堀井On-Line



1246, オーストリア旅行記 −1

2004年08月31日(火)


 8月22日〜29日までオーストリアのツアーに参加してきた。
最近、文化圏の国に行ってきたのは久しぶりである。
オーストリア一周というから、自然系の旅行かと思って行ったが、
チロル・アルプスの景観を見る機会は殆ど無かった。

チロルといっても、ザルツブルクやグラーツやインスルブルクなどの
都市の教会やお城を見る内容であった。

それよりも、ヨーロッパ文化の底知れぬ深さに驚いてしまった。
何ごともそうだが、実際何ごとも経験したことしか、自分の世界が広がらない
ことを毎回実感する。
知識も然りである。
生きるということは、自分の世界を少しでも広げることでもある。

学生時代の欧州一周旅行でウィーンに来たことを思い出したが、ほぼ記憶に
残っていないのには驚いた。

オーストリアの概略を書いてみる

・オーストリアの面積は、北海道とほぼ同じ。
・人口は800万人、そのうち170万人がウィーンに住んでいる。
・国土の65%が山岳地区。
・欧州の中央にあり、北の異民族の防波堤的役割があった。
・ハプスブルク家が何といっても有名である。

日本の人口の15分の1しかないのに、これだけの存在感がある。
やはり文化の深さと広さが、それを成しているのだろう。

                      ーつづく
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 2003年08月31日(日)
879, 敗戦の時 ー有事の時代に突入


『会社と個人の資産防衛セミナー』
2003年8月27日 池袋・かんぽ会館
             12時30分〜17時
               講師清水洋
                −中央会ー主催

東京で先日『会社と個人の資産防衛セミナー』に参加してきた。
以前この随想日記に、この講師の本の感想文を書いたことがあるが、
実際のところどうなっているか聞いてみる時期にきていた。

 講師の清水洋の本を二冊読んでいたが、実際参加してみて、
日本の現状の酷さに驚かされた。

彼は税理士をしていると同時に、会社の再建・再生・債務対策などの
指導に奔走している。
その生々しい一言一言がドラマで面白くさえあった。
40人ぐらいの参加者全員が食い入るように聞き入っていた。
そのためか、講師も熱が入っていた。

ー要点を印象順に書くと

・近い将来、間違いなく国債の暴落・金利上昇・ハイパーインフレになる。
 それに備えてヘッジをしておくべきである。
 動産ー金ーなどに換えておくべきだ。
 銀行は預金封鎖もあり得る。
 戦前の預金閉鎖の法律が残っており、閣議決定だけで可能である。

・年間1万9千社が倒産といっているが、実際は転廃業を含めると
 22万社が消滅している。これは関東大震災が目に見えないカタチで
 毎年おきている以上のことだ。

・今年140兆、来年が150兆、再来年が170兆円の国債発行の予定。
 −という事は、一家の借金にすると毎年500万円の借金が増えている
 ことになる。破綻をはるかに超えている状態である。

・それをカバーするのは国債しかない。
 そろそろ銀行が、その買取に難色をはじめてきた。
 次の手段として小口にして国民に売り始めた。
 歴史的にみて、そうせざるを得なくなった時は国家財政の破綻の時期。
 第二次世界大戦の敗戦直前に、戦時国債が多発された。
 それを信じ買い取った国民は財産を失った。
 金やドルに換えていた人もいたという。そういう人が大資産家にとって
 かわった。いま無知蒙昧な国民がこぞって買い始めている。

・現在は大清算時代の有事の時だ、今までの考え方では自己防衛は不可能だ。今までの常識を全て捨てることだ。

・不動産はまだまだ値下がりが続く。
 良質の不動産と、それ以外の不動産の価値の差がますますつく。

・借り入れは可能な限り返し少なくすること。

・政治家の旧守派と官僚と財界の利権のトライアングルが国家を破綻に導いている。
 国民がその自民党を支持している。
 この程度の政党の嘘に騙されている国民そのものが悪いのだ。
 
・日本政府は世界最大の金融機関である。
 郵貯に、年金、多すぎる税金をかき集め、政治家と官僚が好き放題使っている。
 道路に橋に第三者機関によるホテルや体育館などなど。
 すべて採算割れ。 
                     ーつづく
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2002年08月31日
(土) 505, 独り言

最近、自宅近くで自転車に乗ったり、歩きながら
独り言をいっている人にたて続き4人にすれ違った。
別に精神に異常をきたしているとは思えなかった。

60歳位の男の人は怒りながら歩いていた。
家内は何回もそれを目撃しているという。
時代がそれだけ世知辛くしているという事か。

今まで見てきた独り言をいっている人は、
明らかに精神の異常な人であった。
独り言は聞いていると本当に内容が重いことが多い。
考えてみれば、この随想日記を公開しているのも独り言といってよい。

25年前になるが、岐阜に向かう丁度通勤列車に乗った。
突如何処かで男が独り言を大声で話し出した。
初めは何気なく聞いていたが、過去に北海道に旅行した具体的内容であった。
それが結構面白く内容なあるものだったことを今でも憶えている。
列車に全員が咳払い一つしないで聞いていた。

知らないうちに頭で思っていることが溢れ出ている状態を
いうんだろう。聞いている方は非常に不気味だ。
50年近く前に長岡駅の周辺に頭のおかしな「たるまのゆき」
という女の浮浪者がいた。独りでぶつぶつ笑いながら歩いていた。

なかなかのインテリで学校の先生をしていたという?
以前に都会である中年の女性が通り向かって怒鳴っていた事もあった。

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2001年08月31日(金)
[127] 特異点

‘自分自身’宇宙の特異点である。
もちろんこの地域も、職場も、友人も特異点である。

この当たり前?のことがきずかない。

考えてみればそれぞれの経験の世界以外知ることができないし、
その人にとって、その世界は特異点でなく普遍の世界にみえる。

総ては特異点の集まりであり、「普遍」はそう見えているだけだ。
従がって、もしその世界に埋没したり、停滞すると全てが「普遍」に見えてくる。

私が嫌うのが、`中高年の教養のないおばさん'である。
それこそ特異点そのものである。

「現象が真実と信じている点」である。
真実とは何かも考えたことがない。
俗にいう噂とか社会現象にドップリ浸かっている。

それぞれが特異ということが解らない。
そして対象に集中して相手の特異を見つけると、

あたかも、とんでもない欠点と思い込んでしまう哀れな存在である。
これはおばさんだけではないが。


1245, オリンピックが終了

2004年08月30日(月)


オリンピックが、昨夜(日本時間では今朝方)終わった。
期間は8月12日から29日までの17日間であった。

結局は金メダルが16個。
前回の三倍、東京オリンピックと同数、であるから大成功だった。
復興委員会が数年前に打ち立てた戦略の結果であった。

私の印象の強い順に書くと
・金メダルを16個取ったこと
・女子マラソンで野口が優勝したこと
 (丁度ツアーで、ウィーンのホテルでチェックインをした直後にゴールを見た)
・柔道が8個の金メダルを取ったこと
 ー野村が三試合連続金メダル、谷亮子が女子でニ連勝、
 優勝最有力視されていた井上康生が一回戦で破れたことなど
・水泳では、男子の岡島が金を二個、女子ではあまり目立たなかった
 選手が優勝をしたこと
・体操の団体優勝の緊迫した内容と優勝
・優勝選手のドーピングで、銀であったハンマー投げの室伏選手の
 逆転優勝
・優勝をめざしていた野球が銅に終わったこと
 −日本のプロ野球の威信をかけたが、この程度の実力ということが
  判明したことと
 これで、一リーグ制に加速がつくだろう

以上、誰もが同じ印象であろう。

ところで、過去に日本が強かった卓球、体操、レスリングなどを、中国と北朝鮮が
冷戦時代に戦略的に集中して強化して狙いうちをしていた。
そしていつの間にか彼らの得意競技になっていた。
それを一部とりかえしたといってよい。
いずれにしても、日本復興委員会をつくって本気になって金メダルを狙いにいった
結果だった。
まあ素晴らしいことだ!

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2003年08月30日(土)
878,「何故なれない富士山が世界遺産に!」

 先日のNHKTVの「クローズアップ現代」をみていて驚いた。
「富士山が世界遺産の指定から外れてしまった」と真面目に取り上げていた。
「馬鹿たれ、ユネスコの世界遺産とは何ぞや知っているのか!」
こんなものはフランスの一部の利権屋の既得権のワッペンの世界でしかない。
そのことを西アフリカのツアーで嫌というほど知らされた実感である。
 
 そのツアーの謳い文句が、「世界遺産を見てまわる旅」であった。
ところが、その世界遺産というのが見るに耐えない塵以下の代物だった。
殆ど意味のない、小さな小屋が世界遺産という。これは詐欺以下の世界である。
添乗員曰く「これは詐欺の世界で、世界遺産はそういう西欧のラベルーワッペンの
代物でしかない!」。
「うっせい、この野郎!それを謳い文句でパンフレットに載せて、つれてきたのは
どこのどいつだ!」と心の中で思ってもすでに遅かった。

 NHKの番組で「何故、富士山が世界遺産から外された?」と真面目に取り上げていたのだ。このことを解ってNHKも放送しているのだろうが、
まさか「天下のユネスコの世界遺産とはその程度のものだ」とも放送できないのだ。
何の意味がない世界遺産をタップリ時間と金をかけて行って、ゴミ?を見せつけられた
経験がいわせているのだ。

 この文章をみて「私の偏見で決めつけているいるのではないか?!」
と考えるかも知れないが、実体験でこの目で見た事実である。
どうしても西欧の価値観で決められるのだ。
自分たちが過去に統治していて、今も関係の深い観光資源に甘くなる。
「こんなもので遺産はおかしいし、まだ富士山が選ばれてない」と、
その時も添乗員が言っていた

 ノーベル賞も、「もっと質が悪いもの」と考えると世界が違って見えてくる。
 あくまで欧米の政治的価値観のレベルでしかない。
馬鹿みたいなのが、この表象世界である。
しかしそこに住んでいるのが人間でもあるのも事実であるが。
特に閉ざされた国の日本人は、世界遺産とかノーベル賞という言葉だけで
信じてしまう傾向があまりにも強い。
更に地方にいると、こういう視点を持つこと自体が変人扱いをされてしまう。

「他の星の住人の視点」をこういうグローバルの時代こそ必要ではあるまいか!
フランスでは大統領に当選すると、まず大統領マニュアルを徹底的に叩き込まれるという。
その中に「地球儀を数メートル離れたところからみる習慣化の訓練」があるという。
それを知ったときは、なるほどと納得したものだ。
自宅では、TV の横に100円ショップで買った地球儀が置いてある。
会社では、机の横に子供が使っていたボロボロの地球儀が置いてある。
時たま稀有壮大のことを考えるのは、そのせいだ。

100円ショップというところが自分でも(^<^)!(^^)!(^'^)(^^♪(~o~)(^・^)(^o^)丿!
週に数回は地球の旅の番組をTVで見るときに手にとって見るが、非常に便利である。

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2002年08月30日(金)
504, 男時と女時

5年ほど前か、何かの雑誌で「男時と女時」の特集をしていた。
国の勢いにしても、会社にしても、個人としても
その時がある。それに反したことをしないで従うこと。

今の日本は正しく女時である。
30数年前の高度成長期は男時であった。
人間もその人により、その時々がある。

駄目ー女時のときは、ただじっとして本を読むか、来るべき時の為の
準備期間と割り切ったほうがよい。
「風車、風の吹く間の昼寝かな」と誰かが、うたっていたが。
「枝葉を切って根を養う」時期と心得てジタバタしないことだ。

男時の時は、全エネルギーを出し切って葉と枝を精一杯張ることだ。
それぞれの立場や職業があるだろうが、大体が10~20歳代は女時として、
知識、経験を蓄え,30~40歳代に男時として、枝葉を張る時期だ。

ラクダの時−30歳まで、ライオンの時−30〜60歳、
そして子供の時ー60歳以上があるが。

今の世界ー先進国は女時に入っているのではないだろうか。
一日のなかでもある。10時から16時辺りが、男時か。
[5時から男]はアフター5からだろうが。

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2001年08月30日(木)
[126] まだ生きている!

33日の漂流の後奇跡的に助かった、漁船の船長が昨日TVに出ていた。

「スイカが流れてこないかなーとか、おや今日も生きているとか、なかなか
死なないもんだとかぼーと考えていた」
このようなひとつづつが奇跡の原因らしい。

・スイカが流れてこないかなーはプラス発想、
・おや今日も生きているのかというは、事故(自己)の客観化というらしい。

10年位前ののヨットレースの佐野某の漂流記を読んだことを思い出した。
鴎をを捕まえて食べていたらしいが、一種の死の瞬間の倒錯がすごい。
今乗っているボートごと垂直に数百メートル昇っていった。
それは夢でもなんにでもない事実としかいえない出来事だったという。

ユングがそれに似た経験をしている。瞑想をしていてそのまま天に上るくだりである。

インドの上空をどんどん昇っていく、インドの国の地形とか青い海そして地球が見えた
という。

それがそのずっと後宇宙飛行士が見た光景と同じであった。
中世では人肉を食べた内容が克明に残っていたりした。


1244.お笑いコーナー・・今日のお笑い8

2004年08月29日(日)

今日のお笑い−8

いろんな国の男が、象について本を書いていた。

ドイツ人は脚注がたくさん付いた三巻本を書いた。
その表題は「象研究序説」
フランス人は薄く軽妙な本を書いた。
その表題は「象とその性生活」
イギリス人は挿絵の豊富な旅行案内を書いた。
その表題は「アフリカ奥地の象狩り」
アメリカ人は広告用小冊子を書いた。
その表題は「裏庭での趣味と実益をかねた象の飼育法」
ユダヤ人は戦闘的なパンフレットを書いた。
その表題は「象と反ユダヤ主義」

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ブッシュ大統領がイメージアップと人気増進のためにPRキャンペーンを
行うことにした。
彼は小学校を訪れて子供達に彼の政策について分かり易く説明することに決めた。
大統領による説明が終わった後、彼は子供達に向かって「何か質問がありますか?」
と尋ねた。

スティーブという生徒が手を挙げて 「大統領、僕は三つ質問があるんです。

 1.どうして大統領選挙では総投票数が少なかったのに、あなたは大統領に
 なれたのですか?
 2.はっきりした動機もないのに、なぜあなたはイラクを攻撃したのですか?
 3.歴史上最大のテロリスト攻撃は広島への原爆攻撃だと、あなたは思いませんか?」

ちょうど質問が終わった時に休憩のベルが鳴ったので、子供達は校庭に遊びに出た。
休み時間が終わって子供達が教室に戻るとブッシュ大統領は彼等にまだ 何か質問が
あるか、と尋ねた。エディが手を挙げて尋ねた。
「大統領、僕は五つ質問があるんです。

 1.どうして大統領選挙では総投票数が少なかったのに、あなたは大統領に
   なれたのですか?
 2.はっきりした動機もないのに、なぜあなたはイラクを攻撃したのですか?
 3.歴史上最大のテロリスト攻撃は広島への原爆攻撃だと、あなたは思いませんか?
 4.どうして今日はいつもより20分早く休憩のベルが鳴ったのですか?
 5.僕の友達のスティーブはどこに消えちゃったのですか?」

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政治家と幸福の違い――幸福は金では買えない。

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2003年08月29日(金)
877, 女の盛り時ー女とオバサンの境い目

 十数年前に、第一生命の叩上げの財務の人と飲んだ時期があった。
女性を知り尽くしている人という感じであった。
こと女性に関しての一言一言が相通じるものがあった。
私も姉が4人もいたり、女性の職場にいたため、女性の裏表を知っているつもりで
あった。
しかし体を張って保険をとってくる女性の管理職を経験してきた人の言葉には、
全く違う響きがあった。

・保険勧誘はギリギリのところの女性を動機付けていなくてはならない。
 部下とは塀の上に一緒に立って(男女の中という意味)いないと仕事にならない。
その危なさが何とも面白い。

・女性の盛りは40歳からの数年である。丁度人生の曲がり角で一番
 危ない時である。
 その危なさが微妙に女性の魅力になっている時期である。
 オバサンになるか、今一度最後の花を咲かせるかの境い目が何とも良い。
 
 なるほどと思って、その視点で見つめなおすと全くその通りである。
高峰秀子が何かの本で「女性は45歳が境い目で、急激に坂道を転げ落ちるように
変わっていく」と実感で書いていた。
何か第一生命の人の言葉と相通じるものがあった。
女としての最後の輝きが全身から出てくるのだろう。
その時期に、私の姉たちと従姉が葬式で同席した。
その年齢の境い目の前後の姿を、そのまま目の当たりに見てしまった。

 しかし、チャンと身奇麗にしていれば、その年齢の魅力は出てくるものだ。
年齢を重ねれば重ねるほど、自己管理が必要ということだろう。
それは男女に関係なくだが。
 内面がそのまま表に出るから恐ろしいのが歳の蓄積である。
昨夜も同級会の幹事会で悪臭を撒いていた「おれは中卒だ!」が口癖の
漫画に出てくるような職人がいたが。
同級の女性達も、年齢の割りにちゃんとした魅力を保っていた。
長年の品位が魅力になってくるのだろう。

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2002年08月29日(木) 503,  「10,4,2,1の法則 」  -2


我々は何時の間にかこの逆をやってしまうことがある。
一つことをやって上手くいかないと次のことを始める。
それはそれでよいが、やめてから次のことをすべきである。

やめないで、次から次に始める。
上手くいって舞い上がって始めるケースも多いが。
力の分散である。飲食店の場合、見ていると本当に多い。

東京TVの「愛の貧乏大作戦」を見ていると面白い。
追い詰められた商店主の店を建て直す番組。
主力の商品がお客に受け入れられなくなり廃業直前になる。

メインの商品の落ち込みを他の商品を広げて逃げてしまう。
更に主力商品の力が落ちる。そのことすらも気づいていない。

上手くいっている店は、商品の絞込みがしっかりしてある。
その店で修行する番組なのだが、その段差が漫画的ですらある。
いろいろな失敗の中でそれに気づいている店主と、
全く気がついてない店主の差が歴然としている。

マクドナルドはハンバーグだけであれだけ大きくなった。
ただハンバーグでは大きくなれない、あとはシステムの構築だ。
それも数十年かけた。

街の大衆食堂は、何でもあるが全て中途半端だ。
その道のプロならまだよいが、素人が中途半端で始めると目が当てられない。
近くの飲食店で死にかけている店がやはり同じことをしている。
拡散はメインの商品の質の低下を引き起こす。

自分がレンズになり、メイン商品に焦点を当て続ける事だ。
そうすれば、そこにはエネルギーが集まる。
自戒も込めて書いている。
私の場合は、客室プライスの価格破壊の徹底と、
それでも利益を出せる仕組みつくりだ。

話はそれたが、時代の変化に対して変化し続けることは難しい。
一つの事を止めて、次の商品の開発は大事なことだ。
商品も事業もだが、メインの深耕を本当にしてからだ。

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2001年08月29日(水)
[125] 目には目を歯に歯を


この意味をイスラエルに旅行するまで全く知らなかった。
実際の意味はその正反対の意味であった。
それまでは目をヤラレタラら殺す、歯をヤラレタラ目をやる。

それをヤラレタ範囲で仕返しをやる、というむしろ優しい掟であった。
それだけ激しい条件の世界であった。
旧約聖書でいつの間に当たり前と思っていたことが、そこで始めて規制されていた。

ホモもしかり、それまで当然の世界で何もおかしい世界でなかった。
その倫理をただ旧約聖書が規定したから悪いことでしかないのだ。

そのことをイスラエルではじめて知った。
5000年前にアブラハムという部族長が訳のわからない神の声を聞いてその声に従って、
イスラエルに向かった。
そのヤッホーー、アラーの神に今も世界が支配されている。

キリスト教の神もそのラージXでしかないのだ。
イスラムののアラーの神も然りである。

考えてみればあの裸の王様でしかない。
皆解っていながらそう考えておいたほうが、良いから信じてしまえと鼻声で
Xを神にして祈っている。

確かに人間の人知に及ばない何かがあることは当然だが、それを単純に神に集約する
のはおかしい。
しかし神の名の元に基準は必要であり、言葉を待ってしまった人間ー
過剰な欲を持ってしまった人間ーに宗教しか救いを見出せないのも致し方ないのか。


1243.お笑いコーナー・・今日のお笑い7

2004年08月28日(土)

今日のお笑い−7

医学生が国家試験の第一問を見た。
「問一:母乳のほうが牛乳より乳幼児に適している理由を五つあげよ」
彼は答えた。

第一に、新鮮である。
第二に、清潔である。
第三に、猫に飲まれない。
第四に、映画館やピクニックに持っていきやすい。
第五に、とっても素敵な容器から出てくる


彼は合格した。


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船で川を渡っていた大学教授が、途中で船頭に尋ねた。
「君は哲学がわかるかい?」
「いいや、聞いたこともないですよ」
「じゃあ、君の人生の四分の一は失われた。地理学はどうかね?」
「いや、知りません」
「じゃ、君の人生の二分の一はそれで失ったも同然だ。天文学はわかるかね?」
「いいや」
「それで、四分の三が失われた」

その時、濁流にのみこまれて舟は転覆し、二人は川に投げ出された。
「泳げるのかね!?」と船頭。
「ダメだ!」教授が答えた。

「じゃあ、あんたの一生は全て失われたも同然だ」

2003年08月28日(木) 876, 「2003年、日本国破産<対策編> 」

  ーYEN(円)と国債が紙クズとなる日が近づいている !?

この内容も前回の本に劣らないほどショッキングである。

・まずは2003年に前兆があらわれる(4年前の文章)
 ー金利上昇、円安、デフレの終了
・2005~7年にはかなりの事があらわれる
 ーインフレのスタートなどのスタート
・2010年ー国家破綻などが私たちの前に重大な脅威として本来の姿を
現す。
 国の借金が雪ダルマ式にふえていき、
 20誘瓩ぅぅ鵐侫譴嚢駝雲験茲暴殿腓紛式劼生じ始める。
・2010~2015年
 日本がIMF管理下に入る可能性もある。
 (ハイパーインフレと経済の大混乱)
・2025年ー国家破産と老人大国化で政府そのものがぼろぼろに。
 
 インフレ以外は現在の日本は既にその状態であるといっても過言でない。
そして著者が書いている2003年になっても、大した対策を立ててない。
そうすると、この本の通り最悪を想定しなくてはならない。
最近になって、事業をこの規模にとどめていて良かったと思うようになった。いややり過ぎだったのかもしれない。
昨日以前読書日記に書いた「財産をなくす人財産を残せる人」の著者・清水洋のセミナーに東京まで行ってきた。内容を明日書くが絶望的な見解であった。

ー以下は、インターネットで調べたものをコピーしたもの− 
   ・・・・・・・・・・
「2003年、日本国破産<対策編> 」
手を打たない者はハイパーインフレで全財産を失う
いますぐに、全財産の1/3をドルに換えろ !!
(第4章サバイバル戦略より)
国家破産を生き残るための全てのノウハウを満載

著者 浅井隆
出版社 第二海援隊
定価 本体価格 1400円+税

ープロローグ
楽観的になれるのは、グラフを逆さまに見た時ぐらいだ

第1章 1兆%のハイパーインフレ(戦前のドイツ)か、お札の紙クズ化
 (終戦直後の日本)か――国家破産の猛威

・通貨が本当の紙クズになる時
・お札に裏面を刷る時間もない
・一生分の預金が封書一通の切手代よりも安くなった
・インフレで打撃を受けるのはいつでも中産階級と頭の固い金持ち
・年率60〜120%のトルコのハイパーインフレ
・日本国の財政状況はトルコとなんら変わりない
・かつて日本が体験したハイパーインフレと徳政令
・再現! 国家破産による徳政令

第2章 あなたの住んでいる町が倒産する!!――地方自治体が破産する時

・前代未聞の財政状況
・街や県が破産すると起きること
・わずか10年で借金が3倍になった!?
・地銀と自治体が無理心中
・東京都自ら“このままでは都財政は破たんする!”
・日本の全自治体の3分の2に破産の危機
・浮上した“三セク”問題
・もうすぐやってくる「大増税時代」

第3章 これから一体、何が起きるのか!?

・1000兆円を超える破滅的借金
・「日本無駄遣い列伝」
・もはや戦時並みの犠牲を覚悟すべきである
・今後を予測するために押さえるべき7つのポイント
・悲しい現実
・低金利が招いた国債バブル
・国が破産すると本当に何が起きるのか
・これが国家破産が引き起こす6つの現象
・2010年までのタイム・スケジュール

第4章 生き残りの方策――どうすれば、国家破産から大切な財産と企業を
 守ることができるのか

・宮澤財務相の重大発言
・経済だけでなく、社会の枠組みが変わる
・早く手を打った者の勝ち
・生き残りのための心得
・国家破産へ向けてのサバイバル戦
ープロローグ
もし、あなたが「タイムマシンに乗せて一度だけ過去のある時代に連れていってあげる」といわれたら、どの時代に行きたいと思うだろうか。
私ならば、即座に[[一九二三年のドイツ」と答える。
なぜか!?

実は一九二三年のドイツでは人類史上最悪の経済的大混乱が発生していたからだ。
現在の私たちから見るとちょっと信じがたい規模のインフレ(詳しいインフレ率は第一章参照)が発生し、全国民とりわけ中産階級の財産はあっという間に紙クズとなってしまった。
目もくらむようなハイパーインフレの中でついにドイツ人たちの頭はおかしくなり、ヒトラーを求めるようになる。

そしてその唯一の原因こそ、国家破産だったのだ。
国家破産ほど恐ろしいものはない。
そして私たちの住む日本も当時のドイツに似た状況に突き進んでいる。

私は前著〈警告編〉で、現在の日本国の全ての借金(つまり国と地方自治体と
財投の三つを合わせたもの)は八○○兆円と書いたが、ついに財政学の専門家で政府の'顧問'も務める学者が「その額はすでに一〇〇〇兆円を超えている!!」(第三章九三ページ参照)と断言し始めたのだ。
しかも彼は「破滅的状況です」とまで言い切っている。

理由も明白だ。
多くの経済学者も財政学者もGDP(いまの日本でいえば五〇〇兆円)の二倍までが
国家が耐えられる借金の限界だとはっきり言っているからだ。
それをすでに超えてしまっているのだ。

私たちを乗せた「日本丸」は一体どこへ行こうとしているのか。
そして、どのような手を打てば私たちは助かることができるのか。
本書〈対策編〉はそれへの解答である。

「楽観的になれるのは、グラフを逆さまに見た時ぐらいだ」
二一世紀の幕が切って落とされた二〇〇一年一月末のこと、真白い雪におおわれた
厳冬のスイスアルプス山中の小さな村に全世界の政財界のトップが一堂に会した。
その顔振れと陣容は先進国首脳会議・サミットをもはるかにしのぐもので、
日本からは森首相(当時)だけでなく、石原東京都知事まで出席した。
この集まりこそ、一部の人々から'陰の世界支配会議'とささやかれる「ダボス会議」であった。

ところが、この会議の冒頭初日からアメリカの超VIP、エリート支配層から日本の'ある問題'について重大な懸念表明と警告が相次いだ。
では、その問題とは何か。
それこそ、日本のすさまじい財政赤字の問題だった。

特に米金融界代表からの懸念表明が相次ぎ、
中でも米大手証券ゴールドマン・サックスのカーチス副会長からは
「楽観的になれるのは(日本の財政赤字の)グラフを逆さまに見た時ぐらいのものだ」と皮肉たっぷりに批評された。
よその国の彼らが危機意識をもつぐらい、いまや日本の財政赤字の問題は私たちの想像をはるかに超えて、世界経済全体の大問題となり始めているのだ。


2002年08月28日(水) 502, 40才の禁酒ー隠れ酒の味


30歳になった記念で、10年間の喫煙を止めた。
大変だったが、それから体調がかなり良くなった。
そして40歳の年に禁酒に挑戦をしてみた。

約半年で頓挫をした。
宣言をした翌日が義弟の結婚式だった。
結婚式場で隣の人に「何馬鹿を言っている!明日からにしなさい!」
と出鼻をくじかれ飲まされた。
まずは幸先が悪かった。

自分を律する手段で周囲の人に宣言をした。
しかし一ヶ月もしないうちに、禁断症状が出た。
そして台所にある料理酒を、皆が寝静まった後に飲み始めた。
その後、水を入れて誤魔化すのだが。
だんだんその酒が薄くなり、家内が気がついたのか首をかしげていた。

そして半年たって、人に勧められて一寸一口飲んでから、
だんだんエスカレートして、最終的には元に戻ってしまった。
約束をしたメイン銀行の支店長が都合の悪いことに?
転勤でいなくなってしまった事もある。
その後その反動で、より痛飲をするようになったのだから始末が悪い。

最終的には、「一人酒をやらない、自宅で日本酒は飲まない、
自分から人を誘わない、自棄酒は飲まない」というルールをつくり
自己規制をしている。
隠れ酒の酒のうまさは格別であった。



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2001年08月28日(火) [124] 酒乱-




酒飲みの悩みの一つに酒乱がある。私も酒乱のけがある。

酒による失敗は数あげれば限がない、命を失いかけた事も何度もある。

ある限度を越すと、スケベイになるか喧嘩だ。

最近は笑いだ。とりあえず笑いの種を探す。

5年前に毎年やっているいる高校と小学校の同級会が同じ日にあった。

5年に一回の小学校の同級会に出た。

二次会に行くと10人位の暗い集団がいた。高校の同級会の二次会に遇然

鉢合わせたのだ。その時本当に嬉しかった事を思い出す。その中の一人が

「おい堀井!こっちの会にに出てこいや、お前がいねえと葬式だいや!」

その時これだな!と思った。愉快な酒これほど楽しい事はない。

今は明るい酒乱!になっている。
-------------------------------H0905 宴会好き!

