堀井On-Line



627,パタゴニア旅行記ー9

2002年12月31日(火)

ー絵を描く人ー

今回の旅行で素晴らしい絵を描く女性がいた。
見るところプロ並みの絵を描いていた。
画家の安野光雅に小学校の絵の担任でもたれたと嬉しそうに言っていた。
いつも面白い話をしてくれて、「先生お話!」皆が囃したてていたとか。
今から考えると情緒教育をしていたのではないかと言っていた。

何十種類のクレヨンを持ってきて30〜40分位で仕上げてしまう。
見ていても気持ちが良いぐらい綺麗に仕上がっていく。
あの位巧く書ければ本人も気持ちが良いだろう。

主人の方はカメラマニアでお互い自分の世界に没頭しているのが
バランスが取れていて良い。
ある意味で理想的な夫婦の形に見えた。

絵を描くということは対象に対し観察眼が鋭くなるし脳に残る。
私も60歳になったら、クレヨン画の勉強をしようかと考えてしまった。
旅行では一人はデッサンをする人がいるが、この位本格的の人は珍しい。
個展を開いたり、自宅のリビングに額に入れて折々楽しんでいるとか。

ところで話は変わるが、ご主人に写真の撮り方を学んだ。
・対象をしっかり見定めて
・両脇をしめて
・片目でファインダーを片目はその外をみて
・足を少し開いて
・撮る瞬間は息を止めること
・時に木や花を通して風景を入れる
・外国の場合意識してその土地に住んでいる人をいれる

等々であった。
雲一つでもその地域しか見れない色や形がある。
夕景の太陽の色とそれに映える雲もそうだ。
同じ景色でも経験を積んだカメラマンの目は鋭い。
私などいつもマニアの後について回っている。
旅行は日常から離れる事ができ、色いろな知識と経験を積める!


626, 葬式仏教の由来

2002年12月30日(月)

現在の日本の仏教は完全に成り下がっている事を随想日記で何回も
書いている。葬式仏教の集り体質である。

その成り立ちを、ある仏教学者の本に明快に書いてあった。
・その発端は徳川幕府がキリシタンを弾圧した江戸時代にある。
 キリスト教徒を撲滅する為に、お寺に監視機能を持たせた。
 お寺の檀家にならないと、キリシタンにみなした。
 −具体的にはお寺に宗門人別帳という登録権をもたせた。
 そこで布施や付け届けをもってこないと宗門帳から抹殺すると、
 脅して間接賄賂ー布施や付け届けを強要した。
 それにより自ら堕落をしていった。

・更に徳川幕府はお寺に葬式を命令した。
 キリスト教の葬式をやらせない為だ。
 本来坊主は出家をしている為、家族の代わりに坊主仲間がやっていた。
 一般人は家族が出していた。
 そこで葬式を命令されたので、一般人を死んでから出家した事にして 
 葬式をあげることにした。戒名はその為に作られた風習でしかない。
 弟子の葬式をやってやる建前にした。
 在家の葬式を坊主が始めたのは江戸時代の幕府の命令で行われたに
 すぎない。

本来それは本物の宗教とかけ離れたものだ。
先祖を弟子にしてあるから、先祖供養をネタに葬式業としての職業化を図ったのが実情だ。
それが現在になって壊滅を始めているのが彼等葬式仏教界の深刻な問題だ。

もっとひどいのは現世利益を約束している新興宗教団体だ。
戦後、宗教団体に免税したのが最悪の状態にした。
それを利用してドンドン大きくなって政治まで利用して国家を動かしている
何とか学会とかいうカルト教まで出てきている。
ここまでくるとエログロである。

毎朝おまいりをしていると、逆にそういう集りが見えてくる!


625, 朝鮮戦争の不安

2002年12月29日(日)



来年の一月下旬にアメリカのイラク攻撃は避けられない情勢に
なってきた。攻撃に入れば時間の問題で早期に片付くだろうが、
あまりにもあっけなく終わった場合や、直前にイラクにクーデターが
起きた場合の方が日本にとって問題である。
そのエネルギーをそのまま北朝鮮に向けられるからだ。
北朝鮮が間接的に日本にテロを仕掛ける事で牽制をしてくる可能性がある。
すでに自衛隊ではシュミレーションで原発への攻撃に対する作戦を
想定しているという。
北朝鮮は脅しと嘘で周囲から物資や資金を脅し取ってきた国家。
それが不可能になった時に最後の賭けに出てきた時の暴発が
恐ろしい。

柏崎原発をかかえている新潟は一番攻撃されやすい。
多くの工作員と武器も日本に入っているというから、
北の工作員のテロの格好の攻撃対象になる。
アメリカのアメニティーの代表のデズニーランドもテロとして宣伝効果が
あるだろう。全く防御という面で丸裸だ。

そうでもないのに死に瀕している日本経済が破滅のきっかけに
ならねばよいが。これも現実味をおびてきた。
来年は世界中がかなり緊迫した状況になるだろう。

アフガンやテロやイスラエルの問題でも対岸の火事であったが、
来年からは直接わが身に迫る問題が目白押しになってくる。
借入の多い装置産業の当社など景気に左右するからキビシイ状況になる
可能性がある。今までが恵まれすぎていたと割り切るしかないのか。


624,今年の総括

2002年12月28日(土)

