堀井On-Line



787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて

2003年05月31日(土)

今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。
 電話が二本入ってきた。
  NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、
 お笑いの部分もあった。
 今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。
 アッパークラスの5佑凌夕錣藁祿阿任△襦
 専門店ー冠婚葬祭の式場か手軽にレストランでする時代だ。
 それをオオクラホテルで村上牛を特別注文をしての特別企画をとかいう時代ではなくなっている。
 
  また長期滞在型ホテルが展望風呂をいれて拡張をしているが、
 だからといって周辺のホテルと同じ稼働率でしかないーリネン業者の情報だから間違いがない。魚がいなくなっているだけなのだ。
 国内のビジネス客がこの2~3年で、3分の1になったのだ。
 3割減ったのではないのだ。
 更に他の業界ーマンション業界とか、メンテ業界などが参入してきて、
 競争激化になっているだけだ。
 企業が事務所を合理化の為に廃止したり、新潟・長野・群馬を高崎に統合したり、二時間までは宿泊原則禁止とかして、日帰り圏になったりしている。事務所代わりに月曜日から金曜日にホテルに宿泊をして、営業をするようになった。
  また長期滞在マンションをも滞在型ホテルがターゲットにしている。
 敵はホテルではなくて、貸しビルやマンションなのだ。
 いま起きていることは、垣根を越えた競争の時代になっている。
 昨夜のTVに出ていた立教大学の岡本教授といえば、観光科を創設した人だったが?そこまでは解っていないレベルでしかないのだ!
 その背後にあるものは、情報革命ーIT化が進み、合理化が可能になった為である。
 
  ビジネス客が3分の1ということは、ホテル業そのものの壊滅状態といってよい。その中で生きていかなくてはならいのが、実情である。朱鷺メッセが8000室の予約が入っているとか、結婚式が年内満杯とか、開業の年だけは、ブームに乗っているのかもしれないが、どう見てもおかしい!2~3年後に必ず、この馬脚があらわれる。
誰がタクシーを使ってあそこまでいって宿泊するのだろうか!
一日5人か10人ならいるかもしれないが。
長岡のGホテルは、その程度しか宿泊はないとか。
それも駅から歩いて3分の好立地であるのに。
他人事ではないのが深刻だが、何とか切り抜けそうだが?
大津波が日本・世界にきているのは事実である。
その先端の大波がこの業界に来たということだ。


786, 「随想テーマ日記」は自分史

2003年05月30日(金)


「5歳の頃」「10歳の頃」「20歳の頃」「学生時代の日記の書き写し」
「30歳の頃」「40歳の頃」と書いてきて、後でよみかえして、
そこに全く知らない自分を見るときがある。
「こんなことを書いていたのか!」と驚くことが度々である。

 当時の自分を振り返っている自分を、更に見ていることなる。
それは過去の二人の自分を冷静に見ていることである。
第三者の目で見ているのだ。こういうのを客観視というのだろう。
書くということは冷静に自分を見つめるのに有効である。
そしてそれを読み返すと自分の知らない自分に出会うような気持ちになる。
私以外の人なら、更に驚くのではないだろうか。
そしてその時には見えてなかった自分が見えることがある。
他人からは見えていたが、自分では気がついてなかった自分の姿である。
また、その日に集中した事が文章で残っているのは、自分の道標になる。

この「分類のコーナー」を覗いてみて驚く事がある。
よくぞ真面目に自分の本心とアイデンティテーを書いたことに。
脳の奥の素っ裸の内面がそのまま出ている。
それも露悪の自分がいる。第三者から見たら、これほど面白いものもないだろう。
1000項目が目標である。
毎日書く事で、量の問題を解決してきた。
量をこなしているうちに、質が僅かながら上がっているのも解る。
習慣は力である。


785, 一期一会(すすき野の夜)

2003年05月29日(木)

 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。
二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」に行くことにした。
せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るような
エキサィテングな店がないかと数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいを見せている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。
暫くすると、他の団体も帰っていった。
隣には、その店の馴染みと思える中年の品のよさそうな男性が座っていた。
何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、
自分は佐渡の出身だという。
その場が急に同郷の会みたいになってしまった。この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。

 そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。
二人が深刻そうな話を始めていた。
「もう店をやめたら!」とビルの専務が言っているのだ。
ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが
捨て身で店を開いていたのだ。
連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。
その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。
その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。
そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。
どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。
歌は憶えていたが、そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら
「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。


784, 芸術家と芸人

2003年05月28日(水)


 5~6年前に、「異種業の会ー旅行に出てみないかい?」と誘われて、
面白そうなので参加した。
大学教授、大手代理店の課長、芸術家数人、二代目等、個性的な人の
集まりであった。
一回目が九州と大阪。
二回めが盛岡と札幌・函館の視察であった。
県からの補助金で食事を含めて全て無料であった。
日本が背伸びをした、足の下をそのまま見ているようでもあった。
反面、将来の姿とはこんなもの?と予感できる世界であった。
といって、取ってつけた感も否めなかった。

 一回目が北九州の福岡ドームとホテルと再開発地区、長崎市の観光、
湯布院、大阪の再開発の視察であった。
半分はその名を借りたお遊びでもある。
しかしどこも新鮮な夢のある輝かしい?世界であった。
特に北九州の再開発は、北九州がアジアに向けての拠点を目指しているのが
感じ取れた。
再開発には否定的だが、こういうものの表面だけを見るとなるほど騙されるのも解るような気がした。
湯布院が期待していた以上であった。
時代劇の映画に出てくる隠れ里のような山里にあった。
個性的な店が多く出ていた。
料理屋に小物や民芸品を売っているのが何ともセンスがよい。
若い女性や若者だけでなく、あらゆる年代の人が楽しめる。
映画セットの中にいるような感じがした。
30数年前の軽井沢の旧軽通りに少し似ていたが、湯布院のほうがゆったり
ほのぼのとした感じで好きだ。

 二回目が、盛岡、札幌、函館の視察であった。
メンバーはほぼ同じである。
これも楽しい面白い旅行であった。
札幌の郊外の丘陵地帯にある芸術をモチーフにした公園には驚かされた。
いま考えてみると、バブルの一現象だったのだろうが、広大な敷地と
モチーフが何ともいえない安らぎを与えてくれた。
函館の、観光をモチーフにした街つくりも素晴らしい内容であった。
石原裕次郎をモチーフにした館とか、ガラス細工専門店とか、年中クリスマスグッズを売っている店があったり、寿司屋がところ狭しと並んでいる街とか、楽しいのだ。
この旅行で芸術家数人に向かって、
「芸術家なんて気取っているけど、所詮は物を作る芸人だろう!」と酔って
言ったらしい。
ところが芸術家たちが、その言葉にいやに納得くしていたとか。


783, 新婚さんいらっしゃい !

2003年05月27日(火)



 テレビ朝日系で毎週日曜日の13時に放映している。
桂三枝と山瀬まみ、が司会をしているトーク番組で、2組の新婚の夫婦をゲストとして招き、
新婚秘話や、なれそめの話や、のろけ話しを三枝、山瀬両司会が引き出していく。
恋愛のパワーのエネルギーが直接つたわってくる。
人間の原点や、それぞれの人生が結婚というプロセスで見えてくる。
時には際どい下ネタが出てくる。

 この番組を見はじめて30年以上が経つ。
軽いのりで時代背景がそのままでるのがよい。
周辺のいろいろな結婚を見ているが、全国レベルの変わった結婚のカタチが面白い。

 先日のケースの「拾った男と結婚した」というのが面白かった。
17歳の家出少年を一歳年上の女性が拾って、カラオケにいって、そのまま
部屋に泊めて、成り行きで結婚したケースであった。
捨て犬を拾ってきて、飼っているという感覚である。
いろいろあるものだが、結婚は人生の私生活という面で大半が決まってくる。
結婚相手レベルが自分であるといって過言ではない。
幸せを笑いで祝っているのだから、本人達、放送局、視聴者の三方両得になる。
 


782,ドイツが揺れ始めた

2003年05月26日(月)

 
 昨夜のNHKスペシャル「地球市場・富の攻防(5)・自動車欧州戦線」
フォルクスワーゲンの戦略ーが面白い内容であった。
2年前に北欧に旅行した時、どの国の首都も不況の真っ只中であった。
その国の首都に集中していた企業の本社がドイツのベルリンに、雪崩をうって
移転している為だ。EUが国のあり方を変えている。
昨夜の内容は新たに10カ国増えて、25カ国に拡大する事に決まったEUを
舞台にいま、自動車メーカーが激しいシェア争いを繰る広げている。
その最前線を探る内容であった。

 旧共産圏の人件費の安い国に工場移転が本格的になってきている。
それがドイツの国を根幹を揺るがしているのだ。
現在の日本と中国・アジアの関係に酷似している。
ドイツお前もかというのが感想である。
第二次大戦の成功モデルの日本とドイツが、そのシステムが根こそぎ揺らいでいる。
部品メーカーが価格引下げの要求に、旧共産圏に工場を移転しなくては
成り立たなくなってきているのだ。
そうするとドイツやスペインなどの企業が、今までの労使の協約も根本から
見直さないと、会社そのもの国そのものが存立しなくなってしまうのだ。
グローバル化の典型的な事例である。

 話は変わるが、今度のSARS騒ぎは企業の情報化を更に推し進める事になるだろう。
TV会議システムなどの直接人間同士が接触しなくとも、衛星などを使った
情報交換を最大限駆使したシステムを使い情報交換が可能な状態にするだろう。今回のイラク戦争も殆どが情報戦であった。
これで駆使されたシステムが、一般の企業の端末に入ってくるのは時間の問題である。
ますます競争の激化と、変化が顕著になる。
この情報化社会はグローバル化と激しい競争社会を加速していく。
そして既存の社会・国・企業・家庭・個人のあり方など全てを根本から変えていく。


781, 父が亡くなって30年

2003年05月25日(日)



 父が亡くなってあと数日で、まる三十年が経つ。
去年もこの時期書いたが、供養も含めて更に書く。

私が末っ子ということで、陰に陽に父親には愛情をそそがれた。
子供に対して、非常に愛情の深い人であった。
母の愛情のかけ方があまり巧い人でなかった分を、父がカバーしていた。
反面非常に厳しい人であった。

