堀井On-Line



6650,閑話小題 〜サイレント・ブルー

2019年05月31日(金)

   * 深夜の冴えた時間帯で…
 昨年暮れから、年を越えて10回シリーズで、BSテレ東で放送されたドラマ
『サイレント・ヴォイス 行動心理捜査官・楯岡絵麻』があった。残念ながら
見なかったが、「サイレント・ヴォイス」の言葉が妙に残った。 ネット検索
によると;【 取調室を舞台に繰り広げられる“超・心理サスペンス”!
嘘を付く瞬間に0.2秒間だけ現れる、その人固有の“マイクロジェスチャー”
を読み取り『被疑者の嘘を見破る』女刑事の物語。】とあった。
 ある犯罪モノのドラマに、『レム状態(半睡眠)の自分に暗示を与えると、
効果抜群』と犯罪心理学の教授が宣う場面があった。 20歳、30歳代は、就職、
結婚、住居の決定、子供の名づけなど、次つぎと決断に迫られる時節。
その頃から、眠れない深夜2時から2時半辺りに、あれやこれや考えて判断し、
翌々日に、決断する。1日、時間を置くのは、深夜の布団の中ではマイナーに
なりがちのため。 この繰返しが、現在の「自分」を生成してきた。 
20時半〜21時に就寝し爆睡、1時に目が覚め、半睡眠状態で3時半まで過ごす。
その時間帯の一連の命名を… その時間帯で考えて出てきたのが
 『サイレント・ブルー』 その時の実感のためか、そのままのイメージ。 
青い球体に包まれた中で、静かに自分と向き合う深沈厚重の心理状態。
これ般若心経の読経のフロー状態。最後の最後は、自ら独り判断し、決断する
しかない。刑事モノの女刑事。一瞬の仕草の中で嘘を見抜く心理サスペンス。
現象を、あれやこれやと考え合わせて、道理、真理を導き出して、判断に
到達するところは同じ道理。以前、『白い雲に乗って』というテーマで、
子供時代、学生時代を振り返るミニ回想を書いたが、『サイレント・ブルー』
を背景に、孫悟空のように白い雲に乗って駆け回るイメージはドンピシャ! 
 シネマ館で、寝室のTVで、パソコンのネットで、そしてサイレントブルーで、
見知らぬ世界を、現に駆け巡っている日々。 何か、変でもある?

・・・・・・
5044,生と死をめぐる断想  ー1
2015年01月05日(月)
    『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著)
 * 死をそばに感じて生きる 〜団十郎の辞世
   ー 色は空 空は色との 時なき世へ ー
 以下は、序文の冒頭の内容。日本人の2人に1人の割合でガンになり、
3人に1人の割合で亡くなるという。高齢化で、ガンになるまで、死ななく
なった結果、死を意識する時間が長くなったこともある。今では死に関する
知識を、一般の人が、ネットなどから死生観を収集したり、表現できる機会が
増えている。 ー まずは序文の冒頭からー
≪ 2013年2月に亡くなった歌舞伎俳優の市川團十郎の辞世の句だ。
 葬儀の場で長男の團十郎のパソコンに残されていたという。
詠まれたのは前年の十二月、亡くなる数ヶ月前である。
 色は空(そら)、空は色(いろ)との 時なき世へ、と海老蔵は読んでいた。
この句に接し、『般若心経』の中のあの一節を思い浮かべる方は多いだろう。
色即是空 空即是色。それに寄せて読むならば、冒頭の句は、
 色は色(しき)空  空(くう)色(しき) との時なき世へ、となる。 
色はかたちあるものと、ひらたくは言われる。空は空っぽ、何もない、という
ことか。空しい、ということか。かたちあるものは実は何もない、空しい、と
教えているのか。そうではない。(略)・・ このことは追々深めたい。
時なき世とは。時間のない世。時間を超えた世。超時間性は永遠と言換えられる。
それは、この世に対するあの世なのか。この「時なき世」が團十郎の句では
「色は空空は色」と「との」でつながる。「との」は、と言われる、とか、と
聞いている、の意だ。色即是空、空即是色とかねてより聞いている時なき世。
「へ」は方向を示す助詞である。色即是空、空即是色とかねてより聞いている
ところの 時なき世へ、自分はこれから行くのである。團十郎の死生観を
表す句と言える。(略)・・ 團十郎が、死を前に遺した五七五が、芸についての
教えでなく死生観の表出だったのは、私には少し意外、けれどもすぐに理解できた。
團汁郎は長く血液のがんを患っている。治療の副作用による絶え間ないめまいと
吐き気を無間地獄と、あるインタビューでは曝えていた。何度も再発入院し、
骨髄移植をしていた。・・・≫
▼ 色を「しき」と「いろ」、空を「くう」と「そら」と、息子が間違えて
 言ってしまった可能性もあるが、真偽はわからない。栄華を極めたあと、
とたんの苦しみの死際の言葉であればこそ、心に響く。 即興の辞世!
 《 色即是空 死んでしまえば それまでよ 空即是色 》 
・自分の世界をつくって、門を開放し、取捨選択をして浄化、続けること。
▽ 過去を振り返ると、冷汗が出るほど、多くの危険が多かった。が、何故か、
 間一髪、すり抜けていた。親から引継いだ倫理観とか、学んできた知識、
情報からくる判断が、運の悪さを最小にしていた。特に、自問自答の「自答」
が大事ということ。良い本を選択、読み続けろ、そして楽しめ、ということ。

・・・・・・
5069,あわいの力 ー�
2015年01月30日(金)
        ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著)
  * 日本の「心(こころ)の三重構造」
 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、
< 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、
「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜
≪ 「心」は、三層構造である。 
 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、
 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり)
 ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。
― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。
 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう
違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。
こころ変わりという言葉があるでしょう。
― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な
 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」
という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を
いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、
その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を
さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が
戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら
「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて
しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。
 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。
言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍
された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め
させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。
 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという
ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍
された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの
「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。
― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも
通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と
いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、
一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫
▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い
 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、
「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、
現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、
渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で!
 * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。
・・・・・・
4704,「考える」と、「思う」の違い
2014年01月30日(木)
   *「考える」と、「思う」の違い  ー『散文』谷川俊太郎著より
 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。
「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を
組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝
した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 
  ーその辺りから
《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、
 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には
余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。
けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう
未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として
理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を
置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、
思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと
考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに
補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた
ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の
うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゜(-_-;)ゝ アッ!
▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、
「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」
「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と  
◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ
(必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」
「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が
どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。
英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。
 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。
だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり
して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。
「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。
積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゜ペ@)ウーン
・・・・・・
5433,人生で最も大切な技術 ー 純粋意識
2016年01月30日(土)
       『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * 心の本質、純粋意識の経験
 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快
でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、
座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜
≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで
 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、
感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。
 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの
特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。
それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が
そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された
自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在
でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。
 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって
生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の
しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。
特別に存在するのか。 答えは否である。
 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対
の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識
に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考
ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。
「思考をゼロにする目的は何か」
「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。
 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安
や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて
後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。
このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを
つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと
がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。
それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が
理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。
この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟
するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、
どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に
妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。
 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く
聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた
概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、
仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫
▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。
 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に
没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の
眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、
どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、
考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。
これも純粋意識とチト違うか。 

ーH0407高野山へ旅してー
 十年前より行きたいと願っていた高野山へ二泊三日の旅(ドライブ)をしてきた。
初日は比叡山の延暦寺へ寄り、“根本中堂”へ、二度目だがその荘厳さに圧倒された。
また新しくできた国宝堂の国宝・重要文化財の仏像・仏画等も延暦寺ならではのもの。
翌日の高野山、特に“奥の院”への老杉に囲まれた参道は神秘的で左右の墓石群に
千年の歴史の深さを感じた。何げなくみた墓が上杉謙信、明智光秀、浅野内匠、
伊達政宗、前田利長、豊臣秀吉等の墓であった。
 三十人位の白装束の集団がすわりこみ“般若心経”を、あげていたのが武田信玄
の墓であった。県内では村上藩、長岡藩、新発田藩などがあった。他にも代々の
天皇家の墓や松下(電器)家の墓等も印象的であった。
この終点にある灯竜堂も灯竜の灯火が天井等に無数にならび、形容しがたい感動的
なものである。その奥にある弘法大師の御廟所も信者がそれぞれ“お経”をあげて
おり、奥の院そのものという感じであった。
秀吉が母の菩提を弔うために建てた金剛峯寺も剛荘な構えで、“柳の間”
(関白秀次が切腹させられた間)がそれとは知らず、突然目の前に歴史を見せ
つけられたようであった。高野山へ登る途中の林海の深さに感動、千百年も前に
よくぞこの場所をみつけたものと不思議であった。
 
ーH0407霊的体験ー
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験を
してみた。死後一週間後位か妙な夢。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が実感
できたのだと思う。それが夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった!
という不思議な実感。経験した人間ではないとわからないはずだ。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢であった。何か強烈な恐怖感がおそってきた。
その時、父のベットで寝ていたが“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、その時隣に寝ていた母が
スクッと立ちあがりトイレに行った。全身汗びっしょりであった。
まだまだ不思議な事がいっぱいある…。あれ以来最近は少なくなったが
幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

――――
 ーS6305ー 新井石龍禅師に学んだ事 ー1
学生時代に、父と禅師が親交があり、実家泊りに来ていただいた事等の因縁で、
六日町の禅寺“雲頓庵”に読書を兼ね春・夏休みになると滞在させていただいていた。
度々なので自然と禅師と話をさせていただく機会が多々あった。無知と若さの為
平気で生意気な質問をした私にいつも笑顔で答えていただいた事が、今では懐しい
思い出になっています。
 (私) −禅とは一言で言うと何ですか?
 (禅師) −字の通り天地宇宙に己の単(一人)である事を示す(気づく)事。
社会に出て半年あまりで気負いすぎで早くも行き詰まり、五日間の夏休みでの
雲頓庵の禅師との対話 
(私) −世間と理屈は違う。理屈どおりに世の中いかなという事がつくづく
    わかりました。
(禅師) −あなたの理屈がおかしいだけ、世の中は厳しくも甘くもない。
    世間も理屈もあるものか!
(厳しく感じたのは自分自身そのものが甘いだけ)。

後者の時は頭を真二ツにわられてしまったというのが実感でした。
頭で物事を考えていた私が、“自分が”前に出ていた私が、その時点でたたき
こわされ、社会人の一員にやっと一歩踏み入った瞬間でした。
 ーS6307ー 人生は雷光なり
 二人で二百才になろうという人の対談の中で、過去百年をふりかえり、
実感として“人生は雷光のようなものだ”
               以下字数の関係でカット2008年8月20日)


6649,閑話小題 〜父親の命日にストーンヘンジの話

2019年05月30日(木)

    * 英国のストーンヘンジ
 何度か、ストーンヘンジを取扱った旅番組や、ドキュメント見てきたが、
みる度に、多く学ぶことになる。世界各地にあるが、特にイングランドに
多くある。小さいのは1000ヶ所、埋もれたままのものものが、その倍はあると…
  〜まずは、ネット検索より〜
≪◉ 新石器時代最大級の建造物、ストーンヘンジは新石器時代最大級の建造物
 として、世界に知られる遺跡。毎年130万人以上が訪れ、誰もその謎に魅せ
られています。約4500年を経た今も、人々はその巨大な姿に息をのみます。
5000年前辺りからイングランド全体の広い範囲に2000ヵ所、つくられて、
その内の1000ヶ所が発掘され、あと1000ヶ所は、埋もれたままと言われている。
その後、低気温がつづき、不安になった国中のブリテン族が、手弁当で集まり、
イギリス南部ソウルズベリーの平原に巨大な重さが40トンに及ぶものもある、
巨石を40km離れた場所から運ばれ積み上げられた。内側にある小さめな
50個の石ブルーストーン1個の重さは1トン以上あり、240キロ彼方の
ウェールズ地方から運ばれました。 
 ◉ なぜ巨石建造物は造られたのか。
最新の研究から、その答えは、古代人の独特な世界観に隠されていることが
明らかになってきた… 構造は、冬至の日没を意識した配置になっていること
で知られている。 さらに近年の発掘調査で、火葬された人骨が見つかり、
それらが遠方から運ばれたものであることが判明した。ストーンヘンジは
古代の人々にとって特別な意味を持つ墓地だったのか? 現場からは盛大な
儀式が行われていた痕跡も見つかった…
 ◉ ストーンヘンジの構造は、冬至の日没とリンクするように意図的に配置
されていると考えられている。ストーンヘンジの正面に向かって真っすぐに
伸びるアベニューは、何らかの儀式に使われたと考えられています。
一年で最も昼が短い冬至の日の夕方、大勢の巡礼者がこの道を通ってストーン
ヘンジへと向かったのかも。 
 ◉ 近くに巨大集落が!
そのうちの巨大遺跡の近くに、集落があって、住居の大きさに格差がなくて、
平等の概念が強かったと… これが当時、イングランドの多くを占めていた
ブリテンの特徴だった。それが欧州から入りこんだ新たな金属加工の能力を
持ち、格差支配の文化を持つ民族に短期間で絶滅させられる原因になった。
もう一つは、欧州から持ち込まれた病原菌に対する免疫力が無かったことも…
その民族も、次々やってくる民族に洗われることになる。≫

▼ アフリカ、南米、アジアなどの原住民が、金属加工の武器を持った欧州人
 に蹂躙される構図は、現在も続いている。その一現象が、日米関係にも
見ることが出来る根が深い問題。また、アメリカ社会内にも、オバマ大統領と
トランプ大統領の関係にも見られる。これは、数千年スパンの話。 ところが、
この情報革命、生命誕生以来40億年来の、断層があるというから…只事でない。
 しかし、この考え方も、西欧史感でしかないのでは? と示唆するのが、
ストーンヘンジ。4500年前に、あの巨石を遠路から運び、積上げた、想像を
絶するエネルギーと、技法。それと平等の概念。チンパンジーが餌の分配で、
一番、怒るのが不公平。 猿の一番の特徴である公平の逆に歩むのが、人間!
さて、平等か、自由か、博愛か? さもなくば、ギリシャ社会における、
67%の人たちの隷属人種化の推進か。それなら、現在と大して変わらない?
 不思議なことに、このストーンヘンジ、世界各地に存在していること。
ある学者が、この不思議について、<同じ人種であるホモ・サピエンス。
同じ地球環境下で、同じような建造物が出来るのは、似た入力なら当然と
考えてよいのでは!」と… 少し無理もあるが。平等、公平と、自由の問題。
自分自身も考え合わせると、大問題。 一般的には比較するしかないもん…
何やってきたんだ人間は? いや、私めは! さて父親の46周年の墓参り!

・・・・・・
6286,読書日記 〜かなえた望みは‘余韻’にすぎない 〜1
2018年05月30日(水)
           『人工超知能が人類を超える』台場 時生(著)
   * 人工知能が人類を超える
 情報化社会の現在地を知るに丁度良い本である。現時点から人生を振返ると、
多くの節目があったが、
・父親が亡くなり、その直後に結婚、創業に踏み込んだ27、8歳と、
・母親が亡くなった51歳の頃。PCにWindows95が売出されて数年経った頃。
ネット社会の到来に、取残されないよう四苦八苦していた。
その数年後の2001年の春、近くにPC教室がオープン。個人HPの作成に入った。
時代も、会社も、私自身も何やしら大きな変り目にあることに気づいていた。
2001年は21世紀の幕開きの年で、ニュ―ヨークの9・11テロが、その道標になる。
 ムーアの法則<2年後に2.52倍、5年後に10.08倍、7年後に25.4倍、10年後
に101.6倍、15年後に1024.0倍、20年後に10000倍…> は止まることなく、
現在も続いている。そして、それが人工知能、ロボット化、タブレットPC、
スマートフォンなど、身近な生活分野でも目立つようになってきた。
20年、いや10年前、現在のネット社会の有様や、ドローンを誰も予測でき
なった。逆に10年、20年後の予測は不可能だろう。
      
  《内容紹介》
人工知能の激しい開発競争と急速な進歩、その後にやって来る開発者(人間)を
嘲笑するかのような爛轡鵐ュラリティ(技術的特異点)瓩寮こΑ
シンギュラリティとは、科学技術進化のスピードが、人類の予測が不可能な
までに高速化する状況(その時点)を言い、それが2045年あたりに生じるとされる
ところから「2045年問題」とも呼ばれる。これは人類文明としての科学技術の
進歩が、人知を逸脱した特異な状況であり、「機械が人間の仕事を奪う」と
いったレベルをはるかに超える問題であるという議論もある。
 それは本当にやって来るのか? やって来たときに人類はどう生きるのか?
ロボット工学者が生物進化、技術進化に遡って説き起こす人類近未来の物語。
なお、「人工超知能」とは人間が製造した人工知能を超えた存在であり、
それは人工知能が作った人工知能、つまり機械が製造した機械のことを言う。
 
  《著者の言葉》
本書は技術的特異点の問題を中心に、人類の未来のあり方を議論した本。
近年この問題に関連して、人工知能の開発の是非が議論されるようになってきた。
人工知能が人間の仕事を奪うのではないか、またさらには人工知能と人類が対立
するのではないか、という話がよく聞かれます。
私は大学でロボット工学の研究に携わっていることもあり、以前から人工知能や
ロボットと人間との関係性、またそれらが導入された後の社会について強い関心
をいだいてきました。本書はこの問題に対する私なりの答えをまとめたものです。
本書の目的は「人類史と人工知能、ロボット、特異点の問題を一体的に捉え、
人類の過去から未来までを総括する」というものです。
◎人工知能、ロボット、特異点問題が私たちの未来に及ぼす影響、そこで生じる
 問題、解決策などをわかりやすく、広く一般の読者に伝える。
人工知能、ロボット、特異点の問題は、文系・理系を問わず、あらゆる人間の問題。
一説には、人工知能が社会にもたらす影響は、原子力技術以上だとも言われています。
◎人工知能、ロボット、特異点問題を考えるためには、人類や生物の進化史と
いった大きな観点から議論する必要がある私たちがこの問題と向き合う場合、
「人類700万年、さらには約40億年という生物の進化史から見た時に、特異点には
どのような意味があるのか?」、さらには「生物や人類の生きる意味は何なのか?」
「私たち人類の最終的な未来に何を求めるのか?」といった根源的な議論にまで立ち
返る必要があります。


▼ 私にとって幸運は、2001年5月に個人HPをたちあげ、17年、継続出来たこと。
 その結果、これをベースに、ネット社会のベースをつくれた。あくまで対自
としても、ベースになっている。書斎コーナーのPC前と、居間ではタブレットPC。
新たな知識、経験そのままを、ネットに物語化しパッケージしてアップをすれば、
後は、内部検索で、それを気楽に拾えるのは私にとっては、革命的ツール。
何はともあれ、「しょうがない、これが私以外何ものではない」のだから。 

追: 同月同日分の過去文を貼りつけようとして気づいた。今日は父親の命日だ。
 45年経過した。時代も、私も、まるで変わってしまった。もう父親より三年も、
長生きをした。死ぬまぎをまで「あと三年生きたかった!」と、言っていたが…

・・・・・・
5919,閑話小題 〜今日は父の44周の命日
2017年05月30日(火)
   * 今日は父の43周の命日
 今日は父親の命日。はや44周年になる。現在の私の年齢で余命一年の末期癌
が発見され、予告通りに亡くなった。その間、千葉市郊外の飲食ビルの立上げの
ため、実家で同居していたが、死の恐怖と戦う姿は実に壮絶だった。
 そのシリアスな日々の中で多くのことを学んだ。 前ぶりなく、突然襲って
くる死神。その前で人間は全く無防備のため、独り灼熱砂漠の真中に立たされた
旅人のように生への渇望に悶絶する。半面、人間の持つ、神秘的な力も現れ出る。
生きるとは、愛とは、死ぬとは、行蔵とは、創業とは如何なることかを、最後の
炎の輝きの中から、まさに‘業を授かる’一年の授業をさせて貰った。その後の
人生の大きな糧になっていた。最後に残るのは、「両親の温み」である。
 温みだけはタップリ残っているが…  さて墓参りだ!

   * 大相撲5月場所総括
・白鵬が1年ぶりの優勝に13回目の全勝で自己記録を更新して終えた。
表彰式で「ただいま帰ってきました。国歌を久しぶりに歌えて最高の気持ち」
と嬉しそうだった。 次の目標は、あと二回の40回の優勝記録。
・さらに、関脇の高安が大関昇進を決めた。フィリピン人の母親を持つハーフ。
色々なこともあるようだが、横綱の可能性を持った逸材。あとは怪我をするか、
しないか、の問題。
・さらに、若手の学生相撲上がりの、北勝富士、正力、御嶽海、宇良、石浦、
輝などが活躍した。地元の新入幕の豊山が、大負けをして再び十両になる。
一年間は、実戦の中で揉まれ土台をしっかり再構築をした方がよい。

・・・・・・
5554,閑話小題 〜父親の43周期に
2016年05月30日(月)
   * 父親の44周期に
 私も、父親の亡くなった年齢まで、あと一年になる。その一年前に胃癌の
大手術を受けて、余命一年と宣告されていた。現在の私の年齢で、余命一年の
宣告を受けたことになる。手術直後、急遽、金沢から帰ってきて、千葉市郊外
の千城台ビルの建設計画に着手することになる。父親から直接、創業ノウハウ
を受継ぐ貴重な経験になっていた。
 父親は、年末年始と法事以外は、酒を一切に口にしなかった。大酒飲みの
私からして、いつ、癌の余命宣言を受けても不思議ではない。新潟での事業を
立ち上げた頃の営業関係の多くが飲酒過剰?で倒れ、既に亡くなっている。 
で、私の死期を75歳にラインを引いたのは、あながち間違いでもない?
 毎年、飽きもせず、父親のことを書いているが、これが私の供養。父親が、
ハッキリした具体的行動指標になってくれたのが、私のアドバンテージになって
いたようだ。 事業も、最悪の想定を課して、平常から長年かけた準備をして
おくことの必要性も学ぶことが出来た。数十年ぶり学生時代の友人が、
『お前は、用心深かった。それと、曲がりそうになるが、直ぐに元に戻る!』
という。 用心深い両親は学歴が無かった分、必死に基礎教養を日常生活から
求めていた。趣味も、しかり。早寝、早起きも同じ。連合いへの別立て給与
の支給と別口座預金も、実家からの継続習慣。今回の事業整理の決断も、
本能的に幼児体験と、両親の教えのベースが働いたため。その辺の下衆の
想定とは? 違っている。父親にとっての太平洋戦争と、敗戦は、それまでの
価値観が根本から変わった一大イベント。 日本人は軍人が230万人、
一般人が80万人死亡したが、東北大震災の死者の150倍である。
 それでも、資産管理は、手堅くしており、何とか戦中、戦後の混乱期を、
何とか乗り越えていた。その幼児体験を、そのまま書けば、これほど面白い
舞台と物語はないはず。「すざましい!」の一言。 父親は二代目だが、私の、
この随想日記は、まさに悲しいかな、<売り家と唐様で書く三代目>の現代版
と自覚をしているが、実家文化のお陰で、何とか軟着陸をすることが出来た。
しかし、人生を十分に楽しんだことだけは、両親に負けてない。これ、負け犬
の遠吠えか! 45年の事業人生を十二分に楽しんだのだから、両親も許す?
「日々、是、口実」ということ! そういえば、母親に晩年に聞いた逸話。
<父親が徴兵されたが、肋膜で、除隊をされた。今さら、地元に帰れなく、
 東京の同業者の一間に、一年間、居候していたことがあった> という。
父は一切、その話をしなかったが、他人には言えない話は、誰にもある。
父親に魂を通して『これ、話してよいか』聞いたところ、
『娑婆のことは、娑婆で判断して良い。死んでしまえば、そこまで、
此方は、此方の世界がある。』という。そう悪いところではなさそうだ。
それも、これも妄想でしかないが。 さて、花を買って墓参りだ。

・・・・・・
5189,閑話小題 〜父親の42周期に
2015年05月30日(土)
   * 父親の42周期に
 毎年、父への想いを書いた内容を読み返すと、年齢ごとの思いを書くこと、
書き残しておくことの秘儀の意味が見えてくる。父親の亡くなった年齢に、
あと二年でなる。 余命が少ないことを悟って死ぬまでの生き様、死にざまを
通して多くのことを学ぶことが出来た。 死んでしまえば、いっさい無。
物や金を残したところで、あの世に持っていけるわけでなし、あるのは暗黒の
死の不安と、人生の後悔。死を前にすると、世間とかいう壁がうき上がってくる。
そして、それが如何に、他愛がないものと思えてくる。 あの超保守的な父が、
何を思ったか、『赤旗』をとって読み始めて、自民党批判を始めていた。
それと、死に関する予備知識の絶対量が必要ということも痛感した。しかし、
誰も『自分が死ぬ!』とは思わない。『他人は先、我はあと』と確信している。
あの時の父の激しい生への希求が直接伝わって、「当りまえの、先ある人生が
いかに素晴らしいことか」を思い知った。亡くなる直前に、『良い人生だった。
全く同じ人生を、もう一度生れ変って生きたい!』と母親に話したという。
考えつくした上での人生賛歌の総括をしたのである。 で、死に際の苦痛は例外
なく悲惨そのものだった。私のような大酒飲みは、リンゲルの効きが悪いそうな。
晩酌に缶ビール5本飲んでいた友人が先年、亡くなったが、それは酷かったとか。
                           さて、墓参りだ! 
  * 久々のジョーク
・「おい、見てみろ、日本の総理大臣が共食いしてるぞ!」
 「はぁ? 中国人じゃあるまいし、何を食ってるんだ?」
 「アメリカンドッグさ。」
・なぜ手術室から逃げたのか、お話しいただけますか? 
 病院の理事が患者に尋ねた。 なぜって、看護婦が
『大丈夫、盲腸の手術はとても簡単なのよ!』って言い聞かせたんです。
 それで… 「彼女はね、それを先生に向かって言ってたんですよ!!」
・・・・・・
4824,閑話小題 ー今日は、父親の41周期
2014年05月30日(金)
    * 今日は父親の41周期
 5月30日は父親の命日で、毎年、ここで思い出を書いてきたが、年々、
似ていることを繰返し偲ぶことになる。歳を重ねるほどに、父親に顔も性格も、
ますます似てきているが、父親を知る人は、もう周囲には殆ど居ない。 
人生を振返ると、父親の大きな影響の中で生きてきたことが思いやられる。
その父の亡くなった年齢に、あと二年でなる。 三年前の会社整理もあって、
父親を乗越えることが出来なったが、私にとって、父の視線が、常について
まわっていた。内語で、大事な決断時に「オヤジ、どうしよう」の自問自答を
繰り返していた。その内なる対話が、知恵の原泉である。父親が42歳時の末っ子
のため、溺愛に近い状態で育ってきた。 この温もりが心の奥にあればこそ、
多くの難関を乗り越えることが出来たようだ。いざとなると、折れてしまう人は、
両親の温もりが少ない人が多いようだ。 親の温もりが、その人の温もりになり、
それが、生きていく大きな力になる。良い時代に、良い両親に、良い人に
恵まれたことが、私の大きな財産になっている。特に、父親の愛情と恩恵は、
何ものにも代えがたい。
  * 内省の日々
 数日前から、ー「事業人生を決心して45年」の語り直しーのテーマで
書き出しているが、ここで気づいたことは、これは内省そのものということ。
それをそのまま公開するとは、自分は何だろうと疑問がわいている。 
父の命日の想いも、内省になる。いま現在、命日の朝4時、父の魂と自分が向い
合っていると、背後の数メートルから、「なんてザマだ!」と、一喝されて
いるよう。父親が私にもとめたのは、「人生、社会の規制にとらわれず、事業も
趣味も最大限に生きろ!」ということ。 しかし、この程度しか生きることが
できなかった反省と、後悔がある。酒癖の悪さで、多くのチャンスを自ら潰し、
世界を小さくしてきた自分を省みることも、内省である。 それからみて、
この結果が私にとって‘ベスト’では? と・・ これは自己鎮撫になるか。
来し方を振返ると、何とも浅ましい己の姿が浮かび上がってくる。
このような人生を自嘲した歌謡曲があったが・・ 老いていくと、真面目に
なりざるを得ない。その視点で、過去を後悔するのは、所詮は老人性欝症の
なせる業ではと、内なる声もするが・・さて、これをアップして、
父親の墓参りに行くことにするが、この随日も、私の法事になる。


6648,閑話小題 〜前日の文章と気づかずに…

2019年05月29日(水)

    * 何てこっちゃ
 先日のこと、前日のテーマ日記の下書きを1時間近くかけて修正し、さてアップ
しようとして、それが何と前日の文章と気づいたのである。 文面は如何にでも
手直しできる未熟な内容と知った時のショックたるや、如何ばかり! ところが、
実は、この経験を何度かしていたのである。そこで気を取り直して新たなテーマ
をたてて書き下ろすには、数倍の気力を要する。 気力充実してないと、文章は
書き続けられない。 同月、同日分の内容を流し読みをして思うことは、内省が
浅い自分の枠。だから、自然と無口になる? 一度、書いた自分の文章を客観視
することは土台、無理。翌日、読返すと、まず誤字当て字。人は、まず対象の
欠点を察知し、それだけが記憶として残す習性がある。 それが如何した?
と自嘲するしかない。
 ―
    * トランプが帰国の当日に、何故に
 よりにもよって、「トランプの帰国当日に、わざわざ外務省役人の父娘2人が
殺傷された事件」と思ってしまうのは… 『相棒』などの刑事ドラマの見過ぎ?
犯人も予定通り?その場で自殺。 真実は永遠の彼方へ。これが単純の無差別
殺傷事件だろうか? 何処か?の挨拶代わり?のメッセージ。 「公安扱い」
になるのだろうが… 危ないテーマ故に、ここまで。
 ― 
    * 先週末にみた映画、『空母いぶき』
 先週末に公開された『空母いぶき』の内容とは。
トランプ大統領の訪問姿と、川崎の外務省役人父娘の殺傷事件が、何やら、
映画の延長のドラマを見ているようで…
【  現代最新鋭機の空中戦とは!!?  (漫画原本)
  中国軍に占領された尖閣・先島諸島に接近する「いぶき」第5護衛隊群!!
 垂水首相を筆頭に内閣が国内外に必死の対応を行う中、中国軍空母「広東」
から最新鋭機「殲20」が発艦 ―― 「いぶき」艦隊を襲う!!! 対応するは、
イージスミサイル護衛艦、そして空自最新鋭機「F35JB」!!! 】
 ▼ 実は、日本にも空母があって、その事実を大統領の訪問で、知らしめ
 ようとする政府筋の思惑がみえみえの国策映画のような。 米中貿易戦争、
それは、50年先を見定めた戦争の一端でしかない。最終的には、中国、インド
に、その覇権は移ることになるが、その間に日本の人口減からくる衰退は
避けることは出来ない。平成の時代が、そのための国家的リストラのホップ
の時代。「令和の時代」は、ステップに。 縮む時節には縮めば良い。
その辺りを間違えているのが現政権の政策。「天気晴朗なれど、波、高し」

・・・・・・
6285,読書日記 生きることへの冒�必とは! 〜2
2018年05月29日(火)
          『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』
                   (伊集院静 2017年)から。
   * 旅、あるいは「出逢い」について
◉ 「人間は焦がれる生きものである。
  彼は焦がれていた。崇高なる精神がそこにはあざやかにあった。
  美しい旅人であった。人が何かに焦がれるのは、私たちの生が哀切で
  あふれているからである。」          64p
 <青年期には、確かに崇高な精神があった。あの精神は、今でも心の中核に
  確かに残っている。それが魂というのだろうか? 20歳代も、現在も… 。
◉ カタルーニャの広場の地の底から死者の声がする。その声は私の耳には
  届かない。だがじっと佇んでいると奇妙な心持になる。そしてかすかな
  声が我うちから聞こえてくる。
 「御前は何者なのだ? ここに何をしに来た。どういう血が流れているのだ。
  その血には誇りがあるのか。」
  自分という存在の、生きる根源としての誇りが、身体のどこかを刻んでも
  流れてくるののか、と問われている気がする。   78p
 <地球の各地で、感動で茫然とした時に、必ずといってよいほど、生じてくる
  内なる声である。「いま、ここ、わたし」が、この大自然に同化している。
  わたしは、何ものでもない。この一部であり、永遠のカケラでしかないが、
  ただ、いま、ここにわたしが間違いなく存在している… と。 >
◉ ルソーがなぜゲルニカを世界の理想と言ったのか。ゲルニカは町の中心に
 一本の樫の木があり、五百年近くの間、この木の下に人々が集まり、あらゆる
 問題を合議し、決定してきた。イサベルとフェルナンドが結婚し、大航海時代
 のスペインが誕生する以前から、この共和制の原形を人々は存続させていた〜。
  〜一本の木を見る旅をぜひおすすめしたい。  91-93p
 <庭の草木の全てが両親が植えたもの。春から夏にかけて、その多くが花を
  咲かせる。確かに、二人とも亡くなったが、残したものは生きている。>
――
▼ 『男はつらいよ』の寅さんが、旅先の年寄りに、「ちょっと、旅のお方!」と
 呼び止められる場面がある。その土地モノにとって、旅人は止まり木の渡り鳥。
ましてツアーの団体客など… 30歳近くまで東京、三重、神戸、千葉、金沢と
今からすると「旅の人」だったが、私は何ものでもなかった、なれなかった
存在だった。大波の合間を自分という板切れにしがみ付いて漂う存在でしかない。
それが青春なのだろうが。その時の出逢いと邂逅こそが人生だったようだ。
それは人生全般に言えること。だからこそ、人との「別れ際」が重要なのである。
行動指標に「後味の悪いことは極力避ける」を通していたが、甘かったようだ。
それは大方の人に見れるが、大方の人は関係ないこと。 
「世界は広い、そして深い!」…求める者にとって、世界は辛い以上に面白い!
「半径500の世界は狭い、そして浅い!」のは、出ないだけ。 
‘自分の知っていることしか知らないことを自覚ない’から自分を保てるのさ。
アナタじゃない、今の私。落ち着くところは無知蒙昧! せめて比べないこと。

・・・・・・
5918,閑話小題 〜帰りの宇宙船内で
2017年05月29日(月)
   * 帰りの宇宙船で
 「何故に生まれてきたか?」の問いかけの答えを考えるに、
「宇宙彼方の惑星から地球の80年の旅に来ていると想定すると考えやすい」
と、そして、「子猿に纏わりつかれ、殆ど地球上の大自然も、人間も、人間が
営々としてつくり上げた「文化・文明」をみること出来なかったことに後悔
する」と書いた。 秘境異郷ツアーに嵌って、私にとっての世界の果てからの
現実社会からのトリップする経験をしてきた。この感覚を「人間の生死」の
極みの実感から、「人間の生きる目的」を考えるヒントにしている。
旅行から自宅に近づくにつれ、ホームベースがあればこそ、余裕を持って世界
の果てに飛ぶ立つことが出来た。それを拡大して、宇宙の果てから地球へ、
約80年の時間に色々な条件を与えられた上に、世界と内界を知り、味わい、
宇宙船に乗って帰っていく。宇宙船内で、自問自答するのは、如何だろう?
観て、経験した、感動と、感激と、感涙した極上の感情体験。四苦八苦、四楽
八楽の経験。それを阻んでいたのは、地球のシリアスな小憎らしいが、可愛い
子猿たち。それらも元の惑星に着いたと同時に宇宙の旅として忘れ去られる。
ただ、帰りの宇宙船内には、両親など因縁のある人たちが居る。数年前から、
早朝の仏壇前で、因縁深かりし故人のイメージを繰り返し想い浮かべている。
「末期の死の床での予行演習」の準備の一環ですか、これは。「暗い!」と、
いうアナタ。これは時間をかけ身につける「必須科目」。私だけの話だが… 

・・・・・・
4823,変えてみよう!記憶とのつきあいかた ー4
2014年05月29日(木)
         「変えてみよう!記憶とのつきあいかた」ー高橋雅延・著
   * 万能薬としての「語り直し」
 ー「事業人生の45年」の語り直しーを書き始めたが、何故か心が重い。
 気持ちの中で目的のため、多くを切り捨ててきた部分を違う視点で見ることに
なるからだ。しかし、一つのことを得ようとしたら、それに見合うだけを捨てて
かからないと、何も得ることができない。万能薬として「語り直し」も、劇薬
にもなってしまう。これまでの記憶のありようを現在の主観的経験で変えようと
するのが、「語り直し」である。  ーその辺りから
《 その人の立ち位置によって、同じできごとでも違って解釈できる。だから、
 過去のどんなできごとも、必ず違ってみることができることを、肝に銘じて
賜おくことが必要だ。その上で、ある過去のできごとについて意味づけを変える
ために、そのできごとを、それまでとちがうことばで語り直さなければならない。
世間には「時間が癒す」という言いまわしがある。ここで、見過ごされがちな
ことだが、「時間が癒す」のは、単に時間が過ぎ去るからではない。
時間が過ぎ去る間に、人はそのできごとについて何度も考え、悩み、さらには
新しい経験をする。このことによって、元のできごとの意味づけ、語りかたが
変わるからなのだ。 ・・(中略)
「記憶をつくり変えたり、それを遠ざけるのは無理なことである。・・(略) 
しかし、―つねにー私たちは、自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の
精神の経過を処理しているわけである。それは、過去とよばれる客観体ではなく、
現在とよばれる主観的経験である。変える必要があるのは、誰か他の人間では
ない。最も大きく影響されているのは、私たち自身である。記憶をぬぐい去る
ことはできないが、記憶の有りようを変えることは可能なことを、私たちは
知っている。」・・ 》
▼ 現在、連続シリーズで書き始めたのは、「語り直し」だが、それより、
 全く忘れていた記憶の書き加えが多くなる。それが、書き直しということだが、
太い幹の記憶から、忘れていた細い幹と小枝と葉っぱ記憶が出てくる。
その記憶が新たな気づきを喚起する役割なってくる。若い時分は、誰も経験も
知識の絶対量が足りなく、ただ漠然と日々を過ごすしかなかった。あるのは、
何とかなるのでは?という、儚い想いだけ。語り直しは内省そのものになる。

・・・・・・
5553, 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとでしよ」」
2016年05月29日(日)
   * 「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」
<「要するに」「面倒くさい」「面白くない」「あとで」>は、自らの壁を
つくることになることに気づかない。この随想日記を読み返すたびに、
「要するに」が目に付いてしまう。 要約を一度する癖も必要としても、
自分の理解した枠に、せっかくの新しい知識、情報を押し込むために、
次の深化が、そこで止まる。
 最近、老いの一現象か、「面倒くさい」の思いが先立つ。しかし、何事も、
「面倒くさい」先に、面白いこと、楽しいことが待っている。乗り越えてこそ、
面白いのに、「よる年波に勝てず」と、年齢のせいにする。「面倒くさい」を
乗越えるためには、一日、週、月、年単位のスケジュールを予め組むとよい。
 次に、「面白くない」。 これは老化のバロメーターである。以前は、
あれほど面白かったことが、何か詰まらない。「あれは、ああいうこと、
これは、こういうこと」と、小さな自分の範疇に入れてしまう結果である。
何事も、急がしい合間に、無理をしてするから楽しいことが多い。
老いるほど、中村天風の『積極一貫』を心がけなければならない。
「あとで」と後回しにして、多くのチャンスを逸してきた。「あとで」と
後回しにした事の山積みが、あまりに多い。『20秒ルール』と法則があり、
とにかく、20秒以内に、手をつける。投手がキャッチャーからボールを
受取ってから投球に入らなければならない時間を、何事にも当てはめれば
よい。これは、上記は老化現象として、私たちの生活を劣化させる。
・・・・・・
5188,人生相談という気晴らし! 〜
2015年05月29日(金)
            『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 父親とは、息子にとって「存在自体が悪」である
 父と息子の関係は、古代より続く永遠のテーマである。「息子にとって、
存在自体が悪!」とは・・ 私にとっての父親は、最大の理解者で、
独立を一歩、踏出したベストのタイミングで亡くなった。私に必要だった
のは、まず父親からの独立だが、計ったように亡くなっていった。
 人生で一番に恵まれていたのは、父親の直の愛情。その温もりは、
今でも残っている。ただ、私には具体的な指示は一切しなかった。
私から、能動的に具体的な何かを求めてくるまで、何も言わなかった。
≪  Q: 父親とはどういう存在であるべきか?
六十二歳の父親です。三十歳代の息子と娘がいます。私が育った家庭環境は
封建的であり、父を敬う風潮のある時代でした。しかし、その風潮も現在では
古臭いと子供や妻に反感を買うだけです。最近、思うのは私自身が父親として、
どんな存在だったかということです。子供たちは、大学を出たのですが就職
氷河期ということもあり、安定した職につくことなく、社会を彷徨ってますし、
結婚もしていません。私は家族の幸せを考えこれまで働き、経済的な豊かさも
獲得してきたつもりでしたが、これで良かったのかと疑問が残ります。
子供たちに一体何をしてやれたのかと考えるとやりきれない思いに囚われます。
父親の役目を終える時期が近づいているのですが、父親とはどういう存在である
べきかと今頃になって悩んでおります。中島先生はどのようにお考えでしょうか?
  A: 父親は子供から忘れ去られることを望まなければならない
 今回の二つのご質問を読んで、あらためて私は「人生相談」に向いていない
なあと思かました。人生相談を持ちかける人は、たぶん常識の範囲を超えない
かぎりで、つまりあまり苦労なく実行できる範囲で、何らかのポジティヴな
回答を求めている。あるいは、ちょっと考え方を変えれば「楽になる」そんな
妙薬を求めている。とすると、私にはそういうご期待に答える素質も趣味も
ないからです。人生が何の意味もないことは自明であり、その無意味な人生
の終局は死であって、永遠の無に突入するのでしょう。こうした差し迫った
大問題に比べると、どんな相談も失礼ながらちっぽけなもの、どうでもいい
ものに思われてしまうのです。と厭味を言ったうえで、お答えします。
私も一人の息子の父親ですが、「父親とはどういう存在であるべきか」と悩んだ
ことはまったくない。なぜならば父親とは、とくに男の子にとって三島由紀夫
の言葉なのですがー「それ自体としての存在が悪だ」ということがよくわかって
いるからです。もともと存在が悪なのですから、善人ぶってもすぐに化けの皮が
はがれてしまう。父親は子供に何をしても、いや、何かをするほど嫌われます。
とくに、感謝されよう、尊敬されようとして何かをすることが一番いけない。
とすると、何もしないのが一番いいという結論が直ちに出ます。父親は勝手に
子供を作ったのですから、子供を経済的には二十歳までは支援する義務がある。
子供に生きていくカを授ける義務もあるかもしれない。しかし、それが「義務」
なのですから、何の見返りも期待してはいけない。とくに、「立派な人」に
なること、「幸福になること」を期待することが一番いけない。そんなことは、
(父親という)他人が口出すことではないのです。父親は苦労に苦労を重ねて
子供を育て上げたら、子供から忘れられることを望まなくてはならない。
子供に対する執着を断つこと、子供から独立することです。どうせ、ちょっとで
死んでいくのだから、子供の人生は、子供に任せて、残された人生を自分の
ために使ったらいかがでしょうか?悪人は悪人に徹することです。≫
▼ 父の亡くなった年齢に近づくにつれ、やはり父親が、最大の理解者で
 あったと同時に、教育者だった。いつも、待ってくれていた。傷ついて、
横たわっていた時に、ただ一言『死んでしまえ!』以外、何も言わなかった。
死ぬに死ねないから、ただ、ジッとしていた。そのジッとしている効用こそが
人生にとって大事なことである。  明日は、その父の43回忌になる!
・・・・・・
4456, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー4
2013年05月29日(水)                                       
           『一日5分「簡単ヨーガ」健康法』ー番場浩之著   
  * 1日目 "胸を開いて積極的に    
A・完全な呼吸法をする体位……40       
 1、基本体位=仰向けに寝て、脚を少し開く。両手は臍の上に置き、
  親指と一さし指で三角形を作る。「静かな一息」−>「軽く一息」で息を
  出し切りながら、足の甲と膝裏を十分に伸ばす。顎も引いてウナジも伸ばす。
 2、お腹と脚を緩めると自然に息が入る。さらに「深く一息」を入れながら、
  万歳をするように両腕を左右45度に開いて上げ、手指を開いて肘を伸ばす。
  次に、膝裏を伸ばしながら、足先を手前に引っ張るように足裏を反らし、
  足指も充分に開く。この状態を保つ。
 3、ゆっくり息を出しながら、手を元に戻して「基本体位」で「軽く一息」。
 4、もう一回、1〜3を行い、最後に「軽く一息」−>
  「静かに一息」−>「各自の一息」で整える。
B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……47
 1、基本体位=仰向に寝て両足を揃え、手のひらを上に向けて腕を横に伸ばす。
  次に右手を左の手の平に重ね合わせて左脇を下に横向きになる。次いで右膝
  を曲げて床につけ、足裏を左膝上部にあてがう。右腕を顔前の床に伸ばし、
  左手は右膝にあてがってしっかりつかむ。
 2、「静かな一息」−>「軽く一息」の後、「深く一息」を入れながら
  右腕を垂直に上げ、腰を入れる。このとき、入息に合わせて指先は
  きちんと揃え、肘もまっすぐ伸ばす。
 3、息を出しながら足指を握り、左膝裏を伸ばして腰をしっかり入れて意識
  しながら、右腕を背中側に押し倒して背筋をねじる。ここで、出息に合わ
  せて、足先から手指先までの「大地のアパーナ気」の流れを感じながら行う。
  (膝が床から浮かないように注意し、首もねじって右手先を見ながら行う)
 4、戻すときは、まず息を入れながら腕を垂直に上げて腰を感じ、次に、
  ゆっくりと息を出しながら、丁寧に1の姿勢に戻す。「軽く一息」したら、
  もう二回2〜4を繰り返す。計三回。軽く一息、静かな一息、各自の呼吸で、
  息を整え手、右腕側が終了。
 5、向きを変えて、反対側も、同じことを繰り返す。
▼ 座位で呼吸する他に、仰臥の姿勢で身体を伸ばしたり、捻って呼吸する
 ことで、「大地のアパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れるポーズ。
 ヨガの実習は、前屈、反り、ねじり、直立、完全弛緩、座法の姿勢を意識的に
 繰り返す実習で本来の姿に戻すことを目指すもの。特に、一日目の、二つは、
 基本中の基本である。これを身に着ければ、ダイナミックな「気」を引き出す
 ことが出来るはず。そういえば、学生時代の合気道に、ヨガの呼吸法に似た
 ところがある。合気道は相方と呼吸を合わせて気を練る。それに対しヨガは
 あくまで己独りの世界。 合気道の基本技には、「前屈、反り、ねじり、
 直立、完全弛緩、座法の姿勢」の全てが含まれている。ヨガの「大地の
 アパーナ気」と、「天のアパーナ気」を取り入れる行(ポーズ)も、20年位
 前の早朝ウォーキングの途中の橋の上で、天に両手を上げて天の気を取り入れ、
 それを、大地の底(地球の芯)に吸い込ませる呼吸をしていた。ところが、
 暫く休んでいたら、地球の芯が「ひさしぶり!」と反応してきた。
 あくまでも擬人化した対自か即自だが、現在では「球芯様」と名づけて、
 早朝のミニ・サイクリングの自転車上の自己対話の相手にしている。 


6647,閑話小題 〜今場所は、まずまずですか!

2019年05月28日(火)

    * 大相撲、今場所の雑感
◉ 何時のことだが、初日と、千秋楽と、その前日の取組が、何とも必死さが
伝わり面白い。千秋楽に近づくと、10両下位と、幕下上位陣の力士の入替え戦が
組まれる。これは「前に立つか、後ろに回るか」の、シリアスの立場の交代戦
のケースが多い。前に立つのは十両以上の関取、後ろの立つのは、その世話役の
付け人。昔は「フンドシ担ぎ」と言われていた。ほぼ無給か、小遣い銭の収入か、
高給取りかの境目となる。現実に、前後の立場が逆転した姿を何度も見てきた。
 この数場所、幕下10枚目以上に、有望若手7〜8人が集まっている。 5〜6年に
一度位ある現象。 彼らが元三役力士を投げ飛ばす姿は、残酷そのもの。
サラリーマン社会によくある現象。 大鵬の孫、大関・琴の若の息子。朝青龍の
甥など元三役力士の子弟や親戚筋がズラリと控えている。最近目立つのが、兄弟
力士と、双子の力士。双子の関取は初めてとか。「貴の富士」と「貴源治」。
貴乃花の愛弟子だったが、その後も順調に力をつけている。当初は有望だが、
問題は怪我と糖尿などの病気。原風景が、「緑の原野」が突然、何の先の見えない
「荒野」に変わってしまう。華やかなればこそ、それは寂しく風は冷たい。
 …
 白鵬などのモンゴル勢の談合?システムが綻びはじめたためか? この数年、
ダークホースの優勝が目だつ。朝の山の優勝も、その一つ。下位に下がって
対戦相手に恵まれた結果。勝負の世界は、勝てば官軍、負ければ賊軍。恐ろしい
世界である。引退でもすれば、過去の人と、鼻先であしらわれる存在に。
白鵬も、時どき、横綱特権?を、利用して時どき休場しながら翌場所を優勝する
戦略。 策士としての延命も、これはこれで… 退職金換わりになる。

・・・・・・
6284,閑話小題 〜結婚について
2018年05月28日(月)
            『困難な結婚』内田樹(著) 2016/7/4   
   * ああ結婚 ―心の安全保障ですか
 「心の安全保障」というより、番犬ですか、それも宅上というより、庭先の!

 家庭内離婚も含め9割が破綻すると言われる夫婦問題。オランダ、ポルトガル、
ハンガリーでは7割近くが離婚。アメリカでは55%が離婚するといわれる。
日本は35%。いずれアメリカの数値に追いつくと…
 身近の姉と兄たちの結婚と、その後の実態を垣間見るにつけ、私も含めて、
人生の最終版に入りつつある現在、複雑な感情に包まれるのは私だけではない。
 ここで、<「もっと良い人はいません」>の突き放した言葉が何ともいえなく
心に響いてくる。そう思えば、そう思えるし、断じて間違っていたと思えば、
そうでもある。 
  
  ―内容紹介―より どの言葉も、身にしみこんでくる。
《 ・結婚とは安全保障である。
 ・「もっと良い人」はいません
・今より幸せになるために結婚してはいけません
・結婚生活を愛情と理解の上に築いてはならない
・「よくわからない人」だから素晴らしい
[本文より]
結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」。
結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。
結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。
――
  ー目次―
・「はじめに」
・こうすれば結婚できる(あるいは、あなたが結婚できない理由)
・結婚するのはなんのためか?
・結婚式はしたほうがいい
・結婚と戸籍と姓
・結婚とは不自由なものである
・家事という「苦役」について
・夫婦間コミュニケーションを巡る諸問題について
・他人とうまく暮らすには
・結婚してからのお金問題
・コップのふちから水をこぼさない努力──結婚を続けるには?
「あとがき」
――
  =ビュアーの感想=
内田氏は、「結婚は私事だが、<公的であるという擬制>を必要とする」という
一般的真理で押し切っているが、重要なことは、その<公的であるという擬制>
の中味がどう変わったか、にあるのではないだろうか
著者は以下のように述べています。
「これは昔の見合いのときと逆ですね。
昔は『迷っているなら、嫌いっていうわけじゃないのよね? じゃあ、式場とか
いろいろ手配があるから決めるわよ。いいわね』と『晩春』における杉村春子的
なおばさんがどんどん決めてしまったんですけれど(小津安二郎の映画を観て
いない人にはわかりにくい喩えが続いてすみません)、今はそうもゆきません」

 さらに著者は、以下のように述べるのでした。
「『迷っているなら、止めなさい』的発言をするお母さんは今はけっこう女性
の側に多いみたいです。たぶん結婚に自分の『果たしえぬ夢』があって、それを
娘に投影しているんでしょう。だから、『こんなところで手を打っちゃだめ』
みたいなことをおっしゃるんではないでしょうか。待っていれば、もっと条件が
良い相手が現れると考えているんでしょう。でも『迷っているなら、止めなさい』
というのは、ある種のイデオロギーだと僕は思います。結婚するときは、
『「この人だ」って、ビビビと来るものよ』なんて言われても。
『ビビビが来たかな? どうなのかな?』なんてわからないですよ」
「結婚しちゃえばだいたい同じ」として、著者は以下のように述べます。

「昔の母親は『いい縁談が来たんだから、あんた、もう30なんだし早く結婚
しなさい』とか『男なんてみんな同じよ』と言って結婚をせっついたものなんです。
これはたしかに一理ある発言であって、男はもちろんピンキリなんですけれど、
それはあくまで社会生活において際立つところの差異であって、家庭生活に
おいてはそれほど劇的な差異は見られないのであります」
 そして、著者は次のようなトドメの一言を述べるのでした。
「娘に向かって『もっといい男が出てくるまで結婚を急いじゃだめよ』と言って
いる母親たちって、心のどこかでは『このまま結婚しなくてもいい』と思っている
じゃないかな。ずっと結婚しないで、そのまま年を取ってゆく。そういう娘の姿を、
どこかで期待しているんじゃないかと思うこともあります。ご自身の結婚生活が
あまり幸福じゃなかったせいで、『どうせ結婚してもいいことなんかないのよ』
という経験知で、娘の結婚を無意識的に妨害している」

――
▼ 海外ツアー51回の質量は大して自慢は出来ないが、連れと40回の同伴数は、
 ツアー経験の中でも聞いたことがない。 5〜40人のグループの密室の中で、
夫婦間の軋轢は、それはそれは言語では表現出来ないほど。それでも、一人参加
より二人の方が楽しく面白い。二人の方が、大揺れの心の安全保障になる。 
そこでは凝縮された日常のトラブルの多くが発生する。ツアーという圧縮された
時空が、普段隠されている問題を発生させる。と同時に、そこは外地の密室空間。
そこで火事場の馬鹿力が、その難関を乗越えさせる。誰も好き好んで、連れとの
同伴旅行は避けるのが当然。それも5回10回と重なると、自然とコツが出来てくる。
それが結果としての最善のノウハウになる。成るほど、旅行前と旅行中のストレス
をバサ!と、彼方に捨ててくるとは、言いえて妙である。
そうでもしないと、とっくに死んでいましたよ。
 ― エッ! 元もとそんなストレスもないし、何で、そんな果てまで行って、
  捨ててこなければならないの?  500mの世界だから? それはそれで…
熊さん: 「      」 
大家: 5円玉の穴ですか? この沈黙は。
寅: 話せばカカアに殴られるからね… 男は黙ってサッポロビールだよ!

