堀井On-Line



5343,閑話小題 〜電動アシスト自転車を乗り始めて6年

2015年10月31日(土)


* 電動アシスト自転車を乗り始めて6年
 6年前の、この31日分の文章をみると電動自転車のことが書いてあった。
まる6年間乗ったことになる。年間200日×6年=1200日。さらに一回15キロ
として1万8千キロ走ったことになる。地球半周近くになる。2年前に、4年間
乗ったマウンテンバイクから、現在のクロスバイクの乗り換えたが、今では
早朝の日常生活の一部になっている。それまで、殆ど、自転車に乗ることは
なかった。しかし、これを乗りつけると便利な代物。 しかし、何故か街中で
見かけることが思ったより少ない。買換えの時期に来ているママチャリに
電動アシストを家内に勧めても、「近くだから必要ない!」の一言!
試乗を1〜2度しても、いま一つピンとこないようだ。あくまで、スーパー
の買い物の手段としてしか見てないため。乗っていること自体を楽しむ、
着想が持てないため。こうした感動を書き残していると、当時の光景が、
そのまま伝わってくるからよい。
――――
3131,期待どおりの電動自転車
2009年10月31日(土)
 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗したきた。
自宅は長岡駅裏から歩いて10分ほどにあるが、長岡駅前から歩いて20分の
ところにある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところにある
ジャスコには15分、ユニ系のSCのアピタまでは20分かかった。
その先にある長岡大橋から駅前近くまで戻って、家に着いたのが45分後。
万歩計をみると、2500歩になっていた。45分というと5500歩、半分
近くこいだことになる。 疲れは、ウォーキングと同じぐらいである。
 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。一日一万歩を目指して
歩いているので、自転車にはほとんど乗ることはなかった。だからスポーツ
タイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの自転車を乗った驚きは
大きいのは当然のこと。一対二のアシストというと、人が一の動力をかけると
二倍の加速がかかるもの。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要するが、
その時に特にペダルに力が更に二倍加わるから、何か異様な感がする。
線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、大きな橋まで
の登り坂とか、けっこう起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの道路で
ペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽になる。
電動自転車は、法律でアシスト一対一から、一対二が認められたことで、
爆発的に普及するような気がする。 ただ、通販で注文して送られてきた
電動自転車を組み立ててくれた長男が忠告した「すぐに、盗まれるよ」
というのも分かる。小型のためボックスカーに、そのまま乗せる事が可能
だからである。一年ほど前に、家内に電動自転車を買おうかどうか相談したら、
「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。まだ、珍しいからで、あと数年先が
よいんじゃない」といって、買うのを止めた経緯もあった。スーパーや、
駅前などは、当分は置けないが、その時はその時ではあるが。 驚いた!
・・・・・・
2013/09/24
閑話小題 ー 二代目のスポーツ自転車
  * 二代(台)目のスポーツ自転車
 注文していた電動アシストのクロスバイク(自転車)が、一昨日、自転車
専門チェーンの「あさひ」に届いたと連絡があった。4年間乗ったマウンテン
バイクについで二台目のスポーツ自転車になる。 まずスピードマウンテン
より2倍近く出るのがよい。これで何が変わるか楽しみだったが、単純だが、
一時間のポタリングの周遊範囲が自動的にスピードに比例し二倍になった。 
 なるほど人間と同じで、機能に制約されていたのである。人間も知識と情報
により左右されるのと同じ。もっとも乗る前から、コースをどこにしようか
考えてはいたが、実際に走ってみると見えてくる。信濃川の土手の二つの大橋
一周から、土手の下にある河川敷のコースも見つけ走ることにした。
当面は、秋という季節柄、一時間から一時間半から二時間とすると、三倍の
距離、走ることになる。連休と物珍しさもあるが、朝夕、買った当日と昨日、
二時間走ってきた。 乗り心地は、MTB(マウンテンバイク)は、小回りが
きいて、軽く、目線が地面に近いローラースケートという感じだが、クロス
バイクは、ズッシリとして、目線が高く、スピード感がある。今までレース
タイプにスイスイ追い越されていったが、今度は、追い越す方に移行するが、
4年間、MTBを乗ってきた者にとって、大きな違いになる。 
欠点は、一時停車の時、つま先立ちでなること。しかし、スポーツ自転車の
基本は、つま先立ちになるまでサドルを上げることというから、一週間位の
訓練で身に付きそう。こぎ出す前は、男またぎでなく、女またぎがスポーツ
自転車の基本。停車の時は、一度、サドルから前に腰を外し、両脚を地面に
つけるのが基本。そう言われればTVで見ていると、そうである。
 二種類のスポーツ自転車を持ったことで、ポタリストか、ペダリスト?
の仲間入り。一応、自転車愛好家と自認できる。ところで、買う気になって、
スポーツ専門店の売り場に入ったのと、冷やかしとでは、違って見えてくる。 
自転車初心者コースの本を読んだこともあるが、それにしても種類が豊富。
 店舗だと、大たいの店が、メーカー品だと一割引、ネットでは二割引になる。
ネットで買うのと、店舗で説明を受けた一割の差は何か?というと、自転車に
まつわる情報の差であった。そこで、店舗で一割のサービスを受けることに
したが、それだけの情報とサービスはあった。 旧来の自転車屋は、パンクや、
ブレーキの修理を必要とする、土着の商売。地元の長岡では、20〜30年前
まで100軒あった店が20軒に激減したという。自転車本体が、スーパーや、
HCの攻勢で、売れなくなったため。「あさひ」の店頭は、殆どが見本陳列で
取り寄せがベース。 その分、多くの見本がある。 あと冬季間まで二ヶ月、
まずは距離を走らなくては! 元気のうちである。
・・・・・・
2013/07/29
スポーツ自転車の勧め! ー4
              「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
   * マウンテンバイク
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。舗装されてない山道などを
走るため、特徴は丈夫かつ軽快さである。ただ値段の安さに惹かれ買ったが、
私の毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の
 マリン郡で、ヒッピー達がビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤを
つけ、急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。
同時期に北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、
一つのジャンルの大量生産で一般に広がっていった。マウンテンバイクの定義は、
【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の
乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等
の向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途に
よって様々な形態が存在する。】である。 
  マウンテンバイクは、クロスカントリーバイク、
ダートジャンプバイク、ダウンヒルバイク、プレイバイクなどの種類がある。
・クロスカントリーバイク= 山道の長距離走行に特化したバイク。
 軽量なフレームに軽量なサスペンションフォークが組み合わされ
・ダートジャンプバイク= ジャンプスタントに特化した、BMXに近いバイク。
 小さめで取り回し易いフレームが、堅牢なクロモリか、十分な補強を施した
 アルミニウムで作られる
・ダウンヒルバイク= 山を下り降りる事に特化したバイク。
 数メートルの崖を飛び降りるなど過酷な環境に耐える強度が必要。
・プレイバイク= 2010年頃よりジャンルが定着し始めたMTBとBMXを
 ミックスさせたバイク。・・・ 》
▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。
 それとママチャリと同じく、普段の生活でも使えるマルチのところがよい。
親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場
では、丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家
からは「モドキ」とか「ルック車」などと呼んでいて、良いイメージはない。
その見分けはデザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのも
ある。私のようなスポーツ車初心者に向いている。とにかく軽く小回りがきき、
乗りこなしがスムース。次は、クロスバイクにするつもりだが、折畳み式も
捨てがたい。スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな
生活の中で、これはソロで出来る手軽な趣味になる。早朝に加えて午後からの
ポタリングの習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に
使うことも考えてよい。 趣味としてポタリングにするとなると、違った
切り口が出来てくる。それより、まず事故に気をつけなくては。
これまで色々なマウンテンバイクを見て、デザインが違うとしか思って
なかったが、実は、使用目的が違っていたのである。
・・・・・・
3777, ポタリング
2011年07月29日(金)
  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。 −ネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光名所
 などに自転車を用いる「散歩」的なサイクリングをいう。 散走とも言う。
 サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、チト
違うようだ。毎朝、ウォーキング代わりに、信濃川まで一時間、自転車で散走
をしているが、サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリング
という言葉があった。 「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。
自転車は野球帽を少し深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。
また電動アシストなら、エネルギーは普通の自転車の三分一か、五分一で済む。 
近くのSCや図書館に気楽にいけるのも良い。 この御陰で生活が一変したと
言ってよい位である。イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に
使い、目的は自転車に乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、
長距離で、自転車で旅行をする場合につかう。 東京など密度の濃い都会の
二時間の散策なら、かなりの場所に行くことが出来る。 現在、早朝の信濃川
のポタリングが主だが、今度は午後などに折りたたみ自転車を車に乗せて
日本海沿岸をポタリングするのも面白そうだ。そうこう考えると、周囲に
面白いことは、山ほどある。ただ気づいていないだけである。ベストの敵は
ベターというが、その通り。それにしても「ポタリング」という語感がよい。 
これから少し与太るで,「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。
 陰鬱の時、少し与太らないとやってられない。でも、自重の時期である。 
で、自転車でヨタルしかないか。少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、
安い折りたたみでも買うか? でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?
・・・・・・
2013/07/28
スポーツ自転車の勧め! ー3
             「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
   * ポタリング ーつれづれに
 4年近くで、一日12キロ、年に200日として(冬期間を除き)、
9千キロは走ったことになる。当然、自転車はボロボロに近い。この本を
読むまでは「月に一度の空気入れ」の鉄則を知らなかったが、息子に
「時どき、空気を入れたほうが良いよ」と言われ、三月に一度の割に入れて
いた。それとスプレー式の錆止めを2年前から挿し始めた。それとHCでパンク
修理グッズを見つけたので、次のパンクから挑戦するつもり。
 ここでママチャリについて、【日本独自の車種で、通勤、通学、買い物など
あらゆる場面で使えるが、スポーツとしては使いづらい。日本の道路事情で、
歩道に乗ることを認めていることもあり、スピードが出づらい構造になっている。
現在、都市部で大きな問題の歩道上の自転車事故は、スポーツ自転車との
スピードの出しすぎによる接触が多く、道路事情に自転車の仕組みも絡む。
値段も安く、メンテナンスも手軽で、丈夫で、使用頻度も高く、何処にも置ける
気安さがある。特に値段の安さが特徴、3年も乗れば、盗れれても諦めがつく。 
スポーツ車では、クロスバイクとマウンテンバイクがママチャリに近い。 
軽さでマウンテンが、次にクロスバイクが適している。
 現在、節約も含めて自転車通勤が都心で多く見られるようになった。 
また運動として著者のように、ライダーや、(私のような)ウォーキングから
の乗り換えも、増加している。イオンも自転車専門チェーンを道路沿いに出店
を始めた。日本は自然に恵まれ自転車でのスポーツ環境が整っている。
スポーツやで遊ぶの場面を考えると、日本に適している。 団塊世代が定年を
むかえた昨今、自転車は最適である。もう一歩踏み込みこむかどうか?
鎌倉とか京都に自転車を持ち込み、散策するのも面白そうだが、東京都内も
良さそうだが・・ その前に県内のポタリングか。 
・・・・・・
2013/07/27
スポーツ自転車の勧め! ー2
             「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
  * 4年間のポタリングからのギアアップの時節 ?
 4年近く前に、「電動アシスト自転車が5万9800円の破格値でスポーツ用品
チェーンのヒマラヤが売り出す」という記事をみて、思い切って購入した。 
当時は電動アシスト自転車の殆どが10万円以上。そして、まず信濃川まで
試乗してみて驚いた。それまで遥か遠く感じた長岡大橋まで僅か15分で到着。
それも全然、疲れが残らない。それまでママチャリしか乗ったことがないのが、
マウンテンバイクのため軽快で、6段切替で、電動アシストとくれば、
その段差に驚いて当然。それと大手大橋からみる信濃川のパノラマに感動。 
そこで30年近く続けてきた早朝の一時間のウォーキングを、ミニサイクリング
に切替え、現在まで続いている。ウォーキングを30年近く続けていたことも
あってか、電動アシストもあってか、体重変動はゼロ。
 電動アシストでなくとも、ギアチェンジのスポーツ車で、このコース試乗を
していたら、この方に切替えていたはず。この5月のゴールデン・ウィーク明け
からは、週に一度は午後から一時間以上を走り始めている。
 服装は、スポーツセンターで着ているトレーニングウエア。ズボンは時どき、
登山用の足元がチャック付にする。それに網目のベストを羽織る。帽子は網目の
野球帽。これも、そろそろヘルメットに切替える時期。 靴は、ランニング
シューズか、ウォーキングシューズ。 中途半端だが、中途半端の入門者なら、
仕方がない。4年近く乗ってきたマウンテンバイクも、ボロボロ。一日、百円
換算からみても元は十二分にとった感がある。そろそろ電動アシストのクロス
バイクか、折畳み式を考えている。折畳み式なら、「途中までジテツウ」
をもじった、「途中からポタリング」が出来る。近くの観光地などに車で行き、
トランクから出して、ポタルとか・・ クロスバイクの前輪をワンタッチで
外せトランクに簡単に乗せることができるものがある。どちらを選ぶかだ。 
著者の本格的「純競技用のマシン」は、私の年齢では無理?
 地元が雪国のため12月〜3月が走行が出来ないハンデがある。とすると
来年春まで待つか? 先が多く残されてない?ので、すぐか?迷うところ。 
他にオートバイ、スポーツカー、カヌーなど考えられるが・・ 
健康と年齢からして、これか。 
・・・・・・
2013/07/26
スポーツ自転車の勧め! ー1
           「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
   * スポーツ自転車入門
 私のは、電動のマウンテンバイク。値段は5万9800だが、これが大当たり!
それまで30年近くのウォーキングの習慣があった為、それを自転車に切替えた
のでスンナリいった。この早朝の一時間は、自分へのプレゼントと思えるほど。
  まず ー内容(アマゾンより)ー
 50歳の春、肥満体型と高脂血症、高血圧を改善するために手にしたのは、
スポーツ自転車だった。わずか2年で24キロの減量を成し遂げ、体脂肪率は
24%から10%以下に。 明るく楽しく、そして激しく愛車に乗りまくる日々を
活写するとともに、ダイエット成功の秘訣をすべて公開する。
 〜入門書としても最適な本である。主観をもって、まとめると、
  こういうことになる。
≪ 自転車には、ママチャリとスポーツタイプに、まず分けられる。
 そして、スポーツタイプには、ロードバイク、
マウンテンバイクがあり、最近では、この二つをミックス(=クロス)した
クロスバイクが現れてきた。これに折畳みが出来るフォルディングバイクと、
車輪の小さなミニベロがある。それと色々な競技を楽しむBMXがある。
 著者は健康不足を医師に指摘され、考えあぐねた上にスポーツ自転車を
思いつき、クロスバイクを2002年2月から乗り始めた。しかし暫くして、物足り
なさを感じて特別仕様のスポルティーフの自転車をつくる。その後、気がついた
のが、ツールドフランスなどで見る「純競技用のマシンのTREK5500」。
これを買ったのが正解で、人生のパートナーになってしまった。
これを買って決めたことが、「毎日乗ること」。値段が高いため、一度乗ると、
自転車から離れることが出来ない。公衆トイレなら中に持ち込む。盗まれる
危険が高いからだ。そして2年で20キロ、体重の10%以上の減量に成功した。
そして一年後、更に10%、58キロまで体重が減った。定例走行距離が64キロ
になっていた。「自転車はすごい。自転車はいい。自転車は楽しい。」と、
断言する。 定年退職をむかえ、体力に自信のない人、健康に不安な人、
無趣味の人、時間を持て余している人、一日中ボッとしている人にお勧め。
 型はスポーツ車、出来ればロードタイプがいい。自転車と思うと目が飛び
出るほど高いが、自動車、オートバイからすれば安い。その価格で、F1クラス
のスーパーレーシングマシンが手に入るのである。こんなことは自転車以外、
絶対にありえない。〈暇を持て余し、不健康この上ない諸君。
スポーツ自転車を買おう。買って、毎日数十キロ(20〜50キロ)走ろう。 
そうすれば体重脂肪率10%以下は、決して夢でない・・・〉 ≫ 
▼ これは自転車入門書。著者にとっての効用の一つが肥満と血圧の改善。
 ここには書いてないが、自転車で自然の中を汗をかきながら走って見える
景色と爽快感は何もの代え難い。 実際に4年近く信濃川にかかる二つの大橋
と両側の土手を自転車で一周しているので、よく分かる。 年齢が年齢なので
電動アシストだが・・ 著者のように毎日60kmの走行ができれば25kg痩せる
ことが出来るかもしれないが、普通の人では無理。 とにもかくにも、
走りまくること。一度走り出せば、必ず病みつきになる、これは! これを
読んだ御陰で、早朝に行き交う自転車の種類とマニアレベルが少し見えてきた。
 そして自分のレベルもである。ママチャリでノンビリと走っている人から
レーシングマシーンに乗っている人まで、何組も出会う。そこに電動アシスト
のマウンテンバイク。ママチャリレベルである。
一昨日、昼間、20万以上もする折畳み自転車を乗っているのを見かけた。
それも、この本を読んでなければ分からないこと。



5342,性欲が強すぎて困ります 〜身の下相談

2015年10月30日(金)

ー身の下相談にお答えします =上野千鶴子
   * 社会学者の人生相談 ー性欲が強すぎて困ります
 男女も、この年頃は大問題。特に、受験勉強は、頭に血が集中するが、
 はけ口がないため、そのまま身の下にエネルギーが集中してしまうため、
 悩みは深刻! 情報化で下ネタが幾らでも出回っている現在、大変だろう。
≪ ● 質問: ー性欲が強すぎて困ります相談者中学生男子15歳ー
 15歳の男子中学生です。ぼくの悩みは性欲が強すぎて、今年受験だというのに、
エッチなことばかり考えて勉強が手に付かないことです。単にそれだけであれば、
自分が困るだけなのですが、ぼくの場合は、学校の女子や通りがかりの女性を
襲ってしまいそうなほど、性欲を抑えきれないのです。 小学生時代から異性に
興味はありましたが、性欲の対象というよりは、単純に仲良くしたい程度の
気持ちしかありませんでした。しかし、こ
こ1年ほどで急に仲良くしたいという
興味の対象から、性の対象として意識し始めてしまい、授業中もいてもたっても
いられません。学校内で好きな女の子はいるのですが、その子だけでなく、
ちょっとでもかわいい女の子がいればすぐにムラムラとしてしまい、治まりが
つきません。毎日、自分で処理はしているのですが、どうしても本物の女の子の
体に触れてみたくてたまりません。このままいくと、欲望に負けてしまい、夜道
などで衝動的に女性を襲ってしまわないかと怖いです。こうした行為が犯罪で
あることは自覚しているのですが、自分の処理だけでは満足できません。
どうしたら、この欲望を抑えることができるのでしょうか? 教えてください。 
  ● 回答: 異性と付き合うのはめんどくさいこと
中学生ですか。朝日新聞を読んでいるんですか、しかも「悩みのるつぼ」の
読者ですか、末頼もしいですね。中学生って、アタマのなかがこの方面のこと
でいっぱいの時期ですねえ。むらむら、もやもや、勉強も手につかないって
気持ち、よくわかります。いえ、それがわかるようになったのは大人になって
から、元男の子たちに思春期の性欲について話を聞いたからです。
後になって同じ年代の男の子たちはあんなにはんもん煩悶していたのかと
初めて理解し、そして男って性欲にふりまわされる生きものなんだねえ…と
同情に堪えませんでした。男って謎じゃ。女にはわからないことだらけです。≫
▼ あの頃の性欲は、万人が?尋常ではない。特に試験勉強は、頭の血が、
 そのまま、下半身に直結するらしく? 禁欲は一種、拷問のようだった。
とはいえ、これだけは、どうもこうも! 

・・・・・・
4977,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 〜
2014年10月30日(木)
  * 人生も旅行もゲームも、難問の解決過程を味わうこと!
 ゲームとは、仮に障害を幾つかつくり、条件と、約束事を決め、
目標達成をすること。ツアーの行先を地区ごとに埋めることをゲーム感覚にし
30年近く、様々な出来事があった。トラベル(旅)の語源がトラブルの難問を
乗り越えるプロセス自体が楽しみになっていく。 創業で、幾つかの難題を障害
と見立て、乗越えてきたことが、旅行にも生かされていた。
ツアーの49回の内わけとして、欧州15回。中東、アフリカ10回。
インド・パキスタンを含めたアジア7回。ハワイなど南太平洋6回。
南北アメリカ11回になるが、それぞれの地域の空白を埋めるのもゲーム感覚。
 一回のツアーには、普段のトラブルの殆どが全て出てきて、楽ではないが、
ゲームで、それを楽しまないと二度と行きたくなってしまう。最近は、家内の
意向で欧州が多い。南米、南アフリカ、パキスタンのシルクロードなどの最果て
の地から日本を見ると、日本は最果ての地。すべからく行先に辿りつくのが
目的でなく、途中に起こる様々の経験全てを味わうことが目的になる。
特に飛行機の行き帰りと、目的先の移動中のバスの車中を楽しめるかがポイント。
アランの幸福論に、「憂鬱の人に言いたいことはただ一つ。
『遠くをごらんなさい』」がある。憂鬱な人が殆どみんな、読みすぎ!人の目
(心)はこんな近距離を長く見ていられるようには出来ていない。広々とした
空間に目(心)を向けてこそ、人間は安らぐのである。夜空の星や水平線を
眺めている時、目(心)は、まったく、くつろいを得ている」がある。
この言葉が遠く旅する目的を言い表している。 贅沢なライフワークだが、
それ一つに絞り、何とか続けられたことが、人生の様々な難問を乗越える支えに
なってきた。人生ゲームというキッズがあるが、難問が高いほど面白いのは、
深淵の意味が含まれている。死んでしまえば、それまでよ!死んで花実が咲く
ものか!である。 大部分を占める世間様という人たちと一線を画すこと、
それには、良い芸術作品、大自然の神秘、良書を浴びなくてはならない。
その前に立ちはだかる難問を乗り越えるゲーム化が、人生のゲーム化である。
・・・・・・
4610, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー2
2013年10月30日(水)
   「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著)
 * 雨がもたらす感動 《その時々の感情に合わせて》
    〜私がいったところはどこも一人の詩人が私より先に立ち寄っていた。
                      (シグムンド・フロイト)〜
 この本には俳句が多く引用してある。イメージを簡潔に、生き生きと彷彿
させるに俳句がピッタリだからという。成るほど、雨の日に一人、部屋で読んで
いると、どの俳句も身に染みてくる。冒頭に、「その時の、感情に合わせて」
と、以下の俳句などの一節が書かれていた。
  ー慈悲
 慈悲は強いられ 行なうものではない。慈悲は天から降りそそぐ 
恋みの雨のように大地を閏すもの。 シェークスピア(ヴェニスの商人)
  ー融和する愛
 こんなふうに、夏の雨ぱ私たちの 心にしっかと棲みつく。
だれかの心と鼓動を合わせ打つ生まれ変わった心のように。
             ミュリエル・バリュベル「優雅なハリネズミ」
  ー孤独ー  
秋雨や夕餉の箸の手くらがり      永井荷風
  ー情熱
情熱とは感情的には朝露にとっての雨 水蒸気にとっては水のようなもの  
                  ジョセフ・ジュベール
  ー別れ
白露や 死んでゆく日も帯締めて    三橋鷹女
  ー再会
夕立もやみたる頃の迎へ傘       高橋淡路女
  ー辛さ
五月雨や上野の山も見飽きたり     正岡子規
  ー優しさ
初時雨猿も小蓑をほしげなり      松尾芭蕉
  ー存在の驚き
はるさめの暮れなんとしてけふも有   与謝野蕪村
  ー喜び
タ立が洗っていった茄子をもぐ     種田山頭火  
  ー哀愁
タ時雨蚕ひそみ音に愁う哉       与謝野蕪村
▼ 雨は、どちらかといえば陰鬱的な気持ちに私たちをさそう。
しかし、雨がもたさす憂鬱、退屈、孤独感の中から何にもにも代え難い
感情が湧き出てくる。そして静かにエネルギーが満ちてくる。
童謡《 あめあめふれふれ母さんが ジャノメでお迎えうれしいな、
ピッチピッチ チャップチャップ ラン ランラン。》が、
心の奥から聞こえてきた。
・・・・・・
4235, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー8
2012年10月30日(火)                       
           ー「ルーツ大全」インフォペディア編より
● グレルの語源
<グレルの語源は平安時代の「貝合わせ」という遊びからきている。
ハマグリの貝殻を二つに分け、ピッタリ合うものを探す遊びである。
これが意外と難しくてナカナカあわない。ここから、しっくりこないことを
ハマグリの倒語、ハマ・グリ ー>グリ・ハマとなり、そのうちグレだけ残って
動詞化し「グレル」になった。この言葉、江戸時代には一般に使われていた>
▼ 最近、あまりグレルという言葉を聞かなくなった。ここで知るまで、
 愚連隊のグレからきていると思っていたが、愚連隊の愚連が、グレの当て語
だった。青少年期にグレタの者に、全うな?人生を過ごしたのは少ない。 
人生の基本が出来てないのは、その後で立て直すのは難しい。
10歳で人生の限界が決まってしまう説がある。
     〜〜
● へべれけの語源はギリシャ神話から
 べろんべろんに酔った状態を「へべれけになる」というが、飲みすぎて
正体を無くした状態にピッタシである。一説によるが、ゼウスの娘にちなんだ
へーべ・エリュケーションからきている。エリュケーションは、お酌をする
という意味になっている。オリンポスでは、へーベがお酌をするのが習わしで、
若くて美しい美人。しかも、ゼウスの娘なら、つい杯を重ねてしまう。
神々は前後の境なく酔いつぶれてしまう。「へーべ」「レリュケーション」
すなわち「へべれけ」という言葉が生まれた。他にも、「へ」と「べ」の
区別がつかなくなり、へべれけが生まれたという説がある。
▼「へ」と「べ」の見境がつかない説もよいが、女神へーべの酌で神々が
 泥酔した説も面白い。飲み屋のネタに丁度良い。スナックに行くのは、
へーべを求めて酔いたいためだ。へーべはいないが、へーべ風はいる。
居酒屋で酔った後に行くのは、幻想を求めるため。 
 ・・・・・・
3870, 品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らねぇ!
2011年10月30日(日)
 映画監督の山本晋也の、ある雑誌の手記にあった言葉だが、
言い得て妙である。 〜まずは、その概略を書いてみる。
≪ 小学校1、2年生の頃、友達と「鞍馬天狗」のかかっていた映画が
 見たくて、トイレの窓から友達4人と侵入したが、支配人に捕まった。
「先に入った友達がいるはずと、教えれば許す」という条件を出されたが、
「友達はいません、僕一人です」と言い通した。そのため警察に突き出され、
父親が引き取りにきた帰り道に、引っ叩かれた後に「ろくでもねえことを
しやがって、でも、お前さん、友達を売らなかったてぇのは、偉い。
品行の悪いのは直るけど、品性の悪いのは直らなぇっていうからな。
覚えてけ!」「品行」という言葉の意味は、大人が使っていたので何となく
分かったが、「品性」という言葉の意味は暫くわからなかった。ただ、
その中で、親父が友達を売らなかったことを褒めてくれた雰囲気は伝わった。
自分は成人映画を撮り続けて250本になる。その上に、深夜番組で風俗
レポーターを21年もやったが、一度として歌舞伎町で浮遊したことはない。
それもこれも、親父の、この江戸弁がきいている。 ≫ 
▼ 事業を40年近く携わってきて最後は、この結果に終わった。
 色いろあったが、法律はスピード違反なら10キロオーバーまで。
綺麗ごとだけでは済まされないのが事業だが、その辺のことは守ってきた。
何事も契約は遵守。心にとってやましいことは、やらない信念は持ってきた。
この倒産劇で多く非難をされたと思うが、自分では結果に対し納得している
ので冷静でいられた。確かに品行は良いとはいえないが、品性が悪いとは
思ったことはない。いや、酒癖が悪いから、第三者からみたら最低の品性か。
「国家の品格」、「女性の品格」とかいう類の本では、品性の部分では、ほぼ
カバーをしていた。そこでは自己確立が出来ているかどうかが、問われている。 
人を悪し様に言っている人たち、陰口しか言えない人たちの、劣性などが羅列
してある。もっとも立場変われば、見方が全く違う。誰も自分にはあると
思っているが、実はないのが品性。大たい2ランク上の自己評価をするから、
お笑い。自嘲?それもこれも比較の問題になる・・今さら品性と言われても!
  ・・・・・・・・
3505, フューチャリスト宣言 ー3
2010年10月30日(土)
  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
  * 楽しくてしょうがないというやつしか勝てない
  ー まずは、茂木の日米の教育の基本的考え方の違いから ー
 茂木:日本の教育では基本的に「範囲」があって、『正しい範囲』を
押さえた人が最終的に大学入試に受かる。ところがアメリカの高等教育は違う。
・・アメリカの教育は最初から偶有性(何が起こるか分からない)の海の中に
生徒たちを放り込むしかない。とにか「自分の好きなことを勝手にやりなさい」
と。しかし個々人が好きな方向にとんがるとは言っても、やはり何らかの基準が
ないと困るので、ナショナル.ミニマムとしてSAT(大学進学適性試験)がある。
基本的に放し飼いなので、最低限のベーシックな問題しか出さない。
日本の大学入試みたいに、囲い込まれた世界で人工的な受験技術を磨く必要は
まったくなくて、それぞれが勝手な方向に突き進んでいるので、共通項としては
ミニマムにならざるをえない。ともかく、僕は公式的な正しい範囲なんて本来
ありえないと思っています。だから、日本の教育の本質は「談合」であると思う。
・・(略)つまりアメリカでは、とんがらせる方向というのは人によって異なる。
たとえば人によって、それこそ高校の時から量子力学まで進めるかもしれないし、
歴史を深く掘り下げたいという人もいるかもしれない。それに対し、日本は、
ここまでの範囲しか勉強をしてはダメといって人工的に競争をさせようとする。 
どちらが良いかは、アメリカが良い。・(略)それでも「とんがっていいんだよ」
ということが、最近では感覚として受け容れられてきた気がしてきた。
▼ アメリカの教育システムがベストという訳ではないが、私がミッション系
 の大学に入って感じたことは、小学校、中学校、高校から一貫教育できた
連中の自由闊達さに、まず驚かされた。他の都会育ちもいるが、地方の連中が、
あてがわれた受験勉強(大学進学適正試験)に多くのエネルギーを奪われている
うちに、彼らはジャズバンドに、ゴルフに、服飾に、遊びに、自由の空気を
満喫していたのである。現在考えてみて、その差があまりに大きかった。
当時は、それほど感じなかったが。それで「とんがるように生きてきた」が、
このザマ。先が歪んでいたから?・・ でも、とんがると、娑婆は面白くなる。
その自由闊達が社会に出たとき、そのまま世渡りにプラスになっている。
それぞれ一長一短はあるが、グローバル化は、「とんがり」が求められる。 
実は、心の奥は毎日が面白くて仕方がない? いや、そうでもない? 
「面白くなき世を、面白く」の意味が、歳を重ねていく上でシミジミと
分かりかけてきた、ということ!




5341,女はムズムズ、男はムラムラ 〜身の下相談

2015年10月29日(木)

ー身の下相談にお答えしますー 上野千鶴子
 * 社会学者の人生相談 
     〜性欲が強くて勉強できません
                   相談者浪人生 女子18歳
 生涯独身の社会学者が、身の下相談とはいかに?である。
まず、目に付いた若い女性の性欲に対する答えが軽妙でよい。 
  〜その相談と返答〜
≪ 18歳の女子浪人生です。私は性欲が強いんじゃないかと悩んでいます。
小さい頃から性に関して関心があり、自分でも不思議でした。自慰行為を
しては嫌悪感にさい悩まされました。今は自分の行為を、自分で理解できる
ようになりましたが、情けなくなってしまいます。何より今困るのは、性欲
が強いために勉強ができないということです。自習室にいるときは別ですが、
家にいるとそういう行為に逃げている気がします。 性に関してはこれから大人
になれば、いくらでもそういう機会はあるでしょうが、勉強は一番やらなければ
いけないことですし、私自身も一番やらければいけないことですし、私自身も
勉強が好ぎなので、そのようなことばかり考える時間を持ちたくありません。
 女性も男性のように性に関心を持ったり、性欲が強かったりするのは当り前
だとは思いますが、私はまだ子どもなのにそんなことばかり考えるのは少し
不謹慎だと思ってしまいます。私はまだ性交渉を持ったことはありません。
いたずらに性交渉を持つべきじゃないという思いが性欲が強いこととつながって
いるのでしょうか? 今は時期的に性欲が強いんだろうと思うのですが、どう
うまく自分と付き合っていけばいいのか、同じ女性として上野千鶴子さんに
ご意見、アドバイスいただければと思います。
  ● 回答〜むずむずしたら自分でほぐしましょう
 回答者のご指名を受けて、光栄です。下ネタに強い、と思われたんですね、
アタリです。あなたは性欲が強いとか。どうしてそう思ったんですか?だれか
と比べてみたんですか? だれでも小さいときから性に関心を持っていますし、
その関心はだんだん強くなります。18歳はとうてい「子ども」とは言えません。
他人とくらべてどうかはわかりませんが、おそらく人生のなかでいちばん体力
とともに性欲の強い盛りじゃないでしょうか。男性に聞くと、20歳くらいが
ピークでそれから性欲は衰えるいっぽうだそうですよ。性欲と性交欲とは
ちがいます。性欲は相手がいなくても満たすことができます。
性交欲は対人関係を求める欲望だから、こちらはすこしやっかいですね。
相手が同意しないと成りたちませんから。でもあなたにあるのは性交欲では
なく性欲でしょう?それなら話はかんたんです。むずむずしてきた時は、肩の
こりをほぐすように自分で緊張を解いてあげましょう。 江戸時代には
「自行安味」とも呼ばれていたくらいですから。
 マスターベーションを「自涜」と呼んで撲滅しようとしたのは明治人、
それを「自慰」というやさしいことばに呼びかえたのは大正期の性科学者たち。
青柳有美はマスタベーションを「人工遂情」と訳して「気がはきはきして頭が
すっきりする」と書いています。セックスのよいところは必ずフィニッシュが
あること。それにマスタベーションは妊娠の心配もないし、だれにも迷惑が
かからないため、すっきりしてから勉強に向かうほうが集中できるでしょう。
セックスには2種類あって、マスタベーションは自分の身体とのエロス的な
関係・性交は他人の身体とのエロス的な関係のことです。どちらかがどちらか
の代用をすることはできません。自分の身体のエロス的な使用のしかたを
知らない人が、他人の身体とエロス的な関係を結ぼうなんて、無免許運転みたい
なものでふらちです。自分のエロスのツボをよお〜く学んでおくと、実際に
相手のあるセックスをしたときに、そのセックスのクオリティのよしあしが
よくわかりますからね。己を知り、敵を知らば百戦あやうからず。
あれ?性交は闘いじゃありませんでした。セックスを他人を支配したり
侮辱したりするためにやから使う輩もいるけど、これもふらちですね。≫
▼ シングルを生涯貫いてきた、若いときから著名な社会学者の上野千鶴子が、
 若い女性の性欲の悩みをズバリ回答するのも、面白いもの。

・・・・・・
4976,閑話小題 〜TVドラマのマッサンを見たことがある
2014年10月29日(水)
   * 面白い出会い 
 1967年の学生時代に、軽井沢・万平ホテルのレストランで、
NHK・朝ドラ「マッサン」を見たことがある。軽井沢友愛山荘のヘルパー
をしていたある日の午後、車で5分ほどの万平ホテルにコーヒーを飲みにいった
ところ、品の良さそうな老人が、秘書らしき人とコーヒーを飲んでいた。
近くの人が小声で、「あの人が、ニッカの創業者の竹鶴さんだよ」といって
いるのが聞こえてきた。二人とも黒のスーツにノーネクタイの白ワイシャツ姿。
品が良いが人を寄せ付けない空気が、その席に漂っていた。私の連れの話では、
奥さんがイギリス人で、数年前に亡くなったたという。当時も知名人だった。
まさか、47年後の朝ドラ主人公として、たち現れるとは思いもよらなかったが!
 懐かしい思い出の一コマであった。調べてみると、奥さんリタは1961年に、
マッサンは1979年に亡くなっていた。生まれが1894年というから、当時の年齢
は73歳。当時、かなりの年寄りに思えたのは、私が若かったため? ところで、
当時、親しくしていた友人を軽井沢に連れて行ったが、その後、軽井沢に別荘
を持ったという・・ その友人とは、卒業間際に大喧嘩をして、絶交状態? 
人生、色いろある。 所々にある大きな池と並木道を、山荘の宿泊客や、
同僚のホステラーと、早朝、歩いた良い思い出がある。学生時代には、将来の
手がかりも何もかも無かったが、背中に羽があるかのように飛び回っていた。
   * 家内が、ある会の議事録の筆記を頼まれて
 毎日、文章を十数年来、書いてきたこともあり、文章書には抵抗はないが、
家内にとって、議事録をまとめるのは初めての経験。必死の形相で四苦八苦。 
以前もイタリアのポンペイで迷子になった時の対処の礼に、機内で添乗員に
メモ書きに添えて礼金を渡すことにしたが、その文章が書けないという。
そこで、私が、家内にかわって書いたことがあったが・・ 
また、『どうしたら良いか?』というから、『上手く書こうと思うな。
雛形を探し、とにかく、拙速に書き上げること。問題は、その後の、書直しを、
何度かすること』と、答えた。 こういうのは、一気に書きあげるしかない。
この程度の随想日記でも、前日まで書上げた内容を、60〜90分もかけ添削を
している。 そう簡単に、気持ちの入った文章など出来ようはずがない。
 何事にも、言えることだが。
・・・・・・
4609, 閑話小題 ー金からの自由
2013年10月29日(火)
  * 金からの自由と解放感!
脳科学者・認知科学者の苫米地英人の『君は一万円札を破れるか』を図書館で
みつけ借りてきた。銀行に倒産させられた?バイオ企業の雄だった林原の専務の
著書『破綻』と並列に読むにちょうど良い内容。 脳科学者が、金融、特に
お金の本質を書くと、こうなるのか、と読むと尚の事、面白い。後日、ここで
取り上げるが、 概要といえば、《お金は経済支配者の洗脳でしかなく、
早めに呪縛を解いた方がよい》、と。森林(現実、経済社会)から、サバンナ
(隠居生活)に出ると、森での思い込みの枠が明確に見えてくる。長年の間、
恐れていた倒産で、汚名をきて、曝し首になっても、「それが、どうした!」
と開き直ってしまえば、何んてことはない。 地方の中小の三分の一が、今日
明日の資金繰りに追われ、残りの大部分が一歩手前。まともは1〜2割もある
かなしか。事業整理をした結果、今までの心労はゼロに近い。事業をやり直す
気持ちなどさらさらない。独り4時起床、ブログを書き上げ、6時にポタリング
に出て・・と、一日のプログラムを淡々とこなす日々。お金が無くて、不自由を
するかといえば、皆無といえば嘘?になるが、ほぼなし。全て、やりつくした
感があるため、別に今さら。酒もビールも、味などかまわなく、美味いと思えば
美味いと感じるから不思議。リッツカールトン・ホテルのレストランが、偽装
のネタの料理を出していた云々?そんなもの、業界の連中からみれば日常茶飯事
で、何を今さら。 食通とかいう人が、能書きたれていても、それが、いかに
下らないことか、料理人が一番良く知っている。とれたての魚や、野菜を産地で
食べるのが一番美味しいし、それ以上の味があろうはずはない! 
一流シェフの料理が美味いなど錯覚。その錯覚も良いことは良いが・・ 
目隠しをし、料理、酒の味見をすれば分かること。平べったい顔の若い女性に、
整形をし、プロが化粧をし、ブランドの衣装を着せれば、誰でも絶世?の美女。
それと同じで、料理の味も集団催眠の一種。そういう変身番組を土曜日の9時
過ぎにTVで毎週、お笑いで放映している。お金も、同じ。紙切れを、あたかも
価値があるように洗脳、現物を騙し取る。米国の基軸通貨のドルがそうである。
更にバラまいたドルを米国債で回収すればよい。ネズミ講と同じで、国家が
倒れない限りは大丈夫。 世界はバカばかり、欺し証文(お金)と、大事な
時間を対価にした労働や資産を、紙切れと平気で交換する。それで何かが買える
からだ。その証文の価値は、一部の連中が紙切れに印刷をし、価値があると
洗脳しただけの詐欺そのもの。それが、森林から出てみると、鮮明に浮かび
上がって見えてくる。とはいえ「金から自由になるには、気にしないで済む、
何がしかの金が必要」という現実がある。地方では、年3百〜4百万の支出に
耐えられる金額が目安。それさえ確保すれば? その生活に甘んじれば、
金から自由になれる、それ以上は同じことになる。1千万以上の生活を20数年
してきたが、充実感があったが、現在と大して変わりはしない。いや、金の
呪縛から解放された分、現在の方が良い。以前、「会社を良い状態で、息子に
引き渡した状態をベターなら、整理をし曝し首の現在がベストの実感がある」
と書いた、それである。 それもこれも、それぞれの成り行き。
どうでも、よいこと。 「饅頭嫌い!」の落語の話かも?が、オチ。
・・・・・・
4234, プレイボーイの人生相談 ー2
2012年10月29日(月)
 今東光の回答も面白いが、柴田錬三郎の回答も単調直入に切って
捨てるところが面白い。
   * 愛の本質とは?
● わたしは、18歳の女子学生です。愛の本質について悩んでいます。
 今まで3〜4人、肉体関係のあった人がいますが、わたしの求める愛では
ありませんでした。いまも一人の男性と、月に二〜三回あっているのてすが、
彼と分かれたあとの何ともいえないむなしさはいったい、なんなのしょうか?
 ー愛の本貿とは何んでしょうかー
◎ チンビう同志が裸体をくつつけ合つて愛の本質など判りはせん。
 魂というものについて、まず考えなくてはならないのだ。君には、それを
考える能力がないらしい。一八歳にしかならないのに、もう数人の関係を持つ
とは、驚くべきズベ公ぶりだ。行為そのものが、どうせ、二〜三分の動物的な
エンヤコラに相違ない。 だからキミは、セックスさえも知らないのだ。
 まず、阿保らしいセックスを中止して、愛するということは何かを知るために、
名作といわれる古今東西の恋愛小説を読みたまえ。 魂の美しさ、苦しさ、
清らかさ、そして浄化を知るがよい。
   * 惚れて、許して、妊娠し…
● 私は十八歳の女子学生。今、市内のある喫茶店でアルバイトをしています。
 店のバーテンをどうしようもないほど好きになってしまいました。 相手も
私を思っているようです。でもその人は結婚しているらしいのです。人の話を
聞いたのだからハッキリわからないけれど、聞く勇気もありません。でも時々、
彼にがらかわれているようにも思えるのです。 相手は遊びのつもりでしようか。
◎ 嬉れて、からだを許して、一度ぐらい妊娠して人工中絶して、やがて、
 すてられて、なかばヤケになって、新宿あたりの酒場のホステスになって、
だんだん美しくなって、野心を起して、酒場のマダムになる野心を起して、
いろいろの男から、金をひき出して、ついにその無理がたたって、ダマした男
に殺されて、バラバラにされるかね。
▼ いずれの世の中も、悩みは同じ。悩み、悶え苦しんで、その格闘の中から、
 人生は生まれてくる。いずれにしても、人生は真正面からぶつかるしかない。
とはいえ綺麗過ぎる人生も、つまらないが、汚いのも考えもの。
「小汚い人生を小奇麗にして生きることこそ、避けるべき??」か。
それとも、そんなことを一切、無視すべきか。 どちらにしても同じ。
 ・・・・・・
3869, 地球の中心点からの声 
2011年10月29日(土)
   * 瞑想のヒント?
 二年前から、早朝のウォーキングをポタリング(ミニ・サイクリング)
に切り替えたが、それ以前は25年以上近くの土手を歩いていた。
1万から1万5千歩を目標にしていたこともあって、週末には2時間以上歩いて
い時期もあった。しかし1時間も歩き続けると腰が痛くなり、屈伸をしたり、
何度かシャガミこむ。その内に、そこで深呼吸をするようになっていた。
屈伸は10回ぐらい繰返すと不思議と腰痛が引く。ある時に思いついたのが、
しゃがんだ時に地球の中心点まで気持ちを落としみ、そこからエネルギーを
汲みあげ、逆に立ち上がったときには、天に向けてエネルギーが宇宙の彼方に
向かうイメージである。呼吸法などの本から租借した呼吸法ということになる。
その時に、何時の間にか擬人化した声と対話するようになっていた。 
しかし最近になってウォーキングからポタリングに切り替えたため、殆ど、
その呼吸法をすることはなかった。ところが、昨日の朝、ポタリングの途中、
信濃川の大手大橋の上を引きチャリをし歩いていると、地球の中心点が頭に
浮かんできて、呼びかけてきた。
《ワシ(中心点)をリアルにイメージしろ。そして、ワシと繋がったと思え。
 この一点の声を聞こえる奴は少ない。何時でもよい。目を瞑り、そのイメージ
を持つのだ。 それで地球の中心に己を置くことができ、そのエネルギーを
得ることが可能になる。まずは、ここを歩いたときは必ず、この瞑想をしろ!》
 本当の話である。地球の大元に繋がる?イメージは面白い!もしかして頭が
変になってきたか。元もと変だから、何だろう。内なる声か、はたまた妄想か。
ただ、純粋にイメージを持てば、これは内なるエネルギーの大元に繋がること
になる? 外に向かっていたエネルギーが内向きになった結果か、それとも
鬱から躁への切り替え時のイメージか、これは。呼吸をしてくれという身体の
叫びが正体か。深呼吸は意識的にしていたが、まだ足りないようだ。 
毒が溜まる状況下、エネルギーが枯渇ぎみ、ということ。 
深呼吸が精神の大元そのもの。 中村天風の教えと同じである。 
 ・・・・・・・
3504, 10−10−10 ー�
2010年10月29日(金)
  「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」  
                      スージー・ウェルチ (著)
 ここで多くの事例をあげて、3つのスパンで考える方法を教えている。
そこで自分の日常の小さな判断の経過をあげてみる。
▼(例)=今月は、どういう訳か飲む機会がなかった。そのためか帰りの
 新幹線車中で「さて今月は、外で飲んでいない。酒の肴でも買って家に
帰ろうか?殿町にでも飲みに行こうか?」の気持ちが出てきた、とする。 
そこで、この3つのスパンで考える。
≪ 店での二時間はストレス解消になる(短期)、しかし酔った勢いで下手を
 すると数軒まわる可能性があり、明朝は後悔する(中期)、それも一週間後
には全て忘れている(長期?)。 飲みに行けば明朝のウォーキングか
サイクリングは中止になり、せっかくのゴールデンタイムが、二日酔いで帳消し。
さて、どうするか。朝か、夜か?一週間後には全く記憶の彼方なら、帰るか≫
になる。これは数ヶ月に一度はある。以前は三度に一度は誰かに電話をしたが、
今は歳のせいか、ほぼ帰る。要は考るという間で、衝動を抑えることができる。 
事例としては、人生とは違う内容だから相応しくないか。しかし、この本、
久しぶりに頭がスカッとさせられた本である。再度、おさらいをすると、
【 紙とエンピツで、目の前の悩みや葛藤を自問形として書いてみる。
 <わたしは○○をすべきかどうか?>つまり、人生の様々な節目に現われて
くる問題をまず自分に問いかけてみる。大切なのは、その決断を下したら10分、
10ヶ月、10年後(別に10の数字にこだわらなくともよい。一週間、半年、数年
後でもよい)の結果を予測することだ。予測は、ただの想像とは違う。目下の
問題の充分の情報を集め、分析し、客観的に見つめなおし初めて予測可能になる。
その過程で、「自分の本心」と「価値観」が浮き彫りになり、裸の自分と向き
合うことになる。そこで、さらに「よりよい決断」をしたかどうかを、その過程
で知ることになる。もし、そうでなかったら、そこで修正する。人間は誰も節目
で同じように考えるのだろうが、これを習慣化すれば、より深く考えることが
容易になり、判断と決断が早まる。現在の恐慌?も、「100年、250年、500年
に一度のスパン」で捉えたり、「500年、1万年、20万年に一度のスパン」
で捉えたりすることもできる。この視点で過去を振りかえると、
自分を見つめ直すきっかけになる。 
・・・・・・・
3129,電気自動車の時代
 2009年10月29日(木)
先日、NHKスペシャル「電気自動車革命」を放送していた。
以前にも「電気自動車が、これからの主流になる」という内容の特集を組んで
いたが、地球温暖化防止のための‘脱ガソリン’として、世界中が電気自動車
へ向けてギアが変わってきたようだ。GMが先駆けて脱ガソリン車の開発・
完成をした時にあらゆる妨害が入った。それを「誰が電気自動車を殺したのか」
というテーマのドキュメントも放送していた。石油業界にとって脱ガソリンは
大打撃になる。が、温暖化を考えたら、そうはいってはいられない。
 ーNHK・HPのこの番組紹介からー
《 自動車革命 第2回 スモール・ハンドレッド 新たな挑戦者たち 》
シリーズ2回目は、世界各地で同時多発的に勃興する電気自動車メーカーの
動きと、電気自動車に社運をかける日本メーカー日産の最前線の動きに密着。
中国の農村部で「電気自動車ブーム」が起きている。町工場が雨後のタケノコ
のように生まれ、今まで自動車と縁のなかった層が新たな市場として活気づいて
いる。 新興メーカー中には、ヨーロッパに進出するなど、自動車メーカーと
市場争いを繰り広げるところも出てきた。一方アメリカでは「グリーン
ニューディール」を推進するオバマ政権のもと、グーグルなどシリコンバレー
のIT企業を中心に「21世紀の産業革命」を起こし、世界のイニシアティブを
握ろうという動きが進んでいる。これに対し、世界の自動車メーカーで初めて
本格的な電気自動車の量産化を打ち出した日産は、ガソリン車の購買層を
ターゲットに市場の開拓を推し進めている。 市民の意識改革の難しさ、充電
インフラ整備など様々な課題をかかえながら、新時代を切り開こうとしている。
 ーー
 違う時代に紛れ込んでしまったような錯覚を受けてしまった内容だった。
  ー印象に残った部分を列記してみると、。 
  (字数制限のためカット 2011年10月29日)
 


5340,もし上野さんが美人だったら? 〜身の下相談

2015年10月28日(水)