 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になったのだろう!。
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけてよく飲んだものだ。

もともと私の父が宴会好きであった。酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いていた。

これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位だった。

芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返していると思うと
“三つ子魂”何やらである。当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。

今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ−カスの綱渡りのマネをする芸であった。

酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、痴呆で亡くなった。



1242.お笑いコーナー・・今日のお笑い6

2004年08月27日(金)

今日のお笑い−6

ある男、酔ったあげく、友人に新築の家を見せるといってきかない。
友人は男に言われるまましぶしぶその家へ入った。
「みろ、あのシャンデリアを。あれは俺のだ!」
「みろ、あのグランドピアノを。あれも俺のだ!」
男はそう自慢しながら家中を歩きまわった。そして2階へ上がって、
「みろ、あのキングサイズのダブルベッドを。あれも俺のだ!」
「みろ、裸で寝ているあの美しい女を。あれは俺の妻だ!」

「みろ、一緒に寝ているあの男を。あれは俺だ!」

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映画女優のザ・ザ・ガボールは身の上相談の名回答者としても人気があった。

質問1「ガボール様、私はこの四年間一人の男性と婚約しておりました。
その間、彼は美しいミンクのコート、たくさんの宝石、豪華な肌着、馬一頭、
ストーブ一個、外国製の車をくれました。ところが急に婚約がダメになりました。
どうしたらよいと思いますか?」

ガボールの答「ストーブ一個返しなさい」


質問2「ガボール様、私はとてもチャーミングでハンサムな男性と付き合って
おりました。彼はオクラホマに百以上の油井と、コロラドに金鉱の山を持っています。
とても気前のよい方なのですが、近頃私に興味を失ったようなのです。
どうしたらよいのかお教えくださいませ」

ガボールの答「たいへん重大な問題をお抱えのようです。
百以上の油井と金山と言われましたね?どうも私が個人的にその方を
どうにかしなければならないようです。
その人の名前と住所を至急お知らせ下さい」


質問3「私の彼氏は、私のことをののしったり、酒を飲んだり、煙草を吸ったりします。
どうしたら直せるでしょうか?」

ガボールの答「直そうとしてはいけません。
私の知ってるある女性が、交際している男性に、喫煙、飲酒、賭博などを
やめさせようとしました。
ところがどうにか成功した時は、その男性が、彼女は自分にふさわしい女性では
ないと決心してしまったからです」


2003年08月27日(水) 875, 「ライフスタイル革命」 ー(4)

 この本を読んで数日前から、食事のとり方を変え始めた。
独りでは不可能で、まずは家内の協力が必要だ。
直に今までの食事内容を変えることは不可能のことは解っている。

まずは朝食後に果物を食べていたのを、食事前に変えた。
次に冷蔵庫にミックスジュースのパックを入れておいて、やはり食事前
に飲むことにした。

次は昼飯である。
今までいっていた店のメニューで果物かジュースを置いてある店が
一軒だけあった。バイキング方式の店である
880円と少し高いが、バイキングの中にデザートがあった。
早速昨日の昼飯にいってみた。
バイキングは食事の組み合わせを自分できるのがミソだ。
 
 次の順で口に入れた
・グレープにブドウの巨峰があった。それを4切れずつ食べ、
・次に野菜サラダ
・そして冷やし中華
・最後にホタテのフライと、鶏肉のから揚げを一個ずつ
・後はから揚げに添えてあったミニトマトと茄子の煮込んだもの
・最後は冷やしコーヒーを飲んだ
ご飯と味噌汁はとらなかった。

普通なら
・まずはご飯と味噌汁
・鶏肉のから揚げを2個とイカのフライ2個
・タクアンと野沢菜
・うどん
・果物とミニケーキ
・最後に冷たいコーヒー

 今まではその店には月に一回位しか行かなかった。
いつも胃にもたれて、一度行くと当分行きたくなくなるのだ。
しかし昨日は食べ終わった後は、嘘みたいにスッキリした食後感であった。
これなら週一日は行ける。あと4日分を探さなくてはならない。
いずれにしても、一ヶ月間は大胆に?店探しをしてみるのも面白い。
一日は回転寿司で二皿を野菜ものをたのむとか。
あと三日は、どこかで女性向のランチか何かを探せばよいか。
ゲームと思って昼飯さがしをしてみよう。
まあ暇ということだ。

 夜は、飲みに行かない日のアルコールの量を減らすことだ。
果物か野菜をまず口に入れる習慣も大事だ。
今更もう遅いが、やらないよりはずっとよいはずだ。
まあ半年から一年がかりになるが、ウオーキングに劣らないぐらい
大事な習慣づけになる。

ーーーーーーー

2002年08月27日(火) 501,[10.4.2.1の法則]


「エッ!こんな法則聞いたことない」と、経済原則などの
理屈好きの人は興味を示すだろう。

これはチェーン理論のペガサスクラブの渥美先生が「仕入れ原則セミナー」
で教えてくれた原則である。
販売で、特にファッションの販売で使える原則だ。
ワンシーズン3ヶ月の中で導入期、最盛期、仕上げ期がある。
仕上げと次のシーズンとダブルが、大体これを頭において商品を仕入れる。

はじめの導入期に10と横に広げる。
そして何が今シーズンあたるか様子を見る。
いろいろな餌を撒いてみる。その反応を見ながら、6割をカットして、
4割の商品に絞り。それをさらに絞込み2割の商品に絞り、
最後は1割の商品に絞り、そこに在庫を積み上げる。
早くホット商品を探しだし、在庫構成を代えていく。

死に筋を素早く探し見切って、売り場をホット商品に変えるかが
利益を生み出す源泉になる。
これは今、コンビニでABC分析が徹底的に行われている。
常にホット商品で売場を構成しなくては競争に負けるからだ。
「10.4.2.1」はABC分析の具体的法則といってよい。

この原則をいち早く取り入れて徹底した。
それを含めて衣料量販店を任された時、巧く利益を出すことができた。
あとは値札に如何に情報を入れ込み、死に筋のカットに全力を入れた。

何事も素早く「原理原則の知識」を仕入れシステム化をする事
がポイントだ。
これを書いていて、何事にも使えそうな原則ではないかと考えてみた。
人間関係にしても、人生の過ごし方にしてもだ。

まず何事も経験し、いろいろな人に接し、その中で自分にとっての
最後の一に絞っていく。そのためにまずは十という量・種類を経験してみる。
そして最後には一番重要なものに絞っていく。
本もしかり色々の分野を読みながら、最終的に自分の適した分野に
絞っていく。

ーーーーーー
2001年08月27日(月)
[122] 虎穴問答

25歳のころ、金沢のいとはん(現北陸ジャスコ)にいた。
会社もおかしくなり掛け、西友と資本提携し会社全体が暗い混乱状態であった。
当然中途採用で、お互いの疑心暗鬼等でいやなことの連続であった。

2度目の会社でそう簡単に辞めることもできない追い詰められた状態であった。
その時本屋で大本教の出口王二三郎の本に虎穴問答があった。

「虎穴におちてしまった、逃げ出すことができない、でも助かる方法ひとつある。
なにか?自分から食われてしまう事だ。そこには愛と誇りが残る!」

第二次大戦のとき、大きくなりすぎた大本教の弾圧が始まり、裁判で自分の
弁護にこの問答を裁判長に言うくだりの話であった。

追い詰めれどうにもならない時は、その運命に積極的に身を委ねてしまうことだ。
今まで色々な事があったが、このとき得た体験とこの問答は忘れることができない


・・・・・・・・


1241.お笑いコーナー・・今日のお笑い5

2004年08月26日(木)

2004年8月26日
今日のお笑い−5

ジョーは酒場で論理学の教授と知り合った。

「論理学ってのはどういったもんですか?」
「やって見せましょうか。お宅には芝刈機があります?」
「ありますよ」
「ということは、広い庭があるわけですね?」
「その通り!うちには広い庭があります」
「ということは、一戸建てですね?」
「その通り!一戸建てです」
「ということは、ご家族がいますね?」
「その通り!妻と2人の子供がいます」
「ということは、あなたはホモではないですね?」
「その通り!ホモじゃありません」
「つまりこれが論理学ですよ」
「なるほど!」

深く感心したジョーは、翌日友人のスティーブに言った。


「論理学を教えてやろう。君の家には芝刈機があるか?」

「いや。ないよ」


「ということは、君はホモだな!!」

 ーーーーー

男「ねえ君、名前教えてくれないかな?」
女「電話帳に載ってるわ」
男「……それじゃあ、電話番号教えてくれる?」
女「それも電話帳に載ってるわ」

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男「死んだら、天国と地獄、どっちに行きたい?」
女「もちろん地獄よ」
男「えっ、どうして?」


女「魅力的な男がいっぱいいるからよ」

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2003年08月26日(火)
874, 『2003年、日本国破産[警告編]』


            ー 読書日記
以前、浅井隆のホームページを私のサロンのコーナーで紹介した。
読めば読むほど不安になってくる本である。
日本はくるところまできた。
第二の敗戦というが、国民が自覚してないのが恐ろしい。
毒饅頭をタップリ食べさせられて、いまさらどうにもならないのが現在の
日本である。
天皇制に対して何の疑問を感じない日本人が、北朝鮮の国民と何処が違うと
いうのだろうか。
全ての前提を疑ってかかるというが、その前提を疑っている自分も
その前提で考えているのだろうが。

ー以下はあるホームページからの抜粋だ。

現在日本国が抱える借金の総額は、なんと1000兆円。
1万円札で積み上げると、エベレストの1000倍の高さになる。
日本が破産すると、いったいどんなことが起きるのか?
・瞬間20%(年率)のインフレ
・消費税35%、
・1ドル=200円の超円安、
・長期金利10%弱、
・デフレ(不況)
数年後に日本で起こるかも知れない「事態」に対する警告の書である。

第1章 大いなる誤算
誰が一体悪いのか (後は野となれ山となれ作戦)
あまりにも重大な誤算
かつて起きたことはこれからも必ず起こる
なぜ、賢明なドイツ国民がヒトラーに支配されたのか
日本がおかれている危機的状況
耳の痛い情報を聞こうとしない日本人
ツケの先送りで全てを誤魔化した九〇年代
結局、あなたの財産が担保に !!
国家破産へのタイムリミット


第2章 一千兆円の脅威
天文学的借金が日本経済とあなたの生活を吹き飛ばす
日本国の破産を予告するこれだけの事実
もはや「杞憂」ではすまない
ついに出た決定的証拠
国家を信用しすぎてはいないか
すでにサラ金地獄に !?
またもや引き下げられた日本国債の格付け
恐るべき内部資料
大本営発表を鵜呑みにするな


第3章 郵貯・年金が抱える一〇〇兆円の時限爆弾
日本道路公団だけで二五兆円の返済不能の債務
世界最大の“銀行”郵貯の中身
日本の個人金融資産の三割が不良化している
郵貯のお金はどこへ行ったのか
行き先は特殊法人と政府系金融機関
国家予算の表と裏
小泉元郵政大臣の警告


第4章 恐慌か、ハイパーインフレか
九〇年代に行われたツケの先送り
デフレという名の苦難
検証・バブル崩壊時に起きたこと
誤った政策が致命傷に
愚行!ツケの先送り
行き場を失った資金が破綻寸前の日本国債へ流れる
永遠に採算の合わない特殊法人へつぎ込む郵貯マネー
「六〇年国債」(?)のおぞましさ


第5章 いまや日本国は一三〇〇兆円の債務超過
ついにわかった本当の数字
氷山へ向かってまっしぐらの日本丸
大蔵省筋のリークによって国の本当の数字が公表された
初公開!国のバランスシート
すでに「生き残り」を考える段階にきている

・・・・・・・・・・・

著者 浅井隆
出版社 第二海援隊
定価 本体価格 1400円+税

あなたが「タイムマシンに乗せて一度だけ過去のある時代に連れていってあげる」
といわれたら、どの時代に行きたいと思うだろうか。
私ならば、即座に[[一九二三年のドイツ」と答える。
なぜか!?

実は一九二三年のドイツでは人類史上最悪の経済的大混乱が発生していたからだ。
現在の私たちから見るとちょっと信じがたい規模のインフレ
(詳しいインフレ率は第一章参照)
が発生し、全国民とりわけ中産階級の財産はあっという間に紙クズとなってしまった。
目もくらむようなハイパーインフレの中でついにドイツ人たちの頭はおかしくなり、
ヒトラーを求めるようになる。

そしてその唯一の原因こそ、国家破産だったのだ。
国家破産ほど恐ろしいものはない。
そして私たちの住む日本も当時のドイツに似た状況に突き進んでいる。

私は前著〈警告編〉で、現在の日本国の全ての借金
(つまり国と地方自治体と財投の三つを合わせたもの)は八○○兆円と書いたが、
ついに財政学の専門家で政府の'顧問'も務める学者が
「その額はすでに一〇〇〇兆円を超えている!!」(第三章九三ページ参照)と
断言し始めたのだ。しかも彼は「破滅的状況です」とまで言い切っている。

理由も明白だ。
多くの経済学者も財政学者もGDP(いまの日本でいえば五〇〇兆円)の二倍までが
国家が耐えられる借金の限界だとはっきり言っているからだ。
それをすでに超えてしまっているのだ。

私たちを乗せた「日本丸」は一体どこへ行こうとしているのか。
そして、どのような手を打てば私たちは助かることができるのか。
本書〈対策編〉はそれへの解答である。

「楽観的になれるのは、グラフを逆さまに見た時ぐらいだ」
二一世紀の幕が切って落とされた二〇〇一年一月末のこと、真白い雪におおわれた
厳冬のスイスアルプス山中の小さな村に全世界の政財界のトップが一堂に会した。
その顔振れと陣容は先進国首脳会議・サミットをもはるかにしのぐもので、
日本からは森首相(当時)だけでなく、石原東京都知事まで出席した。
この集まりこそ、一部の人々から'陰の世界支配会議'とささやかれる「ダボス会議」
であった。

ところが、この会議の冒頭初日からアメリカの超VIP、エリート支配層から日本の'
ある問題'について重大な懸念表明と警告が相次いだ。
では、その問題とは何か。
それこそ、日本のすさまじい財政赤字の問題だった。

特に米金融界代表からの懸念表明が相次ぎ、中でも米大手証券ゴールドマン・サックス
のカーチス副会長からは
「楽観的になれるのは(日本の財政赤字の)グラフを逆さまに見た時ぐらいのものだ」
と皮肉たっぷりに批評された。
よその国の彼らが危機意識をもつぐらい、いまや日本の財政赤字の問題は
私たちの想像をはるかに超えて、世界経済全体の大問題となり始めているのだ。

そうした中で、いよいよ国家破産へ向けての本格的カウントダウンが始まった。
ついにアメリカの格付け会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)が
日本国債の格付けを引き下げたのだ。
「ついに」といった意味は、これまでもう一方の格付け会社の雄・ムーディーズは
二回も日本国債の格付けを引き下げていたが、S&Pの方は「日本には膨大な貿易黒字と
個人金融資産があるから大丈夫」として最上級ランクに据え置いていたからだ。

それが二〇〇一年二月についに引き下げへと動いたということは、重大なコトがいよいよ始まったことを示唆している。さてそこで、ちょっと想像してほしい。
ここに、巨大なカベがあったとする。
あなたがそのカベに向かって車を運転していると思っていただきたい。
徐々にアクセルを踏み込んで加速していったが、そろそろブレーキをかけなければ
いけないのにさらにアクセルを踏み込んでしまった。

引き返し不可能地点がすでに目の前にせまっている。
いま急ブレーキを踏めばまだ助かるかもしれないというその瞬間に、悪魔が
フトあなたの耳もとでささやいた。
「大丈夫ですよ。国債はまだあんなに売れているではありませんか。
あのカベは幻想にすぎないのだから、もっとアクセルを踏み込んでごらん」。

かくしてあなたはカベに激突死することとなる。
いまの日本国はまさにこのような状況なのだ。
では、あなたの助かる手立てとは何か?

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ー以上だが、本当にこの日本どうなることか?
この記事は週刊誌に4年前に書かれた内容なのに、このとおりに
なってきている。改革といっても、遅々として進まない。
現状はむしろこの内容以上にわるいのかもしれない。

 丸井の青木社長がこの人の本を10年前読んで、それに対処してきたという。
著者は社長に呼ばれて「おかげで数百億の損をしないで済んだ」と
感謝をされたとか。
先日、丸井が本社を除いて全社員が子会社に転籍にするリストラ策を
発表した。勝ち組の典型と思っていた丸井が先手を打ってきたのだ。

すごい時代だ、常に先手を打っていないと生き抜けないということか!

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2002年08月26日(月)
500, チアリーディング日本選手権

「チアリーディング日本選手権」が面白い。
毎年この時期に開催されており、3〜4年連続でみている。

特に去年は熱気に満ちていた。昨年も書いたようだ。
16名の女子を中心にしたチームが、2分30秒の中で、演技を競う。
毎年のように優勝候補の失敗が出て、入賞すらできないことが多い。
高校、大学、社会人とそれぞれの部門で競われる。
年代ごとに技術のレベルが格段アップしている。

一人のミスが全ての苦労を吹き飛ばしてしまう。
一発勝負なのだ。
予選、準決勝を勝ち抜いた12チームで決勝がおこなわれる。

明るさ、美しさ、技術などが競われる。
一人当たり2000辰鯀肝呂覗ったと同じエネルギーを使うという。
会場がほとんど選手かその関係者のため,演技の内容に反応するのがよい。
会場が一体になってしまう。

何があっても笑顔を要求される。
失敗してガタガタになるチームと、たてなおすチームがある。
失敗した選手は、それこそ深い傷になるのではと・・・。

まず昨年の優勝チームが大失敗の連続で脱落。
次に一昨年と3年まえの連続優勝チームもそれで緊張したせいか失敗で
ガタガタ。見ていて気の毒なくらいであった。
全員の集中の連続が要求されるが、何処かで切れる。
去年、世界の選手権を見たが、レベルは近づいたとはいえ大きな差があった。

簡単な練習では、あのレベルの演技はできない。
それがチョッとしたタイミングのミスで消えていくのが残酷だ。
といって、社会人は学生に比べるとほとんどミスはない。
ある程度選手が固定しているからだろう。

人間が純粋に目的のためチーム一丸になって感動をよぶ。


2001年08月26日(日)
[121] 不調のインターネット通じる

新しいパソコンでのインタネットBIGLOBEに直接電話で20分かけて
てやっと通じる。甘くはない。でもこれでここでのインターネットが可能になる。

気軽に電話をすればいいのが解っていても抵抗があるが、これで電話
をすれば簡単に教えてもらえることが解った。


1240.お笑いコーナー・・今日のお笑い4

2004年08月25日(水)

今日のお笑い−4

アメリカで「第1回犯人逮捕選手権」が行われました。
多数の警察が参加して予選を闘い、
決勝に残ったのは、CIA、FBI、シカゴ警察の3者。

決勝戦は、森にウサギを放しそれを捕まえた者が優勝です。

まずはCIAが森に入りました。
CIAは、あらかじめ情報提供者を森に送りこんでいました。
そしてありとあらゆる動植物、虫、石ころにいたるまで聞きこみを行い、
目撃証言を集めました。
調査は3ヶ月に及んだものの、結局ウサギは存在しなかったという結論に達した。

次にFBIが森に入りました。
2週間探しましたが見つからなかったので、FBIはいきなり森に火を放ちました。
そして問題のウサギはもちろん、一般の動植物もみんな焼き殺しました。
ウサギを捕まえるためには仕方なかったと言って、詫びませんでした。

最後にシカゴ警察が森に入りました。
1時間後、シカゴ警察はひどく傷だらけのクマを連れて森から出てきました。
クマはおびえた様子で言いました。

「わかった、わかりました。私がウサギです・・・」


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「ネコってどんな動物?」

・したいようにする
・人の言うことを聞かない
・行動が予測できない
・都合のいいときだけ声を出してなく
・気まぐれ
・部屋に長い毛を落としていく
・こっちが一緒に遊びたいときは一人でいたがる
・こっちが一人でいたいときは一緒に遊びたがる

結論:ネコは女といっしょ


「イヌってどんな動物?」

・寝そべるのは家の一番いい場所
・ほっとくと散らかし放題
・おもちゃがあれば一日中機嫌がいい
・アホヅラに腹が立つこともあればアホヅラがかわいいこともある
・都合のいいときだけ声を出してうなる
・おねだりが上手
・こっちが一緒に遊びたいときは一緒に遊びたがる
・こっちが一人でいたいときも一緒に遊びたがる

結論:イヌは男といっしょ

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2003年08月25日(月)
873, 「ライフスタイル革命」ー読書日記(3)

この本の面白いのは、特に日本人が信じてきた常識を根底から否定している
ところである。
・牛乳・ヨーグルト・卵は、健康食品ではないと断じている。
 骨租しょう症は、牛乳の消費の多い国ほど多発している。
・「朝食信仰」はウソだ。
・人間の体は、動物を食べるようにできてない。
・食後のデザートでなく、食前の果物をとること。
 食後の果物は腐敗の元凶
・食前の果物と、主食をサラダにすることでエネルギー増と体重減を導く。

 この本に書いてあることは、全て正しいかどうか解らないが、
少なくとも胃腸と体の細胞には良さそうである。
朝飯から昼飯そして夕飯と段々と胃腸に重くしていくのも肯ける。
医学校が教えてきた「栄養学」が時代遅れの危険なものとさえ指摘している。
果物こそ人間にとってもっとも完全な食べ物というのも納得できる。
ライオンなどの肉食動物は同じ肉食動物を襲わないのは、
その肉が自然の原理に合わないからだ。
また牛乳神話も否定している。人間は3歳を過ぎると牛乳を消化できない
ようにできている。
中国人はあまり牛乳を飲む習慣はないが、ほとんど骨租しょう症にはならない。
今アメリカでは肉を食べない傾向がどんどん強まり、禁肉運動がおき始めている。

私自身は、
・なるべく肉食より魚をとる。
・砂糖や甘いものを食べないこと。
・インスタントものは避けること。
・主食は量を少なく。
等々心がけてきたが、果物と野菜中心を主食に切り替えることになろうとは?
でも何か方向としては間違ってない。
この一ヶ月をかけて徐々に実行していく予定である。
朝昼なら何とかできそうだが、夜もといったら無理だろう。
いずれにしても、食生活の根底にかかわる問題だから、しっかり内省をして
納得してから実行をしなくては。
早速、図書館にその類の本を探したが一冊もなかった。
ベジタリアンの本もほとんどなかった。
それより酒の量を控えることが一番大事なのだが。

ーーーーーーーーー

 2002年08月25日(日)
499,幼稚園の砂場で学んだこと

アメリカのベストセラーになった「人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
は、アメリカの議会で評判になり、全米ブームをおこした。
人間がどう生きるか、本当に知っていなくてならないことを、全部幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院などの最高学府にあるのではなくて、幼稚園の砂場にうまっていた。

それは何か??

・何でもみんなで分け合うこと。
・ずるをしないこと。
・人をぶたないこと。
・使ったものは必ずもとのところに戻す事。
・ちらかしたら自分でかたづける事。
・人のものに手を出さない事。
・誰か傷をつけたら、ごめんなさいと、ということ。
・食事の前には手を洗う事。
・トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
・焼きたてのクッキーとつめたいミルクは体にいい。
・釣り合いの取れた生活をすることー毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、
・歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。毎日昼寝をすること。
・おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、
 はなればなれにならないようにすること。
・不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。
・何よりも大事な意味をもつ言葉『見てごらん」

 人間として知っていなくてはならないことはすべて、
 このなかに何らかの形で触れてある。

このような言葉を、こうもまで「そうだ!」と共感するのか。
そうだ、この基本中の基本を我わらは忘れてしまったからだ。

他人のそれは解る、しかし自分のそれは全く解ってないのが人間。
私の場合は、実家の創業期にあった為、そこの全ての出来事であった。
10歳までに経験が人生を決めてしまうのは確かだ、胎教も含め。?

ただ幼稚園で私等はこんな事を学んだろうか?文章としては受けがいい内容だが、
むしろ日本では小学校の中の団体生活で、学ぶのではなだろうか。
火の出るような10歳から15歳までの虐め。
これは永い人生で、抗体をつくるという意味で必要なことだ。

しかしこの文章は人生後半に、改めて価値観を見直す時、おおきなヒントになる。
特に、自分のそのときの事を思い出して、最後の余白に何を書き足すかの
大本がある! 失ったもの、忘れてしまった事が。

ーーーーーーーー

2001年08月25日(土)
[119] つれづれに

昨日個人用ー自宅用パソコン購入
東芝のダイナブックだ。

半年前なら30万えんが今なら、税込みで15万で買えた。
CD=RW付である。

初めての立ち上げ苦戦中である。インターネットがつながらず、
これも息子のパソコンをかりて書いている。

ーーーーーーーーーーーーーー
お笑いのコーナーの8月分今日開いたら全部消滅!
5月分も同じことがあった。
4〜5日前コピーしていたため最悪にならなかった。

便利な反面、こういう面もある。


1239.お笑いコーナー・・今日のお笑い3

2004年08月24日(火)

今日のお笑い−3

「今日は何日だっけ?」

「さあね。君のポケットにある新聞の日付を見ればいいじゃないか」

「ダメだ。これは昨日の新聞なんだ」

  ーーーーーー

なんでもゲームにしてしまう夫婦がいた。
何事につけ勝負を競い、たがいに掛けあうのだ。その結果、夫は常に欲求不満だった。
というのも、結婚して以来彼は妻に一度も勝つことができなかったからだ。
だがある日、夫は自分が負ける心配のないゲームを思いついた。
子供の頃よくやったオシッコ飛ばしだ。
壁に向かって、どちらが高くまで飛ばせるかというあのゲーム。構造上からいって、
自分が勝つことは確実だった。

男は早速二階にいる妻に向かって怒鳴った。
「おおい、おまえ。新しいゲームをしよう!」
「あら、いいわね」妻が答えた。「私、ゲーム大好き。何するの?」
「外へ出よう」夫は妻をガレージに連れ出した。
「さあ、ごらん」彼が言った。「あの壁に向かってオシッコをするんだ。
 高くまで飛ばしたほうが勝ちだ」
「分ったわ。面白いゲームね。私に先にやらせて」
妻は足を広げ、スカートをまくりあげて狙いをつけた。
壁の約二十センチの高さの所に彼女の痕がしるされた。
「よし」男が言った「今度は俺の番だ」
彼がジッパーを引き下ろし、モノを取り出して準備を整えたとたん、
妻が声をかけた。

 
「ちょっと待って。手を使うのはナシよ」

 ーーーーーーー

居酒屋で二人の男が政治家への怒りをぶちまけていた。

A「最近の政治家はひどすぎる」

B「まったくだ!『政治家』イコール『くそったれ』だな」

A「そうだそうだ!」

そのときそばにいた男が、怒っていった。

C「取り消せ!今の発言は許せない!いくら何でもひどすぎるぞ!!」

A「……あんた、政治家なのか?」


C「違う!おれはくそったれだ!」

・・・・・・・・
・・・・・・・・
 2003年08月24日(日)
872, 「ライフスタイル革命 」−読書日記(2)


 要約すると
 朝昼食は、果物かジュースとサラダをメインにとり、
 夕飯はフレッシュジュースをとった後、なるべく魚料理か軽い肉食をとる
 習慣をつけろということだ。
 かなり荒っぽい要約であるが、私にとって青天の霹靂の知識だ。

私たち人間の体は、
・生命に必要なもの
ー自然の法則に基づいた健康作りのための条件ー体にふさわしい食べ物、
 純粋な水や空気、日光、十分な睡眠、運動、良い人間関係である
・生命を脅かすもの
ー毒ー薬、アルコール、タバコ、カフェイン、加工食品、多量の動物性食品など
 である。
 人間は、この両者と関わりを持っている。
 前者が与えられれば体は健康になり、後者が与えられれば病気になる。
 
 後者は現代の私たちの生活の中に満ち溢れている。
このような要素にたっぷり浸かっている人間を「子狐」といって忌み
嫌っている。暴力団の事務所にたむろするような悪臭を放っている
輩である。

 紀元前3800年に造られたエジプトのピラミッドに刻まれた言葉を、
この本の訳者は以下の通り紹介している。
「我々が食べているもののほとんどは余分なものといってよい。
人は食べたものの4分の1の栄養で生きているにすぎない。
残りの4分の3は病気の原因となり、そのおかげで医者は暮らしていけるのである」
果物は空腹を満たしてくれるし、体によいエネルギーを与えてくれる。

 またジョエル・ニューマン博士は次のように警告をしている。
「私たちは食べ物についての正しい知識を応用することによってしか、
体を完全な健康状態に保っておくことはできない。知識とそれを利用しよう
という意思は、病気を闘う武器となれる。自然は不注意を見逃してくれない。
そして無知であることは悲惨な状態をもたらすだけである」
以下は参考資料である。
   ・・・・・・
   
「ライフスタイル革命」
―私たちの健康と幸福と地球のために

・キングベアー出版 (1999-11-28出版)
・ダイアモンド,ハーヴィー ・ダイアモンド,マリリン【著】
・松田 麻美子【訳】
 販売価:\2,100(税別)

ここには、地球上の生き物として私たちが守るべき
「人間の原則」が記されている。
 知ってはいけなかった「衝撃の事実」の数々。
第1部 生き物としての「人間の原則」―「ライフスタイル革命」
  を支える理論と哲学(自然の法則に基づく「ライフスタイル革命」
 ;ダイエットとは何か ほか)
第2部 豊かな人生を送るための「行動プログラム」
 ―「ライフスタイル革命」実践への道(美食が地球と人間をダメにしている;
  朝食は無理に取らなくてもいい ほか)
第3部 「ライフスタイル革命」のための四週間メニュー
第4部 特選レシピ一覧
第5部 日本の読者のみなさんへ

ー近況報告!!
レビュアー: takemaru0206 (プロフィールを見る) 大分県別府市

この本を読んで一ヶ月が経ちましたので、結果を報告させていただきたいと思います。
・朝は100%果汁ジュース(みかんかりんご)とフルーツ(みかん、イチゴ、りんご、
 パイナップル、びわ、バナナ)の中から3〜4種類を食べました。
・昼は、野菜の盛り合わせ+ドレッシング(お好みで、私はフレンチドレッシング
 でした)、ご飯、味噌汁、豆腐、キンピラゴボウかほうれん草を食べました
・夜も同じようなメニューを摂取しました。

体重が73キロだったのが65キロまで落ちました。体脂肪率も25%から20%になりました。
慎重は172センチです。友達にも痩せたと言うわれ、自分でも痩せたなぁと言う
実感があります。この間肉類は一切摂取しませんでしたが、最近では肉が食べたい
という感覚がなくなり、むしろ生野菜が食べた!という気持ちになります。
これほど野菜がおいしいとは思いませんでした。胃に優しく、しかも食べたという
満足感も得られ今までのダイエット方法とは一味も二味も違うと思います。

本に書かれている内容とは少し異なるかもしれませんが、毎朝の食事で果物とジュース
の組み合わせと昼夜の食事で生野菜を取れば誰だってやせられると思います?
体に害があるやり方ではないのでだまされたと思って一度試してみてはいかがかと・・・

最近20歳になり10代の時みたいに暴飲暴食は避け、健康について考えなければ
いけなかった時に偶然本屋で読んだ本がこの本でした。
ここに書かれている事が世界中の常識になる日が来ることを楽しみにしています。


1238.お笑いコーナー・・今日のお笑い2

2004年08月23日(月)

今日のお笑い−2

監督「さあ、ここから崖に飛び降りるんだ」

俳優「は、はい。でも、もしケガをしたり死んでしまったりしたらどうするんですか?」

監督「大丈夫。これが映画のラストシーンだから」


父親の職業を引き継いだライオン調教師に、サーカスのファンが訊ねた。

「ライオンの口の中へ頭を突っ込んだことがありますか?」

「一度だけありますよ。父親を探しに」

・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年08月23日(土)
871, 「ライフスタイル革命」ー読書日記(1)

―私たちの健康と幸福と地球のために
       食事の「3つの基本原則」

 ー私の感想文
 目から鱗という感覚だった。パラダイムの大転換である。
「主食を果物か、そのジュースにしろ」
それも朝昼飯をそれに徹しろというのだから。
猿出身の人間にとって長い進化の歴史を考えれば、そういわれればそうか
と思ってしまう。
 なるほど世界で1200万冊突破の超ベストセラーの本だと思った。
この本は、自然健康法の基本的な考えと生命科学を、論理的、かつ
分りやすく結びつけている。

