堀井On-Line



1215, 「世界の名著をあらすじで読む」ー読書日記

2004年07月31日(土)

最近、本屋の平積みのコーナーで、古典などのダイジェスト版が目立つ。
文庫本も出始めているからブームになっているのだろう。 
先日、図書館で
「世界の名著をあらすじで読む」と、
「子供に読ませたい世界の名著」
を借りてきてさっそく読んでみた。

振り返ってみて、世界の名著はあまり読んでない。

古典的なものとして、「罪と罰」「大地」「赤と黒」「魔の山」「旧約聖書」
「新約聖書」・・・それと、ロマンローランの数冊と、
最近ではソルジェニーツェンの数冊と、あと数人の作家の本ぐらいである。

ノンフェクションが好きなためだ。

「子供に読ませたい世界の名著ーベスト26冊」の中に挙げてある本は
殆んど読んでいたので安心はしたが。

読んでみて、名著といわれるものはダイジェストでも非常に面白いことが解った。
それと過去に読んだ本でも99佑亘困譴討い襪里砲篭辰い拭
それを思い出すだけでも充分に価値があった。

トルストイの「戦争と平和」やモーパッサンの「女の一生」や、
ショーロフの「静かなるドン」などダイジェストでも面白い。
サドの「悪徳の栄え」など、当時の社会によく受けいれらたものだ。

買ったまま、まだ読んでないが、
「世界の旅行記・101」「世界の哲学書」などのテーマ別のダイジェストがある。
今度は「日本の名著をあらすじで読む」をよんでみよう。

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「子どもに読ませたい世界の名著」
あらすじで読むベスト26

著者: 三浦朱門

出版社:あ・うん
ISBN:4901318217
サイズ:単行本 / 213p
発行年月: 2003年 12月
本体価格:1,200円 (税込:1,260円)

【目次】
宝島(ロバート・スティーブンソン)/ロビンソン漂流記(ダニエル・デフォー)
/小公子(フランシス・ホッジソン・バーネット)/不思議の国のアリス(ルイス・キャロル)
/ピーターパン(ジェイムス・マシュー・バリ)/フランダースの犬(ウィーダ)
/十五少年漂流記(ジュール・ベルヌ)/星の王子さま(サン・テグジュペリー)
/にんじん(ジュール・ルナール)/三銃士(アレクサンドル・デュマ)
/グリム童話(グリム兄弟)/アンネの日記(アンネ・フランク)
/青い鳥(モーリス・メーテルリンク)/ピノッキオ(カルロ・コッローディ)
/アンデルセン童話集(ハンス・クリスチャン・アンデルセン)
/赤毛のアン(ルーシー・モンゴメリ)/荒野の呼び声(ジャック・ロンドン)
/トム・ソーヤの冒険(マーク・トウェイン)
/アンクル・トムの小屋(ハリエット・ビーチャー・ストー)
/若草物語(ルイーザ・メイ・オルコット)/ノンちゃん雲に乗る(石井桃子)
/潮騒(三島由紀夫)/ビルマの竪琴(竹山道雄)/二十四の瞳(壺井栄)
/銀河鉄道の夜(宮沢賢治)/坊ちゃん(夏目漱石)

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「あらすじで読む世界の名著」
楽書ブックス
小川 義男 (著)
目次

『誰がために鐘は鳴る』ヘミングウェー
『動物農場』オーウェル
『風と共に去りぬ』ミッチェル
『怒りの葡萄』スタインベック
『阿Q正伝』魯迅
『車輪の下』ヘッセ
『ジャン・クリストフ』ロマン・ロラン
『桜の園』チェーホフ
『ドリアン・グレイの肖像』ワイルド
『女の一生』モーパッサン
『アンナ・カレーニナ』トルストイ
『罪と罰』ドフトエフスキー
『レ・ミゼラブル』ユゴー
『はつ恋』ツルゲーネフ
『嵐が丘』E・ブロンテ
『アッシャー家の崩壊』エドガー・アラン・ポー
『若きウエルテルの悩み』ゲーテ
『リヤ王』シェークスピア
『ドン・キホーテ』セルバンテス
『ガリア戦記』カエサル

以上20編

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2003年07月31日(木)
848、10の小法

ホームページのネットサーフィンをしていたら
「10の小法」が出てきた。
なかなか含蓄のある内容である。
   
    小食多噛
    小肉多菜
    小塩多酢
    小糖多果
    小煩多眠
    小衣多浴
    小車多歩
    小言多行
    小念多笑
    小欲多施

それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。
『成人病への近道−10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。
下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。
これさえなおせばよいが、終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと
食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80諭■苅虻个覆蕋僑悪諭■僑虻个覆蕋苅悪佑蛤个鳳じて
胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。

半分以上バツなら成人病間違いなしである。
  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり
  
  『10の大法』  
    
    多食小噛  ×
    多肉小菜  ○
    多塩小酢  △
    多糖小果  ○
    多煩小眠  ○
    多衣小浴  ○
    多車小歩  ○
    多言小行  △
    多念小笑  ○
    多欲小施  △

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2002年07月31日(水)
473,一言タレント

小泉首相が大衆に人気がある大きい要素に
毎日だす一言コメントがある。

すべてをこめていると言ってよいほど簡素で
鋭いし、いいえて妙だ。
−ワンバイト(一言)化というらしい。

それで気が付いたが、随想日記も「一言コメント」に似ている。
テーマが一言コメントで、文がその解説と言えよう。
そういう面では時代に適しているのかもしれない。

テーマの決定にエネルギーをつかうが、それなりに出てくる。

小泉首相の場合、そのプロのコピーライターが側近にいるだろう。

時代が一言タレントを求めているのだろう。
これも情報化社会の一現象である。

TVの色々の分野の専門的な番組を初心者向けに放送すると、
よい番組が出来上がるという。
簡単に、特化して、編成すると内容が芯をつくという。

田中真紀子女史もその事をしって、批判をしているから
人気の大きい要素になっている。
つまらない時代になったのか、面白い時代になったのか
どちらであろうか?

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2001年07月31日(火)
[93] 旅行で出会ったー普段会えない人

・日本生産性本部の元トップとおぼしき人
・NHK幹部
・いつもお付きと来るが今回は一人できている山の手の奥様、
・天下ったばかりの元官僚、
・日本興業銀行本部のキャリアウーマン
・遠い親戚が亡くなりおもわず数億の現金を相続した人
・ツアーを2重がさねで続けて、現地でおち合った80台半ばの見た事がないくらい
 品の良い老夫婦、
・TVの経済解説でよく見る人
・えげつない関西のおばちゃん

まあ彼等から見たら、反対にどうみられているのだろうか?


1214,パスカル(3) −哲学についてー24

2004年07月30日(金)


ー「賭けの断章」

「賭けの断章」は『パンセ』の中でも最も有名な断章の一つである。
神の存在と信じる方に賭けることの有利さを確率的議論から
説得しようとするものである。

「神は存在するか、しないか。どちらに賭ける? 」
すでにこの世に生きている以上、この勝負を降りることはできない。
賭けないということ自体が、結果的に一つの選択になる。
賭ける対象は、「自分の人生そのもの」であるから大きな命題だ。
 
・神が存在するという方に賭けて、
 勝てば永遠の生命と無限に続く喜びを得て、人生は意味あるものとなるが、
 賭けに負けても、失うのものは何もない。
・反対に、神は存在しないという方に賭た場合、たとえ賭けに勝っても、
 儲けは現世の幸福だけである。
 死後は虚無とみなことになるから、得るものは何もない。
 
 逆に負けたとき、損失はあまりに大きい。
 来世の幸福をすべて失うことになるからである。
 如何みても神の存在を認めるほうが有利であると言いたかったのだ。

 37年前、『パンセ』のこの断章を読んだとき、ナルホドと納得をした。
といって、今さらキリスト教関係のクラブに入るには遅かった?
せっかくミッション系の大学だったのに惜しいことをしたと悔いが残った。
理性で納得し、心情が同意するためには時間がかかる。
そのためには人との出会いと時間が必要であった。

しかし、今から考えてみて、自分は仏教の方が向いているが。
 
ー以下はパンセの中の断片集の抜粋である。

・人間は一つの極端にあるからといって、その偉大さを示しはしない。
 むしろ同時に二つの極端に達し、その中間を全て満たすことによって、
 それを示すものである。 

・人間は偽装と虚偽と偽善にほかならない。 
  自分自身においても、また他人に対しても

・もしクレオパトラの鼻がもっと低かったなら、世界の歴史は変わっていただろう。
 人間のむなしさを知ろうとするなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めるがよい。

・人間はつねに、自分に理解できない事柄はなんでも否定したがるものである。

・人間相互の尊敬を結ぶ綱は、一般的に必要から生じたものである。
 というのは、全ての人間が支配者になりたがるが、
 みながそれになるわけにはいかないし、種種の階級が存在せねばならないのだから。

・悲しみは知識である。多く知る者は恐ろしき真実を深く嘆かざるをえない。
 知識の木は生命の木ではない。 

・好奇心というものは、実は虚栄心にすぎない。
 たいていの場合、何かを知ろうとする人は、ただそれについて他人に語りたいからだ。

・人からよく言われたいと思ったら、自分のよいところをあまり並べ立てないことである。

・この無限の空間の永遠の沈黙は私に恐怖を起こさせる。

・人間は考えるために生まれている。ゆえに人間は、ひとときも考えないではいられない。

・ひとつの事柄についてすべてを知るより、すべての事柄について何らかのことを 
 知るほうが、ずっとよい。

・我々は現在についてほとんど考えない。たまに考えることがあっても、
 それはただ未来を処理するために、そこから光をえようとするに過ぎない。
 現在は決して我々の目的ではない。
 過去と現在は我々の手段であって、未来のみが目的である。

・習慣は第二の自然だといわれているが、
 人は、自然が第一の習慣だということを知らない。

・誤った法律を改正する法律くらい誤ったものはない。
 法律は正義であるがゆえに従うといって服従している者は、
 自分の想像する正義に服従しているのであって、
 法律の本質に服従しているのではない

・偉人が我々より偉いのは頭が少しばかり高くでているだけのことで、
 足のほうが我々と同じくらい低いところにある

・実物には一向に感心しないくせに、それが絵になると、似ていると言って感心する。
 絵とはなんとむなしいものだろう。
 
 ・・・・・・・
 ・・・・・・・
 
 2003年07月30日(水)
847, 海は見ていたー映画日記

 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。
レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』に匹敵する。
山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。
熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから監督稼業として最高だろう。
主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。
日本には日本の素晴らしい人情がある。
この三本の映画を見てから邦画に対するイメージが全く変わってしまった。

ー『海が見ていた』の荒筋は
江戸・深川。
 将軍のお膝元である八百八町の町の中でここは、大川(隅田川)の向こう“川向こう”
と称され、ちょっと吉原、辰巳の遊びに飽きた粋人や訳ありの衆が集う岡場所(私娼地)
がある、葦繁る外れの町とされていた。
深川のお女郎宿“葦の屋”で働く、まだ若く器量よしのお新(遠野凪子)は、
女将さんやら姐さん方から「客に惚れてはいけないよ」と哀しい掟を教えられていた。
ある夜、お新は町で喧嘩して刃傷沙汰を起こし逃げてきた若侍・房之助(吉岡秀隆)
をかくまってやる。
 房之助の「こんな商売をしていても、きっぱりやめれば汚れた身体もきれいになる」
という言葉に心動かされる。
 
 その言葉を立ち聞きして感動した姐さんたちは、彼女のために一肌脱いでやろうと提案する。
姐さん衆のまとめ役、菊乃(清水美砂)は、気のいい隠居善兵衛(石橋蓮司)の身請け話と
ヒモの銀次(奥田瑛二)との腐れ縁が断てず悩みを抱え揺れている分、お新の純な恋を暖かく
見守る。そんな恋路にも終わりが来る。房之助が勘当を許された報告にやって来た際、
お新と姐さんたちに自分の婚礼の話を晴れやかに告げたのだった。
憤りを隠せない姐さん衆、突然の告白に動揺するお新。そんな彼らに房之助は当惑する。
彼はただ、お新を姉妹のように慕っていただけだったのだ。
 
 一時は寝込むほど傷ついたお新も、徐々に立ち直りかけていた。
そんな彼女の前に一人の謎めいた青年が現れる。名を良介(永瀬正敏)と言い、寡黙な彼が
少しずつ自分の厳しい生い立ちを語るにつれ、同じ境遇の宿命を背負った人間だと、
お新は理解する。
不幸に打ちのめされ、自暴自棄になった良介を優しく励ますお新に対して、
菊乃は「そんな男はヒモになるのがオチだ」と諦めるようにさとす。

 お新をめぐる人生模様の糸が絡まり合った、ある夏の日。雷鳴の轟音と共に激しい雨が
降りしきる。やがて嵐に変わり、川は氾濫、高潮の兆しも見せ始める。
逃げまどう人々をよそに“葦の屋”を守ろうと居残る菊乃とお新。
水位は増し、菊乃もお新も逃げ場を失い“葦の屋”の屋根まで追いつめられる。
「みんな水に浸かってだめになるのなら、一番いい着物を着よう」と、
とっておきの着物を身にまとい二人は屋根へ登る。
海に呑み込まれた“葦の屋”の屋根の上、その時だった、小舟に乗った良介が助けに現れた。
しかし二人しか乗れない舟に菊乃は自分ひとり死を覚悟して残る。

・・・・・・・
何とも山本周五郎作品を黒澤明が脚本した世界がよかった。
また黒井啓とキャストが一体となり素晴らしい作品に出来上がっていた。
昨日書店に立ち寄ったら、黒澤監督が書いたこの脚本が絵入りで新刊で出ていた。
買うかどうか迷って、一週間後に判断することにした。

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 2002年07月30日(火)
472,近くの川の鴨

15年前に自宅から150m先の川に鴨のツガイが来た。
そして半年がたった頃13羽の雛を連れていた。

そしてある時期が来ると旅立っていった。
そしてある時期が来ると再びやってきた。
その都度その数がどんどん増えて、一時200〜300羽まで増えていった。

ところがその一番多い時期から河川工事で川の泥が整備され、
鴨が住む場所が少なくなり、今では50〜100羽は近くまで減ってきている。
今では鳩やカラスと並んで、鴨の姿は一般的の光景になっている。

人家の近くは猟がない事を経験的に知っているのだろう。
鴨にも大型と小型の鴨がいる。
それと渡っていく鴨とのこり鴨がいる事が、散歩で解るようになった。

少し話が反れるが、結構多くの種類の鳥がいる事も知った。
見たこともない鳥もけっこういる。

こんな近くで鶯、カッコウ、鷺、雲雀、もず、などだ。

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2001年07月30日(月)
[92] 変わった人ーとの出会い

 旅行それも秘境系に面白い人が多い。
・人生の余白を埋めにきましたとか、
・毎月ー年12回来ている人とか、女の人で退職金使い切るまで続けるそうだ、
・100回目の人とか(はじめ50回で目を回してしていたが)、
・12日間の旅行に布のショルダーバッグ一つ。
  グレーのスーツにポロ、その上によれよれレーンコート。
  行き先はヨルダン・シリア・レバノン。着いてみると現地人
  は正にそのスタイル。彼のほうがピッタシ。
・57歳のグランドオールドミスが一人いらいら。
 キャリアウーマンの明らかに会社から見たらヘドロの典型!
 今会社の中は天国、こちらは地獄!
・大手の社長か会長あがりの人物。この前まで偉かろうが旅行の最中
 はただの旅行仲間!の意味が全く解ってない!人。
 奥さんこっそり社会復帰のリハビリのこれが初めての旅行と教えてくれた。
・生死の手術の後、奥さんと来てヒマラヤを見て泣いている人、
・10年ボケの父親を見送り世界中を旅行しまくっている人、


1213,パスカル(2) −哲学についてー23

2004年07月29日(木)

キリスト教の秘義とは、キリストが十字架にかけられ、苦痛の悲鳴の中で
悶え死んでいった不条理を解くことである。パスカルの信仰は、その苦痛
で、底深く沈んでいったのだ。
「私を救ってください、助けてください、お願いします、お願いします、
お願いします」
この祈りが、キリストの苦痛と一緒になった時、秘義となるのだ。

先ほど書いたパンセの第一節「人間は一本の葦にすぎない。
自然の中で一番弱いものだ。だが、それは考える葦である」があるが、
その先の文章がよい。
「これを押しつぶすには、全宇宙は何も武装する必要はない。
ひと吹きの蒸気、一滴の水でも、これを殺すに十分である。
しかし、宇宙が人間を押しつぶしても、人間はなお、殺すものより
尊いであろう。人間は、自分で死ぬこと、宇宙が自分が勝っていることを
知っているからである。宇宙はそんなことを何も知らない。
だから、わたしたちの尊厳のすべては、考えることのうちにある。

まさにここから、私たちは立ち上がらなくてはならないのであって、
空間や時間からではない。わたしたちには、それを満たすことができない
のだから。だから、正しく考えるように勤めようでないか。
如何に生きるかの根底はそこになるのだから」

パンセは学生時代、一言一言断片だが、心の奥に突き刺さるように響いた。

 ーパスカルの概略を書いてみると
フランスの思想家、数学者、物理学者。
数学的確実性を信じ、懐疑論に反対。
のち宗教的回心を経てヤンセニズムに共鳴し、イエズス会による異端審問を批判。
思想的には現代実存主義の先駆とみなされる。
数学では、円錐曲線論・確率論を発表、物理学では、流体(液体・気体)
の圧力に関する法則「パスカルの原理」を発見。  
 (一六二三〜六二)                
                        つづく

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年07月29日(火)
846, 人生の目覚まし時計

「7つの習慣 ー最優先事項」−2

 ベストセラーになった後の二冊めは大体が同じ内容をベースに書いてあって
つまらないものが多い。しかしこれはこの本のほうが
「より最重要事項に絞り込んであって面白い」めずらしい本だ。

 私の事業が装置産業であった為に、目先の時間だけはたっぷりあった。
自然にABC 分析をして、Aをやるようにしてきたつもりであった。
この本を読んで果たしてそうであっただろうかと考えてしまった?
Aで満足してしまい、さらにAのAの追求を忘れてしまったのではなかろうか。

 この本は何をどうするかの方向性を問題にしている。
人生で本当にしたいことが何かを明示することを第一としている。
目先の緊急事態病が最重要事項をつぶしてしまうのだ。
最重要事項かつ緊急事態が重なっている事項が一番の難敵である。
「むしろ緊急ではない最重要事項の中にキーが隠されている」と看破している。
冷静に考えれば、全くその通りである。
緊急事態は短期的視点でのこと、緊急でないことは、長期的なことであり、
かつ方向性を見定める事項だからだ。

ー人生の目覚まし時計の一部を書き写してみるー

 ある日突然、「本当に重要なこと」と「時間の使い方」のギャップを
思い知らされることがある。
それは人生の目覚まし時計というべきアクシデントによって知らされる。
例えば
・「恋人の死」。突然、恋人がいなくなり、「できたはずだが、しなかったこと」
 がはっきり見えてくる。成功のはしごに登ることに忙しく、
 恋人との「豊かな人間関係」をしてこなかった。
・「子供の麻薬禍」。自分の息子が麻薬に手を染めていたことにある日突然
 気づかされるかもしれない。息子との豊かな人間関係をつくれたチャンスが、
 次々に頭に浮かんでくる。しかしそのときまでは、金儲けやコネクション作りなどに
 忙しくて実行してこなかったのだ。
・あるいは「癌の宣告」。医者から残り数ヶ月の命だと宣告されるかもしれない。
・あるいは「妻(夫)からの離婚請求」。離婚の危機に立たされるかもしれない。

 このような突然の危機に立たされて、初めて、自分の「時間の使い方」と自分にとって
 「本当に重要なこと」との間のギャップがあることに気がつかされるのである。

 このような危機的状況を知らせる「人生の目覚まし時計」におこされない限り、
多くの人は人生の根源的な問題を考えるという機会に接する事はまずないだろう。
慢性的な深い原因を探らずに、深い痛みどめ応急処置としてバンドエイドや鎮静剤を
探すのだ。・・・・・・・・・・

ー以上だが、テリー伊藤の『あと一週間で死ぬとしたら何をしますか』
という本にいろいろな人が多くのことを書いていた。
しかし誰もがいつでも直ぐにできることばかりであった。
ある人が私のその質問に、「身辺のものを全て捨てる」と答えたのが一番気に入ったが、
これなど人生の一番深い意味が含まれている。
 当人は気がついていないようだったが。

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・・・・・・・・・

2002年07月29日(月)
471,下着泥棒

昨日ー15時位か刑事が来た。
下着泥棒が一軒先の家の下着を盗んで、たった今この辺に逃げ込んだという。
その家は大型の白い老犬がいて15年以上も通行人に吠え付き、
近所に迷惑をかけてる家。実際は前の犬を入れると40年近くなるが。
近所の顔見知りでなくては泥棒を出来ない事は刑事でなくても解る。

たて続きに違う刑事が2回も来たということはかなり緊迫をした状態だったようだ。
高校生か20歳位の茶髪の風体とか。
そういえば1カ月前少し前に近所に泥棒が近所に入って、その聞き込みにきた。
その時、泥棒に入られた事がないかとか聞きながら結果的に調べられていたのか?
もしかしたら下着泥棒だったのか?

