堀井On-Line



6773,閑話小題 〜74歳の同期会の現実

2019年09月30日(月)


   * 前期高齢者の区分の最終年の同期会
 74歳が44名も集った中学の同期会も、若い人たちからみれば、どう見えた?
大学の卒50周年記念は300人。総長は「これだけの御年寄りの会も「ギネスもの」
と! こういう会は、恵まれた人生を過ごしてきた人たちしか出席できない実情
もあるが…
中学の同期会は、集合時間が9月28日(土曜)の16時。 クラス別のテーブルに
分かれての会。連合いが亡くなっているか、寝込んでいる人が… ガン、脳溢血、
転倒で、辛うじて出席している人も多々… 段々と我身にも? この年代が44人
も集まれば、起こって然るべき病気、事故が、そのまま現われ出ている。
「人生は75歳が大きな区切り」を実感。 「好いところは60歳まで」。
50歳、60歳、65歳、70歳、そして75歳と、胸突き八丁の峠が続く。
後期高齢者の年齢は、病そのものと実感する。「先に逝ったもの勝ち」も然り。
御迎えの方が、むしろ有難い年齢になりつつある。これまで、「老いの悲しみ」
について多く書いてきた。シリアス過ぎる内容だが、それでも直視しなければ。
質の良い老々介護など有りようがない。生きてきたように死んでいくとか。
 さあ、良質な人生だったか? 良く遊び、学び、働き、良く休息してきたか?
死んでしまえば、それまでよ! 幸せそうだったのが、そのまま人生にスライド
しているような。 結局、家庭の土壌の問題ですか。中学は分類される前ゆえに、
それはそれは! 社会の縮図として現前するのも、シリアスと言えばシリアス。
 終わってしまえば皆、同じとしても、人生のセンスの良さそうな人ばかり? 
やはり、良い年代に生まれて、人生を謳歌出来たということ… 幸せは幸せを
呼び込んでくる。 例外もあるが… 
 ところで、来年は後期高齢者への祝賀会? 再来年は、喜寿の祝い?
――――
2018/04/28
閑話小題 〜平均介護年齢に、あと半年で、
   * 72歳、あと半年で平均介護年齢に!
 男の平均寿命が80歳、介護年齢が7年というから、あと半年で平均介護年齢に。
周囲を見渡すところ、同年代の3割が鬼籍にはいっているので、健康体でいるのは、
同年代で3分の1になった。半分なら分かるが。もう、この時節に到来したのか。
 
 数少ない地元の酒のみ友達と、去年の暮れ以来、4ヶ月間も連絡がなかった。
30数年来、初めての間隔のため心配をしていたが、先週末に連絡があり、久々に
カフェテラスで会ったところ、「自宅近くで転倒、複雑骨折をして手術をして
1ヶ月間の入院後、自宅で1ヶ月あまり療養していたという。運転は、ままならず、
カフェには奥さから車で送ってもらい、帰りは私が映画館への道すがら自宅近くに…。
リハビリが週に2回。介護4というからただ事ではない。あと数ヶ月で78歳。
 
 介護には、要支援が2段階、要介護が5段階合計7段階がある。その6番目とは、
かなり深刻な状況。 握力が弱くなり、コーヒーカップを持つのが、精一杯。
複雑骨折の手術と、その苦痛は並み大抵でないと話が続く…。
介護用電動リクライニングベッドを月800円で借り受け、寝起きしている…。
75歳が体調の節目で、その後3年は右下りの一方と…。その上に複雑骨折。
 転勤、リタイアなどで酒友が次々と減り、最後の?一人も… ただし生命力が
ある人なので、回復してくるはずだが。私自身の75歳への峠道は厳しい寒風が
吹きそうだと…。
 
 年末に行われる大学の同級会も、毎年、一人二人倒れて不参加組が… 
小・中・高校と同様に、他のクラスか、学部が加わる「同期会」に変わってる。
何処も、三大疾患、連合いの死などの厳しい現実の話ばかり。その中で、酒友の
ような転倒による負傷が多いと聞いていたが、よりによって。それも室内の躓き
のケースが。進学するほど健康寿命が高かったのも、前期高齢年齢まで。
兄姉、その相方も、去年、一昨年と、一人ずつ欠けはじめてきた。生存年齢が
80歳なら、然もありなん。 今までは、「人は先、ワシは後」だったが、私の
順番も遠くないのか? 古希の壁は無事超えられたが、問題は、後期高齢者の
区分の2年半後(75歳)。
 
 身近に、その辺りが私の終末の目安と宣言してきたが、さて如何なることか!
「あと千日の晩御飯」など思いもよらなかった。ここまでくると「べきことを、
べき時に、べくすべくしてきたのが、良かった」と自身を慰めるしかない。 

ところが最近、情報化社会への激変現象ウォッチッグ体験が面白くて面白くて、
死に欲(いや生き欲か)が出てきて… 
 追) 何故か、丁度よい過去文が次々とつづく。
   何か、宴会そのものの人生のような…  
  …そういうことにしておこうか! 

・・・・・・
2016/04/04
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜��
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7〜8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7〜8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係の幅が違う。『あの人、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けないのが多い。「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から
家から追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCの
ベンチで、人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
 そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
 ――――
2016/04/05
閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜��
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 出かけようにも、何処に? 
 『男って、定年になったらいらないのよね!』 リタイア後に、
こんな言葉を投げかけられたら夫は、グサッとくる。これに近い言葉を
週一は投げかけられているが、長年かけられたら生きる気力がなくなる。
 著者は私より12歳年上。この本を発行した2年後に80歳で亡くなった。
私にとって、70歳代を生きる道標のような内容。75歳からの後期高齢期は、
右下がり一方で厳しいらしい。 教訓として、あと5年間、捨身で生きろ!
〜世田谷区内の高齢者10万人のデーターによると、
・65歳以上の高齢者の4人に3人は、自宅内から一歩も外に出ない。
・近所付き合いは、「ほとんど付き合いがない」「挨拶をする程度」が6割弱。
都会の高齢者、特に男性は家に篭りきりで、外には滅多に出かけないため、
急速にボケるらしい。外に出かけようとしても、何処に行っていいか分からない
上に、手持ちの金が少なく、足腰が痛んだりして外出が億劫になる。
 それに比べ女性のキャリアが長いため、日々を楽しんでいる。
 ここで、著者は妻の禁句として、『どこかに出かけたら』の言葉。
これを言われると、すべての夫は居たたまらなくなり、「うるさい!」と、
言いたいが、その気力もなくなり、それが痴呆化を促す。だから、人生設計に
ライフワークを長年かけてつくっておく必要がある。 そこで、『自伝』の作成
を勧める。誰のための自叙伝でなく、自分のための自叙伝と割切ってしまえば、
過去の思い出は、次々と湧き出てくる。
 独立独歩で生きてきたので、リタイア以後の生活に全く戸惑うことはないし、
部下を介して何かをするのより、一長一短があっても、自分の手足でする方が、
物事がはかどる。 以前から実行してストレス解消になっているのが、週一の
酒とツマミと飲料の買い物。買物症候群という精神質症があるが、私のは小さな
ストレス解消。それと嫌なことがあった時の「百均」の買物。一時間で、7〜8個も
買えば、心が晴れる。 高齢期は特に『おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなしものは 心なりけり』の高杉晋作の言葉のように生きるしかない。 
目を凝らすと、面白いこと、楽しいこと、知りたいことが、あまりに多い。 
如何に馬鹿の壁のため、それに気づかなかった?か。
「犬も歩けば 棒にあたる」と、成るほど、昔の人は良いことをいった。
 ――――
2016/04/06
 閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜��
            『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  〜その辺りから〜  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ』
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。


6772,閑話小題 〜そんなまでして生きたいか ー2

2019年09月29日(日)

   * 所詮は、宇宙のゴミだもの

◉ その際にある人が、数ヶ月前、深刻な顔で、
 『平気な顔をしているが、怖い! 一応、目やすにしていた5年を超え6年目
に入ったが、夜半に恐怖が襲いくる。…寝たきりでも、質のいかんに関わらず、
少しでも生きていたい。この恐怖を乗越えるには、如何したらよいか?』と…。
『砂漠のど真中にただ一人、うち捨てられて、生への渇望にノタウチまわるって
いる心境ですか!』と返すと、「我が意を得たり」と、急に明るい顔になった。
 何か癒されたような。 さらに、
『2人に1人がガンになるし、夫婦にすれば、100%じゃないか』と。
死からみれば、娑婆の悩みなど、かすり傷。 哲学の最重要事項である。
死後の世界があるか無しか。アルわけない、といってしまえば、それまで。      
 
◉ 50歳を超えたら、いや、若い時分から一般常識として、まず知識として
 知っておくべきこと。フランスでは中学に「哲学」が取入れらている。
悲しいことに、それ程度が、会のレベル。 ガン末期を宣告された牧師が平静を
装い?「子供の頃、身近な人の死に出あい、底知れぬ恐怖感におそわれ、それに
耐えられそうな牧師の道を選んだ。死とは神の御元に帰るだけと、神に帰依して
いて良かった」と…

◉ 数年前、我々の住む宇宙以外の「他宇宙の存在」が話題に。
 他宇宙が10の500乗の数、あって。 そこから、ループ状の管を通って、
私たちの宇宙にダークエネルギーが流れ込んでいる。我々の住む宇宙はプラス
27乗に対してその素粒子のサイズがマイナス10の35乗。無を何となく実感
させられる言葉。太陽系を含んだ我々の銀河に数千億の星が存在し、その銀河系
が数百億も存在する、この宇宙に存在している。この宇宙が、10の500乗も存在
するという仮説を考えただけでも、「死」の恐怖が少しは吹っ飛ぶ? 
いや、そうはいかないから、考え、悶えるしかないですか…。 

・・・・・・
6408,旅行の話 〜パックツアーの構造 ー3
2018年09月29日(土)

    * パックツアーの種類と、利点と欠点 〜B
 洋服に例えると、スーツ、コート、ワイシャツは、注文服か、既製服、
イージーオーダーの何れかになるが、ツアーとて同じ。〈イージーオーダーとは、
洋服の仕立てで、あらかじめ幾種類かの型を用意し、客のからだの寸法に応じて
細部を修正、仮縫いなしに仕立てる方法をいうが、それぞれの長所、欠点がある。
各国の観光事情に長けた地元業者の企画したパックを、仕入れるのが一般的。
問題が起こると、携帯で本部が直接交渉し、解決するシステム。だから、フリー
の添乗員のパーツでも可能になる。 各国のお国事情で、折角の旅行が台無しに
なる危険を避ける必要もある。 私自身、英語力が全く無いことと、人見しりも
あって、パックツアー派。若い人によって、イージーオーダーを好む人もいる。 
慣れもあるが、全国から集まるツアー仲間の観察とか、添乗員の当り外れや、
その間で得る情報収集も楽しみの一つ。10数年前から、面白いワイシャツ専門店
が新潟駅前にある。最初、サイズをとって、パソコンに入力。店には生地見本を
置いておくシステム。中国で、製造されるのだろうが。 自宅のイタリア家具の
応接セットが、これに近い。 デザインと皮部分がイタリア、木工部分は韓国、
製造が中国製という。値段は4分の1。 ツアー先の企画デザインと、手配全てが
現地の旅行代理店。そこは数百年の熟練されたノウハウと、製品保証がある。
当然、歴史の浅い国内パックとでは、品質が違って当然のこと。行きなれた旅先
ならいざしらず、何を気どってイージーオーダーにすることがない。

  :特徴 パックの利点と欠点:  <ウキペディアによる検索より>
≪♢ 利点: ・(添乗員が同行してくれるタイプでは)不安感が比較的少ない。
(スケジュールが細かく、効率的に組まれていることが多いので)比較的多くの
観光名所を短時間に効率よく周遊出来、事前の現地情報収集は少なめで済み、楽。
自由旅行や手配旅行と比べると、旅行費用全体では割安なケースが多い。
(企画している旅行業者と宿泊施設などの間で、団体枠の料金(団体料金)が
適用され、旅行者ひとりあたりの原価が安くなっているため。)
・法律上、旅行業者が3つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保障責任)
を負うことになっているため、その点は手配旅行に比べると安心できる。
♢ 欠点: ・スケジュールが極端に細かく設定されていて、やたら動き回らせる
ものがあり、その場合、ひとつひとつの場所でそこを十分に味わう時間すら得ら
れず、労働させられているような感覚を味わわされ、疲れるばかりで、満足感が
かえって低下する場合がある。コースが「お仕着せ」なので、企画者のセンスや
好みと旅行者(参加者)の好みが異なっていると満足できない。
行動時間の大半は、他の参加者と集団行動をしなければならず、他の参加者が
様々なトラブルを引き起こして、それがとても煩わしく感じられることがある。
・日本でもすでに格安航空会社が格安の航空チケットを提供しており、ホテル代の
割引が個人客にも開放されているので、昭和時代とは異なり、パッケージツアー
よりも、むしろ自由旅行・手配旅行・一人旅などほうが安くなる場合もある。
特に1人参加で1人部屋追加料金を支払う場合はパッケージツアーはかなり高く
つく傾向がある(見ず知らずの参加者同士の相部屋を認めるタイプもあるが、
そのかわりにそれなりのわずらわしさがある)。また、辺境地をチャーター便や
貸切バスで周遊するツアーも高額になりやすい。≫
ー
▼ 行先と、目的の選定から、まず開始。 まず欧州か、それ以外か。
 僻地嗜好から欧米嗜好に舵をきり、最近では東カナダ以外は、欧州ばかり。
これで欧州17回目。カミさんの鞄持ちもあって、内向き(文化圏)に。直近では、
<北イタリアのドロミテと、イタリア側から観るマッターホルン>。
 古希を境に、もう充分と止めていたが、迷惑覚悟に決断したが、これが思わぬ
拾い物。欧州の観光は深い。 10数年前に行った<北イタリア周遊パック>で、
ドロミテ街道を通り抜けたが、今度は二泊して湖水地方と、世界遺産のドロミテ
街道を観るもの。 更にミラノに戻り、裏側のマッターホルンと、ロープウェイ
で登ったモンブランなどのアルプスを360度展望した雄大な「エルブロンネの絶景」
は、スイスアルプスと互角… 至福の時間を味わうことが出来た。 何ごとも、
限界を超えた先に、何かがある「一期一会の旅」。 
 このブログと、秘異郷を主にしたツアーと、TVから映しだされる映画と自然界の
映像の観賞が、世の名残りを明るくする。 無粋の私には、既製品なればこそ良い
ことがある。己の能力を見限ればこそ、様ざまなシステムの有効利用が出来よう
というもの。 

・・・・・・
2016/03/20
閑話小題 〜51回の海外ツアーで
   * 海外ツアーのテーマの棚卸
 51回の海外ツアーに参加してきたが、その行蔵は何ものにも代え難い財産。
知れば知るほど、世界は広く深いことが解る。10回目辺りから秘境・異郷ツアー
に重心移動をしたが、10年ほど前からは欧州中心になっている。リタイアー後、
諸事情で家内の鞄持ち?のカタチだが、何はともあれ、行けるだけで充分。
「行けるうちに、行けるところに、行っていて良かった」と実感する。
・大陸別では、アメリカ大陸、オーストラリア大陸、ユーラシア大陸、インド
 大陸、アフリカ大陸があるが、万遍なく行くのと、一つに絞り込む選択がある。
・他に、テーマを、文明、文化、山脈、滝、氷河、平原、クルーズ、お祭り、
 有名ホテル巡りなどのテーマを決めて周る人がいる。 〜テーマとして・・
☆ まずは文化。 ツアーの過半数以上は、何処かの首都を経由地として一泊。
 そこには、名だたる美術館や・博物館のコースが組み込まれていて、その国の
名画や工芸品、遺跡などで発掘された国宝クラスの古美術品が展示されている。
それらを、み続けているうちに、門前の小僧、その魅力に取込まれてしまった。 
上野界隈の美術館で、その数点の展示で長蛇の列になる名画などが、数多く
展示されて、間近で見られるのが良い。 文化の一つに、各地の料理がある。
それぞれ各地の特色ある味が、そのまま染み出ていて実に美味しい。と同時に、
日本料理の美味しさに改めて気づくことになる。 文化といえば、お祭り。
北スペインのパンプローナの牛追い祭りと、リオのカーニバルの熱狂がよい。
☆ 次に文明。古代の遺跡の7割がエジプトのナイル流域にあるというが、
 これには圧倒される。他にアフリカ、中東の遺跡郡、中南米の遺跡群もよい。
圧倒的なのが、古代エジプトと、ポンペイと、シリアの遺跡群。そこには数百年、
数千の時空を超えた当時の人たちの息づかいが聞こえてくるようである。
石文明は、それが、そのまま残している。
☆ 何といっても大自然の景観! アフリカ、インド、北米、南米、北欧、
 アルプス連峰、ヒマラヤ連峰などの大自然の景観も圧倒的である。そこは、
文化・文明の数千年の時間とは違う、数万、数百万、数億単位の時間がある。
 行蔵とは、よくいったもの。 以下は12年前のテーマだから、51回と
すると、3年分、行ってないことになる。 世界的パンデミック騒ぎとか、
5年前の節目時などの件で、行けなかったが、それより、年齢からくる気力、
体力、金力?などの衰え。外側(辺境)から、内側(欧米圏)になっているが、
これはこれで、面白い! ライフワークとしての世界観光も、限界点になって
きたが、移動が動くホテルのクルーズ・ツアーがある。しかし年金暮らしには
チトきつい。「生きているうち、元気なうち」と思って、はや、20年、いや
25年になる。なら、あと5年を貫き通せば満点のライフワークになるが。

・・・・・・
3444・秘・異郷の旅、よもやま話・・1
2010年08月30日(月)
  * 海外旅行に見せられて
 これまで47回の海外旅行で、フラッシュ的に記憶から飛び出したことを
思いのまま書いてみる。その方がむしろ、これまで書けなかった生の体験を
リアルに表現できそうだ。 痕跡として残るのは、現場で撮った写真と言葉。
人生を旅に喩えることがあるが、素晴らしい経験と同時にトラブルを如何に
少なくし有意義な旅に仕上げるかがポイント。そのために、行き先の選定、
日々の過ごし方、対処の仕方などのコツが大切になる。また日本の遥か彼方
から、逆照射してみた自分の人生の卑小さが何とも滑稽に感じることがある。 
それが気持ちに余裕を持てるのが収穫になっている。
まずは、思いもよらない経済恐慌に出くわした為に、人生の仕上げに入った
計画に狂いが生じてきた。それも、なるがままの人生。旅先で、絶対に行きた
かったが行けなかったところはない。ガラパゴス諸島ぐらいだが、それほど
行きたいと思わない。
秘・異郷旅行での最大の収穫は、想像を遥かに超えた自然が与えてくれる感動。 
自然そのものが何か波動を発している。その波動に飲み込まれにいくのである。 
この感動は、山好きの人が国内の色いろな名山で経験しているものと同じだろう。 
 世界の異郷の地で、違う形で経験をするのである。 学生時代の多感な頃に
北海道、九州、そして紀州と一人旅をしたことがあるが、あの時の下地と、
21歳時の一ヶ月の欧州旅行でのカルチャーショックが下地にあったから、ここ
までノメリ込んだのだろう。その結果、ほぼ毎晩、BS/衛生TVの何処かの
チャンネルで、これまで行った先を放送しているが、見ていると旅の延長の
ようになる。「一回の旅は、帰ってきても、そのまま続いていく」が、
そこで実現してくる。一点豪華主義?としても、贅沢である。

・・・・・・
2010年08月31日(火)
3445・秘・異郷の旅、よもやま話・・2
  *初めての21歳の欧州旅行 ー1
どの旅行が一番良かった?と聞かれても、答えられない。半分、いや三分の二
以上が、それに当たるからである。ショックの段差が大きかったのは、初体験
の学生時代の一ヶ月間の欧州旅行。見るもの、聞くもの全てが驚きの連続。
当時は、やっとカラーテレビが普及し始めたばかりで、欧州の映像など殆んど
目にしたことはなかった。モナリザや、ミロのビーナス像、パリの凱旋門などは
中学か高校の教科書の小さな白黒の写真でしか目にしてなかった。それが突然、
目の前に本物が次々に現われるのだから、驚き唖然とするのは当然である。
 まず飛行機乗って、夕飯にヒレのステーキが出てきた。まだ憶えているが、
牛肉に細い糸が巻き付いていた。生まれてこのかたヒレステーキなど、食べた
ことはなかった。 そのためか、その味の美味しいこと。次に初めての海外に
降り立った地はデンマーク。そこは、私が今だ見たことがなかった明るい空と
緑の中に街がある御伽の国に思えた世界があった。人種が違うのである。
金髪の大柄な男女。空の色が違うのである。そして、林や森のグリーンが、
違うのである。考えてみたら、日本全国の自然さえ見てなかったのである。
それが、いきなりデンマークの空とグリーンと、北欧人を目の当たりにする
のだから。一挙に御伽の国の真っ只中に降り立った時の驚きは新鮮であった。
自分の精神を正常に保つだけで精一杯であった。当時、海外旅行に出る人は、
まだ20万人でしかなかった。現在の100分の一である。
 だから、出発前から気持ちが高揚していた。

・・・・・・
3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3
2010年09月01日(水)
   *初めての21歳の欧州旅行 ー2
 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。
当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。それより、自分が食べたいだけ
皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。
 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、
超ミニスカートで、街を闊歩している。その美しさが街並みにマッチして
いるのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。
それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。
 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのない
バッキンガム宮殿、ロンドン市内には、シルクハットをかぶって歩く風格ある
紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ
タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、
子供時代以来、腹の底から笑った経験をしてみた。こんな楽しく高揚をした
ことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。
これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。
これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。元もと実家で商売をしていて、
年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやの
ドンチャン騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが
格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった?
 パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、
そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが
今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。
その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。

・・・・・・
3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4
2010年09月02日(木)
  * 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。自分の心が粉々
に粉砕されてしまった。カルチャーショックである。今から思うと、これが
良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の価値観が根こそぎ壊れた。
それと「自分は東洋の小さな島国・日本の黄色人種」という目線を得たこと。
これをキッカケとして、根こそぎ自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間
を与えられた価値がないと気づいた。それと社会、世界は、不平等で格差である
こと。世界には豊かな人種と国家があり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。
その中で生きていく自分を作る基礎を学生時代に培わなければと気づいたのである。
とにかく世界は広く、深い一端をみた。
 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。
それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの渓谷の美しさに
言葉を失ったことを思い出す。毎日、これまで、想像すらできない光景を、
これでもか、これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、
あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が多いと聞いた。
現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、映画の背景として過剰
に入ってくる時代ではない。 私のように、中高校の白黒の小さな写真でしか見た
ことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変になって当然である。
 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、
その後を左右したというが、当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて近代
国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、全く違うが、それでも
21歳での経験として、大きな財産になっている。


6771,閑話小題 〜そんなまでして生きたいか ー1

2019年09月28日(土)

   * ステージ3の知人との対話
◉「少しでも、生きていたい!」は、銃殺直前に突然許されたドストエフスキー
の緊迫した心理状態と同じかと… 最期は誰も、その苦しみの中で…プツン!
限られた時間内で考えることは?
「何をするため生れてきたのか」
「もっと何事に挑戦し、経験したかった。その為の時間が欲しい」。
「何ゆえに一般常識に縛られていたのか… そうだ、親と身近な知人の思惑に
全神経がいっていたからだ…何だこんなもの」などなどの苦悩の底の自問自答。
 それを呼び起すのは直面した死である。誰も彼も、哲学的問答と知識があれば、
かなりの部分が軽くなる? ところが こういう話を誰も直視しようとしない。
これは普段から軽い会話を身につけ蓄積しておくべきこと。近年ではハイデッガー
が提起した問題…。 ところが固まり、話題を逸らす知恵が、それを邪魔をする。 
 その時の、むごたらしい苦悩と苦痛は、内なる知識で軽くなるものを。
無知は、最後の最後むごたらしい苦痛を倍増させる。とはいえ、奥深い問題なる
が故に仕方がないのなら、目を叛け、群れて誰かを槍玉にする。人は「今、ここ、
わたし」の場面で目を叛けて生きるしかないのか。それも生臭い風ともに去りぬ。
ただ、生前に戻るだけのこととしても… 

◉ 会社整理の直後、3回、続けて酒席で辛辣に非難してきた男がいた。
「以前、哲学の本を貰ったけれど、哲学なんぞ俺は知らないが、事業は上手く
いっている。」と。 3回、たて続けて言われて切れた私が…
『いずれ、誰も死ぬ。それは普段から知識を持ってないと、いざとなると…
それで親切心で哲学の本を与えた。シッカリ読んでおくべきこと。現状が上手く
いってるなど如何でもよいこと』と… そこでトイレで?折りたたんだ一万円札を
目の前で叩きつけた。漫画じみて可愛いといえば可愛いが。 幹事の某女子が、
嬉しそうに拾って、一枚一枚を丁寧に広げて「二次会に使わせて貰うわ」のオチが。
 ところが それから一年もしない中学校の同期会で…
「俺、大病をした。いつ死ぬか解らない。80歳まで生きるつもりだったが… 
死にたくない。死んだら、如何なる?」と、嘘のような悲鳴を…。死を前にした
自己問答の問題が哲学の第一歩。 それと、誰も抱えている無知と、「この私の
存在の問題」。我が内なる神の問題も。死を直面して、まともな対話を求めてきた。
目は血走り… そこで、<哲学書の『死について』を何度か読んだ?>と聞くと、
「いざとなったら、読もうとは思っていたが、いざとなると気持ちに余裕が、
持てない。時間をかけてジックリ考える問題と窮地に立って初めて、気づいた。』

『アホちゃいまんねんパーでんねん!!』という明石家さんまさんの名セリフ。
くるくるパーなればこそ、真面目くさって、朝っぱらから… まあ、いいか!
その同期の会が、今夜、行われる。 この会も、年齢的にみて、さて如何なる?
                             〜つづく
――――
4578, そして、人生はつづく
2013年09月28日(土)
              『そして、人生はつづく』 川本三郎著
 図書館でみて、「まえがき」の文章が現在の心境に似ていたので驚いた。
還暦過ぎれば、誰も似たような現実が待っている。まずは介護が平均10年が
終末に控えている。私など、「そして、・・」より「それでも、人生はつづく」
が合っている。  まずは ー「まえがき」の全文ー  
《 2008年の6月に35年連れ添った家内を癌で亡くした。子供がいないので
 それから一人暮しが始まった。その「独り居」を毎月一回、日記の形で書いて
いった。物書きという仕事柄、幸い一人でいることに慣れている。というか、
物書きとは一人でいることが仕事のようなもの。 本を読む、映画を見る、
音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。
これに、家事という新しい仕事が加わった。愛読しているアメリカ人の詩人、
作家メイ・サートンの『独り居の日記』(武田尚子訳、みすず書房、1991年)
は、ニューイングランドにある緑豊かな田舎家での一人暮らしの日々を綴った
ものだが、こんな言葉がある。「私にできることといえば、瞬間瞬間を、
一時間一時間を、生き続けることだけだ――小鳥に餌をやり、部屋を片づけ、
たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を
創造することだ」。一人暮し、もうじき七十歳になろうとする人間にとっても
「秩序と平和を創造すること」がいかに大事であるか。自己管理をきちんとし、
静かに暮すこと。一人暮しになって静かな一日を送る困難と、幸福を知るよう
になった。 家事をし、仕事をし、散歩をし、一日の終わりに酒を飲みながら、
昔の映画をビデオで見る。無論、そんな平穏な一日が毎日あるわけではないが、
それだからこそ「秩序と平和」が大事なものに思えてくる。 もうあまり
大きな声でものを言いたくない。「独り居」のなかにささやかな喜びを
見つけてゆきたい。3・11のあともそんな思いで書き続けた。
あれはフェリーニの映画だったか、「私は生きることより思い出すことの
ほうが好きだ。結局は、同じことなんだけど」という意味の言葉があった。
日記を書くとは、まさにその日その日を思い出にしてゆくこと。 》
 アマゾンの ーBy FANTASMA UCCIDENDO MECCANISMOレビュアーが、よい!
〜編者か著者のどちらかの投稿?〜{評論家・川本三郎は2008年に妻・
ファッション評論の川本恵子を亡くし、以来独りの物書き生活が始まった。
 読書、映画鑑賞、音楽鑑賞・・でも独りだ。たまには旅にも出る。
一見、悠々と見えても、心は独りさびしき、時の旅人である。面倒な“家事”
も自分でしなくてはならない。そんな老境に入った著者の日々が綴られている。
著者は当たり前に生きてきたつもりだが、妻の死、そして3・11で変わった・・ 
 著者は、震災後に東北を応援しようと小さな鉄道の旅にでる。3・11と
世の中のこと・・  淡々と静かに自分の日々を綴る・・ そして彼自身
独りの人生の時は流れてゆく・・・。たった数歳しか違わないのに、私とは
まるで異なる時をゆく。それでいいのだと思う。そして、人生はつづく・・
ターミナルは一つであっても、そこに至る道は人それぞれに異なるのだ。
独りという寂しさの重圧は、若き時には跳ね返せても、老齢に至れば、
そのエナジーも枯れつつあることを自ら認識、体験中のトロイGKMです。
余韻が残った久しぶりの大人の文章。}
▼「本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。
 旅も大半は一人旅。 ・・もうじき七十歳になろうとする人間にとっても、
秩序と平和を創造すること、がいかに大事であるか。」が、言い得て妙。
私は二年半前に、その半年前までは思いもしなかった事業整理をせざるを
得なくなったが、それでも、人生はつづいている。そこでのコツは「独り」
の世界の中で、秩序正しい静かな生活を守ること。 
一応、準備を含めた45年かけた独りの世界があるが・・・

・・・・・・
6407、閑話小題 〜屋根の防水工事
2018年09月28日(金)
   * まあ、仲の良いことで! 
 一昨夜は中学校の同期会の幹事会。15名が参加、二次会終了時間が23時過ぎ。
何時も盛上る。御蔭で、今朝の声がガラガラ。 それほど騒いだ憶えがないが、
これからすると、そうでもないようだ。それぞれ老いのストレスが大きいとか。
老いるほど、寂しさと、不安感を増加させるようだ。年に一度、正式の会が開催。
その前後に二度、幹事会、都合三回開かれる。多い時で、年に4回の時もある。
駅周辺に住んでいる従姉の会は3ヶ月に一度、50数年も続いているというから…
小中高の同期会は<魂の故郷>というが、成るほどと実感。地方の利点ですか。
グランドホテルで一次会。二次会が殿町のスナック。某男の補助金があって、
5時間で7000円であげるとは流石、女幹事である。
―
   * 屋根の防水工事
 屋根の防水工事。やるべきか、はたまた先延ばしか? この数年、冬越え前の
心配事になっている。今年こそ?思っていた矢先、「近くで工事をして業者が、
飛び込みで「見積もりと!」。見積もると、前回の二倍近い300万。家内は
「雨漏りで天上が腐るから」と、焦る。
 ところで一年程前から、近くのスポーツジムに、以前、幾つかのビル設計をして
もらった設計事務所の担当が来るようになって、ヨガ・エアロでは、近くに座る
ことが多かった。 春先に、秋口になったら、プロの目線で張り替えの診断を依頼
していたが、昨日、屋上に上ってもらった結果は…
<あと数年は大丈夫、6ヶ所の排水溝のゴミをシルバー人材センターに頼んで、
数年に一度、掃除をして貰えばよい。さらに一m程の高さの排気口が腐りかけて
おり、囲いを付けた方がよい!>とのこと。年金暮らしで、家内の預金から
持ちだし生活の身。 目先の出費を回避。まずは助かった。 もう亡くなったが、
営業先の担当が、「実家の両親から、家の屋根の修理をしたいが、金が無いので、
都合してほしい。しかし、家内が、一杯いっぱいで無理。弟が金周りがいいから、
そっちにしたら?」というが、如何いうものか?」と相談してきた。私の答えは、
「弟と折半が道理。この機会に相続を含めて話あったら!」。

・・・・・・
5675,【賢者の言葉】�А  �F.W.デクラークの言葉
2016年09月28日(水)
          【賢者の言葉】 
         ショーン・スティーブンソンの言葉
         トニー・シェイの言葉
         ビル・ハリスの言葉
         エブン・ペーガンの言葉
        ★F.W.デクラークの言葉
         ダライ・ラマ方法14世の言葉
   * ネットによる「個人間の紐帯」が、世界を激変させている
 著書と離れるが、ネット社会が現実社会を覆った世界を説明するに丁度よい
内容のため取上げる。 〜批評家で実業家の山口揚平氏の一節から、
《「世界は三つの“層”で出来ていて、その三層が明確化・対等化しつつある」。
 私たちが生きる世界は、「国家」「企業」「個人間の紐帯」の三層にまたがり、
三層のうち、「国家」に対し「企業」や「個人間の紐帯」の重要性が増してきた。
たとえば、日本の将来を悲観し、国外脱出を図ったところで、それは「国家」の
枠組みの話でしかない。むしろ、「企業」や「個人間の紐帯」での自分の存在感
を増す努力をすべきだ。それには、英語とITリテラシーが不可欠だが、プラスα
の能力が必要である。》
 ▼ 農業革命に比する今世紀の革命的出来事がネット社会の構築である。
 その三層で、特に、「個人間の紐帯」に重心が移動しつつある。以前のように
権力で大多数の貧しい個人を軽視出来ない時代に入ってしまった。 四半世紀前
には、『ネット社会の構築』『ソ連と国際共産主義の崩壊』『世界的テロ』
『エイズの影響』など、当時、正確に言い当てる人はいなかった。
 この数年では、『ISの出現』と『自動運転車』である。 その自動車が、
数年後に現実に売出されるという。これについては、後で取り上げる。
 三層の下位に位置していた『個人の紐帯』が、地域に縛られないネットで、
世界中が瞬時に繋がる時代に入った。これが、国家ー>企業ー>個人という
上位関係が逆転を始めたため、大混乱を始めた。 ISが、その事例の典型。
徒党を組んだ武力で立向かわなくとも、個々が、何時、何処でもテロ攻撃の
手段を持った。イスラム原理主義をネット経由で無垢な若者を洗脳をすれば、
最小費用で、ことがたる。人種、民族、国家、地域社会、など関係なく、
この「個人間の紐帯」が世界中、可能になってしまった。これが、10数年で、
一万年の変化に匹敵する革命的事件である。その背景に、情報革命があるが。

・・・・・・
5310,テクノロジーと退化 〜テクノロジーと退化
2015年09月28日(月)
        ー クオリア再構築 〜島田雅彦:茂木健一郎対談集           
 「まえがき」の島田雅彦の文章である。ネット社会の現状と、
 それが故の、生身の人間の退化に対する処方を示している。
   * テクノロジーと退化   〜島田雅彦
≪ 20C終わり頃から、仕事のほとんどは1台のPC上で行うようになっていた。
 原稿の受け渡しも個人的な通信も読者との交流もリサーチも息抜きもすべてPC
画面を通して行っている。つまりはPCが壊れれば、いきなり原始時代に逆戻りだ。
知らぬ間にPC依存の度合いが進み、PCなしでは何もできない体になっている。
思えば、コンピューター・テクノロジーとインターネットはライフスタイルを
根底から変えた。自宅に引き籠り、ウエッブ越しに世界とにらめっこしていれば、
買い物も投資も社交や恋愛も、また中傷、犯罪、テロも自在に展開できるように
なった。キーボードの操作一つで社会を混乱させたり、巨額の賭けや、損失を
出したりできるので、この世の営みの全てが安っぼくなつた。電脳経済は
確実に世界恐慌の元凶になっているし、電脳政治は世論の単純化、批評の
衰退をもたらし、政策議論よりもキャラクターを重視する傾向を生み、衆愚政治
や集団ヒステリーを強化した。万人が同「のメディア、情報ソース、ソフトを
用いることにより、言論や表現の多様性が著しく失われた。手っ取り早く、
わかりやすく、扱いやすいもの……それはみな退屈だ。CG映像の薄さ、
パワーポインターのブレゼンテーションの味気なさ、シンセサイザーの陰影の
ない音に飽きた頃、おのずと私は六〇年代の映画や文豪の講演テープや
蓄音機の音に含まれている揺らぎ、ノイズに心地よさを態じるようになっていた。
手先、指先に物足りなさを覚え、何かプリミティブなことをしたがっている
自分がいた。電磁波を発したり、コードが付いているものではなく、もっと
武骨な自然物に触れたかった。これは本能の欲求だった。衣食住、交通通信、
文化活動のあらゆる面で、私たちは自分の体や頭を使わなくなった。便利さ・
快適さ・手軽さを最優先すれば、出来合いの工場産物を食べ、大量生産の
商品を使い捨て、絶えず供給される情報をいたずらに消費することになる。
そんな受動的な暮らしを続けるうち、おのが思考能力、身体能力をすっかり
衰えさせていたのである。テクノロジー進化は生身の人間の能力を退化させる
に違いない。とはいえ人間もまた自然の産物である。その基本構造は一万年
くらい変わっていない。私たちはみなどうしようもなく原始的なのだ。
原始的なくせに、もはや、私たちは古代の狩人や、農民やサムライに戻ること
はできない。 近頃、竹細工に凝っていて、暇さえあれば、竹を削っている。
奥出雲のタタラ製鉄で打ちだした鋼を鍛えたナイフで、近隣の竹林から拾って
きた竹を削り、茶杓や花入れを作るのである。目下の生活の優先順位は酒、
竹、仕事、家庭といったところか。竹細工の優先順位が高いのは、それが
自分の脳と肉体に施す一種のリハビリだからである。竹細工をすれば、
おのずと道具と手先の関係が深まる。慣れない道具で怪我をすることもある。
また、里山を歩き、野草や木々と戯れることになる。自然を愛でるところに
風流が生まれ、詩が生まれる。 ・・・ ≫
▼ TVのアーカイブで、アメリカでの手つくり飛行機の趣味と、
 その出来栄えを競う大会のレポートがあった。これは、生身の自分の生命と、
最先端の技術が絡んだ命をかけた趣味。 大金持ちクラブの一例だが、能動的、
本能的要素と、知的、金銭的、時間的要素の全てが必要とされる。
その人の趣味をみれば、大方の人物像が見えてくる。 私の(悪)趣味は、
柵(しがらみ)に縛られた人間の滑稽で、ケッタイな人間のウォッチング! 
漏れ聞く金融関係の、それは、タチの悪い珍獣の精神症のオンパレードとか。
・・・・・・
4945,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −2
2014年09月28日(日)
  * 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー��
 私には骨董品や美術品の保有欲が全くない。一流品などは美術館で見れば
よいし、何ゆえに手元に置かなければならないか不思議である。両親を見て
いると、隠れた名品を探し、さり気なく、格安でハンター、倉庫に収めることが
趣味のようだ。これは骨董収集家の全てにいえるが。それなら、名だたる名品を、
世界の美術館で見ればよい!というのが、私の持論。21歳の時に、ルーブル
美術館、大英博物館などで、世界的名品を見た経験が、更に裏づけになった。
 鑑定団を見ている共通点は、「骨董店の主が、アマチュア気取りの素人に、
太鼓持ち話術で売りつけているのが殆ど。だから、出てくる当人、いやに識別感
に自信を持っている。が、それは店主の刷りこみ。株や骨董は、素人が手を出す
ものではない。「買いで騙され、売りも騙され」が、素人の悲しさ。
数代前の先祖が大事にしていたお宝にも多くある。両親の場合は元プロで、
特殊ケースだが、骨董世界は、「俺おれ詐欺」より、タチが悪い側面がある。
そこは特定少数の愛好家の世界。特定少数の本物の骨董品の周囲には、
その数十、数百倍の贋物と、詐欺紛い人たちが存在する。もし、金に窮したら、
どこかの骨董市などで、高そうな骨董を探して、金を持っている友人等に、
「これは我家の蔵にあったもの。何時でも引取りますから、買ってください」
と、売りつけ、そ知らぬ顔か、ドロンをすればよい。大体が、素人が一度
買った骨董品を、逆に骨董店に持って売ることはほぼない。太鼓持ちの大臣
扱いで偉くなった幻想で満足した段階で、大部分の買いの目的を果たしている。 
だから、素人衆の倉庫は、騙された骨董品の山。で、騙す方は、買取の誓約書
を平気で書く。ばれた時は、そのまま引き取れば、詐欺ではないからだ。
適当に「時代が変わりました」「この品の相場が現時点で暴落しました」
「自分も実際のところ騙されていました!」で済ますことも可能。ーつづく
・・・・・・
6042,閑話小題 〜 一年・前倒しの解散 ー2
2017年09月28日(木)
   * 民進党解体の奇策
 私がニュースで、<民進党が自ら解体し、希望の党に合流!>と知ったのが
17時。前日、それらしき話があったが、まさか、そこまで?と… 。
そして、何故か、笑いが込み上げてきた。安倍首相に党首交代の隙を狙われた
前原が「安倍政権打倒のためなら!」と捨身の決断をした。 
 敗戦前の日本の荒廃の中、出口なおが創設し、養子の王仁三郎が拡大した
大本教があった。急激な拡大に対し、政権打倒の疑いで、逮捕され裁判にかけ
られるが、その過程で裁判長に「虎穴問答」を仕掛ける。
 <虎穴で、絶対の助からない時に、如何すれば良いか? …自ら進んで食べ
られること。そこには、愛と誇りがのこる!> と。 この瞬間から裁判長の
態度が変わった。民進党の決断は、決定的大打撃を受けるなら、自ら解党し、
勝馬の「希望の党」に合流し安倍政権に対抗しようという魂胆、安倍首相も、
「まさか?」と思っただろう。明らかに汚職疑惑隠し解散に国民の7割が疑問を
持っているため、その票が大量に流れる。万一、政権交代にでもなれば、
「前首相・阿部晋三逮捕」も有りうる。これでは、総保守政党になっていまう。
それとも、自民有利にと、アメリカの北朝鮮攻撃が早まる可能性が出てきた。
としても、この難局ではベテランの安倍・麻生コンビの方が当面の日本には
適切と考えるのは年齢のためか。しかし小沢一郎と組めば、遜色はないか。
 これで俄然、面白くなってきた! でも前原よ、御立派!



6770,閑話小題 〜末路の韓国は、そのまま日本と?

2019年09月27日(金)

   * 「滅公奉私」が基本的価値観
 漫画世界のような奇異の感がする朝鮮。北はドン様、南の大統領は、失脚後に
間違いなく逮捕される御国。北との臨戦対立で、権力が大統領に集中するため、
汚職体質が避けられない。それも儒教が浸透しているのに、この有様。
 日本の極右思想も似たかよったり? 明治維新で正式に「日本国家」を新に
立ち上げに錦の御旗が必要。それ以前の徳川も、豊臣も、織田も、北條も、時の
権力者は、シャッポとしての天皇のお墨付きの錦の御旗を掲げてきた。家、藩、
を統治する幕府。 韓国は、中国という大国の隅にあって、まず御身大事で生き
残るしかない地勢上の問題がある。 
  
  〜その辺を検索すると、韓国ウォッチャーが詳細に〜
≪  ◉ 選民思想と自己主張の国
「韓国の常識は、世界の非常識」と、かねて韓国ウオッチャー間で言われてきた。
「お客様は神様です」との台詞は日本の上方芸人が言い出したらしいが、
P・ドラッカーも難しい表現で同じようなことを言っていた。
「お客様は神様です」は資本主義が発達した国では常識だ。もちろん韓国でも
「お客様は神様です」だ。
ところが、韓国の場合は「神様の偉さ」が度を超えている。例えば「韓国の神様」
は、衣料品店に外出の際に1度、あるいは2度ぐらい着た服を持ってきて、
「気に入らないから返品する。金を返して」と要求する。店が断ると
「消費者をバカにしている店だとネットにいろいろ書いてやる」と恫喝する。

 仕方がなく店が返金に応じても、それでは終わらない。謝罪要求が続く。
店員に土下座を強要するような「神様」が韓国にはたくさんいる。(中略)
店が「神様」をバカにすることも多々ある。前述の衣料品店なら、返品された
服を新品として大人しそうな客に売りつけるのは当たり前だ。
 飲食店で、客の食べ残しを次の客に出すのは、まさに“韓国の常識中の常識”。
気に入らない客が来たら、痰を吐き入れたドンブリを出すことも珍しくない。

 日本人からすると「信じがたい非常識」「悪質きわまる」となるだろうが、
まるで武勇伝を記録するかのように、そうした場面を映したユーチューブは
たくさんある。ソルロンタン(牛の頭などを煮込んだ白濁したスープ料理)や、
粥の類は要注意だ。「高級ホテルで食べる鮑粥なら大丈夫」などと思っては
いけない。なにしろ「世界の常識」が通じない国なのだから。
 ―
            「新潮45」3月号より
≪ なぜ韓国では、「世界の非常識」が常識になったのだろうか。
 韓国の教育は、賤民いや選民思想に基づく。
「われわれは世界でも稀な単一民族であり、世界で最も優秀な民族だ」
「われわれは加害者になった歴史がなく、常に被害者だった」
「世界中の民が韓国に憧れている」
「われわれの価値観は常に正しい」
「日本人は文明的に遅れた民族であり、われわれは日本人に対して常に
 道徳的優位にある」
 こんなことを幼い時から刷り込むのだ。協調性の大切さよりも、自己主張を
立派にできることの重要さを教え込む。では、そうした「正しい教育」を受けて
育ち、物心がついた頃に見る韓国社会はどんなものなのか。
私利私欲に走ることが当たり前であり、悪いことをしても見付からなければ良い
とする社会だ。 滅私奉公の精神など存在しない。その逆の「滅公奉私」が
彼らの基本的価値観だ。≫
                   〜「新潮45」3月号に掲載 〜
―
▼ アパルトヘイトの感もあるが、在日の人たちにとって、愉快ではないが、
 この考え方を抑えて日本社会に生きていれば、他国、いや自国より快適では? 
努力をし、結果を出しさえすれが報われる。元もと、大陸や、南方からの雑多な
移民の体質が強い島国。 …韓国人を妻に持つ人から、朝鮮人の素晴らしさを
聞いたことが… 「世界で、他国を侵略したことがない希少な国家」と… 
成るほど、確かに気品があって、美男美女が多く見受けられる。
 北朝鮮の脅威があるとしても、国民の7割が移民希望というから。それは重い
空気が社会の底辺に充満し、何処かの国をガス抜き対象にせざるを得ない。

・・・・・・
6406,閑話小題 〜また発火してしまった!
2018年09月27日(木)

   * 貴乃花が親方引退! 良かった良かった!
 大相撲も白鵬の全勝優勝で終わったが、何故か不自然な感が残った。
横綱の張手が解禁?されて、引退間近と思われていた稀勢の里が奇跡的復活。
角番大関の栃ノ心も勝越し、目出度しめでたしと言いたいところだったが、
貴乃花親方が引退宣言。誰の眼にも、「イビリ出された」と映る。
 幕下のヒラの審判をさせられ、何か一回り小さくなった姿が印象的だった。
辞めてしまえば、あとは自由な世界が待っている。タレント性があるので、
けっこう高い出演料がもらえるはず。こういう運命に生まれているのは、挫折
しても、それがバネになる。 このまま、あんな世界に閉じこもって終わる
程度ではない。兄が、それを証明している。 仲たがいし?、外の飛び出した
兄の方が遥かに、良かった良かったである。 他の親方衆とは全く違う。
彼らは、お雛様で、壇上に座っているしか能がない。 貴乃花の実績とキャラを、
マスコミは黙っていない。その上に、段違いの高給取りになる…。
 彼は3%層の人。黙っていても周囲が取り立てるが、今は誰も理解できない。
現・役員は、その真逆の人達。これだけは生れ。これで大相撲協会というより、
相撲業界は大きな存在を失った。チビッコ相撲上りが台頭してきたのに、これ
で台無し! その功罪は計り知れない。そんなことさえ気づかない。
 白鵬が、心臓発作で亡くなっても、誰もこれほど騒がないが、彼は違う。
何故なら貴乃花は無欲だから。 映像が、この一連の騒ぎの本質そのままを
映し出している。役員のインテリジェンス(地頭)無さがは日大アメフト問題
と同じ。体質は何ら変わらない。あの理事長、自分が辞めないこと自体が日大
そのものからしたら万死に値することに気づかない。ますます『ポン大』の
意味合いが深くなっているのに… これで大相撲も中長期的にみて致命的
大打撃を受けている現状に、あのポン理事たちは気づいていない。
演芸部門としての面白さが残存し、それを糧に生きるという面でもマイナス!
 <大相撲は演芸スポーツですか!>  やはり。

・・・・・・
5674,【賢者の言葉】�Α  �F.W.デクラークの言葉
2016年09月27日(火)
          【賢者の言葉】 
         ショーン・スティーブンソンの言葉
         トニー・シェイの言葉
         ビル・ハリスの言葉
         エブン・ペーガンの言葉
        ★F.W.デクラークの言葉
         ダライ・ラマ方法14世の言葉
  * 『この10年間で「1万年分の変化」が起きている』
                   〜F.W.デクラークの言葉
 まず思うことは、『本当かいな?』『そんな馬鹿な!』。しかし、
少し考えてみれば解ること。 10年程前に、郊外に次々と乱立した、
『ショッピング・モール』が、ネット通販と宅配の普及のため閉鎖を始めた。
その旗振りの一つが、コンビ二のファミリーマートに吸収合併?をされた。
 そういう私の事業の低プライスホテルも、ビジネス客が、不景気のため、
二時間日帰り圏内となり、ネット普及が煽りも重なり、呆気なく整理に至った。
これは全く想定外だったが、一万年分の変化の最中と思えば諦めもつく。 
 70歳の年齢から見えてくる。世界の激しい変化は、何とも奇妙で、面白い。
 ≪【アマゾンの概要】
  この10年間で、人類の1万年間分の変化に匹敵するものがある。
 それは、人が取り扱う情報の量。 今のインターネットシステムでは、
 約2秒間に20万テラバイトの情報が行き交う。この情報量は、世界一
 の情報量を誇る、米国議会図書館に貯蔵されている情報量と一緒。
 そして、人が扱う情報量は5年おきに倍増している。
 メール、フェイスブック、ツイッター、このブログもインターネットの
 中にある1つの情報。 昔では知り得なかった事が、今は検索をすれば、
 簡単に情報を入手できる。 だからこそ、本当に現在必要とする情報は
 どんなものなのか?かを意識しておく必要がある。》
 《 必要とする情報に、意識がなくインターネットやYouTubeを見てしまうと、
  結局、その時に興味があることをダラダラとみて、時間だけが過ぎ去って
 しまうことがあり、余計な情報に流されてしまう。これからも情報量が
 増えてくるだろう。その時に情報に踊らされることがなく、自分が必要とする
 情報を選択していく。その為にも、自分のビジョンを持つことが、これからの
 時代は大切な事だと思う。》
▼<今世紀に入って私たち社会が経験した変化は一万年分の変化より大きい>
 というが、一万年前といえば、天変異変で人類は大きな岐路に立たされ、
自ら種を植え、動物の家畜化を始めた時代。そして人類がアラスカの海峡を越え、
初めてアメリカ大陸に到達したころ。その後、5千年を経て文明が生まれた。
その農業・牧畜革命に比する象徴の情報端末が、『スマートフォン』。
これで、10年あまりのうち、現実社会を覆う、『ネット社会』が構築された。
これで、「一万年分の変化」が起こったと言っても過言ではない。それに
世界の現実社会が、全く、なす術がないのが、現在の世界の混乱の原因である。
だから、そう簡単に、世界が平穏に戻ることはない。それと時を同じくして、
天変地異が生じている。権力者は、それを機会に戦争を始めたくなる。 
 暗い時代の到来である。イタリアは2024年のオリンピックの招致の立候補を
辞退した。当り前といえば当り前のこと。 で、日本は、馬鹿騒ぎで… 
 < あふぉ、違うねん、パーやねん >  何か自分のことのようである。

・・・・・・
5309,閑話小題 〜人生について
2015年09月27日(日)
   * つれづれに 人生について
 この年齢になればこそ、‘人生について’の格言の示唆が身に沁みる。
老いの人生問題は決して甘くないが、豊富な経験があるため、青年期とは
味わいが違ってくる。過去は変えられないが、解釈、受止め方は変えられる。
人生は、私たちがそれが何かを知った時点で、その大部分が過ぎている。
精一杯生きた行蔵を、諦念を持って愛おしく振りかえるに人生訓はよい。
 人生の何たるものかを知るには、一人の一生では無理だから、格言が必要。
結局、いかに世間から超越できる時間を持てるかどうかになるが、各人各様
にあるのが、人生である。 〜心の琴線に触れた幾つかを取り上げる。
 ――
・【人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが
  その人間に疲れたのだと思えば間違いはない。〜ジョージ・サンダース】
△ ‘成るほど’である。人生に疲れたは、壮年の人のいうこと。
 老年には、誰もが生老病死の問題に直面し疲れ果てている。
 老人に慢性のウツ症、ウツ病はない。誰もが、際どい局面にいるからだ。
 『百里の道は九十九里をもって半ばとす』というが!
 ――
・【思った通りの人生ではなかった。
  しかし、よかったとなら言える人生だったかもしれない。
                  〜アルセーヌ・メルセデス・ヒロコ】
△ これまで、大方は、『自分は不幸な人生だった』と悲観していると
  思っていたが、どうも、そうではないようだ。
 『そこそこ、幸福な人生な人生だった!』と、思っているらしい。
  傍からみた私が、現に不幸の結末の典型? しかし、実は!である。
 ――
〜孤独の問題も、人生論では欠かせない問題。 誰もが最期は孤独死で終わる。
・【孤独に歩め…悪をなさず求めるところ少なく…林の中の象のように〜仏陀】
 【我々はみな真理のために闘っている。 だから孤独なのだ。 寂しいのだ。
  しかし、だから強くなれるのだ。           〜イプセン】
・【真の幸福は孤独なくしてはありえない。 堕天使が神を裏切ったのは、
  天使たちの知らない孤独を望んだために違いない。  〜チェーホフ】
・【最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。
  人間は最高のものを決して共存しない。
  幸福になろうとする人はまず孤独であれ。    〜ハーマーリング】
△ うつ病は、独り遊びの苦手の人に多い。躁と欝は「禍福は糾える縄の如し」
  のように交互に密着している。孤独も、群蓄本能も、同じように・・