               〜社会学者の身の下相談
  * もし上野さんが美人だったら?
         ー身の下相談にお答えしますー 上野千鶴子 
「私は美人故に読書量が少なかった。そうでない貴女は読書量が多く、知名な
学者になっておられる。その私は、どうしたら、その深みに到達できるのか?」
という辛らつな質問。 何かやらせ?のようだが、それはないという。
  ● 質問: もし上野さんが美人だったら? 相談者主婦60歳
≪ 60歳の主婦です。 愚息たちが独立し、ひとりの時は本ばかり読んで
 過ごしています。が、読んでも読んでも足りないくらい読みたい本が次々と
出てきます。若い時代に「きれい」と言われるような部類に入っていたため、
ちやほやされながら過こしたことが悔やまれます。
 そこで上野千鶴子さんにぜひ質問したいことがあります。
もし上野さんが絶世の美女に生まれついたとしたなら、現在のように、社会
の底辺にまで目をやる社会学の道に進んでいたでしょうか? フエミニズムや
ジエンダーの問題、引きこもり、おひとりさまの考察も、ミソジニー
(女性に対する憎しみや軽侮)のあの深さに到達したのでしょうか。≫
  ● 回答 人生がそんなに単純ならねえ…
≪ アメリカにこんなジョークがあります。
 キャンパスをメークの似合うきれいな女性がパンプスで歩いていたら、
教授秘書。すっびんで、さえない、若くない女性なら、教授、なぜかというと
花のハイスクール時代に、きれいな女の子は男の子にもててデートに忙しく、
勉強どころではないのに、きれいでない女性はこつこつとお勉強して名門大学
へ入り、成果を上げるから、と。かのボーヴォワールも、妹と何かにつけ比較
され、親に「あなたはかわいくないから、お勉強をいっしょうけんめいしなさい」
と言われ続けてきたとカそれならフェミニズムは「ブスの女のルサンチマン」
だという(今か40年も前にオヤジメディアが唱えた説は正しいのでしょうか。
娩曲な言い方ながら、あなたは全く同じことを言っていることになりますね。
あなたの説は容貌人生決定説です。人生がそんなに単純なら、どんなにいいで
しょう。証言しておきますが、ウーマンリブに参加した女たちにはきれいな
女性がたくさんいました。きれいな女性は男にセクハラされ、ストーカーされ、
利用されていましたし、ブスの女性は男に無視され、黙殺され、からかいの対象
になっていました。きれいでもブスでもない、その中間の大多数の女性は男に
つけこまれ、ふりまわされ、あなどられていました。残念ながらそれが40年前
の女性の現実でした。察するにあなたはそこそこ幸福な人生を送ってこられた
ようですね。それを容貌のせい、とお考えでしょうか。「若い時代」と限定が
あるので、女の容貌の価値が賞味期限付きだとは知っておられるのですね。
ということは「若い時代」が幸福のピークで、それからずっと下降線をたどって
きたということでしょうか。察しのとおりわたしは「顔の不自由な」ひとですが
(笑)、これまで生きてきた上で男女を問わず他人と関係をつくるのに、
そのせいで不都合があったことは、一度もありません。弱者に想像力を持つ
ためには、自分自身が弱者でなければならない理由もありません。
この年齢になって読みたい本が次々に出てきたんですって! なんてすてき。
本と読者は出会いもの。若いときに本を読まなかったことを容貌のせいに
してはいけません。容貌は容貌、幸幅は幸幅、知織欲はそれとはまた別、
その間に何の相関もない、っていうことぐらい、本を続めばわかりますよ。≫
▼ 美人カースト制で恵まれた人だった質問者が、それ故に読書の絶対量が
少ない自分を責めている見識そのものが低い。容貌には賞味期限があり、
知識は絶対量が増すほど質に転化する。女性は容貌で大きく人生を左右する。
しかし、そこに品性と教養が伴なって、光の色が変わってくる。 
人生に、「もし」や「たら」は無い。一期一会の積重ねが、その人となり。
「女性のセックスの質量は、容貌に大きく左右される」、統計があるとか。
容貌が崩れる前に、『やりたい時が、やれる時』と知るべし(笑い)。
・・・・・・
2014年10月28日(火)
4975,閑話小題 〜好きなこと、非日常
   * 嫌いなこと、無感動
 酒席での、ある人の一言が気に入った。
『私の好きなことは非日常!嫌いなことは無感動、無反応!』
私の趣味の秘境ツアーは、非日常と感動を求めて海外に出ることにある。毎日1〜2つはみる
TVドラマも、週1度は、通っているシネマも非日常世界の仮想体験をするため。人生を振り返って
みて、思い出されるのは非日常的のことばかり。しかし本当に大事なのは、その時節の日常。
その背景があればこその非日常。したがって、この二つの組合せを知恵で生かせば良い。
老いるということは、日常に埋没し無感動になること。子供の頃の、青春時代の、あのキラキラ
した気持ちは、どこにいったのやら。
  * 塩の話
 サラダは、だいたいが塩がする。このサラダは塩の意味から派生した言葉。
ラテン語で塩のことをサルsalと呼ぶ。このsalから様々な言葉が派生した。例
えばサラーリーマン(salary man)がそれ。サラリーマンは和製英語だが、そのサラリー
salary(給料)は塩sal。古代ローマでは、兵士の塩代のことをラテン語でサルsal(塩)
にちなんでsalariumといい、これがsalaryサラリー(給料)となった。 塩と同じくらい
貴重なものという意味で、給料salarium が使われていた。他にも、例えばsauce(ソース)、
sausage(ソーセージ)、salami(サラミ)、soldier(ソルジャー:兵士:塩をもらう人)がある。
 塩は空気や水とともに、人や動物が生きていく上で欠かせない。これは生命が海から誕生した
ことと関係がある。世界で生産される塩の三分の二が、岩塩を材料としている。
岩塩は5億〜2千万年前に地球の地殻変動で海が陸地に閉じ込められ、水が蒸発後に土砂が
堆積してできたもの。人類は魚介類や獣肉を食べて自然に有機塩を摂取する以外に、塩を意識
しだしたのは5千年前からと推定される。食物の味を高め腐らせない塩は、古くから霊力を秘めて
いると崇められ、お清めや、相撲などで土俵にまくなど、清浄の力で穢れを払う目的がある。
「しおらしい」は、「塩を欲しがる」女性の仕草が由来のようだ。 「塩梅がよい」「塩加減がよい」
「敵に塩を送る」「青菜に塩」「ナメクジに塩」「傷口に塩」など、諺にも多く使われている。
・・・・・・
4608, 孤立無業
2013年10月28日(月)
 朝日新聞の書評に、『孤立無業(SNEP)』 玄田有史〈著〉があった。
ネット検索で調べると、多くのレビューが出てきた。そこで、その幾つかをまとめてみた。
孤立無業から独居老人に、そして孤立死を迎えることになる。死ぬ時は、誰もが孤立死だが。
《  * 孤立が就労意欲を奪う
 日本の若年無業者を「ニート」概念を用いて論じた東大社会科学研究所の玄田有史が、
新たな分析視角を提唱。ニートが15歳から34歳の無業者を指すのに対し、本書が取り上げる
「孤立無業」は、20歳以上59歳以下の未婚で無業者のうち(在学中を除く)、ふだんずっと
一人でいるか、一緒にいる人が家族以外にいない人々を指す言葉。  孤立無業者は、
家族と一緒にいる時間がふだんある「家族型孤立無業」と、ずっと一人の「一人型孤立無業」に
分類される。この春、ウォール・ストリート・ジャーナルの日本版ウェブサイト『JAPAN REALTIME』
が「孤立無業者『SNEP』が急増中」という記事を掲載したことで、ネット上で「SNEP」に注目が
集まることとなった。玄田教授によると、「SNEP」のインターネット利用率は41.3%にとどまり、
孤立していない無業者に比べると20ポイントも少ない(2006年のデータ)。 
 〜玄田教授への質問〜  ――孤立無業と聞いても新しい概念とは思えませんが。  
玄田:孤立無業は、英語でいうSolitary Non―Employed Personsの頭文字を取ってSNEP。
 Solitaryには「ひとりぼっちの」「他人とつきあいのない」「孤独な」「寂しい」といった意味が
あるように、無業者の中でも、ふだんずっと 一人か、一緒にいる人が家族以外にはいない人々の
ことを指します。
  ――ニートや引きこもりとどう違うのですか。
玄田:まず年齢の定義が違います。ニートは15〜34歳の若年無業者を指す一方、孤立無業は
20歳以上59歳以下の在学中を除く未婚無業者。仕事をしていない点ではニートと同じですが、
ニートは仕事を探す活動や準備をしていない無業者、SNEPは友人や知人との交流のない無業者、
約9割が6か月以上働いていません。 外出をめったにしない人もいますので、その意味では
引きこもりはSNEPに含まれていると考えていい。 また、過去1年にスポーツや旅行、ボランティア
などの社交活動を一切行っていない割合が高いのが特徴です。
  ――孤立無業者はどのくらいいるのですか。
玄田:総務省統計局の「社会生活基本調査」から導き出したところ、2006年に112万人いた
孤立無業が2000年代に急増し、2011年時点で162万人に達していることが分かりました。
これは60歳未満の未婚無業者の実に約6割を占めています 》
▼ 老後にも「孤立無業」が待っている。特に男の場合、縦社会に慣らされてきたため、
横社会では、孤立しやすい。それでも160万以上は驚き。 何とか60歳に辿りついたが、
それまでに一つ間違えれば『孤立無業』があった。 倒産は、ほぼ、孤立無業が待っている。
事業は船底一枚下が地獄。だから必死に考え、力と知恵が湧き出る。 最後は挫折で、
孤立無業である。特に大都会での「孤立無業」は厳しい。「独りは良い」というのは、独りでない
 からこそ 言えること。人の間にあってこそ、人は人間になる。先日、初老の独り暮らしの人が、
アルバイトで何とか生活している状況をリポートしていたが、鬼気(危機)迫る深刻なもの。 
あの時、何もかも放り出し、独り東京の郊外に身を隠し、年金暮しか、生活保護の道もあった。
大部分が、それに近い。そこで寂しさと、心の傷を癒すため、酒に溺れアル中、そして孤立死・・ 
としても、一歩も、かたい岩場の穴に閉じこもった人生より遥かにまともに、思うのだが、
当人は、凍りつく日々。緩んだ方々より凍死? 何か最近、緩んできた?
・・・・・・
4233,プレイボーイの人生相談 ー1
2012年10月28日(日)
以前、この中の今東光の回答の幾つかを取り上げたことがあった。
先日、図書館で再び借りて読んだが、今東光の珍妙な味わいある内容に決して劣らないものが
多くあった。回答者は、他に柴田錬三郎、吉本隆明、アントニオ猪木、開高健、赤塚不二夫、
岡本太郎、武田鉄矢などなど。 その幾つかを取り上げるが、面白い!
若者向けの雑誌のためか、「性についての悩み」が多い。 『プレイボーイの人生相談』(集英社)
   ーまずは武田鉄也からー  <愛につながる性の道>
相談:「彼女はいるのですが、どうしても風俗通いがやめられません。
    風俗に行くと、彼女には要求できないことも要求できて、とにかくハマってしまうのです」。
回答:「実はセックスというのはお互いを汚しあうことなんです。だから、本当にキミが彼女のことを
好きなら、彼女と一緒に汚れる性を体験しなければ本当の性は完結しないんだ。(中略)・・・
お互いを汚し合い、互いを洗い合うところに本質があるんだ。キミが風俗にハマっているのは、
相手を洗ってあげる必要がないからなんだよね。例えばレストランと一緒で、自分が食べたものを
後片付けする必要がないから、気楽だし、好き勝手注文することができる。毎日レストランじゃ、
飽きちゃうし、お金も続かなくなる。そうすると、やっぱり自分の家で食べるご飯が中心になるし、
いちばん落ち着ける場所になる。だから自炊をするんだけれども、自炊をするために魚を買って
さばいてみれば、はらわたは出るし、生ゴミなんかたくさん出るわけだ。すると当然、部屋は汚れる。
実は本当の性、セックスというのはそういうことなんです。今のあなたは彼女とのセックスを
汚さないように、散らかさないように、後片付けがしやすいようにやってると思うんだ。でもさ、
若いんだったらふたりで片付けないと片付けきれないぐらい汚したりしていいんじゃないかな。
キミはもっと獣性や野生を出して彼女を汚すべきなんだ。そして、その汚れをふたりできれいに
片付ける。そんなところに、本当の愛につながるセックスの道というのがあると思うんです」。≫ 
   <何のために生まれてきたか? と考えて>
相談:「最近、ボクはなんのために生まれてきたのかと考えることがあります。
人間ってなんのために生まれてくるんでしょうか」。
回答:「ただ、その問題を考えている人たちは、みんな悩みながら、なぜか突拍子もない
ことをやり始めているんです。簡単な例を挙げてみましょう。桃太郎という昔話があります。
よく考えてみてください。 桃太郎っていうのは実に変なヤツですよね。桃から生まれたと
いわれて、ある日突然、鬼ヶ島へ鬼退治に行くわけです。だいたい桃から人間が生まれるわけ
がないと思っていますね。そんなことは子供でもわかります。それに、自分にはおじいさんと
おばあさんしかいない。村の友達と比べれば、なぜなんだろうと不思議がるでしょう。
そこで、桃太郎は鉢巻を締めて考えたんでしょうね。「オレはなんで生まれてきたんだろう?」。
その結論は「オレは鬼退治をするために生まれてきたんじゃないだろうか?」だったと思うんです。
オレはどうやらふつうのやつとは違う、なにか突拍子もないことをするために生まれてきたんだ。
その突拍子もないことはなにかと考えたときに、それが「誰もやらない鬼ヶ島を攻めること」だった。
突拍子もないことをやることで桃太郎は、オレはなにか?という答えを見つけたんだ」。
▼ 私なら、こう回答する。 ≪そんな人生の大問題の手軽な答えなどないよ。
「何のため生まれてきたのだろうと頭の中で繰り返しながら、本屋と図書館を見て回りなさい。
必ずあるから。そしたら、まず、おわりと、最終章を読みなさい。そこになかったら、序文を読めば、
多くのヒントがあるよ。とにかく、自分で答えを探すこと、それが一番大事なことだよ!≫
 ・・・・・・・
3868, 嘘みたいな本当の話 ー5
2011年10月28日(金)                  
 * 祖母とロック      「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
祖母と歌番組を見ていた。とあるロックバンドが演奏していた。当時とすると若者に人気のバンド。
祖母がひとこと「彼らはロックがわかっていない」と言った。そして祖母は無言で演奏を見続けた 
ー奈良県うさど
  * 彼女だけの階段
「あの階段、どこですのん?」ターナル駅の地下街で呼び止められた。
「ほら、あのいつも通る階段よ」 私は一瞬とまどったが、困っているおばあさんを無視することも
できず、「その階殴を上がると何が見えますか?」と聞いてみた。しかしおばあさんは私に聞いても
だめだと思ったらしく「あの人に聞いてみたろ」とそそくさ行った。  ー大阪府 馬山鱒由紀
  * もうひとりの私へ
 研究室に入ると、先輩が詰め寄って来た。彼女は日本古代史専攻の学究の徒。「あなたは、
歴史を学ぶ者として恥ずかしくはないの〜」はい〜「なぜ、○○遺跡発掘を邪魔するのか?」を
知りたい。「私は、この目で見た。あなたが、その遺跡でしていることを。嘘はつけないよ。
なぜ、そんなことをするのか」何が何やら、さっぱりわからない。「私、その遺跡のことも発掘の
ことも、何も知りません」「よく、そんな言い訳ができるね。私は、この目で見たんだから」はい〜
 四十年近く経ったいまでもわからない。在学中、彼女はずっと糾弾の目で私を見つめていた。
よく似た人がいるのだろうか。もうひとりの私は、そこで何をしていたのだろう。どこの遺跡で
何をしていたのだろうか。いまはそれが知りたい。  今日、知人に言われた。『○○スーパーで
パート始めたの?』『牛乳の補充してたでしょう』エーッ! もうひとりの私、頑張ってるね。
▼「彼女だけの階段」を読んで、学生時代に住んでいた寮の近くでの出来事を思い出した。
それも、いやに鮮明に憶えている。5歳ぐらいの女児が、「私の家を知らないですか?」と、
道を迷ったらしく私に聞いてきた。「町名は何というの?」と聞くと、その子、「何を言ってんの。
ほら私の家よ、私の家よ」という。 私、「 ・・・・ 」 不思議そうな顔をして走っていった。
痴呆症の老婆と私の出会った少女の話と、実は同じような思い込みを我々はしている。
自分が知っていることを他の人まで知っていると思い込む一人合点。 それが長年、蓄積
されているから問題。それより、自分が何にも知らないことを、知らない恐ろしさの方が悲惨。 
悲惨さえ自覚出来ない悲しい過去と、そして現在。 軽い話が重くなったか!
 ・・・・・・・
3503, フューチャリスト宣言 ー2
2010年10月28日(木)                
 *(ネット)システム一人勝ちの時代  「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
 最近、ネットなどの通販がコンビニ業界と、百貨店業界の売り上げを超えた。
10年前では考えられないこと。我が家では半分近くがアマゾン、楽天などのネットによる
宅配便の購入である。それも一回払いのカードで割引ポイントを稼いでいる。また楽天など
ネット商店街を提供する業者は売り上げの数%を出店先からはねている。
これは流通だけでなく、情報に対してもいえること。情報というコンテンツをつくる方は、
ネットをコントロール側からすると、消費される≪素材≫でしかなくなっている。ネット商店は、
実際に店に商品を並べ、販売するよりコストが格段と安く済むため、経費が格段と安く済み、
それでもネット・システムを利用する。それが、僅か10年もしないうちに、百貨店やコンビニの
売り上げを超える結果になったのである。そういえば「マトリックス」という映画を観たとき、
コンピューターが、それぞれのシステムと結びついて、エネルギーと情報を吸い取って生体
システムが、人間をコントロールしてしまう場面があった。 それは極端としても、ネット商店街
などの売り上げが、現実の店の売り上げを超えてきたという現実は、ネット一人勝ちを更に
推し進めることになる。 当方にも楽天の営業がきて「現在の売価を1・5倍にして、宿泊者に
販売をして、ポイントを上乗せをして相手に付ける」という提案をしてきた。宿泊者は、領収書を
貰えるので、会社から、その金額が返金になるが、ポイントの差額が楽天で使えるので、
優先的に選択をしますという。何か、これは詐欺の推奨でないかと疑問を持っている。
グーグルも、検索を無料提供し、その情報にヒットする広告が自動的に調べ手に流すことで
広告代が入るのだから、これは素晴らしい。ネット一人勝ちの典型である。新聞広告だけを
集めたネットが最近出来た。それまで新聞に挟まれてきたのが、地域単位でまとめたネット。
そこに出す商店が出すメリットは、広告の中の惣菜の何を大きくクリックするかで、その商品に
対して顧客が注目されているかを知ることができる。それ自体が、既にリサーチになっている。 
システム一人勝ちは、今後ますます激しく時代を動かすことになる。


5339,構造主義とポスト構造主義 〜②

2015年10月27日(火)

   * ポスト構造主義とは   〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 ポスト構造主義とは、現状を追認する保守的思想形態に陥りがちな構造主義を
批判、多様性を認める必要性を説いた。米ソ対立、自民党対社会党の二項対立
から、ソ連崩壊と中国の資本主義化などを経て、現在の、混沌とした社会を
語るに「ポスト構造主義」は、正にうってつけ。 〜その辺りから〜
≪「ポスト」とは、「の後に」という意味です。ですから、ポスト構造主義とは
構造主義の後に登場した思想のことを指します。ただし、「ポスト」構造主義と
いう呼称から想像できるように、実存主義における「実存」や構造主義における
「構造」にあたる明確なキーワードがそこには欠けています。
 これは、もはや現代が一つのキーワードで包括的に語れる時代ではなくなって
しまったことを反映しているのかもしれません。この名称そのものは、八○年代
にデリダを中心としたフランス現代思想を積極的に受容したアメリカで生まれた。
当初は主に文芸批評の領域で用いられていましたが、やがてフランスにも逆輸入
され定着していったようです。
 構造主義は、私たちをとりまく諸制度の中に潜んでいる諸構造の分析に
主眼を置いていました。ただそのために、ややもすると現状を追認する
保守的思想形態に陥りかねない危険性がそこには内在していたのです。
 このような構造主義のあり方に不満を覚えたデリダ、ドゥルーズ、リオタール
らは、西洋の文化形成を根本から疑問視したニーチェやハイデガーといった
思想家の考えを受け継ぐ形で、思索を展開します。この考えの中心は、哲学に
つきものの「同一性の思考」の批判にあります。「それはなんであるか」という
問いのスタイルを特徴とする形而上学は、本質という観点からすべてのものを
一様にとらえる営みです。ここでは本質からはずれたものは、すべて不純物と
して排除されるより他にありません。つまり、本質(A)か本質でないか(非A)と
いう基準だけですべてが選別される。ここに多様性や変化の余地がありません。
 ポスト構造主義は、そうした決めつけが哲学形而上学の常套句だと批判した。
ただし彼らは、対象への正面からの批判や否定を避けました。なぜなら、
このような態度は結局否定すべき対象と同じ土俵にとりこまれてしまうからです。
肝心なのは、Aか非Aかという二項対立的な価値付けにもとづく土俵そのものを
揺さぶることなのです。このため、〇リオタールは、相手の流れに乗りながら
その方向をずらしていく「漂流」というスタイルを、〇デリダは、対象の中に
住み込むことで内側から亀裂をもたらす「脱構築」という方法を、〇ドゥルーズ
は、一カ所への定住を嫌う「ノマド(遊牧民)」的運動という戦略を採ることに
なったのです。また実践面において、後期のフーコーや晩年のサルトルのように、
知と権力の共犯関係を暴くことや、フェミニズムや少数民族の自立運動への
積極的な支援が行なわれました。構造主義からポスト構造主義への移行点を
なした出来事に、1968年にフランスで起こった五月革命(パリを中心に起こった
学生、労働者、市民による反政府運動)があります。この事件は、後に日本にも
飛び火して学生主導で進行する学園紛争を巻き起こしました。この事件は、
もはや学問が大学という隔離された制度の内部では安住できなくなったことを
象徴する出来事でした。今必要なのは、学問を完成したものとして受けとる
のではなく、知が生まれつつある現場に身を置き続けることなのです。
だからポスト構造主義では、生成や出来事がより重要視されるのです。≫
▼ これからすると、現代の世界情勢は、この思想に沿っている。
 世界は「漂流」をし、内側からの亀裂をもたらす「脱構築」になり、 
民族の大移動といわれるシリア難民などの欧州への移動が始まった。
その根は情報化がある。それは生成や出来事が一瞬にして地球の隅々まで
周知される世界である。個々人がスマホという情報機器を持ってしまった。
これは、ポスト構造主義も「新しい?主義」に取って変わる起因になるのか。
・・・・・・
4974,閑話小題 ー韓国が変なわけ
2014年10月27日(月)
   * どうなっている? 韓国の実情
 韓国の「セウォル号沈没事故」「地下鉄事故」「野外コンサート事故」など、
たて続きに、日本では考えられない事件が起きている。その背景には、韓国経済
の崩壊と、歪な社会背景があるようだ。 ーネットで調べた幾つかを羅列するが、
末恐ろしい日本の未来が垣間見れる。 〜これが隣国の現実。
≪ ・大学進学率は日本の54%に比べ90%ある。
(日本の専門学校的なものも含む)しかし就職率は、その半分も満たない。
 その上、全体の7割が非正社員。日本との物価の差はないにかかわらず、
 月収が7万8千円。2011年だが、ニートの数が100万人。ニート率が
 日本の3・7倍。失業率が20%もある。
・年金は、月に一人8400円、老人の自殺は日本の自殺率の4〜5倍。
・サムソンは、実際は外資が54%を握っている。その規模は総企業の4分1。
利益に至っては、韓国の大企業の半分をサムソンが稼ぎ出している。
そのうち携帯関連が7割。中国の企業がとってかわると、韓国経済は、
さらに大きく揺らぐことになる。
・主な銀行の株式を、半数以上が外資が握っており、韓国の上場株式の8割が
外資が握る。そのため大企業は外資の利益のために動くことになり、その結果、
給与が低くおさえられる。経済危機で、IMFが乗り込んできて、アメリカに
完全支配国家になり下がった状態といえる。サムソンは利益の15%しか税金
を納めてなく、安い給料で働かせ、稼ぎ出した利益は外資が持ち出す仕組み。
・ジニ係数が、0・53にもなっていて、これは、暴動が起きるレベル。
ちなみに日本は0.33、危険ラインは、0.4といわれる。
・強盗が日本の二倍。暴行事件が3倍。殺人が5倍。強姦が40倍も発生。
強姦常習者には電子足輪がつけられる。
・何と「韓国民の4人のうち3人が韓国より出て行きたい」といい、
アメリカの4人に1人、豪州の5人に1人が買春婦という。マスコミで流布
されている状況と、あまりにかけ離れている。
・韓国人は、誰も、こんな状況になるとは、望んだことでない。
知らなかったため。
▼ これらから、現在の日本は天国のようだが、韓国の現状は、日本が国家的
 リストラが出来ないままだと、10年内に、似た状況になるとみてよい。
韓国と中国政府は、国家的揺らぎが起こると攻撃対象を日本に向ける。
日本は戦争を憲法で禁じているのだから、これほど都合の良い国はない。
この状況では、韓国の近未来は、更に 厳しい状況になると予測され、
その後を日本は追うことになる。経済不況について、スペインなど南欧の現地
レポートで驚いていたが、韓国も似ている状況になっていた。
日本も、確実に後追いをしているのが現実。
・・・・・・
4607, そして、人生はつづく ー7
2013年10月27日(日)
   * そして、『私』の人生はつづく
「そして、人生はつづく」に、それぞれが、「そして、『私の』人生はつづく」
と、想定するだろう。私の場合、「51歳で母を亡くした時、還暦までに人生の
やりたいことを燃焼する」と、決心した。到達時に心の底で「万歳!」。
そして、人生がつづいて8年近くになる。二年半前に会社整理せざるを得なり、
本来は致命傷だが、軟着陸?もあって、立ちなおりは早い。既に燃焼した人生が
あったこともある。20歳で事業創業の人生を決め、踏み出して45年スパンの
事業人生。その物語の終わりのピリオドが会社整理。誰にでも、何事にも挫折が
必ず待っている。私にとって還暦が区切り。還暦から新たなステージが始まって
第一の区切が65歳時の事業精算。次は死期を覚悟する「余命半年」の宣言時か、
寝たきりになった時、そして最期は、プッツンの前日から数秒前辺り。その時、
全てが夢幻と気づく・・ ところで、一昨日、タクシーに乗って早そう、
50代後半の運転手が、身の上話を始めた。「両親の仲が悪く、離婚。母親に
引き取られ、母一人子一人の母子家庭。生活が厳しく、直ぐに働かざるをえなく、
結局、水商売の世界へ。職場のホステスと結婚したが、カミさんが客と浮気、
離婚。女の子がいたが、裁判の結果、私が引き取り、母親ともに育て上げた。
子供は巣立ち、今は、母と暮らしているが、生活で手一杯。人生何も良いことは
なかった・・」と、数分で彼の人生を物語風に語った。「一限の客に、
よく話しますね!」というと、「ここまでくれば、恥も何もない・・
実は、お客さんを乗せたことがあり、身の上話をしたことがあったんで」と。 
タクシーで、必ず景気とか、収入とか、生活状況を何気なく聞く習慣がある。
以前、何か聞いたのだろうが、色いろな人生がある。人生は一度、歯車が
狂うと、孫子何代、その影響を受けてしまう。順調時から、「まさか」の坂に
備え(シェルター)をつくっておくべきは、身をもって言えること。
助けてくれるのは自分だけ! 「自分だけは、自分の会社だけは、大丈夫!」と、
つい思いがちだが・・ 地球規模から見れば、グローバル化が世界を激変
させている中、各人の「そして、人生がつづく」。 情報化、グローバル化、
まさかの事態(ブラック・スワン)、弱肉強食などがキーワードになる。
特に、グローバル化は、島国の日本にとっては大きなマイナスをもたらす。
それぞれの『私』も、思い込みでしかないが・・
・・・・・・
4232,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー7
2012年10月27日(土)     ー「ルーツ大全」インフォペディア編より
  * 食べると危険 ートマトはもともと観賞用の植物
≪ 生で食べてもおいしいし、ソースやケチャップの材料にもなるトマトだが、
 じつはヨーロッパでは長いあいだ、トマトは観嘗用や薬用としてしか利用
されていなかった。トマトの原産地は中南米。メキシコでは「トマトル」と
いう名で煮込み料理などに使われていた一時代を経て16〜17世紀に欧州に
もたらされた。当時のトマトは品種改良も進んでおらず、甘味もなく美味しく
なかたようだ。トマトが食べられるようになったのは、イタリアの貧しい農民
が、二世紀を経た後に、飢え死にをするぐらいならと食べたのがキッカケ。≫
▼ これも多くの野菜同様に南米から持ち込まれ、当初は観賞用で、
「黄金のリンゴ」「愛のリンゴ」と呼ばれた。
   * 冷使用人の嫌がらせが功を奏した? ー清酒誕生の裏話
≪ 清く澄んだその見た目から、日本酒は清酒とも呼ばれる。
 日本酒が現在のような透明に澄んだ酒に変貌するのは、江戸時代初期のこと。
じつはそれまでの日本酒は濁り酒で、今でいうどぶろくだった。その濁り酒
から澄んだ透明の酒ができたのは、まったくの偶然からだった。
江戸時代初期、兵庫県にあたる摂津の国に、鴻池新六という酒造業者がいた。
ある時、新六が素行の悪い使用人を叱ったところ、その男は蔵の酒桶に灰汁を
投じて逃げてしまった。主人を困らせようというもの。ところが思わぬ効果を
挙げた。翌朝になって新六が桶の中を見ると、今まで白く濁っていた酒が清く
澄みわたり、味も香りも驚くほど芳醇なものに変わっていたのだ。
まさに、偶然の産物だった。使用人の恵業かなければこの発見はなかった。
新六は、この酒を江戸まで運んで売ることを思いつく。運び賃をはじめとする
流通の経費はかかったが、清酒を求め大名の間で、奪い合いになるほど大評判
になり、売れた。新六は江戸と摂津の国を何ども往復し莫大の利益をあげると、
大阪に出て商売を広げた。こうして鴻池家は大阪を代表する豪商になって
いくのである。≫
▼ 大阪の鴻池が、こういう経緯で大財閥をつくったとは知らなかったが、
 面白いものである。ただ、それを大々的に売り出した、新六の才覚が
あったことも大きい。
 ・・・・・
3867, 三〜四年前の為替相場
2011年10月27日(木)
 三年前の2008年10月25日(土)
≪随想日記のテーマ「閑話小題ー毎日が薄氷の上」≫
 が為替相場について書いていた。
≪ 9月の半ばから恐慌前夜の重い雰囲気で、日経平均も三ヶ月で40%も
 暴落、何と7600円まで下がった。ドルが95円、ユーロが120円。 
世界はパニック寸前か、パニックに入っている。この結果どうなるのか? 
倒産の続出と、失業者の増加、ハイパーインフレと、食品の高騰である。
それで済めばよいが。考えただけで凍り付く思いになる。 経済大津波が
世界中を押し流す勢いである。
ー以下は、一年前との比較である。これからみると、まだ経済破壊は序盤と
いうことが分かる。(2008年10月22日現在)≫
【そこで、現在2011年10月26日現在を、書き入れてみた。】
 ・2007年10月24日 ・2008年10月22日 ・2011年10月
ドル円    114.10         97.70     76.~
ユーロドル    1.42         1.27  
ユーロ円   162.80        124.70     103〜
NYダウ   13,675        8,519    11,913
米国債(10年もの)4.3%        3.5%    2.23%
原油      87.10        67.48       80
金      757ドル       724ドル    1640ドル
日経     16000       8500      8800
▼4年前と比べるとドルとユーロが大よそ三分の二になり、金価格が、
2.2倍になってしまった。それに対し、株価は一年後にはアメリカの株価は
6割まで下がったのが、9割近くまで回復している。 日本の株価は、4年前
から一年後に半分近くまで落下したが、その後の三年後の現在も、ほぼ
同じである。アメリカと欧州は、ドルとユーロを過剰に刷っただけ?
資源と金はふんだんにある。
 ・・・・・・・
3502, 10−10−10 ー� 
2010年10月27日(水)
「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」
 スージー・ウェルチ (著)
  *「10−10−10」と「起承転結」
 ここで、著者は、自分の直感を盲信すべきでないともいう。ことにあたって、
冷静にあれという。さらに三つ目の長期的視点も気をつけるべしと釘をさす。
それが短期的、中期的より優れているとは限らないことを、この「10・10・10」
が教えている。長期的視点は重要だが、他の時間軸での見方も重要であると。
考えれば考えるほど奥行きが深くなる。 そこで文章作法、いや四コマ漫画の
「起承転結」を、これに当てはめる。
< 起=現在、承=現時点で実感できる近い将来(1〜2年先等)、
 転=一時代先の将来、結=永遠、虚無 >という仮説である。文章作法も、
漫画からみると、転=が最も重要である。10年一昔ともいうし、転を基軸に
起と承と結が決まってくる。そうすると、哲学的に人生を俯瞰して考えると
10年先の転に常に標準を合わせて現在、そして数年先を決めるべき、となる。
ある海外ツアーの添乗員が、面白いことを言っていた。「自分は、10年スパン
で人生を括ってきた。卒業をして10年は普通のサラリーマン、そして次の10年
は世界を見たいため添乗員に、その10年に来年なってしまう。
次の10年を何をしたらよいか決断しなければならない。この10年は満足を
しているが、次の10年も全く違う分野に転進した方が良いのは分かっているが」
成るほどと、考えさせられた。それは、決して職業とか職場を変えるべし、
ということでなく、職場配点でも、内面の変化でもよい。そうこう考えると、
この(大小の)決断のための3つのスパンの視点を身につけることは非常に重要。
自分の過去に、あと理屈で次の10−10−10を考えるのも方策。転に焦点をあてる
ために、起が重要なのは言うまでもない。現在は結の永遠・虚無に垂直にたって
通じているからだ。そんな難しいことより、三つのスパンで考える習慣を、
転、転、転で、いや、テン・テン・テンで考えることだ。
小さな節目、中くらいの節目、そして大きな節目を過去から見つけ、
この先に当てはめることである。 まあ、何をしてきたのだろうか。
それは100人中100人が当てはまるが、これを当てはめて10年先、?
十年先を考えないと。それより、もう先が無いか!


5338,構造主義とポスト構造主義 〜①

2015年10月26日(月)

   * 構造主義とは 〜『世界の哲学・思想』小須田健著
 19C末に亡くなったニーチェの思索が「現代哲学」の土台になっている。
第二次大戦後、サルトルとともに広まっていった実存哲学は哲学を超えた
流行現象になった。レヴィ・ストロースが文化人類学の領域から構造主義を
提起した。これは西洋哲学を根底から揺るがすものだった。社会学を学ぶもの
にとっては、構造主義とポスト構造主義を明確に把握する必要があるため、
ここで取り上げることにした。考えてみれば、社会学とは社会構造と、構成
要素の人間を解明すること。 〜その辺りから〜
≪ 私たちは、自分の意思を伝えるのに日本語という言語を用います。
 言語には特有の文法構造があり、それに即して話さないと何も伝えられない。
つまり私たちは、日本語という言語の構造によってしゃべらされているのです。
初めて英語を学んだとき、兄も弟も「ブラザー」の一語で済ますとは、何と
おおざっぱな言語だと思いませんでしたか? これは、英語が他人をまず同胞
(家族)かどうかという観点で捉えるのに対して、日本語は目上か目下かという
観点を重視するという違いを反映しているのです。 つまり言語が異なれば、
社会構造も異なるのです。 今でこそ私たちは、時代や文化が違えば見方も
異なることを当然だと思っています。しかし、その態度は学生紛争のころなら
日和見だと自己批判を迫られたでしょうし、戦前の日本なら天皇をないがしろ
にする非国民だと弾劾されたかもしれません。このように自分の生きる時代の
価値観としての諸構造からは誰も自由になれないことを教えてくれたのが
「構造主義」です。構造主義は、フランスで生まれた20世紀後半を代表する
思想的潮流です。この思想は当初から、狭義の哲学とは無縁な様々な学問が
集まって展開された点に、大きな特徴があります。
 構造主義の祖はスイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールであり、
フランスで構造主義のロ火を切ったのは文化人類学者レヴィ・ストロース。
かつて構造主義の四天王と呼ばれた人物を見てみても、精神分析学者である
ジャック・ラカン、文芸批評家のロラン・バルト、マルクス主義者のルイ・
アルチュセール、思想史家のミシェル・フーコーと、哲学者は一人もいない。
 また、一口に構造主義といっても共通の見解や綱領もありません。
ただ彼らの仕事には、共通の特徴があったのです。それまでは、人間の社会的・
文化的営みを考る上で、そうした制度を創った人間が中心に置かれていました。
これに対して、彼らはその活動を根底で規定し方向づける「構造」こそ大きな
意味があると考え、その構造を様々な領域で探究したのです。
 ストロースやラカンは、五〇年代からその探求を開始していましたが、
構造主義そのものが世間的に知られるようになったのは、レヴィ・ストロース
が『野生の思考』(1962年)を出版したのをきっかけに生じたサルトルとの論争
によってでした。『野生の思考』は、それまで非合理とみなされたいわゆる
未開人の神話的思考が、西洋近代の科学的思考に劣るどころか、感性的表現で
世界を組織化する「具体の科学」だと主張して、西洋近代の理性中心主義への
反省と西洋中心的発展史観の解体を促しました。ただ彼の意図は、単に西洋の
論理を相対化することでも、未開の思考を賞賛することでもなく、人類に普遍的
な論理性や心性の構造を探りだすことにありました。レヴィ・ストロースは、
その最終章でサルトルの思想が西洋近代社会の人間像だけをモデルにした理論
構築だと批判しました。西洋近代は、歴史は人間の手で自由に創造されるもので
あり、人類は幾多の困難や矛盾を乗り越えつつ進歩していくという歴史観に
基づいていました。構造主義は、そんな人間主体の全面的自由を疑ったのです。
この論争は反響をよび、実存主義から構造主義への世代交代を印象づけました。
しかし、統一的な学派でなかった構造主義は、七〇年代以降記壕論的探究や
ポスト構造主義へと拡散していくことになります。≫
▼「人々の活動を根底で規定し方向づける『構造』こそ大きな意味がある」と、
 未開人の神話的思考から、欧米の理性中心主義を疑った。これは、それまで
無批判だった欧米主義を根こそぎ、揺らがす出発点になった。その社会構造が、
ネット社会の到来で根こそぎ揺らいでいる。ネット社会の構造とは如何なる
ものか、どの方向に向かうのか? 面白そうだが、先は限られている。 
・・・・・・
4973,閑話小題 ーよい先生とは
2014年10月26日(日)
 * 「数学科」より「子ども科」へ!   
            〜『大丈夫、なんとかなるさ』近藤勝重著より
なかなか、示唆のある内容である。 ーまずは、その辺りから 
≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。
 それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの地名の意味を質問した
ことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか!」と怒声を上げたと
いうのだ。司馬さんは帰り道、市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。
独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したこと
はない」とエッセーで言い添えている。 いい先生というと、アメリカのある
学校で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが
自分の仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることでは」
と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」へのチェンジである。
「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」を
教えるのだとなると、それは最終の目標ではなくなる。やがて子どもたちも
変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子は、答える。
「先生に習うようになってから、自分が好きになったんです」
『こころのチキンスープ』で知った話だが、その先生の言葉をぼくなりに
想像してみた。こんな感じではないか。「エディ正解まであと一歩よ。
公式はちゃんと使えているわ。あなたならきっとできる」 ≫
▼ 学生時代に「人事管理」「キリスト教倫理」「経営学」など、影響を
 受けた教授は、その科目を超えた、「青年学」だったようだ。 授業を通じ、
これからの人生を如何に生きるか、どうあらねばならないか、を教えていた。
そう、専門課程を通してベースになる教養の必要性を教えていたようだ。 
現在の私の学問は、一度、子どもにたち返って、原点から考え直すこと。
自分を子供に見立てた「子ども学」が、私の科目である。純真な気持ちで哲学や
文学を通して、どうしようもない自分を学び直す、学びとすれば、何かが見えて
きそうだ。現実に溺れたまま、この歳まで生きてきた男が、急にガンを宣告され、
それまでの生き方そのまま自分に問われる。そして、それまで生きてきた姿
そのままで、死んでいく。これは、全ての人に当てはまること。この数年来、
死ぬ時に、両親と手をつないで雲の彼方に上っていくイメージを作り上げてある。
とすると、「子供学」を通した「死生学」になる。「もっともっと楽しんで
おけば良かった」と、それでも後悔するはずだから、一日一日を大事にし、
楽しむことが、いま与えられた課題になる。「いま現在、実行している!」
という内なる声は、勘違い! それにしても、毎日が面白いが・・
 まだまだ、楽しみが足りない!ということ。 
・・・・・・
4606, 閑話小題 ージェネリック家電
2013年10月26日(土)
   * ジェネリック家電
 最近、ジェネリック薬品という言葉を聞く。その意味は、「開発した薬が
一定期間を経過したことによって特許切れになった薬品を、他社が格安で製造
販売できるようになった薬」。ところが、昨日の朝のTVのモーニングショーで、
初めて聞く、「ジェネリック家電」を特集していた。 白物家電などで、型落ち
(一世代前)した製品の部品を集め半額から10分1の価格に抑えた専門メーカー
の商品。 取材を受けていたメーカーの売上が、毎年、右上がりに増加している
という。 去年、20年以上使っていた扇風機が二台、同時に寿命にきたため、
家電チェーンの店先には、何と980円、1480円、1980円の扇風機があった。
そこで1480円と1980円のを買い、二シーズン使ったが何も問題がない。
何故、ここまで値段の差があるのか不思議だったが、番組をみて納得。半月前に
5年間使ったデジカメが壊れ、新たに買うことにした。当初からデジカメは
カシオにしている。前のものは「絵画変更機能付きなど多機能」で3万円前後
だったが、今度のは7千円。ベースの機能以外、一切ついてないが、画素が
800万から1600万画素に増加したもの。 2万円以上の多機能付きか迷ったが、
ベース機能以外は殆ど使っていないので、一番安いのを買った。デジカメは、
日常、肌身離さず持ち歩いていて、携帯電話より私にとっては必要な機能。
デジカメは現在、スマートフォンに組み込まれて、瀕死の状態だが、それに
しても安い。20年近く前に、新潟のイタリア家具専門店から居間の応接セット
を買った。百万円以上はするような高級家具が、30万円。そこで、社長に
聞くと、「これは、実は韓国産。木製部分が韓国産で、鞣し革部分をイタリヤ
から輸入したもの。デザインは百万以上の家具を忠実に似せているので、
本物と全く同じです!」と。そして、我家の居間に鎮座をしている。
実際のところ、見た目は良いが、実用的ではない。これは「ジェネリック家具」
の走りだろう。考えてみれば百均も、生活用品を中心にしたジェネリック雑貨。
型落ちや、特許切れで、値段を落とした訳ではないが、使用目的に絞り込んで
トレードオフをしている点では同じ。5百、千円ならいらないが、百円なら・・ 
韓国や中国メーカーの飛躍的成長に、「日本の人材の型落ち?」を取り入れ、
格安の製品開発をしていった背景がある。
中間層の収入が減れば減ったで、こういう知恵が出てくる。 
・・・・・・
4231,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー6
2012年10月26日(金)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * コーラは頭痛に効くドリンク剤だった
≪1886年、アメリカの薬剤師ペンバートンが、アフリカ原産の常緑樹「コーラ」
 の種子のエキスにコカの葉や香料を加えて、頭痛薬「コカ・コーラ」として
売り出した。水で薄めて飲めぽ、二日酔いによる頭の痛みなどに効果があった。
ある日、二日酔いの客がペンバートンの薬局にやって来た。店員は、いつもの
ようにその場で水で薄めて客に飲ませようとしたが、あいにく手近なところに
水がなかった。そこで、間に合わせに炭酸水で割ったところ、二日酔いの客は
すっかり元気になり、効き目の早さに大喜びしたのである。これが評判を呼んで、
シュワッと泡の出るコカ・コーラがアメリカ中に広まっていった。
日本には、1919(大正八)年に輸入されたが、当時の日本人には馴染めない味
だったのか、あまり売れず、いったんは発売が中止になった歴史がある。
再度輸入されるようになったのは第二次大戦後になってからだが、当初は占領軍の
兵士や、その家族用で、一般に広く飲まれるようになったのは1961(昭和三六)年に
輸入が自由化されてからのことである。 ≫
   * 緑茶、紅茶、ウーロン茶、どれももとは同じ葉っぱ
≪ お茶といえぽ緑茶、紅茶、ウーロン茶など、さまざまな種類のものがある。 
 しかしルーツは一つなのである。ではこれらのお茶は何が違うのかというと、
製造方法が違うのだ。 製造過程で、葉の発酵具合を変えることで、まったく
違う種類のお茶になるのである。一般的に、緑茶は発酵させず、若葉を蒸して
もんだり妙ったりして作られる。ウーロン茶は半発酵させた茶で、青茶ともいう。
そして充分な発酵を経て作られるのが紅茶である。ウーロン茶や紅茶は発酵
させる過程で、独特の風味や香りが生まれるというわけだ。≫
▼ コーラも、お茶も一種の軽い興奮剤。空腹を誤魔かすに適していた。
 ・・・・・・・
3866, 嘘みたいな本当の話 ー4
2011年10月26日(水)
       「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」
  * 黒い瞳
 新聞が配達される頃、目が覚める。我家の犬が決まって吠えるからだ。
昼間でも家の外に人の気配がすると、玄関に走り出し吠える。家を守ってでも
いるつもりなのか、内弁慶で、大きな犬の前ではこそこそ逃げる。
やっぱり飼い主に似るのだろうか。その日は何か予感がして、近道を通った。
父が入院している病院に向かっていた。病室に入ると人工呼吸器につながれる
瞬間であった。自然死でとお願いしていたのに。言葉を発しようとしたが、
得意げな医師の表情に、口をつぐんだ。父は九州男児で、職人気質。
よく叱られたが、いまは言葉を発することもなく、微動だにせず機械と息を
合わせ続けていた。が、二十五日後、その瞬間はやってきた。重い足を引きずる
かのような音と共に機械は動きを止めた。ドラマでは何度も見ていたが、パルス
音と共に波形が小さくなる様を他人事のようにただ眺めていた。父の法要が済み、
一段落した頃、通りがかりのペットショップで一匹の犬とたまたま目が合う。
茶色のトイプードルが我が家にやってきた。とにかくやんちゃで、言うことを
きかない腕白坊主。その後、ブリーダーから送られてきた血統書を見て、
思わず声が出た。「一月二十八日」彼の誕生日は、父が人工呼吸器に繋がれた、
まさにその日であった。これを書いている最中、視線を感じて振り向くと、
真ん丸の黒い瞳でじっとこちらを見ている彼がいた。 兵庫県 光安清登
▼ 10数年前の話になるが、夕方の5時半に偶々寺院の仏像がTVの映像に
映し出されていた。その時に居間の障子越しから夕陽が仏像を照らした。
それが偶然にしては出来すぎの神秘的な混合になった。もしかして今日は
何の日、ハッとした。父親の命日の5月30日をスッカリ忘れていた。 
両親の命日を忘れたことは後にも先にも、それっきり一度もない。
・・・・・・・
3501, 10−10−10 ー�
2010年10月26日(火)
 「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 
                    スージー・ウェルチ (著)
 「何かが始るとき、そして終わるとき、人は立ちすくむ」。
その時、目先に捉われて、感情が乱れ、思考停止になり、絶望に陥ってしまう。 
が、そんな節目にこそ、10-10-10は未来に目を向けてくれる。そして未来から
節目を見直す思考を促す。それも3つのスパンで問題に光を当てることになる。
そこで、自分の価値観は果たして何だろうか、自分のシガラミとは何かを
気づかせてくれ、人生の優先順位を考えるきっかけになる。また自分に必要な
もの、必要なことは何かを見極めるチャンスを与える。
それが自分の潜在意識の囁きに耳を澄ますことになる。 
 未来=10年後だけでなく、現在=10分後・10日後にどうなっている?
の視線も重要である。目先、とにかく冷静沈着が必要とされる。
ここで「10・10・10」を、<バーチャル・コンサルタント>と
擬人化して質問を発することを勧めている。
 我が内なる「10・10・10」が、この緊急の事態(質問)の答えは
何だろうか?と。その質問を明確にすれば、答えの何割かは自然と内から出る。
それはガイドでもある。そこで、「長期的視点で現在何を準備すべきか、中期
的なら何を準備すべきか、そのため現在の具体的行動は何か」を冷静に考える
ことが可能になる。 少なくとも問題に対して前向き思考になる。
 彼女は、これを「人生管理ツール」という。人は闇にいる時、そこに、
そのまま留まってしまう傾向が非常に強くなっている。問題に対して、
この思考を繰り返しているうちに、人生の優先順位を並びかえる作業をしている。
 経営は、それを年中考えることだが、慣れは、それを忘れさせる。 
しかし10−10−10をツールとして使えれば、気楽に長期思考も短期思考もして
いることになる。 著者は女性の直感で、10−10−10と単純な三つのスパンで
考える方法に気づいたこと、そのことが、素晴らしい。そして3つのスパンで
単純に、具体的に考えるほど、気づかなかったこと、漠然としていたことが姿を
現してくる。ここまでシンプル化するには膨大のエネルギーを注ぎ込んでいる。
間違いなく、これは卓越した決断の思考法である。


5337,本当に、数字は「ウソ」をつかないのか?

2015年10月25日(日)

              〜『考える練習』 保坂和志著
  * 一面だけの情報なら、それは正確とは言えない
 マスコミの報道は、ニュースという短期間の視聴者の関心を惹きつけるのが
仕事のため、どうしてもオーバーな報道をしたがる、そこに、大きな誤差が出る。
現在問題になっている、2cmの杭の段差問題が、それである。哲学書を読み
続けていると、こういうニュースの欺瞞性が見えてくる。たまたま、図書館で
見つけた、以下の内容が、正に、それを言いあてている。〜その辺りから抜粋〜
≪ 消費税を上げなくてはダメだという理由に、年金問題がある。
 年金は何十年か前は8人で1人を養っていたのが、いまは3人で1人を支える
「騎馬戦状態」だと言われている。 それも2050年頃には1人で1人を支える
「肩車状態」になるという。だから税収を確保しなきゃいけないというんだけど、
でもそれは年金だけを見たときの話でしょう。たとえば70年代は、家族を考えて
みた場合、専業主婦のいる家庭に子ともが1人か2人だったわけだから、1人の
働き手が最低2人養っていた。いまは共稼ぎで子ども1人のところも多いじゃない? 
子どもが2人いても共稼ぎ家庭なら1人で1人を養うことになるし、一人っ子なら
0・5人しか養ってない。うちなんかは、子とも0だ。猫はいるけと。
 そこに年金が肩車状態になったって、1人増えるだけじゃん。それならいけない
はずはない。だからここには考え方の誘導があるんだよ。誘導があると、みんな
その流れの中でしか考えなくなってしまう。いちばんわかりやすいのは、労働
人ロの割合だと思う。全人口に対して労働人口の割合が増えてることだけは
間違いないんだよ。それなのにお金が足りないというのは、一人ひとりの給料が
安いからでしょう。大企業が消費税に賛成している理由は、正社員を減らして
非正規雇用を増やして賃金をもっと減らしたいからと思うんだよ。だから、
消費税増税はいまの人件費削減の流れの後押しになる、ということなんじゃ
ないかと思う。情報を一部分だけ出して、いかにも根拠があるかのように統計
を見せて、「数字はウソをつかない」とかって言っても、一面だけの情報なら、
それは正確とは言えないよね。タバコの発ガン率とか、メタボの人が脳卒中
になる確率とか、運動不足の何とか率とかって.いろいろ出てくるじゃない。
これをしている人はそれが15%上がる、30%上がるってさ。でも、もともと
そういう症状になる人が全体の何%いるかまで出ていない限り、何%増えようが
減ろうが、説得力はないはずだよ。この店で宝くじを買えば当たる率が30%
上がるっていったてじゃあ買おうって人はいないよね。宝くじなんてもともと
当たらないんだから。タバコを吸ったら肺ガンになる確率が30%上がりますよと
言われても、一生のうちに肺ガンになる確率が5%だとしたら、それが30%増え
ようがたいしたことはない。まあ数字自身は「ウソ」をついてはいないのかも
しれないけど。気が利かないだけで。じゃあ、それは厚生年金で、国民年金の
話と混同してる?そうかもしれないけど、国民年金と厚生年金の一体化とかも
言ってるんだからいいんだよ。≫
▼ 自頭で考える訓練をしておかないと、マスコミの、世間の好い加減な
垂流し情報をそのままを信じ込んでしまい溝沼のボウフラに陥る危険がある。
9割以上が、上記のような情報のため、一線を画さなければならない。
・・・・・・
4972,閑話小題 ーツアーゲームの醍醐味 〜①
2014年10月25日(土)
  * ツアーゲームの醍醐味
 ツアーは、ツアーゲームという方が、その本質をついている。
  ーネット辞書によると、
≪ ツアーとは、基本的にはパンフレットやインターネットサイトなどで
 宣伝して旅行者を募集し、旅行代理店で旅行契約を締結し代金の収受を行う。
行程表に従った団体行動で集合場所から解散場所まで全行程に添乗員が同行する
形態が基本であるが、1990年代からは添乗員が同行せずに所定の往復の交通と
宿泊(に加えオプショナルツアー)で構成されるフリープランが台頭し、
旅行者のニーズに合わせて選択できる。
 :利点として
・添乗員が同行するパッケージツアーでは、現地での不安感が少ない。
・比較的多くの観光名所を観光バスなどで短時間に効率よく周遊出来る。
・現地の情報の事前収集がされているので、参加者は、情報収集のエネルギー
 が少なくて済む。
・団体料金が適用されるため、自由旅行や手配旅行より旅行費用が割安な
 ケースが多い。
・旅行業者は3つの責任(旅程管理責任、旅程保証責任、特別保障責任)
 を負うため、手配旅行に比べて安心。
 :欠点としては
・観光ルートが時系列で細かく設定されており、せわしなく感じる場合がある。
 また、自由時間が少ないため観光内容に物足りなさを感じることもある。
・行動の大半を他の参加者と共にするため、煩わしく感じる場合がある。
・近年、格安航空券やホテル代の割引が個人客にも開放されており、自由旅行
 や手配旅行の方が安くなることも少なくない。特に1人参加で1人部屋追加
 料金を支払う場合はかなり高くつく。また、辺境地をチャーター便や
 貸切バスで周遊するツアーも高額になりやすい。
・土産物店や免税店に何回も立ち寄らされることがある。現地での観光を
 放棄する方法もあるが、ツアーによっては認めないものもある
 (土産物店等が旅行会社と契約してマージンを旅行会社に払っている)≫
▼ 以上だが、一般的にツアー旅行は、フリープラン派と、パッケージ派に
 分かれる。49回のツアー経験から、フリープランでの現地代理店との直接
交渉のパックは、旅行代理店の裏づけがないため、現地の ガイドの好い加減な
扱いが多い。少し窮屈でも、私はパック旅行にしている。アフリカとか南米
専門の弱小旅行代理店は、(何度かの経験からみて)やめた方がよい。
マニュアルと、チェックリストが皆無のため、添乗員の劣悪な扱いを受ける
ケースが何度かあった。代理店は、それぞれ客層を絞っている。その時々で、
代理店の浮き沈みが激しい業界である。JTB、日本旅行、近畿ツーリスト、
HIS、阪急旅行社の順に重心が移動している。自分は何を旅行で求めるかで、
その相手先を決めるが、私の場合、値段と行き先の内容になる。
 ツアーゲームは、私にとって最高の遊びであり、別腹の多くの体験と感動
が詰まっている。それぞれのツアーの延長が、TVやブログで見るなどしながら、
今も続いている。その度、新たな経験がある。
・・・・・・
4605, 閑話小題 ー今回は、い〜かな
2013年10月25日(金)
   * 「今回は、い〜かな!」
 一昨日の夜、家内のところに、柏崎の中学同級会の誘いの電話が入った。
その後、家内が言うに、「去年、出席したばかりなので、今年はい〜かな、
とヤンワリと断った」と。そこで、当意即妙に「せっかくだから、『い』
を付けたら!」と言うと、「何のこと?」と、のたまう。「『い』をつければ、
いかないー行かない」だろうと教えても、何かボーとしている。そして暫くして
「あっ、そっか!」 それで、本人は笑ったが、ジョークに鈍い御人は、
こういう言葉の彩の面白さに反応しない。 以前、何処かの居酒屋で、
店主が「今日は、真イカしか、ありません」に、「ま、いいか」と駄洒落を
飛ばしたが、全く反応をしなかった。同席の三人はお愛想笑いをしてくれて、
何とか場は持ったが・・ ま、いいか! 「今回は、い〜かな!」は、巧い
断り方。営業のプロなら、「じゃあ、次回は必ずお願いしますね!」というか。
   * ぽっくりシューズ
 子供の頃、女の子が、ぽっくり下駄を履いていた。ウィキペディアのよると、
『ぽっくり下駄は、日本の町方の子女の履き物。舞妓や半玉、花魁や太夫につく
「かむろ」の履き物でもあり、七五三のお祝い履きにも使われる。』とある。 
 新しい自転車を購入して一ヶ月経つが、一時停車の時、足のツマ先が地面に
ギリギリ。スポーツ自転車の停車の時、サドルの前に腰を出し、女またぎで
両脚をつくのが通例。(そこまでサドルを上げておく)だが、緊急停止の場合、
短身もあり、2〜3センチ足りない。日が経つにつれ、その下り方に慣れては
きたが、やはり不安で、厚底シューズを検索で調べ、アマゾンから購入した。
送料込で3900円。早速、送られてきた現物は、何と、ぽっくり下駄にそっくり、
ウォーキングをスムースにする健康シューズ。つま先の厚さは、普通のシューズ
と変わらないし、踵部分が削られ、中央が膨らんでいる。失敗かなと思いつつ、
履いてみたが、何とか停車時に安定してつき、一応は、合格。
 その後、いつもの通り大手大橋を15分ほどヒキチャリウォーキングをしたが、
姿勢を正して歩かないと不安定になる。 足元が三分の一しか接しないため、
姿勢が良くするしかない。まだ慣れてないため疲れが残るがウォーキングに最適。 
自転車以外は珍妙な型のため、普段は履けない。踵から脚を踏み込み前に重心
移動すると、楕円形のため勢いつき身体が移動しやすい。よく考えたものだが、
自宅の2Fへの階段で、後ろに重心をかけ、げ落ちそうになった。
・・・・・・
4230,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー5
2012年10月25日(木)
ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
  * 特産品を混ぜ合わせて偶然生まれたマヨネーズ
 高校時代の夜食に、冷めたご飯をバターで焼いて、それにマヨネーズと
塩をかけて食べていた。それが、お新香と食べると、やけに美味しかった。
マヨネーズが生まれるに、やはり歴史があったのである。
≪ 日本人に人気の高い調味料の一つ、マヨネーズ。何にでもマヨネーズを
 かけて食べる「マヨラー」という人もいるくらいだ。その起源をたどると、
18世紀まではマヨネーズというソースは存在しなかことが判明している。
マヨネーズが誕生したのは、イギリス海軍の拠点だったメノルカ島の小さな
港町・マオンにフランス軍が攻撃を仕掛けたことがきっかけだ。
フランス軍を率いていたリシュリュー公爵は、終わりの見えない戦いの合間を
縫って、マオンの街角を訪れた。城塞付近の前線では激しい戦闘が行なわれて
いたが、一歩街に入ればそこは平和な田舎町。リシュリューはひとときの安らぎ
を求めたのか、目についた一軒の料理屋に立ち寄った。戸惑う料理人に、
リシュリューは「何かうまいものを食わせてくれ」と注文。
料理人は肉を焼きながら、マオンの特産品であるオリーブオイルとレモン、
ワィンビネガーを使ったソースを作りはじめた。しかし、これだけで公爵が
満足するか不安に思った料理人は、少しでも料理をグレードアップさせたい
との思いから、島の名物・メノルカ鶏の卵をそのソースに加えた。 
マヨネーズがこの世に誕生した瞬間である。そのおいしさに驚いたリシュリュー
がレシピを持ち帰り、マオンのソースという意味の「マオンネーズ」として
マランスに伝え、やがてこれがマヨネーズと呼ばれるようになった。 ≫
▼ マヨネーズといえば、キューピーマヨネーズで、他のマヨネーズは、
 不味く感じて当分の間は舌が受けつけなかった。これとケチャップも、
冷や飯と一緒に炒めて食べていた。チャンハンの具なしというもの。
 ・・・・・・・
3865, 嘘みたいな本当の話 ー3
2011年10月25日(火) 
 * 財布    「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」 
10歳のときから、いままでの28年間に8回財布を落としました。そのうち6回は
誰かが拾ってくれて、返ってきました。日本はよい国だと思う。 東京都 マキ
  * 傘
 ある雨の日、両親は車で買い物に出た。しかしなかなか帰ってこない。
聞けば、帰り道にパス停で、濡れながらバスを待つサラリーマンと目が合った
のだという。そして、かわいそうだったので「よかったら入ってください」と
声をかけ、自宅まで送り届けてきたそうだ。こんな東京でそんなことしている人
見たことないよ、と私は呆れた。 翌日、私はバイトに出かけた。
地下鉄を降りると、外はゲリラ豪雨。傘はない。濡れるのはいやだけど、
バイトに遅れるわけにもいかない。覚悟を決めて人混みのなかを走りかけた
とき、背後から声をかけられた。 「よかったら入ってください」
見知らぬ若い女性は、小さな折り畳み傘の右半分に私を入れて、
バイト先まで走ってくれた。ー東京都 佳恵
 〜〜
 再び、私の体験談だが、30年近く前の話。家内の実家が建材店をしており、
年に一回、取引先を招待して倉庫で、展示会をしていた。そこには古物商、
ラーメン屋など20軒ほどが軒をつらねていた。その古道具屋の仏像の中に、
20センチ位の大きさの象牙の阿弥陀仏が目に入った。値段を聞くと45万円。 
買う気がないので冷やかしで、「25万円なら買うけど・・」というと、
ケンモホロロに断られた。そこの娘婿とは知らなかったようだ。
で、そんなことをスッカリ忘れてしまった2週間後に、25万円の請求書
とともに、その仏像が直送されてきた。何気なく、その仏像の台座の下を
みると、何と、私の家内の「恵子」という名が刻まれていた。もちろん新しく
刻まれたものでない。 それが仏像師のものか、それを造らせた人の名か、
亡くなった娘?のものかは分からない。 そこには、たまたま知人がいたが、
私よりも驚いて、「私の直感だが、直ぐに寺に納めたほうがよい」と、顔を
青ざめて忠言してくれた。仏像は精巧に彫ってあり、数珠の玉まで細かく
見えるほど。中越大地震のおり、その数珠が破損してしまったが、これも因縁。 
今も仏間にあるが、家内は一切、「お金が勿体無いだけ」と、興味なし!
 ・・・・・・・・
3500, 10−10−10 ー�
2010年10月25日(月)
「10-10-10 人生に迷ったら、3のスパンで決めなさい!」スージー・ウェルチ(著)
  ーアマゾンの内容からー
仕事、夢、結婚、家族、友情。人生に迷ったとき、「決める力」が身につく本。
紙とペンさえあれば、10-10-10は今、この瞬間から試せます。
もしも、この選択をしたら……
 □ その決断は、「10分後(今)はどうなっている ? 」
 □     「10ヶ月後(ちょっと先)は ? 」
 □     「10年後(未来)は ? 」 ・・こう自問するだけでOKなのです!
短、中、長期と、3つの視点で選択肢を見つめれば、後悔しない決断ができます。
この本でぐずぐず迷うクセ、優柔不断、チャンスを逃すパターンが変わります。
●もう、うんざりの職場。辞めてしまえば10分後はスッキリ。
 でも、10ヶ月後に後悔しない? 10年後、お金は大丈夫? その選択が
 正しかったと、本当に言える?10-10-10で考えよう。
●大事な取引先とのアポ当日、田舎の親が病気に!どう決断をすべきか、
 10-10-10で考えよう。 たった3分集中するだけで、正解が見える。
●結婚の見込みがなさそうな彼と、続ける? 別れる? 別れたとき、
 続けたときのメリット&デメリットは、10-10-10が教えてくれる。
= 経営の神様、ジャック・ウェルチの公私にわたるパートナーの人生とは? 
= 著者スージー・ウェルチは、ジャーナリストであり、四人の子供の母であり、
 40代で経営の神様、ジャック・ウェルチと運命を変える出会いをした魅力
 あふれる女性。アメリカでは、女性としての幸せを模索するアラフォーたち、
 働く女性の共感の声、続々! 10-10-10は発売まもなく
 『ニューヨーク・タイムズ』『ウォール・ストリート・ジャーナル』
 のベストセラーリストにランクインし、テレビ番組でも特集が組まれるなど、
 大反響を巻き起こした。
〜解)例の「20世紀最高の経営者」といわれたジャック・ウェルチの連れあい。
この本は発売されると同時にベストセラーになりテレビ番組などで特番が組まれる
など大反響を及ぼした本とか。日本では今年の1月に発売されたばかりの本。
二日前に図書館で見つけて一読して驚いてしまった。10-10-10と分かりやすい。 
短期、中期、長期の視点で、直面の問題を直感で見定めるに有効である。 
思いもよらない出来事に遭遇したとき、現在(10分〜10日後)、
中期(10ヶ月〜2年後)、長期(10年後)の対処を単純に考える習慣を
つければ、習慣がないのと比較すれば時間とともに膨大な差が出る。
 金投資を考えると分かりやすい。現時点では、これからハイパーインフレは
間違いなく起こるのは必定? しかし2年スパンでは大きく乱高下もあるから、
目先のかく乱の動きに対し、10−10−10を予測すればよい。10日、
10ヶ月は、乱高下するが、10年後には三倍以上は間違いないと踏むかどうか。
そう判断すれば、思い切って投資をすればよい。東芝の株とすると、原子力発電
に重点投資をしているので、10年後には株価は5倍と想定し、10ヶ月後は、
まだ投資効果が見込めないので、塩漬けが出来るかどうか。長期投資の資金の
用意があれば長期投資すればよい。等々、見分けることができる。 〜つづく