 年を重ねると供に性格も顔もそっくりになってきている。
毒舌家で、卑しい人間を徹底的に嫌っていた。
非常にシャイな人で他人とは迎合をしない人であった。
反面、非常に寂しがりやのところがあった。
こう書いていると自分の事を書いているようだ。
過去に一番悲しかったことといえば、父が亡くなったことだ。

もの憶えがついた頃から大晦日に、子供全員が金庫の前に座って一人一人がお年玉を
貰うのが恒例であった。
そして数日後、全額を預金させられた。
もっとも預金するかどうかは本人の意思を尊重していた。
 10万近くが高校に入る頃まで溜まっていた。
高校に入ると同時に待っていたのだろう「株を買え!」という、
それも自分で銘柄を選べと。
必死に考えて「科研科学」という会社の株を選んで買った。
結果としては、あまり儲からなかったが、日経新聞の経済情報を毎日見るようになった。
 時間をかけて種銭をつくり、情報を自分で集め、投資をしろということを
教えたかったのだろう。

以前書いた文章をコピーしておく。
・・・・・・・・・・・・・・・

2002/06/01
父・堀井誠作のこと -1

一昨日は父が亡くなってまる29年経つ。
早いといえば早いし、永いといえば永い年月だ。

父の供養も含めて少し父のことを書いてみよう。

・典型的な明治人で長岡商人であった。
・私が父の44歳の時の子供であり、父に間接的だが溺愛されていた。
・数代続いた骨董品屋の2代目で、
 父が跡を継いだ時7万ぐらいの資産があったと母から聞いた。
 当時の長岡では3〜5万が一応資産家の目安だったというから、
 もともと裕福な家だった?私のお祖父さんが貧乏で、お金に苦労した。
 その為必至に資産をつくり上げたようだ。
・父の代で戦前、それをかなりの資産に増やした。
 しかし戦災で大部分失ってしまった。
・戦前は山本五十六とか津上退助とか野本互尊翁等の人に贔屓にされ、
 かなりの骨董品の商売をしていたという。
・戦時中は仏壇で食いつないだという。
・戦後は長岡の大手通の4つかどの土地を手にいれ喫茶店を少しやり、
 古着屋に転業、そして衣料量販店で全国的にも知れるほどだった。
 
以前父のことを書いた文をコピーしておく。


・・・・・・・・・・・・・

2002/06/02
父・堀井誠作のこと−2


・女性の噂の全くない非常に真面目の人であった。
  家庭人としてこれが一番の基本である。
・非常にシャイなところがあった。

・商売では非常に厳しし反面、それを離れるとやさしいところがあった。
 これは自分で心がけているが、営業を狙ってくるタイプはその隙を狙ってくる。
  年内にその整理に入る!!!!ーこれは自分の話しか!

・その時々の時代に合わせて仕事を変えていったのは、最も学ぶ事であった。

・仕事も私生活も、楽しむ事が基本にあった。
 これも両親からの最大の教えである。

・宗教に関しては、ごく普通の仏教徒であった。
 特に法事などの仏事に関しては非常に大事にしていた。
 これを疎かにすると家が傾くと本当に信じているようだった。
 集り坊主の丁度いいお客様であった。
 所詮はレジャーでしかないのにーこれは私の主観。

・お金に関して父なりの金銭哲学があった。
   ー何を奇麗事を言っても、お金に関しては赤裸々な欲がある。
   −あまりに露骨の欲の塊が金、それをちゃんと見据えろ。
   −金は仕事の楽しみのカス、自分でその楽しみを見つけるべし。

・若い時に肋膜炎になり、戦争に行かないですんだ。
 これがコンプレックスと幸運の両方で人生観の背後にあったようだ。

・どちらかというと、母が男のように芯の強いところがあり、
 逆に父はシャイなところがあった。

・母から聞いた話だが、人間的に面白いエピソードがある。
 −戦前に一年に一商売をすると、一年間一家が生活できるだけの
  利益があったという。その商売が成立すると、50銭ー今でいうと5000
  〜10000円の硬貨を耳に挟んで、嬉しそうに一人で夜食事に行ったという。
    −5円なら解るが,50銭というところが自分に似ている。

    いずれにしても自分にとって最大の先生であった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
H0505小説のような本当の話!

 十数年前、父の七回忌の早朝、母と花を持ち墓にお参りに行きました。
ところがすでに墓がきれいに磨かれており、花が飾られていました。

生前仲のよかった“父のいとこ”が、すでに来てくれたと母と語らい、
お参りをしていると、見知らぬ老人が話しかけてきました。

たまたまその寺の近所に住んでいるというその本人がしみじみ語るには
“自分の子供の高校の入学時に、金がなくコートを買ってやれずに、店にいた父に、
正直に事情を話したところ、父は全く見知らずの自分に、分割払いをしてくれた。

それが本当にうれしくてうれしくて!それで父が亡くなった時以来、
必ず命日にこうして掃除をして、花を供えている”との事。

聞いていて本当に父のすばらしさの一面を知らされた思いでした。
その時、果たして私の七回忌にこんな事がありうるだろうか。
そういう“生き方”を自分はしてきただろうかとつくづく考えさせられる
出来事でした。
父の名前は誠作という事もあり、
それが本人のコンセプトになっていたのだろうか?当時、
丁度今の会社の理念を考えていた矢先、
それが大きなきっかけとなり“誠心誠意”に決まった次第です。


780, またおきた「意味ある偶然の一致」

2003年05月24日(土)

  ー40歳の頃−1986年

過去をこうして書いていると、いかにして今の自分になってきた
かの謎解きを一人しているような気分になる。
この頃は第二の増築工事の完成をした年であった。
280室に向けて一番勢いがあった。
またギリギリの判断をして、後は野となれ山となれという気分であった。
時代はバブル直前の何ともいえないエネルギーが溢れていた。
コンピューターを導入した年でもあった。
政治的には、アメリカとプラザ合意をしてバフルに入った直後であった。
気持ちの中ではギリギリの限界であった。

ーこれを書いているときー今、TVから1986年の歌がが流れてきた、それも字幕で
1986年と入っていた。加山雄三の歌がー「北国の〜と歌っている」
また起きた感じだ。
NHKのBS・2で、時間は21時55分。
恐ろしい感じがする。
よくおきるがあまりに露骨だ!
シンクロニシティー「意味ある偶然の一致」だ。
嘘みたいだ!
実際のところ、現におきたのだ。
書いている最中に字幕で1986年と出て、歌まで出るのだから!
あまりにも出来すぎている。
これに合わせて引きつけられるように、このテーマを書いていたということになる。
深い自分のしらない何かがあるのだろう。
これだから面白い!テーマが変わってしまった。

ー重大ニュースー
・三原山大噴火
11月15日、伊豆大島の三原山が209年ぶりに噴火。21日、全島民に避難命令。約1万人が1ヵ月にわたって島外避難したほか、農・海産物などに大被害をもたらした。その後の調査で、三原山が7.7m高くなったことがわかった。
・撚糸工連事件
日本撚糸工業組合連合会側から200万円を受け取ったとされる横手文雄代議士が受託収賄罪で、500万円を受け取ったとされる自民党の稲村佐近四郎代議士が収賄罪で起訴された
・社会党に初の女性委員長
・イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が来日
5月8日、イギリスのチャールズ皇太子とダイアナ妃が日本政府の招待で来日した。ダイアナ妃ブームに。京都見物を終えてから東京入り。歓迎式典や青山通りパレード、宮中晩餐などの超過密スケジュールをこなして、13日羽田空港から帰国。
・現金輸送車の3億3000万円強奪
11月25日朝、東京千代田区有楽町、三菱銀行有楽町支店前で現金3億3000万円入りのトランクを積んだ輸送車が停車、運転手と警乗員がドアをあけたところ、後方からきた車から2人の男が飛び出し、モデルガンで運転手を殴りスプレー式の目つぶしを吹き付け、ひるんだすきにトランクを奪い車で逃走した。車の中にも1人おり犯人は3人組だった。87年10月フランス人の犯行と判明。現金輸送の強奪事件では1968年の3億円事件を上回る・史上最高被害事件。
衆参同時選挙で自民党が空前の勝利 。


779, 茨城 のり子の詩

2003年05月23日(金)



  何げなく読んだ茨城のり子の 詩がよい。
    魂の響きがそのまま直に伝わってくる。
    インターネットで調べてコピーした
    私の解説など入らない!

       
       
        落ちこぼれ
                      茨城 のり子

落ちこぼれ
  和菓子の名につけたいようなやさしさ
落ちこぼれ
  いまは自嘲や出来そこないの謂(いい)
落ちこぼれないための
  ばかばかしくも切ない修業
落ちこぼれこそ
  魅力も風合いも薫るのに
落ちこぼれの実
  いっぱい包容できるのが豊かな大地
それならお前が落ちこぼれろ
  はい 女としてはとっくに落ちこぼれ
落ちこぼれずに旨げになって
  むざむざ食われてなるものか
落ちこぼれ
  結果ではなく
落ちこぼれ
  華々しい意志であれ
           
               
               
               
               花ゲリラ
                        茨城 のり子

あの時 あなたは こうおっしゃった
なつかしく友人の昔の言葉を取り出してみる
私を調整してくれた大切な一言でした
そんなこと言ったかしら ひゃ 忘れた

あなたが 或る日或る時 そう言ったの
知人の一人が好きな指輪でも摘みあげるように
ひらり取り出すが 今度はこちらが覚えていない
そんな気障(きざ)なこと言ったかしら

それぞれが捉えた餌を枝にひっかけ
ポカンと忘れた百舌(もず)である
思うに 言葉の保管所は
お互いがお互いに他人のこころのなか

だからこそ
生きられる
千年前の恋唄も 七百年前の物語も
遠い国の 遠い日の 罪人の呟きさえも

どこかに花ゲリラでもいるのか
ポケットに種(たね)しのばせて何食わぬ顔
あちらでパラリ こちらでリラパー
へんなところに異種の花 咲かせる
  

........................

