堀井On-Line



6619,閑話小題 〜平成の終わりに 〜5

2019年04月30日(火)



   * 平成、最後の早朝に…
 今日で平成の年号が終わり、空気は少し変わることになる。昭和生まれ、
とりわけ団塊世代以上の世代は急に老け込んだ感覚になる。 平成から令和と、
昭和から平成への改元の意味と考え合わせると現時点の時代と、自分自身の立ち
位置が映し出されてくる。 あと2年足らずで、後期高齢者に区分され、自動車
免許証の返納を勧められるなど、ここで失われた過去の喪失感に遭遇する? 
 ―
 せっかく改元の前日。少し難しい話を。
フロイトが、途中で自らの理論を大きく転換。新しいモデルでは、
・人間の心は、心のコントロールセンターのような「自我」という部分と
・エロスやタナトスから出るエネルギーの集合体である「エス」というものと、
・無意識のうちの心に住みついた、自分の親がいろいろな形で命令を出している
 「超自我」という3つの要素からなると、唱えた。
この超自我というのが、普通の道徳感とはちょっと違っていて、エッチや、
これは不道徳な親にいえないことなどの意識レベルでブレーキになるもの。
フロイトのモデルでは、超自我というのが単なる道徳感ではなくて、無意識の
うちに身体や心を反応させる状態をいう。
 何でまた、こんな話をするかと言うと… 昭和と、平成を分けて、過去を
振返ると、究極で切り抜けた難題、この「超自我」が、その都度の判断と決断
で、自らを導いてくれていた。こういうのを血筋というのかも… よくぞ、
事なきをえて、切り抜けてきたとかと。 私の心の最後の拠りどころ… 
「後味の悪くなることは避ける」が、この「超自我」だろう。いや「自我」?
毎日、書き続けている、この随想日記、その日の分は、「自我」。過去の蓄積分
が「超自我」。早朝のポタリングと、大手大橋でヒキチャリをしながら、地球の
芯からエネルギー補充のイメージが「エス」への充電。それとSJでのヨガもそう。
成るほど、一応、理に適っているのか。シネマ館と自室でみる映画も「エス」。
 フロイトは、この「超自我」を振り払って、己が自由にならなくては!と
いうのが言いたいこと。振り払えなかったことが、老年の後悔? それとも、
振り払い過ぎた後悔が、あいまみえる心の葛藤? 老いは悲しい! 
出来なかった自分が悲しい顔をして、見つめてくる。それに、黙るしかない。
昭和の40数年は、「エス」に引きずられ。平成の30年は、超自我に… 
「自我」「エス」「超自我」ですか。今度、この3者が対話方式で、語り合せて
みますか。「熊」が自我。エスが「寅」で、大家が「超自我」とすると面白い?
とすると「八」は何?。 心、ここにあらずの「天使」? それとも「悪魔」?

・・・・・・
018年04月30日(月)
6256,閑話小題 〜デ
   * つれづれに 〜凡人の祭日
 4月29日の祭日には、毎年、「競馬の天皇賞」「全日本柔道選手権」と、
「プロ野球」中継を楽しみにしている。 ところが、今年は日曜と重なり、
定番の「家について行ってイイですか」「お宝鑑定団」「そこまで言って委員会」
「新婚さんいらっしゃい!」が重なったため、12〜18時まで、数本の番組を同時
進行で見ることにあいなった。集中できない欠点もあるが、これが、生中継と
なると、集中しやすいため、頭の切替が思いの外、出来る。WoWoWなどで、次々
と面白い映画や、ドラマ、ボクシング中継などを放送するため、早々に、見て
消すしかない。最近はDVDに移行して消してはいるが、それも溜まる一方。
 寝室に‘お籠り用’に大型TVを入れて一年あまり経過するが、DVD録画の
数年分の録画分300本の録り溜め分もあって、非常に快適な自游空間に、あい
なっている。で、どうするか?といえば、録り溜分の4〜5本を同時進行で見る
ことで量を熟す。これも慣れ。で、昨日の柔道、プロ野球、競馬のライブなら、
お手のもの。さすがにゴルフ中継まで見る余裕はなかったが… 
だが、同時間帯に2本を録画していた。
 自分でも驚くのが、見ても見ても全然、飽きないこと。特に映画の世界は、
よくぞ考えつくものと驚きざるを得ないのが多い。 それと世界の重量級の
ボクシング。そして世界各地の大自然の光景。これこそ情報化の恩恵である。
 20時早々に就寝した後の深夜の1〜2時に覚醒し、死者のポーズで、己の肉体
から離れる意識をもって、前日の触媒の情報を見つめ直す。その面白さも格別。
 そして、起床をし、パソコンの前に座り、これを書き加えた後に、チャリ
散歩に出ていく日々…。 成るほど、これが第二の、第三の人生ということか。

・・・・・・
2017年04月30日(日)
5889,閑話小題 〜愛人業とはね
   * 愛人業ですか
 先日、投資業を餌にした女詐欺師が逮捕され、取調官の「職業は?」に対する
返答が「愛人業」という。寝技で篭絡しながら騙す男を「さお師」というが、
女は、さしずめ、「つぼ師」と思いきや、その言葉はない。クラブのホステスや
ママは、半愛人関係を持つ客を何人か持ち、名刺に日付と暗号を入れておくとか。
  〜ネットで、供述を検索すると〜
≪  ☆ 山邉容疑者「投資するつもりなかった」
「つなぎ融資の女王」と呼ばれた山邉節子容疑者の逮捕から1週間。
取り調べに対し、「金を投資にまわすつもりはなかった」と供述していることが
警察関係者への取材でわかりました。
山邉容疑者は70人以上から少なくとも7億円を集めたと見られています。
取り調べには素直に応じ、聞かれてもいないことをよくしゃべるといいます。
・「職業は?」(捜査員)
・「愛人業です」
 「美容整形のために合わせて800万円使いました」(山邉容疑者)
62歳の山邉容疑者は、タイでは交際相手に38歳と偽っていました。
地元・熊本で山邉容疑者を知る人は・・・
「色気たっぷりの男性に好かれるようなタイプだと思っていた。(交際相手の)
会社の玄関に畳ぐらいの大きいブロマイド、自分がきれいに写っている上半身と
全身の写真を貼っていたから、『おや!』って思った。女性としてきれいだから、
みんなに見てもらいたいのかなとは感じていた。近所の人もそう言っていた」
                        (山邉容疑者を知る人)
山邉容疑者は、熊本市内でかつて経営していたスナックで、客らの話を聞く
うちに犯行を思いついたといいます。元本保証や高い利息をうたい、口コミや
愛人を通して出資者を募っていました。しかし・・・
「7年ほど前に金を集め始めました。最初から投資したり貸したりするつもりは
ありませんでした。ここまで広がるとは思っていませんでした」(山邉容疑者)
投資話は全くのうそだったことを認める供述をしているというのです。≫
――
▼ その金も、なる手の「さお師」に篭絡されて吸いとられていた。
 事件が事件だけに被害者の映像が出てこない。篭絡した客に、ホステスが
スナック、クラブの出店をさせる手法は、何処にでもある話。海外にに逃げれば、
大丈夫だろうと踏んでのことだが、まさか、全国ニュースで、ここまで騒がれる
とは思ってもいなかったようだ。
 現職の頃、あるクラブのママに、「あの娘、店を持ちたいみたいで、旦那探し
をしているけど、あなた、どう?」と、囁かれたことがある。 これは最も危険
なケースで、暴力団系の金貸しに搾り取られるケース。土建屋など成金の泡踊り
の典型事例になる。 
<女の身体の真ん中へんに しんしょぶっちゃる穴がある>の都都逸がある…
父親の口癖に、<愛人だけは持つな!>があった。後後にツケがまわってくる
のを多く見てきたからだ。 聞くところによると、<女子大生の2〜4年の定期
約款付で、20万だったが、今では不景気で15万まで下がっている>とか。
嘘か本当かどうかは定かでない。都会には、この手合いが幾らでもいるのだろう。 

・・・・・・
2016年04月30日(土)
若者よ、外に出よ! ー 〜学生生活は人、人生の砂場遊び
  
   * 学生時代は、人生の砂場遊び〜  
 古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震、刈羽沖地震、
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20〜45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼著
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
――――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

――――
2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」
という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう
生き方をしようかという内容と、批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・
002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと  ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を
余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り
行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要
ということ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んで
いったモデルがある。


6618,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜1

2019年04月29日(月)



     <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人>和田秀樹著> 

 6年前に12回シリーズで『怒りの作法』をテーマにあった。ま6年前まだ心の傷
が癒えてない頃。心も病むと化膿し、放っておけば、死に至る危険をはらむ。
ならば、「怒り」の感情を凝視して有効活用をすればよいと… これを最大利用
したのがヒトラー。これは大型シラミで何千万人を殺戮した。 スターリン、
毛沢東も似たような者。 現在が、第一次、二次世界大戦前夜に酷似。プーチン、
トランプ、習、そして、あの男。図書館を彷徨っていると、精神科医の和田秀樹
の <「怒り」を活かす人、「怒り」に振り回される人>があった。 そこで、
 怒りに支配されたら、まず時間を稼ぐこと、そして、「怒り感情に振り回され
ない自己洞察を持つことの二つを上げている。この数年、様ざまな怒りを納める
ため、生活習慣を、フロー状態に可能な限り置くように、それに見合った一日、
週、月、年単位の行動スケジュールを組んでいる。 物語とは、喪失、挫折、
怒りを納めるために作られると… ハリウッド映画のベースは、情報過多で、
満たされない鬱憤やストレスを主役が破壊する物語がベースにある。
TVのドラマもしかり。四苦八苦を開放するために日々がある。8苦の中で、
一番のエネルギーが、「怒り」。それを如何に有効活用するか? 
 なかなか、含蓄のある精神科医の切り口が面白い… 
怒れ、哀しめ、喜べ、遊べ、もっともっと! 生きている内である。
そんなに自分を大事にし過ぎたら、比較地獄のシラミの人生を過ごすことに。
                           〜つづく
――――
4484, 怒らないって本当は恐い!  ―1
2013年06月26日(水)              『怒りの作法』小川仁志 著
 以前にも書いたが、生家が大家族で商売をしていたこともあり、自分の感情を
顕わにすることは絶対タブーの中で育った。 それもあって、
『情念の話術』ーヒトラーの魔力 ー を学生時代に読んだ時、私の常識と全く
逆の内容に驚いたもの。この本ではナチスの大衆誘導の手法を教えていた。
「大衆は女子供のようなもの。喜怒哀楽を込めた情念で煽って集団催眠にかける
手法である。右手を胸につけ右上にあげる。演説で大声を振り上げ怒りの感情を
大衆に訴え扇動する。それらの手法を日常の話術や、行動のエネルギーの源泉に
せよ。喜怒哀楽をエンジンとみたてフル回転し行動のアクセルにせよ」というのだ
から… 当時の私にとって、これは性格を変えてしまうほどのインパクトがあった。
私が怒りっぽくなったのは、これもある。これを人知れずノウハウにしたら、
突然狂ったと思われるはず。喜怒哀楽の中で、一番疎んじられている怒りこそ
(仏教の影響もあって)日本人に欠けている。切れるのではなく、コミニケー
ションの扉を開くための道具とすべしというのも納得できる。コミニケの中で
怒りの訴える強度が一番高い。もし人種差別の場合、笑って抗議しても、泣いて
抗議しても、怒りほどのインパクトはない。問題は、その表現の仕方である。 
これが『怒りの作法』の中で貫かれている主旨である。 怒りこそ感情の主。
逆に人間関係を一瞬にして破壊してしまう薬にも毒になるしろもの。そこに作法
が必要になる。ここで、アリストテレスの「怒りは、しばしば道徳と勇気の武器
なり」という言葉を紹介している。
《 それはまさに「正しく怒る」ことである。「怒らないこと」でなく、
「正しく怒ること」が大事ということ。 アリストテレスの「中庸」という思想
を見ると、このことがわかる。中庸とは最も望ましい状態のこと。怒りに対する
「穏和」を意味する。つまり、然るべき事柄に対し、然るべき人に、然るべき仕方
で、然るべき時に、然るべき間だけ怒る。これが賞賛すべき怒り方であって、
こうした怒り方の出来る人を穏和の人という。 怒ることは、必ずしも悪いこと
ではない。しかし、現代人は怒ることを出来るだけ避けようとする。もっと怒る
べきなのに。(p3)》
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが
破壊する。 怒らないって、本当は恐いのである。

・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
 何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 
   ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえ
 られるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみ
 は負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情という。
 したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める必要がある。
 感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出
 することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
 暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
 しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解
 するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらうことを
 諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
 長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
 上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
 楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
 が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、喜怒
 哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。 「風土」論にみる
 日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
 彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
 モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間に。
 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。
 また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考える
 ようになる。日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型は
 アフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。
 農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため 近所と波風を立てない
 ことが、まず求められる。あの人は、どう思うかということばかりが気になり、
 常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の
 社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは
 目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室と
 いう名の農村。もう一つ、気候と関連するものに地形がある。小さな島国の
 日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の
 1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。思想界では、
 ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。
 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・・ 
 それ以降、個人主義が拍車をかけていった。そして誰も怒らなくなった。権利
 意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだから。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ない
 からである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ
 呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。
 そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。そして威嚇
 したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。とはいえ、
 その対極にあるような日本も間違いなく変。何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。

・・・・・・
4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)
                    『怒りの作法』小川仁志 著
   * 怒るとは哲学することである
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで
「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると「まだ遣り残した
ことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、
一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する
怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに怒り
と密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる
ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに
疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと
理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。現代社会とは異なり、容赦
ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らは苛立ったことでしょう。自然は何から
できているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明
するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、カントを生み、
へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを露わ
にしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信
したりするような行為とは正反対の、いわば現実に対する知的抗議ともいえる営み
なのです。 怒りは言葉を生み出します。怒ることを「黙ってはいられない」など
と表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。・・・当たり前
のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分
自身の人生に怒る。怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける
人生を引き受ける営みにほかなりません。まさに怒るとは哲学することである。≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。この一連の
出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの
本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが
出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。
それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの
方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性が
ある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 
感情の最たるものは怒りと感動?

・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)
                      『怒りの作法』小川仁志著
   * 怒らない作法
 矛盾しているようだが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観
する勇気も必要で、淡々と処理をする。相手が怒っている場合、特に注意すべき。
ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
 ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていく
ような人間を「ハエ」と表現、そこで「そんなハエを叩いて人生を過ごしてはいけ
ない」と警鐘をならす。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、
気が熟するの待つことも必要である。その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、
力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・・≫
▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に驚き、      
 怒りさえ感じた。商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。 
ニーチェは、「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。そういう私もシラミ
だが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから?私は?… 
だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、危険度が増している
のが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。あの戦犯の?二人が首相と副首相
になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを支払うのは国民である。
その自民党に国民が多く支持しているのだから。政治的にみて憲法改革は必要。 
甘い餌で釣ることもありだが。怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟が…。 
その場をともかく遣り過し、タイムラグを置く。そのため「シラミ」と頭の中で
繰返す。これが一番、効果があるが「三ヶ月に一度は、嫌なことはある」と覚悟。
面白いもので慣れる。シラミ、ハエは事実は事実であると確信すると割り切れる。
「娑婆娑婆」である。その意味で、この経験は私の人生の物語にとって必然だった。
受け止め方の問題でしかないが・・・


6617,閑話小題 〜平成の終わりに 〜4

2019年04月28日(日)


   * 改元なればこそ見えてくる風景
 このテーマのシリーズは、改元なればこそ見えてくる心象風景のスケッチ。
節目になればこそ、昭和と平成の節目を改めて考えさせられ、現状を掘下げる
機会になる。明治維新、日ロ戦争、太平洋戦争敗戦も、そしてバブルと、崩壊
という経済敗戦も、アメリカの手中で踊らされた策謀。その結果、国家予算の
半分を国債で賄う火の車。まだ、引き受け手は国内で収まっているから火の手は
上がらないとしても… 太平洋戦争の廃墟の中から半世紀かけて復興した国力を
30年かけて使い果たした上に、膨大な国債残高が残ってしまった。
「目先さえよければ、それでよし!」が、この国の常ならばとも、言えない。
国家の基盤があればこその国民がある。『令和』は、「昭和」の54年と「平成」
30年の74年を清算する時代になる。その近未来は、韓国+北朝鮮の姿に近い?
暗い内容だが、現実は現実として見つめておくべきである。 誰も助けてくれ
ないのはロマ(ジプシー)、ナチによるユダヤ民族の虐殺をみれば自明のこと。
 この時節の改元のタイミングは、タイミング的に良かったといえる。
世界の激動期に、平成の30年で強引にリストラされた経験は、むしろ不幸中の
幸い。平成での身を削る経験は、『令和』の時代にこそ、生かされてくる。
ちまちま、下向きで互いの足を引張りあうところが、島国根性。
  平成のキーワードは、
・情報社会の本格的到来
・デジタル機器の飛躍的発展と普及でネット社会が現実社会を囲み
・日本経済の長期低落がつづき
・3,30,67%層の格差社会が露わになった。3%のみが、より豊かに…
・それらが重ねり、日本的家族制度が根本から揺らぎ、日本的個人主義が
 静かに浸透していった時代。
・昭和と平成の最後では、10年で100倍、20年で1万倍の情報量に、とすると
 30年なら一億倍?
ならば平成は、面白く、かつ興味深い時代のはず。
「令和」の時代は、2045年問題と言わるシンギュラリティ(技術的特異点)に
向けて一斉に動いてく。コンピュータ技術や生命科学などの進歩、発展が、
2045年頃に技術的な特異点が生じ、これまでの世界とはまったく異なる不連続な
世界に日々、近づいていく。 一昨日のシネマ館の「T-lex」の初体験など、
ある日、思いもよらない新世界を体験することに…
 平成と、昭和の時代に何をしてきたか? そのままが、これからの時代を
暗示してくる。暗くても、明るすぎても、その闇と輝きを見つめておかないと!
 時には色いろなサングラスも必要としても。

・・・・・・
5887,閑話小題 〜21世紀に入って16年
2017年04月28日(金)
  * 21世紀に入って16年
 21世紀に入った2001年から、はや16年になる。
・まずは2001年9月のアメリカへのアルカイダによる「9・11テロ」から始まる。
 ユダヤ・キリスト教対イスラム教の戦いの火ぶたが開かれ、イスラム国を生む
 キッカケとなり、大量難民が大挙して欧州を目指すことになった。
・地震、津波などの自然災害が日常的に多発。2004年12月26日、スマトラ島沖で
 巨大地震が 発生、この津波がインドネシア、タイ、インド、スリランカなど
 の諸国 の沿岸を襲った。津波による死者は28万3千人以上にのぼる未曾有の
 大災害。国内では、2004年の中越地震、2007年の柏崎刈羽沖地震、そして
 2011年には、東北大震災が発生した。
・2008年のリーマンショックの経済的激震が、世界を襲った。
・21世紀に入る頃に、スマートフォンなどネット社会が世界的に普及をして、
 全世界の半数が携帯端末を持つようになったが、その情報化に対応する体制が
 全く不備のため、混乱を引き起こしている。現実社会の上にネット社会が新たに
 出来上がり、それが現実社会を支配するようになってしまった。情報機器と、
 世界的ネットワークの進化が、グローバル化を推し進めてきたが、ここで、
 その反動が起きている。
 ――
 21世紀に入った5月初旬からこの個人HPを開設し、5900近いテーマを書き
続けて現在に至っている。個人的経験として、20世紀後半の奇跡的経済成長期と、
21世紀のネット社会の出現を目の当りできたのは、非常に幸運といえる。
世界は明らかに混迷の時代に入ってしまった。近隣の北朝鮮情勢が不安定に
なってきて、70年余りの平和だった日本も、安閑としていられなくなった。
戦い取った自由民主主義ではなく、アメリカから与えられたシステム。
それが故の軟弱な基盤が、そのまま露呈している現実がある。フッと振返れば、
歴史的幸運世代の落とし子、そのままの一人でしかない自分、そして何故か
動揺している自分が、ここにいる。時代背景、その世代が、その人そのもの!
 71歳は、71歳である厳然たる事実がある。老いてしまった。 しかし面白い。

・・・・・・
5157,不幸不利の7つの法則 〜
2015年04月28日(火)
 去年の暮れ、幸福優位についての以下の書籍の批評文を書いた。
そこで、真逆の『不幸不利性の法則』のテーマを思いついた。あらためて、
幸・不幸を考えるに手軽である。ひとつ歯車が狂えば他人事の話でない。
≪2014/12/02 〜幸福優位7つの法則 −2
 【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
   * 幸福の概念と、幸せな人
 それぞれの内容一つ一つに含蓄があり、納得させられる。その法則とは・・ 
法則1 ハピネス・アドバンテージ〜幸福感は人間の脳と組織に競争優位をもたらす
法則2 心のレバレッジ化〜マインドセットを変えて仕事の成果を上げる
法則3 テトリス効果〜可能性を最大化するために脳を鍛える
法則4 再起力〜下降への勢いを利用して上昇に転じる
法則5 ゾロ・サークル〜小さなゴールに的を絞って少しずつ達成範囲を広げる
法則6 20秒ルール〜変化へバリアを最小化して悪い習慣をよい習慣に変える
法則7 ソーシャルへの投資〜周囲からの支えを唯一最高の資産とする
  ー以上だが、再起力、20秒ルールには特に新鮮な驚きを感じる。】
▼ 幸福度からみた、下位の二割の人たちのところに八割の不幸が集まり、
 上位二割の人たちのところに、八割の幸福が集まる傾向にある。幸福感も
長期スパンでつくることが可能。人間である限り、孝不幸はついてまわる。
特に不幸?の四苦八苦は、避けることが出来ないが、その三倍の幸福状態を、
中長期の習慣化で身につけることは可能である。第二の天性といわれる習慣を
身に付け、幸福状況を三倍にすればよい。周囲には実に不幸の人が多くいるが、
彼らは、上記の幸福優位の法則の真逆をしているため。  〜つづく
・・・・・・
5522,若者よ、外に出よ! ー .團薀潺奪匹箸い衝撃を体験しろ  
2016年04月28日(木)
             〜『人生の教科書』 なかにし礼著
 図書館で、青少年向けだが、なかにし礼の『人生の教科書』が、面白そうな
ので借りた。まず目についたのが、この<ピラミッドという衝撃を体験しろ>。
それぞれの秘・異郷旅行で魅せられるのは、想像を絶した衝撃を体験するため。
 その度に、大自然の神秘、世界の広さと深さ、人間の神秘、「超」能力など、
旅行のたびに衝撃を受ける。それが、自分の広がり、深さに繋がる感覚が
次の旅行を誘う。その上、ツアーの同行者は旅行情報の宝庫でもある。
エジプトには世界の遺跡の7割があると言われるが、危険をおかしてまで
行く価値は十分にある。世界は驚異に満ちている。何故に、ここまで旅行
したかが端的の書かれている。 正に、以下の感動があるからだ。 
   * ピラミッドという衝撃を体験しろ
≪ 海外に旅へ出る。まずどこを目指せばいいのか?
 迷うことなしにエジプトのピラミッドだ。時間が許すのならすぐにでも
行ったほうがいい。脳天をぶち破られるほどの衝撃を受けるはずだ。
 エジプトのピラミッドほど人知を超えた代物はない。ピラミッドを見て何も
感じないということはあり得ない。ピラミッドを見たあとにローマへ行ったら、
絢燗な建築物も、しょせんは人間業でしかないと感じる。
ギリシャのパルテノンも、円形劇場もどれもこれもが、理解の範疇のものに
思えてしまう。でもピラミッドだけは、人間の想像もつかない神品なのだ。
 ごく普通の会議室のような部屋が、大きな数枚の石によって作られている。
天井も床も一つの巨大な石。壁には斜めに切れ目のある石が組み合わされている
のだが、この石の隙間がカミソリも入らないくらいピタリと合わさっている。
それだけで、世界の広さ、人間の神秘、人間の持つ「超」能力を肌で感じること
ができる。
 エジプトやピラミッドについてあまり知らないのであれば、本を持っていけば
いい。勉強しながら目的地へ近づく。徐々に気持ちが盛り上がり、そして現地で
実物を目の当たりにして感激する。その興奮の醒めぬままにまた本を読んで確認
をする。ガイドブックではなく、歴史が記してある少し専門的なものを持って
いくといい。
 今、エジプトには簡単に行くことができる。もちろん治安状態など事前に
チェックしておくべきだけど、基本的にはツアーならばほぼ安全に行ける。
 ピラミッドを見て、ルクソールに行って、王家の谷に行く。その3箇所は絶対
見たほうがいい。ナポレオンがエジプトを見て、「俺たちはいったい何をやって
いたんだろう」と深刻に考えたそうだ。その気持ちは実際にエジプトに行って
みるとよくわかる。≫
▼ 当時の衝撃を文章に書き残してあるが、何れの遺跡の前でも、ただ呆然と
 立ち竦みしかなかった。石の文明は、数千年の世界を、そのまま、保存する。
もう20年も経ったが、感動した行蔵は、魂に刻まれ、そのまま残っている。
――
1996年2月
エジプト・トルコ感激の旅  
ーエジプト編ー 
 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。
まず最初に訪ねたのが「カルナック神殿」であった。“まさしく驚愕!”
直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、
今まさに自分が、目を丸くして驚いているのだ。
歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
 日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの
熱心な説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス�鵺世などの王や神の像の数々。
今まで何度か海外旅行をしていながら、
何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った「王家の谷」。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々
掘られている集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念で
つきとめられたツタンカーメンの墓室にも入ってみた。
また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。
その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つメムノンの二体の巨像の神秘的な
光景も印象的であった。
その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス�鵺等の巨大な立像。
実際そこに立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

 またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という
小さな帆かけ舟の夕日の中での“ひととき”も、一瞬の中に永遠を
感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化されているのが、
逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。
我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、
それがイスラム教という。カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげた
「クス王のピラミッド」も本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、
ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうな「ラムネス�」をはじめとする数々のミイラも
数千年をこえて不死への激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

・・・・・・
4792,「消費される物語」 ー2
2014年04月28日(月)
           ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)
  *「消費される物語」 〜希薄化する挫折      
 物語といえば、劇場で演じられ、それぞれの役割がある。その物語が、
右下がりで、大した意味のない役割としたら、生きている張り合いがない。
そこには、夢も挫折もない、節のない竹のようなもの。挫折には価値がある
のである。今回の節目で、気づいたことが、これ! その挫折さえ持てないと
したら・・ 挫折感は、人を絶望に到達させる。その虚無を背景に、人生が
新たな出発点になる。その以前に夢が持てないとなると、どうするのだろう。
  ーその辺りから
《 ◆ 希薄化する挫折
 一方、現代を生きる人々にとって、恋愛はもはや、それほど非日常的な
体験ではないし、社会への高い理想を持つこともない。欲望が「恋愛」や
「理想」という形で結晶化しないため、我々の世代では当たり前だった
「若い時に挫折し、自らの欲望をかみ殺す」という重大な経験が起こりにくく
なっている。 挫折が希薄化したことで、多くの人々が「いつかはみんなから
認められる」「夢はかなう」というナイーブなロマンチシズムを、年齢を
重ねても引きずり続けているのではないか。 あくまでも仮説ですが、
佐村河内さんや小保方さんの成功物語が大きな支持を集めたのも、そうした
ことが影響しているのかもしれません。「夢はかなうかも」と思い続けたい
上に、うさんくさそうな話を疑うリアリズムを身につけていない。
だから物語をあっさりと信じてしまい、裏切られると本気で憤る。私自身は
この仮説を「真実だ」と結論づけるだけの証拠は持っていませんが、貴重な
示唆を与えてくれると思います。 いずれにせよ、挫折がない、それゆえに
自らの欲望と現実社会の折り合いをどうつけるかという筋道がはっきりしない
という問題は、現代に固有の危機だと思います。それぞれの時代で、常に
本質的な危機がある。若い世代が中心になってその筋道をつかみ、しっかりと
表現することが、文化の大きな役割だと考えています。》
▼ 私たちの高度成長期の頃の「夢はかなう」は、当然のことであった。
 しかし、国家が衰退し始めた現在、大多数の者にとって夢の実現が考え
られなくなった反面、挫折も希薄になっている。 小保方氏や、佐村河内氏の
成功物語の崩壊も、また新たなる物語になる。私たちは、高度成長の経験と、
バブルの破裂、右下がりの経験をしてきたが、団塊世代の子息以下の世代は、
高度成長やバブルを知らない。だから、夢も挫折も、おのずから小さくなる。
また、物語もミニになる。青年期から成年期の間には、夢と挫折が、大きは
節目をつくる。 それが希薄化するのだから、気の毒といえば気の毒。
 私の事業の最後は、倒産という挫折?で終わったが、傷は少ない。準備期間
15年を含めた45年の物語が、行蔵として、心の底に残っているため、諦めと
同時に達成感がある。だから、毎日を、淡々と過ごすことが出来ている。
実際のところ、「希望が持てないほど辛いことはない」のだろう。現代の若者
は、その意味で、非常に辛いのである。で、仲間内の闘いの中で、相手を倒し、
馬乗りになることで満足をするしかない、きめ細かい差別化の時代の到来!
・・・・・・
4425, 閑話小題 ー今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
2013年04月28日(日)
   * 今時のプレハブ住宅は二ヶ月で建つ
 5年程前に裏隣の古い貸家が壊され二軒の住宅が建った。そして三軒目の
プレハブの着工が、この4月10日に始まった。その知らせに、完成が二ヶ月
後のの6月10日とあった。以前は、住宅は最短で半年から一年だったが、
今時のプレハブは工期が二ヶ月とは驚き。 まず基礎工事に二週間。次に外壁
工事で、周囲に足場をつくり、柱を建てていく。この連休が終わるころまでに
外壁まで完成し、内装に一ヶ月かけて完成のようだ。 最初の二軒は貸家で、
その借り手は両方とも既に居なくなり、一軒は空いたまま。表通りの方は
小さな小物雑貨店だったが、夜逃げ。その後、ファッション衣料店だが、私の
感覚では、この入り込んだ立地で商売が成り立つのかさっぱり分からない。
で、三軒目の住宅の着工。子供の頃近くに建前があると父に手を繋がれ見に
行ったもの。それより、2〜3歳にかけて実家の店兼住宅のビル建設の最中に
あった。住んでいる家を近くにあった300m先の公会堂の前に曳いていき、
空いたところにビルを建設をしたが、幼児ながら、毎日、父と建設現場に
行ったときのトキメキが、今でも忘れられない。その幼児体験が、ビル建設
マニアになったのだろう。 新築は夢があってよい。
  * 目的に合わせて人集めをするのではなく
 もう十数年経つが、ドキッとした言葉があった。
《起業では、何かをしようと適材を集めるのでなくて、優秀な人材を確保して
から、何をするか、どうするかを考えるべし》 まず有志が集まって、何の
事業を始めるところから考えるのが理想なのだろうが。創業というと、独自の
強力な個性が必要になる。 黒澤監督の「7人の侍」は、盗賊から村を
守るため、かき集められた浪人が、圧倒的多数の盗賊と闘う。これは目的に
合わせた人集めの典型。このことは、教養についてもいえる。何かのために
知識を得るのではなく、知識のベースが、まず必要。それが教養。
大学も4年のうちの二年間が一般教養、あとの二年間が専門課程になっている。
人生を振り返ると、本当に必要な知識は、哲学、文学、倫理とか、経済の基礎
知識であった。教養課程は、その導入知識を広く教えてくれる。大都会と地方
の差は、そういう人材が身近にいるか、いないか。40数年の独学では限界が
あった。「限界は誰でも到達するが、問題は、その先!」の意味を実感する日々。


6616,閑話小題 〜スリランカのテロ

2019年04月27日(土)



   * これまた驚いた
 最近の3Dに驚いたが、この「T-LEX」の大型スクリーンの大きさと音響の
迫力には驚かされた。従来比約135%の大型スクリーン+4K デジタルシネマ
プロジェクター仕様が売りだけのことはある。
シリーズモノの『アベンジャー』そのものがド派手な内容だが、それにこれ
だけの鮮明な画面と音響とくれば、映像の世界に吸い込まれてしまう。
何か、そこに座っているだけで恐ろしくなる緊迫感がある。これがデジタル
機器の進化の一現象ということかと… 
 二年半前に、寝室に65㌅TVをとブルーレイを導入し、シネマとドラマの
世界に没入する日々の中で、週一のシネマ館通いも10年に…。そろそろ、週一
から隔週にペースダウンをと考え始めていた矢先、これである。疲れるが
面白さは格段上がったような。
  〜ネット検索によると…
<ティ・ジョイは、独自のプレミアムシアター「T-LEX」を、新潟県のT・ジョイ
長岡に3月21日よりオープン。県内最大級を謳う大型スクリーンとJBL製4ウェイ・
シネマスピーカー、 4Kプロジェクターの上映設備を設置するほか、高級革張を
採用した … …「Large(巨大)でLuxury(贅沢)、Exciting(刺激的)なExperience
(体験)を提供する空間」としている。JBL製の4ウェイ・シネマスピーカーが巨大
な音から微細な音までを表現。>
 ―
 帰って直に、直前まで録画していたWoWoWの生臭い北欧の刑事モノドラマ3本
をたて続けに見てしまった。映画オタクそのもの。まだ、このブログの書上げと、
SJ通いと、早朝のポタリングがあるため、何とか正常な?精神を保っているが…
それらのどれもこれもが我を忘れるほど面白いとくる! 
 ―
   * スリランカのテロの意味すること
 スリランカで同時多発テロが起こった。なりを潜めていたISのテロ。
今後も、今までのように世界各地で無作為で行いますよという宣言のような。
組織的テロには対処の方法はない。狙わたら不運として諦めるしかない。
これでは、旅行熱もさめてしまう。今度は、イスラム教会に対したテロが考え
られる。パリのノートルダム寺院の火災、テロでないと信じたいが?
複雑な難民問題、人種差別、国家間の対立などを抱えて、解決は難しい。
スリランカのテロ首謀者の『あの眼』。差別されし者の怨念が籠った怒りの眼。
何でまた、こんな眼差しで… 怨念?軽蔑?精神異常?薬物?。その全てか。

・・・・・・
6253,閑話小題 〜‘キャバクラヨガ’
2018年04月27日(金)
   * 微妙〜な一線
 まあ面白い! SJでヨガ・エアロに参加して6年2ヶ月、大よそ千回になる。
ストレッチそのもので、腰痛対策としてベストである。ヨガ専用教室の参加費は
一時間、大よそ1500円が目安。ジムのそれは、50人の定員もあって、100〜200円。
ところが、色気を売りにした“キャバクラヨガ”なる店に、文化相が公用車で
通っているのがすっぱ抜かれた。 〜まずは、ネット記事から〜
【 林芳正文科相(57)が、平日の白昼、“キャバクラヨガ”と呼ばれる店に、
公用車で出かけていたことがわかった。 週刊文春の取材によれば、
<4月16日14時半、林大臣を乗せた公用車は、恵比寿にある雑居ビルの前に到着。
林氏はヨガスタジオに入り、2時間を過ごした後、待たせていた公用車に乗込んだ。
 店は、元AV女優が経営し、個室で元グラビアタレントや元キャバクラ嬢の
インストラクターらが一対一でヨガを指導した後、オイルマッサージなどを行う。
料金は男性客は1時間1万1000円なのに対し、女性は3000円。客とのLINE交換や
食事、交際も認めており、テレビでは「キャバクラヨガ」として扱われていた>】
 ――
 〜コース詳細が何とも〜
 TT200詳細
ベーシック100hの合格後に受講し、中級者以上にも教えられるレベルを目指す。
『1時間15分のヨガクラス』のオリジナルプログラム作成とレッスンを通して
行える ヨガ中級者以上に対し、効果的なアジャスト、バラエティ豊かなポーズ
構成、テーマに合ったクラス運営、臨機応変な対応ができるレベルを目指す。
ヨガスタジオの中級者以上のクラスで自分のオリジナルレッスンを構成しギュラー
レッスンを運営し続けられるレベル。100hで学んだ事をベースに、より難しいポーズ
の練習やアジャスト、クラス構成の仕方を体験的に学びます。TT200は実技が中心
となり、体験的に、楽しみながら学んでいくプログラムが特徴です。アロマやハーブ
の応用や骨盤調整ヨガ、月礼拝も学びます。また、インターン制度を導入しており、
自分のレッスンを10時間行い、認定されたのち、合格となります。資格をとった後、
一番悩みの多い意見が、教えた経験の少なさからくる疑問や不安です。本校では、
基礎的な知識、体力作りだけでなく、心やマインドの成長のお手伝いも目標です。
インターン制度は生徒自身の自信につながり、即デビューの架け橋となります。
<庄司ゆうこ オフィシャルブログ(ポジ☆ポジ☆ポジティブ)
 https://ameblo.jp/shojiyuko/   
https://matome.naver.jp/odai/2152456174521985501

▼ 成るほど、ヨガを建前に密室指導とは考えたもの。デルヘル嬢が、少し
 ヨガ」を手ほどきを受け、密室で… 早速、店主のブログ「庄司ゆうこブログを
検索すると、ありました。 これが‘キャバクラヨガ’でなくて、何ぞや。
「ピンサロ・ヨガ」と書かれなくてよかった? 
オプションは、密室の中の交渉ごと。ヨガ用のレオタードと、軽装の運動着。
状況はホボ同じ。店主としては建前上は、「怒り心頭のポーズ」は必要。
何と男客の写真が、そのまま写っているのは、健全客? だから。
 健全といえば、SJのエアロ。今どきは、昼時に、真っ暗なスタジオ内で、
ミラーボールが点滅する中、老若男女が我を忘れて、大音響の中で踊りまわる。
これはストレス解消になり、健全なスポーツ。 キャバヨガも、凝ってる?
部分をとき解すのなら、健全? ところで、新潟県知事、何故、辞めたの。
「県知事である前に男の子です、すみません!」で、通ったのでは!
「少女買春」の男が、アワヤ都知事になったかもしれなかったのに。
こんなことを早朝の4時過ぎに書いている私は不健全ということ! 今さら…?
 ところで「ホストヨガ」が成り立つのでは? 当たると思いますよ!
他のジムに「ホットヨガ」というのをパンフレットでみかけたが…

・・・・・・・
3684, 自己を見つめる −8
2011年04月27日(水)          
  * 仕事について     「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 第二の人生に入って一ヶ月足らずになる。 今月から仕事・事業人生から
無職のリタイアの人生に入った。人生の大部分を仕事を通して幸福・不幸の
波の中で泳いできた。仕事は人生の核であることは間違いない。社会の中の存在
意義が仕事を通して証明される。そこで表現した中に自分が見えてくる。仕事、
趣味、そして学びは人生の三本柱。人生のプロセスで、その重心が変わって
くるが、男は家族を作り、養っていかなければならない。だから仕事の比重は
のしかかってくる。とはいえ、三本柱の一つだが・・・
  ーこの本の中の仕事に関する部分を抜粋して考えてみるー
【 したがって、社会に応えてなんらかの役割を果たし、世間に寄与することが
 できるということは、人間の自己意識にとっては、自己の存在の意味を確認
することのできる最も直接的な答えであり、また喜びであることは、疑いようの
ないことだからである。もちろん、そうした仕事における労苦のうちには、
失敗や挫折、困難や事故、予期せぬ妨害や災害、さらには競争や不運など、
実にさまざまな心労の種が含まれていて、人生の現実が容易ならぬものである
ことが、誰にでも、ひしひしと実感されてくる。人生における懐疑や煩悶、
疑心暗鬼や気欝は、多くの場合、仕事をめぐるトラブルや、そこに絡んでくる
陰湿な人間関係に起因するものであることは、否定することができない。
けれども、そうした暗欝な影にもめげずに、自分の関与する仕事の有意義性を
確信して、少しでも前進し、実りある人生行路を切り開こうとする人にとって、
やはり、仕事を措いて、人生の実質上の道程は考えられないことになるであろう。
そして、もしもその人が、強い信念の持ち主として、どんな障害にも屈服せずに、
この世界では善が勝ち、道徳的な世界秩序が実現してゆくはずだと確信する
ことができるならば、たしかにヒルティも述べたように、その人にとっては、
仕事を通じた人生の意味と幸福が、力強く確認され、労働の喜びが増すであろう。】
▼ 「人生における懐疑や煩悶、疑心暗鬼は、仕事をめぐるトラブルや、
 それに絡んでくる陰湿な人間関係に起因する。」 しかし、それを乗り越えて
仕事を成し遂げることこそ、その醍醐味がある。とはいえ、経済震災や、自然震災
は、その全てを飲み込んでしまう。これほど大激震だと諦めがつくが。
これも人生。人生の多くを事業を通して多く学び、楽しんだことも確か。
 まあ、面白かった! 

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4791,「消費される物語」 ー1
2014年04月27日(日)
        ー耕論「消費される物語」朝日新聞(4月22日)よりー
 * 「消費される物語」 ー憧れをかみ殺す  
  ー「夢はかなう」を引きずるロマン 竹田青嗣ーより
 毎日、随想日記をネットに載せてから、まる13年になる。これも、ミニ物語
になるが、先日の朝日新聞の耕論「消費される物語」が考えさせられる。 
 ーまずは、竹田青ほぼ全文を抜粋ー
《 「どんな物語が杜会で受け入れられるか」ということは、「人々の間で
 広く共有されて一般化している欲望とは何か」ということに強く影響されます。
近代社会のかっての一般的な欲望は「自由」でした。職業選択の自由、思想信条
の自由、そして自由恋愛。だが、これらの自由への欲望は、先進諸国では20世紀
半ばまでに実現してしまった。それに代わり、現代社会で一般化しているのが
「承認」への欲望です。 そもそも人間の欲望には、それが他者から承認され
ないと実現できない、という特質があります。赤ちゃんがお乳を吸おうとする
ことさえ、母親の「あなたは私の子ども」という承認がなければ実現できない。
人間社会では、どんな欲望も承認を経て初めて実現する以上、快楽への欲望が
「みんなから認められたい」「祝福されたい」という承認への欲望へと移行して
いくのは、自然なことです。佐村河内さんの物語も、小保方一さんの物語も、
「不幸な境遇にある人や一見平凡に見える人が、がんばって成功し、多くの
人々から承認を得る」という基本的な枠組みは共通している。最近公闘された
英国の映画「ワンチャンス」も、携帯電話の販売員がテレビ(オーディション
番組で優勝し、塒界的なオペラ歌手になる、とり実話を描いた作品でした。
   □ 憧れをかみ殺す
 だが、ここで問題になるのは資本主義社会における「承認を巡る競争」
はゼロサムゲームで、勝者は常に少数派、です。「そこそこ満足」という人まで
勝者に含めても、6〜7割の人は最終的に挫折感や敗北感を抱くのではないか。
実現不可能な一般的な欲望に縛られ続けると、人間は不幸になるだけです。
(略)・・・ 挫折自体は決して悪いことではない。実現不能な欲望や憧れを
かみ殺し、強い忍耐で現実世との調停を試み、自らの生き方を確立する契機に
なるからです。・・欲望をすべて実現したいという「極端なロマン主義」、理想
がかなうことなど決してあり得ないという泥のようなリアズム、そのどちらかに
真理があるではない。両方の引き合いので、より深く生きられる「微妙な場所」
を探し当てることこそが必要なのです。私にとっては井上陽水の歌や、
フッサール、へーゲルの哲学が、そうした場所を見いたすための道しるべ
となってくれました。 ・・ ーつづく  》
▼ 現実にぶつかり、破壊された挫折経験の中で、「微妙な場所、そして立場」
 で、生きている我身にとって、自分にとって、都合の良い「物語」をつくる
しかない。それが、珍妙で、哀しく、痛面白いのである。逆に言えば、イドラ
(真実を覆っている嘘)世界にドップリ浸かっている人たちが鮮明に見えてくる。 
だから、この結果も悪くはないのである。イドラの言葉から、世間を読み解くと
面白い! 其の辺の、市場で聞いた噂を、信じて、小さな殻の中で、情念で
生きているのが一般である。ほぼ、世の中は、嘘と妄想で出来ているのが、
気づかない人たちの総称を「世間」。日本人の大多数にとっての宗教が、
この「世間教」。で、信者の群れが数多、屯する。それを、学生時代のゼミの
「ケース・スタディ」で、徹底的に議論の中で教わった。現象の中に隠された
真理、道理を冷静に捉える知識の必要性である。釈尊の遺言に「すべてのものは
移り変わる、怠らず努め励めよ」とある。変化する時代の中で、ロマン主義と、
泥のようなリアリズムの引き合いの中でこそ、怠り務めることだ!(-ノ-)/Ωチーン

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5886,閑話小題 〜政治家は本当のことを言ってはならない
2017年04月27日(木)

  * 政治家は本当のことを言ってはならない
< 東日本大震災について「まだ東北だったから良かった」と被災者を傷つける
 発言をした責任をとった。事実上の更迭。>と不穏当な発言で、復興大臣が
辞任をした。 前後の発言の脈絡からすると、さほど不穏当の内容でないが、
その部分だけを切られて繰返し報じられれば、被害者は怒って当然のこと。
今では、誰もがビデオ機能付きスマフォか、デジカメを持っていて、報道局に
気楽に転送される。 政治家は御政道を語り、大衆を導くのが本分。これが、
この政治家の限界ということか。たった一言で、これまでの人生の全てを失う
のが政治家の辛いところ。

  * 小学生が、「忖度」なる言葉を使っていた
「小学生が忖度の言葉を使っているのを聞いて驚いた」との新聞記事にあった。
「忖度」の意味は、<他人の気持ちをおし はかること。推察。>である。
政治家が多用しそうな言葉であるが、この年齢になるまで「忖度」なる言葉を
一度も使ったことがない。

  * 昨夜は、中学校の同期会
 この10年来、年に3〜4回は開かれている中学の「同期会」が開かれた。
出席12名。以前は「同級会」だったが、死んだり、転居などで出席者が激減の
ため、何時の間にか、「同期会」になってしまった。 一次会で早々、帰宅の
ため二日酔いなし。
 高校、大学の同級会は同じ傾向にあり、消滅一歩手前? 歳を重ねると、
唯我独尊で、他人に厳しく自分に甘くなり人間関係に支障をきたす傾向が強く
なるのは自分からして納得。 晩秋の夜会もまた、娑婆の妙な味がする。


 


6615,閑話小題 〜平成の終わりに 〜3

2019年04月26日(金)



   * 遊び、学び、働きからみた平成の意味は?
 人生の意味を考える時に、フランクルの哲学が参考になる。彼は、
≪ <生きる意味は自ら発見するものであり、苦しみは真実への案内役だ>と。 
<人生に期待するのでなく、人生の方が私たちに期待している>が印象的。 
 そこで自己超越のための3つの意味(価値)ーを、挙げている。
1・創造価値: 創造行為を通して得られる意味 =仕事・子育て・学問・芸術
2・体験価値: 体験を通して得られる価値・意味 =自然・芸術・愛
3・態度価値: 運命に対し模範的な態度を取ることで得られる価値・意味=
  極限状況の中での尊厳ある態度。
 また、ー人生には発見されるべき価値や意味があるーとして
1・意志への自由 (いかなる境遇でも自由意志を持つことができる)
2・意味への意志 (意味と目的を発見し充足するのは人間の努力である)
3・人生の意味  (創造・体験・態度など生きる姿勢の中に意味を見出す) 
 の3つを上げている。フランクルは、「生きるとは価値判断(学習)と選択の
連続である」という信念が一貫してある。よく遊び、よく学び、よく働くことだ。
それに喜怒哀楽を開放してやることだ。≫
 ―
 昭和の終わりごろ、時代が世紀末にかけて大きく変わろうとしていた。 
ソ連と東欧の崩壊。国内では、バブルと、その崩壊である。太平洋戦争以来の、
第二の敗戦である。何ゆえに、ここでフランクルの価値を取上げたか? それは、
価値観の根本的転換期だった時節が昭和と平成の境目ということ。 
それだけ、大きな区切りが、改元の意味するところ。アメリカに捻りつぶされて
しまった敗戦処理の時代。 右上りから、右下がりに方向転換をしたのである。
その時代認識が、甘かった結果が、私の現在の結果である。と、同時に始まった
本格的情報革命。ネット社会が、平成の時代に、現実社会を覆ってしまった。
情報量が一億倍? が、日々の生活を一変させている。
 ―
・平成の時代の私的な出来事では母親の死になる。51歳時だったから22年前の
平成9年になる。昭和では27歳時の父親の死亡。大きな後ろ盾を無くしたが、
何かから自由になれた感覚もあった。昭和の終わりが1989年1月08日といえは、
その年に東西の壁が崩壊、その2年後にはソ連が崩壊した。ルーマニアで革命が
起きて、チャウスクスが殺された。また美空ひばりが亡くなった。
・次に日本経済の敗戦といわれる、バブル崩壊。 日本経済の土地バブルと、
崩壊はその後の「失われた20・30年」につながりる。そのバブル形成の起点は
1985年9月22日の「プラザ合意」。バブル崩壊の開始時期は、定説があるようで
はっきりしてないが
(1)1991年(平成3年)3月説
(2)日経平均株価が下落に転じた1990年1月説がある。
平成はバブルの崩壊と低落傾向の30年だった。
 これは、アメリカによる日本潰しの臭いが非常に強い。アメリカが作成した
日本経済潰しに何ら抵抗することなく、バブルに踊り、潰されたのである。
太平洋戦争の戦勝国が、抵抗力の全くない日本を手の平で、ヒネリつぶした30年
が平成の時代ということ。しかし、その自覚が国家にも国民にも何もない。
平成の間の国債発行高は? 考えただけでも恐ろしくなる。
 ―
▼ こうして、平成と昭和を分断して、国として、私自身の事業を振返ると、
 まだまだ、総括が甘い自分に気づかされたテーマになった。 国家として
の日本は、あまりにも無惨。 近未来の姿が韓国と北朝鮮。 国家の態(体)を
成してない韓国を透視できても、自国のこととなると… 成るほど、バブルに
踊り、流された日本と、その縮小版の我身。最後は、態度価値を変えることで、
そのまま受容するしかない。 第一のバブル崩壊が『平成』の時代なら、
『令和』は第二のバブル崩壊の象徴? そこに『東京オリンピック』ともなれば…
平成天皇は丁度良い辞め時か。少しリーマンショックの2008年に雰囲気が似てきた。
私にとって平成は決して悪い時節ではなかった。事業の断捨離。厳しい返り矢だが、
決断すべき事態だったのが現実。 『昭和、平成』の時代から『令和』ですか!
『たどたどしく辿り着いた!』が、実感。 それと面白かった! が…
『あなたにとって、平成とは、どんな時代でしたか』の特番が(少)ないような!
昭和と平成のどっちが、良かった? と問われたとしたら、「へ・い・せ・い」。
なまなましいのは「しょ・う・わ」。とすると、『令和』は、何の問いですか?
 