・・・・・・
5187,世間の捨て方 ー
2015年05月28日(木)
               『世間の捨て方』ひろさちや著
   * 「がんばればよくなる!」の馬鹿馬鹿しさ
 〜二つの愚問、「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」〜
この二つの愚問?を真面目に自問自答してきたが、これこそ、「世間の奴隷」
が発する問いかけ、という。「生きがいは、がんばれば出てくる」も似たもの?
我々は「幸せでなければならない」という考え方が、そもそもオカシイとは、
面白い切口である。   〜以下が、考えさせられる (P36)〜
≪ 「永遠のものなどない」が仏教の基本的な考え方です。仏教では、この世
 のすべては常に変化していると考え、どんな世の中も滅びるのは当たり前。
「日本は滅びない」と考えるほうが不自然なんです。『平家物語』の冒頭に
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますが、この「諸行無常」
ということばに、仏教の考え方が端的に表現されています。
「すべてのものは常ではない」、つまり「あらゆるものは永遠の存在ではあり
えない」ということを述べているわけです。「永遠の存在がないとしたら、
この世の中は何なんだ?」と誰もが疑問に思うでしょう。そんな疑問に対して、
聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と述べています。「世間虚仮」の「虚仮」
というのは、字を見て分かる通り、「虚ろであり仮のもの」という意味。
「おれをコケにしやがって」という、あのコケの語源です。早い話が、わたし
たちが生きている世間は「嘘偽り」だというわけです。そして、「唯仏是真」は、
ただ仏だけがまことであるという意味。これが仏教の基本線ですむ世間が虚仮
であるならば、世の中をよくしようなんて、思わないことが大切です。
 ・・「いい世の中にしよう」なんて、仏教の教えに反する行為です。
世間は嘘偽りなんですから、それを良くしようなんて思わないことです。
『法華経』というお経では、この世の中は「火宅」であると記されています。
私たちの住んでいる全世界は火事になっているという。燃えているんだから、
さっさと逃げ出しなさいと『法華経』は教えているんです。「世の中を良く
したい」という人にしてみれば「火宅だったら、それを消してやろう」という
のでしょうが、それは馬鹿げています。大火事なんですから、消火活動なんて
やっていたら焼け死んでしまうじゃありませんか。せっかく『法華経』がいい
ことを教えてくれているのですから、それに従いましょうよ。問題は「自灯明」
です。お釈迦さまは、自分自身を灯明にしなさいと教えられたのです。これは、
自分に自信を持って歩めという意味だとも取れます。しかし、それよりも
「世間の奴隷になってはいけない」と解釈したほうがはっきりとします。
わたしたちはあまりにも世間のことを気にしすぎるきらいがあります。
世間の人の平均や流行に常にとらわれていて、自分が世間でどう評価されている
かが気になって仕方がない。でも、世間なんていい加減なものだということは、
さきほど述べた通りです。「世間の奴隷になっていては、自分というものを
失ってしまうよ」とお釈迦さまはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」と自問
自答しながら暮らしてしまいます。でも、そうしたことを考えること自体、
世間の奴隷になっている証拠です。「幸せ」「生きがい」を求めるのは、
自分で手枷足枷をはめて、進んで奴隷の列に加わるようなものです。
つまらない常識にとらわれることなく、生きたいように生きたらいいんです。
勝ち組になったとか負け組になったというのは、単に世間の物差しで測った
結果に過ぎません。・・・ ≫
▼ TVのコマーシャルや、番組の根にあるのは、コンプレックスの刺激が、
 隠されている。健康食品、美容品、ファッション用品など、『世間では、
こういうのが流行しています。これを使って、カバーしましょう』と!
その手段として、最近ではタブレットPCや、スマートフォンが普及した
ため、逆に世間が、狭くなって、個々への締付けが日々、強くなっている。
世間虚仮も必要だが、その過剰は、世間体コスプレになってしまう。
・・・・・・
5917,閑話小題 〜ジョンレノンの言葉がよい
2017年05月28日(日)
   * ジョンレノンの言葉がよい
  最近に知った、ビートルズのジョンレノンが残した言葉が、なかなか良い。
この年齢なればこそ、感応するのか、ただ知らなかっただけか。〜その一つ〜
< ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、
  好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。>
 至極、当然のことだが、レノンが言うから良いのだろう…
歌心のない私でも、学生時代、ビートルズ、プレスリー、ナッキング・コール、
シナトラ、ローリングストーンズ、ルイ・アームストロングス、サイモン&
ガーファンケルなどの50枚位のレコードを持っていた。それら全てとステレオは、
卒業時に、全てを姉の一人にあげてしまった。その中で、印象に残っていのが、
やはりビートルズ。 ネットでジョンレノンの言葉を検索をしたところ、
以下の言葉が出てきた。 現在の私が当時の私に贈りたい言葉でもある。

≪ ・ 僕がこれまで どうやってきたかは教えられるけど、
   君がこれからどうするかは 自分で考えなきゃ。

・ 根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ。

・ 心の中のヴィジョンは、現実になるんだ

・ 問題は、これからのことや 過ぎ去ったことを思いわずらう必要は
  ないってことなんだ。大切なのは、今この瞬間を楽しむ、ということさ。

・ 仕事は元気のもとだね。
  仕事がなければ 恐れと不安があるだけだよ。

・ 未知なる物を恐怖するからこそ、みんな夢や幻想や
  戦争や平和や愛や憎しみなどを追いかけて、右往左往するのさ。

・ 愛とは僕らが出来ることを知ることなんだ。

・  希望…
  それ自体は幸福の一様態にしか過ぎない。
  だが、ひょっとすると 現世がもたらし得る
  一番大きな幸福であるかもしれない。

・ 大ざっぱな言い方をすると、
  子供たちがクレージーな理由は、
  子供を育てるという責任に、
  誰も立ち向かうことができないからだよ。

・ 目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。
  目を開けてるから誤解が生じるんだ。

・ みんな平和について語るけど、
  誰もそれを平和的な方法でやってないんだ。

・ 僕らは、自分のすばらしさと不完全さのなかで、
  何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

・ 誰でも非凡な才能を持っているし、すべての人が美しいんだ。
  自分がいったい何者なのか、誰かに指摘してもらう必要のある
  人間なんて一人もいない。あなたは、そのままであなたなのだ。

・ エルヴィスの前には何もなかった。

・ 僕の言うことなんて、半分は意味もない。
  ただ君に聴いて欲しくて話しているんだ。

・ 平和を試してみよう! 僕らが言ってるのはそれだけだ。≫


▼ TVのYouTubeで改めて聴くと、半世紀を隔てた青春時代に戻った感覚
 になるが… 日本もアメリカも、良き時代、真っ只中。良い時代に青春を
過ごしていたことを音楽から改めて知ることになる。団塊の世代の二年先に
生を受け、その世代の勢いに相乗りをし、その恩恵そのままを受けてきた。
当時の音楽は時代背景もあってか、明るく、ポジティブで、楽観的で、今でも
踊りたくなるような高揚感が湧き出てくる。その音楽そのものを言葉にした
のが、上記の中に迸し出ている。 こういう時代も、あったのである。
この世代も既に定年をむかえてしまった。


6646,閑話小題 〜「おばさん」の話 ―4  

2019年05月27日(月)

 

    * 「おばさん」についての一般論
◉ ある調査機関が、全国20代〜60代の男女1,349名を対象に「おばさん」と思う
 年齢を調査をしたところ、全体で最も多かった回答は41〜45歳(25.4%)と… 
イメージからすると、30歳代半ばから40歳を超えると、おばさん? 
20代、30代、40代で、それぞれ扱いが変わり、40代では、はっきりとおばちゃん
扱いされる。しかし年齢よりも、見た目もある。 おしゃれを辞めたり、化粧を
しなくなったり、女性らしさを捨てた瞬間からおばさんになる。 これが仕草、
雰囲気で微妙に変わるから不思議。
◉ 地元にUターンをした30歳頃から、地元中学同級生の変化の推移を40年以上、
見てきた。街中の商家の子弟が多いためか、若々しい身なりの女性が比較的多い。
年齢と服装だけでなく、教養と品位と生活実感の濃淡も加味され、はっきりした
線引きはなかなか難しい。「おばさん」と呼ぶに相応しい期間は、女の一生の
過半数になる。 ごく身近に?生活実感がまるでない人が存在するが… 
◉ ところで「おばあさん」といえば、一昔前は還暦の60歳が目安だったが、その後、
65歳以上となり、現在では後期高齢者と呼ばれる75歳以上を、老人(おばあさん・
おじいさん)、またはシルバー世代というようだ。 〜また、その線引きは…
「‘おばさん’は「子供が独立していない、まだママ。」
 ‘おばあさん’は「子供が結婚していたり独立していて、自分も、周りが、
 御年寄りと認めた人」というところ…
私の実感は、55から60歳前半が初老。65歳から75歳が中老。75歳から80歳は大老?
とすると、80歳代は元老になる。
 一般的に男性の3割以上は、30代女性を「おばさん」。65歳以上を「おばあさん」
だと思っているとか… 

作詞・作曲:小椋佳. 歌:美空ひばりの『愛燦燦』
< 雨 潸々と この身に落ちて わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
 人は哀しい 哀しいものですね それでも過去達は 優しく睫毛に憩う 人生って
不思議なものですね  風 散々と この身に荒れて 思いどおりにならない夢を…>
成るほど、夕闇迫る頃ってのは、この歌詞のとおり、燃焼した人生なら、明るく、
暖かく受止めることが可能。逆なら、500m内の「哀しみ探し」ですか。
 『清潔感』と『品性』と『明るさ』と『水気』が、どれ程、残っているか? 
どれも、これも、血筋も関係しているが、行蔵の結果でもある。
 そうすると… 何やら不安になってきた。

・・・・・・
6283,読書日記 生きることへの冒険心とは!
2018年05月27日(日)
          『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』
                    (伊集院静 2017年)から。
   * 旅、あるいは人生について
 私の人生を振返って、一番良かったことは世界中を旅してきたこと。
それも8割かたは家内同伴である。その良さは秘・異郷世界の非日常に、
家庭の日常を持ち込むこと。 日常そのままを、非日常の世界を持ち
込む奇妙な感覚は絶妙。エンジェルフォールの滝への大きはテントに
次男と、家内と共にハンモックで泊まる奇妙な感覚… 
 ところで私は自分の人生を気にいっている。
・まずは経済成長の真只中の昭和40年代と20歳代が重なり、些細だが
 アップスケールできたこと。
・次は、45年の「起承転結」の結が、最後はアンハッピー?としても、
 充実した手応えがあり『ご覧のとおり、そのまま結構!』
・趣味では、30年にわたるロングランの世界秘異郷ツアー。
・40年モノで、早朝のウォーキング+ポタリング(チャリ散歩)の継続。
・50年モノでは、居酒屋+カラオケスナック+宴会遊びの行蔵。
 そして、読書… 
・シネマ館や、自宅での映画・ドラマ数千分の観賞… これは40年モノ。
 
どれもこれも、充分に満足しているが、アマチュアというより素人レベル。
これらを光とすれば、その背後には、その時々に「生老病死」の大きな
闇が口を広げていた。不幸、絶望、涙あればこそ、幸福感が光り輝くもの。
世界の光景の感動は、魂に刻印されて、永遠に残す力を持つ。

 プロローグの「旅人よ、旅人よ、至福あらんことを」の冒頭がよい。
≪ ◉ あなたが何歳かわかりませんが、私たちはこの世に生れてきて、
 やってみなくてはならないことが幾つかあるとおもってます。
少しオーバーかもしれませんが、それをせずして死ぬということは、
生きることの冒�必ではないかと思います。
 それを‘恋愛と言うロマンチストもいるでしょうし… 
 素晴らしい音楽を聞くことであると…
 美味しいワインを飲むことだという人も…
 人生の伴侶を見つけることという人だと言い切る人もいる。
そして、私にとって、この世に生まれれてきて、これをしなくてはならない
と思えるのは、断然、旅です。>
<◉ 近世のヨーロッパで、グランドツアーという名称がつけられた旅が流行
したとき、その謳い文句は「人間として生まれてきて、もっとも至福なことは、
旅をすることである」とありました。…それでも私は旅をしたことで私の体に、
記憶に、今もきちんと埋めこまれている旅の日々が他の行動では決して得る
ことのできなかったことを、確信できます。出来ることなら、生涯旅を続ける
ことができたなら、と今でも思ってます。         24-25p
◉ 私の旅の基本とはどんなものか。…すべてを実感だけで捉るのが私のやり方。
 〜そのいい例が第五章のポーランド、アウシュビッツの旅です。 …
その街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体のなかに、
その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。 30p
◉ なぜ軟弱なのか?それは連るむからである。一人で歩かないからである。
 ”弧”となりえないからである。〜”弧”を知るにはどうすればいいか。
さまようことである。旅をすることである。    34p
◉ 想定する生には限界がある。所詮、人が頭で考えるものには限界がある。
 想定を超えるものは、予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。43p>

▼ 旅好きが、旅好きの人のために書いた本。何度も何度も、ここでテーマと
 してきた。その感動は、それぞれ年代の人生の横糸として織り込まれている。
――――
2016/08/01
かわいい自分に旅させよ ー
         <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させよ 〜B
 40歳代に入って直ぐの頃、『年一回の海外に出ること』を決めた。
そして、半ばも過ぎた頃、それを年二回に切り替えた。20歳から20数年間、
ストレスの多い「創業」の為の転進を繰り返してきた。何事も現実に直面
すると、火事場のバカ力が生じてくる。その奇跡に近い偶然を拾い上げて、
その場を切り抜ける。しかしストレスは並大抵ではない。その沈殿がピーク
になっていった頃である。その解消剤にツアーのストレスと感動が、合理的で
あることに気づいた。早朝の読書習慣と、散歩、そして、海外ツアーが、
何とか、自分を支えてくれた。 半年単位、一年単位で、そのストレスを、
払い落とすしかない。そこで、「秘境・異郷ツアー」のストレスで、それを
削ぎとるしかなかった。それが、結果として、心の、いや魂の財産になった。
 〜以下の部分は、「苦労でなくなった旅を、自分に与えよ」と勧める。
 ≪ 「かわいい子には旅をさせよ」という格言は、今や死語であろう。
 かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日
では娯楽の王者となってしまった。もしかしたら今の若者たちは、この言葉の
意味を「かわいい子には娯楽を与えよ」と曲解しているかもしれぬ。
 たしかに旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損われた
わけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、
苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人に
とっても好ましいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。
「かわいい自分には旅をさせよ」である。金だの時間だの手間だのと、旅に
出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれぽ金は貯めるものでは
なく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむ
は怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何も
ないのである。 ≫
▼ 秘境への旅の決断と実行は、非常に抵抗が生じる。まず、家内が、激しく
 抵抗する。そこで一人参加を決意すると、家内も渋々、決意するパターンの
繰り返し。で、抵抗感が強いほど、その内容は、濃厚で味わい深い物語になる。
しかし、極限を超えた経験のオンパレード、可愛い自分へのプレゼントになる。

――――
2016/05/02
若者よ、外に出よ! ー Α\こΔ虜廚蝓            
   * 祭りから世界を知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 
が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。
≪ ☆ パンプローナの牛追い祭り(2002/09/07 記)
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年
放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。
 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍
知られるようになった。
 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう
街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気
試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中
からその祭りに加わった。
 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
  最終日のエンデングと牛追いが見れる。
――――
4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ー  
 …この中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から
闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り
上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。
 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる
感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナを
愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を
見ているようであった。トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏に
あわせて歌を全員が歌っている。
 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムとキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。 ≫
――――
≪ ☆ リオのカーニバル(2003/04/23)
 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。
 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。
 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応等々ある。
プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
今年もなかなかの出来であった。
数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。

ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー
H0703  ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で
行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の
持時間で踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で
厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。我々のTV
新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝
チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ
ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして
“汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。≫

――――
▼ 祭りは、普段の質素倹約した単調な生活の憂さ晴らしのための爆発の
『晴れ』を集団で楽しむ娯楽。特に、イタリア、スペインのラテン系の国の
祭りは歴史があって、ど派手。日常からの集団トリップの一端に触れるだけで
充分に価値がある。そこには、セックスと血と死の匂いが、漂っていた。
 リオのカーニバルには、「カーニバル・チルドレン」が、結果として誕生し、
捨てられ、ストリート・チルドレンになるという。



6645,閑話小題 〜思いもよらない展開で …目出度し目出度し!

2019年05月26日(日)

    * 大相撲で無名の力士が
 一敗した時点で、あとは連敗だろうと思っていたが、神がかったように、
連勝を続けて優勝したのが『朝の山』という無名の力士。 アメリカ大統領杯
を、世界が注目する中で大統領から直接与えられる栄誉を得ることになった。
これだけは、貰おうとして貰える栄誉ではない。本来は、鶴竜も勝って二人の
優勝争いなら、興業的に盛上ったはずだが… 翌日に持込まれると下位力士が
不利になるため、この結果をベストとしなくては…  
 ところで、外国首脳の大相撲観戦を調べると、思いの外、多い。 
≪・ホワイトハウスによると、<大統領杯はアメリカで作られ、重さはおよそ
 30キロ、高さは137センチあるという。トランプ大統領は「アメリカ国内で制作
したトロフィーを、優勝力士に直接贈呈する」と意気込んでいる。
・今回のトランプ大統領の相撲観戦は、アメリカのメディアも注目しており、
土俵上は土足が禁止されているため、贈呈式で大統領がスリッパを履くのでは
ないかなどと話題になっています。
 アメリカと相撲観戦は?というと、大統領として日本で初めて相撲を観戦した
のはフォード大統領。日米外交において相撲が登場するのはずっと前の江戸時代
までさかのぼる。 黒船と共に浦賀に到着したペリー提督。日米和親条約が締結
された1854年、ペリー提督を迎えた人の中に、相撲力士も含まれていた。
力士たちは、アメリカに贈った米俵などの贈呈品を船に運搬したほか、
兵士たちに稽古相撲をみせたという。
・大相撲を観戦した外国の首脳といえば、シラク仏大統領(大阪 2006年3月)。
愛犬を“SUMO”と名付けるほどの相撲好きで、在任中、何度も大相撲を
観戦しています。
他に両国国技館を訪れたのがチャールズ皇太子とダイアナ妃(1986年5月)
昭和61年(1986年)に日本を初めて訪問した際、相撲観戦を強く希望し、
チャールズ皇太子と国技館で大相撲を観戦した
また、大相撲で活躍している外国人力士の出身国であるモンゴルや
ブルガリア大統領も日本を訪れた際、大相撲を観戦しています。 》

▼ 全く、無名で純朴な青年力士が、世界のマスコミに紹介され一躍スターに。
 本人も、まだ、その何たるかを知らないが、この刻印は歴史に残る勲章となる。
これをキッカケにして化けるか、潰されるかは神のみぞ知ること。
日本も、相撲協会も、外国人に上位を占拠?されている中で、無名の日本人
力士の優勝で、何とメンツがたったことに、こうでなくては。
 
  〜以下は、この優勝の関連記事である〜
≪  ◇豪栄道に快勝しても…
・大相撲夏場所14日目(25日、東京・両国国技館)、トランプ米大統領を
 迎える千秋楽を待たずに、西前頭8枚目朝乃山(25)=富山県、高砂部屋=
の初優勝が決まった。三役経験のない力士の平幕優勝は58年ぶり。快挙には違い
ないが、前日の判定がまだ尾を引き、笑顔もうれし涙もなかった。朝乃山に
責任はないが、取組編成のまずさも微妙な影を落とす優勝だった。
・この日の一番は快勝だった。大関豪栄道に立ってすぐ得意の左上手を許す。
勝負あったかと見えた。「いつもなら右(を差した)だけで出て行ってすくい投げ
とかしちゃうけど、きょうは何か分からないけどじっとしておこうと思った」と。
大きなことを成し遂げる時の「ゾーン」に入った状態だったのかもしれない。
・二の矢を打てない豪栄道を、左から絞り、体を寄せて前に出る。左上手に手が
掛かり「(まわしが)深かったがむしゃらに出ようと」、腰の位置をしっかり
決めて東土俵へ寄り切った。 胸を張れる白星。勝ち残りで見上げた土俵で
栃ノ心が鶴竜を破り、優勝が転がり込んだ。普段のキャラクターからすれば、
笑いが止まらないかと思われたのに、支度部屋へ戻っても神妙だった。》

・・・・・・
6282,閑話小題 〜米朝首脳会談、延長ですと!
2018年05月26日(土)
   * 無事済むわけがない朝鮮問題!
 一月前と、4ヶ月前に長屋の住人の談義方式で、閑にまかせて、色いろ
書いてあった。そして、昨日のアメリカの会談延期の発表。金書記長と、中国の
習主席との二回目の対談直後から北朝鮮の態度が急変。アメリカは急遽、会談
延期を発表した。トランプにとって、秋口の中間選挙が試金石になるが、この
ママでは、惨敗は目にみえている。で… アメリカは完全核放棄か、戦争の
二者択一しかない。ロシア、中国からしたら、現状維持がベストで、引き返し
の出来ない核放棄が北の体制崩壊は容認できないため、入れ知恵をするのは、
当然のこと。トランプにとって、この緊迫状態が続くことが望ましいため、
やはり会談延期も当然のこと。そのことは一月前に書いてあった…
――
 熊: こうなりゃ焼けのヤンパチ、何でも言うけど。このニュースを聞いて
  何にも驚かなかったね。初めから分かっていたことさ。
 銀行強盗から武器を取上げれば、ただの豚。 
大家: 頭の軽い男に、とにかく人参を見せて目先を引き延ばせておけば
 と… そうはいかないのは、それが常套手段で、また使えると、たかを
 括ったのがばれたのだろう。
寅: やはり戦争かい。全く実感がわかないがね。トランプも後がないほど、
  追い詰められているし。実際に、危ないと思うよ。ここで、金ちゃん、
 ミサイルか、水爆実験でもしなければよいけどね。
熊: ロシアかアメリカが、北の領海から偽装で、日本上空を超えてミサイル
  を打込むとか。見え見えでも可能性があるね。
寅: 危ないのが、日本。まあ、骨抜きの日本憲法を改憲さえ出来ないからね。
  ここで一挙に緊迫するかどうか。いざ、いざ戦争となると、日本の体質が、
 あまりに弱いことが露呈されるね。アメリカ頼り一辺倒だもの。敗戦から
 70数年の蓄積された軍事力は中国も侮れないというけれど。
大家: 役者は揃ったし、このまま、見逃すわけがないという前回の懸念が、
  さらに深まったね。 一度、起こってしまったら、第一次、第二次世界
 大戦規模になる可能性があるため、自重をしているが… 役者が役者だけに。
熊: また、あの重苦しい日々が続くのかよ! 中近東や、北アフリカじゃ
  なくて、今度は隣国だよ。そりゃ酷いことになるのは、俺でも分かるよ。
 アメフトでラフプレーとか騒いでいるが、現実世界は、全く異次元だよ。
 あっちが異次元でなくて、日本が異次元なの! 東京オリンピック?
 主催の東京は狙われない? そんな甘くないのが世界の政治。 〜つづく

・・・・・・
2018/04/26
閑話小題 〜長屋のコンニャク談義

 熊: 何だよ、急に。
大家: 去年の同月同日のテーマを見て、急に思い立ってさ。
  金ちゃんのことなら、御前ならズケズケ言うに丁度良いからさ。
 熊: 俺だって、こんな兄殺し、叔父殺しの奴の悪口など話したくないね。
寅: 朝鮮といえば儒教の国だろう。そりゃ罪悪感で日々、恐れ慄いているさ。
  それと、暗殺の恐怖もさ。側近と、その親族を根こそぎ処刑しているからね。
 熊: 急に態度が変わったのは、締付けが効いてきたからさ。でもさ、誰が
  どうみても、核兵器も、ミサイルの放棄など、するわけないよ。
寅: 米朝首脳会談前に強硬派のCIA長官が渡朝し、厳しい前提条件を突き
  つけたはず。突如、中止になったり、会談が決裂したら、即、戦争の危機さ。
大家: 私は悲観的さ、アメリカは本気で戦争をするとみている。ロシア疑惑と、
  秋口の中間選挙対策もあるし、中国、ロシアへの見せしめもあるしね。
  やらない訳がない。それを前提に、これからの一連の会談を見るといいね。
 熊: でも、トランプってバカだろう。プーチンがスパイ網全てを使って
  大統領に押し上げた男。バカを大統領にして、子バカを嗾けただけだろう。
寅: おいおい、本当のことを言うと、暗殺されるぞ。
 熊: 北、アメリカのどっちから? …ああ、両方かい。
八: プーチンは、世界を支配しているのがユダヤ資本と看破していて、憎悪に
  近い感情を持っている。だからトランプを大統領に当選させて、北と相討ち
  をさせるのが戦略。かなり際どい日々が続くことになるね。
大家: 下手なハリウッド映画のようだな。トランプとプーチンじゃ、器が
  違い過ぎ。政治家としての余命からして持ち時間の量が格段と違うよ。
寅: 悪い夢をみているようだね。でも、プーチンの、ありゃないよ。
 熊: アメリカの俺程度の白人が支持層だろう。それなら、如何ともなるよ。
  俺たちのレベルは、とにかく目先さえ良くしてくれれば、それで良いのさ。
  そうだろう、それしかないからね。
寅: 俺も、熊に近い方だからね。でも、クリントン女史じゃ、あのままだろう。
八: どっちの政党でも「金持ちによる、金持ちのための政策」は変わらないよ。
  日本は地政学的に、アメリカと中国の境目に位置している恩恵を忘れない
  ことだね。
 熊: 世界の3分の2は、俺のような貧民の奴隷層だろう。しかし全く自覚が
  無いんだよな。
寅: 日本人というだけで、3分の1の層だよ。でもさ、最近、つくづく貧しさを
  感じるんだ。一生懸命働いて、生活するだけ何も残らないんだよ、何も。
大家: 三食食べて、こうしてノウノウと政治談議が出来るだけ、有難いと思わ
  ないとね。だけど、危ない状況の現状認識を忘れないことさ。

・・・・・・
閑話小題 〜米朝開戦 −1
2018年02月05日(月)
   * 熊さん、プーチンと、スターリンに問いかけ
神様: 熊さんの望み通り、プーチンとスターリンを、スペシャルルームに
   招いておきましたよ。次は、トランプ大統領と、ケネディを予定して
   いるがね。
熊さん: まさか実現するとは思ってもいなかったが、仮想会見としても。
   相手がね。といって、神様の特別の計らいだからね、誠実に聞くよ。
   敬語など使えないので、普段どおりだけど、断っておくね。
神様: そうだね、お前さん一人じゃ無理ですか。じゃあ、大家さんを呼ぶよ。
熊: プーチン大統領、いま、アメリカのロシア疑惑というのは本当ですか。
プーチン: 私も、当のトランプも、まさか大統領に当選するとは思っても
   いなかったさ。でも万一と思って、自分たちでは出来ない情報工作を
   頼んで来たのさ。聞いた時は、まさかと思ったけどね。
大家: 事実でなければ、FBIの長官や、今度は副長官が、早々に辞めないよ。
プーチン: もう、当分世界はワシのようなもんさ。
スターリン: 何か、私を参考にしているようだが。お前さんに私のように
   非情になって自国民を殺せますか。
プーチン: 中東では、ISを手当たり次第に殺しましたよ。それとチェチェン
   でも。今度は、アメリカと北朝鮮の相討ちを狙っているが… 今では
   虐殺現場がカメラビデオに映しだされるんで、殺り辛いんですよ。
   北朝鮮とアメリカ、いいところまで来ているですがね。上手くいき、
   中国の参戦で相討ちともなれば、理想的ですがね。
熊: 何か居た堪れなくなってきたけど… で、開戦の結果は分かっている
   戦争じゃないですか。一般の人が気の毒じゃないの。
大家: 金様にしろ、プーチンにしろ、自分が弾丸の中の悲惨な経験をして
   ないので、現実の悲惨さが解ってないの。
熊: そんなのが大統領なの。 
スターリン: 1000万、2000万を殺したところで、麻痺をしてしまえば、
   何てことはないよ。まだまだプーチンは、柔いよ。ワシのつくった
   ソ連邦を解体されて。何じゃい。敵はアメリカ連邦の解体だよ。
神様: お前らを見ていると、神でいることが嫌になるよ。
熊: 本当に戦争になるの? 東京にミサイルを打ち込まれると、一瞬に
   して80万人が死ぬというけど。それと、難民問題もあるしね。
大家: これが大変だよ。 中国じゃ、3ヶ所の難民収容所を想定し、
   万一の備えを考えているらしい。 中東、アフリカの、欧州への
   難民問題と同じことが、今度は極東で起こるんだ。
プーチン: ズブの素人が突然大統領になるんだから… バカな話さ。
スターリン: ワシが聞いても恐いよ。大統領は、プロ中のプロがなるもの。
   あの顔からして、相応しい指導者ではないね。 どうなってるの?
プーチン: 正直なところ、ワシも、同じ考え。8年にわたった黒人大統領と、
   女の国務大臣に、世の中の冴えない白人層が腹を据えかねていたからさ。
   としても、娘婿の援助の依頼には驚いたよ。 アメリカを見ていて、
   民主主義の建前ほど変なのはないね。
スターリン: やっちまえ、今の内だよ、ソ連邦解体の復讐の機会は。
神様: 何で、こんな男を、呼出してしまったのか? プーチンの思惑を
   聞きたかったので、これはこれで… 二人とも、トリックスターじゃ
   ないか。それも陰湿、露悪の。 熊さんよ、現在の平和は、仮の姿。
   もう、動き出したの。その辺の計らいを読み取って大家さんにばかり
   頼らないで、自分の頭で考えなさい。白鳥もいれば、黒鳥もいる。
プーチン: 日本っていうのは、この72年間、軍備を蓄積していたのは流石。
   生真面目過ぎるけど、侮れないんだ。 北朝鮮なぞ誰が相手にするか。
大家: 貧しさを国民に強要してきた国は、国家として卑しいのは当然。
   まともな正論は通じないの。

▼ 寒さの中でのライブの内容のため、悲観的になったが、スターリンの参加
 を思い立ったのは我ながら驚いた。「陰惨で、残酷で、疑り深い」人物と
いうが、プーチンも似たようなもの。 彼の前のトランプなど赤子そのもの。
この数ヵ月は、過ってないほど緊迫した事態が続くことになるのだろうが… 
 
 〜で、これまた6年前の以下に、脈絡として丁度よく繋がっていく。

・・・・・・
閑話小題 〜米朝開戦 −2
2018年02月07日(月)
    * 緊迫してきた朝鮮半島
 冬季オリンピックが韓国で開催されるが、何か盛り上がらない。終わると
同時に一挙に米朝開戦の可能性が高まるのが解っているからだ。昨年暮れの
週刊誌の特集記事がシリアスである。キワモノの内容は週刊誌であればこそ。
沖縄で空軍のヘリの事故が続いているのは、実戦訓練が多くなっているためか。
 ‘まず目先は、4月が危ない!’
≪ 4月に、アメリカが北朝鮮を空爆 金正恩はロシアに亡命する「米朝開戦と
 なる確率は百%」。 こう言い切るのは元外交官の原田武夫氏。
原田氏は、小泉政権時代に外務省北東アジア課課長補佐(北朝鮮班長)として
訪朝し、拉致問題の解決に尽力した北朝鮮問題の専門家である。

 この結論に至るロジックは次の通り。
米中だけでなく、フェルトマン国連事務次長までもが訪朝し、北朝鮮と交渉の
努力を重ねてきたが効果が無かった。トランプ政権は、北朝鮮との交渉は失敗
と判断、残された選択肢は軍事オプションしか無い。

この記事のもう一つの目玉『米朝開戦は4月頃になる』と言うのは韓国の著名な
軍事問題専門家。アメリカが『3ヶ月程度で北朝鮮のj大量殺戮兵器が完成する』
と、その時期がレッドラインと設定しているのがその主な理由らしい。

平昌オリンピックの開催が2月9日、パラリンピックが3月18日で、米韓は大規模
な合同軍事演習を予定している。これに北朝鮮が猛反発して水素爆弾実験を強行
するかもしれない、また平昌オリンピックでテロを起こすかもしれない。

また、記事によれば11月に訪中したトランプ大統領に中国の習総書記が
『3月までの開戦は絶対に避けてほしい』と伝えたこと、ロシアも3月18日に
大統領選を控えており同様なことも開戦4月説を後押ししてる。≫
 ――
   * 2万発以上の砲弾が降り注ぐ
≪ 韓国は、米朝開戦時の被害をどのように見積もっているのか。
 韓国政府の朝鮮人民軍分析は、韓国軍や国家情報院、統一部などが取った情報、
脱北者の証言、それにアメリカから提供された情報などに基づいて行っている。

本誌が入手した韓国政府の内部情報によれば、38度線の北側では、射程距離54km
で1分間に2発撃てる170mm自走砲550門余りと、同60kmで1分間に40発撃てる240mm
放射砲440門余りが、ソウル首都圏に狙いを定めているとしている。

これらを合わせると、開戦時には、1時間あたり2万4000発以上もの砲弾が、
それぞれの弾を発射後3分30秒でソウルに降り注ぐことになるという。
そうなれば、一般のビルやマンションばかりか、首都圏のガス管、ガソリン
スタンド、電気通信施設なども根こそぎ破壊され、まさに1000万首都が火の海
になると、韓国政府は分析しているのである。
 その場合の死傷者は、一体どのくらいになるのか?
「1994年の第一次北朝鮮危機の際、アメリカ軍がクリントン政権に提出した
評価見積もりによれば、開戦24時間以内に、ソウル首都圏で約150万人が死傷
するとしています。
この見積もりは当時の金泳三政権に衝撃を与え、韓国政府は絶対に北朝鮮を
空爆せぬよう、クリントン政権を説得しました。

その後、2004年に韓国の合同参謀本部が作成した『南北軍事力評価研究』では、
開戦後24時間以内の韓国側の死傷者は、230万人と見積もっていることが判明。
これはあくまでも、通常兵器による被害です」
(ソウル在住ジャーナリスト・金敬哲氏)  ≫

▼ これらからして、北朝鮮、日本を含めると1000万の死傷者の数もあながち
 オーバーでない。起きてはならない戦争としても、既にレッドラインを
遥かに超えてしまった感がある。この二日間で8%も株価を下げたが、戦争の
危機感も織り込まれているのだろうが…。株価への関連記事はタブータブー?
 〜 以下のように、毎日が面白い! など遠い昔話になるのでしょうか。
トラちゃん、金ちゃんの、掛合い漫才で済めばよいが。



6644,閑話小題 〜「おばさん」の話 ―3

2019年05月25日(土)



    * こてこての「大阪のおばちゃん」
 「おばさん」といえば、「大阪のおばさん」に代表されるこてこての
「唯我独尊」の塊りの女性。 「えげつなさ」が、その最たる特徴。
だが憎めなさも兼ね備えてある。その中和したところが「おばさん」。
  〜 ネット検索をすると
《 ・見たことのないような派手な服装
 ・基本はママチャリに乗ってお買い物。
 <カゴの中には大根や白菜など、スーパーで購入した物がたくさん
 入っていることが多い。大阪市内は平坦な道が多いため、ママチャリ
 でも楽に移動ができます。>
・自転車のベルはフル活用
・安く買えたことを自慢する
・お世話好き
・ポケットティッシュがそこらじゅうに
・会話は漫才のよう
・飴玉は飴ちゃん
 <飴ちゃんは大阪のおばちゃんのコミュニケーションツール>
・行けたら行くわ
 <気が進まないお誘いに対して「行けたら行くわ」と言う。
  他府県の人からすると、他に予定が入っていなければ来てくれるもの
  と勘違いをする。同じような使い方で、「できたらやるわ」もある。
・ファッションといえば虎柄。また原色が好き
・いつも陽気で世話好き。口汚い聞えよがしの悪態。

▼ 上記の特徴の要素の多くを、「おばさん」がもっている。
 大阪は昔から商人の町。商売人は明るいコミュニケーションが必要。
 その中にあって、大阪のおばちゃんは憎めない明るい存在。目に浮かぶ。
「好かれ、嫌われの塀の上の住人」だが、そこは何処か憎めない関西人
の特徴を磨いてある。…そして「意地悪ばあさん」に知らぬ間にあいなる。

・・・・・・
6281,閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ ー4
2018年05月25日(金)
  * 監督・コーチサイドから(架空対談)
ポン督: 何で、こんなに騒がれるのか? アメフト部は集団格闘技。
   ドツキのぶつかり合いの世界で、如何に潰すのが 隠れテーマだろう。
  綺麗ごとは誰にも言えるがね。そこで優勝するには、短期、中期的に
相手を負傷させる、それもQB(クオータ・バック)を狙うのは当然だ。
  問題は、ドサクサに紛れてやり、証拠を残さないことさ。 理事長がさ、
 暴力団と懇意でね。まさか、録画に撮られていたとは、運が無かったのさ。
 執行猶予の付いた有罪で、後は野となれ山となれか。
ポンコチ: トップの息のかかった人から、一切を被ってと暗に言われてきたが、
  自分の生命の危機がね… ここは地の果てナイジェリア。都会としても、
  特殊社会だもの。結局、俺が背負うしかないのかな。消されるよりマシか。
  でも、あまりに過酷で受止められないよ、これは。日頃、選手に根性論を
  しつこく説いてきたのに、立場が逆転さ。
颯太: 20歳そこそこの学生が、自らを露出して単独の記者会見だろう。 
  そうでもしないと、負傷した相手に詫びたことにならないとね。それに対し、
  本学の常務がさ、あの無様な言訳、そりゃ、OB、在校生は怒るわ。
ポン太: 誰も言わないけどさ、負傷した学生、3週間になるじゃない。
  退院した頃だろう。アメフトなら、負傷は付きもの。ここまで騒ぐのも。
  問題になっているのが日大の体質と、アメフトの王者の驕りでしょう。
ポン督: 男らしくないというけど私でも、あれは行き過ぎと思うよ。
  他人事に聞こえるけどね。でも表立たたなかったら、良くやった行為か?
颯太: その日か、翌日に謝りに行けば、何でもない日常の出来事だったのに。
  何もしないから、こうなったんだ。それが日大の体質なら、起こるべきして
  起こった問題だね。自分でも、何か憂鬱になるよ。この事件は。これじゃあ、
  マスコミの餌食さ。自民党には丁度良い、目くらましさ。何か日大と、自民
  体質が酷似しているな。ポピュリズムの最たるマスコミの攻撃対象の分散に…。
ポンコチ: 今までは、監督にヘバリツイテ顔色を見て、少し先読みをして、
  判断すればよかったが、誰も何も言ってくれないし、仲間の態度は一変、
  あとは、自分の先々を考え、独りで判断していかなければならないのか。
  今さら、宅上犬の私には難行苦行。
颯太: 丁度良い、試練ですね。でも、分かるよ、実力格上の宿敵の関学が
  相手だもの。実際のところ、似た者同士さ。
ポン督: 見ている分には面白いだろうが、自分がブラックナイトとなると…
  八つぁん、如何だった、7年間のそれは…
八つぁん: それは気分は最悪だが、あなたとはレベルが違うよ。いや、落差が。
  一つ間違えると、あんたは前科者だもの。でも、私も経済社会では、そんな
  もんだが… 創業準備から、シェルターを組みこんでいたし、幼児の頃から、
  街の真中で、生々しい夜逃げ話を聞いていたからね。そりゃ、残酷なもの。
ポン督: 兎にも角にも、去年の優勝は良かった。しかし、その代償がこれか!
  万事塞翁が馬って、これかと…  実は暗殺が怖いね。この数年で、数十人が、
  怒り狂って辞めっていったからね。それと口封じ。
颯太: これを読んでいて、リアル過ぎて、他人事でも恐ろしいし、憂鬱さ。
ポンコチ: この流れからして、私が自殺かベストになるじゃないですか。
  でも言っておくけど、楽になるのは分かっているがね、自殺はしないよ。
ポン督: それと、PI PI。 政府筋からすると… もっと延焼した方がね。
  とにかく、この国は程度の低いポピリズムが過度に浸透しているしね。
ポンコチ: でも、叩けば幾らでも埃が出てくるじゃないですか、貴方からは。
ポン督: … …

・・・・・・
5184,世間の捨て方 ー
2015年05月25日(月)
         『世間の捨て方』ひろさちや著
 常日頃から〈『世間』という妄想と、その害毒〉について何度も論じて
きた。それを、この前書きで、そのまま、理路整然と書いてあった。
 20歳で、創業的人生を選択した時から、悪くいえば「自己中心」の生き方に
徹してきた。大部分の人が、何か得体の知れない模範的良い人を求め、他人の
視線を気にして日常を過ごしていた。そんなものは、転勤か、転職をすれば、
何とことはなく過ぎ去っていく事象でしかない。そして、人生の最終になり、
その妄想に気づいて慌てふためく。いや、気づきもしない人が大部分だろう。
そして、やらなかった後悔、出来なかった後悔に涙する。 以前、取上げた、
ある担任の先生が私に吐露をした、「自分には人生が無かった!両親とも教員で、
自分も教員を半ば強制的に歩んできた。定年になった現在も、90歳になっても
健在だが、何事も無い人生ほど詰まらないものはない!」と、かなり強い
初老性鬱病の前段階。一番身近な親たる「世間」の犠牲者である。
  〜まえがき〜より
≪ 「俺はどんな女も口説き落とせる」と豪語する男がいました。ところが
 彼は、ある女性から肘鉄を食らった。「きみも失敗することがあるんだね」
と言う友人に、彼はこう言いました。「なあに、あれは女じゃなかった」
 こういう人を世間では「自己中心」と呼ぶようです。
では、「自己中心」の反対は何でしょうか? わたしは、それは「世間中心」
だと思います。普段、わたしたちは「世間中心」で生きています。
無意識のうちに世間を気にしているのです。世間に気兼ねをしています。
 子どものころから、わたしたちは、
「そんなことをすると、世間の人から笑われますよ」と・・
「世間の人から褒められる人間になりなさい」「立派な人になりなさい」と
教えられてきた。つまり、世間の「期待」に応えることが求められていたのです。
しんどい生き方ですね。よく考えてみてください。世間の「期待」に応えると
いっても、その「期待」が何なのか、あなたに分かっていますか? 
企業が「期待」する模範社員は、おとなしくて、あまり自分の意見を言わず、
仲間と協調する人間でしょうか? それとも、独断専行的ではあるが、行動力
のある人間でしょうか? 場合によって違っています。とすると、あなたが
企業の「期待」に応えるためには、場合に応じて自分を変えねばなりません。
どう変えればよいのかさっぱり分からないままに、ともかく自分を相手に
合わさねばならないのです。 疲れますよ。そんなことをしていると、
人間失格になってしまいます。だから、世間を捨ててしまいましょう。
世間の「期待」なんかに応えなくていいのです。
 だいたい優等生というのは、相手の「期待」に応えようとして、うじうじ
悩んでいる人間です。いままでの時代は、そんな人間がある程度幅を利かせて
いたかもしれません。でも、これからの時代、世の中がどう変わるか、誰も
予測できません。とすると、優等生的生き方をしていてはだめなんです。
「世間中心」ではなしに、もっと大胆不敵に「自己中心」でいきましょう。
たとえば、学校の試験において、かりにあなたが不合格点をつけられたら、
「あんな問題を出すなんて、教師がまちがっている」と言えるぐらいの人間が
いちばんいいのです。あなたが働きやすい場所でなければ、それは会社が悪い
のです。会社の管理職は、あなたがもっと働きやすい組織形態に会社を変える
必要があります。そう思えるようになるのが「自己中心」の生き方です。
 本当にお先真っ暗な時代です。こんな時代を生きるには、世間に気兼ね
していてはだめですよ。だって、世間のほうがどうしてよいか分からず、
われわれに気兼ねしているのです。わたしは、いまの時代をそのように
読んでいます。本書において、わたしは自己流の時代の読み方に従って、
われわれの今後の生き方を考えてみました。これまで誰も言わなかった
ことですから、きっとあなたの生き方の指針になると思います。・・ ≫
▼ 母親が亡くなった財産分与の話合いの時に、姉四人が、私に
『何で特別に、アナタだけが、学生時代から、何ごとも自由に許されて、
したい放題。私たちは両親の監視下で、何にも出来なかった。あまりに
理不尽過ぎる。特に父親は厳しすぎた。しかし、あなたに甘い』と、
あたかも、私が父親であるかのような怒りをぶつけていた。厳しかった
父の姿を見てきたこともあり、両親を含めた「世間様」とは、心の奥で
一線を隔した内省的な性格になっていた。 で、このザマだが、自由に?
生きられた充実感は、何ものにも勝る。今日は、「ひろさちや」の過去分
の読書日記を、以下にコピーした。 改めて読んでも、納得する内容。


6643,閑話小題 〜「おばさん」の話 ―2

2019年05月24日(金)



   * 林真理子の「おばさん」の話
 なるほど、売れっ子作家の『オバサン』の話題は面白い!
  その一部を抜粋する。
≪ 「オバサン」という言葉を、とてもポジティブにとらえるようになった。
 少なくとも、「おばあさん」と言われるよりずっといい。 つい先日、
東北に旅行することになった。泊まるところが廃校を利用した施設で、二段
ベッドと聞いて私は叫んだ。「まだ寒いってのに、二段ベッドはやめて!
60過ぎのおばあさんにはきつ過ぎる」
 するとうちの秘書が、
「ハヤシさんは、都合が悪くなると自分がおばあさんって言い張ると使い
分けるんだから」と笑った。本当のところ、私はおばあちゃんと思ってない。
60歳は昔なら初老かもしれないが、今だったら中年後記であろう。
若くもないが、そう年寄りでもない。そう「おばさん」と言われるのが一番
しっくりくる。ある人が書いていた。日本は「おばさん」の期間がとても長い。
70歳過ぎても「おばさん」といわれる。… 私はレキッとしたオバサンと思う
とどんなことも出来る。… 
 世界でいちばん優しくて、世話好きでマメな人。姿かたちがおばさんだと、
大抵の人は警戒しない。おばさんになると、全体的に丸みを帯び、目も下がって
くる。ぐっと懐かれやすくなってくる。おばあさんになるにはチッとはやい。
しばらくの間、おばさんでいると、決めている。
 ところで私と同じ位の年齢の友人で、とにかく強引でケチな女がいる。
情緒がまるでない。「おばさんの皮をかぶったおじさん」と、面と向かって
ワルグチを言った。 ≫
 ―
▼ そういえば、「おばさん」について書いていた?と、HP内検索を入れると、
 やはり幾つかあった。前回に取上げた時、検索しておくべきだったが…
としても忘却の彼方の自分の文章を読返すのも面白い。その時々の全エネルギー
が凝縮してあるため。 誰かが言っていた。
 <老化すると、男はオバサン顔に、女はオジサン顔になるんだよ!> 
品良く老いる? 今さら無理ですか! ならば、せめて外見の品だけでも
良くするのが御年寄りの務めですか。 せめて足掻いてみたらどうでしょう。

 としても、よくぞ書いていたものだ! 
――――
2002/08/20
女の盛り
 表面的のことだが、女性を語る上には大事なこと。
・女性の若いときの盛りは、やはり18歳から21歳。
・次は少し社会に揉まれた30歳。
・最後の円熟の年増の最高潮が41歳である。
 これは生命保険の偉いさんから聞いたが、正しくそのとおりである。
 妙齢の年頃という頃だ。
 
・往年の大女優がエッセイで書いていたが、
 45歳を境に坂道を転げ落ちるように、衰えが激しくなる。
 姉や従姉妹など見ていると全くそのとおりになっていった。
 色が全体に黒くなってくる。閉経期と一緒だ。
 
 それに図々しさが加わると小母ちゃんになってしまう。
 その時こそ、本当のお洒落が必要になってくるという。
 それと教養が顔に出てくるから更に怖い。

 去年の同級会に出てびっくりした。
 55歳の同級会だったが、見事おばさん化していた。
 男もそうだが、それでも女性ほどではなかった。
 肉体の衰えが、精神を抑えることができないのか。

 そこに残るのは品性だけだ。
 そういう意味で、品性は大事である。
 その時にお洒落の意味が出てくるという。
 如何に老いをプラスに表現できるかである。
 けっして若く見せることでない。

 TVタレントや女優を見ていると、その良し悪しが見えてくる。

・・・・・・
2005/06/13
1532, 「おばさん」の定義

 図書館で何気なく見た本に「おばさんとは?」という、
チェックポイントがあった。
私の一番嫌いな人種といえば、教養のないオバサンである。

「オバサン」の私のイメージでいうと、
以下の通りである。
  1.傲慢で緊張感が全くない
  2.自己中心的かつ利己的で
  3.他人の噂話が日々の潤いになっている
  4.他人の行動が気になり節介をやきたがり
  5.服装が世帯じみていて、アンバランス
  6.知性が全く感じられない

「お前こそ、オジサンそのものじゃないか?」
と言われれば返す言葉もないが。 しかし、
「何がオジサン・オバサンか」は、自覚をしておかなくてはならない。

その本を目を通しただけでも「なるほど!」という内容が幾つかあった。
服装研究家のようであったが、男の私でも合点がいった。

「過去を背負っている感じが出ている人」と、まずあった。
時間とともに人間は変わっていくが、気を許すと年齢の変化についていけないで、
アンバランスになってしまう。その過去の蓄積度がオバサン度を高くするという。  

その年齢にあった着こなしをしなくてはならないが、
放漫のため 気がまわらなくなるのだ。
まずは「クローゼットの大整理を、常にしておくべし!」と。
「オバサンにならないためには服装や化粧は気をつけて、
年齢だからと諦めては駄目!」ということを聞いたことがある。
諦めたと同時にオバサンに転落するのだ。
心のクローゼットも整理をしなくてはならないが。
 
 姉をみていても、オバサン化をしているかどうかは五分五分。
常に何かを求めて、世界に自分を晒せる環境にいるかどうで左右する。
 
新幹線にオバサンのグループが入ってくると、異物が混入してきた空気になる。
新幹線の車内は社会の集約された場である。
そこに全く緊張感のない変な集団が入ってくると・・・?
ゾロリ・ゾロリ軍団という弛緩の塊が異様に目立つのだ!
 
懐かしのメロディーで、昔のアイドル歌手が出てくるが、その外形の変容や、
「普通のオバサンになっている弛緩の姿」を見ると、悲しくなる。
一番大事な時期に基礎教養を蓄積しなかった無残な姿が、そのまま露出している。
中尾ミエなどの三人トリオや、天地真理などが典型である。

今日も、スーパーの近くで「凄いオバサン」を見た。
ブラジャーなしで、アパパーを着て、頭はボウボウで、
だいたい想像がつきそう?

「エ~、何処かのカアチャンの家庭の中の姿?」
そこまで、言うな!家の中は弛緩の場だから?