今年の総括の時期になった。
毎年卓上日記に書いている。

・姉正子が亡くなるー9人のうち4人死んだことになる。
・父方のオバがなくなる。父方の叔父の連れ添いだ。
 これで父の兄弟・姉妹とその連れ14人が全てが亡くなった。
 年齢の一つの風景か。
・海外は三回行った。 
 西アフリカ、スイス、パタゴニアだ。
 これで39回、60歳までの50回の目標に近づいたが。
 来年は戦争の可能性があり、どうなることか。
・子供は長男が再就職と更なる転職。
 次男は会社ごと身売り、転籍。
 これは時代の風景だろう。

会社は
・この不景気の中一応順調に経過という事か?
 相変わらず銀行の貸しはがしの予兆があったが。
 借り入れも一応順調にいった。
・売り上げも微弱ですんだが利益は2割減った、来年はどうなることか。
 新入社員が6名入って若返った。

国際社会は去年は歴史的な9・11があったが、比較的に落ち着いた
年だった。北朝鮮問題がクローズアップしてきた。
国内も比較的安定した年だったが、景気がますます悪くなって
救いがたい状況になった。

国内も国際的にも20世紀的なものが本格的に壊れ始めてきたのが
今年の特徴だった。自民党は仮面を変えてしぶとく残っているが。


623, 新しいパソコンについて

2002年12月27日(金)

会社の自分のパソコンを日立のPuriusに入れ替えた。
感想はとにかく画面がきれいだ。
明るくクッキリしているのが良い。
画面は二年前に買った自宅用のパソコンの3倍は良い感がする。

会社のパソコンの入れ替えを利用して大体2年に一度変えている。
年々パソコンが飛躍的に良くなっているのが良くわかる。
今回もかなり迷ったあげく画面の良さを優先した。
それと違うメーカーを取りあえず使ってみるのも要素にいれた。

当たりであった。
画面が明るいこととクッキリしているのが本当によい。
まだ機能やソフトは把握をしてないが新鮮な感じも良い。

今のパソコンは2年経つとゴミとNTTの人が言っていたが、当たらずとも
遠からじという感じがする。あと二年経ったらもっと凄い内容に
なっているのは間違いがないだろう。

恐らく動画と電話の画面が主体になるだろう。
不況でもこの分野の世界の進歩はとどまる事が無い。
パソコンを使えないということは時代に見放されてしまったといってよい。

話は変わるが、ニュースで携帯電話で音声付動画が配信
できるのが売り出されるという。
5〜6分のものを3本まで可能といっていた。
面白い時代だ!


622, パタゴニア旅行記ー8

2002年12月26日(木)

アルゼンチンとチリの民度の差を感じた。
特にアルゼンチンの汚職体質と民度の低さを。

一度アルゼンチンに入りペルノモリノ氷河などの氷河国立公園を
行った後にペルーに入った。
その出国にあたり国境警備をしている憲兵隊が、要求をしたこがない書類を
バスの運転手に要求してきた。これは暗にお金を要求していることだという。

拒否をした為に書類を取りにワザワザもとの街に戻り、4時間近くのロスを
してしまった。また再入国のときもにも同じような事があった。
アルゼンチンはそういう体質らしい。国境を越えると空気が全く変わったのだ。
ペルーは資源に恵まれていることも含めて民度の差が歴然としているのが
はっきり判った。

さらにアルゼンチンは国家が破綻をしている状態だった。
国家経済は破綻しているが、国民はドルの箪笥預金を持って自衛をしている。
自国の金よりドルが国内で主に流通しているという。
日本の数年先の姿に見えてきた。

昨日たまたま野口悠紀雄のホームページを見ていたら、全く同じ内容の
ことが書いてあった。あとでコピーしておく。

チリ・アルゼンチンと日本の物価の差は3倍であった。
賃金は10分の1である。そうすると豊かさの差は3倍ある。
実際そう思えた。
日本がデフレで騒いでいるが、まだまだ物価は外国に比べて3倍であることは
事実である。当分はデフレは収まらないだろう。

・・・・・・・・・・・
ー野口悠紀雄のホームページからー
日本とアルゼンチンの違いは何か?
答え:2年。
(すでにかなり膾炙(かいしゃ)している(特に、金融関係者のあいだで)。
原典が外国の雑誌なので、外国人に話しても多分ダメだろう。
もっとも、先日ある大使館の昼食会で話したら、かなり受けた。

なお、私の友人の指摘では、2 年というのは間違いで、正しくは 2 ヶ月だという。
そうだとすると、言うならいまのうちだ。

ある会合で、ある人(政策当局者)が、「アルゼンチンと比べるなんて、
けしからん。失礼だ」と息巻いていた。
私は、「本当に失礼ですよね。アルゼンチンに。」と言いいかけて、
危ないところで思いとどまった。
  
ー上記を説明するとー
2年というのは日本の将来の姿である。
アルゼンチンの失業率は30�佑任△辰拭�
日本の汚職は絶望的だ。
自?党と官僚と企業がつるんだ時間をかけた構造汚職だからだ。
アルゼンチン以下の日本に成り下がったか!!