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6252,閑話小題 〜長屋のコンニャク談義
2018年04月26日(木)
 熊: 何だよ、急に。
大家: 去年の同月同日のテーマを見て、急に思い立ってさ。
  金ちゃんのことなら、御前ならズケズケ言うに丁度良いからさ。
 熊: 俺だって、こんな兄殺し、叔父殺しの奴の悪口など話したくないね。
寅: 朝鮮といえば儒教の国だろう。そりゃ罪悪感で日々、恐れ慄いているさ。
  それと、暗殺の恐怖もさ。側近と、その親族を根こそぎ処刑しているからね。
 熊: 急に態度が変わったのは、締付けが効いてきたからさ。でもさ、誰が
  どうみても、核兵器も、ミサイルの放棄など、するわけないよ。
寅: 米朝首脳会談前に強硬派のCIA長官が渡朝し、厳しい前提条件を突き
  つけたはず。突如、中止になったり、会談が決裂したら、即、戦争の危機さ。
大家: 私は悲観的さ、アメリカは本気で戦争をするとみている。ロシア疑惑と、
  秋口の中間選挙対策もあるし、中国、ロシアへの見せしめもあるしね。
  やらない訳がない。それを前提に、これからの一連の会談を見るといいね。
 熊: でも、トランプってバカだろう。プーチンがスパイ網全てを使って
  大統領に押し上げた男。バカを大統領にして、子バカを嗾けただけだろう。
寅: おいおい、本当のことを言うと、暗殺されるぞ。
 熊: 北、アメリカのどっちから? …ああ、両方かい。
八: プーチンは、世界を支配しているのがユダヤ資本と看破していて、憎悪に
  近い感情を持っている。だからトランプを大統領に当選させて、北と相討ち
  をさせるのが戦略。かなり際どい日々が続くことになるね。
大家: 下手なハリウッド映画のようだな。トランプとプーチンじゃ、器が
  違い過ぎ。政治家としての余命からして持ち時間の量が格段と違うよ。
寅: 悪い夢をみているようだね。でも、プーチンの、ありゃないよ。
 熊: アメリカの俺程度の白人が支持層だろう。それなら、如何ともなるよ。
  俺たちのレベルは、とにかく目先さえ良くしてくれれば、それで良いのさ。
  そうだろう、それしかないからね。
寅: 俺も、熊に近い方だからね。でも、クリントン女史じゃ、あのままだろう。
八: どっちの政党でも「金持ちによる、金持ちのための政策」は変わらないよ。
  日本は地政学的に、アメリカと中国の境目に位置している恩恵を忘れない
  ことだね。
 熊: 世界の3分の2は、俺のような貧民の奴隷層だろう。しかし全く自覚が
  無いんだよな。
寅: 日本人というだけで、3分の1の層だよ。でもさ、最近、つくづく貧しさを
  感じるんだ。一生懸命働いて、生活するだけ何も残らないんだよ、何も。
大家: 三食食べて、こうしてノウノウと政治談議が出来るだけ、有難いと思わ
  ないとね。だけど、危ない状況の現状認識を忘れないことさ。

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5885,閑話小題 〜北朝鮮問題
2017年04月26日(水)
  * 北朝鮮の結末は
 北朝鮮の記念日の核実験はなかった。中国が原油を止める事態ともなれば、
国家の存続が出来なくなる」という理由が出来て面子も立ったからだ。
それにしても、中国が原油供給停止の恫喝とは驚き。このままでは、そう遠く
ない時期に戦争か、原因不明の病死の発表で体制が変わるか?
 韓国に米国人20万人が滞在しているため、アメリカの奇襲攻撃がないこと位
は、南北朝鮮の人たちは知っている。ちなみに、駐韓日本人は6万人とか。
 しかし目先を乗り越えても、年内か来年辺には?・・ 近未来も同じなら、
今やっても同じと考えても不思議ではない。韓国人の7割が移住希望を持って
いるというのも、理解できる。
 このところ、沈黙を保っているロシアのプーチンにとって、朝鮮戦争は、
願ったりかなったり、とすると、この男がカギを握っているのかも。
小狡い北狐、中国からロシアに原油供給を委ねる可能性もある。
 ところで、韓国内は、この手の北の恫喝には慣れたもの、5月9日の大統領
選挙の方に遥かに注目度が高いという。
 
  * 結局、今年の花見はなし
 悠久山と福島江の恒例の花見、今年は行かずしまい。 近年、悠久山の花見
に行かなかった記憶はない。(信濃川土手の公園の桜は、早朝のポタリングで、
自転車を乗りながら見ていたが)。 毎日のようにTVで、世界の絶景紀行
モノを見ているのも影響している?のか、桜の当たり年ではなかったためか?
北朝鮮の恫喝のニュースで、そんな気分になれなかったのか。(それほど、
シャイでもないか) 鶯の鳴声を一度だけ、信濃川土手河原で聞いたが、自宅
の庭と、近所では一度も聞くことがなかった。
・・・・・・
5155,理性と感性と悟性
2015年04月26日(日)
   * 理性とは何か
 学生時代のゼミで何気なく私が発した言葉が。「理性とは何ですか?」
あまりに唐突だったので、誰もがポカンとしていたが、それを簡潔に解釈した
内容を47年後にネットで見つけた! ネットと暇な時間は便利である・・
≪ カントやヘーゲルによって展開された「ドイツ観念論」を理解するためには、
 まず、感性と悟性と理性という三つの能力を区別する必要がある。
 主体としての人間が対象に働きかける仕方である。
・「感性」は「直観」の能力であり、時間と空間という形式を持つ。
(「直観」とは、カントの場合、見たり、聞いたりする感性的(=感覚的)
な直接知を意味する。)我々が何かを見たり聞いたりする際には常に、その条件
として、時間と空間という形式が先行しているはずである。我々は物(あるいは
何かのイメージ)を空間(および時間)なしに考えることは出来ないのだから。
・「悟性」と訳される「フェアシュタント(Verstand)」というドイツ語は、
「解る」「理解する」という意味の動詞(verstehen)から来ていて、
「理解する力」「常識」(英訳は、"understanding")を意味する。
その純粋な形式が、カントが「カテゴリー」と呼ぶ、判断の論理的形式である。
(これには、肯定や否定という判断の「質」、存在や全称という判断の「量」、
実体や因果性という判断の「関係」、必然や可能という判断の「様相」がある。)
・これに対して、「理性」は、より高次の、悟性の判断を総合的に関係づける、
推理の能力である。例えば、「人間は死ぬ」という命題は、「生物」という
媒概念を介して、「人間は生物である」「生物は死ぬ」という二つの判断を
総合したものである。英語でいうと、リーズン。つまり、「理由」「根拠」
「道理」を意味するのが「理性」である。なぜ?と問いかけたとき、
「なぜなら〜だからだ」と答える力が理性になる。≫
▼ 「感性」は直感能力、「悟性」は理解能力、「理性」は「高次の推理能力」、
 つまり高次の理由づけ、根拠づけになる。世間の噂話レベルは、身近な世界
の空間・時間が先行するため、一般的には「あの世界」に埋没する。
理性の真逆の世界。理性を高めるには、「ぼんやり時間」を意識的に持たねば
ならない。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子になっている状態。その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
 いっけん、理性の世界とは真逆のようだが、この状況から、感性も、
 悟性も、理性も研ぎ澄まされる。高次の道理の追求ということ!
・・・・・・
5520,閑話小題 〜寺院消滅が止まらない!
2016年04月26日(火)
   * 寺院消滅が止まらない!
 葬式といえば、今では節約対象の一番の対象で、地味葬が求められる。
葬式業者に頼んで、坊様への謝礼は、一番、削る対象になる。これまで
続いてきた葬式に対する習慣が一変し始めた。 あるレポートに、
「寺院消滅が止まらない!」があった。〜その概要とは〜
≪ 団塊世代も死期に入り、葬式、法要が増えてきたが、以前ほど、49日法要、
一周忌法要、三回忌法要、七回忌法要など言わなくなった。大都会に集中し、
地方の過疎化と、家制度の崩壊が背景にある。あと10数年もしないうちに、
寺院の三分の一が住職不在になるという。 江戸時代に、戸籍管理を委託され、
それを良いことに、好き放題に搾取してきたことに檀家が、気づき、離れて
いった歴史がある。で、今では半数近く住職の収入が300万前後。
2040年までに人口に占める若年女性人口(20歳〜39)の割合が、
現在よりも50%減少する自治体を「消滅可能とし」として全国の自治体の
将来人口を推計した。人口が減れば当然、寺も減る。
 日本の寺院の役割は大きく二つある。「寺=信仰」、「墓=供養」である。
鹿児島県では、明治初期に、全国で吹荒れた廃仏毀釈により1066の寺院が
すべて消滅、現在では490まで戻した。それでも寺院が少ないのが目立つが、
寺院の存在意義を、団塊世代以下の人たちが、見出さなくなったことが大きい。≫
▼ 寺院が食べていける「檀家」数が、最低で200軒。これでは、地方の寺院
 が消滅化は当然の流れ。何ゆえ死を恐れるかといえば、人生を充分に生きて
こなかった結果、やり残したことへの無念と、死んだら、生臭い永遠の中に、
消え去る不安からくる恐怖。更に、身近な人の葬式で、彼岸に見送る儀式をし、
重油で焼かれた骨を墓に収めて終わり!とする共同幻想の儀式。で、後は、
法要で、生きている人たちが、世間向けに亡き人の思い出話。これは形を
変えた昔のレジャー、それはそれで、残された人たちの魂の慰めになる上に、
当人の慰霊になっていた。でも、これは、別に法要をしなくとも、仏壇の前で、
心を篭めれば、毎朝、出来る習慣。お墓は、死後の世界を信じる人の祖先様の
共同住宅という幻想の場。そう思えば、心が休まる。
 後記)書き終えた後、以前、似たテーマで書いたのではと、ブログ内検索で
調べてみると、二回も書いていた。で、「没にしようか」迷ったが、これは
これで載せることにした。戦前までは大方を占めた、情報不足の人にとって、
その法話は、有難たい心の洗濯、人生を考えさせられる内容だったが、今では
TV、ネットで一般人の方が数多の知識がある。法難は、寺院に吹き荒れる。


6614,閑話小題 〜平成の終わりに ―2

2019年04月25日(木)

   * あと5日ですか
 前回、「平成」を私の人生にとっての後半と位置づけ、「令和」の時代を
余白とすると、これからの人生の生き方が見えてくると書いた。 そこで、
昭和の54年間と、平成の30年の行蔵の充実度を、この数日の間、自分自身に
問うてみた。 当初は後半の「平成」が面白かった?と思ったが、結論は、
五分五分、乃至は、時間比率そのままの3対2で「昭和」になる。 やはり
右上がりで阿波踊りが何とも面白く、充実していた。ただ、平成の30年の
情報量が一億倍という情報革命を垣間見ることが出来たことと、43回の
「秘・異郷ツアー」の参加経験を考え合わせると、五分五分の充実度が
あったような。人生、何れの場面をとっても、そう甘いものではなかった。
最後の最後は『あと味の悪いことは可能な限り避ける』の判断基準が、何とか、
自分の魂を守ってくれた? ようだ。それでもフラッシュで夜半、眠れない
こと多し。昭和に9回、平成に43回、合計52回の海外旅行。そこでの大自然を
中心とした様々な邂逅の思い出は、決して金では買えない行蔵の大きな御宝。
これだけは、「もっともっとの後悔」は全くない。だれも、それぞれのライフ
ワークを持っているが、私のは、これに小さいながらの45年の創業物語と、
このブログ。そして、様々な場面で出会った大自然と、縁あった人たち。
四苦八苦も、四楽八楽のために必要な経験と思えば、それはそれで…
 平成の30年、何とも味わい深く、感動、感激な場面に満ちていた。
昭和のイベントで、父親の存在と死。平成は母親の死が最大の二人称での
出来事ですか。とすると、「令和」は自分になるが、この経験は自分自身
のため、不可能。 平成というキーワードから考え合わせると、現在、
置かれている己の立ち位置が浮かびあげってくるような。
『平成を、昭和につづき、全う出来て有難い!』って、言うところ。
『その様で、何をぬかすか!』って?『そう思うしかないじゃないですか?』
が、今日のオチ! 最後の? が、!でないところが… 味?

・・・・・・
6251,閑話小題 〜北が核放棄? 何を今さら
2018年04月25日(水)
   * つれづれに
 先週末に、NHKスペシャルで、三回にわたり、金正恩の特集を組んでいた。
北が核放棄というが、全く怪しいもの。北朝鮮ウォッチャーの女性評論家が、
「その確率は2%」と宣っていたが、そんなもの。これまで、ことごとく、
約束を反古にしてきて、誰が信じるか? 問題は、明らかに耄碌な人、
トランプの甘さ。
 あそこまで罵倒した黄色人種を、白人ファーストのアメリカの極右が
見逃すわけがない。何があっても殺戮するのが、あの国のやり方。
そんな、甘くはない。アメリカと英国が組んだら、まだ圧倒的軍事力がある。
英国のEU離脱も正しい判断かも知れない。その背後にプーチンの影が見え隠れ。
――
 野口悠紀雄の『「超」リタイア術』を10年ぶりに本棚から手にしたが、
さっそく、目に飛び込んできたのが、
「リタイア=将来のために現在を犠牲にする時代から卒業すること」の文字。
リタイアしてまず実感したのが、このこと。これまでの「会社のため云々」の
ワク組のタガと、常に3〜5年先から現在をみる奇妙な習性から解放された
爽快感は計り知れない。夢の実現のための日々を過ごしていた20,30歳代の
日々は、それはそれで悪くはない。あれは犠牲でも何でもない。
サラリーマン人生とは違う生き方をしてきたこともある。自ら望んで始めた
事業の苦労は犠牲ではなかった。リタイアで、大方の人は、コペルニクス的
転換が、この言葉に込められている。将来のため、(役職に応じた)会社の
ためが、今度は用無しの身分になり、自分のための人生に直面する。
問題は、仕事とは別にライフワークを持っていたかになる。ここで、世間教の
皆様方が右往左往を始める。世間話が趣味ともなれば、半径500m内で群れる
ため、行蔵のない人たちの空疎の群れになり、生きてきたように死んでいく。 
それも人生だが… 何れにしても砂利は砂利、大して変わらないですか。

・・・・・・
閑話小題 〜馬の腹中で一夜を過ごす
2016年04月25日(月)
   * 馬の腹中で一夜を過ごす
 先週のシネマ、『レヴェナント』の中で、追手に追詰められて、断崖から馬
もろ共、落ちた主人公のデイカプリオが、林の木と馬がクッションになって、
何とか助かるが、その前に熊に襲われた重症の身で、激寒の中で、一晩を
過ごすが、その時、死んだ馬の内臓を抉り出し、素っ裸になって腹の中に
潜りこむ。息子の復讐のための執念が、一瞬、それをさせたが、朝、腹の中
から血だらけで出てくる姿は圧巻。これでデイカプリオはアカデミー賞の主演
男優賞を貰ったが、さもありなん。
 以前、読んだ慧海の『チベット旅行記』で、ヒマラヤ超えの山中で、雪の中
で、連れていた二匹の羊の間で何とか一晩を過ごす場面に驚いたが、これは
馬の生肉の腹の中! こういう話は実際に、あるのだろう!
 とこで、40数年前に、居酒屋・養老の滝のFCを、建てたばかりの飲食
ビルで始めた数ヵ月後に、近くの肉屋の人が来て、「朝、潰したばかりの豚肉
のツナギのルートがある」というので、見せてもらったのが、舌から大腸まで
繋がった内臓一式。思わず吐きそうになるほど生々しい。これを自ら捌いて、
串に刺して焼いて売ったのが、戦後、何もなかった下町の飲食店と屋台。
 必死さが、それも平気で捌いてしまう。事業の出だしとして、私にはベスト
の経験になった。それと飲食店のカウンターの内側と外側の大きな段差の違い。
要は、腹を括れば何でもできる。時にサラリーマンが、「屋台をひいても、
自分で商売をしたい」とか言うが、腹を本当に括れるかどうか。 括れない
人が、腹を括った結果を痛烈に批判する。気持ちは分らないでもないが・・

・・・・・・
4048, 一時停止 ー6
2012年04月25日(水)
  * 人間は大文字で書かれた矛盾     
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪ 唐突なようだが・シモーヌ・ヴェイユのことばを孫引きさせてもらう。
(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在するものであり、
実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは必然性の
如何を試すものである)
(存在の奥深くまで体験された矛盾、それは我々の身も心も引き裂く。
それが十字架である)
自己弁護のためにひくにしては、これらのことばがあまりに痛切であることは
感じてもらえるだろう。私は十字架にまで到達できる人間ではないけれども、
せめて矛盾をかいま見る地点にまでは行きたいと思う。矛盾の一方に身を
置けば、たしかにそこにも悲劇は待っていよう。作家の自殺のいくつかは
そうした場所で行われたのではないかと私は想像する。だが矛盾そのものを
生きることは ―それは私には想像もつかない。ヴエイユの言う矛盾は、
いわば大文字で書かれた矛盾であり、人間そのものと言っていいと思うが、
そのことが、つまり究極には矛盾しかないのだということが、私に勇気を
与える。私の出会うもろもろの小さな矛盾も、最終的な矛盾と構造的に結ば
れているに違いない。ひとつの矛盾を解決し得たと思うとき、それがすでに
もうひとつの矛盾のはじまりになっている。その無限地獄にこそあるいは
書くことに第一原因がひそんでいるのかもしれない。―その辺でやめておけ。
おまえにはそんなことまで論ずる資格はありはしない。どうしてそんなに
大仰でこわばった口しかきけないのだ。 おまえの内なる自然の荒廃は
その口のききかたからもあきらかだよ。見栄をはって、もっともらしい
愚痴を人に聞かせる暇はもうないそ。 (一九七二年) ≫
▼【 ヴェイユの(精神がつきあたるもろもろの矛盾、それらのみが実在
であり、実在性の基準である。想像上のものには矛盾はない。矛盾とは
必然性の如何を試すものである)】が良い。人生を総括すると矛盾の塊である。
しかし、その矛盾こそ実在であると知れば、人生を、そのまま受け取ることが
出来る。「矛盾は人間そのもの」とすれば、自分だけでなく他人を受け入れる
ことも出来よう。激しく生きるほど矛盾は大きくり、その重圧に潰されながら
生きていくことこそ人生の味わいを深くする。人間は矛盾だらけか〜
 他人のそれは見えても、自分のは見たくないもの。
・・・・・
4422, 糞袋の内と外
2013年04月25日(木)
              「糞袋の内と外」石黒 浩 (著)
「世界の中の自分は時に不自由であるが、世界を飲み飲んだ自分は自由
なのである」という新聞広告にひかれて、アマゾンで、この本の内容紹介を
読んでみた。まだ発刊して間もないこともあり、レビューも何もない。
パソコンとネットの機能から、逆に人間の脳の機能を逆照射した哲学を読んだ
ことがある。 ロボット工学者が、人間の形を持ったロボットの視点から人間
を見つめると、また違った何が見えてくる。 まずは ー内容紹介ーより
≪ 人間は感覚器が集まった糞袋。しかしその糞袋は、自分が自分である
 ということを確認する手段を持たない。CNNの「世界を変える8人の天才」
のひとりに選出されたロボット工学者、石黒浩。最先端のテクノロジー開発
を通し人間の本質を見つめる中で、「生きるとはどういうことか?」
「人間とは何か?」という問題を常に問い続けている。【人間を「糞袋」
と捉えることで、どのような答えが浮かび上がるのだろうか? 】約2年間に
わたって発信してきたツイートをもとに考察を深め、いま本当に伝えたい
メッセージを丁寧に綴った、渾身のエッセイ。≫
▼「人間は感覚器が集まった糞袋」と「世界を飲込んだ自分は自由なのである」
 という意味について考えてみる。まず「人間は感覚器が集まった糞袋」を、
「人間は考える製糞器」であると言い替えると、動物とロボットと際立って
違うところは、動くエネルギーが動植物系と電気かガソリンの違いになる。
人間の燃えカスは、一度、糞袋に溜められて排出される。人間は世界を飲み
込んで(環境を直感して主体的に)動くところが違う。それも自由度が高い
ほど人間度が高い、ことになる。自由こそ人間たる要素である。
世界を知り、そこで方向を探し出し、常に環境の変化に対応し、殻を破り
 続ける糞袋が人間の本来の姿。だから、身近に飛行機、自動車、自転車、
パソコンなどの身に合ったツールやシステムを使いこなし、自由度を高める
ことが必要。優秀なロボットを創ることで逆照射をして、人間の本質を探る
切り口は新鮮。人間の肉体を内と外面をシビアに捉え完成に近づける過程
から見えてくる姿は、哲学でいうところの「他者」と「自分」の関係を
考える上で面白い。この工学者は、自分の姿のロボットをつくり、生身の
自分から見つめている。第三者が触ったり、殴ったりした時に何かを感じる
はず。これは自己承認や、他者承認の問題に似ている。ロボットから見たら
糞袋に過ぎない人間の肉体。ロボットのように、第三者からの指示や
プログラムでしか動けない哀れな糞袋が、あまりに多い。そういう私の貧弱な
プログラムこそ最も稚拙!後悔先に立たず。自分を腹から笑えるだけ、
まだましか。


・・・・・・
5884,本物の教養 −3
2017年04月25日(火)
          <人生を面白くする 本物の教養 〜出口治明 (著) > 
   * 教養とは、そもそも何か?
 「教養とは、知識、経験から養われた素養」と、考えてきた。
そのベースには、地縁、血縁、学縁の影響を受け、文化、文明と、時代背景
の影響を受ける。
 第1章の目次そのものが、その説明になる。
≪  第1章 教養とは何か? 
・人生を面白くするためのツール 
・知識は手段、教養が目的 
・「自分の頭で考えられる」ことが教養 
・バロメーターは「腑に落ちる」という感覚 
・「腑に落ちる」ことが本気を呼び起こす 
・意見が決められないのは「考え不足」が原因 
・「反対のための反対」に陥っていないか? 
・いま教養人であることが求められている 
 〜第1章「教養とは何か」からの抜粋…
≪ 教養とは何でしょうか? どうして人間には教養が必要なのでしょうか? 
 もし、そう質問されたら、私の答えは「教養とは、人生におけるワクワク
すること、面白いことや、楽しいことを増やすためのツールです」という一言
に尽きると思います。よりワクワクする人生、より面白い人生、より楽しい
人生を送って、悔いなく生涯を終えるためのツール、それが教養の本質であり
核心であると私は考えています。
「あの人はすごい教養人だ」と他人に評されるかどうかなどは、どうでもいい
ことです。教養とは、人からの評価を高めたり箔をつけたりするためのものでは
なく、自分の人生をより彩り豊かにするためのものだと思います。
ですから、教養を高めれば人生をもっとエンジョイできるのに、どうしてそう
しないのか、という逆の問いかけもまた可能です。
 日本人は、狄瓦良〞が不足しているように感じます。とくに戦後の日本人は
そうではないでしょうか。焦土から立ち上がって、とにもかくにもアメリカに
キャッチアップしなければという時代が長かったので仕方がない面はあります。
だとしても、関心事が経済やビジネスに偏りすぎているように思えてなりません。
 日本人も、かつてはもっと人生をエンジョイしていました。
室町時代には奇天烈な装束を身にまとった武士が大勢いました。「婆娑羅大名」
や「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれた人々。いまで言うパンクファッション。
日本人は元来、楽しむことが大好きな民族なのです。
 戦後このかた、そういう感覚が追いやられすぎていたのではないか。
人生をもっと楽しむ心があれば、人間的な幅が広がり、魅力がより醸成され、
個人として熟成されます。突き詰めて言えば、教養とはそのためのツールに
すぎないのです。
 教養を身につけるには、ある程度の知識が必要です。教養と知識は、不可分の
関係にあると言っても間違いではありません。しかし、勘違いしてはいけない
のは、知識はあくまで道具であって手段にすぎないということです。
決して知識を増やすこと自体が目的ではありません。
 知識が必要なのは、それによって人生の楽しみが増えるからです。
サッカーを知らなければテレビでワールドカップを放映していても面白くも
何ともありませんが、サッカーを知っていれば最高の時間になります。
知識はその人の興味の範囲を広げてくれます。それが「教養化した知識」です。
 別に興味の範囲を広げようなどとは思わない、面白いことは一つあれば十分
だという考え方もあるかもしれません。もちろん、それはそれでいいのですが、
興味の対象が多ければ多いほど、本当に自分が好きなものや、打ち込めるもの
が見つかる確度が高まります。つまり、選択肢が広がるのです。自分が本当に
好きなものは案外見つからないものです。面白いことが多いのは決して悪い
ことではないでしょう。 また、面白いことは一つで十分だと考えていると、
食わず嫌いに陥る可能性があります。食べてみたらすごくおいしいと感じる
食事であっても、食べてみなければそのよさは分かりません。≫
――
▼ <「教養とは、人生におけるワクワクすること、面白いことや、楽しい
 ことを増やすためのツールです」でなくとも、広く深い知識は必要である。
その質量が視界と行動を促すことになるからだ。著者が、教養を広めるに、
「旅」が非常に有効という。私の旅行はパックツアーが主だが、最終日の
ホテルは主要都市の豪華ホテルと、美術館と史跡が組込まれている。 
秘異境ツアーには、アフリカ大陸や、南米大陸には、大自然、史跡などの
文明、乗り継ぎの主要都市には観光地と美術館・博物館巡りがセットされる。
この、どちらかというと、オマケも、回数を繰返すうちに目が肥えてくる。
「わくわく、どきどき」することを求めると、それが教養として身に付く事例
である。人生にとって遊びほど大切なことはない。問題は、「良く遊ぶこと」
その「良く」は、世間により淀むが、その解放から質的にレベルアップする。
 < 達磨さん、ちょいとこっち向け、世の中は、月雪花に酒に女だ >


6613,閑話小題 〜平成の終わりに

2019年04月24日(水)


   * 人生後半の時代だった…
◉ 私にとっての「平成」の30年の意味づけをすると、『人生後半』の時代。
『令和』はオマケ… いや余白でもいい。で、残された私の人生は余白ですか。
太平洋戦争敗戦の半年後から「54年の昭和を生き」、後半は「平成の30年あまり」
を生きながらえ、余白の「令和」の入ろうとしているということ。気持ちの上で、
老け込むのは仕方がない。
◉ 昭和の54年は右上がり、平成は右下がりは、日本経済と同じ。既に破綻して
いる経済を、国家予算の半分を国債発行で維持しているのがアベノミクスの正体。
国民は目先の安寧を求め、近未来の国家財政の破綻から目を逸らさせる政策を
支持している。令和の時代は、昭和、平成に積上げたマイナスに直面し、右往
左往する時代。字面とおり表面を平和に装っていたのが、冷たい負の遺産として、
「冷たい」平和ー> 令和になる予兆の響きがある。令和の時代は決して明るく
ないというのは、私の年齢が言わせている? 国家も、私自身も、昭和に稼いだ
プラスの遺産を、平成で使い果たしてしまったということ。
◉ 平成を<「情報革命」で世界が劇的変貌を始めた時代>と位置付けが出来る。
スマートフォン、タブレットPCを万人が持ち、ネット社会が現実社会を覆い、
現実社会を激変させている。ホモ・サピエンスが多くの人類の中で唯一生延びた
要素が妄想。それを共有する能力が人類の最大の能力とすると、このデジタルの
進化そのままが、人類をホモ・デウスに進化させる可能性がある。 その反面、
それが人類、ひいては生命そのものを絶滅させる可能性がある。
◉ 令和天皇が80歳まで20数年、在位するとして、『2045年問題』の時代の
世界の予測は不可能! 1989年に、その後の変貌を誰が予測できたか。
アメリカが間違いなく、国家としてピークを過ぎ、それに代わって中国が
台頭してきた。紆余曲折の上、重心が中国に移動。それとともに、日本の
地勢的立場も変わっていく。
◉ 私自身、何が変わった? 18年前に個人HPを開設、毎日、一テーマの文章を
ネット上に公開、現在に至っている。それはひいては、馬鹿の壁の公開でも。
プラスが3、マイナス1か、実は逆? 今さら、如何にもなりはしない。
ただ集中した刻印は残ったことになる。このお陰で?で、自分の内面と他者の
内面がメビウスの輪のような繋がりが数限りなく増えたような? 10数年前に
書いた人と、内容は? それと現在、再読している私と第三者の読者は?

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6250,閑話小題 〜死のむこうには?
2018年04月24日(火)
       <魂でもいいから、そばにいて─3・11後の霊体験を聞く
                      奥野 修司 (著) >
   * 霊的なものは身体や脳という物質を介さなければ…
 霊的な世界を簡潔に説明している個所である。霊感に関しては体質の問題で、
全く霊体験をしたり、持ったことのない人には、解りようがない。何度か経験
してきたが、現在は薄れている。私は父親の霊?が、10年近く体質化して心底に
あり、不思議な現象を度々、経験をしていた。孫のようにように幼児の頃から、
愛され育ったこともあり、元もと、脳内などに染み込んでいたことも…
それにしても、死ぬまでの、生への渇望のエネルギーには、驚いてしまった。
 丁度、27歳、起業へのジャンプ台から飛び出すに、このエネルギーが、その
まま原動力になっていた。 以下は佐伯啓恩の『反・幸福論』のー死後の世界
と生命についてーの一節である。

≪ 実際、この宇宙にはまだとらえられてない、不可思議なエネルギーが存在
するようで、それどころか、宇宙を構成している物質の殆どは未知のエネルギー
とか、物質だか、正体を知りえないものだという。 そこで仮にそうした霊的
エネルギーが存在するとしましょう。それでもそれが人間の精神を形つくると
するには、やはり人間の身体や脳という物質がなければなりません。そうで
なければ、この不定形で停泊場所をもたない宇宙的なエネルギーが我々の
意識や精神になるとは思えません。仮に人間のうちに霊的なもの、つまり、
「精神」と呼ぶようなものがあるとしても、それは、物的な身体性と不可視
の霊的エネルギーの結合というほかないでしょう。とすれば、身体が消えれば
意識も精神も消えてしまう。それは宇宙に拡散して存在するかも知れません。
しかし、それは「私の霊」ではないでしょう。「私」がないのだから「私の霊」
などというのはありません。
 …確かに死ねば何もなくなるかもしれないが、『魂でもいいから、そばにいて
─3・11後の霊体験を聞く』奥野 修司 (著)という本がある。東日本大震災に
後に、多くの霊的現象や体験が報告されている。その聞き込み取材を行った
著者によって、多くの事例が紹介されている。… これらの全てが錯覚だと
いう勇気がないが、少なくとも、地震や津波で身内を失った多くの人達が、
何か説明のつかない体験をしたと信じていることは事実であり、しかも、
多くの場合、その霊的体験によって、残された家族が多分に安らかになった
という事例を読めば、そのことに疑いをさしはさむ必要もありません。≫


▼ 具体的な霊的現象の記述を、ここで数限りなく書いてきた。霊体質とか、
 霊的経験のない人からみれば、『いい歳をして、馬鹿か?』でしかない。
脳内現象では割切れないことは、世界には現にある。
 兎にも角にも、以下の内容を… 

・・・・・・
2001/12/19
[138] 夢についてー8

  (今まで見た夢で印象に残っている夢をかいてみる)
海岸線に飛行している夢ーこれは自己実現に対し欲求不満が原因らしい
谷の間を飛行している夢ー最高の気分
お城の天井裏に姫と家臣が隠れ住んでいるイメージ
白熊に追われ港のヘリに立っているイメージ
長岡の大手ドウリの店ー子供のころの3階の部屋の夢
どこかの町でトイレを探している夢
大学の時代いた寮の部屋の夢ー葬式の式段に自分の写真が飾ってある夢
5歳のころ一番上の兄が死んだとき白馬に乗って天に昇っていく夢
母が白い巡礼の服を着てーそれも7〜8歳の姿で、
もう亡くなった不運の一生だった叔母が見ている夢
ー母の生前の10年前の頃
あまりに鮮明に見えるので確認のためもう一回みるとピンボケになっていた夢
お寺みたいな屋敷を入っていくと廊下があり、その向こうに池がある、
その池が幻想的である夢
・・・・・・
[204] 霊体質ー3
 今まで起きた実際の事実を書く!信じようが信じまいがその人の判断だ。
シンクロニシテー(意味ある、考えられない遇然の一致)と重なっている。

1、5〜6年前柏崎の義父の葬式の帰り、峠で行く先々で7〜8回虹ができ
  その下を通った。100回以上そこを通ったが虹が出たことは初めて。
  かつ虹の下なぞ通ったのも初めての経験である。

2、近くの堀井といううちの分家にあたる従兄弟が、7〜8年前「自死」を
  したときの事。丁度通夜の日、ジャイアンツの二軍が悠久山で試合があった。
  それで天侯を憶えていたが、午後3時過ぎに突風がふくと天気予報がいっていた。
  
  3時に納棺であったが、その時突風がふき桜の花が納棺の最中吹荒れた。
  終わったと同時にピタッと止んだ。彼は毎年桜の花を写真に撮るのを
  趣味としていた。その年は桜の当たり年で、私もかなり多くをとった。
  彼もそれを覚悟で多くの写真を撮っていた。

3、母の葬式の日、‘おとき’のかえり天気なのに突然雨が降ってきた。
  涙雨といってよくあるそうだ。その時初めて知った。
  
4、昨年東京の叔母の葬式の時、丁度焼き場に遺体が行っていて、式場で家族以外が
  待っている時、急に気分が悪くなった。ハッとした、今叔母が私の処にきている
  のが解った。横を見ると鏡のついた柱があった。「鏡は霊を呼ぶのかーと思った。」

  ということは、10年前に抜けた霊体質がまだ残っているのかもしれない。
 また以前の文をコピ−しておく。


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S6201霊的体験
私には少し強めな霊的感覚があります。今回より数回シリーズで実体験を公開。
“A”さんが数年前になくなった時の事です。同じ会社仲間だった“B”さんと
十日町の彼の家へおまいりにいきました。その途中の車中で“B”さんと
般若心経の話になりました。
そこで彼の供養も含めてお経をとなえました。
その後、Aさんの家の確認のため車をとめ地図をみました。何げなく“B”さん
の顔をみると、彼の顔がまっ青になっているのです。やはり車中で“C子”さん
の話をしていたのです。
“A”さんが入社試験にやってきた時、彼(A)が優秀という事であり、
同じ十日町出身の美人C子さんにお茶を出させ、郷里の話をさせたのです。
そのせいかどうか彼は私の思いどおり入社したのです。
そのおもい出話をした事であったのか数万分の一、いや数十万分の一の確率で
彼女の家の前に車がとまったのです。十日町に出店をした時、彼女の家の前を
“B”さんが通って知っていたのです。私がそこに“偶然”(?)車をとめて
しまったのです。
“B”さんはあまり霊的な事を信じない人ですが、その時は最後まで信じられ
ないという風でした。私自身またかというのが実感でした。 その日一日
“A”さんがニコニコ私達を見守っていたという何かを感じとっていた。

ーーーー
霊的体験‐                 
平成4年 7月

20年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験をした。
死後一週間後位か妙な夢をみた。私自身父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢である。
夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が
自身実感できたのだと思う。父が‘なんだ自分はこうして生きているではないか’
という内的実感。
夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になったという不思議な実感。
恐らく経験した人間ではないとわからない。
また死後二〜三日後の夢も強烈な夢(?)であった。
何か強烈な恐怖感がおそってきた。その時、父のベットで寝ていたが
“おやじ助けて!”と言ってしまった。と同時に廊下の向こうにある仏間より
本当に強烈な“引力”が足をひっぱった。
そのひきずりこまれた瞬間ベットにしがみついたが、
その時隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。
全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事がいっぱいある…。
あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。

・・・・・・
2014/06/14
「事業人生を決心して45年」の語り直しー14
  * 父の亡くなった直後の夢で起こった魂の融合!
ここで何度も書いてきた、父との魂の融合の経験の内容から
《 ー平成04/07 霊的体験 ー <社内報のレポート>より
 二十年近く前になるが、父の死後49日法要が終わるまで、何度か不思議な
体験をした。死後数日後に妙な夢で、私自身が父の気持になり“死にたくない。
もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。そして夢よりさめた時の
妙な気持。 私自身が父になってしまった。いや私自身(父自身)生きている!
という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父そのものであるし、父と一年
身近で苦しみが伝わっていた為に“念”が自身実感できた。夢よりさめた自分の
魂が“父の魂”と融合した不思議な実感。この感覚は経験しなければわからない。
更に数日後の夢も強烈な夢であった。夢で強烈な恐怖感がおそってきた。
その時は、父のベットで寝ていたが、“おやじ助けて!”と言ってしまった。
と同時に廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が全身をひっぱった。
その瞬間、ベットにしがみついたが、隣のベッドに寝ていた母がスクッと立ち
あがりトイレに行った。全身汗びっしょり。まだまだ不思議な事が多くあった… 
あれ以来(最近は少なくなったが)幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった・・》
 何故、これを取り上げたかというと、姉夫婦との対立の根は、父と姉夫婦に
根があった。父親は、典型的明治生まれの、質素倹約が基本にあるが、派手に
湯水のように社交費を使う姉夫婦と深い溝があった。絶対的な父のサブとしては
義兄の能力があっても、トップとして疑問を感じていた。 父は、中学と高校時
に私を二度、仕入れに同行させていた。将来のための実学のため。それと、子供
時代より実家の転業と、商売の現場で体感していた。これが急遽、本店を任され、
何も知らない仕入れや、経営に大きく役に立つことになる。父の魂が現場に再起
して私に成り代わったようでもあった。まず産地を歩き、情報を集めること!が、
コツ。 父が特別教育と、千葉の千城台ビルの土地購入から、立ち上げの過程を
見れば、姉夫婦が不安になって当然。
 ところで、養老乃滝の開店のドサクサに、姉夫婦が父の遺留分の財産を、
母と実兄と私の相談なしに勝手に処分、その上、白紙委任状を送りつけてきた。
父の遺言状が何時の間に蒸発。その上、母に、義兄を(遺言に反して)社長に
するよう執拗に依願。それを受けてしまった母に私が激怒の電話。と同時に
姉夫婦への対決を決意する。千葉での相方(親戚筋)から、気を許して話した
本心が姉夫婦に筒抜け。それが拍車になってもいた。地元では実兄に対する
陰湿な追い出しが本格的に開始していた。 のんびりした兄に、従業員の
総スカンが露骨の針のムシロの中、怒りの電話を何度も私にしてきた。 
父が生前贈与をしていた私たちの資産の実質乗取り劇の、開始である。 

・・・・・・
2003/04/25
不思議-シンクロニシテー

 以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。
親戚の葬式で不思議なことがおこることが多い。
不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回はある。
先日も葬式から帰ってきて散歩にでると、過去15年以上を散歩
をしているコースで初めて大きな虹を見た。
ああまた出たという感覚である。

 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時である。
葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も
次々に出て、その下を通ってきたのだ。
曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論
はじめてである。
 
 以前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前に近くの分家にあたる
従兄が自死した時のある現象である。
納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が舞い込んだのだ。
写真を撮っていたが、汗びっしょりになった。
そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。
天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、
納棺の時間が偶然に一致したのだが。
死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。
こういうのをユングが「意味ある偶然の一致」といっている。

 涙雨というのは昔からある。
晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。
それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。
地方におきやすいのだろう。
人知のはかれない何かがあることは間違いない!

・・・・・・
H0511妙な夢―(機  
ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!
起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団
に入る。ところが、ところが、自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)
である。これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい
と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが?
何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。
 こんな事もあった、これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と
音がする。はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数回してみたが、
しかし夢ではなかった。ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象が
あるそうです。

・・・・・・
H0511妙な夢―(供  秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、
何かのケハイに横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが
痛い、これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。全体が白光色の黒髪の
27〜28才位の、のっぺらした美人であった。別に恐ろしいという事も
なかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に会社のある人に
その話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!”
といわれた時、はじめてゾーッとした。
 またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと
中断した。あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、これも
乗ったら危険と直観し去けた夢である。あれに乗ったらどんな景色がみえた
のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


6612,閑話小題 〜信じられない程の偶然の一致

2019年04月23日(火)

   * 運ね〜 運がよかったか、悪かったか?
 この30年のパソコンの進化はどの位か知りたいと思い、過って書いた文章を
探したが見当たらない。 まあ、いいかと諦め、文章を完成し、同月同日分を
コピペする段になって、それが一年前にあったことに気づくが… それによると、
<10年で100倍、20年で1万倍>という…  とすると単純計算で100万?、いや
1億倍。
これが現実のカタチで現れてきたのが「ネット社会が現実社会を覆ってしまった」
現実。 車の自動運転など、10年、20年前なら夢物語さえならない際モノの話。
それが現実の話だから… 現に回転寿司の受付がロボット。そして、ビッグバン
の写真撮影がなされ、スマートフォン、タブレットPCで、映像電話が当り前に。
100万倍なら、かくあらん。10年後は???。 そして2045年にはAIが、人間を
支配する可能性が議論されている。これらは、40億年前の生命誕生以来の革命と
いうが、決してオーバーと思わせないところが、100万、1000万倍、億単位の進化
が現にあるため。このブログを書いていて、信じられないことが多々ある。
脳をそのまま公開を始めて、まる18年になる。書込んでアップした内容が、
そのまま自分を晒すことの不思議。自分であって、自分でない、言葉の集合が、
外であり内にある自分が、時系列に、在庫として存在する不思議。
 何かの哲学書に、ネット上の情報管理の図示があった… 

・・・・・・
6249,閑話小題 〜科学がつきとめた「運のいい人」
2018年04月23日(月)
       < ー科学がつきとめた「運のいい人」中野信子(著) >
  * 科学者のいう、幸運の人とは
 「運」については、ここで何度もテーマにしてきた(幾つかを後でコピー)。
それは己が引き寄せること、運び込みが可能である。宿命、生来、定められて
いるが、「運命」は自ら変えられるのである。
――
  〜内容紹介(Amazon)〜
 運がいい人と悪い人って絶対いますよね。
では「運がいい人」というのはいったいどんな人なのでしょう?
そのことを優秀な脳科学者である著者が語ってくれました。
実は「運がいい」人も「運が悪い」人も、遭遇している事象はそれほど
変わらない場合が多いようです。 しかし、その事象に対するとらえ方、
考え方が違う。 対処の方法も違う。長い年月を積み重ねれば、おのずと結果
は大きく変わってくるのです。では、運のいい人に共通する「行動パターン」
「考え方」「物事のとらえ方」とは何なのでしょうか?
本書を読めばわかります。あなたも運がよくなること間違い無し!

   〜レビューより〜
≪ 運のいい人になる絶対条件は、
・自分を世間の標準に合わせるのではなく、自分を社会のルールや常識よりも
 下に置くのでもなく、一般的な価値観や他人の意見に惑わされることなく、
 自分の価値観で自分の幸せを把握すること。
・また、自分を粗末にせず、自分を大切に扱うこと。他人を敬うのと同じように
 自分自身を敬うことである。日々の選択の基準を「おもしろさ」に合わせよう。
・【運がいい人の図式】
 自分なりの「しあわせのものさし」をもっている
→そのしあわせの状態を積極的につくり出す努力をしている
→自分自身が好きな状態になる →人に好かれる。
・成功者の条件であり、人を褒められる余裕の源である、セロトニントメラトニン
 を十分に分泌させるためには、サーカディアンリズム(体内時計)に則った生活、
 即ち、早寝早起きすること。
・他者への思いやりをもちつつ勝ち続けるためには、勝ちすぎないこと。
 最適応するのではなく好適応する。
 過剰適応するものはクロサイのように「絶滅」する恐れがある。
・自分を褒めよう。失敗したときも「大丈夫、大丈夫、そんな○○ちゃん
 (自分のこと)も大好きだよ」と言おう。自分を褒めればβエンドルフィン、
 オキシトシン、ドーパミンといった脳内快感物質が出て、脳の活性化、免疫力
 の強化、記憶力がよくなり、集中力が高まる。三週間続ければ脳は変わる。
 いつも自分を褒められるようになる。また、他人を素直に褒められる人は、
 他人からも好かれるようになる。
・夢を叶える人、セレンディピティーを発揮できる人は、常に頭のどこかで自分の
 夢や目標について考えている。叶った状態をいつも思い描いている。そのため
 には自分の夢や目標をはっきりさせよう。金や学歴やスタイルは夢や目標を
 叶えるための手段だ。目的は何かを忘れてはいけない。
・そして、偽善は脳にすぐ見破られるけど、自分の目的の延長線上に自分以外
 の幸福がないか考えて、そこに焦点を当てよう。
結局、運というのはその人の考え方とパターンによって変えられるのである。
「運のいい脳」にするには祈りも大切になる。≫

▼「判断、決断が正しかった結果が幸運。間違うと「運」が悪かったという。
 ということは情報と、知識と、経験の質量ということになる。それに素材が
加わる。「いま、ここ、わたし」が、ここに存在していること自体が幸運の
極みの結果である。英語圏の挨拶からして、『グッドラック』である。
その人を知ろうとしたら両親を見ろというが… 家庭環境が、大きく左右する。

『日々 是 好日』のつみ重ねが、幸運を引寄せる。それと『知識』の質量。

――――
2018/02/21
閑話小題 〜「自分は運がいいほうだと思う?」 −1
   * 自分は運がいいほうだと思うか?
 先週末の朝日新聞で「自分は運がいいほうだと思う?」をテーマにしていた。
 〜要旨といえば〜
< 有名な話では、松下幸之助さんが社員の採用面接のとき、よく
「あなたは運が良い方だと思いますか?」と聞かれたといいます。自身でも、
「自分は運がいい」と一日に何度も言うという。 その理由の一つは、
そう自分に言い聞かせ思い込むと、自信が持てるようになり自分から積極的に
行動できるようになるということ、もう一つは「自分は運がいい」と思う人は、
今を肯定的に捉えて、悪いことが起こっても他人のせいにしないと… 
 そして「自分は運がいいほうだと思う?」に、7割が運が良いと、3割が悪い
と答えるという。
 運が良かったと答えた一番の理由が、良い人間関係に恵まれていること、
良い環境と、良い両親のもとに生まれたため、そして成功が失敗を上回って
いるためという。
 運が悪かった人では、「思い通りの人生ではない」ことと、努力が報われない、
努力が報われない、人間関係が恵まれてなかった、などをあげている。

☆ 〜運について幾つかネット検索からひろってみると、
・人生の岐路で迷った時に、困難な方を選んだ方が運はついてくる。
・楽観主義の方が運がよく成功しやすい。
・夢や目標がかなった状態をいつも頭のどこかで思い描いていると、幸運が
 目の前に現れたときにキャッチできる。ーなどがありました

☆ 「運がいいと思っている人ほど運が良い」ということです。確かに成功して
 いると見られる人ほど「自分は運がいい」という。
正反対の「自分は運が悪い」と言い続けている人がいます。会社の愚痴、仕事
の愚痴が多いですが、思い通りの仕事はなかなか担当させてもらえず…

▼ 運については、30数年前の経営セミナーで、『運の作り方』という
 テーマで聞いたことがあった。創造工学研究所所長の中山正和氏で、川喜田
 二郎のKJ法に対し自身の方法をNM法と名づけた。 〜その要旨といえば、
<何かをする前に、判断をするが、結果が良ければ運が良かったという。逆に
 悪ければ運が悪いという。それには、心が澄んでいるほど正しい判断が出来る。
 そこでまず、般若心経を暗記し、唱え続けることで、心を空にして、現象を
 捉えて判断し、ことに当るに、般若心経は、プラスに働く。> …と。
 そこで3週間かけ暗記することに相成った。暗記してしまえばしめたもの。
 何時どこでも、夜半、眠れない時とか、通勤の車内とか、チョッとした合間に
 唱えることで、悟りに近い状態になれる。私の因縁のある有識者?の多くが、
 例えば二人の息子や、兄夫婦、直ぐ上の、姉、会社の正社員などの人たちが、
 暗記することに相成っていた。100人は下らないない?。 …で、この有様? 
茹でガエルになってしまったからじゃないですか。                       

――――
H0605
般若心経のすすめ

 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、
般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。
今まで何万回唱えただろうか。
当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。

十年間の経験より(私の実体験より)
直観した事を列記すると
ー分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
⊃澗_擦貿板垢あっている(リズム)
α波がくみこまれている
ぁ版亜匹この中に入っている
イ寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
Г海譴鬚り返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、
等々限りない。
 
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。

――――
2016/09/25
閑話小題 〜幸運の人と、不運な人
   * 人は、すべからく幸運である
 以前、書いたことばかりだが、思いのまま、「幸不幸」について書いてみる。
・人間は、「いま、ここに、私」として存在するだけで、幸運である。
 「神様の御導きびき」といえば、それまでだが、幸運な偶然の一致の重層で、
 存在している。他者と比較が、この幸運を見えなくしている。
・自らを幸運なタイプと自認する人と、不幸と自認する人との、一生の間の
 運命の差は膨大になる。不運な人は、チェンスがあっても、自分が駄目と
 思っているため、目前にあっても気づかない。どうせ、駄目だからが無意識
 のうちに働き、そのチャンスに気づかない。
・幸運な人は、チャンス到来に、そら来た!と敏感である。何せ、幸運だから。
 幸運であるには、何があっても上位に自らを置かなくては。まずは20%に、
 そして、6%、3%、1%にと。 
・幸運な人は、幸運のある同類を呼ぶ、というより集合する。幸せ本には、
 まず、「幸運の人に近づけ」と。彼らには、幸運を自ら引き寄せる力がある。
・以前、<幸運を呼寄せる力を得るためには、『般若心教』を暗記をして、
 ことあるごとに唱えなさい>と、創造工学の先生の講義を聞いて、早速、
 二週間かけて暗記をした。「色即是空 空即是色」と、心を澄ませておけば、
 情報選択と決断も間違わない。運とは、判断し、その行為が、正しい場合を、
 「幸運」といい、間違った場合を不運という。だから、情報に対する純粋な
 視線が必要となる。特に、情報過多の現在こそ、重要である。
・生活習慣は、第二の天性である。 二ランク上の生活習慣を立て実践すれば、
 二ランク上の人になれる。その差は、時間とともに莫大になる。
・「恒産あって、恒心あり」、長年かけた蓄えが必要となる。なぜ?といえば、
 人の心を自由にも不自由にする力が、金銭の有無に厳然としてある。お金の
 心配からの解放が純粋な心を生み、それが幸運を呼ぶ。(真逆もあるが)

――――
ーS6004事業百訓ー

『人間思いあがったらもうおしまい。そこから先は何も進歩しない。運も同じ、
ああ自分はついていると感謝している間は、運も上昇線をたどってくれるが、
それがあたりまえと思ったり、自力だと過信したとたんに運もストップする。…』

『……自分が運が悪いという人間にかぎって何も努力をしていない。
レベルを上げると、自分をとりかこむ環境もレベルアップする。
それによって自分にみがきがかかり、さらにレベルアップする。
すると運にめぐりあえる機会がふえるのです。
そのとっかかりは何か。競争相手との紙一重の差がはじまりなんだ。
ところがこの紙一重の差、プロの勝負師にとって、天地ほどの差なのだ。…』

『…一生けん命何かをやる。運とはその一生けん命さに対して天が与えてくれる
ご褒美なのだ。だから最初より褒美をねだったり、あてにしてはいけない。
それより一生懸命やる事が大事です。人間つくるのは鍛錬だけなのです。』
(将棋九段 芹沢博文)

――――
2014/02/17
心を上手に誘導する方!              
        「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー(著)
 
   *「自分は運がいい」と思っている人ほど、幸運に恵まれるのはなぜ 
                                 
「マインド・リーディング」のテクニック&メソッドを紹介した本だが、これは
他人だけでなく、まず自分のマインド・リーディングに使えばよい。それだけ、
心は未知で、扱いにくいもの。ランダムに、面白そうな部分をテーマにするが、
運、不運は、その最たるもの。運は判断の結果をいうが、その為に必要なのが
「観察力」である。
 このところ長年信じてきたバイアスに気づくことが多い。『もの覚えが悪い!』
と、数十年思い込んできた。そのため、対象を観察さえしようとしないため、
さらに、もの覚えが悪くなっていたことに、最近、気づいた次第。私は「運が強い」
と思ってはいるが、その運を呼び寄せるのは、長年かけた努力の集積の結果と
いうことを経験上、分っていた。運がいい、という思い込みなら良いが。 
  ーまずは、そのあたりからー
《 自動車メーカーの創設者ヘンリー.フォードはこう述べている。
「あなたは、自分は何かがとても上手にできると思おうが、全然できないと
思おうが、どちらも正しい」 あなたの思考パターンが、目標を達成する妨げに
なっていないかどうかをよく考えてほしい。 なぜなら、それがあなたの人生の
運に大きな影響を及ぼすからだ。イギリスの心理学者、リチャード・ワイズマンも、
大規模な調査によってそのことを証明している。ワイズマンは、人生における
幸運と不運は本当に偶然によるものなのか、それとも運のいい人と悪い人がいる
ことを心理学的に説明できるものなのか、ということに興味をもった。そこで、
ワイズマンは、自分が幸運に恵まれていると思っている人と、ついていないと
思っている人を探し出した。調査の対象になった人たちは「新聞に載っている
写真の枚数を数えるように」と言われた。その後、ワイズマンは被験者に、写真
が何枚載っていたかを尋ねた。しかし、被験者には知らされていないもっと重要
なことがあったのだ。その紙面の中央に、ワイズマンはある文章をかくしていた。
 その文章とは、紙面の半分くらいの大きさで、「実験の担当者に、これ見たと
言えば、あなたは百ポンドを獲得します」と書かれていたのだ。
自分には運がないと思っている被験者たちは写真を数えるのに必死で、その文章
に気づかなかった。一方で運が良い人たちはリラックスしており、もっと全体を
見渡すことができ、ほぼ全員が百ポンド手に入れた。ワイズマンはこのことから、
運の良い人は、運がない人よりもチャンスに気づくということを導き出した。
私たちの思考は私たちの行動に影響を及ぼし、不思議なことに、幸運か不運の
どちらかを引き寄せるのだ。ワイズマンは、こう書いている。「楽観的な人は
前向きでエネルギッシュで、新たな機会や経験にオープンである。一方運の
悪い人は、控えめで、頼りなく心配そうな反応をし、目前にある機会を見つけて
活かす気がないようだった」》

▼ 運とは、判断の結果であり、判断には対象の観察力が必要になる。
 過去の行蔵を見ると、失敗の場合は、観察をする詰めが甘かったケースである。
運を良くするには充分なる準備が必要で、浮ついて取り組めば、当然、そこには
 失敗が待っていた。そう簡単に成功など出来る程、甘くはない。貧しい家には、
貧乏神が住んでいる。今回の一連でも多くのことを学んだが、それも捉え方一つ。
子の結果が、『あ〜、運が良かった』と思えば思えるし、
『あ〜、何て運が悪かった!』と思えば、そうである。運が良った!と捉えれば、
長年かけたリスク管理を幾つかして いたこと。運が悪いと思えば『長年の努力
の結果が、このザマ!神も仏もあるものか!』になる。モノは考えよう。


6611,閑話小題 〜私にとって平成時代とは…

2019年04月22日(月)

    <〜まずは平成の時代の政治経済の潮流から〜 2018年、
       日本は「ポスト・グローバリズム」に挑め!田原総一朗>より
   * バブル崩壊とグローバル化と情報革命
1946年1月に誕生、昭和64年まで43年、そして平成を30年を、生きたことになる。
この30年間続いた「平成」とは私にとって、どんな時代だったのか。その概略が
田原総一郎のHPにあった。改元の数年あとに、パソコンなるものが、登場し、
Window95と共に世界に普及してネット社会が現実社会を覆ってしまった本格的
情報社会の到来である。 また神戸・淡路大地震が震災の幕開けになり、千年に
一度といわれる東北大震災が発生し現在に至っている。 世界は世界大戦こそ
なかったが、中東紛争やアフガンなどで戦乱が激化し、トランプの登場に至った。
資本主義を本格的取入れた中国が、この間にアメリカの近づくほどの経済力を
持つに至った。 この30年で、世界は想像を遥かに超えて激変していた。
          
  〜まず<日本は「ポスト・グローバリズム」に挑め!〜田原総一郎>より〜
≪   * 東西の壁と日本国内のバブル経済の崩壊
  1989年に昭和天皇が崩御され、平成の時代が幕を開けた1989年という年は、
 世界的にも様々な出来事が起こり、大転換期にあった。
・その6月に、中国では天安門事件が起こり、
・11月9日にはドイツでベルリンの壁が崩壊。
・その壁崩壊を受けて、12月に米国のブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ
 書記長によるマルタ会談が行われ、米ソ冷戦の終結を宣言。
・日本では不動産バブルがピークに達し、89年12月の日経平均株価は3万8957円を。
 日本の地価はうなぎ登りに上昇し「日本を売れば、米国が買える」と言われた時代。
・その2年後、実際にバブルが崩壊した。100兆円規模の不良債権が発生し、日本は
 「失われた20年」に突入していった。
・その後の日本は長期低迷が続き、深刻なデフレに陥った。デフレから脱却する
 ために打ち出されたのが、安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」である。
・平成の時代を語る上で、もう一つの大きなキーワードは「グローバリズム」。
 80年代、米国のレーガンと英国のサッチャー首相が、あらゆる規制を緩和する
経済政策を打ち出したいわゆる「レーガノミクス」「サッチャリズム」と呼ばれる。
当時の首相であった中曽根康弘氏もそれに乗っかり、小さな政府、グローバル化、
 規制緩和などを盛り込んだ経済政策を推進した。「新自由主義」と呼ばれる政策。
・時を同じくして、85年にソ連はゴルバチョフ氏が最高指導者となり、
「ペレストロイカ」を提唱。それまで堅持していた一党独裁体制を止めるということ
 である。これがソ連崩壊へと繋がってゆく。
・ゴルバチョフの登場によって米国は、「どうやらソ連は我々の敵ではなく、真の敵
 は日本ではないか」と考え始めた。当時の日本は、米国に電化製品や自動車を中心
 の多くの製品を輸出していて、米国の対日貿易赤字はどんどん膨らんでいった。
 いわゆる、日米貿易摩擦が深刻化していた。米国は、日本に自由化を強く要求した。
 さらには、対日貿易赤字が膨らむ原因は日本円が安すぎるからだと主張し、1985年
 のプラザ合意で、先進国は協力して為替レートをドル安に進めることに合意した。
・当時の大蔵大臣は竹下登氏である。この時、日本円は1ドル=240円で推移していたが、
 プラザ合意の後はあっという間に150円台まで高騰した。さらに米国は、日本の輸出
 を縮小させるために、「無理矢理でも内需を拡大しろ」と要求。これにより、産業
 構造や政策の在り方を示した「前川リポート」が公表される。内需の拡大や金融の
 自由化、国際通貨価値の安定などが盛り込まれた。こうして強力な内需拡大策が
 進められ、80年代後半にかけて空前のバブルが巻き起こった。同時に中曽根首相が
 進めたのは自由化。国鉄の民営化、電電公社の民営化、売公社の民営化も行われた。
 これが、グローバリズムの始まりである。
   * グローバル化と、無視できない程の歪み
 ヒト・モノ・カネが国境を越えて、世界市場で活動する巨大な潮流である。
 平成という時代は、まさにグローバリズムから始まったと言えるだろう。欧米では
 グローバリズムの歪みが無視できなくなった。ところが、グローバリズムの歪みは
 徐々に無視できなくなってきた。象徴する出来事が、16年11月の米大統領選挙で
 ドナルド・トランプ氏が勝利したこと。あるいは17年6月の英国EU離脱である。 ≫

▼ あらためて振返ってみて隔世の感がある。生命誕生40億年来の革命期と言われる
 時代にあって、バブル崩壊以来、日本は成す術もなく凋落の道を歩んできた。その中、
8年前に事業整理に至ったが、引き時のプログラムも創業時に組み入れていたこともあり、
何と現在に至っている。渦中にあって、この激動に対して鈍感になっていた。当然、
その報いそのままを受けて当然、至極。国家予算の半分が赤字国債に対して、鈍感に
なっている国民と政府。 必ず、そのツケは次の世代に回ってくるのに… 

 〜また偶然だが、30年なら、何倍なのでしょうか… 個人HP内検索で30分ほど、
以下の文章を探していたが、それにしても、去年の今日とは、でき過ぎ。何だろう?