5336,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー③

2015年10月24日(土)

   一1人の時間を持て余す者は、二人の時間も持て余すー
 老いの大きな問題に『孤独』がある。特に独身の場合は大きな穴が
心の中にスッポリと開いているのだろう。そのためには、自分の世界を
つくり、ダンデゥズムに徹し、孤高に生きるのも人生の一つ。
≪ ◎ 質問 =このまま一人孤独に人生を終えたくはないのです…
 私はこの年になってもまだ結婚をしたことがない50歳の独身です。
仕事を離れるとほとんど人とおしゃべりする機会もありません。
飲みに行ってもほかの客とはあまりしゃべりません。
自分から心を開かなければ相手も私の心を分かってくれないということは
承知しています。会社もあと十年弱で定年ですし、その後の人生はこのまま
孤独に過ぎて、ある日部屋の中でひっそりと終わるのかと思うと不安です。
心を割った話ができる相手、できれば女性を見つけたいと思っています。
でもいままでにそのような出会いはありませんでした。
今後出会いはあるものでしょうか?、(五十歳男性) ≫
≪ ◎ 答え=孤独を孤高にまで高める生き方を目指せ
・シマジ: この前のように三十代の男性からの相談なら「書を捨てて
 女を口説け」、というところだが、五十代となるとそうともいえないな。
仕事以外ではほとんど人とおしゃべりをしない。飲みに行ってもほかの客とは
距離を保つ。おそらく、相談者はずっとそういう生き方をしてきたのだろうし、
他人に自分の領域を侵されるのが苦手で、一定の距離を保つほうが楽だった
のだろうだとしたら、この齢になっていきなり社交的になれといっても、
それは無理な相談。女性に対しても尻込みしてしまうタイプだろうな。
こういう人が人生の晩年を一緒にすごす女性を見つけようと焦ると、下手を
すると結婚詐欺に引っかかりかねない。だから、無理はしないほうがいいね
・シマジ: だからこそ、孤独を恐れる凡人を脱して、相談者には孤高を目指
してほしい。肌のぬくもりやおしゃべりの相手が欲しいなら、猫を飼えばいいん
じゃないか。猫はいいぞ、しみじみと会話ができるからな。俺の知合いの作家
の話だと、飼い猫をあんまり可愛がりすぎるものだから、結婚したばかりの妻が
怒ってね。、「猫と私とどっちが大事なの?」うていう言葉に「そりゃ猫だ」
と答えたものだから、新妻に家を出て行かれたそうだ。人間の女より、猫の
ほうが一緒に暮らしていて心穏やかでいられるというのは否定しがたいね。
・シマジ: 金と時間と情熱を注ぎこんだ一人の時間を豊かにするには、膨大
の情熱と知恵が必要だ。一人で孤独だと思うのではなく、誰にも邪魔されない
自由な時間をどれだけ豊かにしようかと真剣に考えるところから、人生の愉しみ
が広がっていくんだ。まさに人類のステキな時間。心の中に星が降る時間だね。
だから、相談者が仮に本やお酒に興味がないなら、別の手段でもいい。
自分が興味を持っているものをもっと深く探っていく気持ちを持てば一人の時間
を貴重に思えるんじやないかな。それにね一人の時間を愉しめる人でなければ、
二人の時間も愉しめないと思うんだよ。一人をエンジョイできる人間は、二人
になればますます相手と自分を愉しませられる。一人を持て余す人間は二人に
なってもやはり相手と自分を持て余して、退屈な時間を過ごすんじゃないかな。≫
▼ 家にオウム科最小のインコがいる。居間のガラス戸を隔てた先の籠に一匹、
 鎮座しているが、人恋しいため常にピーピーと呼びかけている。時どき、
餌を与えたり、頭を撫ぜてやるが、何か心が癒される。猫を飼うと、異性にも
関心が無くなり、ますます縁遠くなるというが・・ 
・・・・・・
4971,閑話小題 ー飛行機の座席にみる社会構造
2014年10月24日(金)
   * 人生を憎めば、人生は憎しみを返す
 「あなたが人生を憎めば、人生は憎しみを返す」。
これを「人生を愛せば、人生はあなたを愛し返す」と言い直すことが出来る。
現在の私の状況は、まさに、この二つの間で揺れ動いていい筈だが、しかし・・
この状況を肯定することで何とか平静を保っている。不幸系の人は、まず憎しみ
を持った受止め方をする。何でマイナーな考えを持つか? よく観察すると、
育った環境が大きく左右している。 まず、親を憎むことが、そのまま自分の
人生を憎むことなる。「相方には、両親に愛され育った上に、運がある人かを
第一にして見分けなさい」という。幼児から20歳代までに、プラス・マイナス
の両極端の世界を垣間見てきた。やはり金持ち喧嘩せず。異性に惹かれるのは、
自分と違った要素を持つ人。しかし、それは短期間だけで、長い目で見れば、
その違いが性格の不一致になる。そこから憎しみが湧き出て、争いが子供に
大きく影響し、その結果、子供は両親を憎むことになる。90%の夫婦間が
実質破綻をしている?というが、子供はたまったものでない! そこで、
「されど、妻(夫)を愛す。人生を愛す!」が、人生を生抜く要諦になる。
   * 飛行機の座席に垣間見える社会構造
 飛行機は、集約された社会構造が、そのまま露出する場所。
見てみないふりしかない。飛行機の座席のランクには、一般的にファースト
クラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがある。
  ーその料金体系といえばー  (欧州の場合)
・エコノミー: 12万〜50万(12万は格安、50万は割引の無い
        正規運賃で、サーチャージ込み)
・プレミアムエコノミー: 20万〜50万(本来はエコノミーの正規料金
             を支払っている人に対するサービス)
・ビジネスクラス:   36万〜90万(90万は割引の無い正規料金)
・ ファーストクラス: 150万前後(割引料金は基本的にありません)
▼ 私のような格安パックツアーは、大型機の後部座席が主で、旅行代理店が
 年間契約で3万5千〜7万円の格安で仕入れ契約をする。だから少々、窮屈を
我慢をすれば格安旅行が可能になる。ちなみにホテルも、観光シーズンのピーク
を除けば、三分の一、五分の一の仕入れが可能。 だから、パックツアーに慣れ、
使いこなせば、結構、価値ある旅行が可能になっている。私は格安パックツアー
もあって、エコノミーだが、たまたま満席で、ビジネスクラスを5〜6回、
一度だけラッキーなことにファーストクラスに乗ったことがある。4分1の
確率で、窓側3人席に家内と2人になるが、ほぼビジネスと同じ環境?になる。
露骨な格差を目前で見せつけられても、そこは、非日常世界で、
瞑想には最適な時空である。
・・・・・・
4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1
2013年10月24日(木)
   「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー(著)
 このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分に
なりがちだが、本列島は地勢的にみて、雨量の多さが豊かさをもたらしている。
著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学を出て、日本
在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。
彼女は、日本の多湿な雨に、特性を見出している。この本は雨読にはピッタリ
の内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に出会えるから良い。    
  ー内容紹介ーより
 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか――
生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方
 雨が好きな人は少ない。でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。
ある時は私たちをエネルギーで満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は
希望、または静かな省察の時を与えてくれる。雨は私たちの生活のリズムを
減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかける。 
雨には意味、存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。
雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流
する境界に在るのだ。雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと
雨を好きになってみては?
 ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 
   ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか
  [レビューより]
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。
「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、
この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り
始めた雨と土の匂い、雨は何処から降ってくるのかを確かめるために雨天のなか、
天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。
それは私にとっては両親、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさ
へと導かれるものだ。この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」
というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を
楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。
雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。誰でも人生は自由なのだな
と改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、
 不思議と一瞬一瞬をより深く、存在意識を持ちながら味わえるようになる。」
と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、深くため息を
つく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また
「超越」という概念にも気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、
自然の制御できない性格なども分からせてくれる。そう、自然をより美しく、
そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。ーつづく
・・・・・・
4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、
 さまざまな種類が発売されている。ティーバッグのはじまりは一〇〇年ほど
前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉の
サンプルを絹の袋に入れておいたところ、客の一人が誤ってそれにお湯を注いで
飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。
一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。
もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じで。戦乱の続く当時、
刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。
戦場ではのんびり薬を煎じている暇などない。そこで金創医たちは、細かく
刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が
抽出できるようにしておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも
便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時は産科医を
している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点
で共通していた。今でも、婦人病の漢方薬に袋に入ったものがよくあるのは、
金創医が処方していた名残である。≫
▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。
 即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンがあった。お湯を
注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、
ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの携帯食としておおいに売れたという。
彼らは戦場で、それをカジリ食べていた。学生時代の昼飯として、
よく食べていた。
 ・・・・・・
3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
 * さかさまな世界-  
        「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに
踏み込む足裏が痛い。右手をそっと後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、
左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。大学に入学
して初めてのバイト先。苛立った僕はその後、事務員の女たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと
届かないんですもん。ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、
和式はたまらなくつらいんですよ」僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは
顔を見合わせる。 ひとりの事務員が切り出した。「あの……トイレヅト
ベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落として
しまった・・ 拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、
次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。同時に、私の足元でひざまずいて
いた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。我に返り慌てて振返ったが、
無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。 岐阜県 横山奈津子
  * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミが
ひとつ入っていた。 長崎県 トンビ
▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、
 一生に一回あるかないか。 こういう思いもかけない偶然は、誰も経験して
いるが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
「洗濯バサミ」、これもあり得る話。野生の鳥は思いもよらない頭脳を持つ。
そうでなくては、四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 
こういう話は純真に聞き入れる方だ。
・・・・・・・・
3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―「起こりえる未来」の読み方≫中原圭介(著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」
の道半ば。これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を
予測して、事前に手を打っておくことが必要。経済予測脳をもっていれば、
誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が
可能になる。それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を
送ることができるのか。 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。
特に混沌とした時代には、時代そのものの本質と、変化をジックリと見極め、
それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けて
 どう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し
 予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのか
 を捉えるようになる。 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、
 人と社会は非合理的な側面が含まれるため、色いろな基礎教養をベースの
 上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、
そう見えすえれば根底から経済予測が違ってくる。その背景には本格的情報化
社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、人間が言葉を
持ちはじめた20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネット
などの情報手段の革命。そのことを、明確に把握していないと、現在の状況を
見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは言ってないが・・・ 
世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマに
しているが、それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。
そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦、世界恐慌、そして第二次
世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 
  特に、茹で蛙の日本は、である。  
 ・・・・・・・
3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5
2009年10月24日(土)
 ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
以下の部分で、その原理を説明している。これでは多神教が敵うわけがない。
それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人
だからだろう。彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれて
いれば、どうもこうもない。 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し
 違うのですね。終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合
 は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて律法を守ってきた自分たちを窮状
 から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
 出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれ
 がそういう目にあわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが
 降りてきて政治権力を握るということになる。そもそもユダヤ人は、幾度も
 周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる
 願いは、メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということ。
 ただし強力な国を作りたいという願いはありますが、全世界をユダヤ教}色に
 してやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教やイスラームより
 はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り
 立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教とキリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやって
 くるのは現世的な救いなのですが、キリスト教では幻想的にというか、
 非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考える
 ところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的には
 ないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない
 天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。その時にアッラーの前に
 引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。
    (字数制限のためカット 2015年10月24日)


5335,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー②

2015年10月23日(金)

    ー結婚しなさい。いい相手を俺が紹介してあげようー
 私に今東光が乗移ったら、『サッサと転職をしろよ。次の職場で後悔する
状況に直ぐに陥るから、少しはマトモになるはずじゃ!』というだろうに!
 ≪ ◎ 質問: 信念や主張がなく、すぐ諦める自分がもどかしい
〈 私の悩みは「こだわり」がないことです。そのためか、人にただ流される
 生活をしているような気がします。仕事をするうえでも、周りの人が
「こうするべきだ!」と強く出してくると、「だったらそ札でいいんじゃない」
と迎合しがちで、会議などでもあまり意見はいいません。何かを強く主張を
して揉めるくらいなら、初めから諦めてしまうほうが面倒がなくていいと
思ってしまいます。人材開発・組織開発の仕事をしていますが、この仕事は
すぐ結果が出るような類のものではなく、周囲とのコンフリクトが当然の
ようにあります。それだけに、信念やこだわりがなく、すぐ諦めてしまう
自分がもどかしいです。三十歳を超えて、このままだと仕事は中途半端な
ままで終わりそう、と不安です。(三十歳女性) 〉
  ◎ 答え=人生で最大の罪悪は退屈すること
・シマジ: うーん、難しいな。俺とは全く違うタイプだ。何が原因で自己主張
を諦めるようになったか分からないが、相談者は人生に退屈をしているんじゃ
ないか。主張しない、迎合する、すぐ諦める。これではノッペリした平板な毎日
で退屈で仕方がないだろう。俺は人生で最大の罪悪は退屈をすることだと思うよ。
何だっていい。何か一つのことに十年ものめり込めば、間違いなく自分の世界が
できる。確固とした価値観や美意識が形作られ、オリジナルの主張や、譲れない
一線としうものが生まれる。すぐに諦めることもなくなると思うがな。
・アソシエ: 趣味に打ち込んでみたら変わりますかね。
・シマジ: 実のところ、「たしなむ」レベルではあまり変わらない。結局のところ
「道楽」でもまだ足りず本当は道を極めるところまで行かないと世界は作れない。
つまり「極道」まで行く必要があるんだが一まあ、そこまで要求するのも酷だから、
まずは何か打ち込めそうなものを探してみてはどうかね。空手なんかどうだ。
・アソシエ: いきなり空手ですか。 (略)・・・
・シマジ: 経済力があって頼れるいい男を見つけて結婚すれぽ、相談者は
昔ながらの良妻賢母になり、幸福な結婚生活が送れると思う。何も仕事で成功
するばかりが人生の幸福でほない。自分の意見を強く主張し、周囲と競い合って
仕事で成果を上げるということが向いていない人もいるんだ。そういう人は無理
をして仕事場で「できる女」を目指さなくてもいいと思う。
というわけで、相談者には旦那さん候補としてこ人の男性を紹介しよう。
じつは、いい人がいたら紹介してくれと二人の男から頼まれているんだ。
いま、その男たちの写真を持ってくるよ。
・アソシエ: まっと待って。それは人生相談の範疇を超えているような気が。
・シマジイ: どうしてだね。人生相談というのは相談者の悩みに真剣に対峙
 するものだろう。少なくともシバレン先生、今東光大僧正、開高健文豪は、
相談者に胸襟を開き、自らこれと信じるということを真剣に語った。
人生に正解なんてありはしないんだ。だから人生相談にも正解やあるべき姿
なんてない。語るだけでなく、人助けの実践的サポートまでやる人生相談が
あってもいいじゃないか。俺は、この相談者の幸福は結婚にあると思っている。
そして、良妻賢母になることを確信している。相談者に結婚する気がないなら
無視してくれれぽいいだけだ。もし、その気があるなら、連絡してくれ。≫
▼ こういう人は、男にもいる。学生時代など20歳半ば頃までは、
 経験の絶対量が少なく、まず周囲と同化することに神経がいって当然。
女性なら家庭に入ることで逃避する道があるが、男は、そうはいかない。
人生に正解はないとしても、より良い道は自分でしか切り開けない。
で、知恵を絞り出すしかない。この後の二人の対話が面白いが、止めておく。
・・・・・・
4970,野心のすすめ
2014年10月23日(木)
   * 野心という山登り    〜「野心のすすめ」林真理子著
 創業の準備を含め45年間、その最後は、この様だったが何故か後悔はない。
野心があったからこそ出来た様々な成功と、挫折経験は何物にも変えがたい。 
自分の限界の壁が常に目の前に立ち上がっていて、何時も溜息をついていた。
 野心を持っていると、「棒ほど願えば針ほど叶う」になる。棒ほど願わなくて
は針ほども叶わないのである。創業の頃は、高度成長期の絶好の環境があった。
それに、条件づくりに父が陰で協力をしてくれたこともあった。
野心は志と似ている。自分では志と思っても、人から見れば野心というのだろう。
何かに志をたてると、それが高く、大きいほど、その差が見えてくる。
そして、途中で、頓挫させるような難関が次々と立上がってくる。しかし、今さら、
後は引けないという瀬戸際で、壁が崩れ、内在した力が沸々と湧き出てくる。 
ー以下の内容が、野心を解りやすく要約している。  
≪ 野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。
 本を読み始めると、自分はどれほど無知なんだろうとか、この分野を知らない
のはまずいなあとか、この先また別の本を読んでみたいなと思う。努力をする人
にはいろいろなページが開いてくるんです。反対に、本をまったく読まない人は、
何を読めばいいかわからないし、そもそも本の存在すら意識下に入ってこない。 
自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも
頑張ってみることです。野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上が
どんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような場所まで来て、下を
覗いてみると、登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに
群れている。でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。
自分はこの先、あの高いところまで登れるのかという不安を常に抱えながら、
ズルズルと下に落ちたくないから常に手を抜けない。なぜ、わざわざ辛い思いを
してまで山登りを続けられるのでしょうか。それは、必死で登って来た場所から
見る景色があまりに美しく、素晴らしい眺めを自分の力で手に入れて味わう
満足感と幸福をすでに一度知ってしまったからです。そうなったら最後、
もっと美しい景色が見たい、もっと満足したい、もっと幸福を味わいたい、
と、さらに上へ上へと登りたくなる。 平地で遊んでいる人間には一生見えない
美しい景色、野心を持って努力をした人間だけが知る幸福はあります。
もちろん辛い試練だって待っているかもしれないけれど、野心という山を登ろう
とする心の持ちようで、人生は必ず大きく変わってくる。チャレンジしたから
こそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。
人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生への第一歩を踏み出して
くださる方が、増えることを祈ります。さあ、山に登ろう! ≫
▼「やってしまった後悔は、日ごと小さくなるが、やらなかったことの
 後悔は日ごと大きくなる」の彼女のモットーが、良い。三年前の経験で、
つくづく思ったことは、山の麓で遊んでいた人たちほど、攻撃してきたこと。
特に、城下町の体質が、人間関係にられ一生を棒にふった人の割合が多い。
それが、「他人の血で、自分の一生を棒にふったという傷口を洗おうとして
いる姿そのもの」に私には見えていた。しかし、実際に、人生の夕暮れ近くに
なって、それも有り!ということに気づいた。山登りの景色も、麓の景色も、
大して変わりはしない、ということ。しかし、麓でも何かにチャレンジして
ないと、麓の美しさ、面白さに気づかない。はともあれ、何かに挑み、闘い、
変化する中で、人生は面白くなるようだ。せっかく、地球に知的生物として
80年を頂いたのだから! 有りがたく頂戴しないと!
・・・・・・
4603, 閑話小題 ー呆けも大変だけど・・
2013年10月23日(水)
   * 呆けも大変だけど、しっかりしているのも?
 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた
義母と三人暮らしという。「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」と。
その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。
{ 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。
亡くなる半年ぐらい前のこと、元旅館の女将をしていた母の最も親しかった
92歳の友人が、実娘に付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。最期のお別れ
という空気が、そこに漂っていたが、呆けは全くなく元気そのもの。
家内が台所で、こっそりと、「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、
さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! むしろ・・}
 その時の一期一会の二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、
される方も、するほうも、大変である。「呆けは老いの苦痛を和らげるため
神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむのも芸のうち、
ということ。
   * 米国のデフォルト危機
 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。
計画的世界恐慌、このタイミングがベストに思えたが? まずシリア爆撃に
目先を向け、のドサクサにデフォルトだったのでは?国家戦略からして、
オバマ二期目の二年目。やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで
先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。日本と同じく国債増発しか予算が
組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル投入と同じで、
死ぬまで続けるか、恐慌を起こし精算しかない。そのプロセスを踏まない限り、
米国債を出し続けるしかない。 水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。
更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。その上、
世界恐慌が表立ってきたら、どうなるのか。まずハイパーインフレとすると、
年金生活者は?今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。
「まさか!」は起こってからでは遅いが備えは可能。「まさか!」が、危ない。
私の「まさか!」は、リーマン。備えてはいたが、現実に起こると「まさか」
が、「まさか」でなくなる。その典型が、「まさか!東京電力が」・・
一万円前後していた株価が、今では500円、これも国家管理になればゼロの
可能性がある。安定株の筆頭だったのに。
・・・・・・
4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3
2012年10月23日(火)
  * 鮫子の形の由来
 餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いもの。
≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起もの
 として餃子を食べるしきたりがある。 その理由は、あの独特の形にある。
鮫子の形は、清の時代まで中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形から
きている。そのため鮫子は「富貴」「多子」の縁起をかついだおめでたい食べも
と考えられてきた。中国では、年の初めに鮫子を食べると一年間お金に困らずに
暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。中国における鮫子は、
まさに日本の「おせち料理」のような存在であるといえるのだ。
それでは鮫子の発祥地はいったい中国のどの辺りなのだろう。じつは比較的
最近の一九六八年、新彊ウイグル自治区のトルファンにあるアスタナ遺跡で、
なんと唐の時代の鮫子の化石らしきものが発見された。この発見により、
このトルファンの地が餃子の起源と考えられている。
この化石は、トルファンに展示されている≫
  * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた
≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選した
 のが食品加工業者アぺールの発案した瓶詰めという方法だった。その作り方は、
瓶に調理した食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。そのあと
湯せん鍋で沸騰加熱して殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま
持ち運ぶことができる。この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、アペール
は莫大な賞金を手にした。ナポレオンの快進撃を支えた瓶詰めは、ほぼ同時期に
イギリスで発明された缶話めとともに、今でも人々の食卓を支え続けている。≫
▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを更に小さく
 個人用パッケーかに詰替えたことになる。最近、コンビニが勢いづいているが、
これも、スーパーの家族用の品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を
中心にしたことが、消費者の支持を受けたことになる。
・・・・・・・
3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は
2011年10月23日(日)
「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。
反対に、「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのもある。
脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」
という。日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授に
なりたいと は思わない。何となくなりたいと思う理想のイメージの人には
なれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定をしているはず。
ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいもの
になりなさい」と言われ一念発起した人の手記がある。翼を広げ羽ばたいて
いると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。
「なりたい」と真に思わなければ、なりたい自分になれる訳がない。
逆に「なりたいものになるな。なれるものになれ。」というのは、
【某セミナー】の教え。≪ 「なりたくたってなれない。でも、なりたいと
思っているのがそもそも間違い。」 そもそも、なれないものに多大に努力を
つぎ込むのは愚か者のすることです。 なれないものとは、ネガティブなものの
事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう生き
かたをいいます。いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだから
なれないに決まってます。ところが「髪を染めれば」とか「カラーコンタクト
を入れれば」・・とかドンドン付け足し、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿
とは違った「なりたいもの」の仮面を作り上げてしまう愚」を説いている。
これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、
しっかりした指導者か見識が必要。しかし真になりたいものを見つけ、それに
向かって翼を広げれば、風が何時か吹き、その目的とするところに連れて行く
のも道理。「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、時間の蓄積が
針を棒に変えてしまう。なりたいと願うことは、エネルギーをそこに集中して
いることになる。やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたい
ものに、なっていく。司法試験に多くの人が挑み、大多数の人が挫折していく。
しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。しかし一生をかけても
合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。
なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。
 ・・・・・・・
3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
 ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を
体験するようになり、その肉体の自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」
と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や物理学等の
自然科学を修めつつ探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、
独自の探求を続けた・・≫
 ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。
それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブル崩壊
 から嘘のように元気を失っている。財政赤字は900兆以上にもなり、収入は
 日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、
 新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今まで
 にない生き方に挑戦するとき、前向きな挑戦は本当に想像を絶するほどの
 違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」
  −>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。
 この世界の物質をつくる元素は星の中で生成され、星が終焉を迎えるとき、
 超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。
 その魂の方はどうかというと、魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる
 存在である。肉体の基である外宇宙が百億光年以上のとてつもない広がりを
 抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。
 仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。私たちの心・想いは、
 平和で満ち足りた天上界から苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に
 通じています。その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 
 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。魂とは、
 この人生だけでなく、永遠の生命として経験してきた幾度もの人生の記憶と
 限りない智慧を湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な経験と
 記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を
 一つに結びつける、つながりと絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫
 と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない広がりと深さを抱いている
 私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる
 ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を
 果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的
 世界観の下では、自分が意味もなく生まれ、世界とは特別なつながりはない
 と思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、
 みな「つながり」によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、
 宇宙の源には、私たちが拠るべき、全ての解答と青写真が湛えられている。
 〜〜
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。
 「魂とは、生前、死後に自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基
 につながっている」は、神秘的、宗教的である。


5334,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー①

2015年10月22日(木)

  元・プレーボーイ編集長の島地に、亡くなった三人がのり移った設定の
人生相談だから、面白くないわけがない。ランダムだが、面白そうな相談から
紹介していく。
   ー大企業で出世する男の見分け方を教えてくださいー
〈 私がつき合っている男性は慶応大学卒の28歳、某大手電機メーカー勤務です。
有名企業ですが、このご時世、サラリーマンの一寸先は闇。彼が出世競争を勝ち
抜ける人かどうかを知りたいのです。私も大手といわれる保険会社勤務ですが、
ずっと仕事を続けるつもりはありません。というか、専業主嫁になりたいです。
ただし、貧乏臭い節約生活は送りたくありません。銀座で気軽にショッピングを
したり、一流のレストランでランチができるくらいの余裕のある生活が希望です。
そのためには、旦那さまにかなりの稼ぎがないことには。かといって、ベンチャー
経営者なんていうのは、蟹産の危険と考中合わせで不安定だからイヤ。大企業で
出世する人がいいのです。そういう人の共通点って何でしょうか。どんなところ
で見分けられるでしょうか。こんな質問をしたら、コメントは欄では非難轟々
かもしれませんが、本音でお蜀きします。(27才女性) 〉
  ーお答えー
〈・シマジ:その慶応卒の彼氏とやらに会って、食事をしながら二時間も話せば、
出世するかどうかをぴったりいい当ててあげるよ。だが、一般論として出世
するす男はこうだとはいい難いな。それこそ千差万別だ。だから、会わずに
語るのは無責任だな。無責任だが、これだけはいえる。この男が大企業の中での
競争を勝ち抜き出世するだけの知力と感性の持ち主なら、相談者を一生の伴侶
として選びはしない。すなわち、相談者を妻にするような男なら出世の見込みは
薄く、出世する男なら、いずれ相談者と別れるだろう。
・アソシエ:辛口ですね。
・シマジ:相談者の本音の質問を本音で答えたまでだよ。出世をする人間の
大事な条件の一つが人を見る眼力だ。大きな組織の中でこれぞという先輩や
上司を探り当て、その人に教えを請い、その人を尊敬して命がけでついていく。
あるいは営業マンなら、取引先のキーパーソソを見極め、そこにしっかりと
食い込み、人脈を広げていく。いずれにせよ、そうした人を見る眼力があれば、
女のたくらみも見通してしまうだろう。それにしても、相談者の考えは浅いな。
だってそうだろう。日本の大企業の中で課長に出世をする男には眼力が必要だ。
課長になり、部長になり、ついには役員になったとして、どれほどの生活が
できるというんだ。第一、子供はどうする。子供が二人もできたら、優雅に
お買物にラソチになんていっていられなくなる。しかも、教育に金がかかる。
こういう相談者だから、子供に有名幼稚園や小学校をお受験させるだろう。
そのうえで、有閑マダムよろしくブランド品のショッピングに精を出し、
高級レス.トランでランチ三昧なんてことをしようとしたら、数千万の可処分
所得が必要になる。ということは旦那は税込みで一億円近く稼がなくては
ならず、サラリーマンには到底無理な話だ。〉
▼ 以前、田圃や小川に生息する〈タガメ〉について書いた。蛙や、小魚に
 抱きつき、栄養分を死ぬまだで吸い取る昆虫で、日本の専業主婦に酷似
しているという分析の書籍を、ここで紹介した。 何か、誰かさんみたい?
  〜二年前に取り上げた内容を下にコピー〜
・・・・・・
4660, 知る悲しみ ー『極道辻説法』は、シマゲジがゴーストライター
2013年12月19日(木)
  * 今東光の『極道辻説法』は、シマゲジ作 
                ー『知る悲しみ』島地勝彦著
 図書館でみつけた島地勝彦著「知る悲しみ」。
例の『水の上を歩く? 酒場でジョーク』島地 勝彦・開高 健 (著)の、
元プレーボーイ編集長の島地の著書。「知らない悲しみより知る悲しみ
のほうが上質である」とは、言い得て妙だが、何と『極道辻説法』
の「和尚前白」は島地が東光に憑依して書いたと告白。生臭坊主の
名回答も、シマゲジの創作とは・・ ーその一節を書き出してみるー
・矢野「いまインターネットなどで『今東光語録』が箴言集のように
 扱われています。ところが私などから見ますと、どう考えても大僧正の
 興味のテリトリー外のテーマなどが書かれてありまして、ずばり
 訊きますが『和尚前白』は大憎正が書いたもの?
・島地「今日はすべて告白しよう。あれは全部オレが書いたものだよ。
 しかしよく分かったね。読み込んでいるなあ、矢野は」
・矢野「ただ『速記録』で実際に大僧正が語った回想や時評をうまく
 リライトされているのもあります。ですから島地さんの全くの創作ばかり
 とは言い切れない。今日は漢幸雄さんが収集した『和尚前白』を持参して
 きましたので、どれが完全に島地さんの創作なのか教えてくれませんか」
・島地「いいとも。(『和尚前白』を読み進めながら)第一回からオレの文章。
 確かに。うまいなあオレは。(国連総会演説を取上げた回を示し)これもオレ。
 高校野球の話、これもオレだ。この回は大僧正の話をまとめたもの。これも
 オレじゃないかな。ほんとに大僧正が愚依してるね。いま読んでも面白い!」
・矢野「スポーツや外国小説がテーマのものやアル・カポネの話もみんな
 島地さんの創作なんですね」
・島地「もちろん、そうだよ」
・矢野「このインタビューを読んでひっくり返る人、いっぱいいますよ。
 いま島地さんは『乗り移り人生相談』という連載をされていますが、
 まさに当時から大僧正に乗り移ってたことになりますから」
▼ 私もひっくり返った一人である。島地が今東光に憑依しないと、
 あれだけの名回答は出てこない。そうすると、この本の題名「知る悲しみ」
に通じてくる。「知らない悲しみより、知る悲しみの方が上質」としても、
読者の一人として、知らない方が良かったと思うのが人情。ここで紹介されて
いる「エロ・アーカイブ」は興奮した。飼犬の秋田犬と夫婦の3P?を生々しく
書いてあるが・・ 今度ここで紹介しようか?ー【スカトロ・マニア】犬の
ロッキーを恋人にした私の妻ーと検索すると出てくるが、お勧めはできない。
成るほど、「知る悲しみ」そのもの・・ 上質かどうかは別!
・・・・・・
4969,生まれたことをどう考えるか
2014年10月22日(水)
           「生まれたことをどう考えるか 」船木 英哲 (著)
   * 「生まれたことをどう考えるか」は、人生の根本的問いかけ
 学生時代から、この根本問題を考えてきたが、そう簡単ではない。しかし、
「何を馬鹿な!猿が生まれてきたことに意味があるかを考えるのと同じ。
意味など後付の理屈」と決め付けることもできる。この問いかけは、
「人生を如何に生きるか」に通じる。フランクルの「人は良く遊び、良く働き、
良く学ぶため生まれてきた」を一番気に入っているが、これに「良く休む」を
加えると、ベストに思えるが。実際、生まれてきた理由などないはず。
  まずは、ーアマゾンの内容説明よりー 
《 生まれるとはどういうことか、(生まれ、生きる主体である)心とは何か
 の問題を追うことで、人間や世界の存在を考察し洗い直し、生まれたことに
意味はあるのかどうか、意味があるとすればそれは何か、どういうものが
考えられるのかの問いに迫ったものである。・・(本文より)》 
 ーその一部を抜粋してみるが、最初から最後まで似たような内容が続くー
≪ ◇ほんのわずかな時間、意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの
 心臓や肺が動き、わたしが呼吸するということは、わたしが意識的に作り
出していることではない。わたしが眠っている、わたしの意識のない間も、
心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。わたしの意識の状態に
関わりなく、呼吸、さらに体温調節、消化、酵素の分泌など生命維持に
必要な営みは行われている。生きているということは、生きている各人の
意識とは別なところで成り立っている。自分が生きているということは、
根本的に自分が作り出しているようなことではない。
 ◇ わたしは生きるか死ぬかを選択し、その通りに実行することができる。
もちろん自ら死ぬという選択、実行には、多大な困難が伴うであろうが、
場合によっては、意を決し行うこともできる。わたしは現在生きる選択をし、
骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは自分の力で
自分の生からすべて作り出しているのではない。何かによってわたしが生き
られるような状況があるから、わたしは生きてゆけるのであり、生きるか
死ぬかの選択ができるような状況にもあるのである。
◇ わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、
100年前や500年前ではなく、わたしの生まれたときに生まれたこと、
他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに生まれたこと、さらには、
わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなく
人間であったこと、また、他ならぬこのわたし、この自分であり、わたし
固有のDNAをもっていること、死すべきものであることなどは、わたしの作り
出したことではなく、わたしに与えられたものとしてわたしにあることである。
わたしは今挙げたような制約の中、抗えない何かで生きることを決定付け
られている。生まれること、そして、どういうものとして生まれるかは、
生まれる者の自由にはならない。そして、わたしはいずれ死ぬように
決定付けられている。・・≫
▼ 生まれてきたことが偶然か、必然かの問題もある。この論は、唯心論の
人生感を面白半分に読むに丁度良い内容か。偶然生まれ、必然的に死んでいく、
ただそれだけと割切れないのが人生である。自分の人生は自分しか生きること
が出来ない。その自分の世界こそ、全てと考えれば著者の言わんとすることが
理解できるが。「ただ、生まれ、子づくりを楽しみ、死んでいくだけ」で、
充分と思えば充分だが。それでも、求めただけ、生まれ生きたことに意味が
出ることも確か。ところで、『なぜ、自分は生まれ、生かされたのだろう?』
・・・・・
4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!
2013年10月22日(火)
  * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手の
ファイナンシャル・プランナーの一言が印象的。「セミナーで、まず言う
ことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。スーパーに千円だけを
持っていき、買い物を一週間続けることを勧めています。それが出来ないなら
カゴを持たないで買物をしてください。カゴを持たないと沢山、持てないから、
どうしも買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものが
わかってきます。習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 
シビアな話だが、体で憶る第一歩。 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。
大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回のランチと、週一のシネマと、
月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの小遣い。 
元はといえば、出処は40年与えてきた給与の一部? で今や発言権は三分一。
 この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、ジーンズ二本、電動アシスト
自転車、iPad、7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分?こんなもの?
その都度、小言をいわれるが、さほど欲しい物がないのは年齢のせい? 
欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 財布には必ず?万以上は入れている。
使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、安いもの。
年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ そこで昨日、車に財布を置いて、
千円だけ持ってスーパーで買物をしたが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。
財産を使い切り、まず楽しみ、貧乏を楽しむのも面白いのかも。他人事でない、
自分のことか!それでも心はリッチ? 楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。
日々、是、好日、いや口実か。年金暮しも、楽むしかない。
・・・・・・
4227,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー2
2012年10月22日(月)
 * 饅頭は諸葛孔明のトッサの機転から生まれた    
           ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪ 饅頭の起源はなんと中国の三国志の時代にまで遡る。蜀の軍師であった
諸葛亮孔明は、ある地域で人の頭を人身御供として捧げ、川の神を鎮めるという
風習を目にした。これをみかねた諸葛亮は、機転を利かして、小麦粉の皮に豚や
羊の肉を入れたものを人頭に見立てて神に捧げ、いけにえの代わりとした。
これが饅頭のルーツである。それ以来、饅頭は料理として中国人の食卓にも
浸透し、主食の一つとして食べられるようになった。まんじゅうの「じゅう」
の字を「頭」と書くのはここからきている。当初は蛮人の頭の意味から
「蛮頭」が用いられたが、のちに「饅」の字を使うようになり「饅頭」になった
といわれている。諸葛亮が機転を利かせて誕生した饅頭が、日本に伝わったのは
一四世紀。1341年に宋から渡来した林浄因(のちに塩瀬姓を名乗る)が作った
「奈良饅頭」が、日本で最初の饅頭とされている。中国の饅頭は中に肉や野菜を
入れるのが普通だったが、浄因は肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮詰め、
甘葛の甘味を加えた館を入れた饅頭を考案した。≫
 ▼ まさか饅頭に、こんな起源が隠されているとは思っていなかった。
   
 * 海軍大将・東郷平八郎の注文で"誕生した肉じゃが  
           ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪東郷は、英国に七年間留学していたことがあり、日本に帰国してからも、
 かの地で食したビーフシチュウの味が忘れられなかった。日本でもあの味を
味わいたいと部下に調理を命じたが、明治時代の日本では、ビーフシチュウに
欠かせないバターやワインがなかなか手に入らない。そこで部下は、砂糖、
醤油、ごま油を使い、牛肉とじゃがいも、玉ねぎを煮込んでみた。こうして
でき上がったのが、今でいう「肉じゃが」だったのだ。ビーフシチューとは
似ても似つかないが、これが意外と美味であった。しかも、当時の海軍の船員
たちは長い航海のうちにビタミンが不足に陥り、脚気や壊血病になる者が
多かったが、じゃがいもや玉ねぎはビタミンが豊富なので、その予防にもなる。
当時は肉じゃがではなく、「甘煮」と呼ばれたこの料理は、まず海軍で人気の
献立となった。一般家庭に普及したのはずっとあとの昭和50年代に入ってから
のことだった。肉じゃがのルーツは東郷風のピーフシチウだったのである。≫  
▼ 肉ジャガが和風シチューのつもりで作ったとは、居酒屋ネタに丁度よい。
 ・・・・・・
3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)
 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで
取り上げたような気がして調べたら、「H0505 小説のような本当の話!」
というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、
それでは私というと、これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、
それは自分自身のことだから言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、
150あまりのショートストーリーは、それぞれの味がある。 
人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。考えてみたら、
自分が、いま、ここに存在していることが嘘みたいである。両親の出会い、
そして数億の精子と、卵子が出合うことも、両親の両親、そして先祖の出会い
の重なりの結果、はじめて現在の自分がある。そういう難しい話は、この本の
本題ではない。何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような
経験の披瀝である。 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、
私の世間話的なそれを書いてみる。 ー かなりショートにまとめてみた。
* 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を
 眺めると、カラスの一群と鳩の一群が入り乱れて闘っていた。見ていたのは
 数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、滅多にみれるものでない。
 「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
* その頃の話だが、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれて
 いた身体はデカイが、幼さの残っているゴールデンリトリバーと、偶然に
 目が合った。思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、何と、その犬も右手、
 いや右足をあげた。オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ち。
* 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルに
 ある燕の巣に、越冬の留守に雀が住んでいた。そこに春先に燕が帰ってきて、
 その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に出くわした。雀には、多く
 の仲間が遠くからピーピーとけたたましく騒いでいる。数分で、見届けないで
 散歩を続けたが、翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。
 驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。
   とすると、初めての体験、経験は「嘘のような出会い」になる。


5333,ノンセンス辞典 ー②

2015年10月21日(水)

       〜BRUTUSの「谷川俊太郎」ーノンセンス辞典〜
  
≪ ・【思想】= 思いつきの別名。その思いつきが新奇であればなおいい。
  たとえばひとりの子どもが、〈空は青くないよ、空は茶いろだ〉と言えば、
 あの子には思想がある、というふうに用いる。思想を体系化しようと試みたり
 思想に生命を賭けたりすることは、今日では邪道とみなされている。
 ▽ 思想を思いつきとは言い得て妙で、本来、そんな大げさなものでもない。
 カントの〈コペルニクス的大転換の『対象に認識が従うのではなく、
 認識が対象を従える〉も、初めは思いつきだったのだろうか? 
 過去、現在、未来の時間軸を入れると、直感でわかることだが。
・【文化】= 蝿が一匹もいないこと、または蝿が適度にいること、
 または蝿が無数にいてもちっとも気にならぬこと。
 ▽ 蝿がいるのは、それが発生する環境があるから、気にならないのは、
  慣れてしまうこと。それも文化?
・【前むき】=頭部を前方にむかって固定した状態。人によってその頭部が
 やや左へ、或はやや右へ傾くことがあるが、後さえふり返らなければ、
 三六〇度どの方向をとっても、前だと言える利点がある。
 ▽ 「前向き」の人とは、人生を振り返っても、慙愧の念に捉われない人。
  振返ると、そこには後悔することばかり、「今、ここ、私」の垂直の
 瞬間には前向き方が、遥かに楽である。
・【ミクロ・デス】= メガ.デスの反意語。メガ.デスは、他人が大量に死ぬ
 ことを意味するが、ミクロ・デスは、自分がたったひとりで死ぬことを意味する。
 ごく最近の新造語らしく、用例はまだ見当らない。
 ▽ 誰もが最期は独り、ミクロ・デスで終わる。孤独死は万人のもの。
・【わいせつ】= 写真、絵画等に描写された陰毛を、黒インク等によって
 抹消することにより、消滅すると考えられている人間の基本的属性。
 常に快感を伴っているが、快感を不快感とする事実誤認の例も少くない。
 ――
『狂気なしでは、何事も成し遂げられない』ーエヴァ・ペロン
 (アルゼンチンの政治家1919〜52年)の言葉がある。
 ここで思いついたのが、以下のノンセンスな言葉!
【創造】=創造をなす新しい着想は、既存からみたら狂気であり、
それを全身全霊で成す行為は己を凶器にする覚悟がなければ進まない。
〈創造は、狂気の着想を凶器になって体現すること〉というノンセンス
の言葉が成り立つ。その結果、<お前は一体、何をしてきたというのか!>
の後悔の念が苛むこと。一番の苦悩は「何も手ごたえがなかったこと!」
・・・・・・
4968,閑話小題 ー女のカースト制度
2014年10月21日(火)
   * 美人カースト制度
 先日のTVのトークショーで、ある女性タレントが、女世界の
「美人カースト制」の存在を話していた。言われてみれば成るほど! 
『女社会には、美しさの三角形をなしたカースト制があり、美人ほど、
その階層が高く、歴然とした序列が決まっている。美人は同レベルの人
だけで仲間をつくり、それ以外は仲間に入れない。入れると、僻み妬みが
入りバランスが崩れるため。』とか。女という生きものは、自分を引き立たす
ため、少し劣っている人を仲間にすると思っていたが・・ 女性職場の経験
からみて、思い当たる節がある話。特にギャルまでは、美しさが大きな価値
判断になる。それまで育ってきた過程で、彼女らには値踏みが付いてきたし、
自覚がある。美人かどうかは、両親からの問題(親の因果が子に報い)だが、
これは本人には、どうにもならない運命の問題。私の姉4人は美人系だったが、
顔と身体の均整が取れているだけで、それが何?でしかない。が、独身時には
うら若い女性となると、全く違って見えてくる。 初対面の女性同士はまず、
相手の年齢や服装や住所やバッグなどの持ち物から「相手のレベル」を察知、
自分に近いかどうかを判断してから付合い方を決めてくる。  
 女カーストには、他にマンションカースト、ママカースト、
 ヒルズカースト、キャリアカースト制度がある。
◎マンションカーストは、住んでいるマンションと、住んでいる階層で、
◎ママカーストは、旦那の社会的格付けで、
◎ヒルズカーストは、そのヒルズ(丘の上の住民)のレベルで、
◎キャリアカーストは、職場などの、キャリアで格付けされる。
面白いといえば面白いが・・ 逆に超越さえしてしまえば、本当に楽なだが・・
それにしても、美人カーストの存在とは、面白い! で、往年の美女? 
その後、どうなった? 年齢でバランスを崩してしまえば、ただの?? 
だから、コンプレックス広告に引っかかる。バランス修正で世界が一変する
なら、韓国みたいに、どんどん整形すればよい! 即席で、化粧があるが、
見慣れてしまえば、皆、同じ。いや、そうでもないか? 
まあ、娑婆は面白い! 石も集まりゃ、砂利だが。
・・・・・・
4601, 読書という体験  ー3
2013年10月21日(月)
          「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝著
 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を
受講者自らが選び、直接、受講生同士が、情報を交換させる方式。一長一短が
あるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りー
《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、
 明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなかいい線まで来ている。
読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の
読書しない基準は、一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに
何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も30%を超えるほどになった。
やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきて
もらい、それを持って教室内を自由に動き回り、学生同士で情報交換をして
もらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ
刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、
自然に読書欲がかき立てられる。おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくり
にはもってこいだ。「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。
私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切ることにして
いる。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、
知識に対する「あこがれ」の熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に
火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい影響
を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに
紹介する先生がいた。本を律疏むことがどれほど楽しいことであるかが、
その話しぶりや表情から伝わってきた。本は買って、線を引きながら読むもの。
本は自分のものにすることが大事。全部読み切れなくても気にすることはない。
途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。
並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。量が大事だ。人から借りた本
は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。
本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせ
ながら読んでいるものだ。...》
▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、
 この直の方法を兼用すれば、更に良い。その点、私たちの時代より、現在の
方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを
持たせ、イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、
交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、のと同じ。一二年間、
このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、
励ましてくれる要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。
それも同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、読み方、受け止め方、
すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開
して欲しいが。何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は
勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。