 ここで問題にしているのが、食べ物の選択である。
現代人の多くが、間違った選択をしていると指摘、その最たるものが
「一日30品目をバランスよく食べる」であると。
持っている地図とコンパスが間違っていれば目的地に決して到着しない。
その正しい地図とコンパスが、この本であるとか。

・私たちの体に最もふさわしい食べ物とは何か
・それを、いつ、どのように食べるか
という基本原則を書いている。

 このツールを生かせば、誰でも永続的な「スリムな健康体」を入手する
ことができる。すべての人が永久にエネルギーに満ちあふれた、疲れ
知らずの人生を展開していくことが可能になると説いている。
この本は我々のパラダイムを修正してくれる。
我々は類猿人である。猿はまずは森で果物と木の実を食べていた。
人間は森から平原に出て肉食になった。
しかし、それが人間の身体を蝕んでいるのだ。

この本の要点は食事の「3つの基本原則」につきる。

・水分を多く含んだ食べ物(果物と野菜)を豊富にとること。
・食べ物は正しく組み合わせ、たんぱく質食品と炭水化物食品を
 一緒にとらないこと。
・果物は(胃が空のとき)正しく取ること。

ー具体的にはー
・一日の始めはー新鮮なフルーツジュースで始まる。
 他に欲しければフルーツサラダか、新鮮な果物だ。
 ただし、缶詰は禁物である。ナッツ類も良い。
 果物は身体が欲求するだけ食べても良い。

・昼飯はーまずは果実のジュースを飲んで、その後に大盛りのサラダがメイン。
 全粒小麦のパンにバターを塗ったもの、あるいはスープも
 良いだろう。ご飯に味噌汁も良い。

・夕飯は、まずはフレッシュ・ベジタブルジュースカクテルを一杯。
 軽く蒸した野菜の取り合わせとサラダ。
 あとは魚に肉料理。
                      つづく
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2002年08月23日(金)
497, 最近つくづく思うこと

ー創業を振り返ってー

自分で事業を立ち上げる事(創業)ができて本当によかった。
それも26~7歳の時からできたことが幸運であった。
やはり両親に恵まれていたからだと、心の底から感謝している。

創業は本当に大変だが、実際のところ面白い。
自分で考えたことが、目の前で実現していくからだ。
それも甘さと厳しさがそのままストレートで帰ってくる。

本気になると、それだけエネルギーが身体と脳から湧き出てくる。
あと決断を一人でしなくてはならない。
結果としてその積み重ねがよかった。
一人で考えていると、事務所の誰もいない部屋で独り言をいっている。

計画も一人こつこつとする場面が多くなる。
あらゆる仮説をたててみる、その練りが多いほど後で後悔する部分が少ない。
今になっても基本は一緒である。
自分で考え、練り、手順を踏むまでは、ただコツコツやるしかない。

自発的に考え、それをやると苦労が苦にならなくなる。
好きなことをしていと、仕事でも遊びと変わらなくなる。
自分の意思で主体的になりざるをえないからだ。
サラリーマンのマイナス点はその機会が少ない事だ。

長期設備投資という事業が結果として非常にプラスになった。
10年〜20年スパンで将来を予測しなくてはならないからだ。
それも自分の全財産を賭けた博打である。
いやでも考えざるを得ない。それでも読みが浅いと後悔する事が多い。

規模は小さいが、ものの見方は広く深い知識と覚悟を要求される。
間違えば、取り返しがつかない。
その点では、政治家や経済評論家のような見識が広く深く要求される。

それこそ大した事がないのに、言う事だけは天下国家のような難しい話を
するのは、それが必要だからだ。どうしてもそれに直接影響される為だ。

・・・・・・・


2001年08月23日(木)
[117] ‘もの’より‘こと’の時代に

これを言はれ始めて久しいが、ますますその傾向が
増してきた。別荘を持つ時代より、リゾートホテルチェーンの会員に
なってあちこちのホテルで休暇を過ごす時代になってきたということだ。
私もセカンドハウスを持つ代わりに海外ツアーに出ている。

情報化、グローバル化の時代はますますこの傾向は激しくなってく
るだろう。経営に対してもこのことが言える。所有から利用ーリース、レンタルの
傾向になっている。今のダイエーとイトーヨーカドウの経営は、店舗の所有と
リースに対する方針で、リースに走ったヨーカドウが勝組みになったことをみても
明らかだ。

あの世に金やものは持っていけないが、事は持っていける。
真にやりたいことを見つけやり尽くすことだ。
母を見てつくづく学んだことだ。

・・・・・・・・


1237.お笑いコーナー・・今日のお笑い1

2004年08月22日(日)

今日のお笑い−1

・ある男、ブロードウェイで大ヒットした劇のチケットを一年待ってやっと
 手に入れた。
 待望の日がやってきて劇場の席につくと、驚いたことに自分と小柄な
 老人との間にひとつ席が空いていた。
 
 どうしてかと訊ねたら、その老人、これは亡くなった妻のために
 予約しておいた席なのだといった。

「……そうですか。でも、どなたか親戚の方が代わりに来られなかったのですか?」

 
「いいや、みな妻の葬式に行ってるよ」

   ーーーーー

・「ねえ、ママ、あの人を見てごらん。髪の毛が全然ないよ」

「静かにしなさい!聞こえるわよ」

「へえ、あの人、それ知らないの?」

  −−−−−−

嵐の空を飛んでいた飛行機が落雷を受けて飛行不能となり、
なんとか海の上に着水することが出来た。
機長の指示がアナウンスされた。

「誠に申し訳ありませんが当機には救命ゴムボートが搭載されておりません。
泳げるお客様は機内左側に、泳げないお客様は機内右側にお集まり下さい。

左側に残られたお客様は、直ちに海に飛び込んで向こうの小さな島まで
泳いで下さい。

右側に移られたお客様、本日は当機にご搭乗いただき、
まことにありがとうございました。」


・・・・・・・・
・・・・・・・・
2003年08月22日(金)
870, 5回目の乗り過ごし

 昨夜、5回目の新幹線の乗り過ごしをしてしまった、6年?ぶりである。
コンサルタントの林さんと新潟の沼垂で痛飲、22時16分の最終列車で寝込んでしまった。気がついた時は既に長岡を通過してしまっていた。
仕方がなく浦佐の駅前のビジネスホテルに泊まってきた。
最終に乗るくらいなら泊まると決めていたが、酔った勢いの判断ミスであった。

ホテルを始めた頃、東京からの新幹線で大宮で降りる予定のサラリーマンが新潟まで寝過ごしてきた。財布は空で宿泊代は無し。
「宿泊代と帰りの切符代を貸してもらえないか」と頼まれた当時の大矢マネージャーが気の毒なのでその通りに応じたという。
本来は警察に行けば何とかしてくるはずだが、気が動転していたのだろう。他人事の話ではないが。

以前「乗り過ごしについて書いた文章」をコピーしておきます。

・・・・・・・・・

2002/02/10
新幹線の乗り越しー4回!

通勤22年間に乗り過ごしの経験が4回ある。
それぞれに思い出がある。
たて続きに3回乗り過ごした。
いまから12〜15年前で一番酒を飲んでいた時期であった。
初めは湯沢で泊まった。

飲んでいた勢いで、ビジネスホテルの近くのスナックに飲みに出た。10時半過ぎであった。
大きい猫がいて手を噛まれた!中年のママさんがいた。
湯沢の情緒が漂っていた!

その次は浦佐駅であった。やはり乗り過ごした2人と話し合い
「割りかん」で帰ってきた。
長岡駅と思い歩いていて,何かが違うのでよく駅名を見ると[浦佐]であった。

3回目は本を読んでいて、夢中になりすぎて乗り過ごした。
折り返しの新幹線で帰ってきた。

5年位前の乗り過ごしが面白かった。
ウソみたいな本当の話である。
正月の3日か4日であった。
乗り過ごした私と同年代の人と駅の改札で話し合い、
どこかのホテルのツインを割り勘で泊まることにした。
そして近くのビジネスホテルで、乗り過ごしの事情をいい
「値引を交渉!」

「自分には値引きの権限が無い,駄目!」
酔っていて滅茶苦茶!面白くないので、そのまま出て歩いていた。

たまたま向こうから60歳すぎのの人と、40歳後半の男の人が歩いてきた。事情を話し、
「もっと安いホテルが無いか?」と聞いたら、
ちょっと待てと電話をしてくれた。
そして安くしてくれるホテルがあるといいう。

助かったと思い感謝しつつ後をついていくと、
何と初め値段交渉をしたホテルであった。
そしてその若い方がその社長であった。

そして飲みに行こうという。
それならばこちらも乗りかかった船、その連れと付き合うこととなった。
但し値引いた分の金額を出せという。それは当然のこと二人で出した。

その後、湯沢で一番の高級のクラブで2時間、正月という事もあって大騒ぎ。ー後で知人に話したら、そのクラブを知っていたー

次の日4時間だけ寝て一番の新幹線で帰ってきた。
だんだん恥のさらけ出し?

「気違い水ー酒」を飲んだドラマがいろいろある。


2002年08月22日(木)
495, 熊(現実)からの逃避-2

・1はセックスや酒などの遊びに逃げる。
・2は本を読んだり、自分の生き方や理想を再考再確認する。
・3は実家や故郷に帰るー過去に帰る。
・4は闘う
・他には死んだ振りもあるだろう。

 私の場合は木に登るである。
 
「初め家に逃げ帰り、熊が去った後、木に登りくまの行方と様子を見定めた後、
 水遊びをする。そしてある時期がきたら、再びそこを去る。
そこは休む場所であって決して安住する場所ではない、それだけは
 心しておかなくては」というのは如何なものだろうか。

IBMの理念の「鴨のはなしー残り鴨にはなるな!」を暗示してある。
 またそこには子狐が様子を窺っている。

たとえ話はより深く対象を深める。
人生という道には、曲がり角と行き止まりがある。
迷ったら、今まで来た道を一度戻るのが最短の道だ。

人生には、本当にどうにもならない時がある。
良寛がいった「災難にあう時は、あうがよい」
自然法爾ー受け入れて、あとは時間が経つのを待つのがよい。

・・・・・・・・


1236, 広松渉ー(5)−哲学についてー30

2004年08月21日(土)

人間は、それぞれの正義がある。
そして、その正義にしたがっていきている。
その正義の成立条件を考えるとなかなか面白い。


第三章 実践するとはどういうことか
 第三節 正義の成立条件
  のポイントを抜粋する

・正義と不義
正義と不義という価値対立性が志向的・実現的な行為目的の価値評価の基準を
なすと私は考えます。
 ・・・より高い実践的価値を実現する行為が私の謂う正義であり、それに
背馳する行為が不義である。

・身体的存在=自己
正義ということは
「より高い行為目的の撰取」が可能なこと、および、
「志向目的の行動的実現」が可能なこと、
これら二つの「可能」性を前提にしている。
前者はいわゆる「選択の自由」、後者はいわゆる「起動・駆動の自由」の
問題に属し、そうじて「自由意志」の問題に属します。

この自由意志」という大問題を論究するためには、「人格的主体」の問題を
検討しなくてはなりません。
人は幕場的情況に応じてその都度一定の役柄存在相で行為を演じるとはいえ、
役柄存在には尽きない内自的主体があるように自・他を覚識します。
生徒に対する対他的関係においては教師であり、医師のそれに対しては
患者であり、妻に対しては夫であり・・・・という役柄を一切脱ぎ捨てて
もなお残る本人、一切の対他的関係の規定から切り離しても残る
実体的自己同一者、そのような内自的な主体が厳存するように思えます。

・・・新陳代謝に留目すれば、人体は骨を形成している物質分子に至るまで
一定の時間後にはすっかり入れかわってしまうのであり、人体を一個の物
と見做すのは、譬えていえば、河を一個の物に見立てるようなものです。
中味はすっかり換わってしまうものであり、変わらないのは「形」だけと
言いたいところですが、現実には成長・老化につれて「形」さえ変わります。
・・・個人が単なる肉体的存在でないとすれば、実体的自己同一体としての
魂なるものを内在させているということにして、
霊魂的自己同一性に拠って規定さるべきでしょうか?

・・・意識・意志を具えた実体的霊魂の内在という思念は、近代科学的
発想には馴染まないにしても、依然として根強い。
実体的霊魂とやらは、その存在を実証することも、その存在を確証することも、
いずれも不可能な特異な存在だと称されますので、扱いに苦慮します。
が、その存在を信憑・主張する人々の論拠は何でしょうか。
差し当たって、ナルホド、宗教的教義その他、それは多種多様ですが、
教義や伝統的思念の成立場面・追認場面にまで遡って問い返せば、
(1)自我の自己同一性の覚識
(2)一群の意識的行為現象を整合的・統一的に説明するための‘構成'的
措定、この二つに帰趨するはずです。

・・・・・・・・
・・・・・・・・

 2003年08月21日(木)
869, 「ロバート・アレンの実践億万長者入門」−2

― 生涯続く無限の富を得る方法
 
この歳で、いまさら億万長者になって無限の富を得て何とかではないが、
一生を通じて億万長者になる方法論には興味がそそられる。。
そしてこの本の中には、なるほどと納得するものが多い。
当たり前のことだが、その当たり前のことが解らないものだ。
「お金はむき出しの真実」なるがゆえに、太陽と同じように直視できない。
おまけに複利で増殖をしてくるから、その蓄積は力を持ってくる。
その上に「むき出しの力」になるから恐ろしい。

ー以下いくつか印象に残った箇所を抜粋してみるー

・「お金で成功する秘訣は、使った残りを貯金するのではなく、
 貯金した残りを使うことである」
 ーこれなど「天引き貯金」という言葉があるほど当たり前のことだが、
 じゃあ実行しているかというと意外としてない。
・節約したお金は、稼いだ金と同じくらい価値がある(デンマークの諺)
 ーこれも考えれば考えるほど含蓄がある。
・もしお金がものを言うなら、私には補聴器が必要だ。
 −ほとんどの人にいえることだ。
・30秒で生活費を20~30雄鏝困垢詈法として
「あなたの持っているクレジットカードをすべて取り出して全部切って
しまいなさい。統計上、この単純な行為が自動的に、ほとんど苦労なく、
続く12ヶ月間の生活費を平均30雄鏝困垢襦廚修Δ澄
 −アメリカの場合は特にそうだろう
 
 ある姉の甥っ子が私の父の節約癖を子供の頃に馬鹿にしていた。
その姉夫婦は浪費家で、その親の影響があった。
その時その姉夫婦の将来がはっきり見えたことを覚えている。
現在無残なほど生活に困窮している。
金を馬鹿にすると必ず金に復讐される身近な事例だ。

 アメリカの億万長者ポール・ゲッティが「成功の秘訣は?」と尋ねられて
「私は麦わら帽子を秋に買います」と答えた話は有名である。
需要の下った時節の、値段の下がった秋に買えば、何分の一の買いは
誰でも可能だ。
彼の凄いのは、この哲学をすべての買い物に適応したことだ。
油田も、ビルも、ジェット機も、アートコレクションもすべてこの哲学で
買い物に適用した。彼の頭の中には常に「卸売価格」という言葉があった。
誰も欲しがらない時に買い、需要が高くなった時に売る自然の法則
という長期的視点を常に持っていたのだ。
ロバート・アレンはこの本で、最低90日単位の計画を勧めている。
「90日後に必要なものをより賢く買うためには、今日何をすればよいか」
と説いている。出費コントロールが、収入を増やすことより、はるかに
簡単であることを強調している。

「毎月50ドル節約する50の方法」がなかなか面白い!
ーこのうち幾つかを抜粋してみるー
1、買い物はショッピングリストをつくって、そのリストどおりに
1、いま残っているクレジットカードの残高をすぐに完済すること
1、映画はやめて、レンタルビデオ・DVDに
1、外食をやめて内食を
1、ランチは弁当持参で
1、その本を買ってはダメ、図書館であるかないか確認のうえで
1、パレードを見よう。ピクニックをしよう。ただのエンターテーメント
  はけっこう楽しい
1、バスに乗って、タクシーとは縁をきる
1、そのスポーツクラブはやめて、近所のジムかほとんどただの健康センター
  へ切り替える
1、ブランド物はやめて、無印良品をかう
1、会員制大幅ディカウント店の会員になろう
1、高い専門店はさける事
1、オンラインでライバル店の値段を比較する
1、自動洗車機は使わず、自分で洗車する
1、暖房を入れる前にセーターをいま一枚着ること
1、お風呂のかわりにシャワーを
1、宝くじは買わない。稲妻にうたれる確率より低い
1、まずは自分自身に支払いを。一日1ドル預金を
1、ソファーなどで見つける小銭をためておく貯金箱を買おう

 などなどである。
最善を尽くす人に対して、ものごとは最善の展開をする。
そのリアルに反応するのがお金だ。
お金に対する考え方が、その人の人生を大きく左右する。
守銭奴の「恥欠き、義理欠き、人情か欠き」も考えものだ、といってお金を
軽蔑するのはそれより遥かに下である。
地方で先祖伝来の土地を引き継いで、アパートか駐車場の家賃の収入があり、夫婦共働きで、あまり派手な生活をしないで、お互いの趣味が同じで、
その範囲の中で収入を目いっぱい楽しむのが、この時代一番幸せなのかも知れない。

 そうすると、亭主が浮気でもはじめるか?!

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年08月21日(水)
494,熊(現実)からの逃避ー煮詰まった時 -1

 古館伊知郎のトークショーでの話しだが、
 周辺のデレクターなど10人に「あなたは煮詰まった時どこに向かいますか」
 と聞いたそうだ。答えが面白い!

・「実家に帰る」が7人もいたそうだ。
・二人が「ふてね」をする。
・あと一人は、ニクソンが回顧録の中に書いてあるのを真似ているという。
 部屋で「馬鹿を許す、馬鹿を許す、馬鹿を許す」と大声で唱ているという。
 そのデレクターはトイレでやっていたという。

 まあ面白い話だ。
自分なら、過去どうしていたかというと以前にも書いたことがあるが、
それに関連した本を買い込み徹底的に読む。
そして紙に書く、徹底的に。
大体が一週間でいや実際は2ヶ月で終了する。
いろいろと逞しくなった。
要するに自分の心の捉え方一つなのだ。そこのところをキッチリト整理をして
内面にしまっておかないといつまでも尾をひく。

以前にも何回か書いたが、30年前の何かの本で強烈な喩え話があった。

「熊に追いかけられ、そこには1.池がある。 2、木がある。
 3、家がある。 4、鉈(なた)がある。」4の鉈は自分が今回いれたのだが。
ー貴方ならどうしますか?
 
 この答えをじっくり考えておいてください。
        ー参考のために前文の実家が3の家だ。 ー 続く

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年08月21日(水)
494,熊(現実)からの逃避ー煮詰まった時 -1

 古館伊知郎のトークショーでの話しだが、
 周辺のデレクターなど10人に「あなたは煮詰まった時どこに向かいますか」
 と聞いたそうだ。答えが面白い!

・「実家に帰る」が7人もいたそうだ。
・二人が「ふてね」をする。
・あと一人は、ニクソンが回顧録の中に書いてあるのを真似ているという。
 部屋で「馬鹿を許す、馬鹿を許す、馬鹿を許す」と大声で唱ているという。
 そのデレクターはトイレでやっていたという。

 まあ面白い話だ。
自分なら、過去どうしていたかというと以前にも書いたことがあるが、
それに関連した本を買い込み徹底的に読む。
そして紙に書く、徹底的に。
大体が一週間でいや実際は2ヶ月で終了する。
いろいろと逞しくなった。
要するに自分の心の捉え方一つなのだ。そこのところをキッチリト整理をして
内面にしまっておかないといつまでも尾をひく。

以前にも何回か書いたが、30年前の何かの本で強烈な喩え話があった。

「熊に追いかけられ、そこには1.池がある。 2、木がある。
 3、家がある。 4、鉈(なた)がある。」4の鉈は自分が今回いれたのだが。
ー貴方ならどうしますか?
 
 この答えをじっくり考えておいてください。
        ー参考のために前文の実家が3の家だ。 ー 続く

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2001年08月21日(火)
[115] 夢についてー8

南アフリカのビクトリア滝での100メートルのバンジ‐ジャンプの半年後の話である。
新宿の50Fの高層ビル(都庁)は、あの100メートルの高さの二倍の200辰任△辰拭

その時、窓の外を見て飛び降りるイメージをして見て、足がすくんでしまった。

その夜たまたま近くのホテルに泊まった。
その夜の夢が200メートルのその高さのバンジ‐ジャンプの夢である。

実感として本当に飛び降りた感覚の夢である。
高さの恐怖はその視野の広がりが大きさと比例する。

飛び降りるその時間の圧縮が、そのまま恐怖の圧縮となるのだ。

凍りつく瞬間にたいする自己投身が、ジャンプとなる。
それが恐怖として夢に現れたのである。

夢の話より、バンジ‐ジャンプがいかにショックかの話。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
     
       ーH0705バンジージャンプ

(南アフリカ・ビクトリア滝)
 ナイアガラの二倍の落差のビクトリア大瀑布に息をのみ、そのまま進む
ジンバブエとザンビアの国境を結ぶ小説等で有名な鉄橋がみえてきた。
よくみるとバンジー・ジャンプで丁度人がとびおりたところであった。
思わず“私もやりたい!”今年の五月にニュージランドで43mの高さを挑戦!
今度はその二倍あるという。

現地案内人の黒人女性も、私の気迫におされてOKの返事!一度国境を出てまったく
無国籍の橋の上へ。国境警備員も本当かと何回も念を押した。
そして……。飛び込み台に立って気がついた高さと恐怖心は正比例である事に!
氷つくような恐怖心!後ろをふりむいて“やっぱりやめた!”という一瞬の気の迷いを
振りほどいてジャンプ!何と次の瞬間思いもよらない脳の奥より声!
“目をあけてみてみろ!”
何とそこには高速道路で170劼離好圈璽匹納屬鬚呂靴辰浸の世界と同じような
空をとんでいるような感覚。
いやに緑の木々の印象の強い光の中をつきぬけていく風景がみえてきた。
さらに恐ろしいのは、50m位の中間で何分か宙づりになり、
橋まで再びひきあげられるまでの恐怖であった。

次はヘリコプターよりのジャンプ!挑戦をしてみよう。

(ニュージランド・クラフトチャーチ)
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム、
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。

あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛りそのもの。
自分は何でこんな事をしてしまったのか。
まさか自分がここより飛びおりる?

…本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。
現地の日本人ガイドが、私の申し込みに四回も私の目をみて、念をおしたのも頷けた。
そして、宙に向かって自分を投げ込んだ。
後で写真を見ると・・・・




1235, 「こころ」の出家(2)−読書日記

2004年08月20日(金)



 ー「第1章 人生を振り返るとき―C.G.ユング 」
 「中年」の発見(ある「失踪」午前の人生、午後の人生)

中年真っ盛り、いや終盤に入った私にとって、この時期の心的風景は面白い!
今まで振り返らないようにしてきた過去が、いやに鮮明に思い出されてくる。
ーこの随想日記を書き続けていることも大きく影響しているが。

自分の人生とは何だったのか?
あの時の判断は、考えは、果たして正しかったのだろうか?
あの時の、あの人の気持はどういう気持ちだったのか?

この歳になって、初めて気がつくことが本当に多い。
そして、過去の、その時々の自分のペルソナ(仮面)が、よく見えてくる。
僅かしかない知識で、精一杯生きていた若い時の自分の姿が走馬灯のように、
よぎっても来る。

ユングは、
人生の午前と午後は、その優劣を比較するものではなく、
全く違う意味と価値を持つものだという。
若いころの「発達中心のライフサイクル観」から、もう一つの座標軸の
模索を勧めるユングの考え方を「出家」と、とらえるのは自然である。

人生を振り返ってみて思うことは、
生きるということは「自分への旅」ということである。
四国のお遍路は「過去の自分に向かって歩くこと」だというが、
生きるということは、いま現に自分に向かっての旅をすることだ。
そして、最後には無に帰っていくのだ。

ー第一章の印象に残ったところを抜粋してみる。

こころの出家とは、歩いている道から離れることだ。
自分の周囲に張りめぐらした垣根(ペルソナー仮面)を取りさることである。
神吉拓郎の「金色の泡」の中での主人公欣吾と従兄弟の会話で
以下のことを語らせている。

ー文雄がいった。
「俺、発見したんだ」
「なにをさ」
「40にして惑わず、という言葉があるだろう。騙されてはいけない。
 あれは偉大なる皮肉なんだ。本当はそうなんだ」
「どうして」
「とにかく、そうなんだ。40前には、迷うことなんかないよ。
 夢中だよ。世の中に出たばかり、目がくらんでいるか解らない。
 あり合せの目標に突っ走る。
 一段らくしたときが一番恐い。
 40をすぎた頃に初めて迷いが出るんだ。
 今まで何をしてきたのだろうか気づくんだ。
 え、そうじゃないか。迷いが出てきただろう」
「そういえば、そうかな」
「迷うのは、40からなんだ。それが本当だよ。恐らく、死ぬまで迷い続ける
 んだろうと思う」
「迷わない奴だっているだろう」
「そんな奴は、一生馬鹿なままさ。しあわせという言い方もあるだろうがね」

ペルソナは必要なものである。それは一定の効果を持つし、社会を渡って
行くために不可欠かもしれない。しかし、その仮面を剥いで生きたいと、
こころの奥に思っているものだ。
そのことに気づき、生き方の大転換を図るのが、こころの「出家」なのだ。

ペルソナについて、ユングは、外部に対する適応とか、やむをえない便宜とか
理由から生まれてきた一種の「機能コンプレックス」であるという。
それは個性というものとは違うものである。
安定したペルソナの下に。常にそれに影響を与え、それを脅かす内的世界が
存在している。ーーーー

 −−−

以上であるが、
人生の後半に入り、内的世界に目を向けたとき、それまでの
自分が全面否定されることが多くなる。
これが恐ろしい。
老人の無言の暗い顔を時時みるが、もしかしたら全面否定をして押しつぶされた
のかもしれない。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2003年08月20日(水)
868, 「ロバート・アレンの実践億万長者入門」ー1

― 生涯続く無限の富を得る方法
 
 全米でベストセラーのこの本、著者が長年にわたって蓄積したきた
ノウハウを読みやすく、解りやすく、実践しやすく、具体的に書いてある。
しかしちょっとしっかりした女性なら誰もが実行している内容が多い。
その当たり前のことが多くの人が解ってないのだ。
だからこそ全米でベストセラーになる。
よく読んでいると「長期的に貯まる生活習慣をたてよ」ということだ。
その長期的合理的システムを生活習慣に組み込むことを具体的に説いている。
私の両親が教えてくれたことだ。

 子供の時から大晦日、お年玉を兄姉全員が貰った。
そして全員に貯金通帳をつくり、半強制的に預金をさせていた。
姉たちには結婚の基礎資金にしていた。
結婚数年後に、それを元銭にして家を建ててやった。

 私の場合は特別に高校に入ると同時に株を買えと勧められた。
「何を買うか株の銘柄を調べて、自分で選択せよ」という事だった。
自分は当時、ある持病を持っていた。
その特効薬ができたという新聞記事を読んでいたので、その会社の株を買った。
「科研」という会社であった。それから株式の欄を毎日見るようになった。
父の狙いは経済に興味を持たせ利殖をおぼえさせようということだった。。
株を買って以来、今日まで株のコーナーを見ない日は殆どない。

                  −続くー

以下はインターネットで調べた内容をコーピーした。
  
  ・・・・・・・・・・・・・・
「ロバート・アレンの実践億万長者入門」
ロバート G. アレン (著),  
今泉 敦子 (翻訳), 神田 昌典 (翻訳)
価格: ¥1,800
  ・・・・・・・・・
ー レビュー ー
頭金なしで不動産を購入する方法(もちろん一括購入ではない)を記し、
全米ベストセラーとなった『Nothing Down』(邦題『ナッシング・ダウン』)
の著者、ロバート・G・アレンによる資産運用術。
元手をほとんど、あるいはまったくかけずに「家にいながら1日1000ドル稼ぐ」
「年収をあと5万〜10万ドル多くする」方法などはにわかには信じがたいが、
読めば著者の意図がわかる。

・ まず多くの「金持ち本」同様、億万長者になるために必要な知恵や経済観念、
身につけるべき習慣が論じられている。その主旨は、1日1ドルの投資、
1セント単位の支出の把握や削減といった地道な努力が結果として実を結ぶと
いうもの。

・加えて収入面では、複数の収入の流れをつくり、利子、印税、
コミッション、賃料収入といった「一生型収入」を得ることを必須としている。
容易ではないが、大きく稼ぐには妥当な筋道といえよう。

ー 肝心の億万長者になる方法については3分野が挙げられている。
・その1つ「株式投資」では、
金融商品の種類や売買のタイミングなどが
論じられている。内容は投資関連の本などでよく語られているもので、
それほど新鮮味は感じられない。

・2つ目は著者の専門分野である「不動産」で、
格安不動産を見つける方法や頭金をゼロにして購入するテクニック、
転売で稼ぐ方法などが披露されている。日本の不動産事情も考慮する必要が
ありそうだが、そのゲリラ的なノウハウにはただ敬服する。

・3つ目が「マーケティング」で、
マルチ商法や自費出版、各種情報コンテンツの販売、ライセンスビジネス、
インターネット販売などが論じられている。知的財産の販売が中心であるが、
その価値を引き出すマーケティング手法にヒントが詰まっている。

億万長者になる直接の方法ではないもの、特定のスキルを要するもの、
日本の事情とは異なるものなどもあり、即実践できる項目は多くない。
ただ、大金を稼ぐためのアイデアは確実に学べる。また、身の丈から始める
ビジネスの可能性が幅広く検討されていて、フリーの在宅ビジネスを
手がける人には刺激になるはずだ。
とにかく試すことでしか、真価のわからぬ1冊である。(棚上 勉)

ー内容ー
一生続く「複数の収入の流れ」の構築法を教える。自分の財務状態を
コントロールする方法、家にいながら1日1000ドル稼ぐ方法、年収をあと
5万〜10万ドル多くする方法などを伝授。

  ー目次ー
・イージー・マネー
・10分間で億万長者!
・マネーツリー・フォーミュラ
・経済的自由を生み出す山脈
・株式市場で成功する
・不動産で大きく稼ぐ
・抵当流れと転売で稼ぐ
・ネットワーク・マーケティング
・情報ビジネス
・ライセンシング
・インターネット
・バランスをとる
・分かち合う

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2002年08月20日(火)
493, 女の盛り

 表面的のことだが
・女性の若いときの盛りは、やはり18歳から21歳。
・次は少し社会に揉まれた30歳あたりだ。

・最後の円熟の年増の最高潮が41歳である。
 これは生命保険の偉いさんから聞いたが、正しくそのとおりである。
 妙齢の年頃という頃だ。
 
・往年の大女優がエッセイで書いていたが、
 45歳を境に坂道を転げ落ちるように、衰えが激しくなる。
 姉や従姉妹など見ていると全くそのとおりになっていった。
 色が全体に黒くなってくる。閉経期と一緒だ。
 
 それに図々しさが加わると小母ちゃんになってしまう。
 その時こそ、本当のお洒落が必要になってくるという。
 それと教養が顔に出てくるから更に怖い。

 去年の同級会に出てびっくりした。
 55歳の同級会であったが、見事おばさん化していた。
 男もそうだが、それでも女性ほどではなかった。
 肉体の衰えが、精神を抑えることができないのだろう。