自分の感受性くらい


ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて


気難しくなってきたのを友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか


苛立つのを近親のせいにはするな
何もかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを暮らしのせいにはするな
そもそもが、ひよわな志にすぎなかった


駄目なことの一切を時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ馬鹿ものよ


        ・・・・・・・・・・・

        根府川の海

        根府川
       東海道の小駅
       赤いカンナの咲いている駅

       たつぷり栄養のある
       大きな花の向うに
       いつもまつさおな海がひろがつていた

       中尉との恋の話をきかされながら
       友と二人こゝを通ったことがあつた

       あふれるような青春を
       リュックにつめこみ
       動員令をポケツトにゆられていつたこともある

       燃えさかる東京をあとに
       ネーブルの花の白かつたふるさとへ
       たどりつくときも
       あなたは在つた

       丈高いカンナの花よ
       おだやかな相模の海よ

       沖に光る波のひとひら
       あゝそんなかゞやきに似た十代の歳月
       風船のように消えた
       無知で純粋で徒労だつた歳月
       うしなわれたたつた一つの海賊箱

       ほつそりと
       蒼く
       国をだきしめて
       眉をあげていた
       菜ツパ服時代の小さいあたしを
       根府川の海よ
       忘れはしないだろう?

       女の年輪をましながら
       ふたゝび私は通過する
       あれから八年
       ひたすらに不敵なこゝろを育て

       海よ

       あなたのように
       あらぬ方を眺めながら……
             

      ・・・・・・・・・・・・

      わたしが一番きれいだったとき

      わたしが一番きれいだったとき
      街々はがらがら崩れていって
      とんでもないところから
      青空なんかが見えたりした

      わたしが一番きれいだったとき
      まわりの人達が沢山死んだ
      工場で 海で 名もない島で
      わたしはおしゃれのきっかけを落してしまった 

      わたしが一番きれいだったとき
      だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
      男たちは挙手の礼しか知らなくて
      きれいな眼差だけを残し皆発っていった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの頭はからっぽで
      わたしの心はかたくなで
      手足ばかりが栗色に光った

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしの国は戦争で負けた
      そんな馬鹿なことってあるものか
      ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

      わたしが一番きれいだったとき
      ラジオからはジャズが溢れた
      禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
      わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

      わたしが一番きれいだったとき
      わたしはとてもふしあわせ
      わたしはとてもとんちんかん
      わたしはめっぽうさびしかった

      だから決めた できれば長生きすることに
      年取ってから凄く美しい絵を描いた
      フランスのルオー爺さんのように
              ね


778, 私が10歳の頃-1956年

2003年05月22日(木)


 長岡の坂之上小学校4年から5年生に進級した頃だ。
10歳までが長岡駅前の繁華街の四つ角の衣料ディスカウントの
店の3階に住んでいたが、この年に駅裏の台町(現在ーとーちゃんラーメン)
に転居していた。
それが転機であった。
あの慌しい店の上の日々が、静かな生活に一変した。

 丁度その頃に、初めて勉強に目覚めた。
ある姉に勉強のコツを教えてもらった。
「一教科でよいから、とにかく良い成績をとってみろ!
そうするとコツが解るし面白みが出てくる」
そうかと思って算数に絞って勉強をしたら、100点近くを取った。
それからコツが解りかけてきた。
とにかく数人のライバルに負けたくないと思って勉強した。

 この頃の虐めは本当に厳しいのは誰も経験があるはずだ。
一番激しいライバル関係が出来上がる時期だ。
また自分の身を守る為にも、誰かをターゲットを探して苛めをする。
このあたりから初めて性格ができるのではないだろうか。
また家庭内ではいろいろな問題を抱えていた。

母親が重度のノイローゼーになっていた。
二人の息子(兄)の不幸の死と、それまでの仕事の疲れの蓄積が原因であった。
あまりの悩みの為、心筋梗塞や多くの病気が一挙に吹き出てしまった。
医者にも見放されそうであった。
何回も死線を彷徨っていた。
その中で姉兄も自分も「自分自身を生きる事」で精一杯の時期だった。
今になって当時を振り返ると、家庭の危機であった。
母はその後3年間の死闘後、一人立ち上がってきた。
身近で見ていても子供なりに、それが分った。
そのあと40年は遊びと趣味をし尽くして亡くなっていった。
死んだ時に解剖をしたところ、心臓の4分の1が壊死していた。
それだけ悩みが深かったことが分る。

商売を続ける事は、すざましいことだ。

・・・・・・・・・・・・・
ーその頃の政治や社会的出来事としては、

日ソ国交回復
参宮線列車転覆の惨事
弥彦神社惨事
砂川基地闘争
メルボルン・オリンピック
ーことば(流行語・話題の発言)は
「一億総白痴化」(大宅壮一)
「愚連隊」 「シンタロー刈り」 「戦中派」
「太陽族」(石原慎太郎の小説「太陽の季節」から)
「抵抗族」(石川達三の小説「四十八歳の抵抗」から)
「デイト」 「ドライ」 「マネー・ビル」
「もはや戦後ではない」(中野好夫)

ーベストセラー
太陽の季節(石原慎太郎)[新潮社] 芥川賞
帝王と墓と民衆
異性ノイローゼ
あなたは煙草がやめられる
夜と霧
モゴール族探検記
大菩薩峠
マナスル登頂記
細胞生活

ー音楽ー
・ラジオ体操の歌[作詞:藤浦洸、作曲:藤山一郎](3月発表)
 ♪ 新しい朝が来た 希望の朝だ 喜びに胸を開け 大空あおげ ラジオの声に 
 健(すこ)やかな胸を この香る風に 開けよ それ 一 二 三
・若いお巡りさん(曽根史郎)(4月発売)
 ♪ もしもし ベンチでささやくお二人さん 早くお帰り夜が更ける 野暮な説教するん
 じゃないが ここらは近頃物騒だ
・東京の人よさようなら(島倉千代子)(5月発売)
・リンゴ村から(三橋美智也)[作詞:矢野亮](5月発売) ♪ おぼえているかい 
 故郷の村を 便りも途絶えて 幾年過ぎた
・ここに幸あり(大津美子)(5月発売)
 ♪ 嵐も吹けば 雨も降る 女の道よ なぜ険し
・愛ちゃんはお嫁に(鈴木三重子)[作詞:原俊雄](5月発売)
 ♪ さようなら さようなら 今日限り 愛ちゃんは太郎の 嫁になる 僕らの心を 
 知りながら でしゃばりお米に 手をひかれ 愛ちゃんは太郎の 嫁になる
・哀愁列車(三橋美智也)
 ♪ 惚(ほ)れて 惚れて 惚れていながら 行(ゆ)くおれに 旅をせかせる ベルの音
・どうせひろった恋だもの(コロンビア・ローズ)(10月発売)
 ♪ やっぱりあんたも おんなじ男 あたしはあたしで 生きてゆく
・ケ・セラ・セラ(ペギー葉山)(11月発売)
・<ヒッチコックの映画「知りすぎていた男」の主題歌。
 
ースポーツとしてはー
第7回冬季オリンピックコルティナ・ダンペッツォ(イタリア)【1月26日〜2月5日】
トニー・ザイラー(オーストリア)は初のアルペン三冠王に。
【日本】スキー男子回転で、猪谷千春が2位に入り、日本人初の冬季でのメダルを獲得した。

第16回オリンピックメルボルン(オーストラリア)【11月22日〜12月8日】
ストックホルム(スウェーデン)【6月10日〜17日】
<オーストラリアの検疫規制により馬術競技のみ開催>
南半球初のオリンピック開催。
【日本メダル獲得数】金4、銀10、銅5
体操の小野選手が優勝。水泳では17歳の山中選手が400、1500メートルの自由型で
オリンピック記録を大幅に更新して2位に食い込んだ。

ー野球ー
セ・リーグ
[優勝]巨人
パ・リーグ
[優勝]西鉄
第7回日本シリーズ
西鉄 4(●○○○●○)2 巨人
第28回選抜高等学校野球大会
[決勝戦]中京商(愛知) 4−0 岐阜商(岐阜)
第38回全国高等学校野球選手権大会
[決勝戦]平安(京津) 3−2 岐阜商(岐阜)

ー大相撲1ー
1月19日:大相撲、九州場所も本場所とし、1年5場所に。
  大関若ノ花の長男がチャンコ鍋で大やけどし死亡。
初場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(3回目)
春場所
朝汐 太郎(あさしお たろう) [関脇、高 砂]12勝3敗(初)
夏場所
若ノ花 勝治(わかのはな かつじ)[大関、花 籠]12勝3敗(初)
秋場所
鏡里 喜代治(かがみさと きよじ)[横綱、時津風]14勝1敗(4回目)
1956

ー囲碁・将棋ー
囲碁第11期本因坊戦
高川秀格八段 4(○●●○○○)2 島村利博八段
<本因坊五連覇で現役を引退後に名誉本因坊を名乗る権利が与えられた。
なお、この期から四段以下の棋士も参加できるようになった>
呉・高川十番碁(第4局までは1953年)
呉清源九段6(○○○●○●○○●●)4高川秀格八段(互先)
<段位なら先相先の手合だが、本因坊だということで互先の手合になった。
第八局で向先相先に打込んだ>
将棋王将戦
升田幸三 3(○○○)0 大山康晴王将<失冠>


777, 何ともいえない日々が続いている。

2003年05月21日(水)

 中小企業の8割が赤字、一割がボーダーライン、一割が黒字だそうだ。
数年前までどんな時代でも3割は堅実経営で、黒字であると税理事務所の担当がいっていたが、いまやそれが一割だそうだ。
ここで景気がさらにおかしくなってきた。
数人の堅実経営の知人の会社が、ボーダーラインか、赤字に入ってしまった
と聞いている。当方もこの一〜二年で可能性がでてきた。

そのパターンは
「勝ち組で、同業者を食べて生きてきたが、食い尽くしてしまった感じ」
というのが共通点である。
大津波は全てをのみつくしてしまう。といって自分だけは生き延びなくては
ならないのが経営というものだ。
「後は野となれ山となれ」ともいえない。
今年は何とかいけそうだが、来年は全く解らないという人も数人いる。
うまくいっているところは過去に合理化を迫られて、体質が現状にあっているところだ。

 明日はわからないというのが、全ての会社の偽らざる事態だろう。
もし県内にSARSが出たら、全国的に蔓延したら、宿泊業者や流通業や
デズニーランドや飲食店などほとんどが壊滅的状態になる。
第一次世界大戦時に、スペイン風邪で2000~4000万人死んだという。
戦争の為、情報統制をしていた為に社会的な混乱は最小で済んだという。
日本でも26万人死んだというが、SARSがこの状態になる前に防ぐことがで
きるだろうか?