・・・・・・
4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1
2012年10月21日(日)
 このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。
身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、習慣から衣食住の由来を
面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。
  * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章         
             ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
 クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。面白いもの。
≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の
 形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァとオスマン帝国(トルコ)の
戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍が
トルコ軍を退けた証である。一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都
ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、
業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて
侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに気づかなかったが、地下から
聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを
焼いていたパン職代たちだ。パン職人の通報によりトルコの急襲を知った
オーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。
喜んだ皇帝は、パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちが
その返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。
その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形
がクロワッサンの定番となっていった。ただし、そのころのクロワッサンは
まだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、
オーストリアの皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行した
パン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、一九二〇年代の
パリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ 
▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。
トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄をパンの形にして、
それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、
歴史に触れることになる。
・・・・・・
3861, スポーツジムの景色 −4
2011年10月21日(金)
  * スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 
自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、何気なく見て
いるだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えて
いる人から、私のように健康を兼ねたレジャー目的の人など様々である。 
少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午
までの二時間、滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売
仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、男は60歳以上
のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる
女性仲間の社交界の場的要素もある。といって、男の私が肩身が狭いことはない。 
自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知って
いたら、10年前から入っていたはず。パソコン教室も、スポーツジムも、
サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを
人的気づかいなしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 
私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。エアロビでは、プロ
のインストラクターが指導するプログラムが多く、若い男のインストラクター
の追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を
仕事などでこなしているので、こういう場では、一会員として群れることなく運動
をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 
とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。3・11の影響が、大きいのは
何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、
一見華やかに見えるが、給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプアの
要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 
半年少したって、効果はといえば、大有り。足腰が、この数年来衰えたと感じて
いたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。
何事もまずは半年。
 ・・・・・・・・
3496, お金の教養 −2
2010年10月21日(木)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 * 一番の無駄は生命保険?
 ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から
月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。年にすると36万に
なるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり
終身保険は2千万の買い物になる。それを、「月額3万円」の分割払いをして
いるだけのこと。保険屋の甘い言葉につられて、考えないで印をおしてしまう。
30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は
何と360万円になる。それを年利5パーで運用をすれが500万近くなる。
 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、
ずっとましである。年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で
万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、合計年間
10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。
もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した
悪徳商法ぐらい知っていたからである。
 * マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? 
                (以下の半分は私見が入っている)
 一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生
かけて購入しなくてはならない。しかし、その購入に対して少しも考えない。 
少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、業者は
土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。
考えなければならないのは、これから。それは売り手の論理。買い手は、買った
と同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品、一年一年古くなる。
捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてる
のと同じ? それでもマンションに住みたいなら、中古マンションの掘出し物を
数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、
駅から数分の、競売物件とかである。中古の場合は、新興業者だけは避けるべき。
住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついてまわるから、年月に
耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に
多くみられた「穴吹工務店」「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、
既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。
更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分1か、5分1である。
(例外もあるが・・) 私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を
勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。だから買うなら
若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる
矛盾が現れる。他人ごとでない? 娑婆は、幻想でなりたっているから、
夢を買うのにケチをつけるこはないが・・・


5332,閑話小題 〜人生のリハビリ

2015年10月20日(火)

   * 人生のリハビリ
 会社清算から4年半になるが、現時点の実感は、その結果のリハビリより、
「創業の準備を含めた事業人生45年間で歪んでしまった異型の自分を一度
リセット、本来の人間性に戻すべく、再出発の日々を過ごしている」という
ところか。 資本主義という拝金主義から、一度離れて、地球上の大自然、
身近な自然、文化・文明を見直し、せっかく訪れた地球を改めて見直し、
人生を振り返り、味わうために、現在の自由な時間を与えられていることに
気づくことだ。リセットは、こういうものか。 ある意味、人生で一番、
落ち着いた時である。異型があるから、今がある。
   * ぬるい幸福は人を駄目にする
 「ぬるい幸福は作家を駄目にする」という作家の言葉があるが、これは万人
にも言えること。そのぬるい幸福を私たち凡人が目指しているのだから・・
「そのどこが悪い!」といえば、それまでだが、その人は、そこまで。
人の一生は、常に変化する社会と、時代の中で、「変化、闘い、挑戦」が
間断なく押し寄せてくる。考えてみれば、ぬくい幸福などは束の間の幻想。
今が、その「ぬるい幸福」の時かも。しかし、その一瞬の味わいが、
人生の味になる。 今さら駄目でも何でもよい!ぬるさが一番である。

・・・・・・
4967,閑話小題 ー夜半、4時間の熟睡の後
2014年10月20日(月)
   * 4時間の熟睡後に
 以前から20時半に就寝するようになったが、熟睡後、目が覚めるのが
0時前後。一度トイレに行き、水を飲んで床に就くが、その辺りに家内も就寝。
ところが起床の4時まで、半睡と覚醒が交差するが、この時間を楽しめないかと
長年かけ工夫している。臨床心理士によると、「布団の中の考え事は、たいてい
考えすぎ。とりあえず起きて、トイレや、水を飲んだりして体を動かすと良い」
という。私は既にトイレも、水も飲んでしまっているので、その時間を苦痛と
思わないようにコントロールしている。その一つに、この随想日記のテーマや、
内容を考えたりしているが、マイナーの考えを厳禁にしている。それでも時に
不快いに思うと、煉獄につながれた状態?になる。「このボ〜ッとして状態こそ、
最高!」と、心に言い聞かせていると、そう思えてくるから不思議。週2〜3回
のヨガで、最後の5分間の「死者のポーズ」で、大の字になり全身を脱力をして
横たわるが、その感覚を思い出し、宇宙の一点に独り漂っているイメージを
持つようにする。これを楽しめるかどうかが、問題でもある。
で、このところ一種の瞑想状態になっている。
 もう一つの問題は寝返り。一晩に大体20〜30回、寝返りをうつというが、
寝返りは、その日の身体の動きから生じた歪みを取り除く無意識の体操でもある
という。成るほど、寝返りの多い日は、終日、机やテレビの前でジッとしている。 
仰向けの姿勢が良いとされているが、仏様の入滅の時の右側向きを子供の頃から
とっている。胎児が子宮内にいる時が、この姿勢という。数年前から低反発の
クッションと枕を使い出してから、眠りが深くなったが、これはお勧めである。
・・・・・・
4600, 読書という体験  ー2
2013年10月20日(日)
         「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 教養を培う〜②  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
 週に一冊、著者の指名の文庫本を読ませ批評文を提出、そして討議する
授業が良い。大学一年時に、このようなゼミを受けたと受けなかったでは、
学生時代、いや人生が大きく変わってくる。これからして、良い大学に入って、
良い教授、良い友人に触れる必要がとってとれる。人生、良い書物を通じて、
時空を超えた人物の魂から学び続けることだ。
  ーその辺りを抜粋する
≪ この危機感で、私は大学で八年前に読書ゼミを始めた。
 主に一年生を対象に週90分、半年間のゼミは、以後毎年開いている。 
学生向けの開講科目便覧にはいつも次のように書く。
【主に明治時代に書かれたものを読む。毎週、一冊の文庫本を読み、それに
関する感想、印象、批評を書き、授業時に提出する。授業時には、その本の
内容について討論を行なう。提出された文章は、添削され、コメントを付され、
翌週の授業時に返却される。ゼミの目的は、読書に親しみ、作文能力を鍛え、
論理的思考力を高めることである。受講条件は、文庫本を週一冊読むだけの
根性、および文庫本を週一冊買うだけの財力。】
 これだけで毎年、定員二十名をはるかに超す受講希望者があり、
コンピューターによる抽選が行なわれる。読書好きの学生が四分の一くらいで、
残りは、これまでほとんど本を読まなかったからこの機会に、という学生。
読書好きはもちろん、読書不足を反省し一念発起した学生も、見込みある学生
といえる。読書などどうでもよいと考えている大半の学生に比べ、かなりレベルは高い。
 学生に読ませる本は私が独断で決める。初期の頃は、私自身の読みたい本を何冊か
入れたが、よく知られた本でもがっかりするようなことがあり、今ではすでに読んで
感銘を受けたものから選ぶ。 ここ数年の定番は、新渡戸稲造『武士道』、
内村鑑三『余は如何にしてキリスト教徒となりし乎』、福沢諭吉『学問のすすめ』
および『福翁自伝』、山川菊栄『武家の女性』、宮本常一『忘れられた日本人』、
無着成恭編『山びこ学校』、日本戦没学生記念会編『きけおだつみのこえ』など。
 定番がどれも岩波文庫であるのは少々不公平で少々シャクでもあるが、
それらがそこにあるのだから仕方ない。良書を集める伝統をつくった、故郷の
大先輩、岩波書店の創業者岩波茂雄の卓見なのだろう。定番の一番バッターは、
決まって『武土道』である。外国人に「日本で宗教教育はしていない」と言った
新渡戸は、「それでは道徳教育はどうしているのですか」と反問され、答えに
窮した。キリスト教を中心に道徳教育を与えられる欧米人に比べ、日本人の
道徳水準はまったく劣っていない。熟考の末に外国人のために英語で著したのが
本書である。 テレビと受験勉強に追われ、コクのある本をほとんど手にした
ことのない学生達は、覚悟の上とはいえ、かなりの苦痛を感ずるようである。》
▼ 人生を振り返り、多くの本と、色いろな体験をしてきたが、つくづく頭の
 硬さを感じ取っている。万人が、馬鹿の壁に囲まれているが、特に自分は硬い
壁に囲まれていると思うと、それが見えてくる。私は、ノートを纏めるのが苦手。
で、やっとたどり着いたのが、これらブログと、10年日記と、ダイアリー。 
それも55歳になってから。学業としての頭が良いかどうかは、ノートの記録と、
活用にあったようだ。その意味で、他人からみたら御苦労なことだと思われる
かもしれないが、私にとって黄金の習慣になっている。 これさえ書けば、
一日ヘラヘラした何事も、それぞれ楽しめる。『私という墓場』は、
そのまま外に出るから恐ろしい!  
・・・・・・
4225, 閑話小題 ー青竹エアロ
2012年10月20日(土)
  * つれづれに ー青竹エアロ
スポーツジムの話。円座に置かれた6台の運動マシーンと、その一台置きにある
ステップ台をインストラクターの誘導で12人が一同にするエアロを連続二回と、
週二回の「スローヨガ」が私のベース。それに時々、ランニング・マシーンと、
ステップ台エアロを加える。 スタジオでは、常に何かプログラムが行われて
いるが、どうも30〜50人の合同でやるのは苦手である。ところが、
先日、何気なくスタジオに目をやると、青竹踏みエアロ?が見えてきた。
ヨガ用マット上に青竹風プラスチック台を置き、音楽に合わせて上がったり
下がったりしている。そこで、どういうものかと参加してみた。これまで何度
か青竹を買ってやってみたが、数ヶ月も続かなかった。このプログラム、まだ
始まって三回目だが、30人の定員は満員。「初めての人は挙手を」に対し、
何と三分のニの人が手を挙げた。 中央に5センチの半円があり、その両側に
一cmのボツボツが50個、その外側に数ミリのボツボツが並んでいる。
その三箇所を交互に音楽に合わせて乗ったり降りたりする。少し痛いが我慢
出来る範囲で、10分もしないうちに汗が吹き出てくる。 終わって数時間
経った後に身体全体が軽く感じてきた。 週に一度参加するにベストのようだ。
 ところでスポーツジムも、日常生活の一部になっている。雰囲気が明るいのが
よい。ジムも競争が激しいようで、改善していないと、他のジムに客を取られる。
私のように皆勤に近いのは、一日、三百円でしかない。 一時間5百円の価値は
充分ある。私は二時間滞在しているので一日につき千円、20日で二万円の価値
の実感がある。ヨガは月に7〜8回は参加しているので、それだけで元が取れる。
会員で殆んど来ない人と、日曜日参加の人が多いので成り立つのだろう。 
その割に軽い腰痛は治らないが、それでも足腰が軽くなっている。 
ところで青竹エアロ、殆どが裸足だが、水虫、感染しない?
・・・・・・
3860, インコの芸
2011年10月20日(木)
 我家にきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けて
あるが、時々、狂ったように攻撃する。しかし錘で、その都度、棒を一回転し
元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転している。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転する
ようになった。 また籠から離れようとすると、回転を何度もし、傍にいて
欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示
が、棒を回転する芸で注意を引くことが加わった。一年前に飼っていた中型の
コガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、オウム科で最小
(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。幼鳥のうちは
大人しかったが、最近になり、その個性を見せ始めてきた。 気を引こうと
何度も何度も枝を回転する姿に愛情がわいてくる。 最初はペットを毛嫌いして
いた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・
インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。それもあり冬に向かって、
このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬
する能力に驚いてしまう。 このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、
起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、インコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は
壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、籠の中を狂ったように
飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、
私が車で帰ってくると、感知する。駐車場を一台貸しているが、それには全く
反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ」が面白い。
・・・・・・・
3495, お金の教養
2010年10月20日(水)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。学校では「学問教育」
と「職業教育」は教えるが、その取り扱い方は教えてくれない。 日本は
「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、お金について
教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮が日本である。
学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」
を受け取ることはない。実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。 
お金に対する能力とは、「貯め方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、
「与えること」。「(小さなお金の)使い方」「(大きなお金の)使い方」
・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、
 これは以前から言われていること。
・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・
 サービスかを考えよ。
・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、
 1、お金の管理する仕組みを作る  2、6:2:2の法則  
 3、領収書の分類
2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、そして最後に残り
を使う法則をたてよ、である。領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれ
をスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら良かった。
 ▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、
「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に
 使わないと、それは通帳の数字でしかない。そこで、40歳から60歳まで、
年間に???万は使い切ることを決めた。そうすると使えるのである。贅沢できる
金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、
こういう時代になり、また歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。
気力、体力、金力、時代背景、環境などが揃ってないと、そうそう続けることは
出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。 最近は、こういう類の本が書店に
多く並んでいる。しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか
難しい!やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。
 ・・・・・・・・・
3120, 再び、読書について  2009年10月20日(火)
  * 書斎は未来の図書館
  森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。
≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて
 本棚に飾ることと確信している。実際に本を読むのは、いつかでいいのだ。
 書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。 ≫
  全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で
 過ごしたはずである。本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で
 手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。書斎を、そのように位置
 づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。
 決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、
 充分に幸せのはずである。 開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところが
 ある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく歩いていても、
 たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」というが、
 そうして買った本を書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 
 あまり本を読まない人にとって、読書をするのが勉強をすることと勝手に
 思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、集めた本棚の本を、
 独りで早朝や深夜に読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの
 安住の場、かつ別世界に浸る時間になるのである。 ショウペンハウェルは、
 彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識で
 なければその価値は疑問で、量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた
 知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理を
 ものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する
 必要があり、この手続きを経て初めて、自分自身の知識が完全な意味で獲得
 され、その知識を自由に駆使することができるからである。」と語っているが、 
 それも独り、書斎の中で考えてこそ可能になる。
  選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、
 その一連で読書は成り立っている。旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、
 そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。
  その中でも、読書は必要欠くべからざることである。


5331,ノンセンス辞典 ー①

2015年10月19日(月)

  BRUTUSの「谷川俊太郎」の中の、ノンセンス辞典〜の、
 言葉の解説が面白い。 (▼は、私の意見)
≪ 【生ぎざま】= <生きかた>の商品名。
 <生きかた>を販売する場合には、この商標をつける方がよく売れる。
 但し、最近は投げ売りする者が多いので、先行き不安。 
 ▼「生きざま」というと、「生きかた」を少し生くさくしたもので、
  経験が加味された響きを持つ。
・【偽善】= 二十世紀後半においては、誠実の同意語とみなされているが、
 次のような古典的定義に固執する学者もいる。
 すなわち、偽善ーうそをついていると気づかずにうそをつくこと。
 誠実=うそをついていると知っていてうそをつくこと。
 ▼「誠実な人」という言葉に何やら欺瞞が隠されている。
  「偽悪」という私の好きな言葉もある。「露悪と偽悪」の区別も
 つかない連中に、目くらましにするにうってつけ。 
・【土着 】= 自分で自分を鉢植えにしている状態。肥料として人糞を
  用いることは稀。民族的肥料、文化人類学肥料を混用することが多い。
 ▼ 地元から一歩も出ないで、その社会を全世界と信じて疑いを持たず、
  鉢の中で良しとしている人。島国の日本も、鉢とすると、土着国家の
 住民が日本人ということになる。大陸の中国人からしたら日本は
 「小国民」と蔑視をしたくなる。その鉢が城下町となると?
・【知識人】= 知識についてはあらゆる知識をもっているが、知識でない
 ものについては、なんの知識ももっていない人。
 ▼ 境目は、その自覚が出来ているかどうか。知識でないものの一つに、
  「未経験」がある。それに対する姿勢、考え方が大きく、左右する。
・【情報】= 人間が本心をかくすために、まわりに煙幕の如くはりめぐらす
 膨大な量の知識。その量が余りに大きいので、当の人間すらその奥に
 かくされている本心を見失ってしまう。ほんとうの〈知〉と異り、しばしば
 売買や盗難の対象となるところから、商品の一種と推定される。
 ▼ 奥に隠されている本心すら、自分自身が知らないから始末が悪い上に、
  情報を、知識化出来ないため始末が悪い。
 ―――
 今度、皮肉たっぷりの「私のノンセンス辞典」でも作ろうか。
・・・・・・
4966,閑話小題 〜ある男の動揺
2014年10月19日(日)
   * 80までは生きれると思っていたけど!
 ある飲み会で一年ぶりに出会った男が出会いがしらに、
「最近、切腹をした。もう長生き出来そうもない。片足、いや両足を
棺おけに入った。80歳までは生きると思っていたけど!」と悲鳴。やり手?
だが、人の弱点を見ると見境なく攻撃をする性格で、三年半前の私の倒産劇
以来、三度の会で、続けて露骨な嫌味を言っていた。三度目の会で、目前の座席。
早速、私への攻撃が始まった。「俺は学が無いので、哲学などは分からないが〜」
と、薄笑い。その言葉には(その様は何だ)との皮肉が込められていた。
それまでの二度は、聞き流していたが、この言葉にはカチッときた。 
 5年程前の話になるが、本人の趣味の茶器づくりが認められ、銀行のロビー
に飾られ本人が有頂天だった頃、その人と親しい知人から、「あの男、私生活も、
茶器づくりりも、仕事もスランプらしい」と聞いていた。たまたまポタリング
をしていると、車が停まり、当人が話しかけてきた。それが偶然、本人の会社前。
「まあ、お茶でも飲んでいけや!」と誘われるまま、事務所に行ったところ、
応接室に茶器が並んでいて、素人としてはナカナカの出来栄え。
「何でもよいから一つくれないか」というと、快諾。その数日後、自慢の豪邸?
に家内と行くことになった。その時の茶器の御礼に何かと考えた時思い出した
のが彼のスランプ。初心者用に噛み砕いた哲学を説く池田昌子の
「14歳からの哲学ー考えるための教科書」を持っていった。それを逆手に
とって、皮肉を言ってきたのである。酒の勢いもあって「茶器は、作者の魂の
顕現そのもの。 あなたが茶器づくりなどでスランプというから、ヒントにと
本をあげたのだ!スランプ解消には『魂そのものが何か』が分からなくては
ならないはず・・ 『魂を叩き込むとは、自分の持っている全てを作品に
叩きつけることだろう。』」と、怒鳴りつけていた。 其処にいた、
ほかの何人かも、私の言葉に同調。その直後、幹事が会の予算が足りないと
当人に資金補助を頼みに来たところ、内ポケットの数万を私の前に投げつけた。
もし金に貧していたら深く傷ついただろうが・・ あまり経験出来ない面白い
遣り取り。それから一年ぶりの再会で、これ。 余命数ヶ月?に感じられた
深刻な様相だったが、それは恐ろしいだろう! 哲学の最大の問題は「死」。 
 余命を突然告げられ、まず考えるのが、 
☆死ぬとは、如何いうこと?
☆自分が本当に消え去るなど有得ない!
☆自分の生き様は、これで良かった? 等々、心は七転八倒。 
 最後の最後は当人の心奥の問題だが。 去年の5月の随想日記、
4429,ー「死ぬのが怖い」とはどういうことか?ー前野 隆司著の
「死の恐怖を克服する七つの登山道とは」を読めば、少し気が休まるだろうに。 
 こういう類は予習しておくしかない。他人事でないのが、この内なるブラック
スワンの死の問題。 先日、ある30人位のデナーの席で、三年前に旦那を
亡くした還暦過ぎの女性と、70歳過ぎのアマチュアカメラマンと、私の家内と
同席をした時の話。還暦過ぎの女性が旦那を見送った具体的話題をして、
本人もガン持ちと告白した。その女性が私に「変な話をして御免なさいね!」
というから、「別に全く問題はないです。この年齢になら言葉として表現するか、
しないかですよ」と、答えた。70過ぎのカメラマンも奥さんを最近見送り、
自分も何時、再発するか分からない、と達観?した様子だったが、内面は
穏やかではなさそう。即興になるが、「男は黙って、サッ、コロ、キエル」。 
そして誰も居なくなる。死の問題、一に準備、二に準備!である。
こういう話は、語りだせばキリがない!
・・・・・・
4599, 閑話小題 ー座りオシッコの話
2013年10月19日(土)
  * 座りシッコの話
 昔は無かったスタイルに、「洋式便器」での男の「座りオシッコ」がある。 
二年ほど前になるが、TVのバラエティーで、「男の洋式便器のオシッコの
使用時に、周辺に撥ねちらす量が思いのほか多く汚い」ことを、テーマに
していた。その飛び散るさまを色付きの水で、同じように放水し、周辺に
飛び散った水滴先を実証してみせていた。それを見た家内が、「今日から、
あなたも始めて!」と強く言われて数回、試みたが、何かオカマ?みたいで、
数回で止めた。でも、注意をしてみると、やはり? 数ヶ月前にみたシネマで、
老妻に先立たれ独り暮らしを始めた主人公が、一度、座ったが、もういい!と、
立ちスタイルで始めた姿が印象的だった。近くのスポーツジムに通い始めて
二年半になるが、盆暮れと祭日を除いて週5日間の昼間、休まず通っているが、
数ヶ月後に気づいたのが、男子更衣室の洋式トイレで、前の人が使ったあとの
下蓋が下りたままが多いこと。 ところが、日が経つにつれ、その頻度が
多くなってきて、今では三分の一。これからすると使用後、上蓋を下げる
人もあるから、半分近くが座りシッコをしていることになる。当初は、
こんなところで、何?をすることもないのに!と思っていたところに、
例の映画をみて成るほど!と気づいた次第。で、最近、家では心掛ける
ことにしたが一週間もすると、当初の抵抗感がなくなるから不思議。 
それも中性化の一つか? 最近の子供は自宅では殆ど?座りスタイル?  
で、私は自宅ではするが、SJで、しないのは、実際にジムでも実施して
いる半数の人と比べ、公共心が劣っていることになる。でも、あそこで、
座る気も起きないが。
  * 二代目・電動アシスト自転車
 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入して
から、一ヶ月足らずになる。これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、
今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの普及もあり、全体的
にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った
中国製。やはり故障続きであった。しかし、電動アシストの楽しさは十二分に
味わうことができ、既に1万キロは走った。冬期を除いた毎朝、一時間、年間
200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。
実感としての価値は、300円〜500円はある。で、新しいクロスバイクは、
値段が二倍、一日200円になるが、価値は充分にある。雨の日にスリップして、
転倒したが、車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。毎朝、
10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。クラッチを最大の重さ
にして、電力を使うパワーにして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。
少しオーバーに表現すると、地上を走る車輪付きのグライダーか、水上を走る
ミニエンジン付きヨットという感覚である。で、兼用して乗るつもりだったが、
一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引取って貰った。
・・・・・・
4224, 閑話小題 ー地軸様 
2012年10月19日(金)
   * 地軸様
 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の
上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。大きく息を吐き出しながら
シャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。
そして、そこから大きな息を吸い上げながら立ち上がり、今度は空に向かって
気を吐き出すイメージで息を出す。それを一回につき7〜8回、続けていた
ところ、擬人化した地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」
「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、
「よう、昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いも
よらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と
「即自」の、掛け合いになる。ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な
道路拡張工事が始まり通行止。そこで違うコースを迂回して歩いているうち、
電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋
を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。三年前のことである。
それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。
ところがチャリだけでは、物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリを
しながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。
「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時
は360度のパノラマを味わえよ!」、「もっと深い呼吸をしな!」
「自分にせっかく出会えたのだから、エネルギーを、もっと吸い上げろ!」、
「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、
感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ)とか、なかなか面白い。 
スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら
運動している時などイメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した
地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。
知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、
私にとっては、20年以上の対話の過程がある。自分の魂を擬人化した「真魂様」
でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。
問題は意識してやるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、
このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。
 ・・・・・・・
3859, 釈迦でさえ非難される
2011年10月19日(水)
 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐った
ものを与えたとして、それを私が受け取らなかったら、それは誰のものになるか
考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。それが、私の答えである」と
言ったという。この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 
要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、その人自身の問題を投影している
に過ぎない。それをマトモに受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負って
しまう。要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、他人の傷口
から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。釈迦の言葉には
納得できるものが多い。この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。
老年になると、無知は老害となる。
 ーーー
* 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。
* 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も
  非難される。 つまり、世に非難されない者はいない。
* もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、
  幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。
* 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、
  激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。
* 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、
  心は悪を楽しむようになります。
* 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来る。
* 他人の過失を見る必要はありません。
* 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事と
  しなかった事だけを見るようにしなさい。
* 自分で自分を、励ましてあげなさい。
* まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。
  そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。
*「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。 逆に
 「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。
▼《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 
 この言葉は、還暦を過ぎてからの生きる道しるべの言葉。
《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と
思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、上から目線で、教養の無さ
の目盛りになる。上記の一つずつが、日々の自分に対する戒めといっていよい。
 ・・・・・・・
3494, 金が高騰
2010年10月19日(火)
 ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス
900ドル代だった金価格が、先日1380ドルをつけた。何と二年で40%の
値上がり、年率で2割づつ上がっている。 国内価格は円高のため27%、
それでも値上り幅は大きい。ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドル
まで値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。8年前に金の
上場投資信託(ETF)が出来て、そこを通して機関投資家や個人の投資資金が
流入している。その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。リーマンショック
による世界金融危機が一番の値上がり要素。各国は危機乗り切りのため通貨を
ばら撒いたため、投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。
「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に売りを浴びせられる」
という説は、先日ここで書いた。  (字数の関係でカット2011年10月19日)
・・・・・・・
3119、久々のジョーク ー6
2009年10月19日(月)
▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる?    ひとつき
▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。
 「親方。この木、じゃまだから切ってしまいましょう」「待て!50年前、
 わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。思い出の木じゃ。
 残しておいてくれ」「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。
 じゃあ、あっちの木を切りましょうか」「待て!その初めての体験のとき、
 あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。やはり思い出の木じゃ。
 残しておいてくれ」「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手の
 お母さんにずっと見られてたんですか?」「そうじゃ」「お母さん、黙って
 なかったでしょう。何て言いました?」 「モー」
▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子
 トニーが、突然母親に向かって「おしっこしたい」と大声で叫んだ。息子の
 無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。「これからはおしっこ
 をしたくなったら『歌を歌いたい』と言ってごらん。そうすれば私はお前が
 おしっこをしたいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?
 うん、わかった。これからはそう言うよ」そして、その日の夜― 
 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。
 そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。何も知らない父親は
 びっくりして言った。「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢
 しなさい」 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、どうしても今じゃない
 とだめと言う。 そこで父親は仕方なくこう言った。
 「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」
▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に
 冒され、ひとり寂しく死の床についている男がいた。 突然、目の前に妖精
 が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたがかなえたい
 事を3つ言ってください」 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」
 そして、感激し男は続けた。「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」
 「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。
 「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」


5330,閑話小題 〜メガネ店に隣接したコンタクト専門店

2015年10月18日(日)

   * メガネ店に隣接したコンタクト店
 あと三ヶ月で自動車免許の書き換え。毎回、問題は眼の検査がギリギリ線上。
その都度、何とか合格してきた。70歳誕生日の免許書換えの法定講習会に
行ってきたが、その検査では今回は無理。レンズの入替えか、コンタクトか、
白内障手術かの判断。で、「メガネスーパー長岡店」に、問い合わせの電話を
入れると、一度、コールセンターにつながり、眼医者が、(週3日だけ待機)
する隣接するコンタクト専門店を紹介された。こうしないと、店単位の判断
のため、コンタクト隣接店の紹介をさせないための対策だろう。
 で、昨日、早速、紹介された店に行ったところ、強度から、メガネでも何とか
合格ラインのレンズにすれば、クリアするという。そこで、コンタクトのコストと、
レンズの値段を聞いたところ、コンタクトなら3分の1という。コンタクトの選択肢
は考えてなかったので 判断は二日後に延ばすことにした。 ちなみに値段は、
一日使い捨ての30個入りのソフトコンタクト(乱視用)で、7千〜8千円。
コンタクトは20歳代に10年間近く使ったことがあるたって抵抗感はないが、
一つ位、クリアするレンズも必要?レンズの入替えか、コンタクトか迷うところ。
現時点ではコンタクトだが? コンタクト専門店で判断予定!
   * やはり原監督が辞意
 昨日のヤクルト対巨人戦は、20分位で他のチャネルに変えてしまった。
巨人の対戦相手を原監督の来年の姿を見たくないため、応援するのも複雑
な気持ち。原の監督年齢が、既に過ぎてしまっていたのは誰の目にも明らか。
今朝のヤフーのニュースに、<負けて決勝に進めなかった結果、辞意を表明>
と載っていたのを今朝になって知った。これで良いのだろう。ドラフトがある
ため、早々、監督の人選になるが、一時的に江川か、正当なら桑田か、巨人の
コーチ陣の中からか、この数日は面白くなった。原監督は、総括として、
歴代の上の部類に入る名監督である! 巨人のGMに留まるか、一度、
すべてを脱ぎ捨て、数年、休むか? やはり、一度、休むがよい!
・・・・・・
4965,閑話小題 ー誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
2014年10月18日(土)
   * 誇りを持つのはいい、誇ってはいけない
 誇りの持てない人こそ誇りたがる?それ以前に、誇りとは、どういう意味か。
ネット辞書によると、「その者自身の具体的な長所や美点に対する心理」
「名誉に思えること」 自信がないと、虚勢でそれを現出させがちになる。
隠せばこそ誇りとして、熟成されるが、ついつい、見せて誇ってしまうのが、
人間の性である。他人を見ていると、それが分かるが、自分のことになると!
誇りの逆が卑屈だが、これを、この言葉に当てはめると、
「落ち込むのは仕方がない、卑屈になるな」になる。 
ほおっておけば、老いるほど卑屈になるは!
   * 人と違う生き方は孤独のようだが、実りは大きい
 意識するしないにかかわらず、それぞれが人と違う生き方をしている。
ただ、人を意識しなければの話。スポーツジムのヨガに週2〜3回、二年半、
参加してきたが、少し暗がりの中で毎回のように言われるのが、
「各々のマットは、各々の全世界です。周囲の人を意識しないで、自分だけの
世界に入って下さい!」である。実際に参加していると、殆どの人が、忠実に
自分の世界に入りきっているのが分かる。人と違う生き方は、人を最小に
意識した生き方ということになる。その第一歩が、人と比較しないこと! 
その為には、まずは、自分の好きなことを長年かけて続けること。
それには孤独の世界を大事にしなくては。
・・・・・・
4598, 読書という体験  ー1
2013年10月18日(金)
      「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
 読書を体験として捉えるところが面白い。
それも色いろな分野の識者の体験談?だから惹きつけられる。
   ーアマゾンの内容 よりー 
【熱い気持ちで読んだ本で経験したことの方が、実際に経験したことより
 今日の私にとっては何倍も大切な思い出になっているのだ ―香山リカ
 「読書だって“人生経験”」(学者、作家、)ー ジャーナリスト、
 俳優など、三四人の多彩な筆者による、さまざまな読書という体験。】
 まずは、読んだことのある著者から取り上げていくが、
 特に藤原正彦の内容が良い!
   * 教養を培う  ―私の「読書ゼミ」 藤原正彦 
《NHKによる最近の読書調査を見ると、中学生.高校生がいかに本を読まないか、
 あらためて愕然とする。平均読書時間は一日に数分である。一方、テレビに
費やす時間は、平日が約二時間、休日が約四時間である。高校生三人に二人は、
一ヵ月に一冊も読まないという。読書以外に、文学、歴史、思想といった教養を
身につける方法はほとんどないから、このままでは早晩、日本は無教養な人々で
埋めつくされることになる。 教養がなくとも、日常生活をつつがなく送り、
幸せな人生をまっとうすることはできる。その意味で教養とは個人的なもの。 
教養がどうしても必要なのは、長期的視野や大局観を得たいと思う時である。
「長期的視野や大局観を持つとは、時流に流されず、いったん自分を高みに置き、
現象や物事を俯瞰しつつ考察するということ」である。このためには若いうち
から、「現状」を離れ大きな枠の中で人間や社会の本質に迫ることに慣れねば
ならない。そこで、時空を超える唯一の方法、すなわち読書により、古今東西
の偉人賢人の声に耳を傾け、庶民の哀歓に心を震わせる、ということが必要。
このような読書の累積が教養である。長期的視野や大局観は、リーダーとなる人
の絶対条件である。我が国の政治や経済政策がいつまでたってもうまく機能せず、
社会や教育が少しずつ荒廃していくのは、リーダー達の大局観の欠如による。
大局観がないと、常に時流に流され、右顧左眄し、対症療法に走ることになる。
大局観欠如の背景には、かつてあった教養主義の衰退、読書離れがある。
 リーダーだけが教養を積んでいれば、国民一般はどうでもよいかというと、
そうはならない。我が国が民主主義をとっているからである。国民の総意に
基づいて物事を決めるのだから、その国民に判断力がないと大変なことになる。
民主政治は衆愚政治になりはてる。 読書離れは、民主主義を最低の政治
形態にまでおとしめ、日本を滅ぼす。... 》
▼ この危機感から筆者は、大学で八年前に読書ゼミを始めた。主に一年生を
 対象とした週90分、半年間のこのゼミは、以後毎年開いているという。
この内容について次回に取り上げる。 武澤ゼミの武澤教授の指導に似ている。
事例の現象に隠されている本質は、かなりの読書量がなければ、理解不能の
ものばかり。基礎教養が、人格をつくり、それが問題を解決する。
私のゼミの事例研究の前の一年は徹底的に指定された本を読まされるが、私は
二年目からの参加。ひと月もしないうちに、己の絶対量の読書不足を自覚する。
二年目の彼らに全くついていけない。それが時間が経つたびジワジワ効いてくる。
それまでの読書の絶対量の不足。この自覚が武澤ゼミ、学生時代の最大の収穫。
 卒業時には、ノイローゼ気味でコンプレックスの塊になっていた。
特に都会生まれの学生は、読書の必要性を知っていて、絶対量を読んでいる。 
卒業の越年を真剣に悩んだ結果、社会生活に入ってから、毎日、二時間の読書を
 続けることを心に決め、それが現在まで続いている。そのことで、心の個室
を持つことができた。足の踏み場もないが・・ 
・・・・・・
4223, 神は妄想である ー4
2012年10月18日(木)
 神は妄想である ー4                        
  * パスカルの賭け  ー「神は妄想である」リチャード・ドーキンズ著
 学生時代に読んだパンセの「パスカルの賭け」を読んだとき、いやに納得した
ことを憶えている。と同時に「裸の王様の真の姿に目をつぶって黙っていた方
が得」という、いかがわしさも感じとった。イスラム教、キリスト教、ユダヤ教
の文明の対立が激しくなる中、無神論も、堂々と主張すべき時期に来ている。
パスカルの賭けも、あまり語られてないが、当然。 ーその辺を抜粋ー
≪ 仏の偉大な数学者ブレーズ・パスカルは、神が存在するという確率がどんな
に小さくとも、神の有無について間違った推測をしたときの報いには、かなり
大きな非対称性が存在すると考えた。< あなたは神を信じた方がいい、
なぜなら、もしあなたが正しければ永遠の幸福という利益を得るが、間違って
いたとしても、いずれにせよ失うものはないだろう。それに対して、もし
あなたが神を信じないとして、それがまちがっていることが判明すれば、
あなたは永遠の苦しみを得ることになるが、正しかったとしても、何の利得
もない。悩む必要がないのは明らかだ。神を信じなさい。 >である。
 けれども、この論証には、はっきりとおかしいところがある。信じるという
のは政治問題とは違って、あなたがどうするか決定できるものではない。
少なくともそれは、自分の意志で決定できるようなものでも、自分の意志で決定
できるようなものではない。私は教会へ行くかどうかを決定できる。
私はニカイア信条を唱えるかどうかを決定できるし、聖書に手を載せて、そこに
書かれているすべての言葉を信じると宣誓するという決定をすることができる。
しかし、これらの行為のどれ一つとして、私が信じていないものを実際に信じ
させることはできない。‘パスカルの賭けは、神を信じているふりをするための
論証でしかありえない’。そして、あなたが信じると主張する神は全知という類
の存在ではない方がいいだろう。さもなければ、神はその偽装を見抜いてしまう
だろうから。「何を信じるか」ということが自分で決定できるものだという馬鹿
げた考えは、ダグラス・アダムズの『ダーク・ジェントリーの全体論的秘密探偵社』
において、みごとにからかわれている。そこにロボットの電子僧侶が登場するが、
それは「あなたにかわって物事を信じてくれる」、労働節約型の装置である。 
 宣伝によれば、デラックス型は、「ソルトレイク・シティ[モルモン教の本拠地」
では信じないようなことを信じさせることができる」というふれ込みの商品だ。
しかしいずれにしてもなぜ私たちは、「神を喜ばせたいならば、しなければ
ならないのは彼を信じることだ」という考えを、そんなに簡単に受け入れて
しまうのだろう? 信じることの何がそれほど特別なのだろう? 神が親切、
寛容、あるいは謙遜、あるいは誠意という報償をくれるだろうというだけのこと
ではないだろうか。≫
▼ 「信じることで、神から親切、寛容、謙遜、誠意という報償を与えられる
 だけで、十分過ぎる」ことも確かである。信仰は自分で自分の首を縛るだけか、
長年の歴史に耐えた教えに『良心』を育て導く道理が入っているため信じるに
足りるか。キリスト教圏だった、自分の子供には無神論より有神論者を
選ばせるのは頷ける。亀井勝一郎の「愛の無情」でも読み返すか。
  ・・・・・・
3858, 幽霊を哲学してみる
2011年10月18日(火)
 先日、ある人と食事をしていた時の話題。
《 最近、自分には学校とか病院の前に屯をしている霊が見えることがある。
貴方のブログに、そういう感覚があると書いているが、このことを如何思うか? 
最近、気晴らしにパワースポットに行くのが趣味になっている。長岡には、
そういうスポットは何処にあるのか?》という内容。〜それに対し私の返事は〜
《 ブログに書いてあるとおり、38年前に父親が亡くなった時から10数年、
 シックス・センスが身についた時期があった。実際に経験してみて、こういう
ものかと思い知った。 子供の頃から両親や姉などが、幽霊の話を真剣な顔を
しているのを聞いて、他愛無い話と子供心に思っていた。ところが、父が亡く
なった直後に「父親の死にたくない不安の気持ちが夢の中で乗り移り、我に
返った時に、父親の魂が自分に乗り移ったような奇妙な経験」をした直後から、
幽体離脱や、奇妙な偶然の一致などが多く続くようになった。 これだけは、
実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味
を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、
何度も読み込むうち、霊の正体が理屈で分かりかけてきた。私はカレーを食べる
と汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり、カレーの
臭いさえしてくる。これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。 
それと、あなたが見える幽霊に似ている。そこに幽霊がいるのではなく、
貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、
シックス・センスは、その入り口で遮断される。人間の脳は、生物が20億年
かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。
霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。過去を振り返ると
分かることだが、我々は共同幻想の中にある。人生は幻想の中で浮遊していて
いるだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。そう見えるも
脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。
そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺
させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じ。
 たまたま、二年前の同月同日に「生きる幻想 死ぬ幻想−2」を書いていた。 
 ・・・・・・・
3493, 人生、よもやま話 ‐2
2010年10月18日(月)
 幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。まだ憶えて
いるのが、初めて海を見たときだった。長岡から当時の列車で一時間足らずの
柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に驚いた。 
同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊込みで遊びに
行っていた。 実家では店のビル全部が遊び場であった。また幼稚園に入って
から直ぐに何人かの友人が出来た。その一人が焼鳥屋の息子。
家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせて
くれた白モツの味は今でも忘れられない。その店(鳥梅)は、現在もある。 
そのうちに、郊外にプールが出来て夏になると通っていた。歳の離れた兄が
5メートルの飛び込み台の上から逆さまに足を持って 吊り下げられた恐怖心
は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。
その幾つかに家族で行ったり、一人でも行っていた。「チケンサマの祭り」が
多くの屋台や、植木の店がたつ。そこで一軒ずつを一日かけて見るのである。 
その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質、
三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを
買う楽しみではなかったが、普段には見れない珍しいものを見るのを楽しみと
していた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しいと思わないのは、
そのため。新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから
安上がり。骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと思ったことはない。
所詮は倉庫のゴミでしかないことを知っているから。美術館で見れば充分。
そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」というのは
肯ける。人生は記憶で彩どられている。


5329,自由とは幻想でしかない?

2015年10月17日(土)

      ー クオリア再構築 〜島田雅彦:茂木健一郎対談集
   * 自由とは幻想でしかない
 自由に対する脳科学者の「自由とは幻想でしかない」の切口が新鮮である。
現実に、囚人の自由に対する希求が果たして幻想か否か、何かから解放された
時の自由の実感が幻想かどうかは、解釈による。思いもよらない大自然の神秘
に触れて感動に打ち震えた開放感を何度も経験してきたので、その魂の自由も
幻想といわれても、何か納得ができない。 〜その辺りから抜粋〜 
≪ 茂木:今となって、大変シリアスな問題は、「自由」とは何かということ
 だと思うんです。自由競争の自由とは何なのか。そこに恐るべき深淵がある。
単純なことではないですよ、自由って。脳科学の立場からいうと、自由意思と
いうものは幻想としてしか存在しない。むしろ決まっているんです。
何かアクションを起こそうとする前に、無意識のプロセスでは選択肢はすでに
用意されてしまっている。アクションを起こすタイミングも決められている。
決定論的なんだけれど、意識を持っている「私」から見れば、自由意志がある
ように見えるというのが我々の公式的見解。自由というのは幻想なんです。
そこには枯れ尾花しかない。では自由競争、自由資本主義というのは何だろうと。
そもそも概念からして矛盾を含んだ用語です。にもかかわらず、いまだに多く
の人が、特にアメリカでは、自由競争やフリーダムをとても大事にしている。
島田:フリーダムとか個人主義とかね。個人主義はある特定の個人が儲ける
 ためのひとつの前提であり、いびつな原理だと思います。個人の自由が目標
のようにいわれるのは、アングロサクソンの世界観であって、古代の人間や侍の
生き方を振り返ってみれば、そこに個人はありません。個人は主人に捧げる
もので、そもそも個人主義を本当にいい出したら、誰も戦争に行きませんから。≫
▼ <ベルクソンによると、「純粋持続こそが自由の源泉である。通常、自由と
 いえば、選択の自由を意味する。 たとえば、ひとつの道を進んでいると、
その先が二つに枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進む
か自分の意志に基づいて選択できる。 そこに自由があるとされる。しかし、
ベルクソンにいわせれば、そのような分岐路を思い浮かべること自体が、
空間化された時間による発想であり、生命の自由な持続に即したものではない。
生命にとっての未来というのは、分岐路のようにあらかじめ存在するものでは
なく、現在において不断かつ連続的に創造されるものであるからだ。
したがって、自由とはこの純粋持続への帰一であり、その発現としての
純粋自我による行為」という>。
 感動、感激、感謝の最たる感情は、つかの間だが、その積み重ねが人生を
深め、豊かにしてくれる。この最たる(純粋)感情の蓄積が、純粋持続への
帰一に向かうことになる。14年以上続けてきた、早朝の、この文章書きも、
早朝の自転車散歩の習慣も、「純粋持続の帰一であり、発現としての純粋自我
による行為」になる。その結果が、自由なソリストとしての(歪な?)私がある。
・・・・・・
4964,閑話小題 ーオ〜〜
2014年10月17日(金)
   * オ〜〜
 驚き、感動の時の言葉である。人生の豊かさは感動の質量のトータルで
決まるといってよい。一瞬、「アッ」と息を呑み、それを吐く時に出るのが
「オ〜〜」。宇宙からの音が「オオ〜ム」というが、これに関係しているかも。 
以前に旅行をした時、ベテラン添乗員が絶景に差し掛かった時に、先導をして
「オオ〜〜」と言い、その後、全員に合唱させて笑いを取っていた。
それを何度か繰り返しているうちに、全員の共同感動の合唱になって、
これが感動を大きく振幅させてていた。 
  ーところで感動詞をネット辞書で調べると、
☆『話し手の感動を表す「ああ」「おお」の類をはじめ、呼びかけを表す
 「おい」「もしもし」の類 や、応答を表す「はい」「いいえ」の類も、
 文法的性質が同じなので、国文法ではこれに 含まれる。』 
☆『感動、応答、呼び掛けを表し、活用がなく、単独で文になり得る 語である。
 主語、述語、修飾語になることも他の語に修飾されることもない。』とある。
☆ 英語で 感動詞は
 Gerat! すごい!     Awesome! すごい!   Wow! わぁすごい!
 Terrific! 最高!     Cool! かっこいい!  Way to go! その調子! 
 Right on! バッチリ!  Good for her(him)! よくやった!
 YEAH! やったー!    Yee ha! やったー!  Alright! やったー!
 YES! よっしゃ!    Goody!! すごーい!!わーい! Whoopee ワーッ!
 Rah フレー!万歳!    Hooray 万歳!やったー!
 Zowie ウワー、ヒャー(大きな喜び)  になる。
ー以上だが、それまでは、「ウワ〜(凄い)!」「何(じゃ)これ!」
 「アア〜(凄い)」だったが、今度は、「オ〜〜」・・ 「Bravo」もいいが!
 感動、感激、歓喜の質量が、その人そのもの!  オ〜〜
・・・・・・
4597, そして、人生はつづく ー6 (そして、ゲームはつづく)
2013年10月17日(木)
   * そして、ゲームはつづく
 川本三郎著の『そして、人生はつづく』にしろ、朝日新聞の「耕論」
小田嶋隆のコラム『生き直すために』にしろ、自由業の物書が、連合いの死や、
断酒による人間関係の喪失で、孤立した生活に入りざるを得なくなった中で、
如何に、耐えていくか。そこで「一人暮しになって静かな一日を送る困難と、
それゆえ幸福を知るようになった」心情を書き連ねる。
一匹狼の良さと辛さこそ、人生の哀歓があるということ。
 私も小さいながらの創業人生を45年かけ生きてきた。そして、三羽のブラック
スワンの出現で、事業整理に至った。そして、人生は続いている。「そして、」
の「、」が、人生の節目の意味がある。 これを境に、森の人生から、サバンナ
の人生に変化したことになる。
 ところで、昨夜、C.Sファイナルステージの巨人・広島戦で、巨人の坂本と
村田が、攻守でチームを救った。自らの悪送球で2点の先行を許した村田が
決定打を放ち、更に最終回にヒット性打球を二人連携のファインプレーで
劇的なゲームセットで汚名を返上した。 坂本は、9・10月は1割7分代と
極端に低迷。それでも原監督は出し続けた。その後、村田の凡ミスで先制された
直後の勝機に、解説者の予測とおりの凡打。しかし、次の打席でHRを放った。
「そして、人生はつづく」の『人生』を『ゲーム』に置換えたようなドラマ。
手痛い凡ミスと、勝機での凡打を全国注目している中だから、地獄から天国と
いった心境だろう。こういう極限の中で、はね返すのが一流の証拠。 
二人にとって、「そして、ゲームはつづく」で、劇的快打とプレー。そして、
お立ち台でインタビュー。 二人にとって、凡ブレーの後、「そして、」の
気持ちの切替が出来るのだろう。しかし、「そして、人生はつづく」には、
孤独な平凡な日々で静かに己を律するしかない。 人生にも、勝負にも、
「、」と「。」と、行(ぎょう)かえが必要ということになる。 
「国敗れて山河あり」 そこは微粒子に満たない小さな小宇宙でしかない。
・・・・・・
4222, つれづれに ー国家危機!
2012年10月17日(水)
    * 生々しく聞こえてきた世情の話
 「赤表紙本」といえば、経済状況を大げさに書きたて、不安を書きたて本を
売る方法に使われる。「読むほうも、書くほうも、割り切って読んでいる、」
のが一般の見方。ところが、どんなにオーバーに書き立てても実際の現象になると、
それを遥かに超えるから恐ろしい。「欧州危機、恐慌と騒いでいるが、今だに
起きてないじゃないか」というが、早いか遅いかの差、間違いなく起こるのは
確か。一昨日も、BS/TVで、こんなことを放送してよいのかと思われるほどの
過激なレポートだった。そのゲストのブログで、現地の惨状の実態を読んでは
いたが、それをTVで流すのだから、一般の人は、驚くはず。 要は、日本円の
預金をドル建てに替えて持つべきとか、日本も、PIIGS並みに数年内になる?
とか・・ ギリシャやスペインの街中で出会った人の生々しい窮状は、日本に
いては分からない。まず一部勝ち組と、大部分の負け組みがいて、その負け組も、
二分される。一年分の生活費の蓄えがある人と、数ヶ月以内に教会の食料配給の
列に並ぶ人に分けられる、とか。歯医者の開業医が、店を閉めたという、
殆どの人が歯医者にかかる金が無いので、経営が成り立たなくなったという。
PIIGSでも、アイルランドのように国が一体になり再建を始めたところと、
ギリシャのように国家がバラバラで、その意欲が全くない国がある。 
 それは日本でも同じこと。家内から聞く世情の話は、一部勝ち組と大部分の
負け組みの段差の内容が、日常のリアルの内容になる。家内の友人の勤め先の話。
「顔が腫れているのに、そのまま。病院に行かないので変と思っていたが、
その人、お金が無いため行けないと、後で知った!でも、いつの間にか腫れが
直ったみたい!」。 国内では預金ゼロ世帯が三割。それなら病院にいく金も
無いに等しい。 失われた20年で中流といわれる大衆は、本当に貧しくなった。 
他人事ではない。 昨夜もNHKの「クローズアップ現代」で、欧州危機を
放送していた。実際に起こったら、どうなるのだろうか? 私の出来る範囲で
恐慌の備えの大方は終わったが、実際になると想像を遥かに超えるはず。
まだ平和ボケの範囲でしかない。まだ火の手は上がってない。
・・・・・・
3857, Macの創業者のジョブス
2011年10月17日(月)
 Macの創業者のジョブスが先日、亡くなった。iMacパソコンを二台、
iPodを二つ、iPhone(現在はドコモの携帯電話に逆戻り)、
iPadと、最近買った端末は、ほぼMacである。
iPhoneは、小さすぎて指入力に戸惑い使い切れなかったが、他は及第。
iPhoneには驚いたが、最近買ったiPadには感動もの。 
デジタリアンと自認しているが、実はジョブス・ファンだったようだ。 
先日、NHKの「クローズアップ現代」で、ジョブスの死を悼んで
『世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔』とし報道番組を組んでいた。
ここで孫正義が、《 彼は商品、製品を生み出すのではなく、ジョブスの作品
を生み出している。デジタル端末などの人間化をテーマに、高度のマニアしか
使えないデジタル機器を、普通の人が気楽に使える作品を作り上げてきた。
iMacなどのiは、愛に通じる。もし、彼が20年、30年生きて、最後に
自分が作りたい作品は「iRobot]と、提示するのでは!
彼は、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才。
数百年後の人々は、レオナルド・ヴィンチを並び称するだろう。》
とまで、賞賛している。今までのパソコンと比べると、マニアが使いこなして
いたデジタル端末とネット世界を、ごく簡単に、我々一般人が使えるように
なっている。だから、何だと言われれば、それまでだが、知的好奇心が強い
ものにとって、これほど有難いものはない。それにアプリが豊富にあることが、
相乗効果になっている。ジョブスのように明確な形で(身近なモノ)で、世界を
変えてしまうのも、グローバル化の一つ。本人自身、もっと生きたかったはず。
 ー NHKのHPの紹介文から ー
≪ iPhoneやiPadなど時代の一歩先を行く革新的な製品を生み出し、
 IT企業「アップル」のカリスマ経営者として知られたスティーブ・ジョブズ
前最高経営責任者が5日に亡くなった。明確なビジョンと強いリーダシップで
アップルを率いてきたジョブズ。製品の細部にまで妥協を許さない徹底ぶりや、
卓越したプレゼンテーション能力は世界中の多くの人々を魅了してきた。
番組では、ジョブズを身近で知る人々の証言や、ジョブズの言葉、かつて
クローズアップ現代に出演した時の貴重な映像などを通して、IT界の天才と
言われたジョブズ氏の素顔と、次世代へのメッセージを綴る。 
  ゲスト:孫 正義さん(ソフトバンク社長) ≫
 ・・・・・・・
3492, 実践・50歳からの少食長寿法
2010年10月17日(日)
「実践・50歳からの少食長寿法-粗食革命のすすめ 」幕内秀夫著
  ーアマゾンの内容説明からー
 50代から、量を減らして質を高めれば歪んだカラダもすべて治る。 
朝食断食、一日一食法から食材、水、調味料の選び方まで、食卓を「宝食」
に変える知恵と工夫!!貧困から脱却していろいろなものを食べられるように
なった「豊食」くらいで止めればよかったはずです。ところが金にあかせて
食を粗末にする「飽食」が当たり前となってしまったのです。
 しかもそれだけでは済みませんでした。バブル期を迎えた日本人は、
1人当たりの残飯量はアメリカを抜いて世界一ともいわれながら、中身を吟味
しない「泡食」に突き進みました。一方で「粗食」を放棄したために体調を
崩してしまい、いわば「崩食」と呼ばれる食生活を送るようになりました。
さらには、無意味な健康情報に惑わされふり回される「呆食」の時代を迎えて
います。こうした愚かなホウショクを、真にぜいたくな「宝食」に変える。
これこそが天命を待つ50代にふさわしい食生活なのではないでしょうか。
●みそ汁を飲むとがんは防げる?   ●更年期障害になる人、ならない人 
●長寿日本一、岐阜県和良村の秘密  ●4ヵ月で7キロ減の4つの方法    
●朝食断食・一日一食のどちらかで  ●沖縄長寿神話の崩壊
●歩いて旅して3000キロ       ●自己防衛の「食の10ヵ条」  
●フードマイレージという考え方   ●命を与える偉大な発酵食
 〜以上だが、分かりやすく実行しやすいという内容である。
最近、逆に昼飯をサンドイッチなどパン食に切かえたが。
  この中で自己防衛の「食の10ヵ条」が分かりやすい。
1、食事は量より質にこだわる 2、主食は御飯  3、発酵食品を食べる  
4、砂糖、油脂のとり過ぎに注意 5、パンを常食にしない 
6、液体でカロリーをとらない   7、副食は季節の野菜を中心に   
8、動物性食品は魚介類を中心に  9、未精白の御飯に挑戦する       
10、食事はゆっくり、よく噛んで
  要は昔ながらの日本食が健康食になる、ということになる。
御飯は玄米食で、納豆、味噌汁、季節の野菜を、量を少なめにし、
ゆっくり噛んで、食べていれば良いということだが。
 ・・・・・・・・
3117, つれづれに  〜閑話小題〜
2009年10月17日(土)
  * 電動自転車を注文
 小学校4年時に、父親に自転車を買ってもらって以来、自転車を個人として
持ったことがない。中高校時代には何処の家にも一台はあったが個人としては
持てない時代であった。子供時代の記憶に、あまり乗りまわした記憶がない。 
成人になってからも乗った覚えがない。 この25年間はウォーキングで一万歩
以上歩くことを心がけてきたこともあり、チャリを乗る距離なら歩いてきた。 
ところが最近になって自転車ブームになった。 またUターンしてきた長男が
スポーツタイプの自転車を乗り回しているのを見て自分も自転車が欲しくなり、
数ヶ月前から自転車の選定を始めた。しかし、いざ買うとなると、なかなか
決心が定まらない。ママチャリか、スポーツタイプか、車輪の小い折り畳みか、
電動自転車か、など結構迷う。思い切って決めれば良いのだが。 
 ところが10日ほど前の新聞記事に「スポーツ用品チェーンの《アルペン》が、
59800円の電動自動車を発売」の新聞記事をみて、HPから注文をした。
納入が10月末の予定である。選定で、まず考えたのが使用目的。あれこれ
考えたが一番が休日のサイクリング。他にも、休日の川崎のSC、図書館、公園。 
電動ということで、川向こうのSC、遠出のサイクリングなど、結構ある。
 ところで、ここで紹介した電動マッサージ、海老そり屈伸マシーンなど、
その後どうか?というと、朝晩に数回使っている。どれもこれも愛用品。 
もちろん、ベースに毎朝の一時間近いウォーキングをした上で、それらを補助
にしている。そして、次のマシーンが電動自転車である。iPodや、健康機器
など自分に合うものが見つかると本当に良い。あれば使う、無ければ使わない、
ただそれだけだが、あっても、使わないものも結構あるが!
   〜〜〜
  * いわしの群れになるな!というけれど
(次数制限のためカット 2011年10月17日)