 そこに残るのは品性だけだ。
 そういう意味で、品性は大事である。
 その時にお洒落の意味が出てくるという。
 如何に老いをプラスに表現できるかである。
 けっして若く見せることでない。

 TVタレントや女優を見ていると、その良し悪しが見えてくる。

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2001年08月20日(月)
[114] メキシコ旅行記

現在旅行記のコナーが不調の為掲載できなかった旅行記仮にこのコーナーで載せておく。

2001/02 近畿ツーリスト
とにかくいいかげんな陽気な、しかし奥行きの深いラテンアメリカの国だ。
世界遺産だけで21もある遺跡の国でBある。
文明はBC5〜AC16にかけてさかえた。
メキシコの大半が1000メートルをこえる高原で、
国土の4ぶんの3が荒地である。
今回の旅行は代表的な‘テオティワカンの遺跡’と‘チェチェンイッアの遺跡’と
‘ウシュマルの遺跡’と世界的リゾート地‘カンクン’のツアーであった。
1、まづはてオテオワカンの遺跡―  
  メキシコシテーの50キロの近くにあった。
  BC2につくられ当時20万の人口があった。
  高さ46メートルの月のピラミッドと65メートルの太陽のピラミッドと
  南北4キロを貫く死者の道があった。
  ここで不思議に思ったのはエジプトと全く交流がないのに、
  カタチと大きさが同じピラミッドがあることである。
  神聖なおおらかな感じがした。
2、次はチェチェンイツアの遺跡―
  チェチェンイツアは'泉の近くに住む魔法使い'という意味であるという。
  そこのピラミッドは365段の階段で出来ており、暦をあらわす。
  いけにえの泉も印象的であった。
3、ウシュマルの遺跡は都合三回建替えられたという。
  小人が一晩で造ったという伝説のある卵型の'魔法使いのピラミッド'
  が印象的であった。東洋的な神秘性が漂っていた。
4、カンクーンはこの旅行で初めて知ったが、世界に誇る大リゾート地であった。
  幅2〜300メートル長さ数キロの半島に、100以上のリゾートホテルが立ち並ぶ
  カリブの別天地という感であった。
 
  メキシコの今の現状は思っていたよりずっと豊かであった。


1234, 地球絶景

2004年08月19日(木)

高度一万メートルからの「地球絶景」という写真集を図書館から借りてきた。
写真集にしては小型の本で、新幹線の中で何気なく見ていた。
一万メートルからの写真が飛行機のフライトから、時系列に出てくる。

チャーターをしたわけでないのに、コックピットの写真を如何して撮影したのだ
ろうかという疑問がでてきた。そして「はじめに」を読んで、そのわけが解った。
日航の機長が撮っていたのだ。 それなら解る!
この写真集を見ていて「神は人間を不平等に創られた!」と思いざるを得ない。

彼はコックピットで1万7300時間の時を過ごしてきたのだ。
そこでは、大自然や都市、農村などの風景を眼下に見ながら、同時に
太陽、星、雲、それにオーロラといった自然現象に遭遇機会に恵まれる。
このパノラマを見ることができるのはパイロットだけの特権である。

もちろん言い訳に、フライトの最中には休憩交代があり、その時撮ったと書いて
あるが、このような絶景は常にカメラを片手にしていなくては、撮ることは
不可能である。

あとがき、に書いてあったが、一般に空撮といえば、ヘリや小型機による低高度
からのものか、あるいは宇宙からの超高度からのものがほとんどだ。
ところが一万メートルの高さからの地球の表情は、角度といい、見え方といい、
感動的シーンの連続だという。本当に羨ましいかぎりである!!!
しかし、これまで本書のような写真集は出版されることはなかったという。
その理由の一つとして、空撮が多くの国で軍事上理由で禁止されていたからだ
という。
特に、旧共産圏では厳しいもので、今でも中東諸国では認められてないとか。

機長の視線で都市、自然を見ているとなお興味がわく。
この写真や文章では説明できない場面を数限りなく見てきたことだろう。

この機長が私と同じ歳であるから、尚のこと身近に感じる。

多くの鉄道写真を撮影・発表し、鉄道写真家として知られている。
日本エッセイスト・クラブ会員。

主な写真集『ヨーロッパSL鉄道の旅』『アジア・中東・アフリカSL鉄道の旅』
『北米・南米・オセアニアSL鉄道の旅』(以上、誠文堂新光社・1998)
『世界の駅』(JTB出版・2002)『1万メートルからの地球絶景』(講談社・2003)

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「高度1万メートルからの地球絶景 」
  講談社 (2003-12-15出版)

・杉江 弘【著】
  \1,995
世界初、国際線別絶景ガイド。
いまどこを飛んでいるんだろう?
現役ジャンボ機長が撮り続けた貴重な記録。
初めて見る美しき地球の素顔。

カナダ/メキシコ路線―眼下に太古の原風景が広がる
ヨーロッパ路線―ロシア上空から見るシベリアの大地
オセアニア路線―珊瑚礁の海と青の澄明さ
北米/北太平洋路線―アラスカ横断飛行は氷河の世界
中国/シルクロード路線―秀峰カラコルムを越える空のシルクロード
ハワイ路線―太平洋の青い環礁を越えて
東南アジア路線(熱帯雨林とメコンの大河へ;南方の戦跡の島々を飛ぶ;
世界の屋根ヒマラヤからインドへ)
その他の路線―南米/西オーストラリア/南アフリカ

http://epsite.epson.co.jp/sugie/sugie.htm

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 2003年08月19日(火)
867, 情報化社会ー時の変わり目

 先日も、中古本をアマゾンを通して買った。
買うほどに欲しいとは思わないが、図書館にはない。
いつも本屋の平台に山積みになって何回も手に取っているが、
いつも迷っている本が何冊かはある。

 その一冊が先日も書いた「借りた金は返すな」であった。
送料も含めて半額なら買ってやろうという本であった。
なるほどこういう需要の本もあるのである。
送り主は、ある県の接骨・指圧師の印があった。
何かそれを見てこの本の内容からして不思議な感覚になった。
こういう販路が何か不思議で仕方がない。
情報化社会は根底から世の中を変えているのが実感できる。

 今では、イラクの国民とイギリスの国民がインターネットで、
アメリカの軍事介入の件で直接議論をしたり、運動サークルをつくって
現場の生々しい情報が行き来しているという。
もう情報操作とか言う時代ではなくなっている。
国というものがダンダン希薄になって、個人は「国」より「地球」を問題に
するようになっている。
わずか10~20年前には、外交当事者さえやり取りしていなかったことが、
市民レベルで簡単にやり取りされている時代になっている。
この衆議院選挙で政治家が、この動きを読み違える可能性がある。

 私でさえも今度の選挙は民主党に入れると宣言している。
理由は簡単、自民党県連が小泉でなく旧守派を党首選で支持をすると表明した
からだ。もう真紀子とか、訳のわからない個人に入れるつもりはない。
あくまで政策優先である。

 話は変わるが、先週の日曜日の「サンデープロジェクト」で
「閉鎖寸前の赤字工場が奇蹟の復活、驚きの秘密!」というタイトルで、
ある合理化の放送をしていた。
トヨタとリクルートが合弁会社で、両社の社員が数人が依頼された赤字工場に
乗り込み半年間トヨタ方式の合理化を取り入れるドキュメントだ。
本社から16日かかっていた工程を5日にするように厳命された為に、
工場の在庫が膨れ上がっていた。
それを3日まで工程を詰めた上に、在庫を激減させ黒字に転換させてしまった。
「トヨタの合理化のノウハウ」を「リクルートのシステムで販売」する
ドキュメントである。

IBMの同じような「システム販売の説明会」に出席してきた知人から、
その生々しい話を聞いたことがある。
物流システムを提案、一年間の合理化された部分の半分をシステム料として
支払う出来高払いのシステム販売である。

 そういえば以前面白い夢をみた事を思い出した。
合理化の夢で、システムそのものになった夢である。
そのくらい突き詰めないと合理化はできないのだろうが、夢のない夢だった。

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 2002年08月19日(月)
492,二人のTAKESHI

昨夜の衛星2の「二人のTAKESHI」が面白かった。
合成で「コメデアンのタケシ」と「映画監督の北野武」
が対話ー掛け合い漫才をする構成になっている。

全く画面で合成の不自然さがでてない。
ここまで技術が進んだかと驚いてしまう。
彼自身の内面の会話でもあり、内容は哲学的でもあった。

あ互いを辛らつに批判しながら、お互いの立場をハッキリさせている。
時おり二人の吊人形が出てきて、会話をさせたりドツキアイをさせる。
最後にそれを操っているタケシー武?が出てくる。

その会話の場面に、美輪明宏や実兄のタレントを入れたりして、
3人の座談形式の場面を出したりしている。
新しいバラエテーの形でもある。それも二時間も続いた。
コメデアンのタケシはあくまで虚構の世界。
しかし社会そのものも虚構の世界でしかない。
コメデアンはその事を知っている。

映画監督の北野武のスポンサーはコメデアンのタケシと言っていた。
映画の失敗作ができるとタケシのせいにするとも。
内容は強烈な皮肉で辛辣なのが面白い。

殆んど異世界の彼ら?の世界に引っ張り込まれてしまった。
新しい可能性の世界を垣間見た。
面白い時代になってきた。

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2001年08月19日(日)
[113] 法事

昨日は東京の親戚(治田さん)の法事で上京、叔父と叔母の一周忌と
17回忌だ。

両国の第一ホテル内の東天紅。
12時過ぎから22時まで飲みっぱなし。

長岡に帰ってきてスナック2軒まわる。
‘仏前’渡すのを忘れ治田さんに電話する。
今朝2時間散歩、風呂と殆ど汗に出す。

二日酔いはなし。今日今朝白のお祭りみたいだ。


1233, オリンピック

2004年08月18日(水)



時差の為、夜半に行われることが多かったこともあって、オリンピックは
あまり興味がなかった。
柔道の金メダルか、女子マラソン位か優勝に絡む試合しかみた記憶がない。
日本があまりにも弱いこともあったが。

ところが今年の日本はイヤに盛り上がっている。
不況ということもあり、国策として力を入れていたのだろう。

柔道の女子の谷選手と、野村選手の決勝も目覚まし時計で起きて見た。
過去には無いことである。

いまの勢いでは、金を15個以上取る可能性も出てきた?
体操と柔道とレスリングと水泳など過去に強い種目に、しぼって強化したようだ。
他には、野球とマラソンかもメダルの可能性も高い。

TVで見ているかぎり、観客が少ないのが気になる。
欧州人にとってオリンピックなど、あまり興味が無いのか。

それにしても、東京オリンピック以来のメダル・ラッシュには驚いている。
歳をとったせいか、その人の人生まで重ねて見るようになってきた。

・私の記憶は、小学生の時のメルボルンの時からである。
 体操の小野選手の演技をラジオで聞いていた記憶がある。
・次は、中学生時のローマ・オリンピックで、白黒TVで見ていた。
・そして、東京オリンピックは、カラーTV。
・前々回のアトランタはブラウン管のハイビジョンTV
・今回はプラズマTVである。

情報媒体の機器で、時代の変遷が見えてくる。

それと、自分史も見えてくる。

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2003年08月18日(月)
866,「タイムクエスト」ー読書日記 -3

私がこの本で一番気にっているのは
著者ハイラム・スミスの個人の憲法」である。
この価値観を読む時、彼が自分を理想とするイメージがそのままでている。
建設士が建物の完成した姿をイメージしてあるように、彼をそのまま
イメージできる。

ー「ハイラム・スミスの個人の憲法」

1、心を込めて思い尽くし、力の限り神を愛している

2、隣人を自分と同じように愛している

3、神のすべての戒めに従っている

4、謙虚な人間でいる

5、傑出した夫、そして父親でいる

6、父母との思い出を大切にしている

7、知的成長を育んでいる

8、すべてにおいて正直でいる

9、最高の言葉で話すようにしている

10、頑強で健康な身体を維持している

11、時間を大切にしている

12、経済的に自立している

13、毎日独りになる時間を取っている

14、人々の生活を変えている

15、人の話をよく聴くようにしている

16、常に生活に秩序を求めている

 以上を彼はかなり背伸びをした価値観としている。
近いとすら思ってないと正直に書いている。
しかし、その価値観と目標は本人から流れ出たものである。
敬虔なクリスチャンであることが滲み出ている。

 このように毎日「完成したハイラム」の像をビジョンとして生活していれば、
 自分が目指す人間になる為の具体的な行動を取ることが簡単になってくる。
 自分の価値観を精査して重要順を決めてしまうと、それを基準に
自分の計画や判断が合理的にできるようになる。
また他人の意見に惑わされなくなる。
そして、時々日記に各項目に対して、自分と対話すればフィードバックになる。
また内省を合理的にしていることになる。
8の「すべてにおいて正直でいる」について、現在の自分はそうであろうか?
「あの時のあの事は大きい妥協をしていたのではなかろうか?」と。
これを続けていればそれぞれの項目が積み重なることになる。
その積み重ねが、自分を心安らかにしてくれる。

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2002年08月18日(日)
491,ー恐ろしい夢−

昨夜の夢は怖い夢であった。

自分の車のトランクに子供が勝手に入って死んでいた。
その子は誘拐で警察が探している子であった。
躊躇するうちにどうしようもなく、何処かに隠してしまう。
そのうち、段々と不安と恐怖に襲われれる、警察の影がじわじわ近づいてくる。

大体こんなストーリーであった。
何故こんな夢を見たかというと、翌日の随想日記の下書きが
怖い夢であったからだ。脳は複雑な反面単純なものだ。
    ーーー
A,恐ろしい夢の一つに「歯が抜ける夢」がある。

横光利一の夢という随想にも全く同じことが書いてあった。
ある歯がグラグラしているうちに、抜けるのである。
そして他は大丈夫かと触ると、その歯もグラグラして抜けるのだ。
そのうち殆んどの歯が次々と抜けてしまう。
ハッとしているうちに目がさめるか、次の夢に変わるかである。

そして起きて、これは歯が抜ける正夢の前兆でないかと2^3日歯磨きを丹念にする。
そのうち1週間もしないうちに忘れてしまうが、数ヶ月後に同じ夢をみる。
何人に一人かは同じ夢を見ているのではないだろうか。

B、恐ろしい夢で鮮明に残っているのが、絞首刑になる夢である。

イメージとして中近東の兵隊のようで茶色の単色の世界であった。
自分が敵に絞首刑を執行される夢である。
本能的にそれを避けようとしたのか、その瞬間違う場面になって
その違う自分も絞首刑になる夢であった。
その前に訓練か何かで、建物をよじ登っている前段があった。

C,あとは、アメリカ?の牛の屠殺場で牛になっている自分が、
アメリカの若い男に殺される夢である。

その場所がいやに殺伐としているのが印象的であった。

夢には自分自身によって演じられたドラマでもある。
ドラマと同じように構成をもっているー
1、場面ー2、発展ー3、クライマックスー4、結末
1,2で終わる場合もあり。1,2,3で終わる場合もある。

それなりに無意識が途中で色々な演出をするのが面白い。

・・・・・・・・・・
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2001年08月18日(土)
[112] お金について

以前お金の事に対して書いた、それにより人も殺すし人を助ける事もできる。
体も売る、売春で普通の子女が売春に走る値段は、新卒の給料の一週間分の値段が
世界の共通という。
日本なら4〜5万というところか。

仕事をしているとお金の大事さが鮮明に見えたり、全く見えなくなったり。
命の次でなく、命と同じくらい大事である。
といって死んだと同時に一円も必要でなくなる。
しかし生きている限り必要なもの。

金のない人ほど金に対して軽く見ている。
そのふりをしているかと思っていたが、そうでない。

私の実感は稼ぐは大変、失うは簡単!である。
銀行はまさしくその管理をしているのだから、解っているはずが全く
その正反対というのがジョークそのもの。
一番面白い話、あの松下幸之助とかなんとか、下を向いて一生懸命書き物をしていた。
こっそり見たら、金、金、金と書いていたという。

自由の塊というところか、それとも神の代行業に対する神の謝礼か。

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H0903 お金について -事業百訓より

 誤解を恐れずに、いや覚悟の上に書いてみる。
これほど重要なモノについて誰も直視しない。触れたがらないのはその本質があまりにも
“現金”だからである!。ズバリお金は“自由の塊”である。
世界の大部分のモノが引換に手に入る!人の心さえも。それほど強力な魔物である。
それに支配された時、その人の奴隷使いにも変身してしまう。
反対に上手に使えば従順な召使いになる。

父がよくいっていた
“お金がないのは首のないのと同じ位つらい、その苦労はこの世で一番の苦労だ!。”
“お金で奇麗事を言う奴が一番お金に汚い人だ!”
“生き金は使え、死に金は使うな!”
“お金の楽しみの(うまくいった仕事の)結果のもの。”
“それは使わなくては紙に書いた絵でしかない。”
“金・金・金!!とどのつまるところ、それだ、それ位重要である。
 お金に窮してはじめてそれと気ずく。それを誰も直視しようとしない。
 世の中その為に首を吊り、人を殺しもする、盗みもする。それを認めた上で、
 それにとらわれるな!とらわれない為にはお金を貯めろ!”。
 
 父の考え方は決して間違っていないと思うし一つの見方だ。
 でもお金に対して奇麗な人であった!


1232, 「こころ」の出家 -読書日記

2004年08月17日(火)


この年齢になると周囲が、定年、病、倒産、子供の自立、連れ添いの死、老父母の死、
等、何らかの大きな転換期に直面してくる。
情報化社会に翻弄されて深刻な危機に何らか陥っているケースが多い。
この本は現代中高年論であるが、なかなか味わいのある内容だ。
人生の後半にとって、「真に豊かな時間とはなにか」を問いかけている。
特に、自分の内側に向けての豊かさが問われる時期になってくる。

*ふと書いていて気がついたが、この随想日記は内に向かって問いかけていることになる。
自らの経験と思索を、そのまま書き綴っていることは、豊かな時間ということだが?
書けば書くほど、自分の深層の階段を一歩一歩降りている。
今のところ、まだ地下2〜3Fだが、書き続けているうちに地下10Fまでいく
可能性がある。ユングや横尾忠則の世界に近づくかもしれない。
いや、それは無いか!

この本の最後のまとめになっている
「第5章ー もう一つの座標軸―豊かな時間を求めて」がよい。
その中の気に入った部分を抜粋してみる。
自分の好きな映画の「男はつらいよ」の寅さんへの気持がそのまま書いてあった。

ー27年間に48作、多くの人が寅さんとともに充足をした至福の時間を共有してきた。
寄せられた手紙の一つ一つが、映画「寅さん」がわたしたちに残してくれたものの
重さを物語っている。「寅さん」という存在は、その自由な生き方への共感と
憧れの対象でなるのみにとどまらず、わたしたちが失ってしまった大事なものを
発見させてくれるものであった。
ここでわたしは、いま一人の俳優をふれなくてはならない。
渥美清の死より3年前、1993年に亡くなった笠知衆のことである。.......
さらにある人は、笠さんに、私的な悲しみと同時に、もっと普遍的なものを見ている。
人々が感じた悲しみは、そこに、<時代の終わり>を見たからだ。
笠さんが演じてきた「古き良い時代」「不器用で、朴訥な」、でも「愛すべき」人々は、
現代ではつい忘れられ、切り捨てられてきたのではない。


以下は、この本の概要である。
ーーーーーー
―中高年の心の危機に
    (ちくま新書)立元 幸治 (著)

経済不況による停滞感、そこから生じる社会不安が、中高年の価値観を根底から
揺るがせている。かつての経済的繁栄を支えた中高年は、「時代の転換期」と
「人生の転換期」という二つの節目を同時に迎え、逃れようのない不透明感と
逼塞感を感じつつ、深刻な「心の危機」に直面している。大きな変革の潮流のなかで、
“癒し”“スローライフ”“ヒーリング”などのキーワードが溢れる現在、
真に「豊かな時間」とはなにかを問い直し、充足した「生」を取り戻すための
座標軸を探る。

ー目次ー

第1章
人生を振り返るとき―C.G.ユング 「中年」の発見(ある「失踪」
 午前の人生、午後の人生 ほか)
第2章
それぞれの「出家」―吉田兼好 「こころ」の主となる(それぞれの「出家」
「こころ」の主となる ほか)
第3章
「いま、そしてあるがまま」の人生―種田山頭火 ひとりがよろしい、
されどひとりはさみしい(風のごとく、雲のごとく、のごとく…自己を「掘る」ほか)
第4章
人生に必要なもの―H.D.ソロー 自分の「リズム」を聞く
 (蟻のごとく…「季節」のなかで ほか)
第5章
もう一つの座標軸―豊かな時間を求めて
(「寅さん」の中の私、「私」の中の寅さん「過剰適応」という病い ほか)

ー解説
ユングは、人生の午後に、人生の午前に劣らぬ価値を認めている。
人生の午前と午後は、その優劣を比較するものではなく、全く違う意味と価値を
持つものだという。
若いころの「発達中心のライフサイクル観」を否定し、もう一つの座標軸の模索を
勧めるユングの考え方を、著者が、ある種の「出家」ととらえるのは自然である。
放浪の俳人、種田山頭火にとって人生とは、「歩く、飲む、句を作る」ことだったと
書いていることは、著者の考える『「こころ」の出家』の一つの イメージとして
印象的である。本書は、具体的な行動より、心の持ち方を中心に考察しているのが
特徴である。本書によって、先哲も『「こころ」の出家』のような生き方を、
一つのまともな生き方として、以前から主張していたことが分かる。
元NHKチーフプロデューサーで、今大学でメディア論を講ずる著者の筆は手堅い。
なお、ユング、ソローの名前は、必ずしも広く知られているとは思えず、
「スイスの精神医学者」「米国の随筆家」といった肩書きをつけてほしかった。

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2003年08月17日(日)
865, 同級会−2

 昨夜は中学の同級会いや同期会があった。
小学校は一学年の同期が100人足らずのため、5年に一度の同期会に
なっている。中学校の同期会は今回が初めてであった。

 クラスで親しい男が卒業して以来初めて出席していた。
名刺を見たら「日本レコード協会」の専務理事の肩書きであった。
ということは、日本の歌の世界の隠れたドンだ。
ビクターの取締役になり、その後関連会社の設立に参加。
その後今の仕事をしているという。かなり重い仕事と言っていた。
早稲田を卒業後、ビクターに入社。
初めの仕事が、桜田順子など3人娘の教育係だったという。
森進一など有名人は殆ど旧知の仲とか。
「自分ほど面白い経験をした人間は少ないのではないか」
としみじみいっていた。

 中学だけをみてみると、その時の成績順で人生が決まってしまっている。
ちなみに一番だった男が慶応大学の教授(数年前に死亡)、二番がこの人、
三番が自衛隊のえらいさんになっている。後は保険会社の支店長、学校の先生など。
成績の悪い人はあまり恵まれた人生ではないようだ。恐ろしいものだ。
「何を持って恵まれた人生か?」という疑問があるが、あくまでも表面的な
ことだ。あと二年で60歳、皆その歳を目安に生きてきたようで心境は複雑のようだ。
しかし会えば、心は今だ中学生だ。
クラスでは50人中既に7人亡くなっている。
そのうち男は5人で2割になる。
最近亡くなった人の殆どが癌だ。
 
 地元に住んでいると、小学校、中学校、高校の同級会に出席する機会が多くなる。
30歳すぎから仕事や子育てに余裕が出るためか、それぞれ頻繁に開かれる
ようになってくる。私も30歳前後に地元に帰ってきてからは出席をするようにしている。
学生から社会人に脱皮の20代は、学生時代の人間関係から一度離れることが人間形成で
必要である。その為に30代辺りから自然に開かれるのだろう。
同級会は40歳が社会的に最前線に立っているときであり、担任の先生の定年時期も含めて
一番良い時である。
クラスによって全く開かれないか、頻繁に開いているかどちらかだ。
地元にまとめ役がいるかどうかで決まるようだ。
前も書いたが、私の従姉は地元で中学の同級生13名が3ヶ月に一度も欠かさず50年近く
開いている例もある。
こうなると賞賛すべきかどうか迷ってしまう。

 小学校は5年に一度、中学と高校は毎年のように開いている。
ほとんど出るようにしているが、年齢を重ねるとともに段々子供時代に帰っていく。
最近感じてことは、50歳を超えたら間隔を置くほうがよい。
特に学歴が上がっていくにつれて間隔が開けたほうがよい。
家庭や会社の変動がおきてくる時期で不安定になるからだ。
大学の10年に一度の大学主催の同期会がよい。
500人ほどが出席。教会でお祈りをした後、大食堂で立食パーテー。
その後に記念写真を撮る。
集合時間の2時間前に行き友人と会い近況のなどの情報交換。
2次会はあるグループ、3次会は違うグループとハシゴをする。
それが楽しいのだ。

 以前この随想日記で書いたものをコピーしておきます。
まあ真面目に書いたいるものだが、読みなおしてみると、殆ど同じことを書いている。
歳をとったという事か。

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同級会 −1

この20年間は、同級会にはなるべく出るようにしてきた。
但し同窓会はでないようにしていた。
同窓会は高校と大学だけだが、知らない人間が年上というだけで
気を使わなくてはならないのが嫌だからだ。

・小学校が5年に一度、中学と高校は毎年開いていた。
・中学は3年前仕切っていたマドンナが事故で大怪我をして休会状態だ。
 今年から復活する?
・大学はゼミの同窓会が毎年おこなわれていたが、5年前に教授が
 亡くなられて今は出席していない。
 大学は10年単位で学年ごとに学校が主催で会を開いている。
 これが素晴らしい。
我を忘れて数十年前のことを思い出すのもよいものである。

中学高校を毎年開いている話を知人が聞いて、
「毎年同級会を開くなんて変態だ!」と驚いていた。
知人は最近同級会を始めたが、それまでは殆んど開いてなかったという。

先日の法事で7歳年上の長岡に住む従妹が、
年4回欠かさず開いていると聞いて吃驚仰天した。
世の中上には上があるもので、それも13人だという。

面白いもので、小、中、高、大学と物理的にも知識情報にも、
上に行くほど明確に世界が広くなっている。
「学校をでたら、10〜20年は学校の友人とは付き合わない方が
よい」と聞いたことがある。人間としてアップスケール出来なくからだ。

大学を出て10年ぶりに友人の結婚式に出たとき、学生時代の知人の
グループに出くわして驚いてしまった。当時と何も変わってないのだ。
すぐに家業を継ぎ友人関係もそのまま、同じ地域にいて・・・・。
それが良いかどうか解らないが、いやに奇妙な感じだった。

地方には長男長女が多い。それ以下はどうしても外に出るケースが多い。
不景気になってくると、全体に暗い会になりがちである。
高校の同級会は年毎に少なく、暗くなる。
地元じゃ大手の会社に勤めているか社長だ。
それまで胸を張っていたような人ほど元気がない。
また出席は10年前の半数以下になっている。

倒産、倒産直前、リストラ、早期退職など暗い話だけだ。
日本で現在長岡が一番不景気だともいわれている。
毎月のように廃業、倒産がおきている。
次は何処が噂のネタになっている。

同級会は40前後が一番良いといわれている。
社会的にも絶頂で、先生も定年近くで、女性も子供の手が離れる時期だ。
50歳過ぎると、お互いに我侭が出てくるし遠ざかる時期でもある。
それと死亡が目立ってくる時期だ、5年ぶりの小学校で100人の同期で
5~6人も亡くなっていた。その年になったということだ!