・・・・・・
2670, おばさん、の話
2008年07月27日(日)

「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力がある。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」
「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」
「老化のバランスの崩れに対して抵抗しなくなった女性」
「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、幾らでも要素が出てくる。

 女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。
女性が一番美しいのは、40歳前後。 おばさんへの、折り返し地点であるからだ。
演技を止めようか、それとも最後の濃艶な女を演じようか、その際(キワ)が光輝く。
一子(長男、長女)の子どもから手が離れ、少し余裕が出てくるが、多くの問題
が一挙に押し寄せる時期。
 人生の境目でフト我に返ったときに、女の最後の美も失われようとしている。 
「私の人生は何だったのだろうか。男(亭主・恋人)には仕事という生甲斐がある。
自分には、空しい小さな世間しかない。これでは、自分の人生は浮かばれない。」
等々の妄想がよぎる。肉体的には本格的な老化が始まり、精神のバランスも崩れる。
まさに人生の断崖絶壁に立っているといって過言でない。何か解るような気がする。
ここを、そのまま過ぎると「こてこてのおばさん」の弛緩した日々が待っている。 
自分の趣味を持たないで、日々に流されると、「こてこてのおばさん」になる。

そこで、「おばさん」という言葉から、女性の魅力とは何かを導き出してみよう。
・女という魔物の演技を自作自演でする 男のニーズに合った女づくり
・男とは違う部分を強調し、そこをアピールする
・「美とはバランス」という事実を意識して、バランスの崩れを諦めないで
 フォローする。
・世間とは、その辺の5〜6人と割り切り、彼らとは違った個性を追求する等々。
その位のことは、誰でもしている? いや、それを止めないことです!
私の知人の女性が、最近、ある会社の営業に勤めだしたという。
間接的な話しだが「そこはジェラッシック・パークというより、動物園の世界だった」という。
その言葉の中に、何かしら中年にさしかかった女性たちの姿が目に浮かぶようだった。


6642,閑話小題 〜「おばさん」の話 ―1

2019年05月23日(木)



   * 「おばさん」
 「おばさん」をネット検索すると…
【 かつて成人女性全般を「おばさん」と呼んでいた。しかし、語感として
 年長感があることから、主に中年・初老の女性を指す呼び方になっている。
中年の範囲は明確ではなく、何歳からおばさんにあたるのか、その辺は非常に
曖昧でデリケートな問題。
女性の場合、中年どころか初老の年齢でもおばさんと呼ぶのはあまり好ましく
ない。(「皺やシミが増えたね」「加齢臭がするね」「若い子より老けてるね」
「太ってるね」の隠語のように聞こえる為)。 成人の女性(男性もだが)は、
本来なら名前や役職で呼ぶべきであるし、女性に対しておばさんやおばあさん
と呼ぶのは控えたほうが良い。
 三人称でも「あのおばさん」ではなく女性、女の人と言っておくのが無難。
なお、熟女好きの男性には中年・初老女性の疲れた目元や(幸せ太り、お産など
で)微妙に崩れた体型などに母性を感じる人も少なくないが、褒めるつもりで
「だらしない体が好き」などと言っても、言われた本人は良い気持ちはしない
と思われる。 】
 ―
▼ バブル華やかな頃、大手生命会社から直接、中期資金を借りていた。
 当時の上場企業の新潟市の位置づけは高く、キャリア組の一時的安息地で、
そのレベルが高かった。 当時の支店長は、<現場叩き上げで、中年女性の
生態を知り尽くしている>と御付きがコッソリと教えてくれていた。
 その持論とは… 
『女性の本当に輝くのは40歳辺り。あと一花咲かせるか、このままで終るか、
の境目で、真の女の魅力が現われ出てくる。それは何とも表現しようのない
美しさ。その彼女を奮い立たせて営業成績を供に上げるには、男女の関係の塀
の上に立たないと無理。40歳頃の女性の精神と身体のバランスが何とも奥行き
のある魅力を醸し出す』
 何とも小説のような危ない話。‘{おばさん化」するとは、30歳代で、
‘おんな’を捨てた女性。諦めた瞬間、おばさんにまっしぐら。
思いつきのテーマだが、このキーワードで思いつく材料が次々と浮んでくる。
で、ネット検索で見つけたのが、林真理子の「おばさん」のエッセー。
これが面白い…                  〜つづく
追文: 4年前の以下の文章。「‘おんな’を捨てないで生きていく覚悟」
   が、女性道での悟り。精神の奥で自立するかしないか。 としても、 
 「腐った女」  のような男が多いこと。自立できない、あの一群のゾンビ。 
  それも他人事ではないか。 

・・・・・・
5182,人生相談という気晴らし! 〜
2015年05月23日(土)
              『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 悟りが在りや無しや?
 世には、「悟り」を真面目に求める人がいるものだが、私の答えを正直に
いえば、「自分が、つくづくバカを悟ること」「体裁を過剰に求めないこと」
と、「自分に対し、あまり誠実でないと自覚すること」である。それは悟り
の問題というより、「自覚」の問題だが。 世界の果て(秘境)で、想像を
遥かに超えた絶景に出会った感動の瞬間が、悟りに近い? 
これは自分が実感するしかないが。
≪ Q: 「悟り」の世界はただの夢なのでしょうか?
 私は五十六歳の主婦です。三十年ほど前、結婚して心のバランスを崩した
ことがきっかけで、精神世界に関する本を読み漁り、悟りという煩悩に支配
されない境地に憧れるようになりました。それから、さまざまな講演や参禅会に
参加したりしましたが、今でも悟りなどとはほど遠く、つい感情的になったり、
主人に嫌味を言ってしまいます。以前と何一つ変わらず、同じところを堂々廻り
しているような気がします。最近はいっそ、悟りなど無いと言われたほうが
気が楽だとさえ思ったりします。本当に悟りというものはあるのでしょうか。
それとも、元々ない夢を追い求めていたに過ぎないのでしょうか。
何か手がかりをいただけると幸いです。
 A: 〜自分で一生かかつて確かめてみるしかないでしょう〜
  今回の相談も「いらいらする」ものですね。大体、哲学者ごときに
「悟り」が在るか無いかを聞いても、まともな答えが返ってこないことぐらい
わからないのでしょうか? 同じように、神はいるのか、善悪の基準はあるか、
真理はあるのか-…、といった問いに、ハキハキ答えてしまう哲学者は、
正真正銘のニセモノです。では、哲学者はこうした問いに対して何もできない
かというと、そうではない。 哲学特有の領域を指し示すことはできます。
あなたはすでにわかっているかのように「在る」とか「無い」という言葉を
使っていますが、じつはその意味は皆目わからないのだ、ということを
あなたに気づかせることです。「悟り」が「在る」としても、それはコップの
ように、空間のように、数字のように在るわけではない。では、「どのように」
在るのか、もしかしたら「無い」のか、と問えば、まず論理学的法則から決め
られるのでないことは確かです。「悟り」は別にそれ自体として矛盾している
わけではないのですから。また、物理学などの科学を持ち出して決定できる
わけでもない。現代科学のすべての成果をもってしても、意識については
わずかにも説明できない。「見える」ということ、私が私の手を「上げられる」
ことさえまったく説明できません。このことを話すと話が長く(千倍くらい)
なりますので、いまはやめます。疑いなく、「悟り」とは意識に関すること
ですから、科学者をはじめ、その体験をしたことがない人が「外から」アレコレ
詮索しても仕方ないのです。言いかえれば、あなたが本当に確かめたかったら、
実際あなた自身で確認してみるしかないでしょう。あなたがいままでどの
ような修行をなさったのか知りませんが、そんなに気になるのでしたら、
自分で一生かかって確かめてみるしかないのです。しかも、最後まで
わからなくて、そのまま死んでいくかもしれないのです。本当に心の底から
出た問いなら、それでもかまわないはずですし、そもそも他人から「手掛かり」
を得ることでは満足できないはずです。そうしないで、安直に答えを求めて
いるあなたにとっては、悟りなんか「無い」と割り切って「気が楽」になった
ほうがいいのではありませんか? ≫
▼ 悟りとは、現象を、色即是空、空即是色と直感できたような一瞬の感覚?
 ネット辞書によると、《悟り(さとり)とは知らなかったことを知ること、
気がつくこと、感づくことを言い、覚りとも書く。宗教上の悟りは迷妄を去った
真理やその取得をいう。サンスクリットでは日本語の「理解」「気づき」
「通達」などの意味に相当する単語はある。》とある。悟りで、恐ろしいのが
「死期」だろう。それから死ぬまで、生きてきた分の人生を生きるというが。
ということは、「死期を悟り、それを受け入れる葛藤を通して得られる心境?
・・・・・・
6279,閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ ー2
2018年05月23日(水)
  * こうなれば、廃部ですか!
     〜産経のネット記事より
≪・アメリカンフットボールの定期戦で日大選手の悪質な反則行為で関学大選手
 が負傷した問題は、反則を犯した日大の宮川泰介選手が22日に開いた会見で、
内田正人前監督ら指導陣の執拗な指示があったことを浮き彫りにした。
「真実を明らかにしたい」と臨んだ会見で示された経緯は、日大側が指示を
否定してきた見解と明らかに食い違う。指導陣がルールを逸脱した負傷行為を
指示したのであればスポーツへの冒冒涜(ぼうとく)で、部の存続そのものも
危機に直面する事態だ。
・宮川選手は会見で19日に辞任した内田前監督は試合後、反則行為について
「俺がやらせたんだと言え」と語ったと主張。関学大への質問で日大が説明した
「監督の指導と選手の受け取り方に乖離が起きたため」との内容とはかけ離れる。
宮川選手の父が「監督、コーチの指示」の公表を求めた際にも、拒絶された
ことを明かした。
・監督、コーチが反則を指示し、警察に被害届が出される事態は極めて異例だ。
 大学スポーツ界では、過去に名門の運動部であっても不祥事によって廃部に
追い込まれたケースがある。大学日本一に10度輝き、メキシコ五輪バンタム級
銅メダリストの故森岡栄治氏や元プロボクサーでタレントの赤井英和さんを
輩出した近畿大ボクシング部は平成21年、部員2人が起こした強盗致傷事件
で廃部(24年に活動再開)した。
・宮川選手は会見で「チームや指導に対して言える立場にはない。同じことが
起きないことを願う」と言葉を選んだ。 ただ、日大の現役部員からは
「監督だけでなく、コーチも総退陣しないと、チームは立ち直れない」との
不満の声が漏れる。選手らの悲痛な叫びに耳を傾けなければ、大学日本一
21回の名門に未来はない。(田中充)≫

▼ 熊: 八つぁんよ、昨日、言っていた一年間の試合中止で済まされず、
   廃部っていうじゃないか。そういわれれば、それが妥当かもね。
寅: マンモス大学のNO・2が、これじゃ、当然かもしれないね。
大家: あの記者会見には日大当事者も、監督も驚いただろうね。
   2〜3年、刑務所に入って、頭を冷やすことだね。当然、本人もだが。
寅: 問題の録画が無ければ、有耶無耶に終わったのだろうが。それにしても、
  酷いものだね。サッカーなど、日常茶飯だろうがね。ラグビーでスクラム
 組んで押合いするだろう。その時、顔をさ… まあ、書かない方がいい。
八: 考えてみれば大問題だね。いくらポン大とはいっても、最高学府の
  スポーツ競技で、大学のNO2が、あれは酷い話だね。実行犯の話の脈絡から 
 して、最初から鉄砲玉としてコーチと監督が、この物語の筋書きがあった
 と思うのは私だけでないはず。
大家: 東京オリンピックを前に、神様が与えた教訓ですよ。金さえとれば、
  その前に、参加さえできればと… 異様な空気が既にあるからね。
寅: 日大の対応の遅さと、曖昧さが、炎を拡大させてしまったね。
八: NO・2というから、トップが躊躇するのは分かるが、グループの解体も
  考えられるよ。他の問題を、これをキッカケで現れ出て来るよ。
熊: 日大相撲部といえば名門だが、黒い噂が… これとは関係ないがね。
寅: でも、実行犯が自ら記者会見とは前代未聞。ここまで明らかにされると
  言逃れは出来やしないよ。でも、鉄砲玉自らが記者会見で告白とは、
 まさに劇場型エンターテナーの世界だね。としても、これはグローバルでも
 大受けするね。街頭のインタビューで、たまたまアメリカから帰国していた
 アメフトファンの人が「こんな話、前代未聞!」と言っていたけど。
大家; 一つの現象の背景の30の、その30後ろも300の問題があるというがね。
八: 政治的にみて、安倍ちゃんは、シメシメと… 「事実は小説より奇なり」
 というが… 私も、あのインタビューの評価が良かったか悪かったか?
熊: どうだろう? 俺様的には賛成!
寅: 俺は、反対だね。自爆テロだろう。心情的には大賛成だがね。
八: 私も賛成。 タイミングが、今しかないし、そりゃ、何が起きるか?
 この日本も危いのが多いしね。ああでもしないと、事故とか、自殺の体裁で?
大家: オリンピックに向けた戒めと考えても、死なば諸共はいけません!
熊: 何で、俺よりバカなこんな人が、日大のNO・2なの? 
寅: 何なればこそ、ここのトップになれたの… 。そうだろう!
大家: そこまで言っちゃあ、おしまいさ。
八: 嫌だね、皆んなホワイトナイト気取りで「ブラックナイト裁判」とはね。
  
・・・・・・
4817,いま、一人前の条件
2014年05月23日(金)
 
 朝日新聞の(耕論)「いま、一人前の条件」=規範ない、寅さんのつらさ」
ノンフィクション作家・高野秀行が面白い。 私が一人前として自立できたと
感じたのは27歳の時。父が亡くなり、最初の事業を千葉で立上げと同時に結婚。
その時、石油ショックが起きて、ただ無我夢中の日々だった。両足に鉄の下駄
を履き(結婚生活)、背中には創業という重い荷物を担ぎ、よろよろと坂道を
登っているような日々だったが、これが私の独り立ちであった。 
以下の内容は、世界における「一人前の条件」だが、やはり結婚が大きな
目安のようだ。  ーその全文をコピーするー
《 早大の探検部以来、外国人が入らないような辺境も含め、世界60カ国
 以上を旅してきました。その経験を踏まえて言えば、
・先進国以外の大部分の地域では、結婚しているかどうかが「一人前」の
 一つの大きな基準。20歳過ぎても独身だと、 何か特別な理由、特殊な
 事情があると思われます。正確には子供が生まれて完全に一人前という
 感じでしょうか。
・かって半年ほど住み込んでいたミャンマーの少数民族の村では、子供が
 できて初めてその人の土地がその人の名を冠した「○○の畑」と呼ばれて
 いました。一人前になることは、財産を含めて地域社会から認知を受ける
 という意味でもあります。
・長年、無政府状態が続いたソマリアの取材を続けていますが、ここでは
 「大人」という言葉に、成人という意味に加え、「偉い人」「長老」という
 意味があります。長老はだいたい50歳以上、10人の集団に2、3人の割。 
 人望や財力、教養があり、何か問題が起きた時に「あの人に相談しないわけ
 にはいかない」というような存在です。氏族内のトラブルや他の氏族との
 争いでは、交渉の窓口になり、決定権や責任を持ちます。前例をもとに
 物事が決まる社会なので、年を重ねることは知識と経験をもつ貴重な
 データベースということになり、尊敬されます。私はいま47歳ですが、
 日本も私が子供の頃はアフリカやアジアの発展途上国のように、結婚して
 家庭をもって初めて一人前扱いされるという感覚が一般的だったと思います。
・最近は日本を含めた先進国で、年寄りの経験値の意味が薄れてきています。
 情報技術を駆使できる若い世代が圧倒的に知識量が多い。従って社会的に
 年寄りが尊敬されることもなければ、年をとるメリットも感じられなく
 なります。何歳から何をすべきだ、この世代はこうあるべきだという
 決めつけがなくなり、多様なライフスタイルが認められるがゆえに、単純に
 一人前とはこういう人といえなくなっています。例えていうなら、今の日本
 は山田洋次監督の映画「男はつらいよ」シリーズで、社会規範にとらわれず、
 気ままに旅を続ける「フーテンの寅さん」が急増している社会です。 
 寅さんが増えると少子高齢化がさらに進み、社会が回っていかない。
 同時に本人もつらい。規範がない社会では自分でそれを作らなければ
 ならないからです。特に日本人は自分で自分の価値観を作ることが苦手。
 でもいったん自由になると、なかなか過去の価値観には戻れません。
 「一人前とはこうだ」というモデルを強要しない社会は、
 「自由はつらいよ」ともいえるんじゃないでしょうか。  
* 高野秀行 66年生まれ。早大探検部時代にコンゴを探検し
 「幻獣ムベンベを追え」
          でデビュー。》
▼ 私の人間としての一人前は、三年前の節目時。「なるほど、自立する
 とはこういうことか!」という感覚。 家庭持った時点の自立は社会の中の
承認だが、リタイアー後の自立は、社会の束縛?からの、自立になる。(>'A`)>
いや、超越の方が正しい。真の孤独を味わうべき時に、自立できないで
アタフタしている姿がイジマシイ :((゙゚'ω゚')):

・・・・・・
5912,『しあわせ仮説』 ー10 
2017年05月23日(火)
            『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * 「純粋な悪」を、北朝鮮のドン様にみる
 ドン様と、それを支持している北の上層部にとっての「純粋な悪」とは、
アメリカ、韓国、日本であり、今では中国も加わりつつある。金日成、金正日、
金正恩になるにつれ、中国に対し、自ら不信感を強めて孤立を強めているようだ。
叔父、実兄、幹部を次々に粛清し、その亡霊に恐れおののいて、精神が歪んで
きているのが見てとれる。一人の殺害を癒すのは、25倍の英雄的実績を必要と
すると、宿敵アメリカ、日韓に対し、戦争をしかけ英雄的勝利を得るしかない。
そのため出来ることなら何でもする姿が画面に溢れ出ている。 これが
狂った小心者の心の内の中。 純粋に悪いのは、アメリカ、日韓。その思いで、
臣下の数十万、数百万の犠牲者など、大したことではない思い込み。気違いに
刃物とはこのこと。それを演じて世界を恫喝していれば、世界の皇帝並み待遇?
の立場でいられる。金日成、金生日の人質は、ソウルの2000万人だったが、
核と弾道弾で今では日本の首都圏の3〜4千万人と北京の数千万。アメリカの
数千万。最後は欧州も含めた世界中の全てを破壊できる核とミサイル。
最後は、細菌兵器に至る。とすると、数百万から一千万位で済むものなら、
今のうちに!という戦略的判断が働いても何ら不思議ではない。
内部コネクションを使った内部処理が一番、効率的だが、そうはいかないので
ここまできた。 成るほど、これもグローバル化の一端ということになる。
ヒトラーが、「パリは燃えているか?」が、「東京は燃えているか?」
「ニューヨークは燃えているか?」に、時代は変わってしまったのか。


6641,読書日記 〜『遅刻してくれて、ありがとう』 −1

2019年05月22日(水)



   * 「固体から液体へ」! 
 この数年で社会の有りようが根底から変化して、何か、途轍もないことが
起きているのではという不安感が世界を覆っている。ネット世界が現実社会を
覆って数年経つ。 図書館で、ずばり、それをテーマにした新書の上・下巻が
あった。さっそく、借りてきたが、分厚い濃厚の本。アメリカのジャーナリスト、
トーマス・フリードマン著、『遅刻してくれて、ありがとう』である。副題が 
  ー常識が通じない時代の生き方ー 
 Windows95や、スマ―フォンが普及して以来、あまりにも安易に面白い知識、
情報が入手可能になり、それが「考える時間」を少なくしている?… 20万年、
いや生命誕生40億年来の変革期の中で、タイミング的にはベストの内容。
 人生の黄昏時の際に、こんなに面白い時代の際が重なるとは、非常に幸運。
この年齢で今さらだが、まずは、この幸運の自覚を持つこと。
 著者は、インターネット社会を、「固体から液体へ」「フリクションレス
(イライラが無い)になる」という表現をする。その反面、何かしら大きな
不安に包まれる。 遅刻をしてくれた御蔭で、考える時間を持てて、有難う」
と、そのままを本題にしている。 何度も書いてきたが、
『事業経営を自ら清算できて有難う』と、毎日、思うこと。失敗には、考える
ことしか残されてないからだ。 私の失敗の本質は、1990年のアメリカによる
経済戦争で日本が敗戦した意味を深く理解できなかったこと。 右上がりの
経済成長が、下向きになってしまった現実の認識が、あまりに甘かったこと。
その結果、現在、毎日、考えることがあまりに多いことに驚いている。
右上がりの風で舞上がり、まさかの疾風で失速したに過ぎない」だけ。 
「考えないこと、考えられないこと」が、人生に大きくロスを生んでいる。
とはいえ、「考えてもたかが知れている」。でも、考えないと、せっかくの
地球旅行で何も見ない、知らないで消滅する! 面白かったと実感できるのが
幸いだが…                        〜つづく

 〜歳をとって後悔するのは、あまりに勉強してこなかったかだよ!〜
・・・・・・
5546,子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 〜
2016年05月22日(日)
     『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの? 』
                     おおたとしまさ(著)
 子供はこんなテーマの本を手にしない。手にするのは親など大人たち。
とすると、[子供偏]だけでなく、親向けの勉強の必要性を説く[大人編]があって、
至極当然である。私のようなリタイア後のシニアに、最後の総仕上げも含めて、
学ぶべきことは数限りなくある。せっかく地球上に、「遊び、学び、働き」に
来たのだから、総括の仕上げが必要である。この歳になっても、相も変わらず、
頼まれもしない、このような文章を書き続けている。しかし、今のところ
止めたいと思わないのは、テーマを探し、文章構想をたて、書上げるプロセスで、
多くの考える時間を得ることが出来るから。「考える」ことが、己を己たらし
めしている実感があるため。死ぬまで学び続ける姿勢そのことが最も大事である。
   [大人編]
 :荒俣 宏
動物だって勉強している/
人間は一人で生きていけないから勉強する/
人間は生き残るために知的欲求を発達させた/
「やってみたい」こそが「コンテンツ」集めの最強の動機/
「コンテンツ」が増えれば勉強はラクになってくる/
マイペースで勉強するのがいちばん身に付く/
親のアドバイスが子どものストレスになるジレンマ
 :瀬戸内寂聴
勉強しないと「心の栄養失調」になる/
子どもの得意なことを見つけてやるのが教育の第一歩/
「先生は尊敬すべき人」と教えるべき/
子どもはテストの点でなく親の顔を気にしている/
1行でも印象に残る文章を見つければ立派な読書/
 :坂東眞理子
「人はパンのみにて生きるにあらず」/
グローバル社会の処世術を身につけるには/
自分が今ここにいるのは自分の努力のおかげだけじゃない/
裾野が広くなければ高い山にはならない/
型を破るためにはまず型を覚える/
 :福岡伸一
「脳の水路付け」から逃れるために/
勉強には人類の文化史が折りたたまれている/
教養とは知識の時間軸を持つこと/
「小さな問い」に一つ一つ答えていく/
大人になれないサルが「大きな問い」を発明した! ?/
「センス・オブ・ワンダー」が人生を豊かにする/
科学と技術は違う。教育と職業訓練は違う
 :藤原和博
成長社会から成熟社会への移行/
情報処理力から情報編集力へ/
勉強と遊びの両方が必要/
クレジットをためれば自由になれる/
クレジットを希少性に投資するリターンは大きくなる/
 :茂木健一郎
知恵を得る以上に価値のあることは存在しない/
「フロー」のサイクルができれば子どもは勝手に勉強する/
知識や教養は高性能な脳内ネットワークを形成する/
今こそ日本の教育のベストシナリオを描くチャンス/
親がすべきは、子どもの「学ぶ本能」が起動するきっかけづくり
 :養老孟司
昔なら「くだらないころ聞くんじゃない! 」でおしまい/
「くだらないころを聞くな」と「そういうもんだ」は違う/
「勉強したくない」というのが本当のメッセージかも/
好きなことを突き詰めればすべての学問に通じる/
山道を登り始めればさらに先が見たくなる/
――――
▼ 世の中には、「心の栄養失調」の病人?の多いのに驚かされる。
 私自身、どうだろう。 倒産という形で事業生活を終えた私の人生は、
<この結果なればこそ、「五目並べ」の白の石目が一挙に黒に変わって
しまったことで、過去の白を黒として問い直せ!>ということになる。 
成るほど、どれもこれもが面白可笑しく、それらの事象が変わってくる。
視点の変化で、「大人は、なぜ勉強しなくてはならないの?」が、そのまま
我が身に突き刺さってくる。人生を洗いなおすために、学び直すために、
この結果はベストだったことになる。 
 福岡伸一氏の《教養とは知識の時間軸を持つこと》からすれば、この随想
日記を書きつらね、同月同日の内容を毎日、読み返す行為は、ベストになる。
15年分の同月同日の時間軸で、自分を省みる勉強になっている。
「シニアになっても、何ゆえに学ばなければならないの?」の答えは、
「あなたの現状そのままが、答えになっている!」  
「自由になるため、心の平安のため、広く深く遊ぶため、後悔しないため!」
 で、これもまた、以下の文章に繋がっていく。
・・・・・・
6278,閑話小題 〜ビデオ撮影の恐ろしさ
2018年05月22日(火)
    * 日大・アメフト部ですか
   〜ネット記事によると〜
≪ アメリカンフットボールの日大と関西学院大の定期戦で悪質な反則行為が
あった問題で、危険なプレーをした日大の守備選手が「『(反則を)やるなら
(試合に)出してやる』と監督から言われた」と周囲に話していたことが16日、
分かった。関係者が明かした。日大広報部は、内田正人監督が学内の調査に対し
「違反をしろと言っていない」と述べたと明らかにし、否定した。
 日大の選手は下級生の頃から主力としてプレー。しかし関係者によると、
最近は内田監督から精神的な部分で苦言を呈され「チーム内で干されている
状態だった」という。6日に東京都内で行われた定期戦前に「やるなら出す」
と反則行為を条件に出場の機会が与えられたという。
 当該選手は、パスを投げ終えて無防備な状態だった関学大のクオーターバック
に背後から激しくタックルをして負傷退場させた。その後もラフプレーを繰り
返して資格没収(退場)となった。 ≫

▼ この衝撃的場面が録画されネットで世界に発信され炎上したことが問題。
 集団格闘技なら然もありなんだが、問題は記録として残されてしまったこと。
何処まで問題が発展するかだが、「監督の永久追放と逮捕と、チームの1年間の
リーグ戦の出場停止」が妥当な収まりどころ。 一番、傷ついたのが、日大の
イメージ。元もと低いのに、これで以前の「ぽん大」に逆戻り。学生時代の寮
の隣室に日大で3年留年の先輩がいたが、その私生活の御乱行のそれは… 
 これまで表立たなかった問題も、録画されると有耶無耶出来なくなる情報社会
の恐ろしさを連日のように知ることになる。100キロもある大男がぶつかり合う
格闘技、不正ぎりぎりの陰湿なタックルも多々あるのだろうが、あれでは言訳は
出来ない。これで、去年の優勝の栄誉が、実は多くの不正の上に成り立っていた
可能性も。観客のビデオで新たな不正場面が掘り出されなければよいが…
ネットニュースで<負傷させた日大の守備選手が22日に東京都内で記者会見、
内田監督とコーチの指示に基づいて反則をしたと主張することが分かった。>とあるが、
これで刑事訴追の可能性も出てきた。「壊してこい」も、ルールに則ってを
前提だったか? の立件は難しい。
 不正暴力事件といえば、あの事件以来、大関・横綱が、立合いの張手が使え
ないため、盤石な強さが消えてしまった。何せ番付の上下関係が厳格にはたらく
ため、「肘ち、張手」は最たるアドバンティジ。守らないと、その力士の部屋
の道場に押しかけ可愛がり! 一人時間差攻撃。合理的朝青龍直伝のシステム。

・・・・・・
5911,『しあわせ仮説』 −9 ネガティビティ・バイアス
2017年05月22日(月)
             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著
   * ネガティビティ・バイアス
 動物も人間も、エサを逃してしまうより、外敵のエサになる方が遥かに
リスクが高い。エサになってしまえばゲームオーバーで、その固体の終焉に
なるため、「悪いことに対し、良いことより大きく反応する」ように、自然
淘汰の中で、設計図を変えて生延びてきた。ポジティブだけでは生きていけ
ないのである。ポジティブ3〜6に、ネガティブ1の割合で必要なこと。
但し、その濃度は、3〜6倍が必要となる。成長しなければ競争に負け淘汰
される。  〜その辺りから
≪ ネガティビティ・バイアスを調整する【悪いことは良いことよりも強い】
 自分‘が’食べるものを見逃しても、すぐには死なない。しかし、自分‘を’
食べるものを見逃したら、すぐに死ぬ。だから動物は、恐怖・不快に対して
好機・快よりも敏感に反応する。人間もその例外ではない。
人の心というものは、良い物事に比べて、同程度に悪い物事に対して、より
すばやく、強く、持続的に反応するということが心理学者によって繰り返し
見出されている。私たちの心は、脅威や侵害や失敗を発見して反応するように
配線されているため、すべての物事を良く見ようとしても、単純にできない
のである。  ≫

▼ ハイトは、「このマイナスのバイアス原理は、心理学の至る所で現れる」
と、さまざまな例を示す。その一つが、『一度の殺人を埋め合わせるためには、
人命を救うような英雄的行為を25回しなければならないと見積もられている』。
人は、自分に恐怖や不快を与えた人のことを容易には忘れない。≫
 しかし、その逆の心理も言える。傷をつけたり、殺した相手に深く傷つく。
北朝鮮のドン様。叔父を銃殺し、実兄を暗殺し、多くの側近を殺してきた。
何を恐れ、ここまで狂気になっているのか? 処分してきた身近な人たちの
亡霊を恐れているためである。外敵が日米韓なら、内なる敵は、処分した政敵
の亡霊。だから何をしでかすか、最たる危険な小心の男である。
夫婦関係を身近にみれば… 一度、争ったら、その25倍の代償が必要となる。
だから、代償の負債残高が数知れず蓄積されていく。「おお妻よ、どんな敵でも
御前のような酷いのはいなかった」と、独り呟くことになる。 
そして、ネバティビティ・バイアスは、ここで再生産されることになる。
だから、自分の世界を長年かけてつくっておかないと、爆死することになる。
・・・・・・
5181,アウシュビッツの回想
2015年05月22日(金)
                      『読書脳』立花隆著 
   * アウシュビッツの奇跡的幸運(地獄に仏)
 二ヶ月前のNHK/BSのアーカイブで、ある女性の奇跡的生還を扱っていたが、
これも似たケース。奇跡的幸運が重ならないと、この過酷の状況下で生延びる
ことなど出来ようはずがない。
≪「シモーヌ・ヴェーユは驚くべき女性だ」と書くと、日本では社会思想家の
シモーヌ・ヴェーユを思い浮かべる人が多いかもしれないが、私が言及している
のは、もう一人のシモーヌ・ヴエーユだ。フランスで最も有名な女性政治家。
一九七四年シラク内閣で保健大臣になったのを皮切りに、歴代の内閣で保健大臣
をつとめ、フランスに人工妊娠中絶法を導入したことで知られる。一九七九年
には、第一回欧州議会で直接選挙による初代議長に選出されてもいる。
だが彼女を何より有名にしているのは、ドイッがフランスを占領している最中、
ユダヤ人身分証偽造)に問われて、ゲシュタポに逮捕され、アゥシュヴィッツに
送られながら、奇跡の生還をとげたこと。彼女の腕には、いまでも囚人番号の
入れ墨がある。シモータ・ヴェーユ『シモーヌ・ヴェーユ回想録』は自ら筆を
とってその数奇な人生をふり返ったもので、フランスでは〇七年に発売されるや
たちまちベストセラーになった。政治家になってからの話も面白いが、圧巻は
第二章「罠」と第三章「地獄」。逮捕劇とアウシュビッツ時代を語ったくだり。
【アウシュヴィッツに着くとすぐに、その場で囚人の仕分けが行われた。彼女
は十六歳だったが、見知らぬ人の耳打ちで「十八歳」と申告し危くガス室送り
をまぬがれる。子供、老人、身障者など労働に適さないと判定された者は、
その場でガス室送りのトラックに乗せられたのだ。「親や子どもがどこへ
行ってしまったのか(略)カポー(女看守)に尋ねる人がいると、彼女たちが
窓から見える死体焼却炉の煙突とそこから上がる煙を指し示していたことを
私は覚えている。(略)死体焼却炉の煙は休みなく煙をはき出していた。
堪え難い匂いが立ちこめていた】 読んでいくと、彼女が生きながらえたのが
不思議に思えるくらい地獄の生活がつづく。収容所の娼婦あがりの女監督官に
気に入られて「あんた本当にかわいいねえ、ここで死なすにはもったいないよ。
別のところへ行けるようにしてあげる」「でも母と姉が一緒だからいいです」
と断ると、「じゃお母さんとお姉さんも一緒に」と、本当に三人そろって、
アウシュヴィッツから別?収容所に移され、仕事も調理担当に代えてくれる
というウソのような話が本当に実現した。その女監督官がなぜそんな特別の
ことをしてくれたのか、理由はよくわからない。その頃かわいい女囚に同性
愛的サービスを求めて特別の便宜をはかる女看守もいたが、それ的な要求も
なかったという。それから間もな-戦争が終り、女監督官は英国の手で
逮捕され処刑されてしまったので、その理由がいまでもわからないという。
本書には若いときのヴェーユの写真もおさめられているが、確かにガス室で
すぐ殺すには惜しい容貌だ。≫
▼ アウシュビッツといえば、フランクルである。12年前に、彼の本を
 集中して読んだが、人生への絶対的肯定に驚かされた。こういう極限の中で
奇跡的に生延びている人の共通点がある。それは、この状況下から生延びて、
家族か、友人たちと楽しい時間を過ごす具体的イメージを持っている人という。
【人生に何かを求めるのでなく、人生が私に何を求めているかを問うべきだ!】
が、特に印象に残っている。女監督官は、ただヴェーユが可愛いという理由
だけでなく、光る何かを見出したのだろう。そして、その後、彼女は光った
のである。肯定的イメージ化と、信念こそが、人生で最も必要ということか。
――
2003/09/19
《V・E・フランクル》について
 十数年前にフランクルの「夜と霧」を読んで感銘した。
そして数年前、春秋社の以下の彼のシリーズをむさぼり読んだ。
人生の調度まがり角であったためであろう。
その意味の深さー絶対的人生の肯定に魂を揺さぶられた思いであった。
彼の「意味」発見のための3つの問い
「私は、この人生で,今何をすることを求められているか」
「私のことをほんとうに必要としている人は誰か。その人は、どこにいるのか」
「どの誰かや何かのために、私のできることには、何があるか」
この3つを常に念頭において生きることが,『なすべきこと』
『満たすべき意味』を発見するための手がかりになると、
フランク心理学では考えている。

特に以下の分析には深く納得をした。
ー自己超越のための3つの意味(価値)ー
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味
          =仕事・子育て・学問・芸術
       ー力への意志
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味
          =自然・芸術・愛
       ー愛への意志 
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで
        得られる価値・意味ロゴスの覚醒=対象との一体化
        ※自身が何らかの喜びに満たされていること
       ー知への意志 
人生には発見されるべき価値や意味がある
 (1)意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
 (2)意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
 (3)人生の意味  (創造・体験・態度生きる姿勢の中に意味を見出す)
  ー生きることは価値判断(学習)と選択の連続である

  【2018年5月22日字数制限のためカット】


6640,閑話小題 〜晩年というには、あと二年ですか! 

2019年05月21日(火)


    * 思いのままに
 「一日一日が早く経つ」は日頃の実感している言葉だが、この加速が年々
ついてきている。お先が近い感じとは、こんな感覚か。日々、「遠くが近く
なりにけれ」である。行蔵が、その人である。問題は、どんな品かである。

 リタイア後の日常を「小さい世界」とすると、新潟や東京の会に出席のため
行ったり、40,50歳代に平均年に二回の海外旅行は非日常の「広い世界」か。
また高校卒業後の遊学で、あちこちで暮らした世界も私には「広い世界」。
 そのどれもこれもが、小さな世界に戻ってくる度に、
<なんて小さな世界なのだろう。その狭い世界で、自分は安住している。
 この温みに自分は安住してはいけない。この生活に安住するのは、
 自分にとって危険な罠ではないか?>と思いつつ、日常に流されてきた。

 この世界の迷宮に迷い込まないため、「閑居が必要」と、8年前、私には
二ランク上のスケジュールをたて、実行してきた。その日程は、ここで何度も
書いてきたので省くが、これも慣れると、面白い充実感が残る。その結果、
自由度が高まった感覚。習慣化の力は大きい。

 数年前に、寝室の37㌅を65㌅の大型TVに入れ替えて、WoWoWを二台目
契約にして、ブルーレイで録画を300本、録画に入れたのを見たりして、一日
の半分の時間を過ごす。そして8畳の仏間の半分を書斎コーナーにして、廊下を
挟んだ二ヵ所が私のベース基地に…。座敷牢、いや「奥の院」と決め込んでいる。
家庭内の小さな地政学的「閑居」の場になる。

『6月末の22日の「クラブのOB会」と、28日の「50周年記念の集い」どうする?』
と、学生時代のクラブ仲間で、新潟時代に16年程、商社に勤務して滞在して
いた折に、飲み歩いた友人から電話が…。「50周年記念の集い」の知らせの封筒
を家内がウッカリ乱雑した書類の下にしておき、手元に届かず。
その人の電話がなければ… ある意味、今回で…「今生の別れ」だった。
危ない危ない 
 
 追: 以下の内容には驚いた。これじゃあ… サイコパスは怒るは。
  地方は、5人に1人ではなくて、2人だもの。そういう私も2人ですか。
・・・・・・
6277,閑話小題 〜老いるに従い、サイコパス化する?
2018年05月21日(月)
   * 陰口好きは軽いサイコパス
 先日読んだ本に「内幕情報屋は、軽度のサイコという精神病」とあった。
そこで直に思い浮ぶのが、何人かの面々。特に営業屋のトップセールスへの
前フリネタの有効なエサとして最も有効なればこそ、知らずに自らが毒されて
いることに気づかない。成るほど、あの人がサイコと思うと合点がいく。
人の不幸は蜜の味だが、悪口、噂話は気をつけるべし。問題は程度になるが… 
男の風上に置けない腐った女のような一群の人たち。 そう書いている私も? 
「老いるとは、サイコパス化していく。変化出来なくなるからだ」とすると、
先々が恐ろしい。
 
  〜ウィキペデアによるサイコを特徴とは〜
【 犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。
 ・良心が異常に欠如している
 ・他者に冷淡で共感しない
 ・慢性的に平然と嘘をつく
 ・行動に対する責任が全く取れない
 ・罪悪感が皆無
 ・自尊心が過大で自己中心的
 ・口が達者で表面は魅力的
 極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義である。】

▼ 5人に1人に、この傾向が強いという。
 株屋、商品取引など金融系の末端?の人たちに端的に現れ出る軽い職業病。
それが今ではトップの金融庁の事務次官、国税庁長官がコテコテのサイコ?。
 ところで、最もサイコパス的なのが、政治家じゃないですか!
陰口を陰口で書くなど、自虐そのものじゃないですかい。 ったく!
 「自分は違うって?」 
「魂のシリアルキラーじゃないですか?」 ただし、すべからく、だが。

● シリアルキラーとは、快楽殺人鬼のこと。大部分の人達が、日ごと
 万引きより遥かに重い、快楽殺人のミニ版を行ってるの。 
なら以下のことが分かるはず。馬鹿にバカというのが、一番バカか。
何かサイコの独り言のような。 老いるに従いサイコ化する?というが、
 …成るほど。

――――
5544,閑話小題 〜悪口は泥棒より悪いって知っていた?
2016年05月20日(金)
      
      ー「泥棒と悪口と、どちらが悪いか」三浦 綾子(作家)
                  『人間学入門』(致知出版社)より
  * 軽度のサイコパスだとさ
 以前、この道理を知ったとき、そこまで悪口が罪悪とは思ってなかったこと
もあって、驚いてしまった。大家族の中で育ったためか、本能的に、悪口や、
他人の誹謗中傷を言うことがタブーか知っていた。一番立場の弱い末っ子が、
まず身につけるしかない自己防御のなせる業である。それが、進級、進学に
つれて、育った環境などにより、弱者に対する虐めや、悪口を言う人の比率が
増えていった。 学校、職場、一般社会も、階層があって、そのコントロール
として、誹謗中傷と悪口が、大きな働きをしていた。 それを筆者がズバリ、
泥棒より悪口が、悪いと断じるから・・  〜その辺から
≪・時折、講演で話すんですが、「泥棒と悪口を言うのと、どちらが悪いか」。
私の教会の牧師は「悪口のほうが罪が深い」と言われました。
大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底から覆される
ような被害でない限り、いつかは忘れます。少しは傷つくかもしれませんが、
泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。だけど、人に悪口を
言われて死んだ老人の話や少年少女の話は、時折、聞きます。
「うちのおばあさんたら、食いしんぼうで、あんな年をしてても三杯も食べる
のよ」と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、その後一切、食べ物を拒否して死んだ、
という話があります。
・それと、精神薄弱児の三割は妊婦が三か月以内に強烈なショックを受けた時
に生れる確率が高いと聞いたことがありますが、ある妻は小姑に夫の独身時代
の素行を聞き、 さらに現在愛人のいることを知らされた。
それは幸せいっぱいの兄嫁への嫉妬から、そういうことを言ったのです。
この小姑の話にちょうど妊娠したばかりの妻は大きなショックを受け、
生まれたのは精神薄弱児だったそうです。 恐ろしい話です。私たちの何気なく
言う悪口は人を死に追いやり、生まれてくる子を精神薄弱児にする力がある。
泥棒のような単純な罪とは違うんです。 それなのに、私たちはいとも楽しげに
人の悪口を言い、 また、聞いています。 そしてああきょうは楽しかった、
と帰っていく。 人の悪口が楽しい。これが人間の悲しい性です。
・もし自分が悪口を言われたら夜も眠れないくらい、怒ったり、くやしがったり、
泣いたりする。 自分の陰口をきいた人を憎み、顔を合わせても口をきかなくなる
のではないでしょうか。 自分がそれほど腹が立つことなら、他の人も同様に腹が
立つはずです。そのはずなのに、それほど人を傷つける噂話をいとも楽しげに語る。
私たちは自分を罪人だとは思っていない。 罪深いなどと考えたりしない。
「私は、人さまに指一本さされることもしていません」。 私たちはたいてい
そう思っています。 それは私たちは常に、二つの尺度を持っているからです。≫
▼ これを読んだのは、20年前になる。元もと、噂話や、他人の中傷誹謗に
 興味がなかったが、大家族の中では、第三者の話題はタブーに近かった。
学生時代も、殆ど、批評はすれど、批判をしないのが通り相場。いい大人が、
悪口など、男が廃るという空気があった。しかし、自分が人を使う立場になると、
飴と鞭のムチを、知らず知らず使いだしていた。知人に噂話を売りにした人が
何人か存在するが、耳を塞ぎたくなるほど聞くに堪えない。長年、かかって顔が
暗く澱み、声まで変質している。あれ、万引き常習者になるが、これも悪口か・・ 
――――
2016/04/07
愛と孤独 ―池田晶子の言葉 〜
    『幸福に死ぬための哲学 ―池田晶子の言葉 ー』池田 晶子(著)
                    < 孤独の味わい方 >
  * 他人の悪口が気になる人へ
《 人間には、自分の中の気になるものを、自分の外に見つけ出すという妙な
 癖があります。自分の中のそれが気になるからこそ、他人の中のそれが気に
なるのですね。 よくあるでしょう、誰かの悪口を言っているその人が、
自分が悪口を言っているその人にそっくりだということが。つまり、人間は、
自分の中にあるものだけを他人の中に見る。裏返せば、人間は、自分の中にない
ものを、他人の中に見ることはできない。当然ですよね、だって、ないものは、
ないんだから。ないものは、気になるはずがないんだから。 》〜『人生は愉快』
 ☆ 時間薬の効果で言えることだが、5年前の会社清算の一連が、当事者と
しての内なる記者の目線でみえた現象の面白さは格別であった。
 プラモデルの趣味の人に、それが壊れたとて、喪失感は少ない。それは、
楽しんだ結果でしかないから。所詮、悪口とは、その人間そのものの影!
――――
2003/11/25
965, 悪口についての一考察
 悪口については、随想日記の中では何回も書いている。
しかしテーマにしたことは無い、一番イヤなテーマであるからだ。
昨日、新聞を見ていたら‘メジャー’ヤンキ−スの松井は中学校二年生以来、
悪口を言ったことがないという。(所詮は勝ち組が言っているから注目
している部分もあるが)
それでは「私の場合は如何だろうか?」と考えてみた。
本音でいうと
 可能な限り言わないようにしている。その為には嫌いな人のいる場には
 極力行かないようにしている。例えば、ライオンズとか商工会議所などである。
 痴呆名士志向の子狐的人間である。  地方で頑張っている人はこういう
 傾向が強いから始末が悪い。自分より肩書きや収入が多い人間には媚び
へつらい、下の人間には尊大な人だ。 仕方ないのは解っているが。
「お前の姿でもある」といえば、そうかもしれない。
  人間にとって自分は善人であり他人は悪人なのである。
 自分を理解しろと必死になるが、嫌な人を理解しようとはしない。
 それは、怠惰という無精者に過ぎないことに気づいていないからだ。
  〜辞典には
 ー悪口は「他人について、劣っていると(事実に反し、また実際以上に)
 いう言葉」とある。
 ー陰口は「その人のいないところで、いう悪口」と書いている。
 悪口とは事実に反してと書いている。
 
 週刊誌などは、それで持っているいるようなものだ。
 大衆の一番弱いところを狙っているのだ。
 辞書のとおりならば、悪口の経験のある人は虚言罪で天国の門は間違っても
 叩かれないことになる。
  ☆ 思いつくまま「悪口」について頭に浮かんだことを書いてみる。
・「悪口はドロボーより悪い!」と曽野綾子の本にあったが、まったく
 曽野(その)とおりである。ドロボーは人を殺さない、しかし悪口は時に
 人を殺す。
・悪口は結局は、自分の事をいっているに過ぎない。
 したがって根は深い。ただ自分で気がついてないのだ。
 悪口はその人の歪んだ心象風景といってよい。
・悪口にも色いろある。
 本人に面と向かっていう悪口と
 陰でいう悪口がある。
・宗親(居酒屋おやじ)「馬鹿野郎!これで俺等居酒屋が、
 商売でもっているんだ!でも酷いもんだよ!
 サラリーマンの悪口は耳を塞ぎたくなるより、
 『その対象の奴より、言っている本人を張り倒したくなるよ!! 
 まあ、そうでもしなくては精神のバランスが保てないのだろうがね』            
                         ー続く
ーーーー
2003/11/26
966, 悪口についての一考察 −2
 どんなに憎んでも、面と向かって言ってはいけない言葉があると。
しかし、悪口は楽しいのである。これが人間の悲しい性である。
4~5年前にある泥酔の高校の同級生二人に呼び出されたことがあった。
片っ端から知人の悪口を言っていたが、私を呼び出す前までは私の悪口を
言っていたのがミエミエであった。そして「人の悪口は楽しい!」といって
いる姿に唖然とした。そう、こう書いているこの文章も、彼らの悪口だが。
 私の場合、こと人間の真髄に関しては何を話しても悪口になってしまう。
虚飾などどうでもよい?見えるのは裸の猿の狂った姿である。
大学のたまたま入った学部が社会学部であった。早くいえば人間学である。
人間関係の網の構造を瞬時に洞察する訓練を受けているから始末が悪い。
さらに、こういう社会学的な本が好きで40年近く読み続けているから
知らないうちに外部化しているのだろう。
表面的な付き合いの人間には、全てが悪口に聞こえるはずだ。
同級生のスナックのママに説教をされたが、その道の専門家いやアマチュア
ということは知らないようだ。
 ところで悪口という概念は、なんの思想も持ち得ない。
ー怒れば、ストレス解消・精神衛生などという隠れみので、自己のプライド
 など微塵もみせず?に罵詈雑言をいい続ける。
ー気分の良い時は調子よく聖句などを持ち出してきて、
「悪口はいけません」とのたまう。
この二面性を持っているのが人間の姿である。
悪口の後で「仕方ないさ、人間だもの」と繰りかえす。
ー悪口をいま思い出せる言葉を羅列してみるとー
「服のセンスが悪い」「だらしがない」「カスが人間をまとっていうような奴」
「子狐のような奴」「屑どもめ」「仕事が出来ない」「気がきかない」
「痴呆迷死」「ミス何々ー失敗ばかりする女」「ダニ」「自民党のような奴」
「たかり」「くそったれ」「共同便所のような女」「東京ガス」
 悪口はまるで無尽蔵である。
嫉妬心・怒り・敵意・ねたみ・憎しみ・優越感・軽薄など心の底に
渦巻いているドブから発するガスである。
 
 ー インターネットで調べた内容をコピー ー
  「悪口をやめよ 」
 ヤコブ4:11〜12
 箴言26:17〜28
 マタイ5:21〜24
  ー皆川尚一牧師ー
 悪口をやめよ!
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。兄弟の悪口を言ったり、
自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。
もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者である。
しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、
救うことも滅ぼすこともできるのである。しかるに、隣り人をさばくあなたは、
いったい、何者であるか(ヤコブ4章11〜12節)。
 「兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない」(11節)。
 ここで「悪口を言う」(カタラロー)というギリシャ語は「逆らう」(カタ)
という語と「言う」(ラロー)という語が合わさって出来た合成語で、
「逆らって言う」とか「反対して言う」という意味です。
しかし、この語の使い方は、面と向かって相手に逆らって言うのではなくて、
今そこにいない人の悪口を言う場合に使われます。
だから日本語では「陰口をきく」とか「中傷する」とか「ざんげんする」とか
言います。顔と顔を合わせて相手に反対したり、悪口を言ったりする場合には、
相手の人は自分の考えを説明したり、自分のやり方を弁明したり、相手に
反論したりできますから、ある程度公平だと言えるでしょう。しかし、今そこ
にいない人のことを悪く言う場合には、言われる人は弁明できず、反論も
出来ませんから、悪いうわさは毒ガスのように人から人へと伝わります。
二、三人のヒソヒソばなしやいわゆる井戸端会議からゴシップが流され、
話に尾ひれがついて、あること無いことが発展して人の名誉が汚され、信用が
失われ、せっかく築かれかけた良い人間関係が壊れていくのです。だから陰口
ほど質(たち)の悪いものはありません。
  しかし、クリスチャンになってもこの悪い行いは、なかなか改まらない
人が多く、このために教会の親しい交わりが汚されるので、使徒ヤコブは、
特にクリスチャンお互い同士が陰口をきかないで、愛の交わりを育てるのに
心を配って行こうと呼びかけているのです。そこで大切なことは陰口をきく
のは恐ろしい罪だということを認識する必要があります。
それは「神の律法に違反する罪」と「神の大権を犯す罪」の二つです。


6639,閑話小題 〜面白いAI化の現象 −3

2019年05月20日(月)

   * AI化と、『ルーシー』について
 AI化の結果、人間の脳力の行きつく先は、以前みた映画『ルーシー』の姿。
 『ムーアの法則』がある。
<大規模集積回路(LSI IC)の製造・生産における長期傾向について論じた
1つの指標であり、経験則 ... 部品あたりのコストが最小になるような複雑さは、
毎年2倍の割合で増大してきた。短期的には、この増加率が上昇しないまでも、
現状を維持することは確実>
 逆にみると、10年で100倍、20年で1万倍、1億倍になる。その結果、ネット上
で流通する情報量は飛躍的に増加。また情報機器は日々、飛躍的進化をとげて
いる。8年前に会社清算をして、シガラミから解放されて、新しい生活習慣を取り
入れたため、自由度が飛躍的にのびた。これは、デジタル機器の御蔭もある。
10数年前、この情報革命を「20万年来の変革」との表現を「大げさ」と、心の
底で思ったが、今では『生命誕生40億年来の変革期』の言葉をスンナリと
受止めている。とにかく面白くなった。世界中の人たちが、『ルーシー』になって
しまったのである。 情報化は、人を幸せにするのだろうか? 私は、「する!」
と信じている。10年、20年前と何が違うかというと、「自由感」が全く違う。
60歳までに人生を凝縮して生きたこともある。今までと違った情報機器の進化
の結果の能力は、世界の脳をネットで結び付けた。スマートフォン、スマート・
TVなどが、その一例である。 それが世界を滅ぼす可能性も充分、考えられる。
問題は、その能力を拙い権力者が握られてしまう危険。「世界の人々がルーシ化」
すると、如何なるでしょう? これまでの常識に囚われない「自由度」を持つ
反面、その自由度は、多重人格者などの疾患を持つ人たちを多く抱える社会を
もたらすことになる。 <酒も博打も女も知らず 百まで生きてる馬鹿なやつ>
 の逆さま版の生き方、 < よく遊び よく働き よく学ぶ >一群。
< 自由を味わい こころ平和に 囚われない人 >
これは、自分から求めないと、妄想でも結構。 所詮はアッと間のこと。
 ところで、先週末のTVの『YouTube』は、野生動物のドツボに嵌った野生動物
救場面の始終の記録ものを幾つか。これが何とも… 感動させられた。
 さて、チャリダ―!  一人静かに、楽しいことで! 一期一会だもんね。

・・・・・・
5541,閑話小題 〜 『ルーシー』
2016年05月17日(火)
   * 『ルーシー』
 先日、『ルーシー』をTVの再放送で観たが、半年に一回位は放映されている。
もう4〜5回はみている。私も微細だが、何か面白い特殊能力がある。誰も、
個々に特殊能力、いや脳力があるが、気づかず見逃しているだけ。この映画、
見る度、その面白さが増していくのも珍しい。それにしても映画は面白い! 
  〜まずは、その内容から〜 【ストーリー】
≪ マフィアの闇取引に巻き込まれたルーシーは、特殊な薬が入った袋を体に
 埋め込まれ運び屋にされてしまう。しかし、体内で薬が漏れたことで彼女の
脳機能は驚異的に覚醒。脳科学者ノーマン博士が見守る中さまざまな能力が
超人的に目覚める一方、少しずつ人間性が喪失、自ら制御できなくなっていく。
『レオン』や『ニキータ』などクールなヒロイン像を打ち出してきたリュック・
ベッソン監督と、スカーレット・ヨハンソンが初めて組んだアクションスリラー。
 体内に埋め込まれた特殊な薬が漏れたことで脳機能が驚異的に覚醒し、
人間離れした能力を発揮し始めるヒロインの暴走を描く。通常は10%程度しか
機能していない脳が、100パーセントへ向かって覚醒していくヒロインを見守る
脳科学者役に、オスカー俳優モーガン・フリーマンがふんする。≫
▼ 西アフリカを南に下っていく道すがら、面白いところがあると立寄った
 数軒のテントの店が、全て呪いに使う小道具だけを扱う店だった。当時は、
民度が低いアフリカの地方の一現象と見ていたが、どうだろう、案外に効果が
あるのかもしれない。変と思われるかもしれないが、この5年間、いや人生の
節目ごと、直接、私の心の傷口を蹴り上げてきた人の8〜9割が人身事故か、
大病か、ごく近い親族が倒れ寝たきりとかになる。あとの1〜2割は、それが
入ってこないだけと思っていたが、その数人が、ごく最近…? 自分でも
恐ろしい? 元もと不幸な性格の人が、他者の傷口に、自分の傷口の血を擦り
付けるため、それが膿んで、自分の傷口の毒が悪化するため。こんな映画を
数回も見るため、因果をつけた筋書きをしているだけとしても、実際に、何か
あるのでは?と…。 人を恨ばま、穴二つ、いや多数! 逆に、恨まれている
憶えは数限り? それでも何とか、健康に?生きている。毛沢東、スターリン、
ヒットラーなど、狂い死にしてよいはずだが、そうでもない。 とすると、
これは私の創作した馬鹿話!がオチ。 でも不思議だが、娑婆は妄想である。


6638,閑話小題 〜面白いAI化の現象 −2 

2019年05月19日(日)


   * 通訳機器ー ポケトーク
 TV・コマーシャルで、この「ポケトーク」を知り買い衝動を堪えて数日が経つ。
こうなると「通訳ロボット」と表現してもよい。残念ながら、この年齢では使う
場面が思いつかないが、玩具と割切ってしまえば、遊べそうだ。 これで言葉の
壁が大幅に減ることになる。 
  〜ネット検索をすると〜

≪ ・翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用います。
 そのためいつも最新で、言語ごとに最適な翻訳エンジンを利用できます。
従来のオフラインの翻訳機ではなしえない高度な処理を実現しています。

 ・74言語を、組み合わせ自由で
超小型ながら、英語はもちろん、中国語、韓国語、ロシア語、フランス語、
タイ語、ベトナム語など、74言語のうち任意の2言語でコミュニケーションできます。

 ・128の国や地域ですぐ使える
ポケトークは、箱を空けたらすぐ使い始められます。
特別な設定もなく、クラウドに接続して翻訳できます。
内蔵のグローバルSIMは128の国や地域に対応し、旅行先ごとに買い直したり
設定を変えたりする必要がありません。

 ・1回の充電で連続約7時間利用できる
連続で使用できる待ち受け時間は約240時間、翻訳時間は約7時間

 ・2.4インチのタッチスクリーン
音量や、明るさ調節などの設定も、タッチパネルで直感的に操作できます。

 ・会話は履歴に残る
会話内容の履歴は本体に1万件残せるほか、無料でさまざまなサービスが
受けられる「ポケトークセンター」を使うと無制限に記録できます。 ≫
――
   〜顧客の声は〜

『 海外旅行用と語学学習用に購入しました。韓国など身近な国なのに語学の壁
 で敬遠していましたがこれから自由に旅行が出来そうです。又、翻訳機能にも
とても満足しています。気軽に自分の正しい発音も確かめられるので、新たな
語学にもチャレンジ出来そうです。静かな場所でもBluetooth機能があるので
語学学習に特に役立つと思いました 』

『日本語の認識能力が高く、一般的な医学用語も対応できます。日本語特有の
主語なし文だと翻訳の際に「私」と足されるので、意識して主語・目的語を
入れればかなり正確です。自分自身の英語・フランス語・中国語の発音練習にも
使っています。患者さんがマイナーな言語を話す際には役立ちそうです。』


▼ 以前からあった改良品のようだが、それにしても、サイズ、値段が手ごろ。
 ネット代金を含めて3万円なら、誰でも買える金額。 これで海外旅行や、
ネット上の言葉の壁を大きく下げることが可能に… このポケトークの応用版が、
幾つか考えられる。 今、思いついたのが、「哲学・思想版ポケトーク」である。
通訳って会話だが、ソクラテスの対話のように、思考補佐としての難しい、未知
の考えを導いてくれる機能を持たせれば… スマートフォンが、現在、その役割
を果たしている。
・『なあ、幸せって何だ? 教えてよ!』と問いかけると… 
◉ 『ソクラテスがね… アランがね… それ以前に、もっと現実をみろよ』 
 などを答えてくれる。それも、‘落ち’まで入っている人間的なもの。
対自、対他、即自などが絡んで面白そうだ。その答えに満足度を入力することで
自らの性格、脳力を知らしめて、丁度良い答えを探してもらう… など。
何か内向きだが、外向き可能。 AI化、何処までいくのでしょうか?
 こういう現象を見るにつけ、もう少し、生きたくなってきた。

・・・・・・
6275,閑話小題 〜誕生日大全
2018年05月19日(土)
         <「誕生日大全―補強版」サっフィ・クロフィード著>
 図書館の「返却コーナー」の棚にあった本で、その場で私の誕生日・
1月15日を見ると、非常に納得する内容。そこで、15日の前後に14日と、
16日を見ると半分。一月前と半年前は4分1が思いあったため借りてきた。
 まず冒頭から「1月15日生まれの人は、起業家精神の持ち主」と…。
「長所、短所」「性格と運命」「仕事と適正」は、起業を目指すと自ずと
生じること。とはいえ、起業家精神や、特性を論理的に言い表していると
みると、これはこれで納得できる。ネット検索に、「誕生日大全 1月15日」
と入れると、本と同じ内容が出てきた。

――――
   ★1月15日生まれ
1月15日生まれの人は、「起業家精神の持ち主」

   ー長所は?ー
●自発的 ●気前がいい ●信頼できる ●優しい ●協調性がある
●価値を見極めることができる ●独創的なアイディアを持っている
  ―短所は?―
●秩序を乱す ●落ち着きがない ●無責任 ●自己中心的 
●自信を失いやすい ●心配性
――    
   ー性格と運命―
●内なる情熱と持ち前の指導力で目標に向かって粘り強く献身的に
 取り組み、高い地位に上りつめることができるでしょう。
●現実的ではっきりとものを言いますが、生まれつき人づき合いの
 才能があるので、社会的にはうまくやっていけます。
 ただし、物質主義にとらわれすぎるのが玉にきず。
 あなたの素晴らしい可能性を実現する妨げとなるので注意しましょう。
●何でもはっきりさせようとする性格は、問題解決やビジネスセンスを
 高めるためには好都合です。
●勝ち気頑固で活動的で、組織をまとめたり人を触発したりする力を
 持っています。
6歳〜35歳⇒グループ活動を重視し、肩の力が抜けて自由を愛する
        ようになります。
36歳を過ぎると⇒感受性や精神面が強化されmこれは未来への
           展望、夢、理想となって表れてくるでしょう。
――
   ―仕事と適性―
●高い理想と確固たる信念を持ち、お金儲けの才能にも優れて
 いるあなたは、大きな事業を起こすことに成功するでしょう。
●創造力や前衛的ひらめきがあるので、美術商、学芸員、美術品
 の管理者などもおすすめ。
●表現力が豊かで、人を感動させることができるので、演劇、
 オペラ、音楽の分野にも向いています。
――
   ー恋愛と人間関係ー
●社交的で自己表現の場を強く求めるあなたは、活動的な
 社会生活を送ること間違いなし。
●この日生まれの女性は、スリルに満ちた生活を好む豪快
 な男性に惹かれる傾向があります。
 また、知性を刺激してくれる頭のよい人に魅力を感じます。
 しかし、親しい間柄で疑念が生じると不安や失望の原因
 となるので、常に明るく信頼される態度を心がけましょう。
――
  運の良い誕生日 .... 150位 1月15日

▼ 40歳後半頃か、新潟の古町を、既に亡くなった不動産会社の社長と
 小料理屋で芸者をあげ、座敷遊びを楽しんだ後に、次の店へと歩いて
いると、和服姿のクラブのママさんらしき人が飲食ビルに入ろうとして
いた。早速、連れが「あんたの店、ついて行ってイイかい」に、
「うちは、運勢占いが売りでパソコンソフトで、誕生日を聞いて、直に
結果が出るの。それが一げんのお客様には大受けで… 是非どうぞ」と。
それまで、星占いとか、運勢占いは殆ど無かった。店に入って落ちついた
後に、誕生日を聞かれパソコンに入力した結果の内容の適格さに内心、
仰天していた。 詳細は忘れていたが、ほぼ同じだったような。占い
など全く信じてなかったが… 創業人生を経験したこともあり、冒頭の
ように、起業家以外は、その特性を述べているに過ぎないことを察知
できるが。もし大都会に住んでいたら、一人ぐらいは、馴染みの占い師
を知っておくのも良いのかも?それには、使い分けられる知性がないと! 
 最後は、そこに落ち着くが… 
< 考え尽くした後に、あとは、おまかせ! > 
 紆余曲折があっても、それしかないでしょうが… 
【誕生日大全 ?月??日】と入力してみたら。今月いっぱいは、隣人
にスマートフォンを使い、調べ上げて、驚きの反応を共に楽しんだら… 

ところで思いたって調べた家内の誕生日の入力の結果は、その前日が
完璧に合致するが、当日分は真逆。そうそう当たってたまるかですか!

