TVで見るのも、なかなかのモノ。TVの画面がリアルで、これはこれで…
 3日、BS:TBSのライブの花火中継に回すと、花火案内人が見たことのある
お年寄りがいた。 …それが何と小学校同期生の「長谷川健ちゃん」。
「60歳超えからは、その5歳上は「大年寄り」と言うが…。 先生の子息で、
当時から、人を寄せ付けない異様な感があった人。 当時から現在に至るまで、
殆ど口はきいたことがなかったが、古希の同期会のスナップの写真を送って
くれた。 無難に花火の蘊蓄を話していたが、どこかソワソワした浮いた感が
あったが、これで当分、良い、悪いの世間話のネタの恩恵?を受ける羽目に。

 ◉ 私の知人に数年前にリタイアした人がいる。それをキッカケに65インチの
 有機TVを入替えたのはいいが、夫婦して嵌って、夫婦交代制で見ているため、
24時間、TVを付けっぱなしという。で、加熱のため、修理に出したとか。
考えてみたら、我家の二台のTVを合算すると他山の石ではない。 
NHKで、4k、8kの専門チャンネルが新設され、これが生活を一変えるというが。
現在でも現場の数倍、数十倍の臨場感を味わえる?と、言うから…。
これにゴーグルでも使えば、更にライブ感が増す。

――――
2016/08/02
閑話小題 〜長岡祭の花火
   * つれづれに、長岡花火
 地元の長岡祭りが、昨日から三日間にわたり開かれている。
今日と、明日は<長岡花火>。 信濃川の土手の見物席の準備も出来ている。
今夜が、花火日和かどうか、どうだろう。毎年、家内と土手までチャリでいき、
土手を歩いたり、適当に座ったりして観ている。
――
 都知事選、予測どおりに小池が勝利を収めた。 小池勝利というより、
二人のの自滅である。問題は、今後、スタッフをどう固めるかだ。民進党の
党首が、推薦候補の落選を予測してか、次期の代表戦挙の不出馬を言明。
これでは勝てる訳がない。 自・公推薦候補も、ポチの、それも、座卓犬
そのもののイメージがマイナスに働いた。
――
 自民党の幹事長が、自転車事故で、首を負傷、辞めることになった。
下手をすると、車椅子生活になるのか? 都知事選の最中、何か、動きに
事件? という不自然さが残る。
――
 サントリーのゴマセサミンと、ノコギリヤシと、フコイダンセサミンを飲み
始めて、三ヶ月経ったが、たしかに効果はあった。慢性の腰痛が半減した上に
気力が満ちた感覚が強くなり、肌がスベスベしてきたような。サントリーの
正価は、どれも4〜5千円。 少し高いため、半額以下の他メーカーの同類を
ネットで探して、代用している。問題は、三ヶ月以上、続けられるかどうか。
これはお勧めである。

――――
2006/08/04
1949, 長岡の花火
        おはよ〜!(*^ワ^*)i
                (~O~)ふぁ・・
  *第一日目(8月2日)

以前は、取引先の小さなビルの屋上で見ていたが・・・
最近は、信濃川の土手まで行って見るのは三年に一度位。
自宅近くの土手から、遠方の花火も風情があると決め込んでいた。

去年の震災復興記念花火の超大型花火・フェニックスが打ち上げたが、
居酒屋でオヤジ相手に飲んでいた。
こういうイベントに乗るのが嫌いでもあったが、
わざわざ人ごみの中にいくのが面倒でもあった。
しかし兄嫁と共に行った家内の話によると
「フェニックスが凄くよかった!」という。

    ということで45分かけて、信濃川の土手まで歩いていった。
    さすがに土手で見ると、迫力がある。
    しかし一時間もしないうちに眠くなり帰ろうとすると、
    家内が「最後のフェニックスは見るべき」という。
    そこで、あと30分我慢することにした。  
   
            (-_ゞ (~O~)ふぁ (~O~)

そして打ち上げ、
過去に見た花火の中で断トツのNO・1である。
10個のスタマインが同時に横1・6舛砲錣燭
超ワイドスクリーンのように打ちあげられた。
フィナーレは薄オレンジ色に統一されているため、
幅1・6舛錣燭覯峅个一つの花火のように感じられる大パノラマ。
 息を飲んで見入ってしまった。
なるほど去年、多くの人が涙をしたというのも解るような気がする。
そういうわけで今日もまた、見に行くことにした。

    ところで、昔から長岡花火で地方的な面白いことがある。
    花火のパンフレットが新聞の折込に挟まってくる。
    花火の提供者の企業名簿が、長岡のその時のステータスになる。
    あのスーパーがスタマインを例年提供していたのに、
    今年は出てないとか他のスーパーに・・とか、
    あの小さな企業が出せるようになった・・とか、
    それが、花火会場のお喋りのネタになる。
    まあ、地方的な風情だが。