・・・・・・
4577, 2050年の世界 ー8
2013年09月27日(金)
     「2050年の世界ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 2003年のビッグバン理論が観測で認定され、大きな境い目になった。 
宇宙衛星などの観測から宇宙が拡大しているにかかわらず、膨張が加速して
いることが分かった。膨張のためには他の宇宙から何かのエネルギーが、
注ぎ込まれなければ成り立たない。それが暗黒物質と暗黒エネルギーである。
現在、その発見に世界中の科学者が躍起になっている。
   第十七章 苦難を越え宇宙に進路を  ーのまとめ
・冷戦時代に予想されたフロンティアとしての有人飛行競争は終わりを告げ、
宇宙の商業利用の時代が来ている。 アメリカの全地球位置発見システム
(GPS)など人工衛星群の商業的価値は、2009年には1609億ドルにのぼり、
前年比11パーセント増の成長を達成。
・アメリカが宇宙へ独自に有人飛行をすることをやめた反面、中国の台頭が
目立っている。中国は、2025年をめどに月着陸をめざしている。
しかし、これは米国が月着陸を果たしたときの世界的興奮と比べれば、
はるかに小さなニュースとなるだろ。
・NASAは、小惑星への有人飛行を計画しているが、火星への有人飛行のほうが
はるかに、世界的インパクトが見込める。
・軍事的な宇宙利用の主眼は、引き続き情報収集という機能に集約される。
・民間会社による宇宙飛行はすでに実現しており、アメリカは宇宙探索の、
部分をそれらの会社にアウトソースしている。ヴァージン航空を率いる
リチャード・ブランソンは、ヤーキェリー計画のような弾道飛行によって
宇宙に出るサービスを提供する会社を始めているが、まだ一回あたりの費用が
二〇万ドルと高すぎる。民間会社による観光目的の宇宙飛行は、今後費用が
下がっていき、金持ちの娯楽の一部となるだろう。
・銀河の動きを説明するために、暗黒物質なるものが宇宙の五分の一を
占めなければならないことになっている。 その正体を知ることは、当面の
大きな宇宙探索の目的のひとつ。宇宙の膨張が速度を増していることが近年
観測されたが、それを説明するための暗黒エネルギーの正体も解明が待たれる。
・太陽系以外に生命の可能性のある惑星はいくつもあり、観測技術の
発達によって地球以外の生命の発見が今後なされるかも。
▼ ひと時代前には、他の宇宙などSF小説さえ取り上げなかった。
 それが10の500乗の別宇宙の存在の可能性が、実しやかに語られている。
宇宙の知識も、天文科学の進化で飛躍的に伸びている。40年前では、想像すら
できなかった別宇宙の存在に匹敵する新たな事実が発見されているだろうが・・
「人間を一の単位とすると、我々が住む宇宙が10の27乗の世界で、
ミクロではマイナス35乗の世界が我々の世界」という。言葉として、
マイナス35乗のミクロ物質が、どのように考えても私の頭では理解できない。
現在、暇を見つけては、そのイメージを持とうとするが、無理。
 もしか、持てたとしたら、どうだろう?お釈迦様より、遥かに超えた
何かを実感できるのでは? 137億光年の宇宙の果てが27乗の外の世界で、
逆にマイナス35乗の物質世界の合計62乗が私の世界? 理解不能!
・・・・・・
6041,閑話小題 〜 一年・前倒しの解散
2017年09月27日(水)
   * 情報化社会下の選挙で…
〜「前回の総選挙も一年前倒しに実施されたはず」とネット検索すると〜
<3年前の第47回衆議院選挙は12月14日に投票が行われ、即日開票された。
自民・公明両党が法案の再可決や憲法改正の発議に必要な、全体の3分の2の
317議席を上回る326議席を獲得。選挙前の324議席を、2議席増やして大勝。
一方の民主党は、選挙前の64議席を上回る73議席を獲得したが、海江田万里
代表が落選する結果となった。小選挙区の投票率は朝日新聞デジタルでは52%
前後と推計され、戦後最低だった前回の59.32%を下まわった。>と、あった。
―
 この経験から味を占め、朝鮮危機を使用して汚職疑惑を有耶無耶にする
魂胆が見え見えの今回の選挙。そうはいかない結果か、太平洋戦争並みの
戦争危機の中で、国民の選択が問われる選挙になる。 朝鮮半島の情勢が、
このままの延長が難しい局面に入っているとすれと、早々に戦時体制政府に
入るのも当然。ロシアのプーチンの思惑通りに、開戦で体力を消耗し尽くした
アメリカが、冷戦以降、続けてきた世界支配の終焉になり、世界の中心軸が
中国・インドなどアジアに移動を始める序曲になる。人口減少が始まった日本
もアメリカからの厚遇も、薄れて現在の韓国並みの国家に…? 
「何が東京オリンピックか」である。中期的視点からみて、ギリシャ、韓国、
中国、ブラジルも、オリンピック開催により経済が大幅に弱体したのが実情。
アベノミックスも含め、安倍首相の責任は甚大。 では、アメリカ占領下の
現情の中、これしか選択の余地はないのも事実。中国に秋波を送って力を
削がれた小沢一郎の姿が、このことを象徴している。いずれにせよ、刺激的
近未来が待っている。いや、やってきた。 人工衛星と市町村の防災無線を
利用して緊急情報を伝える「全国瞬時警報システム」のJアラートが、日常的
に鳴り響いているのだから。 良き時代は終わってしまったのか!
 地中海で漂流している難民の国での虐待の実情が生々しい。麻生副首相の
北朝鮮難民の扱い。<欧州のように難民部落と称した隔離か、射殺か(平服
の軍人のテロを考え)> も現実的な話。ただならぬ事態になること必定。
 地元の中越地震、柏崎刈羽地震、3・11東北大震災、朝鮮半島危機と、
今世紀に入ってから、たて続いて大きな事態が起きている。20世紀末も、
バブル崩壊、ソ連・東欧と中国の共産圏の消滅と、混乱もあったが。


6769,閑話小題 〜買わないという選択はないやろ

2019年09月26日(木)



    * 不快なCM
 俳優の佐藤健が、 鶴瓶の楽屋にやってきて、「なに、ニヤニヤしてんすか?」
「師匠も買うんですね」と聞くと、「買う買う買う買う、そら買うよ」
「買わないという選択肢は無いやろ」と睨んできて「健」「あかん?」と迫って
きた後、女性ナレーションが『 ドリームジャンボ5億円、月曜から』と宣う。
<当選確率は1000万分の1。下記コラムでは興味深い比喩が紹介されていて、
「東京ドームの収容人数を4万5000人だとすると、東京ドーム約222個にひしめき
合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率。> まあ、夢を買っているから
敢えて言うことではないが… 
 弱者の夢を食い物にする洗脳だが、化粧品広告や健康食品と酷似している。 
コカイン入り砂糖水を、「スカッと爽やか、コカ・コーラ」と、洗脳して原価の
数十倍?で売りつけるのと同じ『貧困ビジネス』そのもの。 それで心が豊かに
なれば?それで… 砂糖水、飲む方でなく、売り手に回ればいいものを。
下層階級ほど、「アメリカン・ドリームを妄信しているため。そこで宝くじが…
 ―
    * 茨城一家4人殺傷
 何故か違和感のある事件。TVとネット記事からみて、ストーカーか、身近な
人の怨恨。気になる近所の人の証言の一言、<一家が引越してきたころから、
近所に空き巣が増えた>  何故かマスコミは長女について黙して語らない。
一家心中の可能性もあるため、間違えたら、それこそ大変になる。
 〜ネットでは、
《 メディア報道によると、美和さんは犯人に襲われた際、自ら110番通報して
いたことが判明。その際に電話口では物が落ちる音も聞こえ、美和さんは自分の
名前をかろうじて答えられるような取り乱した様子だったという。また警察官が
「救急車を呼びますか」と問いかけると、一度は「いらない」と返答。しかし
その後に「やっぱりいる」と答えたという。
 ネット上では、美和さんが救急車を一度断ったことに疑問の声が。
「救急車要らない…何故だろう。謎が多く感じるのはまだ公にしていない情報が
あるからなのか」、「警察官と妻の美和さんの電話のやり取りが気になると思う。
夫は胸まで達していた致命傷なのに救急車は一時期不要と答えたのだろか。
自分も命を奪われた程の刺し傷だった。不思議な会話だなと思う」などの書き
込みが見られた。 》
 ―
▼ 茨城の事件と言えば、一月前のベトナム人による殺傷事件があったばかり、
 こういう事件は、続くもの。毎日のように、刑事ドラマをみている暇人なるが
故に、フェクションと、ノンフェクションが画像世界の中で混合しているような
感覚に陥ってしまう。 雨の降る、深夜に流しの盗人も考えにくい。

・・・・・・
2019/02/25
閑話小題 〜宝籤を買うバカ −1

  7年前のテーマに、<生保に入るバカ、入らないバカ(2012年02月23日(木)>
があった。これを「宝籤}に入れ替え、<宝籤を買うバカ>をテーマにする。
射幸心を煽る「籤」のコマーシャルが茶の間に流れている異常さに気づかない
恐ろしさ。ジャンボ宝籤の当選確率が1000万分の一は、ぞろ目の8桁を具体的に、
例えばゾロ目の八桁77777777を想定すればよい。「誰かが当たっても、自分は
当たらない確率が99・99999999。当たる訳がない。それなら毎日、千円の積立を
続けて当選の数字に近づけばよい。 セフティネットとして、40数年間、妻名義
預金を続けてきたので、逆に貧者の夢を餌にする宝籤、籤引きに怒りを覚える。
貧しい人ほど、賭け金が多くなるという。宗教のようなナイモノネダリ。
  〜そこで、『宝籤を買うバカ』と検索すると… あるある!
≪ ☆ 宝くじを買わない理由1:そもそも当選確率が低いからお金のムダ
 ジャンボ宝くじの当選確率は1000万分の1。下記コラムでは興味深い比喩が
紹介されていて、「東京ドームの収容人数を4万5000人だとすると、東京ドーム
約222個にひしめき合う人の中から1人が選ばれるのと同じ確率」とのこと。
 ☆ その理由2 :胴元が確実に儲かるシステムになっていて割にあわない
 宝くじの配当率は47%と、他のギャンブルと比較すると、還元率が非常に低く、
買った人はなかなか儲かりにくいシステム。
  ☆ 理由3.:時間のムダ
 時間を投下するとは、人生の一部をそこに投下する行為であり、ひとつの
投資とも言えます。では、宝くじの発売をチェックする時間、買いにいく時間、
並ぶ時間、ロトやナンバーズなどで数字を選ぶ時間を考えたとき、いったい
どういう投資的意義があるでしょうか。おそらく、富裕層(引退した悠々自適の
富裕層ではなく、現役アクティブ富裕層)は、自分ではコントロールできない
ものに時間を使うのがもったいないと…。 そんなことをする時間があれば、
やればやるほどリターンが見込めるビジネスのことを考えたほうがよいと…。
  ☆ その理由4 :自分の努力や才覚に依存しない夢を見る必要がない
 宝くじを買う行為を指して「夢を買うものだから、ゲームみたいなもの。
当選確率とかはどうでもいい」と言われることもあります。しかしこれは、
そんなことでしか夢を見る方法がないという、典型的なお金を稼げない人の発想。
夢とは本来、自らの努力と才覚で叶えるものであって、棚からぼた餅を待つ行為
ではないはず。それは夢というより「夢想」や「妄想」の類いでしょう。
おそらく「普段は満たされない自尊心」「自分の力で切り開くという努力は面倒
くさい」「やり場のない不満」「儲かる方法を具体的に考えるのも面倒くさい」
という潜在的な逃げと受け身の発想が、「楽して儲けたい」「一発逆転したい」、
そんな夢を見たいという欲望を起こさせるのかもしれません。 ≫
―
▼「この世に生まれ、現に、いま、此処にあるだけで大当り」に気づくこと。
終戦直後に日本人として生を受け、右上がり経済の中で精神的に、経済的豊かさ
を享受してきただけで宝籤の数倍、数十倍の価値があった、そのことに気づかな
くては! そのためには、やはり、自分という‘木’に囲いの門= 『閑』の
環境を創り出さなければ! 無理することもないが! iPadで音楽を聴くだけでも、
その環境が出来る。 
追文: 書上げて、HP内検索で「宝くじ」を入れると、あるある。
  二回に分けてコピペをするが、『何に使う?』が、あまりに貧弱。
 貧者の夢の結果が、そのまま、精神の貧しさとして現れ出ている。
誰も考えることは、『半分貯金、残りを散財をする』だが、そういかないのが
貧者の貧者たる結果に及んでいく。散財の楽しさも少しは味わうのも良いことだ。

・・・・・・
6405,旅行の話 〜パックツアーの構造 ー2
2018年09月26日(水)

   * パックツアーの種類と、利点と欠点 〜A
 年に2〜3回のペースだと、一応、立派な海外ツアー御宅になる。
帰って2〜3ヶ月は、その余韻が残っているが、それも冷めてくる頃、次のパック
探しに入る。現役時代は、もっぱら家内の役割だった。しかし、ツアーの最中に
次の行先探しを同行のツアー仲間と、添乗員から聴き出すことが多い。だから、
話す方も、聴く方も真剣になる。 その内容といえば…
・『<ユーラシア旅行社>の添乗員は全て正社員で、徹底的顧客志向。添乗員
 の質の当たり外れで何度も嫌な思いをしてきたが、あそこは外れはないの。』
・『<○○社>で北ケニアに行ったとき、添乗員がシステムエンジニアで、全く
 経験がないのに、仕切りたがり屋で、おまけにアフリカオタクの中年の二人
 連れがさ、アクが強くて…』
・『<旅のデザインルーム>で南米のパタゴニアに行ったとき、少し高かったが、
 凄いベテランで、次々と起こってくる難局を、軽く熟しているの。日本から
 遠く離れた僻地は、安全代と思って、評判の良いところにしているの… 』
・『<日本旅行>で、ケニアに最初に行ったときさ、家内と2人と、男の一人客
 が2人と、添乗員含めて5人だった。何処に行くにもジープでさ、自由気まま。
 こんな楽しいツアーは初めて。こういうことってあるんだ、と思いましたね!』
値段からすると、季節の変わり目は、天候の当たり外れがあり、人気がないため、
ディスカウントの商品が多い。 その辺りを考えながら、パック商品選びに、
2〜3ヶ月かけて探す。一月前に締め切りなる直前まで、その選定を愉しむ。
ということは、年に2〜3回になると、4〜6時中、その世界に嵌ることになる。
   :パックの種類:  〈ウィキペディアより〉
【 ・海外旅行のパッケージで、添乗員(日本人か日本語を話せる外国人)で、
現地国に駐在して、現地のみ添乗・案内するケースが非常に多くなっている
(旅行業者が諸経費を節約するために、こうしたことがしばしば行われている)。
この場合は旅行行程表などに「添乗員は同行しませんが現地係員がお世話します」
などと記載される。 例えば、行程表に書かれている日本と海外の往復空路の
航空券の手配は旅行業者が行ってくれるが、日本から飛行機に乗り海外へ行き、
海外の指定の宿泊施設にチェックインするまで、自力で判断して辿りつかな
ければならないものも増えている。 ただし、海外旅行のフリープランでも、
参加者が犯罪にまきこまれたり、外国語でのコミュニケーションで苦しむのを
防止するため、現地空港から宿泊施設までは現地係員が専用車などで案内し、
チェックイン手続を代行してくれるプランもある。
 ・他方、価格が高めで、予算に余裕ある団塊の世代や高齢者層を主な対象
にしたパッケージツアーを(も)企画している旅行業者もある。そういったタイプ
のパッケージは添乗員が同行することが多く、高級志向のホテル・旅館や豪華客船
などを利用しているものが多い。新聞広告、あるいはクレジットカード・銀行・
証券会社の情報誌などで募集が行われている。
ー
▼ コストに関して、額面と実際は違う。年間100〜150万といえば高い?が、
 旅行中は、日常の生活、遊行費はゼロ。更に何れにしろ、国内旅行に出かける
とすると、差し引き半値。国内ツアーは高すぎ。実質海外ツアーの倍の実感!
そのプラス効果からして、決して高い買物ではない。
――――
3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー?
2010年10月05日(火)
 * 旅行代理店の選定は?
 旅行代理店の選定は、金に糸目をつけないなら別だが、如何に良くて安い
パッケージを探し出すかは他の商品選定と同じである。・まずは趣味の問題に
なるが、地方の代理店は避けるべきである。地方名士様ならチヤホヤしてくれる
ので、それが目的なら問題がない。同じような目的の人が来ているから、同レベル
の人なら良いが・・とにかく、添乗員の場数が少ない人が多い。地方同士の
なれあい客しか相手にしてないので全国区の質の差が歴然としている。
・初心者なら、JTBとか日本旅行辺りで良いだろう。「ビールばかり飲んで
いたが、今度から日本酒を飲んでみたいが・・」という人は、全国区の灘の酒
辺りのブランド品で、そのイメージで味わえばよい。同じ外国に行くなら同行
の人は異質の全国区がよい。
・初心者としてアフリカや、南米など異郷に行くなら、秘境・異郷専門の1ランク
上の客を狙っている「ユーラシア」とか、「旅のデザインルーム」などが良い。
JTBや日本旅行でもワンランク上のブランド名でツアー募集をしている。
アフリカ専門とか、南米専門とか、特定の地域に絞った代理店もあるが、添乗員
の質のムラが非常に大きい。これも外れると、場所が場所だけに、客にとっては
大きな問題。 名前の通った代理店は必ず御客のチェックリストがあり封書に密閉
して送られ厳しく審査されるので、外れは少ない。旅行は添乗員の質で半分近くは
決まってくる。 何度か、添乗員で旅行そのものが台無しになった経験がある。
しかし怒りを会社にぶつけるのも大人気ないので、二度と行かないという消極的
手段しかない。ブランドで高いのは外れが少ないし、安いのは外れの危険が多い。 
安いものに、シーズンの終わり間じかのものがある。これは経験からして外れの方
が多い。しかし安さの誘惑で負けて何度か失敗をした。 反対に少し高いと思った
が、他にないので仕方ないので、という大当たりというケースが何度かあった。 
行っている人達の人品が良いと心が洗われる。南アフリカ、南米のマケドニア、
北スペイン、新羅ウィグル地区・カラコルムハイウェー、などは同行客の人品の
御かげで、厳しい日程でも楽しく過ごすことが出来た。行き先を決めて、それに
あった代理店のコースの選定に集中すれば自ずと見えてくる。旅行先で、良かった
旅行先の情報を聞いたら、代理店と、その時期まで聞いて、その通りに選定する
のがベスト。 何ごとも同じ。

・・・・・・
2016/03/22
閑話小題 〜51回の海外ツアーで ー��
   * 世界の絵画
 ベルギーのフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある
『フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて
おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に
有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写
の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の中で
飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー
では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。
 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、
ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、
このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し
としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダ、ベルギー、
イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。
ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に
残すため、この絵画を特注したという。 〜『夜景』をネット検索すると
《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。
 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が
切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや
受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が
100ギルダー、計1,600ギルダーがレンブラントに払われた。これは当時の
肖像画の報酬としては大きな額である。
 絵画は次の三つの要素のために有名である。
・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、
・次に光と影の効果的な使用、
・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画に
 動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。
この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間
を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、
左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、
多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは
3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、
捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。





6768,閑話小題 〜何とも厳しい現実

2019年09月25日(水)

 
   * 中国の「996問題」
 次男が過って外資系の会社に勤務していたこともあり、中国人の同僚の優秀さ
を聞いていたこともあって、この記事を読んで、然もありなんと! こういう
環境の中国から日本にくれば、その甘さに愕然とする筈。10年先の日本は大丈夫?
 
 昨日の朝日新聞のトップ記事になった中国の「996問題」。
中国IT業界のモーレツな働き方を示す「996」問題。かつて日本でも
朝から晩まで身を粉にして働く「企業戦士」が最善と考えられていた時代も。
最近では「社畜」の言葉が示すように、これを冷ややかにみる風潮 ...

  〜まずは、ネット記事より〜
《  遠ざかるチャイナドリーム〜カリスマ経営者も「炎上」 
 ◉ 中国でいま「996問題」が論議を呼んでいる。「996」とは
「朝9時から夜9時まで、週に6日間働く」の意味で、つまり1日12時間労働、
休みは週1日、日曜日だけという勤務状況を指す。この表現自体は2016年に
生まれたものだが、今年3月、若いプログラマーたちがこの問題を告発する
自主サイトを立ち上げ、一気に注目が集まった。
◉ アリババグループの総帥、ジャック・マー(馬雲)や、中国のEコマース第2位
の京東(JD)の創業者、劉強東らが、みずからの成功体験をもとに「若いうちは
がむしゃらに仕事に打ち込むことも必要」といった「996擁護論」を語るや、
これらカリスマ経営者に若い世代の批判が殺到、いわゆる「炎上」状態となる
前代未聞の事態が出現した。
◉ このことは中国の若い世代から見た「成功の意味」が大きく変わったことを
意味している。ジャック・マーらに代表される中国の「IT企業家第一世代」は、
1990年代後半、事実上、白紙に近い状況だった中国IT領域で、まさに無人の野を
駆け抜けて今の地位を築いた。そこにはむろんその時代固有の困難さや競争も
あったが、市場の空白はあまりにも大きく、才覚と努力次第で成果はつかみ放題─
という面があったのは事実だ。
◉ ところが今の若い世代に、もはやそれはない。同じ戦法で戦えと言われても
 無理だ。無駄な討ち死にはしたくない──。1980年代、90年代以降生まれの
世代にはそんな思いがある。今回の「996問題」の推移を見ていると、中国の
「野蛮な成長」の時代は終わったのだと実感せざるを得ない。これからの中国は、
まさに日本の社会がたどったように、安定成長の下、緩やかに「低欲望社会」
に向かっていくだろう。今回はそんな話をしたい。》
 ―
▼ 現場たちからは「現実には996なんてものじゃない。807、あるいは716だ」
 といった声が…。「807」は午前8時から午前零時まで働き、週7日労働、土日も
休みなし」を意味し、「716」とは「午前7時出勤、深夜1時まで働いて、休みは
日曜日だけ」。時短が進む日本とは対照的。逆にいえば、日本の将来は?
 韓国のように、いや日本もだが、「悪いのはあいつら」と‘外的’をつくり、
ニュースショーで、目を向けて、集中させ、TVでは視聴率を稼ぐ。韓国だったら
日本に対して賠償金をせしめ、韓国の歴代大統領になると、それが自然発生的に… 
無理を通せば、道理が引っ込むが通じてきたが、今度は、あまりに露骨で爆発。
 中国も、IT関連では、日米に追いつけ追い越せで、経営者側の思惑が通って
いたが、どうも空気が変わってしまった。その根底が情報機器の進化。実態を
隠しようにも、情報がそのまま、現れ出てしまうから、抑えようがない。

・・・・・・

6404,旅行の話 〜パックツアーの構造 ー1
2018年09月25日(火)
    * 経験則の詰まったパックでしか行けないところに… 
 パックツアーとは、ツアー仲間と、熟練した企画のパックで世界を股に
かけて遊ぶゲーム。地球儀を碁盤目にして、埋めていくライフワークは、
遊びとしてベストで、これが面白くない訳がない。本当に面白く、ゲーム
感覚になるには7〜8回の経験を要する。ネット検索で、その意味を調べると、
これが面白い! パッケージツアーと侮るなかれ、欧州では600年以上の歴史
がある。一般的には、世界各地の地元の業者のパッケージを購入、添乗員、
飛行機などのパーツをパックにしたツアー商品を売り出す。パックを愉しむ
コツは回数しかない。 日本旅行、阪急旅行社など大手から、秘・異郷先を
専門の業者する弱小や、それぞれの地区に根差した地元密着の業者などが
存在している。大都市には大空港が必ず存在、そこで乗り継ぎ、目的地に
分散していく。これが回数を重ねるうちに、文化、文明、大自然など、
各地の「光を観る」観光別の目的が分かれる。 パッケージツアーは、
観光の既製品。それも無駄を一切省いて合理的に遊ぶゲーム。 
ユーザーは如何に面白いパックを見つけ、観光ゲームを短時間で楽しむ
かにある。後あと、魂の刻印として残る点を加えると価格価値は10倍は
あると実感している。家内と子供分を加えると100回、3500万。本格的に
ライフワークとして30数年。年に平均100万のコストが高いか安いか?
私の行蔵にあるコーナーの宝物。
   〜ウキぺディアによると〜
< パッケージツアーとは、旅行業者が主催して、一般の人から参加者を募り、
 運送・宿泊・観光の料金を一括して集めておこなう団体旅行のこと。>とある。
旅行業者から見れば、出発地(集合場所)から帰着地(解散場所)までの全旅程
を"管理"する形で提供する商品の一種という位置づけ。
  :歴史と業態:
ヨーロッパでは、組織化された旅行は既に1400年頃にあったといわれており、
エルサレム巡礼者向けの旅行代理人が宿泊契約や乗船契約の代行を行っていた。
このほかにも簡単なパックツアーは実施されており、1600年頃にはローマの観光
ガイドがナポリに宿泊したのちヴェスヴィオ山へ登りさらにガエタへ船で周遊
する2週間旅行などを実施していた。18世紀には宿泊・食事・観光ガイドの料金
すべて含む一定料金でパリやローマに案内する旅行代理人が存在した。
19世紀初めごろには観光産業という言葉が使われるようになったが、組織化
された旅行産業が誕生するのは鉄道や汽船の技術的な発達によって交通網が発達
してからである。近代の旅行産業の先駆けとして団体旅行と呼ばれるプランを
初めて実施したのは家具職人で巡回牧師だったイギリスのトーマス・クックと
されている。トーマス・クックは1841年7月5日に割引料金の臨時列車を仕立てて
570人が参加するレスターからラフバラまでの往復旅行を実施し、この鉄道旅行
が近代旅行業の始まりといわれている。 >
ー
▼ 色いろの旅行代理店から週に2〜3冊のパンフレットが送付されてくる。
 それを元に、家内が、行先をネットサーフィンで、ネット、ウィンドウ・
ショッピング気分で遊んでいる。それが面白いという。現在ではTVのYouTubeで
面白いのが見ることが出来る。とはいえ、70歳過ぎと、年金暮らしでは…
 30数年前に、80歳の母親が、姉二人と、家内と、義姉を従えた5人と
「二週間の欧州周遊のパック旅行に参加したことがあった。母のポケットマネー。
少し痴呆初期の勢いもあったが、欧州は老人に非常に優しい社会。殆ど、迷惑を
かけなかったようだ。その後も、姉二人を連れてカナダに行ったから、驚き。
その一年後に初期痴呆症、要するにマダラ呆けになって、5年半後に亡くなった。
 HP内検索でパックツアーを入れると、アルアル…  
<楽しめるうち! 直に泣く時がくるからね!> の言葉。 この歳ともなれば、
<ニコッと笑ってハンカチーフ> というよりも、<ニヤッと笑って…>ですか。

・・・・・・
2016/12/19
閑話小題  〜ファースト・クラスのラウンジ
 先日のTVで、ファースト・クラスの飛行場待合ラウンジをレポーターが
実際に入って撮影していたのを家内が録画をしていて是非、見てみたらという。
ゆったりしたラウンジに、顧客1人にサービス員1人が召使のように付きっ切り
で応対する。パックツアー専門の私はエコノミークラス。で、10回に1度?は、
エコノミー席がダブルブッキングで無料で格上げすることがある。 
 一度だけ、ツアー添乗員の計らいで、ファーストクラスにまわしてもらった
ことがあるが別に何とことはない。 ベテラン添乗員から以前に聞いた話。
<「エコノミー席」が格安にできるのは、ファーストクラスとビジネスクラス
の代金の肩代わりで料金をカバーしているが、エコノミー席で飛行機全体の
バランスをとるための「重り」の役割がある。格安エコノミーが「重り」には
驚いた。「重石でも何でも安けりゃ良い」は貧乏人の発想か。以前に書いたが、
飛行機は社会の縮図が露出する。 世の中は残念ながら格差社会。

・・・・・・
2013/03/29
ヘリコプター勉強法
           ー超「超整理法」より
 ヘリコプター勉強法とは自分で麓から山の頂上まで勉強するのではなく、
ネットなどを駆使することで一気に山頂を極める方法。 野口悠紀雄著
『超「超」整理法』にあった内容で、以前はパラシュート法といっていたもの。
本など一番のキーポイントを見つけ、そこだけ集中して学ぶ方法である。
10数年前、ある知人に、「あなたの読書方法の要は何か?」と聞かれた。
直ぐ誰から聞き知った上で質問してきたのは分かった。その時に自然に出た
答えは、「熟読する本と、目的を持って読む本を分けている。後者の場合、
読みに足りる部分を主観的に読む」であった。その答えがベストでないが、
初めから対象に従うのでなく、主観的に読むことでポイントを把握する方法。 
随日を毎日書いていると主観的でなければ続けることは不可能。
そのため、読書感想文は自ずとヘリコプター読書法になる。 この本の何処が
一番の要点かを、まず探す。小説と哲学書以外は、まともに読みやしないない。
80対20の法則で、20だけしか拾い読みをするだけ。図書館で借りて読むことが
多く、10冊は机の前に積んで置いて、時どきパラパラと流し読みをし、その後
アマゾンの内容紹介と書評を読む。そこに幾つかのピンポイントが表示され、
関連した本の紹介まである。20分も流し読みをすれば八割は把握できる。
それを纏め書き残せば、後々まで、残る。 だから面白く病みつきになって
続いている。
 ところで国内外のパックツアーも、ピンポイントを揃えてパックにしている。
ポイントだけに舞い降りると点で、「ヘリコプター旅行法」ということになる。 
旅通の人は小ばかにするが、ツアー好きな私は元もと旅行などと思っていない。
専用ヘリで富士山頂上などの観光ツアーで充分。何も麓からの登山をしたいと
思わない。富士の頂上から下界を眺めるだけで充分。旅とツアーは違うもの。
情報化の時代、熟読とヘリコプター勉強法を分けておくべきである。
検索にキーワードを入れれば、情報と他人の知識は幾らでも手に入る。
その意味で、幾ら時間があっても足らなくて、面白くて面白くて仕方がない。
幸せなことだが、何時、死を含めブラックスワンが舞い降りてくるか分からない。
楽しめ、笑え、悲しめる、今のうちである。

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5615,かわいい自分に旅させた 
2016年07月30日(土)
             <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させた 〜A
 40〜50歳代にかけて40回、合計51回。家内と遇わせて?90回、海外旅行に
出かけたが、その殆ど格安パックツアー。 夫婦で月あたり10万の贅沢。
10万×360回。一点豪華主義?で 何とか可能にしてきた。凡そ家屋敷一軒分。
あと5回で家内と合計で、100回になるが、年、二回なら可能だが、無理? 
肉体的には、厳しいだろうが、問題は気力と、体力と、?。
 10億円の現金と、どちらを選ぶかといえば、間違いなく旅行を選ぶ。
では100億なら、どうする? さあ、どうだろう? 旅行可能が5年とみて、
半分の50億、年に10億を使ってみたいが、私には無理か。そうこう考えると、
10億の価値は充分あった実感がする。「かわいい自分に旅させよ」のフレーズ
は、さすが作家。 別腹の人生が、そこにもう一つあるような。
≪ 私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は必ず感動を
 もたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで
旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでなく、かわいい自分のために旅する
のである。 先人たちは不便な旅をしていた。しかしその一方で、悠長で
あるがゆえ深い旅の味わいを知っていたはずである。
 今やその気になりさえすれぽ、日本中どこであろうとあらかた日帰りが
できるのだが、その手軽さ気軽さのおかげで私たちは、まるで漫然と映像でも
眺めるような旅をするようになった。
 非日常の世界を訪れ、感動する。本物に触れ、五感をふるわせる。
先人たちの不便で悠長な旅、あるいは知らぬことぱかりの子供のころに体験した
旅とは、そうしたものであった。もし今日の旅の便利さはそのままに、本来の
そうした感動を得ることのできる旅があるとしたら、どんなにすばらしいだろう。
より深い日本を求めて旅に出たい。いにしえの旅人と刻を同じくし、溜息を
分かち合えるような、深く美しい日本にめぐりあいたい。 私たちは生まれ
育ったふるさとについて、知らないことが多すぎるのだから。≫
 ――
▼ 旅は、非日常の世界であり、日常と違った世界が別次元で流れている。
 そして、自分の世界も、その一つでしかないことを教えてくれる。
それと、感動である。「ここ、いま、じぶん」を、感動は焼き付けてくれる。
「この感動を、ほぼ大部分の人は、知らないで死んでいくのだ。もしかして、
自分も、その一人だったかもしれない!」という激しい感情と、その世界との
同化である。この「かわいい自分には旅させよ」のフレーズのとおり、この
感動を、自分に与えてくれのは自分だけである。 〜つづく

・・・・・・
ーH0607  ケニア・サファリ紀行 
 前知識はほとんどなし、
「何がおきるのか出たとこ勝負の旅」というのが率直な気持であった。ところが
秘境の旅というイメージで行ったところ、そこは欧州の高級リゾート地であった。
三十年前まで英国領であった為、欧米のサファリを目的としたリゾート地として
区画整備されてあった。広大な動物保護区及び国立公園と一般の土地はわけられ
ており、前者は天国、後者は貧困そのものであった。
サファリ(動物ウォッチング・ドライブ・ゲーム旅行)は生まれて初めて、
一日一日、一シーン、一シーンが鮮明な感激として脳裏に焼きついている。
強烈な印象の順に列記してみると、
・夕方、五十頭の象の群れが一列になり、右手にキリマンジェロをみながら林
 の方に帰っていく、(TVでこのシーンを見た事があるが、まさか初日に
  これをみれるとは思わなかった)
・ライオン二匹がペアリングしている横で一頭がシマウマを食べているシーン、
・チーターが二百m先に一匹のガゼルをねらいを定めて木影でスキをねらっている、
・ 二十頭位の象の群れに三m位近ずいたシーン、
・湖でカバの群れに近ずいたところ一頭が我々のボートを追いかけてきたシーン
(一ケ月前にその群れに漁師が殺されたとか)
・数千〜数万頭のヌーの大移動、
・マサイ・マラ族の村の中での異様な雰囲気、
・気球の船上よりのアフリカの大地の景色、
・四〇〜五〇頭の水牛の群れの真只中にサファリーカーでつっこんだシーン、
・キリマンジェロの遠景、等々書けばきりがない。過去十七回の海外旅行の中
 でも最も刺激的印象的なものであった。欧州では“アフリカの毒”という言葉
 があるとか。その毒(魅力)にあたり、ウワ言のようにアフリカ、アフリカと
 言うそうで、今の私はまさに毒にあたっている状態です。
                     (1994.7/10 〜18 )


6767,閑話小題 〜母親の命日、忘れるところだった!

2019年09月24日(火)

   * 母の23回忌ですか
 今日の随想日記を書上げて、過去文を振返ってみて、母親の命日と、初めて
気づくことになった。迂闊だったが、朝方気づいただけでも良かった。命日に、
話題にするのが故人への一番の供養。明治、大正、昭和、平成の時代に生きた
ことになる。母への想いは、ここで何度か書いてきた。
 「分類コーナー」の<検索>を入れると、即座に過去文が幾つか出てくるのが
有難い。 毎年、その都度、真正面から向き合えるのがよい。 末息子のため、
両親に溺愛され、育ったのが私の特性。時代の変遷と、何れの世界でも辛うじて
生抜けたのは、その温みが自分を包んでいる御蔭。両親との仲が良いか悪いかで
人生が大きく変化する。
 
 父親が酒のみで、博打好きで、家に殆ど金を入れず、長男故に中卒で地元企業
に就職、夜間高校を卒業後、地方公務員試験を合格し、消防士になって人生を
全うしてきた中学校の同期生がいる。 普通の人生をおくることの難しさ、逞しさを
彼の中に垣間見た。それに対し、己の置かれた立ち位置が如何に恵まれていたか! 
父親の実家は恵まれ、母親系は、二ランク落ちで、小姑に虐められた話を幼児の
頃から聞かされ育ってきた。貧しさは、その子供たちを卑しくする力が働くため、
人生計画を着実に実施すべきと、誰も助けてはくれない、自分自身の知恵を使い
生きるべしと…母親から教わってきた。両親と、時代には当たったが、問題は、
己の能力。省みて、読み返すと、言いたいことが、そのまま書いてある。

・・・・・・
2016/09/24
閑話小題 〜母親の命日に

  * 今日は、母親の20回忌。
 昨年の母親の命日には、それまで書いてきた母親について纏めてあった。
10数年、毎日、書き続けてきた過去からの贈り物である。自画自賛になるが、
もし子供に、亡くなって20年近く後に、このように想い出してもらえたら、
幸せだろうに。 末っ子で特別視された恩返しと考えれば当然だが。
 親子の関係は、特に父親との関係は、シックリいかない永遠のテーマ。
順調にエリートコース?を歩いてきた知人が、ある時、深刻そうに、
『何か私は、父親に愛されなかったような気がする。』と、話してくれた。
最近、特に思うのは、『人格の背骨は、両親の愛情で作られている』である。
末っ子は末っ子で、兄・姉から軽く扱われ虐められ、大変だったが、両親からは、
「特別扱いされ、何があっても守られ、許される」という妙な甘い意識があった。
 父親が亡くなってから、複雑な家族環境のため、「独り立ち」が、否応なく
求められた。そこから、両親から受けた愛情と精神の背骨を感じるようになった。
 次々に立ち塞がる難問に、「父なら如何しただろう?」の自問自答で湧き上る
知恵に大いに援けられた。その上、同居の老いた母親の温みが直に伝わっていた。
 追)去年、母親について書いた文章を纏めたが、もし、それをしてなかったら、
  昨日、一昨日、時間をかけて同じことをしていたはず。私は去年も、今年も
 同じ私である。母は父と伴に、戦前、戦中、戦後を生き抜いてきた。
常に何かを目指し努力をしていた後ろ姿を垣間見えていた。会社清算の痛みも、
「痛、痒い!」と思えるのも、万一の備えの上に、両親の修羅場を見ていたため。
70年の人生を振返ると、両親の懐で、面白、可笑しく、生きてきたと実感する。 
父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」では、決してない。死んだ後にも、
背骨として子供たちの中に生き続けている。ところで私は 子供に対し、両親の
ように膨大な愛情を与えてきたのだろうか? それにしても、甘さ丸出しで、
ネホリハホリ書いたもの。

・・・・・・
2015/09/24
閑話小題 〜今日は母親の命日

  * 今日は母親の命日
 今日は母親の命日、19回忌になる。早いものである。
ほぼ毎年、父の命日には思い出などを取り上げるが、振返って調べると、
母の命日には、時どきしかなかった。しかし、その前後に夢に必ずといって
いいほど出てくる。昨日の朝方も、夢に出てきた。寝室の二つの
ベッドが、廊下をおいた差向かえにある仏間に移動してあって、寝室には
一つだけ母のベッドが置いてある。その枕元には文庫本が一冊あり、何かの
読書指導書。さすがと思ったところで目が覚めた。
 また今朝方も極楽にいるような夢をみた。
《自宅の1Fの勝手口の前に、花園に色々の種類の花が咲乱れている。
そこに様々な小鳥や鳩の大きさの鳥が次々やってくる。そこで、デジカメで、
写真を撮るが、いつの間にか、その花園の赤い花が、周囲に広がっている。
鳥と花の兼合いが、何とも美しくて写真を撮ることを忘れて見入っている。》
 これを書いていて、この夢が実は母親の贈りものでは?と、思いついた。
この随想日記から、母について書いていた文章を内部検索で調べると、
以下の内容が出てきた。書くこと、書き残こして外部化しておくことは、
心の、想いの刻印になる。 燃焼しきった人生は、奥行きが深い。
 極楽の景色を、母に鮮明に見せて貰ったことになる。毎日、世界の絶景を
ブログに乗せているが、極楽的光景を連日、目にしている背景があるようだ。
 さて、ポタリングをして、母の墓参りだ。

―――――
4200, 閑話小題 −スマート家電
2012年09月25日(火)
  * 母の命日
 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。
やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。
先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で
当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に
生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の
人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから
生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出る。
読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂
と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。
両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。
独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。
  * スマート家電
 ( ・・略 )

・・・・・・
2007/04/24
2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた?
              (。・8・。)ノ おはよう!
   *一昨日の朝方の夢
10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。
晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。
不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、
「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、
また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」
と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。
さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」の
ようだ。そこで目が覚めた。普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議が感覚。
‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、‘宇宙的自己としての
母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’ようであった。
現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。

「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。
誰もが持っている、不死の何かなのだろうか?
あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか?
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。
夢も考えてみたら不思議である。
犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。
 以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。
そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白い
ものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。
夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。
それも身近な母や父などの夢は、特に!

ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。
家系としての筋道?   胡散臭いが!        
               ホンジャ  (~▽~*)/
・・・・・・
2006/09/24
2000, 継父
        (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをする
ことがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた
悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。

マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後に、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いた。

両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての
国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・

ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、
断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くの
セレブの前で話すには自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。

母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 WOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。     ーつづく
 さて墓参りだ!
ーー
書いた後に気がついたことだが、
ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
               (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! 
・・・・・・
2004/09/25
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
 十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の
「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。
そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた
母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんで
いたようであった。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。
「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ
「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」
と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。

「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまった。
こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会
がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人は
ふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。
森信三氏も似たようなことがあったというが。それから数年後の1992年に、
森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。

話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は
幸せな人生をおくり、下4人は??
ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。
「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の
小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。

・・・・・
2004/09/24
1270, 母が亡くなって、まる八年!ー命日に,母の魂に捧げる

今日の9月24日が母の命日。まる八年経った。遠い昔のような気がする。
今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰に
とっても共通である。父の真の厳しさと、母の優しさの深さを知るのは、
自分がその年齢になって初めて解るものだ。

世界広しといえども、母は一人である。そして、ただ無条件で愛して
くれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。
真実の愛は、親の愛がその原点にある。

愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。
キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。

人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で
ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。

 ー命日ということで、母のことを少し話してみる。
母は特異な家庭環境の下で育った。兄一人、姉一人の三番目に生まれた
二年後に、実父が亡くなってしまった。そこで祖母は、(後妻でなく)
後夫をもらった。(要するに男後家)

その後、後夫の子供が4人生まれた。
後夫は当然のことながら、前夫の子供を徹底的に苛めた。
特に一番幼い母が、その対象になった。
祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。

そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。
子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。
ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。

それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。
その結果、重度のノイローゼになった。私が7〜10歳の時である。
立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。
(亡くなった直後の解剖で判明) そういえば、私も子供を抱きしめる
ということは一切しなかった。その苦悩・苦痛の中から、神様のような
優しさを持つようになった。そして強さも。

その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。
私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで
多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。
どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。
特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。
      さあ墓参りだ!      23日6時半ー記


6766,閑話小題 〜また…ですか?

2019年09月23日(月)



   * 昨日、書いた内容を1時間半もかけて
 また、やってしまった。2〜3年に一度はやるミス。前日分の文章を、
今日の分の下書きと間違えて書き整えてアップしようとすると、何と、
これが前日に書上げた内容。それが、可能ということは、それだけ、内容に
甘さがあるということ。ある意味、それを自覚しろ! という自身への戒め
ということか。そういえば、半年前にも? まあ、いい勉強になる。そのことを
ネタに、何とか、書いて気を取りなおしているが! 私にとって、文章力向上の
秘訣はない。 このような失敗を、何度も乗越えて、書き続けるしかない。
20年近く書き続けて、これだもの。素人は所詮は、こんなもの。でも、普段の
何気ないことを書き残す意義は、間違いなくある。 
 ―
* 大相撲も終わってみれば
 大相撲も2人の横綱と、1人の大関の休場の中で、関脇同士の優勝決定戦で、
御嶽海が優勝で終わった。関脇が元気な場所は、面白いと言われるが。
中途半端な好角家としての評論としても、高度の録画に、周りの相撲審判の
肉眼による誤審を、映しだす場面が度々ある。今回は、勝負審判の誤審。
解説者は解ってはいたようだが、スローの場面を再び映し出すことはなかった。
いくら、少年相撲から天才教育をしたとしても、何千年も、草原の中で育って
きたモンゴル人と互角に闘えるわけがないのは、自明なこと。 その中で、
チビッコ相撲からライバルだった日本人力士の優勝決定戦とは。次の大関候補
は御嶽海? ただ、モンゴル勢に稽古土俵で狙われ、潰される可能性も。
 ―
   * 何やら怪しげな
 ホルムス海峡周辺が何やら、怪しげな緊迫した空気に。アラブ首長国連邦
の石油施設へのドローンによる攻撃。さて、イランか、アメリカ化、ロシアか、
はたまた… 一番、利益を得るのは、石油メジャーか、武器メーカーか、実際
のところ誰も解ってないのだろう。少し大き目な船の甲板か、アメリカにしろ、
ロシアの本土からドローンを飛ばせれば可能なこと。北朝鮮も、アメリカが
当面、攻撃が出来ないため、交渉に有利に働くため、願ったり叶ったり。
中国は、原油価格の高騰は、景気引下げもあり、不利。イランは、徹底した
原子炉と、原油施設の破壊が行われる可能性があり… とすると、イスラエル。
 現政権が選挙で、国内情勢が混沌としている。あれこれ考えると…、まあ、
フェイク・ニュースになるから、止めておく。

・・・・・・
6402,ロバート・グリーンの「マスタリー」 〜1
2018年09月23日(日)
             <『マスタリー』 ロバート・グリーン著>
    * 天才の育て方
 イチロウ、大谷選手、将棋の藤井聡太などにはマスタリーという親が存在して
いて、幼児の頃から、この本のような基礎教育を施してきたはず。その意味で
教育ママ・パパの手引書でもある。彼らほどの天才は無理としても、親として、
子供に対して、あるいは自己マスタリーが可能というのが、言わんとするところ。
としても、非常に難しい問題を含む。 中学の担任の悩み、<両親とも教師で、
定年を向かえても、共に90歳過ぎで矍鑠。両親に同じ道を歩くように誘導され… 
『これでは自分の人生が無かった!』>という深い苦悩を聞かされた。初老性
欝病の典型だが…  天才音楽家とうたわれているモーツアルト。
<オーストリアのザルツブルクに生まれる。父は宮廷音楽家のレオポルト・
モーツァルト。幼いころから才覚を現し神童と称され、4歳でグラビィーア
(ピアノの前身)を習い始めると、5歳の頃には小品を作曲するようになり、
父レオポルトも自分の教育だけでは不足と感じてか、ヨーロッパ各地に演奏旅行
に連れていきました。 実に人生の3分の1の期間におよんだ旅の中で、次々と
新しい作風を取り入れていき、交響曲、協奏曲、室内楽、ピアノ曲、オペラなど
あらゆる分野に傑作を残した。> 彼も父親の天才教育のベースがあった。
それらを分析し、教育プログラムにしてプロセスを踏めば、天才に…
   
  ーAmazonの内容より
人生でなすべきことを見つけ、経験を積み、仕事と生き方に熟達した“究極の境地
(マスタリー)”に到達する ―ひと握りの天才にしか達成できないと思われがちな
そのような成功には、じつは誰にでも実践可能な方法がある。 平凡な私たちが、
自分の人生をより良く生きるために、“熟達・精通の状態”を少しでも長く維持し、
自在にコントロールして、“人生の主人公になる”ための方法が示される。
ー
   ートップカスタマーレビュー
● 黒子: 5つ星のうち5.0
 学生時代に何か特別な職業に就きたかったが、その方法が分からなかったと
言う人も多いと思う。オートバイのレーサー、戦闘機のパイロット、船舶の設計、
テレビのレポーターなど、心引かれる物があったが、その道筋が学校と家庭生活
では全く手掛かりが掴めず、自動的に進学し就職したケースが大勢であったので
はないかと思う。本書は、あこがれの職業・専門知識で才能を開花させたい人に、
その可能性を広る基本的な手順や考え方を説明している。天職発見の可能性を示し、
また興味の対象に対する能力の伸ばし方を、アインシュタインやキーツなど先人
の実例を挙げながら語っている。また、能力の開発は本人の努力だけでは効率的
ではなく、取り巻く環境やメンターの係わり方とかも説明している。高校時代に
読みたかった本である。憧れを現実にできる可能性を高めてくれる本。

――
▼ 分類される直前の小・中学の最終年のメンバーをみると、両親、特に母親の
 存在が 見え隠れする。成績下位組を新めてみると、継母だったり、戦災孤児の
養子や、○○の養女だったり、水商売の子供だったり。家庭環境の決して良くない
人は、成績も悪く、その後の人生も恵まれてなかった。逆に成績上位の人は、性格
が穏やかで、真面目で、独りの世界を持っており、それは家庭環境から生じていた。
さすがに天才は存在してなかったが、それでも一応は、秀才?コースの人生。
  何が幸せかは別として、それぞれの親が子供に対し 
<人生でなすべきことを見つけさせ、それぞれの経験を積み、仕事と生き方に熟達
した“究極の境地(マスタリー)”に到達するよう指導していた> 存在があった。
人生の質は、両親の質で既に決まっていた。 それも、所詮は砂利と同じ。
それぞれの条件、環境下で楽しめば同じこと。朝起きて「さて何を愉しもうか?」と
呟き、就寝時に「ああ良かった、楽しかった!」と安らかに思えれば、それで充分。
 そう言わしめるのは、晩年なればこそ、言えることですか! ということは、
晩年の口癖に「ああ、良かった!面白かった!」を擦込めば良いということですか。

・・・・・・
4198, 閑話小題 ーとある話
2012年09月23日(日)
   * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話
 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえた話。
 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 
ある女性Aから・・・
A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も
   預金があるというけど、どうなの?」
B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」
A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」
C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、
   あれば、そっちに向けてるわよ!」
A:「Dさんはどう?」  少し考え込んでいた彼女
D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラー。
 その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で
聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で
一世帯の預金高について書いたが、平均預金1150万を 鮮明に記憶している。
    ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・
≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値
 (答えた世帯の中間の値)は前年500万より80万円少ない420万円。
・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。
  ー40世帯に一世帯になる。
・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で
 月額30万円の年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べ
「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。
 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら
 0の人を加えたら、過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表
 した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫
▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を
 育てあげ家のローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 
平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が中の上以上
クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、地方では上クラス。
推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。
日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどり
の馬鹿そのもの。ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 
(本人から聞いてみた)それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、
使い方が実に巧い。だから金の方から近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方
イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い? 何は使える時に使うもの!
森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。サバンナには味がある。 

・・・・・・
5670,【賢者の言葉】�ぁ  船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーD
2016年09月23日(金)
   * 自分の才能を発揮する6つのレッスン          
  ショーン・スティーブンソンは、
『自分の限界を超えてさらに前進するにはどうすればよいか、自分に与えられた
才能を存分に発揮して人々と分ち合うには何をすればよいか』の6つの方法を説く。
≪ 1:心を通わせる
 人とだけでなく自分自身とも心を通わせる。恥ずかしいという気持ちは、
 自分自身のことを考え始めた瞬間にわいてくる。周りの人に手を差し伸べよう
 として無私無欲で考えたり行動したりし始めると、恥ずかしさは消えていく。
☆ ブログを書き続けていると、以前の自分に同調したり、逆に間違った考え
 だったことに気づき反省させられることが多い。それ自体が自分に心を通わ
 せる行為になる。心を通わせるには言葉と握手などボディタッチが有効。
 ――
  2:自分に対する言葉に注意する
 優しい言葉は人を素敵な気分にすることができる。人を傷つける言葉は害を
 及ぼす。想像してみるといい。毎日ずっと毒のある言葉ばかりを浴びていたら、
 いつか病気になってしまうだろう。
☆ ブログは、何を書いても、自慢話に陥るのは否めない。
 だから自嘲気味に書いて丁度よい。人の考える7割がマイナスのこと。
 だが、せめて自分にはプラスの言葉を投げかけないと。
 ――
  3:身体で自信を表現する
 心と身体は別々の存在だと思われているかも知れない。でも本当は、心と身体
 は一体である。身体を変えることによって心の状態も変えることができる。
☆ 早朝の、信濃川一周の自転車乗りは、土手川原の緑と川面の空気を吸込む
 ことで、心身とも洗われる。途中、大橋を牽きチャリをしながら、地球の芯と
 会話をする。これが気力を充実させる。 球芯が、自分に仮身したような。
――
  4:意識のフォーカスを定める
 自分の望まないもの、自分にはないもの、世の中は不公平だと思うこと、そう
 いった部分ばかりに意識を向けている人は、その後もずっと悩み苦しんでいる。
☆ 内語に気をつけなければ。自分を自分で大切にすれば、悩みは半減するはず。
 そのために、読書習慣をつくらないと。毎日毎日、マイナス要因を濾さないと!
――
  5:ピットクルー(仲間)は慎重に選ぶ
 現状を変えるために何も行動しようとしない人は、その後も何も変わらない。
☆ 仲間の最たる人は、連れ合い。だから神様は一番、相性の悪いのを選ばせる。
 距離を置くため。相性の良いより、悪いほうが、人生、豊かになることが多い?
――
  6:自分の人生は自分で所有する
 自分の問題を人のせいにしたり何かのせいにしたりして責任転嫁し、言い訳を
 続けている人はどんどん弱くなっていく。
☆ 「自分の人生とは何ぞや?」という疑問が残るが、「自我を押通した人生」
 ということ?「志を持って、突進んだ人生」「自問自答を、独り続けた人生」
 「自分の人生で良かったことは、なにひとつ無かった」の愚痴こそ、自分の
 人生を自分で所有できなかった有様である。
▼ 上記の6つのレッスン、毎日、心をこめた日記を書き続ければ、ほぼカバー
 出来ること。 「日記御宅も、如何なものか」は、私の自問自答になる! 
・・・・・・
4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会
2014年09月23日(火)
   * 56年前の坂之上小学校の同期会
 一昨日は昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。会場は長岡の奥座敷
といわる蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。
出席者が西澤先生をふくめ25名。 前回より数人少なかったが・・ 
18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が開かれ、
22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。
その4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会
であった。南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ
帰ってきた人たちがいた。小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 
10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして良かった。私のクラスの
担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。
幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。
奥さんを10年前に亡くされ、独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人で
こなしている。近くに近くの川崎小学校の校長をしている長男が、住んでいる
ため、一人暮らしの心配は無いという。ガタがきている私たちとは、出来が
違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、今では同期会
にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。
・・・・・・
5305,全球凍結(スノーボールアース) 〜��
2015年09月23日(水)
 『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
  * 穏やかでなかった地球環境
 わずか20年前まで、地球は比較的穏やかな、生物が進化するに都合のよい
環境と考えられていた。三度も、地表が凍りついた氷の惑星だった時期がある
など想像すらされてなかった。ところが赤道域で、氷河の痕跡が発見された
ことで、全球凍結説が出てきた。これで生命が全滅する可能性があったが、
これを乗越えるべく、真核細胞が生まれ出てきた。危機が、革命的進化を
生み出したのである。  ーその辺りからー (『新潮45』、280‐281頁)
≪ ・たけし:そもそも、なぜ全球凍結したかは分かっていないんですか。
・田近:考え方としては温室効果が急になくなったからと推察できます。
 原因としては、火山活動が弱くなったからではないかと私は考えています。
火山から排出される二酸化炭素が少なくなると、(二酸化炭素は温室効果ガス
であるので)温室効果が弱まります。その結果、気温が下がって、
地表を覆う氷河の面積が増えていくことになります。
・たけし:寒くなって氷河が増えると、地球上の白い部分が増えて、ますます
 太陽光線を反射していってしまう。
・田近 そうです。それを惑星アルベド(太陽放射を反射する割合)といいます。
 氷で覆われる面積が広がると、惑星アルベドが増加して寒くなり、さらに氷の
面積が増えて…と、正のフィードバックが起き、全球凍結に至ったと考えられる。
氷河堆積物を調べていくと、約二十二億年前と、約七億年前、約六億五千万年
前の三回、全球凍結が起きていた証拠が発見されています。
・たけし では、少なくとも三回、地球は氷の星だった可能性があるわけですね。
・田近:そうです。ただ、この説には、地球が全て凍りついてしまうと、全ての
 生物が消滅してしまわないかという疑問が生じました。そうしたら、私たちも
存在しないことになってしまうので、そんなことはありえないというわけです。
研究者のイメージの中では、地球は金星や火星といった他の惑星とは違って、
今のような穏やかな環境がずっと維持されてきたと思われてきました。
ですから、海の水が全て蒸発してしまうとか、全て凍ってしまうとか、
そんな極端なことは地球では起こらなかったと信じられていました。
スノーボールアース仮説は、これまでの考えを覆す説だったので、
学界からの反発も大きかったんです。
・たけし:地動説を唱えたガリレオみたいなものですね。
・田近 私が学生の頃、そんな説はもちろんありませんでした。
 地球は穏やかな環境が続いてきたのだと考えられていました。
それが何故なのかが、実は私の研究テーマだったんです。
・たけし: まったく今とは逆の研究だったんですね。
・田近: 気候が変動することは、誰もが知っています。しかし、それは
 小さな変動だから、私たちは生きていけるわけです。しかし、大きな変動が
起こったら、生きていけないですよね。では、どうして地球上で大きな変動が
起こらないのか。「それを説明しなさい」と言われたら、誰も説明できない。
ですから、それを解き明かそうとしていました。
・たけし:その穏やかな環境で、生命は進化してきたと考えられてたわけ。
・田近:そうです。だからこそ、スノーボールアース仮説は、それまでの
 考えを覆すような説でした。科学では、こうした考え方が大きく転換する
ことが時々あります。八〇年代に、恐竜が絶滅したのは、地球と小惑星の
衝突が原因だと提唱されましたが、あれも当初、相当な反発がありました。
今でこそ定説ですが、当時はそんな天変地異で恐竜の絶滅を説明するのは、
とんでもないという意見が根強くありました。・・・≫
▼ ネット上で、氷河時代の迷い石の写真の幾つかをみつけヤフーのブログに
 掲載したが、その多くは二万年前の氷河期のもの。どれが20億年、7億年
前のものか、私には分からないが、自然の力のなせるわざ。現在の海の深さが
平均四千m弱と富士山と同じ位だが、当時と現在は違うとしても、その大部分
が凍り付いたという。しかしアイスランドのように、北極でも、火山で地熱が
あって温泉が沸いている場所もある。また、海底でも地熱で細菌が生きていた
可能性があったから現在の我々が存在している。面白い惑星に生まれたもの。
この地球の旅で、多くの知識を得て、面白い経験をさせて貰った。
 現世のことも大切だが、宇宙からの逆照射の視線も必要である。 


6765,読書日記 〜「明るい哲学の練習」

2019年09月22日(日)

          <「明るい哲学の練習」香山リカと哲学者の対談集>
   * 何も治療しないのが一番いい  =香山リカ:「入不二基義」対談
 15年以上前、現在の医療システムそのものに疑問を感じて、歯医者以外の、
検査も含め、医者通いを止めた。その時々で薬を購入し対応してきた。
それで、何か問題があるかといえば、何も無し。3大疾病への不安感が、
早朝の散歩や、ミニ・チャリ、スポーツジムでの運動の継続の動機づけに…
その頃に、寿命を75歳と決め込んだ時節に、あと1年4ヶ月に、至らんと
しているが、運動習慣を取入れた生活習慣のお陰か、あと数年は生きそう。
日々、ゲーム感覚で危なそうな際で、生活をしていると、老いもまた味わい
が出てくる。 いざ、あと1年と余命宣言されると、慌てふためき、後悔する
ことになるのだろうが、それは、その時! としても、この長寿社会は異常!