 中世に黒死病ーペストが流行って欧州の人口の何割かが死んだ時に、
ユダヤ人だけは無事だったとか。
ユダヤ人の陰謀ではないかと疑われたが、彼等は戒律に従い、
手と身体を清潔に保っていたのがペストにならない原因だった。
話が変わるがユダヤ人は子宮ガンにはならないという。
これも清潔に関係しているという。

世界的な不景気とデフレ傾向は当分続きそうだし、北朝鮮問題やテロや
エイズなど暗い問題が多いが、せめて気分は前向きにしておきたいものだ。


776、「ドラッガーとの対話」−読書日記ー2

2003年05月20日(火)

『未来を読みきる力』

 この人の日本における経営者への影響は絶大なものがある。
ドラッガーの経営書と司馬遼太郎の歴史小説と山岡荘八の『徳川家康』は
戦後の経営者のバイブルであった。
若くして学んで、いまや忘れ去ってしまった原理原則が多い。
以下はドラッガーの名言録を書き写した。
なかなか深く耳の痛いところが多い。
企業は常に若く前向きで、改革をしていなくてはならない。
自分の立場を守る為、改革を阻止するヘドロは退場すべきである。
自分では気がつかなくなってしまうのが恐ろしい。
自戒の言葉であると同時に、40歳を越えたすべての企業人に当てはまる事だ。

 大不況の中、どうしても後ろ向き、内向きになってしまいがちだが、
何か励まされる内容である。
私のような対人関係が煩わしい人間は「内向けでお山の大将になってしまいがちだ」
自戒の事としてコピーして手帳に張っておくことにした!
ー『ドラッガー名言録』ー
1、「表の風に吹かれろ!」
2、「自分はここで何が貢献できるかを考えよ」
3、「昨日を捨てよ」
4、「お山の大将根性を捨てよ」
5、「物事は、人が思ったり言ったりすることの二倍かかる」
6、「知識は消え去りやすい」
7、「中小企業が大企業に鵜呑みにされ手消滅するなどというのは
   全くのナンセンスである」
8、「アクション(行動)によるフォローアップ(追査)なきプロジェクト
   (計画)は、パフォーマンス(実績)を生まない」
9、 「問題解決を図るよりも、新しい機会に着目して創造せよ」
10、「企業がより大きくなる必要はないが、不断に、良くならなくては
    ならない」
11、「教師が学習を阻害することがある」
12、「人間は単能マシーンではない」
13、「革新とは、単なる新しい方法ではなく、新しい世界観を意味している」
14、「中小企業の経営者は机に縛り付けられてはいけない」
15、「人間というものは、非常に時間を消費するものであり、そして大部分の
    人間は時間の浪費家である。
16、「知識労働者自身に上下はない」
17、「必要は発明の母ではないが、助産婦である」
18、デシジョン・メイキングにおいて、2+2=4という具合に、
   ドンピシャリの‘正しい答え’が出てくるものはデシジョンとは言わない」
19、「最も重要なことから始よ」
20、「知識は本の中にはない」


775、 「ドラッカーとの対話」ー読書日記 −1

2003年05月19日(月)



著者/訳者名  :小林薫/著
 出版社名     :徳間書店
 発行年月     :2001年05月
 販売価格    : 1,700円 (税抜)
【本の内容】
ピーター・F.ドラッカーとの40年にも及ぶ交流に基づき、
その思想のエッセンスを読みやすい形で凝縮。

【目次】
第1部 ドラッカーの魅力と先見力
第2部 ドラッカーに親しく聴く
第3部 21世紀を見透すドラッカーの眼
第4部 ドラッカーのキーワード20
第5部 ドラッカーの日本を見る眼・世界を見る眼
第6部 ドラッカー式英語の面白さ
第7部 ドラッカーの人間像

−私の感想文ー
ドラッガーといっても、そう難しい難しいことを言っているわけではない。
学生時代にドラッガーの「現代の経営」訳者の野田一男教授の講義を受けて、当時「経営者の条件」「創造する経営者」「断絶の時代」「現代の経営」など数冊、読んだ。
現在も多くの本をドラッガーは書き続けている。
彼の要約書が多くでているので、私なりに纏めたいと思っていたら、
この書にであった。小林薫という名も懐かしい。
この書の印象的なところを書いてみる。

・現在が200~300年に一度の大転換期にあり、100年スパンの
 期間にわたっているという。そして現在はその40~50年目あたりという。
・彼の名言は「強みの上におのれを築け」である。
 これは個人にしても、組織にしても、国としてもそういえる。
 何ごとも強みがあると同時に弱点もあるが、弱点に対しては目をつぶり
 強みを活かすように努めるべきである。
・イノベーションも彼の大きなテーマである。
 変化をチャンスとして捉えて、イノベーションをするのが経営だ。
・彼は常に価値、解りやすさ、性格ー人格、知識、ビジョン、責任、自己管理、社会的責任、自己実現、尊厳を述べている。
・知識こそ最大の経営資源であり、中心的資源であるが、彼の変わらざる主張である。このような急激なIT化による情報化になればなるほど、彼の50年をかけて主張してきたことが現代に受け入れられる。
 話は変わるが、彼の「経営者の条件」がなかなか面白い。
 これは最後にインターネットで調べたー書評と目次ーをコピーしておくが、焦点を成果にあわせよ、自分の時間管理からまず始めよ、貢献について、自己ー自社の強みの発見に努めよ、重要事項から始める癖をつけよ、
と経営者や上に立つもののあり方が書いてある。
 この本かどうかは忘れたが、上司たるものダーテーであってはならない、潔癖であるべしというのが彼の変わらぬ主張である。

・・・・・・・・・・・・・
 
ー「経営者の条件」の書評ー
「エグゼクティブ」とは、何も経営幹部だけのことではない。
ドラッカーは本書のなかで、
「今日の組織では、自らの知識あるいは地位のゆえに、組織の活動や業績に対し、実質的な貢献を行うべき知識労働者は、すべてエグゼクティブである」と述べている。
したがって本書で述べられる内容は、おそらくほとんどの知識労働者に当てはまるものと推測される。
本書の主題は、どうすれば成果を上げられるのか、という1点に尽きる。
ドラッカーは、この成果をあげるためにエグゼクティブがなすべきことを、時間の管理、貢献へのコミットメント、人間関係、自分や部下の強みを生かす方法、仕事の優先順位、意思決定などの視点から解説している。
GMのトップだったアルフレッド・P・スローンや、鉄鋼王カーネギー、南北戦争でリンカーンを苦しめたリー将軍らが、いかにして成果をあげたのか、興味深い分析がなされている。事例が古いのは仕方がないが、その洞察には目を見張るものがある。
目次

第1章 成果をあげる能力は修得できる
第2章 汝の時間を知れ
第3章 どのような貢献ができるか
第4章 強みを生かせ
第5章 最も重要なことから始めよ
第6章 意思決定とは何か
第7章 成果をあげる意思決定とは
終章 成果をあげることを修得せよ

もしこの本を読んでない経営者がいたら、すぐ読むことを勧める。
目から鱗のはずだ。


774, 30歳の頃(1976年)

2003年05月18日(日)


 この年は本当に大変な年であった。
その半年前に、新潟県長岡市駅前通りの繁華街の四角で衣料量販店をしている
実家の店に戻っていていた。
本店は当時6億の売り上げを上げていた。
家族内のトラブルで急遽、千葉の千城台で貸しビル経営と(養老乃滝+焼きたてのパン屋)
を経営委託にして、帰ってきたところであった。

 仕入れに、販売に、新人の教育にと、いま考えてもよくやったと思う。
体が浮いているようでもあった。
新卒を13名入れ、その戦力化に必死であった。
衣料品は博打的要素が多い。季節要因により、在庫の調整をしたり、
流行の筋を早く見つけ一瞬で売り抜けなくてはならない。
岐阜・大阪・広島・岡山の産地を情報を頼りに現金を持って走り抜ける。
それも全く経験のない自分が、買い付けるのだ。
よくやったと思う。必死とは不可能を可能にする。
目を吊り上げ、無我夢中で必死に仕事をしていた。
 
 何ごともコツというものがある。
 それは必死さの中から初めて掴む事ができる。
ワンシーズンー3ヶ月導入・最盛・売り切りと一ヶ月単位で博打をしていく。
それが面白い!当たればの話だが。
そのシーズンが当たると後の2シーズンがその勢いで上手くいく。
外れると、回復に2シーズンかかる。
従って間違えても外せないのが面白い!