621, 電子辞書を初めて買った実感

2002年12月25日(水)



今回の旅行である人が電子辞書を持ってきていた。
常に持ち歩いて,ことあるごとに使っているのを見て早速買った。

買ってすぐに感じた事はとにかく便利な事だ。
携帯電話でその代用をしている人はその必要はないのだろうが。
結構身近においておくと使うのだ。あれば使う至極当然である。
インターネットで調べられるが、電子辞書は電源を入れて立ち上げての
手間が少なくて済むのがよい。

私が買ったものは超ミニパソコンの型をしている。
10冊以上の辞書がコンパクトに収められていて手軽に広辞苑や
百科辞典やカタカナ語や漢字辞書がひける。
また分野別に辞書機能ー人名や地名や慣用句別にもひける。

1度調べたものは栞や単語帳に収まるのも便利である。
スーパージャンプで同じ単語を他の辞書で飛んでひける機能もある。
こういう機能の存在や便利さは実際買ってみて初めてわかる。
パソコンより実際のところ早く買うべき商品であった。

私の買ったものは家庭の居間用に最適な辞書を揃えてあるものだ。
ー手紙文作成機能や料理機能もついている。

数日使っているが、家内の方が頻繁に使っている。
文字サイズも大と小があり切り替える事ができ便利である。
時々家電の売り場で見ていたが、実際買ってこの便利さがわかった。

インターネットや電子辞書を使ってみて、頭がよいとは如何いうこと
なのか解らなくなってきた。


620, パタゴニア旅行記ー7 −話しまくる人ー

2002年12月24日(火)

今回の旅行で面白い人がいた。
常に一人話しまくっている人である。
常に自分が話をしていないと気がすまない人だ。

アメリカ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。
500人に一人の割合でこれで上手くいく人がいるといっていた。
タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のことだ。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、
一方的に話をしていても不快さを与えない人だ。

誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。
聞いているほうはたまらない。一種の自閉症に似ている。
閉じてしまっている自分の世界に相手を引っ張り込もうとする。
三人のグループであったが、その一人がコッソリト
「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。

誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。
私など人のことをいえた義理でない、他人より数倍その要素が大きい。
それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。 

人の話を聞けない人は案外と多い。
すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
「出羽の守」という人だ。東京では、長岡では、仲間内では、
家族ではという自分の世界に置き換えてしまう人だ。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。

この随想日記も一人話しまくっているようなもの??
人間その要素を誰もが持っている。


619,パタゴニア旅行記ー6

2002年12月23日(月)



今回の添乗員が過去の添乗員の中でベストの人であった。
大手銀行のリストラ組で、その後事業を起こして失敗をしたそうだ。
バックの力と自分の力の差を読み違えたと言っていた。
「バックとは何か?」の問いに、資金力と答えた。
それにしても、彼の知識量と見識の高さに驚いてしまった。

これで添乗をどん底で経験すれば、人生という意味で大きいものを
掴むことができるのではないか?そう甘くはないが。
前回は南アフリカ、今回の南米のパタゴニア、次回はウイーンの
新年の恒例のウイーンフィルの観賞の添乗だそうだ。

仕事はテキパキとかたずけるし、質問には何でも完璧に答えるし。
凄い人がいるものだとつくづく感じ入った。
特に英語がぺらぺらでイギリスに長年駐在していたようだ。
リストラでこういう人が多く職を失ったと思うと経営者の責任も
甚大とつくづく思う。

話しが違うが、秘境の旅で一人参加の人が多い。
そのエネルギーに驚かされるし、何か余白を埋めに来ている人が多い。
ある人が何気なく言っていた。
「帰ったら死ぬ心配をしなくては!いろいろの問題を引き出しの中に
ギュウギュウに押し込んで出かけてきた。帰ったらそれが待ち構えている」
人生の圧縮された言葉だ。


618, パタゴニア旅行記ー5−広尾のお犬様

2002年12月22日(日)

旅行をしていると、普段では会えない人といろいろ出会える。
今回は一人参加の東京の高級住宅地の広尾の奥様がいた。
犬の話から、愛犬の散歩の話題になった。
広尾の公園で朝のお散歩の話で大爆笑であった。

愛犬に衣装を着せて連れてくるが、そのファッションが面白いとか。
天使の翼をつけたお衣装だったり夏は浴衣であったりする。
冬は何と毛皮を着せた犬もいるという。
まあそういう人は水商売の人だとか。

犬にも公園デビューがあり、
数日は全ての犬が匂いをかきにやってくるという。
そして認知をされるという。まあ人間の世界と同じである。

犬好きの人は自分の犬の自慢がしたいらしい。
このあたりも人間と類似している。
まずは相手の犬を褒める。
そうすると互いの褒めあいの場になるという。
横で聞いていると馬鹿みたいだが、それがまた面白いとか。
聞いていても目に浮かぶようだ。

住人でもないのに遠くから車に乗せてその世界に来る人もいるとか。
人間の一番の悲しい?いや愛くるしい性が丸出しのところがよい。
愛犬は飼ってないが、散歩でその世界を毎朝近くの土手で見ているから
真実味がある。


617,パタゴニア旅行記(タンゴ)ー4

2002年12月21日(土)


アルゼンチンタンゴがすばらしい!
昔はブエノスアイリスは女性が少なく、その憂さを晴らすため船員同士が
女のふりをしてエロッチクな踊りをふざけて踊ったのが由来という。

それが波止場近くの娼婦の売り込みの踊りと変化していった。
その踊りが西欧の人達に認められていった。
従って内容はエロチックで情念丸出しのものであった。

ブエノスアイリスで一番の1400人収容の店で、ショーが
2時間以上にわたって繰り広げられた。
全く期待をしていかなかったのが良かったのか、
初めから終わりまで拍手喝さいのすばらしいショーであった。

お客の全員が感動に包まれ、アンコールの連続であった。
今まで見たショーで一番の感動と言ってよい。
辛口のツアーの同行者もこれだけは絶賛をしていた。
この旅を締めくくるに最高のイベントであった。
写真を見てもらえれば解るはずだ。
よいのはダンサーが一番楽しんでいる事だ。

この旅行は心に多くのものを残してくれた。


616,パタゴニア旅行記−3

2002年12月20日(金)


パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈
である。
アルゼンチンからペルーへの移動で見たビューポイントの
左右の視界が270�舛發△襯▲鵐妊校殻�だ。

数千メートルの山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で
三百キロに近い景色が見えるのは想像を絶していた。
アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、
それがなんと数百キロの視界の景色を目の当たりに見たのだ。
世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。

秘境系の旅行はこういうチャンスに満ちているのがたまらない。
世界の果てのマゼラン海峡や世界の果ての町ウシュアイア。
そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシやペンギンの
群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に残っている。

人口十万のこの町で見た夕日の美しさも忘れられない思い出だ。
それと大型の野良犬があちこちに屯していたのが印象的だ。
厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。
ほとんど時代の変化に翻弄されることなく地道に生きてきた逞しさからくる
ものであろう。

ペルーでは殆ど見ることなかったコンドルが多く見ることができたのも
今回の印象であった。小さいテーブルマウンテンに似ている山の
岩壁に巣が多く作られていた。
ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが身近に多く見れた。
それとダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的であった。
両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。
その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。


615, パタゴニアの旅行記ー2

2002年12月19日(木)


この旅行は12月4日〜17日までの14日間の旅行であった。

・まずの見どころは世界自然遺産の一つ氷河国立公園の拠点の
アルゼンチンのカラファテに三連泊。大迫力の氷河の崩落
を見るペリノモレノ氷河、及び氷山の浮かぶアルティーノ湖の
クルーズを楽しみ、この氷河国立公園最大のウプサラ氷河を
見る内容であった。

モレノ氷河については前回書いたが、ウプサラ湖の一面小さい氷山
で埋め尽くした景観はその氷河をバックに何ともいえない美しさを
現していた。
またウプサラ氷河は幅10�噌發毅牽悪辰料埖腓雰粉僂髻∪嘉靴龍�の
青に氷河の白と青をミックスさせて我々の眼の前に展開していた。
何ともいえないパタゴニアの美しさに時間の静止を感じた。

・次のハイライトはパイネ国立公園であった。
1万年前に絶滅した巨大なナマケモノーミロドンの骨が発見された
ミロドンの洞窟の岩ドームに呆然とした。

その中でやはり圧巻はパイネグランデの雄姿である。
雲を頂く岩峰が4つ天を突き刺す姿はパタゴニアを象徴するものである。
帰りの車の中でみたその姿は一生概忘れられない夕景であった。
山頂近くまで以前氷河があったのが山頂の岩の色の違いで分かるのが
よい。

その先にあったグレー湖とその水源のグレー氷河に50�旦瓩�まで
船を近づて見上げたのも印象的であった。
氷河の美しさでは近くで見たこともあってベストであった。


614,パタゴニア旅行記ー1

2002年12月18日(水)


今回の旅行のハイライトはやはり氷河であった。
氷河の融け水でできた湖から、氷壁と崩落を船で見るものであった。
ソニーのコマーシャルで見たものは、てっきり南極の氷が崩落する
ものと思っていた。
しかしアルゼンチン国内の山脈の麓の湖に崩落するものと初めて知った。
ソニーのそれはペレノモレノ氷河の景観であった。

まず驚いたのは氷河の美しさである。
太陽に映える白とコバルトブルーの織り成す美しさだ。
どんな美しさもこの単純な輝きには敵わない。
白をバックにしたコバルトブルーの輝きの美しさ。
太陽の光のブルー以外を吸収して妖しく反射する美の極致だ。

8000�舛離▲鵐妊校殻�はパタゴニアの地でその積雪を氷床に姿を
変えて最後は海に流れ込むか、山脈の麓に湖をつくりそこに自らを
崩落させていく。それを湖から眺めるのが今回の目的であった。
アンデスに降り積もった万年雪が、溶解と氷結を繰り返しながら
数百キロの氷河をつくりだし、最後はその最先端で長い旅路を迎える
ドラマである。それが夏の時期に目の前で見れるのである。

数日に一回の崩落と思っていたが、モレノ氷河で1時間のうちに4回の
崩落が見ることができた。
静けさを打ち破る腹の底までとどろくような轟音ともに氷壁が崩れ落ちる。
その瞬間誰もが息を呑み見とれるのだ。時間が止まるとはこの事だろう。

そして同時に湖面に高波が立つ。氷河が氷山に変わったのだ。
その数十メートルか数百メートル先から、氷が裂ける轟音が時々
落雷のように聞こえるのが何ともいえないバックグランドの音になる。

小さい氷山が湖面に多く漂っているのが美しい形を創っている。
自然の芸術の展示会のようである。白鳥のようであったり、
船のようであったり、ラクダであったりする。
自然は本当に大芸術家であるというのは、別に文学的言葉では
ないことを思い知った!!