  〜まずは、精神科医の香山リカの話から
< 香山: 30年前のこと、内科医をしていた友人から聞いた話。
「食道静脈留の患者がいて、破裂させないために患部を✕線で埋めていく。
 一つずつ低根に埋めていったら、最後、死んでいた。>
<病気が適当なバランスを保っているのに、それを取り除くことに捉われ、
本体が遣られてしまうケースが、現代の医療の大問題に…>  要するに、
薬漬けによる、間接的破滅行為の問題。 
 ―
香山: 現場で患者と向き合うほど、全体として考え方が変わってきた。
  患者に対して何もしない。あるいは、治る邪魔をしない。何か妙な
 カウンセラーをしてかき回すより、「そりゃ、誰だって、そういうことを
しますよ」といって放っておくことが多くなった。最近、アメリカでは、
家族の死の別離を、重さによって「うつ病」の範疇に入れてよいと。
家族が死ねば誰でも悲しいに決まっている。それも、どうも製薬会社の
営業の思惑が… で、薬を盛られ… 
 ある研究書で、子供を亡くした34人の母親の面談記録で
一番して欲しくなかったことは、「心ない慰め」。
二番目が、「専門家からのアドバイス。 悲しいのにウツですとか…
 一番して欲しかったのが、「何もしてほしくなかった」こと。
そこからして、医学などというものは、余計なことをして、その人が治る
力を阻害して、病む権利をどんどん剥奪していると思われる。
 ―
入不二:「まだいけます!」とか言われても、やっぱり駄目なんだと解る
 ために、一度やって挫折してみないと! 身体的に理解しないと。
香山: もう老け込みたいが、いい加減。それに踊らされる私も悪いが、
「こんなの派手なもの、50過ぎだから」といっても、「そんなことは、
ない、まだまだ若いですよ」と踊らされて… 半分は、そう上げ諂って
もらいたいのが本音。

 ――
▼ 私の知人が重度の躁鬱病に陥り、抗鬱剤の治療を続けるうちに、薬害で…
 壮絶な人生をおくるはめに。 問題は周囲を巻き込みこと。そこに老衰に
よる痴呆症が加わり、それは見るに耐えない状況に。「病気そのものも、役割
が持っているとは。誰も、自分の人生戦略を考えてはくれない。自分でしか
考えるしかない。それは徹した孤独の中から考え、実行するもの。 薬づけ、
管をまかれ命を長ら生きるか? 周囲を巻き込み、それは見るに堪えない状態に。 
現在の医療システムは、無知な人から利益を得ることで成立っている。
それを誰も声高々に言わない。85歳を超えると、一部の例外を除くと、苦しむ
ために生きているとしか…。 で、現在の私といえば、少し田舎の重苦しさがある
としても、面白くて、楽しくて、新鮮な感動の経験の連続。何を死ねますか!が、
実感。余生用に生活習慣を根こそぎ変えたためだろう。

・・・・・・
6401,読書日記 〜私の脳内整理術
2018年09月22日(土)
          『頭のよさはノートで決まる』斎藤孝
   * ノート術ですか
 自己啓発本といえば日本では斎藤孝になる。 特にノート術に関しては
第一人者のようだが…  大学ノート術を中学校時代に身に付けていたら、
人生は、更に開けていただろうに。 卒業前後に己の浅学に気づき、
緑の原野(現場フィールド)の記録をカード化して残そうとした。その進化
したのが、このブログ。 炎上を考えて原始的?個人HPと両立し運営しているが、
圧倒的(20対1)にブログの方が多い。 テーマ探しと選定を入れると、ゆうに
1万5千〜2万時間はかけてきた割には、プロの領域にほど遠いが、これは能力
の問題で割切っている。当日分を入れると、18年分の自分の魂(全エネルギー
を投入した意味で)にで会えるのと、HP内検索で、キーワードで、何時でも、
引張りだせるのが最大の効用になっている。ベースが書斎の机上型パソコン。
サブが、居間のiPad。書いても書いても尽きることはない。
 何気なく借りてきた本の「ノート術」が面白い。‘ノートのニックネーム、
ページには日付と、タイトルを’と、本のノート化が良い。
  ◇齋藤式ノート術
�,い弔皀痢璽箸魍鵑涼罎砲い譴討�く
             →常に持ち歩く
�⊆�分にフィットするノートを見つける
             →お気に入りのノートだけ開けやすい
��ノートに名前をつける
   →名前をつけておけば、常に課題を意識できる(例:おやっとノート、
    段取りノート、出世したくなくても出世してしまうノート)
�ぅ據璽犬縫織ぅ肇襪鬚弔韻�
      →タイトルを付けることで、書けるようになる
�セ或Д棔璽襯撻鵑鮖箸�
      →頭に入りやすく、効率もよくなる
��図を描く
      →話の構造がスッキリして、理解が深まる
�Д櫂ぅ鵐箸鬘海弔砲泙箸瓩�
      →要点を押さえるには3つくらいまでがベスト
��日付を入れる
      →自分の生きた記録となる
��ノートは1冊にする
��本をノート化する
      →ノートに移すより、効率的
ー
▼ ノートに関しては、ずぼらもあって、あまり重要視してこなかった。
 17年前に、パソコンとネット駆使を目的に個人HP作成をと、近くに出来た
PC教室に通いだした。この時から、毎日、一テーマの随想日記が始まった。
それは40年前のカード式日記とカードをホチキスでとめファイル状にして、
面白そうな記事などをに放りこんでいたのと類似していた。 新聞記事や
雑誌の切抜きが、毎日≪  ≫で括ったコピペの内容になる。当時、それを
大きい茶封筒に入れかえていたが、2度と開くことなく… これでは、ゴミ
収集と同じと疑問符を持って止めてしまった。しかし、それだけでも、
7〜8割方は目的を果たしていたことを理解するのに数十年もかかった。
しかし、それがHP内検索で、瞬時、引っ張りだせるのだから。上記の斎藤式
ノート術も、シンプルだが核心をついている。このテーマ日記、ネット上に
公開することで、客観性と、継続、主観の歪みの修正、そして絶対に休ま
ない継続性などの狙いがある。
 実際のところ、稚拙の脳の公開のマイナーは、想像を絶するほど多いはず。
しかし、せっかく得た獲物(情報・知識)を、公開するのも、ネット上から
得た知識・情報への細やかな返礼と思えば、マイナーなど気にすることもない。
‘人生と同じ、良いこと3、悪いこと1。しかし、悪い事1には3倍の濃さが
含まれる。’ これ、『脳内整理術』というより、『脳外(化)整理術』??
 それとも脳のメビウス化ですか? ライフワークのメビウス化?

・・・・・・
6036,閑話小題 〜もう衆院選挙! その結果は?
2017年09月22日(金)
   * 自民党が本当に勝てるの?
 前回と同様、任期満了まで1年以上残し衆院を解散するという。
まだ汚職疑惑が生々しく残る中、果たして思惑通りに勝利するのだろうか。
第二次朝鮮戦争勃発の可能性が膨らむ中、そのための体制造りもあるのだろうが。
第二政党の民進党が解体の危機の中でチャンスとみたのだろうが、自民党議員も、
スキャンダルが次々と発覚、そう甘くないはず。大よその開戦時期が知らされて
いるなら納得。決断するなら年内。ミサイルを撃ちこむなら、世界最大規模の
柏崎・刈羽原発。とすると他人事ではない。
ところで、暴言で自民党から追放された女子議員。その後の発言からみて、
挫折経験がないのだろう。何が起こってしまったか理解できないようだ。
会社清算の我が立場からして、このブログの公開も止めておくべきだが… 
この自虐的性格は今さら! 実際のところ、自分のシリアスの視線が我ながら
何とも面白い、そのままを、物語っているのだから。
で、解散の成否より、結果が問題だが、戦後最大の危機の有事の戦争の可能性を
煽った自民党が、何とか勝利をするシナリオに落ち着くのか。〜ネットによると
【 安倍晋三首相が今月下旬召集の臨時国会冒頭を含めた早期の衆院解散に踏み
 切るとの見方が政界で広がっている。投開票日は10月22日か29日になる公算だ。
北朝鮮が核実験やミサイル発射など挑発行為を続ける中、内閣支持率が回復した
ことや、民進党から離党者が相次ぐなど野党が混乱していることが背景にある。
読売新聞が9月8日から10日にかけて行った世論調査では、安倍内閣の支持率は
50%と前回8月調査の42%から8ポイント上昇した。民進党は臨時党大会で前原
誠司代表が就任したが、その後も笠浩史衆院議員らが離党届を提出。東京都の
小池百合子知事に近い若狭勝衆院議員らが結成予定の新党もメンバーがまだ確定
していない。 ー政治評論家の有馬晴海氏は、
<安倍首相が28日に予定されている国会召集日に解散に踏み切ると予想し、
衆院選で「与党で3分2の勢力を失っても、過半数を取ってしのげれば、安倍
首相が来年の総裁選で再選する道も開ける」と分析。 また北朝鮮情勢は
「秋以降の方がより激化する可能性もある」とし、内閣支持率が回復傾向にある
ことも考えると「解散するのは今しかない」との見方を示した。】
―
▼ 北朝鮮にとって、日本に何かを仕掛けるチャンスにもなるため、非常に危険
 な状態でもある。問題は、小池知事が、知事の座を投げ打って新党をつくるか
どうか? 資金や人材からして、どうだろう? もう一人のキーマンの小沢一郎
が、どう動くかも注目される。いずれの党にとっても、修羅場になる選挙。
資金、票集めなど、政治家は尋常な神経ではなれない職業。
選挙で勝つための「地盤」「看板」「鞄」の3バンが潤沢でなければ、一朝一夕
では成りえない職業。間違ってなるのもいるが、直ぐにボロが出るからシリアス。

・・・・・・
5669,閑話小題 〜マイナスが大きいほどプラスも大きくなる!
2016年09月22日(木)
           <「20歳からの人生の考え方」外山滋比古著>
   * マイナスが大きいほどプラスも大きくなる!
 何気なく、目を通していたら、このテーマがあった。以前のテーマに
した、<幸福の状態は、マイナス1対プラス3の状態>があった。
「マイナス1をカバーするには、三倍のプラスを集めるエネルギーを要する」
ということ。それ自体が、プラスの幸福をもたらす。だから好きになるまで、
徹するしかない。 この言葉を、ネット検索すると、以下の内容があった。
《 アランの言葉に、『すべてのマイナスと見える出来事は、
「縦線、つまり気づきへと至る 垂直の動きを待っている」』がある。
換言すると、マイナスが大きいほど、気づきもプラス も大きくなる。
『どんな、ささいなことでも、悩みがあるのは誰だって苦しいもの。
 悩みや挫折がない人生が、いい人生と考えるのは大きな間違いです。
悩みがあることはかえって、それをバネにして成長するチャンスで、
まずは、自分の頭で、徹底的に、次の行動を、考えることが大切です!
それができれば、他人のアドバイスに素直に耳を傾けられるし、マイナス
が大きければ大きいほど、次にやってくるプラスも大きくなるのです。』、
「人生はプラスとマイナスの交錯であり、 マイナス先行の方ががよい」
との人生観を説いている。 》
▼ この道理は、〈人生は、プラスとマイナスの交差であるが、
 人はプラスばかり望みたがる。マイナスがあって初めてプラスがある。
しかも、マイナスが先行してないと、不運である。私たちは、それを認めたく
ない心情があって、それで不幸になる。楽あれば苦あり、ではなく、苦あれば
楽あり。人間は苦から逃げられないのだから、むしろ、ありがたい先生、
と考えたほうが懸命である。〉に要約できる。 〜いま一つは、
〈無敵大敵 〜人生には敵がつきもの。無敵を謳歌しているものは、
 苦難の敵とわたり合う力を身につけないまま、転落する。敵は案外、
味方である。〉 がある。
ここで、「三代目がなぜ失敗するか」を、無敵大敵で説明している。
敵こそが、力をつけてくれるが、三代目は、それがないため失敗をする。
一見、マイナスの敵こそが、自分に力をつけてくれる。欠点こそが長所を
カバーする。逆に、信じていた味方に足を救われる。これが世のならい。

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5304,スノーボールアースについて 〜��
2015年09月22日(火)
      『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』
  * 赤道域から氷河の名残りが見つかった
 二ヶ月前に、NHKスペシャルの再放送「全球凍結〜地球大進化46億年ー� 廖�
の感想記を書いた。その詳細が、〜新潮45・2015年5月号〜で、ビートたけし
と東大大学院の田近英一の対談『スノーボールアースについて』があった。
再放送の内容は後でコピーするが、これは、その続編のような内容。再放送では、
二度の全球凍結とあったが、実際は三度。この新説が出てから、まだ20年しか
経過してない。 人が地上に生まれてきたことを、地球への旅と譬えると、
地球誕生と、生命、人間の誕生、そして、この地球の全球凍結は、旅人として、
非常に興味を惹きつけられる。 先が見えてきた人生、振り返ると、面白い惑星
での旅路の真只中にいたことになる。 〜その辺りから (『新潮45』279頁) 
≪:たけし:宇宙から見た地球は「青い星」というイメージがあるけれど、
 ここ二十年ぐらいの研究でかつては「白い星」だったことが分かってきた。
地球全体が氷河で覆われた凍った星で、そんな地球を真っ白な雪玉にたとえて
「スノーボールアース」と言われているんですね。
:たけし: 先生はその分野についての権威ですが、氷河の名残りって意外に
 身近なところにあるんですね。ニューヨークのセントラルパークに「迷子石」
というのがある。大きな岩の塊が一つだけポツンとあるので、迷子石と呼ばれて
いるのだけど、あれは氷河によって削り取られた岩石が運搬された(氷河堆積物)
だという。つまり、セントラルパークは大昔、氷河で覆われていた。
しかし、怪談みたいに、昔は石が勝手に移動してきたと言われていたとか(笑)。
:田近: 昔は多分、なんでそんなところに「迷子になった石」があるのか
 分からなかった。地球の歴史を調べてみると氷河期というものがあって、
迷子石が氷河によって運ばれてきたことが明らかになりました。ニューヨークの
迷子石はわりと最近(約2万年前)のものです。ところが、古い時代の氷河堆積物が
当時の赤道域からも見つかるようになりました。これが大きな謎だったのです。
:たけし: 赤道域で氷河堆積物の証拠が見つかった時、カリフォルニア工科
 大学のジョセフ・カーシュビンク博士が「そんなことあるはずがない」と、
誤りを証明しようとしたら、逆にその報告を立証する結果が出てしまったという。
:田近: その結果を説明するためには、赤道も氷河に覆われていて地球が全部
 凍りついたと考えればいい。これがスノーボールアース(全球凍結)仮説で、
1992年に提唱されました。
:たけし: 間違ったところを検証しようとして、かえって新しい発見に
 つながっていくのは面白いですね。
:田近: それをどうしてなのかと考え続けたことが偉いのです。そこが境目。
赤道域に氷河堆積物があった事実から、全球凍結の仮説に持っていくのは、
実はかなりの勇気がいる話で、誰にでもできるわけではないと思います。 ≫
▼ NHKの再放送を見るまでは、全球凍結の言葉さえ知らなかった。
 人類は、地球自身も、宇宙も、人間そのものもほとんど分かっていなかった。
ビッグバン理論が、2003年に宇宙観測の結果、確定してから我々の宇宙が、
10の500乗の多宇宙の一つでしかない多宇宙説が出てきた。そして、そこから、
暗黒物質、暗黒エネルギーが、この宇宙にループ上の管を通って供給されて
いる説が、有力になっている。地球では、このスノーボールアース説である。
・・・・・・
5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー��
2015年07月30日(木)
ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー
 の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜
《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や
 全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で
始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化
してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》
   * 二度の全球凍結
生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。
(二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、
「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから
生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。
何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、
生命は生延びてきた。  〜その辺りから〜
≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の
ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を
集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた
状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。
不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。
 古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、
新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。
そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは
ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成
による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。
 しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱
になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は
コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、
生命は大型化を可能にした。≫
▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の
大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。
動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。
生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を
選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い!


6764,閑話小題 〜病状検査の値の話題を聞いて

2019年09月21日(土)


   * 無知の涙
<さいたま市の集合住宅で9歳の男の子が殺害され、遺体で発見された事件で、
 逮捕された義理の父親が「自宅で首を絞めて殺した」という供述をした>
のニュース。母親が42歳の高校教師、義父が32歳で無職で、男後家ともなれば、
それは鬱憤が蓄積して爆発するのは至極、当然。その環境を作ったのは母親。 
前夫に、犯人の現夫に、当然、反対しただろう親に忌み嫌われ、それに加えて
自責の念の地獄の「日々」、いや「刻々の底なしの苦悩」が未来永劫、つづく。。
 40歳の身空。 ネットで若い男を求めて、成行きで結婚に至ったとしても、
あまりに痛ましい。地獄とは、こういう悩みをいう。…歎異抄の世界である。
 生きている限り、誰もが救いようのない罪を知らずにつくっている。
人間は生きているだけで罪人である。 救いようのない人間には、やはり、
宗教が必要と思う。 救いようのある人生は、逆に、救われないということ?
 ―
   
   * 死んでしまえば、それまでよ…
 歯医者を除いて病院には10数年、行ったことがない。それまでは、毎年、
一度は精密検査を受けていたが、ある本で、「少し長生きしたいため何故に
病気を探しださなければならないか?」に感化され、自己問答の結果、一切、
医者には行ってない。それで何か問題があるかといえば、全くない。75歳を
私自身の適正寿命と区切ったが、それも、あと1年4ヶ月。とうに次のステージ
が現われそうだが… 何もない。下手をすると? 死に損う可能性もある。
病巣が幾つもありそうだ。8年半前のリタイアからの禅僧のような?生活習慣が、
それを抑えている?のだろう。 スポーツジムの「平日、昼コース」に週に
5日、皆勤していたが、この春先から週4日に減らした。としても、ジムで、
血圧や、血糖値を細かく話しているのを聞くと、非常に違和感がある。
 死にたくもあり、死にたくもなし、早い者勝ちの時節にたち入ってきた! 

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6400,閑話小題 〜あれから一年、元通りに
2018年09月21日(金)
   * 大相撲も終盤に
 思わぬ展開…、 白鵬全勝、鶴竜と、大関の豪栄道と高安が二敗、
三敗が稀勢の里とくれば、相撲協会としては願ったり叶ったりの結果。
憎き貴乃花は、平の審判の姿をTVにさらし、公然とした虐めとは幼稚。
モンゴルの二人の横綱と日本人大関は、臆することなく張り手を再開。
大関候補の御嶽海は、中盤で失速。大関とりより勝越しさえ危ぶまれ、
台頭してきた豊山は一勝するのが精一杯。 
 一年前の貴乃花によるモンゴル横綱支配による、八百長強要事件で日馬富士
追放騒ぎも、今では何事もなかったように無関心。目出度し、目出度しだが…。
これが興業を旨とする、大相撲社会の実態。 とはいえ白鵬の時代は明らかに
終焉。それでも一昨日の大関・高安の一戦でも取りこぼさず勝つから、さすが!
 ふと気づけば、幕内上位に平成4,5、6年生れが中心に占めてきた。
白鵬と鶴竜には『東京オリンピックで横綱土俵入り』の明確な目標がある。
ところで平成天皇の最後の天覧が今のところない。 まだ生々しい事件から、
一年も経過してない。 来年初場所の中日辺りに、最後の天覧相撲!という
筋書き?… 次の大物の影すら見あたらないのは困ったもの。
――
   * 毎日、テーマを探し、文章化して
 一つの習慣になってしまっているが、テーマが定まらないこと屡々。
その中から捻り出してくるところがポイント。記者の視線が17年半の間に
出来てしまったようだ。この記者目線こそ重要のこと。常にテーマという餌を
探っている捕食者の目線。ブログに晒すということは、客観性を意識しなければ
ならない。そして、テーマの内容を、まず自身が納得していなければならない。
ネット検索という強い味方が存在している。更に、17年余り書き続けてきた、
蓄積してきた文章の内部検索がある。 要するにテーマの設定と、文章構築を
通した自己対話をしながら内省していることに。絶対否定したくなる自分の行蔵。
それを自己肯定せざるを得ない自分の浅ましさ。それと連日、格闘している姿が
文章の行間から見えてくる。客観性と、主観性も、小さな思い込みと思いつつ。

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5303,閑話小題 〜白鵬のいない大相撲も悪くない
2015年09月21日(月)
   * 白鵬のいない大相撲も悪くない
 「終わってしまえば、やはり白鵬か!」が、この8年も続いていた。
先場所、白鵬が序盤に敗れたとき、解説の舞の海が『白鵬、弱りましたね!』
の名文句?に反発したのか、最後に何とか優勝をした。優勝インタビューで、
その言葉に反論したが、思い当る節があったから。そして、今場所の初日
からの二連敗と休場で、彼の指摘が正しかった証明になったのも皮肉。
これだけの大記録をつくりあげたのだから、そろそろ限界になって当然。
 で、三日目から白鵬が不在だが、先入観の[終わってしまえば、白鵬」が
無くなった分、面白みが出てきた。良く出来たもので、大横綱候補の照の富士
の地固めの場所に? そして半年〜一年遅れで、逸の城が照の富士に追いつく? 
あとは、遠藤がどうなるか? 毎日、20本の懸賞がつき、あれだけの大歓声が、
相手力士は目の色を変え挑んでくる。その中で、それ相応の相撲を取らないと
勝てないため、自然と力と勝負勘がついてくる。それ故に潰される可能性も
大だが、過っての千代の富士のような相撲力と花がある。少なくとも大関の
可能性はある。一連の不祥事から、危機感を持った力士の真剣度が観客を
呼寄せている。後は、日本人の大力士が望まれるが、どうだろう?
   * 終活の時節に入ったが・・
 実兄・実姉、私の合計9人きょうだいのうち、4人が既に亡くなった。
末っ子の私が、あと数ヶ月で70歳なら当然だろうが、生存している5人と、
その連れあいの平均年齢も80歳近い。 先日、10数年前に亡く
なった一番上の姉の連れあいの葬式に参席したが、何か寒々としてきた。
寝たきり、痴呆なども他人事でない。 身辺整理も4年前の会社整理で、
大部分が終わってはいるが。14年半にわたって、言い残したいことは、
ここで書いてきたし、死に関する知識も積んできたし、諦念も、ある程度は
出来ている? 良いにつけ、悪いにつけ、時代の激変を目の当たり出来た
ことと、世界の隅ずみの光景を見ることが出来たことも、幸運だったと、
いえることが有難い。としても、まだまだ見たりない、味わいたりないこと
ばかり。「前向きに、貪欲に未知を求める」が、現在の活きる道しるべか。

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4938,閑話小題 ー節目年齢の呼称と、厄年
2014年09月21日(日)
   * 長寿年齢の呼称と、厄年   〜還暦は満年齢、その他は数え年〜
 先年、還暦が終わったと思ったら、あと半年で古希になる。色いろあったが、
アッという間である。ここまで生きてこられたことに我ながら驚いている。 
同期の男の4人に1人の割で亡くなっている。これが10年後には2人に1人の割りに。
もう、何時お迎えがきても、死に時と割切るしかない。
  ーそこで長寿年齢の呼称を調べると
60才 還暦(かんれき)60年で十二支の組み合わせが一回りすることから。
70才 古稀(こき) 唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで。
77才 喜寿(きじゅ)  喜の草体が七十七と読まれるから。
80才 傘寿(さんじゅ) 傘の略字が八十と読まれるから。
88才 米寿(べいじゅ) 米の字を分解すると八、十、八。
90才 卒寿      卒の通用異体字が卆だから。
99才 白寿(はくじゅ)  百の字から一を引くと99になるから。
100才 百寿(ももじゅ) 白の字に一を足すと100になるから。
108才 茶寿 草冠を二十 その下が米に見立てて88を足すと108。
111才 皇寿  皇の字を白、一、十、一に分解して99を表す白に
             足すと111になる。
112才 珍寿    112歳以上は珍しいため。
 ところで、人には「厄年」がある。人生の中で不幸や災難が降りかかり
やすい年のこと。厄年は、中国の陰陽道・思想からもたらされたもので、これが
一般に広まったのが江戸時代のこと。江戸時代には、厄年は数えで男性が25歳、
42歳、61歳。女性が19歳、33歳、37歳だったが、現在では、男性が25歳、42歳、
女性が、19歳、33歳とするのが一般的である。その中で、男性は42歳、
女性は33歳が「大厄」と呼び、その前後を「前厄」「後厄」といって、
恐れる風潮がある。
 自分を振り返ると、その辺りが絶頂期であると同時に、大きな落し穴があり、
節目時でもあった。家長制度のあった時代から、核家族、弧族の時代へ変化して
いる現在、果たして長寿が幸せか疑問である。 まずは、父の亡くなった歳まで
二年が目安。 次の目安が喜寿が7年数ヶ月。傘寿まで11年ヶ月。健康年齢
(介護を受けないで済む年齢)を3年先と想定して、人生の余白を埋めていく
ことが当面の判断基準になる。老いても3S(チャレンジ、チェンジ、
コンペティション)の開発と、フラッシュで浮かんだ記憶を捉えて、遡ることに
ヒントがありそうだ。 「いい年をして」の「何をするにもいい年」とプラスに
解釈して、ソロで、彼方此方を渡り歩くことが良いのは分かってはいるが、
老いからくる面倒くさい!が先に立つ。

・・・・・・
4571,閑話小題 ー火事に遭遇   
2013年09月21日(土)
   * 火事に遭遇
 何時ものポタリングで、長岡大橋から川西にわたり、大手大橋から再び、
長岡大橋に戻って水道町公園前に来たとき、長岡大橋の道路を隔てた向こう側
から煙が立っていた。工場の煙のような、火事のようでもみえる。まずはカメラ
で写真を撮り、次に近づいて撮ったが、まだ警察も消防もきていない。
写真を撮ったのは長岡大橋のバイパスの上からで、現場まで150m先、
駆付けるか、帰ろうか迷ったが、帰ることにした。少しバイパスを走ると
パトカーと消防が追い越していった。シャッターチャンスにタイミングよく
撮れたが・・・(9・19記)
  ー9・20日、追記ー 
 昨日の火事。今朝の新聞によると、72歳のご主人が亡くなったとある。
18歳の孫と老夫婦の三人暮らしで、6時40分に台所からの出火、孫と
連れそいは逃げて無事。あのまま近くまでいっていたら、修羅場に立ち会った
ことになる。まさか、死者まで出ているとは! 改めて写真をみると凄い煙。
通行人は、まさかと関心なさそうに見向きもしないし、車も止まらずいくし・・ 
死者が出た火災の写真とは!新聞社に送ろうか?いや止めておく! 
朝のポタリングには必ずカメラを持って出るが、こういう日に限って忘れる
ことが多いが・・ ところで火事といえば長岡駅前の商家に住んでいた頃に、
4軒ほど先の「監物ビル」の大火災があった。近所の二人の少年の火遊びが
原因だったが、自宅のある店のビルが、その熱で熱くなったことと、近くで
遊んでいたため、警察に呼ばれ事情聴取をされたことも記憶に残っている。
更に斜め前の丸大という衣料品店が全焼したのも見ている。

   * 来春、購入予定の自転車を前倒しで発注
 来春三月に購入予定をしていた電動アシスト自転車を、前倒しで注文。
現在の電動アシストのマウンテンバイクのブレーキが前後の車輪とも不調で、
やむなく注文。ブレーキの不調を運転で逆に楽しんでいる自分が怖くなった。
我ながら変な性格である。今度のものはパナソニックの電動アシストで、
タイプはクロスバイク。来週早そうの入荷予定。
・・・・・・
6035,閑話小題 〜米国・トイザらスが倒産
2017年09月21日(木)
   * ネット社会到来の象徴
 <米国・トイザらスが倒産>のニュースには驚いた。
 日本の法人は、今のところ大丈夫だが。 〜ネット新聞によると〜
【 かつて玩具業界の巨人と言われたトイザらスが9月18日、米連邦破産法の
 適用を申請して破綻した。負債総額は約52億ドル(約5800億円)と報道。
アマゾンでの玩具の売上が、2016年に四半期あたり40億ドルまでに膨らんだ
一方で、トイザらスは2013年以降、利益を生み出せていなかった。ただし、
トイザらスにも失地回復のチャンスはあった。
世間がドットコムバブルに沸いた2000年、アマゾンとトイザらスは10年契約を
結んだ。これはアマゾン上でトイザらスが唯一の玩具の販売業者となる契約で、
トイザらスの公式サイトをクリックするとアマゾン内のトイザらス専用ページ
に飛ぶ仕掛けになっていた。この取り組みは当初、アマゾンとトイザらスの両社
にメリットをもたらすと見られていた。しかし、アマゾンはその後、トイザらス
が十分な商品を確保できていないことを理由に、他の玩具業者らをサイトに招き
入れ始めた。トイザらスは2004年にアマゾンを提訴し、10年契約を終了させた。
そして2006年に自社サイトを立ち上げた。しかし、その後のトイザらスの動きは
遅すぎた。 トイザらスの場合は今年5月になってようやく、Eコマース事業の
立て直しに向け、今後3年間で1億ドルを投じるとアナウンスした。しかし、
彼らの取り組みは遅すぎたとしか言えない。
最新の統計では米国人の90%が今も実店舗で買い物を楽しんでいる。しかし、
小売業者を破滅に追い込むには、残りの10%が実店舗での購入をやめるだけで
十分だ。米国では今年に入り、靴の販売のペイレスシューソースや、子供服の
ジンボリーらが相次いで破産した。トイザらスがもっと早く、大きな投資を
ウェブ向けに行っていればこの事態は防げたはず。
トイザらスもまた他の小売業者と同じ破滅への道を歩んでしまった。】
―
▼ ネット社会・到来を象徴するニュース。先日、スポーツシューズと、
 デニムのベレーを衝動買いする直前、「いや、ネットを見てから!」と
思いとどまり、検索すると、まず出てきたのが『Amazon』の販売コーナー。
見ている内に、「まあ後で」になったが、勿論、より気に入ったもので、
安価のものが次々と出てきた。iPhoeが手元にあれば、その場でも、検索可能。
となると、実店舗の販売は大変だ。まだ米国人の90%が今も実店舗で購入して
いるというが、この流れは止まらないだろうに。
 ネット販売が「2割」を超えると大問題というが、それも、近未来に間違い
なくやってくる。 Amazonが何で書籍関連からネット通販を始めたというと、
「本が一番、手軽だったため」。他にも様々な分野の小売の大型書店、靴、
子供服の大型チェーンが、ネット店舗の影響で倒産が続いている。面白い!
といえば面白いが、ベストの商品と、システムしか残れないことになる。
・・・・・・
5668,【賢者の言葉】��  〜ショーン・スティーブンソンの言葉 ーC
2016年09月21日(水)
   * 『傷ついている人は人を傷つけ、癒されている人は人を癒す!』
 5年前からの一連の中で、倒産をした者に対する『差別』は思いの他、大きい
ことを実感してきた。『被差別民』の扱いである。自分が逆の立場の時は、
「終わった経済敗者」として、排除された人と特別視をしていた。 
資本主義社会なら当然、経済難民と見られて当然。カラスが、生きもが弱点を
曝すだけで、攻撃を加えるのと同じ。で、その先頭に立つのが、「下位にあって、
無為に過ごしてきた人たち」。なぜか、直接攻撃をしてきた人たちが、2〜3年内
に、家族か本人が、事故か、大病などのアクシデントが起こる。これは、今回
だけでなく、これまでの節目でも経験してきた。「傷ついている人こそ、二人称
の人の不幸に、己の傷口が疼くため」である。「他人の傷口に、自分の血を
塗り込みたいその衝動が、自らの毒になり、家族に異変が生じる。
<他人を指さす時、親指は上に(天の理)、他の3本の指は己を指している>
 指摘する対象を天理と思いこんだ思いは、己の内なる認識を指摘しているに
過ぎない。一般的に、10倍の誇張で思い込む癖が脳にあるから始末が悪い。
 天理思いの、ほぼ全てが、これ。だから「世間」の妄想は信用してはなら
ない最大の敵になる。 それに、気づくのは、余命数ヶ月と宣告された時。
まだ、気づけば良いが。この世のことは、夢まぼろし、特に世間とかいう、
馬鹿の壁が、自分の世界を狭めていたことに、人生のハテに気づく! 
が、時は既に遅い。一つのことを成そうとすると、他の多くを捨てなくては
ならない。しかし、捨てても捨てても、上手くいかないのが娑婆。だから、
せめて他者の傷を蹴り上げるしかない。そこで一番、痛むのが己の傷口。
自分の傷口は、自分しか癒せない。自己治癒は可能だが、それは長年かけると
自ずと癒しが大きくなる。傷つく度に、傷口を清潔に治療しておかないと! 
膿んでしまう。その膿は、自分だけでなく、他人をも殺してしまう猛毒に化す。
その観察だけでも、この経験は充分の価値がある。「痛痒い!が、面白い!」
 その辺りにも、膿を振り撒いている輩がいる。「マイナス3に、プラス1」
の状態、いや、「マイナス6に、プラス1」 曽野綾子ではないが、
「泥棒以下の人たち」 それからすると、万人が常習万引き者になるが・・



6763,閑話小題 〜木島佳苗という生き方 ー2

2019年09月20日(金)

   * “最強モテテク”とは  
 彼女の何やらの魔性は、ブス、デブなればこそ身についた能力。
男を誑かす能力は、ブス・デブを一部分と思わせる程の魔力がある。
性行為の詳細と、自らを飾りたてたブログを読んでみると、成るほどと… 
 …ところで当日分の書上げたばかりの文章は、19年分の1でしかない。
他の18年分のエネルギーそのままが、現在の自分に覆いかぶさる感がする。 
結婚詐欺師とは、虚構と生の人間を皮を紙一重で被った役柄を相手の反応で、
即興芝居を生で演じることを業とする。その危うさが、魔性を生む。
詐欺をビジネスと見たてれば、何ごとも可能に。“最強のモテテク”とは、
長年かけた技! そうは簡単に身につくわけがない。「騙し、殺して保険金
を確保する一連の物語」の中でこそ、濃厚の技を得ることが可能になる。
<四苦八苦、四楽八楽の愛憎の中に、地獄、天国あり!>ということ。
 
  〜ネット検索での彼女への感想をみると〜
≪ なぜ、木嶋死刑囚がこれほどまでに男性を魅了するのか。
 「3回も獄中結婚していたことに驚き!」
「頼むから婚活本か恋愛本を出してくれ!」
「女は見た目じゃないってことは本当なのか」と、
木嶋死刑囚の“モテ力”に感嘆する声が相次いでいる。

 実際に木嶋死刑囚の裁判を傍聴したという人たちはネットで
「とにかく仕草がつやっぽかった。髪をかき上げたり、資料をめくる動作が
 洗練されている。死刑になるかどうかで裁かれている犯罪者とは思えない
 余裕があった」
「あまりにかわいらしい声で、ていねいに話すから裁判で傍聴していても
 この人は悪い人じゃないんじゃないかと錯覚をしそうになった」など投稿。

 他にもネット上で、木嶋死刑囚の男性同級生と話したことがあるという人が、
「顔はかわいくないのに、声や仕草がかわいくて“守ってあげなきゃ”という
気にさせられた。子供の頃は、男子と女子が言い合いになった時、男子の味方
をする子だった。だから木嶋のことを『ブス、太っている』っていう女子の
ほうが性格悪いって、男子の中ではなっていた」とコメント。

 ネットでは他にも木嶋死刑囚のブログを読んだユーザーから
「字がきれい。無邪気さを感じるイジリがあって意地悪に感じない。読み手の
 王子は、自分をかっこいいとほめてくれる文章を読んでいい気分だろうし、
 比較されてる人は嫉妬しそう」
「話術のスキルが高いというか、口がうまいというか。
 異性向けのコミュニケーション能力が高いんだろう」
「獄中でも身ぎれいにしていて、字がきれい、料理が上手、聞き上手。
 モテる要素は外見じゃないね」
とそのモテテクに驚きの声が挙がっていた。

 木嶋死刑囚が‘ただもの’でないことは確かだ。三度目の結婚相手が
『週刊新潮』のデスクということもあり、双方ともに打算的結婚という見方も。
今回の結婚がビジネスにせよ恋愛感情にせよ、木嶋死刑囚が人をひきつける
“何か”を持っていることは確かだ。 ≫

 ――
▼ ネット上の写真の化け具合。よくぞ化けも化けたモノ。
 世の中には、下ネタを武器に異性を誑かす一群の人種が存在する。
営業に「枕ネタ」をフル活用するのが手っ取り早いから…? 
「妾」「愛人」「二号」「恋人」を、相手によって使い分ける多重人格を
旨とした女性たちも、これまた、必死。 専業主婦も職業とすれば、
「妾」「愛人」「二号」「恋人」型の、業態があって然るべきですか。
手当で、いくらでも豹変しますか? 役割の終えた男たちの悲鳴が!
保険金殺人を含めた仕事。ゲームとしたら、これほど面白いことはない?
 で、連日、皆さま、「刑事、FBIモノ」のドラマと映画を楽しんでいる。

・・・・・・
6399,閑話小題 〜ロシアのプーチン
2018年09月20日(木)
   * 何をやってんだか?
 韓国と北朝鮮が交渉をしているが、何か不自然。時間が、北朝鮮の真意を
表立てることになるが。アメリカが果敢に中国に経済戦争を仕掛けている。
これが拗れ拡大すると、回復基調にある世界経済に影響を及ぼすことに。
アメリカ中間選挙狙いもあるが、世界経済の不調の皺寄せは、アルゼンチン、
エジプト、中年米などの経済弱小国に影響を及ぼす。時間の経過と同時に、
際どい場面も出てくる。 〜産経新聞ネット配信記事によると…
【 北朝鮮の金正恩委員長はソウル訪問など数々の融和措置に合意し、韓国の
文在寅大統領を味方に取り込んだ上で、非核化の具体的措置に関するカードも
切った。米朝交渉の打開に向けて勝負に出た形だ。ただ、米側が求める非核化
とは依然乖離がある。金氏はトランプ大統領の決断を待つ形を取ったといえる。
「朝鮮半島を核兵器も核の脅威もない平和の地にするため、積極的に努力して
いくことを確約した」と、金氏は19日、文氏との会談後の共同記者会見で
こう明言。非核化に関する金氏の肉声が公開されたのは初めてで、米国との
交渉をつなぎ止めようとする意志の表れとみられる。だが、非核化努力は繰り
返し表明したことで、具体的措置は文氏に説明を任せた。】
ー
▼ 熊:どのみち、最後は物別れになるのに…
 トラ:トランプの行蔵が、隙だらけで、どのみち、一期で終わりの可能性大と
  踏んでいるのさ。あの国から核とミサイルを除いたら何が残る。人質は、 
  アメリカではなくて、日本と韓国。それが不可能になる放棄などする訳ない。
大家:アメリカ大統領にロシアに何を?握られた泡沫候補の擁立 成功したん
 だもの。これは掻き回すチャンスさ。とにかく、裸の王様だもの、あれは! 
八:当面、戦争が不可能になったので、中国に経済戦争を始めてさ。これじゃあ、
 経済貧民国は堪ったものじゃない。下手すりゃ恐慌だよ。アメリカも往年の
 力も無くなったが「腐っても鯛」だよ。 これも中間選挙の終了までだがね…
トラ:何か、ますます核戦争の危機が深まっているような気がするね。
 おい熊、どうかね。
熊:あの肥満からみて痛風!そう長くはないのは分かるけど。一時、脚をひいて 
 歩いていたしね…よく持ってるよ! 脳梗塞待ちとは… トランプも同じ。
――
   * 性懲りもなく…
 北方領土問題を餌に、詐欺師同然に都合のよい条約を結んだばかりのロシアが、
再び平和条約の問題を提案してきた。尖閣問題で中国の圧力と、トランプへの
脅しで間接的な圧力を使うのは明白。いくら馬鹿でもと思うが、そこが手練手管
のプーチン。狙いは、「北方領土問題を棚上げにして、平和条約を結ぶこと」。
ポピリズムの日本。スパイ網を駆使して「安倍スキャンダル」を延焼させ、米中
の圧力を一段と高めれば、現在の安倍の抵抗は無理。未だに太平洋戦争の敗戦を
背負っている悲しさ。ロシアの占領下でなかっただけでも幸運だった。

・・・・・・
4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
2013年09月20日(金)         
 * 万能薬としての「語り直し」   
        『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋雅延(著)  
 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、
上に立つものほど多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線から
みた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。
人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、
最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する
以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しを
するしかない。早稲田二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に
彼女が出来たところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 
彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し? まずはー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって
 初めて教える者の大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、
親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。
つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できる
のである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることが
できることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごと
について、その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとは
違うことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という
言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、
単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと
について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、
元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下
出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を
送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々。
しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが
少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、
それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、
生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に
とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 
 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。
できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを
遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、
自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ
である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、
私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える
ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった
 ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。
これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。
その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば
良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 

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6033,閑話小題 〜哀しい「孤独の群たち」
2017年09月20日(水)
   * 何処の世界にも一定数いる「陰口」の達人
 陰口といえば、井戸端会議の小母さんと、営業のネタに駆使してきた男達が
思い浮かぶ。旦那に逃げられたり、死なれた不幸傾向が強い人。地域社会の
縛りの中で劣等感が強く、それをバネにマイナスの差異を探し出し、下世話の
タネを探し、「陰口」を業とする人。
人間社会は、「トップ層3%、中間層30%、その他」で、構成されている
厳然たる事実がある。 これは「古代ギリシャの、王族、市民、奴隷」と、
現代のアメリカの社会構造と同じ。
・他人との比較優位によって価値が生まれる「地位財」。
 「所得」や「社会的地位」「車」などがこれに含まれる。
・他人が持っていることとは 無関係に、その自体に価値があり喜びを得られる
 のが「非地位財」。現代では、この二つを達成のレベルからでも判断できる。
まず、「地位財」「非地位財」を持つ人は、陰口が少ない。「陰口は万引き並に
忌み嫌われる暗黙知」を熟知しているためで、思いの外、多くの人は言葉を選ぶ。
(当然、例外もある) この暗黙知を知らない人が1〜2割の割辺りか。
社会学者リース マンが『孤独な群衆』で、社会的性格の三類型の一つ「外部志向型」
を指摘。 他の「伝統志向型」および「内部志向型」と対比させ、
<(羅針盤)で舵をとりながら生涯の目的に向かって進む代わりに、レーダーに
よって捉えられた、手近にある目標に従うのが常である。このレーダーも同じく
幼年期に据え付けられたものだが、両親や他の大人は、いつでも周囲の人々に
調子を合わせ、彼に対する親や大人たちの反応と親・大人に対する自分の反応を
たえずにらみ合わせていくようにと教え込まされている。> 
 都会でも田舎でも、個々が分離されて孤立するのが常になる『孤独の群衆』に
化して、内幕情報=陰口の罠にはまってしまう。で、何処にもいる「陰口」の
達人が重宝される。しかし、蛇蝎のごとく嫌われる運命にある。彼らの言葉が、
「普通じゃない」。その「普通」が異常のことを全く理解できない世界が「娑婆」。
〜「この内容そのもの自体が<陰口>じゃないかい?」 の内なる声〜

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5667,【賢者の言葉】�◆ 船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーB
2016年09月20日(火)
   * 3つの「でも」が行動を制約している
 「でも」「だって」「どうせ」という 3つのネガティブの言葉がある。
 その中でも、特に「デモ」が、クセモノで、人間の思考と行動の前に大きく
 立ち塞がっている。勝手に自分の周りに囲い、縛られている事に気づかない。
・「でも」の後に、今はやれない! 
・「だって」の後には言い訳、
・「どうせ」には、自己否定の言葉が続く。
 これを多様する人たちが「世間人」。ショーンは、内なる最大の敵、
 その「でも」を指摘する。 〜その辺を抜粋〜
≪ ネガティブ思考を心の中から追い出し、あなたがずっと望んでいた
 結果を出すための実践的な方法をこれから知ることになるからです。
 あなたも含め、人間には2つの共通点があります。
・ひとつは人間には感情があるということ。
・もうひとつは、多くの人間は、とても暗く、ネガティブ思考で、自分たち
 の行動を制約してしまうということです。 
実はこれによって、私たちは夢をあきらめたり、素晴しい愛をつかみ損ねたり、
豊富な資産を構築できなかったりしています。 その「でも」は、
 『言い訳のデモ』『恐怖のデモ』『自信のなさのデモ』から成立っている。
� ,泙此◆屬任癲廚濃呂泙襦惴世ぬ�のデモ』です。「でも、時間がないんだ」
「でも、お金がないんだ」このように言っている間は、言い訳から抜け出せない。
�◆〇笋燭舛旅堝阿鮴�限する2つ目の「でも」は、「恐怖のデモ」です。
「でも失敗したらどうしよう」「恥をかいたらどうしよう」「でも皆をがっかり
させたらどうしよう」など「でも〜したらどうしよう」という形をとります。
�� 最後のは、自信のなさからくる「でも」。それは、「でも私は〜じゃない」
という風に表現されます。「私は背が低いから」「私はきれいじゃないから」
「頭がよくないから」といったもので、自分には生まれたときから何かが欠けて
いるという思い込みが、この地球上で最も有害な考え方なのです。
 しかし、あなたが人生を変えるには、「でも」を捨て腰を上げねばなりません。
私たちが陥りやすいのは、「でも」に満足してしまうことです。言い訳に頼って
いる期間が長ければ長いほど、言い訳はどんどんふくらんで大きくなります。
実際、自分の人生をまさに丸ごとすべて言い訳で過ごしている人もいます。
言い訳の上にあぐらをかいている人は多いのです。それは様々な厄介事から
私たちを解放してくれるからです。「もちろん、私だってそうしたいのは山々
だけど、でも、私には無理」このように「でも」の上にどっかりと腰を下ろして
しまうと、あなたは退化し始めます。「でも」に腰かけている時間が長ければ
長いほど、あなたは弱くなります。それでも自分の求めるものは変わりません。
 では「でも」から抜け出す方法とは何でしょう。何をすればよいのでしょうか?
それは立ち上がり、確固たる態度をとることです。自分の人生や健康、成功、
人間関係に責任を持つのです。必要なのは、「自分の人生に責任を持つこと。」
そのためには立ち上がる筋肉を鍛えねばなりません。そして、立ち上がるため
には、立ち上がるレッスンが必要になってきます。≫
▼ 志を立てる、目標を明確にしておく、自身の生き方のミッションをを言明化
 しておく、日記を書き続ける・・ などで、この「デモ」から、自らを開放
しておかなければならない。その努力をしないと、(自らをを舟に喩えて)、
その舟底に「デモ」という牡蠣が多くヘバリ付き、重く、動きがとれなくなる。
 老年に至ると、この牡蠣が知らぬ間にへばり付き、その上に、足腰の弱体化が
加わり、万年の鬱症状態に引きづり込む。人生の行蔵に対して、日々、
「デモ」、あの時、違った判断をしておけばと後悔するのが、一番、きつい
「デモ」になる。で、その矛先が、他者の不幸に向かっていく。幸福を祝えば、
自らも、その一端を味わえるのに、その逆をしてしまう。無知は恐ろしい。
そういえば、行蔵のフラッシュに、「言い訳のデモ」を繰り返している日々か?
 それが、また面白い。まあ、暇も好いものだ。肯定的に「デモ」は使える。
<「でも」面白かったから、いいや>が、私が多様している内語の一つ。
<「クソ」、面白くない> より、後味が良い。これも受け止め方の妙。
<あの時、思い切って決断しておけば良かったのに!>は、意外と少ない。
 後悔、後に立たずで、一期一会で、生きてこられたのが、救い?
いや、「デモ」の内語で、人生の面白みを半減してきたのか? 両面ある?


