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堀井On-Line
| 5312,閑話小題 〜リーマンショックから、まる7年 |
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2015年09月30日(水)
* リーマンショックから、まる7年 以下にコピーした文章は7年前のもの。このリーマンショックで、まさか 自分の事業に直撃するとは思ってもなかった。 アメリカの大手証券会社が、 ほぼ吹っ飛び、三大自動車メーカーが政府の直接管理化におかれ、アメリカ 経済界だけでなく日本経済も直撃を受けた。当時の殆どの上場企業は生き 残っているが、大手ほど痛んでいるはず。 リーマンショック以来、売上げマイナス25%が3年目半ばまで続き、 合計50%の売上げダウン。2001年の9・15テロ以来、売上げが三分の 一になっていた。そして、事業整理を本気に考えだした矢先の2011年の 3・11大地震が発生した。それもあって、躊躇なく事業断念の決断ができた。 その前年度まで、手がけた事業で一度も『営業赤字』を、出さなかったが、 その最終年度は赤字が決定的になっており、丁度よい引き時になった。 悔しさとか、後悔はないのは、万一の場合の備えが幾つかあったため。 一年休館後、物件を買取った事業主が、同じホテル名で事業を続けている ため、結果として、「前経営者と、借入金の6割カットのリストラ」になる。 追加借りで、危ない借入れをすることなく終わったので、比較的、スムーズに 事業撤退が出来たことになる。 もし、{準備を含め45年の事業。最後まで死守をする!}と決断したら、 金融機関は、まずは、家内や、身内の連帯保証を求め、身動きが出来なくし、 次は、高利貸しに目先の資金を求めて・・と、ドブ沼に嵌って、数年後には、 何処かに蒸発か、自殺のお決まりコースに歩んでいたに違いない。 それでも、心の傷は決して浅くはないが、お決まりコースより遥かによい。 * 地獄の沙汰も金次第! TVで、中東、アフリカ難民の個々のレポートを放送しているが、リアルで、 残酷で、末恐ろしい内容になる。 特に、親が子供に戦闘現地から、逃がし、 単独で、さ迷っているケースがある。ドイツからイギリスの国境に100人は いるという。ボランティアが、その救いの手を伸ばしているが、魔の手にかかる ケースが多いのだろう。シリアでは、過半数が、国内と国外に難民化して 彷徨っているとか。国内、三割、国外二割。着の身着のままというから、酷い。 難民の一人が、この逃亡の中で、「西欧の自由とは、お金!」と分かったと いう悲鳴が耳に残った。地獄の沙汰も金次第ということ。 ――― 7年前のリーマンショック直後の「論評時評」について書いた内容をコピー します。何事も無かったようだが、3・11震災ともども、大きなツケがマグマ として膨らんでいる。問題は爆発したときが、経済破綻が表立った状況、 ギリシャ、スペイン、韓国の現状。 韓国の海外移住希望者7割というから! ・・・・・・ 2733, 米国金融恐慌の深層 −1 2008年09月28日(日) 朝日新聞の昨日の「論壇時評」で社会経済学者の松原隆一郎氏が 《金融危機の深層》として、アメリカ発金融危機の本を評論していた。 内容が長いので二回に分けて掲載するが、こと、ここに至って、冷静過ぎる 内容と感じたのが私の感想である。まずは、その内容の前半を・・・ −−− 今月15日、米国四大証券会社の一角、リーマン・プラザーズが米国史上最大の 負債総額約6130億ドルを抱えて経営破綻した。山一証券の約125倍という巨額の 負債だった。公的援助を米政府が拒否したことが引き金を引いたと目されている。 翌16日、FRB(米連邦準備制度理事会)は一転して、株価が急落した米保険最大手 AIGに最大850億ドル(約9兆円)を融資すると発表、発行済み株式の約80%を 取得して、管理下で再建を図ることとした。AIGは住宅ローンの証券化商品の 元本を保証するクレジット・デフォルト・スワップと呼はれる金融商品を大量に 販売しているため、元締めの一つが破綻すれは世界の金融市場に大混乱が生じる 恐れありと当局は認識したらしい。昨年8月の株価下落(サププライムショック)は、 サププライムローンそのものの焦付きと証券化した金融商品の評価損によっていた。 ところが今年の第2四半期に至り欧米の主要金融機関は次々に巨額の損失を計上、 「金融システム危機」が予感されている。 *真実味帯びる悲観論* こうした経済情勢に対し北野一は、いさ危機と認めながらも過剰反応を諌め、 「実体経済の数字はそんなにひどくありません」「アメリカが駄目だと言われて いるほどにドルは下がっていないのでは?なかなか打たれ強いですよ」と述べる。 しかしその論拠の一つに「リーマン・プラザーズみたいな会杜でも公募・増資 できている」ことが拳げられているから、悲観論が俄然、真実味を帯びてくる。 ・「週刊ダイヤモンド」は悲観論の郵緬を分かりやすく図式化している。 損失計上ー>貸し渋りー>景気悪化ー>焦げ付き増ー>損失計上の 「負のスパイラル」が始動、大手だけでなく地銀・住宅公社からノンバンク、 モノライン(証券化商品や地方債の保証会杜)までがバランスシートを悪化させ、 もはや公的資金注入は不可避とする。 ・水野和夫の推計によれぱ、米国の実質的な住宅価格はさらに34%は下落する。 住宅ローン残高よりも安くなると金融資産を持たない多くの家計で差額が不良 債権となってしまう。その紛額を大手金融機関の自己資本に匹敵する1・27兆弗 と見積もれは、現在4千億Fルの処理進捗率はいまだ31%にすぎない。 これからが危機の本番ということになる。公的資金の注入は避けられず、 しかしその原資を調達しようにも増税は無理だから、国債を外国人、なかでも 中東諸国や最大の貿易黒字国である中国に買ってもらうしかない。 しかし国債に償還のあてがないとみなされれは、国際通貨としてのドル離れ さえ起きる可能性がある、と言う。 ・さらに野ロ悠紀雄は、こうしたドル危機の「原因」はサブプライムショック であるかに見えるが、それはむしろ「結果」で真因はGDP(国内総生産)の5〜6%に 膨れあがった米国の経常収支の赤字にあるとする。物価および利子率の差が 日米間で3%あり、両国間で同一財価格が同一に、どちらの通貨で運用しても 利回りが同じになるには、ドルが円に対し毎年3%減価(円高)しなけれはならない。 ではなぜ経常収支赤字が減らなかったのか。それは円安を持続させ対米輸出を 維持するために日本が資本提供をしたからで、しかしドルがードル70円程度まで 低下する圧力はかかっていたから、いずれ何かのきっかけに解消されたはずだ と推測する。 −−− 評) アメリカ金融危機に対する多くの本が並んでいるが、 今年に入り、その最右翼の悲観論者のいう通りになってきた。ここでは最右翼 の本は扱ってなかったため、迫力に欠けた内容になってしまった。学者タイプの 人のためか生々しさにかける。初め取り上げている北野一は甘いのか、もし恐慌 になっても、それさえ乗り越える国力がアメリカには有ると言うのか? 現在のアメリカの財政の破綻は明らかだが、資源・宇宙工学・軍事・情報関連も 含めた国力の蓄積で立ち直りは早い、というのだろうか?野口悠紀雄の間接原因は 財政赤字というのも、納得できる。このところ悲観論者の本を何冊も読んでいる ので少し冷静になることも必要だろう。ところで昨日のマスコミは一切アメリカの 金融危機のことを扱ってなかった。これも驚き。問題はあまりに深刻で恐慌を 煽り立てることも出来ないのか、日本のマスコミが呆けているだけなのか。 もう火がついてしまったことは間違いない。
・・・・・ 2734, 米国金融恐慌の深層 −2 2008年09月29日(月) 前回につづき朝日新聞「論壇時評」の社会経済学者・松原隆一郎氏の論評 《金融危機の深層》を考えてみる。 まずは、続きの部分から ーーー 日本が経常収支黒字で米国債を購入、米国から流出したドルを還流させる 「新・帝国循環」を支えたと喝破したのは 吉川元忠の「マネー敗戦」だが、 サププライムショックがついにその矛盾を爆破したというわけだ。 円高は当然、輸出頼みの日本を不況に陥れる。楽観論から悲観論に至る この違いを、どう理解すべきか。 それは、資産の流動性(他者に受け取って もらえる可能性)を信じるか否かによっている。楽観論も帝国循環も、国際通貨 としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り立っている。 またサププライムローンが安全な資産と信じられたとき、複雑に組み合わせて 証券化がなされ、世界に受容された。ところが暗転して安全性に対する不安が 広まると流動性は低下した。それが信用不安からドルに対する信認の低下に 及んだのが、今回の危機である。 問題は、資金や貨幣の流動性に対する信頼が、 何らかの確固とした根拠にもとづくものではない点だ。 バブルは資産に対する強気の集団心理が引き起こし、不況は不安に起因する。 どう対処すれぱ人々の信頼が回復されるのか、断言できないのである。 * 処方箋、どれも不完全* 危機への処方鰍としてJ・E・スティグリッツは、銀行経営者の個人的報酬と 社会的影響に均衡を図る政策の必要を挙げている。 金子勝はより具体的に 公的資金の強制注入と、銀行経営者の法的責任の検討とを提唱する。 益田安良は正反対に、注入先の再建が進まないときの国民負担を考慮し、 救済に疑義を呈している。 筆者は金子案に共感するが、根本的にはどの案も 絶対の策とはいえない。日本では、03年のりそな銀行への公的資金注入が外資に 「日本政府は銀行は潰さない」というアナウンスと受け取られ、株価が上昇した。 しかしそれとて社会心理の機微にすぎない。 資産に対する信頼は、工学的に管理できるものではないのである。 ーーー 評)以上だが、国際通貨としてのドルの流動性に対する信頼の上に成り 立っている世界システムがアメリカ自身が自ら叩き壊してしまった。 そして、その大混乱が、この9月15日をもって本格的に始ったのである。 誰が一番困るか、日本と中国である。10年、20年スパンで考えると、 当のアメリカは均衡縮小するだけで困りはしない。ただ同然で刷った札の 価値が下がっただけでしかない。 結果として、それを持たされた日本が 丸裸同然になるのである。日本が汗水流して得た経常黒字を、アメリカ国債 を買わせて、ドルを回収してしまう循環をつくり強奪する「新・帝国循環」 というシステム。 それがサブプライム問題で爆発してしまったという論が、 的を得ている。ドルという絶対的基軸通貨が、ユーロ、元など幾つかに 分かれて行くしかない。我われは、それでもマネーを媒介とするしかない のである。アメリア帝国主義の崩壊の後は、欧州、アジア、そして アメリカ、という多極に分かれた通貨制度になるしかないのである。
・・・・・・ 2014年09月30日(火) 4947,閑話小題 ー中古車価格は、格付け項目のチェックで決められる * 中古車価格は、格付け項目のチェックで決められている 22年前のトヨタの「ソアラ」が大当たりで、大した故障もなく、これまで 満足をして乗ってきた。さすがに、この型のソアラを殆ど見かけなくなっていた。 その前も、やはり前の型のソアラを5年近く、その前はコロナを三年乗っていた。 ところが、この5月の車検で、修理に50万かかるといわれ、乗り換えることに。 そこで、急遽、車探しになった。新車への拘りはなく、まず中古センターを 一週間にわたって探し出したのが、ワゴン車『トヨタ・マークXジオ』。 ソアラに比べ出足しが弱いのが少し気になる以外は、満足している。 それにしても中古車の車種と、在庫量の多いこと。一週間探し回って知ったのが、 「全国共通の格付けがあり、それでに比例して値段が決められている」こと。 まず、価格と年式が、基本で、次に走行距離、車検時期があり、それに付属品、 タイヤ、人気が、加味された値段は、交渉で値切る余地が少ない。 中越地区の膨大の中古車から、個人事情で探し出すのだから、大変だが面白い! ー私の事情は、 ・自宅駐車場の家具としての家屋敷とのバランス。 ・事故も考えて、中型以上。 セダンか、ワゴンには拘らない。 ・何から三年の立場?を考慮して、目立たない、人に知られてない車種。 ・人生の最後の車として、数年後に後悔をしない車。 ・県外へ遠出はしないため、近場で、乗りやすく、燃費は程ほどのこと・・等々。 以上を考慮した、車検の期限までの一週間を区切った車探しの面白いこと、 この上なかった。去年秋に生産中止で、値段は格安? 団塊の世代以降の、 車好きを狙ったコンセプトカー。燃費が月8〜9千円が4〜5千円に下がった こともあるが、家内はお気に入り、センスが好きとか。 それにしても、 車のネット販売サイトには驚いた。「販売サイト」の格付けがあるから可能。 資金に余裕があり、世俗的謹慎の身でなかったら『トヨタ86』『スカGT』 『アクセラ・スポーツ』? ・・・・・・ 2013年09月30日(月) 4580, 2050年の世界 ー10 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部(著) 第十五章 バブルと景気循環のサイクル ーのまとめ ・バブルの発生期には、かならず、それを引っ張る新興産業がある。 十九世紀は運河と鉄道。1990年代はインターネット企業。 バブルは、新産業への投資として必要だとする考えもある。 ・ただし、歴史を振り返ると、結局はバブルによって新産業に投資した投資家 よりも、消費者が得をする。 その分野がすぐに過当競争になり、価格が 引き下げられるからだ。 ・2008年のリーンショック以来の最新のバブル崩壊によって、各国は債務超過に 苦しむようになっている。これは緊縮財政を呼んだが、しかし、それに耐え きれない国民が政治的な反乱をおこし、不安定化が促進される可能性がある。 ・しかし、この景気後退においても、物の価格は上昇に転じている。 これは、中国、インドという二大新興国がグローバル経済に組みこまれ、 成長の過程で、エネルギなどの需要をより欲しているためとする見方がある。 だとすると、現在は、長期の好景気の、とば口だと考えられる。 ・日本型の鈍化した市場が、欧米などで長期間続く可能性がある。 ・過去の実績のある株価を実績順に買っていくという成長株派の モメンタム理論。本来は過去の株価の推移は将来の価格決定にはまったく 関係がないはずだが、それがおおむねうまくいくことの理由は、そうした 投資家が増えることによる割安株派のバンドワゴン効果がある。 ・しかし、このモメンタム理論は、バブルの崩壊など経済に断層が生じると、 巨額の損失を被ることがある。 ・株式市場の投資家には企業に成長要因を見つけて投資する「成長株」派と、 過小評価されている株を買う 「割安株」派のふたつがある。成長株派は、 1990年代後半のITバブルのように、強気市場の最も勢いのある段階に関わる ことが多く、割安株派は、経済が景気後退を抜け出すときに実力を発揮する ことが多い ▼ 40年先のバブルと景気循環のサイクルを論じること自体が、土台無理。 20世紀前半の第一次大戦、世界恐慌、第二次大戦、の一連の変動期と、現在を 重ね合わせると、1933年辺りになる。とすると、第二次世界大戦が始まること になる。時代はバブルと崩壊、そして精算の戦争が、大小生じて流れていく。 20世紀前半は、欧米の中で、欧州から米国へのエネルギーの移動であったが、 今度は、アメリカから中国、インドなどアジアへの移動になる。 ・・・・・・ 2012年09月30日(日) 4205, 異郷日記 ー日本人の人生は、ツアーに似ている * 日本人の人生は、ツアーに似ている 「異郷日記」西江雅之著 数年前に、この人の書いた旅行記を何冊か読んだことがあった。 早大の教授で、世界の言語の研究のため、アフリカなど世界の僻地で直接、 原住民と触れ合う機会が多く、その体験談は非常に奥行が深い。この本は4年前 に出版されたものだが、既に早大を退職し、気ままに国内外を講演などで まわっているという。その著者の体験談の一言一言はツアーでしか、 秘境に行く機会のない者にとって、参考になることばかり。 まず、「観光、旅、旅行、ツアー」の言葉の定義から・・ ≪"観光" "旅" "旅行""ツアー"などの類の語には、幾つかの側面で "異郷〃との重なり合いが見出される。目的地の異文化度が高ければ、 当然、その重なり合いは大きくなる。 ◎‘観光’とは、現代の用法では、「わずかばかりの異郷感を、一時的に 味わうために金を支払う行為」と言えそうだ。一般的には、その行為は多かれ 少なかれ、地理上の身体移動が伴う。観光は、貨幣経済の中に身を置き、余暇 という時間を持つ社会に属す人々にのみ許された行為である。目的地で一時的な 異郷感を味わわせてくれる事物は、土地の人々から見て、必ずしも本物である 必要はない。それどころか、もし訪問地で見るものが全くの本物であったならば、 訪れる人々にとっては受け入れ難い事物の方が多くなり、観光は成り立たなく なるだろう。それは、観光地で売られている土産品や観光ショーを思い浮か べれば明らかだ。 観光には"…らしさ"が重要なのである。観光に参加する側と、 それを主催する側とを含めた、全体としての観光というものを話題の対象と すれば、そこには、企画、経営などという側面が大きな役割を果たすことは 言うまでもない。しかし、その場合でも‘・・らしさ’は見過ごせない要素。 ◎‘旅’は何よりも「道中」が主役である。古典文学を見ても、旅の話を支えて いるのは、目的地に至るまでの道中で出くわすことになる数々の予期せぬ 出来事だ。道中で何が起こるか分からない。それを乗り越えて到着した目的地で、 一段落となる。道中にいる間、旅人は異郷の人である。人生は常に旅路にあると 自覚する者は、本物の異郷の人である。 ◎‘旅行’の場合は目的地までの行程は保証されている。旅行者は目的地 までは交通手段を利用して安全に運ばれる。目的地に到着してから、旅行者は 思い思いの活動を各自の興味に応じて開始する。結果として手に入れたいと 望むのは、個人的な楽しみであり、良き思い出である。 ◎‘ツアー’では、出発点と目的地との往復が予め保証されている。 それのみか、道中、宿泊地、目的地での行動内容の一つひとつが、 あらかじめ他人によって計画に組み込まれて、それなりの効果を狙った演出も 準備されている。参加客は、それらの催し物を個々にこなしてゆくことで移動 を終える。多くの場合、自分の気に入った場所でも時間的な制約を受ける。 物足りなさも残される。しかし、全行程が保証されていて、何を見て、 何をすべきかを考えなくても安心できるという利点もある。 昔、「人生は旅である」と言った。しかし、現代の日本人の人生は、 ツアーに似ているとも思えてくる。≫ ▼ あと三回で世界旅行(主にツアー)50回に達成する。 一応、来年中と考えていたが、年金生活者、家内の鞄持ちとして年一度が 限界か、それも無理? しかし30年近くかけて、小刻みに安いパックを 探して行っていたので、充分満足しており悔いはない。 著者の「現代の日本人の人生は、ツアーに似ている」は、言いえて妙である。 ツアーより、むしろ観光に思える。そこでは"…らしさ"が重要と信じられて いるからだ。それらは受け止め方の違い。やはり実感は旅である。
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2015年09月29日(火)
* 土曜の朝の異様な行列 家内から聞いた話だが、≪ 土曜の朝、東京に住む次男の娘(孫)の 某メーカーのオムツの予約抽選券を貰うため駅前のヨーカ堂に行った ところ、既に数十人の中国人の行列。東京で入手困難のため、長岡駅前の ヨーカ堂で時々、購入して送っている。日本人は自分一人だけで、最後尾。 何か異臭が漂い、難民?のような異様な風体。 最後列もあってか、通り すがりのオバサンが、「何事ですか?」と、小声で聞いてきた。 聞くところに よると、ヨーカ堂は二千円だが、中国本土では五千円。 あの異様な人たち、 どこから来たのか不思議! 来週でも、その時間に行ってみれば! 私の整理ナンバーは75番。それだけ並んでいたことになる。 翌日、店に行ったが外れ券だった。・・ ≫ 物語は、こんなもの。 身近で、こんな現象が起きているとは。抽選だから、確実に差額を得るには 効率が悪すぎるし、地方都市の駅前に、これだけの集団が集まるのも不自然。 仲間の赤ちゃんのためのボランティアと考えるのが自然だが、どうだろう? * つれづれに ・大相撲も、丁度よい塩梅の結果で終わった。照ノ富士が先行していたが、 全勝をしている間に自信過剰が見て取れた。結果、それが墓穴になった。 「相撲は立合いが、大きな要素になるが、それを磨くには、強い相手との 稽古の積重ねが必要!」という、九重親方の解説が真を得ている。 ・野球も、リーグ優勝はヤクルトに決まりそうだが、それでよい。 原監督は、この辺で一度、身を引くべきだ。賞味期限が切れている。 桑田か、江川あたり? 松井は国民栄誉賞をとったので、無理。 原監督が自らが決断するのがベストだが? ・・・・・・ 4946,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −3 2014年09月29日(月) * 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー② 番組に出てくるプロが判断する値段、果たして本当だろうか? 当然、プロも見ているので、いい加減な値もつけられないが・・ 500万、800万を何の基準で判断するのだろう?一般の買値と売値には 大きな開きがある。 出演している鑑定士?の立場上、実売価格より高めに 言っておけば、無難。逆に骨董店主からすれば、高値で売ったものを、安く 根付け去れれば、詐欺呼ばわりされてしまう。贋物と知らないまま、 死んでしまえば、それこそ「知らぬが仏」である。 武士の家系から出てくる刀や槍・茶道具に、けっこう贋物が多い。 金が無い殿様が、時には贋物専門の刀鍛冶や陶芸工場を持っていて、名刀 名品として勿体をつけて家臣に与えていたケースが見られる。拝領する家来に とって、半ば勲章。 真偽は二の次だから、問題はない。地域内では地域貨幣 のようなもの。鑑定士も、その辺はわきまえて、「たいへん素晴らしい品です。 値段は、そこそこですが良いものです。大事なお宝として保存して下さい。」 と言葉を濁すのが常のようだ。絶対に、本当のことは言ってはならないのが、 骨董の世界の掟。 子供の頃、骨董仲間のセリの現場に父に何度か連れられていかれた。 大きな座敷で20人位が円座を組んで。その中央にセリの骨董品が出される。 仕切人が、提出された骨董の提出者の提示の最低値をいう。そこから、 オークションが始まり、最高値で次々と競り落されていく。 これを仲間取引 といい、それだけを商って全国を渡り歩く人がいる。これも、目利でないと、 即座の判断を要するので、深く広い経験と知識が必要になる。「なんでも鑑定団」 は、あくまでバラエティショー。しかし、これを真剣に見続ければ、かなりの 知識を得ることが出来る。しかし、素人は、他山の石として、ゆめゆめ手を 出すべきでない世界である。一流の茶器は、見ているだけで癒される! ・・・・・・ 4579, 2050年の世界 ー9 2013年09月29日(日) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 情報機器とインターネットの進歩が、情報公開を促し、科学を飛躍的に 発展させることになる。そのキーワードは、生物学とナノ科学、情報科学、 天文学。それらが互いに結びついていき、水平思考的な科学が出てくる ことになる。 ー第十六章 次なる科学ー のまとめ ・次なる科学のフロンティアは、化学でも物理学でもなく生物学にある。 ・生物学とナノ科学、情報科学、天文学などが結びつき、さまざまな発見と 人類にとっての進歩をもたらす。 ・2030年ごろまでには、わたしたちの知る生物のほとんどが遺伝子の サンプル化を終え、またサンプリング過程そのものが、多くの未知の生物 の存在を明らかにする。その過程で、最近、生物の原初形態として、 古細菌、真正細菌、真核生物以外に四つめのドメインがあるらしいことが わかったように、生命の歴史の未知の部分が解明されていく。 ・宇宙も、制覇の対象というよりも探索の対象、特に生命の起源を知る 意味でさまざまな研究や発見がなされるだろう。太陽系以外の恒星の 惑星の研究などが進み、生命が地球に特異の現象なのか否かということも 解明されていくだろう。 ・生命誕生の仕組みの解明は、われわれの細胞を研究していくことで 開けていく道もある。 ・物理学は、未知の物質の探索の時代に終わりを告げ、現在あるもの への分析に向かうだろう。 なかでもその最大のターゲットは宇宙を覆う 暗黒物質の正体だ。 ・経済成長により東アジアの国々は、科学分野でもさまざまに進出して いるが、真に独創的な研究は権威を根こそぎひっくり返す革新性を 必要とする。その意味で、東アジアの儒教的な上下関係、あるいは 中国の専制的な政治体制はマイナスに働く。 ・非西洋では随一の技術大国である日本でさえ本格的な基礎科学の 研究は立ち後れている。日本人研究者で科学部門のノーベル賞を 受賞したのはわずか十五人。それは例えばオーストリアの受賞者数 よりひとり多いだけーオーストリアの人口は日本の人口の七パーセント 以下で、その理由の一つとして、日本の若手科学者が先達の理論に 迎合しがちなことが挙げられる。これに対して欧米では、旧来の理論 を否定することでキャリアが築かれる。 ・その意味で、政治体制が専制的な中国よりも、 民主的なインドにおいて科学は発展するだろう ▼ 情報の共有化が進み、それが想像を絶するほどの科学は進化 するはず。その一つが暗黒物質の研究。そして生物学。一年一年 単位で静かに科学の進化は進むので、その先の予測は不可能に近い。 また、それがもたらす社会的変化も大きくなる。そうこう考えると、 やはり少しでも長生きをして時代の先を見ていたい欲が出てくる。 いや、未来でなくても、現在の世界で知らないことだらけ! それを自覚するだけで、見えてない世界が見えるはず。 全く、この厚いバイアスには! ・・・・・・ 4204, 閑話小題 ー阿部が次期首相というが 2012年09月29日(土) * 阿部が次期首相とは驚き! 自民党の総裁選挙、リアルタイムのTV放送だったため、ドラマ的で非常に 面白い内容。選挙の数日前から、安倍有利の予測があったようだが、安倍 自身も周囲も勝てるとは思ってなかっただろう。中国との尖閣列島紛争が 追い風になったことになる。維新の会の橋下に党首を依頼され断った際に、 衆院選挙後の自民との連合の可能性を話をしていたようだ。 政権をとった際には、維新の会のメンバーを行革と自治大臣に置けば、 この時期に丁度良い超強権内閣になる。 石破が勝利し党首になっても、 安倍が副総理になっただろうから似たような。次の体制が見えてきた。 とはいえ5年前に病気としても、総理大臣を投げ出した人。 一部の疑念が残るが、この緊急事態の中、もう一度、やらせのも良いかも。 対中国政策は強行姿勢になる可能性が高く、厳しい局面が出てくるが、 この位の人が丁度良いとみるべき。基本的に私の考えも安倍に近いが、 国家の均衡縮小の方針は無いのが気がかり。(有っても言えないか?) 前の谷垣と石原幹事長は野党の立場もあり「座りの悪いコンビ」だった。 それに比べて数段良くなった。 これで復古でなく新しい日本をつくり 変えて欲しいが、これで年内解散の可能性が高まった。 * つれづれに ーリタイア生活について リタイアの生活に入って一年半になる。単調な平々凡々とした日々だが、 これがこれで私に合っている。事業生活を40年近く続けてきて、それまで と違った隠遁生活の平坦さに飽き飽きすると思いきや、それは全くない。 何だろう、これは?と、自身で驚いている。時代が激動になってしまった 実感があるからだ。 この随想日記を一日一文書き上げ、毎日三時間の 早朝のサイクリング、午後のスポーツジム通いが、一日のリズムになる からである。それと、40年近くの事業生活は両肩に覆いかぶさっていた。 それからの解放感が、気持ちを自由にしてくれる。前倒しの思い切った 決断が、銀行担当者も慌てるほど事業物件の売却を早くしたこともある。 何か、何時も同じことを繰り返しているが、実際に、そうだからである。 主婦も亭主さえ、コントロールが出来ていれば、これほど楽で面白いもの はない。ヒモに徹すればよいだけ。男も仕事が順調なら、それで良いが。 ・・・・・・・ 3839, iPadと、アプリ、あれこれ ー1 2011年09月29日(木) iPadの便利さと多様性と、そのアプリの豊富さと内容に、 驚きの毎日を過ごしている。 * その一例としてメモを残すための「黒板」や「ボード」のアプリが面白い。 黒板に赤、白、黄色のチョークと、黒板消しが、下の溝に置いてあり、 それを取り出しメモを書きこめる。凄いのは、それから。 上段にある カメラのアイコンを押すと撮影され、iPadの写真ロールに自動的に記憶。 これは電子黒板(自動的に記憶して、再現したり、コピーを打ち出して くれる 機能の応用である。これは非常に便利。 黒板はチョークで 書くが、ボードに直接、指で書き込むものもある。 要は手書きのメモを、写真と録音と共に簡単に記録し残せる。 * メモ専用のアプリものには、iPad内臓カメラで撮った写真を、 そこに添付することも出来る。 またマイクのアイコンを押すと、録音も 添付される。モバイル携帯を使い込んでいる人なら何を今更だが・・ 同じ類のもので、スケッチ専用のものがある。カラーペンが豊富に 用意されていてスケッチ用になっている。 黒板とか、スケッチ用のアプリは、アナログとデジタルの融合。 * 面白いところでは、iPadの現在位置を自動ナビをし、その近くの コンビニや、飲食店を表示してくれるものがある。 * Googleで、直接、音声で入力をし、検索するものがある。 既に使っているが、何か奇妙な感覚だが、この上なく便利である。 *「ちら読み」出来る本や雑誌だけを集めているアプリもあり、その幾つか を現在、毎日のように立ち読みをしている。前書きとか、目次、そして、 冒頭の内容を載せていて「興味ある人は購入してください」と、誘うもの。 ゲームのアプリのフリーのものは殆どこれだが、多種の切口の断面が 見ることができる。 初めてiPadからネットで買ったのが、 「最新iPadアプリ特選700」。 これを連日見ながら新たなアプリ探し をしている。この雑誌で、紙の本・雑誌より、iBookの方が読みやすい ことが確信できた。 紙は紙で、リアリティがあって読みやすが。 これでは数年で新聞社や雑誌が消滅するのも納得できる。 アメリカでは去年暮れから今年にかけて、電子書店の売り上げが 店頭書店の売り上げをこえた。これは、あくまで販売経路の売り上げ だが。 本といえば・・・・ それは次回。書店まで行って買う手間や、 本棚まで行って本を取り出し、読むまでの手間が、デジタル機能で 省ける便利さは何よりである。 ・・・・・・・ 3474, 迫るハイパーインフレの危機 ー1 2010年09月29日(水) 中央公論8月号の《迫るハイパーインフレの危機*現金・預金は 一番のリスク資産 ー藤巻健史》が、ハイパーインフレを考える上で 分かりやすい。その要旨の一部を抜粋する・・ * 日本とギリシャは、どっちが健全か? 「債務不履行を起こした場合、ギリシャはその国債の7割をドイツ、 フランスをはじめとする他国が保有している。したがって大きな損失を 被るの他国。だから騒ぐのである。それに対して、日本国債の 95パーセントを保有するのは日本国民だが、被害者は自国民。 だから、その方が問題は深刻と認識しておかなければ。」 △ 自国民が被害者の方が性質が悪いという見解は驚きである。 しかし、被害者は何らかの形で、日本の資産を確保するはず。 * 日本の財政再建は時すでに遅し 「国の累積赤字は来年3月末には975兆円に膨れあがる計算に なってます。約1000兆円の借金は、毎年10兆円ずつ返しても 100年かかる計算。日本の税収は昨年度37兆円に落ち込み、 その10兆円にしても捻出は難しい状況です」 △ 戦争という非常手段で清算が無理なら、ハイパーインフレで やるしかない! * ハイパーインフレへ、そして、それは実質《徳政令》になる。 「財政悪化はおできがぱんぱんに膨れあがり、膿が飛び出しそうな 状態です。 (字数制限のためカット2012年9月29日) ・・・・・・・ 3099,政府の借金など返済の必要なし? ー2 2009年09月29日(火) =著者は日本国家を一家に譬えている。 〜その部分から ・世界一の金持ちの家庭(=日本国家)では、旦那(日本政府)が 974兆円もの大金を借りている。 しかし、外部の金融機関ではなく、 家計から借りている。しかも、467兆円の金をヘソクリをしている。 ・この家の奥様、個人としては世界最大の金持ちで、純資産が 1058億円もある。この結果、この家族は純資産が243兆円もあり、 世界最大の金持ちである。 ・一家の中の、最大の稼ぎ手である長男(非金融法人)が、最近、 いま一つ金を稼げないので(法人税が減少)仕方なく旦那は資金の 工面をしている。といって、奥さんから借りているだけだが。 旦那から貰った金を預金をしたり、国債という紙切れ(借用書)、税金 として再び旦那に渡している。 家の中でキャッチボールをしているだけ。 ・ここで家が破産するとしたら、どういう場合か?「利益や収入が足りなくて、 借金が返せないとき」 というが、家の中でのキャッチボールをしているので、 絶対に破産はない。 〜以上だが、 「財政的に破綻するのは、どういうときか」というと、「借金返済のための 現金が最終的に入手できなかった時に破綻する」 すなわち手持ちの 資金が尽き果て、預金残高がゼロになり、現金収入が途絶え、現金化 可能な資産を全て売り払い、金融機関はもちろん、家族からの借金も 不可能になった結果、ついに、債務不履行、破綻する。 企業も、家庭も 破綻するのは、返済のための流れが途絶えた時である。 しかし、国家 の場合は、世界の国が財政が破綻しないのは、営業キャッシュフローの マイナスを、財務キャッシュフローで補充しているからである。 日本の政府は世界の中で最も金を借り易い環境にある。その証拠に 日本国の国債は世界で一番金利が低いことで理解できる。 世界は、大不況のため、日本の金融機関が 溢れかえっている。 その国債も中央銀行が買っているのだから、政府そのものは、痛くも かゆくも無い。 増税をして、政府の借金を返済している国など何処 にもない。なぜなら、ゴーイング・コンサーン、すなわち継続することが 前提になっている政府が永遠に債務の繰り延べができるから。 その点、自国政府の国債残高を槍玉に上げる日本のマスコミは本当に 稀有な存在である。なら、ロシアとアルゼンチンが債務不履行をしたのは? オカシイと思うだろう。国家両国が外国からドル建てで借りていた債務、 すなわち対外公的債務が借りられなくなったため。 *政府の借金は、世界中の国と比較して、それほど突出していない *政府の借金の債権者は、実は日本国民である。 *政府の借金総額は大きいが資産も大きい。あのアメリ力政府の 二倍の金融資産を持っている。 *国家の純資産総額世界最大で、国家としては世界一番の金持ち *政府の借金を、税金で返済している国など一切ない。 *政府は自国通貨建て借金に対して、永久に繰り延べをしてもかまわない *4番目のキャッシュフォロー(中央銀行による国債の買い入れ)を 持つ政府が債務不履行になることなど、ありえない。 何度も著者が繰り返していることは、「政府は借金を完済する 必要が無いこと。 しかし、それも全てが日本政府の借金が、 自国通貨建てだからこそ、言える話である」 ーつづく
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| 5310,テクノロジーと退化 〜テクノロジーと退化 |
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2015年09月28日(月)
ー クオリア再構築 〜島田雅彦:茂木健一郎対談集 「まえがき」の島田雅彦の文章である。ネット社会の現状と、 それが故の、生身の人間の退化に対する処方を示している。 * テクノロジーと退化 〜島田雅彦 ≪ 20C終わり頃から、仕事のほとんどは1台のPC上で行うようになっていた。 原稿の受け渡しも個人的な通信も読者との交流もリサーチも息抜きもすべてPC 画面を通して行っている。つまりはPCが壊れれば、いきなり原始時代に逆戻りだ。 知らぬ間にPC依存の度合いが進み、PCなしでは何もできない体になっている。 思えば、コンピューター・テクノロジーとインターネットはライフスタイルを 根底から変えた。自宅に引き籠り、ウエッブ越しに世界とにらめっこしていれば、 買い物も投資も社交や恋愛も、また中傷、犯罪、テロも自在に展開できるように なった。キーボードの操作一つで社会を混乱させたり、巨額の賭けや、損失を 出したりできるので、この世の営みの全てが安っぼくなつた。電脳経済は 確実に世界恐慌の元凶になっているし、電脳政治は世論の単純化、批評の 衰退をもたらし、政策議論よりもキャラクターを重視する傾向を生み、衆愚政治 や集団ヒステリーを強化した。万人が同「のメディア、情報ソース、ソフトを 用いることにより、言論や表現の多様性が著しく失われた。手っ取り早く、 わかりやすく、扱いやすいもの……それはみな退屈だ。CG映像の薄さ、 パワーポインターのブレゼンテーションの味気なさ、シンセサイザーの陰影の ない音に飽きた頃、おのずと私は六〇年代の映画や文豪の講演テープや 蓄音機の音に含まれている揺らぎ、ノイズに心地よさを態じるようになっていた。 手先、指先に物足りなさを覚え、何かプリミティブなことをしたがっている 自分がいた。電磁波を発したり、コードが付いているものではなく、もっと 武骨な自然物に触れたかった。これは本能の欲求だった。衣食住、交通通信、 文化活動のあらゆる面で、私たちは自分の体や頭を使わなくなった。便利さ・ 快適さ・手軽さを最優先すれば、出来合いの工場産物を食べ、大量生産の 商品を使い捨て、絶えず供給される情報をいたずらに消費することになる。 そんな受動的な暮らしを続けるうち、おのが思考能力、身体能力をすっかり 衰えさせていたのである。テクノロジー進化は生身の人間の能力を退化させる に違いない。とはいえ人間もまた自然の産物である。その基本構造は一万年 くらい変わっていない。私たちはみなどうしようもなく原始的なのだ。 原始的なくせに、もはや、私たちは古代の狩人や、農民やサムライに戻ること はできない。 近頃、竹細工に凝っていて、暇さえあれば、竹を削っている。 奥出雲のタタラ製鉄で打ちだした鋼を鍛えたナイフで、近隣の竹林から拾って きた竹を削り、茶杓や花入れを作るのである。目下の生活の優先順位は酒、 竹、仕事、家庭といったところか。竹細工の優先順位が高いのは、それが 自分の脳と肉体に施す一種のリハビリだからである。竹細工をすれば、 おのずと道具と手先の関係が深まる。慣れない道具で怪我をすることもある。 また、里山を歩き、野草や木々と戯れることになる。自然を愛でるところに 風流が生まれ、詩が生まれる。 ・・・ ≫ ▼ TVのアーカイブで、アメリカでの手つくり飛行機の趣味と、 その出来栄えを競う大会のレポートがあった。これは、生身の自分の生命と、 最先端の技術が絡んだ命をかけた趣味。 大金持ちクラブの一例だが、能動的、 本能的要素と、知的、金銭的、時間的要素の全てが必要とされる。 その人の趣味をみれば、大方の人物像が見えてくる。 私の(悪)趣味は、 柵(しがらみ)に縛られた人間の滑稽で、ケッタイな人間のウォッチング! 漏れ聞く金融関係の、それは、タチの悪い珍獣の精神症のオンパレードとか。 ・・・・・・ 4945,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ −2 2014年09月28日(日) * 骨董の世界は、魑魅魍魎の世界 ー① 私には骨董品や美術品の保有欲が全くない。一流品などは美術館で見れば よいし、何ゆえに手元に置かなければならないか不思議である。両親を見て いると、隠れた名品を探し、さり気なく、格安でハンター、倉庫に収めることが 趣味のようだ。これは骨董収集家の全てにいえるが。それなら、名だたる名品を、 世界の美術館で見ればよい!というのが、私の持論。21歳の時に、ルーブル 美術館、大英博物館などで、世界的名品を見た経験が、更に裏づけになった。 鑑定団を見ている共通点は、「骨董店の主が、アマチュア気取りの素人に、 太鼓持ち話術で売りつけているのが殆ど。だから、出てくる当人、いやに識別感 に自信を持っている。が、それは店主の刷りこみ。株や骨董は、素人が手を出す ものではない。「買いで騙され、売りも騙され」が、素人の悲しさ。 数代前の先祖が大事にしていたお宝にも多くある。両親の場合は元プロで、 特殊ケースだが、骨董世界は、「俺おれ詐欺」より、タチが悪い側面がある。 そこは特定少数の愛好家の世界。特定少数の本物の骨董品の周囲には、 その数十、数百倍の贋物と、詐欺紛い人たちが存在する。もし、金に窮したら、 どこかの骨董市などで、高そうな骨董を探して、金を持っている友人等に、 「これは我家の蔵にあったもの。何時でも引取りますから、買ってください」 と、売りつけ、そ知らぬ顔か、ドロンをすればよい。大体が、素人が一度 買った骨董品を、逆に骨董店に持って売ることはほぼない。太鼓持ちの大臣 扱いで偉くなった幻想で満足した段階で、大部分の買いの目的を果たしている。 だから、素人衆の倉庫は、騙された骨董品の山。で、騙す方は、買取の誓約書 を平気で書く。ばれた時は、そのまま引き取れば、詐欺ではないからだ。 適当に「時代が変わりました」「この品の相場が現時点で暴落しました」 「自分も実際のところ騙されていました!」で済ますことも可能。ーつづく ・・・・・・ 4578, そして、人生はつづく 2013年09月28日(土) 『そして、人生はつづく』 川本三郎著 図書館でみて、「まえがき」の文章が現在の心境に似ていたので驚いた。 還暦過ぎれば、誰も似たような現実が待っている。まずは介護が平均10年が 終末に控えている。私など、「そして、・・」より「それでも、人生はつづく」 が合っている。 まずは ー「まえがき」の全文ー 《 2008年の6月に35年連れ添った家内を癌で亡くした。子供がいないので それから一人暮しが始まった。その「独り居」を毎月一回、日記の形で書いて いった。物書きという仕事柄、幸い一人でいることに慣れている。というか、 物書きとは一人でいることが仕事のようなもの。 本を読む、映画を見る、 音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。旅も大半は一人旅。 これに、家事という新しい仕事が加わった。愛読しているアメリカ人の詩人、 作家メイ・サートンの『独り居の日記』(武田尚子訳、みすず書房、1991年) は、ニューイングランドにある緑豊かな田舎家での一人暮らしの日々を綴った ものだが、こんな言葉がある。「私にできることといえば、瞬間瞬間を、 一時間一時間を、生き続けることだけだ――小鳥に餌をやり、部屋を片づけ、 たとえ私の内部には築きえなくとも、せめて私の身の周りに、秩序と平和を 創造することだ」。一人暮し、もうじき七十歳になろうとする人間にとっても 「秩序と平和を創造すること」がいかに大事であるか。自己管理をきちんとし、 静かに暮すこと。一人暮しになって静かな一日を送る困難と、幸福を知るよう になった。 家事をし、仕事をし、散歩をし、一日の終わりに酒を飲みながら、 昔の映画をビデオで見る。無論、そんな平穏な一日が毎日あるわけではないが、 それだからこそ「秩序と平和」が大事なものに思えてくる。 もうあまり 大きな声でものを言いたくない。「独り居」のなかにささやかな喜びを 見つけてゆきたい。3・11のあともそんな思いで書き続けた。 あれはフェリーニの映画だったか、「私は生きることより思い出すことの ほうが好きだ。結局は、同じことなんだけど」という意味の言葉があった。 日記を書くとは、まさにその日その日を思い出にしてゆくこと。 》 アマゾンの ーBy FANTASMA UCCIDENDO MECCANISMOレビュアーが、よい! 〜編者か著者のどちらかの投稿?〜{評論家・川本三郎は2008年に妻・ ファッション評論の川本恵子を亡くし、以来独りの物書き生活が始まった。 読書、映画鑑賞、音楽鑑賞・・でも独りだ。たまには旅にも出る。 一見、悠々と見えても、心は独りさびしき、時の旅人である。面倒な“家事” も自分でしなくてはならない。そんな老境に入った著者の日々が綴られている。 著者は当たり前に生きてきたつもりだが、妻の死、そして3・11で変わった・・ 著者は、震災後に東北を応援しようと小さな鉄道の旅にでる。3・11と 世の中のこと・・ 淡々と静かに自分の日々を綴る・・ そして彼自身 独りの人生の時は流れてゆく・・・。たった数歳しか違わないのに、私とは まるで異なる時をゆく。それでいいのだと思う。そして、人生はつづく・・ ターミナルは一つであっても、そこに至る道は人それぞれに異なるのだ。 独りという寂しさの重圧は、若き時には跳ね返せても、老齢に至れば、 そのエナジーも枯れつつあることを自ら認識、体験中のトロイGKMです。 余韻が残った久しぶりの大人の文章。} ▼「本を読む、映画を見る、音楽を聴く、町を歩く。一人ですることばかりだ。 旅も大半は一人旅。 ・・もうじき七十歳になろうとする人間にとっても、 秩序と平和を創造すること、がいかに大事であるか。」が、言い得て妙。 私は二年半前に、その半年前までは思いもしなかった事業整理をせざるを 得なくなったが、それでも、人生はつづいている。そこでのコツは「独り」 の世界の中で、秩序正しい静かな生活を守ること。 一応、準備を含めた45年かけた独りの世界があるが・・・ ・・・・・・ 4203, 呪いの時代 ー17 2012年09月28日(金) * あとは呪詛の効果を搾制し、贈与を活性化するしかない! 「呪いの時代」内田樹著 呪詛を抑えるに、贈与でお返しをするのが一番良い方法になる。 が、放置しておけば、さらに憎悪が増す。呪いに対し、贈与で返すのが 贈与の贈与たる由縁になる。メディアは記事を売らんがために呪いの対象を つくり上げる。手っ取り早いのが、政治家の失政と芸能人のスキャンダル。 関係もないのに、いつの間に扇動され呪詛の集団にされる、俗に言う 世間様レベル、B層である。呪詛は、これからも強くなるが、知恵で 自分を守らねばならない。 ーその辺りからー ≪ 世の中はバカばかりで、システムは全部ダメであるという宣告はかなりの 部分まで真実を衝いているのかも。私が問いたいのは、その指摘が正しいと すれば、そのような世の中を少しでも住みやすいものにするために、あなたは 何をする気なのかということである。完膚なきまでに批判し抜くことが、個人に 対しても制度に対しても、もっとも効果的な「改善」実践であるという左翼的 な批評性の定型から私たちは抜け出すべきときです。 「私がこのシステムの責任者です」と名乗り、それに対するすべての批判を 粛々と受け容れ、批判されればされるほどパフォーマンスが向上するような 「責任者」が存在するなら、そのような定型的批判も有効かも知れない。 だが、実際には、そのような責任者はどこにもいないのである。私たちはもう 「壊す」時代から抜け出し、「作る」時代に踏み入るべきだろう。命旦夕に 迫る病人に向かって「生き方を根本的に変えろ」と叱りつける人間はいない。 それよりは残されたわずかな生きる時間の質を維持するためにどうするかを 考えるだろう。・・・ (・・中略)私たちの意識を批判することから提言することへ、壊すことから 創り出すことへ、復讐することから受け容れることへ、傷つけることから癒やす ことへ、社会全体で力を合わせて、ゆっくりと、後戻りすることなくシフトして ゆくべき時期が来た。そのときに指南力を発揮すべきなのはメディアである。 けれど、メディアはまだ「呪い」の語法を手放すことができずにいる。 この本の中で私は別に目新しい知見を語っているわけではない。皆なが知って いることをもう一度繰り返し確認しているだけである。呪誼も贈与も人類と 同じだけ古い制度であり、それがどう機能するものかは誰でも知っている。 けれども、多くの人びとはそれは神話や物語の中のことであっで、 私たちの日々の生活には何のかかわりもないと思っている。そうでない。 呪誼は今人びとを苦しめ、分断しているし、贈与は今も人びとを励まし、 結びつけている。呪認の効果を搾制し、贈与を活性化すること。 私が本書を通じて提言しているのは、それだけのことである。 ≫ ▼ 西アフリカ横断のバスツアーで、単調な奴隷通りという道をひた走って いた時、突然、道路の脇道にそれた。そこは、小さな市場になっていて、 5〜6軒の店があった。呪詛の為の小物だけを売っている市場という。 アフリカ地域の多くは、今だに呪詛の習慣があり、その効果が信じられている。 そこで突然、生々しい人間のサガを突きつけれたようだった。昔、アフリカ の奴隷は、地元の部族が近くの部族を襲い、捕虜にして奴隷商人に売ったもの。 警察力が希弱な土地柄だと、近辺の争いに弱者は黙って呪詛に訴えるしかない。 日本は近代国家とはいえ、断絶の、それも20数年も落ち目の時節にあって、 その鬱憤を誰かを呪うしかない。アフリカの呪詛の小道具が、メディアによる、 誰かへの集団リンチのような槍玉=記事に取って代っただけ。 私たちは、 ますます、周囲の、そして政府の呪詛が強くなる。しかし、それが故に、 国家の舵取りが大きく狂っていることさえ、気づかないとしたら、 命取りになりかねない事態である。 ・・・・・・ 3838, ツール(道具)について考えてみる ー4 2011年09月28日(水) 20万年前に、動物は初めて言葉というツールを持った。そして、以前 から使用していた物理的道具と共に他の動物を狩猟し勢力圏を拡大していった。 ところが一万年前に地球上に異変が生じ、それまでの果実などの植物採取と 狩猟では生きていくことが出来なくなって、牧農が始まった。その時に、 それまで培われてきた言葉と道具が農業と牧畜の進化に役立つことになった。 経験は本能で動物も植物も蓄積は可能だが、場所や時間を越えて言葉や絵に 置き換えて情報を伝えることが出来るのは人間だけ。現在の情報化革命が 20万年来の人類の革命といわれる。デジタル化とネットで情報が瞬時に 地球上の個々人に行き渡るようになり、人間と社会の有りようを根底から 変えてしまった。 ツールが時代に大断層を生じさせてしまったのである。 新たにネット世界が出来て、それが現実世界の上位になりつつある。 これが今後どのように時代を変えていくのか想像さえ不可能。連日のように iPadを取り上げているが、この御蔭で目的とするブログに到達するまで、 初期立ち上げを含めて数十分の一の時間で辿りつけるようになってしまった。 おまけに体積も一割以下で、コードから解放され、ボードからも解放された。 タッチ式のため、ネットサーフィンが非常に楽になり、本やアプリも簡単に ネットから購入可能になっている。丁度、購入して一月経つが、それまでの 情報の質量が一桁は増えた感がする。ツールを弄るのが面白くなったら、 しめたもの。アプリについては次回に書くが、調べれば調べるほど次々と 面白いものが出てくる。 目につくアプリは、ベストのものしかない。 それが時と共に改善され続けているため、使いかってが良いのは当然。 ところで、10年前の今日にあたる日に「目的と手段」というテーマで 書いていた。 面白い偶然である。 「ツールは手段だが、目的と手段は融合するか?」という問いかけ。 前回、「畑仕事と釣がいいか、iPadがいいか?」という問いかけに なったが、それからすると、「iPadをしながら釣をすればよい」 ことになる。トイレの読書と同じ? どんどん使いかってのよいツールは、 使えばよい。 ただし、振り回されるな!ということになる。
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2015年09月27日(日)
