堀井On-Line



848, 10の小法

2003年07月31日(木)

ホームページのネットサーフィンをしていたら
「10の小法」が出てきた。
なかなか含蓄のある内容である。
   
    小食多噛
    小肉多菜
    小塩多酢
    小糖多果
    小煩多眠
    小衣多浴
    小車多歩
    小言多行
    小念多笑
    小欲多施

それでは「10の多法」と大と小を入れ替えてみた。
『成人病への近道−10の多法』というとピッタりだ。
 逆も真なりである。
下記が私の自己評価であるが、一番悪いのが多食少噛である。
これさえなおせばよいが、終戦直後の生まれのせいか腹が膨れないと
食事をした気にならない、それも早食いのため小噛になる。
20歳なら80諭■苅虻个覆蕋僑悪諭■僑虻个覆蕋苅悪佑蛤个鳳じて
胃に収める量を減らしていかなくてはならないという。

半分以上バツなら成人病間違いなしである。
  ○ー無し、△ー普通、×ー傾向あり
  
  『10の大法』  
    
    多食小噛  ×
    多肉小菜  ○
    多塩小酢  △
    多糖小果  ○
    多煩小眠  ○
    多衣小浴  ○
    多車小歩  ○
    多言小行  △
    多念小笑  ○
    多欲小施  △


847, 海は見ていたー映画日記

2003年07月30日(水)

 wowowで放映した映画『海は見ていた』がすばらしい内容であった。
レンタルのDVDで見た『たそがれ清兵衛』と『阿弥陀堂』に匹敵する。
山本周五郎の作品を黒澤明が脚本をしたものを、熊井啓が監督して面白くないわけがない。
江戸の深川岡場所でくりひろげられる人間模様と心根の美しさが何とも清々しい。
熊井啓も二人の作品を映画化できたのだから監督稼業として最高だろう。
主役の若い女郎の心根の美しさがよく出ていた。
日本には日本の素晴らしい人情がある。
この三本の映画を見てから邦画に対するイメージが全く変わってしまった。

ー『海が見ていた』の荒筋は
江戸・深川。
 将軍のお膝元である八百八町の町の中でここは、大川(隅田川)の向こう“川向こう”と称され、ちょっと吉原、辰巳の遊びに飽きた粋人や訳ありの衆が集う岡場所(私娼地)がある、葦繁る外れの町とされていた。
深川のお女郎宿“葦の屋”で働く、まだ若く器量よしのお新(遠野凪子)は、女将さんやら姐さん方から「客に惚れてはいけないよ」と哀しい掟を教えられていた。
ある夜、お新は町で喧嘩して刃傷沙汰を起こし逃げてきた若侍・房之助(吉岡秀隆)をかくまってやる。
 房之助の「こんな商売をしていても、きっぱりやめれば汚れた身体もきれいになる」という言葉に心動かされる。
 
 その言葉を立ち聞きして感動した姐さんたちは、彼女のために一肌脱いでやろうと提案する。
姐さん衆のまとめ役、菊乃(清水美砂)は、気のいい隠居善兵衛(石橋蓮司)の身請け話とヒモの銀次(奥田瑛二)との腐れ縁が断てず悩みを抱え揺れている分、お新の純な恋を暖かく見守る。そんな恋路にも終わりが来る。房之助が勘当を許された報告にやって来た際、お新と姐さんたちに自分の婚礼の話を晴れやかに告げたのだった。
憤りを隠せない姐さん衆、突然の告白に動揺するお新。そんな彼らに房之助は当惑する。
彼はただ、お新を姉妹のように慕っていただけだったのだ。
 
 一時は寝込むほど傷ついたお新も、徐々に立ち直りかけていた。
そんな彼女の前に一人の謎めいた青年が現れる。名を良介(永瀬正敏)と言い、寡黙な彼が少しずつ自分の厳しい生い立ちを語るにつれ、同じ境遇の宿命を背負った人間だと、お新は理解する。
不幸に打ちのめされ、自暴自棄になった良介を優しく励ますお新に対して、
菊乃は「そんな男はヒモになるのがオチだ」と諦めるようにさとす。

 お新をめぐる人生模様の糸が絡まり合った、ある夏の日。雷鳴の轟音と共に激しい雨が降りしきる。やがて嵐に変わり、川は氾濫、高潮の兆しも見せ始める。
逃げまどう人々をよそに“葦の屋”を守ろうと居残る菊乃とお新。水位は増し、菊乃もお新も逃げ場を失い“葦の屋”の屋根まで追いつめられる。「みんな水に浸かってだめになるのなら、一番いい着物を着よう」と、とっておきの着物を身にまとい二人は屋根へ登る。
海に呑み込まれた“葦の屋”の屋根の上、その時だった、小舟に乗った良介が助けに現れた。しかし二人しか乗れない舟に菊乃は自分ひとり死を覚悟して残る。

・・・・・・・
何とも山本周五郎作品を黒澤明が脚本した世界がよかった。
また黒井啓とキャストが一体となり素晴らしい作品に出来上がっていた。
昨日書店に立ち寄ったら、黒澤監督が書いたこの脚本が絵入りで新刊で出ていた。
買うかどうか迷って、一週間後に判断することにした。


846, 人生の目覚まし時計

2003年07月29日(火)


「7つの習慣 ー最優先事項」−2

 ベストセラーになった後の二冊めは大体が同じ内容をベースに書いてあってつまらないものが多い。
しかしこれはこの本のほうが「より最重要事項に絞り込んであって面白い」
めずらしい本だ。

 私の事業が装置産業であった為に、目先の時間だけはたっぷりあった。
自然にABC 分析をして、Aをやるようにしてきたつもりであった。
この本を読んで果たしてそうであっただろうかと考えてしまった?
Aで満足してしまい、さらにAのAの追求を忘れてしまったのではなかろうか。

 この本は何をどうするかの方向性を問題にしている。
人生で本当にしたいことが何かを明示することを第一としている。
目先の緊急事態病が最重要事項をつぶしてしまうのだ。
最重要事項かつ緊急事態が重なっている事項が一番の難敵である。
「むしろ緊急ではない最重要事項の中にキーが隠されている」と看破している。冷静に考えれば、全くその通りである。
緊急事態は短期的視点でのこと、緊急でないことは、長期的なことであり、かつ方向性を見定める事項だからだ。

ー人生の目覚まし時計の一部を書き写してみるー

 ある日突然、「本当に重要なこと」と「時間の使い方」のギャップを
思い知らされることがある。
それは人生の目覚まし時計というべきアクシデントによって知らされる。
例えば
・「恋人の死」。突然、恋人がいなくなり、「できたはずだが、しなかったこと」がはっきり見えてくる。成功のはしごに登ることに忙しく、
 恋人との「豊かな人間関係」をしてこなかった。
・「子供の麻薬禍」。自分の息子が麻薬に手を染めていたことにある日突然
 気づかされるかもしれない。息子との豊かな人間関係をつくれたチャンスが、次々に頭に浮かんでくる。しかしそのときまでは、金儲けやコネクション作りなどに忙しくて実行してこなかったのだ。
・あるいは「癌の宣告」。医者から残り数ヶ月の命だと宣告されるかもしれない。
・あるいは「妻(夫)からの離婚請求」。離婚の危機に立たされるかもしれない。

 このような突然の危機に立たされて、初めて、自分の「時間の使い方」と自分にとって「本当に重要なこと」との間のギャップがあることに気がつかされるのである。

このような危機的状況を知らせる「人生の目覚まし時計」におこされない限り、多くの人は人生の根源的な問題を考えるという機会に接する事はまずないだろう。
慢性的な深い原因を探らずに、深い痛みどめ応急処置としてバンドエイドや鎮静剤を探すのだ。・・・・・・・・・・

ー以上だが、テリー伊藤の『あと一週間で死ぬとしたら何をしますか』という本にいろいろな人が多くのことを書いていた。
しかし誰もがいつでも直ぐにできることばかりであった。
ある人が私のその質問に、「身辺のものを全て捨てる」と答えたのが一番気に入ったがこれなど人生の一番深い意味が含まれている。
 当人は気がついていないようだったが。


845,  親父の小言   わが愛息へ

2003年07月28日(月)