いつも休みの日に黒いウオーキングスタイルに黒帽子で、
3時間以上も土手をうろついている、それもデジタルカメラを手に。
刑事も大変だ、日曜日の真昼間から下着泥棒の追いかけをしているのだから。

誰もがそういう変質者に疑われても、人の内面までは解らない。
SCが出来たりして便利になった反面、アパートが増え得体の知れない
人が増えてきた。仕方がないのか。

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・・・・・・・・・

2001年07月29日(日)
[91] 人生のこつ -2

「生きることを考える事はまず死を考えること」というが、
昨日書いた人の内容は正しく具体例として解りやすい。

何故勉強しなければならないか?という問いに、日下公人は何かの本のこう答えている。
「死んで葬式の額縁の写真に入った時、ああ自分は働くだけ働いた!遊ぶだけ遊んだ!
知るだけの事は知った!この世に生まれてきて可能な限りの事はしたつもりだ。これでよい!
このようにいえるようになる為、人は勉強をしなくてはならない。」
これが解ってない人が多い。

定年退職した後でと総て後回しにしてしまう。
後回しの大部分はやらないことの自己欺瞞という事を自身わかっていないのだ。
働いて時間がないときに無理に時間を作ってやるから其れが活きてくることを解ってない。

楽しい過去の倉庫、楽しみな未来の計画の束作り、そして楽しかった倉庫の整理と
計画を楽しんで実施している今。


1212,パスカル(1) −哲学についてー22

2004年07月28日(水)

学生時代には、パンセが常に傍らにおいてあった。
当時の不安な気持をいつも和らげてくれた愛読書であった。
現在、読み返してみて当時の哲学書の幾つかが、心の底の根幹をなしていた
ことに気がついた。
特に人間観は、大きくパンセに影響を受けていた。
生き方はニーチェとロマン・ローランである。
当時のささやかな読書が、人生を大きく左右しているとは。

「人間は一本の葦にすぎない。自然の中で一番弱いものだ。
だが、それは考える葦である」パンセの第一節である。
彼は物理学、数学などで成果をあげたが、哲学者としても名を成した。

あまり知られてないが、慢性的な病による苦痛の中で
人間とは何か、生きるとは何かを問い詰めた。
彼の20年の慢性病が哲学を深めていった。

「考える」という一事において、
「自分が苦しんでいる」という一事において、
パスカルの「尊厳」のすべてがある。
パンセの中の所々に「病の善用を、神に願い祈る」部分が見られる。

ーパスカルが31歳の時、神秘的な体験した。
1654年11月23日22時30分〜24時30分の間に、
パスカルの生涯を一変させる出来事であった。
「火」の夜の出来事である。
(恐らく)ヨハネの福音書17,18章を読んでいた時に、
白光色の「光」が見えた。
彼の死後に、上着の裏に縫い込んだ『覚書き』が発見された。
その一節が次の文章である。
 ーーー
アブラハムの神、イサクの神、ヤコプの神よ。
あなたは哲学者や学者の神にあらず。
感動、歓喜、平安!
ああ、イエス・キリストの父なる神よ。
あなたが私の神となってくださったとは!
キリストの神がわたしの神。
わたしは、あなたを除くこの世と、その一切のものを忘却します。
福音書に示された神こそ実在の神です。
わたしの心は大きく広がります。
裁しき父よ、世はあなたを知りませんでした。
しかし、私はあなたを知ります。
歓喜、歓喜、歓喜、歓喜の涙!
私はあなたから離れ、命の水の源を捨てていましたが、
わが神よ、あなたは私を捨てたりなさいませんでした。
どうか私が、これより後、永久にあなたから離れませんように。
永遠の命とは 、まことに、唯一の真の神であるあなたと、
あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることにあります。
イエス・キリスト。イエス・キリスト。
わたしは彼から離れ、彼を避け、捨てて、彼を十字架につけました。
しかしこれよりのち、私が彼から離れることが永久にありませんように。
福音書に記されたあなたこそ、実在の神です。
ああ、全き心。快い自己放棄。
イエス・キリストよ。
私はあなたとあなたのしもべたちに全く従います。
わたしの地上の試練の一日は永遠の歓喜となりました。
わたしはあなたの御言葉を、とわに忘れません。アーメン。
 ーーー
以上が、その時の文章である。
心の奥で深い痛苦を抱え、社会のひずみ、欺瞞に満ちた人間関係の幻滅等が、
この一夜で一挙に溶け去った。
そして歓喜にいたった。

キリスト教徒でない私が読んでも感動する言葉である。
                        
                      ーつづく
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年07月28日(月)
845, 親父の小言   わが愛息へ

 −親の小言と 冷や酒は後で効く

火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
人には腹を立てるな    風ふきに遠出するな
恩は遠くから返せ     年寄りをいたわれ
人には馬鹿にさせていろ   子の言うことは八九聞くな
年忌法事は怠るな     初心忘れるな
家業には精を出せ     借りては使うな
働いて儲けて使え     不吉はいうべからず
人には貸してやれ     難渋な人には施せ
女房は早くもて      義理はかかすな
博打は打つな       大酒は飲むな
大飯は食うな      判事はきつく断れ
世話焼きにはこるな    貧乏は苦にするな
火事は覚悟しておけ   水は絶やさぬようしろ
戸締まりは気をつけろ  怪我と災いは恥と思え
何事も身分相応にしろ   小商ものは値切るな
神仙はよく拝ませ    産前産後大切にしろ
人の苦労は助けてやれ   病気は仰山にしろ
浮気は程々にしろ    家内は笑うて暮らせ
 
 ーさればとて墓に着物は着せられず

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 実をいうとオヤジに小言を一回も言われたことがない。
おそらく8人兄姉の末っ子というのがあるのだろうが。
その代わりに、隙を一部でも見せると鋭い皮肉が飛んでくる。
社員を多く使っていたためだろうが、父の皮肉ほど恐ろしいことはなかった。
父が亡くなったとき、反面ホッとしたところもあった。
ゴッドファーザーの影が消滅をして解き放たれた為である。
「親の死は子供に対する最大のプレゼントである」というが、ある部分当たっている。
そうすると私も早く死ななくてはならないが。
 
両親は最大の教師である。
「子を持って知る親の恩」というが、歳を重ねるほど実感をする。
無条件に限りない愛情を与えてくれるのは親しかいない。
若い時この文面を見て感じたことと、今とでは全く感じ方が違っている。
経験が、この言葉の奥深い意味を裏付けるためだ。
冷酒と親父の小言はあとで効くというが全くそのとおりだ。
身につまされる文章が多くある。

 ところで一昨日、この下書きを書いた直後、家内と新規開店したばかりの全国チェーンの
居酒屋に行ってきた。帰りに大きな湯呑み茶碗を貰って帰ってきたが、そこに「親父の小言」
の同じ文面が書いてあった。シンクロニシティー(意味ある偶然の一致)
だろが面白いものである。

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2002年07月28日(日)
470, いい人とは

この意味を考えたことがあるだろうか。
子狐レベルの対話の「いい人悪い人」の話である。

突き詰めると「自分にとって都合のよい人」でしかない。
「いい人の振りをしよう」というのが子狐の名前の語源といってよい。
「その時の自分の都合のよい権力者に擦り寄っていく」のも、もう一つの語源だが。

あの人は本当にいい人だーそう自分にとってとっても都合のいい人だ。
ただそれだけだ。
それが解ってないからお互い傷つけあうことになる。
都合などその都度変わるからである。

ゲゼルシャフトー契約社会とゲマインシャフトー血縁社会の差も
一生理解できないレベルである。
少し知り合うともう何か相手を利用することだけを考える人がいる。
教養のない女ー特に小汚い中年の女に多い。
男も子狐というレベルの男もそうである。

こういう人間にとっての人脈とは利用できる集団か、人との繋がりでしかない。
人脈とは「自分が過去奉仕し続けてきた貸しのある繋がりである」ことが解らない。

少なくともいい人の振りをしないことだ。
ベタベタした人間関係がこういう誤解をつくりあげる。
地方などの非移動社会ー固定社会では、いい人を演じなくてはならないのか?
どうであろうか?!

真っ当に生きようとしたら、悪い人を演じなくてはならないのか?
いい人とは善悪という道徳的価値観が、それも小さな社会の縛りが入ってくる。
それも気違い部落の?

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2001年07月28日(土)
[90] 人生のコツ

ツアーで今ひとつの楽しみは、全国より集まってくるツアー仲間である。
本当に色々な人がいるものだ。推測だがどこかの高校の校長だったのでは
ないかと思われる67歳初老の人の事が印象的であった。

「60歳までに50回の秘境を中心にした海外旅行と、人生の余白を可能な限り
埋め尽くす生き方」をその人の感化でその旅行で決心した。

その人の言うに「自分の父の家系は40歳前半までに全員死ぬ家系!
若いときよりその死期までに人生総て生ききる生き方をしてきた!家族で
日本中を車で総て回る計画を立て実行、そしてその時期がやがてやってきた。
しかしどういうわけか死ななかった。
それなら一年一年が勝負と世界中を回る計画をたて実行、いまだ死なず世界中を
ほとんど回ってしまった。」

この時, これだな!と思った。そして先ほどのの決心をしたのである。
「人生は後回しでなく、前回し」人生だけでなく何事もそうであるが。
その時「貴方だけが何故生き残れたか、こころあたりは?」の私の質問に
「毎日朝食にキャベツを千切りにして、紫蘇のドレッシングをかけて食べている」
との答え。
 後は好きな事だけをやる事だそうだ。
 
 なるほどと考えさせられた。


1211, 哲学についてー21

2004年07月27日(火)

ー哲学つれずれに

「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。
そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしかないことに
気づいたり、それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。
私たちが経験して考えたり、脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、数千年前に
既に考えていたのだ。

書き連ねるほど、自分の知識と未知のラインが見えてくる。
哲学のバカバカしさと反面、深さと効用も解ってくる。
哲学をきちっと勉強をしておけば、新興宗教に引っかかったり、社会の表層に
流されたりはしない。教養の背骨になっていることも事実である。

学生時代の寮に、「哲学さん」というアダナの先輩がいた。
何時も一人でニヤニヤしてブツブツ言っていた。
「あまり哲学を勉強をすると、ああなるのか!」と、哲学は程々にしていたが。
しかし、人間最後は一人で考え決断をしなくてならない局面で、哲学の基礎教養は
最も重要に働く。

周辺に、常に人生の重要な局面から逃げ回っている人が多い。
哲学や宗教などの基礎知識がない人だが、必ず大きな壁にぶつかっている。
自分からは逃げることができないからだ。-他人事ではないが!
自分と直面をした時に、哲学が始まる。

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2003年07月27日(日)
844, パイロゲン

 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。
酒がそのままストレートで・・・一晩で10回以上トイレに行くことになった。
しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。
 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。
ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で体重が数糎困辰討靴泙辰拭
二つを同時に飲むのは合わないらしい。
どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択した。

いま考えると、パイウオーターを薄めて夕方飲み、朝には玄米酵素元気を飲み続けるべきであった。
3年前にある知人の事務所に遊びに行くとパイロゲンをお茶代わりに出してくれた。
二年前に軽い脳梗塞にかかったが、知人に紹介されたパイロゲンを飲んだところ、
ほぼ全快したという。今はお茶代わりに飲んでいるという。
そこで再びパイロゲンを飲むことにした。
現在、健康食品は『ハイ・ゲンキ』と『アガリスク』と『ヤクルト』を飲んでいるが、
3年前より『パイロゲン』が加わることになった。
特に酒を飲む直前に飲むと即効性がある。

 それぞれの人が、その人に合った健康食品を飲んでいるようだ。
生姜を乾燥させ粒状にしたものとか、梅干などだ。
自分にあったものを早く見つけて継続することだ。
ある人にいわれた、「真っ当に生活していれば健康食品など必要ないのではないか」
そこで「真っ当な生活ができないからこそ飲んでいるんだ』と答えた。

  以前も書いたが川柳に

 健康法 人に説いて 先に逝き 

 が正しく矛盾をついている。

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2002年07月27日(土)
469,チンパンジーの話

チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらい
TVでドキュメントを放映する。
大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。
面白いので必ず見ている。

彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。
常に二番ボス、三番手がいて、その序列は実力により明確に決まっている。
ボスは常に二番手の脅威にされさてている。

時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして
自分の存在の示威行為をする。

時にボス争いで死闘が行われたりする。
その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。
チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。

ボスのいない時に浮気や小競り合いなどある。
若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や
序列争いも人間に酷似している。

今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが
全く相手にされず遠くからメスを見ている目付きが人間のそれとそっくり。
おまけに下半身が!!しているのが、あまりに人間的だった。

彼らは下痢をしたとき枯葉で尻を拭ったりする。
またウンチを踏んだときも葉っぱに何度も足を拭ったりする。

風邪で鼻が詰まったときなど、鼻に小枝を入れてクシャミを誘発したりする。
笑いに似た表情をしたりもする。

集団でアカゲザルの狩もする。
遺伝子の研究がすすむにつれて、彼らは人間の範疇でないかという
説も出てきている。

ボノボという種類の猿は更に人間に近い。
TVゲームもできて、その姿は空想映画のようでもある。

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2001年07月27日(金)
[89] 城と教会そして宮殿

ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!
何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!

また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。
文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?


1210, つれづれなるままに

2004年07月26日(月)

ーアメリカの最終断末魔

アメリカの双子の赤字は何を意味するのかを考えると、底知れない恐ろしさを
おぼえる。石油の決済は、全てがドルでおこなわれている。

アメリカがイラクに侵攻したのも、フランスやロシアがフセインとユーロダラーで決済を
しようとしたからといわれている。
現在の世界の石油の決済は全てドルでおこなわれているが、ユーロでおこなわれれば、
ドルへの信頼感が薄れる。
輪転機でドル札を刷って世界中から物資を集めていたシステムが壊れてしまうからだ。

アメリカにとって双子の赤字など、全く問題はない。
輪転機の紙切れの数字がマイナスをあらわしているだけである。

それとアメリカ国債も同じく紙切れでしかない。
かろうじて、その二つの暴落を防いでいるが、ある日突然で恐慌を引き起こして、
その価値を落としてしまえばよいだけだ。
全く酷いものである。手形乱発とどこが違うというのだろうか。
そのアメリカの属国が日本である。
日本がその一番被害を被ることになる。

アメリカの断末魔の後は世界大恐慌となり、日本崩壊は?

ー「有限会社」が廃止

再来年から、有限会社制度が廃止されて株式会社に一本化されるという。
現在の実体からして、中小の株式会社と有限会社を区別をする必要性が乏しいと
判断された為だ。

これまでの中小の株式会社に規制を有限会社並に緩和をして、取締会や監査役の
設置義務を撤廃する。

もともと有限会社は、資本と経営が分離してない中小企業を想定していた制度だ。
中小企業でも、会社の格にこだわって株式会社を選択するところが多かった。
中小の株式会社に義務つけていた取締役三人以上で構成する取締役会や、監査役に
関して、約款で自由に決めることができるという。
最低一人の取締役でも設立可能となる。

ただ、中小株式会社のうち、株式譲渡制限のない会社については、株主保護の
観点から取締役会と監査役の設置義務を残す方針という。
今まで、何かあると、色いろの手続きを必要とした「株式会社」の不必要な
書類が減ることになる。

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2003年07月26日(土)
843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証

 今月号の「文芸春秋」で小松左京が「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」レポートが面白い内容であった。
本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」と思っていた。それが「まさか21世紀に自分が生きているとは!」と。

 ー要旨を私の主観でまとめてみると
・一番の衝撃は平成7年の阪神大震災だという。
 本人が書いた「日本沈没」が現実になろうとは。
 ほぼTPOS が酷似していた。
・三十年前は米ソの冷戦真っ只中、まさかソ連と共産圏がこれほどあっさりと崩壊するとは正直思ってもいなかった。
・今のエレクトロニクノロジーの発達で電卓、パソコンに、携帯電話、ロボット・・等電子機器がこんなに「小型」「安価」になってしまったことは、本人の予測をはるかに超えたことであった。当時百億したコンピューターがいまやもっと性能が良くなって10万そこそこ買える時代は今でも信じられない。。
 本人は現在この時代の速さについていけないので、携帯電話を持ってない
・宇宙開発はもっと進むと思っていたが、意外と進まなかった。
 今の人類にとっての、予測したほどの必要性が無かったためだ。
 しかし宇宙への進出は人類に必要である。
・イラク戦争も衝撃的であったという。多くのビデオカメラが入って戦場の
 映像がリアルタイムで入ってくる。
・高齢化社会と今の子供の問題は予測をしていた。

ー以上だが、
 ソ連と共産圏の崩壊、今の科学技術の発展、情報化社会の予想を超える進歩など、私が感じたこととほぼ同じであった。
この情報化の進歩はSF作家の想像をはるかに超えていたようだ。
ソ連さえも、まずは軽く崩壊させたのだから。

 彼等のような戦中派が今の時代の変化を見ていたら、これほど面白いものはない。
特に戦争体験をしてきた人が、アフガンやイラク戦争のアメリカのハイテク技術を駆使した武器はSF小説をはるかに越えている。
アフガンのゲリラさえ消滅させてしまう。

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2001年07月26日(木)
[87] エルミタージュ宮殿

今回の旅行のハイライトはやはりエルミタージュだ。
カテリーナ兇療澆竜榲造箸い錣譟△舛腓Δ疋僖蠅離襦璽屮詒術館と匹敵する内容であった。
300万点ある所蔵の一部しか見れなかったが、ただ案内された壁画や展示物は見た事の
ある物ばかりであった。

制限された時間内で駆け足であったが、その印象は強いものだった。
エルミタージュはただ美術館と思っていったが、広大な宮殿でベルサエユ宮殿に似ていた。
その豪華さにまずは驚かされた。

夏の宮殿と言われるカテリーナ宮殿も行ってきたが、それも目をみはる豪華さで
感激してしまった。当時のカテリーナ女王の権勢は絶大であることは、この2つの宮殿を
見てうかがい知ることが出来た。



1209, ヘーゲル ー哲学について−20

2004年07月25日(日)

ーヘーゲルー

マルクスの後になってしまったが、近代哲学でヘーゲルが基点になる。
ヘーゲルは、「現実世界とその歴史は精神的な発展していく姿ー現象と考え、
それは自己認識に到達するための歴史的プロセスである」と考えた。

心や精神は無機質の自然から生まれたのではなく、それ自身が存在の
中心的な構成要素であり、現実を構成する歴史的プロセスの主体と捉えた。
この全プロセスを現におこっていると認識しているもの
(存在の究極的な本質)を、ドイツ語で「ガイスト」と呼んだ。
この意味は「精神」と「心」の中間のようなものであった。
ヘーゲルにとって、ガイストは、存在の核心、存在の究極の本質であった。
ガイストが自己認識を目指して発展する姿であった。
それが達成されると、全ての存在は調和をしてひとつのものになる。
それをヘーゲルは「絶対者」とよんだ。
それが「絶対的観念論」である。

ヘーゲルには3つの理論がある。
1、さっき述べた現実とは歴史的なプロセスであるという考え方

2、二番目には、歴史は合理的な構造を持っており、その構造を理解するために
  必要なのは変化の法則、すなわち弁証法(正・反・合)であるという考え方
  
3、三番目には、疎外についての理論である。
  人間は、文明を築くプロセスの中で色いろな組織や規則や思想や宗教を生み出してきた。
  それが逆に人間を抑圧するようになって、自分で作ったものなのに自分のものでなくなって
  しまった。
  宗教が、その端的なものと考えた。神を自分の投影として作っておきながら
  それとは異なる存在、正反対の存在として考えてしまうようになった。

ヘーゲルの思想のいま一つの特徴は、「国家への崇拝」がある。
{人は全存在を国家に背負っている}と考えた。それがヒットラーなどに利用され
右翼的な民族主義者とみなされた。また共産主義者からもその国家観を利用された。

現在の哲学思想の四大潮流、ヘーゲル哲学・マルクス哲学・実存哲学・分析哲学
は、ヘーゲル以後の哲学史そのものといってよい。

[ヘーゲルの弁証法]とは、
ー出発点の第一段階は、「テーゼ(正)」とよばれ、これに刺激をされて生まれる
対立的な反応が第二段階で「アンチテーゼ(反)」で、この二者の対立がやがて解消されて
そのどちらものりこえた新しい状態が生まれる。それが第三段階の「ジンテーゼ(合)」
になる。しかし、この第三段階は新しい状態なので
新しい対立を内包して、テーゼになる。そして、ふたたびテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ
という三段階が始まる。この変化は途切れることなく変化し続ける。
これは宗教、科学、経済、社会などの内側からの変化として現れることになる。

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2003年07月25日(金)
842, エンドレスの巡礼

 先日、殺人未遂で逃げ回っていたお爺ちゃんが、エンドレスのお遍路さんでTVに
出演をして、たまたまTVを見ていた刑事に正体がばれて逮捕されてしまった。
当地では「エンドレスお遍路」で有名の人だった。
TV出演を拒否すればと思ってしまうのだが、そこが人間の持つ浅ましさだ。

 実を言うとこのエンドレスの老人の存在を知っていた。
『到知』という月刊誌で、俳優のショーケンー萩原健一の文章に登場していたのだ。
ショーケンは、お遍路を年中恒例にしており、その詳細を書いていたのだ。
その文章でエンドレスのお爺ちゃんの存在を知って
「70歳を過ぎたら、こういう生き方も良いのかもしれない」と感心をした。
すべてを失い駅などでホームレスをしなくてはならない時が万一きたら、
思い切ってエンドレスのお遍路も良いじゃないかと考えた。
絶望をして、死にたくなった時でもよい。
実際に、お遍路の道中に行き倒れて死ぬのも、病院で管に繋がれてのた打ち回って
死ぬよりはずっと良い。
その最後のよりどころを、この老人は儚くも潰してしまった。
「歳とっての逃亡」でしかエンドレスの巡礼はできないのかもしれないが。

 「巡礼は自分の過去に向かって歩いていくこと」と聞いたことがある。
その行き先のまた先が神仏なのだろう。
まだ巡礼をしたいとは思わないが、いつか駆り立てられる日がくるかもしれない。
母が80歳を過ぎ痴呆症の現象が出始めの頃に面白い夢をみた。
母が5~6歳の巡礼姿で玄関口にいる。
その姿をすでに亡くなっていた母の妹がじっと見つめているのだ。
恐ろしい悲しい神秘的な夢であった。
人生はエンドレスの旅路なのかもしれない。

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2002年07月25日(木)
467,内山由蔵さんへの手紙

葉書ありがとうございます。
この春奥様がご逝去されたと、
兄より五月の連休頃に散歩の途中に会った時に聞きました。
謹んでご愁傷申し上げます。

丁度私が西アフリカに行っていて留守、参列できなった
非礼お詫びします。

今年の2月ごろ堀内トシさんより手紙で
「見聞皆師そのご追加分を送ってもらいたい」との依頼されました。
去年の五月より個人のホームページを開設して、
毎日「随想日記」を書いたのをコピーして送りました。
その時に2部コピーして、内山さんにもと思ったのですが、
少し差出がましいかと、そのまま手元にあるのを今回送ります。

その後の分もあるのですが、この秋頃に再び送りたいと思っています。
毎日文章を一文書くのは大変ですが、頭の活性化にはベストのようです。
自分でも色々のことを考えているのに驚きます。
「書き出す」ことの重要さを改めて実感しています。

土曜日が一番都合が良いので、いつでも連絡をください。
大手通りは何をしても無駄だと思います。
同じ努力をしても半分以下の効果しかないからです。
同じ努力なら二倍の効果のある場所でやるのが道理だと思います。

    −内山さんの手紙の下書きーより

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 2001年07月25日(水)
[86] ホームページ用3dソフトが完成

ホームページ用3dソフトが完成したようです。
http://www.fsn.co.jp/bonoboのサイトでダウンロードして

このホームページの3dの絵をクリックすると動き始めます。
私のホームページに似たものが私の立上げの10ぶんの1のエネルギー
で出来そうです。
ただし有料です。詳しくはそのサイトで見てください。
富士総業のソフト部門で作成したものです。

ホームページ開設勧めます。

世界が2〜3月経つと変わると本に書いてあったが
正しくそんな感がします。


1208, 自殺 3万4427人

2004年07月24日(土)


昨日の新聞の一面トップに、昨年の自殺者が前年より7佑眩加して
3万4427人と報じていた。

ー内容をまとめてみると

・原因として、病苦が45諭経済苦が25
 特に経済苦の増加が目立って増えている
・40歳以上が、4分の3を占め
・男女の比率は、男子が70諭⊇子が30
・鬱病が30〜70諭
 他の精神疾患を入れると、殆んどが精神疾患があった
・1997年まで、年間2万〜2万5千人と推移していたが、
 1998年から3万人台になり、ついに3万4千人になってしまった
・職業別に見ると、無職が半分近くだ

20万都市で一週間に一人が、日本全体では、毎日94人が自殺で
亡くなっていることになる。

大都会の真ん中で失業をして、駅などの人ごみの中にいると、ふっと虚無が
自分を覆いこみ電車に飛び込みたくなる衝動に駆られるという。
何か解るような気しないでもないが。
「自殺は最後に残された意思の遂行」というが、その心中は当人でなくては
解るはずがない。
しかし自殺をしようとする人の大部分が
「ほんとうは死にたくない、誰かに声をかけてもらいたい」という。

歳をとり、連れ添いに先立たれ、重い病に侵され、一人孤独に毎日を
過ごしていたら、自分でも死にたくなるだろう。
簡単に「自殺はすべきでない」というが、絶望と孤独の岸辺に立っている人
の立場からみれば、その苦しみをから解放される唯一の方法かもしれない。

ゲーテの「若きウェルテルの悩み」の中で、
主人公ウェルテルと愛するロッテの恋人(後の亭主)のアルベルトとの
自殺の議論があった。

ーウェルテルは人間の本性には限界があり、喜び、悩み、苦しみもある程度まで
耐えられるが、限界を超えると破壊してしまう。自殺は、けっしてバカな人間や
卑怯者するのではなく、生きることに悩み、迷ってどうしても出口が見つからない
時に仕方なくとるものと主張した。

一方、アルベルトは、自殺に対して徹底的に反感を持つ。
彼は「苦しい人生を対し忍ぶ事ができない弱さから引き起こされる」と考えていた。

この世で最も尊いものは、愛である。しかし、人間に喜びを与えるはずの愛が
悲劇のもとになることもある、それがまさに、ウェルテルの悩みを引き起こした。
最後には、そのウェルテルが自殺をしてしまった。

死ぬには死ぬなりの悩みと苦痛の蓄積がある。
しかし、生きることも、生きるだけの理由もある。
自殺について語る資格は私にはない。
ただ、死にたいと思ったことは一度もない!
いや、若い時にあったか?