6761,閑話小題 〜また新潟発のメジャーな事件

2019年09月19日(木)


   * 地元長岡の現職校長が…
 爆睡していた夜半に連れに起こされ、「また地元で破廉恥な事件が、全国的
ニュースになっているみたい。それも地元・小学校の現職校長が、17歳の少年を
児童買春で逮捕されて大騒ぎのよう」と…。起すほどではないが、少年の買春と、
小学校校長のミスマッチと、サイバーパトロールが、マスコミ受けをしたようだ。 
 早朝、検索すると…
<宮本小学校の校長で、動画配信サイトで知り合った大阪の男子高校生に
わいせつ行為をした疑い。サイバーパトロールをしていた神奈川県警察本部に
発覚され逮捕された。値段が5万円。>と… ネット社会の恐ろしさそのもの。
まさか発覚するとは。ご名士様・本人だけでなし、家族も地元では抹殺される
ニュース。先祖代々から問われる案件… 地元の県警ならば、どうだろう?
 前県知事の慶応女子?の買春や、新潟の小学女子の誘拐、殺人事件など、
何やら怪しげな事件が相次ぐ。憂さの晴らし方のセンスがないということか。
この手の下ネタ、週末の居酒屋の酒のツマミですか。全国の小中学校の
校長先生、何やら朝礼で冷静な顔をして…? やはり、闇に葬むさるべき?
例外としても、自分が偉いと錯覚するのが一番、怖いから始末が悪い。
  あの辺りには魔物が隠れ住むと聞いていたが…
 
・・・・・・
6398,閑話小題 〜何やら面白い日々!
2018年09月19日(水)
        NHKスペシャル:「ヒトは何故生き残ったのか? 特集」
 録画でみた、肉体的に屈強だったネアンデルタール人が絶滅して、弱かった
人類の祖先が生き残ったのは、何故かという特集。なかなか考えさせられた。
生地に引籠って見えてくる世人と御年寄りは、??人のような? これが現実!

   * 地方と大都会の差
 大都会と地方と、ホモ・サピエンスとネアンデルタール人の関係が似ている。
ネアンデルタール人は50万年前、ホモ・サピエンスが20万年前に起原を発している
と言われている。ネアンデルタール人は4,5万年前に絶滅したが、その理由は、
< ネアンデルタール人の集団は血縁の十数人に対しホモ・サピエンスは血縁を
 超えた数百人の集団で行動を共にしたことにあるという説がある…。
多い分だけ情報が共有され、精度が高くなるため。 これにより伝達能力や
伝達の速度が増し、道具の発明と改良を後押ししました。 
それに対してネアンデルタール人は10人程度の家族単位で生活しました。
少数で生きていたため、伝達能力が発達せず、伝達の効率も上がらなった。
4万年前の気候激変をホモサピエンスは共同体内の協力で乗り切りったが、
ネアンデルタール人には頼れる共同体はなく、絶滅していった。
・ネアンデルタール人は我々ホモサピエンスよりも、骨太で体格がよいだけでなく、
より大きな脳を持ち、高い知能を持っていました。
・世界の国々をみると、その多くは、首都圏に三分の二が住む。
日本でも、札幌、仙台、東京、名古屋、大阪、福岡の大都市圏(中央から30分)
に7割が住む。結局、地方再生は選挙目当ての空手形! 絶滅生物ということ?

・ネアンデルタール人の方が大きく、身体的にも優勢で、知能は互角。じゃあ
どこに違いがでたのかというと、道具。「アトラトル」という道具を使用して
いたと言われる。これは、右側を手で持ち、左側の先の部分にヤリを引っかけて、
テコの原理を使って投げる投てき具。すると、手で投げるよりも飛距離にして
2倍以上、破壊力は10倍にもなる。 サピエンスの道具は小型で複雑なものへと、
どんどん改良が進み進化していく。一方でネアンデルタール人の石器は極めて
ゆっくりとした進化であった。その現代版がスマホ! 情報革命の中、情報機器
を使いこなせるか否かで、絶滅器種になるかどうか? 政治の要諦を米国大統領
より、インドの貧民街の中古のパソコンでネットを使いこなしている少女の判断
が正しいという、笑えない珍現象が… トラちゃん?なら、充分、あり得ること。
個々人からすれば、各自が長年かけて積上げた教養の質量。ただ、タメ息が出る!

・・・・・・
6000,「心を震わすことが、考える出発点」
2017年08月19日(土)
           ー「ひとり達人のススメ」山折哲雄著―
   * 「まずは、心を震わすこと」
 学生時代の卒論『流通革命論』を書くため、1ヶ月ほど大阪・船場の衣料問屋
に住込んだことがあった。 最終の夜、慶応出の社長に、北新地のクラブで、
「若いうちに、感動、感激する能力を養うこと」と、教わった。その後の生き方
に大きな教訓になっていた。 前年の21歳時の『30日間の欧州一周旅行』の
感激・感動経験が何ものにも替えがたいことを改めて知った。 次々と息を
つかせない衝撃的感動が、その後の人生を大きく変えることに相成った。
そのためには、まず己の感覚が研ぎ済まされていること。そして、自分の意思
で、そこまで辿り着かなければならない。
(今ではTV・ネットで、比較的楽に様ざまな場面に立ちあえるが…生体験は違う)
  〜その辺りから〜
≪「ヤイコシラムスイェ」。直訳すると「自分自身に対して自分の心を揺らす」
 ということから「考える」というアイヌ語。「ヤイ」が「自分自身」のこと、
「コ」は「に対し」、「シ」は「自分の」、「ラム」は「心」、「スイェ」が
「を揺らす」になる。 考えるということは、単に頭で考えるのではなく、心を
揺らすほど感動することであり、魂を振動させることだと、アイヌ語は教える。
現代の私たちは、考えることを、論理を立てて、合理的に、言葉で思考を構築
していくことだと思っている。それは大切だが、もっと重要なことがあると、
このアイヌ語が教えている。… … 戦後教育は、知識を教えるだけ、詰め込む
だけだった。その前に「考えること」を教えることが必要で、それは要するに、
感動することを学ばせるということだったはず。≫
―
▼ 振りかえ見れば、人生の大きな境目が、この旅行。その後、数限りない感激、
感動体験をしてきたが、この感動体験があればこそ。 20歳・21歳の立志と感動
体験と、幼児期の家族単位の創業体験が、私のアイデンティティ。 それらが、
好奇心を補強しているような。 その頃から、絶対的読書量の少なさを実感し、
早朝読書を始めていた。現在、TVのYouTubeで、過去に感動した旅先や、絵画を
観て、感激・感動の追加経験をしている。これが現場の再体験の感覚となり、
綺麗な画面と雰囲気が、視聴するというより、追体験を現実にしているような
感覚になっている。今ではVr(バーチャル・リアリティ)で、より深い追体験が
可能の実体験をしているような。〜で、以下の同月同日の文章に続く…
 好奇心は、何故か、今でも衰えがないが、「馬鹿は死ななきゃ、直らない」
今でも遅くない。図鑑でも、買いますか。「…ったく、頭の悪いのだけは!」
――
5635,「賢い子」に育てる究極のコツ
2016年08月19日(金)
          <「賢い子」に育てる究極のコツ:瀧 靖之 (著)>
   〜まずは、内容紹介より
《 本書は、16万人の脳のMRI画像を解析・研究してきた瀧靖之先生による、
 脳の力を最大限に伸ばす子育ての本です。 世界最先端の脳研究から、
「ぐんぐん伸びる子」と「そうでない子」の差が見えてきました。
「頭のいい子」「能力の高い子」は皆、好奇心のレベルが他の子どもより高い。
  好奇心を伸ばすコツは、たったの3つ。
「秘密道具1ー図鑑」
「秘密道具2ー虫とり網」
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」を子供の成長に合わせて取り入れていく
ことで、その子は学ぶことや知ることがもっと大好きになり、脳はみるみる
賢く育っていきます。さらに脳の発達に合わせた習い事で、芸術的センスや
運動能力・語学力も伸びやすくなります。 》
▼ 結論からいうと、賢い子に育てるには、「好奇心」の強い子に育てること。
 そのために、まず身の周りの自然などが分かりやすく掲載されている図鑑を
与えるのは道理。 また、昆虫採取などの実体験は必要。音楽の演奏もいい。
「人生最初の習い事は?ピアノと英語なら、ピアノが勝ち!」という。
「賢い子」と「成績の良い子」はもちろん違う。本当の意味で「賢い」とは
「自ら進んで学習する能力がある」ということ。子どもの脳は、学校の勉強
だけでなく、人間関係や社会についてもさまざまなことを日々「学習」
しながら成長する。『二人の息子の部屋に、百貨図鑑を置いていた。暇だと
何時も見ていた』と家内は言う。 下の子にはピアノ与えた。 二人とも、
ゲーム好きで、少し嵌りすぎたきらいがあった。
 7〜8歳の頃、近くの大学生だった従兄弟にバイオリンを勧められ、
『教えてやるから、バイオリンを買ってもらいなさい』と・・ 
で、父親に頼むと、即刻、『駄目!』と拒否をされた。あの時に父に、
『何があっても、止めない』ことを条件にバイオリンを始めていたら、
人生が変わっただろうにと、40歳を過ぎた頃から思い返してきた。
両親の素養も必要ということ。尤も、バイオリンは私には向いていないが。
幼児期に、真に受けて始めていたら、人生は変わっていたはず。
 レコードと本の購入は、フリーで、何も言わなかった。

・・・・・・
4538, 「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある
 2013年08月19日(月)
         「ひとり達人のススメ」山折哲雄著
 孤独の必要性を今さら、哲学者の書で読み直すこともないが、図書館で手に
とった時に、「ひとりとは思考すること」と「考えるとは心を震わすこと」を
目次の中で見つけ借りることにした。 会社から離れ、日常生活で「ひとり」
でいる時間が圧倒的に多くなったが、さほど誰かに会いたいとか、話をしたい
とかの渇望は少ない。 家内以外と私的会話を一月もしないことも度々。
これだけ、ここで色いろ主張していれば充分だが・・ 創業を20歳時に
決心した第一歩が「ひとりに成りきる」ことと、『ひとりの世界』のつくり方が、
人生のテーマ。それ以来、早朝の読書を中心にした独学が芯になった。
振り返ってみると、独学の「独」が、重要だったことになる。学のためには、
独(ひとり)になること。スポーツクラブのヨガなどで、図書館、ランチの店、
シネマで、まず自分が独り座る位置を決めておくと、その辺りが精神的な
テリトリーになる。慣れてしまえば「ひとり」ほど自由で気楽なものはない。  
 まずはアマゾンのー内容紹介ーより
《 散るさくら 残るさくらも 散るさくら―良寛の作と言われていますが、
 はっきりしません。ただ、この句をじっくり味わうと実に奥深いものが感じ
られます。それは、私たち日本人の感性に訴えかける「無常観」や「死生観」
が込められているからです。2011年3月11日。そこから意識され始めたのが
「絆」でした。確かに、人は誰かと繋がって生きています。しかし「孤」
があって初めて人との繋がりを意識できるのではないでしょうか。
精神的なよりどころを見失っているかのような現代人に向けて「ひとり達人」
になることで得られる充実感をこの本は説いてくれます。「いじめ」や
「孤独死」の問題を解決するために、果ては充実した死を迎えるためにも、
いま最も求められているのが「ひとり」であることの美しさ、強さなのです。
どう生きていくか、どう死んでいくか、どう人と関わっていくか… すべての
答えが「ひとり」の中にあります。どうやったら「ひとり達人」になれるか? 》
▼《「ひとり」には、覚悟から生まれた強さがある》というが、
「覚悟が出来ているから、ひとりになれる」。アイヌ語の「ヤイコシラムスイェ」
が「考えることは心を震わすこと」という語源からきているという。感激、感動
で心が揺れることが考える、とは驚いた。秘境などの大自然に接し感動すること
自体で、既に考えていたことになる。驚きは自分の世界から外側に一歩出た
ことである。それは、その外側から自分の世界の限界を知り、思考していること
になる。 還暦は、独りで生まれてきた以前の無に還る折り返しをいうが、
誰もかも最初から最期まで、実は「独り」。 さて瞑想だ!

・・・・・・
4163, 老年行動学 ー1
2012年08月19日(日)
    「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一(著)
 還暦から65歳までは自分が老人と意識したことがなかった。しかし会社から
離れ、家庭中心の生活に入ると、急に老いを目前に突きつけられた感がする。 
思いもしなかった過去の記憶が突然に蘇る頻度が多くなり、それぞれの時節に袋に
閉じ込めていた遠い記憶がフラッシュバックしてくる。図書館で借りてきた本だが、
なかなか老人の本質をついていて身につまされる。改めて老人学を調べると、
面白い本がある。 要は、人生を通して学び続けてきたかどうかだろうが。  
  ーアマゾンの内容紹介ーより  
【  =わけがわからないご老人の行動には、理由がある!=
 あなたはご老人を見たときに「なぜ、あんなことをするのかな?」と、
思うことがありませんか? たとえば、もう先が長くないのに、気にもかけず、
毎日楽しく暮らしている人。誰が見ても反射神経や判断力が低下しているのに
頑なに車の運転をやめない人。些細なことでキレ、頭から湯気を出して怒って
いる人....。 ご老人たちの行動は、謎だらけです。しかし彼らのこのような
行動には、実はそれなりの理由があります。その理由を探り、高齢者の行動と
心の謎を、老年行動学によって解き明かしたのが本書です。】
▼ 冒頭の「なぜ老人は都合のよいことしか覚えていないのか?」が面白い。
「どうやら老人は自分の都合の良いことや楽しいことしか覚えてないらしい。」
の問いを立て次のように答えている。
≪ 老人に限らず、もともと人の気分は、ネガとポジの真ん中ではありません。
 うつの人などはネガ寄りですが、通常は真ん中よりもポジ寄りなのです。
なぜかというと、人はみな、自分が死ぬことを知りながら生きているから。
いつか必ず死ぬとわかっていながら生き続けるには、「自分には生きている
意味がある」という自己肯定感や、「自分は生きる価値のある存在だ」という
自尊感情が必要で、それがないと人は生きていけないのです。
そのため人は、自分という存在を肯定し、自分の価値を高めてくれる情報を、
無意識のうちに集め、記憶し、脳に蓄積していきます。そして、気分をポジ
寄りに保つことによって、生き続けるのです。 この基本的なしくみは若者も
老人も同じなのですが、若者の方がネガティブな事に目が向きやすく老人は
ポジティブな事の方により向きやすいのです。実際に、悲惨な写真と楽しい
写真を見せると若者は悲惨な写真を見る時間が長く、老人は楽しい写真を見る
時間が長いという実験結果があります。理由の一つとして、生きていく上で
必要な学習機能として、若いうちはネガティブに目が向くと考えられています。
人生の端緒を開いたばかりの若者にとって、長い時間を生き抜くに、他人は
どのようなとき自分を攻撃し、自分はどのような状況で傷つき、どのように
苦しむのかといったネガティブなことに目が向くのではないかと考えられる。
それに対して老人は、散々ネガティブなことを経験してきていますから、
もうそのようなそのようなことを学習する必要はありません。しかも、高齢に
なって残された時間が短いことを認識するようになると、気分をポジティブに
保つことが、今後の人生を生きる上で重要になります。経験上、ポジティブな
ことに目を向けた方が生きやすいため、注意力や記憶力という‘限られた資源’
を、ポジティブなことに当てるようになるのです。≫
 ー老いはポジ寄りに意識的に向けないとネガティブに陥る傾向にある。
なる程、この年齢になって気づいたことは、年齢に気持ちが追ていけないこと。
実際のところ、心の精神年齢の調査では50、60歳代で6歳の差があるという。
アメリカでは、男が15〜16歳、女が22〜23歳もある。私は10歳近くは若い。
というより、年齢に気持ちがついて行けない。
・・・・・・
5666,【賢者の言葉】�  船轡隋璽鵝Ε好謄�ーブンソンの言葉 ーA
2016年09月19日(月)
               【賢者の言葉】・ビッグピクチャーズ監修 
 ショーンは、生まれたときに既に死の宣告を受け、「犠牲者」として生きる
幾つもの理由が用意されていた。彼は小人症を煩い、車いす生活を余儀なく
されている。18歳時に、クシャミなどで起きる200回以上の「骨折」を経験する
も克服し、現在は世界中で講演し、情熱とパワーを与え続けている。
彼の言動はビル・クリントンなど著名人にも影響し、米国では「身長90��
車いすのモチベーター」として知らない人がない人物。小人症でありながら、
12歳時に米国大統領になりたいと願い、その手始めに大統領府勤務を願い、
勤務をしている。    
   * 魔法の質問 〜これは人生のギフト? 重荷?
 とにかく、型破りで、前向きである。 〜その辺りを抜粋〜
≪『起こったことを人生のギフトと思うか?人生の重荷と思うか?』 
 これが、私の人生を変えた『魔法の質問』です。身長90cmの身体で、
常に厳しい現実と向き合っていた。骨の成長が十分でなく、折れやすい。
ある年の愉しみにしていたハロウィーンの時、彼が唯一、仮装の世界でこそ、
堂々と自身の存在を「普通」が当たり前というリアリティから身を隠せると
いう意味で、私がイキイキできる日だった。小学校4年の、その日、彼の最も
恐れていた不可抗力で骨折した。そのとき、痛みと苦痛で、全身に汗が吹き
出すほど流れ、痛みに喘ぐ彼に、母は、じっと私の目を見つめて言いました。
<『ショーン、これは人生のギフトだと思う?それとも、重荷だと思う?』>
 それどころではない苦痛に耐え、怒りとイライラで、母にこう言う。
『何を言ってるだ?ギフトは誕生日にもらうもので、開けて喜ぶもの。』」
と、いま痛みの中にいる当時からすれば、当然の言葉だろう。だが、
母のこの言葉は、その後の人生を大きく変えた。そして現在、に至る。≫
▼ 65歳になった直後、こともあろうか、会社整理を決断するに至った。
 その数ヶ月前までは、まさか現実に至るとは考えてしなかった。
事前に決めておいた、「償却前の営業利益が赤字なり、予備資金を取り崩す
事態になったら、会社を清算をする」、になってしまった。で、断行したが、
人生の最終段階での、この結果は大きな痛手。しかし、幾つかのシェルター
を用意していたこともあって、平常の日々をすごし、現在に至っている。
65歳の節目の事業整理は、中途半端に係わっているより、綺麗さっぱりした
区切りのベストの事態。人生がくれたベストの結果(プレゼント)!
これは、「ベターというより、ベストの結果」と思えるようになった。
 その数年後に、100数十年の老舗の会社を潰した男が、宴会で前のテーブル
に座って、開口一番、『おれ、この事態に感謝している!』と、私の気持ち
とホボ同じことを言い放った。 それに対し、生意気そうに、『あんたも、
これで一人前になれたな!』と、答えていた。人生のプレゼントの中身を
味わっているうちに、その味に気づいたようだ。 何事も受取り次第で、
中身の取捨選択が違ってくる。
<「自分に向かっていう言葉」によって自分が創れるのです> が、毎日、
これを書き続けていることもあってか、実感できる。その割りに、お前は?
 今日もまた、「日々、口実」である。


6760,閑話小題 〜木島佳苗という生き方 ー1

2019年09月18日(水)


   * 連続不審死事件の木島佳苗
 酷い事件ということより、あの風貌で、何でまた男たちが次々と騙され、
殺されたのかの疑問が残った事件。心理学者の香山リカと入不二基義の対談が、
何とも、木島佳苗という人物構造を炙り出していた。
 ところが、昨年1月、3度目の獄中結婚を果たし、しかもその相手が
『週刊新潮』のデスクX氏であることが判明した。 
  〜ネット検索によると、
<X氏は、木嶋死刑囚のブログ「木嶋佳苗の拘置所日記」で“王子”として
 たびたび登場した人物。書簡のやり取りを通して、結婚に至ったという。
香山リカと哲学者の対談集『明るい哲学の練習』の中の‘入不二基義’との
対談で、この妖怪のような女に触れている。 
   〜なかなかな深堀りの内容である〜

≪◉ 香山リカ: 木島佳苗という連続不審死事件の犯人。沢山の愛人がいて、
 そのうちの何人かを殺害に至った罪に問われていた。 仕事で、あの人の
裁判傍聴に行きましたが、一回いったら、あまりに興味深くなり、その後、
3回ぐらい、傍聴にいきました。彼女は、やはりネット上ではすごく自分を
演出していました。美人の料理研究家で、ピアノが上手で、アップした写真も
実にうまい角度で撮っていて、それだけ見ると凄い美人なんです。文章も上手
くて、メールで男の人をその気にさせていたらしいけど、それはネットだけでは、
駄目で会わないと最後にお金にならない。多くの人は、ブスでデブの彼女に、
何でまた?と疑問をもったはず。 …ところが、この人の裁判を傍聴していて、
ネット上の彼女と文章とイメージが完璧だということ。それに傍聴席から聞こ
えてくる声がすごくきれいなんです。あと、手書きの字がきれいなんです。
そんなこんだで、報道された写真の見た目の印象なんか、どうでもよく思える
ようになってしまう。あそこまで、自分のイメージを固めると、生身の身体って、
もしかしたら、最後はどうでもよくなってしまう、気にならなくなる。
デブでブスの印象が消えてしまう感じに襲われる。

◉ 入不二: 彼女のブログを読んだことがあるが、それを踏まえて、手書きの
文字が非常に美しくて、声がきれいという点は、彼女の怪しい魅力を支える上で
ポイントでしょうね。文字や声の美しさは、身体の延長線の一部で、単なる
イメージや印象ではなく、むしろ「生身」に近いのではないでしょうか。
しかも、声や文字という身体は、顔のつくりや、体系とは違って、元から切り
離して使うことができる「生身」。彼女のブログを読んで感じられた文章の
感触もまた、その延長上にある「もう一つの身体」のようだと思いました。
ひょっとすると、ブス、デブは小さいことで、「総合的な身体」が、生なましく
感じられるならは、その欠点が、他の美しさを際立てることになる。
こういうことを使いこなせる人だったのでは? そのアンバランスのギャップが、
魅力を増していたのでは。逆に現実の顔とか体って大したものじゃないのかな、と。

◉ 香山リカ: 顔や体は、人間にとって一番かどうかは別として、かなり
重たい要素に違いないと思っていたが、実は、そうでもないかもしれない。
他の要素が揃っていれば、消すことがことが出来るんだと… ≫

 ―
▼ 18年5ヶ月も、毎日、欠かさず材料集めを含めると、3時間もフロー状態
で、エネルギーを持って書き続けていると、魂のボディのような気分になって
しまう。それも、連日、可能な限り同月同日の過去文を目に通していると、
<現実の自分は、その一部分>という気分になってしまっているためか、
いやに納得…
『家についていっていいですか』に現われたキャバクラ嬢が、
「私にには、内なるファンクラブがあって、ランク付けがあるの… 
客とは枕はしないけど、会員は格別大事にするの』と、宣っていた。 
内なる声で『どのように格別に大事にする?』と、思ったが、そこは、魔界。
日夜、タヌキと狐の化かし合いが続く?
 木島佳苗の職業は「詐欺」で、毎日の仕事は、新規開拓の顧客確保と、会員の
フォローっていうところか。熟成した相手には保険金をかけて… 手順とおりに。
 ところで一般の素人娘にも、その要素を兼ね備えて、男たちを手玉にとる。
初心な男などイチコロ。何せ、『週刊新潮』のディスクも、アッサリと、落とす
のだから。 名古屋の花嫁学校の授業内容のシリアスさに、驚いたことがある。
男を獲物と見たて、その漁り場と、魚の見分け方と、確保の方法と手順を熟女?
の講師が、丹念に教える。 ところが名古屋なればこそ、だが。これで一生が
決まるのだから、それはそれは!
 「人生、そう甘いものじゃない」なぞ解り示すには、彼女らには土台、無理。
慶応、上智、青山などの共学校に入って、探すのが手っ取り早いが、土台のない
女子には… 男女の仲は、当たるも八卦、当たらないも八卦。 これだけは、
添えてみて、初めて理解する。桃色吐息が、黄色になり、赤になり、黒色吐息に
なるに瞬間か、一生かけて知るかは、それぞれ。 最後は、『般若心経』ですか。

・・・・・・
6032,閑話小題 〜ハイデッガーの「世人」とは?
2017年09月19日(火)
  * またまた同じテーマで…
 地方都市に住んでいるため行動範囲が狭くなってしまう上に、対話できる相手
が少ない憂さ晴らしで、これを書いているところもある。 先日、「世間」に
ついての文章を書上げ、アップをしようとした直前に、「ネット内検索」に
「世間」と入れたところ、4ヶ月前に、酷似した批評が書いてあったため、
疲れがドッと出たが、急遽、他のテーマを書上げた… 。
前のテーマの内容も、ほぼ同じ語り口。そこで、この二つを比較するのも愛嬌と、
そのまま、提示することにした。 問題は、以前の方が力が入っていること?
 ところが、昨日の同月同日の過去文に、 <『コトの本質』松井孝典著>の
「世間論」。これが本質をついている。<世間とは、リアルの社会を内部モデル
化した様相>と見切れば、これで充分のはずだが、何故か、書きたくなるのが
「世間」。同レベルで、閑のためか。 アウトサイダーを気どっても、所詮は
先祖様からの枝葉の存在でしかない。しかし、「誰にとっても生地は聖地」。
そこは汚してはならない生活圏。分かってはいるが、一度、得た自由の感覚を、
今さら変えることは出来ない。で、…私の内部モデルの心象風景は、とある
地方の「城下町モデル」。全国、いや全県的普遍性とネタの新鮮さに欠けるが、 
娑婆の味が沁みている。  
<『あの人、いま、どうなった(が〜?)』『あのバカ、今ではさ〜!』と、
城下町鴨が、今日もガーガーとガ鳴りたてる。> これが私の内部モデル。

――
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
               『コトの本質』松井孝典著
 * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相            
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けて、それがバーチャル
であることさえ気づかず人生を終える。だからライフワークを持っていないと、
自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、ライフワークの価値が
見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、低俗の人との二極分化が
明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間というが、誰もが、どこかに
兼備えているから始末が悪い。それが年をとるにつれ老醜として露出する。
老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
――
   〜次は、先日の文章から〜
  ハイデッガーの「世人」とは?
≪  * 日常性と非本来的な生き方
 ここで何度も、「世間」について書いてきた。成行きから、30歳近くで、
出身地にUターンをしたが、沈みこまない対策として、アウトサイダーに徹する
ことを決心して40年も経過した。 新潟市と長岡市の住職分離をしていたこと
もあり、世間様とかいう「世人」に最小の接触で済んだが、6年前から、住だけ
になり、生活環境が違ってきた。 周囲には、私も含めて「老人」の割合が多い。
「閑居」の「閑」の字のとおり、心の周囲に塀を囲み、厳格なほど?の日程を
熟すことで、何とか「門の中の木」の下、日々を過ごすイメージを保っている。
 そこで、役立つのが‘ハイデッガー’‘カント’‘ニーチェ’の哲学や、
‘ドラッガー’の合理主義の思想。 特に、ハイデッガーの「世人論」が良い。
地方だけでなく、それぞれの世界には「世人」が住む。知らずに、この「世人」
に毒され、一生を成す術を潰され過ごすことになる。
  〜ネットで、‘ハイデッガー’を検索すると…
≪・ハイデガーは、<我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけではない。
 我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのかを真剣
には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日その日を
他人や物(道具)との関わりの中で生きている>と。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と呼び、
人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きているとする。
人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じように
「物事を考える個性のない平均的な生き方」をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は 人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 ・世人の特徴は次の二つにまとめられる:
�� 平均性 :シマウマのように同じ図柄の生き方
�� 免責 :この語には、責任免除、責任回避という二つの意味が含まれている。
 この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、特定の
 行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。この免責
の好例は、恐らく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛だろう。それは
一向に捗らない。その理由は明らかである。私がやめても、どうにもならない。
皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を転嫁し、自分の行為
に目をつぶる。 このとき、世間や他人が自分の保証人になっている。世間は、
そのようなことは、皆がやっているという理由で、個人の責任を免責する。
 では、世間とは、いったい誰をさすのだろうか。それは誰でもない。つまり、
世間は、個人の行為を保証する。しかし、保証人としての責任を負う者は、誰も
いない。世間は、他人の責任を免除してくれるが、責任は負わない。こういう
性格を持ち、世間に埋もれて生きる生き方が、世人の日常的なあり方である。
 ハイデガーによれば、世人は、目先のものに気を奪われ、平均的な考えに従い
無責任に行動し、自分自身の存在を真剣に考えない。しかし人は、あるとき、
自分自身の存在を意識し、なぜ自分が存在するのかを問い、非本来的な生き方
から、本来的な生き方をするようになる。では、いつ人は、自分自身のあり方を
真剣に考えるようになるのだろうか。それは、他ならぬ自分自身の死に直面した
ときである。他人の死ではなく、自分自身の死に直面することによって、人は
自分自身の人生の有限性に気づき、そこで初めて自分が生きていること、自分
自身が存在していることの重みを自覚し、自分自身のあり方を真剣に考える。≫
―
▼ 世人そのもののような男が、「進行ガン」が発見され動転して、世界観が
 一転して哲学的になったいた。 26歳の頃、父親が余命1年の末期ガンが発見
され、修行先の金沢から呼び戻されて、父の生への心の渇きの一端に触れること
に相成った。この学びは、人生感を一変させてくれた。「何はともあれ、死んで
しまえば、それまで。世間、世界は夢幻。出来るうちに、好きなことを、好きな
だけ、すればよい!」
 創業を目指すということは、全て直接、自分に責任がかかる。言訳する位なら、
平凡な人生に甘んじればよい。それを乗越えるには、常日頃から、考え、考えて、
考えなければならない。学ぶほど、生きるほど哲学的になるのは、ごく当然。
 「死」こそ、非日常性で、虚構の世界を壊す、今を出現させてくれる。≫
――
  ーさらに4ヶ月前のテーマと内容ー
≪ 2016/05/14  哲学者は、世間人を、「世人(せじん)」という
   * 日常性と非本来的な生き方
 人間は一般的に、規格人間の生き方を良しとし、平均的に、責任を持つこと
なく、生きようとする。世間とは、こういう生き方を良しとし、人と違った
生き方を蛇蝎のごとく嫌う。人生は非日常の中から、新しい世界が広がる。
しかし、人は日常の繰り返しを好しとする。ハイデッガーは、人間の持った、
その習性を真正面に取上げている。 〜ネットで、「世人」を検索すると〜
≪ ハイデガーによると、我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけでは
 ない。我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのか
を真剣には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日
その日を他人や物(道具)との関わりの中で生きている。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と
呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きている
とする。人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じ
ように物事を考える個性のない平均的な生き方をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。 世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は、人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 世人の特徴は次の二つにまとめられる:
�� 平均性 Durchschnittlichkeit
�� 免責 Entlastung:この語には、責任免除、責任回避という
 二つの意味が含まれている。
  この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、
 特定の行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。
 この免責の好例は、おそらく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛。
 それは一向にはかどらない。その理由は明らか。私ひとりがやめても、どう
 にもならない。皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を
 転嫁し、自分の行為に目をつぶる。 ≫
▼ 知性とは、教養とは、規格人間に埋没した己に気づく知識の質量のこと。
 決して、同調するための情報ではない。常々、「世間」を取上げ、埋没して
いる自分を何とか救い上げてはいるが、平均性を求め、責任回避をしている。
『和同の精神』という、長岡高校の精神がある。和すれど、同じない心がけ。
「世人」にも、その属している質もあろうが。情報化社会が、「情報世人」
(いま、私が創った言葉)たる、何も考えられない俗人を生み出している。
しかし、最も格差を生む、情報の質量の格差は大幅に改善されることも事実。
「世間の、どこが悪い」「世人のどこが悪い」というと、小さい世界の中に
閉じ込められている自分に気づかないこと。いや気づかない方が良いのかも。
 で、また偶然だが、丁度よく、以下の内容に続く。




6759,閑話小題 〜カラスたちと遊ぶ ―2

2019年09月17日(火)

   * カラスと遊ぶ ―2
 一月ほど前に、カラス退治を始めた話題をテーマにした。(後にコピー)
半月ほどして、カラスが数羽、威嚇を始めたため、百均ショップから、更に
隼のカタチをしたセルロイド製の像と、風車を援軍に買い増し、2Fのベランダに。
それが風に揺られ、あたかも飛び出そうと姿はリアル。それ以降、姿を見せなく
なったが、今度は、1Fの駐車場にフンが。 屋根から、下のオープン駐車場から、
その姿を偵察を始めたような? …カラスには、命に関わる重大事項なら、
然もありなん。我家の庭を根城にしている小鳥が最近、戻ってきて囀り始めた。
不思議なことに虫の鳴き声が、ほとんど聞こえなくなっている。カラスだけで
なく、小鳥も虫も恐れて静かになったのは予想外のこと。 それと野良猫?も、
意外なことに、姿を見せなくなった。ハロウィンのカボチャの顔をしたボンボリ
も効果あり? 「内向けなりに、様々なことに気づくこと多し」と、いうこと。
 独り遊びも、なかなか面白い! スキップの一つですか。
 ――
   * 大相撲も、何やら…
 大相撲も後半に入った。オリンピックまで延命狙いの白鵬は予定通り横綱特権
を使って休場。一人残った横綱・鶴竜も、その責任を果たせず三連敗で休場… 
この有様が面白いとえば面白いが…。 まだガチンコ(真剣勝負)相撲の面白みが
があるのが救い。体たらくも見世物のうち。 次世代の朝乃山、御嶽海、貴景勝、
正代、炎鵬、阿武咲、豊山、照強、友風などに新鮮味が見受けられるし、その下
の一群に、大鵬や、琴桜の孫、朝青龍の甥などの次々世代が育ち始めている。
白鵬も強すぎるが故の「人望」不足でも、史上最強の部類の歴史に残る大横綱。
あとの問題は、その辞め方。…としても、二横綱、一大関の休場はいただけない。
 
――
   * さて問題は、これから百日
 毎年のことだが、世界の重要問題は、9月以降に噴出することが多い。。
・サウジアラビアの石油基地へのドローンによる攻撃。イラン、イスラエルか、
 アメリカの原油関係者?、はたまたイスラム国の残党か? 
・イスラエルも現職首相の再任が危ぶまれル中で、不穏な動き?
・韓国も、怪しげな人物を法務大臣に就任させた結果、何かが起こりそうな
・EUも、英国離脱問題で混沌として大揺れ。
・アメリカもトランプリスクを抱え込んで、足元は流動化が… 
 「トランプ再選リスク」たる言葉も出てきた、この男の御蔭で、世界は混沌に…
・日本はオリンピック一色の浮かれた状態。 
そうした中、株式相場の大暴落と、原油価格の暴騰も? 何やらブラックスワンの
鳴き声が身近に? 

――――
2018年09月17日
閑話小題 〜カラス除けグッズ
   * カラス撃退に…
 庭が広いためか我家の庭はカラスと猫の遊び場になっている。そこで、
去年のハロウィンの時節に、百円ショップで、カボチャの顔をしたボンボリを
購入し、ベランダに掲げたが、数ヶ月は効果があったような。その後、積雪のため、
しまい込んだところ、即座にカラスが戻ってきた。それで再び、ボンボリを掲げた
ところ、掲げたベランダには近寄らなくなったが、反対側の庭側に、何羽か屯を
している。そこでネットで百均の店を検索すると、カラスの首吊りの切抜きと、
蛇の人形があった。そこで考えたのが、「空のペットボトルに古い黒の靴下を
被せ、カラスの首吊り風にしてベランダに吊るしたら?」の案が…。今のところ
効果があるが… さて、数日後には如何なる結果に?
 ―
   * お盆が終わると、今年も
 去年も、「今年の後半は、何やら起きそうな?」と、この時節に書いている。
今年も何やら変な空気が漂ってきたが、9月半ばが鬼門か。軍事産業からしたら、
トランプが、まだ元気な内が狙い目だが、数百万レベルの死傷者の戦争の可能性
があるため… 香港のデモに対する中国の武力介入も危ない。ホルムズ海峡も…。
それを契機にした世界的株価の暴落。大災害の可能性も。一番恐ろしいのが、
それらに不感症になってしまった感覚。 情報化で詳細が拡散し過ぎではないか?
  
・・・・・・
6396,閑話小題 〜ヨーカ堂撤退を考える!
2018年09月17日(月)
    * 長岡ヨーカ堂が撤退ですと!
 郊外にあるアピタにある映画館に隣接している空地に、『東京家具センター』
の店舗の2階建て鉄骨が立上った。延べ2,000坪はあろうか。これで、リバー
サイド(ユニ系)周辺が格段と良くなる。かくいう私は毎週欠かさずシアター通い。
 ところで柏崎店に次いで、長岡駅前のヨーカ堂が、来春、撤退という。これで
駅周辺は大きく廃れることになる。駅構内にある専門店街『こころ』と連動して、
長岡駅前の商業施設としての機能を果たしてきた。世界最大の柏崎原発の休止は、
地元経済にとって大打撃! その結果の現象。 柏崎、長岡… 次は新潟店?
 家内は週二回、わざわざ30分かけ、イオン内のスポーツジムまでバス通い。
その一回は、バス代節約もあり、私のシネマの終わりを待って、一緒に帰宅。
その間1〜2時間は、イオンと、リバーサイドSCアピタでウィンドショッピング。 
これに月に1度の新潟通い。更に年10回、新幹線の割引券を使って、御登り。
肩に羽根がはいているように、すいすいと…  『自分は特別人種?』と勝手に
決めこんでいるから…大変なモノ。「資産をコトに替えて、あの世に逝く!」と、
何の心の制約がない。 誰に頼まれたわけでなし、こんなブログ書きに、日に
数時間も吸取られ、我が内なる世界に埋没している私は馬鹿亭主… 
 確かにブログ御宅は、間違いがないが!  

   〜ヨーカ堂撤退を専門的にいうと〜
<ヨーカ堂は駅前型GMS(ゼネラル・マーチャンダイジング・ストア)から
本格的に撤退、セブン・イレブンの世界網へ本格的に重心を移動する一環!> 
百貨店と共に、疑似百貨店(GMS)の終焉の一現象。 駅構内の専門店街が
残っても、駅周辺の吸引力が激減する。 駅裏のダイエーの撤退跡の『山下家具』
に対する『東京家具センター』が、新旧の世界の差が明確に現れ出る。
ますます旧市内は、暗く淀んだ街になる。情報革命と、車社会によるダウンタウン
の衰退と、原発城下町の衰退の一現象。その重なりによる変質と歪みが加速する。
ヨーカ堂文化の支えを無くしたら如何なる! 「この20年の家内の行動要素」と、
「ヨーカ堂撤退と東京家具センターのオープン」が、その全てを表出している。
第四銀行と北越銀行の合併。これは銀行機能のAI化と、地方経済の衰退と
大都市一極化による自然現象でもある。 特に手の平サイズのパソコンの普及に
よる行動パターンの変化は、私たちの行動方式を根こそぎ変えてしまった。

・・・・・・
4934,コトの本質 −4
2014年09月17日(水)
  * 二十世紀の共同幻想は破綻した   『コトの本質』松井孝典著
 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、
現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。
何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は
今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った
カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に
日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー
≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想が
 あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後
といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を
規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 
現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想
に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する
ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって
問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること
ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、
それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために
生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、
愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味
(共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、
互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、
それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が
理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、
共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない
とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想
というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、
当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。
しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて
いる我々の人生を肯定すると思います。≫
▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。
 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、
生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、
高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング
ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15
のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。
20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、
その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、
面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。

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5664,シネマ評『ウフィツィ美術館』 〜��
2016年09月17日(土)
                『ウフィツィ美術館』 09/08・10:40
   * ウフィツィ美術館の歴史
 映画の内容紹介のHPに、ウフィツィ美術館の歴史が簡潔にまとめてある。
そこには欧州文化の底知れぬ奥行きの広さと深さが垣間見れる。大英博物館、
ルーブル美術館、バチカン美術館などに、あれだけの名画を、国内外の万民に
公開している。ある意味、国力の誇示でもある。 〜HPより〜
≪ 登場する作品の多くが収められているウフィツィ美術館は、ロレンツォの
 傍系で、ひ孫にあたるコジモ1世(1519〜1574年)によって建設された行政庁舎
がもとになっている。コジモ1世は、画家・建築家であり、同時代の画家たちを
紹介した著書「芸術家列伝」でも知られるヴァザーリに設計を依頼、1580年に
それまで分散していた役所や裁判所などを一つにまとめた建物を完成させた。
 ウフィツィとは英語のオフィスである。このウフィツィでは1581年から建物の
一部で絵画や彫刻などが部分的に公開されており、近代的な美術館としては
ヨーロッパ最古と目されている。1743年、コジモ1世の末裔であり、メディチ家
最後の人間となったアンナ・マリア・ルイーザが死去する。彼女のもとには
メディチ家が300年にわたって蒐集してきた絵画、彫刻、宝石などの美術品が
残された。彼女の遺言により、これらの宝物はトスカーナ政府に寄付される。
 1769年、ウフィツィ美術館でメディチ家のコレクションの一般公開が始まった。
以来約250年、今ではイタリアで質・量ともにトップクラスのコレクションを誇り、
世界でも最も多くの人が訪れる美術館となっている。
 本作には進行役として、ロレンツォ・デ・メディチ(1449〜1492年)が登場。
名優サイモン・メレルズが演ずる、この人物は何者か。 ロレンツォの祖父は
フィレンツェで「祖国の父」とうたわれたコジモ・イル・ヴェッキオ(1389〜
1464年)。 絶頂期のメディチ銀行を率いて建築家・芸術家を庇護した。
ロレンツォは病弱だった父の死に伴い、わずか20歳でメディチ家の当主となる。
政治・外交に長け、生前から「イル・マニーフィコ」(偉大なる)と呼ばれた。
哲学や芸術にも造詣が深く、ロレンツォの時代にヴェロッキオ、ボッティチェリ、
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロらが活躍している。
また彼はコジモが創設したプラトン・アカデミーに加わる。ボッティチェリの
絵に現われる新プラトン主義の意匠はプラトン・アカデミーで培われたものだ。
 ロレンツォの死後メディチ家は失脚、追放の憂き目を見る。ロレンツォ・イル
・マニーフィコがその称号の通り、真に偉大だったかどうかは見解の分かれる
ところだが、彼の死によってフィレンツェにおけるメディチ家の黄金時代が
ひとまず幕を下ろした。≫
▼ 500年近い歴史を持つ美術館に、ルネッサン時代の美術品が管理されている。
 欧米人だけでなく、人類の遺産でもある。当時の、メディチ家の当主が、
案内役で説明する設定が良い。彼が、若き日のミケランジェロを自邸に下宿
させ、集めた彫刻の飾られた庭園を開放し勉強させた逸話がある。悩んでいる
時間があったら、ネット上でも良いから、大自然、そして、一流の芸術品に
可能な限り触れること。その触媒から精神が清められていく。で、ないと!?

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6030,閑話小題 〜一昨日のシネマは『ダンケルク』 
2017年09月17日(日)
   * 一昨日のシネマは『ダンケルク』 
 北朝鮮の‘僕ちゃん’が勇ましく胸を張っては見せているが、隣国の中国、
ロシアとの直接首脳会議に出ることさえ出来ない有様からしても、彼の小心さ
が見て取れる。「気違いに刃物」の武器を「核弾頭ミサイル」の保持に替えた
瀬戸際の恫喝。出来るのは、ここまで? この陰の主役はプーチン。アメリカ
大統領に泡沫候補のトランプを後方支援で祭上げ、北朝鮮と対峙させるとは… 
この劇画的世界が、連日、核実験、ミサイル発射で生々しく報じられている。
しかし、2人のかけ合い漫才が何時までも続くわけがない。
 この映画『ダンケルク』をみても、直接の被害者は国民。戦争を起こさない
に越したことはないが…  映画評価は85点。  
≪【ストーリー】1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー
 海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の
猛攻にさらされる中、トミーら若い兵士たちは生き延びようと策を講じる。
一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し、民間船の船長は息子
らと一緒にダンケルクへ向かうことを決意。さらにイギリス空軍パイロットが、
数的に不利ながらも出撃する… 圧倒的なスケールで活写される戦闘シーンや、
極限状況下に置かれた者たちのドラマに引き込まれる。≫
 ――
   * 再び、同じテーマを書いていた
 昨日の朝、やっと書きあげたテーマ日記をアップをしようとしたが、
「もしかして以前に、書いていたのでは」とHP内検索をすると、4ヶ月前に、
ほぼ同じ内容のものが書いてあった。 ガックリしたが、気持ちを切替える
ため、スケジュールのとおり、早朝のポタリングに出て、改めてテーマを考え、
辛うじて書上げた。度々あることだが。数日前の過去の文章にも、「同じ失敗」
の愚痴が書いてあった。

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5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月17日(木)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 世界観をつくる
 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。
達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、
価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか?
そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、
自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、
その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。
  その世界観を分析、その作り方を提示している。
≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー
�/�念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある
 �▲襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襦�ハードルを下げる
 ��上位2つのニーズ: 貢献と成長
 �ぜ蠱福А.法璽困鯔�たす行動
 �ゼ舁廚幣播澄Аヽ安Δ妨�けた焦点
 ��主要な質問: メリットの多い質問
 〜 上記を,説明すると 〜
� /�念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ
 ・・(中略)  多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、
「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の
 エネルギーを費やしている現実があります。
�◆.襦璽襪伐礎祐僉А‖臉擇覆發里鮗卒兇垢襪燭瓩痢崋�分なりのルール」が
 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。
 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル
 を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、
 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証
�� 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、
「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを
「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。
�ぁー蠱覆蓮▲法璽困鯔�たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、
 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’
‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、
 望む雰囲気をつくり出す手法」です。
�ァ‐播世髻�内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから
 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する
 ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。
�Α.瓮螢奪箸梁燭ぜ遡筺Аー綉い砲覆辰浸�、迷いが出た時、
 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の
 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫
▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での
 ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を
保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、
二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。
それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、
人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、
どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く!


6758,閑話小題 〜韓国の怒り… 

2019年09月16日(月)


   * さて、韓国の行方は?
◉ 朝鮮戦争の終結宣言がなされてない現状で、大統領に権限が集中するため、
不正発生が必定! 次世代の権力者により、抹殺される悪しき体質が、韓国の
お国柄。75年前の日本による統治時代の悪口と、北朝鮮との対立軸が、権力維持
のための御膳立て。それも、そろそろ、限界に… 地政学的にみても、あまりに
悪過ぎる立ち位置。海に囲まれ自然の幸に恵まれている日本に、八つ当たり感情
も解らないこともないが… 戦勝国家が、何ゆえに敗戦国家より経済的に劣る
のか? 20年前の中国の桂林ツアーの参加した時のこと。 中国の開放政策の
直後で、北京の街中は、人民服をきた自転車で溢れていた。 現地ガイドが、
<私は鯖江で数年暮らした経験があるが、戦勝国の日本が豊かで、中国人の
自分が、かくも貧しいとは… 政治体制を何とかしなければと思っていた矢先、
4人組が逮捕されて、経済の自由か始まった。何故か、中国の日本人は 毛沢東の
恐怖時代の実態を何も知らないか?ヒトラーは約5500万人の命を奪ったというが、
毛沢東も5000万人か、それ以上の人間を殺害しています。人類史上最も多数の
人命を奪った張本人です。幼児の頃、文化大革命の紅衛兵により、殺された裕福
だった階級の人たちの死体が村の広場に、山積みになっていた記憶が残っている。
両親からは、農業政策の失敗による、餓死していった人民の苦しみの実態を、
聞いて育った。それに比べ、日本が如何に恵まれていたかを全く知らない>と…
 
◉ 聞いていた私の方が、ガイドが秘密警察に逮捕されまいかと冷や冷や。
韓国人は、北朝鮮の実態を脱北者から、克明に聞いて知っている。北朝鮮と、
日本の狭間で、自国の立ち位置を知れば知る程、怒りが止めどなく湧いてくる
のは、致し方がないのか。 これだけは運命というより、宿命ということ? 
経済悪化は、頭の方(脳)から変にする。自爆の先は、より過酷な未来が
待っている。 もっとも、同じことが日本にも言えることだが。

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6395,閑話小題 〜左手薬指の秘密
2018年09月16日(日)
               『楽天家は運を呼ぶ』高橋三千綱著
   * 薬指に輪ゴムを三重に折って付けてみて
 まずは、以下の部分(p123)から
< 坪井師範が教えた「薬指の秘密」の効果は驚くべきものがあった。
 それは薬指の第二関節にそっと唇をつけることである。そこは指輪をはめる
場所で気流が心臓に通っている。そこに舌先を軽く押付け、5つ数える。
すると驚くなかれ身体が柔らかくなり、肩と腕の力が抜ける。呼吸が深くでき
やすくなり、気持ちが落ちつく。ことに緊張しているときなど効果的だ。
試して成る程と思ったら受験生などの子供に教えてやることだ。荒んでいた
親子関係がスムーズになり、子供に精気が甦る。日常の武道は案外、そんな
ところに潜んでいる。>
 ー
▼ これを読んで実行してみたが、何かピンとこない。そこで目の前にあった
 輪ゴムを3重に折って、薬指の第二関節の部分に付けてみた。20分ほどして
立ってみると、気のせいか? 重かった腰が数分の1に軽減したような。
それと動悸が少し高まったような異様な感覚… それもあってか、早朝、雨で
中止したポタリング(チャリ散歩)に、行く気になっていた。 「何なに?」
と思ったらダメ元で左手の薬指に付けてみたらいい。絶大な効果でないとしても、
何かを感じるはず。 〜ネット検索によると〜
【古代ギリシアから、左手の 薬指は心臓に直結している指と考えられ、
 「心臓は人の心」とも言われていて、愛情を約束するため、結婚という
 契約のために、左手薬指につける慣わし。】
【自律神経と心臓に関わっているので、この指の第三関節を右手で握って
 揉んで下さい。そうすると明らかに脈拍が下がり、バクバクが落ち着いて
 くるのが分かります。】とある。
「何でまた直に輪ゴムを左手薬指に…」というと、10数年程前、左手の薬指
に紐に絡めた4〜5�兮腓離殴襯泪縫Ε狎个魄�って寝ていたことがあった。
これをすると熟睡できるため。「何故、輪ゴム?」 「たまたま目の前に
あったため」 ネット写真検索をすると、左手に5本、同個所に付けたのが
あった。そこで、これを中断して、指の5本付けて30分ほど、ベッドでヨガの
死者のポーズで横になってみた… 薬指だけの数倍、精気が漲ったような!
世の中は知らないことで満ちている! 晴間をみて、ポタリングにでも試して
みようか。

・・・・・・
5663,『エゴの力』�ぁ 船鼻璽�ング
2016年09月16日(金)
               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * ドーキング説について
 『エゴの力』で、直ぐに浮かぶのがドーキング説。ネットで検索をすると、
以下の解説があった。
≪ ドーキングの仮説から導かれる結果が
 「究極の利己主義が利他的行動を生む」と
 「単純で気のいい戦略が進化の上では最も有利である」の2つの結論。
・前者は、人間の生き方にも通ずるように感ずる。賢い人は、他人を助けて
その結果が何倍もの自分の利益(満足感や幸福感も利益と勘定して)となって
戻ってきて幸福になっていく。 自分が不幸になるような利他的行動をする
ことは、世の中にはあまり無いのではないだろうか(不幸の定義にもよるが)。
古人も「情けは人の為ならず。」とことわざに残している。
・一方、単純で気のいい戦略というと、米国を思い浮かべてしまう。
米国は、外部から侵略されひどい目に合わされたという経験が無いため、
国家としては基本的には単純で人がいいようだ。単純で気のいい戦略が
最も生き残る可能性が高いというシミュレーション結果は大変興味深い。
ソ連は崩壊したが、米国は種々の問題を抱え込みながらも、これからも、
ずっと世界最大の一等国であり続けるのではないだろうか。
 ドーキンス説は、ダーウィン説と比べて、個体と遺伝子との優先関係が逆転
している。では、そのことに、どんな意味があるのか?それは、「血縁淘汰説」
との関係から判明する。ダーウィン説は、自然淘汰という発想を用いて、進化
という概念をかなりうまく説明した。しかしながら、この説明に反する現象が
見つかった。それは「利他的行動」である。たとえば、ミツバチやリカオン
などでは、「自分の子を育む」という行動をとらず、「他者の子を育む」と
いう行動を取る。これは、「個体は自分の子を残すことが自分の利益になる」
というダーウィン説に反する。こうして、ダーウィン説は矛盾にぶつかった。≫
▼ 学生時代に、『人は利己主義を乗越えることが可能か?』の命題に突き
 当たった。そこで、教養課程のクラス担当の「文学」の教授に、コンパの席
で思いきって聞いてみた。その時の答えが、『一粒の麦は、地に落ちて
死ななければ、一粒のまま。だが、 死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を
愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を 憎む人は、それを保って
永遠の命に至る。」 (ヨハネによる福音書12 ..)の一説を言われた。
そして、『一粒の麦は泣いていたよ!』を加えていた。 私の解釈は、
『自分のエゴを殺せば、多くの命を助けることができる。利己主義は人間の
本質。それを乗越えるには、弛まぬ貢献の努力が必要。』
 最近、知ったのが、高名な文学研究者で、その後、新たに建てられた館に
「野口記念館」と、大学の奨学金に「野口奨学金」とあった。
  〜ネットで『一粒の麦』と検索したところ、
【聖書では「一粒の麦」とはイエスのことを指す。人はなぜ死ぬのか。
あるいは、もっと広く、生き物はなぜ死ぬのか、の問いへの大いなる答えが、
この言葉には秘められている。次の世代へ命をつなげることが、自然の持つ
「強さ」だと。個体が不老不死になると、沈滞が免れない。世代が更新される
一人の中に孤立して持たれている観念や思想はその人が死ねばそれっきりだが、
社会的に共有されていれば、どんどん広がり豊かになっていく、と。要は、
「個」にとらわれることの愚かさ、浅はかさをとがめる言葉だと思うわけ。】
とあった。 フランクルが、死の収容所で経験したことは、究極の状況で、
人のために平気で自分の命を投げ出す人たちの存在。深い信仰と、諦念と、
衝動などが、重なってのことだろうが。

・・・・・・
4933,コトの本質 −3
2014年09月16日(火)
   * 地球システムと、人間圏     『コトの本質』 松井孝典著
 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、
今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方
から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を
捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう
見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。
グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、
ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。
また、彼方から太陽や地球を見ることができる。  ーその辺りからー
≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて
 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて
みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、
この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、
私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして
考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という
概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論
から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、
まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、
これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、
私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、
なくてはならない概念です。 ≫
▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角
 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化
が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に
しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の
日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、
人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、
白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、
あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。

・・・・・・
4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2
2013年09月16日(月)
      「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著)
  * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ
 どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る
ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ
の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。
これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。
現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は
それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる
ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた
記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。
「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は
自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が
鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。
それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、
家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」
と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」
とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」
ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、
嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。
やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。
「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 
それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 
その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと
だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと
割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの
色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、
暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、
まずは自分を納得させるしかない。
・・・・・
4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー
2012年09月16日(日)
   * カテゴリーキラー
 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって
「日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た
堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、
橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の
しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。
既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店
と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、
これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路
に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ
を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを
知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の
品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン
を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を
みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。
それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? 
  * 近所の人の突然死
 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は
5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の
老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。
「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に
家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家
の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、
一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車
をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ
病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、
けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力
の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が
女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で!