5328,閑話小題 〜鼻風邪

2015年10月16日(金)

   * 鼻風邪をひいて
 温寒の差が大きいためか、一昨日より鼻風邪でクシャミの連発。
昨夜、家内が殊勝にも薬と栄養ドリンクのパブロンを買ったのを飲んで寝た。
<どうした風の吹き回し?>というと、<うつされるのが嫌だから>とか!
今朝、何とか厚着をして早朝の自転車散歩に出発しようしたと同時に、
クシャミが5回連発。で、急遽、出かけることを断念した。毎食後に
風邪薬を飲んでいるが、ピークは過ぎたようだ。
   * 大手大橋の歩道と車道の防壁の設置
 信濃川の大手大橋の歩道と車道の間に鉄板の防壁壁の工事が始まった。
そこに、書いてあった内容が、< 平成8年に、福岡で酔払い運転で衝突
された車に乗ってた親子3人が、歩道に乗り上げ、手すりを突き破り、川に
転落死をした。その対策のための工事。>とあった。たまたま、九州であった
事故のため、日本中の大橋の防壁工事をするのは、どうみても過剰である。
銀座でヤクザが、渋滞に苛立ち、歩道に乗り上げて通行人を殺傷した事件が
あったが、それで銀座の歩道に柵をつくるか? つくらないだろう。
そのレベルの話。これが日本の公共工事の一端とみてよいが、それにしても、
変と誰も思わなかったのだろうか。 少し違うが、三井住友建設施工の
マンションが杭が違法の短さのため、固い地面に届かなかったため、
手すりが二cmも段差が出来てしまった。 TVで、その部分をクローズ
アップして、画面では20〜30cmに映しだし、住民の不安のメッセイージ
を流していた。 スパンからすれば20〜100mの二cmなら、微差。
ニュースを面白くするための意図的に構成されたもの。 何だろう?
こういうニュースを考えない人たちが、そのまま信じるから、報道サイドは、
その権力を好き勝手に垂流しにする。これから日本中のマンションで、
数限り出てくるが、直接、デジカメで証拠を報道機関に流すため隠蔽は無理。
・・・・・・
4963,閑話小題 ー秋の早朝、思いのまま
2014年10月16日(木)
 台風も騒いでいるほどもなく、無事?通り抜けていった。
何か、いつも狼少年のように騒ぎすぎ? 現場は大変なのだろうが・・・
 三年前の東北大震災以来、ビクビクしすぎのようだが、それで丁度良いかも。
日本人の意識はリスク管理が薄すぎる。 私の事業清算の場合、事業設計段階
からリスク管理を組入れていたのが幸いした。幼児体験で両親の事業を傍で
見ていたことや、金沢の二度目の修行先がドルショックに遭遇し、急激な経営
悪化と、内部混乱に遭遇った最中だった。それらの経験と、初戦の千葉郊外の
事業立上時の出鼻、石油ショックに見舞われた経験があった。そのため、
新潟駅前ー何度も書いてきたが、このシリーズでは、何時でも撤退できる
設計計画を組み込んでいた。  
・家族、親戚は一切、会社に入れず、
・家内名義の給与を別口に与え、銀行口座は別にしておき、
・妻子の連帯保証はしないで、万一に備えておく。
・さらに、自宅の不動産の底地の一部を、家内と子供名義にして
 価値を下げておく(万一の場合、家内が安く買い取れる)
・決算書に出ない、合法的予備資金を積み立てておく、・・ 等々。 
これらの構えは事業設計段階から10年〜40年続けておくべきこと。
で、何とか現在の生活を維持している。で、ふと気づくと、今度は死に支度。 
私の両親は、神経質ぐらいに死に支度をして逝った。 私の場合の大問題は、
会社の清算。考えようで、「これで良かった」と、自己納得している。 
現在の心境は、意外とサバサバしている。これらの体験から、「何事も時間が
解決をしてくれる」ことを実感。喉元過ぎれば熱さ忘れるで、この経験も、
今では「痛気持ちよかった」とさえ思えるから不思議。傍目と、当事者とは、
あまりに違う受け止め方がある。以前、様々なケースを見てきたが、
それぞれの視線が、面白可笑しく見えてくる。犯罪者が、薄ら笑いをし、
ひかれていく映像を見ることがあるが、あれである。自分自身と、それを
見て喜んでいる輩を、その上から冷笑している別口の視線が何とも、
いやらしく、冷たく、可笑しく、哀しいが、こんなに面白い!ものとは
思いもよらなかった。これは経験してみないと理解は出来ないこと。
多くの人は、これを経験しないで死んでいく。 もちろん、こんな経験を
しない方?が良いが。死を直前にした時に「これが一番良かった」と思える
のでは? そう、大自然の景観に感動した響きと同じ、あれである。
その透き通った感覚は酷似している。だから、薄ら笑いになるのである。
・・・・・・
4596, 2050年の世界 ー19  
2013年10月16日(水)
  第六章 宗教はゆっくりと後退する ーのまとめ
・地球上には約一万の宗教があると言われ、2000年の時点では、
 信者25万人以上の宗教は270を数えた。
・世界人口に占めるイスラム教徒の比率も、1900年には12・3%だったが、
 1世紀後には21・1%へと大きく膨らんでいる。この原因はもっぱら、
 イスラム諸国の人口爆発に求められる。
・キリスト教とイスラム教はこの一世紀、世界の各地にある民間信仰、
 土俗宗教の信者を奪って伸長してきた。
・貧しければ貧しいほど宗教に帰依する割合が高くなり、
 豊かになればなるほど、宗教は相対化されていく。
・数の上で、宗教に帰依する者の数が1970年代を境に増えているように見える
 のは、中国政府が国民に宗教を認めるようになったからであり、それは、
 本来宗教を信じていた人たちが、顕在化し見えるようになっただけと言える。
・宗教性の高い国の出生率は高くなる。また同じ国内でも、信仰心に篤い人々
 のグループのほうが無宗教の人々のグループよりも多く子供を産む。
 先進国の中の無宗教の人々のグループはもっとも低い出生率である。
・経済発展の遅れと宗教性の高さには、強い連関がある。貧困と宗教の強い
 結びつきは国内にも存在する。ポスト産業経済に属する各国を見ると、
 最も貧しい階層の宗教性は、最も豊かな階層より約2倍も高い。
・したがって、現在出生率が高く人口の配当を受け経済成長を続ける新興国も、
 先進国化するにしたがって、宗教は相対化され、無宗教者の割合は増えて
 いくことになる。
▼ 宗教は共同幻想の最たるものだが、その共同幻想なくして生きられない
 のが人間。共同幻想は先進国化することで、幻滅になっていき無宗教者の
割合が増えていく。情報が行き交い知識を持った人が多くなった世界で、神様
の存在は、軽くなるのは当然の成り行き。しかし、「自分が、いま、ここ
に存在している不思議」を考えると、神の存在に結びつけるのが手取り早い。
そろそろ、いつ何時、死を宣言され、恐怖のどん底に突落とされる年代。
余命半年を悟った時に慌てふためいても、時、既に遅しである。
神のみもとに帰っていくと心から信じるには、長い信心の時間が必要である。
どの神を信じますか?は、どの共同幻想のイメージを選択しますか?と同じ。
金と神は共同幻想の側面で、似ている部分が多い。で、金に余裕ができれば、
両者の本質も見えてくる。既存の宗教による刷込みの力は、あまりに大きいが、
それ以上に、情報化は、それら刷り込みを破壊する。
ー で、偶然だが、去年、一昨年の以下の文章が丁度良く続いていく。
・・・・・・
4221, 神は妄想である ー3
2012年10月16日(火)
 新約聖書、旧約聖書は、生々しい逸話で満ちている。神仮説は、超人間的、
超自然的な知性=‘ラージX’が存在しているという仮説である。アブラハム
がヤハウェという神をつくりあげた。その神に、現在も何億という民が、
聖地に向けて祈っている。初めてイスラム圏のカイロに泊まった早朝、異様な
「アッラーの祈り」の声。丁度、ラマダンだったこともあり、目を据えた
人々が住む異世界に驚いてしまった。 その祈りは数百年も続いてきた
生活の一部であり、アッラーの神が存在しているのである。
 * 可愛げない神仮説  ー「神は妄想である」リチャード・ドーキンズ著
≪ 神がいるという仮説(神仮説)は、もっとも可愛げのない証拠事例である。
面白みのないキリスト教の顔である「おとなしくて優しい寛大なイエス」にも、
その正否を委ねるべきではない・・ 私は、ヤハウェの、あるいはイエスや
アラー、あるいはゼウス、オーディンなどの他の特別な神の特定の性質を攻撃
しているわけでない。むしろ私は、神仮説をもっと弁護のしようがある形で定義
したいと思う。すなわち、宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを
意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説。
本書でその代案として提唱される考え方は、何かを設計できるだけの十分な
複雑さを備えたいかなる創造的知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終
産物にすぎないというものである。進化によって生じた創造的知性は、当然の
ことながら、すでにできあがっている宇宙に後から生まれてくるのだから、
その設計に責任をもつことは不可能である。このように定義された意味に
おける神は妄想である。そして、それは有害な妄想なのだ。神仮説は、証拠
よりもむしろ個人的な啓示にもとづく地域的な伝統の上に築かれたものだから、
さまざまな変形版があるとしても驚くにあたらない。宗教史家は、未開部族の
アニミズムから、ギリシア、ローマ、北欧神話の神々のような多神教を経て、
ユダヤ教およびそこから派生したキリスト教やイスラム教といった一神教に
いたる発展過程を認めている。・・ (中略)
 ・・われわれの文化の中心にあって、口に出すのがはぼかられる最大の悪が
一神教である。『旧約聖書』と呼ばれる野蛮な青銅器時代の教典から、三つの
非人道的な宗教が進化してきたーユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。 
これらは天空神をもつ宗教である。文字通り家父長的 ー神は全能の父ー 
であるため、この天空神と現世におけるその代理人である男に苦しめられた
国国では、二千年にわたって女性蔑視がつづいている。・・(中略)
 ・・三つのアブラハム宗教のうちでもっとも古く、他の二つの祖先と言って
まちがいないのがユダヤ教である。もともとは、猛烈に不愉快な一つの神をもつ
一部族のカルトにすぎなかった。この神は、性的規制、焼けこげた肉のにおい、
他の神々に対する自らの優越、そして、選ばれた砂漠の民の排他的権利という
ものに病的にとりつかれていた。ローマ人がパレスティナを占領していた
期間に、タルソスのパウロによって、ユダヤ教のそれほど無慈悲ではない
一神教的宗派としてキリスト教が興されたが、これは排他性も薄く、ユダヤ人
の外の世界に目を向けたものだった。数世紀後にムハンマドとその弟子たちは、
もとのユダヤ教の断固とした一神教に回帰したが、その排他性は引き継がず、
新しい聖典『コーラン』にもとつくイスラム教を興し、信仰をひろめるために
軍事的に征服するという強力なイデオロギーを付け加えた。・・・ ≫
▼ 最近、宇宙が一つでなく10の50乗の気が遠くなるほどの数がある
 という説が現れた。その中で、アラブの蛮族から発生した一神教の神は、
アブクでしかないことが分かる。しかし、信心は、そんなもので揺らぐほど
強いのである。人間を人間たらしめている情報伝達手段の言葉が、イメージを
作り上げるようになった。そのイメージは、大自然の神秘と力に神をイメージ
したのが、アニミズムになっていった。それが、部族間の争いを大きくして
いき、現在に至っている。
 ・・・・・・
3856, 猿の惑星:創世記
2011年10月16日(日)
 先日、「猿の惑星:創世記」を長岡シネマで見てきたが、極めてシリアスな
ストーリー。「猿の惑星」をみたのが40年数前。その時の衝撃は現在も残って
いるが、20歳代半ばの記憶が今でも鮮明に残っているのは、猿が人間を支配
している意外性である。 その後、何本か続編が続いていた。今回の、猿が人間
と逆転するキッカケの創生の物語は、不気味で恐ろしい原点を私たちの前に展開。 
結果は初めから分かっているが、筋書きが初めから終わりまで重い。
猿とチンパンジーの差より、人間とチンパンジーの遺伝子の差は小さい。
今世紀中に類人猿の人権擁護法も出来る可能性もあるという。
 物語は、製薬会社がアルツハイマーの新薬の開発にチンパンジーを実験に
使っていたが、その効果は上がっていたが、何かの切欠で暴れて射殺される。 
しかし、そのお腹に赤ちゃんが宿っていて、それを秘密に持ち出した男が、
育てあげる。しかし母親に(実験のため)投与されていたアルツハイマーの
新薬が、その子供に影響しており、育つにつれ飛躍的な能力を発揮する。
問題は、人間の能力より遥かに高くなっていたこと。 そして・・・、 
と物語は展開していく。初めは、人間サイドから見ていた筋書きも、何時の間
にか類人猿の創生の物語に転化され、チンパンジーの目からみた人間社会の文化
の非難へと引き込んでしまう。 チンパンジーの目から逆照射した人間社会への
視線は痛いほど。創生者?のチンパンジーの名前が、シーザーというのも良い。 
ところで、アルツハイマーの新薬が、私の目には現代の携帯端末かタブレット
PCに思えた。 誤解を恐れないでいえば、
《 欧米の白人からみたら、チンパンジーが有色人種。新薬が携帯電話と端末と
PC、そしてネット。 これは後進国といわれている人たちの知識を飛躍的に
進化させる劇薬に匹敵する。一度与えてしまった劇薬は、世界中の底辺の人々に
自由と平等の概念を植えつけてしまった。 欧米中心で世界が動いてきたが、
それが崩壊過程にあるのが、現在の世界の現状である。20年、30年前には想像
すら出来なかった事態が日々刻々進んでいる。 今度の福島原発事故は、
それを世界に知らしめてくれた。 情報端末とネットだけでなく、人間が作り
上げてきた文化、文明の象徴が、アルツハイマーの新薬開発と、チンパンジー
創生と考えると、現在が見えてくる。
 ・・・・・・・
3491, しあわせの法則
2010年10月16日(土)
 昼飯に入った店の週刊誌に「しあわせの法則」のタイトルの記事があった。
何かの本を要約し噛み砕いたもの。調査の統計はシビアな現実を表している。
 その場で意識して記憶したが、9つ、一つ残らずに憶えていた。
1、男性より女性の方が幸福の人が多い。
2、都会の人は大よそ幸福と思っている。
3、学歴が高くなるほど、幸福の人が多い。
4、年収700万、資産合計2千万が幸福の臨界点
  (それ以上になってにあまり変わらない)
5、幸福の八割は遺伝する。
6、国による税率の大小は、幸福に関係ない。
7、失業の不安感は幸・不幸に大きく関係する。
8、年齢が高くなるほど幸福度は低くなる。
9、その人の経験は、大して幸不幸に関係しない。
  (連れ添いの死の傷は9ヶ月で消える)
 ー[幸せ]については何度か取り上げてきたが、現実はシニカルである。
 見方によれば辛辣だが、実際に学歴を見ていると、中学校、高校、大学の
友人の実例をみていると肯ける。豊かで教養ある両親の元で、順調に育った
人間は、その後の人生で、同じような生き方になっていく。
何度も書いているが、最終振分け前の中学校の同級生の、その後の人生も、
その格差が大きくなっているだけ。家柄?が、運命そのものになっている。 
とはいえ、それも目くそ鼻くそとは一概にいえない。実際は10歳までに
決まっている。そうこう考えると結婚相手の選別と決断は重要である。 
特に女性にとっての伴侶は、男より大きく人生を左右するため、ドライに
なって当然。相性の当たり外れは五分五分と言うから、結果は神のみぞ知る。
またブルーカラーより、ホワイトカラーの方が、概ね幸せの人が多いという
結果もあるという。 人間は不平等に生まれ不平等のまま死んでいく。
「しあわせ」は、能力の一つか。
 ーーーーーーー
3116, 久々のジョーク −5
 2009年10月16日(金)
* ある日夫が妻と夫婦喧嘩をした。夫は怒りのあまり誤って妻を
 殺してしまった。焦った夫はすぐさま死体を自分の家の庭に埋めた。
それから数週間が経った。夫は5歳になる一人息子に言いました。
「なぁ、ママが家出したまま長いこと帰ってきてないけど何にもいわないな」 
そしたら子供が言った。「じゃ、パパは何でママをずっとおんぶしてるの?」
 〜〜〜
* あるユダヤ人が交通事故にあって歩けなくなったとして多額の保険金
 を受け取った。しかしながら保険会社としては保険金詐欺ではないか?
との疑いを持っているようだった。 入院しているユダヤ人を友人が見舞った。
「大金をもらったといっても一歩も動けないんじゃ仕方ないね」
「いやあ、そうでもないさ。」
「でも歩けるとなったら詐欺罪でブタ箱行きじゃないか」
「大丈夫、退院したらフランス行の飛行機の符買ってルルドへ行くから」
 〜〜〜
Q1: すでに8人の子供があり、うち三人は耳が不自由で、二人は目が不自由、
 一人は精神面で成長阻害が見られ、そして本人は梅毒を患っている妊婦の
 知り合いがいるとする。 あなたは、彼女に妊娠中絶を勧めるか?
   解説は、次の問題を解いてから見てください。
(字数制限のためカット2011年10月16日
    (字数制限のためカット14年10月16日)


5327, 孤立のどこが悪い! 〜グー・チョキ・パー

2015年10月15日(木)

   * 孤独、孤立の暗いイメージ
 人が信念に従って生きていくには、自分を閉めて目標達成のための知識と経験、
そのための挑戦、闘いを続け、基礎になる富と技能を洗練しなければならない。
だからまず自分を閉めて孤立も恐れない信念が必要になる。
そして、そこで熟練した技と、エネルギーを一点に集中して新たな創造を成す。
それも時間とともに陳腐化していまう。そこで、いま一度、自分を閉めて
孤立化する。その繰返しで、人は、ここまできた。それが、常に開くことが、
良いことになっている。いつの間にか、洗脳されたのである。だから欧州では
長期休暇をとって何もしないバカンスを取っていた。
「おひとりさま、生涯未婚、無縁社会とか、村八分、一人ぼっち」。
そういうのは、レッテル張りの言葉。孤立についても、本来、人は孤独な存在。
無理に世間に合わせ、社会とつながろうとするから変になる。絵描とか、庭師とか、
大工職人は、その世界に閉じこもった世界に住んでいる。 接客業と、どちらが
良いかは、一概に言えないが、やはり、長年の歴史のある閉めた世界には、
それなりの重みと深さがある。 
 ふと、このことを考えていた時に「グー・チョキ・パー」が思いついた。
グーは、閉めた孤立の状態。パーで開いて放出したエネルギーが尽きようと
するとき、チョキが、それを切りとり終わりにする役割ということ。
<順境には、枝を張れ、逆境には根を張れ>が、「パーと、グー」に似ている。
 事業整理から4年半になるが、あのままの延長だったら、今頃は、パー。
歳を重ねていくと同時に、すべての人は、孤立化した孤独の老人になる。
「その何が悪い!」という開き直りも必要だが、趣味を持って日々を楽しく
過ごせることが必要である。
・・・・・・
4962,閑話小題 −アベノミクスへの疑問、再び!
2014年10月15日(水)
 去年の同月同日のテーマが「アフォミクス」であった。その数ヶ月前にも、
同じテーマが幾つかあった。その後、東京オリンピック誘致に成功したことも
あり、このところ批判の声が低くなっている。デフレ基調の中でのインフレ
の誘導には、必ず無理が出ることは必定。欧米各国は、先行きが不透明の中で、
オリンピック立候補を避けたが、何を血迷ったのか2020年のオリンピックに
立候補、選出された。 国家予算の半分も収入がないボロボロの借金体質の
国家が、これでは、地獄の蓋をあけて自ら飛び込む行為になる。
それも、この惨状の責任者の元首相が二人が、現在の首相と、副首相という
から、お笑い! 日本は、70年近くの実質アメリカ占領政策で、狂った!と、
言わざるをえない。近い将来の国家の行く末は、惨たんたる状態は必定。 
恐ろしいが、これが現実。それを横目で見ながら、私も地上から消え去る頃。
その前に株式の暴落が起こる、それは前触れもなく、ある日、突然に起こる。 
もう一線から退いたため、その先行きが、より鮮明に見える。
 以前、同調した論説は間違いなく正しい! このバブルに乗って泡踊りを
したら、20年前の私のように、大きな失敗を犯すことになる。 アメリカは、
リーマンショック前の3倍、EUは2倍の通貨量になった。 その結果、
ドル為替が半値、3分の1になって然るべきだが、殆ど下落はしていない。
この矛盾は、遅かれ早かれ、必ず、株価か、国債の暴落につながる。
その時、誰が被害を被るか? 弱者である。この、生暖かい空気に迷わされる
ことなく、以下の内容を、いま一度、読み解くことだ・・
・・・・・・
4595, 閑話小題 ーアフォノミクス
2013年10月15日(火)
  * アフォノミックス ーアフォが、三本の矢のミックスといっても!
 安倍内閣の経済政策に否定的で、先行き悲観論の経済学者・浜規子が、
久々にTVに出演、アベノミクスを批判。こんなバブルは直ぐに崩壊するのは
自明のこと。 アベノミクスに対する街のインタビューで、20、30歳代の
17%に対し、40歳以上の74%がバブルを望んでいる結果であった。
バブル経験者の多くが、その恩恵の味が分かって期待するが、未経験の年代層は
いずれ弾けるバブルに期待していない、と冷け気味。
 浜規子は、「1980年後半のバブルは4年数ヶ月つづいたが、今度は、
そこまで続かない。前のバブルは、中産階級の風船が膨んだが、今回は、
その萎んだ風船に再びガスを入れるのでなく、別の風船を膨らませ、萎んだ風船
に紐を加え、空に上げようという代物。全くの見当違い!」と、一刀両断。
これも、当たり前。元女子アスリートが、「周囲が家を買いたいという人が多い
ので、家を買うか、迷っている」に対し、「周りが浮かれ始めた時に何を馬鹿
なことを! 家は投資の一つ。直ぐに弾けるのが目に見えている。
『周りが買うから自分も』という考えが、バブル犠牲者の発想。止めなさい!」
と、ハギレはよい。安倍内閣が発足、現在の日銀総裁が立候補をした時、
「日銀総裁になりたいポチが尾っぽを振っているだけ」と切って捨てた。 
FRBのバーナンキンが無制限に札を刷って、目先のアメリカ経済の崩壊を
引き延ばしたのと、日本とは違う。彼らは世界の制空権を持ち、海軍力も世界一、
言語も世界共通語の英語。その上、基軸通貨の発行国。ドルを幾らでも刷って、
それを米国債で回収するか、暴落に誘導すれば借金はチャラ。それと、
デフォルトの手がある。その米国を真似れば、待っているのは破滅。 
米国予算が議会で否決、デフォルトをすれば、世界経済は大混乱になる。
『ひょっとすると、隠れた世界戦略』で、やってくる可能性が充分ある。
リーマンショックで、世界の金融機関に隠された不良債権ともども、焼き払う
ために?金融の世界大戦と割切ってくる可能性は充分にある。数年内に火の海?
日本は米国債を4〜500兆円も持っている? ・・ 世界が火の海になろう
という時、東京オリンピック誘致に成功!と、浮かれている。景気浮揚より、
国民の目を逸らすため? 阿部の横で、麻生が「アフォ違うねん、パーなんで」
とフザけているパロディのイメージが、浮かんできた。悲しいかなA・B層の
質の低下、特にB層が国を滅ぼす。
ーーー
2013/06/19
アベノミクスへの疑問
 アベノミクスの危なさは、二年前の事業断念に至るプロセスで直接、
肌で感じ取っていた。再び、とんでもない誤りを犯そうとしている。 
「10年後に一人あたりのGDPを150万増加」など、方向は真逆。
それも以前に放り出した元首相二人が恥ずかしげも無くである。
何人かの経済学者が、アベノミクスに批判をしているが、円安、株高の現象の
前に表立ってない。 先日、図書館で借りてきた文藝春秋4月号に、
 ー神谷秀樹のレポートーアベノミクス「危険な熱狂」ーがあった。 
ネットで調べたところ、これを簡略にまとめたブログの内容があった。
★ 〜ブログにゃんとま〜 ー神谷秀樹『アベノミクス「危険な熱狂」』
                  文藝春秋4月号の一部を抜粋ー
≪◎アベノミクスを冷静に分析し「A=アセット(資産)、B=バブル、
 E=エコノミクス」と揶揄している人々がいるが、彼らのほうが正しい
 ことは、いずれ歴史が証明する。いま喜んでいるのは、バブルに乗り
 一儲けしたい投機家ばかり。「持続可能な経済基盤」を構築するものには、
 人口、中産階級の収益力、イノベーション(技術革新)、エネルギー価格、
 政府の健全な財政等々があるが、中央銀行はここに述べた経済成長の
 大きな要因のうち、何一つコントロールできない。
◎安倍政権は「市場にお金が不足している」と考えているようだ。
 だが、これは完璧に間違った認識、市場には金があり余っている。
 企業はもてあますほど現金を持っており、日銀の当座にも銀行が使い
 切れない「ブタ積」が山ほどある。 
◎株価が上がって投機家は喜んでいるが、何も企業の競争力が回復したわけ
 ではない。企業の持つ外貨資産の評価額が上がっているだけの話だ。(中略) 
 外貨建ての資産が評価益を出すということは、裏返せば円建て資産が、
 国際通貨のバスケットで見れば価値が目減りしていることになる。
◎2000年代初めから民主党に政権を譲るまで、自民党政権時に彼らが
  行なった不況対策は、
 *「円安麻薬」で輸出ドライブをかけること、
 *「契約社員化」で賃金を切り下げ、国際競争力を維持することだった。
 しかし、この政策は完璧に破綻。 
「インフレを起こせば賃金が上がる、雇用が増える」というのは、全くの妄想、
「国際的に価格競争力を失ったのは円高のせいだ」というのもの妄想。 
競争力を失った理由は、同じ質の労働に対する賃金が海外に比べ高い、
製品の質の面でも優位に立っていないことだ。
◎「バブル崩壊の対策は新たなバブルの演出で」が正しい処方箋でないのは
「失われた二十年」で学んだ筈だったが、実際には学んでいなかったようだ。
ABEがバブルを大きく膨らませれば膨らますほど、大きな破綻を日本に
もたらし、その時はもう復活不可能な致命傷となるだろう。≫
▼ グローバル化の中では、日本一国の金融緩和でコントロールが出来よう
 はずがない。アベノミクスは、一部の輸出産業と大手の金融機関が目先の
プラスになるだけ。逆にマイナスのエネルギーは、弱者を直撃する。
二ヶ月前の地元の高校の同級会で、当初からのメンバー12〜3名のうち、
この1〜2年で私を含めて6人が倒産、廃業、経営責任の辞任、自殺に追い
込まれた。過半数近くである。そう遠くないある日、中国かアメリカの
投機筋から、売りを浴びせられ株価が暴落するだろう。 
ーーー
013/04/01  
閑話小題 ー要は、アベノミクスとは?
   * 要は、アベノミクスとは!
 アベノミクスと浮かれているが、少し考えれば、こういうこと。
「小泉の中期政権後、毎年、首相が変わってきた。その二人が偶発的に首相と
副首相になって、似たような失敗の拡大版を始めようとしている。再び失敗した
ところで、政敵に殺されたり、刑務所に入れられたりしない。大盤振る舞いの
付けは国民の負担になるだけ。幾ら金を発行しても、銀行を通して国債を
買わせることで周りまわって戻ってくる。一度、ハイパーインフレにし、銀行
閉鎖するなどの荒治療した方が、デフレスパイラルが続く現状より良策。世界は
通貨安比べ、その中で紙幣の供給を増やし銀行閉鎖も含め、一より出直すべし」
ということ。その中で大部分の国民に物価高という負担が架ってくる。
そして、責任を取って辞任。そのパターンが繰り返される。
ーーー
2013/03/07  
閑話小題 ーアフォノミックスとは
  * アベノミクスは、アフォノミックスか
 アベノミクスを揶揄して、「アフォノミックス」とは、よくいったもの。
経済評論家の浜規子が先日、アベノミクスの内容を問われ、「アフォノミックス
そのもの。死に掛けている病人にホルモン剤を投与するようで気持ちが悪い。
今さら経済成長などおかしい!」と切り捨てていた。
 日銀総裁の黒田氏の国会答弁の内容についてどうですかに対して、
「日銀総裁になりたいポチが尻尾を振っているだけ」と、これまた辛らつだが、
当を得たりと納得をした。この事態を招いた戦犯達の主犯格の安部と麻生が、
首相、副首相とは漫画の世界。殆ど、それを知っているから恐ろしい。
7月末の参院選までのミニバブルか、あと二年が限界か。しかし見渡す限り阿部
しかいないのが現実。一度チャラにになるなら、早めに息の根を止めるのも手か。
この付けは、5年、10年後に覆いかぶさってくる。
 ところで韓国経済が特に変のようだ。円安も効いて、あの元気にみえていた
経済も崩壊過程。輸出依存度を見ると、日本14% 、中国26%、アメリカ10%に
対し、韓国は50%。日本は貿易立国と言 われるが、実際には内需大国。
それにしても韓国の輸出比率が異常に高い。欧州危機と中国の経済停滞の影響
を直撃し、急激に悪化。世界的動乱は、国力がある方が有利。資源があり、
海軍と空軍が断然強いアメリカが当分は世界をリードするしかない。
体力を疲弊をした日本は、当分、アメリカの属国として生きていくしかなく、
TPPの参加は当然のこと。 明治維新も、太平洋戦争敗戦も、今回もアメリカに
屈した更なる開国。アメリカにとって、どれも世界戦略の一つでしかない。
韓国、台湾、日本が、アメリカの軍事、経済の中国に対する前線基地。
中国も北朝鮮を庭先の番犬で飼っている。ここにロシアが絡んでくると、
1930年代から太平洋戦争の様相に酷似してくる。そうすると、保守本流の安部と
麻生の出番というのも分からないこともない。「天気晴朗なれど、波高し」。  


5326,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー③

2015年10月14日(水)

        ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                 『新潮45』〜悪夢の21世紀 より
   * 自撮り写真とブログ
 ブログを自撮り写真と同定するところが面白いが、少し無理がある。
その時どきのベストの媒体のメディアと、当人のエネルギーとが相俟った
能力が時代を動かしていく。それが身近な大学ノートや、手帳だったり、
デジカメやビデオ、今ではパソコンやスマートフォン、ブログやチャット
だったり変化していく。個々の受発信のベースになるブログやチャットは、
写真や録画が大きな位置を占める。それを自録りを可能にするセルカ棒が、
アジア中心に流行しているという。自撮り発信文化が、世界を変えようと
している。ただし、決して明るい未来が待ってはいないと・・
≪ 民主主義社会とは、「みんなの声を尊重する社会である。
 欧州で貴族が政治を支配していた頃、普通選挙を入する際には、
「豚のような民衆に参政権を与えて良いのか」といった批判がき起こった。
その後、日本を含めた近代国家は普通選挙を導入し、誰もが国のトップをも
目指せる民主主義社会が実現された。しかしココでも衆愚問題は消えていない。
事実、自分の想定とは違う選挙結果になった時、インテリたちは「ポピュリズム」
という言葉を使って大衆を馬鹿にする。梅田の言葉を使えぱ、「残念」なのは
ネット空間ではなくて、この社会そのものなのである。確かにそれを技術の力
で変えられるような未来が来るのかも知れない。だがそれはネット空間をどう
こうするという話ではなく、社会を変えるという遠大な作業に他ならない。
新しい技術が社会を変えたと言われることがある。しかし、多くの場合、
それは論者にとって都合の良い出来事が起こった時に、その説明材料として
新メディアが持ち出されただけ、という場合が多い。記憶に新しいところだと、
ツイッターなどソーシャルメディアの力で、アラブの春など民主主義革命が
起こったということになっている。確かに新しい技術が、社会変革に一定の
役割を果たしたことは事実だろう。 しかしそれが「ツイッター」である必然性
はない。たとえば1989年に起こった東欧革命の時は、衛星放送が大きな役割を
果たしたという分析がされた。国境を越えて伝えられる映像の力で民衆による
革命が起こったというのだ。要は、悪政や民衆の不満など様々な革命が起こる
条件が重なった時に、たまたま存在した新技術が「ツイッター」だったという
だけである。また、アラブの春においてより重要な影響力を持ったのは
アルジャジーラだったという分析も多い。 
 佐藤俊樹が『社会は情報化の夢を見る』で述べるように、技術の中身に
関わりなく、新奇なメディアはコミュニケーションを活発にする。しかし、
利用者が増加し、そのメディアの新奇性が消えていけば、人はまた新しい
メディアを探す。その繰り返しである。
 セルカ棒が社会を変えると言っても誰も信じないだろう。しかし、
「インターネット」や「ソーシャルメディア」が社会を変えると言うと、
人は信じてしまうそれは「インターネット」や「ソーシャルメディア」の
ほうが、より未知で、より新しいものに見えるからだろう。だが、それは
人々が実は「インターネット」の内実を何も理解していないことと同義。
「未知」で「新しい」ものに期待できるのは、それをよく「知らない」から。
 本当は、セルカ棒にだって人々のコミュニケーションスタイルを大きく変える
可能性はある。自撮り文化が世界中に浸透、日本人のシャイな性格も変わるかも
知れない。人々は差恥心を捨て、とにかく自分たちの世界を写真に残そうとする。
セルカ棒は、僕たちの性格をも変えてしまう魔法の棒なのだ。
 馬鹿げた妄想だろうか。しかしそれを言うなら、「インターネット」が新しい
社会を作るという楽観論も同じくらい馬鹿げているのである。一番に残念なのは、
「セルカ棒」でも「インターネット」でもなく、新しい技術にただ夢を託して、
のんきな未来語りに一喜一憂してしまう「みんな」自身である。≫
▼ 情報機器が、さほど、世の中を変えないというが、どうだろう。
 私は、そののんきな「みんな」自身の一人で、やはり、技術は、人類の
未来に明るい光を与えると信じている。知りたい情報が、直ぐに、手っ取り
早く入手できる幸せを、一般人が可能になるのは、やはり良いことである。
一言でいえば、「情報のファーストフード化の何が悪い?」ということ。
食事でもフランス料理、中華料理と、それぞれの使い分けをすればよい。
・・・・・・
4961,閑話小題 ー齢は68になって
2014年10月14日(火)
   * 齢は68になって
 何度も何度も書いているが、ふと気づくと、あと三ヶ月で古希である。
まさか自分がである。周りを見渡すと、誰も彼もが年下に見えてくる。
4人に3人以上が年下なら、こんなものだろう。中、高、大学の男たちの
4人に1人の割りで亡くなっている。私も父が亡くなった歳まで、あと二年。
私が20代半ばで、父親が老いていくのが悲しかったことを憶えている。
あと、せいぜい7〜8年だろうが、やはり身体の衰えは隠せない反面、
世界への関心は、ますます強くなっている。 このところ歩いていて、
20分もすると、腰が痛くて据わりたくなる始末。 何事も面倒になるし、
頭の切替えが以前ほどきかない。人生の多くを、し尽した感があるので、
さほど、老いに対してマイナスの気持ちは少ない。その時々に、やるべき
ことをしてきた実感があるからだ。人生のトータルとして、面白かったし、
楽しかった。嫌のこと一つに、良いこと三つの割合である。そう割り切ると、
老いもまた乗り越えていける。まあ、何事にも興味を持って、感動と感激と
感謝の出来る心の新鮮さを失わないように
したいもの。
   * インコのピーコ
 我家のペットは、30数年来、インコである。私はペット好きだが、
家内が生きものが大嫌い。そこで、何とか小型の小桜インコに妥協し
飼ってきた。 大体が2〜3年で亡くなったり死んだりした6代目の後、
5年前に中型のコガネ・メキシコインコに切替たが、風邪と下痢で一年
余りで死んでしまった。これが、鳥というより犬に近い感覚で、人に懐いて、
その利口さに驚かされた。小桜インコとは格段上に、人の気持ちを読み取り、
言葉を理解でき、クシャミや、鼻水を出し、頭を撫ぜてもらうのが大好き。
しかし、熱暑の最中に、下痢をおこし衰弱をして亡くなってしまった。
そして、現在の、オオム科最小の大きさの「マメ・ルリハインコ」。
コガネインコに比べ、反応は低いが人恋しいため、ベランダのサッシ越しに
常に呼びかけてくる。席を立とうとすると、鳴いて振り返させ、枝を回転
して、「行くな」と自己表現をする。多いときは、50数回も回転する。
必死の呼びかけの「美味しそうな?鳴き声」に、近くのカラスや、スズメ、
渡り鳥などの野鳥が反応し、庭や、ベランダに集まって来ている。
夕暮れ頃に、野鳥が一匹、挨拶に来ているが、そろそろ渡りの時期である。

・・・・・・
4594, そして、人生はつづく ー5
2013年10月14日(月)
 * 生き直すために ー2        
         ー朝日新聞の「耕論」『生き直すために』小田嶋隆
  ー 前回の『生き直すために』の続きから        
《・・生き直すといっても「やめる」こと以外に何もしていない。
 サッカー観戦、自転車、イグアナも、時間を潰すため。酒をやめることで
仕事は上手くいくようになったが、それは結果であって、目標ではない。 
AAで、最初に「私は、自分では何もできない人間であることを認めます」
と言わされる。これは一理あった。自分で人生を立て直せる」と思い込んで
いると、依存症から逃れられない。
 ・・「自分で自分を律する」というのは大きな勘違いで、その意識がある
限り、人生のやり直しはできない。就職のやり直しにしても、結局は運です。
「夢に向かって努力する」では、こだわりでがんじがらめになるだけ。
自分がどの仕事に向いているかは、実際にやってみないと分からない。
人生を途中からやり直そうとするなら、何かを捨てること。捨てた結果、
その空白に強制的に何かが入ってくる。その何かが良いか悪いかは別ですが。
会社を辞めたことも、酒と一緒にそれまでの生活を捨てたことで多くを失い
ましたが、その代わりに膨大な時間を手に入れたものも明らかにある。
あそこでやめてなかったら、今のような人生を歩んでなかった。
どちらが良い人生かわかりませんが。 30歳を過ぎた人間が、自己を改革
するなんて不可能。ただ、何かをやめることはできる。人生をやり直すには、
何かを「目指す」のではなく、「やめる」ことからです。》
▼ 私が嵌ってしまった異境・秘境のツアー参加者に、多く見かけられるのが、
ガンなどで余命が見えて、その克服や人生を改めて見つめ直すために来ている
人が多い。晩年になれば、今さら生き直すことは出来ないが、考えるために、
極限の秘境ツアーは悪くない。被災地視察という名の「ダークツアー」に
似ている。「やめ時」を悟ったら、あとは「前向きに目をつぶって倒れこむ」
しかない。そうすれば、自動的に現象は生き直しになってしまう。
これも一期一会。捨て身でやれば「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり」になる。
といって、覚悟が必要で、そのための周到な準備が必要。
最期は、「そして、人生は終わり」!「プツン!」。
・・・・・・
4219, 神は妄想である ー2
2012年10月14日(日)
 * 有神論と理神論と汎神論  
        ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 理神論という言葉を、この本で初めて知った。「神を信じますか?」と、
問われた時に、口を濁す代わりに、この理論を、答えればよい。
私は汎神論に近く日本人的考え方だったが、理神論を加えることにする。 
ただ、「今ここにある自分の存在」が不思議でたまらない。
「類人猿が宇宙の存在と原理を意識して、そこに自然原理を見出し擬人化した
『神』をイメージした」と一言でかたずけられない。神という言葉の解釈が
いくらでも可能だからだ。 ーその辺りを部分を抜粋してみるー
≪ 用語法について念を押しておこう。有神論者は、そもそもこの宇宙を創する
という主要な仕事に加え、自分の最初の創造物のその後の運命をいまだに監視し、
影響を及ほしているような超自然的知性の存在を信じている。多くの有神論的な
信仰体系においては、神は人間界の事柄に密接に関わっている。 神は祈りに
答える。罪を赦し、あるいは罰する。奇跡をおこなうことで世界に干渉する。
善行と悪行に思い悩み、私たちがいつそれを行うかを知っている。
理神論者も超自然的な知性を信じているが、その活動はそもそも最初に宇宙を
支配する法則を設定することに限定される。理神論の神はそれ以後のことに
一切干渉せず、人間界の事柄に特別な関心をもっていないのも確かだ。
汎神論者は、超自然的な神をまったく信じないが、神という単語を超自然的
なものではない〈自然〉、あるいは宇宙、あるいは宇宙の仕組みを支配する
法則性の同義語として使う。理神論者は、彼らの神が祈りに応えず、罪や餓悔
に関心をもたず、私たちの考えを読みとったりせず、気まぐれな奇跡によって
干渉したりしないという点で有神論者と異なる。理神論者は、彼らの神が、
汎神論者の神のように宇宙の法則の比喩的あるいは詩的な同義語ではなく、
ある種の宇宙的な知性である点で汎神論者と異なる。汎神論は潤色された無神論
であり、理神論は薄めた有神論なのである。「神は老獪なれど、悪意はない」や
「神はサイコロを振らない」や「宇宙を創造するとき神に選択肢があったのか」
といった有名なアインシュタイン語録は、どう考えても、理神論的ではなく
汎神論であり、まちがっても有神論ではない。「神はサイコロを振らない」は
「すべての事柄の核心に蓋然性が横たわっているわけでない」と翻訳されるべき。
「宇宙を創造するときに神に選択肢があったのか?」は「宇宙はいまある形以外
のやり方で始まることができただろうか?」という意味である。
アインシュタインは「神」を純粋に比喩的、詩的な意味で使っていたのである。≫
▼読み込めば読み込むほど、こんなシビアな無神論の明快さに驚いてしまう。
日本人からみれば、何を今さらだが。「神がいるかどうかでない、存在しなくて
はならないのだ!」という言葉があるが、その人には神は存在すればよい。
・・・・・・・
3854, 50歳代が勝負時? 
2011年10月14日(金)
 何度か取り上げているが、51歳時、痴呆症だった88歳の母を見送り、
「さて、これから如何しようか?」と考えた時に、曽野綾子の「人生の良い
ところは60歳まで」という言葉に出会った。そうすると9年しかない。 
そこで考えついたのが、「残りの人生を、50歳代の9年間に押し込んで生きる」
ことであった。想定を70歳か75歳の寿命として、3〜5倍に圧縮して生きる
ことである。 そのためには捨て身で、やりたいことをする。そこで、思い
ついたのが秘境・異郷ツアー。行きたいところをピックアップし、何はともあれ
行くことにした。 年に4回も行った年もあった。更に10年前の55歳の時に、
個人HPを作って、それを公開し思いのままを書き出すことにした。
丁度ブログが普及する直前。この随想日記の始まりである。これを書き始めた
5ヶ月後に9・11テロが起き、世界の情勢が一変してしまった。
毎年10パーセントの売上減が3年続いた。そして4年目に入って中越地震が
起き、逆に売り上げを二年間下支えをしてくれた。しかし3割の売上減は長期
借り入れの返済原資を三分の一にしてしまった。それも血の滲むような合理化の上。
その中で、やりたいことを実行したから、大変といえば大変。その結果60歳
辺りから心に大きな余裕が出てきていた。「何だろう、これは?」という感覚。
人生の元を取った実感は、心に大きな安心感を持たせてくれる。
その余裕が三年前のリーマンショック以来、毎年20数パーセントの売上減の
中でも、そして今回の事態でも、何とか精神のバランスを保させてくれている。
準備15年の立ちあげ、30年間の事業、合計45年の結果が、この結果
としても、精神のバランスを何とか保っているのは、50歳代の9年間で、
人生のページの余白を埋めた為。 事業も、趣味も、自分の範囲の余白を埋めて
しまうと、他人の比較も、自分が達成できなかった夢も、余裕を持で諦められる。
それから考えると一年一年、自分の経験の範囲での余白を、捨て身で埋めること
が残された人生の課題ということが分かる。70歳まで、四年少ししか残されて
ない。不摂生だったこともあり人生の余白も残されてない。60歳前半は、
リーマンショックでエネルギーを奪われ、そうこうしている内に、事業閉鎖に
なってしまった。 その埋め合わせと、人生の始末は何かを考え抜いて、
捨て身で後片付けをする時節ということ。しかし世界の情勢は、この5年間は
大荒れになるのは必定。60歳代は、世界の激変の真っ只中、それへの適応
時期になる。時速数千キロで回転している地球上に我々は住んでいるが、
周囲も同時に回っているため、それを自覚できない。時流も激しく変化して
いるが、見ても見えずが、我々。人間は現象との情死?しかないのか。
自然と、芸術とに触れ感動することが、現象との情死から少しは守ってくれる。 
さて、信濃川のポタリングに出るか。
 ・・・・・・
3489、金は暴落する! 2011年の衝撃    
2010年10月14日(木)
          「金は暴落する!2011年の衝撃」ー鬼塚 英昭 著 
 先日、ここで取りあげた
「ロスチャイルドと共産中国が2012年、世界マネー覇権を共有する 」
鬼塚 英昭の最近の著書である。要は、ロスチャイルドが中国と組んで新しい
世界マネー覇権を共有するために、金を値上がりさせ、2011年か2012年の早い
時期に金バブルを崩壊させて、下がりきった金を買い漁るという。そのため
金は世界恐慌に対して一番有利な投資と信じ込ませてきた。わずか3年前の
2007年に一トロイオンス700ドルだった金価格が現在1300ドルを超えている。
わずか3年で二倍近い値段である。これを著者はロスチャイルドと
金融エリート集団によって仕組まれた説を立てている。来年から再来年に
金価格の暴落をはかり、逆張りで利益を稼いだ上に、下がりきったところで
金を買い漁るという。1985年のプラザ合意で日本は国内需要の喚起のためと、
大幅な金融緩和をアメリカに強要された。そしてバブルの発生と、
崩壊で「日本は失われた20年」といわれる大打撃を被った。バブル崩壊後に
狙い通りにユダヤ資本が日本の株と優良な土地を買い漁ったことは言うまでない。 
やはりソ連崩壊後、ロシアでも似たようなことをした。そして次は、アメリカの
住宅バブル。バブル化した住宅債権を束ねて世界中にばら蒔いてしまったから
始末が悪い。 著者は、これもユダヤ資本の要のロスチャイルドが仕組んだ
罠という。ロスチャイルドは、今度は中国に目をつけ、供に新通貨システムを
作ろうとしている。そのため現在、金のバブルを発生させ、次にバブル崩壊を
狙っている。それが、来年から再来年にかけて発生し、下がりきったところで、
金を買い漁る目論見とみる。 そのため、金の上場投信(=金ETF)の市場
をつくりあげた。それが金バブルの崩壊を容易にさせる手立てになる。 
大雑把の要約すると以上だが、ウソか本当か、信じられない内容が面白、
おかしく書いてある。 ー つづく


5325,野良猫と、飼い猫、どちらが幸せ?