・・・・・・
4446, 屋根裏に誰かいるんですよ
2013年05月19日(日)
   「屋根裏に誰かいるんですよ 
             ―都市伝説の精神病理」春日 武彦著
数年前になるが、既に亡くなった知人の奥さんが会社の事務所に訪ねてきて
言うに、「誰かが留守に家に入りこみ、困っている」と切り出してきた。それも
会話の中で何気なくである。「ちょっと、待ってください。聞き捨てにならない話
で、もう一度、本当に侵入していたのですか」と聞きなおすと、現在も屋根裏に
隠れていると、写真を数枚だし、ここですと言う。
私の目には見えなかったが、本人には見えるという。「警官に来てもらい見たが、
何も見つからなかった。が、私には隠れているのが分かる。ところで、うちの主人
が生前、そういう話をしてませんでしたか? 貴方にはシックスセンスがあると
聞いてましたが、この現象をどう思いますか?」と真剣な眼差し。
「恐らく貴女は、魔界とか何か違う世界に取りつかれたと考えるしかありません。
そういう話は一度も本人から聞いたこともありません」と答えた。その話を、
その人の共通の知人に話すと、「実は私の家に訪ねてきて、全く同じ話をし写真
を見せてくれたが、私も何も見えなかった。他にも訪ねてまわっている」とか。
本人は60歳前後で、老女というには、まだ若い。 
  ーアマゾンの内容説明ー
精神科医である著者が、現代社会におけるさまざまな精神病理を、きわめて
冷静に考察したものである。ある日、ひとりの老女が、「自分の部屋に勝手に
人が入ってきて困る」と訴える。その侵入者は、彼女の部屋にある日用品などを
盗んでいったり、ちょっとだけ位置をずらしていったりするという。
しかし、姿は見えない。まるで、「座敷わらし」などの妖怪のしわざとしか
言いようがない不可解な話を、老女は真剣に語る。表題となっているこの症例は、
「幻の同居人」と呼ばれる。このような症例は、多数報告例があるらしい。
患者たちは、脳に器質的な異常が認められるわけではなく、精神的にも問題ない
場合が多い。「妄想の突飛さと当人の穏やかな常識人ぶりとのあいだに乖離が
生じているときには、精神医学はたちどころに歯切れが悪くなってしまう」と
著者は言う。それがこの症例の複雑さと奇妙さとを物語っている。

▼ 当時は、この本の存在を知らなかった。子供達の巣立った家で、当人は深夜
 怯えているのだろうが・・ 想像しただけで、背筋が寒くなる。当人にとって
感じるのだから! 私も一時期、女性の幽霊?を見たり、幽体離脱をしたり、
面白い経験をしたことがあるので、当人が真剣になるのは分かる。
・・・・・・
4813,閑話小題 ー高齢者の三割が認知症とは
2014年05月19日(月)
   * 高齢者の三割が認知症とは
 先日の朝日新聞の社会面に「認知症徘徊 不明届け一万人」の記事があった。
その中で「65歳以上の高齢者のうち462万人が認知症で、軽度認知障害が
400万人もいると推計される」とあった。高齢者が人口に占める割合が
23〜4%からすると、高齢者が3000万人。その中の862万とすると、
三割が軽度を含めた痴呆症になる。前期と後期高齢者では、二倍以上は違って
くるから、80歳までに4分の1、それを超えると、過半数は認知症になる。 
そして徘徊で不明になるのが年に一万人というから、深刻な問題である。
 それからして、長寿を願うのは実は考えもの。独り住まいの高齢者が増加
している中、本人も周囲も深刻な問題である。「健康診断などしないで自然死も
選択の一つ」も、理解出来る。胃瘻で一度、管につながれると、簡単に取り払う
ことが出来ない。生かして拷問しているようでもある。 死ぬも地獄、生き延びる
も地獄。老いて死ぬのも大仕事である。これを書いたためか、自分が認知症に
なって呆然と佇んでいる夢をみた。脳は面白いものである。その夢とは、
<店頭で、ハンバーガーとコーヒーを注文するが、商品がなかなか来ない。
それを(どういう訳か中年男)の店員に言うが、何も答えない。ところが後で
入ってきた若い男が目の前のチケットを取って、カウンターに並んでいる。
私が店のシステムの要領を得ないで財布を持って勝手に立っていたようだ。
仕方がないので、店から出て、他のテイクオフの店に行くが、店内の座席は、
二人以上でないと座れないという。どうも自分が認知症で、街を彷徨っている
ことに気づいた>ところで、目がさめる。何か恐ろしい夢だが、認知症とは、
こんなものと自分自身に知らしめる内容である。そうこう考えると、可能な
限り医者に行かないで、自然にまかせることも選択の一つである。いざ、余命
一年、半年と告げられると、その恐怖は、はかり知れないのは父親の姿で知った。
傍らに一年いて、その恐怖感が直に伝わってきた。それも、激痛が死にたくなる
ほど激しくなっていく。死にいくのは、簡単なことではない。そのため認知症を
神様が与えた自然の業わいとも言える。マダラボケになるから、本人も、周囲も
地獄になる。 生きているうち、元気なうちである。以下の内容も、その類?

・・・・・・
5908、閑話小題 〜多重人格について
2017年05月19日(金)
 先日みたシネマの「スプリット」が、24の多重人格を持つ精神病者と3人の
被害者の恐怖の物語。 これが、面白い。多重人格には、精神には多数の人格的
な意識が、多重人格者の個人差に関係なく、人格には共通した特徴があるという。
≪ * 多重人格に多くみられる人格とその他の特殊な人格
・基本人格:重大なストレスの体験を発端として、最初に別人格が分離した
後に生じる、多重人格の核となる人格。受身的で控えめな性格の傾向がある。
幼少時から眠っていたり、非活動的な状態になっていることも多い。
基本人格に関しては、出生時からの本来の人格の状態という捉え方もあります。
・主人格:その時々で最も多くの時間、体を支配している人格。DIDの治療を
求める人格はたいてい主人格。典型的な主人格は、不安が強く、良心的であり、
頭痛に悩まされている。
・交代人格:交代人格は、主人格と基本人格以外の人格を指す場合が多い。
あるいは、主人格は交代人格に含まれるという解釈もある。あるいは、人格交代
して体を支配して行動出来る人格を交代人格とする解釈もある。あるいは、機能
や感情反応や生活史がしっかりとあることが交代人格の条件とする解釈もある。
・準(准)主人格:主人格の次に主人格のような役割を果たす人格で、
体を支配する時間や頻度が多い。
・子供人格:多重人格に必ず存在する子供の人格。子供の人格は時間が凍結
されていて、早期の心的外傷体験の記憶や感情を保持する役割を担っている。
甘えられる状況の時や自傷行為の後などに意識上に出現する場合が多い。
・異性人格:肉体の性別と異なる人格を指す。女性の男性人格は保護する役目
を持つことが多い。男性の女性人格は体を支配することが少なく、主に意識
内部で活動する。中性のような性別の人格や性別がない人格の存在もあり、
その場合も分類上は異性人格になる。
・救済人格:良心が具現化したような人格。人格達の状況を全体的に把握して
いて、危険を回避したり、適切に生きていけるように影響を与える。
理性的だが感情の起伏があまり無い。
・記録人格:生活史についておおむね完全な記憶をもっている。
過去の出来事や他の人格の行動についての情報を与えてくれる。記録人格が
複数存在するケースでは、一部の記憶だけを管理している人格もいる。
・統括人格:意識内部ではリーダー格の人格。人格達を統括する立場で、
誰を人格交代させるか決める権限を持っている場合もある。統括人格が複数
存在するケースでは、状況に合わせて別の人格が統括したり、一部の人格
だけを纏めている人格もいる。冷静で厳格な傾向がある
・保安人格:意識内部で、人格システム維持の為の任務を請け負う。
意識内部の領域を守る、問題をおこす人格に対して監視したり行動を抑制
したり活動を停止させる、その他の意識内部の管理など。
・人格断片:人格の断片のような意識で、一つの情動による感情表現や、
決まった行動をする機能を持っている。人格断片は多重人格者に数多く
内在し、融合や分離を繰り返す。
・人外(じんがい)人格:人間以外の生命体を象徴する人格状態全般を指す。
ペットになるような哺乳類の動物が主で、特に猫人格が多い。半人半獣や生物
の形態をなしていないなどの現実には有り得ないものもいる。大体は人間の
言葉を理解し喋ることが出来るが、動物の場合は動物の仕草をしたり鳴き声を
出す時もある。人外人格の多くは、しっかりとした自我を持っていない人格
断片のような存在。
・憑依人格:憑依して人格交代する霊的存在による人格状態。悪魔憑きや聖霊
に満ちているような状態でも、憑依による人格的な存在が意識上に出現したら
憑依人格に分類される。たとえ霊的存在が憑いていたとしても、人格交代
しなければ憑依人格ではない。≫

▼ 上記をよく読むと、「性格分類」そのもの。それぞれの性格として
 現われでている。幼児性そのままを残した性格、優しさを持った救済人格、
傷つくことを異常に恐れる保安人格とか、人様々である。問題は、憑依するか
しないかの問題。職場や、勤め先を転々としていると、今度は、優しさを
前面に出してやろうとか、厳しさを前面にしてやろうとか、その都度、イメージ
を持って自己演出をしてきた。基本人格の上に、交代人格を付け加えてきた。
偽善、偽悪、露悪、露善の顔色である。これが、面白いほど、社会には通る。
詐欺師には、実際に騙すというより、様々な人に成りきっているため、罪の
意識は少ないのだろう。少し誇張しているうちに本当のように、思うように
なってしまったとか。これも多重人格の要素が現われ出てきたということか。


6637,閑話小題 〜面白いAI化の現象

2019年05月18日(土)

    * セルフ化は止まることなく
最近、人手不足のためか、更なるセルフ化が進んでいる。現場の人手不足だ。
 10数年前に、新潟駅近くの小学校跡地に図書館がオープンしたが、そこは、
半数がセルフ読取の受付であった。ちなみに長岡の自宅近くはセルフ方式は
取入れてない。数年前から、スーパーでもセルフレジが取入れられ、思いの外、
多くが利用している。ロボット化といえば、回転寿司。受付がソフトバンクの
人型ロボットのペッパー。一年程前から『受付け』を始めた。
<「何名様ですか」「テーブル、カウンターどちらですか」「受付席にどうぞ」>
注文はタッチパネルで、声優・野沢雅子が訛った声で「かしこまりました」と…。
毎週通っているシネマ館もそうだげ、何故か、自動受付に並ぶ人は少ない。
 以前も取上げたが、< AI(人工知能)が人類の知能を超え、制御できなく
なるときのことを、技術的特異点=シンギュラリティというが、コンピューター
チップの性能は1.5年ごとに約2倍進化し、計算上、この技術的特異点は2045年に
訪れるとする学説がある。> 人知を超えたAIが誕生し、進化続ける先は定かで
ないが、「今後10年〜20年間で人口の半分の仕事が人工知能に取って代わる」と、
野村総合研究所は分析結果を出している。 
 〜先日のNHKのTVレポートによると〜
<◉ 技術革新により仕事を失った例は今に始まったことではない。
 歴史を見ても 近代化や社会構造の変化によってさまざまな職業が姿を消した。
たとえば自動車や交通の発達により、人力車やオート三輪車の運転手は昭和30年頃
には東京からなくなったと言われます。また鉄道システムの発達では、切符切りの
鉄道改札員やモノレール運転士が、通信システムの発達で、有線電信オペレーター
や電報局員が、印刷・DTP技術の発達では原稿に合わせて活字を拾い集める文選工
がそれぞれのタイミングで職を失いました。
今でも電子書籍の発達により文字は紙からデータで読まれることが多くなり、
出版業界は斜陽と指摘されます。しかし新たに自動運転車やスマートフォンアプリ
開発などの雇用が生まれたように、失われる雇用よりも、新たな雇用をどう創出
するかを考える段階にあるのではないでしょうか。
◉ カジノホテルの従業員たちがAI・ロボットに仕事を奪われることを危惧し、
大規模なデモを展開。アメリカでは、ホテルなどのサービス業や農業、金融業と
いった様々な分野にAIやロボットが進出し、人間の雇用に置き換わっている。
中国もまたAIやロボットによる自動化を積極的に進め、無人スーパーや無人
宅配便などが続々と誕生している。その激しいうねりは、日本にも押し寄せている。
大手銀行が昨年発表した大規模なAI導入と従業員削減のニュースは、日本中の
金融関係者に衝撃を与え、多くの人が転職の道を探り始めた。AIやロボットが
幅を利かせる近い未来、私たち人間はどのようにして生きていけばよいのか? 
知恵を振り絞って考える。>

追: 『技術的特異点』とHP内検索を入れると、これまで多くテーマにしていた。
これらを熟読すると、以前の自分は、現在の自分とは違うということ。ならば
書き残さない方が良いのかもしれないが… 毎日、読返す度に自分でも驚く。 
自らを省みるには、魂、心の合せ鏡にうってつけ… だが失うことも多い。

・・・・・・
2019/05/03
閑話小題 〜AIについて
    <「AIが人間を殺す日〜車、医療、兵器に組み込まれる人工知能」
                        小林雅一(著) >
 最近の情報機器の進化には目をみなることが多々ある。数年前に、居間
から寝室に移住空間の主体を移動してきたことは、何度もテーマにしてきた。 
廊下を挟んで対角にある仏間の書斎コーナーのパソコン前の空間を加えると、
一日の三分二に近い15時間は「奥の院」に在住している。そこでネットTVと、
録画した映画・ドラマと、旅紀行、各種の講演や、YouTubeで動画サーフィン
などに没頭する。そこは現実社会とデジタル映像の世界が交差する不思議な
空間でもある。AIが人間をコントロールする可能性がある「2045年問題」
奥の院では睡眠以外の時間は情報端末で、コントロールされている。
  
  〜Amazonの内容紹介より〜
≪   ◉ 誰も言わない「一番の脅威」 ◉
 飛躍的な進化を遂げる人工知能(AI)。明るい未来が語られる一方で、
「AIに雇用が奪われる」という見方や、超越的な進化を遂げたAIが人類を支配する
「二〇四五年問題」などのAI脅威論も少なくない。しかし著者はむしろ、目前に
迫る危機として、車、医療、兵器の三つを挙げる。共通するのは、私達の命に直結
する分野であること。ここに今、最先端のAIが導入されようとしているが、中身の
見えないブラックボックスであるうえに、ときに暴走の危険性をはらむ。
世界の制御権が人間からAIへと移譲されたとき、その先に見えるのは自ら判断
する機械・システムが人の命を奪う衝撃の未来。AIの真の脅威が明らかに! ≫
   〜読者、感想より〜
・本書でキーワードとなるのは、「Human in the Loop」「Human out of the Loop」。
すなわち制御の輪の中に人間を含めるか、それとも人間を除外するかということで、
自動運転車でいうと、Googleなどが目指しているような完全自動運転車は
「Human out of the Loop」の思想に基づくものになる。今やAIの主流となる
ディープラーニングではビッグデータに基づきAI自身がある法則性の下でアウト
プット(判断や命令など)を出すが、その過程はブラックボックスでAIの開発者
でさえなぜそういう判断になったのかを理解することができない。AIの判断が
統計・確率に基づくものである限り、現実世界との微妙な誤差により誤った判断
をする危険性があることを著者は指摘しており、自動車や医療分野など判断が
人の生死に関わる分野では「Human out of the Loop」は危険であると論じている。
一方、半自動運転車のように人間の関与も含める形の場合は、どこまで人間が
運転に注意を払わなければならないか曖昧な点が問題、実際に実用化されている
半自動運転車の死傷事故の分析では「ドライバーの混乱」が事故の主な原因と
されている。ということで、AIの判断にどこまで人間が関与するかは難しい問題
であるが、急速な勢いでAIの開発と応用が進んでいる今こそ社会全体で考えて
いかなくてはならないことは間違いないであろう。
・本書では、主にAIの技術的な面に焦点を当てて論じているが、基本的にAIの
判断過程がブラックボックスでしかもIoTで様々なAI搭載機器がネットにつながる
時代では、悪意を持った個人やテロリスト、国などによる脅威もどんどん高まって
いるだろう。自動運転車搭載のAIに外部からの操作で誤作動をさせて事故を起こす、
医療分野で治療を支援するAIのプログラムを操作して誤った治療方針を提示させ
結果患者を死亡させるといったケースがまったくあり得ないことではない時代に
なりつつある。AI搭載の兵器がテロリストなどの手に渡った際の脅威は言うまでない。
こういったケースも想定した上で、AIの信頼性を更に高め、悪用を防ぐ方策を
考えていくことが特に人間の生死に直結する分野への応用においては重要であろう。

▼ AIといえば、最近、コマーリャル等で、見かける『ポケトーク』。
 翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用いている。そのため、言語
ごとに最適な翻訳エンジンが活用できる。 従来のオフラインの翻訳機ではなし
えない高度な処理を実現している。これで海外旅行での会話の心配が少なくなる。 
 これをみて、直ぐに考えついたのが『ポケフレンド』。何かを思いついたとき、
話しかけると、即座に、自分では考えつかないレベルの面白い考えを自動的に
伝えてくる機能の端末…。そう遠くない内に、こんなのが出てきたら、如何なる? 
これは思考AI、いや思考サイボーグである。協働ロボットならぬ「協考AI」。
もっとも、グーグルの検索機能も、その類。 自宅の2台のTVはソニーだが、
パナソニックのTVは、音声で直接呼びかける機能と言うが…

・・・・・・
2019/04/07
閑話小題 〜即席・ショートショート −2
   * 10年後の「技術的特異論者」の呟き
 今から十年前の、この随想日記を紹介しよう。 
73歳まで生きていようとは思わなかった。成るほど「死にぞこない」
である。しかし、際なればこそ、情報機器の進化の御蔭で、技術的特異の現象を
味合うことができた。それにしても、これほどとは… 

≪ まさか、83歳まで生きようとは… そして、10年前の、この文章を読もうと
 思ってもみなかった。一年近く前に1万テーマを書上げた。これらの内容を
同月同日に読返すことで、脳の活性化が出来ていた。 老いるとは、老いという
病気が重症化をしていくことでもあった。 じゃあ、生きていて良かったかと
言われれば、「実に良かった」。 世界は日々変わっていく。10年前に、
「技術的特異点」が2045年と言われていたが、既に、到達してしまった? 
今では世界は、AIの判断を最大限に徴用する風潮になっている。そうするしか
ない! 正しいのだから。身体は老化で動きにくいけどね、小さなロボットに、
これまで書いた随想日記をインプットすると、その時の気分に応じて、呼出し
てきて、その関連映像を、自動的にゴーグルに360度の視界に呼出してくれる。
嗅覚、味覚も、脳の神経を刺激することで再現できるとは…  
 自分の過去も、例えば20歳の1966年の映像が、瞬時に次つぎと現れる。
それは、10年前でも可能だったけどね。 当時、ドローンって有っただろう。
あれがAI化して進化して、配送の世界を激変させたの。自動車のAI化の技術が、
様ざまな分野に応用されてね。何でも自動化されて、人間を駆除したしまって。
通貨も今では、多くはネット決済。仮想通貨も当り前だもの。無用階級の
人たちが殆ど。何もできない… 誰の責任でもない。生まれが悪かっただけ。
当時、生命誕生から40億年来の革命って書いていたでしょ。まったく、その
とおりになってね。 情報化って、何もかもが、直に評価され晒される。
この時代、物語化する能力が重要になってね。 何とか、それで昔を語っている
から、娑婆?に繋がってるし。 ≫

▼ 即席のショートショートだが、10年後の視点からの独り語りは疲れる。
 8割かたは生きていないだろうが、死損なって、読返したら何と思うか。
以前、みた映画 「LUCY/ルーシー 脳が覚醒した女 」を想いだした。
【 ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、台北のホテルでマフィアの
 闇取引に巻き込まれてしまう。マフィアは人間の体内にある物質を埋め込み、
その人間を海外に送り出すことで物質の密輸を行おうとしていたが、ルーシー
の体の中でその物質が漏れ出すアクシデントが発生。その影響により、普通の
人間なら全体の10%しか機能していない脳の機能が、徐々に覚醒していく。
脳の覚醒率が上がるに従い、超人的な力が解放されていくルーシーは、自分と
同じような人間を二度と生み出さないためにも、マフィアの計画を阻止するため
に動き始める。 …覚醒度が進んだルーシーは、他人の肉体、磁波、電波の制御
が可能になり、量子物理学、応用数学を含めた膨大な知識を脳にインプットし、
細胞核の無限の可能性を体感するようになります。】
 恐らく、このままの生活習慣を10年間も続け、情報機器の進化に馴化すると、
ヒロインのルーシーの数十分の一まででないとしても、脳力は、現在と比べて
数倍、数十倍にアップするのでは? それが世界中の人々ともなると… 
考え合わせると、人類の、そう遠くない未来に悲観的になる。
<アッラーの御望みで、一度、清算を…>などと考える輩が出てくる可能性が。

・・・・・・
2019/04/04
技術的特異点
   * <2045年、技術的特異点> 再び!
 元号のキーワードでネットサーフィンをしている過程で、次期天皇が81歳位
まで在位なら、その時節が2045年。とすると、令和の25年は、シンギュラリティ
(特異点)の『2045年問題』が最重要問題のテーマ。 一年一年の科学技術が
もたらす情報機器の進化が社会を根底から激変する時代。それが社会的大問題
を生じることになる。知れば知るほど恐ろしくなる。
 8年前の65歳から有り余る隠遁生活の中で、留まることのない情報端末の進化
を目の当たりにし、10年後の先読みなど到底、不可能。それもAIの進化など想像
を遥かに超えた領域。あと2年と割切っていたが、あと7年を目安に切替えた方が、
面白そうと、ここにきて思うように…。
 この問題をテーマに2016・12月に数回、書いてあった。(後でコピペ)
これは、その補完の内容。 読返し、改めて考えさせられた。
<特異点を理解して、自分の人生になにがもたらされるのかを考え抜く人を、
「特異点論者」というが、老化の胸突き八丁を乗越えて、少しでも、その一端
になりたいが… 少し早く生まれてしまいましたか。 「資産階級」に対する
「無産階級」を捩ったような「無用者階級」が新たに生まれてくる。
その逆は、「ホモ・デウス」、超人類の誕生。人工知能とバイオテクノロジーで、
人類は神に昇格する。乗り遅れた人間は、格差が進み就労不能な、欲望すらAIに
支配される無用者階級の誕生である。復習を兼ねて改めて、その予測をみると…
【  ーレイ・カーツワイルの予測ー
 2045年問題とは西暦2045年にコンピューターの能力が人類を越えるという予測
があり、それによって起こるさまざまな問題のこと。人工知能(AI)が自らを規定
しているプログラムを自身で改良するようになると、永続的に指数関数的な進化
を遂げる。この結果、ある時点で人間の知能を超えて、それ以降の発明はすべて
人間ではなく人工知能が担うようになり、それ以降の進歩を予測できなくなる。
(人間がいくら考えても想像ができないレベルに達する。)   
  ―ヒューゴ・デ・ガリスの予測―
オーストラリアの人工知能学者 デ・ガリスは、人工知能は急激に発展して、
シンギュラリティが21世紀の後半に来ると予測。その時、人工知能は人間の知能の
1兆の1兆倍(10の24乗)になると主張している。デ・ガリスは、この人間の脳の1兆
の1兆倍の能力をもつコンピューターは、将来、角砂糖1個くらいの大きさになる、
と言っている。それを人間に貼り付けると、人間の知能は10の24乗倍になる。
 ※人間の脳の細胞は10の11乗個あるといわれている。ひとつの脳細胞から
シナプス(神経細胞と神経細胞の接合部)が1万本(10の4乗)でているとして、合計
10の15乗本。それらが10ヘルツ、つまり、1秒に10回スイッチングすれば、1秒間に
10の16乗回演算できる。それが人間の脳の性能とみなせる。将来のコンピューター
が10の40乗で、人間の脳が10の16乗。 この違いが、10の24乗倍、すなわち、
1兆の1兆倍になる。】

▼ プロ野球のイチロウ、大谷、そして将棋や囲碁の天才少年・少女が現に現われ
 出ている。これは親がかりで出来てくる。内には大きな谷底を抱えているが、
それより、その高みから見える世界は格別の筈。
 〔 上をみればキリがない。下をみれば底がない。横をみれば情けない 〕
なんて悠長な言葉が死語になる。殆どが「無用者階級」の方が、生き易そう?
 <何か奇跡的なほど良い時代を味うことが出来て、得した?ようだ>


6636,閑話小題 〜「○活」という言葉

2019年05月17日(金)


   * 涙活とは
 最近、「就活」を捩った婚活、終活、朝活なる言葉が目に付く。
そこで、「○活」で検索するとあるある。
【 婚活 終活 涙活(るいかつ) 留活 燃活 離活 妊活 恋活 朝活
 昼活 ゆう活(夕活) 夜活 ソー活(So活) 転活 美活 コラ活 腸活
眠活(みんかつ) 寝活 呆活(ぼうかつ) ソロ活 ヲタ活 墓活(ぼかつ)
友活 ラン活 】
 この中で「オヤッ」と注目したのが「涙活」。ネット辞書には…
《 「涙活とは意識的に泣くことでストレス解消を図る活動のことである。
 寺井広樹によって考案、提唱された言葉である。
涙を流すことにより、人間の自律神経は緊張や興奮を促す交感神経が優位な
 状態から、リラックスや安静を促す副交感神経が優位な状態に切り替わる。
涙活は、この仕組みを利用したストレス解消法とされている。」
ストレス解消に効果があるのは、悲しみや感動などによる情動の涙。
なお目を潤すための基礎分泌の涙や、タマネギを切った際に出る角膜保護の涙
には、ストレス解消効果はない。こうした涙の効果に注目が集まり、泣ける映画
や朗読を聞いて意識的に涙を流す涙活イベントも各地で開催され、泣ける話に
特化した噺家として泣語家も登場。 涙活をともにした仲間を涙友という。》

▼ 20歳代前半、布団の中で度々、泣いていた。「涙が出るだけ、甘さが残って
 いる証し」と自覚するには苦悩の質量が浅かったことを、その後の人生が教え
てくれた。「感動のあまり涙が出てきた」の物語が人生には必要になる。
初犯者が刑務所に入所すると、一晩中、号泣するのが習いという。金沢で泥酔
して一晩、号泣したことがあった。涙は、何時までも留まることなく流れ出る
ことを、その時に知った。 その頃、城卓矢の骨まで愛しての情歌が流れていた。
〈 生きてるかぎりは どこまでも 探しつづける 恋ねぐら 傷つきよごれた
 わたしでも 骨まで 骨まで 骨まで愛して ほしいのよ 〉 
それは、女性関係の縺れを因にしたことではなかったが、どん底の気持ちは同じ。
一番辛い時は、また一番、面白いことが次つぎと続くもの… その時に、必要
だったのが、どん底の底の経験。何とも『金沢のオデン』の美味かったこと。
 〔下を見れば、底がない。上を見ればキリがない。横をみれば情けない。〕
25・6歳頃の人生劇場の『金沢版』。
そして、次のステージ『千葉版』が…。
次が4年後の『長岡版』が4年と半年。 
そして、『新潟駅前版』が31年と、つづく。
先ほどの『○活』の全てが混入したようで、この上なく面白かったのは当然。
だからこそ、『脳活』で、浅く小さい井戸の中で、一日一日を楽しんでいる。 

・・・・・・
6273,閑話小題〜 つれづれに ー新潟・少女殺人事件 〜2
2018年05月17日(木)
    
   * ロリコンですか
 新潟の幼女誘拐殺人事件。加害者だけでなく、犯人も、家族も茨の道を歩く
ことになる。刑務所内で一番嫌われるのが、この手のの暴行殺人。徹底的に
苛め抜かれる地獄絵が待っている。

逮捕の前に記者から自宅玄関で、犯人の弟が、インタビューを受けていたが、
その時、何が起こっているか知る由もなく、あっけらかんとして応対していた。
小さな地域社会、残された家族は、居た堪れなくなって… ?
その後、母親がかわって対応していたが、家の近くに車が止まる音がして、
いま帰ったようですよと、いった直後に発進音が聞こえていた。犯行時間の
数分前? … 

犯人の両親は、まだ50歳代そこそこ?。 幼女を殺害し、線路に放置し、
バラバラ?にして証拠隠滅にしようとした手口は… まだアドケナサが残って
いるロリコン青年。中学生の頃からロリコン癖が表立っていたコテコテ。
現場沿線には幾つか大学があり、アパートに多くの学生が住んでいる。
まさか自分の息子が?と、何人かの親御は心配していただろうに。

ロリコン趣味の外に、様々な嗜好が世にあるようだ。同性愛、デブセン、
変わったところでハードホモ、ジュク(熟)セン、ブスセン… 
私の性癖は「ビジョセン」。なら、異常者ではない! が。
センスも、頭も、性格が比較的良いの揃っているのが多い。例外もある…

それにしても、今回の事件は、悪質で同情の余地は全くない。犯人の自宅から
直線距離で50mというから、少し離れたところでやれよ!と言いたくなるが、
これだけは、病気だから何をいってもダメ。
どんなイヤラシイ顔つきの男と思いきや、何処にでもいる普通の兄ちゃんに
拍子抜けした思いである。

《 ロリコンの性格的特徴を検索すると…
 1.A型男性が多い
 2.貧乳を好む
 3.同世代の女性との会話は難しくインドアの人が多い
 4.世話上手
 5.二次元アニメを好む
 6.ステータスを好まない          》

  逆にロリコン好きの少女も多いというが… 
 山口達也騒動、考えてみたらロリコン?だった。
  御相手を間違えただけ? 

――――
閑話小題 〜つれづれに ー新潟・少女殺人事件 〜1
2018年5月02日
    * 新潟・少女殺人事件
熊: 県知事の買春事件で大騒ぎの後に、父子五頭山遭難騒ぎにつづいて全国区
  ニュースが続くね。何でわざわざ、死体を線路に置いたのだろうね。
寅: バラバラにして死因を隠すためだろうか? それを目撃する快楽を味わう
  快楽犯も考えられるけど、それは考えすぎ?。 白い車で、黒服の男という
  から、2〜3割?は、該当するからね。女児が朝、しつこく声をかけられたと
  いうから、何処かの監視カメラに録画されている可能性が高いし… 
  解決は早いだろうよ。昨年9月には、同じ小学校の女子児童が男に声を掛け
  られたり体を触られたりする不審者情報が3件あったというしね。
熊: 死んで何時間すると轢かれても出血しないことを、この事件で知ったけど、
  犯人も知らなかったみたいだね。ということは、死因を隠したかった?と
  しても、殺した上に… 
寅: 俺らさ、北欧の刑事モノ連続ドラマに、この数年嵌っているので、こういう
  異常な事件になると、色いろ思い浮ぶんだ。俺なら、阿賀野川の河口に
  捨てるとか…。イギリス、北欧モノには、少年少女への暴行殺人が、結構、
  多いし。としても、異常過ぎる事件だね、これは。 何も知らない子供の頃
  から、異常ドラマを見て育ったら、映画と現実の境目がつかなくなっても
  不思議でないさ。
大家: 情報化がもたらした、マイナスの一面ですか。全国版で、リアルタイム
  の犯人探しとして扱われるのだろうが… 私も、興味本位では、その一人。
  マスコミにとって、犯人逮捕が遅れれば遅れるほど、視聴者の興味が膨らむ
  ため、有難いのだろうがね。
寅:<9月に、逮捕していれば>のそもそも論が、当然てるため、警察は必死に
  なるから。 9月、5月からみて、学生が考えれるね。
熊: 昨日さ、たまたま寅さんに勧められて録画していた北欧の刑事モノを見た
  けど、酷い内容。 この内容を思わせる事件で、何か、背筋がゾッとしたよ。

・・・・・・
4444, 過去の意味は変えられる
2013年05月17日(金)
  * 過去は変えることはできないが、過去の意味は変えられる
 何気ないが心に響く言葉、「過去は変えることはできないが、過去の意味は
変えられる」がある。40年近い事業人生と、この結末を如何に受容するか。
所詮は、人生も事業もバブルと、その崩壊過程の側面がある。何事も始まりと
終わりがある。その行蔵は残るが、変えることはことはできないが、意味は
変えられる。それは、自分が何を目指すか、楽観的か悲観的か、などで意味の
捉え方で変わる。過去の意味(価値)を変えることは、未来と現在に対する
考え方を変える。過去を結果に言い換え「結果は変えることはできないが、
結果の意味は変えられる」として、人生、事業を総括すると多くの視点が
見えてくる。現在こうして存在していることは奇跡である。
全てがベストであったから今の私が、ここに存在している。
(この宇宙、地球、人間など全てだが)それでは「過去の意味を変える」とは
如何なることか。意味に近い言葉に価値がある、意味=価値として考えてみる。
価値とは、その人にとっての優先欲求、優先順位でもある。ということは、
何を目指しているかに行きつく。過去の価値は、現在の価値で解釈が変わって
当然、作り変えられ、加工される? 歴史が、時間と共に解釈が変ると同じ。
意味には真実も含まれるが、その真実もあてにならない。当人が信じていること、
それが真実といわれるケースが殆ど。そこで、真実と意味を辞書で調べると
・【真実とは、虚偽の反語。本当のこと、偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤を
 すべて排したときに明らかにされること。漢字の意味は、事柄の中身を開いて
 見たときに、実(じつ)として充満しているもの ...】
・【意味とは、表現に対する「なかみ」。意図するところ。表現(結果)を
 さかのぼる真意、意図、目的。ある現象(行為・言語・その他)に添付される、
 ある種の上位概念。】とある。
真実も、意味も、言葉の解釈で如何様に変わる。あるのは現在しかないとすると、
過去は記憶でしかない。その記憶も曖昧ときたら、成り立つ基盤は在って無い
ようなもの。「過去の意味は、現在の解釈で如何様にもなる」ということ。
・・・・・・
5906,閑話小題 〜回転(回らない)寿司
2017年05月17日(水)
   * 回転(回らない)寿司
 TV番組のレポートで、回らない回転寿司のレポートを知っていた。
それが近くにできたSC内の一角にオープンした。歯医者がたまたま目の前
で昼時だったこともあり、一人で入ってみた。注文の全てがパネルタッチ方式で、
既存のパネルだけで発注するシステムと思えばよい。客の立場から一番良いのが、
厨房から握りたての寿司が数秒で目の前に届くため美味しさが違う。シャリが
立っていて街中の寿司屋のようだ。回転寿司といえば、目の前に次々と回って
くる皿を取るが特徴だが、握られてから手に取るまでに平均10分?は要する。
しかし、これは口に入るまで、1分そこそこ。 美味いのは当り前。これでは、
従来の寿司屋はますます廃れる。あと5年もしないうちに、8〜9割方は、これに
とってかわる? 
   * つれづれに
 毎日、スケジュールどおりに変わらない日々を過ごしているが、その中の柱が、
この随想日記を書上げること。これまで人生で起こったことと、日常の全てが
テーマのネタになる。過去のネタと、日々のネタを仕入れ、縫い上げる物語化
するのに頭が一杯。しかし、これも慣れてくると面白い。いや、面白くなった
が正直のところ本当。一寸したことで、落ち込みそうになるが、それも、物語化
をして面白がることで、何とか乗りきっている。これを書き続ける効用の一つが、
マイナスの出来事を、プラスに変容できること。 表現は、他人をも救うが、
自分も救ってくれる。たしかチャップリンが、映画の中で言った言葉、
<死は避けられない。しかし、生もまた避けられない>があるが、
避けられない生ならば、それを目一杯楽しむしかない。で、周囲からしたら、
奇妙な老人が、何かバカをしている? だけとしても、楽しければそれで充分。


6635,閑話小題 〜京マチ子が亡くなった

2019年05月16日(木)


   * 京マチ子が、生きていた!
京マチ子が5月12日に心不全のため東京都内の病院で死去、享年95歳だった。
たまたま借りてあった『文芸春秋』の<スターは楽し 芝山幹郎>で、彼女を
取上げていた。出来過ぎだが、こういう偶然は日常的。 さすがにプロ物書き
の言葉は味があり、的を得ている。    (平成29年 文芸春秋12月号)
《 二代目中村岩鴈治郎、田村次郎、山崎豊子、溝口健二… ひと癖もふた癖
もある顔ぶれだが、彼らは京マチ子と相性がよい。逆にいうと、彼らと相性の
よい京マチ子の存在が興味深い。美貌だけでは持たない。豊満だけではあきられる。
愛嬌だけでは白けられる。 肉にコクがあって、動物的な知恵が豊かで、しかも
諧謔性がないと、まず取りあってもらいない。そんな人たちと、京マチ子は繰返し
協働している。溝口とは『雨月物語』『楊貴妃』『赤線地帯』で組んだ。
彼らだけじゃない。小津安二郎も黒沢明も市川崑も増村保造も…京マチ子と
仕事をしている。初期の代表作は『羅生門』『雨月物語』だろう。戦後まもなく、
あれほどの奔放で肉感的な女優が躍り出てきたのは時代の要請だったかと驚いた。
 「玄人」と呼ぶしかない山田五十鈴や、「大輪の花」ともいうべき原節子と
異なり、京マチ子の印象は一言で表現しづらい。あでやかで妖しい柄の奥に、
複雑で目の詰まった紋様がびっしり縫い込まれている、とでもいおうか。
何しろ芝居が重層的だ。… 京マチ子は、「ぼんち」をはじめ、山崎豊子の
映画に四本出た。なかでも、『女の勲章』『女系家族』の味が濃い。どちらも
田村二郎に転がされる。洋装学院長を演じ、マネジャーの銀四朗に資産も肉体
をしゃぶりつくされる。どちらの役柄も「お人よし」。 … 》
 ―
▼ 何か、書き写しながら、筆の鋭さに圧倒されてしまった。それだけ濃厚な
 大女優だった。 『京マチ子 あでやかでおかしくて』の副題がよい。
殆どに人は、「まだ生きていたの?」の反応だろう。山田五十鈴の往年の銀座
の老獪な高級クラブのマダム役の姿が印象に残っているが、『京マチ子』も
似合っていただろう。<愛想があって、愛嬌があって、肉が濃くて、動物的な
知恵が豊かで、転がされ上手で… 夜の巷の蝶のような女。>
 昭和の良き時代の消滅ですか。

・・・・・・
6272,閑話小題 〜情報の階層化について −3
2018年05月16日(水)
      〜NHK:BS1【三和:人材市場〜中国・日給1500円の若者たち〜】
   * 弾け出された中国の若者
 あるのは小さなカバンと、着たきりのTシャツと、ズボンと小銭。
月給制の職場に堪えられず日雇い仕事で日々を暮らす若者。寝ぐらは、
ゲーセン。その実態は、現代社会の蔭を象徴している。日本のホームレスの
中国・深セン・バージョンというところか。大陸なればこそ、深刻度は深い。
これなら犯罪を犯しかねない状況である。
   〜NHK・HPより〜
《 中国・深センにある職業斡旋場・三和人材市場。
 工場労働からはじき出され、1日働いて3日遊んで暮らす「三和ゴッド」
と呼ばれる中国の若者を、何が追い詰めているのか。
 総資産が1億7000万円以上の富裕層が7万人に達する深セン。
格差社会の底辺から脱出できずもがく若者たちの間に不満が高まっている。
豊かになる夢を持ってやって来た出稼ぎ労働者の希望は、失望と不満に変わる。
三和市場で日雇いの暮らしを3か月送った男性は、深センを離れることを決めた。
中国の繁栄を謳歌する最先端都市・深セン。その発展を支えてきた人々。
しかし急成長がもたらした貧富の格差と負の連鎖によって、若者たちの夢は
更に手の届かないところに行こうとしている 。》

▼ 月給制は縛られ窮屈と、日給の働きを求め、ゲーセンで過ごす若者達。
情報化がもたらした原子化した流砂の民の象徴。誰が悪いのではない…
思わず魅入ってしまったのは、彼らの姿の中に、何やら、老い先短い?
我が身の姿「俺たちには明日がない」に重なる部分があったからか。
ネットサーフィン、TVドラマ、TV]映画、シネマ館の仮想の世界に日々、
逃避しているような? としても、それで充実するから不思議だが。
 ――
熊: カミさんとガキがいる以外、俺と大して変わりはしないよ。 
寅: 俺もだがね。原子化さえしてない俺たちは、良い悪いかは別として
 少しましかい。でも、砂粒がネットで強固に繋がるのも問題だね。
 それとゲーセンでネット仮想世界の逃避ね。八つぁんと大して変わりはしない。
熊: インドの人力車の車夫と似ているね。俺たちの寝泊りは、人力車のかわり
  に長屋の部屋だけど。でも、老い先短くなれば、何もかも同じよ。
大家: 私に対する嫌味かい。確かに死んで三日もすれば3百年前と同じさ。
 情報社会のグローバル化ってのは、誰もが一瞬で底なしになる可能性があるね。
寅: 豊かさで恩恵を受けるのは衣食住を除けば、情報の質量の差だろう。
 それが両親の質と、本人の才覚で変わる。確かに出発点で殆どが決まるね。
熊: 俺なんて、貧しさしか知らないだろう。豊かさの恩恵を一度でもよいから
 受けてみたいね。良いことなかったもの。バブルで阿波踊りしたかったね。
 大家さんは経験したというじゃないですか。
大家: ああしたよ。20年、いや40年は、そりゃ天国さ。良い時代に良い思い
 をさせてもらいましたよ。それがあったから、老いても心だけは豊かさね。
寅: 行蔵内の御宝が無いと、人間、老いてからの歪みが大きくなるの。
 それが顔に出るから、恐ろしいね。他人事じゃないがね。
熊: 何で今、俺の顔を見るんだよ。貧乏も馴染むと、けっこう面白いんだ。
寅: でも、傍で見ていて、「天気晴朗なれど波高し」がピッタシだね。
 舟は大揺れでさ。特に月末は、ウドンばかりじゃないか。
熊: 御前も同じようなモノじゃないか。御前のように宝籤など俺、買わない。
大家: 御前らが話すと、折角の社会問題も卑しい話になってしまう。

・・・・・・
4443, ヨガと座禅の違い
2013年05月16日(木)
 毎週二回、スポーツジムの「ヨガ」に参加して14ヶ月、百回はゆうに
超えているが、回数を重ねるたび、身体も、気持ちも解れていく。学生時代に
野狐禅だが、六日町の雲頓庵で持ち込んだ卒論の種本を読みながら、合間に
広い禅室で独り座禅を組んだことがあった。ただシーンとした中、
「直ぐにでも止めようか」という気持ちと戦いながらのたった独りの座禅は、
永平寺での一瞬気持ちを緩めれば、禅僧に叩かれる状況より辛い。誰もいない
ため、直ぐ止めたい誘惑との闘いになる。ヨガで仰向けになり全身を弛緩する
「死者のポーズ」があるが、これは座禅の禅定に似ている。飛行機内の座席で、
耳栓をして姿勢を正し、次々出てくる思いを泡のように流していると、何かの
ゾーンに入ってしまい、10時間以上の時間がアッという間に過ぎてしまう。
ヨガは、瞑想で心を解すのが目的で、禅は、その状況から仏の悟りに近づく
ことにある。
ーヨガと座禅の違いをネットで調ベた、納得した3つをコピーしてみるー
《 人は疲れたときに目をつぶる事がある。そこで何かを思い浮かべながら
 瞑想にふける。この繰返しがヨガという。 このヨガはもともと
「軛(くびき)」ということで、牛に車を曳かせる腕木を指した。これが
次第に神の力に人間を結びつけることを意味するようになり、その修行法と
して智慧、愛、行、瞑想が重視された。一般にヨガと呼んでいるのは、
このうちの瞑想による神人合一の方法である。このヨガは紀元5世紀ごろ
には「ヨーガ・スートラ」を根本経典としたヨーガ派が独立してさかえ、
完全性をそなえたひとつの霊魂を最高神としてあがめた。このヨガの修行法
が仏教にも広く取り入れられてきた。それが坐禅につながっていく。 》
《 ヨガと坐禅は、まず姿勢を正して、呼吸や五感(眼、耳、鼻、舌、身)
 を整え、誘惑をさけ、精神統一するのはどちらも同じ。ヨガは、これに
よって初めて超自然的な力が得られ、対して禅は「禅定」に深くかかわり、
静けさを求める。禅とは(ジャーナ、禅那)という梵語の音写で、釈尊の
悟りを追体験して”身心脱落”し仏の境地になりきり坐禅をすること。
禅は「無」を標誘し功徳や利益を求めない。ひたすら足を組んで坐禅をする。
ヨガは神人合一して身心の健康を増進させる。 》
《 ヨガは、インドに古くからあり、ウパニシャッドと言われる古代インドの
 哲学書にも出てくるもので、瞑想や呼吸法、座法などによって心身を鍛える
事で、心の動きを抑制する方法として古くから用いられた。後に、ヨーガ学派
という哲学集団によって、解脱への実践方法として体系化されていったと
言われています。そして仏教においても、このヨガは悟りへの実践方法として
用いられ、釈尊も、瞑想によって真理を悟ったと言われますし、「瑜伽行」
という修行法として確立されました。現代のヨガも、もともとはそのインド
独特の修行法をアレンジしたものですから、仏教の修行とヨガとは、出発点は
同じであると言えるでしょう。違いと言えば、仏教における修行は、さとりを
目指す為の方法であり、現代のヨガは、心身の健康維持のためのもの、という
点でしょうか。座禅とヨガとの関係についてですが、ヨガは、座法や呼吸法を
盛り込んだ、精神統一の方法でありますし、「禅」といいますのは、「禅定」
つまり精神統一をし、真理を観察することであって、「座禅」は座法や呼吸法を
用いた「禅定」一つの方法ですから、根本的な部分で同じ要素を持つ。 》
▼ ヨガは座禅と出発点が同じ「座法」「呼吸」を盛り込んだ精神統一の方法に
 対し、座禅は精神統一を通して真理を観察するもので、少し意味合いが違う。
腰痛持ちの私にとって、週二回のヨガは腰痛緩和の自己マッサージ治療。
私の腰痛は完治はないが、仲良くするのは可能。その方法がヨガに多くある。
手軽なベストの場が見つかったもの。たまたまー「早朝座禅」山折哲雄著ー
を見つけ読んでいるが、数日前から、30分早く起き、早朝座禅を取り始めたが、
これが良い。4時から7時までは、正にゴールデンタイム。
60年以上溜まった毒出し、矯正の時間でもある。