 ー花火の華?といえば、

・ミラクル・スタマインー幾重にも重なる華やかなXの線を描く

・ワイド・スタマインー5色の色で彩られる華やかなスタマインで、
           5台の打ち上げ台から同時に打ち上げられる。

・正三尺玉    ー長岡の名物花火、しかし最近では近郊の片貝が4尺玉を
          売りにしているので、少し影が薄れた。

・ナイアガラの滝  −ナイアガラの滝を思わせるような花火、
           長生橋から流れ落ちるように花火が舞い降りる

・フェニックス   −横に広く10個のスタマインが同時に打ち上げられる豪華な花火。
           ワイドスタマインの大きいもの・・
   等々である。
    
    
 ーーー
    
*第二日目(8月3日)
                 \(~o~) n(0 ̄)
                 
初日のフェニックスが良かったので、また行くことにした。
二日続けていくのは、10年いや20年に一度である。

前日より少し遅めに出かけ、20時15分に土手に着いた。
土手には多くの人が行き来している。
少しでも立ち止まるとガードマンが執拗に注意する。
前日もそうだが、土手の席の通路ぎりぎりのところにシャガム。
ガードマンが注意しそうに近くに来るが、何くわない顔をしていると、
前日のようにブツブツ行って通り過ぎる。
    
    
    ところが、前の席の人が「どうぞ!」と、席の一部を譲ってくれた。
    こういう時は有難く好意に甘んじることにする。
    家内が「何時から席取りをしているのですか?」と聞くと、
    「午前の9時から」という。
    二日にかけて、苦労して席をとったギリギリの境に新聞を敷いて、
    ガードマンの嫌な視線の中で花火見物・・・
    他人の軒先を借りてズルをしていたことになる。

初日が、久々に土手で見たことも加味しても、
    二日目はかなりダウン。
辛うじて、フェニックスが前日と同様良かった!
他は??、
二日続けて大当たりは期待するほうが無理!
ということ。
                    
  60歳代のテーマは「ミーちゃん、はーちゃん、になること」
  
  今まで、イベントには、あまり興味を示さなかったが、
  何でも観てやろう、聴いてやろう、してやろう、読んでやろう。
  自分の今までの垣根を一度、鳥瞰した上で、
  大きなイベントには参加してみるのも面白そうだ・・・
  やはり自分に向いてないと思わないようにして・・
                    


6713,閑話小題 〜見れど果て無い映像世界

2019年08月02日(金)


 
   * 内容の深化(進化)が止まらないYouTube
◉ 数年前に寝室に大型TVを入替てから、週末は主にYouTubeを見ることに…。
カウチポテトを主とした日常について、何度も書いてきた。(後に、コピー)
今では、ロッキングチェアが仲間入りして、快適なTV/パソコン生活。
 最近のキーワードが… 
『大自然の光景』 『ドローンから見える世界の美』 『ボクシングKOシーン』
『街中の闘牛』 『アメリカハイウェーのカーチェイス』 『オーロラ百選』
『ハリケーン直後の空』 『大津波』 『街中の乱闘』 『大事故』など、
シリーズを選んで集中して見る。問題は検索に如何に適切なキーワードを選ぶ
センス。 映像が圧倒的に鮮明になり、世界中から数限りなく投稿されている。 
当然、面白いものに人気が集中し、当たると、それ相応の報酬も得られる。
◉ 4K,8kのYouTubeの映像に、驚きと興奮の連続。 TV各局が、傑作の人気映像
を積極的に流す。ところが、ブルーレイの録画300本と、YouTubeや、WoWoWの
存在が、逆に現実世界を不自由にしている。今夜も、「長岡花火」を、去年に
続いて自宅でNHKの生放送を見ることに? 映像だけではない。画像も強烈なが
ネット上で流れている。銃殺の直前に、泣き叫ぶ囚人を軍人が柱に括り付ける
場面や、銃殺する画像は圧倒的。 それだけでない。 ドラマ、映画も然り。
◉ 成功者、勝組と、その他の格差は、情報の質のカタチで端的に現われてくる、
と聞いていたが、今では、脳の中枢の感覚で決まってくる。旧KJB上りの、
プーチンと、トランプじゃあ、それは世界の裏社会の情報コントロールが全く
違って当然。まして、安倍首相など、赤子の手を捻るようなもの。
名残惜しい、この娑婆、如何なっていくのでしょうか!