・・・・・・
6248,閑話小題 〜10年で100倍、20年で1万倍というが…
2018年04月22日(日)
   * 10年で100倍もコンピューターが進化したというが?
 1年〜1年半で2倍の速度の進化が10年も続くと100倍になるが、TV、
PC機能にストレートに進化しないとしても、10倍より遥かに大きな進化を成し
遂げている実感はする。23年前にWindows95が発売され、世界中に普及され、
世界は本格的情報社会に突入をした。コンピュータが小型化され、ノート型
PCなどの携帯化が進み、今では、タブレットPCや、スマートフォンが世界中に
溢れるようになった。 これが1万倍の進化といえるかどうかは疑問だが、
現実社会の上に、ネット社会が覆ったことは事実。
 一昨年の秋口に、東京在住の一まわり年上のカメラマニアの万年青年の
従兄が、4kTVと、4k撮影機能の凄みを、お斎の席で教えてくれた。85歳
だが、進行ガンで、余命数年という。
『この10年のカメラ機器やTV、PCの進化からみて、劇的進化があるはずだが、
それをみてから旅立ちたい』と、切々と訴えていた。そこで、居間と寝室の
寿命に近かったTVを、4kTVに入替えて1年余り経過したが、その凄さに、現時点
になっても新鮮な驚きの日々を過ごしている。 8年前のTVは東芝の多機能TVで、
当初100万のモノが、型落ちで60万に値下ろしたのを購入したもの。しかし、
現在のスマートTVの総合機能は、それより数十倍はアップしている。
年内には360度見渡せるVR機器のゴーグルの中古?を買うつもりだが。これも
カルチャーショックになるだろう。
 その端的に見せつけられるのが、最近のシアターの映像世界。 先日みた
スピルバーグの、『レディ・プレイヤー』は、これまでの映像世界と一線を
画するもの。シアター内で見る映画は、バーチャル世界に没入できる時空間で、
異世界にリアルに誘ってくれるが、そのリアルさが数倍、数十倍、増している。
こう考えればよい。洋風の居酒屋で、酒と魚の味が10数倍ずつ確実に美味しく
なっている。別に毎日通う必要はないが、月に数度は行くだけの価値があると。
デジタル化の進歩は、生世界のリアルさを大いに増してくれる。その価値を、
合理的に日常に取入れない手はない。
・・・・・・
5151,知の逆転 〜
2015年04月22日(水)
           ー知の逆転ー  対談相手 オリバー・サックス
   * 人間特有の能力とは
 人間特有の能力とは、「文法」と「読む能力」という説。これは50年近くの
読書習慣と、一日一文章の作成から実感するが、少年期に読書週間がなかった
ことがハンデになって現在に至っている。それでも、読書習慣で助けられた。
文法こそが、多くの意味をもたらすが、技量をつけるには量をこなすしかない。
≪ ・多くの動物や猿が、40もの異なる危険を知らせる音を持っていること
 が知られていますが、これらはどちらかというと記号のようなものです。
人間の言語では、チョムスキーの言うような意味での「文法」というものが
不可欠になります。文法こそが言語に限りなく多くの意味というものを生み出す
ことを可能にし、言語をクリエイティブなものにします。単に情報交換を目的と
したコミュニケーションのためだけでなく、われわれ自身そのものを表現する
手段としての言語というのは、人間に特有のものでしょう。
音楽もそうです。録音機を持って50万年前に戻れたらいいのですが。
・言語の一側面である「読む能力」というものは、強力で人間に特有なもの。
しかしこの能力は進化の直接の産物ではありません。環境の視覚認識のために
使われていた能力を利用したものです。類人猿では個々の記号を認識するところ
まではできても、テキストを読むというのは無理で、これは人類に固有の能力で
あろうと思います。この能力は、限られた知能しかない場合も含め、おしなべて
人類に共通する能力なのです。 〜p153 ≫
▼ これを人間の能力にも言えること。その力量に比例して「文法」と
「読む能力」が身についていく。「文法」は、話す能力、書く能力。
「読む能力」は、相手の、社会の発信する知識・情報を受止める能力になる。
14年間、これを続けてきたのは、この努力の効果と、その蓄積からくる醗酵の
効果が実感できるため。 ネットによる「文法」の意味とは、<広義の文法は
言語能力であると考え、音声や意味から独立した自律的 な構造を想定し、
それを特に文法と呼んでいる。> 言語能力こそ人間たる思考能力になる。
読め読め読め、聞け聞け聞け、書け書け書け、そして黙れ!ということか。
・・・・・・
4419, この結果に感謝している!
2013年04月22日(月)
 一昨年の倒産劇から数ヶ月あたりから、
「この結末が私の人生にとってベスト?」という思いが心の片隅に生じていた。
他人に言うべきことでもないし、失業させてしまった社員や役員に対しても、
こんなことは口が裂けてもいえないこと。2001年の9・11テロ以来、10年間、
右下がり傾向が続き、リーマンショックで売上げが三分の一まで落ち込んでいた。
経営は死に体に近づき、真剣に止め時を探っていた矢先の東北大震災。もう駄目!
と早めの決断をした。その事業物件の買手が直ぐに見つかり、同じホテル名で
新経営者の下で現在、営業が続いている。一般債権もほぼゼロで、金融債権以外
は思惑通りの清算ができた。会社借り入れの個人保証もあって普通なら個人破産
しかないが、物件の処分が順調だったこともあり、何とか破産なしの無傷で
済ますつもり。担保に入っていた自宅も、家内が買い取ることで確保。 何とか
今までとおり生活をしている。 順調に誰かに経営を渡すのと、この結果の
どちらが良かったか、勿論、前者と思うが、こと私の人生という面からみると、
この方が良かったとも考えられる。 全てがベストに動いてきたから、人類も、
自分もいる。 先日の高校の同級会で、半年前に老舗の会社を倒産させた人が
隣でシミジミと、「この結果で終わったことに感謝している。こんな気持ちに
なるとは思ってなかった」と、現在の私の心情と同じことを、そのまま語り
かけてきた。 これは実際に経験した者でしか言えない言葉。無念で、情けない
自分と、周囲の好奇の視線の中、独りで日々、悶えた結果、この現実をそのまま
受け入れるしかない中で、実はこれがベストの結果だと気づく。「この苦しみを
与えているのは、神(自然)が、何かの意味を気づかせようとしているのでは
ないか」という、フランクルの問いかけである。その時に自然に出てきたのは、
「この経験で私は、やっと半人前になったが、貴方は以前の不幸分を加えると、
半人前から一人前になった」で、ある。互いの心奥の葛藤と、その思いは同じ。
過去を振り返ると、何度かのどん底の青春期の日々にこそ、人生の味があった。
思い出すのは絶頂の浮かれていた日々でなく、瀬戸際で呆然と過ごしていた
日々である。あの時、何かが変わろうとしていた。それと同じ心情が、
「この結果(状況)に感謝!」の言葉に集約されている。底に下りてしまえば、
不安感など消滅。結果を素直に受け入れれば、そのまま安心立命の境地に到達
できるのが人生。実際に倒れ、孤立し、そこで人生を俯瞰すると、全く違う
目線を得ることが出来る。その視線から、これまでの人生を振り返ると、
何とつまらない自分が見えてくる。だから、「この結果に感謝している!」
の言葉になる。なかなか人生は味があり、面白い。
それを味わうのが、これからの人生。 


6610,閑話小題 〜あと数日で「平成」が終わり「令和」に

2019年04月21日(日)

   * 行きつけのスナック二軒が廃業
 あと10日もしないうちに、「平成」から『令和』に改元される。この影響は、
思いの外に大きくなる? 先日の中学校の同期会で知ったのが、この二次会で
行きつけのスナックが二軒とも直近に廃業したとか。両店とも40年以上の老舗。
 同世代のママさんが営業していたが… 何か不景気風な感じだった。 
<平成も終わりを…「止めるに年号変更を区切り」>と考えるのは至極当然。 
同年代の客層のリタイアが主原因だが、年齢を重ねる度に飲む機会は減ってる。
<75歳を過ぎると活動範囲が狭まるため、金がかからないってさ!>と聞いて
いたが… 改元は、様ざまなカタチで私たちの決断を促す。 明日から数回、
「平成って、何だったのだろう?」をショートショート風に書いてみようか。
平成は1989年〜現在(平成元年〜 現在) 昭和64年。 私は43歳。
 ―
   * シネマ・ 「シャザム」
 子ども向きで、ドツキ漫才的だが、何かしら笑えて面白い。閉ざされた肉体と
精神を解放させて欲い欲求を、キセズして与えられた力で悪を対峙するところが、
最近のハリウッド映画の特徴。
≪ 解説:「スーパーマン」や「バットマン」と同じDCコミックスのヒーロー
「シャザム」を映画化。見た目は大人だが中身は子どもという異色のヒーローの
活躍を、独特のユーモアを交えて描く。ある日、謎の魔術師からスーパーパワー
を与えられた少年ビリーは、「S=ソロモンの知力」「H=ヘラクラスの強さ」
「A=アトラスのスタミナ」「Z=ゼウスのパワー」「A=アキレスの勇気」
「M=マーキューリーの飛行力」という6つの力をあわせもつヒーロー「シャザム
(SHAZAM)」に変身できるようになる。筋骨隆々で稲妻を発することができるが、
外見は中年のシャザムに変身したビリーは、悪友のフレディと一緒にスーパーマン
顔負けの力をあちこちで試してまわり、稲妻パワーをスマホの充電に使ってみる
など悪ノリ全開で遊んでいた。しかし、そんなビリーの前に、魔法の力を狙う
科学者Dr.シヴァナが現れ、フレディがさらわれてしまう。
 遊んでいる場合ではないと気付いたビリーは、ヒーローらしく戦うことを決意
するが……。シャザム役はTVシリーズ「CHUCK チャック」のザカリー・リーバイ、
監督は「アナベル 死霊人形の誕生」のデビッド・F・サンドバーグ。 ≫

▼ 人生を重なるということは、それも晩年に近づくにつれ、心の中に、幾つか
 の失われた過去の廃墟を持つもの。それらは、心の奥に鬱憤として抑圧され、
解放を待っている。その解放をする物語が観客の絶対的ニーズ。老いること自体
が、死に至る病。そのまま放っておくと、その病は重症化していく。 最近では、
TV映画、ドラマが、その役割を果たしている。 そこに更にダメ押しで… 
成るほど、彼方此方が痛くなり、腰は前屈みになり、夜半、過去の廃墟の記憶が
甘辛いフラッシュとして飛び出てくる。 +−3対1にコントロールをしていても。
充実感が足りない人生。それも世間的視野のみの、他者との比較しか持ちえない
人たちにとって、それは返り矢として己に向かってくる。そして「死霊」化する。
映画では、束の間のシャザムの私が、死霊を退治する。成るほどスッキリする訳だ。

・・・・・・
6247,閑話小題 〜工学博士の幸福論とは
2018年04月21日(土)
       『ロボットだって心を持てる 達人対談
          前野隆司vs・ビートたけし‘新潮45:2017・10月号』
   * 「意識』はすべて「錯覚」というけれど…
図書館から数ヶ月前の‘新潮45’を借りてきて流し読みをし、ここでテーマ
として取り上げること屡々。たけしとロボット博士の幸福論が面白い。
<ありがとうと感謝の念をもって、ありのままで、やってみよう。
そうすれば、なんとかなる。その積み重ねが、幸せをもたらす!>
 これは、創業の基本理念にもつながる。 幸せな人とは、
《夢や希望や強みを持ち、つながりと感謝を持ち、前向きかつ楽観的に、
自分らしく生きる人。あるいは自分を信じ、他人を信じて生きている人》になる。
    〜要所を抜粋〜
≪ たけし: ロボットに心を持たせるにどうしたらよいか研究や考察をしたら、
 人間には主体的な意識はなく、無意識が決めたことを追認する「受動意識」
 しかないという仮説を唱えているという。…
前野: …その「受動意識仮説」とは、私たちは嬉しいとか悲しいとか、この
  ギャグを言おうかとか、意思で決めているような気でいるが、それは全て
 無意識のうちの処理が先にあって、その結果にすぎないということ。
 私たちは自由意志があるようにような気がするけれど、自由意志などは本当は
 ない。脳の背後で動いているプログラムがあって、それが出した結果を自分が
 やっているように錯覚しているにすぎないというのが、「受動意識仮説」です。
 例えば、「コーヒーを飲もう」と決める。自分がコーヒーを飲もうと決めた
 気がするけれど、本当は脳の中に小人がたくさんいて、それらが、色いろ
 検討をして決めた結果を自分が決めたように感じている。
前野: だいたいコンピューターは10年で100倍、20年で一万倍賢くなる。
 何十年後には人間の頭脳を超えてしまう。幸せな人は、利他的で、性格が
 良いという結果が出ている。ロボットが賢かったら、幸せになりたいと思う
 じゃないですか。幸せになるためには良い人でなければいけないと気付くから、
 嫌な奴にならないと思うんです。
たけし: 先生の幸せの研究は、人々がどのようなときに幸せを感じるかの
 アンケートをとって、その中から要因を取りだして、共通要素を分析して
 いく手法ですよね。
前野: 幸せの4つの因子とそれを現す言葉として、
  やってみよう:自己実現と成長の因子
  ありがとう :つながりと感謝の因子
  なんとかなる:前向きと楽観の因子
  ありのままに:独立と自分らしさの因子があります。
たけし: なぜ人は生きているのか? この世を風呂屋に例えると、
  いい温度の風呂につかっていることが幸せ」だとすれば、熱すぎず、
  温すぎない丁度いい温度に水で薄める努力をしないとね。
前野: 何故生きるかという問いに対し、西洋では神の存在を説いて、
  天国に行くために生きるということになる。ところが仏教では、
  「欲は本当はない」と説く。何のためにいきる、といった目的は徹底的に
  ないと説きます。…私の考えは仏教徒と同じ。「人には全く自由意志がない。
  要するに、自分が感じている欲もないし、生きる意味もない本当はない。
  自分が感じているものは全て脳がつくり出した錯覚にすぎない。何もないん
  だから、幸せに生きた方がいいんじゃないか。風呂の話と同じで、何で
  風呂に入るか分からないけど、どうせ入るならあ適温がいい。だから、
  最近やってるのが幸福学なんです。でも、なぜ生きるかとなると決定的
  理由は見つかりません。
たけし: 「阿波踊り」じゃないけど、「同じバカなら、踊らにゃ損、損」と。
――
▼ 「ムーアの法則」からして、コンピュータは10年で100倍、20年で一万倍、
賢くなるが、実生活で、スマートフォン、タブレットPCの進化からして、
決してオーバーと思えない。20年前といえば私が52歳の頃に、中高生時代の
同級生が数人、亡くなったが、生き残った身として、一万倍の
コンピューター社会の進化を目の当たりに出来た実感は、あまりに大きい。
勿体ない!である。
 成るほど、中村天風の説く「積極一貫」の精神こそ、幸せをもたらしてくれる。
同じ人生、踊らな損だよ。元幕臣でありながら、新政府に仕えたことなどを
「痩我慢の説」で批判した、福沢諭吉に対して、勝海舟が答えた言葉
「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張、我に与らず我に関せずと存じ候。」
幸せも同じ。意味も何もありゃしない。まず、やってみて、それを楽しむこと。
 ・・・・・・
4418, 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 ー7
2013年04月21日(日)                
 * 幸福とは何か ー大富豪とマサイ族   
        「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」 橘玲著
 幸福とお金の関係は、なかなか難しい。幸福の必要条件の一つにお金があるが、
十分条件では決してない。その辺りを、以下で大富豪とマサイ族を比較して
分かりやすく説明している。
≪ アメリカでは一九八○年代から、幸福を心理学的に計測するという試みが
 行なわれている。これは厳密に科学的なものではないが、様々な調査によって、
統計的にほぼ同一の傾向を確認できる(大石繁宏著『幸せを科学する』)。 
ある調査によれば、人生の満足度を七点満点とすると、アメリカのビジネス誌
『フォーブス』に載った大富豪たちの満足度の平均は五・八だった。彼らは
資本主義社会の頂点に立つ成功者で、豪邸やプライベートジェットなど望む
ものはなんでも手に入れることのできるひとたちだ。 アフリカのマサイ族は、
ケニアとタンザニアに住む半遊牧民で、必要最小限のものしかない貧しい暮し
をしている。同じ調査で、彼らの人生の満足度は五・四だった。目の眩むような
大金は、ひとをたった○・四ポイントしか幸福にはしてくれないのだ。
もちろんこれには様々な解釈が可能だが、大富豪がマサイ族の村に行ったと
したら幸福だと思うだろう。マサイ族の若者がニューヨークを訪れれば、
極貧と不幸に打ちのめされるかもしれない。幸福感は相対的なものだからだ。
マサイ族が幸福なのは、家族や仲間との強い絆(愛情空間と友情空間)のなかで
暮らしているからだ。それに対して貨幣空間の成功者である大富豪は、
その成功ゆえに愛情や友情から切り離されて幸福を感じられなくなる。 
 でも彼の人生は、まだマシな方だ。この調査によれば、世界でもっとも
不幸なのはロサンゼルスなどの大都市で生きているホームレスだ。
彼ら貨幣空間の敗残者は富も人間関係もすべて失ってしまい、自分たちより
過酷な生活をしているインドのスラム街の人たちよりはるかに幸福度が低い。
もっともこれは、それほど奇異な結果ではないだろう。お金が幸福の必要条件
ではあっても、十分条件でないことは誰だって知っている。ぼくたちがお金に
こだわるのは、それが「安心」「安全」という大切な価値と結びついているから。
ヒトはずっと不安のなかで生きてきたから、安心を得ることは幸福の大事な条件
のひとつだ。そして市場経済においては、この安心はお金で買うしかない。
日本国の財政が未曾有の赤字に陥り、少子高齢化で年金制度が破綻必至になった
ことで、この国を重苦しい不安が覆っている。老後を国家からの年金に頼って
いたひとが、安心を奪われてしまったのだ。 でも単純な経済問題だから、
お金により解決できる。財政破綻で年金の大幅減が実行されても、宝くじで
一億円当たったら、どうだってよいと思うだろう。(当たらないと思うが) 
幸福のためにお金を求めるのは、きわめて合理的な行動。ところが皮肉なこと
に、宝くじの当せん者を追跡調査をすると、実はあまり幸福のなっていない。
買物や豪遊で賞金を使い果たすころには、自分には何も残ってないことに
気づくのだ。 ・・・ ≫
▼ ー我われがお金に拘るのは、「安心」「安全」という価値に結びついて
 いるためーというのは分かる。ならば、日本は世界一の「安全」で、「安心」
して暮らせる国で、万一のことがあっても、生活保護がある。しかし自殺は
先進国の中でトップクラスにあるし、国民は幸せそうでない。何故なら国の
先行きが見えないためである。先行きなど、かつても見えなかった。
中途半端な幸せを長年続けてきた結果、激変の最中、動揺しているのである。
東北大震災から数ヶ月後、アフリカの難民をよびよせ、被災民の状況を見て
もらったが、殆どコメントをしないで帰った。彼らにしたら何をか言わんである。
豊かさの中の極貧生活が不幸の最たる状態であるのは、大都市のホームレスを
見れば分かる。今や夫婦間資産格差が出来た私など、不幸の最たるもの?
でも不幸感はない。「不安感」が最小に縮んだからだ。先行きの不安感は、
今が不安定だと生じ、蓄積していく。着地をした現在、今さら「不安」
など感じようもない。
・・・・・・
4044, 一時停止 ー4
2012年04月21日(土)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 他人との出会い
≪ 肉体的な成長だけで子どもがおとなになれるわけではない。肉体的な成長
に精神的成長が伴わなければ、人間はおとなになれない。その精神的成長とは
どういうものか、知識が増えること、感情が豊かになること、経験を積むこと、
考える力が増すことーいろいろな面から考えることが可能だろうが、そのどれも
が結局は<個>の自分の確立ということにむすびついていることに気づく。
 群棲動物である人間は、ひとりで生きてゆくことができない。そこから
私たちは複雑な社会的構造を生み出し、〈個〉は常に自分と同等な〈個〉、
すなわち〈他〉との関係において生きてゆく。〈個〉の確立とは自我の拡張と
同時にその制限をも意味している。言葉をかえると、他人と出会ことによって、
子どもはおとなへと成長してゆくと言うこともできるのではないだろうか。
もしそんなふうに言えるとしたら、私にとって初めての他人との出会いは、
いったいいつのことだつたのだろうと考えることがある。もちろん人間にとって
最初の他人とは母親であると言うこともできるかもしれない。しかし、ほとんど
の子どもにおいては、母親は自分自身の延長のような存在であり、母親を他人
として意識しはじめるのは、むしろ彼がおとなになってからだろうと思う。
似たようなことは他の身内・家族などについても程度の差はあるが、おおむね
あてはまるだろう。 ≫
▼ 学校時代は、進学する度に変わる同級生が、他者を考える上に分かりやすい。
 その時の面々が、その時の自らの分である。それは、自分の広がりでもある。
それが他人との出会いである。その範囲が広がれば広がるほど、その冷たさと
暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、
その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に
見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が
でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡
となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。

・・・・・・
5150,知の逆転 〜
2015年04月21日(火)
         ー知の逆転ー 対談相手 オリバー・サックス
   * 没頭している「平和の時間」こそが
 午前中、4〜5時間、仏間にある書斎コーナーで、本を読んだり、パソコン
に向かっているが、その時間はアットという間に過ぎてしまう。集中している
ためだろう。ネガティブになりがちな身の上?に、老齢化が重なっているため、
落込みへの解毒剤になっている。冬場を除いて、朝方の自転車散歩も加えて、
何とかポジティブ3にネガティブ1の比率を維持している。
 ここで、<没頭している「平和の時間」が、最も望ましい>というが・・
この随想日記の習慣の効用である。没頭には、長年の継続が必要である。
 ーその箇所を抜粋ー p149 
≪ ・・私自身も、書き物をしたり考えたりすることに没頭しているとき、
 あるいはピアノを弾ひたいたり音楽に浸っているとき、神経症やうつ病が
消えて、時間というものを意識しないで平和な時を過ごすことができます。
われわれは誰もがそういう時間を必要としているのです。フロイトの精神分析
では、楽しいことに没頭しているときの平和な時間という部分が看過されて
いると思います。彼の精神分析では、生は緊張として捉えられ、緊張が解ける
と何もない状態になると解釈されているわけです。しかし、ポジティブな
平和な時間というものは芸術や科学の基盤であり、最も望ましい状態では
ないでしょうか。≫
▼ 「平和の時間」は、外界の喧騒から隔絶出来て、気持ちが集中、脳も、
 心もシンプルでいられる。週一のシネマも、ポタリング(自転車散歩)も
「平和の時間」。リタイア直後に立てたプログラムは、まず、ストレスによる
自己崩壊を避けるためだったが、結果として「平和の時間」の維持の効用に
なっていた。今までは会社の維持に向けられたエネルギーが、「平和の時間」
に向けられるから、悪いわけがないが、だがストレスは生半端ではない。
それが当り前だが! 知恵を使って、見方、支点を変えれば、逆境さま様!
ものは考えよう、面白いもの。 偶然だが、以下の内容が、丁度良く続く。
・・・・・・
5880,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜2
2017年04月21日(金)
   『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
              池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
 21世紀の初年度が始まった2001年の9・11テロかで時世界が様変りをした。
ユダヤ・キリスト教とイスラム教の対立の鮮明化である。これに中国の躍進と、
時代かかった北朝鮮が絡んだ複雑な様相が現在時点である。その結果、強者は
より強く、弱者はより搾り取られる様相になっている。当然、お金のない国家
対金持国家の対立が浮き彫りになっている。北朝鮮対アメリカ、欧州対中東、
中東の内乱、IS国家の設立がテロなどを誘因する原因となっている。
 それそのままが、以下の数値で物語っている。
≪ ・2000年、世界のGDPは、ドルになおすと33兆ドル
   2015年は 73兆ドル。増えた富は、一番豊かな人びとの元に貯まった。
 ・世界を100人の村に例えると、世界の富のうち
   49%は、1人のいちばんの大金持のもとに
   39%は、9人のお金持ちのもとに、
   11%は、40人の、わりと豊かな人のもとに貯まりました。
  50人の貧しい人のもとにあるのは、たった1%です。
 100人の村では1人の大金持ちの富と99人の富がだいたい同じです。

・インターネットを使う人は28億人増えて 32億人。大よそ10倍に。
・中国では自家用車が300万台から1億2400万台に増えた。40倍である。
・世界の通貨、その国だけでなく、世界中で使われている。
  44%がアメリカドル
  16%がユーロ
  11%が日本円
  6%がイギリスポンド
  3%がオーストラリアドル。
・世界の株の値打ちは、この15年で二倍近く増え、もうすぐに
 世界のGDPと同じになります。 ≫
――
▼ 21世紀は、ネット環境が進化し、世界の半数近くが、情報端末を
 持つようになった。今まで権力の乱用は、ネット上で一瞬で表沙汰になり、
権力者は、その座を追われる時代でもある。チャンスとリスクは裏腹だが、
そのバックグランドが、地域社会、国家内から世界に広がってしまった。
しかし、その基盤ルールのコントロールが、全くできてない。あるのは、
「弱肉強食」のルールのみ。そしてテロを含めた新たな戦い。


6609,閑話小題 〜ユニクロのレジ清算がセルフ化だってさ

2019年04月20日(土)

    * ノートルダム寺院の火災
 まさか、石造りのノートルダム寺院の炎上するのを目撃しようとは?
テロではなさそうだが、それでも少しは疑念が残る。毎週のように反政府デモと、
奪略がTVニュースで流される最中であるから…。暴徒の放火なら、宗教戦争の
幕開けになるところ。事実かどうかは別だが、既に1000億円規模の寄付の表明が
寄せられているとか? ノートルダムとは、「聖マリア」を意味して、同名の
寺院が各地に点在している。 現在の世界の混乱の根は宗教戦争?
 ―
    * 長岡高校の太鼓の音
 この時節に、1km先の長岡高校体育館から、応援歌と、太鼓の音が聞こえてくる。
一年生が15〜6歳とすると、1961年当時は58年前になる。その嫌だったこと、この上
なかった記憶が思いだされる。 小さな声だったり、間違えると、丸めた新聞紙で
身体を殴りつける。 中学時も似たようなドヤス応援練習があった。
 ―
    * 市会議員の選挙ですか?
 県会議員選が終わったばかりなのに、市会議員選挙が明日ある。誰にするかは
決めてないが… 市会議員で当選するのも大変なようだ。議員の年収が800万と
いうから、公務員並みの収入。年次よりアップをしていくのだろうが… 
ちなみに親戚に元市長がいたが、30年前で、年金額が月・70万は多い? 。
 ―
    * ユニクロのレジ清算がセルフ化だってさ
 近くのSC内のユニクロがセルフ化を始めたとか。今日にでもスポーツジムの帰り
に寄ってみるつもりだが、「ついに御前まで」の驚き。 月に2回は通う「回らない
回転寿司」の受け付けは、ソニーのロボット。 慣れてしまえば、気楽で良い。
 シネマ館もセルフチケット販売機。でも、なかなか、人は並ばない。
最近、前に通っていた地元のチェーンが倒産した。全国チェーンへの対処の戦略に
客単価を上げる対処の失敗だったが、セルフ化も中途半端。
 数年前から海外ツアーの飛行機の席がネット予約になった。 更に入国審査が
セルフ化。パスポートを指定された個所に押し当て、顔をカメラの前に突き出す。
まだ日本なら戸惑いは少ないが、パリ、ローマなどでは戸惑いは大きい。
この人手不足は、スーパー、コンビニ、居酒屋のセルフ化を推し進めている。

・・・・・・
6246,閑話小題 〜つれづれに、危ない話
2018年04月20日(金)

 県知事の辞職、仕方がないのだろうが、気の毒といえば気の毒である。
何故に援助交際の相手が週刊誌にリークしたか大きな問題が残る。
詳細は知らないが、デリヘル慶大生、仕事?が仕事だけに、ブラックの
背景があると思うのは誰も同じ。金目的なら、百万円のロットだろう… 
当然、逆リークをされ、一生を棒にふることになるリスクが大きい。
先日のテーマで、学資目的のデリヘル女子大生の事例を取上げたが。
日払いなら援助交際、月払いなら愛人契約になる。としても、脇が甘い。
ブラックの世界は、恐ろしい魑魅魍魎の闇が広がっている。人生は独り旅、
誰ひとり自分を守ってはくれない。吾身のリスク管理がベースになくては…。

 一昔前なら、高級クラブがあって、容姿で、3,5,10万クラスの値があり、
便利に遊べたシスタムがあったようだ。いや、現在も同じ? ビフォア―、
アフター?代の支払いは、賞与の中に組込まれている? システム。
常連ともなれば、暗黙裡に?… その辺の浄化システムを抜くと、こういう
災難で一生を棒にふってしまう典型の事例というところ。

 社会に出てから50年以上経過するが、一度も、こういうトラブルを経験
したことがない。当然のことだが。「援助交際などもっての外!」。
幼児頃から父親の世間話で、様々な危いケースを聞き知っていたこともある。
「君子、危うきに近寄らず」が基本中の基本。その際どい辺りが面白いが、
何となく客種の見極めの勘が働く。他に履いて捨てるほど面白いことがある。

 何処かの居酒屋のオヤジが、「誰も口先では、そういうけどね!…」だが、
本能的に危ない相手や、飲み屋に近づかない。高い店ほど、若くて綺麗な
アルバイト・ホステスを揃える。 そこには生粋のプロと、学資などを稼ぐ
ために、割切ってくるアルバイトがいて、競わせる。 で、マスターか、
ママが、「あの子は、3万なら口説けるよ」と、何気なく裏情報を教える。
女好きな知人に聞いた話が、「3万ならと、遊んだところ、エイズに…。
ところが愛人の女子事務員に感染させたらしいが、何故か…?」と、 
かなり際どい話が続くが… 本人の人相まで変わっていた。その件以来、
断交したが。この話は、ここまで。夜の巷は華やかの裏側はドロドロの世界。
 
 さて、援助交際の女子慶大生の週刊新潮へのリーク代、幾らでしょうか。
500万? まけさせて300万? 
――――
2018年、4月15日
閑話小題 〜自由化された売春 −1
      
   * 風俗は既にセフティネットでなくなった
 図書館の返却コーナーから借りてきた雑誌の内容がシリアス。
これによると、「風俗は既にセフティネットでなくなった」とある。女性が年齢
が増すにつれ、よほど外見が良いスペックがないと敬遠される厳しい現実がある。
風営法が改正された数年後、地元の行きつけの居酒屋の店主に、デリバリの実態
を聞いたことがあった。よくぞ聞いてくれたと、嬉しそうに携帯でアクセスし、
予約直前までの手順を実演してみせてくれた。更に、それ専用の安い目立たない
ホテルも教えてくれた。風俗には全く興味がなかったが、新潟駅前で30年間も
ホテル事業をしていれば、様々な実態を聞くことが多かった。当然、デルヘル嬢
の入室は厳禁していたが、デルヘル嬢の長期滞在が、それ故に常時、隠れるよう
に宿泊していた。夜の外出、朝帰りのため、彼女らは、警察に怪しまれないよう、
宿泊時に身分を明かす。全国を渡り歩くそうだ。

    『文藝春秋オピニオン2018年の論点100
      〜風俗市場も崩壊 シングルマザーの歯止めなき貧困』より〜
≪ 貧困問題の最たるのが「シングルマザー」の存在。全国で123万世帯になる。
 平均年間収入が223万円で、全国世帯収入の545万円、児童あり世帯の平均
の707万円を大きく下まわる。相対的貧困に該当する貧困に該当する母子世帯の
子供たちが、‘子供の貧困’のメインであり、6人に1人になる。
その多くは、近隣に実家や親せきがなく、誰も助けてくれないのが実態だ。
 老朽化した団地や、アパートに住み、母親はダブルワークする。最低賃金に
近いサービス業で10万円に、児童手当、児童育成手当を足してギリギリ最低限
の生活をおくる。これまで、キャバクラ、風俗、AV女優、買春などは、一般女性
の志願者が増えすぎて、圧倒的な女性の供給過剰にある。価格は暴落、貧困女性
のセーフティネットとしての一面が完全に失われた。よほど容姿などのスペック
が高くない1万以下の格安店でないと採用されない。
 性風俗店は2005年の風営法改正で店舗から無店舗販売に移行し、届け出制に
なって実質合法化した。女性の供給過剰、性風俗店の増加、そして少子化のため、
一店舗あたりの男性が減少。だから出勤しても、客がつかない。完全出来高制の
ため、待機時間を含めた時給計算をしたら最低賃金を割る。デルヘルで出勤して
も、一日待機しても、客は二人程度。男性が払う金は、60分で8000円のうち、
売上が店と折半で、4000円程度。運よく二人ついても8000円程度。
 某女子大生のケース。
「アルバイトだけでギリギリ生活は送れるが、学費が払えない。一年生の春に
デリヘルに出ました。週に一回ほどで、月6〜10万ほど。稼いだ金は、全て預金
をして学資に…。」 若い女性だから風俗、売春がセーフティになる。現在、
日本の貧困率は、OECD加盟国34ヶ国中、10番目。世界的にも進行する国と認定
されている。≫

▼ 地元の繁華街の風俗店のドキツイ看板も殆ど見かけなくなった。
 スナック店主が曰く、「デルヘリと、マッサージ店が取って替わった」とか。
それと暴力団事務所もテラ銭が皆無になり撤退をして暫く経つとか… 。
売春が合法化され13年… 普通の子女の買春の許容売価が、一週間分の
労働賃金。愛人の平均売価が、大学新卒の初任給が世界各国の目安という。
貧しき人にとって、世界は苦海である。幸せの家系と、不幸の家系が現にある。
一度、転落すると、元に戻るのは? 
「元はこちら、そのまま結構!」など、悠長に言ってはいられない!のが現実。
・・・・・・・
3677, 自己を見つめる −4
2011年04月20日(水)
    「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 節目どきは、境遇の節目でもある。特に乗り越えることが不可能と思える壁に
直面した状況を「限界状況」と、ヤスパーが指摘している。 その限界状況に
「人生の不条理」に突き当たる。その時、それまで隠されていた真実が現れ出る。
節目を打つとは、人生の不条理を受け入れ目を背けないことである。
正中心一点無になり、変化を受け入れること。
  ー 第三章 境遇 ーから、抜粋
【 現在、変えることのできない定めを帯びた宿命的な境遇のなかへと投げ
出され、置き入れられて、人生の途上にある。その私たちの無に貫通された
現世における存在のうちには、宿命的な境遇のもつ変えることのできない定めが
刻印されている。ヤスパースが指摘するように、私たちの生存のうちには、
どうしようもない「限界状況」が巣くっていると言える。限界状況とは、
それに突き当たっては、私たちは挫折し、崩れ去る崩れ去るような、乗り越る
ことの不可能な壁に直面した状況を言う。そうした限界状況に面座して、
私たちは途方に暮れた困惑のなかで、解決しようのない自己の人生の不条理の
根源的事実に突き当たる。しかし、そのときにこそ、私たち自身の、ほんとう
の「実存」が目覚めてくる。実存とは、私たち各自の生存の、赤裸々な真実、
その拒否できない現実のあり方のことである。自己の実存を自覚し、それにも
とついて生きるよりほかに、この世を生きる生の根拠を、私たちはもたない。】
・・・・・・
5879,閑話小題 〜通りすがりの人生
2017年04月20日(木)
   *「家、ついて行ってイイですか?」について行った。
 2年前から、日曜日の午後には、「家、ついて行ってイイですか?」を
時どきだが見ていた。その撮影ディレクターとスタッフは、どんな人たちか、
どんな撮影カメラかをギャラリー視線で観たいと思っていた。ところが先日、
 <「家、ついて行ってイイですか?」について行ってみました。>
というテーマで、声かけ場面と、ついて行った家と部屋と、人生模様を
引出すサマを、そのままの視線で写しだす、味ある切口の構成であった。 
  〜そこで検索すると、番組のHPに以下の案内があった〜
≪ < 終電を逃したとき、通りすがりの人から、知らない人から突然、
「タクシー代を払うから家までついていっていいですか?」と言われたら、
如何する? そして家と部屋の生活の場に飛込むドキュメンタリーがある。
 テレビ東京の番組「家、ついて行ってイイですか?」です。 いったい、
どんなディレクターが、どんな言葉で通りすがりの人を説得させるのか。
「家、ついて行ってイイですか?」について行ってみました。>
をテーマで放送していた。 そのディレクター氏、いわく。
【 某テレビ局で若い男女がオシャレな家で共同生活をしながら恋愛する
 番組 がありますよね。複数のイケメンと美人がキラキラした生活する番組。
あれって日常を最大限にショーアップした番組ですよね。「家、ついて行って」
は、その対極にある番組です。平凡で地味なフツーの人の生活を見る。
その100%リアリティにこだわろうと。
「家、ついて行って」は、ほかのテレビ番組と真逆のつくり方を目指しました。
台本なし、アポなし、ナレーションなし、効果音なし、音楽もほとんどなし。
だから、感情の誘導もできないし、ストーリーの補強もできない。
例えば、悲しそうな場面は、「○○さんは悲しそうだ」とナレーションを入れ
られないので、泣いている様子や「悲しい」と言う様子を撮ってくるしかない。
画面にリアリティしかない。
 これまで約150人ほどの人生譚(たん)を放送してきました。
 僕は「家、ついて行って」を100年後の人たちが見たとき
「ああ、平成ってこんな時代だったのか」と感じられる作品として残したい。
柳田国男の「遠野物語」のように。 座敷わらしが出てくることで有名な
「遠野物語」は、岩手の遠野地方の民話を、脚色なく丁寧に聞き書きしました。
あの本のおかげで僕たちは100年前の農村のフツーの人たちの生活や風習、
考えていたことを知ることができます。
 100年後の研究者が平成という時代を知ろうとしたとき、公の部分は新聞
を読めばいいんだろうけど、市井の人がどんな家に住んで、何を持っていて、
何を食べていて―といった生活スタイルや生き様、人生観は記録には残らない。
だからこそ、「家、ついて行って」で記録していきたいですね。】 ≫
――
▼ 若い女性のADと二人、小さな撮影機を抱えて、駅前を中心に、酔った
 様々な人に声をかける。そして、無防備な部屋にはリアルな人生のカケラが
剥き出しになっている。そこから、これまでの人生を引出していく。当人は
困惑しながら、しかし喜々として生立ちから今までの生き様を語る。それは
視聴者にとっての人生に重なるところがあるため、自然に惹き込まれていく。
その一部始終を三カメ(第三のカメラ=客観的視線)で捉える企画が抜群だ。
 老いるに従い、帰し方を、通りすがりの人の人生のように、思い出す度に、
紡ぎ直して、静かに喜怒哀楽を繰返す日々。老人の沈黙の深さが、そこにある
とは、知らなんだ。そして、記憶が融けるように、己も呆けて、融けていく。

・・・・・・
5514,恐竜と人類どっちが凄いか ー
2016年04月20日(水)
 「人間の人生は豊かとは」を何をもって言うのか? の問題が残るが、
私が生きてきた実感は、人間は、他の動物から比べ豊かといえる。
それは、人間は雑食者で、利己主義に加えて利他的であり、人生に意義を求め、
豊かさを実現しようとする言語手段と、その記録方法を早くから身につけて
いたからである。その人生を楽しまなくて、何のための人生ぞや。
  * 人間の人生は豊か
≪ 人類の中でも人間とはいかなる存在か、人類ばいつどのように人間に
 なったのかを探るのが、人類学の重要なミッション。〜主な事項を拾うと〜
・まず人間は、驚異的な雑食者。霊長類は基本的に植物食だがが、人間は各種
植物に加え、鳥獣肉から魚介類まで手を出す。人類進化史でそのような選択を
迫られるきっかけがあったらしいのだが、ここまでメニューを広げられたのは、
陸.海.空の資源を利用する技術発達があってのこと。不安定な自然環境下では、
雑食者は偏食者より有利である。その利点に加えて、高い食料調達技術を持つ
ようになった人類が結果的に成功したのは、理解しやすい。
・人間にも、他の動物と同様に利己的な側面がある。しかし仲間を思いやり、
仲間と通じ合いたいとする感情が一段と強いのも、人間である。血縁のない相手
とも積極的に食物を分け合ったり、他人に教えてあげたりする行動が、人間に
独特であることをご存知だろうか? 例えば集まって会食している人間以外の
動物など、見たことはないだろう。野生動物界ではふつう、採食=争奪である。
外敵から隠れてひっそりしている、あるいは暇があったら寝ているというような
通常の野生動物たちに比べ、人生は楽しみに溢れている。前出の会食のみならず、
スポーツや音楽や芸術があるし、旅行や読書や勉強だって楽しい。他の生物の
生き方を否定しようとは思わないし、恐竜の生き方に至っては実態がよく
わからないが、「人生に意義を見出そう」という発想があること自体が、
何とも素晴らしいではないか。人間は、生きるということを豊かにした
生き物なのであると私は思う。 ≫
   * 人間の共通の祖先は既に凄かった
≪ 一昔前には進化は漸進的に生じると考えられていたので、例えば3万年前の
祖先ともなれば現代人よりかなり知的に劣っていると、決めつけられていた。
しかし世界各地の現代人が共有している種々の能力は、言語力にせよ芸術を
生み出す創造性にせよ、アフリカにいた現代人の共通祖先に既に備わっていた
可能性が高い。4万年前頃に日本列島にやってきた人々も、その例外ではない。
例えば種子島や富士・箱根地域には、3万年以上前から、狩りのための落し穴が
作られていた。これは、罠という動物行動を先読みした高度な狩猟法の、世界
最古の直接的証拠として、たいへん貴重。新石器時代になって世界に普及する
磨製石器の技術も、日本とオーストラリアには2万5000年も前からあった。 
さらに面白いことに、琉球列島や伊豆諸島においても、相当にチャレンジング
な海洋渡航が太古の昔から行われていたらしく、さらなる探求の価値がある。
人類学とは人間の凄さ・面白さを知れる学問なのだと、研究を20年積み重ねた
最近になって、ようやくわかってきた。 ≫
▼ 人類は、言語手段と記録方法を身に付け、探求し、生きることを楽しむ
ことが、人類の人生を豊かにしてきた。これを、そのまま、個人に当てはめる
と、人間、如何に生きるべきか、「良く遊び、良く働き、良く学ぶ」を、実践
して積み上げた分、豊かな人生を過ごしたことになる。問題は「良く」!「欲」
に何時の間に変質するから困ったもの。で、このザマ! お後が宜しいようで


6608,閑話小題 〜自殺について考える

2019年04月19日(金)

              <「四苦八苦の哲学」永江朗著 >
    * つれづれに 〜自殺について
 この本の中に、「自殺について考える」があったが、「これまでテーマに
したような?」と、HP内検索をすると、あるある。テーマがテーマだけに、
かなり立入った際どい内容… 
 …病気による肉体的苦痛に耐えかねて死ぬのはわかるが、それ以外の理由で
自殺について、【人はなんてくだらない理由で自殺するのか」と著者は言う。
そして、「追いつめているものはなにかと冷静に観察すると、欲求・欲望の
一形態でしかない。欲望を棄ててしまえば、自殺なんてしないですむのに。
集団本位的自殺にいたっては、アホらしいとしかいいようがない。乃木希典夫妻
の殉死に感動した同時代人は多かったようだし、神社までつくって祀られたが、
実につまらない死に方ではないか。(中略)仕えた王のための殉死であろうと、
遥か昔にあった面目を失うようなことを償うための自殺であろうと、どちらに
してもばかばかしい。死ぬのは勝手だが、神社までつくることはないだろう。】
と宣う。人生で直視できない一つに「死」の問題がある。それが「自死」なら、
更にシリアスになる。とはいえ、決して目を逸らすことが出来ない一大事。
管につながれた「生」より「死」の選択の自由もあって然るべき? 
「ピンコロ」が果たして良いのか? 昨今の数値は、この15年間でピーク時の
6割に減っている。(34400から21000人に) また男性は、女性の約2.3倍。
としても、様々な対策で6割まで引下げとは? 本心は誰もが、死にたくない
のである。昨夜の中学校の同期会で、「次々と亡くなっていく人」の話が
出たので、一席ぶつと。その場は即座に拒否反応。笑い飛ばしながら直視する
技が全く無いのも考えモノだが… 「ガンファイター」「ガンモドキ」
「死にぞこない」などを平気で話すことも話術のうち。これは直面した時では
遅きに失する。周辺を見渡すと、自殺は珍しくない。わたしの知人、長兄、
従兄、従姉の連合い、など何人かいる。
 先年、亡くなった知人の父親が、本人との葛藤の中で自死したと聞いていた。
キリスト教で自死を禁止しているのは、財産である女・子供、奴隷のロスを
減らすため? とも。 老いを重ねる度に… 
< せめて「死」ぐらいは、自由にさせてよ‼ > も解らないでもないが。
  人生の一大事は「己の死」 直視したくもあり、したくもなし。
 
確かに少年時に亡くなった長兄の自死と両親の哀しみ、いま考えると深い
トラウマに… 各家庭には、何れも何らかの深い傷を抱えている。
あれらのように…人を軽く判断すべきでない。自死をするには、それなりの!
暗くなり過ぎですか?「ニッコリ笑ってハンカチーフ」笑えるうちに笑ってこ! 
生きている内、行かされている内よ人生は。本当! 合せ鏡で教わること多し。

――
 録画をして昨日見た、カズオ・イシグロの出世作『浮世の画家』
<物語の舞台は終戦から3年ほど過ぎた日本。主人公は高名な初老の画家(渡辺)。
焼け跡から徐々に復興の姿を見せていく街で、隠居老人の一見平和な日常生活
が描かれていく。 愛すべき孫の訪問、なじみの飲み屋のママとの世間話、
戦前からの旧友との邂逅(かいこう)…。 あるとき娘の縁談が持ち上がり、
そこから周囲の視線の変化に気づきはじめる。確固たる決意で国のために尽く
してきた自分が、なぜ非難されなければならないのか。その一方で、過去の影に
滑稽なほどおびえる自分の弱さも認識していく…。 >
▼ 自死の問題と少し違うが、過去の弟子への仕打ちへの罪悪感が膿むと、
 自殺願望になるのだろと予感される内容。若いうちから壮年にかけての過ち。
「後味が悪くなることは避ける」をモットーにしてきたとしても、後悔多し。
老いるとは、心も、魂も老いていくことになる。 

・・・・・・
2007/04/15
2203, 自殺について −2
               (~Q~;)  おはよう〜〜
 経済的の問題や時代の大きな変化、そして国民性が自殺の要因になる。
日本人のような生真面目な性格も世界で1~2位の自殺率に要因なっているそれ
に対して南米やアフリカの陽気な国民性のところでは、自殺は激減する。
フィンランドやデンマークなどの北欧に行くと、冬の黒夜(14時位から夜に
なってしまう)が人の心を暗くして自殺が多いという。
そういえば秋田や山形などの北国も冬は雪で閉ざされるから自殺が多い。
  ー自殺率の世界分布地図を見るとー
・ロシアを中心にユーラシア大陸で自殺率が高く、
・インドやイギリス、スペイン、イタリア、ノルウェイなど
 ユーラシア大陸周辺部、及び北米大陸で低く、
・ラテンアメリカではさらに低いという状況が見てとれる。
 自殺率が低くはなかったロシアが、1991年のソ連崩壊後の自殺率が急増、
 現在は断然世界一となっている。
 また、米国、英国、カナダ、オーストラリアといったプロテスタント国、
 及びイタリアは、以上の国々と比較すると低い自殺率水準で推移している。

    ー日本の自殺率の高さと推移についてー
 
  日本では、自殺が文化の一部になっているようにさえ思える。
  過労や失業、倒産、いじめなどで、自殺で自身の名誉を守る、責任を取る、
  といった倫理規範として自殺がとらえられていて、これは他のアジア諸国や
  キューバでもみられる傾向である。
 ・第二次大戦後、社会保障が整備される以前は高齢者の自殺率が高かったことや、
  戦後の価値観の大転換などで若者の自殺率が急増したことが原因で1958年の
  自殺率25.7人は過去最高の値になった。
 ・その後、1959年国民健康保険法施行、1961年国民皆年金など社会保障制度の充実や
  1960年所得倍増計画に代表される経済成長目標の国民的普及により、自殺率は、
  15人前後への低下した。国民全体で明るい夢を抱いていた時代だった為だ。
 ・その後、1973年のオイルショック前後から自殺率は上昇に転じた。
  あまり注目されなかったが、1983年の景気後退は自殺率の急増
  (前年の17.5人から21.0人へ)を招いた。
 ・1997年秋の三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券と立て続けの大型金融破綻
  事件がきっかけとなり、98年の5月にかけて失業者が急増し、自殺率も、
  97年から98年にかけて18.8人から25.4人へと急増した。
  このときは自殺者数も前年の2万3千人台から、一気に3万1千人台へと
  急増したこともあり社会的に大きく注目を浴びた。
  そして、その傾向は十年経つ現在も続いている。
  −−
  時代の変化と、それによる経済的困窮が自殺の要因として大きくなる。
  激変の中、生きていくことは大変である。 「死にたくない」と同じように
 「死にたい」という気持ちも自然である。
  死など存在してないのだから、気持ちの一現象でしかないが。
  
 ーーーーー
 2004/07/24
 1208, 自殺 3万4427人

 昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7佑眩加して
 3万4427人と報じていた。
 
   ー内容をまとめてみるとー
・原因として、病苦が45諭経済苦が25
 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70諭⊇子が30
・鬱病が30〜70諭B召寮鎖声栖気鯑れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万〜2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ

20万都市で週に一人が、日本全体で毎日94人が自殺で亡くなっていることになる。
大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が
自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に駆られるという。
何か解るような気しないでもないが。
「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。しかし自殺をしようとする人の大部分が
「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。

歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を
過ごしていたら、自分でも死にたくなるだろう。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人
の立場からみれば、その苦しみをから解放される唯一の方法かもしれない。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人
(後の亭主)のアルベルトとの自殺の議論があった。
ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで
耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。自殺は、けっしてバカな人間や
卑怯者がするのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない
時に仕方なくとるものと主張した。一方、アルベルトは自殺に対し徹底的に反感を持つ。
彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない‘弱さ’から引き起こされる」と考えていた。

この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が
悲劇のもとになることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。
最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。

死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。
生きることも、生きるだけの理由もある。
自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない! 
いや、若い時にあったか?
地獄も天国も、この世にあるものだ。
地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!

・・・・・・
2015/10/27
閑話小題 〜自殺って何でいけないの?
        
         ー身の下相談にお答えしますー上野千鶴子
   * 自殺って何でいけないの?
 〜問い: 自殺は本当にいけないですか 〜相談者無職男性50代
≪50代の無職男性です。自殺について相談します。自殺者は13年連続で
年3万人超と報道されています。世間一般的には自殺は良くない、弱い人間の
することだという暗いイメージができあがっています。どんな理由があっても、
自殺は絶対にいけないと言います。でも私は、自殺を正当化できないか、後ろ
暗いイメージを残さないで自死できないかと考えてきました。人に迷惑をかけ
ない方法で自殺するとしても、本当にいけないことでしょうか。将来性のある
小学生や中学、高校生の若い子たちが、いじめが要因で自死を選ぶのは肯定
できません。でも私のように50代で無職、独身、今までにやbたいよにや⊃て
きたし、親しい友人や知人もいないし、兄弟親戚もいないなら、遺族となって
悲しくつらい思いをさせる人たちもいません。特にこだわることも無く生きて
きて、年金保険料は25年以上納めました。私が年金支給年齢に達する前に自死
を選択すれば、国から支給されるはずの年金は国庫に戻ります。将来の年金を
支給するための財源として、消費税の増税をしようとしている政府にとっても、
私が自死すれば負担は軽くなり、究極の社会貢献だと思います。
世間一般的に言う将来を悲観しての自死ではなく、明るく前向きな自死だと
私自身は思うのですがいかがでしょうか。≫
≪ 答え: 正直に弱さを認めましょう
 ひとは社会的な理由からではなく、個人的な理由から自殺します。
冒頭「世間一般的には」と書き起こすあなたは、自殺する気が、はなから
ない人とお見受けしました。するってえと、このご質問の意図は?
☆ 解釈そのー。
 回答者に議論をふっかけてどんな答えが返ってくるか相手を試す。
残念ですがそんな一般論に付きあっているヒマはありません。
☆ 解釈その2。「自殺の正当化」の理由を求めているあなたは、この欄の回答
 をその司正当化」の根拠にしようとしている。自殺は積極的なアクションで
あり、遺書は生涯最後の命をかけたメッセージ。そこに「朝日の悩みのるつつぼ
で、こんな回答をもらったから」なんて書かれてはたまりません。その手は桑名
の焼きはまぐり。そもそもこの欄の回答には、命をかける値打はありません。
☆ 解釈その3。信念や信条で自殺なさるならとくにおとめしません。ただし
 あなたのその信頼にわたしは同意しませんし、つまらない信条だと思います。
くりかえしますがひとは社会的な理由から自殺することはありませんし、あなた
が言うように「将来を悲観して」自殺を選ぶこともありません。ひとは個人的な
理由から現在を悲観して自殺を選ぶので、現在とくに死ぬ理由がなければ、
ホンモノの自殺志願者から自殺をロ先でもてあそぶ者と、怒りを買うでしよう。
☆ 解釈その4。この文章には書かれていない何かもっとべつな理由で、
 あなたは死にたいと思っており、それを引きとめてほしいと思っている。
そもそも本気で死ぬつもりのひとは、お悩み相談なんてしません。
「死にたい」メッセージは、その実「死にたくない」メッセージ。
自殺者がたび重なる自殺予告をすることは知られていますが、それはその
メッセージを受け止めてほしいという心の現われです。
▼ 誰も、好んで自殺をするのではなく、それだけの苦しい理由がある。
 自殺も、時と場合によって肯定されて然るべきである。誰が社会的理由で
自殺をしなければならないのか? その辺が中途半端。自殺の正当化など、
死んでしまえば、如何でもよいこと。但し、身辺の人を傷つける気遣いは?