613,爆笑再開発-新潟駅前再開発

2002年12月17日(火)


以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が
新潟駅前再開発の完成で顕になってきた。
見物?にいった人はご存知だが、爆笑の世界の哀れな世界だ。

この雑居ビルのバラバラの世界に県が20億も出した??
気違い世界というより爆笑の漫才の世界である。

彼らー雑居ビルのオーナーは全然理に合っているが、
その為に醜悪の再開発の姿がより露出している。
今の日本の醜悪の姿の集約として露現しているから情けない。

東横インの契約書をみて驚いた。
理に合っているように見えるが、これからの時代に負担が
5〜6年後にくるのが見え見えである。

何処かが買ってくれるだろうか??あれをーあの会社を!
面白いものだ、それが見えるのが。

その二段目がもっとひどいあの万代島再開発が来年控えている。
日本はますます劣化をしていく!その典型だ。
駅南再開発のあの失敗の様を懲りずに、さらに金のはきすてをしている。
大恐慌に転げ落ちていく典型をみせている。

私が言っていることが極端に聞こえるとしたら、何も知らない
崩壊した審査部門を抱えている地銀以下のレベルだ。
そのレベルが県のお墨付きで資金を出しているのだろうが。
日本は確実に崩壊に進んでいる。


612,ある時間の断片-26

2002年12月16日(月)


         10月27日  土曜日
夕方6時に、欧州旅行のハレンチ会が集合。
池袋の「嵯峨」に集合。
川崎と隣で話す。彼は私のことをよく解かってくれる。
欧州旅行中に私のことを一番理解してくれた。
でもいい加減な自分を感じてもいるようだ。
今後とも彼のような男と巡り会えないだろう。

20時に高木が来る。
これで我々の仲間の6人中5人が集合した。
「パブ・エリート」へ飲みに行く。最後の一人の酒匂も来る。
全員集まった。個人主義の塊のような男が5人目の前にいる。
それだけ見ているだけで楽しい。

その後、目黒の高木の行きつけのバーに0時半まで飲む。
本当にこの会をやってよかった。
その後食事をして、2時頃に寮に深井と酒向がくる。
30分で酒向は帰る。
私は隣の留守の佐々木さんの部屋で寝る。
このところ毎日刺激が強い酒だ。

         10月28日   日曜日
10時起床。深井とオリンピックの閉会式を見る。
13時に新橋の深井の家に行く。15時まで彼の家で過ごす。
その後に深井の車で久々に江ノ島に行く。
第三京浜も久々だ。
夕日の富士が絶景だ。
こんな夕景の富士は初めてだ。
合気道の合宿で富士吉田のそれよりもよいように見えた。
右に真っ赤な夕日、左に江ノ島。
秋の夕べの海岸はよい。
一生の思い出だ。

帰って、夜半の3時まで卒論の勉強をする。

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611,ある時間の断片-25

2002年12月15日(日)


        10月25日 金曜日
8時前に起床。学校へ向かう。
人事管理で討論をやる。
我々のグループでは予習をいいかげんの割には論議に筋が
通っていた。
授業後、兼子と奥村と食事。
その後、ゼミの同期の連中と食堂で話をする。
その後、欧州旅行仲間の川崎と酒向の下宿に行く。

大学の近くにある。
寮住まいも大変だが、アパートの一人住まいも寂しそうだ。
それぞれあるのだろう。
欧州旅行の仲間の会を日曜日に開くことにする。
そこで連絡の打ち合わせをする。

喫茶店のジョーイに行く。
そこで川村の鈍行というグループが集まっている。
石川と田島もいる。田島と例の件で議論をする。
田島は個性豊かな人間だ。
私の顔がユニークだという。
貶しているのか、褒めているのか。

お前に言われたくないとも言えなし。
13時から武澤ゼミに参加。
指定の本をあまり読まなかったせいか、軽井沢ボケのせいか
まるでついていけない状態だった。
つくづくいやになる。

ゼミ終了後、高木と石川とゼミの3年の二人と飲みに行く。
2軒回った後に、所属している合気道会の主催の
「素晴らしき飛行機野郎」をタッカーホールに見に行く。
21時半に寮に帰ってくる。

新聞を読んでいると、後輩の米林君がくる。
寮の佐藤嬢とのノロケを聞かされる。
別れようが別れまいがどうでもよいだろう。
23時に就寝。

ー反省ーゼミでの論理の曖昧さを実感した。
もっと本を集中して読まないと。批判にしても
プラスマイナスを明確に把握しないと。
その為には、本を4~5回は読まないと。

           10月26日 土曜日
朝10時起床。
午後は卒論や音楽を聞いて過ごす。
22時から、先輩の河路さんのオーストリアへ留学の送別会だ。
彼らの仲間のOBが主体でやる。

全く彼等とは上手くいかない。
私の吊るし上げに近い状態だった。
もう少し寮の先輩らしくしろと言っているようだ。
彼等の目で見たらそうかもしれないが、如何しろというのだ。

自分の世界に一人割り切りすぎるというのか。
まとまりのある寮にしろというのは自分が外に行き過ぎている
ことか。
2次会の終了後、市川さんと飲みに行く。
自棄酒で夜半の2時に帰ってくる。
市川さんが気の毒と思ってくれたのか奢ってもらった。
ぼろぼろだ。
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・


610,ある時間の断片-24

2002年12月14日(土)


        10月24日   木曜日

6時半起床。
7時半に三浦さんが上京の為に、車で駅までおくる。
ホステラーが帰った後、一人で過ごす。
16時半に寮の高橋君と佐々木弟を迎えに行く。
寮の難波嬢もくる。そういえば彼女と一年前に2時間位
散歩をしたのを思い出す。ただそれだけだが。
あいも変わらずキャキャやっている。

去年ここでホステラーをしていた時に、夜の話の中で
確か4人のうち私だけが外国に行く予定がないのに疑問をもった。
そして、その夜のうちに旅行を決定した。
両親を口説いたっけ。
まず母を篭絡して、母と父の篭絡の相談をした。
母が「私が反対すると、あの人は賛成に回るから」と言ってくれた。
そしてその通りになり、その後その計画に父は気づいたが
うれしそうな顔をしていた。