 その時々に、実感で書いてある言葉が、そのまま伝わってくる。
そうか、魂とは生の顔をして言葉と映像、画像に現れ出てくる! 
――――
2019/06/20
閑話小題 〜先週のYouTube!
   * YouTubeでみる大波の襲来
 週末は、TVはYouTubeを中心にして見ることにしている。そこで自然と、
「アフリカの野生動物」「KOシーン」「逃走車の追跡劇」「ドローン・レース」
「バンジージャンプ」「ムササビ・スーツの滑空」‥などに、テーマが絞られる。
 先週は、津波などの大波による事故現場を映像を中心に見た。大波に飲まれて
いく人を、近くから高みの見物している人たち。ところが、自分たちも、更なる
大波の襲来を知らずに… そして次の瞬間、飲みこまれる。
 それを見ているうち、1990年のバブル崩壊から、2001年の9・11テロ、2008年
のリーマンショック、東北大震災で廃業に至った我姿が重なってみえてきた。
『まさかの坂』『ブラックスワン』が突然に現われ、襲いくる恐ろしさ。自分
だけは絶対大丈夫という慢心が知らない内に、身に付いてしまっている。
 私の年齢になれば、『死』と『高齢による病』の問題。 で、…

――――
2018/10/02
閑話小題 〜久々のYouTube! ー2

 YouTubeの映像も一年もしない内に、ほぼ新たな内容に入れ替わる。
直接投稿の人気順もあって、迫力のある画面に出合う機会が多い。
「事実は小説より奇なり」を実写で見られることになる。
準備無しでも、強烈な印象の映像が次々と想い浮かぶ。
新聞、TV、雑誌などのマスコミを通したら必ずカットされた内容ばかり。
最近、それらの動画集を紹介する番組も多く見られるようになった。

…ISが、捕虜を生きたまま焼き殺す場面や、
 斬り落とした異教徒の幾つかの生首を串刺にして柵に並べたものとか、 
…街中の闘牛で、突刺された場面だけを特集したTVバラエティとか、
…鳴き叫ぶ水牛を、ライオンの群れが生きたまま食す場面とか、
…水牛とライオンのドックファイトとか、1対1の血みどろの死闘や、
…重量級ボクシング、異種格闘技、大相撲の迫力が圧倒的に増した。
…世界各地の絶景をドローンで空撮したドキュメントや、ドローンの
 空中レースを、ゲーマーのゴーグル・カメラ目線で撮影したもの、
…ムササビ・スーツの滑空に失敗し、地面に叩きつけられた場面集や、
…数m四方の30?の水深の水たまりに、10mの高さから飛込む場面とか、
…高度7600mの飛行機上から、パラシュート無しで地上に設置された
 30m四方のスペースのネット上に着地するとか、
…パンツ一枚の裸で機上から飛び降りた人を、モモンガ・スーツの滑空した
 人が、空中で拾って密着、最後はパラシュートで無事着地する場面とか、
…白頭鷲が赤ちゃんの入った手提籠ごと、連れ去ろうとし失敗した場面、
…大鷹が、崖の中腹にいる家族?の少年を落下させようと襲った場面とか、
  等々、過って見る機会がなかった迫力ある映像に出くわす。

 今では、ドローンが加わったため、多種多彩な場面を垣間見れる。
例えば、プール付きの豪邸の中を、鮮明な小型ドローンで撮影した映像や、
ライブの築地市場で、マグロを解体しているライブとか… 
買ってきたゴーグルの箱を開き、実際に装着し、その映像そのままを
ドラマ風に仕上げたリアルものも、面白い。大型4k・TVもあった。
 若者は、YouTubeに限らず、ゲーム、SNSなどを駆使して楽しんでいるが、
羨ましい限り。嫌なこともあるのだろうが。
 今日の午前中は、『タイソンKO特集』『異種格闘技』でも見ようか!
――――

2018/10/01
閑話小題 〜久々のYouTube! ー1
   * TVのYouTube三昧
・Youtubeといえば、2年程前に寝室のTVを買い替えた時をキッカケに本格的に
見るようになった。それまでPCで見ていたが、4k・8kを記録するビデオ撮影と、
一桁以上、画面が鮮明になった大型TVとでは、面白さ、迫力が全く違う。
 映画を自宅のTVとPCでは、シネマ館の差と同じ位の差のようだ。当初から、
その生々しさに嵌ってしまったが、今では月に1〜2度になっている。
次々に放映さる映画、ドラマ、大自然の景観ドキュメントと、数年の間を
かけた録画にエネルギーをとられているためもある。

・まずは街中の闘牛祭りが面白い。放たれた闘牛に命をかけて立ち向う男たち
と共に街中のギャラリーが楽しむ祭りが圧巻。幾つかの国々で行われているが、
これが見ていてハラハラの連続。プロたちが招待され参加しているのもある。
年々、ビデオ撮影機が良くなったためか、迫力が増している。今までは聞こえ
なかった興奮した闘牛のうめき声と息遣いを拾いだすのが最近の特徴。
ギャラリー受けを狙った生死の際(きわ)を愉しむ遊びが故に面白い…

・映画、ドラマの合間の気分転換や、気分が塞いだ時に丁度良い。TVも考えて
みたら、情報機器の最たるもの。スマートフォン、タブレットPCと共に、進化の
速度は止まらない。 年内に、4k・8k専門チャネルが開局するが、これを境に
映像世界は大きく変化する。 暇な人間なればこそ、激しく面白い時代である。
                     