     
  −親の小言と 冷や酒は後で効く

火は粗末にするな     朝は早起き機嫌良くしろ
人には腹を立てるな    風ふきに遠出するな
恩は遠くから返せ     年寄りをいたわれ
人には馬鹿にさせていろ   子の言うことは八九聞くな
年忌法事は怠るな     初心忘れるな
家業には精を出せ     借りては使うな
働いて儲けて使え     不吉はいうべからず
人には貸してやれ     難渋な人には施せ
女房は早くもて      義理はかかすな
博打は打つな       大酒は飲むな
大飯は食うな      判事はきつく断れ
世話焼きにはこるな    貧乏は苦にするな
火事は覚悟しておけ   水は絶やさぬようしろ
戸締まりは気をつけろ  怪我と災いは恥と思え
何事も身分相応にしろ   小商ものは値切るな
神仙はよく拝ませ    産前産後大切にしろ
人の苦労は助けてやれ   病気は仰山にしろ
浮気は程々にしろ    家内は笑うて暮らせ
 
 ーさればとて墓に着物は着せられず

・・・・・・・・・・・
 実をいうとオヤジに小言を一回も言われたことがない。
おそらく8人兄姉の末っ子というのがあるのだろうが。
その代わりに、隙を一部でも見せると鋭い皮肉が飛んでくる。
社員を多く使っていたためだろうが、父の皮肉ほど恐ろしいことはなかった。父が亡くなったとき、反面ホッとしたところもあった。
ゴッドファーザーの影が消滅をして解き放たれた為である。
「親の死は子供に対する最大のプレゼントである」というが、ある部分当たっている。そうすると私も早く死ななくてはならないが。
 
両親は最大の教師である。
「子を持って知る親の恩」というが、歳を重ねるほど実感をする。
無条件に限りない愛情を与えてくれるのは親しかいない。
若い時この文面を見て感じたことと、今とでは全く感じ方が違っている。
経験が、この言葉の奥深い意味を裏付けるためだ。
冷酒と親父の小言はあとで効くというが全くそのとおりだ。
身につまされる文章が多くある。

 ところで一昨日、この下書きを書いた直後、家内と新規開店したばかりの全国チェーンの居酒屋に行ってきた。
帰りに大きな湯呑み茶碗を貰って帰ってきたが、そこに「親父の小言」の同じ文面が書いてあった。シンクロニシティー(意味ある偶然の一致)だろが面白いものである。


844, パイロゲン

2003年07月27日(日)

 十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。
酒がそのままストレートで・・・一晩で10回以上トイレに行くことになった。
しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。
 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。
ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で体重が数糎困辰討靴泙辰拭
二つを同時に飲むのは合わないらしい。
どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択した。

いま考えると、パイウオーターを薄めて夕方飲み、朝には玄米酵素元気を飲み続けるべきであった。
 3年前にある知人の事務所に遊びに行くとパイロゲンをお茶代わりに出してくれた。二年前に軽い脳梗塞にかかったが、知人に紹介されたパイロゲンを飲んだところ、ほぼ全快したという。今はお茶代わりに飲んでいるという。
そこで再びパイロゲンを飲むことにした。
現在、健康食品は『ハイ・ゲンキ』と『アガリスク』と『ヤクルト』を飲んでいるが、3年前より『パイロゲン』が加わることになった。
特に酒を飲む直前に飲むと即効性がある。

 それぞれの人が、その人に合った健康食品を飲んでいるようだ。
生姜を乾燥させ粒状にしたものとか、梅干などだ。
自分にあったものを早く見つけて継続することだ。
ある人にいわれた、「真っ当に生活していれば健康食品など必要ないのではないか」そこで「真っ当な生活ができないからこそ飲んでいるんだ』と答えた。
 以前も書いたが川柳に
ー健康法 人に説いて 先に逝き −
が正しく矛盾をついている。


843, SF小説作家・小松左京の21世紀検証

2003年07月26日(土)



 今月号の「文芸春秋」で小松左京が「SF作家として21世紀が予測していたようになったかどうかを自分で検証する」レポートが面白い内容であった。
本人が正直に「自分はその頃は生きていないから、責任をとらなくていいや」と思っていた。それが「まさか21世紀に自分が生きているとは!」と。

 ー要旨を私の主観でまとめてみると
・一番の衝撃は平成7年の阪神大震災だという。
 本人が書いた「日本沈没」が現実になろうとは。
 ほぼTPOS が酷似していた。
・三十年前は米ソの冷戦真っ只中、まさかソ連と共産圏がこれほどあっさりと崩壊するとは正直思ってもいなかった。
・今のエレクトロニクノロジーの発達で電卓、パソコンに、携帯電話、ロボット・・等電子機器がこんなに「小型」「安価」になってしまったことは、本人の予測をはるかに超えたことであった。当時百億したコンピューターがいまやもっと性能が良くなって10万そこそこ買える時代は今でも信じられない。。
 本人は現在この時代の速さについていけないので、携帯電話を持ってない
・宇宙開発はもっと進むと思っていたが、意外と進まなかった。
 今の人類にとっての、予測したほどの必要性が無かったためだ。
 しかし宇宙への進出は人類に必要である。
・イラク戦争も衝撃的であったという。多くのビデオカメラが入って戦場の
 映像がリアルタイムで入ってくる。
・高齢化社会と今の子供の問題は予測をしていた。

ー以上だが、
 ソ連と共産圏の崩壊、今の科学技術の発展、情報化社会の予想を超える進歩など、私が感じたこととほぼ同じであった。
この情報化の進歩はSF作家の想像をはるかに超えていたようだ。
ソ連さえも、まずは軽く崩壊させたのだから。

 彼等のような戦中派が今の時代の変化を見ていたら、これほど面白いものはない。
特に戦争体験をしてきた人が、アフガンやイラク戦争のアメリカのハイテク技術を駆使した武器はSF小説をはるかに越えている。
アフガンのゲリラさえ消滅させてしまう。


842, エンドレスの巡礼

2003年07月25日(金)

 先日、殺人未遂で逃げ回っていたお爺ちゃんが、エンドレスのお遍路さんでTVに出演をして、たまたまTVを見ていた刑事に正体がばれて逮捕されてしまった。当地では「エンドレスお遍路」で有名の人だった。
TV出演を拒否すればと思ってしまうのだが、そこが人間の持つ浅ましさだ。

 実を言うとこのエンドレスの老人の存在を知っていた。
『到知』という月刊誌で、俳優のショーケンー萩原健一の文章に登場していたのだ。
ショーケンは、お遍路を年中恒例にしており、その詳細を書いていたのだ。
その文章でエンドレスのお爺ちゃんの存在を知って
「70歳を過ぎたら、こういう生き方も良いのかもしれない」と感心をした。
すべてを失い駅などでホームレスをしなくてはならない時が万一きたら、
思い切ってエンドレスのお遍路も良いじゃないかと考えた。
絶望をして、死にたくなった時でもよい。
実際に、お遍路の道中に行き倒れて死ぬのも、病院で管に繋がれてのた打ち回って死ぬよりはずっと良い。
その最後のよりどころを、この老人は儚くも潰してしまった。
「歳とっての逃亡」でしかエンドレスの巡礼はできないのかもしれないが。

 「巡礼は自分の過去に向かって歩いていくこと」と聞いたことがある。
その行き先のまた先が神仏なのだろう。
まだ巡礼をしたいとは思わないが、いつか駆り立てられる日がくるかもしれない。
母が80歳を過ぎ痴呆症の現象が出始めの頃に面白い夢をみた。
母が5~6歳の巡礼姿で玄関口にいる。
その姿をすでに亡くなっていた母の妹がじっと見つめているのだ。
恐ろしい悲しい神秘的な夢であった。
人生はエンドレスの旅路なのかもしれない。


841, 初めての経験ーユースブック

2003年07月24日(木)

 ある本を店頭で買おうとしたが、一度「アマゾンの中古本」を買ってみたかったことを思い出した。
そこで買うのを止めて、webのアマゾンで調べてみたら30優フで出ていた。早速注文をしたら、一週間で直接「持ち主」から本が送られてきた。
大阪の女性の人からで、本は全く新品同様であった。
家内にそれを見せると「きれいに読んで、また売ったら」と考えも及ばない事をいう。恐らくアマゾンは2回目のそれは受け付けないと思うが?
そのシステムは革命的だ。

 アマゾンのweb書店に入ると「買った本を売りに出しませんかと?」、過去に買った本の一覧が出てきて、その売値まで書いてある。
汚さないように読み、手数料を払って売ればよいのだ。合理的そのものだ。
これでは益々本が売れなくなるだろう。
本以外では楽天市場があるが、そこで買ったことはまだない。
消費者の立場で有利なシステムなら、早くやった方がよい。
今度アマゾンは、本だけでなく他の商品の販売を本格的に始めてきた。