* つれづれに 人生について この年齢になればこそ、‘人生について’の格言の示唆が身に沁みる。 老いの人生問題は決して甘くないが、豊富な経験があるため、青年期とは 味わいが違ってくる。過去は変えられないが、解釈、受止め方は変えられる。 人生は、私たちがそれが何かを知った時点で、その大部分が過ぎている。 精一杯生きた行蔵を、諦念を持って愛おしく振りかえるに人生訓はよい。 人生の何たるものかを知るには、一人の一生では無理だから、格言が必要。 結局、いかに世間から超越できる時間を持てるかどうかになるが、各人各様 にあるのが、人生である。 〜心の琴線に触れた幾つかを取り上げる。 ―― ・【人生に疲れたという人がいたら、それは人生のほうが その人間に疲れたのだと思えば間違いはない。〜ジョージ・サンダース】 △ ‘成るほど’である。人生に疲れたは、壮年の人のいうこと。 老年には、誰もが生老病死の問題に直面し疲れ果てている。 老人に慢性のウツ症、ウツ病はない。誰もが、際どい局面にいるからだ。 『百里の道は九十九里をもって半ばとす』というが! ―― ・【思った通りの人生ではなかった。 しかし、よかったとなら言える人生だったかもしれない。 〜アルセーヌ・メルセデス・ヒロコ】 △ これまで、大方は、『自分は不幸な人生だった』と悲観していると 思っていたが、どうも、そうではないようだ。 『そこそこ、幸福な人生な人生だった!』と、思っているらしい。 傍からみた私が、現に不幸の結末の典型? しかし、実は!である。 ―― 〜孤独の問題も、人生論では欠かせない問題。 誰もが最期は孤独死で終わる。 ・【孤独に歩め…悪をなさず求めるところ少なく…林の中の象のように〜仏陀】 【我々はみな真理のために闘っている。 だから孤独なのだ。 寂しいのだ。 しかし、だから強くなれるのだ。 〜イプセン】 ・【真の幸福は孤独なくしてはありえない。 堕天使が神を裏切ったのは、 天使たちの知らない孤独を望んだために違いない。 〜チェーホフ】 ・【最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。 人間は最高のものを決して共存しない。 幸福になろうとする人はまず孤独であれ。 〜ハーマーリング】 △ うつ病は、独り遊びの苦手の人に多い。躁と欝は「禍福は糾える縄の如し」 のように交互に密着している。孤独も、群蓄本能も、同じように・・ ・・・・・・ 4944,閑話小題 ー「なんでも鑑定団」の面白さ ー1 2014年09月27日(土) * 「なんでも鑑定団」 熱狂的ファンでもないが、好きな番組である。骨董の世界は奥行きは深く、広く、 果てしない。私の実家が江戸末期からの骨董商の分家で、父は、その分家の二代目。 当時の地元名士様に的を絞った、上客を多く持っていたが、太平洋戦争で骨董販売 では生活が成り立たず、父が戦中、戦後にかけ、転業した後、終戦後、衣料量販店 で大当て、骨董を趣味として、買い手としての収集家になっていた。 それもあって、幼児の頃から父に連れられ、昔の仲間だった骨董店などに連れて いかれていた。そのお陰で、知らずと骨董の真贋を見分ける目がついていた。 良いものを見続けると、贋物が感覚的に分かってくる。 (これ人間にもいえるが) 更に20数年、世界中の美術館を見てまわったことも目を養ていった。 美術館は古今東西の超一流の骨董品の展示場である。 ーネットによるとー 《 1994年4月19日放送開始。テレビ東京系から放送中。元々は、島田紳助が過去 に司会をしていた深夜番組「EXテレビ」の「家宝鑑定ショー」がルーツ。 ・・・ 様々な人が持っている「お宝」を、専門家(主に古美術品やアンティーク ショップの経営者が中心)が鑑定し、値段付けを行う。意外なものが高価な鑑定 結果を得たり、高価だと思われていたものが偽物などで安価になってしまうという 意外性や、鑑定物に対する蘊蓄が堪能できるのが特徴。鑑定の結果、埋もれて いた芸術家や芸術作品が発見されたこともあった。・・ 本番組からいわゆる鑑定ブーム、骨董品ブームが起きたが、何でも金銭で 換算してしまう点や、美術品をパフォーマンスで見せる点などを苦々しく 感じている美術関係者もいる。 しかし、依頼品にまつわる人々の熱かったり切なかったりする思い入れや、 鑑定結果に一喜一憂する依頼人の表情などは人間味にあふれ、鑑定を単なる 金銭的評価に終わらせていない。また、鑑定結果が出る前には、これから 鑑定する依頼品に対する予備知識の解説が入る。そこでは、製作者の生い立ち、 歴史的背景などのほか、作風、作品の見方、味わい方などが紹介される。 このために文化史、美術史などにおける教養番組としての側面も持ち、 その観点から当番組を楽しむ視聴者も多いと言われる。・・・ 》 ▼ 子供の頃から、両親の日常の会話の中心が、何時も骨董の話。 そこで購入した骨董品を二人で楽しそうに眺めていた。部屋の中では、 常に骨董品が季節ごとに変わる。その環境が当たり前の世界であった。 母親が亡くなった時の相続で、兄が倉庫に溢れていた骨董品。私は現在 住んでいる自宅だった。で、あの骨董の山、どうなったか?不動産も実売に なると半値だから、他人事ではない。実際、事業も・・ 売り家と唐様で書く三代目!『 努力して築き上げた家産も孫の代になる と遊び暮らして使い果たし、ついに家まで売りに出す。しかも「売り家」 札は その道楽ぶりを物語ってしゃれた唐様の書体で書いてある」ということ。 『この随想日記そのものが、唐様そのもの?どの道、宇宙のゴミ、同じこと』 と、バカがいう。『同じバカなら、踊りゃなソン』と、更にいう。 その目で「何でも鑑定団」を見ると、同類憐れむで面白い! ・・・・・・ 4577, 2050年の世界 ー8 2013年09月27日(金) 「2050年の世界ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) 2003年のビッグバン理論が観測で認定され、大きな境い目になった。 宇宙衛星などの観測から宇宙が拡大しているにかかわらず、膨張が加速して いることが分かった。膨張のためには他の宇宙から何かのエネルギーが、 注ぎ込まれなければ成り立たない。それが暗黒物質と暗黒エネルギーである。 現在、その発見に世界中の科学者が躍起になっている。 第十七章 苦難を越え宇宙に進路を ーのまとめ ・冷戦時代に予想されたフロンティアとしての有人飛行競争は終わりを告げ、 宇宙の商業利用の時代が来ている。 アメリカの全地球位置発見システム (GPS)など人工衛星群の商業的価値は、2009年には1609億ドルにのぼり、 前年比11パーセント増の成長を達成。 ・アメリカが宇宙へ独自に有人飛行をすることをやめた反面、中国の台頭が 目立っている。中国は、2025年をめどに月着陸をめざしている。 しかし、これは米国が月着陸を果たしたときの世界的興奮と比べれば、 はるかに小さなニュースとなるだろ。 ・NASAは、小惑星への有人飛行を計画しているが、火星への有人飛行のほうが はるかに、世界的インパクトが見込める。 ・軍事的な宇宙利用の主眼は、引き続き情報収集という機能に集約される。 ・民間会社による宇宙飛行はすでに実現しており、アメリカは宇宙探索の、 部分をそれらの会社にアウトソースしている。ヴァージン航空を率いる リチャード・ブランソンは、ヤーキェリー計画のような弾道飛行によって 宇宙に出るサービスを提供する会社を始めているが、まだ一回あたりの費用が 二〇万ドルと高すぎる。民間会社による観光目的の宇宙飛行は、今後費用が 下がっていき、金持ちの娯楽の一部となるだろう。 ・銀河の動きを説明するために、暗黒物質なるものが宇宙の五分の一を 占めなければならないことになっている。 その正体を知ることは、当面の 大きな宇宙探索の目的のひとつ。宇宙の膨張が速度を増していることが近年 観測されたが、それを説明するための暗黒エネルギーの正体も解明が待たれる。 ・太陽系以外に生命の可能性のある惑星はいくつもあり、観測技術の 発達によって地球以外の生命の発見が今後なされるかも。 ▼ ひと時代前には、他の宇宙などSF小説さえ取り上げなかった。 それが10の500乗の別宇宙の存在の可能性が、実しやかに語られている。 宇宙の知識も、天文科学の進化で飛躍的に伸びている。40年前では、想像すら できなかった別宇宙の存在に匹敵する新たな事実が発見されているだろうが・・ 「人間を一の単位とすると、我々が住む宇宙が10の27乗の世界で、 ミクロではマイナス35乗の世界が我々の世界」という。言葉として、 マイナス35乗のミクロ物質が、どのように考えても私の頭では理解できない。 現在、暇を見つけては、そのイメージを持とうとするが、無理。 もしか、持てたとしたら、どうだろう?お釈迦様より、遥かに超えた 何かを実感できるのでは? 137億光年の宇宙の果てが27乗の外の世界で、 逆にマイナス35乗の物質世界の合計62乗が私の世界? 理解不能! ・・・・・・ 4202, 閑話小題 ー危所に遊ぶ 2012年09月27日(木) * 危所に遊ぶ 芭蕉の『俳諧問答』に「危所に遊ぶ」という言葉がある。 危所は字のとおり危ない所だが、「名人は定跡から外れ、未知の分野 にも冒険心を持って飛び込み、そこで楽しむ」という意味がある。 が、他にも、「危ない所で遊ぶぐらいの心の余裕を忘れないこと」と、 「危ない所の先に宝が隠されている」という解釈もある。 事業の創業も、自分を一度、絶壁に追い詰め、そこから湧き出るエネルギーを 動力にする。 危所を見極め、そこに隠されたキーを見つけることがポイント。 ゲームとは危所(難関)を設定し、知恵で乗り越える遊び。難度の高い危所を 合理的に乗り越える域に達した人が名人になる。これは人生にもいえる。 生まれ、死ぬまでの間に難関が次々と立ち塞がってくる。人生を充実させる には、その難関を最大のエネルギーを使い知恵にかえ乗り越えることにある。 これも「危所に遊ぶ」である。 * 最近の私の言説は「悲観的すぎ?」 この数年来、世界恐慌に突入直前という論調で書き続けている。 10年前に同じ位の悲観論で書いていても、今から振り返れば、その数倍も 酷い惨状になっている。まさか地元越後で大地震が二回も起き刈羽原発が破損。 上越新幹線もトンネル内で脱線。世界を見れば、アフガン、イラクにアメリカが 攻撃し、政権を転覆。それに百年〜四百年に一度の経済震災のリーマンショック。 更に東北大震災で二万人の死者と、津波による福島原発の最高7レベルの破損。 そして近将来には、リーマンショックによる世界恐慌が覆い尽くそうとしている。 この10年間の惨状の数倍規模の変動が起きるとすると、私が書いている内容 など、まだ甘い。 東北大災害が起こるまでは、心の何処かに首都圏か東海地区 の温和なところに終の住み家の憬れがあったが、今では考えられない。 更に、この秋口から年末にかけての恐慌への不安定材料が、あまりに多い。 これに中国が権力移譲期の混乱の隠れ蓑にするため、尖閣列島の領土問題を 大々的キャンペインを始めた。日本の政治の混乱を見抜いてのこと。 ドラッガーではないが、「断絶の時代」に本格的に入ったということ。 何事もなく、凡々とした時代より、断面が見れるだけ良いと思うしかないが・・ ・・・・・ 3837, 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』 2011年09月27日(火) 二週間以上も前の話題になるが・・ 急に思い立ってシネマ 『ライフ ―いのちをつなぐ物語―』を見てきた。金曜日の少し早めの9時開始 だったので数人しかいないのではと思いきや、20人は入っていた。ツアーで アフリカや南米、北極圏などに行っているので、実感として身近に感じ取る 感受性は人一倍あるはずである。 とはいえ、映像は映像。手付かずの野生動物 の世界は激しい弱肉強食の闘いの中である。そこにはギリギリの生死の狭間で 生存の知恵が生まれてくる。TVのシリーズで放送した総集編だったが、 大画面でみる画像は迫力がある。 こういうドキュメント映画をみるにつけ、 人間が地球の主役ではないことを思い知らされる。ところでiPadのアプリを みていたら、「Memory of coiors presented by Fotopedia」(色彩の記憶)の写真集のアプリがあった。 てっきり秘境系の写真集と思って、250円ならとダウンロードした。 しかし景色は一切なく、秘境の住人の上半身か全身の写真集だった。 しまったと思ったのは、初めの20分だけ。見ているうちに、彼らの自然の 面構えと、顔と全身に塗られたペイントと服装の素晴らしさに、引き込まれた。 祭りか、祝いのための取って置きの晴れ姿や顔などのペイントが、素朴で美しい。 日本も江戸時代までは、こんな素朴な顔をしていたはず。 カメラマンのRangelの説明文が、また良い。 ≪ この人々のまなざしに向き合い、見えてくるのは・・ 自分自身の人間性の反映。彼らは「私たち自身」です。≫ と。 ネットは、確かに最先端のテクノだが、こういう世界の美しさを一般に 知らしめる力がある。地球の素晴らしい秘境の大自然や、そこの住人が 昔からの生活と伝統を守り、いま現在も変わらない生活を続けている姿を、 リアルに記録してくれる。 それだけでない、手付かずの大自然の中には 野生の動物や、数多の植物が生きている。この東北大震災と福島原発の汚染は、 その正反対の近代科学がもたらした問題。 科学は両刃の刃である。 顔には、全身には、文化が、そのまま現れる。 あらすじを検索すると 次のようにあった。 『 ライフ ―いのちをつなぐ物語― 』 【 カメラは地球上の全大陸に足を踏み入れ、あらゆる技術を駆使して、 多様な生き物たちの生態を世界で初めて捉えた。肉眼では見えない細部の 撮影を可能にしたハイビジョンマクロカメラによるハエジゴクの捕食と受粉。 ジャイロ式ステディカムによるグンカンドリ対アカハシネッタイチョウの 空中戦やバンドウイルカの泥を利用した餌の捕獲。超ハイスピードカメラも、 数々の生き物の珍しい生態を捉える。フサオマキザルのヤシの実割り、 ハネジネズミのスピード移動、バシリスクの水面走行、トビウオの海上飛行。 特製ボックスを使用したスーパーハイビジョンカメラでバショウカジキの 小魚の群れ追撃を撮影。彼らの行動は早すぎて通常のカメラでは捉えられない ので、これまで前例がなかったが、超ハイスピード撮影による80倍のスロー モーションでその生態を追うことが可能になった。この他にも、数多くの姿が カメラに収められた。アイベックスに襲い掛かるキツネ。三匹のチーターが 協力して行なうダチョウ狩り。コモドオオトカゲによる水牛への攻撃。 ロライマ山に生息するオリオフリネラがタランチュラの攻撃を受けて岩場を 転がり落ち逃げる様子。木の枝の上で戦うチリクワガタ同士の愛の戦い。 ザトウクジラの求愛コンテスト“ヒートラン”の完全撮影。 だが、本作が伝えるのは、こういった映像の珍しさではなく、それらを 通じて表現される生き物たちの生きるための知恵、勇気、愛なのである。】 ・・・・・・・ 3472, 人生、よもやま話 2010年09月27日(月) 子供の頃の想い出は魂の故郷というが、最近いやにフラッシュのように 断片が頭によぎる。歳のせいだろう。現在、思い出してみても小説になる ような世界だった。長岡の駅前は戦災にあって焼け野原から復興の過程にあった。 終戦直後に産まれ、街の真っ只中の店が幼児期の世界であった。両親、兄姉、 店の従業員、出入りの業者、御客が慌しく犇いていた。そして、多くのドラマを 子供なりに見ていた。華やかな集団生活で、誰もが笑顔で頭を撫ぜてくれていた。 一歳前から記憶が始っている。人は一般には3歳ごろから始まるとは青年期に なって初めて知った。這い這いしていたことも、初めて歩いたことも、 そして、鉄筋コンクリートのビルが立ち上がっていく過程も鮮明に残っている。 夢のような日々。ラジオから美空ひばりや、笠置しず子の歌声が聞こえていた。 幼稚園に入り、初めての友達ができた。そして家庭内のゴタゴタが色いろあった。 忠実に当時のことを書き出せば、面白い小説が数冊は書ける。何時の世も、 人間の赤裸々な人生が展開されている。 まだ憶えているが、店に尾長猿を 肩に乗せた男が店に入ってきた。そして、この猿を買ってくれないかという。 傍にいて、初めて見る猿に驚き見入っているうちに、その猿が愛おしくなり、 買って欲しいと父に頼むと、アッサリと買ってくれた。そして、店頭のペット として、直ぐに人だかりになった。 昼は店のペット、夜は三階の家庭の ペットとして皆に可愛がられる存在になっていた。その頃、家には白黒のコロ という愛嬌があるが、少し抜けている犬がいた。今までは、その犬が人気者。 しかし猿に人気が移ると、犬が猿に嫉妬をし大喧嘩をするのが子供心に面白い。 そうこうしていると、今度は猿の攻撃相手が家庭内では兄と私になる。 足や尻を思い切って噛むのである。そして歯形がつく程度から、出血をする までになった時、父は直ぐにハク製屋に売ってしまった。 残酷なもの。 そのうち次は自分がペット屋で同じ種類の猿を見つけきて、父に買って 欲しいというと、また、アッサリと買ってくれた。二代目のタロウである。 これも、直ぐに慣れたが、一年もしないうちに狂暴になってしまった。 メス猿を買いましてツガイとして店のマスコットにした。しかし、ある時期 が来ると、今度は店の前で平気でペアリングを始める始末。 これも二年もしないうちに剥製屋いき。過ぎてしまえば、全て夢幻か〜 哲学に過去は存在するかどうかの考察がある。
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2015年09月26日(土)
『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』 * 全球凍結仮説はの反発理由 宇宙、地球、生物、人間の存在と、その生成過程を知れば知るほど、 その不思議さに驚かされる。生きている限り、その追求をしたいが。 全球凍結の時代が数億年後に来るのだろうが、その時に現在の人間レベルの 知的生命体が存在して、人間を研究していると想像しただけでも、愉快になる。 〜ここで、全球凍結説に対する、純粋な疑問について言及している。 ≪ スノーボールアース仮説に対する最大の反発理由について、 :たけし スノーボールアース仮説への最大の反発理由は、「それなら、なぜ 生命は生き残っているのか」については解明されたのですか。全部が凍って しまうとはいえ、地球の内部は六千度とか高温だから、そうした熱が外側まで 届いた可能性はあるんじゃないですか。生物といってもバクテリアのような ものだったと思うのですが、その熱で生き残ってきたとは考えられませんか。 :田近 実はそこが大事なんです。というのは、海洋は平均すると四千メートル ぐらいの深さがありますが、寒くなると上から冷えて凍っていきます。 しかし、下からは熱が来るので、全ては凍らない。表面から千メートルぐらい までは凍って、その下の海水はそのままなのです。だから、一部の生き物は 海の深いところで生きていたのかもしれません。 :たけし 地表では生物が滅んでいても、氷下には原始生物がうじゃうじゃいた。 :田近 今でも深海には温泉みたいに熱水が湧いてくるところがあって、 そこには生態系が存在しています。ああいうものは多分、あまり影響を受けな かったのかもしれない。問題は昔から光合成をする生き物がいたわけで、 そうした生物にとっては困った状況になってしまったことです。 :たけし 深海の熱水噴出孔の周りで生きている生物は熱水に含まれる 硫化水素を栄養にしているから、光がなくても生きていけるけれど、 光合成をする生物はどうしたんだろう。 :田近 光は海だと百Mぐらいしか透過しないので、深いところには届かない。 さっきも話ししたように海は千メートルぐらいまで凍ってしまう。 光合成生物は光が当たるところでしか生きられないので、彼らがどうやって 生き延びたかを説明しろと言われると回答に窮してしまう。光合成をする藻類が 全球凍結を生き延びた証拠があるのですが、誰もそれを説明できないんです。 :たけし 現在も北極の方に火山があって温泉がある。 だから、全球凍結の時代にも凍らない地域があったのかな。 :田近 アイスランドとかに温泉があります。ですから、基本的に地球は凍って いても、局所的には温泉みたいなところがあって、そこは凍らないでいて、 光合成生物が生き残ったという考えがあります。 私もその説を支持したいが、まだはっきりとしたことは分かっていません。 :たけし しかし、よく全球凍結から地球が抜け出せましたね。その理由も 分かっているんですか。 :田近 全球凍結しても火山活動は継続していました。停滞していた火山活動が 活性化して、火山噴火によって二酸化炭素が蓄積していけば、やがてその温室 効果によって全球凍結状態から抜け出せたと考えられています。 :たけし 凍ったところがとけて地表が出てくれば、太陽の熱を吸収する。 それがまた地球を暖めることになって、凍った時と逆のフィードバックが起きる。 :田近 はい。ただ、それでも全球凍結から抜け出せるようになるには、 数百万年から数千万年は必要です。(『新潮45』、282頁) ≫ ▼ 生命という視点では、気の遠くなる時間になる。この私に至るまでには、 こういう生命の歴史が背景に存在している。存在の不思議と、偶然と必然の 問題も出てくる。簡単に、ビッグバンまで遡って、それを成した大元を「神」 と言い切ることも可能。 「いま、ここ、わたし」の味わいこそ、永遠である。 ・・・・・・ 4943,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー51(余禄) 2014年09月26日(金) * 「倒産が悪い」は、思い込み? 倒産など、実際のところ、その数ヶ月前までは思ってもいなかった。 繁華街の真中の商家で10歳まで生活をしたため、両親の話題は周辺の倒産話。 その生々しい具体例を多く聞かされていたた。さらに姉夫婦と、兄の会社の倒産 の相談も受けていた。それが、まさか自分も!とは。それもあり、新潟駅前の 事業設計には、万一の備えを長年にかけしていた。 以前にも書いたが、 《 家内とは通帳を別にして、家内名義の給与を与え、そこから厚生年金と 社会保険をかけ、事業には家内も含め家族・親戚は入れない。月末現金決済。 地元にはホテルをつくらない。名士様の集まる会は同級会以外は避ける・・》 等々を守っていた。それが最悪の事態から自分を守ってくれた。身近の姉と兄 の倒産の実態を見ていたが、高利貸しなど街金融に手を出さなかった以外、 備えはなかったようだ。「倒産=悪」と思うのは仕方がないが、見込みない 経営を続けるより、深手になる以前の、体力のあるうちの整理は、むしろ 良いはず。そのためには、長年かけた備えが必要。最後は、こうなり少しは ガッカリはしたが、学生時代に決心した創業人生を生きなかったら、大きな 後悔を持ったはず。 45年の人生は、それを最小にしてくれている。 『不安、挫折、絶望などのマイナス100のことは、エネルギー面で、 プラス100と、同じ」と、脳科学者・茂木健一郎の言葉にあったが・・ 最後の節目と、現在も、自分と周囲の上面の視点が面白い! そうこう経験してみて、この結果も決して悪くはない! 私には丁度よい塩梅だったと思うしかないが。 |ω・`) ・・・・・・ 4576, ほめことば練習帳 ー3 2013年09月26日(木) * 第二歩目は関心を持つということ。 「ほめことば練習帳」山下景子著 ー要約の箇所からー 《 日本語には、風景や季節を愛で、讃える言葉がたくさんあります。 それだけ、この国の風土を愛し、関心を寄せてきた証。人間が好きな人は、 自ずと褒めることが多くなる。旺盛な人は気づくことも多いので、ほめる 材料にこと欠かないでしょう。自分の価値観や思い込みに縛られている人は ほめることができません。粗探しばかりしてしまうとしたら、要注意です。 それは、相手に関心があるのではなく、つまるところ、相手を否定している のですから。ひとりひとり違う人の能力。それを敬う気持ちが、ほめ言葉に つながるのでしょう。》 ☆ 第二歩の(能力に敬意を表するほめ言葉) 多才/三舟の才/詠雪の才/七歩の才/十八番/立て板に水/達筆折り/紙付き /圧巻/ハ面六膏/鬼才/鍾々たる/ 賢い/利口/造詣が深い/知的/優れている/ 上手/腕が立つ/ハ丁(八挺)/器用/妙/巧み/堪能/秀でる ▼ それぞれの個性を認めて、絶対肯定する言葉が「ほめ言葉」になる。 ほめることは、相手だけでなく、自分を肯定することになる。このことを自ら 分かっているか?というと、分かってない。肯定は意志。それが分からない。 * 第三歩は、円滑油となるほめ言葉 《 ほめ言葉は、潤滑油としての役割も果たします。これらを第三歩として まとめました。特に日本人は、この使い方を大切にしてきたようです。 しかし、それゆえの弊害もある。よく「心にもないお世辞」などといいます が、実際、ほめ言葉とお世辞の境い目は限りなく曖昧です。下心がなくても、 相手がそう感じれば、お世辞になってしまいますし、反対に下心があっても 相手が感じなければ、ほめ言葉です。ですが、人を傷つけないための潤滑油は、 必要だと思います。それよりもむしろ、ほめることによる効果を期待すること の方が、問題ではないかと思うのです。 たとえば、やる気を出すために ほめるなどということも、見返りを求めているといえないでしょうか。 ほめ言葉は、言葉の贈り物。義理で贈物をすることはあっても、はじめから 見返りを求めて贈り物をすることは、気持ちのいい行為ではありませんね。》 ☆ 第三歩 ー潤滑油となるほめ言葉 結構/重宝/面白い/珍しい/初めて/筆舌に尽くし難い/そこはか/微妙/ 雰囲気があるいい/気が利く/卒が無い/機知に富む/打てば響く/才覚がある/ 成る程/頼りになる/愛想がいい/いみじくも ▼ ほめ言葉は言葉の贈り物。贈り物には繊細の注意とタイミングと、 綺麗な包装紙で包む必要がある。まずは身近な家族から、ほめる訓練をして みようか。家内が服装に迷ったとき、何時も私に選択を委ねる。 その時がチャンス。(逆の場合は、無視されるが) そういえば、母親が 子供の頃から常に褒めてくれていた。 ほめ言葉は、愛情の自然表現になる。 ほめていれば自然と愛情が入る。逆に貶すことは、憎悪の念が入る。 ・・・・・・ 4201, 呪いの時代 ー16 2012年09月26日(水) * 「ほんとうの私」という幻想からの脱却 ー2 「呪いの時代」内田樹著 「ほんとうの私」という幻想、考えてみると実に奥行が深く面白い。 ある種の人間、それも比較的軽い人間が陥りやすい心理トリック。 その幻想に本人が気づかないから始末が悪い。会社が倒産したり定年の 節目にハッとする。「本来の自分はこんな会社にいるべき人間でなかった! 自分の人生、失敗した」と。これが実は「ほんとうの私」という幻想のなせる ワザに気づかない。結婚相手の選定を失敗と思う夫婦の確率95%と酷似する。 結婚も職業選択も振り返れば似ていることが分かる。それ以前に人生は幻想 そのものだが。で、結婚相手と、選定した職業を呪うのが必然となると、 大方の人は人生を呪う宿命?になる。だから老人の顔は肉体の衰いと病気が 重なり暗くよどんでいる。しかし、このことを知っていれば、自分だけでない ことで諦めがつくというもの。誤解をして結婚、理解して離婚というが、 その上、大部分が「誤解して結婚、我慢して老年!」になる。 幸せそうな夫婦と、幸せな夫婦は違う。ありもしない「ほんとうの私」 さがしが高じるとルーツを知りたくなる。 ルーツなどアフリカのサルぐらいを知っていれば充分。平家の落人だったか、 源氏の末裔だろうが、それが何だというのだろう。その間に嫁の血が入って いるため、血筋などあってないに等しい。頭の体操で、私にとっての 「ほんとうの私」とは何か考えてみた。そう、HP内に10年以上もかけ、 いろいろアップしてきた、これ?。で、どうした? どうでもない! ただ、 それだけ。これは「ほんとうの私」というより、「正味の私」に近い、この程度。 その「正味の私」も、怪しげなもの。あとは文章と同じように、最後はひねりを いれ自嘲するしかない。「ほんとうの私」は、いつの間にか肥大化し、現在の 「正味の私」を何とかフォローしようとする。それが性格の歪みになり、 その病的性格が、成熟を止め、無知で無能を正当化して呪いの塊になる。 そのため停滞の世では、国民全体に蓄積されるため自分より弱い者と、 政府に攻撃することになる。だから首相は一年も持たない。権力闘争で 批判勢力は、「ほんとうの私」の「私」を「政治」に取り替える。 あるべき「ほんとうの政治」を掲げれば、呪いの時代では、権力奪取に有効に 働くからだ。それで民主党が政権奪取をしたが、このザマ。 そして、今度は「維新の党」である。しかし結果は火を見るより明らか。 とはいえ、自公民の延長は困る。そうなると連立で強権政府を時限立法で、 大鉈をふるうしかない。要は、日本は思い切ったダウンサイズをして、 正味の日本になるしかないと割切ることだ。原爆を持ち、アメリカと手を切り、 自主憲法を作り直し、国民全体の生活を数段落とし(消費時アップ)、 地勢を生かした真の独立国家を建て替えるしかない。現実に、そうなる。 アメリカか中国の属国より、その方が余程よい。 この10年、いや20年は大荒れになる! ・・・・・・・ 3836, ツール(道具)について考えてみる ー3 2011年09月26日(月) どんな優秀なツールを持っていても、目的が定まらないと宝の持ち腐れに。 現在はデジタルの時代。情報の大部分はデジタルに置き換えられる。デジタル は限りなくコピーが可能。 完成時から、それらは無料の方向に限りなく下がる。 完成と同時に、それを叩き台とした次の革新が始まり、その連鎖は止まらない。 知的ツールも同じことで、止め処もなく優秀になっていく。それが一般に 浸透すると知的底辺の底上げが生じる。それが先端の能力を押し上げ、情報が 核爆発的に拡大を始めている。その結果、どうなるかは北アフリカの独裁国家 の現象。知的ツールの集約されたモデルが現在のところiPhoeとiPadと、それに 付随してくるアプリ(ソフト)。また家電と電気自動車、そして住宅にも、 その流れが更に進んでいる。 iPadを例にとれば、一枚のタブレットに、 あらゆる機能が組み込まれている。 本・雑誌、本棚、本屋、ゲームセンター、 スポーツジムのインストラクター(ビデオ)、映画館、ファッション店、 スーパー、レコード店など、あげればきりがない。重要なことは、一枚の タブレットに集約されたこと。音楽がiPodeに数千、数万曲が収まってしまって 数年もしないうちに、本に雑誌も同じ流れが生じてきた。本棚の数千、数万冊 の雑誌、本がタブレットに収まるのである。レンタル本まで出ている。 (ある時期が過ぎると自動的に消える)iPad/iPhoneのアプリだけで、既に 10万種もあり、現在も果てしなく増え続けている。フリーの子供のゲームや、 カーレースものをダウンロード、遊んでいるが、これが面白い。 数年前までゲーセンに行って遊んでいたものが、タブレットPCで遊ぶことが できる。対戦相手が必要な場合、ネット上から呼び出し遊ぶことができる。 私たちの年代からすればSFの世界に近い感がする。ネット世界に入り込み、 その住人になったら、現実世界の中で生きることに違和感が生じて当然。 一枚のICチップに80億個以上のトランジスターが入ったものが出ている。 トランジスターは私が十歳代前半の頃に普及を始めた。父が仕入れの出張先で 買ってきたトランジスター・ラジオを見て驚いたことを覚えている。 あれから50数年といえば、この時代では大昔になるが、トランジスターが 80億もICに入っているなら、iPhoneに数千、数万の曲が入るのも納得する。 デジタル化とネットが情報機器のカタチになって、世界を根底から変えている。 それを利用しない手はないことは言うまでもない。 が、それら全てを放棄し、 畑仕事や釣に没頭する生き方こそ求められる時代でもある。ツールに 振り回されるより一歩、二歩、それから離れることも必要。ツールはツール。 午前、午後に分けるとか、週末は釣と畑仕事、平日はツールで遊ぶとか。 逆に中途半端か。こんなに面白いもの、私は使う方をとる。
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2015年09月25日(金)
『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』 * 海、その水深4000mの世界 番外になるが、全球凍結から地球上の70%を占める海に興味が向く。 「海を制するものが世界を制する」というが、各国の輸出入の多くは船による。 その海の中は如何なるものか? 〜ネット検索によると ≪ ・海洋部平均水深: 3729 m。 ・地球表面における面積比. 陸 の割合 約30%. 海の割合 約70%. 海の中で太平洋の占める割合.50%。 ・世界で一番深い海は、日本の南東に位置するマリアナ海溝。 深度は約11,000mで、世界一高い山であるエベレストも沈みます。 ・海底は3000mから6000mの深さのところが最も広い。 地球表面の70%を占める海の海全体の98%が「深海」です。 「深海」とは、太陽の光の届かなくなる200m以深のすべての海をさし 暗黒、低温、高圧が世界を支配します。「超深海」とは、6,000m以深の 海域をよび、主に海溝で濃構成されています。 ・深層海流=全海洋をめぐる海水の大循環があります。 北大西洋北部のグリーンランド沖と南極海で冷やされた海水が沈みこみ、 冷たく重い深層水になります。深海底を移動した深層水は、インド洋北部 と北太平洋でわき上がり、海流の一部となって出発点にもどります。 この大循環はベルトコンベアー循環とよばれ、グリーンランド沖で沈んだ 海水が北太平洋にたどりつくには約2000年かかります。この循環は、ただ 海水が移動するというだけではありません。海水中にふくまれる栄養分を 運ぶ大切な役目も果たしており、海の生物の生活にも大きく影響しています。 ・深海の食物連鎖=陸の植物のように、海では植物プランクトンが太陽の光と 海水に溶けているリンや窒素を使って栄養を作り出します。その栄養を、 動物プランクトン、そして魚が利用します。海の中には私たちの目に 見えない微生物もたくさん生きています。細菌や原生動物も栄養の循環の 一翼を担っています。このように海に生きるすべての生物がつながり あって海の生態系は成り立っているのです。 ≫ ▼ 海には海の世界が存在しており、今だに知られてないことが多い。 この海の上部1000mが凍りつき、その下が地熱のため海水で存在し、 そこで何とか微生物が生延び、真核生命に進化していった。私たちが青に 惹かれるのは、海の青さの原始的記憶からくるもの。とすると、緑は森、 茶色は大地の記憶。黒は宇宙の背景か。せっかく地球に生れてきて、平均 80年の猶予を与えられた割に、小さな固定観念の世界に押し込まれて、 何もしないで、何も知らないで、悟りきった風に消えていくのが人生! ・・・・・・ 4942,野口秀世だけが、何故? 2014年09月25日(木) * 偉人といわれる人も 〜「お金の正体」日下公人著より どこかで聞いた内容だが、偉人といわれる人も光の当て方を変えると、 そんなものかも。戦後教育、いや明治以来の国家づくりも、西欧文明の価値観 の世界の仲間入りをするため。 開国をして国際社会に、うって出なければ 世界列強の餌食になっていたのは明らかである。 ーその辺りからー ≪ 幕末、イギリスと戦争したり、四ヶ国連合艦隊と戦争したりして、 いち早く欧化にめざめ文明開化した。だから、それを追い越すためには 旧旗本も薩長の下につくのでなく欧米と直結しなくては、というわけだ。 産地直結運動である。そこで、留学生になって欧米に行き、欧化すると自分は 薩長より上だという意識になる。だから新渡戸稲造はクリスチャンになったり、 向こうの現地人と結婚したりした。 野口英世についても、昔「文藝春秋」 に書いてあったが、ちょうど同じ時期に東北出身のお医者さんで、ツツガムシ 病の研究と治療法に一生を捧げた人がいた。なぜこっちを褒めないか。 日本人ならツツガムシ病を治してくれた人のほうがよほどありがたいのに、 野口英世ばかり褒めるとは、文部省は常識がないと書いてあった。そのとおり。 ヨーロッパをぐるっと回って、なぜこんなに熱帯病、熱帯植物、熱帯動物の 研究所や博物館がたくさんあるのかと思った。考えてみれば、ヨーロッパは アジアや南米やシベリアを侵略して、何かをかっぱらってきて豊かになった のだから、それをもっと盛んにするための研究をしている。アメリカも同じ。 そもそも寒冷地のロンドンやベルギーに熱帯植物研究所とか熱帯病研究所が あるのはおかしい。その淵源は、たとえばタンザニアを植民地にしてコーヒー か何かを栽培すれば儲かるのではないかと、大挙して白人が行ったら、風土で 半分以上死んだことがある。ここでまず風土病の治療法を研究するが、 研究も危険な仕事である。それを日本人がやってくれるから、大変ありがたい。 ともあれ熱帯病の研究所は白人により資源奪略のためのもの。それを野口英世 が学問の最先端と思って、身を投じた。フォード研究所の庭を探すと小さな 銅像が一つあるらしい。それを日本は国家的名誉としている。 医学は西洋伝来だからそうなるのも無理はないが・・・ ≫ ▼ 日本は、明治維新まで、中国文明の価値観に大きく影響されていた。 ところが、その中国を侵略をしていた当時の実態を見て、欧米の思想、 価値観、を国家一丸として導入し、現在に至っている。世界は、肌色の他に、 地域別でみると、「アジア人 57%、ヨーロッパ人 21%、南北アメリカ人 14%、 アフリカ人 8%となっている。その黄色人種多くを占めるアジアに、重心が、 移動している。 しかし、世界にはカースト的構造があって、白、赤、黄色、 黒の肌の順に階層化された世界が厳然と存在する。 野口英世も、その価値観からみた偉人?の一人でしかない。 「人はすべて一時的世界内存在でしかない」ことを自覚すれば楽である。 ・・・・・・ 4575, ほめことば練習帳 ー2 2013年09月25日(水) 第1歩 感動を伝えるほめ言葉 「ほめことば練習帳」山下景子著 「感動を多くすることが可能か?」といえば、もちろん可能である。 そのためには、積極的に大自然、芸術作品、小説、一流の人の講演会などに 接することである。 今ではTV、インターネットで、接する機会が多くある。 まずは機会を増やして感動量を多く経験するしかない。そうすると、その面積、 体積の接触面が大きくなり、大きくなるにつれ、感動対象が増えてくる。 感動の総量が、その人そのものである。感動は、それまでの自分の「分」の際 (極限)を、破壊することになる。破壊しただけ「分」が広がることになる。 ーまずは、その辺りの要点をコピーして考えてみるー 【 ほめることは、結局、自己表現。感じ入ったときは、手放しでほめることです。 わだかまりなく、人をほめることができる人は、幸せな人だといいます。 ということは、「ほめるから、幸せになれる」ともいえるのではないでしょうか。 その第一歩は、自分が感じた心地よさを、素直に伝えること。つまり、ほめるとは、 「快」の気持ちを表現することにほかならないと思うからです。ところで、 心や身体が健やかな状態のときは、自然と気持ちのいい言葉が出てくるものです。 羨ましい気持ちをほめ言葉に託したり、ほめてほしくてわざと卑下したりするのは、 ちょっぴり心が病んでいる状態。そういう意味では爽やかにほめられるかどうかは、 心の健康のバロメイターといえるかもしれません。だからこそ、幸せな人ほど、 よくほめるということでしょう。その逆手をとって、ほめることによって、 幸せになることもできるのではないでしょうか。】 第一歩の感動を伝えるほめ言葉 {凄い/素晴らしい/兜を脱ぐ/目覚ましい/見事/立派/目の肥やし/流石/快挙 /天晴れ/溜息が漏れる/拍手/喝采/ 感心/美味しい/甘露/行ける/頬っぺたが 落ちる/昧わいがある/こくがある/芳醇/口当たりがいい/口果報} ▼ 感激するような美味しい料理や、音楽や、大自然に出会ったとき、 そのまま、言葉で表現出来ることが重要になる。記憶として残すためである。 そのためには健康な心が必要となる。対象の波動に共振し反応した言葉の蓄積 こそ、その人そのもの。感動、感激、感謝は、心が純真で、張り詰めてこそ 大きく振動する。と同時に、それを感じるとる素養が無ければ。人生は如何に 多く、感動し、感激し、それに感謝するかである。苦しみの先に、その機会が 多くある。産みの苦しみがあるから、母親は子供に対する喜びの感動がある。 感動を伝えることも、与えてくれた対象に対し言葉として、表現することで、 対象も、自分の心にも残ることになる。ロッキーの大自然の光景に接した時、 「これを見た『前』と『後』といえるほどの感動だ」という言葉が自然と 出てきた。一級品、一流の人、絶景に接すれば、素養に比例して言葉が自然と 出てくる。それには全力で自分から近づくしかない。 ・・・・・・ 4200, 閑話小題 −スマート家電 2012年09月25日(火) * スマート家電 「パナソニック」がスマートフォンと連動した「スマート家電」シリーズを 発表したが、「変?」と思ったのは私だけでないはず。外出先からの遠隔操作 でエアコンや、炊飯器のスイッチをいれたりするのが、果たして便利な生活 なのだろうか?それも付加価値と称して値段が何割、いや何倍も高いのは、 消費者ニーズとは大きくかけ離れる。発表された「スマート家電」はエアコン、 ドラム式洗濯乾燥機、冷蔵庫、炊飯器、電子レンジ、体組成バランス計、 活動量計、手くび血圧計の八製品という。洗濯機や炊飯器、電子レンジは、 スマホは主に外出先からの「リモコン」として使われるもの。 スマホの専用 アプリでメニュー選択し、製品にかざし、設定内容が転送される仕組みのもの。 近く発売のドラム式洗濯乾燥機は、洗剤や柔軟剤の分量や洗濯の目的に合わせた コースの設定をスマホに入力し、これを洗濯乾燥機に「タッチ」するしろもの。 こんなものを誰が必要とするのか。スマホが家電のコントローラーとしても 使うのは、それで良いが、値段が問題。その辺を間違うと、致命傷になる。 これではサムスンに負ける訳だ。 * 母の命日 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって16年経つが、その年月は長い。 今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。先日、倉庫で母親のアルバムを 見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で当時の映画俳優と記念写真を 撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に生きてきた逞しさがあった。 当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の人生を生きてきた。 私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから生まれることが多い。 夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出てくる。 読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者 の魂と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台。 両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。 独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。 ・・・・・・ 3835, ツール(道具)について考えてみる ー2 2011年09月25日(日) ー 道具とは 何かを「日本大百科全書(小学館)」でみると ー 【 道具に限らず、われわれの身の周りにある機械や器具は、人間の器官の 働きを外の世界に置換え、さらにその働きを拡大したり延長したものといえる。 たとえばカメラは目の働きを外化し、その映像の記録を保存できるようにした ものであり、コンピュータは大脳の働きを機械に置き換えたものである。 ドイツの技術哲学者カップ(1808―96)は、これを器官射影ということばで 表現し、器官射影とは内なる機構の外の世界への置換である、としている。 また哲学者ノワレ(1829―89)は、道具はある働きを遂行するための手段であり、 創造してゆく原理に相応している、と述べている。いいかえれば、道具にしても 機械にしても、物をつくりだすために人間の器官の働きを助けるためのもの。】と。 道具は目的に対する手段の意味に使われるが、前にも書いた手段が目的を 変えることもある。自分の目的に最適なツールに出会えるかどうかが、その人 の範囲を決めてしまうことになる。学生時代を振り返ると、努力のわり成績が 良くなかったのは、どうも大学ノートのマトメ方が上手くなかったことにある。 試験直前になってから何時も慌てていたが、成績の良い人は、授業中と、 その直後にノートを整理していたようだ。少し考えれば分かりそうなことだが、 兄や姉は、そういうことを教えてはくれなかった。 ところで、毎日のように、lPadの便利さに驚いているが、アプリは、 まさに人間の最適な機能を外に置きかえたもの。どれ一つとっても、人間の 叡智の塊。 それが無料か、無料同然(価値からみて)で入手でき、手軽に 使えるのだから驚異的である。銀行の支店の一つや二つの全機能が小さな チップスに幾つでも入ってしまう御時世。 これらがネットで世界中に瞬時 にコピーされ普及していくのだから、世界の体制が混乱するのは当たり前。 「目的遂行のための内なる機構の外の世界への置き換え」されたベストの ツールを使わない手はない。それもホボ無料で入手できるのだから。 現時点で最良のツールが、私にはiPadと、そのアプリ。 ・・・・ 3470, 昨日は母の15回忌 2010年09月25日(土) 母が亡くなって10年あまりと思っていたが、昨日(9月24日)で、まる14年。 両親の家の寝室を寝床にしているので、現在でも月に一度は夢に出てくる。 それがリアルな内容、夢から醒めても暫くはその境に漂っている。 亡くなる前の5年半は痴呆症になり正気と痴呆の間を行ったりきたりしていた。 亡くなって暫くしてフト日常を振り返り、「痴呆症の身内を抱えてない家庭は、 こんなに楽な生活をしているのか」と驚いてみた。家族総がかりで24時間、 気が休まることがない。本人のエネルギーは、自由に出歩けないため溜まって おり、その捌け口で徘徊を始める。本人にとって、部屋や家に閉じ込めらるのは 監獄に入っているよう。それでも週二回のデー・サービスと、二ヶ月に一度の 10日間ほどのショート・スティーで、どれくらい助かったか。したがって、 その時分は年に2〜3回の家内との秘・異郷旅行にショート・スティーに あずけて、出ていた。亡くなった後も、その習慣が最近まで持続していた。 (さすが60歳を過ぎて年一回になったが)50歳まで働きづめで家庭内の問題から 悩みぬいて心筋梗塞になり死線を漂った後、そのエネルギーを趣味に切り替え、 茶道に、舞踊に、華道に、俳句に、アマチュア写真に、次々と自分のモノにして いった。一つ目標を見つけ、それに向かって全力を注いでいる姿は、それを 見ているだけで勉強になる。まずは、その世界を見つけ、純粋に、集中をし、 設定したライバルに対する競争心をエンジンとし、邁進する。その対象が違えて しまえば、道筋は同じである。両親が42、38歳の8人兄姉の末っ子で育った ため、人一倍、両親に愛されたのが、一番の私の財産だったことが、現在に なって分かった。冬期間を除いて庭には母が植た花が年中咲いている。 この家は両親の墓場で、天国である。 ・・・・・・・・ 3095,久々にジョーク −3 2009年09月25日(金) ジョーク・ハンターからいうと、面白いと思えるのは滅多にない。 その時の自分の心情とレベルもあるから尚のこと。ネットで調べても、 ジョーク全集を探してもである。 その中で、やっと次のを見つけた。 ージョークあれこれー * ある熱心なユダヤ教徒が神に祈った。 「神様、うちの息子がキリスト教に改宗してしまいました。 どうしたらいいでしょう?」 神様、答えていわく。「うちの息子もじゃ」 解)好きだね、こういうの! *「知ってるかい? ナポレオンが赤いマントを着ていたのはな、 自分が流血しても部下にショックを与えないためだったんだとさ」 「それでわかったよ。ヒトラーが何故褐色のズボンを穿いているのかが」 解)これも! * ありふれた一般家庭、そこに言い争いをする兄と妹がいた。 それを父親が目撃し止めに入る。 父 『コラコラどうしたんだお前たち』 兄 『どっちがパパを愛してるのかって言い争ってたんだ』 父 『お前たち……』 うっすらと涙をうかべ子供たちの頭をやさしく なでて 部屋をあとにした父親。 すると、また言い争いが始まる 兄 『お前のほうだよ!』 妹『お兄ちゃんよ!』 解)これも!親父が聞いていた方が面白いと思うが! * 愛のVIP戦士 故郷を遠く離れて大学生活を謳歌していた弟から久しぶりに電話があった。 「あ、姉さん。ぼくだよ。それよりキティは元気かい?」 家に残してきた愛猫の様子が知りたかったらしい。 「あ、あんたの猫ね。こないだ死んじゃった。近所の酔払いの車に轢かれてね」 受話器の向こうで弟は絶句し、やがて「思いやりがない」と非難した。 「そういう時は…姉さんだってぼくがキティを可愛がっていたの、知って たんだから。嘘でもいいからこう言うんだよ。 『キティは昨日、木に登ったのよ』って」「なによそれ。人の話、聞いてる? あんたの猫は酔っ払いの…」 「黙っててよ。そしたらぼくが、 『え、それでどうしたの』とたずねるだろ。そしたら『みんなで助けようと したけど、自分でどんどん上の方に登ったのよ』って言うんだよ」「…」 「そう聞いたら僕にだって心の準備ができるだろ。で『それからどうなったの』 と聞かれたら『かわいそうだったけど、木から落ちてしまったんだよ』って 言うんだ。そしたら僕だってひどいショックを受けなくて済むじゃないか」 「…わかったわよ。これからは気をつけるわよ…」 「…いいよ、もう。…それより、母さんは元気?」 「母さん? ああ、母さんは昨日、木に登ったのよ」 解)私なら、最後の捻りは「猫と木に登っていたよ」にする
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2015年09月24日(木)
* 今日は母親の命日 今日は母親の命日、19回忌になる。早いものである。 ほぼ毎年、父の命日には思い出などを取り上げるが、振返って調べると、 母の命日には、時どきしかなかった。しかし、その前後に夢に必ずといって いいほど出てくる。昨日の朝方も、夢に出てきた。寝室の二つの ベッドが、廊下をおいた差向かえにある仏間に移動してあって、寝室には 一つだけ母のベッドが置いてある。その枕元には文庫本が一冊あり、何かの 読書指導書。さすがと思ったところで目が覚めた。 また今朝方も極楽にいるような夢をみた。 《自宅の1Fの勝手口の前に、花園に色々の種類の花が咲乱れている。 そこに様々な小鳥や鳩の大きさの鳥が次々やってくる。そこで、デジカメで、 写真を撮るが、いつの間にか、その花園の赤い花が、周囲に広がっている。 鳥と花の兼合いが、何とも美しくて写真を撮ることを忘れて見入っている。》 これを書いていて、この夢が実は母親の贈りものでは?と、思いついた。 この随想日記から、母について書いていた文章を内部検索で調べると、 以下の内容が出てきた。書くこと、書き残こして外部化しておくことは、 心の、想いの刻印になる。 燃焼しきった人生は、奥行きが深い。 極楽の景色を、母に鮮明に見せて貰ったことになる。毎日、世界の絶景を ブログに乗せているが、極楽的光景を連日、目にしている背景があるようだ。 さて、ポタリングをして、母の墓参りだ。 ――――― 4200, 閑話小題 −スマート家電 2012年09月25日(火) * 母の命日 昨日は母親の17回目の命日。亡くなって、16年経つ。 やはり、その年月は長い。今でも2〜3ヶ月に一度は、母の夢をみる。 先日、倉庫で母親のアルバムを見つけた。四人姉妹の末娘の姉と、旅行先で 当時の映画俳優と記念写真を撮っていた。戦後、戦中、戦後という激動の中に 生きてきた逞しさがあった。当時の男も女も皆そうだったが、平時の数倍の 人生を生きてきた。私の知恵は、こと何かあると両親に語りかけることから 生まれることが多い。夜半に問題を語りかけると、思いもよらない答えが出る。 読書は著者との対話でもある。愛読書を読み返すとは、最も信頼する著者の魂 と対話していることになる。両親は、自分の限界であり、かつ土台である。 両親は、私にとって限りなく純粋で愛情の塊のような人だった。 独り何かを求め続ける、これが両親から学んだこと。 * スマート家電 ( ・・略 ) ・・・・・・ 2007/04/24 2212, 宇宙的自己?が語りかけてきた? (。・8・。)ノ おはよう! *一昨日の朝方の夢 10年近く前に亡くなった母の夢を時々みるが、一昨日の夢が不思議な夢だった。 晩年の母は5年半ほど痴呆症だったが、夢の中の母は平常の状態。 不思議に思い、「如何したら呆けないでいられるのか?」と聞いたら、 「何を経験しても、その都度ごとに文脈としてまとめることよ、 また、一つ一つの要素をキッチリと言葉にしておくことよ。」 と諭すように答えた。そして、家の宝として、小さな仏像を5~6個持ってきた。 さらに家にある大きな封書を持ってきた。神聖な昔から家にある「書置き」の ようだ。そこで目が覚めた。普段の自分の世界から一歩抜け出た不思議が感覚。 ‘遥か遠い向こうの世界からの魂の呼びかけ’のような、‘宇宙的自己としての 母の自己が、地上の私に直に語りかけてきている’ようであった。 現に毎晩、私が寝ているところが、母が30年以上寝ていた処である。
「魂とは何なのだろうか?」不思議で不思議で仕方がない。 誰もが持っている、不死の何かなのだろうか? あの夢に出てきた母とは誰なのだろうか? 自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。 夢も考えてみたら不思議である。 犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。 以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。 モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。 そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白い ものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。 内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。 夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。 それも身近な母や父などの夢は、特に!
ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう? 母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン? あのイメージは、家筋としての記録である。 家系としての筋道? 胡散臭いが! ホンジャ (~▽~*)/ ・・・・・・ 2006/09/24 2000, 継父 (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜 今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。 この随想日記2000回と重なるところが不思議である。 早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。 5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをする ことがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。 始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。 マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた 悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。
マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。 亡くなって一月後に、 「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いた。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての 国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、 あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・
ところで母の命日なので供養として、 母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。 そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。 この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、 「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、 断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くの セレブの前で話すには自分が出来てなかった。 その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。 (奇しくも昨日 WOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。 3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった) 家が商売をしていたので残った祖母は男後家をもらうしかなった。 そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。 そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。 義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。 3人の末であった母に、特に虐めがいったという。 それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく さて墓参りだ! ーー 書いた後に気がついたことだが、 ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー) 次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。 (。・ω・)ノ☆゜+.バイ! ・・・・・・ 2004/09/25 1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2 十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の 「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。 そしてそのままホテルに泊まってもらった。 翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。 二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。 そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた 母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。 本人も、思いもよらない「五合庵」の散策と、新潟の田舎の風情を楽しんで いたようであった。 それから2ヵ月後、本人から連絡が入った。 「先日のお母さんの話」を、森信三さんに話したところ 「すごい内容だ。是非うちで開いている勉強会で話してくれないか」 と依頼されたという。
いま考えたら、そこにいって話をすべきであった。 「自分の話ならするが、母の話なので、勘弁して欲しい」と断ってしまった。 こういう機会でなければ、森信三という戦後日本最大の教育者とは、会う機会 がなかったのに、本当に惜しいことをした。また、そこに聞きに来ている人は ふだん会えない、凄い人ばかりのはずである。 後悔あとに立たずである。 森信三氏も似たようなことがあったというが。それから数年後の1992年に、 森信三氏は亡くなったのだ。本当にバカのことをしたものだ。
話は元に戻るが、母の7人の兄弟・姉妹のうち、母の実父の上・三人は 幸せな人生をおくり、下4人は?? ー 幸せ不幸は、本人が決めることであるが。 「事実は小説より奇なり」というが、母方の姉妹をみていると軽く一冊の 小説になる。一人一人の一生は深く重いものである。 ・・・・・ 2004/09/24 1270, 母が亡くなって、まる八年!ー命日に,母の魂に捧げる
今日の9月24日が母の命日である。まる八年経った。遠い昔のような気がする。 今でも夢に出てくるが、その頻度は少なってきている。母の優しさは、誰に とっても共通である。父の真の厳しさと、母の優しさの深さを知るのは、 自分がその年齢になって初めて解るものだ。
世界広しといえども、母は一人である。そして、ただ無条件で愛して くれたのは両親だけである。親の愛こそ、神の愛に勝るものである。 真実の愛は、親の愛がその原点にある。
愛は力である。内面の強さは突詰めてみると、親の愛が基盤になっている。 キリストの愛も、最後まで見守っていてくれた母マリアの愛の反映である。
人間形成は、10歳までの家庭構造とそれを取り巻く環境ー条件で ほぼ決まってしまうが、その中で母の役割は非常に大きい。
ー命日ということで、母のことを少し話してみる。 母は特異な家庭環境の下で育った。兄一人、姉一人の三番目に生まれた 二年後に、実父が亡くなってしまった。そこで祖母は、(後妻でなく) 後夫をもらった。(要するに男後家)
その後、後夫の子供が4人生まれた。 後夫は当然のことながら、前夫の子供を徹底的に苛めた。 特に一番幼い母が、その対象になった。 祖母は後夫の手前、守ることも、直接的な愛情を注ぐことができなかった。
そのトラウマが母の一生を通してついてまわった。 子供に対する扱い方(直接的愛情のかけ方)を全く知らなかった。 ただ厳しく当たることしか自分の体験がなかった。
それが長兄、次兄が不幸を向かえるキッカケとなってしまった。 その結果、重度のノイローゼになった。私が7〜10歳の時である。 立ち上がるのに5年もかかった。その時、心臓が四分の一壊死してしまった。 (亡くなった直後の解剖で判明) そういえば、私も子供を抱きしめる ということは一切しなかった。その苦悩・苦痛の中から、神様のような 優しさを持つようになった。そして強さも。
その環境の中で育った兄姉は、それぞれが何らかの神経症が残った。 私が癒し系の話題が多いのも、その神経症系を乗りこえるプロセスで 多くの本を読んだからだ。いやそれより、面白いこともあったが。 どの家庭も、色いろな事情はあるものだが。 特に、戦争下を通り抜けてきた世代には。 さあ墓参りだ! 23日6時半ー記
・・・・・・ 2002/10/15 ー堀井シマ短歌集ー
6年前に亡くなった母の「短歌集」から時々コピーを載せます。
ー堀井シマ短歌集ー (1)
・窓の下逆巻く波のはげしくてわが生涯の縮図の如し −1
・蛙鳴き夏を呼び込む水張田にビルの影寫り小波のたつ −2
・どくだみの影ゆれ動くせせらぎの石を渡りて広き野に出づ −3
・川岸に釣竿たれ居る子供等のビク覗けば鮒一尾なり −4
・仏壇に献げし碗の茶の中に梅花うつぎは香り放ちぬ −5
―― ー堀井シマ短歌集ー (2)
・大椿大島よりの土産花部屋蔽ふごとく大きく開く −6
・袋田の三段の滝夢のなかに亡き友がきて元氣に笑ふ −7
・夕闇の中白き木蓮万と咲く東山魁夷に描き貰ひなば −8
・雲上に仏の在す仏国殿慈悲たたへ拝む諸人救はんと −9
・雲深き山の里にも桜咲き舞ひ散りながら下草を染む −10
―― ー堀井シマ短歌集ー (3)
・湯の宿に見る八海銀山駒ヶ嶽山頂の残雪�咾鮓�る如し −11
・朝顔の蔓うら枯れて落ちし実の秋田のなかに黒く光れり −12
・いつの間にか喜寿とはなりぬ友ら多く賀詞を賜ひぬありがたきかな −13 ・枯葉舞ひ地上に落つる間もなくに又もや風に吹かれ飛び散る−14
・五歳の孫友の泳げる�咾魏茲�て特別賞を貰ひかへりぬ −15
^―― 堀井しま短歌集ー4
剣道にはげむ男の孫それなりに力をつけて貫禄をもつ −16
雪とくる音に目覚むる春の明け臥所をなほも離れがたかりー17
羽衣の謡の聞こゆ亡き友の家なき空地に茫々として −18
南山の向うは日出づる日本なり連なる山に紅き陽の照る −19
ソウルにて博物館に展示さる砧青磁に天竜七官 −20
―― 堀井しま短歌集ー (5)
白と青の雲の織りなす象徴画空のカンバスに無限に拡がる−21
残雪は牙むく如く嶺に冴えてなだりは青き夏の立山 −22
立山の頂きに佇つ若き等は頭を垂れをりおもひ思ひに −23
雨後の庭靜まりかへる片隅に目をくりくりと足元の蛙 −24
手水鉢かけひの上の青蛙水したたるを覗きみすらし −25
2002/10/12
母から聞いた話である。 母が堀井に嫁いで数年たった時、多くいる小姑との折り合いが うまくいかず、離婚を覚悟に実家に帰った時の祖母の励ましの話が良い。
「一番苦しい時は人生で一番いい時なのよ!」 私の一番苦しい時に聞いた言葉であった為か、強い印象が残っている。 小姑とイロイロあったと聞いていたが、こういう話しを聞くと納得する。
祖母もその経験があるから?その瞬間、その言葉が出たのだと思う。 人生の深淵のある言葉である。 「苦しいときは逃げては絶対に駄目、前向きに生きなさい」 という気持ちの意味が背後にある。
人生から逃げ回っている人が本当に多い。 逃げても、その自分が何処までもついて来るのさえ気づかない。 そしていつも逃げ回ろうとしている。 このような人には「人生のいい時は来ない!」来ても気がつかない。
「苦しみを通り抜けて歓喜に!」というベートーベンの言葉がある。 苦しむから歓喜があるのだ。 マゾはそれをセックスプレーで楽しむのだろう。
最後の一言は必要ない?! 硬い話を最後で落とす為です?