地獄も天国も、この世にあるものだ。
地獄の業火(精神の激痛)に焼かれてこそ、自殺の意味が解る!

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 2003年07月24日(木)
841, 初めての経験ーユースブック

 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかったことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30優フで出ていた。早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から本が送られてきた。
大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。
家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」と考えも及ばない事をいう。恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが?
そのシステムは革命的だ。

 アマゾンのweb書店に入ると「買った本を売りに出しませんかと?」、過去に買った本の一覧が出てきて、その売値まで書いてある。
汚さないように読み、手数料を払って売ればよいのだ。合理的そのものだ。
これでは益々本が売れなくなるだろう。
本以外では楽天市場があるが、そこで買ったことはまだない。
消費者の立場で有利なシステムなら、早くやった方がよい。
今度アマゾンは、本だけでなく他の商品の販売を本格的に始めてきた。

本の半分近くは、週2回以上書店に行くにかかわらず、web書店で買っている。恐らく今度はユースブックを買う頻度が多くなるだろう。
面白い時代である。数年後にはTVにインターネットが組み込まれて、
気楽にweb上で買い物をする時代になる。

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 2002年07月24日(水)
466,内山由蔵さんからの葉書

W杯のお陰でアフリカの地図を引っ張り出すチャンスが多く、
だいぶ勉強しました。
ホテル業も大変のようで、長岡のグランドホテルも市議の中では
云々されています。
日本精機の永井さんが赤字のグランドホテル手本にして
新潟の万代島の再開発の大ホテルをやるとか云っていますが、
永井さんでは経営はできませんね、どうするんでしょう。

貴方がメルクマールで誉めておられ、私もフアンになったユニクロ、
一揃え買ったが着こなせず若い者にやりました。
ユニクロも元の元気はありませんね。

大手通も今月一杯で丸越と覚張も廃業、キッドも閉まったまま。
どうするか考えはありませんか?
市民センターは一日600人の入場があるとか。

お会いして貴方の話を聞きたいと思っています。
私は元気でいます。

ー葉書の日付は7月20日ー2002年

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 2001年07月24日(火)
[85] NoSubject

先日も書いたがフィヨルド見物あとの登山列車のトンネルと
トンネルの合間の空間で列車が停まった。
そこで全列車の乗客がおりて5分間の滝見物という。
100メートルいくと突然空間が開けていた。
そこに大きなショール滝が現れた。

その滝に見とれ写真を撮り乗客の半分近く帰った時、
突然音楽が鳴り出した。
ふと滝の中間に赤いものが見えた。
赤いドレスの女が踊っている。写真を撮ろうか、
それとも見ることに集中しようか
迷ったが両方にすることにした。

まさしく水の精が踊っているようであった。一生に残る
感動的場面であった。
明日写真アルバムの載せます


1207, 排除勧告

2004年07月23日(金)


昨日の朝日新聞の一面トップが新潟市公共工事の談合の排除勧告の記事であった。
このホームページでも何回か書いてきたが、この国を取り仕切ってきた
ゼネコン・マフィアの一端が全国的に明らかにされる。
公然と、このマフィア・システムを書いてきたが、全国紙トップで露わにされた
のだから、けっしてオーバーでないことが証明されたことになる。

新潟県は大成建設が仕切り役を割り当てられていて、その下に地元の福田組、本間組、
加賀田組の三社が組んで、重大犯罪を数十年ほぼ100融点擇辰討た。
民間工事でも何らかのカタチで談合がなされる。
このマフィアに立ち向かうのが、施主としてのメインの仕事になるが、
その影が常に付きまとっていた。

それに市や県の役人もつるんでくるから、このマフィア連中のシステムは深く
張り巡らされている。
市や県の元幹部を、定年後こぞって営業に向い入れ、そのツテで犯罪を仕掛ける。
それに自民党や民主党などの政治家が、利権と票を狙って入り込んでいる。
そのシンジケートの基盤は確固たるものである。

彼らの利権の一端が、少し見えただけでしかない。
彼らの不気味なシンジケートが橋本派を扇の要として張り巡らされている。

何故ここまで検察が放置していたのか、不思議でたまらない。
公正取引委員会も12年ぶりの勧告というから酷いものだ。

「歴代の下水道建設課長らが関与していた」と書いてあるが、検察が把握を
していなかった訳がない。
この国はマフィア支配という面でみると、イタリア以下に成り下がっている。
それでも、今日も談合が何時ものように行われているのが現状だ。

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2003年07月23日(水)
840, プロジェクトー

 NHKTVのプロジェクト召なかなか面白い内容だった。
このシリーズは三回に一回は見ているが、昨夜はソニーのロボット犬『アイボー』の
開発プロジェクトのチームリダーとメンバーの苦労話であった。
一つの商品の中に、多くのメンバーの思い人生とエネルギーがぎっちりとつまっている。
社長の井深大の『人の真似をするな!』が、ソニーの商品開発のコンセプトの一つ
ということは知っていたが、しかし現場の技術者にそれが貫かれていたのをみせつけられた。
 
 新規開発では、重役や周辺の無理解が大きな壁になるのが何処も同じである。
特に若い技術者が『オモチャを創るためにソニーに入ったのではない!』という言葉が
その象徴であった。
何度も何度も大きな壁ー障害が立ちふさがってくるのを、切り抜けていく姿が感動的だった。
プロジェクトとは、その壁を乗り越えていくのが任務である。
一度、会社を辞めてゲーム会社の部長になっている男を、このチームに呼び戻そうとした時、
その男がゲームメーカーのナムコの社長と供に断りに来る。
その時、チームリーダーは本来は絶対に見せてはならない創りかけのロボット犬を見せる。
それを見た本人は興味を示し、ナムコの社長は直ぐに翻意してソニーの復帰を認める。
ナムコの社長の一言がよい「日本の為になることだ!」

 復帰したこの男が、大きな壁にぶつかっていたプロジェクトに入るやいなや、
根こそぎロボットを否定する。自分の役割を知っていたのだろう。
そして対立。しかし、そこからアップスケールー脱皮が生まれてくる。

 たった一匹?のロボット犬の中に多くドラマと感動が詰まっているからこそ
多くの人にそれが伝わるのだ。
「プロジェクトX」に流れているテーマ は今の日本に『起業魂』を思い出させるのが目的だ。
その気持ちが直に伝わってくる番組である。
チームリーダーと復帰してきた二人の最後の言葉がよい。
『ものつくりは面白い、出来上がったときの感動が、それまでの苦労を総て流してくれる!』

商品に対する思いや感動が薄くなったら引退の時期としなくてはならない。
それは年齢と関係なく。
いま一度仕事に対する自分の気持ちを内省してみる必要がある。

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 2002年07月23日(火)
465,流離(さすらい)のランチャー

ある長年サラリーマンを勤めている人から、
彼らの昼飯をとることの大変さを聞いたことがある。

昼飯時は何処も混んでいる、それを同僚か誰かと探し歩いて食べる大変さ。
その気遣いだけでかなりのエネルギーを使うという。

私の場合は、殆ど一人で11時45分に出る。
サラリーマンで混雑する直前に入ってしまうのだ。

週5日のうち2日は回転寿司である。
今のランチは500円から300円以下になってきているという。
マクドナルドのハンバーガーに缶コーヒーで200円でも結構悪くない。

昨夜家に帰ると家内が不思議そうな顔で、
長岡の駅前のアルファー・ワンというホテルで、
680円のバイキングに入ったという。
12時少し前に入り13時まで自分達一組だけだったという。

値段も安いし、内容も良いし、店は大きいのに誰もいないのが不思議だという。
それとあの大量のバイキングの料理をどうするのだろうかと。

新潟駅前で自分が行く店で少し遅れて入って、
ピーク時間に誰もいない事は月に1〜2度出くわす。
週一度の居酒屋の楽しみを欠かさない為に、節約の一番のターゲットになる。
ランチは一番に景気に左右する。

流離のランチャーという言葉ももの悲しく聞こえてくる。
不景気だ!

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 2001年07月23日(月)
[84] 北欧の印象

いま欧州各国の首都はインターネット化による合理化と、EC統一で本社機能が
ドイツのベルリンに移転、本社の支店化や支店の撤退が進んで、合理化と人員削減に
よる不況が進んでいるという。

いずこの国も一緒と感じた。
ロシアの国境以外は完全オープンといった感だ。
ただノルウエーだけは北海油田が発見された為、海陸資源が豊富な上に石油の心配が
無くなったためECに参加せず一国強気という。

北欧とロシアは欧州の片田舎とい位置づけられている。
北欧4国の各国の位置付けはスエーデン・デンマーク・ノルウエーの順で彼らは
ゲルマン民族で言葉もほぼ一緒。
フィンランドだけはハンガリー系のフン属で彼らは露骨な?差別意識があるようだ。
何処も一緒か。

常にロシアとドイツなどの外敵にさらされてきたという。
どこも立憲君主の政治体制をとっている。
また社会民主主義が進んでいる。
ノルウエーの学校制で考えさせられたのは小中9年間クラス換えがなく、先生も一緒。
一クラス20人のため先生は80人の生徒を見ることになり、責任を持って生徒を
指導できるという。
虐めや差別は少なく、20人は一生の付き合いになる。

競争社会の日本でこれがそのまま良いかどうかわからないが、
ヒントになることは確かだ!


1206, 「半落ち」ー 映画感想

2004年07月22日(木)


30万部を越すベストセラー記録を樹立した横山秀夫ワールドの最高峰
『半落ち』が映画化され、今年の1月に公開された。
そのDVDが、もうレンタルショップにあった。
さっそく借りてきた見たが、素晴らしい内容であった。
見おわった時、涙が知らずと溢れ出ていた。
あとで家内から聞いたが、みた人のほとんどが泣くという。
私の感想文は、最後に書いてある。

ー解説と内容(ホームページよりコピーしたもの)を貼り付けておきます。

ー解説
愛する妻を手にかけた、元捜査一課の敏腕警部。彼が自首するまでの
「空白の2日間の謎」を追う幾多の人々。
が、この作品は、警察というフィールドで展開されるまぎれもない
ヒューマン・ドラマである。年齢を重ねるにつれ、人はさまざまな理不尽を
呑み込んで生きていかねばならない。
その現実に対峙し、何を、どう選ぶのか?状況に流されず、自らの生き方を選び
取っていくのは容易ではない。アルツハイマーの病状が進む妻に懇願され、
嘱託殺人という重罪を犯した主人公・梶聡一郎。その心の襞を探っていく物語は、
いつしか彼を取り巻く人々の心のうちまでも照らし出していく。
『半落ち』に仕込まれた'合わせ鏡'の見事さは、登場人物たちはもとより
観る者をも巻き込んで、自分の<今>のありようを見つめさせるのだ。

ー内容
「私、梶聡一郎は、3日前、妻の啓子を、自宅で首を絞めて、殺しました」
梶聡一郎が最寄の警察署に出頭してきた時、捜査一課強行犯指導官、志木和正は、
連続少女暴行犯人の自宅を朝駆けで急襲する最中だった。梶の取調べを命じられて、
何ヶ月も追ってきたヤマから最後の最後で引き剥がされ、警察署へUターンする
志木の胸中に去来する複雑な思い。

半年前、アルツハイマー病を発症した啓子の看病の為、自ら刑事を辞して警察学校で
後進の指導にあたり、広く敬愛を集めてきた梶が、なぜ殺人を犯したのか。
取調室で向き合う梶の視線の奥が、あまりに澄んでいることに驚く志木。

志木の取調べに対して、啓子の扼殺後自首してくるまでの2日間のことについて、
固く口を閉ざす梶に、志木のみならず、駆け付けた県警幹部すべてが困惑する。
現役警部の殺人という一事件が、県警そのものの権威と、そこに属する何千という
警察官の信用を地に墜とそうとしているのだ。
取り調べにあたる志木に、誘導尋問で「空白の2日間」を捏造した事実で穴埋め
するように、命じる県警幹部たち。

そしてその命令に背き、取り調べ官を解任された志木は、独自に、梶がひたすらに
隠そうとしている〈真実〉を探り出そうとする。
7年前に一人息子の俊哉を急性骨髄性白血病で14歳の誕生日を待たずに亡くし、
寄り添うように生きてきた夫婦に、一体何があったのか。
そして梶の事件がやむなく表沙汰になる。

さらに「空白の2日間」についての県警の発表にウソがあることが、梶が東京行の
新幹線ホームにいたことを目撃した男のマスコミへのタレ込みで明らかになり、
県警の周囲は騒然さを増す。事件の推移と共に、担当検事(佐瀬)、弁護士(植村)、
スクープを狙う新聞記者(中尾)、裁く判事(藤林)が、各々の人生を背負い、
思惑を抱え、事件の真相を暴く為に、梶の人生、梶という人間そのものに
近付いていく。

個人として捜査を続ける志木。県警と地検の犲茲螳き瓩任笋爐覆手を引く佐瀬。
これを機に名を上げようと、意気込んで梶との接見に臨む植村。梶の「空白の2日間」
の行動の一端を掴む中尾。
公判で、啓子と同じ病を持つ父のことが脳裏を掠める藤林。
そして、亡くなった俊哉の担当医、高木の「俊哉君の発病から間もなく、
ご夫妻でドナー登録されたんです」という言葉。

裁判の証言台で、「私は…啓子を殺してやることもできなかったんです…」
と泣き崩れる、姉・康子が保管している啓子の日記に貼られた、
「命をありがとう」
と題された投書記事。弁護を引き受けた植村に梶が問い掛ける、
「あなたには、守りたい人がいませんか」という言葉……

“来るべき日”を待ちわびる梶の、拘置所での、贖罪と希望への祈りを捧げる日々。
どんな犠牲を払い、誹りを受けようとも、あと1年だけ生きようとしている
梶の人生の〈真実〉とは !?

 −−−−−
< 感想>

母をアルツハイマーで5年半、看護した経験があったので、主人公の
深い思いに感情移入をしてしまった。
そして、それに関わる色いろな立場の思惑や利害も、身に憶えのあることばかりで、
主人公の心の壁を探っていく物語は、そのまま自分自身の心の壁を抉りだしている
ようであった。そして、当時の自分の心の姿が浮かび上がってきた。

辛く悲しい母の姿と家族の、それぞれの立場で必死に生きていた当時の日々
がリアルに浮かんできた。しかし、そこには底知れぬ暖かさがあった。

アルツハイマーの身内を抱えた崩壊一歩手前の家族が、どういう気持ちで
毎日を過ごしているか、この映画は深く入り込んではいなかった。
それも、しかたがないが。

高齢化社会の、大きな問題がアルツハイマーである。
どこの家庭でも、ぶつかる大きな問題でもある。

いまの寝室の寝ているところが、母の寝ていたところである。
アルツハイマーになった母が夢で月に二回は出てくる。
母は今でも私の中では生き続けている。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年07月22日(火)
839, あいうえおー生き甲斐測定法

今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの
判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。

「あ」は、アイデア 
「い」は、インタレスト
「う」が、ウォーク
「え」が、エキサイティング
「お」が、オーナーズシップ
この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。

「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。

 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に
 書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。
これを満たした上で総てを注ぎ込んで初めて動き出すものだ。
この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、
「自分の好きなことを見つけて、それに集中する」しかない。

 私自身、好きなことをして生きてこられたことが一番の誇れることだ。
この随想日記で一貫して私も主張してきたことである。
最後に『楽しかった!』と言い切れる生き方である。
『好きなことだけをして生きていく』には、それなりのノウハウと
能力と環境が必要である。

 その方法論を具体的に解りやすく書いてある本があった。
 初心者向きで、どちらかというと先人の知恵を租借している内容だ。
といって好きなことをしてきたと自分で言い切れることがよい。
以下、インターネットで調べてコピーしておきます。

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「『好きなことだけをして生きていける人』はここが違う」
中川 昌彦 (著)
価格: ¥1,300
ユーズドストア価格: ¥500より
単行本 - 238 p (2002/09)

ー内容ー
自分の好きなことをして生きていきたい。自分の思い通りの人生を生きたい。
そう思うが、拘束の多い社会で、あきらめてしまう。
しかし、「自分の好きなことをして生きること」はできるのである。
実際、自分の思い通りに生きて、納得して、成功してきた人たちはたくさんいる。
主体的に生きるためには、やはり方法がいる。
この本ではそのための方法、すなわち固定観念や思い込みをはずし、必要な戦略や戦術、
効果的なノウハウ、知恵をお伝えする。自分自身の人生を生きるための技術である 

  ー目次
第1章 人はそれぞれ、好きなように生きればよい(最後に「楽しかった!」 
   と言える人生を送りたい
   博士を捨て、碁会所席亭になった男 ほか)
第2章 仕事も遊びも本当に好きなことを見つけよう(「本当に好きなことがある」が出発点
   仕事を楽しめる人の発想に学ぶ ほか)
第3章 「一人で生きるぞ」と思い定めよう(しっかりした「自己基準」が、生きる上での
   覚悟をもたらす
   幸せになりたければ、まず一人で生きる方法を身につけることだ ほか)
第4章 "ウィル"人間の優雅な生き方(ウィル(Will)人間になるか、
   シャル(Shall)人間になるか「枠」にはまる人、はみ出す人はこんなに違う ほか)
第5章 「おもしろ、おかしく生きる」と心に決めよう(おもしろくない世を楽しく生きる  
   「晋作術」気楽に楽しく日々を過ごせば、周りも愉快になる ほか)
・・・・・・・・・・・・
好きなことを早く見つけて、それに集中する、そして十分楽しむ。
それが長期的に継続した時、やってよかったいえるかどうかを見極めて。
「踊りと歩行」の組み合わせ、目的地をしっかりと見極められるかどうかだ。

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2002年07月22日(月)
464,煮た豆

母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。
もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。

人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」
をいう。
この言葉は自分の自戒の言葉であり、
常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。

ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。
腐ってしまって、お互い粘粘している。
仕方がないが、もうオカラのような人もいる。

豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。
「3歳では遅すぎる」というソニーの創立者の井深大の本があるが。
私の見るところ、95佑呂い筍坑広佑呂修糧疇だ。
もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。

私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。
いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。

そういう自分ももう煮た豆か?

こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。

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2001年07月22日(日)
[83] バイキングについて

ー北欧旅行記ー 
バイキングは今より1200年前突然始まり200年で終わったそうだ。
キリスト教の影響ではないかと言われている。

面白いのは相続は末子相続で、長男次男はある年令に成ると家から
出て行くそうだ。

海は日本の場合お堀の役割だが、夢に向けての希望という。
1000年前のバイキングの船がそのまま発掘されて展示されていた。
一艘40人ぐらいの定員で50艘位で攻めていくそうだ。

アメリカまでも行っていたそうで、コロンブスの発見より5^600年
さかのぼる事になる。

それにしても金髪で背が高く足が長い、それに美男美女である。
料理も上手い!
厳しい自然だが資源に恵まれている。


1205, 実存哲学(3)ー哲学について−19

2004年07月21日(水)

ーマルクス−2

マルクスの考えでは、
当時の資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が実現する
二つ手前の発展段階とみなした。

近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、
ますます限られた者に生産手段が握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な
労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。
この到達点に必然的に進んでいって、いったん理想郷が実現されると、
もはや弁証的でなくなる。
生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。

マルクスは哲学そのものを否定し、
「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。
大切なのは、世界を変革することである」と断じた。

しかしその予言は実現しなかった。
それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったため
マルクス主義者がただのマルクスの個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。
彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に立っていると
盲信してしまった。
その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の口ぐせになってしまい、
敵はみな、「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。

この考えが、20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。
ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。
また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。

当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。
これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上なかった。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制に
なってしまた。それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。
芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると主張した。
芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。
その結果、多くの芸術家がその影響を受けてしまった。
サルトル、ピカソなどは、その最たる人である。

現在でも多くの国で、その体制が残っているが、独裁の一種の建前として
使われているにすぎない。

一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。

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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人

  ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く

日高 義樹 (著)
出版社: PHP研究所 ;
(2003/01)

ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。
中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば
良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。
そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。
今までは、毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。
ソ連よりはズットましだっただろうが。

ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。
 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。
 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
・イラク戦争のアメリカの狙いは中東石油支配。
 ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
 
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
「冷戦後の世界で、一番先に変わるのがアメリカであり、他国に先駆けて変化するのがアメリカの特徴である」という。
 自発的に変化することを苦手にしているのが日本であり、憲法改正、有事法制も先送りしながら日米安全保障条約だけを頼りにしている。北朝鮮の脅威が現実のものとなった以上、「アメリカが助けてくれる」ことを期待を込めて信じるだけでは、国として無責任すぎる。
 北朝鮮の拉致事件も、見方を変えれば、宣戦布告なき戦争であり、日本は国民の生命と財産も守れない国ということになる。日本も今までのように安穏としてはおれず、現実的な選択を迫られている。
・第4次世界大戦”に、既に突入した(第3次大戦は米ソの冷戦)。
 それはアメリカなどの民主主義を奉ずる先進諸国とテロリストの国や組織との戦争。
 今までの戦争とは全く異なり、ITや大型輸送機を駆使し、少ない人員で遠隔地まで直接効率的且つ破壊力に富んだ攻撃を可能な戦争になる。
 ーその第一幕が今行われているイラク戦。
・ついで起きるのが2005年頃と考えられる北朝鮮との戦い。
 このとき北朝鮮は日本を人質にとってアメリカと交渉しようとする可能性は大きい。
 ブッシュは“悪”とは決して妥協しようとしないから北朝鮮は日本攻撃に追い込まれる可能性がある。その際、日本が当然アメリカが守ってくれると期待するのは甘い。
・冷戦の終了と共に日本はアメリカにとって重要性を失っている。 
 後は日本の古い金融体制を不良債権整理と共に破産させてのっとることくらいが関心事。
 資金の裏打ちの無い“強いドル”を維持するために日本の円を自由にして
 取り込もうとしている。
・日本は拉致問題について、北朝鮮に特殊工作部隊を送り込んで、工作員を捕虜にしてくるとか、テポドン基地を爆撃するなどの、「自らの主権を自ら戦って守る」姿勢を示さなくてはならない。
 今のままではアメリカのみならず世界から相手にされなくなる。
・ヨーロッパ及びロシアはアメリカが中東の石油を支配することで自分たちの既得権益を失うことから戦争に反対したが、彼らは既に二流国ですら無くなっている。
 そんなヨーロッパに投資する日本は情勢を読めていない。
・第4次大戦の終幕はアメリカ対中国であるが、アメリカは中国の“脅威”について、軍備を始め殆ど歯牙にもかけていない。台湾の処遇をきっかけにして中国を滅ぼすことも考えられる。
 冷戦が終って、やれこれで平和が訪れた、などと考えた国や人はおめでたいにも程がある。
・日本人は国際連合を世界の中立的な裁定機関であると捉えがちですが、アメリカはそれほど神聖なるものとは思っておらず、むしろ国家こそが、最高の意思決定機関だということです。
 従って、国連決議を粛々と遵守しなければならないのでは、と考えるのが日本人、決議なんてこちらからのプロポーザルでどうにでもなる、と思っているのがアメリカということ。
 この度のイラク攻撃に関する一連の動きを見ているとなるほどと頷けます。
 
 ・・・・・・・・・・・・
【目次】
第1章 イラク戦争が世界を変える
第2章 日米安保の時代が終る
第3章 「次はお前の番だ、キム・ジョンイル」
第4章 当分北朝鮮と韓国は合併させない
第5章 中国はブッシュ大統領に脅えている
第6章 中国は怖くない
第7章 ヨーロッパは終焉した
第8章 ブッシュ政権はけた違いに強い
第9章 ドルの立場を守るには日本円が必要だ
第10章 日本の平和主義は敗れた

 [コメント]
 この原稿が書かれたのは昨年12月。
(イラク問題は一進一退だが・・・)。著者は、アメリカ政治に精通している著名なジャーナリストで、アメリカに関する著作は多い(私も何冊か読んでいる)。歯切れの良い文体とちょっと過激な論調は、結構ファンも多いはずだ。
著者の結論は、ブッシュ政権は近日中にイラクと戦争を行い、第四次世界大戦の幕を切って落とし、中東情勢が落ち着けば(アメリカの思惑通りに)、再選に向けて動く。再選後、北朝鮮の金正日体勢を武力をもって崩壊させるといシナリオである。確かに、ブッシュ大統領も、危険分子(危険要因)の排除ためには、先制攻撃も辞さないことを明言している。9月11日の同時多発テロ以来、「アメリカは変わった」ことを認識すべきである

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2002年07月21日(日)
463,再び業態について

何回か業態について書いているが、地元の今井家具が
昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
業種店の消滅である。

ひと時代前,いやふた時代前の商売である。
メーカー分類ごとの商品を並べる商法である。
靴屋、家具や、薬屋、金具屋、今でも原始的の兼業商家として
駅前立地で一部残っているが。

これに対し業態とは、お客ー生活者のサイドで商品の括りを変えることである。
全国チェーン化を始めた「ニトリ」がそうである。

店独自のコンセプトで商品を開発する。
それえも早くから、インドネシヤとか中国で開発輸入をしていた。
台所、居間、トイレ、ガーデニングとそれぞれのシーンごとに分類。

そこで買っていれば、家の中はカラーコーデネートが自然と出来ている。
昔は金持ちの一部しか出来なかった「家を飾り立てる楽しみ」が誰でも出来る。

これは考え抜けば、個人でも小さな企業でも出来る事だ。
5年ほど前、九州のある大きな神社に行った時、ある店がお客でいっぱいであった。
何と「土産1000円ショップ」であった。笑ってしまったが、これこそ生徒の
小遣いの範囲を見抜いた商法ー客サイドである。

百貨店は今大都会の一部を除いて殆んど淘汰されたか、されつつある。
これは業種店の典型である。
地方銀行以下もしかり。時間の問題である。

昔の駅前繁華街は業種店の集積で栄えていた。
今はご覧のとおり毎日のように廃業が続いている。

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2001年07月21日(土)
[82] 人生がモチーフの公園

なんとその公園のモチーフが人生!であった。
広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」
と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。

その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ!
何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。
さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。


1204, つれづれなるままに

2004年07月20日(火)


ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。
東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の現場にいたためだ。
行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。
そこの柴犬が落ち着いた犬で、早朝の散歩時にいつも声をかけていた。
たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。
近所だけでも、最近色いろなことがある。

ー橋本元首相がまた疑惑だ。
今度は危ないだろうが検察も信用がおけないのが、この国のレベルだ。
彼が捕まって初めて自民党の旧体制の崩壊が本格化するだろう。
いやしないか!?
彼ほど、首相を辞めてから人相が悪くなったのも珍しい。
利権の渦の真っ只中にいれば、ああいう顔になるのだろう。
中国の女スパイと関係を持って脅かされたとか、色いろいわくのある人物だ。
戦後日本を悪くした10人には間違いなく入る?。
角栄に、竹下に、この男の流れがまだ保守本流といっているのだから、
早く抹殺をしなくてはならない。
 丁度良い時期なのか、少し遅れてしまったか。

ーUFJ銀行、三菱東京に吸収合併と報じているが。
数年前にさくら銀行との縁組で、すき放題いって破談になったが、その三和銀行の
トップもほぼパージをされて、今度はライバルの三菱銀行に吸収合併という。
これが終わると、今度は地方銀行の大幅な再編が始まる。
地方銀行は膿がタップリたまっている。
来春、ビッグバンがあるのを忘れてしまっているようだが、地方の脆弱化が
表面化する。

ー農業も自由かも待ったなしになってきた。
自民党の票田を守るために、保護政策を続けてきたが、農業のグローバル化も
抑える事が不可能になってきた為、国内も大幅な自由化が来年から実施である。
しかし米だけは守られるという、米を自由化しなくては何の解決にもならないが、
とりあえず、日本的に外堀から産めるということか。

・・・・・・・

(橋本元首相関係の記事)
ー日経新聞
春秋(7/16)よりー
 
金脈を追及され退陣した田中角栄元首相は、下野後にロッキード事件で逮捕された。
首相時代のロ社からの5億円の賄賂(わいろ)が裁かれた法廷で、段ボール箱に詰めた
札束が丸紅の役員から首相秘書官に渡る生々しい場面を、検察官が立証した。

▼派内クーデターで田中派の過半を受け継いだのが竹下登元首相だった。
その竹下内閣は、やはり政界と黒い金の疑惑、リクルート事件に翻弄(ほんろう)
され退陣に追い込まれた。
竹下氏にまつわるさまざまな金銭疑惑に捜査の手が及んで、氏の資金担当秘書が
自分で命を絶つ。後に竹下氏は自ら「罪万死に値する」ともらした。

▼竹下派の大番頭で政界の最高実力者などと形容された金丸信元自民党副総裁は、
東京佐川急便からの5億円のヤミ献金受領が発覚して議員バッジを外した。
それでは済まず、ゼネコンなどからのヤミ献金を蓄えていたのを国税局が突き止めた。
脱税で東京地検が逮捕。巨額の割引債などが詰まった金庫も押収された。

▼田中派、竹下派の流れを汲(く)む橋本派(平成研究会)の疑惑は
日本歯科医師連盟が振り出した1億円の小切手だ。
3年前の参院選の直前、会食の際に橋本龍太郎元首相に渡されたようだ。
日歯連に領収証は渡されず、政治資金としての届け出もなかった。
小史をたどると政界ヤミ献金史に重なる橋本派。どうする?

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

 2003年07月20日(日)
837, 民間校長ー腑におちる教育を!

 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の
民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、
自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。

ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて
 実際の生の教育をしていた。
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を
 教えていく手法は解りやすく道理に合っている。
 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。
 生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、実際の店長にきてもらい対話をさせる。
 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ーを経験させて、
 実際の裁判官を呼んで実態を聞く。
・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。
・自転車放置問題を議論させてみる。
・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、ハーフの差異から、社会にある価値観に
 ついて話し合う。
 
 等々、シュミレーションやロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を
 通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 
 
 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。
「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」という彼の言葉が鋭い。
社長として任務を遂行するには、コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており、
「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。
(校庭の緑化運動を推し進めるとか)

 「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、
「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。
今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。
「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」という言葉も真をついている。
「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。

 彼の名前は藤原和博である。
 
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2002年07月20日(土)
462,臭いのするような話し

子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。
そういえば家族の会話では、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。

言葉は大事だ。
下痢の事をそのまま下痢というかお腹がゆるいというかで全くニュアンスが違ってくる。
言葉に無頓着の人と接すると、どうしても影響されてしまう。

学生時代に聖心女子大のグループと一時接する事があった。
その言葉のきれいな事に驚いた。
その前提の生活環境がまずその第一歩だろう。

私が嫌う子狐と飲むと、自分でも信じられない汚い言葉が出てくる。
変幻自在ではあるが、こういう人は可能な限り遠ざけなければならない最大の理由だ。

不幸の人はそういえば言葉が汚くなっている。
心の傷は、膿となって言葉に出てくる。
心が荒れると、言葉も荒れる、心の管理は言葉の管理でもある。

怒りやすい私も、その時は自分でも信じられない言葉がでてしまう。
話しは少しそれたが、言葉の重要性を言いたかった。

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2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記

 印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。
   300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行の
   ハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が  
   今まで見た街の美しさでナンバーワンといってよい。街そのものが芸術と言える。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2・次はフィヨルド
   2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、
  下車して見た見た滝がすばらしい。突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が
  鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
  ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産のブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も
  当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。

5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。
  モチーフが人生! 
  赤ちゃんから成人〜老人そして死が像で立ち並ぶ公園である。
  なにかヒンヤリした、しかし超越した視点が空間に漂っていた。
 
今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容であった。
飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。

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[81] 無事に帰ってきてよかったせすね。


1203,実存哲学(2) ー哲学についてー18

2004年07月19日(月)

ーマルクス−1
実存哲学が「主体」(自己)をテーマにしたのに対して、
マルクスが「存在の哲学」を主張した。
包括的な主体の哲学である。

マルクスの哲学上の最大の発見は、資本主義生産システム分析を通して、
・この社会は合理的に統御不能な存在である、
・人間の「主観」から独自な「主体」(意志)を持つことを見出したことである。
「資本主義社会を根本的に動かしている力は、
生命力を無制限発動している無意識(自然)である」ということを
明らかにした。


マルクス主義がみごとな思想体系をそなえている理由は、
ドイツ哲学、フランス政治理念、イギリスの経済学という三つの知的伝統を
融合させたものであったからだ。
したがって、マスクス主義は哲学には分類できない。
マルクス主義は、そのほとんどがヘーゲルから受け継いだものでしかない。

ある本に、ヘーゲル哲学とマルクス主義の共通する考え方を10に要約していた。
非常に解りやすくまとめてあったので書き出してみた。

1、現実はものごとの状態ではなく、つねに進行中の歴史的プロセスである
2、現実を理解するには、歴史的変化とは何かを理解する必要がある
3、歴史的変化は、無作為におきるのでなく、発見可能な法則にのっとっている
4、この発見可能な変化の法則は弁証法的であり、
  テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼという三段階のうんどうをくるかえしている
5、この法則を繰りかえす原動力は疎外といわれ、その疎外によって、どのような
  状態になっても内部に矛盾を生じ、それは終わりを迎える
  
6、このプロセスは人間にはコントロールできず、それ自体が内部にもつ法則によって
  前進させられる
7、このプロセスは、内部にある矛盾が解決されるまで反復され、矛盾が解決されると
  疎外も解決される。変化をうながす原動力もなくなる
8、このような対立のない状態に達すると、人間は自分で制御できない力によって
  流されることもなくなり、自分で自分をコントロールし、自分自身が変化の
  決定者になる
9、こうなってはじめて人間は、自由と自己実現を達成できるようになる
10、最後には、自由が謳歌され、自己実現が可能な社会が到来するこの社会は、
  自由主義者が理想とする、個々人がバラバラに活動する分断した社会ではなく、
  個々人の人生とは比べものにならないほど大きく充実した全体の中に
  個人が吸収される有機的な社会になる
  
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2003年07月19日(土)
836, 私のクレートジャーニー

ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、
ついに 1万年前には、南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。
この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY '
と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした
旅をTVで、数年間ドキュメントで放送した。

私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)点線で、
グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。

・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペイン
を経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。

・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、
レバノンを経て、インド、ネパール、パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得て
シベリアへ。

・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピンそしてフィジーから
ニュージーランドへ。
ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコース
も完成することになる。

・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地
パタゴニアに到着。
一応コースは出来上がることになる。

そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、オーストラリア、
イースター島ということになる。
しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。

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 2002年07月19日(金)
461,海外旅行のもう一つの難関

今は殆ど気にならなくなったが、下痢である。
何とかなるものだが、初めの慣れてない一回目の一ヶ月の欧州旅行では
あわやということが数回あった。

やはり経験不足で、食事制限とかポイントが解らないことからくる。
大事なのはワンフライト(10~12時間)の機内食である。

飲み物はアルコールを含め飲み放題。
時差も含め次々と食事はこちらの体調に関係なく出てくる。
それが美味しいときているから自制がきかなくなる。

さらに気圧の関係で着陸後の2時間目あたりに、お腹がおかしくなる。
丁度煎餅などを入れておく真空パックが機上でパンパンになるのと同じ。
お腹もパンパンに張っていたのが、元に戻って腸を刺激する。

それに疲れと時差の関係で、2~3日はおかしくなって当然。
それを前提にして、機内食を制限したりして体調を整える。

一般的には、現地で出発の最低2~3時間前に起きてトイレにいき、
朝食後の出発前に更に行く。9割がたの人はそのようだ。
そして到着後2~3日は、昼食後もいく。
これは時差の為身体が慣れてない対策だ。

それとワンフライト目の食事、いや機内食は3ぶん1しか腹に入れない。
更に梅干を一日3個を食べる。これで大体大丈夫だ。
迷ったら人の目を気にせずドンドントイレに行くことだ。

私の場合、お城の牢獄に入るとどういうわけかオカシクなる。
インドは9割以上の人が、かなりひどい下痢になる。
日本の薬では全く効かない。
それと今回のスイスのように高度のところも危ない。

高山病は下痢と頭痛と倦怠が同時に襲ってくる。

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2001年07月19日(木)
[79] NoSubject

先ほど無事帰る。変化の激しい旅行だったが、
満足の行く旅行であった。新潟の会社へ直接よる。
修理に出したパソコンを自宅に持ち帰るためだ。
あまり国内は変わったことはないようだ。
おりおり旅行内容な書いていくつもりだ。


1202, 実存哲学(1) ー哲学について-17

2004年07月18日(日)



実存の哲学とは[真理」ではなく[実存」を出発点とした哲学である。
最初に実存の哲学を語ったのはキエルケゴールである。

実存とは[この私がここにいる]であり、キエルケゴールは「真理」を語る
伝統的な哲学者を批判し、ニーチェなどに大きな影響を与えた。

哲学上の近代から現代への大テーマの転換は、認識論から存在論への転換です。
「本質」から、「存在」への転換といってもよい。

実存という言葉は、中世スコラ哲学が
本質存在と対比させた事実存在という概念に由来する。
「〜である」に対応する概念が「本質存在」であり、
「いる・ある」に対応するのが「事実存在」である。
すなわち実存とは、事実をして存在していることが重要だという考えを含んだ
概念であり、サルトルはそれを「実存は本質にせんこうする」と表現した。

キエルケゴールは以前にも書いたが、不安や孤独や絶望を真正面からとらえた。
それは、人間が精神を持ち、自由であることの証であると。
主体の哲学である。

人間が人間であることの特性や意味を哲学の対象としたことで、それまでの哲学
とは違った実存哲学が注目されるようになった。

それまでの古典哲学の代表者であるヘーゲルと基本的なキーワードで比較すると
ヘーゲル    ー普遍性ー客観性ー抽象的
キエルケゴール ー単独社ー主体性ー実存的
となる。

このキエルケゴールに対して、
サルトルが彼の絶対者ー神を前提とすることを根底から否定して
「実存が本質に先立つ」と主張をはじめた。
サルトルはー
ーわれわれを取り巻く根本状況は、本質を持った「何ものかである前に、すでに
事実存在としてある、実存している。
この根本状況はわたしたちが自ら選択したものではない。
それでは流されていてよいのかというと、そうではない。
受動的に決定されているだけの「何ものでない」わたしが、「何ものか」になるべく
自己を投企して、状況に主体的に関わっていくことこそ、真の実存のあり方である。
と主張した。

自分の「本質」を自ら生み出すような「決断」を自分に課して生きる必要がある、
といっているのだ。
サルトルは、人間は自分が生きるべき「理念」を想定し、それを実現するために
自由に決断する「自己投企」をする能力をもっているといっている。


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2003年07月18日(金)
835, 丁度よい

 お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない    
 死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
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 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。
「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、
それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい
・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい
・今日の夕飯丁度よい
・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。
考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。

 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。
この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が
少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、
何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。

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2002年07月18日(木)
460,スリにあう

海外旅行のトラブルでは「盗難と下痢」が一番問題となる。
今回の旅行で初めてスリにあった。
といっても家内の話である。

ユングフラウヨッホに登山列車でのぼった時にスラレタ。
頂上の売店で日本へ出す葉書の切手を買った。
その時らしいが、帰りの列車に乗ったとき気づいた。

その時はまだ落としたと思っていた。
雨と霧の為ハイキングは中止で、降りた駅で2時間ほど時間ができてしまった。
そこで国際電話でカードの中止の手続きをした後、売店に入った。
目の鋭い30歳ぐらいの白人女が、日本人のバッグを見ているのが目に付いた。
その時は、店の人が万引きの監視でもしているのだろうと思った。

そして店の外に出ると、グループの女性が2人騒いでいた。
店内でバッグの蓋が開けられていたという。
何かバッグのあたりがモゾモゾするので、手で触ると空いていたので
慌てて出てきたという。
違うもう一人の女性も、全く同じ状況で飛び出してきたという。

家内がその時やっと自分もすられた事にはじめて気づいたのだ。
そういえばユウグフラウの売店で買ったあとトイレに行った時、
バッグが空いているのに気づき不思議に思ったという。
その時はまだすられた事に気づかなかった。

万引きに気をつけてと添乗員に言われていたが、
まさか自分たちとは思ってもいなかった。
雑踏をしていて、気圧の関係で少し頭がボーッとしている
その場は万引きの絶好の稼ぎ場である。
そして二度と顔を合わせない観光客ならさらに都合がよい。

カードの実損はなかったが3000円ぐらいの金が被害だった。

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 2001年07月18日
 
 旅行中


1201, 仮説について

2004年07月17日(土)


ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を
実験や観察によるテストで確かめることによってなされる。
検証された仮説は法則や理論として公認される。
ーとある。

事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの
情報を検証して判断決断をしてきた。

わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという
 「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる
 方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)
 ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセス
 で考える方法「テーマ思考法」(演繹法)
 などがある。

正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に考えること
が重要である。往々にして、その反対の説の方が理が通っているケースが
多い場合がある。そして、そのプロセスでよりよい案(合)を考え出す。

情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな
状況に対応できる幅広い考え方が必要になる。
固定した考え方は、状況が一変したときに、それに対応できなくなってしまう
恐れがある。
そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が重要になる。

「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った角度から構築することだ。
その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。

仮説には、仮説演繹法と実践仮説がある。

ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  

まず実践者の行動の一部に
「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が生じる。 

△弔に「たぶん〜だろう」という形を思う。
 これを「想起」とここでは呼ぶ。
 想像が始まるのである。

この想起が当たると、疑問は解消する。

い修譴任眦たらないと、「〜か」と思う。
 想像にある方向性が生じる。
 これが想定である。

イ海料杁が当たると、疑問は解消する。

Δ修譴任眦たらないと「〜か、あるいは〜か・・・・・」となり。
 これを「仮定」である。
 そして想像の分類が始まる。

Р渉蠅魍稜Г垢觝邏箸鮃圓Α
 それにより仮定が支持されると、疑問は解消する。

┐修譴任皺樟發支持されない場合は、研究の懸案として残される。

 
ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べる。

 〜杁:

 確認可能な命題の形で仮説を立てる

 2樟發鮗存海覆票尊櫃妨‐擇垢

 じ‐擇気譴覆った仮説は採用しない

 ジ‐擇気譴寝樟發鮑陵僂靴届斥を構成する

 Δ修譴鮃雄

 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。
科学的というと実験を連想しますが、実証する方法はなにも実験に限らない。
日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的な事実と
いえる。

仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。
特にフィードバックを瞬時に可能にする。
「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、それだけ多くの
視点を持つべし、案を練りこむことになるからである。

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2003年07月17日(木)
834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件

 3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。
川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。
15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。しまったと思ったが、もう遅い!

 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に立たない位しっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。
物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。
もし来たら、目を狙えばよい。
相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。
離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。
いま考えても危ない瞬間であった。

 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を
歩いていると、暴走族がオートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。
警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。
深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。

 ところが、昨夜新潟で飲み会があった。
十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。
通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末の顛末を言った。
度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。
顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。

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2002年07月17日(水)
459,危機一髪

今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。
当時130円、その時期は三月決算に向けて140円に成ることは誰の目にも
明らかであった。
そこを銀行の担当もついてきたのだ。
「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」
一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週になってしまった。
円が135円まで上がってしまっていた。
そうすると大して旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。
迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと数字をみていた。

そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時
大矢氏が反対した。「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。
それと売買で4円の手数料を取られ、銀行のテラセンの餌食でしかない。
それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」

それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた?
途中で売っていたとしても500万は損をしていた?

「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは思ってもいなかった!!」
それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。
危ない所であった!

NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。
それと去年の春先に金融関係者が一斉に持ってきた「変額保険」
うたい文句が、確か節税とかいうやつ。
先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。

30万件売ったらしいが、これが???らしい!!
「ある子狐が持ってきて断ると手の裏をかえした」のもそれだった?
手数を稼ぐためには、何でもしなくてはならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。

情報化とはこういうことだ!