19時の列車で寮に向かう。22時前に部屋に着く。
ボクシングで原田弟がノックアウトで勝ったところだ。

その後駒村と米と語り、零時まで明日のゼミの予習をして就寝。
追文ー軽井沢はスランプのためによかったが、気を取り戻して
卒論をやらなくては。

2002年11月28日の日記感想文

この当時の事は、もしこの日記がなかったら99.9�曜叉僂�
彼方のことだ。どうしてこの日記を書いたのか憶えがない。
でも奇跡的に残っていたのは本当に嬉しい。

内面をこれでも曝け出して書いてある。
まさかこれを公開しようと思ってもいなかった。
何か学生時代の最後になって最後の青春を必死になって
謳歌しているようだ。

それと現在考えると、かなり行動的だったのに驚いてしまう。
それと光り輝いていたエネルギーが満ちていたこともよい。
その当時はそのことに気がついていない。
それと人に生かされていたことも気がついていない。
自分のことで精一杯であった。

昔の青春時代読んだ本を読み返しているようだ。
別にその時代が懐かしいと惜しんでいるのではない。
こういう記憶の彼方にこういう自分がいたことに驚いている。
実際は気持ちはボロボロであった。
爆発しそうだった事はこの日記には書いてない。
そう書けばよいのにとも思うが。
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609,ある時間の断片-23

2002年12月13日(金)


      10月20日  日曜日
10時起床。午前はTVを見たりして過ごす。
本を読んだり、野球を見てすごす。
 明日は9時起床。学校で身体検査の後、卒論の勉強を3時間
図書館でやる予定だ。

      10月21日
午前11時から14時まで図書館で卒論の準備だ。
その後寮に帰り21時まで時間を過ごす。
スランプになったようだ。あせりだけが上滑っていく。

      10月22日
9時半に、後輩の丸谷君が軽井沢の三浦さんに連絡を入れるように
言ってきた。11時に電話を入れる。
人手が要るのですぐにきてくれとの事。
丁度スランプに入りたてだ。渡りに船で行くことに決めた。
14時35分の列車で出発する。
17時前に着く。
久々の軽井沢だ。三浦さんの奥さんに子供ができたという。
ケロも来ている。
ケロと長い間積もる話をして0時に寝る。

         10月23日
6時45分起床、しかし三浦さんとケロはもう起きている。
朝食のしたくの後、ケロを軽井沢駅に送りに行く。
その後長野へ行く。
途中で私が30分運転するが思っていたよりスムーズにいった。
17時半に友愛山荘に到着。
急に奥さんだけが実家に帰ることになり、私はホステラーと2人
だけとなる。少し寂しい思いだ。
23時半に三浦さんを迎えに駅に行く。
その後三浦さんと30分ばかり語り、就寝。
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608,ある時間の断片-22

2002年12月12日(木)


                10月18日
一時間目の人事管理に出る。その後朝食も含めた食事をしていると、
ゼミの田島と川村がくる。ゼミのOB会の連絡簿の案内書の住所書きを
コモンルームで12時半まで手伝う。

その後田島とウイーンにいく。
そこに鈍行という勉強会を開いている井上と森本など5人がいる。
あまり付き合いは深くないが、そこで30分も話さないうちに
旧知の友人みたいになる。
金沢に行きたいというので、寮の市川さんから情報を聞いてやると約束を
する。森本をほめると嬉しそうな顔をしていた。
こちらのほうが気分がよかった。ほめる事に関しては石川が先生だ。

帰寮後野球を見てすごす。
夕方食事へ行く。そこで先輩の永田さんと尾形君、丸谷君と会う。
一時間勉強の後、佐藤のところに行き、夜半の0時から3時まで酒を飲む。

今日も田島に言い過ぎた、困ったものだ。

      10月19日
10時過ぎにおきる。
夕方まで二日酔い?で夕方まで勉強をするが身が入らない。
夜9時から寮のミニコンパ。
一時間本を読んで夜半の一時に寝る。

空虚な一日であった。
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607,ある時間の断片-21

2002年12月11日(水)


        10月15日
9時起床。午前中卒論のまとめをするが集中しない。
夕方まで机に向かう。
夕方米林君が部屋に遊びにくる。
夜は夜で集中しない。

         10月16日
10時起床。オリンピックのせいか集中できない。
4時間は集中しなくては間に合わない。
夜の8時過ぎに集中できた。明日は早く起きて学校の図書館に
行こう。もっと集中しなくては。

        10月17日
9時過ぎの産関論を受講する。
50人も出席してない。午後は休講。
図書館で卒論のまとめをしていると石川がくる。
20分ぐらい話をする。
いつもの彼でないみたいだ。この前のことを根に持っているのか。
かなり混乱をしているようだ。彼の弱点をまた言ってしまった。
もっとクールに状況をみなくては。自分に気を許しているから
人に対しても気が緩むのだ。外部と内部の一線を引くべきだ。
外部の内部化と、それを消化した内部の外部化が今の卒論だ。

割り切りをきっちりしてないと混乱がますます大きくなる。
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606,ある時間の断片-20

2002年12月10日(火)


10月13日
9時半起床、午前中は何事もなく時間が過ぎる。
午後、姉正子さんが来て、一昨日の事を聞く。
姉が東京に友達といって、夜どこかの東京の夜を深井に
案内してもらった件だ。
深井にしたらあれが精一杯の接待だったのだろう。
その後悠久山に自転車で一人遊びに行く。
夕方になって街に出る。
実家の店と靴屋ーキッドに行き靴を買う。
その後両親と3人で自宅に帰る。

西村夫妻がおり裏に住む正子夫婦とともに一緒に食事をする。
正子の亭主の芳郎さんが急に席をたった?