・・・・・・ 2002/08/16 送り火ー母への追悼文
今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。 6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文が出てきた。 もうあと一ヶ月で7回忌だ。机の中から偶然出てきた文を書いておきます。 −通夜挨拶ー 平成8年9月25日20時
本日は母の通夜にお忙しい中、遠方よりご列席いただき 有難うございました。母も心より喜んでいると思います。
この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の 12時51分に帰らぬ人となりました。
当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、 まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。 88歳6ヶ月の命でした。
母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に 必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。 また通夜は明るく華やかに!とのことでした。
私自身29歳の時から21年間、母と同居、 母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。 自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。 母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。
七年前に脳梗塞がでて以来、大木がゆっくり倒れていくように・・・。 そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」 のすざましさを身近で見せてもらいました。 私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。
母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、 誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていた。 そして途中のベンチで一本の缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。 正に霊界を二人で宙遊しているようでした。 そして一回ごとに、 これが最後かと、これが至福の時かと実感していました。
今夜は通夜参列いただきありがとうございました。 明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。 重ねて、参列有難うございました。
・・・・・・ 2001/12/21 [56] 母のアルバム 昨日母のアルバムを見ていたら、若かりしころの父とその兄弟達 の写真があった。
そこでパソコンのアルバムに取り入れようスキャンしたところ、 上部が細くなる写真に映し出された。
何回やってもそうなるので、ひっくり返してやってみてもおなじように 上部が細くなる。
怪奇現象化と薄気味悪くなりっていると、TVのBSデジタルラジオから ‘故郷’曲(ウサギ追いしかの川ーーー)が流れてきた。 遇然の一致は解っているがなにか不思議な感覚にになってきた。 仕方がないので隣にならんであった、母の見合用と聞いていた写真を スキャンする。
何回やっても歪む、かなり小姑に虐められた話を聞いていたので ‘あの世でも上手くいってないのでは’と心配になってきた。
思い出の写真コーナーに載せてある。 2001/06/18
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2015年09月23日(水)
『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』 * 穏やかでなかった地球環境 わずか20年前まで、地球は比較的穏やかな、生物が進化するに都合のよい 環境と考えられていた。三度も、地表が凍りついた氷の惑星だった時期がある など想像すらされてなかった。ところが赤道域で、氷河の痕跡が発見された ことで、全球凍結説が出てきた。これで生命が全滅する可能性があったが、 これを乗越えるべく、真核細胞が生まれ出てきた。危機が、革命的進化を 生み出したのである。 ーその辺りからー (『新潮45』、280‐281頁) ≪ ・たけし:そもそも、なぜ全球凍結したかは分かっていないんですか。 ・田近:考え方としては温室効果が急になくなったからと推察できます。 原因としては、火山活動が弱くなったからではないかと私は考えています。 火山から排出される二酸化炭素が少なくなると、(二酸化炭素は温室効果ガス であるので)温室効果が弱まります。その結果、気温が下がって、 地表を覆う氷河の面積が増えていくことになります。 ・たけし:寒くなって氷河が増えると、地球上の白い部分が増えて、ますます 太陽光線を反射していってしまう。 ・田近 そうです。それを惑星アルベド(太陽放射を反射する割合)といいます。 氷で覆われる面積が広がると、惑星アルベドが増加して寒くなり、さらに氷の 面積が増えて…と、正のフィードバックが起き、全球凍結に至ったと考えられる。 氷河堆積物を調べていくと、約二十二億年前と、約七億年前、約六億五千万年 前の三回、全球凍結が起きていた証拠が発見されています。 ・たけし では、少なくとも三回、地球は氷の星だった可能性があるわけですね。 ・田近:そうです。ただ、この説には、地球が全て凍りついてしまうと、全ての 生物が消滅してしまわないかという疑問が生じました。そうしたら、私たちも 存在しないことになってしまうので、そんなことはありえないというわけです。 研究者のイメージの中では、地球は金星や火星といった他の惑星とは違って、 今のような穏やかな環境がずっと維持されてきたと思われてきました。 ですから、海の水が全て蒸発してしまうとか、全て凍ってしまうとか、 そんな極端なことは地球では起こらなかったと信じられていました。 スノーボールアース仮説は、これまでの考えを覆す説だったので、 学界からの反発も大きかったんです。 ・たけし:地動説を唱えたガリレオみたいなものですね。 ・田近 私が学生の頃、そんな説はもちろんありませんでした。 地球は穏やかな環境が続いてきたのだと考えられていました。 それが何故なのかが、実は私の研究テーマだったんです。 ・たけし: まったく今とは逆の研究だったんですね。 ・田近: 気候が変動することは、誰もが知っています。しかし、それは 小さな変動だから、私たちは生きていけるわけです。しかし、大きな変動が 起こったら、生きていけないですよね。では、どうして地球上で大きな変動が 起こらないのか。「それを説明しなさい」と言われたら、誰も説明できない。 ですから、それを解き明かそうとしていました。 ・たけし:その穏やかな環境で、生命は進化してきたと考えられてたわけ。 ・田近:そうです。だからこそ、スノーボールアース仮説は、それまでの 考えを覆すような説でした。科学では、こうした考え方が大きく転換する ことが時々あります。八〇年代に、恐竜が絶滅したのは、地球と小惑星の 衝突が原因だと提唱されましたが、あれも当初、相当な反発がありました。 今でこそ定説ですが、当時はそんな天変地異で恐竜の絶滅を説明するのは、 とんでもないという意見が根強くありました。・・・≫ ▼ ネット上で、氷河時代の迷い石の写真の幾つかをみつけヤフーのブログに 掲載したが、その多くは二万年前の氷河期のもの。どれが20億年、7億年 前のものか、私には分からないが、自然の力のなせるわざ。現在の海の深さが 平均四千m弱と富士山と同じ位だが、当時と現在は違うとしても、その大部分 が凍り付いたという。しかしアイスランドのように、北極でも、火山で地熱が あって温泉が沸いている場所もある。また、海底でも地熱で細菌が生きていた 可能性があったから現在の我々が存在している。面白い惑星に生まれたもの。 この地球の旅で、多くの知識を得て、面白い経験をさせて貰った。 現世のことも大切だが、宇宙からの逆照射の視線も必要である。 ・・・・・・ 4940,閑話小題 〜昭和33年卒の小学校の同期会 2014年09月23日(火) * 56年前の坂之上小学校の同期会 一昨日は昭和33年卒の坂の上小学校の同期会。会場は長岡の奥座敷 といわる蓬平温泉の「よもやま館」。 前倒しの『古希』の祝いでもある。 出席者が西澤先生をふくめ25名。 前回より数人少なかったが・・ 18時から始まり、21時からは、近くの部屋に移動して二次会が開かれ、 22時に日帰りの数人と、送迎バスで長岡駅東口近くに無事帰ってきた。 その4時間は、タイムマシーンが昭和33年に戻って、大いに盛り上がった会 であった。南は九州、広島、佐渡などから、この会に出席のため、わざわざ 帰ってきた人たちがいた。小学、中学校の集まりは魂の故郷でもある。 10年に一回あるかなしかの会、やはり出席をして良かった。私のクラスの 担任の西澤先生は、来年の9月の27日で米寿というが、健康そのもの。 幾つかの小学校の校長を歴任し、長岡の教育長にもなられた人。 奥さんを10年前に亡くされ、独り暮らし。炊事、洗濯、掃除を全て一人で こなしている。近くに近くの川崎小学校の校長をしている長男が、住んでいる ため、一人暮らしの心配は無いという。ガタがきている私たちとは、出来が 違うようだ。 小学校、中学校、高校、大学の同級会も、今では同期会 にぢしないと、人数が集まらなくなってきた。 ・・・・・・ 4573, 2050年の世界 ー7 2013年09月23日(月) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部(著) 10年前にスマートフォン、タブレットPCが、ここまで普及すると誰が 想像できただろうか。まして40年先、10年先の端末や、アプリの進化の 姿の予測など不可能である。せめて10年先の情報技術の成果の一端を見て みたいもの。現在でも充分に満足しているが・・・現在、コンタクトを 目の中に埋め込むのが普及しているが、情報端末の埋め込みもあるだろう。 それより、それぞれ持っている脳機能にPCが連動するような機能も出てくる。 * 「第十八章 情報技術はどこまで進歩するか」のまとめ ーより インターネットはきわめて短期間に社会を変容させた。生み出され処理 されるデーター量は指数関数的な割で 増えているので、経済、 社会ともに今後の変化を加速する。 ・今後の開発は、ハード的なスペックそのものよりも、人間の思考、 発見、知識の共有を拡大するものに重点が置かれていく。 ・技術そのものよりも、その使われ方に開発の重点は移っていく。 ・記憶媒体に記憶できる容量が、指数関数的に大きくなっている今、情報過多 がわたしたちの時代のごく本質的な現象である。情報の蓄積量は世界経済の 成長率の四倍、コンピェーターの演算能力は九倍の速さで増大している。 ・電話会社を通じた国際電話の通話量は、一九九〇年以降年間一三パーセント の伸びで成長していたが、二〇〇五年を境にネット上で通話のやりとりが できるスカイプの登場で減少に転じた。一九八○年代に民営化された電話会社 が各国の通信市場を独占していたが、技術革新によってその地位はより 相対化 されていく。 ・マイクロチップの小型化と高性能化は、あらゆるものをネットワーク コンピューター化するユビキタスネットワークを推進する。 ・ウェブ技術の革新によって以前は集めることのできなかったデータが 集められるようになり、社会、経済ともに変容する。たとえば、すべての 自動車がどの道路をどのように何時間かけて通ってきたかを捕捉できる ソフトが完成すれば、保険算定、経費精算などに応用ができる。 ・企業は上意下達型から、ウェブを使った知識共有型の組織に変わっていく。 ・アメリカの人口の四分の一に普及することを「大衆化」と定義すれば、 それにかかる時間はどんどん短くなっている。電話は一八七六年に導入 されて大衆化するまでに三五年かかった。一九九一年のウェブの誕生から アメリカの人口の四分の一に普及するまでは、わずか七年を要しただけ。 ・とはいえ、コンピューターの情報量、情報処理力はまだ、生体の足元にも 及ばない。二〇一〇年の時点の世界中のコンピューターをつなぎ、処理可能な 命令数で演算能力を計測すると、人間の脳がおよそ五分間に発生させる 神経インパルスの最大数ほどにしかならない。 ▼ シネマなどのバーチャルの空間が情報技術で大きく変わっている。 その魅力に惹かれて、毎週、シネマのバーチャル世界を訪れている。 これも情報技術の進化の現象の一つ。TVも、スマホと連動する情報端末 (スマートTV)になりつつある。大衆と一部エリートの二極化は、 ますます進み、その矛盾のため、世界が存続しているかどうか疑わしい。 ・・・・・・ 4198, 閑話小題 ーとある話 2012年09月23日(日) * ランチの席で漏れ聞こえてきた、とある話 一昨日の長岡駅裏の居酒屋で、一人でランチを食べている時に聞こえた話。 至近距離の六階にあるスポーツジムの帰りらしい6人連れの中年女性。 ある女性Aから・・・ A:「ねえ最近聞いた話だけど、都会のチョットした家には2千万も 預金があるというけど、どうなの?」 B:「そんなに持っているの? うちなど遥かに及ばないわ!」 A:「Cさんは、ご主人がお医者さんだから、あるわよね?」 C:「そんなにあるわけないでしょ! 家のローンが残っていて、 あれば、そっちに向けてるわよ!」 A:「Dさんはどう?」 少し考え込んでいた彼女 D:「それって一人あたりの金額のこと?」 その一言で、その場がシラー。 その強力なボケをかましてしまった本人、悪気はなかったようだが横で 聞いていて、その場に飲み込まれてしまった。一年ほど前に、この随想日記で 一世帯の預金高について書いたが、平均預金1150万を 鮮明に記憶している。 ーそこでHP内検索で改めて調べてみると・・ ≪・一世帯平均平均1150万。人々の実感に近い中央値 (答えた世帯の中間の値)は前年500万より80万円少ない420万円。 ・一億以上の預金を持つ人は108万人(総世帯4700万ですから全体の2.3%)。 ー40世帯に一世帯になる。 ・都会サラリーマンの65歳の年金者の平均値は2500万の貯金を持ち、夫婦で 月額30万円の年金収入があり、30%を預金にまわす。貯蓄残高が1年前に比べ 「減った」世帯は40%で、「増えた」世帯(21%)の2倍近い。 ・預金ゼロ世帯が何と28・6%と約3割近い。ローン残高を差し引いたら 0の人を加えたら、過半数を超える。 【 金融広報中央委員会が22日発表 した2011年の「家計の金融行動に関する世論調査」による】 ≫ ▼ 実家で親と同居し、それを引き継いだサラリーマン以外なら、子供を 育てあげ家のローンを払い続ければ、貯金と借金で、差し引きゼロだろう。 平日にスポーツセンターに行き、ランチをするというだけで、収入が中の上以上 クラス。更に言葉のニュアンスと服装からして、地方では上クラス。 推測すると三人が預金が一千万辺りで、ボケをかました奥様は5千万以上。 日替わりランチを食べながら耳を逆立て聞いている私は、シャーロックきどり の馬鹿そのもの。ところで少ない私の知人の中で、数人は一億以上を持っている。 (本人から聞いてみた)それが身体全体から滲み出ている。それ以上に、 使い方が実に巧い。だから金の方から近づいてくる。 使い方は巧いが貯め方 イマイチの人なら幾らでもいる。いや逆が多い? 何は使える時に使うもの! 森林から出て世界を振り返ると違ってみえてくる。サバンナには味がある。 ・・・・ 3833, 閑話小題 2011年09月23日(金) * 病上手の、死に下手 「病い上手に、死に下手」とは良くいったもの。 ただ長生きしても、 それで良いのかどうか? 用が済んだら、さっさと消えるのも必要かも。 そう言っていられるだけ、まだいいのか。 ネット辞書で、 【“よく病気をする人はなかなか死な ない”という諺で、江戸から大衆の間で 言われてきた】病を乗り越え長生きしすぎると「死に損ない」と陰口を言われる。 それぞれの人に、それぞれの死に時がある、「病上手」のかわりに、 「生き上手の、死に下手」に置換える場合もある。前の「長生きの死に損ない」 という意味と同時に、「人生を上手く生きてきた人ほど死に際は良くない」 ということ。身近の人の死に際は須らく苦悶の末に亡くなっていく。 これも人生のうち。 銀座のクラブのママのブログに「遊び上手の本気下手」 があった。なるほど!言いえて妙。逆に「本気上手の、遊びベタ」と捻って 考えてみると、その方が頷ける? 「料理上手の、床上手」もあるが、これはチョット違う。 * パソコン・ゲーム iPadの有料のゲームソフトを先日からネットでダウンロードして使っている。 無料のものは多く試みたが有料のものは少し違う。その一つがカーレース。 車の運転席に座って走る設定だが、iPadそのものがハンドルになって フロントからみえる道路を疾走する。左右に傾けると左右にハンドルが回る。 設定をしておくと、ある程度の運転をフォローもする(大事故にならない設定) 終了後にカメラで運転した車をリプレーした映像を写し出してくれ奇妙な 気持ちになってしまう。より面白いものは幾らでもあるはず・・・ フリー(無料)のカーレースは元々、後ろ上から運転をしている車をハンドル とアクセルとブレーキでコントロール。これも面白い。他にも幾つかフリーの ゲームを使っている。とにかく始めたら2時間3時間など直ぐに経つ。 ゲームに熱中している子供をみて、心の底で羨ましくさえあった。 しかし周囲を見渡してパソコン・ゲームに熱中している知人は皆無。 ネット世界には、まだ半歩しか足を踏み入れてないが、底知れぬ面白い 渦がトグロを巻いている。 やはり節目は必要。 空即是色である。 ・・・・・・・ 3468. 閑話小題 2010年09月23日(木) * 検察の特捜主任検事を逮捕 検察不信に関して何度か書いてきたが、ついに特捜主任検事が逮捕された。 ウヤムヤに葬りされなかったことが不思議なぐらい。押収資料を改ざんしたと いうから、何を言わんかである。強引に逮捕され起訴された何人かの手記を 読んだことがある。彼らは自分で筋書きをつくり、その物語どおりの材料を 強引に集め起訴をする。そこには検察の手前かってな理屈が罷り通るという のが共通項である。 その一端が、今回の事件に現われている。これまで、 国家権力を使い好き勝手に事件を捻じ曲げた所業が多くあったとが窺える。 検察上層部に上るほど、出世のための手練手管の手法を持った輩になるから 想像を絶する世界? 今回、逮捕された検事もまさか自分が逮捕されるとは 夢にだに思ってなかっただろう。 これまで手記を書いてきた被害者?が、 雑誌などで、多くのコメントや手記を出すことになる。検察もたまった ものでない。情報化で国家権力を持った者でも、以前のように抑えることが 出来なくなってきたのである。手記からすると暴力装置を持った官僚、 それが検察、末端が警察。 * 尖閣漁船衝突問題について ー産経新聞の産経抄が面白い。まずは、その内容からー 【 加瀬英明氏と「元中国人」石平氏との対談集『ここまで違う日本と中国』 を読むと「目から鱗」の話ばかりだ。 例えば「公」を大切にする日本と 「私」しかない中国。お二人は「論語」にある「父親が羊を盗む話」をあげ説明。 ▼ ある人が孔子に「友人は正直者で、父親が隣の人の羊を盗んだことを知ると、 父親を告発しました」と語る。すると孔子は怒る。「何よりも、孝が大事だ。 父親がどんなに悪いことをやっても、外に言ってはいけない」。石平氏は 「孔子は公を無視している」という。 ▼ これに対し中国とは別の儒教を作り上げた日本人は「孝」よりも「公」 に尽くす「忠」を重視してきたそうだ。何事か起きると、日本人が 「相手に悪い」と思うのに対し中国人は「相手が悪い」と思う。 明らかに「公」と「私」の精神の違いだろう。 ▼ そう考えると、沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件での中国側 の対応はよくわかる。現場が日本領海であるとか、国際社会の秩序に従う とかいった「公」の気持ちはさらさらない。ただ自国の船を守り、 日本への恨みを晴らす「私」の基準で騒ぎ、日本を恫喝しているのである。 ▼ その漁船衝突事件で、こんどは日本の大学生ら約1千人の上海訪問まで 延期になった。温家宝首相の招待で予定されていたが、中国側が 「今はふさわしくない」と断ってきたのだそうだ。報復のつもりだろう。 楽しみにしていた若者たちには気の毒だ。 ▼ 容易に理解し合えそうもない精神構造の違いを覆い隠して交流してみても、 あまり意味があるとは思えない。事件を通じ違いを知ったとすれば、その方 が真の友好につながる。断られたことを感謝してもいいぐらいだ。】 ― 以上だが、中国頼みの日本は、アメリカと中国の狭間にたって翻弄され、 結局は資産とノウハウを奪い去られる運命か。「第二次世界大戦で、日本が 中国でしてきた所業を、今度は日本にして何が悪い」という論も成立する。 中国とアメリカの間の「独り紙相撲の日本」という様相をおびてきた。
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2015年09月22日(火)
『新潮45ー2015年5月号 〜スノーボールアースについて』 * 赤道域から氷河の名残りが見つかった 二ヶ月前に、NHKスペシャルの再放送「全球凍結〜地球大進化46億年ー①」 の感想記を書いた。その詳細が、〜新潮45・2015年5月号〜で、ビートたけし と東大大学院の田近英一の対談『スノーボールアースについて』があった。 再放送の内容は後でコピーするが、これは、その続編のような内容。再放送では、 二度の全球凍結とあったが、実際は三度。この新説が出てから、まだ20年しか 経過してない。 人が地上に生まれてきたことを、地球への旅と譬えると、 地球誕生と、生命、人間の誕生、そして、この地球の全球凍結は、旅人として、 非常に興味を惹きつけられる。 先が見えてきた人生、振り返ると、面白い惑星 での旅路の真只中にいたことになる。 〜その辺りから (『新潮45』279頁) ≪:たけし:宇宙から見た地球は「青い星」というイメージがあるけれど、 ここ二十年ぐらいの研究でかつては「白い星」だったことが分かってきた。 地球全体が氷河で覆われた凍った星で、そんな地球を真っ白な雪玉にたとえて 「スノーボールアース」と言われているんですね。 :たけし: 先生はその分野についての権威ですが、氷河の名残りって意外に 身近なところにあるんですね。ニューヨークのセントラルパークに「迷子石」 というのがある。大きな岩の塊が一つだけポツンとあるので、迷子石と呼ばれて いるのだけど、あれは氷河によって削り取られた岩石が運搬された(氷河堆積物) だという。つまり、セントラルパークは大昔、氷河で覆われていた。 しかし、怪談みたいに、昔は石が勝手に移動してきたと言われていたとか(笑)。 :田近: 昔は多分、なんでそんなところに「迷子になった石」があるのか 分からなかった。地球の歴史を調べてみると氷河期というものがあって、 迷子石が氷河によって運ばれてきたことが明らかになりました。ニューヨークの 迷子石はわりと最近(約2万年前)のものです。ところが、古い時代の氷河堆積物が 当時の赤道域からも見つかるようになりました。これが大きな謎だったのです。 :たけし: 赤道域で氷河堆積物の証拠が見つかった時、カリフォルニア工科 大学のジョセフ・カーシュビンク博士が「そんなことあるはずがない」と、 誤りを証明しようとしたら、逆にその報告を立証する結果が出てしまったという。 :田近: その結果を説明するためには、赤道も氷河に覆われていて地球が全部 凍りついたと考えればいい。これがスノーボールアース(全球凍結)仮説で、 1992年に提唱されました。 :たけし: 間違ったところを検証しようとして、かえって新しい発見に つながっていくのは面白いですね。 :田近: それをどうしてなのかと考え続けたことが偉いのです。そこが境目。 赤道域に氷河堆積物があった事実から、全球凍結の仮説に持っていくのは、 実はかなりの勇気がいる話で、誰にでもできるわけではないと思います。 ≫ ▼ NHKの再放送を見るまでは、全球凍結の言葉さえ知らなかった。 人類は、地球自身も、宇宙も、人間そのものもほとんど分かっていなかった。 ビッグバン理論が、2003年に宇宙観測の結果、確定してから我々の宇宙が、 10の500乗の多宇宙の一つでしかない多宇宙説が出てきた。そして、そこから、 暗黒物質、暗黒エネルギーが、この宇宙にループ上の管を通って供給されて いる説が、有力になっている。地球では、このスノーボールアース説である。 ・・・・・・ 5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー① 2015年07月30日(木) ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜 《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や 全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で 始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化 してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》 * 二度の全球凍結 生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。 (二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、 「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから 生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。 何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、 生命は生延びてきた。 〜その辺りから〜 ≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を 集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた 状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。 不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。 古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、 新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。 そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成 による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。 しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱 になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、 生命は大型化を可能にした。≫ ▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の 大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。 動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。 生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を 選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い! ・・・・・・ 4939,「あなたの家の宝物は何ですか」 2014年09月22日(月) * 我家の宝物は私です! 〜『お金の正体』日下公人著より 「あなたの家の宝物は何ですか?」に、「わたしです!」の答えが良い。 何度も書いてきたが、多くの兄姉の末っ子として生まれ、両親、とりわけ 父親に孫のように扱われて、幼児の頃から、法事や外出時には、私を連れ歩く ことが多かった。また、母親も、忙しい商売の最中でも、時々だが寝しなに、 「世界で一番大好き」と抱きしめてくれていた。 その温もりが、人生の修羅場で、自分を大きな支えになっていた。 親に愛された温もりこそ、お宝になる。 ーその辺りからー ≪ 昔、伊藤忠商事の人事部長から、こんな話を聞いたことがあった。 若い女性を採用するとき面接をするが、あらかじめ渡した質問状に 「あなたの家の宝物は何ですか」というのを入れた。そうするとたいていは 「なんでも鑑定団」に出てくるようなものを答えるが、「子供」と書いた女性が いたという。「子供って何ですか? あなたの子供のはずはないでしょう」と 聞と、彼女は「そりゃあそうです、わたしのことです。わたしがわが家の宝です」 と答えた。父親が工場で働いているので、夜遅くまで残業して、疲れて帰って くるが、ときどきは酒を飲んで、酔っ払ってから寝る。 そのときはわたしの 頭をなでて、『わが家の宝は子供だよなあ』と言う。父さんがそう言ってた から、わたしは家が宝だと思っています、と答えた。 人事部長は感激して 採用したが、「はたせるかな、いい女性でした」と語っていた。つまり、かつて の日本では、家族のため、が働く動機の第一で、お金のありがたさは、子供が 育つことにあったのだが、そういう日本がなくなってきて、お金はいったい何を するためのものですか、ということになってしまった。だがふたたび、お金の 背後にある人間の気持ちとか社会とかを考える時代がやってきたと思う。≫ ▼ やはり基本は夫婦仲の温もり。温かい人の根っこが、そこから生まれてくる。 その割には、温みが少ないのは何だろう?終戦直後に生まれて、ドサクサの 生活環境もあったのか? 20〜30人に一人の割合で、その温もりが、そのまま 出ている人がいる。それが品位と重なった時、内なる優しさが熟成される。 「あなたの(家の)お宝は何?」の質問そのものが、お宝。そして、「わたし」 こそが、お宝である。 その「わたし」とは、外界との触媒の中で、 「こころざし」「行蔵」「温もり」「知識」「品性」などから成り立っている。 ということは、子供に、一流の芸術作品、一流の人物、大自然の景観などに シャワーのように浴びさせるのが、親としての勤めになる。それ以前に、 まず自分に対しての勤め。それこそがお宝である。 とすると、やはり家系と、温もりが大事? ・・・・・・ 4572, ほめことば練習帳 2013年09月22日(日) * ほめることは、それだけで立派な行為! 「ほめことば練習帳」山下景子著 これは良い本である。テクニック書でなく、幸福への玉手箱と言っていい。 ーまずは、「はじめに」の冒頭部分からー 《「ほめる」は「秀(ほ)」を活用した「ほむ」が語源だといいます。 「秀」は「穂」と同じで、高く秀でているものや、目立つもの、優れたもの のこと。古くは、祝ったり、祝福したりするという意味で使われていた。 「ほめる」というと、どうしても、よい評価を与えることと思いがちですが、 そうではなかったのですね。素晴らしいことを共に喜び合うという方が、 本来の「ほめる」に近い。古代、日本人は、言霊を信じていました。 言葉には、魂がある。そして言葉に出すことで、事柄として表現する。 そういう思想もあって、素晴らしいと思ったことは、どんどん口に出して 伝えようとしたのでしょう。良いのものは、相手に良いと伝える。 優れたものに感動した時は、それを周囲に伝える。・・ 一方、ほめられるということは、嬉しいこと。これは、ご褒美にもなる。 特に上位者や権力者からのお言葉は、ありがたいご褒美となります。 そこから次第に、高い評価を与えるという意味に使われるようになる。 ここでは、祝福し、共感し合う、そんな「ほめ言葉」を原点に、さまざまな 言葉が収集されている。題名は、ほめことば練習帳だが、練習して上手になり ましょう、といったテクニック的内容でない。ほめ言葉という贈り物を、 6つの引き出しに分類して収集している。 それを6つステップとして 第1歩 感動を伝えるほめ言葉 第2歩 能力に敬意を表するほめ言葉 第3歩 潤滑油となるほめ言葉 第4歩 魅力を引き出すほめ言葉 第5歩 人生を応援するほめ言葉 第6歩 幸せになるほめ言葉 がある。》 ▼「感動を伝え、能力に敬意し、潤滑油にすれば、相手の魅力を引き出せて、 人生を応援し、幸せにする」のがほめ言葉。訓練のステップを踏めば、 ほめ言葉は、素晴らしい「贈り物」「褒美」になる。褒美とは、美しさを 褒めること。そのために褒め言葉の語彙を多く知って置かなければならない。 人生を振り返って、もっと、褒める訓練をしておけば良かったと深く後悔。 贈り物というより、チップとして気楽に与えれば良いことは分かっているが、 実践となると難しい。それにしては、営業関係者のそれは、まずは枕言葉 として自然と出てくる。女性の職場いた頃に気づいたことは、美人ほど、 「美人だね」、「可愛いいね」と言われないこと。だから、三回、間接的 表現で言うことにしていた。元気がないとき、「どうした?」に、 「色いろあって落ち込んでいるの」に対して、「美人は大変だ!周りと同じ ことをしても、それだけで何か言われるからね」とか。「美人は性格が良い のが多いから、それだけで好き」とか。「服装のセンスがいいね。姉から、 女性の見分け方は、化粧と服装のセンスを見なさいと教わったけど」とか。 殺し文句を言ってきた割に持てなかったが。 美人でも、優秀な人でも、 直接に「認証」してもらいたいのが人間。だが、なかなか言って貰えない。 そのため、優秀な人、美人ほど、大金を払う。ブランド物を身につけるのも、 そのひとつ。母の口癖「相手を認めてあげなさい!誰もが、認めて欲しい のだから」があった。その割に実行しなかった。 「ほめること、感謝すること、それは既に行為である」が基本。 ・・・・・・ 4197, 呪いの時代 ー14 2012年09月22日(土) 「呪いの時代」内田樹著 * 「リスク」と「デインジャー」の二種類の危機 ー第10章 荒ぶる神を鎮めるー 東北大震災は想定を超えた千年に一度の事故。それでも東北は地震対策を 最大限していたので、最大規模の地震と津波にしては、これでも最小の被害。 しかい太平洋沿岸で近い将来、必ず大震災が起こるというから、大変な事態。 恐らく、日本経済を先導してきた東海地区も工場の移転が始まることになる。 日本は、ますます疲弊することになる。 ー以下の、「リスク」と「デインジャー」が分かりやすいー ≪ リスクレというのはコントロールしたり、ヘッジしたり、マネージしたり できる危険のこと。「デインジャー」というのは、そういう手立てが使えない 危険のことである。喩えていえば、W杯のファイナルを戦っているときに、残り 時間1分で、1点のビハインドは「リスク」である。このリスクは監督の采配や、 ファンタジックなパスによって回避できる可能性が辛うじてある。 一方、試合の最中に、ゴジラが襲ってきてスタジアムを踏みつぶすというのは 「デインジャー」である。対処法は「サッカー必勝法」のどこにも書かれてない。 だが、そういう場合でも、周囲の状況を見回して「ここは危ない、あっちへ 逃げた方が安全だ」というような判断ができる人間がいる。 こういう人はパニックに陥って腰を抜かす人間よりは生き延びる確寧が高い。 でも、いちばん生き延びる確率が高いのは、「今日はなんだかスタジアムに 行くと厭なことが起こりそうな気がするから行かない」と言って、予定を キャンセルして布団をかぶって寝ていた人である。 9・11テロの日も、 「なんだか『厭なこと』が起こりそうな気分がした」のでビルを離れた人が 何人もいた。彼らがなぜ危機を回避できたのかをエビデンス.ベースで示すこと は誰にもできない。・・東北大震災で、助かった人は、それが単なる偶然であり、 生き延びたことに『理由』を求めるのは愚かなことである」と言うような発言を してはならない。それは死者を二重に穢すことになるからである。 私たちがもし幸運にも破局的事態を生き延びることがあったとしたら、私たちは その都度「なぜ私は生き残ったのか」と自問しなければならない。「他ならぬ 私が生き残ったことには理由がなければ済まされない」という断定は誇大妄想 でもオカルトでもなく、人間的意味を「これから」構築するための必須条件である。 だから、WTCをテロの直前に離れた人が「なんだか『厭なこと』が起こりそうな 気がして」というふうに事後的に自分の「異能」を発見するようになるのは 当然のことなのである。そうすべきなのである。私が生き残ったことに意味が あると思わなくては、死んだ人は浮かばれないからである。 誰かがそう 思わなければ、被害者たちは殺人者の恣意に全面的に屈服したことになる。 そして、その断定を基礎づけるためには、自らの責任で、長い時間をかけて、 ほんとうに「デインジャーを回避する力が人間には潜在的に備わっている」と いうことを身を以て証明しなければならない。だが、私たちの社会は戦後66年間 あまりに安全で豊かであったせいで、危険をすべて「リスク」としてしか考察 しない習慣が定着してしまった。「デインジャー」に対処できるにはどうすれば 開発できるのかについての「まじめな議論」を私はかって聴いたことがない ≫ ▼ 去年春の事業の帰結は、9・11テロと、9・15リーマンショックと、 3・11東北大震災の「デインジャー」によるが、「リスク」レベルの要素 が無かった、とはいえない。 それでも、当初からの事業設計に万一の 「デインジャー」対策を組み込んでいたので、九死に一生を得ることができたが? 「家族経営はしない(妻子を事業に入れない)」「家内の通帳は別だて」。 「予備資金の積立」は、9・11による売上減で青くなり、始めたばかり。 これを一部でも使いざるを得なくなった時は、迷わず廃業と決めていた。 御陰で事業をたたみ裏山に辿着いたが、下を見るとノンビリとした 世界が見える。外海の超大津波が見えない!のである。 ・・・・・・ 3832, 毒を溜めない! 日々 ー2 2011年09月22日(木) * 言葉の毒は、人も自分も殺す魔物 脳に毒が溜まる原因となる「毒のある言葉」を平気で話す人がいる。 という私も、その手になるか。 怒りは感情の動物、それは仕方ない。しかし、 その場限りにすればよい毒言葉を、何度も何度も繰り返す。そのうち、 その言葉がヘドロとして心に溜まり支配されたときに、「怒り」が「怨念」 に変わる。それは本人にとって猛毒になる。 怨念は相手を殺すが、 自分も同時にやられる。「人を恨めば穴二つ」である。 9・15のリーマンショック以来、会社の売上の激減が続いてから、身近に 中村天風の「箴言集」をトイレと、書斎の机近くの本棚に置き、ことあるごとに 読んでいる。状況が状況、どうしてもマイナーの気持ちになるが、天風の言葉は、 それを半減させる効用がある。何ども読み返すと、その味わいが深くなるのが 天風の言葉。天風の本は20数年前から読んでいるが、歳を重ねるほど心に 響いてくる。老化は人の心を冷やす働きがある。人間の肉体も生(なま)もの、 古くなれば傷んでくる。 長く生きた分、娑婆の家賃は高くなって当然と痛み を受け入れるしかない。マイナス言葉が特に人間の精神を蝕んでしまう。 しかし精神が傷むからマイナーの言葉に支配される側面もある。人間で一番大事 なのは健康だが、それに劣らずに大事なことは「驚く心」。何にでも興味を もって、その存在に驚くこと。「存在」と「認識」への原初的な問いかけである。 「あれは、こう、それは、こう」と、何を見ても分かったと思い込んでしまう のが老い。若いのに老化してしまっているのが大部分? 無知は老化に極似 している。 家族や身近な人などの刷り込みで壁をつくりあげられている。 それを一つ壊している間に、他の壁が、さらに立ってくる。その壁が人間の脳 には毒になる。 言葉は恐ろしい魔物の側面がある。特に他者への侮蔑の言葉は、 その人間の限界を明確に浮きだたす。 相手を傷つける数倍も自分を傷つける。 それは弱者の武器になるが、自分自身に対して返り矢になる。 特に老醜は 心しなければならない。愚痴と怨念がそれだ。それにしても毒が底から沸々 湧いて出る。それを常に浄化しておかないと顔に出る。やはり宗教しかないか、 人間は! 明るい天国か浄土のイメージが毒を消してくれるのか?
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| 5303,閑話小題 〜白鵬のいない大相撲も悪くない |
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2015年09月21日(月)
* 白鵬のいない大相撲も悪くない 「終わってしまえば、やはり白鵬か!」が、この8年も続いていた。 先場所、白鵬が序盤に敗れたとき、解説の舞の海が『白鵬、弱りましたね!』 の名文句?に反発したのか、最後に何とか優勝をした。優勝インタビューで、 その言葉に反論したが、思い当る節があったから。そして、今場所の初日 からの二連敗と休場で、彼の指摘が正しかった証明になったのも皮肉。 これだけの大記録をつくりあげたのだから、そろそろ限界になって当然。 で、三日目から白鵬が不在だが、先入観の[終わってしまえば、白鵬」が 無くなった分、面白みが出てきた。良く出来たもので、大横綱候補の照の富士 の地固めの場所に? そして半年〜一年遅れで、逸の城が照の富士に追いつく? あとは、遠藤がどうなるか? 毎日、20本の懸賞がつき、あれだけの大歓声が、 相手力士は目の色を変え挑んでくる。その中で、それ相応の相撲を取らないと 勝てないため、自然と力と勝負勘がついてくる。それ故に潰される可能性も 大だが、過っての千代の富士のような相撲力と花がある。少なくとも大関の 可能性はある。一連の不祥事から、危機感を持った力士の真剣度が観客を 呼寄せている。後は、日本人の大力士が望まれるが、どうだろう? * 終活の時節に入ったが・・ 実兄・実姉、私の合計9人きょうだいのうち、4人が既に亡くなった。 末っ子の私が、あと数ヶ月で70歳なら当然だろうが、生存している5人と、 その連れあいの平均年齢も80歳近い。 先日、10数年前に亡く なった一番上の姉の連れあいの葬式に参席したが、何か寒々としてきた。 寝たきり、痴呆なども他人事でない。 身辺整理も4年前の会社整理で、 大部分が終わってはいるが。14年半にわたって、言い残したいことは、 ここで書いてきたし、死に関する知識も積んできたし、諦念も、ある程度は 出来ている? 良いにつけ、悪いにつけ、時代の激変を目の当たり出来た ことと、世界の隅ずみの光景を見ることが出来たことも、幸運だったと、 いえることが有難い。としても、まだまだ見たりない、味わいたりないこと ばかり。「前向きに、貪欲に未知を求める」が、現在の活きる道しるべか。 ・・・・・・ 4938,閑話小題 ー節目年齢の呼称と、厄年 2014年09月21日(日) * 長寿年齢の呼称と、厄年 〜還暦は満年齢、その他は数え年〜 先年、還暦が終わったと思ったら、あと半年で古希になる。色いろあったが、 アッという間である。ここまで生きてこられたことに我ながら驚いている。 同期の男の4人に1人の割で亡くなっている。これが10年後には2人に1人の割りに。 もう、何時お迎えがきても、死に時と割切るしかない。 ーそこで長寿年齢の呼称を調べると 60才 還暦(かんれき)60年で十二支の組み合わせが一回りすることから。 70才 古稀(こき) 唐の詩人、杜甫の詩「人生七十古来稀なり」にちなんで。 77才 喜寿(きじゅ) 喜の草体が七十七と読まれるから。 80才 傘寿(さんじゅ) 傘の略字が八十と読まれるから。 88才 米寿(べいじゅ) 米の字を分解すると八、十、八。 90才 卒寿 卒の通用異体字が卆だから。 99才 白寿(はくじゅ) 百の字から一を引くと99になるから。 100才 百寿(ももじゅ) 白の字に一を足すと100になるから。 108才 茶寿 草冠を二十 その下が米に見立てて88を足すと108。 111才 皇寿 皇の字を白、一、十、一に分解して99を表す白に 足すと111になる。 112才 珍寿 112歳以上は珍しいため。 ところで、人には「厄年」がある。人生の中で不幸や災難が降りかかり やすい年のこと。厄年は、中国の陰陽道・思想からもたらされたもので、これが 一般に広まったのが江戸時代のこと。江戸時代には、厄年は数えで男性が25歳、 42歳、61歳。女性が19歳、33歳、37歳だったが、現在では、男性が25歳、42歳、 女性が、19歳、33歳とするのが一般的である。その中で、男性は42歳、 女性は33歳が「大厄」と呼び、その前後を「前厄」「後厄」といって、 恐れる風潮がある。 自分を振り返ると、その辺りが絶頂期であると同時に、大きな落し穴があり、 節目時でもあった。家長制度のあった時代から、核家族、弧族の時代へ変化して いる現在、果たして長寿が幸せか疑問である。 まずは、父の亡くなった歳まで 二年が目安。 次の目安が喜寿が7年数ヶ月。傘寿まで11年ヶ月。健康年齢 (介護を受けないで済む年齢)を3年先と想定して、人生の余白を埋めていく ことが当面の判断基準になる。老いても3S(チャレンジ、チェンジ、 コンペティション)の開発と、フラッシュで浮かんだ記憶を捉えて、遡ることに ヒントがありそうだ。 「いい年をして」の「何をするにもいい年」とプラスに 解釈して、ソロで、彼方此方を渡り歩くことが良いのは分かってはいるが、 老いからくる面倒くさい!が先に立つ。 ・・・・・・ 4571,閑話小題 ー火事に遭遇 2013年09月21日(土) * 火事に遭遇 何時ものポタリングで、長岡大橋から川西にわたり、大手大橋から再び、 長岡大橋に戻って水道町公園前に来たとき、長岡大橋の道路を隔てた向こう側 から煙が立っていた。工場の煙のような、火事のようでもみえる。まずはカメラ で写真を撮り、次に近づいて撮ったが、まだ警察も消防もきていない。 写真を撮ったのは長岡大橋のバイパスの上からで、現場まで150m先、 駆付けるか、帰ろうか迷ったが、帰ることにした。少しバイパスを走ると パトカーと消防が追い越していった。シャッターチャンスにタイミングよく 撮れたが・・・(9・19記) ー9・20日、追記ー 昨日の火事。今朝の新聞によると、72歳のご主人が亡くなったとある。 18歳の孫と老夫婦の三人暮らしで、6時40分に台所からの出火、孫と 連れそいは逃げて無事。あのまま近くまでいっていたら、修羅場に立ち会った ことになる。まさか、死者まで出ているとは! 改めて写真をみると凄い煙。 通行人は、まさかと関心なさそうに見向きもしないし、車も止まらずいくし・・ 死者が出た火災の写真とは!新聞社に送ろうか?いや止めておく! 朝のポタリングには必ずカメラを持って出るが、こういう日に限って忘れる ことが多いが・・ ところで火事といえば長岡駅前の商家に住んでいた頃に、 4軒ほど先の「監物ビル」の大火災があった。近所の二人の少年の火遊びが 原因だったが、自宅のある店のビルが、その熱で熱くなったことと、近くで 遊んでいたため、警察に呼ばれ事情聴取をされたことも記憶に残っている。 更に斜め前の丸大という衣料品店が全焼したのも見ている。 * 来春、購入予定の自転車を前倒しで発注 来春三月に購入予定をしていた電動アシスト自転車を、前倒しで注文。 現在の電動アシストのマウンテンバイクのブレーキが前後の車輪とも不調で、 やむなく注文。ブレーキの不調を運転で逆に楽しんでいる自分が怖くなった。 我ながら変な性格である。今度のものはパナソニックの電動アシストで、 タイプはクロスバイク。来週早そうの入荷予定。 ・・・・・・ 4196, 呪いの時代 ー13 2012年09月21日(金) * 原発供養 「呪いの時代」内田樹著 この東北大震災に際し皇室一族が最大限のお見舞いをしていた。 国家の元首として、歴史的大惨事に現地に真っ先に行かれ、見舞うことが役割 として最優先されることだが、その行為に呪鎮の意味が入っているとみる ことができる。 ー以下も納得できるがー ≪ 一神教文化圏の人々は荒ぶる神を巨大な神殿に祀り、それを畏れ、隔離 することでいっときの安心を買い、日本人は荒ぶる神を金儲けの道具にまで 堕落させ、その在所をずっぽりとベニヤの書き割りで囲って、「あんなもん、 怖くも何ともないよ」と言い募ることでいっときの安心を買った。 どちらの 安心が長持ちするものだったかは今回の事故があらわにした。 福島原発の ふざけた書き割りを見たヨーロッパやアメリカの原発関係者はかなり衝撃を 受けたのではないかと思う。その施設の老朽ぶりや、コストの安さや、安全 設備の手抜きに心底驚愕したのではないかと思う。どうして原子力のような 危険なものを、こんなふうに「雑に」扱ったのだろう… と海外の原子力 研究者は頭を抱えたはず。そこまでして「コストカット」したかったのか? 日本人は命より金が大事なのか? もちろんそうではない。話は逆なのだ。 あまりに怖かったので、「原子力は所詮金儲けの道具にすぎないという嘘」 を採用した。原発の設備をあれほど粗雑に作ったのは、原子力に対する 恐怖心をそうやってごまかそうとしたからなのである。「こんなものいくら 粗雑に扱っても抵抗しやしねんだよ」と蹴ったり、唾を吐きかけたりして、 「強がって」みた、 (・・・中略) ・・原子力についても、そもそもその設営のときに、伝来の古法に則って、 呪鎮の儀を執り行うべきだったと思う。盛り土をして、原子炉を土中に置く のである。塚に草が茂り、桜が咲き、鳥がさえずるような広々とした場の下に 原発を安置する。そこに神社仏閣を勧請する。「原発神社」。荒ぶる神が とりあえずは「よきこと」だけをなし、恐るべき力の暴発を抑制してくれて いることを感謝するのである。 そして、桜が咲く頃には地域の人を集めて、 「原発祭り」を挙行する。荒ぶる神がとりあえずは「よきこと」だけをなし、 恐るべき力の暴発を抑制してくれていることを感謝する。(・・中略) ・・・ 福島原発の設概工事のときにも、間違いなく地鎮祭は行われた はずである(地鎮祭を執行しなければ、建築現場には誰も入らない)。 なぜ地鎮祭の執行を禁止しなかったのか。地鎮祭をしないと、日本人の作業員 が現場に入ってくれないのなら、中国からでもフィリピンからでも建築労働者 を連れてきて断行すればよいではないか。 なぜ地鎮祭を行うのか。 それは平屋の家を建てる工事においてでさえ、行われる。「恐るべきもの」 の不意の現場での警戒を怠れば、思いがけない事故が起こることを現場の 働く人は経験知として知っているからである。地鎮祭は地祇を鎮めるため ではなく、人間の緊張を亢進させるための心的装置なのである。・・・≫ ▼ 「原発供養をすべし」とは、思いもよらぬ切り口。供養すれば済む問題でも なかろうが。ビル建設で地鎮祭を何度か経験したが、それはそれで大事な神事。 しかし世界中のビル工事で行われるかといえば、そうでもなく、日本的心的装置。 施工業者と、施主と、土地・建物を一つの魂にする儀式ということか。 最後は祈るしかないという、ブラックジョークか。 ・・・・・・ 3831, 閑話小題 2011年09月21日(水) * 学生時代に経験した、都会人と地方出身者の差 東京の学生時代は寮暮らしだったが、そこは地方出身者の巣窟。 それに比べ大学はミッション系で比較的裕福な人たちが集った学校。 クラブに入って驚いたのは、都会人の会話のセンス。常にジョークか駄洒落を 飛ばし会話を楽しんでいる。友人も教養課程のクラスでは席が固定されている。 そこで二分されるのが、都会出身者と地方出身者。服装からセンスが違う。 しかし都会出身者は、地方人の素朴さに惹かれ反面、どこか田舎者と見下げる。 地方出身者は更に言葉にコンプレックスを持つ。が、それ以前に、日常の三食の 食事など生活のハンデがある。友人を見てキツイそうなのがアパート生活者。 地方出身者は孤独な都会の一人暮らしに辟易としてしまう。 入学早々に彼女を つくるなど、まだ純真な身にとって考えられない。チャンスは幾らでもあるが、 どの辺が自分に妥当かどうか判断できない。やっと声がかかってくるのが学生 生活に慣れた二年の後半から三年にかけてになる。とはいえ、女性の方は二段階 上の人が対象。(これは40歳を過ぎて初めて知ったこと)その中で4人の姉 たちを比較し、その上というとナカナカ適正な相手が見つからない。 現在振り返ると私も1〜2ランク上の相手を求めていたということ? それからして、ギャップは、あまりに大きい。という訳で私は学生時代に結婚 相手を見つけないまま終わってしまった。友人をみると、学生時代の相手と結婚 したのは三分一ぐらい。結婚相手を決めることは互いに、人生を大きく左右する ほどの決断。目先の熱にうなされ、一生の大惨事になる可能性があるのが結婚。 更に驚いたのは都会人の読書の絶対量が違うこと。25人の地方出身者の寮に 入っていて、確かに何時も酒を飲み騒いでいた。しかし、必死に本を読んでいた ことも確か。それでも、都会育ちに人たちは、その絶対量が違う。 それでも、色いろの大学の学生が入り交じっていた寮、クラブ、ゼミ、 一ヶ月の欧州旅行、アルバイトでの多種の人との接点が非常に恵まれていた。 小学校から大学時代を通して、大学が最も恵まれていた。卒業直後、就職で地方 にいったこともあり、もう一皮ぬけなかったのが、良かったのか悪かったのか。 それもこれも、同じだが・・ しかし、話が合うのは今でも都会の人たち、 というより揉まれた人たち! ・・・・・・・・ 3466, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー10 2010年09月21日(火) * アフリカに魅せられて ー4 ー奇跡の自然動物園のクレーター「ンゴロンゴロ」ー 初めて足を踏み入れたときに、自然が創り上げた自然動物園に奇跡を 目の当たりに見たような気がした。 ここは数百万年前に出来た火山のカルデラ に広がる平野である。 もとはセレンゲティ国立公園の一部だったが、遊牧民 マサイ族の生活保護のため国立公園から分離、ンゴロンゴロ然保護区となった。 ンゴロンゴロとはマサイ語で「大きな穴」。野生保護区は、直径約16キロMの 火口跡があり、クレーター内では多くの野生動物(キリンやインパラ以外)の象、 ライオン、バッファロー、クロサイ、カバなどが見られる。外輪は2,400mの 高さがあり、カルデラ内部の平野(1,800m)と比べ標高が高い。このためカルデラ 内部はカルデラ外部と遮断されており、ここで生息する大型動物のほとんどは カルデラの外にでることはない。(象とか一部は出入りの道がある) そこは周囲と隔離された生態系が形成されるに至った。そこでは東アフリカの サバンナに生息する動物はほぼ観察することができる。植物にはじまる食物 連鎖は一つの大きな生態系のシステムをつくっている。上から下に下りて 見渡すと本当に小さく感じる。僅か16×14キロの平原に2万5千頭もの 野生動物たちが暮らす「最後の楽園」。それぞれの動物のテリトリーがあり、 ジープを少し走っただけで、色いろな動物に遭遇する。 実際に地球上にアフリカ大陸がそのまま圧縮されたような自然界である。 そのこと自体が信じがたく奇跡的である。 クレーターから約50キロMに 数百万年前の初期人類が発見されたオルドバイ渓谷がある。ここから人類が アフリカ大陸全体に、世界に向け進出していったと言われる。 だから、人は本能的に惹かれるのである。 ・・・・・・・・ 3091,猫背の話 2009年09月21日(月) ー以下字数の関係で中間をカットしました。 (2015年09月21日)ー
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| 5302,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑦ |
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2015年09月20日(日)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * コピーライティングの基本 個人HPを14年5ヶ月、「はてな」ブログを開設をして8年になる。 ほぼ休むことなく続いてきたのは、マイナスの数倍のプラスを実感するため。 上京してまで、『資産防衛セミナー』に通った内容を大口借入れの銀行担当に 見られ?、貸剥しされそうになったり、ビュアーの悪意の視線を実感しても、 それも大事な視線と割切り続けてきた。その内容を後から読み返すと、自分の 枠が、クッキリと見えてくる。そして、「だから何だ?」「なぜ拘る?」 「遠くから見れば所詮、砂利の石ころ!」と、我を振り返る。 〜その辺りから〜 ≪・「文字離れの時代」など言われることもありますが、とんでもない! 今日ほど、メール・ブログ・FaseBook・メールマガジン・HPなどで、 文字を読んだり書いたりする時間が長くなっている時代は、ありません。 つまり、もはや、すべての人にとって「コピーライティング(文章を書くこと)」 は、最重要の項目であり、「成功に欠かせない要因」となっている ☆ コピーライティングの基本ポイント14 1.ポジティブに 2.相手にしてほしいことを伝える 3.特定の人に向けて書く 4.サービスを提供し、リスクを回避する 5.より多くを語るほど、より多く売れる 6.自慢しない 7.見出しの目的は、興味のある人々を見極めること 8.好奇心を誘う 9.具体的に 10.あなたのストーリーをすべて話す 11.写真を賢く使う 12.商品(文章)は最良のセールスパーソンである 13.テストで証明する 14.効果が出ている文章は変えてはいけない ―― ・あなたがよいコピーを書きたいのであれば、自分の広告を読み直し、 書き手ではなく、「読み手として自分自身に次の3つを問いかけること」。 ●【1】 だから何なの? ●【2】 そんなこと、どうでもいいでしょう? ●【3】 私にどういう関係があるの? ・「1年で1億稼げる」より「1週間に192万円稼げる」と表現する 広告における一番の問題は「信頼性」です。 ・「ベネフィット」を明確にすると、よい反応が得られる(中略) 「このノートパソコンは12インチと、小さいサイズだ」というのは特徴で、 ベネフィットは、特徴のあとに「だから、……」をつけたときに出てくるもの を指します。つまち、「だから、このノートパソコンは、カバンに入りやすく、 持ち運びしやすい」というのがベネフィット(利益)です。 ・成功者のコピー(真似)をしたいという人は成功者をコピーをしたい のではなく、成功者が得ている結果をコピーしたいだけなのです。 あなたは、「誰かになる」必要はありません ・人の行動を起こすスキルは、もっとも高い報酬がもらえるスキルです ▼ 昨年の秋に、日野啓三著『創造する心ー書くことの秘儀』の感想文を 書いていた(下にコピー)。 学生時代の日記を読み返すにつけ、書き残す 価値、意味を考えさせられる。それが人生の境目であれば、そこに存在して いた自分の心が、そのまま焼きついている。もっともっと、書き残しておけば 良かったが、後の祭り。その点で、ブログは重要な働きがある。 ・・・・・・・・ 2005年11月03日(木) 1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1 −読書日記 「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から 日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。 読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。 数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな 手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。 心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。 神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、 神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という 意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。 印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
ー「書くことの秘儀」ー ”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、 リアリティを生み出すことだ、” ”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、 悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。 死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。 それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。 食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、 われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。 一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、 ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、 ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を 特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。
”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」 「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」 本当に、このことはとても微妙で重要だ。 <「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。 インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”
”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、 よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、 自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械 のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”
”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十 万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、 溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。 ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”
”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは 「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。 心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”
”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、 書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、 世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に ”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。 神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。 彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが (特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう> という信念というより信仰に近いものだ。”
”少なくとも結果の保証のない賭け。 賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定 不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、 その安定と安心。” ー 読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。 [深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・・ 2004年11月03日(水) 1310, 23歳の日記−3 ー卒業式の思い出ー
大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は 殆ど無かった。ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。 最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目であるその記念日の記憶は、 大事なことと読んでいて実感する、それも年齢を重ねれば重ねるほど。 幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。
その日の父親の気持ちが、今あらためて振り返ってみると少しは 解かってくる。写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。 それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。
読み返していて感じることは、 「若いということは、若いというだけで光り輝いている」ことだ。 不安定で、歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが若い時の特徴。 それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。 それも振り返ってみて初めて気がつく。
ー1969年 3月24日ー 卒業式に出席する為に、8時半起床、10時半に四日市から東京に向け出発。 15時前に東京駅に到着する。大学時代の友人の川崎に電話を入れる。 一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、 大丈夫だった。絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。 万一の時は、就職もオジャンになってしまう。 その足で、寮に行く。 佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。その荷物を 持って、千葉の検見川にある(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらう ために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。 恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。 父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。 「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。父は何か 悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、自分を怒鳴りつけたい。 それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。 「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」本当に恥ずかしい。
ー3月25日ー 7時半に起床。 今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。 父と私に会う為だ。私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に 家を出る。寮で大家の奥さんに挨拶をする。 丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。 最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。 しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。 佐藤よ、ありがとう。これで壊れた関係を元に戻せたようだ。 これで恐らく会うこともないと思うが、良い友人に恵まれた。
さて、その後父と待ち合わせて、大学に行く。 これが本当に、本当に最後の最後の行事になってしまった。 まずは深井に会う。新橋しのだ寿司の御曹司で、無神経だったが 何ともいえない暖かさがあった。彼も興奮気味であった。 その後、武澤先生に会う。父を紹介した後、父ともども記念写真を撮る。 武澤先生には、言いたいだけいい、その結論を出さずしまいであった。
その後、河村、外山、石川、奥野、兼古、広瀬、皆が居た。 本当に最後ということで涙を浮かべて最後の握手をする。 彼らとも、もう二度と会えないのだろう。 思い出の深い校庭である。 ここが日本かと思われるような何ともいえないアメリカ的な雰囲気があった。 父が、私のところに多くの友人が次々挨拶に来るので唖然としてみている。 父は何か取り残されているようだった。しかし、それより全ての友人に 挨拶をする方が先である。卒業式は、一人一人が壇上に上がって, 総長から直接卒業証書を手渡された。その後、全員で校歌を歌い無事終了。 そして、学食に集まり、ビールで乾杯をして、コップを床に叩きつける。 これで学生時代とお別れという儀式である。
そして学校を後にする。ところが面白い現象がおきた。 ふと見ると、歩いているのが、入学当時のグループの兼古と奥野と 広瀬の4人なのだ。最後はそこに収まったということだ。 兼古は千葉の方向ということで、駅前の喫茶サルビアで思い出話と、 今後の人生について話し合う。そして電車で千葉の検見川まで一緒に 帰ってくる。これで、完全に学生時代は終わってしまった。 良い学生時代であった。そして、良い卒業式であった。 これだけ、素晴らしい!と思えるというのは、一生の宝になる。 明日から再び現実が待っている。