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2001年07月17日
旅行中


1200, ロマン・ロラン ―哲学についてー16

2004年07月16日(金)


学生時代、野田一夫教授の[経営学]の授業で、ロマン・ローランの
ーベートーベンの生涯ーを勧められ読んだ時の感激を今だ忘れることができない。
1967年6月中旬だった。
高度成長期の時代背景もあってか、彼の理想主義が大きく心に刻まれた。
彼は生涯をかけ人間の善意と崇高さを信じ、理想を求めたヒューマニズムの作家であった。
演劇作家から、しだいに偉大な天才たちの評伝を書くようになった。

『ベートーベンの生涯』の中で
「ぼくの芸術は貧しい人々の運命を改善するために捧げられねばならない」
と述べている。「第九」は作者ベートーベンの人生ー病苦、難聴、絶望―
を投影している。それでもベートーベンは生き抜く意思を込めた曲である。
悲痛な心情とともに、それを乗り越えて、芸術で人々に尽くすことに生きる意義を
見いだそうと格闘する魂。
その使命感が彼を救ったのである。
音のない闇の中、ベートーベンは光を見つける。
「これこそそうだ! 見つかった!! 歓喜!  
        われらに不滅のシラーの歌を歌わしめよ!」
(『第九』発表1年前、音楽ノートにつづった言葉)
「第九」は、第1楽章から第3楽章まで、あの「歓喜の歌」の旋律が断片的に現れては消え、
最終楽章に向かって苦悩し続ける。
そしてついに「おお、友よ。この調べではない」と、最終楽章でこれまでを否定する。
それは、これまでを全否定しているわけではない。
実は、現れそうになっては消えたあの調べ、あの旋律こそが主題の「歓喜」であり、
今までの苦労の中に「歓喜」はあったのだと劇的に展開していく。

 ーベートーベンの言葉がよい

「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」
「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」
「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」
            (ベートーベン最後のことば)
「苦難の時に動揺しないこと。これは真に賞賛すべき卓越した人物の証拠である」

ロマン・ローランは、彼の音楽と言葉から苦痛と、それをのりこえた魂の偉大さを
感じとる。そしてその生き方と彼の理想主義がマッチしているのがこの本であった。
「良くかつ高貴に行動する人間は、その事実によってだけでも不幸に耐えることができる」
「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」は、
私の20代の心の芯になっていた言葉であった。

ロマン・ローランは、他にも多くの格言を残している。
ー彼の言葉を抜粋するとー

・愛はそれが自己犠牲であるときのほかは、愛の名に値しない。
              ―「トルストイの生涯」―

・真理への愛のみが、我々を決して裏切ることのない唯一の愛だ。
              ―「愛と死の戯れ」―

・三つの大きな性的異常のうち、
第一のもの《自愛》は、個人にもっとも害を及ぼす。
第二のもの《同性愛》は、人類種族にもっとも害を及ぼす。
第三のもの《近親同士の愛》は、社会にもっとも害を及ぼす。
              ―「回想録」―

・諸種の主義のあいだの闘争がなんだというのか。
 唯物論、唯心論、社会主義、共産主義といったところで、
  それはどれも繋いだ犬の首輪なのだ。
              ―「魅せられたる魂」―
  
・理想主義のない現実主義は無意味である。 
 現実主義のない理想主義は無血液である。
              ―「先駆者たち」―

・英雄とは自分のできることをした人である。ところが、
 凡人はそのできることをしないで、できもしないことを望んでばかりいる。
              ―「魅せられたる魂」―

・男性は作品を創る。しかし女性は男性を創る。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・まさしく音楽こそ、精神の生活を感覚の生活へと媒介してくれるものです。
              ―「ゲーテとベートーヴェン」―

・大半の聴衆が興味を抱くのは、音楽ではなく音楽家である。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・多くの者は、自分達の階級を軽蔑するふりをしながら、
 自分達の階級から頭角を現わす機会を狙ってばかりいる。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・自己放棄は偽善である。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・個人の権利は、国家の権利がなければ無為に等しい。
 
・恋は決闘です。右を見たり、左を見たりしていたら敗北です
             ―「魅せられたる魂」―

・幸福は世界のリズムの一瞬間であり、生の振子が往来する両極の一つである。
 その振子を止めるには、それを破壊するほかないであろう。
             ―「ジャン=クリストフ」―

・誰でも幸福について語るが、それを知っているものは少ない。
             ―「断片」―

・《自然》は感傷主義には頓着しない。
 《自然》は自己の目的を達するには、人間の徳性をふみつけて通る。
              ―「愛と死の戯れ」―

・新聞・雑誌は嘘の巣窟だ。そして読者の大半は、その嘘にまるめこまれる可能性がある。
              ―「内面の旅路」―

・弱者達の貧血している生活は、神の信仰を必要とする。
 だが、太陽と生命を自己の内部に有する人は、自己以外のどこに信仰をさがしに 
 行くことがあろうか。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・人生は幾度かの死と、幾度かの復活の一続きである。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・人生は往復切符を発行してしません。一度出立したら、再び帰ってきません。
              ―「魅せられたる魂」―

・人生は人間が共同で利用するブドウ畑です。一緒に栽培して、共に収穫するのです。
              ―「魅せられたる魂」―

・知識人は政治家を軽蔑し、政治家は知識人を軽蔑する。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・真実の生活に根ざす唯一の真の道徳は、調和の道徳であろう。
 だが、人間社会は今日まで圧迫と諦めの道徳しか知らなかった。
              ―「魅せられたる魂」―

・国家は祖国ではない。それを混同させるのは、それによって儲ける連中だけだ。

・秩序とは、したいことはさせずに、したくないことをさせることだ。
 片目でよく見ようして、もう片方の目を潰すことだ。

・今もっとも革命的な人々も、知らないうちに、おそらく一番古い伝統の人間となる。
              ―「ジャン=クリストフ」―

・悲しみは最良の友であり、人に法外な歓びを与える。
              ―「ミレー」―

・流行はつねに前進していく。そして、精神の偽りの自由が絶えずせり上がっていく。
ほとんど誰もそれに抵抗しようとはしない。
              ―「ジャン=クリストフ」―


・音楽は一切の哲学よりもさらに高い啓示である

・なるようになる。
 すべてがなるようになる。
 ただ人間はそれを愛しさえすればよいのだ

・一つの魂が完成するまでには、
 長い時間と沈黙が必要なのだ

・人生はいくたびかの死と、
 いくたびかの復活とのひとつづきである
           ー「ジャン・クリストフ」 ー

・なるほど名誉と恋とは
 いかに美しいには相違ないが
 一時的なものさ。
 そうして最後まで残るのは
 ただ自分自身というものだけなんだ。
 そうしてこいつを持ちつづけることは
 恐ろしくむずかしいことなんだ               
             ー「愛と死との戯れ」ー

・人生はすぐそこに、
 すぐ私たちのそばに、
 まったく単純に
 やさしく静かに在るのですわ
            ー「愛と死との戯れ」
・私の目を正面に見てください!
 ただひとつの真理は
 私たちの目の中にある。
 あなたと私とがあるばかりだ
            ー「愛と死との戯れ」−

・恋は決闘です。
 右を見たり、左を見たりしていたら敗北です
            ー「魅せられたる魂」ー

・幸福とは魂の香りであり、
 歌う心の調和である

ーロマン・ローラン概略ー

フランスの小説家であり思想家。
トルストイの思想的影響の下に出発、人類への愛、理想主義の信念に基づき
創作や平和運動に活躍した。
ベートーベンの研究もある。
代表作は「ジャン=クリストフ」「魅せられたる魂」。
    (一八六六〜一九四四)

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2003年07月16日(水)
833, 孤独について −2

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく
  ーーーーー
 2002年09月01日(日) 506, 孤独について

人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。
本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、
禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに
気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。

若い時に大都会に出る必要性は、
大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。

じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。

それを若い時にじっくり経験してないと、
「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、
そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。
失敗の人生である。

地方にはこういう人が大部分だ。
仕方ないことだが?

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 2002年07月16日(火)
 458,一期一会

 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。
 それも字のとおり「一期一会」である。
 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、
 全てを曝け出し、そして別れていく。
 「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
 
 平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。
 お互いの人生の通知表を見せ合える場であり、
 人生の決算書を携えて来ているともいえる。
 
 色々な人生があるものとつくづく思う。
 遠藤周作の「深い河」というインドのツアーの参加者のそれぞれの人生を
 描いた小説があったが、正しくそれである。

 直にそれを見れるのも、
 一種独特の圧縮された社会がその期間形成されるからだろう。
 特に秘境系のツアーには濃い人生を生きてきた人が多い。

 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。

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2001年07月16日
 旅行中


1199, つれづれなるままに

2004年07月15日(木)


ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。
他人の夢ほどつまらないものはないというが、
潜在意識を覗くという面でみると面白いのではないか?

ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。
そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。
恐らく、鈴木秀子とユングの臨死体験を読んだ影響と思われる。
二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議である。

ー子供の時に亡くなった兄が帰ってきた夢をみた。
何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。
思わず泣いてしまった。
翌日、家内に寝言で泣いていたと言われた。
その後に、仏間に誰かがいる気配がした。
起きていってみるが、そこには誰もいない。
それも夢であった。

ー過剰情報ー
全国ニュースを見ていると、中越地区が水浸しで沈没しているような感じる。
一番凄そうなところをカメラマンが取っているのだが。
情報化はこういう異様な現象が出る。
ほんの限定的な一時的な現象をことさらオーバーに報じる。
そういえばイスラエルに行った時の事を思い出す。
アチコチでテロが続発しているイメージが強いが、現地の99.99佑寮験茲
普通である。世界各国から信者が礼拝に来るが、どこの国の人も家族に戦地の
真っ只中に来るように誤解されるという。
よほど自分の病気か自動車事故のほうが恐ろしいのに。

 ー 1リーグ制についてー
近鉄の合併が出てくるまで、マスコミの論調は一リーグ制度であったのに、
ところが急に論調が反対に変わってきた。
そう書いたほうが、ニュースになるからだ。
それと読売系対反対派という図式もある。
業界そのものをリストラをしなくてはならないのが底流にある。
特に星野元監督はじめ軽いマスコミは奇麗事をいい始めている。
バカもほどほどにしろである。
そのまま二リーグ制にしておくことなど考えられない。
考えるという面で議論も必要だが。

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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」−映画日記

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。
あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、
日本の味わいとスローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を、感慨深く表現していた。

主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながら
ストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉が
このストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも
印象的である。

黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した
小泉堯史監督の新作であることを、インターネットで調べてしった。
 気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが
印象的だったのだろう。下手な感想文より以下をご覧あれ!

ーあらすじー
 東京に住む夫婦、孝夫と美智子。夫はなかなか日の目を見ない小説家。
妻は大学病院で働く有能な医者だった。ある時、美智子はパニック障害という心の病にかかる。
それをきっかけに、二人は、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。

山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。
彼女は阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。
おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女・小百合に出会う。彼女は村の広報誌に、
おうめが日々話したことを書きとめまとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。
美智子はこの村で診療所を開き、おうめや小百合、村の人々の診察を通して、
医者としての自信と責任を取り戻してくる。…

ー南木けい士の『自書を語る』ー
 阿弥陀堂は生まれ育った群馬県吾妻郡嬬恋村大字三原の下屋組と称される十軒あまりの
 集落の裏山にある。そのすぐ下の墓地には私が三歳のときに死んだ母や、以後十三歳の
 春までこの集落で私を育ててくれた祖母の墓がある。弱りきった精神は退行を好む。
 あのころの私は底上げなしの、あるがままの存在を許されたふるさとの自然や人の
 なかに還りたかった。
 
 しかし、実際に還ったところで懐かしい人たちはみな死者であり、ともにながめる人を
 亡くした風景は色あせて見えるだけだろう。ならば言葉でふるさとを創り出すしかない。
 そんな想いで『阿弥陀堂だより』を書き始めた。

  祖母は村の広報誌のことを「村だより」と呼んでいた。「阿弥陀堂」と「村だより」
  、小説の題名はこの二つをくっつけたのだ。祖母たち老人が先祖供養の念仏をもうしながら
数珠を回していた阿弥陀堂。その小さな庭からは向かいの崖と谷底の川と狭い集落が見渡せた。
それが幼い私にとっての世界の景色のすべてだった。
もし生きのびられるのなら、もう一度この世界から歩き出したかった。
切実に、誠実にその世界を創りあげたかった。

うつ病による罪業妄想と言ってしまえばそれまでだが、末期の癌患者さんたちを看取ることの
多い生活をしてきた私は夜ごとに 亡くなった人たちの顔を思い出し、彼、彼女たちの訴えの
十分の一も理解できていなかったことを悔い、ひたすら詫びた。

悪夢で深夜に目覚めるたびに「天罰」という言葉が天井から降ってきた。
書くことで供養ができるなら……そんな想いを先祖の霊を守る老婆に託た。
記憶に刻まれた人や風景を寄せ集め、仮想の村、集落を創り、それらを忠実に描写して
いったら一つのおとぎ話ができあがった。

この物語を誰よりも読みたかったのは私自身なのだった。完成したとき、
これが小説たりえているのかどうか判断できなかったからとにかく編集者に送り、
大丈夫ですよ、の回答をもらって安堵のため息を何度もついた。
 
 しかし、ある新聞に載った文芸時評では、その内容の甘さをこっぴどく批判された。
そんなにひどいことを書くならなんでこれほど大きく時評に取り上げるんだよ、
と涙ぐみつつ送られてきた新聞を庭の隅の焼却炉で燃やした。
ものを書くことを仕事にしてから、他者が私の作品について評した文章を燃やすのは
初めてだったが、いかにも後味の悪い体験だった。
 
 都会の病院勤務で心を病んだ女医が小説家である夫のふるさとの村で癒されてゆく。
たしかに安易と言われればそれまでのプロットだが、そのころの私には企んだ小説を
書ける余力がなかった。細部をていねいに書き込むことしかできなかった。

『阿弥陀堂だより』には私の存在の世話をしてくれた人たち、底上げされた
私のいたらなさを口に出して責めぬまま静かに逝った人たち、そして、ただの存在に
もどった私の目に映った自然の生なましさなどが詰め込まれている。
甘く書くしかなかった酷薄な事実が隠されている。

書きあげ、本になった時点でこれらのものはすべて本のなかに大事に封印した。 
表紙の阿弥陀堂の戸はしっかり閉じている。
そうすることでなんとか今日まで生きてこられた。
少なくともいまのところこの封印を解くつもりはない。
他者の解釈を観たり聞いたりする勇気もない。
 
 いつか、どこかの映画館の片隅で『阿弥陀堂だより』を観る機会があったら、
私はこの懐かしいタイトルを観ただけで泣き出してしまうかもしれない。
そんなことを書きながら、流れに乗れば気軽に観終えてしまうのも私の根性なしのところで、
実はもうそういうつっぱりはどうでもよくなっている。
それにしても、試写会に行かない原作者なんて他にも誰かいたのだろうか、
と気にしてしまう小心さだけはいかんともしがたい。

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2002年07月15日(月)
457,スイス旅行記ー2-マッタホルンの凧揚げ


マッターホルンで凧揚げた!といっても、他人の凧揚げの紐を
一時も持っただけだ。
マッターホルンを近くに見る展望台の横の小高い丘で写真を撮っていると、
突然ある中年の夫婦が小さな凧を二つ取り出し、揚げはじめた。

家内と登山列車の隣席で話をしてきたという他のグループの夫妻。
その写真を撮って欲しいと頼まれた。
そこで「是非自分も記念で凧揚げしてみたい」とお願いすると、
気持ちよく私らに貸してくれただけの話だ。

それでも揚げたことに間違いはない!貴重な体験だった。
それにしても色々のことを考えるものだが、その情報を持っていたら
私も凧を買っていったに違いない!ーこれも情報なのだろう。
今度からは、大自然のツアーには凧を必ず持っていくつもりだ。

キリマンジェロやタンザニヤのセレンゲッテーの凧揚げなど最高だろう。
10個ぐらい持っていき、現地の人にあげるのも喜ばれるだろう。
その凧は横15cm、縦25cmぐらいの小さなモノだったが、
風に乗りどんどん高く舞いあがった。
おそらく西洋凧ではないかと思われるが、玩具屋で捜す楽しみがまた増えた。

いろいろ楽しい!!

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2001年07月14日
旅行中


1198, 口ぐせー2

2004年07月14日(水)


ーどうしようもない!−

最近ついつい使ってしまう言葉に「どうしようもない」がある。
マイナス用語の最たる言葉が、この「どうしようもない」である。

考えてみたら、これがトンデモナイ言葉のトリックになっていた。
自分の努力不足を棚に上げて、自分で自分の範囲を決め、思考をストップさせてしまう。

デフレには、どうしようもない!
もう歳だから、どうしようもない!
頭が悪いから、どうしようもない!
からだがわるいから、どうしようもない。
じかんがないから、・・・!
おかねがないから、・・・!
 等々、知らないうちに、あらゆる機会に使っている。

この「どうしようもない」という言葉は世界中にある。
中国語では「メーファーズ」
フランス語では「セラビー」
英語では「オブライジド」
それだけ、この言葉は世界的に軽率きわまりないのだ。

どうしようもない状態を解決していくのが、人間が人間たる所以である。
「歳だからどうしようもない」を考えてみても、明らかにナマケモノ、無能者
の言いわけでしかない。

「どうしようもない」は「何ともならない」という意味である。
それに対して、「何とかなる」「何とかできる」[何としよう」という意思から
努力と知恵が生まれてくる。

最近になって「どうしようもない」と多用していた自分に気がついた。
「ほんと、この不景気にはどうしようもないもんな〜」と、
何百回呟いたことか!
考え抜くしかないが、それにしても変化が激しすぎる!
どうにかしなくてはならない。

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 2003年07月14日(月)
831,アラスカ旅行記ー6

 旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。

・まずは、60代後半の女性。
 6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。
 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。
 別れるより良いと、毎月出ているという。
 もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。
 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。
 聞いていても悲しくなる。
 「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。
 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。
 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。
 また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
 
 ・若い女性が二人参加をしていた。
自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。
黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!
もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の違いのためか。
その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。
その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で
死んでいる」という。
「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、
グループの一人がを聞くと「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」
という。いろいろな体質の人がいるものだ。
 
 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。
 その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。
 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。
 今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。
 魚は釣った後で逃がすとか、また2年後に来たいといっていた。
 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。


2002年07月14日(日)
456,スイス旅行記 

感想をそのままかいてみると

・天気に恵まれた素晴らしい旅行であった。
   数年に一回の大当たりであった
・自然の美しさでは、カンデアンロッキーに匹敵するかそれ以上であった。
・自然の雄大さに圧倒された
・牧歌的な村や、絵のような牧草地や高原が印象的
・珠玉のような湖や村が何ともいえない
・毎日が感動感動の連続であった
・下を見れば高山植物とその花、上を見れば白銀に輝く峰峰
・美しき小さな村々と牧場

38回の過去の旅行でベスト5に入る内容といってよい。
一日一日が夢のような連続線で結ばれているようであった。
私の過去の「旅行の思い出の宝箱」の宝が一つ増えた。

こんなにスイスアルプスが素晴らしいと思ってもいなかった。

時系列で印象順に書いてみると

・まずは二日目の「アルプスの少女のハイジ」の舞台になった
 マイエンフェルトが素晴らしい!今でもあのアニメのハイジが跳ね回っているようだ。
 作家の家がハイジーの魂で満ちているようだ。
 そしてミニハイキング−季節も含めて何ともいえない明るさがよい。

・三日目のアルプグリュムのハイキングがよい。
 峠から見る眼下の谷と白銀の山々がよい。
  
 デアアレッツタ駅からの「パリュー氷河」が素晴らしい絶景であった
 あまり知れれてないが、そのパノラマに思わず息を呑んだ。
 永遠の時が一瞬凍り付いたようであった。−いろいろな氷河はは見ているが
 これだけ身近のパノラマで幻想的の景観ははじめて見るものであった。
 −これで元を取ったような気持ちになってしまった。

・5日目のツエルマットのマッターホルンが今回のハイライト!
 ホテルの窓からのマッターホルンがまたよい
 マッターホルンの麓の高原ハイキングが素晴らしいー
 ーここにこうしてハイキングしている自分が夢の中にいるようであった

・六日目のシャモニーよりロープウエーで3800mのエギーユ・デュ・ミディの展望台へ、
 そこから見た景観がやはり絶景

・7日目の「パノラマ特急」の車窓からみる珠玉のような高原の景観が夢のようだ。
 絵の世界が、いや絵よりもズート素晴らしい世界が延々と続く・・・・
 カンデシュテークからのったチェアリフトでいったエッシネン湖のトレッキングも
 忘れられない景色であった。

・8日目のグリンデルワルトからのユングフラウヨッホは
 途中で霧に包まれて楽しみにしていたトレッキングが中止になったが、
 ユングフラッホには過去2回いっているから諦めがついた。
 しかしやはりその景観は何回見てもよい。

・最終日のルッツェルンのアバルトシュテッテ湖とそこから登った
 ピラツス山から見たパノラマの景観が素晴らしい

     今回の旅行はただただ良かった!!!
   ある女性が何回も「うれしい!」と言っていた。

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 2001年07月14日
旅行中


1197, ユングの臨死体験

2004年07月13日(火)



臨死体験といえば、立花隆が「文芸春秋」で特集で連載をしたことがあった。
死にかけたときに生じる脳内の異常状態から見る夢か幻想と思うのだが。
ユングの書の中の「臨死体験」を読んでいるうちに、何か今までの世界観が
変わってしまった。

ユングが書いた時は、まだ宇宙衛星が地球外に出てない。
しかし、ユングが臨死体験で見てしまった宇宙からの景色と,宇宙船から飛行士が
見た景色が全く一緒だったという。
何とも不思議な気持になってしまった。

ーその部分を抜粋してみる
 −−−
1944年のはじめに、私は心筋梗塞につづいて、足を骨折するという災難にあった。
意識喪失のなかで譫妄状態になり、私はさまざまの幻像をみたが、それはちょうど
危篤に陥って、酸素吸入やカンフル注射をされているときにはじまったに違いない。 
幻像のイメージがあまりにも強烈だったので、私は死が近づいたのだと自分で
思いこんでいた。

後日、付き添っていた看護婦は、
『まるであなたは、明るい光輝に囲まれておいでのようでした』といっていたが、
彼女のつけ加えた言葉によると、そういった現象は死んで行く人たちに
何度かみかけたことだという。私は死の瀬戸際にまで近づいて、夢みているのか、
忘我の陶酔のなかにいるのかわからなかった。
とにかく途方もないことが、私の身の上に起こりはじめていたのである。  
 
 私は宇宙の高みに登っていると思っていた。
はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と
諸大陸がみえていた。
脚下はるかか なたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。
私の視野のなかに地球 全体は入らなったが、地球の球形はくっきりと浮かび、
その輪郭は素晴らしい青光に 照らしだされて、銀色の光に輝いていた。
地球の大部分は着色されており、ところど ころ燻銀のような濃緑の斑点をつけていた。
(中略)
 
 どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。 
それは、驚いたことに、ほぼ1500キロメートルの高さである。
この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも
美しいものであった。

 ーこのときユングが見た地球の姿の記述は、立花隆も指摘するようにアポロが
撮った地球の写真の姿と合っている。
それをユングはアポロ宇宙船よりも以前、それどころかガガーリン以前に書いているー

しばらくその美しい地球を眺めたあと、自分の家ほどもある大きな隕石
のような黒い石塊が宇宙空間をただよっているのを発見する。
その石の中央には入口があり、その中はヒンドゥー教の礼拝堂になっていた。
その中に入っていった。  

 私が岩の入り口に通じる階段へ近づいたときに、不思議なことが起こった。
つまり、私はすべてが脱落していくのを感じた。私が目標としたもののすべて、
希望したもの、思考したもののすべて、また地上に存在するすべてのものが、
走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった。
この過程はきわめて苦痛であった。
しかし、残ったものはいくらかはあった。

それはかつて、私が経験し、行為し、私のまわりで起こったすべてで、それらのすべてが、
まるでいま私とともにあるような実感であった。
それらは私とともにあり、私がそれらそのものだいえるかもしれない。
いいかえれば、私という人間はそうしたあらゆる出来事から成り立っているということを
強く感じた。これこそが私なのだ。

『私は存在したものの、成就したものの束である。』 
 この経験は私にきわめて貧しい思いをさせたが、同時に非常に満たされた感情を
も抱かせた。もうこれ以上に欲求するものはなにもなかった。
私は客観的に存在し、生活したものであった、という形で存在した。
最初は、なにもかも剥ぎとられ、奪われてしまったという消滅感が強かったが、
しかし突然それはどうでもよいと思えた。
 
 すべては過ぎ去り、過去のものとなった。かつて在った事柄とはなんの関わりも
なく、既成事実が残っていた。なにが立ち去り、取り去られても惜しくはなかった。
逆に、私は私であるすべてを所有し、私はそれら以外のなにものでもなかった。

「私が目標としたもののすべて、希望したもの、思考したもののすべて、また地上
に存在するすべてのものが、走馬灯の絵のように私から消え去り、離脱していった」

 これに対し、彼に残されたものは何だったか。孤独な宇宙空間にただよいながら、
かつて自分が地上で経験し、行為したことのすべてが自分とともにあるという
実感だけは残った。

そのとき残されたぎりぎりの「私」とは、自分がこれまで地上で経験し、
行為したもろもろの事実のみであった。
それは要するに、「私」とは私のカルマ(業)にほかならないということなのか。
私に所属する多くが離脱しても、私の行為のすべては、おそらくは死後もカルマと
して存続する。

 ーー
以上であるが、鈴木秀子の臨死体験に似ている部分がある。
現実のとらわれから解放される部分である。

ーあるHPのユングの臨死体験の解説をコピーしておきます。
 非常に解りやすい内容であるー
  −−−
 
 他の多くの臨死体験者と同じように、この体験のあと大きな変貌を遂げたという。
『ユング・地下の大王』の著者、コリン・ウィルソンも言うように、
これはユングの生涯のなかで大きな転換点だった。
この体験後、彼にとって仕事上で実りの豊かな時期がはじまったのだ。

彼の学問への態度にも、大きな質的な変化が起こった。
 それまで彼は、研究者として「自分は科学者だ」ということを世間に示して自分
が傷つかないように護らなければならないと感じていた。
しかし体験後は、自分が科学者であり、それ以外でないという熱狂的な見かけを維持する
必要がないことに気づいたようだ。

自分の心のいちばん深層にある信念を示すことを厭わなくなり、
科学の限界を越えて進んでいると非難されることを気にしなくなった。
「もはや私は、自分自身の意見を貫きとおそうとしなくなり、思考の流れにまかせた。
このようにして問題の方が私の前に現われてきては、形をなしていった」と。
彼はまた、たとえば第一次大戦後に住んでいた家に出没する幽霊を話を率直に
語り始めたりもするのである。
 
 またもう一つ、病気によって私に明らかになったことがあった。
それを公式的に表現すると、事物を在るがままに肯定するといえよう。
つまり、主観によってさからうことなく、在るものを無条件に『その通り(イエス)』
といえることである。
実在するものの諸条件を、私の見たままに、私がそれを理解したように受けいれる。
そして私自身の本質も、私がたまたまそうであるように、受けとめる。
ー病後にはじめて、私は自分の運命を肯定することがいかに大切かわかった。
ー私はまた、人は自分自身のなかに生じた考えを、価値判断の彼岸で、真実存在する
ものとして受けいれねばならないと、はっきり覚った。

 これらによって語られているのは、自分のなかに湧きあがって来るものをそのまま受けとめ、
また事物を自己の主観というフィルターで歪めずに、あるがままに肯定して受けとめるという、
受容性の増大であろう。

これまでに見てきたように臨死体験者たちの多くは、自分の周囲のあらゆる人々や生物、
事物に心を開き、それらをあるがままに受け入れていくという傾向があった。
それは、自分自身のあるがままを素直に受け入れていくことと表裏一体である。
要するにそれは、「自己」という垣根を崩して自分の内と外により開かれていくという傾向である。
ユングも、外については「実在するものの諸条件を、私の見たままに」、
そして内については「私自身の本質も、私がたまたまそうであるように」
受け入れるようになったという。

だとすればユングの変化も、多くの臨死体験者と共通する方向への「成長」だったと
言ってよいだろう。つまりユングの場合も、「自己」という殻が崩れて自分の
内と外へと開かれいったのだ。
ただし、彼の場合、それが「宇宙と一体となるという感覚」につながっていたかどうかは
わからない。

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ユング(1875-1961 Carl Gustav Jung)

スイスの精神医学者,分析心理学の創始者。ボーデン湖畔ケスビルに牧師の子とし
て生まれる。
バーゼル大学医学部卒。E.ブロイラー,P.ジャネ,S.フロイトらに学ぶ。
とりわけフロイトとは1907年の初会見以来親交を重ね一時後継者と目されるが,
1913年に訣別。

〈集合的無意識〉〈元型〉〈自己〉といった独自の概念を駆使して人類の心の深層を
探査し続けたその営為は,特に1970年代以降世界的な注目を集めている。
超常現象,東洋思想,ヘルメス的伝統(ヘルメス思想)などの再評価という側面からも,
大きな現代的関心が寄せられる思想家。
(マイペディア97(C)株式会社日立デジタル平凡社より)

主著
《変容の象徴》(1912年),《タイプ論》(1921年),《心理学と錬金術》
(1944年),《結合の神秘》(1956年)など。

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 2003年07月13日(日)
830, アラスカ旅行記ー5

ーアラスカつれづれに

アラスカで感じたのは、豊かさである。ーそして、その対比としての日本の
豊かさの底の浅さだ。

・高校の前を通ったら、大きな駐車場があった。
 16歳で免許が取れるという。多くの高校生が車で通学をしていると
いう。
 16歳以下でも親と一緒であれば運転できる免許もあるという。
・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っていると
いう。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。
 冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。
 安いので500〜600万で買えるという。
 夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて
遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、
鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても、豊かさが直に伝わってくる。
 ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。
 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。

『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。
 小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。
 「何が美味しいか?」と聞いたら、
 「ユーコン川で獲れたキングサーン の刺身がお勧め」、
 とのことで注文したが、もちろん絶品。
 鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。
 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして「食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と
 嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、何と今回の現地日本人ガイドの上司。
 三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドに
 トラバーユしたといっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。
 そして我々の間に座った。知り合いらしく急にジョンは大人しくなった。
 そして英語で二人話し始めた。
 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測。
 私もその時に一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると
 それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて
 機長の可能性が強い?
 一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、
 写真を一枚撮らせて下さい」といった。
 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」

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2002年07月13日
旅行中
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2001年07月13日
旅行中


1196, 口ぐせ

2004年07月12日(月)



先日この随想日記で書いた「私は幸せ」ではないが、普段のつかっている言葉が
いかに大切かつくづく実感する。
中村天風も、繰り返し述べているが、世の中マスコミなどでマイナス言葉を蓄積されていて、
その毒が我々に大きく影響を与えている。
従って意識的に除外し続けてないと、その毒に侵されることになる。
それが自分の運命に影響していることに自ら気がついてない。

ー私が気をつけていることを書いてみると
・何気なく飲み屋や普段話す内容に気をつけること
・普段の思考としての内語に気をつけて、マイナス用語を使わないこと
 とくに布団の中では、マイナス用語に注意している
・マイナスの人の近くには寄らないこと
 ーマイナスの人−常に他人のうわさ話をネタにして生きている人ー
・あまり過去の話はしないこと
 楽しいこと以外、考えないことにしている
・まず一番身近な家内とは、他人のうわさ話や悪口の話題をしない
・一年前に「幸せの宇宙構造」という本に出会ってから、
「ありがとう」という言葉を 繰り返すようになった。
 とくに散歩の時間は「ありがとう」を五百回はいうようにしている。
 
私の過去を振り返ると、実感として
・恵まれていた
・ついていた
・面白かった
 であるが、そういえば昔から繰り返し自分に言い聞かせていたところがあった。
経験から、噂や陰口の多い人の末路を見てきたこともあるが。
やはり中村天風の影響が大きかった。

私の口癖に
「おいしい!」というのがある。
実際美味しいのだから言うだけだが、口に出すと美味しさが倍増する。
少し不味くとも、美味しいと何回か言えば不思議と美味しく感じるのだ。
逆に、不味いと口に出すと数倍不味くなるから言葉は本当に不思議である。

最近意識して使っている言葉は

・うれし、たのし、しあわせ
・ありがとう、だいじょうぶ、ついている
・おいしい、よかった、すばらしい
・おもしろい、めぐまれている、くいはない

すべて、心の底から思っている。
しかし、知らないうちに、マイナスの言葉を多用している可能性があるが。
 
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2003年07月12日(土)
829,アラスカ旅行記ー4

ー26氷河クルーズ

アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が
密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。

氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。
この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 
 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。
 その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。
 温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。
 それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に浮いていた。
 またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見ることができた。

 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ世界三大クルーズの一つ。
特にカナダのバンクーバーからのクルーズは有名だ。
丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそくウイスキーのオンザロックで
飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。
当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアには
パタゴニアの氷河がある。
対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。

 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。
スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。
氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。

 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話も
なかなか面白い。20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、
その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。
50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。
但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!

アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。

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2002年07月09日
旅行中
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2001年07月09
旅行中


1195, 授かった不思議な力

2004年07月11日(日)

ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。
先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。
何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど、「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるように
なってきている。

私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」話しは、かって聞いたことがない。
神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を
良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降身についたのだ。
人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がして
ならない。あるキッカケでそれが飛び出してくるのだ。

以下は、ある対談集を書き写しました。
まずは、ごらんあれ!
ーー

臨死体験後、不思議なことがありました。
結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。
自分は高野山の系統の住職で、生まれたときからひとを見ぬく特別の能力がある。
そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。

私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、それだけ色いろなことが
重なると信じざるを得なくなりました。今では人に会うのが楽しみになりました。
そのたびに、その方の運勢がこれから良くなると思うと、人に会うのがうれしい。
だから生きていくことが、とても楽しくなったのです。ー

ー人間は地球上にみんなバラバラに住んでいるような気でいて、実は根っこでは
繋がっているということです。自分の手にたとえると良くわかりますが、
人は指の部分、見える部分だけを見てこの人の学歴がいい、お金があるって
お互い比較するんです。でも手のひらの部分、根っこの見えない部分では
平等で,全部繋がっているんです。
何が平等かというと,命をもらって生かされている存在であるということ。
誰もいつか死ぬということ。大宇宙の大きな慈しみに満たされて生かされている
大切な存在という三つにおいて平等だと思うんです。

だから臨死体験をしてつくづく、あの至福の世界が本物で、この世は
経ていく世界だっていう感覚があるんです。
やはり人間の本分、ビーイングと、現実社会での自分の役割、ドゥーイングの
つながりに意識を向けていかないと虚しくなっていくのではないかと。
人生のテーマを考える時、ビーイングの世界にまなざしを据えてこそ、
充実したものになるのではないでしょうか。
 
ーその臨死体験の講演をまとめてみるー

奈良での学会に出席するため、友人のいる修道院に泊めてもらっていた。
その修道院は、宮家の立派な屋敷を改造した建物で、二階の客間から下に降りる
階段は高く急であった。

その夜、寝つかれなかった彼女は、何となく夜中に起き出し、暗がりの廊下を
壁づたいにそっと歩いた。曲がり角らしきところで一歩足を踏み出したが、
実はそこは廊下ではなく、その急な階段だったのである。
 踏み出した瞬間、足は空をつかみ、体はバランスを失った。

恐怖を感じる暇もなく、一気に下まで落ち、床に叩きつけられて、そのまま気を
失ってしまう。 ふと気づくと、私のからだは宙に浮かんでいます。
そして、空中にまっすぐ浮いている私を、高いところから、もう一人の私が
見つめているのです。

空中に浮かんだ私 の足の周りを、なぜかたくさんの筍の皮のようなものが
覆っていました。 それが蓮の花びらだとわかったのは、ずっとあとのことです。
台湾のさる有名なお寺を訪れたとき、仏像の足の周りを筍の皮のようなものが
包んでいるのを見て、あ、これだったんだと思いました。

それは蓮の花びらでできた台座でした。
その筍の皮のような花びらが足もとから一枚一枚散っていくのです。
高いところからそれを見ているもう一人の私は、花びらが散るごとに、自分が
一つひとつの苦しみから解放されて、自由になっていくのがわかりました。
 
一枚落ちると、
「ああ、これでもう人の言うことに煩わされなくてすむ、私は自由になった」  
 と思い、さらにもう一枚落ちると、
「もう人に気を遣い、不安に脅かされなくてもすむ、私は自由になった」   
とつぶやいているのです。   限りない解放感と喜びが胸に溢れてきました。  

花びらが最後の一枚になり、これが落ちたら完全な自由になれると思ったとき、
最 後の一枚の花びらは落ちることなく、からだがすっと飛翔しました。
そのとき、見ている自分と見られている自分が一つになりました。   

一瞬のうちに高さの極みに飛翔し、私は今まで見たことのないような美しい光に
包み込まれました。白っぽい金色の輝きに満ちた、いちめん光の世界にいたのです。
まばゆい輝きでしたが、まぶしすぎるとは感じませんでした。  
 
それは人格を持つ命そのものの光であり、深い部分で、自分とつながり、
交流している生きた光なのでした。
これが至福なのだ、完全に自由なのだ、と私は感じていました。
不思議なくらい、五感も思考もすべてが生き生きと冴えわたっています。
オリンピック選手がベストコンディションで世界記録を破る瞬間とは、
こんな状態のときなのでしようか。

からだの全機能が最高の状態に保たれ、調和し、研ぎ澄まされているのです。
その冴えわたった意識の中で、私ははっきりと理解したのでした。
 「この命そのものの光の主に、私はすべてを知りつくされ、理解され、
受けいれられ、許され、完全に愛しぬかれている」 これが愛の極致なのだと。

もし愛の究極の状態というものがあるのなら、こういう感情に貫かれることでは
ないかしらとも思いました。
真に満たされた状態とは、こういうことを言うのでしよう。 
しかもその満たされた光の世界には、時がないのです。

あっ、これが永遠なんだと私 は思いました。
心は愛に満たされ、知性は冴え、能力のすべてが最高の状態で調和しています。
 そんな至福感に包まれていたとき、どこからか声が聞こえてきました。
「癒してください、癒してください」  
 その声には、少しつたない感じの独特のアクセントがありました。  
その声が聞こえてきたとき、光であり命そのものの主が「現世に帰りなさい」
と言いました。
それは言葉ではなかったのですが、そう伝えられたのがわかりました。そしてさらに、
「現世に戻ったとき、いちばん大切なのは、知ることと愛すること、その二つだけが大切なのだ」
というメッセージを私は受け取ったのです。  
 

 真夜中に突然、大きな音がして叩き起こされたシスターたちが見たのは、寝巻き姿で階段の
下にうずくまっている見知らぬ女性だった。
鈴木氏は、それでも「大丈夫」と言いながらよろよろと立ち上がり、支えられながら
二階の部屋にあがったという。が、また気を失った。
そして、上に述べられたような不思議な体験が彼女に起こったのは、救急車が到着するまで
修道院の二階のベッドで意識を失っていたあいだのことだったようだ。
至福感のただ中にいたときに聞こえた、少しつたない感じの「癒してください」という声は、
そのときベッドの周囲を囲んでいたなかにいた外国人シスターの祈りの声だったらしいという。

幸い肋骨のひび程度で大怪我をまぬかれた鈴木氏は、事故後の静養中にさらに次のような体験を
している。

  階段から落ちた翌日は、運動会の次の日のように全身がズキズキ痛んでいました。
全体が大きな瞳れ物と化したようで、ベッドの上で寝返りを打つのも、つらい 状態でした。
けれども、そんな肉体の痛みとは裏腹に、精神は高揚していて、とても 気持ちがいいのです。

  階段から落ちた前後の自分の行動の記憶はまったくないのに、あの不思議な光に
包まれた記憶は鮮やかに脳裏に焼きついていました。
あのまばゆい光の余韻や、悟りの境地にも似た研ぎ澄まされた感覚は、忘れようとしても
忘れられないものでした。
私は限りない至福感に満たされ、恍惚とした気分でベッドに横たわっていました。

 ようやく歩けるようにたった次の日、外の空気が吸いたくなった私は、痛いからだを
ひきずって窓のところへ行きました。
窓を開けると、そこには秋の田園風景が広がっていました。
刈り入れを終えたあとの田圃がどこまでも続き、稲が束になって下がっています。
のどかな景色を眺めながら、自分が今、奈良の郊外にいることをふと思い出しました。  

 すがすがしい稲の香りが胸の中に広がったとき、突然、大きな感動がからだを貫きました。  
稲や土、光や風、自然界のありとあらゆるもの、大宇宙のさまざまなものがすベて、
素晴らしい秩序の中にあって、それぞれが一つひとつの役割を果たして調和している、
そうして燃えている―─。  

 それは閃きに似た強烈な感動でした。大宇宙との一体感を、頭ではなく、
からだ全体で、魂の深みで悟ったような感じでした。目から鱗が落ちるどころではありません。

  そのような至福の状態が三日間くらい続いたでしようか。からだが治っていくにつれ、
  その高揚感も薄れ、やがて徐々に日常の平静な状態に戻っていきました。

 けれども、あの光に包まれる体験をしてから、まるで別次元の境地に達したように、
私の中ですべてが変 化していました。それまで悩んでいたいろんなことが、
とても小さく見え、いっせいに霧が晴れたように、私の人生はすがすがしく晴れ渡っていました。
そして、私の心の中には、ある言葉が、美しい鐘の音のように響きわたっていました。

 「大切なのは、知ることと愛すること。それだけが大切なのだ」

鈴木氏は、その後に彼女の身に起きた数々の不思議な出来事によって、あの光との出会い
の体験が、たんなる夢や幻覚ではなかったという確信を深めていく。
その第一は、この事故の5〜6年前から患っていた膠原病が、事故のあと完全に治って
しまったということだ。
膠原病は原因不明の難病だ。彼女の症状は、急に寒さにあうと、からだ中が硬直してしまう
というものだった。血管の流れは滞り、手は死人のように真っ青になって、
ときにはからだに鉄の輪をはめられたような痛みで息もできないほどだったという。
長年苦しめられていたそんな膠原病が、すっかり治ってしまった。
検査の結果、血管が詰まっているところはどこにも発見されず、本人も医者も
びっくりしたという。病気はその後二度と再発することもなく、それどころか、
あの臨死体験以来、病気ひとつせぬ丈夫なからだになったという。


 彼女が自分の体験を幻覚でないと確信した別の理由は、レイモンド・A・ムーディー・Jrが
書いた臨死体験についての本を読んだことであった。事故のあと、まだ入院をしていたあの日、
見舞いに来たイギリス人のシスターが、いま面白い本を読んでいるといって紹介してくれたのが
ムーディーの『 LIFE AFTER LIFE』(日本語版『かいまみた死後の世界』評論社)であった。
そのなかには、臨死体験をした多くの人々のエピソードが集められている。
友人が、「臨死体験をした人たちの中には、光に出会う人々もいるらしい」と語り始めたとき、
鈴木氏ははっとする。
「その光は生きた光で、まばゆいけれど、まぶしすぎるという感じではなくて‥‥」 
だとすれば、それは彼女が出会った光とまるで同じだ。
鈴木氏は、そのとき初めて自分のあの体験が「臨死体験」だったことを知ったという。
こうしてムーディーの本に出会い、それを読み終えた頃に、担当の医者から膠原病が
すっかり治っていることを告げられたのだ。

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2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記−3

デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの
遊覧飛行に参加をしてきた。
230砲半し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて
行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで
買ってきた果物や持っていった
食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、
迷わずに参加した。そして大正解であった。

 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供に
オモチャのようなセスナに乗った。
20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、
北米大陸最高峰の6194辰△觧劃困髻下から螺旋状に30分もかけ5~6回も
旋回をしたのだ。
その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がるアラスカの大地が,
この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。
「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。
ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。
マッキンリーの山頂に200叩近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく
聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。
この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。

いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」である。
本当に人生と同じである。
ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで
行ってきた。
家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけて
エド・ディル(修道院)まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。
またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。
あと一歩踏み出したお陰であった。

 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、
もちろん文章もである。
特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を多く話してくれたことと
アラスカの大地のこの目で見た為だ。
 また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。

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2002年07月11日
スイス旅行中
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2001年07月11日
北欧旅行中


1194, ニーチェ(2) ー哲学についてー15

2004年07月10日(土)

ニーチェの最も受け入れられている考えかたとして、
「人は自分自身にとってどんなに受け入れられない不快な現実であっても、
ひるまずに立ち向かい、それを直視すること、そしてその知識に基づいて、
人生そのものを目的として、それ以外の見返りを求めずに生きるべきだ」
が支柱にあった。
当時、信仰心が薄れていた人たちにとって、まさに生きるべき指標となった。
これは儒教とほとんど同じ考えといってよい。

人生を徹底して生ききろうとしたとき、人はその分だけ争いに巻き込まれる。
それだけ振動が大きくなるのだから当然のことだ。
しかし、ニーチェによれば、「争いの緊張感が、指導者としての力を最大限に引き出し
その能力をさらに高めてくれる」と説いた。

反面、彼の思想はファシズムにも大きな影響を与えた。
ファシズムの創始者のムッソリーニが彼の本を幅広く読んで、ヒトラーと1938年に
歴史的会談をおこなった時に、ニーチェの作品を贈呈している。
そのため彼の思想は大きく誤解されることになってしまった。
彼はむしろ、ドイツの民族主義を嘲笑し、反ユダヤ主義を軽蔑していた。