夜半の0時半に西村幹夫さんが夜行で帰るので、見送りにいく。


         10月14日
7時半に起床。
オリンピックのバレーをTVでみる。
日本がアメリカに勝つ。
姉が芳郎さんの席を立った理由を言いにくる。
色々あるのだろう。父の毒舌に腹を立てたようだ。
11時43分の佐渡で帰ってくる。
私の留守の間に寮の後輩の駒村がハプニングをおこしたらしい。
誰か友達と騒ぎ、喧嘩になって留置所に入れられたという。
呆れたものだ。
2~3日はそっとしていてやろう。

明日から卒論の再開だ。
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605,ある時間の断片-19

2002年12月09日(月)


10月12日
8時起床。
11時半に長岡に出発する。
15時過ぎに帰宅。
家はやはりよい。
両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。

兄の三郎さんが婚約したという。
どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。
街が禅寺に行っていたせいか何かよい。
西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。

夜半の3時までオリンピックをみる。
世の中も変わったものだ、小学生の頃のメルボルン大会を
ラジオでやっと聞こえたのに。
12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。
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604,ある時間の断片-18

2002年12月08日(日)


10月9日
7時半起床。どうしても6時半には起きれない。
まず初日からこれではどうしようもない。
もっと気合を入れなくてはならない。
一人で自分を律するのは厳しい。
土曜日まで頑張らなくては。


10月10日
今日も計画通りに起きることができない。
午前中まで野田一夫の「ゆれる経営風土」を読む。
15時から卒論の下書き始める。
波に乗ったようだ、ここで可能な限りやってしまおう。

19時に実家から電話がある。
母と長姉の正子さんと話をする。
一番下の姉夫婦の西村さんが帰っているという。

明日正子さんが東京に行くので、深井に夜の東京を案内を頼むという。
深井に電話をするが彼がいない。
明日もう一度電話をする事にする。

10月11日

8時に起床。
卒論の方は予定通り進んだ。
明日夕方帰ることになった。
姉たちが来ているから帰ってこいとのこと。

今日は時間のたつのが早い。
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603,ある時間の断片-17

2002年12月07日(土)


                  10月8日
10時起床。
12時40分に上野に向け出発。
六日町の雲頓庵へ。
久々だ雲頓庵だ。
計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、
昼飯後、13時から15時勉強、30分休憩後、17時30分まで勉強。
食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。

卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。
小項目をそれぞれ書き込むこととする。



ー追記ー     2002年11月28日

このころ書いていた卒論の内容について書いてみる。

ー卒論  「流通革命について」

学生時代の卒論は「流通革命」であった。
内容は今のスーパーの出だしのころで、
そのころ主流を占めていた百貨店や一般小売店やデスカウントハウス
に変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。

その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や
業態を事例に出して、これからは今までの流通経路と全く
違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一や
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。

今なら一月もしないうちに軽く書き上げることができるが、
基礎となる文章の書き方も知らないでモガキ苦しんでいるのが
手に取るようにわかる。

・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。
・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。
・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
 それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。
 
以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。
34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理で、
長崎屋やニチイが倒産。西武流通グループは解体。

ヨーカ堂やジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。
面白いものである。

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602,ある時間の断片-16

2002年12月06日(金)


10月6日  日曜日

朝10時半に起床。
部屋の大掃除後、洗濯屋に行くため部屋を出ると、
大妻女子大の5人と出くわす。
この前に来ていた人もいた。

昼飯後、風呂に行ったり、音楽を聴いて時間をすごす。
夜半の12時に永田さん部屋にくる。
何か自分中心で好感が持てなくなってきた。
自分のことしか見えてないのが嫌だ。

のんびりした楽しい一日であった。

10月7日
9時半起床。10時半に学校に出発。
ところが学校は休み。図書館もやってない。
校庭の4丁目にいると、クラブの加藤と古市と会う。
彼等が変わっていたのに驚いた。
12時過ぎに石川と待ち合わせて会う。
ウエストサイドで3時過ぎまで話す。
辛らつにお互いの批判になる。

自信過剰で、視野の狭い人間だといわれた。
かなりこたえた。

その後本屋に寄り、寮に帰る。
音楽を聴いていると、後輩の米林君がくる。
頭のよい吸収力のある男だ。

明日から卒論のまとめの為に新潟の六日町の雲頓庵に行くが、
そこで大筋と構想をまとめてみようと思う。

石川についてー
かなり自尊心に傷をつけられた。
もともとお互どちらが正しいとはいえない。
割り切って付き合わなくては。
それにしてもこの自分の動揺はどういうことか。
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601,ある時間の断片-15

2002年12月05日(木)


10月5日  土曜日

昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が寮の部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。
親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。
帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

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青雲寮の文章を過去に書いたのをコピーしておく。

2001/12/20
青雲寮(わが青春)

私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは言えないが
人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽の鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、とにかく癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。
ホモあり、女狂い有り、哲学専攻でいつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。
クソ真面目のいやみな先輩あり、学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなり
おもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。  
父がこの寮に卒業の八ヵ月前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、 
いかに凄いか想像出来るのでは。           (昭和40〜44年)

2001/05/24


・・・・・・・・・・・・・・・・


600, カットスロープ

2002年12月04日(水)