・・・・・・ 4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・ 2014年09月20日(土) * つれづれに 〜厳しさを増す娑婆 土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめた実感がある ため、それぞれを立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた実感がある。 これは、実際に経験しないと、理解できないだろうが。 『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。 それと、「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。 最初の依頼時に「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、 「綺麗汚いは有得ない。あるのは、良い倒産、悪い倒産だけ!」終えて振返ると、 まさに、そのとおり。 前もって最悪の事態に整えていれば、目先は好調だが、 備えのない事業体より、遥かに良いと思うが?危機管理のある中小は、私の知る 限りで一割もないのでは。今さら遅いとしても、『事前の一策は、事後の 100策より勝る』で、やれることは、しておくべきでないか。ここで、 円安になってきたのは、日本の政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。 更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。以前の事業で、 この3%の消費税アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。会社も、家庭も、 支出を更に絞めてくるためだ。アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、 この不況下、甘い仕事は少なくなっている。この三年半の間、経営に疎い家内の 口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。SC内の店の転廃業や、スーパー の店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。 事業など、まして創業など、すべきでない! 『元手の2億を地道に5億にするより、30数億に膨らまして楽しみ、使い 果した人生も悪くない』と、独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思う しかないし、その甘塩っぱい感覚の日々。箱物事業には、有余ったオマケ(時間) があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、『ま、これでもいいか!』。 ・・・・・・ 4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5 2013年09月20日(金) * 万能薬としての「語り直し」 『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延(著) 実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、 上に立つものほど多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線から みた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。 人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、 最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する 以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しを するしかない。早稲田二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に 彼女が出来たところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。 彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し? まずはー次の箇所から ≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって 初めて教える者の大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、 親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。 つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できる のである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることが できることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごと について、その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとは 違うことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という 言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、 単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、 元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下 出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を 送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々。 しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが 少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。 もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、 それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、 生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。 最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。 できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを 遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、 自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。 変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、 私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》 ▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。 これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。 その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば 良いが、全く自覚なしでやるのが人間。 ・・・・・・ 4195, 呪いの時代 ー12 2012年09月20日(木) * 「片づかなさ」の人間性 ー第8章 これからを生き延びる智恵 贈物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。 これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底して カットしてきたが、私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。 これが、つくづく間違いだったと反省していること。結局、人との付き合いは 贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する 「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。以下は ーその辺の抜粋ー ≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題 を端的にこうまとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を 義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け 取った人にその返礼をさせるのか」 モースも、マリノフスキーも、 レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が人間集団を 形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると 「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ 取って言えば「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな 気がする」という「負積感」のこと。いや、ほんとに。だから、この「負債感」 を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと思います。 「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、 価値のあるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには 尽くされません。というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることでは ないからです。そうではなくて、「これは贈り物だ」と思った人がそう思った 瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂ったかたちで贈与という 儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。 (字数制限のためカット 2015年9月20日)
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| 5301,閑話小題 〜持て男の「三高、三平、四低」 |
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2015年09月19日(土)
* 持て男の「三高、三平、四低」 これもモーニングショーの話題だが、社会ウォッチングとして面白い。 経済成長期に流行した持て男の条件が「三高」。バブルが崩壊をして、 このかた「三平」に。そして次ぎは「4低」という。 ◎ バブルに流行した「3高」とは、「高学歴・高収入・高身長」 ◎ 時は過ぎ、今の流行は「3平」は、高くを求めず、 「平均的年収・平凡な外見・平穏な性格」 ◎ 次の時代のモテ男!は、「4低」 「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」がモテる時代。 だが、そんな低依存の男からすると、「そんな女いらない」の声! で、未婚率、離婚率が大幅に右上がっている異常事態。 独身女性への男への希望は、殆どの女性が経済的力量が増えたため、 微塵の甘さがない。まず「預金」と「年収」。 預金は、最低でも500万。 できることなら1000万。年収なら500〜600万。 とすると、30歳 前半までの男の多くは結婚対象外になる。驚いたことに、35歳を超えた独身 男性の結婚できる割合が7〜8%、40歳を超えると、2〜3%しか結婚が できないことになる。ということは、男性は35歳までに結婚するのが半分 というから6割しか結婚できないことになる。それまでに何とか結婚しないと、 9割が結婚不可能になる。 ーネットで生涯未婚率を検索したのが、以下ー 《 ☆ ー生涯未婚率は男35%、女27%にも:少子化対策無力ー 少子化社会対策白書のあまりの覇気の無さに驚き、国勢調査から生涯未婚率 を予測し直して男35%、女27%にもなる結果を得ました。非正規雇用は増える ばかりで、若者の生活を不安定にさせている根源は政府施策です。 『安倍政権が嫌いな雇用安定こそ少子化対策の核心』で指摘した通りです。 生涯未婚率は人口学で50歳時点の未婚率と定められています。 2010年国勢調査で20代前半だった世代が50歳に到達する25年後には、 現在に倍する生涯未婚者であふれる事態になります。 NHKの《少子化白書 晩婚・晩産化は進む》は 《生涯未婚という人の割合は、平成22年には、▽男性が20.14%、 ▽女性が10.61%で、いずれも過去最高に達し、「未婚化」とともに 一生結婚するつもりはないとする「非婚化」も進んでいると指摘し》 《内閣府は「若い世代は雇用が不安定で、所得が低い傾向にあり、こうした 経済的理由から結婚に踏み切れない人が増えているのではないか」と分析》 と伝えました。 》 ――― ▼ コンビニ、気楽な独身生活、ネットによる繋がりがあって、別に結婚の 必要性を感じないのだろう。情報化で、女性に対する憧れも消滅してしまい、 世の中がニヒル化していることもある。バブル崩壊以降、特に若者に住み辛い 社会が到来している。高度成長期を生きてきた私たち世代にとって、信じられ ない現象。それにしても、「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費」の4低」 がモテる時代とは、驚き。何か、年金暮らしの御隠居に丁度良い、生き方が、 これからの若者の姿からして、日本の近未来に悲観的になってしまう。 ・・・・・・ 4936,コトの本質 ー6 2014年09月19日(金) * 戦後、エリートが育たなかった 『コトの本質』 松井孝典著 「戦後、エリートが育たなかった」というのは、先進各国との比率の問題を いっている。それは秀才教育はしてきたが、天才、エリート教育はして こなかったことになる。 ≪ いまの我が国は、この意味では限りなくアマチュアの国になりつつあると 思います。ここでいうアマチュアとは、その主張の根拠がほとんどマスコミ に出ている程度のことにある人のことです。自分の知っている範囲のことを すべてだと思い込み、あたかもそれが正論であるかのように、堂々としゃべる。 そんな風潮が目につきすぎます。結局、そういう人たちには謙虚さがない ということです。実際のところは―よく知りませんが、私の知っている範囲 ではこうだ―といういい方をするのが当然なのに、そうではありません。 これっぽっちの経験しかないのに、それを拡大し、人類一般な話としてどうの こうのというような議論までするわけ。こういう状態を見ていると、この国は どうしようもない国になったなという感じがします。プロフェッショナルが いないということは、いいかえれば、エリートがいなくなったということかも しれません。いい大学に入って、いい会社に入って、というのがエリートと いう意味ではありません。自分の頭できちっと考えることができる、しかも その座標軸は古今東西の歴史から、芸術、哲学に通じ、科学に通じる、それが エリートです。このような広い時空スケールの中に自分の尺度を持ち、 すべてのことが判断でき、行動できるのがエリートです。 秀才と呼ばれ、大学に残って学者になる人間はいっぱいいます。しかし、 現在のいわゆ秀才というのは所詮、与えられた問題が解けるだけの人間です。 解くべき問題がつくれない人が、多い。問題がつくれない人はエリートでは ありません。戦後教育は、あえてエリートをつくろうとしなかったともいえます。 すべての子どもに、最初から我がある、などという誤った前提に立ったために、 教育と呼べるような教育をしてこなかったのでは? だから、当然のことながら エリートは育たなかったのです。我は初めからあるものではありません。 我の形成途上にある人間には、我なんてないのです。しかし、いまの教育では 前提として我があるかのように扱う。それが個人の尊厳だと誤解しているー すべての間違いの元はそこにあると思います。我とは何なのか、そもそも それを考えたことのないような人たちが、平気で我を語り、我を主張します。 我という概念ができる過程こそ重要だ、ということが忘れられています。 それは、他との関わりの中でなければ形成できないものです。 それなのに、我というものが最初からあると思い込んでいる・・・ ≫ ▼「ゆとり教育」の失敗の根本が、この辺りにあったのでは?「ゆとり教育」 は、まともな両親がいる家庭の元でこそ有効で、それがない場合はマイナスに 大きくぶれるのは周辺を見れば分かること。プロフェッショナルは、激しい競争 社会の中で勝ち抜いた結果、一強多弱から生まれ出るもの? 著者の説によれば、 全ての人がアマチュアになる。問題は自分がアマチュアと自覚できるかどうか。 キリスト教の下地がないのに、取ってつけたような戦後教育を押し付けられた 結果が、この様になった。私のレベルで40数年間、一日、2〜4時間の 独学では、広い時空スケールの尺度を持ちえるはずがない。哲学に興味を 持ったのが40歳代後半では、あまりに遅すぎた。別に、エリートになりたい とは思わないが、我とは何か? 自分の問題とは何か? 等を、考えられる 内部モデルを確立することが、まず必要ということ。 ・・・・・ 4569, 世界恐慌の結果、どうなる? ー2 2013年09月19日(木) ー5年前のリーマンショック直後に書いた内容ー {2724、世界恐慌の結果、どうなる?ー2008年09月19日(金)ー} 《 恐慌になると過去の事例から、平均30%売り上げが減り、それに 耐えられないところから消滅を始めるという。毎日毎日、アメリカの発の 金融危機のニュースが入ってくる。100年に一度の恐慌が始った。 アメリカが風邪をひくと日本は肺炎になる、という言葉が可愛らしくて 思え懐かしい。アメリカで震度6強の経済大地震が起こったのである。 そして、大きなウネリが起こってしまった。それは大津波になり日本のみならず 世界中に押し寄せ始めた。津波と違うのは何年にもわたることである。ところが 日本は政治的空白の事態で頭がないのが現状である。これは2001年の9・11事件 に匹敵するか、それ以上の出来事。100年に一度の世界恐慌が、まず直撃する のは日本。これがアメリカの隷属国家の運命である。次は、アメリカの証券会社 二位のモルガン・スタンレー。緊急に銀行との合併で凌ごうとしているようだが。 シティーバンクが次のターゲット。数年前まで日本を買いあさっていた米国金融 機関の惨状。そのツケは日本が払わざるを得ないからだ。他人ごとでない、 果たして会社はどうなるのだろう? 逃げも隠れも出来ないが、生存に全てを かけるしかない。生き残りをかけた生存競争レベルになってきたということだ。 それが会社だけでなく、年金生活者も含まれるから、ことは重大である。 国家破綻の現象としては、ハイパーインフレになる。そして、次に来るのは 中間層が総下層になる。社会の不安が増大し、犯罪は増加する。ソ連の崩壊時 と同じような現象になる。年末から100円以下の株価の会社は銀行のしめつけで、 次々と倒産が始る。日本型社会主義の完全崩壊である。第二の敗戦が表面化して きたということだ。これだけ劇的な世界恐慌に「現役」で経験するとは思って もいなかった。 私は、2008年9月16日14時をもって「世界恐慌」と判断。 そう判断すると恐ろしい。みる目が全く違ってくる。みる目が違うと判断も 違ってくる。人生で過って経験をしたことのない最大のイベントが展開を始めた。 それにしては、まだ実感が少ない。茹で蛙になってしまったのだろうか。 現実に信じられような大混乱が直ぐに始るだろうから・・ ゴールドや、 資源を持っている国は、それを担保になるから、立ち直りが早い。しかし、 体力のない日本の行く末は・・・ 何度でも言う、「恐ろしいことだ!」 》 ▼ これを書いた二年半後には、私の事業の売上が半減、2001年9月の9・11テロ から三分の一まで激減し、事業断念に至った。この直後から、G20が始まり、 何とか表立った恐慌は抑えているに過ぎない。 米国の証券会社は全滅、米国の GM、クライスラーは国家管理。EUも、中国も、これから変になっている。 ただ、何処かの株式市場からの暴落を切欠に世界恐慌になるのは間違いない。 ただ、引き伸ばしているだけ。 そこで、2020年に「東京オリンピック」 を開催するというから、他国から見たらお笑い以前だろう。それだけ、 リーマンショックの影響は大きい。でも、これで自分の事業が崩壊するとは! で、「インフレターゲット3%目標」というから、素人の私でも、間違いは 判断できる。その上に、オリンピックとは! 大津波が襲来する直前の浜辺で 酒盛りの用意である。不思議なのは、地方の金融機関が、そのまま存続して いること。時限爆弾の山だろうが・・ 最後はハイパーインフレで、銀行閉鎖 になるのだろう。現状は、「恐ろしいことだ!になっているはずなのに、 リンゲルを無制限に射っているため?? ・・・・・・ 4194, 呪いの時代 ー11 2012年09月19日(水) * 交換経済から贈与経済へ 「呪いの時代」内田樹著 何か奇異に思える贈与経済とは、お金でも、物でも、情報・知識でも、 留めないで次に回せということ。情報に限って考えると納得できる。 ブログなどで自分の持っているベストの情報を公開(贈与)することで、 世界中の情報を共有できるようになった。情報化社会では、贈与という 言葉がキーワードになる。銀行預金は、その正反対になる。現在の世界的 不況は、一部勝ち組が得た利益を独り占めをして回さなくなったことにある。 ボランティアは慈善の贈与と解釈出来る。 ーその辺りからー ≪ 贈与経済というのは、要するに自分のところに来たものは退蔵しないで、 次に「パス」するということです。「自分のところに来たもの」というのは 貨幣でもいいし、商品でもいいし、情報や知識や技術でもいい。とにかく自分 のところで止めないで、次に回す。自分で食べたり飲んだりして使う限り、 保有できる貨幣に限界がある。先ほども言いましたけれど、ある限界を 超えたら、お金をいくら持っていてもそれではもう「金で金を買う」 以外のことはできなくなる。それで「金を買う」以外に使い道のないような お金は「なくてもいい」お金だと僕は思います。それは周りの貧しい人たちに 「パス」してあげて、彼らの身体的要求を満たすことに使えばいい。 ご飯や服や家や学校や病院のような、直接人間の日常的欲求をみたすものに 使えばいい。タックスヘイブンの銀行口座の磁気的な数字になっているよりは、 具体的に手で触れる「もの」に姿を変える方がいい。・・ ・・・その人がエンドユーザーであるような人間には贈与は届かない。 贈り物を受け取ったときに、目にも止まらぬ速さで次の贈り先にそれが パスされるような人のところにしか贈り物は届かない。そういうものです。 贈与経済が成り立つための要件は、ある意味きわめてシンプル。 市民的に成熟していること。それだけです。自分より立場の弱い人たちを 含む相互扶助的なネットワークをすでに作り上げており、その中で自分が 「もっぱら持ち出し」役を愉しむようなマインドをもつ人であること。 そういう人のところに選択的にリソースが集中するシステムが 贈与経済システムです。 ≫ ▼ 経済は商品と情報が回り進化することで向上する。その意味では、 日本が一時期そうであったように、国民が総中流が理想的である。 しかし、情報化社会は一部の勝ち組が総取りになる。その辺が難しい。 ・・・・・・ 3829, 閑話小題 2011年09月19日(月) * 絶え間ない変化と変身 変化のない日々が、相変わらず続いている。それはそれで一日単位では 小さい事象が次々と起こっている。人生を、あらためて振り返ってみると 色々あったことに驚いている。 それらは絶え間ない変化の連続線にある。 生まれた0〜9歳までを考えても、新生児、幼児、児童、少年期と変わっていく。 10歳から19歳でも、小学校、中学校、高校、大学と、次々に節目がある。 20歳から29歳といえば、学生から社会人、結婚、父親である。その中で 絶え間なく変化と変身が要求される。30歳を過ぎると、青年期から成年期、 中年期と家庭でも社会でも、大きな柱としての責任が覆いかぶさってくる。 そうこうしている間に40,50,60歳の壮年期から老年期に移行している。 何処かで自分で、「人生は、こんなもの」と決め付けたと同時に変身の ダイナミックがなくなり、人生の要求と合わなくなって肉体と精神の変調を きたす。こうみると世界も、社会も、自分も常に時の流れの中で、変身し、 最期は「プッツン」で終わる。生き、老い、病になり、最後は死ぬしかない。 「いま、ここ」でしか、留まることは出来ないのである。とはいえ、あまり 神経質になっても結果は同じ。なら、自然体で変化を受け入れ従うしかない。 * iPad 初心者の呟き iPadを購入をして三週間をすぎたが、既に数ヶ月も過ぎたような気がする。 これは、私にとって非常にインパクトが大きい。この10年間、ネット、ネット といっている割に、ネットを使いこなしてなかったこともある。この間に、 便利で使い勝手のよいアプリと、ネット環境が劇的に進歩していたのである。 ゲームに面白そうなのを画サイトで見ていたが、「自分には縁のないもの」 と思い込んでいた。それが、このiPadのお陰で私にも使える。 ゲームとビュー専門の端末と割り切ってしまうのが良い。まず7つの画面に 切り替えられ分類出来ることで、使いかってが格段に良くなった。 ゲーム・ソフトも、アプリも毎日が発見の連続。一日一日が面白い。 これでは新聞や雑誌、TV局などマスコミは大きな転換を余儀なくされる。 タブレットPCは、あとは軽さの問題。 これも、時間が解決するだろう。 テレビの地デジ化と大型化、モバイル携帯、タブレットPCが情報を、 さらに膨大に世界に流しこみ、政治も社会がミスマッチが拡大、収拾が きかないカオスの時代になる。 これは中高年PC難民を救う。 ・・・・・・・ 3464, 秘・異郷ツアー、よもやま話 ー9 2010年09月19日(日) * アフリカに魅せられて ー3 ータンザニア・セレンゲッティ国立公園ー ケニアと比べてワイルドなのがタンザニア。フランス領だったため開発が 遅れていて、その分アフリカ的である。まずセレンゲッティの広大な草原。 360度の視界が全て草原、それ以外何も目に入らないのは、ここだである。 その広大な草原はケニアのマサイマラと地続きであり、ケニア側をマサイマラ、 タンザニア側をセレンゲッティという。その広大な草原をヌーとシマウマが 楕円形のコースで終わることのない旅を大昔から続けている。その群れに ライオン、ハイエナなど肉食系動物がついてまわる。かってケニアはイギリス 領、タンザニアはフランス領だった。ケニアもタンザニアも、サファリが 大きな観光資源になっていて、国立公園内には現住民を除いて観光客以外に 入ることができない。サバンナで時おり現地の鮮やかな布をまとったマサイ族 などが、護身用の槍を持って歩いているのを見かける。草原に彼方此方にいる のではなく、車で20〜30分走って、時に見かける程度。ヌーとシマウマ の群れから少し間をおいてライオンや、ハイエナの群れがいる。 群れがいないところで、ウサギやジャッカルなどの定住動物の姿を見かける。 大らかに見えるが、そこは野生動物にとって生と死をかけた緊迫した戦場。 そのサバンナに6メートル位の土の道路が何処までも続く。走行中に他の サファリカーは、ほぼ見かけない。そこを同行のジープ数台で激走する。 車の上は開け閉めが出来、走行中でも座席に立って胸から上を外部に出せる。 そこで外を眺めると、たった一人でサバンナで走っているような錯覚になる。 車に乗っているとライオンやヒョウなどは襲ってこない。自分より強いという 認識があるという。だから平気でライオンやハイエナの群れに近づける。 しかし、時おり像のボスが襲うことがある。ボツナワのサファリで、その現場を 直接見たが、乗客は恐怖で真っ青な顔をしていた。 下手をすると命に関わる。 特に危ないのが、離れバッファロー。 人を見ると追いかけまわす傾向が強い。 ケニアで、早朝に10人位のマサイ族が逃げてきたところに出くわした。 我われのジープを間に入れて、クラクションを鳴らして防いだが迫力満点である。 そういえば先日Youtubeで、白人がライオンの群れを撮影をしていて、 つい車外に出て後ろからライオンに襲われ、群れに生きたまま食べられる 映像を見てしまった。 何でもありである。
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| 5300,閑話小題 〜宝くじで5億円当たったら何に使いますか |
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2015年09月18日(金)
* 5億円当たったら何に使いますか? 昨日の朝のTVショーで、『宝くじで5億円当たったら何に使いますか』 の街頭インタビューがあった。 回答が多かった順というと 1位、高級マンションなど住宅購入 2位、お店などの起業 3位、世界一周 (豪華客船の旅など) 4位、健康などのエステに (健康食品、スポーツジム) 5位、整形手術 の順であった。 その中の一人が、『当たった人をみると、多くが離婚をしている』という 答えがあったが、そうだろう。 当選をしたとして、上記の夢が実現 したところで、それが何だ?ということか。 今回の会社整理の中で、 気づいたことが、一千万、二千万分の一しか可能性がない宝くじに夢を 託している人たちの視線。要するに世間様の夢でしかないのが宝くじ。 高級マンション以外は、5年10年スパンで計画を実行に移せば、 可能なことばかり。答える方も面白半分としても、考えさせられる内容。 『二週間で死ぬと宣言されたら何をしますか?」の質問に似ている。 その答えは、今すぐにでも出来ることばかり。宝くじの場合の質問が軽い ものなら、ジョークで『ホストクラブで、ドンペリをあけて大騒ぎをしたい』 とか、『全部、周りの人にあげる』とか、『宇宙旅行をしたい』とか、どうせ 御遊びの質問なら、御遊ぶの答えがよい。 それに答えている庶民?の、 あの活き活きした顔がよい。1位から4位は実現したが、だから如何した? である。残ったのは充実感だけだが、人生で、一番、大事なことでもある。 2位の起業希望が多いのに驚いた。だから、何もしない、できない連中が 失敗をみると、「人の不幸は蜜の味」と大喜びをする心の内は、こんなもの。 その蜜には毒がある。その毒は、自分の膿ゆえ、撥ね返って来るのが己の脳。 で、どういう訳か、去年の同月同日の、以下の内容に続く・・ が、その前に、以前書いた、「宝くじ」に関連した文章をコピーする。 ・・・・・・ 2013/06/17 宝くじが当たる確率(何倍?)はどのくらい? 宝くじには全く興味がなかった。一度、一枚だけ話の種に買ったことがある。 SCなどの店先の宝くじ売場で買っている人を見かける度、 「夢を買っているんだ!」と思っていた。 ー教えて!Goo、によるとー 【 問い= 例えば、以下のような宝くじは当選確率はどのくらい。 1等 1億円 20名 2等 1千万円 20名 3等 百万円 200名 4等 5万円 30000名 例えば、1億円当たる確立は百万人に一人とか… 【 答え= ○ あなたが、宝くじの1等に当る確率は、1等の当選番号が、 「11組111111番」になるのと同じです ○ 一般的な宝くじは、100kgの米の中からある1粒の米粒を探し出すのと 同じくらいの確率だそうです。 ○ 売り上げ枚数を調べれば簡単に分かりますよ 7億6千万枚ほど売れて いるようですから、完全ランダムで3800万枚に1枚ほど入っているかと ○ 年末ジャンボの場合、1ユニットで1000万枚発売されている。 1等は1ユニットあたり1本ですから、単純に1000万分の1となります。 ○ 当選番号が 123456番だとした場合 最初のくらいの1番はどのくじにも ついているわけで,あとは1の位から万の位までの5つの数字の組合わせは 10×10×10×10×10で10万分の1となりますよね。ただし,これは一枚 買った場合で 連番で10枚買ってると 確率は その10分の1で 1万分の1。 一等は宝くじでは この組の数が二桁あるので、その10×10の100倍 つまり、一枚 買って一等に当たるのは千万分の1となりますよね ○ ちなみに東京ドームの敷地に新聞紙を敷き詰め、天井から針を落として 新聞の一番小さい1文字に当たる確率と同じくらいとか聞きました。 ▼ 一等、二等で合計500万分1の確率で、当たる分けがない。買う当人に とっては千分一の気持ち。アメリカなどで数十億円が当たるケースがあるが、 それが元で不幸のどん底に落ちるケースが殆どという。悪銭身につかずである。 それなら毎日、何とか5百円預金をすれば一年で18万円、10年で180万円、30年で 金利を含め1千万になり、遥かに効率が良い。 が、そうはいかないのが人間。 生を受け、今、存在していること自体が奇跡なのに、それを生き切らなくて何が 宝くじ。せめて、当たった夢をみたいのは分かるが。1億当たったところで、 したいこと、買いたい物など、何も無いのも面白くないが。 ・・・・・・ 2015/06/21 宝くじを当てた95%が、5年以内に 『世界の大富豪2000人が教えてくれたこと』トニー野中(著) * 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金を失う 日本では『悪銭、身につかづ』という諺がある。入る器の方を育て上げないと、 その殆どが溢れ流れていく。私も事業投資の当初の10年で5倍まで純資産を 増やしたが、2001年の9・11と、リーマンショックと、2011年の3・11の10年で 壊滅! 辛うじて保険代りに家内名義で積みたててきた給与の預金と、 二人厚生年金で、これまでの生活を維持している。 その辺りから 〜p40 ≪ アメリカやイギリスでは、「宝くじを当てた人が、その後どうなったか?」と いう追跡調査が、よく行なわれます。 それによると、「宝くじの一等が当たった 人の95パーセントが、5年以内に手にした当選金の全てを失っている」という。 「器のできていない人がお金を持っても身につかないこと」を、データは如実に 証明しているわけです。 いえ、当選金を失うどころか、それ以上のマイナスを 被るとがあります。たとえばアメリカでは、宝くじに当選すると、宝くじ売り場 まで乗ったタクシーの運転手まで「分け前を寄こせ」と主張してくるそうですし、 100万ドルを当てたーカ月後に毒殺されるという事件まで起こっています。 『となりの億万長者』というベストセラーで知られるトマス・J・スタンリーは、 その著書で「宝くじを買う頻度と、その人の資産レベルの間には非常に顕著な 反比例関係がある」(『なぜ、この入たちは金持ちになったのか』日本経済新聞社) ということを証明しています。それは、「お金があるから、宝くじなんて買わない」 という理由だけではないのです。宝くじの当選確率など、計算すれば、ビジネスで 成功する確率よりはるかに低いとすぐにわかります。大富豪になるような人で あれば、そんな確率の低いことよりも、もっと確実に稼げることに、時間とお金 を投資しようと考えるのが当然でし欲う。それでも多くの人が宝くじをほしがり、 "当たる"と評判の宝くじ売り場に朝一から並んでいるのは、 「楽して莫大な富が手に入る」という誘惑に逆らえないからです。≫ ▼ 宝くじは夢を買うもので、それ自体に矛盾がある。夢は長年かけて地道に 積み上げ実現するもの。そのプロセスにこそ価値(意味)がある。数羽の ブラックスワンで、私の事業は終わったが、プロセスで元をとっていたので、 後悔は意外に少ない。宝くじの当選金を5年で失っても、持ったままより、 遥かに良い!とも考えられる。「失う」と思うのは傍目で、実際に使えば、 その価値を味わい尽くすことが出来る。 5年で数億など使ってみたいもの。 いや実際に使ってみた。一棟、ホテルを建てると土地代を入れると3〜10億。 そのプロセスを遊びに昇華すれば、遊びとして、それだけ使ったことになる。 遊びとしてみても、実際に面白かった。当事者の実感は、「失った」というより 「使った」である。本人が言うから間違いない! ということは、著者は浅い? ボロボロになって涙した方が、その数倍増やしニヤニヤしているより味は濃い。 「大恋愛の成就より、失恋をした方が遥かに良い」ことを考えれば解るだろう。 『 宝くじを当てた95%が、5年以内に当選金の全て使う! 』良いでないか。 ・・・・・・ 4935,コトの本質 ー5 2014年09月18日(木) 『コトの本質』 松井孝典著 * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相 これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、 「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。 社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり 上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、 ほど遠いが気にかかる虚構世界である。 ーその辺りから ≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と 呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。 私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。 世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。 世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して 考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。 人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、 全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、 少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず 観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・ 社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、 内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、 世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫ ▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けている。 そして、 それがバーチャルであることさえ気づかず人生を終える。だからライフワーク を持っていないと、自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、 ライフワークの価値が見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、 低俗の人との二極分化が明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間と いうが、誰もが、どこかに兼備えているから始末が悪い。それが年をとるに つれ老醜として露出する。老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい! ・・・・・・ 4568,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー4 2013年09月18日(水) 「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著) * 幸せな人生とは、本人が決めること! 幸福感は、それぞれの人の核となる 魂の問題で、他人がとやかくいう問題でない。「不幸の極みと思っていたことが、 実は幸運の仮面を被っているにすぎない」と思えば、そう思えてくる。 実際に経験してみると、そこに多くの視点が見えてくる。本当の幸福感は 不幸の真只中にこそ、現れ出てくるのは人生経験を積むほど分かるはず。 ー以下の箇所はなかなか含蓄があるー ≪『サザエさん』の原作者の長谷川町子のマンガで、小学四年生のときに読み、 今なお覚えている作品がある。それは、一人の男の人生をめぐる、良い神様と 悪い神様の話だ。 何の不自由もない家に、玉のような男の子が生まれた。 これを知った悪い神様は、どうもこれがおもしろくなく、この男の子の人生を 惨憺たるものにしようとシナリオを練る。そして、「男の子の身に次々と不幸 が起こり、紆余曲折をへて船乗りとなった挙句に猛烈な嵐に遭遇して、最後は 絶海の孤島に流れ着き、そこで人生を終える」いうシナリオをつくりあげた。 はたして、男の子の身には次々に不幸が襲いかかる。しかし、良い神様が それに気づいて彼を何度も助けたために、彼は幸せな人生を送ることになる。 ところがその臨終の場で彼は自分の人生を振り返って、本当に不幸な一生 だったと言い出す。そして、自分の夢は船乗りになって、どこかの島で人生を 終えることだったと述懐して息を引きとるのだ。二人の神様は、人間 とは よくわからないと言いながら、去っていく。こんな話だ。このマンガが 私の人生の原点。幸せな人生とは、あくまでも本人が決めることであり、 まわりがとやかく言うべきものではない。もとより、記憶のさまざまな 性質や、その生かしかたを知ったからといって、幸せになれるわけではない。 ただ、何も知らないよりは、知っておいたほうが、みすみす損をしないだろう と思われるだけだ。この本に書かれている「ヒント」をもとに、どのような 人生を生きるかは、最終的には、みなさんが決めることである。》 ▼ 以前に取り上げた「幸福の4階建」に、当てはめると分かりやすい。 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する中に幸福感が生まれる。 そこに自己実現の要素が入っている。 2階:獲得した「快」を永続させる。 そこに時間的要素を入れ、 いかに長続きさせる中に幸せがある。 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。 苦労に苦労を重ねて得た幸せこそ、その最たるものだが、得てしまった 幸せより、不幸に見えた苦労の中にこそ、真の幸福の含量が多くある。 私のケースは、『サザエさん』の作者の物語とは真逆である。 思いもしない3つの大津波に飲み込まれて、この結果に終わった。 しかし、これこそベストでは?の、心の奥からの声に我ながら驚いた。 この「幸福の4階建」の意味が、いやでも実感をせざるを得ない。 現在の私は、この建物の3階辺りで、日々を過ごしているが、いつ何どき、 4階に駆け上がり、幸福感を味わうのだろう。その屋上のテラスからの 景色は、どんなものか? それもこれも、生きているうち! 今日一日を楽しむしかないか。
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| 5299,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑥ |
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2015年09月17日(木)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 世界観をつくる 何か成し遂げるには、土台になる世界観が強固でなければならない。 達成過程で、次々と難題が立ちふさがり挫折の機会にもなる。そこで信念、 価値観が問われることになる。自分が何に貢献しようとしているのか? そのための行動が正しいのか? 集中する絞込みが正しいのか?等々の、 自問自答の効果的質問である。一流のアスリートに親子鷹が多いのは、 その世界観を親が子に教えこんであるため世界観は強固である。 その世界観を分析、その作り方を提示している。 ≪ ー 世界観を構成する「6つ」の要素 ー ①信念:信念には、「特定の状況に限定したもの」と「包括的なもの」がある ②ルールと価値観: 大切なものを実感する。ハードルを下げる ③上位2つのニーズ: 貢献と成長 ④手段: ニーズを満たす行動 ⑤主要な焦点: 外側に向けた焦点 ⑥主要な質問: メリットの多い質問 〜 上記を,説明すると 〜 ① 信念には「正しい、間違っている」もない。60億通りの信念があるだけ ・・(中略) 多くの人が、「自分の世界観を正当化を主張」し、 「相手の世界観の欠陥をあげつらねよう」と、信じられないくらい大量の エネルギーを費やしている現実があります。 ② ルールと価値観: 大切なものを実感するための「自分なりのルール」が 世界観を左右する。世界観を構成する要素は「価値観」と「ルール」。 そのルールを意図的に作る。自分が「感じたい」価値観のときー>ハードル を低く(条件を低く)。自分が「感じたくない」価値観のときは、ー>は、 ハードルを高くする(条件を高くする)。 失敗とは何かを学んだことの証 ③ 6つのニーズのうち、弱い世界観を持っている人は、おおむね、 「重要間」と「安定感」を上位二つのニーズにしている。6つ上位2つを 「成長」と「貢献」に置き換えると、世界観が活き活きとしたものになる。 ④ 手段は、ニーズを満たす行動そのもの。行動を起こすのに必要なのが、 「自分だけのトライアド」である。 トライアドとは‘体の使い方’ ‘言葉’‘焦点と信念’すなわち、「望むアイデンティティ、望む状態、 望む雰囲気をつくり出す手法」です。 ⑤ 焦点を、内から外側に変えていく。「矢印(−>)を内向きから 外向きに変え、「どうすればもっと成長し貢献できるか?」を自問する ようになると、外部世界との関わり方が大きく変化する。 ⑥ メリットの多い質問: 弱気になった時、迷いが出た時、 「私の戦略は何だろう? 確信の戦略は? トライアドは?」の 自問自答。もっとも力を得られる内的対話」こそが必要。 ≫ ▼ 私の自問自答は、早朝の、この文章を書いている時間と、夜半での ゴールデンタイムに行っている。で、この結果。それでも、何とか己を 保っているのは、早朝の習慣のお陰である。 両親を煙たがらない私に、 二人の世界観と、この世の在りようを幼児の時から、刷り込まれていた。 それが、人生で陰陽に働いていた。その刷り込みを、いかに乗り越えるかが、 人生の大きな問題になっていた。ファザコン、マザコンである。それもこれも、 どのように受け止めるか。この本は起業のための創造工学書。で、以下に続く! ・・・・・・ 4934,コトの本質 −4 2014年09月17日(水) * 二十世紀の共同幻想は破綻した 『コトの本質』松井孝典著 二十世紀の共同幻想の一つに経済成長がある。その幻想が崩壊を始め、 現在は、恐慌前夜の様相である。この潮流は、今後とも続くことになる。 何故なら、世界の中枢の脳は20世紀の共同幻想そのもの。だから、崩壊は 今後も続くのは自然の流れ。ネット社会の到来で この共同幻想は違った カタチになってきている。新たなネット社会の内部モデルは、瞬時に世界中に 日々更新され、進化と、深化の速度は早まった。 ーその辺りから抜粋ー ≪ 二十世紀以前からの共同幻想のひとつに、右肩上がりという共同幻想が あります。それを前提にした社会システムが非難されていますが、百年後 といわず、十年後を考えても、いまのような社会システムや、それが人間を 規定するというようなことに関する共同幻想が本当に破れないのか問題です。 現実には、どんなに大変な問題が山積していようと、ほとんどの人は共同幻想 に閉じて生きていますから、その中に埋没しているかぎりは問題が顕在化する ことはなく、そのままでも生きられてしまいます。その間は、その人にとって 問題は存在しないのです。共同幻想を幻想とは考えず、人間を外から見ること ができず、その中に埋没して生きている人たちにとっては、共同幻想ではなく、 それは真理であり、人間とはそのようなものだという定義であり、そのために 生きているという価値であり、すべてなのです。神しかり、宗教しかり、 愛しかりです。たとえ宗教に関わる者であっても、突き抜けた人は、その意味 (共同幻想)をきちんと理解しています。そういうレベルの人とは議論できるし、 互いの意図を理解し合うことも可能です。それぞれの分野で突き抜けた人、 それをプロと呼ぶとすると、その人たちには共同幻想ということの意味が 理解できるからです。 人間圏をその外側から見ることができなくても、 共同幻想を、真理だとか、現実だとか、すべての人はそうあらねばならない とか、その価値の正当性を主張するのは、やめることが必要です。共同幻想 というものは、正しいとか正しくないとか、わかるわからないではなくて、 当人がただそう思い込んで納得しているにすぎないことなのです。 しかし、逆説的ですが私は共同幻想を抱いて生きることが、逆に現在生きて いる我々の人生を肯定すると思います。≫ ▼ 己の人生を否定してでも、共同幻想を見据える視線は失いたくないもの。 リアルな外界を可能な限り見据えて内部モデルを更新し続けることしか、 生きることが出来ないのが人間である。 自分を振り返ると、終戦直後に生れ、 高度経済成長の中バブルの波に乗って流され、その崩壊が右下りのターニング ポイントだった。そして、おおよそ10年後、2001年の9・11テロ、2008年の9・15 のリーマンショック、2011年の3・11震災を経て、現在に至っている。 20世紀の時代と共に、その共同幻想を疑いもなく信じ、右上りと、右下りと、 その崩壊過程を生きたことになる。21世紀の姿が見え始めたが、 面白そうだが、右上がりの明るい時代ではなさそうだ。 ・・・・・・ 4567, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー3 2013年09月17日(火) 「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延(著) 最近、老いてきたためか、「突然死は、本人にとって決して悲劇ではなく、 平均10年近くの介護にならず済むため、むしろ幸運だった」と思うように なってきた。しかし、いざ「余命半年!」と言われれば、生きたいと思うのが 人情。あと一年半で私も古希をむかえるが、気持ちは今だ50歳半ば。 そのギャップは埋めようがない。ある日、余命半年か、一年と宣言されるか、 悟り、それまでの一生分の濃厚に圧縮された時間を過ごして、消えていく のだろが、くも膜下で一瞬、消えていく可能性もある。 ー以下は、くも膜下で救急車で運ばれる当事者の生々しい場面の記述ー * 空白の五日間 《 くも膜下出血で私が倒れたのは二〇〇六矢月一九日のことだ。あの日は ー生涯忘れられないとともに、その後の「記憶のない」日々の始りであった。 その日は、翌日から、学生を引率してイギリスへの語学研修が予定されていた。 翌朝が早いため、私は成田空港の近くに宿泊することにした。例年とかわらぬ 猛暑の中、その日は夕方の五時頃、翌日から大阪に帰省する妻とともに ホテルに、チェックインした。その後・六時をほんの少し過ぎたとき、キーン という耳鳴りとともに、私は突然激しい頭痛におそわれた(妻の話によると、 ごく短時間だが意識を失っていたという)。仕事柄、少しは脳のことを知って いる私は、この異常な激痛からするとたぶん、脳の血管が切れて出血が起こった と思った。そして同時に、右足の小指がしびれてきたから、出血は脳の左半分の どこかで起こったのではないか、と推測した。脳は左脳と右脳に分かれ、 それぞれ反対側の身体の動きをつかさどっている。だから、身体の右側に 麻痺が起こるのは、反対側の左脳にダメージを受けたからだと考えられるのだ。 左脳といえば、ことばをつかさどる部分がある。 これはへたをすると、 ことばに障害が残り、二度と教壇に立てないかもしれない…そんな不安さえ 頭をよぎった。あまりの激しい痛みに、横たわったまま身動きのできない 私の姿をみて、妻が救急車を呼ぶと言い出した。私は翌日からの引率が気に なっていたのだが、とにかく医者に診てもらうべきだという妻の意見に最終的 には従うことにした。そして、壁に掛けていたズボンの後ろポケットから パスポートやクレジットカードを取り出してもらい、ベッド脇に置いていた カバンの中にある大学の緊急連絡先に電話するように頼んだ。そうこうして いる間も、激しい頭痛は止まらない。その後ようやく、二人の救急救命士が 到着し(・・略) 救急車の寝台に横たわると、身体の大きい私には思いのほか 窮屈で、しかも、走行中の振動が頭にひびいた。救急救命士は、何度も私の名前 を呼ぶと同時に、血圧を測っていた。横たわっている私からも血圧計の数字が 読み取れたので、それをみていると、血圧は一五〇、一七〇、……と、 どんどん上昇していく。私はこのまま死ぬことを考え、つき添っていた妻に かろうじて感謝のことばを言って、そのまま、意識を失ったのだった。 これは当日のほんの一部のできごとを書いたが、おそらく多くの方は、 極めて鮮明な私の記憶に驚くのではないだろうか。実際、私は今もなお、 あの場面を、まるで自分が主役の映画を観るかのように、心の中に鮮明に 思い浮かべることができる。しかし私には、その後、つまり救急車の中で 意識を失った後の、五日間の記憶がないのである。この五日間に、月並な 表現だが、私は生死分境をさまよっていた。・・ 》 ▼ 二年ほど前に、知人が突然、TVの朝ドラを見ている最中に脳梗塞で倒れ、 救急車で病院に運ばれたが、意識が戻らないまま亡くなってしまった。 状況は似ているが、著者は生還して状況をこと細かく書きのこしている。 知人は長年、糖尿病に悩まされていたというが、突然、脳溢血で死ぬとは 思ってもいなかっただろう。 この年齢では、「マサカの坂」はない。 ・・・・・・ 4192, 呪いの時代 ー9 2012年09月17日(月) *「今、付き合っている人いる?」の意味 ー草食系男子とは何? 「呪いの時代」内田樹著 最近は合コンとかいうのがあり、気楽に結婚相手を探すシステムが出来ている。 それと、ネットの交流サイトで知り合い結婚に至るのも多い。何気なく 「今、付き合っている人いる?」と声をかけるのも、実は巧妙な意味がある。 ーその辺を抜粋ー ≪とりあえずは恋愛の局面において「傷つかないこと」があります。 20年ほど前から「ロ説く」人が少なくなりました。それどころか「口説く」 という動詞自体がもう今の学生たちくらいの年齢では日常彙に含まれてない かもしれません。じゃあ、学生諸君は、交際を求めて何というか。 「今、付き合っている人いる?」です。これは、きわめて巧妙に構築された 「口説き文句」と思います。「今、付き合っている人いる?」という問いは、 一見すると客観的な事態についての価値中立的な問いのように見えます。 まるで、「今、雨降ってる?」とか「今、6時過ぎた?」と訊いているように 誰でも口にできるし、誰でもイエス・ノーで即答できるように作文されている。 まだ知り合ったばかりでお互いをよく知ないもの同士が、色いろあたりさわり のないことを話しているうちに話題も尽きてしまい、ふっと訊いてみた。 そういうふうなカジュアルな問いのようにみえる。あたかもその問いに対する 相手からの返答に自分はとりわけ関心があるわでがないけど、ちょっと聞いて みただけなんだけどと言わんばかりである。「今、付き合っている人いる?」 の問いに、仮に、「うん、いるよ」と即答されても、「ああ、そうなんだ。 ふ〜ん、でさ、キミ、音楽聴く?」というふうに、そんなことオレ的に関係 ないけどさ」的に修羅場から逃走できます。「いないよ」といえば、 「それなら自分と付き合わない?」と、いきなり具体的性行動レベルに切り 替えられる。「今、付き合っている人いる?」という問いを発する人は、 その言葉が性的アプローチであるかどうかの決定権を自分の側に留保している。 だから、「いるよ」という答られた場合は「この問いはただの社交的問いである」 と言い抜け、「いないよ」という答えが得た場合は「この答えは私に対する 性的関心の表明である」という解釈ににじり寄る。「キミが好きだ」という 告白に対しては、言われた側には無数の答え方があります。言葉で答えても いいし、鼻で笑ってもいいし、背中を向けて歩き去ってもいいし、何も聞え なかったふりをしてもいい(これはよくあるリアクション)。・・・ ≫ ▼ スナックやキャバクラなどで日常、会話されているポピュラーな言葉だが、 直ぐに思い浮かぶのは、「あんた美人だね!」「最近、シネマで何か見た?」 「オーラが漂っているね」「あなたの為に、この場があるような存在だね」とか がある。以前、女性の職場にいたときは、浅知恵で「三度褒め」を心掛けていた。 意外と異性は直接褒めないためか、三度目がポイント。少し軽いが誰にも 言っていれば変な誤解は受けない。言葉は相手を有頂天にも激怒もさせる。 最近は、褒めたことがない。 ・・・・・・ 3827, 集団爆笑 ー木曜五限の地理公民ー 2011年09月17日(土) (『ザ・万歩計』万城目学著) 人生では思わないハプニングで爆笑の渦に巻き込まれることがある。 以下は、ある随想にあったもの、思わず噴出した。 【 高見は一風変わった授業を進める教師だった。とにかく生徒を当てまくる。 次回までに解いてこい、と指定した範囲の問題を徹底し当てまくる。 彼は中学生の本質を、的確に見極めていた。甘い顔をして、放っておいたら どこまでも勉強せず、授業中、昼寝するだけ、という性悪説を信奉していた。 そして、その考えはおおむね正しかった。・・答えが間違っていると床に正座。 次に後ろの席の生徒が立つ。答えられない。正座。はい、次、また、正座。 こんな調子なので、クラスの九割が床に正座させられ、正規のイスに座る者が ほとんどいなかったこともある。おかげで、高見の授業は常に異様な緊張感 が漂っていた。事件は、この高見の授業で起こった。主役は三井。三井は強度 のビビリ。人前で怒られることに、極端な差恥を覚える性質の正直者。 あの日、高見に当てられ、問題文の朗読および解答を求められた三井は、傍目 にも哀れなほどビビっていた。斜め後ろの私の席からも、問題集を持つ手が、 緊張に震えているのが、はっきり見えたほどだ。三井は途中しきりに噛みながら 問題文を読み上げる。「アラビア半島の一角を占める、人口二百二十万人の オマーンの首都マスカットはアラア海とオマーン…」問題文は「首都マスカット はアラビア海とオマーン湾に面し、漁業と交易の中心地となっている」という 何でもないものだった。だが、三井はこのとき緊張からくる混乱の極み。 普段から冗談も言わない、根っから真面目な奴。ただ、男なら誰もが通る、 ちょっとした思春期の懊悩に、運悪く足元をすくわれてしまったのだ。 「アラビア海とオマーン……」で途切れ、数秒のブランクののち、三井は ぽつりと、「湖……」と続けてしまつたのである。その瞬間、大阪の片田舎の 男子校に笑いの爆弾が落ちた。教室に破裂した笑い声で本当に床が揺れていた。 いったん笑いが収まっても、誰かがふたたび笑いだすと、波となって全員を まきこんだ。 十分経っても、男どもはひたすら笑い続け、もはや授業どころ ではない。教壇の高見も笑っていた。「誰にでも間違いはある」とフォロー さえしていた。あれほど些細な間違いを見逃さず、なべて正座を命じていた男 の言葉とは思えなかった。もちろん、三井に正座命令はなし。三井の導いた 笑いは「鬼」と陰口された教師の心すら溶かしたのである。その日より三井の 名前は学校中に轟いた。あんなに笑った経験は、二度とない。とことん生真面目 な男が、私の人生最高のスマッシュ・ヒットを飛ばす。「人間には無限の 可能性がある」この言葉を聞くたび、思い出すのは、あの木曜五限の地理公民と 三井のこと。私が笑いの偉大さについて身をもって知った、十四歳の夏の午後。】 ▼ 以前に、ここでも書いたことがあるが、学生時代のドイツ語の授業で、誰か がドイツ語の訳をしていた。「・・その時、遠くから犬の鳴声が聞こえてきた!」 と、同時に遠くから、それを待っていたかのように、「ウ〜 ワンワンワン」 と犬の鳴声。その瞬間、かたい授業の最中、部屋中が爆笑の嵐。 あれだけ集団で腹の底から笑った経験はなかった。 ・・・・・・・ 3462, 純粋持続 −2 2010年09月17日(金) * 純粋持続と自由 ベルクソンによれば、この純粋持続こそが自由の源泉である。 通常、自由といえば、 選択の自由を意味する。たとえば、ひとつの道を進んでいると、その先が二つに 枝分かれしている。その分岐点において、どちらかの道を進むか自分の意志に 基づいて選択できる。そこに自由があるとされる。しかし、ベルクソンにいわせれば、 そのような分岐路を思い浮かべること自体が、空間化された時間による発想で あり、生命の自由な持続に即したものではない。 生命にとっての未来というのは、 分岐路のようにあらかじめ存在するものではなく、現在において不断かつ連続的 に創造されるものであるからだ。したがって、自由とはこの純粋持続への帰一 であり、その発現としての純粋自我による行為。他方、物質界は一瞬前の過去を 惰性的に反復するだけであり、すなわち持続の弛緩の極であるとされる。 物質は自らを破壊するのに対して、生命は自らを形成する。つまり生命には、 物質が降りていく坂を登ろうとする努力をみることができる。 宇宙の万象は、 この持続の種々の緊張による多様な創造的進化の展開である。 そして緊張の極にあるのが、「生の躍動」である。 ▼ 以上だが、まず好きなことをして我を忘れている時間が「純粋持続」。 その時は空間時間は消え、没頭している時、そこに「したいことを、 しているという自由」がある。純心になって対象に打ち込んでいる時、時間も 空間も超越する。 (字数制限のためカット 2015年9月17日)
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| 5298,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー⑤ |
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2015年09月16日(水)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 法則 3 〜リーダーシップを高める ここで、 〜リーダーシップの「3つのカギ」と「5つの柱」〜が提示して あるが、今から考えてみても納得できる。だが、これは、あくまで起業のケース。 「達成する方法が分かる目標」は目標として小さすぎる〕は、本当である。 パラシュートで、敵地の真只中に飛び降りた時、その対応は出たとこ勝負。 目先の問題を一つずつ解決をしていく、それが起業である。何も知らないで 右往左往しているうちに、解決策が自然と現われ出てくる。崖っぷちに身を 置いてこそ、その知恵が湧き出てくる。リーダーシップも同じ。先頭に立って、 踏んばればこそ、それが発揮できるが、その背後に、十二分の準備が必要だが。 ≪ ーリーダーシップを発揮する3つカギー ❶「基準を上げる」 ❷「信仰を持つ」 ❸「ビジョンを持つ」 ーリーダーシップ5つの柱ー ❶ 自分の価値観を知る ❷ 人間関係をマスターする ❸「状況」を変えるのではなく、「意味づけ」を変える ❹ 時間をマスターする ❺ 感情をマスターする 〜 法則3の章末の‘まとめ’より ● リーダーシップの有無は、育てたリーダーの数で決まる ● 訓練を欠かさず、「健康」「知性」「感情」「精神」の4つの基準を上げる ●「達成する方法がわかる目標」は目標として小さすぎる ●「自分中心」から「他者中心」の意識が感情面での成長 ●「ビジョン」の真髄は、「成長」と「貢献」の中にある ● リーダーシップ能力を高める5つのキーワードが 「価値観」「人間関係」「意味づけ」「時間」「感情」 ≫ 〜ピーター・セージの格言〜より ● 心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」です。 ● 私たちは「意味づけを選ぶ」ことができます。 できごとが意味を決めるのではありません。どんな状況においても 「力をつける意味づけを探すこと」があなたを幸福にします ● 組織の責任者としてやるべきことは、「人々が持っている最良のものを 出させること」で、それは「人々が持っている最良のものを発見させる こと」よりなされる ● リーダーシップとは「正しいことを行なう勇気」のことです ● ゴールを設定するときに「達成の仕方がわかっている」とすれば、 そのゴールは小さすぎます。成長の余地はありません ● その人の人間性を試したければ、「力」を与えよ ● 目標設定する理由は目標達成するためではありません。 「目標達成できる自分に成長するため」です ●「自分への無条件の愛」が最初にあり、その後「他人への無条件の愛がある」 ● すべての中心は「愛」でなければならない ● あなたが何をしても、しなくても、あなたには「愛される価値」がある ―― ▼ 話は少し逸れるが、「出身地だけは、起業をするな!」という鉄則がある。 起業の地が新潟駅前で、新幹線で出身地から30分の距離があるが、 地元だったら、間違っても、ここに留まることは出来ないだろうに。 良質な?金融債権以外は、無かったこともあるが。それでも心の傷は深い。 ー心にとっての唯一の罪とは「自分自身が自分自身を否定すること」ー と、あるが、私は、「せめて自分自身が自分を肯定するしかない」。 ある意味で、私のバイアスで、肯定の意味づけを自身でするしかないし、 せめて自分を、まず自身が愛するしかない。 まずは自分に対する リーダーシップと、セルフコントロールが必要になる。挫折などといって いられないのが、実は、一番の状況か。 そこに必要なのが自身の温みになる。 その元の「愛」は、両親から受け継がれる。リーダーシップの元は自身の温み! ・・・・・・ 4933,コトの本質 −3 2014年09月16日(火) * 地球システムと、人間圏 『コトの本質』 松井孝典著 10年ほど前、著者の本で、「地球をシステムとして捉る」の新鮮な切口は、 今でも憶えている。人間圏から宇宙、地球、自然をみるだけでなく、宇宙の彼方 から逆照射で地球を見直し、その中の一部としての人間圏、社会、文化文明を 捉える考え方は、秘境ツアーから得た感覚と似ていた。それまで、そういう 見方が、無かったことになる。仏教では、阿弥陀如来の視線が、似ている。 グーグルアースで、ネットで気楽に地球の彼方から星座や、銀河、惑星、 ブラックホールなど、宇宙の彼方まで見ることが可能である。 また、彼方から太陽や地球を見ることができる。 ーその辺りからー ≪ 地球とは何ぞやの本質はシステムにあると思ったときに、人間まで含めて 考えなければいけないことに気づきました。いまの地球システムを考えて みれば、人間もその構成要素のひとつに入るはずですから。 というわけで、 この頃から、人間や文明について、学生の頃のように観念的にではなく、 私自身の独自の視点から考えることが始まりました。地球をシステムとして 考える視点から、その中で人間をどうとらえるか発想でき、「人間圏」という 概念が生まれてきました。人間圏という概念を導入すれば、文明論から環境論 から人間論まで何でも語れるじゃないか、ということ。人間圏を思いついた時、 まったく新しい人間論も語れるようになりました。人間圏という概念は、 これまで誰も指摘していません。これも、衝突脱ガス、水蒸気大気とかと同様、 私のオリジナルなアイデアです。それは文明論や地球環境問題を語るうえで、 なくてはならない概念です。 ≫ ▼ 人間圏をつくりあげ、絶対と考えてきた人類が、ここで、大きな曲り角 にきている。20世紀まえからの右上がり経済の共同幻想や、西洋文明的進化 が絶対だ、という考えである。今だに〔新成長戦略〕など戯言を政策目標に しているアベノミクスが、その典型。しかし、アメリカの実質的占領国の 日本は、アメリカとの共同幻想を共にするしかない事情もある。私見だが、 人間圏には、上から? 白人圏、アラブ人圏、東洋人圏、黒人圏があって、 白人が、富の多くを支配している。それ以前に、動物圏も同じ。それが、 あからさまに残っているのがインドで、その根が差別を公認するカースト制。 ・・・・・・ 4566, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー2 2013年09月16日(月) 「変えてみよう! 記憶とのつきあいかた」高橋 雅延 (著) * 経験も、その記憶も、受け止め方ひとつ どうも、家庭に引っ込むと単調な日々になる。 好きなことだけが出来る ため充実感はあるが刺激がない。 で、週一のシネマと、TVの映画、ドラマ の再放送、プロ野球、録画のボクシング、インターネットとブログの日々。 これもいいが、平穏のため、フラッシュバックが多く出てくる。 現役なら、現実の刺激がそんな記憶を瞬時に飛ばしてしまう。が、現在は それがないこともあって、振り回される。それも一瞬だが。人生の後半になる ほど、思い出されてくるのが、20歳代のフラッシュバック。封印していた 記憶が次々と出てくる。そんな折、図書館で見つけたのが、この本。 「実は、私たちは不確かな記憶に振り回されている」とある。20歳代は 自立の時節で、卒業、就職、結婚など人生の大きな決断時、そのため記憶が 鮮明になる。30〜40歳代も密度は濃厚だったが、社会的基盤が出来ていた。 それもあり不安定の20歳代の方が新鮮になる。 「社会背景と、時代背景、 家庭に恵まれていたこともあって、私には良い記憶が多く、良い人生だった」 と信じていた。しかし「人間は、嫌な記憶より良い記憶が残すように出来ている」 とすると「私だけが特に良い思い出、良い経験を多く積んできたわけでない」 ことになる。「良いこと一つに、嫌なこと一つ」を、「良いこと二つに、 嫌なこと一つ」に、記憶を修正してきた。これは意識をすれば可能。 やけ酒を飲まないで、祝い酒や楽しい酒なら飲む習慣も、その一つ。 「悲観は感情、楽観は意志」という言葉もある。これも意志で可能である。 それより、普段から上機嫌でいられる環境をつくっておくことである。 その点、御隠居は良い。ご隠居の強みに、「嫌なことはしない、好きなこと だけをする」がある。趣味、道楽の生活を日々心掛けることが御隠居の勤めと 割り切ればよい。しかし年齢を重ねると、病気や老人性鬱など、過去からの 色いろな返り矢が、次から次へと飛んでくる。その結果、何時の間にか、 暗い捻れた老人になっている。「ご覧の通り、そのまま結構」で、 まずは自分を納得させるしかない。 ・・・・・ 4191, 閑話小題 ーカテゴリーキラー 2012年09月16日(日) * カテゴリーキラー 自民・民主の対立軸の間に、地方の首長が平成の維新と名うって 「日本維新の会」を立ててきた。既存の党に新しい時代の改革が不可能と見た 堺屋太一などの識者などが、大阪市政、大阪府政を建て直した松井府知事、 橋下市長を中央政治の改革に担ぎだしてきたもの。この良さは、既存政治の しがらみがないこと。流通業界は、こういうのをカテゴリーキラーという。 既存の流通経路とは全く違うバイパスをつくるやり方で、既存の百貨店 と一般小売店という流通経路に対し、スーパー、量販店、コンビニなどを、 これまでと違った立地に新たに出店する方法。さらに最近では、その流通経路 に対し全く新しいカテゴリーキラーが出現。ネット販売である。先日、歯ブラシ を見に電器チェーン店に行ってきたが、ネットで買えば25パーは安いことを 知ってのこと。そこには若い子連れの家族がいた。私と同じで、そこで商品の 品定めをしているだけ、買うのはネットの様子。今では、多くがスマートフォン を持ち、その場でネット価格を調べることが可能になっている。店は現物を みるショーウインドウとして割り切っている。恐ろしい時代である。 それと、酷似しているのが、日本維新の会である。それにしても自民、民主? * 近所の人の突然死 一昨日のこと。朝の10時前に自宅の数軒先に救急車がきた。一軒おいた所は 5軒の小さなフクロ小路になっていて、家内が言うに、「殆どが80歳以上の 老人の独居暮し」とか。10年前にも誰かが救急車で運ばれていったことがある。 「この暑さ、熱中症で誰かが倒れたのだろう」と気に留めなかった その直後に 家内はスポーツジムに出かけていった。今年は私の家が班長の番もあり、その家 の隣家の人が、その報告に来た。その話によると「一人暮らしの89歳の老女で、 一キロ先に娘夫婦が住んでいて、その娘が亡くなっていた母親を見つけて救急車 をよんだが、故人はTVを見ていた状況で、梗塞だった。昔からいうポックリ 病死である。静かな住宅地で比較的住みやすいところ。その中で、振り返ると、 けっこう、それぞれの家庭事情が垣間見れる。数年前の三条の洪水で東北電力 の御主人が流され亡くなったとか、病気を苦にした自殺をしたとか、旦那が 女をつくり出ていったとか、キリがない。そういう私も去年の春、何で! ・・・・・・ 3826, 閑話小題 2011年09月16日(金) * 血圧か〜 スポーツジムで血圧を測りだしてから一月ほどたつ。130前後〜150後半 が、このとこの数値。以前から、この位だった。気にすれば気になるし、気に しなければ別に問題はない。体重は、二十年、標準を保っているし、食事も気を つけている。ただ酒量が多いことが問題。親戚で脳卒中で寝たきりの人は少ない。 ほぼガンか老衰で亡くなっている。でも、血圧も、血糖値も気にしなければ! ところで、一昨日の運動を終えた直後で158、昨日はリクライニング室の マッサージの直後のためか128。高いのか?こんなものか? 先日、公営の 小さなジムにある測定器では120だった。状況により大きく左右するようだ。 脳卒中で半身不随は辛いだろう。頭は全く変わらないというし。大学時代の少し メタボ気味が二人、半身不随になってしまった。 * パソコンゲーム これまでゲーム歴は、ソニーのPSPと、学生時代のパチンコ(数ヶ月に一度位) 以外、ほぼない。ここでiPadを購入したおかげで、さっそくフリー(無料)の ゲームを幾つかダウンロードして使いだしたら、これが面白い。午前中は スケジュールに追われているが、午後は時間がタップリある。それでも仮眠を したり読書やネットで時間をとられるため、夕食後からTVを見ながらゲームに 嵌っている。2〜3時間は時間がたつのを忘れてしまうほど。止めようと思って も、もう一回、もう一回と延々と続けてしまう。これを幼児の頃から楽しんで いたら、現実で自分をゲームの主人公にした夢の追及とか、目標のため目先の 苦労をすることなど避け、ゲームで達成感などを味わった方が遥かに楽に思える のだろ。 なるほどバカになるわけだ。 * ど忘れ 数日前に、以前に一度『哲学人』を、この随想日記に書いていたことに 後になって気づいたばかり。ところ再び昨日の朝、三年前の同月同日に、全米 NO1の弁護士の著書『議論に絶対負けない法』の感想文があるのに気づいたしだい。 これまでも、せっかく書き上げた後、何か書いていたような気がしブログ内検索 で書いていたことが判明し、没にしたことは何回もあった。しかし二回もたて 続きに気づくとは、やはり少し変か?やはり年齢のなせること? 書いたと同時に、ハッキリいって内容は一年後に、ここで再読する以外は皆無。 その分、後で読むと面白いが・・・ ・・・・・・・・ 3461, 純粋持続 −1 2010年09月16日(木) ベルクソンの「純粋持続」の考察が面白い。 まずは、ウィキペディアで、「純粋持続」を検索した。 * 粋持続と真の時間 【たとえば、音楽の旋律にゆだねた意識内容は、それを逆向きにしたり、 こま切れにしたりすることはできない。このように概念や言葉から離れて 内省に専念すると、そこに意識の直接与件として、ひとつの流れを感じる。 その流れは、計量不可能性、不可逆性、連続性、異種混交性を特徴としており、 止めようなき自発、能動によるもの。これをベルクソンは「純粋持続」と呼んだ。 この純粋持続は、空間的に表現できるものではない。というのも、空間化とは 数学的な抽象であり、測定可能、可逆的、均質的、受動的なものとなって、そ れはもはや流れの連続ではなく、点の継起となってしまうからだ。したがって 古典物理学の(線形的)時間は、真の時間ではない。】 〜〜 以上が、純粋時間の要点だが、 我われのいう時間は、あくまでも決め事でしかない。日常生活でアナログ 時計や、手帳やカレンダーなど空間に時間帯が印刷され、それを見て日程をたて、 お互い、そして自分自身、その約束事に従っている。それを真の時間と勘違い している。 しかし、人間の意識に流れる時間とは、それとは違うのは誰も 直感で知っている。日常生活の便利さに惑わされて、意識の時間が持つ性質を 忘れている。人間が作った約束事の「空間的かさぶた」を剥がしてみると、 そこには本当の時間が姿を現すかのようである。その「本当の時間」を 「眠った時間」の状態から分かりやすく説明するためベルクソンは「純粋持続」 と呼んだのである。 豊かさとは、そのような「純粋持続」を如何に確保できる かにある。たしかに、私が秘・異郷旅行にはまるのは、その時間を濃度深く 確保できるからである。空間移動で、その色濃く感じる空間から感じ取ることが 果たしてベルクソンの、それと「純粋持続」と言えるかだが。人間は定期的季節 の変化から、一年という周期を経験的に知り、それを、それぞれ季節3ケ月、 さらに三等分して一月、そして一日、という単位を作っていった。農耕にとって、 それが大きく役立った。しかし、それは人間が作った約束事でしかない。 人間の心の時間は、それ以前から現在に至るまであった。 その時間こそ真の時間と看破したのである。 ー つづく
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| 5297,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー④ |