19世紀末から20世紀にかけて、ニーチェは芸術家にも大きな影響を与えた。
その一人バーナードショーはニーチェの思想を
シェークスピアがリチャード三世に語らせている次の言葉に要約されていると指摘した。

良心など臆病者の使う言葉しかすぎない
そもそのも勇者を脅かすための計略なのだ
我々の力だけが良心、剣をもって法律とするのだ

ニーチェは特に文学的才能を持ち合わせていたのが特徴といってよい。
多くの人によって散文作家とみなされている
彼の文章は哲学者に見られがちな、主張と反論がつづく長い文章ではない。
格言や聖書のように短く区切られていた。

新しい視点でものごとを見てもらうために、心に残るイメージを利用した。
彼の主張は、暗示的であり、喩えから類推しなくてはならない。
[稲妻の閃光のあとで轟きわたる雷鳴]のように工夫してあった。
当時の人に直接大きな影響を半世紀にわたって与え続けた哲学者として、
やはり特記すべき人である。


ー以下の抜粋の言葉の中にニーチェの思想がことごとく入っている。
彼の言葉は、難しく体系化されてないところが、逆に解りやすくなっている。

・私は君たちに、君たちの官能を殺せと勧めるのではない。
 私が勧めるのは官能の無邪気さだ。

・独創的――何かの新しいものをはじめて観察することではなく、
 古いもの、古くから知られていたもの、あるいは誰の目にもふれていたが見逃されて
 いたものを新しいもののように観察することが真に独創的な頭脳の証拠である。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―
・善とは何か――人間において権力の感情と権力を欲する意志を高揚するすべてのもの。
 悪とは何か――弱さから生ずるすべてのもの。
                     ―「反キリスト」―
・生きるとは何のことか――生きるとは、死にかけているようなものを
 絶えず自分から突き放していくことである。
                     ―「華やかな知識」―

・真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。

・誰であれ、若いうちは、思う存分遊ぶべきである。
 長いあいだ活字の森にばかりいると、そこから抜け出られなくなるものだ

・人間のみがこの世で苦しんでいるので、笑いを発明せざるを得なかった。
 
・人間は深淵に架けられた一本の綱である。
 渡るも危険、途上にあるも危険、後ろを振り返るも危険、身震いして立ち止まるのも危険。
                     ―「ツァラトゥストラ」―
 
・狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては通例である。
                     ―「善悪の彼岸」―

・自殺を想うことは強い慰謝剤である。これによって数々の悪夜が楽に過ごせる。
                     ―「善悪の彼岸」―

・怪物と戦う者は、その過程で自分自身も怪物になることのないように気をつけなくては
 ならない。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
 
・私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。
 私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。
                     ―「ツァラトゥストラ」―

・苦しみを共にするのではなく、喜びを共にすることが友人をつくる。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・我々のうちでもっとも勇気のあるものでさえ、
 自分が本当に知っていることに対する勇気を持つのは、まれなことだ。
                     ―「偶像の薄明」―

・人間は行動を約束することはできても、感情は約束できない。
 自己欺瞞なしで永遠の愛を誓うものは、愛情の見せかけを永遠に約束するものだ。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・武装平和とは、自国と隣国を信頼せず、
 半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の平和である。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・どちらも相手を通して自分個人の目標を何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。
 例えば妻が夫によって有名になろうとし、夫が妻を通して愛されようとするよう場合である。

・地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気も持っている。
その病気の一つが人間である。
                     ―「ツァラトゥストラ」―
                     
・男が本当に好きなものは二つ――危険と遊びである。
 そしてまた、男は女を愛するが、それはもっとも危険な遊びであるからである。

・人間とは神の失敗作に過ぎないのか、それとも神こそ人間の失敗作にすぎぬのか。

・たくさんのことを生半可に知っているよりは何にも知らないほうがよい。

・脱皮できない蛇は滅びる。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ。
                     ―「曙光」―

・高く登ろうと思うなら、自分の足を使うことだ!
 高いところへは、他人によって運ばれてはならない。人の背中や頭に乗ってはならない!
                     ―「ツァラトゥストラ」―

・到達された自由のしるしは何か?――自己自身に対して恥じないこと。

・話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しないものはまれである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・多く考える人は党員には向かない。というのは党派などを突き抜けて考えてしまう
 からである。
                     ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。
                     ―「権力への意志」―

・善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。
 そして、一切の価値を粉砕せねばならない。
                     ―「この人を見よ」―

・悪意というものは他人の苦痛自体を目的とするのではなく、
 われわれ自身の享楽を目的とする。

・君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。
 私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。
                      ―「ツァラトゥストラ」―

・世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。
                      ―「反時代的考察」―

・宗教は間接的にも直接的にも教義としても比喩としても、いまだかつて一つの真理も含んだとはない。
といのは、どんな宗教も不安と欲求から生まれたものであるから。
                       ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・人間は、もはや誇りをもって生きることができないときには、誇らしげに死ぬべきである。
                       ―「偶像の黎明」―

・人間は行動を約束することはできるが、感情は約束できない。
 なぜなら、感情は気まぐれだからである。
                       ―「人間的、あまりに人間的な」―

・自分について多くを語ることは自己を隠す一つの手段でもありうる。
                       ―「善悪の彼岸」―

・恋愛結婚は誤謬をその父とし、欲望をその母とする。
                       ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・芸術こそ至上である!それは生きる事を可能にする偉大なもの。
 生への偉大な誘惑者、生の大きな刺激である。
                       ―「権力への意志」―

・悲観をその基盤とし、不幸と悲哀を善とするこの道徳。
 この善悪の価値表は速やかに破り捨てなければならない。
                       ―「善悪の彼岸」―

・母親は息子の友人が成功すると嫉む。
 母親は息子よりも息子の中の自分を愛しているのである。
                       ―「人間的な、あまりに人間的な」―

・日常生活で人々がおおむね正直なことを言うのはなぜか。
 神様が嘘をつくことを禁じたからではない。
 それは第一に嘘をつかないほうが気楽だからである。
                       ―「人間的な、あまりに人間的な」―
                       
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2003年07月10日(木)
827, アラスカ旅行記ー2

ーデナリ国立公園ーa
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十繊
車で6時間の距離にある。
このデナリに二泊をした。
ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、野生動植物や自然を堪能する内容だった。
グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20佑函▲僖鵐侫譽奪箸暴颪い討△辰燭、その20佑砲△燭辰燭里幸運であった。

 更に幸運が続いた。
偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。
人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の
生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。

 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。
また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。
数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。
そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。

 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100辰瞭揺で飛ばされたといわれている。
 アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。
伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、
二人の息子を大学にいかせているという。
ー続く

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2002年07月10日
スイス旅行中
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2001年07月10
北欧旅行中


1193, ニーチェ(1) ー哲学についてー14

2004年07月09日(金)

 ー概略はー
ドイツの哲学者。(一八四四〜一九〇〇)
実存哲学の先駆者。

キリスト教的・民主主義的倫理を弱者の奴隷道徳とみなし、
強者の自律的道徳すなわち君主道徳を説き、その具現者を「超人」とする思想に達した。
機械時代・大衆支配時代に対する批判は、一面ファシズムの支柱ともなった。
 薯「ツァラトゥストラはかく語りき」
 「善悪の彼岸」
 「道徳の系譜学」
 「権力への意志」など。
  ーーーー
 
 人生を振り返って、一番影響を受けたのがニーチェである。
 高度経済成長の時代という背景もあったのだろうが、自分の能力を最大限発揮するのが
 男の務めと考えていた。儒教的頑張りズムに相通じるところもあるが。
 自分が考えることは、しょせんは全てが借り物を借り物と意識をしないで踊っているに
 すぎない。それを気がつくかつかないかでしかないが。
 
 ー印象的なことを書き連ねてみると、 

 この世には神は存在せず、人間には不滅の魂などないという
 ショーペンファウアーの主張には賛同した。
 
 人生とは大部分が意味のない苦しみや争いの連続で、[意志]とよばれる非合理な
 力に引きずられていくだけという点でもショーペンファウアーに同意している。
 しかし、この世界は部分にすぎない、それも大して重要ではないという彼の主張には
 反対をした。この世界こそすべてだと考えた。
 
 更にショーペンファウアーの「人はそのような軽蔑すべき世界から背を向けて、
 関わりを持たずに生きるべきだ」という結論を否定した。
 逆にニーチェは、
「人は自分の人生を精いっぱい生き、可能なかぎりのものを手に入れるべき」と考えた。
 
 ニーチェ哲学の最大の課題は、
 「神が存在せず、意味もない世界で、人はどのようにすれば情熱を持ち続けながら
 生きていけるか」ということであった。

 自己の能力を最大限に伸ばした人間は一種の超人的存在であるため、ニーチェはそれを
「超人」といった。
 ニーチェにとって人がもつべき最高の価値観とは「自己の人生を肯定する」ことであった。
 「誰もが完全に自己を表現し、充実した人生を送り、人生を肯定すべきである」と説いた。

 ニーチェの二つの主張がある。

・充実した人生そのものこそ意味があり、価値があるとした。
 充実した人生は芸術作品のようである。

・すべては永遠の無に帰すのではなく、永劫回帰する、というものである。
 時間は巨大で宇宙的な同心円を描いて進むため、以前おこったことはすべて、
 ふたたび巡り帰ってきて、その後永久の時を経て同じことが繰りかえします。
 人は精いっぱい生きることで、永遠に生きたいと思う人生を送る。
 時間は永遠に繰りかえすことで、限りある閉ざされた世界にいる人間に、
 永遠といえる生命を与える。
                          − つづく

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003年07月09日
826, アラスカ旅行記 −1

一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日
行く前は、もしかしたら「外れ」になるのではと不安であった。
山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。良ければ必ず情報が入ってくる。

このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。
ーだいたい一般の30OFFあたり。
ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを現地ガイドに聞いて初めて知った。
今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。

直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、ソウルに飛んでそこからの
直行便で行くかどちらかである。その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。ーソウルからの直行便は出ているが、日本はないということ。その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、6時間というのは信じられない感覚である。
全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。

ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。
 あまり期待をしていなかったが、実際に見るマッキンレーは想像を絶する素晴らしさであった。特に、軽飛行機からのフライトで見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。ー詳しい内容は明日書く予定です。

2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、実際は決して見劣りのしない素晴らしい内容であった。

3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。
 どこまでも単調な景色でハイビジョンで見たものとは違っていたー値段の高い展望車でなかったこともあるが−それと天気がよくなかった。

4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。
 星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを詳しく 話してくれた。彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た
 おもいであった。  ーこの内容も後日書く。
 
                           −続く
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2002年07月09日
スイス旅行中
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2001年07月09日
北欧旅行中


1192, 国家破綻供柴表馥記

2004年07月08日(木)

藤原直哉
長岡中央図書館
2004年7月3日

この4月に出版された国家破綻兇鯑匹鵑如暗澹たる気持になった。
前刊を読んだときは、まさか!と思いつつよんだが、今回は現実的として読むことが
できた。不況をセンセーショナルに書いてあるが、ジックリと読んでみると
けっして誇張には思えない。
現在の景気は中国のバブルとIT・デジタル関連の好況で、少し景気が持ち直して
いるように見える。しかし私の事業を通して見える世界は、それとはほど遠い世界である。
去年の11月のりそな銀行の破綻、そしてUFJ銀行のトップの追放劇などからも、その根の深さに只ならぬことが垣間見れる。

現アメリカのブッシュ政権も風前の灯である。
小泉首相も改革といいながら実際のところ何もできない現状を見ていると、
20世紀的なものの最終崩壊の時期がきているようである。
アメリカとイスラエルはマスマス世界から孤立、アメリカ経済も
いつ崩壊するどうかの状態といってよい。

現在、好調に見える中国もバブルのピーク、はじけるのは時間の問題だ。
円もドルも輪転機でこれだけ多く刷っていれば、何時かは価値がなくなり、
紙くずになる。ハイパーインフレが必ず来るという筆者の主張も当たり前といえば
当たり前である。

国民向け国債を販売したら、国家としての体をなさない状態と五年前に聞いたことがあったが、
いつの間にか販売を始めている。第二次世界大戦で国家が大量に国民に売り出し、敗戦と
同時に紙くずになった歴史がある。紙くずの分配でしかないのに国民は気がついてないのだ。
もう、守れる資産は現物の金を持つしかないという主張も肯ける。
現状を考えると、どうしても悲観的になってしまうのは仕方がないことか。

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003年07月07日
アラスカ旅行中
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2002年07月07日
スイス旅行中
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2001年07月08日(日)
[76] 行ってきます!


まずコペンハーゲンへ
今日8時57分長岡発 15時成田発ロンドン経由
2日目はベルゲン
3日目はバルダンゲル・フィヨルド
4日目はグッドバンゲン。フロム。オスロ。
5日目はストックホルムへ
6日目はストックホルムから船旅〜1泊
7日目はヘルシンキ
8日目はレニングラード
9日目もレニングラード
10日目モスクワ
11日目帰路
12日目早朝成田。

――――――20日まで休みます


1191, 異境・秘境ツアーレッスンー8

2004年07月07日(水)



 ートラベルはトラブル

アフリカや、南米、シルクロード、北極圏などの最終目的地に着くまでは
何回かの飛行機を乗りつぐ。
飛行機は気圧の関係も含め、快適の乗り物ではない。
一番価格の安いツアーを選ぶ関係上、エコノミークラスである。
特に成田からの最初のフライトの12〜13時間が厳しい。

酒を買い込んで、ドンドン飲んでトイレに通うのがコツである。
といって飲みすぎると、腹の具合が着陸時点でおかしくなる。
これも楽しみのうちと暗示をかけて、音楽を聴いたり映画を見る。
その合間に行き先のパンフレットや資料に目を通す。
少しでも嫌だとか、早く着かないかとは考えないことだ。
人生と同じでプロセスに気持の隙を見せないことである。
音楽が気持を和らげてくれるのも人生と同じである。

南アフリカに行ったとき、名も知れない国の、名も知れない飛行場で
猛暑の中、10数時間も足止めを食らったことがあった。
さすがにツアー慣れをした人たち、誰も不平をいう人はいなかった。
言ったところで、どうしようもないことを皆知っているからだ。
その場面をむしろ余裕で楽しんでいるようにも思えた。
人生の圧縮されたレッスンそのものである。
苦難こそ、余裕を持って楽しむ姿勢が、その苦難を苦難でなくしてしまう。

トラベルとは、トラブルの語源という。
旅行では苦難、問題が次々と立ちはだかってくる。

中国のタクマラン砂漠から、新羅ウイグル地区を抜けて、パキスタンの
カラコルムハイウエーを通っての2週間の旅行は、まさしくトラブルの連続であった。
それを割り切っていたためか、そのトラブルがむしろ面白いのだ。

人生も同じである、トラブルはつきものと割り切ってしまえばよい。
振り返ってみると丁度よいトラブルが、そのつど与えられていた。
中心点から目をそむけず、ひたすら立ち向かっていれば、いつの間にか問題は
解決されるものだ。

感動を経験するために、トラブルを通り抜けていくから良いのである。
人生も旅行も、ゲームである。

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2003年07月07日
アラスカ旅行中
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2002年07月07日
スイス旅行中
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2002年07月07日
??


1190, 大丈夫!−2 * 哲学について−13

2004年07月06日(火)

ー不安の哲学ー キエルケゴール

「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか
生きてない人である!
不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、
生きているからだ。
大丈夫!を繰り返すことは、その毒消しに単純だが絶大の効果がある。

単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。

人間の不安の90数佑蓮考えすぎの影でしかない。
ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」
人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えているのだ。

その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90佑留討鮠辰晃果がある。

不安といえば、
哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は
「ああもなれる、こうもなれるという、いろいろな可能性を持っているからこそ、
不安が生まれる」と考えた。
そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。
・・・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、めまいがおこるのである」
といっている。

若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。
その分だけ、大きい不安が自分を支配していた。
そして絶望感に陥っていた。
さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。

不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。
不安から「絶対的な何か」が欠けているという絶望感に陥ってしまうのだ。
「どうしようもならないもんな〜」という言葉が出てきて、そして
お決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていくのだ。
これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な
姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。

真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。
しかし、人間はさまざまな現世的価値観の中で生きている。
しかも、その価値観は全て有限なものである。
そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなるとキエルケゴールと考えた。

大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。

キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを
(心の中の)「大地震」といっている。
それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。

最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、通帳が発見されたという。
そこには、なんと数億あったという。
この人は不安感にさい悩まされていたのだろう。

大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、失業したりして
明日の生活に困ることが多いのが人生だが。

過剰な不安感をあくまで問題にしているから、勘違いをしないことだ。
自分自身のことであるが。

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2003年07月06日(日)
823,ある時間の断片ー30

11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。
13時頃から「早稲田祭」に行く。
14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。
1時間位話して彼は帰る。
その直後急に頭が痛くなる。
「香港風邪」というやつにかかったらしい。
佐藤君のところに行ってお茶を飲んでいると、佐々木さんから
電話で東京駅に迎えにこいとのこと。
でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。
その佐々木さんが「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと
苦情をいいにくる。道理からいって、因縁をつけているだけとうことが
露骨だ。今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。
幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。折れることにした。
差額の半額を私が持つことにした。
頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。
よく自分で我慢したと驚く。クールに割り切った方が良い。
その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。
佐々木さんに対する怒りと香港風邪で頭がいたいことも含めて、
彼にぶつけてしまった。人間的な含みがまだまだないということか。

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2002年0706
旅行中

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2001年0706
旅行中


1189, 異境・秘境ツアーレッスン ー7

2004年07月05日(月)

ー大自然

大自然の秘境の見どころには山脈系、氷河系、滝系、大草原系、平原系、海・海岸系、
などに分けることができる。多くはその幾つかが重ねあっている。

山脈系としては、北米のロッキー、欧州のスイスアルプス、南米のアンデス山脈、
ヒマラヤ山脈、などがあげられる。

滝としては、ナイアガラの滝、イグアスの滝,ビクトリアの滝、
エンゼルフォールの滝などがあげることができる。
あまり知られてない滝で、その迫力に思わず息をのむことが多い。
迫力景観からいったら、やはりイグアスが一番である。

主観をこめて印象に強い順にかいてみる。

1、一番は何といってもケニアの草原の夕景である。
 幻想的で、この世のものと思えないオレンジ色と白光色が入り混じった360度の視界の
 草原の美しさは、言葉には表現できない。
2、次にはカナダのロッキー山脈である。
 湖も含めてその壮大な景観は、これがほんとうに地球だろうかと思ってしまった。
その時思ったことは[人生をこれをみた 以前と以後と分けることができる]
3、南米のベネズエラのテーブルマウンテンの絶景。
 夕景の中、キャンプの近くから見上げたテーブルマウンテンの世界は、数億年の時間が
 目の前で直感できるイメージであった。
4、スイスアルプスと、チロルの大草原、そして氷河・・・
5、南米チリのパイネ国立公園のパイネ山の夕景
6、ブラジルのイグアスの滝
7、アラスカの遊覧飛行で見たマッキンレー山脈
8、パキスタンのカラコルムハイウエーからみたヒマラヤ山脈
9、アイスランドでみた、オーロラ
10、フィジーでみた海と海岸と、小さな島々
11、イスラエルの荒野
12、アラスカとスイスとチリで見た氷河

などなどである。
それぞれが、比較してランク付けできないほど素晴らしい。

ある高僧の言葉がよい
[大自然は、自分で自分の美しさを見るために、小自然の人間をつくった]

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2002年0705
旅行中につき休止

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2003年07月05日(土)
822,ある時間の断片ー29

10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の
早稲田駅で待ちあわせの約束をする。
午後から2時間、勉強をする。
21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。
24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。
最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。


11月01日
・夜半の0時半ごろ、佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、
OBの満田さんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。
彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。
会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。
気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。
先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。
他人事でないが。
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2001年07月05日(木)
[74] 死について

誰もが直面するまで見て見ぬふりをする、一番厄介な避けてとうれない一大問題である。
40歳過ぎれば何時直面してもおかしくない問題である。

子供の頃から両親に‘死の不安’の話を聞いていた為、死にたいして
耳年増になってしまった。

そして親戚が多かったせいか、死を身近に見てきた。
そして坊さんの死の話も聞いた。その中で一番印象に残っているのが
「人(他人)は先、我は後!」である。自分が生きてる限り全くそのとうりである。

たしかギリシャの哲人の言葉に「自分にとって死は存在しない、なぜなら死んだ瞬間
自身無になるのだから、死は残された者たちの自身の言葉でしかない。」という言葉
をその坊さんは噛み砕いたのだろう。
ー以下は以前書いた文章である。
ーーーー
H0503
“死”について

・ 自宅の両隣の御主人や息子さんも含めて近所で、このところ五軒も葬式があった 。
 六年程前に“いとこ”がやはり四人、たて続きに亡くなった。
 私の年令の風景の一つなのか?

・ 人間の死亡率は百%!

・ 人間の恐ろしいのは、“死”より“死に際”じゃないか?

・ 親の死は、子供に対する最大のプレゼント

・ “我々が生きている間は死はこない。死が来た時にはわれわれはもはや生きていない”
   (エビクロス)

・ 死んでしまえば塵である。(伊藤栄樹)

・ 死んで三日もたてば三百年前に死んだと同じ事。

・ “苦”は生きているうち。それが死への苦しみであっても!

・“いろいろ、あったが死んでしまえば何ってこたあない!
      はじめから無かったと同じじゃないか!皆の衆”(山田風太郎)

・“ああ、自分が消滅した後、空も地上も全く同じとは何たる怪事!

・ 死とは人生における最後の挑戦である。(ハイデッカー)

・ 死はお浄土への単身赴任である……極楽世界があるかないかではないのです。
     あるべきなのです。いや、あらねばならないのです。(さち・ひろや)

・ 死も人生というドラマの一部分、それも最後の仕上げという。

・ 死に直面した時“さようなら、たださようなら、さようなら!”
                これこそ、死の苦しみにとらわれない妙薬。

・ 人間は死ぬ事を、ひそかに望んだので戦争をしたのだ。
 自己保存の要求はきわめて強いかもしれないが“死”への欲情はさらに深い。

・ “死の準備”は大別して“自分の心の覚悟”と“自分の愛する者達への配慮”に
  わけられる。死は根本的には“無”である。
 “無”にはいかなる準備のしようがない。“無”になる事に覚悟せよと言ったって、
  いかなる覚悟も“無”であり、“無”になる。死はどうであれ
 “無の世界”=“無”も自覚も存在のない世界へ運び去るのだ。

・ “父母によばれてこの世に遊びに来て、用が済んだら、はいさようなら”(一休和尚)

・ “自分の死”に対して、どれ位時間をかけたか?やっぱりかかった時間と比例します。
 だから死について考え続けるより他にありません。自分の心を明確にする事。
 それをやっていると毎日が濃縮されて、いつ死んでもいいと思う程、
 充実してきます!(曽野綾子)

・ 死は暗闇ではなく光明と考えられるかどうか、もどって来た人はいないのだから。

・ 他人(ひと)は先、我は後!