後記) YoutubeとHP内検索をすると、何やしら如何でもよいことを真剣に
 書いている自分がいる。これだけの画面の鮮明さと、思いもよらない場面と
毎日のように、遭遇すれば、興奮するのは仕方がないと、日々口実?になる。
しかし、今さら気どっても致し方がない。面白いものは面白いのである。
他人様の感性は分からないが、信じられるのは、自分の感性だけ。何ごとも、
決めつけないで、純真に、映像としても向き合うことしかと思うが…          
 黄昏の時節、もっともっと、「馬鹿の壁」を乗越えたかった!
< 上を見れば、キリがない。下を見れば、底(其処)がない。
 横をみれば情けない。 > 
その「情けない!さえ、自覚できない奴ばかり? 無知なるが故に、
人は生きていける! まあ、他人様のことじゃなくて、私自身のこと! 

――――
2018/07/04
閑話小題 〜今年も半期の終了 −3
   ★ YouTubeで印象に残った映像
・今年のYouTubeの映像で驚いたのが、ドバイの「ドローンのレース」。
ゴーグルを被って運転席に座ったゲーマーが参加する。画像は隼のように
倉庫のような空間に、780メートルのレース場の空中を10数周も突進する。
私はゴーグルを持ってないが、ゴーグルを被った映像なら迫力が違うのだろう。
36チームが参戦し、最後に勝ち残った4チームが決勝戦を争う。総額100万ドルの
賞金という。 そこで、15歳の少年が優勝をしたが… 独り部屋で異空間に引き
こまれ、不安さえ感じていた。ドローンとゴーグルの組合せの妙を、そのレース
で見ることになった。
・いま一つが、アルプスの頂上の現場で、ゴーグルを被り、ドローンを飛ばし、
頂上の自分たちを撮影した映像が、何とも不思議な感覚にさせる。 現実と、
バーチャルの融合。天使の目線で、自分の姿をみる。何とも奇妙な感覚。
・この7月中旬に、ドバイでドローンタクシーが、実際に営業開始をするという。
ニュースの映像を見る限り、まだまだ初期段階のようだが、面白い!

――――
2018/06/06
閑話小題 〜ブラックYouTubeの楽しみ
   * YouTubeに再び ―ブラックYouTubeの楽しみ
 一昨年暮れ、寝室に大型TVを入替えた時に嵌ったのがYouTube。
今年に入ってからは、全く見ることがなかったが、先月末から再び嵌っている。
ブルーレイ3百本の録り溜の存在は大きい。その中で一日一本、最も面白そうな
のを選ぶ、その上に、連日、Wowowで面白い映画放映されるため、YouTubeなど
のネット配信の映像を見る時間がない。
 TVだったら、カットされる残酷シーンが、YouTubeでは検閲なくみれる。 
中南米やポルトガル、スペインなどの何処かの国の祭りの余興で、闘牛を街中に
放ち、街の通りで牛を揶揄う。それは身体を盾にした死をかけた遊び。以前から
あったが、今では撮影機能が年々とアップしたため、迫力がアップ。傘や、布きれ
一枚で、突進してくる牛をかわす。それが滑って転んで、牛にグチャグチャに
されたのが、そのまま、放映される。当地のTV番組だろうが、ボコボコにされた
場面を、次々と出し、スタジオ全員で笑い飛ばすのもあった。 
 酷いのが、ムササビスーツを着て、断崖を飛び降りる失敗したケースだけを
編集したものや、インド象が街中で暴れて次々と、群衆を襲う生生しいのとか。
生きたまま、ライオンに食べられていく水牛とか… 
ホワイトYouTube?では、スイスアルプスの山頂から、ドローンで山々を背景に
自らを撮影したものとか、ドローンのスピードレースの映像とか、巨大波の
サーフィンとか… これらも、あと1〜2週で飽きるのだろうが。いい歳を
して何をしているかだが、面白さの感受性は年齢に関係ないこと。
 静かにクラシックも良いのだろうが、これまた実に面白い!