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2002年08月17日(土)
490, 随想テーマ日記の効用

毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。
何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。
多くのエネルギーが、その為に取られていることは事実だ。

しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。
「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。

・それは簡単だ、自分の為に書いている。
・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、
 その為に客観化が必要になるからだ。

・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、
 過去に考えたことを、一づつ引っ張り出し、外部化をしていく作業が
 記憶と行蔵の整理になる。
・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。

・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることにな  る。
 デジタル化をする事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分の
 パーツとしてつかえる。

・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。
・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。

・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。
 結局は波動の蓄積という事かもしれないが、死んだあとも残る。
 
 とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。
 実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていることだ。

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 2001年08月17日(金)
[111] 数ヶ月ぶりの古町

数ヶ月ぶりに古町に出る。
16日の為か店は半分ほど休んでいて、飲み客も少ない状態であった。

昨年の暮れ行った店で‘安寿’という店で、「人生楽しく!」が本人と
店のコンセプトということをこの笑い顔を見て今思い出した。

このように笑えるのは大きい財産であろう。
「楽しいから笑うのでなく、笑うから楽しい」
ということを本人がよく知っているのだ。

笑いは訓練でできる能力だ。古町は少し高いがやはり面白い。
私のミニノートにジョークと駄洒落の索引がかいてある。

いつも鞄かポケットにいれてある。
開いたと同時にアルファー波が出てくる。

ー写真日記に詳細ー


1231, エピクロスー哲学についてー29

2004年08月16日(月)

エピクロスといえば、快楽主義者として「エピクロスの園」の酒池肉林が思い浮かぶ。
次に印象に残っているのは、「人間にとって死は存在しない、死んだと同時に存在が
無くなるのだから,本人にとっての死は存在しない」という言葉である。

ー父が死期を悟り、その恐怖に恐れおののいている時に、この言葉を教えた。
父は、「死の意味が初めて解った!」と言ったことを思い出す。
言葉の力を思い知った出来事であった。

エピクロスは、
人生は良く生きることである、その為には良く考えるべきだと説いた。
快楽を幸福な生の始め(アルファ)にして、終わり(テロス)であると断言した。
しかし、一般的に誤解されている、官能の享楽ではない。
いや逆に、
肉体的な欲望を否定した魂の平安こそが、エピクロスのいう「快楽」なのだ。
官能の快楽は、その数十倍も煩わしさをもたらす。
真の快楽とは、自由をもたらすものでなくてはならない。
すなわち、官能の享楽「自足」である。
みずから足れりとすることだ。
つまり際限ない欲望から開放されることである。
豪華な食事や家に住んで、心がかき乱されているより、貧しい生活でも魂が安らかに
あるほうがはるかに好ましい。
その為に、思慮を深めることと説いた。
ソクラテスやプラトンは「よく考えることが、よく生きること」と、
説いたが、逆に「よく生きるために、よく考える」という人生哲学を主張した。

驚かされるのは、20世紀に登場した人文主義者と非常に似ていることである。
そして現代に広く受け止められている人生観が、紀元前4〜5世紀のエピクロスの哲学に
おいて説かれていたのだ。
また、仏教の教えにも相通じるところがある。

エピクロスの面白いところは、デモクリトスの原子論を受けついで,この物質界には
原子と空虚以外に何も存在しないと考えているところだ。
何も無いところから原子が現われたり、それが無に帰することなどありえないので、
原子は永遠不滅といえる。しかし、原子の運動は予測がつかず、原子的組み合わさったのも
永遠に存在することはない。
つまり物質的なものは,つかの間の存在なのだ。

短い人生を、目の前の雑事におわれることなく、充実した人生を送ること。
その為に、静かな魂の満ち足りた時間をつくるべきという人生哲学が
2400年前の哲学者がすでに考えていたのである。

ーその為には以下の、ミッション・ステートメントを実行すべしということか。

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2003年08月16日(土)
864, ミッション・ステートメント ー改訂版

  死ぬ時に、「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、
 恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」
 と心から感謝していえる人生を生きる。
 
 ーイメージとしてー
 80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリを
 している。陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな
 絶頂にいる。
 
  海外旅行も行きたいところはすべて行った満足感で満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで昔を
 懐かしみながら好きな歌を歌っている。

=そのために以下の憲法を制定する=
  ー堀井八郎の憲法ー

1、健康であること
 
 (1)食べ物に注意すること
  ・肉食や揚げ物はなるべくさけ魚食に心がける
  ・砂糖・甘味類、インスタント類はさける事
  ・腹八文目に
 (2)定期的に健康食品を飲むこと
 (3)運動を一定量とること
   ウオーキングを一日平均14000~15000歩を確保すること
 (4)ストレスをなくすこと
    ー精神的な健康に勤めること 
  ・一日千回「ありがとう」を言い続ける 
  ・毎朝仏壇に「お経」を唱える
  ・頭の固い人には近寄らない
  ・笑いを生活の中に取り入れること
   ー日曜日を笑いの日にする
  TVで「お笑い番組」を3本以上必ず見る
  ・好きな「秘境・異境ドキュメントTV」や、レンタルDVD
   で映画を週数本はみること。
  ・布団の中ではマイナス思考はしないこと。
   
2、家庭生活を大事にする
 
 (1)家内には自分の伴侶として生きてきたことに満足感を
  もってもらうよう勤める。
 (2)子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」
  と自信を持っていえるような人間になるー人生を送る。
     子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところに来て
    くれるような人間になる。。
 (3)家内とは時間の許す限り一緒の時間を楽しむ
   
3、会社の繁栄維持のために全力を注ぐ
 
 (1)常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を
  保つことを誓う。
  存続は社長としての第一の義務であり、その為には
  常に新しい知識を導入していかなくてはならない。
 (2)65歳を引退の時期とみなす。そのための準備をいまから始める。
 (3)会社を良くしておく事は経済的自由を得る為の絶対条件である。
    全力をあげて集中しなくてはならない。

4、自分が自分の人生の創り手であることを認識し、
 自分だけに与えられた役割を果たす。 
   そのためには
 
 (1)経済的に自由であること。
  ・合理的な生活を図る
    贅沢・無駄を廃した生活をおくる
    特に出費に気をつける
  ・最悪に備えた準備は常にしておく
 (2)信頼に足る人間を目指す。
  ・人から信頼されるように勤める
   ー信頼に足りない人間は排除する
    人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることに
    するが,卑しい人間は身辺に近づけない。これはよりシビアに
    徹底する
   ー約束は守る
   ー正直である
   −自分の範囲で可能な限り人助けをする
   −悪口・中傷・批判等は言わない。またそれを生活の糧に
    している人は排除する
 (3)自分の天性を大切にする。
  ・アイデアをどんどん積み上げる
  ・新しいことを常に学び続ける
   −常に新しい変化に注意を向けることとする
  ・倫理的・論理的であること
  ・明るさを大事にする
  
5、何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って
  気楽に 変化を受け止めていける人間になる。 
  
  (1)何事も「一期一会」と真摯に向き合う。
  (2)いついかなるときも「積極的な態度とユーモアと誠実さ」
  をもつ。
  (3)心の声に従って自分の価値観や信念によって行動しよう。
   それに対する批判・悪口は全く無視する。
 
6、自分の趣味の世界を深めていくこと。
 
 (1)海外秘境・異境旅行を年2~3回は可能限り行くこと。
    ー年2〜3回の海外旅行は可能な限り続ける
     60歳までに50回の目標はこだわらないが、近づけるよう
   最大限努力する。70歳までに70回を次の目標とする。
 (2)ウオーキングは毎日続けること。
 (3)話題の映画やDVDを見続ける。
 (4)随想日記を書き続けること。
   ーホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、
    情報の蓄積倉庫でもある。その維持発展に努めなくてはならない。
    特に、随想日記は大きな発信媒体かつ蓄積倉庫でもある。
 (5)読書を幅広く読むこと。
 (6)気の置けない人との居酒屋通いを続けること。
 (7)常に何事にも興味を持って面白おかしく追求する。
   ー新しい変化に注意を向けることとする。
   デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置くこととする。
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以上が先回書いたミッション・ステートメントを叩き台にして
書き換えたものだ。
前回より解りやすく一段良くなったようだが、まだ何か足りないような
気がする。
実際、いま実行しているのが倫理的事項以外が、大部分のような気がする
からだ。
この改訂にやはり3時間の集中時間がかかったが、今一度書き直すべきか。

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・・・・・・・・・

2002年08月16日(金)
489,送り火ー母への追悼文

今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。
6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文を書いてみた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。
   机の中から偶然出てきた文を書いておく。

  −通夜挨拶ー         平成8年9月25日20時

本日は母の通夜にお忙しい中,遠方よりご列席いただき
有難うございました。母も心より喜んでいると思います。

この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の
12時51分に帰らぬ人となりました。

当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、
まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。
88歳6ヶ月の命でした。

母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に
必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。

私自身29歳の時から21年間、母と同居、
母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。
母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。

七年前に脳梗塞がでて以来、大木がゆっくり倒れていくように・・・。
そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」
のすざましさを身近で見せてもらいました。
私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。

母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、
誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていました。
そして途中のベンチで一本の缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。
正に霊界を二人で宙遊しているようでした。
そして一回ごとに、これが最後かと、これが至福の時かと実感していました。

今夜は通夜参列いただきありがとうございました。
明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。

重ねて、参列有難うございました。

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 2001年08月16日(木)
[109] 偽坊主 [110] 正中心一点無

[109] 偽坊主

今の仏教界ーいや仏教業界よりましな話!

10年ぐらい前か、ー男はつらいよ(風てんの寅)を見ていたとき、
ふと哲学的になってしまった。
内容というと「世話になったお寺の和尚が風邪をひいたとき、法事に坊主に成りすまし、
口からデマカセの法事で無事代役を終える役(偽坊主)を、トラが演じていたー

そのとき奇妙な感覚になった。

まず本人ーこれを
1・能作がまづあり
2・本人の苗字があり
3・俳優の渥美清
4・寅さん
5・偽坊主ーと重なりがある。

能作?が2345を演じていることにきずいたのだ。
このような場面は私も何回も経験をした事がある。

仕事も役割もこの重なり合いといってよい。
この重なりを名優はこれを簡単にやってしまうのだろう。
渥美清もそのときその重なりを感じたと思う。

[110] 正中心一点無

15年前か、経営セミナーで栗山奉行という思想家?の話を聞いた。
あまりに奇抜で面白かったので、その人の本を買い求めた。

そこにこの正中心一点無という言葉があった。
見る人が見たらこの意味はお解かりだろう。

問題解決の時などこの言葉を唱えていると、その答えが自然出てくる。
その中心点を無心にになって見つめて(もとめて)いると自然解決してくる。

それが難解であればあるほど、この効果が出てくる。
この言葉で今まで、どれだけ知恵が出てきたことか。知恵の袋の穴と言ってよい.

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写真は右(松の精)、左(バラの精)
栗本奉行 の イメージ?‐実際見えたものか?


1230, 広松渉(4)−哲学についてー28

2004年08月15日(日)

価値観について、学生時代から興味を持っていたが、真正面から取り上げている
本は少ない。これだけ理路整然と書いてある文章は初めてお目にかかる。
文章自体難解なのだが、数回読むうちに少しずつ解りかけてきた。

ー大雑把にまとめてみると
・価値は、主観的感情でしかない!
 それに対して、いや客観的存在を認める立場がある
・価値絶対説と価値相対説を対立させて、価値の立場を明確にしていく
 価値観は時代、地域などのTPOSによって変わるという相対説と、
 どんな時代でも、変わらない絶対説がある。
・価値観は期待される行動と、サンクション(賞・罰)によってカタチつくられる。
  
 ー第二節の実践と価値評価の要点を抜粋するー

第三章 実践するとはどういうことか
 第二節 実践と価値評価
ー概略ー
哲学的価値論は、戦後の哲学界においては余り流行らなかったが、ひと昔前までは
「哲学とは即ち価値哲学である」というほどであって、価値は哲学上の
一大テーマなのです。哲学のいう「価値」は広汎もわたるので、ここでは
行為についての正当・不当評価を論軸とする。

・価値」なるものにおいて、二大陣営の対立がある。
 一方は価値という客観的存在を認める立場であり
 いま一方は価値とは主観感情にすぎないと見做す立場である

 客観的存立性を認める立場においても、「価値そのもの」と、
「価値を付帯・内具しているもの・ごと」とを区別をし、後者を「財」と呼びます。
「美そのもの」「善そのもの」等が「価値」とされ、「美人」「善い行い」「良い酒」
等が「財」になる。

価値そのものの特質を見てみると、哲学者は「価値」と「存在」とを区別をし、
「価値判断」と「事実判断」を度々区別します。
価値は、真・偽、善・悪、美・醜、聖・俗・・・というように、必ず正価値と
反価値とが対になっているのが特徴である。

・価値について価値絶対説と価値相対説とがある。
絶対説は超歴史的に文化圏にかかわりなく価値は存立すると主張
相対説は歴史的・文化的に価値は相対的にすぎないと主張する

解りやすくいえば「美」という価値は超歴史的であり、いつの時代にも
「美人」と評価される女性が存在をした。しかし、ある時代に存在した
美人は違う時代、違う地区では美人と認められるかというと、そうではない。

マリリン・モンローはインドネシアでは全く認められなかったというし、
楊貴妃は。現在のパリでは、全くの不美人に評価されるという。
実質的価値認定は相対的である。

ー期待される行動とサンクション(賞・罰)ー

人類は動物学的に見るとき早産である謂れ、かなり長期間にわたって手厚い養育
を受けてはじめて生育できる未熟児とも言われる。
動物である以上、人も呼吸・摂食・排泄をおこないますが、その仕方さえ、
本能のままでなく、文化的様式化されます。

総じて、親が子に対して、上位者が下位者に対して、等々、立場上・役柄上、
自覚的に賞罰行動をおこなうケースは、現実に賞罰効果をもつ行動の極々
一部にすぎないといえましょう。

それにもかかわらず、人々の「共演」的行動は、大抵が、意図せざる
賞罰的な効果を対他的対自的にもつのであり、そのため、日常不断の行動を
通じて、行動様態の「賞罰的」誘導規制、そのことによる行動の
間主体的同調化、ひいては、行動様態についての当為的価値評価の
共同主観的斉同化が現に成立する次第になります。
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偶然の一致か、去年の今日に「タイムクエスト」の本で
価値観について取り上げていた。今年の価値観は哲学として取り上げた
内容であるが、それにしても偶然と言うのも面白いものである。
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2003年08月15日(金)
863, 「タイムクエスト」ー読書日記 (2)

ベンジャミン・フランクリンの13価値観を自分にどの程度
実施しているか,100点満点で主観で自己採点をしてみた。

1、節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
      ー40点   
2、沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
      −50点
3、規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。  
      ー75点
4、決断  なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
      −80点
5、節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。   −90点 
6、勤勉  時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。
      無用の行いはすべて断つべし。
      −85点
7、誠実  いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。
      口に出すこともまたしかるべし
      −80点
8、正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を
      及ぼすべからず。
      −75点
9、中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、
      激怒を慎むべし。
      −60点
10、清潔  身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。
      −70点
11、平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
      −90点
12、純潔  成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて
      頭脳を鈍らせ、身体を弱め、また自他の平安ないし信用を傷つけるが
      ごときことあるべからず。
      −65点
13、謙譲  イエス及びソクラテスに見習うべし。
      ー??50点

ー以上の平均は70点である。

「馬鹿め、傍目では全て50点以下!謙譲など零点かマイナスだ!」
という声が聞こえてきそうだが、これはあくまで自己評価だ。
平均点70点というのが自分でも 面白いが。
しかし3〜11はこんなものと思っているが、実際どうだろうか?
それにしてもアメリカ大統領になろうという人は、若いときから心構えを
自分で創ってしまうのだから。
それも今でもそのまま使えるのがすごい。
子供の時に伝記を読めというが理解できる。
いま「世界旅行記101」という古今東西の迫真の体験のダイジェスト集を
読んでいるが、これがまた面白い。
一人一人の個性と奇伝・異聞が次次とでてくる。
その中からいろいろな著者のミッション・ステーツメントが聞こえてくる。
二十歳の頃から、生きるということに対して設計図を書いていた為、
これに近い事を考えていたが、今から考えてみると文章化をすべきだった。
まあいいか!

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2002年08月15日(木)
488, 毎日が刺激的−2

先日のアメリカ第六位のUS航空が倒産した。
ところが、アメリカン航空と並んで世界最大規模のユナイテッド航空が、
やはり倒産寸前という。自動車でいうGMかフォードクラスの会社だ。
アメリカン航空と供に20誘瓩の前年対比の落ち込みだという。
アメリカ全体では−11佑蚤膽蠅曚漂鯒の9.11の落ち込みは激しい。
パン・アメリカン航空など吸収したりしていた10数年前の姿は今や
昔の話。

昨日のニュースで、この一年でアメリカン航空が20佑凌涌と、
客席の9佑虜鏝困箸、生々しい内容の合理化案が出ていた。

特にアメリカン航空が狙われており、9・11以前にテロリストが
アメリカン航空の株の空売りをしていたと噂されている。
その前からサウスウエスト航空などの安売りに体力を奪われていた。

ある日突然思いもよらない事がおきる時代である。
来年はイラク戦争があり、さらに客足は減るだろう。
US航空だけで3万5千というから、ユナイテッドの場合は
どうなることか。組合が強すぎて賃下げなどの合理化が遅れたという。

たった20人のテロリストにより、とんでもない事が起きえる。
これが21世紀ということか。

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2001年08月15日(水)

108] 夢について-7
2001/08/14 07:45

毎朝地蔵様に‘あの世で安らかにお眠りください’とお参りしているためか、
今年に入って母の夢を見る事が少なくなったが、昨日の朝久々に母の夢を見た。

いつもそうなのだが自宅での生々しい夢である。
痴呆状態のしかし姿は幼児の母である。

今回は玄関の辺りで何かしている、よく見ると仏像にお参りをしている夢である。
盆にピッタシの夢である。母が自分の中に生きているとか言うが、私の場合夢の中で
自由奔放生きている。

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今朝 見かけた鴨。一時200羽いた事があったが河川工事で
少なくなった。丁度真ん中あたり。


1229, 死亡欄

2004年08月14日(土)


この数年、新聞を見ていると死亡欄に目がいってしまう。
それも自分より年齢の下の数をさがしてしまう。

傾向として40歳台から死ぬ人がおおくなる。
反面90歳後半や100歳という人も結構多い。
時々、子供や20歳そこそこの死亡も目に付く。

やはり女性は80歳台、男性は70歳台が多い。
それぞれ一行の名前と年齢の中に、膨大の人生が詰まっていると思うと
人生の深さを感じる。

中学や高校の同級生では、大よそ15佑亡くなっている。
特に、50歳を過ぎてから多くなってきている。
そういう年齢になってきたのだ。

同級生のある葬式で、
「もう、死んでも何で死んだと言わなくなったものな〜」というコトバが
印象的であった。

最近は会うごとに同級生が老けていくようだ。
まさか自分が、この連中と同じ歳と思いつつ、トイレでつくづく鏡を見て、
そうかそういう歳と納得する。

ところで、ほんの30〜40年前まで人の寿命は50歳と相場が決まっていた。
それが一挙に80歳近くまで延びた。
あと50年もしないうちに、なんと100歳になる。
100年もしないうちに2倍になる。
それが良いかどうかは何ともいえないが、人生50年より80年の方が良いから
100歳の方が良い。

確かに、人生が50年としたら短い。
50歳の時に、こんなものかと思ったから、間違いはない。
ところが80年なら長いと思うだろう。

シェークスピアは、人の一生を「束の間の灯火」と言った。
今日は盆だ。

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 003年08月14日(木)
862, 「財産を無くす人、財産を残せる人 」

   ーデフレ経済下21世紀の日本型蓄財術-
ー読書日記

清水洋/著
出版社名 アスカ・エフ・プロダクツ
出版年月 2001年7月
本体価格 1,500円

[目次]
PROLOGUE 危機の時代―「危ない」か「機=チャンスか」;
1 新たな資産家、没落する資産家―今、目の前の決断の差が資産作りの分水嶺になる;
2 デフレ時代のチャンスをつかむ人、逃す人―「平成の徳政令」を味方にする;
3 デフレ時代の「逆転の発想」―このチャンスを活かせる人、活かせない人;
4 身近なところから資産対策を始める人、できない人;
5 この先五年間、日本経済の最悪状況に生き残れる人、残れない人;
6 危機にあえぐ中小企業―雇用を創出する会社、雇用を無くす会社

ー私のマトメタ内容ですー

時代を見極めよ、そして早く決断を!

その為に日本の現在をどういう時代かを整理してみると
・「デフレ基調」に変わった。
・官僚型社会主義システムの崩壊過程にある。
・市場原理が支配する自由競争になるー競争の激化。
・レース型競争社会からゲーム型競争社会になる。
・圧倒的な「勝ち組」とその他大勢の「負け組」と分けられる。
・これから5年間は「最悪期」に入る。
・国債の暴落とハイパーインフレの可能性が大である。
その結果
 ・不動産価格は5分の〜10分の1
 ・株式は5分の1から20分の1
 ・ゴルフ会員権は5分の1から1000分の1
 ・失業率は15~20
 ・消費税は15~20
になる。

以上はITなどの情報化や、それに伴うグローバル化が起因としている。
更にこの動きは拍車がかかるだろう。

企業としては、この流れに対して
・総資産の圧縮と借入金の圧縮
・知的集約の企業形態に変身
・固定資産を手持ち流動資金への変換
 ー手元キャッシュフローの流動性を高める。
・不良部門を徹底的に切り捨て、優良部門に集中する
・公的部門の民営化時代に先手を打つ
等への変身への決断をしなくてはならない。

以上であるが、以前この人の経営セミナーのパンフレットをみて
さっそく取り寄せて読んだ本である。
これを元に会社を変身しないと遅かれ早かれ消滅してしまう運命にある。
以前書いた随想日記をコピーしておきます。
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2003年01月17日(金) 649, 損切り

ある経営セミナーの案内のパンフレットが送ってきた。
題目が 「会社と個人の資産防衛策」
副題が ーいま「損切り」してこそ新しいチャンスがつかめるー
その内容がなかなか面白い。
このパンフレットに殆ど90佑含まれている?

その概要を書くと以下のとおりである。

・大清算時代ー含み損を吐き出してしまえ!
・個人も会社も、いまは「損切り」をしないと生き残れない。
 いまは有事の時、平時の常識を捨てなさい。
 −不採算部門の切捨て
 −不良資産の切捨て
 −不良幹部ーヘドロの切捨て
 ー倒産を恐れるな
・不動産は「短期の流動資産」と考えよ、決め手は利回り
 −まだまだ不動産の大放出が続くと思え
 −より安全で、より高利回りのものに切り替えよ
・銀行取引の全面見直し
 社長は先手を打って資産を守るべし
 ー次は地銀・第二地銀・信金・・・金融機関の大編成が始まる。
   −貸してくれない銀行には返さないこと。
   −手元流動性資金の確保が絶対に必要
   −絶対に応じるなー追加担保と追加保証人
   −担保に入っている社長個人の不動産を会社に売却
・5年先を読むと先手必勝である。
 −国債の暴落から始まる大マネー戦争になる。
 その結果金利上昇・円安そしてハイパーインフレ・・
 −不動産の金融商品化が本格的に始まる。
 −円資産だけでは危ない時代。
  ゴールド・円でドル建て預金
 −事業こそ最大の資産だ。
  その事業を良くしておく事
  それはデフレに勝ている事業だ。

・・・以上がその内容である・・・

「処分すべきは処分をして、徹底的にスリムな体質にすべきだ」という事だ。
去年から、個人の事業用資産を会社に譲渡して損だしのプロセスに入った。
次に、会社のデフレからきた損だしのプロセスに入るが?
ここで思い切ってやらねばならない時期が来たようだ。
体力あるうちに先手を打ってやるべしということだ。
先行きはもっと悪くなるのは自明のことだ。
こういう時代は知恵を絞って乗り切るしかない。

この数年は負け組みの最後の整理が控えている。

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2002年08月14日(水)
487,アメリカンインデアン

以前‘アメリカンインデアン’について書いてある本を読んで
仰天した。

口伝で代々受け継がれてきた内容が3万年以前のものだたりする。
その内容がどうも正確なのだ。

特に「一万年前にシベリアを通ってベーリング海峡を渡る」
の内容もあるという。
一万年前は氷河期で、海面の水位低くて、海峡は陸路渡れた。
その時の具体的な内容が口伝で詳しく語り継がれている。
その時の渡った員数が55人だったということまで伝えられている。

イロコイ族という種族で、その決まりは今のアメリカ憲法の
原案に影響したいう。
大地震に襲われ各地をさまっよった末に、未開の大地の話を聞いて
シベリアの大地からベーリング海峡を渡る話は、一万年前の話としても
リアルのものだ。
インデアンというと、未開の野蛮人というイメージがあるが、
彼らの世界に、3万年以上の祖先の歴史が延々と語られてきた事実がある。

更にアメリカに渡った後の物語が延々と続いているという。
彼らの口伝ー物語の全体は「一族が学んできた`知恵’の物語」
として構成されている。
「人は力をあわせれば、できない事も可能になる」とか
「判断は迅速に」とか現代でも、いや現代こそ学ぶべき事が多い。
今一度彼らの教えをじっくり学ぶ時期に人類はきている。
奇麗事で言っているのではない、まさしくその時期である。

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2001年08月14日(火)
[107] 「私の死亡記事

「私の死亡記事」‐文芸春秋

図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!
各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である。」

そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。

まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては
意外と自己正当化しているのが可笑しい。 

−私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳

(そうすると後16年の時間)

・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
                         ただし身内のみで。
 近じか真面目に書いてみよう。


1228, 広松渉(3)−哲学についてー27

2004年08月13日(金)

ー人生舞台の役・割について

「実践するとはどういうことか」の(「行為の存立構造」の人生劇場))
の概略を前回書いたが、
行為の存立構造をなしている「役・割」について、私の説を書いてみる。

「役・割」が一番鮮明で解りやすいのが嫁姑の関係である。
永遠の人生の課題といってよい。
結婚は二人だけの関係と思っていたのが、その取り巻く複雑な人間関係がついてくる。
それに舅・小姑が絡んでくるから、その役・割をこなす事は並大抵ではない。
離婚は互いの相性もあるが、この複雑に入り組んだ関係もある。
演技者も「外面・内面」を使い分けなくては、下手な役者になってしまう。

長い年月かけて育て上げた息子が、バカ嫁に結婚を機会に取られてしまうのだから、
コトは複雑である。
嫁の立場からすれば亭主の母子関係も、べたべたしたマザコンにみえてしまう。
その母親は、いつまでも子離れをしない嫌な存在になる。
家という制度が強い時代ならまだしも、今のように個人が主体という時代では、
嫁姑の関係はこじれるケースが多い。
正に人生劇場における集約された「役・割」で、お互いにぶつかる場面になる。

地方のような固定社会では、なおさら役・割が固定化するから、
行為の存立構造は露わになるケースが多い。

・小さな世界が全世界と信じて疑わない「子狐」のミニ・テリトリーの
 因習の世界で因果関係の芝居が演じられる
・「おれは田舎のプレスリー」的存在の地方(?呆)名士役
・必死になって小さな世界で肩肘を張って自己宣伝に終始している
 「チンドン屋」役と、それについて回っている「茶坊主」や「芸者」役
・ドブの中に発生する「ぼうふら」の群れー噂世界に浮く幼虫?役

人生舞台も、このようにしてみると面白いものである。
といって突き詰めれば、どの役も大同小異の存在でしかない。
石が個性個性といったところで、所詮は砂利でしかないが。

石ころそれぞれが、自分の正義を持ち、それに従って価値観を持って
自分の舞台で役・割を演じることが、人生を生きることである。

ところで、いま書いてきた役は、私の勝手に創りあげた主観の世界?

「あまりにも偏見でしかないだろうか?」と疑問を自分で投げかけてみる。
社会、世間としても、それぞれの汗と涙で出来上がっている。
それを、面白おかしく創りあげた私の心象風景でしかないのではないか。
蛇には蛇(その地に縛られている象徴)の生き方、存在理由があるはずだ。
そんなものは対比の問題でしかないのでは、と。
その通りである。

それぞれの役を、面白おかしく演じていればよいのである。

イタリアのベニスのカーニバルで、仮面を被って練り歩く。
自分とは違った仮面の人を演じていると、面白い心理状況になるという。
また逆に、イスラム教徒の女性がベールを被ると、自分という存在が
消えてしまった空気のような、透明人間になったような妙な気分になるという。
面白いものだ。

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2003年08月13日(水)
861, プライドー2

 プライドは失意のどん底の時とかマイナスの状態の時に出てくる膿でもある。
その状態が逆にエネルギーになる場合もある。
その為には、常に本を読み続けなくてはならない。
心の膿がたまっている状態が「子狐」にしてしまうのだ。
したがって子狐は本を読まない人ともいえる。

「プライドを捨てるだけのプライドを持て!」と、ある飲食チェーンの
創業オーナーが言っていた。
「表面的な面子などのプライドを捨て、心の奥の芯ー真ーの自己尊厳としてのプライドを持て」
「捨てて捨てて捨てて、最後に残るプライドを持て」という意味だ。
自信のない人、失敗ばかりしている人ほどプライドが高いのは、捨てられるだけの実績と
自信がないからだ。

 捨てられない典型としては二代目とか、中途半端なインテリに多い。
何でプライド?と考えたら、彼等は表面的繕いとしてのそれしかないからである。
といって表面的繕いのプライドを捨てられないのが人間の人間たる由縁であるが。
表面的繕いとしてのプライドと真のプライドとの隔離が若い頃の特徴である。
それを一生続けて死ぬときに「自分の人生は何だったのだろうか!」と悔やむ人がいる。
それが失敗の人生である。

 「そういうお前こそ、その歪んだプライドが尻尾に出ているぞ!」と誰かに看破されている
のかもしれない。自分の姿は見えないし、私も相対で言っているだけだからだ。
「最後の拠りどころのプライドを持つのがどこが悪いのか、それを否定したら人間
生きていけないのではないか?」という声が聞こえてくる。
最後の最後、表面的繕いのそれしかないのだから、それで仕方がないともいえるが!
「夢」「志」を持てなかった人は、それでもよいのだろう。

 「おいプライド!たかがプライド!されどプライド!あ~あプライド!」
 
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2002年08月13日(火)
486, 今日はお盆

13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。
両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。
祖先の霊が、仏壇から居間の仏像のほうに数人浮いて流れていく夢とかだ。
毎年、早朝お参りにいつも行くから、その緊張感が夢を誘発するのだろう。
今朝も少し見たがあまり印象に残ってない。
明日の朝あたりが面白そうな夢が出てきそうだが。

13日の朝はいつも3箇所のお寺にお参りに行く。
両親の墓と母親の実家の墓だ。
その中でいま一箇所の墓参りの話しをしてみる。

幼児のときから、父が叔父叔母だけで毎年お盆近くに法事をしていた。
父が言うには、「戦前ある土地を買った時その地主から、父が生きている間に、
自分たちの墓参りする約束をした」とのこと。全く親戚縁者がいなかったのだ。

どういう訳か解らないが、いつも姉兄の間でいつも私だけが出席していた。
その時のご馳走が楽しみであった。当時は法事とか葬式はお祭りでもあった。
母が元気なうちは、母といつもお参りをしていた。
母が言うに「永代経のお金を払ってあるから、私が死んだらお参りを
しなくてもよい」とのことであった。

しかしお盆の時になると、どうしてもお参りに立ち寄ってしまう。
この世では私以外誰もお参りに来ないのだ。
やはりその人の念が60年~70年たっても通っていることになる。
長岡の千住の浄福寺で、名前は福原兵?さん、
明治25年と墓に書いてあった。

今日のサロンでその墓の写真を貼り付けておく。

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 2001年08月13日(月)
[107] 「私の死亡記事

図書館で何気なく借りてきた本だが、これが面白い!
各分野の有名人に「物故者の解説を、当の本人執筆という点である。」

そのお願いの文章が、前書きになっているところがまた面白い。
よくこれだけの有名人が真面目に、あるいはふざけて書いているのがいい。

まず自分の死亡時期の設定、そして死亡原因、生前の業績を当の本人が書くのだから。
どちらにしても真剣に書いてあることは文面よりわかる。特に生前の業績に対しては
意外と自己正当化しているのが可笑しい。 

 −私も書き始めたが侘しくなってきた。死亡時期‐父と同じ71歳
(そうすると後16年の時間)

・死亡原因‐酒の飲みすぎによるショック死。
・生前の業績ー書くに値せず。
・葬式方法は葬式坊主に一円の金も払わないようにとの遺言の為に音楽葬
                         ただし身内のみで。
 近じか真面目に書いてみよう。


1227, 新潟駅前ランチ事情

2004年08月12日(木)



新潟駅前のランチ事情も変わってきた。
この1〜2年で、横浜軒、松屋、ロイヤルホスト、すき家、
などのナショナル・チェーン店が進出してきた。

それまでは、居酒屋やラーメン屋などがランチ定食を出していた。
売上不振のフグ割烹の専門店までも昼飯を出し始めていた。

大体680円が相場であったが、最近は300〜500円の店が増えてきた。
私も、そのプライスの店に行くようになった。

朝食はウォーキングの後ということもあって、しっかりと食べる為か、
昼飯はジャンクション食と割り切っているので、手軽で済ませたいし、安い方がよい。
500円以下の店は、やはり混んでおり、今までのプライスの店はお客は少ない。

先日、事務所の近くに「定食の専門店」が出た。
チェーン店ではないが、とにかく安くて、自分で好きな惣菜をチョイスできるのがよい。
大体400円〜500円で済む。

私の場合、週一単位で店を使い分けている。
回転寿司、蕎麦専門店、居酒屋、牛丼(豚丼)専門店、定食屋、うどん専門店
など10軒の店を、その日の気分で決めている。

駅前のサラリーマンにとって、昼飯を食べるのは大変である。
12時直後に、どこも満席になってしまうからである。

最近は、昼飯を抜くか、牛乳ですますケースが多いという。
小遣いが節約ができるからである。

ランチの世界も、デフレの影響がモロに出ている。

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2003年08月12日(火)
860, プライド -1

プライドについて考えてみる。
プライドとか自負心を自分で意識する時は、「逆境の時」とか、
「あまり自分の意にそわない時期」に多い。
プライドー自己尊厳ーとは程遠いと思われる人ほど、プライドが高いのに
驚いた経験をしたのは私だけでないだろう。
新潟では長岡人を「異常な位プライドが高く、閉鎖的で彼らだけで群れたがる」
と評している。常に小さい世界で誰かを意識せざるを得ないからだ。
まあ地元の悪口になるから、長岡人の話はやめておく。