・生前、死後には無限の暗黒のひろがり…その暗黒は球状をなしているように幻想され、
 私の死後ばかりか、わたしの生前もぐるっと取りかこんでいるごとくだ。
 丁度、地球儀の或る視点だけが明るくかがやいていて、
 あとはすべて球形の闇だという格好である。向こう側(彼岸・無)よりみれば
 針の尖でついたような、しかしながら、たしかにここに光っているわたしの生、
 それ故にわたしはこの世に有る限り一日一日を大切に遺憾なく生き抜かなくては…
                         (吉野秀雄−やわらかな心)


1188, 大丈夫!

2004年07月04日(日)



斉藤一人氏の本に
「大丈夫」という言葉を多用すると良い、とあった。
最近その言葉を、おりあるごとに1人つぶやいている。

ところが、それを千回ほど言い終わった辺りから、何か気持が信じられない
くらい気持が楽になった。
常に付きまとっていた不安感が半減したのだ。
現在の日本経済の実態は、明日何がおきても不思議でない事態であり、行く末を考えると
楽観はしていられない。

ふと言葉の重要性に気づいて[大丈夫]を繰り返したら、気分が非常に楽になったのだ。
人間は、その時その時、誰もが不安を抱えているものである。
若ければ若いほど不安の渦の中にいた。それでも何とか大丈夫であった。
その時、この[大丈夫]という言葉を繰り返す効用を知っていたら、どれほど楽であっただろう。
しかし、その不安感が努力を喚起させていたプラスの面もあったが。

不安感が押し寄せてきた時に、騙されてと思って千回いってみてください。

知人が[う・た・し]ー「嬉しい、楽しい、幸せ」ーと、「ありがとう」を毎日繰り返していたら、
気分が晴れて、良いことが立て続きにおき始めているという。
今度[大丈夫]を加えるといっていた。

この大丈夫をプラスの言葉に加えると更によい。
貴方はついているからー大丈夫
   性格が良いからー大丈夫
   一生懸命やったのだからー大丈夫
   守護霊が守ってくれるているからー大丈夫
考えてみたら、生きているかぎり人間は大丈夫のようにできている。

死ねば死んだらで、無になるのだから大丈夫である。
大丈夫でないとして、所詮すべて時間が解決する些細なことだ。

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2003年07月04日(金)
821,ある時間の断片ー28

・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。
20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整
の為いっぱい飲む。
21時に羽田到着する。
河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。
帰りは友愛関係者の萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。
一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。
といって一時、気があったが醒めてみれば如何ということはない。
夜半の2時ごろまで勉強して就寝。
河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。
それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が
傷ついてしまうことを。それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。
自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。

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2002年07月04日
スイス旅行中

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2001年07月04日(水)
[73] 夢についてー4

海外旅行の帰りの機内でみた夢も恐ろしい極限であった。

飛行機に乗っているせいか、自分の体が空に浮いていく。
もうじき下に降りるだろうと思うが、どんどん浮いていき電信柱を超えていく。
ああもうこれ以上いくと危ないと思った瞬間目が覚めた。
そしてほっとして「自分は地上にいる」と思った瞬間、空中に飛んでいる自分に気づく。

自分が空中を1000キロで飛んでいるのが解るのだ。
その恐しさは言葉で表現できない恐ろしさであった。
バンジージャンプ落下している感覚であった。

そういえば6〜7年前の恐ろしい夢が書いてあるのでまたコピーしておく。

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H0905魂が万代橋の上を彷った話

 第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔を
して言うには、“今回の検査はパスしない!...”

一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...
”パニック状態である。それも夕方の飲み会の直前である。
まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で
浴びるほど飲んだ。

その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。
恐らくそこが不安定という事と、頭がパニック状態という事と酔いを含めて
妙な夢になってしまった。

魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋まで目線が5m位の高さで
プカプカ浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。
それも魂が”という感覚であった。

そして目が覚めて!魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!と念じた事を今でもはっきり覚えている。


1187, 異境・秘境ツアーレッスンー6

2004年07月03日(土)



ー遺跡編ー

37年前の欧州旅行時に立ち寄った、ローマの遺跡のコロッセウムを見たのが
初めてである。2000年前の動物の臭い?がいまだに残っていたのは驚いた。
それと西洋文明の奥深い歴史に圧倒されたのが今でも記憶に生々しい。

十数年前に行ったイタリアのポンペイの遺跡も素晴らしい。
近くのベスビオス山の大爆発で一瞬に埋まったために、2000年前の当時の生活がそのまま
完全保存されていた。
ローマ帝国華やかなりし頃の市民の生活がそのまま埋もれており、当時の様子が分かる。
鉛の水道管が施されて水道があったのは驚異だ。
猛犬注意の表示もあり、今と変わらない生活ぶりが忍ばれる。歩道もあり、横断歩道もある
風呂に入ったままの姿の人とか、石化した遺体が多くあった。
パン屋や娼婦の館や民家が、ほぼ完全に奇跡的に残っていた。
街の中心の水飲み場で、街の人がそこに手をついて飲んだところが、回数を
重ねたためか、すべすべしていて当時の人間の感覚がそのまま伝わってきた。

遺跡の虜になったきっかけは、8年前にいったエジプトの遺跡である。
(あとで、その時の文章をコピーしておきます)
とにかく、そのスケールの大きさに圧倒された。

シリアとヨルダンの遺跡もただ驚いてしまった。
今後2000年〜5000年先は気の遠くなるほどの彼方と思うが、過ぎ去ってしまえば
昨日のように感じるのも妙である。
シリア砂漠のオアシスに忽然と現れる大遺跡パルミラ。かつて隊商都市として栄華を極め、
ローマを向こうにまわすほどの権勢を誇った文明の残照は、今も圧倒的な存在感を漂わせている。
記念門・列柱通りは自分がタイムスリップをして、2000年前にいたような気持ちになった。

神秘的という面では、インカの遺跡である。
その中で、やはりマチュピチの遺跡は圧巻であった。
霊界の世界というのが、正にいいあてている。

日本と違い石文化は、数千年経ってもそのまま残るから、当時の痕跡を多く残してくれる。
時空をこえていつの時代も変わらぬ人間の暮らしと文化はある。

ーーーーー
H0805エジプト、トルコ感激の旅  エジプト編 

 まさにタイム・スリップして数千年前の古代を旅している日々であった。

まず最初に訪ねたのがカルナック神殿であった。
“まさしく驚愕!”直径が二mの石の大列柱が百数十本並ぶ神殿。
これが三千数百年に本当に!周辺の王侯貴族を驚かす為に造られたというが、今まさに自分が、
目を丸くして驚いているのだ。歴史が私という小さな存在を見下ろしているのだ。
日本ではまだ縄文の時代、これを造りあげた高度の技術があったのだ。
そして壁に刻みこまれたレリーフ、古代文字、現地のまだ若い日本人女性ガイドの熱心な
説明も手伝って古代文明の世界にタイムスリップした気分になってしまった。
そらに天を指すオペリスクとラムセス鏡い覆匹硫Δ篆世料の数々、今まで何度か海外旅行を
していながら、何故ここにもっと早く来なかったのだろうか?と考えてしまったほどだ。
 
 次に行った“王家の谷”。ここは何代の王様の墓が、かくれるように数々掘られている
集団墓地だ。この中で英国の考古学者カーターの執念でつきとめられたツタンカーメンの
墓室にも入ってみた。
 また、夕日の長い影を落としていたハトシェプスト女王の壮麗な葬祭殿と
そこにやはり刻まれていたレリーフの数々。その帰りにたちよったネクロポリスの麗に立つ
メムノンの二体の巨像の神秘的な光景も印象的であった。
 
 その翌日行ったアブジンベルの大神殿、小神殿、のラムセス凝の巨大な立像も実際そこに
立ってみて古代歴史の深さを実感する事ができた。

またアスワンのナイル川で乗ったのんびりした“ファルーカ”という小さな帆かけ舟の夕日の中で
の“ひととき”も、一瞬の中に永遠を感じる事ができるようだった。

 旅の後半になってカイロに入ったが、
ナポレオンが言ったという“四千年が諸君を見下ろしている!”
というまさに異様なイスラム社会が大きなカルチャーショックになった。
丁度、ラマダン(一ケ月間の日の出から日の入りの断食の行)という事もあり、
異様さがさらに目立ち、我々日本人は西欧社会に感化去れているのが逆に対比する事ができた。
早朝、街中とどろくアラーラの祈りのスピーカーの音も異様そのものだった。

 我々の目からみると、接するエジプト人全員が金に特に汚い詐欺師そのもの、
“騙すより騙されるのが悪い!”“車は轢かれるほうが悪い!”とか、それがイスラム教という。
カイロ郊外にある二百五十万個の巨石を積みあげたピラミッドも本当にすばらしいの一言。
考古博物館のツタンカーメンの黄金のマスクと財宝をみた瞬間、ゾクゾク身ぶるいをしてしまった。
まだ今にも起きあがりそうなラムネス兇鬚呂犬瓩箸垢訖堯垢離潺ぅ蕕眇千年をこえて不死への
激しい希求を魂にかたりかけてくるようであった。

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2003年07月03日(木)
820,ある時間の断片ー27

・10月28日 1968年
午前10時に起床。
深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。
その後、江ノ島に行く。
第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。
江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
自然のこれだけの夕景は初めての経験である。
右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島。
秋の海岸が何ともいえない。
一生の思い出といってよいだろう。
夜3時間、勉強をする。


・10月29日 1968年
10時起床、洗濯をした後食事だ。
12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行きコーヒー
を飲む。部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。
聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。
その後、瓜生君の部屋に行き話をする。
その後夕食をして、21時から勉強をする。
深井がまた新橋から20分位遊びに来る。

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2002年07月03日
スイス旅行中

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2001年07月03日(火)
[72] 3D-ホームページ延期

三D−ホームページソフト7月2日の予定が
富士総業の都合で7月23日に延期。

打ち合わせの中でかなりの手直しの部分が見えてきた為、
延期になりました。ホームページを三Dを取り入れる画期的なもので、

大化けの可能性もある為、徹底的な練り上げが必要のようです。


1186, 異境・秘境ツアーレッスンー5

2004年07月02日(金)


ー感動は蓄積される

何故、異境・秘境に行くのかというと、想像を絶する素晴らしい世界がそこにあるからである。
そして大自然や遺跡の異質の世界に、直接触れて感動するからだ。
実際体験して解ったことは、歓喜と激しい感動は、ほぼ同じではないかということだ。
旅行のたびに期待していた数倍の感動と歓喜?がそこに待っていた。

とくに大自然の中の壮大な美しさや神秘性から受ける感動は何にも変えがたい。
その感動を得る為に、いそいそと飽きずに家内と一緒に出かけていく。
感動の蓄積が磁力になり、更により大きな感動を引き寄せる。
そして感動は確実に自分の中にドンドン蓄積されて醸造される。

私と酒を飲んだ人はわかるだろうが、酒を飲むと普段のブロックが外れて
その時の蓄積された感動の波動が開放される。
毎日晩酌で、ほぼそのブロックが開放されハイに瞬間なってしまう。

幼児期から青年期にかけて可能な限り、親は子供に芸術(音楽会や一流の絵)や
自然を見せて感動のシャワーを浴びせてあげなさいという。
その量×質が、その人の人生を決めるという。
感謝・感激・感動は、その人の潜在能力のベースになるからだ。

今からでも遅くはないから、可能な限り一流なものを見て、触れて感激・感動を
意識的にしていかなくては!
いまさら遅いか?

豊かな人生とは、感謝・感激・感動の豊かな人生をいう。

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2003年07月02日(水)
819, 恵まれていた時代に生きて

50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。
直感的の出た言葉が「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。
特に思ったのは「恵まれていた」である。
・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に
 対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。
 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。
 国に若さと希望があった。

歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代といわれるだろ。
この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。
また時代の変化も激しいのが特徴であった。とにかく面白い事が多かった。
時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。

あと10年、恵まれていた時代に稼いだ資産の食い潰しをしていくだろう。
そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。
今の日本は、それしか選択ができないだろう。
魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の姿がそうである。
いま1968年の時代の日記を随想日記に書き写しているが、時代の背景の違いが全く
違うことに驚く。やはり経済があってこその国であり、個人がある。
そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。

話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても全て恵まれて
いた。宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという感謝をする祠ということだ。
12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。
その一つ一つにできたら100回、計1200回あげるのが理想だろう。
とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。
これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。

「ありがとう」を一万回以上続けて「マイナス思考の毒が激減した」と実感を先日
この随想日記で書いた。「幸せの宇宙構造」というの中に、
『3つの帝国』という項目に正にその理由が書いてあった。
人の心には『好帝国ー肯定国』と『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、
それぞれの国民が住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」
と言っているうちに無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。
単純だが、しかし真理をずばり突いている。

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2002年07月02日(火)
455,地球をサッカーボールに喩え

今回のワールドサッカーを新聞はどう捉えているか、
毎日新聞の社説がダントツよかった

「・19世紀のナショナリズム、
 ・20世紀の資本主義、
 ・21世紀のグローバリズム化。
この3つが今の世界を動かす理念だとすれば、
地球がサッカーボールに凝縮して私たちの前に現れた。
私達は本物のサッカーの興奮を始めて知った。
欧州と南米で4年ごとに繰りかえされる祭りに加わった。
スポーツが野球などアメリカの影響下にあった日本、アメリカの影響から
逃れたい無意識の願望に後押しされて、アメリカが作らなかった国際標準を
初めて選んだ」

この鋭い分析に納得した。
「サッカーボールを地球に喩える」とは、書くプロはさすがに違うと感心した。

・延べ500億の人が見たと予測されているという。大きいビジネスでもある。
・「90分ナショナリズム」という言葉も新鮮だった。
・朝日新聞に出ていた川柳もよい
  「球ひとつ生命あるようなゴール決め」
・選手の過半数が何処かの国のプロサッカー
 多国籍の選手ーグローバルの時代
印象的キーワードを並べてみる
・地球最大の運動会
・国家の威信をかけた模試ー代理戦争
・壮大な民族展示会

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2001年07月02日(月)
[71] 夢についてー3


夢は犬や猿など他の動物も見るという。
子供の時母や姉が実際幽霊を見たとかの体験談をきいて、いい年をしていいかげんな事と、
気持ちの中で全く受け付けなかた。

ところが経験を積むにしたがって、何か常識で考えられない何かが存在している事を
確信してきた。
特に‘夢’とか‘遇然の一致’そして‘死’‘自然現象’に何か人知を超えた存在を
感ずるようになった。

ー以前の文のコピーをまたしておきますー

H05 11 記   妙な夢―(供

 秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半何かのケハイに
横を見ると女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕をつねったが痛い、
これは面白いと、メガネをかけじっくりとみた。

全体が白光色の黒髪の27〜28才位の、のっぺらした美人であった。
別に恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。

ところが何年か後に会社のある人にその話をしたところ、‘それって皆同じ顔
しているんだよね’言われた時た時、はじめてゾーッとした。
 
またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、
ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、
まずいと中断した。
あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。
その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという、
これも乗ったら危険と直観し去けた夢である。

あれに乗ったらどんな景色がみえたのだろうか?
単なる夢とかたずけられない妙な内容であった。


1185, 異境・秘境ツアーレッスンー4

2004年07月01日(木)

秘境ツアー先の現地の日本人ガイドを見てみると、多様な人生が垣間みえる。
それぞれの色いろな事情を聞いているとドラマそのものである。

・日本でたまたま、その国の人と知り合って結婚、移り住んでいるケース。
・その国の留学滞在や、連れ添いが仕事で駐在しているケース。
・旅行をしていて気に入り、一度帰ったが忘れられないで、何とか手続きをとって
 住み着いたケース。
・世界中を数年単位で渡り住むことを、自分の生き方にしている人。
 等々さまざまである。
日本人がほとんど行かない現地の人ほど、日本人に会うと、そして日本語が話せることが
嬉しいようである。

・最近の変わった人といえば,
去年行ったアラスカのマッキンレーの伊藤さんという人だ。
60過ぎの、見た目はエスキモー人そのものであった。
若いときにアラスカに渡って、そのまま現地人に同化してしまった。
観光シーズンはガイド、それ以外が猟師をしているという。
「アラスカのエスキモーが、たまたま間違えて日本人に生まれたきた」といっていた。
この人の存在は私も本で何回か出てきていたので知っていたが、まさか会えるとは
思ってもいなかった。
狼などの猟の話が、リアルで原始的で非常に面白い。
30数年前の「3億円強奪事件」の犯人ではないかと先年、週刊誌に騒がれた人物でもある。
嬉しそうに、その逸話を話していた。

・やはり去年の、アイスランドの若い女性ガイドは、「旅行先のパリで知り合った
白人男とたまたまアイスランドに来て数年滞在している」
といっていた。結婚をするかどうかは解らないとか。
今風の若い人は、こうなんだと驚いたが、日本人と思わなければ如何ということはない。

・イスラエルのガイドは、以前にも書いたことがあるが、ヘブライ大学出で
神学者くずれの60歳位の人。
癌で何時死ぬかわからないといっていた。
日本にいまさら帰っても、友人もいないし、現地で死ぬかもしれない寂しさを10日間、
切々と話していた。自己証明をしておきたかったのだろう。
日本人はイスラエルに来ることは殆どないという。
そのためか、マイクを離さず「自分の過去」をこと細かく話しまくっていた。
「イスラエルの地で、自分が消滅する不安がたまらない」という叫びが心の底から
響いていた。旧約・新約聖書の地を巡りながら、ガイドの心の十字架を背負って
生きている姿が印象的であった。

・人間的と思ったのは、ニュージーランドの70歳ぐらいの女性である。
若い時にニュージーランドの豊かさに憧れ、移住した。
ところが、その直後から日本が高度成長になり、この国より豊かになってしまった。
そのまま日本に住んでいた方がよほど豊かな生活ができた、無念であるという言葉が
何か微笑ましく、しかし悲痛な叫びに聞こえてきた。

・南アフリカの50歳位の女性はもっと切実であった。
日本の商社でイギリスの男性と知り合い結婚、イギリスに行ったが、仕事の関係で
ケープタウンまできて生活をしている。
日本人の墓は一つしかなく、彫られていた年号は明治末期という。
その女性に何があったのだろう、推理するだけでも面白いが。
みていて寂しさが墓から伝わってきたという。
若い時の海外生活はよいが、歳を重ねたそれは厳しいという。
自分の子供の名前を日本名前にするか、イギリス名にするかで夫婦で争うという。
死んだ後、自分の存在が子供の名前しか残らないからだという。

ツアーはよい、絶対に個人では行けないところまで、行けるからだ。
それも安く、安全に。
[皆で行けば怖くない]ということか。

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・・・・・・・・


2003年07月01日(火)
818, 12の宮

ある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。
  ーーー
昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。
うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
「12の宮」というものを私なりに作ってみました。
・家族・家系的な6つの宮に対して
・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。

ー家族・家系にかかわる宮として
一番目として家系運
2番目として親運
3番目として子供運
4番目として兄弟運
5番目として親戚運
6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む

ー自分運として
7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金
8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金
9番目として仕事運
10番目として健康運
11番目として友人・先輩運
12番目として異性運
以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。

この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。
その黒丸は「12の宮」のどこかにあって、どこかが良くなると必ず移動して、
この「12の宮」をぐるぐる回っているという考え方でした。
実際こういう構造になっているかどうかは別として、この考え方で、いくつかの問題や悩みや
苦しみを解決したことを覚えています。
つまり人間は、どこかで悩み苦しんでいる、という考え方です。・・・・・・・・
・・逆にいうと一つの黒丸によって、他の11の宮が守られているという考え方ができた
わけです。私の場合、障害を持った子供がいます。その子供が私の家に生まれてきてくれた為に、
他の11が守られているという考え方です。その障害を持つ子供がいるお陰で、他の11の宮が
穏やか和やかなもので推移していることが解った瞬間、子供に心底手を合わせることができました。
この黒丸に本心から手を合わせることができた瞬間に、黒丸が何一つなくなってしまう、
メカニズムを発見したのです。
 ー「幸せの宇宙構造」ーより
 ーーーーーーーーーーーー
 以上である。
すぐに論理を発展したくなるのが私の癖だ。
これを読んでいて、黒丸があるなら白丸が有って良いのではないだろかと考えてみた。
「白丸と黒丸が12の宮を循環している」というほうが面白い?!と。
それと、運となると、何かいいたくなる。
「白丸に気がいっている時は運が良いと思っている時、黒丸に気がいっている時は
運が悪いと思っている時」と考えればよい。
白丸・黒丸のルーレットとして自分を冷静に見ていれば良い。
運とはある決断・判断に対する結果である。
それを総称して運が良い悪いと思うことである。
また運は、親や兄弟や子供や配偶者や友人異性などの「人間観」に由来するのではないだろうか。

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2002年07月01日(月)
454,面白かった!!

ワールドサッカーが終わった。
やはり世界のトップが集まる試合は面白い。
サポーターと一体になった選手が段段燃えていくのがよい。

その時の勝負のアヤが左右するのが特に面白い。
優勝候補のフランスとアルゼンチンが早々に敗れるという
のも、勝負のアヤであった。

ワールドカップというのがこういうものだという事が、
理解できたように思った。
実際のところサッカーの面白みがいま一つピンとこなかったのが、
これを契機に好きになれそうだ。

決勝戦が終わったときの,勝者と敗者の差の大きさもそのまま
画面に出ていた。やはり一国でやるべきというのも確かであった。
最終戦で会場の勝者に対する会場のシラケぶりには世界に対して、
この国のセンスの低さを曝け出してしまった。

韓国の熱狂と比べ、途中で負けてしまった事を差し引いても
盛り上がりが少なかった事は否めない。

ブラジルが勝ちあがっていくプロセスでやはり強かったようだ。
南米の予選ではやっと勝ちあがってきたという。
彼らも実際優勝できると思ってなかったことも含め、喜びは最大級だろう。

TVの前でこれだけ熱狂するとは思っていなった。

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2001年07月01日(日)
[70] 夢についてー2

何か欲しい!とか、どこかに行きたいという夢と
夜見る夢と共通点が非常に多いという。
トイレにいきたいと探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいきたい状況である。

次の夢は不思議な不思議な夢だ。
‘母とか父が死んだ後自分のなかに生きている!’とかいうが、
少なくとも私の中で事実の世界だ!夢で事実生きている。

痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。
それは正しく母が私の中で事実生きているのだ。

次にまた以前書いた文章をコピーしておく。

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H0511妙な夢―(機

 ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。
泥棒ではないかと起きようとするが半睡眠状態で身体が動かない!

起きよう起きようとしているうちにスーッと身体が起きて廊下に出て、
居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周してもどってきて布団に入る。

ところが、ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。
まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)である。
これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。
 
 また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて
(そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!
 直観的にまずいと思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていた
と思うが?何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。

こんな事もあった、これは夢ではないが部屋の天井や床の下四ケ所で
次々と音がする。しかし夢ではなかった。
ところで当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。

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