・・・・・・
5834,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −4
2017年03月06日(月)
   * 世界の絶景をドローンで空撮
 新婚旅行で行き先の絶景をドローンで空撮をしながらYouTubeに進行形で投稿
した録画の新鮮さが、バズって世界中で大ヒットした。ごく普通の人が、2年間、
節約した金で世界各地の絶景を空撮した切口と、絶景録画が何とも素晴らしい。
 数日前に、かつて録画していた世界絶景紀行のボリビアのウユニ湖の紀行モノ
をみた。ここで現地ガイドが、サービスの一つとしてドローンで空撮をした画面
をタブレットで、見せていた… 南米の僻地でも、時代の先端をいっている。
その録画から見える絶景が美しかったのに驚いた。YouTubeで検索で、出てきた
星座群と、湖面に映しだされた輝きはTVでも感動もの。4kビデオ+ドローンの
空撮は、空中からの自撮りも、空中探索も可能になる。
  〜2人のネット記事から〜 
【 ● 彼らの旅を彩ったのが、ドローンによる空撮だ。
 いまや旅人が自身の写真や動画をとり、SNSに投稿する行為は珍しくないが、
これほど大掛かりなガジェットを使うケースはなかなか稀有。ーなぜドローン
だったのかー 夫の千貴さん曰く、それは「たまたまだった」という。
「もともと考えていたのは、2人一緒に並んだ写真をいっぱい撮ろうということ。
世界の観光地の写真は綺麗なものがネット上にいっぱいあります。でも2人の
写真は僕たちにしか撮れないから、自分たちのために残したかった。でも旅行が
近づいたある日、YouTubeですごく格好いいドローンの空撮映像を観たんです。
それで、2人の記念撮影とドローンを組み合わせたいと思いました」
いまYouTubeに「ハネムーントラベラー」と打ち込むと、千貴さんと真理子さん
が撮影した数多くの映像を視聴できる。映像の始まりは、どれも仲睦まじく並ぶ
2人の姿から。ドローンが空高く上昇するにつれて2人は小さくなり、やがて息を
のむような絶景があらわになる。千貴さんは「正直なところ、行く先々で撮影した
映像をネットに投稿していればバズるかなー、なんて気持ちもありましたけど、
BBCにとりあげられて、世界中の人に見ていただけるなんて想定外」とはにかむ。
  ● 2人が旅から得たものは?
 ドローンを持参したことで、確かに2人の旅はより実りあるものになった。
例えば、通常の視点では気付けない風景を知ることができたという。…(略)
上空から見ると、二つの川の水の色がぜんぜん違うのです。些細なことですけど、
すごく得した気分。また、ドバイの人工島を空撮した時のことも忘れられません。
パームとはヤシの木のこと。この島はヤシの木の形をしていることで知られて
いるのですが、自分の目でそれを確認することができました。上空から見ない
とわからないことって、意外とあるんだなと気付けたんです」
 また、ドローンを通じて、地元の人々と交流を深められたことも貴重な体験
だった。ドローンの映像には、さまざまな人々に囲まれる2人の笑顔が映っている。
千貴さんは「地域によってはドローンを見るのも初めてという人もいて、撮影を
していると珍しがってくれました。ドローンのコントローラーには空撮している
映像をリアルタイムで確認できるディスプレイがついているのですが、
『自分たちが住んでいる場所を初めて空から見た!』と喜んでくれたんです」と。
 そして、ドローンを使った一連の経験は、千貴さんに新たなキャリアを提示
している。BBCにとりあげられて以来、世界中から映像作家としての仕事の
オファーが舞い込むようになった。ニューカレドニア、タイ、南極、日本国内と、
最近の仕事だけでも多岐に渡る地域を股にかけている。記者が取材した当日も、
「明後日からまた海外に出発です」ととても忙しそうだった。
――
▼ ドローンの空撮も、4kビデオも、カメラもデジタル技術の飛躍的進化の
 結果である。ますます空撮などの面白いのが世の中に溢れることになる。
この5〜6年、週一度はシネマ館に通っているが、これも特撮などデジタルの
進化で圧倒的に面白くなっている。それを最大限に利用して楽しめるのも時代
からの贈物。ハリウッドの連続モノドラマ『CSI』に、サイバー犯罪シリーズ
があるが、近未来の世界の先取りで面白い。 長年かけ培ってきた感謝、感動の
受信能力がデジタル技術で拡幅してくれる時代! それこそ有難いことだ。
〜 で、偶然、「黄金の時間をデジタル化して伝える」という文脈として続く。

―――
5764,パソコン融合TVの時代に
2016年12月26日(月)
   * 再びYouTube
 以前、ÝouTubeが面白くて、別のブログ『バートウォッチ』に、面白そうな
映像を紹介していたが、今では各TV局がチョイスをして放映している。
 一月ほど前、家電チェーンの売場を暇に任せ彷徨っていると、売場担当者に
『アンドロメダTVが最近売れてますよ』と声を掛けられた。ソニーがグーグル
と共同開発したアンドロメダを基本にしたパソコンとTVを融合した、一言で
いえば『画面検索付パソコンテレビ』。グーグルの検索機能をコントローラに
付けて、音声入力をすれば、目的の映像を呼寄せる機能。 選択したÝouTubeに、
「4k画面 築地 マグロ」と発声すると、4K画面のマグロの解体シーンが
映しだされた。ミソは「4k画面」のキーワード。一般放送で、まだ4k放送は
少ないが、YouTobeには4k録画の映像が投稿されている。それは、これまでの
映像とは違った鮮明な画面。担当がいうに『売れているのが、アンドロTV』。
そこで家でチラシを改めて見ると、ÝouTube付が有るのと無いのがある。
 新しい方のソニーのPCで、その画面をみると4kで入力された画面があった。
生々しい現場で撮影され投稿された映像、例えば、『シナイ山の初日の出』
『北欧のクリスマスイブの光景』『聖地の祈り』『ナイル川クルーズ』とか、
『サントリニー島の日没』等々、何でもござれ。これらを大画面TVの音声検索
で瞬時に茶の間で見れるのだから驚いてしまう。18ケ月〜24ヶ月で、情報機器
が半額に下り続けているというが、商品としての機能が、それ分アップする。
 パソコンTVが、既に売れ筋の主流になっていたとはね。グローバルになるわ!