 五年近く従事したが、当時の自分の頭を自分で撫ぜてやりたい気がする。
反面いろいろの経験ができた。
安いビジネスホテルをさがして、規定のホテル代の差額と出張旅費で
居酒屋とか、地元の料理屋に行くのが楽しみであった。
仕入れに、販売にゲームをしている感覚であった。
今のホテルも、その経験から顧客の立場で考え抜く事ができた。

 その頃の社会的背景を書いてみる。
ー社会現象ではー
・ロッキード事件で田中角栄前首相逮捕
 大型ジェット旅客機の売り込みを図るロッキード社から5億円の賄賂を受け取ったとして、
 東京地検、田中角栄前首相が受託収賄罪で7月27日を逮捕。計16人が起訴された。
・ミグ25亡命事件
 9月6日、ソ連の最新鋭戦闘機ミグ25に乗ってペレンコ中尉、アメリカに亡命のため
 北海道・函館空港に強行着陸した。中尉は希望通りアメリカへ亡命。
 機体は自衛隊百里基地で分解、検査された。
・総選挙敗北で三木退陣、福田内閣が誕生
・酒田大火発生
 10月29日、山形県酒田市も繁華街で大火が発生、1059棟が全焼。消失面積史上4番目。
・東京地裁判事補の鬼頭史郎の「ニセ電話事件」が発覚。検事総長の名で三木首相に対して
 「ロッキード事件に指揮権を発動してはどうか」と促した。10月23日、最高裁が事情聴取。
・五つ子誕生
 1月、鹿児島市立病院で5つ子が誕生。父親はNHK政治部の三木首相番記者。
 5月12日、父親の勤務先である東京に引っ越し。

ー歌ではー
昔の名前で出ています(小林旭)
春一番(キャンディーズ)
ビューティフル・サンデー(田中星児)[作詞:田中星児]
ああ宮城県(吉川団十郎)[作詞・作曲:吉川団十郎]
わかんねえだろうナ(松鶴家千とせ)
おゆき(内藤国雄)
東京砂漠(内山田洋とクール・ファイブ)
♪ 空が泣いてる すすけ汚されて
北酒場(五木ひろし)
横須賀ストーリー(山口百恵)[作詞:阿木燿子]
嫁にこないか(新沼謙治)[作詞:阿久悠]
山口さんちのツトム君(川橋哲史)[作詞・作曲:みなみらんぼう]
<NHK「みんなの歌」で放映されヒットした>
東村山音頭(平田満)
四季の歌(芹洋子)
青春時代(森田公一とトップギャラン)[作詞:阿久悠、作曲:森田公一]
ペッパー警部(ピンクレディー)[作詞:阿久悠]
あばよ(研ナオコ)[作詞・作曲:中島みゆき]
S・O・S(ピンクレディー)[作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一]
失恋レストラン(清水健太郎)(11月発売)
ースポーツではー
・[ボクシング]具志堅用高、ジュニア・フライ級世界選手権を獲得。
・植村直己が北極圏1万2千キロメートル、単独犬ぞり旅行に成功。

・・・・・・・・
このように時代背景をみながら当時を振り返ると、当時の記憶が生々しく
浮かんでくる。


773, 日本が真に独立をするためには

2003年05月17日(土)



月刊誌の「文芸春秋」の6月号の特集の『日本の不安』のなかで、
評論家の福田和也氏が寄稿しているテーマ「日本は『核武装』しかないのか」
が、なかなか説得力があった。
ー要旨はー
アメリカの核の傘は幻でしかない。
盗人猛々しい北朝鮮の核の脅しの一番のターゲットになっている状態の
日本にとって、核武装も視野に入れなくてはならない時期ではないか。
他にもロシア、中国など核に囲まれ、アメリカの核の傘でいいように隷属
国家扱いされている現状を考えると、核武装が今の日本の独立国家としての
第一歩である。
日本への他国の核攻撃に対して、アメリカそのものが核攻撃の危険に晒された時に
はたして核攻撃をするだろうか?
それはファンタジーでしかない。
核所有国に囲まれたわが国が、最も核攻撃を受ける可能性の強い国だと
いう事実を直視して、どうすれば核攻撃を受けないで済むかを徹底的に
議論すべき時にきている。
想起すべきは、第二次世界大戦を終わって55年間、
大国間で平和が保たれたこと、その平和を日本はじめとする西側諸国が
享受できたのも、麗しい平和のお祈りのせいではない。
核の均衡の上である事実を直視しなければならない。
日本も自力でその力のバランスとしての核を持つべきだ。

ーー以上が大筋である。
今の日本が真に独立するためには原爆保持が第一歩である主張に説得力がある。
現実にスターリン型の国家が近くにある事実を受け入れざるを得ない。


772, 家電の買い方

2003年05月16日(金)



 私の値がさの家電やビデオなどを買う時の方法論を書く。
見る人が見たら何を今更のことでしかない。
しかし衣料量販店のバイヤーや、大きい買い物ではホテルビルの発注の経験を
してきたので、買い方は他の人よりは知っている?
 
 何事もまずは情報である。
昨秋に50インチのPDPTVを買った時には事前に量販店の売り場に30~40回は通った。
職場の近くに石丸電気とヨドバシがあるからだ。
また休日にはコジマ電気、ジョーシン、ヤマダ電機など5~6軒を数回ずつ回った。
それを楽しむのだ。まあ買い付けがすきなのだろう。
何といっても決めては、インターネットの価格・comで値段と情報を仕入れる。
商品ごとのチャットの記録が残っている。
かなり詳細の実際買った人の会話が載っている。

 以前のTVを買った量販店に行き,正直に価格・comで調べた値段をいう。
もちろん他の家電の見積もり値段も言う。
それは会員証の記録で解るから、本気で対応してくれる。
全く同じ型番でも、数ヶ月で新機能が加えられる。
メーカーはそれまでの在庫を量販店に破格の値段で流すのだ。
といってPDPTVはホット商品である。
そういう情報はチャットに載っている。
ジョーシンで、チェーン店内の在庫でそれを捜してくれた。

 買うと決めたら、その時点からゲームにしてしまうのだ。
一番スタンダードの方法は、ヤマダ電機とコジマ電気に見積もりを取ることだ。
さらにジョウシンにいってその下にならないかと聞く。
値がさのものなら、ギリギリ下げてくれるはずである。
それなりのエネルギーを使ったぶんだけ安くなるの間違いはない。
その為には執念とプロセスを楽しむ事だ。何ごとも同じである。

 そういえば週刊誌で、記者が上記と同じ買い方をして記事にしていた。
あまりの値下げに驚いた内容であった。
この程度の事は誰もやっているか!


771、ゆっくり急げ!

2003年05月15日(木)


 この相反する言葉をひとつにしているのが面白い。
方向を間違わないで一歩ずつ確実に歩めという意味である。
童話の「亀とウサギのかけっこ競争」や「急ぐ文はユックリ書け」
に似ている。
私の性格が気短で、せっかちで解っていても急いでしまう。
人生の達人といわれる人にゆっくり急いでいるタイプが多い。
何にもしていないようでいて、ポイントを外さない人だ。
モノゴトのABC分析がキッチリできているのだろう。

 早速インターネットで「ゆっくり急げ」と検索してみた。
上記の私の半端な解釈より、ずっと深い内容であった。

ーその結果はー
・ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの言葉として知られている。
「完璧な将軍にとって、軽挙妄動や猪突猛進ほど不似合いなものはないと
 考えていた。そこで常日頃から好んで次のような文句を口にしていた。
『ゆっくりと急げ』
『大胆な将軍より慎重な将軍の方がましだ』
『なんでも申し分なく立派にやりとげたら、申し分なく早くしたことになるのだ』」

・ローマ時代の銀貨に錨(いかり)にイルカが巻きついた図柄の銀貨がある。
 錨はゆっくりを、イルカは速さを表している。
「ゆっくり急げ」を描いた銀貨だ。
『急ぐべき時には急げ、ゆっくりすべき時にはゆっくりしろ』
と言うことだそうで、要は判断とバランスの問題だと言う。

・何をすべきかを考えることが大切
《急ぎは浪費のもと》「急いては事を仕損ずる」
「短気は損気」
《急ぐと自分の踵・つまずく》
ー以上であるが、じっくり考える事と判断と、それを踏まえて
 の行動の早さが大事だということだ。
 目的と手段・戦略と戦術を冷静に見据えた果敢な行動の必要性をいっている。


770、 私が二十歳の頃-時代背景

2003年05月14日(水)


20歳の頃の話は、半年前に「学生時代のこと」のテーマで書いた。
今回は、その時代背景はどんなであったかを書いてみる。
・二十歳の前年の1965年、米軍がベトナムの爆撃を開始、ベトナム戦争が二年目であった。ベトナム戦争反対運動と学生運動がピークに向かっていた。
 また中国で文化大革命運動が始まっていた。
 高度成長の始まりもあり、騒然とした雰囲気であった。
・アメリカ大統領がジョンソンで、日本は佐藤栄作が首相二年目に入っていた。
・ビートルズが来日。
・尺貫法が廃止される。
・TV では『おはなはん』が放映、『笑点』がこの年に開始された。
 他には『サンダーバード』『ウルトラマン』『銭形平次』があった。
・漫画では『巨人の星』『意地悪ばあさん』があった。
・流行歌では、「星影のワルツ」「君といつまでも」「夢は夜ひらく」
 「霧氷」「バラが咲いた」「こまっちゃうな」「思い出のワルツ」
 などポップスの全盛期であった。
 翌年は「ブルーシャドー」「小指の思い出」相良直美の「世界は二人のために」
「夜霧よ今夜もありがとう」「女の波止場」など、名曲がつづいた。
・スポーツでは巨人は堀内恒夫が入団で、44イニング無失点の記録をつくった。
 君原がボストンマラソンで優勝した。
 社会人ラグビーでは、八幡製鉄が4連覇を果たした。
・新宿に西口ができた。西口の浄水場の近くをバイトで何回か通ったことが
 懐かしい。
 こう書いていると次々と当時の記憶が蘇ってくる。

振り返ってみると、高度成長期の真っ只中で日本が未来に向かって
光り輝いていたようだ。音楽も漫画も夢のあるものが多い。

半年前にこの頃の事を書いたものをコピーしておきます。
・・・・・・・・・・
2002年11月08日(金) 574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に立ち返っているようだ。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
現在と変わらない自分と、全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れないほどの
ことがあった。脱皮脱皮の連続線上にいたようだ。
20代30代は誰でもそうだが、私の場合創業を目指していたこともあり、
刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

当時の日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。
未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
・・・・・・・・・・・

2002年11月09日(土) 575, つれづれに学生時代のこと ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあるように思える。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。
今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に
見出していく時期だ。
そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として
捉えると解る。
その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が
必要ということだ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいった。


769,「私が20歳の頃」ー読書日記

2003年05月13日(火)


 
 自分の二十歳の頃は何をして、何を考えていたのかなあ?と本屋で思わず
手にとってしまった。
立花隆と東大生のゼミが、いろいろな年代の人たちにインタビューを試みた本だ。二十歳というと、人生の節目である。
その為この本に登場してくる人たちの話が自分との比較になってしまう。
どんな人たちも二十歳のころに思い悩み、試行錯誤しながら生きていた。
このころといえば人生の前途に対して大きな不安と希望が混在していた時期だった。
個人個人のそれぞれの人生があるのがよく理解できる。
それとそれぞれのバックグランドとしての時代背景があることが。
その時代背景が、その人の人生を大きく左右していることも読み取れる。
こんど「私が20歳の頃」を、このコーナーで書いてみようと思う。