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2015年09月15日(火)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 法則 2 ーお金のつくり方 ここで、お金を得る方法として5つをあげている。 「勤めるか、相続か、盗むか、ギャンブルか、ビジネスをする」をあげ、 ビジネスでの成功を勧めている。ビジネスとは、「利益を創出すること」で、 宝クジの当たる確率が1400万分の1に対し、ビジネスは「5%」の 20分の1。とすると70万倍の確率である。「経済の歴史」から、有史 以来、常に「人口の5%が経済的に自立した人たち」である。 これは、 時代や地域に関係なく、あらゆる時代、国、地域に共通する。身近な例で、 私の世代では、まず高校の進学校に20%が、次は国立大か、私立なら早慶、 上智、同志社あたりに5%に絞り込まれる。そして、上場企業の勤め人か、 上級公務員になるか、実家の事業を継ぐか。数ヶ月前に、中学の「古希の会」 が湯沢で開かれたが、卒業時の成績が拡大したままが、その人生のようだ。 死んだり、ウダツの上がらないのは、出てこれないが、私みたいなのもいる。 ここでは起業を勧めている。とすると、20歳時に「創業}の人生を決意 したのは、賢明だったことになる。で、このザマだが、充実感は残った。 〜章末の「まとめ」より〜 ● お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」 ● お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ● ビジネスの選択は.「できること」ではなく「情熱」で選ぶ ● 起業に必要なのは「資金」ではなく.よりよい「戦略」 ●「購入額」と「購入頻度」がビジネスを成長させる秘訣 ● 起業を成功させる5つの秘訣は. 1.まず、「情熱」を持てる仕事か、 2、次が、「ニーズ」より「ウォンツ」の商品かサービス 3、どうすれば「付加価値」を上げることが出来るか、 4、自分がいなくても会社がまわる「しくみ」をつくる、 5、成功の「モデリング」をすること 「成功したビジネス事例のエッセンス部分」を、形を変えて 「自分のビジネスに応用してあてはめる」こと。 〜巻末の、ピーターからの「格言」より〜 ◎ あなたがお金を少ししか持っていないとき、それを気分が落ち込んでいる ことの言い訳にするのであれば、「常にお金が少ないという状態」が続きます ◎ よりよい戦略とは、「よりよい質問をすること」です ◎ 「人の感情を動かし、行動を起こしてもらう能力」は、どんなビジネス においてももっとも高い価値が支払われるスキルです ◎ 意思決定をする際に、この3つの質問をすることが大切です 「1・何がもっとも大切なのか?」「2・私は何が本当にほしいのか?」 「3・何がもっとも貢献できるのか?」 ◎ 方法はまったく関係ありません。「情熱」さえ注げれば、 方法は必ず現れるのです。どんな状況でも常に「道はある」のです ◎ お金とはあなたが社会に「どういう貢献をしたか」の証明なのです。 そして、豊かなマインドとは、「先に貢献し、そのあとでお金をもらう というマインド」なのです ◎ ビジネスをスタートするのに「お金」は必要ありません。 「よりよい質問」を自分自身に投げかける必要があります分 それは、 「どうしたらより多くの価値を加えることができるのか?」という質問です。 ――― ▼ 成るほど、上手くいっている時は、上記などの法則に当てはまり、 丁度よい塩梅で油断をしている時に、突然、想定外の事変で、転覆するのが 事業、いや人生のなりわい。幼児のときから、両親に規模は小さいが、起業 経験を、聞いてきた割に小さく縮んでしまった。でも、45年間の物語が、 そこにあった。何より良かったのが、『時間』と『閑』があったこと。 そこで、ふやけてしまった結果が、これだったが。人間の型だけは? ・・・・・・ 4932,コトの本質 −2 2014年09月15日(月) * 未知の外界に接し、子供のように興奮する! 『コトの本質』松井孝典著 現在の毎日が、まさに〔未知の外界に接し、子供のように興奮する日々〕。 45年間の事業も、その日々だったし、秘境ツアーも同じ。 現在も、 その延長にあるためか? 毎日が充実をしている。 ーその辺りからー ≪ 大学という環境で、私はいつもエネルギーが高い状態を保てます。 歳をとると、普通は、だんだんその状態から落ちていくわけです。 安定した軌道上に落ちてしまって、変化がなくなってくる。引退するときに、 よく、刺激を受けなくなったとか、燃えなくなったとか、モチベーションが なくなったとかいいますが、同じこと。私は、脳の内部モデルを更新していく ということが、無性に楽しいわけ。毎日のように、生命や地球、太陽系、 銀河系、宇宙について、次々といろんな新しいことがわかるわけでしょう。 タイタンに探査機が軟着陸して、探査するとか、どんどん未知の現象が眼前 に飛び込んできます。それについてどう思うか、考えさせられているわけ。 夢中になります。わくわくします。子どもみたいなものです。未知の外界に 接して、興奮する日々を送る。本当は、そのような機会をより多く与える ことが子どもの教育にとって必要なことなのです。他と接することによって おのれを知る。これが教育の基本です。いまの教育に欠けているのは、まさに その点です。それが欠けているから、自分を持たず自分の頭で考えられない、 ろくでもない子どもが育ってしまうわけで、ほんとは、子どもというのは そういう環境下におくべきなのです。外界と接し、境界を拡大することに よって、自らを知るわけです。それが、おのれとはなんぞやを認識すること でしょう。そのような経験を通じて自己ができてくると、初めて自分の頭で 考える、あるいは自分の意見というものがいえるようになる。さらに、 どこまでこの意見は通用するのか。それはここまでしか通用しないとか、 いろいろなことを経験して、普遍性、あるいは世間を知ったうえで、 さらに深いレベルで自分の判断ができるようになるわけです。 成長するということは、ここまではわかっているという、外側の境界を、 いつでも広げ続けていくことですから、毎日が楽しくてしようがないはずです。 新しい事象に接することで、その境界が広がっていくわけです。ここだけの 領域でしか通用しないことが、あ、ここでもそうなんだ。さらにここでも そうなんだ。 ・・・≫ ▼ 著者の本を何冊か読んで、ここでも、紹介したことがあった。宇宙の彼方 から逆照射の視点で見直し、 地球をシステムとして捉える。そして、 その一つとしての人間圏を改めてみると、気がつかなかったことが、見えてくる。 まさに、地球を支配しているサルが、その自然圏の資源を使い放題で、破壊を している。綺麗ごとを言っている私も、その恩恵を受けているサルにすぎない。 未知の外界は漆黒だが、光を当てると? ・・・・・・ 4565, 2050年の世界 ー6 2013年09月15日(日) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 〜英『エコノミスト』編集部 (著) * 第十九章 距離が死に、位置が重要になる 《 テクノロジーが距離を葬った。通信費は限りなく無料に近づき、様々な ソフトウェアーでこれまで以上につながるようになり、‘どこにいるか’が かってない程重要になる。》 これは10年前から現在に遡って言えること。 その何処かにいるのかさえ、重要で無くなる可能性がある。 大相撲やプロ野球の観戦も、現場より居間の大型TVの方が面白くなりつつある。 その意味でグーグルアースは、ますます重要な位置を占めてくる。 ー第十九章のまとめーより ・『エコノミスト』誌編集主任だったフランセス・ケアンクロスは一九九七年 に『距離の死』という本を書き、そのなかで通信費が技術革新で安くなり、 距離は障害ではなくなると予言したが、二〇一一年現在の時点でそれは 現実になりつつある。 ・一九九七年には、アメリカと欧州の電話料金は、一分あたり平均で八一セント、 二〇一一年には、スカイプを使えば2セントですむようになった。 ・国際間のテレビ電話会議とも言える「テレプレゼンス」はすでに商業化 されているが、今後はそれが家庭に安価に進出していくだろう。 ・携帯電話に搭載されるさまざまなソフトで、距離はさまざまな分野で意味を なさなくなっている。テキストメッセージで現金を移動させるモバイルマネー もそのひとつ。 そういうサービスで最も成功した一例が、二〇〇七年に ケニアで始まったM-PESAだ。 〔 *(M-pesa、エムペサ)とは、ケニアにおいて人口の約3割(1,300万人) が登録 するほど普及しており、銀行口座を持たない貧困層の金融システム へのアクセスを可能 にしたとして名高いSafaricom社のモバイルバンキング〕 ・典型的な発展途上国で百人あたりの携帯電話台数が一〇台増えれば、 GDP成長率を○・八ポイント押し上げる効果がある。 ・ウェブ空間上で、人の集えるソフトは、専制的な政府が集会の自由を圧迫 しているときも、それを迂回できる道を提供した。 ・距離が意味をなさなくなったことを利用し、各地域、各文化圏の労働力、 技術力の特長を生かした国際分業がやりやすくなった。そのぶん、どこで何を する、という位置が重要になってきた。開発の得意なシリコンバレー、スペック をもとにプログラミングをするのが得意なインドのバンガロール、厳格な運用 システムを創ることが得意なドイツ、といった具合である。 ・常時接続の世界により人々は互いに話すことに興味を失ったように見える。 市場調査会社二ールセンによると、アメリカでは携帯電話の加入者が自分の端末 で話す時間は、二〇〇七年からの四年間で、一カ月あたり一〇〇分以上短縮され、 七〇〇分になった。 ▼ネット社会が世界を覆い尽くし、それが全てを変え始めているが、その行方は 誰も知る由がない。それが距離より、それぞれの立ち位置を重要にさせていく。 家族や隣人より、ネットで継った友人が優先されるネット社会が現にきている。 そうこう考えると、「自分」「私」の哲学的問題も出てくる。 「ネットで継った私は何者だろうか?」「ネット社会とは何?」 ・・・・・・ 4190, 呪いの時代 ー8 2012年09月15日(土) * 草食系男子とは何だったのか 「呪いの時代」内田樹著 団塊世代の下の年代に草食系男子が多くなったようだ。今に限らず、 私たちの年代にも肉食系と草食系男子は別れていた。しかし中流階層が 下流階層に移行している現在、その比率が高くなってきた。この暗い世相の 中では、男子も下を向いて草を食べているしかないのだろう。50歳以下の 男たちをみると、多い。しかし自分が、この世代にいたら、草食系になりざる をえないのも確か。長期的右下がりは、いかんともしようがない。 ー 以下の部分が面白い! ー ≪ 僕のゼミで、このところ年に二回も「草食系男子」を自由研究発表のテーマ が取り上げる。学生たちは、草食系男子と現にかかわり深い当事者のみなさん ですから、その報告には「現場を見抜いたもの」にしか語れないリアリティがある。 ー以下、僕が彼女たちから聴き取った情報の一部を開示したいと思います。 草食系男子の特徴は、とにかく「弱い」ということです。きわだった特徴は 「すぐ泣く」、それから物を決めるのが苦手。「どこに行く?」とか。 「何を食べる?」とか訊いても答えられない。できることなら女の子に全部 決めてもらいたがる。身体的には細身・お洒落で・髪の毛の手入れと美肌に 関心が高い。かわいいしぐさ(胸の前で両手を組んで、口をとがらすとか、 外見的には哺乳類の幼生、なかんずくげっ歯類に通じる風貌をしている。 では、このような「草食的ふるまい」がもたらす生存戦略上の利点とは何で しょう。ある特異な社会的態度が集団的に採用される場合に「生存戦略上有利である」 という無意識的な判断が下されたためと考えるのが合理的です。実際に有利であるか どうかはともかく、有利であるという判断は下された。とりあえず誰でも思い つくのは、それが「弱い立場」にあることを強くアピールすることによって、 これ以上攻撃されることを抑止する機能を持つという仮説です。 僕も、この仮説には妥当性があると思います。 弱い犬が股間に尻尾を挟むのと 同じように、 あるいはマウンティングをされるのを尻を向けて待つ弱いサルのように、 「弱い」ポーズを取ることで、これ以上の攻撃を予防することが出来ます。 一種の「安全保障」として機能する。・・ こういうことが可能になったのは、 公的な「強いシステム」と、それに収奪され抑圧され管理されている 「弱い個人」という二元的な対立図式に置いて、常に「弱い個人」の個に正義 があるというチープでシンプルな物語を国民が選好したからである。草食系男子 は、おもに性的関係の局面で発揮されるが、とにかく傷つくことを恐れる。・・≫ ▼ バラエテー・ショーに出てくる若いタレントを、ほぼ、こんなのばかり。 私たちの年代から見れば「女の腐ったような男」「人畜無害のヤサ男」。 疑似ホモ化である。逆に司会とか、キャスターは肉食系を思わせる逞しそうな 女が目立っている。これもグローバル化・情報化によるのだろう。 ・・・・・・ 3825, 生命保険について 2011年09月15日(木) 一昨日のNHKの連続ドラマで「生命保険」をテーマにした連続ドラマが始った。 後で録画を見るつもりだがシビアな内容だろう。生命保険は名前のとおり命を かけた博打。 当たった時には、当人は娑婆にいないが、残された人に保険金 が支払われる。そのため胡散臭さが漂う。母親が生前、「自分には八百万の 保険がかけてあり、死ねば支払われる」と遺言書にあった。しかし、契約書では 80歳で切れていた。母の勘違いというより、保険屋が、そのことを言って なかったようだ。私は「保険は体の良い組織的詐欺の要素を持ったシステム」 という持論があり、保険などかけたことはない。 ーある本に、その辺のことが分かりやすい説明があった。 【 生命保険の保険料は、男性の場合、十万人が一斉に生まれ、順次死亡して、 百七歳で全員が死亡するという前提で、毎年の死亡確率を出し、これを元に 算出される。 四十歳の男性の場合、生き残っている九万七千三百九十人中、 年間に死亡するのは百四十四人。つまり、九万七千三百九十一人が払った 死亡保障の保険料は、不幸にも亡くなった百四十四人がもらい、その年は 終わりということになります。十万人生まれた男性が、半分の五万人を切る のは八十二歳。死なない限り払った保険料の元は取れない。】 「自分が死んだ後の身内のことを考え、保険に入っておく」という理屈は 分からないでもないが、それをネタに利益を得ようとする保険の仕組まれた システムは、契約書に業者に有利に作られているのは、当然のこと。 火災保険は、万一を考えると必要だが、それで「も利益団体の言いなり」と いうことを考えておくべきである。古来から金融の本質は、保険のあるという。 だから、そこは、専門家でさえ知りえないほどの騙しが隠されている。 私が保険嫌いのため、家内は心配で、家内名義の給料を38年間預金をして いたことを、一年前に知った。それが、この事態(倒産)の命綱になっている。 保険は、生々しい世界だが、この情報化のため、保険のオバサンの多くが 淘汰されつつあるという。 それと零細の業者も、ほぼ大手によって淘汰。 再編成もすざましいという。 何処も同じということだ。 ・・・・・・・ 3460, つれづれにー政治談議 −2 2010年09月15日(水) * 管首相の大勝利 民主党党首選挙、ここまでの大差で管首相が勝利するとは驚いた。 これは日本経済にとって深刻な問題。ある意味で致命的である。目先は分裂 することはないが、半年、一年スパンでは再編に動きざるをえなくなる。 この結果、景気は円高、株安にシビアにふれてくる。 管内閣三ヶ月間で、 彼が経済、外交音痴であることが判明。当分の間、政権を担うとなると考えた だけで鬱々たる気分になる。まず雪崩をうって景気が悪化、二番底、三番底に 向けて容赦なくふれてくる。円は80円、株は8千円割れが、当面の目安になる。 我われに商売は直接、景気が直接反映するから敏感になる。結果からみれば 小沢の政界再編は現職与党の国会議員にとって、何時、解散があるか分から ないし、次の選挙の資金確保という大問題に直面する。この歴史的危機でも 国家天下より、御身大事を優先するしかないのか。地方議員や、サポーター などの票は、どうしても世論に左右されるのは仕方がないのか。 一番、怖いのは、小沢が政界から引退すること。しかし、直ぐに自分の出番が 来ることを彼が一番知っている。二人の演説を聞いていて、管首相の内容が 国家のトップとして内容が乏しいのが渦中にいると分からないようだ。 過去と内側のことばかりで、方向性が乏しい。あれで、大きく小沢に振れない のだから、民主党の議員レベルの質を問われて然るべきである。無政府状態が 当分続く。そして景気はますます悪化する。 これでは瀕死の日本経済のリンゲルも効かなくなる? ー 以下は字数制限の関係でカット(2007年9月15日)
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| 5296,『自分を超える 5つの法』とは 〜『自分を超える法』ー③ |
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2015年09月14日(月)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 『自分を超える 5つの法』とは 自分の長期目標を掲げて、そのための宣言書で明文化をして、それに精進 していけば、日々、自分を超えることになる。そこに自ずと3C主義= チャレンジ(挑戦)、チェンジ(変化)、コンペティション(闘い)が生じる。 それは現役である限り続くが、楽しむことが出来るかどうかが鍵となる。 〜その5つの法則とは 法則1: 成功の心理学(「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす 安定感のニーズ 多くの人は何かを求めるとき「安定感」を基準にしてしまう 法則2: お金のつくり方(お金持ちになるダントツの方法は「ビジネス」 お金とは、「社会への貢献度」を示す指標 ほか) 法則3:リーダーシップを高める(「リーダーシップ」は育てたリーダー数で 決まるリーダーシップを発揮するカギー 「基準を上げる」 ほか) 法則4:世界観をつくる(自分に「力を与える世界観」をつくり上げる 「成長」と「貢献」が世界観をパワフルにする ほか) 法則5:10倍強くなる文章術(すべての人にとって「文章を書くこと」は、 最重要の項目である コピーライティングは「創造力を高めた状態」で行なおう ほか) ―― * まずは、法則1:の「成功の心理学」より 「人間の6つの欲求」こそが、人間の行動を突き動かす。 〜そのニーズ(欲求)とは 1、安定感のニーズ :多くの人は何かを決めるとき「安定感」を基準にしている。 2、不安定感のニーズ :人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる、不安定の量に 正比例する。 行動のさなかでは、恐怖は消える。 3、重要感のニーズ :真の「重要感」を持った人とは、使命を帯びた偉人である。 4、愛とつながりのニーズ :すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」である。 5、成長のニーズ :すべての生物は、成長し自分以外のものに何らかの貢献をする。 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠である。 6、貢献のニーズ :「力(パワー)」とは、世の中に貢献したいという思いの強さに 正比例して与えられる。 〜法則1 のまとめ〜 ◎ 人生の質は、あなたが居心地のよさを感じられる不安定量に正比例する ◎ 行動のさなかでは.恐怖は消える ◎ 真の「重要感」を持つた人とは.使命を帯びた偉人 ◎ すべての出発点は「自分が自分を十分に愛すること」 ◎ 大きな「成長」を得るには、大きな「失敗」は不可欠 ◎ ー力(パワー)とは、世の中に貢献したいという思いの強さに 正比例して与えられるー ▼ どうしても人間は、不安定より安定を優先するが、これが間違いの元。 ブッダが亡くなる時に、「この世の中の ことは、すべてのことは移ろい ゆくものである。従って怠りなく努めなさい」という言葉を残した。 自然界にも、人生にも、「確実なこと」など何もない。あるのは変化だけ。 人生には、「変化と、刺激」が必要である。とすると、そこには、 不安定が伴うが、その量に比例して質が上がっていく。安定過剰の ヘドロ人間は大よそ8割と見てよいが、それこそが娑婆である。 「したい時が、やれる時!」。その時にしておかないと、ゾンビになる。 しかし、変わりゆく世界の中にあって変わらないもの、それを つかんだ人間 が、世界の、人間の、本当の意味をつかむことが出来る。それは逆に変化 の中にこそ、現れ出てくる。 何か仏教めいてきたか! ・・・・・・ 4931,コトの本質 −1 2014年09月14日(日) * 喜びの根源とは ー魂の響き! 『コトの本質』 松井孝典著 〈 我を絶えず外界と衝突照合させ、そこで内部モデルが一新されるときの 快感はたとえようもない 〉という著者の切り口が新鮮である。 それが人生では、挫折とか転進などの節目に生じるアップスケール(脱皮) の時に生じる喜びになる。それと、壮大な自然の出会いの感動や、芸術の強振 の感激も同じである。「この感動は人生の大きな節目になる!」という感動が、 まさに新しい内部モデルである。秘境先のリアルな光景に感動して、魂に刻み つけ、バーチャルになる一連が、私のライフワークの秘境ツアー。 そのバーチャルと、TV番組の行先のバーチャルが重なって感動が蘇える。 ーその辺りからー ≪ リアルとバーチャルとか言いますが、とりあえずリアルと呼んでいるもの が外界と考えていいでしょう。意識に拘らず在るもの、といってもいいでしょう。 内部モデル的に整理されものが、バーチャルです。それは、リアルとは違います。 それはモデルですから。リアルというものをどう整理するか、というのは、 内部モデルの在り方に関わります。すっきり整理された内部モデルでは、 背後にあるものがすべて見えます。「ことが見える」という表現の中に、内部 モデルのすっきり感があるわけです。外界を投影した内部モデルの中で、 めいりようで、リアルな外界の構造が、明瞭に位置づけられるということです。 生きていくということは、交わるということです。我というもの、これは 大脳皮質の中に内部モデルとしてつくられるのですが、それは、外界と関わる ことによってつくられることになります。外界と関わることで、内部モデルが つくられるわけですから、我という概念すらも他と交わらなければつくられ ません。我、あるいは自分というものは、最初からあるものではないのです。 人間の生においては「我とはなんぞや」というところの我の概念が生まれて こなければ、何も始まりません。外界、他と交わって、最初に生まれるのが、 我という概念です。他という認識があり、我という認識が生まれる。他と我。 これはペアになっている概念です。 三歳くらいの幼児の脳の中で、外界という他を認識することが起きる、 と考えられています。他を認識したその瞬間に、それを認識している自分と いうものができます。そういう段階から、絶えず外界を認識する作業を経て、 その瞬時、瞬時につくられているのが、脳の中にできている内部モデルです。 我ができたあとは、まさに他と時々刻々関わることによって、内部モデルを 構築していく作業が、生きるということになります。その瞬間、その瞬間は、 それまでに構築された内部モデルとその瞬間毎に入力される情報を照合させ、 修正したりしながら、内部モデルを変えているわけです。そうやって内部 モデルができ、変容していく過程すべてが、生きるということです。 私は、考えることを仕事としたいと思いそれを続けているようなものですから、 学生時代からずっと考えるということとは何なのか、それを考え続けています。 自分という対象を、外から見て分析すると、これまで構築された内部モデル、 それが私の人生と考えています。私をいいかえると、私の内部モデルが それで、あなたというものをいいかえると、あなたの内部モデルがそれです。≫ ▼「外界がリアルで、それが、内部モデルに整理されたものがバーチャル」は、 分かりやすい! 毎日書いている、この随想日記は、リアルをバーチャルに かえていることになる。過去の文章を振り返ると、実感として納得する。 リアルは消えるが、バーチャルは映像、言葉としてリアルの一端を残す。 だから、バーチャルを侮ってはいけない。リアルとバーチャルは裏表。 そのバーチャルは、書換え可能ときているから複雑になる。 ー偶然だが、以下の文章に続くー ・・・・・・ 4564,変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー1 2013年09月14日(土) 『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延 (著) * 豊富な知識、旺盛な好奇心の必要性 ‘無意味なものを意味づけるために必要なものは何か。 それは知識だ’が納得出来る。 ≪意味づけこそが記憶の秘訣であるということは、並外れた「記憶力」を示す 工夫からもうかがい知ることができる。たとえば、どこかできいたことがある かもしれないが、円周率を何万桁も覚えているという日本人がいる。円周率は、 小数点以下、無限に続く意味のない数字の羅列だ。この円周率を一〇万桁以上も 暗記しているのが、原口謹さんだ。かつて私は、この原口さんと、五四歳のとき に円周率四万桁の暗唱記録を打ち立てた友寄英哲さんの記憶能力について調べた ことがある。その結果、二人の基本的な記憶能力は、同年代の人たちとそれほど ちがいはなく、特殊な才能は何一つみられないことがわかった。 しかし、その代わり二人とも、日本人にはおなじみの、「語呂合わせ」を使う 技能に長けていた。つまり、何万桁もの円周率も語呂合わせで覚えていたのだ。 語呂合わせは、端的に言えば、数字の羅列のような意味のないものに意味づけ することだ。原口さんも友寄さんも、けっして若いとは言えない年齢であるにも かかわらず、並外れた「記憶力」を示すのは、二人が意味づけという記憶の 秘訣を使っているからにほかならないのだ。もちろん、何万桁もの数字の語呂 合わせをつくり、それを完壁に覚えるまで繰り返した努力を忘れてはならない のだが。では、無意味なものを意味づけるために必要なものは何だろう。 それは知識だ。知識が貧弱だと、深い理解はできない。逆に豊富な知識をもって いると、まったく理解できないような事柄であっても、自分の知っていること との類似点をみつけるなどして、意味づけが可能になる。たとえば、難解小説を 読むときに、作者の生育環境や交友関係などを知っているとよく理解できること があるが、これが知識による意味づけの一例だ・・ ここで重要なことは、知識が増えれば、その後新しい事柄に出くわしても その意味づけが可能となり、記憶に残る。ひいては、新たな知識として頭の中に 加わるということだ。つまり知識が増えるほど、新たな事柄の意味づけがより 多面的にできるようになり、知識に加わりやすくなる。よい循環が生まれるわけ。 逆に知識が乏しければ、新しい事柄も記憶に残らず、いつまでも知識は貧弱な ままという悪循環に陥ってしまう。一六世紀から一七世紀にかけて活躍した ベーコンは「知は力なり」と言ったが、まさに記憶にとって、知識は力なり」 なのだ。原口さんも友寄さんも、会って話をしたときに一番強く感じたのは、 もっと新しいことを知って、知識を増やしたいという、旺盛な好奇心をもち 続けているということだった。つまるところ、彼らの記憶力の秘訣である 多面的な「意味づけ」は、旺盛な好奇心あってのものだということなのだろう。》 ▼12年以上も随想日記を書き続けて、これにエネルギーを費やしていること に疑問を持たないことはない。反面、この御陰で人一倍の旺盛な好奇心を持ち 続けている利点がある。さらに記憶媒体になる上に、公開することで、情報と 知識のギブ・エンド・ギブにもなる。印象に残った読書内容を感想と共に 「起承転結」でパックにすることで、自分の知識として残すことが出来る。 知識が増えた分、新しい事柄や知識に出くわした時、その意味づけが深くなり、 記憶に残る。少しキツイが、私にとってベストの習慣になっている。 続ければ続けるほど、自分の底の浅さに愕然とする。 ・・・・・ 4189, 呪いの時代 ー7 2012年09月14日(金) 「呪いの時代」内田樹著 * 婚活も、「適職イデオロギーの刷り込み」の一種 ー第5章「婚活」と他者との共生ー ここで著者は、「ほぼ全ての結婚は、最後は『失敗だったな』と思うもの!」 と断言する。家庭内離婚を含め過半数が破綻しているのは知っていたが、ここで 殆んど全部というから驚きである。知人などから、こっそりと、『失敗だった』 という愚痴を聞くと、禁断の秘密を知ってしまったと思ったが、全部が、そういう ことなら話は別。 実際に暮らして分かる相性もある・・ ーその辺からー ≪ 婚活もイデオロギー的洗脳によってエンドレスの願客を作り出すという ビジネスモデるにおいては就活と同じ。就活における「適職イヂオロギー」 にあたるのが、「運命の赤い糸で結ばれた宿命の配偶者幻想」です。 世界のどこかに私だけに宿命づけられた一人の配遇者がいる。その人に 出会わなければならない。出会いさえすれば永遠の幸福が約束される… この赤い糸イデオロギーは幼児期からさまざまな物語を経由して、子ども たちに植え付けられます。この幻想から自由であることはきわめて難しい。 そのイデオロギーに悼さすかたちで結婚情報産業が呼びかけます。 ≪「この世の中に、あなたにだけ約束された人がいます。あなたはまだ その人に出会っていません。何故でしょう? それは『出会い』が足りない からです。私たちが、その出会いを提供しましょう。もちろん有償」・・ ≫ 「あらゆる結婚は(と申してよいでしょう)「これは失敗だったな」という 後悔を当事者たちにもたらします。必ず。 だから、ご心配には及びません。 僕たちは配属者の選択において、必ず間違いを犯します。そして、後になって 「なんで、こんな人と結婚しちゃうたんだろう…」と空を仰ぐことになる。 ・・ そうですよね。頭に血が上ると「この人こそ世界でたった一人の私だけ のための人だ」というような夢想に酔うが、普通はあまり継続しない。 「では、結婚しましょう」ということになり、両家の親族に挨拶に行き、 新居の家具を買いに行き、式の段取りをしているうち、「ほんとにこの人で いいのかなあ」という懐疑の念が兆してくる。「赤い糸イデオロギー」は 平たく言えばただの夢想ですから、現実の「やすり」でこすられるとポロポロ と剥落してくることは避けがたい。何となく「マリッジ・プルー」になっている うちに新婚旅行に行き、そこでいびきをかいて寝る夫や、トラブルが起きるたび 「あなた、なんとかしてよ」ときいきい叫ぶ妻にうんざりし、婦りの飛行機の中 では口もきかないというようなことが起こる。 いや、これは「あなたの場合」 じゃなくて、ほとんど全て(95%くらいの)夫婦についてなさていることなんです から、ほんとうは少しも心配するには及ぱない≫ ▼ これを読むと、社会の見方と人生観が一変する人もいるはず。とはいえ、 やはり夫婦というシステムは、一部動物と人類が作りあげてきた。やはり、 結婚と、その後の我慢はしておくべき。身も蓋も無い話だが、そういうこと。 ・・・・・・ 3824, 閑話小題 2011年09月14日(水) * スポーツジムに通って半年、その効果は? 月に一〜二度位しか休むだけで半年間ほぼ皆勤でスポーツジムに通っている。 スポーツジムの休日の金曜日と日曜日は市の公民館の中のスポーツ施設に行くが、 変化があって、これはこれでよい。お陰で体調は、非常に良くなった。足腰が、 この数年来、重くなってきたが半分以上は元に戻ってきた。 健康ジムの 「イージーライン」というプログラムに参加しているのが良い。12人一チーム で、若い女性のインストラクターの掛け声で、全員が互いを意識しながらやる ため、手抜きは最小になる。特に初めと終わりのストレッチが、非常に良い。 ここが要と、入念に足腰の関節部分に気持ちを入れる。このストレッチを早朝の ミニ・サイクリングの途中の土手のベンチの横で休憩の合間にもやるが、いま 一つ気合が入らない。 あの場でやるから良いのである。二年前に、酷い腰痛 になってから、居間や書斎の椅子に、低反発クッションを、寝床には低反発枕 と低反発クッション、居間には腰痛用の健康機器を入れたため、腰痛は最小に 収まった。そこに更に、健康ジム通い、体には良いはずである。また健康ジム そのものが持つ明るい雰囲気が良い。ここで痛感したことは、足腰に大きな 重圧がかかっていること。それを一日に数度、丹念に揉み解す習慣は最重要事項。 歳を重ねると足腰の弱体化から自然に猫背になっていく。これが、良くない。 前かがみの老人は不健康に見える。「老化すると、人は老人になる」というが、 老齢期に人生のそれまでのツケが一挙に老い被さってくる。そこで、まずは 足腰と、頭の老化は人一倍、気をつけないと・・ 成るほど、老いるとは、辛いことだ。 * 老老介護 先日、近くのチャンコ鍋チェーン店に久々に食事に行ったところ、案内された 小座敷の隣に80歳過ぎの老夫婦の先客がいた。少し妙な直感がしたが、別に 気にはとめてなかった。しかし私たちが入店した時には食事が終わっていたのに、 私たちが帰る直前まで、そのまま御茶を飲みながら周りの客の話を聞いている 雰囲気が伝わってきた。それは別に問題ないが、家内がセルフ・サービスの コーヒーを取りに行ったところ、帰りかけで入り口にいた御婆さんが、家内に 「足が痛くて歩けないんだけど、どうしたらよいですか?」と話しかけたので、 家内は戸惑い「私には、どうにもならないんで、店の人に御願いしたらどう」と、 少し冷たく答えたという。連れもいるのに見知らずの人に訴えること自体が変で、 明らかに痴呆症が半分入っている風とか。私も腰痛を持っているので、その酷い ときの辛さは痛感するので(痴呆が入ってなくとも)誰彼なく言いたいのも 分かる・・ 長生きは有難いが、精神的、肉体的苦痛の代償を自然は与える。 老いただけ、無念が増す、ということか。 本気で「来年は存在ない」という 思いで、一日一日を生きる時節になってきた。 あの人は誰かに愚痴を聞いて 欲しかった?のか。長生きはしたいが、老いたくはない。 この矛盾が老いの問題になってくる。 ・・・・・・ 3459, 今日の民主党党首選は? 2010年09月14日(火) 昨日のヤフーの私のブログに 《小沢と管の民主党党首選が明日に行われるが、順当なら小沢だろう。 選挙は水物だが、連中が真っ当ならでの話。真っ当でないのが、衆院選で当選 している可能性があるから、外れるかも・・ そこまで程度が低くない? 政治には、それほど期待してないが、この数年間は無政府状態。 国しか 我われの身を守ってくれない。だから恐慌の現在、特に注目せざるを得ない。 小沢も、確かに変である。当選したら、バッシングの嵐。短命でも良いから、 政界再編成を早く実現し、出来たら病気で倒れた方がよい。》 と書いた。 今日、その民主党の党首選が行われる。小沢からみたら、負けた方が良い。 その方が首相の立場で再編するより、やりやすいはず。だから党首選に立候補 して、接戦をすること自体が目的。その圧力が選挙後の力関係にも影響してくる。 そうこう考えると勝敗に関係なく、接戦に持ち込んだことで既に勝負があった ことになる。 それより民主党の代議士が真っ当かどうかの方に興味がある。 何でマスコミが、その予測で管首相に一方的に傾くのか?不思議である。 アメリカの間接的圧力がある?と、穿った見方もある。ネットでは8割が 小沢を支持しているというが、その乖離は何故起きるのか。 (字数の関係上、カット11年09月14日)
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2015年09月13日(日)
文芸春秋2,015年7月号特集「老いと健康の危機管理術」より * 信長の死生観には共感するね 図書館で立読みをしていたら、石原慎太郎と佐々淳行の対談の、 「老いと死」についての以下の部分にひかれて借りてきた。80歳を過ぎた お二人の諦観が滲み出ている内容である。 佐々: 私は、自分の家で死ぬつも、りでいた。だから少し無理をして、 鉄筋で三階地下室付きという家を建てたんです。自分の部屋で死んで、 葬式も自分の家から出そうという、前近代的なお葬式観だった。 そのための部屋も作ったし、お客さんの誘導路まで考えた。 家族と別れて暮らすなんていうことがあり得るとは思っていなかった。 ところが周りを見ていると、‘お葬式は身内で密葬をやって、あとで ホテルとかどこかの会館で偲ぷ会って'いうのをやる。これが定着した。 石原:俺は遺言に「葬式不要、戒名不要。我骨は必ず海に散らせ」と書いた。 去年出した『私の海』な(幻冬舎)には辞世 (「灯台よ汝が告げる言葉は何ぞ我が情熱は誤りていしや」)も載せた。 佐々:僕もかなり考えが変わったよ。でも、葬式無用っていうのは、ちょっと。 石原:僕は信長が好きなんだけど坂口安吾の『織田信長』っていう短編の エピグラフに、信長の愛唱した小唄があるのよ。信長といえば『敦盛』の 「人間五十年下天の内をくらぶれば夢幻のごとくなり一度生を受け滅せぬ者の 有るべきか」でしょう。僕は知らなかったんだけど、安吾が引用しているのは、 「死のふは一定、しのび草には何をしよそ、一定かたりをこすよの」と」いう 小唄なの。「かたりおこすよの」がわからなくて、ある国文学者に聞いたんです。 そうしたら「おこす」は、おこがましいの「おこ」で、「人が死んだあとに 皆な勝手、なことを言いやがるけど、死んだ人間にとってはバカみたいな話だ」 という意味なんだな。痛烈なニヒリズムですよ。信長は徹底したニヒリスト だったんだね。偲ぶ会をやったり追悼記を出すなんていうのは、その信長の 小唄と同じことで、いまさら何を言ってるんだということですな。 佐々:でも、お別れ会さえやらないで、さよならも言わずに去っていくのもね。 石原:僕は敬愛した政治家はめったにいないんだけど、賀屋興宣という人には 私淑したんです。無類の財政家で、日本で初めて統制経済をやった人です。 戦前に大蔵官僚から政治家になって、A級戦犯で服役したあと、政界に復帰。 晩年に賀屋邸へ行ったら、髪も真っ白になって、サンルームで瞑想されていた。 「先生、何をお考えですか?」と訊いたら「人間が死ぬというのはどんなことか。 興味があるので一生懸命考えている」。「それで、死ぬってどんなことですか?」 「いや〜死ぬというのはつまらないね。私はだんわかってきた。死んだら、 一人で暗い道を黙って歩いていくんですよ。そのうち、葬式で泣いて送って くれた家族も私のことを忘れてしまって、世間も忘れる。第一、彼らも忘れなきゃ やっていけませんからね。それだけじゃなしに、自分が自分を忘れちゃうんです。 来世なんかありませんよ、石原さん。だから死ぬのはつくづくつまらないですね」 と言って、小さく笑うんだよね。すごいニヒリズムだと思ったね。 この段になってくると、そんなことを思い出しますな。 ≫ ▼ 佐々が入った、介護つき有料老人ホームに、石原が訪ねて行われた対談。 自宅に近く、三食昼寝付きで、何でもやってくれるそうだ。中産階級?向けで、 商社の支店長とか、サラリーマン社長だった人や、旦那がいるが、面倒を見切れ ない奥さんだけが入っているとか。リハビリは別だが、食費や光熱費を入れて 30万位という。「奥さんも一緒かと思ったが、少し費用が足りないのでやめた」 とか。最近、同年代のタレントが夫婦して入居したとかという話は聞いたが! 古希を過ぎると、どうも娑婆の景色が変わって見えてくる。 4930,パワレルな知性 ー8 2014年09月13日(土) * たけしの品格 『パワレルな知性』鷲田清一著 たけしの品格について、が面白い!たけしは、「この男はダメ!」がキャラ。 人間はすべからくダメな人間だが、それを良い人間、有能な人間のコスプレを しているだけ。コスプレが、コスプレを笑っているのが娑婆の実態。 これが分かってないから、世の中、他人が、歪んでみえる。 「歪んだのが歪んだのを歪んでいる」と今さら言うのが間違いの元。 「たけしは、それを剥いだ有りのままを笑いで剥き出すことで、 己の品格を表現している」は、褒めすぎ? ーその辺りからー ≪ 最後は言語学者らしくこう締める。 「『品格のある日本語』というのは、 借り物ではなく、じぶんが一番よく知っている言葉で語られるものですよね。 方言なんかはとても品格がある」。つまり「品格」について語るその地声に 言い及ぶところに、金田一の衿持が現われでているとおもう。じぶんについて 語る言葉が信用できるかどうかは、語られるじぶんに対してどれほどの距離が とれているかにかかっている。「離見の見」と高尚なことを言わなくてもよい。 何かについて語るとき、そのように語っているじぶんがどこから語りだして いるのか、それについての明確な意識をもっているかどうかに、その言葉の 真はかかっている。何かについて語るとき、いつもどこか断片的であって、 語りつくさない。語りだすのは否応もなくつねに地上のどこかからであって、 語りつくすというのは、じぶんがこの地上のどこでもないある特権的な 場所にいると錯覚することである。 それこそ品格に欠けることである。 これに対して北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、 それこそ綱渡りをしてきた。いきなり北野はいう。「どうしようもない人」、 これがじぷんにとっての最高の誉め言葉だと。「人から、『あこがられている』 と言われると、失望させないように自らを律したりするじゃない? そういうのが大嫌いで、頼むからあきらめてくれって。『この人はだめだ』って 言わせるためにわざわざ変なことをやる。『どうしてそういうことをするの』 って言われるのが一番好き」。北野もまた、この世の価値序列から外れる ところに「品格」を見る。「みんな社会的立場上、言えない部分があるけれど、 俺の場合、お笑いというジャンルが隠れみのになっていて、意外に好きなことを 言っちゃっている」。たしかに、「トツプには立ちたい」けれど、そしてそれは 「すごく下品」なことだけれど、同時に、「何をやっても勝てない相手がいる」 ことは身に沁みている。だからちゃらんぽらんと見えるほど、いろんなものに 手を染めてきた…。 首尾一貫していないこと、立派な「先輩」と見られたら すぐにそれを裏切ること、つまりじぶんを模倣しないこと、そういう囚われの なさに肩肘張らない自由を見る。ここにもなるほど、みずからへのクールな 距たりがある。その距たりを構えずにほのめかし、北野は最後にこうつぶやく。 「いつも何か考えているけれど努力して考えているわけじゃない。魚に 『アンタ、いつも泳いで偉いね』とは言わないじゃない?」じぶんが壊れる…。 そういうあぶない場所にじぶんをもってゆきながら、かろうじて身を持す、 ぎりぎりのところでみずからを揺さぶることのない人に、「品」はぜったいに 訪れない。… ≫ ▼「まあ、お笑いの、たけし、だから!」という免罪符を取ってしまって いるから、今さら誰も非難できない。こうなれば、好き放題、言い放題。 週刊誌も、『たけしに愛人!』など、今さら誰も興味を示さない。 昔の芸人は、こういう人が多かったというが・・ いつも、あぶないところに、 自分を置いてきたので、いやに、同感する。じぶんが壊れる直前に、常に身を 呈してきたが、実際のところ、既に壊れていたのでは? 〜ところで、三年前の一連のイベントからこの方、ギリギリ生きて こなかった人格に、あまりに多く出会った! 輩をヘドロという。 ・・・・・・ 4563, 2050年の世界 ー5 2013年09月13日(金) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 予言はなぜ当たらないのか (第二十章) ー まずは要約部分よりー ・今から四〇年前になされた予言をみると、悲観的なものばかりで、 その殆どが外れている、 ・なぜ、そうした予言が外れるかと言えば、理由はふたつある。 良いニュースは目立たず、人々の記憶に残りにくいからだ。 悪いニュースだけが残り相互に連関する認知のバイアスが人間に あるので、そういう予言をすることが受け入れられる。 ・もう一つは人間が対策を講じることを無視するからだ。 ・資源が枯渇する、食料が枯渇するというのは終末予言の典型的だが、 「技術革新」よる「低価格化」を無視している。 ・グローパル化による国際分業により、人々は、かってより遥かに 安い値段で必要なものが手に入るようになった。 ・1950年代には、平均賃金の人がハンパーガー1個の代金を稼ぐのに 三〇分かかったが、今では三分だ。 ・技術が人間の生活水準に作用するのは、技術が発明されたときではなく、 何十年ものちに手ごろな価格の技術になったとき。 ・バイオテクノロジーの発展によりその応用物が低価格化する。 たとえば幹細胞をさまざまな臓器に発展させる技術は、移植医寮 そのものを、低価恪化させる。また、癌治療もバイオテクノロジー技術 の発見によって、癌ワクチンや遺伝子組み換えウイルスを体の必要な 場所に送るという治療を大衆化させる。 ・第二次大戦以来、全世界のGDP成長率がゼロを下回ったのはたった一年。 それは2009年で、マイナス0・6%の成長率だった。 ・先進国ではさまざまな形で実際に、森林面積が増えるなど環境は 良化している。いまの新興国が先進国なみの経済水準になる二〇五〇年 までに、これまで損なわれた環境が腹興するようになるだろ。 ▼ 予言はなぜ当たらないのか? その状況で対応する「技術革新」 が出てくるからだ。その中で情報機器と、バイオテクノの革新は、 予測不能である。現に過去40年をみると肯けること。 人間には、長期楽観、短期悲観が経験を通して認知バイアスとしてある。 それが目先、悲観的な見方が受け入れられる。40年前の予測が悲観的 過ぎたというのも大いに疑問である。ソ連は崩壊、米国も、衰退の坂を 転げ落ちている。そして日本は、20数年前のバブル崩壊から現在にわたって 惨憺たる事態。40年後を考えると、さらに酷くなるのは現在の状況をみれば 分かること。「現時点で予言不能の未来が待っている」ことだけは確か・・ バーチャルと現実が混合した世界だろう! 今もそうか? ・・・・・・ 4188, 呪いの時代 ー6 2012年09月13日(木) *「適職イデオロギー」の刷り込み 「呪いの時代」内田樹著 ー第5章「婚活」と他者との共生ー 「適職イデオロギーの洗脳」の切り口は面白い。そのため?まず3年もしない うちに3分の1が夢やぶれ辞めていく。それだけでない、その後も、その影に 追われることになる。歌の文句ではないが「自分を待っている職があるはず」と。 そんなものは、あるはずはない。現実は、そんな軽い若者を拒否をする職場だけ。 そのため転々と幻影を求めてサマヨウしかない。私たちはコマーシャルで、 知らないうちに無防備に不安と劣等感と無知を煽られ多くの洗脳を受けている。 ーその辺りからー ≪ 就職活動を始めるに当たって最初に叩き込まれるのが「適職イデオロギー」。 就職情報産業の営業マンがきて、大学2年生を購堂に集めて「空気を入れる」 ときに彼らはこう言います。「ひとりひとりには、この広い世界のどこかに、 ただひとつだけ適性に合致した天職がある。この一年余りで、諸君は自分に 適正に合致したこの職業にであわなくてはならない。そのために捧げうる就活に 全エネルギーを当時なければならない」と。学生たちは驚きますけれど、 だいたい根が素直な子たち、たちまち、この「適職イディオロギー」 に染め上げられる。 △ そして「自分が適職に出会えないのは、自分の何であるか知らないからだ」と、 △「世の中にどのような職業があるのかについてまだ十分に知らないからだ」と いう2種類の「情報」不足によって説明されるということに、うっかり頷く。 そうして適性試験を受けたり、目を赤くして就職情報誌に見入ることになるわけ ですが、もちろんこれらの情報は無償ではありません。かの「適職イデオロギー」 を宣布してまわった営業マンの会社が課金して販売しているまわるのですから、 この段階で、「なんとなく家業継ぐか」とかいう「ゆるい」就職観はきびしく 排斥されます。 そして、私たちは「ほんとうに『こんな仕事』に就いていい のだろうか」という不安から逃れられなくなります。就活中ももちろんですが、 実際に内定をもらった後も不安が鎮まらず、さらに就活を続ける学生が多くいる。 最初に内定をくれたところはそれだけ「ご縁」があるということなんだから、 そこでいいじゃないかと僕は学生に相談されると答えるのですが、僕のそういう 場当たり的な就職観に説得される学生はほとんどいません。 ・・就職情報産業にとって、「適職イデオロギー」を深く内面化した若者は エンドレスの顧客です。「この職場に骨を埋めよう」と覚悟をしているわけで ないのだとしたら、「いつか出ていきたいが、今は出ていけないので我慢して ここにいる」という「腰掛け」的な就労態度をありありと示すことになる。 「はやく出ていって『ほんとうに私の適正に合った仕事』がしたい」という 切ない思いは更につのる・・ 仕掛けになっている。就職情報産業は、 このビジネスの洗脳によって決して自由になれない人々を量産することで 利益をあげることを自覚しておいた方がいいと思います。・・ ≫ ▼ 幻影を求めてさ迷う若者に、更に就職産業屋は顧客として利益を貪る ことになる。気が付いた時には、立派なフリーター。社会は、彼らを便利な 部品として使いまわす。グローバル化で人件費が抑えられる中で、ひ弱な 若者は火の目を見ることはない。 これと酷似しているのが婚活である。 結婚相手と、就職先も幻影でしかないことが自覚できない若者。それは次回。 ・・・・・・ 3823, 閑話小題 2011年09月13日(火) * 『哲学人』の感想文を連載は、二年前に一度書いていた。 昨日に気づいたことだが、二年前に、この下巻のー小説の作り方ーについて 取り上げていた。難しかったのだろう、それっきりで終わっていたが、 それ自体を忘れていたのは迂闊だった。無意識のリベンジだったことになる。 分類の検索で調べたが見落としたようだ。それにしても、思いもよらなかった。 成るほど、さすが哲学者が実践した小説作法は実に分かりやすい。(下にコピー) それにしても、ブライアン・マギーの教養のレベルに驚かされる。 * 初めての書くテーマのネタ切れ この10年間、ここで一応、起承転結を成した?文章を書き続けてきた。 最低でも2つの仕込み文はあったが、今回、初めてゼロになってしまい、 それ自体をネタに書いている。現在の読書感想文の『哲学人』が、私にとって 難しい。しかし、何とかギリギリで理解出来るから、なお疲れる。さらに、 iPadにエネルギーを大部分取られていることも重なっている。ひとつテーマを 書いても、ウェブ上では、それより遥かに素晴らしい情報が満ち溢れている。 そこをネットサーフィンしていた方がより広く深く世界をみることが可能。 それでも自分が10年間エネルギーを入れたサイトをiPadで何時でも見れるのは 悪くはないと、何とか気持ちを保っている。有料、無料を含めて、iPhone・ipad のアプリは10万以上あるというが、その一端を次々にダウンロードして使って みるが、その都度驚きの連続になる。別に、声高に、これは凄い! という必要もないし、これに近いモバイル携帯電話で既に普及している。 何を今さらといえば、それまでのこと。話を戻すが、書くネタが無くなるほど 本音で書くので、読む方は面白いというが・・ 何も書けない焦りは何とも 言い難い。この辺が限界の際が見えてくる。書き続けるのは大変だが、 その分、張り合いにもなる。 ・・・・・・ 3458, 9・11から9年 2010年09月13日(月) あれから9年になる。こと自社からみたら、この日をもって右下がりになり、 現在も続いている。2004年から少し持ち直してきた矢先に今度は2008年9月15日 のリーマンショックを契機にした100年、250年に一度の世界恐慌。 あの日から世界も日本も変わってしまった。まことしやかなアメリカ陰謀説 がある。時間の経過と同時に信じるようになってきている。為替と株式で大儲け をした輩がいた現実がある。更に、この事件をキッカケに兵器業界は大儲けを。 アメリカでは戦争は公共事業といわれ、不況にとって手っ取り早い毒薬と同時に、 回復剤になる。第二次世界大戦は1929年から世界恐慌から立ち直る大きな契機 になった。 アメリカの誘導によって日本がハワイ急襲をしてしまった。 そうこう考えると、アメリカは恐ろしい国。イラクの攻撃のキッカケとなった 大量破壊武器所持疑惑も、実際には存在してなかった。戦争を仕掛けるために CIAが捏造したことが後になって判明した。日本のバブルもアメリカによる 日本国内の内需拡大の強制による。その結果の日本のバブルのピークを 待って株式の暴落を誘導を図った。そして下がりきった株と不動産を買い 捲ったファンドが、大儲けをした。好き放題に日本の資産をいじくりまわし、 収奪を繰り返しているアメリカに日本は成す術がない。歴史的にみて、 その後の2008年9月15日のリーマンショックと同じレベルで、2001年9月11日 の事件は語られるはず。アメリカ崩壊への二つの大事件として。 これを必然的事件とみると、何か底知れない深いウネリを垣間見れる。 20世紀的なものの崩壊の必然の事件としてである。そして、この火の手が10年 20年かけて世界を焼き尽くす。日本のバブル崩壊後、山一證券が倒産したのが、 7年後。大手銀行が3つになったのが10年後である。この世界恐慌も、10年 20年の時間で世界を大きく変えていく。現在はデフレ、ハイパーインフレが 襲ってくる。グローバル化は、世界をフラット化する。日米欧は、その他の国 と変わらないレベルになりざるを得なくなる。9年でネットも、携帯電話も、 テレビも、劇的進化をしてきた。それが、世界をフラット化を進めている。 これから10年、世界は、その動きを更に大きくするだろう。 面白いと同時に、恐ろしい10年になる。
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| 5294,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー�� |
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2015年09月12日(土)
ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 女とは何か、の問い 女の自意識のねじれと矛盾の言語化を何とアッサリとするとは驚き。 これは男も似ているが、受身である点で大きく変わってくる。 確かに、「人間的価値」より、「性的価値」が「商品価値」として、優先する ため、それを高める化粧品や、ファッション衣料が売れている。プロの作家の 言語化は、流石である。 〜その辺りから〜 ≪ 私とは何かという問いから始まって、人間とは何かを突き止めたかった。 そしてまた、人間とは何かを考えているうちに、女とは何かという問題にも 突き当たったのである。私は自分を女という主体として捉え、その「私」は 「人間」であり「女」であると当たり前のように考えていたのだが、そもそも 「人間」であり「女」であることの定義は何なのか。 特に「女」という性別 に生まれてきたことで、自分が「欲望する主体」であると同時に「欲望される 客体」であり、そこに快と不快の両方が混在するアンビバレントな存在である という認識を持ったのである。 男から一方的に性的欲望の標的とされるのは、私の心に支配への恐怖や反発 を生じさせる。若い頃、夜道を見知らぬ男に付け回されたり電車の中で痴漢に 遭ったりするたびに、私は自分が常に男から性的な視線で見られており、 しかも彼らは私の意思とは関係なくその欲望のはけ口として私の身体を使う つもりなのだと感じた。それはまるで自分が人間ではなく物のように扱われて いるかのような屈辱感と、彼らに力ずくで欲望の餌食にされるのではないか という恐怖感を、私にもたらしたのだった。 が、その不快さの一方で、私は男たちに求められることにナルシスティックな 快感を覚えることもあった。年を取って男たちに相手にされなくなってくると、 自分の価値が暴落したような気分になっ、た。それは決して私の「人間的価値」 の暴落ではなく、あくまで「性的価値」の問題に過ぎないこともわかっていたが、 しかし女の場合、「性的価値」は「商品価値」と密接に結びついているため、 まるで自分が価値のない商品に成り下がったかのような悲哀を味わったのだ。 男たちに「性的道具」のような「物」扱いされることに怒りを感じながらも、 自分の価値を「商品価値」と捉えて「物」扱いしてしまう… その矛盾が、 理屈で解消されるものならまだしも、生理的な「快・不快」感と結びついて いるため、よけいに始末に負えない。どんなに理性が「こんなものは根拠薄弱 で非論理的な感情だ」と結論づけたところで、やっぱり心は傷ついてしまうのだ。 それが人間というものではないか。 私はこの「女」という生き物の自意識のねじれと矛盾を、自分の体験や感覚 を通して言語化しようとしてきた。私を、そして女を、「言葉」で再構築し、 人々に届けたいと願ったのだ。そのためならデリヘルでも何でもやった。 それがどれだけ世間から白い目で見られるかも承知していたが、それでも 「知りたい」「言語化したい」という欲求のほうが遥かに強かったのだ。 世の中の「自分がわからない」と嘆く女たちに、「女がわからない」と ぼやく男たちに、私は自分の言葉を届けたかった。 諸君、我々は「主観」という濫の中から抜け出せず、互いに他者を理解し得ない まま、閉鎖的な脳内世界の中で孤独に、生きている。だが、その隔絶された 各々の世界を繋ぐのが「言葉」なのである。だから私は「言葉」を諦めない。 それが私と他者を繋ぐ唯一の絆なのだから。 ≫ ▼ 抜粋の文章をカットしようと上記を読み直すと、それが辛い。言葉に魂が 乗り移っているためである。ここまで書ければ、本望だろうが、それだけ傷が 深いのである。「言葉」に魂が乗り移ったのを「言霊」というが、成る程! ・・・・・・ 4562, ポタリ、ポタリ、ポタリかな! 2013年09月12日(木) 4月〜11月の8ヶ月間、毎朝一時間、4年続けて雨の日以外、合計 一万キロ以上も乗り続ければ、自らをポタリスト(ポタリング=自転車散歩) と宣言してよいだろう。4年前になるが、「電動アシストのMTB (マウンテンバイク)が、格安で、スポーツチェーン店から通販サイトで 売り出される」という新聞記事を読み買うことにした。そして乗って仰天! ママチャリを年に1〜2度しか乗ったことのない私が、その日を境に、 冬季間と雨天以外は、ほぼ毎日12キロは乗っている。 自転車で15分の 距離に信濃川があり、二つの大橋を一周して帰ってくると丁度一時間、 早朝の運動に最適である。ある本に、「江戸時代に舟に車輪をつけた陸舟車 というのが試作されたのが第一号」とあった。さしづめ電動アシスト自転車 を舟とすると、エンジン付きカヌー。手で漕ぐか、脚でペダルを踏むかの違い。 この自転車に出会うまでは、自宅から300M先にある栖吉川の土手を30年近く ウォーキングをしてきた。ところが、道路拡張工事で散歩道が数年間も交通 ドメになったタイミングに、電動アシストのMTBを購入。一気に、4キロ 程先の信濃川まで行動パターンが広がった。電動アシストのうえ、MTBの 車種が良かった。 軽くて、小さくて、小回りがきいて、6段変速ギア。 変速ギアのついたスポーツ自転車も一度も乗ってないうえに電動アシスト。 驚くのは当然である。 東京在住の学生時代のゼミの後輩がカヌーの愛好家で、 数年前、車にカヌーを積んで新潟にきて、阿賀野川河口と、寺泊の浜辺で同乗 させてもらったことがある。それもヨットカヌー。彼の別荘が川口湖にあり、 長年、乗りこなしていた。羨ましいと思ったが、今さら私には無理。 そこで、スポーツ自転車を陸のカヌーとみたて、電動アシストにすればよい。 早朝、電動アシストの力を借りて、信濃川の土手を飛ばすのも快感。 乗っていると、自分がいかに軽く小さい存在で、空中遊泳をしているような 感覚になる。現在のものも限界に近づいてきたので、消費税のアップ直前の来春 2〜3月に、もう一台を買う予定にしている。クロスか、折りたたみのMTBか、 電動のついてない10数万の高級車か? それまで半年間の選定が楽しめる。 これを購入すると胸を張って、「古いMTBと、クロスバイクの二台を持って いるポタリスト」と宣言ができる。車やオートバイで高級車といえば数百万だが、 自転車では、30〜50万も出せば超高級車、十数万なら高級車になる。 ーブログ内の検索で、以下のような文章があったが、時間の経過とともに 内容が濃くなっている。一つのキーワードで検索で過去分を拾うと、 書き遺した価値が味わえる。肌で風を切ると、頭が冴えてくるのも良い。 低空の飛行艇のようにも・・・ 少しオーバーか! ・・・・・・ 2013/07/29 スポーツ自転車の勧め! ー4 * マウンテンバイク 「自転車で痩せた人」高千穂 遙(著) 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを 走るため、特徴は丈夫かつ軽快さである。ただ値段の安さに惹かれ買ったが、 私の毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。 ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー 《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外の マリン郡で、ヒッピー達がビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、 急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。同時期に 北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、 一つのジャンルの大量生産で一般に広がっていった。MTBの定義は、 【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の 乗用に対応して、軽量化並びに耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等 の向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、用途に よって様々な形態が存在する。】である 》 ▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。 それとママチャリと同じく、普段の生活でも使えるマルチのところがよい。 親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場では、 丈夫でない見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家は「モドキ」 とか「ルック車」などと呼んでいて、良いイメージはない。その見分けは デザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのもある。 私のようなスポーツ車初心者に向き。 まずは軽く小回りがきき、乗りこなし がスムースが入口になる。 次は、クロスバイクにするつもりだが、折畳み式 も捨てがたい。スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな 生活の中で、これはソロで出来る手軽な趣味になる。 早朝に加えて午後から のポタリングの習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に 使うことも考えてよい。趣味としてポタリングにするとなると、違った切り口 が出来てくる。それより、まず事故に気をつけなくては。これまで色々なMTB を見て、デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていた。 ―― スポーツ自転車の勧め! ー3 ー2 ー1は、 字数制限でカット(バードウォッチにコピー) ・・・・・・ 2013/06/25 電動アシスト自転車に乗って、はや4年 電動アシスト自転車を乗って3年8ヶ月になる。ーまずは、その時の文章より ー3131,期待どおりの電動自転車 2009年10月31日(土) ≪ 注文をしていた電動自転車が一昨日届き、昨日の朝、さっそく試乗した。 自宅は長岡駅裏から徒歩10分にあるが、長岡駅前から歩いて20分のところ にある大手大橋まで12分で着いた。信濃川を渡ったところのジャスコに15分、 ユニ系SCのアピタまでは20分。そして、その先にある長岡大橋から駅前近く まで戻って、家に着いたのが50分後。万歩計をみると2500歩になっていた。 50分というと5500歩になるから、半分近くになる。疲れは、ウォーキング と同じぐらい。 これまでは月に一〜二度ママチャリに乗るぐらい。 一日一万歩を目指しているので、自転車にはほとんど乗ることはなかった。 そのためスポーツタイプで、6段切り替えで、かつ一対二のアシストの 自転車を乗った驚きは大きい。一対二のアシストというと、人が一の動力を かけると二倍の加速がかかる。自転車は発進時の加速と、登り坂に力を要する が、その時にペダルに力が二倍加わるのは、何か異様な感がする。 コースは線路の下をくぐる地下道の登りとか、信号待ちの後の加速とか、 大きな橋までの登り坂とか、起伏がある。そのストレスがゼロで、平らの 道路でペダルをまわす時の加速も三分の一で済むのだから、非常に楽である。 ところで、通販で注文して送られてきた電動自転車を組み立ててくれた 長男が「すぐに、盗まれるよ!」というのも分かる。小型のためボックスカー に、簡単に乗せる事が可能だからである。一年ほど前に、家内に電動自転車を 買おうかどうか相談したら、「友達が買って直ぐに盗まれてしまった。あと 数年先がよいと思うよ」といって、買うのを止めた経緯もあった。 スーパーや、駅前などは当分は置けないが、その時はその時。≫ ▼ これを書いた翌日から25年続けていた早朝ウォーキングを、ポタリング (ミニサイクリング)に切り替えた。同じ一時間で、コースは東バイパスから、 長岡大橋を渡って、日赤前の土手を通って、大手大橋から、土手を走り、 長岡大橋に戻り、同じコースを逆コースで帰ってくる。 冬期間(12〜3月) と雨天を除くと、ほぼ毎日、乗っている。大よそ、年に200日として7百回以上、 一日、14キロで1万キロ、地球を半周も走ったことになる。 スポーツチェーン のネット販売で59800円で買ったが、中国産だが私にとって大当たり。 現在は値下げで49800円。もうボロボロだが、何とかあと一年使って買換える つもり。まず故障するのはブレーキと、蓄電池周りの固定器具。 パンクは三月に一度ぐらい。来年には、一ランク上のナショナルのものを 買うつもりだが・・ 自転車には、シティ、クロス、ロード、マウンテンタイプ などがある。 私のは車輪の小さなマウンテンタイプ。来年の購入予定は ナショナルのクロスタイプのもの、どうなることやら。iPodで音楽を聴き ながらの早朝サイクリングは良い。雨が降ると溜息が出るほど。 最近の週末は天気の具合をみて、昼も同じコースを走っている。 ・・・・・・ 2013/03/27 閑話小題 −つれづれに * 先週から早朝の信濃川一周のポタリングを始めたが、ほとんど散歩する姿 はないのは寒いためだろう。分厚い手袋と耳あてをし何とか寒さを凌いでいるが、 日々暖かくなっている。慣れてしまえば最上の習慣である。 毎日15キロ、 一年200日として三千キロ。三年間で9千キロ走ったことになるが、自転車は ボロボロになって当然。リチウム電池は、当初一回の充電で二日持ったが、劣化で 一日が限度。この買換は一年後の予定?だが、持つか? あと一年で4年で 一万二千キロ、地球の4分の1周を走ったことになるのだから良しとするか。 * 一昨日、カラスの交尾をみた。ポタリングの何時ものコースの通りの脇の 花壇にいたカラスに、小さなカラスが舞い降りてきて尾っぽを向けて羽根を そば立てて小さくうずくまった。そこにオスが・・ メスからの求愛である。これで春の訪れを知るとは・・・ ・・・・・・ 2012/08/21 つれづれに * 大手大橋にて 先週土曜日の早朝、何時ものようにポタリング(ミニ・サイクリング)の 大手大橋で、ヒキチャリをしながら歩いていると、後ろから声をかけたれた。 車椅子に乗った隻手の男性で、恐らく交通事故で右腕を根元から切断、下半身 麻痺で自走式車椅子。私の電動アシスト自転車に興味を持ち声をかけてきた。 電動アシスト自転車が如何に良いか説明すると、自分の車椅子が電動切替え式で、 背後に電動モーターがついていて時速6キロという。何度か薄暗い中、かなりの スピードで走っているのを見たことがあった。人それぞれの運命と人生がある。 ところが昨日の朝、いつものコースの信濃川の土手を走行していると、 屋根つきの休憩所で30歳前後の男女二人が、その電動の車椅子を畳んでいた。 本人は不在で、まさか聞く訳もいかないし、そのまま遣りすごしたが。 その前に何か(熱中症とか?) あったのだろう。ポタリングを始めて4年目 になるが、続けていると色いろある。そういえば、雀が少なくなった。 去年の大雨で河川敷の雑草地に水が使ったせいだろうか。 燕も少なくなった。多いのはカラスだけ。 ・・・・・・ 2012/06/15 閑話小題 * 自転車のパンク 4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、 年に二回はパンクをする。たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで 自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと割り切っている。 一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。昨日もパンクを したので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を 聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。4kのため 次世代が店を継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、スーパーが 大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。パンクの修理時間は平均、 20分。それで千二百円は悪くないが、私の見立てでは一日4〜5人。 奥さんがパートなら兼業商家なら何とか? ・・・・・・ 2012/04/14 閑話小題 * ポタリングを再開 早朝のミニ・サイクリング(ポタリング)を再開した。冬期間を除いた 4月〜11月の間、一時間かけ信濃川の二つの大橋を一周する。6時過ぎから 7時過ぎにかけての時間帯だが、何とも清々しい。電動アシスト自転車の効能で、 午後の二時間のスポーツジムを加えると、三時間も運動している。平坦な習慣の 組み合わせのためかアッという間に一週間が経ってしまう。電動アシスト自転車 の使用目安を5年と決めているので、半分使え終えたことになる。電動自転車は、 お薦めである。手段(自転車)が、目的(朝の運動)を変えてしまう (ウォーキングからポタリングへ)典型的事例になる。これからはスマート フォンとタブレットPCの普及が、ビジネスや生活パターンを根こそぎ 変え始めているが、手段の進化は、人間生活を間違いなく良くしてくれる。 ・・・・・・ 2011/11/08 閑話小題 ー自転車からの風景 * 焼鳥屋、鳥梅 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。 幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。ある日の午後、そこに 遊びに行くと、今から思うと焼鳥の串さしの仕込みを、御父さんがしていた。 子供なりに、仕事の場には近づいてはならないことは知っていた。 ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。そして、 食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れ ないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、 成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが 店に出ていた。その店の前を二月ほど前に早朝のポタリングの帰りに通ったら、 店の看板が無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除 をしていた。そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に聞いてみたところ、 「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。姉さんも高齢と不景気 で止め時と言っていた」という。それにしても、幼稚園時代の記憶の原点の 一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。 ・・・・・・ 3777, ポタリング 2011年07月29日(金) 最近、面白い言葉ーポタリングを知った。 −ネット辞書によるとー 【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光名所 などに自転車を用いる「散歩」的なサイクリングをいう。 散走とも言う。 サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】 中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、チト 違うようだ。毎朝、ウォーキング代わりに、信濃川まで一時間、自転車で散走 をしているが、サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリング という言葉があった。「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。 自転車は野球帽を少し深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。 また電動アシストなら、エネルギーは普通の自転車の三分一か、五分一で済む。 近くのSCや図書館に気楽にいけるのも良い。この御陰で生活が一変した。 イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、目的は自転車に 乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、長距離で、自転車で旅行を する場合につかう。 東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの 場所に行くことが出来る。 現在、早朝の信濃川のポタリングが主だが、 今度は午後などに折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングする のも面白そう。そうこう考えると、周囲に面白いことは、山ほどある。 ただ気づいていないだけである。ベストの敵はベターというが、その通り。 それにしても「ポタリング」という語感がよい。 これから少し与太るで、 「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。陰鬱の時、少し与太らないと やってられない。 でも、自重の時期である。で、自転車でヨタルしかないか。 少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、安い折りたたみでも買うか? でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?