・・・・・・
2013/01/27
自殺者増加の意外な要因

 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートであった。
去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる
思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を
重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという隠れた
願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、ロシア、
韓国についで、世界三位という。日本で自殺が多いのは、世界の自殺者の6割を
占めているアジアの地勢的な要素があるが、豊かさからいっても多すぎる。 
自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、
身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの介入
が、その防止につながる。
   ーこの記事をまとめるとー
○ 女より男、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺志望が高い。
○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。
○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。
○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く
 、首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。
○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、
  5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの
  共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係している。飲むと衝動が高くなる。 
  また県民性もある。
○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力
  と不安定な立地が関係している?ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 
  ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに
  抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て
  人を評価するー住民気質が、必要。
▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて
 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。
 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。
 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに
 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを
 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。
≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他
 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から
 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、
 自立の問題! こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! 
 まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。


6607,閑話小題 〜クーエの法則

2019年04月18日(木)

   * エミール・クーエの言葉… 
<日に日に 私は あらゆる面で 良くなっていく> である。
このクーエの考えを発達させて、シャルル・ポードゥアンは
「努力逆転の法則」と定義している。 
  クーエの原則は以下の通りである。
≪・  意思は想像力に絶対勝てない。
   想像力は意思の力の二乗に正比例する。
  意思と想像力が同調している場合、そこから生じる力量は、
  両者の和ではなく、積によってはかられる。
想像力は誘導可能である。
・以上を総じていえば、「想像は思考に打ち勝つ」という法則である。
 自己暗示法の創設者フランスの精神科医・心理学者エミール・クーエに
よって実証された。人生の方向は、おおかた、自分が日々どのように
考えているかによって決まってくる。
・「すべてはますますよくなっていく。」の言葉をリラックスして繰り返し
 静かに自分の心の深み(霊)にこう語り掛けていると、だんだん否定的な
思いから解放され、すべてがよくなっていくように思えてくると気力が回復し、
体調もよくなり、現実の問題に前向きに取り組む力が湧いてくる。結果として、
時間の遅速はあるが、生活のすべてがよくなってくる。自己暗示(想像)は、
その人の思考を変え、その人の人生を変えていくというのが、この法則」。
・この法則、聖書的な原則でもある。「スピリット(霊)はマインド(魂・思考)
を支配し、マインドはボディ(体)を支配し、ボディはライフ(生活)を支配する」
という法則。霊が健全であれば、魂が健全になり、体が健康になり、生活が健全
になる。だから、霊の健全性を保つことが一番大切である。もちろん「原則
」には、時と場合によっては「例外」もある。≫

▼ 姉の一人が両親に次ぐ指導者であった。10歳の頃、勉強に目覚めさせる戦術。
<まず一つの科目で優をとりな、そうするとコツがわかってくるし、面白くなる>
そして14歳時に、<いま成績を上げておかないと、一生、手遅れになる。両親に
口添えしてやるから東京の高校に挑戦しなさい>  その言葉で周囲を見渡すと、
手遅れと、手遅れでない同級生が二分されていることに気づき、猛勉強をした。
無理だったが、それで何と
地元の受験校に何とか合格。 そのチャレンジが
なかったら無理。そして、最後に、大学の頃、
< よ〜く見ておきなさい。私の夢が、日々、切ったはったの商店だけは嫌でね、
 東京郊外の辺りに、庭のある小さい家にと温和な旦那と子供に囲まれた生活を
夢見ていた。それがフッと振り返ると、そのまま有るの。それにはね、何になり
たいか、何をしたいかをハッキリさせてイメージを具体的に持つことよ > 
 そして一年後に、創業を目指すという立志、二年後に欧州一周旅行に行く
キッカケになった教えである。 時は昭和40年代、日本は高度成長真只中、
本屋の書棚には、このクーエの法則を発展させたような本が多く並んでいた。
 この法則は、まさに肯定思想の自己暗示そのもの。司馬遼太郎の歴史小説が、
…世界が緑の原野、それも木々の枝には鈴なりの果実が実っているような原野に。
<日に日に 世界は あらゆる面で 良くなっていく>の バブルの世界に。
しかし、こと情報革命がもたらしている、情報社会の面白さと、それが齎す現象
に関しては、この言葉が、あながち間違っているとはいえない。
クーエの原則の想像力を映像力に置換えると
【  意思は映像力に絶対勝てない。
   映像力は意思の力の二乗に正比例する。
   意思と映像力が同調している場合、そこから生じる力量は、
    両者の和ではなく、積によってはかられる。
   映像力は誘導可能である。】 とあいなるが、
この映像力を、ネット力、AI力に、置換えると、更に考えさせられる。

・・・・・・
6244,閑話小題 〜自由化された売春 −2 新潟県知事版
2018年04月18日(水)
   * 自民党対、野党の場外乱闘ですか! 
寅: 新潟県知事が少女買春を週刊誌に素っ破抜かれて辞任騒ぎ。
  自民党対野党の場外乱闘ですか!
大家: 財務省事務次官のセクハラ疑惑のお返しというところ?。
  一番喜んでいるのが東電と自民党。原発反対を売りに、県知事になった
  んだから。そりゃ… 
熊: 俺が東電なら、50歳の独身男なら、下ネタ・スキャンダルを徹底的に
  調査して、週刊誌に流すね。知事とはいえ男の何は「生理現象」だもの、
  ストレスも多いしね。妙に弁護したいよ。だって男って…分かるだろう。
寅: 八つぁんが、数日前に、ここで、デリバリの売春・買春が合法的だって
  言ったばかりじゃないか。
熊: 御相手は未成年があり、その都度、相手が変えていたというじゃないか。
寅: 県知事が、この下ネタじゃ、続行が不可能ですよ。 
大家: 脇が甘いということ。この妙手があったと、逆に納得しましたよ。
寅: 東大、ハーバード大出の御医者様というじゃないですか。何で結婚を
  しなかったのだろうね。下ネタと初め聞いた時には、ホモ、ロリコンとか、
  変な想像をしてしまったがね。
熊: 俺様なんぞ、10数年前から、ロングラン犯罪捜査サスペンスの
  「クリミナル・マインド」を数百本も見続けてきたから、異常者の犯罪
  には、詳しいんだ。
八: そういう話なら私も参加するね。マザコンで、優等生タイプの典型。
  あれだけの肩書で未婚とは、勘繰られても仕方がないよな。世の男ども
  からすれば、羨ましい肩書だが、それが逆に不自由にしてるんだよ。
大家: 「維新の会」の橋下が、『米山を県知事に頂いた新潟県民は、
  不幸だね。』と言っていたが、どうだろう?現在の松井府知事も、訴訟を
  しているようだしね。それにしても、政治の世界は嫌ですね。
寅: 妻子持ちなら非難されても分かるけど、独身でしょう。 少女買春か
  どうかを知る由もないのでは?
大家:三人は、いやに下ネタに甘いのは分かるがね。
寅: 彼が県知事の間は、柏崎・刈羽原発の再開が無いと、安心していたが、
  これで如何なることやら。時節が時節だけに心配だね。少しでも煙が
  たてば、誰もが推進派に入れないだろうがね。
熊: まだ30年、40年の人生が残されているのに… 順調な人生を過ごして
  きたのに気の毒だよ。
八: これだけは幸か不幸か分かりません。医師免許を持っているんだから、
  海外にでも行って、何もかもから解放されて生きる道もあるし。
  ドッチもどっちだよ。 地元の原信というスーパーがあるだろう。
  30年前頃に、兄が弟を追い出した件さ。当時の4億の金を手にした弟の方
  が、遥かに良かったさ。現在でいえば10〜20億だろう。弟が私のところに
  訪ねてきたがね。「自分は創業に向いてないし」、と迷っていたけど、
  今からすれば、その御蔭でハワイでノンビリ出来て、兄はガンで壮絶死!
  万事、塞翁が馬だからね。これだけは!

・・・・・・
5877,世界がもし100人の村だったら お金篇 〜1
2017年04月18日(火)
     『世界がもし100人の村だったら お金篇
         〜たった1人の大金持ちと50人の貧しい村人たち 』
             池田 香代子 (著), C.ダグラス・ラミス (著)
  〜まずはAmazon(内容紹介)より〜
≪ 「お金」を糸口にすると、世界の仕組みがよりリアルにわかる!
   累計160万部のシリーズ最新
 世界のGDPは2000年からの15年で2倍以上になりましたが、
貧しさはなくなりません。
 世界がもし100人の村だったら
1人の大金持ちの富と 99人の富はだいたい同じです。
なぜ、そうなったのでしょう?

 イギリスのEU離脱、トランプ大統領就任……
新しい時代に生きるわたしたちが知っておくべき世界の実態を
わかりやすい数字と解説で紹介する 新『100村』の「お金篇」、緊急出版! ≫
 ―― 主な個所を抜粋 ――
▼ 出版以来、15年経過するが、
・ その後の世界はネットが飛躍的に普及し、
 世界の半数近くがネット環境を持つようになった。
・ 人口は60億人から73億人と20%増加。
・世界のGDPは2倍以上になりましたが、貧しさはなくならない。
・100人のうち、
 26人が子供で
 74人が大人で、
 8人がお年寄り
・60人がアジア人で、
 16人がアフリカ人で、
 13人が南北アメリカ人で、
 10人がヨーロッパ人で、
 あとは南太平洋地域の人です。
・54人が都市に、46人が農村や砂漠や草原に住んでいる。
 その都市に住む54人のうち12人がスラムの住人です。
・33人がキリスト教
 23人がイスラム教
 13人がヒンドゥー教
 7人が仏教を信じている
 18人が、ほかのさまざまな宗教を信じているか、
 あるいは何も信じていません
――
▼ 僅か15年で、世界の人口が2割も増えているとは驚き。
 このままいけば20年数年後に100億人になる。地球にとっては
異常な人口過剰状態になる。そこで起こるのが何らかの自然淘汰。
そして現在起きている一強多弱の世界。そこには当然、争いが多発する。
「お金は、剥き出しの真実」とすると、この<お金篇>は、
シリアスの世界を、そのまま写しだすことになる。 〜つづく

・・・・・・
5512,人類史上最大のバブルが弾ける時 〜
2016年04月18日(月)
      〜【中国とどう付き合うか】人類史上最大のバブルが弾ける時
               熊谷亮丸『大和総研』チーフエコノミスト
   * 中国の成長モデルは賞味期限切れ
 隣りの中国は、今や世界恐慌をもたらすかもしれない火薬庫でもある。
経済の失敗を覆い隠すために、戦争を仕掛ける可能性もあり、その時期が、
3〜5年先かもしれないというから、尋常の話でない。日本は、大地震と
大噴火、そして異常な国債過剰などを抱え、中国経済の問題は、他山の石
ではない。現役だったら、その危機感は想像を超えたものだろう。特に、
地方は、激流の波の被害を一番早く受けることになる。問題は、その後の、
日本への難民の処遇問題になる。 グローバル化とは、こういうこと!
≪ 中国の成長モデルは最早、賞味期限切れが近付いている。
 構造問題が山積しており、経済的・社会的な矛盾が臨界点を超えつつある。
経済面では、政府との癒着が続く中、国有企業の改革は遅々として進まず、
労働生産性が低迷している。 国有企業は利益を配当として政府に還元する
ことなく、非効率な事業への再投資を続けている。経済の牽引役は依然として
“箱物”中心のインフラ投資で、経済のサービス化も遅れている。
結果として民業は圧迫され、規制緩和等を通じた民間企業のイノベーションは
進展していない。社会構造の面では格差が拡大・固定化し、低賃金労働者の不満
が溜まっている。社会保障・教育・医療等のセーフティーネットの整備が不十分
であることも、消費低迷を助長している。
 中国には“ネズミ族”という、地下の明かりの無いところで共同生活を送る
貧困層が100万人以上存在すると言われる。その多くが地方からの出稼ぎ労働者
(農民工)だ。彼らの部屋に窓は無い。その暮らし振りは、宛ら洞窟で生活する
ような印象だ。 これらの構造問題を根本的に解決しない限り、中国がどれだけ
公共投資等のカンフル剤を打っても、それは問題の先送りに過ぎない。
将来的には、より一層膨張した“バブル”が弾けるという最悪のシナリオが
不可避となるだろう。
 ここで、中国で“バブル”が崩壊した場合の潜在的なマグニチュードを定量化
しておきたい。 筆者のシミュレーションに依れば、
〔資本ストック調整が本格化する“メルトダウンシナリオ”では、中国の潜在
成長率は1.6%まで低下し、実際の経済成長率は大幅なマイナスに陥る。〕 
 勿論、一般論として言えば、世界経済のドライバーは依然としてアメリカで
あり、決して中国ではない。仮に中国経済が少々減速した場合でも、日本経済に
与える影響は軽微なものに留まろう。しかし、中国経済が“メルトダウン”する
場合には、全く別次元の話となる。その影響は、〔世界経済を奈落の底に叩き
落とす程の強烈なインパクトを持つ〕ことになりかねない。中国の政策当局には、
自らが置かれた状況を的確に認識した上で、中長期的な構造改革と、短期的な
カンフル剤に依る景気刺激策をバランスよく講じて、何とか中国経済を
“ソフトランディング”に導くことを切に期待したい。尚、中国での“バブル”
崩壊に伴う日本への悪影響は、主に中国向け輸出の低迷と、消去法的な
円高進行を受けた他地域向けの輸出低迷という2つのルートから生じる。
中国人に依る“爆買い”の消失を懸念する向きもあるが、2014年のデータでは、
日本の対中輸出は13.3兆円程度と、訪日中国人の日本での消費額(5600億円程度)
の24倍に達する。つまり、中国向けの輸出は中国人に依る爆買いよりも、日本
経済に与えるインパクトが遥かに大きい。中国経済の減速に備えて、我が国の
政策当局は何をなすべきか? “Do your homework.(自分の宿題をやれ)”と
いう言葉があるが、日本政府は自らの積残した課題に粛々と取り組むべきだ。
現時点では、当初のアべノミクスの3本の矢の中で、“第1の矢”(金融政策)
に過度な負担が集中しており、構造改革は若干遅れ気味である。今後は、
’清函Π緡邸Σ雜遒箸い辰進野における所謂“岩盤規制”の緩和
⊆匆駟歉秬度の抜本的な改革を通じた財政規律の維持等の国民にとって
 耳の痛い構造改革を断行することが、最大の課題となるだろう。≫
▼ 今回の熊本地震、まさか九州の中部で大地震が起こるとは思っても
 いなかったようだ。そして、いざ災害になると、その準備態勢が如何に
甘いか知ることになる。これは、中国のメルトダウンに対しても言えること。
問題は、弱者ほど、その対応が不十分ということ。「弱者だから準備ができ
なかったからではなく、準備をしてないから弱者」 とも言えることになる。
「南海トラフト地震が本陣とすると、その一部の部隊が動いた一現象」か!
東北大震災が本陣とすると、中越地震、刈羽沖地震、一連の東北地区の地震が、
熊本大地震にあたる。 直近でないとしても、本陣が控えていることは事実。

・・・・・・
5147,1%による1%のための勝利戦略 ー
2015年04月18日(土)
      【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著   
 ー内容紹介ー 
   〜ネットにあった概要の後編より
≪・本書の前半では、「第1回報告」(これも架空)を振り返り、社会、経済、
 環境問題の展開を検証する。後半では、「階級闘争必勝戦略」の提言を行う。
「階級闘争必勝戦略」は、投資家で世界第三位の大富豪ウォーレン・バフェット
の2006年の発言、「階級闘争があると言いたいなら、そう言ってもいい。しかし
戦いを仕掛けているのはわれわれの階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ」
から取られたものであり、1%の野望をはずかしげなく洩らしている。
・本書によれば、リーマンショックにもかかわらず、1%への富の集中は進んで
いるので、彼らが仕掛けた階級闘争は順調。彼らの「必勝戦略」は、ひたすら
99%を洗脳する事と、言い変えると「文化的乗っ取り」あるいは「メディア戦略」。
「民主主義をお払い箱に」にし、人権を縮小し、自由競争や自己責任の言葉の
連発で、新自由主義に洗脳することが、1%層の宿願である。
・本書の架空の作業部会が、日本の採点をするとしたら、世界の優等生として
褒めてもらえそうである。福祉(医療、年金、生活保護)の切り下げ、消費税に
よる99%層への収奪、一方では大企業への減税の大盤振る舞い、経済格差の進展、
実所得の低下、子どもの貧困率のさらなる悪化、東電福島原発事故の発生と
その被害者の切捨て、秘密保護法の制定、集団的自衛権行使への動きとそれに
伴う軍需産業の動き、国民を犠牲にしても自由貿易を拡大しようとするTPP推進、
ますます政府の広報機関と化している新聞・テレビなど、日本で進行中の動きは、
本書が暴き出した「1%による99%支配の強化」の日本版と読替えれば、すべて
納得がいく。本書は、日本での動きが、世界を席巻するグローバリズム
(新自由主義化)の一環であることを改めて教える。
・本書の性格上、99%による1%への対抗戦略は書かれていない。1%が何を考え、
そのためにどのような手段を使っているか、を寓話形式で知らしめることが
目的だからである。99%が明日からでも実行可能な、1%への対抗戦略については、
ジーン・シャープ著『独裁体制から民主主義へ』がある。≫
▼ この政策を実行するに、3つのS戦略が重要としている。 スピード
(すばやく)、セクレシイ(知らせず)、ステルス(水面下)である。これに
サプライズも加えることができるという。中国は、彼らと同じ体質を持っている。
この傾向は、短期間で達成している。地中海クラブに住む劣等国民には、憎悪
すら感じている。彼らは身に合わない生活をしてきたため、債権は、他の国が
払うべきと信じて疑わないが、これも時間の問題。アフリカ、中近東は、彼ら
の手先の一部王族が、天然資源を独占、営利を貪っている。それがIS国として
大きなウネリとして支持を得ている。世界は、1%の人たちのためにあるようだ。


6606,読書日記 〜ソックスに話しかける

2019年04月17日(水)


            『人生がときめく片付けの作法』近藤麻理恵著
    * 人生に応用できる道理
 TVで紹介していた整理術が、何やら、この「テーマ日記」として続けている
情報管理に似ている。毎日、入ってくる膨大の情報の中で、琴線に触れたのを
テーマにして、それを物語風に管理をしている。それを同月同日に振りかえり
読返す。また、キーワードで内部検索が可能が、最大のメリットになる。
ネット上に公開する利点と欠点が有るが… これも利点3、欠点1として
割切っている。 理性として、感情面でも琴線に触れるときめいた内容を、
自分に、他者に向かって物語る。それはネット上に外部脳化することになる。
 人生で80年、人間として地球上に生まれ出て、様ざまな触媒と供にして、
深く広く経験と、知識をえる。それは「ときめき」「驚き」として行蔵として
内部化をする。 ある意味で、アニミズム風のところがある。

≪ 「こんまり流」の片づけ術は、今まで聞いたことがないアプローチです。
思い出のアイテムを一つひとつ家にとっておく代わりに、近藤さんは読者に
問いかけます。「一足の靴下からオーブンにいたるまで、その一つひとつが、
(あなたの)喜びをかきたてる“ときめく”アイテムですか?」と。
答えが「イエス」なら、そのまま持っていてもOKですが、もし「ノー」だったら、
そのアイテムの役割は終わりました。感謝して手放しましょう。
 そして古いスプーンが「ときめき」を感じるかどうか自問するよりも、
さらに目を見張るのは… …近藤さんの「洋服のたたみかたと収納法」です。
「洋服は、下から上に積み重ねて収納するべきではありません」と近藤さんは
語ります。そうすると、スペースも必要になり、下にしまった服には、積み
重なった服の重みがかかってしまいます。 洋服は、引き出しのなかで
“立てられる”ように、取り出しやすくコンパクトにたたむべきなのです。…
…難しそうですか? ≫

≪「私たちはなぜ片づけをするのでしょうか? 部屋や物が幸せを運んでくれるよう
片づけるのでないならば、全く意味がありません。残すものと捨てるものを選ぶ
一番大切な基準は、それを残すことで幸せになれるか、ときめくかどうかにある」
この驚くほど効果的な考え方は人生にも当てはまる。悪い人間関係や有害な考え方
といった不要なものは、捨てたほうがいい。≫

▼ ソックスを何故に丸めないでたたむのか? 「ソックスを休ませるため」
 という。あなたの足を守るため働いてくれる、それを休ませるため、それを
たたむことで休みやすくする。それに感情があたかもあるようだ。
このテーマ日記も、恐らく来年の同月同日までは、目にしないが、一度、丁寧に
パックをしておけば、今後何度も、対面できる。だから、続けることが出来る。
それを身の周りに応用すれば良いという。手放すとき、運の尽きた洋服に対して、
声を出して言う。「買ったときには喜びを」と、また、何が似合わないか教えて
くれてありがとう」… と。 書棚も然り。自分のためでなく、本のためにも。
こうして周囲を振返ると、つくづく見方が変わってくる。
 私は何をしてきたのだろう。全てが未熟で、放漫で、無知で、我がままで…
やはり、死のリセットが必要ですか? 今さらだが、「我が人生に、後悔有り」。
 傍からすれば「何を今さら」だが、気づかないから生きてこれたということ。

・・・・・・
4040, 汚れつちまつた悲しみに ー3
2012年04月17日(火)
 7年前の同月同日に若い時分の挫折体験について、次のような文章が書いて
あった。傍からみた現在の私は、このようだろう。ところが今回の挫折体験の
心の傷は、これほどでもない。逆にいえば、茫然自失まで至ってないためか、
若さを失ったためか。青年期の幾度の挫折体験で、よくぞ狂わなかったものと
思うほど心の傷は深かったが、今回は、魂まで切っ先が届いてない。
長年の読書と、経験、人間関係の構築のベースがあったためである。 
特に若い時分の挫折体験と、長年の読書の蓄積が大きい。それとも悲しみを
遥かに超えた多くの体験のためだろうか。それにしても、真似た文体としても、
血だらけの挫折体験が、そのまま出ている。書くということ、書き残した自分
の文章を改めて読み返すことの意味(価値)を、この文章で知らされた。 
【 1475, 汚れつちまつた悲しみに ー2  2005年04月17日(日) 】
 「汚れつちまつた悲しみに」の「汚れ」を「倒れ(挫折)」にして、
「倒れてしまった悲しみに」という詩を書いてみた。昔の何度かの挫折を
 思い出しながら。 ー作成時、2005年4月16日 20時20分
ー倒れてしまった悲しみにー
倒れてしまった悲しみに 今日も涙の雨が降りかかる
倒れてしまった悲しみに 今日も嵐が吹き荒れる
倒れたしまった悲しみは たとえば樹氷のように突き刺さる
倒れてしまった悲しみは たとえば黒い血海のよう
倒れてしまった悲しみは たとえば虚空の空飛ぶ蜻蛉よ
倒れてしまった悲しみは あなたの愛に気づくとき
倒れてしまった悲しみは 夢みた昔を懐かしみ
倒れたしまった悲しみは 倒した人を思いだす
倒れてしまった悲しみは 光りの日々が走馬灯
倒れてしまった悲しみは 独りの自分に出会うとき
倒れてしまった悲しみは 悲しい悲しい悲しみよ 悲しい悲しい悲しみよ
倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは 倒れてしまった悲しみは
▼ 悲しむべき時には、悲しむが良い。 本当の悲しみが出てくるのは、
 数年先になるのだろう。まだ、悲しむだけの余裕がないのかもしれない。

・・・・・・
6243,閑話小題 〜「オクサーの姫」
2018年04月17日(火)
   * 逆ハーレムのお姫様 ーオクサーの姫
 「オタサーの姫」とは、 < 男性の割合が多い文化系サークル(オタクが集まる
ようなサークル)に存在する数少ない女性メンバー。サークル内では希少な存在
であるため、圧倒的美女でなくともオタク男性メンバーに姫扱い…
サークル内では希少な存在であるため、圧倒的美女でなくともオタク男性メンバー
に姫扱いされることから「姫」の名を冠している。早くいうと、「逆ハーレム状態」
の女オタクのこと。>

 学生時代の、今でいうシェアハウスのような25室の寮に二人の女子がいた。
何故か一人は勤め人。寮内のコンパに、時々、二人を呼んで騒いでもいた。
別に気どるわけでもなく、寮生活に馴染んでいたようだ。高校は男子校だが、
学年400人中に、7〜8人の女生徒がいた。その一人に政治評論家の櫻井よしこも
いたが、御付きのような男ども数人を従えて、そっくり反っているように窺えた。 
受験校出身の女性の「オクサーの姫」の一人が家内ともなれば、愚痴の百も言い
たくもなる。常に男目線を意識している板付きの「かまとと」。内心は女尊男卑
そのもの。しかし、男は女性には優しいもの。12,9,7,5歳、年上の姉の下で、
全身全霊で気遣いをして育ったためか、踏ん反りかえった女性には近づかない
ことにしていたのに、何を血迷ったか…。執事というより、下男。しかし独身
真只中の20歳代半ばの数年は、女性中心の職場。「群れた女は猿集団」と割切り
さえすれば、扱い方次第で、これほど面白く、楽しい日々はなかったのに…。
 
 オクサーの姫のような孤島で起きた事件があった。
【 戦中から戦後にかけて、太平洋の小島・アナタハン島に日本人の女が1人と
 男が32人取り残されてしまった。軍に救助されるまでの6年間、女をめぐって
 の殺人や行方不明者が相次いだ。一匹の女王蜂をめぐって壮絶なまでの生と性
 の闘いがくり広げられ、 十二人が殺されたり、死んでいったという謎と猟奇に
 包まれた事件。】
事実は小説より奇なりというが、この軽いのが男子校のサークル内で日々… 
魔性の女による、危険な遊びが。 巷の奥行きは深い!

・・・・・・
5876,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー3
2017年04月17日(月)
   * 死傷者は400万人
 2500万人が住む首都ソウルに、北朝鮮が核弾頭付でなくとも、ミサイルを
撃ち込めば、百万単位の死者が出るのは周知のこと。北は、それを熟知して恫喝
して何とか体制を維持している。それ故に、韓国は、大統領に莫大な権力を集中
せざるを得ないため、汚職をうむ土壌になっている。現在でも破綻している国家
に戦争は国家破綻を更に加速させる結果になること必定。しかし、アメリカには、
東洋人の100万や200万より、己の国家の安全の方が遥かに重要になる。
「第一次、第二次世界大戦から見れば、この程度は大したことがない」と、
考えても不思議ではない。     
                〜「週刊現代」2013年4月27日号より
≪ ■ 北の妄想
 北朝鮮の国民は幼少時から、「朝鮮はアメリカと日本に勝利した軍事大国」
と教えられて育っている。 金日成軍事総合大学の軍事関係者は、
「アメリカを倒すのは、掌を返すくらい容易だ」と豪語しているほどだ。
 先日、朝鮮中央テレビは、3日間で韓国を占領するシナリオの映像を流した。
1日目に韓国の重要拠点を占領し、15万人の米兵を捕虜にする。
2日目に韓国の大多数の都市を占領し、
3日目にその他の地域を占領するというものだ。
朝鮮労働党機関紙『労働新聞』は、「朝鮮は世界中でアメリカに対抗できる
唯一の国である」と誇っているほどだ。
まさに皮肉たっぷりの筆致で北朝鮮の「井の中の蛙」ぶりを強調している。
 だが、張教授が述べている「7割から8割の確率で第2次朝鮮戦争が勃発する」
という予想は、すなわち中国政府の見解に他ならない。
 前出の韓国国防部関係者が続ける。
「北朝鮮は、南北の局地戦ならば、米軍は参戦しないと踏んでいるようだ。
だが、実際にはアメリカは、三つの条件さえ整えば、第2次朝鮮戦争に
参戦する可能性が高い。
 第一に北朝鮮の核やミサイルによって自国の脅威が増すこと。
 第二に戦争によって自国の兵士の損失が最小限に抑えられる見通しがつくこと。
 第三に中国の後押し、もしくは少なくとも黙認が得られること」
 前述のような習近平政権の"反金正恩政策"を見ると、金正恩除去に向けて
米中が手を組むというシナリオは、十分考えられるのである。
  ■ 死傷者は400万人
 それでは実際に、南北衝突となった場合、どのようなシナリオが想定されるか。
軍事評論家の世良光弘氏が解説する。
「第2次朝鮮戦争になった場合、北朝鮮は38度線沿いにある数千基の砲台から、
ソウルへ向けて一斉砲撃します。合わせて、スカッドミサイルもソウルへ向けて
撃ち込みます。しかし米韓は、その前にB2ステルス爆撃機を発進させ、精密誘導
爆弾で38度線の砲門や主要ミサイル基地を爆撃します。B2爆撃機の護衛には、
F22ステルス戦闘機が当たります。
 これに対し北朝鮮は、ミグ29戦闘機が迎撃しますが、まともに稼働するのは
30機程度で、たちまち撃墜されるでしょう。その間にも米韓は、F15Eストライク
イーグルやB52爆撃機、ホーネット戦闘機などを投入します。また海からは
トマホーク巡航ミサイルで平壌を爆撃します。そうして制空権を完全に押えた後、
戦車部隊やストライカー戦闘旅団などの地上部隊が38度線を越えて進軍します。
 こうして北朝鮮全域を制圧するには、3ヵ月くらいかかるでしょう。
それでも山岳地帯の坑道に隠れるであろう金正恩の身柄を拘束するには、
それ以上の時間がかかります」
 かくしてイラクのサダム・フセインのように、金正恩も拘束されて、
戦争は完全終結となる。その後、北朝鮮には、米中韓、それに日本とロシアも
加わった5ヵ国との協調政権が樹立されるというシナリオだ。
 だがこのシナリオが現実のものとなれば、第1次朝鮮戦争と同様、400万人
規模の死者を出すだろう。ちなみに中国は、金正恩から亡命要請が来ても、
断るという。≫
――
▼ 昨日の午後の政治トーク・バラエティー『そこまで言って委員会』が
 時が時だけに、ユニークな企画になった。プーチン、習主席、トランプ、
金主席の顔写真のお面を、各国の専門家に被せて、際どい質問をするもの。
専門家は、自分の意見と、お面の主の考える想定が混同するため混乱するが故、
隠れた真実が垣間見えたような錯覚が、ブラックジョーク、コメディ的である。
「これだけの危機の問題を、爆笑するのも問題では?」 というのも、
『そこまで言って委員会』の番組名からして野暮。 
 イエローモンキー(日本猿)が、寄ってたかって、
赤ザルと、白豚と、白熊と、白パンダを、寄ってたかって笑い飛ばして
いるに過ぎない… としても、際どい笑いが何とも「平和ボケ」そのもの。
南北朝鮮の人民にとって一番ウケるのは日本攻撃であることを忘れないこと。
・・・・・・
5146,1%による1%のための勝利戦略 ー
2015年04月17日(金)
      【金持ちが確実に世界を支配する方法】スーザン・ジョージ著
  まずは〜内容紹介〜より
< 世界中の富裕層のみなさん、お喜びください。完全勝利は目前です。
 ただ少々、問題がございます――。世界金融危機で痛手を被ったかに
見えた1%の富裕層。再び立ち上がり、さらなる富を手にした彼らは、
一体どのような手段を取ったのか。『なぜ世界の半分が飢えるのか』の著者
が「報告書」という形をとって、グローバル化された収奪のシステムを暴く。>
 ネットに、概要を簡潔にまとめた内容があった。
≪ ・ 多国籍企業が国境を越えて自由貿易および市場主義経済を拡大させる、
 グローバリズムの動きがますます急である。これに伴い、世界中で上位1%
への富の集中が著しい。最近は1%どころか、さらに最上位0.1%へ富が集中して、
アメリカの場合には2012年で、純資産が2000万ドル(約20億円)を超える富裕
層上位0.1%の人々の家計に、米国全体の富の23.5%が集中したという。
各国の福祉は切り詰められ、99%の窮乏化は進む一方。誰が一体、
このような事態を引き起こしているのか。
・ 本書は、反グローバリズムの旗手である著者が、1%が委託した、ある架空
の作業部会が作成した架空報告書(今回は2回目の報告書)という寓話形式で、
鋭い皮肉と風刺を用いて、支配している権力者の思考方法と支配メカニズムを
暴き出したもの。架空とはいっても、支配者の論理を知り尽くした著者が、
実証データを駆使し書き上げたものであり、「陰謀論」の批判は全く当たらない。
「スイスの某リゾート地で毎年開かれる1%層のための経済フォーラムが、
秘密部会を設けて世界情勢を分析した内容」とでも想定すればイメージが
ピッタリである。・・ 〜つづく ≫
▼ ここで、「階級闘争があると言いたいなら、そういっていい。しかし戦い
 を仕掛けているのは我々の階級、金持ち階級のほうで、勝利は目前だ。」と、
ウォーレン・パフェット(世界三位の大富豪)が述べている。たとえば、世界
の85人の手に、世界人口の半数、約35億人分と同じ富が握られている。
仮説の委嘱委員のような人たちは、自分には今もっているものを持つ権利が
あり、他人に恩義を感じる必要がない、貧乏人は事業自得だ、民間セクターは、
公的サービスより常に望ましいと考えているようだ。著者が、「本書は、
事実に基づくフィクションで、信頼おける確実な情報源によるが、実際の
『作業部会』は、存在しない。だから、綺麗ごとを並びたてる必要がないため、
内容は辛らつで、核心をついている。何度も書くが、自民の保守本流はポチ!
 ・・・・・・・
3674, 自己を見つめる −2
2011年04月17日(日)
           「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 私たちは人生の現実を経験を介して初めて知られてくる、経験をして
みなければ分からないのである。人生は、経験を通してその深みと広さを増す。 
自分とは、経験してきた全てである。人生は様々な過去の追憶を返し、暖め
なおすことしか、事実上何処にも存在をしない。良質な経験の積み重ねこそ、
人生を豊かに、実りあるものにする。
   ー 第一章 経験 の中より ー
  哲学者・ダガマーは経験について3つの点をしてきした。
・まず第一に、それが誰も予見できず、見通せない仕方で生じてくる点である。
 したがって、経験は常に新しさを含んでおり、経験がもたらす内実を、
 まったく予測することができない。
・次に第二に、そうした経験の過程は、いつも否定的過程であって、実際に経験
 するまでは、当の事柄を知ってなかったことを痛感させられるわけである。
 つまり私たちは徹底的に、浅見や独断を捨て去らねばならないことを教えられる、
 とガダマーは断じる。
・さらに第三に、それゆえに経験とは、本質的に、辛い不快なもの、期待の
 幻滅を伴うものである。かつてギリシアの悲劇作家アイスキュロスが語った
 ように、人間は、「苦しみをとおして学ぶ」のである。それが経験ということ
 であり、こうして初めて人間は、真の洞察と自己認識を獲得するのだ、という。 
  要するに、経験をとおして、私たちは、あらゆる予見の限界と、すべての
 計画の不確かさと、人間の非力さと有限性を、徹底的に思い知らされるわけ。 
 実際、こうした労苦にみちた経験を介して、私たちは、ほかならぬ自己自身の
 人生の実相のただなかに立つことになる。そしてそれ以外に、どこにも人生
 というものはない。私たちは、経験において初めて、自己自身と宿命的に向き
 合うことになる。 経験のなかにこそ、自己自身があると言いうるゆえんである。
▼ 人生を振りかってみて、経験の中こそ、自分があると、つくづくと思い知る。 
 その境界が自分の限界であった。だから迷ったら、とにかく、一歩踏み出して
行動することが、自分を広く深くする。「自分を見つめる」とは、自分の経験を
見つめることと同じである。 経験して初めて、知るが、それは否定的過程を
踏む事であり幻滅を伴なう。 とはいえ、落語の与太郎では? 


6605,つれづれに哲学 〜「遊び」について再び

2019年04月16日(火)

   * 遊びについて 
 これまで‘遊び’について、数多く書いてきた。 HP内検索で引き出して
よみ直すと、納得することが多い。人は、年代によって、その比重が変わる
としても、「良く遊び、学び、働くこと」の質量の拡充が必要である。
人生を振返えると、まず、「もっと遊んでおけば良かった」と、次に
「もっと学んでおけば」と。最後に「もっと働いておけば」と思うのが人の常。
その逆は少ない。「死を恐れる主要因は、やり残したことが多いため」。
その荷重が強いほど、「もっと楽しんでおけば」という後悔。底意地が悪い人の
性格形成の元が、これである。 目先の現実に溺れて、外海に出ようとしない
人たち。 地下の石牢の囚人のように、一生を常識の石牢の中で微かな光をみて、
外界の世界を思い知るしかない。その妄想は、所詮は石牢のそれ。遊びには、
うしろめたさが付きまとうことがある。それを払拭するには、遊びについての、
知識と経験が必要となる。内的、外的悩みや、心配事、不安を抱えた遊びでは
面白味が少なくなるが、それを背負って遊ぶことも遊びを面白くすることもある。 
忙中閑の遊びである。 躊躇するのは、その終わりに、虚しさ、寂しさを伴う
予感があるため。それでも、遊んだ後の爽快感と、満足感は、この上なく良い。
 遊びには、
・無邪気に遊ぶ解放されたものや、
・創造性の原点となる完全リラックスの遊びや、
・車のハンドルの遊び、
・日常からのトリップのための遊びがある。
 ウィトゲンシュタインが、「私の言語の限界が私の限界だ」と宣っているが、
‘遊び’も然り、<遊び楽しんできた限界が私の限界>。 その意味で、18年間
のブログの「テーマ日記」と、30年にわたる「秘・異郷ツアー」の集積には、
少なからず満足を…。 他人は人、私は自分の分際のこれ!と、思うしかない。
 これが際どい遊びほど、面白い! とくるから… もっと際どくともという、
後悔は有るか、無しか? 遊びは際モノほど面白いというが、過去形で想うと、
実に面白かった。

・・・・・・
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)                  
  ー遊びをせんと生まれけむー    −読書日記−
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。
・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
  美に感応する心である。
・「感」は、感性、感動、共感。旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。
 「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は
 「ホモ・ルーデンス」。遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
  一瞬の新しいものへのシュンパツ力。
 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素である。確かに、人生はこれを
磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が人間にとって最も有用な行為に。
「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、遊びについて
次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源
がある。最初に家畜化された動物ー小犬は、もつとも役に立つ動物ではなく、
もつとも遊び好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。
最初に家畜化された動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と
灌漑も、初めは遊びとして行なわれたのである。車輪・帆、煉瓦なども遊びの
中で発明された可能性が強い。たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を
使わなかったが、足の代りにローラーをつけた動物の玩具をもっていた。
装飾が衣服に先行した。
  (字数制限のためカット2010年8月14日)

・・・・・・
2007/06/18
2267, 「遊び」
                (゜∇^*)オハヨ♪
 遊びの重要性は、両親をみていたり、学生時代などの経験から
「働き」と「学び」と同じくらい位置づけてきた。
その三つのバランスを如何に組み合わせるかが人生の豊かさと信じて、
年、月、週の計画に組み込んでいた。人生で最後残るのは、特に「遊び」
の中の充実感である。
                
「遊び」をネット百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』調べてみた。
  ーーーーwww**ww*w(/⌒∇⌒)/〜∞**www***w ーーーー
  
楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス (生体)解消などの目的で生物が
する行動の総称。普通は生命活動を維持するのに直接必要な食事、睡眠や、自ら
臨んで行われない労働などは含まれない。 また、工学などにおいて作られる、
ある一定のたゆみ、ゆるみ、余白のこと。これを作ることを「遊びを持たせる」と。
ハンドル等、機械で人間が操作する部分の遊びは、不覚筋動を機械の動きに反映
させないという効果遊びとは、楽しむ、娯楽、休養、リラックス、ストレス解消
などの目的で生物がする行動の総称とされます。どのような時代においても遊び
は存在し、太古の昔から現代まで私達の心を楽しませてくれています。

人間以外で、動物は遊びの中で狩りやコミュニケーションの方法を学んでゆく。
ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟する
とあまり遊ばなくなるが、ペット化(家畜化)された犬や猫などの動物は成熟後
も遊びたがる傾向があるようであり、野生動物でもカラスには、成熟した個体
に遊びと思われる行動が見られる。

フランスの思想家、ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」
に影響を受け、「遊びと人間」を執筆した。
その中でカイヨワは遊びを次の4つに分類している。
・アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ
・アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)
・ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ままごと
・イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ
カイヨワの説は遊びはこれらの4つの区分に分けられるとしたものであったが、
遊びは必ずしもこれらの単一の要素からなるものではなく、
複数の要素を含むものも多いとする説もある。
 ーーーー  (^Q^)/゛ d(o^v^o)b !!(^Q^)/゛ \(^o^)/!!
 なるほど、と思うが・・・

「遊び」については、今まで何回か取り上げてきた。
人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことが、良く生きることを目ざすことだ。
そのどれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。
何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。
私の場合、ゲーム化が楽しみへ持ち上げるポイントであった。
ゲーム化に対しては批判もあるだろうが、何ごともやりかたである。
到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながらプロセスを楽しめば、
遊びへ転換する。ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として
一般的に認められているが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、
漠然とした「遊び」と比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象
を与える。

学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。
遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。
一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。
同じ人生、楽しまなくては!
何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。
 
 ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー
 カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、
 動物学者の研究観察から認められている。
 その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような
 行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが
 面白くて始めた“遊び”といわれる。
そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びにする
ことが、高度な知的行為である。
 ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に
 遊びが入っているところが、注目に値する。  d=(^_^)=b
     
 競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
                   
・・・・・・
2004/05/12
1135, 「ライフ・レッスン」−13
   ー遊びのレッスン
 遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。

 遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
実際の時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊び。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。

 散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。
歩いて楽しいのだ。

 晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという
記憶に残るのはやはり無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代に
おいて、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。

ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを
趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。
好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことにゆがめて
いく人が少なくない。

・おもしろくって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、
欲求を最大限おさえて生きていくなんて、何ておぞましい人生だろう。
遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に
住んでいるのは何故かということ。

・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。
愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた
必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、気がついたらひとりになっていた
でもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。

 ーーーー
20022002/01/05
 一人遊び

孤独に強い人とは、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
それって「お宅」でないか。 似ているがやはり違う。

それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
結局中途半端のそれをいうのではないか?
字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。

山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
別にそれをお宅といわない。読書好きの人もお宅といわない。

自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。

「禅」とは、その修行によって、字のとおり単(一人)
ということを示すことだ「示単」。
これはある有名な禅僧から直接聞いたこと。
そこで自分の好きのことを見つけ、それを楽しむことから始めなくては
ならない。その積み重ねが個性を作る。

ノイローゼになる人をみていると、これができない人だ。
常に人に何かを求めているか、頼っているからだ。

――
2002/02/24
遊びについて−1

人間にとって「遊び」は最も重要の一つである。
そこで「遊び」とは何かを考えてみよう。

まずその達人を事例で考えてみる。
一番身近では母がそのプロ?であった。

戦前、戦中、戦後の動乱期に10人の家族が生きていく中で、
父とともに苦労の連続であった。そして長男、次男の連続の
不幸な死で今の重症のノイローゼーなった。
心筋梗塞、死の一歩の手前までいった。亡くなった時、医師の要望で
心臓を解剖したら、心臓の4分の1が壊死していた。

それを乗り越えた後は、それまでのエネルギーを遊びに全て向けていった。
約40年近く遊びきって亡くなった。
日本舞踊、短歌、お花、旅行、茶道、写真。
毎日いそいそと何か遊びを見つけ楽しんでいた。

子供ながらに、そのエネルギーに感心をしていた。
遊びの重要さもそのため学んだ。重点としてだが父は「働く人」、
母は「遊ぶ人」と役割分担がハッキリしていた。
ただ父も仕事の合間に、結構遊びを作っていた。

「遊び」を儒教的影響の為かキリスト教的倫理観の為か、
罪悪と教えられてなかったか。
子供のころ誰もが、毎日目を光らせて遊んでいた。
ただただ無心に遊んでいた。
あの遊びをいつの間にか我々は忘れてしまった。

人間は生きていかなくてはならない。
その為に働かなくてはならない。
競争に打ち勝たなくてはならない。
その為に勉強もしなくてはならない。

しかしそれだけでは、それだけの人生だ。
それがクロなら、その対象の白が必要になる。
どちらが大事かでない、どちらも必要なのである。
それを特に母の生き様から学んだ。

一般的にいうと、遊びの優先順位があまり高くない。
どうしてだろうか、やはり生活をしていかなくてはならないからだ。
そして厄介な不安という心理がある。
その為に、お金をセッセと溜め込まなくてはならない、
「馬鹿な?生き物」である。

遊びとは、「好きな事をして、それを楽しむ事」をいう。
そうすると、仕事も遊びになりうる。
天才はその典型であろう。

あの子供の時の遊びを我々は忘れてしまった。
何でも遊びの対象にした「遊び心」を。
純真の心を失っているからだ。
「純真な遊び心」をいつの間にか忘れてしまった。

「遊んでないで、笑ってないでもっと真面目にやれ!」
と暗示をかけられてないか?

私の趣味の一つにウオーキングある。
初めは腰痛対策であった。今は大事な趣味ー遊びになっている。
純真に楽しいーヽ(^o^)丿(^^♪!(^^)!(#^.^#)(*^^)vのである。

その中に純真な遊び心が躍動を始める。
何々のためにといった場合は、遊びでなくなる。
それを乗り越え、純真な遊び心になった時点で「遊びに昇華」する。

パソコンもそうだ、このホームページもそうだ。
そこまで持ち上げる必要性を人生で学んだ。
「遊びになるまで集中する」という事か。

これから散歩だ!

・・・・・・
2001/12/21
[164] 目的と手段

目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。
‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。
営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、
営業が反対に手段になってしまう。
何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。
手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。
といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。
以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシ。
目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。
ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。
至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、
イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。
どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性化’
とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、
いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。
目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって
逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか?

ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、
自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。
馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H0609歩行とダンス

 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が
面白かった。“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。
ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。
それではドアに向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ある!”と。
非常に含蓄のある面白い内容である。人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容。
今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・
ダンスをして、ドアまでいってやれ”と一人笑った。大手商社に勤めている友人
と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく
“私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間
でまわってくる。それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!”
当意即妙であった。ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンスと
してリズムをとりながらパターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに
向かう事となると誰にでもできない。ついドアを忘れたり、ダンスを忘れて
しまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。
そしてその反対に逆の人も。 2001/09/28


6604,閑話小題 〜つれづれに娑婆

2019年04月15日(月)

   * ブラックホールの生写真をみるとは
・私たちの国は太平洋戦争の敗戦国で、アメリカの隷属国家である。
 日本の富はアメリカの含み益。その回収は、軍事用品の高額買取だったり、
為替相場の操作や、バブル誘導と崩壊などの国家的誘導で搾り取ること。
そのアメリカは、現在でも国民の40%以上が、ほんの一万年前に神が人間を
創ったと信じており、科学の研究結果は、政治を操る冷笑的な人々にとって、
常に退けられてきた。科学こそが、私たちの倫理観の元であると示そうとする
試みまで、そうである。 

・アメリカだけでない。世界は、いまだに2千数百年前につくられたアッラー
 の神を大元に抱いた虚構の神の幻覚に支配されている。この通りに、世界は、
偽物に支配されている。それもあって、世界には驚くほど多くの御宝が存在
している。その代表的なのが、知識と情報。この情報革命は、生命誕生以来の
断層の時節の到来を意味する。

・ほんの十数年までは宇宙は一つで、ビッグバンなど、一つの仮説にすぎない
 と多くが信じていた。そのブラックホールの撮影写真の撮影に成功。想像図は何度
か見ていたが、実際の映像をみれるとは信じ難い。これも科学技術の進化のお陰。 
   〜ネットニュースによると…
≪ ブラックホールの姿が史上初めてとらえられた。ブラックホールはいわば、
 近くに迷い込んできたものを手当たりしだいにむさぼる怪物。恒星、惑星、
ガス、塵はもちろん、光でさえも「事象の地平線」と呼ばれる境界をひとたび
越えてしまったら、この怪物の手から逃れることはできない。 これは
「星を食らうブラックホール」である。
 科学者たちがとらえたのは、太陽65億個分の質量をもつ超大質量ブラックホール。
地球から5500万光年の彼方、おとめ座銀河団の中心にある巨大楕円銀河M87のさらに
中心にある。画像には、いびつな光の輪に囲まれた暗い部分が見える。
これはブラックホールのシルエットを世界で初めてとらえたもので、ブラック
ホールの入り口に限界まで迫った画期的な画像である。
 今回の画像は、200人以上の科学者が参加した「イベント・ホライズン・テレス
コープ(EHT:事象の地平線望遠鏡)」プロジェクトの成果。これは、ハワイから
南極まで世界各地6ヶ所の望遠鏡をつないで一斉に観測を行うことで、地球サイズ
の巨大望遠鏡を実現しようというプロジェクトだ。
 2017年4月にM87のブラックホールの観測が行われ、5ペタバイ(1ペタバイトは
1000兆バイト)におよぶデータが収集された。科学者たちがこの膨大なデータを
解析し、ブラックホールの顔写真を構成するには2年もの歳月を要した。≫
 ―
▼ これから10〜20年が本当に面白くなる時節。少しでも多く、断層面にへばり
 付いて知的死に欲を満たしたいが、何てことっちゃ! でも、何とか? 
そう考えるのは、まだ健康体?なればこそ。ところで、ブラックホールを死。
ホワイトホールを生誕、他(多)宇宙をアノ世と喩えると… ブラックホールの
写真は、死の光景ですか。10の500乗も存在する他宇宙の入口?ですか、これは。

・・・・・・
6241,読書日記 〜‘人生に生きる意味はない!’
2018年04月15日(日)
           <「真理の探究」ー仏教と宇宙物理学の対話
                   佐々木 閑,大栗 博司(著) >
   * 人生に意味がありか、なしか?
 ここで、数多のテーマで取上げてきた問題。‘人生に生きる意味はない!’
とは、身も蓋もない。青春から老いるまで、誰もが考え、悩む問題である。
最期の自らへの問いかけは、『私の人生って何だった?』『何で生まれてきた?』
『生き直せるなら、どんな人生を過ごせた?』 でプツン! それらの問いには
<人生の意味とは何だろう?>がある。
 「意味」の意味を考えるに、近い「価値」から類推すると解りやすい。 
価値観は、その人にとっても、地勢上、国家、人種、宗教によって、当然違う。
それを仏教学者と、物理学者が普遍的な事として語ると、妙に納得する。
 一休の名言がある。
「世の中は、食うて糞(はこ)して寝て起きて、さてその後は、死ぬるなりけり」
小難しく考えることもない。こんなものだが。猿の世界を見ればよい。
  〜Amazon・内容紹介〜
≪ ‘人生に生きる意味はない!’
 大いなる叡智が告げる、この世界の真実
心の働きを微細に観察し、人間の真理を追究した釈迦の仏教。
自然法則の発見を通して、宇宙の真理を追究した近代科学。
アプローチこそ違うが、この世の真理を求めて両者が到達したのは、
「人生の目的はあらかじめ与えられているものでなく、
 そもそも生きることに意味はない」という結論だった。
そのような世界で、人はどうしたら絶望せずに生きられるのか。
なぜ物事を正しく見ることが必要なのか。
当代一流の仏教学者と物理学者が、
古代釈迦の教えから最先端の科学まで縦横無尽に語り尽くす。
  〜レビューより〜
≪ 物理学者・大栗博司教授及び仏教学者(仏教者)佐々木閑教授の講演、
 対話などを簡潔にまとめた本である。
 この本では、大栗氏の講演、対話などから、物質の究極が、分子→原子→
素粒子→17種類のクウォーク等に還元されてきた歴史と、現在では17種類
のクウォークすらが超弦理論に還元されようとしている物理学の現状を概観する
ことができるとともに、佐々木氏の講演、対話などから、仏教の概要とブッダ
の述べた思考について概観することができる。
 この本の中で両者が語った内容で、興味深かったのは、次の3点である。
・第1点は、死後の世界はあるか、霊魂は不滅かという問題について、
 両者とも、明確に否定する見解を採用している。
・第2点は、人生に客観的な意味、目的、価値はないことに、両者とも、
 異論がない点である。両者とも、人生の意味、目的、価値は、神や仏が与える
 ものではなく、個々の人が、自らつくっていくものであるという。
・第3点は、自由意思の存否の問題について、両者とも、断定的ではないものの、
 自由意思は、客観的には存在しないであろうが、人の認識の上ではあるように
 感じるものであるという考え方を示している。≫

 TVで見た若者向け映画『リライフ』が、人生の意味について考えさせられた。
【大学院を卒業後、新卒で入社した会社を“ある事件”をきっかけに、わずか
5ヶ月で自主退社した27歳の海崎新太。今はコンビニでバイトをしながら、再就職
を目指すが、なかなかうまくいかない。そんな新太に、リライフ研究所の所員を
名乗る謎の男が「人生、やり直してみませんか?」と声をかけてきた。
男の言葉に乗せられ、「年齢はそのままに、見た目だけ17歳」になった状態で、
新太は約10年ぶりに、2度目の高校生活を始める。】

▼ 一年後、無事、再生していくが、そこで出会った美少女が、「人生の意味を
 見出せず、自らリライフの一年延長を願い出ていた」ことが、最後に分かる。
「もう一度、全く同じ人生を与えられるとしたら、受けますか?」の厳しい
問いかけがある。大方の人は、「ノー」と答えるそうだが… 父親が、死期を
悟った時に、絞りだすように呟いた言葉、
「今度、生まれてきたら、全く同じ人生を、再び過ごしたい!」
私も、死期を悟った時に、同じ言葉を心の底から絞り出せる生き方をしたいと。
「20歳、30歳代の人生」が非常に満足できただけでも、有難いことである。
 私の人生の意味とは、<「同じ人生を再び!」と思える生き方を貫くこと。> 
 これでも? そのまま結構! 面白かったこと、この上、なかったからね。

大家:まあ周囲の人は大変だよ。
寅:まったくだよ。その毒舌に、どれほど苦しんだか。
熊:「自分のための人生を生きろ!」っていうけど、
 「自分だけのための人生」じゃないか。調子にのって、バカまるだし。
寅:御前が、言えるガラか。でも、大家さんを見ると、ツマラナイよな。
八:少しは反省をしてるけど、じゃあ、如何すれば良かったと思うと、
 『ご覧の通り、そのまま、結構!』と、開き直るしかないね。
 私は私だからね。仕方がないよ。それと、良かった良かったと思えば、
 何事も、感謝できるしね。感動、感激、感謝ですよ。最期はね。
 この三大感情の満足度は、感謝、感激、雨あられ、ですよ。
寅:天上天下唯我独尊じゃないですか。あんたの場合は当然、悪い意味さ。
大家:まあまあ、今日のところは、この辺で、〆ますよ!