6757,閑話小題 〜事実は小説より奇なり!

2019年09月15日(日)



   * 映画・ドラマよりも… 究極の悲恋物語
 この夏に放送された『家、ついて行ってイイですか?』が、またして衝撃的!
「事実は小説より奇なり!」というが… これは遥か上を行く物語である。
 〜ネット検索をすると、この概要が詳しく書き込んであった… ガイド役の
番組のスタッフも泣きの涙であった、ずしとくる物語。
 https://news.livedoor.com/article/detail/16852619/

≪ ◉【ロケ3000回…奇跡の瞬間】6連発SP>と題されたこの日の放送の中でも、
 驚いたのは、スタッフが新宿で声をかけた宅建士のえりか嬢(38歳)。
「テレビのゴミ屋敷なんて、私に言わせれば甘い」
「生ゴミもあるから相当ヤバい」と笑うえりか嬢の自宅へついていくと、
家の中は洋服やゴミであふれ返り、冷蔵庫の中は賞味期限切れの腐った食品
ばかり、生活空間はベッドの上のみ、という期待を裏切らない部屋! 
スタッフが写真立てに飾られた青年の写真について聞いたところ、話は思いも
よらぬ方向へ。

◉ 写真に写る青年はえりか嬢の元カレで、7年ほど前に亡くなったとか。
<なんで飾っているかっていうと、死んじゃったんで…。死んでいるから忘れ
られず、飾ってるんです。たまに花を飾ったり… …ちょっとした仏壇です」。
 友達の彼氏の親友で、湘南乃風の「純恋歌」の歌詞のような出会いだった。
2年付き合い、同棲していたという。スタッフが別れの原因を訪ねると、えりか
嬢はこう切り返した。
「同じ年で、同じ地元で、同じ誕生日ですよ? これ、なんだと思います?」
「運命だな、偶然だなって、最初は思いますよね。私たちも最初は浮かれてたん
です。でも、なんていうのかな… …血縁」 実は2人は双子で、生まれてすぐに
彼は子どものいない夫婦に引き取られたという。2人がこのことに気づくのに、
そう時間はかからなかった。
 
◉ ある日、彼がえりか嬢の実家に遊びにやって来た。えりか嬢の育ての父親と
 仲良くなり、「こんな家に生まれたかった」とうらやましそうに話す彼に、
「実は両親は彼女が1歳の時に離婚して、本当の父親ではない」と明かすと、
彼の表情が一変 。もともと自分の両親から双子の子がいると聞かされていた
こともあり、えりか嬢の境遇を聞いて生き別れたきょうだいに違いないと、
確信したようだ。「びっくりしたけど、あぁ、やっぱりなぁって思いましたね。
彼氏としても好きだったけど、自分のことを好きなように相手を好きだったんで。
やっぱり離れられなかったですよ。戸籍上は問題ないかもしれないけど、倫理上は
問題あるので。しょうがないよね、みたいな。それが苦で(彼は)自殺しました」

◉ 双子は他人にはわからない不思議な絆で結ばれているとはよくいわれるが、
 それが2人を恋人という形で結び付けてしまったとは残酷すぎる。当時はつら
かったと目を伏せるえりか嬢だが、だんたんと時間が癒やしてくれたという。
「いま幸せか?」とスタッフから尋ねられた彼女は、こう答えた。
「はい、幸せですよ。彼のことも悲しいかも しれないけど、(彼と過ごした)
2年があるからこそ私は世界一幸せと思うし、一生分の幸せをもらったかなって 」

◉ 市井の人の日常を切り取るのがこの番組のコンセプトだが、3000回ロケしても
 なおマンネリ化しないのは、私たちは誰ひとり、同じ人生を歩んでいないという
ことの証しでもあるだろう。だからこそ、赤の他人の人生をのぞき見するという
エンタメが成立するということでもある。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ」とはチャップリンの
有名な言葉だが、まだまだ当分の間、この番組の人気は衰えそうにない。≫

 ――
▼ 学生の頃、今は故人の知人から聞いた話に耳を疑ったことがある。
 その兄が、当時の専売公社で、煙草の売店の認可の調査をしていると、仰天する
内々の事実が表立ってくると… それは犬コロのような、裏話。えりか嬢に子供が
存在してない?のが、不幸中の幸いだが! 年齢もあるが…
「普通であれば、それで充分! …その普通が、なかなか!」と思う日々。
ところで、数ヶ月前に、面白いテーマを書いていた。
 これを重ねて読むと、様ざまな人生を想いうかべることが出来る。
自分も含めて、人間は絶対肯定をするしかないのだろう。 親鸞の
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」の言葉の重みがズッシとくる。
 
 〜まずは、数ヶ月前の以下のテーマから…
どの生き方を選ぶか? で、人生が変わってくるが… 因縁だけは、如何にも
ならない! 親鸞の「悪人正機」の意味合いの深さを、年々、垣間見ること多し。
苦しくても、岩を転がし、上に持ち上げるべきか、否か。 
彼女には、それより遥かに大事なことがある。 

 ――――
2019/07/07
閑話小題 〜島に辿りついた3人の兄弟の話 −1

         『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著 
   * 私は、島に辿りついた3人兄弟の話が好き。
 何気なく借りてきた、この本の中で紹介されていた村上春樹の
『アフターダーク』の一節を読んで、驚いた。 著者が「現実」と「本」が
交差して、「現実」そのものが変えられてしまったと。成るほど!面白い話は
尽きぬ。  例え話は、鋭く真実をついてくる。
 ―
≪・三人の若い兄弟が漁に出て、嵐にあって流されて、長いあいだ海を漂流して、
 誰も住んでいないハワイの島の海岸に流れ着く。 美しい島で、椰子の木が
生えていて、果物もたわわに実り、真ん中に高い山がそびえていた。 
 その夜、神様が三人の夢に現れてこう言った。
『もう少し先の海岸に、三つの大きな丸い岩をお前たちはみつけるだろう。 
お前たちはその岩をそれぞれに転がして好きなところに行きなさい。岩を転がし
終えたところが、お前たちそれぞれの生きるべき場所だ。高い場所に行けば行く
ほど、世界を遠くまで見わたすことができる。どこまで行くかはお前たちの自由』
・神様が言ったとおり、三人の兄弟は海岸に三つの大きな岩を見つけた。
そして言われたように、その岩を転がして行った。とても大きな重い岩で、
転がすのは大変だったし、ましてや坂道を押して登るのはえらい苦労だった。
・いちばん下の弟が最初に音を上げた。
『兄さんたち、俺はここでいいよ。ここなら海岸にも近いし、魚もとれる。
 じゅうぶん暮らしていける。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』
 といちばん下の弟は言った。 上の二人はなおも先に進み続けた。
・しかし山の中腹まで行ったあたりで次男が音を上げた。
『兄さん、俺はもうここでいいよ。ここなら果物も豊富に実っているし、じゅうぶん
 生活していくことができる。そんなに遠くまで世界が見れなくてもかまわない』。
・いちばん上の兄はなおも坂道を歩み続けた。道はどんどん狭く険しくなって
 いったけれど、あきらめなかった。我慢強い性格だったし、世界を少しでも遠く
 まで見たいと思ったんだ。そして力の限り、岩を押し上げ続けた。何ヶ月もかけて、
 ほとんど飲まず食わずで、その岩をなんとか高い山のてっぺんまで押し上げること
 ができた。彼はそこで止まり、世界を眺めた。今では誰よりも遠くの世界を見渡す
 ことができた。そこが彼の住む場所だった。草も生えないし、鳥も飛ばないような
 場所だった。水分といえば氷と霜を舐めるしかなかったし、食べ物と言えば苔を
 かじるしかなかった。でも後悔はしなかった。彼には世界を見渡すことができた
 からだ…。というわけでハワイのその島の山の頂には、今でも大きな丸い岩が
 ひとつぽかんと残っている。 ≫
 ―
▼ 含蓄の深い話である。いちばん上の兄が眺めた場所は世界を眺めることが
 出来る場所。ツアー道があるならば、より厳しい秘・異郷先に挑戦し、その先
を味わい、帰ってくる。大自然の神秘に触れ、感動を通し同化し、地球の広さと
深さを垣間見て、帰路に就く。それで、充分である。物質的満足感を遥かに超える
充実感。他者への説明の必要はない創業、いや、人生の味わいそのもの。
その味わいは、味わった者しか知り得ない至高体験。ただ、住みたいとは思わない。
 海辺の岩場で囲まれた岩穴で、外洋を知ることなく満足して生きるのも人生。
そうそう、外に出て世界を知るのも人生。問題は丸い岩を押し上げていく代償。
長男に見えていたのは、さて如何だろう? 丸い岩だけ。時どき、休み、下界を
垣間見ていた。その味わいは、麓に留まった弟たちには知り得ないこと。
としても、その石は重かっただろうに! 如何だろう次男のように、中腹に留まり、
時にピクニックで山頂に登って世界を眺め、時に海辺で釣り三昧。ただ、風当たり
が悪い?それぞれ、問題は生じてくる。反面、ハワイの土地柄で、何処も同じか!
 この手の話なら、限りなく面白そうな話が浮び上ってくる…   〜つづく

 ――――
2019/07/09
閑話小題 〜島に辿りついた3人の兄弟の話 ―2
          『人生を狂わす名著 50』三宅香帆著
 フランクルの哲学の柱になっている【人生、よく遊び、よく学び、良く働け】
のとおり、バランスをとって、人生を生きてきた。 人生には思いもよらぬ
『まさか!』が、突然に襲いくるとものと… だから、楽しい釣りとか、山遊び
を通した学びを当初から組み込む必要性がある。「全機で可能な限り、世界を眺め
味合うことが、我々にとって必要となるって… ある時は、遊びを主とした学びの
三男の生き方。その後、次男の働きを主とした生き方。…最後は、長男の生き方と、
節目を持って態度価値を変える必要がある。

≪ この本『アフターダーク』の中で、教訓は
『何かを知りたいと思ったら、人はそれに応じた代価を支払わなくてはならない』
『ハワイまで来て、霜をなめて、苔を食べて暮らしたいと思わないよな』
『でも長男には、世界を少しでも遠く見たい好奇心があったし、それを押さえる
 ことができなかっただよ。その為に支払わなくちゃならないものが、どんなに
 大きかったとしてもさ』
本は、この話の『神様』によく似ています。本はいつも、ここまでくれば、こんな
世界があるよと教えてくれます。その世界を詳細に、魅力的に。
だけど、現実世界では、案外きつい。
 正義のヒーローの話は面白い。主人公が成長する話はかっこいい。だが、自分が
現実でヒーローになったり成長するのは玄人時間が必要となる。哲学書を読むのは
楽しいけど、本当の意味でそれを理解するには、積上げた知識を必要御する。
… 本を本気で好きになったら、バカな男にひっかかったバカな女になる可能性が
増えます。世界の読書推奨人はそのことをわかってるのかと、苦笑します。
<だって、どんなマトモさを手放しても、人生を狂わせて面白い本に出会えることは
幸せなんだもの。役に立つ立たないというよりも、もっと大きな、遠くを見させて
くれる存在として「本」に触れていただけるなら、けっこう大変な人生を、一緒に
戦ってくれるならなら。 ≫
 ―
▼ この本は、まだうら若き、20歳半ばの京大院生の書店スタッフが「正直、
 これを読んだら人生狂っちゃうよね」と選んだベスト50のブックガイド。
30歳までが「学び」。50歳までが「働き」。それ以降が「遊び」が主とした
態度変換が人生には必要だが、彼女には、これから膨大な儚いが、膨大の人生が
待っている。 羨ましいが、それは、あくまで彼女の世界。 
< せっかく、この世に生を受けたなら、宇宙、世界の広さと、深さを少しでも
垣間見て、味合ないとしたら、勿体ないじゃないか! >に 落ちつく

・・・・・・
6394,閑話小題 〜「平成」も終わる、さっさと引退しましょうよ、キミたち!
2018年09月15日(土)
    
   * ヘドロ世界の殿様蛙よ
◉ 今度はウェートリフティング協会の会長がやり玉に!
『○○協会の会長』『○○市教育長』『青年会議所理事長』とかいう奴。
その職を得ると、人間がガラッと変わってしまうのは周辺を見れば分かる。
そこにドドメ色の目をした古キツネが擦り寄って、持ち上げ、その気にさせる。
そこに烏合の衆の連中が神輿を担ぎ… 世間様祭り(溝沼ヘドロ)のエログロ
世界そのものの饗宴…。 その具体的な物語の生々しいのが… 何やしら? 
 その拡大したのが韓国大統領職周辺世界。未だ朝鮮戦争が終戦してないため
絶大な権限が大統領に与えられて腐敗の温床になっている上に、儒教社会の
構造上、汚職阻止は絶対無理という。大統領職をマトモに辞した人は存在しない。
 
◉ レスリング、ボクシング、体操協会、日大アメフト部にしろ、パワハラ当事者
 は対応を誤って後手を踏み、自らの首を絞めた後、最後は解任、辞任劇が通例に
なりつつある。スポーツ競技で暴力は通例だが…。セクハラの次が「パワハラ」。 
本来、世の中はパワハラで成り立っているのに… ポピリズム弊害の最たる事例。 
弱肉強食が世の習い。「強くてはならない」のである。業績を利用して、まずは
『○○長』の座。それさえとれば、弱肉強食の強者の肩書を得て利権漁りの手順
になる。ヘドロ世界には、ボウフラには快適環境。ボウフラをネット検索すると、
<「カ」の幼虫の俗称。水中にすむが,汚水,たまり水,清水とそれぞれすむ。
種類が異なる。腹端の呼吸器を水面に出して呼吸…> 何か地方大名のようで、
これ以上書くのは、止める。トンボの幼虫「ヤゴ」とて同じだが、人間の血を
狙わない。
 
◉ 日大監督と理事長、ボクシング協会の会長の精神構造から様々なことが浮び
 上がってくる。過ってバブルに浮かれていた我姿も…。だが、バブルで踊った
経験も、なかなかな! 破裂の20年後に、最後のトドメが直撃し… 因果応報。
<踊る阿呆に、踊らぬ阿呆、同じ阿呆なら、踊らな損損!> だが、問題は、
その後のカエリ矢。 よく見ると、昭和の残物のこびり付きでしかない。
やはり「断捨離」。 「平成の終了の年度に、こういう問題が噴火始めた。
ということは、「カタチをかえ、様々の分野で何かが起こる」ということだ。


6756,閑話小題 〜映画観賞 ―引っ越し大名!

2019年09月14日(土)

 
 洋画の間に、邦画を挟むと、ホッとするため、3対1の割合に心がけるが、やはり
洋画の方が濃厚で、面白いのが多い。今回は邦画と、「記憶にございません! 」
か、「引っ越し大名! 」か、迷ったが、放映されてから暫く経つため、早々に
終わる可能性もあるのでは、の理由で決定した。暗く重い『御国替え』の問題を、
軽く、明るく映画化しているところが良い。本好きの、<かたつむり>と揶揄
された地味な小役人が、実は『戦略』を兼ね備えていたという設定。
 映画とはいえ、『御国替え』の一端を垣間見れるだけでも、価値がある。
『超高速!参勤交代』のヒット以降、トレンド化している「ユニーク時代劇」
の流れをくむ娯楽活劇。
 ――
  〜映画のあらすじ
≪姫路藩書庫番の片桐春之介(星野源)は、書庫にこもりっきりで人と話すのが
 苦手な引きこもり侍。あるとき、藩主の松平直矩(及川光博)は、幕府に姫路
から大分への国替え(引っ越し)を言い渡される。
当時の”引っ越し”は全ての藩士とその家族全員で移動するという、費用と
労力がとてもかかる超難関プロジェクト。これを成し遂げるには、引っ越し奉行
の手腕にかかっている。お国最大のピンチに、いつも本ばかり読んでいるのだ
から引っ越しの知識があるだろうと、春之介に白羽の矢が立つことに。
突然の大役に怖気づく春之介は、幼馴染で武芸の達人・鷹村(高橋一生)や
前任の引っ越し奉行の娘である於蘭(高畑充希)に助けを借りることに。
こうして引っ越しの準備が始まった!
人数10,000人!距離600km!予算なし!?
果たして春之介はこの一世一代のプロジェクトを知恵と工夫で無事に成し
遂げ、国を救うことができるのだろうか?!≫
 ――
  〜小説の内容紹介は
≪徳川家康の血を引く譜代大名でありながら、生涯に七度の国替えをさせられ、
付いた渾名が「引っ越し大名」という不運の君主・松平直矩。またもや幕府から
国替えを命じられたものの、度重なる激務によって亡くなった「引っ越し奉行」
の役目を継がされたのは、引きこもり侍と後ろ指を指される若輩者の片桐春之介。
「人無し・金無し・経験無し」の最悪の状況で、果たして姫路播磨から豊後日田
への国替えは成功するのか?上司からの無茶振りに右往左往する武士たちを
コミカルに描き、時代劇に新風を吹き込んだ新鋭が描く傑作時代小説。≫

 ――
▼ これ、捉え方次第で、暗く描いたら、とてつもなく暗い内容になる。
 現実は大変なドラマがあったはず。何ごとも受止め方次第。主人公は、
最後に、国家老に抜擢されるところが…  オチが、あって然るべきだが、
それがイマイチ。  評価:80点 

・・・・・・
6393,閑話小題 〜久々の海外ツアー
2018年09月14日(金)
   * ライフワークの海外ツアー
◉ 40歳代に16回、50歳代に24回の海外ツアーも、60歳代に入って年に一回に、
 60歳半ばからは、諸事情?により隔年に一回。 この数年来のツアーは
(貧者の私は)家内の鞄持ち?と、腰痛との兼ね合いがあり、楽しさ、面白さ
半減だが。それでも、「行ける時に、行ける場所に、行って良かった」と実感。
 これまで私が52回、家内が40回、あと4回で、2人合計100回になるが、もう
無理? 台湾、インドネシアなら可能? このライフワーク、私の魂にとって、
大きな財産であり、心の絶対最適温度を保ってくれる。
◉ 40歳後半から6主に欧米文化の外側の秘・異郷から埋めていった後に、還暦
過ぎから欧州中心に切替ていた。 古希からは渡航は中止していたが、先回、
『北イタリア・アルプスと、ドロミテ街道の旅』。極限近いトレッキングでも、
腰痛が最小で済み、その景観に感動の連発。あの世への土産の一つに加えること
が出来た。「北イタリアからみたマッターホルンと、モンブランと、ドロミテ
街道の絶景の旅」。スイスアルプスの延長シリーズになるが、逆サイドの、
「オーストリア・ドイツアルプス」のパックもある。これは、もう無理!先回
も、行先がデープのため、同行者は年・数回組ばかり。隔年の私たちとは感覚が
違っていた。<魂の痕跡を残そうと、50歳代に狂ったように?楽しんだのが正解>
◉ イタリアの出国審査時に、パスポートの間に、日本への再入国までの保管の
 ため、千円札6枚を挟んだのを忘れ、そのまま出してしまい、怪しい人の出国
賄賂?と勘違いされる一歩手前… のオチまでついてしまった。また入国手続き
は「完全自動化」。パスポートを指定された画面にはり付け、顔をカメラ前に
さらす認証システムのため、行列はホボ解消されていた。‘全身に溜まっていた
ストレスがバッサと落ちた感覚’は何時ものとおり。世間様とやらの冷たい目線
と、年金暮しと、腰痛を抱えてのツアーも厳しいものがあるが… 何があっても
続けるのがライフワーク。「行けるが花」 いや、何がともあれ、「行くが花」。

・・・・・・
5661,『エゴの力』�� 〜総論・B
2016年09月14日(水)
               『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
 ネット上の解りやすい概略を検索すると、アマゾンの投稿に、最適なのが
あった。エゴを、「人間の感性の発露以外の何ものでもない」「己の好きなこと
を通じてエゴを磨くこと」と著者はいう。それらから考えると、私の秘・異郷を
中心とした旅行で磨いた感性は、確かに人生を変えた。回数を重ねるほど、
『エゴの力』が増したことになる。好きなことを継続するほど『エゴ』が強く
なる。それが個性である。
    =アマゾンの投稿=
≪ 本書で、「人間の強さとは何かといえば、その人間の備えた個性の力」
(100p)というテーマを中心に、エゴについて語っている。石原さんほど
老成しているわけではないが、私も50歳を過ぎ、このテーマには賛同する。
 石原さんは冒頭、「エゴとは人生を左右する力、人間の個性。個性とはその
人間の感性の発露以外の何ものでもない」(4p)と定義し、織田信長、東郷
平八郎、出光佐三などの行動を引き合いに出し、成功の裏にはエゴの発露がある
ことを紹介する。そして、松下幸之助の言葉「経営には勘が必要だが、勘だけ
ではだめだ。またデータ、コンピューターだけではだめだ。資料をいくら重ね、
データをいくら分析しても限界がある。経営に成功するための原則がある。
その原則のなかで絶対必要条件ともいえるのは経営の哲学、経営理念や志だ」
(46p)を引用する。
・第2章では、恋愛とエゴについて語る。『八百屋お七』『娘道成寺』を引合いに、
「男のエゴの虚弱さというものを、またある意味で人間の備えた弱さを示す象徴
かもしれません」(81ページ)と解説する。 また、明治維新の功労者や太平洋
戦争の英霊達にもエゴを見いだすという。古今東西の小説や歴史上の人物に典拠
を求めるあたりは、いかにも石原さんらしい展開である。
・第3章では、趣味であるヨットを通じて、好きなことを通じてエゴを磨くことが
できると語る。
・第4章では教育や就職について語り、「他者との関わりが自分のエゴ、自我を
切りつけ、損なうことの端的な事例は間違った教育、あるいは間違った躾による
ものが実に多い。特に躾・教育は幼年から始まって成人になるまでの、まだ自我
が確立される前の未成年の段階で一方的に行われる作業ですから、その影響は
極めて容易だし、また大きなものがあります」(148ページ)と指摘する。
・第5章では田中角栄による金権政治を振り返り、「お金というものは決して
ただのお金ではなしに、人生を左右しかねぬ、その使いようによって極めて
貴重で微妙な人生のための小道具」(213ページ)と語る。
・最後に、「世界がアメリカンスタンダードで統一されることはありえない
のと同じように、人間全体に統一規格があてはまることは絶対にありえない。
それと同じように、それぞれの強いエゴを備えている人間たちに人間の
スタンダードがありうるはずはありません」(217ページ)と結んでいる。≫
▼ 遺伝子の研究から、「生命の本質は利己主義の発露にあり>、と言われる。
 生命は、単独では生延びることが出来ないため、仲間を利するしかない。
だから、尤もらしい理屈をつけて、他のため、生きると社会正義と論じる。
成るほど! 自分に力がなければ、他を助けることが出来ない。「興産あって、
恒心あり」。特に人間は、「利己は生命の本質と認め、他利を加える必要性」
がある。男女間のエゴの発露は、人類最大の永遠のテーマになる。
・・・・・・
6027,死の恐怖は観念でしかない ー明るく死ぬために 〜3
2017年09月14日(木)      、
   * 死ぬということは
「余命数ヶ月」と告げられた作家が、病院の帰路、都内の駅前の喫茶店から、
雑踏を眺めて、「自分が死んでも、彼らは、そのまま、生き続ける!」と氷つく
孤独感そのままを書いていたのを憶えている。哲学者は、これを観念のなせる
虚構とという。死ぬのを恐れるのは、愛する家族との永遠の別離。プッツンの
瞬時、「私」なるのが消えるため、「自分が死ぬ」という言葉が成り立たない
のは自明のこと。一人称の自分が死ぬわけがない。雑踏の通行人が、そのまま、
生き続けることも当人の思い込み…  中島の、<私が住んでいる世界、私が
見ている世界は「このようにある」のではない。 客観的世界のあり方と、
「私がある」というあり方は全く異なる>の言葉に、「独り死にいく恐怖は、
長年かけて作られた観念でしかない」と…。とすると、寂寞の観念そのものが、
自分を孤独地獄に落しこんでいることになる。「明るく死ぬためには、いずれ
死ぬ? そして永遠の彼方に消し去られる「私」と、「他者」の問題を直視し、
問答を続けなければならない。 「存在」と「認識」そして「死」の命題が、
年々、面白く、かつ切実になってきたのは、背後から正面に周ったため?
【 〜2004/10/02
  1278, 人生(時間)のセイムスケール−2 より〜
★「線路を走る列車のように、人生は見えないレールの上を走っていく。
 そして、終着駅が近いと知ったとき、〈別の人生もありえたのでは〉
 と夢を見る。しかし、列車を乗り換えることはできない」
                       (田中 誠)
★「我が命は地球より重い。他人の命は犬より軽い」
                       (山田風太郎)
★「人は生まれ、苦しんで死ぬ。人生の要点はそれでつきている」
                       (正宗白鳥)
★「みんないう。いつか死ぬことはわかっている。
 しかし、「今」死にたくないのだ」      (山田風太郎)

★「幸福な人々の死だけ悼もう。つまりごく少数の人々だけを」
                        (フロベール)
★「---いろいろあったが、死んでみりゃ、なんてこった、
 はじめから居なかったのとおんなじじゃないか、みなの衆」
                       (山田風太郎)

★「雪はげし書き遺すこと何ぞ多き」
                     (橋本多佳子)
★「死が生にいう。
〈おれはお前がわかっている。しかし、お前にはおれがわかっていない〉」
                     (山田風太郎)

★「昔の死は、人が、死にゆく人物を演技する喜劇的な悲劇であった。
 今日の死は、人が自分の死ぬのを知らない人物を演技する悲劇的な喜劇」
                     (フィリップ・アリエス) 】
―
▼ 『("^ω^)・・・ 御あとがよろしいようで、はい、さようなら!』
(こう言い残し、七転八倒をして死んで逝きたいが、私のは「畜生め」入り?)

・・・・・・
5296,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月14日(月)
             ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
   * 『自分を超える 5つの法』とは
 自分の長期目標を掲げて、そのための宣言書で明文化をして、それに精進
していけば、日々、自分を超えることになる。そこに自ずと3C主義=
チャレンジ(挑戦)、チェンジ(変化)、コンペティション(闘い)が生じる。
それは現役である限り続くが、楽しむことが出来るかどうかが鍵となる。
  〜その5つの法則とは
法則1: 成功の心理学(「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす
  安定感のニーズ 多くの人は何かを求めるとき「安定感」を基準にしてしまう
法則2: お金のつくり方(お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」
  お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ほか)
法則3:リーダーシップを高める(「リーダーシップ」は育てたリーダー数で
  決まるリーダーシップを発揮するカギー 「基準を上げる」 ほか)
法則4:世界観をつくる(自分に「力を与える世界観」をつくり上げる
「成長」と「貢献」が世界観をパワフルにする ほか)
法則5:10倍強くなる文章術(すべての人にとって「文章を書くこと」は、
    最重要の項目である
  コピーライティングは「創造力を高めた状態」で行なおう ほか)
  ――
   * まずは、法則1:の「成功の心理学」より
「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす。
  〜そのニーズ(欲求)とは
1、安定感のニーズ
 :多くの人は何かを決めるとき「安定感」を基準にしている。
2、不安定感のニーズ
 :人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる、不安定の量に
  正比例する。 行動のさなかでは、恐怖は消える。
3、重要感のニーズ
 :真の「重要感」を持った人とは、使命を帯びた偉人である。
4、愛とつながりのニーズ
 :すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」である。
5、成長のニーズ 
 :すべての生物は、成長し自分以外のものに何らかの貢献をする。
 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠である。
6、貢献のニーズ
 :「力(パワー)」とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
 正比例して与えられる。
  〜法則1 のまとめ〜
◎ 人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる不安定量に正比例する
◎ 行動のさなかでは.恐怖は消える
◎ 真の「重要感」を持つた人とは.使命を帯びた偉人
◎ すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」
◎ 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠
◎ ー力(パワー)とは、世の中に貢献したいという思いの強さに
  正比例して与えられるー 
▼ どうしても人間は、不安定より安定を優先するが、これが間違いの元。
 ブッダが亡くなる時に、「この世の中の ことは、すべてのことは移ろい
ゆくものである。従って怠りなく努めなさい」という言葉を残した。
自然界にも、人生にも、「確実なこと」など何もない。あるのは変化だけ。
 人生には、「変化と、刺激」が必要である。とすると、そこには、不安定
が伴うが、その量に比例して質が上がっていく。安定過剰のヘドロ人間は
大よそ8割と見てよいが、それこそが娑婆である。「したい時が、やれる時!」。
その時にしておかないと、ゾンビになる。しかし、変わりゆく世界の中に
あって変わらないもの、それを つかんだ人間が、世界の、人間の、本当の
意味をつかむことが出来る。それは逆に変化の中にこそ、現れ出てくる。 
何か仏教めいてきたか! 


6755,閑話小題 〜 幸せの始まりは

2019年09月13日(金)


    * 自分を愛せるか?
 < 人を愛するよりも 人に愛されるよりも 
   まず自分を愛せたら 幸せの始まりだと思う >

 松下幸之助が、ある講演会で「ダム式経営」について、
(お金を貯めて流量を安定させる)の大事さを説いた時のこと。
聴衆の一人が「そのやり方が分からないから困っている」と質問しました。
その質問に松下さんは「まず、ダムを作ろうと思わんとあきまへんなあ」と
答えたそうです。 聴衆はその答えに失望し失笑したそうですが、
彼が言いたかったことは、「まず思い、強く願い続けることで実現させていけ」
つまり具体的なノウハウの前にまず「自分を愛せる自分であろう」その為には、
「小さい成功体験を積重ねて、その貯水量を満たせておけ!」ってこと…
 
 一般的に、まず両親の愛情に満たされた子は、愛情が満ちた人が多い。
夫婦破綻の子には、歪んだのが多い。 7割が離婚するというスペイン、
ポルトガル、ベルギーの人たち。あと2割が、家庭内離婚というから9割の子供は、
愛情に何らかの問題を抱えていることになる。 上手くいかないのが当り前とは? 
何かしら人生の不条理を感じる問題である。その事実を知らないで、仮面の舞踏
が日夜、くりひろがれている。だからこそ、夫婦愛は大事にしなければならない。

何らかの成功体験の積み重ねたベースがあればこそ、その自分を愛することが
可能になる。それと、感激、感動、感謝体験が加味されて個性が生まれてくる。
それ以前の、両親の無条件の愛情があればこそだが。 何か人生を振返ると、
あまりに甘いスタンスに、自分第一主義の己に赤面すること多し。
良かったことだけを優先して考えることで、自壊しないで何とか生きている?
確かに愛情豊かな人には、自己愛が過剰としても似あいの人が付いている。
過小よりは遥かに良いこと。
 <まず自分を愛せたら 幸せの始まり> ですか? 
それなら、私も幸せの筈! これこそ、「日々 是 口実」になりますか。
 他人様の、それは可視できるが、自分のこととなると、さてと… 

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6392,閑話小題 〜「…生きるために食べろ」と言いますが!
2018年09月13日(木)
     * 食べるために生きるな。生きるために食べよ。
 最近、週一度の映画観賞前のササヤカな外食が楽しみ。 牛丼、回転寿司、
カツ丼店の何れかだが… これが全く飽きないから摩訶不思議。 他に2ヶ月
に一度は、家内とステーキ・ランチか、焼肉ランチか、シャブシャブ店に行く。
 今では、安ランチで満足できる自分に吃驚。 遥か以前になるが、誰かに、
『近所に出来た「サエゼリア」が美味しい!これで充分満足!』と言った相方に、
『美味しいのを食べ尽したから言えること。普通は、味に敏感。高いイタ飯屋の
デナーと、空間が楽しみ。サエゼリアなら冷凍食品の方を選ぶ。 何か、嫌味に
しか聞こえない!』と言われたが… 成るほど! 
「食べるために生きるな。生きるために食べよ」の、この言葉も、捉え方一つで、
様々に解釈される。『食べるために生きて何故悪い!生きるために食べるのは
当り前。生活のためだけで生きていけない人間の存在を考えない言葉。生甲斐の
ため生きよとは、<衣食足って礼節を知る>で、足りなければ仕方がないだろう』
 
 山田風太郎が、晩飯を食うのもあと千回くらいなものだろうと思う」新聞連載
の随筆。 飄々とした語り口で、老いること、生きること、死ぬことを独創的、
かつユーモラスにつづったのが印象に残っているが、今度は、私の順番? 
で、風太郎が果たして、「食べるために生きるな。生きるために食べよ」に
対して、『毎食を味わっているのに、何をぬかす! 今さら生きるために食べろ
だと… たっく。人間って、飯を食って、糞して死ぬだけ。その食事に対し、
ツベコベ言うな!』と、相成るはず。しかし、最晩年ともなれば、悲しいことに、
「生かしておくために、食べさせられる」になる。あと何回、晩飯を食べられる
のだろう? 多く食べたく(長生きしたく)もあり、食べたくもなし。 
長生きそのものが病気とすると、これから病気が日々、重症化していくことになる。 
 で、如何した?如何もしません。 美味い飯を食べ、今日一日を愉しめば充分! 

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5660,閑話小題 〜シネマ評 『ウフィツィ美術館』 〜��
2016年09月13日(火)
 フィレンツィに3度行き、その都度、ウフィツィ美術館を訪れている。
フィレンツィの観光コースに必ず含まれているからである。現地ガイドの説明
を聞き、生の名画をみるのも良いもの。見る度に、それぞれの名画が身近に
感じられてくる。この映画では、その名画と、フィレンツィの街並みが撮影
されている。その映画なら見ない手はない。で、予想とおりに、3D・4kの迫力
ある映像に圧倒された。 現地の慌しい人込みで、説明を聞きながら、一作品
に数分しか凝視できない名画を、シネマ館でジックリと観る醍醐味が良い。
現地で観る本物より、デジタル加工された立体的な画像が生々しく迫ってくる。
ある意味、現地の本物を観るの変わらない?というと、大げさか。TV番組で、
その作品と、解説を何度か、見聞きしてきたことも、そう思わせるのだろう。
  〜シネマの映画案内より〜
《 日本×イタリア 国交樹立150周年を迎える記念すべき年に“イタリア・
 ルネサンス絵画の 宝庫”ウフィツィ美術館と世界遺産の街フィレンツェを
 世界最高水準3D・4Kテクノロジー で撮影した本美術ドキュメンタリー! 》
《 花の都フィレンツェ。そうつぶやくだけで、うっとりとした気分になる
 美術ファンは多いはずだ。ウフィツィ美術館を始め、市内の教会や美術館、
広場のそこここに珠玉のルネサンス美術が顔を出す。その背景には銀行業で巨万
の富を蓄えたメディチ家の存在があった。当時、いくつかの共和国に分かれて
いたイタリアでフィレンツェ共和国の実質的な支配者となり、後に教皇まで
輩出し、中世ヨーロッパで権勢を誇ったキリスト教世界のトップにたった家柄だ。
 ロレンツォ・メディチを始めとするメディチ家の人々は、自らの為政の場や
住まいを飾るためミケランジェロやダ・ヴィンチ、ボッティチェリらに絵画や
彫刻を依頼する。教会にも布教のための壁画を寄進し、壮大なドームを備えた
聖堂を建てる。こうしてわずか2キロ四方程度のエリアに巨匠たちの至宝が
ひしめき合う、それ自体が一つの美術館であるような街が生まれた。
 本作ではウフィツィ美術館が収蔵する傑作の数々のほか、サンタ・マリア・
デル・フィオーレ大聖堂やシニョーリア広場、国立バルジェッロ博物館などに
並ぶ至高の絵画や彫刻、建築を高精細3Dで見ることができる。なかでも2011年
から修復が進められてきたレオナルド・ダ・ヴィンチ「東方三博士の礼拝」が
映像では初公開となるのに注目だ。またフィレンツェ・ルネサンスの代表作と
いえるボッティチェッリ「春(プリマヴェーラ)」「ヴィーナスの誕生」、
ミケランジェロ「聖家族」、ラファエロ「ひわの聖母」などの作品群も
じっくりと堪能できる。世界遺産の街、フィレンツェの花が文字通り咲き
誇る映像は最初から最後まで見逃せない。》
▼ 現地の作品の前では、まず作品に集中し凝視する。そして、作者と、
 その作品の背景を知る。それは、TVや、写真集を再び見た時のため。
現物からの波動は、作家の魂の波動である。それに反応する心が感激と感動。
そのために、短時間でも、心を集中し凝視するしかない。
 人生とは、感動と感激と畏敬の念、で織成す連続体である。
それを作品で表現するのが芸術家。世界は広くて、深い!そして、面白い!

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4563, 2050年の世界 ー5
2013年09月13日(金)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 英『エコノミスト』編集部 (著)
  * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章)
  ー まずは要約部分よりー
・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、
 その殆どが外れている、
・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。
 良いニュースは目立たず、人々の記憶に残りにくいからだ。 
 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間に
 あるので、そういう予言をすることが受け入れられる。
・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。
・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、
 「技術革新」よる「低価格化」を無視している。
・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに
 安い値段で必要なものが手に入るようになった。
・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに
 三〇分かかったが、今では三分だ。
・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、
 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。
・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。
 たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる技術は、移植医寮
 そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術
 の発見によって、癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な
 場所に送るという治療を大衆化させる。
・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。
 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。
・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は
 良化している。いまの新興国が先進国なみの経済水準になる二〇五〇年
 までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。
▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」
 が出てくるからだ。その中で情報機器と、バイオテクノの革新は、
 予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。
 人間には、長期楽観、短期悲観が経験を通して認知バイアスとしてある。
 それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。40年前の予測が悲観的
 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を
 転げ落ちている。そして日本は、20数年前のバブル崩壊から現在にわたって
 惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況をみれば
分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ 
 バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか?

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5295,閑話小題 〜慎太郎と佐々の死生観の対話
2015年09月13日(日)
       文芸春秋2,015年7月号特集「老いと健康の危機管理術」より
   * 信長の死生観には共感するね
 図書館で立読みをしていたら、石原慎太郎と佐々淳行の対談の、「老いと死」
についての以下の部分にひかれて借りてきた。80歳を過ぎた、お二人の諦観が
滲み出ている内容である。      
佐々: 私は、自分の家で死ぬつもりでいた。だから少し無理をして、
 鉄筋で三階地下室付きという家を建てたんです。自分の部屋で死んで、
葬式も自分の家から出そうという、前近代的なお葬式観だった。
そのための部屋も作ったし、お客さんの誘導路まで考えた。
家族と別れて暮らすなんていうことがあり得るとは思っていなかった。
ところが周りを見ていると、‘お葬式は身内で密葬をやって、あとで
ホテルとかどこかの会館で偲ぷ会って'いうのをやる。これが定着した。
石原:俺は遺言に「葬式不要、戒名不要。我骨は必ず海に散らせ」と書いた。
 去年出した『私の海』な(幻冬舎)には辞世
(「灯台よ汝が告げる言葉は何ぞ我が情熱は誤りていしや」)も載せた。
佐々:僕もかなり考えが変わったよ。でも、葬式無用っていうのは、ちょっと。
石原:僕は信長が好きなんだけど坂口安吾の『織田信長』っていう短編の
 エピグラフに、信長の愛唱した小唄があるのよ。信長といえば『敦盛』の
「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり一度生を受け滅せぬ者の
有るべきか」でしょう。僕は知らなかったんだけど、安吾が引用しているのは、
「死のふは一定、しのび草には何をしよそ、一定かたりをこすよの」と」いう
小唄なの。「かたりおこすよの」がわからなくて、ある国文学者に聞いたんです。
そうしたら「おこす」は、おこがましいの「おこ」で、「人が死んだあとに
皆な勝手、なことを言いやがるけど、死んだ人間にとってはバカみたいな話だ」
という意味なんだな。痛烈なニヒリズムですよ。信長は徹底したニヒリスト
だったんだね。偲ぶ会をやったり追悼記を出すなんていうのは、その信長の
小唄と同じことで、いまさら何を言ってるんだということですな。
佐々:でも、お別れ会さえやらないで、さよならも言わずに去っていくのもね。
石原:僕は敬愛した政治家はめったにいないんだけど、賀屋興宣という人には
 私淑したんです。無類の財政家で、日本で初めて統制経済をやった人です。
戦前に大蔵官僚から政治家になって、A級戦犯で服役したあと、政界に復帰。
晩年に賀屋邸へ行ったら、髪も真っ白になって、サンルームで瞑想されていた。
「先生、何をお考えですか?」と訊いたら「人間が死ぬというのはどんなことか。
興味があるので一生懸命考えている」。「それで、死ぬってどんなことですか?」
「いや〜死ぬというのはつまらないね。私はだんわかってきた。死んだら、
一人で暗い道を黙って歩いていくんですよ。そのうち、葬式で泣いて送って
くれた家族も私のことを忘れてしまって、世間も忘れる。第一、彼らも忘れなきゃ
やっていけませんからね。それだけじゃなしに、自分が自分を忘れちゃうんです。
来世なんかありませんよ、石原さん。だから死ぬのはつくづくつまらないですね」
と言って、小さく笑うんだよね。すごいニヒリズムだと思ったね。
この段になってくると、そんなことを思い出しますな。 ≫
▼ 佐々が入った、介護つき有料老人ホームに、石原が訪ねて行われた対談。
 自宅に近く、三食昼寝付きで、何でもやってくれるそうだ。中産階級?向けで、
商社の支店長とか、サラリーマン社長だった人や、旦那がいるが、面倒を見切れ
ない奥さんだけが入っているとか。リハビリは別だが、食費や光熱費を入れて
30万位という。「奥さんも一緒かと思ったが、少し費用が足りないのでやめた」
とか。最近、同年代のタレントが夫婦して入居したとかという話は聞いたが!
古希を過ぎると、どうも娑婆の景色が変わって見えてくる。
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6026,リベラリズムとは
2017年09月13日(水)
    * リベラリズムとは
 最近、いやにこの言葉を見かけたり、聞いたりする。
そのまま解釈すると「自由主義」になるが、欧米では、<富の再配分などを
通して経済的な弱者を救済し、福祉国家的政策を支持する立場>をいう。
自由主義を主張するロールズにとって、<ベンサムの功利主義の弱点を克服
するために、自分が男か女か、白人か有色人種か、健常者か否かなどが分から
ないことを前提とした「無知のヴェール」を皆なでかけた状態で、どのような
社会を作ればよいか考えるべき>と主張した。 
 その為にロールズは、3つの原理を導きださせると考えた。
・1つが、「基本的自由の原則」で、個人の自由は原則的に保証され。
・2つ目が、「機会均等の原則」で、公正な競争の機会は平等でなければとし、
・3つ目が、「競争による格差調整の原則」。これは、最も不遇な人々の生活
     が改善され、調整されなくてはならないとする原則。
自由主義とはいえ、再配分を前提としなくては、不平の充満が爆発を誘導する
からだ。これに批判を加えたのが、ノージックで、<税金を集めすぎて富を
政府が集中すると国家権力が肥大化してしまうと考えた。国家はあくまで、
暴力、窃盗、詐欺などの侵略行為を防ぐにとどまる最小国家であるべき>と。
この考え方は「リバタリアニズム(自由至上主義)」という。これに対して、
サンデルはリベラリズムをリバタリアンとは違ったカタチで否定、批判した
のが、「コミュニタリアズム」である。<自分のコミュニティの倫理や習慣を
重視して暮らすべし。個人のアイデンティティは育った環境や、共に歩んで
きた仲間と切り離して考えることはできない> と、考えるに至る。
白人でもないし、黒人でもない自分は、生まれ育った場所、仲間が一番好き!
という素朴な心である。トランプ大統領の「白人第一主義」も、これに近い
のか? トランプは、アメリカ独立の理念を根こそぎ否定するから、自滅は
時間の問題としても、数年は要するから、困ったもの。「リベラリズム」の
キーワード、ひとつとっても、これだけ奥行きが深くなる。 この隙間に、
チンケの軍事独裁国家に好き放題にされるから、問題深刻である。
「基本的自由の原則」「機会均等の原則」「競争による格差調整の原則」など、
絶対的権力者にとって軽く全否定される戯言でしかない。そこは未だに、
臨戦の世界。これもまた、文明の相剋ということになる。スターリン、毛沢東、
ヒトラーも、知らない間に気違いに変貌してしまうが、絶対権力はそのまま。
数百万、数千万の大量虐殺に至る。50〜100年スパンで考えると、その時節に
到着しつつある? 人類の将来を考えると、人類の半分か、三分の二が、淘汰
され、生き残った三分の一が、新たな文明を立ち上げた方が?という悪魔?の
思想もあって然るべき。 それが21世紀とすると、特に今世紀前半は、過酷な
時節になるとしたら、第二次朝鮮戦争勃発も何ら不思議ではない。
国家を持たないクルド族、ジプシー、かってのユダヤ民族が、いかに悲惨か… 
リベラリズムもいいが、国家あっての国民ということを忘れないことだ。


6754,閑話小題 〜幸福とは、愛されているという確信である

2019年09月12日(木)



    * 何処の世界にも存在するタイプ
 人生を見わたして、何故か6〜7%の格別な幸福の人がいる。
(ときに真逆の人もいるが… それは別の機会に)
両親に愛され、周囲の悪意から守られ、我が儘だが、思いのまま幼児期を過ご
してきた経験が沁みついている。取分け、家族の立ち位置から、自らの世界
をつくり上げている。幸福感が心の芯にあり、幼児期から愛情に満たされ、他者
の言動に左右されない傾向が強い。 言動が明るく、清潔感があり、センスが
満ちている。 「過去にテーマにしたのでは?」とHP内検索をすると、10数年
前に、やはり書いていた。幸福とは、心のバランスがとれている状態。美とは
バランスがとれた状態をいう。端的にいうと美人の「美」にあるバランス。
 老けないために、諦めないで工夫するのが「おしゃれ」というが。
愛されたかったら、まず愛することから踏み出すこと。そこで重要なのは、
相手の選定になる。愛し続けるほど、面倒なことはない。切口はやはり感謝。

――――
2005/05/24
1512, こころを凛とする196の言葉ー1 
 
  〜美容評論家の斉藤薫の文章が、ズバリ、要所をついている。

 最近、こだわりを持たないで、色いろなジャンルの本を読むようになった。
その中に、女性が女性向きに書いてある文章がある。読んでいると、切口が
鋭いことと、少し言葉を変えると「男」にも当てはまる内容が多い。
特に、服装に対する心構えなどは男性用のものは殆どない。外見に対して気を
つけることとして、「清潔7割、色気3割」は、男にとって
「清潔7割、着こなし3割」と考えればよい。それとも、色気3割も必要かも。
清潔感は、その過去の行蔵から滲み出るもの。
 ――
・〈美の真骨頂は7対3〉
 私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。
 清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。
 −−
・〈清潔感を毎日ひとつ〉
 メイクでも服でも香りでも何でもいい。
 毎日ひとつでも、清潔感を放つものを体にくっつけて出かける。
 それが「清潔感のある人」・・・
 ーー
・〈服のルール〉
 おしゃれとは、年齢とともに失っていく清潔感を取り戻すためにある。
 ーー
・〈地味の落とし穴〉
 他人の視線が気にならないのは、ある意味でとても「おさまり」のいい日。
 でもその「おさまり」こそ、言ってみれば「地味」の正体。
 人目を煩わせずに、ひっそりとしていれば心身ともに疲れない。
 だから気がつくと「地味」の中にぬくぬくとうずもれてしまいがち。
 危険なのは、そこである。「地味」はやがて体の中までしみ込んで細胞
 代謝を低下させ、女性がもっているべき艶まで失わせてしまう。

 ――――
2002/04/01
人に好かれる方法

  * 聞き役
学生時代読んだ本に、カーネギーの「人を動かす」という本があった。
その中にあったデールの6原則があった。確か
1、名前を覚える 2、聞き手にまわる 3、誠実な関心を寄せる
4、相手の関心を把握する 5、笑顔で接する 6、褒める
と記憶している。

学生時代まだ田舎を出たばかりで、
人間関係の都会的センスが身についてなかった。
どうしたら人に好かれるか上手くやれるかに、悩んでいた時にこれを読んだ。

即実行、ものの半年もしないうち世界が一変した?
もちろん男だが、友人が私の周りにオオバーに云えば屯したのである。
そうも上手くいくものかと自分で驚いたものだ。

特に聞き役は大変だ。
そこですぐ覚えたのは、聞いたフリをして他の事を考える事である。
と同時に関心の中心に、相手の話題を掘り下げてやる事である。

あの頃は頭でっかちである。
誰かに知ったばかりの知識をヒケラカシタイ歳である。
誰か聞いて欲しいのである。
また孤独で自分を知って欲しいのだ。
そして2年続けていたら馬鹿馬鹿しくなった。

「おれはカウンセラーじゃねえぞ!」
「今度は逆をやってみよう!」

ヒステリック的に自分でハッタリをカマシテミヨウと。
その時読んだ本が「教祖の話術」−赤塚行雄ーであった。
聞き役の寡黙の男が、急にワメキダシタのだから周りは吃驚した。
そしてその話にそのバックあるから、効果があった。

行動科学のシュミレーションをしていたことになる。

――――

2018/07/31
読書日記 〜50年ぶりの『道は開ける』

             『道は開ける』 D・カーネギー (著),
   * 不安は人生の天敵
 図書館で、懐かし本を見つけた。 気難しい先輩や同僚に囲まれた都会の
ど真中での寮生活に慣れるまで数年を要した。その中で、地方出身者の足りない
のが対人関係の都会センスと、内面管理。自分に魅力が無いと、誰も相手にされ
ないことに気づく。その時に見つけたのが、カーネギーの『道は開ける』と、
『人を動かす』の二大名著と、ガードナーの『自己革新』。 
人間関係、自己革新のノウハウが解りやすく書いてある。学園も、寮生活には
ビッシリと人間関係が濃厚にあり、早速、書いてある通り実験を始めた。
半年もしない内に友人が多く出来ていた。 この『道は開ける』で、
<心配事があったら、その最悪の事態を想定しろ、その対処を考えていると、
 不安が消えてしまい、それ以上の悪いことは起こらない!>が、その後の、
人生を大きく支えてくれた。秘・異郷旅行も大きな不安がまず立上る。そして、
家内の絶対拒否の壁が立上る。 まずは、この壁を乗越えるに、この教訓が、
役にたっていた。最悪を受入れると、不安は半減する。兄や、姉の一人が極端
の不安症で、それが人生を大きく妨げているのを見てきた。戦中派のためもある。
<心配している99%は起きない> <意志の力を超えることは、悩まない>
ここに書いてあることが、そのまま、寮と学園生活で、即座の実験可能になった。
その内面生活の面白さは格別だった。都会生活は、誰もが孤独で、頭でっかちで、
不安定で、誰かに自分を知って欲しい、素性を知って欲しいのである。それも、
これも20歳で、起業を思いたったことがある。 読んでいなかったら、今でも
絶対おすすめの本。無理なら、以下の内容紹介を繰返し読んで欲しいもの。
 要するに会話テクニックではなく、魂の対話方法として身に付けること!
 …『で何で、こうなるの?』 まあ、酒の飲み過ぎではないですか?