6712,読書日記 〜『自由のこれから』

2019年08月01日(木)


    * 再び、分人主義とは?
 「分人」たる言葉、聞いたことがあるのでHP内検索をかけると、5年前に、
<平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」久垣啓一の書評で取上げていた。
 分人主義をオサライすると… 【人間を「個人」という「分けられない」一つの
単位としてでなく、複数の人格――「分人」――の集合体としてとらえる考え方だ。
 図書館から先日、借りてきた<『自由のこれから』平野啓一郎著>がある。
その前に、おさらいをすると、
 〜まずは、『分人主義』の意味を掘下げた個所の引用から(ネット検索)
≪ ◉ 人間には、いくつもの顔がある。 〜私たちは、このことをまず肯定しよう。
 相手次第で、自然とさまざまな自分になる。それは少しも後ろめたいことでない。
どこに行ってもオレはオレでは、面倒くさがられるだけで、コミュニケーション
は成立しない。だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人
individual」ではない。複数の「(分割可能な)dividual」である。
たとえば、「クライアントとの打ち合わせをしているイケダ」と
「娘と遊んでいるイケダ」では、表面的に見るとまったくキャラが違うわけ。
前者では「うーん、そうですね。○○だから、やっぱり○○だと思いますよ。
どうですか?」とか言ってる一方、後者では「あぶあぶあぶー!おとうちゃん
やどー!」とあぶあぶやっています。
◉ 全然違う人格なわけですが、これは両方嘘偽りのない「自分」であることは
間違いありません。「キャラを使い分ける」というより、自然にスイッチが切り
替わるという感じです。
人間は誰しもこうした「自然と切り替わる様々な自分」を持っているものです。
分人主義とは、ひとりの人間のなかに詳細な「分人」が存在する、と捉える新しい
世界観といえるでしょう。≫
 ―
▼ これを書き続け、過去の忘却の彼方の文を読む返すたびに、全く違う?
 人格者たる未知、いや無知の自分に直面する。成るほど、「分人」である。
日々刻々、体質も、環境も、知識も、行蔵も変化するため。 リタイア後の、
一日のスカジュールのユニットは、節目ごとに、分人が違っている。だから、
一日一日が新鮮に思えて、飽きることがない。あとは、5年前のとおり。

・・・・・・
2014年08月31日(日)
4917,「個人から分人へ」 ですか!
   * 永遠の問い、「私とは何か」
  平野啓一郎「私とは何か ―個人から分人へ」の久垣啓一の書評が解りやすい!
≪ この本の主張は、人間の単位を考え直すことだ。個人という意味で使っている
individualは、これ以上分けられないという意味であるが、本当にそうか。
そして本当の自分なるものがあるという
考え方が間違いのもとではないか、というのがこの本の問題意識である。平野は、
人間は分けることが可能な存在であり、人間は対人関係ごとに複数の顔を持っており、
一人の人間は複数の分人のネットワークによって成り立っているという。そして
個性とは、その複数の分人の構成比率によって決定されるというのだ。
・誰とどうつきあっているかで、分人の構成比率は変化する。その総体が個性。
・自己の変化とは、分人の構成比率を変えるしかない。それはつきあう人間を
 変えることだ。
・自分という人間は、複数の分人の同時進行のプロジェクトと考えよう。
・自分探しの旅とは、欠落している新しい分人を手に入れて、新たな個性を
 創出しようとする行為だ。
・私たちは、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。
・自分が気に入る分人を少しづつ増やしていくことができれば、自分に肯定的に
 なっていける。
・片思いとは、お互いの分人の構成比率が、非対称な状態である。それが許せず
 に自分向けの分人を大きくしようと、異常な行動にでるのがストーカーだ。
・分人主義は、人間を個々に分断させず、単位を小さくすることで、きめ細かな
 つながりを発見させる思想である。
・帰属するコミュニティが一つであることがアイデンティティであったが、
 今後重要なのは複数の分人を使って複数のコミュニティに参加することだ。
 むしろ矛盾する複数のコミュイティに参加することが大事なのだ。個人を複数
 の分人のネットワークとしてとらえると新しい視界が開けてくる気もする。
 分けるというより複数のレイヤー(層)によって重層的に個人が形成されて
 いると考えることもできる。ヨコに分けられているのではなく、タテに
 つながっているのではないか。≫
▼ 「わたし」は、わ(我)の最小単位が、たし(足し)で加わって私になって
 いる。だから、人生を振り返ると、その時々の出会いとか、経験で、分人を
増やしている自分が存在する。創業には、その分人たる主体たる自分が、厳然と、
そこに存在している。 秘境旅行で、各地に旅をしている自分も、旅行先に溶け
込んでいる分人である。旅行を続けることは、旅先に溶け込んでいる分人を
増やす行為である。個性とは、過去の経験の総体の構成比率とは、言いえて妙。
自己の変化とは、付き合う人間を入替えることだ。それも、森の生活のうち。