・・・・・・
5874,閑話小題 〜朝鮮戦争が現実的に ー1
2017年04月15日(土)
  * 朝鮮戦争が現実にあるのだろうか
 アメリカのシリア軍への攻撃で、アメリカによる、北朝鮮への攻撃が想定
されてきた。もし開戦ともなれば、十万、百万単位の死者が出る可能性もある。
戦力として世界四位の力を持つ北朝鮮との交戦なれば、さもありなん。
大統領に相応しくないトランプなればこそ、危ない。朝鮮半島に二隻の空母が
配置されれば、一つ間違えれば、交戦もあり得る。空母には7〜8隻の艦隊が
付き添い、この二つの艦隊に加え、沖縄基地からの攻撃と、集結しているだろう
原子力潜水艦などを考え合わせると、2〜3ヶ月以内に勝負がつく位は周知して
いるはず。ドン様が早々に実兄を葬り去ったのは、それもあっての先手。
交戦ともなれば、ソウルは焼け野原になり、百万単位の死傷者が出る。
 2013年04月23日づけの『週刊現代』の記事には息をのむ。
――
≪ ■ 米軍はどう動くのか
 北朝鮮情勢が、いよいよ緊迫してきた。 韓国の国防部関係者が解説する。
・「北韓(北朝鮮)は、中距離弾道ミサイル『ムスダン』の発射を日本海の元山
 から行うなど、東海岸に周辺国の目を向けさせています。
だが攻撃の"本丸"は、あくまでも西海岸(黄海)だと国防部では見ています。
 北韓は、これだけ内外に挑発的な発言を繰り返しているので、何もしなければ、
金正恩の名折れとなります。しかし本当にアメリカと戦争になれば、一溜まりも
ないことは重々心得ている。
 そこで、米軍を参戦させない範囲内で最大限の挑発をする可能性が高い。
それには、首都ソウルに近い西海岸で暴発するのが、一番効果的だというわけ。
 具体的には、西海岸に浮かぶNLL(北方限界線)の南側にある5つの島を砲撃する
のではと警戒しています。NLLは米韓が海上に引いた線で、北韓は認めていない
ので、彼らにとって攻撃の正当性がある。小島くらいの砲撃では、アメリカは
参戦しないという読みもある。実際、'10年11月に、北朝鮮が突如、5島の一角
である延坪島を砲撃した時も、韓国側が泣き寝入りしました」
・前項でやはり「NLL付近が危険」と述べたソウル大学統一平和研究院の
 張容碩博士も続ける。
「北韓は4月9日に、南北和解の象徴と言われた開城工業団地を封鎖しました。
ここは南北軍事境界線まで8kmの距離にあり、元々は朝鮮人民軍の基地があった
場所です。そこへ再度、大量の朝鮮人民軍を配置し、韓国攻撃の拠点にしよう
ということでしょう。北朝鮮との国境付近は、大変危険です」
 実際、38度線に近い韓国京畿道高陽市では、4月1日より「危機対応マニュアル」
を市民に配り始めた。「核兵器・放射能攻撃時の行動要領」「化学兵器攻撃時の
行動要領」「生物兵器攻撃時の行動要領」など、全10ページにわたる行動指針を
記した、おどろおどろしいパンフレットだ。
――
▼ 自宅から、そう遠くない柏崎に世界最大の原発があるため、8割以上の確率
 の交戦となると、他人事ではない。 狙うなら平和ボケした日本の原子力? 
以前の戦争危機はカーター元大統領が身を挺して阻止したが、「何故、あの時」
の悔いが、右翼勢力に残った。 その右翼が現政権の中核を占めているため、
本格攻撃の可能性が無いとは言い切れない。中国も国境沿いに軍を集結、北への
圧力をかけるだろう。4月末辺りに、その「まさか!」がなければ良いが。
 中国辺りが、取巻きの女たちに亡命を保証し、暗殺か、軍事クーデターを
画策しているのだろうが… 根が深いだけに?        〜つづく

・・・・・・
・・・・・・
5509,閑話小題 〜今年の桜の総括
2016年04月15日(金)
   * 今年の桜の総括
 毎年、恒例になっている福島江と悠久山の早朝の花見に、この時節になると、
飽きもせず行くが、当り年の桜は何度見ても感動する。早朝の桜の花は、朝日の
こぼれ陽が冷気と相まり、神秘的な空気を漂わせる。特に悠久山の通称、
「瓢箪池」を取囲んだ桜が絶品。 子供の頃には、長岡駅から悠久山へ玩具の
ような小さな電車が通っていて、悠久山の花見は長岡花火と共に、市民の二大
イベントになっていた。 しかし、それもとうの昔に無くなり、今では、自動車
で行くのが大勢。元の悠久山駅前から、1キロ近い石畳の参道の両側に桜並木に
なっていた。毎年、家族で行く花見が楽しみで、大きな広場の後ろの高台の
『団子茶屋』で、団子を食べるのが市民の楽しみであった。その参道の石灯籠の
裏側に、江戸時代に献上した、人の名前が記され、生きた証が残っているのは、
そこだけしかないが、確かに生きていた人の確かな証が記されている。
なるほど、名前は小さな物語。冬期間には、子供の丁度よいスキーのゲレンデ
になっていた。 で、今年の桜の咲具合は、上の下=80点辺りか。それでも、
週初めの天気の良かった早朝の桜は絶品に近かった。大当たりは十数年ないが、
この40年間で、数回かあった。
・・・・・・
2003/04/21
散る桜残る桜も散る桜ー2

 ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。
毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年になる。
季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。今年は例年並であったが、
満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨に
なり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に大雨になってしまった。
いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。
それでも、いろいろな団体がテントの中で「やけ花見?」をしていた。

 雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。
最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。その時に早朝、
悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。
「自分はこの近くに住んでいるが、これだけの桜は初めてだ!」
という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
 ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。
参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ。
 
 花見こそ一期一会である。
吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
・・・・・・
2003/04/19
 「散る桜、残る桜は散る桜」
 「散る桜、残る桜は散る桜」は人間の死を一言でいっている。
他人の死も、すぐに自分の死になる人生の無常を喩えている。
この季節の桜の花を見ていると、ものの哀れをつくづく感じる。
桜は生臭い死の臭いがする。
人生の縮図を桜の花に感じるのは歳のせいか?

 今年の桜は[あたり年ではなかった?]が、例年並だった。
2~3日前が近所の桜の福島江の桜が満開だった。
「悠久山の桜」は今日あたりが満開だろう。
悠久山の桜も絶品だ!
5〜6年に一回はあたり年になるが、雪などの季節の要素が微妙に
関係してくる。
 桜は毎年思うことだが、自分の生死を考えさせられる。
以前、桜の精の女に迷って死んでいく侍の映画をみた事を思い出した。
ゾクッとする日本的エロチックの内容であった。

 また7~8年前に近くの従兄が桜とともに自殺をした。
多くの写真を撮り残して。
新潟は桜とともに春が来るという感覚である。
・・・・・・
2005年04月22日(金)
1480, 桜咲くーつれづれに

昨日か今日あたりが長岡の平地では満開である。
もう散りかけてもきている所もある。
近くの山は大よそ一週間おくれになる。

何でも咲きがけか蕾のころがよいものだ。
満開で散りかけも良いが、何か心さびしいものがある。

近くに福島江という桜の名所があり、この時期の楽しみになっている。
車で10分ほどの悠久山の桜も良い。特に豪雪の年は良い桜が咲く。

家内は如何いうわけか「桜が好きでない」という。
「どうして?」と聞いても解らないと言う。
「すぐ散るからじゃないか」と言ったら、
「恐らくそうじゃない」と答えた。
私は、すぐ散るから気にいっているのだが。

10年に一度位は大当たりになる。
悠久山などで早朝に見ると、思わず息を呑むような神秘的な
光景を目にすることが何度かあった。
一瞬の艶めかしい雰囲気が漂っている。

全国的にみたら、無数に名所があるのだろう。
サロンに、時々訪ねてくれる井上さんの桜の写真も楽しみだ。
現場で見る桜は、写真では表現できないほどの濃艶な妖精が
無数に漂っているのだろう。

先日の日経新聞の最後のページの「文化欄」に作家の山本一力氏が、
吹かずともと言う文章を書いていた。
桜の花と、人の引退時を重ねて書いていた。
ー引き時に迷ったら、桜に教わればよいー

今週の長岡は、桜の週である。

庭の梅の花も散り始めてきた。

近くの川に鴨の姿がチラホラ見えてきた。
本格的な散歩が、この時期から始まる。


6603,読書日記 〜『サピエンス全史 ―文明の構造』 −3

2019年04月14日(日)



         『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福 』
                       ユヴァル・ノア・ハラリ著
    * Amazon読者の投稿より
  〜何ゆえにホモ・サピエンスは生き残ったか?〜
 復習のため、再度、確認のため、Amazon読者の投稿を…
≪ かつて地球上にはさまざまな人類種が存在したが、なぜホモ・サピエンス
 だけが生き残ったのか。ハラリはその理由を、7万年前にホモ・サピエンスの
 脳に起きた「認知革命」に求めた。これによってホモ・サピエンスは、
「虚構」を操る力を手に入れたのだ。 この能力によって人類は、言語を獲得し、
「神」や「国家」などの概念を生み出した。目に見えないものを崇めたり、
自らの身体スケールを遥かに超える大きさの共同体をイメージして、互いに
協力したりするようになったのだ。
 今よりも豊かな生活や、まだ見ぬフロンティアなどを想像する力を手に
入れた人類は、文明を生み出し、イノベーションによって進化のエンジンを
加速させ、この星の歴史上、もっとも繁栄する生物となった。
「虚構」というコンセプトひとつで人類史をクリアに見通してみせた
< 私たちはどこから来て、どこに向かうのか、私たちは何者なのか──。
人類(ホモ・サピエンス)の来し方行く末こそ、私たちにとっての最大の謎。
気鋭の歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は、この究極の
問いのうち、「私たちはどこから来たか」を解き明かそうと試みたものだった。
 ――
   〜ホモ・デウスとは何を指すのか〜
人類の歴史を振返ると、飢饉や疫病、戦争によって人々の生存は脅かされてきた。
ところがいまやこれらは克服されつつある。もちろんこれらの問題が根絶された
わけではないが、実際には飢饉で死ぬよりも肥満で死ぬ人の方が多く、疫病より
も老化で、戦争よりも自殺で死ぬ人のほうが多いのが現実だ。この3つの問題を
克服しつつある人類は、次のステージに向かうのではないかと見ている。
次なるステージで人類が目指すのは、不死と幸福と神性の獲得。サピエンスは
自らを神(デウス)にアップグレードさせ、ホモ・デウスになるのではないか
というのが、本書の予見する未来である。
サピエンスは認知革命によって知のネットワークを拡大させ、やがてそれは
科学革命へと発展していった。科学革命は人間を自然から切り離し、世界の中に
すえる人間至上主義を生み出した。人間の命や心、意識などを特別視する世界観
が支配的となったのだ。だが現代の生命科学者たちは、すべての生命はアルゴ
リズムであるとする。
 私たちの意識は、ニューロンが発する信号によって脳がデータ処理を行う
プロセスの副産物に過ぎない。現代の脳科学では、私たちの自由意志ですら虚構
だとされる。魂や自由意志にかわってクローズアップされるのは、遺伝子や免疫
機能である。「ホモ・デウス」が描き出すのは、私たちが想像もしなかった未来。≫

▼ この情報化社会の変革は、人類誕生だけでなく、生命誕生以来の革命とまで
 言い切る論に、妙に納得する。世界が情報機器で結ばれ、ネットで覆われた
現象。個々人がスマートフォン、タブレットPCなどの受発信基地(サテライト)
を持ち、現場から、個々の生情報を受発信を始めた。これは、個々の脳がネット
で結ばれ共同活用が可能になってしまった。それと結びつき、超人に至る人を
「ホモ・デウス」というが、この超人は、何をしでかすか? 
超人といえば、ニーチェが思い浮ぶ。「何に、神も悪魔も所詮は立場の違いで
しかない。自分が信じる神が他人さまから見たら悪魔だって事もあるし、一生
大切にすると子供の頃思っていた物がゴミへと変わる事もある」
 結局は、その人間が「ホモ・デウス」になっても、その本質は変わらない。
で、そこで待っている事態が、崩壊。

・・・・・・
6240,閑話小題 〜加山雄三とヨット −2
2018年04月14日(土)
   * 加山雄三、ヨット全焼で何を思う?
寅: 悲しいだろうにな〜
八: いや、そうでもないと思うよ。保険にかかってるかどうか、おりるかの
  問題ですよ。自分が会社整理をして綺麗サッパリと割切れたのも、万一を
  考えて保険かわりに家内名義の預金をし続けていた前提があればこそ。
大家: この一件で、もう一つや二つの歌詞とメロディーが出来てヒットでも
  すれば、不幸中の幸いになりますよ。
寅: 歳が歳だから、前のように簡単につくれないよ。でも、あの面構えから
  して、もう一艘、購入して、最期の墓場として海遊びツアーでもするさ。
  幸せな奴は、何があってもバネにして幸せになるさ。それが男だろう。
熊: まさか、万歳!と諸手を挙げられないしね。でも、本心は、誰も、いや
  自分さえ分からないからね。
八: 気力が萎えて落込むのが、一番心配だね。今頃は、中古か、サラのヨット
  の資料を探しているかだ。幸が多きい人間は、そういう考え方をするんだ。
  世の中には、それを妬む、不幸な奴がいるから、隠密裏だろうけどね。
大家: わしなんぞ、甲斐がないから妬む方の部類になるがね。それにしても、
  羨ましいよ。遊びと、仕事が、両立しているんだから。過っての印税も
  入ってくるからね。私なら、大型クルーザーに乗って、ノンビリして
  いた方が気楽で良いけどね。そんな金もないがね。
八: 私なんぞは、寝室に4k・TVを入れてね、世界各国をユーチュブの映像で、
  遊ぶくらいですよ。でも、それが面白いから、カウチポテト族そのもの。
  早速、<4k、金沢ひがし花街>で映像を楽しんだけど、実に良かった。
熊: ったく! 楽しみを二倍三倍にしてしまうんだからな〜。
八: 大家さんと同じく、老い先が短くなって来たからね。
寅: 八つぁんは、俺と熊と違って、さほど加山雄三を羨ましく思ってない
  ようだが。如何して?
大家: 好きなことの幾つかを年月かけて楽しんでいたからですよ。
  そうすると、内なる世界があって、他人の世界と比べなくなりますよ。
八: 最後の最後は、自分の行蔵しか残らないもの。金沢バスツアーをキッカケに
  20歳代半ばの行蔵が多く思いだされたしね。それと、好きな非日常を味わえ
  たしね。また桜の時節も、花見という非日常を楽しんでいるし。
大家: 人間、感情の動物だもの、そう簡単に割切れないですよ。
八: ここで至高体験の絶対量が問題になるの。彼は、それは信じられないほど
  の経験があるから、行蔵の内側は宝庫の山さ。そんなチャチなものではないよ。
熊: 人間って、不平等過ぎないか。普通、良いこと2に悪いこと1、って
  言うけど、俺の場合、真逆で、1対2の感じがするね。
八: そんなことはないね。なら鬱病で、病院通いさ。私が見る限り、2対1さ。
熊: なら普通だ。
大家: 近くに私と八つぁんが居るからさ。それと楽しみに長けている寅さんもね。
  それも、死んでしまえば、ハイ、それまでよ。何も持っては逝けないしね。 
  後期高齢者の身には、一日一日を楽しむしかないね。
八: <笑って過ごそう、ハンカチーフ!> ですか。泣いても笑っても同じ人生
  だもの。泣くも良し、笑うも良いだと、つくづく思うよ。
寅: それにしてもさ、娑婆には、つまらなそうな老人が多いね。
大家: そりゃ、生老病死の問題が色濃くなって、身体は日ごと弱って、
  周辺は次々に亡くなり、内面は穏やかじゃないよ。
八: 問題は、横の顔色ばかりみてさ、笑いものにする腐ったような奴ら…
大家: 「早く死にな!」と、思うが、あれじゃあ、当分は死なないね。陰口、
  悪口のオンパレード。私も、そう思われているし、現にそうだろうがね。
八: 今回の金沢ツアーの帰路の車内で、キミマロの漫談のDVDを流していたが、
  年寄りの悪口が、冴えわたっていたが、途中でハッとしたね。28人の参加だが、
  私が一番の御年寄り。自分の姿を笑っていることに、途中まで気づかないとは。
大家: まだ八つぁんは、私より10歳近く若いけど、80歳の峠は、それはキツイよ。
  キミマラ、いや失礼、キミマロも、年寄り弄りだったのが、自虐ネタの年齢
  に入ったためか、それはそれは、漫談ネタの毒が重苦しくなってさ。
八: そうだ、加山雄三の話に戻そう。失えばこそ、見えてくる己の人生を
  味わるのも、これも人生。どのみち、生きている内の泣き笑い。加賀百万石の
  金沢を46年ぶりに振返ってみて、その折々の「いま、ここ、わたし」と再開し、
  自虐の漫談を味わいつつ、現実に溺れつつある日常の中からドロップしながら
  日々を過ごしている自分との対話も悪いものではない。
大家: おやおや、丁度よく話を、まとめましたね。


6602,閑話小題 〜お笑い… 春うらら −2

2019年04月13日(土)

  
 お笑い、小噺ほど白けたら、これほど下らないものはない。逆に、その場に
同化してしまえば、これほど楽しい時間はない。一時期、凝った時節があり、
この分類に<お笑いコーナー>に納めてある。これはという一品に出会うことは
少ない。笑いのツボが人によって違うことが多い。 私の特技が、心の底から
笑うことが出来ること。これで何とか、人生を乗越えてきた。これは日頃の訓練
が必要となる。笑いとは喜怒哀楽の感情を豊かにする切り口になる。これは常日頃
の訓練を要する。確か、インドにツアー仲間の女性が、中東で大麻を吸った時の
状態を話していた。 腹が捩れるほど笑っている状態に似ているとか。
 笑いも、つい振り向いてしまう美人と同じ。 明るさと、下ネタとしても、
アッサリした清潔感が必要。その最低条件は、具体的な生々しさを消すこと。
  
   ― 世界一短い小噺特集 ―
1.天国の話       :「アノヨッ」
2.ほんとうにあった話  :「ジツは(実話)」
3.旅行の話       :「この度(旅)は」
4.十二支の話      :「エット(干支)」
5.ピカソの作品     :「エッ(絵)」
6.四谷怪談       :「今からユーレイ(言うでぇ)」
7.気分が良くなる話   :「そうかい」
8.テレビラジオの話   :「ホーソウかい」
9.おならの話      :「ヘェー」
10.「こんな所に魚の頭が落ちているよ」 :「アラッ」
11.「向こうから来るのは坊さんかい?」 :「ソウ」
12.「小さな鳥が落ちた」 :「コトリッ」
13.「お母ちゃんカギ落とした」     :「キィーつけや!」
14.「台所使ってもいいですか?」    :「勝手にしなさい」
15.「この野菜何と言う野菜?」     :「きくな」
 ―
  〜他にいくつか
・日本酒を飲んで、飲酒運転してるやつが突然言いました。
  ゲッ!警官(月桂冠)
・これは、ソースですか?
  そうっす!
・この椅子に座ってもいいですか?
  いいっす!
 ―
  〜 おまけ
魚屋さんの店先で、あるお客が「このイカ、タコかな」
「お客さん、イカはイカですよ」
「はい、わかってます。 このイカを炊たこかなと思って」
 ―
ある母子が、京都の都をどりを見に行きました。しばらく踊りを見ておりまして
「お母さん、あのおねえさん、まだ着物脱がないの?」
「バカね、着物なんか脱ぎませんよ」
「でも、この間、お父さんと行った時は、全部脱いだよ」
 ―
  * 笑いの真髄
 (一度書いた内容だが、私が最も好きな小噺)
ある男暇をもてあまし、知り合いの娼婦の館の女主人の所に遊びに行った。
「何かオモシロイコトないかね」と言うと、2Fのある部屋で裸になって
待っているように言われた。
その部屋で待っていると鶏が1羽投げ込まれた。
鶏姦をという事かと面白くなり鶏を追いかけまわし、やっとのことで事を成し遂げた。
1週間後また退屈になり、再びその女主人のところにやって来てまた何か面白いことが
ないかと聞いた。それでは3Fのある部屋に行くように言われた。その部屋に行くと、
数人の男が隣の黒人3人と白人女3人のスワッピングを隠れみていた。
一緒になって見ていたが、あまりに面白いので隣の男に声をかけると、
その男曰く「いや1週間前はもっと面白かった!
 馬鹿な素っ裸の男が鶏を追いかけて鶏姦をしていた。」

・・・・・・
3670, 節目どきに ー5
2011年04月13日(水)
  * 娑婆には知らないことばかり
 先日、最近できたSC内のスポーツジムの施設を見学に行ったところ、
10時のオープンに50人位の行列。「プール関連の新しいサービスが開始
されるため」というが、今どきに、あの熱気は凄い。館内設備の案内をして
もらっていたら早速、小中学校時代の同級生に声をかけられた。
「よう、八ちゃん、入れって!」だと! 時が時だけに「まずい!」と
思ったが・・ 何を今さらと気を持ち直して一時間ぐらい見学をしたが、
成るほど人が殺到するわけである。ここは契約時間内なら何時間いてもよい。
家内の新潟在住の知人は駅南のスポーツジムに、日中5時間も行っていると
聞いていたが、成るほど合点がいった。家内の、別の新潟の友人は、二つのジム
に入っていて、交互に行っているとか。家にいるより快適で、金がかからない
上に、主婦にとって癒しの場。漫画喫茶のパソコンとTVの替わりに、
ウォーキングマシーンなどを入れかえたスポーツ用レジャー施設である。
平均年齢が女性の方が5歳以上も多いのが分かる。 風呂・プール関連、
ウォーキングマシーン・サイクリングマシーン、エアロビックスのプログラム、
そしてマッサージ機の4本が柱になっている。考えた末に、10〜17時の
平日コース(金、日、祭日 休み)に入ることにした。 月15回行くとして、
一回につき400円なら価値は充分にある。 これと市営の福祉センター内の
運動ジムと、図書館が当面の日中の外部空間になる。考える時間が多く
なった分、身体を動かさないと! 
・・・・・・
5872,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜6
2017年04月13日(木)
  * 30歳辺りが最大の転機というが
 ・この論の中で、人生最大の転機を「30歳」としている。
責任と権力を持ち、力量を問われる究極の時節。目の前に次々と現れ出る
難問を一つずつ解決する日々。振りかえみれば成る程、30歳は人間として、
真に独立する分岐点である。孔子は15歳で学問の道を志し、自分なり学問の
基礎を築いたのが30歳。彼も20代は、まだ学びの只中であった。
 ・高校を卒業をし、地元から大学、就職、創業と12年近く県外で携わり、
30歳直前に実家の衣料量販店にUターン。何も知らない事業を、一つずつ、
出たとこ勝負で解決をしていたが、鞘から抜身の真剣で立ち向う感覚で、
何とか切り抜ていた。 真剣なればこそ、幸運が寄り添ってくる。 
 終戦直後、両親の必死に働く背中をみて育ったこともあり、20歳で創業を
目指す志をたて、その10年後の30歳が一番の転機といえば、そうである。
血相を変えて、一日一日を熟すしか手立てはない。そして30歳代半ばで、
本番の創業に向かうことに。
 20歳の創業の決意。27歳の父親の死と千葉郊外の創業。30歳時のUターン。
34歳の独立。46歳の?。51歳時の母親の死。そこで、還暦までの9年間で、
余命30年分を濃縮して生きると決意をし、その実行。最後は、何匹かの
ブラック・スワンの到来の結果、65歳で事業清算。その歳代の基点が30歳と
すると、納得できる。私の場合、35歳でもよいが。「節目を打て」というが、
準備万端の上で打ってこそ、「予定挫折」の良い節が出来ようというもの。
背骨は幾つかの骨が節で繋がって出来ている。「背骨を立てよ」というが、
人生にとっても、問題は、その節目と、骨の鍛錬と、栄養が必要である。
18歳からの腰痛持ちで、何とか、この年齢まで辿り着いた。今は何とか週4回
のヨガで持ちこたえているが… 
 落語の御隠居と八っん熊さんの掛け合い。御隠居目線の現在の私から
見えてくる過去の姿が、まさに八っあん熊さん、そのもの。 笑えるが、
もの哀しくもある。まだ笑っていられるから、救いがあるのか?
 「無知は罪」というが、これだけは、器量で決まる。
石ころの大きさを競っても、所詮は砂利でしかないか… 当人は必死だが。
・・・・・・
4410, 夫源病と妻源病
2013年04月13日(土)
 昼のワイドショーで、ゲストの医者が「最近の病の原因が夫婦間のイザコザ
が多い」という。それについて何人かの主婦や、夫に街頭で互いの不満について
インタビューをしていたが、その殆どが我が身に当てはまる内容。驚いたのは、
「それでも旦那を愛していますか?」という質問に、イエスと答えたのが20人
いた番組の参加者の僅か5名。キャスターは唖然。そんなものだろう、夫婦は! 
  ーそこでネット検索で「夫源病」を調べるとー
≪ 最近の病の原因を探ると、妻は主人への不満を語り出し「夫源病」と診断
 されるケースが多い。夫の言葉や行動に対する不平や不満がストレスになり、
妻の身体に更年期のような症状がでてしまう。まずはコミュニケ不足と家庭内の
役割分担がうまくいっていないことが問題、と言われる。家庭の主婦がおこす
病名として、大阪大学大学院医学研究科の准教授・石倉文信先生が名付けた病名。 
夫源病の症状として、原因不明の不定愁訴や強い耳鳴り、横揺れのめまい、
激しい頭痛、のぼせ、ひどい肩こり、全身の痛み、動悸、息切れ、呼吸困難、
不眠などがある。妻の置かれた状況を察しない夫への日々の小さな不平や不満
が、脳の視床下部(自律神経やホルモンのバランスを司る部位)にストレスを
かけ続け、次第に自律神経がバランスを失い暴走し、色々な症状をおこす、
と考えられる。その夫源病の対策として、感情を爆発させる、秘密を持つ、
プチ家出をする、などがある。≫ 
▼ 夫も同じで、モンスターワイフのストレスの「妻源病」が増えている。
 以前からあったが、こういう病名が付けられると、互いに我慢していた夫婦
の亀裂が更に大きくなる。 中国で巣立った後の家庭を「空巣家庭」という。
また英語には、「Empty nester」という言葉がある。ヒナ鳥が巣立った後の
「空っぽの巣」 を守る親鳥に喩えて子供が育った後の親の事を指す。日本中、
団塊の世代が定年を向かえ、空の巣で「妻源病」「夫源病」が向き合い、互い
の首輪の紐を持ち合い、引っ張り締め付けあう。とはいえ、状況からして
今さら離婚も無理。さらにリタイアによる収入激減が、不満に火をそそぐ。
多かれ少なかれ、何処の空巣でもバトルがある。
で、やはり強いのは大方は御夫人の方? 
・・・・・・
5507,恐竜と人類どっちが凄いか ー�
2016年04月13日(水)
            〜文芸春秋オピニオン。2016年の論点100〜
              〔国立科学博物館 海部洋介〕より
 人類誕生からの人類史について、ここでも何度か書いてきた。
以下は、その復習であり、簡略にまとめてある内容。その一端として私の
70年の人生を生きたが、生命史からみれば、僅かな一端でしかない微小の
己の立ち居地を垣間見ることが出来る。20億年の生命と、700万年の
人類の生命の歴史の上に、我々は存在している。
  * 地球全体に広がり人生を謳歌する人類は凄い 
≪・人類の未来というと、どうしてもネガティブな話になりがちだ。
 現代社会には、終わらない紛争、貧困、環境破壊と暗い話題がいくらでも
あるから無理はない。しかし人類が現在の繁栄に至った道を、文明史を
越えて進化の次元で辿ると、我々のとてつもない過去が見えてくる。
・人類は誕生から700万年の歴史しか持たない、自然界の新参者だ。
恐竜からみれば、この数字はまったくとるに足らないだろう。しかし
数字の大きさが全てだとは、私は思わない。
・初期の人類は、アフリカにしかいなかった。誕生から500万年もの間、そうで
あった。やがて185万年前以降に、原人や旧人のグループがユーラシアの低〜中
緯度地域に広がったが、5万年前まではそこが限界だった。
・激変が起こったのは、それからだ。アフリカで進化したホモ・サピエンス、
つまり我々の種が、大拡散を開始したのである。一部のグループは、海を越え
無人のオーストラリア大陸へ辿り着いた。 別のグループは、冬期の気温が
マイナス30度を下回るシベリア奥地に人類として初めて進出。やがてアラスカ
へ渡る陸橋をみつけて、無人のアメリカ大陸へ広がった。もう少し時代が下る
と太平洋へ乗り出す者が現れ、この広大な海洋世界に散在するほぼ全ての島が
植民された。体格や体力でみれば決して自然界の強者ではない人類が、こんな
ことを成し遂げたのである。生物進化史の尺度からみれば、一瞬とも言えるほど
の短期間で。その旅路には、恐竜が経験しなか三酷寒の地、海、砂漠、高山など
様々な自然障壁が待ち受けていたが、彼らはそれを越えた。
・そのとき人類は、身体が新慨境に適応進化するのを待つのでなく、他の生物
がやったことのない新戦略をとった。技術を創造し、継承.発展させたのである。
衣服、住居、移動手段としての舟などを生み出し、火の管理や食料心存法を
開発・改良する行動的柔軟性がホモ・サピエンスの大拡散を可能にした。
・かつての世界には、ジャワ原人、フローレス原人、ネアンデルタール人など
の異なる人類が共存していた。その多様性は今では失われ、現在いるのは
ホモ・サピエンスだけとなった。しかしその幅が、世界中にいる。
世界のどこに行っても、我々のなかまに会える。当たり前すぎて気づかない
かもしれないが、これは自然界の常識からかけ離れた、異様な状態なのである。
私はこの異様さこそが逆に人間の凄さであると思う。≫
▼ 生物は己を環境の変化に合わせて変えてきたが、人間は、環境を己に
 合わせて変えてきた。牧畜と農業と住居。そして村と都市。それを統率する
権力者と、その同調者たちと、その奴隷化され搾取される3分の2の従属者。
権力者3%、同調者30%、従属者67%の比率は、ギリシャの時代も、現代
のアメリカ社会と全く変わってない。表立ってないのは、ただ、オブラートに
包まれているだけのこと。とはいえ、この環境を人間に合わせて作り変える
仕組みも、そう長くは続かないことがハッキリしてきた。で、偶然だが、
以下につづく。
・・・・・・
4036, 一時停止 ー2
2012年04月13日(金)
         「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
  * 昼と夜  ー ある感受性のプログラム 1955年5月 ー より
≪ 私「それで、あなたは、昼と夜とのどちらをお選びになるのですか。」 
 詩人は目を地に落としたまま答えた。「私は両方を選ばねばなりません。
私は詩人ですから。しかしあなたは昼を選ばなければいけない。あなたは
詩人ではないのだから。あなたは夜、眠ることが出来るのです。そうです、
人間はみんな夜、眠らなければいけないのです。眠りこそ最も知恵深い
行いなのです。」 私「あなたは昼も夜も眠らないのですね。」
詩人は答えなかった。 私は詩人の深い孤独を思わずにいられなかった。 
その私の気持を見ぬいたかのように詩人はいった。「しかしそれが運命なら
詩人はそれを不幸とは呼ばないでしょう。どんな不幸であろうと、それが
言葉になった時、詩人は幸せなのです。その時彼は人間になれるのです
「だから。詩人の本当に怖れるのは言葉になり得ない不幸なのです。」
その時、すべての夜が詩人の中に集ったかのようであった。 私たちは
黙って立ち上り、歩き出した。夕暮が近づいていた。詩人「こんな日は、
ぼくはかえって気楽なんです。どうも曇りの方が晴れよりも人間的な
ところがありますね。 ぼくは天を見ずにすみます。だからぼくは人間
の中にいられます。ほんとうに雲ってやつは、大気や水が無ければ出来ない
んだから、それだけでもどこかわれわれに親しいような感じがしますね。」 
私「で、あなたは今、昼を選んでいらっしゃるというわけですか。」 
私の問は半ば冗談だったのだが、彼の顔は生真面目であった。 
詩人「そうもいえるかもしれません。 しかし詩人は昼を選んでいる
ように見えている時でも、決して夜をあきらめてしまっているわけでは
ありません。また逆に夜を選んでいるように見える時でも、決して昼を
諦めているわけではないのです。」≫
▼「どんな不幸であろうと、それが言葉になった時、詩人は幸せなのです。
 その時彼は人間になれるのです。だから詩人の本当に怖れるのは言葉に
なり得ない不幸なのです。」 言葉になり得ない不幸が夜という言葉に滲んで
いる。谷川のいう言葉は、言霊である。「不幸も言霊になった時、それも
夜半の闇の中で熟成して生まれ出ると、不幸が不幸でなくなる」のである。 
夜半に目がさめ、色いろ考えが吹き出てくる。それはマイナスが多い。 
詩人は、そこで多くの想いの中で、葛藤し言霊を生み出すのである。

  


6601,閑話小題 〜お笑い… 春うらら

2019年04月12日(金)

    * 早朝、つれづれにお笑い!
◉ フランスに逃げ帰った?ゴーンの妻が帰ってきて検察に出頭をした。 
‘これでは正にコント’と数日前に、ここで述べた。
「だから、ゴーンの身柄確保に踏み切った」検察の主張を妻自らが実証した
ことになる。それに気づき再来日してきたのだろうが… 逮捕かどうかは? 

◉ 塚田副大臣につつき、桜田五輪担当大臣が失言をして辞任をすることに… 
 この時節に、『災害対策より、候補者の勝利が先!』と本音…。これでは
首相が首を切って然るべき。 大臣として、最も顔を売れる恩恵を受ける職責。 
ここまで失態を重ねる中で、野党がこの地方選挙で大勝できないとは不甲斐ない。
今まで問題にされなかったリップサービスも、ネットで瞬時に拡散される。

 〜〜〜〜
現実社会そのまま描写するとお笑いそのものだが、他人事ではない…
 そこで小噺でも…

   〜老夫婦 (以前、紹介したが… 何か身につまされ再び)
ある田舎町で結婚50周年を迎えた老夫婦に地元の新聞社がインタビューした。
「50年間も結婚を続けてこられた秘訣は?」
すると夫が昔を振り返って懐かしそうに答えた。
「わしらは新婚旅行でメキシコへ行ったんじゃ。そしてロバを借りて二人で砂漠を
のんびりと歩き回った。すると妻の乗ったロバが急にガクンと膝を折り、妻は落ちて
しまったんじゃ。妻は『1』と言うと何事も無かったようにロバに乗り、再び散歩を
続けた。するとまたそのロバが急に膝を折ってな、妻はまた落ちてしまった。妻は
『2』と言うとまた何事も無かったようにロバに乗った。そして三度目に落とされた
とき、荷物の中からリボルバーを取りだして、ロバを撃ち殺してしまったのじゃ。
わしゃあ、びっくりしてな。いくらなんでも撃ち殺すことはなかろうと妻をひどく
叱ったんじゃ。そうしたら妻が言ったんじゃよ」
「何て?」
「『1』」 
 ―
   〜味噌汁の味
ある所に息子夫婦と舅(しゅうと)が三人で住んでいた。 一年前に他界した
姑女は、とても温和で上品な人、嫁にも優しい人であった。
が、舅の方はそれと反対に、頑固で少々意地の悪いところがあった。
かいがいしく世話をする嫁の行動に、いちいち文句をつけるのだ。
 中でも味噌汁については
舅:「婆さんとは全然味が違う、なっとらん!本当に覚えが悪い嫁だ!」
と毎日嫁を怒鳴りつける始末。 ある日、とうとう頭に来た嫁は舅に出す味噌汁
の椀に、こっそりと殺虫剤を振りかけた。 その味噌汁を一口すすった舅が一言。
舅:「これじゃよ!この味じゃよ!! 婆さんの味噌汁は!!」
 ―
    〜チュウ
 家の大掃除をしていると、一匹のネズミが走り去りました。
「キャッ、びっくりした。今のネズミ大きかったなぁ。」
「なぁに、たいしたことはないよ」「いや、大きいよ」「小さいよ」「大きい」
「小さい」「大きい」「小さい」・・・・、二人で言い争っていると、
さきほどのネズミが、「チュ-」
 

最後は …とっておきの("^ω^
   
   〜誰の物まね?
「誰の‘真似声’で電話をしているの?」
「うちのマネージャーっぽい真似じゃ」
       <マネジャーを雇う余裕のない事務所にて>

追:ところで、書き残こしておけば〔私にも歴史あり、過去有り!〕に。
 去年の出発の日は桜は散っていたが、今年は、これから… 平成最後の桜見だ。
 たしか同級会と重なっていた。今年も、花見を兼ねた会が開かれる通知が… 
  30分早いが、さて福島江と信濃川土手の桜見のポタリングに出発… 

・・・・・・
6238,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー 〜2
2018年04月12日(木)
   * こんにちは、わが青春の金沢へ
 日帰りの『金沢、富山コース』。国内のバスツアーは、十数年前に、、
夜行バスで行った『京都の桜観光』以来、二回目。40歳辺りまでは家族と
とものドライブ旅行か、友人とか、仕事仲間内の企画に参加するとかが主…
 その後、趣味を一品豪華主義とした秘異郷旅行など海外ツアーに絞ったため、
国内旅行は皆無だった。しかし、海外ツアーで腰痛の負担が増えてきて…
 今回は、日帰りツアーとしても、腰痛が心配だったが、何事もなく帰ってきた。。
バスツアーは中高年が多いので、海外ツアーのような、強硬日程は基本的に組み
こんでないようだ。
今回は、金沢の『ひがし茶屋街・散策』と、富山の『あさひ山連邦を背景とした、
「あさひ舟川」の花見』が主である。
『金沢ひがし花街』が風情があって味わいがあった。
写真は、ネットでひろったものだが、着物姿の若い女性や、男女は、貸衣装で
着付けをしたと思われる。当地で数組の芸子らしき連れが歩いていたが、直に、
観光客の「芸子コスプレ」?と気づいた。しかし馬子にも衣裳、派手な和服の
若い女性が妙に色っぽく場に馴染んでいた。
 ネットでひろった写真の芸子は、金沢美人の典型だが、勤め先の女店員の
3分の1は、この程度の美人が揃っていた。当時の写真が一枚も存在いないのが
悔やまれる。私の年代は、戦中、戦後の境目。同じ年代でも、男は数年後の
団塊世代の女性が有り余っているが、女性は終戦直前のため、対象の男が極端
に少ない。特に当時の城下町は、隠れた男尊女卑の文化が浸透していたようだ。
 無役が故の気楽さと、加賀百万石の大らかさが相まって、ドップリと粋ある
美人に囲まれ、鈍よりした女社会の生温かさに浸った日常を過ごしていた。
それと、様々な小料理屋や、おでん屋の酒の味を思いだしていた。世間を渡り
歩いてきたと思っていたが、底辺の一部しか、みてなかったことも、あい知る
ことになった。 花街とは、裕福の男の3%の遊び場の名残りということ。
何時も、極限の先に、大きく世界が広がっていた。 金沢、娑婆娑婆の一節!
  〜【金沢・茶屋街】で検索すると〜
<江戸時代、城下町近郊を流れる犀川・浅野川両界隈に多くの茶屋が立ち並んだ。
 文政3年(1820年)、加賀藩の許可を得、犀川西側に「にし」の茶屋町、浅野川
東側に「ひがし」の茶屋町が共に開かれ、大いに賑わった。この際、旧来の不整形
な町割は改められ、整形な街区が形成された。浅野川をはさんで北西には、茶屋街
の1つである主計町がある。
茶屋町創設時の敷地割をよく残し、全国でも希少な茶屋様式の町屋を多く残して
いるとし、2001年11月14日、種別「茶屋町」で国の重要伝統的建造物群保存地区と
して選定された。二番丁にある茶屋「志摩」は、歴史的価値が高いことから2003年
12月25日に国の重要文化財に指定され、一般公開されている。>
――――
2001/12/21
[178] 忘れられない店ー4(金沢)
   ー平家ー鉄板焼き
 金沢にいた時期によく行った店である。もう30年も前の話である。
4〜5年前に行った時まだっその店があったが、しかし個性的な親父は死んで
しまっていた。その店のかみさんがそのままいた。高級化して二店になっていた。
落人焼きといって、何でも鉄板で焼く鉄板焼きやで‘平家’というだ名前の店だ。
今でもちょっとないかわった店だ。食塩の箱入りとともに、キャベツが山盛りで
ツマミにでる。大きい鉄板の上で魚や肉や野菜や豆腐を焼くのだ。その為店が
油でギトギトで真っ黒で、またそれがいい。親父が遊び人風の個性の塊のような
親父で、その話を聞いているだけでよかった。
 当然お母ちゃんがいて、人間味あふれた夫婦であった。2時間ぐらいいるうち、
必ず大喧嘩をするのが名物で、皆それが始まるのを待っている節があった。
「マダ喧嘩始まらないの?」と聞く人が出る始末。そしてすざましい喧嘩である。
たまに奥さんが休みの日、一人ショボンとしているところがまた可愛い。
何回も家に電話しているのだ。たまたま初めて行ったのは、会社の先輩が競馬で
大あてをして連れていってもらったのだが、「お前の人生は今日で終わりだ、大穴
を当てた味を知ってしまったのだからだ!」と先輩に説教が始まった。
それがいやに説得があって面白かった事を思い出す。
――――
5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
――――
2014/06/05
「事業人生を決心して45年」の語り直しー8
   
* 「語り直し」を始めて驚いたことは
 3年前の結末で、オセロゲームの駒が、白から黒に変わったと思い込んでいた。
ところが、変わったのは細部の記憶が次々と最近のことのように思い出すこと。
嫌な出来事と思っていた中に、自分自身の姿が垣間みることが出来ることだ。
むしろ、不遇の渦中の中にこそ、人生の醍醐味があるということ。ただ、気づく
か気づかないか。 不遇であればあるほど、周囲の人に親切になる。だから、
多くの邂逅が生まれ、味のある日々になっている。成るほど、人生は面白いもの
である。生きてきた課程で、日々、世界が変化している。そして、自分自身も、
大きく変化している。特に、20歳代の変化は激しく、留まることはない。金沢に
いた頃の会社は、最後は吸収合併をされて、今は、何一つ残ってない。あるのは、
抽象画のような記憶だけ。しかし、これが自分の基礎に大きく根を張っている。
 金沢に来たのだからと、能登一周の観光バスで一日一人旅をしたり、同僚との
東尋坊へのドライブに行ったり、早朝の金沢港でのキス釣とか、金沢駅前の居酒屋
で騒いだりとか、入社前の研修での永平寺の座禅とか・・・ 
 ところで、東尋坊は北陸随一の景勝であり、自殺の名所としても知られている。
同僚から聞いたのが、自殺者の霊が管理事務所に尋ねて来たとか、断崖から下
を見たところ、多くの手が伸びてきたとかは日常茶飯事という。 
 せっかくの金沢なら、茶道でもと思いたち、同僚の女性の紹介で、寮の近くの
家に習いにいっていた。異様な緊張感が漂う中、来ている女性は、なかなかの
若い美人ばかり。週の火・木曜日の週二回のどちらかに行くが、これが心落ち着く。
それぞれの日で、来ている人が違うが、そこでの美人を見るのが楽しみになっていた。
ただ、それだけだが、金沢を急遽、去るにあたって、その事情を師匠に話すと、
「ところで結婚相手が決まっているの?」と聞いてきた。
「職場の女性以外に、チャンスもないし、同僚は付合わない主義で・・」と答えると、
「どっちの娘がいいの?」と結婚相手など微塵だに考えてなかったので、「別に!」
と答えたが、悪くはないが今さら時間が無い。考えてみたら金沢での伴侶の選定も
考えられた。 浅く広い、いちゃつきレベルでは、多くの思い出はある。
一番、惨めで、嫌なことばかりの日々の中にこそ、多くの心の痕跡がある。それが
青春ということか。人生は多くの出来事と、その記憶の重なりで出来ていて、
「自分」は、その蓄積そのもの。そうこう振返ると、創業準備期間の15年の方が、
創業以降の30年より、遥かにエネルギーが入っていたことになる。 
結果が、どうであれ、野心を持って、ひたすら日々を過ごしていた20歳代が、
人生の醍醐味があったようだ。結果としてみて、20歳代は、非常に合理的配転を
自らしていたことになる。今だから言えるが、面白い日々だった。
――――
2014/06/03
「事業人生を決心して45年」の語り直しー6
  金沢の16ヶ月でも多くを学んだ。特に印象的だったのが、新入社員教育の
ST訓練(センシビリティ・トレイニング)。社員教育の厳しさは、まずここから
始まった。 まる3日間、同期の男子17〜8名が、トレーナーの人事部長の元、
円座に座り、担当の人事部長に指名された二人が、聞き手と、答え手になり何か
質問をする。逆質問は、一切禁止で、質問の中心に向かい掘り下げていく。
曖昧になると、トレーナーが叱咤する。その逆に質問者と聞手の立場を変える。
ランダムに二人を取替え対話をさせる。他の人たちは、二人の対話から、
グループ全体が共通の無意識の内に入ってしまう。 
 ーそれについて以前書いた内容が以下である。  
ー359, ST訓練 <2002年03月28日(木) >よりー
【 毎年この時期、新入社員に私が直接する訓練である。もう2〜3回の入社ゼロ
 の年を除いて、前にいた会社も含めて26年間行っている年中行事である。初め
の頃は二泊三日で行っていたのがいたが、一泊二日になり、今では一日だけ。
研修所や旅館を使って密室状態であったのも、現在は事務所で行っている。
センシビリテー・トレーニングを、途中から独自に変えた内容である。当初は
感性訓練を目的としていたが。密室に新入社員を閉じ込め、それぞれ二人に問い
かけと、答える立場を決める。そして彼らにテーマを出させ、そのテーマに
ついてどことん聞き出させる。脇道にそれたり、いいかげんな事を言った時大声
で叱咤する。あるところまで来たら、立場を逆にする。それを密室の中で、繰り
返しそれぞれの相手を変えてやっていく。その中で自分のいい加減さ曖昧さを
互い気づかせ、表面的会話から、本音の会話へ、更に対話に深めていく。
その中で感性を磨く。あるいはお互いの気心を理解させ、仲間意識や帰属意識を
つくる。組織は人間どうしの意思や情報伝達が基本にある。聞いたことを、
はっきりと他の人に正確に伝える事が前提になる。時間をかけて、叩かれていく
過程で身に付けるものだが。それを初めに、きっちり訓練を入れることを目的と
する。それとリクルートの能力適正試験の内容と、実際の本人の内容の誤差を見る。
ほとんどないが、それでもそれだけで見えない部分がある。ある意味で一生もう
決まっている、その人のソフトのベースもある。
 この訓練を通して、自分で把握した事がある。日記を書くこと、本を読む事、
人の話を聞くこと、自分で考える事、理想も持つ事、良い習慣を多く身に付ける
こと、変化する事、初心を持ちそれを大事にする事である。 】
 金沢でも有効な自己鍛錬をしていた。特に会社は強くあらねば!ということを。
人生に無駄なことなど何もない。
   * ST訓練とは? ーネットで検索ー
《 ・・この訓練は、通常10人〜15人の小グループに、1人〜2人のトレーナー
 がついて、一週間前後の合宿で行われる。メンバーは、時間を決めて繰り返し
行われる「Tグループ」に参加することを義務づけられますが、グループ内では
「自由」に振る舞うことが出来ます。討議課題や話合いのルールは示されません。
すべてそれぞれのメンバーの関わりの中で決定していくことになる。つまり
「グループの中で起こるすべてのこと」が学習の教材となるのです。
従って、対人関係の感受性、社会的感受性を高め、同時に、状況に適合した行動を
柔軟にとれるような能力を開発するのがこのトレーニングの狙いとなります。
一般的な効果としては次のような点があげられます。
(1) いままで気づかなかった自分に気がつきます。    
(2) 自分と集団の相互作用を体験的に理解します。
(3) 対人コミュニケーションのあり方を原理的に体得します。
(4) リーダーシップを体験的に学びます。
(5) 新しい建設的な動きや創造性が発揮できます。 》   
実はトレナー本人が、一番、学ぶことがあった。

――――


6600,読書日記 〜『サピエンス全史 ―文明の構造』 −2

2019年04月11日(木)


         『サピエンス全史 〜文明の構造と人類の幸福 』
                       ユヴァル・ノア・ハラリ著
  * “衝撃の書”が語る人類の未来
       〜サピエンス全史/ホモ・デウス. NHK 2019 年1月1日〜
 先回、この番組をみた直後、この本を図書館で借りてきた感想を書いた。
その後、録画した番組を三度見直す度に新たな認識を持つことになる。
「人類種のなかでなぜホモ・ サピエンスだけが生き残ったのか」など、人類
の歴史を独自の視点でひもといた構成。 人類250万年の歴史から、
「小麦に人類が逆に家畜化された」など独自の視点でひもといている。
 ホモ・サピエンスは、AIやバイオテクノロジーにより、ホモデウス(超人類)
に進化して別の存在になろうと。 とすると現在、子供が学んでいる知識は、
将来何の役に立たなくなることになる。 現在の情報革命と、それがもたらす
新しい事態は、人類の枠を超えた『生命の発生以来の40億年以来の革命』と
アッサリ言ってのける。 現実社会を僅か20〜30年の間で、情報ネットが覆って
しまい、支配権を奪ってしまった上に、現実を革命的に変えつつある。
10年前は、20万年来の革命」と聞いた時には眉唾に感じたが、その後の現実
からして、「40億年来の大革命」も妙に納得する。外国にいる子供たちと、
スマートフォンで、互いの顔を映し出し、生映像でやり取りする現象は、
一時代前には考えられないこと。
 
   〜印象に残った個所を数回、抜粋する〜
<「人工知能とバイオテクノロジーで、人類は神に昇格する。
 乗り遅れた人間は、格差が進み就労不能な「無用者階級」ができる
『欲望すらAIに支配される無用者階級』という強烈な事態。AI時代に
 取り残された人達は「無用者階級」となり雇用不能者に…>
<人間が取残されないために、一生を通して学び続けなければ、繰返し、
 自分をつくりかえるしかない>
<文明は「虚構」の上に成り立っている。文明が発達するほど、我々は
 不幸になっていく。なぜならその文明は「虚構」の上にもたらされた
 からだ─。>
<西ヨーロッパは近代以前、巨大な帝国の中心地だったこともなければ、
 経済の中心地だったこともありませんでした。西ヨーロッパから広まって
 いった世界宗教もありません。ローマ帝国は、西ヨーロッパの帝国ではなく、
 地中海を中心とした帝国でした。そんな後進地域だった西ヨーロッパが、
 なぜ世界を支配することになったのか。 その謎を解く鍵は、
「近代科学」と「資本主義」の二つが西ヨーロッパで組み合わさったこと。
 じつは「近代科学」と「資本主義」には、共通点があるのです。それは、
 「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく次の未知の
 領域をめざす」という考え方です。「地平線の先に何があるのかは誰も
 知らない。だから探検しに行こう。そうすれば、何らかの知識を得ること
 ができ、その知識は自分の力になるはずだ」>
<『サピエンス全史』の第四章で「ホモ・サピエンスは、あらゆる生物のうち、
 最も多くの動植物種を絶滅に追い込んだ生物史上最も危険な種だ」と。>

▼ 『何ゆえ、私が「秘・異郷ツアー」をライフワークにしてきたか?』が、
 事例が変われど、道理は同じく書いてある。
《 …それは、「未知の領域を探検し、その領域を征服したら、飽くことなく
 次の未知の領域をめざす」という考え方です。「地平線の先に何があるのかは
誰も知らない。だから探検しに行こう。 そうすれば、何らかの知識を得ること 
ができ、その知識は自分の力になるはずだ」と… 》。 これをツアーという
システムを使って楽しめたのだから、ツアー御宅も悪くはなかった。それは、
何らかの知識ではない。私の小さな世界にとって膨大の知識と経験を得ること
が出来る非日常の世界。何かのコマーシャルに、「思い出は金で買えない!」
のフレーズがあった。永遠の彼方に持っていけるのは、未知の領域で得た経験と
知識だけ。それをいとも簡単に現代科学はVR(バーチャルリアリティ)で
仮想化技術で… それがSF映画として、私たちの仮想体験を可能にする。
YouTubeに6畳間に65㌅の高性能のネットTVの導入事例があった。一歩部屋に
入ると、嫌な現実からトリップできる、良き事例として…。 『凄いな!』
と感心したが、『この寝室は8畳間、大して変わりはしないじゃないかい!』
 17世紀の思想家ジャン・ジャック・ルソーが
<平穏は、地下牢のなかにもある。だからといって、地下牢を暮らしやすい場所
 にするだけで充分だろうか> …は、閉鎖的城下町でつくづくと思うこと! 
石牢の呟き嘆きが何ともうら哀しく、時には悲鳴に聞こえてくる。時に慰めに?