2015年10月13日(火)

 飼い猫と野良猫、どちらが幸せだろうかを考えるとき、野生ライオンと、
動物園のライオンの、どちらが幸せかを考えれば直ぐ答えが出るだろう。
初めてケニアのサファリ・ツアーで、野生ライオンを見たときの驚きを今でも
鮮明に憶えている。動物園のライオンと全く違ったサバンナの野生ライオンは、
全身張詰めた緊張でオーラが漂ったような空気を張巡らせていた。
動物園のそれは、緊張感のない、虚脱した飼犬のような動物。猫は数千年かけ
野生の猫を、飼い猫に人工的につくられた。そのため、飼い猫と野良猫を比べ、
飼い猫の方が遥かに、長生きするし、適応しやすい。飼い放しの外猫と、
卓上の猫と、どちらが「猫らしい」のか考えると、難しい問題になる。
このことは犬にも言えるが、話が長くなるから止めておく。
 で、人間の生き方を、飼い猫か、野良猫の生き方から考えると面白い。
人間が人間たらしめているのが、「言葉」という情報手段の獲得である。
そして、それを記録する「文字」の発明。これで間接情報を子孫代々に
書き送ることが可能になった。そして、今ではネット時代である。
それが、プラス面だけでなく、マイナス面でも働くため、問題は大きい。
人間は元々野生猿が進化した生き物。野生猿と、文化的側面を持つ人間の
両側面を持つ存在である。結果として、文明・文化を身に付け、本性は野生味
を持って人生を全うする生き方が人間らしい生き方になる。 人+間で人間。
人の間で生きていくしかない。 野良猫の世界では、猫間の自然ルールがある。
飼い猫のように御主人様の顔色を窺がっていればよい世界とは違う。まずは餌!
 新たに会社を立ち上げる創業は、一見、面白そうだが、実は野良猫的要素が
絶対必要条件になる。新規事業や、独立の相談を何度か受けたことがある。
サラリーマン人生の人なら、大方、「飼い犬が野良犬になる覚悟があるかどうか
を何度も自分に問いかけて、その覚悟がありなら、24時間、寝ても覚めても、
目標に邁進すればよいですよ」と進言する。大部分が、野良猫、野良犬の言葉で、
心中、怒ったり、迷いが出る。覚悟がない限り、創業など、大小にかかわらず、
するべきでない。他人の失敗のあげ足取りをしていた方が飼い猫的で無難。
 ある某フラのOB会らしき飲み会の隣席で、その話題の質の低さに、唖然とし
聞いた。 何もしない、できなかった老壮年達の傷の舐めあいも、飼殺しされた
?系の恨み節となると、哀愁を超えた煉獄の地響きそのものになる。
・・・・・・
閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −4
2014年10月13日(月)
   * 国宝指定は、不利!
 家宝などが国宝に指定されると殆どが不利という。寺などは客寄せになるが、
売買は規制されるし、大した保管料でもないのに盗難や火災などから厳重に保管
しなくてはならない。そのため、よいものほど指定前に深くもぐってしまい
表には出てこない。 相続税も、税務署に把握されているので節税しにくい。
もし美術館が買いにくれば、予算が少ないため大きく買い叩かれる。 
 高校の頃、柏崎の旧家の「蔵出し」に父に連れられていった記憶がある。
蔵出しとは、旧家が金繰りのため蔵の骨董品を放出すること。
10人位の骨董商が、蔵の中で、その家の代々続いた骨董品をセリで落とす。
父も何点か買求めたが、シリアスな空気に驚かされた。骨董品の立場からすれば、
蔵から蔵への住処の移動。それが、部屋に飾られ日の目を見ることは少ない。
美術館で展示されることが、美術品にとって、作者にとっても良いことになる。
保有欲、購買欲は人間の性が分かるが、そのエネルギーを美術館まわりに
向ければ良いと思うのだが・・
 ところで、別番組に、骨董品の競売そのものを、面白おかしくショー化した
番組が、出来てよいのでは? あくまで、バラエティーの範疇だが、やはり
企画が難しい? それぞれの価値観があるのだろう。
 先日も、世界のお宝を見てきたが、その素晴らしさは当然のこと。
ところで、「秘境ツアー」は、「世界の大自然観光お宝鑑定団」の一時参加
ツアーということになる。 その付録の各国を代表する美術館の国宝クラスの
お宝が、どれもこれも感動もの。特に、ロンドン、パリ、マドリッドの美術館は、
往年、世界各国から奪略してきたお宝の宝庫である。最近、見たのがパリの、
ルーブル、オルセイ、オランジュリーなどの美術館。
 これらを決して、欲しいとは思わない。そこに見れば充分である。
所有さえ放棄してしまえば、素晴らしいことに、その数十倍、数百倍、
多くの満足を得ることができる。
・・・・・・
4593, そして、人生はつづく ー4
2013年10月13日(日)
   * 生き直すために!
朝日新聞のオピニオン「耕論」『生き直すために』小田嶋隆ーのコラムが面白い! 
先回の「そして、人生はつづく」は、「生き直し」でもある。この年齢になると、
一年ごとが生き直しの日々。筆者は、生き直しは、「やめる」ことから始まる
という。 やめることは捨てること。最近、断捨離という言葉を聞くが、
その捨てることが難しい。 捨てて捨てて捨て去ることは悲しく辛い。
が、それを前向きにすることで、辛さを軽減出来る。
  ーまず内容の前半の要約をすると・・
《 「人生やり直し」を二度経験している。1980年に大学を卒業して、
 新卒で入った会社を8ヶ月で辞めた。何をするわけでなく、ただ不愉快な
ことがあったから逃げただけ。当時、上場企業の正社員というコースから
一度外れると再チャレンジが難しく、3〜4年アルバイトをしていたが、
バンド仲間の知人からパソコン入門ライターを勧められ、パソコンバブルも
あって、それが当たった。しかし30歳前後から、アル中になり、酒浸り。
酒が切れるとウツ状態になる。自殺をしないためにも酒を飲み続けた。
 それもあり、仕事が減った39歳時に断酒をしたが、5日間、断酒をしたら、
眠れず、幻聴まで出てきた。そこで、心療内科に行くとアルコール依存症と
診断され、「このままだと、40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール
性痴呆。もう一生飲まないしかない」と宣言された。それまで人と会うのも、
音楽を聴くのも、野球を見るのも、酒を飲みながら。医者に「酒をやめると
いうことは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と言われ、慣れ親しんで
いたことを次々やめた。断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス
で、「棚卸し」というが、いわば人生のリセットをする。酒をやめてみると
膨大の時間が余る。何をしていいのか分からない。サッカー観戦だったり、
自転車を乗り回したり、イグアナを飼ったりして時間を潰した。・・》ーつづく  
▼ 何かを捨てるということは、「空即是色」の現象面の一つ。
「空にしてこそ新たな色が現れてくる」。筆者は、上場企業を8ヶ月で辞め、
犬に例えると宅上犬から野良犬になった。そこで、彷徨い歩いているうち
アル中になり、39歳で断酒。そこで得たのは膨大の時間。自分の能力、弱さを
認めることから出発しないと、アル中から脱出できない。物書きと、創業を
目指した私とは大きな違いがある。目標がハッキリすれば、選択することが
見えて、自然と、「やめる」ことが見えてくる。20歳の頃、創業を決心した
時から、私が捨てたのは「世間体」と世間の常識。そうとはいえ、本当に
捨ててきたかというと、捨てきれる訳がない。決断、決心をする時にまず意識
してきた。これを捨てるには、まず全てを根こそぎ疑うこと。ここでは
「やめる」と言っているが、まず自分の常識を破壊する。人生にやり直しなど
出来ようがない。天を信じて捨るべき時に、捨るべきことを、捨ないと・・ 
捨てることを決断することで、自ずと節目が出来る。
「脱皮できない蛇は死ぬ」 脱皮出来ないゾンビが街を徘徊している。
・・・・・・
4218, 神は妄想である ー1
2012年10月13日(土)
         ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、
「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。欧米のように、
生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で
育ってない日本人は、神様目線が殆どない。殆んどは「神は妄想」と思って
いるし、神の話など家庭内では皆無。しかし欧米では無神論者は同性愛と
同様か変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者など
の狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。
   まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより
≪ なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」
 と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会のあり方は、
おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に
携わっている著者は、かねてから宗教への違和感を公言していたが、9・11の
「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられ
なくなった。「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、
あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについてあらゆる方向
から鋭い批判を加えていく。宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。 
神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今では
インテリジェント・デザインを自称する、進化論を学校で教えることに
反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。
あえて反迷信、反・非合理主義の立場を貫き通す著者の、畳みかけるような
舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫
▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的
 ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、注目された内容。 
9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉
に対し、知人から注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 
欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。とはいえ、知識を
持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。
自然以外に、まず、それにアブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。
それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には
キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑
に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは至極当然で、その対立は
激しさを増している。 そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる
視点も、よく分かる。「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」
と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの猿が進化した
生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、
自然世界の時間をかけた進化などをさせてきた、自然法則を神として
理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく
・・・・・・
3853, シリアスでストイック
2011年10月13日(木)
 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。
シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と
捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。コミックでは、
「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。
ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という
場合は自分に厳しい人という意味。「今回のヒロインはシリアスでストイック
なキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、
「ヒロインは極めて真剣で、原稿などの締め切りに追われている作家などは、
シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。漫画でいえば、
「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。
そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイック
に過ごさなければならない」。まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。
いや、「ファニー」の一日かもしれない。その対義語ではないが、正反対の
キャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風
変わった。」という意味。お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。
サンマ、タモリなどが、このキャラ。
 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスで
ストイックというより、ファニーの日々を過ごしている? 誰もが、少し視線を
変えれば、違って見えて当然だが。人生を振り返ると、この3つが混在している。 
私の場合、「リアル」で、かつ「コミック」も加わる。 まともに生きれば
シリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 
問題は品性か? 品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれて
いなくては、とすると?・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ?
 ・・・・・・・
3488, インコのクシャミ
2010年10月13日(水)
 ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。
身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。
籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣である。
しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場でジッとしている。
呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。
そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸。 母が亡くなる直前も、
そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで
椅子に座り、みていた。時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、
片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。
そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。小さくクショッと人間のように
するのである。そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、
熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、クシャミ
までするとは思ってもなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲って
いるのをみて、何だろうと思い、8〜9分は死ぬと思い込んだが。 
寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。
インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも
愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。クシャミをし、全身の毛が
逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。
ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコを
している」が、そのまま全身から伝わってくる。全身で苦しみ、全身で喜びを
表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は
「ありのまま」で生きている。だから、ペットとして人間に好かれるのである。 
衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。


5324,「ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー②

2015年10月12日(月)

         ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
   * 「残念」な日本のネット社会
 ネットが普及し、「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったというが、
アラブの春の民主化が正しかったのか、間違っていたのか? を例にとると
分かりやすい。独裁者は、「バカがウエブで繋がった結果」と見ていたのだろう。 
烏合の衆は、所詮、流砂のように掌から零れ落ちていく。ネットの利点は計り
知れないものがある。当然、その影は付いてくるが、それも一つの社会悪と
割切るしかない。問題は、それに慣れてないこと。 〜その辺りから〜
≪ 結局、何でもほどほどのバランスで食べればいいのだろうが、
 ネット上の意見にはとにかく極端なものが多い。深刻に悩んでいる人が多い
からだろうが、癌や妊娠、出産、子育てに関ずる話題にも、トンデモ知識が
溢れている。知り合いの医師も、ネット上での知識を患者が頑なに信じすぎて
いて、「知恵袋ではこう書いてあります」と言って聞かないと愚痴っていた。
 結局、ウェブ2・0は実現したのだろうか。少なくとも『ウェブ進化論』を
書いた梅田望夫自身は、その夢をあきらめてしまったようだ。
 彼は2008年、自身のプログで水村美苗の『日本語が亡びるとき』を好意的に
紹介したが、それに批判的な意見が殺到した。さらに梅田が役員を務める企業
のサービス「はてなブックマーク」も、彼への批判で溢れた。これに対して
梅田は、「はてぶのコメントには、バカが本当に多すぎる」とツイッターで
発言、大炎上した。さらに2009年にはネットメディアでのインタビューで、
日本語圏のネット空間が「残念」であるとコメント、再び炎上。要は、ネット
で発生してしまう「衆愚」問題に梅田は耐えきれなくなってしまったのだろう。
 中川淳一郎が断じるように、インターネットが普及しすぎた結果、
「ウェブはバカと暇人のもの」になってしまったようだ。確かに中川の論じる
ように、ネット上には読解力がなく、ジョークも通じない、「暇人」が多い
ように思う。このーヶ月で3回くらい炎上した僕も、どうしても中川説に賛同
したくなってしまう。しかし、『ウェブ進化論』ではすでに、衆愚の問題に
ついても論じられていた。たとえネットに溢れる情報が玉石混合でもいい。
それを個入に合わせてカスタマイズしてくれる「自動秩序形成システム」に、
梅田は期待をかけていた。実は同じような議論は最近でも続いている。
要は、技術の力でネット空間がよりよいものになるはずという楽観論である。
現在、ネット空間は、PV数(閲覧数)至上主義。だから、とにかくアクセスを
稼こうと、扇情的な見出しや、誰かを傷つけるようなコンテンツが跋扈して
しまう。しかしそれはネット空間が発展途上だからと楽観論者は言う。
 先日収録した「ニッポンのジレンマ」という番組でも、ウェブメディアで
活躍する論者たちが素敵な未来語りをしていた。そのような未来が本当に
実現されるのかはわからない。だが、少なくとも言えることがある。
そうした「情報技術が明るい未来をもたらす」という議論は昔から繰り
返されてきたということ、そして技術の力では、大して社会が変わって
こなかったという残念な事実である。「ニューメディア」「マルチメディア」
「高度情報化社会」、そして「インターネットと形を変え流行してきた。
しかし、衆愚の問題}にとってもそうで、技術の力で社会の形が大きく変わって
きたようには思えない。少なくともウェブ2・0が宣言されてから10年で、
日本社会は大きく変わってない。ネット空間には「バカと暇入」が増えた
だけのように見える。なぜか。答えは簡単で、衆愚とは何もネット空間
だけの問題でなく、この社会の問題である。
▼ 問題は、衆愚の結合である。これまで衆愚を一神教が、結合してきた。
 問題は、その手段としてウェブが使われるのか、それとも、その虚構を
根こそぎ破壊してしまうのか。何せ、相手は2000〜3000年の歴史がある
絶対神のアッラーである。当分の間は、ネットで衆愚を収めるだろう。
残念なのは、日本の衆愚だけでない、世界の衆愚である。バカは世界の
何処にも存在し、底辺ほど直ぐに繋がり結合する。しかし、優秀な者同士も
繋がり、アップスケールの機会が与えられている。情報環境空間がネットで
地球上に広がったのである。
・・・・・・
閑話小題 ー美人の黄金比
2014年10月12日(日)
   * 美人の黄金比
 誰もがその人を美しいと感じる、“美人の法則”が存在するという。
1:目を中心にして、「頭の頂点まで」の長さと「アゴの先まで」
 の長さが同じであること。
2:「目と目の間」の長さと「鼻の幅」が同じであること。
3:「目と目の間」の長さと「目の幅」が同じであること。
4:「口の幅」が「鼻の幅」の1.5倍であること。
5:「顔の横幅」が「鼻の幅」の4倍であること。
 上記5種類の「顔の黄金比」に対して、誤差が「0」に近ければ近いほど良いと
されています。ちなみに、一般的な人の顔の誤差数値は「1.1」〜「1.3」とか。
どうでもよい話? 要は、傍目でみたバランスが上記だと美人ということ? 
それにしても綺麗で優しく温かみがあり、清潔感がある人が、一般的に美人
というのだろう。それに、教養が、まずベースにあることが前提である。
 美人は、顔と全身のバランスでしかない。そのバランスの均整も一時のもの。
身近で、姉達や、同僚などを見てきて、その時期は、わずか5年間でしかない。
だから、それが良いのである。
・・・・・・
2013年10月12日(土)
4592, そして、人生はつづく ー3
  * 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく』
 5月の連休明けにシネマでみた「アバウト・シュミット」が、まさに
「そして、人生はつづく」をテーマにしている。
   ーその概略をHPでみるとー
《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアと
 ペーソスを織り交ぜて描くヒューマン・ドラマ。人生の終盤を迎えて大きな
転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優ジャック・ニコルソンが
見事に表現。監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭
アレクサンダー・ペイン。アメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で
定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット。彼はこれまで妻ヘレンと
今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。
そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、
シュミットは会社中心の生活リズムが染みついていたせいか手持ち無沙汰になる
日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死。そして葬儀の準備に追われる
シュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくる
のだった…。》
▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でも
 それなりの人生を送っていると思っていたが、定年をむかえた直後、妻が
急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む
娘を車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで
接したことのない世界の人たち。その旅で、これまでと違った様々な経験をする。
それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。職場と連れ添いの喪失で、
なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。
妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。5月の連休明けに、この映画を
見たが、会社を整理をして二年。主人公の姿に自分が二重写しの部分がある。
また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。
 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで
自閉症になって半年、お金も尽き、辛うじて知人に拾われ、働き出し、営業
で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は
老けていた。数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の
娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越した。現在も「そして、人生は続いている」
のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうか・・
・・・・・・
4217, 開国という強迫観念 ー4
2012年10月12日(金)                      
  * 「開国」とは何だろう     
       ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 
 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り
変えることが可能なアメリカに世界は振り回されてきた。TPP(環太平洋戦略的
経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が明らかに
不利になるため、従うしかない。属国から離脱など出来ないように囲い込まれて
しまっているのが日本である。  ーその辺りからー
≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、
「世界の潮流に乗ること」であり、「世界の普遍性に乗ること」だといって
きました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、
本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。「開国」とは異質なものに
出会い、世界は多様であることを知ることなのではないでしょうか。
「開国」とは、何よりまず、異質な文化、社会、宗教などに出会うことです。
そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。
独自性です。自国の、自文化の独自性を認識することなのです。もちろん、他
国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることが
「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということ
ではない。世界には、西洋もあれば、中国も、インドもイスラム諸国もあるのです。
しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード」といった時に、
決してイスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や
「標準的」ということで、常に西洋先進国を思い浮かべるのです。
いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」と
いった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。「世界標準」とは
アメリカの示したルールなのです。「普遍的な世界」とはアメリカのことです。
「世界に乗り遅れる」というのは実は「アメリカに見捨てられる」という
ことなのでした。 ≫
▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。
 そしてネット社会が、それまでの世界に張り巡らされ、現実世界を覆って
しまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人が
ポケットに持ち歩けるようになった。それで、個人情報の受発信が気楽に、
しかも安価に可能になった。この流れは世界のグローバル化を、より推し
進めることになる。それは、情報をコントロールでき利用できるものと、
出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのが
アメリカの一部の人たち。日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。
垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の日本の水準から見れば下流。
総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流と
いうことになる。預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を
入れると、既に国民の過半数を超えているという。失われた20年で、
日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、
歪にならないで済んでよし」とすべきか? 難しいところ。
・・・・・・
3852, ツレがうつになりまして ー3
2011年10月12日(水)
 鬱病のタレントは、音無美紀子、小山明子、萩原流行、千葉麗子、
生田悦子、岸部四郎。 音無美紀子、高島忠男、小川宏、木の実ナナなど
多くいる。作家では夏目漱石、北杜夫がいる。タレントの何人かが手記を
出しているが、本当に辛そうだ。老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常
になる。長生きの人生の利子。私の倒産のストレスは実際のところ大きいが、
その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小?で済んでいる。
対策として、直後から、
 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 
                 =合計三時間の運動で身体を動かす。
* 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 
* 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。その為に、哲学書を一歩
 踏み込んで読み込むこと、と決め実行している。しかし、この結果に
 対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。
当然のことだが。欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなる
こと。一度、底に落ち込むと、這い上がるには膨大なエネルギーを要する。
そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、辛さが積もっていく。
私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、
その崩壊は最小で済んでいる。所詮は、娑婆娑婆! もしインサイダー人間
だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。地域社会を
象の皮膚の隙間とすると、そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると
気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。経験からして、心の傷は癒える
のに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。時間が全てを解決すると腰を
据えるしかない。結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 
見渡してみると重い経験者は一割。軽いのを入れると三分の二。
 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、
映画館の梯子をするとか、新しい何かに挑戦するとか。それが出来ないから
欝になるから、これ愚答。そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、
悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を
変える、味を変える、仕事を変える、どれかが短期的に効果的。 
書店か図書館に行くと、(神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が
感応し、ピッタリの書棚に案内をしてくれる。これは神様の情け。
気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 
朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。


5323, ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー①

2015年10月11日(日)

       
       ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                  『新潮45』〜悪夢の21世紀 より
  * 懐かしいウエブ2・0
 もう10年近く前になるが、梅田望夫の『ウェブ進化論』と、佐々木俊尚の
『ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点』などを読んで、ネット時代
の明るい未来を信じて現在に至っている。ところが、梅田ブログも7年前から更新
されておらず、マスコミから消えてしまった。何かあったのだろうかと思って
いたところ、『新潮45』の特集の中で、ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー 
というテーマで、古市憲寿という若い学者の手記があった。 それによると、
ネットの未来に明るい側面をうたい上げた梅田が、ネット上で衆愚?に総攻撃
を受け、嫌気をさしたのが消えた理由。考えてみれば、衆愚はネット社会だけ
でなく、社会の大部分を占めている現実がある。 知的側面でも中流対下流の
対比、65%対35%が、10%対90%に下流が激増したようだ。その彼らを尊重する
のが民主主義というから始末が悪い。 ネットは気違い(衆愚)に刃物でしか
ないのか? という問いかけである。 〜その辺りを抜粋〜
≪(p48) 10年ほど前、「ウェブ2。0」という言葉が流行したことがある。
 多くの人が情報の受け手に過ぎなかった「ウェブー1・0」時代が終わり、
「みんな」が情報発信者になれる時代が訪れた、という騒がれ方をしていた。
プログやmixiといったソーシャルネットワークがブームになり、ウィキペディア
などの集合知が注目を集あていた時代のこと。2006年にベストセラーになった
梅田望夫の『ウェブ進化論』によると、ネット上のコンテンツは玉石混合という。
しかしそれを集合愚と断じてしまうのは早計である。 これから一般人が表現を
するハードルはどんどん下がっていく。すると母集団が増え、良いコンテンツの
割合も自然と上がっていく。さらに個人の趣味に合わせ情報を提供するシステム
が高度化していくだろう。要はテクノロジーの力によって、理想的な総表現社会
が実現されていく夢を梅田は語っていた。確かに有象無象のネットユーザー
の「表現」と、テクノロジーの組み合わせが、人々の役に立つことがある。
 僕が一番参考にしているネット上での集合知は「価格・oom」だ。
専門性が必要とされず、主観が介在する余地が少ない情報を集める時、ネット上
での集合知は威力を発揮する。「価格・com」のミソは価格という、誰が見ても
比較しやすい情報を集約している点にある。価格よりもやや客観性が落ちるが、
使用者による商品レビューも参考になる場合が多い。電化製品を使うのに専門性
なんていらないし、思想信条が評価に大きな影響を及ぼすとは思えない。
専門性ともイデオロギーとも無縁の領域で、ネットの集合知は大いに役に立つ。
だが電化製品よりも個人の趣向や経済状態が反映されやすい食の分野になると、
集合知は少しずつ怪しくなってくる。通常の雑誌では無理だろう詳細な情報や
写真が掲載されている「食ベログ」。だが星の数や食に対する判定になると
当たり外れが多い。さらに難しいのは医療や法律といった高度に専門的な分野。
共に本来は長期間、高等教育機関に通わないと専門家になれない領域。
しかしネット上には自称専門家による怪しい情報が盗れている。 たとえば
「Yahoo!知恵袋」の医療情報などは、本当に玉石混合。「牛乳で免疫力を高める」
とか「めかぶ、を食べると代謝が高まる」とか、あらゆる食品が体にいいことに
なっている。そうか、牛乳やめかぶを食べればいいのかと思ったら、今度は
「牛乳は毒。飲んでいるのは日本人くらい」といった自称専門家説にぶち当たる。≫
▼ みんなが情報発信者になれば社会が豊かになる?と、梅田望夫が明るい
 未来を謳い上げたが、現実はゴミ知識と炎上騒ぎのバカ騒ぎ。当の本人も、
その馬鹿馬鹿しさに、姿を消してしまった。その衆愚の一人が、この私。
飽きもせず、毎日、数時間もかけ、頭の中身をネットに公開している。
利点もあるがマイナス面があまりに多過ぎる。が、暇潰しには丁度よい代物。
・・・・・・
閑話小題 ー"老後破産"の現実
2014年10月11日(土)
*「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
 家内が青い顔をして、昨夜放送の「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
を見たが、ショックだった、録画に入れてあるから、見てみたら!と言う。 
で、早速みたみたが・・  ーNHKのHPよりー
≪まず「都内の80代男性、年金支給日の前になると現金が底をつく。
 月10万円の年金。アパートの家賃6万円。「まさかこんなんなると思わない
ですねえ」3年前にガンを患い治療する80代男性、医療費が重い負担。
月3万円の預金を取り崩して生活。≫
≪ 区内の独居高齢者は4700人。相談員は11人。対策が追いつかない。
 区のアンケート調査では、年金だけでは安心して暮らせないという声が。
アパートで一人暮らしする田代さん83歳。年金月10万円。家賃6万円。
残額4万円。家賃の安い住宅に引っ越そうにも引越し代がない ≫
≪ 秋田県。高齢化率が31.6%。とくに高齢化が進む湯沢市。
 コメ農家をしていた西館さん84歳。いまは田んぼは親戚に任せている。
年金は月2万5000円。夫は15年前病気で亡くなった。心筋梗塞で倒れ、
10年あまり入退院を繰り返し。医療費の支払いで、年金の保険料を払えず。
故郷を離れ嫁いだ嫁に会うこともできない。「余裕ないでしょ。だから
自分のもらった年金でどこまでやっていけるかって考えるの」湯沢市の
一人暮らしの高齢者は約3000人。西館さん、食費に回す金がほとんどない。
おかずの材料は野山に取りに行く。「フキは干したら柔らかくなる」
光熱費を払うと生活費は1万円。食費は月4000円しか使わないと決めている。
「魚は、田んぼに流れてくる水でとってきた。金かからないでしょ、
自分でとってくるんだから」心臓に狭心症の持病があり、発作がいつ起こる
かわからない。発作を抑える薬は、街の中心部まで1時間かけて病院に通い
受け取る。次に発作が起きれば危険だという。≫
▼ こういう人が、身近に人知れず多くいる。私自身も、一つ判断を
 間違えば同じような身の上。これは、生老病死の問題そのもの。
何か身につまされてしまった。しかし、死んでしまえば、皆、同じ!
・・・・・・
4591, 2050年の世界 ー18 
2013年10月11日(金)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                  〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきた。大地震、津波、異常
気象なども、地球温暖化と関連した現象。これまでの後進国が経済発展で、
国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、
それが地球温暖化に拍車をかけることになる。
しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。
  * 第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ
・気候変動について現時点で正確に予想する方法は確立されていない。
 エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、経済成長がどうなるのか、
 気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が
 多すぎるためである。
・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、
 温暖化に結びつくということはコンセンサスとしてあり、だからこそ、
 これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。
・1992年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約。
 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明。
・第二の進展は、1997年の同条約の会議で合意された京都議定書。
 富裕諸国はこの議定書のもと、2003年の二酸化炭素排出量について、
 それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし各国の数値目標には
 ほとんど強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られず
 不参加となってしまった
・2009年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書
 よりもっと野心的な数値目標を、富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせる
 はずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を達成するため
 には、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。
・そうした中、2010年のメキシコのカンクン会議で中国が、2020年までに経済の
 炭素集約度を四〇〜四五パー削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化
 炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。中国では、
 福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい
 原子力発電所を増設。風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増加。
・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増える
 ことにより、海洋地下資源開発の促進、あるいは新たな漁獲域の出現など
 大きな変化があるだろう。
・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。
 成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することによって温暖化を防ぐ案が
 あるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため
 実現はしないだろう。
▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。
 その結果、温暖化問題が、より深刻化していく悪魔の循環が、日々、大きく
なっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に
なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、
このままでは、現実問題になってくる。
・・・・・・
4216, 開国という強迫観念 ー3
2012年10月11日(木)                      
 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? 
      ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思
 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的
城下町の世界。とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れること
だった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。新潟市でさえ
外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国。 
住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。
それも首都圏から見れば似たようなもの。それを逆照射してみると、世界という
より欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。
5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、
その文化の高さに驚いた。当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼす
ほどの近代化された軍隊だった。世界>東京>地方の図式は、こと日本において、
決して当てはまらないのである。  ーその辺を抜粋してみるー
≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は
「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。東京へ行くことは、
また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいる
ことは内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、
「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、「地方」や「田舎」は特異な
「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を
聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、
田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりする。
だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを突きつめて
ゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。「開国の論理」とは、
まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の
近代化とはまさしく「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。
「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのもの
といってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、
これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。この同じ論理を
もう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、
「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、
さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的
文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した
「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫
▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。
 その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と蔑んでみている。
当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方
出身者に向ける。地方の人も、自然と固定観念に染み付き、自虐の念になる。
しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。
大方が気がつくには死期が迫った時。
 ・・・・・・・
3851, ツレがうつになりまして −2
2011年10月11日(火)
 この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。
欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。学生時代の
友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になって以来、
古町などで15年ほど隔月ごとに飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の
聞き役。支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に
向いてしまう。それも数値責任を達成した上だから、たまったものでない。
トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の辛らつな
虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。主人公も、外資系の会社で、
リストラ、効率化、顧客主義、徹底したコスト削減、顧客のクレーム処理で
神経を磨り潰す。几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、
鬱病が表立つ。そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ
死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。
 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を
打ち止めになった出版会社の担当に「ツレがうつになりまして、お願いします、
仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、
欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。その必死さにうたれた
担当が、その人を紹介し、それが、この「ツレがうつになりまして」を書く
キッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、
ウツに追い込まれる人が多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。
他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しく
ない。事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を
自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も当然起きてくる。
その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を
冷笑している心の奥の視線もある。当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが
恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、
あれこれの思いが巡る。それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 
大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。
それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は
言葉で言い難い。事業を興し、上手くいっている時は、この世の春。
しかし、ある時点から転落するように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 
それでも手元資金が完全枯渇する前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 
ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。
≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 
あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、できることからやるの
「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 
 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 
生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく
 ・・・・・・・
3486, つれづれに ー閑話小題
2010年10月11日(月)
   * ガラパゴスに戻って
 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモ
の携帯に切り替えて7日が経つ。二年前にiPhoneに切り替えたドコモの
携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 
で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になった
こと、画面が大きくなったこと、カメラが810万画素になり、タッチ式に
なったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。
他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、
ということで今の機種を選定した。しかし他機種で4〜5万を出したものなら、
その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。
   * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減
 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、
2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、1994年のピークの664万円に比べ
2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり
続けている。世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働き
に出たり労働時間を延長したこと、などがある。増税などを含めると、世帯の
収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊の
世代の大量の定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行
とともに日本経済はますますダウンしていく。おそらく10年で、更に2〜3割
以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円に
なると、勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。 反面、
それほどの貧困感は出ることはないだろう。中古市場や、フリー(不用品の
無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあう
システムがネットを通して働くからだ。貧乏だが、最低限のモノや情報には
不自由しない時代になっていく。

 


5322,閑話小題 ー5年前に、10年の余生と想定して

2015年10月10日(土)

   * 老いの恐ろしさ
 数日前のポタリングの帰路、信号が赤に変わったのに、ボ〜ッとして何か
勘違いしたのか、そのまま車道に進入をしてしまった。何で車が向かって
走ってくるのだろう?としか、考えられないとは。 直後に気づいたため、
事なきだったが、これまで二度、車で赤信号に気づかず、そのままつき切った
ことがあったが、二日酔いと、旅先で疲れが原因だった。今回は老いだろうか。
魔が差し事故にあうときとは、こんなもの。 
 70歳以上の免許書換え前の講習会で、「交通事故の当事者は3分2が65歳
以上の高齢者。老いによる注意緩慢が原因です。」と聞かされた。
毎朝一時間、冬期を除き年に8ヶ月、6年以上走ってきたが、来年春先から、、
週末の二日間に切り替えるべきか。
   * 5年前に、あと10年の余生と想定して
 65歳の節目で、あと10年の75歳辺りが寿命と、気楽に考え5年近く。
間もなく半分が経過する。10年前は一昔に感じるが、5年はアッという間。
とすると、もう残された時間も直ぐにくる。数ヶ月後に70歳になるが、
父は、この年にガンが見つかり、一年後に亡くなった。 死についての
知識が皆無だったこともあり、死の恐怖に悶絶をしていた。誰もが、
直面する恐怖。その凍りついた空気は、そのまま周囲に伝わってきた。
老いと死の問題は、人類の永遠のテーマ。 70歳を過ぎると、背後からの
漠然とした不安から、前側に移動し迫ってくるという。ここにきて、長生き
をしたいとか、後悔の念が少いのは意外。好きなように生きたためだろう。
 いざ直面すると、違うのだろう。 5年は何とか?だが、10年は?
その時、『死ぬのは死ぬ。助かるは助かる。ガタガタするな!
それにしても面白かった!』が、内語になるのか? 
その時には、こんな事が書けないだろうから、今にうちに書いている。
・・・・・・
脳がよろこぶ話 ー4
2014年10月10日(金)
      対談ー夏樹静子『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
  * 脳という最大のミステリーを、文学と科学で読み解く
 私も腰痛持ちで、その苦痛は、言葉では表現できない程辛い。
付き合いだして丁度50年になる。最後に一番辛かったのが、5年前のこと。
その時から本気になって幾つかの対策をしたのが功を奏して、今では、軽い
腰痛は年中続いているが、重いものは、あれ以来ない。更に、二年半前からの
週二回のヨガが、良いみたいである。しかし、少しでも身体を冷やすと、
直ぐにでも痛みが増してくる。
≪ 夏樹:脳より腰がミステリ!。(笑)
茂木:一時はイスにも座れなかったぐらいだったという。
夏樹: もう、イスが怖くて怖くて。イスに座れないというところから始まった
 んです。ある朝、いつものとおり家族が出ていって、書斎に入って、さて仕事
 をしようと思ってイスに座ったら、どうしても嫌だといわんばかりに。腰が
 上体を支えるのが嫌だと言い出した。そういう感じで、座っていられなくて。
茂木:腰の反乱ですね。
夏樹:それから三年間というもの、ドクターショヅピングっていう言葉は
 好きじゃないけど、いろんなところであらゆることを試したんです。
 でも、注射も、薬も、東洋医学も、何ひとつ効かず、それどころか原因さえ
 わからないもので、あきらめて、絶望的になって、家で寝ていたわけです。
 イスに掛けられないし、立ってもいられない。一日中、ううっいたいといって
 動けないような激痛も頻発して、異様な倦怠感もあって、鉄の甲羅を背負わ
 されたみたいに、部屋を横切るのにも這って行くっていうぐらいでした。
 もう万策尽きたと思っていたところに、主人の友人から紹介された心療内科
 の先生がいらして、最初に先生が、私の話を二時間、聞き取ったんです。
茂木: おつらかったでしょう。
夏樹:先生がおっしゃるには、全部心因性なんだ、心が原因なんだと。
 私は全然信用しなかった。張り切って仕事してきて、ストレスも何も感じて
 なかったから、そんなはずはないって言ったんだけど、「あなたの潜在意識
 は疲れ切って、休もうよ、休もうよと言っています」って。愚かな私が意識と
 潜在意識の乖離に気が付かないから、とうとう潜在意識がこのままでは死んで
 しまう。生体としてやっていけなくなるから、幻の病気をつくり出して、
 そこに逃げ込んだ「疾病逃避」というんです。しかも、これだけ拗らせて
 しまったら、ちょっとやそっとじゃ治りませんよ、もう小説書き辞めて、
 一主婦として生きなさいと。私はもう、そのころになると、痛みとの戦いに
 精も根も尽き果てたという感じで、「わかりました、もう断筆しまう」
 と言ったら、じわじわと、本当に日一日と、二週間の絶食療法の三年間の
 地獄の苦痛が、約三週間でまったく消えた。ずいぶん早く潜在意識が
 折り合ぞくれたもんだと驚いたりもしたもんです。 ≫
▼ 座る姿勢と、精神的圧迫が、腰に集中していたことになる。
 何か、事業から引退したと同時に、様々な神経症から、解放されたが、
それだけ、知らないうちに大きな重荷になっていたようだ。だから強がりで
なくて、後悔とか、挫折感は、ほぼ無く、何か毎日がスッキリしたような日々。
・・・・・・
4590, 閑話小題 ー謝罪あれこれ
2013年10月10日(木)
 このところ、毎日のようにJR北海道や東京電力など謝罪会見がTVの
ニュースで報道されている。そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という
映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。土下座は江戸時代の大名
行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため
武士がやらせた慣習。謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。
映画で、記者会見など頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど効果があると・・ 
さっそくNHKのクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。
  ーまずは、NHKのブログからー (番組趣旨より)
空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、
“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画『謝罪の王様』
でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が
気になってしまうのか。 専門家は、2000年以降、謝罪会見などで経営者の
土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、
相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。
“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。
 (NHK説明より)
 早速、プレビューを見てきました。ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマ
として今世紀最高を記録したこともあり、多くの方がご覧になったと思います。
その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。
企業の不祥事などで、社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目に
するようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という意味が
加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 
中には、土下座するまでもない場面で、土下座を強要させられることもある。
私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。
土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たような
そんな居心地の悪い気分になることも事実。番組を通して分かってくるのは、
ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座
することで、それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、
土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに向かうべきでは
ないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんの
こんな言葉です。「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いは
ありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください!
▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。
 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の被害者のように怒り、
呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も
変だが、見ている方も、明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、
本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。大場面なのに、殆ど
悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送
の話題になるのだから・・ 大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、
あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。
元もと罪の意識もないのだから救いようがない。
選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い!
・・・・・・
4215, 開国という強迫観念 ー2
2012年10月10日(水)
       ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思
 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か?
 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では
首都圏の大學か、地方大學に分けられる。一般的に都心の大学進学は、進歩的
文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識
と教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地を
つくるため。自由の立場で、世界を、社会を、人間を見つめるための猶予期間。
しかし、最も重要なことである。  ーその部分からー
≪「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型。戦後のいわゆる進歩的文化面は、
自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した「文化人」
を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは
事実。彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。
では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全くそんなことはありません。
・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点
にやってき、その後は「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。
進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉
されていった。知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、
彼らは、彼らに都合のよい西洋思想や学問を取り入れて、それを「科学」と
いい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=
「専門的」=「先進的」であり、これに対し、「日本的思考」=「非科学的」=
「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」
「専門家」「先進的」の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」
「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と
同じ。この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に
立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という特権的立場を手に入れた。
・・(中略) この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を
開かないと、世界の潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、
必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、
「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。
それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式だったのではないか。
この「世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえてみよう。・・≫
▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が
 果たしては特異で後進的か?を、問うている。それまでの欧米は、自分たちは
文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させる建前
で、世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。
日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、という刷込みではないかと、
著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。真の
支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! 
 ・・・・・・・
3850, ツレがうつになりまして −1
2011年10月10日(月)
 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。TVでも放映され
話題になったストーリー。ところで、もう亡くなってしまったが、前の会社の
取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に
暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。ところが20数年前の
バブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。その症状のまま営業や知人先
に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 
躁の時は、晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 
鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、再発の報告と相談
に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や
精神科学の本の言葉で、何とか危機を乗り越えてきた体験があるので、
痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは
≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいこと
 ではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人はいないのと同じ。上司に
正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりに
すれば、それ以上悪くなることはないし回復は最短になる。とにかく拗らせない
で治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。
 15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度は来ていたが、その都度、
初めに飛び込んでくるのは私のところ。欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから
状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが
山ほどある。しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時
入院をするようになっていた。会社は管理職からヒラになったが、最後まで
病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、
他人に危害を加えるかどうか。その辺はギリギリでセーブをしていた。
彼の場合、多くの友人がいて、それを見守って許してくれる人間性があった。
営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。その人も7年前に
癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。欝による失態も、
決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 
そういう経験があるので、この映画に感情移入をし、涙をしながら見入って
しまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 
足腰の関節が痛くなり、何らかの成人病が出てくる。 欝になるな!という方が
無理な話。その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、割り切り
きった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた
方が良いことになる。私は子供の頃から仏壇前のお経だった。  
次回は、映画の感想文・・
 ・・・・・・・
3485, エッセイ脳 ー2
2010年10月10日(日)
   「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)
  ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー
・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。
 「何を」にあたる部分がA、「どのように」にあたる部分がBになる。
 単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは
 読み手(公共)の納得の方が優先されなければならない。そのため、
 「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先されなくては
 ならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる
 題材を探さなければならない。
・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていても
 よい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。テーマに合わせて
 題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。
 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、
 抽象的だが題材は個別、具体的になる。
・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、
 へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。「ある=起、ある=承、
 へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして「へえっ〜=転」が、
 書きたいことの中心。 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、
 言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。
 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 
 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを考えればよい。
 他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。
 したがって「転、起、承、結」の順になってくる。それはテーマが与えられ
 ない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。
・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみ
 の文、セリフ「 」に括られるもの、などある。これは小説でも同じである。
 もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。
 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。
・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら
 面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイこそ、エッセイの
 エッセイの由縁である。セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、
 さらに再現性がある。
・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。
 必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」)を交えてもよい。
 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。
・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。
・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)
 に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 
〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば
 人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。


5321,寺院経営の惨状とは

2015年10月09日(金)

    * 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る
 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。
その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の
法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、
『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ
の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。
後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 
葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は
今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。
≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立
 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省
は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。
受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。
増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。
増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン
ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。
日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法
改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。
 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、
どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族
の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。
これに住宅扶助等の諸々が加えられる。
 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度
おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 
 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。
確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に
浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収
100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める
300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の
9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」
と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。
布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。
実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」
と答えている。 (略)・・・
 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く
環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では
ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、
将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の
後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも
実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で
お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫
▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしているようだ。
 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。
それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。
「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化
社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。
・・・・・・
脳がよろこぶ話 ー2
2014年10月09日(木)
      対談ー小菅正夫『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
  *「平気で生きている」ことの強さ
 三年前に、めったに出来ない経験をしてみたが、いざとなると意外と平気。
よほど、事業立ち上げの準備期間の15年間の方が厳しい状況であった。
足元が、固まってない不安と、虚無感は、何とも厳しいものがあった。
開き直りもあるが、全力で、し終えた実感があるが、まだ見ぬ計画段階を
独りで、ひたすら具体化をするのは非常に厳しい。あった物を失うことより、
無いものを形にするほうが、何倍、何十倍のエネルギーを要する。
   ーその辺りよりー
≪ ・茂木:共通の幸福の条件ってあるんですかね。
・小菅:先ほど申し上げた通り、まず食べ物を発見したとき、ちゃんと食べ
られたとき。それと繁殖。交尾がちゃんとできた、出産がちゃんとできた、
育児ができた。これだけです。彼らはホントにそぎ落とした生き方しているから。
・茂木:ムダがない。
・小菅:ムダがないというより、余裕がない。生きていくだけで精一杯。
・茂木:もともと野生環境は厳しい。
・小菅:人も日本人を基準に考えたらダメ。僕もこの前ケニアに行っていた
んだけど、ホントにね、痩せた子ども。ハエがたかった子どもが街にいる。
それを抱えているお母さんが物乞いをしている。人ですらそうでしょう。
ましてやチンバン�も死んだ子ども抱えて、ライオンだってごく一部の幸運
な子どもしか育たない。彼らがそういう環募なかで生きているということは、
われわれとちょっと次元が違うと思う。それで満足というよりも、本当に
それしかできない。余裕がない、僕らは食べ物を取ったらその後、何か
楽しみが待っているけど、彼らはそこから、せっかく自分の身体の中に入れた
エネルギーをなるべく長持ちさせるようにゆっくり休んでいる。(中略)・・
・小菅:百何歳の曹洞宗の禅師のインタビューで、「悟りとは何ですか」
という、質問者がたずねた。「平気で死ぬことですか」と。そしたら禅師は、
「平気で生きていることですよ」― あれ、動物と同じだと思った。
動物って平気で生きている。たとえばうちにアサコていうゾウがいました。
六十歳超えていて、最後の臼歯が半分欠けて落ちた。それであまり食べられ
なくなっちゃったんだけど、それでも平気で生きている。気にしない。
 文句言わない。今までとまったく変わらない生き方をしている。
そしてパタッと倒れて死もんでいく。 あの平気さっていうのはね。
宮崎さんという方が「平気で生きていることが悟り」と言うんだったら、
動物はみんな悟っているなと。
・茂木:不思議ですね、そうすると修行を積まれた高僧の方がたどりついた
境地というのは、もっとわれわれの祖先が動物だった時代に持ぞいたもの
かもしれない。われおれは忘れちゃっているだけなんですかね。
そういう蓄があるんだと思う。≫
▼ でも、「平気で死ぬこと」も、動物の大きな特性である。
 人間の最大の問題は、肉体的苦痛と、苦悩への恐れの解決である。
 確かに、底知れぬ苦痛と、苦悩の中、消滅していくのだろうが・・ 
・・・・・・
4588, 2050年の世界 ー16 
2013年10月08日(火)
       「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ
・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。
・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならない。
 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられる。
・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ
 などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。
・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、
 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の
 巧妙なマスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。
・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。
 中国では民主主義が前進し、逆にインドでは、複数政党制ゆえの混乱で
 民主主義は苦しむことになる。
・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対する
 さまざまな形のバイアスのかかり方。
・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、
 規制当局に圧力をかけるということだ。
・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ等を通じて操作されやすいこと。
 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で
 情報操作を受けている。
・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。
・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。
・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える
 「経済第一主義」と、この「公共心」が大きな対立事項となり、
 民主主義を揺るがしていくことになる。
▼ 民主主義がネット社会の中でベストの政治体制だろうか?という疑問が
 出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。 特に、
この変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの
権力者で支配されているというが、実際に、そうだろう。自由、平等、博愛が、
民主主義の前提にある。しかし世界には、その前提を受け入れない世界が無数
に存在している。それらの地域の壁が取り払れれば、そこに争いが出てくる。
自由には制限があるが、各々違うため問題が次々と派生、世界を混乱に陥れる。
しかしネット社会では、それらを飲み込みながら改革を繰り返し前進すると
信じたい。自由を放任すれば格差がうまれ、平等を優先しすぎれば豊かさ減少。
友愛を掲げれば内向きになり弱体化し、独裁者を生む。その辺のバランスは、
人類の永遠の課題である。経済第一か、公平第一か。
それが、現在の自民党、民主党の対立軸である。
・・・・・・
4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は?
2012年10月08日(月)
  * 去年は凄い年だった! で、今年は?
 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、
北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、
ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死など
など。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 
しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し
中国国内の日本企業が焼討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きなクラッシュ
はないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。去年に発生した問題
は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、ここまで引き延ばしただけ。
しかし、ひと月で、中国のトップの交代、アメリカと韓国の大統領選挙、そして
日本の政権交代の可能性もある。更に欧州危機と、中東もイスラエルによる
イラン核施設攻撃の危険がある。世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごす
ことになる。それと、スマートフォンの普及が、世の中の変化を、推し進める。
これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入ってしまった
ということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。「今年は、まだ小沢か?
また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党をつくったが、
再浮上をするかどうか? 常識的にみれば無理だが、どうなるか? 
   * 多人数兄姉の末っ子として
 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 
母一人、子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌
になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての立ち位置に生まれ育った。
下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影で、その虐めは陰湿そのもの。
しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で
緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。
それもあり常に知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないこと
は見ないふり、陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は大声で泣くこと。
大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 
大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。
両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分をカタチ
つくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、家庭に恵まれて
いたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。
これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。
 ・・・・・・・
3848, 料理はメディア
2011年10月08日(土)
  * 料理はメディア、コミュニケーションのツール  
           ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、
 こんなにまずいのはどういうわけだろうとね。それはしかし、自分の中で
考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは
「よく味わう」こと。それがおいしかったら、「うまいなあ、実にうまいなあ」
と言って、おいしそうな表情をして、食べる。 この「食べる表現」ということ
が肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。
本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を
メディアとする、コミ二ケのあり方です。昔は、人を招いてご馳走することを
「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微ですね。
つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も多くある。 
そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。
それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って
いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに
委嘱して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 
それが、料理屋でもてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に
招いたかというと、ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、
全然料理の味なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、
主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション
のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けている
人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、板長に
なっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗し出してきたものを、
知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。薀蓄など語る必要はない。
「美味しいな〜」だけでいいんです。】
▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれ客は
 店に行く。その個性が店のメッセージ。美味しいものを食べつくしてきたので、
それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、店の醸し出す
雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケが始っている。
 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に得々と話している人
がいたが、これほど不愉快なことはなかった。家内も私も、美味しい料理の
場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。それが、更に美味しくなる
ことを知っているからだ。チョットした店構えの店で、売りにしているものが
美味くないわけがない。ビジネスマンは、その交渉の前後に食事を共にとる。
食事を通してメッセージが幾重にも伝わる効果があるからだ。
・・・・・・・
3483, フューチャリスト宣言
2010年10月08日(金)                   
「フューチャリスト宣言」梅田 望夫 , 茂木 健一郎 (著)
                     ー内容(アマゾンより)
インターネットによってすべての人に学ぶ可能性がひらかれ、ブログが名刺
になり、ネットでの評判がパワーとなる。過去に何を成したかではなく、
いま何ができるかだけが勝負の「新しい世界」の到来。日本社会との齟齬は
ないのか? 談合型エスタブリッシュメント社会をぶち壊し、新世界の側・
ネットの側に賭けよう。未来創造の意志をもって疾走しよう。
フューチャリストの二人が、ウェブのインパクトと無限の可能性を語り倒す。
〜〜
 これは「ウェブ人間論」の続編的内容である。梅田望夫と茂木健一郎
の「ネット未来」に関する対談で、ネット社会を明るい視点で見つめる
「フューチャリスト宣言」の書。 現在から将来に向けての、ネットを軸
とした社会の変化や人間の存在のあり方の変化を語り合っている。
「フューチャリスト宣言」を「世界史の4つ目のリンゴ」に例えている。
1つ目がアダムとイブのリンゴ、2つ目がニュートンのリンゴ、3つ目が
アップル社のリンゴ、そして4つ目が「フューチャリスト宣言」。
肯定的にデザインされた明るい”未来”というリンゴになる。 
現在、出来上がった「もうひとつの地球」=「ネット世界」。そこには、
それを可能としたツールが日ごと進化し、身近に新しい可能性が次々と出来る。
「新しい芽は大きな流れとして正しければ必ず育つという確信がある」と茂木
は言う。二人には「インターネットの双方向性が必ずや世界を革命的に変える」
という明るい見通しがある。 パソコン&インターネットは
「グーテンベルグ以来の革命」と言われるが、 茂木はさらに「言語以来」
の大革命という。 既にあるリアル世界の上に、Web世界が別に出現した以上、
この二つの世界を生きなければならない現実を肯定的に捉えなければ、
生きづらくなってしまった。 また、ネット社会はリアルの世界の負け犬や
一匹狼たちにやさしいと語っているが、そういった公平性はネットの大きな魅力。 
インドのカースト社会の最下層の少女が、ネットで新しい何かを創りあげる
可能性がネット社会ではありえる。 そのことを茂木は、インターネットは
「学ぶ」という最も根源的な喜びを得る機会を無限大に爆発させているという。 
言語獲得以来の脳の使い方が全く変ったのである、ここで二人は、
「ネットの世界は、オープンソースに代表されるように公共性と利他性を
その特質としている」と語る。「お金」が支配するリアル世界の超資本主義に
対するカウンター、あるいは資本主義とは別軸のパラダイムが機能する可能性が
ネットにはあることだ。茂木は「大学」というシステムは既に終わっている、と。
レポートや試験というシステムそのものがナンセンスと切り捨て、入試も同様、
あらかじめ決められた範囲で優劣を競うこと自体おかしい、と指摘。今更いう
までもないが、ネットという新しい世界は、人間の在り方を根源から変えている。


5320,閑話小題 ー曲線コースと直線コース

2015年10月08日(木)

* TPPが合意されたが
 リタイアの身だが、TPP合意のニュースをみて、日本が今までと全く違った
領域に一歩、踏み込んだ妙な感覚になった。保護されてきた産業にとって
大打撃だろう。 日米を中心にした環太平洋経済圏の世界に入ったということ。
敗者はペルーやチリの貧民と同格の生活に入り、勝者は、アメリカの大金持ち
と同格になる。TPP成立は、さらに競争激化を我々に強いてくる。私たちの
世代の時代背景が、奇跡的に恵まれていたのである。貧富の差も、さらに
拡大し、一部勝組の総取りになる。65対35の総中流から10対90、1対99の
総下流時代が、近未来に待っている。
   * 曲線コースと直線コース
 2日続きのノーベル賞が日本人に決定したが、 
一昨日の朝日新聞の「天声人語」が考えさせられる内容だった。
≪「自然は曲線を創り人間は直線を創る」と書き出す随筆が湯川秀樹博士にある。
 丘陵の輪郭から草木まで自然には直線はない。しかし田の区画や人家の屋根や
壁などは、すべて直線を基調としている。人間はなぜ直線を選ぶのか。
日本初のノーベル賞学者の考察は奥深い。 今年のノーベル医学生理学賞に
決まった大村智さん(80)の来し方に、その短文が浮かんだ。
直線コースを歩んだわけではない。定時制で教え、大学院で学び直し、
微生物を探して土にまみれ――いわば曲線の歩みで大輪の花を咲かせた。
「成功した人は、人より倍も3倍も失敗している」はご自身の体験だろう。
とかく誰もが効率のいい直線を歩きたがるが、曲がったり折れたりの
道端にこそ宝がある。教えられるような受賞の笑顔だった。
 冒頭の湯川博士の随筆は「極微の世界」という著書にあって、人間は
曲線的な自然の外貌にひそむ直線的な法則を発見してきたと続く。そして、
さらに奥へと進めば、いっそう深い自然の神髄に触れるのではないかと語る。
その極微の世界の研究で、昨夜は梶田隆章さん(56)の物理学賞が伝えられた。
素粒子のニュートリノに質量があることを証明した業績は、宇宙の成り立ちを
探る分野での重要な一歩だとされる。
 宇宙間の万物を表して「天地人」などという。ビッグバンから138億年、
大宇宙では微の極みの「人」が自然の神髄を求める知的ロマンに、素人ながら
興味と感動は尽きない。さて、3日続きの興奮はあるか。(10月07日 朝刊)≫
▼ 宇宙の果てから降注ぐトリノ(素粒子)は1㎝に650億個。それは、
 地球をも通り抜けていくという。 その発見に世界の科学者は必死だが、
それに質量があることを証明したというから、ノーベル賞に値する。
その素粒子は、我々に住む宇宙からではなく、他宇宙?からのモノなら、
話は、当時のコペルニクスの天動説など比べようがない驚愕に値する説。
質量を持った素粒子とは何かは、私でも時間をかければ理解できるのだろうか。
・・・・・・
2050年の世界 ー17
2014年10月08日(水)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ
・第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。
 それは冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたから。
・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって
 劇減できると考えたが、9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、
 それは誤っていたことがわかった。
・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争を
 しかけられるだけの力を持ってきている。インターネットを基盤とする
 既成の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が
 持ち運びできる新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を
 搭載できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。
・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、
 水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。
・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期に
 おいては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は管理され実際には
 起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。
・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずの
 アラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に頼らず、独自に核を
 持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリア
 などが核を保有しようとする
・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に
 組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく専門家もいる。
 彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。
・無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。
・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算
 を回せなくなる。
▼ そうこう考えると、40年の間で、核戦争が起きない方が不思議で、必ず、
何度か起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が犠牲になったが、一桁上
の人たちの犠牲も有りうること。まだ、国家単位の核攻撃の内容だが、他の
科学兵器を含めた使用もある。狂った猿の兵器が、ますます強大になっていく。
・・・・・・
4213, 閑話小題 ー去年は凄い年だった、で今年は?
2012年10月08日(月)
   * 去年は凄い年だった! で、今年は?
 去年は凄い年だった。東北大震災に原発事故、欧州の債務危機、
北アフリカや中東の革命の連鎖、中国の新幹線の脱線事故、タイの大洪水、
ニュージーランド地震、それと北朝鮮の金正日とアップルのジョブスの死など
など。私自身も30年間たずさわった事業を整理をせざるを得なくなった。 
しかし今年は、シリアが内戦激化したことと、中国と尖閣列島の問題が表面化し
中国国内の日本企業が焼き討ちぐらいで、株価暴落や戦争などの大きな
クラッシュはないが、残る三ヶ月間に問題がしわ寄せされた感がある。
去年に発生した問題は全く解決されたわけでなく目先を押さえ込んで、
ここまで引き延ばしただけ。しかし、ひと月で、中国のトップの交代、
アメリカと韓国の大統領選挙、そして日本の政権交代の可能性もある。
更に欧州危機と、中東もイスラエルによるイラン核施設攻撃の危険がある。
世界中は固唾を飲んで、この三ヶ月間は過ごすことになる。
それと、スマートフォンの普及が、世の中の変化を、より推し進める。
これはパソコン機能が携帯電話に入いり、パソコンがポケットに入って
しまったということ。これで大衆への情報は格段に多くなった。
「今年は、まだ小沢か?また小沢か?の年」とも言われた。党を割り新党を
つくったが、再浮上をするかどうか?常識的にみれば無理だが、どうか? 
   * 多人数兄姉の末っ子として
 家族と、その兄弟の立ち位置で、その性格を大きく左右するようだ。 
母一人子一人なら、非常に強いマザコンに、多人数の一番上の長女なら親分肌
になり、とかある。私は八人兄姉の末子としての 立ち位置に生まれ育った。
下から二番目の直ぐ上の兄は、一番下の私の影になり、その虐めは陰湿。
しかし他の兄姉からは比較的愛されたようだ。しかし、常に多くの視線の中で
緊張を強いられていた。一つ間違えると苛められるからだ。それもあり常に
知らないふりをしながら、その場の状況を読み、必要のないことは見ないふり、
陰口などもっての外。10歳位までの私の武器は、大声で泣くこと。 
大家族のためか、自分の主張や欲を少しでも見せてはならない原則があった。 
大家族の特徴は誰に対しても心が開けない、群れの中の孤独がある。 
両親の職業、教養、兄弟の自分の立ち位置と、時代背景などが、自分を
カタチつくっている。振り返ってみて、生まれ育った国と、時代と、
家庭に恵まれていたと、つくづく実感する。それ以上に面白かった。 
これから、そのツケが帰ってくるか、こないか。
 ・・・・・・・
3848, 料理はメディア
2011年10月08日(土)
           ≪「知的な大人へのヒント」林望 著 より≫
   * 料理はメディア、コミュニケーションのツール         
【 食べるときは考えながら食べる。どうしておいしいんだろう、また、
 こんなにまずいのはどういうわけだろうとかね。それはしかし、自分の中で
考えておけばいいわけで得意がってベラベラ言う必要はない。大切なことは
「よく味わう」こと。それがおいしかったら「うまいなあ、実にうまいなあ」
と言って、おいしそうな表情をして、食べる。この「食べる表現」という
ことが肝要です。 料理はメディアです。コミュニケーションのツールです。
 本来は、主である自分がつくって客たる相手をもてなすというのが食べ物を
メディアとする、コミ二ケーションンのあり方です。昔は、人を招いてご馳走
することを「主(あるじ)もうけ」とも言いました。この言葉はそういう機微
ですね。つまり、主人がつくって客をもてなす、で、実際にそういう場合も
多くある。 そのほかに料理屋に行くという形の「主もうけ」もありますね。
 それは、ほんとは自分でつくってもてなしたいけれど、その技術を持って
いないとか、自分よりずっと上手な人がいるというので、その板前さんに委嘱
して、自分のかわりに料理してもらっているわけです。 それが、料理屋で
もてなすという本来の意味です。つまり、なぜ、この店に招いたかというと、
ここの料理が美味しいので、これをぜひ食べて欲しいのに、全然料理の味
なんかそっちのけで、つまらないゴルフの話ばかりしていられたら、
主がわも、またその代理としての板前さんも、がっかりしてしまうでしょう。
 そういうことを考えてもわかるように、料理というのは、コミュニケーション
のための手段、つまりメディアなんです。プロの料理人は料理に命を賭けて
いる人たちですから、いい板前さんは一生懸命考えて、大変な努力をして、
板長になっていく。そういう人が、多くの知恵を結集して、額に汗して
出してきたものを、知らん顔して食べていては、それは仁義にもとる。
薀蓄など語る必要はないのです。「美味しいな〜」だけでいいんです。】
▼ ファミレス、イタメシなどは、その店の個性があり、それに惹かれて
 客は店に行く。その個性が店のメッセージになる。美味しいものを食べつく
してきたので、それほど美味しいものを食べたい欲求は少ない。それより、
店の醸し出す雰囲気が好きで、それを求めていく。それ自体、既にコミュニケ
が始っている。 隣の席で、私が注文した料理の薀蓄を自分の部下の女性に
得々と話している人がいたが、これほど不愉快なことはなかった。 
家内も私も、美味しい料理の場合は、小さな声で、美味い美味いと自然に言う。
それが、更に美味しくなることを知っているからだ。チョットした店構え
の店で、売りにしているものが美味くないわけがない。ビジネスマンは、
その交渉の前後に食事を共にとる。 食事を通してメッセージが幾重にも
伝わる効果があるからだ。