本の半分近くは、週2回以上書店に行くにかかわらず、web書店で買っている。恐らく今度はユースブックを買う頻度が多くなるだろう。
面白い時代である。数年後にはTVにインターネットが組み込まれて、
気楽にweb上で買い物をする時代になる。


840, プロジェクトー

2003年07月23日(水)


 NHKTVのプロジェクト召なかなか面白い内容だった。
このシリーズは三回に一回は見ているが、昨夜はソニーのロボット犬『アイボー』の開発プロジェクトのチームリダーとメンバーの苦労話であった。
一つの商品の中に、多くのメンバーの思い人生とエネルギーがぎっちりとつまっている。
社長の井深大の『人の真似をするな!』が、ソニーの商品開発のコンセプトの一つということは知っていたが、しかし現場の技術者にそれが貫かれていたのをみせつけられた。
 
 新規開発では、重役や周辺の無理解が大きな壁になるのが何処も同じである。
特に若い技術者が『オモチャを創るためにソニーに入ったのではない!』という言葉がその象徴であった。
何度も何度も大きな壁ー障害が立ちふさがってくるのを、切り抜けていく姿が感動的だった。
プロジェクトとは、その壁を乗り越えていくのが任務である。
一度、会社を辞めてゲーム会社の部長になっている男を、このチームに呼び戻そうとした時、その男がゲームメーカーのナムコの社長と供に断りに来る。
その時、チームリーダーは本来は絶対に見せてはならない創りかけのロボット犬を見せる。
それを見た本人は興味を示し、ナムコの社長は直ぐに翻意してソニーの復帰を認める。ナムコの社長の一言がよい「日本の為になることだ!」

 復帰したこの男が、大きな壁にぶつかっていたプロジェクトに入るやいなや、根こそぎロボットを否定する。自分の役割を知っていたのだろう。
そして対立。しかし、そこからアップスケールー脱皮が生まれてくる。

 たった一匹?のロボット犬の中に多くドラマと感動が詰まっているからこそ、多くの人にそれが伝わるのだ。
「プロジェクトX」に流れているテーマ は今の日本に『起業魂』を思い出させるのが目的だ。その気持ちが直に伝わってくる番組である。
チームリーダーと復帰してきた二人の最後の言葉がよい。
『ものつくりは面白い、出来上がったときの感動が、それまでの苦労を総て流してくれる!』

商品に対する思いや感動が薄くなったら引退の時期としなくてはならない。
それは年齢と関係なく。
いま一度仕事に対する自分の気持ちを内省してみる必要がある。


839, あいうえおー生き甲斐測定法

2003年07月22日(火)


 今やっていることが、生き甲斐があることか、天職か、ベストかどうかの
判定基準として、あいうえお生き甲斐測定法がある。

「あ」は、アイデア 
「い」は、インタレスト
「う」が、ウォーク
「え」が、エキサイティング
「お」が、オーナーズシップ
この内の一つは抜けていてもよいが、二つ以上の場合情熱が感じられなくなる。

「あ」は、要は自分のアイデア、企画かどうか。
「い」は、興味、関心のこと。
「う」は、歩くことで、行動につながる。待っていたり行動なしでは何も始まらない。
「え」は、エキサイティング。燃えるような情熱の涌くこと。
「お」は、オナーズシィップ。自分でやり遂げたという喜びや自負心ー行蔵です。

 これは藤本儀一の『人間ほど面白い動物はない』サンマーク出版ーの最後に書いてあった内容である。
創業では、これが一つでも欠けていたら上手くはいかない。
これを満たした上で総てを注ぎ込んで初めて動き出すものだ。
この5つを満たす為には、いつも随想日記で書いているように、
「自分の好きなことを見つけて、それに集中する」しかない。

 私自身、好きなことをして生きてこられたことが一番の誇れることだ。
この随想日記で一貫して私も主張してきたことである。
最後に『楽しかった!』と言い切れる生き方である。
『好きなことだけをして生きていく』には、それなりのノウハウと
能力と環境が必要である。

 その方法論を具体的に解りやすく書いてある本があった。
 初心者向きで、どちらかというと先人の知恵を租借している内容だ。
といって好きなことをしてきたと自分で言い切れることがよい。
以下、インターネットで調べてコピーしておきます。

・・・・・・・・・・・・

「『好きなことだけをして生きていける人』はここが違う」
中川 昌彦 (著)
価格: ¥1,300
ユーズドストア価格: ¥500より
単行本 - 238 p (2002/09)

ー内容ー
自分の好きなことをして生きていきたい。自分の思い通りの人生を生きたい。
そう思うが、拘束の多い社会で、あきらめてしまう。
しかし、「自分の好きなことをして生きること」はできるのである。
実際、自分の思い通りに生きて、納得して、成功してきた人たちはたくさんいる。
主体的に生きるためには、やはり方法がいる。この本ではそのための方法、すなわち固定観念や思い込みをはずし、必要な戦略や戦術、効果的なノウハウ、知恵をお伝えする。自分自身の人生を生きるための技術である 

  ー目次
第1章 人はそれぞれ、好きなように生きればよい(最後に「楽しかった!」 
   と言える人生を送りたい
   博士を捨て、碁会所席亭になった男 ほか)
第2章 仕事も遊びも本当に好きなことを見つけよう(「本当に好きなことがある」が出発点
   仕事を楽しめる人の発想に学ぶ ほか)
第3章 「一人で生きるぞ」と思い定めよう(しっかりした「自己基準」が、生きる上での覚悟をもたらす
   幸せになりたければ、まず一人で生きる方法を身につけることだ ほか)
第4章 "ウィル"人間の優雅な生き方(ウィル(Will)人間になるか、シャル(Shall)人間になるか
   「枠」にはまる人、はみ出す人はこんなに違う ほか)
第5章 「おもしろ、おかしく生きる」と心に決めよう(おもしろくない世を楽しく生きる  
   「晋作術」気楽に楽しく日々を過ごせば、周りも愉快になる ほか)
・・・・・・・・・・・・
好きなことを早く見つけて、それに集中する、そして十分楽しむ。
それが長期的に継続した時、やってよかったいえるかどうかを見極めて。
「踊りと歩行」の組み合わせ、目的地をしっかりと見極められるかどうかだ。


838, アメリカの世界戦略を知らない日本人

2003年07月21日(月)

  ー読書日記ー
「イラク戦」後、時代はこう動く

日高 義樹 (著)
出版社: PHP研究所 ;
(2003/01)

ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。
中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、その著書も数多く出版されてる。この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば
良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。
そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。
今までは、毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。
ソ連よりはズットましだっただろうが。

ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。
 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。
 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
・イラク戦争のアメリカの狙いは中東石油支配。
 ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
 
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
「冷戦後の世界で、一番先に変わるのがアメリカであり、他国に先駆けて変化するのがアメリカの特徴である」という。
 自発的に変化することを苦手にしているのが日本であり、憲法改正、有事法制も先送りしながら日米安全保障条約だけを頼りにしている。北朝鮮の脅威が現実のものとなった以上、「アメリカが助けてくれる」ことを期待を込めて信じるだけでは、国として無責任すぎる。
 北朝鮮の拉致事件も、見方を変えれば、宣戦布告なき戦争であり、日本は国民の生命と財産も守れない国ということになる。日本も今までのように安穏としてはおれず、現実的な選択を迫られている。
・第4次世界大戦”に、既に突入した(第3次大戦は米ソの冷戦)。
 それはアメリカなどの民主主義を奉ずる先進諸国とテロリストの国や組織との戦争。
 今までの戦争とは全く異なり、ITや大型輸送機を駆使し、少ない人員で遠隔地まで直接効率的且つ破壊力に富んだ攻撃を可能な戦争になる。
 ーその第一幕が今行われているイラク戦。
・ついで起きるのが2005年頃と考えられる北朝鮮との戦い。
 このとき北朝鮮は日本を人質にとってアメリカと交渉しようとする可能性は大きい。
 ブッシュは“悪”とは決して妥協しようとしないから北朝鮮は日本攻撃に追い込まれる可能性がある。その際、日本が当然アメリカが守ってくれると期待するのは甘い。
・冷戦の終了と共に日本はアメリカにとって重要性を失っている。 
 後は日本の古い金融体制を不良債権整理と共に破産させてのっとることくらいが関心事。
 資金の裏打ちの無い“強いドル”を維持するために日本の円を自由にして
 取り込もうとしている。
・日本は拉致問題について、北朝鮮に特殊工作部隊を送り込んで、工作員を捕虜にしてくるとか、テポドン基地を爆撃するなどの、「自らの主権を自ら戦って守る」姿勢を示さなくてはならない。
 今のままではアメリカのみならず世界から相手にされなくなる。
・ヨーロッパ及びロシアはアメリカが中東の石油を支配することで自分たちの既得権益を失うことから戦争に反対したが、彼らは既に二流国ですら無くなっている。
 そんなヨーロッパに投資する日本は情勢を読めていない。
・第4次大戦の終幕はアメリカ対中国であるが、アメリカは中国の“脅威”について、軍備を始め殆ど歯牙にもかけていない。台湾の処遇をきっかけにして中国を滅ぼすことも考えられる。
 冷戦が終って、やれこれで平和が訪れた、などと考えた国や人はおめでたいにも程がある。
・日本人は国際連合を世界の中立的な裁定機関であると捉えがちですが、アメリカはそれほど神聖なるものとは思っておらず、むしろ国家こそが、最高の意思決定機関だということです。
 従って、国連決議を粛々と遵守しなければならないのでは、と考えるのが日本人、決議なんてこちらからのプロポーザルでどうにでもなる、と思っているのがアメリカということ。
 この度のイラク攻撃に関する一連の動きを見ているとなるほどと頷けます。
 