寅:こんなセンスを身に付けた美女に会ってみたい? 
大家:高級クラブに行くと、幾らでもいます。但し、たっかいけどね。
 そして表向きで、直に飽きるけどね。
熊:俺さ、何の知識も知恵もないからさ、八つぁんに教えて貰った三度褒めを
 してるんだ。それも心の底からね。
寅:俺って、知ってても出来ないんだよ。熊は、赤い顔をしてドモッテね。
大家:そこが味噌なんだ。但し、アッサリできるのが熊の良いとこさ。
熊:俺って、実は多くの女姉妹の間に育ってね。とにかく、猫のように大人しく
 してないと、おっぱわれるの。静かにご主人様に近づいてさ。女の中で育った
 生立ちがあるんだ。それと、口が堅いんだ。一番、厳しいのが他人の告げ口。
 それと花束に弱いんだ。時々、何気なくお客が持ってくるだろう。あれ!
寅:何で客なのに持っていかなければならないの? 
熊:そこが、一番、甘いの。寅さんは。 
寅:この件になると、熊とは全く逆になるね。金も無いのに。
熊:金が無いなら知恵を出せって、何時も大家さんが言ってるじゃないか。
八:御前さんたちが、話すと、折角の真面目な話が壊れるじゃないかい。

  〜内容紹介〜
《 邦訳300万部突破の世界的ベストセラー。
 悩みを克服するための方法が具体的で説得力豊かに綴られた不朽の名著。
『人を動かす』と並ぶカーネギーの二大名著。
人が生きていく上で誰もが直面する「悩み」の原因を客観的に自己分析し、
心の持ちようや習慣を改め、心身の疲れを取り除く等の方法で具体的かつ
実践的に解き明かす。
苦悩するすべての人を心の闇から救いだし、行動と自己変革への勇気を与え、
新しい人生を切り開くための座右の書。1944年の初版刊行以来、時代に合わなく
なった部分を修正するなど、折々に改訂が施されてきた現行の公式版。
〔目次〕
訳者まえがき
 ◇PART1 悩みに関する基本事項
1 今日、一日の区切りで生きよ
2 悩みを解決するための魔術的公式
3 悩みがもたらす副作用

 ◇PART2 悩みを分析する基礎技術
4 悩みの分析と解消法
5 仕事の悩みを半減させる方法

 ◇PART3 悩みの習慣を早期に断つ方法
6 心の中から悩みを追い出すには
7 カブトムシに打ち倒されるな
8 多くの悩みを閉め出すには
9 避けられない運命には調子を合わせる
10 悩みに歯止めをかける
11 おがくずを挽こうとするな

 ◇PART4 平和と幸福をもたらす精神状態を養う方法
12 生活を転換させる指針
13 仕返しは高くつく
14 恩知らずを気にしない方法
15 百万ドルか、手持ちの財産か
16 自己を知り、自己に徹する
17 レモンを手に入れたらレモネードをつくれ
18 二週間でうつを治すには

 ◇PART5 悩みを完全に克服する方法
19 私の両親はいかにして悩みを克服したか

 ◇PART6 批判を気にしない方法
20 死んだ犬を蹴飛ばす者はいない
21 非難に傷つかないためには
22 私の犯した愚かな行為

 ◇PART7 疲労と悩みを予防し心身を充実させる方法
23 活動時間を一時間増やすには
24 疲れの原因とその対策
25 疲労を忘れ、若さを保つ方法
26 疲労と悩みを予防する四つの習慣
27 疲労や悩みの原因となる倦怠を追い払うには
28 不眠症で悩まないために
ー―

  Amazonの読者レビュー
【あらゆる人間に共通する悩みの実態とその克服法について纏められた本。
 悩みの壁にぶつかった時に再度読み返したいと思える本でした。
下記の3つの言葉が特に印象深いです。
・気にする必要もなく、忘れてもよい小事で心を乱してはならない。
「小事にこだわるには人生はあまりにも短い」
・私たちが取り組むべき唯一最大の問題は、正しい考え方を選ぶことにあると、
 私は自信を持って断言する。もしこれができたら、私たちの問題にはことごとく
 解決の道が開けていくであろう。ローマ帝国に君臨した偉大な哲学者マルクス・
 アウレリウスはこれを短い文句に、あなたの運命を決定する短い文句に要約している。
 <我々の人生とは、我々の思考がつくり上げるものにほかならない>
・『神々に背いた十二人』の著者、ウィリアム・ボリソーはこう書いている。
<人生で最も大切なことは利益を活用することではない。それなら馬鹿にだってできる。
 真に重要なことは損失から利益を生み出すことだ。このためには明晰な頭脳が必要。
 そして、ここが分別ある人と馬鹿者との分かれ道になる>。】
―
【悩んでも、どうせ「過去」は変えられないのだから、冷静に問題と向き合い、
 できることをする。前進あるのみと、様々な言い回しで語っている。】

・・・・・・
2005/06/21
「人を動かす」−2    ー読書日記
         
 この本を読んで実行した感想は、少しのことで人間は変わりうるということである。
人間関係という一番初歩的な基本を身に着ければよい。
会話や対話で、まず相手の話を把握した後で自分の意見を返すという基本がある。  
(世の中には、この基本を全く知らないで一生を終える人がいる。
 数知れずみてきたが、それを自覚してないから始末が悪い!
もしかしたら、自分も?)
誠意を持って相手の話を聞くことは、
「人からして欲しいことを、まず自らなせ」の実践である。
少しまともな営業屋なら当然身につけている。接客業の飲み屋のママや
ホステスなどは初期段階で叩き込まれるものばかりだ。

まずは、ふり(演技)から実践してみると面白い。
人間なぞ他愛のないものに思えてくる。
それだけ、自分のことを認めて欲いし、話したいのだ。
しかし、小手先で身につけると、「ただ感じのよい人になってしまう」
ことにもなりかねない。

会社の入社前教育で、まず訓練するのは「対話訓練」である。
新人は会話術は身につけていても、対話術は身につけていない。
この「人を動かす」は、会話術より対話術に属する?
会話術としても使うと、誠実さに欠けたり底の浅さを露呈してしまう。
しかし、それを知っているといないとでは違いが出てくる。

人の話を真剣に聞くことは、並大抵のことではない。 
ー以下のカーネギーの原則は、対話術というより会話術に近いが。
――

ーあるHPより抜粋ー

人を説得する12原則

1.議論に勝つ唯一の方法として、議論をさける。

・議論はほとんど例外無く、双方に自説をますます正しいと確信させて終わるもの。
議論に勝つことは不可能だ。たとえ勝ったにしてもやはり負けている。
相手は劣等感を持ち、自尊心を傷付けられ、憤慨するだろう。
・・・議論に負けてもその人の意志は変わらない。

・意見の不一致を歓迎せよ。いつも意見が一致するなら、
そのうち一人はいなくてもいい人間だ。
思い及ばなかった点を指摘してくれる人がいたら感謝しなければいけない。

・最初に頭をもたげる自己防衛本能に押し流されてはいけない。
・・・不快な状況の時、まず現れてくるのは、自分の立場を守ろうとする本能だ。
冷静に構え、最初の反応を警戒する必要がある。
あなたの最悪の人柄が突出し、最善の人柄がかくれてしまうかも知れないのだ。

・腹を立ててはいけない・・・何に腹を立てるか、それ次第で人間の大きさが
決まってくる。

・まず相手のことばに耳を傾けよ・・・相手に意見を述べさせ最後まで聞く。
逆らったり、自己弁護したり、争論したりすれば、相手との間に障壁が高まるばかりだ。
相互理解の橋を架ける努力こそ大切で、誤解の障壁をかさ上げするなど、
愚の骨頂である。

・意見が一致する点を探せ
・・・相手の主張を聞き終わったら、まず賛成できる点を取り上げる。

・率直であれ・・・自分が間違っていると思う点を探し、率直にそれを認めてあやまる。
それで相手の武装が解け、防衛の姿勢がゆるむ。

・相手が反対するのは関心があるからで、多いに感謝すべきだ。
だから、相手はあなたの手助けをしたいと願っているのだと考えよ。
そうすれば論敵を味方に変えることができる。

・早まった行動を避け、双方がじっくり考え直す時間を置け。

2.相手の意見に敬意を払い、誤りを指摘しない。

・人に物を教えることはできない。
  自ら気づく手助けができるだけだ。(ガリレオ)

・相手が間違っていると思った時の切り出しの言葉はおそらく私の間違いでしょう。
わたしはよく間違えます。ひとつ事実を良く考えてみましょう。
これで議論が収まり、相手も寛大で公正な態度をとりたいと思うようになり、
自分も間違っているかもしれないと反省する。

・われわれは、真実を思い慣れてきたものを、いつまでも信じていたいのだ。
その信念をゆるがすようなものが現れれば、憤慨する。
そして、何とか口実を見つけ出して元の信念にしがみつこうとする。
結局、われわれのいわゆる論議は、大抵の場合、自分の信念に固執するための論議を
見出す努力に終始することになる。

・決定的な意見を意味する“確かに”“疑いもなく”という言葉は一切つかわず、
「自分としてはこう思うのだが・・・」「わたしにはそう思えるのだが・・・」
 と言うことにした。(ベンジャミン・フランクリン)

3.自分の誤りをただちにこころよく認める。

・自分が悪いと思ったら、相手にやっつけられる前に自分で自分を
やっつけておいた方がはるかに愉快ではないか。
相手の言うことを自分で言ってしまうのだ。
そうすれば相手は言うことが無くなり、寛容になり、
こちらの誤りを許す態度に出るだろう。

4.おだやかに話す。

・人を無理に自分の意見に従わせることはできない。
しかし、優しい打ち解けた態度で話し合えば、相手の心を変えることができる。

5.イエスと答えられる問題を選ぶ。

・意見の異なる問題を初めに取り上げてはならない。
まず意見が一致しているイエスといわせるような問題から始め、
それを絶えず強調しながら話をすすめる。
互いに同一の目標に向かって努力しているのだということを、
相手に理解させるようにし、違いはその方法だけだと強調するのである。

6.相手にしゃべらせる

・相手のことは、相手が一番良く知っている。だからしゃべらすのだ。
相手が言いたいことをまだ持っている限り、こちらが何を言っても無駄だ。
大きな気持ちで辛抱強く、しかも、誠意を持って聞いてやる。
そして心おきなくしゃべらせてやるのだ。

・敵を作りたければ、友に勝つがいい。
味方を作りたければ、友に勝たせるがいい。
(ラ・ロシュフーコー)

7.相手に思いつかせる。

・人から押し付けられる意見よりも、自分で思い付いた意見のほうを我々は、
はるかに大切にするものである。人に自分の意見を押し付けようとするのは、
そもそも間違いだともいえる。
暗示を与えて結論は相手に出させる方が、よほど利口だ。

8.人の身になる。

・自分の意見を述べるだけでなく、相手の意見を尊重するところから、
話し合いの道が開ける。
まず、話し合いの目的、方向をハッキリさせて、相手の身になって話を進め、
相手の意見を受け入れていけば、こちらの意見も相手は受け入れる。
(J・S・ニーレンバーグ)

9.相手の考えや希望に対して同情を持つ。

・口論や悪感情を消滅させ、相手に善意を持たせて、あなたのいうことを、
おとなしく聞かせる魔法の言葉――――「あなたがそう思うのはもっともです。
もしわたしがあなただったらやはり、そう思うでしょう。」

・われわれが交渉をもつ相手の4分の3は、みな同情に飢えている。
それを与えてやるのだ。

10.人の美しい心情に呼びかける。

・相手の信用状態が不明な時は、彼を立派な紳士と見なし、
そのつもりで取り引きを進めると間違いが無いとわたしは経験で知っている。
要するに、人間は誰でも正直で、義務を果たしたいと思っているのだ。
これに対する例外は、比較的少ない。人をごまかすような人間でも、
相手に心から信頼され、正直で公正な人間として扱われると、
なかなか不正なことはできないものなのだ。(トマス)

11.演出を考える。

・現代は演出の時代である。単に事実を述べるだけでは十分ではない。
事実に動きを与え、興味を添えて演出しなければならない。

12.対抗意識を刺激する。

・成功者はみなゲームが好きだ。自己表現の機会が与えられるからだ。
存分に腕をふるって相手に打ち勝つ機会、
これが、いろいろな競争や競技を成立させる。
優位を占めたい欲求、重要感を得たい願望、これを刺激するのだ。

 −−−−−−

ー人を変える9原則

1.まずほめる。

 ・われわれは、ほめられた後では、苦言も大して辛く感じないものだ。

2.遠まわしに注意を与える。

 ・「しかし」という言葉を「そして」に変えると、すぐに成功に転じる。
 人の気持ちや態度を変えようとする場合、ほんの一言の違いが、
 成功と失敗の分れ目になることがある。

3.まず自分の過ちを話した後、相手に注意を与える。

4.命令をせず、意見を求める。

 ・命令を質問のかたちに変えると、気持ちよく受け入れられるばかりか、
 相手に創造性を発揮させることもある。
 命令が出される過程に何らかの形で参画すれば、だれでもその命令を守る気になる。

5・顔をつぶさない。顔を立てる。

 ・たとえ自分が正しく、相手が絶対に間違っていも、その顔をつぶすことは、
 相手の自尊心を傷つけるだけに終わる。

6・わずかなことでも、惜しみなく、心からほめる。

7・期待をかける。

8・激励する。

9・喜んで協力させる。


6753,閑話小題 〜瞑想の効果 :4段階

2019年09月11日(水)


   * 悟りへの瞑想法の効果 4段階
 悟りには4段階あるそうで、その段階になって初めて理解可能になる。
そこまで至らないと、理解しようのない心の境地である。 ある本に…
<悟りの境地を具体的に知りたいなら、嫌われている人を、好きになる心持ち>
とあった。成るほど! ここに至るのは、よほどの心の鍛錬と修業が必要となる。
  「瞑想の段階」とは、と検索すると…
<I.心理的成長(深層意識の浄化、人格の向上、煩悩[貪瞋痴…]の気づきと減弱)
 II.善心の強化(気づき[sati=マインドフルネス]、平静な心、理性に基づく
 確信、慈悲心、悪を恐れ恥じる心、など)
 III.積徳(功徳を積む、波羅蜜の涵養、業果としての幸福の招来、など)
 IV.悟り(4段階の悟りへの道を目指す、究極の悟り=煩悩の滅尽 =苦しみ
  からの解放=涅槃=解脱) >
 ―
▼ 現に何人の顔をイメージして、やってみると、成るほど、そんなものか!
 と納得出来るような、出来ないような。

 ――
   * 昨夜は、中学校の同期幹事会
 年に一度の中学の同期会。春先から事前の三回目の幹事会が昨夜、行われた。
大たい15名、集まるが、昨夜は12名が出席。二次会には10名が参加した。まあ、
地方特有の、濃厚の会。それぞれ持病を抱えているが、何とか… 9月28日の
同期会の出席予定が44名。昨年は、46名だから、こんなもの。今まで一度も
出席しなかった人が6名、加わり、全体が2名減というから8名が、約2割が欠席
になる。ホテル宿泊予定が8名。 古希の坂を乗越えて、人生を俯瞰する年齢に
なってきたということ。74歳になれば男の場合、平均介護年齢であり、あと
1年で、後期高齢者になる。ここに参加出来るのが、15%。それだけでも、
感謝しなければなるまい。

・・・・・・
6390,心に残った言葉 〜とにかく全部書け! 〜2
2018年09月11日(火)
   * とにかく毎日書け!
 「いま、ここ、わたし」は、過去、現在、未来も同じく永遠に垂直に立ち上がる。
一テーマを書き続けた後、5年、10年、15年後に読返すと、何気なく書いた内容が、
読返す度に違った視点に変化する。何もかもを書きだすプラス、マイナス面がある。
22歳から24歳にかけての具体的日常の細事の記録こそ、半世紀を超えた魂の宝。
 人生の変り目の感情と理性そのままの心象風景の記録は、現在の自分の心底で
共鳴する一番の話し相手。例えば「1968年10月」「青雲寮」の検索で、当時を呼び
出し可能になる。 この随想日記は、「とにかく一テーマの自分で納得する文章を
書きつづける!」が、目標。旅行中は、身近な人に頼んで、書き下ろしていたのを、
コピペをしてもらって凌いでいた。「とにかく毎日書きつづけろ!」 
全部じゃないとしても!
以下の文章は、16年前に書いた、50年前の日記の内容。具体的メンバーの名前と、
一日の記録が記されているにすぎないが、私にとって銀色に輝く青春の魂の記録。
しかし、もっともっと具体的な心象をの全てを書いておけば良かった。
その中でも、比較的に具体な一日の描写があった。当時の非日常のため記録した
のだろう。書き記してないと、忘却の彼方に消えていたはず。

――――
< 2002/10/27
 ある時間の断片ー7 
          1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。自家用車持参のゼミ員の車で、
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスへ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
―――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が
付いてなかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによってきて一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは
本当に良い青春の財産だ。 >

―
▼ 孤老化している使用後の現在と、雲泥の差があるが、当時は当時。
 「未来とは、今である」 当時の、日記を読み、毎日、17年分の
 テーマ日記の幾つかを再読するにつけ、とにかく、毎日、書きつづけて
きて良かったと実感する。他のノートもあり、こっそりと胸の内を書いては
いるが、やはり、公開を前提にして書上げる内容が違ってくる。その方が、
偽善の内容になっていくところが絶妙である。公開すると、それが即、
見抜かれるため、シリアスかつ、露悪に成りざるを得ないのである。
エゴまるだしの「このバカが!」と思われてこそ、面白い筋立てになる。 

・・・・・・
5658,『エゴの力』�◆ 疏輜�
2016年09月11日(日)
          『エゴの力』石原 慎太郎 (著)
   * 『エゴの力』�◆ 疏輜�
 「エゴ」といえば、日本人にはマイナーな印象だが、包丁と同じで、使い方
次第でプラスにもマイナスにもなる。綺麗ごとで人生を切り開けない。
「健全なエゴを如何に内に育てる必要性」を著者は説く。江戸幕府は士農工商
の身分制度の中で、エゴを抑えることが美徳とされた。考えないこと、他人と
同じであることが、第一とされていた。<エゴイスト>は、社会から抹殺される
環境にあった。  =アマゾンの内容紹介=
《 織田信長もイチローもヘミングウェイも…成功する人物はみんな真っ当な
“ジコチュー" 「怯むな」「おもねるな」「諦めるな」悔いのない人生を送る
 ための新たなバイブル!【人生を決めるのは神でも仏でもない。己の感性だ】
・思いつきが報いられる組織は伸びる ・織田信長こそ完璧な自己中心主義者
・感性を磨きたければ趣味を持て ・強固な自我で老いと向き合う名選手たち
・恋心というエゴの恐ろしさ ・浪費こそが最大の貯金
・日本という国の「エゴの資質」 etc…
恋愛、結婚、進学、就職、転職、起業…人は人生の岐路で悩んだ時、第三者の
助言やマニュアルを頼ろうとするが、結局何を選択するかを決めるのは自分自身。
その人の「エゴ」である。つまり、失敗しない人生を送るには強くて健全なエゴ
を育てるしかない。博覧強記の著者が古今東西の文献、偉人の足跡からその人物
のエゴが光り輝いた感動的瞬間を蒐集。人生の定理とともにエゴという力の
蓄え方がよく分かる画期的自己啓発エッセイ。
▼ 私の身近にも、「エゴの塊」のような人がいる。エゴイストほど、それを
 オブラートに巧妙に包む知恵がある。エゴとは、その人の感性というが、
理性ー>悟性ー>感性の三重構造のベースを、自ら明確にしておくべきである。
個性は、この三重構造のベースそのものと言える。創業、起業は、「エゴイスト」
に徹しなければならない。そのカエリ矢が、今になって次から次へと、突き
刺さってくる。だから、日々が面白いのも事実。極限を超えようとする時に、
エゴが顔を出してくるのは、誰もが経験すること。エゴを蔑む人は、極限に
立ったことの無い人だ。俗にいう、「世間様たち」「行動範囲数十mの人たち」。
家内に言わせると、そういう人が実に多いらしい。 ジムと近所のSM以外、
何処にも行きたがらない人たち。 そういえば、最近の私も似たようなものか。

・・・・・・
4928,パワレルな知性 ー6
2014年09月11日(木)
     * 人間の持つ二重性    『パワレルな知性』鷲田清一著
 「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも1トンの塩をいっしょに
舐めなければならない。」と、須賀敦子に諭したイタリア人の姑の言葉が、
古典や人とのつき合い方についての根本を示している。人間は、40億年の
生命の進化の歴史を背景に持つ複雑怪奇な生きもの。自分の中にある
グレーソーンに多くの何かが隠されている。 ーその辺りからー
≪ ・・白黒つけられないこと、グレイゾーンにあることこそ、じつは大きな
 意味をもっているのではないかとおもってきた。「噛みきれない想い」を
抹消しないこと、それが思考の次のステップの火床になるのではないか、と。
そのことを日常のさまざまな局面で確かめてみたかった。わたしは子どもの
頃から、物ごとを見るとき、表面上の意味とは反対の意味を背後に透かし
見る癖があった。その癖の源となったのは、幼少期のある体験である。
 わたしは、京都の下京区という下町の生まれである。お寺が多く。
そこを通り抜けると島原という花街があるという土地柄で、わたしは子ども
のころ、若い修行僧や芸妓さんとよく道ですれ違った。修行僧は冬でも裸足
に草履履で、服装もきわめて簡素で、逆に、芸妓さんはきらびやかなきもので
着飾っていた。子どものころのわたしは、「お坊さんは寒いのに可哀相やなあ」
とおもい、「芸妓さんは優雅やなあ。おいしいもの食べ、きれいなきもの着て」
とおもったものだ。 しかしその後、そうした表面的な印象とは逆の面が
見えた出来事があった。
・一つは、祖母から「お寺さんは貧相な格好に見えるけど、わたしらが知らん
 『浄土』という、この世にはない幸福を知ってはるんよ」と言われたこと。
・もう一つは、芸妓さんがお座敷に出る前に地味な洋服姿で銭湯に行き、
 帰り道にお宮に参って「早う故郷に帰れますように」と祈っている姿を
 見たことである。
貧相の極みに見えた修行僧の心にはこの世ならぬ幸福があり、豪奢の極みに
見えた芸妓さんの心には寂しく哀しい想いがあった。わたしはそのことを
知って、「物ごとって、見た目だけやないんやなあ。わからんもんやなあ」
と、世の中に対する見方が少し変わった気がした。わたしが哲学の道に
進んだのも、子どものころから身についた‘物ごとの裏側を見透かす癖'
が遠因となったのかもしれない。・・・ ≫
▼ 実家が衣料小売商をしていて、4階建ビルの3Fに4〜10歳まで育った
 ため、日常が戦場真只中! その上に両親を含めた10人家族と、住込み
従業員が4Fと2Fに同居していた。更に猫と、猿と、犬が、同居とくれば、
まさしく小説の世界。そこで、子供ながらに、様々な不条理の場面を見てきた。
子供でも、裏と表が分かるのである。そこでは、まずは自分を自分自身で守る
しかなかった。その中で姉たちは、成績優良だったから、いま考えると不思議。
その末っ子となれば、「沈黙こそが金」を身につけざるを得なかった。
全てがグレーゾーンで、裏も表も、斜めも、底もある生々しい世界で、娑婆
そのもの。それが、その後の社会経験の中で、危険な場面を乗越えるノウハウ
になっていた。 直感的リスク管理が、幼児時代に身についていたことになる。
人間科学を学び続けて知ったことは、『人間の持つ多重性』である。 
幼児、少年時代の、この体験の上に、学生時代の寮生活と、武澤ゼミの
「ケーススタディ」が加わっていた。今回の節目の一連の構えを備えていた
のも、それらの蓄積があればこそ。人間の持つ多重性の奥底を知ればこそ。 
で、この結果、この様だから、何を言わんか。それにしても、見え過ぎるのも、
面白い反面…?奇妙なもの!
 後記)ところで、読み返してみたところ、私の内容の方が中味が濃い? 
    いや、丁度よい? 悪い?
・・・・・・
6024,明るく死ぬために 〜1、まずは内容紹介から
2017年09月11日(月)
        『明るく死ぬための哲学』中島義道 (著)
 この春に出たばかりの、中島の本。「どうせ死んでしまう」と、死に対して
異常なほど恐れ慄き、逆に直視して、どこまでも堀下げている。死のイメージ
は暗く、絶望に満ちている。あれだけ気丈の人が、目先に余命を告げられると、
その恐怖に、恐れ慄く。数十年、いや、一生かけて自問自答して、自分自身で
土台を構築をしておくべき問題である。「人間は死なない。なぜなら自分が
死ぬことを見ることができないから」というエピクロスの言葉が実に納得できる。
 成るほど、70歳を過ぎると、後方から前方に回って近づいてくるというが…

  ー内容紹介ー
 私が住んでいる世界、私が見ている世界は「このようにある」のではない。
客観的世界のあり方と、「私がある」というあり方はまったく異なるのだ。
「私がある」とは、私がこの世界には属さないということである。
では私が死ぬ、とは果たしてどういうことなのか?
私が死ぬとき、私は新しい〈いま〉に直面する――。
子どものころから死とは何かを問い続けてきたカント哲学者が、
古希を迎えて改めて大難題に挑んだ哲学的思索。
 はじめに
1章:古希を迎えて
2章:世界は実在しない
3章:不在としての私
4章:私が死ぬということ
  =Amazonビュアーより=
《 中島哲学に最も共感を覚えるのは、それが死を ―とりわけ「私の死」を―
 モティベーションとしている点である。「哲学の最大問題は死である」という
中島の言葉には全く同感であるし、ともすればタブーになりがちな死を真正面
から論じているのは哲学だけであろう。「死がなければ哲学もなかった」と
ショーペンハウアーも言っている。
 一般常識によれば死とは「世界から私が消滅し、私の死後も世界は存続する」
ことを意味する。しかし中島はその残酷さに耐えられなかった。そして二つの
突破口を見出す。
・一つ。世界はそもそも実在しない。よって私が死んでも私は何も失わない。
・もう一つ。私はそもそも実在しない。実在しない私が消滅することに意味はない。
 中島は自分が消滅して世界が存続するよりも、自分の死とともに世界が消滅
する方がまだ救われるというようなことを言っている。しかし自分は全くそうは
思わない。どうせ自分が消滅するなら、むしろ世界は存続してほしいと思う。
そのせいもあるのか「世界は実在しない」という中島の一方の戦略は、それが
正しいか否かは別にして、少くとも自分にとって死の解毒剤とはなりえなかった。
 むしろもう一方の「私は実在しない」という戦略の方が、自分にとっては
はるかに有効だと思われた。もっとも「私は実在しない」という議論自体は、
それほど目新しいものではない。サルトルは対自存在としての私を「無」として
定義したし、永井均の自我論もとどのつまりは<私>を身体や記憶とは無関係な
「世界の原点」として位置づけている。ドーナツの穴はドーナツを食べても
何一つ傷つかない。 しかしながらもう一つ、中島の指摘していない突破口が
あるような気がする。それは「私にとって死は実在しない」というものである。
 死は必ず他人に訪れる。私が死ぬとき、私はもうそこにはいない。エピクロス
が言うように「死があるときわれわれはなく、われわれがあるとき死はない。
よって死とわれわれのあいだにはいかなる関係も成り立たない」。
私と死はあくまでも無関係にとどまる。そもそも私が死ぬことは証明されていない。
未来は常に不確定であり、私と他人はあくまでも別人である。しかるに今まで
死ななかった他人が一人もいないという過去が、私の死という幻想を未来に描き
出す。死の絶対的確実性は、過去と未来の同一視、他人と自分の同一視という、
実は何の根拠もない二つの倒錯に由来する。 その倒錯は、おそらくは言語に
よってもたらされた(この点では中島と一致する)。死は言語というプログラム
において不可避的に発生したバグである。死が誕生した経緯をひもとけば、
それが幻想に過ぎないことが分かるかも知れない。もっとも分かったところで、
それを消すことはできない。死を忘れるということは、人間であることをやめる
ということだ(それでも死を忘れることができれば、人生はどんなに明るく
楽しくなることだろう)。
――――
▼ これまで、挫折し、打砕かれた時、〔どうせ、死んで無に帰すのだから〕と、
 解毒剤にしてきたが、解毒剤そのものが、激痛の元になる? 平均80数年の地球
滞在が終盤に至ろうとする現在、「世界は世界として、ありのままにいて欲しい」
というのも、観念でしかない。「そこそこの人生なら、その真逆の人生が良い」
と、死は教えてくれる? それを信じて疑ったことにない私に、最後の最後に、
『神が教えてくださった!』 何を?『ほどほどの人生は、ほどほどにしろ』と。

 


6752,閑話小題 〜何故にまた、巨大災害が続くのか?

2019年09月10日(火)

           〜NHK<地球大変動の衝撃 
             第5週『日本に迫る脅威 激化する豪雨』〜
    
   * 地球大変動の衝撃
 NHKが<地球大変動の衝撃第5集 『日本に迫る脅威 激化する豪雨』>
を先日、見た直後の首都圏直撃の台風。今後の過ってなかった巨大台風の到来を
予測し、この傾向は一時的に治まることがない!と断言するシリアスな内容。
これに地震と火山噴火が加わるとしたら… 特に表日本側沿岸は如何なることに? 
とはいえ、一般庶民には、如何にもならないこと。首都圏で住むなら、埼玉?
温暖化が進む中で、このような異常気象が増える…?
単純化して言えば「温暖化とは水の循環が極端になる現象」と言える。
 
 温暖化で、通常、陸や海から水分が大気中に蒸発、やがて雲を作り雨になって
循環する。蒸発する水分が大幅に増えた結果、水分を奪われた陸地では乾燥化が
進み、干ばつや火災のリスクも増加する。一方、熱帯の海ではさらに大量の水分
が蒸発し、大気中に含まれるようになる。しかも、海水が蒸発する時に奪う熱が、
形を変えて大気を運動させるエネルギーになるため、台風などの暴風雨が強く
発達しやすくなり、大気に含まれた大量の水蒸気は豪雨をもたらし、洪水や土砂
崩れにつながる。このように温暖化が進むと猛暑だけでなく、雨が降る所では
豪雨災害が深刻化し降らない所では干ばつが深刻化と両極端な現象をもたらし
やすくなると考えられる。国家予算は、支出が収入の二倍を超える中、破綻は
時間の問題。ある日、突然、現在の韓国並みの国家に… 恐ろしい限りである。
 その日本における客観的実態を、よくぞシリアスに映像化したNHK。
NHKという存在意義の面目躍如の特集である。 少し褒めすぎ?
 ――
NHKスペシャル 巨大災害 MEGA DISASTER
地球大変動の衝撃 第1集 異常気象 “暴走”する大気と海の大循環

【収録内容】
■第1集 『異常気象 “暴走”する大気と海の大循環』
東南アジアでは海面上昇に豪雨が追い打ちをかけ沿岸部の町を破壊、ロンドン
や東京などの大都市もこれまでの水害対策が通用せず未曽有の被害が予想される。
番組では、地球の“大循環”を可視化し、最新の観測データやシミュレーション
が明らかにしつつある将来の気象災害の姿を見つめる。

■第2集 『スーパー台風 “海の異変”の最悪シナリオ』
台風は、熱帯の海にたまった熱エネルギーを温帯に循環させ、均衡を保とうと
する地球の巨大なシステムの一部でもある。しかし、今後も海水温が上がり
続ければ「スーパー台風」が頻発し、日本を襲う可能性が高まる。暴風によって
送電網の鉄塔が倒れ大規模停電が発生、高潮で都心まで浸水…、最新の
シミュレーションからは大都市の新たなリスクが見えてきた。大気や海水の
ダイナミズムが生み出す、地球最強の気象災害「スーパー台風」の脅威に迫る。

■第3集 『巨大地震 見えてきた脅威のメカニズム』
インドネシアや日本、チリなどで相次いで発生している巨大地震。
地球を揺るがすほどの膨大なエネルギーは、どのようにして生まれるのか。
いま科学者たちは、地震波データを解析することで地下の構造をレントゲン写真
のように可視化する最新の“地震波トモグラフィー”を使って、そのメカニズム
に迫ろうとしている。番組では、地震波トモグラフィーが解き明かし始めた
地球内部の挙動から、巨大地震の発生メカニズムを読み解いていく。

■第4集 『火山大噴火 迫りくる地球規模の異変』
地球の歴史上、繰り返されてきた火山大噴火。現代の私たちが経験していない
大噴火は、地球環境や人類にどれほどの影響をもたらすのか。火山研究の最前線
を取材し、その脅威の姿を見つめていく。

■第5集 『日本に迫る脅威 激化する豪雨』
 2014年、西日本の太平洋側では平年比301%の史上最多の雨が降り、全国的にも
記録的な大雨によって土砂災害や水害が相次いで発生した。最新の研究から、
日本列島に流れこんだ大量の水蒸気(暖湿気)が大雨を引き起こしていたことが
明らかになってきた。番組では、地球規模の大気と海の異変から日本を襲った
今年の異常気象を徹底的に解明。激しさを増す豪雨に私たちは、どう備えれば
よいのかを考えていく。

 ――
▼ 地元ではタブーかどうか? 柏崎刈羽原発が稼働して以来、地元の積雪が異常
 なくらい年々、減ってきた。世界最大の原発規模というのも、誰も口には出さない。
しかし東北大震災以来、その脅威を口に出すように… 彼らは、そこが地震帯の
真上にあることを知っていた上に、この計画を強行した事実が表面化してきた。
本来、地震と火山大国には、原発建設は無理があったが、目先の利権に、政治家、
利権団体も、目を逸らして… まあ、酷いことを…。とはいえ、資源貧国の日本に
とって、必要悪でもある。経済成長は国家としては絶対条件である。太平洋戦争の
敗戦以来、このかた。アメリカに次いだ経済規模に成上った付けが、返り矢として、
そのまま、災害として表立ったとみると、皮肉と言えば皮肉である。終戦直後に、
この日本に生を受け、ある意味、『起承転結』を、人生として経験できたことは
最たる幸運だったということか。 成るほど、その手応えは確かにあったような!
 
 で、脈絡として以下に続いていく。 これも偶然だが!
・・・・・・
6389,心に残った言葉 〜とにかく全部書け! 〜1
2018年09月10日(月)
    * 未来とは、今である。
              ーマーガレット・ミード―
 この随想日記を含めて、ダイアリーなどに小まめにメモをする習慣があるが、
数年前からは、この二つ以外のメモをすることが少なくなっていた。何でもいい
からメモは、その時点時点の心象風景を表現している。随想日記に全身全霊を
入れているため、日々の魂の刻印になる。それを毎朝、書きしるし、過去の同月
同日分の幾つかを読返すのは、内省になる。その上、キーワードでHP内検索が
出来るのが非常に便利。 例えば『娑婆』と入力をすると、17年分、6千数百の
テーマの中から文章を検索、羅列してくれる。正しく「未来とは、今である」
として、いま現在、考え、書いていることが未来の今に、再会可能にしてくれる。
ネットサーフィンで、ある名言集のブログに、「未来とは、今である」があった。
毎日、書き続けるのは、今を未来に刻印することでもある。目標、夢は必要と
明確に示した内容である。

≪ 将来の夢や目標が明確になっている方は、
 いまやらなければいけないことも、おのずと見えるもの。
一方で、まだ将来の目標が定まらず、
いま何をしたらいいのか悩んでいる方も多いとおもいます。

わたしのまわりでも、
「今後のために いま何をすべきなのかわからない」
という話を聞くことがあります。
そんなとき、映画『メンフィス・ベル』のシーンをおもいだすことがあります。

『メンフィス・ベル』は、第二次世界大戦中の英国にある米軍基地を舞台と
した映画。とても危険な任務のなか、爆撃機「メンフィス・ベル」は、これまで
唯一、24回の出撃を無傷でのりきっています。25回目の任務を終えて故郷に帰る
ため、最後の飛行に向かう10人の若き乗組員のストーリーです。

最後の目的地に向かう途中、メンフィス・ベルと並んで飛行するのは
初出撃となる「マザー・アンド・カントリー」。
その新人無線士がメンフィス・ベルの無線士ダニーに無線通信をおこないます。

新人「 こちら、マザー・アンド・カントリー メンフィス・ベル応答願います 」
ダニー「 何事だ? 無線は緊急用だぞ 」
新人「 すみません、ちょっと質問が飛行日誌についてですが、
   無線連絡はすべて書き留めた方がよいのでしょうか? それとも。」
ダニー「 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる もう切れ 」
新人「 どうも、お邪魔を 」

このシーンが今でも気になるのは、ダニーの
『 ぜんぶ書け、何が重要かは、後からわかってくる 』という言葉。
それは、人生にも当てはまるのではないかと感じます。すべてを書き留める
ように、社会のなかで大きく目をひらき、耳をかたむける。そして、経験し、
感じ、考え、学び、そこから小さなヒントを得る。 その繰り返しのなかで
いつか自分にとって、本当に必要だとおもえるものが見えてくる。
だから、いま何をすべきかわからなくても、あせってその答えをだす必要は
ないとおもうのです。わからないのであれば、自分が好きなことに本気で打ち
込めばいいとおもうのです。そこにも必ずヒントがある。

若い命をかけて、メンフィス・ベルやマザー・アンド・カントリーに乗り
こむ乗組員たち。今日死んでしまうかもしれない彼らも、目の前のことに
全力をつくし、明日のために教えを請い、明日のためにアドバイスをする。
その姿から、どんな状況であってもすべては今にかかっているということを
学び、今日の名言『 未来とは、今である。』が心にきざまれます。  ≫

―
▼ 「何で、こんなことに全エネルギーを注ぎ込むのか?」
 私の場合、面白いという手応えと、充実感があるため。とにかく、書き
留めておけば、来年か、10年後の自分だけでなく、誰かが読んでくれる。
私にとって、「今こそ、未来そのもの!」 永遠である。

・・・・・・
5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年09月10日(木)
         ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
             〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ
  * 私の物語、私が書かずに誰が書く
 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー
を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、
バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。
それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き
残したもの。あとで余禄も書いてあったが。  〜その辺りから
≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、
自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界
の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け
されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、
同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。
 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の
物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットやヘンリー8世と
いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても
なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。
私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み
からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の
目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。
それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく
誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。
 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。
私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。
私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて
いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない
脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が
「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。
私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま
に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。
 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。
そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、
私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを
読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 
 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。
私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。
その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の
おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか…
それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の
本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。
そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、
わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、
故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する
侮辱なのである。・・・ ≫
▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、
 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。
物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、
他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、
壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。

・・・・・・
4927,パワレルな知性 ー5
2014年09月10日(水)
   * 専門主義と、教養     『パワレルな知性』鷲田清一著
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に
影響する経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、
音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の
自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ること
を可能にする。見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。
 ーその辺りからー
≪ 学者や専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、
専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外
の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度は
とれなくなってきた。 ・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、
じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうの
プロというのは他のプロとうまく共同作業ができる人のことであり、彼らに
じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと
伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けること
のできる人だということになる。一つのことしかできないというのは、
プロフエッショナルではなく、スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロで
ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。
「教養」とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てる
ことができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの
異なる視点から問題を照射することができるということである。このことに
よって一つの知性はより客観的なものになる。そのためには常日頃から、
じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、心懸けて
いなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいい
アンテナを張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族が
もっている感度の良さが必要である・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口
の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル
との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事
にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた
習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。
それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか
の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 
知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。
知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 
専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る
べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?


6751,閑話小題 〜yahooブログから引っ越し

2019年09月09日(月)



        『バードウォッチ』引っ越し先 ライブドア・ブログ
          http://livedoor.blogcms.jp/member/
   
   * 10数年のYahooブログの終わり
 今年に入って直ぐの頃、突然、Yahooが<12月15日付でブログのサービス停止。
を発表した。11月末までは大丈夫と安心していたが、8月一ぱいで書込みサービス
の停止を知らなかった。そのため、二日をかけて故障原因を調べてみたが、全く
解らずしまい。 仕方がないので、他のサイトへの引っ越しを早めることにして、
書込み不能の理由を知ることになった。 最近の秘・異郷ツアーの写真を載せて
いたので私にとって大事な行蔵を多く掲載してあるので、むべにも出来ず…
 まずは、引っ越し先のサイトの決定から始まった。慣れるまでは、違和感が
あるが、淡々と手順を踏む。今のところ、移行プロセスというところ。
 ―
   * 大相撲が始まった
 昨日から、大相撲が始まった。一場所15日×6場所=90日間。1年で4分の1が
大相撲に平均1〜2時間は取られる。現在は、白鵬、鶴竜の2強体制が、崩壊寸前。
あと1年持つかどうか? 若手の個性的な力士が多く見かけられるようになった。
好角家すれば、一番、面白い時節になっている。昨日さっそく、白鵬が敗戦を
きした。42回の優勝回数を誇る大横綱。問題はオリンピックでの「白鵬」の
横綱土俵入りのイベント。これまで、持つか否か。最近の楽しみ方は、幕下上位
から十両下位までの取組。そのご、1時間ほど、他の録画を見た後から、幕内の
後半からみると1時間半〜2時間になる。 立合いから数秒で勝負が決まるため、
その間合いにエネルギーが集中する。そこに、それまでの稽古の番数と、その
質量が現われる。現在の人気は『炎鵬』という白鵬の弟力士に集中。2倍の
大きさの力士とガチに取りくみ、五分の確率で勝つから何とも言えない妙味が
ある。
 ―
   * 異常事態が異常でなくなった日々。
 天変地異の現象が、頻度を増していて、「ああ、またか」という日常化して
いるのが気になる日々。時の権力者は、一番大事な、こういう対策をとるのを
避けてきた。その結果として災害のカタチで、私たちに、そのシワ寄せとして、
襲いかかってくる。過っては年に一度あるかなしかの大災害が、毎月、地域を
変えて、襲いかかってくる。 これは、次回のテーマになるが… ことは深刻。

・・・・・・
6388,閑話小題 〜まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑 −2
2018年09月09日(日)
   * 本当にどうなってる
 このテーマを書いてから一月以上が経つが、その後も、大阪直撃の台風と、
北海道の大地震が続いている。それも前回、書いた延長上の地区と捉えることも
出来る。さっそく、この異常気象に対する特番が幾つか組まれているが、当然の
ことだが、オウム教の死刑執行に関連付けてはない。地震と台風との微妙な関係
は実証が難しいため語られないのだろうが、地球規模の温暖化によるオゾン層
破壊に関連しているのだろう。今世紀中まで、人間がつくり上げてきた世界の
終焉の仮説も立てておくべきでは?
 ―
   * 何とも面白くなってきた!
 現在、モンゴル相撲に占拠されていた大相撲。 2人のモンゴル人横綱と、
大関の上位のアドバンテージ(張手、肘打ち風カチ上げ)の有効活用と、
逆に下位力士が張手が出来ないように稽古土俵で連合して潰しにかける暗黙の
システムが露呈。それにあやかっていた日本人横綱、大関まで、引退の瀬戸際。
それがTVで映しだすため、彼ら自身が大混乱に陥ったアヤを楽しむブラックを
楽しむのが何とも味わいがある。ところが、先場所から、大関以上が開き直り、
アドバンテージを再開。さて今場所は? 数場所内に稀勢の里。来年中に白鵬、
鶴竜が引退が順当だが、二年後の東京オリンピックまで現役の目標があるため、
平成5,6年生まれと、彼らとのサバイバルが、面白さを倍増させてくれる。

・・・・・・
2018年 8月4日
閑話小題 〜まだまだ続く、豪雨、台風、地震、そして熱暑

   * ますます災害の頻度が増していく
 オウム教の教祖と側近の幹部の大量の死刑の一週間後に、
・中国、四国地区で豪雨が発生、(以下にコピー…)
・その一週間後に、関東から上陸、左折して東海に向かう不自然な台風。
・その一週間後に、関東をかすって、右旋回をして東北の海岸沖に向かった。

 コジツケだが、オウム死刑囚の刑場を三回に分けて周ったことになる?
何かしら不思議な因縁の現象と思えないでもない。としても、形而上、表現しては
ならない仮説だが。恐らく信者の何割かは、この仮説をたてて当然。台風の季節
到来としても、毎週欠かさない到来。「バカバカしい」で終わる話だが。
まだまだ物語が、続いていくのだろうか… 
 
 こういう世界的異常気象などが頻繁に起きている時節に、何故か、トランプ、
プーチン、金主席、中国の習主席の顔ぶれが並ぶ。そして矢継ぎ早に、愚策が
公然と実施され、世界が息を飲む図式。世界的異常気象、本格的ネット社会の
到来、そして情報機器の果てることない進歩が、20世紀的社会構造を破壊する。
で、オウム教のようなカルト教団の勃興と衰退。

 NHKBSプレミアムで5年前から【幻解!超常ファイル ダークサイド・ミステリー】
の科学ドキュメンタリー番組がある。先日、この番組で、アメリカでは屡々、
社会現象としてUFO騒ぎが起きているが、これは第二次大戦以降から始まった。 
国家には、神話が存在しており、そこにはミステリーな物語が存在している。
しかし、歴史の浅いアメリカでは、それに替わる物語として「UFO、宇宙人との
遭遇騒ぎが代行している」と… オウム教と、この豪雨、台風を関係づけるのも、
カルトに手助けになるため、この辺りで打ち止めにする。
―
寅:7月末に、俺がさ、何か変?と、取上げただろう。その後さ、その変が、
 延長して続いていないかい?
熊:最後の、東北の海岸線への台風も仙台の刑場と、辻褄があってるね。
八:それがカルトの教祖の手軽の手法さ。でも、大本教祖の出口王仁三郎が、
 <空から火の玉が降ってくるぞ>と予言していたが、そのとおり、東京空襲、
 広島、長崎への原爆投下で、現実になってしまった。
寅:変な予言めいたことを言う前に、上手く隠したね。これもコジツケ?
大家:そう見れば、少しは面白いが、何か八つぁん、変じゃないか。
 前回の文章で、<魂で、対象の魂を屠る!> って話。あれ、やられた方は
 堪らないよ。でも、私も、あんまり腹が立ったんで、やってみたよ。
 10回でも、スッキリしたね。但し、アンタにね。

・・・・・・
4559, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー3
2013年09月09日(月)
  * 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた
 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が
絡むので、集団は非常に複雑でデリケートで、その研究から人間の本質が垣間
見ることが出来る。平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。
極限の生活で生きていく上で、常に分かち合うのが合理的であるからだ。
しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を生み出し、さらに
グローバル化が、それに拍車をかけている。 
≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、人食いとか
 カニバリズムは見たことがありますか。
関野〕うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。
たけし〕「人食い人種」とか言うじゃないですか。
アマゾンやニューギニアで、そうした風習はなかったのかな。
関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことは
あったけれど、それを食べたかどうかは分からない。生贄にする人間は、
誰でもいいわけではなく、強い戦士でないといけない。 勇気をもらうとか、
そういう意味があるんです。しかし、アマゾンで生き延びるために相手を
殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。理由は、
アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは
餓死することはあり得ない。・・・
たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、
慰謝科として何十万円か払ったら、次のレースから子どもを放り投げようと
して侍つている奴がいたらしい。そういうバカなことが起きてしまう。
関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源は40年以上も前に
ローマクラブが声明を出しているのに、経済が絶対的に右上がりでなければ
いけないと思ってしまうのは、やはり欲望のせいでずよね。欲望が膨れ上がる
ことによって、一部の人たちたけが富を独占しようとしているのが現代の社会。
アマゾンの人たちと暮らすと、すごく平等なんです。僕は人間が誕生した時に
平等でないと滅ぴていたと考えています。 なぜかというと、まず弱かった
ということが挙げられます。太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われて
いたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、
狩猟なんかできなかったと見ている。】
▼ レヴィ=ストロースの構造主義などがある。アフリカや南米で残っている
「未開人」の地に何千年も変わらない社会がある。そこは彼らにとって意味の
ある極めて合理的な社会である。決して、西欧が文明の最先端にいるのでは
ないのである。その社会の特徴は平等。文明社会は変化の積み重ねの結果の
産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が続いてきた。
そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。
その熱い社会の方が優れているという進歩史観に促われてきたが、それを
根こそぎ覆す説こそ見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が
出ているからだ。 私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、
追い越せで必死に生きてきた。そしてバブルの崩壊から、失われた20年から、
30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、未開社会にある「冷たい社会」
のシステム。 ここに至って何が「東京オリンピック」である。
あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。
「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない
劇薬であり最後のトドメ。年寄の冷水(酒)か? 
「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。
先がない私たちには、これでよいが? 
「それでは、落選した方が良かったか?」と、問われれば、
どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか!
・・・・・・
5291,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー��
2015年09月09日(水)
      ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号)
           〜心肺停止になって考えたこと 8! 中村うさぎ
   ☆ 「口先コミュニケーション」
 6月号を読んだ後、逆順の5月号の内容になる。私同様に、彼女もまた
世間様といわれる人たちを蛇蝎のごとく嫌っていて、その理由を、わざわざ、
「口先コミュニケーション」と項目を立てている。何も考えようとしない輩。
その言葉が、自らの想いや考えを伝えたり、まとめる手段ではなく、適当な
世間話の手段でしかないことを指摘する。彼らは、他者の理解など出来ようも
ないし、必要もない。何故なら、会話と対話の差異を知りようもないし、
対話など死際での家族とのやり取りか、窮地に陥った時ぐらい。『新潮45』
の読者にも、世間様が存在することもあって、「口先コミュニケーション」
というお品のよい言葉にしたのだろうが、この一連の彼女の手記の多くが、
ドブネズミたちに言いたいこと、そのままが素直に書かれている。
   〜その部分を抜粋〜
≪ 私には、人の気持ちがわからない。同じ世界に生き、同じ空気を吸って
 同じ場を共有し、同じ風景を見ているつもりでも、おそらく私の目に映って
いるものと他人の目に映っているものはまったく違っていたりするのだろう。
我々は「主観」という名の脳内世界を現実世界だと思い込んでいて、
それがどんなに歪んでいても気づかないし、たとえ間違いを指摘されても
おいそれとは自分の世界を描き変えられない。 こうして我々は、すぐ隣で
肩を並ぺている人とまったく違う風景を見ながら同じ体験を共有している気分
になっているのだ。そして、同じ風景や体験に一緒に感動しては、相手と心が
繋がったように錯覚している。本当は、それぞれが全然別の物語を生きている
というのに。ああ、諸君。このようなことを私はずっと以前から了解していた
はずだし、他人が感じていることと自分が感じていることは違うのだと己に
言い聞かせ、それを思い知らされるようなことが起きても動じない心づもりで
あった。 『が、実際には、私は何もわかっていなかったのである。』
その証拠に今回、自分を理解してくれていると思っていた人々がまったく
理解もしていなければ信頼もしていなかったこと、私と仲良くしてくれている
と思っていた人が私を蛇蜴のごとく嫌っていて陰でその心情を吐露しまくって
いたことを知って、心の底から驚いてしまった。こんなのは世の中によくある
ことなのだろうが、少なくとも私にとっては近年まれに見る出来事であった。
何故なら「周囲の人々」は心にもないお世辞や表面的な社交辞令などを言わず、
むしろ毒舌と呼ばれながらも本当に思ったことしか口にしない人々であり、
しかも言いたいことは相手に面と向かって告げる人が多いので、今回私を
驚かせた人々がずっとやっていたような口先だけのコミュニケーション作法
をすっかり忘れていたのだった。 だが、諸君、私は問いたい。
言葉が自分の想いや考えを伝えるものでなく、適当に相手をごまかすための
ものならば、我々は他人の言葉の何を信じればいいのか。そして、そのような
口先コミュニケーションが世間一般の常識なのだとしたら、「誠実さ」とは
いったい何か。そんなものは幻想なのか。少なくとも私は心にもない言葉は
絶対に言わないように心がけてきたし、たとえ相手にとって耳触りが悪くても
伝えるべきことはきちんと伝えてきたつもりである。それが「誠実さ」だと
私は思っていた。だが彼ら彼女らはそんな私を「幼稚」で「無神経」な人間
と思っていたようだ。 まあ、確かに「無神経」なのは認めよう。こんなにも
人の気持ちがわかってなかった私が繊細な感受性など持ち合わせているとは
思えない。しかし、それなら彼ら彼女らは、人の気持ちがわかっているのか。
少なくとも彼らは私が本気で語ってきた言葉を一切理解してなかったし
信用してもいなかった。私がどれだけ本気かわかっていなかったのだ。
彼らは私のことも自分たちと同様の口先人間だと思っていたのだろうか。
ならば、彼らはまったく私という他者を理解していなかったことになる。
そんな人たちに「人の気持ちがわかる」はずがないではないか。
彼らは私などより遥かに「空気の読める」人々である。だが、空気が読める
からといって、人の気持ちがわかっているわけではなさそうだ。(略)・・
・・ 私にとっては無意味な人間関係だが、それで彼らの世界が回っている
のなら、それでよかろう。永遠に空気なるものを読みながら、中身のない
価値なき言葉を吐き続ければいいのである。それが君たちの入生だ。
そして、そんな君たちの人生や処世術に、私は何の関心も持てない。
念のために言っておくが、私は彼らの人生に価値がないと言っているのでない。
彼らの人生には彼らなの価値がある。ただ、その人生においては、言葉に
価値が与えられてないだけ。彼らは言霊のない世界に住んでいて、そこでは
空っぽの言葉が行き来している。が、おそらく言葉ではなく別のものに
価値があるんだろうから、それはそれで、いいんじゃないかと思う。≫
▼ 死の間際から生き返り、改めて身辺を見たときの澄みきった感覚は、
 4年前の経験や、過っての色いろ味わってきた。 「うさぎちゃん」が
怒っているのも、彼女の、それまでの脇の甘さからくるもの。世の人は、
大体が、この程度のものと達観すれば、そこに慈愛が湧き出てくる。
それだけ、世人は口先人間が、目先で、口先で、空っぽのことで騒いで
いるに過ぎない。それを怒るとは、彼女自身も、同類になってしまう。
しかし、それらの多面をとらえて、全身で受け止めるのも彼女だからこそ。
『よくぞ、書いてくれた!うさぎちゃん』である。でもアフォか! 誰が?


6750,閑話小題 〜今度は、エピクロスですか!