ある経営セミナーで聞いた戦法・商法である。
立地やプライスラインで おこなわれる。
立地で解りやすいのが、先日新潟駅前にオープンした東横インだ。
税込み6500円ラインを駅直通の再開発ビルのテナントで
ぶつけてきた。咽喉仏を掻っ切られるのが、そのプライスラインの
ワシントン、アルファーワン、東急イン、第一ホテルである。
10〜20�佑稜笋蠑紊殴瀬Ε鵑砲覆觧�は必定だ。
そうでもないのに20〜30�優瀬Ε鵑靴討い襪里法�

当方のプライスラインは70�涌焚爾琉戞�軽微である。
値引き期間の今月は1割はダウンするだろうが。
当分は東横インの一人がちだろう。
新潟の宿泊は東横インのミドルプライスと当社のロープライスと分
け合うカタチで集約されていくだろう。

新潟駅前の十数の小型のビジネスホテルとビジネス旅館は
当社とターミナルホテルのカットスロープで消滅した。
市内の旅館も7〜8割も消滅した。

丁度開業の時に考えたのが以下のコンセプトである。
 �〜蠎蠅凌澗,髻´△垢襪匹ぁ´�ナイフで �げ爾茲蝓�
�イ弔�あげる。 ��捨身で!
(� 畫蠎蠅亮舂肋ι福↓◆瓮廛薀ぅ垢里靴椶蠅海漾↓�=当方の主力商品、
�ぁ當礇廛薀ぅ垢如↓ァ畚電製乎羲腟繊↓Α甼搬屬量棲硫宗�
 これを元に今の事業を立上げ続けてきた。
カットスロープに似ている。
弱肉強食の世界がますます露現してきている。
事業は全てをかけたビジネスゲームである。


599, 忘年会

2002年12月03日(火)



開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。
昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。
とにかく盛り上がる。大体50人前後が出席する。
若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。

そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。
そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。
お客さんがだいたい7割を占めるが、ほとんど人が営業か
営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。

昨夜も最高潮に盛り上がった。
毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。
時代時代により色々な忘年会の思い出がある。

急性アルコールで入院した人もいる。
この忘年会で初めて年末の到来を実感する。

過去に書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・・・

H0905  宴会好き!

 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になった
のだろう!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけて
よく飲んだものだ。もともと私の父が宴会好きであった。
酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いて
いた。
これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位
だった。芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返して
いると思うと“三つ子魂”何やらである。

当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ−カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、
痴呆で亡くなった。


598,八ちゃんの時代ー2

2002年12月02日(月)



少年期までは今考えても、かなり刺激的な環境で育った。
生後3ヵ月後に、長岡の東神田から大手通に帰ってきた記憶が
ある。もしかしたら父親の話の刷り込みかもしれないが。
子宮の中の記憶のある人もいるとか。

お手伝いの背中におぶさっていたのも這い這いも憶えている。
歩かされた時に面倒くさいと思った事も。

商売の真っ只中で育ったせいか、今も人ごみが好きである。
スーパーや飲食店に行くのが異常に好きなのは、三つ子の魂百までだ。
競合店がオープンすると偵察に行った、5歳の頃である。
家族全員が毎日の売り上げに一喜一憂をしていた。
もう50年以上も昔のことだ。

今考えると当時は金色に輝いていたように思える。
生きるのに必至の両親の姿がそのまま伝わってきていた。
素晴らしい時を両親と共有できたのだ。

兄二人の死とその5〜10年後の母の心筋梗塞の死線があった。
これで母は死ぬんだと思った、しかし生き延びた!

2歳の頃に実家で更に新しい事業を始めた。
その記憶が生々しい。
ビル建設の完成まで住んでいた木造の家の下に丸太を入れ、
近くの公会堂の前の広場まで移動した。
完成するまでそこで店を開いていた。

建物の完成した引越しの日々が生々しい。
コンクリトーと生壁の匂いと混乱の凄みを。
あの時代は皆が必死であった。

1階は店,2階が倉庫兼事務所、三階が自宅兼店の食堂と風呂、
4階が従業員の宿舎兼後方であった。
毎日が戦争のような日々であった。


597, スーパー床屋 −2

2002年12月01日(日)

そこで働く人たちはほぼ全員椅子貸しの契約社員。
TVで見た範囲の知識だが、頭の洗いは省略をして掃除機のような
もので吸い取ってしまう。髭そりもオプションになっているようだ。
一人当たり10〜15分で仕上げてしまう。

特に土曜と休日に集中するという。
それなら美容院もあってもよいのではと思ったら
新潟にも全国チェーンで「クイーン&キング」という名で
青山にあるという。これなら家族でいける。

知人が最近スーパー床屋に切り替えたと言っていた。
月に一回行っていたのを2回行くようになったとか。
それでも安いという。
「将来殆どがスーパー床屋にきりかわるだろう」と言っていた。
自宅の近くのSCゾーンの一角にスーパー銭湯が開店するが、
その中にスーパー床屋が併設されると家内が言っていた。
500円の銭湯に1500円の床屋で2000円である。
それでも床屋の半額なら大部分がそちらを選ぶだろう。

今の回転寿司と寿司屋の使い分けの状態ににてくる。
寿司屋も数年前に80�佑浪鹽昭�司に取って代わると食堂専門誌に
書いてあった。現在その流れが加速している。
年に1〜2度寿司屋に行って、月に1〜2度回転寿司に行く
パターンになってきている。

学生時代の事を思いだした。
池袋駅の地下に半額に近い床屋があった。
多くの若い女性の従業員がいて広い店であった。
いつも満杯であった。ただ一回で二度と行かなかった。

若い女性にミニスカートに胸の開いたブラースを
着せて色気を売っていた店がある時期流行ったという。
クラシックを流している床屋もあった。

何か床屋談義になってきた。

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