 ・・・・・・・・・・・・
【目次】
第1章 イラク戦争が世界を変える
第2章 日米安保の時代が終る
第3章 「次はお前の番だ、キム・ジョンイル」
第4章 当分北朝鮮と韓国は合併させない
第5章 中国はブッシュ大統領に脅えている
第6章 中国は怖くない
第7章 ヨーロッパは終焉した
第8章 ブッシュ政権はけた違いに強い
第9章 ドルの立場を守るには日本円が必要だ
第10章 日本の平和主義は敗れた

 [コメント]
 この原稿が書かれたのは昨年12月。
(イラク問題は一進一退だが・・・)。著者は、アメリカ政治に精通している著名なジャーナリストで、アメリカに関する著作は多い(私も何冊か読んでいる)。歯切れの良い文体とちょっと過激な論調は、結構ファンも多いはずだ。
著者の結論は、ブッシュ政権は近日中にイラクと戦争を行い、第四次世界大戦の幕を切って落とし、中東情勢が落ち着けば(アメリカの思惑通りに)、再選に向けて動く。再選後、北朝鮮の金正日体勢を武力をもって崩壊させるといシナリオである。確かに、ブッシュ大統領も、危険分子(危険要因)の排除ためには、先制攻撃も辞さないことを明言している。9月11日の同時多発テロ以来、「アメリカは変わった」ことを認識すべきである


837, 民間校長ー腑におちる教育を!

2003年07月20日(日)

 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の
民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。

ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて実際の生の教育をしていた。
 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を教えていく手法は解りやすく道理に合っている。
 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。
 生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、実際の店長にきてもらい対話をさせる。
 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ーを経験させて、実際の裁判官を呼んで実態を聞く。
・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。
・自転車放置問題を議論させてみる。
・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、ハーフの差異から、社会にある価値観について話し合う。
 
 等々、シュミレーションやロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 
 
 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。
「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」という彼の言葉が鋭い。
社長として任務を遂行するには、コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており、「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。(校庭の緑化運動を推し進めるとか)

 「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、
「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。
今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。
「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」という言葉も真をついている。
「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。

 彼の名前は藤原和博である。


836, 私のクレートジャーニー

2003年07月19日(土)



ー<グレート・ジャーニーとは>
「人類は、400 万年前、東アフリカに誕生し、アジア、極北の地を経て、
ついに 1万年前には、南米大陸最南端のパタゴニアへ到った。
この 5万キロの大遠征をアメリカの考古学者フェイガンは'GREAT JOURNEY '
と呼んでいる。
関野吉晴氏が大遠征の道筋を、自らの脚力を頼りに、逆ルートで踏査をした
旅をTVで、数年間ドキュメントで放送した。

私はツアーだが、今回のアラスカ旅行で(シベリアの地をを除いて)点線で、
グレート・ジャーニーをしたことになる。ー少し強引な理屈付けになるが。

・ケニア・タンザニアから下は南アフリカ、西アフリカからモロッコ、スペイン
を経て西ヨーロッパから北欧、ロシアのルート。

・シルクロードのコースはエジプトからトルコ、イスラエル、ヨルダン、シリア、
レバノンを経て、インド、ネパール、パキスタン、ウイグル地区、桂林、北京を得て
シベリアへ。

・香港より南下するコースはベトナム、タイ、フィリッピンそしてフィジーから
ニュージーランドへ。
ーまだ行ってないが、オーストラリアとイースター島に行けば南米へ行くコース
も完成することになる。

・シベリアからのコースはアラスカ、カナダを通ってアメリカ、メキシコ。
テーブルマウンテンのあるベネゼイラ、そしてインカのペルーへ。
ブラジルのイグアスの滝を見ながら、サンパウロを通って、リオへ。
アルゼンチンのブエノスアイレスを通り、ペルーへ南下をして最南の地
パタゴニアに到着。
一応コースは出来上がることになる。

そうすると、残された地は東欧、カザフ、モンゴル、シベリア、オーストラリア、
イースター島ということになる。
しかし今回のアラスカで一応完成した感がする。


835, 丁度よい

2003年07月18日(金)

 お前はお前で 丁度よい
 顔も 身体も 名前も 姓も   お前にそれは 丁度よい  
 貧も 富みも 親も 子も 息子の嫁も その孫も それは お前に丁度よい  
 幸も 不幸も 喜びも  悲しみさえも 丁度よい  
 歩いたお前の人生は  悪くなければ 良くもない  お前にとって丁度よい  
 地獄へ行こうと  極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい      
 うぬぼれる要(よう)もなく 卑下する要もない 上もなければ 下もない    
 死ぬ月日さえも丁度よい  
 仏さまと二人連れの人生 丁度よくない はずがない    
  南無阿弥陀仏          
                
                浄土真宗の篤信家ー藤場美津路  
・・・・・・・・・

 ある会社の専務に「ありがとうの言葉」について話していたら、
そういえば、似た言葉で印象的な言葉があるとのこと。
「丁度よい」という言葉だそうだ。
ある会社の応接間に飾ってあった額縁の中の言葉で、
それから彼は何かにつけて「丁度いよい」をつけて自己納得していたとか。
・うちの母ちゃん丁度よい
・今の仕事丁度よい
・今の悩み丁度よい
・今日の夕飯丁度よい
・リストラされて丁度よい?
等々、なるほどと感心をしてしまった。
考えてみたら、その人に神様は丁度よい環境と条件を与えている。
まあ若いうちから、現状肯定ばかりしていたら成長がないが。

 早速、インターネットで検索をしたら、上記の内容が出てきた。
この詩は、はじめ良寛の作と思われていたそうだ。
「丁度よい」と思うことができれば、悲しみや喜びの感情の起伏が
少なくなる。諦観ということだろう。
『ありがとう』にしても、『丁度良い』にしても、
何か納得してしまうのは、年齢のせいだろうか。


834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件

2003年07月17日(木)

 3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。
川崎小学校裏の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。
15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。しまったと思ったが、もう遅い!