5319,不平等を歴史に学ぶ 〜②

2015年10月07日(水)

    【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】
      〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著(新潮45・2015年3月号)
 * アメリカの格差拡大と、そもそも「“資本”とは何か」
 「アメリカの千分の一世帯が、九割の世帯とほぼ同じ資産を持つ!」という。 
情報化によるグローバル化は、その格差を更に大きくする。TPPで、世界の
GDP40%の環太平洋の経済圏が出来ることになった。関税の垣根が低く
なることは、競争の激化は、アメリカ並みの格差の拡大を意味する。 
 恐ろしいが、この流れは止めようがない。 〜その辺りから
≪ アメリカは、先進国でも別格に富の集中が進んでいる。
 上位1%の所得が国民所得全体に占める割合(所謂“1%占有率”)は、
1986年には9%だったが、2012年には19%にまで増えている。小さい数字に
見えるかもしれないが、日本(2010年の段階で9.5%)やフランス(8%)
と比べるとこの数字は際立っている。資産格差のほうはもっと深刻だ。
『エコノミスト』誌の記事によると、アメリカの上位0.1%に当たる16万世帯
の資産総額は、下位90%の1億5000万世帯の資産総額にほぼ匹敵するという。
『21世紀の資本』は、所得や資産の上位層への集中を示すデータ
(“1%占有率”や“10%占有率”)を用いて、それがなぜ生じたのかを
歴史的・理論的に明らかにする本である。今までのところ、富の集中は
アメリカで顕著に表れているが、本書の議論に従うなら、これはアメリカ
社会に固有の現象ではない。先進国なら今後どこでも生じるだろうと予測。
 今現在、日本ではアメリカほど極端な富の集中は起きていない。
“1%占有率”は1980年代(7%台)から現在(9.5%)までそれほど変わって
いない。だからこれまで日本の格差論争では、富裕層とそれ以外の不平等は
それほど重要視されていなかった。ところが、ピケティ氏らが整備した
『世界高所得データベース』を見ると、上位10%の占有率は日本でも上昇中で
あることがわかる。2010年には40%と、先進国でもアメリカ(48%)に次いで
大きい。因みに、日本の上位10%の平均所得は約900万円である。
日本ではアメリカのような大金持ちは少ないが、“小金持ち”の割合は
着実に増えている。“1%vs99%”の対立はまだ起きていないとしても、
“10%vs90%”の対立なら日本でも既に始まっているのだ。ピケティ氏は
複数のインタビューで、「日本も遠からず上位層への富の集中が激しくなる」
と警告している。では、なぜ富の集中が起きるのか。そこにはどんな
メカニズムがあるのか。 『21世紀の資本』の内容を確認しておこう。
 格差や不平等の説明には、これまで様々な説が存在した。工業化の初期段階
で起きるとする説(クズネッツ仮説)はよく知られているが、それ以外にも
最近では、IT等の新技術の登場に適応した高技能労働者の賃金が上昇している
とする説(賃金プレミアム仮説)や、労働節約型の技術進歩が失業や低賃金を
生んでいるとする説(“機械との競争”仮説)、また金融の規制緩和等政治
と一部の利害団体の結託が不当な利益を生んでいるとする説(政治原因説)等、
様々である。だが、どの仮説も実証的な見地からの反論が多く、決定打に
欠けていた。他方、『21世紀の資本』でピケティ氏が提唱するのはもっと
シンプルな仮説だ。タイトルにもあるように、「“資本”が不平等の
歴史的な推移を説明する有力な変数となる」というものだからである。
「“資本”とは何か」というのは経済学における大問題だが、ピケティ氏は
これをあっさりと「人間以外の資産として所有できて、何らかの市場で取り
引きできるものの総和」と定義している。具体的には、工場等の物的設備・
不動産や住宅・株や債券等の金融資産がそれに当たる。日常的に用いられて
いる用語では、資産とほぼ同じ意味と考えて良い。資産を持つ者が持たない者
に比べて多くの収入を得るのは自明だ。労働による所得に加えて、利子や
配当等資産から発生する収益も得られるからである。・・・ ≫
▼“10%vs90%”の対立は、既に起こっているのは実感する。それが、端的に
 現れ出るのが、現役勝組と、資産を持たないリタイア負組の格差である。
その勝組も、準備不全だと、直ぐに下流老人の仲間入りになる。 水面下で
世界恐慌に入った現在、株価の大暴落を切欠に、我々を直撃する。
他人事ではない。現に私はリーマンショックで、事業清算をしている。
・・・・・・
2050年の世界 ー16  
2014年10月07日(火)
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                   〜英『エコノミスト』編集部 (著)
    第九章 おぼつかない自由の足取り ーのまとめ
・民主主義は、先進国と自由主義国で後退し、後進国と独裁国で前進する。
・中国は、一党独裁国家ならではの脆弱性に直面しなければならないだろう。
 インドは、複数政党制ならではの欠点と挫折に苦しめられるだろう。
・一党独裁の政治体制のもとでは、民主主義という言葉は、人々がウェブ
 などを使って反政府活動をする共通のキャッチフレーズになりうる。
・逆にある程度の民主主義が保証されている国では、複数政党制のなか、
 ロビイストの暗躍や、圧力団体と官僚、政治家との癒着腐敗、政府の巧妙な
 マスコミ操作など、民主主義ゆえの欠点が見えやすくなっている。
・前者を中国、後者をインドに当てはめればわかりやすい。中国では民主主義が
 前進し、逆にインドは、複数政党制ゆえの混乱で民主主義は苦しむことになる。
・民主主義のアキレス腱は二つある。ひとつば金で、ひとつは選挙に対ずる
 さまざまな形のバイアスのかかり方である。
・第一のアキレス腱は、企業や企業の圧力団体が、政治家に献金をし、
 規制当局に圧力をかけるということだ。
・第二のアキレス腱は、民意がマスコミ、等を通じて操作されやすいこと。
 ウェーブの力はそうは言っても限定的で、マスコミはさまざまな形で
 情報操作を受けている。
・こうした民主主義の脆弱性を補う一手段として、法の支配の貫徹がある。
・さらに他人のことを思いやる「公共心」が、この民主主義の欠陥を補う。
・しかし、二〇五〇年までに、すべてを効率と個人の利益に換算して考える
 「経済第一主義」とこの「公共心」が大きな対立事項となり、民主主義を
 揺るがしていくことになる。
▼ 民主主義が果たしてネット社会でベストの政治体制だろうか?という疑問
 が出てくる。ある意味で、法による絶対的な支配も必要になる。特に、この
変動期において考えなければならない問題。世界は、ある一握りの権力者で
支配されているという。実際のところ、そうだろう。自由、平等、博愛が、
民主主義の前提にある。しかしグローバル化には、その前提を受け入れない
世界が無数に存在している。それらが距離の壁が取り払われ、一緒になれば、
そこに争いが出てくるのは当然のこと。自由にも色いろある。しかし、
そこには自ずから、制限があるが、その制限が違うから問題が多く派生する。
それが世界を混乱に陥れることになる。
・・・・・・
4212, 閑話小題 ー旅行仲間の便り
2012年10月07日(日)
   * 旅行仲間から便り
 先日、7年前に北イタリアのツアーで一緒した神戸の夫妻からアイスランド
のビデオ(DVD)が送られてきた。ご主人は元NHKのカメラマン。リタイア後に、
ご夫婦で世界各国を旅行している。当時、私たちがアイスランドに行った
直後で、「そこを勧められたことを思い出して送ることにした」と、手紙に
添えてあった。その直後に手紙で、イングランド南部のツアーに誘われたが、
既にギリシャに決めていたこともあり、次の機会にと、お断りをさせて
もらったいきさつがあった。それもあり、その次の旅行先にイギリス一周
コースを選んだが、ウェールズなど片田舎は何ともいえない歴史の深さの趣き
があり、「あのツアーも良かったはず」と思ったもの。 ビデオは、ご主人が
元プロでカメラ視線が決まっており、奥さんがナレーターをした本格的な内容で。
羨ましい趣味である。ご夫婦は旅行先は欧州が中心だったようだ。
ツアーのキャリア組みには、価値共有の仲間意識が出来ている。自慢するで
なく、互いの行ったところを披瀝し、情報交換の楽しみが共有できる。
イスラエル、パタゴニアも、新羅ウィグル地区からカラコルム・ハイウェーを
抜けアフガン国境のツアーなど、現に行ってきた人の「生の話」を聞いたから
こそ行けたもの。財産として、金か、土地として残すか、「こと=行蔵」として
残すか、その人の考え方による。私は、感動、感激を求める「こと」の方を
選択してきたが、それで良かったと思っている。秘境ツアーなど贅沢の極みだが、
本気になり探すと信じられないほど格安で、内容のあるツアーは幾らでもある。
また、それを探すのが面白く楽しい。現在、隔日ごとに、行った先の世界の旅
番組を見ているが、それぞれの旅行の延長を、そのまましている気持ちになれる。
ツアーとしても、それぞれの旅は、帰ってきてからも続いている。
先も短いこともあり、来年から年一度の旅行を再開したいが、
世相が悪くなる中、いざとなると迷いが出るだろうが?
 ・・・・・
3847, 創造的破壊
2011年10月07日(金)
「創造と破壊」について考えてみる。何か新しいものが創造される時に、
古いものの破壊が、そこにある。新しく創造されたものも、時間と共に古くなり
破壊される運命にある。破壊をマイナスだけで捉えるのではなく、創造のベース
として捉えることが創造的破壊である。 人生での挫折は、新しい自己へ生まれ
かわるための破壊になる。但し、それを糧に生まれ変わった場合だが。 
社会的な立場だけでなく、内面も重ねての人生の再生である。破滅の際だから
こそ変われる。順調に来た人ほど後半になっての挫折は、心に大きい重石となる。
しかし挫折は人生の節目をつくる機会でもある。竹の節は、これがあるから
大風の時に折れない機能として全体のシナヤカさのバネになる。
予定挫折のいう言葉もあるとおり、人生で無くてはならない節目は必要のこと。 
半年前の挫折?で、比較的平然でいられるのは、人生の前半に、多くの節目が
あったためである。 節目時は耐えるしかない。 しかし挫折経験こそ人生を
充実させてくれる。 どちらにしても人生に挫折の2や3つはつきもの。  
創造というと、まず「創造的破壊」が浮かんでくる。 ネットで調べると、
【 創造的破壊とは、オーストリアの経済学者シュンペーターによって
 唱えられた考え方で、非効率な古いものは効率的な新しいものによって駆逐
されていくことで経済発展するという考え方であり、その新陳代謝のプロセスを
そう呼んだ。不況は創造的破壊に必要であり、政府による介入はこれを妨げる
ものとして否定した。 現在ではこれを読み替えて、 企業活動の中で古いもの
を打破し全く新しいものを生み出す行動、という意味合いで使われることが多い。
 ドラッカーは、これに近い意味として体系的廃棄という言葉で述べているが、
組織でも何でも発展にはイノベーションが不可欠。「脱皮できない蛇 は死ぬ」
も、脱皮しおえた蛇はまたその外皮が支えられる体型までは急速に成長するが、
そこまでいくと、退化が始ってくるという意味。 創造と破壊は、対をなして
いるといってよい。・・・ 】
▼ デジタル化、ネット化は、この創造的破壊を加速する。
 情報化とグローバル化は、NO1以外のものを即座に駆逐するため、
創造利益を得るのが一部に限られる。しかし効率性からみて、最良のものが
生き残るシステムも決して否定できない。現在の世界の政治、経済の大混乱も、
ネット世界が現実世界とは別に出来、上位にたってしまった結果生じている
創造的破壊。この中で生き抜くことは至難の技。 全ての技がデジタル化し、
合理化を促すからだ。「面白こわい時代」である。 今回の私の挫折を
創造的破壊とすると、如何いうことか?考えるほど、人生の際(きわ)
が見えてくる!次の段階に踏み込め!ということ?

・・・・・・
3482, ライフログのすすめ −2
2010年10月07日(木)
  『ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! 』
                ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
 この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。
デジタル機器の進歩と、値段の劇的な安さの実現と、その記録も無限大に可能
になり、その分析も可能になってきた背景がある。モバイル携帯など、それらを
可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集し
ネットに記録保存をすればよい。それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、
モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。これに近いのが
モバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、
ついている。それが記録されるサイトに自動送信すればよい。モバイル携帯の
一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、
これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の
記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、誰と会ったとか、
何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、
どんな写真を撮ったとか、自動的に記録保存して、牽引をつけ整理し、
パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャル
ネットワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が
利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、バラバラだ。 共通の
ツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられてない。
 私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、
著者は公開を否定している。公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。
自分の全てを電子記憶にし、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。
公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。 
ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。
 ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。「僕たちはいつか、
自分の目にしたものや耳にしたものすべてを記録できるようになる」と。
その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているから。
その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという
理由はないという考えに夢中になったのである。
 私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した
久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。この本を読んで自分の
Web上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより
「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」になってしまった。 したがって、
私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタル
に記録する! 」であり、私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた
「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。
著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、
思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、毎日の読書や日常をデジタル化して
ファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、
「ライフログ」のシステム化されたものが、あるはず。これを読んでいて
デジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。 
二度とない人生の記録か!
 ・・・・・・・・
3107,つれづれにー閑話小題
 2009年10月07日(水)
   * 中川昭一の死について
 実際のところは藪の中になるだろうが、状況からみたら誰からみても自死。
父親の死も当初は色いろな説が乱れ飛んだが、自死に落ちついたのは数年
経ってから。あの酩酊?会見で自民党も大ダメージになったことは否めない。
一年前には鳥をも落とす勢いだったが。そして落選、政治の世界は一寸先は闇
とは、よく言ったものである。鈴木宗男も政治的に致命傷を負った。
直接、間接的にしても中川親子の死に大きく影響を与えたことになり、敵に
包囲されてしまった。中川が政治的な挫折をもたらしたのは身から出た錆。 
あれこれみて政治家だけはなりたくはない。
   * オリンピックの東京の落選
 石原都知事も政治的には大ダメージになってしまった。権力を持つと人間は
変わるものである。時間の経過とともに慇懃になっていくが気になっていた。
やはり二期で辞めるべきだった。立候補をした時に、もし東京が落選をしたら
都知事として責任をとるといっていたようだが、ここに及んで辞めないと言葉を
翻したが、普段言っていることと違うじゃないかい、と言いたくなる。
それにしても、招致のお祭り騒ぎはいい加減にすべき。日本一国が150億円
の予算のかかるシステムは根本から変えるべきである。しかしブラジルの決定は
正しい。世界の良識が働いたようだ。昨年の中国は問題があったとしても
順番からいって正当だったし、次の英国も順番としてよい。今度の決定も、
一度も開催されたことのない南米の開催は一番真っ当。そうこうみると
次々回はインドか、エジプトあたりにか。いや先進国と新興国との交互と
考えると、1900年来行われてないパリ。
   * 新潟国体も終わり、恐慌景色が再びか~!
 7月半ばの新潟競馬から始った恒例の夏景気と、秋の五連休、そして
ミニ神風の新潟国体も終わって、来週から再び大不況の冷たい風に曝される。
(週末は身障者の大会がある)予約状況からみると5月の連休明けの異常事態。
一応は来年の二月決算の目途は立ったが、それでも日本全体の景気が上向かない
と、どうもこうもしようがない。やはり中小・零細企業の三年間返済ストップは
必要のようだ。そうもしないと、パニックは必定である。


5318, そもそも教養とは何だろう

2015年10月06日(火)

            〜『世界の哲学・思想』小須賀健著より
  * もっともっと本を読んでおけば良かった
 学生時代の卒業まじかに、「もっと読書量をこなしておくべきだった!」と
気づいたが、時が既に遅し、ノイローゼ気味になり留年さえ考えた。しかし、
まず一度社会に出てから考えることにし、その代わり、一日2〜3時間の読書を
自分に課すると決心、それが現在まで40数年続いている。それが学生時代の
一番の収穫だった。 今から振返って、学生時代の砂場には数知れない経験が
詰まっていた。 〜哲学入門的な本の冒頭に以下の内容があった〜
≪ なぜ私たちは、一人前の大人になってから「もう少しまじめに学校の勉強
 をやっておけばよかった…」と反省したりするのでしょうか。 じっさいに
学校にいたときには、「こんな勉強がなんの役に立つのかさっぱりわからず、
まじめにやる気になどなれなかった」という人が(私も含め)ほとんどでしょう。
 では、大人になってから、もう少しまじめにやっておけばと反省するのは、
社会に出て勉強の必要性が身にしみてわかったからなのでしょうか。
どうもそのようには思えません。どんな職業であれ、「自分の仕事に学校の
勉強が役立った」と確信した、などという話はあまり聞いたことがありません。
義務教育で学ぶ勉強が実社会で役に立つはずだ、という思いこみがまったく
幻想であることは、みんな分かっています。社会で要求されるのは、効率よく
仕事をこなすこと、あるいは無駄なく目の前の課題を片づけていくこと。
こうした日々を送っていると、逆に学校時代における学習という行為が、
そのような効率や目的から自由であったことが理解できるはずです。
 古代ギリシアの人々は、人口の二倍にもおよぶ奴隷に基本的な生産労働を
行なわせることで、少なからぬ時間的余裕を謳歌していました。
ただ、彼らはこの余暇の時間を、漫然と過ごしていたわけではありません。
こうした時間を使って、自分を磨く、あるいは教養を高めるといった活動に
励んでいたのです。この「余暇」をギリシア語で「スコレー」といいますが、
この語が英語のスクールの語源であることはなかなか示唆的です。
 おそらく、もともと学ぶという行為は、生産性とか利便性といった功利目的
からは隔絶されたものだったのです。今私たちが、学校時代を振りかえって
ちゃんとやっておけばよかったのにと後悔を覚えるとき、そこでイメージされて
いる勉強もおそらくそのようなもの、つまり功利性とは無縁に過ごせた時間
への郷愁なのではないでしょうか。
 しかし、じつさいの学校における教育はどうでしょう。学校は、社会とは
区別される領域でありながらも、社会への通路でもあるために、社会一般の
価値観がその中に侵入してしまいます。そのため勉強するのはいい大学に入る
ため、あるいは楽な人生を送るためといった功利的な発想がすでに蔓延して
います。私たちが外から夢想するほど、学校での勉強はうらやましいものでは
ありません。たぶん学生のころにもっとちゃんとしていればよかったと振り
かえって後悔する人は、仮に今それが可能になったとしても、同じことを
繰りかえして漫然とときを過ごすだけでしょう。そのときにできなかった人は
今もできないままなのです。それなら振りかえるのはやめて、今からしたい
ように勉強すればいいのです。逆に後悔しても、そのときは勉強できるような
余裕も環境ももてなかったという人もおられるでしょう。そういった人たちも
含めて、何かの役に立つとか、なにかのためにやるとかといった一切の功利性
から離れて、学問(ここでは哲学に限定ざれますが)と向きあってみたいと
思われる方に、すこしでも参考になればと思って書いたのが、この本です。≫
▼ リタイア後から、私レベルだが、読書の質が少しだがアップした感がする。
 学生時代に読んだ本で、社会に出てから自分を支えてくれたのは、効率とか、
創造工学とかいう内容のものより、何かに迷い、吹っ切るために、孫子や、
諸子百家、聖書、仏教書、漱石、鴎外、川端全集などが、面白く没頭して
読んだ本だった。 確かに、ドラッガーの『集中、得手に帆を張れ、内部より
市場に焦点を!』などの知識も、役にたったが・・ で、このザマ。 
 何にも社会経験のない純真なまっさらな時節に、何も捉われることなく
読んだ本こそ、独り彷徨う中で、強い指標になっていた。「逆境に根を、
順境に枝を張れ」というが、その栄養分の元は実体験と培った知識である。
人生の晩秋に枝の葉は枯れても、枝として残る。この年齢で、たわわな
葉っぱを求め、枝を張ることしか知らない人を無知の人という。 
要するに、あのケモノの臭いの強い『世間人』。
・・・・・・
2050年の世界 ー15  
2014年10月06日(月)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   第十章 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか ーのまとめ
・世界的な高齢化によって、年金と健康医療費の増大は、国家財政にとって
 大きな負担になる。
・社会保障費の増大は、防衛費や教育費など国家にとって欠くべからざる
 分野の予算を圧迫してきている。
・先進国のみならず、新興国もインドを除いては、社会保障費の増大に
 ともなう国家財政の悪化の懸念がある。
・しかし、そうした国家財政の悪化は、改革によって防ぐことができるもの。
・年金については、雇用期間の延長、あるいは、富裕層には選択的に
 支払わないなどの措置がすでにとられつつある。
・健康医療費については、オランダのように、貧困層や弱者には、政府が
 援助をし、そうではない部分で、民間の医療保険に市場を開放するなど
 して、費用削減の効果をすでにあげている。
・ベビーブーム世代の年金の受取額は一人ひとりは大幅に減ることになる。
 しかし、それで、一回きりの費用増大のショックをやわらげることが可能。
・開発途上国では、将来の高齢化を見こして余裕のあるうちに、年金の賦課
 方式から積立方式への転換が比較的容易に行なわれるだろうし、そうした
 措置をした国家は、将来に備えることができる。
・政府借入金の急増の余地を残すために債務を低く保つ、戦略的な財政備蓄の
 確保の必要性がある。未来の国庫は、例えば気候変動に伴う極端な気象現象
 による災害に備えての自然災害税など、多数の財源を持つことを要求される。
▼ この問題が、日本の将来の最大のネックになる。富裕層と、有能な若者は、
 日本を見限り移住するだろう。問題は、少子化と高齢化である。そして、
一部の富裕層が富を独占する歪な社会が、世の中を不安定化する。40年でなく、
あと10年もしないうちに、国家財政の破綻と、非常事態宣言が行われる
ことになる。それが、数年先かも知れないのである。
・・・・・・
 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力
2012年10月06日(土)
  * ライオンの魂       「異郷日記」西江雅之著
 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく
惹きつけられるものばかり。アフリカでは、今でも魔術が信じられている
ところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つー
≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで
 生活をしていた頃のこと。村人の話によると、雄のライオンのなかには、
死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の
姿勢を保っている状態では、ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に
吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。
ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間に
ライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは弾丸並みであった。
そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。
まことしやかに話すというのではない。本気で語っているのである。
東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。
それを家に置いておいたり、携帯していたりすれば、戦争に行っても
弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・
などなど、如何なる災害からも身を護ってくれると信じられている。
ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。
直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それは
どうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで結石のようになった
もののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって
近所の人にそのことを話したら、なんということか、その後の何日か、
わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを
手に入れた途端に、それまでは一度もなかった害の恐しさを経験する
ことになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める
人心を惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫
▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、
 購入して所有したことがあったが、何故か不幸が続いて気持ちが悪くなり、
売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に
残っている。私の高校の知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を
撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。
それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、
信じないかだけである。現在、「神は妄想である」という遺伝学者の本を
読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、
信じる者は救われるか! 逆か?
・・・・・・
3846,‘よい写真を撮る’コツは ?
2011年10月06日(木)
 海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。
それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。私もスナップ写真を中心
に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになった
のが、デジカメで写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで
済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。
 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、
自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。写すというより、
その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」
と、指示された目線で撮るとよい。その為には対象の景色に、まず感動し、
その感動をカメラに収める気持ちが必要である。また小さな花をアップにし、
その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場
の空気を際立たせてくれる。 人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から
構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 
その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。
だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると比較的良いのが撮れる。
それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信や荒木経惟の
女性などの撮影現場をTVでみたが、徹底的に相手をリラックスさせ、
その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること
自体を忘れさせてしまう。動物も人間も見られると緊張する生き物。 
電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。
人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、
撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。今まで、デジカメは
少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、
構えて良い写真を撮ろうと、構図の選択に構えが出てしまうからである。 
対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想。
その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。
何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。
 ・・・・・・・・
3481, ライフログのすすめ
2010年10月06日(水)
  ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する!     
                 ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
 ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー
人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、
そして普段は気にかけない自分の位置情報や生体情報まで、人生の「すべて」
をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。
仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャル
な分身に人生を語らせることも可能だ。いいことずくめの「ライフログ」の
時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター
科学の重鎮が、その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。
(ビル・ゲイツ)
▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席
 研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている70歳を超たゴードン・
ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として
利用することの可能性や実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの
容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」をほぼ
保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。10年近く
前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、書きっぱなしだった読書感や、
毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ
休むことなく続けてきた。ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要る。 
で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も
ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。
五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで生きようと考え
実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。
まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば私にとって黄金の習慣になる、
と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」
と思い知った。10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、
ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも深さも
違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも
事実である。 「ライフログ化」というコンセプトのブログや商品も出てくる
はず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 
私も10年のキャリアがあるから、経験を生かせる筈だが。
面倒か!夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日
デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、それもライフログの一つになる。
高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を
木目細かく書き続けてきたという。 
 ・・・・・・・
3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4
 2009年10月06日(火)
 昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、
以下は、それをメールで教えたくれた林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 
林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、自民党から
民主党に変わると、政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。
* 堀井 様
 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、
テレビにもよく出てくる山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足
を債務者に」と題して書いていました。ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え
置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」と手のひらを
返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられて
いた10月3日の読者の声欄の投稿です(これは立派な投稿でした)。 
あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは「日銀統計によると全国145銀行
の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。
実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの
点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」としていた点です。
「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」
でした。(これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も
確かめずに書くのか、につながってきます。)この「記者の視点」はこちらの
指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。
このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁。 
先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」と言ってくること、
「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところ。)
そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に
対しての私の一番の批判点です(朝日新聞お前もか、というところ)。
それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえ
なってきます。最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の
「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に
入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に
電話する気になったのですが…)。 ではまた ー林
* To: 林様
 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。
早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。これは、マスコミの
マイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が
早いですね。と同時に、やはり良識が残っているということで、林さんの
電話が大きく影響したようです。今日も、フジTV系が扱っていた以外は、
何かいずこも避けていたようです。ますます面白くなってきましたね。
再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと
思っています。手前味噌になったら、ご勘弁を!      堀井
 ――
朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。
「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」と常日頃
から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、
少しタイミングが遅い?「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で
!目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目?


5317,不平等を歴史に学ぶ 〜①

2015年10月05日(月)

    【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】
   〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著   新潮45・2015年3月号
  * 上位1%や上位10%への富の集中
 中流社会の、三分の二のサラリーマン対、残り下位の構図が崩れた現在、
この本では、“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。
ネット社会の到来が、世界をグローバル化を促進させ、一部だけが勝ち組に、
残りは負け組の社会になっていく。この著書で、ピケティは、その点を
クローズアップして我々に問題提示をしている。 〜ここで筆者は
「過去の不平等は戦争や革命により暴力的に解消された、しかし著者の
目論見は、この失敗のスリリングな回避にある」とある。さらに・・
≪ 格差社会という言葉はすっかり日常に定着した感がある。“1億総中流”
 と言われたのも今は昔、最近では社会の二極化が懸念されるようになった。
日本だけではない。不平等の拡大は世界的な傾向である。特に顕著なのが
アメリカ。 “1%vs99%”とも言われるように、人口の1%の富裕層の富が
増加する一方で、大多数の国民の所得は伸びていない。最近では上位1%
どころか0.1%、或いは0.01%の超富裕層の富が急激に増加している事実が
明らかになっている。なぜこれほどの富の集中が起きるのか。
 この問題を考える上で目下大変な注目を集めているのが、
ピケティ氏の『21世紀の資本』である。・・(略)
 本の内容は至極真っ当だ。不平等のデータを過去200年以上に亘って
収集・整理した上で自説を展開するピケティ氏の理論は、類書には無いわかり
やすさと説得力がある。日本の格差論争はこれまで、非正規やワーキングプア
の増加が問題視されてきた。非正規の割合はこの20年で増え続け、現在では
労働人口の35%を超えている。年収が200万円を超えないワーキングプア
(働く貧困層)も、若年層を中心に増加の一途を辿っている。
平均的なサラリーマン(中位層)とそこに入れない貧困層(下位層)の格差が、
従来の格差論争であった。 それに対して『21世紀の資本』が扱うのは、
「上位1%や上位10%の富裕層への富の集中がなぜ生じるのか」という問題。
これまでの格差論争が“65%vs35%”の格差を問題にしてきたとすれば、
こちらは“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。
この本がアメリカでベストセラーになった理由もここにある。 ・・ ≫
▼ アマゾンのビュアーの『21世紀の資本』を要約によると
《本書の主たる主張はごく簡単に言い表すことができ、何度も繰り返されている。
- 人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率は成長率を上回っている。
(つまりr>g)であると、富は賃金所得や産出を上回って成長し、持てるもの
と持たざるものの格差はどんどん拡大。事実、20世紀以前には一握りの金持ち
と大多数の生活に困窮する庶民で社会が構成されていた。
- 20世紀後半に比較的格差が縮小し、そこそこ裕福な中間層が出現して穏健な
市民社会が実現したのは、2度の世界大戦による富のリセット、インフレ、
各国の格差縮小的な税政策、歴史的に見て例外的な高度成長の継続、などの
要因が重なったためであったが、今や成長の時代は終わりを告げ再び格差拡大
の時代に戻ろうとしている。
- 格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎と
した累進資本税の導入が最適な解決策である。》と、要約を、まとめている。
・・・・・・
2050年の世界 ー14  
2014年10月05日(日)
  2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
           〜英『エコノミスト』編集部 (著)
  第十一章 新興市場の時代 ーのまとめ、
・四十年前、新興国市場は存在していなかった。鄧小平はまだ追放の身。
 インドの首相インディラ・ガンジーは、銀行を国有化し、大企業を押さえ
 込み、社会主義に転向。チリは社会主義政権で、アジェンデ大統領は
 コンピューターで計画経済ができると信じていた。先進国にとって開発
 途上国という言葉は、政府の腐敗を意味しており、途上国にとって 
 投資は、海外資本による纂奪を意味していた。
・それが変わったのは、開発途上国が資本主義と和解し、その技術、資本、
 インフラをとりいれ、世界の資本市場で、安い労働力をつかって製造工場の
 役割を果たすようになったからだ。
・ゴールドマン・サックスが、BRICsという言葉を使って新興国市場の成長に
 世界の目を向けさせたのは二〇〇三年のことだが、実際はその予測を二倍
 くらい上回る規模にブラジル、ロシア、中国は成長した。
・これは・経済成長が指数関数的に、すなわち規模が増えた分を利用して
 さらに増えるからで、現在の先進国のうち、二〇五〇年までに、経済の世界
 規模で上位七力国に残るのはアメリカのみ。あとは、中国、インド、
 ブラジル、マレーシア、インドネシア、メキシコにも抜かれると予想される。
・ある国の工業化の時期が遅れれば遅れるほど、その速度は速くなる。
 しかし、その速度は、他の要因にも左右される。そのなかでもっとも大きな
 ファクターは、教育である。生産性を向上させるさまざまな手法や技能は、
 教育程度の高い労働人口を持つ国で速く広まる。
・フィリピン、エジプト、メキシコ、インドネシア、バングラデシュ、
 パキスタン、ナイジェリアなどの新興国で、教育年数が二〇五〇年までに
 著しく延びて、生産性の高い労働力をその国に生み出し、経済成長を
 あと押しするだろう。
・中国は二〇二五年を境に急速に高齢化が進み、人々はそれまでに海外にため
 込んだ海外純資産をとりくずし始める。そして中国は労働力不足におちいる。
・今中国は、六五歳以上の人ひとりに対して、就労可能年齢の労働者(つまり、
 二○歳から六四歳までの人)が七・九人いる。二〇五〇年には、わずか
 二・二人。日本は現在の時点で、退職者ひとりを労働者二・六人が支える。
▼ 現在の日本が、このまま衰退していくとは思えないが、極東の陸の孤島
 の日本が、その地政学的な有利さの中で、教育に熱心だったことも含めて、
世界第二位の経済立国に上り詰めた。しかし、これまで。これからはネットが
世界を覆う時代である。インドの貧民窟街の少女にも、ネット上では大きく
チャンスがある。そういうハンデを背負った人たちと競っても、太刀打ち
するには、余程のことがないと難しい。
・・・・・・
4210, 異郷日記 ーサンジバル
2012年10月05日(金)
                  「異郷日記」西江雅之著
     * サンジバルの逸話
 人は家の中に閉じこもっているほど危険なことはない。外界に出て戦い
続けないと人生の自殺者になってしまう。硬い殻に閉じこもり、しがみつく
しかない人生こそ避けなければならない。ーその辺を抜粋してみるー
≪ 東アフリカのタンザニア国。大陸側からの最短距離で約四〇キロほど
 離れた沖に浮かぶザソジバル。平坦な島の中に、幾つかの町と、多くの村が
散る。住民のほとんどは、イスラム教使だ。そこでは目の前に現れる事物の
すべてが、次々に過去を語り出すザンジバルは史実虚構が入り交じる物語に
埋もれた土地なのだ。散歩に出かければ、崩れかけた石造りの建物や、
アラビア数字が消えかけている大小の墓石が目に入る。海に目を向ければ、
緩やかな波のうねりや潮騒が、すでにこの世を去った冒険家、奴隷商人、
奴隷、征服者、イスラム教徒、ヒンドゥー教従、キリスト教の宜教師たちの
声を告げてくる。それらの声には、優しいものあり、人々威嚇するものあり、
高笑いあり、探い嘆きを伝えるものもある。各々の声は複雑に紺み込まれた
歌となって、何こからか聞こえてくるドラムの音の伴奏に乗り、道行く人の
内部にすべり込んでくる。 (・・・中略)
 わたしがアラビア語に接し始めた頃に聞いた話がいつも頭に浮かんでくる。
ある老人が海辺へと通じる道で、一人の青年に出会った。彼は漁から戻った
ばかりなのだろう、漁に使う道具を担いでいる。「アッ・サラーム・アライクム
(汝の身に安らぎあれ)」。若者は老人に言った。「アッ・サラーム.アライクム」。
老人は挨拶を返してから、「ところで、おまえは海が恐ろしくはないのかね? 
お前のおじいさんは、海で命を失った。おまえのお父さんも海で命を落とした。
それでもまだ、おまえは海に出て平気で仕事をする。恐ろしくはないのかね?」
若者は怪訝な表情をして言った。「じいさん、あなたのおじいさんは家で死んだ。
あなたの父さんも家の中で亡くなった。それなのに、よくまあ恐ろしがらずに
平気で家に住んでいられますね」。 妙に頭に残る話なので、わたしは
ザンジバルで、何人もの知人にスワヒリ語で何度も同じ話をした。
「そうなんだ。人はどこかにしがみついて生きているのだ。そのこと自体が
恐ろしいことなんだ」と、わたしの知人の漁師は言った。「どこかにしがみつく。
そして安心する。それにしても、人間は酷い動物ですよ」と、わたしは言う。≫
▼ 目先の安定にしがみき、安心をもとめ人生を棒にふる愚かさを批判し、
 節目時には果然と行動すべしというタンザニアの逸話。何処の道理も同じ。
著者は‘あとがき’に、「私は今も‘異郷の人’である。自分の皮膚の外側は、
すべて異郷と感じている。」と述べている。そうでなくては、流れ者のように
世界中を渡り歩けないだろう。逆にいえば、世界中を渡り歩いたため、皮膚の
外側を、異郷に感じるようになったともいえる。著者からみれば、一般人の
誰もが「どこかにしがみついて、人生を棒に振っている」のである。
 私も、地方の城下町で生まれ、10年間は、外で生きた。それ以外は職場は
新潟、住居は長岡の生活としても、地元に縛られていた。と同時に、しがみつき、
安心していた。リタイア以降は、多くの縛りから解き放され、宙に浮いている
感がする。それでも、まだまだ楽しみが足りない。縛りの残物があるためだが、
それも最期の砦で必要。それを無くすに死ぬしかないが、まだ死にたくはない。
    ・・・・・・・
3845, 地獄への道は善意で舗装されている
2011年10月05日(水)
 20数年前の経営セミナーで、創造工学の中山正和が、
「日本の裁判の中で、9割が善意でしたことが発端で裁判になっている。
『地獄の道は善意で舗装されている』のが、現実社会である。」という言葉が
印象的だった。甘い善意は、地獄の入り口と心に刻んだことを記憶している。 
特に事業においては善意は絶対禁物が人間関係の第一歩。当たり前のことだが、
それを知らない人が多い。善意の積み重ねは、その人の人徳を高める第一歩。
しかし一つ歯車が狂うと、「軒先を貸して、母屋を取られる」結果になる。
営業を生業とするものは善意をノウハウとする。それが相手にとってのニーズ
であり、対象の懐に入る手段。善意、好意を示され喜ばない人間はいない。 
この格言は昔から言われいる基本である。 ーウィキペディアによるとー
≪*「いかに悪い結果につながったとされる事例でも、それが始められた当時
   までさかのぼれば、善き意志から発していたのであった」
  (地獄への道は善意で舗装されている について)ーユリウス・カエサル
 *「天国へ行くために最も有効な方法は、地獄への道を熟知することだ」
  (地獄への道は善意で舗装されている について)ーマキャヴェリ
 *マルクスは、この格言の発祥でこそないものの、これを援用、敷衍させ、
 「地獄への道は善意で、天国の道は階級闘争と俺の濃い髭で舗装されている」
  などと語ったと言う。
 *キリストとその弟子達は、善意からキリスト教を発足させた。
  その結果、十字軍や宗教戦争、魔女狩りなどの惨劇が起こり、人々に夥しい
  地獄を体感させた。・・・ 善意という言葉は、法律用語で言えば、
 「知らないこと、認識していないこと」という意味も含有する。 つまり、
  犯罪と知らずに窃盗を行ったり、人を殺したりしても、その原因は善意に
  なるのである。法律用語の善意も考慮に入れると、古来起こってきた
  全ての惨劇や、人間同士の軋轢は、全ては善意が引き金になっていると
  言っても過言ではない。しかし、ウィキペディアでもコミュニティの
  円滑化、利用者の齟齬防止の為に善意にとることが推奨されているように、
  人間同士の意思疎通や、社会の構築とその円滑な運営には「善意」が
  必要不可欠なのだ。この二律背反に、多くの哲人達が煩悶してきたことは
  言うまでも無い。哲学者であり、レスラーとしても著名な木吉カズヤが、
  地獄への道である善意をよすがとしなければ生きていけない人間、
  保てない社会を悲しみ、「救いはないね!救いはないんですか?」
  と絶叫したことは、あまりにも有名である。 ≫
 ▼ 善意をもって事に当たるのは、それはそれで良いが、逆手に取られても、
  恨まない範囲で示すと割り切ることだ。善意も捨石として、直接の見返りを
 求めないこと。「積善の家に福が集まる」は、見返りを求めないから福が来る。
  ・・・・・・・
3480, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー13
2010年10月05日(火)
 * 旅行代理店の選定は?


5316,閑話小題 〜本を読まないのはケダモノと同じ

2015年10月04日(日)

      藤原正彦・レポート〜「読書と教養」が国民の大局観を育てる〜
  * 読書と教養が大局観を育てる
 読書をしない人は、直ぐに分かる。これだけは、隠しようがない。
今でも遅くない、学歴、血筋とは関係なく本だけは読まないと! 
 ここで、その読書と教養の必要性を、鋭く簡潔にまとめている。 
≪ 教養を、積極的に身につけていくにはどうすればいいか。
 もちろん、実体験を重ねることは非常に大切です。様々な人間と会い、
話をして、恋をしたり、裏切られたり、騙されたり、喧嘩をしたり、悲しい
別れにあったり、そういった体験すべてが教養になる。それが、後々の選択や
判断にあたって効いてくる。ただ、やはり実体験で得られるものは限られます。
1人の人が一生の間に関わることができる人間の数は限界があります。
ましてや、深く意思疎通をすることができるのは、その中でも一握りだけ。
そうすると、実体験による教養というのは、非常に重要だけれども、
限られたものにならざるを得ない。
 その点、読書を通してなら、古今東西の賢人の言葉に耳を傾ることができます。
あるいは、庶民の哀歓に涙すること、もできる。金持ちの驕り、貧しい人々の
苦しみに触れることもできる。美しいものに感動することもできる。
ありとあらゆる経験をなぞることができるのです。しかも、本には、誰かが
考えた「思考の形」が、まるごと詰まっています。普通の人がふだん喋る話は、
たいてい筋も順序もめちゃくちゃです。でも、本は、どんな本であれ、著者が
読者を説得するために必死になって書いていて、ちゃんと構造というものを
持っている。それを読むと、なるほどへ脳ミソの回転、論理の展開、とは、
こういうふうにするのだということを会得できる。物事をきちんと体系化する
能力、構造を分析する能力が身につくのです。 ・・(略)
 うちの女房の祖父は、今の愛知教育大学の前身の岡崎師範の教頭や時習館
高校の校長をつとめた教育者ですが、彼はいつもこう言っていたそうです。
「1日1ぺージでもいいから、必ず本を読んで寝なさい。1ページも読まないで
寝るのは、けだものと同じだ。けだものと人間との違いは、1ページでも
いいから、本を読むことだ」と。
 だから彼の子どもたちは、寝る前に2〜3へージでも本を読んで、寝ていた
そうです。この教育の効果は絶大で、そうやって育った子どもたちは、皆、
一角の人物になっています。'本を読まない人間というのは、けだものと同じ。
だからこそ、これからの子どもたちにどうやって本を読ませるようにするか、
真剣に考えなければなりません。
 例えば、齋藤孝氏の言うように、小中学校の通信簿の国語に、「読書」
という欄をつけ加えるのもいいでしょう。そうすれは、多くの親が率先
して本を読ませるようになる。子どもの頃に本の面白さに触れれば、
本が好きになる。独創的で素晴らしいアイデアです。
 私が考えるのは、東大の入試で読書を課すという方法です。
例えば定員の1・2倍までは学力一本で判断し、そのあと、定員の1倍まで
しぼる過程では、読書を中心に面接する。入試の3年以上前に課題図書を
100冊くらい挙げて、それについていろいろ聞くのです。そうすれば
きっと、学生は目の色を変えて読むようになるでしょう。東大がやれば、
ほかの国立大学や私立大学も真似をする。そうすると、子どもの時から本
を読むようになるし、読む習悩さえつけば、面白さが段々とわかってくる。
もちろん、「朝の読書」運動が成功したように、他にも方法はいろいろ
あると思います。若い頃に読んだ本というのは、とりわけ感激するものです。
そうした読書体験が失われることのないように、今こそ大局観をもって
この国の出版文化を守っていかなければなりません。≫
▼ 読書の積み重ねのないのは、年を重ねると表立ってくる。
 特に 青年期に読書習慣を身に着けておかないと。しかし、実際は10歳。
とすると、受験に追われ、大学から本気になって読書を始めた私は20年近く
遅かったことになる。その弊害が、今でも続いている。子供の頃から、母親が
常日頃から読書の必要性を説いていたが、その割りに読書をしてこなかった
のは私の素養の低さである。しかし、現在でも、吸い取り紙のように、知識が
入ってくるのは、長年の読書習慣の効果もある。いや、知的余白が有余って
いるためか。これは余白という言葉自体が間違っている! 空即是色である。
・・・・・・
2050年の世界 ー13   
2014年10月04日(土)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
            〜英『エコノミスト』編集部 (著)
   * 第十二章 グローバリゼーションとアジアの世紀 ーのまとめ
・『エコノミスト』誌グループのシンクタンクであるエコノミスト・インテリ
 ジェンス。ユニットは、今後の世界経済をおおまかにいって三つのシナリオ
に分けており、そのうちのひとつ、コントロールされたグローバリゼーション
の状態で進むと考えている。リーマンショックや欧州危機などによって、
市場主義に対する警戒から政府は一定の規制をグローバル化に対して課して
くるが、市場は開かれている状態だ。
・"後戻りするグローバリゼーション"というシナリオでは、不穏な空気の
中で保護主義の気運が高まると見ている。先進世界の大半で、経済の弱体化と
高失業率が不安を生み、保護主義をあおる。これにより、"コントロールされた
グローバリゼーション"という基本予想と比べると、2010年から2030年の世界
の年間成長率は数パーセント削られ、この期間全体では世界の生産高が大きく
落ち込むことになる。
・シナリオの三つ目、"凋落したグローバリゼーション"は、1914年から1945年
の縮小の時代に似ている(グローバリゼーションに背を向ける)。もしこれが
ふたたび起こると、成長に悲惨な結果をもたらすだろう。世界の成長率は年率
約1%にまで低下し、ひいては世界全体のひとりあたりの所得も減少する。
 最も大きな打撃を被るのは新興市場、なかでも最貧国だろう。
・一番蓋然性の高い最初のシナリオで考えると、最も重要な地位を世界経済で
占めでくるのはアジアの経済で、2050年には、半分がアジア経済となる。
・しかし、その中で日本は相対的に、急速にプレゼンスを失っていく。
2010年には、世界経済の5・8パーセントを占めていた日本のGDPは、2030年には、
3・4パーセントになり、2050年には、1・9パーセントになる。経済成長の
スピードも西ヨーロッパを下回り、今後40年を通して、1・1〜1・2パーセント
で推移する。その結果、2010年には、アメリカの七割あった日本のGDPは、
2050年には相対的に58・3パーセントまで低下する。
・今後40年間にひとりあたり実質GDPが最も大きく成長するのはアジアの
発展途上国(4・7パーセント)で、サハラ以南のアフリカ諸国(4・4パーセント)、
中東と北アフリカ(3・9パーセント)がこれに続く。ラテンアメリカ(3・3パー)と
東ヨーロッパ(3・2パーセント)は、新興市場地域の中で最も速く成長する国々
に後れをとる。
▼ 「アジアの人口は現在6割を占めているので、平均に近づくだけ」
 ということができる。それにしても、日本の見通しは悪い。2010年には、
世界経済の5・8パーセントの日本のGDPは、2030年、3・4パーセント、2050年
には、1・9パーセントというから、惨憺たるもの。若者が将来に夢がもてない
のも理解できる。今までが良すぎたと割り切れない問題である。アジア開発銀行
のアジア経済を展望する報告では、中国やインドが順調に成長を続けた場合、
 GDPに占めるアジアの割合は現在の27%から52%へ。中国は20%、インドは
16%。日本は現在の約9%から3%程度に低下するが、アジアの需要を取り込み、
1人あたりGDPは3万ドルから8万ドルに増えると予測している。それも
これも、あくまで予測。3万ドルの半分と思ってしまうのは、悲観的すぎるか!
・・・・・・
4209, アラン 幸福論
2012年10月04日(木)
           『アラン 幸福論』 合田正人著
 アランといえば幸福論で、まず思いつく人。幸福論と言えば、スイスの
ヒルティ、イギリスのラッセル、アランの幸福論など「世界三大幸福論」。
アランのそれは93の断章からなっていて、かみくだいた、「幸福小咄」
「幸福のコラム」といった軽いもの。とはいえ、ちゃん哲学に関するもの。
かれの幸福論は、観念論というより、あくまで日常生活に立脚して
幸福への指標を導き出した文学的にも優れたものとして読まれてきた。
アランは、「人は誰にでも幸福になれる」そして「人生の主役になれ」、
そのために「ダンスのように人と付き合え」、
最後に「幸福になることは義務である」と断言している。 
  ーここで紹介されている断章の一部よりー  〔 解)は、私の主観 〕
・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。
という言葉のとおり、「哲学は、生についての省察である」という立場から、
幸福は誰かに与えられるものではなく、「自らの意志と行動によって
つくりだすもの」であると説いた。
・不幸になったり不満を覚えたりするのはたやすい。ただじっと座っていれば
いいのだ。人が自分を楽しませてくれるのを待っている王子のように。」 
      解)王子のようにただ待っているだけの人が何と多いことか。
  待つだけでなく、不平不満を言い、人のせいにする大多数のように。
・自分で自分を不幸にし、その不幸を伝染、増大させていく人々こそが
本物の不幸をもっと不幸にしていく」 解)正反対もいえる。
・よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ。
                 解)だから人生は意思の格闘技である。
・快楽を抑制したから人間は幸福になるのではなくて、幸福であるから
快楽を抑制することができる。 解)金持ち、喧嘩せず。
・喜びは行動とともにやってくる。 解)行動の行は決心、判断の意味がある。
 自分の勘を信じて行動をし続けよ、ということ。
・幸福は自分の手作りである。解)時間をかけ、ライフワークを続けることか。
・幸せだから笑うのではない、笑うから幸せなのだ。 解)自嘲も笑いか?
・未来に幸福が見えているなら、すでに幸福である。 
        解)おもしろそう!楽しそう!と思うことから何事も始まる。
・悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。 
      解)意志が濁ると意地になる。楽観6の悲観4の割合が丁度よい?
▼ アレンではないが、「幸福になる五ヶ条」が目前のパソコンに貼ってある。
「一、今日一日、親切にしようと思う」
「一、今日一日、明るく朗らかにいようと思う」
「一、今日一日、謙虚にしようと思う」
「一、今日一日、素直になろうと思う」
「一、今日一日、感謝をしよと思う」である。
                  これがいざ実行となると難しい。
・・・・・・
3844, 正常性バイアスと同調バイアス
2011年10月04日(火)
 日曜日のNHKスペシャルで「巨大津波 その時ひとはどう動いたか」
が凄い!と家内から聞き、録画を見ることにした。 その内容は、
≪「津波が来るかもしれない」という時、人は何を考えどう行動し、
 何が生死を分けるのか。≫ が テーマ。
ここで正常性バイアスと同調バイアスが、多くの犠牲者を出してしまった
ケースを炙り出していた。そこでネット辞書で調べると
【 正常バイアスとは、外界の強烈すぎる刺激に対して、理知的動物がそれを
 心理で抑制して、慌てないようにしてしまうこと。当然、日常性を保護する
ために必要な措置だが、度が過ぎると「本当の危険」に対しても、「煙はやがて
収まるだろう」とか「今の地震が全てで予震などではなく、もっと大きな地震
などやってこない」とか、暴風雨被害や津波、テロ等々あらゆる事態に対して、
緩い判断をしてしまいかねない。現代は謎を駆逐した明るい社会である。が、
そのために殆ど無感覚者と化し、まさにこれが原因で被害が甚大化している。】
とある。また同調バイアスは、
【大災害のとき、人は大多数の人と同じ行動をとる(ことで判断を誤る)】
▼ ここで、「いざとなった時の人間の判断は、鈍い」ことを浮き彫りにする。 
 そこで気づいたことは、この千年に一度の大地震と津波を察知して直ぐに
逃げる判断は、一般的に難しいという事実である。この大津波から連想される
のが、リーマンショック。これは数百年に一度の経済大震災であり、その本格的
大津波=大恐慌が今年から数年かけて、世界中を大混乱に陥れる大惨事の震災。
その影響は、まずG8の中で一番弱体化している日本の地方にやってきている。 
それが、次に欧米の株式の大暴落がくるのは必定。 日本の大多数の中小企業
と鈍い大衆には、それが他山の石としてしか見えてない。 地球規模の大津波
(ハイパーインフレ)が目先に来ているのが現実とし受けとめることが出来ない。 
何故か? 正常性バイアスと同調バイアスが働いているからだ。
その先取りしてしまったこともあり、それがよく見える。 思わず耳を疑う言動
に唖然とすることしばしば。「御前のところは低地だが、自分のところは上
(業績の見通しは悪くない)、偉そうなことを言っているが、その様は!」と。 
私から見れば「 それは数年の時差でしかない、数キロ先に過ってなかった
大津波が来ているのに、当方の崩壊の立ち話をしているだけ」という単純な
視線が冴えてくる。 色いろなシェルターや近くに裏山があるから、大丈夫の
ようだが・・人は人の智慧がある? 轟音をたてて、そこに来ている事実を、
「正常バイアス」と、鈍い連中間の「同調バイアス」が、動物的直感を狂わす。
 ドルとユーロの暴落は2年ほど前から始っていて、まだ下落の道半ば。 
株式の暴落も始まっている。 リーマンショックの上に半年前の東北大震災。 
この費用は増税で賄うしかない。 その各家庭の預金は、回りまわって、
アメリカ国債と日本国債にいっている。それも暴落することになる。 
ギリシャ国民の、あの鈍感さは察知しても、自国になると!  
偶然だが、以下に、日本の近い将来を暗示する内容が取り上げてある。
韓国ドラマが受けるのも分かる。 以下の状態を経験する以前に、
隣はカルト国家がある。
  ・・・・・・・・
3479, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! −2
2010年10月04日(月)
 昨日の「韓国・国家破綻のすざましさ」の実態のレポートの続きである。
日本も「失われた20年」と言われているが、その間に韓国では「国家財政破綻」
の中で 国家リストラが断行されていた。日本も小泉・竹中コンビが金融再編成
で大鉈を振るい、また自民党を破壊。しかし政権与党の民主党には政策理念が
見えてこない。  ―まずは、昨日の続きの要点であるー
・IMFの改革を通してそれまでの古い柵が消え、経済が自由化されアメリカ
ナイズされたことで、韓国は大きく変わった。それまであった終身雇用が崩壊し、
年齢よりも能力が重視されるようになリ、社長でも経営がうまくいかないと
株主にクビにされる。現在、韓国では四十五歳定年が定着しているが、これも
経済破綻が起点となっている。ベンチャーも盛んになり、三十代、四十代の社長
が数多く出てきている。 国全体が破壊から再生に立ち上がろうとしている。
・国が経済破綻すると、庶民の資産はどうなるのだろうか。 破綻と同時に
起きたのが、金利の急上昇。破綻前は13%だった住宅ローン金利が、いきなり
二倍以上の27パーセントまで上がった。このため、マイホーム購入の契約が
次々と破棄され、新築社宅の売れ行きが急激に落ち、同時に価格も下がった。
すでにローンを組んでマイホームを購入していた人は、支払い額が急激に増えた。
当時、韓国ではほとんどの人が住宅ローンを変動金利で借りていたので、
金利が二倍になった途端に払えなくなり、延滞者も急増。この延滞利息が、
なんと六〇%。とても払えず家を手放し、親元などに身を寄せる人が激増した。
・株価は四分の一。預金金利が暴騰し31パーセントになった。
ちなみに物価は経済破綻をしても、それほど上がらなかった。
▼ 以上だが、日本の失われた20年も異常だったが、国家破綻の韓国の惨状
 には驚きである。現在はアメリカナイズされた国に変身しているが、その間、
日本は長期不況でただ、立ちすくんでいるだけ。 今後10年、韓国に近い惨状
は覚悟すべきである。日本の地方は既に恐慌の様相を示している。
残る関東と東海地区も、リーマンショックで、それぞれ原爆が落とされた状態。
 今のところエコ・ポイント制度などのカンフル剤で持たせているが、これも
今年の暮あたりで終了。既に暗雲が漂い始めてきた。 金利が暴騰したら
日本経済は即死になる。とはいえ、ハイパーインフレとは、そういうもの。
 ・・・・・・・・
3104, 返済猶予法案の成立から見えてくること! −3
2009年10月04日(日)
 昨日の朝のモーニングショーに亀井静香が出演、TV側の評論家と
「返済猶予法案」の是非について議論をしていた。亀井節で、この評論家を
根こそぎ否定していたが、コメンテーターの無知が露出した漫画的な内容。
都会のマスコミの世界の中から一歩も出たことのない連中の浅はかさが、
あまりに酷い。亀井節でバカ・チョンと罵倒されていたが、されて当然。
 何を言っても議論にならないレベル。最後は、「この程度のしか
コメンテーターはいないのか、この局は」と適切な御言葉で切り捨てていた。
まあまあ?の肩書きを持っていながら、論理形成ができないとは。 
生の現実に接してないからである。参考のために、そのコメンテーターは、
岩井奉信(日本大学法学部教授) 奥野史子(スポーツコメンテーター)
高橋進(日本総合研究所 副理事長) 森本敏(海外事情研究所所長)。
 (字数制限のためカット10年10月4日)
 ・・・・・・・・
2739, 何故、こんなに多くのバブルを経験するのか?
2008年10月04日(土)
「資本主義は嫌いですか ―それでもマネーは世界を動かす 」−1  
                     竹森 俊平 (著)
この本は私の知人からメールで「面白い本がある」と紹介され早速買って
読んだが、成るほど面白い!世界恐慌の様相を示してきている米国発の
金融システム崩壊の原因は住宅バブルの崩壊によるもの。 
そのバブルが何故起きるかを解りやすく書いてあった。
  ーまずは、その部分からー
なぜ、われわれは、こんなに数多くのバブルを経験するのだろうか。
その結論を要約すれば、「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を
維持するために、経済システムの「自動制御装置」が働いた結果であった。
高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(とくに金融機関)や政府が、
さまざまな手段を動員して高成長の維持を図る。 そのことが繰り返され、
結果としてバブルが生まれた。あまりにも単純なルールに従って動く「
自動制御装置」は、システムの安定をもたらさないこともある。特定の要因
だけを重視して制御する結果、制御されない他の要因によって、かえって
システムの安定が乱される可能性があるからだ。今回のサブプライム危機も、
「自動制御装置」が「高い経済成長率」という一つの要因にあまりに重点を
置いてきた結果といえるかもしれない。 「サブブライム危機」を契機に、
今後は「自動制御装置」も根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生
に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。
その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済
の成長率は低下する。これが結論。
 −−−−
解)これが現在の金融恐慌の原因のバブル発生のあら筋である。 
バブルの収縮を繰り返しをしながら、経済は動いていく。
 (字数制限のためカット09年10月4日)


5315,投資も人生も長期思考で!