 ――――
2007年08月31日(金)
2341, 「私」とは何か?        〔● ォ'`ョゥ○〕ヽ(・д・`●)
  「狂人三歩手前」−中島 義道 (著)       −読書日記
   ー「私」とは何か?ー
「私」について、その構造について、過ってこの読書日記で書いたことがある。
成る程と合点がいったが・・ 常に考える時、「私」は何々・・と一日、数百回も
自問自答しているのに、その「私」とは何ぞや?と考えたことがない。それを知って
いると、いないとでは、思考の根本が違ってくる。
 ー「私」が無になることーのコーナーの「私」についての説明が解りやすい。
  ある哲学書で「私」についての説明があった。
{「いま・ここ」の主観を私とは言わない。 土手を歩いていて振り返った時、
さっきの橋を歩いていた主観が「私」として飛び出してくる。云々}と。
成る程と思いつつ、解ったようで理解できないモヤモヤが残っていた。
過去を振り返った時に「私」が初めて発生するということ?垂直に縦にある
「いま・ここ」の主観は、まだ私になってないということ? ところが彼は、
この本の中で、その「私」をみ砕いて解りやすく説明をしている。
  −p.86
「いま・ここ」に存在するものを「私」だと思い込んでいるのだ。
だが、そうであろうか? いま両肩から下に頭部を欠いた独特の身体が広がって
いるが、なぜこれが「私の」身体なのだろうか? そこに独特の感じがするから? 
だが、なぜその独特の感じが「私の」感じなのだろうか? こう問いつめていくと、
この方向に答えは見いだせないことがわかる。「私」とは知覚とは別の独特の作用
によって端的にとらえられるものではないか? いや、そんな独特の作用など見い
だせない。「私」とは知覚しているときに、同時にそこに感じられるものではないか? 
いや、胃がきりきり痛い時にそれと並んで独特の「私」という感じなどない。
そもそも「私」とは作用の対象ではなく、作用の絶対的主体なのではないのか?
多くの哲学者はそう考えた。そして、それを「純粋自我」とか「超越論的統覚」
とか名付けた。だが人間としての「私」がそんな抽象的な発光点のようなもので
あるはずがない。あれもこれも否定して、振り出しに戻ったわけである。
ここで、別の視点から反省してみるに、「私」とははじめから異なった時間における
同一なものと了解されている。「私」とは過去のあの時も同一の「私であった」もの。
しかも、その同一性は二つの対象を見比べて判定するのではなく、現在の側から
一方的に過去のあの者を「私であった」者と判定するのである。「私」は、過去と
現在との関係において登場してくるのだから、現在の世界を隈なく探しても見い
だせないのは当然。過去自体はすでに消えている。過去の記憶だけが残っている。
現在の知覚される世界ではなく、過去の想起される世界を探究することによって
はじめて「私」は身を現わす。ここにきわめて重要なことは、過去のあの時に私が
不在であっても「私」の同一性は保たれるということだ。夢の場合で考えてみよう。
夢を見ているあいだ「私」は自覚されていない。「私」は、夢から覚め
「私は夢を見た」と過去形で語る時にはじめて自覚される。まさにその時、あれが
「私の」夢であったことが忽然と了解され、遡ってあの時「私が」夢を見ていた
ことになるのである。夢ばかりではない。この構造は広く普遍化できる。
「私」は仕事に没頭している時や、夢中でボールを追いかけている時や、ぼんやり
もの思いに耽っている時など、いわば消えている。 しかし、あとから
「私は〜していた」と語れる限り、その時「私」は存在していたことになるのだ。
夢中で小説を読んでいた。ふと気がつくとあたりが薄暗く、電気をつけてみるともう
三時間も経っている。私は小説の内容を細部に至るまでありありと覚えている。
一体誰が読んでいたのか?ほかならぬこの「私」である。
ーーー
夢を例にした説明が、理解しやすい。夢見ているうちは「私」は成立してない。
じゃあ、夢の中で私は何々、云々といっているのは何だろうか?ただ夢の中で
過去のことを考えただけで何の問題は無いか!まだ夢の中で成立してない純粋
何とかいう未成立の?が、夢の中で成立した「私」として過去からの流れの何か
を考えていた! ということになる、ただそれだけだ。 そういえば、
また夜半にリアルな夢をみた  