 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に立たない位しっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。
物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。
もし来たら、目を狙えばよい。
相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言って、その場を離れた。
離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。
いま考えても危ない瞬間であった。

 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を
歩いていると、暴走族がオートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。
警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。
深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。

 ところが、昨夜新潟で飲み会があった。
十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人を取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。
通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末の顛末を言った。
度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをしていたようだった。
5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。
顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。


833, 孤独について −2

2003年07月16日(水)

 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。 
 経営者は孤独でなくてはならないとか、孤独であるという。
特に創業は孤独に徹しないと、甘さが生まれてくる。
山の中の孤独というより、街の中の孤独である。
街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。

ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想
2 独学
3 独行
4 独遊
5 独創
6 独楽

 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。
創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで
嘲笑のなか行動開始、途中からゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。
そしてその起承転結を楽しむ。
しかし実際はつらい孤独業である。つらさと楽しみは裏表であることを知る。
二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。

 孤独に耐えるためには、宗教が必要である。
日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで見たときとんでもないことだ。
欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚して
いない為である。
                   ーつづく

  ・・・・・・・・・・・・・・・
 2002年09月01日(日) 506, 孤独について

人間は独りで生まれ、独りで死んでいかなくてはならない。
本質は孤独である。
学生時代、名僧いや怪僧?の新井石龍禅師との問答で、
禅師は、[禅は一言でいうと何ですか?]の私の問いに
「字のとおり単を示すことだー宇宙に自分が独りということに
気づくこと」と答えられた。全くそのとおりである。

若い時に大都会に出る必要性は、
大都会の中で、凍りつくような孤独の経験をしておくことである。
圧縮された大都会の真ん中での孤独な生活である。

じっくりと孤独の厳しさを知ると
・仲間の大切さを知る事ができる、但し真っ当な人だが!
・本を通して数千年前、数百年前の人物と出会うことができる。
・独り遊びの大切さ知るー音楽会や映画に独りで行くとか。
・自分のアイデンテティーが見えてくるー自己の確立。
・孤独の賑やかを知る。

それを若い時にじっくり経験してないと、
「何処かの子狐?」のように中年期・壮年期を迎えたとき、
どのようにしてよいか解らないで、
そのレベルでベタベタ群れるしかないのだ。
それか濡れ落ち葉になるしかない。
失敗の人生である。

地方にはこういう人が大部分だ。
仕方ないことだが?



832,「阿弥陀堂だより」 −映画日記

2003年07月15日(火)

 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。
あとで作家の南木けい士の『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、
日本の味わいとスローなテンポと日本人が忘れていた故郷の世界を、感慨深く表現していた。
主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさを見せながらストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。
美智子役の樋口加奈子がいう言葉『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉がこのストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。
黒澤明の遺稿シナリオを映画化した『雨あがる』で、日本アカデミー賞を受賞した小泉堯史監督の新作であることを、インターネットで調べてしった。
 気楽に話題の名作をDVDレンタルで見ているのが不思議な感覚である。
特にアラスカから帰ってきたばかりだからこそ、日本のアイデンティテーが
印象的だったのだろう。下手な感想文より以下をご覧あれ!

ーあらすじー
 東京に住む夫婦、孝夫と美智子。夫はなかなか日の目を見ない小説家。
妻は大学病院で働く有能な医者だった。ある時、美智子はパニック障害という心の病にかかる。それをきっかけに、二人は、孝夫の故郷、信州に移り住むことを決意する。山里の美しい村に帰った二人は、96歳の老婆おうめを訪ねる。彼女は阿弥陀堂という、村の死者が祭られたお堂に暮らしていた。おうめのところに通ううちに、孝夫は声の出ない少女・小百合に出会う。彼女は村の広報誌に、おうめが日々話したことを書きとめまとめた「阿弥陀堂だより」というコラムを連載していた。美智子はこの村で診療所を開き、おうめや小百合、村の人々の診察を通して、医者としての自信と責任を取り戻してくる。…

ー南木けい士の『自書を語る』ー
 阿弥陀堂は生まれ育った群馬県吾妻郡嬬恋村大字三原の下屋組と称される十軒あまりの集落の裏山にある。そのすぐ下の墓地には私が三歳のときに死んだ母や、以後十三歳の春までこの集落で私を育ててくれた祖母の墓がある。弱りきった精神は退行を好む。あのころの私は底上げなしの、あるがままの存在を許されたふるさとの自然や人のなかに還りたかった。
しかし、実際に還ったところで懐かしい人たちはみな死者であり、ともにながめる人を亡くした風景は色あせて見えるだけだろう。ならば言葉でふるさとを創り出すしかない。そんな想いで『阿弥陀堂だより』を書き始めた。

  祖母は村の広報誌のことを「村だより」と呼んでいた。「阿弥陀堂」と「村だより」、小説の題名はこの二つをくっつけたのだ。祖母たち老人が先祖供養の念仏をもうしながら
数珠を回していた阿弥陀堂。その小さな庭からは向かいの崖と谷底の川と狭い集落が見渡せた。それが幼い私にとっての世界の景色のすべてだった。
もし生きのびられるのなら、もう一度この世界から歩き出したかった。
切実に、誠実にその世界を創りあげたかった。

うつ病による罪業妄想と言ってしまえばそれまでだが、末期の癌患者さんたちを看取ることの多い生活をしてきた私は夜ごとに 亡くなった人たちの顔を思い出し、彼、彼女たちの訴えの十分の一も理解できていなかったことを悔い、ひたすら詫びた。
悪夢で深夜に目覚めるたびに「天罰」という言葉が天井から降ってきた。
書くことで供養ができるなら……そんな想いを先祖の霊を守る老婆に託た。
記憶に刻まれた人や風景を寄せ集め、仮想の村、集落を創り、それらを忠実に描写していったら一つのおとぎ話ができあがった。
この物語を誰よりも読みたかったのは私自身なのだった。完成したとき、
これが小説たりえているのかどうか判断できなかったからとにかく編集者に送り、大丈夫ですよ、の回答をもらって安堵のため息を何度もついた。
 
 しかし、ある新聞に載った文芸時評では、その内容の甘さをこっぴどく批判された。そんなにひどいことを書くならなんでこれほど大きく時評に取り上げるんだよ、と涙ぐみつつ送られてきた新聞を庭の隅の焼却炉で燃やした。ものを書くことを仕事にしてから、他者が私の作品について評した文章を燃やすのは初めてだったが、いかにも後味の悪い体験だった。
 
 都会の病院勤務で心を病んだ女医が小説家である夫のふるさとの村で癒されてゆく。たしかに安易と言われればそれまでのプロットだが、そのころの私には企んだ小説を書ける余力がなかった。細部をていねいに書き込むことしかできなかった。
『阿弥陀堂だより』には私の存在の世話をしてくれた人たち、底上げされた
私のいたらなさを口に出して責めぬまま静かに逝った人たち、そして、ただの存在にもどった私の目に映った自然の生なましさなどが詰め込まれている。甘く書くしかなかった酷薄な事実が隠されている。
書きあげ、本になった時点でこれらのものはすべて本のなかに大事に封印した。 表紙の阿弥陀堂の戸はしっかり閉じている。そうすることでなんとか今日まで生きてこられた。
少なくともいまのところこの封印を解くつもりはない。
他者の解釈を観たり聞いたりする勇気もない。
 
 いつか、どこかの映画館の片隅で『阿弥陀堂だより』を観る機会があったら、私はこの懐かしいタイトルを観ただけで泣き出してしまうかもしれない。そんなことを書きながら、流れに乗れば気軽に観終えてしまうのも私の根性なしのところで、実はもうそういうつっぱりはどうでもよくなっている。それにしても、試写会に行かない原作者なんて他にも誰かいたのだろうか、と気にしてしまう小心さだけはいかんともしがたい。


831, アラスカ旅行記ー6

2003年07月14日(月)


旅行のもう一つの楽しみは、全国レベルで変わった人との接点である。

・まずは、60代後半の女性。
 6年間、毎月旅行に出て62回目の参加という。
 6年前に旦那と大喧嘩が勃発して、いまや修復不可能。
 別れるより良いと、毎月出ているという。
 もう疲れたが、後は野となれ山になれと出続けているという。
 旅先で部屋に戻っても、旦那のことを思い出して腹を立てているとか。
 聞いていても悲しくなる。
 「ありがとう」を毎日千回、いや一万回言え!といいたくなった。
 夫婦しかわからない何かがあったのだろう。
 先日も身辺の60過ぎの知人が離婚したと先日聞いた。
 旦那に若い女ができたのが原因だという。
 また学生時代の同級の女性が離婚をして、新たに結婚をしたという。
 これで3回目の結婚である。人生の深遠さを思い知らされる。
 
 ・若い女性が二人参加をしていた。
 自意識過剰の若い女性が、終始大きな声でアラスカの地で自らの恋愛話をしていた。黙っていろともいえず、場違いの二人に他の全員が辟易!もっとアラスカの地をじっくり堪能すべき!と思うのも年齢と経験の違いのためか。
 その世界しかないのだから仕方がないが、「無知ということは罪」と思い知らされた。その聞き役の方の女性が面白いことを話してくれた。
 「自分は蚊に刺されない。一年に一度位刺されることがあるが、朝起きると腕の上で死んでいる」という。
 「血液型によってそういうことがあると聞いたことがあるが、血液型は何型?」と、グループの一人がを聞くと、「両親がAとO型。自分自身は一回も調べたことがないので解らない」という。いろいろな体質の人がいるものだ。
 