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| 5293,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑧ |
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2015年09月11日(金)
ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 自分とはいったい何者なのか? 世間を馬鹿にしているところが、いやに同調できる。『閑』という字が ある。門の中に木がある状態、その木を己とすると、『独』の状態。 それを自分の中で守ってこそ、自分と他者との分別が可能になる。それが、 出来てない、他人志向的傾向の強い人たちを世間様と定義つけている。 大方八割?の、世間にまみれた人たちに揉まれ、そこで、己とは何者なのか を自覚するのは、並大抵でない。世間を見下しながら、そこに依存をするしか ない己の心情を、以下で明晰に表現している。 〜その辺りから抜粋 ≪ 自分もまた俗世間を馬鹿にしており、誰よりも高みにいる気でいたわけだ。 なのに、そんな自分が世間から排除されたことにこれほどまでに傷つくとは! 私のこれまでの世間への侮蔑は単なるポーズに過ぎなかったのか? それとも、 私が世間を拒絶するのはいいが、世間が私を拒絶するのは許せない、と、 そういう理屈なのであろうか? おそらく、そういうことなのだろう。 私のとどまるところを知らぬ ナルシシズムは、自分を高い高い場所に押し上げ、超然と世間を見下ろして いるつもりだった。なのに、その下々の世間から「おまえなんかいらない」 と言われたことで、私は激しい屈辱感を味わい、同時に、自分がずっと見下して きた世間からの評価をいかに必要としていたか、強烈な痛みとともに思い知った のである。これほどまでに尊大にして卑屈な人間を、私は他に知らない。 私は己の愚かさに呆れ果てているが、それは自己卑下と-か謙遜とかいった ものとはまったく別の次元のものだ。 私はいったい何者なのだろう。この問いに、またもや私は立ち返る。 何度も自分に問いかけ、一度も答えを得られなかった問いだ。これからも たぶん、答えなんか見つからないに違いない。その答えを見つけるには、 私はあまりに己を知らな過ぎるのだ。 私は何者なのかを突き止めることが 私の人生の大命題なのだとしたら、これはもうきわめてパーソナルなテーマ であるから、世間から承認されたり評価されたりする類のものではあるまい。 私がその答えを見つけたとしても、誰の役にも立たないからだ。 ならば、私は世間から排除されようが拒絶されようが痛くもかゆくもない、 ということになる。人がどう思おうと、私は自分のテーマを変えるつもり はない。私は私にしか興味がないのだ。 そんなふうに考えたら、なんだかちょっと気が楽になってきた。 おそらくこれからも私は態度を改めることなく、世間を馬鹿にし続ける だろうし、そんな世間から許しをえたいとも思わないからだ。 世間が私を必要としなくても、私が私を必要としている限り、私は私の ために生き続ける。それがどんなに傲慢なことかわかったうえで、あえて そういう生き方を選択する。 このように私が世間と隔絶した場所で生きようとすることと、私が本気の 言葉を諦めずに人々に投げかけ続けることは矛盾しているように思われるかも しれない。が、私が言葉を投げかける相手は、決して「世間」ではない。 私が言葉を届けたいのは、わざわざお金を払ってまで私の文章を読んで くれる人々だ。その人たちの心に何かが届けばもうそれ以上は望むまい。 私はずっと「私とは何者なのか」という問題に拘泥し続け、その答えを得る ためになりふり構わず生きてきた。「私」を解析することで、広く「人間」 というものの核心に迫れるのではないかと思ったからである。 私は「人間」を知りたかったのだ。 私とは何かという問いから始まって、 人間とは何かを突き止めたかった。・・・ ≫ ▼ 現在の、私の心情に、重なる部分が多い。数十万人?に向けて書く 内容だから力が入りようが自然と違ってくるのだろうが、この湧き出て くる力は、心拍停止から蘇った経験があればこそ。そう、4年前の一連の 出来事が、『脱皮』だったことを、彼女の脱皮した文章から、自覚した。 『脱皮』といえば、51歳の時、母親を見送って、さて如何するか? と考えたとき、還暦までに、死ぬまでの大よそ30年分のしたい事を 可能な限り、やり尽くすと決めた。 その時も『脱皮』であった。 だから8割?の有象無象を無視できる! 人生、良いように出来ている。 ・・・・・・ 4928,パワレルな知性 ー6 2014年09月11日(木) * 人間の持つ二重性 『パワレルな知性』鷲田清一著 「ひとりの人を理解するまでには、少なくとも1トンの塩をいっしょに 舐めなければならない。」と、須賀敦子に諭したイタリア人の姑の言葉が、 古典や人とのつき合い方についての根本を示している。人間は、40億年の 生命の進化の歴史を背景に持つ複雑怪奇な生きもの。自分の中にある グレーソーンに多くの何かが隠されている。 ーその辺りからー ≪ ・・白黒つけられないこと、グレイゾーンにあることこそ、じつは大きな 意味をもっているのではないかとおもってきた。「噛みきれない想い」を 抹消しないこと、それが思考の次のステップの火床になるのではないか、と。 そのことを日常のさまざまな局面で確かめてみたかった。わたしは子どもの 頃から、物ごとを見るとき、表面上の意味とは反対の意味を背後に透かし 見る癖があった。その癖の源となったのは、幼少期のある体験である。 わたしは、京都の下京区という下町の生まれである。お寺が多く。 そこを通り抜けると島原という花街があるという土地柄で、わたしは子ども のころ、若い修行僧や芸妓さんとよく道ですれ違った。修行僧は冬でも裸足 に草履履で、服装もきわめて簡素で、逆に、芸妓さんはきらびやかなきもので 着飾っていた。子どものころのわたしは、「お坊さんは寒いのに可哀相やなあ」 とおもい、「芸妓さんは優雅やなあ。おいしいもの食べ、きれいなきもの着て」 とおもったものだ。 しかしその後、そうした表面的な印象とは逆の面が 見えた出来事があった。 ・一つは、祖母から「お寺さんは貧相な格好に見えるけど、わたしらが知らん 『浄土』という、この世にはない幸福を知ってはるんよ」と言われたこと。 ・もう一つは、芸妓さんがお座敷に出る前に地味な洋服姿で銭湯に行き、 帰り道にお宮に参って「早う故郷に帰れますように」と祈っている姿を 見たことである。 貧相の極みに見えた修行僧の心にはこの世ならぬ幸福があり、豪奢の極みに 見えた芸妓さんの心には寂しく哀しい想いがあった。わたしはそのことを 知って、「物ごとって、見た目だけやないんやなあ。わからんもんやなあ」 と、世の中に対する見方が少し変わった気がした。わたしが哲学の道に 進んだのも、子どものころから身についた‘物ごとの裏側を見透かす癖' が遠因となったのかもしれない。・・・ ≫ ▼ 実家が衣料小売商をしていて、4階建ビルの3Fに4〜10歳まで育った ため、日常が戦場真只中! その上に両親を含めた10人家族と、住込み 従業員が4Fと2Fに同居していた。更に猫と、猿と、犬が、同居とくれば、 まさしく小説の世界。そこで、子供ながらに、様々な不条理の場面を見てきた。 子供でも、裏と表が分かるのである。そこでは、まずは自分を自分自身で守る しかなかった。その中で、姉たちは、成績優良だったから、いま考えると不思議。 その末っ子となれば、「沈黙こそが金」を身につけざるを得なかった。 全てがグレーゾーンで、裏も表も、斜めも、底もある生々しい世界で、娑婆 そのもの。それが、その後の社会経験の中で、危険な場面を乗越えるノウハウ になっていた。 直感的リスク管理が、幼児時代に身についていたことになる。 人間科学を学び続けて知ったことは、『人間の持つ多重性』である。 幼児、少年時代の、この体験の上に、学生時代の寮生活と、武澤ゼミの 「ケーススタディ」が加わっていた。今回の節目の一連の構えを備えていた のも、それらの蓄積があればこそ。人間の持つ多重性の奥底を知ればこそ。 で、この結果、この様だから、何を言わんか。それにしても、見え過ぎるのも、 面白い反面…?奇妙なもの! 後記)ところで、読み返してみたところ、私の内容の方が中味が濃い? いや、丁度よい? 悪い? ・・・・・・ 4561, 2050年の世界 ー4 2013年09月11日(水) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) 本書は(第一部:人間とその相互作用)(第二部:環境、信仰、政府) (第三部:経済とビジネス) (第四部:知識と科学)それぞれ5章の合計20章から成る。 人間、宗教と政治、経済、知識と科学の、4つ括り。 次回からは後半ほど面白いため、20項目の一番最後から⑳⑲⑱⑰と 逆向きに取り上げる。 ーまず目次からー (第一部:人間とその相互作用) ① 人口の配当を受ける成長地域はここだ ② 人間の病気の将来 ③ 経済成長がもたらす女性の機会 ④ ソーシャル・ネットワークの可能性 ⑤ 言語と文化の未来 (第二部:環境、信仰、政府) ⑥ 宗教はゆっくりと後退する ⑦ 地球は本当に温暖化するか ⑧ 弱者が強者となる戦争の未来 ⑨ おぼつかない自由の足取り ⑩ 高齢化社会による国家財政の悪化をどうするか (第三部:経済とビジネス) ⑪ 新興市場の時代 ⑫ グローバリゼーションとアジアの世紀 ⑬ 貧富の格差は収斂していく ⑭ 現実となるシュンペンターの理論 ⑮ バブルと景気循環のサイクル (第四部:知識と科学) ⑯ 次なる科学 ⑰ 苦難を越え宇宙に進路を ⑱ 情報技術はどこまで進歩するか ⑲ 距離は死に、位置が重要になる ⑳ 予言はなぜ当たらないのか ▼ これを見ていると、人口の推計以外、どれもこれも、この程度ではない?と。 日本一つ取り上げてみても、40年前の1973年は高度経済成長の真っ只中、 石油ショックで茫然自失。12年後にバブルが発生、5年後にバブル崩壊。 そして、失われた20年を経て、リーマンショックと東北大震災。現在は 1000兆円の借金を抱えている。明らかに10年後は国家破綻国の可能性が大。 まして、40年後は・・・ それでも、叩き台として想定するのは必要である。 最終章の「予言はなぜ当たらないのか?」の答えは、「土台無理のテーマ」。 情報化によるグローバル化で、世界が平準化していく結果は、誰も想定出来ない。 ・・・・・・ 4186, 閑話小題 ーヨーカ堂の正社員削減 2012年09月11日(火) * オスプレーを一番必要としているのは日本じゃないかい? 政府がトラフ地震の被害情報を発表してから、次の大震災に対しての被害想定 が表立ってきた。道路が寸断された災害地に対する緊急の救済にヘリコプター が一番有効に働くが、短距離しか有効に働かない。問題は中距離からの輸送。 そうオスプレーのような中距離の大量空輸が可能な緊急輸送手段こそ必要になる。 被害地の近くに飛行場は無いのである。問題は数千、数万の命に関わる問題、 危ないとかいっている場合でない。尖閣列島などの領土問題でもしかり。 もし戦闘になった時に最も必要になるのは中距離輸送。 オスプレーの着陸は、 別に住宅密集地にする必要がない、問題はコース。ヘリ機能はコースを如何 ようにも変えられる。こういう意見は、この国では口に出せない。 出せば袋叩きになる。何かがおかしい! * ヨーカ堂の正社員削減 ヨーカ堂が現在の正社員8600人を4,000以上削減すると発表し、 パート比率を90%に引き上げるという。それだけ、経営状況が悪化している ということだ。 ヨーカ堂グループは、セブンイレブンを持っているので、 グループとしての経営体質は良いが、その発生の元のGMSの業態のヨーカ堂店舗 を多く抱えている。それが正社員比率を一割まで減らすというから驚き。 店舗も一割削減するため均衡縮小になる。情報機器が高度化しているため、 それほど店舗レベルの質の低下は避けられるのだろう。 地元の長岡駅前のヨーカ堂は、私と家内の目からみて死に体の店。 ファッション、雑貨に買いたくなる商品が皆無。 ・・・・・・ 3821, 哲学人 ー� 2011年09月11日(日) * ウィトゲンシュタインの『論理哲学考』 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より ー まずは、以下の箇所である。 【 オックスフォードでは、しきりとこの本「論理哲学考」が参照されていた けれど、学生は読むように勧められていなかった。これを理解するには、 論理学の技術に習熟する必要があったからである。・・ 私はこの本に取り組む 準備はできていると感じた。 このような本だと知ったときほど驚いたことは、 あとにも先にもないのではないだろうか。オックスフォードでは『論理哲学論考』 は常に論理実証主義の基礎をなす文献として挙げられていた。ところがきちんと 読んでみると、その中心テーマは論理実証主義のほぽ対極にあった。 論理実証主義者は、世界に関するあらゆる真理探究を科学に同化させる傾向が あり、その結果、科学を律する基準によってすべての真理探究活動を判断し、 科学的発言に適用されるルールによってすべての発言の妥当性を判断した。 観察か経験により立証されるものしか、世界について知ることはできないので あり、確実な論拠を提出できるものしか、有効に、もしくは正当に語ることは できない。だが重要な事柄はすべて、少なくとも原理上は語ることができるはず。 そして曲がりなりにも語ることができるものは、明確に語りうるだろう。 『論理哲学論考』は、こうしたこととは正反対に、きわめて重要なものの ほとんどはまったく語ることができず、言葉を使ってもせいぜい示すことが できるだけと言いきっていた。それは示されうるとしても、語ることはできない のだ、と。 また、「論理哲学諭考』は科学をあまり評価していなかった。 命題言語が有効なのは、経験や分析に基づく真実、すなわち事実と論理にかわる 事柄を表現する場合にかぎられる。それ以外の分野では、役に立つというより むしろ誤解を招きやすいので、有益というよりむしろ有害となりやすい。 このため、私たちにとってきわめて重大な意味をもつ問題はどれもその範囲の 外にあることになる。倫理・道徳・価値観に関する疑問・人生の意味に関する 疑問、自我や死の本質に関する疑問、全体としての世界の存在に関する疑問は、 観察にも論理にも解決できない。したがって命題言語が扱えるものではなく、 強引に命題言語で処理しようとすれば、行き詰る結果となる。】 ▼《『論理哲学論考』は、きわめて重要なもののほとんどはまったく語ることが できず、言葉を使ってもせいぜい示すことができるだけだと言いきっていた。 それは示されうるとしても、語ることはできないのだ、と。また『論理哲学諭考』 は科学をあまり評価していなかった。命題言語が有効なのは、経験や分析に 基づく真実、すなわち事実と論理にかわる事柄を表現する場合にかぎられる。 それ以外の分野では、役に立つというよりむしろ誤解を招きやすいので、有益と いうよりむしろ有害となりやすい。》 上記の中で、この部分は非常にシビアで、 したり顔で小理屈を述べている学者風の人を一言で切り捨てている。これは哲学 の否定でもある。語りえないことを、哲学は求めていることになる。 論理実証主義者と言語哲学者たちが、この『論理哲学考』を全く誤解していた ことになる。 *「論理は考えられるもの」の範囲を定める。 * 語りえないものには沈黙を * 言語は「写像形式」によって世界につながっている。 言語はものや出来事を写し取って名前をつけたもの * 言語が対象に意味を持たせる=言語ゲームの始まり、である。 「言語が語れることだけが思考できる範囲」と言うが、私として、 「解釈できる範囲が思考できる範囲」であって欲しいが。 ・・・・・・・・ 3456, 渥美俊一氏死去 −2 2010年09月11日(土) 一回の追悼文で終わる予定だったが、何か言い足りないので更に書く。 7月21日に亡くなったが、どういう訳か死亡記事を見過ごしてしまった。 知人に聞くと日経新聞に小さく載っていたという。氏の業績から言えば、 より大きく取り扱われてよいのだが、既に時代が変ってしまったか? 所詮はスーパーの神様でしかないのか。早くいえば、流通先進国アメリカを ウォッチング、そっくり真似をし、日本の遅れている流通経路に新しいバイパス を創りなさい、ということである。「大量生産、大量消費の間に、大量流通の 仕組みつくりを、それぞれの立場で、新業態をつくること、それをロマンとして 志すべし」は、高度成長期には正しいことであった。その時期、ジャスコ、 いとはん(その後、北陸ジャスコ)に勤ていたので、濁流の渦で色いろな現象 を目の当たりに見てきた。バブル崩壊。以降、今度は激しい生存競争に晒される。 その中で、長崎屋、マイカル、ダイエー、西武流通グループなどが次々と姿を 消していった。大手で残ったのがジャスコ=イオン、ヨーカ堂だけになって しまった。その二社も最近、変調をきたしてきている。 (字数制限のためカット 2011年9月11日)
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| 5292,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑦ |
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2015年09月10日(木)
ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号) 〜心肺停止になって考えたこと! 中村うさぎ * 私の物語、私が書かずに誰が書く 一年前に50回に渡ってー「事業人生を決心して45年」の語り直しー を書いていた。思い浮かぶままの書きなぐりだったが、傍目からみたら、 バイアスがクッキリみえていたのだろうが、それが、その時の私自身である。 それも他人に向けて書いた内容ではなく、自分自身の旅路をそのまま書き 残したもの。あとで余禄も書いてあったが。 〜その辺りから ≪ 我々は皆、それぞれの思考や感覚の癖によって歪められた主観世界に住み、 自分に都合よく書換えた物語を生きている。登場する他者たちもリアル世界 の存在ではあるものの、そのキャラクターは主観者によって解釈され色付け されるため、被害妄想的な物語を紡ぐ者にとっては迫害者となる一方で、 同じ人物が別の人間の目には英雄的存在として映っていたりするわけである。 したがって、どれが本当の物語なのかは誰にもわからない。いや、本当の 物語などないのかもしれないのだ。マリー・アントワネットやヘンリー8世と いった歴史上の有名人物も、その語り継がれたエピソードを忠実に再現しても なお、解釈のしようによってその人物像はいかようにも描かれ得る。 私は私の物語をできるだけ正直に書こうと心がけてはいるが、己の主観の歪み からはどうしても逃れられないため、公正なる第三者(そんな者がいるとして)の 目から見ると、かなりバイアスのかかった物語になっている可能性も大いにある。 それを考えると「正直でありたい」などという‘夢'というか、途方もなく 誇大妄想的な万能感に基づく放漫な野望なのかもしれないのだ。 だが、私はそれを承知していてもなお自分の物語を書かずにはいられない。 私の物語を私の視点で語れるのは、この世に私ひとりしかいないからだ。 私が書かなくて誰が書く、といった心境である。いや、ぺつに誰も書かなくて いいけど。どうせくだらない物語だしね。 しかし私は、ただでさえ少ない 脳みそをぎゅうぎゅうに絞っては、必死で己を表現しようとしている。私が 「言葉」を諦めないのは、自分の物語を諦めたくないからなのかもしれない。 私が体験したこと、私が感じたこと、私が見てきた世界の風景を、ありのまま に届けたい。それは何故か? 私は何を伝えたいか? おそらくこういうことだ。 私が何者なのかを、私は知らない。自分が何のために生きたかもわからない。 そんな無知蒙昧な私が己の人生を通して、どのような答えに行き着くのか、 私とは何者だったのか、私の人生にはどんな意味があったのか、それを 読者に問いたいために、私は私の物語を書くのである。 正確なジヤッジを下して欲しいから、できるだけ正直に書きたい。 私の主観によるバイアスも含めて、私という人間を客観的に解読して欲しい。 その結果、とんでもない詐欺者だという結論を下されようが、ただの頭の おかしい自己顕示欲女だと言われようが構わない。私は他者の目にどう映るか… それが知りたいから、私は書く。間違っていようが狂っていようが、私の中の 本気の言葉を書き続ける。「言葉」は私の神であり、「言葉」は私自身である。 そんな私の言葉を信じなくても構わないし愚弄したければしてもいいが、 わざと歪曲するのは許さない。無意識から生まれた曲解であれば仕方ないけど、 故意にやったらそれは悪意だ。私に対する、いや、私の「言葉」に対する 侮辱なのである。・・・ ≫ ▼ 人の口は歪曲そのもの。その歪曲を許せないとは! とすると、 己の歪曲もまた許せないことになる。そこから悩みも矛盾も出てくる。 物書きだから、仕方がないとしても・・『日々是口実』と自覚を持てば、己も、 他者の歪曲も許せ、見逃せる。 自分の物語を書き出すことは、自分の歪み、 壁に気づくことになる。 それこそが自分自身であると自覚することになる。 ・・・・・・ 4927,パワレルな知性 ー5 2014年09月10日(水) * 専門主義と、教養 『パワレルな知性』鷲田清一著 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に 影響する経験や知識でない純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、 音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、あらためて現在の 自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ること を可能にする。見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。 ーその辺りからー ≪ 学者や専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、 専門外の領域に対しては、越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外 の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の時代に、そんな態度は とれなくなってきた。 ・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、 じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうの プロというのは他のプロとうまく共同作業ができる人のことであり、彼らに じぶんがやろうとしていることの大事さを、そしておもしろさを、きちんと 伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けること のできる人だということになる。一つのことしかできないというのは、 プロフエッショナルではなく、スペシャリストであるにすぎない。 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロで ありうるためには、つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。 「教養」とは、一つの問題に対して必要ないくつもの思考の補助線を立てる ことができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの 異なる視点から問題を照射することができるということである。このことに よって一つの知性はより客観的なものになる。そのためには常日頃から、 じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、心懸けて いなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいい アンテナを張っていること、そう、専門外のことがらに対して狩猟民族が もっている感度の良さが必要である・・≫ ▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口 の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事 にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた 習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。 それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。 知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる? ・・・・・・ 4560・横尾 忠則の老人論 ー3 2013年09月10日(火) 「猫背の目線」横尾 忠則 (著) * コスプレの公開制作が面白い! コスプレはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為。 画家が、自分の描く風景の登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで 色いろな職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。 それも数日で同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んで いるうち、その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も 身体も全身仮面で時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。 化粧と服装も、自分が主役のTPOSに合わせたコスプレ? ギャルとか、 キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・ ーその辺りの箇所からー 《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、 当初アトリエがなかったため美術館のスペースで絵を書く事が多かった。 それもただで場所を提供してくれるところはなく、「貸してあげるが公開制作 にしてくれないか」という条件が出された。絵は本来アトリに独り籠って かく孤独な作業なのに人前で描くということは考えてもいなかったので、 果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、 むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。 人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、ストレスの原因を生むが 慣れてしまえぱ平気。背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのが ヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの中でエネルギーに変換されてより 創造的になることを発見した。この場合の創造というのは無私になること。 不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。そう言う意味で座禅に近い のかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。 その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。それはは考えるという ことと描くということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早く なり、手と心が同化していくのがよくわかる。だから時には一日で150号大 の作品が描き上がることさえある。観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで 見ているのが体に伝わるので、思わず手を休めるのを忘れ描き続けてしまう。 このことが描きてであるぼくを解放する。公開制作の味を占めたぽくは最近 また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。 公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。 そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。 街でよく見かけるー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてー とこんな風景をよく見かけるでしょう。つまり鳶職スタイルである。 他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。 最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、次はケラケラ笑う。 それも一瞬、こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を 打ったようになる。 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面 になり、人格も他者になるわけだから不思議な解放感に襲われ、その結果、 実に自由な気分になるのである。そして描く行為そのものも絵と同じように 作品化されてしまう。だから観客はパフォーマンスを鑑賞することになる。 制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、 まずお客は場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。 われわれに向ける視線には明らかな拒否反応の色が見える。 「作業着のままでよく、ソフィスティケイトされた美術館のレストランに 入ってくるわね」という視線を投げてくると同時に「レストランの人たちは 何もいわないのか」と。ぽくがコスプレしていることがわからないのだけど。 そんな反応をぼくは実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、 普段体験できない経験にほくは悦に入っているというわけだ。》 ▼ それは、自分自身にも人間そのものにも当てはまる。両親合作の心身を 「魂らしい自分の芯」が、コスプレ? としての自分を見つめ続けている。 さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、その環境の一人として、まず 服装から当事者になってしまう。そして観客も、その場の一人として 引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。 ・・・・・・・・ 4185, 呪いの時代 ー4 2012年09月10日(月) 「呪いの時代」内田樹著 * 脊髄反射的その場のつくろい ー第3章「後手」に回る日本ーより 島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要。 しかし、情報化社会では、それは許されるものではない。現在の日本の政治は、 毎年、首相を交換させることで、その場のつくろいをしているに過ぎない。 それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて強いない。 そして一年もしないうちに引きずり下ろされる。 ー以下の部分は、その理由を端的についている。 ≪ 日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道で言うと、 アメリカは基本的に「先手」の人であり、「日本は後手」の人ということ。 欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像という ビジョンがあり、それが国民的規模で共有されている。日本には、そんなものは ありません。終戦時に、それがなかった。とりあえず「アメリカ人が日本が かくあるべしと考えていること」をもって国是とした。「自分で与えた憲法の 理念と背馳する命令が出せるほどの強大な国家には従属するしかない」という 経験則が存在したということです。それが日本の国是です。アメリカに従属する。 ・・相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく全神経を集中すること。 どれを武道では「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて 身動きならない状態ですが、構造的に「負ける」ことです。日本の政治が三流 であるということはそういうことです。政治家個々人の資質がどうこうでなく、 構造的に負けているのです。国家像が描けない、統治原理が語れない、外交 戦略が起案できないというのは個別的な知性の問題でなく、日本人全員が罹患 している国民的な病です。・・・ ≫ ▼ 現在、日本が直面している問題は、まさに上記のことによる。数十年に 渡って、間接的米国隷属国家として、当然、と言えば当然で、これしか 出来なかった。上司と部下の関係である。アメリカには建国の精神がある。 独立宣言書である。何かあると、ここに立ち戻って、立て直す。問題あるのは、 それから軌道がそれたと理屈づけ軌道修正をしてきた。明治維新も、太平洋 戦争の敗戦も、アメリカの圧力で変化を余儀なくされた。それに日本人の 特質もあり、後手という守りしか手が打てなかった。 現在の領土問題も、 これから起因して周辺各国から遊ばれている状態。 〜つづく ・・・・・ 3820, 哲学人 ー� 2011年09月10日(土) * 現実と経験と言語は一緒ではない ー「哲学人」ブライアン・マギー著より ーまずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分からー 【 言語が経験を構成するというのである。この見解について ジョーン・サールが、明快に述べている。 ≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。 むしろ、私が言おうとしているのはこういうことです。何を現実とみなすか ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、一脚のテープル としてみなすか、どういうものを同じグラスとか違う本とか二脚のテープルと みなすかー は、私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。 そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なも。それだけではありません。 世界を経験するとき、私たちは経験そのものを形成する際に役立つ、言語的な カテゴリーを通じて世界を経験しているのです。世界はもとから物体と経験 に分かれて存在しているわけではありません。何を物体とみなすかは、 もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう 知覚するかは、その表象体系に影響を受けているのです。 言語を世界に適用 することを、いわばみずから独立自存する物体にラベルをつけることだと想定 するのは間違いです。私の考えでは、世界は私たちが分類するとおりに分類 されるのであり、事物を分類する主な方法は言語によるものなのです。 現実の把握は、言語的なカテゴリーしだいなのです。≫ この考え方はいまなお、哲学者ばかりか、文学や言語学をはじめとする 他分野の専門家たちによって、さらには、一部の社会学者や人類学者たちに よって唱えられている。「何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の 一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、その表象体系に 影響を受けている」という点について、私もサールに賛成したいし、誰もが同意 しなくてはならないだろうが、私としてはこれをカント哲学的な意昧に解釈 したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、 もしくは第一に言語という性質をもつとする点は認められない。考え方と してはわかる。 わからないのは、そしてこれまで一度として理解できた ためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。 というのも、それは私の直接の経験によって真っ向から否定されるように 感じるからである(この点に関して私が特殊であるとは思えない)。】 ▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にする つもりだが、それが、この30年の構成の提示になる。創業10年、中間期 10年、最後の10年、そして最後に、どのような終わり方をしたか?、 その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するか。 30年、人生の事業生活の大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で 終わったということ。その視点を失うと、総括は不可能になる。炎上している 世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて変化している。 その中で、言語的分類の枠組みを立て直すことが、まず求められる。 「3つの震災が何もかも飲み込んだように見えるが、実は情報化の潮流に飲み 込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。分類は分析の第一歩。 そのプロセスが総括。そこで価値(意味)を自ら下げることもない。 今までの価値観のコペルニクス的転換の時。ここの小テーマが「現実と経験と 言語は一緒ではない」である。 当然、この小テーマが問題になる。 「言語は、それを構成する」だけ。消滅してしまった事業の総括。 ただ、それだけだが・・あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。 意思決定から45年である。 ・・・・・・・ 3455, 渥美俊一氏死去 2010年09月10日(金)
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| 5291,「うさぎちゃん」が、心肺停止になって考えたこと! ー⑥ |
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2015年09月09日(水)
ー私は「言葉」を諦めないー(新潮45/5月号) 〜心肺停止になって考えたこと 8! 中村うさぎ ☆ 「口先コミュニケーション」 6月号を読んだ後、逆順の5月号の内容になる。私同様に、彼女もまた 世間様といわれる人たちを蛇蝎のごとく嫌っていて、その理由を、わざわざ、 「口先コミュニケーション」と項目を立てている。何も考えようとしない輩。 その言葉が、自らの想いや考えを伝えたり、まとめる手段ではなく、適当な 世間話の手段でしかないことを指摘する。彼らは、他者の理解など出来ようも ないし、必要もない。何故なら、会話と対話の差異を知りようもないし、 対話など死際での家族とのやり取りか、窮地に陥った時ぐらい。『新潮45』 の読者にも、世間様が存在することもあって、「口先コミュニケーション」 というお品のよい言葉にしたのだろうが、この一連の彼女の手記の多くが、 ドブネズミたちに言いたいこと、そのままが素直に書かれている。 〜その部分を抜粋〜 ≪ 私には、人の気持ちがわからない。同じ世界に生き、同じ空気を吸って 同じ場を共有し、同じ風景を見ているつもりでも、おそらく私の目に映って いるものと他人の目に映っているものはまったく違っていたりするのだろう。 我々は「主観」という名の脳内世界を現実世界だと思い込んでいて、 それがどんなに歪んでいても気づかないし、たとえ間違いを指摘されても おいそれとは自分の世界を描き変えられない。 こうして我々は、すぐ隣で 肩を並ぺている人とまったく違う風景を見ながら同じ体験を共有している気分 になっているのだ。そして、同じ風景や体験に一緒に感動しては、相手と心が 繋がったように錯覚している。本当は、それぞれが全然別の物語を生きている というのに。ああ、諸君。このようなことを私はずっと以前から了解していた はずだし、他人が感じていることと自分が感じていることは違うのだと己に 言い聞かせ、それを思い知らされるようなことが起きても動じない心づもりで あった。 『が、実際には、私は何もわかっていなかったのである。』 その証拠に今回、自分を理解してくれていると思っていた人々がまったく 理解もしていなければ信頼もしていなかったこと、私と仲良くしてくれている と思っていた人が私を蛇蜴のごとく嫌っていて陰でその心情を吐露しまくって いたことを知って、心の底から驚いてしまった。こんなのは世の中によくある ことなのだろうが、少なくとも私にとっては近年まれに見る出来事であった。 何故なら「周囲の人々」は心にもないお世辞や表面的な社交辞令などを言わず、 むしろ毒舌と呼ばれながらも本当に思ったことしか口にしない人々であり、 しかも言いたいことは相手に面と向かって告げる人が多いので、今回私を 驚かせた人々がずっとやっていたような口先だけのコミュニケーション作法 をすっかり忘れていたのだった。 だが、諸君、私は問いたい。 言葉が自分の想いや考えを伝えるものでなく、適当に相手をごまかすための ものならば、我々は他人の言葉の何を信じればいいのか。そして、そのような 口先コミュニケーションが世間一般の常識なのだとしたら、「誠実さ」とは いったい何か。そんなものは幻想なのか。少なくとも私は心にもない言葉は 絶対に言わないように心がけてきたし、たとえ相手にとって耳触りが悪くても 伝えるべきことはきちんと伝えてきたつもりである。それが「誠実さ」だと 私は思っていた。だが彼ら彼女らはそんな私を「幼稚」で「無神経」な人間 と思っていたようだ。 まあ、確かに「無神経」なのは認めよう。こんなにも 人の気持ちがわかってなかった私が繊細な感受性など持ち合わせているとは 思えない。しかし、それなら彼ら彼女らは、人の気持ちがわかっているのか。 少なくとも彼らは私が本気で語ってきた言葉を一切理解してなかったし 信用してもいなかった。私がどれだけ本気かわかっていなかったのだ。 彼らは私のことも自分たちと同様の口先人間だと思っていたのだろうか。 ならば、彼らはまったく私という他者を理解していなかったことになる。 そんな人たちに「人の気持ちがわかる」はずがないではないか。 彼らは私などより遥かに「空気の読める」人々である。だが、空気が読める からといって、人の気持ちがわかっているわけではなさそうだ。(略)・・ ・・ 私にとっては無意味な人間関係だが、それで彼らの世界が回っている のなら、それでよかろう。永遠に空気なるものを読みながら、中身のない 価値なき言葉を吐き続ければいいのである。それが君たちの入生だ。 そして、そんな君たちの人生や処世術に、私は何の関心も持てない。 念のために言っておくが、私は彼らの人生に価値がないと言っているのでない。 彼らの人生には彼らなの価値がある。ただ、その人生においては、言葉に 価値が与えられてないだけ。彼らは言霊のない世界に住んでいて、そこでは 空っぽの言葉が行き来している。が、おそらく言葉ではなく別のものに 価値があるんだろうから、それはそれで、いいんじゃないかと思う。≫ ▼ 死の間際から生き返り、改めて身辺を見たときの澄みきった感覚は、 4年前の経験や、過っての色いろ味わってきた。 「うさぎちゃん」が 怒っているのも、彼女の、それまでの脇の甘さからくるもの。世の人は、 大体が、この程度のものと達観すれば、そこに慈愛が湧き出てくる。 それだけ、世人は口先人間が、目先で、口先で、空っぽのことで騒いで いるに過ぎない。それを怒るとは、彼女自身も、同類になってしまう。 しかし、それらの多面をとらえて、全身で受け止めるのも彼女だからこそ。 『よくぞ、書いてくれた!うさぎちゃん』である。でもアフォか! 誰が? ・・・・・・ 4926,パワレルな知性 ー4 2014年09月09日(火) * カフェという集い −③ 『パワレルな知性』鷲田清一著 カフェといえば、TV番組の中にカフェ方式をとったのを幾つか見かける ことがある。特に日曜日に多いのは、休日の居間をカフェに見立て、気楽に 一週間分のニュースを異種の人たちの対話を通して楽しませるため。 関西系の『そこまで言って委員会』『サンデーモーニング』『笑点』、 がそれ。知らないうちに、視聴者が、その場に居るような感覚になってしまう。 そこでは、テーマを提示して、異種の業界の人たちに議論を面白おかしく進行 させ、楽しませるキャスターの役割が大きな要になる。 レギュラーには、 それぞれ役割があって、本人も、それをわきまえ対話に参加する。 バラエティ番組も、その傾向があるが。視聴者の多くが、非専門家を前提に、 各種専門家の議論を楽しませるのだから、出演者たちは大変のはず。 グローバル化とは、「多文化共生」になること。 カフェに似た文化に、 イギリスならパブ、スペインならバール。バールは、イタリア、スペイン などの南ヨーロッパで軽食喫茶店、酒場のことをいうが、一日、一回は立寄り、 誰かと話す文化が深く根付いている。特に大都会は「異文化、多文化共生」 の傾向が強くなる。しかし、情報化の時代、世界中がネットで結ばれ、 異種の価値観が交差する中、逆に、自国の文化を知っていなくてはならない。 情報化だからこそ、カフェや、酒場などで直接、異質の人との対話の中から、 知見を得ることが重要になっていく。フィリピンパブとか、ロシアンパブの 痴的会話?でなく、あくまで知的対話が前提になるが・・ 最近、喫茶店が見直されてきたが・・ ・・・・・・ 4559, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー3 2013年09月09日(月) * 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が 絡むので、集団は非常に複雑でデリケートで、その研究から人間の本質が垣間 見ることが出来る。平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。 極限の生活で生きていく上で、常に分かち合うのが合理的であるからだ。 しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を生み出し、さらに グローバル化が、それに拍車をかけている。 ≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、人食いとか カニバリズムは見たことがありますか。 関野〕うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。 たけし〕「人食い人種」とか言うじゃないですか。 アマゾンやニューギニアで、そうした風習はなかったのかな。 関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことは あったけれど、それを食べたかどうかは分からない。生贄にする人間は、 誰でもいいわけではなく、強い戦士でないといけない。 勇気をもらうとか、 そういう意味があるんです。しかし、アマゾンで生き延びるために相手を 殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。理由は、 アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは 餓死することはあり得ない。・・・ たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、 慰謝科として何十万円か払ったら、次のレースから子どもを放り投げようと して侍つている奴がいたらしい。そういうバカなことが起きてしまう。 関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源は40年以上も前に ローマクラブが声明を出しているのに、経済が絶対的に右上がりでなければ いけないと思ってしまうのは、やはり欲望のせいでずよね。欲望が膨れ上がる ことによって、一部の人たちたけが富を独占しようとしているのが現代の社会。 アマゾンの人たちと暮らすと、すごく平等なんです。僕は人間が誕生した時に 平等でないと滅ぴていたと考えています。 なぜかというと、まず弱かった ということが挙げられます。太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われて いたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、 狩猟なんかできなかったと見ている。】 ▼ レヴィ=ストロースの構造主義などがある。アフリカや南米で残っている 「未開人」の地に何千年も変わらない社会がある。そこは彼らにとって意味の ある極めて合理的な社会である。決して、西欧が文明の最先端にいるのでは ないのである。その社会の特徴は平等。文明社会は変化の積み重ねの結果の 産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が続いてきた。 そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。 その熱い社会の方が優れているという進歩史観に促われてきたが、それを 根こそぎ覆す説こそ見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が 出ているからだ。 私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、 追い越せで必死に生きてきた。そしてバブルの崩壊から、失われた20年から、 30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、未開社会にある「冷たい社会」 のシステム。 ここに至って何が「東京オリンピック」である。 あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。 「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない 劇薬であり最後のトドメ。年寄の冷水(酒)か? 「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。 先がない私たちには、これでよいが? 「それでは、落選した方が良かったか?」と、問われれば、 どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか! ・・・・・・ 4184, 閑話小題 ーつれづれに 2012年09月09日(日) * 元IBM社長が・・・ ネット以外は、あまりマスコミでは流れなかったが、元IBM社長が アイフォンで女性の下着の盗撮をしたとか。男は50歳までは多かれ 少なかれ異常性欲者?たまたま超エリートが少し変わった趣味だったに 過ぎない、という同情もある。前科があったかどうかだが、 その後、マスコミが騒がないのは悪質で無かったためか。超エリートが、 その危険をかえりみず盗撮をするスリルの快感は本人しか解らない。 私など、最近、時どき深酒で、ある時間から記憶が無くなることがある。 「ハッとして起きてみたら留置場の中」なんてことがあっても不思議はない。 ネットの写真じゃ、満足できないのは分かるが。それにしても娑婆は面白い。 常にデジカメを持って歩いているが、気をつけないと! * 「あと20年以上生きそうな感じがする!」には驚いた 中学校の同級会で隣に座った男の言葉。私など不摂生もあり、 あと5〜10年が限度と思い込んでいたので、実のところ驚いた。 飄々とた何か仙人を思わせる雰囲気を漂わせているが、この感じなら、さも ありなんである。節制をしているから言える言葉。そこで自分を振り返ると、 どうみても十年以上は無理、せいぜい75歳。まず、そこを目標とすると、 あと8年4ヶ月。2021年1月15日である。何とか節制をすれば? しかし、現在の酒量からみて明らかに無理。毎日の晩酌が美味いのである。 最近、20歳位の人を見ると、「私より50年以上も長く生きるんだ」 という思いが先に立つ。去年春の一連の出来事、人生の側面からすれば、 人生の整理に入るためにフリーハンドになるため。それにしても、自覚は薄い。 で、幾つまで生きたいのか、自分に問うてみた。80歳である。 そこまで生きるべく節制するか、一年一年、二倍濃厚に生きるかである。 それとも、80歳を目標に節制しながら二倍以上濃厚に生きるか? 濃厚に生きなくても、実際に濃厚だから、このまま? ・・・・・・ 3819, つれづれに 2011年09月09日(金) * ドル安がジワジワと景気に影響をしてくる時節に入った。 それと新米の問題が出てくる。もし県内の何処かで汚染米が出たら、 全ての県内米に影響を与えることになる。ヒヤヒヤだろう、農業関係者は。 それと輸出業関係者もギリギリのはず。 * ドル安と同時に、ユーロも110円を割ってきた。 ECもピッグス=PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインなど) を抱え、足元が揺らいで いる 昨今、100円を割る可能性がある。 これも数年前から、破綻すると言われていたことが。そのため、金が一年で 5割以上も値上りをした。 金が上がったというより、欧米を中心とした 紙幣の価値が下がったため。 これは株式と国債が暴落につながってくる。 * 9月、10月のある日、欧州か、アメリカ発の株式大暴落の可能性が大。 日本国民は東北大震災で大打撃の現在、世界経済の変調の動きに鈍感。 三年前の9・15、そして、十年前の9・11ダブルの津波の波が、 いかに甚大なものか、イメージが出てこないのか。 大震災の直後、 識者も今更騒ぎ立てることもできない。 * 恐らく現在も事業を続けていたら、売り上げは更に3~5割減の筈。 資金ショートで、業者や給与も払えず倒産の頃。悪い倒産の惨状は地獄。 地方経済は、その一歩手前。 世界の何処から火の手が上がるか、木、金 曜日は要注意。ギリシャ国債の金利が20パー、ということは実質破綻。 欧州経済は、導火線に火がついた。{ 何か極度に悲観的のようだが、 まだまだ言葉が足りない。最悪に備えているかである。} ・・・・・・・・ 3454, つれづれに −政治談議 2010年09月09日(木) * 民主党党首選挙について 前にも書いたが中長期的にみたら、やはり小沢がなるしかない。 管首相は選挙管理内閣で終わるべき。まず、その器でない。それが役割以上の ことをすれば、それは国害になる。左翼運動家上がりが、さらに過激派だった 男を官房長官に据えれば、舵取りを間違えることは誰の目に見ても明らか。 実質オーナーの小沢を首班指名をされた途端に手の裏を返すとは、あまりに 露骨で稚拙である。まだしも愚衆の目を欺く演劇なら分かるが、本気でやる とは思いもよらないこと。それが、あの官房長官と財務長官の指名である。 ところ、あの世論調査ってのは何。 現在の政治と内閣は「世論調査内閣」 といってよい。 世論調査で政治の行方を左右するなど、亡国の極まりである。 100・250・500年スパンの世界的激変の時代に世論に動かされる舵取り など、とんでもないこと。タイタニックの船内の連中に海原の向こうの大波が 見えるわけがない。それを彼等の顔色に従って舵取りをするなど、最悪。 船内で揚げ足を取りの経験しかない彼らに船の舵取りを任せた国民も問題あり。 間違いに気づいたなら、早く政界再編をして、体制を作り変えないと国家破滅 になる。それはアメリカにとっても、中国にとっても望ましいこと? 自民も 駄目、民主党も駄目なら、それを解体して新しい枠決めをしなければならない。 また政治家の二代目、三代目しか、政治の表舞台に出れないシステムも、変である。 明治維新後、学歴を自力で上り詰めれば、誰でも出世のチャンスが、日本を 短時間に飛躍的に国力アップにつながった。どうも、こうも、日本は気がつけば 戦後65年で、頭から尻尾まで、腑抜けにさせられてしまった。それでもネット では小沢の支持が八割という。世論調査とかいうのは、どうも誘導された マヤカシでしかないと考えた方がよい。 蓋をあければ、小沢が間違いなく 勝つだろうが、それでも、この国の民度が異常な低下からみると、管首相の 続投も有りえる。その時は、間違いなく政界再編成しかない。 いずれにしても、あと数日で大きく政治も動き出す。
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| 5290,起業こそ、自分を超えていく道 〜『自分を超える法』ー② |
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2015年09月08日(火)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * 起業こそ、自分を超えていく道 ここで、「自分を超える5つの方法」を提示しているが、 キーワードは『起業』。実績あるの起業家が書いているだけに説得力がある。 〜アマゾンの内容より〜 〔考え方さえ変えればお金は必要ない。世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ の「史上最年少トレーナー」として活躍するピーター・セージ。22社の会社を 経営し、1兆円ビジネスを手がけるビジネス界の若き天才。 その「世界初の著書」で語られる、自分を超える「5つの法則」とは。〕 【著者プロフィール】からして面白い! イギリス若手No.1起業家。お金を使わずに、ビジネスを作り出すプロ。 世界No.1マーケッター、ジェイ・エイブラハムのビジネスパートナー。 資金なしから22社の企業を成功に導き、そのビジネス手腕は世界的に高い。 過去に二度、ビジネスパートナーを選び間違えて無一文になったものの、 2回とも再起してすぐに億万長者に戻った。また、3カ月間で、資産ゼロから 5億円の不動産を買うなど、極めて短期間で大きな結果を出したことで知られる。 最近では、起業家精神の分野で、世界のトップビジネススクールの1つである、 INSEAD(欧州経営大学院)の顧問委員会(パリ)に招聘されたり、学生企業家 協会の世界大使としてCEOに任命されるなど、経営のかたわら、講演家や コンサルタントとしても活動中。 また、ピーターは年に約1カ月間、自発的 にボランティアとして世界中を旅をしており、チャリティとして世界中から のべ数千万円もの金額を集めた。現在は「スペース・エナジー」という 事業に携わり、宇宙空間で太陽エネルギーを発電し、地球に供給する 「1兆円プロジェクト」に取り組んでいる。 ▼ プロフィールだけでも面白い。起業を勧めると同時に指導者でもある。 規模が桁違いだが、起業原理は納得する部分が多い。何かを決めるとき、 「安定感」を基準にすることより、「居心地のよい不安定」を優先せよ、 とは、成長過程では当然のこと。チャレンジ、チェンジ、コンペティション の成長サイクルでは不安定感がつきもの。20歳代に、この本が傍らに あったら、また違った人生になっていたはず。世界が大きく変化する中、 適応した新システムを提供することで、基盤を拡大するには起業しかない。 その点で、まったく力不足だった自分を思い知らされる内容である。 「優秀な起業家に、優秀な指導者あり」ということか。今さらだが・・ ・・・・・・ 4925,パワレルな知性 ー3 2014年09月08日(月) * カフェという集い −② 『パワレルな知性』鷲田清一著 カフェといえば、30年も経つが、『致知』という月刊雑誌を知って購読 するうちに、全国に愛読者の同好会があるのを知り、新潟支部を立ち上げた。 今では年に一回参加しているが、30年も続くとは驚き。全く知らない新潟で、 肩書きを横にした同年代の人たちとの出会いの場、一種のカフェのような集い の場を求めたため。とはいえ、当初は営業ネタを探して参加する人が過半数は いたが、それも良しだった。ところで、学生時代の寮がまさにカフェの ようなものであった。今でいうシェアハウス。大きな屋敷の一角に、平屋で、 4畳半と6畳の和室が25室、「く」の字に並んでいて、角が炊事場と洗濯場 で、両端がトイレ。廊下は土間で、あたかも馬小屋のようだった。 各部屋には鍵が付いているが、私生活があってないような。それが寮という ものだが。炊事場やトイレの行き帰りなどに、どこかの部屋の前にサンダルが 幾つか並んでいると、つい顔を出し、お茶などを飲んでいる輪に入る。 そこでは、読んだ本や、政治経済、現在進行形の恋愛の話題が中心になる。 寮生は全国各地の出身者で、早大の学生が半数を占めていた。 雰囲気は、 まるで「住込みカフェ」のようで、なにもかも参考になることばかり! その上に、それぞれの大学の親友が遊びにくるため、その輪は更に大きくなる。 そこで、軽井沢の山荘でのアルバイトとか、留学や、海外旅行の情報が、 ごく当り前に交されていた。それに加えて、大学では、クラブ、ゼミ、欧州 旅行の仲間と、クラスの友人の網目が出来ていて、広いコモンルームや、 中庭、学食で誰かと話をしているかであった。学生だからこそ、自由に様々の 人と邂逅しえたのである。 現実社会に入ると、組織や、地域の社会の、 それぞれの立場があって、自ずと人間関係に制約があるが、学生時代は、 思惑は最小で済む。それと、高度成長期真っ只中の恵まれた環境があった。 『カフェの集い』の視点で、人生を振返ると、やはり最終の学生時代が最も 良かったことになる。プライベートの時間が持てなかった『青雲寮』に、当時、 不満もあったが、この環境が最良だったことに、これを書いていて気づいた。 この寮生活で、それぞれの私生活で垣間見た姿から、<人間には、教養とは別に、 想像を超えた、善良と邪悪が混在する人が存在する>ということを、知ること になる。そして、実社会に出てから、その多くを己の中で見ることになる。 秘境ツアーなども、これに似たところがある。全国から集まった見も知らない 人たちと1〜2週間、親密な時空を共有する。その多くは、ツアー慣れをして いるので、直ぐ胸襟を開くが、それぞれが様々な情報の宝庫のため、そこは ツアー・カフェそのもの。かって長屋の御隠居は、横丁カフェの主。 私の友人に、喫茶店に入浸って?半世紀以上、その人自身が、カフェみたいな 人がいる。いや、居酒屋? 問題は、そこが教養ある知的会話?であるかどうか! 共通した価値観と、それぞれの全く違った価値観を備えた人との出会いこそ、 カフェの集いの面白さになる。 とすると、このブログ、『居間の一人カフェ』 になる。 時々、塩昆布茶も出るが。 ・・・・・・ 4558, 東京が、2020年の開催地に決定! 2013年09月08日(日) 5時20分に、次次回のオリンピック開催地が発表された。 その2時間前の3時に何時ものように目が醒めたため、布団の中で瞑想モード に意識を持っていき、「私が神としたら、3都市の何処を選ぶだろうか?」と 考えた。その結果はイスタンブール。5時からのTVの特別番組の選定会場で、 まずマドリッドの落選。あとの残ったイスタンブールと東京の二者択一の中で、 東京が決定された。 「そんなことをしている場合じゃないだろう!」が、 気持ちにあったが、いざ発表となると「東京」と願うのが人情。以前から、 「2020年の75歳が死に時」と思っていた。その年が、これで東京 オリンピック開催の年になったのである。一回目は昭和39年、18歳の年。 二回目は生きていれば75歳。現実は、世界も日本も2020年までは、 大きな試練が山のように待ち構えている。福島第一原発の汚染処理、世界恐慌 の対応、国家財政の破綻、国境問題等々がある。トルコか日本?の二者択一 というと、選ぶ方は、原発汚染への不安より、中東の政治的不安定と、欧州危機 を考えると、安全、安定面から、今回は極東の安定した都市の「東京」を選んだ。 これで、「2020」と「東京オリンピック」が、キーワードとして浮上、国家 として明るい目標が出来た。オバマがシリア攻撃を示唆したのもトルコにとって マイナスになった。タイミングをみていた? 日本のような島国では、一つ明確 な目標があれば元気が出るが、大きな問題が残っている。南海トラフ地震と、 東京直下地震、富士山噴火の可能性である。 福島第一の汚染に目を向けさせた のは戦術としては良かった。実際問題は、これらを考えると二つの都市の危険さ と遜色はない。 国内の政治面では、予想される混乱の中で、国民の目を オリンピックに向けさせることが出来る。今日を境に大きく空気が変わる。 今日は目出度い日になる! ・・・・・・ 4183, 呪いの時代 ー3 2012年09月08日(土) 「呪いの時代」内田樹著 * 記号の過剰化 ー第2章 「祝福」の言葉についてーより 呪いは怒りや羨望、嫉妬などの要素が相まって内面に作りあげられた一種 の記号と著者が指摘している。しかし怒りの感情を言葉にし繰り返すうちに、 その毒が己の脳を侵してしまう。鬱である。そこで医者から貰ったハッピー ドラッグで目先、散らしている内はよいが、いつの間に、呪いの感情を更に 強く苛んでいく。呪文は記号のため、反復するうち、その人そのものになって しまい、自滅の道をひた走ることになる。 次の箇所は、悲劇と喜劇の境い目 としてみると、うなずける。 ≪ なぜ、このようなニヒリズムが社会を覆うようになったのか。 それについて考えてみようと思います。僕はそれを「記号の過剰」あるいは 「過記号化」という枠組みで説明できるのではないかと思っています。 「呪い」は、その本質からして、記号的なものです。藁人形に五寸釘を打ち込む 「丑の刻参 り」という古典的な呪いの儀式がありますが、これ自体、きわめて 記号的な行為です。生身の人間の心臓にではなく、代替物の藁人形に五寸釘を 打ち込むわけですから。メタファーとして行われる殺人が生身の人間の生き死に 影響を与えるという信憑が共有されていないとこの種の類感呪術は有効性を持ち ません。つまり、藁人形が生身の人聞でないように、殺意や嫉妬、羨望や憎悪も 記号化されない限り呪いとして機能しない。忘れられやすいことですが、呪いが 機能するのは、それが記号的に媒介された抽象物だからです。具体的、個別的、 一回的な呪いというようなものは存在しません。あらゆる呪いは、抽象的で、 一般的で、反復的です。それが記号的ということです。 なまの現実が記号化されて、「情報」になるプロセスを「情報化」と呼びます。 情報とは「なまもの」が加工され、分類され、ラベリングされ、パッケージ されたもののことです。「高度情報化社会」とは情報だけが行き交い、 「なまもの」に触る機会が失われた社会のことです。生きた動物が殺され、 皮を剥がれ、血を抜かれれ、骨が切り離されて、細切れになってパッケージ されるという工程については誰も考えず、清潔な商品だけが売り買いされている。 医療でも過情報化の問題は深刻なもの。当今の医師たちは、なまものとしての 身体ではなく、「記号としての身体」を診療している。『医療崩壊』の著者 である小松秀樹さんが指摘されていましたが、今の診療室では、机上のパソコン のディスプレィに患者のカルテや検査数値が表示されます。患者が診察室に 入ってくると、医師は患者を診るより先に、まずディスプレイに表示された さまざまの数値を見る。うっかりすると診療時間のうち、患者の顔を見ている 時間よりもディスプレイを見ている時間の方が長いのです。 ≫ ▼ TVのワイドショーは情報を提供するところ、情報化は「なまもの」とは 違うため、それを扱う解説者は、記号としての言葉にして発信するするため、 呪詛的な言葉になっていく。それを受け止める視聴者は、いつの間に、呪いと して、なまものを呪ってしまう。これが端的に出のが政治であり、政治家は手軽 な呪いの対象になる。だから、島国日本の首相は、一年しかもたないのは、 何ら不思議ではない。そして、その行き先は? ・・・・・・ 3818, 哲学人 ー� 2011年09月08日(木) * 精神と肉体ー 二元論 ー「哲学人」ブライアン・マギー著より ーまずは二元論についてのデカルトの誤りを、ライルが指摘している部分ー 【 ライルは二元論について『心の概念』で、私たちの誤用に的を絞って 書いている。ライルの攻撃対象はデカルトである。・・ 二元論の生みの親 をデカルトと特定したが、実際には二元論、もしくはそれに似たものは、原始 時代から人間についての通説となっていた。常にと言っていいほど、人は自分を、 肉体と、肉体に宿る非肉体的な要素から出来ているとみなしてきた。そして常に 時代によって霊、魂、心と様々な呼ばれ方をしてきた、この非肉体的要素を、 ある程度独立した存在として、また、そうなる可能性があると見てきたと言って いい。私がかつて、この事実を挙げて異議を申し立てると、ライルはこう答えた。 「この間違いを最初に犯したのがデカルトだと思っている人はいないでしょう。 要はデカルトがこの考え方をとても明確に打ち出したので、デカルト時代以降、 これが教義もしくは定説なったということです。シェイクスピアも聖書も言って いませんが、デカルトは実際にこう言いました。『私の心はひとつの実体であり、 私の身体はそれとは別の実体である』と、それが事実であるかのような言い方 なら、それまでもされたことはありました。が、デカルトは確かに事実である と言ったのです」 実を言うと私はそうは思わないのだが、それはさておき、 精神という実体などないのだから二元論は誤りというのがライルの主旨。 その著書で述べられている詳細な分析をもとに、ライルはこう書ている。 ≪ われわれ人間が行なっているのは、自分の行動と経験のある部分を精神的な ものとして分類し、その他の部分とは異なる、主体に帰属させること、そして その主体を精神として物象化することである。精神に関連する概念の使用法を 入念に調査すれば、そのようなことをする正当な理由はないということがわかり、 さらには人間は単一の存在であり、行動と経験のただひとつの主体で、アイデン ティティも歴史もひとつしかないことが明かになる。 われわれはふたつの実体 が神秘的に結びついたものではない。これまでわれわれは、「カテゴリー錯誤」 (ライルが哲学の世界に広く普及させた用語)を犯してきた。 われわれは精神という概念を一種類のものを意味するとみなしているが、実際は 多種多様なものを意味している。精神とは、独立して存在する実体であって、 なんらかのことをして経験をもつものと考えているが、通常はさまざまな行動 形式のうちのいくつか(行為、気分、経験など)を総括する言葉にすぎず、また こうした行動様式はどれも、正しくはひとつの主体に帰属させるべきなのだ。 このカテゴリー錯誤がもととなって、われわれが自分自身を想定する上で、 そして考えたり語ったりする上で数多くの誤りが生まれている。これは哲学的 誤謬の好例であり、我われの思考の広大な領域はこの誤謬に犯されている。≫ ライルの本は、いかにして言語分析派がこうした問題を解決するかを示す 範例である。P・106 】 ▼「肉体が消滅した後、私(精神)はどうなるのだろう」という疑問 そのものが、二元論である。デカルトが言わなくとも、大昔から天国か 地獄に召されると言われている。肉体と精神と、改めてデカルトが述べただけ。 肉体が無くなれば、当然、精神とやらも消滅するのは、当たり前である。 精神を指している一つに『言葉』がある。「生きているときに発した言葉。 それは現在でも生きている」というが、それは、生前に発した言葉。 死んだ後に、言葉は発せられない。 ・・・・・・・ 3453,, ニューカレドニアの休暇 −3 2010年09月08日(水) 夕飯でいったフランス料理、ベトナム料理、中華料理が、それぞれ美味しい。 フランス領のためだろう。特に天使の贈りものといわれる「海老」が美味い。 ベトナム料理、中華料理は日本的味付け。それより新鮮な貝魚がふんだんに 入っているからである。値段も、日本の居酒屋に少しプラスした程度である。 ところで、オプションツアーで行った「天国にもっとも近い島」のニック ネームで親しまれているイル・デ・バン島が良かった。日本では、その称号は 森村桂の著『天国にいちばん近い島』から、ロワイヨテ諸島のウベア島がそう 呼ばれているが、実際はここ。数多くの種類の熱帯魚や珊瑚礁を、透明度の高い 海水の中に見ることができた。この島は南北15キロ、東西13キロの大きさで、 島人口は約2,000人である。珠玉のような島で、ニューカレドニアで是非とも 行ってみたかったところ。双発のプロペラ機で首都ヌメアから30分ほどの ところにある。 行く先々の小さな湾の海岸線と海と空が美しい。 いまだ観光づれしてないハワイと考えればよい。ここに宿泊するツアー もあるが、値段は非常に高くなる。ニューカレドニアは日本人に特に好まれて いるようで、親しみやすい。中国、韓国人の姿は、ここで一人も見かけなかった。 まずはハワイ、東京、欧州、オーストラリアなのだろう。この島を通して、 日本の現状を現地のポリネシア人を通してみてしまう。小さな島国で、フランス の占領に甘んじているが、日本も同じ被占領国。ドルとアメリカ国債という紙切れ と小麦・大豆と、汗水たらして作った商品と交換。 その紙切れは、20年〜30年 単位で価値を数分の一に一方的に下げさせられている。アメリカ、豪州も、 欧州人が現地人を虐殺して建国したところ。現在も、その構図は同じである。 マスコミを背後で操り、教育システムで骨抜きにし、官僚を洗脳、コントロール することで、間接占領をしている。フランス領の観光地で、気楽に避暑。 それだけで、深く考えることもないが・・ ・・・・・ 3078,富豪と金の使い道 2009年09月08日(火) (字数制限のためカット 2015年9月8日)