以下はインターネットで調べたものです。
http://matsuda.c.u-tokyo.ac.jp/~ctakasi/hatachi/
ーーーーーーーー
ーまえがきと目次と書評ー
                新潮文庫ー781円

「私は何のために生まれて来たんだろう」「あの人の運命を決めた出来事とは?」
――二十歳のころの生き方が、その後の人生を決める。
立花ゼミ生が熱い思いで突撃取材! 安保闘争、バブル崩壊、オウム真理教事件、NY同時多発テロ
……世界が再び混迷の時代に突入する1960〜2001年に「二十歳のころ」
を迎えた多士済々39の足跡。
二十歳のころのインタビュー集

目次
 赤川次郎/秋山仁/安部美知子/石弘之/板倉聖宣/糸井重里/伊藤影明/
 茨木のり子/エリック・ハイドシェック/大江健三郎/大杉正明/小川国夫/
 小川三夫/
 鬼沢修二/加藤恭子/加藤登紀子/加藤尚武/神谷郁代/萱野茂/川上哲治/
 黒柳徹子/小松正規/阪口浩一/坂本龍一/崎田昭夫/佐々木力/佐藤学/
 下平作江/ジョージ川口/妹尾河童/曽野綾子/滝本太郎/立花隆/
 タン・スリ・H・M・カティブ/筑紫哲也/恒成正敏/鶴見俊輔/永沢光雄/
 中松義郎/成瀬豊/二木てるみ/西和彦/野田秀樹/萩尾望都/橋爪大三郎/
 バーテンダー/樋口可南子/日比野克彦/福島瑞穂/古川昭夫/
 ヘンリク・グルデモ/牧野信雄/真智・F・デイルワース/松本零士/水木しげる/
 水島涼子/元オウム真理教信者/森毅/山崎章郎/山田太一/山藤章二/
 横尾忠則/吉川弘之/吉田勝二/吉永吉正/米長邦雄/和田耕一/輪波孝禧 
--------------------------------

ー例えば、山藤章二
今の知恵で二十歳に戻れば、効率のいい生き方をすると思うけど、
そんな効率のいい生き方が幸せとは僕は思わない。徒労と無駄の連続だったけど、それが筋肉とか能力、精神的な力を鍛えてくれたと思うね。 (P596)過去というものが肯定的に捉えられるのは、今が充実しているからなのだろう。終わってしまったことを変えることは出来ないが、終わってしまったことをどう捉えるかはこれから変えてゆくことができる。過去そのものは時間の中に閉じ込められているが、過去の持つ意味は常に未来に開かれている。

・・・・・・・
生きる力を与えてくれた本, 2002/03/13
レビュアー: 銀杏並木 (プロフィールを見る)   京都府 Japan
30歳を目前にしてこの本を手に取った。年齢なんて関係ない、と思いたい一方で、人生にはタイミングや限りがある、という感も否めなくなってくる年頃。「二十歳」に戻ることはできなくても、何かヒントが欲しい。−−−読後の印象は「この人のここが」ではなかった。登場する人々ひとりひとりが私に見えない生きる力を与えてくれた。
前向きに生きること、努力することの素晴らしさを教えてくれた。とても感謝している。ただ、立花隆もことわっていることだが、有名無名、老若男女、といいながらも、人選に偏りがある感も否めない。『東大生の興味』と『それに快く応える取材対象』があってはじめて成立するインタビューなのだから、これは当然のことであり仕方のないことかも知れない。また有名人に関し!!てはある程度読み手と書き手に共通の認識があるのだから相互理解がしやすい。有名人の存在そのものが媒体になっている、という感覚を初めて覚えた。新聞雑誌にさりげなく載っているインタビュー記事が
(良い悪い、真偽のほどは別として)いかに洗練されているか、
しかしステレオタイプになりがちなものかいうことも改めて実感した。
本をつくるということ、伝えるということについて考えるうえでも興味深い本だと思う。
この本では人物が生年月日順に並んでいる。順を追って読んでいくと、
時代背景もだんだん移り変わっていっておもしろかった。
50音順に並んでいなくて本当によかった。
・・・・・・・・・・・・

すごくためになる!, 2002/03/03
レビュアー: 果歩 (プロフィールを見る)   兵庫県篠山市
今、まさに二十歳前後の人にぜひ読んでほしい一冊。

二十歳前後というのはどの人にとっても人生で一番大切な時期。
それは自分を発見する時期であり、自分の生き方を発見する時期である。
それ故にこそ、一番悩みの多い時期でもある。誤りを犯しやすかったり、
自分を過大評価または過小評価しがちな時期でもある。人生の選択をせまられながら選択できない時期でもある。
「二十歳」という、その人の人生が不定形の塊からある形をなしていく過程での最もクリティカルな時期を上手く通過していくためにも、この本を読んでいろんな人の二十歳前後を知って欲しい。
・・・・・・・・・・・・・

この課題への入り口は、耳をすますというところにあるように思われる。
花隆とそのゼミナールの学生たちによる力作『二十歳のころ』もまた、大学の教育実践において、耳をすます技法−人の話を聞き、それを自分の身体のなかで自らの体験と共振させ、編集するプロセス−に取り組んだ結果の果実である。
 本書では、68人の「有名無名」の人々の20歳前後の経験がインタビューによって引き出されている、いわばライフヒストリーのアンソロジーである。
 立花隆の威光がバックにあるとはいえ、対象となった人々は、
大江健三郎、川上哲治、黒柳徹子、筑紫哲也、鶴見俊輔、樋口可南子氏などそうそうたる
メンバーである。それぞれの20歳前後の経験が多種多様で読み物としても面白い。
 輝ける秀才だった科学史家の佐々木力氏のような人生もあれば、
東京都の教育委員に委嘱された将棋の米長邦雄氏が20歳のころ「悲願千人斬り」といって千人の女性と寝る目標に向かって邁進していたことを知ることもできる。
インタビュアーによってどのような語りが引き出されるかが決まる。
ライフヒストリーでは、ある人の業績そのものではなく、業績を生み出した
深い背景がさまざまな切り口で立ち現れてくる。
この企画では、20歳前後の学生がインタビュアーであるということが、
対象者が胸襟を開いて語ってくれるというプラスの面に働いたようである。
それにしても、人の人生は面白い、そしてまた人生が物語られるプロセスは、私たちを惹きつけてやまない魅力をもっている。


768, 規制緩和

2003年05月12日(月)

 この国が狂っているのは誰もが解っている事である。
たまたまホテル業界は全くの規制がない世界であった。
その事が今になってみれば自分をすくうことになっている。
ホテルは完成した時がベストの状態で、必ず右下がりになっていく装置産業といってよい性格がある。
そこにもし規制があって、解除されたら後発の装置に対応ができない。

 小売業をみてみると、過去に存在した大店法が流通業界そのものの脆弱な体質をつくった。一店舗を出店するのに多くの規制がある。
そのために業界は出店が自由に出来なくなり、競争が最小になって
しまっていた。
既存小売店を守るためというより政治家と役人の?意味合いが
強いものであった。
ところが実際は既存の大手チェーン店の利益を守るものになってしまった。
それがダイエーやニチイや長崎屋の間接的な弱体化の要因になった。
現在西友の買収というカタチで、アメリカのウオルマートが進出をしてきたが、ジャスコとヨーカ堂が合併しても太刀打ちできない事は自明である。

規制ー許認可緩和が、いま日本が直面している典型的な基本の問題である。
その規制で権力と利益を得ている役人と政治家が、今だに権力に執着しているのが現状である。
それでも酒屋・タバコ・ガソリンスタンド・米屋などアメリカの圧力で規制緩和がなされている。既存の業者は壊滅状態である。
今でも多くが利権保持の圧力団体からの票と献金で規制緩和が維持されている。それがこの不況の一つの原因になっている。

 経済を多くの規制でコントロールしようというのは、社会主義的規制社会である。大きな政府になりざるを得ないのである。
しかし情報化社会はグローバル化を止める事はできない。
それは自由化、競争の激化をいみする。
それに対応するには競争力をつけるしかない。
規制社会はその力をそぎ落としてしまう。
その為には規制緩和をするしかない。
いまの自民党を中心とした政府を潰さない限り不可能である。
野党を中心とした政府になっても大して変わらないだろう。
しかしこの失われた10年を考えてみると、政府が何回か交代をする必要
であったのだ。他人事ではないが、新陳代謝が国も会社も個人も必要である。


767, 不動産屋と喩え

2003年05月11日(日)



 不動産屋は情報産業そのものである。
暴力団も情報産業の典型と聞いたことがある。
強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、
このテーマとは関係ないが。
財産の大きい部分を占める不動産の移動を手伝いをするサービス業であり、
住居の貸して借り手を紹介するサービス業でもある。
この不動産業業者に特性がそれぞれある。

 野球のバッターに喩えると解りやすい。
ホームランバッタ−、ヒットバッター、バンドバッター、ピンチヒッターとか
それぞれが専門化されている。
その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。
・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いから4〜5億の
手数料が入る。
しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を待つしかない。
・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。
一年で100件の仲介をしても、8万平均でも800万
10年でも8千万でしかない。それも色いろな苦情もアフターフォローで
必要になってくる。
・住宅の売買手数料は2塁打というところか。

 街の不動産屋は奥さんがヒットとバンド専門で、旦那が長打を狙う。
彼等は意識しようがしまいが、その情報で飯を食べている。
彼らの中にはトンビという役割役もある。
自分のテリトリーの中を暇に任せて回って餌ー情報を捜す。
お客の中には餌だけをとって逃げる奴もいる。
しかし、不動産屋仲間ですぐに情報が流れ情報は一切流れなくなる。

 さっき述べたが、それぞれ自分の得意技を持っていて、情報という餌を捜し回る。
株屋と組んで、株をやりたそうだとかの情報を仕入れると、株屋にその情報を流す。
その見返りに確実に利益の取れる転換社債の売買で利益を得る。
調子がよくって、ボケたふうにとぼけて近づき一番の情報を取る。
以前の保険屋の世界に似ている。

漁業にも喩える事ができる。
近海漁業、遠海漁業。
一本刷りに川釣り、海釣り
男女のお互いの獲得の方法論と同じだ。


766, いまスナックでおきていること

2003年05月10日(土)