 プライドが何故マイナスの状態の時とか、マイナスの人の心の状態に
現れてくるのか考えてみる。

「自分の子供がよい会社にいるのを誇りに思う」とか
「自分のやってきたことに誇りを持っている」とかに表現される。
それは誰かとか、何かに対しての満足感を表す言葉である。
その背後には、他と比べて、
・自分の収入は誰より多い
・誰よりも名声がある
・学歴は誰誰よりも高い
等々、常に比較の世界に生きている人の言葉である。

 自分の価値観をしっかり把握していれば、そんなことは如何でもよいことだ。
私が嫌っている「子狐」世界は、その比較の世界に生きているからである。
その小さい世界しか知らない無知の住人だからだ。
そういう人ほど表面的利害を求めて彷徨っている。
それも隠しプライドー子狐の尻尾ーをたれ下げながら。
彼らには本当の深い喜び、満足感、充足感はない。

 比較の世界に生きている人間に、自分の心の奥の芯の歓喜があろうはずがない。
彼らは、そのプライド故に嫉妬、羨望、憎しみが異常発生してくるのだ。
比較の世界では、上から見下ろすだけでなく、下からの歪んだプライドも出て来る。
ある会など、見ても無残な歪んだプライドの世界である。
常に誰かの悪口、中傷の歪んだ暗い比較の世界である。
真の価値観を持ち得ない人が、他者に対して持つ歪みが変形した世界になっている。
自己宣伝に精を出しているチンドンヤ、噂を餌に営業をしている
??、太鼓持ちなど多士済々で面白いといえば面白いが。
それも如何でもよいことだが。
                            −つづく
                            
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年08月12日(月)
485, 「我思う故に我あり」-1

デカルトの「我思う故に我あり」という言葉は
あまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている
ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。

「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。
どこかの女子大の哲学の教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、
あまり面白い本ではなかった。

前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」
と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」
たったこれだけを殆どの人がしてない。

そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」
「我 行動す 故に我あり」
「我 祈る  故に我あり」
「我 感動す 故に我あり」
「我 愛する 故に我あり」
「我 夢みる 故に我あり」
「我 美食する 故に我あり」
「我 セックスする 故に我あり」
「我 読書する 故に我あり」
「我 前進する 故に我あり」
「我 遊ぶ 故に我あり」
「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」

幾らでも出てくる。

「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。
それが自分ともi云える。

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2001年08月12日(日)
[106] 坂之上小学校ー同級会

昨日小学校同級会、場所はかもがわ別館。
25人参加。
かなり盛大であった。二次会は全員参加。
久々に楽しいひと時であった。
3クラス合同の会で100人強のうち4ぶんの1あつまったことになる。
5^6人が亡くなったようだ、それもこの2〜3年で。

そういう時期になってきたと言う事か。5年に一回の会で丁度いい感じだ。
どうしても女性が多いのは、当然の事だろう。
出席してよかった。


1226, ダイエー 最終局面へ

2004年08月11日(水)

ダイエーの再建??に向けてのUFJ、みずほ、三井住友銀行が
最終調整に入ったと新聞が一斉に報じ始めた。
・不振の衣料・住居用品から撤退して食品スーパーに特化
・3〜4千億で金融支援を実施して店舗の土地建物の含み損を処理
 再生機構が新設する不動産会社に移し
・一兆円の銀行借入を3〜4千億にへらし、
・大手流通業の支援で早期再建を目指す

ジャスコか丸紅が受け皿になるようだが、恐らくジャスコだろう。
ジャスコは、八百半、マイカルに続いて、再建で大きな収益を上げることになる。
三年前に始まった、オーナー中内功の追放、そしてグループの解体の最終
局面を向かえることになった。

解体過程も、シビアにおこなわれきた。
・コンビニの「ローソン」の売却
・リクルートの売却
・神戸のオリエンタルホテルなどの売却
・銀座プランタンの売却
・今年になって、福岡ドームと、その隣接のホテルの売却
等、すざましいほどであった。
そして最終局面で、再建機構に移管をして、ジャスコか丸紅に投げ売りをするのだ。

自宅の近くに店舗があるため30年来、定点観測をしているが、この数年は
気の毒なくらい商品力が落ちている。マイカルの最終局面に似ている。
折りたたみ傘を買おうとしても、まともな商品が皆無だ。
買っても、粗悪品に近かった。
あるメーカーの人に聞いたが、「ダイエーに収めているだけで、その問屋には
商品を卸さない」と言っていた。
死に体であるのは誰の目にもハッキリしている。

ダイエーの華やかな成長過程を見てきたこともあり、その凋落の姿は
何とも寂しいものである。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年08月11日(月)
859, 「タイムクエスト」ー読書日記−1

ーベンジャミン・フランクリンの13価値観ー
 
この本は一年位前に読んだ本である。
「7つの習慣ー最重要事項」のさらに具体的内容を掘り下げている本である。
『ミッション・ステートメント』に焦点を合わせてある内容である。
先日本棚を見ていて、読んだことに気がついた。
中途半端に読みぱっなしということか。
この本と『7つの習慣』を二年前に読んでいて、「ミッション・ステートメント」
を創ってなかったのだからいい加減なものだ。

何かの「良」がこの「最良」を阻んでいたのだろう。

この本の中のベンジャミン・フランクリンの13価値観が面白い。
これを元に著者のハイラム・W・スミス が自分の憲法を創っているが、
それは次回に書く。それと13の価値に対する自己評価もチェックしてみる。

ーそのフランクリンの13価値のところを書き写してみる。
 
 ベンジャミン・フランクリンが22歳のときに自問自答した。
「私の人生で大事なことは何だろうか?」
この時から、彼は12の価値観と考えを進めていく。

 そしてその一つ一つに説明を加えていく。その結果次のようなものが出来上がった。
初めは謙遜がなかったが、あるクエーカー教徒の友人に見せたところ、その友人は
最後に謙遜がないことを告げた。

 フランクリンに対して彼は親切にも彼が、高慢な人間だと一般に思われていることを
教えてくれた。いくつかの例を彼はいちいち例を挙げて説明してくれ納得した。
そして、最後に英語でわずかに4語の説明文を加えている。
「イエスおよびソクラテスに見習うべし」
(ImitateJesus and Socrates)

 彼は自分の生活を13週に分けて、一週ごとに13ある価値観の一つずつ焦点をあてて、
自分の行動が価値観にあったものになるよう努力したという。

 78歳のとき、彼は回顧録にこう書いている。
全体的に言えば、かねてから願っていた完璧さには到達できず、それより
はるか下にとどまってしまったが、どの努力をしない私と比べれば、より善良な人物になる
ことができた」

「謙遜」については、率直にこう言っている、
「私はこれを体得したと自信を持って言えはしないが、その見かけがそれなりにできたと思う」

ーベンジャミン・フランクリン13価値観

1、節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。
2、沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。
3、規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。
4、決断  なすべきことをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。
5、節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。
6、勤勉  時間を浪費するなかれ。つねに何か益あることにしたがうべし。
      無用の行いはすべて断つべし。
7、誠実  いつわりを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。
      口に出すこともまたしかるべし
8、正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与えうべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。
9、中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、
      激怒を慎むべし。
10、清潔  身体、衣服、住居に不潔を許すべからず。
11、平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。
12、純潔  成功はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、
身体を弱め、また自他の平安ないし信用を傷つけるが
ごときことあるべからず。
13、謙譲  イエス及びソクラテスに見習うべし。

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「TQ―心の安らぎを発見する時間管理の探究」

ハイラム・W. スミス (著), Hyrum W. Smith (原著),
黄木 信 (翻訳), ジェームス スキナー (翻訳)
価格: ¥1,715
出版社: キングベアー出版

ーレビュー
ユタ州でコンサルティング会社のCEOを務める著者のハイラム・W. スミスは、
ベンジャミン・フランクリンから強い影響を受けた人物で、アメリカ社会の時間管理に関する
洞察に満ちた見解を本書で展開している。
「生活の慌しさは日々増していくばかりである。
単調な日常業務に急き立てられ、私たちは一心不乱に走ることを余儀なくされるが、
結局は一つ所に留まっているに過ぎない」。
時間と出来事の、ひいては生活のコントロールを取り戻すために著者が行う提案は非常に
興味深く、目標の設定、計画的行動、そして安心領域からの脱出について示唆を与える。
著者の鋭く焦点を絞った管理についての複合概念は、
「心の安らぎ、すなわち充足や幸福が最高潮に達した感覚」
に到達することを目的とした「出来事管理」を実現するための素材ともなっている。
因みに、著者が経営する会社のセミナーや製品の推奨文句は不要であろう。
内容(「BOOK」データベースより)
本書の大きな特長は、時間管理を出来事管理と捉えることにより、生活のコントロール度合を
高める点にあります。
そして、人間の行動を基本的な欲求のレベルまで掘り下げ、単なる効率だけを考えた
時間管理では決して味わうことのできない、永続的な「心の安らぎ」を獲得することが
できるとしたのです。

ー 目次

第1部 あなたは「時間」をコントロールできる(「時間」を奪還する
「価値観」を発見する
「心の安らぎ」を体験する
「安心領域」から脱出する
「計画的行動」を実行する)
第2部 あなたは「行動」をコントロールできる(「行動と気持ち」を合致させる
「現実とニーズ」を検証する
「誤り」を修正する)
ー貴方は貴方という帝国の独裁者です。
何でも思うまま自分をコントロールする事が出来るはずなのですが、
最近、国内運営が芳しくありません。原因は「無力感」「怠惰」といった
テロ組織が貴方の帝国内に存在しているからです
てくれる。

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2002年08月11日(日)
484, 思い出のメロデー

お盆近くの土曜日になると毎年恒例の「思い出のメロデー」である。
34回というから、私が20歳代前半からになる。

初めからチャンスがあれば必ず見ていた。
幼児の頃から街のど真中で育ったせいか流行歌が常にあった。
その為その歌ごとに思い出が深い。

生番組の素晴らしさは、歌手も失敗を許されない真剣さと
今という共時性がある。
この生番組の中にそれぞれの人が自分の歴史ー自分史を見ているのだろう。
昨日は前半は昭和40年代のポップスが中心であった。
丁度自分の青春時代の歌で感慨が深かった。

40年代はポップスの全盛時代で、もうこれだけの名曲が出ることはないと
いわれている。時代が高度成長期でその雰囲気がその歌をつくりだした。
歌を聴きながら、本当によい時代に生きることが出来たと感謝している。

自分の人生を一言だけでいうと、「恵まれていた」である。
特に時代背景がよかったことを歌を聴いていてつくづく思った。

今回見ていて、いつもの常連が多く出ていなかった。
時代の変化なのだろう。

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2001年08月11日(土)
[105] 写真コーナーが移転

不調だった今までのコーナーを廃止、あたらしいソフトで再出発することになりました。
デジタルは便利の反面、今までの苦労が一瞬で消えうせるという恐さがある。

あれだけデジタルカメラを持ち歩きうつした写真が、全て跡形なく消え去ってしまった。
まだ出始めで総数が少なかったが、一年も経った後だったら大変な事だった。
写真コーナーが壊れてからアクセスが半減してしまった。
ーーーー

二時間散歩、夜半大雨のためか花が綺麗だ。
これも土手で誰かが趣味で育てた花だ。

二時間の間にそのような場所が10カ所以上ある。
あと一月経つとコスモスのトンネルが出来る場所に花が咲く。


1225, つれづれなるままに

2004年08月10日(火)

・先日、インターネットの[アマゾン]で中古本で買おうとした。
フッと思いついて、近くの図書館を呼び出し、検索にかけたところ、
その本が有った。

図書館で、買った本を、時々見かけることが何度かあった。
その時、「インターネットで調べることが可能なはずだが」と思ったのだろう。
お金は少し注意すれば使わないで済む。
情報化は、無駄を省いてくれる一例である。
不景気になるはずだ。

・宿泊で、駅から一番離れて不振であった第三シングル・インが最近よくなってきた。
インターネットで見て、泊まるお客が増えたからである。
地理的に少し離れた第三を割り引いているからだ。
ーインターネット上では、各ホテルは割引価格を出しているのを、
お客はそれを知っている。
インターネットを使いこなせるかどうかの情報ギャップがますます大きくなっている。
もう数年で、携帯電話やモバイル・パソコンで生中継の野球を見る時代が来る。

・心の帆
「得手に帆を上げよ!」という言葉がある。
人間の運命を決めるのは 心に張られた帆である。
それも得意の帆を立てることだ。
しかし、我々を動かすのは、決して帆だけではない。
「時代の風」である。
風はその時代ごとに、向きも場所も変わる。
今は情報化と、デフレと、グローバル化いう風が吹いている。

2003年08月10日(日)
858, 縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ

 一昨夜、飲んだ相手は今年になって一生に一回有るか無いかの大きい事件が
二件たて続きに起きた。そういうものだ。
あと一回は覚悟しておいた方がよいのではと忠告をした。

ホテルの立ち上げを創めると、必ずといってよいほど普段なら起きない事件が次々に
身辺におきる。本当に不思議なものだが、波動が高くなっている為だろう。
「縦揺れ、横揺れ、斜め揺れ」となずけて、その波乗りを楽しむ位でないと
神経をやられてしまう。創めたからには突き抜けなくてはならない。
その三つが同時にくることがあるが、これは縦、それは横、あれは斜めと冷静にみれば、
こういうものだと腹が据わるものだ。

縦揺れは仕事の中の揺れ、横揺れはプライベートの何か、斜め揺れはそれ以外の中でおきる。
こんなもんだろうと、直視しながら一つずつこなしていくしかない。
それも一つ一つが極限の出来事である。

 そしてピークの出来事が重ねてやってくる。それは経験を重ねると見極めがつく。
それは「もう駄目だ!」という限界につきあたった時である。
同時に「ああ今回はこの程度か!」と心の奥の声がする。
遵って仕事をいかなる場合でも楽しもうという意志がなければならない。
これは仕事だけでなく、人生一般にもいえる事である。

一昨夜は以上の話をした。それまでは順調な人生を歩いてきた人だ。
神様は必ず平等に試練を与えるものだと最後は説教調になってしまった。

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 2002年08月10日(土)
483, 経営セミナーにて  −2 

30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くいった。
それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。

しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。
2000万?はつかった。
しかし土地を二回転がし,すぐ元はとった。
そういう事だけはクールだ。

ある時解った、これはレジャーだと。
レジャーと割り切っていたほうが逆に情報を受け取る事ができる。
副産物として井の中の蛙の自分を確認できることだ。
地方にいるとどうしても王様蛙になってしまう。

結構面白い人に多く会えるのも収穫だった。
全国各地では、その地方では名士様がくる、それがよい。
地方にいると、そういう人を仰ぎ見るが、別にどおって事ががない。
自分のテリトリーの狭さがよく判る。
常に意識をメジャー(全国区)において置かないと、経営判断が
鈍ってしまう。
トノサマガエルはマイナー世界を自覚できない人の喩えだ。

情報の宝庫だが、それを噛み砕き自分の知恵に変えなくては全く
価値はない。どうしても噛み砕けず頭でっかちになってしまう。
それでここ3年は行ってないが。

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2001年08月10日(金)
[104] 自己不認識

いま感じているのは自分自身への目のミスキャストである。
同年の人と会うとお前も年をとったなー、と言ってくる。

ところがその二倍の言葉を返したいほど、その相手も老けている。
その人の自己認識が全くないことが解るから、そのことを言えない。
ブラックジョークである。

こういう人に(自己客観かのできない人)「貴方は女性にもてるでしょう」と言うと、
得意満面になり女性遍歴を話し出す。

女性にもてるとは、女性環境に恵まれてないからスナックに行って、
ママかホステスに必死に尽くした結果、チヤホヤされる事を意味してる事である。

知人に何人かその結果(離婚とか自殺)、家庭内が目茶目茶最悪の事態に陥って、
今もそのプロセスを踏んでいる男がいる。
男の何人に一人は、ある時期こういう事態を経験しているのだろうが。

ある往年の大女優が随想で
「45歳を境に急な坂を転げ落ちていくように、美容も肉体もおちていく」
とかいていた。

女性の場合自覚するが?
男の場合,気がつかないから恐い。
まあ、どうでもよい話だが。


1224, 広松渉ー哲学について(2)-26

2004年08月09日(月)

広松渉の「新哲学入門」を、私が理解したレベルで書いてみるが、内容はかなり難しい。
しかし、これを理解しないかぎり現代の哲学を語ることができない。
簡単に加工可能なデジタル社会の現在、存在・認識・実践そのものを
根底から考えなければならない時代になっている。

荘子の[胡蝶の夢]で、蝶になった夢から醒めた男が
「醒めた自分こそ蝶が夢をみているのではないか」。
「蝶が人間になった夢が現実」とすると、見えている事実は脳内の作用でしかない?
TVドラマの世界に入り込んでしまい、現実をむしろ虚構と思い込んでしまう可能も
ある時代である。

この書は、認識、存在、実践の近代的世界観を根底から批判しているが、
最後の章の
「実践するとはどういうことか」から、感想と印象的な文章を書きだしてみる。
  −−−−−−−−
  
 第三章 実践するとはどういうことか
   第一節 行為の存立構造
 
 行為の存立構造の、糸口として、演劇(芝居)を喩えのモデルとしてすると
構図が見えやすくなる。社会学では、役割行為論がスポーツ・モデルが展開
するケースが多く見られるが、演劇モデルを取り上げる。
                     *ー私の感想である
 
 ー人生劇場の舞台
人生劇には、舞台的場所や道具的与件があり、総じて
幕場的状況がまずある。−−神といった超越的「劇作家」の存在を考える立場もありますが、
これは暫く括弧に収め、[即興劇]ということにしましょう。

人生劇では[舞台]が大変に広く、観客席や楽屋までが舞台であり、観衆や裏方も
俳優に導入される。
舞台的場面は、自然的環境と社会・文化的環境とに二分して考えるのがふつうである。

*人生を徹底的に、舞台劇場として自分を醒めた目で書き出してみると、
全く違った見方ができるだろう。長期的将来の計画をたてるのは「劇作家」の
存在の視点であろうし、現在は過去の自分という劇作家の結果ともいえる。
何も考えず惰性に流されて生きている人もいるが。

ー行為の共演性と役割存在
行為という時、一個人だけで自己完結的であるように扱われるのが常套です。
いわゆる集団の行為といえども、個々人的行動の代数和のように扱われがちです。
確かに単独行為があるが、舞台的・道具的条件なるものからして、他人たちの
介在によって初めて成り立ちます。・・・・・・・・・

今、例えば、農夫が孤独に畑を耕しているとします。
畑は彼自身が拓いたものではなく、農具も彼自身が作ったものでなく、
農耕動作も彼自身が案出したものでありません。いずれ他人が作ったものです。
行為は、本質的には、協演的存立構造にあるものと看じます。

行為の協演性とは、行為が役割分担ということです。
・・たとえば、[ハムレット]という劇は、先王役、新王役、ハムレット役、といった
まさに「役・割」によって成り立っています。・・・・・

人々は幕場的情況に相応しい仕方で、余程の場合以外は、期待された行動以外は
「ナチュラル」に遂行する態勢を形成しており、共演者どうしはおたがいに相手を
「当方の期待する所作を当然体現する筈のもの」と覚識する。

*劇である限り、何らかの形で行為の協演性がある。行為が役割分担になっている。
それはそれぞれのお互いに期待された役を演じるということだ。
しかし、その中でも、それぞれの個性ー主体がある。


ー役割行動と「内自的主体」

・あれこれの[[役柄]衣裳を脱・着する本体的主体とは、いかなる存在でしょうか。
さしあたり、[役割]を身にひきうけて所定の様式行動を演じる[俳優]本人です。
しかし、、芝居の俳優には舞台外の生活があるが、人生劇場の「俳優」
には[舞台外生活]はない。全てが[舞台生活]ですから話が厄介になる。
裸の当の固体は、単なる肉体的・物質的固体ではなく、‘魂’を内在せしめている
いる個体と認めるべきかもしれません。が、しかし、‘魂'とやらを認めても、
直接的な外部観察では当人の‘魂’の個性的な特徴は見えません。
他の諸固体と区別をする特質を‘魂’とやらに求めるわけにはいきません。

役割的行動とは、図式化していえば、おのおの内自的特質を具えた人格的主体が、
幕場的情況の場において、終局情景的目標を設定して手段的行動様態をつくりつつ
[決意的起動]を遂行するが、当の目標行為は、ただ単なる対自的な
[目的合理的行動]ではなく、[共演者たち]によって期待されている行動
[対他的「役割行動」]でもあるのが現実です。

そもそも[内自的に個性的な人格]とは何であるか、その人格性とは何であるか。

*要するに、期待に対する役割行動の中には演じる俳優が存在しているが、人生の場合は
それが同一の自分である。
それ故に、多くの問題が提示される。
俳優個人を‘魂’とやら、いうのか?
といって、その俳優を‘魂’とみれば、その個性ー固体を区別ができなくなる。

ーー以上が、行為の存立構造の概略である。

人生を、人生舞台に例えて、そこで演じる自分の役割と舞台における幕場(シーン)で
人間の実践における行為を解りやすく、説明をしている。
女の人生をみても、
幼女、少女、若い女、妻、中年、老女と、その時々変わっていく。
そして役割(学生、ギャル、妻、母、祖母)も、その都度、変化をしていく。
そして、同時に共演者も変化をしていく。
それが人生である。

この[新哲学入門]を読んでいると、覚せい剤を飲んだような?
意識が覚醒してくるような気分になる。

次は、[実践と価値評価]についてである。

・・・・・・・
・・・・・・・

2003年08月09日(土)
857, 閑吟集-チロリチロリチンチロリ

 よのなかはちろりに過ぐる ちろりちろり (49)

 何ともなやのう 何ともなやのう うき世は風波の一葉よ (50)
 
 何ともなやのう 何ともなやのう 人生七十古来稀なり(51)
 
 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に
                        あじきなき世や(52)
 
 夢幻や 南無三宝 (53)
 
 くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して (54)
 
 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55)

ー 大意ー
世の中は、ちらっと、瞬く間に過ぎる。
ちろり、ちろりと。
浮き世は「風波の一葉」でいいじゃないか。古希まで生きられる人間が「古来まれ」
でもかまわない。「水の泡」「露の間」のようなはかない「夢幻」の世。
「夢の夢の夢の」ような世間だからこそ、すべてを肯定して「狂へ」ばいい。

ー数年前にこの「閑吟集」の一節を読んで、この歌の中に流れている諦念と
反面、強烈なエネルギーにショックを受けた。
その翌年の年賀葉書に書いて出したりもした。
またコピーをして、知人に配ったり、手帳にはさんで、この一節を暗記をした。、
そして数ヶ月間近くいつも口ずさんでいた。
たまたまモロッコ旅行の飛行機やバス移動の中で一人口ずさんでいた。
その時の自分の気持ちをそのまま歌にまとめてあるようだった。

 一種の無常観を歌っているし、「ちろりちろり」には茶化したユーモラスな
感じが漂っているのがよい。「ちろりちろり」と人生はあっという間に過ぎて
いくものよと、諦念混じりに笑っているのが心の琴線に触れてくる。

 反面、強烈な現世肯定の歌にもとれた。
「狂う」とは常軌をいっした行動ととれるし、、ある物事に集中する意味にもとれる。
びくびくと、したり顔をしてつまらない一生を送るより、ただひたすらに「狂う」
ように集中して生きろと。この世の儚さをそのままに受け止め、一期の夢と見切る
覚悟があればこそ、人は「狂う」ことが出来るのだ。
読み人知らずの作者が5百年近くの時間を越えて語りかけているようだ。
 
 「世間」を「男女の仲」の意味もあり、そう解釈するとまた意味が違って来る。
「ちろり」は、昔、酒を暖めるのに使った、「銚釐(ちろり)」という道具を
連想すると、男女の交わりを暗示していることになる。

・・・・・・・・・
あるホームページの感想文をコーピーした。


ー宇羅道彦の「春風録」
断言命題/現代状況構造分析*「閑吟集」より

 なにしょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え          
                       「閑吟集」より             

詩を書いていた若い頃、万葉集から芭蕉までの歌を新潮社の日本古典文
学大系を買い込んで一気に読んだことがあった。          

以来、閑吟集の上記の歌が心に残り、時として口ずさむ。      
最近の世情を見るにつけても、古人のこの歌の心が思われる。    

これを刹那主義と見ては誤るだろう。               
文学者にも、時代背景からして明日をも知れぬ大衆の退廃的刹那主義と
する見方もあるが、くすんだ学者らしい愚かで浅はかな見解である。 

退廃的刹那主義を生きるものに「一期は夢よ」という自覚があろうはず
がない。                            
厳しい社会状況において人が見ることを強いられるのは、平時には日常
性の中に隠されている人の生の本質である。            

ここに歌われているのは、苛酷な人生に正面から立ち向かう大衆の心意
気である。                           

ニーチェはその永劫回帰の思想を「これが人生か、さればもう一度!」
と語ることであらゆる苦悩を含めた人の生の全体を肯定してみせた。 

この歌もまたニヒリズムの地平を突き抜けたところで歌われている。 
「ただ狂え」という言葉はそこにおいて初めて発せられるものだ。  

過ぎた日々や失ったものに執着しこだわるとき人はくすむ。     
ぬかるみを生きる湿った感性である。               
ただ狂うためには振り返らず、今だけを見つめて生きるあくまで乾いた
感性が求められよう。                      
ニーチェはこの精神をツァラツストラのなかで<軽みの霊>といった。

苛酷な状況にあって人が局面を打開する可能性があるとすれば、まさに
この歌の心を手に入れた時をおいて他にない。           

ここには禅の悟りにも近い覚悟と、人の生への究極の認識が直感的に表
出されている。
乱世の暗黒を生きた大衆は、それに応じた充分力づよい人生を生きた。
この歌はいわば、その証である。                 

生きることが困難な時、それでもかけがえのない人生をどう生きるか。
あたうる限り、味わい深く存分に生きることが目指されよう。    
くすんでいては瞬く間に人生は終わる。一期は夢よ、ただ狂え!   

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年08月09日(金)
482, 毎日が刺激的

下の息子に一昨日、家内が電話をしたら自分の会社が
買収されて、近くIBMになるという。

Pwc−プライスウオーターハウスという、世界最大のコンサルタント会社で、
ナンバー2を2倍以上引き離している優良会社。
まさかと思って知人に聞いたら、日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。

アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが
消滅寸前。会計部門とコンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、
今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。

全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と見ていたのに。
二分割して吸収される。入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。
外資系は劇的なことを平気でする。
初めからIBMに入社したと思えばよい。
しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。

しかしまたゼロから再教育は最低必要条件である。
本人は長い目でみたら、よい勉強になる。
外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。

今回IBMのホームページを見て、初めて知ったが
100予仍颪子会社で、関連会社は出資比率で書いてあった。

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2001年08月09日(木)
[103] センチュリーベーカリー

−昭和50年3月〜8月31日ー

ほとんど他人に話した事がないが、焼きたてのベーカリを立ち上げた事がある。

千葉千城台のビルと養老の滝1122号店を立上げ一年、空きビルを埋めるべく
何がいいかみた時、当時団地では全くなっかった‘焼きたてのベーカリー’
に目をつけた。冷凍生地を主体とした焼き立てパン屋である。

商社の東レの子会社の蝶理という会社が、このフランチャイズをやると
いう新聞記事をみて早速やることにした。

東十条にある関連のパン屋に朝4時に起きて、二カ月オープン!
何時ものように、パニックそしてーーー。
素人は初めは良いがある時期がくると、応用が利かない弱点が出てくる。

その時期、長岡の実家で問題が生じ帰ることになった。

第三者の経営委託に切り換え急遽長岡へ。
恐らくあのままやっていたら3〜4年で行き詰まったのではないかと思われる。

しかし若さか今考えてみると良くやったと思う。
苦し紛れで‘開発型委託経営ビル’を造った事になった。

考えてみれば、ジャスコ、いとはん(北陸ジャスコ)、
ビル開発(飲食フランチャイズ+ベーカリー立上げ)、
実家の衣料デスカウント・ハウスと12年近く、全く未経験の体験の自己配転して
いたことになる 。


1223, 思い出のメロデー

2004年08月08日(日)



お盆前のこの時期は、NHKの歌謡番組の「思い出のメロデー」である。
毎年必ず見ることにしているが、生の番組みの迫力がよい。

今年は、例年より長い時間(19時30分〜23時30分)まで放映をしていた。
どういうわけか全員、熱が入っていたようで、圧倒されみていた。
「歌は世につれ」というが、その時代を反映をしている。
次から次へとでてくる懐かしい歌にやはり長い年月を感じる。

歌は過去に向かって歌うものというが、「思い出のメロデー」はまさにタイトルどおり
である。思い出の歌は魂の故郷である、お盆の里帰りのようなもの。
それぞれの人が、それぞれの思い出の中に帰っていく。

終戦直後の戦災の焼け跡に生まれたこともあって、当時流れていた歌が特に懐かしい。
そして、戦後50年間は日本にとっての黄金期であったことを、改めて思い知った。
本当に良い時代に生きてきてよかった。

繁華街の真ん中の店で、10歳まで暮らしていたこともあり、いつもラジオから流行歌が
流れていた。当時の歌を聞くと、感無量になる。
それと学生時代の歌謡曲黄金期のポップスも、思い出が深い。

時代は、どんどん変わっていく。
だからこそ、思い出の歌が必要なのだ。

・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

 2003年08月08日(金)
856, 経済評論家ー高橋乗宣の本

 高橋乗宣の『日本経済、価値革命のうねり』と『日本経済の破断界』
とたて続けに読んでみて、日本経済の悲観論者の論とはいえ背筋が寒くなる。
彼はバブルの最中から今の日本は大恐慌になると警鐘をならしていた。
そしてあまりの悲観主義ゆえか三菱総研の理事からおろされてしまった。
しかし大筋として彼の言ったとおりになってきている。
「数年前は地獄の釜の蓋が開いた!」と言っていたが、
今は「地獄の釜の熱湯が溢れ出てきた!」といいたいだろう。

「日本経済の破断界」によれば今頃は恐慌でパニックに陥っているはずだが。
彼はむしろ早くパニックになるか、一時銀行を国家管理をすべきと言っている。
地方の私の事業の立場からみても、明らかにデフレスパイラルに入ってしまった
と実感する。総事業費の3分の2近く返済をしているのに、借入金は借入当時
より重くなった感じがする。デフレスパイラルの直撃を受けているためだ。
なす術がないとも言っていられないのが事業である。
銀行の露骨な貸し剥がしなど水面下でおこなわれている。
このお盆は、経済の先行きをじっくり考えようと思う。

以前書いたものと、検索で調べたものを以下にコピーしておきます。
・・・・・・・・ 

『日本経済、価値革命のうねり』
―恐慌の地響きと収縮する国の姿
 
 高橋 乗宣 (著)
 出版社: ビジネス社 ;
 価格 1500円
ーレビュー

内容(「MARC」データベースより)
この国が、完全に収縮を始めるまでにあと3年、時間がない!
未曾有の恐慌を受けて立つ、あなたの備えは万全か。日本経済が直面している
まやかしの改革を抉り出し、新しい経済のパラダイムの導出を試みる。
ー 目次
 序章 実行なき政権の罪
第1章 悪貨の時代が始まる
第2章 インフレ待望論という幻
第3章 いま財政に何が求められているか
第4章 収縮を続ける「この国の姿」
第5章 戦争に揺れる世界経済
最終章 経済恐慌とその活路
・・・・・・・・・

『日本経済の破断界』
  ―資本主義は崩壊し市場主義の専制が..
 