・・・・・・
5175,人生相談という気晴らし! 〜
2015年05月16日(土)
            『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
  * 老いた人の絶対的孤独との向き合い方は
 ここで、自分のしたいことを誠実に熱心に追及している限り、理解者は
出てくるというが、どうだろう? 今では、ブログなど、ネットで繋がることが
可能なので、ある程度の他者と繋がることが可能だが。
≪ Q: 〜年齢とともに肥大する孤独との向き合い方〜
 六十五歳の男性です。人間、歳を取るとだんだん孤独になるものだとつくづく
実感しています。若い頃は学才に恵まれていた男が、いつのまにか「俺は文化
なんてものには興味はねえ」と野卑な口調で本性をあらわしたり、デリカシーに
欠けていた男の品性がますますひどくなったり。さらには盟友が亡くなったり…。
そんなこんなで、私はこの七〜八年ほどの間に若い頃からの友人をあらかた
失くしてしまいました。孤独であることにもそれなりの味わいはありますが、
しかし、人生、いや歳を取るということは、かくも無漸なものなのでしょうか。
歳を取ることによって生じる、どうしようもない孤独にどう対応したらいいのか?
適切なるご教示をお願いします。
  A: 〜わずかでも心の通じ合える人がいれば絶対的孤独は避けられる〜
 私は「孤独」がそれほど嫌いではなく、「それなりの味わいがある」と思って
いますので、「どう対応したらいいか」に対する直接のお答えにはならないかも
しれません。あなたの問題にされているのは、主に「他人との関係」でしょう。
それにも二つあって、1つは、人間、歳を取ると「品性」がますますひどくなる
こと、そしてもう1つは、親しい他人や愛する他人が次第に自分より先に死んで
いって、だんだん心細くなること。前者については、私も同じ印象を持ってます。
私が同年齢の男女との付き合いをかなり切っているのは、―自分はともかく―
一般的に言って中高年の「醜さ」に耐え難いからかもしれません。それに加えて、
私は「哲学」なんぞに首を突っ込んでしまったので、50や60の「普通に出来
あがった」男たちと話すことは何もないと確信しているせいでしょう。
 この歳で、妙に哲学に擦り寄ってくる老人も嫌いです。大学の教師や研究者、
あるいは物書きをしていて気が晴れることは、若い学生たちや若い研究者たちや
若い編集者たちや若い読者たちとの「交流」が、適当にあることです。
もちろん、彼らの中にも「心の醜い」輩はいますが、私の周りには総じて
「心のきれいな」人が集まります。そう自分が厳選しているからなのですが。
このことは、第二の孤独にも通底しています。私の場合、特殊とも思いますが、
自分と同世代の男女との付き合いをほとんど完全に絶っていますから、という
ことは、小学校から大学までの同級生などとの交際はないので、誰が生き残って
いるのか、誰が死んでいるかさえ(連絡がないので)わかりません。それに、
私は目上の人との付き合いは(どんな恩人でも)苦手で、これもほぼ完全に切り
捨てていますので、目下、誰が死んでもいっさい葬式に行く義務はないのです。
別に老後の孤独に備えてこう準備したわけではありませんが、私はその時々で
一緒にいて心の通じ合える人がわずかにいればそれでいい、という「刹那主義」
に徹しています。どんなに歳を取っても、自分のしたいことを誠実にかつ熱心に
追求している限り、理解者は出てきますし、その限り絶対的孤独は避けられると
思いますが……。≫
▼ 著者から肩書をとったら、「醜悪なクレーマー」と思われる。
 これまでの著書を読んでいると、クレーマーとしての信じがたい内容が
リアルに書いてある。それはそれは・・ 特に街中や電車などの騒音に敏感。
それと、著書を出し、思いを表現していると、孤独感は半減する。中島の口癖、
「いずれ直ぐ死んでしまう!」は、亡くなった友人を自分に置換えると分かる。
『死んでしまえば、それまでよ! そんなことなど死んで3日も経てば・・』
・・・・・・
4810,Quirt <内向型人間の時代> ー1
2014年05月16日(金)
              <内向型人間の時代> スーザン・ケイン著
   * 内向型人間かどうかのチェックリスト
 私は、あまり外交的ではない。だから、事業創業の人生を選んだのである。
この書の冒頭にあった内向型リストで、○✖▽で、チェックしてみた結果、
20のうち、13が○、✖が3、どうだろう?▽が4で、明らかに内向的
人間である。家内は明らかに外交的人間と思っていたが、○が15に、✖が3、
▽が2で内向的人間には驚いた。専業主婦ということもあるが、驚きである。  
 ー以下、左が私、( )が私から見た家内である。
  ーまずはチェックリストからー 
           日本人、特に地方、北国は8〜9割は内向的人間? 
○グループよりも一対一の会話を好む      ○  (▽)
○文章のほうが自分を表現しやすい       ○  (✖)
○ひとりでいる時間を楽しめる         ○  (○)
○周りの人にくらべて、他人の財産や名声や地位にそれほど興味がないほうだ
                       ○  (○)
○内容のない世間話は好きではないが、関心のある話題について深く話合う
 のが好きだ。                ○ (○)
○聞き上手だと言われる            ○   (▽)
○大きなリスクは冒さない           ✖   (○)
○邪魔されずに「没頭できる」仕事が好きだ   ○   (○)
○誕生日はごく親しい友人一人か二人や、家族だけで祝いたい ○(○)
○物静かだ」「落ち着いている」と言われる       ○ (○)

○仕事や作品が完成するまで、他人に見せたり意見を求めない。▽(○)
○他人と衝突するのは嫌いだ              ▽  (○)
○独力での作業で最大限の実力を発揮する        ○  (○)
○考えてから話す傾向がある              ○  (○)
○外出して活動したあとは、たとえそれが楽しい体験であっても消耗したと
 感じる。                      ✖ (✖)
○かかってきた電話をボイスメールに回すことがある。  ✖ (✖)
○忙しすぎる週末よりも、なにもすることがない週末を選ぶ ○ (○)
○一度に複数のことをするのは楽しめない         ▽ (○)
○集中するのは簡単だ。                 ○ (○)
○授業を受けるとき、セミナーよりも講義形式の方が好きだ。▽ (○)
▼ 意外なことに、アメリカ人でさえ、2〜3人に1人は、内向的人間という。
 事業人生を30年以上、たずさわり、人との接触が多い仕事もあって、外交的
部分も多かった?反面、嫌な場面へ行かないで済む、自由もあった。逆に仕事上、
内向的姿勢も求められたこともあった。家内の友人に、極度の内向型人間がいて、
その話を度々、聞くことがあった。内向的にも、暗いのと、明るいのがいる。
冷たいのも、温みがあるのもいる。携帯パソコンが一般に普及した中、情報選択
と決断が重要になっているが、この時代だからこそ内向型人間の時代というのも、
説得力がある。ヨガブームというが、週二回、26ヶ月、参加して、成るほど、
内向き、精神性の時代が、実感できる。 高齢者は、どうであれ、内向きに
なりざるをえない。 ーつづく

・・・・・・
5905,閑話小題 〜映画評:『スプリット』
2017年05月16日(火)
   * 『スプリット』〜映画評
 先々週末は行かなかったが、先週は『スプリット』をみてきた。評価:85点。
一人の男に24人の人格が宿って、監禁した3人の少女の前に次々に現れる。
恐いが、これが面白い。16年にわたり、随想日記を書き続けながら、同月同日分
を読み返していると、自分の中に、何人もの違った人格をみている心持ちになる。
人は毎日、進歩と後退をしながら変化しているのである。 その中で、50年近く
前の日記の内容に驚いてしまう。社会人になる前の使用前、リタイアの使用後
なら違って当然。「気持ちは大して変わってない」と思うのは、そう思いこんで
いるだけ? 読み返す度に、若い時分に戻りたいとも思わない… 
 ≪ 〜『スプリット』 あらすじ
級友のバースデーパーティの帰り、車に乗った3人の女子高生。見知らぬ男が
乗り込んできて、3人は眠らされ拉致監禁される。目を覚ますとそこは殺風景な
密室…彼女たちはその後、信じがたい事実を知る。ドアを開けて入ってきた男
はさっきとは違う異様な雰囲気で、姿を現す度に異なる人物に変わっていた―
なんと彼には23もの人格が宿っていたのだ! そして、さらに恐るべき24番目
の人格が誕生すると、3人は恐怖のどん底に。≫
▼ 内なる他者?が存在して、どれが主体人格かさえ分からない人が、世の中
 に現に存在している? 政治家など、理想の政治的リーダーを演じて票に
する日常。頭にあるのは、票とお金のことばかり。集金の主体は、汚職ぎりぎり
の塀の上の美味しい取引しかない。 で、主体人格が、まず歪む。
 演じる理想的政治たる表の顔と、それを演じる主体人格の間の皮膜の中に
自分の個性をつくるしかない政治屋タレント。心の底に、多重の人格が育つのも
解らないでもない。 24人目の人格が、人間の奥底に潜む、モンスターのような
強固の人格がオチとして現れ出てくる。 映画は面白い!
 多重人格を検索したが、これが面白い。 近くテーマにする。


6634,閑話小題 〜男の弱さ

2019年05月15日(水)

    ノムさん、サッチー亡くし外食の日々「男の弱さを痛感」

   * 没イチ
「配偶者を亡くし単身となった人たちが自らを“バツイチ”ならぬ
“没イチ”と呼ぶ動きが広がっている」という。、
『悲しみを抱えながらも、先に亡くなった配偶者の分も精一杯生きる』
という意思の入った言葉。 ところで、朝日新聞に
妻・沙知代に先立たれた野村克也の、寂しさの「ぼやき」が載っていた。
 そこでネット検索すると、彼特有の「ぼやき節」が… 
≪・プロ野球の数々の球団で監督を務めた野村克也さん(83)は2017年12月、
 妻の沙知代さん(享年85)を亡くした。今でも「先に逝かれると思わなかった」
「男の弱さを痛感している」とぼやいています 配偶者を亡くした喪失感を、
 野村さんはどう乗り越えようとしているのでしょう。
 ――沙知代さんが亡くなった後、どんな心境でしたか。
 男は弱いと言うけれど、それを痛感してますよ。朝起きても話し相手がいない。
毎日何をして生きて行けばいいんだろう、そんな手探りばかり。マイナス思考の
典型ですね。少しはましになったけど、今でも感じます。
 人には言えないことも女房なら言える、ということがあるでしょう。愚痴とか。
世の男性も、話し相手がいないというのはどんな気分か、考えてみた方がいいね。
 やっぱりね、女性は強いですよ。僕は3歳のときに父親が戦死して母子家庭で
したけど、がんに2回かかっても生き延びた。すごく貧しかったけど、僕と兄を
育てたんだから。サッチー(沙知代さん)も口癖は「大丈夫よ」。何があっても
サッチーが先に逝ってしまって本当に寂しい。男は弱くて、一人では何も
できない。絶対に、奥さんより夫が先に死んだ方がいいよ」そうボヤく。

・沙知代さんといえば、その歯に衣着せない大胆さが魅力だった。ただ、その言動
が理由で、野村さんが2回も監督をクビになった騒動を覚えている人は多いだろう。
・最初は、野村さんが南海の監督をつとめていた77年のこと。沙知代さんが選手
起用や作戦にまで口を出すという噂が流れ、球団から監督解任を宣告される。
別れるように勧める周囲に対し、野村さんはこう言って沙知代さんを守った。
「世の中に仕事はいくらでもあるけれど、伊東沙知代という女は一人しかいない」
・2001年には沙知代さんが脱税容疑で逮捕され、当時66歳だった野村さんは、
阪神の監督を辞任せざるをえなくなった。思わず「大バカもの!」と怒鳴りたく
なったが、「沙知代の夫を務められるのは、私しかいない」 こう思い、世間の
バッシングから妻をかばい続けた。妻であり、仕事のマネージャーであり、野村
さんの生活全体に目を配る監督でもあった沙知代さんを亡くし、いま、野村さんは
大きな喪失感にさいなまれていると。≫

▼ 同級会で、最近、「連れ合いの喪失の寂しさ」の話を聞く機会が多くなった。
 生別れもキツイが、死に分かれもキツイと。一週間、二週間、一言も会話を
することがないとか。私の従姉の連合いが、後追い自殺をしたこともあった。
傷口の痛みに慣れるに2年というが… それでも、毎日、インタビューや、講演
などの仕事があるため、何とか精神を保っていられるのだろうが、大都会の
「連れロス」を大変だ。特に「男やもめ」は厳しい。愚痴の聞き手が無いほど…
配偶者を亡くした人は、65歳以上だけで860万人以上も存在する。
 
「毎日お風呂に入る。
 1日2食以上食べる。
  野菜をいっぱい食べる。
 毎日外出すること。」が基本とか。

還暦、いや古希を過ぎたら、「先に逝った者、勝ち」ですか。特に男は!

・・・・・・
4442, 閑話小題 ーリタイア後の幸せ度
2013年05月15日(水)
  * リタイア後の幸せ度
 退職後の幸せ度は、一番高いのは創業者、二番目は違う会社で勤めている人、
三番目が、そのまま再雇用している人、最後は、そのままリタイアした人、
という調査結果がある。一番高いのが創業者は自分が、そうだから分かる。
それも、私のように会社を倒産させた人がいうと、強がりにように聞こえる
だろうが、複雑な実感である。挫折感より遥かに達成感が強いことは確か。 
自己完結してキレイサッパリするから。意外なのは、完全リタイア組の幸福度
が一番低いこと。長年かけたライフワークを持ってないためだろう。
「自分が、まだ有用の存在でいたい」のか。後は、解釈になる。収入の関係も
あるのだろう。幸せの感じ方は様ざま。 鼻歌でスキップしていくしかない?
そのためには、少々のお金と、知恵と、意欲が必要である。一番の問題は、
やはりお金に行き当たるのか。
  * 節目を超えたようだ!
 昨日、もう一つのブログ《バードウォッチ》に。「一月ほど前か、現在の自分
と娑婆に対し、底知れぬ可笑しさを感じて、知らずに独り腹から笑っていた。
これで節目を乗り越えたようだ。こういうのをアップスケール(脱皮)という。
独り万歳! あとは、心置きなく流しの遊びの世界で我を忘れればよい。
割り切るのに、やはり二年。節目としての4分割の最後のシリーズ。 
心の還暦になる」と書いた。50歳になった時が、これかと思ったが・・、
もう一破壊が必要だったようだ。そして少し楽しめ!ということになる。
まだまだ重いし、最近、何事にも面倒が先に立つ。ただ、バイアスが日ごと
取れて好奇心が強くなっている。遊びに対して、まだまだ修行が足りない。 
「節目を打て」というが、なるほどである。
(後記)ところで偶然だが、去年の以下の文章が、これに連動していた。
    面白いもの。決して傷は浅くないということか!

・・・・・・
5904,『しあわせ仮説』 −7 
2017年05月15日(月)
             『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
    * 適応原理の機能とは
 考えられる最善も、最悪のことも、あまり変わらないという。人間は直ぐに
適応し通常状態に戻るためである。30歳半ばまで自己配転をしてきた中で、
常に「そのときは、そのとき、何とかなる」と不安と恐怖心に押しつぶされない
ように暗示をかけ、何とか乗越えてきた。適応原理が、その度に、働いたていた。
崖っぷちには知恵が湧き出て、底知れぬ力が働く。火事場の馬鹿力である。
《 適応原理の機能は、以下のように機能する。
 現在の自分の状態に関する判断は、自分が慣れている状態よりも良いか悪い
かに基ずく。適応は、部分的には、単なる神経細胞の性質である。それは
新しい刺激に対しては活発に反応するが、徐々に「馴化」し、馴れてしまった
刺激に対しては殆ど発火しなくなる。生命の関わる重要な情報を含んでいる
のは「変化」であり、安定状態ではない。しかしながら人間は、認知的は極限
に対し適応してしまう。私たちは、単に慣れるだけでなく、再調整をする。
私たちは、自分のために多くの標的を創り出し、その標的の一つに当たるたびに、
それを別の標的へと置き換えていく。一連の成功の後には、目標を高くするし、
首の骨を折るような大きな挫折の後は、目標を低くする。 …(略)
 適応の原理と、人の幸福の水準は遺伝子が高いという発見を結びつけると、
私たちは衝撃的な可能性にたどり着く。<長期的には、あなたに何が起こるかは
さして重要でない。幸福であれ不運であれ、あなたは、常に自分の幸福の基準点、
つまり幸福におけるあなたの脳の初期水準に戻ってくる。> それは、あなたの
遺伝子によって決定されることが大きい。遺伝子というものが知られるはるか昔、
1759年にアダム・スミスは同じ結論にたどりついている。
< 変化が予測されない永遠的な状況下においては、すべての人の心は、遅かれ
早かれ、生来の平穏な通常状態へと戻ってくる。繁栄において、ある一定の
時間が過ぎれば元の状態に戻り、逆境において、ある一定の時間が過ぎると、
その状態に戻っていく。>
 この考えが正しいとすれば、私たちは皆、「快楽のトレッドミル」と呼ばれて
きたものの上に留まっていることになる。人生においても、好きなだけ一生懸命
働き、欲しいだけ富をえ、果樹を植え、愛人を囲うことができるが、少しも先に
行くことはできない。なぜなら自分の「自然ないつもの平穏状態」を変えることが
できないので、蓄えた富は単に期待値を上げるだけで、以前の状態に比べてより、
幸せだということにならないからである。しかしながら、私たちはその努力が
無駄であることに気づくことなく、それが人生ゲームで勝つために役立っている
限り、努力を続ける。常に自分が持っている以上のものを欲し続けて、回し車の
上のハムスターのように、走って走って走り続けるのである。 》

▼ 6年前の節目から現在に至るまで、それ以前と比べて、格落ち感や、
 引け目が思いの外、少なかった。逆に、今まで意識することがなかった、
人たちを凝視する機会になった。その姿は、節目以前の自分の姿でもある。
人間は深い内面をそれぞれが持っていて、日々刻々、変化し、順応している。
それが分からないのが大方の人間であり、他者を元もと分かってない上に、
内的順応の変化など知りようがない。平穏な状態と、波乱の織りなす絵柄が、
その人の人生になる。そして、永遠の彼方にプッチと消え去っていく。 

・・・・・・
6271,閑話小題 〜情報の階層化について −2
2018年05月15日(火)
  * 「情報についての情報」
         〜選び取ってる「世界についての物語」
 カントだが、私たちは「私が知っていること」を優先したがる。そして、
同程度の連中で群れ階層化する傾向が強い。TVひとつとっても、4k(スマート・
TV)か、否かでラインが引かれる。ガラケイとスマートフォンの以上の格差がある。
その階層化も、今では、それぞれがバラバラになり、「原子化」状態である。

≪ 「情報の良否が判断できないユーザー」の特徴は、
◎ 話を単純にしたがること、それゆえ最も知的負荷の少ない世界解釈法である
「陰謀史観」に飛びつくこと。 ネット上には、世の中のすべての不幸は
「それによって受益している悪の張本人」のしわざという「インサイダー情報」
が溢れかえっている。「陰謀史観」は、この解釈を採用する人々に「私は他の人
たちが知らない世の中の成り立ちについての“秘密”を知っている」という
全能感を与えてしまう。そして、ひとたびこの全能感になじんだ人々はもう以後
それ以外の解釈可能性を認めなくなる。彼らは朝から晩までディスプレイに
しがみついている自分を「例外的な情報通」だと信じているので、マスメディア
からの情報を、世論を操作するための「嘘」だと退ける。こうやって「情報難民」
が発生する。彼らの不幸は自分が「難民」だということを知らないという点に。

◎ 情報の二極化がいま進行している。この格差はそのまま権力・財貨・文化
資本の分配比率に反映するだろう。私は階層社会の出現を望まない もう一度
「情報平等社会」に航路を戻さなければならないと思っている。そして、
その責務は新聞が担う他ない本稿では「情報の階層化」について書いたが、
実際に起きているのは、「階層化」というよりはむしろ「原子化」である。
人々は今では個人単位で情報を収集し、「自分が知っている情報の価値、自分
が知らない情報の価値」についての中立的なメタ認知能力を失いつつある。
「自分が知っている情報の価値、自分が知らない情報の価値についての中立的な
メタ認知能力」のことをここでとりあえず「情報リテラシー」を名付ける。
情報リテラシーとは一言で言えば「情報についての情報」である。「自分が
知っていることについて、何を知っているか」というメタレベルの情報のこと。
例えば、「この情報をあるメディアは伝えているが、違うメディアは伝えて
いない」という情報の「分布」についての情報。「この情報には信頼性の高い
データによる裏付けが示されているか、いないか」という情報の「信頼性」に
ついての情報。 「この情報はこれまで何度も意匠を変えて登場してきたある種
のデマゴギーと構造的に同一か、先例の見いだしがたい特異性を示しているか」
という情報の「回帰性」についての情報。などなど。
以上、それは政治的なしかたで解決するしかない。  〜つづく ≫

▼ スマートフォン、スマートTVが普及するほど、人々は何が本当かフェイクか
 判断できない「情報難民」に陥る欠点が浮かびあがる。中国人を「流砂の民」
というが、大陸が故に、それぞれが原子化し、孤立化する。その結果、TVゲーム、
ネットサーフィンの仮想の世界に、目先、避難する。

・・・・・・
5174,人生相談という気晴らし! 〜
2015年05月15日(金)
           『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 個人主義者の覚悟
 自分を、「アウトサイダー」「ソリスト」「個人主義者」と自認している。
老いるということは、孤独の重圧に押し潰されていく過程でもある。だから、
そのスタンスを取ってきたが、それでも、弱気になることがある。
今さら、「世間びと」になれないし、なる気は一切ないが、彼らの破壊兵器も
ただならぬものがある。だから、「自分とは何だろう」と考えるに丁度よい
エネルギーになる。どの道、永遠の彼方に消滅していく。老いは厳しいのです。
≪ Q: 〜個人主義者にとっての老後を生きるヒントは?〜
 現在、53歳既婚、フリーランスで仕事をしている男です。
私は元来、めんどうくさがり屋でわがままで、人付き合いも苦手です。
特に冠婚葬祭、歓迎会、忘年会など、あらゆる会合や行事に出席を拒否。
こんな利己的性格ですから当然、会社組織に馴染めるはずもなく、こうして
一人で事業をし、近隣との人間関係の希薄なマンション生活をしています。
しかし、現在、老後の問題など何となく将来に一抹の不安を感じています
(目の前にある離婚の危機による自信喪失でしょうか)。自分本位な生き方
をしてきたため、義理を欠くことも多く、自ら世間を狭くしているように
感じています。いずれしっぺ返しがくるように思います。
個人主義生活者に「老後を生きるヒント」を教えてください。
 A: 〜「自分とは何か?」という問いを突き詰めて生きることです〜
「個人主義生活者」にと、その「老後を生きるヒント」とい言葉によって、
あなたが何を期待されているのかよくわかりません(そもそも「個人主義」
とう言葉の意味がはっきりしない)。もし、長く世間に背いて自分本位を
貫いてきたが、老境に至り身体もガタが来ているし、このまま一人で生きて
いくのも寂しいし不安だから、どうにかしたい、というのなら、あなたの言う
ところの「個人主義」をきっぱり捨ててしまえぱいいのです。前後左右の
他人の思惑に常に媚び、自分勝手な考えはぐいと抑え込み、厭なことも率先
してなし、「和」を大切にし、これから必死になって「もちつもたれつ」の
人間関係を復元するのです。それはイヤだ、やはり「個人主義」を貫いた
まま安全な老後を迎えたい、と言いたいのなら、そんなムシのいい話はない
と答えましょう。「いずれしっぺ返しが来る」ことを予見もせずに、よくも
「個人主義」などに乗ってきましたねえ。失礼ながら、おめでたいとしか
言いようがありません。わが国民が、「個人主義」を蛇蝎のように嫌っている
ことを知らなかったとは! 漢然と知っていたとしても、その大量破壊兵器級
の威力に対する自覚がなかったとは!あきれ果てます。しかし、もはや手遅れ
ですから、残された老後は、先に言ったように、「個人主義」をできるだけ
「緩和」して、世間との和解策に奔走するか、あるいは潔く居直って、暗く
寂しい老後を迎えるか、のどちらかしかないように思います。そして、ここ
までがんばってきたのですから、できれば「転向」せずに「個人主義」を
貫くことをお勧めします。それには、自分ひとりでできる仕事を見出すことが
絶対に必要です。単なる趣味ではなく、あなたの実存の中核に届く仕事。
例えば、「自分はなんでこうまで人付き合いが苦手なのか、利己的なのか、
自分本位なのか」という問いを、つまり「自分とは何だろう?」という問いを
突き詰めることです。そのためには、絶えず思索しなければならず、これまで
の体験を微細に至るまで想い起こさねばならず、多方面にわたる読書も
しなければならない。つまり、孤独かもしれませんが、ずいぶん充実した
老後をエンジョイできるのではないでしょうか。≫
▼ ほぼ大部分の人の心には、相談者のような恐れを抱えている。老いて、
 弱って、病気になって、疎んじられ、永遠の絶対無に吸取られ消滅するのが
人生である。個人主義を我が国民は蛇蝎のように嫌っているのは、一連の中で、
多いに実感したが、それ自体も幻想でしかない。
・・・・・・
5539,閑話小題 〜消防士の収入
2016年05月15日(日)
   * 地に足が着いた人生 ー2
 先日の小テーマで、「地に足が着いた人生」を書いた。
そこで地方公務員資格試験は、如何なるものかと、「地方公務員資格試験」と、
「消防士」の二つで検索したところ、消防士の平均収入が700万以上とあった。
 危険な仕事としても? あまりに・・  〜その辺りから〜
≪ 消防士は718万円が平均年収!(地方公務員給与実態調査結果の概要調べ)
 消防士に支払われる給料の平均は36万円が基本で諸手当が65万円で、
民間企業と比較すると非常に高くなっています。 民間企業平均の平均年収は
409万円となっており、消防士はその300万円以上高い年収を得ている事になる。
消防士に割り当てられる諸手当を調べたところ、特殊勤務手当てがあり、
(1) 危険作業手当(2) 不快作業手当(3) 重勤務作業手当
(4) 非常災害業務手当 (6) 消防業務手当などの手当てがつきます。
 現在全国の消防職の職員は15万8000名。
30代の平均年収は600万円、40代になると720万円といわれており、50代では
800万円以上と民間の平均よりも非常に高くなっています。民間の場合は50代
になると年収が減少する傾向が多いのですが、消防士は着実に上昇する。≫
とあった。成るほど、自信に満ちた彼の受け応えも、こういう背景があった。
   * 「道」という漢字は、「生首」に由来する
 ある本に、「道」という漢字は、「生首」に由来するとあった。
道は「導く」の意味もある。道は血生臭いのである。人生を道に例えると、
納得する。道には血と汗と涙が詰まっている。
≪ ・古代中国では、自分の領地をへいで取り囲み、そこから外へ抜ける道
 には敵の首を埋めて、攻め込まれないように「まじない」をしたとする説。
・敵から討ち取った生首をちょうちんのようにぶら下げ、「まじない」がわり
 にして外に通じる道を進んだとする説。
いずれの説も討ち取った敵方の生首を魔よけや、まじないがわりに使ったこと
が道の漢字の成り立ちに含まれています。
・「行が変化→辶(みち)」、と、「首(シユ/シウ→チウ疇=長く通っている
意味)」。 長く通じている「みち」→「道を行く」「みちびく」の意味。≫
▼ 人生の道を切り開くとは、戦い、血だらけで進み、途中で行倒れて・・
 と解っていても、進むしかない。急ぐのも、ゆっくり行くのも、人生。
 とすると、ゆっくり急ぐのがベストということか。 人によるが。


6633,読書日記 〜『無知の科学』だってさ! −6

2019年05月14日(火)

     <『知ってるつもり――無知の科学』
         スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)>
   * 身もふたもない事実
  =訳者のあとがきが簡潔で解りやすい=
≪・私たちは自分が思っているよりずっと無知である。合理的な個人という
 今日の民主政治や自由経済の土台になってきた概念自体が誤りであった。そんな
身も蓋も無い事実を本書は突きつける。それでも爽快感があるのは、本書終盤の、
本当の「賢さ」とは何かという議論と関わっている。…
これまで個人の知能指数(IQ)によって賢さを測ろうとしてきた。しかし人間の
・知的営みが集団的なものであれば、「集団にどれだけ貢献できるか」を賢さの
基準にすべきではないか。記憶容量の大きさや中央処理装置(CPU)の速度といった
情報処理能力と並んで、他者の立場や感情的反応を理解する能力、効果的に役割を
分担する能力、周囲の意見に耳を傾ける能力脳力なども重要な構成要素とみなす
べきだ。脳内CPUの性能には、生れつきの個人差があるのかもしれない。 
・<ただ私たちの知識のコミュニティが向き合る問題の複雑さに比べたら、個人の
CPUの機能の違いなど誤差の範囲である。それ以上に重要なのは、身の回りの環境、
とりわけ周囲の人たちから真摯に学び、知識のコミュ二ティの恩恵を享受しつつ、
そこに貢献しようとする姿勢。それによって生れつきのスペックにかかわらず、
知性を磨きつづけることが出来る。>と。…何とも希望の持てる話ではないか。≫

▼ 二ランク上の目線の男、颯太と、二ランク下目線の凡太の仮想対談より…
 凡太: 何だ、あんたって、思ったより無知だって?
颯太: 御前が勝手に思っていただけだが。そう思わせていた部分もあったね。
 ここでさ、…と最後に余韻につけているだろう。これも、その一つかもね。
凡太:  自分だけが、無知と思ってたけど、実は全てが無知で、石ころの大小と
 大して変わらないという、たった、この位のことが俺様には解ってなかった。
颯太: そうだよ、それを少し知っていただけ、御前よりマシということ。
 だから、人知れず、本を読んでいるのさ。誰も、読書自慢などしないよ。
 自分が無知だと認めたくないもの。知った分、その周囲の無知が見えるのさ。
凡太: あんたさ、毎日、読書をするか、映画やドラマを見るとか、自転車で
 出かけるとか、年に数回、ツアーに出かけるだろう。
颯太: 問いかけられたから答えるけど。一度、世界の果てまで、その企画に
 参加してみたら解るけど、ツアーって凄いの。
凡太: 価値を理解できない人は馬鹿にするけれどもね。説明文と写真で一端は
 解るけど、所詮は、既製品だろう。
颯太: その既製品が、洗練された価値があるなら、これほど、合理的な既製品は、
 他にはないよ。行先に近い、主要都市のホテルに泊まり食事をし、街中か、近郊
 にある遺跡をみて、美術館か博物館に行くだろう。当地料理を味わい、博物館
 と美術館で国宝級の文化を。そして遺跡で文明を垣間見れるだろう。そして、
 秘・異郷で大自然の真只中で、景観と邂逅出来るんさ。一回行く度に、生れ
 変わったような感覚を味わえるんだ。
凡太: そんな話、知らなかった。何で教えてくれないんだ。
颯太: 旅の話はね、「旅自慢」になって、後味が悪くなるんだ。明らかに優劣
 が見えてくるからね。 問題はね、汗して辿り着いた先の絶景で時どき、経験
 する至高体験さ。絶対幸せ気分というか。 そりゃ、一度経験すると、再び、
 味わいたくなるさ。
凡太: 好きな女と… と、如何だね?
颯太: 次元が違う、快感だね。 薬中が、「何でまた?」の質問に、
 「出会ってしまったからさ!」というけど、これと同じじゃないか。
 「未知の未知」に出会ったことに、理屈はいらない。これだけは味わって…
凡太: じゃあ、何と同じじゃないか。
颯太: 話にならんよ。御前じゃ。文化、文明。そして大自然との邂逅。
 そのフルコースを、短時間で味わる地球を碁盤として埋めていくゲームさ。
凡太: 俺なら、布団の中、TVで見るだけで充分さ。 
颯太: 「無知の未知」かい。いや、「未知の無知」かい。自分の知っている
 範囲しか、理解できないということですか。
凡太: 時どきね、何から不安の嵐に襲われ、茫然とするんだ。何もしないで、
 現実に溺れて、既知の世界の住人に嫌気をさしてね。だから、誰かの不幸を
 探しだして、仲間で罵倒するのが生甲斐になるの。それが積もり積もってね。
 自業自得だけど。俺の周りは、俺みたいのばかり。
颯太: 80対20の法則でさ、そういう人に8割の膿が集まるんだ。その部類かい。
 『既知の無知』ということかい。こういうのが老化するとね、愚痴の塊りに
 なるんだ。
凡太: どうしたら良いんか? 今さら遅いのは解っているけども。
颯太: 図書館の音楽コーナーに行くとね。α波の音楽集があるから、
 借りてきて、iphon に入力して、聴くことから始めたら… そうですかと、
 素直に実行できないしね。その頭じゃ。音楽って良いよ。としても無理か?
 バカは死ななきゃ治らないというから、死になさいよ。死ぬ覚悟が出来れば
 第一歩を踏み出せるからね。

追文: また偶然だが、去年の15日に… ところで精神を保てたのだろうか?
――――
4809,ある明治女性の世界一周日記
2014年05月15日(木)
   「ある明治女性の世界一周日記―日本初の海外団体旅行」野村みち(著)
 何気なく、図書館内を彷徨っていたら、この本が目につき借りてきたが、
現在の朝のNHKの連ドラの「花子とアン」の、出身校の東洋英和女学校出身と
あったことも借りる動機にもなった。そして、読んでみて、面白いこと。
ランダムに、どのページを開いても、その日その日の、本人の視線が、
そのまま直に伝わる。  ーAmazonの内容紹介よりー
「母親からの厳しい「良妻賢母」教育と共に、東洋英和女学校でキリスト教と
英語という新しい教育を受けた明治の女性、野村みち。豊かな感性と柔軟性で、
真摯に、率直な心情を綴った世界旅行記。」 ーレビューよりー
《 元横浜YWCA会長を務めた野村みちの「世界一周日記」。若い頃から洋行に
 憧れを持っていたことが書かれていた。その「世界一周」は、1908年3月18日
から96日間にかけて行われた。冒頭に旅のルートが掲載してあり、米太平洋郵船
会社のモンゴリア号で横浜港を出港し、ハワイを経由し、サンフランシスコ、
ソルトレークシティ、シカゴ、ボストン、ワシントン、ニューヨーク、英国
ホワイトスターライン社のセドリック号で大西洋を渡り、ロンドン、パリ、
ローマ、ナポリ、ヴェネチア、ベルリン、サンクトペテルブルク、モスクワ、
シベリア鉄道を利用してウラジオストック、敦賀に帰ってくる世界一周旅行。
一行54名、女性3人。筆者の夫は、横浜の実業家・野村洋三氏で、外国人相手の
古美術商のサムライ商会を営んでいました。本町通りにあったサムライ商会は
横浜の古い写真集を見ていると必ず登場するようなエキゾチックでユニークな
外観をしています。258ページに写真が掲載してありますので。筆者の家族の
写真や世界一周時の集合写真も掲載してあり、文章だけでなく当時のイメージ
が理解できるようになっていました。旅行中の装いも和装で通す意味合いも
書いてあり、このあたりに聡明さが伺えます。アメリカのルーズベルト大統領
との謁見や、パリで名バイオリニストのサラサーテの演奏を聞いたことも記され
ています。巻末に番外編として「野村みちとは」と題する生涯を、北川原美乃
さんが25ページにわたって紹介していました。戦後すぐマッカーサーが占領下の
日本で初めて接した民間人が野村夫妻だったことも書いてあります。
そのような生き方を貫いた女性であることが分かる書でした。》
▼ 100年前の96日間の世界一周日記、そこに女性が3人、加わっての旅行、
 それは大変だっと思われるが、幕末、明治初期の一女性の目で見た当時の、
外国への視線が面白い。長年にわたり、多くの人が様ざまな経験をして記録に
残されているのに、改めて感心する。情報端末がノートしかない時代に、その
人の記録が逆に、生々しさとして、後世の者の心に訴える。横浜で外国人相手
の古物商をしていたため、カルチャーショックは、さほど無かったようだが、
そうでなかったら、その参加自体してなかっただろう。ところで、居間の座椅子
の横に、二年以上も「世界の旅行記101」が置いてあり、毎日、数分間、読む。
2〜3ページに要約した101の旅行記が、それぞれ何人かが分担して書いてある。
ところが、どれもこれも、重いため、せいぜい、一日、数分しか読めないが、
それでも門前の小僧で、少しずつ、階段を下りるように、何とか読んでいる。 
それらから比べれば、ツアーで内容が軽いが、それ故に、親近感がわいてくる。 
世界は広く、それぞれ深い!

・・・・・・
6270,閑話小題 〜大相撲が始まった
2018年05月14日(月)
   * 大相撲の楽しみ方
 ただ、漫然として相撲を見るのではなく、「こういう観方もある」切口の、
様々な木や、枝から鳥瞰して見ると面白い。 白鵬も左張手と右肘打ちの
『横綱アドバンティジ』が使い辛くなったため勝てなくなった。で今場所、
どう判断するか?考えあぐねて、張手の多様に決めたようだ。この程度の
横綱ならばと、下位力士も平然と張り手、肘打ちを狙ってくる。とすると、
怯えるのは大関、横綱になる。張手・肘打ちの多用が無ければ11〜12勝が
精一杯。更に貴乃岩に持ち掛けた、暗黙の圧力の八百長?も、もう使えない。
その結果、
相撲現役の余命が長くて一年、最短で年内で… 。 それが、見どころ。
白鵬の身体つきが、全体として萎み、オーラにみえた艶も消えてしまった。
鶴竜も然り。 建設業界のような構造汚職?のような談合は難しくなった。
白鵬、日馬富士、鶴竜のトライアングルの+照ノ富士の圧力構造の半分が
消滅、これにアヤかって、何気ない張手で怯ませ勝ってきた稀勢の里、豪栄道
も勝てなくなった。そこにチビッコ相撲上がりの、学生相撲が台頭してきた。
これを前提に、日々の対戦をみると、面白味が増す。 モンゴル、東欧系の
ハングリーな若手に、親がかりの温室育ちが勝つのは難しい。
 ところで、全身に萎みがみられる稀勢の里の回復は絶望的。引退前の力士の
黄疸現象が… 初期症状だが、白鵬も然り。格闘技の世界はシリアスである。
 隠れテーマは、<張手・肘打ちが出来ない横綱の断末魔!>でしょうか? 

 ネットニュースが何とも面白い! そうしないと早々の引退になるため。
【 大相撲夏場所>◇初日◇13日◇両国国技館
 2場所連続休場明けの横綱白鵬(33=宮城野)が立ち合い、馬力で定評の
ある東前頭筆頭玉鷲(33=片男)の出足を止めるべく、左から張って立った。
【写真】玉鷲と激しい取組をする白鵬
 立ち合いの張り手とかち上げには、横綱審議委員会から苦言を呈され、何かと
物議を醸している白鵬の動きだが、この日、審判部長として本場所初仕事と
なった阿武松親方(56=元関脇益荒雄)は容認の姿勢を示した。
 この日は幕内後半戦の審判長を務め、白鵬の一番は土俵下から目を光らせた。
その白鵬の立ち合いについて問われると「張り差しですよね?」と再確認した上で
「エルボー気味の(かち上げ)は問題ですが、張り差しは問題ない」と述べた。
再度、言葉を慎重に選ぶように「ヒジを合わせたりするのはアレですが」と、
本来のかち上げでなく、相手の顔面目がけて繰り出す“ヒジ打ち”は問題外と
しつつ「張り差し自体は大丈夫」とし、エルボー気味のかち上げにも
「自分の中で調整するでしょう」と改善に期待した。】 ですと…

▼ たかが相撲、されど大相撲としても、これじゃあ、半年前の騒乱な何だった?
閑にまかせて、如何でもいいことをグダグダと。「世間の正体とは?」かいって
いるが、最も世間馬鹿は私自身ですか。楽しむとは、「同じアフォなら踊らな
きゃ損損」というところですか。  
 熊:お笑い長屋の雑談ですよ、雑談!
寅: 御前がいうと、何しら座が和むよ。
 北の富士: 相撲そのものが、神社の御祭りの座興だったもの。
神主: 賽銭そのものは神さんへの些細な賄賂だろう、賄賂!
  八百長でも何でも、大受けすればよいだけ。
 
――――
2018/01/18
閑話小題 ★ 番外
  * これまた面白く深い展開に
熊さん: 白鵬と稀勢の里が連敗したね。結構、稀勢の里も張り手を使って
  いたしね。白鵬など、初日から全く精彩がないね。八つぁんの言う通り、
  この一連の事件を引き起こした「横綱アドバンティジ」を無くした
  大横綱の正体が、このザマさ。
寅: 貴乃花親方の含み笑いが聞こえそう。白鵬も、「アドバンティジ」の
  有効利用無しで優勝したかっただろうがね… あれじゃ、この一連の事件、
 『横綱アドバンティジ暴行事件』と命名されるよ。勝てないのが何より証拠さ。
熊さん: 俺たちの、会話を相撲関係者が聞いているのでは? 何か変?
八つぁん: 大丈夫だよ。誰の目にも明らかな内容だからね。それにしても、
  ライブで事件の謎解きを見れるのだから。こんなに面白いことはないね。
大家さん: 私も、黙っていられなので、参加するよ。一番、震えているのが、
  理事長と取巻きだね。日本の祭りごとの根本にあるのが、御賽銭。これって
  神様への小さな賄賂だよね。神社仏閣の行事の根本が、賄賂と談合がある。
  その強要が、これさ。
熊: とすると、土俵周りの親方の役割は、勝負の審査だけでなく… 他に。
  でも、そこまで言っちゃあ、お終いよ。でも、毎日毎日、あの不甲斐ない
  負けを続ける横綱の姿は… 
大家: 『横綱アドバンティジ』疑惑など根幹に関わる問題だね。やはり、
  八角親方には引退をしてもらい、貴乃花を押すべきだね。
八つぁん: でも、あの自閉症的性格では無理だね。
大家: おや、初め、そう言ったのは八つぁんが言い出したんじゃないか。
  他に居ないのは解るけどね。
ハつぁん: 理事長、理事会も、性格上、自助能力、自浄能力が持てないん
  じゃないの。だったら、国技とかいう、法律上は何もない協会を一度、
  解散し、税金免除のない普通の営利団体にすべきだが… まあ無理だね。
・・・・・・
6028,閑話小題 〜大相撲・炎上
2017年09月15日(金)
   * 横綱・大関の権威失落
 大相撲が大変な事態になっている。私の相撲ファン歴からして、これほどの
大関・横綱の権威失落の事態は初めてで、理事長自らが辞任しても然るべきほど
である。初日から4人横綱のうち3人が休場。残る一人の横綱が前半で2勝3敗とは、
これいかに。上位に上がったばかりの阿武咲が横綱初挑戦で金星を挙げ5連勝。
日馬富士の負け方が空中に1回転して裏返し。その上に、大関の照の富士が負傷、
3人の大関も2人が休場ともなれば。 面白といえば面白いが、この惨状では、
首を傾げざるをえない。その背後には若手に実力があるのが何人か台頭してきた
ことがある。もしかして、半年、1年後の番付が、これかとも… 
 ファンが、相撲協会の心配をする必要がない。横綱・大関の権威の崩壊を
見ながら、誰が優勝をするかを楽しめば、「また白鵬!」よりも遥かに刺激的。
「何で今の若手が強いのかって?」というと、勝つために頭(情報機器)を活用、
稽古土俵から考えているため。それも親がかりで。 将棋の新生人と同じ。
白鵬が、それ。素材が良いだけでは難しい。一月前に、高校横綱のトーナメント
を見たが、その中で、強そうなのが数多く見かけた。底辺の育成が出来ていると
いうことか。


6632,読書日記 〜『『無知の科学』だってさ! −5

2019年05月13日(月)

     <『知ってるつもり――無知の科学』
      スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)>
   * 未知の未知
・21歳時に初めて一ヶ月間の欧州旅行で経験したのが「未知の未知」。
 欧州は石の文化。世界史そのままが遺跡として、そのまま現存する世界。
「世界は「知らないこと、想像を絶することで満ちている」ことすら知らな
かったのである。世界史の教科書の写真が目の前の突きつけられ衝撃は、無知
たる自分に未知を知らしめてくれた。カナダのロッキーの広大な景色に触れた
時の驚愕。『 ここは地球上? これを目の当たりにしないで大部分の人は
死んでいくんだ。全てを投げうっても、経験すべき光景。良かった!』
 感動とは「未知の未知」に、その人を導いてくれる。

ここで…
<・物事には、「自分が知っていると知っていること」、既知の知。
・「自分が知らないということを知っていること」、未知の知。
・さらには「自分が知らないということを知らないこと」、未知の未知がある、
とアメリカのラムズフェルド長官は言っている。> と。
 未知である認識がないことには手が打ちようがない。知らないということ
自体がわかっていないのだから事実上お手上げ。

・ダニング=クルーガー効果の原則がある。、
< 能力の低い人物が自らの容姿や発言・行動などについて、実際よりも高い
 評価を行う優越の錯覚を生み出す認知バイアス。この現象は、人間が自分で
自分自身の不適格性を認識することができないことによって生じる。
「優越の錯覚を生み出す認知バイアスは、能力の高い人物の場合は外部(=他人)
に対する過小評価に起因している。一方で能力の低い人物の場合は内部(=自身)
に対する過大評価に起因している。」とする。若い女の思い入れ深い自己評価
の過剰な差異などに見られる。

・この研究で、「与えられた活動の評価基準への無知に由来する自己評価の誤り」
の多さを示している。自身の能力に対する過大評価の傾向は、読解や診療、自動車
の運転、チェスやテニスの試合など様々な場面で見られた。また、この効果を定義
したデイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーによって2012年に行われた
「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」という調査によれば、
能力の低い人間は以下のような特徴があることが分かった。
 〜自身の能力が不足していることを認識できない
 〜自身の能力の不十分さの程度を認識できない
 〜他者の能力を正確に推定できない
その能力について実際に訓練を積んだ後であれば、自身の能力の欠如を認識できる。
キャリア組の高速配転による育成は、それで、自分の能力不足を埋めるためにある。


・・・・・・
6265,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −2
2018年05月09日(水)
             《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》
   * 歩哨的資質ですか!
 聖地や秘境との邂逅の場で、何やしらかが、「これ以上、立入るな!」と
無言の得体のしれない何かを感じたこと屡々。その時々に私の知っていること
など、ほんの僅かで、圧倒的未知の世界の一部から得る啓示に慄然とする。
<「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまい>
とは、分かりやすい表現である。人間は未知とのフロントを守護する歩哨ですか。
 考えさせられる内容のため、全文を数回に分け紹介しながら考えていく。
――

≪毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。
「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出した
ものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで
70分お話しする。
このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」の
フロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。

私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。
宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか
(というより「何がないか」)も知らない。
時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。
『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。

「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。
あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。
だれがその大きさを定め、
だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめこまれたか。
その隅の石はだれが据えたか。
 (・・・)
あなたは海の源まで行ったことがあるのか。
深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。
死の門があなたの前に現れたことがあるのか。
あなたは死の陰の門を見たことがあるのか。
あなたは地の広さを見きわめたことがあるのか。
そのすべてを知っているなら、告げてみよ。」(『ヨブ記』38:3−18)
ヨブはこの問いの前に絶句する。

私たちは私たちの生きているこの世界の「外部」についてほとんど何も知らない。
私たちは私たちの手持ちの度量衡では考量できないもの、手持ちの言語では
記述できないものに囲繞されている。
私たちが理解できる世界と、理解を超えた世界のあいだには目に見えない境界線
がある。 「存在するもの」と「存在しないもの」のあいだには目に見えない、
手で触れることもできない境界線がある。けれども、その境界線を守護するのは、
私たちが「人間の世界」で生きてゆくために必須の仕事なのである。
誰かが境界線を守護しなければならない。
『ヨブ記』においては主がその仕事を担っている。
主はこう言う。

「海がふき出て、胎内から流れ出たとき、
だれが戸でこれを閉じ込めたか。
(・・・)わたしはこれをくぎって境を定め、
かんぬきと戸を設けて、言った。
『ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。
あなたの高ぶる波はここでとどまれ』と。」   (『ヨブ記』38:8−11)

「存在しないもの」に向けて「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上は
いけない」と宣告する境界線がある。 高野山の奥の院に足を踏み入れたときにも
「フロントライン」に近づいた感覚がした。
弘法大師がそこでとどめた「高ぶる波」の微かな波動が感知された。
聖域というのは、そこで完結している場所ではなく、何かとの「境」なのだ。
機能的には「かんぬきと戸」なのだ。  
                      〜つづく  ≫

▼ カナダに初めて行って、ロッキーの景観に圧倒され自失茫然とした。
 その時の内なる声、「もしかして、これを見ずして死ぬところだった!
とんでもない! 
 夜半8時過ぎの薄暮のなか、バンフのレイクルイーズの周辺を家内と散策した
時のこと。家内が疲れ果て帰った後、更に独りで湖畔を歩いていると、何やしら
リスやカワウソ、ビーバー、鹿?などが威嚇する鳴き声。それでも女性一人が、
次々と帰ってくるのに励まされ歩いていると、今度は雷音が、「もう帰れ!と
言わんとばかりに聞こえてきたため、Uターンをして帰った。
世界的カーレーサーの明言、『限界までは誰でも行ける。問題は、その先、
どの位行けるか!』。 イスラエル、ケニア・タンザニア、シリア・ヨルダン
など秘境、異郷ツアーで味わうのは、その歩哨の感動体験の感覚。
<これらを見ずして、誰が死ねようか。見なければ、体験しなければ、それは
存在しないことと同じ。聖域とは、聖地とは、大自然の懐とは、そういうところ!>

追:【そんなことこそ大変だろうが、拘ることもないさ。中心を穴が空くほど
 凝視して、捨身になれば、一瞬でも解放されるよ、自分という柵から! 
折角、宇宙の彼方から観光旅行で、『光』を見に来たのだから。
 縛ってるのは自分以外、誰も居ないよ。 分かってはいないのは私自身。】


6631,閑話小題 〜「ヒロシです…」

2019年05月12日(日)

 
日曜夕刻の『笑点』の前座に度々、出てくる何ともいえない悲哀を漂わせた
語り口に思わず笑ってしまう。 自虐的一人芸漫談…「ヒロシです」。
お笑い芸や漫談を、1人コントを演じるピン芸人。3名をトリオ、2名をコンビ、
に対し、1名でネタを演じる。先日、亡くなったケーシー高峰や、劇団ひとり、
友近などがいる。「ヒロシです…」のフレーズの「自虐ネタ」は、味わい深い?
味がある。大都会の真只中で、独り、部屋の中で自嘲気味に夕飯を食べながら、
こんなことを呟いている人が男女関わらず多く存在しているのだろう。
ネットで検索するとアルアル。

・ヒロシです。
彼女の浮気が心配でこっそり携帯電話をのぞいてみました。
俺の電話番号は取引先のグループに分けられていたとです。
 ―
・ヒロシです。
「いつからいたの?」って聞かれましたが最初からいました。
 ―
・ヒロシです。
テンションを上げる催眠術を覚えました。
これでもかかっているとです。
 ―
・ヒロシです。
俺の握手会なのに「握手はいいです」って断られた事があります。
 ―
・ヒロシです。
よく当たると評判の占い師に見てもらったら
「あなた最近仕事の事で悩んでいるんじゃない?」って言われました。
誰にでもわかるとです。
誰でもわかるよね?
 ―
・ヒロシです。
生活感のない部屋に憧れて余計なものを捨ててみました。
生活ができなくなりました。
 ―
・ヒロシです。
「ヒロシ君可愛いわね」。
「お姉さんヒロシ君の事が大好きなの」。
「ねえヒロシ君…」。
自分で録音して聞いています。
 ―
・ヒロシです。
「ワイルドだろぉ?」って言ってる高校生が「古いよ」って言われていました。
俺はどうなるんですか?
 ―
・ヒロシです。
手首にロレックスの絵を描いてみました。
取り外しができません。

スケジュールを聞かれたので「その日は仕事です」って答えたら
「ウソでしょ?」って言われました。
ウソです。
 ―
・ヒロシです。
不況のせいかホームレスの特集番組を頻繁に目にします。
俺よりテレビに出ているとです。
 ―
・ヒロシです。
自分の寿命がわかるというゲームをやってみました。
2年前に死んでいたとです。
 ―
・ヒロシです。
「ヒロシさん一生応援します」。
「ヒロシさん一生ラブです」。
16年前までたくさん届いてたファンレターに必ず書いてあった言葉です。
みんな死んだんでしょうか?