2015年10月03日(土)

     【澤上篤人×出口治明対談=投資も人生も長期思考で!
                           新潮45・3月号】
   * 戦後40年が特別の時代だった
 {戦後からバブル崩壊をするまでの35年間が、地球史上、稀なる高度成長期
にあった。その時代に生まれ出たこと自体が、幸運中の幸運で、現在の長期不況
が当り前と思った方がよい」というのは、充分に実感できる。私の事業立上げが
丁度、天辺だったことになるが、その時は、そのことを知りえようがない。
だから準備期間の15年の方が、実業期間より面白かったのは、右上がりの
経済環境の所為もあったことになる。長期設備投資の事業もあって、長期的
思考を求められたが、見切り時期が最終段階になってからだった。それでも、
表層雪崩の段階で決断したが、甘かったことは間違いない。 〜その辺りより
≪ 出口: 朝起きて、今日も頑張ろう、今日も楽しいなと思っていれば、
 それが最高のライフワークバランスだと思うので。人間にとって何が
 いちばん楽しい人生かといえば、やりたいことをやることです。
澤上: 出口さんが言われたとおり、好きなことをやるのがいちばん面白い。
 今までは日本経済が伸びてきたから、みんな右肩上がりに成長してきた。
 ・・大企業、中企業、小企業、町工場、それぞれが右肩上がりの三角形の
 どこかに乗っかっていた。だから、生きていけたし、落ちこぼれもなかった。
 でもその右肩上がりの三角形はもうないんです。大企業でも潰れるし、
 逆に小さな会社が何回もチャレンジしてのし上がることもある。
出ロ: 二十世紀の後半は、冷戦があったというのがまず大きい。
 世界でいちばん豊かなアメリカが、日本に脛をかじられても怒らなかった。
 僕がサラリーマンだったころ、日本がアメリカの繊維産業を潰したとか、
 次は鉄鋼産業や自動車産業も潰すんじゃないかと。昔だったら戦争です。
 でもアメリヵがなぜ本気で怒らなかったかといえぱ、冷戦という枠組みで、
 日氷の存在が貴重だったから。これはラッキーでした。  ・・・(略)
出口: 高度成長には自分で行動しなくても、みなと同じように働いていれば
 自然に成長するのです。めちゃくちゃ楽ですよ。日本は一九九〇年のバブル
 崩壊まで三十五年間、実質七%成長していました。七%成長というのは、
 十年間で、経済規模が倍になる数字です。給料もそれに近い形で増えます
 から、とんなに幸せなことはないのです。
澤上: それが先ほどから言っている右肩上り三角形です。企業に勤めて、
 真面目に働いて、自分でも頑張っているような気がしている。
 でもよく見てみると三角形に乗っていただけ。その大前提が全部なくなった。
 そうすると一人ひとりが自分で考えて-行動するレかない。でも、それは実は
 経済の原点なんですよ。これだけ幸せな状況が続いたのは日本だけです。
 世界には全く例がない。日本がやっと世界の常識と同じになったんです。
出口: ええ。戦後の日本が特別だというのは、中国の歴史を見ても分かります。
 中国では、平和で成長して、みんなが幸せだった時代を盛世と名付けています。
 漢の文景の治と、唐の貞観の治と開元の治、そして清の康煕帝の時代です。
 四千年の歴史のなかでたった四回しかなくて、しかもそれぞれが平均すると
 二、三十年です。二十年戦争がなくて、経済も良くてというのは、本当に
 世界中を見わたしてもめったにない。だから「あの頃はよかった」とか
 思わずに、戦後は宝くじが五回くらい連続で当たった特別な時代だと思った
 方がいい。今が普通だと。≫
▼ こと人生と、事業の万一の備えは、してきたが、50歳代に、捨身で
 余生30年分を圧縮した生き方をしたのが良かったと実感してる。
両人の言うとおり、奇跡的な良い時代背景に生きてきた。これだけは自分の力
の及ぶ領域でない。この時代に生きただけ充分、結果?何ぞは如何でもよい。
まったく時代背景の豊かさにに鈍いのが多い! で、偶然、以下の文章に続く。
・・・・・・
4950,「嘘みたいな本当の話」
2014年10月03日(金)
  * 「嘘みたいな本当の話」の書き方   
           『嘘みたいな本当の話』 内田樹、高橋源一郎:選者
 この内容に似たテーマの文章を幾つか書いてきた。空中離脱や、ジンバブエの
鉄橋からのバンジージャンプや、意味ある偶然の一致の経験、などなど。
それもあってか、もの足りないが、その軽さと、切口も悪くはない。
≪ 投稿された中での選定の基準のひとつは、「奇妙な後味の残っているもの」
 と、「そういうことってあるよね」感のあるものという。これは随想そのもの
にも言えるが。例えとして、次の古典的なショートショートが良い!
≪「地球最後のの男が、最後に残ったシェルターで、いま死を迎えようとして
いた。すると、ドアをノックする音がした。」 これを選者の内田樹が読んだ
のが、中学校の時で、半世紀も忘れてなかった。そして、いまでも、
「人間とはあらゆる修辞的装飾を剥ぎ取った場合に何ものか」という定義を
試みるとき、この条件設定をしてしまう。それだけこの「奇妙な味」は僕の中に
内面化してしまったことになる。もうひとつ、「そういうことって、あるよね」
と言うのは人間の可能性を押し広げる重要なキーワード。
「成瀬さんて、空中浮揚するらしいよ」「うん、そういうことってあるよね」 
そういう感じで使います。・・ つまり、「奇妙な後味」も「そういうことって、
あるよね」も、どちらも自分が「人間とはこういうものである。世界はこういう
もので成り立っている」とリアルかつクールに考えていることの
「ちょっと外側」を感じさせ、結果的により精密に、かつ奔放に自己観察を
するきっかけになるものだということになる。・・ ≫
▼ ものを考えたり、文章化をする時、この二つの基準が、何が大切かを
 考えさせる。「嘘みたいな本当の話」のネタは、考えれば幾らでもある。
モノゴトをじっくり観察すれば、何事も「嘘みたいな本当の話」になる。
問題は、気づくか気づかないだけ。だから精密に、奔放に観察するしかない。
そこに、奇妙に味わいが出てくる。「本当のような嘘の話」が、小説だが、
その間逆をショートショートで書くのだから、それなりの観察が必要だ。
・・・・・
4583, 2050年の世界 ー12  
2013年10月03日(木)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部(著)
  第十三章 貧富の差は収斂していく ーのまとめーより
・格差は二つの格差を考える必要がある。すなわち、各国間の格差と、
 それぞれの国の中での格差。
・各国間の格差は、一九九〇年代まで開く一方だった。一九世紀の最も富裕な
 十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の六倍にすぎなかったが、二〇世紀
 の最後になると、最も富裕な十ヶ国の一人あたりの所得は、最貧十ヶ国の
 四〇倍を超えるようになった。これは、北米と欧州の経済成長がこの間急激で、
 他の地域が停滞していたからである。
・一九七八年の中国、そして一九九〇年代初期のインドの経済改革の開始が各国
 間の所得格差解消への転機となった。一九九〇年以降、新興経済国の大多数
 がアメリカより急速に成長し、キャッチアップのペースが上がってきている。
・そして今後も、欧米や日本などの国々が高齢化による財政の悪化に苦しみ、
 低成長を余儀なくされることを考えれば、出生率が高く人口の配当が大きい
 アフリカを含む新興経済国との差はますます縮小し、世界的な規模での
 貧富の差は縮小する。
・しかし、一九九〇年代から先進国を中心に起こったのが、国内における
 格差の拡大。アメリカのジ二係数は一九七〇年代中期の○・三一から、
 現在○・三八まで上昇している。ドイツやスウェーデンでも国内の格差は
 広がっている。その理由に共通しているのは富裕層がかってない規模の収入
 を得るようになってきていることだ。
・富裕層の所得が爆発的に増大した理由に、トップ層の職業の収入が
 グローバル化による市場の拡大で増えたこと、そして金融業の異常とも
 いえる肥大化があげられる。
・ただし、こうした国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の途上国の
 経済拡大が起こり、それらの国々に住む人々の所得が増大するので、全体
 としては、世界的な規模で貧富の格差が縮小する。
・全世界の中流階級集団は、現在の五億人未満(世界人口の七%)から、
 二〇三〇年には一一億人超(世界人口の一七%)に膨らみ、二〇五〇年の時点
 でさらに増えているだろう。
▼ 欧米に、それ以外の地域の人々が近づくのはグローバル化の
 プラス面である。現在の先進国のような「上層・3%、中流・30%、その他」
に世界の階層は、変化していく。しかし問題は、その他の67%の人たちが、
三分の一の生活実態が情報化で見えること。3%の上層は、それを和らげる
政策を取りざるを得なって、下流から中流への移動を計るしかないので、
世界は徐々に良くなっていく? それは楽観的見方だが、どうだろう。
移住が比較的簡単になり、豊かな地域に貧しい人たちが移住するため、国家内
格差は大きくなっていく。 国内の貧富の差の拡大を上回る速度で、世界の
途上国の経済拡大が激しくなっていく。それは40年後ではなく、現在、起きて
いる問題である。ドバイの都市建設の労働者がインド、バングラデシュからの
臨時雇用で、現地人との差は大きい。また、北朝鮮の政治体制が、その典型。
弱肉強食が社会の発展の原動力なら、貧富差の収斂は、人類の永遠の課題。
・・・・・・
4208, 異郷日記 ー三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈
2012年10月03日(水)
  * 三鷹‘蝦蟇屋敷’界隈       「異郷日記」西江雅之著
 何処にでもありそうな話だが、フィールドワークの言語学者が書くと、
これほど面白い物語になる。私の去年春の見切りに対する尾ひれ羽ひれの話も
大方、想像できる。だから城下町の地元に帰って来てからは徹底的なアウト
サイダーを決め込んだのは、そのためだ。片田舎の城下町‘蝦蟇屋敷’
界隈の話の縮小版が、そのまま以下である。  ーその辺からー
≪ その後、わたしは"なごみ"の常連のようになった。掘っ立て小屋といっても
 よいような雑な造りの店内には、粗末な木製の椅子がわずか七つ、いつも下駄
ばきの大塩さんがカウンターの内で、ガス台の傍に置いた小さな椅子に俯き加減
の姿勢で座っているだけで満杯といった極く小さな店である。
客層は平均年齢五〇歳。なかには口の悪い強烈な酔っ払いも多かったが、
誰もが一国一城の主を自負しているような人物で、政治や文学、演劇など
について、相手構わず勝手なことを話していた。 ・・・(中略) 
 その"なごみ"の大塩さんが店からブイと姿を消したのは、わたしが蝦墓屋敷
に住みついてから数年経ってのこと。常連の一人から聞いた話では、ある夏の日
の夕方、一杯飲みに行こうと思い立って店に行くと、入り口が閉まったままに
なっている。しばらく時間をおいて再び店に行っても、入り口は閉まったまま。
休業の張り紙もなく妙だと思ったという。その数日後、大塩さんは幾駅か離れた
町の病院で発見された。彼はそこで亡くなったのである。身元が分からない
まま亡くなったので警察沙汰になり、やっと身元が判明したということだ。
この出来事を巡って、近隣の飲み屋では当然のことながら盛りだくさんの噂
が出た。真相を知っている者、真相を知りたいと思う者。好奇心に駆られた連中
が、一時的に増えた。それだけで売上げがあがったと言われた店もあるらしい。
自殺説も多い。不治の病に悩んでいたという説、発作的な行為だったという説、
皆が知らない所で何者かに脅かされていた説、陰で巨額の借金があって悩んで
いたという説、およそ皆が思いつく説が出揃ったころ、話題は自然に消えた。
わたしは彼の死の原因はまったく知らない。しかし、巷の隅で彼の死が話題と
なったころ、引越しの初日に。なごみを紹介してくれた"稲穂"の女主人に路上で
バヅタリ出会った。「あら!」と言うなり、「あなたも大変だったでしょう。
数十万円の借金が、一瞬のうちにパーになってったんですものね」と切り出した。
わたしには話の脈絡がまるで掴めない。だが、話を聞いていると、‘なごみ’
の主人は人知れずかなり多額の借金を何人もの常連からしていたらしかった。
そして、わたしもその被害者の一人とされたのだった。「借金のことなど、
あの店で聞いたことは一度もありませんが」と、わたしは言った。
「そうですか、あの方、やはりお金を借りられそうな人を選んでいたんですね」
と、"稲穂"の女主人は、なんだか私が金のない人物であることを確認したかの
ように言った。それは事実だが、とにかく大塩さんからは借金の話など聞いた
ことがないのも確かだ。しかし、もし噂が本当だとしたならば、いつ見ても
同じような質素な服を身につけ、今にも壊れそうな粗末な丸椅子に腰を下ろし、
無口に客に応対していただけの人物が、何百万円という金を如何なる目的で、
誰のために手にしていたのかは不思議である。その後、ほどなくして、同じ
路上で出会った飲み仲間から「知ってますか?"稲穂"のママが亡くなったんです」
と、話しかけられた。わたしは彼女の死因も知らない。どうやら持病が元で、
病で亡くなったらしい。 ≫
▼ 地元から車で一時間半に高田城下町や、新発田城下町がある。
 そこでは昔からの生活があり、土着の人間関係が長い町の歴史とし脈々と
続いている。そして私の住む町の長岡城下町も同じである。 新発田出身者が
Uターンで帰り地元に住み、新潟で仕事をするとしたら、当然、地元の人間関係
に深入しないのが生活の知恵。それと同じパターンを私も新潟で仕事、住むのは
長岡にと、当然とってきた。しかし、仕事を終え、長岡だけの住処になると、
そこは、江戸時代からの血筋とか何とかの暇人の小さな人間関係が続いている、
がんじがらめの蝦蟇屋敷界隈。上記のような魔女狩りの噂話の丼池。
そこは地元民の全世界、象の皮膚のヒダ世界の中。 
・・・・・・・
3843, 閑話小題
2011年10月03日(月)
  *  つれづれに ー老後とは
 母親が38歳、父親が42歳の時に生まれたため、子供の時から二人の壮年
から老年への移行期の姿を見てきた。家は商売をしていたので、まず生存をして
いくベースを確保する必死さが幼児の頃から生で伝わっていた。
生まれた時から毎日が戦争の真っ只中のような日々。サラリーマン家庭から
みたら異状の生活環境である。ある意味、60年たった現在、やっと緊迫した
日々から開放された日々。 逆に生涯殆ど勤め経験がなく、独立独歩で生きてきた
ため、緊迫感が少し薄れただけで、勤め人が定年後に感じる「自由の不自由さ」
は全くないのも事実。家に一日中居ても、家内の視線以外には、何の抵抗感も、
何をして良いのかの戸惑うことも、皆無である。元もと、商売上の付き合いも
最小にしてきた上、肩書きを持ったら誘いがくるような慈善団体に入ったことも
ないし、その中で威張ったり、競う相手の存在も殆ど居ない。 自分が自分で
あるために妨害するものは初めから振り捨ててきた。それが多くの人たちに誤解
を与えてきたが、自分が自分であることが良いのは、長年の読書で分っていた。
そのためか、この生活の変化に大した違和感は少ない日々になっている。 
  * ゴッドファザー
ゴッドファーザーを一昨日、WoWoWで日本見た。30数年前の封切りを映画館
で見てから、TVで何度か見ているが、その年齢ごとに受けとめ方違ってくる。
ギャング映画だが、権力の集中と決断をテーマにしたマネジメントそのもの。 
封切当初は、そのギャング世界の迫力と殺しあいの生々しさに世界中が驚きに
沸きかえった。人生経験を積んだ後にみる、二代に続くマフィアのボスの物語
は、また違って見えてくる。 事業の立ち上げと、その盛衰を経験してみると、
あの緊迫感は事業とて同じこと。現在では家具とか、装飾にも目がいくが、
ファミリーの人間模様が面白い。映画そのものは、やはり名作中の名作。
7〜8年に一度は再放送されるが、名作は何度見ても、新鮮である。
・・・・・・・
3478, 15年前の韓国・国家破綻のすざましさ! ー1
2010年10月03日(日)
 ある月刊誌の「15年前の韓国・国家破綻のすざましさ」
の実態のレポートを読んで愕然とした。
「今すぐ取り組め生活防衛のための五箇条ー韓国に学ぶ国家破綻の恐ろしさー」
 15年前にIMFの管理下の置かれた韓国の姿は、日本の近将来図と
 みるべきだろうか。まずは、その一部から・・・
・韓国経済は、急成長していて1995年にはGDPの実質成長率が9%。
 だが、アジア通貨危機の波をモロにかぷり、98年には一ドル700ウォン
 だった通貨が、97年夏には900ウォンまで下落、11月には1000
 ウォンを突破し、98年には2000ウォンにまで下落した。三分の一。
・この時、韓国には30ほどの財閥があったが、韓宝、起亜、三美など名だたる
 財閥が次々と破綻。 さらに、銀行も次々と破綻して約半分になり、残った
 銀行でも、従業員の半分をリストラする過酷な再建策を断行。
・企業も約半数が破綻し、何とか残った企業でも大幅なリストラが
 行われたので、失業者は150万人を超えた。
・混迷した状況にさらに拍車をかけたのが、IMF(国際通貨基金)の財政再建策。 
 破碇した韓国経済はIMFの管理下に置かれ、IMFから金を貸じてもらい、
 その代わりに緊縮財政を迫られた。IMFが財政赤字を減らして為替を安定
 させるため金利を上昇させたので、韓薗経済は大不況に突入した。
 健康保険などの社会保障は機能していたが、健康保険対象外の病気が多く
 あったため、収入が激減し家庭では病院に行くのをあきらめる人が急増。
 病院は患者が激減、背に腹は代えられないと24時間診療病院も出てきた。
・通貨が下落したことで、輸入に頼るガソリン・軽油などが暴騰したため、
 車に乗らない人が増えて道路は閑散。寒い中、灯油価格も高騰したので、
 人々は寒さに震えた。
・大学を卒業しても就職先がないので、そのまま大学院に進んでキャリア
 アップする学生が急増したために、それまでガラガラだった大学院の入学
 競争率が二倍に跳ね上がった。
・いっぼうで、会社をクビになり、再就職もできず犯罪に手を染める
 サラリーマンも急増。治安は極端に悪化し、詐欺も横行。混乱と不安が
 増す中で、テレビからは娯楽番組が消えた。こんな大変な時に不謹慎だ
 という投書がテレビ局に殺到したからだ。破綻から一年間は、先が見え
 ない中で、庶民の顔からも笑みが消えた。
▼ この続きは次回として現在の円安で300円になるというと、
 まさかと誰もが思うが、韓国では既に起こってしまった現実である。
 失業者も日本の人口の半分として、日本で300万人というと、これまた
信じられない数になる。日本の政治も経済も自己コントロール不能となれば、
韓国と似た道を歩くしかない。金利も今のところ1〜2パーセントだが、
これも何時どうなるか分からない。隣国と臨戦状態の韓国と海に囲まれ
ノンビリ構えている日本と、あまりに違う。  ーつづく


5314,下流老人 ー②  〜下流老人への転落

2015年10月02日(金)

 この数年来、団塊世代が年金生活に入ったこともあり、マスコミに扱われる
ことが多くなった。更に新幹線内で年金制度に対する抗議の焼身自殺もある。
今では、週に1〜2度は、TVで極貧の『下流老人』をレポートをしている。 
多くの人にとって、他人事ではない問題。私の場合が一歩間違えれば・・
準備期間を入れると45年間心血をそそいだ事業が思いもよらないリーマン
ショックで成立たなくなった。 それでも事業設計の段階から万一の備えを
組み込んでいたこともあり、何とか人並みの生活を維持している。 ところで、
ブログ内検索で調べてみたら、二ヶ月前、「下流老人」のテーマで扱っていた。
(後にコピー)  〜最近みたTVでアンケートでは、
・病気などで、大金の思わない支出
・離婚で、財産が消滅
・転職の失敗(思い上がり)
・年金資金の投資の失敗
・頼れる家族がいないか、その家族がギリギリの年金に頼っている
・手持ちがあったが、気前良く使っているうち底をついてしまった
などなどの事例を生々しく映しだしている。その幾つかが重なった加速が多い。
 手持ち資金が底をついた、あてが国民年金の一人暮らしで6〜7万円では、
家賃で、その大半が消えてしまう。数ヶ月前に、中学校の「古希」の会が
あった。会場が県境の湯沢で、二万円近くの会費のため、出席出来る人は、
限られるため、貯蓄、収入の余裕ある人が中心のため、その実態は見えないが、
身近を知る限り、甘くはない。TVで誰もが口を揃えて、「まさか自分が!」
という。 私のケースでも、夫婦のどちらかが欠ければ、この大きな屋敷の
一人住まいは難しく、小さな家への住替えか、施設の入居の問題が出てくる。
 団塊の世代は、終戦直後の最低の環境から、バブル崩壊まで35年間、
地球史上、稀なる7%の経済成長を続けた。これは奇跡中の奇跡の恵まれた
環境の中、そこで育った人生は幸せだったが、末路の気の毒な結果が、
『下流老人』になる。もっと気の毒なのが、その子供と孫。親の介護に、
職も全財産を注込んで呆然とする姿が、戦後世代間の負の問題を象徴する。
――――
2015/08/03
下流老人 ー①
 去年になるが、NHKスペシャル、ー老後破産:長寿という悪夢ー
をみて衝撃を受けた。家内も厚生年金のため、人並みの生活は出来そうだ。
先日、新聞の雑誌広告で、『下流老人』という言葉が目に付いたので、
ネット検索をすると、以下のような厳しい内容が出てきた。
≪ ・ ー下流老人とは、
1、収入がない、2、資産がない、3、社会的ネットワークがない老人をいう。
 総務省の家計調査や、所得統計から貧困ラインから下流範囲を推測するが、
生命保険会社や金融機関では、老後生活の費用は最低ラインで20万円、ゆとり
ある暮らしには30万円超が必要という。ほとんどの老人世帯は最低ラインで、
ゆとりある老人世帯は一握り。(これは金融商品や保険を売るため使われる。)
・2014年の我が国における65歳以上の高齢者人口は3300万人、総人口に占める
割合は25.9%と、共に過去最高を記録しているが、大づかみに言って、そのうち
600〜700万人が「下流老人」と見なされている。内閣府の調査でも(2010年)、
65歳以上の高齢者世帯の「相対的貧困率」が22.0%となっていることから、
この推計は大きく的を外してはいない。老人と若者の間の「世代間格差」
が問題となっているが、老人の間の「世代内格差」も凄まじいものがある。≫
▼ 10年、20年スパンでみると、9割?の老人が「下流老人化」するという。
 老いれば、金を使う場面も少ないから、さほどの問題ではない?と、たかを
括っていられない。死ぬまでは金が要るが、死んだ瞬間から、生活費がゼロ
になるので、当人にとっての持ち金は微妙な問題でもある。 それでも
総世帯の15%が「下流」というから、やはり老人の立場は弱い。本格的
な国家衰退が始まってきたが、そのシワ寄せは、まず弱者に襲いかかる。
ギリシャが問題になっているが、それより、日本が遥かに深刻である。
ひたすら直視しないで、先送りしか手立てがないだけ。その限界の年が、
今年から来年。その矛先が、まずは老人と、母子家族。何がオリンピックか!
目先を凌ぐ、末期患者のリンゲルと同じ。その責任は、選んだ国民にあり。
・・・・・・
・・・・・・
4949,脳がよろこぶ話 ー3
2014年10月02日(木)
      対談ー小菅正夫 『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談 
  * 生きて、子どもを育てりゃもう十分
 年齢を重ねたこともあるが、「毎日、淡々と何事もなく、自分がベストと
思ったスケジュールを、こなしていれば十分」と、思うようになった。
リタイアで主夫化したようだが・ 少子化は、右下がりの時代、将来の展望が
開けず、収入が先細りの中では、子どもは最小にするしかない事情がある。
 ーその辺りからー
≪ ・茂木: アメリカでフクロウの研究をしている小西正一先生の研究室に
 留学していた方に聞いたんですが、ある種のフクロウは繁殖させるのが難しい。
なかなか子どもを作ってくれない。小西先生の研究室で飼っているフクロウ
だけは繁殖するというんです。なぜかとみんな聞くけど絶対教えてくれない。
でも、ある時に失敗をして偶然わかったらしいんですが、エサの冷凍ネズミを、
毎回食べ切れる程度与えていたんでは子どもは作らない。あり余るくらい、
お腹いっぱい食べても余るくらいエサをあげると子どもを作るというんですね。
エサが豊富にあるということがシグナルとなって、繁殖行動を始めるらしい。
・小菅: たぶん動物は、自分の子どもが、ちゃんとひとり立ちできる
「見極め」があって初めて子育てをスタートするんだと思う。エサだって、
自分が食べるだけじゃなくて、もう数羽いても生きていける環境があると
わかったから、じゃあ雛もそこで生きていけると判断する部分がどこかある。
命をつないでも大丈夫という安心感がそういう行動を起こさせることかも。
・茂木: 最近の日本の少子化は、安心できていないということですかね。
・小菅: そういうことだと思う。誰に聞いても、「育てていけるか不安だ」
とかね。でもそうじゃない、育てていくんだって。みんな自分を中心に考えて
いるからね。子どもを育てたらあれができない、これができないって。
生き物というのは子どもを産んで育てるために生きている。 
自分が生きていくことを第一に考えているわけではない。だから、娘が結婚
したときに、「今すぐ子ども作れ」と言ったら、「お父さんにそんな.」と
言われる覚えはない」と言われました)。それがやっぱり僕は、親から子へ
渡す言葉としてはね、あの言葉は正しかったと思うんですが、どうでしょう。
・茂木 なんかね、僕は人間って自分が動物だということを忘れて不幸に
 なっていると思う。小菅さんもずっと動物たちを見てきたわけですが、
逆に動物から見て、今の人間社会に対する提言が、ありますか。
・小菅 もうちょっと楽に生きるべきだと思いますね。あれもこれもしようと
 思うから疲れると思う。まずは生きること。基本は。しっかり生きて、子ども
育てて、それが軸なんで、それ以外はプラスα。それができないから人間として
どうなのかとか、そういうふうに考える必要はなんかないんじゃないか。
・茂木: 勉強ができないとか、たいしたことじゃない。生きていればよい・・
 生きていることが一番価値があるということ、それが当たり前。
・小菅: 動物からみたら、何でそんなくだらないことで悩んでいるのと
 思うと思います。「もっと平気で生きなさい」といっていると思います。≫
▼ 人間は、あくまで動物でしかない。それを忘れてしまっている。
 特に、文明国では。もっと楽に、平気で生きるべき、と言うが、それに真に
気づくのは、概して老いてから。しかし知識を持ってしまった現在、それでは
生活に支障をきたす。だから、リタイアを区切りにして、気楽に生きろ!
ということ。そのため、長年の準備が必要になる。人は、動物であると同時に
知的動物でもある。  また偶然だが、下の文に続く!
・・・・・
4582, そして、人生はつづく ー2  
2013年10月02日(水)
                『そして、人生はつづく』 川本三郎著
    ー『あとがき』ーも、良い (ほぼ、全文) 
《「東京人」2010年7月号から2011年11月号まで連載した「東京つれづれ日記」
 を中心に、この間のエッセイを編んでいる。書名はイラン映画、アッバス・
キアロスタミ監督「そして人生はつづく」に倣った。1990年、イラン北部を
襲った大地震の後、監督自身が大きな被害を受けた村を訪ねてゆくドキェメン
タリー風作品。どんなに悲劇に遭ったとしても生き残った者は、昨日と同じよう
に今日も生きてゆかなければならないという切実な思いがこの言葉にはこめられ
ている。家内を癌で亡くしたあと、私にとってもこの言葉は支えになった。
悲しみを大仰に語ることなく、毎日を普通に生きること。なんとかいままで
どおりに暮してゆくと。 3.11の惨劇のあと、現代を代表する俳人、長谷川罹
さんは、「やむにやまれ思い」で、俳句ではなく歌を詠み、『震災歌集』
(中央公論新社、2012)にまとめた。 そのなかに、こんな歌がある。
 「ラーメン屋がラーメンを作るといふことの平安を思ふ大津波ののち」
 悲劇の大きさを知れば知るほど日々の「平安」が大事に思える。物書きである
私にとっては、一人で暮らすことに平安を見出していくことになろうか。
頭のなかにはともかく、暮しのなかには修羅を持ちこまないこと。静かな生活を
心がけること。そうやって家内亡きあとの日々をやり過してきたように思う。
もとより60代も半ばを過ぎた人間にはもう劇的なことも起らない。いまのところ
健康を保っているので、家事もなんとかこなしている。3・11後、「生存罪責感」
という言葉を知った。家族を失い、自分だけが生き残ってしまうと、死者に
申し訳ないという気持が強くなることをさす。生き残ったからにはなんとか
生きてゆかなければならない。そう思う一方で、死んでしまった者に負い目を
感じてしまう。ふたつの気持に引き裂かれながら毎日がある。もともと旅が
好きだったが、一人暮しになってから旅が増えた。といっても家を長く空ける
わけにはゆかないのでせいぜい一、二泊。ほとんどが鉄道の旅。列車の窓から
流れてゆく風景を眺める。あまり大自然には興味はない。人間の営みが感じ
られる町がいい。鉄道の駅があって、駅前には昔ながらの商店街がある。
食堂やそば屋があれば有難い。夏ならビール、寒くなったら燗酒。孤酒は生きる
元気を与える。旅をしていて以前とは違う楽しみも出来た。 好きな町に
出会った時「老後をこの町で暮したら、どんなだろう」と空想すること。
函館、盛岡、小田原、湯河原、松江、長崎など、町を歩きながら、
このマンションに住んで、この居酒屋に通って・・と想像する。 》
▼ 生の切実な声が、ストレートに伝わってくる。「最近の旅は、隠れ里探し
 になってきている」というのも良い。私も、この大きな住宅に何時までも
住むのは無理である。5年が目処になるが、住み心地がベストのことも確か。
それにしても、老後を、「そして、人生はつづく」というのは良い。
連れ添いに先立たれたり、寝たきりや、病が次々と出てくる時節に
「そして、人生はつづく」から、「それでも、人生はつづく」になるのは
致し方ない。その中で、いかに静かに心の平安を保つことの難しさは周囲の
老醜を見れば分かること。 何もかも面倒になり、ただ惰性と安逸の中で、
過去のフラッシュに心が動揺する。その反面、TVの旅番組で、毎日、
行き先の放送している。ドラマも、多くの経験を得た現在、今までと違う
見方で味える。さほど先は無いと思い、あらため世の中を見ると、
知らないこと、未経験のこと、気づかなかったことだらけ。 
 そして、人生はつづく。 されど我らが老後である。
・・・・・・
4207, 親子年表
2012年10月02日(火)
  * 自分目線の100年世界               
 還暦を過ぎた辺りから、その時々年齢の父と当時の自分の年齢を重ねて
みている。更に最近では、「二人の息子の年齢に自分は何をしていたか」も
重ねみるようになった。先日、こういう見方を「親子年表」として存在している
ことを知った。考えることは皆、同じである。父が66歳時に、私は22歳。
父が亡くなった71歳時に27歳。1973年であった。 父の享年まで私は、
あと5年になる。そろそろ最期の身辺整理の時期に入っている。
父は最期の仕事に自分の財産を生前贈与をして亡くなっていった。
それが私の人生を大きく支えてくれた。両親の愛情を物心とも直接、間接的に
受けたことが最大の財産である。その意味で家内も私と同じように恵まれた両親
だった。その相性が良かった悪かったで人生が大きく変わる。これこそ最大の
ツキの善し悪しになる。 それに甘んじて一生、親の世界から抜けられなく
過ごし、死の間際に慌てて生き急いでいる人を秘境ツアーで何人も出会ってきた。 
「ハッとしたら、既に老境。親のいうとおり生きてきたが、自分の人生が何も
無かった。死に病になり、何時死ぬか分からないが、このままでは死ねない。
その何かが世界の果てにくれば少しで分かると思い立ち、参加した!
帰国すれば大きな問題が山積み」という一身上の話を偶然、山道で隣り合わせに
なった60過ぎの一人参加の女性から聞いた。死に直面した時に大きく動揺する
のは、「やりたいことを、してなかったため」という。結果がどうあれ、現在、
心が安定しているのは、60歳までに、前倒しにして遣り尽くした感があるため
だが、これは大きい。これがないと、周囲のマイナス探しで自分を肯定する
しかない晩年になる。ほぼ九割の人のそれは周囲の誰かを具体的に特定すれば
見て取れる。団塊世代と、その子供の世代の特徴を親子年表にし、時代背景から
見ると、その特徴が浮かび上がってくる。その世代間格差が、あまりに大きい。
逆に団塊世代の親の世代をみると、太平洋戦争に大きく翻弄された最も困難な
時代である。それからして終戦直後の団塊世代前後の人が奇跡的に恵まれた
時代に生きたことになる。自分の親と子供を重ねると、100年、150年の
視界が鳥瞰できる。
・・・・・・・
3842,iPadと、アプリ、あれこれ ー3
2011年10月02日(日)
 どうも不思議なことがある。マスコミが、タブレットPCを殆ど報道
しないことである。恐らくマスコミがタブレットPCに脅威を感じている
ため、ニュースの素材として避けているのでは?と思うのは私だけでないはず。
先日も中学校の同期会に持って行こうか迷った位である。同年代の彼らなら、
このアプリを見たら腰を抜かさんばかり驚くはずだが嫌味とも受けとめられる
可能性もあるので止めたが・・ それだけ、これは私にとっては大きな
インパクトになっている。モバイル携帯が出回っているので、それほどでも
ないかも知れない? しかし、モバイル携帯と、タブレットとは違う。
・アマゾンが読書専用のタブレットとは別に、多機能タブレットPCの分野に
 進出すると報道された。現在、他のメーカーでiPadに対抗できるところは
 ないが、対抗できるとしたらアマゾンしかないと言われた。対抗馬としての
 本命のお出ましである。
・シャープも社運をかけてタブレットPCに打ち込んでいるが、
 売れているふうではない。
・先日、大型家電のタブレットコーナーに行ったところ、各メーカーの特性
 のあるタブレットが並んでいた。その一つにソニーが、近くに売り出し予定の
 メガネケースにソックリな二つ折りで、見開きのものがあった。モバイル
 携帯二個分が折りたたみになったようなもの。これなら落としても壊れに
 くいし、持ち物として小物の範疇になる。
・富士通は、小型ノートパソコンの画面が取り外せるタブレット式。
 これも便利で抵抗なくタブレットに移行できる。 ー話しをiPadに戻す。
 これを使いこなすポイントはアプリとの出会いになる。それとブログと
 ツイッターも、いま一度、探してみる必要がある。パソコンとの接点が飛躍的
 に増えるからだ。 忙しい人ほど、タブレットは有効。特にビジネスには
 間違いなく効果的になる。暇な私など、机上PCと並べ交互に使っている。 
 そして疲れて寝室で仮眠するときも枕元に置いているほど。IPAdバカか!
  (字数制限のためカット 2014年10月2日)


5313,閑話小題 〜飲み会が楽しい理由

2015年10月01日(木)

 4年半前からはスポーツジムとiPad、6年前には電動アシスト自転車、
20年前からはパソコン、30年前からは海外パックツアーの、新たなシステムと
して生活習慣に取り入れた。それは私たちを、マシーン、場を含めた波動が
繋がる‘共愉’へと導いてくれる。‘飲み会’も、数多のシステムの一つ。
これをウィーンの哲学者・イバン・イリイチが「コンビビアル(convivial)
として使った言葉である。 〜ネット検索による説明から・・
◎《 コンビビアルな道具といえば、一言で言えば、「自由」を具体的に
「具体化」するための、たとえば、ハサミなど小物から、自転車、更には
システムも含む。彼が優れているのは、彼が優れているのは、これを
人間関係だけでなく、小物、システム、場に広げたこと。イリイチが
言いたいのは、道具を、媒体を介した峻厳関係である。意味合いとしては、
友愛もしくは歓喜も含まれており、「快楽」が含まれている。「禁欲」とは
意味合いが違っている。そして、ネット社会の浮かんでは消えていく接合と
分離において「コンビビアリティ」が見出されている。》 〜他にも〜
◎《 気心が知れた仲間同士が、和気あいあいと共に円卓を囲み愉しく飲み
食いして宴をしている様子を示す意味合いの日常語。思想家イワン・イリイチ
が説いたconvivialityは"共愉"と訳された。食べるの大好きだけど、一人では
美味しくない。会話があって味わえるもののほうが喜びが大きい。会話の中で、
波動というか周波数というか、そういうのを感じて、しかも互いの波動が合う
瞬間がたまにあります。"なにか"が生まれる瞬間。結論と行き着いた先は、
そのときは形になってない事や立派な成果物じゃないこともあるが、それまで
の間にお互いがお互いを引き出しあっている。会話は産婆術=educationの語源。
たまたまそこにある要素によって全然別の話ができあがったり、色んなものが
引き出されたり、偶然が重なって何か見えたり、狙ってなくてすごい笑える
発言が出たりします。なにかが生まれるまでの共愉が実は、妊娠する=concpet
の語源としているのです。そういえば一人で盛り上るはあんまり無いですよね。
日本フランス料理会におけるソースの名人 Chez Innoのシェフ、井上旭氏。
酔いながら語った中で聞いた言葉があります。「ワイン飲むってのは、
和飲なんです。和飲、是楽(ワイン、これたのし)。」 ワインを飲みながら、
間柄(和)が深まり、ワインを飲み愉しんだ時間を通じて、関係(和)が広がる。》
▼ 飲み会が楽しい理由は、気心が知れた者が共に卓を囲み‘共愉’することで、
「自由」を「具体化」するからである。前の会社で30年、年に4〜5回は宴会を
開いていた。それが陽気な面白い集まりで、社員や、取引先の遊びなれた
宴会部長と大騒ぎをするが、それは手馴れたもの。宴会の酒の失敗は殆どない?
SJのエアロも、国内外のパックツアーも、集団でこそ格安で、気楽に‘共愉’
出来るシステム。結果は、どうであれ、装置産業の利点の有余る時間の中で、
多くの‘共愉’と、今、思いついた逆語、‘独愉’を十分に味わってきた。
・・・・・・
2002/12/03
忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。
昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。
とにかく盛り上がる。大体50人前後が出席する。
若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。
そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。
お客さんがだいたい7割を占めるが、ほとんど人が営業か
営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。

昨夜も最高潮に盛り上がった。
毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。
時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。
この忘年会で初めて年末の到来を実感する。
 〜過去に書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・
H0905  宴会好き!
 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になった!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけて
よく飲んだものだ。もともと私の父が宴会好きであった。
酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いていた。
これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位
だった。芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返して
いると思うと“三つ子魂”何やらである。
当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ−カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、
痴呆で亡くなった。
・・・・・・
2002/04/02
新入社員歓迎会

毎年この時期におこなわれ、非常に毎年盛り上がる。
当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、
歓迎会がさらに盛り上がる。
2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。
お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。

まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。
その辺を調整しながら、盛り上げる。しかし面白いことこの上ない。
若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいこと。
とにかく明るい! 花が咲いたという例えがピッタシである。
それと時代に左右されている。彼等はとにかく携帯電話世代だ。
意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。
反面、孤独という一番大切な世界を知らない。

宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると
以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。
・・・・・・
2005/08/12
1592, 幇間ー太鼓もち

幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの
宴会が開かれていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。

芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。
といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。
近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。
通称「八木漬物屋のオヤジ」である。
彼がいないと場がしらけるほど存在感があった。

映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸があった。
それをキッカケに、他の人の芸が出てくる。家族や従業員・取引先など
50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。
幼稚園の頃から日本酒を判らないようにコッソリと飲んだ記憶がある。

幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と
同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出して
いる技を持っている男芸者である。愛嬌があって、人から何か好かれる
魅力がなければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。

人間は誰でも、褒められ威張りたいものである。
太鼓もちは、その辺を熟知しており徹底的に自分を蔑みながらお客を持ち上げる。
これは余程の持って生まれた天性が無ければ勤まらない仕事である。
もう亡くなったが俳優の三木のり平の太鼓もちは絶品であった。
一度でよいから、この太鼓もちをやってみたいが、無理である。

営業のベテランは、その要素を経験から充分持っている人が多い。
話のキッカケは何か褒めることから始る。
それも自然に、いつの間にか持ち上げられてしまう。
現在、プロの太鼓もちは、ほぼ絶滅?
下町の旦那が余興で踊りなどを演じている位という。

・・・・・・
4948, 閑話小題 ー逸ノ城の太腿は92センチ
2014年10月01日(水)
   * 逸ノ城の太腿は92センチ
 どえらい新人が大相撲に入ってきた。白鵬が「俺より強い」といったとか、
双葉山以来の逸材とか。21歳で入門して5場所目の今場所で、一横綱・二大関
を敗った。白鵬まで敗れていたら不甲斐ない、というより大相撲の全面否定にも
なっていたところ。白鵬が何とか勝って面目を保ったが・・ 来場所と、
次の場所に12勝を上げると大関。そうすると、来年中の横綱もありうるが、そ
うは甘くない? 太腿が92センチもあるというから、
少し肥満気味の人の腰周りと同じ。それでいてバランスが取れている。
 初の草牧のゲル育ちというが、こんな体格の男に日本人が敵う訳がない。
既に大相撲は蒙古勢に上位を多く占められ、次の大物二人が上がってきている。 
面白いといえば面白いが・・ 問題は怪我!
   * 人間は他人と同じになろうとして、自分の4分の3を失う
 「人は他人と同じになろうとして、自分の4分の3を失ってしまう」は、
ショーペンハウアーの言葉。何世紀も農耕社会が主だった島国では、まず他人
と同じになることが生活の知恵。 だからこそ「和同の精神=和して同ぜず」
が必要になるのだが、人は自然に流れる。情報社会では、自分の好きな分野を
生かすことが可能になってきたが、反面、情報の大波の中で、最善と思われる
一部の情報に洗脳される傾向が強くなる。 他人と同じになろうとするのは、
自分の頭で考えないから。自分で考えを深めれば、自然、他と同じにならない。
それにしても、本当に考えな人が多い! 石ころが個性個性といっても、
所詮、集めてみれば砂利でしかない。それより、人と比較しないことだ! 
・・・・・・
4581, 2050年の世界 ー11
2013年10月01日(火)
    「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                 〜英『エコノミスト』編集部 (著)
  第十四章 経済とビジネス ーのまとめ
・一九五〇年代の統制資本主義の時代にはマイナーな理論とみられた
 シュンペータの理論は、その後の現実の歴史によって、最も影響力のある
 経済理論に押し上げらた。
・一九五六〜八一年までは、『フォーチュン』誌が選ぶ五〇〇社のリスト
 のうち、年平均で二四社が脱落していた。 一九八二〜二〇〇六年には
 脱落組が四〇社に増えいる。
・ことにインターネットの発明・普及によるグローバリゼーションは
 シュンペータの言う創造的破壊のスピードを高めている。想像も
 できない技術革新により、これまでのビジネスのやり方が陳腐化し、
 固執していた企業は淘汰され、新企業が生まれる。
・製造業では、大量生産の方法が開発された一九二〇年代以来の、
 大きな技術革新よってその現場は変貌をとげるであろう。可能性がある
 ひとつの技術として 3D印刷技術があげられる。
・他にも、あらゆる物がネットと常時接続するようになり、そのネット
 ワークがわたしたちの生活を変える。ロボットの技術革新によってこれまで
 人間にできなかった作業ができるようになる。あるいは電子秘書の機能を
 持つ自律型のソフトウェアができることで、仕事の効率化が起きるなど、
 様々な技術革新による経済の変化が予想される。
・先進国にいちはやく追いつきたいという新興国経済の要求も様々な技術革新
 を生むだろう。一気に九〇パーセントものコストを削減するような工程の
 開発によって、先進国の商品市場もがらりと変わる。
・契約型の雇用者が、複数の企業にみずからの技能を売るようになるなど、
 会社の形態もより複雑化する。
・様々な技術革新にともない、グローバル市場においては、知識階級に富が
 偏在するようになり、労働者の勤務はグローバル化でより過酷化する。
・しかし総じて言えば、「資本家の功績というのは、女王にもっと絹の靴下
 を供給することではなく、それを女子工員たちの手が届く場所に持ち込んだ
 ことにある」とのシュンベーターの言葉どおりに、人々は創造的破壊の
 荒波のなか恩恵を受ける。
▼ 工程といえば、隣家のプレハブ住宅工事。まず3〜4Mの杭打ち工事。
 ビルや工場建設などの基礎工事を住宅に応用。ミニ杭の打ち込みから三週間、
一切の工事がなく、その後、床底の部分を小さな重機で二日間で掘り込み、
そこにプレハブの床と杭を結び始めた。ビル工事の小型版である。 
パソコンを手の平に押し込んだスマートフォンの普及で、世界は創造的破壊で
大きく変化を始めた。「まさか、一番かたいビジネスと思っていた事業が、
この結果になるとは!」が、全てのビジネスで生じてくる。情報化は創造と
破壊のサイクルを短くするが、消費者にとってはプラスになる。
・・・・・・
4206, 閑話小題 ーキモカワキャラ
2012年10月01日(月)
   * キモカワキャラ
 TVで石破幹事長を評して「キモカワキャラ」と言っていた。
的確な一言フレーズを作るもの。顔はコワモテだが、一度話し始めると、
ソフトで、そのギャップが可愛らしく見える辺りを凝縮した言葉。
本人が聞いたら傷つくだろう。中年から熟年の何割かのベビーフェイス顔は、
この言葉に当てはまる。この言葉から連想できるのは、「キモバカキャラ」
「イモカワキャラ」「キモカマキャラ」「キモマジキャラ」「キモギャルキャラ」
などある。 角栄は、ギタギタしていて汚職の利権漁りのイメージが強いので
「キモギタキャラ」。 ネット社会のB層には、的確な「一言フレーズ」で
如何に発信するかだが、虐めに使われるから問題になる。 
この一言フレーズで切り捨てられ、切り捨てるのが現代である。  
   * ギリシャ、イタリアは近未来の日本?
 ギリシャ、スペイン、そしてイタリアで起こっている恐慌に近い事態は、
近将来の日本? 5〜6年先の日本の事態。南欧の近未来には、何かのキッカケ
で凄惨な国家破綻になる可能性がある。それでも、国民は国家に頼るしかなく、
急激な締めつけに反発、事態は悪化を辿る。それは日本も同じ。スペインの
25歳までの若年労働者の失業率が過半数を超えているというが、現に日本の
高卒、大卒の三分の一が正規社員の就職が出来ず、就職したとしても三年も
しないうちに三分の一は辞めてしまうため、若者の半分はフリーター状態。
将来の日本が思いやられる。60才以上が預金総額の6割を持ち、40才以下が、
その10分の1の6%しか預金がないため、消費は減る一方。適齢期の女性
の結婚相手の収入希望が6百万。そんな相手は少ないため未婚が増加している。
厳しい時代になった。互いに自己限界の設定をシビアにすればよいものを、
と思っても「たった一度の人生に誰かが何処かで待っている」という洗脳が
なされて抜け出せない。隣国に中国、韓国があり、競争相手は韓国男性、
中国女性になりつつある。2ランク上なら私なら考える。
   * つれづれに
 血圧が、毎日通っているスポーツジムにあるため計る習慣がついている。
毎日、大きくブレルため、高血圧かどうか戸惑っている。また運動する前と
後と、食事の直後では20は違ってくる。120〜160前半、平均すると
135で、高血圧かどうか微妙である。中高年の八割が高血圧というから、
一般からすれば平均だろう。 冬時期を除けば一日三時間も運動をして、
この数値。晩酌を減らせば、直ぐに下がるのは分かっているが・・ 
これも以前に書いたことだが、今、自然に頭に浮かぶことは、こんなこと。
・・・・・・・
3841, 閑話小題
2011年10月01日(土)
   * まず、50冊の本を業者に送付
 iPadなどのタブレットPCの普及と同時に、手持ちの本をデジタル化を
する動きが出てきている。本の裁断機と自動スキャン機を買って、手持ちの本
を一万冊をiPadに入力した人の「iPadバカ」という本をネットで購入し、
読んだが、その手間など自分には無理と諦めていた。ところが、最近、マスコミ
で、「スキャンの代行業者が出現、出版元や作家からクレーム」という報道を
知り調べたら、業者は溢れるほどあった。裁断機とスキャンを準備し、ネットで
誘導すれば誰でも何時でも参入可能。半月前に思い切って、まず50冊を選定し、
いざ業者に送ろうかとしたが、何かが引っかかって、箱につめたままにしていた。
ともかく50冊をと思い切って業者に送付した。一週間後には完成するが、
送ってしまった本は、二度と戻らない。それが正しい判断かどうかは、
一年後にならないと分からないこと。とはいえ本棚に並んでいても、それが
図書館にある本と、何処が違うのかというと、あまり違わないのも事実。
金を出して読んだ本は本気で読むから買うのである。本棚に置いておくのは、
それと時を共にした愛着と、再読するため。それがパソコンに入っただけと、
割り切ってしまえば良いだけだが・・ 考えあぐねて、とにもかくにも
送付することにした。
   * つれづれに 一昨日は、中学校の同期会
 中学校の同級会が開かれ出席してきたが、今年に入って二回目である。
出席は11名。この数年は、年に二回は開かれている。春から私の生活圏が
小さくなった分、それはそれで有難い。あいも変わらず女性は元気が良い。
帰ってみれば午前様。店は何処もガラガラで、よくやっていると老婆心が出る。 
男5人の出席のうち、中小企業の社長は3人。背中の重しが取れた分、天使の
ように気持ちが軽くなった。そのため現役の人と接すると、何かエネルギー負け
を感じるのは仕方がない。プラマイ、ゼロ。一線で働くということは、それ自体
が歪みの増大になっていることに、最近になって気づいた次第。それが個性である。 
ところで高校の同級会、去年も、今年も開かれてない。一昨年、私とMが幹事で、
恒例でその年の幹事が次の幹事を指名して持ちまわるシステムになっているが、
任命責任がないでない。この時期は、むしろ行われないほうが良い。
娑婆はシャバシャバか!

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