 ・ホテルのロビーで同じチャーター機のグループの人達がいた。
 その一人が新潟県の燕の人であった。
 家内工場をやっており、この1~2年で両親がたて続きで亡くなったとか。
 2年前に初めての海外旅行でアラスカに来てキングサーモンのオプションに参加。今度は4日間車を借りて、独り釣り三昧をしてきたという。
 魚は釣った後で逃がすとか、また2年後に来たいといっていた。
 これも巧いツアーの利用の仕方と感心をした。


830, アラスカ旅行記ー5

2003年07月13日(日)


ーアラスカつれづれに

アラスカで感じたのは、豊かさである。ーそして、その対比としての日本の
豊かさの底の浅さだ。

・高校の前を通ったら、大きな駐車場があった。
 16歳で免許が取れるという。多くの高校生が車で通学をしていると
いう。
 16歳以下でも親と一緒であれば運転できる免許もあるという。
・また地域性もあるが、50人に一人当たり割合で飛行機を持っていると
いう。
 飛行機の車輪部分を季節ごとに変えることができるという。
 冬はスキーを履き、夏は車輪、湖や河では浮き輪を付け替えるという。
 安いので500〜600万で買えるという。
 夏は釣りや泳ぎに、冬はスキーとかに、色いろの場所に下りて
遊ぶという。
 それでも、夏の期間が短く、秋はほとんどなく冬が長いために、
鬱病になってしまう人が多いとか。
・アンカレッジの街を歩いていても、豊かさが直に伝わってくる。
 ワンフロアーの大きい住宅、そしてこじんまりとした芝生と花のある庭。
・しかし乞食があちこちで見ることができた。
 アルコールでやられるらしく、彼等を収容するシェルターがあるという。
 特に地元インディアンに、生活に適応できない人が多いとか。

『地球の歩き方』に面白そうな日本料理店があったので行ってみた。
「やまや」という店で正しく国内の居酒屋そのもの。
 小さなカウンターが5~6席に、テーブルが16席。
 50歳位のマスターと20歳位の男のアルバイトが二人で働いていた。
 「何が美味しいか?」と聞いたら、「ユーコン川で獲れたキングサーン の刺身がお勧め」、とのことで注文したが、もちろん絶品。
 鰊の塩焼きと子持ち昆布もなかなかであった。
 少しほろ酔いの頃、40歳ぐらいの白人が一人入ってきた。
 マスターが「よー!食い逃げのジョー」と日本語で声をかけると、
 赤い顔をして「食い逃げのジョーじゃなくて、朝逃げにジョーだよ」と
 嬉しそうに答えていた。常連らしいので話しかけると、何と今回の現地日本人ガイドの上司。
 三重県の津に2年いたこともあるとかで、飛行機の整備士からガイドに
 トラバーユしたといっていた。その時60歳がらみの人品のよい日本人が入ってきた。
 そして我々の間に座った。知り合いらしく急にジョンは大人しくなった。
 そして英語で二人話し始めた。
 後で家内がいうには今回のジャンボの機長ではないかという観測。
 私もその時に一瞬そう思ったが、商社関係者ということもありうると
 それ以上考えなかった。でもTPOSから考えても、ジョンの態度からみて
 機長の可能性が強い?
 一度店を出たがジョンの写真記念をと、とって返して思わず「ただ乗りのジョン、写真を一枚撮らせて下さい」といった。
 本人曰く「ただ乗りのジョンでなく、朝逃げのジョンです!」


829,アラスカ旅行記ー4

2003年07月12日(土)

ー26氷河クルーズ

アンカレッジからバスで一時間半のところにある港街ウィッティシア。
ここよりクルーズ船に乗り、プリンス・ウイリアム湾に流れ込む大小26もの氷河が密集するフィヨルドを巡るクルーズがよかった。

 氷河といえば昨年の12月にいったパタゴニアのモレノ氷河などと比べたくなる。この対比でアラスカ氷河をみると、この26氷河に限っていうと、
・一つ一つをとってみれば、氷河そのものはモレノ氷河の方が奇麗で大い。 また流氷の大きさや数、氷柱が倒れる迫力などもモレノ氷河の方が
 格段良かった。
・モレノ氷河は氷河自らの水で湖をつくっている。
 その為、湖には冷たすぎるためか生物は一切いない。
 これに対し26氷河は直接海に氷河が流れ出ている。
 温度も海水と調和をして、多くの海の生物が棲息している。
・空と海を背景とした氷河の美しさがアラスカにはあった。
 それと5時間のクルーズの間、どこかしこに愛らしいラッコが海に
浮いていた。またアザラシや鯨やオウムに似た鳥のパラフィンも見る
ことができた。

 アラスカ・クルーズは、地中海クルーズやカリブ海クルーズと並ぶ
世界三大クルーズの一つ。特にカナダのバンクーバーからのクルーズは
有名だ。丁度我々の目の前をその大きな客船が横切っていった。
客船サービスで、氷を引き上げてお客に配っていたが、さっそく
ウイスキーのオンザロックで飲んでみたが、何ともいえない数億年の味がしたようだった。
当たり前のことだが、アラスカにはアラスカの氷河があり、パタゴニアには
パタゴニアの氷河がある。
対比するのはよいが、どちらが良いとはいえない。

 旅行をしているうちに、いつの間にか世界各地で多くの氷河を見ることができた。スイス、パキスタン、ニュージーランド、パタゴニア、そしてアラスカなどなどだ。
氷河だけ追いかけても、その自然の美しさと壮大な営みの一部を見ることができる。氷壁が崩れ、数億年の旅を終える姿を目の当たりみると、人間の小ささを改めて思い知る。

 ホテルから港まで往復3時間、車の運転をしてくれた佐久間さんという人の話もなかなか面白い。20年前サラリーマンが嫌になりアメリカ本土に渡り各地を転々、その後ハワイに3年いて、2年前にアラスカに流れてきたという。50歳ぐらいだが、なかなか話の内容が深く面白い。
そのままサラリーマンの一生も人生、自由気ままな生き方もまた人生である。但し人生の真髄をどちらが深く考えているかというと前者であろう?!

アラスカの広大な自然の中で、いろいろ考えさせられる事が多かった。


828, アラスカ旅行記−3

2003年07月11日(金)

デナリ国立公園ーb
 ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。
230砲半し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。
「食事抜きのコース」を選択、朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、迷わずに参加した。そして大正解であった。

 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供に
オモチャのようなセスナに乗った。
20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194辰△觧劃困髻下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。
その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がるアラスカの大地が,この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」という思いがフト頭をよぎった。
ギアナ高地のテーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。
マッキンリーの山頂に200叩近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。
この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。

 いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」である。
本当に人生と同じである。
ヨルダンのぺトラに行った時のこと、翌朝疲れきっている中、更にぺトラの奥にある遺跡まで行ってきた。
家内はダウン、早朝に同じグループの元気の良いオバサンと二人、3時間かけてエド・ディル(修道院)まで行ってきたが、その遺跡とそこからみた景観がまた素晴らしいのだ。またぺトラの朝日に染まった朱色の輝きが言語に絶するものであった。あと一歩踏み出したお陰であった。

 何事も経験、帰ってきて同じ星野道夫の写真集を見ても、全く違って見えてくる、もちろん文章もである。
特にガイドの伊藤さんが星野道夫の親しい友人で、多くの逸話を多く話してくれたこととアラスカの大地のこの目で見た為だ。
 また行蔵のお宝が一つ増えた!ような気分である。


827, アラスカ旅行記ー2

2003年07月10日(木)

ーデナリ国立公園ーa
 今回のハイライトは、なんといってもデナリ国立公園のワイルドライフツアーであった。
デナリ国立公園は四国を少し大きくした位の大きさで、アンカレッジから3百数十繊⊆屬韮胸間の距離にある。
このデナリに二泊をした。
ワイルド・ライフツアーは朝5時過に出発して午後の1時過ぎに帰ってくる、野生動植物や自然を堪能する内容だった。
グリズリーベアーやヘラジカ、ムースカリブー、大型鷲、山岳羊、雷鳥などが多く見られた。アラスカの大地を背景にした動物が自然に溶け込んでいたのが印象的であった。
なんといってもビューポイントからみた、マッキンリーの美しさに息を呑んだ。スイスのマッターホルンと、パタゴニアのパイネ山の夕景に匹敵する神々しさであった。
ツアー客の全景をみれる確率は20佑函▲僖鵐侫譽奪箸暴颪い討△辰燭、その20佑砲△燭辰燭里幸運であった。