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2015年09月07日(月)
ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著) 〜まえがき〜より 《 私がこの本で行っていることは説明というより提案であり、その目的は、 出来るだけ多くの人たちが、みずからの手で、「自分こそが自分の人生の 創り手である」という真実に気づくことにあります。 私たちは、自分自身が選び、めぐらしている思いによって、自分の人生を創り 上げています。心は、人格という内側の衣と、環境という外側の衣の双方の、 熟練した織り手です。そして、それらの衣は、これまでは暗闇と苦悩の中で 織られてきたかもしれません。でも、それらは、そもそも光と幸せのなかで 織られてしかるべきものなのです。》 〜思いと人格〜 《 行いは思いの花であり、喜びは悲しみはその果実です。思いによって私たち 人間は、自分自身を育てる、甘い、あるいは苦い果実を収穫し続けるのです。 「人間は思いの主人であり、人格の制作者であり、環境と運命の設計者である」 ・・私たちは、自分の人生に深く思いをめぐらし、それを創り上げている法則を 自らの手で発見したときから、自分自身の賢い主人となり、自分自身を知的に 管理しながら、豊かな実りへとつづく思いを次々とめぐらすようになります。 そのときから私たちは、自分自身の意識的な主人となります。・・ 》 ▼「念じれば花開く」である。「因果応報」という仏語がある。 その意味は、【行為の善悪に応じて、その報いがあること。現在では 悪いほうに用いられることが多い。 「因」は因縁の意で、原因のこと。 「果」は果報の意で、原因によって生じた結果や報いのこと】 仏教的考えを、西洋的に説いているともみれるが、思いが、如何に大切か。 人の心は9割がマイナーの思いに捉われているというが。意図的にプラスに することは可能。 己を導くのは、誰でもない、自身だけ! ・・・・・・ 4924,パワレルな知性 ー2 2014年09月07日(日) * カフェという集い −① 『パワレルな知性』鷲田清一著 『カフェ』について、が面白い! ー 学生時代の効用は、このフリーの立場での交わりが良い! ≪ このところ市中では「カフェ」という催しが盛んである。 「カフェ」と いっても喫茶店のことではない。「サイエンス・カフェ」とか 「アート・カフェ」といった類の、小人数でおこなうディスカッションの会。 市民が三々五々集まり世情について自由に論議し、その議諭を活字化するあの ジャーナリズムの原型ともいうべきものを生んだ、英国の「コーヒーハウス」 にちなんで、そう名づけられたらしい。じつはわたしも15年ほど前から 「哲学カフェ」なるものを、町なかの集会所で、あるいはお寺の一室を借りて、 そしてときにじっさいに喫茶店でもやってきた。何について議論するかは、 集まった顔ぶれでその場で決める。そしてテーマに即して、だれかがまず じぶんの経験を、そしてその解釈を語りだしたあとは、それを糸口に延々 三時間から五時間、あれこれ話しあう。 ルールはかんたんで、 :たがいに名を名乗るだけで所属も居住地も明らかにしない、 :人の話は最初から最後まできちんと聴く、 :他人の著書や意見を引きあいに出して長々と演説をしない、この3つである。 わたしはもう籍を離れているが、大阪大学の臨床哲学研究室では、かつての 同僚や大学院生たちが個々にそれを拡げ、通算すると、もう数百回になると聞く。 ある日、もっとも年配の参加者が最後にぽつりと話したことばが忘れられない。 司会をしていた大学院生がまとめに窮しているときに、その、老人が口を はさんだ。「まとめんでいい、知り合いでもない孫のような歳の子とこんなに 『家族とは何か』ということをまともに話しあったというだけで満足や」。 ≫ ▼ 人生を振り返ると、20歳代の経験がベースになっている。視点が固まる、 それまでが分かれ目! それに10歳までの実家の店舗での生活もある。 今から考えると、様々な人間が集まり、その生態が、あからさまに露出していた。 『花子とアン』の主人公ではないが、「朱に交われば赤くなる」である。 そこで、如何にオープン状態で、書籍と、様々な人と触れ合うか、その質量で、 人生は決まってくる。そこで大きな知的劣等感を得たのが、私にとって、 最大の収穫。以来、半世紀近く独学をしてきたが、私には器の大きさが 足りなかった。更に『酒量』『一言』が多過ぎた! ・・・・・・ 4557, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー2 2013年09月07日(土) * 携帯電話が、世界を変えている 「新潮45ー6月号」 ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより 旅番組などで、ケニアなどの僻地でマサイなどが携帯電話をしているのを 見かけて驚いたことが何度かあった。携帯電話の電波環境が出来ているためだが、 さほどインフラに資金がかからないのだろう。考えてみれば、僻地ほど濃密な 繋がりと日々の生活情報が必要である。苦労して僻地についた先で、携帯電話 をしている姿を見たらガックとするはず。ーその辺りが具体的に書かれているー 【 たけし〕ところで、そういう極限の地域で暮らしている人たちの生活って 今も昔と変わっていないのですか。関野〕昔は自分たちが食べていくために 自給的生活とか狩猟採集で暮らしていた人々が、換金可能な作物を作っている。 現金収入を得ないと生活ができなくなっている。最近はグローバリゼーション がアマゾン、シペリア、 アフリカとか、どこまでも進行しています。 特にすごいのは携帯電話ですね。携帯で全てが変わります。 たけし〕 それはどういう意味でですか。 関野〕携帯電話は世界を変えていますよ。アマゾンには、僕が四十年前から つき合っている先住民の部族がいます。 最初会った時は、大人たちは腰巻 だけつけて、子どもは素っ裸でした。そんな村でも三十年前に学校ができた。 それは小学佼しかないから、中学校に行くようになると町の寄宿舎に人る。 高校生になると、皆な携帯を持ってる。村に帰ってくると電波は通ってません が、携帯でダウンロードした音楽は聴ける。そうなると若者は伝統音楽ではなく、 ロックを携帯で聴くようになる。文明人に近いほうがステータスが高いと 思うと伝統音楽に目を向けなくなり、どんどん文化が変わっていく。 アマゾンの奥地でさえそうなるのですよ。」 たけし〕 あっという間の変化ですね。 関野〕 ここ数年、フィリピン、マレーシア、インドネシアの海域で淘賊が いっばい出るところがあるんですけど、 そこにパジョという家船生活をして いる漁民がいるんです。 たけし〕 確か百万人ぐらいいるとか。 関野〕それは海岸縁に杭を打ち込んで家屋をつくって住んでいる人たちも 含めての数字です。わずかに家船で陸に家を持たない人たちがいて、その人 たちのところに僕は「泊めてください」と言って、一緒に暮らしていた。 ちょうど僕が訪ねた頃に彼らの生活にも携帯電話が入ってきたんです。 たけし〕 2004年から、日本人の祖先が日本列島に到達するルートを辿る 「新グレートジャーニー」(〜2011年)を始めていますが、それに挑戦していた 時のことですね。 関野〕 はい。南方から船で海上を渡ってきた日本人の祖先のルートを辿ろう としたんです。風の関係で航海で暫なくなると、パジョの人たちのところに 通っていました。彼らにとっても携帯はすごい役に立っている。家船が十数隻 あって、夜は集まってくるんですが、昼間は別々に魚を穫りに行ったりして 行動している。その時に、海賊がいるかいないか、携帯があれば安全かどうか 確認できたりするわけです。 たけし〕 海の上で電波が届くわけですか。 関野〕 沿岸から五キロまではアンテナがあれば届きます。 たけし〕海の漂流民がそうならば、砂漠のペドウィンはどうなんだろうね。】 ▼ これは、僻地だけでない。都会の社会的弱者にも携帯が普及。 弱者が結びつけば、強者に変身する。中国など多くの社会的矛盾を抱えた 国家は、ある日突然、この矛盾への暴発が起こることになる。そこにパソコン 機能が入ったスマートフォンの普及は、世界を根底から変えようとしている。 貧富の格差は、情報の格差から生じるが、それが均質化されていくとしたら、 格差は一部を除いて是正されていく。ただし、それは世界平準に近づくため、 G8は、G20の国々の平均値に、G20は、世界200ヶ国の平均レベル になっていく。日本にとって、それは貧乏への茨道! ・・・・・・・ 4182, 呪いの時代 ー2 2012年09月07日(金) 「呪いの時代」内田樹著 呪いに対する言葉は祝福。含めて世の中が右上がりの時は、何事もハッピー。 しかし、世の中全体が右下がりになり、暗い世相の中では一部の勝ち組を傍で 祝福する人は少ない。羨望と嫉妬が、そこに生じてくる。特にこの情報化で、 そのの事態が生で伝わるから呪いが社会全体を覆ってくる。その中でハッピー にいるには、「にもかかわらず祝う」しかない。現に生きている、そのことを 祝う諦念である。最後は生きている感謝しかないのである。 今さら世を呪っても致し方がない。 * 「このようなもの」でしかない自己の承認 ー第2章 「祝福」の言葉についてーより ≪「生身の、具体的な生活のうちに捉えられた、あまりパッとしない この「正味の自分」をこそ、真の主体としてあくまで維持することです。 「このようなもの」であり、「このようなものでしかない」自分を受け入れ、 承認し、けなげに生きている姿を可憐と思い、一掬の涙をそそぐこと。 それが「祝福する」ということの本義だと思います。呪いを解除する方法は 祝福しかありません。自分の弱さや愚かさや邪悪さを含めて、自分を受け容れ、 自分をだきしめ、自分を愛すること。多くの人が誤解していることですが、 私たちの時代にこれほど攻撃的なふるまいが増えたのは、人々が「自分をあまり に愛している」からではありません。逆です。自分を愛することがどういうことか を忘れてしまったせいです。私たちはまず「自分を愛する」というのがどういう ことかを思い出すことから、もう一度始めるしかない思います。≫ ▼ 第二次大戦後、経済成長という僥倖に恵まれ「自由」が容易く転がり込んで 来て、安手の「近代」を掴んだ。しかし、それが崩壊する中で、「全て他人が 悪い、自分は悪くない」という他責的で未成熟な言説がメディアにより拡がった。 豊かさが急速に萎み、大多数がプアーになりつつある中、呪いの時代と思われる ほど惨めな社会になってきた。「このようなものでしかない」自分を受け入れず、 承認せず、祝福せず、自分探しという自分でない突っかい棒を求めて彷徨って いる社会。わが国は平城平安の時代から呪いを基軸にして変転してきた。 ここで急に「呪いの時代」がキーワードになったのではない。呪いがあればこそ 古事記、日本書紀、源氏物語、平家物語、太平記、法隆寺、北野天満宮も正史に 登場しなかった。日本の文化文明の本源は、この呪いにある。だから一時でも よいから祝うしかない。お祭りは、そのためにあったといえる。 社会に出てからの読書習慣がなかったら、現在、世を呪い、過去を後悔し、 人生そのものを否定しているはず。 娑婆娑婆! ・・・・・・ 3817, 松下政経塾の野田が首相に 2011年09月07日(水) まずは松下政経とは何か? −知恵蔵2011ーによると 【 松下電器産業(パナソニック)の創業者・松下幸之助が、1979年に約70億円の 私財を投じ、政治家育成塾として設立した財団法人。神奈川県茅ヶ崎市の6千 353坪の敷地には、寮棟・食堂・体育館の他、茶室やテニスコートも付設され、 入塾の応募資格は22〜35歳。全寮制で3年の研修を原則としているが、期間中に 選挙に出馬することは半ば容認。ただし、最低2年間を修了しないと退塾扱いになる。 授業料などの費用はゼロで、逆に研修資金・活動資金が提供される。 研修は人間学・哲学・近代政治学などの講座と茶道・書道・剣道などによる 精神修練が中心。また、現地現場主義の下、自治体訪問、松下関連工場での 実地作業、自衛隊体験入隊といったカリキュラムも用意されている。 過去30年間の卒塾生は237人で、このうち69人が政治家の道を歩んでいる。 開塾後の10年間で当選した国会議員は、1期生の逢沢一郎(自民党)だけだったが、 新党ブームが吹き荒れた93年の衆議院選挙で、一気に15名の当選を果たした。 政経塾出身議員の評価は分かれるが、世襲議員が増える中、選挙に必要な3バン 「地盤(地元支援組織)・看板(知名度)・カバン(資金)」を持たない若者に政治家 への道を開いている点で、政経塾の存在は評価されている。 現職の松下政経塾出身の国会議員は、衆議院議員が27名、参議院議員が3名。 *自民党では前述の逢沢一郎の他、元金融担当大臣の伊藤達也(5期生)、 高市早苗(5期生)ら、*民主党では元代表の前原誠司(8期生)や野田佳彦(1期生)、 原口一博(4期生)ら、次代のリーダー候補が名を連ねる。この他、神奈川県知事 の松沢成文や横浜市長の中田宏など、自治体の長も輩出している(2009年7月時点)】 ▼ 現在の日本に丁度良さそうな人物が、首相に選出された。 それも、松下幸之助が憂国にかられ、つくりあげた人材育成機関出身。 存在そのものは知っていたが、まさか34名も国会議員になっていたとは驚き。 巷では、「人工栽培の頭でっかちのエリートの育成機関と」批判的だが、それでも 公明党に次ぐ出身母体になっている。どうも、二、三代目が目に付く中で、 こういう機関も必要?卒塾生の43%が、政治の道を歩いているという。 政治家は、一国を未来に導く仕事。「クールな頭脳と、暖かい心」を必要とする。 それを3年か、4年の期間でベースをつくり上げることが良いことかどうか? 二代目政治家と、どちらが良いというと考えてしまう。 やはり二代目より、まだましレベルか。現在議員は、貴族院化している。 ・・・・・・・ 3452, ニューカレドニアの休暇 −2 2010年09月07日(火) * ホェール・ウォッチング オプション・ツアーの「ホェール・ウォッチング」に参加してみた。 家内はヨットに12時間も無理ということで、私一人の参加。20人乗りの 2Fのヨット(1Fにトイレとベッド)に、日本人が私の他に中年ペアー。 他は白人系15人を加えた18人。もう少し大きなヨットのつもりだったが 意外と小さい。外海に出たと同時に、船は二Mの波で大ゆれ。 案の定、気分が悪くなってきたが後の祭り。乗員も分っていて海水を 入れたのを持ってきて、「あげろ!」という。そして胃を空にした。 その直後に睡魔が襲ってくる。 ロビーの椅子に座ったまま二時間ほど寝たら 気分は元に戻る。船酔いを心配していたが、その時はその時と覚悟はしていた が、何とかなるものである。そうこうして鯨の出産場に三時間後に到着。 そこを40分ほどかけて通過している間に、5分位の間隔で、鯨が空気を 吸うために海面に出てくる姿をウォッチングすることができた。 そこでTV撮影を過って見たことを思い出した。今回は10匹近くを見ることが できた。 鯨は、まず潮を噴き上げるので見逃すことはないが、潮を吹いて 7〜8秒しか浮いてないので、目を凝らしてないと見逃す。海も天気で大きく 左右するが、天候に恵まれたこともあり今回のウォッチングは大当たり。 また12時間も小型ヨットに乗船するのもワイルドな感覚で、南太平洋を堪能 することができた。甲板から海に向かって足を突き出して座って海を眺め ボットするのも、気分は爽快である。また10秒ぐらいだったがイルカが二頭、 ボートと同じスピードで泳いでいったのも印象的。さらに帰港前の20分ほど、 タイミングよくサンセットにゆきあったが、南太平洋に浮かぶヨットと、 赤い色合いのマッチが印象に残った。一期一会、直感を信じ躊躇をしないこと。 ・・・・・・・ 3077,SCが工期半年で完成とは、驚き 2009年09月07日(月) 長岡の自宅から500m先に、オープンモールの25店舗のSCが9月1日 に着工、来年の3月8日にオープンと現場の立て看板にあった。それにしても 半年とは驚いた。これから冬場の中で駐車場も含めてである。新造成地の更地で 全てが平屋だから可能なのだろう。突貫工事になるのだろうが、見ものである。 先月、近くで説明会があった。折込の通知によると、大和ハウスの総合企画で、 三菱東京銀行系が資金調達とあった。住宅地も数ヶ所売り出されているが、 坪27〜8万円、少し高いが環境からして悪くはない。 場所は長岡駅裏から 直線道路一キロほど、自宅からは5分の場所。自宅の100m先にSCがある 上に、長岡駅(12分)には一万坪の専門店街があるので生活環境は、 ますます良くなる。そのSCから車で数分(一キロ)のところに家具のニトリ、 家電のジョウシン、ホームセンターのコメリ、ディスカウント、紳士服のアオキ など20店舗近い川崎のオープンモールのSCがある。店舗構成をみると バッテングをさけて補完してある。店舗が重なるのは、原信と、蔦や。 業種では中古ショップである。二つのSCを買い回ると丁度良い店舗構成。 これまでは長岡の信濃川の西に比べて、川崎のSCだけでは魅力が薄かったが、 この二つを合わせて対抗拠点として、周辺に店舗が自然発生的に出来ていく 過程をみることになる。長岡駅中専門店街は、年々、弱体化していくが、 駅前再開発も含めて大きく一変する。これも見もの。 間違いなく大きく縮小していく市場の中で、再開発だけは止まらない。
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| 5288,「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 〜『自分を超える法』 |
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2015年09月06日(日)
ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー * ミツバチが教えてくれた「毎日を一生懸命すごすこと」の価値 ‘考え方さえ変えれば、お金は必要ない’と、自分を超える「5つの法則」 を提示する面白い本である。その中の、色いろな寓話が良い。 ランダムだが、ミツバチの寓話がよい! 〜ハチミツをつくることが、ミツバチの真の仕事ではない〜 ≪ ここで寓話を1つ紹介します。 起業家のキース・カニングハムから聞いた、ミツバチの話です。 ミツバチの生きる目的を知っているかい? もしミツバチに 「何のために生きているのですか?」と尋ねたら、きっとこう答えるだろう。 「ハチミツをつくることが仕事よ。せっせと蜜をつくるの。 なぜなら私たちはミツバチだから。」 キースが続けます。 「でも、その答えは必ずしも正しくない。ミツバチには、ハチミツをつくる ことなどよりも、はるかに重要な役割があるんだよ。その役割とは、花の 『花粉』を運び受粉の手伝いをすること。それにより花は咲くことができ、 生命が循環している。仮にその営みを取り去ったとしたら、すべての生態系 が崩壊してしまうほど、もっとも根本的、かつ絶対不可欠な役割を担っている」 当のミツバチは、おそらくそのことを知らないでしょう。もし、今全世界の ミツバチが自意識に目覚め、次のように言い始めたらどうでしょう? 〜無意識でやっていることが、貢献につながる〜 「ねぇ、私。生きる目的を知りたくなってきたの。仕事を放りだして山で 瞑想するわ。生きる意味の答えが見つかるまで、山頂のバラの茂みに しばらく引きこもるの。使命が見つかれば、充実感と情熱に満たされて、 また仕事に戻ることができるから、しばらく休むね。」 全世界のミツバチが突如そう言い出したら、花が咲かなくなり、 生態系の循環が停止してしまいます。 当のミツバチは気づいてないかもしれないが、 「毎日の仕事を精一杯こなすこと」で、彼らの「真の使命」がまっとう されているのです。 私が言いたいのはこういうことです。 〈あなたが日々無意識に自然体でできていることの中には、 実は世界に大きく貢献しているようなことがあるのです。〉 ≫ ▼ 人間は、言葉を持ったお陰で、「毎日を一生懸命すごすこと」の価値を 理解できる。とはいえ、目の前の問題に集中し続けてこそ、その先にある 「真の役割」が理解できる。人生を振り返ると、節目に大きな機会がある。 表面的には挫折というカタチを装うが、実は、生き方を変える節目時を 運命が提示をしてくれている。4年前の節目は、〔余白はさほど残されてない、 余裕を持って死に準備を始めなさい。まず手始めに、会社の整理から!〕
・・・・・・ 4923,パワレルな知性 ー1 2014年09月06日(土) * 価値の遠近法 『パワレルな知性』鷲田清一著 鷲田清一の「価値の遠近法」が面白い! ーネットによるとー ≪ 「価値の遠近法」は、あらゆる事象・物事を次の四つに分けること。 ① 絶対に必要なもの、失ってはならぬもの ② あってもいいけどなくてもいいもの ③ なくてもいいもの ④ 絶対に不要なもの、あってはならないもの 彼は、これが上手に仕分けられる能力を「教養」と呼び、その重要性を いろいろ示す。 「価値の遠近法」は、それぞれ自身の価値観を明示的にする効果がある。 四つに仕分けることで、「何を大切にしたいのか」を自らに問い掛けることに なるからだ。自らの価値観を知ることは、自己理解の最も重要な要素。 当然、人によって仕分け方は違うため、自らの仕分け方と他者のそれを比較し、 違いが起きた理由を探ることで、他者を理解するきっかけになる。 「価値の遠近法」を実践していくと、ある「真理」に気づくという。 「大事なものほど、仕分けづらい」「重要なものほど、答えがない」という真理。 いま大きな社会問題になっている原発推進の是非を問う論争が、まさにこれ。 推進派と即時廃止派、さらには漸減派、一旦凍結派等々、議論が百出する。 「何を大切にしたいのか」を巡る論争には、唯一絶対の正解などない。 さらにこの問題を突き詰めてみると、わたしたちは、正解が見えないものに、 とりあえずの解を出さないと前に進めないことにも気づく。 私たちは、 不確定要素に満ち、偶然に左右され、先行き不透明な問題に囲まれ生きている。 わからないものに取り囲まれ、わからないままベストの解を出すことを迫られる。 国の経済政策も、企業の経営戦略も、個人のキャリアも、構造は同じなのだ。 こういう問題に直面して、「価値の遠近法」を使って、よくわからない問題を 仕分けていく時に必要なポイントについて、「ようわからんけども大事!という 勘がはたらくか」「わからんことに囲まれていても、なんとか切り抜けていく」 野性的な思考が必要という。≫ ▼ <「右下がりの時代」は、社会が‘まとも’になっていくためには 悪いことではない。右上がりの時代には次に何を手に入れようかと考えて いたわけだが、下がっていく時代には「何をまずあきらめるか」を考えざるを えない。「価値の遠近法」を、嫌でも頭に入れておかなければならない> とあるが、老いていくことは、不要なものを捨てていくこと。 「価値の遠近法」の④、③、②と、一つずつ捨てて、①に絞ること。 そのために教養が必要になる。今さら遅いかどうかは、その人によるが・・ 「お金は、②、いや、①?」 ―――― 4556, グレートジャーニーから見えてきたことは ? ー1 2013年09月06日(金) * 追われ追われて南米最南端 「新潮45ー6月号」ーたけしvs・関野吉晴の対談ーより 冒険家が人類の移動の跡を辿って見えてきたのは、 「人類の弱者が、より悪い環境の地に追い込まれて、その繰り返しの究極の地が 南米最南端パタゴニアであった」ということ。アフリカから追われ、その移動先 で落ち着くと、その中の弱者はまた弾き出される。その積み重ねが、アフリカ から南米の最南端までの人類の軌跡であった。その過程で生き延びる知恵こそ、 弱者の知恵になる。その過程で彼らは進化したかというと、そうではない。 北アフリカと欧州に留まり闘い続けた人間が、文明の基礎を作りあげていった。 逆に、エスキモーとか、南米インディアンは、逃げることで生き延びていった。 弱者には逃げるしかない。この切り口で人類の歴史を鳥瞰してみると面白い! 僻地の人間は、そのためか優しい。 ーその辺りから抜粋ー 《 たけし〕しかし、六万年前に人類がアフリカから移動していって、 世界中に広がったルートを逆に辿る発想は面白いけど、ずいぶん無茶なことを しましたね(笑)。 関野〕 確かに逆ルートは無理があります。やっぱり人類は逆ルートで移動しない ことが、やってみると分かります。全部、逆風なんですよ。例えばべーリング 海峡を渡るときに、風速5〜10Mのいい風というのは西から吹く。 僕はアラスカからシベリアに行くわけですから、東風が欲しい。しかし、 東風は風速15M以上になることが多い。 たけし〕どうしてアフリカで生まれた人類が全世界に移動したと 言われているんですか? 関野〕研究者によって意見が違っていて、僕は最初、「あの山を越えたら 何かあるんだろうか」という好奇心、あるいは「あの山を越えたらもっと獲物 がいて、いい暮らしが出来るんじゃないか」という向上心で心で動いていたと 思っていました。もしそういう好奇心とか向上心とか、いわゆる 進取の気性に富んでいたなら、一番遠くまで行った人たちの末裔のはずです。 たけし〕そういうことになります。 関野〕ところが行ってみたら逆でした。南米最先端に行った人は一番弱い人です。 そこでは狩猟生活もできない。ホタテとかカニをとって生活をせざるを得ない。 どうしてそんなところに移住してきたのだろうと考えてみると、弱いから。 例えば、あるところが住みよいとなれば人ロが増えていきますよね。 たけし〕 そうなると誰かがふき飛ばされる人が出てくる。 関野〕ええ、誰が出ていくかが問題になる。強い人出ていきません。 そこで、はじき出された人がフロンテアに行くわけです。滅びてしまう人も 多いと思いますが、そこでバイオニアになれた人が生き残れる。 創意工夫を働かせて適応した人が「住めば都」に変えてしまう。 そこでも人口が増えると、また弾き出される人たらが出てくる。 だから、日本は弱い人の吹だまり。それ以上、東に行けないわけですから。 たけし〕日本人がもともと弱い人間の吹だまりだというのは面白いね。 関野〕それはイギリスも同じですね。もっと西に行けない。ところが、いいか 悪いかけ別にして、日本はアジアを制圧しようとしたし、イギリスは世界を 制覇しようとした。だから、弱いといって、いつまでも弱いわけでない。 弱いから逆にいろんな知恵を使うわけです。元もと人類はその誕生のとき から、弱いから知恵を使って生きてきた。 》 ▼ 強みは、弱者の苦労から湧き出る知恵から生まれる。決して野心を持って 挑んだ訳ではない。弱者の知恵こそ、力になる。弾き出した方はといえば、 変化適応能力が無くなり弱者になっていく。 何処かの国か、地域そのもの。 脱皮できない蛇は死ぬ。 ・・・・・・ 4181, 呪いの時代 ー1 2012年09月06日(木) 「呪いの時代」内田樹著 なかなか時代の特質を捉えた面白い本である。バブルと、バブル崩壊後、 日本は20年以上も下降曲線をたどっている。経済大国と言われたのも遠い 過去になりつつある中、人々は、その環境の中で互いに呪い、怒りをぶつけ あっている。そして中流社会が崩壊を始め、総下流化社会になりつつある。 そこでは互いに呪い、一部勝ち組を呪う時代になっている。 呪いは人間としての悪い意志、否定的な情動であるが、その核心部分には 他者の全面否定と破壊と殺意が内蔵されている。自己崩壊は他者への憎悪と なり自他とも傷つけるだけでない、未来へ希望と友愛を損傷する。 「呪いの時代」は、言い得て妙である。 * まずは、第一章 呪いの時代より ≪「呪い」は今や僕たちの社会で批評的な言葉づかいをするときの公用語に なりつつあります。「弱者」たちは救済を求めて呪いの言葉を吐き、 「被害者」たちは償いを求めて呪いの言葉を吐き、「正義の人」たちは公正な 社会の実現を求めて呪いの言葉を吐く。けれども彼らはそれらの言葉が他者 のみならず、おのれ自身へ向かう呪いとしても機能していることにあまりに 無自覚のように思われます。20年ほど前、まだ僕が学会というところに顔を 出していた頃までは、学会発表後の質疑応答で、「あなたは…の論文を読んで いないのではないか」とか「周知の…についての言及がないのはなぜか」 といった、「そこで論じられていないこと」を持ち出して、「こんなことも 知らない人間に、この論件について語る資格はない」と切り捨てる態度に出る 学者が沢山いました。僕はそういう「突っ込み」を見るたびに、どうして 彼らは「自分の知っている情報」の価値を高く格付けする一方、 「自分の知らない情報」が知るに値しないものだとあれほど無邪気に信じて いられるのか、その理由がよくわかりませんでした。僕たちは誰でも自分の 知っていることの価値を過大評価し、自分の知らないことの価値を過小評価 する傾向にあります。だから、学者にとっていちばん最初の仕事は、自分の 所有する学術情報を適切に評価することであるはずです。でも、 「君は『こんなこと』も知らんのか」と気色ばむ学者たちは「こんんなこと」 が議論の始点でなければならない理由について、ほとんど説明責任を持てない ようでした。・・・・ 学者というのは「知識を持つ人間」ではなく、 「自分のもつ知識についての知識を持っている人間」のことだと思います。 ですから自分の知っていることは「知るに値すること」であり、自分が知ら ないことは「知るに値しないこと」だと無反省的に信じ込める学者のことを 僕は端的に「学者の腐ったようなやつ」と呼んでいました。しかし、 学界だけの固有種であったこのタイプの人々が今ネット上では異常増殖して いるように僕には思われます。ディスプレイに向かって、グーグルで キーワード検索をしながら、個別的なトピックについてのトリヴィアルな 情報を入手することそれ自体は愉快なことですし、誰の迷惑になるわけでも ありません(僕だって大好きです)。けれども、そうやって自分が仕入れた 知識の価値を「知識についての知識」というメタレベルから吟味する習慣を 持たない人にとっては、どれほどトリヴィアルな情報を収集しても、 それは学的には無価値だということは忘れない方がいいと思います。≫ ▼「呪い」が、恐ろしい結果をもたらす事例を、あまりに多くみてきた。 特に、人生に恵まれてない人のそれは酷い。起こった現象しか見えないため、 その背後の原因を突き詰める能力が無いのである。呪いは、羨望が含まれている。 そのため周囲の全ての人が対象になるから始末が悪い。国会の有様は、正に 呪いの政争である。 呪いの政治は破壊しかない。 ・・・・・・ 3816, iPadを買った ー3 2011年09月06日(火) 手元にきてから二週間、iPadにますます虜。パソコンが大好きだが、 イマイチ使いこなせかった。このお陰で?アプリを比較的簡単にダウン ロードして気楽に使えるようになったことが大きい。更にゲームをパソコン で遊んだ経験が殆どなかった。そこで、まず無料のゲームで子供心に立ち 返って遊んでいる。「自分の人生がゲームそのもの、敢えてする必要もない」 と決めつけ、受け付けなかったこともある。このところ一日2時間は熱中。 まずは無料の小学校低学年?レベルのもの数種類だが、始めると止まらない。 まあ、いい歳をして幸せなことだが、面白いのは面白い! 先日、初めて デジタル雑誌をAplleから購入をしてみた。『最新iPadアプリ 特選700』。 「成るほどiPadを買ったことで、iBookが購入出来た」と一人感心。 そこで気づいたのは、目次から一瞬で項目のトップに切り替わること。 それとitunesの音楽とは逆に、ページの下に次々と、各ページのイメージが スクロールをすると現れてくる。 雑誌をパラパラと捲るのと同じことが可能。 また、最後に読んだところが、次回にiBookを開いた時に自動的に開く。 最近の録画は、最後にみたビデオの部分が自動的出てくるのと同じ。 さらに字の大きさが親指と人差し指二本で拡大・縮小できるのも便利である。 何よりも何時でも、何処でも、気楽に見れるのがよい。Podに数千曲入力して ある感覚と同じ。「アプリあってのiPad」が、この本の副題にあるが、 PCでアプリを充分に活用できない者にとって、「iPadあってのアプリ」になる。 それぞれの有り難さは違って当然。 私には「iPad 様様」のよう。 初めて携帯電話を手にしたのに匹敵する。 問題は自分にピッタリのアプリを 如何に探し出し活用できるかである。 無線で、平面で、本の大きさのため、 画面にピアノや太鼓の画面を表示し、作曲したり、演奏をしたり、 車の運転席で道路を疾走するする画面のゲームも現れている。 それもネット上で誰かと競技も可能。 ・・・・・・・ 3451, ニューカレドニアの休暇 −1 2010年09月06日(月) 去年はブタインフルエンザ騒ぎで予約をしていたクロアチア・ツアーを 急遽キャンセルをした。その後、あの騒ぎは薬品メーカー(WHOに入り こませた役員)が薬品を売るための詐欺紛いの扇動と後になって気づいたが 後の祭り。恐慌二年目も加わり、25年間、毎年行き続けた海外旅行が途切れた。 そして今年は恐慌三年目、経済的状況は二番底に向け動き出した。 さて、どうするか迷った。毎年9月以降に大きな事件が起こる傾向があるので、 最終タイムリミットは9月初旬まで。 近くで、安く、目だないツアーを 絞って盆明けになって探した。グァム島はありきたり、バリ島は家内が嫌。 オーストラリアはイマイチ。そうこう調べてると南太平洋の中で 「7日間で8万弱のニューカレドニア」を探しあてた。ワンフライト8時間で、 滞在型で、エネルギーが最小で済むところとあいなった。しかしホテルの 一ランク上に上げたり、現地で4回のオプションツアーに参加したりで、 二倍近くになってしまった。それでも15万である。 振り返ってみて、 オプションは2回で十分で、あとはホテル近くの海岸線の木陰で日干しを したりして、のんびりするのが正解。 二度と来ないと思うと可能な限り 動きたい気持ちに勝てなかったのである。 私の基準の採点では80点。 フィジーが90〜95点とすると少し低いが、私の避暑的時間の 過ごし方になれてなかったこともある。フィジーと違って、ここはフランス領 ニューカレドニア。 四国ほどの面積に25万弱の人口が住んでおり、小さな 多くの島が点在している。ニッケルを主とした鉱山資源が豊富。 フィジー、タヒチなど年中、常夏な気候に対し、5度ほど寒い冬がある。 この時期は丁度冬と夏の境目。冬で20度、夏でも25度というから、やはり常夏。 大まかにポリネシア系の現地人が4割、フランスなど白人系が3割、アジアの 移民が3割の比率で、フランス支配感が強い国で、地中海のフランス領の 小島にいるようである。その点、フィジーは小さいながらもポリネシアの 独立国でありポリネシアの人間的特性が前面に出ている。料金はフィジーが 5割高くなる。 南太平洋に行くなら、何処の国の領地か、独立国か調べた 方がよい。 植民地は白人支配が前面に出ている。現在、世界は一部の白人が 支配している厳然たる事実がある。 インドのカースト制度は、三千年かけた アーリア人による身分制度で、裏づけにヒンズー教で心まで支配する システムになっている。一神教のユダヤ、キリスト教も、ほぼ同じ手法で、 侵略の尖兵として、キリスト教で洗脳しながら乗り込んでいく。そして世界を 牛耳っている。ここで、日本がアメリカの金融被支配国が表面化してきた。 それだけでない、軍事も支配されている現実がある。 バカではないかというほどの人の良さが小さな島国の運命である。 ・・・・・・・・ 3076,120年の物指し 2009年09月06日(日) 週刊朝日の記事ー 平成維新「次の100年が始った」が面白い。
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| 5287,閑話小題 〜子どもたちの世界に何が〜大阪中1遺体遺棄事件〜 |
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2015年09月05日(土)
* 子どもたちの世界に何が 〜大阪中1遺体遺棄事件〜 普通の中一の男女二人が、夏休みとはいえ、夜半に街中を彷徨う姿が何とも 不思議で、奇妙に感じられた。その疑問の一つが、出会い系のアプリと、 TVの‘クローズアップ現代’で紹介していた。 そこで、ー出会い ご近所ー で検索したところ『ダレログ』などのチャットが出てきた。ご近所の友達との 出会いをサポートするサイトで、例えば「12歳、今から夜どうし遊びたい、」 という絞込みのキーワードを入れると、近くの条件にヒットする人が、写真付で 画面に羅列して出てきて応答する? 「合コン、居酒屋名、性別、年齢」を 発信すると、ある場に見知らずの人が、目的に応じて出会うことが出来る。 危険だが、居酒屋位ならと、集まってくるという。 ≪ 〜9月2日(水)放送のNHKの「クローズアップ現代」に関するブログより〜 ・8月13日に大阪府高槻市の運送会社の駐車場で中学1年生の平田奈津美さん の遺体が見つかった事件。平田さんと行動をともにしていたと見られる同級生の 星野凌斗くんの遺体も大阪府柏原市内で見つかり事件は最悪の結末を迎えた。 近年、全国で子どもを巻き込んだ殺人事件や連れ去り事件が相次ぐ中、 今回の事件は各地の教育委員会が子どもの安全を重点政策に掲げる中で起きた。 少年と少女は、夜に自宅を出て、朝まで街中で過ごし、事件に巻き込まれた。 番組では、インタビューやアプリでの直接対話などを通じて、数多くの子ども たちの肉声をあつめ、子どもたちの“リアル”をひもといていく。 謎が多い事件の深層を最新情報とともに伝えるとともに、大人からは 見えなくなった子どもたちの心を描き出していく。≫ ▼〈「そういう趣味?」の前科8犯の変態男が、12年の刑期を終えて出所。 そして、ことに及んだ〉。たまたま、あどけない12歳の男女が、わけも 分からないで、繁華街で彷徨っているうちに獲物になったという事件。今では、 携帯に位置情報があるため、普通の子供同士が、気楽に出会うことが出来る。 その対応は、本人同士の同意のため、コントロールは、非常に難しくなる。 子供だけでなく、大人の世界は、こんなものではないのだろう。情報化が 投げかける問題は、イスラム国の宗教の世界だけでなく、全ての分野で 根底から大きく変化を始めている。思いもよらない子供、若者の実態の 話を、身近から聞こえてくるが、これでは、仕方がない!ということか。 ・・・・・・ 4922,音楽を愛でるサル 2014年09月05日(金) 『音楽を愛でるサルーなぜヒトだけが愉しめるのか』正高 信男 (著) * 「孤人」の誕生 これは「ウォークマンやiPodが、グーテンベルグの印刷に匹敵する インパクトを世界に与えた」という説。読書は目からの視覚情報手段になるが、 ウォークマンは手軽な音楽の手段になった。それまでは、ラジオ、レコードや、 公共の場で集団で聞いていた音楽を、コンパクトな情報端末として個々が持ち 運び可能になった。それが一般大衆の「孤人」化の傾向を劇的に進むことになる。 それが今ではPCの携帯化とネット化である。 ー内容をまとめると、以下のようになる。 ≪:何気なく音楽を聴いているが、実は音楽に喜びを見出せるのは人類だけ。 他の霊長類には音楽への感性が備わってない。なぜこのような違いが生じたか。 人類出現とともに社会的なコミュニのツールとして誕生した音楽が、言語と 分化し、ウォークマンやiPod、「ひとりカラオケ」など個人で愉しむものに 変わるまでの音楽の起源と歴史、機能から、人類の進化の謎を解明かしている。 :グーテンベルク以前は、書物という代物はたいへん重いもので、移動する のはほとんど困難。手書きのオリジナル版が僧院や図書館に保管されていて、 読むためにはそこに出かけるしかない。借り出すことはできないので、気になる 記述に遭遇すると筆写するのが常だったが、活版印刷で状況は一変する。 薄い紙にぎっしりと文字をつめ込み、大量に製作することで、安価でハンディ な活字本ができあがった。時期を同じくして、ヨーロヅパ世界では英国を 皮切りにして(乗り合い馬車という世界初の公共交通機関が出現。 乗客たちが、 この使い慣れないシステムを活用するにあたり、活字本を持参して移動中の 所在ない時間をつぶすという行為を思いつき、それが普及したとき読書という 習慣が社会に流布した。 まず最初は貴族が始めた。 彼らがとりたてて知的欲求が高かったと考えるのは、やや早計だろう。 乗合い馬車のなかの狭い空間で、身分の異なる見知らぬ者同士が顔をつき合わす、 その気まずさに平民よりも貴族が耐えられなかったことが、大きく影響した のかもしれない。しかし本を持ち込んで、読書をすれば(または読んでいるふり をすれば)、良い。 :グーテンベルクに遅れることと五百年で、かつて中世で起こったのと同じ ことが音楽でも見られるようになった。 ポータブル・オーディ・プレーヤー の最大の特徴は、いつでもどこでも、セットをすれば一人で音楽と向き合える という点に尽きるだろう。なるほど当人の視線は拘束を受けていない。だが 本人の注意が視線の先にないことは、誰にも見てとれる。耳から伝わってくる、 その源に行っているのだ。結果として「私の今の関心は、目の前にはありません。 文字通り、「心ここに在らず」の状態ですよ」というメッセージを強烈に発信 する機能を果たす。しかも機能的には書籍より格段にすぐれている。 手をふさぐこともないし、電車に乗っているときばかりか、通りを歩いて いようと、あるいは走っているときでさ、彼らは公共の場にいないことに されてしまうのである・・ ≫ ▼ 視覚だけでなく、音楽を手軽に楽しめる視覚活用に、大衆がウォークマン で気づく。数年前から、更にパソコンが手の平サイズの携帯に収まって世界的に 普及を始めた。それで、ネットで孤人が結ばれたのだから、孤人は、それまでと 違った「?人」に変わろうとしている。「?」は「弧」「拠」「壺」? 現実世界の上にネット社会が出来て、世界を激変させている。 グローバル・ネット社会の住人の呼称は?孤独の群集、孤独の流離い 人が、気楽に、それぞれ結ばれる面白い社会になってきた。 ・・・・・・ 4555,横尾 忠則の老人論 ー2 2013年09月05日(木) * 人生の目的 ―バルザックの場合 「猫背の目線」横尾 忠則 (著) ー良く遊び、良く学び、良く働く。その他に「空白=虚」の領域を持つことー これが私の人生の目的。その虚の領域が、バルザックの人生の目的の「休息」 になるのか? 生前、死後に取り囲まれた『自分』の外(虚空)を常に意識を するため、休息が必要ということか? 欧州のバカンスで1〜2ヶ月も休暇を とり、生活圏から離れ、ただボッとする。それが彼らの休息。 日本にも湯治というシステムが昔からあった。軽井沢や那須などの別荘地は、 娑婆から隠れるためにある。 ーまずは、その部分からー 《 彼は「芸術家にとって暇が労働なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則 に従うことを拒絶し、自らが自らの規則に生きることを本懐としている。 世の中の潮流や流行は意に介さず、無頓着でいなければならない。社会や他人の 支配に従うのではなく、その時の気分(そう、この気分が大事である)に従う のを第一義にしなければならない。バルザックも「芸術家は自分の好きなように、 またはやれるように生きる」と語っている。「人生の日的は休息にある」という バルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は万人に通じる。先に彼は 「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが芸術家は 何もしないでボーッしている瞬間にも、作品の構想を頭の中で練っている。 だか休息中でも働いているのだと言っているのである。働くといえど肉体労働 ではない。知的というか創造的労働を体を休ませると同時に行っている。 「芸術家は休む時がないですね」と言われそうだが、確かにそうだ。 でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいる。考ているようで 考えてない状態、三昧世界に入っているのである。 バルザックが「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが「休息」と言う ところがさすがである。つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベスト の状感だからである。またこの無意識の状態こそ最も健康な状態といえるのでは ないだろうか。常に頭を使ったり過度な肉体労働をすることは健康を害すること に結ぴつくことがある。バルザックが人生の目的を「休息」と言ってのけた ところには人間の究極の幸せがあるように思う。大半の日本人は人生の目的を 手に入れるためには多忙を極めなければならないと考えているのではないか。 「休息」を目的にしたらきっと落ちつかないに決まっている。「休息」の 背後には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。 貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さでなく、自由に心の向く ままに生きることこそ優雅な人生の目的であるということを「休息」を通して 学び直す必要があるとぽくは思うのです。》 ▼「休息は死後にすればよい」というが「激しく生きた後の死こそ人生の目的」 と言いたいのか? 先日、新しいCDを出すと、ツアーで同行した ミュージシャンから販促を兼ねた手紙がきた。西アフリカのバスツアーで ひたすら海岸線を南下する日程だったが、そこで「この旅行は、私にとって仕事。 異国のツアーが私に創造を喚起する。税務署は、これを経費と認めてくれない」 と言っていた。芸術家にとって休んでいる時が、創造状態にあり、それをカタチ に移行する状態が、むしろ休んでいる、遊んでいる状態というのは、納得できる。 ・・・・・・・ 4180, 復讐するは我にあり 2012年09月05日(水) 『復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、‘我’というのが神様 (イエス)のこと。復讐はまた新たな復讐を呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、 それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。 この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、 5人を殺害した西口彰事件を題材にした作品【復讐するは我にあり】。 1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった 一人の男、榎津巌に恐怖していた。 敬虔なクリスチャンでありながら 「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師 にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ 警察の捜査網をかいくぐり、78日間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、 43歳で処刑された。≫ である。 この「復讐は神に預けて神の裁きにまかせること」の意味を知って以来、 怒り心頭になると、この言葉を呪文のように唱え、気持ちを収めてきた。 逆に、私の逆鱗で多くの人の心を傷をつけてきたが、それ故に何倍も返り矢で 傷ついてきた。その時も、この言葉の意味を痛いほど実感した。年齢を重ねる につれ、この言葉の重みを感じている。 要は因果応報で、報いは一番、 当人が受けているから、あえて怒りの感情に支配されることもない。 怒りの感情は、相手を毒する以上に自分を害する。復讐となれば更に毒が 自分に向かう。とはいえ、家族が殺されたり、致命的な裏切りの怒りは 癒しのしようがない。この言葉を唱えるしかないことになる。逆に祝福を 積み続けた人に神は幸運を与える。「積善の家に福来る」である。 しかし、この言葉こそ、ニーチェは弱者の怨念の原因となるという。 領土を奪われた国民が『復讐するは我にあり』と信じ、他力に頼ろうとしたら、 国は滅びる。人を恨めば穴二つ、という格言があるが、復讐は長期的潮漬け にするしかない。「江戸の仇を長崎で討つ」ということ。 グローバル化は弱肉強食の世界になっていく。怨念が世界に満ちることになる。 ・・・・・・ 3815, 哲学人 ー� 2011年09月05日(月) ー「哲学人」ブライアン・マギー著より * ー経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が数多くあるー 人生の比較的前半で、経験、そして現象の裏側に一般では感知できない真理と 現実があることを、垣間見てきたつもり。私たちは表側の一部だけの事象を見て 判断している。知りえる範囲でしか見えない。旧約聖書の世界の創世の物語は 7千~8千年前。当時は、そこまでしか想像が出来なかったのである。 それも我々が住む地球が球形で、宇宙に無限に近い星があることも分るはずない。 現在の我々は、現象の中にある真実を知ろうともしないで日常を流れている。 その範囲のイメージ内でしか生きるしかないのである。 ー以下の部分が、その辺のことを明快に表現している。 【 現代科学によって明らかにされつつあるように、日常の世界における、 そのときどきの経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が 数多くある。それはしばしば人を愕然とさせるうえに、直観に反したものである ことが少なくなく、真実であるとわかったところで、納得できない場合もある。 ー例を挙げると、 ・私たちの周囲にあるどの物体も、分子と原子から成立しており、その原子を 構成する素粒子の一部は不規則に運動している。これらはすべてエネルギーに 変換可能なのだが(あらゆる物体は力に満ちた空間である)、こうしたことは 常識的なものの見方とは全く相容れない。 ・私たちのまわりの空気は、テレビやラジオの微量の電波など、情報を運ぷ 見えない波動に溢れており、そのほかにも数々の分析可能の属性を 有している、という事実にしても同様である。 ・私たちは巨大な球体の表面で暮らしており、その球が表面上では時速千六百 キロで自転していると同時に、空間を驀進しているといった、ごく基本的な 事柄でさえ、(私としてはどうしても言っておきたいのだが、猛烈に)直観に 反しており、真理であるとわかっていても見たり触れたりすることはできない。 この事実はあまりに常識はずれであるため、これを最初に発表した人々は、 いまからほんの数百年前のことだというのに、ふざけた空想家か危険な嘘つき として糾弾され、そんな途方もない嘘を人々が信じたとしたら、あらゆる真の 宗教と(それゆえ)真の道徳にとって害になると非難されたほどである。 このように、常識は私たちの置かれている状況を適切に解き明かすどころか 忠実に説明してくれそうもないということを、私たちは事実として知っている。 さらに、特殊および一般相対性理論によって明らかになったもろもろのことや、 量子物理学によって明らかになったもろもろのことが示しているように、 私たちがじかに触れている物理的環境は、近年まで人間には想像もつかな かったほど奇怪であり、あまりに常識とかけ離れているため、どれだけ聡明な 研究者だろうと、こうした問題を理解するのは至難のわざ。このような状況の なかで常識的な世界観の擁護を試みても、やる前から結果はわかっている。 この試みはきわめて想像力を欠いたアナクロニズムと蒙昧主義にほかならない。 それは最も粗悪な時代錯誤なのである。 なるべく失礼にならないよう控えめ に述べるなら、常識的な世界観は思慮の浅い人々の形而上学にはなりうるだろう。 ラッセルは、それを「野蛮人の形而上学」と呼んだ。ラッセルの言葉で私が 何よりも頻繁に引用してきたものは、つぎに挙げる『哲学の諸問題』 (『哲学入門』社会思想社)の一節の最後の文である。 「・・そうなると常識はも、もう役に立たなくなり、私たちは物理的対象の 本性について、五里霧中におちいりざるをえない。そこで物理的対象を正当な 理由で心的なものとみなせるとしたら、ただ奇妙に思われるというだけでそう いう説を否定することは正しいはずがない。物理的対象に関する真理は、 奇妙であらざるをえない」 】 ▼ 歳を重ねると、軽くなっていくか、重くなっていくかである。 私の知る限り、教養を積んできた人ほど軽くなっていく。生きてきた月日の 出来事が所詮は粟粒、チリの様に消え去っていく事象でしかなかったことを 知っているからである。 ・・・・・・・ 3450 秘・異郷の旅、よもやま話 -7 2010年09月05日(日) * アフリカに魅せられて 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校の友人がケニアのサファリ から帰ってきて、その写真を見せてもらったことに始る。100枚以上の、 ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。それだけの 写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。 そこには、バルーンから動物を撮った写真もあった。なんで一回のツアーで、 これだけ多くの写真が撮れるのだろか? 実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない 活き活きした野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。 丁度、カナダのロッキーに行って、大自然に魅せられたばかり。なら、 アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。 とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。 そして、初めてケニアのマサイマラの平原にサファリカーで乗入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に動物が走っているのが見えてきた。 事前知識は全くないので、期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを 見れれば儲けもので、テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、 信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。 そして、 その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。 現地のドライバーが、無線とか、行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れ がいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。そして、夕刻に象の 20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。夕陽の中に、 黙々と隊列を組んで進む姿が何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝 サファリである。この時の参加者が4名に添乗員が一人。我われ夫婦に40歳 ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になる。 これほど、都合の良いサファリのツアーは今だかってない。どの場面も、 強烈な印象が残っている。最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。
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| 5286,閑話小題 〜老人漂流社会「親子共倒れを防げ」 |
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2015年09月04日(金)