純金と直接的にも間接的にもリンクしない、いわば「新しい資本主義」
のひとつの形である「市場主義」。資本主義にかわる次の経済原理が求められて
いる今、市場主義を始めとする、知っておきたい経済の常識を解説する。
 
なすすべもなく日米欧同時景気後退の波にのみ込まれつつある世界を俯瞰しながら、
日本の先行きを展望する経済時評。
「この先、内需主導でデフレから抜け出せる」という楽観論を論破。
その根拠である在庫調整の一巡が、米国の「テロ特需」頼りだったことを指摘する
一方で、政府のデフレ対策の無策ぶりを告発する。デフレの大病巣である銀行への
「信用デフレ」と、その根っこに横たわる不良債権問題を早急に治療しなければ
2003年3月に日本経済はクラッシュすると警告。
・・・・・・・・・・・・・・
2003年01月28日(火) 664, 「日本経済の破断界」

十数年前から日本経済の破滅を言い切ってきた元三菱総研専務ー高橋乗宣の
本のタイトルである。
去年の秋に新潟の紀伊国屋で買おうかどうか迷って買わなかった本を
図書館で先日借りてきた。

ー要約を書くとー

・日本経済が凋落した原因を、「ニクソン・ショック」としている。 
 今になって世界機軸通貨のドルが暴落して騒いでいるが、ニクソン・ショック
 の時点で終わっていた。

・アメリカがIMF体制をつくった当初、世界の金保有量の66佑鯤殕していた。
 アメリカは35ドル1トロイオンスの金の交換ルートでIMF体制をつくった。
 その体制の前にどこの国もドルを欲しがった。それを利用してドルをばら撒いた。
 ドルをばら撒く事がプラスに働いた。
 ドルが機軸である限り必ずアメリカへ戻ってきた。
 
・ところがドルを手にしてもアメリカ製品を必ずしも買わなくなった。
 日本やドイツが製品をより良く安く売り出したためだ。
 それが日本やドイツを中心に溜まりだした。
 それと同時にベトナム戦争でつかったドルが更にヨーロッパや
 アジアに流れていった。
 それが外国に山のように溜まり、アメリカの公的準備金が激減しだした。
 ヨーロッパやアジアの国は金を持ちたがる傾向にある。
 アメリカの金が減りだし、発行した金の交換量をはるかに超えてしまった。 
 それがドル危機である。たび重なるドル危機で1971年に金とドルの交換を
 停止する宣言をする。これの意味が深いのだ。

・資本主義は、金を通貨の基準でなり立っている。
 その瞬間、ヨーロッパ諸国は固定的な為替関係を放棄した。
 しかし日本だけは一週間にわたり、一ドル360円のレートを守ろうとした。
 大失態だった。すぐに固定相場を放棄せざるを得なかった。
 ヨーロッパとくにイギリスのサッチャーはロンドンのシティーを開放し、
 金融のウインブルドン化を行った。
 日本は10年かけて金利の自由化を図ったが、市場にゆだねるための規制撤廃
 は一切行わなかった。いまだに当座預金のペイオフすら延期するような幼稚な
 レベルで留まっている。最悪である。市場主義の流れさえ全く理解してない国民
 と政治家のレベルを露呈してしまった。

・過去の資本主義の最終段階に入っているが、日本は小手先の自民党の最終漫才
 の自己逃避に国民もなすすべもない。自民党はその寄生ー規制で潤っている
 業界から献金を受けている為、規制撤廃ができないのだ。
 なすべき決断を下さず、実行せず、もう大丈夫、もう大丈夫と繰り返していると、
 市場はある日突然、暴力的になる。市場の「自己矯正メカニジム」が働く。
 この先送りのツケが必ず来る。
 シートベルトをしっかり締めつけ、下げた頭を両手で抱えるー飛行機のハード
 ランニングが始まる。まずは2003年の3月がどうなる事か??
 先延ばしの典型のダイエーが最終の失敗の露呈を始めた。
 ーーーーー
 
以上が大体の私がまとめた本の要旨だ。

ほぼ大筋は外れてはいない。まずはこの3月がどうなる事か。
イラク戦争と朝鮮戦争をどうこなしていくかが問題だ。
この国の民度ー自民党のあのパフォーマンスー自己逃避をしているレベルを
民度というのだ。

それも仕方がないのか奴隷国家ー西アフリカの奴隷国家以下の現状。
自民党は歴史に残る劣悪政党だ!その猿芝居を信じているのが今の日本だ。
あの歴史的国辱の彼等が
「我々自民の主流派の定義は国家の行き先を真に考えているかどうかにある。
我々は先行きを真剣に考えている故に主流派という」
とのたまっている。

万死にあたいする劣悪集団が、こうも脳が狂ってのたまう。
彼らはいう「自分たちは、こういう劇場政治にとっての生贄だ」
ゴミのー盗人の最後の泣き言だ。
「盗人に三分の利?」いい加減にしろと言いたい。

おそらくこの文章は、私のまだ見ぬ孫や曾孫が見ると思うが
「私の時代にこの劣悪集団と子狐どもが貴方の時代と同じようにいたと、
タイムマシーンのように時空を超えて伝えたかった」という事だ。
如何でもよいことだが。

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・・・・・・・・・

 2002年08月08日(木)
481, ある信条 -経営セミナーにて

30歳代は数多くセミナーに行った。
一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。
700人の席の一番前の真ん中にいつも座って聞いていた。

この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、
講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。
見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。

テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。
これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。

香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた
日本女性の話であった。その信条がよかった。
「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、
 人によかれと思って生きる」を常に自分に言い聞かせているとのこと。

なるほどな!と思った事を憶えている。

ー人間は、そのままだと
 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、
 いつもブッスとしている。
 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。
 考えてみれば、自分でもある。

ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。
もちろんいるが80佑合致している、いや90佑。
実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。

しかし、誰もが持っている要素である。
だからあれは自分の事ー影と言っている。
先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。
その%の濃いか薄いかである。

話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!だった。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。
電電公社の会長、地産の会長、フットワークの社長、100円ライターの
東海??の社長とか。そう甘くはない。

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 2001年08月08日(水)
[102] 夢について−6

これまで夢について書いてきたが‘天女二人とセックスをした夢’の事を書こう。

20年近くなるが私の元部下の大森という人が亡くなって、暫くして大森さんしのぶ会が開かれた。

彼の人柄もあって4〜50人が集まりスナックで盛大におこなわれた。
非常に気持ちの良い会でもあり、かなり酒も入った。

その夜天女二人とセックスをした夢を見たみたのだ。
翌朝目を覚ました時、これは彼なりの方法でのお礼なのだと確信をした。
(今から考えると、勝手な解釈かもしれないが)

この話をすると年配の男の人にうける、思い当たるふしがあるのだろう。
夢としても感覚にしても、これ以上ないことは誰もわかることだが。

夢は面白い!

学生時代の寮の友人に、夢コントロールのできるという男がいた。
夢の中で寮の中を歩く事ができるという。吉永小百合とも寝る事が出来るとも言っていた。

少し内容が露わか?


1222, 今まで見たことがないほどのバス

2004年08月07日(土)



長岡祭りの花火で、メインは信濃川の駅から見て手前側であった。
この数年川向こうにも、観覧席が出来はじめたときいていた。
それが、家内の知人の話によると、信濃川河川敷跡の空き地に
「今まで見たこともない位の多くの観光バスが止まっていて、近畿ツーリストの
シールが貼ってあった」とか。

この20数年来、長岡に泊まれない花火客が新潟まで来て泊まって8月2日は満室だった。
それが突然、半減をして如何したことかと不思議であったが、なるほど納得をした。
バスパックなら、新幹線の交通費片道の半額で、目的地まで行ける。
帰りも朝一で帰ってこれるのだから、お客にとって合理的である。
その上宿泊代は浮くし、わざわざ新潟まで新幹線をつかって行くこともない。

京都の花見のパック旅行のようなもの。
前日の22時に新潟を出発、早朝に京都に着いて、花見をして夕方に京都を出発。
やはり、22時に新潟に到着。
車中は睡眠に丁度よい。
それで一万円なのだから、価値は充分にある。
その花火版ということである。

サッカーも、最近バス・パックができた。
会場まで来て、遅い試合でもバスで帰ってしまう。
それで入場料を含めて新幹線の料金の半額で済む。

趣味の「秘境旅行」でも、このパックを使うから安く、安心をして行けるのだ。
最近は、各社が共同をして、飛行機を貸切で、乗り継ぎをなくして直接、
秘境?の地(アイスランド、アラスカ、グリーンランド)に乗り付けるパックも
出始めてきた。

時代は、サービス化である。

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2003年08月07日(木)
855, 「借りた金は返すな!」ー読書日記

 本屋の平台に最近山積みになっていている。題目からして刺激的である。
中小の経営者の知人が、この本を読んで目が洗われる思いだったといっていた。
潮流が恐慌状況の為、ベストセラーになっていると家内も言っていた。
その人から借りようかと思っていたが、最近会うチャンスがなかった。
webのアマゾンからある本を発注する時に偶然この本を見つけた。
中古本もあり半額以下で買える。迷ったが買ってみた。
読んでみて、中小精細企業の経営者なら、会社の良し悪しに関わりなく読む価値があると思った。
ここに書いてあるようなことをやらなければならない事態に陥らないようにすることが、
もっとも大事であると思えた。
新幹線で読んでいたら、隣席の人の冷たい視線を感じた。
公衆の面前で読む本ではないのだ。
 
 20~30年の長期の投資物件を事業としている為、計画段階で最悪を想定して
資金調達をする。余裕があっても抵当枠一杯の借り入れをして、資金余裕を
十分すぎるくらい持つ。それだけ用心をしても結果的に丁度よいか足りないぐらいになる。
時代がどんどん変化していくためだ。
この本でも、会社を傾ける人は資金に対してあまりにも甘いと指摘している。

 連帯保証人など青酸カリを飲むと同じことと思っていたが、その知識のない人は平気で
判を押してしまう。連帯保証は銀行にとって都合がよいが借りる方にとって、
これほど冷酷な制度はない。先進国では日本だけだという。
江戸時代の隣組の制度を銀行が悪用しているためだ。
その連帯保証の断り方まで書いてある。
私は子供の時から両親に数百回も「保証人の請け判だけはするな!」
「手形は切るな」と言われてきた。
この本に「親からの遺言で保証人にだけはなるな」を口実に使え!と書いてあったのに驚いた。
「宗教上の教えで絶対にダメ」というのもあった。
「父か親戚が請け判をして倒産したのでこれだけはしないことにしている」でもよい。
実際に身近の人が何人か頼ってきた事があった。
上手いもので、まずは断れないような状況をつくる。
次に一瞬、封筒の連帯保証書を置いて気楽な感じで押させそうとする。
詐欺の手口とほぼ同じである。それも・・・・・・・・・?
 あるチェーン店の社長などは銀行の支店長との飲み会を設定して、借入の話を持ち出し
間接的に保証人の話に持ち込もうとしたりもした。
いつも姑息の手を使うので有名な人だが。その支店長もぐるかと疑ってしまった。
金に切羽詰った人間は何でもするものだ。

 誰もが、いつその立場に陥るかわからない時代になってきた。
『借りた金は忘れろ』という続編の本も出ている。
いずれにしても前向きの本ではないが、街金融に手を出すような愚行を避ける為にも
読んでおく必要がある。

以下はインターネットで調べた書評である。
 ・・・・・・・・・

『企業再生屋が書いた 借りた金は返すな!』
 加治将一/八木宏之
 アスキー・コミュニケーションズ

ー内容
借金を合法的に減らす裏技を教えてくれる、目からウロコの本。借りた金は
絶対にどんなことをしても返さなければいけない、と思っているお人好しの
日本人は、それ故に追いこまれ夜逃げや自殺、自己破産をする破目になってしまう。
そんなことをしなくても全然問題ない、と教えてくれる本書は、ある意味人助けであり、
多くの人が金の問題から救われるだろう。

特に最初の方は日本人のお金に対する常識をひっくり返す重要な論説が多い
金融機関が会社や個人に対してお金を貸すというのは、慈善事業でやっているのではなく、
れっきとしたビジネス行為です。したがって、貸して儲けるのは彼らの商行為ですから
貸し先の経営が悪化して回収できないのは、金融機関の見込み違いだったということに
なるわけです。
 
 お金を貸す方はプロであり、そのプロが見込みを間違えたのなら、そのリスクは
みずから背負ってしかるべきなのです。
銀行を見てごらんなさい。庶民から預かったお金に利息は払いません。
集めた金を中小零細企業に低利で貸してくれるならまだしも、「貸し渋り」
どころか、今や「貸し剥がし」が主な仕事です。
 自分たちの失敗で不良債権はどんどん膨らみ、立ち行かなくなった銀行は国から
税金をジャブジャブ注いでもらって、それでもダメ。なのに銀行の経営者の誰か一人でも
責任を取った人がおりますか?(略)
 こんな銀行にいじめられっぱなしで、「借金を返せないのは自分が悪い」なんて考えたら、
それこそ人がよすぎます。
「借りた金を返」さない、その方法とは。簡単に抜き出すとこういうことになる
(これは一例)。
どうしても資金繰りのめどが立たず、返済の減額交渉をしなければならない状況に
なったとしても、事前に状況を説明しておくのとおかないのでは大違いです。
前もって話しておけば、すぐに交渉が成立することが多いのに対し、いきなりの場合は、
話すら聞いてもらえないというケースもあり、その対応にはまさに天と地ほどの差があります。
で、交渉でどうするかというと、「リスケジュール」というのをする。
リスケジュールとは、返済の条件変更のことです。
要するに、「月々50万円の返済額を25万円に減額してほしい」とか、
「月々10万円は払えないけど、4万円なら払えます」といった交渉を、
金融機関とすることです。(略)例えば、月々60万円の返済金を2年間だけ
25万円に変更できたとします。
すると差額の35万円×24ヶ月で、840万円が浮きます。
これは840万円を新しく借りたのと同じことになります。
最初にも書いたが、連帯保証人がどれだけ怖いか、という話。
「連帯保証人」というのは、自分が借りたわけでもないお金を、主債務者の代わりに、
原則一括で返すという、まったく理不尽な役回りです。こんな制度は即刻廃止すべきです。
(略)これはアメリカだけに限ったことではなく、今や連帯保証人制度のある国の方が
珍しいのが実情で、現在このような悪しき習慣が残っているのは、発展途上国か日本を
含めた東洋のごく一部の地域くらいのものなのですね。
 そもそも連帯保証という制度は、封建制度の悪しき名残であり、戦時中に
はびこった地域連帯責任、親族連帯責任、職場連帯責任などのあらゆる連帯責任と同じ発想で、
一種の合法的な「拉致、人質制度」です。
とにかくデフレ、不況と言われている現代、「いざ」という時に慌てないために読んで
おいたほうがいい必読書。金が回らなくなってからでは遅いかもしれないのだ。

・・・・・・・・・
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2001年08月07日(火)
[101] 倒影ー2

人の悪口は倒影の最たるものだ。「あまり悪口をいうな、その指摘部分が自己に移るから」
という理屈は子供のときから分かっていたが。

「人を指差すときあとの指は自身を指している。」という戒めの言葉もそういえばあった。
「人を呪わば穴二つ」という諺もあった。

「ある自信過剰の男、周りの人間かったぱしから、弱点を見つけて倒影を続け一人満足を
していた。ふときずいた時、何にもしないで歳をとっていた。」
こういう人間の本当に多いこと。

これで一番本人にマイナスになるのはマイナス視点が本人に身につくことである。
親戚に結婚もしない、仕事もほとんどしない「俺はでかいことを考えている、
2〜3年後に実行するつもり」といい続けて40年近く、言うのは人の噂と成功した人間悪口、
自身の影におわれているのだ。
もう60になって法事であったらまったく同じことを言っていた。

こう言っている自分もこの男の中にある自身の影倒しか。


1221, 運について−2

2004年08月06日(金)



何回か「運について」(後にコピーしてある)を書いてきたが、
再び書いてみる。

運にも二種類ある。
受身の運と、積極的に自分からつかみとる運である。

・受身の運は、「結果として何時も運がついている運」
性格とか、親の愛情が本人に染み付いているとか、宗教的な環境の中で
育っていて良い結果をもたらす運である。
ー性格の明るく良い人。良家の子女(躾がゆきとどいている人)。

・積極的な運は、「何事にもポイントがある、それを見逃さないよう努力を
する。意志こそ運の原動力、原因」という運である。

ここで取りあげる運は、両者を重ねもつ運である。
両方が揃って初めて開ける運である。

私の周辺の女性に、美人で、性格が明るくて、一生懸命に生きているが、
そのわりには、状況が不幸せの人が何人もいる。
やっと幸せを手に入れたと思ったら、すぐに不幸のどん底に落ちてしまう。
よく見ていると、両親が不仲だったり等、色いろの理由がハッキリみえる。
「ある程度耐える」という家系からくる知識・体質を持ってない。

「ありがとう」を繰り返し言いつづけることは、耐えることの呪文である。
運が上向く以前に、耐えることが出来ない習慣を変える作用がある。

いま一つ、言葉の重要性を知らない。
「自分は、ついている(運がある)」と、毎日こころの底から思っていれば、
そして、「ついている」と現に言葉に出していれば、ツキが回ってくるに。

「俺はついてない」「どうしようもない」「世の中が悪い」
「あいつのせいで、こうなった。あの畜生め」と、あけてもさめても
唱えていれば、不運しかこないのは当然である。
もし幸運がきても、それが見えなくなってしまっている。。
世の中の八割そうだから、それで良いのかもしれないが。

チョッとしたことなのに、せっかくの人生、あまりにも勿体ない。

運は因縁と似ている。
因は直接の原因、縁は間接原因をいう。
これが重なって結果がきまってくる。
多くの因縁の中で、良いものを選択するのも本人である。
やはり良い本、良い人、良い芸術、大自然にシャワーのように浴びるしかないのか。
 ーーーー

 265, 運について -1

2001年12月10日(月)
運がいい、悪いというが運とは何か考えてみよう。
「ある事をやった結果がたまたま上手くいった、失敗した」
というのが一般的にいう運の意味である。
運は結果論でもある。そうするとその「決定」が関ってくる。
ある決定の段階で、情報の受けかたと判断が重要になってくる。

そう考えると運のいい人とは、「無意識の判断」が適切・正しいということだ。
運のいい人とは適切な判断家ということになる。
適切な判断の連続線が運と言ってよい。

曇りのない心で情報、情勢を見る目が大事だということだ。
以前、情報工学の中山正和氏の講演を聴いた。
科学者に似合わない内容だった。
その内容は後でコピーしておく。この文章もそれが土台になっている。

ついている人がいる。そういう人は本当に、どこまでもついているという。
もって生まれた運勢があるという。

その共通点をみると。
明るく、楽天的で、勘が鋭いという。(これは私の追加の感想ー>)それと
努力家で夢がある人である。

ーこういう問題を自分で提起しておいて、逆に疑問を投げかけてみるー
運なんてあるのだろうか?「能力」の別名でしかないのではないか?

何も努力をしないで、なにも学ばないで「俺は運がない」と呟いている人を
何人も見たからだ。
そして他人の努力の結果を運にしか見えない人間の浅さを。

運は字のとうり「はこぶ」である。努力と判断力で結果を呼び寄せるものだ。
多くの人と接していると、その人の将来まで解かる。少しオーバーか?
運の悪い人に多いのは「甘さと狡猾さ」を持った人である。それなら私だけなく、
別に誰でもその人間の将来を見通せる、何故なら誰もそれをもっているからだ。

その逆を重ねていくということか。


ーーーーーーーーーーー
H0605般若心経のすすめ  

十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”
という講演で般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。

その内容は
ー運を良くしたいと思うなら「般若心教」を暗記して、コトあるごとに
言っていなさい、そうすれば運が自然とつきますよーということ。

今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。

十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると

ー分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
⊃澗_擦貿板垢あっている(リズム)
α波がくみこまれている
ぁ版亜匹この中に入っている
イ寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”
を左右する。
Г海譴鬚り返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中に
その中空がつくられる
夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、
等々限りない

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2003年08月06日(水)
854, 閑話休題

 全くテーマが浮かばず如何してよいか解らない日がある。
まあほとんど毎日だが。そこが面白い面もあるが。
それでも強引に書いた文章ほど後で読むとよいから不思議なものだ。
そうこう考えていたら、あるホームページに「閑話休題」というテーマがあった。
これから無理にテーマを決めないで、時々「閑話休題」で書きはじめることにした。
書いた後でテーマを書き換えればよいし、そのまま閑話休題としてもよい。

 野口悠起雄の「超文章法」の中で、テーマの探し方に
「窓から飛び降りそうなくらい大変なものである、考え尽くしてひねり出すしかない」
と書いてあったが、それを読んで学者でもそうかとほっとした。
それと「文章上達は量をこなして、校正と推敲を重ねるしかない」と本音で書いていた。
結局は努力努力努力しかない。

 一見なにげなく書いてある文章に、それだけのエネルギーと時間が入っている。
逆にいえば、プロほど想像を絶するほどの絶対量と、その校正と推敲を重ねているのだ。
これはすべての分野にいえることで、プロの世界はそうそう甘くはない。
気楽な「閑話休題」を、時たま挟み込むのも本音がでて面白いだろう。
いまもテーマを意識しないためか次々とキーが動いてくる。

 話は変わるが、昨日隣家で建前があった。
100坪の敷地に二階建てで延べ50坪位の結構大きい家だ。
夕方帰宅したら、屋根の下地も含めて建前が終わっていた。
家内が言うには「20~30人が蟻のように取り付いていた」とか。
夕方には子供たちを集めて、上棟の祝いで何かをばら撒いていたという。
大きいクレーン車が次々と加工された材木を吊り上げ、鳶が組み立てていく。
いま流行の何とか工法という奴で遠くの工場で加工して持ってくるのだろう。

 新しい家は、その人たちにとって仮の天国の世界の創造である。
本人達はいまが一番嬉しい時期だ。
いままでは隣家に広い庭の空間があったが、これからは光が少なくなる。
仕方がないが。

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2002年08月06日(火)
479, 楽観と意志

「楽観は意志、悲観は感情」
この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解できたようなきがした。
そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には悲観という不安が
大きな口を開けて足元にあった。

若い時期の楽観はあくまでも虚構のような夢の世界であった。
その正体が意志であった事がこの言葉を知るまで解ってなかった。
それだけ強烈な言葉であった。

悲観はただ流されている喜怒哀楽でしかない。
そういう悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界でしかなかった。
鬱の自分はそう感情の世界にドップリつかっている意志喪失の自己の世界である。

常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。
また非行動的の人が多い。行動の、行は仏教語で判断という。
動はあくまで動物の動きでしかない。行動は意志が入った動きだ。
行動的ということは楽観が勝っている状態と云える。

私の周辺の80佑凌佑枠甦囘な感情に支配されている人だ。
また非行動的の人が多い。
行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が隠されている。

楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている
今。それに過去の計画を実践している今。

それが楽観であり、意志である。

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2001年08月06日(月)
[100] あら!たのし

難しいことをやさしく!
やさしいことを深く!
深いことを愉快に!
    (井上やすし)

井上やすしの本を読んでいて納得して、彼のように紙に書いて机の電気スタンドに
張ってある。
彼の言葉じゃなくて誰かの言葉を彼なりに変えた言葉だが。
コツとか要領を旨くついている。

天才はそれぞれこの方法を子供の時より造りあげていた。
考えている対象の文章化とか、ゲーム化とか絵画化とかして。
楽しみまで高めるのはそう簡単ではないが、でもやってやれないことはない。

「四S主義 = シンプリフィケーション  スタンダーディゼーション 
スペシャリゼーション  セグメンテーション 」

というチェーン理論のベースになる教えも、これに近い。 


1220, 日記について

2004年08月05日(木)



このホームページで随想日記と、日々の出来事を書いているバードウォッチングを
公開しているが、その他に手書きで「10行日記を」つけている。
ところが、最近はマンネリぎみである。
そこで以前買った「4行日記」と、荒川洋治の「日記をつける」と、
阿久悠の「日記力」を読みかえしてみた。

・その日付けと曜日と天気を書き
 時系列に書くのもよいー特に天気はその日の自然環境であるから重要だという。
 「今日は快晴で、うだるような暑さであった」とか
・身辺の出来事を書いて、会った人の会話の内容、食事の内容、夢の内容等を 
 具体的に書くー時間も書いておくとよい
・その日読んだ本、TVのドラマの感想
・今日の新聞記事の気になったスポーツとか、政治等の感想を書く。

それ位のことなら幾らでも身辺に転がっている。
雑事として、あまり書かなかったことこそ大事であった。

日記は、「その日でしか書けないこと」を書くことが重要だという。
ホテルの客室と同じで、その日に売らなくては、単なる空間でしかないのだ。
その日の雑事・出来事を書いてこそ、意味があるのだという。

通勤の新幹線の中での観察とか、知人のこととか、その日の新聞ネタとか、
立ち寄った本屋の印象とか幾らでもあった。

手書きの日記までテーマ日記主義を通そうとしていたのだ。
勝手に枠を決めて、幾らでも書くべき当日の日常を書かなかった。
Web上の日記では、書いてはいけないこともある。
それが、そのまま手書きの未公開の日記と混同してしまっていたのだ。
単純なものだが。

そういえば「22歳の日記」は、時系列に、正直にその日の出来事が書いて
あった。何時に起き、食事をして、何時に学校に行き、誰々と会って話をして、
何時に寮に帰ってきて、誰々の部屋に遊びに行って、何時に寝たとか。
今から読み返してみて、もっと具体的内容を書いておけばよかったと思う。
本を読んだでなく、その本の名前を書き記すとか、感想を書くとか。
ならば、そのパターンを真似て、具体的な内容を書き加えればよいのだが。

随想日記や、身辺のことを書いているバードウォッチングも、これから
少しずつ変わっていくだろう。
より具体的に、日常的に。
書き続けることは、自分を掘り下げることになる。

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2003年08月05日(火)
853, 熊の世界

 昨夜のゴールデンタイムのNHKスペシャルで岩合光昭の「北極熊」を
放映していた。
そういえば先月行ったアラスカのツアーで、ガイドの伊藤さんから熊の生態の
話を多く聞いた。
熊は他の動物と違い、仲間内の共食いが日常当たり前の世界。
子供が生まれて8割から9割が途中で殺され、その大部分が他の熊に食べられて
しまうという。
雄熊が実の子供を食べてしまうだけでなく、メスも度々食べられてしまう。
そういえば20年位前に週刊誌に、北海道の動物園の熊牧場で1頭の熊が
他の全部の熊に食べられてしまう顛末の連続写真が載っていた。
人間の常識をはるかに超えた世界がそこにあるという。

 動物写真家の星野道夫も熊に最後に食べられてしまった。
襲われた瞬間の熊の顔のクローズアップの写真が最後の彼の遺作になった。
動物写真家は原野に何日も一人じっと潜み、カメラを構えシャッターチャンスを待つ。
その間彼等はいろいろな言葉をくり返し暖めるという。
写真も言葉も深くなるのも当然である。
グリスベアーのテリトリーに入ったブラックべアーはすべて殺されるという。
そのため棲息がクロスすることは絶対にないという。

 話はそれるが、人間の夢に出てくる熊は現実の恐怖の変形という。
長い歴史の中で熊の恐ろしさが脳の遺伝子が残っているためだろう。
過去に多く熊に襲われる夢を多くみた。

 あるホームページに熊の夢のエッセーが載っていた。
面白いのでコピーした。熊を不安の無意識の象徴として読むと面白い。
これにほぼ同じ夢を何度もみた。

・・・・・・・・・・・・・
   「熊よ、何故?」

ああ、また見てしまった。

熊が出て来る夢である。

それはときに、ヒグマだったりツキノワグマだったりする。

いつだったか、グリズリーだったこともある。

高校生の頃からだと思うが、

ボクは、熊に襲われる夢をたびたび見る。

無論、見たくて見るわけではない。

夜中にフトンの上で、

「どうか、熊が出て来ませんように。」

とお祈りしてから寝ることすらある。

そんな祈りも空しく、熊のヤツ、出るときは出るのである。

「夢なんだから、いいじゃん。」

とのたまう諸氏、夢を侮ってはいけない。

ボクは、熊に襲われる夢を「熊夢(クマユメ)」と呼んでいるが、

熊夢にうなされて目覚めた朝は、最悪な気分である。

なぜ夢の中で怯えなければならないのか、

もう腹立たしいやら、やるせないやらで、

気分は、ブルーを通り越して焦げ茶色になってしまう。

しかも最近、この熊夢のヴァリエーションが多様化してきている。

昔は、山歩きをしていて熊に遭遇するというパターンが多かった。

熊の種類も本州に生息するツキノワグマで、現実っぽい夢だった。

ところがある夜、ヒグマが出てくる夢を見てしまったのである。

その夢とは、こうである。

ボクは北海道山中にあるロッジに泊まっていた。

そして理不尽にも、朝方、ロッジにヒグマが侵入したのである。

一番奥の部屋にいたボクは、玄関から浸入したヒグマが、

手前の部屋にいる人達を次々と襲っていく音を聴いた。

怯えつつも、部屋から脱出しようと窓の方を見やると、

窓の外にも3頭ぐらいのヒグマがウロウロしているではないか!