『果報は寝て待て』っていいますが、どれくらい寝ればいいのだろうか。


▼ 大都会で、独り部屋で、孤立を味わい、時には涙をした寒々した経験が
 青春の一ときに必要である。また群衆の中で、フッと我に返り、つくづくと
孤独感に陥るとき、前からくる電車に身を投じたくなる誘惑にかられるという。
まだ経験も知識も乏しい時節の喪失感の中では… そこから一歩踏み出すのが
都会生活の第一歩。失業をして、連れ合いの愛想をつかれ、離婚をして欝病に
陥った直後の第一歩に私のところに訪ねてきた幼馴染がいた。50歳代半ば
だったが、風貌は白髪で、歯の大部分が抜けて、80歳以上にみえていた。
 営業ネタは、自分の倒産、離婚、欝病の話題。 その直前にも、倒産、離婚
の同じ経験を持つ人がいた。 深い心の傷が、人知れず、周囲の人を傷つけて
しまうのが共通の現象。倒産は私も経験積み… その上、離婚でもすれば、鬱に
なるのだろうが… 中年期以降の離婚は、傷が深くなるのは、聞いてきた。特に
男は、非常に厳しい。信じられない言葉が、「離婚して気づいたのが前妻が自分
には格上の相手だった!離婚しなければよかった!」の言葉。 経験してこそ
気づくことが多い。 で、それを前提で、この悲哀漫談を味わうと面白さは
倍増するのだろうが…

・・・・・・
6268,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −4
2018年05月12日(土)

 以前ほど、ユングの集合的意識(普遍的無意識)について語られなくなったが、
それでも心理学の主流を占めていることは違いない。ユングは何気なく描いた
自分の絵が曼荼羅に似ていたのに気づき調べてみると、世界中に似た模様がある
ことに気づき、それは神話にも共通点が多いと知る。それまでフロイトが見出し
た無意識のもっと奥底に、人類に蓄積された集合的無意識があるのではと考えた。
共通したイメージ、原型である。これも知らざる世界の門戸である。
以下では、刑事の能力の中に、「知らざる能力」の柵の向う側の世界を垣間見て
いる。          
            《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》
≪ 先日、こんな記事を読んだ。   
 大阪京都両府警の捜査官が広域事件について打ち合わせしたとき、京都府警の
刑事が「こういう事件もあるんです」と、ある空き巣事件の容疑者の写真を大阪
の刑事に示した。打ち合わせが終わって外へ出て10分後に大阪府警の刑事は
近くの競艇場外発売所近くでその容疑者を発見した。この捜査員は雑踏の中から
指名手配犯などをみつける「見当たり捜査」の専門家だったそうである。
「そういうものだ」と思う。
彼らは警察官の視野から逃れようとする人々が発する微細なオーラを感知する
能力を備えている。 「職務質問」というのは組織的にやるものではなく、
「挙動不審」な人間をピンポイントして行うものである。 「挙動不審」という
のは、チェックリストがあって、そのスコアが高い場合にそう判断するという
ものではない。 遠くにいる人間の、わずかな眼の動きや呼吸や心拍数の変化の
ようなものが「際だって感知される」場合にそう言われるのである。
そういう能力を持っている人が警察官になるべきであり、これまではなってきた。
警察という制度はそのような能力を勘定に入れて制度設計されている。
私たちは刑事ドラマを見ているときに、刑事たちが街中であまりにも容易に挙動
不審な容疑者と偶然遭遇するのを「ご都合主義」だと嗤うことがあるけれども、
警察の捜査というのは、もともと「そういうもの」なのである。
だが、挙動不審な人間を感知する能力や嘘をついている人間とほんとうのことを
言っている人間を直感的に見分ける能力などは、その有無や良否をエビデンスに
よって示すことができない。本来は捜査員の採用のときには、「そのような
エビデンスをもって示すことのできない能力」の有無を基準に採否を決すべき
なのである。でも、エビデンスをもっては示すことのできない能力の有無の判定
にはエビデンスがないので(当たり前だが)、現在の公務員採用規定ではこれを
適用できない。そのせいで、わが国の司法システムは劣化したのだと私は思っている。
冤罪事件が多発するのは、司法システムが「嘘をついている人間と真実を述べて
いる人間を直感的に識別できる能力」を備えた司法官が一定数存在することを
前提に制度設計されているからである。 司法官の少なくとも一定数は物証がなく
とも、自供がなくとも、証言の真偽を直感する力を備えていると想定されている。
「裁判官の心証形成」という不思議な法律用語があるが、これは裁判官が
「複数の解釈可能性のうち、ある解釈を優先的に採択したくなる気分」のことである。
「気分」に法律的な力が認められているのは、司法官(の少なくとも一部)には、
「証言の真偽を直感的に判定する力が備わっている」ということが司法界では
広く信じられていたからである。そのような能力を備えた人間が一定数存在する
ことを前提にしてつくられた制度が、まったくそのような能力を持たない人間に
よって運用されるから冤罪事件が起きるのである。
シャーロック・ホームズのモデルのエジンバラ大学医学部教授ジョーゼフ・ベル
は患者を一瞥しただけで、出身地や職業や疾病歴を「言い当てる」ことができた。
医師(の少なくとも一部は)そのような能力を有しているということを勘定に
入れて医療制度は設計されている。
司法や医療や教育はひろく社会的共通資本の中の「制度資本」にカテゴライズ
されるけれど、これらはいずれも「わからないはずのことが、わかる」という
人間の潜在能力を勘定に入れて設計された制度である。これらはいずれも
「存在しないもの」とのフロントラインに位置する「歩哨的制度」である。
人間の世界の内部では「存在することが明証的であるものだけが存在する」
「存在することのエビデンスの示されないものは、存在しない」というルール
が適用されている。 「内部」はそれでよい。
でも、「存在しないものとのフロントライン」では、そのルールは通用しない。
そこはまさに「存在しないはずのもの」が「存在するもの」にかたちを変える、
生成の場だからである。そのような場にどのようにして「歩哨的資質」を持った
人々を配することができるか。 子どもたちのうちから、そのような「歩哨的資質」
を備えたものをどうやって見出し、その能力を選択的に育成してゆくのか。
これは原理問題ではなく、純粋に技術的な問題である。≫
――
▼ 世界の平和の先行きが、裁判長レベルだけでなく、世界の重大事項の決定権を
 持つトランプ、プーチン大統領、習主席、金主席が、あってはならない世界大戦
の世界への歩哨とすると、これは重大問題にある。殆ど世界政治の経験のない、
彼ら、とりわけトランプに核弾頭のカバンが渡ってしまった。さすがの、何も
恐れをなして… として、誰の眼にも、これで済むわけがない。怒れた歩哨が、
門戸に立ち、今まさに開けんとする重大危機に立っていることを忘れるべきで
ないと著者は言いたかったのでは… 。 「気違いに刃物」とは、このことと?
<気違いに刃物、大衆にポピリズム!>
ポピリズムを検索すると…
【一般大衆の利益や権利、願望、不安や恐れを利用して、大衆の支持のもとに
 既存のエリート主義である体制側や知識人などと対決しようとする政治思想、
または政治姿勢のことである。日本語では大衆主義や人民主義などという。】
歩哨に立つ、あの方がた。大衆を「下衆」、いや虫けらぐらいでしか見てない。
門戸の向う側の何かしらが、彼らを選んだ可能性も考えられる。その狙いは?
狂った猿の自滅ですか? 若い人は面白いが辛い時代を生きねばならない。
 
・・・・・・
5171,閑話小題 〜ボ〜ッとしたデカルトの時間
2015年05月12日(火)
   * ボ〜ッとしたデカルトの時間
 御隠居の生活に入って、早朝からスケジュールとおりに時間を過ごしている。
その時間の中で一番大事なのがボ〜ッとした時間。だが、それが過ごせてない。
ひとつ終わると直ぐ、次のスケジュールに移行するため。 以前もふれた事が
あるが、宗教学者の山折哲雄が、早朝30年続けてきた座禅で、無念無想を諦め、
この時間帯は、デカルトの「ものを考えている」と思いつき、全身が解放された、
という話にハッと何かを感じとった。 最近、パソコンや読書の合間に、何を
するでなし、意識的に弛緩した状態でボ〜ッとしている。考えてみたら、現役
時代は何時もしていたことだが、問題は意識してボ〜ッとすることだった。
 〜その辺りの記述を抜粋〜
≪ 朝3時か4時に起きて、毎朝一時間ぐらい座る。毎日香っている線香一本
 燃えるのにだいたい50分前後。その一本を闇の中でつける。その明りを
見ながら座る。道元が言っている「無念無想」なんてのになれるものならなって
みるか、なんてやっていたけど、ぜんぜん無の境地にはならなかったですね。
雑念、妄想とズ〜ッと戯れている。30年近くこれをやって、「俺はもうダメだ」
と思ったのが50代の終わりぐらい。でも、もう癖になっているからとにかく
朝は座るんです。で、あるときハッと思った。「無念無想になろう」と思うから
いけないのであって、「ものを考えている」と思えばいいじゃないかと。
あっという間に全身が解放されたような気分になってね。「俺は今デカルトを
やっているんだ」と。道元の時間と思っていたからできないのであって、
デカルトの時間と思えばいいと。すると、何を考えてもいいわけです、金、
女性、喧嘩したこと…。「我考える、ゆえに我あり」。道元だって大部分
の時間は無念無想じゃなくて妄想と戯れていたんじゃないかと思ったのね。
それで瞬間的にパッと無の瞬間が訪れる。逆にデカルトだって、考えづめに
考えていて、ときには無念無想の時間に恵まれたことがあるんじゃないかと。
そうすると、道元とデカルトはぜんぜん違う世界の人間じゃなくて、彼らは
同じ時間を共有していたのかもしれない、そう思ったときはうれしかったね。
座禅が終わって五時ぐらい。それから本を読んだりものを書いたり。以前は
夜型だったんだけど、朝一時間は夜の3〜4時間に匹敵する、それがわかって
から夜は仕事をしないことにした。朝2〜3時間仕事をすることが、だいたい
自分のノルマになったかな。 ・・・。 ≫
▼ 数ヶ月前から、ブログを書上げネットにアップした後、それまでは、
 次のプログラムを直ぐに移行するが、その時、ただボ〜ッと全身を弛緩し、
ただ座ることにした。これが意外と難しい。要するに雑念が次々と思い浮ぶが、
その中に思いもよらぬ砂金が含まれていることがある。「我考える」とはいえ、
どうせ、碌なことしか考えてない。それなら、この随想日記のように、まず
禄でもないことから、考えればよい。元もと『禄でない』だから!
早朝の散歩も、ポタリングも、ある瞬間、『無念無想』の瞬間がある。
『エッ!俺、何時もボ〜ッとしている』って? それってバカじゃないか。
それってバカじゃない。

・・・・・・
5901,閑話小題 〜病は覚醒装置である 〜3
2017年05月12日(金)
   * 自己を失うことと、存在を失うこととは違う
 <自己を失うことと、存在を失うこととは違う>とは、意味深長の言葉。 
 挫折を例にすると、「挫折で自己を失った時期があったが、その中でも、
自己の存在が、その状況を冷たく、優しく見つめていた」という存在である。
印税が多く入ってくるのだろうが、浪費癖のため、蓄積は多くない?  
≪ 入院した半年後に退院したが、仕事が皆無になっていた。いきなりバッタ
 扉を閉められたのだ。世界は私を拒否をした。私は何もかもを失ってゼロに
なった。ゼロに、そうゼロである。仕事もなければ、身体を支える足も萎え、
私は私の知っているではない。見慣れない老いさらばえた女が鏡に映っている。
 …(略) 仕事を失ったと同時に、私は社会から閉め出され、私を規定する
他者を失った。他者を失うことは、すなわち自己を失うことである。ここで
あえて「ゼロ」を「無」とは表現しない。世間が中村うさぎを消し去っても、
私の存在自体がこの世から消えるわけではない。
 「自分を失うことと、存在を失うことと同義ではない」。
自分がゼロになった感覚は恐ろしいものだが、しばらくすると何だかどうでも
よいいいことのように思えるようになった。ゼロになったということは、単に
リセットされたということではないか。
 たとえば、ゲームをやっていて、いきなり何かのエラーで強制終了になって
今までやってきたことが、全部リセットされるなんてことは、昔は日常茶飯事
だった。同じようなことが人生でも起きたと思えばいい。また一からやり直せば
いい。そんな強制終了も人生でも起こりえるのだと、と学べただけでも儲けもの
ではないのか? …(略) 結局のところ、人間は自分で自分を救わなくては、
どこにも行けない。≫

▼ 深く考えることも、大きく挫折したことのないサラリーマンが、定年を
 むかえた時に、上記のような初老性欝病に陥るケースが多い。「私の人生、
何だった?」の根本的疑問である。20歳代から30歳半ばまで多くの変転を重ね、
リセットの最中で、著者の「自分で自分を救わないと、どこにも行けない。
何者にもなれない!」と独り言を脳裏で呟くしかなかった。それが、6年前の
リタイアの節目から、現在に至るまで、他者の存在に気にすることなく、
現在に至っている。元もと自分も、他者も、幻想でしかない。そこまで、
精神を覚醒していれば、何のことはない。どうでもよい事である。


6630,閑話小題 〜正面衝突の可能性もあった

2019年05月11日(土)


    * 他人事でない事故
 幼稚園児の列に右折と直進してきたオバサン2人の車が衝突、幼児の二人
が死亡した。やはり起こったかが感想。時どき、この判断で迷うことが多々ある。
2ヶ月ほど前にスポーツジムに行く途中の大通りで、右折しようとしたところ、
右折点滅をして直進してきた車があった。右折発進をしようとアクセルを踏む
瞬間だったが、何か嫌な予感がして留まったところ、その車はそのまま直進を
して通り過ぎていった。アワヤの大事故になるところ。私も右折サインを出した
まま、走っていることがある。ところで、こういううっかりミスに対する判断を
「自動運転車」は、どのように判断する?のだろう。
  〜ネット記事から〜
≪ 大津市の交差点で車同士が衝突し、弾みで1台が散歩中の保育園児の列に
 突っ込み、2歳の2人が死亡し1人が重体、園児と保育士の計13人が重軽傷を
負った事故で、大津署が事故車両に積載されたドライブレコーダーを解析
していることが9日、同署への取材で分かった。 自動車運転処罰法違反
(過失傷害)の疑いで逮捕された大津市の新立文子容疑者(52)の乗用車が
右折しようとした際、前方の安全確認が不十分で、直進してきた同市の
下山真子さん(62)の軽乗用車にぶつかったとみられる。≫
 ―
▼ 今回の事故で2人が逮捕されたが、状況をみるとドチラか一方が悪いはず?
と思ったが、案の定、一人が直に釈放された。直進する運転手の判断ミスの
ようだ。あの時の一瞬の勘は、何だろう? その判断で自らを助けたことに
なったが、思いだすたびに震える。私の車には車載カメラがついてないため、
事故っていたら、私の判断ミスと決めつけられる可能性もあった。
 40年近く前、通称『ありがとう事故』でオートバイを撥ねたことがある。
右折をしようと停車をしたところ、前の車が、停車をしてくれ、行けという
点滅をした。そこで右折をするとオートバイが、その車の左側から直進して
きて衝突して転倒。人身事故ではなかったのが、不幸中の幸い。保険内で
済んだが… 運転免許の取得の期間に、平均すると重傷事故を一回起こすと
いうデータがあるというが。 男女間の諍いを事故に類推すると面白い?
特に結婚生活。北欧では7割、アメリカで5割、日本は3割5分が離婚に至る。
問題は、子供に対する影響。世の中の大方の不幸は、両親の不和から起因する
性格形成で生じる歪みが多い。暴走車が人の列に突っ込むのを犯罪に例えると
何やら恐ろしくもなる。そう例える私の心象風景も問題ありますか。

・・・・・・
6267,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −3
2018年05月11日(金)
   * 「わかる人はわかる」というのは本当!
 過去を振り返ってみて、何度も、何故か「何か」に助けられたことがあった。
それが不思議である。母親も何時も危機になると不思議の力で助けられてきたが
口癖であった。それが幼児の頃に亡くなった父親だという。私のそれは何?
ユングの集合的無意識の家族バージョン、先祖バージョンか、原子脳の働き?
確かに霊感は、その人によって、時節によって強弱がある。両親の良し悪しで
人生の大方は決まってしまう。これも運。宿命は変えられなくても運命は変え
られるというが、そのためには、膨大なエネルギーの集中を要する。欧米では、
心の奥の院にアッラーの神が存在する。日本では多神教としても、その中核に、
仏教がある。太平洋戦争敗戦後、70年以上経過して、平和ボケしてしまった。
そこに情報機器の進化で、ネット社会が現実社会を覆ってしまった。神も仏も
ありはしない世界が日常になった。韓国や北朝鮮を「合せ鏡」にすれば解るが、
それ以上に危ないのが日本。
           《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》   
≪ …髑髏島の原住民たちがコングの人間界への侵襲を防ぐために建設した、
 あの巨大な「門」を想像してもらえればよろしいかと思う。 「かんぬきと
戸がしっかり機能している場所だと、私たちは「高ぶる波」のすぐ近くまで行く
ことができる。 聖人とは、「境を定め、かんぬきと戸をもって高ぶる波をおし
とどめる」人のこと。 私たち全員がそのような仕事をしなければならないという
わけではない。けれども、時どき、聖人が登場して、「かんぬきと戸」の点検を
することは私たちが人間的秩序のうちで生きてゆくためには必須のことなのである。
 私はかつてそのような仕事のことを「歩哨」(sentinelle)と呼んだことがある。
私たちの社会制度のさまざまな箇所で「ほころび」が生じている理由を私は端的に
「歩哨」の絶対数が減ったことだと思っている。 福島の原発事故は「恐るべき力」
を制御するための「かんぬきと戸」の整備と点検の仕事がほとんど配慮されて
いなかったことを示した。そこには会社の収益や、マニュアル通りの業務や、
自身の組織内の立場を優先的に配慮する人間たちはいたが、「あなたの高ぶる
波はここでとどまれ」と告げる「歩哨」仕事を自分に託された召命だと思って
いる人間はいなかった。
「境を守る」ことを本務とする人間を「戸」の近くに配備しなければならない
という人類学的な「常識」を私たちはだいぶ前に忘れてしまった。
戦争もテロも飢餓も恐慌もない、豊かで安全な生活が半世紀続いただけで、
日本人はその常識を忘れてしまった。 私たちの生きているこの狭く、脆い世界は
「境を守るもの」たちの無言の、日常的な、献身的な努力によってかろうじて
支えられているのだということを忘れてしまった。
崩れかけたこの社会の再構築のための急務は、「歩哨」の備給である。「境」に
おける歩哨のふるまいには定型的なマニュアルもガイドラインもない。もちろん、
一般的な「傾向」はあるが(それは神話や恐怖譚として繰り返し語られている)、
「存在しないもの」の侵襲はどのようなかたちをとるのかを私たちは正確には予測
できない。だから、歩哨たちには「どうふるまってよいかわからないときに、
どうふるまえばよいかがわかる」能力が必要なのである。
その「センサー」を研ぎ澄ますために経験的に効果的な方法が存在する。
宗教的な修業や武道の稽古は本来そのためのものである。
たしかに、そういうセンサーがきちんと機能している人がいる。
WTCへのテロのとき、「なんとなく外に出た方がいいような気がして」
ビルを出て難を避けた人がいた。その日に限って、「ふだんと違う行動をとって
生き延びた人」がどれくらいの数いたのか、誰かが統計を取り、その人たちに共通
する「生き方の傾向」を吟味するというのは興味深い研究主題だと私は思うが、
たぶん「非科学的」と一蹴されることだろう。でも、「わかる人はわかる」
というのはほんとうである。≫

▼ <「存在しないもの」の侵襲はどのようなかたちをとるのか>
 ・朝鮮戦争を勃発とする三次世界大戦なのか、
・数千、数億単位の犠牲者が出る、パンデミックか、
・首都直下型大地震か、富士山の大爆発か、三陸沖大地震による大津波?
などなど考えれば限がない。とはいえ、如何にもならないことが娑婆にはある。
「人生のデザイン」を自ら描き、それに近づく生き方をそれぞれしていけばよい。
難しいが、面白い時代でもある。 鼻歌を歌いながらスキップ? そりゃ無理?
顔が強ばり、泣き声になり、よろけながらも、人間は生抜いてきたんだから!
間違いないのは、「運の良い人は、何があってもプラスに出来る人。」
「運の悪い人は、何があっても運がない」ということ。楽天的に生き、幸運を
引寄せる生き方を心かけることですか。 周りは迷惑千万を承知の上で?

<わかからない人は、所詮はわかからない>のである。ならば…
で、以下の <「いい人」やめて、「ろくでない」になれや> に…
――
熊: せっかく、真面目に読んで来たのに… 今さら何を?
寅: 落ち落ちだよ。「わかる人はわかる」だがね、念のために。
大家: ろくでもない奴に、ろくになれと言ってもね。何だろうね。

・・・・・・
5170,人生相談という気晴らし! 〜
2015年05月11日(月)
              『人生、しょせん気晴らし』中島義道著
   * 「いい人」やめて、「ろくでない」になれや
 母親の痴呆症と5年半の間、付合ったこともあり、相談者の切実な気持ちが
手にとるように分かる。兄弟の微妙な関係もあって、そう簡単に事は進まない。
ただ「いい人」を止めてしまうことには大賛成だが、「いい人」は簡単に止め
ようがないもの。介護は、それなりの強さと覚悟が必要になる。「ろくでなし」
にも、覚悟が必要。 正常と非正常の間を彷徨う肉親との同居は重く疲れる。
≪ Q: 〜母親の介護で、自分自身が壊れてしまいそうです!〜
 私は四十五歳で、現在母親の介護をしております。母の介護をするために
仕事を辞め、現在無職です。私には、父、兄、弟がいるのですが、まったく
母の面倒をみようとしないので、男一人で母の介護をしております。
 その母も痴呆が進み、モノの判断ができなくなり、外でゴミを拾ったり、
真夜中に叫んだり、私もその対応に、やり場のない疲れが溜まっております。
もういっそのこと、私も介護を放棄し、母親に早く死んでほしい気さえします。
同時に私まで気がおかしくなりそうなのです。しかし、これまで母親に世話に
なったことを考えると、それも出来ません。このように思う私はやはり
「できていない」人間なのでしょうか?
A: 〜「いい人」をやめて、「ろくでなし」になりなさい!〜
 これも失礼ながら、いらいらする相談ですね。あなたは、私の嫌いな
「いい人」なんですね。これまた細かい事情はわからないのですが、真剣に
考えれば社会的にはいろいろ道は開けると思います。お母さんには息子が三人も
いるのですから、三人でお金を出し合って、介護士を雇う、老人ホームに預ける
等々。(お父さんはともかく)ご兄弟がそれに協力しないのなら、あなたが介護を
続ける代わりに、彼らにあなたの心的・肉体的負担相応のお金を請求してもいい
でしょう。お二人がそれさえ拒否するなら、その原因は二つ考えられます。
一つは、あなたのご兄弟が「ろくでなし」だということ、もう一つは、あなたが
「いい人」という名の「困った人」だということ。「ろくでなし」と「いい人」
が共存すると、だいたいいまのあなたのような状況に陥ります。「ろくでなし」
は、「いい人」を骨の髄まで利用し続け、「いい人」は全身不満の塊になって
恨み続けるというわけです。一般に、人がある限度を超えて耐えるとき、碌な
結果を呼ばない。だから、なるべく避けたほうがいいのです。・・(略)
 あなたがお母さんを(間接的にでも)殺さないうちに、あるいはあなた自身が
「気がおかしく」ならないうちに、あなたは大変身する必要がある。つまり、
「いい人」をやめて、ご兄弟と同じように「ろくでなし」になることです。
そこで、私の提言はただ一つ。一度みんなを集めて、「俺だけおふくろの面倒を
見るのはおかしい!」と大声で叫んでみてはどうでしょう。「もう介護はやめる!」
ときっぱり宣言してはどうでしょう。つべこべ理由を言う必要はない。ことの
おかしさは、どんな「ろくでなし」にもわかるはずですから。一度、そういう
修羅場を経由しなければ、そしてみんなが全身ひりひりするほどの痛みを覚え
なくては、何も変わらない。もっとも、あなたがどうしてもそうしたくない、
そういう勇気がないというのなら、仕方ないですね。お母さんが死ぬまで、
あなたは介護を続けるしかないでしょう。お母さんを恨み、ご兄弟を憎み、
そして自分を責めて生きるしかないでしょう。≫
▼ 介護には、周囲の無理解がついて回る。「まだらボケ」が、その一つ。
 第三者が居るときには、緊張が入った正常状態に近いため、痴呆症の人との
同居経験がないと、「聞くと見ると大違い」と、勘違いをしてしまう。
で、「ろくでなし」と決め付けられる。 当人は今さら何をか!
私自身を振り返ると、見えてくるのが、「ろくでない」「いやなやつ」の影。
・・・・・・・
4064, 思想とは
2012年05月11日(金)                   
  * その人の思想とは一つの行為である    
           ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
 ≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
   心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
   ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
   今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
   他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
   掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
   子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
   それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たもの
   でなければ、けっして心に達するものではない。(ゲーテ「ファウスト」)
  そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう
  人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。この人物には思想が
  ある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、
  そのように生きる、その生き方の言葉や行動にあらわれたもの、という
  ことになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値する。
  そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
 ≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、
  思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
  口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では
  支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、そんなふうに
  言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、
  というのである。なぜなら、ひとは自分がしんから正しいと考えたこと
  (それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの
  全存在を賭けてそれを言うのであり、それが周囲に認められ、あるいは
  否認されることで、己というものを知るのだから。≫
▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、
 書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、その場で文章化
して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッター
チャンスを待つが、その間、頭の中で、その場の光景の実感を文章化している。
写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。思想とは、
真実、良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、
自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。読書日記より、書くネタが
なく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと
言われるゆえんである。



6629,閑話小題 〜TV映画、感想記

2019年05月10日(金)

   * 『友罪』 〜TV映画、感想記
<ジャーナリストの夢を諦めて町工場で働き始めた益田は、同じ時期に入社した
鈴木と出会う。無口で影のある鈴木は周囲との交流を避けている様子だったが、
同じ年の益田とは少しずつ打ち解けていく。しかしある出来事をきっかけに、
益田は鈴木が17年前の連続児童殺傷事件の犯人なのではないかと疑いを抱く
ようになり……。>
 そこには、他にも幾つかの深い心の傷を負った過去を持つ男たちが次々と
同時進行で現われてくる重い内容。そのどれもこれもが、そこまで深くないと
しても似た経験を誰もが持っている? 少年の頃、親友への虐めを助けてやれず
死なせてしまったとか…  死に至らなくとも、何故、あの時、助けてやれな
かったとかの傷を心に誰も持つ? 何だったのだろう我ながら情けない私は?…
【タクシーの運転手(佐藤浩市)は息子が交通事故で三人を殺し、家族を解体して
償いの日々を送っていた。その子供が、結婚をするのが許せない。そして、孫が
生れて幸せになることも、父親として許せない。】 等の葛藤が、次々と。
重すぎて中断を入れ、分けることでやっと見終えることが出来たが、見終えた
後は、加害者側の、苦悩と、理不尽な怒りが、透けて見えるようでなかなかの
出来栄え。10年ほど前に、突如、『少年A』がマスコミに再登場したが、それを
再現したような内容。
   * 『あゝ、荒野』 〜TV映画、感想記
 これと同時進行で、『あゝ、荒野 前篇・後篇』作品二本を見た。
寺山修司が 遺した唯一の兆編小説を映画化したもの。これも底辺に生きる若者
の生き様を描写したものだが、深い心の傷から血がしたたり落ちてくるような
様は鬼気迫るもの。人生、特に若者が生き場をみつけることの難しさは… 
寺山はあとがきで
「この小説をモダン・ジャズの手法によって書いてみようと思っていた。」とし、
「大雑把なストーリーをコードネームとしてきめておいて、あとは全くの即興
描写で埋めていくというやり方」で書いたと記している。
有り余る時間とエネルギーが無いと、前後編通して5時間の大作は見れない。
『友罪』と同時進行で見るには、うってつけの内容だ。
 〜で、これも偶然、去年の同月同日の内容の文脈に丁度、つながる。
熊、寅のタッチじゃ軽すぎるが… 犯人の家族にも過酷な人生が待っている。

・・・・・・
6266,閑話小題 〜つれづれに ー新潟・少女殺人事件
2018年05月10日(木)
    * 新潟・少女殺人事件
熊: 県知事の買春事件で大騒ぎの後に、父子五頭山遭難騒ぎにつづいて全国区
  ニュースが続くね。何でわざわざ、死体を線路に置いたのだろうね。
寅: バラバラにして死因を隠すためだろうか? それを目撃する快楽を味わう
  快楽犯も考えられるけど、それは考えすぎ?。 白い車で、黒服の男という
  から、2〜3割?は、該当するからね。女児が朝、しつこく声をかけられたと
  いうから、何処かの監視カメラに録画されている可能性が高いし… 
  解決は早いだろうよ。昨年9月には、同じ小学校の女子児童が男に声を掛け
  られたり体を触られたりする不審者情報が3件あったというしね。
熊: 死んで何時間すると轢かれても出血しないことを、この事件で知ったけど、
  犯人も知らなかったみたいだね。ということは、死因を隠したかった?と
  しても、殺した上に… 
寅: 俺さ、北欧の刑事モノ連続ドラマに、この数年嵌っているので、こういう
  異常な事件になると、色いろ思い浮ぶんだ。俺なら、阿賀野川の河口に
  捨てるとか…。イギリス、北欧モノには、少年少女への暴行殺人が、結構、
  多いし。としても、異常過ぎる事件だね、これは。 何も知らない子供の頃
  から、異常ドラマを見て育ったら、映画と現実の境目がつかなくなっても
  不思議でないさ。
大家: 情報化がもたらした、マイナスの一面ですか。全国版で、リアルタイム
  の犯人探しとして扱われるのだろうが… 私も、興味本位では、その一人。
  マスコミにとって、犯人逮捕が遅れれば遅れるほど、視聴者の興味が膨らむ
  ため、有難いのだろうがね。
寅:<9月に、逮捕していれば>のそもそも論が、当然てるため、警察は必死に
  なるから。 9月、5月からみて、学生が考えれるね。
熊: 昨日さ、たまたま寅さんに勧められて録画していた北欧の刑事モノを見た
  けど、酷い内容。 その内容を思わせる事件で、何か、背筋がゾッとしたよ。

――
   * 身近な野生動物は
 庭に来た「雉」を考えているうちに、野生動物といえば、近所を縄張りにする
カラスと早朝の川辺や、庭に飛来する野鳥か、時どき居間に侵入してくる蝙蝠と、
虫を改めて認識した。雉、鴨、鶯など渡り鳥が多いのは地方の盆地なればこそ。
野鳥は、誰の助けも借りず、仲間同士で営々と生延びている。その中で、カラス
について、ここで何度かテーマにしてきた。TVでカードをかすめ取り、券売機
にさし込もうと試みる錦糸町駅のカラスのレポートを放映していた。元もとペット
で飼われていたようで、肩や腕に平気で乗っかる。 私の家のペットは代々、
小鳥派で、インコ。 7代、小桜インコだったが、メキシコ黄金インコに、そして
今では、世界最小のルリハインコで、歴代で一番の7年生存で、唯一の芸、
「枝回転」を披露している。

・・・・・・
5534,若者よ、外に出よ! ー 19世紀の芸術に触れろ 〜B
2016年05月10日(火)
               『人生の教科書』なかにし礼著
 ここで、若者に、<海外に出て、自然と、芸術作品に触れ、読書などで
教養を積み、恋愛をしろ>と勧める。これは若者だけでなく、壮年、老年に
も言えること。情報化社会の中で、クラシックをジックリと聴く余裕は少ない。
しかし、今ではアイフォンがあり、何千、何万の音楽を入れておくことが可能。
更に今では、定額のネット配信で好きな音楽を好きな時間に聴くことができる。
そのベースとなる19世紀クラシック音楽鑑賞を趣味にすることを勧める。
  * なぜクラシックを聴くべきなのか
≪ 芸術を学ぶ際、音楽なら、黙ってクラシックを聴くこと。いまだに
クラシックは不滅の音楽なのだから、それを聴くことが趣味になれば最高だ。
たとえ趣味となり得なくても聴くべきである。
 特に、やはり19世紀の音楽。18世紀にはモーツァルトがいるけど、彼の死後、
すぐベートーヴェンへ、19世紀の音楽へと繋がっていく。ベートーヴェンから
始まって、シューベルト・ショパン、ブラームス、ワーグナー、マーラー、
ブルックナー、ベルリオーズ……とにかく19世紀だ。
 ロマン派の時代である19世紀は、前世紀の革命時代が終わり、
「人間は進化する」ことを人類が知った時代である。愛によって人間は死ぬ
こともできるし、愛によって罪を犯すこともできる。そして「人間は進化して
神にもなれる」という思想を、芸術家たちが作品の中に叩き込んだ。
19世紀は人間の可能性のすべてを歌いきった時代なのである。
 文学の世界でも、トルストイ、ドストエフスキー、バルザック・ユーゴ、
アレクサンドル・デュマ、スタンダール、ゲーテ、バイロン、シラー、ボード
レール・ベルレーヌ、ランボー、オスカー・ワイルドなど、大作家が生きた
時代はすべて19世紀である。
 19世紀という時代を常に自分の心の中に持っていようとするには、音楽を聴く
ことを日常の習慣にしてしまうことだ。この頃の作品は、今や不滅の作品群だ。
20世紀になるとそれらはすべて別の音楽になっていってしまうし、言うなれば
19世紀の残骸のようなものだ。19世紀の音楽を楽しめなかったら、その人間の
精神生活はすごく貧弱なものになると思う。 ≫
▼ それでは、絵画はどうだった調べてみると、
【19世紀はもっとも絵画が進化した時代と言っても過言ではない。現代絵画の
巨匠ピカソやマティス、ムンク、シャガールなど全員がその影響を受けている。
16世紀まではイタリアが、18世紀はフランスが芸術の最先端。ゴッホは19世紀
終わりの画家である。・・】とある。その背景には、国力の成熟もあるようだ。
学生時代に、安いステレオを買って、世界の民謡、ジャズ、アメリカン
ポップス、クラシックを独りコーヒーを飲みながら聴くのが楽しみだった。
 大都会の中の孤独は、音楽と読書でまぎらわすのが一番だったが、後から
考えてみると、大都会の中の孤独こそ、一番の環境だったことになる。
早稲田大学近くの寮、今でいう「シェアハウス」の25人の地方出の共同生活
から垣間見た人間観察と、クラブ、ゼミ、世界旅行と、恵まれた経験だった。

・・・・・・
4437, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか ー7 
2013年05月10日(金)
     ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
  * ルート6 幸福学研究からのアプローチ(幸福学の道)
《 幸福になるための因子は、自己実現と成長、つながりと感謝、楽観性、他人
の目を気にしない生き方。それを満たすのは、自己を捨て、無我、無私を実現
する達人の生き方。欲にも、生死にも、他人との争いごとに拘らず、達観して
静かに生きる姿勢。ここに達成した人は、持続的至福に達することが出来る》 
これが、幸福学の結論。 現在の状況を冷静にみると、
「これが人生、で、もう一度同じ人生を歩みたい」という現在の心境と同じ。
  ー他人と比較しないことによる幸せこそ、人生の要諦。 その辺りよりー
≪ 幸福学とは、要するに、幸せに効く主観的な要因は何かを明らかにする研究。
 その結果、僕たちの行ったアンケートの範囲では、幸福の要因は大きく
 四つの因子に分けられることがわかった。
・一つ目は、自己実現や自己能力に関する因子。目標を持っているか、直近の目標
  と将来の目標に一貫性があるか、自己統制感が高いか、自尊心が高いか、など。
・二つ目は、つながりに関する因子。他人に対して親切か、様々な出来事に
  感謝しているか、多様な知人がいるか、など。
・三つ目は、楽観因子。楽観的か、ポジティブか。
・四つ目は、他人と自分を比べない因子。他人と自分を比較しない傾向が高いか。
 ここでは、四つ目の因子に注目しよう。 すなわち、「他人と自分を比べない
  ことによる幸福」について。 自分を他人と比較しない人には、長続きする
 幸福が訪れると考えられる。千五百人への調査結果も、それを表している。
つまり、千五百人の回答者のうち、他人と自分を比較しない傾向が強い人は
幸福である比率が高く、他人と自分を比較する
傾向が強い人は不幸である比率が高かったのだ。
 自分と他人を比較しない人々には二つのタイプがあると考えられる。
他人を見ないタイプと、自分を見ないタイプだ。前者は、自分だけを見て他人
を見ないタイプ。周りのことを気にしないマイペースタイプだ。 我が道を
行くから、周りなど関係ない。場合によっては、独りよがりだったり、わがまま
だったりするかもしれない。自分は幸せでも、他人には迷惑をかけている
「自分勝手」タイプかもしれない。後者の自分を見ないタイプは、逆に、
世界は見るが自分を見ないタイプ。何が欲しい、こうなりたい、などの自我の
欲求があまり強くないから、他人と自分を比べることにそもそも興味がない。
悪くいえば向上心や競争心がない。なすがまま、自然のまま、だ。
 たとえば、武道の達人をイメージしてみていただきたい。茶道、華道、座禅
などでもいい。 凛として、姿勢がよい。何かあっても、動じない。静を以て
動を制す。普段は静かだが、実は相手を倒す力を秘めている。無駄に力んだり
せず、相手の力をすっと利用して、自分の思いどおりに世界を動かす。しかし、
私利私欲はない。判断は大局的。全体が見えている緊張感のある空気を醸し
出すが、自分のためには怒らない。思考の対象は常に世界だ。世界のために
行動する包容力。名声を得ていたり、人望が厚かったりするが、決して自慢など
しない。 もちろん、他人と自分の比較などしない。≫
▼ どうも世の中、嫉妬と苛めの糸で哀れなほど。私住む城下町は長年の柵
 で、雁字搦めの蛸壺社会。8割以上が地元出身者で占められ、それが全社会。
学校関係者以外は殆ど付き合いがないが、垣間見えてくる世界は箱庭のようで
面白い。知識を持たない人の無意識の科学は、身近の人との比較しかない。
不幸になって当然。それも私の主観による思い込み。「横を見ないで、縦
(今、ここ、自分)を見て生きる」と割切ってしまえば、良いが。
・・・・・・
4063, 本当は怖い抗うつ剤 ー2
2012年05月10日(木)
  * うつ病になったら、どうしたらいいのか。      
              { 浜松医科大名誉教授 高田明和 }
 倒産の惨劇を身近で見ていたので、二年間は落ち込むのは避けられないと判断。 
最小にするためスポーツジム通いと、打ち込める対象を加えることを考えた。
一つ間違えると欝に伴う暴発か、破滅になっていく。それがiPadとシネマと
 蔵書の再読と、世界の潮流の鳥瞰などを、逆に徹底的に楽しむことであった。
それと、中村天風の「積極一貫」の思想書を、身近に置いて何度も読み返した。
二年にまだ一年あるが、一息ついた後半の方が危ないのかもしれない。
 その私が予防策でとった方法がそのまま、治療法として研究されていた。
運動と、考え方、受け止め方をプラスにすることだ。
≪ うつ病の治療法として確立しているのが「運動」である。体を動かすことが
精神によい影響を与えることは様々な研究で示されている。第二は「ものの考え方」
である。私たちは競争社会に生きている。競争とは相手に勝つことを目的とする。
もし負ければ落伍者になる。一度敗北すると、将来がないように思うのだ。
さらに大事なことは、どのような分野でも自分より勝れた人がいるという事実。
 例えば野球にイチローがいて、ゴルフには石川遼がいるのと同じようなものだ。
努力は大事だが、自分が及ぼないからといって自分を責めていたら人は決して
心の幸せは得られない。・・・堀口大學は自身の『座右の銘』という詩で
「暮らしは分が大事です。気楽が何より薬です そねむ心は自分より 以外の
ものは傷つけぬ」と詠んでいる。自分以外とは社会的ランクのことである。
今の自分のランクを受け入れ、それでよいのだとする以外に心は楽にならない。
禅では「不思善 不思悪」といって、思い出さないことをもって最も尊いとする。
といって、無理のことなら、思い浮かんだら、しばらく放っておいて手を出すな、
必ずその思いは消えると、禅では教えている。 実際に、どのような思いも
5秒で消える。・・・ ≫
▼ 「どんな思いも5秒で消える」は、言いえて妙である。出るのは仕方が
 ないが、なるべく、そこで切るように心がければよい。全ては二年で落着くし、
目先は五秒のフラッシュで出てきた思いの延長を考えないこと。特に寝付けない
布団の中での苦悩の嵐は、訓練で最小にすることが可能。 そのためにiPod
を枕元に置いている。最近は、ほとんど夜半、使うことはないが、音楽は効く。



6628,読書日記 〜『無知の科学』だってさ! −4

2019年05月09日(木)



      <『知ってるつもり――無知の科学』
        スティーブン スローマン,フィリップ ファーンバック(著)>
   
    * 知識の錯覚 「私たちは嘘をいきている」
 読むほどに、実は思いの外、私たちは無知であることに気づかされる。
それを学生時代に知り得たため、読書習慣を自らに課してきた。で、この程度。
しかし、情報機器の進化は、人間の脳の能力を遥かに凌ぐようになった現在、
逆に自らの「知っているつもり」を認めて、謙虚にへり下る態度も必要か!

  〜 以下は要約した個所である。
≪ 私たちは驚くほど無知であること、自分で思うより無知であることを
 見てきた。また世界が複雑であること、私たちがみるより、遥かに複雑である
ことを見てきた。ならばなぜ、これほど無知な私たちが世界に圧倒されないか?
知るべきことのほんの一端しか理解してないのに、まっとうな生活を送り、
分ったような口をきき、自らを信じることができるのか。
 それは私たちが「嘘」を生きているからだ。物事の仕組に対する自らの知識を
過大評価をし、本当は知らないくせに、ものごとを理解していると思い込んで、
生活をしていることで、世界の複雑さを無視しているのである。実際にそうで
ないにもかかわらず、自分には何が起きているかわかっている、自分の意見は
知識に裏付けられた正当なものであり、行動は正当な信念に依拠したものである
と自らに言い聞かせる。複雑さを認識できないがゆえに、それに耐えることが
できるのだ。これが知識の錯覚である。 大人になるにつれて、探求を止めて
しまったことが、物事が複雑であることを忘れてしまったことに起因している
のかもしれない。「その先は、実は知っているが…」と、空白をつくるが、
実は、その中には何も入ってない。まず自らを誤魔化すことが、人間の甘さ。≫

▼ そこでスマートフォンなるものが普及してきた。これを活用すると、凡人が
 天才の能力に近い人種にスケールアップすることができる。 世界中の脳が
ネットで繋がり現実社会を覆ってしまった。このお陰で、逆に何も知らなくても、
超小型pcに音声入力で検索すると、世界中の脳に繋がり、ベスト・アンサーの
情報が入手可能になったのである。 それが逆に、『知っているつもり』の
無知人間に陥ってしまう危険性が大きくなった。自分の縁る基地の軟弱化である。
 このブログを例にとると、外部脳と、自分脳とが、何時の間にかシースルー化
している。過去に書いた、文章を現在の私が読むと、その内容自体が、外部脳
と自分の脳の混合でしかないことに気づく。それをまた外部脳が読んでいる。
フワフワした脳を公衆に晒すことを継続することで、自らを変えているつもり
だが、そう甘くはない。私たちは「共同幻想」の世界に生きている。幻想という
嘘の世界に生きているが、誰も、そのことに気づいていない。その事実を話すと
変人扱いされるため、知っている風をして黙っているしかない。しかし、誰もが、
スマートフォンを手に入れ、情報基地を持ってしまい、知ったつもりの人間が、
互いに繋がってしまった。無知同士が互いに繋がると如何なる? この世界的
動乱が、この結果である。
 ランドアーという科学者は、1980年代に、コンピュータサイズを測るのと
同じ尺度で人間の記憶量を評価することを思いたった。現時点で評価すると、
ノートパソコン一台には長期保存用として250〜500ギガバイトのメモリーが
ついているが、0・5ギガバイトだと。 人生70年の間に、一定速度で、学習を
続けるとしても1ギガバイトである。これが10倍としても、大して変わりはしない
微々たる量でしかない。これは、あくまで記憶量の問題で、脳は複雑で、PCの
記憶媒体の質量とは比較できないが… それでも、昨今の情報機器の進化をみる
につけて、人間の脳は、進化する情報機器を前に、その限界がみえてくる。
 …としても、この情報機器の進化と、情報革命の諸現象は、あまりに面白い!
知ったかぶりね、知ったかぶりですか。情報化とは、浅くも深くにもなる、
その人の程度によって… 猿でないのに何でまた、掴んだまま手を離さない?

 追:偶然だが、一年前の内容が丁度良く、文脈でつながる… 
・・・・・・
6265,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −2
2018年05月09日(水)
             《『街場の読書論』ー歩哨的資質についてーより》
   * 歩哨的資質ですか!
 聖地や秘境との邂逅の場で、何やしらかが、「これ以上、立入るな!」と
無言の得体のしれない何かを感じたこと屡々。その時々に私の知っていること
など、ほんの僅かで、圧倒的未知の世界の一部から得る啓示に慄然とする。
<「存在しないもの」と「存在するもの」のフロントラインにおけるふるまい>
とは、分かりやすい表現である。人間は未知とのフロントを守護する歩哨ですか。
 考えさせられる内容のため、全文を数回に分け紹介しながら考えていく。
――

≪毎日新聞社が高野山金剛峯寺で開いているセミナーで一席おうかがいしてきた。
「公共性の再構築」という演題だったのだが、それは3・11以前に出した
ものなので、もう少し踏み込んで「社会制度の作りなおし」というテーマで
70分お話しする。
このところ繰り返し述べている「存在しないもの」と「存在するもの」の
フロントラインにおけるふるまいということをまた申し上げる。

私たちの世界は「存在しないもの」に囲繞されている。
宇宙の起源を私たちは知らないし、宇宙の果てに何があるか
(というより「何がないか」)も知らない。
時の始まりを知らず、時の終わりを知らない。
『ヨブ記』で主はヨブにこう問う。

「わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。
あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。
あなたは知っているか。
だれがその大きさを定め、
だれが測りなわをその上に張ったかを。
その台座は何の上にはめこまれたか。
その隅の石はだれが据えたか。
 (・・・)
あなたは海の源まで行ったことがあるのか。
深い淵の奥底を歩き回ったことがあるのか。
死の門があなたの前に現れたことがあるのか。
あなたは死の陰の門を見たことがあるのか。
あなたは地の広さを見きわめたことがあるのか。
そのすべてを知っているなら、告げてみよ。」(『ヨブ記』38:3−18)
ヨブはこの問いの前に絶句する。

私たちは私たちの生きているこの世界の「外部」についてほとんど何も知らない。
私たちは私たちの手持ちの度量衡では考量できないもの、手持ちの言語では
記述できないものに囲繞されている。
私たちが理解できる世界と、理解を超えた世界のあいだには目に見えない境界線
がある。 「存在するもの」と「存在しないもの」のあいだには目に見えない、
手で触れることもできない境界線がある。けれども、その境界線を守護するのは、
私たちが「人間の世界」で生きてゆくために必須の仕事なのである。
誰かが境界線を守護しなければならない。
『ヨブ記』においては主がその仕事を担っている。
主はこう言う。

「海がふき出て、胎内から流れ出たとき、
だれが戸でこれを閉じ込めたか。
(・・・)わたしはこれをくぎって境を定め、
かんぬきと戸を設けて、言った。
『ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。
あなたの高ぶる波はここでとどまれ』と。」   (『ヨブ記』38:8−11)

「存在しないもの」に向けて「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上は
いけない」と宣告する境界線がある。 高野山の奥の院に足を踏み入れたときにも
「フロントライン」に近づいた感覚がした。
弘法大師がそこでとどめた「高ぶる波」の微かな波動が感知された。
聖域というのは、そこで完結している場所ではなく、何かとの「境」なのだ。
機能的には「かんぬきと戸」なのだ。  
                      〜つづく  ≫

▼ カナダに初めて行って、ロッキーの景観に圧倒され自失茫然とした。
 その時の内なる声、「もしかして、これを見ずして死ぬところだった!
とんでもない! 
 夜半8時過ぎの薄暮のなか、バンフのレイクルイーズの周辺を家内と散策した
時のこと。家内が疲れ果て帰った後、更に独りで湖畔を歩いていると、何やしら
リスやカワウソ、ビーバー、鹿?などが威嚇する鳴き声。それでも女性一人が、
次々と帰ってくるのに励まされ歩いていると、今度は雷音が、「もう帰れ!と
言わんとばかりに聞こえてきたため、Uターンをして帰った。
世界的カーレーサーの明言、『限界までは誰でも行ける。問題は、その先、
どの位行けるか!』。 イスラエル、ケニア・タンザニア、シリア・ヨルダン
など秘境、異郷ツアーで味わうのは、その歩哨の感動体験の感覚。
<これらを見ずして、誰が死ねようか。見なければ、体験しなければ、それは
存在しないことと同じ。聖域とは、聖地とは、大自然の懐とは、そういうところ!>

追:【そんなことこそ大変だろうが、拘ることもないさ。中心を穴が空くほど
 凝視して、捨身になれば、一瞬でも解放されるよ、自分という柵から! 
折角、宇宙の彼方から観光旅行で、『光』を見に来たのだから。
 縛ってるのは自分以外、誰も居ないよ。 分かってはいないのは私自身。】

・・・・・・
「読書日記・映画鑑賞日記」のコーナー
2007/05/11
2229, 人生張っています −2
                (σ・з・)σオハYO!!
            『人生張ってます』−読書日記
 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い!
ーー
 さすがの中村うさぎも、毒気を抜かれて「まだまだ、うさぎは青かった」と。
「私はそれなりに地雷を踏んできたなと思っていたが、世の中には私の
踏んでない地雷がいっぱいあるものだと、勉強になりました」と脱帽。

 30歳前後位で、女はみんな迷ったり模索するじゃないですか。
その時に暴走しちゃったらするんだと思うんですね。
私の買い物もそうかもしれない。
5人の場合も折り合いがついてないのかもしれないが、
「私はこっちの道を行くと決めた」というのがあって。
こんな人にはなってはいけない。

「あなたはあなたなりの道が用意されているわけで、それはあなた自身が決め
ないといけないんだ」ってこと。誰かから決めてもらって押し上げてもらって
押し上げられた人は誰もいない。ある程度のところで決断して、捨てるものは捨て、
受け入れるところは受け入れて、自分の売りとか生きていくキャラの方向性を
決めないと。「これが私なんだ、こんな私はどうよ?」という腹のすわり方は、
読者も見習ってほしい。

 私のそういう瞬間は、第一次、第二次があるとして、第一次は離婚でしょうね。
あの旦那をわたしの人生から簀巻きにして放り出したところで、これでいいや
と思ったんです。それから浪費癖ですね。開き直ったんです。
「浪費作家・中村うさぎ」という名が売れるとは、想像もしてなかった。
ドン底にはまった時に、そのドン底がネタになるんですね。
ネタにしようとやっているわけではない。
    
 ーー
解)以上であるが、冷静かつ真面目に彼女等と自分を見据えている。
それよりも、すざましいウンコ話をパソコンに打っている自分が面白い?
秘境旅行は、一度の旅行に一通りの人生のトラブルが圧縮して立ちふさがる。
その一つが『デモノ・ハレモノところきらわず』である。

食事と飲み物と、時差の関係で、何時何処で、もようしてくるかわからない。
今まで、一度も失敗が無かった方が奇跡である位、何度も危機一髪の事態に陥る。
そんなことを恐れていたら、秘境旅行などできやしない。何とかなるものである?
だから、このエゲツナイ話が身に沁みるのである。
書き写すかどうか迷ったが、今さらである。
読まない方が良いですよ!と 言いながら・・・

こういう話は、タブーなのだろうが、この本は誰もが嬉々として
話しているところが怖い!ところだ。
  ー内容は、明日のお楽しみ?に!
  三人分の対談者の内容を書き写してある!
                ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё βyё♪


6627,読書日記 〜『無知の科学』だって! −3

2019年05月08日(水)

    <『知ってるつもり――無知の科学』
       スティーブン スローマン, フィリップ ファーンバック(著)>
   * 恐ろしいかな無知
・人生を長く生きてきて振返り思うことは、『無知』の恐ろしさ。それでも、
 何とか切抜けることがことが出来たのは、?? 著者が言いたいことは、
<人類は無知である、ということでなく、人間は自分で思っているより無知で
ある、ということ。私たちは多かれ少なかれ、「知識の錯覚」、実際には僅かな
理解しかしてないのに、物事の仕組を理解しているという錯覚を抱くこと。>
 会社の清算の決断と手順に入った時、幼児の頃から、両親から見聞きしてきた
ことと、そのプロセスから見えてきた差異から見えてきた生々しい現実。

・8年前になるが、新潟駅前の5つの物件が、一年以内で売却先が決まり清算が
 終了したが、これは奇跡中の奇跡。先日のモーニングショーで鬼怒川温泉の
倒産、放置されたままの3棟の廃墟ホテルの実態をレポートしていた。経営者は
夜逃げ、その後の処分が出来ないまま放置。私の最悪の事態の想定が、これ?