・・・・・・
6237,閑話小題 〜金沢・富山バスツアー
2018年04月11日(水)
  昨日は、数年ぶりに、観光バスツアーに参加してきた。
地元の越後交通(ゴールデンツアー)の日帰りコース。出発が長岡駅東口で、
早朝の7時20分発。地元到着が19時20分。値段が9500円(税込)。家内が長岡駅
への道すがらにある越後観光ビル内の案内所で見つけてきたツアー。 
・富山県北アルプスを背景にした『あさひ舟川・春の四重奏』の花見と、
・金沢市内の『金沢ひがし茶屋街・散策』
・『ホテル日航金沢のランチ食べ放題』のメニュー。
家内が、このコースに甚く気にいって誘ってきた。この数年、ライフワークの
秘異郷旅行に行ってないため、即座に合意し、参加した。 一つだけ誤算が、
桜の開花が一週間早まり満開の時期を逸し、半分ほど散っていたこと。
それでも、満足できる散策。
 その後、金沢駅前にある「ホテル日航」のランチが思いの外、美味しかった。
「ひがし茶屋街」の散策を1時間ほどして、帰路についた。
金沢には、20歳半ばに一年半ほど、修行も兼ねて勤務をしたことがあった。
立場が立場だけに、気持ちがどん底だったが、ところは、「いとはん」という、
マナーに厳しいと定評のあったファッション衣料チェーン。人手不足の中、
女性専用のマンション寮が大うけで、若い女性の就職希望が殺到していた急激
な右上がりの会社で知られていた。しかし、勤めて半年もしないうちに、ドル
ショックが起きて時代は一変し、売上は激減し、西武流通グループの傘下に入る
激動の最中。社長と、ナンバー2、3の人物の対立もあって社内は荒んでいた。
 しかし、3人に1人は、いわゆる金沢美人。仕事の半分は、様々な悩みの
相談と、信頼の構築。 肩書が無い立場からこそ、気を許してくる。
最悪が故に、面白いことが多かった。女子寮内に、誰か茶道に通っている人
が居ないかと聞いて、寄宿していた寮の近くの一般家庭の主婦が
教えている家を紹介してもらい、1年程、通っていた。当然、そこに数人、
金沢美人が通っていて、週の二回、火曜日と、木曜日と、交互に通いながら、
様々な地元美人と茶道の練習を楽しんでいた。金沢は外モノには優しく、
仲間内にはキメ細かい暗黙の気遣いが歴然としている階級社会。
男尊女卑が歴然と残っている男社会で、一歩も二歩も、男をたてる世界。
富山、福井、能登、飛騨高山が近くにあり、何はともあれ、金沢に… 。
当然、遊び場も、茶屋街に。芸者衆の集まる茶屋街が「ひがい茶屋街」
「にし茶屋街」「主計茶屋街」の三つが金沢藩の肝いりで集められ、現在
に至っている。その「にし茶屋街」に、何も知らずに店のパンフレット
配りをして、その奥深い世界を一端を見た時の驚きを忘れられない。
出あうのは今まで見たことのない御公家顔の美人ばかり。あれは、芸子の
スッピン顔だったと、今回の散策で気づいた。それでは綺麗なはずだ。
 雑種の地方の寄り集まりの首都圏を除いて、四日市、神戸、金沢、新潟、
長岡市と、仕事で渡り歩いたが、こと美人とセンスに関しては、金沢が
一番の粒揃いで‘粋’があった。文化面で一番、影響を受けているのが、
京都の文化である。北陸新幹線開通まで、あまり知られてなかったのが、
他に、料理文化の深さ。現在はどうか知らないが、おでん屋、小料理屋、
喫茶店に味わい深い店が多い。当時の金沢の話は尽きないほどあるが、
どの場面も、青春の真只中の思い出は尽きない。時代は、経済が激動の
中でも、右上がりの、今となっては夢のような時代背景があった。 
ドップリ地元城下町の一角に沈んでいる自分に気づかされた一日だった。
  これを書いた20分後に、ポタリングに出発し花見をする予定。
長時間バスの座席の固定で腰痛を心配をしたが、殆ど問題は無かった。
習慣の力だが、定時の3時50分に起床し、これを書上げ…日常の世界に
舞い戻った。一日とはいえ、この非日常の反動は、数日後に出てくること
になるが…

追: いま気づいたが、3年前に、以下を書いていた。
  少し出来過ぎだが、こんなものか。話題の在庫が少ないだけだが。

・・・・・・
5140,閑話小題 〜北陸新幹線開通1ヶ月
2015年04月11日(土)
  * 北陸新幹線開通1ヶ月
 北陸新幹線が開通して1月。ゴールデンウィーク辺りから、福井、石川、
富山の北陸三県の観光地が脚光を浴びる。金沢は加賀百万石の文化が営々と
引継がれている。20歳代半ばの頃、1年半、金沢の地で勤務したが、現在
でも鮮明な記憶として残っている。休日、日帰りバスツアーで能登半島を
一周したり、半日市内観光をしたり、金沢港でキス釣りをしたり、茶道に
習いにいったりした。 加賀百万石の文化は何とも風情のある。
特に、老舗の居酒屋が良い。北陸三県と隣接した地区の観光資源は豊富。
その背景に三大都市圏の観光需要があるのが大きい。そこに新幹線で二時間半
で行けるのだから、女性にとってうってつけ!『日帰り能登一周コース』を
つくれば良い。 逆にストロー効果で、地元民が東京に取られる可能性も大。 
 ところで金沢滞在の一年半で、姉や友人が三人、訪ねてきた。更に、実家の
会社の慰安会で近くの温泉にバスで来て、私もそこに招かれ、泊まって騒いだ
こともあった。勤務先の会社上げての慰安会が、泊まり込みで片山津温泉。
高度成長経済の真只中時代だった。今では隔世の感がある! 
金沢・能登は一人旅に、うってつけ、お勧めである。
   * ジヌ(銭)よさらば! ーシネマ評
ハリウッドか邦画か、翌日放映の‘ソロモンの偽証(下巻)’にするか
 迷ったが、上記の内容を読んで、こういう風変わりも「良いか」で、
これにした。80点だが、不満も残らない内容。観客は10人あまり。
《 田舎の小さな村“かむろば村”に、大荷物で降り立った1人の青年。
彼の名は通称・タケ。一見どこにでもいる若者だが、実はこの男…お金を
“さわれない、使えない、欲しくない”の三拍子がそろった“お金恐怖症”
になってしまった元銀行マン。現金にさわるだけで、とたんに激しいめまいに
襲われ失神してしまうという筋金入りだ。「1円もお金を使わない!」
と悲壮な決意を固め、かむろば村へやって来たタケは、どこか田舎の自給
自足ライフを甘く見ているフシもあり度々命の危険にさらされるが、憎め
ない天然キャラに救われ、村人たちに度々助けられるのだった。・・(略)
クセ者なのはタケだけではない。彼がやって来たかむろば村こそ、一見
どこにでもある寒村ながら、ユニークというには濃すぎる村人たちが生息
していたのだ。学校はないけれど、異常に世話焼きな村長がいる。銀行も
ないけれど、写真好きで目が光ったりする神様がいる。病院なんてもちろん
ないけれど、色っぽい美人が(多少)いる。そんなキャラクターの濃い村人
たちのお蔭もあり、危なっかしいながらも奇蹟的に1円も使わない生活を
続けるタケ。最初はタケの無知と無鉄砲さに半分あきれていた村人たちも、
タケの存在を優しく受け入れてゆく。そんな矢先、穏やかだったかむろば村
に不穏な風が吹き始める。村長の過去を知る不気味な男の出現、同時に迫り
くる村長選挙をめぐる陰謀が発覚!村に来て間もないタケも、知らず知らず
のうちに騒動の渦中へ…。タケの生活は思わぬ方向へ向かいだす…! 》
▼ 少し、いや非常に甘い主人公と、その物語の設定だが、それでも、
 何時の間にか、‘かむろば村’の世界に引きこまれてしまうには、
主人公の松田龍平の周りに、松尾スズキ、松たか子、西田敏行などが、
脇を固めているため。「ぼんやり」と息を抜くには丁度良い。以下に続く!

・・・・・・
4775,ぼんやりの時間 ー8
2014年04月11日(金)              
  * 「懶」 ー心の余白    「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地に休んじ、楽しむことを気取ることが
懶惰」というらしいが、これが、この年齢で、少しは分かってきたようである。
事業を立上げ、軌道に乗せて暫くの間、何もすることが無い日々の別天地を
知っればこそ、この懶惰の味わいが分る。振返ると、あの退屈の懶惰こそ、
お宝だった。その合間の、読書や、秘境ツワーなども、それだ。
《 谷崎潤一郎は、1930年に『懶惰の説』という随筆を書いている。西洋の
 人々がいかに活動的であり、精力的であるかを例示し、これに対し東洋の
人々がいかにものぐさで、面倒くさかり屋であるかを対照的に書いている。
懶惰の代表者は誰か。物語のなかでの人物ではあるが、物臭太郎(三年寝太郎)
の名をあげている。 さて、瀬惰とはなんだ?.
「『ものうい生活』の中に自らなる別天地のあることを知り、それに安んじ、
それをなつかしみ、楽しみ、或る場合にはそう云う境地を見えや気取りにするか
の如き傾向の存すること」 瀬惰心という言葉があるとすれば、この谷崎の
定義はその一面を言い当てている。むろん、西洋人にも瀬惰心の人がいるし、
東洋人にも活動的な人がいるのはいうまでもないが、あるていど類型化
しないと、論旨がはっきりしない。瀬惰をよしとする人は、年中あくせくして
きりきり働く人を冷笑、ときには俗物扱いにする。朝から晩までせかせかと
動き回る人を嗤う傾向がある。一方、瀬惰心に批判的な西洋人は、浮世を
捨てて山の中に隠遁し、独り瞑想にふけっているような人物を聖人とは
思わない。高潔の士とも思わず「一種のエゴイスト」にすぎないと切り捨てる。
 谷崎自身は、瀬惰心というものに、一定の共感をもっていたことはたしかだ。
「とにかくこの『物臭さ』『億劫がり』は東洋人の特色であって、私は仮りに
これを『東洋的瀬惰』と名づける、というとき、自分にもまた、その東洋的
瀬惰なるものの血が流れているという自覚があっただろう。 》
▼ 事業を目指し、準備15年間、立上げ、最後は、津波で流され終わった
 私の事業人生。それを全面否定され、あざ笑われているような内容である。
それも、あと一年で古希になろうとして気づいた底浅い己には、この結果が
似つかわしいと独り納得させられる。 こういう視点もあると割り切っては
いても、気になることは確かである。心の余白など埋めぬがよい! 
いや、埋めようがない!

・・・・・・
5870,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜4
2017年04月11日(火)
 昔から、「逆境には根を、順境には枝をはれ」と言われてきた。
若い時の大病、浪人暮らしなどニュートラルゾーンの七難八苦の苦労は買って
でも、するだけの価値は充分ある。その空虚感は、当人には一大事だが、なれば
こそ、多くのタネがみえてくる。孤独の極みが、強力な磁石に自らなることに、
ということ? 
   ★ 第2段階……ニュートラルゾーン
≪ ニュートラルゾーンは、何かの終わりに伴うさまざまな喪失感を受け止め、
 耐えるべき時期です。ニュートラルゾーンにおいて人は深刻な「空虚感」を
味わう。始まりとの間にある空白の期間であり、進むべき方向が分からず、
ただ立ち止まって逡巡しているだけに思えるが、決して後ろめたく感じる必要
はない。空虚感は、終わりまでのプロセスの自然な結果であり、実は、新しい
人生のための下地が準備される時期だからです。
 だから、こうした空虚感から逃れようとじたばたせず、むしろその感覚に
素直に降伏するのです。もちろん、これはとてもつらいこと。しかし、新たな
「再生」のための「死」(過去の自分との決別)を象徴しているのが、こうした
空虚感です。この空虚感の中からこそ、新しいあなたが再び誕生するのだと考え
ましょう。ブリッジズは、ニュートラルゾーンの体験を意義あるものにする
ための具体的な対応を6つ示しています。
●1.1人になれる特定の時間と場所を確保する
(孤独の中でこそ、人は内なる声を聞くことができます。早起きをして散歩
 する。仕事の後、落ち着けるカフェでゆっくり休むなど、一時的にでも離れて
 真に 孤独になれる時間と場所を確保をする。)
●2.ニュートラルゾーンの体験の記録を付ける
 (ニュートラルゾーンにおいて自分の心をよぎるさまざまな
 気持ちや考え、アイデアを書き留めましょう。)
●3.自叙伝を書くために、ひと休みする
(自叙伝を書くことで、過去の振り返りと整理ができ、
 上手に何かを終える ことができるのです。)
●4.この機会に、本当にやりたいことを見いだす
(とことん自分と対話する機会です。さまざまなしがらみや固定観念や他者の
 影響を切り離し、素直に自分の心に「何がしたいのか」と問い掛けてみる。
●5.もしいま死んだら、心残りは何かを考える
(ブリッジズは、自分の「死亡記事」を書いてみることを提案しています。
 自己分析の練習になります。生年月日、両親、兄弟、学歴、所属、賞、
 趣味、そして、最後の言葉をメモ程度でいいので書いてみます。死亡記事を
 書くのはぴったりの作業です。この死亡記事から、過去の自分の人生で
 やりきれてないこと、本当にやりたいことが見えてくるかも。)
●6.数日間、あなたなりの通過儀礼を体験する
(昔、若者は、一人前の成人として認められるために、15歳など、特定の年齢
 に達すると住む村から一定期間離され、そこで何らかの試練が与えられ、
 また孤独な時間を過ごす「通過儀礼」を体験させられたもの。≫
――
▼ 始りと終りの間のニュートラルゾーンに、「空虚」と「発芽」がある。
 空虚が強いほど、「発芽」の力、新たな「心、観、学、術、体」の‘芯’が、
自ずと蓄積される。<心の芯を強固にし、その観方で、学んだ事を術に高めた
結果、それが体として具現化。> それを水面下で準備する時節が、この時節。
 99%が、落込みからの諦念が、その肥しになるが、そこに自然と楽観が出る。
そうこう考えると、トランジション理論は、創造論、創業論のベースである。



6599,閑話小題 〜ケーシー高峰 逝く

2019年04月10日(水)

  * ケーシー高峰 逝く 
 次々、私たち世代と供に生きた芸人が亡くなっていく。寂しいが、これだけは…
正月のNHKお笑い番組で必ず出演していたが、この数年、出てこなかった。
 医事漫談の第一人者として、半世紀以上も活躍。 俳優としても渋い演技で
数多くの作品を彩り、マルチタレントの草分け。 
  〜ネット記事によると…
< 黒板やホワイトボードを使ったお色気医事漫談で知られるケーシー高峰が
 8日午後、肺気腫のため入院先の福島県いわき市内の病院で死去した。85歳。
山形県出身。葬儀は近親者のみで営まれる。医事漫談の第一人者として、半世紀
以上にわたって活躍。 俳優としても渋い演技で数多くの作品を彩り、マルチ
タレントの草分けだった。 軽妙洒脱な話術が持ち味。30年以上前に移り住んだ
いわき市内の病院で家族らにみとられて旅立った。>

▼ あと二年足らずで後期高齢者の時節の、現象とは、TVの映像世界
 の芸人など有名人の死を見送ることにもなる。成るほど、人は死ぬべき時には
死なないと! その死に様も、芸人らしく下ネタお笑いらしく、グラッチェと。
このところ、芸能界で松方弘樹や、渡瀬恒彦(72歳)、野際陽子(81歳)など
昭和の時代から活躍してきた芸人が亡くなったいる。
 ――
   * 追悼の、ネットでみつけた小噺
その1:「徳利にお酒は残ってますか?」「はい、チョコッと」
その2:「あんた背高いね」「ハイ」
その3:「隣の家に囲かこいができてんてなあ」「へー」
     「隣の家に塀ができてんてなあ」「カッコイイ」
その4:「ハトが何か放こきまったで」「ふーん」
     「ハトが糞かけよったで」「くっそー」
     「ハトが帽子に糞かけよったで」「ハット」
その5:「お母ちゃん、パンツ破れた」「またか」
    「お母ちゃん、パンツの前破れた」「玉々にして」
    「お母ちゃん、ケツ破れた」「尻ません」
    「お母ちゃん、ズボン下破れた」「もう、そこへステテコ」
   =魚シリーズ=
その6: 「今、何時や「クジラ」
    「この腹の大きい魚は、何という魚や」「ニンシン」
    「この魚、何ぼや?」「タラ(ただ)」
   「この魚、黒いなあ」「まぐろ(真っ黒)」
    「夏に食べる魚は何や」「さんま(サマー)」
    「やけどした魚は」「アジッ」
    「寒がりの魚は」「サメー」
    「やわらかい魚は」「フニャ(鮒)」
    「この魚、めずらしいな」「久しブリや」
    「けんかの応援の好きな魚は」「助っ人ダラ」
その7: 「お母さん、海は何で青いの?」「空が写ってるからよ」
    「じゃ、空は何で青いの?」「海が写ってるからよ」
その8:「お母さん海に潜もぐって貝を取る人、海女あまっていうけど、
     海女はどうして、お母さん達だけなの?」
    「お母さんはね、海(産み)の親と言うでしょう」
     (だから海の字の中に、母が入ってます)
その9: ある人が海に潜って、貝を取っていたところ、地元の漁師さんに
     見つかりまして、叱られていました。「ここは漁業権があるんや、
     あんたら誰の許可を得て、貝を取っているんや?」
    「すいません、もぐりでやってました」
  〜お後が宜しいようで…

・・・・・・
6236,閑話小題 〜 「人間は血のつまった袋である」(カフカ)
2018年04月10日(火)
   * 寺山修司 ・語録より
 「所詮、人間はくそ袋」というが、「血の詰まった袋」とは。
それも「話かかける袋」とは。学生時代に名前を聞いたことがあったが、実際に
読んだのは、『さらばハイセイコー』の詩である。こうして読めるのは、実社会
の経験と、知識のベースが出来たからだろう。『旅の詩集』ー逃げろ、生きろー
などは特にそうだ。
 〜ネットで<寺山修司語録>で、検索すると、彼の語録があった。
――――

 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、 その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 “カフカは『兄弟殺し』の中で「なぜ人間は血の詰まったただの袋ではないのか」
と問いかけているが、その答は簡単だ。人間は「話しかける袋」だからである。
「血の詰まったただの袋」は決して叫んだり話し話しかけたりはできないのである。”
 ―
 “個人の主体だけが重要なので、画一的な思考は排すべきだという考えは
変わらない 。それはいわば事実ではないが真実の世界であって、虚構ではないが
幻影の体験なのである。”
 ―
“われわれの日常を規制しているのは事実ばかりではない。むしろ事実を
生み出している権力家の<あるいは自分自身の>迷妄なのである。”

“私はこの時代が変わって決して避けられない必然の下に暗い様相を帯びている
とは思えなかった。悲劇的ではあったが、悲劇そのものではなかった。だから
「ニーチェの時代には悲劇的なものを求めることが英雄的であったのに対し、
すでに悲劇的なものが予め与えられている現代では、幸福を求める行為以外に
ニーチェの説いた感情の高密度を保証するものはない」とさえ思ったのである。”

“「運のわるさ」というのは、時代との折り合いがうまくつかないという
ことよりも、自分自身との折り合いがうまくつかないということ”

“「行く」という行為は在りうるが「帰る」という行為はありえないのだ。
回帰するやつは、みんなくたばれ。”

“おやすみは、コミュニケーションの終わりの挨拶である。ここからは何も
はじまらない。……だから、私は「おやすみ」ではなくて「おはよう」という
ことを考える。くたびれて「幻滅の風景を愛撫し」つづけてきた長い灰色の夜を
終わらせるのは、この「おはよう」の思想化ということである。「おはよう」は
主体的だと「おはよう」はこっちから話しかけるための出だしのファンファーレ
である。それは話しかけられるのではなくて話しかけるためにある。”

“詩人に「公生活」があるのかどうかが問題である。彼等の大部分は詩を
実業としてはいず、他に職業を持っているからである。「詩」は虚業だ。
 …私は、ふと「詩人」というのは形容詞なのではないだろうか、と考えること
もある。岡田茉莉子は「美人」である。というような意味で、かれは「詩人」
である―というわけだ。”

――――
▼ “昨日の自分は、いわば影だ。昨日の自分は痛くもなければ快感も感じない。
それは決して今日の自分とは比較できないものなのではないだろうか?…
…人は誰でも、現在的な存在である。…「わたしが一番きれい」だと感じるのは、
いつだって現在なのだ。” の詩が、鋭く突き刺さってくる。
老年に至ったためだろう、泥沼のように過去が、容赦なく現在の私を脅かす。
閑居は、良いことばかりではない。心の中は、快晴の時も、大嵐の時もある。
今の私にとって、「現在は、過去の影でもある」。過去と現在の対話で、何時も
圧倒するのが、過去である。年齢だろう。「老いることは無念!」と言ってた、
伯母の言葉の実感が徐々に身に染みてきた。それを寺山の詩から思い知るとは… 
‘生きていればこそ’ではあるが。

・・・・・・・
3667, 節目どきに ー2
2011年04月10日(日)
 今回の ? を当事者の目線で現状分析すると、
・ 9・11、9・15、の経済震災と、3・11の自然震災の直撃で、事業としての
  立ち居地が悪かったこと! 五割が、これ。
・ 三割がネットなど情報化の影響が直撃、そこにビジネス客の首都圏より
  二時間圏内の日帰りの徹底が地方都市駅前ホテルを衰退を招いたこと。
  グローバル化で、特に、この10年地方経済が衰退したことがある。
・ 最後の二割が、鉄とセメントの装置産業で身動きが取れなかったことと、
  部屋在庫を多く持ちすぎたことである。
・ さらに当方として30年という事業年齢の満期にきたこともある。 
  これらを読めなかった能力不足が全てといえば、その通り。しかし、
 (これを読めというのか?)という内なる声。 結果からすれば、創業後
  10年辺りの最盛期に事業転換をすべきだったが、これはあと講釈。 
  この3つの経済震災と自然震災の結果について、震災は震災として割り切る
  しかない。その辺の、したり顔の下司講釈など・・ 宮城の震災地の真只中で、
  「こんなところで事業をしている御前が悪い」とか言う輩はいないが
  (いや何は何処にもいるか?)、経済震災になると、その辺の類推がでない
  人が大部分だろう・・・。 今回の災害そのものを大地震とすると、恐慌
  という大津波が何波も、もう、そこにきているのに、情報コントロール下
  のため?か、大部分の国民は、分かってない? 今年は2012年の前年。
  この三年は10〜20メートル・クラスの経済破壊の大津波と、放射能
  汚染などのパニックが起こってくる。 たとえとして、ソ連解体直後の
  ロシアの大混乱?や、中国の文化大革命(推定3〜7千万人の??)
  に匹敵する混乱を日本に想定すればイメージがわいてくる。
  リーマンショックが日本経済を直撃している最中に、日本史、いや世界史
  に残る、大震災に直面するとは! 東日本のリゾートホテル・旅館は、
  客が5分の1、10分の1という。長岡の奥座敷といわれるホテル街は、
  ほぼ客がゼロとか。 中越地震で立ち直りかけた矢先に豪雪と、これ。 
  青色吐息でなく、黒色吐息。 それにしても、原発事故の行方がサッパリ
  みえない暗い日日が続く。このままでは経済の先行きは真っ暗。
  この原発事故の汚染が、このまま収まるとは思えない。農業、漁業、土木、
  建設、第三次、第四次産業も、輸出産業など、どれをみても・・
  どうなるのだろうか? 何をかいても曳かれし者の戯言 か、これは。
・・・・・・
4033, シングルイン、31年間の総括 ー9
2012年04月10日(火)
   * つれづれに ー9割がた終了
 抵当に入っていた自宅は家内が買い取ることになり、新潟駅前の物件5つを
加え、すべて決着。 弁護士曰く、「あれから一年、世の中はグチャグチャ。 
この環境下、見切り千両というより、見切り万両といってよい。これだけの物件
で金融関係が全く異議をいってこないのは、初めて。」という訳で、9割方終了。 
一瞬早い決断は、問題を数分の一にしてしまう。あとは個人保証債権を
サービッサーと交渉して家内が買いとるか、破産するか一年がかりになる。
これが残りの一割。 「この時世の中、全ての物件が一年で処分できたことに
逆に銀行に感謝された!」と弁護士。これで現時点で、絵に描いたような撤収。 
これも一連の事業の範疇。経理担当Oさんの管理が完璧だったことが背後にある。  
夜逃げ、首吊りか、合理的撤収になるかは一瞬の決断の間合い。それでも心の傷
が癒えるに数年はかかる。これは、時間の経過と、問題の中心点に気持ちを集中
し続けるしか、解決はできない。多くの要素が絡んだ原因と結果でもあるからだ。 
 一度、社会から身をひくと、経済と社会の流れに鈍感になる。表立ってないが、
深く景気の悪化が進んでいるようだ。起こってしまった東北大震災と、今後予測
される大震災を、連日マスコミで流されれば、住宅関連、車、家電など買う気が
なくなる。その中で運良く全ての物件が売れてくれた。ホテルの装置は稼働して
いないと、内臓(ボイラー、配管)が時間とともに腐り、買い手がいなくなる。 
最悪の場合、建物撤去が必要になり、価値が暴落することを銀行は知っている。
その結果、個人保証に厳しい姿勢になる。 破産をすれば、それで終わるが、
拗れると個人破産にも異議が出る。しかし生きたままの債権移動は、買い手も、
銀行も、債務者も良い「三方両得」になる。目安が3〜5年先と思っていた
ので、歴史的異常時の中、有難い結果である。
・・・・・・
5869,トランジション 〜人生の転機に、トランジション理論 〜3
2017年04月10日(月)

 計画通りに予定挫折などの自己配転を続けるには、「ウエットな心情に、
ドライな頭脳」が必要になる。本来、心は弱く、傷つきやすく、その結果、
生じるのが、離脱、アイデンティティや、方向感覚の喪失感である。
それらを克服していくプロセスで生じてくる覚醒と、信念の芯の強化が自然と
生じてくる。 「正 中心 一点 無」を想念し、問題の中心点を只管、想い
続けるしかない。 それが予定挫折としても、厳しさは同じ。 
 トランジションを3段階に分けた内容とは
  ★ 第1段階… 何かが終わる
≪ 何かが終わるとき、自分の意思で終わらせられる場合と、自分は望まない
のに外部の状況や他者の影響で強制的に終了させられる場合があります。これを
仕事でいえば、前者は自己都合による退社、転職。後者は企業都合による解雇、
転勤、異動などで、慣れ親しんだ仕事、職場から無理やり離される場合です。
後者は、自分が望まない変化であることも多いため、ひどく落ち込んだり、
やる気を失う人もいるでしょう。
 強制的であれ自分の意思であれ、これまで持っていた何かから離れることは、
心理的な痛みを伴うものです。うまく物事を終わらせることが容易でないのは
そのためです。しかし、何かの終わりは何かの始まりでもあります。
たとえ自分が望まない終わりだとしても、新しい自分を発見する良い機会だと
考えて気持ちに折り合いを付け、過去と決別する必要があります。ブリッジ氏は、
「アンラーン(un-learn)せよ」、つまり、「過去の考え方を捨てよう!」と
提案しています。
 さて、何かの終わりをうまく処置するのが難しい理由は、終わりに
 直面した人のほとんどが経験する以下のような感覚があるからです。
•離脱(Disengagement)
 それまで慣れ親しんできた場所や人から引き離されることから生じる感覚。
•アイデンティティの喪失(Disidentification)
 過去の世界とのつながりを断ち切ることで、自己定義の手段を失ってしまい、
 自分は何者であるかということが分からなくなる感覚。
•覚醒(Disenchant)
 自分がこれまで属していた世界に抱いていた楽観的な見方は幻にすぎないと
 気付く感覚(会社や他者に裏切られた場合により強く感じるもの)。
•方向感覚の喪失(Disorientation)
 今後どの方向に進むべきか、そのために何をするべきかといった目標や計画が
 失われる感覚(解雇など強制的な終わりによってもたらされやすいもの)。
 何かの終わりに伴う上記のような感覚からは逃げることなく、
次のニュートラルゾーンにおいて、とことん味わいつくすことが重要です。≫

▼ まず直面するのが、孤立と、孤独に伴う自己喪失感。そこで必要なのが
 幼児時期から、これまでの親からの愛情の温み。それと、小さな成功体験。
そして読書習慣による時空を超えた他者との触媒。一度、生身の世界から離れ、
自分の信念と、能力の棚卸をすること。特に強みと弱みを見据えること。
そこにあるのは、何の力も、魅力も、温かみのない、小さな哀れな自分。
それを直視してから、具体的に歩みを進めるしかない。過去を引きずらない
ことが、最も重要なことは、周囲を見渡せば一目瞭然。捨てきれない自分が、
ここにいる。どの道、誰もが直ぐに死ぬのだから… どの道、同じですか。


6598,閑話小題 〜老いについて

2019年04月09日(火)

             <「四苦八苦の哲学」永江朗著 >
    * 漫画家は姿勢によって年齢を描き分ける
  永江らしい厳しい言葉の羅列である。老いた自分の姿と顔を鏡で
 みる度に、愕然とする日々。とはいえ、老いは時間の問題で、誰の頭上にも
降り注ぐのはごく当然のこと。長生きもプラス面もマイナス面もある。長生きは
死損なった状況でもある。
≪ ボーヴォワールは、老いについて
 ヒポクラテスによれば、人間が頂点に達するのが56歳と、
  アリストテレスは肉体の完成が35歳。魂の完成は50歳とする。
 ダンテによれば、人は45歳で老境にさしかかる。
 今日の興行的社会を諦念退職させるのは一般に65最である。』
ある漫画家は姿勢によって年齢を描き分ける。これは生きる姿勢にも通じる。
 更に… ボーヴォワールは
『老人は社会からみれば猶予期間の死者にすぎない。』
『ジジイよりババアと言われた方が厳しい。雌は獲物。若さが枯れた老女は…』
彼女は、ジュアンド―の言葉を紹介している。
『半世紀の間おれは20歳でありつづけた。いまやこの不当所得を
 返上するときがきた。』と。
『現在において、われわれは、われわれの過去を乗越える投企によって
 未来を志向する』 ≫
著者の永江は<人間にとって、死ぬのは二人称と三人称の死かしかないが、
ところが老いは違う。三人称あり、二人称あり、一人称まである。
笑い話がある。『50年ぶりの同級会に出席したら、じいさんばあさんだった」
そう笑う自分が抜けている。 

▼ これを書き続けてきた御蔭で、精神の起伏は少ないが、それでも同年代の
 老いを合せ鏡で見る度に、数時間としても、突如として、老境の自分に愕然
とすることが多くなった。老いそのものは時間経過の状態で、問題は、その受け
止め方。 時間経過とともに、長くなっただけ過去は重くなり、我々の未来は
短くなる。偶然だが、先日、10年後の自分が、その時節の自分の書いたテーマを
読み返しているショートショートを書いていたが、明らかに下り坂のギアダウン
した状態は間違いないためか、重い気持ちになってしまったが、それが面白く
もあった。そこでは、「いま、ここ、わたし」への集中、永遠の感覚が救いに
なるようだが。 その永遠も妄想ですか?

・・・・・・
6235,閑話小題 〜変じゃないかい?
2018年04月09日(月)
   * 不可解な? この絶妙なタイミングに…
 何か不可解な事件が起きた。大統領の自宅のあるビルの火災にしては、
マスコミは騒がない。このタイミングからして、家族に対する無言の威圧になる。
 〜ネット記事によると
【 トランプ米大統領の自宅があるニューヨーク中心部のトランプ タワーで
 7日夕、火事が発生し男性1人が死亡した。消防士4人も負傷した。原因不明。
大統領は不在だった。火災が起きた際、トランプ氏やメラニア夫人はワシントンに
滞在中で、親族はビルにいなかった。同タワーはトランプ氏が2017年1月に
大統領に就任するまでオフィス、住居として使用。現在もトランプ氏の私邸と、
長男らが経営する不動産会社トランプ・オーガニゼーションの本社がある。
 市消防局によると、原因は調査中。火が出たのは分譲住居部分で、家具などが
燃えて室内はほぼ全焼したという。火災発生時に50階(58階ビル)の窓から赤い
炎が見られ、タワー付近は大勢の人が集まって騒然となった。(2018/04/08) 】

寅さん:時が時だけに、何か薄気味悪い時に、嫌な火災が起きたよな。
大家さん:だろう!人の出入りの激しいビルの中で、チェックは難しいはず。
  北朝鮮からすれば、斬首作戦とか言ってるが、他人事ではないよ。
  ドローンで、強力爆弾を積んで突っ込めば、それで済む話。
  大たい、そんな物騒な場所に大統領になっても住み続ける方が変ですよ。
熊さん:俺だって、その位のことは常識と思うよ。どうしたのトランプちゃん。
寅さん:俺もトラだけど、俺と同レベルかいな。 NHKの番組で、解任の続く
  ホワイトハウスの実情を取上げていたが、共和党内も、この大統領の存在
  に、苦慮していると言っていたね。あれは間違って泡沫がロシアの力を
  借りて、大統領になってしまった漫画の世界だね。
大家さん:でも、無謀な政策の実行の段になると支持率が上がるということは、
  やはり、アメリカの本心を、そのまま実行しているだけということですか。
八つぁん:少し話が変わるが、北がオリンピックを機会に、中国に擦り寄ったり、
  韓国や、トランプ大統領と会談というけど、その前に決裂の可能性が高い。
  で、このタイミングに火災だろう。ミサイルの外に、この手もあるかも?
  の予告ということ? とにかく、あそこは移動した方がいいね。
大家さん:時間稼ぎの手段ぐらいは、知っていて、早期に決裂するのが、トランプ
  大統領の思惑さ。ロシア取引疑惑と、無能隠しに、戦争しかないもんな。
八つぁん:金ちゃん、やり過ぎだったよ。あれじゃ核戦争になっても仕方ないよ。
  最悪の事態には、最悪の役者が揃うというけど、よくぞ揃った物。これは
  歴史に残る迷場面ですよ。
熊さん:俺もそう思うよ。これまで、騙しっぱなしだもの北は。いくら何でも、
  もうだまされないよ。で、決裂さ。
大家さん:トランプ:金対談までか、その前の、韓国大統領:金対談までは
  大丈夫だろうが、やはり、緊迫した事態を注視しておかないとね。
 
 追) 何とかなるのかな〜 本当に?
  あれから7年、何とかなったじゃないですか。
――――――
4406, 大丈夫、なんとかなるさ
2013年04月09日(火)          
  * よい先生、わるい先生  ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 
 著者は毎日新聞の論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などの
レポートを読んだことがある。「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは
思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、その人に
とって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、
ハッとした。 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から
二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 
  ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、地名の意昧を質問
したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げた
という。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは
ない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある学校
で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の
仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」
を教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがで子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。
「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 
「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫
▼「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 
 この随想日記、「自分のために、同調したこと、心に響いたこと、記憶に
残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。忘却のためのメモ帳
ということ。そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを
書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」と言われれば、
「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の
子供と想定。 その子供のために書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。
「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。
  とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? 
まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! 
・・・・・・
5503,エヴェレスト 神々の山嶺 ―映画感想
2016年04月09日(土)
 「山岳遭難もの」は、苦手だが、『映画道』という言葉があるなら、
この『エヴェレスト 神々の山嶺』を避けてはなるまいと、シネマの日も
あって、昨日の昼ごろ、心を奮い立てみてきたが、これが思いのほか、面白い。
私の邦画の評価で95点は上の上。 人間の極限状況は、そのまま、人生道
にも通じるところがある。  〜まずは、内容紹介より
《 日本のエヴェレスト遠征チームに参加していたカメラマンの深町誠は、
 滑落事故で仲間を失い、登頂は中止になってしまう。
行き場を失い、ネパールの首都・カトマンズを彷徨っている中、骨董屋で
ある古いカメラを発見する。それは、1924年6月8日、エヴェレスト登頂に挑み
ながらも行方不明となったイギリスの登山家ジョージ・マロニーのカメラと
思われるものだった。 マロリーがエヴェレスト初登頂に成功したかどうかと
いう登攀史上最大の謎に魅せられた深町は、証拠となるカメラを追い、
一人の男に辿り着く。消息不明だった伝説のクライマー、羽生(はぶ)丈二。
彼はなぜ日本から姿を消したのか?その男がなぜカトマンズにいるのか?
「天才クライマー」と呼ばれながら、無謀で他人を顧みない彼の孤立した
過去を調べるうちに、深町はその生き様にのみ込まれていく。そして、羽生に
人生を翻弄されながらも、彼を愛し続ける女性・涼子と出会う・・・。
二人の男と、一人の女。それぞれの想いが交錯する中、己の人生を賭け、
世界最高峰の“神々の領域”へと足を踏み入れる男たちの挑戦が始まるーー。
                  岡田准一、阿部寛、尾野真千子、》
 〜登山家の[羽生丈二]の言葉が良い。
――

足が動かなければ手であるけ
てがうごかなければゆびでいけ
ゆびがうごかなければ
歯で雪をゆきをかみながらあるけ
はもだめなら
目であるけ
目でゆけ
目でゆくんだ
めでにらみつけながらゆけ
めでもだめだったら
それでもなんでもかんでも
どうしようもなくなったら
ほんとうにほんとうに
ほんとうのほんとうの
どうしようもなくなったら
もうほんとうに
こんかぎり あるこうとしても
だめだったら

思え
ありったけの
こころで思え

―想え。           [羽生丈二] 
――

そこに山があるからじゃない。ここにおれがいるからだ。
ここにおれがいるから、山に登るんだよ。
               [羽生丈二]
――
▼ 魂から絞り出た言葉が、これか、と思わせる内容。お勧めである。
・・・・・・
5138,閑話小題 〜二人の旅路
2015年04月09日(木)
  前日に続いて見た、プレミアムアーカイブスHV特集
『二人の旅路〜日中 激動を生きた京劇夫婦〜』も重厚な内容。
 日本人の父と、中国人の母と、中国人の夫を持つ、「事実は小説より
 奇なり」を地でいく日本女性の壮大な物語。 〜その概略から
≪ 中国・京劇のスターだった夫婦、梁嘉禾さんと柴田真理さん。
 およそ20年前、残留孤児の妻と日本に移住。そのとき、夫は中国京劇の
 最高峰・国家一級俳優の座を捨てた。妻は「夫のすべてを奪ってしまった」
 と悔いるが、夫は「あなたといる今が一番幸せだ」と語る。
 日中戦争後の中国、文革などの激動の時代を生き抜いた二人。2010年秋、
 逆境を乗越えた末、夫は20年ぶりの舞台に立つ。〜2011年放送。 ≫
  〜ネットに、心のこもった投稿があった〜
《 このTVを観た後、一夜興奮して眠れなかった。涙がとめどもなく流れ、
枕をぬらした。1945年8月6日、麻里さんの両親は敗戦直前の上海で結婚した。
父は東京大学卒業、三菱商事武漢に勤めるエリート社員、母は裕福な20歳の
中国人美女、しかし7日後日本の敗戦、1946年父は強制収容そして日本へ強制
送還、その後は消息不明、中国人の母も日本人と結婚した罪で2年間の投獄、
柴田麻里さんが10歳になった時、母は人々から素性を隠し中国東北部の
貧農へ再婚、その後、麻里は柴麻里と中国名に改名し、京劇女優になった。
しかし、文化大革命の真っ只中、麻里は日本人の子であることが暴かれ 
いじめられ、傷つけられ、紅衛兵にも選ばれる事はなかった。そんな苦しみ
の中、京劇名優梁さんと出会い 恋愛・結婚。しかし、2人は一緒に住む事も
許されず、3年間の別居。再び、麻里は素性を隠すように、西の果て、遼寧省
に移り 夫婦で京劇に徹する。夫 梁さんは 国家1級演劇家として、将来を
期待されたが、日中国交回復後、中国残留孤児として妻の麻里さんは、京劇
仲間から「日本に帰れ」と、苛められ 激しい追い出し環境に耐え切れず、
2人は日本に住む事になる。そんな中、父はウルグアイで亡くなったと知る。
もう日本での親族発見も叶わず、福岡市の残留孤児仲間と一緒に住むうち、
柴田麻里さんは身体を壊し、始めた中華料理店も閉店に追い込まれ、日本政府
の僅かな援助金で、貧しい2人の生活は続く。そして昨年、麻里さんの母親は
亡くなり、母の散骨と、梁さんの京劇記念講演の為、再び遼寧省に向う。
2人の長い、辛い人生を象徴する、大地を走る列車の窓から見る夕焼けの空は
遠く霞んでいた。あの日中激動の下に、押しつぶされていった2人の人生、
哀しい人生だ、しかし誠実な夫と、美しい妻の愛情は今も、2人の人生を 
格調高く 結びつけている。美しい2人の後姿はいつまでも忘れられない。》
▼ 家内と、互いに見つめあうリタイア後からの生活の中で、生きること、
 老いること、夫婦とは、愛とは、厳しさ、優しさとは何かを考えてきた。
その答えが、この物語にあるような気がした。苦難は人生に付きもの。
それに日々、前向きに立向かうしかない。 一日一生の覚悟。

 


6597,閑話小題 〜お笑い副大臣

2019年04月08日(月)

    * コントのような
 人生をふり返えみると、自問自答を繰り返えす、正しくコント。
無知の知で、この程度の自分を笑えるだけ助かっている… コントと思えば
何ごとも許容できようというもの。
・再度、逮捕された日産のゴーン容疑者の妻が、夫逮捕の翌日、没収された
パスポート以外の他国籍パスポートで国外脱出をした。これはゴーン自身に
とって極めて不利。再度の逮捕の正当性を妻が肯定したことになる。
それを知ってか知らずか? これってコント? 
・地元出身の副大臣の御粗末な本音の「忖度発言」。自民党にとって極めて
甚大な失言になる。権力を持つ者の驕りが集約されている。安倍首相の忖度
問題が沈静してきたのに、この時期に寄りによって…  リップサービスと
いう言訳がコントそのもの。「また地元出身かよ」が自然と出てくる。
・地元の県議選、談合疑惑で棄権かどうか迷った末に、野党の候補者に批判票
として投票。それでも当人はトップ当選ともなれば、何をか言わん… 支持者の
忖度があったということ? ここは城下町長岡。この程度では落選はない。

   * 庭の梅の木に鶯が連日…
 庭の梅の木の花が満開で、このところ連日、鶯がやってきて「ほ〜ほけきょ」
と声高らかに鳴いている。全身が黒目で鶯色が混ざった小型の大きさ。絵に
なっている。何故か何時もカラスの鳴き声の直後に、飛び出していく。
この咲き具合だと梅の実が大量に穫れる。そして、梅の隣の桜、次が藤の開花に。
植えた両親は亡くなっても、花は、その時節に咲く。家庭とは家+庭の佇まいを
いう。家主が替わっても、そこの草木は育ち続け、花咲き、野鳥を受入れる。
梅も、桜も、藤も、老木?になったが、毎年、この時節に忠実に開花する、
4月上旬の春の息吹きが何とも嬉しい。そして、平成が春と共に終わる。。


・・・・・・
4772,ぼんやりの時間 ー5
2014年04月08日(火)
              「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「独」―独りでいること  ーぼんやり道
「ぼんやりの時間」は独りでいる時である。人間は生まれてくるときも、
死ぬときも独り。宇宙の一点に独りおかれた存在で、その背後には暗黒が
無限に広がっている。だから、自分という存在と、親しい人の存在が大事。
  ー以下の部分に納得するー
《 アン・モロウ・リンドバーグは1955年に『海からの贈りもの』を刊行
 している。この本には、多くの心に残る言葉がある。 たとえば
「今日、わたしたちは、ひとりになることを恐れるあまり、ひとりになる
ことができなくなっている」という言葉。いつもだれかとつるんでいたい、
群れていたいという習性になじんでくると、人はしだいに「独りになること」
が怖くなる。仲間はずれにされるのが恐ろしくなる。群れてみたからといって、
心が満たされるものでもないのだが、独りっきりになるよりはましだという
気持ちになり、人は群れようとする。A・M・リンドバーグはこうも書いている。
「わたしたちは、ひとりの時間を求めなければならない。ひとりで静かに
過ごす時間。ゆっくりと考える時間。祈りの時間。音楽、読書、そのほか
何かの勉強でも、仕事でも、自分を自分の内部に向かわせて、わたしたちを
分断しようとする各種の遠心的な力に抵抗しなければならない。」
 なぜ独りになるのか。独りでいることによって、人は「静かに過ごす時間」
というものを味わうことができるからだ。「ゆっくり考える時間しを過ごす
ことができるし「自分の内部」に思いを向ける時間をもつことができるからだ。
「空想にふける」時間も生まれる。『孤独の空間に自分の夢の花を咲かせる」
ことだってできるのだ。そして、独りでいることと、ぼんやりすることとは
かなり重なっている、と私は思う。・・(略)
「寄せては返す波。松林を吹き抜ける風。砂丘をゆったりとはばたきながら
飛んでいく都鶏。そんなものが、あわただしい都会の暮らし、時間割りや計画
のざわめきを消してくれる。そうして、ただそこに横になったままのわたしを、
あるがままでいさせてくれる。横になったわたしは、波で平らになった浜辺と
ひとつになる」。「ぼんやり道」というものがもしあるとすれば、このあたり
の文章はまさに「ぼんやり道の奥義」、といっていいだろう。
ただそこに横になっている。あるがままの自分がそこにいる。・・
 リンドバーグは、さらにこの本で、「孤独の力」といったことについて、
重要なことを書いている。「ひとりでいる時間は、一生のうちでもきわめて
重要な時間である。ある種の原動力は、わたしたちがひとりでいる時にだけ
湧いてくる。芸術家は創造するために、作家は考えを深めるために、音楽家は
作曲するために、そして聖者は祈るために、ひとりにならなければならない
ことを知っている」 独りでいる。独りでいることで、心安らかにぼんやり
することができる。ぼんやりしながら、いつか自分の内面と向き合っている。
謙虚な気持ちで、内面と向き合っている。・・・ 》
▼ 午前中の5時間は、ミニ書斎でブログの下書きと、修正、読書、ネット
 サーフィンのいずれかをしている。この時間帯は時間感覚が無くなって、
完全孤立の壺の中。没頭ないし、ぼんやりの世界という方が正確だろう。
 そこで生じた内容を公開していることもあり、日常の生活でも、孤立感とか、
孤独感が全くない。毎夜、4時間の爆睡後、うとうとしたり、夢をみたり、
急に頭が冴えわたったり、またぼんやりしている時の漆黒時間帯がある。
この孤独の3時間は、何ともいえぬ味がする。潜在意識と、顕在意識の際が
混濁した時間帯で、時空を超えたフラッシュが現れ出てくるが、決して
楽しくない。老いとは、この時間帯の感覚が、昼夜続く孤独な老人になって
いくこと。とすると!

・・・・・・
6234,閑話小題 〜ストーカーについて
2018年04月08日(日)
   * ストーカーの特徴とは
 最近、元アイドルにつきまとっていたタクシードライバーが逮捕された。
相手にされず逆恨みによるストーカーによる殺人事件も定期的に起こっている。
そこでストーカー研究者が上げる特徴を調べると…
 ・他人をコントロールしたがる(支配的な趣向)
  自らの言動を他人のせいにする(責任を持てない)
  社会的に孤立しやすい(社会への適応能力がない)
   の三つの性格を持つ。
 ・自分をつねに周りの被害者(犠牲者)と感じている
 ・日常的に嘘をつき騙すことが得意
 ・怒りをともなう愛情を持つ
 ・権利を主張したがり、他人への要求が多い
 ・拒絶を受け入れることが出来ない
 ・他人がいなくては自己を確立できない(依存心が高く、自立心がない)
 ・標準的か、もしくはそれ以上の高い知性を持つ
 
思い込みの激しい、唯我独尊の人で、まず浮かんだのが、刑事モノTV
ドラマ『相棒』の陣川公平、その人物像は、
【警視庁捜査一課の経理担当。階級は警部補。大阪府寝屋川市出身。
刑事を目指して部屋中指名手配犯の写真を張り巡らしているが、思い込みの
激しい性格のため、二度も誤認逮捕を起こして、一度特命係に左遷される。
すぐ捜査一課に復帰し、その後も度々登場するが、思い込みが激しく人の話を
聞かないキャラクターにどんどん拍車がかかって、あちこちの事件に首を
突っ込んではひと騒動起こしている。良くも悪くもお人好しなので、呆れられ
つつも人物評自体は悪くないが、その性格を利用される事も少ない無い。
思い込みが激しいために失敗が多いが、冷静に全体を俯瞰すると先の事を考え
行動出来る漢らしさを持っており、当て馬となって他人の恋を援助したり、
下記では杉下を先んじた事がある。】 とある。このタレントの演技が抜群。
<日常的に嘘をつき騙すことが得意>以外は、そのままストーカー・キャラ。

この幾つかの要素は、誰にもあるのだろうが… それが好意のある異性に
集中し暴走し、つきまとうとストーカーになる。4人の姉たちの薫陶と生身を
見ていた御蔭で、冷静でいられたが、巷には相性の良さそうな理想に近い女性
は思いの外、多い。数多の人を観てきた中で、この特徴を備えた人の顔が思い
浮かんできた。己が作り上げた虚構の世界に支配され、それが特定の女性に
向かった結果だが。被害者は恐ろしい限り。こういう人を「内省的」という
より、「内向的」、いや造語で、「内性的」というのだろう。
片想いなら誰もするが、それが発展して粘着し捻じれた結果だろうか。
元の連合いに、執着し発展するのもあるそうな! …で、図書館で、
『ストーカー加害者〜 私から、逃げて下さい』を借りてきた。
この本のサブタイトルで、粘着型、求愛型、一方型の分類が理解しやすい。
それぞれの好みがあって社会は成立している。その拗れた行為を言う。
当人曰く「隙だらけ!」というが。付いている機能は同じと考え及ばないから、
やはり無知の成せる業。何の世界は、男も大変だが、女は、もっと大変だ!

・・・・・・
5137,閑話小題 〜定年・夫婦で走った40日
2015年04月08日(水)
    * 定年・夫婦で走った40日
 昨日のアーカイブの番組が現在の自分を考えるのに丁度良い内容。
平日の朝9時のプレミアムアーカイブスを、隔週に一回位はみるが、
今回の『定年・夫婦で走った40日』が考えさせられた。恐らく旅行代理店
の企画だろうが、全ての車が乗用車に牽引するキャンピングカー。
48台が連なって走るのは西部に向かう幌馬車隊を髣髴させ、壮観。
  〜まず、NHKの番組案内より
≪ アメリカのテキサス州から中米のパナマまで、24台の車が連なって
 5000キロの旅に出た。旅をするのは夫婦で第二の人生を走り始めた
中高年夫婦たち。子どもが独立した夫婦。伴侶に先立たれ再婚同士の夫婦。
伴侶の思い出を抱きながら単身参加する男性。さまざまな夫婦がメキシコ
と中米6ヶ国を訪ね、向き合い、これからの人生を見つめた40日の
心の旅日記。 〜2001年放送分 ≫
▼ 47人の平均年齢が67歳、年齢は50〜70歳半ばまで。
 とすると、私と家内の平均と同じ。それぞれ夫婦の道中の会話で、人生を
振返り、語り合う。それまでの子育てと、それぞれの仕事のため、24時間、
向き合うことが無かった二人が、様々なトラブルの中で、協力し乗越えていく。
二人参加の旅は、夫婦関係にとって、非常に危険を伴う。普段、隠蔽?
されていたトラブルが、圧縮された移動空間で、噴火する。だから、成田離婚の
悲喜劇が起こる。ツアーで、百回以上の参加経験者がいても、夫婦の参加者の
10回以上は今までなかった。多くて7〜8回。 24組の参加者で、一組の
脱落者が出なかったことに驚かされた。夫が『二度、殺したくなった』に、
妻が『寝ているときでしょう。解っていたわ』は、何とも迫真があった。
ところで、キャンプ地の料金は、平均10ドル。帰りは同じ道を辿る。
「ぼんやり!時どき旅」が理想か。それとも「旅をしながら、ぼんやり」か。
・・・・・・・
3665, 関係性が問題
2011年04月08日(金)
 カーラジオで「夫婦間のトラブル」について、その道の専門家が「夫婦間の
問題は関係性にあって、一方的に相手が良い悪いとか、自分が良い悪いという
問題でない」と論じていたのが、いやに説得力があった。要は相性と、互いの
立場のバランスなどの関係に問題が存在する。それでは夫婦間の関係性とは、
そもそも何か! 二世帯同居の嫁姑の立場とか、マザコン夫とファザコン妻の
組み合わせだったり、長女の嫁と末子の夫の関係だったり(これは私だが・・)
色いろある。 互いが相手のマイナスを見つめあうのでなく、互いの置かれた
立場と条件を理解するしか手立てはない。恋人同士の関係は良かったが、夫婦
関係になったら、破局をするケースが多い。そして別れたと同時に、関係が良好
になって、結婚と離婚を繰り返す芸能人が多く見かけられる。リズとバートン
とか! 無知からくるのだろうが・・ 関係が重なるとネットになっていく。
ネットといえば、網目。それぞれ結び目で出来ている。
その結び目が関係性である。 
 ー ネットで、関係の意味を調べてみると ー
【関係】1 二つ以上の物事が互いにかかわり合うこと。また、
     そのかかわり合い。「前後の―から判断する」「事件に―する」
   2 あるものが他に対して影響力をもっていること。また、その影響。
   「気圧の―で耳鳴りがする」「国の将来に―する問題」
  3 人と人との間柄。また、縁故。「あの人とはどういう―ですか」
  「友好―を結ぶ」「父親の―で入社する」
 4 男女間の性的交渉。また、それをもつこと。「妻子のある男性と―する」
5 (他の名詞の下に付いて)その方面。そういう領域。「音楽―の仕事」
▼ 何ごとも、関係性の中で成立している。触媒の中でこそ、自己は成立。

・・・・・・・
5867,閑話小題 〜北越と第四銀行の経営統合 −2
2017年04月08日(土)
   * 大蔵直轄統治の大光は
・数日前になるが、地銀の第四と北越銀行頭取の合併に関する 記者会見が
TVニュースで流れていた。気のせいか、第四頭取は明るく、北越の頭取は
下向き加減の暗い顔をしていたような? しかし、健全な経営体質なら、
前向きの統合策として評価されて然るべき決断。で、残る大光は、地勢上から
他県の有力な地銀との連合が筋道なるが…  考えてみれば、今まで動きが
無かったのが不思議。デフレと、首都圏一極化と、情報化による地方経済の
疲弊は、直接、金融機関の劣化に正比例する。20数行あった都市銀行は三行
まで激減した中で、地銀以下の集約は無かった方が不自然であった。
銀行の本質は職業柄、高利貸しの悪質の特性をも持つ。力の有る者に媚り、
弱者から利益を毟り取る。世界最大規模を誇る柏崎・刈羽原発の再開が見込め
ない現在、地元経済の劣化は進む中で、締め付けは厳しくなる一方。それが
銀行憎しのガスを充満をしている。その最中のリストラの号砲一発。その弱肉
強食の現実が、世間とかいう人食いネズミ群の絶好の餌食?になっていく。
立場が一転、弱者の「こんなはずではなかった」へ、文字通りに立つ。
・バブル崩壊後、大手地銀自ら格下げをした「リソナ銀行」?が、バランス
からしてよい?…云々が、連想創作の「天の声」として1人歩きをしそうな。
長岡市内の4行のうち、二行が統合なら、残り二行の統合案も奇抜でない。
しかし、天領と、大波で削ぎ落とされた体質の銀行では、体質が違い過ぎる。
ちなみに次男の嫁さんと、両親がリソナ母体?の一つの旧埼玉銀行の出身。
また兄嫁が大手銀行出身。更に家内の妹が、一度退社後の子育てを終えた頃、
元上司に請われ、地銀のパートを20年続けている。 
・大蔵官僚として、天領の天下り先の地銀の『頭取』の座は残したいが、
問題は単独のリストラ能力の有無。直轄統治でも無理、と思うのは、官僚役人
の力を知らないから? このようなコンニャク政経談議。 今後、材料は
絶えることはない… 状況は条件の意味に近い。城下町小唄の世界にドップリ
浸かってしまった私。「事前の一策は、事後の百策に勝る」という。 
この時節が、先手かどうか。以下の「一切は、君の自由だ」に、無理があるが、
文脈としてつながる。 「未来の健全のために、ご自由に、どうぞ!