そうこうしているうちにも、玄関から浸入したヒグマの咆哮と、

ガサガサした足音が近づいてきて大ピンチである。

ヒグマは、ドアをガリガリッと引っ掻いて破壊しに掛かった。

巨大なヒグマがあっさりとドアを壊し、姿を現したその瞬間、

ボクは間一髪で、ベッドの下に潜り込んだのである。

ついに部屋に侵入したヒグマは、鼻息も荒く辺りを嗅ぎ回り、

やがてベッドの方に、その鼻面を向けた。

ベッドの下から息を潜めてそれを見ていたボクは、

もう、身も凍てつかんばかりの恐怖である。

ああ、見つかって食われるーっ!と半ば観念していると、

ヒグマの奴、何を思ったかベッドの上に乗りやがったのである。

そして、あろうことか、ベッドの上で跳びはね出したのである。

彼奴め、完全に遊んでいるとしか思えない。

その巨体の重みに、ベッドのスプリングは軋み大きくたわみ、

下にいるボクは、横隔膜がつぶれるんじゃないかと思うほど、

ムチャな圧迫を受け、声も出せずにもがき苦しんだ。

倒したレスラーの上でツイストを踊るタイガーマスクのように、

ドスン、バタンと熊は容赦なく飛び跳ね続けたのである。

そんな、いつ終わるとも知れぬ理不尽な苦しみの中、

ボクは、目を覚ましたのである。


心臓に悪い夢である。

現実には北海道に行ったことさえないのに、

何故、そんな妙に臨場感のある夢を見てしまうのか。

とにかく、そのヒグマの熊夢を何年か前に見て以来、

色々なシチュエーションで熊が来襲するようになったのである。

しかも、理不尽に襲ってくるのは必ず獰猛なヒグマである。

ツキノワグマの場合は、遭遇の仕方に脈絡のあることが多い。

ボクは、アホらしいと思いつつも、モンモンと悩んだ。

モンモン。

モンモン。

……何故、熊夢を見てしまうのか。

ひょっとして、熊と特別な因縁でもあるのか。

前世が、熊狩りのマタギだったとか。

そんなことはどうでもいい。いや、そんなことはどうでもいいのだ。

意識するから、夢に出てくるのだ。

だから、気にする必要はない……。

と思っていた矢先、先日、現実に熊に遭遇してしまったのである。

ひょんなことから、信州乗鞍岳に車で登ったのである。

乗鞍岳は、3000メートル級の山でありながら、

山頂近くの2700メートル付近まで車で登ることができる。

つまり、楽して夏の高山地帯を満喫できる貴重な山なのである。

冷たくてきれいな空気を心ゆくまで味わったボクは、

上機嫌で、乗鞍スカイラインを下って行った。

もちろん、ボクの脳裏にはクマのクの字もよぎることはなかった。

標高も低くなり、樹々の鬱蒼と繁る林道を走っていたとき、

突然、それは起こった。

車の30メートルぐらい前方を、黒い獣が横切ったのである。

体長2メートルぐらいの毛むくじゃらの獣……。

紛れもなく、ツキノワグマである。

素速く横切ったので、一瞬のことだったのだが、

それだけでもう、因縁めいたものを感じずにはいられなかった。

今回は横切っただけだったが、次は危険な遭遇をするかも……。

そもそも、なぜわざわざボクの車の前を横切ったのだろう……。

そう考えれば、今回の目撃は偶然のものではなくて、

熊の思わせぶりな予告なのではという気がしないでもない。

ということは、次回は、森でバッタリ遭遇……。

ウキャー!!

「森のクマさん」を地で行く展開……。

などと、クダラナイこじつけが頭の中をグルグルと回ったのである。


とにかく、意識しないようにしようと切に思うこの頃である。

って、そう思っている時点でいくらかは意識しているのだが……。


          End
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・

2002年08月05日(月)
478,  100円ショップ

以前も他のテーマの中で書いたことがあるが、
100円ショップについて書いてみる。
初めは泡沫に見えた100円ショップも社会的認知を得たといってよい。
結構便利で使え勝手のよいものが多い。

今でも月に一回は必ずいく。
先回は、センスを買った。
私の場合、なくす確率が8割である、いや100佑任△襦
それなら割り切って、100円ショップのセンスを買ってみた。
悪くはない、ワンシーズン持てば充分である。
3本買ったが、恐らくあと二ヶ月で二本は壊すか無くすだろう。
でも200円でしかない。

旅行用で便利なものも多い。
飛行機やバスで使う空気枕。
小物をいれる網でできている子袋。
健康機器、ハンカチ、食料いろいろある。

この良いところは、トレードオフの商品が多い。
一つの機能の他は全て殺ぎ落としているのがよい。
初めは、無印良品がそうであった。
しかし、今やユニクロと100円ショップにとって変わろうとしている。

壊れても、欠陥があっても腹のたたない値段が100円だという。
これこそ消費者主体の商品つくりである。また楽しいのだ。
ダイソーの社長が100円で楽しめるデズニーランドといってた。

「商売は少し馬鹿にされるのが一番よい時」
と丸井の創業社長がいっていた。
月賦が認知されだしたときから旨みが無くなったと。

今まで100点ぐらい買ったと思うが、1万円でしかない。
30回位いったとして、楽しみを入れたら十分お釣りがくる。
十数年前アメリカのチェーン店の視察に行った時、
99魅轡腑奪廚帽圓辰燭箸誰も見向きもしなかった。
まさか100円ショップがこれだけ伸びるとは誰も想像できなかった。

時代の変化なのだろう。
いく度に商品の内容が良くなっていくのもよい。
100円だからこそ買える商品だからこそ、その存在価値がある。

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 2001年08月05日(日)
[99] 現地日本人ガイド −2

南アフリカの50歳の女ガイド。

日本の商社で知り合ったイギリス人と結婚。いろいろあってその旦那とケープタウン

に住んでいるという。不安はないかと聞くとその心情の一端を話してくれた。

子供の名前の件で真剣に日本名にするか、それとも英国名にするか戦いになるらしい。

自分が死んだ場合残るのは子供の名前だけらしい。

自分の存在がそれこそ瞬間虚無になってしまうという不安らしい。

最近までケープタウンに一つだけしか日本名の墓はなかったという。

移住は若いときはいいが、老年になるときいてくるという。

子供が独立し亭主が亡くなった時がきついと言っていた。一つしかない墓の名前が女の

名前でそれを見たとき、芯から不安を感じたという。聞いているだけで肌が寒くなってきた。


1219, 「君のためにできること」 −2 

2004年08月04日(水)

20年来、年に10回は酒を飲んていた友人が末期癌で、終末医療の病院のビハーラに
入院している。本人が言うには、「24時間が拷問である」
見舞いに行くたびに、衰弱をしていくのが、わかるから辛い。

丁度その時に、この文章を読んだこともあって、身に沁みる内容であった。
お盆は20年近くも、古町を飲むのが恒例になっていた。
そして、今年もその時期が目前になっているが、もう無理である。
何か寂しいお盆になる。


ー以下は、作家・大崎善生の奥さんの
高橋和の「第24回 言葉にできない」のエッセーであるー
 (サロンのコーナーに、HPが貼り付けてある) 
  ーーー

あれはもう15年以上も前の話になるのだろうか。
将棋道場へ行った日だから土曜日のことだ。
夕飯の匂いが辺りに漂い始めたころ、友人から電話がかかってきた。
 「ワガセンが死んじゃった……」

 ワガセンは小学校時代にお世話になった先生だった。
私を見つけると「おーい、やまとー」と言いながら髪の毛がくしゃくしゃに
なるまで撫で、最後にニッと笑って去っていく。
風貌はライオン丸、でもその目は穏やかで優しく、大好きな先生だった。

 ワガセンが亡くなったことを聞いた私は無意識に足がガクガクと震え、
初めて自分が悲しんでいるということに気がついた。
物心ついてからそれまで「人が死ぬ」ということに直面したことがなかったので、
これが大切な人を失う喪失感なのだと理解した。
しかし、頭で理解するのと感情は違う。
もう15年以上経っているというのに、顔も忘れかけているというのに、
あのワガセンの瞳だけは記憶よりも鮮明に心に焼き付いている。

  『あなたに会えて ほんとうによかった
   嬉しくて 嬉しくて 言葉にできない』

 小田和正さんの名曲「言葉にできない」。
言葉にしようとしても、それが見つからないというこの歌は、聴いた人
それぞれにそれぞれの思いを抱かせる不思議な力をもった曲だ。
それはおそらく、誰しもがそういう出会いと別れを経験してきたからなのだろう。

 その中でも特にもう二度と会えない人との別れには、深い後悔と感謝の気持ちが
入り混じる。
  ーー
 
「息子のためにサインを書いてもらいたい」。
そんなメールをいただいたのはちょうど3カ月前のことだった。
インターネットという顔の見えないところでの話だったので、半分は信用し、
半分は疑いの目を持っていたことは事実だが、とにかく本人に手紙を書かせて
ください、と私は返事をした。

 彼は10歳の男の子だった。どこで知ったのかは分からないが、私が子供たちに
将棋を教えているのを知り、とてもうらやましい、自分も教えてもらいたいのだが、
体調があまり良くないので行けない――といったことが綺麗な字で書かれてあった。


少年がくれたクマのぬいぐるみ。
「2つあるので1つあげる」――そんな優しい心の持ち主だった(撮影・高橋和)
「おとうさんから高橋先生もこどものときにこうつうじこで大けがをして
たいへんだったことをききました。
まだいたいですか。いたくならないようにおいのりしています」。

 私は10歳の子がこんなに心配してくれるなどとは思ってもみなかったこと
だったので、なんだかとても嬉しい気持ちになり、お礼の手紙と一緒に色紙と
使い古しの扇子を送った。

 そして彼からまたそのお礼の手紙が来て、その返事を私が出して……
という具合に手紙をやりとりするようになっていった。

 どんなことが好き? 夢はあるの?

 手紙の内容はそのようなものだった。しかし彼の手紙は必ず
「せんせいのあしがいたくならないようにおいのりしています」
という言葉で締めくくられていた。

 私が“異変”に気付いたのは2カ月ほど経ったころ、彼の手紙の文字を
見た時だった。
今まで上手に書かれていた文字はだんだんと大きくなり、そして少しゆがみ始める。

 この時、彼は既に病魔に襲われていた。
震える手を抑え、必死に書いた手紙は、身体中に管を巻きつけられ、痛さに
震えながら書いたもの。後に彼のお父さんからのメールで、
「お医者さんに話をしたら、今の状態で手紙を書くのは奇跡のようなものだ」
と言われたくらいに書くことなど無理な状態でのものだった。

 しかし、そのような中でも、
彼は「せんせいのあしがいたくならないようにおいのりしています」と書き続け、
実際に亡くなる前日まで毎日祈りを捧げてくれていたという。

 普段私たちが軽く口にする「優しさ」というものがいかに傲慢で、
独りよがりで、優しさでも何でもないことを痛感させられた。
人は人を深く思いやることができることを10歳の少年の方がよく分かっているのだ。
彼はもうこの世にはいない。
しかし、彼の優しさは私の胸の中でいつまでも生き続けることだろう。

ー感想
「死は直視できない太陽のようだ」というが、この子の肉体的苦痛は、想像を
絶したものであることを見つめてやらなくてはならない。
その中で、憧れの先生に対する苦痛に対する祈りは、キリストが十字架で
苦痛の中で死んでいった姿に重なる。
何かにすがりたい、「いつまでも友達でいてほしい」という願いが心の奥に
響いてくる。このような手紙をもらったら、本当に辛いであろう。
人は簡単にすくうことはできない。
神様でないのだから。

そして神は必要なのです。

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2003年08月04日(月)
852, 孤独について −3

 『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、それこそそれぞれの
 「独」を認め、かつ自分の「独」を大事にする言葉である。
『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。

 孤独を特に感じるのは、一人旅であろう。
若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急』という小説に、
「独り言をブツブツ言いながら一人、旅をしていた」と書いてあった。
サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。
青年期によく国内だが一人旅をした。
一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。
帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。
旅行の最中は寂しいということは全く無かった。
誰かと対話をしていたのだろう。
旅は孤独のプラスの異次元の世界に浸れる。
いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。

 「孤独」というキーワードで検索をしていたら、脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。
「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。
口がきけない人や、盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。
私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。
「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」という言葉をアンドレ・マルローが
いっているが、孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題なのだ。
その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。
大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。
孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。

 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、
母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。彼等はどんなにトラブルがあっても、
子供から離れてはならないとシミジミ言っている。
我慢をしなくては」とポツリと言った事があった。
知人に数人家庭内離婚者がいる。
ほとんどが浮気から出ているケースだ。
それでも離婚をして一人暮らしよりましの為だろうか。
一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。
群れたがる内なる羊である。

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 2002年08月04日(日)
477, 人口問題と今後の日本

先日平均寿命が発表された。
女85歳、男78歳。
女性の半分以上が88歳の米寿を祝う事ができるという。

童謡で「今年60の爺さんの・・・」と歌っていたが、
いまや爺さんは80歳か90歳である。

100年前の日本の人口は4400万人で、現在までに約3倍になった。
これから100年後は丁度半分の6000万前後になるという。
100年で3倍になり、これから100年で半分になる。
人口のピークは2006年で、翌年から60万人が毎年減っていくという。

100年前65歳以上が5佑任△辰燭里、後10年後には28佑砲覆蝓
50年後は37佑鯆兇┐襪箸いΑ9佑┐燭蘿惷擇寒くなる。
周辺は年寄りだらけになる。

よくぞ100年で人口が3倍になったものだ、それも第二次大戦をのりこえて。
更に国民一人当たりの所得が世界のトップクラスになったのだから。
この100年のシステムは奇跡的な効率であった。
そのシステムがもう終わってしまったことは、誰の目にも明らかである。

中世でヨーロッパの人口が飛躍的に伸びたのは、
南米から芋などの穀物の種が流入したことと、アフリカから椰子の実から
取れた石鹸の流入という。
高地で旱魃に強い芋などが飢饉を避ける事が出来るようなった。
石鹸は疫病を激減させた。

日本のそれは工業化と儒教と天皇制度が有効に働いた為である。
今後思い切ったシステムを作らなくては衰退の一途になるだろう。
それよりシステムの均衡縮小をバランスをとりながら目指すのが筋である。

今の若い人たちはこれから大変である。
少し硬い話になったが。
デフレはますます進むし、中国の世界への仲間入りで間接的に生活の圧迫が
厳しくなる。これでもまだ90夕蠅弔ずで背後に控えているという。
中国の人件費のアップは今後無いという。

中国の人件費は日本の100分の1、その中間あたりが落としどころとして、
今の10分の1に無限に近づいていくのが自然である。
子供は一人っ子になっていきざるをえない。

国内需要の右上がりは夢の夢だ。

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2001年08月04日(土)
[98] 現地日本人ガイド

旅行シリーズもそろそろ終わりに近づいてきた。
考えると話題はいくらでもある。現地日本人ガイドのことである。
彼らによって印象が全く違ってくる。

添乗員から聞いた話だが、彼らが言い出さない限りあまり聞かないほうがいいらしい。
彼らは考えてみれば、色々な事情でそこでガイドをやっていて当然である。
でもそれなりに見えてくる。

ここで数回に分けて事情を書いてみよう。

ーイスラエルのガイドの話。
63歳の独り者の男性のガイド。イスラエルに来て10年以上とか。
日本の客は本当に少ないらしい。滞在中一回しかシスターの数人連れしか会わなかった。

本人も久しぶりの日本人の為、うれしくて仕方がないらしい。
マイク口からはなさず、喋りっぱなし。
一年前癌の手術をして、放射線にかかっているっらしい。

神学生崩れらしくて、神学のイスラエルの大学を卒業しているという。

旧約聖書にしても、新約聖書にしても博識だ。
ただいつ死がくるかもしれない不安と、外地で虚無になってしまうかも
しれない不安がそのまま伝わってくる。
それがイスラエルの地で聖書の話をすると迫力がありぴったしなのだ。
あまりに面白いのでメモをとりいっぱなしであった。


1218, 「君のためにできること」 −1

2004年08月03日(火)


1昨日の日経新聞の最終ページの「私の履歴書」左の
「文化」の欄のエッセーがよかった。
悲しくて、純真な恋?に思わず涙がこぼれてしまった。

ーweb日経で調べてコピーをと思ったが、記載されてなかった。
ならば、書き手の名前「大崎善生」で検索をしたところ、
彼の奥さん(女流将棋棋士の高橋和)のエッセーが出てきた。
そこに「第24回 言葉にできない」というテーマで載っていた。
 −−

ー新聞の書き出しをまず、書き写してみるー
  題名は 「君のためにできること」
             大崎善生

ー我が家に天使のような10歳の少年が舞い込んできたのは、今年のまだ寒い頃の
ことだった。舞い込んできたといっても、彼とは一度もあったことはない。
私の妻が手紙のやり取りを始めたのだ。ー
 で、はじまっている。

 最後のほうは、
ー「痛いです。苦しいです」と書かれている手紙に何と答えればよいのだろう。
少年は末期がんの苦しみの中で、必死の手紙を書きしたためているのだ。
「お手紙うれしかったです。いつまでもいつまでもおともだちでいてくさい」
とまるで泣き叫ぶような字で書かれている。
いつまでも、いつまでもお友達でいてください、その純粋なゆえ、自分のことより
人の足の痛みを思いやれる少年の優しい心に。何もしてやれない悔しさもあったが、
少年が懸命に思い与えてくれるものの大きさに、胸が締め付けられる思いがした。

危篤に近い状態にあると聞いたとき、妻は自分が好きな音楽を集めてCDを作って
送っていたが、それが少年に届くことはなかった。
「あまりにかわいそうに思った神様が、息子に、最後の最後の恋をさせてやって
くれたのだと思います。」と父親から妻あてに手紙が届いた。
そして「病気の苦しさをどれくらい紛らわしてくれたことか」と
感謝の気持が綴られてあった。
少年から手紙をもらって僅か三ヶ月。少年は前日まで、妻の足が痛くなくなるよう
祈っていてくれたそうだ。少年がくれたテディベアは、リビングの出窓に座り、
今も私たちの生活を静かに見守り続けている。−

で終わっている。
                      ーつづく
・・・・・・
・・・・・・

2003年08月03日(日)
851、 いま政治が面白い

 私は政治嫌いであるが、今の日本の現状を見ると、そうはいっていられない。
自由党と民主党が合併決定、この秋に向けて政治が面白くなってきた。
小沢は首相にさせたい一人であるが、ここで彼の身を捨てた合併はさすがである。
管代表独りでは看板として頼りないが、小沢と二人となると全く違ってくる。
米英並みに選挙公約と閣僚予定者を並べて政策による選択を直接国民に訴えて
くるだろうから、今までの手法や感覚では選挙に勝てない時代である。

 自民党も趨勢として小泉首相を下ろしたいが、万一旧守派が自民党総裁選挙で勝った場合、
民意に反しているという理由で総選挙は惨敗するの誰の目にも明らかだ。
その方がむしろお国のためになる。小泉もそのことを解っているので橋本派などを
挑発しているのが漫画的である。

官僚政治家の亀井がいまさらのように出てきて、公共事業のばら撒きを餌に
甘言を並び立てているのは哀れな今の日本を代表している。
疲弊している地方経剤の利権屋の支持を求めているのだろうが、いまさら彼等の力は
一般の声に反するために大きなマイナスになる。

 今の日本は思い切った構造改革をしないと、10年以内に国が壊滅してしまう。
それでも利権のためには構造改革したくないのが自民党議員の本音である。
自民党解体のためには一番手っ取り早く、橋本派推薦の新しい総裁の元で国民の真意を
問うべきだ。

 選挙になると自民党の特に橋本派から多くの偽改革派ー月光仮面のオジサンが出る。
それを演じるためには総裁選挙で小泉指示に回る可能性がある。
そのために橋本派の一本化は無理だろう。どうみても小泉は有利である。
新潟県は反小泉で決定した。私の意に反しているので今度の衆議院選挙では民社党に
入れることにした。これは恐らく私だけでないだろう。
今度は、地域としても「個人より公約を優先するだけ民度が高いか低いか」
が問われるのだ。

 政治は何がおきるか解らない、盆明けから目が離せない動きが出てくるだろう。
政治も情報化で利権屋政治家の姿をリアルに映し出してしまう。
北朝鮮の緊迫した動きが本格的になってくるだろうから、
それに合わせて最適な指導者を選ばなくてはならない。

・・・・・・
・・・・・・

 2002年08月03日(土)
476、ある老女の遺書ー2

25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、
 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。

私は年老いた女。自然は残酷だ。
老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!
しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。

そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。

さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、
気難しい老女でない、‘私を知って!’

ーーーーー
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。
一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。
いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。

たったこれだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。
これは詩である、人生を言い尽くした。
必ず誰も思う道だ。

・・・・・・・
・・・・・・・

2001年08月03日(金)
[97] NoSubject

数日前小学校の同級会の幹事会を今やってるが出てこいとの連絡あり。
15分前まで殿町で飲んでいたが再びユーターン。

東京の友人の会とどっちにしようか迷って、
返事の期限を10日以上も出してなかった。

出る出ないはどうでもいい。
返事を出すのが筋!こってり絞られた。

幼稚園、小学校、中学、高校と13年同窓の高木と山崎に頭が上がらず。
結局出席になった。
8月11日鴨川本館。
その日はかなり盛り上がり、同級会を終えてしまった感あり。


1217, 広松渉ー哲学について-25

2004年08月02日(月)



広松渉の「新哲学入門」を読んで非常に難しいが、今までの常識が、根底から
崩されてしまった。
その後、「哲学入門一歩前」を取り寄せて読んだが、むしろ「新哲学入門」の
あとで読んでよかった。

広松渉は「もの」から「こと」の世界へのパラダイムチェンジを主張した。
「物的世界像」から「事的世界像」への転換である。

・旧来の世界像は
「世界、存在界をモノから成り立っているとみなす。
 まず独立に存在する実体があって、それら実体が諸々の性格持って
 お互いに関係する」
・これにたいして、「『事的世界像』は、関係規定態こそ第一次存在とみる。
 実体は、関係規定性の存在論的には独立自存体ではない。
 要するに関係があってこそ、存在がある」と考えた。

 広松は、日常意識で当たり前と思ってきたことを疑い、それは根底から違うという。
彼は近代哲学者が思索を重ねてきた疑い得ない「基盤」を、根底から崩そうとする。

「私たちが見ている現象が果たして真実なのだろうか。
 善悪の判断基準は何なのだろうか。
 美しいと思い込んでいるだけではないだろうか。
 等、今まで信じられてきた『真・善・美』とは、果たして何だ?」

今の時代は、幸福とか消費を基本的に、「もの」の充実とか消費だけでなく、
フィーリングとかサービスとかいう価値観でもとらえている。
別荘を持つことより、リゾートホテルの会員権を持つ時代である。
家を建てるより、旅行をしてまわるほうに価値をおく時代である。
そのサービスとかフィーリングに生活に必要なものと認知してしまっている。
この情報化の社会では、ますます広松哲学を知っておくべきである。

実際のところ、次代から次次代のTVは、実際の生の目でみた対象より
鮮明に映し出すという。カメラでは、その域に到達しているというが。

こういう時代には、近代哲学者がたてた哲学を根本から考え直さなくては
ならない時代になっている。
それが「事的世界像」への転換というのだ。
                       つづく
・・・・・・・・
・・・・・・・・

2003年08月02日(土)
850, ミッション・ステートメントー自分の憲法

ー原案ー

・死ぬ時に、「すべきことは大方してきた、見るべきものは見てきた、
 恵まれていたし、面白かったし、幸せな一生であった」と心から感謝できる
 人生を生きる。

・自分が自分の人生の創り手であることを認識し、自分だけの役割を果す。

・いついかなるときも、「積極的な姿勢とユーモアと誠実さ」を保つこと。

・私の隠された能力は人を癒すことだ、その能力をより磨きをかけることで 
 社会と周囲の人に貢献していく。

・何事にも囚われた生き方ではなく、自然の流れに沿って気楽に変化を
 受け止めていく人間になる。
 また何事も「一期一会」と真摯に向き合う。

・心の声に従って自分の価値観や信念によって行動する。
 それに対する批判・悪口は全く無視する。
 
・子供や孫たちから「これが私の父です。おじいちゃんです」と
 自信を持っていってもらえる人間になるー人生を送る。
 子供が「愛情と慰めと理解」を求めて、私のところにやって来てくれる
 ような人間になる。
 家内には私の伴侶として生きてきたことに満足をもてるように勤める。

・会社に対しては、常に長期的視点に立って改革改善に努め、利益体質を保つ
 ように努力をする。
 存続は社長としての第一の義務であり、その為には常に新しい知識を導入
 するよう努力をする。

・健康には十分気をつけて80歳を大きい目標にする。
   
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ー 具体的には

1、ホームページは、これからの時代の最低必要な発信基地であり、
 情報の蓄積倉庫でもある。その維持発展に努める。
 見ていて自他共に面白く魅力に満ちた内容にする。
 特に、随想日記は重要な発信媒体かつ蓄積倉庫としていく。

1、毎朝の散歩は一日のスケジュールで欠かせてはならない健康習慣
 として必ず実行する。1万4千~5千は維持する。

1、年2〜3回の海外旅行は可能な限り続ける。
 60歳までに50回の目標はこだわらないが、近づけるよう最大限努力する。 
 70歳までに70回を次の目標とする。

1、事業は65歳を大きい目安とする。
 そのための後進の育成を考えていく。
 デフレの中、借入金の圧縮に勤める。

1、常に新しい変化に注意を向ける。
 デジタル機器なども可能な限り新しいものを身近に置く。

1.人間関係はこれから大事ネットとして、広く深く創ることにする。
 但し卑しい人間は絶対に近づけない。
 我が内なる卑しさを判断材料にする。これはもっとシビアに徹底する。

1、純粋に助けを求めてきた時は、自分の力の範囲で答えることにする。

1、教養娯楽面では、読書や映画をレンタルやBS・TVを通して可能な限り
 吸収する。

1,80歳の誕生日にケニヤの高級ホテルで二人の子供と孫たちとサファリをしている。
 陽の沈むサバンナでシャンペンを掲げて家内と二人幸せな絶頂にいる。
 丁度海外旅行も100回目で、行きたいところはすべて行った満足感で
 満ちている。
 その後日本に帰ってきて酒飲み友達と銀座のスナックで昔を懐かしみながら好きな歌を歌っている。

 ーーーーーーー
 以上であるが、やはり大きな手直しが必要に思われる。
 現在の延長線上でしかないからだ。

・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・

2002年08月02日(金)
475, ある老女の遺書−1

この文は「心に残るとっておきの話」第五集
に乗っていた話で、そのまま写し書きしてみる。

ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から
見つかった詩、書き置きです。

「何がわかっているのです!看護婦さん、あなたは何わかっているの?
さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして
行動力も緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。
(努力して、やってみて欲しいの!}とあなたが大声でいっても、
そんな事少しも気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、
何も逆らわず、何をしようというわけでなく、長い一日を入浴と食事で
埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんなふうにあなたは
私のことを考えているの?

もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。
あなたのいうままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと
静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
十六の若い少女のときはウキウキして、もうすぐ愛する人に巡り会えることを
夢み、やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、
永遠に守ると約束した誓いの言葉。
                 ー続く
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2001年08月02日(木)
[96] 旅行で出会ったー普段会えない人ー

・大手情報機器メーカーをリストラされ傷心の60前後の人

・三條の67歳位の夫婦ー自在で何もおくさない人ーそのまんま!−
 イグアスの滝でゴミ袋の底に穴をあけ首を通して雨具にしていた。

・一度も結婚したことがないという70歳半ばの品の良いおばあさん

・ヌー河渡りを見たいばっかりに日本興業銀行を辞め、
 外資の銀行に勤め始めたのをまた辞めてきた30代半ばの女性

・30数年前、ある大臣の娘、自由時間にパリ野郎に誘惑され朝帰り。
 青い顔をして皆が心配しているのをしり目に、ピンク色の頬、うつろな目


1216, 直立して歩くサル

2004年08月01日(日)



先日のニュースで、ある動物園で直立をして歩くサルを報じていた。
人間のように背筋を伸ばして歩いていた。
インフルエンザで高熱を出した後、直立で歩きだしたという。
何かサルの惑星の世界のような不思議な感覚に陥ってしまった。

・風邪で脳の何処かをやられてしまったのか。
・サルの歴史の中で直立で歩いていた時期があったのか。
・人間が歩き出したのは、脳をやられたサルが歩き出したのかもしれない。
 等、考えてみたが。

 一般にはサルが木にブラ下っているうちに背筋が伸びて、直立の骨型ができた。
その後に、草原に獲物を獲るために出て行くうちに、直立歩行になっていったと、
信じていたが、サル学者はこの現象を如何みるのだろう?
進化論で、「脳内突然変異作用」の説があっただろうか。

人間でも老人性痴呆症になった人が抑制がとれて突然、絵画の特殊才能が出た
という例もあるという。
脳はまだまだ未知の領域である。
それが注目をされた時は、悪化をしている時である。
そう考えると、脳が最近になって注目をされているというのは
人類は少し脳がおかしくなってきているせいだ。
それとも電脳といわれるコンピューターのせいだろうか。

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2003年08月01日(金)
849, ありがとうの話ー7

「幸せの宇宙構造」を読んで、「ありがとう」を一日500〜1000回
いい続けて50日が経つ。
日が経つほどに、驚くほど気持ちが安定するようになった。
もともと気持の安定化は般若心教などで訓練していたが、「ありがとう」効果は
即効性がある。
簡単に「瞑想と同じ状態」になるため、細切れ瞑想が手軽にできるからだ。

『言葉はレストランのオーダーのごとし』というが、
言い続けていると注文どおりの料理が運ばれてくる。
「ありがとう」といっていると「ありがたいこと」がどんどん運ばれてくる。

「ありがとう」を歳の数×1万回をいうとその辺から、それまでと違う現象が
どんどん出てくるという。
私の場合57万回になるが一日千回として、一年半以上かかる事になる。

「ありがとう」を言い続けているうちに、言葉と一体化して無我になった状態が、
仏教でいう悟りに近い状態ではなかろうか。
宇宙の特異点の「正中心一点無」の状態である。
その無からエネルギーが湧き出てくる感じだ。

私の場合、マイナス思考が出てきたとき、自動的に「ありがとう」を言うことに
している。現時点ではこれが一番自分にとってプラスになっている。
人間は一日7~8万回考え、その大部分がマイナス言葉というから、
これは非常にプラスである。
この随想日記を読んでいる人に「ありがとう」シリーズは好評で多くの人が
「ありがとう」をいい始めるようになった。
ありがたいことだ。
「ありがとう」のとうは「十」と「当」の意味が含まれているという。
ありが十は「十に一つしかないこと」
ありが当は「めったにないに当たること」という。
なるほどと思う。

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2002年08月01日(木)
474, ある小学6年生の作文

[僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
 そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。
僕は三歳のときから練習を始めています。三歳から七歳までは
半年くらいはやっていましたが、三年生の時からいままでは
365日中360日は激しい練習をやってます。
 だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手に
なれると思います。
その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。
ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。

去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、
ほとんどの投手を見てきましたが自分が大会のナンバーワン
選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を
打ちました。そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。

このように自分でも納得いく成績でした。
そして自分たちは一年間負けを知らずに野球ができました。
だから、この調子でこれからも頑張ります。
 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。
とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」

この文章はイチロウの子供時代の作文である。−「致知」という雑誌より
「夢」と「意思」と「実績からくる自信」が現れている。
それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。

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2001年08月01日(水)
[94] 倒影について−1

投影といえば対象の中に自身の姿を見るとか,自身を相手に映し出すときに
つかわれる。
これに対し私が創ったか実際あった言葉か忘れてしまったが、‘倒影’という心理がある。
これが人間にとって曲者!
ずるい批評家とかコンサルタントや新興宗教の教祖が多用する。
他人の悪口はこの心理より発せられる。

‘心の中の影’を自身の中より、対象の中に見てけだし否定する。
ずる賢いやつはそういう対象に近づき、否定すべきことを探しある時期がきたら手の裏を返す。
誰もが持っている哀れな姿である。新興宗教の教祖がそれをやる。
ダライラマとかに500万とか1000万の金を献金。
会見したようにして会い、あたかも同格のように写真をとる。
そのうちいつのまに教徒にそれ以上と洗脳をする道具に使う。
オウム教とかこの前詐欺でつかっまった足もみの教団はその典型だ。

女子短大レベルの若い女が表面的知識を得た時、まずおぼえるのがこの否定である。
それであとは何にも見えなくなってしまう。それで同格かそれ以上と錯覚してしまう。
何事も三分一は影がある。その影探しだけに精を出す。

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