 更に幸運が続いた。
偶然、有名な日本人ガイドの伊藤さんがガイドについたのだ。
彼の年齢は63歳、顔中髭だらけの現地のエスキモーそのものといってよかった。
ーこのバスは40人乗りで、幾つかの日本人のグループが乗り合わせていたが、その一つのガイドが彼であった。その彼がバスのガイドをかってでたのだ。彼のことはミッキーハウスの坂本さんの本でしてっいた。
またその本に「三億円事件の犯人」疑われた人と書いてあったが、本人も嬉しそうに、その逸話を話していた。
3億円事件当時、ハーレーダビットソンを乗り回していたのが疑われた理由という。日本からアラスカに渡って30年経って、アラスカのエスキモーとの外見の差は全くない。
「アラスカン・ハイ」という言葉を聞いたことがある。
人里離れた人がたまに街に出てくるとスナックなどで話しまくる姿が見られるという。発語(専門用語でさかりのついた動物の発情と同じで、溜まった言葉を吐き出す)が伊藤さんの特徴のようで、マイクを持って話しまくっている姿が何とも自然でよい。
ーイスラエルの老添乗員もそうであった。めったに来ない日本人に自分の
生き様を全て話すのだ。自己承認を求めているのだろう。
色いろな人生があるものだとつくづく思う。

 彼は星野道夫の友人で、彼とのエピソードを色いろ話してくれた。
NHKで彼のドキメントタリーを数年間にわたってシリーズでやっていた。
また地球シンフォニーという映画にも出ていた。
『旅をする木』『森と氷河と鯨』など何冊かを読んでいた。
数年前にグレズリーベアに食べられてしまった。
そのためか伊藤さんの一言一言が胸に突き刺さるようであった。

 マッキンリーで亡くなった冒険家の植村直己とも親交があったという。
彼が死んだのは日本では、クレパスに落ちて死んだと信じられているが、アラスカでは風速100辰瞭揺で飛ばされたといわれている。
 アラスカに遊びに来る変わった人のエピソードも中々だ。沖縄の裏世界の実業家の話も面白い内容だーその人が舌癌になったが、足の肉を切り取って舌の再生手術で、また味が感じ取れるようになった人間の身体の不思議な話とか、名古屋の実業家の自由奔放の生き方とか、彼でなくては聞けない話を次々と話してくれた。
伊藤さんのような生き方に何か男のロマンを感じた。
ガイドと猟師が本人の職業で、好きな生き方をしながら現在、
二人の息子を大学にいかせているという。
ー続く


826, アラスカ旅行記 −1

2003年07月09日(水)

一週間の予定でアラスカツアーに参加してきたー2003年7月2日ー8日
行く前は、もしかしたら「外れ」になるのではと不安であった。
山脈や海を中心とした旅行は『天気』に大きく左右されるからだ。
それと「アラスカが良い」という人の話は過去の旅行仲間から一回も聞いたことがなかった。良ければ必ず情報が入ってくる。

このツアーは大手の旅行代理店が数社共同で、日本航空のジャンボを借り切って、アラスカとしては廉価で打ち出した企画のパックである。
ーだいたい一般の30OFFあたり。
ーSARS対策に、アラスカ州と日航と大手代理店が組んで打ち出した破格の商品ということを現地ガイドに聞いて初めて知った。
今夏は一ヶ月間だけの企画で、来年は未定だそうだ。

直行便以外は、成田からシアトル経由で入るか、ソウルに飛んでそこからの
直行便で行くかどちらかである。その為シアトル経由は14時間、ソウルでも10時間以上は軽くかかる。ーソウルからの直行便は出ているが、日本はないということ。その為、一週間にしては内容の非常に充実したものであった。
パタゴニアやアフリカには34時間以上かかったのに比べ、6時間というのは信じられない感覚である。
全くの素人がキングサーモンの釣りのオプションに参加をすれば、ガイドの指導のもと一m以上の鮭を釣れるのだから、さすがアメリカはサービスの国と感心する。

ー印象順に書いてみると
1、何といってもマッキンレー山である。
 あまり期待をしていなかったが、実際に見るマッキンレーは想像を絶する素晴らしさであった。特に、軽飛行機からのフライトで見たマッキンレーは言語に絶する内容であった。ー詳しい内容は明日書く予定です。

2、氷河もパタゴニアを見ているので、全く期待していなかったが、実際は決して見劣りのしない素晴らしい内容であった。

3、期待していたアラスカ鉄道の景観が思ったより良くはなかった。
 どこまでも単調な景色でハイビジョンで見たものとは違っていたー値段の高い展望車でなかったこともあるが−それと天気がよくなかった。

4、ハイライトのデナリ国立公園のワイルドライフツアーのガイドが偶然に
 日本人ガイドの有名な伊藤さんであった。
 星野道夫やミッキーハウスの坂本某の本の出てくる人だ。
 まる一日、彼のガイドで現地の色いろなことや、星野道夫などの現地でのエピソードを詳しく 話してくれた。彼はガイド兼猟師で狼やムースやヘラジカの狩猟の話しが別世界を垣間見た
 おもいであった。  ーこの内容も後日書く。
 
                           −続く


825,ある時間の断片ー32

2003年07月08日(火)

11月4日 −1968年
・9時に起床。
食後また風邪のためか頭が痛くなる。より重くなったようだ。
米林のところで、一時間位話しをする。
本を読んだ後16時からから18時まで仮眠するが、相変わらず
頭が痛い。夕食後駒村孝道のところで話をする。
少し寮生と近づきすぎである。自分の時間をもっと持たなくては。

11月5日
・11時に起床。風邪は昨日に比べて良くなった。
13時まで本を読んで過ごす。
食事に出て、帰ってきてから「販売革新」という月刊誌を読む。
久々に夕食をつくる、大体がメンチを買ってきて、白菜と豚肉の炒め
ものである。


824,ある時間の断片ー31

2003年07月07日(月)

11月3日ー 1968年
・7時40分起床。
8時20分に松村を迎いにいく。
9時過ぎ「友愛バスハイク」
女性が多いが、ちょっと気後れがしたので、松村の隣に座る。
内環状線から東名へ。厚木を通って中津渓谷へいく。
食後、相模湖へ行ったが駐車場がないので、写真を撮って江ノ島へいく。
車内で松村とけっこう話をする。彼は私等と違い都会育ちで、すれっからし
のところを感じた。女性はあまり印象的な人はいない。
これが大妻女子大生と最後の合コンだ。ろいろな娘がいた。
仁科、林、中条、菊池、紫生田さん等等。
菊池さんと中条が印象的であった。
終了後、松村と一杯のみ、帰寮後に瓜生の部屋で話す。
孝道に内面を少し見せすぎた。
色いろ有った日だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・


823,ある時間の断片ー30

2003年07月06日(日)

11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。
13時頃から「早稲田祭」に行く。
14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。
1時間位話して彼は帰る。
その直後急に頭が痛くなる。
「香港風邪」というやつにかかったらしい。
佐藤君のところに行ってお茶を飲んでいると、佐々木さんから
電話で東京駅に迎えにこいとのこと。
でかい荷物だ、やっとのことで寮に運ぶ。
その佐々木さんが「明日のバスハイキング」のバスの値段が高いと
苦情をいいにくる。道理からいって、因縁をつけているだけとうことが
露骨だ。今更キャンセルや値下げができるわけがないだろう。
幹事ということで言い返せないし、一応先輩だ。折れることにした。
差額の半額を私が持つことにした。
頭の回転がきかないのか、自分の面子を立てたいのか解らないが。
よく自分で我慢したと驚く。クールに割り切った方が良い。
その反動で。孝道を怒鳴りつけてしまった。
佐々木さんに対する怒りと香港風邪で頭がいたいことも含めて、
彼にぶつけてしまった。人間的な含みがまだまだないということか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・


822,ある時間の断片ー29

2003年07月05日(土)

10月31日ー 1968年
・朝の9時過ぎ、松村君から電話で11月3日8時20分に地下鉄の
早稲田駅で待ちあわせの約束をする。
午後から2時間、勉強をする。
21時から佐藤君の部屋で酒を飲む。
24時の就寝。まだ卒論に集中できてない。
焦りばかりが先立つ。自分に対してまだ突き放していないようだ。
最後の学生時代の時間はあまり残されてないのに如何したことか。