2019年09月08日(日)


お知らせ! : Yafooブログの【バードウォッチ】が、
   ライブドアブログへ引っ越しました。
    http://horii888888.livedoor.blog/


    * 『老い』と「死」は一対、やはり
 
  ネット上にあったエピクロスに対する評論から
【  〜まずは、「死」に対する言葉から〜
 古代ギリシャの哲学者・エピクロスの
<私が存在する時には死は存在せず、死が存在する時には、私はもはや存在しない>
という言葉を知った時、長年悩まされてきた死の恐怖から解放されたのである。
<先ず、私たちは自分の抱いている死の恐怖を正直に認めなくてはならない。
次に、死を恐れることは理屈に合わないと認めなくてはならない。
死んだ人間には感覚が一切なく、母胎に宿る前の状態と同じだ。従って、死んで
いることは存在していないことと変わりない。自分が生れる以前のことを怖がる
人はいないのに、なぜ死を思い悩むのか。私たちの生涯が始まる前の何十億年に
亘って支配していたのと全く同じ無感覚状態なのだ。
一度このことに気づけば、死の不安はなくなる。死に対する恐れは、想像力が
生み出す妄想に過ぎない。死の恐怖にどう対処するかは、人によってそれぞれで
あろうが、私自身は、このエピクロスの考え方に沿って生きよう、そして死を
迎えようと、自分なりの覚悟ができた。エピクロスのおかげである。>
 ―
  〜次に「老い」に対する言葉も〜
< 若者がではなくて、美しく生を送ってきた老人こそが、祝福されている
 と考うべきである。というのは、男盛りの若者は、考えが定まらず、運に
よって、激しくもてはやされるが、老人は、かっては期待することすら
むつかしかった善いことどもを、損なわれることなく安全に感謝の念によって
包み、老齢を、あたかも泊まり場として、そこに憩うているからである。>
 ―
▼ この感情と、後悔と自虐が混同し、時には激しく、時には静かに、過去の
行蔵を撫でまわす日々。あとは、諦念が底なしに覆いくる。それが、老年の
風景となる。 15年前にエピクロスをテーマにしていた。その後の人生で
様々な思いが加わり、味わいが違っている。「老い」と「死」は一対である。
 読み返すと、次の一文が目に飛び込んできた。
<官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」であり、みずから足れりとすることだ。>
――――
2004/08/16
1231, エピクロスー哲学についてー29

エピクロスといえば、快楽主義の「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。
次に印象に残るのは、「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が
無くなるのだから,本人にとっての死は存在しない」という言葉である。

ー父が死期を悟り、その恐怖に恐れおののいている時に、この言葉を教えた。
父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。
言葉の力を思い知った出来事であった。

エピクロスは、
人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。
快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言。
しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。
 いや逆に、
肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。
官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」であり、みずから足れりとすることだ。
つまり際限ない欲望から開放されることである。豪華な食事や家に住んで、
心がかき乱されているより、貧しい生活でも魂が安らかにあるほうがはるかに
好ましい。その為に、思慮を深めることと説いた。
ソクラテスやプラトンは「よく考えることが、よく生きること」と、
説いたが、逆に「よく生きるために、よく考える」という人生哲学を主張した。

驚かされるのは、20世紀に登場した人文主義者と非常に似ていることである。
そして現代に広く受け止められている人生観が、紀元前4〜5世紀のエピクロス
の哲学において説かれていたのだ。また、仏教の教えにも相通じるところがある。

エピクロスの面白いところは、デモクリトスの原子論を受けついで,
この物質界には原子と空虚以外に何も存在しないと考えているところだ。
何も無いところから原子が現われたり、それが無に帰することなどありえない
ので、原子は永遠不滅といえる。しかし、原子の運動は予測がつかず、原子的
組み合わさったのも永遠に存在することはない。
つまり物質的なものは,つかの間の存在なのだ。

短い人生を、目の前の雑事におわれることなく、充実した人生を送ること。
その為に、静かな魂の満ち足りた時間をつくるべきという人生哲学が
2400年前の哲学者がすでに考えていたのである。

ーその為には以下の、ミッション・ステートメントを実行すべしということか。

・・・・・・
6387,閑話小題 〜話題の店「ドンキホーテ」に行ってみた
2018年09月08日(土)
   * ディスカウントストアで時計購入
 外出時に時計が見つからないこと屡々、老いを実感する時である。
葬式の引出物のカタログで5000円程度の選定したのがあるが、ほぼ使わず動か
なくなっていた… が修理を出す程でもなし。そこで近くのディスカウント
の「ドン・キホーテ」に行ってみた。10年程前に新潟駅裏の店の開店に行って
みたが、何かピンとこない感がした。
 しかし今回、買うと決めこんでいたためもあってか商品揃いに驚いた。
時計売場には980円から数十万のブランド品まで種類が多く、見ていて飽きない。
客を察知をしたコーナーの客向けに?安さを強調した購買を促すマイク放送が
店員かわりに囃したて、購入したくなる雰囲気を醸し出す。チョイ忘れ補助用
のため、カジュアルなデジタル時計にした。
 その後、普段、飲んでいる酒とツマミの値段を調べに酒コーナーに行くと、
酒飲みにとって一応、満足できる品ぞろえと価格。 成るほど、これでは客を
引き付ける訳と合点した。地方の自宅から車で7〜8分のところで、カジュアル
な雰囲気を味わえるのだから… 評価は90点。 老年の私でもワクワクさせら
れたのだから、若者にとって魅力のあるディスカウントショップ。酒の在庫が
切れたこともあり、今日の午後にでも再び行ってみようか? 
 年金暮らしに馴染んできたようだ!

・・・・・・
6021,閑話小題 〜何時の間にか準戦争事態に…
2017年09月08日(金)
   * 北朝鮮の迷走で…
・尖閣列島の所属問題や、北朝鮮の迷走で、何時の間にか準戦争状態の状況に。
戦争といえば太平洋戦争を思い浮かぶ。 この大戦で日本は300万人を超える320
〜350万人とも)戦没者をだした。(海外で亡くなったのは240万人(兵士212万人)。
国内、海外を合わせ100万人前後が民間人犠牲者。日本の歴史上、最大の事件。
・中国が尖閣列島を占拠をしても、アメリカは中国との直接対決を避ける?
その上に、追詰められつつ北朝鮮が過敏にアメリカを挑発し、非常に危険な
状況になっている。 ロシアか中国の謀略で、韓国か北朝鮮からミサイルを
撃ち込み火の手をあげれば、ソウル周辺の2千万人の1割、200万の死者が出る
可能性がある。当然、中東のイラク、シリア難民が欧州に数百万も、なだれ込ん
だように、日本と中国にも大挙、流入する。北にとって、人畜無害の日本は、
恐喝には最も効果がある。その前に、潜り込んだスパイのテロも想定できる。
・このまま、北朝鮮の挑発が縮小するイメージが出てこない。「何処かで必ず!」
と考えるのが妥当。実戦を積重ねてきたアメリカとの長期戦は考えられないが、
泥沼に陥る可能性も充分にある。とにもかくも、両国のトップが軽すぎ。
朝鮮戦争は停戦のまま。 
・朝鮮戦争をネット検索すると〜
【朝鮮民主主義人民共和国 (北朝鮮) と大韓民国 (韓国) の間で 1950年6月
に始った紛争で,およそ 300万人が命を落した。米軍主体の国連軍が韓国側に
立って戦争に参加し,また中国が最終的に北朝鮮支援に動いた。戦況は目ま
ぐるしく変化した末,戦争は 1953年7月,決定打のないまま終結した。】
 再び開戦となれば、300万では済まないが、そこが北朝鮮の狙い目。
北の原子炉が破壊されると、放射能が日本上空に降り注ぐことになる。
まずは、今月、いや、この一週間が… 心配しても、これだけは!
 日本は、東京オリンピックで御祭り騒ぎ。如何なっていくのでしょうか!

・・・・・・
5655,『エゴの力』 �  創家颪海修�最大の預金
2016年09月08日(木)
             『エゴの力』石原慎太郎著
   * 浪費こそが最大の預金
石原慎太郎の著書に、「浪費こそが最大の預金」と、あった。二人の息子に、
スペイン、インド、エジプト・トルコ、ベネゼイラなどに連れていった。
一見、浪費だが、青少年期の、これらの経験は大きな預金になっているはず。 
何事も、若いうちの経験が大きい。
 倒産というカタチで会社整理をしたが、今では未練も後悔もない。実際に、
父親の影響もあり、創業(狂気)を目指し、自分を狂気の道具(凶器化)をし、
捨身で生きてきた。最後に(家族の手持資産)が数分の一になったが、元金の
数十倍を楽しみ、行蔵として最大の預金が残った実感がある。 そのため、
「浪費こそが最大の預金」という言葉が実感できる。
 半世紀前の学生時代の「欧州30日の旅」が、今の300〜350万の費用だった。
幼児期からの大晦日に父などから貰った「お年玉」の積立金を、高校入学と
同時に金銭教育のためか、父親に何かを自分で選らべと勧められて買った株式
の20数万の元金があった。欧州に行きたいと決心した時、これをベースに10万
を貸して欲しいと、母親を通して父親に頼んだ。頭の硬い父親がスンナリと
承諾したのは、20年近くかけた資金をベースにした計画のため。
 その30年後、母親の財産分与の話合いで、4人の姉たちに、
『あなただけ、父親が甘かった。学生時代に欧州旅行など私たちには考えも
つかないこと。それに、大学を2つも行かせてもらって。不公平過ぎる!』と
詰られた。私にすれば、情報を得て、求めたからである。で、浪費の話に戻る。
 創業から、幾つかのホテル物件に30数億以上を投資をし、最後は、数羽の
ブラック・スワンの到来で、あえなく事業清算に至った。結果からして浪費に
なるが、その経験は、その数倍の心の預金が残っている。 その辺りは第三者
に全く理解できない。浪費は、あの世に持っていける。 
そのことを学生時代に、「欧州旅行」の浪費?から、学んでいた。
 30億の投資経験の楽しみと、生きている内に失った経験は、あの世に持って
いける。これは実体験をしてこそ分かる感覚。『100億残すより、100億失う方
が、その人にとって真の財産になる』という道理。同時に、敗者の泣き言でも。
 〜これも、偶然だが、以下の同月同日のテーマに脈絡が繋がる〜
これからすると、私には、起業には向いてないことが実感できる。 ったく!
 
・・・・・・
5290,起業こそ、自分を超えていく道 〜『自分を超える法』ー��
2015年09月08日(火)
            ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * 起業こそ、自分を超えていく道
 ここで、「自分を超える5つの方法」を提示しているが、キーワードは
『起業』。実績あるの起業家が書いているだけに説得力がある。
   〜アマゾンの内容より〜
〔考え方さえ変えればお金は必要ない。世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ
 の「史上最年少トレーナー」として活躍するピーター・セージ。22社の会社を
経営し、1兆円ビジネスを手がけるビジネス界の若き天才。
その「世界初の著書」で語られる、自分を超える「5つの法則」とは。〕
 【著者プロフィール】からして面白い!
イギリス若手No.1起業家。お金を使わずに、ビジネスを作り出すプロ。
世界No.1マーケッター、ジェイ・エイブラハムのビジネスパートナー。
資金なしから22社の企業を成功に導き、そのビジネス手腕は世界的に高い。
 過去に二度、ビジネスパートナーを選び間違えて無一文になったものの、
2回とも再起してすぐに億万長者に戻った。また、3カ月間で、資産ゼロから
5億円の不動産を買うなど、極めて短期間で大きな結果を出したことで知られる。
 最近では、起業家精神の分野で、世界のトップビジネススクールの1つである、
INSEAD(欧州経営大学院)の顧問委員会(パリ)に招聘されたり、学生企業家
協会の世界大使としてCEOに任命されるなど、経営のかたわら、講演家や
コンサルタントとしても活動中。 また、ピーターは年に約1カ月間、自発的
にボランティアとして世界中を旅をしており、チャリティとして世界中から
のべ数千万円もの金額を集めた。現在は「スペース・エナジー」という
事業に携わり、宇宙空間で太陽エネルギーを発電し、地球に供給する
「1兆円プロジェクト」に取り組んでいる。
▼ プロフィールだけでも面白い。起業を勧めると同時に指導者でもある。
 規模が桁違いだが、起業原理は納得する部分が多い。何かを決めるとき、
「安定感」を基準にすることより、「居心地のよい不安定」を優先せよ、
とは、成長過程では当然のこと。チャレンジ、チェンジ、コンペティション
の成長サイクルでは不安定感がつきもの。20歳代に、この本が傍らに
あったら、また違った人生になっていたはず。世界が大きく変化する中、
適応した新システムを提供することで、基盤を拡大するには起業しかない。
その点で、まったく力不足だった自分を思い知らされる内容である。
「優秀な起業家に、優秀な指導者あり」ということか。今さらだが・・

・・・・・・
4925,パワレルな知性 ー3
2014年09月08日(月)
   * カフェという集い −�◆    悒僖錺譽襪蔽寮�』鷲田清一著
 カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読
するうちに、全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。
今では年に一回参加しているが、30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、
肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、一種のカフェのような集い
の場を求めたため。とはいえ、当初は営業ネタを探して参加する人が過半数は
いたが、それも良しだった。 ところで、学生時代の寮がまさにカフェの
ようなものであった。今でいうシェアハウス。大きな屋敷の一角に、平屋で、
4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、角が炊事場と洗濯場
で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。
各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮という
ものだが。炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが
幾つか並んでいると、つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。
そこでは、読んだ本や、政治経済、現在進行形の恋愛の話題が中心になる。
寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が半数を占めていた。 雰囲気は、
まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり! 
その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。
そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、
ごく当り前に交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州
旅行の仲間と、クラスの友人の網目が出来ていて、広いコモンルームや、
中庭、学食で誰かと話をしているかであった。学生だからこそ、自由に様々の
人と邂逅しえたのである。 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、
それぞれの立場があって、自ずと人間関係に制約があるが、学生時代は、
思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の恵まれた環境があった。
『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も
良かったことになる。プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、
不満もあったが、この環境が最良だったことに、これを書いていて気づいた。 
この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、<人間には、教養とは別に、
想像を超えた、善良と邪悪が混在する人が存在する>ということを、知ること
になる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。 
 秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない
人たちと1〜2週間、親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをして
いるので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが様々な情報の宝庫のため、そこは
ツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。
 私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな
人がいる。いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか! 
共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、
カフェの集いの面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』
になる。 時々、塩昆布茶も出るが。




6749,読書日記 〜「魂の」思想史 ―4

2019年09月07日(土)

            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
   * 天体の音楽と魂の浄化
 天文と、数学と、音楽を結び付け天体の音楽を魂の浄化に結び付けた
ピュタゴラス教団には、驚嘆するしかない。 その一つが「完全」音程との
出会い。ソクラテス、プラトン、アリストテレスの古代ギリシャの一群の
哲学者たちが生まれる直前には、こういう人物が多く存在していた。
 まずは「ドレミファ…」の発見がある。そのピュタゴラスを批判した
ヘラクレイトスなどの博識。彼は、「ピュタゴラスは、一番研究熱心だったが、
あれらの本の抜粋を多く作って、それを、自分の知識とした。しかし、知恵と
いっても博識のことであり、ごまかしのことであるが。」と。折角、毎日の
見聞き、経験したことを忘却の彼方に、なるがままに消え去るのなら、その
一部でもと、18年半の間、習慣として、ここで記述して公表してきが。
しかし、それが、見識まで高めてくれたかと言えば、ヘラクレイトスの、
批判そのものが、そのまま、当てはまる。 フロー状態を2万時間も費やして、
何ですか?と、自問自答の日々。(いや、フローの状態だけでも、充分?)
 逆に、これがなかったら、何でしょうか? 何でもないだけですか!
息をしているだけ? その息が、ため息になること多し。

  〜ネット検索には〜
≪  ◉ ピタゴラスと「完全」音程との出会い
 ピタゴラスが音階を発明するきっかけが鍛冶屋。ある日、散歩中に鍛冶屋の
近くを通りかかったが、職人がハンマーで金属を叩くカーン、カーンという音
の中に綺麗に響き合う音とそうでないものがあることに気づいた。
 これを不思議に思った彼は鍛冶屋を訪れ、色々な種類のハンマーを手にして
調べ始め、やがて、綺麗に響き合うハンマーどうしはそれぞれの重さの間に単純
な整数の比が成立することを発見。2つのハンマーの重さの比が2:1の場合と、
3:2の場合は特に美しい響きに。 人間が自然に美しいと感じる響きの中に単純
な整数の比が潜んでいるという意外性や簡潔さに惹かれたピタゴラスと弟子は、
その後、音階を熱心に研究するように…
   ◉ 調和する音には数学的な規則性があった
 彼らはまずモノコードと呼ばれる楽器を発明しました。
モノコードというのは共鳴箱の上に弦を一本張って、琴柱(ことじ)を移動
させることによって、振動する弦の長さを変えられる装置のこと。
ピタゴラスたちは、このようなモノコードを2つ用意しました。
  実験の方法はこうです。
<片方のモノコードの弦の長さは固定しておきこれを基準にします。
 もう一方のモノコードは琴柱を動かすことで弦の長さを短くしていきます。
そうして2つの弦を同時に弾き、綺麗に響き合う位置を探します。 すぐに、
片方の弦の長さが半分になったとき、すなわち弦の長さが2:1になったときに
2つの音が完全に溶け合うことがわかりました。彼らはその後、他にも2つの音が
調和する場所がないかを探すと、2つの弦の長さの比が3:2や4:3  ≫
 
 ――
▼ 音楽には、その自然を背景にしたリズムがある。そこには、自然と調和する
音階とリズムがあり、それが、宇宙、大自然と同化させてくれる自然の魂である。
私たちは音楽で魂を浄化させられるのは、そのため。

・・・・・・
6386,閑話小題 〜野良ネコの話
2018年09月07日(金)

 最近のテーマで < 〜何やってんのか!〜 3日間×160人に対し、
老人一人×20分>をテーマにした。そこで何故、子供が、あのボランティアの
老人にだけ反応したのだろうか?の疑問が頭によぎった。幼児は捜索隊の犬に
怖れたが、野良猫には安心したのである。何故に? そう老人の終いの生甲斐
のボランティアの積重ねからくる人間の温みを直感したのでは? と。
野良猫といえば20年程前の記事を思いだした。
< 千葉駅前の伝説の猫 〜駅前で通勤の人たちの誰にでも愛されていた
 伝説の猫の話。人好きで、誰にも擦り寄っていき、旧知のように愛されて
いた猫。> ただそれだけの話だが、何故か頭に残っている。猫と人間の間
には、何万年か、数千年の付き合いがある。ネズミを捕るからである。
犬が外敵の番犬なら、猫は家内のネズミを駆除する役目と愛玩。
過って幾つかのテーマを書いてはずと、HP内検索をすると、やはりあった。
 昼は従順な犬に、夜は奔放な雌猫のようなのが多く居る!
 〜 その幾つかから面白そうな順に… 〜
――

2011/07/04
野良猫の話
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。 
某ゼネコンの担当で、4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、
その本社の営業会議で上司が営業の不甲斐なさを責め立てるに、
「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。それさえ出来ないのは野良猫以下だ!
と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞かされたことがあった。
その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、野生の本能を
使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、とことん
飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、その中で勝ち抜けない」という比喩を
言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、修羅場の
闘いの中で、獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。
この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、その言葉
を解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
私の知人が大手の??を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」
と頼まれたことがあった。その時に、長年、大組織を背景にした人が果たして
一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。振り返ってみて、
よくぞ、こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、
「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、外に
出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらない事態もある。
その覚悟があれば、上手くいく」と、偉そうに。 
 それでも本人は嫌な顔をしないで?聞いていた。 そのまま、その道に突き
進み、経験を生かして第二の職業で自己を確立している。そういえば、以前にも
同じような相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、
第二の人生をハッピー・リタイアーをした。
 ギリギリの野生の立ち返り、見栄も外見もかきすて、ただ成功させるに、
どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた状態で、計画をこなして
いくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、いや、もっと確率は低い。
それほど自立するのは難しい。だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業
のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。
本人は「頭を垂れて自分の方から聞きにくるかの第一歩からして計画のチェック
をしにきているに過ぎない。」で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、
はい、さようなら!である。 何かをやろとしたら、準備、準備、準備が全て。
準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上
で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、やれば結果は火を見るより明らか。 
否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、
血と汗を感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化して
きたかが、大きく左右する。それとて死んでしまえば皆、同じ。

――――
2013/04/03
隠居大学ーよく遊びよく遊べ −2
              『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』 
                    天野祐吉、お相手 横尾忠則
  * 第一時限 ー猫の自由に学ぼう 横尾忠則
 横尾の『猫の自由に遊ぼう』が面白い! 気の向くまま、飼主に気兼ねする
こともなく、自由気ままに時間を過ごす。これを御隠居と二重合わせにしている。
専業主婦の家庭は、亭主が犬型で、主婦が猫型に自然になっている。
家内をみると、つくづくと猫の生き方を見て取れる。亭主は会社で赤くなったり
青くなったり。しかし、猫型の主婦は、給料を持ち帰ってくれれば、我関せず。 
亭主は、リタイアー後も猫になりきれず、切れた首輪をつけたまま外をうろつく。 
元何某の肩書きなど何にもならない。リタイアをして新しい環境に直ぐに適応
するために、長年かけた準備が必要になる。
 以下の対話は、なかなか面白い。
≪ 天野: 猫型人間とか犬型人間とかいうが、誰にでも心の中に両方を養って
 いるじゃないかと。子供の頃は、だいたい猫型の方が偉そうにしているが、
 大人になって組織の中で働くようになると犬の方が成長していく。
横尾: 猫は、僕にとってアーティストの見本です。猫は妥協しないし、
 犬みたいに尾っぽを振らない。自分に忠実で、他人に忠実でない。
 アーティストは自分以外に忠実になっていけないのです。
天野: ぼくの場合ですと、二〇年前にふっと気がつい。自分の内側をのぞいて
 みたら犬ばかり肥大していて、猫は息も絶え絶えになっていった。動物虐待
 もいいところだなあと思って、それから犬的部分の猫に栄養を与えるようにして。
 そして猫が元気を取り戻してきたら次第に「なんで真面目に働いでばかりいたんだう。
 こんなことのたために生れてきたのか?」という思いがどんどん強くなってきたん
 ですね。そして、これって、多くの隠居候補の人に気持ちに近いと思う。
 世の中のルールに従うことも、あるいは働くことも大切なんだけど、でも隠居
 生活を送る上では、猫の自由をもう一度学びなおす必要もあってよいんじゃないか。
それで『猫の自由に学ぼう』を隠居大学の校訓その一にしたいと思ったんです。≫

▼ 私の中の犬猫は、首輪をつけたままの野良犬と野良猫。一応、自由に放飼い
 をしていたが、何時も喧嘩ばかりで、札付きの嫌な奴である。どうも酒を飲むと、
表立って出てくるから困ったもの。 青年期までの猫、成年期の犬、そして老年期
に猫に戻るという説が何とも珍妙である。両者とも野生動物を人間に都合の良いよう
改良されたもの。「犬は家につき、猫は人につく」というが、今さら男は新しい
人間関係の構築は難しい。縦社会で生きてきた男達は、横社会には向いていない。
家では嫌われ、紐のきれた首輪をしたまま街中を彷徨うか、猫を被るしかない。
 誰?それ!

―――ー
2015/10/13
野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?

 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた
?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。

――――
2018/04/01
閑話小題 〜猫の格言
   * 猫の話
 数日前のポタリングの道すがら、信濃川の大橋の袂の歩道に猫の死骸が
転がっていた。一人のウォーカーが立ち止まって、生きているかどうか、
見ていた。気持ちがいいものでないと思い、そのまま通過した。どうも、
自動車道で轢かれた後に、歩道に放置されたように思えた。もう一つの大橋を
一周して、その場所に様子見に戻ると、カラスが二羽、その猫を啄んでいた。
よく見ると、頭に血が付いていた。
 私の実家は犬派で、名前は全てコロ。猫は一度だけ、小学生の頃、「タマ」
という三毛猫を飼っていたが、ネズミをガリガリ食べていたのをみたが、その
直後に捨てられてしまった。
 猫と犬の数を調べたら、<「平成29年全国犬猫飼育実態調査」による飼育頭数
は、犬が892万頭、猫が952万6000頭で、長年にわたって多かった犬を2017年に
初めて猫が上回りました。>とあった。マンションは、犬より猫が飼いやすい
ためだろうか。庭には、夏を中心に近所の猫の遊び場になるが、問題は糞。
姿を見る度に、小まめに足を強く踏み鳴らして追払っているため、少なくなって
いる。10年ほど前に隣りの貸家に愛猫家がいて、庭にネットを張り、数匹飼って
いたことがあった。そのため、庭は猫の集会所状態。10年近く、住んでいたが、
近隣の苦情がたて続いて、引っ越していったことがあった。 猫も曲者だが、
飼主も苦情対策には強か? 
 動物写真家、岩合光昭がネコ目線で世界中のネコを撮影する姿を、岩合自らが
ネコに語りかける様子を紹介するNHK BS「岩合光昭の世界ネコ歩き」がある。
人気番組・日野正平のNHK-BS「にっぽん縦断こころ旅」の、冬場や、季間の穴を
埋めるように、年中、放映されているが、猫目線から、世界各地を見つめる光景
が好きで見ている。 そこで猫の格言から、人間から見た猫の世界を眺めてみた。
ところでアフリカの所どころで猫を見かけない地区があったので、聞いたところ、
直に食用になるためという。 …鳩もしかり。
――

▼ 猫と人間の付き合いは1万年にわたる。その間に、ペット用として
 改良?されてきた。その神秘性、優美性により愛され、東洋では幸福の
象徴にされてきた。幸福論を考えるに、猫を凝視すれば、そのヒントが
次々と現れ出てくるはずだ。またネズミを捕るため、航海の共に使われ
もしてきた。エルミタージュ美術館では、常時、60〜70匹も飼われて、
ネズミ対策、顧客対策にしているという。昔から多くの芸術家に愛され、
アトリエで飼う画家が多いとか。
 逆に嫌猫家のため「野良猫対策」で検索したところ、超音波とライトや
猫が嫌う匂いの粒状の薬品など様ざまのものがあった。
 ところで人間には、猫タイプと、犬タイプがあるようだ。
男生は犬タイプが、女性は猫タイプが…比較的多いが。生きかたとして
猫が理想?だが。飼犬なら、犬も悪くはない? いや猫ちゃんですか。
 二あ〜 ワンで、代々、我家のベランダではインコが鎮座している。


6748,読書日記 〜「魂の」思想史 ―3

2019年09月06日(金)



             <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
  * 「万物は数である」 …古代ギリシャのある教団
 何とまあ、この重苦しく、深いテーマを、一つずつ掘下げている。
  〜その概要をまとめると〜
≪ 古今東西、多くの人が夜空を見上げて人や神々の霊魂を想像してきた。
 それまでの古代ギリシャの霊魂感は、『何やらもやもやした決まった形のない
もの』だった。 Bc570年頃;南イタリアに出現したピュタゴラス教団の人々は、
霊魂の不滅、そして輪廻転生から霊魂の解説を唱えた。もやもやした自然状態
に戻すことではなく、全く逆。 <肉体と魂が共存して区別がつかない曖昧な
状態は、魂が肉体の穢れに染まる悪しき事態と認めていた。
 魂の不滅はもはや疑う余地のないことであり、輪廻転生も同じ事態と彼らは
いう。しかし魂が或る肉体の死後に収まってしまうのは、その穢れゆえに望ま
しくなく、解脱が必要と考えた。彼らにとって、魂は肉体の墓場でしか
なく、いわゆる肉体即墓説です。魂の優位を見てとる二元論である。
 この二元論は、プラトンの哲学に合流し、キリスト教に受継がれ、中世の
スコラ哲学に、17世紀のデカルト哲学の基礎と受継がれていく。
しかしニーチェが、この歴史の厚みを意識して、これを履かえそうとする。
 
 ピュタゴラス教団の解く解脱とは、最終的には輪廻転生の移り行きから
魂を救い出すことでした。しかしそれには、常日頃から、魂を肉体の穢れた
発想から浄めておくことが大切と彼らな考えたため。 
 その一つとして「宇宙の音楽」に理性を耳そばだてるという実践があった。
この教団は、宗教だけでなく、数学、音楽、天文学にも探求心を発揮し、
幾つもの発見や教説を残している。「ドレミファソラシド」を発見したのが、
ギリシャのピタゴラスだと。それも、それは音楽というよりも「数学」として
の発見で、まったく関係ないように見える「数字」と「音楽」とが実は密接に
関わりあっているとは驚き。 ≫
                            〜つづく 
・・・・・・
6385,読書日記 〜『無敵のソクラテス』
2018年09月06日(木)
   * 悩むな、考えろ!
 この言葉は、池田晶子の『無敵のソクラテス』の表紙の帯にあった言葉。
「悩むということは、問題に対して混乱した状態。問題の中心点のエネルギー
が混乱をしている状態。考えるとは、その原因を探り、整理をし、解決する
プロセス。その為には、蓄積された知識のベースが必要? とすると、既に
遅すぎる? いや、遅くはない。一冊の哲学入門書を見つけて、繰返し
自問自答をすればよいが、良い環境にないと途中で放り出すことになる。
‘考える’とは、「正・中心・一点・無」で、問題を絞り込んでいくこと。
‘悩む’のは、それが出来ずに混乱している状態。

 今まで生きてきて実感する悪いことの最たることが「ストレス!」。
早々に亡くなった人の死因がガンによるが、大部分がストレス蓄積による
成人病。 問題は生活習慣に、早朝の運動を如何に埋めこんでおくかだ。
ストレス解消を怠ると、その毒が外に向かう。それでも、外部に向けること
が可能なら良いが。良い人の型に入りこんでしまうと「悪い人」の役割が
こなせない。これも、長年かけた習慣が必要。
『悩め、悩め、もっと悩め。そうすれば考えざるをえなくなるさ!』と
考えることもできる。長生きも良いが、その質の問題がある。

・・・・・・
6019,閑話小題 〜人間は「使い捨てカメラ」である
2017年09月06日(水)
   * 人間は「使い捨てカメラ」である
 ジャーナリストの大江瞬の「人間・使い捨てカメラ・論」が面白い。
≪ 12、24、36枚撮りのカメラは、写し終えると、そのまま現像所に送られる。
その後、カメラは解体され、フィルムだけが取りだされる。写し撮られた元の
風景は、カメラが製造される以前からあったもので、カメラがスクラップした
後も、そのまま残る。現像されたフィルムに、ピンボケだったり、何も写って
なかったら、その人の人生は虚しく終わったのかもしれない。風景は残り、人間
だけが入れ替わる。… かつての音楽を聴きながら、そのアーティストたちは、
みんな死んだ人たちである。女性歌手ならデビュー当時の溌剌とした若さから、
美しさの絶頂の20代、アラフォー、ファイブの熟女となり亡くなる前の魔女の
ような姿まで、その折々の歌声とともに記録映画・音声として残されるのは残酷
だが、それも偉大な芸術家の勲章である。… ≫
――
▼ デジカメが出来た現在、「使い捨てカメラ」をあまり見かけなくなった。
 そこで考えたのが、「人間はデジカメラである・論」。
<デジカメの進化で、気楽に、安価で、何処でも写真が撮れ、一枚のSDに数千枚
の鮮明の写真を撮りおくことが可能になった。ビデオも可能のモノもある。
そして、ブログに記念として残せる。書くことより、撮影しネットにアップする
媒体が人間の役割になっている。その写真が美しいほど、本人が薄れていく。
本人にとって、それで充分に満足。そのネット上の蓄積が、同じ嗜好の価値と
して円熟し、成長していく。カメラ、記録媒体は、止まることなく進化する。
これが人間にもいえるのでは?> 
 世界も、そこに生きる人間も刻一刻と変わっていく。カメラの機能も、それを
映し出すテレビやPCなどの媒体も人間の5感を遥かに超えて写し出す。それが、
進化し続けて止まらない。対象を一度、高性能のマシーンを通して見れるのも、
科学の恩恵。何か、本筋から大きく逸れたが。 これからすると、
「よりデジタル機能を多様すべし」になる。 仮想世界は、刺激的で面白い!

・・・・・・
5653,「家、ついて行ってイイですか?」 ー��
2016年09月06日(火)
 ネットの[教えて!goo] で、「ぬいぐるみに話かける男」に対する回答が7人
あったが、ほぼ肯定的の内容。 自宅から離れた学生時代の初めての独り暮しで、
部屋の座り机に鏡を置き、自問自答をして寂しさを紛らわせていたことがあった。
誰とも話す相手が居ない都会の侘しさの極めである。自宅通いの都会育ちは、
このシェアハウスの生活が羨ましそう?でもあった。25室の寮生活の生活環境は、
トイレと、共同台所と、洗濯場がある、今でいう<シェアハウス>風で、誰かが
部屋に遊びに来て談笑するなどの温みがあった。しかしアパート暮らしの友人は、
慣れるまでの1〜2年は、長期の連休前になると、誰とも接点が無くなるためか、
帰宅恐怖症的になって、喫茶店で同類と群れていた。3連休以上はキツイらしい。
 しかし、この都会の孤独経験が貴重で良いのである。青年期の一時期、殻に
篭る生活が必要である。
 現在、書斎コーナーのパソコン横に、両親が残した小さな布袋と百万長者像、
ネパールの市場で買ったミニ仏像、マリア像、自然石の仏様の像、仏像を彫り
こんだ胡桃、ガラスの地球儀などが並べてある。息抜きに、撫ぜると、なぜか
気持ちが和む。それもあってか、ノイローゼや、落ち込みはホボ無い。 
数ヶ月前から、就寝時に、梅干大の大きさのラジウム石を握り眠っている。
真中に穴が開いており、そこに紐を通して、指に絡めているため、熟睡しても
転げ落ちない。数年前に、一年以上使っていたものだが、復活。ラジウムが手
から直接伝わり熟睡できる。岩盤浴に近い効果があるのか、気が充満してくる。 
 就寝用の「ラジウム握ぎ握ぎ」ということか。 終の入院には、これらを
持ちこみ、枕元に、小さなオボンに並べて、手にはラジウム石を握り締めて。
イメージは、亡くなった家族に囲まれたイメージを持ち、虚空を彷徨いながら。
――
  * 「ぬいぐるみに話かけるのは変ですか」に対する返答
≪ 〜No.7 回答者:
こんにちは、いいんじゃないですかね〜、私ならキモくもないしドン引きも
しません。私もお針は得意なので、修繕してあげたいです(笑)
 以前交際してた男性がそんな感じで。20代後半のとき、百貨店のおもちゃ
売り場においてあったオレンジ色の熊のぬいぐるみに一目ぼれ。4000円ほど
だったのですが、大のオトナ、しかも男が・・ と本人は熊を撫で回しながら
悶々と悩んでいましたが、「ほんならアタシがプレゼントしよか?」と提案
したところ、大喜びでした。幼稚園児の姪が「アレで遊びたい」とお願いしても、
ダメ! と触らせないくらいのかわいがりようです。 (彼の留守中に来て、
勝手に遊んでたらしいですが・笑) そこから何に目覚めたのか、古くなった
シャツや家族の洋服をリサイクルし、テディベア作りにハマリ始めました。
パソコンで型紙から起こして作るような凝りようです。ぬいぐるみ作家って、
結構男性もいるそうですよ。そんな彼も40を過ぎましたが、オレンジ色の熊に
「みかんちゃん」と名づけ、今でも大切に飾ってあるそうです。
そんな人もいるということで(笑) ≫
▼ アブラハムの創出したラージXの『神』は、この「ぬいぐるみ」に似ている。
 それを共同幻想化したアラーの神である。問題は、人種間に分裂した仲間割れ。
人間には共同幻想が必要。コスプレは、その人形になって楽しむこと。ホテルの
ロビーで、その集団に遭遇した時の驚き。若いから出来ること。 ハロウィンは、
それを祭りにして練り歩く行事。 数年前に行ったモントリオールが、その日で、
千人近い血だらけの殺人者の仮装行列に出会ったが、その面白かったこと!
人生の砂場の遊びは、深くて、味わい深いものがある。極限では、味わえない。
その先に何歩も踏み出さないと、それらとは出会えない。
「達磨さん、こちら向かんせ世の中は、雪月花(ゆきつきはな)に、酒と三味線」
【花見酒】 世の中は月雪花に酒と三味線 酒のない国に行きたき二日酔い、
      また三日目に帰りたくなる
・・・・・・
5288,「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 〜『自分を超える法』
2015年09月06日(日)
         ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
  * ミツバチが教えてくれた「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 
‘考え方さえ変えれば、お金は必要ない’と、自分を超える「5つの法則」
を提示する面白い本である。その中の、色いろな寓話が良い。
ランダムだが、ミツバチの寓話がよい! 
  〜ハチミツをつくることが、ミツバチの真の仕事ではない〜
≪ ここで寓話を1つ紹介します。
 起業家のキース・カニングハムから聞いた、ミツバチの話です。
ミツバチの生きる目的を知っているかい? もしミツバチに
「何のために生きているのですか?」と尋ねたら、きっとこう答えるだろう。
「ハチミツをつくることが仕事よ。せっせと蜜をつくるの。
なぜなら私たちはミツバチだから。」 キースが続けます。
「でも、その答えは必ずしも正しくない。ミツバチには、ハチミツをつくる
ことなどよりも、はるかに重要な役割があるんだよ。その役割とは、花の
『花粉』を運び受粉の手伝いをすること。それにより花は咲くことができ、
生命が循環している。仮にその営みを取り去ったとしたら、すべての生態系
が崩壊してしまうほど、もっとも根本的、かつ絶対不可欠な役割を担っている」
 当のミツバチは、おそらくそのことを知らないでしょう。もし、今全世界の
ミツバチが自意識に目覚め、次のように言い始めたらどうでしょう?
  〜無意識でやっていることが、貢献につながる〜
「ねぇ、私。生きる目的を知りたくなってきたの。仕事を放りだして山で
瞑想するわ。生きる意味の答えが見つかるまで、山頂のバラの茂みに
しばらく引きこもるの。使命が見つかれば、充実感と情熱に満たされて、
また仕事に戻ることができるから、しばらく休むね。」
 全世界のミツバチが突如そう言い出したら、花が咲かなくなり、
生態系の循環が停止してしまいます。
 当のミツバチは気づいてないかもしれないが、
「毎日の仕事を精一杯こなすこと」で、彼らの「真の使命」がまっとう
されているのです。 私が言いたいのはこういうことです。
〈あなたが日々無意識に自然体でできていることの中には、
   実は世界に大きく貢献しているようなことがあるのです。〉 ≫
▼ 人間は、言葉を持ったお陰で、「毎日を一生懸命すごすこと」の価値を
 理解できる。とはいえ、目の前の問題に集中し続けてこそ、その先にある
「真の役割」が理解できる。人生を振り返ると、節目に大きな機会がある。
表面的には挫折というカタチを装うが、実は、生き方を変える節目時を
運命が提示をしてくれている。4年前の節目は、〔余白はさほど残されてない、
余裕を持って死に準備を始めなさい。まず手始めに、会社の整理から!〕
・・・・・・
4923,パワレルな知性 ー1
2014年09月06日(土)
   * 価値の遠近法      『パワレルな知性』鷲田清一著
 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い!
  ーネットによるとー
≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。
 � \簑个防�要なもの、失ってはならぬもの
 �◆,△辰討發いい韻匹覆�てもいいもの
 �� なくてもいいもの
 �ぁ\簑个防塒廚覆發痢△△辰討呂覆蕕覆い發�
彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を
 いろいろ示す。
「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。
四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに
なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。
当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、
違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。
「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。
「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。
いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。
推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。
「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。
さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、
とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、
不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。
わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。
国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 
こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を
仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という
勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」
野性的な思考が必要という。≫
▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには
 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて
いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを
えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない>
とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。
「価値の遠近法」の�ぁ↓�、�△函�一つずつ捨てて、�,帽覆襪海函�
そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 
「お金は、�◆△い筺↓ �」
――――
4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1
2013年09月06日(金)           
 * 追われ追われて南米最南端 
        「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより
 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、
「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が
南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先
で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ
から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、
弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。
北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。
逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。
弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 
僻地の人間は、そのためか優しい。  ーその辺りから抜粋ー
《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、
 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを
しましたね(笑)。
関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない
 ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング
 海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 
 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、
 東風は風速15M以上になることが多い。  
たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと
 言われているんですか?
関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら
 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物
 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと
 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる
 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。
たけし〕そういうことになります。
関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。
 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。
 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。
 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。
たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。
関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。
 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も
 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。
 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。
 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。
 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。
たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。
関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか
 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を
 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。
 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき
 から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》
▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って
 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、
変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。
脱皮できない蛇は死ぬ。



6747,閑話小題 〜電動マッサージボール

2019年09月05日(木)



   * 新たなマッサージャー
 腰痛持ちで、様々なマッサージャーを購入して自己治療をしてきた。
10数年前に「パッション」という腰叩きマッサージを購入し、居間にある
座りようのハンモックに置き、愛用してきた。今でも廃品直前だが、何とか
使っている。今では進化したのがあるが… 「家具屋」と、家電の「健康機器」
と、「パソコンコーナー」は、定期的はウィドウショッピングの一つ。
先日のこと、ウロウロしていると、ソフトボール大の充電式のマッサージャー
が、目に飛び込んできた。
<腰・お尻・太もも・ふくらはぎ・足裏・首 疲労回復 スポーツ トレーニング
 充電器付き 4段階可調整>とあり、7千円とあった。
これは私にとって「理想的マッサージャー」と衝動買いを しそうになったが、
近くに家内が… ? 取り敢えずネットで値段を調べてからと、その場を離れた。
そこで帰って、さっそく、ネットで最安値を調べると、送料、税込みで3,600円。
購入することに!
 二日後に送られてきたが、実際に使用すると、充電出来て、居間に、PC前に、
気楽に移動できるのが便利。腰には「腰痛ベルト」の間に入れると按配が良い。
その日は、初回もあって、就寝前に一時間ほど、腰に、両手に、首筋に、両足の
間に挟み使用した為か、その日は夜半目が覚めることなく爆睡することができた。
しかし、何故か、それは初日だけだったが、寝つきは確かに良好。
 10数年前から、腰用の叩きマッサージャの他に、土台が振動するモノがあり
頻繁に使用している。家の移動先に持ち歩けて、気楽に使えるところが良い。
成るほど、文明の力とはこういうことかと…。 評価:95点。
 
 ところで、バイブレーターといえば、以前、面白い?ことを書いていた。
とすると… これは?  もう私には関係ないことだが…
 ――
2012/11    ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * バイブレーターの起源は、ヒステリックの医療機器
 際どいが健康機器売場でのバイブレーターの見方が、これで少し変わる。
≪ ちょっど刺激釣なセックスをしてみたい……。そんな時に使う大人の
 おもちゃの定番といえぱバイブレーターだろう。女性を絶頂に導いてくれる
スグレモノだが、バイブレーター、じつはもともとは医療器具だった。
いったいどんな治療に使われたのかというと、情緒不安定、具体的には
ヒステリー発作を起こしている女性を対象としていた。ヒステリーの語源は、
ギリシャ語で子宮を意味する「ヒューステラ」。つまり、昔は、ヒステリーを
起こすのは子宮が原因だと考えられていたのだ。しかも、子宮が欲求不満で
あることから起こると信じられていた。 もうおわかりだろう。
ヒステリーを起こすのは、性的欲求不満が原因なので、治療法としては、女性
を性的に満足させればいい。そこで、医者や助産師が、指でマッサージ(愛撫)
して、絶頂に導くことで治療をしていた。この療法のための医療機器として
一九世紀の終わりに開発されたのが、ヒステリー専用のマッサージ器である
バイブレーターだったというわけ。こうした治療は古代ギリシャの時代から、
一九二〇年代まで、西洋ではれっきとした医療行為だった。確かに、目的自体
は今も昔も変わっていないとはいえ、医者が患者にバイブレーターを使うなど
現在では考えられない。一方、バイブレーター以前は、大人のオモチャの主役
だった人工ペニスは、10Cのビザンチン帝国の百科事典にも記載されている。 
こちらは一般的に普及していたようで、アテネの女性に愛用されていたようだ。
また、インドの性典『カーマ・スートラ』にも「男性自身が小さすぎて満足
できないときは、これを使うとよい』と記されている。 ≫
▼ …!「大人の玩具」と検索して吃驚仰天。何だろう、これらは… 

・・・・・・
6384,読書日記 〜哲学と対決する ―5
2018年09月05日(水)
       『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                    ウォーバートン,ナイジェル著
 現役の哲学者が、哲学史にのこる巨人の感想が何とも異様に感じる。
要するに、門前の小僧レベルが、専門家の視点で、批判的に哲理を改めて
知る面白味ということ。ヘーゲルがカントへの挑戦とか。

   * ヘーゲル
 ◉ マイケル・サンデル
もっとも心を躍らせてくれたのがヘーゲル。理解するのは難しいけど、
カントの抽象的な道徳律に根本的な疑問を投げかけ、道徳律を具体的な
倫理生活に結ぶ付けました。かれのカントへの挑戦は哲学的に見て、もっとも
ワクワクする仕事の一つです。
――
   * ニーチェ
 ◉ ジョシュア・ノーブ
私がニーチェより学んだことは、特定の疑問に対し、人々が普通どう考えるかを
安易に理解しようとすべきでない。より深く見つめる努力をし、何らかの方法で、
私たちが抱く通常の見方を疑うべきだ。さらには、そうして通常の見方に反発
すべきだと考えていたてんです。
――
   * アリストテレス
 ◉ ショーン・ケリー
彼がフロニモス(思慮ある人々)と呼ぶ観念を持っていることです。実生活を
生きる達人のような人々を指しています。興味深いのは、フロ二モスが、状況
の中で自分に求められているものを、熟考することも考えることもなく、即座に
認識する能力を自分自身の中に育てると考えていることです。それは極めて重要
なスキルのように思えるのです。

ー
▼ 日本が島国という立ち位置もあって、異質の考えそのものを否定するきらい
 が強い。情報化の時代に、個々人がサテライトオフィスをスマフォ、iPadに
持つ時代に、深く考えることなく、情報に流されてしまう危険がある。 一度、
現実、現象から離れた孤独の中でしか、それを熟成することはできない。

・・・・・・
6018,閑話小題 〜空を飛ぶ
2017年09月05日(火)
   * 旅客機を別として、空中を飛んだことは
 旅行先で空中を飛んだのは(旅客機を別として)、
・バンジージャンプを二度。<ニュージーランド、南アフリカ>
・パラセーリング(パラシュートで、ボートに引っ張られ空中を飛ぶ)
 を二度。<フィジー>
・気球を一度。<ケニア>
・ヘリコプターを二回。<イグアスの滝と、ビクトリアフォールズ>
・セスナ機を3度、<マッキンレー、テーブルマウンテン、ナスカの地上図>
 飛んでみた。
 空中を直接、飛んだ経験は印象に強く残る。 圧巻はバンジージャンプ。 
極限でのリアルな恐怖体験は、呼吸困難になるほどの異質の体験である。
何とも優雅なのは、南アフリカの気球からの景観。
 書き残すことの秘儀が垣間見れる。 私にとっては、魂の刻印になる。

――
 ーH0705
バンジージャンプ
  (ビクトリア滝)
 ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進むと
ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。よく
みるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。思わず
“私もやりたい!”今年の5月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍以上もある。現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされて
OKの返事! 一度国境を出てまったく無国籍の橋の上へ。 国境警備員も
本当かと何回も念を押した。 そして……。飛び込み台に立って気がついた。
「高さと恐怖心は正比例である事に!」氷つく恐怖心!後ろをふりむいて
“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを振りほどいてジャンプ! 
何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!“目をあけてみてみろよ!”
何とそこには高速道路で170�劼離好圈璽匹納屬鬚呂靴辰浸�の世界と同じ
ような空をとんでいる感覚。いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけて
いく風景がみえてきた。さらに恐ろしいのは50m位の中間で何分か宙づりに
なり、橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。
(次はヘリコプターよりのジャンプ!と思い立ったが… 断念をした)
――
  (ニュージランド、クラフトチャーチ)
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。
あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛り。自分は何でこんな事をしてしまったのか。
自分がここより飛びおりる?… 本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。
そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに四回も私の目をみて念を
おしたのも頷けた。

――
H0609
ケニア・サファリ紀行(�供法�
�� 国立公園よりナイロビへの帰り道(雨あがりの泥々のいなか道)を
 命がけで四時間、つきぬけた、その時の赤茶色の大地と緑の森の
 コントラストのすばらしさと、
 数十km先までみえた広大な地平線も生まれて初めて見る光景だった。
 そして小学校の近くを走っている時みた、
 子供達のあどけない愛嬌のある目と顔も忘れる事ができない。
�� 野生動物も、今まで動物園でみたのと全く違うものだった。
 毛色の光沢、目のかがやき、悠然たる動きが、あの大地を背景として
 自然と一体となり絵になっているのだ
�A當�の牧場の乗馬もよかった。
 新鮮な空気と草の臭い!
 その帰りの車で、前方に10人あまりの若い男達が必死な形相で走っている。
 その後を、一頭のバッファローが追かけている。我々の車が間に入って
 その場は収まったが・・。離れバッファローは非常に危険だとか!
�ささ紊茲蠍�たアフリカの広大な草原。
 下を見るとシマウマの群、他に目を向けると、気球に驚いて逃げている
 二頭のライオン。そして、気球を降りての食事。
 乗客三人に対して、10人のスタッフ。そして一応、機長もいる。
 360度の展望の中での食事が、格別美味しい。
�シ,知�て小屋のイメージだったロッジが、実際は高級ホテルであった。
 食事も高級レストラン並。 夜半聞こえてくる不気味なハイエナの声!
ケニア人の90�涌幣紊蓮�一生の間で野生のライオン、キリンを見ないという。
それだけ一般大衆は貧しいという。首都ナイロビでホテルから一歩外に出ると、
物乞いと、物売りが瞬時に寄ってくる。現地の女の日本人ガイドが、
その貧しさに涙を溜めて訴えていた。 日本人の観光客は、年間に一万人に
満たないという。その点で超穴場といえよう。
実感として、一試合で二本のホームランを打った感! であった。

――
H0807
インカ帝国<夢の旅> 
ナスカの地上絵編 

 AC百〜六百年の昔、海岸から三百八十kmの乾燥地帯に、
一つの文化が栄えていた。謎の地上絵で知られるナスカ文化である。
彼等は何を思ってか九百k�屬砲錣燭觜�大な大平原に、
直接、三角形の図形と線の動物、虫、植物、宇宙人(?)の絵を描いた。
(その絵と同じものが、当時の土器に描かれているので、
  彼等の時代に描いたのが判明できたという。)

その地上絵は飛行機ではじめて発見、判明された。
それが何を意味しているのか、宇宙人説、空飛ぶ人間説、星座をあらわす
カレンダー説などあるという。
灰色の土地を十cmも削ると黄色の地面が出てくる。
それを三十cmの巾で十〜三百mにおよぶ絵をえがいている。
その数がペルー全土で二百以上あるという。
そしてその多くがナスカに集中している。
セスナ機で二十分位飛んだ大平原にあちこち見えてきた。
本当に宇宙人にみせる為としか思えない。“UFO”のまさに世界である。
少なくとも、このフライトの間は宇宙人は本当に存在しているのでは
と確信したくなる光景であった。
ハチドリ、クモ、コンドル、サル、宇宙人の絵と、その背後に何キロにわたる
縦横に描かれた直線は誰に見せる為のものであろうか不思議そのものだった。
 
編みあげの髪の毛のインデォのおばちゃん、アンディスの山脈、チチカカ湖に
すむ原住民の素朴な生活、そして世界の七不思議といわれる巨石建設の技術等に、
強烈なペルーの魅力的な世界が今でも脳裏にやきついてはなれない。

高山病に悩まされ死ぬ思いであったが、そんな事は些細に思わせるほどの
聖なる不思議な日々であった。
(次の南米はペルーの反対側にあるキアナ高原にある世界最後の秘境、
テーブル・マウンテンとエンゼル・フォールに是非行きたいものである。)
              (H 8.6/6〜6/12 )
――
H0909 
ギアナ旅行記

 この数年、秘境の旅に凝っている!
そしてそれが深いほど新しい感激・感慨が大きくなる。
南米大陸の一番上に位置するベネズエラの首都カラカス。
そこより目指すギアア高地の基地、カナイマへ。
更にそこからオリノコ川の最大の支流カロニ川の上流に、秘境ギアア高地が
広がっていた。 インディオの操縦で四日間にわたった
「エンゼルフォールを目指すアドベンチャー・ツアー」であった。

コナン・ドイルの“ロスト・ワールド”の空想小説の舞台となった
テーブル・マウンテンは、一〇〇〇m〜三〇〇〇mの垂直に切り立った
絶壁に囲まれた台地がいくつもそびえ立っていた。そこより落ちる滝は多い
ときで二〇〇〜三〇〇にもなり、その中で一番有名なのが、世界最長の落差の
エンゼルフォールである。その長さは一〇〇〇m、山道を一時間以上かけ登り、
麓より見上げた滝の雄大さ、神秘性は言い知れぬ迫力があった。ここでは生物
の生存がほとんど不可能であるという。

ボートでそのテーブルマウンティンの勇姿を見た時、魂を電流がつき抜けて
いったような感動で自然と腰骨がピンと立ち、ただ茫然としていた。
そして涙が自然と流れ出てきていた。
二十億年の大自然の時空を直感できた感動であった。
「これで人生の感動の分岐点を充分越える事ができた!」という言葉が、
フッと脳をよぎった。
原始人が自然に対して“神”を直感するとは、
このような二十億年の時空の中の一瞬の何かを観たのだ!。

この旅行はただテーブル・マウンテンと密林とそこを流れる川、
そして滝だけであった。
ただ高地の間に流れる川をのぼっていくボートツアーでしかない!。
でもそれだけがすばらしいのだ。そのトレッキングの真髄を初めて経験でき、
新しい世界をかい間見た十日間であった。
圧巻は、セスナで観たテーブル・マウンテンの全景。
  (H9.8/23〜9/)

――――
▼ 以上だが、読返すと、TVからの記憶の追体験は、充分可能と納得する。
 これなら、記憶の一部を、この世に残せるし、思い残すことなく全てを抱き
旅立てる。 デジカメが普及する前の写真が多いが、デジカメは便利な代物。


6746,読書日記 〜「魂の」思想史 ―2

2019年09月04日(水)



            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
 投稿者の概略が内容説明より明快であることが多い、
その一例である。もっとも、この本の、何れのページを開いて読んでも、
大元に直接、繋がっているような感じがする。良い本とは、えてして、
そういうもの。 そこで試しにページをランダムに開いてみた。P38である。
その紹介は後半に紹介するが、成るほど、深く立ち入っている。