6596,閑話小題 〜即席・ショートショート −2

2019年04月07日(日)

 
   * 10年後の「技術的特異論者」の呟き
≪ 今から十年前の、この随想日記を紹介しよう。でも、83歳まで生きて
 いようとは思わなかった。成るほど「死にぞこない」である。しかし、
生死の際なればこそ、情報機器の進化の御蔭で、技術的特異の現象を味合う
ことができた。 10年前の、この文章を読もうと思ってもみなかった。
一年近く前に1万テーマを書上げた。これらの内容を同月同日に読返すことで、
脳の活性化が出来ていた。老いるとは、老いという病気が重症化を
していくことでもあった。 じゃあ、生きていて良かったかと言われれば、
「実に良かった」のが現実。世界は日々変わっていく。10年前に、
「技術的特異点」が2045年と言われていたが、既に、到達してしまった。 
今では世界は、AIの判断を最大限に徴用する風潮になっている。そうするしか
ないもの、正しいのだから。身体は老化で動きにくいけどね、小さなロボット
に、これまで書いた随想日記をインプットすると、その時の気分に応じて、
呼出してきて、その関連映像を、自動的にゴーグルに360度の視界に呼出して
くれる。嗅覚、味覚も、脳の神経を刺激することで再現できるとは…  
自分の過去も、例えば20歳の1966年の映像が、瞬時に次つぎと現れる。
それは、10年前でも可能だったけどね。 当時、ドローンって有っただろう。
あれがAI化して進化して、配送の世界を激変させたの。自動車のAI化の技術が、
様ざまな分野に応用されてね。何でも自動化されて、人間を駆除したしまって。
通貨も今では、多くはネット決済。仮想通貨も当り前だもの。無用階級の
人たちが殆ど。何もできない… 誰の責任でもない。生まれが悪かっただけ。
当時、生命誕生から40億年来の革命って書いていたでしょ。まったく、その
とおりになってね。 情報化って、何もかもが、直に評価され晒される。
この時代、物語化する能力が重要になってね。 何とか、それで昔を語っている
から、娑婆?に繋がってるし。 ≫ 

▼ 即席のショートショートだが、10年後の視点からの独り語りは疲れる。
 8割かたは生きていないだろうが、死損なって、読返したら何と思うか。
以前、みた映画 「LUCY/ルーシー 脳が覚醒した女 」を想いだした。
【 ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、台北のホテルでマフィアの
 闇取引に巻き込まれてしまう。マフィアは人間の体内にある物質を埋め込み、
その人間を海外に送り出すことで物質の密輸を行おうとしていたが、ルーシー
の体の中でその物質が漏れ出すアクシデントが発生。その影響により、普通の
人間なら全体の10%しか機能していない脳の機能が、徐々に覚醒していく。
脳の覚醒率が上がるに従い、超人的な力が解放されていくルーシーは、自分と
同じような人間を二度と生み出さないためにも、マフィアの計画を阻止するため
に動き始める。 …覚醒度が進んだルーシーは、他人の肉体、磁波、電波の制御
が可能になり、量子物理学、応用数学を含めた膨大な知識を脳にインプットし、
細胞核の無限の可能性を体感するようになります。】
 恐らく、このままの生活習慣を10年間も続け、情報機器の進化に馴化すると、
ヒロインのルーシーの数十分の一まででないとしても、脳力は、現在と比べて
数倍、数十倍にアップするのでは? それが世界中の人々ともなると… 
考え合わせると、人類の、そう遠くない未来に悲観的になる。
<アッラーの御望みで、一度、清算を…>などと考える輩が出てくる可能性が。

・・・・・・
6233,閑話小題 〜「人は成熟するにつれて若くなる」
2018年04月07日(土)
        『人は成熟するにつれて若くなる』ヘルマン・ヘッセ (著),‎
   * 成熟は、若さを誘う
<「わがままこそ最高の美徳」>と同様、Amazon内検索で見つけたヘッセの本。
還暦、古希を過ぎて暫く経つが、肉体の劣ろいは感じても、気持ちは40、50歳時
と殆ど変わってない。後先が少ないためだろうが、好奇心だけは、ますます冴え
わたっている。老化で「バカの壁」が薄れてきたためだろう。私としては、
「成熟のため!」と思いたいが、如何考えても思い当たる節がない。
以下のヘッセの言葉は、鋭く私に問いかける。
 ――
             <☆は、思い立ったこと>
≪・<老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階とおなじ
 ように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ。>
 
・<老齢が苦しみをもたらすこと、そしてその終点に死があることは誰でも
 知っている。私たちは年ごとにいけにえを捧げ、諦めなければならない。
私たちは自分たちの感覚と力に不審を抱くことを学ばなくてはならない。>
  ☆ 生贄ですか、あれが生贄… 。

・<六十年、七十年来もうこの世にはいない人びとの姿と人びとの顔が私たちの
 心に生きつづけ、私たちのものとなり、私たちの相手をし、生きた眼で私たち
を見つめるのである。いつの間にかなくなってしまった、あるいはすっかり
変わってしまった家や、庭や、町を、私たちは昔のままに、完全な姿で見る。
そして私たちが何十年も前に旅の途上で見たはるかな山々や海岸を、私たちは
鮮やかに、色彩豊かに私たちの記憶の絵本の中に再発見する。>
  ☆ 最近、故人も、現に生きている人も、同列に思えるようになってきた。

・<見ること、観察すること、瞑想することが、しだいに習慣となり、訓練と
 なって、気づかぬうちに観察者の気分と態度が私たちの行動全体に浸透してくる。
望みや夢想や欲望や情熱に駆り立てられて、私たちは人間の大部分がそうである
ように、私たちの生涯の何年も何十年ものあいだ、あせり、いらいらし、緊張し、
期待に満ち、実現あるいは幻滅のたびごとに激しく興奮してきた。
―そして今日、私たち自身の絵本を注意深くめくりながら、あの疾駆と狂奔から
逃れて『ヴィータ・コンテムプラティーヴァ』、すなわち『静観の生活』に
到達したことが、どんなにすばらしく、価値のあることであるかに驚嘆する。>
  ☆ この過去文を読んで、毎日、実感している。

・< 若い人びとが、その力と無知の優越性をもって私たちを笑いものにし、
 私たちのぎこちない歩き方や、白髪や、筋だらけの首を滑稽だと思うなら、
私たちは昔、同じように力と無知をもって老人をせせら笑ったことがあったこと
を思い出そう。そして敗北感を味わうのではなく、優越感をもって私たちが年を
とってそのような年代を卒業し、ちょっぴり賢くなり辛抱強くなったと考えよう。>
  ☆ 上杉鷹山の言葉といわれる【 子ども叱るな来た道だもの年寄り笑うな
 行く道だもの来た道 行く道 二人旅これから通る今日の道通り直しのできぬ道】
が思い浮かんできた。 人生の何れかの途上で世界をみている。そうこう言って
いるうちにゲームオーバー、プッツン! そう簡単に死なせてくれないか?


▼ 老い先短くなると、寺山修司の<ふりむくな ふりむくな 後ろには夢がない>
 の言葉が空虚に聞こえてくる。 <ふりむけ ふりむけ 先には時間がない>
になる。だから、焦り、苛立つ老人が徘徊する。その一人ですか? 
 女子供に近づくな!というが、あと、老人を加えた方がいい。耄碌とは呆けに
妄想が加わるから恐ろしい。その世界に一歩も、二歩も、踏み込んでしまった。

・・・・・・
4404, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −4
2013年04月07日(日)
  * 第三時限 いい加減にしなさい 
           ー「隠居大学」天野祐吉、お相手 赤瀬川原平 
「遠き日は 年とるごとに 近くなり」 という句があるが、最近、特に
感じているのは私だけでないだろう。御隠居は日々この感慨を持ちながら
人生を振りかえ鳥瞰し、残された一日一日を噛み締め味わう楽しみがある。
隠居生活は娑婆(雑多な日常)から隠れることであって、人生からの御隠れ
ではない。起承転結の「転結」を「転々」に変え、転がりながら最期を
迎えること。 それもこれも、どうでもよいこと! ーその辺りを抜粋ー
≪ 天野: 力を抜いて自分をコントロールする上で、老人力は非常に重要な
 要素じゃないですか。前回のゲストの外山滋比古さんは、忘れるということ
 がいかに重要かという話をしてくれたんです。第二の人生で定年まで、
 一生懸命詰め込んだような知識は、第二の人生で自由に生きるというとき
 には何の役にも立たない。そんなものは、思いっきりきれいに忘れて
 しまったほうがいい、というふうに。
赤瀬川: いらないものを捨てたら、キャパが広がりますしね。
天野: そう。頭の容積は決まっているわけだから、サラ地にして、
 新しい作物をつくりましょうという話をしていただいてね。
 そのときにも赤瀬川さんの『老人力』のお話を思い出していたんです。
 老人は忘れっぽいということで世の中はいけないことのように思っている
 けれど、そうではないんだと。たとえば、若い人は失恋なんかしたら大変で、
 その苦しみや悲しみを忘れることができなくていつまでもメソメソ悩む。
 でも老人は「忘却力」を身につけているから、すぐに忘れてしまう。
赤瀬川: ええ、強い忘却力を持っていますね。
天野: そう、これまでマイナスイメージでしかなかった「忘れっぽさ」
 をそんな悪いもんじゃない、というふうに書かれていた。あの本は、
 ものすごいベストセラーになったけれども、どういうつもりで買ったので
 しょうね。老人はまだ社会に役に立つとでも思ったのでしょうね。実際は
 違うのに。・・ ボケたとかモウロクしたのが、老人力がついたとか
 ポジティブに書かれて悪い気がしないですよね。≫
▼ 「神様(自然)は、老いの苦悩苦痛を和らげるため、忘却と鈍感さを
 与えて下さった」という解釈がある。老いて今さら気ばんでも致しかたが
 ないし、運命に従うしかない。忘却といえば、この随想日記。書き上げ
 アップロードをした瞬間、内容は勿論、テーマすら綺麗さっぱり忘れて、
 頭は翌日のテーマと内容になる。直後から次回分の書き直しを始めるからだ。
 だから数時間後でも、その文に対し第三者になっている。この最大の収穫は、
 過去に書いた同月同日分12年分の文章に出会うこと。時空を超えた自分に
 毎朝出会うのも良いもの。また「(自)己の分」の限界も見えてくる。
 それを第三者に曝すのも自虐だが「所詮こんなもの」という諦観が出来る。
 「いい加減にしろ、先は短いのだから娑婆気を減らせ」ということ。
・・・・・・
4771,ぼんやりの時間 ー4
2014年04月07日(月)
             「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
  * 「ぼんやり」と響き合う一文字 ー�
 響き合う一文字で、言葉の意味を考える方法もあるのだ。
そして、以下の5文字がよい。その最初が闇とは・・ 
闇は人を思索の世界に誘う。「ぼんやり」とは、闇の世界で迷子に
なっている状態なのか。 その5文字は
1、「闇」―蛍と星とダークマター
2、「独」―独りでいること
3、「閑」―逆茂木に囲まれて
4、「怠」―「1日4時間労働」の夢
5、「懶」―心の余白 である。
   ☆ まずは「闇」から
《 消えてはまた光って飛びつづけている。お前さんは、眠るのを忘れて
 しまったのか、恋人が見つけられず、そうやってふらふらしていたのか、
いつまで舞いつづけるつもりなのか、とらちもないことを思って見守って
いるうちに、蛍の光はふっと消えた。力を出し尽くしてくたびれてしまった
のかもしれないし、劇的なめぐりあいがあったのかもしれない・・
崖の上に何本かの椎の木が闇につつまれている。その梢の間に光るものがあり、
一瞬、それもまた蛍かと思ったが、星だった。蛍の光とは違って、星の光は
ずっと小さく、冷たい感じだった。 夜空の闇の広さを見ながら、宇宙では
やはり闇が主役なのだという思いがわいた。ごく感覚的にいえば、
銀河の壮麗さは、澄みきった大気に包まれた闇があってはじめて私たちの
視界に入るのだろうし、月を見る楽しさも透明な闇の濃さに左右されるはず。
花火の豪華けん麗さをひきたてるのも真の闇で、真の闇を失えぱ、花火は
いくら塀を競っても人をひきつけない。蛍だって、闇があるからこそ光を
放つことの意味が出てくる。夜の景色の基調は、なんといっても闇なのだ。 
・・ いや、本音をいえば、私は光より闇、陽より陰、実よりも虚、
緊より緩、作為より無為、色よりも空などが、よほど、この世の仕組みを
つくっているのに大切な役割を果たしているはずと思っている。・・ 》
▼ ここで、宇宙を支配しているダークマター、ダークエネルギーを引合に
 だし、宇宙を本当の主役は暗黒物質とその エネルギーとして、考えると
闇の大切が、人生論で「ぼんやりのたいせつさが」が、重なりみえてくる。
そうである、もっともっとボ〜っとするべきである。
・・・・・・
4030, 一時停止  ー谷川俊太郎ー自選散文
2012年04月07日(土)
        「一時停止」 谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
 図書館で借りてきたが、直ぐにアマゾンで購入した。谷川俊太郎の詩集や
特集の雑誌を何冊か、読んできた。その散文集なら面白くないわけがない。
谷川の詩も文章も、ストンと心に落ちて振動する。青年期に、谷川の著書を
読んでいたら、人生は変わってはず。 言葉を仕事にしている詩人の書いた
文章は、分かりやすい。読み手の目線を常に意識しているためだ。
  * 「青年という獣」1957年 ーより
≪・・生きているということと、生活しているということとの相違をもっとも
 てっと早やく云えば、前者を非人間的、後者を人間的と云って 差しつかい
ないだろうとぼくは思う。生きるとは、コスモスの中に生きることだが、生活
するとは、人間の社会の中に生きることだ。現代ではこの違いを理解する人は
少ない。下手をすると、コスモスなどという言葉は野暮な言葉で、悪くすると
危険な言葉にされかねない。青年は意識的、無意識的にかかわらず、これに
抗議する。青年は生きようとするものであって、生活しようとするのではない。
一見如何にソシアルに見える彼の行為も、その意味では本当にソシアルになり
得ないものだとぼくは思う。何故なら、人間以外のものになることを、いやいや
ながらでもあきらめてこそ、始めて人は人間になれるものだからだ。
人間は生活という唯一の現実によって人間になる。青年は生活以外のすべての
夢によって青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を
喰って生きる位の非人間的な強さをもつていなければならぬ。
倦怠はおそかれはやかれ彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、
青年は彼の役割を果さねばならぬ。ビリイ・ザ・キッドは若かつた。
彼は太陽や風や、残酷な青空や、愛らしい女を知つていた。彼はコスモスと
その中の生命に気づいていた。彼は人間や、その生活などを知りはしなかった。
彼が強かつたのはそのためだ。彼は死のもつ非人間的な意味だけに気づいていた。
死のもつ人間的な意味などに気をとられなかつた。彼の手が震えなかつたのは
そのためだ。そのためにこそ、彼は人間としても偉かった。彼は人間を代表して、
コスモスの真只中に立つてひるまなかつた。彼は人聞を殺すことで、
コスモスと戦った。 ≫
▼ 創業は、全く経験のない思い込みの未知の生命体を創り上げること。
 それは「生きる」分野にある。それは創業という獣的行為。生活のためで
あっても、それを創るには人間性を、普通の生活者の考えを、根こそぎ捨てて
かからなければならない。ここで、「青年は生活以外のすべての夢によって
青年になる。青年は人間である必要はないのだ。彼は自分の夢を喰って生きる
くらいの非人間的な強さをもつていなければならぬ。倦怠はおそかれはやかれ
彼を襲うのだ。その前に彼の肉体がまだ新しいうちに、青年は彼の役割を
果さねばならぬ。」とある。新たな事業を始めよう決心した瞬間から、非人間的
になる。獣にならなくては創業など不可能。何時の間に獣から普通の生活者に
なっていた。地元の生活者の中の創業は獣の姿を曝すことになる。 
本当の生活者になるのは、これから。 


6595,閑話小題 〜つれづれに哲学 〜考えましょうよ

2019年04月06日(土)


   * 一番の重労働は、「考える」ということ!
 ブルームバーグの言葉… 
<考えるということは、あらゆる作業の中で一番の重労働なのですが、そこを
 省いてしまう人が多い。そこを楽にしようとしても、何も手に入らない。>
何ごとも、利益の源泉となるのは、肉体的な労働で汗をかくことでなく、物事を
効率化できる仕組みや方法を考えること。 その為には、まずは絶対量の読書
の確保から、その質を高める生活習慣が必要となる。それを確保するために、
早朝の多くが寝入っている時間帯と、移動時間などの豆(隙間)時間の活用から
始めることが第一歩。人は経験と、触媒の範囲からしか、考えることはできない。
烏合の衆的集まりとの触媒は、「独りに徹して考える重労働」を放棄した人の
群れのため、表面的付き合いに陥ってしまう傾向が強い。「哲学とは、考える
ことを考える学問分野。 早々に、ベースに組込んでおく必要がある。
世間話だけで生きている9割方の一員として、些細な世事の判事、検事、弁護士、
時には被告、訴追者になり、それしか知らない世界で、現実の世界に溺れた
土左衛門として生涯を過ごす。昨日録画をしてあったギャング映画で、
殺し屋の呟きが強烈であった。 大雑把だが… 
<黙っている奴に気をつけろ、奴らが何を観察しているか、何処に注意を向けて
いるか、何を考えているかに全神経をはる訓練をすること。そして黙ること!
沈黙、孤独、目立たないこと。いざ、行動の前に、考えて考えて考えること。
そして一度、決定したら怒涛の如く実行することさ。それ以上に、断念の決断も。>
考えることを、「働き」「遊び」「学び」の何処に重心を置くか、その三位一体
とみるか。まあ、考え過ぎて、捩じれた己が脳も問題もあるが、考えないのは?
 たしかに、「考えるのは重労働」。 でも、面白くして軽減することは可能。
「バカな考え、休むに似たり」があるが… 「バカ考え」を考えている内に
己がバカに気づくだろうから、考えないより、まだマシ? いや、その分、
他を楽しめるはずだから、ボーッとした方が、周囲の迷惑にならない? 
 
 後記: これまた偶然だが、以下の内容が、丁度、脈絡として続く。
    ふと見ると、昨日、図書館で借りてきた本が
   『人生の9割は逃げていい。』井口晃著 があった。次回のテーマ?

――――
6232,閑話小題 〜逃げろ、生きろ
2018年04月06日(金)
              <「群れるな」寺山修二著>
   * 逃げろ、生きろー 『旅の詩集』より
 強烈なインパクトのある文章である。
誰の心の奥底には、生命が進化してきた過程に、あるいは、「若気の至り」
による原罪が隠されている。その「若気の至り」の儀礼通過をしてない人間を
私は信じないと下ネタ女流作家の言葉があって。 寺山は、アメリカで、これを
目にして、逃げた奴隷は、今でも逃げ続けているのだろう、そして「逃げろ、
生きろ」と思ったと… 
 
≪ アメリカへ行ったときの話をしよう。私はケンタッキーの旧家に民宿し、
 チャーチル・タウンで行われるケンタッキー・ダービーの開催日を待っていた。
夜中に停電があって、庭では犬が吠えていた。女主人はもう九十歳を過ぎていた
ので、私がかわって、地下室にある配電盤をたしかめにゆくことになり、燭台を
もって石の階段を下りていった。私はそこで、思いがけぬものを見出したのだった。
 「逃げたわが家の奴隷をさがしています 懸賞金つきです」
それは卒業証書か何かのように、額に入っていたが、中には一人の黒人の写真が
入っているのだった。写真の中で、黒人は笑っていた。私には、この埃をかむった
古い手配書がどんなドラマを秘めているのかよくわからなかった。
おそらく、事件の核心にふれるためには「アメリカの歴史」にまでかかわって
いかねばならないことだろう。
しかし、逃げていった一人の黒人は、(百年の時の経過を超えて)いまでも、
まだ、シカゴかマンハッタンのハーレムにかくれているのではないか、という
気がした。かくれている黒人は、ときどき、このケンタッキーの家のことを思い
出すこともあるだろう。夏に咲く花のことや、喘息病みの女主人のこと。
そして、一度逃げはじめたものにとっては「逃げる」ことが生きることになり、
どんな充たされた場所や条件を与えられたとしても、定住すること自体が桎梏
であるということに気づき、「永久逃亡」のほかに、生きるすべがないという
ことを悟るのである。≫


▼ 昔みた重い夢の話をしよう。私が、強姦をして山の中に埋めた殺人者本人に
 なって逃亡している夢である。前もっていうが、〈男の多くが、この類の夢を
みている〉ことを、あるフロイト系の本で知ったが、当時は全く知らなかった。
その夢が連続したドラマになって、毎晩のように続いていたことがあった。
そう、アメリカのTv連続ドラマ『逃亡者』があった。それもあって、この内容に
異様に反応したのだろう。私は引き際は心得ている。これが私の特徴でもある。
 7年前も! その30年数年前も然り。昔みた夢の殺人犯が、自分自身の心底に
ある原罪である。 良くいえば、自己配転、予定挫折。悪くいえば、「逃走」
になる決断。それに対峙する私に、「逃げろ、生きろ!」と、絶叫する誰か! 
「永久逃亡」しか、生きるすべがないのが人間。若い時、勤務先の老いた夜勤の
(太平洋戦争の生残りのパイロットだったという)オジサンに言われた一言。
 「黒い影が見受けられるが、何に追われているの?」。 今から思うと、
「自分の理想の影」。青雲の影である。今でも、逃げ回っているのだろう。
無知蒙昧のバカの影である。面白いのが、他者の陰影の重なり。殺人逃亡犯が、
逮捕をされ、監獄で大イビキを書き、寝入っている日々? 
 ここで、「捨てる」ー『書を捨てよ、町へ出よう』に対する某・書評が良い!
【 一つの時代に、詩人がいた。その詩人は、ライスカレーの幸福に安逸する
サラリーマンに嘆息し、生活を極貧の底に落とす程に全てを捧げてでも
マセラティ(イタ車)を買えと、平均を逸した極点を持てと言った。詩作も、
競馬も、自殺も、その手段だ。時代を捉える言葉がある。社会評論家が語る
無味乾燥な「分析」ではなく、例えば文学の中にポロッと出て来る、その時代に
おける「いま、ここ」を捉える言葉。それはもちろん、僕たちの「いま、ここ」
ではない。しかしご存知の通り、そのかつての「いま、ここ」は、時に千年の時
をも耐えて語り継がれることもある。】

・・・・・・
4403, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ −3
2013年04月06日(土)
        『 隠居大学ーよく遊びよく遊べ 』天野祐吉、お相手
* 第二時限 「ゆっくり急げ」 外山滋比古講師
   ー人生二毛作の進めー
 二期作と二毛作の違い、「二毛作は、ひとつの耕地で、一年で種類のちがう
作物を二度栽培すること。二期作は同じ作物を二度栽培をすること。
人生においては、二毛作をすべし!」と、「ゆっくり急げ」が御隠居の要。
 そのために、これまた長年かけた準備が必要になる。土壌は今さら変える
ことは無理。ならば移住するか、その土壌に合った新しい作物を長年かけて
用意しておかなければならない。  ーその辺りを抜粋するー
≪ 外山:わたしもそうですが、長いこと組織の従業員をやってきた
 サラリーマンの場合はですね、それまでの価値観を、いっぺんひっくり
返さないといけません。前半の人生ではだれかに仕えていた人も、後半の人生
は自分が自分の大将になり、自力で道を歩むための新しい志をかかげなければ。
そういう意味で、この隠居大学というのは、たいへん面白い試みですね。
天野:あまり実践的でない大学ですが、気楽におしゃべりで、いろいろな
隠居の楽しみ方を紹介する遊び場になればいいと思っているんですよ。
ところで、外山さんの『「人生二毛作」のすすめ』、すごく面白く読ませて
もらいました。二毛作っていうのは、ひとつの耕地で、種類のちがう作物を
二度栽培することですよね。たとえば、春から夏にかけて稲をつくったら、
二回目は大豆や麦なんかをつくる心つまり隠居の楽しみというのは二毛作目の
ようなものであって、前半の人生と同じものをつくったんじゃ面白みがないと。
外山:そうそう。人生も折り返し地点に来ると、価値観というものがおおむね
 逆になります。そもそも、前半で立てた志というのは、学校出て就職したら
ある程度の方向が決まってしまうようないいかげんな志です。わたし自身も
そうでしたが、いちどエスカレしターに乗ったら、自分の力で歩かなくても
成長しているような気になって、それでは本当に生きてきたといえるかどうか。
天野:もし二毛作にチャレンジしなかったら、どうなるんでしょう。二期作と
 いうのかな。前半の人生と同じものをつくる。たとえば、定年を迎えたけれど、
嘱託社員として会社に残って、空いた時間で好きなことをするというような・・
世の中には、そういう隠居スタイルの人もいると思うんですけど。 
外山:いや、それはエセ隠居です。高級官僚の天下りがいい例です。二毛作目
 をやるのは面倒くさいし、自信がないから、とにかく一毛作の延長で行こう
としがみつく。そんな甘い考えではいい年寄りになれません。といってもわたし
もね、少々まわり道をしたんですよ。大学で教師をしていたんですが、最初の
勤め先を定年退職後、もう一度別の学校に勤めに出たが、がよくなかった。≫
▼ 私の長年の友人は、ほぼ二毛作の人生を過ごし三毛作の人もいる。
 転進すべき節目時に決断している。情報を持っていたのである。逆に一毛作
でハッピーエンドだったら、小さな畑で隣の田畑と比べるだけの水平の人生も、
それもご愛嬌。 価値観の転換など関係のないのも、これも人生。
死んで三日も経てば、みな同じ。あるのは?永遠の虚空だけ!
・・・・・・
5500,閑話小題 〜『男って、定年になったらいらないのよね!』〜
2016年04月06日(水)
          『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
  * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  〜その辺りから〜  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ』
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。
・・・・・・
4770,ぼんやりの時間 ー3
2014年04月06日(日)
           「ぼんやりの時間」辰濃 和男(著) 
  * ぼんやりと過ごすために ―その時間と空間
次の問いかけー「むだな時間」はむだか?ーの問いが考えさせられる。 
  まずはーアマゾンのレビューよりー
《 ミヒャエル・エンデの傑作「モモ」の主人公は「ぼんやりしている時間」
 を大切にする少女だ。・・ エンデの作品は、時間泥棒の「灰色の紳士たち」
が、人々から「時間」を奪っていく物語だ。むだだと思われる時間を奪われた
人々の暮らしはどうなるか。それが「モモ」の主題だ。ぼやーっとしている
時間はそれこそ、むだそのものだ。効率至上主義者はそう言うだろう。
むだな時間を幾ら重ねても何の稼ぎにもならない。灰色の紳士たち、つまり
時間泥棒たちは、人々の心に忍び込んでは「むだな時間」を節約し、その分を
『時間貯蓄銀行』に預けなさい」と誘う。銀行に預けられた時間は、すべて
灰色の紳士たちが生存するために使われてしまう。いわば詐欺そのものなの
だが、人々は詐欺とは気がつかず、せっせとむだな時間を削っては、その分、
自分たちの生活を貧しくしてゆく。モモは何処からかふらりとその地にやって
きた少女だった。土地の人たちの好意で、古い円形劇場跡の一角に住まわせて
もらう。少女は、夜空を眺め、夜空の発する「荘厳なしずけさ」をひたすら
聴くのが好きだった。モモにとっては、このぼんやりの時間はけしてむだな
時間ではない。宇宙の静寂の中で時を過ごすと言うのは、モモがモモらしく
生きるための、大切な時間だった。夜空を眺める時間を持つことで、モモは
「荘厳なしずけさ」を感ずることが出来たし、何よりもそういう時間を持つ
ことで、曇りのない目を持つことが出来、灰色の紳士たちのインチキを見破る
ことが出来るのだった。かなしいことに、私たち現代人は、夜空をしみじみと
仰ぐ習性からしだいに遠ざかっている。利潤、効率、管理、豪華さ、スピード
とか、そういうものを生活の拠所とする人々が増え、夜空を眺めるなんて
無駄なことだ、と思う人が増えてきた。しかし、そのむだは本当にむだなこと
なのか。そういうむだがあるからこそ、生活はむしろ、ゆたかなものになって
いるのではないかとエンデは問いかける。》
▼「モモ」の時間が、何か日本人の預金のように感じられる。それを狙った
 偽札が、米国と日本の国債の紙切れ。国内に不安を押し付け、さほど多く
ない収入から、年金をかけさせ、預金をさせ、それと国債を交換するシステム。
その国債の価値の上げ下げの決定権も当然、彼らが持っている。金融工学など
の言葉は詐欺工学と言い換えてよい。おちおちしていると全てを失ってしまう。
豊かさには、お金など資産と、知識と、品性と、時間などがある。
その中で、一番に大事なことが、それぞれ平等に与えられた時間である。
だから、ぼんやりすべきか?、ぼんやりしてないで、有効に使うか? 
その人により違ってくる。ぼんやりの時間は、自然瞑想に近い心の状態では
ないか。『よく働き、よく学び、よく遊べ、しかし時どき、ボ〜ッとした
時間を持って、それを味わいなさい!』ということ。


6594,閑話小題 〜つれづれに 地方選挙

2019年04月05日(金)



 春の甲子園の高校野球は、愛知県の東邦高校が優勝。
石川という投手が一番の殊勲者。 平成元年に父親が当時の一員で優勝。
平成の最終年に息子が優勝した親子鷹。念じただけでは出来ようもない。
そこに信念の力が必要。人生を物語化して生きた親子の物語が、現実にあった。

 日産のゴーンが再び逮捕。一度、逮捕された人が再度、逮捕されるのは
異例中の異例。記者会見を予定するなど明らかに挑発的態度のためか? 
検察も元は役人。欧米が牛耳る世界で、よくぞ踏ん張るもの。それも日産の
内部リークがあればこそ。この物語は、まだ序盤。まだまだ…
極東、日本の東京の留置場で、ゴーン様、何を考えている? 所業からみて、
よほど見下していたのか。

 再び県内出身の副大臣が、失言で失脚直前。こともあろうに、
『公共事業の推進を、麻生副総理に「忖度した」』と口を滑らせた塚田一郎
国土交通副大臣。その瞬間、この男の政治生命を自ら断ったことになる。
 
 地元の星野県議も。秘書の忖度行為で逮捕されて然るべき状況?だが… 
選挙後ということ? さもなければ長岡的談合? これでも当選するのが
長岡の長岡たる由縁の濃厚なシガラミか。 さて、この状況でどう判断? 
当選すれば、この異様な城下町体質を晒すことに。それも必要なら… 
 で投票、如何しよう? 今後の『何』を考えて、何せ自分を『地元便利屋』
が売りの、やはり星野先生ですか。リバラル派ってのは何の役にも立たないし。
  
 地元密着の県議の、こういう人物こそ、あるべき姿ですか。
中越地区の中核都市の長岡は、何やら厳しい激風が吹き荒んでいる。そこに、
前県知事の少女買春とか、塚田代議士などの政治家の質の問題が。上は首都圏、
下は新潟市のストロー効果と、柏崎・刈羽原発の休止問題が重なっている。 
厳しいが、そこが雪国の県民性。何とかなるでしょう。 
これらを他人事で済まされる年金生活者は気楽な稼業。所詮は、無用階級者
の戯言。 自虐的自己対話で何とか息をしている日々ですか、
 
 後記: いいな〜、以下の断章!
・・・・・・
6231,閑話小題 〜遊びについての断章
2018年04月05日(木)
            <「群れるな」寺山修二著>

 昨日、「加山雄三とヨット」のテーマで、遊びについて書いたが、手元に
図書館から借りて積上げてある10冊の本の中に、『遊びについての断章』が
あった。これまで「遊び」について繰返しテーマにしてきた。
 「遊べるうちに遊んできなさい! 直、泣くときが来るんだから!」と
諭され、数十年が経つ。確かに切ない場面が多々、あったが、その数倍、
数十倍、楽しいことがあったのが実感。遊びの価値を両親の後ろ姿に
学んだことに加え、学生時代に味わっていたこともある。
      
   * 『遊びについての断章』 
       ー人生は遊びながら年老いて行く―
 ‘JRA’のCMのために書いた原稿。
実際に使われたものはこれからの抜粋である。
このCMのなかでの寺山は得意の肩かけコートで町をあるき、府中のスタンドを
バックにたたずむ。その後ろであの独特の語り口でこの断片を朗読していた。
 
――

かもめは飛びながら歌をおぼえ
人生は遊びながら年老いてゆく
   *
遊びはもうひとつの人生である
そこにはめぐり逢いも別れもある
人は遊びのなかであることを思い出し、あることを忘れ、
そしてあることを捨てる
   *
人はだれでも
遊びという名の劇場をもつことができる
悲劇 喜劇 活劇 メロドラマ
そこで人は主役になり、同時に観客になることもできる
   *
ぼくは人力飛行にあこがれていました
飛行機はただの道具にすぎなかったが、飛ぶことは思想でした
ぼくあ大空を見あげて思いました
プライバシーなんかいらない
フライバシーがほしい、と
遊ぶことは 冒険することであり、
ためすことであり、知ることだったのです
ぼくは「運の悪い女」がきらいです
なぜなら「運の悪い女」には、人生が一つしかないからです
遊びは、不運な人たちにも
「もう一つの人生」があることを教えてくれるのです
だからぼくは、いつでも自分に掛ける
   *
どういうものか「誰が故郷を思わざる」という歌をうたうと、
ツキがまわってくるんです
はじめて競馬場へ行ったとき
はじめて玉突きを覚えたとき
はじめて女を口説いたとき
だからぼくは
皆で一度、一緒に唄ってみたらいいんじゃないかと思っているんです
政治の悪い時代には、「誰が故郷を思わざる」でも唄ってみる
そういうもんじゃないのかな、遊びなんて
   * 
人生が終わると、遊びも終わってしまう
しかし、遊びが終わっても人生は終わらない
遊びは何べんでも終わることができるから、何べんでもやり直しができる
出会いと別れのくり返し
そこが遊びのいいところなんだね
   *
人生では敗けられないが、遊びなら敗けられる
そして敗けを知ったものだけが味わえる風景というものがある
「誰が故郷を思わざる」なんて唄は
競馬をやったことのある者にしか、味わうことができない唄ではないだろうか
   *
人生が、いつばん安上がりの遊びである
死が、いちばん高くつく遊びである
   *
遊びは、人生の時刻表である
人はそこに立ち止まり、自分の乗る汽車をえらぶ
人生は汽車である
旅をしながら年老いてゆく
   *
遊びは不幸な人間の第二の人生である
遊びは不幸な人間の第二の魂である
   *
人は誰でも、もう一つの人生をもつことができる
それは遊びである
ドストエフスキーは言っている
「一杯の茶のために、世界など滅びていい」
   *
夢の中で無くしたものを
目がさめてからさがしたって見つかる訳はない
現実で失くしたものを、夢の中でさがしたって見つかる訳はない
人は誰でも二つの人生をもつことができる
遊びは、そのことを教えてくれるのです


▼ 個人のHP内の検索で調べると、次々と出てきた。
 まあ真面目に遊びながら書いだこと。


――――
2688, 「エリック・ホッファーの 人間とは何か」
2008年08月14日(木)
                   −読書日記−
 ー遊びをせんと生まれけむー
亡き佐治敬三氏がサントリーの会長だった頃(1995年頃)、
口ぐせのように言っていた言葉に「美感遊創」がある。

・「美」は、羊が大きいが語源。大きく艶やかな羊の美しさを表わしている。
美に感応する心である。
・「感」は、 感性、感動、共感。 旅に出て自分の世界の外に出会って感動したり、
  絵画、音楽、映画、演劇などに感動することが人生を豊かにしてくれる。
・「遊」は、神代の昔から人間にとって一番大事なこと。 
「遊びをせんとや生まれけむ」と「梁塵秘抄」にあるように、人間は「ホモ・ルーデンス」。
  遊ぶことで人間性を回復し、活力を得る。遊び心。
・「創」は、新しい断面、局面を切り開いて、個性のある創造をすること。
一瞬の新しいものへのシュンパツ力。 以上だが、この4つが人間の心の豊かさの要素。 
確かに、人生はこれを磨くプロセスであった。この中でも、「遊び」が、
人間にとって最も有用な行為になる。

「エリック・ホッファーの 人間とは何か」という著書に、
 遊びについて次のように述べている。
《実用的な道具はほとんどすべて非実用的な関心の追求や暇つぶしにその起源がある。
最初に家畜化された動物ー小犬1は、もつとも役に立つ動物ではなく、もつとも遊び
好きな動物であった。猟犬が出現したのはかなり後のことである。最初に家畜化された
動物は子供たちのぺットであった。おそらく,植物栽培と灌漑も、初めは遊びとして
行なわれたのである。 車輪・帆、煉瓦なども遊びの中で発明された可能性が強い。 
たとえば、南アメリカのアステカ人は車輪を使わなかったが、足の代りにローラーを
つけた動物の玩具をもっていた。装飾が衣服に先行した。弓は武器となる以前は楽器
であったといわれている。人間が初めて粘土を使用したのも、土器をつくるためではなく、
土偶をつくるためであった。 こう見てくればわかるように、昔から人間のもつとも
有用な行為は、遊びであった。土器をつくり、布を織り・金属を加工し、動物を飼育
するはるか以前に、人間は絵を描き、線刻画を描き、彫刻をし、像をつくったことを
銘記すべきである。 芸術家としての人間の誕生は、労働者としての人間の誕生より
もはるかに早かった。 遊びが労働に先行し、芸術が有目的な生産に先行した。
人間はしばしば必要に迫られて楽しむためのものを有目的なことに利用した。
必要に迫られて働いている間は、依然として人間は動物界の一員である。
人間は、ただ生きるだけであったら不必要なもののためにエネルギーを注ぎ、さらに
生命の危険さえもおかす場所に、特異な存在としての人間となり、最高の創造力を
発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、
余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 
自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・
私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は
エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》
〜〜
遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を
バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは
とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、
働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを
仕事にすれば良い。

・・・・・・
2786, 人生ゲームを楽しまむため、生まれけん!
2008年11月20日(木)
 ー次は、ある雑誌(文藝春秋)の中にあった、角川春樹の文章であるー
【私は平成五年八月二十八日、麻薬取締法違反で逮捕され、ニ年五ヶ月、
干葉拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、
「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。
その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化である。個別的生命は全体の部分である。個別的
生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。朝から二度
倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。
  年ゆくや天につながるいのちの緒   春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つである
ことを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で
体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房の中で、
自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が
あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に
生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と
 違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中
で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点
を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に
楽しみ、味わうかにある。それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなる。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】
という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の
人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか! 
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難
や悲しみ、というのが少しは分かるが。
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。   
何か際どい話になってきたが。
・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
  人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
 昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を
目安にすると解りやすい。
 ・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
 ・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
 ・長年かけて教養を積み上げてきたか。
 ・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして
楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。
人生には、ある程度の長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、
能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすること。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、
誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、
本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、
幾らでも転がっている。「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、
高杉晋作の辞世の歌である。彼が死ぬ間際に、そばにいた野村望東尼
(福岡の女流歌人)が受けて、「すみなすものは心なりけり」と下の句をつけた
というが、成るほど上手い歌である。いずれにしても、ゲーム化した段階で、
自分を客観視する冷静さを持つことになる。何が起きても「その時は、その時。 
それも、また娑婆経験」と、魂が、自分の心に語りかける冷静さこそゲーム化で
身に付けることで可能になる。 人生を振り返ると、全く下手なゲーマーの自分
が見えてくる。そういえば、最近、「人生ゲーム」というゲームがマスコミで
話題になっている。ウィキペディアによると、
【原型は1860年ごろ、イギリスの印刷業の社長Milton Bradleyによって考案
された「The Checkered Game of Life」。日本版は、1968年、株式会社タカラ
(現タカラトミー)から発売された。タカラトミーの発表によると、日本版の
累計出荷数は 1000万個を超える。 ゲームシステムは、双六の発展形。
ゲーム序盤のルーレット目によって「人生の筋道」が決まり、その後の人生が
左右されていく。プレイヤーはサイコロではなく「ルーレット」を回し、
人の一生になぞらえたイベントをこなしていく。現在でも改良版が発売されて
いる、息の長いゲームである。】 面白そうなので、一度試してみたいもの。

・・・・・・
2017/10/02
閑話小題 〜「遊び」の意味合いとは
       <意味としての心〜「私」の精神分析用語辞書ー北山修著>
   *「遊び」の意味合いとは
「遊び」については、数多く読み、ここで書いてきた。『夜と霧』の著者、
フランクルの、<人生の要諦は「よく遊び、よく学び、よく働く」にある>
に納得し、また身近では両親の生き様の後ろ姿をみて、バランスをとって
生きてきた。 想い返せば12歳頃までは無心に遊んでいたが、中2後半から
受験勉強に重心を移動、暗い受験生になっていた。
 そして20歳から将来設計を考え、両親に倣って「創業」を目指す人生を
考るようになっていた。その翌年、「30日間・欧州一周旅行ツアー」への参加
で人生観が一変。 当時の海外渡航は20万人。殆どがビジネス関係者の中、
当時の私の精神的体力では極限?であった。一ヶ月で当時の40万、現在で
350万を遊びに費やした経験は甚大。旅行先の大自然、文明、文化との邂逅に、
何度も絶頂体験をしていた。腹の底から笑ったり、感動したのは幼児期以来、
いや初めての経験である。世界は想像を絶した広がりと、深さがあることを
実感した。それまでの世界認識は何だった? 「遊び楽しむこと自体が目的」
の意味合いを僅か1ヶ月で実感してしまった。「絶頂体験を求め、ひたすら
努力し続けること。その為に、「良く学び、働く」こと。その「良く」には、
目的地と、「遊び、学び、働き」のバランスと効率を良くすること。
 年齢を積重ねるにつれ、「より資金を貯めておけば、もっと働いておけば!」
よりも、「もっと遊んでおけば良かった!」と思うのが人間の常。
 つい最近まで、「勤勉・勤労」の反対語が「遊び」の宗教的な意味合いが
強かったが、今では、「健康や創造性の原点」に位置づけられ、
<車のハンドルとタイヤ間の「遊び」のような「ゆとり」「自在さ」「自由」
 な遊びとして認められ、強調されるようになっている。
「ハレ」と「ケ」が、交替するように働いたり、遊びこそ、効率を上げる
楽しい人生の必要条件、絶対条件として… >
 情報化社会の中で、知識と経験は益々膨らんでいく中で、狭い肉体と柵に
縛られ、心は自由を求めて悲鳴を上げている。それを開放してくれるのが、
「至高体験」。この上ない感激、感動体験。これは映画でも、絵画鑑賞でも、
音楽会でも可能。その感受性の鋭敏さは、それらの経験の蓄積から生じてくる。
そのためには、極限に自分を置いて追い求めなければなるまえに…
 真剣に遊ぶのも、ちゃらんぽらんに遊ぶのも、お好みによる。


6593,閑話小題 〜技術的特異点

2019年04月04日(木)



   * <2045年、技術的特異点> 再び!
 元号のキーワードでネットサーフィンをしている過程で、次期天皇が81歳位
まで在位なら、その時節が2045年。とすると、令和の25年は、シンギュラリティ
(特異点)の『2045年問題』が最重要問題のテーマ。 一年一年の科学技術が
もたらす情報機器の進化が社会を根底から激変する時代。それが社会的大問題
を生じることになる。知れば知るほど恐ろしくなる。
 8年前の65歳から有り余る隠遁生活の中で、留まることのない情報端末の進化
を目の当たりにし、10年後の先読みなど到底、不可能。それもAIの進化など想像
を遥かに超えた領域。あと2年と割切っていたが、あと7年を目安に切替えた方が、
面白そうと、ここにきて思うように…。
 この問題をテーマに2016・12月に数回、書いてあった。(後でコピペ)
これは、その補完の内容。 読返し、改めて考えさせられた。
<特異点を理解して、自分の人生になにがもたらされるのかを考え抜く人を、
「特異点論者」というが、老化の胸突き八丁を乗越えて、少しでも、その一端
になりたいが… 少し早く生まれてしまいましたか。 「資産階級」に対する
「無産階級」を捩ったような「無用者階級」が新たに生まれてくる。
その逆は、「ホモ・デウス」、超人類の誕生。人工知能とバイオテクノロジーで、
人類は神に昇格する。乗り遅れた人間は、格差が進み就労不能な、欲望すらAIに
支配される無用者階級の誕生である。復習を兼ねて改めて、その予測をみると…
【  ーレイ・カーツワイルの予測ー
 2045年問題とは西暦2045年にコンピューターの能力が人類を越えるという予測
があり、それによって起こるさまざまな問題のこと。人工知能(AI)が自らを規定
しているプログラムを自身で改良するようになると、永続的に指数関数的な進化
を遂げる。この結果、ある時点で人間の知能を超えて、それ以降の発明はすべて
人間ではなく人工知能が担うようになり、それ以降の進歩を予測できなくなる。
(人間がいくら考えても想像ができないレベルに達する。)   
  ―ヒューゴ・デ・ガリスの予測―
オーストラリアの人工知能学者 デ・ガリスは、人工知能は急激に発展して、
シンギュラリティが21世紀の後半に来ると予測。その時、人工知能は人間の知能の
1兆の1兆倍(10の24乗)になると主張している。デ・ガリスは、この人間の脳の1兆
の1兆倍の能力をもつコンピューターは、将来、角砂糖1個くらいの大きさになる、
と言っている。それを人間に貼り付けると、人間の知能は10の24乗倍になる。
 ※人間の脳の細胞は10の11乗個あるといわれている。ひとつの脳細胞から
シナプス(神経細胞と神経細胞の接合部)が1万本(10の4乗)でているとして、合計
10の15乗本。それらが10ヘルツ、つまり、1秒に10回スイッチングすれば、1秒間に
10の16乗回演算できる。それが人間の脳の性能とみなせる。将来のコンピューター
が10の40乗で、人間の脳が10の16乗。 この違いが、10の24乗倍、すなわち、
1兆の1兆倍になる。】

▼ プロ野球のイチロウ、大谷、そして将棋や囲碁の天才少年・少女が現に現われ
 出ている。これは親がかりで出来てくる。内には大きな谷底を抱えているが、
それより、その高みから見える世界は格別の筈。
 〔 上をみればキリがない。下をみれば底がない。横をみれば情けない 〕
なんて悠長な言葉が死語になる。殆どが「無用者階級」の方が、生き易そう?
 <何か奇跡的なほど良い時代を味うことが出来て、得した?ようだ>
――――
2016/12/02
大格差 〜書評
       ー「大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」
                      タイラー・コーエン (著)
 一月ほど前に、<技術的特異点『人工超知能が人類を超える』台場時生著>
の書評、【2045年問題=汎用人工知能、あるいは「強い人工知能」や人間の
知能増幅が可能となったときに起こるとされる出来事であり、ひとたび優れた
知性が創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が
及ばない超越的な知性が誕生するという仮説。すなわちこのままの人工知能が
進化し続けれると、2045年が『技術的特異点』の年になる。】を書いていた。
 この書は、この論の延長上にある。これらの周辺産業などに従事した人は、
よりリッチになるが、単純作業のワーカー層や中間層の仕事はロボットなどに
置換えられて、一部の人たちに総取りをされる時代の到来を論じている。
   〜まずは、Amazonの内容紹介〜
《 * テクノロジー失業に陥らないために何をなすべきか?
 近年の世界的富裕層と貧困層の格差拡大の根底には「経済のグローバル化」
「テクノロジーの進化による生産性の向上」「停滞した産業と活力のある産業
の二極化」という抗うことのできない変化がある。
本書は、飛躍的な進化を遂げるテクノロジー=機械の知能に注目し、技術革新
が未来の雇用・所得・ワークスタイルに与える恐るべき影響を徹底検証する。〉
  〜書評の書込みには、
《 チェスでコンピュータと協業できる人が最強になるという例えがきわめて
説得的な論理を展開している。そして、人々は、大きな政府の福祉国家よりも、
自分の可処分な金を保持する生き方を好むという点も説得的である。
(大きな政府が、人々の幸せに奉仕するためには、官僚機構が民主主義の原則
に従って多数の市民に奉仕する公僕で構成されなければ不可能である。現状は
原子力ムラ、土建ムラ、安保ムラなどの特定利権組織に国民の富が浪費される。
日本に多額の税金を市民の幸せのために使う官僚機構が実現できるとは思えない。
高福祉社会は北欧の市民社会・官僚機構だからこそ成功しているのだ)
《 60年代・70年代という中流層が厚かった時代が特異な時代であって、
中世のように「格差が大きい時代」に落ち着く(P.303)の説明も納得できる。
日本でも、第二次大戦以前は過半数の農業従事者の間に地主−小作関係、都市
でも少数の経営層(ホワイトカラー)と多数のブルーカラーがいた。
その階層が、生まれや幸運によって位置づけられていたのが、機会は均等に
与えられていて、あとは本人の集中意欲の有無によって成否が分けられる社会
になる、ということも納得できた。
その他、政府の財政不均衡も解決しないだろうという予測も説得力がある。
総じて、平易に洞察を説いているからこそ、力がある。現実を見るにつけ、
パンとサーカスの時代は古今東西不変なのかと思ってしまう。 》
――
▼『自動運転車』が、そう遠くない未来に可能とは今でも信じられない。
 これを世界中の大企業、政府が全力をあげ取組みだしたという。運転には
あらゆる情報判断が必要だが、それに向けた知能を開発するプロセスで想像
を絶するノウハウが開発される。その応用が、職場レベルに降りてくる。
コスト面からすると、明らかにロボットが人間より効率が良くなる。とすると、
30年先でなく、年々、時代が激変することに。そして、現に激変している。
気づかないのは99・9%の人たち。 その一人が「私!」 今さら遅いか!