* NHKスペシャル 老人漂流社会「親子共倒れを防げ」 ーNHKスペシャル 老人漂流社会「親子共倒れを防げ」ーを、 この日曜日のゴールデンタイムに放送していた。 以前にー老人漂流 「老後破産の現実」ーを取上げ、話題になったが、団塊の世代が老後を むかえた現在、大部分の老人にとって深刻な問題だ。 想定外の9・11テロ、 リーマンショック、3・11震災で、あっけなく事業整理に終わってから4年、 何とか、今までの生活を維持はしているが、目先には大恐慌が待っている。 老人世帯の9割は、他人事ではない。 〜NHKの内容紹介のブログより〜 ≪ 中高年の子どもがリストラや親の介護をきっかけに、高齢の親を頼って 同居するケースが急増している。こうした親子は、子の失業や親の病気などを きっかけに「親子共倒れ」に追いつめられていくケースが少なくない。 密着取材とアンケート調査で「親子共倒れ」が広がっている実態を明らかにし、 どうすれば未然に防ぐことができるのか、専門家を交えて考えていく。≫ ▼ 放送の翌日、見ていた家内が青くなって、録画をみるよう勧められた。 蓄えがなく、癌と分かっていても、病院にいくことも出来ないケース。 親の窮状を、みるに見かねて退職し、面倒をみているため、二人の生活を維持 できる収入もなく窮地に陥るケース。息子と同居するようになって、年金が 打切られて生活が成り立たなくなったケースなどが痛ましい。退職時に、 ある程度の蓄えがあっても、癌などで高額の治療費を払い続けるうちに、 蓄えが底をつくケースもあり、その可能性は、誰にも起こりうること。 国民の3割の預金が300万以下で、全世帯の収入額の中間点の人が600万。 全体平均は1000万円。上位2割の平均が3000万という。 とすると、貯蓄が1千万以下の人が三分の二となると、誰もが老人漂流社会 の当事者になる可能性を大きく持つことになる。近未来を考えると末恐ろしい。 世界は、何とか大恐慌の一歩手前で平成を保っているが、いつ何時、火の手 があがる可能性を膨らんでいる。やはり心せねばならないが、一歩先に、 事業清算をした我が身、毎日、賑わせている「東京オリンピック」バカ騒ぎが、 何とも面白く、哀しく、痛ましく思える日々。少し考えろ、何がアベノミクス! 成るほど、尻尾だけでなく、頭も、やられている! ・・・・・・ 4921,一度、死んでみましたが −3 2014年09月04日(木) * 死の淵からのルポの凄み 〜② ー淡々とした文章だが、内容が内容だけに凄みがあるー ● 細やかな喜び ーp48 いま寝ているベッドは、"オリ"のようだ。 気を緩めて、身体を狭めると、 柵の範囲がすかさず小さくなってくる。 一度、詰められると、迫ってきた柵は、 もう動かない。身体全体が、不自由な位置で止まる。あらゆる方向へ、もう一回、 自分の手足を伸ばす必要がある。右手で左の柵を持って、右半身を持ち上げる。 または、その逆。目の前に、柵が迫る。 柵のなかで、のたうちまわる。 トドみたいだなあ、といつも思う。思うようになかなか動けないのだが、 ベッドの柵を持って、バタンバタン、ドタンドタン。ほんの少し、右に寄れた。 それでも、‘身体’を感じて、ボクは嬉しいのだ、自分で、自分の身体を、 動かせたことを。 だけど、いつもできるわけでもない。≫ ● 書くことが、生きること ーp222 自動体位交換機能付きのエア蓄ベッド。それに助けられて、ボクは寝ている。 1時間おきにガーガーと音をさせて、エアーが入る。そして、ボクの身体は右に 傾いた緊左に傾いたりする家族が1〜2時間おきに椅子に座らぜてくれたりもする。 自分では動けないからだ。 こんなに身体が変わってしまったのが、いまでも 信じられない。つらかった。けれど、どうだろう? そうなってしまった身体を 嘆いていても、しかたがないじゃないか! このつたない文章が、いまのボクにできることなのだ。 どうしても書かなくてはならなかった。ボクには唯一、書くという機能を神さま が残してくれていた。書くことが生きていてよいと唯一、言ってくれている気が するから、ボクは書き続ける。脳のほうはさっぱりだけど、書くことができる。 その機会を与えてくれた友人や仕事仲間に、感謝しても感謝しても、足りない くらいだ。本当に、ありがとう。これからもボクはつまらなくても、忘れても、 書き続けると思う。これからもずいぶん、面白い人生を送ることができそうだ。 迷惑をかけてしまうかもしれないが、これからが楽しみだ。書くことが、生きる ことなのだ。 書いて、書いて、書きまくるぞ。 ー2013年12月 神足裕司 ▼ 著者は、家族が身近に世話をしてくれているが、介護重度5の老人は 生きていること自体が拷問。これは、病院の利益、家族の無知のため、拷問の ため生かしておくのと同じようなもの。安楽死も最近になって正面から取り 上げられるようになったが、まだまだである。 現在の私は、「知ること、 書くこと、何気ない日常を味わい楽しむこと」が、生きることになっている。 そうこう考えると、まだまだ日常生活を色濃く、その間の「ぼんやり」時間を 大事にすべきだが・・ ―――― 4554, 横尾忠則の老人論 2013年09月04日(水) 「猫背の目線」横尾 忠則 (著) 横尾の戒老録だからこそ、風がわりで面白い。「猫背の目線」とは 「老人のものの見方」という意味である。私より10歳年上で3年前の初版で、 古希越えの経験が書いてある。 再来年に古希越えの私に丁度良い老人論。 ーアマゾン内容紹介ーより ☆ 体の声を無視した結果がストレスを起こす。老年を迎えた猫好きの アーティストは、嫌なことはせず、好きなことだけをして生きる。少し日常の 目線をずらしてみれば、あなたも今日からできること。最新エッセイ集! ☆ 古稀を迎えた猫好きの芸術家は考えた。 「忙しいのは他人の時間に振り回されるから」「病気自慢が体を浄化する」 「努力は運命の付録のようなもの」―老年が人生を仕上げる時期ならば、 ひとつ人生を遊んでやろう、遅ればせながら隠居を実行しよう。自然に、 創造的に生きたい老若男女必読。 ー アマゾンのレビューの内容がよい! 出版社か、筆者自身?の書き込みと疑いたくなるほど、である。 《「今まで芸術と生活を二つに分けて、芸術に集中さえしていれば生活を 疎かにしたってどうってことないと考え、全てを芸術論でかためてしまう 人生観を送ってしまったところがあった。芸術は芸術の中でのみ完結する という錯覚は、完全に幻想だったことが理解できた気がする」 この言葉が核心といっていいだろう。 若い頃から、ナルシシストで 自意識過剰の横尾は、75歳になる今年も、そこから抜けるために未だ苦労して いる。自意識過剰から抜けるための試みの一つが、全国あちこちでやっている 公開制作である。 公開制作について横尾は「(公開制作を行っていると) 無私になる。不思議なことに雑念が去来しなくなる。『私』の意識が薄れる」 と語る。この公開制作時のテーマは「T字路」である。なぜT字路なのか? それは62〜63歳の頃に10年ぶりに帰った故郷の西脇で、子供の頃に良く通った、 T字路に建つ模型屋が奥の壁を残して、あとは見る影もなくなっている姿に、 膝が崩れ落ちるような衝撃を感じ、そのT字路を描くことでノスタルジーを もった「個人」から自由になり「普遍的な個」と感じるからだ。 横尾は幼児の頃に叔父の家に養子に入り、溺愛され育った。彼にとって 過去の記憶はすべてよきものと言っていいだろう。決して忘れたい過去に苦しむ 人間ではないのである。芸術と生活は別、と考えて60代にまで至ったこと 自体にに驚くが、同じくナルシシストで、「芸術と日常生活は別」と同じこと を言っていた三島由紀夫に傾倒し多大な感化を受けていたことを考えると、 不思議ではないのかも知れない。》 ▼ 横尾は「隠居は、嫌なことをしない、好きなことだけをする生き方らしい」 と、述べている。それからすれば、昔から隠居ということになる。目先、 不自由でない位の金と、有り余る時間が人生を通してあった。 足らなかったのは、それを使うほどの能力。 事業人生の結果は、自己精算に 近い事業整理で終わったが、充実感が残った。それは、有り余る自由な時間に 恵まれていて、事業も生活も趣味も楽しんだ手応えが残っているから。 そう思うしかないが・・ ・・・・・・ 4179, プライドと自尊心と虚栄心 2012年09月04日(火) * 「プライドが高い」「誇り高い」「自尊心が高い」の違いは? 言葉のイメージとしては良い順に・自尊心がある・誇り高い・プライドが高い ー 哲学者の池田昌子は、このへんのことを解りやすく説いている。 (ー14歳からの哲学ーより) ≪「自尊心がある」はプラスを含んだ言葉で、「プライドが高い」は自分の 弱さをカバーするための防御する気持ち。自分がしていることを自覚できるのは、 それについて考えられる精神を所有している人間だけ。精神は自分を自覚する。 精神としての自分を自覚する。そこで精神にとって精神よりも大事なものは ないと知る。なぜなら、精神としての自分にとって何が大事かを考えることを 知ることができるのが、まさに精神だからだ。自分を大事にするとは、 つまり精神を大事にすることである。「自尊心」とは、自分を尊ぶ、自分を 愛するということの、本当の意味がこれだ。自尊心を持つことと、プライドが あるということは、間違いやすい。誰も自分が大事で、プライドがあると思って いれば、他人に侮辱されても腹が立たないはずだ。なぜなら自分で自分の価値を 知っているなら、他人の評価は気にならないはず。もし腹が立つなら、 自分の価値より他人評価を価値としているからだ。それは自尊心でなく、 虚栄心ということになる。≫ ▼ 自尊心は『本当に自分を尊く思える心』。プライドとは全く違う。 人から否定的な事を言われたり、弱い自分がさらけ出されても自尊心が高ければ、 心は揺らがない。自尊心が低いと、他人の評価を気にしてプライドと言う虚勢で 弱い自分をカバーする。プライドの高さは虚勢の高さに他ならない。 自分を尊び、価値ある存在と信じる自尊心とは違う。そのため自尊心の低い人 ほどプライドが高くなる。年齢をかさねるにつれ、それが小さくはなるが、 女子と小人は、その壁がますます高くなっていく。誇り高いというのは プライドと意味は似ているが、虚勢の高さはプライドほど高くはない。 自尊心とは自分に自信があって生まれる。プライドは、自信がないための防御 の柵をいう。無知蒙昧のカラ元気。 居るよ、こういう人!地頭が悪いというか、 底がない? 何か、自分のこと?と思い知る。プライドも自尊心もズタズタ? が現在の私だが、ことの本質(世界恐慌)をみれば極当然のこと?? と、プライドの心が囁き出す。そして、そのプライドの壁の上から、 そこに来ている恐慌の大津波を眺めている日々。 ・・・・・・ 3814, リタイヤの生活は退屈か? 2011年09月04日(日) 良かったのか悪かったのか、10代半ばから常に受験、就職、事業などで、 常に追い立てられて生きてきた。しかし思いもよらずに?ここで追い立てられて きた人生から50数年ぶりに解放された! のが、現在である。その前のイメージ は、本音でいえば味も素っ気もないのでは? と思っていた。しかし、 その立場になって分かったことは、「それはそれなりに充実している」こと。 10年かけてネットに重心を移動していたこともあって、気持ちに余裕が なければ、こうはいかないのだろう。事業の結果がこうとしても、これだけ世界 規模の経済震災や自然災害が次々と生じれば、諦めもつくもの。現在の状態を 抵抗なく受け入れている自分に驚いている。逆に何だったのか、この10年は? と、疑問も生じる。止めようもない右下がりの落ち込みに、対処療法しか 手の打ちようがない日々も辛いもの。6年前に銀行からの会社売却の話が あったが、これは「生きたまま銀行系列のホテルに、ただ同然に持っていかれる レベル」の案件。あれから6年間も持続した分、実質な回収とも解釈ができる。 反面、倒産は避けられたかもしれない。それに関しても後悔は全くない。 目先の資金繰りの綱渡りは、事業人生で一度も経験したことはなかった。 半年後には給料、退職金の大部分も、取引先の支払いも、(資金繰表から 逆算して)不能になるのが明確であった。そのため目先資金の余裕のあるうち にと、会計事務所、弁護士、私と役員で相談の上に、少し早目の整理に入った。 それが打撃を最小限で終わらせたことになる。 そうはいっても会社の死は、 そう生易しくはない。 当分はiPadに集中。 最適なアプリを画面上に 配置することと、新しい何かにチャレンジすることである。10数年前に 亡くなった母親の老後の様々なチャレンジを身近にみていた。その辺にヒント が隠されているようだ。「良い人生、悪い人生ではなく、充実している人生」 がキーワードになる。 ・・・・・・・・ 3449 秘・異郷の旅、よもやま話 -6 2010年09月04日(土) *初めて経験した大自然の懐 広大な大自然に初めて唖然としたのが、カナダのロッキーの懐に入って時。 トロントと、ナイアガラの滝をみた後にロッキーを巡るコースのため、その途上 のバスの中で寝入ってしまった。そして目を開けると、何かこれまで見たことの ない山々と渓谷が続いている。「これは、まだ夢の中。それにしても、リアルな 夢じゃないか」と思っていた。しばらくし、これが夢ではない現実に気づいた。 これは何処かの星の異次元の世界としか考えられなった。(その後、これと 同じような異次元の世界を数多く見ることになった) そして、次から次へと 想像を遥かに超えた光景が、これでもか、というほど現われてきたのである。 「これまでの人生と、これからの人生という境になるほど、この感動は大きい」 という言葉が、溢れ出てきた。これをキッカケに大自然に魅せられ、世界の秘境・ 異郷の大自然の世界に引き寄せられるようになった。 大自然には、 ・「山脈」「湖」「滝」「川」「氷河」「密林」といった山脈系 ・「海・海岸線・島」「クルージング」という海系 ・そして「平原・草原」「サファリ」「砂漠」の平原系がある。 目的別に分けると、リゾート、探検、遺跡探索などの知識収集、 そして祭りなど、分かれる。どれが一番というのは一概にはいえない。 どれもこれも、素晴らしいとしかいえない。 ・・・・・・・ 3074,立花隆の緊急寄稿ー「自民党の破滅」 2009年09月04日(金) 週刊誌は図書館か昼飯時の喫茶店以外は読まないが、週刊文春の新聞広告が 面白そうなので買って読んでみた。特に立花隆の緊急寄稿「自民党の破滅」 に興味があった。副題が「小選挙区制度の罠」で、民主308議席、自民党 119議席の結果について書いている。 ーその概要といえばー 「日本はいつから「政権交代」を叫ぶだけのドブ板選挙で大勝できる、貧しい 政治文化の国になったのか。ぶっ壊されつつあるのは自民党だけでない。 日本国そのものなのだ。」というのが主旨である。小選挙区制度にしたことと、 派閥を無くしたことが大きい。そのために都(県)議会並みの小さな選挙区では ドブ板選挙活動を基礎にするかどうかで勝負が決まる。その結果、そこで育つ 政治家のスケールが小さくなってしまう。小選挙区制度になってから出てくる 国会議員の人間的スケールが都議会議員並み。 国会議員レベルで、国政を 安心して任せる人格識見の持ち主が殆ど見られない。これまでの中選挙区制度 では、派閥があり、そこで政治家を大きく育てるパドックの役割があった。 そこで政策力、リーダーシップ、そして政治家としての日常のふるまい方を 学んだ。自民党の中で、派閥の領袖は自派には総理総裁候補が多い自慢できた。 それが自民だけでなく民主党も、人材が払拭してしまった。 自民党が「責任力」をスローガンにしたのは呆れるしかない。 せっかく 総理大臣になったのに、その職責を充分に果たせずに任期途中で政権を放り 出すことを二度三度も続けた政党は、無責任の極地にあるというべきだ。 こういう中で、GDPの170パーセントの長期債務をいったいどうするのか。 両党とも、これをどうするか、一回も真剣な議論が聞こえてこない。 小泉は「自民党をぶっこわす」と宣言して、伝統的な集票システムなど様々な システムを壊したが、それが遠因で自民党の大敗につながった。 選挙の当座だけ尤もらしいことを並べ立てて、あとはTVを通じてプロパガンス を並び立ててしまえば、大勝を博すことが可能というのを05年の小泉郵政選挙 が示した。今回の選挙も大して変わらないのではないか。最大の心配なことは、 自民党の「ぶっこわれる過程」に巻き込まれる形で、「日本のぶっこわれ過程」 がはじまってしまったのではないか、ということだ。民主党を含む日本の野党は、 口先だけの尤もらしいことの経験があっても、責任政党として国政を担った ことはない。その経験が無いことを自覚して、一歩一歩を薄氷を踏む思いで いかないと、日本を本当に破滅させてしまう可能性がある。 −− 以上だが、自民党も一度政権を離れてしまえば「何で、こんな党に政権を 預けていた愚かさ」に国民は心底から気づくことになった。そうこう考えると、 政界再編成は近い将来必ず起こる。もちろん自民党は解党をしてだが。 民主が政権を取ったところで、800兆の借金が消えるわけでない。ますます、 借金が増えるのではなかろうか! (字数制限のためカット 2013年9月4日)
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2015年09月03日(木)
ー「原因」と「結果」の法則 ージェームズアレン(著) 学生時代に読んだカーネギーや、最近では「7つの習慣」のコヴィー博士など の啓発本のハシリの本。森の生活(現役)から、サバンナの生活(御隠居)に 移行したこともあり、純粋に、こういう考え方を受け入れることが出来る立場に なった。良い原因をつり続ければ、良い結果が現れることは分かってはいるが・・ そこが生身の人間。 四苦八苦は、人間に生まれてきたからにはついて回るが、 その三倍の楽を常に心がければ、何事も上手くいく!ことになる。 三倍を楽しむことは、日常生活の細部を楽しむ習慣化すれば決して無理ではない。 ピュアーな心根を持って、日々の細事を楽しめばよいだけ。 ーまず、アマゾンの商品内容の説明文より ・< デール・カーネギー、オグ・マンディーノなど、現代成功哲学の祖たちが、 もっとも影響を受けた伝説のバイブル『AS A MAN THINKETH』。聖書に次いで 一世紀以上ものあいだ読まれつづけている、驚異的な超ロング・ベストセラー! 「私たちの人生は、ある確かな法則にしたがって創られている。 私たちがどんな策略をもちいようと、その法則を変えることはできません。 『原因と結果の法則』は、目に見える物質の世界においても、目に見えない 心の世界においても、つねに絶対で、ゆらぐことがないのです」(本文より)> ー次に、あるビュアーより ・《「私たちがこれまで考えてきたこと(原因)が、私たちを、いまの環境 (結果)に運んできた」ということになります。つまり、自分の「思い」が 自分の「人生」を創り上げているということです。人の幸不幸は、その人の 環境と、その環境をどう思うか、その人の人格によって決まります。 環境が幸せなものならそれだけ幸せになりやすい、また、幸せになれる 人格をもつ人はそれだけ幸せになりやすい、ということです。 幸せになるためには、自分の環境を(幸せなものに)変えるアプローチと、 自分の人格を(幸せになれるべく)変えるアプローチがあるわけです。 自分の環境を変えるためには、自分が幸せになれるような目標をもって 努力すればいいのでしょう。 自分(の人格)を変えるためには、自分 (の心)を育てる努力をすればいいのではないでしょうか。》 ・《 何かにつまずいた時や心が弱った時、頼りたくなるのが啓発書。 本書は1902年に英国の作家によって記されたもので、世界に数多くある啓発書 のルーツとも言われている。意外なことに、日本語版は今回が初出となる。 現実がままならないのは、すべて悪しき思いによるもので、環境のせいではない と説く。結果としての成功も失敗も、その原因は必ず人間の心の奥底にある 支配的な思いにあると言う。「人間は身勝手な欲望を放棄しているとき、 搾取する側、される側のどちらにも属さない」という記述からは、当時の 英国社会に蔓延していた閉塞感を宗教以外の論理で解消したいという狙いが うかがえる。「自己制御は熟練技能」という啓発書の基本が、1世紀前に存在 していたことは興味深い。》 ▼ この年齢になっても、いや、なったからこそ、この原因と結果の法則には、 考えさせられる。 「いま、ここ、わたし」は、これまでの、自分の 「おもい」の結果である。 自然に任せておけば、大方は、いいこと、 わるいことは、五分五分になるが、意識して、いいことにアプローチをすれば、 わるいこと1、よいこと3にすることが出来る。それを対象、環境にも応用が 出来る。嫌なことがあったら、よいところを3つ探せば、確かに、そこにある。 自分の人生でも、同じことがいえる。老いると自己嫌悪に陥りやすくなり、 過去の全てをマイナスの視点で照射してしまいがちになる。 しかし、その視点で凝視すると、三倍、十倍のプラスの経験がある。 ・・・・・・ 4920,閑話小題 ー女社会のカースト制度 2014年09月03日(水) * お笑い、女社会のカースト制度 以前、目白の高級?住宅街の住人の「渡り僧侶」の奥さんが、 このカースト制度社会で虐められて、相手の子供を殺してしまう痛ましい 事件があった。 今朝のTVで、そのカーストの実態を放送していた。 「巷の社会学」を40数年、独学を続けてきたため、その扱いが面白おかしく 一人ニヤニヤしながら見ていた。それによると、階層が、セレブ、中間層、 最下層の三階層あって、大部分を占める中間層が、セレブもどきの小金持と、 普通のサラリーマンに分かれている。そして最下層は、その中に入れずに 除外されている人たち。 その色分けは、セレブは高級マンションから アパートの住まいと、子供の学校のレベルと、夫の年収と社会的地位などで される。セレブもどきは、中級のマンションか一般住宅の住人で、一億前後の 資産? 最下層はアパートか、中間層から排除された人。それをわきまえ ないと、露骨な嫌がらせか、村八分にあうという。高層マンション住民にも、 上層階ほど値段が高いので、自然と上ほどランクが高くなるとか。 男社会の仕事の現場も似ている。 それは面白いが、一切に触れないように、 アウトサイダーに徹し、ガードを張って生きてきたが、この事態に、差別? の露骨な嫌がらせに何度か受けたが、20年近く前から、森の住人から、 サバンナに軸足を移動していたため、動揺は少なかった? というより、 コミカルな蔑視の対象にしてきた。 ところで数年前、家内のところに、見知らぬ人から一枚の手紙が来た。 その内容が「近くの高齢者向マンションの住人で、人伝に貴女が共立女子大 出身と聞きました、何かの御縁、お茶でも飲みませんか」の誘い。断る理由も ないので、早速、ホテルのレストランでコーヒーを飲んできたが、時々、 同窓の集まりがあるので、参加しませんかの誘いであった。 あとで知ったが、この会の新潟支部長の長男と、私の長男が高校の同級生で、 その人からの指示があったのでは?と推測された。で、何時の間にか、 その世界にドップリ浸かり、今では支部長の妹分?のようだ。 人から見たら、カースト制のセレブ?か、セレブもどきの世界。 その顔ぶれは?? 慶応出の女子部会も、あると聞いたことがある。 この視点でみれば、家内はセレブ社会の住人に入り込んだ「セレブもどき」で、 私は最下層の住人になる。いや、最下層からも弾けだされた人非人。 元もと触れなければ、一切関係ない世界。これに拘り視界狭さくをしている のが世間様。娑婆娑婆である。 ーまた偶然だが、以下の文章は、子供時代の目線の中に、 その存在が、モロに現れ出ている。 ・・・・・・ 4553, 51年前の小学校の写真にタイムスリップ ー2 2013年09月03日(火) 写真を見ながら、当時の20人の男子同級生のフルネームと実家が何をして いたか思い出してみた。私を除いた男19人中15人の8割近くのフルネームと、 各々の実家の職業は全員、憶えていた。半分以上は幼稚園から同窓で何処かで 同クラスだったためだろう。 焼鳥屋、自転車屋、ペンキ屋、乾物雑貨屋、 美容院、衣料卸、床屋2人、和装店、電気店、青果卸業など、駅前もあって 商店主の子供が多い。実家を継いだのは3人。 青果卸業(兄が継いで現在、 社長をしている)と土田塗装以外は、消滅?している。51年も経てば当然。 中学校は全員、東中学校に進み、2、3年時での同クラスは男は私を含め7人。 女は3人。その後の人生をみると、高校と、大学に進むにつれ分別され、 そこで大部分が決まってしまう。それ以前から血筋で決まっていた? 当時、4Fの鉄筋の商店ビル3Fの住居を、この頃に駅裏に引っ越していた。 やっと商店内の生活から解放された。 と同時に、勉強に遅ばせながら目覚め 始めていた。目の前のライバルがハッキリしたこともある。実家の力関係と、 相撲の強さと、学業の成績で、微妙な力関係が出来ようとしていた。 その頃、ある姉に成績の良くなるコツを教わった。「一つでも良いから一度、 テストで百点をとってみな! そうすると、他も自然に良くなるから!」 その時、「これだ!」と思い、実践したのが勉強の目覚めの第一歩。 他に店から自宅と生活環境が変わったことが成績に大きく左右をした。 また中学二年時に兄と同室だが、勉強部屋と机を与えられたこともある。 勉強の出来不出来は勉強空間の親の配慮が大きく影響するもの。 当時は隣家に遊び好きな一歳年上の子と遊びまくっていた。その上、居間に TVが入って夢中になっていた中ニの後半に、それをみた同じ姉に、 「慶応高校に挑戦してみな!」と言われた。そこでガムシャラな勉強を始めた。 一年の即席では無理だったが、その挑戦がなかったら地元の受験校さえ 入れたかどうか? そのことから具体的に目標を定め無我夢中になる重要性を 学んだ。大した玉でないことは確か。だから水面下の独学は必要だった。 話は逸れたが、写真を通し当時にタイムスリップすると、同級生と自分が ディズニーのキャラのように見える。頭でっかちで、親が、そのまま縮小した ような姿で、未来の人生に向かって精一杯生きていた。 この切り口は、 人生の全ての場面に当てはめることが可能。自分とは過去の積み重ねから 成り立っている。記憶を失うとは、自分を失うことになる。この文章を書いて いて気づいたことだが、80歳まで、あと12年の現在、生から生前(無) に逆照射すれば、同年代になる。その意味で、団塊の世代にとって、 昭和三十年前半は意味がある。里帰りということか。 やはり「人生は生きているうち」。 ・・・・・・・ 4178, 事実と真実と真理について 2012年09月03日(月) * 「真実」と「事実」の違い 事実の中にある真実とは、そもそも何かという素朴な問いかけがある。 以前、自宅に電話の苦情があった。「さっき、お宅の犬に突然に飛びかかられた。 子供のヒモが外れたのは分かるが、危険過ぎないか。腹の虫が収まらないので、 電話をした」と御立腹の様子。ところが家には子供も犬もいないので、 「何かの間違いではないですか?」というと、「御宅の前のアパートに住人で、 駐車場から突然、飛びつかれた」という。そこで「電話番号を間違えたのでは?」 というと「間違いない」と、押し問答。後で分かったことだが、自宅奧の貸家の 住人が、何時の間に犬を飼っていたのである。それなら勘違いは分かる。 アパートの住人は裏に、もう一軒、家が存在しているなど知るよしがない。 事実は、我家の駐車場から飛び出してきた犬が突然、飛びかかったのである。 その現象の事実は、そうだが、真実はこうである。今回の倒産劇で、B層、 C層レベルの創作話が多く流れたようだが、誰も好意的解釈などするはずがない。 ー 以下は、、ネットで、「事実と真実」を検索してみた内容である ー ≪●「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、 または理解を通して視られるものが『真実』である」 ● 事実と真実の違いは、5Wのうち「いつ、どこで、だれが、何を」に ついて言うのが事実です。表面には現れない「なぜ?」を見つけるのが 真実を見つけるということ。真実を追求するというのは、 事件や問題の 背後にある何故そうなのか、を見つけること。 ● 真実・・・嘘のないこと、本当のこと 事実・・・現実に起きたこと 本来なら「真実」=「事実」に ならなければならないが、うはならないことが多く「多くの人間は見たい 現実しか見ない」。 真実とは「見た人が見たい現実をみているもの」、事実は一つだが真実は 人の数ほどある。 真実はそれを口にする人の価値観と切っても切り離せない。 「事実」は人間の外部にあるものだが、「真実」は人間の内部にあるもの。 「客観的事実」という言葉はあっても「客観的真実」という言葉を聞かない。 問題は、人の認識がそういうものである以上、はたして、「事実」を「事実」 として認識できるのか?という問題が生じる。そうなると、「真実」という のは本当にあるのか?という疑問も生じる。≫ ▼ 寺山修司の言葉に「真実の最大の敵は事実である」がある。真実は、 事実の中にある、それぞれの解釈でしかない場合が多いからである。世間では 「事実の最大の敵はウワサである」になる。それがウワサがB級層では事実に なってしまう。教養とは、そのへんを見分ける知識の蓄積をいうが、とにも かくにも考えない人が多い。ひと事ではないが。そういえば、学生時代のゼミで、 ケーススタディを一年間してみた。次回分のケースのプリントを渡された内容を 10人ずつ二グループに分かれて議論して、それを持寄り20人の円座を組んで 再び議論する。提出された問題の中の答えとの誤差を、更に議論する。 半年も月4回もしているうち、その誤差が無くなっている。 事実=現象の中の真実、真理を見通す能力の訓練だった。 ・・・・・・ 3813, 無知の涙 2011年09月03日(土) * 問題は悪意より無知から生じる――ハンロンの剃刀 ー「ハンロンの剃刀」とはー 「無能で説明できる現象に悪意を見出すな(愚かさによって充分に説明できる ことを悪意のせいにすな。)」頭にきた行為が愚かさで説明できれば、必要以上 に悪意を想定するな!ということ。この定理を知ると、不満やトラブルに遭遇 した時に、相手が本当に悪意に基づくものか、無知や愚かさからくるものか、 を間をもって判断できる。そうすれば、その大部分が無知から生じていること を知る。しかし現実に厄介なのは、悪意より無知からくる方で、無知の自覚が ないから始末が悪い。「知らぬが仏の恐ろしさ」を、他者に、多く見てきた。 いや、それ以上に過っての自分を振り返ると無知の涙を経験してきた。今もか。 人生は無知から生じる問題を解決するプロセス。大体のことが、この法則で (少なくとも他人への)怒りをなだめることができる。それで問題は半減。 「本来、人を理解するのは至難のわざ」である。 自分さえ分からないのに、 他人のことなど分かるわけがない。その他者に悪意を見出しても何にもならない、 という道理は納得できる。一番怖いのは、無知の善意。あとで、悪意がつく。 ー「ハンロンの剃刀」をネット検索で調べるとー 【 ハンロンの剃刀とは、オッカムの剃刀の代用品である。あくまで代用品 なので、切れ味はそれなりである。しかし、その切れ味の悪さは単に研磨屋 の腕が悪かったり、粗悪な鋼を使ったりしているためであって、別に悪気が あった訳ではない。もちろん穿った見方をすれば「腕を磨いておかないのは 研磨屋の怠慢すなわち悪意である」とか「素材に良質な鋼を用いないのは商業 倫理に悖る卑劣な行為」とか言えないこともないが、そう何でもかんでも バッサリ切り捨てないのが優しさと言うもの。 要するに「無能な(≒悪意はない)んだから、許してよ」という言い訳。 「無能で説明できるなら、それに悪意は存在しない。】 何かドッキとする言葉。 無知蒙昧を、一々取り合わない、 腹を立てるだけロスということ。出来たら、孤高でありたいが・・無理。 ・・・・・・・ 3448・秘・異郷の旅、よもやま話・・5 2010年09月03日(金) * ツアーあれこれ ー4 ・パック・ツアーに参加するか。・旅行代理店に行って窓口の担当に旅行の 目的をいい、行程を組んでホテルや飛行機の手配をしてもらうか。 ・旅行先の現地のパックを探してもらい飛行機の搭乗券と組み合わせるか。 ・それらをネット上で、全て予約を組むか。 ・それとも、飛行機だけを予約して、現地に行って出たとこ勝負で、ホテル とか行き先を決めるとか、旅行にも色いろな方法がある。 人見知りをする私にとって、パック旅行は最適なシステムである。 旅行パックシステムは欧米から発展してきたもの。全国から同じ目的を 持った者がチームを組んで旅の目的を達成する。その最適パッケージを代理店 が企画販売するのがパックツアー。激しい競争の中で、パッケージの商品は 年々、改良されていく。 その進化したシステムを如何に合理的に使うか。 インテリと称す何?が時々、パッケージ・ツアーを罵倒している文章に 出くわすが、彼等はそのシステムの合理性を知らない。これがなければ 「ケニアでヌーの河渡り」や、タンザニアのセレンゲッティー草原で、 チーターの狩りなど見れる訳がない。それを可能にするには、10倍近い 金額と期間が必要になる。それ以前に、そんな気持ちになれない。 南米のべネゼイラのテーブルマウンテンに、地元のインディアンが先導する ボートに乗って奥地にいき、キャンプをし、飛行機で上空を旋回し、 エンゼルフォールの滝の下から1千Mの滝を見上げることなど出来るわけがない。 南アフリカで、ボツナワとザンビアの国境の橋の上から100mの高さからの バンジージャンプなど出きようがない。代理店は普通のパック商品では 生き残れないから、各種のパッケージを開発する。特に中小は、自社の強みが 何かを探し出して、それを売りにする。ケニア・タンザニアを専門にしたり、 イスラエルだったり、アマゾンだったり。それをパッケージにして、可能な限り 格安に売りに出してくる。面白いところでは、ツアーのベテランを狙って、 秘境・異郷のツアーに、かなり厳しい教育の入った自前社員を組み合わせた 一ランク値段の高いパッケージを売っている代理店もある。それも、ランクが あって特Aの客層狙いだったり、A狙いだった。特Aの団体を時どき見かけるが、 人相からして違う?一度、パタゴニアのツアーで参加したことがあるが、 成程である。 ・・・・・・・・・ 3073,飲み屋横丁考 2009年09月03日(木) このところ重い内容が続いたので、飲み屋横丁考でも・・・ 飲食街は幾つかの飲み屋横丁と、飲食ビルの組み合わせから構成されている。 飲食街そのものは50年〜60年の長年の歴史の上に成り立つ。その飲食街も、 この不景気と生活様式の変化で存続そのものが揺らいでいる。東京は銀座、 新橋、六本木、新宿など地区で、客層が分けられるが、一般的には、年齢、 客単価、一次会、二次会など目的などで大まかに分かれている。この数年は 地元・長岡で飲む時は、殿町の一角にある3メートル通路両側に8軒が並んでる 横丁の二軒で飲む機会が多い。 ところが先日、行きつけの隣の店に新たに 入ってみた。 これで8軒のうちに6軒目に入ったことになる。 ・先日開拓した「笑いキャラ」の店である。30〜40歳代の客層の店という。 (そこで、その横丁の各店の話題をしていたら、5軒の店が年代別の客層で 分かれているのに気づいた) ・私が通っている店は、50代から60代後半のカラオケを売りにした名物店。 ・もう一軒の行きつけは医者や夫婦が何組が常連の店で50〜65歳前後の店。 ・極めつけは70歳後半から80歳代の店がある。 ママは当然80歳前後。 知らない人が入ったら驚く。 ・それにフィリッピン人と、韓国人がママの店が一軒ずつある。 ・残りの二軒は入ってないが、何かの違いがあるのだろう。 自然に店舗構成がそうなったところが絶妙である。基本として高い店は 行かないので少し離れた横丁である。そこだけで店を替えていれば十年間は 持つことになる。 吉田類の「酒場放浪記」という番組があるが、店の中より、 最寄駅から周辺の商店街などを歩くことから始る。背景から客を知るのである。 大きな飲食店ビルは、オーナーが意識的にテンポ構成をするのだろう。 そういえば数年前に、地元で最高級?のスナックビルが倒産した。 この御時勢、そうだろう。
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2015年09月02日(水)
* 高齢者運転講習と適性検査 一昨日、70歳の免許証の書換えを前にした、法定の『高齢者運転講習と 適性検査』を受けてきた。参加者が10名(その中に、田中真紀子もいた)、 時間は14〜17時までの三時間。講義、ビデオ、目の検査、適性検査、実際 の運転検査など、かなり真剣な内容。 どうも目が不適正で、このままだと 不合格になりそうである。書換えまで5ヶ月あるので、近々に病院で検査に行く しかないが、最悪は免許返済もありうる? 10数年前から、長いトンネルや、夕方の薄暮や暗くなると、視界が悪く なってはいたが、どうだろう? 講師曰く、『人によるが、歳と共に、年々、 極端に運転の適正が落ちていく』と。これも、「悲しい老い」の一現象。 気持ちは若いが、肉体は、年齢そのままに老いている。 講習の中で、 《地元で去年の交通事故の死者が、加害者・被害者を含め8人だったが、 そのいずれも65歳以上の高齢者。 以前は圧倒的に若者が多かったが、 都会を中心に若者の車離れの傾向が強いため。 都会では、地下鉄網が キメ細かく張巡らされていて、何処にも歩いていけるし、買物はコンビニや、 スーパーがあり、ネット販売がある。 スーパーや大型店での大きな物は、 宅配便で、送ってもらえるし、スーパーがネットによる宅配まで開始をした。 そこに都会では駐車場などの経費がかかるため、若者は、当初から関心がない。 それもあって、運転教習所は深刻な経営難で、市内に二つあった教習所の 一つが数年前に廃校になった。》と。 若者の正規雇用が減り、収入から みて、都会では親がかりでない限り、車を持つのは不可能に近いのが現実。 ところで、来年早々の、免許の書換え、視力の具合からみて、返済も 真剣に考えてみなければ。タクシーを頻繁に使っても、維持費からしても 格安になるが・・ これが、老いの現実か。まずは、医者にいってから! マイナスに考えすぎないで、出たとこ勝負になるが。そういう年齢だ! そして、偶然だが、以下に丁度よくつながる。 ・・・・・・ ・・・・・・・・・ 2006年09月02日(土) 1978, クルマが売れない! Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning ある新聞の経済欄で「クルマが売れない!という記事が出ていた。 景気回復に比例して車が売れ出すという業界常識が崩れてしまった。 車そのものの魅力が低下、車が日用品化してきたからだ。これまでの車は 30年から40年前までの時計みたいなもの。ロンジンとか、ローレックスとか、 持っているだけで偉そうな錯覚をさせるイメージを加えて売っていた。 ステータスシンボルの要素が大きかった。ところが現在は、どんなよい車に 乗っていても何の価値も感じなくなった。むしろ頭の軽さが目立つだけだ。 この情報化でモノ、コトへの価値が見え始めてきたのだ。7月の新車販売 台数が(軽自動車を除いて)13ヶ月連続で前年実績を下回ったという。 軽自動車を除くと、13ヶ月も前年を下回ったのは1968年以来という。 (軽自動車を含めると4ヶ月連続の下落) あれだけ騒がれて登場したトヨタのセルシオの国内販売が、当初予定して いた計画を遥かに下回ったという。この背景には日用品化した以外に、 消費の多様化がある。車に振り向けられた消費者のお金が、デジタル 携帯音楽プレーヤーや、薄型TVなどの家電製品や、携帯電話の通話料に 向けられているためだ。確実に消費者の欲しいものの中の、順位が 下がっている。かって本田宗一郎が「ライバルは同業者だけではない!」 といって言葉が、さらにシビアに聞こえてくる。車購入の中心だった団塊の 世代の、車への興味も確実に下がってきている。 年功序列の賃金制度がホボ崩壊し、「いつかはクラウン」という購入パターン は過去のものになったこともある上に、その年代が実質定年を迎えつつある。 「クルマが売れない」というキーワードで検索をかけたら、日産と三菱自動車 の販売不振の内容が出てきた。かなり深刻のようだ。日産のゴーンの戦略も 尽きてきたようだし、鼻持ちのならない「三菱のブランド」が大衆に嫌悪感を 持たれてしまった。フルラインのトヨタ、若者・スポーツ感のあるホンダと、 軽自動車のメーカーと、それぞれの特化が顕著になってきている。 ところで私自身14年近くトヨタのソアラに乗っている。前の型のソアラに 4年半乗った後、新中古のソアラに乗り換えた。 現在もエンジンもしっかり しているし、車自体14年以上乗った車という古さを全く感じない。 まだ8万キロしか乗ってないが・・・ また十年前より、高速自動車の長い トンネルに入ると、閉所恐怖症みたいな感覚になってから遠乗りをしなくなった。 そのため「近くの移動の手段であれば何でもよい!」という気分になった。 おまけに前の型のソアラがあまり出回ってないので、古車を乗っている感じがない。 60歳になったら最後の車を買おうと思ったが、そんな気分にもなれない。 それなら海外旅行に、もっと行ったほうがよい。その気持ちは、一般の団塊の 世代と同じなのだろう。売れない理由は、流行語でいうと、社会の比重が 中流社会から下流社会へと変化していることもある。 それが一番の理由。 ・・・・・・ 4919,一度、死んでみましたが −2 2014年09月02日(火) 『一度、死んでみましたが』神足 裕司著 * 死の淵からのルポの凄み 〜① 介護度5の筆者の、たどたどしい文から、その日常と心情が直に伝わる。 それでも生きなければならない、そして、書き残さなければ直ぐに忘れてしまう 恐ろしさ、そして、ベッドで、のたうちまわる日常を淡々と、たどたどしく、 生々しく書いている。 倒産の葛藤の日々に似てないこともない?が、 状況のレベルが違う。 ーその辺りからー ≪ ● 死の入り口 ーp21 忘れていたが、思い出したことがあった。また忘れるので、書いておく。 たぶん、意識がなかったときのことだと思う。 ボクはのんびりとした毎日を 過ごしていた。あたたかい、やわらかい空間で、取材をしたり、原稿を書いたり していた。「そうだ、家に帰らないといけない」「心配しているかもしれない」 そう思っていると、遠くから息子や娘の声が聞こえてくる。「そろそろ帰ろう」 そう思っていたが、何度も原稿の締め切りがあって、たくさん原稿を書いていた。 そして、もう一回書かないと、とゆっくり書いていた。死の入り口の人間は 痛みもない、あのあたたかい、やわらかい空間にいるのだと思う。 死の入り口は、痛くも怖くもないのだ。” ● 忘れていた ーp25 思い出したことがあった。眠っているとき、白い服を着た白い鳥のような ものがボクの頭の上あたりをぐるぐる回って飛んでいる。僕は仕事で忙しかった ので、その白いものを見て見ぬふりをして、仕事を続けていた。忙しい、 忙しいと、締め切りに間に合いそうもないと、原稿を一生懸命書いている。 気分は良好。そこで娘の叫び声がする。「パパ!」僕は娘のところ行かなくては とふと顔を上げると、白いそれは消えてなくなった。喉が渇いていた。そうだ これは喉が乾き過ぎたからだ。だが僕は何を知らせたいのか、わからなかった。 「パパ、お茶飲む?」そう娘に聞かれて、喉が渇いたのをはじめて思い出した。 本当に喉はからからで、お茶をごくごく飲んだ。もっと、もっと、飲みたい…。 だが、僕は喉が乾いていたのを、忘れていた。 ≫ ▼ 何気ない文章だが、死の淵の意識は、こういうものだろう。 なまあたたかい、やわらかい空間にいて、痛くも怖くもないようだ。 それぞれの章ごとに、介護度5の筆者の写真があるが、その虚ろな表情が、 そのまま、その状況を伝えている。 介護度5の重症患者の自分を、そのまま ルポをしているのだから、これ以上のルポはない。 誰もが、訪れる『死』の 前での凄惨な日々は避けられない。「死んでしまえば、それまでよ」だが、 その直前の凄惨な格闘、その時は、その時に受け入れ闘うしかないが!
・・・・・・ 4552, 2050年の世界 ー3 2013年09月02日(月) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 米国の衰退の予感と、勝ち組になる国の姿は? 日米欧のうちG7の中で残るのは米国だけと予測。人口衰退の国に明日は ないことになる。その中で、日本の影は一層、薄くなるのは、現在の日本を 見ていても分る。米国の実質支配下の隷属国家、親が転ければ子も転ける。 〜まずは、その辺りから抜粋〜 《 米国民は、つねに競争、解雇、収奪、殺害のリスクにさらされている故に 脆弱感を持ち続けている、だから宗教にすがる、と分析する。 次に・高齢化に伴う医療費・年金の財政圧迫であり、投票率も高く献金も多い 高齢者の仕様の老害政治である。高齢者に有利な財政・優遇策ではなく、 若者の勤労意欲を引き出し、結果として高齢者をよりよく支えさせる賢明な 政治に切り替えよ、と主張する。エコノミスト誌の予測を読んで、私なりに 導いた結論は、次の点である。これからの「国々の興亡」は、中産階級を育て、 維持し、大いに嫁がぜる中産階級大国と、若年層の勤労意故、社会・政治参加、 高齢者を支えるコミットメントを上手に引き出すスマート・カントリーが 勝ち組になる。それはグローバル化を活用しながら、可能にしなければならない。 グローバル化の波頭でサーフィンするのではなく、海面からは見えない潮流を とらえ帆を張ること。それには黒潮をつかまえることだ。そのひとつは、 シュンペーター的起業家精神。 ローレンス・サマーズは「21Cは、 シューペンターがもっとも重要なエコノミストになるだろう」と看破したが、 グローバル化により創造的破壊がグローバルに解き放たれている。 その怒涛に渦から湧き上げるプランクトンを貧ること。 もう一つはグローバル・リテラシーである。いま、それは英語である * 二〇五〇年の日本の影は一層、薄い。 2010年に1億2600万人を打った人口は減少し続ける。人口減少は毎年1%GDPを 押し下げる。GDPは世界全体の1.9%、(2010年は5・8%)。人口一人あたりの GDPも、米国を100とすると、韓国の105に比べて日本は58へと沈んでいく。 しかし、日本の真の問題は人口とGDPではない。 日本の科学関係のノーベル賞 受賞者は15人しかいない、オーストリアは日本の人口の7%に過ざないが、 受賞者は14人と日本より一人少ないだけだ。なぜなのか。エコノミスト誌は、 権威に挑戦することを目己規制するからだ、と見る。「欧米に追いつき追い越せ」 の後に何を生み出すのか、それが見えない点では日本も中国も同じである、 というのである。向こう40年間、日本にとっての最大の挑戦は、シュンペーター と英語ということかもしれない。 { *参考 20世紀の経済学者ヨーゼフ・シュンペーター(1883〜1950年)は、 イノベーションと改善を求める起業家の意欲が、いかに大きな変動と変革を もたらすか注目し、起業家精神を「創造的破壊」をもたらす力と考えた。 彼によれば、起業家は「新結合」を遂行し、古い産業の衰退を促す。 確立されたビジネス手法が、より優れた新たな手法により破壊される。}》 ▼ 現在の日本がシューペンター的起業家精神を持って創造的破壊が可能 だろうか?といえば、疑問である。それより国家の概念が、情報端末とネット の進化で破壊される可能性が高い。ますます個人化が進み、個人が国家や、 地域社会の垣根を超えて行き来する。10年前、誰がPCが、タブレット、 スマートフォンの大きさになると想像した? ・・・・・・ 4177, 哲学で自分をつくる ー6 (デカルトー②) 2012年09月02日(日) 第二章 まだ自分をさがしているのか?(ーデカルト―②) 「哲学で自分をつくる」瀧本往人 (著) * まずは、「感覚」「現実」「数学」を疑うことから 確かに間違いなくある五感と、現実。デカルトは、まず、それを疑った。 現実と思っているのが実は夢でないかと。確かに感覚で捉えても、錯覚という こともある。 まず、感覚と現実をデカルトは疑った。なる程、デカルトは 近代哲学の祖。ここから、まず疑うのが知性、理性の出発点。膨大の情報化の 真っただ中で、このへんの事を、よく分かってないと、その洪水に流される。 いわゆるB層の人々になってしまう。割り切ってしまえば、それも良いが。 哲学で自分をつくろうとしているのだから、現実も、感覚も、まず疑うこと から出発しないと・・ あの人たち?のようになる。ーその辺を抜粋ー ≪ ◎ 最初に疑ったのは、「感覚」である。一般的には、自分が見たもの 感じとったものは絶対に正しいと考えたくなるが、デカルトはこれに依存して はならないとした。なぜなら、見えているもの、感じているものは、しばしば 「錯覚」を起こすからである。 ・・・要するに自分からの確信は世界を正確に とらえているとはかぎらない、ということである。逆に、この錯覚にさえ気を つければ自分の感覚もあてになる、とも言えるが、デカルトは、どんな場合も 間違いなく依拠できるもの、条件なしのものを追求しているので、感覚には 依拠できないとする。 ◎ 次に疑いにかけたのは「現実」である。実は第一の疑いである「感覚」と この「現実」とは重複した部分がある。実際に見ているものは、「感覚」でも あり、「現実」でもあるからだ。だが、自分が今、経験していること、つまり 感覚も含めて把握していることが「リアル」だ、というイメージならば「現実」 を疑うデカルトの意図は少し明確になる。この「現実」に対してデカルトは、 もしかすると、今現実と自分が思っているものも夢ではないか、と疑ってみた。 夢なのか現実なのか、その見定めができない、ということである。こでもやはり、 自分が夢を見ていないということが証明されれば問題はなくなるのだが、むしろ デカルトは、その根拠を必要としているので、確かなことではないとみなした。 ◎ そして第三に、デカルトは数学を疑う。彼は最も擁護したいものを一度 懐疑にさらしたことになる。数学的な真理は確かに、その体系においては真理が 成立しているかのように見えるが、新たな真理が発見されてしまうと、今まで 信じてきたものもあっけなく崩れることがある。デカルトはここで、数学を 特権視せず世の中に多々ある約束事と同様のものとして、不確かなものとみなす。 このようにしてデカルトは、用心く、私たちが最も依拠するであろう「感覚」 「現実」「数学」にそれぞれ落し穴があると強調する。つまり、特に確からしい と思われているものさえ不確かなのだから、「すべてのものごとは不確かなもの なのだ」ど判断するのだ。≫ ▼ 般若心経の「色即是空」の、色が現象であり、受想行織が感覚になる。 それらの全てが、即、空であり、あてにならないとデカルトは看破した。 まず常識を疑うことが第一歩だが、それを疑っている自分の感覚を疑って かかることこそ必要である。緑の原野からサバンナに出てみて、 「あの原野での出来事は何だったのだろう?」と、振り返ると、何も疑問を 持たないで同じ行動パターンを繰り返していた自分が見えてくる。 そして、現在も同じようなことをしている。根こそぎ、否定出来ない。 それをするには常に死を意識しなくてはならない。 しかし、目を背けている弱い自分が、ここにいる。 ・・・・・・ 3812, 世の中、すべからく代理・代行 −2 2011年09月02日(金) 国会議員、地方議員も間接民主主義による、国民や地域社会の代理・代行業。 ・セブンイレブンなどのコンビニは、車や徒歩で10分以内の住民が、買って 10分以内に消費するニーズを満たす代行の店。土地持ちのオーナーに 全国区レベルの情報とシステムの提供で、互いの利点を生かしあっている。 ・配送業が供給過剰のため熾烈な競争に入ったが、その中で一部業者は逆に 成績を伸ばしていった。家電なら、TVやDVD、冷蔵庫、洗濯機などの配達先の 取り付け作業を家電店に代わって請負うのである。パソコンもしかり。 運送業者が電器の取り扱い経験者を運転手として雇えばよいのである。 ・スーパーの流通センターから各店の配達も、最終店出し直前まで請負う。 ・先日、寿司の宅配専門で伸びている業者が、東京の山の手の有名店の宅配 だけを専門に請負う会社運営をTVで放映していた。売り上げの4割を店から 分けぶんとして貰う。 それでも有名店の店舗運営の経費からみても、 採算がとれるという。 ・代理出産もあるが、ここではやめておこう。 ・その中で面白いのが結婚相談所。これは昔からあったが、ネット時代。 一番、微妙な部分を考慮に入れた仕組みづくりがポイントのようだ。 料亭などが、最近では料理教室をつくり、そこに男女を集めて出会いの 機会を提供する。中高年や、エリートだけに絞り込んだコースとか、 外国人との結婚を求めている男女とか ・面白いのでは、ゴーストライターがある。有名人や成功した社長に代わり 一代記や、人生訓などを書く。ケネディ、オバマ大統領にも名ライター がいたが、あくまで影の身である。 ・戦国時代、江戸時代の大名にも名筆の書き手がいた。それは、それで専門職 は必要である。激しく時代が変わる中で、一人で何もかもは不可能。 その中で、いち早く、変化のニーズを察知して、その代理・代行のシステム を提供する必要性がある。デジタル化とネットによる情報化が別世界を 新たに出来つつある中で、代理・代行がキーワードになる。 ・・・・・・・ 3447.秘・異郷の旅、よもやま話・・4 2010年09月02日(木) * 初めての21歳の欧州旅行 ー3 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。 今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の 価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の 黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ 自分を変えなければ学生の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づいた。 それと社会、世界は不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家があり、 逆に貧しい人種と国が満ちている。その中で生きていく自分を作る基礎を学生 時代に培わなければと、気づいた。とにかく世界は広く、深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開するお城と、景色。 それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの渓谷の美しさに 言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、想像すらできない 光景を、これでもか、と見せられるのだから・・ 当時、中高年の人で、 あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が多いと聞いた。 現在のように、写真、テレビ旅番組、ニュースに、映画の背景として過剰に 入る時代ではない。私のように、中高校の白黒の小さな写真でしか見たことが ないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるかないかで、動乱の中で大きく、 その後を左右したというが、当時の彼らは欧米の社会を驚愕の目で見てきて 近代国家の絵図を描いたのである。時代も、スケールも、全く違うが、 それでも21歳での経験として、大きな財産になっている。 ・・・・・・・・・ 3072,コカコーラのビン 2009年09月02日(水) ー字数のため、カット 2015年9月2日ー
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| 5283,「読書の腕前」〜 「歩く」ことは「読書」に似ている |
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2015年09月01日(火)
「読書の腕前」 ー④
〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜 * 「歩く」ことは「読書」に似ている シンプルで、非常に分かりやすい例えである。7年前から早朝の散歩が、 ポタリング(自転車散歩)にとって代ったが、30年、冬期間を除いて、 近くの土手を毎朝、一時間前後、歩いてきた。 初めは腰痛対策だったが、 いつの間にか、「ストレス解消の癒し」の効用に気づいた。以下に指摘して ある、「じぶんがじぶんからぬけだしてきた感じ」が、程よいのである。 その間の、自由な孤独感と、開放感は何とも素晴らしくミニ・リゾートの ような時間になっていた。それと、「読む」という行為を重ね合わせて同定 するとは、言いえて妙である。 〜その辺りから ≪「読む」という行為が、「歩く」ことと非常に似通っているのを知ったのは、 詩人の長田弘のこんな文章によってだ(『読書のデモクラシー』岩波書店)。 ・「歩くということは、じぶんがじぶんからぬけだしてきた感じをもって、 いろいろなキズナからときはなたれた感じをもって、一人の自由な孤独な 人間となって歩くということだ」 この文章の「歩く」を「読む」に置き換えてみたとき、読書の本質をあまりに 見事に言い当てている。特に「じぶんがじぶんからぬけだしてきた感じ」 という表現には、「感電した」ようなショックを受ける。 そう、まさに「読書」ってそういうものなんだ、と。 自尊心や劣等感、出生地や職業、年齢や日々のスケジュール、家族や友人、 好きな食べ物や嫌いな歌手など、じつにさまざまな属性をぶらさげて生きている、 この「自分」というもの。考え込んだり、ため息をついたり、「自分」という やっかいな気ぐるみを着て、生きているようなものだ。 本を読むときに、これらから完全に自由になれるかというとそうでもない。 しかし、物語の時間に慣れて、あるいは著者の思想の渦に呑まれて、本に流れる 血液が手を通して自分の体内を流れはじめる頃、まさに「じぶんはじぶんから ぬけだして」ゆくのだ。いつの間にかさまざまな属性をぶらさげた「自分」 という着ぐるみを足元に脱ぎ捨て、ほんとうの意味で「裸の自分」がそこにいる。 夢中になると、裸になっていることさえ気づかない。 これこそ、読書の大きな功徳ではないか。長田はこうも書く。 ・「歩くことは、あなたが見知らぬ人びとや見知らぬものや自然を見ながら、 その人たちやものや自然から、言葉や形や色でもって語りかけられるということ。 つぎに、あなたのほうでもそれらに語りかけないわけにはゆかないということだ」 ・「日々に歩いて心をひらくことができて、はじめて私たちはいま、ここの中身を ほんとうにゆたかに深く複雑なものにすることができるのだ」と。 いずれも表向きは「歩く」ことを語りながら、読書の本質を言い当てている ことがわかるだろう。「歩く」というのは、ほかの移動手段にくらべればはるかに 不便だ。自転車、バイク・自動車、電車、あるいは飛行機…時間と距離の効率に おいて、「歩く」ことは、そのどれにも及ぱない、また「ながら」も利かない。 音楽を聴きながら、ぐらいはできても、歩きながらのの読書や、またノート パソコンを使っての原稿書きもまず無理。 折り鶴だってできないだろう。 「歩く」ときは、「歩く」ことに集中するしかない。このこともまた、 読書と似ているのではないだろうか。 ≫ ▼ 読書の功徳を、「歩くこと」を語ることで、シンプル化して掘下げる。 私の心の財産に、秘境ツアーがある。40歳頃から、ストレス解消として 始めたシリーズも、読書に似ている。「歩く」かわりに、手軽に、秘境旅行 パックのツアーに参加する。そして、大自然の景観に圧倒され、日常の着ぐるみ を剥ぎ落としてくる。20年間、年に2〜3度だったが、何ものにも換えがたい 経験だった。読書も、半世紀にわたり、2〜5時間は続けてきたが、これも トリップには最適である。トリップをしすぎて、現実世界に適応出来なかった ことが、良かったのか悪かったのか? ・・・・・・ 3446.秘・異郷の旅、よもやま話・・3 2010年09月01日(水) *初めての21歳の欧州旅行 ー2 デンマークの初めての夜はレストランのバイキング料理である。 当時の日本にはセルフ形式は全くなかった。それより、自分が食べたいだけ 皿にとってよい、とうのが珍しく、不思議な感覚であった。 そして、スウェーデン。夏のせいか、金髪の若い女性が裸足で、 超ミニスカートで、街を闊歩している。その美しさが街並みにマッチして いるのに驚いた。 また郊外にある古城の絵に出てくるようは美しさ。 それと高台からみた高原の輝く景色。それが次々と続いて出てくるのである。 そしてロンドンに。中学校の教科書の小さな写真でしか見たことのない バッキンガム宮殿、ロンドン市内には、シルクハットをかぶって歩く風格ある 紳士。パブに入って飲んだビールの美味さ。重厚なパブの雰囲気も異次元世界へ タイムスリップをしたような感覚であった。そこで仲間数人酔ってしまい、 子供時代以来、腹の底から笑った経験をしてみた。こんな楽しく高揚をした ことは今だかってなかった。もう、その世界に入ってしまったのである。 これを何度か経験すると、チョッとしたキッカケで同じ気分になれる。 これが人生を楽しさの面で非常に豊かにした。元もと実家で商売をしていて、 年に一回、家族、従業員、取引先など5〜60人が、年末に飲めや歌えやの ドンチャン騒ぎをしていた回路があったが、ロンドンで仲間と騒げば面白みが 格段と上がる。それで酒席が好きになり、ハメがきかなくなってなっていった? パリのシャンゼリゼ通りと、凱旋門、エッフェル塔。歴史的な積み重ねが、 そのまま、街並みに出ている。そのシャンゼリゼを、独りで歩いたことが 今でも記憶に鮮明に残っている。歩行者の、ほぼ全員が白人。 その中で、東洋人の自分に違和感を初めて覚えたということ。 ・・・・・・ 4918,閑話小題 〜ドルの不思議 2014年09月01日(月) * ドルの供給量が三倍 リーマンショック以来、ドルが三倍、ユーロが二倍の資金供給量の増加に なったが、円は二割の増加。それからして、ドルは40円になって然るべきだが、 不思議なことに100円辺りにとどまっている。米国債を発行したりしてドルを 回収しているが、そこにシェールガスの供給量が爆発的増加の要素が加わる。 やはりドルが全世界の基軸通貨の絶対的強みがあるが、マジックがあるような。 で、安部・黒田コンビが、過ってなかったほど、無制限に円の資金供給量を増やし、 それが株式にまわり株価を上げる。その崩壊も、時間の問題で、ある日、突然・・ * つれづれに 先日、TVで「幽霊や、虫の知らせ」について、色いろなケースを取上げていた。 そして、学者が「それら全てを、勝手な物語化しているに過ぎないだけ!」と 否定をしていた。これは各自の感覚の問題であり、断定出来る問題でない。 私も、ある時期、変な感覚が身についたことがあった。今は全く無くなったが、 これは経験してみないと理解できない。「激怒した相手は、本人か家族が数年 以内に病気か不幸が起こる」と信じている。家庭内は何こも多くの問題を抱えて いて、数年以内に必ずトラブルは起こる。特に熟年家庭には・・ 自分より年上には「いずれ直ぐ死ぬ!」で済む! そういう年齢になった ということ! 死んで三日もたてば、三百年前と死んだと同じこと! で、日々暮らすしかない。 * 「LUCY/ルーシー」〜シネマ評 まあ面白い! 95点である。ここでは、人間は脳の10%しか機能してない というが、3〜5%も使ってないのが大部分だろう。私自身の過去を振り返って みた実感は5%である。 ーレビューよりー ≪ 脳が100パーセント機能してしまったヒロインの戦いを描くアクション 「LUCY/ルーシー」。ごく平凡なルーシーは、台北で、マフィアの闇取引に 巻き込まれ、密輸のため新種ドラッグを体内に埋め込まれる。だが、袋に入った そのドラッグが体内で漏れ出し、ルーシーの脳はみるみる覚醒。 驚異的スピードで変化する彼女は、脳科学者ノーマン博士が見守る中で、 人知を超えた能力に目覚めていく…。 しかし一方で次第に人間性を失って いく彼女は、 自分自身でさえも制御不能な状態へと陥っていく。果たして 100%に覚醒したルーシーは、人類を救う存在なのか? それとも破滅へ導いて しまうのか? 通常は10パーセントしか機能していない脳が100パーセント機能 してしまったら? わずか数分で外国語をマスターし、傷みも感じない身体は スーパーパワーを身につけ、肉体的な格闘を超越して超能力の域に達する。 気弱な女の子から、人間性を失いつつも超人に激変を楽しみたいファンには おすすめだ。≫ ▼ 火事場の馬鹿力は確かに存在するが、それを薬物を使って引出すのは、 アスリートや音楽家の世界では広く応用?されている。これを拡大した アイデア一発だけで勝負をした内容が、何とも面白い! ・・・・・・ 4551, 2050年の世界 ー2 2013年09月01日(日) 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」 英『エコノミスト』編集部 (著) * 船橋洋一の解説 〜1 最後の船橋洋一の解説が簡潔に大筋をまとめてあり、これだけでも読み ごたえがある。四十年間の最も意外の黒鳥はインターネットには全く同調する。 まずは、その辺りを抜粋してみる。 ーその部分を抜粋してみるー ≪ 四十年先の世界を予測しようと言うメガチェンジならぬメガチャレンジを エコノミクス誌が試みた。これがいかに無謀かは、過去四十年間に世界で 起こったことがどれほど不可測的であったかを振り返れば足りる。 例えば、 一九七二年の時点で、次のような地政学的新世界を誰が予測しただろうか。 ○ ソ連が崩壊する。 ○ 中国が世界第二の経済大国にのし上がる。 ○ 新興国パワーのインド、ブラジル、南アフリカがサミットを開催する。 ○ 日本が二十年間の「失なわれた時代」の揚句、没落する。 ○ 米国と欧州連合)が深刻な債務危機に喘いでいる。 ○ インターネットが世界を覆い、フェイスブックが、インド、中国に次ぐ 十億人の大国になると誰が予測しただろうか。過去四十年間の最も意外の 黒鳥は、インターネッ卜だったかもしれない。これ一つとっても未来予測に 謙虚であるべき。もっとも、英エコノミスト誌は、この種のメガチェンジの 調査予測をこれまでたびたび特集してきた。有名な例の一つが、一九六二年、 ノーマン・マクレー副編集長が執筆した「驚くべき日本」の大特集である。 日本が戦後の復活の過程を終了、世界の経済大国へとのし上がっていくだろう との日本像を鮮明に打ち出し、世界の日本観を一変させた記事だった。 同記者の日本調査予測モノは、その後、一九六五、一九六七、一九八一年と続いた。 今回のエコノミスト誌の予測は世界をまるごと予側している。さらに野心的。 ○ 絶滅種が再生技術で復活するだろう。マンモスが一番乗りするかもしれない。 (恐竜は雛しいのだろうか?) ○ イエメンでは、二〇一五年までに自然水が完全になくなる。 ○ インドは、文盲人口と大学卒人口がほぼ同数という世界で最初の国になる。 ○ インドとパキスタンが競争の可能性がある。それが起これば、核保有国 同士の最初の戦争となり、もしか核戦争?。 ○ 中国の繁栄は長続きしない。最大の要因は、人口減のの重圧である。 中国の出生率は2.1に落ちる。四十年後、日本、欧州と並んで最大の人口 負け組となるだろう。二〇五〇年。最大の人ロを擁する国は17億人のインド。 中国がそれに次ぎ、米国を抜いて、ナイジェリアがその後を追う。 インドネシアも向こう四十年間、人ロポーナス国である。二〇五〇年、 アジアは世界経済の半分の規模。この時点でのG7は、インド・ブラジル・ ロシア、インドネシア、メキシコ。現在のG7で残るのは米国だけになる。・・≫ ▼ 過去40年より、今後40年の方が遥かに大きな変化が次々と生じてくる。 理由は簡単、スマートフォンなどの情報端末が止まることなく進化し、世界中の 人たちが瞬時に繋がる流れが加速し、それが一部の特権階級の富、 情報、権力の 独占を破壊することになるからだ。未来学者が、現在の事態は自分たちの予測を 遥かに超えていると述べていた。こと知識、情報、娯楽面で充分に恩恵を 受けている実感がする。 ・・・・・・ 4176, グローバル化の真実 2012年09月01日(土) 『終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか』水野和夫(著) なかなか面白い本である。ーアマゾンの書評をコピーしてみたー ≪「自由とはドルとエネルギーの消費である」と言われたアメリカが覇権国 である時代はもう終わった。しかるにアメリカはグローバリゼイションと いう名の〈米による世界経済征服計画)方策で、その命を永らえさせている。 (そこには様々なきしみとともに大きな亀裂も生じる)成長を至上命題とする 近代資本主義は限界に来ている。今行われようとしている景気回復は誰のための 景気回復か立ち止まって考える必要がある。それはいわゆる株主〈言い換えれば 上位1%の富裕層)のための景気回復ではないのか。働くものを幸福にはしない。 このままでは景気は回復しても労働者の賃金は下落する。 (一億総中流というほんの少しの間の日本のキラメキは戻ってこない) アメリカは金融化で世界経済を支配しようとしている。しかしそれがうまく いかないことはもう証明されている。≫ ≪ 水野氏の議論の核心は昨今の世界経済危機が、16世紀以降近代資本主義 の構造を前提に反復された景気循環の一環ではなく、こうした構造自体の終焉 を示すより根源的事態であるという視点に他ならない。これに匹敵する歴史の 根源的危機として水野氏が参照するのが、中世封建制経済から近世資本主義経済 への過渡期に当たる16世紀である。16世紀と21世紀は、氏によれば、 数々の点で相似的関係に立つ時代である。 こうした相似性は 1.それぞれの構造において経済が極限を迎えてしまった結果、投資効率が 極端に落ち類を見ない低金利に陥ってしまったこと、 2.こうした危機的状況の打開のため前者においては「陸から海へ」、 後者においては「海から陸へ」という世界軸の大転換が生じたこと、 3.かかる転換の途上で前者においては地理的空間の拡張、後者においては 仮想的空間の拡張とそれに伴う超法規的収奪が、それぞれスペイン/ アメリカという旧体制維持の世界帝国建設のため実行されること、 4.こうした世界帝国はその反動制故に解体を余儀なくされ、その残骸の上に 新世界が現出されること等々に確認されるという。21世紀における '1.から'3.への過程は天然資源の希少化に由来する大量生産/大量消費型 経済モデルの失速とそれに代わる情報・金融革命に基づく仮想空間への 資本主義の突出により可能となるが、帝国を支えるかかる空間上の高収益は 人件費の流動化、即ち〈搾取〉により初めて実現する。だがこのことこそ、 近代という時代を構成した資本主義と民主主義の幸福なる結婚という神話の おわりを明らかにする。 「ルールを破ることを許される者と、それが許されない者との徹底的不平等」に 基づく新自由主義を通じ国家は、前者の後者に対する「搾取」を「規制緩和」 を通じ実現する手段に過ぎなくなった。「労働は、資本にすり寄った国家に 裏切られたのである」。グローバリゼーションの本質を、16世紀に起きた 同質の変化と 対比させることによって明らかにしようとする。≫ ▼ ここで著者は、「グローバル化の真実を、「アメリカ金融帝国システムを 中心と、その周辺を結びつけるイディオロギー」と、看破している。グローバリ ゼーションの事実とは「ヒト、モノ、カネの国境を越える自由な移動」である。 そして、帝国主義国=アメリカ金融帝国は世界中の従者から「規制緩和」を強要し、 「搾取」をする、これが実態であると。その手始めが1985年のプラザ合意である。 日本は、ここからバブルとバブル崩壊のプロセスを歩み、アメリカに搾取された。 ・・・・・・ 3811, 閑話小題 ー老いと病について −1 2011年09月01日(木) ▼ 血圧について 酒好きの私が、これまで血圧を意識したことは全くなかった。 年に一度の半日検査では、「少し高めで高血圧の入り口にある。 出来たら酒は止めた方がよい」と、いわれ続けてきた。それでも、 「毎日の運動を意識的にして続けているので大丈夫」と、判断していた。 最近、二箇所の運動ジムに通いだしたが、両方とも血圧測定器が置いてある ので自然に、毎日のように検査をしている。だいたい145〜155である。 そこでネットで調べてみたところ140からが高血圧の三段階の初段階とあった。 医者にいわれ続けてきた通り。両親とも高血圧で数値をいつも気にしていたので、 年齢プラス80〜90が高血圧の境目、という記憶がある。 65歳として、 やはり145〜155が境目になる。ということは年齢からして、少しは 考えなければならない。晩酌で少し飲みすぎが原因は分かっている。 食事は20年以上前から、肉食を避け魚料理にし、御菓子など甘いものは、 ほぼ口にしない。また塩分も最小と心がけてた。運動も30年近く、早朝に 散歩か、最近はサイクリング。 5ヶ月前からは、ほぼ毎日のように運動ジム に通っている。 反面、晩酌に酒一合から二合と、350mlのノンアルコール の缶ビール1本を欠かさず飲んでいる。死ぬならガンと思っていたので、血圧に 対して少し認識が甘かったようだ。 昨夜のNHK番組の「ためして合点」で、 高血圧と認知症対策のマッサージを紹介していたが、そろそろ一歩踏み込んだ 血圧対策をしなくてはならない時期にきた。今さら遅いか?まだ遅くないか? ネットや、社会、世界の断層の狭間を目の当たりにし、健康で長生きをしたい 欲が出てきている。 まだ娑婆に未練? が残っているか。 やはり、振り返ると、60歳までが人生の良いところ。 ーべき時に、べき事を、べく、すべきーとは、良くいったもの。 「 若気のいたり、とは若気のいたりが、むしろ無かったこと!」 と今東光が、いみじくも言ったが、その通り。 「チョット、あの老人、現実に溺れすぎて、恋もしたことが無いんだって! 」 というのも、ある。血圧と何の脈絡がある? かというと、血圧など気にする 時節に「人生を充実して活きてこなかったことに、後悔する」からからだ。 チロリ・チロリ・チンチロリか〜 2008年09月01日(月)
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