   〜Amazonのフォロアーの感想より〜
≪ ◉ 大きな魂の現れに魅せられた思索者たちの言葉に感じ入る  
                         2015年6月10日
「大きな魂の現れに魅せられた思索者たち」を手がかりに、哲学者・芸術家
といった人たちの言葉を、著者が気の赴くままに訪ね回る本です。
扱われるのはソクラテス、ゴッホ、ニーチェ、ボードレール、ヘーゲル、
シェリング、ノヴァーリス、ピカソ、岡本太郎、中谷治宇二郎、三島由紀夫。
この人達は心の底から湧き出てくるなにものかに魅せられ、独特の思索を
残しました。統一的な思想があるというわけではありません。
 しかし言葉の節々からエネルギーがあふれ、もやもやとした何かと格闘し、
その結果社会とは折り合いが悪くなった人が多く取り上げられています。
彼らを魅了した「もやもやとしたもの」は短く簡潔な言葉では十全に表わす
ことができないものであると言えます。それをタイトルでは「魂」という
漠然とした言い方にしています。

・ゴッホは内なる心に愛を求め、外に対しては自然界に神の現れを見出し
ましたが、悲劇的な死を迎えました。
・ニーチェは常に近代人としての自覚をうちに秘めながら、それでいて近代人
からすべてをなげうって外へと踏みだし、すべてを受け入れる運命愛をめざそう
とします。
・シェリングは啓蒙思想と古典主義に反発し、情念の自由や特殊性・不定形な
ものを賛美しました。自然界とは常に変化し人間を放浪するなにものだと考えた。
・岡本太郎は近代を相対化する視点を身につけ、例えば恐山で賽の河原において
生命全体の現れを見出します。

 近代の合理主義的な思想とは異なる、もっと大きく根源的で不定形な神性
すら感じられるもの。それらについて思索者達の言葉が引用されながら、読者
を深い大きなものへと誘っていきます。「魂」の概念は漠然としていますし、
扱われる内容も難しくはありますが、読み終えた後は漠然とした大きなものを
感じ取ることができると思います。≫
 ――
▼  ―魂を実体化するカルヴァン(p38)―
《『プシコパニキア』の中でカルヴァンは、人間の魂について、それまでの
キリスト教の不確かな見方を正して、はっきりした実体を与えようとする。
<他の者たちは魂の実体とは認めるものの、生命力といったものにすぎず、
 動脈や肺の生き吹きによって動かされていると。そして魂は、肉体なしで、
 生きられないため、人間が全面的に甦るまで、肉体と共に死んでいる、という。
 だが、私たちは、魂が一つの実体であり、肉体が死んだあとも感覚と知性を
 しっかり具えて生きていると主張する」(「プシコパニキア」) …
  … かってユダヤ教徒やキリスト教徒がアニミズムの霊魂感から神の魂を、
 人間の知性、感性に基づいて実体に立ち上げたように、彼はいま、人間の魂を
 人間に照らして明瞭な実体に、形ある生命体に、仕上げようとしている。
 しかし、それもゴッホの教会のように、そのような人間の作為も滅んでいく。
 ユーゴの言葉を借りるなら、様ざまな宗教は過ぎ去っていくが、神は在り
 つづけていく。その神とは、人間界と自然界に見られる生と死のとめどない、
 反復で、強いて言えば、そのような反復をもたらす生命力でしょうか。》

ということ。私たちの個々は死んでも、神様は生き続けていくということ。

・・・・・・
6017,ルネッサンス
2017年09月04日(月)
   * 近代の始まりは、「ルネッサンス」から
 14〜16世紀は中世と近代の境目で、哲学ではデカルト、芸術ではダヴィンチ、
ミケランジェロなどが活躍。テーマの「ルネサンス」は、中世の微睡みを打破
する「文芸復興」を目指す運動をいう。
  〜ネット辞書によると〜
≪ 14〜16世紀のヨーロッパ社会の転換期に起った革新的な文化運動。
renaissanceは「再生」を意味するフランス語だが,「文芸復興」と訳される
ことが多い。ギリシア,ローマの古代文化を理想とし,それを復興させつつ
新しい文化を生み出そうとする運動で,思想,文学,美術,建築など多方面に
わたった。まずイタリアで始ったが,それにはいくつかの条件が働いていた。
ひとつには北イタリア諸都市の経済的繁栄があったこと,またこれら諸都市が
古代のギリシア,ローマと同じように都市国家の構造をもっていたこと,
さらに地理的に古代文化の伝統を伝えるビザンチンやイスラム世界に近接して
接触が多かったことなどである。ここでは市民の現実的世俗的感覚がキリストや
聖者をも人間化する志向を生み出し,ギリシア,ローマの古典やその美術的様式
が尊重され,独特の市民文化が育っていった。この市民文化は特に都市の支配層
である富裕な上層市民の要求に支えられ,ヒューマニズム (人文主義) の立場が
貫かれていた。しかし諸都市のコムーネ体制が衰えて,より広い領域を支配する
君主国家が発達するにつれ,ルネサンスの性格も変化した。15世紀後半から文化
は市民的性格を失って,君主の保護のもと宮廷文化的性格を帯びるようになった。
そして後期ルネサンス文化の中心地であったローマで 1527年に起きた略奪事件
(→ローマの略奪 ) で,イタリアのルネサンスは終息したとされている。
 ルネサンスの運動は 16世紀にはアルプスを越えてフランス,ドイツ,イギリス,
ネーデルラントなどヨーロッパ各地に広まり,それぞれの文化的伝統および
社会的状況と結びついた独自のルネサンス文化を生んでいく。アルプス以北の
特徴の一つは聖書の研究を通じて信仰の内容を問いかけたことで,これは宗教
改革に連なる面をもった。 ≫
―
▼ 近代化で欧米文化が底上げされ円熟した19世紀は、近代と現代の境目の世紀。
 芸術(とりわけ、音楽、絵画、文学)の世界に大きなうねりがやってくる。
その400〜500年前に近代の夜明けが「ルネッサンス」で、背景には経済的繁栄が
ある。その現代も、21世紀辺りから情報社会の到来で大きく変化を始めだした。
インテル社の共同創設者であるムーア(1929〜)が、<半導体の集積密度は18〜
24カ月で倍増し、チップは処理能力が倍になっても更に小型化が進むという法則>
を提唱したが、これが加速をして現在に至っている。これは、10数年で、1000倍
の処理能力になるが、ユビキタスとして周辺にも普及し、便利な生活用品が日々、
向上している。その最たるものが、TVや、スマートフォン、タブレットなどのPC。
そのことは、ここで繰返し取上げてきた。何故に、「ルネッサンス」かといえば、
当時の「新大陸発見」と、現実社会を覆って出来た情報化社会と、似ているため。
近代、現代の境目と同様の新しい時代の到来が、情報化社会である。混乱は、
「再生」を孕んだ新たな価値観を模索する材料を提示していると見ればよい。
行き着く先は、「2045年問題」か、はたまた、何か? 今世紀を待たずして、
世界は消滅していくのか?「ルネッサンス」の様相の中に鍵が?「良質な妄想?」

・・・・・・
6383,読書日記 〜哲学と対決する ―4
2018年09月04日(火)
           『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                    ウォーバートン,ナイジェル著
   * ソクラテスだね
 ◉ ジョナサン・グラバー
ソクラテスだな。彼の意見を多くを取入れてるからではないんだ。彼が全てを
発見したからだ。哲学をやっている人は皆そうだけど、僕も、ソクラテスが
発見した方法を使って教えている。
・まず、「これについて、どう思う?あなたの意見は?」と人々に問いかける。
・次に、最大限明確にするように要求する。「あなたが言いたいことは、こう
いうこと、あるいは、ああいうこと?」。明確になったら、正反対の例がある
ことを提示する。「それは君の見方だよね。だけど、このケースにこんな原理
を当てはめて考えてみたらどうだろう。君には思いもよらないだろうけど」。
それが哲学の方法さ。素晴らしいと思う。
・更にソクラテスは狭い学究的環境に自分自身を閉じこめず、市場に出て人々
に語りかけた。彼はチャンスさえあれば、フィロソフィ・バイツをやってたんだ。
私の意見では、あまりに多くの哲学者が哲学を一種の秘教的専門問題として
扱っている。それは大きな損失だよ。
 
 ◉ ディビット・エドモンズ
ソクラテスが上記の言葉を述べるに至った流れを軽く説明します。
まず生きるに値する人生というのは「善い」人生であろうと想定します。
ただ生きるのではなく善く生きるべきだと ソクラテスは言っています。
それでは「善い」というのはどういうことか?それは「悪い」ということが
分かった時に初めて その意味がわかります。そしてソクラテスは「善悪」とは
何かもっというと正義とは何かということを考えます。 そして
「善と悪は相対的ではない」という結論に至ります。私はこれを初めて読んだ時
(多分中学生でしたが)「ソクラテスは何を言ってるんだろう?善悪なんて
相対的に決まってる」と思いました。あることが「善いor悪い」というのは
畢竟するに社会が決めることです。極端に言えば殺人でさえ戦争中は認められ
勲章すらもらえます。これはその社会が殺人を善としているからに他なりません。
その他のことについても善悪は基本的に社会がきめているはずです… 
それならば社会や政治によって変わる「善悪」は当然相対的であって絶対的な
善悪なんてあるはずないと私は最初にソクラテスを学んだ時は考えていました。

 ◉ マイケルサンデル
一時期、正義とは何かでブームになったハーバード白熱教室の
マイケルサンデル氏の著作にあたると分かりやすい説明があります。
ソクラテスは「善と悪は絶対的だ」と主張します。(何故か気になる方は
本をお読みください)そしてそれは「問いかけと推論」を通じて見つかり
しかもその時初めて道徳と知識は結びつくのだと言います。
(私の最初の考えは「問いかけ」不足です。)
ということは「問いかけ」をしない人生というのは「無知な」人生で
「道徳を欠いた」人生ということになります。それは「善き」人生ではなく
生きるに値する人生ではないということになります。
よって最初に書いた「吟味されることのない人生など生きるに値しない。」
という名言になるのです。

・・・・・・
5651,閑話小題 〜SJの現場で!
2016年09月04日(日)
   * チャレンジ5! 二回目の最終日に
・週に3〜4回だったSJでのヨガ・エアロ、試みに二週前から週に5回に挑戦、
SJに行く日は欠かさず参加、昨日で二週間連続10回目になる予定だった。
 「昼間の割引コース」の枠内5日間で、月、火、木、土曜日が一回、水曜日
は12時半と15時の二回のプログラムが組まれている。週5回は少々キツイが、
SJの5年半の運動効果と、ヨガの4年半の鍛錬効果で、足腰の重さが半減から
三分の一に減っている。他にも、4ヶ月前から飲みはじめたサプリ効果もある。 
先週、5日続けた効果で足腰がより軽くなった為、今週も、「チャレンジ5!」
の標語を内語で呟き、続けてきたが、一昨日のシネマをみた後、腰が変に痛く
なってきた。で、昨日は迷ったが、とにかく、10日目、あと一日続けることに
した。 その土曜日は、平日コースと、土日・祭日コースが重なるため、人気
のヨガは、午前中に予約チップを取っておかないと満席になる。経験則で、
11時過ぎに、取りにいったところ、既に満席である。顔見知りが、その場に
いて、「11時前にきたが既になかった。二時間半前にきて満席とは、ちょっと
ね〜」と愚痴。で、「チャレンジ5」の二週連続は最終日で未達成になった。
   * 5千万の預金への嫉妬
・仕方なく、イージーラインを二回続けて参加した後、ベルト・マッサージを
していると、二人の中年女性の会話が聞こえてきた。興奮しているので自然と
声が高鳴っていた。それが面白い。 誰かが帰った直後らしく、
『5千万の預金、どうしたら出来るというの。今の私たちには絶対に無理。
話を合わせるしかないので、聞いていたのに。何を言っているのよ。』と。
 話の途中で、早々、帰ってきたが、どこにもありそうな話。
・以前も、書いてことがあるが、長岡駅裏の居酒屋で一人ランチを食べていた時、
近くのSJ<コナミ>の会員らしき中年女性らしき人たちの会話。
『大都会のサラリーマンは、二千万の預金が残るらしいけど、内には無いわ。
貴女の旦那はお医者さん。その位はあるわよね。』に、
『ローンで自宅を買って、まだ残債があるわ。とんでもないわ。』で、他の人
に話を向けると、『それって、夫婦で、一人で?』と自然な答え。
当然、その場が、白けていた。前に取り上げた『5千万の預金』の、続きと酷似
しているが、全く違う人。 家庭間の格差の問題が、こういう場で、知らずに
出てしまうのは仕方がないこと。これも、家内に言わせると、『恵まれた世界の
人たちの範疇の話。そこに行けるだけ有難いと思わないと』だと。
* 白馬のリゾートホテル社長の話
・去年末の東京の学生時代の同級会で、長野で中型のリゾートホテルの社長を
しているAという男が、酒を注ぎに来たときの会話。
A:会社整理をしたと聞いていましたが、大変でしたね。私のところも大変
 ですが、オーストラリアとか、台湾、中国の観光客で何とか凌いでいます。
私:何とか、夜逃げをしないで、そのまま、自宅に住んでいます。それでも、
 家内も40年間の厚生年金で、家内名義の給与を別にしていたので、生活は
 何とか出来ています。 で、二人とも、厚生年金ですか?
その辺りから、相手の様子が変と気づいたが、とき既に遅し。
A:家内は長年、病気に伏して給与を与える訳にいかず、年金も国民保険だけ。
 そんな、余裕など、全く無いのが現状。
――
 本人が謙遜で言ったかどうかは不明だが。 無神経だったことは違いない。
私にとって、現状の自分を肯定するのに必死で、ここの言い訳でも、多くの人
を傷つけているはず。いくら自分の心の軌跡として書き続け、公開していると
しても、困ったもの。「その返り矢が多いことも気づかぬ愚かしさ」
「自分の血で、他人の傷口に塗り付けている己の愚かしさ」 
傍からは、それが面白いのだろうが。 で、以下に丁度よく脈絡が続く。


6745,読書日記 〜「魂の」思想史 ―1

2019年09月03日(火)


            <「魂の」思想史/ 酒井健著 >
   * 魂とは何か
 魂、心、精神について、ここでどれほど書いてきたのだろう。
それにしても、<「魂の」思想史> とは、ドロドロしたような、
あな怖ろしテーマ。霊魂を想定するためか。魂で直に思いつくのが、
内海の洞窟に一人立つ人間の姿。岩場が「こころ」で、内海が、
外海をつなぐ個々の魂。外海と、空こそ「魂」と。洞窟の背後から
滝が流れているが、これは内界から迸る、これも、内なる「魂」。
  ―― 
  〜ネット辞書によると〜
【「魂」の左の語「云」は、象形的には「雲のように見える煙やほこりのこと」
を表します。「ム」は「微細なものが地面から沸き立つ様子」、「ニ」は
「雲が空を駆ける様子」のふたつの状態を併せ持っています。
「魂」のもうひとつの漢字「鬼」は、中国では「死者の象徴」として「亡霊」
の意味を持ちます。地面から現れた「鬼=亡霊」がムクムクと上昇して空へと
向かう様子と「云=雲」とが引き合わされて「魂」となりました。】

  この<「魂の」思想史>の序文に
【 漢字の「魂」は、「こん」と音読みし、「たましい」と訓読みします。
この「魂」とは、空気のように目に見えない存在です。しかし「魂」は古来、
生物に宿り、その働きを助け、機能させるものと考えられてきました。…
 …似たような言葉に霊がある。漢字の成り立ちからみると、上部の「雨」と
「一」の文字が「連なった清らか水たま」、下部がそれに接する清らかな巫女を
現し、合せ転じてできた意味が「水たまのように冷たく清らかな神のたましい」
となる。】
 ――
   〜Amazonの内容(「BOOK」データベースより)〜
合理主義と功利主義を基調とする近代。ゴッホ、ニーチェ、ボードレールから
岡本太郎、三島由紀夫まで―、彼らは時代の趨勢に齟齬を覚えつつ、魂の声に
引き寄せられ、思策と表現を行った。 曖昧で無限定な概念でありながら、
人々を揺り動かしてきた「魂」とはいったい何か。人間の内部と外部を通わせる
その働きに、著者は現代人が見失ってしまったものを看取する。近代の異端者を
通して生の息吹に触れる異色の思想史。
 
 ―
▼ たまたま現在、思いつくといえば、
<心という感情を想起させる日常の揺らぎを生み出す大元。これは、世界を覆う
 魂の分霊であり、生前、死後に繋がっている。ある意味で遺伝子に似ている。
大自然に感動し、抱かれた感覚は、魂との邂逅といえる。私がポックリ逝った
して、残るのは、此処で書き連ねた言葉。生きてきた痕跡を残すには、魂を
込めて書くしか他に手立てがないため。後日の私に、いま、ここの私が笑われ
ないため。永遠に切りたった、「いま、ここ、わたし」が、魂である。>

・・・・・・
6382,読書日記 〜哲学と対決する ―3
2018年09月03日(月)       
          『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                   ウォーバートン,ナイジェル著
   * 哲学山の頂上は、カントですね!
 私なら、一位がソクラテス。二位がカント、三位がニーチェになる。カントは
<まずはじめに世界(もの)があって、それを人間が認識するのではない。逆に
人間の認識能力にあわせて世界(もの)は形づくられ、はじめて存在する。>と。
これはコペルニクス的転回と言われるほど。思ったことに、対象を入れ込む、
 人たちに、その原始的傾向をみる。
〔 私たちは目の前にあるモノを、そこにあるのが当然のごとく認識している。
「リンゴがあるからこそ、私はリンゴを見ることができる」
「ストーブがあるからこそ、私はストーブの熱を感じることができる」
物体や刺激が存在して初めて、私たちはそれを目で見たり肌で感じることができる
(客観的視点)と思いこんでいる。しかし、カントによる考えはこれとは全くの逆。
「私がリンゴとして見るからこそ、リンゴの姿として現れる」
「私がストーブの熱を感じるからこそ、ストーブの姿として現れる」
人間が認識することのできない「モノ自体(本当の世界)」がもともと存在して
いて、それを人間の感性で認識して初めてリンゴやストーブといった形が形成
される(主観的視点)。つまり、赤くて丸く見えるのはリンゴの仮の姿(人間に
よる見方)であり、リンゴの本当の姿を人間は知ることができない。〕

≪ ◉ オノラ・オニール
 一部の風刺画よりもずっと共感を呼ぶカント哲学の独自の広い解釈を培って
きたように思います。どちらかというと、あまり知られてない本を読んで
欲しい。カントを広く探っていくと、実に多くの興味深いことがあるんです。
 ◉ スーザン・ニーマン
他の誰よりも勇敢です。彼の最も重要な洞察は、有るがままの世界とこうで
あるあるべきという世界との間に大きな溝があり、両者とも同等の価値を
持っているということです。だから絶えず心の中にそれら二つを留めている
必要があります。それは極めて難しい心構えです。非常に現代的です。
ある程度、危険と隣り合わせの生き方をし、フラストレーションが絶えない
ということですから。人はあれかこれか決めたがる傾向にあります。
 ◉ トマス・ポッケ
カントト言わざるをえない。理由は二つ。ただ単に素晴らしいが一つ。
カントは無尽蔵です。カントは読む度に、新しい発見があります。
だから、ありきたりだが、無人島に一冊持っていく本といえば、第一に
『純粋理性批判』を挙げます。もう一つは、哲学に向かうカントの真剣さ
が好きなんです。たとえば、倫理学に関して、彼は信じられないほど慎重で、
真剣でした。倫理学を真に重要なことであるかのごとく扱っているのです。
もっとも、何年とかいうスパンでなく、何世紀かのスパンでみれば、
最終的にそうであることが判明するんですけどね。
 ◉ A・W・ムーア
カントだね。一つには、彼の哲学には信じられない広さゆえです。
もう一つ、彼の哲学には信じられないほどの統一性があります。
それは驚きしか言いようがありません。            ≫
―
▼ 『純粋理性批判』に、三つの問いを挙げた。
(1)人間は何を知り得るか、(2)人間は何を為すべきか、
(3)人間は何を望んでよいか、の三つである。
アプリオリは、経験に先立つもの。...通常、客観的に存在すると思われている
ものにも理性の介入があって初めて、そのように認識するのではないか、と主張。
 現時点でも、世の哲学者は、彼を超えることができない。

・・・・・・
6015,閑話小題 〜ペットの‘ピー’がビーッと鳴いて
2017年09月03日(日)
   * ハロウィンのカボチャ
 カラスが、あいも変わらず自宅の周辺で騒いでいるため、「カラス除けの
目玉の風船」を百均のダイソーに買いに行ったが、置いてなかった。しかし、
ハロウィンのコーナーにカボチャに悪魔の顔を記してある袋があった。
これなら、もしかして大丈夫か?と、買ってきたが、その前に、ペットの
‘マメルリハインコ’の鼻先に、突き出してみたところ、ビーッと鳴いて
羽根をバタつかせて枝から転げ落ちてしまった。その後、丸一日、籠の奥に
身を隠していた。ならばと、2Fの玄関脇の手摺に、目立つように括り付けた。
まる二日経つが、カラスは近づいてこない。 で、昨日、玄関先から周囲を
見渡すと、50m先の電線から、一羽の若いカラスが、ジッと偵察?している姿
があった。 目玉の風船「短期的には警戒するが長期的には効果がない」と
云うから、1〜2週間後には、再び騒がしくなるのだろう…

   * スキップ・トレース (シネマ感想) 
 昨日のシネマは、ジャッキー・チェンが演じるドタバタ。内容といえば、
<ベテラン刑事が詐欺師を追ってロシアへ向かう。その香港警察の刑事と、
米国人詐欺師。刑事も、なぜか追われる身となり、大地を駆け巡る。> 
 他のシリアスの戦争ものと、迷った挙句、「逃げ回る背景の大自然が卓越
していて絶品}という言葉につられ、決めた。が、期待を裏切らなかった。
中年のジャッキーチェンも、味があるというより、見苦しいが、それはそれ。
千円僅かで、30分もするかしないうちに別世界に誘ってくれるのは、1週間
単位の区切りとしてベスト。  〜評価:甘く見て80〜85点 
ところで、「ハッピネスの状態がハッピーを呼寄せる。プラス3にマイナス1。
出来たら6対1」というが、私の実感は、どの位? 「5対1」辺り!。
さて、信濃川土手のチャリ散歩だ。

・・・・・・
5650,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜��
2016年09月03日(土)
  * 後妻業が面白い
 昨日のシネマは、ハリウッド映画、『グランド・イリュージョン〜見破られた
トリック』か、どうか、迷った末に『後妻業』をみることにした。昨今、離婚が
増えた分、再婚組が多く存在している。 『後妻業』があるなら、『本妻業』と
いう専業主婦業の言葉も成り立つ。まあ、8〜9割方が、家庭内破綻をしている
というから、長期、短期的に、多かれ相手を追いやっている?。 本妻業という
プロ意識があればよいが。 小魚や、蛙に取りつき、一生かけ栄養分を吸い尽す
「タガメ」が『本妻業』の本質である。隠れ後妻業の方がたは、ドキッとして
いるはず。 再婚は大変な筈だ。退職金かわりの資産がなければ誰がやるか?
 〜今日は、シネマの内容紹介。 明日はネットの映画評を紹介予定。
≪ 『後妻業の女』
「武内小夜子、63歳、好きなことは読書と夜空を見上げること…わたし、尽くす
タイプやと思います」と、結婚相談所主催のパーティで可愛らしく自己紹介する
小夜子(大竹しのぶ)の魅力に男たちはイチコロ。耕造(津川雅彦)もその一人。
二人は惹かれあい、結婚。幸せな夫婦生活を送っていた、はずだった――。
 2年後耕造は亡くなり、葬式の場で耕造の娘・朋美(尾野真千子)と尚子
(長谷川京子)は、小夜子から遺言公正証書を突き付けられ、小夜子が全財産を
相続する事実を言い渡される。納得の行かない朋美が調査をすると、衝撃の事実
が発覚。小夜子は、後妻に入り財産を奪う“後妻業の女”だったのだ! そして、
その背後には結婚相談所長の柏木(豊川悦司)がいた。
 「結婚相談所に限って言えば、男の高齢者がよくモテる。第一条件は資産が
あること。持病があればなおいい。看取る時間の効率が良いから女同士の取り
合いになったりする…」 次から次へと“後妻業”を繰り返してきた小夜子と
柏木、二人を追及する朋美と裏社会の探偵・本多(永瀬正敏)、小夜子の次の
ターゲットであり彼女が本気で愛してしまった不動産王・舟山(笑福亭鶴瓶)、
そして彼らを取り巻くひと癖もふた癖もある人々…。
今、愛とお金をめぐるドラマが始まる――!! ≫
▼ 350席の中ホールの客席が、ほぼ、熟年夫婦と、中年女性の二人連れで、
 埋まっていたのには驚いた。かって無かったことである。この映画の圧巻は、
可愛らしく自己紹介する小夜子役の(大竹しのぶ)の魅力。そして裏の悪女の
顔を使い分ける演技は絶品。その彼女に男たちはイチコロ! その下唇を突き
出した悪女顔は、鬼気迫る迫力がある。清純派から悪女までをソツなくこなす
大竹しのぶに、大女優の片鱗を垣間見れる内容でもある。 評価;90点

・・・・・・
5285, ー「原因」と「結果」の法則 ー  〜��
2015年09月03日(木)
      ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著)
 学生時代に読んだカーネギーや、最近では「7つの習慣」のコヴィー博士など
の啓発本のハシリの本。森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に
移行したこともあり、純粋に、こういう考え方を受け入れることが出来る立場に
なった。良い原因をつり続ければ、良い結果が現れることは分かってはいるが・・ 
そこが生身の人間。 四苦八苦は、人間に生まれてきたからにはついて回るが、
その三倍の楽を常に心がければ、何事も上手くいく!ことになる。
三倍を楽しむことは、日常生活の細部を楽しむ習慣化すれば決して無理ではない。
ピュアーな心根を持って、日々の細事を楽しめばよいだけ。
  ーまず、アマゾンの商品内容の説明文より
・< デール・カーネギー、オグ・マンディーノなど、現代成功哲学の祖たちが、
 もっとも影響を受けた伝説のバイブル『AS A MAN THINKETH』。聖書に次いで
一世紀以上ものあいだ読まれつづけている、驚異的な超ロング・ベストセラー! 
「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。
 私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。
『原因と結果の法則』は、目に見える物質の世界においても、目に見えない
 心の世界においても、つねに絶対で、ゆらぐことがないのです」(本文より)>
  ー次に、あるビュアーより
・《「私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境
(結果)に運んできた」ということになります。つまり、自分の「思い」が
自分の「人生」を創り上げているということです。人の幸不幸は、その人の
環境と、その環境をどう思うか、その人の人格によって決まります。
環境が幸せなものならそれだけ幸せになりやすい、また、幸せになれる
人格をもつ人はそれだけ幸せになりやすい、ということです。
 幸せになるためには、自分の環境を(幸せなものに)変えるアプローチと、
自分の人格を(幸せになれるべく)変えるアプローチがあるわけです。
 自分の環境を変えるためには、自分が幸せになれるような目標をもって
努力すればいいのでしょう。 自分(の人格)を変えるためには、自分
(の心)を育てる努力をすればいいのではないでしょうか。》
・《 何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが啓発書。
本書は1902年に英国の作家によって記されたもので、世界に数多くある啓発書
のルーツとも言われている。意外なことに、日本語版は今回が初出となる。
現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない
と説く。結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある
支配的な思いにあると言う。「人間は身勝手な欲望を放棄しているとき、
搾取する側、される側のどちらにも属さない」という記述からは、当時の
英国社会に蔓延していた閉塞感を宗教以外の論理で解消したいという狙いが
うかがえる。「自己制御は熟練技能」という啓発書の基本が、1世紀前に存在
していたことは興味深い。》
▼ この年齢になっても、いや、なったからこそ、この原因と結果の法則には、
 考えさせられる。 「いま、ここ、わたし」は、これまでの、自分の
「おもい」の結果である。 自然に任せておけば、大方は、いいこと、
わるいことは、五分五分になるが、意識して、いいことにアプローチをすれば、
わるいこと1、よいこと3にすることが出来る。それを対象、環境にも応用が
出来る。嫌なことがあったら、よいところを3つ探せば、確かに、そこにある。
自分の人生でも、同じことがいえる。老いると自己嫌悪に陥りやすくなり、
過去の全てをマイナスの視点で照射してしまいがちになる。
しかし、その視点で凝視すると、三倍、十倍のプラスの経験がある。


6744,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―3

2019年09月02日(月)


            <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >
   * 解ったような解らないような… 老後の話。
 母親を51歳で看送り、さてと… 考えて、還暦まで9年で80歳を平均寿命として、
31年分を圧縮して生きることにした。その時点で思いついた一番遣り残したこと
を兎に角、実行することを旨としたが、還暦を向えて独りでほくそ笑んでいた。
「人生の良いところは還暦まで」という作家の言葉を信じてのこと。周囲には、
 あろう筈がない「老後」を信じた反面教師が、ほぼ全員が貴重な事例として、
その実践の後押しをしてくれていた。本当に黄金の9年であった。求めたから
与えられた。 人生の前半から、後半への節目に母親が死をもって後押しを
してくれたような。3倍圧縮したコトに換金したことになる。その価値は10倍
あたり人生を豊かにしてくれたため、『老い』に対する恐怖は少ないようだ。
 時どき、「何でこんな思いもよらぬことが起こる? 呆け現象では?」に遭遇。
これまでの行蔵が引力になっているのでは? とさえ。 心の中の奥座の魂が
引き寄せてくれるのだろか、それとも呆け現象? 

  〜Amazonノ内容説明では〜
「最近、老化が激しい」 「あたしも年を取ったわね」 「俺もそろそろ老後だ」
こう、呪文のように唱えていませんか? 
 そもそも、生物としての人間に「老後」なんてものはありません!
人生100年時代、人間は生物学的意味をなくした50歳からの50年を、何のために
生きるのか? 「老後」「寿命」「老化」「50歳からの病」「定年」…
 …巷に溢れたウソを一刀両断。
人生は2度ある――こう考えればすべてうまくいく。
50歳からの目からウロコの人生論です。
 ――   
  〜出版社からのコメント〜
 65歳から35年間も「老後」を過ごすのか?と不安に思う人が、50歳からの人生
を生き生きと明るく、健康に、生きるためのヒントが満載。人生100年時代を
生きる哲学です。 本書は、「人生は2度ある」ことを科学的に解いています。
「50歳までの第1の人生」と「50歳からの第2の人生」では、
生きる意味も健康概念も、大きく違ってくることがわかります。
 
   =以下は本書の序文からの抜粋=
≪ ◎「老後」なんてものはありません 
   (「はじめに」より抜粋)
 今、人生100年時代と言われています。 しかし、「高齢社会」「高齢者」
「後期高齢者」「定年」「老後」ノ言葉が世の中には溢れています。かつて、
あるテレビ番組では「定年後でも元気な人をどうするか?」などいうことが
語られていました。どうも、「年を取ったら定年がくる」という先入観に縛られ
ているように思う。 日本国憲法には「すべて国民は、法の下に平等であって、
人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的、社会的関係に
おいて、差別されない」と書かれています。憲法改正の議論が高まっていますが、
法の下の平等については、日本だけではなく世界中で、異論がないところ。
差別は禁止されているのですから、たとえ年を取ってやや疲れ気味になって
いるとしても、それによって一律の定年を決めるというのはおかしいのでは
ないでしょうか。これでは女性差別ならぬ「年齢差別」です。
でも、このような「年齢差別」とも言える言葉が出てきたのも、人生100年時代
というものを迎えて、初めての事態にどう対処すればいいのか、その概念がない
からだと思います。つまり、人生100年時代の人生哲学がないのです。
私は50歳以上の男性に「生きている意味はない」と言ってきました。
「あなたこそ、年齢差別をしているのでは?」
こう疑問に思う人もいるでしょうが、私の真意は違います。50歳以上の男性は、
「生物として生きている意味」がないということなのです。
それはどういうことか。 後に詳述しますが、女性で考えると、成長して結婚し、
子供を産み、育てるというのはほぼ50歳までに終えます。 男性も同じで、昔は
若い人には兵役や徴兵というものがありました。年を取って、体力が落ちて、
弱いものを守るために戦えなくなり、肉体労働もできなくなってくるのが50歳
くらいだったのです。つまり、50歳で生物としての人間が終わると私は考えます。
その後の人生は�猜未陵�由�瓩農犬�る別の人生です。
私たちは、人生は1度だけだと思っています。しかし、それは誤解で、実は、
人生は2度あるのです。 生まれてから50歳までの「第1の人生」と、50歳以降の
「第2の人生」の2つの人生が1人の人間にはある。その境目が50歳です。≫
 ――
▼ 51歳から23年近く経過したが、思いもよらない起伏の富んだ経験をしてみた。
 後半の人生も半ば、寝たきり、介護生活に同年代の過半数が入りつつある。
人生の総括が、残された寿命の課題だろうが… これも終えてしまったような?
 ――
八木重吉の詩。
  ‘夕焼’
ゆう焼けをあび
手をふり
手をふり
胸にはちさい夢をとぼし
手をにぎりあわせてふりながら
このゆうやけをあびていたいよ

・・・・・・
6381,読書日記 〜哲学と対決する ―2
2018年09月02日(日)

『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                 ウォーバートン,ナイジェル著
  * 一番人気の‘デイヴィット・ヒューム
 ◉ ジョナサン・ウルフ
<多分、ヒュームだろうね。26歳の時に、『人間本性論』を書いていたという
のがその理由。その中には、とてつも独創的な新しい観念が幾千も詰まっている。
年端の行かない若造が、既に考えていたということは奇跡のような気がする。
無駄を省いた表現の信じられないほどの簡潔さにも感心させられる。1ページで
3つもの素晴らしい議論が読めるんだ。殆どの哲学者は、ヒュームの本の1ページに
のっている観念を生み出すだけでも、自分のライフワークとして満足するのだね。
 ◉ チャンドラン・クカサス
一つにそれは私自身の経歴に関わっている。私が修士の学生だった頃、体系的
に取り組み始めた最初の哲学者が彼だった。彼の常識的で人間的な姿勢に引か
れるためです。私にとってあまりにも冷徹すぎるドイツ人ほど冷徹でない彼の
道徳の理解に心が引かれます。
 ◉ バリー・スミス
一人挙げろといえばヒュームです。彼は僕らの人生のあらゆる側面を的確に理解
していたと思います。心はどのようにして動くか、僕はどのようにして世の中に
適応するか、徳性の性質、美の判断、政治学などすべてです。本当に彼は、僕らが
生きものとして生き物としてどのように動くか、心がどのようにして構築され、
どのように組織されるのかといったことを正確に理解しようと努めました。
―
▼ ヒュームが多いのは、対象が哲学者だから。哲学書を読む度に、どう考えても
 理解できない哲理ばかり、秀才、天才は、遥かに難しい論理を軽く理解し、その
先の世界に入って、更に論理を拡張している。その難しい哲理を、ヒュームは、
論理的に説くから、人気がある? 

・・・・・・
 6014,閑話小題 またまた4kTVについて
2017年09月02日(土)
   * 4kTVを入替えて8ヶ月
 去年暮れに、寝室のTVを7年ぶりに入替えた感想を何度か書いてきた。
その1年前に、ブルーレイを入れ、WoWoWの2台目契約をして、1年分の
映画、ドラマ、海外旅番組など、私専用の300本を録画していたこともあって、
毎日が面白さが格段、上がった。その上、TV画面がフルハイビジョン以前の
100万画素から1100万画素にアップ。0・3の視力が3・0になっと同じようなもの。
更に、ネット配信で、YouTubeなどの映像が自由にみることが可能になった。
これは、生のリアル社会より、虚構のドラマや、旅人の代行をするレポーター
の映像に埋没する「オタク」に陥ってしまう。 まだ、スポーツジムと、
早朝のポタリングと、図書館と、随想日記で自己主張の外出が組んであるため、
平衡感覚を保てるが。
 5〜7年スパンで、TVを入替えてきたが、7年前に入替えた時の驚きも大きく、
日常のTV生活が大きく変わってしまった。地上波の全ての番組を自動録画を
28時間分してくれる。ゴールデンタイム19〜24時まで設定すると、約5日分を
録画をしつつ、過ぎた分を消していく。これでゴールデンタイムの気になる
番組から開放される。その分、録画したドラマや、BSの番組を見れる上に、
録画機能が内蔵されているのが、意外と便利。イチイチ録画機を立ち上げる
ことなく録画を呼出せるのが、便利になっていた。ところが、今度の4kは… 
 ということで、ますますオタクバカになっている。
〜HP内検索をすると、よくぞ!と感心するほど、詳細に書いていた。
 余程、閑とみえる。

・・・・・・
2017/06/17
閑話小題 〜話題の「4k、8kTV」とは 〜1
   * 2k、4k、8kTV
 家電チェーンのチラシ広告で目につくのが大型薄型TV、とりわけ4kTV。
その上に、4k有機TVである。去年暮れ、寝室に、その4kTVを購入して、
視覚世界が一変して現在に至っている。居間中心だった生活が、寝室に移動し
てしまった。「2k、4k、8kTV」とは何か、その「k」とは何かを検索して
デジカメで画面に使われている解析度「千」の省略用語「k」と、知った。
 〜ネット検索で調べると〜
≪ 現在、我々がみているデジタル放送は、フルハイビジョンといわれる規格で、
 解像度は1920×1080ピクセルで約200万画素相当。今、次世代の規格として注目
されている4K映像は解像度3840×2160ピクセル、約800万画素相当で、フルハイ
ビジョンの4倍の画素数からなり横方向の画素数が約4000ということから4Kと
呼ばれている。実はこの4Kのさらに先をいく、スーパーハイビジョンと呼ばれる
8K映像の研究が現在進められている。8Kは、現在のフルハイビジョンの16倍に
あたる7680×4320ピクセル、約3300万画素という超高精細な映像を実現します。
フルハイビジョンのテレビは、画面の近くに寄ると液晶のドットを視認すること
ができますが、8Kの超高精細なディスプレイではどれだけ画面に近づいても
液晶のドットがわからないほど精細です。そのためそこに映し出される映像が
あまりにリアルに見えてしまい、画面に映った映像と認識できないほどです。≫
 ―
▼ 7年前に購入したTVは、ハイビジョンだったので100万画素とすると、
 寝室の新たなのものは800万画素+40%アップしたもの。とすると、居間の
TVの10倍は鮮明な画面になる。これでは手放しで感動して当然である。
同級会で、それを説明すると、「その結果、何が如何、違って見えるのか?」
と、素朴な疑問。直感的に答えたのが、「大相撲のTV観戦を例にとると、
これまでは、土俵上の力士と行司だけにピントが合っていて、土俵周りまで
関心がいかなかったのが、観客のファッションとか、所作まで鮮明に見えて、
今日は、どんな人が、どんなファッションで、どんな連れと同伴しているか
などを見るようになった。個々が浮き上がって鮮明にみえる」と答えると、
納得したようだ。スマートフォンのカメラ機能で、画素の違いは判るだろう。
8kTVの一般の普及は、7〜8年先のようだ。ところが、今度は「4k有機TV」
が出てきた。8k並みの4kTVと、有機TVの話題は次回に… 

――――
5801,閑話小題 〜4k8kテレビの世界
2017年02月01日(水)
  * 冥途の土産に
・一昨年の暮れ、寝室にWoWoWの二台目契約をしたのと同時に、ブルーレイの
録画機を設置して一年。次は6年半経過したTVを思いきって買換え、はや一ヶ月
経過。居間から寝室にシェルター内の居場所の重点移動になる。一切、家内に
秘密で、新潟駅前の家電チェーンを含めて10軒近く、見て聞いた後、買換え
の結論を出した。少しでも家内に気づかれれば、瞬時に潰されるのは自明。
決めて納入までの罵声の嵐は覚悟の上だが、全身での罵声は覚悟としても、
やはり堪えた。敵は、この機会とばかりに普段の鬱憤を怒りこめてくる。
奥の間は、外界からの雑音が皆無ということも含め、そこは異世界である。
これをベッドでみた後、廊下を隔てた仏間のパソコン前と、居間に向かう時、
何か夢の世界から現実社会に、引き戻されつつ歩んでいる感覚になる。 
・20年以上、年末のNHKの紅白歌合戦を見ることがなかったが、早速、初めから
終わりまで、一睡もすることなく見てしまった。背景がデジタル映像を主体に
した世界に変っていた。
・更に大相撲初場所も、幕下上位から、打上げまで、ほぼ見ていた。 
最近に知ったが、これが8kの試験放送。いやに生々しいはず! 映し出される
力士だけでなく、観客の姿が立体的に鮮明に映し出される。服装、表情を見て
いるだけで飽きはしない。より立体的に、力士も行事も、砂被りの観客も、見る
ことが出来る。4kと8kの違いは、より鮮明に立体的に浮かび上がる画像の差。
・店頭の中年店員が「他は800万画素だが、これは2000万画素の異世界の映像
を映し出している」というのも実感できる。4k8kTVの情報は、東京の従兄が、
葬式で地元に来た時の通夜の席で、「別次元の明るさがあり、鮮明で、臨場感が
違う」と聞いた情報。
・そこで【長岡花火 2016】とYouTubeに入力すると… 過って見たことの映像
世界が次々と出てきた。見方によれば、現場で見るより、華やかさという面では
圧倒的に?まさっている。「4k・8k映像世界とは、これ」と現出された内容。
「人間の視力、聴力をデジタル技術で遥かに超える世界が、TV映像にも出てきた」
ということ。3Ⅾが最近、話題に上がらなくなったのは、対象が立体的になった
ためという。
・グーグルが、ストリートビューを美術館内の芸術作品で始めた。まだ出だし
だが、世界の名画が、パソコン、TVで本物よりも本物らしく映し出される時代
になった。8kの次世代の画面の段階に研究は進んでいるという。あまり長生き
をしたいと思わなかったが、ここで、少し気持ちが変化をしてきている。

――――
5804,閑話小題 〜4k8kテレビの世界 −2
2017年02月04日(土)
   * 鮮烈荘厳で神秘に満ちた粟粒の光景
 たまたま、7年前の写真家・白川義員の文章があった。
4k8kTVで、YouTubeサイト、『世界の秘境 高画質』などで検索すると、
次々と息をのむ光景が出てくる。それも現場で見るのと遜色ない神々しい
シーンなら… 何おか言わんである。4k8kのビデオカメラから映し
出された世界中の秘異境の高画質のものなら、感動しないわけがない。
間違いなく旅先で神秘的な光景を見ることが出来るとは言えない。絶妙な
天候などで、外れる可能性を含んだ上で、その神々しい光景との一期一会の
出会いが感動を高めてくれる。 『長岡花火 フェニックス』と、音声入力
をすると、現場の裸眼で見るのとは違った高性能カメラが映しだす信じがたい
色彩の花火が息もつかさず現れ出てくる。 以下の文章にある、
<スゴイ景色との出会い>が、現場とは違ったカタチで、TV画面を通して、
気楽に見れる。 毎日、その画面を見て、独り溜息をついている。
秘異境での光景との出会いが沈殿してあることもあるが。 
それもこれも、高質な『キーワード』に順じて写真、映像が出てくる。
経験があればこその『キーワード』であり、映像である。これが、プロだけで
なく、一般人が高性能のデジカメを持てる時代の産物である。 例えば国際線の
機長が、機上で目にした下界の光輝く景観の写真集を、図書館で見つけたことが
あった。機長しか見れない光景だからこそ素晴らしいのである。
 娑婆に執りこまれていては、見ても見えず。そちらから、娑婆を新たに
見れば、内幕情報とか何とかなど、何おかいわんになって然るべきになる。 



6743,読書日記 〜『科学者が解く「老人」のウソ』 ―2

2019年09月01日(日)



           <「科学者が解く「老人」のウソ」武田邦彦(著) >
    * 「老後」って、そもそも何?
 「老後」―老いた後といえば、「死」じゃないか? その「死」で思いつく
のが、人称の「死」。そして「一人称の私の死は、存在しな」いと! 三人称
の死は希薄で、問題は身近な「二人称の死」である。ということは、老後とは、
妄想でしかないという著者の主張も解らないでない。 とはいえ、「死」と、
「老後の備え」は常日頃から整えておかないと… 場当たりの処理は無理がある。
個々人にとって「老後」とは、5年先のことと想念すると、その前に5年前を
具体的に鳥瞰すれば…。 とすると、やはり、直視するしかない。 そうこう
考えると、まず独りになり、読書、瞑想などで、瞑想するのが手っ取り早くなる。
老後… 5年先のイメージ… それは5年以前の私… 身近な5歳年上の知人、
姉等々… そうこう考えると、来世ありきと信じて生きた方が、合理的になる?      
 ―
  〜Amazonのベストレビューに、解りやすい概要があった〜
≪ 老いについては、著者のようにポジティブ・シンキングで、制限時間(寿命)
内で自分のしたいことをできるだけしようとする考えの他に、
・曽野綾子のように<老いこそ若い時期の苦労を収穫できる豊かさがあると
 積極的意義を見出していく考えなどあります。
・更には五木寛之氏の「下山の思想」などは自然な養生をして、老いと共存共栄
 しようをし郷愁を感じることにも肯定的な姿勢をとっています。
「第二の人生」として力むことなく自覚的に生きることができれば良いのだと思う。
・食事では和食を中心にするよう勧めていますが、脳細胞が脂溶性を必要とする
 ことから肉食も勧めています。ちょっと論理がチグハグです。
 むしろ最近和食以外に勧められているのは地中海ダイエットで
  �”鯑瑳髻´▲�リーブオイル ��青魚を主体としています。
 葡萄酒はポリフェノールを多く含み、血管の老化を防止します。
 オリーブオイルは油の中ではもっとも酸化されにくいので、脂溶性ビタミン
 の吸収を助けます。青魚は血液をサラサラにするDHAやEPAを含んでいます。
・また本書では「善玉」「悪玉」という表現が忌避されていますが、納豆を始めと
する発酵食品、海藻、食物繊維により乳酸菌などの腸内善玉菌が増えると、腸の
免疫機能の重要な役割を強化します。精製塩の摂取制限は重要ですが、天然塩
ではマグネシュウムなどのさまざまなミネラルが含まれナトリウムの体外排出を
促すため、制限を厳しくする必要はないと言われています。減塩食の普及に対して
批判的ならば、もう少し細密な事実を基盤にしてほしい。
 
 ――
▼ 人間を魂+肉体とみると、肉体の老後とは別に、魂の老後が… 魂は老いる
 ことはないので、ここで、まず矛盾が発生する。そこで問題が「老醜」になる。
これまで目立たなかった欠点が、年齢が進む度に表立ってくる。そして、それに
捉われて、最も大事な魂の自由が失われていく。そこで、必要なことは、
地頭で考える習慣の必要性。 そうしておかないと、マスコミの「マスごみ」
情報を信じて、せっかくの地球へのツアーを台無しにしてしまう。それが、
「死」=「老後」の言葉に捉われた結果と相成る。 …そういうこと。
政府も時どき、面白いキャンペーンを投げかける。 それが「貧困問題」と、
それに伴う「老後問題」。 今回は消費税値上げのバックグランドがある。 

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読書日記 〜哲学と対決する ー1
6380,9月01日 読書日記 〜哲学と対決する ー1   
        
           『哲学と対決する』デヴィット・エドモンズ著
                   ウォーバートン,ナイジェル著
  *「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」
 著者は、過去数年間、私たちと出会った哲学者に、事前の通告なしで、
「あなたのお気に入りの哲学者は誰ですか?」の質問を続けてきた。最初に挙げ
られたのが、18Cに活躍したスコットラン人のデイヴィット・ヒュームだった。
彼が首位に挙げられる頻度の多さに驚いた。サンプルの20%以上にのぼったのだ。
プラトン、アリストテレス、デカルト、カント、ミル、ニーチェ、ウィトゲン
シュタイン、といった他の著名な哲学者も多かったが、その頻度は、ヒュームに
遠く及ばなかった。
  〜アマゾンの内容説明より〜
《お気に入りの哲学者は誰かと64人の哲学者にきいたところ、一番人気は意外
にも… 27人の哲学者について、現代の27人の哲学者がインタビューに答えて、
その神髄を語り尽くす。―やはり哲学を理解するには対話だ! 》
 〜まえがき、より〜
<哲学は今や、2500年に及ぶ観念の歴史を持っている。それぞれの世代は、過去
の偉大な哲学者の本を読返し、解釈をし直す。過の最も重要な思想家について、
今日の第一線の解釈者に話を聞くことが出来たのは幸運である。
フィロソフィ・バイツが始まった時、懐疑論者たちは、秘教的話題とみなされる
ものへの関心はごく小さいだろうと推測した。ところが、世界中の人々がプラトン
の愛の見解、カントの先験的命題、サルトルの実存主義についての話に聞き入った。》
ー
▼ 「お気に入りの哲学者は誰ですか?」に対してダン・スペルベルが、一言、
<そいつは難しい質問だね。わしには、好みの哲学者などいない。哲学で
 わしが好きなのは、意味の相違や対話、つまり、相手とはまったく異なる視点を
持ちだして議論する能力なんだ。> が、グササリと刺さった。
日本人の最も欠けている能力である。

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6013,幸せの確率  〜6
2017年09月01日(金)
         ー幸せの確率 あなたにもできる!  
              アーリーリタイアのすすめ ―内山直(著)
  * 想像してごらん 仕事なんてしなくてもいいのだと
‘はじめに’冒頭の、ジョン・レノンの「イマジン」の著者の「替え歌」が良い。 
リタイアから、このかたの私の気持ちそのもの。
・「創業を心に決めた20歳の時節。その計画に従い、自己配転をしていた時節」
・「時節到来と、創業を始めた34歳の時節」
・それとも「還暦までに、30年分を圧縮して生きると、決心した51歳の時節」
・「事業清算を決断をした65歳の時節」
 まず第一歩が、目先の他者評価を無視すること。これは現在も続いている。
これに慣れると人生が激変する。社会が全く違って見えてくる上に、俄然人生
が面白くなる。 この替え歌のような「自らに由る」自由意志が生まれてくる。
世間体とかいう妄想から解放される。せっかく80年の生命体を頂いたのだから。
 譬えるなら「他の宇宙から、80年間地球観光ツアーのため、心身を与えられ、
地上に放りだされたのだから」… 仕事などしない方が良いに決まってる。
 生きるために必要な術なら、「前半は仕事。後半は遊び」と、出発点で割り
切る生き方がよい。自由、平等、博愛など妄想だが、それでも心の奥底に、
指標として必要欠くべからざる理念。
 6年前に、このことに気付き、ここで似たようなことを書いてきた。
背中に天使の様に羽根が生えフワフワ浮いている感覚。
< 自分勝手に、何に縛られていたのだろう。縛っていたのは自分自身。
 朝起きて、パソコンに向かい、ひとテーマの文章を完成し、ネット上に上げ、
自転車で信濃川土手の二つの大橋を一周して、居間でTVをみながら、コーヒー
を飲んだ後、朝食ととり、朝風呂に入り、午前中は読書か、ネットサーフィン。
… 少し物足りない感がないでもないが、見渡すと、殆どの人達が、反面教師。
 「あれは、何じゃ」で、それは吹き飛んでしまい、以下の歌詞のとおりになる。

≪  ーはじめにー
 
 想像してごらん 仕事なんかしなくてもいいのだと。
ほら、簡単だろう?
気が向けば働けばいいし、遊んで暮らしたってかまわない。
自分の時間を犠牲にすることなんてないんだ。

 想像してごらん 束縛なんかないのだと。
そんなに難しくないだろう?
好きな土地に住もう。田舎でも、都会でも。
旅するように移り住むのもいいし、リゾート暮らしも素敵だね。

 想像してごらん。
目覚めと共に起きて、眠くなればベッドに入る生活を。
疲れたら横になればいいし、気が乗れば徹夜したっていい。
明日のことなど気にしないで。

 想像してごらん。
朝の陽射しの中で飲むビールを。
いつでも旅に出られる気ままさを。
そして、ありったけの情熱を傾けられる、何かのことを。

 そのために君がしなければならないことは、ただ、ひとつ。
それは、残りの人生を過ごすために必要なお金をつくってしまうこと!

 ひょっとして、今、笑ったかい?

 君は言うかもしれない。金持ちの戯言だって。
運や才能に恵まれた人間の自慢話だって。
いや、決してそんなことはないんだよ。
必要なのは、ちょっとした努力と、コツだけさ。
――

 本書には、そのコツが書かれている。
そんなに難しいことじゃないんだって、わかってくれると思うよ。
ちょっとした努力の方は、自分でなんとかしてくれ。
この本を手に取るくらい好奇心旺盛な君なら、問題なくできるはず。
ただし、常に用心を怠らないように。両目をしっかりと見開くこと!

 幸運を祈る。 ≫

ネットで、歌詞を検索すると

Imagine there's no Heaven
It's easy if you try
No Hell below us
Above us only sky
Imagine all the people
Living for today...

Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will be as one

Imagine no possessions
I wonder if you can
No need for greed or hunger
A brotherhood of man
Imagine all the people
Sharing all the world

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the world will live as one

想像してごらん 天国なんて無いんだと
ほら、簡単でしょう?
地面の下に地獄なんて無いし
僕たちの上には ただ空があるだけ
さあ想像してごらん みんなが
ただ今を生きているって...

想像してごらん 国なんて無いんだと
そんなに難しくないでしょう?
殺す理由も死ぬ理由も無く
そして宗教も無い
さあ想像してごらん みんなが
ただ平和に生きているって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
きっと世界はひとつになるんだ

想像してごらん 何も所有しないって
あなたなら出来ると思うよ
欲張ったり飢えることも無い
人はみんな兄弟なんだって
想像してごらん みんなが
世界を分かち合うんだって...

僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
でも僕一人じゃないはず
いつかあなたもみんな仲間になって
そして世界はきっとひとつになるんだ

――
森山良子
     今日の日はさようなら 歌詞

いつまでも 絶えることなく
友達でいよう
明日の日を夢みて
希望の道を

空を飛ぶ 鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで

信じあう よろこびを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで

<忘れてしまったな、この感覚。
   「イマジン」と共にTVのYouTubeで聴いてみようか>

 さよなら さよなら さよなら
  はい さようなら!

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