11月01日
・夜半の0時半ごろ、佐藤の部屋で間中とお茶を飲んでいると、
OBの満田さんが炊事場で高橋を説教をしている。
何か自分にあてつけのように聞こえてきた。
彼は4年間それで通してきたのだから、それでよいのだろうが。
寮を出たのだから、そうそう寮に来るべきではない。
会社では上手くいってないと聞いている。
学生気分が脱皮してないためだ。
気の毒といえば気の毒だが、結局何処にも帰属できない苛立ちがああいう
かたちになっている。
先日、セミナーで集団主義的烏合を私に指摘した。
二重帰属、三重帰属を割り切ってできてない甘さをつかれた。
他人事でないが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


821,ある時間の断片ー28

2003年07月04日(金)

・10月30日 1968年 
10時起床、食後、読書と音楽を聴き過ごす。
20時に河路さんを羽田に送りへ出発、途中浜松町の焼き鳥屋で時間調整
の為いっぱい飲む。
21時に羽田到着する。
河路さんの家族、大妻女子大、寮生のOB,友愛関係者など30人が来ている。
帰りは友愛関係者の萩原君の車で南波嬢と供に飯田橋まで送ってもらう。
一緒に帰ってくるが、話している分には面白い女性である。
といって一時、気があったが醒めてみれば如何ということはない。
夜半の2時ごろまで勉強して就寝。
河路さんもオーストリアに行った。
先輩としての河路さんだが、他人の中傷の無意味さを嫌というほど教えられた。
それと言葉で他人をいかに傷をつけてしまうかを。
相手の弱点を探し、中傷することがあたっていればいるほど、他人が
傷ついてしまうことを。それが結果として自分をより傷つけてしまうのだ。
自分が他人にしていた事を彼にやられたということだ。
少なくとも自分は変えようとしているだけ良かったのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


820,ある時間の断片ー27

2003年07月03日(木)

・10月28日 1968年
午前10時に起床。
深井と『オリンピックの開会式』の実況を見る。
13時に深井の家に出発、15時まで彼の家にいる。
その後、江ノ島に行く。
第三京浜を彼のスカイラインGTでとばす。
江ノ島の夕日を浴びた富士山が絶景であった。
自然のこれだけの夕景は初めての経験である。
右手に真っ赤な夕陽と左手に江ノ島。
秋の海岸が何ともいえない。
一生の思い出といってよいだろう。
夜3時間、勉強をする。


・10月29日
10時起床、洗濯をした後食事だ。
12時から13時半まで勉強、その後高橋君の部屋に行きコーヒー
を飲む。部屋に帰ると近藤君がレコードを聴きに来る。
聴いているうちにうたた寝をしてしまう、一時間半も経っていた。
その後、瓜生君の部屋に行き話をする。
その後夕食をして、21時から勉強をする。
深井がまた新橋から20分位遊びに来る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


819, 恵まれていた時代に生きて

2003年07月02日(水)



 50歳の時に、「自分の人生を振り返って実感をいってみろ!」と自問自答した。直感的の出た言葉が「恵まれていた!」「面白かった」「悔いはない」である。特に思ったのは「恵まれていた」である。
・第二次世界大戦直後の1946年の一月に日本に生まれたことが全てといってよい。
 ー冷戦下における日本という環境において、アメリカが中国・ソ連・北朝鮮など共産圏に対する前線基地と位置づけて、 日本に最優遇待遇を与えてくれていた。
・新潟県という全国でも最も豊かな自然を背景にした環境も良かった。
・両親も含めて家庭にも恵まれていた。
 多くの兄姉にも恵まれていた。
・ちょうど青春時代が高度成長期にあたり、時代の波に乗ることができた。
 国に若さと希望があった。

歴史的にみても、20世紀は(特に後半)は、日本にとって黄金の時代といわれるだろ。この時代を背景として事業チャンスもいくらでもあった。
また時代の変化も激しいのが特徴であった。とにかく面白い事が多かった。
時代が上向きだからこそ変化が面白かったのだ。

あと10年、恵まれていた時代に稼いだ資産の食い潰しをしていくだろう。
そしてその後は亡国に近い状態になることは明らかである。
今の日本は、それしか選択ができないだろう。
魚は頭と尻尾から腐るというが、今の日本の姿がそうである。
いま1968年の時代の日記を随想日記に書き写しているが、時代の背景の違いが全く違うことに驚く。
やはり経済があってこその国であり、個人がある。
そして特に「国が豊かで恵まれていた」ことが大前提であった。

話が変わるが、昨日12の宮のことを書いたが、その宮一つ一つとっても全て恵まれて
いた。宮の意味はどういうことかと考えてみたら、ありがとうという感謝をする祠ということだ。12番目の異性の替わりに国をあげたほうがよい。
その一つ一つにできたら100回、計1200回あげるのが理想だろう。
とりあえず50回「ありがとう」をいってみよう。
これを一年続けたら運命が変わるのも至極当然である。

「ありがとう」を一万回以上続けて「マイナス思考の毒が激減した」と実感を先日この随想日記で書いた。「幸せの宇宙構造」というの中に、
『3つの帝国』という項目に正にその理由が書いてあった。
人の心には『好帝国ー肯定国』と『悲帝国ー否定国』と『ありがてい国』の3つがあり、それぞれの国民が住んでいる。一番良いのは「ありが帝国」であるのは当然で「ありがとう」と言っているうちに無意識の中の否定国の住民が少なくなった為だ。
単純だが、しかし真理をずばり突いている。


818, 12の宮

2003年07月01日(火)



ある本に面白いことが書いてあったので抜粋する。
  ーーーーーーーーーー
昔読んだ本の中に、こんなことを書いたものがありました。
うろ覚えなのですが、こんな内容でした。
私たちには「12の宮」があり、その宮には必ず一つの黒丸がある、というものです。
「12の宮」というものを私なりに作ってみました。
・家族・家系的な6つの宮に対して
・自分にかかわる6つの宮があるような気がします。

ー家族・家系にかかわる宮として
一番目として家系運
2番目として親運
3番目として子供運
4番目として兄弟運
5番目として親戚運
6番目として配偶者運ー結婚運ー結婚できるかどうかも含む

ー自分運として
7番目として金銭運ー出入れする金ー短期スパンの金
8番目として財産運ー蓄積された長期スパンの金
9番目として仕事運
10番目として健康運
11番目として友人・先輩運
12番目として異性運
以上は私が考えたものです。その本の著者が考えたものと違うと思います。

この「12の宮」に必ず1つの黒丸がある。つまり瑕疵(キズ)があるという考え方です。
その黒丸は「12の宮」のどこかにあって、どこかが良くなると必ず移動して、
この「12の宮」をぐるぐる回っているという考え方でした。
実際こういう構造になっているかどうかは別として、この考え方で、いくつかの問題や悩みや苦しみを解決したことを覚えています。
つまり人間は、どこかで悩み苦しんでいる、という考え方です。・・・・・・・・
・・・逆にいうと一つの黒丸によって、他の11の宮が守られているという考え方ができたわけです。私の場合、障害を持った子供がいます。その子供が私の家に生まれてきてくれた為に、他の11が守られているという考え方です。その障害を持つ子供がいるお陰で、他の11の宮が穏やか和やかなもので推移していることが解った瞬間、子供に心底手を合わせることができました。この黒丸に本心から手を合わせることができた瞬間に、黒丸が何一つなくなってしまう、メカニズムを発見したのです。
 ー「幸せの宇宙構造」ーより
 ーーーーーーーーーーーー
 以上である。
すぐに論理を発展したくなるのが私の癖だ。
これを読んでいて、黒丸があるなら白丸が有って良いのではないだろかと考えてみた。
「白丸と黒丸が12の宮を循環している」というほうが面白い?!と。
それと、運となると、何かいいたくなる。
「白丸に気がいっている時は運が良いと思っている時、黒丸に気がいっている時は運が悪いと思っている時」と考えればよい。
白丸・黒丸のルーレットとして自分を冷静に見ていれば良い。
運とはある決断・判断に対する結果である。
それを総称して運が良い悪いと思うことである。
また運は、親や兄弟や子供や配偶者や友人異性などの「人間観」に由来するのではないだろうか。

 < 過去  INDEX  未来 >


horii86 [HOMEPAGE]