・当然のことだが、多くは、自分が実際には何も知らないということを知らない。
我々が話す殆どは、抽象的知識に頼って、それを、勝手に繋ぎ合わせているに
すぎない。社会の大部分は、錯覚した知識の中で生きているのが現実である。
性欲過剰?の恋愛感情をみれば、知識と情感に置換えてみると解りやすい。
刷り込まれた思い込みを互いに重ねて熱でブレてしまうが、熱から覚めれば、
「誤解から理解」になり、ハイ、さようなら! 殆どのことは、わかっている
という感覚に過ぎない。
 ―
   * 思考の目的は何か?
 思考の目的は、「行動」であると… 特定の状況に応じた行動を選ぶための
最適なツールは、情報処理をする知的能力である。そこで記憶が過去の最適な
因果関係を直感し、因果関係を察知する思考が出てくる。この能力がありながら
何ゆえに、世界の仕組の察知に疎いのか。それは…誰かが、情報を発すると、
それ以外のことが本質以外のことは忘れる。無意識が除去するためである。
我々の知性は、個別のモノや上京について詳細な情報を得るように出来てない。
新たなモノや状況に対応すれば、個別具体的な詳細情報より、大元にある規則性
だけを理解していればよい。その一例は映画の観劇で理解できる。大筋は記憶
出来ても、具体的な映像の殆どは、消え去っている。だから二回目、三回目の
方が遥かに面白く感じるのは当然である。
 ―
   * 知識の集合知
 自分の頭のなかにある限られた知識と、因果関係の推論のみに頼っていたら、
それほど優れた思考は生み出せないはず。人類が成功を収めてきたカギは、
知識に囲まれた世界に生きていることにある。今やネット社会。そこで、
「検索」で、地球上のあらゆる蓄積されてきた情報が気軽に入手可能になった。
そこで問題になるのは、自分と、以外の頭のシームレス。これで、何でも
「知っているつもり」になってしまう。毎日、拙い頭の中を公開している。
シームレスなればこその+−が、そこにある。

 ―
▼ としても、万人がスマフォを携帯している時代。クイズ王などで東大、
 京大の若者が、思いもよらいな難しい問題をすらすらと解いている。
そこに凡人がスマートフォンを持って、自由に使わせたら、同等か、それ以上の
脳力を発揮できる。そうこう考えると、この情報革命は生命誕生以来の大変革期
にあるというのも決してオーバーでない。そして、互いの脳の間が、シームレス化
していくのも実感する。知ったつもりを凝視し、まず量を熟し、質を高めること。
〈 ある人が、アメリカに行ったいいが、営業をしようにも英会話すらままなら
ないまま途方に暮れて涙をしていた時、近づいてきた老人が、その訳を聞き、
翌日から、そこで英会話のレッスンをしてくれた時の約束が…
「わかったふりをするな!」である。 『何にも知らないくせに!』 何をまた。

・・・・・・
6264,閑話小題 〜世間話のでき方 −2
2018年05月08日(火)
   * 世間教のおバカは自分のこと
 前に、「世間話のでき方」のテーマを思い立ち書いた。また「世間様」の
批判だが、前回の文脈からして如何に、風評が言い伝わるうちに、歪められるか、
物語として書換えられるかの恰好の事例になった。
・まず自分の話からして、都合よく脚色をつける。
 <修理後に、カツ屋に行こうと信号を渡って店に入いろうとしたらパトカーの
サイレンが聞こえてきた。まさか違うだろうと思いつつ、カツ丼を注文したが、
何か気になるため、帰り道は、万一と考え、大通りを避けて帰ってきた。帰りの
道すがら、万引きをして追われる男の気持ちとは、こんなものか?」が修正がある。
少し難しい話になるが、カントの「もの自体」の説明になる。主観が入るため、
描写そのものが無理。主観という歪みが入るのである。世間話なら、ほぼ嘘が
拡大する。この文章も私の歪んだ主観で折角の情報を面白おかしく歪んでいる。
その歪みを上から、下から目線で楽しんでこそ、面白みが倍増する。
・家内の一時停止違反の話を聞いて、脚色して話を面白くしたのを、家内が
間抜けな亭主がパトカーに追われてカツ屋に逃げ込んだ話に脚色。それが伝わる
うちに、警察に捕まり、連行されミッチリ絞られ…に発展していく。世間様とは、
そういう世界の人達をいう。これが世間教徒の姿と私の歪みを白状する。
・幼児の頃から、両親の会話の中に、その正体「全部、嘘かデマカシ」を知って
いたが、黙るしかなかった。(実はこれも脚色)。18歳から30歳近くまで地元を
離れ、34歳から新潟駅前で事業を始めて31年、職住を分けて、可能な限り同級生
以外に近づかないことを旨にしていた。これも歪み。先年に亡くなった親戚に、
半径500m、直径1kの人(世界各地のほぼ大部分になるが)、小さな小池の現実
に嵌って?生涯独身だった(これも私の歪み)。それぞれの歪みが自分になる。
カントではないが、それぞれが分厚い色付きの歪んだサングラスをかけて、身近
な人の風評をなぞって一生を終えるのが人生。 その歪みを少しでも自覚する
ため人は旅をし、読書をし、自然に接し続けなければ生きている甲斐がない。

――――
5532,若者よ、外に出よ! ー 天空のショー
2016年05月08日(日)
                『人生の教科書』なかにし礼著
   * 天空のショー
 人間わざ、大自然、そして宇宙へと、対象が一つずつ、ランクアップする。
自然現象、宇宙のテーマは、『人生の教科書』にはない、私の経験の話題になる。
 オーロラは太陽系の天空のショーで、地球上の自然現象ではない。だから、
その神秘な輝きに何か得体の知れない現象が感動を呼ぶ。テーマが、
「地球は」から、「宇宙は」に変る。 〜ネット検索によると〜
《 天体の無数の星星の間に輝くオーロラは、太陽から大気圏内へ、光や熱
 だけでなく、太陽風を降り注いでいる現象。この太陽風は、太陽の表面の
爆発によって放出されるプラズマ状の電気を帯びた小さな粒でできている。
この太陽風の粒は、地球の磁場を横切ることができない特性を持っていて、
地球の側面からは入ってくることはできない。それに対し、地球の北極や南極
の辺りの磁力線は地球に対して垂直になっているため、太陽風の粒は、地球に
入ることができる。こうして地球に入ってきた太陽風の粒が、オーロラを発生
させることになる。この極地方から入ってきた太陽風の粒が、地球から100〜
400Kmのところで、酸素原子や窒素分子などと衝突すると、光を出す。
これがオーロラの正体である。》 
 北極近くの天空をキャンパスにした神秘的な光のウネリは、気ままに姿を
現したり、消えたりする。その魅力は、映像では知ることは出来ない。
外に出続けた結果、出会えたのが、これである。〜10数年前の文章をコピー
――――
2003/10/14
923, アイスランド旅行記ー3
   2003年10月14日(火)
ーオーロラハントー
 数年前に、ノルウエーのトロムソにオーロラハントに行ったことがあった。
その時は「何だこんなものか」という程度で、期待とは全く違うものであった。
薄い雲がスジ状に光っているだけであった。だだ行きの飛行機から見たオーロラ
がカーテン状に広く光っていたが。今回も5日間で一日しか見えるチャンスが
無かった。夜になると寒くなる為か曇ってしまうのだ。
感動するような大きなオーロラのはそうそう見ることができないのだ。

 そしてたった一回だけの私にとって一生もののオーロラが出たのだ。
天空に展開した時の感激は、想像をしていたより遙かに神秘的かつ荘厳であった。
写真など撮っている余裕など無く、ただ呆然と見とれるだけであった。
これをどう言葉で表現したらよいのだろうかと考えていた。
 天空の黒をキャンパスに、滝が降るように頭上の両側に壁になり揺らぐ青白光の
波がこの世のものと思えない、神秘的なものであった。。
あとは「 ・・・・・  」である。

 取材できていた共同通信社のカメラマンが、
「このオーロラをどう東京の友人に説明したらよいか解らない」話しかけてきた。
「これは実際、この目で見るしか理解はできないでしょうね」と答えるしかなかった。
その時、涙が出そうになっていた。
 以前ツアー仲間から、この体験談を聞いたことが何回もあったが。
「もういつ死んでもよいと思った!」
「聞くと見ると大違い、実際見なくては!言葉で表現できない」
――――
H1201自然の神秘
−オーロラ−
旅行に行く度にツアー仲間よりオーロラのすばらしさを聞いて、機会を待って
いた。「この冬が十一年に一回のあたり年で五泊六日・三食付、十四万九千円」
の新聞広告に引きつけられ、ノルウェーのトロムソのオーロラ・ツアーに参加。
スカンジナビア半島の北極圏に位置した、北海道を思わせる質素だが、
豊かな上品な街というのが第一印象であった。丁度クリスマスのシーズンに入り、
それぞれの家が電飾で飾られておりお伽噺に出てくるような街並みであった。
トナカイにソリとサンタクロースがぴったりマッチするような絵画的景色であった。
帰りに一泊二日でデンマークのコペンハーゲンに立ち寄ったが、街中がネオンで
飾りたてられており、ディズニーランドを思わせるこの世とは思われない
“夢の国”という印象であった。特にチボリ公園の電飾が印象的であった。

トロムソに近づいた機中より見た、天空を背景にしたカーテン状の白いオーロラが
一番初めに見たそれであった。最終日の夜半三時よりみたオーロラも青色、ミカン色
と自然がおりなす天空色彩ショーであった。オーロラも必ず見れるという訳にいかず、
3〜4回来ても見れない人もいるという。一生に一回は見ておくべき自然のパノラマ
であった。             (H11.12.10〜12.15)
・・・・・・
写真
https://retrip.jp/articles/10962/
http://keiki-porori.com/archives/7892
http://4travel.jp/travelogue/10633722

録画
https://www.youtube.com/watch?v=lBiB6a9ERa0

・・・・・・
4435, 「死ぬのが怖い」とはどういうことか −5
2013年05月08日(水)
 * ルート4:主観的時間は幻想だと理解する道    
      ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
   ーまずは、この概要を主観的にまとめてみる。ー
≪ 客観的な「今」と主観的な「今」の違いからみると、客観的時間は、時間が
 一定速度で進むという前提に基づいている。 時間を秒、分、時間、日、月、
年、10年、世紀といった絶対尺度で捉えるから、そのような結論になる。
客観時間は、一定速度で進む。それは、人がそのように定義したからに過ぎない。
しかし、主観時間は、そのように捉えるべきものでない。主観的時間を考えるに、
「今」を考えてみよう。「今」は、客観的には時間軸のある一点である。
客観的な今は時間の幅を持たない。どんなに短くても、時間が幅を持ってたら、
それは今でなく、過去と未来になってしまう。今とは、それが千分の一秒前と、
千分の一秒後の間が、今になってしまう。 千分の一などどうでもよいと思い
がちだが、数学や物理の世界ではそれを認めない。ということは客観的今とは
時間幅を持たない。 では、主観的な今とは何か。「クオリアとして知情意を
感じている、この今とは何か?」と問う以上、主観的な今は時間の幅を持って
いると考えるべきだ。ここに、時間的幅を持たない客観的な今と、時間幅を持つ
主観的今。両者の定義は異なる・・ 私たちの心は、「今」しか考えられない。
過去を思い出したり、未来を想像できるが、それらを行うのも「今」だ。
私たち人間には、過去も未来もない。実は現在もない。過去を思い出せるが、
エピソード記憶に残っていることを思い出しているに過ぎない。過去はクオリア
ではない。単なる記憶だ。その過去の体験のクオリアに戻ることは出来ない。
人間には「今」しかないのだ。・・・ 僕たちは「今しか感じられない機械」。
今と、生まれてから今までと、今から死ぬまでが、あなたにとってのすべての
時間なのだ。それだけだ。 主観的時間には、「死」なんてない。死ぬ瞬間は、
もはや主観的な「今」はない。死の直前には「今」を感じられるが、それは
死の瞬間ではない。主観的には死はないのだ。生まれる前は主観的には生まれて
いなかったのだから当然、時間は流れていなかったのだ。主観的な過去の時間は
過去にさかのぼるほど圧縮され、ついには物心ついたとき以前の時間は完全に
つぶれゼロになると考えるべきだ。未来も、先に行くほど圧縮される。
物心ついたときより前の時間がぺしゃんこにつぶれてゼロだったように、いつか
死んだ後の時間もぺしゃんこのゼロだ。・・ つまり自分が死んだ後の無限の
時間、という想定も、過去と同様、見直すべきだ。そんなのは無いのである。≫
▼ 当たり前のことを論じているが、これが自覚できないのが人間。
 過去も未来もゼロ、現在も幻想。ただクオリアがあるだけ。「自分が死んだ
後も世界は無限に続く」ということが、間違いである。死ぬと同時に今も、過去
も未来も、ゼロに潰れる。「今」しかないのに、過去や未来にこだわる人間は
奇妙な生きもの。過去は記憶に過ぎなく、未来は予測に過ぎない。ならば可能な
限り、嫌なことを忘れ、良いことを繰り返して思い出すよう努め、今だけを
考えること。所詮、未来も、過去もない。それで良いのだと。亡くなった両親を
考えてみると、その道理が理解できる。死んだ後の時間はペチャンコに潰れている。
クオリヤを感じている今こそ、生きているのである。だったら、私たちも、
この「今」を生きるべきである。主観的時間が幻想としてもである。今しか
活き活き生きることが出来ないのである。ケセラセラと今を活き切るしかない。
・・・・・・
4061, 我事に於て後悔せず
2012年05月08日(火)
 * 我事に於て後悔せず。  宮本武蔵「五輪書』より   
         ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
この本で著者は、五輪書の武蔵の「我事に於いて後悔せず」を取り上げている。
一流のプロなら、引退後の後悔などせぬはず。 後悔するのは腐った?
のような人物がするもの。 ー以下の部分は、その辺りを微妙に書いてある。
≪ これをふつうは「われ事に於て後悔せず」と読む。 小林秀雄は「わが事に
於て」と読むほうがよかろうと言っていて、その意は、「その日その日が自己
批判に暮れる様な道を何処まで歩いても、批判する主体の姿に出会ふ事はない。
別な道が吃度あるのだ、自分といふ本体に出会ふ道があるのだ。後悔などといふ
お目出度い手段で、自分をごまかさぬと決心してみろ、さういふ確信を武蔵は
語ってゐるのである」(小林秀雄『私の人生観』)と説明している。自分の過去の
行動についてあとから、あれは間違っていた、などとそのたびに後悔するよう
では、後悔というものを受け入れるようでは、ひとは本当の自己に出会うことは
できぬ、というのだ。 小林秀雄は武蔵の言葉をかりてつまりはそれが言いた
かったのだが、このことは今ぼくらの考えている「自己への忠誠」にあてはまる。
◎『自己に対する何という無礼だ、その決心をした時より今の自分の方が利ロ
だと、どうして思うのか。』スタンダール「パルムの僧院」これぞ言葉の中の
言葉だ、これほどにひとを励まし、自己への忠誠を元気づける言葉を、ぼくは
ほかに知らない。武蔵の箴言はいささか道学者くさいが、ここには自己であること
の純粋なよろこびがある。・・これはスタンダールの全作品に鳴りわたる言葉。
◎ ースタンダールはそのすぐ前で公爵夫人の性格についてもこう言っている。
 公爵夫人の性格には二つの特徴があった。彼女は一度欲したことは
 あくまでも欲した。また一度きめたことはけっして論議しなかった。
◎ ー彼女は偶然にまかせ、そのときどきの快楽のために行動してきた。
 しかしどんな行動に身を委ねる場合でも、断乎として行なった。あとで冷静に
 返っても、けっして自分を非難しなかった。まして後悔しなかった。自己に
 たいする忠誠とはかくのごときものであるかと若い日に讃嘆させられて以来、
 これらの言葉はそのときどきにつねにある内耳器官のごときものとなって、
 ぼくを導いてきた小説の主人公ではないか、とバカにしてはいけない。 ≫ 
▼ 小林秀雄に「無私の精神」という文章がある。実践家は、自我を押し通す人
 と思いがちだが、実は無私の人である。彼は無私に徹しなければ物事は成就
しないことを知っている。極限に立ってきた人は後悔などしない。そこで自分を
押し殺し、己を抑えるほど物事は大きく成就してきたことを知っているからだ。  
後悔は、実践の中では後々、害になることもである。


6626,読書日記 〜『無知の科学』だって! −2

2019年05月07日(火)

    < 『知ってるつもり――無知の科学』
        スティーブン スローマン, フィリップ ファーンバック(著)>

    * そもそも、このテーマ日記からして…
 このテーマ日記こそ、内容を理解したかどうか怪しいもの。書上げた同時に
気持ちは翌日のテーマと、過去の10数年分の文章に気持ちが移動する。それでも、
翌日、当て字間違い字がないかチェックを入れるが、そこまで。
 <人間の行為の中で、交尾以上に素晴らしいことはない> という言葉が
あったが、これ、「知っていたつもりが、実は知らなかった?」のでは?
それなら、若い時分に、もっともっと?多様に交尾していたらというと、責任と、
体裁が邪魔をして、制御をしてきたのは、後悔、先に立たず? そうでもないか?  
などが頭をよぎる。「後悔には、してしまった後悔と、しなかった後悔がある」
というが、「一線?を、爪先で踏みとどまった我慢」があればこそ、大いなる
失敗をしなかった事が大半だろう。人生とは、情念の我慢と、後悔と、逆に
達成の織りなす糸で成り立っている。数時間の読書と、人生体験を通して、
膨大な?経験から、多くを知っていたつもりだった。 が、総括すると、
「知ってたつもりが、実は何も知らなかったのでは?」の疑念が湧いてくる。
   
   〜以下は、Amazonの一言コメント〜
【スティーブン・ピンカー(ハーバード大学心理学教授。『暴力の人類史』)
「人間は自分で思っているより物事を理解していない。
 自分がどれほどわかっていないかをわかっていないのだ。
 それを治す薬はないが、対処法ならある――この本のことだ」】
 ―
【エリザベス・コルバート(ピュリッツァー賞作家。『六度目の大絶滅』)
「本書は教えてくれる――自分に都合の悪い情報を拒絶すれば、われわれは
 トランプ政権と同じになってしまう、と。ニューヨーカー誌】
 ―
【キャス・サンスティーン(ハーバード大学教授。『実践 行動経済学』)
「この本が大好きだ。私たち個々人がどれほどものを知らず、人類全体としては
 どれほど多くを知っているかを明らかにしてくれた。」】

   〜Amazon読者感想より〜
本書の内容は、序章と訳者あとがきによく要約されているので、まずそれを読み、
「もっと詳しく知りたい」「なぜそう言えるのか」と考えたら全体を読むといい
だろう。 序章をさらに短縮すると、こんな感じだろうか。
《・我々が素朴に個人のモノと考えてきた「知識」は、実は「私たちが作るモノ、
 身体や労働環境、そして他の人々のなかにある(p.21)」。つまり人間は
「知識のコミュニティ」のなかで「認知的分業」の元に行動しているのである
(そうすることで進化的に生き延びてきた)。人間は様々な知識を「自らの脳の
内側にあろうが外側にあろうが、シームレスに活用するようにできている(p.24)」
のだが、そのことに普段は気づかない。それゆえ「知識の錯覚」が生じる。
・1人1人の「人間は自分が思っているより無知(p.16)」なのだ。個人としては賢く
 ないが、集団としては賢い。それゆえ「人間の思考がこれほど浅はかであると
同時にすばらしいものとなりえる(p.13)」。このことは教育のあり方についても
見直しを迫る。「私たちは共同してモノを考える」のであって、そのためには
「知能指数より他者と協力する能力(p.27)」が重要になる。
・「科学への理解を促進すれば、国民の科学に対する好意的な態度が醸成され、
 科学技術のもたらす恩恵を積極的に活用するようになるのではないか(p.172)」
という「欠乏モデル」が間違っているようだとか、「政治について考える」の章
での、人々は「自分が間違っていたことがわかると、新たな情報を求めることに
消極的になった」「人は自分の錯覚が打ち砕かれるのを好まない(p.210)」とか、
言っていることは結構、暗い。文章はわかりやすい。
・「交尾以上に重要な行動はない、というのが進化のことわりである」という
文章の後に「(人間にも同じ見解を持つ人はいるが)」と注をつけたりもするが
(p.56)、この種のジョークは類書の中では多くない方だろう。1か所、よくわから
なかったのは「直観と熟慮の区別は、西洋思想だけに見られるものではない(p.94)」
として、ヒンドゥとヨガの「チャクラ」について触れている個所。必要な言及か?
・カバーに「ビジネスパーソンの必読教養書」とあるけれど、教師・教育関係者
 にもおススメ。「教育の目的は子供たちに一人で考えるための知識と能力を付与
することであるという誤った認識は排除すべきだ(p.237)」なんて、多くの教師・
教育関係者にとっては驚天動地の主張ではないか。
――
一説によると、人間の脳は1GB程度。文字情報ならともかく、映像や動画が記憶に
含まれていることを考慮すると、全然足りません。無知なのは当然でしょう、と
いう論理が面白ろかったですね。その少ない情報量を、実に器用に利用するのが
大脳だそうだ。

▼ バカの壁とは、「知ってるつもり」の思い込みの壁。人生80年で知りうること、
 など僅かだが、それでも、可能な限り、知り、経験し、味わってこそ、人生。
カントは、
1、私は何を知りうるか
2、私は何をなすべきか
3、私は何を希望してよいか
 など人間とは何かの「人間学」が根本であるとして基本的命題の答えを探った。
結局は、そのどれも、「知っていたつもり」で、実は何も知らないで生涯を終わる
が、別に知ったところで、それが、如何した? でも、それはそれで… 滞りなく
人生を全うできる。 人間は群れの動物。孤立することなく、群れの中で、孤独を
人知れず守り、「集合知」に頼る生き方も、大衆には必要? かも。 
「人間は、個人としては賢くないが、集団としては賢い。それゆえ人間の思考が
これほど浅はかであると同時にすばらしいものとなりえる」というが、群れるしか
生きられない人には、それも道理になる。 で「知ってるつもり」で、集合知に
頼って生きるしかない!という世間バカの話の「オチ」にオチツク。

 〜 で、去年の次の内容が文脈として、あい通じてくる
――――
6262,閑話小題 〜世間話のでき方
2018年05月06日(日)
   * 世間話のでき方
 家内が少し興奮気味に、「今日ね、ヨーカ堂裏で、自転車の一時停車を怠り、
警察官二人に呼び止められて、調書にサインさせらた。こんなことは初めて。
警察もよっぽど暇ね」と…。 新人教育の現場教育だろうが、私など年に
8ヶ月間は、雨以外は毎日一時間は乗り回しているため、常に違反運転の際どい
日々を送ってきた。微妙な交差点では、歩道から車道に車線を変えるテクニック
だけはベテラン。そこで昨年の秋口に、ブレーキと車軸の故障修理で、郊外の
自転車修理店に行った際の逸話を話した。
【郊外にある自転車店の反対側のカツの専門店に行こうと信号を渡ったところ、
黄点滅。微妙だったが、辛うじてセーフ。 ところが、遠くから急にパトカー
のサイレン。私じゃないだろうと思いつつ、カツ屋に入ったが、もしかしたら
と思いつつ、カツ丼をたのんだ。何かしら泥棒がパトカーに追われた感じ?で… 
帰り道は大通りでなく、裏通りを目立たないようにして帰ったよ。】
「要するに、信号無視でパトカーに追われてカツ屋に逃げ込んで、帰り道を
こそこそ帰ってきたのね」と大笑いされた。自分の一時停止違反の話では面白く
ないが、私の話を加えて面白くする枕(落語の前フリ)に、この話は有効に
なり、立派な世間話にあいなる。「世人の世間話とは、かくありなん」の典型。 
 世間話作成の現場中継の記録でした。何は主役、連れは端役の間抜けですか!

追記: 熊さん: これ警察に読まれて、呼出されて怒鳴されないかい。
  寅さん: 大丈夫だよ、八つぁんなら喜ぶさ。続編として克明に書けば、
   面白じゃないか。 見せしめでも無理無理。だって、創作だろう?
 熊: 自宅の忘れ物をして、取りに帰った話題から一時停車の疑いで呼出す
  ようなものだよな。俺って、やはり頭が足りないんだな。でも、情報化
  って、これが、まかり通ってしまうんだよな。本当に怖ろしいよ!

・・・・・・
6263,閑話小題 〜一日だけのスポット
2018年05月07日(月)
   * つれづれに 〜アクセスが4000近くに
 やはり、ブログのアクセス数は気になるもの。去年の初めが大よそ350だった
のが、春口から400、夏に450、470とじわじわ増えて、今はこの辺りで落ち着いた。
昨年で2度ほど、1300、1600が1週間ほど増加した後に、元に戻っていった。
二度ともは何故か力の入った内容だったため、何処かの「ブログの推奨サイト」
でもあるのだろうと思っていた。しかし、先日の10倍に近い4000のアクセスに
驚いた。時どきテーマが思い浮ばないスランプに陥るが、その時ほど地頭が働く
ためか私としては面白い内容になることが多い。

 500のアクセス数は、17年の成果で妥当だが… 4000はあくまでスポットで、
続くわけがない。一昨日は500に、今朝は400になっていた。ここにアクセスして
くる人は中高年が中心だろう。社会経験が少ない若い人なら、せいぜい2〜3度、
覗くといやになるはず。アクセスを増やそうと積極的に売込めば、1000はいき
そうだが… 無理すると <熊、寅、八、大家の掛合い漫談>も気楽に書けなく
なる。

 シリアスに、上から目線と下から目線を別々に意識して書いてるが、人に
よれば尊大に思える内容だろう。学生時代の最終年のゼミで、「企業内トラブル
の人間関係や、社会現象の現状分析」を週2回、2時間、集団で議論をしていた
学生時代の気分の延長が今でも続いている。それと、日々の記憶の道標として、
ネットにアップをして公開することで、内容の維持を目的にしてきた結果、
生前の墓参にもなる。死んだ後の墓参りより、ズ〜っと有難い。
数万、数十万のアクセスより…? 負け惜しみですか! それとも…
 真面目過ぎだよ、オットツァンですか!

 家内の知人の娘婿のアクセスが、4万とか聞くと何をか言わんだが。
「娘と戦う受験日記」だと思い出し、検索をしても見当たらなかった。
そこで、「面白いブログの探し方」で検索すると、<「お金」「社長」で、
検索すると、シリアスなサイトに当ります>よ とあった。 成るほど!

・・・・・・
4434, サードマン現象とは
2013年05月07日(火)
 母親が晩年になってから、たびたび「私には守護霊がいる。それは子供の頃
に亡くなった父親。何時も私を見守ってくれ、いざ何かあると、私を良い方向
に導いてくれる」といっていたが、気持ちの問題だろうと聞き流していた。
また先日亡くなった将棋の米長邦雄が講演で、「何時も父親の位牌を布団に
持ち込み、父に話かけていた」というのを聞いたことがある。 
 先日のNHK教育(PM7:00〜7:40地球ドラマチック)で、サードマン現象を
再放映していた 。これはジョン・ガイガー著「奇跡の生還へ導く人ー極限状況
のサードマン現象)をインタビューなどで編集したもの。で、その概要とは・・
◎ 9・11の世界同時多発テロで、ニューヨークのワールドトレードセンター
ビルに旅客機が二機衝突した事故で、最後に脱出した1人は、煙が立ちこめ
瓦礫に阻まれた階段を下りられず、もうダメだと諦めかけた時、どこからとも
なく聞こえた声に従い、突き進んで命を救われたとか。
◎ 多くの登山者を飲み込んできたヒマラヤのナンガパルバットに初めて
 登頂したヘルマン・ブールを危機の中、励ました声。
◎ アメリカ大陸からヨーロッパ大陸へ、人類初めての単独飛行をした
 リンドバーグを支えた声。
◎ アメリカの宇宙士が極度の緊張の合間の休みに神のような何かの存在
 を感じたとか。生命の危険にさらされた苛烈な環境の時、自分を奮い立たせる
 声を聞く能力が備わっているというのが「サードマン現象」といわれ、その
「第三の人物」は、その極限状況を克服するために精神的な助けをしてくれる。 
 この現象は、かつて神や守護天使とか守護霊として受け止められることも
 多かったが、現在、それを人間の生理的・心理的機構が生み出した幻だとも
 いわれる。過酷な極限状態において発動する右脳の原始的?スイッチの感じ。
 知らない誰かや父親、自分自身、守護天使、などがそこに存在する感覚という。
 脳は危機的な状態や生命の危機が起きたり、体験すると「潜在的脳力」が働く。
 私たち人類の先祖は過酷な自然の中で、獲物を狩ったり果実を採取してきた。
 20万年前の人類の先祖は「サバイバル」の極限の中で、恒に「サードマン現象」
 が起きていて、これらの遺伝子が先祖代々受け繋がられ、現代人にも存在して
 いると、考えられる。以前は450年前の先祖の堀井宗親という仮身を、現在は
「地球の中心点」を擬人化した「球芯様」と、両親の霊を話し相手にしている。
 それは自分の魂の仮身である。 この「球芯様」、最近は、ヨガの最中とか、
 夜半のベッドで囁きかけてくる。それが、思いもよらない問いかけをするから、
 面白い。 また、幾つかの創業の時など、極限の状態に自分を置くと、何故か
 異常な力が湧き出てくる。火事場の馬鹿力というか、底知れない力が自分の
 中心から立ち現れくる。原始的、動物的知恵と力で身体も心も浮いたように
 勝手に動き出す。誰にも経験があるはずだ。 以前、家内が世田谷と同じ面積
 のある、ポンペイの遺跡で、迷子になってしまった。それも日が暮れる直前。
 警察は来るは、遺跡のスタッフが総出で捜索に当たるは、現地ガイドと添乗員
 は、青くなって駈けずりまわった中、色々あって本人は一時間先にあるホテル
 に何とか帰りついていた。何かの折に書くが、いざとなると、異常な力が
 湧き出るということ。 サードマンを創って話相手も面白い、是非お勧め!
――――
5166,閑話小題 〜心は科学者か弁護士か 〜
2015年05月07日(木)
   * 心は科学者か弁護士か
 心理学者いわく、《 真理にたどり着く方法は二つある。科学者の方法と、
弁護士の方法だ。科学者は証拠を集め、規則性を探し観察結果を説明できる理論
をつくって、それを検証する。弁護士は、ほかの人たちに納得させたい結論から
スタートし、それを裏づける証拠を探すとともに、それに反する証拠を斥けよう
とする。人間の心は、科学者と弁護士の両方で協力するようにつくられている。
つまり、客観的真理を意識的に探し求める存在であるとともに、信じたい事柄を
無意識に熱を込めて主張する存在でもある。これらの二つの方法論が競い合う
ことで、わたしたちの世界観は形づくられている。》
▼ 科学者が帰納法、弁護士が演繹法、と解りやすい事例で説明したもの。
これから引出されるキーワードが、判事。正・反・合の合である。居酒屋など
での誹謗中傷は、ヤリ玉の対象を酒の肴に、内なる科学者、弁護士、判事が、
掛けあいで肴に談義すること。心の中では、自分を正当化する弁護士が有利だが、
誹謗中傷では、判事が絶対優位に立つ。他愛のないものだが、それが、その連中
のレベルの内容で、そこの子狐の役回りが仕入れたネタに尾ひれはひれをつける。
それらをヘドロという。その意味では、城下町はドブ沼そのもので、そのガスは、
強力な破壊力を持つ。だから、近寄らないで、ここまできた。実は、そのガスで、
自分自身が殺されていることさえ分からないため、断絶の時代の中で、烏合の衆
として生きるしかない。その老いた醜悪が増長し、周囲を悩ます材料になる。
 そういう人たちの初老性鬱病(良い人仮面病)ほど哀れなことはない。何せ、
一生をかけて偽善の仮面を被り生きてきたのだから! 露悪でいくか、偽善か?

・・・・・・
5896,『しあわせ仮説』 −4 〜愛は恐れを克服する
2017年05月07日(日)
           『しあわせ仮説』ジョナサン・ハイト著 
   * 愛は恐れを克服する
 シリアスな話になるが、義務教育の終わる中学校のメンバーを思い浮かべると、
成績上位の2〜3割と、下位の2〜3割を比較すると、上位は両親が揃っていて、
比較的裕福あるのに対し、下位の人たちは、両親か片親を戦災で亡くなったか、
家が貧しい生活環境にあった。これは当人の責任ではなく、運命の問題になる。
ある程度、安全であればこそ、勉強や、遊びにも注意が向く。 逆に幼児の頃、
両親に愛情過剰な位に与えられた人を何人か知っているが、これは性格が強い。
絶対的愛情を親から注がれ育った人は、生涯を通じて、恐れを克服して勇敢に、
遊べる上に、何事にもチャレンジする傾向になる。愛着理論を、ここで紹介して
いるが、ネット検索をすると、以下のとおり。
≪ 乳幼児が、不安や不快などストレスを感じている状況で、自分の親など周囲
 の養育者に対して泣いて訴える、あるいは接触を求めて甘えるなどして、親密な
きずなを形成しようとする愛着行動に関する理論。英国の児童精神分析学者
ボウルビーが提唱したもので、動物に生来備わっている自分の生命の安全を確保
しようとする本能に基づく生得的行動により、自分の訴えや要求に答えてくれる
限られた養育者との間で愛着(アタッチメント)が形成されることがたいせつと
考える。愛着は1歳ころまでに形成されるが、訴えや要求に対する応答が密なほど
安定した愛着(安定型愛着)が形成され、小児期以降に安定した対人関係をつくり
あげる礎(いしずえ)となる。しかし、安定した愛着が形成されない不安定型愛着
では愛着形成障害を生じ、その後の心身の不安定や行動障害をもたらす。 
 ボウルビーは「愛着」の形成過程を次の四つの段階に分けている。
・まず生後3か月ころまでの第1段階では愛着はまだ形成されず、周囲の注意を
ひこうとだれに向かっても同じように泣いたりほほえんだりする。
・しだいに養育者とほかの人物を区別するようになる生後6か月ころまでの
第2段階では、養育者に対してとくに強く反応し、笑ったり凝視したりする、
あるいはあとを追うような行動もみられる。
・生後6か月〜2歳ころまでの第3段階では愛着が確実に形成され、養育者を安全
基地とし、そこからある一定の範囲で行動したり探索行動をおこして、ふたたび
基地に戻る。また、成長するにつれて自分の要求を主張し、実現に向けて執拗な
行動をとるようにもなる。
・3歳以上の第4段階ともなると、養育者との身体的接触を求めることは少なく
なり、養育者の意図や感情を理解し、協力して行動するようにもなる。≫

▼ 中高校生の頃、同居していた甥っ子が、毛布に愛着を持つ依存症だった。
 今ではそれも、様々なキャラクターの人形があり多様化しているようだ。
職住一緒の商家だったこともあってか、幼稚園の頃、若い色白の女店員が、
対象だった?ような。なぜか魅かれるのが愛情豊かな長女系。で、生涯、支配
される我が身のような人生になる。人気番組の『家についていっていいですか』
で、都会の単身住まいの若い男の部屋に大きな人形があったのは驚いた。
都会の孤独地獄を癒してくれるそうだ。 私は、座卓の上に鏡を置いて、自分
自身と話していたが。それでも、様ざま寮生が1〜2時間は、部屋に来て談笑
していた。 考えてみれば、このブログも、そのようなものですか…


6625,読書日記 〜『無知の科学』だって! −1

2019年05月06日(月)

    <『知ってるつもり――無知の科学』
       スティーブン スローマン(著),フィリップ ファーンバック(著)>
   

* 無知の科学と真正面から言われても
「無知」を科学するとは… 「何だ何だ」である。ソクラテスが「無知の知」で、
もの知りの仮面を削ぎ落し、それ故に死刑に処せられた。この18年間にかけ、
毎日、記憶しておきたい情報をテーマとして物語風にして書き続けてきた。
その都度、思うことは、これで残さないと、永遠に消え去ってしまうこと。
この作業の最中に…「理解したつもりが、実は大して解ってなかった」事実。
デジカメで文章を写真に撮ったのを文字変換したのをコピぺしていたが、途中
から可能な限り手打ちのキーボードでに変えた。亀のようにノロノロと打込む
プロセスが考えることになることに気づいたため。バカならバカの方策がある。
 過ってみた映画を再びみても、その大筋以外は、ほぼ理解してなかったことを
思い知る。映画の舞台設定には膨大な情報が入っている。それを見るには、数回、
見ないと解らない。 
 この随想日記は、ネットによる記憶の外在化で、何とか理解を深めている。
会社清算をしてから現在に至る8年で、娑婆の脳が透けて見えるような錯覚に
何度も陥ってきた。 知能レベルの人?が、世間話で知り得た噂を、勝手に
創作し、決めつけている彼らの脳内をスキャンしたように見える面白さがある。
殆どの理解が、「知っているつもり、何も知らない思い込みでしかないこと…。
これを現実の事象で経験する味わいと、己の無知と重ねて見る愉しみ。
そういうこれも、思い込みでしかない。
< 余命半年、3ヶ月を宣言されて死ぬまでの間に、それまで生きてきた人生を
 経験するらしい。残された時間の中で、それまでの人生を思いやるとき、
実は何も知らない事実に思いあたる。 秒読みに入ってこそ、見えてくる思い
あたる自分の壁。我たちは、曖昧でキチンと整理されてない抽象的知識の中で
生きてきたことに… 一部の身のまわりのことしか知らなかったことに驚愕する。 
その知っている内容さえもオボロな知識でしかないことに思い知る。
法事、同級会なでの「黙るしかない集まり」の傍で聴いていると自分そのもの。

    〜Amazon、商品内容より〜
≪ ●インターネット検索しただけで、わかった気になりがち。
 ●極端な政治思想の持ち主ほど、政策の中身を理解していない。
●多くの学生は文章を正しく読めていないが、そのことに気づいていない。
 人はなぜ、自らの理解度を過大評価してしまうのか?
それにもかかわらず、私たちが高度な文明社会を営めるのはなぜか?
気鋭の認知科学者コンビが行動経済学から人工知能まで各分野の研究成果
を総動員して、人間の「知ってるつもり」の正体と、知性の本質に挑む。
思考停止したくないすべての人必読のノンフィクション。 ≫

▼ 「無知学」を読んでいて、まず気づいたことは、ライフワークの
 <秘・異郷ツアーでまわる地球観光>である。 その先で想うことは、
・何も地球上の一部しかを知りえてないこと。
・日常の現実世界は、分厚いサングラスを通して見ているに過ぎないこと。
・知らぬ間に共同幻想の一員でしかない自分を、確認するため、わざわざ、
 ここまで、合せ鏡で、その一端を垣間見ていること。
この切口が新鮮なことは、自分が65年間、右上がり思考の末に、アッサリと
倒産の憂き目にあったこと。しかし、底から見えてきた己の無知への認識。
それ故に、そこから見えてきた世界への無知の先の広がりの見識。
変態女(別に中村うさぎ、西原理恵子じゃないが… それも正面に受止めて、
その世界を垣間見て楽しむ。それも世界には多彩さが地球にはある。

 それを知るには、自分を可能な限り旅をさせないと!
――
5615,かわいい自分に旅させよ ー
2016年07月30日(土)
             <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させた 〜A
 40〜50歳代にかけて40回、合計51回。家内と遇わせて?90回、海外旅行に
出かけたが、その殆ど格安パックツアー。 夫婦で月あたり10万の贅沢。
10万×360回。一点豪華主義?で 何とか可能にしてきた。凡そ家屋敷一軒分。
あと5回で家内と合計で、100回になるが、年、二回なら可能だが、無理? 
肉体的には、厳しいだろうが、問題は気力と、体力と、?。
 10億円の現金と、どちらを選ぶかといえば、間違いなく旅行を選ぶ。
では100億なら、どうする? さあ、どうだろう? 旅行可能が5年とみて、
半分の50億、年に10億を使ってみたいが、私には無理か。そうこう考えると、
10億の価値は充分あった実感がする。「かわいい自分に旅させよ」のフレーズ
は、さすが作家。 別腹の人生が、そこにもう一つあるような。
≪ 私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は必ず感動を
 もたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで
旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでなく、かわいい自分のために旅する
のである。 先人たちは不便な旅をしていた。しかしその一方で、悠長で
あるがゆえ深い旅の味わいを知っていたはずである。
 今やその気になりさえすれぽ、日本中どこであろうとあらかた日帰りが
できるのだが、その手軽さ気軽さのおかげで私たちは、まるで漫然と映像でも
眺めるような旅をするようになった。
 非日常の世界を訪れ、感動する。本物に触れ、五感をふるわせる。
先人たちの不便で悠長な旅、あるいは知らぬことぱかりの子供のころに体験した
旅とは、そうしたものであった。もし今日の旅の便利さはそのままに、本来の
そうした感動を得ることのできる旅があるとしたら、どんなにすばらしいだろう。
より深い日本を求めて旅に出たい。いにしえの旅人と刻を同じくし、溜息を
分かち合えるような、深く美しい日本にめぐりあいたい。 私たちは生まれ
育ったふるさとについて、知らないことが多すぎるのだから。≫
 ――
▼ 旅は、非日常の世界であり、日常と違った世界が別次元で流れている。
 そして、自分の世界も、その一つでしかないことを教えてくれる。
それと、感動である。「ここ、いま、じぶん」を、感動は焼き付けてくれる。
「この感動を、ほぼ大部分の人は、知らないで死んでいくのだ。もしかして、
自分も、その一人だったかもしれない!」という激しい感情と、その世界との
同化である。この「かわいい自分には旅させよ」のフレーズのとおり、この
感動を、自分に与えてくれのは自分だけである。 〜つづく

――――
5617,かわいい自分に旅させよ ー
2016年08月01日(月)
           <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させよ 〜B
 40歳代に入って直ぐの頃、『年一回の海外に出ること』を決めた。
そして、半ばも過ぎた頃、それを年二回に切り替えた。20歳から20数年間、
ストレスの多い「創業」の為の転進を繰り返してきた。何事も現実に直面
すると、火事場のバカ力が生じてくる。その奇跡に近い偶然を拾い上げて、
その場を切り抜ける。しかしストレスは並大抵ではない。その沈殿がピーク
になっていった頃である。その解消剤にツアーのストレスと感動が、合理的で
あることに気づいた。早朝の読書習慣と、散歩、そして、海外ツアーが、
何とか、自分を支えてくれた。 半年単位、一年単位で、そのストレスを、
払い落とすしかない。そこで、「秘境・異郷ツアー」のストレスで、それを
削ぎとるしかなかった。それが、結果として、心の、いや魂の財産になった。
 〜以下の部分は、「苦労でなくなった旅を、自分に与えよ」と勧める。
 ≪ 「かわいい子には旅をさせよ」という格言は、今や死語であろう。
 かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日
では娯楽の王者となってしまった。もしかしたら今の若者たちは、この言葉の
意味を「かわいい子には娯楽を与えよ」と曲解しているかもしれぬ。
 たしかに旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損われた
わけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、
苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人に
とっても好ましいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。
「かわいい自分には旅をさせよ」である。金だの時間だの手間だのと、旅に
出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれぽ金は貯めるものでは
なく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむ
は怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何も
ないのである。 ≫
▼ 秘境への旅の決断と実行は、非常に抵抗が生じる。まず、家内が、激しく
 抵抗する。そこで一人参加を決意すると、家内も渋々、決意するパターンの
繰り返し。で、抵抗感が強いほど、その内容は、濃厚で味わい深い物語になる。
しかし、極限を超えた経験のオンパレード、可愛い自分へのプレゼントになる。

――――
5637, かわいい自分に旅させよ ー
2016年08月21日(日)
            <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * 芸術とは
 ここで著者は、芸術について簡潔に述べている。ツアーの行き帰りの
主要都市(ロンドン、パリ、フィレンチェ、マドリッド)にある、美術館、
博物館で、世界的名画や美術品を見て周って、感動の蓄積が多く残っている。
それが自分を大きく変えていた。大自然の絶景の感動とは別に、美がその
まま表現された芸術作品に同化しているうち、美への感動が、魂そのものを
高めてくれることを実感した。 芸術とは、本来、そういうものである。
≪ 美しいものを美しいままに表現することが芸術。
 それを「言葉」でなそうというのが文学。
さらに、それを「物語」という形式で表そうというものこそ、小説です。
理屈も何もいらない。そこに理屈を持ち込もうとしたから、芸術は退行した。
これは芸術の都に住むパリジャンの罪です。
 医学が肉体の病を癒すように、芸術は心の憂いを除くためのものであると、
僕は信じています。だからこそ芸術は尊い。
 芸術家がそうした本来の使命を忘れて芸術なるものを衒い始めたときから、
アニアックな、アカデミズムの一部に成り下がった。たとえば神が作り給う
た天然のように、誰がどう見ても理屈抜きに美しいものの存在を、僕らは
見失おうとしているのではないでしょうか。
 自然は美しい。もちろん、その自然の中の人間の営みも、僕はそれらを
小説として表現するにあたり最も直截的な感情表現である「ユーモア」と
「ペーソス」を用います。それが小説家としての僕の方法だと思うから。
 僕には夢があります。
バチカンで、ルーブルで、フィレンチェで、僕は奇跡を見ました。
ミケランジェロは明らかに、古代芸術家を超えた。文明の進化とともに
衰弱する芸術家の宿命の中の、これは奇跡です。
 彼が一本の鑿で、一個の大理石の塊にうがち出した奇跡を、僕は一本の
筆で、一枚の紙に書き表したい。限りない感動を、かけがえのない美を。≫
 ▼ 美の中で、20歳前半の一瞬咲きほこった女性の美しさもナマモノ
  だからこその美しさがある。ただ、あまり話さない方が良いのが多いが。
 女性だけでない、動物の美しさもある。花の美しさもある。誰が、設計
したのだろうか。美はバランスというが、美そのものを感じ取る感覚が
見る側に必要になる。これは質量を多くコナスことで磨かれ、高めることが
可能である。「人間は何のために生まれてきた?」の答えとは、
「大自然と、人間がつくり出した創造物に触れ、感動するため、生まれて
きた!」である。心の憂いで覆われ濁った、「今、ここ、私」の目の汚れを
取り除くため芸術がある。セッカク貰った命、もっともっと、味わなくては!

――――
2016/08/22
かわいい自分に旅させよ ー
           <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * オヤジのためのラスベガス
 直木賞作家の浅田次郎がラスベガスに嵌り、その内実を書いた内容。
一度、行ってみたかった都市。 数年前に、グランドキャニオン、ヨセミテ、
イエローストーンなど大自然を 楽しむ『アメリカ西海岸国立公園の旅』。
大自然のほかに、ラスベガス・サンフランシスコ などのコース。
 ところが出発前日、公務員ストで、急遽、中止のため断念したことがあった。 
映画でラスベガスを舞台に多くの場面を見てきたが・・ 
 ≪ ラスベガスのカジノはデカい。「無限」と表現してもいいくらいである。
 たとえば今回の取材で協力して下さった「MGMグランド」一つを例にとっても、
総面積4777坪、ゲームテーブル150台、ゲームマシン3073台、だそうであるから、
「見渡す限りの鉄火場」と言ってよかろう。 この種のメガホテルが、
ブルヴァードを挟んでみっしりと建ち並んでいる。この規模はまさに「無限」。
 日本人の視野でこれを小さくしてはいけない。常々思うのだが、日本人
ギャンブラーはたいはてい狭い場所に嵌まっている。毎日を旅打ちの気分で、
カジノからカジノへとさすらうのがラスベガスの醍醐味である。
 ゲームの種類はあまたあるが、最もラスベガス的といえぱ、やはりマシン
であろう。ルーレットやブラックジャックは世界中どこのカジノに行っても
同様に遊べるが、スロットやポーカーマシンを打ち倒すとなれば、規模のある
ラスベガスでなければならない。そうした意味から、私は同行者にはたいてい
マシンを勧めることにしている。レーティングさえ守っていれば、あんがい
怪我が少いのもこれだからである。
 日本人的なレーティングといえば、25セント台、もしくは1ドル台であろうか。
ただし上限は一勝負3000ドルという怪物まであって、こうなると一時間で億の
金が動く。神域のごときハイリミット・エリアでは、このスーパーマシンの前に
座って淡々とゲームを続けるハイローラーの姿を拝むことができる。見ている
だけで有難い。
 ヨーロッパのカジノではテーブルに根を生やしている私も、ラスベガスでは
ほとんどマシン・ギャンブラーである。十年前はおそるおそる1ドルマシンから
デビューしたのだが、このごろではハイリミット・エリアの常連になって、
めでたく宿泊代も飲み食いもタダになり、空港までは送迎のリムジンが付く
ようになった。 常宿はかつて「ベラッジォ」だったのだが、数年前に
「ヴェネッィアン」に鞍替えした。日本人ギャンブラーが比較的少く、
使い勝手もサービスもよいホテルである。≫
▼ 賭け事に向いてない私にとって、異次元の世界の話。だからこそ面白い。
 日本では、コンビニの売上高より多いと言われているパチンコ店が、郊外に
ある。韓国も日本から上陸したパチンコ店も、その熱狂ぶりに、禁止された。
ラスベガスといえば、『ハスラー』など、多くの映画の舞台になっている。


6624,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜2 

2019年05月05日(日)


          <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人
                          ―和田秀樹(著) >
    * 精神科医からみた「怒り」について
 感情の中でも「怒り」、とりわけ二人称のそれは日常生活を左右する難題。
一神教の色濃い欧米世界の建前、<自由、平等、博愛>を理想とすれと、真逆
の現実には腹が立つことばかり。それも情報社会んも隠されていた矛盾部分が
クローズアップされ現前に突きつけられる。情報化の進化は、知識の質量を際限
なく進化させるが、二輪の片方の感情面が、取残される。
とりわけ「怒り」の蓄積が病を引き起こす。時代の大きな変化は、適応でき
ない人たちには過酷である。社会構造は「3,30,67%」で成立している。
それが隠されている分には問題がないが、それが表立つと、怒りが湧き出てくる。
それぞれの立場で、それぞれの方法で感情管理が求められる。TVの笑い番組で
怒りを笑い飛ばしたり、ハリウッド映画で、ヒーローが観客の代行として対象
を徹底的に破壊することで怒りを吹っ飛ばす。怒りが蓄積すると恨みになる。
ここでは、怒りの対処を主に語られている。 まず時間薬と、次に対自した時の
「自己洞察」である。リタイアが事業清算なればこそ、3月に1度の割で、何処
からともなく怒り心頭の言葉や、嫌がらせに近いことがある。 慣れたもの…
数日内に、イメージで、そっ首を全身全霊で殺ぎ落とす。100回ともなれば、
怒りの大部分が消え去っている。むしろ、老化の不快感を同時に解消するため、
有難くさえ思えるようになる。時間薬の効くまでの速攻剤の役割になる。
そしてダメ押し、3年後に必ず、一身上の問題が当人に持ちあがると確信を持つ。
起こるべき(怒るべき)なればこそ。検事様きどりで、八つ当たりをしている
だけのこと… 3年経っても1割程度は何もない。ならば、加算すれば、それだけ、
重くなると思えばよい。最期は誰も死が待っている。チャクラごと、叩き落とす
のだから…それはスッキリする。それと毎日、大手大橋をヒキチャリをしながら、
毒素が深呼吸と同時に吐き出すイメージを持つ。とにかく、楽しみきった
行蔵の在庫が充分、持っている。 人を怨ばま、穴二つ。喧嘩の作法の基本は、
相討ち。別に我慢などすることもなし。西原理恵子の「まんこ縫うぞ」の漫画絵。
怒り心頭でなればこその発語。品はこの上なくないが、怒りが直に伝わってくる。 
 としても、激しい言葉! 私なら… < 一度、書いたが消却をした… >
最近のイギリス・北欧系の刑事ドラマのサイコパスは、生々しいのを放送してる。
『目には目を』の聖書の諫めは、「復讐も、目までに止めておけ」。
 人間の、怒りと恨み、妬みは、際限なく広がる。特に弱者には。

≪ 内容紹介
 昨今、TVのワイドショーなどで、著名人の怒り方が話題になりました。
大人げない怒り方をする人・余計なことを言って反感を買う人等々、
怒りの出し方が下手な人が急増中なのです。
「なぜ人は怒るのか……」
「そもそも怒りとは何なのか……」
「怒りの賢い活かし方とは……」
「怒りはどのように出せば健康的なのか……」
「湧き上がった怒りをそのままぶつけずに、うまく逃がすには
  どうしたらいいのか……」
自分が怒りに振り回される人にならないために、また、怒り下手な人が身の回り
にきたときに、うまく回避するために、 精神科医の著者が「怒り」を解剖します。
仕事・家族・社会に対して「カチン」とくる前に「怒りの正体」を知れば、
「いい怒り方」がわかる!   ≫

・・・・・・
6261,閑話小題 〜「これ以上はいけない」と宣告する境界線 −1
2018年05月05日(土)

地域とは、何かとの「堺」
 ある会で、私の旅行経験に興味をもって、しっかりと情報収集する女性がいる。
40〜50回、海外旅行経験のある同級生が言うに、「旅行話」はTPOを考えて上で
話さないので難しいと宣っていたが… 要するに旅行自慢になってしまう。
ところが、興味のある人にとって、行ったことがない先の話は旅先でしか、話せ
ないため、ツアー仲間の情報交換は面白い上に、次の行先の選定の重要な場になる。
 彼女の質問の一つずつが鋭い。
・独りで参加するとしたら、何処がよいですか?
・息子と参加するとしたら…
・主人と参加するとしたら…
・息子を独りで参加させるなら… などなど。

息子と二人旅は、「ベネゼイラのテーブル・マウンテンとイグアスの滝」
次男と私たち夫婦と現に行ったので、間違いない。数億年の手つかずの
テーブルマウンティンの間を数人ノリボートで遡っていく醍醐味は…

夫婦二人ならば「北スペインの巡礼道路の旅」
これはパンプローナの牛追い祭りが組みこまれたのがよい。

息子の独り参加の返答に自然と出た行先は「イスラエル」と「インド」。
 だったと記憶している。 さすがに母親の目線で…
何で、「イスラエル」と「インド」ですかと食下がった質問。
「医師ともなれば、生涯のうちに人知れず?死なせることになる職業。
まだ学生のうちに、行っておかないと、一歩踏み出せと、10日、2週間の
時間がつくれない。まだ余裕のある学生時代に生きべきところです」と。

中国に10年近く赴任した経験を持つ隣席の「会の主催者」の突っ込みの質問。
「あと、一度だけの旅行先は、何処したらよいでしょうか?」に… 
即座に出た答えは「ケニア・タンザニア」。

そこで私自身といえは、旅行に参加するにギリギリの腰痛持ち。
それより、気力が、衰えて。

先日、借りた『街場の読書論』内容が、この対話を補足する内容である。
秘境、異郷先の光景は、まさに「聖域」に一線を踏越え立入る世界である。
                          〜つづく
・・・・・・
4432,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −4
2013年05月05日(日)
       ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー 前野 隆司著
 * ルート3:自分の小ささを客観視する道ー「1億7125分の1と、70億分の1」
今度は、時間――宇宙と生命の歴史1についてである。世界の人口からみれば、
私は70億分に1。宇宙年齢からすると、人の一生は1億7125分の1の存在。そう
考えれば、深刻に自分の生き様など考えることはない。その自分の枠組も
勝手な定義でしかない。自分など何ということはない。 やっと、それが
理解できるのが最期の最期とくる。そのことが分からないから、
「死ぬのが怖い」のである。 ー まずは、その辺りを抜粋してみるー
≪ すざまじく荒れ狂うひずんだ宇宙の中の、オァシスのような地球。
 光速で拡大することこそが普通である宇宙の中で、あたかも静かに見える
特殊で局所的な世界。そこに偶然生まれた人の命。なんとはかなく小さく特殊
な現象であることか。生命の誕生は、今から40億年前といわれている。 
地球誕生から6億年経った頃。霊長類が誕生したのは、6千5百年前。
現生人類であるホモ・サピエンスが出現七たのは25万年前。中国その他で
文明が誕生たのが今から6千年前(から9千年前)。そういわれても、どれも
大きな数字すぎて実感がわかない。そこで試しに、137億年前のビヅグバン
を、1月1日の午前零時、現在を一年後の12月31日の24時にたとえると。
つまり、宇宙の歴史を137億分の1に短縮してみると―― 
・ビッグバンは、1月1日午前零時 ・地球誕生は、8月30日 
・生命の誕生は、9月15日 ・霊長類が誕生したのは12月30日午前
 6時26六分(新年まであと1日と約18時簡) 
・原生人類のホモ.サピエンスが出現したのは12月31日午後11時50分 
・中国などで文明が生じたのが新年まで14秒前 
・人間の命は、80歳まで生きるとして、0・18秒。宇宙の年齢の、1億
 7125分の1。ちなみに、宇宙の直径が274億光年、人間の身長が
 170センチだとすると、人間の大きさは、宇宙の大きさの1・44×10
 の25乗分の一というとてつもない小ささだ。それに比べ人間の一生は、
 宇宙が経た時の1億7125分の1。時間の差は、空間の差よりもはるかに
 小さい。これは意外な気もする。1億7125分の1とは途方もなく小さい
 とお思いかもしれないが、地球の人口は70億人。あなたの心は、地球上に
 ある人間の心の70億分の1に過ぎない。一億7125分の1はそれよりも
 約四十倍も大きい。意外と宇宙の中での人間の一生も長いという気がしないでも
 ない。とはいえ、宇宙の年齢を一年にたどえると、人間の一生は0・18秒。≫
▼ 前にも書いたが、この宇宙の他に、10の500乗の宇宙が存在している
 可能性があると知って世界観が変わった。上記のことすら、問題にならない。
ケセラセラだが、当面、死ぬまでの生活もある。一日一回、このような壮大な
宇宙と、その中の自分を考えればよい。象を世界に、その皮膚の間に住む寄生虫、
70億分の1の自分。その象も、この宇宙からみれば、10の500乗の宇宙
からみれば、チリですらない微細の存在。だからこそ、生きているうち!