――――
5717,技術的特異点 〜
2016年11月09日(水)
         『人工超知能が人類を超える』台場時生・著
  * 2045年が『技術的特異点』の年
図書館で借りた本に「技術的特異点」たる言葉があった。
NHKスペシャルで、昨年の1月に『ネクストワールド』の5回シリーズで、
このテーマを取上げていたとあったので、早速、Youtubeで見てみた。
番組では2045年の世界が、どのようになっているかを予測し、ドラマ仕立て
に構成をしていた。例えば、平均寿命が100歳になっているとか、人間より
はるかに賢いバーチャル犬が、ドラえもんのように我々の生活をサポート
してくれたり、アンドロイド(人間型ロボット)が会社で働いたりしている。
 〜「技術的特異点」を‘ウキィペディア’で検索すると、以下のとおり。
≪ 技術的特異点、またはシンギュラリティとは、人工知能が人間の能力を
超えることで起こる出来事とされ、テクノロジーが急速に変化し、それにより
大な影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほどに変容してしまうと
する未来予測のこと。未来研究においては、正確かつ信頼できる、人類の技術
開発の歴史から推測され得る未来モデルの限界点と位置づけられている。
 =概要[編集]
技術的特異点は、汎用人工知能、あるいは「強い人工知能」や人間の知能増幅
が可能となったときに起こるとされている出来事であり、ひとたび優れた知性が
創造された後、再帰的に更に優れた知性が創造され、人間の想像力が及ばない
超越的な知性が誕生するという仮説である。 フューチャリストらによれば、
特異点の後では科学技術の進歩を支配するのは、人類ではなく強い人工知能や
ポストヒューマンであり、従ってこれまでの人類の傾向に基づいた人類技術の
進歩予測は通用しなくなると考えられている。
 この概念は、数学者ヴァーナー・ヴィンジと発明者でフューチャリストの
レイ・カーツワイルにより初めて提示された。彼らは、意識を解放することで
人類の科学技術の進展が生物学的限界を超えて加速すると予言した。
ここで意識の解放を実現するさまざまな方法が提案されている。カーツワイル
はこの加速度的変貌がムーアの法則に代表される技術革新の指数関数的傾向に
従うと考え、収穫加速の法則と呼んだ。 特異点が現実化するかについては議論が
続いているが、多数の人がこの予測を肯定的に捉え、その実現のため活動している。
一方で、特異点は危険で好しくなく、あってはならないと考える人々もいる。
実際に特異点を発生させる方法や、特異点の影響、人類を危険な方向へ導く
ような特異点を避ける方法などが研究されている。≫
▼ 東京下町に住む従兄が、地元の従兄の通夜の御斎で、話すには、
『私は84歳で進行ガン。あと10年後に生まれたかった。これからの10年が、
一番面白いのに。現在4Kビデオに凝っていて、三台を持っている。私の一生は、
写真・映像を写し撮ることに特化してきた。4Kで一度撮ったビデオを4kTV
で見ながら、ベストの一瞬を切取りとった写真が何とも良い。ドローンに、4K
ビデオカメラを乗せて自然を思う存分、撮りたい・・』と、目を輝かせながら
語っていた。 技術の進化が留まることなく続いている一コマの事象になる。
 
――――
5724,技術的特異点 〜
2016年11月16日(水)
         『人工超知能が人類を超える』 台場時生・著

 カーツワイルの技術的特異点について、さらに知りたいので、
ネット検索すると、以下のようにあった。

≪・「特異点とはなにか。テクノロジーが急速に変化し、それにより甚大な
 影響がもたらされ、人間の生活が後戻りできないほど変容してしまうような、
 きたるべき未来のことだ。それは理想郷でも地獄でもないが、ビジネス・
 モデルや、死を含めた人間のライフサイクルといった、人生の意味を考える
 うえでよりどころとしている概念が、このとき、すっかり変容してしまう。
 特異点について学べば、過去の重大な出来事や、そこから派生する未来に
 ついての見方が変わる。特異点を正しく理解できれば、人生一般や、自分自身
 の個別の人生の捉え方がおのずと変わるのだ。特異点を理解して、自分自身の
 人生になにがもたらされるのかを考え抜いた人を、「特異点論者」と呼ぼう。」
・「特異点〜人間の知能が、非生物的知能と融合して、何兆倍も拡大するとき〜
 が これから数十年の間に到来する」
・「2030年代初めのコンピューティングの状況は、特異点ではない。
 まだ、われわれの知能を根底から拡大するまでには至らないからだ。
 しかし、2040年代の中盤には、1000ドルで買えるコンピューティングは
 10の26乗cpsに到達し、一年間に創出される知能(合計で約10の12乗ドル
 のコストで)は、今日の人間の全ての知能よりも約10億倍も強力になる。  
 ここまでくると、確かに抜本的な変化が起きる。 こうした理由から、
  特異点― 人間の能力が根底から覆り変容するときは、2045年に
 到来するとわたしは考えている。 非生物的な知能が2040年代半ばには
 明らかに優勢を占めるにしても、われわれの文明は、人間の文明であり
 続けるだろう。生物を超越はするが、人間性を捨て去るわけではない。」≫
 ――
▼ 現在でも、その一端をみることが出来る。2045年といえば29年後とすると、
29年前の1987年から現在を予測できただろうか。現実はSF学者でも想定外。
ソ連連邦と東側の共産圏の崩壊。中国の実質資本主義化。中東の戦乱。
IS国というSF小説並みのテロ組識の発生と、地域支配と主要都市への攻撃。
それらの背景の一つが情報革命。最新の情報機器が安価に一般大衆が手にする
時代の到来。これを遥かに超えたテクノロジーの進化が、想像を絶した世界に
変化させていく。それ以前に、世界が消滅?考えただけでも恐ろしいが、面白い?
 あと10年、特異点に近づいた世界をみたくなってきた。

――――
5725,技術的特異点 〜
2016年11月17日(木)
            『人工超知能が人類を超える』台場時生・著
  * 生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」
 ここで、<生物的進化のゴールは「手、口、頭の獲得!」>という。
現時点の具体的ゴールの一つが、スマートフォンと、ネットを如何に使い
こなすかにある。情報機器と、ネットシステムのとどまることのない進化に
日々に驚いているが、これが最近、加速を始めている。
  〜その辺りを要約すると〜
《特異点問題を考える際に重要なことは、人工知能開発だけに的を絞って議論
するのではなく、人類や生物の進化といったより大きな観点から議論を行うこと。
例えば「人類700万年の進化史から見たときに、技術的特異点にはどのような
意味があるのか?」「人類の生きる意味は何なのか?」、さらに「私たちは
人類の最終的な未来に何を求めるか?」といったような哲学的かつ根源的な
議論にまで立ち返る必要があります。
 そこで、宇宙の始まりから現在に至るまでの進化の過程を振り返り、
その中で「生物進化におけるゴールとは何か?」について考える。
本書で、「手、口、頭」を獲得が生物進化における一つのゴールとみなす。
・外界を操作できる「手」を獲得することで道具を操り、
・多彩な音を出せる「口」を獲得することで言葉を話し、
・高い「知能」を獲得することで文明社会を築けるようになった段階で、
 生物学的な意味での進化はその役割を終えると考えます。
このゴールを迎えたといって生物的進化が止まってしまうわけではなく、
「生物的進化から次の進化へと移行するための切符を手にする」という意味で、
ここでゴールという。人類の祖先は、サルから新人類(ホモ・サピエンス)
へと進化する過程で、これらの形質を獲得した。特に脳の容量が、猿人、原人、
旧人、新人となるにつれて徐々に肥大化していった。そして、最終的に、
その3つを揃えた人類が地球上で最初に文明のドアを叩くことが出来た。
ちなみに、3万年前まで生きていたネアンデルタール人が、新人のように
高度の言語を話せなかったという理由そのもので、絶滅してしまった。》
――
▼ この3つ能力が拡大した、止まることなく飛躍した人工超知能が、29年後の
特異点を過ぎると、その超能力は人知の知ることが出来なくなる。それゆえに、
「どのようにコントロールするか?」という哲学的問題になる。
この程度のレポートでも、私の能力からして、PCとネット環境がなければ、
15年間も書き続けることは不可能。公開で質の劣化を防ぎ、習慣化をすることで
何とか維持してきた。私にとって、外部脳化でもある。ところが、サーフィンを
していると、最新機器を使った、頭とセンスの遥かに良いブログを見つける度に、
深く溜息をついている。まだ、それに気づいだけマシと自らを慰めている。
 私の現時点の生物的進化のゴールは、このブログの、「手、口、頭の獲得!」




6592,閑話小題 〜平成元年は西暦1989年

2019年04月03日(水)


   * 和歴の話
 この時節なればこそ話題になる。私の両親は明治生まれ。連合いの両親は
大正生まれ。元号が変わると、昭和生まれ、それも20世紀前半生れは、大年寄り
のような…  

そこで、和暦を西暦年を調べると〜
<1989年・平成の和暦:「昭和64年は1月7日まで、平成元 年は1月8日から」
 1926年・昭和の和暦:「大正15年は12月24日まで、昭和元年は12月25日から」
 1912年・大正の和暦:「明治45年は7月29日まで、大正元年は7月30日から」
 1868年・明治の和暦:「明治元年は1868年、大政奉還前は慶応 >

大よそだが、明治が45年、大正が15年、昭和が64年、平成が31年になる。
今度の天皇は年齢からみて25年が目安とみると、西暦2044年の御退位?の頃は、
世界は激動の真只中。
シンギュラリティ(特異点)の『2045年問題』の時節で、「人間の頭脳では予測
不可能な未来の始まり」であり、その到来は2045年と予測されていることから、
2045年問題とも呼ばれている。人工知能が人類の知性を超えた場合、核兵器以上
の『脅威』との懸念もある。
<優れた人工知能が一度創造されることで、再帰的に更に優れた知性が創造され、
人間の想像力が及ばない超越的な知性が誕生するという仮説。>
それが現在では、2029年には起こるのではないのかとも。

和暦の話から、少し逸れたが、その意味では『令和』は、時代を読んだ元号と
言えるのかも? ということは、やはり、少しでも、この時代を長く生きて
いたい! いや現在の情報端末で、世界を可能な限り、広く深く知りたい!
ということ。 再び、この『令和』の時代の最大問題になる『自然災害』と、
『2029年、2045年問題』について掘下げたい。とりわけ、令和10年時点の
特異点まで起こる現象を… ホモ・サピエンスから、ホモ・デウスの姿を!
 とりわけ、人間と超知性(AI)との関係を。

・・・・・・
6229,閑話小題 〜 <「場」は未来からやってくる>
2018年04月03日(火)
         <『生きる勇気 死ぬ元気』
                  帯津良一&五木寛之、p115 >
   * 「場は未来からやってくる」
 〜「場」をネット検索によると、
《場(ば)、英語: fieldという。工学分野では電界・ 磁界など界ともいう。
(界)とは、物理量を持つものの存在が、その近傍・周囲に連続的に影響を
 与えること、あるいはその影響を受けている状態にある空間のこと。》と…。

例えれば大相撲の立合いの一瞬や、野球の投手とバッターの対決の「場」を
想いうかべると、解りやすい。確かに未来が瞬時、現在にさま変わる。
 私のルーツはビッグバン。 死はブラックホールのような世界?

【帯津】 私、東大名誉教授で場の研究所の清水博先生を尊敬しているんですが、
   先生が、昨年の秋に親鸞仏教センターの会で、「場は未来からやってくる」
   ということをおっしゃったんです。
【五木】 ほう。場は未来からやってくる。
【帯津】 われわれは、環境という「場」のなかの存在です。家庭、学校、
   職場、地域、自然環境、国家、地球、宇宙、そして虚空などの場のなかに
  重複しているのです。これらの場は、宿命的な場ともいえます。嫌だから
  といって、そうやすやすと逃げ出すわけにはいかないのです。
【五木】 なるほど。
【帯津】 私たちは、毎日、場のなかを移動しながら生きているわけです。
   たとえば宿命的でない一時的な場となると「広場、市場、酒場」、さらに
   修羅場、正念場」とさまざまです。そして、われわれはいつもいずれかの
   場に身をおき、ひとつの場を去るときは、新しい場を迎えるときです。
【五木】 なるほど。
【帯津】 いま、こういう場に五木さんと私がいて、対談が終わると車に乗り
   家に帰り、また仕事場や一時的な場に入るというように。清水先生は、
  「自分を固定してみると、場が未来からどんどんやってくる」とおっしゃった
  んです。それを聞いて、先生はずいぶん上品におっしゃったなあと思いました。
【五木】 というと。
【帯津】 私には、「場は未来からおそいかかってくる」という感じなんです。
   それで、おそいかかってくいる場を「予感」と「直観」で選別し、取捨
  選択している。いい場だったら、そこに居すわってみよう、悪い場だったら、
  体をかわしてやりすごそうと。そういうことを予感と直観でやっているんだ
  と思うんです。それが、われわれが生きているということでして、つぎつぎ
  襲いかかってくる場を、かたづけながら進んでいると、最後にかならず死後
  の世界が来るんです。永遠に生きるというわけじゃないですから。
  そうすると死後の世界いというのは、信じる信じないじゃなくて、かならず
  来るものとして、覚悟してこれを迎えなきゃならないと思うんです。
【五木】 まさに覚悟ですね。自分を固定して考えると、いろいろな場がどん
   どんやってきて、状況をつくりあげていきますから。
【帯津】 ええ。また、清水先生は、不安というのは、突きつめれば自分の
   居場所がなくなることだとおっしゃっているんです。 死の不安とは、
  この世に自分の居場所がなくなることですけれど、この世ではなくなっても、
  あの世には、居場所があるとわかれば、死は、こわくなくなります。
  かえって楽しみのようになります。
【五木】 いやあ、そう考えれば、こわいものではないですね。死後の世界は
   あるかないか…ではなくて、かならず来るものとして覚悟するというのは、
  いいことですね。「絶対ある」と覚悟したほうがすっきりする。
【帯津】 ええ。2年前に40代後半の若さで亡くなった哲学者の池田晶子が、
  「池田は死ぬけど、私は、死なない」と書いていたけれど、要するに「池田」
  とレッテルをはられた自分の肉体はほろびるけれど、命はずっと存続し
  つづけるということでしょう。どうも、この考えかたが、私にはあたってる
  ような気がしてしょうがないんです。
   夏目漱石も、死後の世界はあると考えていたようで、「死んでも自分はある。
  しかも本来の自分には、死んで始めて還れるのだと考えている」と、門下生
  への手紙で書いていますね。
【五木】 なるほど。


▼ 10年前に、自分の死期を75歳に定めた。その時から逆算して、その時点時点
 に何をしておくべきか考えて行動指標にしてきた。その時点時点が、「場」に
なり、死の瞬間のブラックホールのエネルギーの力が加わったような。
それぞれの人にとって、「死」が最大の『場』になる。
 我々が住む宇宙は138億年前のビッグバンから生まれた。その中に星の消滅など
でブラックホールといわれる、吸込まれると二度と戻ることが不可能な穴。その
行先が他宇宙で、11次元の世界という。〔死〕とは、その穴そのもの? その
他宇宙が、あの世と考えたくなるが、そんな訳はない。変な物体が消滅するだけ。
直径276億光年の時空を持つ我々宇宙の外に、「10の500乗の多宇宙」が存在とは、
考えるだけで楽しくなる。それらも、『場』である。あの世も、この世も、同じ。
こうも言える、「いま、ここ、私」の刹那刹那が、『場』。
「生まれて死ぬまでの生涯が、私の人生の場」。その周辺の暗闇の一点の光を
愛おしく見つめるのが追憶ですか。
 
 追:7年前の、以下の文章からして、友人の場合の(場)の意味が読取れる。
・・・・・・・
3660,音信不通だった友人から連絡が!
2011年04月03日(日)
  * 5分の差で助かった
 学生時代の友人の奥野和夫さんから、昨日の午後に電話が入った。
安否を知るために、宮城県亘理町の住所先に葉書を出していた。
それが昨日になって本人の手元に届き、電話をくれたのである。
  彼の話の概要は! 
≪ 妻が病院に行くのに付き添った後、自宅に帰ってきて、たまたまTVを
 見ていたら、激しい地震が襲ってきた。それが長い時間にわたり続いたが、
急にTVの画面が変わって6メートルの津波が押し寄せるという緊急の内容。
直ぐに6Mより10Mに変わったのをみて、着のみ着のままで自動車で高台の
方面に向かった。しかし、道路は渋滞で前に進まない。そこで機転をきかせ
農道に回ったが、そこも渋滞。その間に余震が激しく前に進めないほど。
それでも何とか高台に辿り着いた後の5分後に大津波が襲ってきたという。 
その後、避難所に行ったところ数百人の先客がいて寝れる状態ではない。
そこで車中で一晩過ごしたが、着の身着のままのため、寒さがきつい。 
暖房もガソリンが無くなるので、一晩中、5分ごとにエンジンをつけたり、
止めたりして過ごした。朝までの時間が非常に長く感じた。水洗トイレは、
ボランティアの中高学生が水を近くの川から次々と運んでいた。
命は助かったが… 妻が病のため、避難所では悪化の可能性がある。 
ふと30分の所に前の会社の先輩が住んでいるのを思い出し、そこに9日間、
避難させてもらった。そのうちに群馬の実家の兄に連絡がつき、車でガソリン
を新潟県経由で持ってきてもらい、何とか兄のいる実家にたどり着いた。
最近になって道路が復旧してきたので、自宅を見てきたが、1Fが海水の泥で
滅茶苦茶のため、廃材処理の手続きをしてきた。命一つでも助かっただけ充分! 
火災保険に入っていたが、地震保険には入ってなかった。 ≫
 ー以上が、彼の15分間の電話内容。一つ判断を間違えれば助からなかった。
住所の亘町荒浜は仙台飛行場の南下に位置し、阿武隈川の河口にある。
終の住処を、そこに選んだことに羨ましさを感じていた。それが、まさか・・
それでも命が助かっただけでも喜ばなければなるまい。
他人ことではない、まさかまさかの日々。
・・・・・・
5497,幸福 〜あなたはなぜ満たされないか ―池田晶子の言葉 〜
2016年04月03日(日)
    『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉ー』池田 晶子(著),                
     〈幸福 ーあなたはなぜ満たされないか〉
  * 人は何ゆえに満たされないのか?
《 幸福」の名で、反射的に、人は「暮らし」もしくは「暮らしぶり」と
 思ってしまう習性それ自体が、実は見事に不幸を示している。幸福の言葉で、
あれこれ中身を考える人の不幸は、そこに比べる心があるからだ。自分の幸福
に完結している魂が、どういう理由があって、他人のそれを気にするのだろう 》
 ☆「暮らしぶり」とは、生活水準や、その満足感をいうが、それは幸不幸に
 関係ない。要するに、充実感を持ちえるかどうか? 振返ってみて、どん底
と思っていた、正に、その時が、実は一番充実していた。どん底と思うという
ことは、その下がないから、底を蹴り上げることが可能になる。
 ――
   * 人を愛せないと悩む人へ
《 愛する人がいないから幸福になれない、と思い込んでいるから、
あなたは不幸なのです。どうして他人がいなければ、あなたは幸福に
なれませんか。他人がいなければ幸福になれないというまさにそのことが、
「愛する能力に欠けている」というそのことなのです。だって、
自分を愛することができない人が、どうして他人を愛することができますか。
愛のない人が、どうして愛することができますか。すべては順序が逆だった
ということに、気がつくことが、始まりですね。》  『人生は愉快だ』
 ☆ 学生時代から50年、早朝の読書が私にとってベストの習慣だったと、
 実感する。最後に残ったのは、読書を含めた行蔵と、習慣だけ。人は、
知っている範囲しか知りえない。そして、知っている他者の知識については
知りえないため、誤解する。それが小さく、浅いほど、その分厚いレンズは
歪んでいる。他者との触媒は必要だが、それは読書でも可能。身近に、
「友人が出来ない。孤独だ!」と、愚痴をいっている人が多い。読書の深読み
が出来てない。そのこと自体が、友人が近寄いてこない理由に気づかない。
 ――
   * どんな困難に出合っても
《 どんな生活、どんな職業であっても、生きている限り、不幸は必ずやって
 くる。つらくて苦しくて、自分はなんて不幸なんだろう、そういう時は誰に
でも必ずやってくる。だけど、不幸は、いかにそれが外からやってくるものの
ように見えても、やはりどこまでも自分の心が作り出しているものなんだ。
不幸だと思うその心が不幸なんだ。幸福だと思うその心が幸福なんだ。
幸福も不幸も自分の心のありようなのだということを忘れさえしなければ、
これからの人生、どんな困難に出合っても、君は幸福になることをあきらめず
にいられるはずだ。》              『14歳の君へ』
 ☆「 ポジティブ3に、ネガティブ1の割合が、幸福の状態。逆に、
 ネガティブ3に、ポジティブ1の状態が不幸の状態」と割り切って、幸福の
状態におく幸・不幸管理をすれば、どんな困難にも立向かえる? これは生活
習慣のデザインから始めなければならない。そして、一つずつ積上げなければ
ならない。そう簡単に人は前向きになれはしない。
・・・・・・
4767,閑話小題 ーさあ、ミニ書斎をつくろう!
2014年04月03日(木)
  * 書斎は、自分の壺中!
 3年前のリタイアで、まず考えたのが自分の居場所。それまで仏間の一角に
本棚と机を置いていたが、ほぼ座ることはなかった。家では、早朝に起きて、
本を読むか、ノート型パソコンでブログを書いていた。仏間の一角は、あくまで、
そのための予備コーナーの場でしかなかった。また通勤の新幹線の往復一時間の
座席も、大事な読書空間。高速の移動空間は、脳にとって最適だが、この様。 
更に会社の事務所も、訪れる人も少なく、ここも書斎空間になっていた。
しかし、リーマンショックで、リタイア時期が三年早く到来してしまった。
 一挙に失われた会社の事務所と新幹線の時空間が必要になって、倉庫と仏間の
一角に移動することになる。もともとあった机と書棚に、サイドテーブルを設置、
事務所のパソコンと、ミニコンポ小型書棚を移動した結果、そこは私の最適空間に
なっている。今では早朝に2〜3時間、午前9時半〜12時まで、5時間はいる。
ここは心の落ち着く自由空間で、我ながら気にいっている。音楽をBGにて、
自由気ままに、読書をし、ブログを書き、ネットサーフィンをし、瞑想をしたり。
男には趣味に没頭できる空間が必要。先日、図書館で文庫本のコーナーで偶然、
『ミニ書斎をつくろう』杉浦 伝宗 (著)を見つけた。立読みだったが、
「書斎が無理なら、ミニ書斎をつくりなさい」には、全く同感である。
私の空間は、仏間の半分の、2m四方の4平米だが、著者の目安は1・3m四方。 
私の一歳下の団塊世代が、一斉に停年になって家に入っているが、問題が居場所。 
著者は狭小住宅を手がける建築家で、1畳・1万円の予算から、階段下や寝室の
一部などの空きスペースを書斎化するアイデアを提示している。 流し読みで、
面白いと思ったのが、「ミニ書斎は壺空間」。自分独りのシェルターの確保こそ、
粗大ゴミと蔑まれる我身の守るため必要なことである。もう一つ、電子書斎が
あれば、その空間は更に良いものになる。オタクもいいところだが!
「大不況には本を読む」(橋本治著)を、借りてきた。ネットの検索に、
「ミニ書斎 写真」と入れたら、面白いものが多くあった。私のミニ書斎
と共に、ヤフーブログに載せたが、理想的な良いものが多くある。 
・・・・・・
5862,閑話小題 〜春うらら
2017年04月03日(月)
   * 春うらら
★ 寒さのせいか、庭の梅の花が今だ咲き始めてない。あと数日で開花する
 のだろうが。 昨日の早朝、去年11月末以来の年明けの信濃川土手への
チャリをと支度を終えて自転車に乗ろうとしたところ、後輪のタイヤがパンク
のため、急遽、中止。ひと月前に、家内の自転車の空気入れを頼まれたついでに
空気を足したが、何で今になってパンク? 『誰かが悪戯で?…』と考えたが、
ワザワザするわけもなし。明日にでも修理に行く予定だが。さい先が良くない。
★ WiFiが、この一週の間、変調をきたし、iPadとTVのネットが繫がらない。
 様ざま試みたが無理と、メーカーに電話をしようとした矢先、金曜にiPadが、
土曜日にTVのネットが何故か正常になった。 原因が分からず、先週は鬱々と
した日々… それにしても如何して? 最悪の場合、6千円の派遣サービスが
あるとHPにあった。で、改めて、4kTV映像と、アンドロイド機能の凄みに驚い
ている。世界的ブランド・メーカー同士の熾烈な競争の中で、果てしなく機能
進化をしているTVと、ネット世界。 
 寝室のTVのスイッチを入れた瞬間、寝室が別宇宙空間に様変り。これでは、
大新聞、テレビ局などのマスコミの将来は暗澹たるもの。個人が企画をたて、
自撮り映像を世界に向けて直接、売り込む時代。「ピコ太郎」が、その一例。
 最近、話題になったのが、新婚旅行の思い出撮影に、4kカメラ+ドローンの
自撮り空撮映像を、観光先からネットに現在進行形で載せた企画が大当たりを
云々… 等が、次々とネットに現れている。 巨人戦など野球中継を観客席
視線の生中継も可能。 とすると、様々な生現場中継を見ることが可能の時代
に入ったようだ。


6591,閑話小題 〜改元ですか

2019年04月02日(火)


   * 『令和』 …何と申しましょうか
 改元名を知った時の国民の反応が面白かった。
<・『まず何? 変だよ。』 で、周辺の顔色をうかがい、
 ・同じ反応に安堵するが、それを言葉に出来ず… 
 ・で、TVの反応を見ても、その反応は同じ。大方は鳩に豆鉄砲をくらった
 ような。で、誰かが正直に『これって変だよ』の反応を待って、大方が
 非難。ネットをみると62%が肯定的。下手に批判すると、軽く思われるし、
 黙っておこ、どうでもいいことだし… > というところか。 
ネット記事によるとアクセントは「平和」と同じ平音。 そう発音すると、
成るほど違和感が薄れる。明治、大正を生きた平民が、『昭和』の改元名を
知った時は、こんなものだろう。これを書いている内に、実際に改元名の単語
を失念してしまった。令… 何だった? ああ、昭和の「和」で『例話』じゃ
なくて、『令和』。昭和、昭和、昭和、そして令和と発音すると、成るほど。
頭文字の略語が、昭和のs、平成のhから、rは恰好いいと若者が宣っていた。
 初めて知った時の私のイメージ採点が25点。 一晩過ぎても同じ。一月後が
60点だろう? 一年経てば何の抵抗感も消え失せて…
<『令和』の令は冷ややか、上から目線。和は、同調のイメージ> 
 この言葉そのままが、実際のところの反応とみる。
マスコミは、早速、令和という名の人を見つけてインタビューをしていた。
 ――
 :元号 の豆知識: (ネット検索より)
【 新元号「令和」の意味・理由は?
・「初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和ぎ、
 梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す。」
〔 人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。
 梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。〕
・ 元号とは? 年を記録する方法(紀年法)の一種。「元号〇年」は和暦と
 称される。645年の大化の改新が始まりとされ、新元号「令和」は248番目。
 元号の条件は?
「国民の理想としてふさわしいよい意味を持つ」「漢字2文字」「書きやすい」
「読みやすい」「これまでに元号や天皇のおくり名として用いられていない」
「俗用されているものでない」の6つとされる。】
【「元号」は、中国をはじめ中国文化の影響を受けた漢字文化圏において、
 特定の年代に年を単位として付けられる紀年法。中国やその周辺国では、
 独自の元号を定めることは王朝の正当性を主張し、天子を奉ずる独立国家
 であることを意味していた。 】

 ――
▼ 欧米からすれば、極東の島国の酋長、いや首長が、代が交代する度に、
 年号を決める。日本はモンゴルの移民?の朝鮮系民族の末裔が、騎馬集団の
徒党戦法で日本を制圧したのが天皇一族のルーツ。 その名残が天皇陵の
『前方後円墳』。この原型がモンゴルから朝鮮にかけて多く存在する。
 『令和』ですか… これ、繰り返している内に、抵抗感が少なくなリ、
一月もすれば『昭和』並みに、根づくから不思議。 御目出度いことです!

・・・・・・
6228,閑話小題 〜『ペンタゴン・ペーパーズ』
2018年04月02日(月)
   * 最高機密文書のリーク
 先週のシネマは、<ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書>である。。
ドンパチの派手さないが、重厚で、50年前のニューヨークの白人社会を垣間見て
いるようで、なかなかの内容。この事件を発端にしてニクソンのウォーター事件
に発展していく。 評価:85点。
  ―解説ー
【 巨匠スティーブン・スピルバーグ監督のもとで、メリル・ストリープと
 トム・ハンクスという2大オスカー俳優が初共演を果たした社会派ドラマ。
ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていた
1971年、政府がひた隠す真実を明らかにすべく立上がった実在の人物たちを描いた。 
 ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・
ペーパーズ」の存在を、ニューヨーク・タイムズがスクープする。ライバル紙でも
あるワシントン・ポスト紙の発行人キャサリン・グラハムは、部下で編集主幹の
ベン・ブラッドリー らとともに、報道の自由を統制し、記事を差し止めようと
する政府と戦うため、ニューヨーク・ タイムズと時に争いながら連携し真実を
世に出すため奮闘する。第90回アカデミー賞で作品賞と主演女優賞にノミネート。】

▼ この隠れテーマが、女性がワシントン・ポストの最高責任者であったこと。
 自然法則からみれば、管理は女、決断は男の役割が得意の分野。しかし、時に
男を遥かに超えた豪胆なヤリ手が存在する。もしかすれべ、国家反逆罪に問われ
かねない上に、会社の存続さえ危なくなる重大決断に動揺する姿がシリアスに
表現されている。現在の、トランプの『ロシア疑惑問題』とは違った時代に、
「最高機密文書」を持ちだした職員のリークだから、アメリカ国内で、激震が
走るのは当然である。事実は小説より奇なり、それが可能な米国の社会
システムの健全性? でもある。

――
  * プロ野球が開幕
 先週末からセ・パのプロ野球が開幕した。巨人中心に何試合を同時進行で
見ていたが、新人など若手と、ベテランが入り乱れたチーム同士が戦う観戦も、
非常に楽しいひと時になっている。特に開幕から5月半ばまでが、一番面白い。
今年の前評判が、セ・リーグでは、広島がダントツで、巨人、DeNA。
パ・リーグでは、ソフトバンク、西武、楽天…  …まあ、こんなものだろう。
 日本のプロ野球も、大リーグの二軍・三軍化されてしまったが、それでも、
オリンピックの競技種目に選ばれ、この3年間は熱気が高まり新しいスターが
誕生してくることになる。

・・・・・・
4766,ぼんやりの時間 ー1
2014年04月02日(水)
                ぼんやりの時間  辰濃 和男 (著) 
 リタイア以降、時間が有り余り、ぼんやりの時間が増えたかというと、
そうでない。ウツ病に陥らないために、早朝から寝るまでのスケジュールを
決め、ただ淡々とこなしているからだ。 3年経った今、良いタイミングに、
 この書に出あった。平坦な一日がアッという間に過ぎていく。
それはそれで良いが、ぼんやり時間が少なすぎる?
   ーまずアマゾンの内容紹介ー
《 常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、現代人の心を破壊し
 つつある。今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が見直されてよいのでは。
では、そうした時間を充実させるために何が必要であり、そこにどんな豊かさ
が生まれるか。さまざまな書物にヒントを求め、自らの体験もまじえながら
つづる思索的エッセイ。 》
   ーカスタマーレビューよりー
【「ぼんやり」と生きるライオンやサンマは生存していないのであろう、
 だから、人間にも本来、「ぼんやり」は許されないのだ。幼い時から、
悪臭や異音に鋭く反応しつつ成長し、身を守って生きている。このような
絶え間のない外界との緊張関係は、必然的に対極の「ぼんやり」へ憧憬を生む。
すなわち、「ぼんやり」は人間に生来備わった自然感情や心のあり方と見る
よりも、生物として必須条件である「対外緊張」を運命付けられた人間に
根差した”解放願望”として捉えられるべきであろう。
従って「木と共に過ごす」串田孫一、「湖畔の小屋を建て、畑を耕す」ソロー、
「隅田川の川面を眺めているうちに、あっという間に2時間過ぎた」池波正太郎、
「珊瑚や熱帯魚を求めてダイビングに浸る」玉三郎、「夏の夕暮れ時の樫の木々
に映える日の光に心を満たされた」ミッテランなど、どの登場人物も眩く輝いて
いる。彼らのどのエピソードも懐かしい幻想のように温かで、ユートピアの
ように心和ませるものがある。しかし「ぼーっとしながら生きる」のが好きと
いう深沢七郎の背後には片目失明の不自由をこらえて右翼暴力から逃げ惑った
日々が刻印されており、「林に入り黙座す」と「武蔵野」で詠んだ国木田独歩
には、帰れば妻との確執の絶えない実生活が待っていた筈である。
著者は自らの体験も含め、こういう人間の現実の生活を冷静に観察した上で、
「ぼんやりの時間」を持つことは実際には口で言うほど簡単なものではないこと
を熟知するが故に、だから敢えて「ぼんやりの時間」を人間にとってかけがえ
のない、貴重なものと見ている。本書に見られる「ぼんやり賛歌」は、大抵
の生身の人間には実現困難だという著者の苦い現実認識と、それでも尚、
人間らしく生きる上で我々が忘れてはならない理想願望がベースになって
いることを見逃してはなるまい。 】
▼ 欧米人のバカンスはリゾート地で、かけ替えのない貴重な時間をのんびり
 過ごす。 日常を離れた自然の中で、ボ〜っとするのが、最高のレジャー。
日本には温泉宿で湯治で身体を休めるレジャーがあった。私のネックになって
いるのが、この随想日記と、ネットサーフィン。誰に頼まれた訳でもないのに、
毎日、これで自己達成をした気分にとらわれている。そうでもしないと自分を
支えていられない状況もある。偶然だが、去年の今日(4月2日)の文章は、
ノンビリしないで遊べ遊べというのから、この内容の意図に反している?
「自分の限界としても、還暦までに、やりたいことをやった!」という思いが、
ある。この時節も、ぼんやりなど、してはなかった。時節があるのだろう。
どの道、死んでしまうまでの精神のあり方の問題でしかない。
・・・・・・
4399, 隠居大学ーよく遊びよく遊べ ー1
2013年04月02日(火)
    『隠居大学ーよく遊びよく遊べ』天野祐吉、お相手 御隠居
 御隠居生活に予定より三年早く、二年前の65歳をもって入った。
しかし振り返ってみると、51歳から実質的御隠居生活に一歩踏み込んでいた。 
同居していた母親が痴呆症になって5年半後に亡くなった後、数ヶ月間は呆然と
していたが、「今までの延長は捨て、50歳代に、その後の余生の全てを
遣り尽そう」という思いが湧き上がった。そして残り30年分の人生を圧縮して
生きようと決心をして、「思い浮かぶ限りの遣り残した事を迷わず優先的にする」
ことにした。 50代で秘境ツアーを中心に24回の旅行。美味い酒を飲む。
当時、まだブログが無かったので、パソコン教室に通い、個人HPを立上げて、
全エネルギーをかけ思い浮かぶことを毎日「随想日記」として書き続け現在に
至っている、これである。これが私の隠居生活の移行で、それを私自身も
気づかなかった。どれもこれも面白く、楽しくなければ続かない。
この経験から学んだことは、「御隠居は覚悟が無ければ出来ない」ということ。
傍からみたらつまらないこと?でも、遊び気分で全エネルギーで取り組んでこそ
道楽。これも毎日、よくぞ真面目くさって書いている。でも、私にとって面白い。
だから道楽である。 御隠居は道楽をもっているかどうか。たっぷりある時間を
遊べるかどうかである。   まずはー内容紹介ー     
【こんな時代こそ「隠居」を見直そう!原始、「隠居」は遊びの達人だった。
 若いモンの憧れだった。目指すは、自由で洒脱な遊びの達人。横尾忠則、
外山滋比古、赤瀬川原平、谷川俊太郎、安野光雅、坪内稔典の豪年を取るって、
いいもんだなァ。 豪華講師陣を迎え、ここに隠居養成大学がオープン。
オモシロキビシク、いい加減精神の真髄を語り明かす。】
老いは、生老病死のマイナス面が表立ってくる時期。その時、失われつつある
喜怒哀楽を道楽の中に求める必要性がある。考えてみれば「良く遊ぶ」のは
非常に難しい!次回は、一時限目の「横尾忠則 対 御相手の天野祐吉」より
・・・・・・
5861,7つの習慣 ー1
2017年04月02日(日)
        「7つの習慣-成功には原則があった!
               スティーブン・R. コヴィー 」
 20数年前、この本を読んで衝撃を受けたことを憶えている。
特に「Win-Win」の、「互いの利益をまず考えていくと、互いに有効になる」
という道理。ニュースなどで、互いの「Win-Win」を前提に協力しよう…など、
安倍首相や各国首脳の文言が日常的に聞かれるようになっている。
  (amazonの商品説明)
≪ 本書は1990年に初版が出版されセンセーションを巻き起こしており、
 以来1,000万部以上を売り上げ、今でもベストセラーを続ける。
著者のスティーブン・コヴィーは、国際的に高い評価を受けるリーダーシップ
研究の第一人者。真に成功を果たすには個人としての有効性と職業としての
有効性をバランス良く備えることが重要だと認識しており、それを反映して
本書は、この2つの領域でより効果的に行動するための手引書となっている。
ここで引用される具体例では、ビジネス上の課題を題材にしたものと同じ
くらい家庭内における状況を数多く取り上げている。
7つの習慣を身につける前に、コヴィーが「パラダイムシフト」と呼ぶ、
世の中の仕組みに対する認識と解釈の転換をまず実現する必要がある。
著者は、この転換の実現を支援し、生産性、時間管理、前向きな思考、
「予防的に働く筋肉」(何かに反応するのではなく自発的に行動すること)
の開発など、他にも多くのことに関する認識と行動に影響を与えている。
本書は明日からでも実践できることを謳い文句にしたヒント集ではない。
そのコンセプトは時に複雑であるため、流し読むのではなく、じっくりと
腰を据えてここから学び取りたいと感じる筈である。読み終えたときには、
どの章にも付箋や手書きの注釈が数多く残され、コヴィーの集中セミナーに
参加したような充実感に満たされることだろう 
 (7つの習慣とは)
1. 主体性を発揮する(自己責任)
2. 目的を持つ(自ら立つ)
3. 重要事項を優先する(自己管理)
4. Win-Winを考える(人間関係)
5. 理解してから理解される(感情移入)
6. 相乗効果を発揮する(創造的な協力)
7. 刃を研ぐ(常時向上システム)
――
▼ てっきり、この本の評論を書いてあると思いきや、HP内検索をしても出て
こない。20数年前なら、16年前に始めたブログに、書いてないのは当然。
6年前の節目で、隠居用の新たなスケジュールを立てたが、その時、この本を
思いつかなかったのは、これ如何に。 せめてamazonの書評を読んでおけば?
当時、読み直していれば、よりアップした習慣づけをしていたか?如何だろう?
 習慣化は個人の脚本づくりでもある。自分の物語を変えようとしたら、習慣
の構造を変えることからになる。チャンスは、大きな時代の変り目に、全く
違った習慣の設計を立て、実行すること。事態に合わせ脱皮しろ、ということ!                                        〜つづく
・・・・・・・・・
5131,失業率9割の国、ナウル共和国 〜3
2015年04月02日(木)
  * 日本にとってのリン鉱石とは?
 ナウルのリン鉱石、日本にとって何だろか考えてみた結論が、戦後から、
この方コツコツと貯めてきた預貯金。しかし、リン鉱石と同様、その多くが
日本国債と米国国債に替わっている! 総預金と、国債などの負債が同額に
なるのが今年。 そこに、5年後にオリンピックの開催とは何ぞや・・ 
 わずか4年前に、千年に一度の大地震と津波で、大きく痛んで復興半ば。
今だ福島原発では溶解が進行中。このクラスの大地震の10年以内後には必ず、
それに匹敵する地震か火山の大爆発が起きている。これらが複合し、近未来に、
国民の弱者に皺寄せが大きく直撃をする。「現状さえ良ければそれで良し、
未来は未来!」の、‘いいじゃないか’騒ぎ! 〜その辺りから〜
≪・ナウル人は、Buada Lagoonで捕れた魚や、ココナッツやパンダーヌスを好む。
 しかし、現在、ほとんどの食料は輸入に頼っていて90%は輸入で、ほとんどは
缶詰。そこにはたっぷりと保存料が入っている。その食料が不足している上に、
ナウルに入る航空便も頼りに出来ない。それはスカスカの店の棚を見ればわかる。
ナウル人の平均寿命は男性で58才、女性で64才。日本より20歳は早死になる。
・ナウルの状況はダイヤモンド著の『文明崩壊』で語られるイースター島の
崩壊の物語を彷彿とさせる。ナウルと同じ太平洋の小島イースター島は、無計画
な開発と環境破壊を続けた結果、ついに資源を消費し尽くして文明が消滅して
しまい、島民の生活は石器時代に戻った。両者の大きな違いは、イースター島は
他の文明と隔絶され閉鎖された空間に存在し、また森林破壊等が国土に与える
影響を科学的に分析・理解できる時代ではなかったのに対して、ナウルは
地理的にはイースター島と同じく世界の果てに位置するにせよ、他文明と
隔絶するどころかむしろ積極的にグローバリゼーションの波に乗って行き、
それに飲み込まれた結果として崩壊に向って行っている点・・ ≫
▼ ナウル人も、日本人も、公務員、金融関係者と、一部の上層階級は、
 万一に備えた準備が完了してあるという。リン鉱石(預貯金)を
 掘り尽くしてしまった日本、現象面では、国債と株式と円相場の暴落で、
 その正体が現れてくる。 ナウルは、そのまま露出されているだけ。 
 私も似たようなものだが! 裏山の中腹から外海が見えるからこそ、
 断言できること。刻々と時は進んでいく。 老化の戯言であればよいが!・・・
5496,閑話小題 〜高齢者とは何歳からか?
2016年04月02日(土)
   * 四月バカに騙された
 昨日の朝のモーニングショーで、「ソニーが幽霊バスターの開発に成功、
製品化にこぎつけた。そして、その商品と、捕まえた幽霊の映像を紹介します」
と真面目な顔で報じた。何の抵抗もなく「ああ、そうか、それも在りか」と見て
いると、何も知らない一人のキャスターに、メインのキャスターが、『今日は、
何の日かご存知ですか?』と、笑って聞いた。 私も、その時に初めて、それが
四月バカに気づいたしだい。学生時代の寮で、後輩に、『おーいブーちゃん、
母屋から、電話がきているって言ってるよ!』と、騙したことを数十年ぶりに
思い出した。そういえば、嬉しそうな足音が、いやにリアルだった。
――
   * 高齢者とは何歳からか?
 医師であり、作家の、先年、亡くなった渡辺淳一著の『老いかたレッスン』
の中の ー高齢者とは何歳からかー が、現在70歳の私に参考になる内容。
実感として、高齢を自覚する日々である。   〜要約すると、
< 自分が70歳半ばを超えた実感からして、75歳が妥当。この頃から
 急速に弱りだし、手足もいうことがきかなくなり、内臓などの疾患が出始め、
当然、病院に行き、治療を受けることが多くなるが、医療を75歳から後期
高齢者として分けたのは、まさしく妥当の分類。この意見は、医者仲間からも
賛同を受けている。75歳から高齢者と言われても、元気な期間が短いため、
5〜6年は、そういわれても、元気でいたい、ということからして、70歳
から上を高齢者というのが、もっとも妥当。>
 70歳代になりたての実感として、この内容と同じ。何か75歳が、寿命
のような気がしたため、一度、そこに、「この世の終わり」と設定を数年前に
したが、その時から、何かが変わったような? こと足腰、内臓の具合から
して、65歳が一つの目安で、年々、弱っている。(ちなみに性欲は55歳)
今年、70歳になって以来、『生きている、元気なだけでも儲けもの!』
と、実感するようになったが、これも高齢のなせるわざか。


6590,つれづれに哲学 〜この数年で世界観が激変

2019年04月01日(月)



   * 世界は激動期に
 世界が激動期に入ったが、それに劣らず自らの世界観も激変している。
タブレットPC二台を身近に持って、TVか、机上PCをみない時には、ネット
サーフィンを、連れと交互に眺める日常。 
 ――
・この数年来の読書でも、村山斉の『宇宙は何でできているのか』で、これまで
宇宙は一つと思い込んでいたのが、他に10の500乗も多宇宙が存在する?という。 
この宇宙も半径+27乗億光年と−35乗の内なる広がりを持ち、1000〜2000臆の星
から成り立つ銀河系が100億も存在する。その他宇宙から、ダークマターとダーク
エネルギーがループ状の管を通って、この宇宙に流れ込んでいる。宇宙は拡散
しており、外側に行くほど、エネルギーが希薄する筈だが、それらのエネルギー
が穴埋めをしているため、この宇宙全体のエネルギーは希薄化されてないと… 
これまで宇宙の物質は原子から出来ているという通説が間違いだった。
8割が他宇宙からのダークマターとダークエネルギーで満たされている。
宇宙の研究機材の進化の御蔭である。
 ――
・最近、NHKスペシャルで紹介され知ったのが、『サピエンス全史』。
それに加えた、『第四の革命』。
  ここで人間は、
 1) コペルニクスで、天空の中心ではなくなり、
 2) ダーウィンで、生物の中心ではなくなり、
 3) フロイトで、意識の中心ではなくなった。そして
 4) チューリングで、情報処理の中心でもなくなったと述べ、
『サピエンス全史』では、
<最凶の動物としてホモ・サピエンスを描き、さらに彼らがネアンデルタール人
など体力・知力に勝る旧人類を凌駕して発展してきた要因を『認知革命』>と。
そして、現在の情報革命は、人類だけでなく、生命が地球上に発生して以来、
40億年来の大革命とまで宣う。10数年ほど前までは「20年万年来の大変革」と
聞き、違和感を持ったが、いま起きている現実を知るにつけて、生命の起源以来
の革命と言われても、然もあらんと。 
 ――
・それと、ネット大型TVの導入。居間から寝室のベッドの前に御隠居用の
「居」を移動して3年近くになる。連合いに気遣うことなく、ドップリとした
気まま暮らし。これと、廊下を超えたPCと交互の移動生活。高性能のネットは、
現場の視覚と聴覚を遥かに超えた能力がある。<現場より迫真場面と融合できる>
とは、これ如何に。例えば、スイスアルプスの頂上付近の登山し、ゴーグルを装着
をして、仰向けになって、ドローンからアルプスと融合している自分を鳥瞰する。
その映像が、自分でないとしても、多くの気分が共有できる。ボクシング、大相撲、
サッカー、大自然の光景など、感動の共有が手軽にできる。
 ――
・そうこう考えると、情報革命の恩恵を充分に味わっている日々に気づかされる。
遊びの中で、読書が一番、効率よい遊びだったが、今ではネット―サーフィンと、
YouTubeなどのネット映像サーフィンに… ただ、後者は、思考能力の減退効果を
考えないと。やはり5分5分ですか。マイナス要素1に、プラス要素が3と割切って、
 ――
このネット雑記帳の公開を18年間も続けて、6600近くのテーマの蓄積になった。
10,000万テーマとすると、あと6年で79歳になる。予定生存年数が、2年を切ったが、
10,000テーマを目標にしますか。4年延長は、予定外としても? それに何の価値が
あるか?僅か、この2年だけで、これだけ世界が激減するのを確認したのなら…
 75歳なら7300テーマ。 死に損なってしまう心配があるから、8000テーマなら
78歳ですか。先日、「80歳までは生きたくない」とクラス会の近況報告で言ったら、
その後で、「私の亭主は80歳」と、何人から聞いた。問題は、生存状態の質も問題。
 死を間近にすると、異常性欲が出る「死に欲」がある。まあ、老いるのは難しい!

・・・・・・
6227,閑話小題 〜猫の格言
2018年04月01日(日)
   * 猫の話
 数日前のポタリングの道すがら、信濃川の大橋の袂の歩道に猫の死骸が
転がっていた。一人のウォーカーが立ち止まって、生きているかどうか、
見ていた。気持ちがいいものでないと思い、そのまま通過した。どうも、
自動車道で轢かれた後に、歩道に放置されたように思えた。もう一つの大橋を
一周して、その場所に様子見に戻ると、カラスが二羽、その猫を啄んでいた。
よく見ると、頭に血が付いていた。
 私の実家は犬派で、名前は全てコロ。猫は一度だけ、小学生の頃、「タマ」
という三毛猫を飼っていたが、ネズミをガリガリ食べていたのをみたが、その
直後に捨てられてしまった。
 猫と犬の数を調べたら、<「平成29年全国犬猫飼育実態調査」による飼育頭数
は、犬が892万頭、猫が952万6000頭で、長年にわたって多かった犬を2017年に
初めて猫が上回りました。>とあった。マンションは、犬より猫が飼いやすい
ためだろうか。庭には、夏を中心に近所の猫の遊び場になるが、問題は糞。
姿を見る度に、小まめに足を強く踏み鳴らして追払っているため、少なくなって
いる。10年ほど前に隣りの貸家に愛猫家がいて、庭にネットを張り、数匹飼って
いたことがあった。そのため、庭は猫の集会所状態。10年近く、住んでいたが、
近隣の苦情がたて続いて、引っ越していったことがあった。 猫も曲者だが、
飼主も苦情対策には強か? 
 動物写真家、岩合光昭がネコ目線で世界中のネコを撮影する姿を、岩合自らが
ネコに語りかける様子を紹介するNHK BS「岩合光昭の世界ネコ歩き」がある。
人気番組・日野正平のNHK-BS「にっぽん縦断こころ旅」の、冬場や、季間の穴を
埋めるように、年中、放映されているが、猫目線から、世界各地を見つめる光景
が好きで見ている。 そこで猫の格言から、人間から見た猫の世界を眺めてみた。
ところでアフリカの所どころで猫を見かけない地区があったので、聞いたところ、
直に食用になるためという。 …鳩もしかり。


  ―猫の格言―

・ネコ科の一番小さな動物は最高傑作である。
              レオナルド・ダ・ヴィンチ
・トラを抱きしめる喜びを知りたがる人間のため、神はネコをお創りになった。     
              フェルナンド・メリー
・犬を飼うことは出来る。だがネコの場合はネコが人を飼う。
 なぜならネコは人を役に立つペットだと思っているからだ。
              ジョージ・ミケシュ
・ネコを嫌う人には気をつけろ
              アイルランドのことわざ
・人が拒絶を理解するには、ネコに無視されればよい。
              アノン
・自分の家が大好きだからネコが好きだ。
 しばらくしたらその二つは見える魂になる。
              ジャン・コクトー
・惨めさから抜け出す慰めは2つある。音楽とネコだ。
              アルベルト・シュバイツァー
・我々は心の奥深くに同じ欲望がある。ネコはそれに沿って生活している。
              ジム・デイヴィス
・ネコの目には、全てのものはネコに属していると映っている。
              英語のことわざ
・どれだけ多くの時間をかけても、猫との良き思出は消えない。どれだけ
 多くのテープを使おうと、ソファに残されたネコの毛は取り除けない。
              レオ・ドウォーケン
・ネコの飼い主が知っているように、誰もネコを所有していない。
              エレン・ペリー・バークリー
・ネコを嫌いな人は、来世ではネズミとして戻ってくる。
              フェイス・レズニック
・この世でどうネコに接するかが、天国でのステータスを決める。
              ロバート・A・ハインライン
・ネコも当然男の親友になれるが、ネコはそれを認めてはくれない。
              ルイス・J・カミュティ
・ネコはどこに座れば我々が不便になってしまうか、
 その正確な場所を数学的に計算できる。
              パム・ブラウン
・ネコは気にかけてくれる。例えば本能的に、我々が何時に仕事に行かない
 といけないのかを知っており、目覚し時計がなる20分前に起こしてくれる。
              マイケル・ネルソン
・ネコは人間に対する意見を持っている。殆ど何も言わないが、全部を
 聞かないほうがいいのは確かである。
              ジェローム・K・ジェローム
・ネコのようにミステリアスに書けたらと思う。
              エドガー・アラン・ポー
・ネコの愛より偉大なギフトがあろうか。
              チャールズ・ディケンズ
・ネコは絶対的な正直さを持っている。
              アーネスト・ヘミングウェイ
・僕は家にいるどの猫とも喜んで立場を変えていい。
              ジョージ・ネイ
・イスタンブールで会った男が、絶対に神はネコだと言った。
 どうしてそれがわかるのかを尋ねたらこう言った。
 「神に祈っても、無視されるから」
              ローウェル・トーマス
・犬は自分を人間だと思っている。猫は自分を神だと思っている。
 犬は呼ばれたら、すぐに来てくれる。  
 猫はメッセージを取って去り、あとになって帰ってくる。
                    メアリ・ブライ
・猫の持つ清潔さ、愛情、忍耐力、尊厳さ、勇気の質を考えると、
 何人が猫になる能力を持っているだろうか
              フェルナンド・メリー
・夫に出ていってもらった。うちのネコが夫にアレルギーだったので
                    ビル・ダナ
・ネコのトレーニングは難しいと聞いていた。そんなことはない。
 我が家のネコは僕を2日でトレーニングした。
                    ビル・ダナ

▼ 猫と人間の付き合いは1万年にわたる。その間に、ペット用として
 改良?されてきた。その神秘性、優美性により愛され、東洋では幸福の
象徴にされてきた。幸福論を考えるに、猫を凝視すれば、そのヒントが
次々と現れ出てくるはずだ。またネズミを捕るため、航海の共に使われ
もしてきた。エルミタージュ美術館では、常時、60〜70匹も飼われて、
ネズミ対策、顧客対策にしているという。昔から多くの芸術家に愛され、
アトリエで飼う画家が多いとか。
 逆に嫌猫家のため「野良猫対策」で検索したところ、超音波とライトや
猫が嫌う匂いの粒状の薬品など様ざまのものがあった。
 ところで人間には、猫タイプと、犬タイプがあるようだ。
男生は犬タイプが、女性は猫タイプが…比較的多いが。生きかたとして
猫が理想?だが。飼犬なら、犬も悪くはない? いや猫ちゃんですか。
 二あ〜 ワンで、代々、我家のベランダではインコが鎮座している。
 
  ・・・・・・・
4765,閑話小題 ー感動の書換え
2014年04月01日(火)
   * 感動の追体験
 以前、少し書いたが再び。 現在、ヤフーのブログ‘バードウォッチ’
に、以前に行った先をネットでひろった写真を載せている。これが面白い! 
現地で思いもよらない光景に出あった感動は心の大きな財産だが、その瞬間は
決して写真や映像では残せはしない。対象と同化し振動しているからで 夏の
花火と同じである。ところが、デジカメの進化もあって、ネット上には違う
視覚の感動の瞬間(写真)が溢れているのを最近、知った。実際の感動の方が
遥かによいのは当然だが、ネット上の写真を見ていて、<ああ、これだ!>
と感じた瞬間に、その時の感動が再度、浮び上がるから不思議。 エーゲ海
クルージングで、寝椅子に寝転がってエーゲ海の美しさの中、リラックスする
心地よさは、何ものにもかえがたい。一期一会の自分だけの至福の時である! 
今では、誰でも、そのTPOSの光景をカメラやビデオで撮って、ネット上に
公開するようになった。その御陰で、その瞬間と似た体験をした者にとって、
手軽に感動の追体験?が可能になっている。カメラ目線が違っても、その瞬間
の感動は同じ。それは記憶の復習効果、書換えにもなる。 所詮は、全ては
幻想である。カメラ性能が格段にアップし、誰もが気楽に撮れるため、ネット
上には素晴らしいのが多い。豊かな気持ちは感動の質量の掛け合わせに比例する。
  * 猪瀬の贈収賄、不逮捕されないの? 
 何ゆえに、猪瀬が逮捕されない? 次の東京オリンピックの汚点にしたく
ないため? とすると、支離滅裂。ここまで真実(汚職)が露呈しているのに、
この結末はない!上記の御二人の、御意向か? 何が東京オリンピック? 
江戸末期打ち壊しの「ええじゃないか、ええじゃなかい」の騒ぎに酷似。 
同じアフォ(アフォのミクス)なら踊らな損!と笑ってられない。最も地政的
に危険な立ち位置にいるのが日本なのに!20世紀前半に酷似している。
  * アベノミクスで生温かい風が吹いているが  
        ー偶然、去年の今日に似たタイトルがあったー
 何かが変なのは分かってはいるが、それでも?首を傾げることが多い。
それと6年後の東京オリンピックも。「デフレ脱却のため、無制限まで通貨を
増やしましょう、後は野となれ山となれ!そのため注意をオリンピックに
向けましょう」」ということ。それも、日本の財政破綻の責任者だった二人の
元首相が、現首相と副首相に居座り、更に悪化に向けた舵きりをするのだから! 
電気光熱費と、消費税の値上げは、一般の消費者と、中小企業に大きな負担
になる。それと、欧米も、新興国の経済も波乱要素が大きい。
恐ろしいのは、突然の世界同時株安である。
   ・・・・・・
4024, 事業生活39年の、独り語り ー7
2012年04月01日(日)
 11年前に、千城台ビル内で創めたベーカリーについて書いていた。  
   ―まず、そのコピーからー
≪ [103] センチュリーベーカリー 〜昭和50年3月ー8月31日(2001/08/09)
 他人に話した事が殆んどないが、焼きたてベーカリを立ち上げた事がある。
千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく
何がいいか考えた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’
に目をつけた。冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。商社の東レの
子会社の蝶理という商社が、このフランチャイズをやるという新聞記事をみて、
ホテル・レストランショーで実際にみて、早速やることにした。
東十条にある関連のベーカリーに朝4時に起き通う。そして二カ月後にオープン!
 例のとうりパニックそしてーーー。 素人は初めは良いがある時期がくると、
応用が利かない弱点が出る。その時期に長岡の実家で問題が発生。 
このタイミングを狙われたのである。そこで第三者に経営委託をして急遽
長岡へUターン。恐らくあのままやっていたら数年で行き詰まったと思われる
ほど、実際は難しい商売。 振り返ってみると‘開発型委託経営ビル’を
造った事になった。 考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、
ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、実家の衣料デスカウント・
ハウスと、12年近く、全く未経験の分野への自己配転をしていたことになる 。≫
▼ このビルは、建設の7年後にテナントが埋まったこともあり総投資の二倍の
 一億で売却した。 当時、5つのテナント部分は、養老の滝のオープン以来
一年数ヶ月経っても空いたまま。養老の滝も、軌道に乗り、サブだった人に任せ、
空きテナント部分で新しい店を考えた。そこでホテル・レストランショーで
見つけた、テイクオフのベーカリー。ジャスコでも、金沢の「いとはん」でも、
数ヶ月単位で担当売り場を変え責任を持たせる。キャリアを積ませるのである。
配送サンター、寝具、靴売り場、子供服、日用品、など次々に任される。
品種変われど、商品管理の本筋は同じ。居酒屋も、ベーカリーもシステムを把握
して全力で取り組めば、何でも可能ということを知っていた。そのため実家の
仕事を引き継いでも、ビジネスホテルを立ち上げるにしても全然、抵抗感がない。 
 何事も、表面が違っても、本質は同じである。

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