 いま人気の店は、とにかく安い店である。
・代替わりの居抜きの店を、家賃半額でそのまま引き継いだ店である。
・近くの店のホステスがママになって、値段を半額近くで売っている。
・若いアルバイトをピーク時間に合わせて、短時間で、高給で、
 きめ細かく回している。
 
 大体基本が、このパターンである。
以前も書いたが銀座ママのホームページをみたら、銀座クラブの価格破壊を
売りにしていた。値段が銀座相場の三分の一であった。
商品価値を落とさずに如何にコストを下げるかを考えぬかなくては
不可能な事だ。

 以前よく通っていたスナックが潰れそうだという噂が入ってきた。
その店はバブル期に小さな店から表どうりの家賃の高い?ビルに
高級店?を開いた。それ以来ほとんどいかなくなった。
やはり高くなったので、それまでの常連客に逃げられてしまったと
他の店のママが言っていた。

 5〜6年前に古町のよく通っていた店から、閉店の挨拶の葉書が来た。
半年後に店の前を通ったところ、店がそのままあった。
てっきり代替わりをしたと思っていた。
私の知人で飲食コンサルタントに聞いたら
「実をいうと最終日にその店に行った。そこで何故止めるのか聞いたところ、赤字になってきたのでやめるという。経費を聞いたら家賃が半額なら何とかやれそうであった。そこで駄目もとでオーナーに交渉してみたら!」
と進言したという。
ところがオーナーがその条件をのんだので、そのまま営業を続けているとのこと。エレベーターが無いビルの3階にあり、半額でもテナントが
入りそうもない場所だったので、条件をのみざるを得なかったのだろう。

初期投資をいかに少なくして、ランニングー営業コストを下げて、値段を安くした店にお客が行く。スーパーでも家電チェーンも全く同じである。

私が見ていてこうすれば良いのにと思うのは
ー90分で男2500円、女2000円。その後30分単位で500円をプラスする。
それを何気なく値段を表示しておく。
そして一人でやれる範囲にしておく。
もちろん居抜きの安い物件を焦らずさがすことだ。
これは業種より業態への転換である。
そのために如何したらよいか商品ー酒・ツマミを組み立てる。

これがなかなかできないが、実際やっている店がある。
 スナック談議の一節!


765, 流砂の民

2003年05月09日(金)

 いま中国を中心にSARS が猛威をふるっている。
誰かが「これはソ連のチュルノブイノである」と言っていた。
なるほど、そうなる可能性が大である。
孫文が中国人のまとまりのなさを喩えて流砂の民といった。
つかんでも手の指の間からサラサラと落ちていく。
今までの共産党は、むしろ中国の発展のためにプラスに働いた。
ところがこのSARSで、その体制がソ連の崩壊と同じ道を
たどるのではないかという指摘は的をえている。
いまの中国を頭の一部だけ赤い丹頂鶴に喩えたのも面白い。
あの磐石に見えた中国はこれをきっかけに、国として激動期に入る。
恐ろしいことである。
 
 昨日のニュースでWHOが死亡率が7佑ら14〜5佑暴だ気靴拭
65歳以上だと50佑箸いΑ
子供がかかるケースが少ないことも不思議な現象である。
この成り行きによって世界は大恐慌に入る可能性がある。
ホテルなど誰が泊まっているか解らない。
もしSARSの患者が出たら、ホテルとして即死−倒産である。
スーパーやデズニーランドも一人出たら終わりである。
本当に恐ろしい時代になった。


764, 「カリスマへの階段」

2003年05月08日(木)

いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」
を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、かくも幼稚な教祖様の御教えを
信じてしまうのだろ?」と首をひねる。
マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。

7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館で
コリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、あまりの
面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。
何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、
その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。
彼らは決まって終末思想がある。
そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。

オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教
の信者のみが救われる』と説いていた。
この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る
「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?

その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを
以下に書き写した。
ーーー

 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えて
いた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人で、今はスルミナ
に住んでいるが、やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、龍に乗って
エルサレムに入城する手筈なっている。
そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、キリスト教徒
も心配を始めてた。・・・

 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。
ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を
売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。
イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を
吐きかけ、これに変わって白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の
職を与えた・・・

ーーー 
 こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰り
ひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって
自己破滅を始めていくのである。
オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。
95佑僚晶腑織ぅ廚旅垢覆訛梢融峺を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。
そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。
精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!!
それしかないのに!?
・・・・・・・・・・

「カリスマへの階段」
コリン ウィルソン (著)
関口 篤 (翻訳)
価格:¥2,130
出版社: 青土社 (1996/03)
レビュー

内容(「BOOK」データベースより)
強烈な個性と卓抜な指導力で偶像化されるカリスマたち。
カルトの教祖から時代をリードするイデオローグまで、たえず生み出しつづけられる
「超人」の深層を赤裸々に検証する。

ー目次ー
1 救いとしてのセックス
2 メシアの歴史
3 信者の心理
4 殺人者としてのメシア
5 権力の美味
6 現実を変形する手段
7 メシアとしての精神科医
8 魔力
9 自由恋愛の福音
10 性の分水嶺
11 力の仮面
12 第二の流れ


763, 地方差別

2003年05月07日(水)


 東京では、地方出身者は田舎者と露骨に差別される。
学生時代に東京に住んでみて、驚いたのが地方差別であった。
解らないでもないが、都会生活での初めてのカルチャーショックであった。
今でも海外旅行のパックの同行者の意識で驚く事がある。
それも強い負け犬の立場の人?に露骨に顕れている。

 一番面白かったのが「ケニアのヌーの河渡り」であった。
都会のハイミス・ゴールドミス(グランド・オールドミス)がすざましい
ひと達だった。具体的には書きたくないが、その傷口の血は濃厚だ!
もう二度と、その血を浴びたくはない!洗っても数年は落ちないほどだ!
自分のプライドを守る為に弱者を探すと地方差別が一番手っ取り早いのだろう。

 何処かのヨーロッパの空港の待合で、江戸っ子の職人風の父子がいた。
話しかけたら「貴方は地方?それとも東京出身?」と聞いてきた。
新潟と答えたら、一切話をしないで露骨な可愛い差別を始めた。
こんなものである。
学生時代に外国旅行に行った時、ある同行の女性が思わず本音が出た。
「最近帝国ホテルも、地方のお上りが多くって質が落ちていますわ!」
その一言で最後まで嫌われて、総スカンをくらってしまった。
「父親は同行の女性の会社の子会社の下っ端の役員でしかないないのに!」
とすぐに陰口が入ってきた。
結局はすべては「コンプレックスの隠しの芸の追求」が人間の本質なのだろう。

「お上り」という言葉が、典型的な軽蔑言葉だ。
地方差別を書くこと自体がタブーでもある。
公平という意味でー平等でなくー差別をされても仕方がないのも解るが!?
毎日二つの街を通っていて、長岡と新潟でさえもあまりに違いすぎるのは事実である。

「都落ち」という言葉もあるとおり、特に都会で生まれ育った人間は
地方に住むということはアジアの何処かというくらいの響きがあるようだ。
アメリカのニューヨークなどは、もっと複雑に絡んでくるという。
民族や人種や宗教や収入や肩書きなどで露骨の差別があるという。

まあどうでもよい田舎者の話だが。


762, あるホームページ

2003年05月06日(火)

 
 たまたまネットサーフィンしていたらあるホームページに行き当たった。
先日のこのホームページのサロンで紹介したMainDish
である。(これで検索を打ち込めばでてくる)
私がホームページを開いた一昨年の5月から始まっている。
毎晩の夕食は主婦なら誰もがつくるものである。
それを写真に撮り、時にレシピを載せるから素晴らしい。
2年間で20万のアクセスがあったというから、一日300〜400人が
見ていることになる。本人も楽しいだろしやる気も出てくるだろう。
見ていて、あまり興味のない私でも料理を通して気持ちが伝わってくる。
これを上手く分類をすれば「夕飯おかず事典」ができてしまう。
好きな事を楽しんで続ければいろいろの可能性が出てくる見本だろう。
このMainDishのホームページから学んだことは、何げない事の中にある
ヒントとその継続の重要性である。

 写真の好きな人がホームページをつくって載せたり、「子育て日記」も、
写真入で続ければ、その子供自身のよい記念としての贈り物になる。
それぞれの人が、その立場で自分を表現できる時代になったことが
情報化社会の特徴である。
私の場合は、今まで人に誤解されたしまうのが「言葉」である。
しかしこのように書くことによって、「自分にとっての本当のこと」を
「本当以前のこと」から生み出すことになっている。
自分の中のカオスー混沌から、本当のことをカタチ創っていることだ。

 少し難しくなったので料理の話に戻すが、ホームページは生の自分を
曝け出す発信基地であり、曝け出す事によって自分のカオスから
日々新しい自分を対象ー料理・日記・・・を通して創り出す場にもなる。
日々続く何げない日常の夕飯が、視点の変換によって、
毎日のささやかな?社会貢献と生きがいになる。
面白い時代だ!
 
 


761, 歌は過去に向かって歌うもの

2003年05月05日(月)

「歌は過去に向かって歌うもの !」
先日Tvで歌手の「さだまさし」が何気なくトークでいった言葉だ。
なるほど言いえて妙である。
すべての歌は思い出のメロデーになるのか?
心を込めて歌うとは、その過去にタイムスリップをして歌うことである。
それは過去の喜怒哀楽に対して歌うということだ。
それぞれの歌にはその時代の背景と、それぞれ人の人生がある。
また情念を瞬間冷凍をする。その意味でいろいろな歌を振り返ってみると、
過去が地の底から浮き上がってくる。
特に幼児の頃に聞いた童謡や流行歌は魂の故郷といってもよい。
その時の光景を思い出して歌ってみると、その時の記憶がどんどん湧き
上がってくる。
美空ひばりは歌っているときは、過去のその時の世界に入りきっている!