・・・・・・
5529,若者よ、外に出よ! ー 会話は、プチ礼賛から
2016年05月05日(木)
               『人生の教科書』なかにし礼著
  * 対話ならいいが、どうも会話が苦手で
 リタイア後、、新しい出会いの場が極く稀になった。スポーツジムとか、
数少ない飲み会の場で、話したことがない人との会話が出来ない。
学生時代に、カーネギーの『人を動かす』の <人を動かす三原則>や、
<人に好かれる六原則>などを読み、実践してみたことがあったが、
効果は抜群だった(後でコピー)。年齢とともに、これらを忘れていた。
 その一つが「プチ礼賛」の勧め。これに「ありがとう」の口癖を
加えれば会話導入は効果抜群のはずだが、何時の間にか脱落していた。
 早速、兄弟の49日法要で、久々に会った親戚との会話に「プチ礼賛」を、
応用したところ、会話が捗っていた。要するにリタイア後に、何もかも
メンテをすべきだったのである。 <会話は「プチ礼賛」でうまくいく>を、
ほぼ全文、コピペし、考える。会話は真実より礼賛に重きをおくべし。
対話は真実の交換、掘り下げということ。男は対話、女は会話が似合うが。
≪ 日常会話で必要な会話術とは、自己紹介に始まる。自分のことを、嘘を
 交えてもいいから、面白く話せるかどうか。自己紹介イコール自己表現だし、
相手に自分を理解してもらうのは一番大事なことだと思う。そうすると相手も
自己表現するから、お互いが理解し合える。そしてプチ礼賛をすること。
 パッと会ったときに必ず相手を褒める。これは、日本ではなく、外国の流儀。
外国では当たり前の常識になっている。周りがゴマをすっていると思ったと
しても、そんなことはかまう必要はない。たとえば、服を褒めるとその服を
選んだその人を褒めていることになるわけだから、「素敵ね、これ、いくら?」、
「1900円」、うわ1最高」と褒める。しかし、うわべだけの礼賛だと底が割れて
しまう。真実そう思うように自ら努力することだ。そうすれば顔に嘘は出ない。
なぜかというと、相手を喜ばせなければ話は始まらないから。
中には「服を褒めないで私自身を褒めて」って言う人がいるけど、よっぽど
ヘソ曲がりなんだ、そういう人は。さて、人を褒めるときにほかに何を褒めれば
いいのか。実はなんでも褒められる。背が低ければ低いことを褒めればいいし、
背が高ければ高いことを褒めればいい。出身地を聞いたら、「あそこは大好き
なんですよ」と言えばいい。最初は嘘が混じっていてもいいが、次第にその
気持ちが本当になっていくものだ。だから人に会ったら、なんとなく褒め、
逆に褒められたら褒め返す。これはゴマすりではなくて、会話の糸口なのだ。
会話の小ネタといってもいい。そこから本題に入っていくときに、お互いに
気持ちのいいスタートを切るための潤滑剤だと思えばいい。≫
▼ 褒めるだけでは、ありきたり。そこで、「プチ礼賛」まで、心から褒め
 ないと相手の心は開かない。礼賛すると、みるみる、顔つきが変わっていく。
そうは礼賛されないため、心の奥から褒めると、それが礼賛になっていく。
好かれる前に、まずは人好きにならないと! それにしても、オバちゃんの、
あのフレンドリーは見上げたもの。 まずは褒める、その手際の良さ。
 ――――
  =人に好かれる六原則=
1.誠実な関心を寄せる
2.笑顔を忘れない
3.名前を覚える(名前は、当人にとって、最も快い、
 最も大切な響きを持つ言葉であることを忘れない。)
4.聞き手にまわる
5.関心のありかを見抜く(相手の関心を見抜いて話題にする。)
6.心からほめる(重要感を与える――誠意を込めて。)

・・・・・・
5164,パレーシア 〜真実を語ること
2015年05月05日(火)
  * ソクラテスのパレーシア 
            〜『哲学で自分を創る』瀧本往人著より
 危険を冒しながら真実をかたること。これがパレーシアだが、とはいえ、
社会において、その実行となると難しい。このブログを書き続けていると、
己の程度を曝け出し、多くの人を揶揄し傷つけてきた。気遣っていてもである。
想定の対話の相手を、数年先の自分にしているが、後で読み返し、第三者の
目を想うと冷や汗が出ることしばし。しかし、飾っていたら、長続きをしない
ことを自分が一番知っている。 〜以下の箇所は、哲学の本質を述べている。
≪ ソクラテスにとって最も大事なのは、相手をやりこめることではなく、
 自分の魂を磨くことであった。そのために命懸けで対話を行った。
この営みは「パレーシア」(真実を語ること)と呼ばれている。パレーシアとは、
危険を冒しながら真理を語るという実践を意味するギリシア語。ソグラテスが
裁判の際に立ち向かったやり方が、まさしくこのパレーシアである。
 たとえ心の中で真理が発見されたとしても、「私が思う」だけでは、それは
パレーシアとは無縁なのだ。パレーシアを通じた魂の鍛錬こそ、命のあるかぎり
やめてはならず、見返りを求めることなく、純粋な熱意に発した無償の責務で
あり、かつ、個人の内面的な人生訓にとどまるものではなく、結果的には他者や
共同体にとっても有益なものである、と考えられた。それゆえ、政治家になり、
ポリスを統治し他者の魂を気遣いたい者は、まず自分の魂を気遣うべきである、
とソクラテスは強調する。自分を気遣わない者は統治者としては不適格なのである。
ここには、身の魂の鍛錬に専心することが、他者や共同体を気導つことよりも
優先されるいという揺ぎのない確信が表明されている。 ・・(略)
ソクラテスの対話術は、自らの主張を他者に受け入れてもらうための(もしくは
認めさせるための)技術ではなく、相手に「問いかけること」、相手の主張を
「聞くこと」に主眼があった。そもそもこの「無知の知」の重要性は、この
「聞くこと」のための手法という点にあったのである。何かを「知っている」
から語るのではなく、何も知らないか、もしくは何ごともよく分かっていない
からこそ相手から何かを引きだそうとする。パレーシアの原点はここにある。
それゆえパレーシアとは「実直に語ること」ではあっても、単に一方的に
「包み隠さず語る」ということではない。ソクラテスのパレーシアは、政治家の
ように多数者に向かって語るものではなく、密接な一対一の関係が必要である。
またこの対話は、自分が主役としてふるまうのではなく、相手の話を引きだす
ようなやり方で行われる。それゆえ相手はソクラテスに導かれながら自分自身に
ついて語ることになる。 ここで、注意しなければならないことがある。
率直に語ること、もしくは相手の言葉に耳を傾けることは、後にキリスト教文化
ならびに精神分析においては、「告白」という形態をとって展開され、あたかも
地続きのもののように理解されることがある。だが、この両者は異なる。
パレーシアにとつて重要なのは、自分が語ることができる「ロゴス」(つまり
論法と言葉)が、自分の生き方と確固たるつながりがあることなのである。≫
▼ 成るほど、飽きもせず、連日、書き続けているのは、いまここの私が、
 数年先の、いまここの私に向け話している実感があるため。そして、近未来
の自分の感想を想定することで、私自身を見つめることになる。これを公開
するのは、あまりに危険だが。また、公開しないと続かない弱さもある。

・・・・・・
5894,本物の教養 −4
2017年05月05日(金)
         <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 日本のリーダー層は勉強が足りない
 平和ボケをした日本は、リーダー層だけでなく、国民全体の教養度が大きく
低下したようだ。島国のため同質が求められ、それが、思考能力を削いでいる。
「和して同じず」の諺があるが、現実には、それぞれの意見を持つことが、
不協和音とされ、全会一致こそ最善とされる。島国もあるのだろうが。
 ここも、目次そのままを繋げると、要約になる。
  ――
    ―目次ー
 謙虚でなければ教養は身につかない 
 「この人は面白そうだ」と思ってもらえるか 
 面白さの源は「ボキャブラリー」 
 「広く浅く」でなく「広く、ある程度深い」素養が必要 
 決定的に重要なのは「自分の意見」を持っていること 
 欧米の若者とはすでに大学の段階で差がついている 
 学生が勉強しないのは会社がそれを求めないから 
 「考える力」をつけさせる連合王国の教育 
 「学生には自国の没落をリアルに認識してほしい」 
 自分の頭で考えないほうが都合がいい社会 
 「終身雇用、年功序列、定年」の特異な労働慣行 
 世界標準では日本の企業幹部は圧倒的に低学歴 
 これまでと同じ戦略ではもうやっていけない 
 日本にはまだかなり伸びしろがある 
  〜要点を抜粋する〜
【 ライフネット生命を創業する前、連続して合計六年間ほど、主として
 外国人相手の仕事をしたことになります。そのときの経験で痛感したの

    〜字数制限のためカット


6623,つれづれに哲学 〜属事思考と、属人思考と、属場思考

2019年05月04日(土)

   * 想いだすのは可愛い… 
 それぞれの是非を正しく判断するには、
・「この人の言うことだから」というだけで是非を判断してしまう思考法を、
 社会心理学の世界では「属人思考」といい、
・もう一つは、「人」に対する怨念や敬意を脇に置いて、意見そのものを
 吟味しなければいけない思考法を「属事思考」という。「人」とは関係なく、
 1 つ1つの「事柄」を見て判断を下す考え方だ。
この2つがあるなら、『属場思考』があって然るべきだが…
「以前、勤めていた会社で…」が、これ。
その会社の何々さんとなると、属人思考になる。
そこで、こんなエピソードが…「属事思考」になる。
 
現場の一線からリタイアをして8年になるが、想いだすのは属人思考が多い。
金沢であった何々… 仕事の云々は、ほぼ忘却の彼方。心に残っているのは、
属人思考の場合、相性の良かった女性を想いだすことが多いのは仕方がない。
人の心は、これまでの、この3つ、属事、属人、属場思考が大きく占めている。
様々な職業の属事で、それぞれの属場があり、属人との邂逅が、その人生になる。
「若い自分に旅をさせろ!」は、全く、そのとおり。質量を重ねたのがキャリア。
それぞれの地域で、気ごころが知れた美人が、花を添えていたような。
地産地消ではないが、その時々の、属人の中で… 浅く、広くが、正解?

この3つの思考から、属物思考たる言葉が思い立つ。学生時代のステレオとか、
着ていたカジュアル着とか、当時、乗っていた車とか。愛用していた腕時計
など、モノから着想する方法がある。私のライフワークに、「秘・異様ツアー」
で、地球上の文化・文明、大自然の光景の、みて歩きがある。そこで、自ずから、
その場で、それぞれの感動と感激から、様ざまの違った思考から世界と自然を
垣間見ることになる。私にとって、直接触れることが出来た、世界への窓。

・・・・・・
6260,閑話小題 〜17年書き続けると
2018年05月04日(金)
   * 5月4日は、このブログ開始記念日
 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。
まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、
読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。読みっぱなしのためか、
読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、
何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての
PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。
「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。
以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを
始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。
 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。
以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と
検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の
感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代
のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。
 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。
ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア」
の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に
現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い
こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、
その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。
 何事も一万時間か、10年続けることですか。
――――
2016/12/08
なぜ本を読むといいか? 〜7
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著
  * 確実によい本に出合う方法はあるのか?
 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。
“どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。
あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく
べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。
それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。
 〜その辺りを、第5章に具体的に述べてある。
≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を
 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない
から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。
300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで
の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。
でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ
ことなど、どだい無理だと思っているからだ。
・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、
自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を
持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、
おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。
・大事なので、結論を繰り返す。
本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。
予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来
起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。
本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。
本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で
1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。
外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に
なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における
偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。
本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫
――
▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、
 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。
文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの
認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ 
 それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量
の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、
ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと
気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の
情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。
この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、
記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、
それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。
 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを
二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって
しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、
かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、
思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は
私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」
と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、
人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、
<少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> 
 を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、
 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。
トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。
すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニ 

・・・・・・
2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
                      −読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。

ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。

”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”

”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”

”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”

”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”

”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、
書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、
世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に
”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。
神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。
彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが
(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>
という信念というより信仰に近いものだ。”

”少なくとも結果の保証のない賭け。
賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定
不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、
その安定と安心。”

読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。
[深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・
2017/08/25
閑話小題 〜 随想日記、6000回超え、

   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
――
2014/11/22
閑話小題 ー今日で5000回!
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな
かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 
 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった
ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室
を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」
として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな」
のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。
もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも
11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回
を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む
つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を
書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と
して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ
にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その
まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 
自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた
分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、
ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産
とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結
でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣
をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分
だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する
ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、
アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が
何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって
しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。
また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と
入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣
だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない
からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 
その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く
ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の
経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が
魂ということになる。


6622,閑話小題 〜AIについて

2019年05月03日(金)

    <「AIが人間を殺す日〜車、医療、兵器に組み込まれる人工知能」
                        小林雅一(著) >
 最近の情報機器の進化には目をみなることが多々ある。数年前に、居間
から寝室に移住空間の主体を移動してきたことは、何度もテーマにしてきた。 
廊下を挟んで対角にある仏間の書斎コーナーのパソコン前の空間を加えると、
一日の三分二に近い15時間は「奥の院」に在住している。そこでネットTVと、
録画した映画・ドラマと、旅紀行、各種の講演や、YouTubeで動画サーフィン
などに没頭する。そこは現実社会とデジタル映像の世界が交差する不思議な
空間でもある。AIが人間をコントロールする可能性がある「2045年問題」
奥の院では睡眠以外の時間は情報端末で、コントロールされている。
  
  〜Amazonの内容紹介より〜
≪   ◉ 誰も言わない「一番の脅威」 ◉
 飛躍的な進化を遂げる人工知能(AI)。明るい未来が語られる一方で、
「AIに雇用が奪われる」という見方や、超越的な進化を遂げたAIが人類を支配する
「二〇四五年問題」などのAI脅威論も少なくない。しかし著者はむしろ、目前に
迫る危機として、車、医療、兵器の三つを挙げる。共通するのは、私達の命に直結
する分野であること。ここに今、最先端のAIが導入されようとしているが、中身の
見えないブラックボックスであるうえに、ときに暴走の危険性をはらむ。
世界の制御権が人間からAIへと移譲されたとき、その先に見えるのは自ら判断
する機械・システムが人の命を奪う衝撃の未来。AIの真の脅威が明らかに! ≫
   〜読者、感想より〜
・本書でキーワードとなるのは、「Human in the Loop」「Human out of the Loop」。
すなわち制御の輪の中に人間を含めるか、それとも人間を除外するかということで、
自動運転車でいうと、Googleなどが目指しているような完全自動運転車は
「Human out of the Loop」の思想に基づくものになる。今やAIの主流となる
ディープラーニングではビッグデータに基づきAI自身がある法則性の下でアウト
プット(判断や命令など)を出すが、その過程はブラックボックスでAIの開発者
でさえなぜそういう判断になったのかを理解することができない。AIの判断が
統計・確率に基づくものである限り、現実世界との微妙な誤差により誤った判断
をする危険性があることを著者は指摘しており、自動車や医療分野など判断が
人の生死に関わる分野では「Human out of the Loop」は危険であると論じている。
一方、半自動運転車のように人間の関与も含める形の場合は、どこまで人間が
運転に注意を払わなければならないか曖昧な点が問題、実際に実用化されている
半自動運転車の死傷事故の分析では「ドライバーの混乱」が事故の主な原因と
されている。ということで、AIの判断にどこまで人間が関与するかは難しい問題
であるが、急速な勢いでAIの開発と応用が進んでいる今こそ社会全体で考えて
いかなくてはならないことは間違いないであろう。
・本書では、主にAIの技術的な面に焦点を当てて論じているが、基本的にAIの
判断過程がブラックボックスでしかもIoTで様々なAI搭載機器がネットにつながる
時代では、悪意を持った個人やテロリスト、国などによる脅威もどんどん高まって
いるだろう。自動運転車搭載のAIに外部からの操作で誤作動をさせて事故を起こす、
医療分野で治療を支援するAIのプログラムを操作して誤った治療方針を提示させ
結果患者を死亡させるといったケースがまったくあり得ないことではない時代に
なりつつある。AI搭載の兵器がテロリストなどの手に渡った際の脅威は言うまでない。
こういったケースも想定した上で、AIの信頼性を更に高め、悪用を防ぐ方策を
考えていくことが特に人間の生死に直結する分野への応用においては重要であろう。

▼ AIといえば、最近、コマーリャル等で、見かける『ポケトーク』。
 翻訳は、端末ではなくクラウド上のエンジンを用いている。そのため、言語
ごとに最適な翻訳エンジンが活用できる。 従来のオフラインの翻訳機ではなし
えない高度な処理を実現している。これで海外旅行での会話の心配が少なくなる。 
 これをみて、直ぐに考えついたのが『ポケフレンド』。何かを思いついたとき、
話しかけると、即座に、自分では考えつかないレベルの面白い考えを自動的に
伝えてくる機能の端末…。そう遠くない内に、こんなのが出てきたら、如何なる? 
これは思考AI、いや思考サイボーグである。協働ロボットならぬ「協考AI」。
もっとも、グーグルの検索機能も、その類。 自宅の2台のTVはソニーだが、
パナソニックのTVは、音声で直接呼びかける機能と言うが…

・・・・・・
6260,閑話小題 〜17年書き続けると
2018年05月04日(金)
   * 5月4日は、このブログ開始記念日
 このブログは、私の人生を根底から変えてくれた。
まる17年間、6260回も続けてきた。学生時代に、基礎教養不足に気づき、
読書習慣と本屋通いを習慣に取入れた。読みっぱなしのためか、
読んだ割に知識が身に付いてなかったことに焦りがあった。55歳時に、
何とかパソコンを我が生活の中心に取り入れたいと近所に出来たての
PC教室の通うことにした。当時は、ブログは出始めた頃。
「個人HPの作成の過程でネット社会に近づくこと」を目的にした。
以来、現在に至っているが、2007年12月から、「はてな」のブログを
始めて10年あまり、今では、来訪者は、ほぼ「はてな」に移動した。
 しかし個人HPの「内部検索」が、私にとって非常に効果的になっている。
以下にコピーした過去のテーマは、これによる。例えば、「イスラエル」と
検索すると、数秒もしない内に、時系列で現れ出てくる。脳のクラウド化の
感覚が何とも奇妙。写真も、然り。 下記の中に書いてあるように、学生時代
のカード日記作成の下地」がある。下記も「カード日記」で検索したもの。
 ある意味、潜在意識化された記憶をキーワードで引張り上げが可能に…。
ささやかだが、私には、非常に効果的システムである。TVで「タンザニア」
の放映があれば、タブレットで検索すれば、たちまち当時の記憶が鮮明に
現われ出てくる。若者、子供が、こんなことより遥かに情報機器を使い
こんでいるのだから… 情報化社会の一端を連日、目の当たりにして、
その面白さ、楽しさを充分に満喫できる日々が信じられない感がする。
 何事も一万時間か、10年続けることですか。

――――
2016/12/08
なぜ本を読むといいか? 〜7
        <本を読む人だけが手にするもの>藤原和博著
  * 確実によい本に出合う方法はあるのか?
 本の選択能力を磨くには、どうしたらいいか。
“どのよんなジャンルでもいいから、数にあたることが大切”と著者はいう。
あたり前のことだが、その中で、著名人の読書指導書を、何処かで読んでおく
べきである。ツボを心得ているかどうかで選択肢が変わってくる。
それ以前に、あらゆるジャンルの絶対量の読書が必要になる。
 〜その辺りを、第5章に具体的に述べてある。
≪・“こうしたよい本に出合う機会は、当然のことながら、読書の量を
 重ねれば重ねるほど多くなる。「これだ!」という本を数えたことがない
から確かなことはいえないが、私の場合、おそらく300冊ぐらいだろうか。
300冊という数字だけを見れば多いかもしれないが、それでも3千冊読んで
の300冊だ。9割の本は、私の感性には引っかからなかったということ。
でも、それで損をしたとは思わない。無駄な本に出合わずに効率的に本を選ぶ
ことなど、どだい無理だと思っているからだ。
・また、他人の脳のかけらをつなげて新しい視点を獲得したいと思うならば、
自分には相場観のないジャンルや著者の本を手に取ることも大切だ。相場観を
持たない世界では、だれだって効率もクソもない。全く外れになる可能性も、
おおいに歓迎しよう。そのリスクを取ることで、リターンが得られるのだから。
・大事なので、結論を繰り返す。
本当に自分に必要な本と出合いたいと思う人には、「乱読」の習慣化をすすめる。
予想もしなかった考え方に出合ったり、本を介して未知の人物との遭遇が将来
起こる可能性もある。その化学反応は、読む前にはわからないことが多い。
本に即効性を期待する人もいるが、私は違うと思う。
本1冊の値段は文庫本で500円前後、新書で700円〜900円、単行本で
1300円〜2000円程度である。買ったうちの9割がダメでも我慢できる。
外れる確率は高くても、偶然の出合いがあるほうが、よほど面白い物語に
なると思う。それは人生における人間との出会いと変わらない。 人生における
偶然の素晴らしい出会いを、効率的に設定することなどできはしない。
本との出合いも、同じなのである。数をこなそう。≫
――
▼ 現実の体験や読書評を連日書いてきたが、一つのテーマに対して、
 その選定から、起承転結をマトメルに膨大のエネルギーを入れている。
文字の認識度が低いためである。子供の頃から漫画が好きで、絵からの
認識度があるが、読書脳は希弱のベース。 まして、文章化など・・ 
 それに気づいたのが学生時代。それを取り戻す為、毎日2時間以上の読書量
の確保と、日記と、メモを小まめにとることにした。 で、辿りついたのが、
ブログ、この雑記帳的随想日記である。 大学を卒業直後、何か足りないと
気づき、一年間、独学に近い状態で、産能大学で遊学。フィールド(現場)の
情報を効率よく残すには、如何すべきか? そこで得たのが、記録方法。
この随想日記の原型の方法、カード日記である。それも、大型カードに、
記録を残し、日付を入れて、毎日、得た知識のカード化。新聞切抜きは、
それを二枚重ねホチキスでファイル状にして、カードに挟んで茶封筒に入れる。
 ところが、これに問題が生じてきた。そうすると、最少単位のテーマを
二度と見ることがなくなる。その弊害が、その習慣の自然消滅の原因になって
しまう。 現在のブログに、毎日、同月同日の文章をコピペをしているのは、
かって書いた内容を、一年に一度、目を通す為である。また、ブログ内検索で、
思い出すキーワードで過去文を瞬時に引出している。実際、この随想日記は
私には非常に有効なシステムになっている。「私は無能で、遊び好きで、怠け者」
と自覚しているため、習慣化という第二の天性を多く重ねるしかないことを、
人生で学んできた。 他者の冷たい蔑視に、殆ど気にしないでいられるのは、
<少し離れてみれば、所詮、石の形、大小が違えども、砂利、砂でしかない> 
 を自覚しているため。 良質の量の増加は、質の自然変化を促す。それも、
 砂利の中の比較世界の話、アフォと、パーの違い。
トランプとクリントン女史の討論を見れば、自明? 韓国の女子たちも然り。
すると、安倍・麻生コンビも如何だろう?と 自然考えてしまう。・∀・)ニ 

・・・・・・
2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
                      −読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。

ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。

”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”

”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”

”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”

”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”

”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、
書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、
世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に
”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。
神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。
彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが
(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>
という信念というより信仰に近いものだ。”

”少なくとも結果の保証のない賭け。
賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定
不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、
その安定と安心。”

読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。
[深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・
2017/08/25
閑話小題 〜 随想日記、6000回超え、

   * 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむ、システムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。


6621,閑話小題 〜女漫画家の『最後の授業』

2019年05月02日(木)

            最後の講義 「漫画家 西原理恵子」
「エンピツ」の読者の皆様、 今回だけでも面白い漫画写真が載っている
  https://horii888888.hatenablog.com/を覗いてください!

   * 赤裸々に生きる
 去年の8月に放映されたのを録って、保存用のブルーレイの盤に移行していた
のを、数日前に再びみた。面白いのは何度見ても面白い。この5月5日に再放送
するそうだ。 画家を目指したが、直ぐに断念。その技術を活かして生きるため、
歌舞伎町でホステス稼業をしながらエロ本を描いて生きつなぐ。 ところは
東京女子大で、100人の受講者を前に、「女の子の人生で覚えて欲しいこと」を
テーマに登壇、言いたい放題。西原について、これまで何回も取上げてきた。
シリアスで自分に正直であるところが好きだが、傍に絶対居たくない女性。

「もし今日が人生最後だったら、どんなメッセージを残すのか?」。
アメリカの有名大学で行われている「最後の講義」が日本でも始まる。
 西原理恵子のテーマは「女の子の人生で覚えて欲しいこと」。
貧困と隣り合わせの少女時代、エロ本イラストからスタートした漫画家生活、
アル中の元夫との壮絶な日々… でも全ては笑い飛ばせる!すさまじいパワー
はどこから? 「オトコを見る目」「仕事と母親」「新たな彼氏も?」

・“男”捨離!?
・「家族は助け合わなくていい」? 
・「うちは本当に楽しい家庭なのよっていう真っ赤な嘘を、13年つき続けました」
 没夫、鴨志田穣が、アル中になった時に、過ごした日々は、惨め、壮絶だった。
 これをめげる事なく乗り切った精神力には、畏敬の念すらおぼえる。。
 
・「ハタチまで貞淑でいなさい」って言っておきながらハタチになったらクソ
 みたいな男がウヨウヨ泳いでいる大海原に放りだして、「いいの見つけな」
 って言ってもさ、3人ハズレに当たってみ? 10年経ってるよ。キツイよね。
 男にはわかんないんだから二股、三股かけとけよって!
 
・「女の一途って、いけないことだと思うんです」
 「女の一途」は相手の悪いところが見えなくなる病気なんで。ちょっと
 “マイルドなヤリマン”でいいから、って言っているんですけれどね。

・「世の中は腐れちんぽばかりですから、うっかりくわえても決して恥では
 ないんですが、くわえているうちにどうにかなると思ってクチャクチャいつ
 までもくわえているのが一番いけません。ダメだと思ったらすぐに吐き出して
 ください」って
 
・失敗してほしい。元気でやってくれればいい。でも男に依存しないでねって。
 自分だけの人生を歩んでほしい。人生の舵取りを人に任せないこと。うまくいか
 ない自分の人生を、あの人のせいでこうなったって言い続ける人にならないで。
 
・この歳になって、私もいい受け身を取れるようになったんです。背中にいい
 感じの背脂もついて。50歳くらいになると失敗しても笑って起き上がれる。
 ヤワラちゃんみたいないい受け身が取れるようになった。
 
・娘もね、早くたくさん転んで受け身の練習をして早く笑ってほしい。
 失敗しない人はいないんで。人間はみんな転ぶので。笑ってればどうにか
 なるから。動きのいい転び上手なおばさんになってねって。
 ―
▼ <若い女は大よそ2億円ぐらい。それが20年かけてゼロになっていくの…>
 がよい。肉体に包まれた精神と欲求は、制限なく膨張しバランスが崩れていく。
肉体は生野菜と同じように日々、しおれ腐っていくシロモノ。そのギャップが
長年かけて露出する。それをそのまま笑い飛ばすため、それはそれは… 
作家の中村うさぎ、岩井志麻子、とくれば、「たしなみ」など「はみだし者」
の世間の価値観におさまらないオバケのような妖怪女たちだが、それ故に
面白さが格別。 改元の儀式を流し目でみながら、このような妖怪女たちは、
『何じゃありゃ!馬鹿か?』と思っているのだろうが… それにアヤカル…
いや、時が時だけに、ここでストップ! 令和の初頭から何で彼女になるの!
 
 〜以下は、過ってテーマにしたもの
――――
2017/07/06
洗って使える 泥名言 〜1     
        <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * マンコ一回は数には入らん
 図書館の返却コーナーで見つけた、「サイバラ」の下ネタ、B級シリアス本。
この御堅いブログには相応しくない?が、第3章の『男と女の名言』が…何とも。
「中村うさぎ」ちゃんも、無理がタタって、介護生活。その穴を、岩下志麻子
と、二人が埋めている。 スナックで、酔い客と、ママやホステスと日ごとの
会話は、こんなもの? 聞いたこともない?下ネタが、息をつかないほど続く。
・「無理マン」=私らの頃の高知の田舎の女子の初体験は、和姦と強姦の間の
「無理マン」というのが普通でした。二人きりになって、もう抵抗しても無駄
 だし、殴られるのも嫌だし、まあしょうがないかな、みたいな…
・「マンコ一回は数には入らん」=ヤンキー文化の女子高だったので、みんな
 結構やっている回数が多いです。何回以上やると付き合ったことになるかと
 いう話題になった結果が、これ。
  ー内容紹介ー
≪実父はアルコール依存症。継父はギャンブル依存症で自殺。元夫もアルコール
 依存症。自身も地元高知の高校を退学となり、大検を経て武蔵野美術大学に
進学するも、生活費稼ぎのために、在学中からミニスカパブでホステス、成人誌
で漫画を描く日を過ごした。そしていま“整形手術の帝王”高須克弥氏と熱愛中…
そんな波瀾万丈の半生のなかで、サイバラの人格を形作る土台となった身近な人
の「金言」集です。 その一部を紹介すると――。
・「前科とお金、どっちが大事?」…バイトしていた白夜書房の編集長の言葉。
 猥褻図画を載せて何度も警察に捕まった氏は、「前科なんていくら増えても
 いいじゃない。お金が儲かるんですよ」と繰り返した。
・「半分も払ったのに」 …雀士・小島武夫の言葉。麻雀の負け分をめったに
 払わない氏は、「半分も払えば返したも同じ」という考え方だった。でも、
 誰からも愛されたという。
・「病気は作んなきゃ」……高須氏の言葉。氏が「包茎は悪いこと」という
 認識を世に広めることに成功し、「包茎手術の第一人者」となった経験から。
歴史上の偉人とかビジネスの成功者の名言みたいに輝かしいものではありません。
どっちかというとゲスだったり、身もフタもなかったり、ワケわかんなかったり
するような言葉ばっかり。でも、サイバラの人生の糧となった“言葉の劇薬”≫

▼ 御堅い明治生れの両親の元で生れ育ったため、親元から離れても、すり込み、
 呪縛から離れることが暫く出来なかった。女性中心の職場だったこともあり、
B級グルメ的魅力の女性が多くを占めていたが、地域の魅力を持った愛らしく
美しいの人が、それぞれいた。ヤンキー上がりはゼロに近かったが、それでも
面白く、際どいのが4〜5人に1人の割合だったような。驚いたのが、2人、
3人目の相手の物色をする実態。 違った相手に気持ちが移るのは自然のならい。
西原は「えげつない、下ネタの漫画家でもあるが、これがマタ、面白い。
ここまで明け透けになると、「いやらしい!」の気持ちが吹っ飛ぶ。
 ところで、「洗えば使える」は、あれのこと? 「洗って返してもらえば…」
両親に、生々しい具体的下ネタは控えるように教えられて育ったが、一般家庭
なら至極当然だが。下のことは、「暗黒の大陸」より、「暗黒の密林」ですか。
――――
2017/07/07
洗って使える 泥名言 〜2
              <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * 鉄マン ―性のアスリート 
  何のことやら?の、深く、かつ面白い下ネタが次々とつづく。  
★ <金ちゃんね、夜5回、朝2回なの。これは恋だと思うの> 
 まあ、驚きというか。その下りが… 
《 猛者といえば岩下志麻子ちゃん。彼氏と夜5回。朝2回ぐらいやらないと
 恋じゃないという。普通の日本人のやり方じゃあ単なる御あいさつなんです。
本当に‘鉄マン’だなと思う。もはやアスリート。
 志麻子ちゃんが常々言っているのが、
「私が悪いのではなくてマンコが悪いの」
「私にマンコが付いているのではなく、マンコに私がついているの」
すごいのは、租チンには当たったことがないっていう。… で、巨根の人
だけアソコが赤く光るとかね。そういう人だけを食べているの。だから、
志麻子ちゃんに素通りされたら、男として残念なことになります。まあ、
逆にロックオンされたら困りますけど。》
★ <歴代の女が泣いてわめいて角取ってくれた中古の男がちょうどええ。>
★ <一人3ちんぽ>
 「チンポマエストロ」と呼ばれている知り合いの不倫道の先生の教えで、
「不倫するなら一人3チンポぐらい持っておけ」と。一本に固執するから、
 さまざまなトラブルや事故が起きる。「あの人と連絡がとれない」とキーッ
 とならないために「じゃあ、こっち」「そっちがダメならこっち」と。
 いきなり日曜日に相手の家に「来ちゃった」とかならないように。
 3本を上手くまわしましょう。
 「そもそも向こうが奥さんと二股をかけているんだから、こっちも二股を」
 という「チンポフェアトレード論」を前から主張しているですけど。だから、
 不倫道としては3本まで。あまり多いと、色いろ支障が出てくる。毛利元就
 の3本の矢じゃないけど、3本のチンポの教えとして心に刻んでおいて下さい。
★ <こんな気持ちのいいことでもお金をもられるなんて夢みたい>
 以前、タイで会った若い買春婦の子の言っていたから、色んな人がいる。

▼ 鉄マンから見えてくる人生がある。男と女では、あまりに格差がある。
 男社会は、下スキャンダルに厳し過ぎる感がある。 で、晩年?、
「やっときゃよかった話」になる。
――――
2017/07/08
洗って使える 泥名言 〜3
            <『洗えば使える 泥名言』西原理恵子 (著) >
   * ライオンは弱い奴を狩りに行く
  〜 他の章の面白い泥名言が… 〜
<すべての男は3等賞や。それを一等にするも、三等にするのも自分や。> 
 と、知り合いのママが言っていたというが… 凄いことをいう。更に、
<三等を三等のままにしておくのも立派なことで「それで充分やんか」>
 だと。 それもこれも、泡沫の夢幻の話。死んでしまえば皆、同じ。

<ライオンは弱い奴を借りに行く。>
 暴力と貧困は、高いところから低いところに行く。世間とかいうゴミダメは、
 こういう弱者探しを生業に成立ち、日常会話で「にわか裁判」をしている。
 まず検事がいて、裁判長、そして傍聴人までいる。多くが、人生不燃焼組で、
 その燃え残りに火をつげ、自己満足する輩。対象は「大変な人」。

<よく離婚とか、彼女と別れる段になって、きれいに別れようとするバカが
 いるじゃないですか。あれ、一番ダメなんですよ。何やっても嫌われるの
 なら、「どうして、こんな奴と」思われるぐらい嫌われた方がいい。>
 キレイに事業撤退とか転職をしようとするから、ダメ。嫌われ罵声を浴び、
「これも有りか」と、独り打ち震えるのを逆に楽しむ位でないと。 
「最期は、キレイに撤退したい〉の私の要請に対する弁護士の答え
〈借金を踏み倒すのに、キレイも汚いもない。70点が最高点と思って下さい!
〈それでは、70点に近づけるように、お願いします。〉と方針決定。
 甘かったかもしれないが、過去の経験からして、やはり、後味の悪いのは、
 傷口に悪い。

▼ 大変な家庭環境の中で、下ネタ経験充分の人生もあり、とう泥名言の数々。
 緑の原野(娑婆)には、花も実もあるが、捕食動物も、被捕食動物もいる。
狩るか、狩られるかの弱肉強食のドラマが日ごと繰り返されている。ところで、
『今、何になっているの?』『何を狩ってんの?』『何を楽しんでるの?』
『人間をしているの!』『好きな遊びを探してるの』『趣味を楽しんでるの』…
… など、様ざま。問題は、時間が限られていること。キーワードは、『よく』
が、それぞれの生きざまの頭についているかどうか。その為には考えること。

――――
2015/05/27
修羅場の極意
               『修羅場の極意』佐藤優著
  * カネがないのが最大の修羅場
 月末の運転資金が足りないなどの資金繰りの修羅場を経験をしないで事業を
終えることができたのは不幸中の幸いであった。現在、中小・零細の三分一が、
資金繰りに追われる修羅場状態という。身近で、倒産時の修羅場をみてきたが、
正に阿修羅、いや獣のごとく!であった。そのため先年、知人が自殺に至った。
『修羅場の極意』の巻末の西原理恵子と、著者との対談がリアル! 
≪ 西原: 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。
 病気にならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、
 この世の中には存在しません。そのとき、専業主婦だったら家の中は
 滅茶苦茶になる。夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、
 家庭は修羅場になります。専業主婦は極めて危険な仕事です。
 夫を治すために莫大なおカネがかかり、半年後にちゃんと死なせるため
 にも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。
 おカネがないと、たいていの人は獣になってしまいます。おカネがないと
 男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる危険性が高くなる。
 自分の娘と息子がそんなことになったら、人生最大の修羅場と考えている。
 それさえ避けられれば、ほとんどのことはどうでもいい。
佐藤: 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を
 シュミレーションをしておく。それで、原因を理性的に分析して、
 危険な芽をつぶしておこうということですね。
西原: 子どもを東大に行かせようなど高望みしない。いい子に育てようと
 いった漠然とした理想も描かない。最悪の危馨理から逆算するのであって、
 上は想定していません。
佐藤: いいじゃないですか。東大を出て超有名企業に勤め上司の顔色ばかり
 うかがって、人間としての誠実さを失っていくようなエリートはいっぱい
 いますが、そんなふうになっても仕方ないのですから。
西原: そうですね。人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身に
 つけばいいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。
 それと、女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、
 それさえ気にしないで生きていける強度があればいいと思っています。≫
▼ 普通の子女が金に困り売春する金額は世界共通で、その地域の一週間分の
 給料分で、日本では4〜5万円が相場とか。対談相手の漫画家の西原真理子
は、夫の酒乱に悩まされ、末期ガンの夫を見送った手記は、日常生活の修羅場
そのものだったという。私も、事業をしている時、『起こってしまった難題に、
更に最悪を想定し、そこから対策を構築』していた。その積み重ねが、喩えば、
シェルターとか、避難ボートの準備だった。また、事業計画の段階で、最悪を
想定して、逃げ口を念入りに想定した。でも、こんな大津波(情報化社会)が
やってくるとは、思いもよらなかったのが本音である。事業で、お金は、
空気と同じで、きれた瞬間が死(倒産)である。そこから逆算しての
安楽死が事業にはある。安楽死は、自分でしか決断出来ないため、悲喜劇が
繰返される。その三分の一の経験だけは、したくはなかった。父の口癖、
『金がないのは、首がないのと同じ! 万一を想定し、備えを整えるべし』
の実践が最後には救ってくれた。準備があれば、最悪を冷笑する視線が生じる。
『こんな面白いことはない!』という、自虐的な、地底からの視線である。
鼻声で、他人の不幸は蜜の味という何への、侮蔑・汚蔑の視線が面白い。
ところで事業生活45年の、どの部分を切りとっても、修羅場と天国。
商売、事業とは、本来、そういうもの。両方とも楽しむのがコツである。


6620,閑話小題 〜「令和」元年ですか

2019年05月01日(水)

   * 何やら元旦のような
 平成が終わり、令和に改元された。退位によるのは200年ぶりとか。
85歳で、丁度良い辞め時。目立足し目出度しである。ちなみに昭和天皇は87歳。
東京オリンピックの開会セレモニーをこなすには明らかに無理がある。
語呂合わせで、「れいわ(018)を足すと西暦に変換できるの便利」という。
「昭和は+25 平成は+88 令和は+018」になる。
大型連休を終え、令和天皇の即位の御祭り騒ぎが終ると、不況風が吹いてくる。
街は右を向いても左をみても、パート募集の貼紙。現場はパート、アルバイト
の確保に大わらわだが、正社員の募集は数少ないようだ。 年金暮らしでも、
時代変遷からくる厳しさは伝わってくる。3、30%組と、67%組みの差が歴然と
してきた。
 ―
 その中、に中学校の同級生の訃報が… これで男の3割が鬼籍に。50歳代前半
で6人が亡くなった後、10年ほどなりを潜めていたが、4年前に一人、そして先日、
一人が新聞の死亡欄に名前が載っていた。27名の男の同級生で8人目で3割になる。 
鬼籍に入った男とは顔見知り程度、30年近く、同級会には全く出席がなかった。
地元の長岡高校に入ったが、進学を断念。離婚後?一人暮らし。20年近く前に、
彼がパートで働いていたホームセンターの店頭で立ち話をしたのが最後だった。
家庭内不和で、トラブルが続き、順調な人生ではなかったと聞いていた。
 ―
 机の前に、新しい置物、‘起き上がりこぼし’が鎮座した。 先週の映画館の
入場の際、土産で貰ったもの。 親指大の5僂巴K瓩気鵐好織ぅ襪世、これが
パソコンの合間の豆時間の気分転換のリラックスに丁度良い‘動くオモチャ’。
突っつくと前後に、回すと独楽のようにクルクルと… 捻って回すと妙な動きで
大きく動き回る。 ただ、それだけだが、これが気分転換に良い。 
ロシアのマトリョーシカ人形のカタチをしている。小さいわりに重厚感あって、
元気にコロンコロンと動き回る。 何か写真ってないか?とネットで検索をした
ところ、この位の大きさの人形写真が多く出てきた。パソコンに疲れた合間の
生抜きに結構、人気があるのかも? これって幼児帰りですか?
 ―
 10連休は、ツアーなどの旅行にはいいが、近・短・安なら、残った日々は、
家族が毎日、顔を突き合わすことに。 定年当初の元サラリーマンが直面する
家の中の陣取り合戦。家が大きいため、寝室と仏間の書斎コーナーと、逃げ場
がある上に、10年以上のポタリング(チャリ散歩)と、スポーツジム通いがある
ので、息苦しさからは解放されはいるが… それでも互いのストレスはたまって
くる。まだブルーレイにWoWoWの映画の録りためが300本あるから…。
家内の冷たい軽蔑の視線の中で、奥座敷で大人しく日々を過ごす日々。
これは、連休だけではないが… さて、信濃川一周でも行きますか。

・・・・・・
6257,読書日記 〜トランジション
2018年05月01日(火)
    <「トランジション ――人生の転機を活かすために」
                   ウィリアム・ブリッジズ (著),
 人生とは「転機」の繰返しであり、その積重ねの道のりをいう。
これは極限状態であることが多い。「転機」を織り込んだ「予定挫折」もある。
節目を打つには、計画的挫折が非常に効果的である場合がある。。

 人生を振返ると、特に20歳、30歳代は、転機の出来事が次々と押し寄せて
いたが、誰もが通る道? その一つずつを、若さで、真正面に、無心で受止め、
只管、潰していた日々…。 極限にたつと、火事場の馬鹿力や、幸運が何処から
湧出てくるもの。まずは、空即是色。「空」の状態に置くと、自ずと真剣を抜身
にしたような状態になる。それが「ニュートラルゾーン」。そして「始まり」の
エネルギーが湧出てくる。心持としては、一種「発狂状態」。
「終わり」の空虚感がエネルギー源だろう。その時の不安や焦燥感は、会社整理
とは桁違いのエネルギーを要す。

 30年間、長岡から新潟駅前に監査に来ていた会計事務所の担当が、生の現場で、
「整理を楽しんでますね。立場が分かってない、不謹慎です」と宣っていたが、
節目モードの現象が、面白くない訳がない。あくまで傍観者でしかない。想定内で、
先は見えているのだから、苦しいわけがない。次々と圧縮して押し寄せる問題を
確実に潰していけばよいだけのこと。生々しい転機の経験してきたため、
 以下の言葉が実感として理解出来る。

  〜Amazonの内容紹介
《「人生とは、失恋、結婚、転職、死別、昇進など、転機(トランジション)
 の連続です。その転機を一体どうすればうまく乗り越えられるのでしょうか。
本書で人生の転機「トランジション」を
 「終わり」→「ニュートラルゾーン」→「始まり」の3つに分け、
人生の転機をどう乗り切るかを解説しています。
 あらゆる状況には「終わり」があります。「終わり」と次の新たな「始まり」
の間の期間、「ニュートラルゾーン」に突入すると、これまで自分が置かれて
いた環境や立場がなくなり、自分自身が何者であるのかも分かでらなくなり、
将来も見えなくなり、ぬけがらのようになってしまうのです。ニュートラル
ゾーンはこれまでの自分が失われ、先も見えない、とても苦しい時期です。
  〜著者はこう述べています。
「人は跳び上がる前に、かがまねばならないのだ。このような旅はまた、
たった一人で行くしかない。」
「ニュートラルゾーン」では、急いで抜け出そうとして焦って行動を起こす
のではなく、「終わり」を受け止め、空虚感や喪失感をしっかりと味わい、真摯
に自分と向き合うことこそが、転機を活かし新たな「始まり」を迎えるために
必要なことなのです。》


▼  一休が亡くなる際に、弟子たちに遺言を残した。
 弟子たちに「どうしても困ったら、遺言を見なさい」と伝え息を引き取った。
そして何年かして、本当に困った事が起こり、弟子たちが遺言書を開いたところ、
「大丈夫」「心配するな」「何とかなる」とだけ書かれていたそうだ。
創造といえば、その背景に破壊がある。新たな再出発には、既存の日常の
別離が必要となる。 その繰り返しがキャリアの蓄積となる。同じ人生、濃厚に
生きるも良し、淡泊に生きるも良し! 折角なら活き活き、明るく生きたいもの。
それもスキップをして!ニッコリ笑って、ハンカチーフ。足元はガクガクしても。
 改めて振り返ると、「ニュートラルゾーン」が一番キツイが、この時こそ、
「空即是色」状態で、膨大なエネルギーが発露していた実感がする。
これも、車もガソリンがあればこそだが… 

・・・・・・
5890,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー6
2017年05月01日(月)
   * 日々、緊迫度が増す状況へ
 北朝鮮問題について、4月半ばから5回シリーズで書いてきた。
流れからして、全面戦争は避けられないとアメリカが腹を据えた時点で、
本格的な手順が始まる。いや既に始まっているのか。韓国と、仏大統領選挙
までは、開戦がないとみられるが、これが終わり、韓国新大統領への新布陣が
固まる8月まではアメリカも自制するが、9月以降は何でもありになる。
 アメリカの空母派遣は、親米派の韓国大統領を当選させる戦術と捉えられる。
いざ開戦危機となれば、暗殺、クーデターの可能性もあるが… どうだろう。
 ところで、横須賀に寄港している空母レーガンの動きもないが、いざ開戦時
の、補給のための交代戦力? それとも、首都圏への防空の布陣? 
 問題は、終戦後の周辺国への難民問題がある。 相応しくない大統領と、
幼稚で暗愚な主席となればこそ、起こるはずのない核兵器の使用を含めた
全面戦争になる可能性が大である。 それが8割とするなら… 
 「北朝鮮の深刻なガソリン不足で 平壌市内にあるガソリンスタンドは、
閉鎖されていて、人の姿はない。」とテレビが報じているが。
 毎日のように、御二人の漫画のような掛け合いを目の当りにしている
こと自体が信じられない。ドン様、カダフィか、フセインのような末路に
なるのだろうが、その前に数百万人の死傷者を道連れにする可能性を含む。
 問題は、ミサイルの飛来の可能性で、対岸の火事では済まされないこと。
暗殺、クーデターを恐れたドン様の自爆的粛清が更に激しくなる?
 
・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
   * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事に息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー2
   * 全面戦争にならないのか(8割の確率で)
 私がアメリカ大統領だったら、今のうちに核施設に全面攻撃を加える。
ましてトランプなら、8割以上の可能性の説に真実味を感じるが、如何だろう。
やはり、日本は平和ボケをしている。習主席がトランプに、「全面攻撃を容認
する代わりに尖閣列島への侵攻を黙認する」裏契約をする可能性も充分ある。
現在でなくとも、来年中には? 週刊誌の売らんがための煽り記事としても、
現実は、全面戦争に向かって動いている。 〜その辺りから〜
≪ ■ 高陽市安全都市課の職員が語る。
「わが市は目と鼻の先が北朝鮮なので、すでに臨戦状態です。市民からの問い
合わせが殺到したため急遽、10万枚のパンフレットを作成して市民に配付した。
それでも市民からの問合わせが日々、大量に来て、生きた心地もしない日々です」
 北朝鮮は4月9日、韓国国内の外国人に対しても、「韓国から至急離れないと
責任は取らない」という警告を発表した。これによって韓国では、ラーメンや
乾パンなどの非常食や、ミネラルウォーターの買い占めが起こっている。
韓国はまさに、「第2次朝鮮戦争開戦前夜」といった緊迫した状況なのである。
 そんな中、ケリー米国務長官が、4月12日から15日まで、韓国、中国、日本と
北朝鮮を取り巻く3ヵ国を回る、東アジア初外遊に出た。
  ■ アメリカ国務省関係者が語る。
「わが国はいままさに、韓国と合同軍事演習の最中で、いつでも実戦に移す
準備はできています。今回のケリー国務長官の3ヵ国訪問で最重要だったのは、
中国訪問でした。新指導者の習近平は、金正恩を救おうとしているのか、
それとも滅ぼそうとしているのかを、しっかり見極めようとしたのです」
これまでの東アジア地図は、日米韓vs.中朝という対立の構図だった。
前世紀末に世界の冷戦構造が崩壊したが、東アジア地域だけはいまだに、
冷戦構造を引きずっているからだ。
  ■ 8割の確率で戦争が起きる
 だがこの伝統の図式に最近、異変が起こっているのが、中国の態度の変化。
習近平政権は、いまの大荒れの北朝鮮をどう見ているか。外交関係者が明かす。
<かつて毛沢東と小平は金日成を、朝鮮戦争を共に戦った"血を分けた誼"
と見なしていた。続く江沢民と胡錦濤は金正日を、兄弟国の"特別な弟分"と
見なしていた。金正日は計7回訪中したが、北京へ来れば必ず中国共産党の
トップ9が全員揃って歓待する習慣があった。だが習近平は金正恩を、単なる
"物騒な若造"としか見ていない。だから、北朝鮮のミサイル実験や核実験を
受けて、いともあっさりと、北朝鮮への重油・食糧・肥料の援助ストップを
決断したのだ。中国にとって絶対に看過できないのは、朝鮮戦争時代の悪夢
である米軍が北朝鮮に侵入してくることだけだ。それさえなければ、いつ
核兵器の矛先をわが国に向けてくるか知れない金正恩という狂った指導者が、
いつ失脚しても構わない。それが習近平新主席のホンネだ>
 4月10日には、中国共産党機関紙『人民日報』が発行する中国最大の国際
情報紙『環球時報』に、中国で最も有名な北朝鮮研究者の張瑰・中国共産党
中央党校教授が、次のような原稿を寄せた。
<朝鮮半島に近く戦争が起こる確率は、7割から8割くらいあるだろう。
北朝鮮にとって武力統一は、昔からの既定路線だからだ。金正恩は、金日成と
金正日が成し遂げられなかった祖国統一を、いまこそ果たそうとしているのだ>
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より ≫
▼ 首都ソウルから北朝鮮の距離は、東京と大宮の距離しかない。そこには
 2500万人が住んでいて、北の脅し文句が「ソウルを火の海にする」である。
それを二分した国家に向かってなら効果があるが、アメリカに向かって、
「大陸間ミサイルで核攻撃で火の海にする」と、実験を繰返せば、交戦好きの
アメリカが見逃すわけがない。白人優先主義を謳って当選した大統領にとって、
東洋人の100万、200万が生きようが死のうが、大した問題ではない。
 在日米軍と、二つの空母艦隊と、多くの原子力潜水艦に囲まれ、いつ何時、
攻撃を仕掛けられない南北朝鮮の人たちと、平和ボケの日本人とは、危機感が
雲泥に違う。それでも、何かしらしら危ないのは分かる。危機の察知の早い
株式市場と、為替の変動の兆候がないので、大丈夫? そうじゃないから…

閑話小題 〜「令和」元年ですか

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