・・・・・・
6349,秘・異郷の旅、よもやま話・・8
2018年08月01日(水)
   * 8年ぶりの「秘・異郷の旅、よもやま話」
 ふと、ツアーについて書いてみようかと、HP内検索をかけると、数多の
テーマで書いてあった。地球をキャンパスにし、私の立ち位置からして外側
からゲーム的に埋めていくことをライフワークにして30年になる。一回行く度に、
同行したツアー仲間を情報源にして、次回のツアー先を構成するゲームでもある。
10回を超えた頃、同行した旅行仲間から、「旅行道として、まず、文明の外側、
秘境を埋めた後、60歳過ぎからは内側、例えば、アジア、アメリカ、太平洋を
埋めていくのをライフワークにしている…」の話に納得。南米、アフリカ大陸、
中近東、北欧、シルクロードを主に周ってきた…。  
 私の経験からみて、『ツアー道』という言葉があるなら、インド、イスラエル、
エジプト、ケニアと、ギアナ高地、シルクロードは外せない。
書いたことすら忘れていた、ツアーのよもやま話。 実感そのままを素直に
書いてある。旅行好きなら面白いはずだ。 日常、起こりうる
トラブル全てが圧縮して次々と被さってくる「非日常の世界」。それが面白い
と思えないと、楽しむことが出来ない。その境地になるには量を熟すしかない。
私の場合、家内同伴が8割のため、更に複雑になる。非日常に夫婦間の日常を
持込むからだ。これも量を熟すしかノウハウは出来上がらない。それさえ確立
すれば、「楽しさ二倍、苦しさ半分」に…。それより、安上がりなリッチ気分
が手軽に出来上がる。更に帰っても、その余韻が暫く愉しむことが良い。
 ツアーは、殆ど、現地ツアー会社の企画パックの相乗り。だから、下手な
旅行プロより、穴場に熟知した内容が多い。 面白い現実がある。
飛行機のエコノミークラス。 ビジネス、ファーストクラスの数分の1、
季節によっては、数十分1。 飛行機を飛ばすに、後方の重量が必要とする荷
かわりに、ディスカウントでパック用に売り出される。狭いのを我慢すれば…
 何事も慣れ。人生と同じ! エコノミー・パックツアーとしても、行先の
観光そのものの『光』(景)は、全く変わらない。もっともっと行っていたら、
とは、全く思わない。これが精一杯のようだ。 この御蔭で、様ざまのライフ
ワークを見ても、『ああ、この人は、これですか』と余裕を持てるところが良い。
 
追記: 8年ぶりと書いたが、何々…、何度も何度も他に書いてある。
   好きでもない人から見たら、ツマラナイ自慢話だろうが… 地で書くしか
  ないのだから… でも、カナダのロッキーのパノラマ! 他宇宙に、瞬間
 移動したような錯覚! フィジー、いやハワイ島の、大らかな世界! 

* ところで、明日、NHK総合で、長岡花火の光景を全国放送をするらしい! 
 予定変更をして、明日、全国民とTVを観て、翌日、生を見ることにした。
今までは、NHK/BSで、大曲の花火を観てきたが、長岡は地上波の全国版ですか!
 < よく見れば薺(ナズナ) 花咲く垣根かな  芭蕉 > 。

・・・・・・
3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1
2010年08月30日(月)
  * 海外旅行に魅せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを
思いのまま書いてみる。その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験を
リアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。
人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に
少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、
日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。また日本の遥か彼方
から、逆照射してみた自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 
それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。
まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った
計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。旅先で、絶対に行きた
かったが行けなかったところはない。ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど
行きたいと思わない。
秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 
自然そのものが何か波動を発している。その波動に飲み込まれにいくのである。 
この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 
 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に
北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、あの時の下地と、
21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここ
までノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かの
チャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長の
ようになる。「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、
そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。

・・・・・・
2010年08月31日(火)
3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2
  *初めての21歳の欧州旅行 ー1
どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二
以上が、それに当たるからである。ショックの段差が大きかったのは、初体験
の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。
当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、欧州の映像など殆んど
目にしたことはなかった。モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは
中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。それが突然、
目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、
牛肉に細い糸が巻き付いていた。生まれてこのかたヒレステーキなど、食べた
ことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。次に初めての海外に
降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と
緑の中に街がある御伽の国に思えた世界があった。人種が違うのである。
金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、
違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。
それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、北欧人を目の当たりにする
のだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。
自分の精神を正常に保つだけで精一杯であった。当時、海外旅行に出る人は、
まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。
 だから、出発前から気持ちが高揚していた。

・・・・・・
3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
2010年09月01日(水)
   *初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。
当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。それより、自分が食べたいだけ
皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、
超ミニスカートで、街を闊歩している。その美しさが街並みにマッチして
いるのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのない
バッキンガム宮殿、ロンドン市内には、シルクハットをかぶって歩く風格ある
紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、
子供時代以来、腹の底から笑った経験をしてみた。こんな楽しく高揚をした
ことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。
これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。元もと実家で商売をしていて、
年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやの
ドンチャン騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが
格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった?
 パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、
そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが
今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。
その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。


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