また、青春時代の失恋など、それぞれ生きてきた時代ごとにの歌があった。
人生のバックグランドミュージックといってよい。
笑いと歌には、心というよりもっと深い魂の世界で、行蔵のラベルでも
ある。
それでは「こんにちは赤ちゃん」は過去に向かって歌うのか?というが、
むしろ母親が、あとの思い出としての歌うのほうが、心いや魂の歌になる。

私が生まれたのは第二次世界大戦の終戦直後である。
ラジオで復員兵の名前や尋ね人のコーナーがあった。
それと同時に、「異国の丘」とか、「上海帰りのリル」「みかんの花」
が流れていた。幼児期の記憶は希薄だが、歌だけは記憶にしっかり
残っている。
青春期はポップスの黄金の昭和40年代であった。
いま聞いても本当によい歌が多い。高度成長期の時代背景があったためで
ある。

60歳までは過去を振り返らないことにしているが、もう数年で、その歳になる。カラオケに手を出して失敗した時の歌や、NTTの株で失敗した
時に涙をして憶えた歌など「一曲数千万円」もした歌がある!!
たくもう、高くついた!

話は少し変わるが、歌の先生をしていた一番上の姉の正子さんが、
ある時「人間は歌うとき、自分の肉体は楽器なのよ!」と何気なく
言った事を思い出した。


760, いかに生きたか いかに生きるか

2003年05月04日(日)


 去年の文芸春秋の12月臨時増刊号の
「日本人の肖像ーこのすがすがしい生きかた」ー
シナリオ作家の舟橋和郎を文章を紹介する。
文章が鮮明で、半世紀以上前の情景がアリアリと浮かび上がってくる
すばらしい文章である。
小林秀雄という人物と、乃木大将の決心と、舟橋和郎の人物が何ともいえない文章で浮かび上がってくる。

 以下の通り書き写した。
・・・・・・・・・・
 明治大学文芸科の教室で初めて小林秀雄さんの講義を受けた時の情景を、
私は忘れる事ができない。・・・かなりせかせかと、誇張すれば
「肩で風をきって」入ってきた。
そして安いタバコを取り出して一本くわえた、そしてマッチをすり、
うまそうに、フッーと煙を吐いてから、おもむろに、
「何か質問をしたまえ」と、言った。学生たちは面食らった。
「文学に限らない。どんな分野でもよい」
誰も手をあげるものはいなかった。
「質問がなければ、僕は帰るよ」と、タバコをポケットにしまいかけた。
あわてて学生の一人が手をあげた。
「先生、あのう(しばらく声がなくて)乃木大将は本当に偉いのでしょうか?」
見当はずれの質問のように思われて、私は思わず失笑しそうになったが、
小林さんがどう答えるか固唾をのんだ。
「そうだね、乃木さんか・・・ウム・・・あの人は偉い人だよ」
返ってきた言葉は単刀直入、極めて自信ありげに聞こえた。
「乃木さんって人はね、少尉時代に軍旗の騎手をやっていたんだ。
丁度西南戦役のときでね、彼はそこで軍旗を敵に奪われるという失敗をしでかした。
これは取り返しのきかない失態でね、それは天皇の象徴なんだ。
乃木は当然切腹ものだと覚悟をした。ではいつ腹を切ろうか、彼は悩んだ。
そして明治天皇が崩御された時に、み跡を追って切腹しよう、
そう心に決めた。これで乃木さんはスパッと人生を割り切ったんだ。
人間が若い時に自分の人生の最後をきめてしまう事は容易ならぬことだよ。
どうかね君たち、こういう人を偉い人と言うより他はないだろう、そう思わんかね」
そういって小林さんは満足そうにタバコの煙を吐いた。
学生たちは文字通りケムに巻かれたように、茫然自失の面持ちであったが、
正直ショックを受けた。というより心底惚れてしまった。
小林秀雄という先生の目の高さに惚れたのだ。
私は講義の度に自分の脳みそが少しずつ柔らかくなるような気がした。

ー以上であるが、乃木のそのときの深奥の決心が素晴らしい。
その時から全てがその瞬間ー明治天皇の死の瞬間ーに絞られた。
その視点より全てをみていたのだろう。
少なくとも彼の「無私の精神」の原点といってよい。
「いかに生きるか いかに生きたか」は
「いかに生きるかは いかに死ぬか」に行き当たる事例である。


759, 陽気と陰気

2003年05月03日(土)

 陽気とは外交的で何事も前向きな人をいう。
人と交わることを好み、常に活動的なタイプだ。
陰気とは消極的であり、心が内向き後ろ向きの人をいう。
引っ込み思案で他人と交わるより独りを好む。

どちらが良いということはないが、やはり傍にいるなら陽気の
人の人がよい。
陽気のタイプとしては、秀吉をあげることができる。
陰気は家康だろう。
信長はどちらであろうか?、陰気と考えるとさっきの定義は違う
ことになる。

我々は、生きていくために陽気が求められる。
外に心を向けていないと生きにくくなってしまう。
その為にどうしても自分の中の陽気の部分を積極的に前面に出して
無理をしなくてはならない。
しかし陰気が悪いのだろうか。
プラスにみれば精神性の深さ求めていることだ。

我々は青年期や壮年期に陽気に振るまい、心を外に向けて生きる。
しかし50歳を越える頃、あまりに内側に目がいってなかったことに
唖然とする。そして心の空虚さになす術がなくなる。
そして内側の充実に取り掛かるようになる。
そこで、気づく時期が遅かったことに失望をする。
それさえ気がつかない人を、私は抽象的に「小狐」といって、
この随想日記に度々書いている。

その意味で、決して陰気は否定してはならない。
何故なら陰のエネルギーも人生のトータルバランスを考えると
必要であるからだ。ただマイナス思考の行き過ぎが悪いのだ。
家には居間も必要だし、書斎も必要である。
陽気を居間に喩えるなら、陰気を書斎に喩えることができる。
そこで内側の精神の充実をはかる場所だからだ。
書斎に閉じ篭ることも必要だ。
といって、閉じ篭り出てこないのもバランスを崩してしまう。
このように居間でパソコンを打つのも中途半端になるのか?


758、ある医師の夢

2003年05月02日(金)

 
  10年近く半年〜一年に一度の定期健診ー人間ドックにいっている。
 その主治医と、いつの間にか懇意になった。
 先日検診に行くと、オホーツクの僻地に赴任することになったという。
 僻地医師になるのが長年の夢で、
 「あと定年まで3年で、このままいても今と同じくり返しでしかない。
 一度しかない人生、夢の実現の為に思い切って決断した!」
 ほとんど長岡を出たことのない最後の人生のデザインである。
 人生いろいろある。
 
  青年期に読んだ本の一節で「人生、小説でないのよ、勝者が善、
 敗者が悪なのよ!」
 というソルジェニーツェンの小説の一節がある。
 しかし小説のように生きる事こそ人生の要諦ががあるのではない
 だろうか。
 死ぬ時につくづく「小説のような人生を生きていてよかった!」
 と思える生き方もある。
 最後は自分の納得の行く決断が人生のデザインである。
 一人で、自分で自分をどう考えるかである、それしかない!
 同じ人生なら納得して死んでい(生)きたい!
 
 「いいじゃないですか!もし事前に相談されたら、いけいけ絶対に
 行けというでしょうね!でもどっちも結果として大して変わりはない
 でしょうね!」
 と無意識で答えていた。自分の答えの冷たさに自分で驚いてしまった。
 「それは他人の事だら言えるのことだ!」と本人の答え。
 こういう場合は「五分五分に迷ったら行動すべき!但し結果には
 期待しない!」これは人生の私の経験則である。
 その真意は相手には伝わらなかったようだ。
 「そこで独りぶつぶつ言いながらつきつめ一つ一つこなしていくのが、
 事業の立ち上げの経験でいえるんですよね!
 その経験をインターネット上にホームーページの日記として載せた方
 がよいと思いますよ。『僻地医師の独り言』がよいじゃないですか!」
 と進言した。
 「奥さんは一緒ですか?」との問いに、
 「いや、まず自分がいってから判断をするつもりです!」
 「最低何年のつもりですか?」
 「三年です!」
 「一年でもよいのではないでは?」
 「そういう訳にはいかない、僻地なので後任がそうは決まらないので
  辞めるわけにはいかないのです!」
  言葉の中に永住という感もあった。
 
  例えが悪いが、お屋敷の卓上犬が広野に一匹飛び出すということだ。
 設備もない僻地で、全てを独りで解決しなくてならない世界である。
 その苦労が目に見えているが、一度もお屋敷ー大病院から出たことの
 ない人は純粋性とエネルギーを持っている、すばらしい事である。
 こういう純粋性が教養というのだろう。
 「いま貴方にそのエネルギーがあるか?」と問われれば、
 「ない!」が正直な答えである。
 エネルギーというより、教養の差ともいえるのか。
 先日、親戚の人の「30数年を賭けた夢の実現」と、「医師の夢」
 の話はいまの私にとって身近で人生ドラマを見せてもらったようで
 あった。


757, ミスマッチ

2003年05月01日(木)



 ある大型ショッピングセンターの出入口の横に一月少し前に、
讃岐うどんの専門店が開店した。
開店予告の張り紙を見て、てっきり今流行のセルフの100円の
讃岐うどん店ができるものと思っていた。
実際は380円、480円のプライスラインの讃岐うどん屋であった。
これは絶対にミスマッチの店と思っていたら、
やはり見事の位にお客が入っていない。
通勤で行き帰りのちょうど食事時間に前を通るのだ。

 この隣はドトールコーヒーが出ており、反対側にはマクドナルドのハンバーガー店と、その隣はコンビニエンスがある。
この三軒は勝ち組である。
うどん店の以前のテナントはケンタッキーフライドチキンであった。
そしてドトールコーヒーの右隣はダイエー系のハンバーガーチェーンがあったが、2軒ともマクドナルドに負けて撤退してしまった。

 恐らく100円のうどんショップだったら、ミスマッチではなかったろう。
間違いなく数年のうちに撤退するだろうというのは、私だけでなく
消費者なら解っていることだ。
新潟駅に同じ店があるがそこは結構繁盛している。
数千万の損失は誰の目にも明らかだ。
事前の調査の甘さが、数千万の損失を出してしまう。
事業の恐ろしさの典型だろう。

 店が開店をすると無意識のうちに、その店がどうなのかみてしまう癖がついてしまう。結構間違った判断をしてしまうが、大筋は間違わない。
少しの判断ミスで微妙にその店の成否が決まってくるから面白い。
博打を横で見ているのと何か似ているようだ!

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