堀井On-Line



596, スーパー床屋は席貸業

2002年11月30日(土)

最近、新潟でも目立つようになってきたスーパー床屋の
実体が面白い。

日経流通新聞の広告でフランチャイジーの募集の内容に興味を
持った。「経営は理髪師の免許がなくても可能です」
どうして?と思うのは当然である。

既存の理髪業も今の日本の旧体質の典型?である。
若い人が既存の店で修行と称してタダ働きに近い状態?を
強いられていた職人の世界である。

そのプロセスを踏まないと新規の出店の時に想像を絶する嫌がらせに
会うと聞いていた。
誰もが知っているあの日本的馬鹿いや愚かの世界である。

関西人がそこに目をつけ、チェーン化を始めた。
場所貸し業と捉えたのである。
スーパー床屋のシステムはその席貸し業に組み替えたシステムである。

この辺の話しは良く解る。オーナーは不動産業なのである。
最適な立地の不動産のオーナーと理髪のフランチャイザーが組む。
フランチャイジーはマニュアルどおりにやればよい、
タダそれだけでしかない。
席を借りた人は働いただけお金になるのだ。

札幌のススキノで飲んで帰るタクシーの運転手さんの話が
今でも忘れられない。
深夜のタクシーは倒産した人の最後の砦の世界という。
とりあえず、お金がほしい自分達の必至の金稼ぎの世界である。

タクシー会社も深夜の高い人件費を考えると、そのままタクシーを
丸投げで貸したほうが良いという。
その応用がこのスーパー床屋の世界なのである。
場所貸しで割り切った若い人が必至に働いてもらった方がいい。

若い人で4〜50万稼ぐ人がいるとか。
都会の既存の床屋はここにきて大きな落ち込みが始まり、
また新規開店がげきげんしたとか。
床屋の世界おまえもか!である。

そういえば宅配便の運転手はもっとシビアの世界だ。
そのベンチマーキングの結果の美容・理容の世界でしかない。
全国チェーンもあるところまでいくといきずまるだろうが!

商売は全てがシステム7割、商品3割である。
そのシステムが根こそぎ変わろうとしている。


595, ある時間の断片ー14

2002年11月29日(金)

1968nen10月4日  金曜日
8時10分前起床。
人事管理の受講の為に出発。
そこで性格検査をする。
「D型の準」だ。
その後図書館に行く。
雨宮がいる。彼と話をする。
以前は都会育ちのファッショナブルの男であったが、
最近はいやに人間臭くなってきた。
自分の将来図を描いて自分を当てはめようとしている。
それが不安で仕方がないようだ。
13時から16時まで武澤ゼミナール。
あまりの熱中と緊張感で前頭が痛くなる。
何とか切り抜けることができた。

17時より蒔田寿司でゼミのコンパ。
20時半に終了。
武澤先生のお宅へ先生の車で行く。
23時まで先生のお宅で騒ぐ。
先生の奥さんが先生に顔がそっくりなのに驚く。

マンションに入るのは初めてだ。
外国映画に出てくるそのままの世界である。
椅子に人形の女の子が座っていたのも印象的だ。
先生には子供がいないので、それが目立ったのだろう。
かなり酔う。やっとのことで帰寮する。
楽しい一日であった。


594, パソコンの恩恵

2002年11月28日(木)

どうして毎日飽きずに書けるか種明かしをしよう。
パソコンのおかげなのである。
会社の机の上と、自宅の居間のパソコンの存在のおかげだ。
パソコンが無かったら絶対に不可能である。

何か思いついたときパソコン内のメモ帳に書く。
それに気楽に書き足していくのである。
最後に適当にテーマを書いて保存しておく。

特に一番リラックスしている夕食前後に面白いテーマや
キーワードが出てくる。
10秒もしないうちに書ける休止状態にしておき遊び感覚で打ち込む。

これで飛躍的に文章力と量が増えたのだ。
その場が一瞬に書斎に変わるのだ。

更にパソコンのよいことは修正と追加が軽くできることだ。
順序も考えないで、思いついた事が打ち込めるのだ。
後で順序を並べ替えればよい。そのプロセスは思考である。
そうするとパソコンは思考機械になる。

これが紙に書くとそれ自体で気分が重くなる。
さらに書きなぐっていると、頭が混乱してくるのだ。
勿論大切な事だが。

ポイントはテーマなどは後で面白おかしく書き換える事だ。
毎日書き続けて解ったことは推敲の回数を重ねるほど文章は良くなって
いくことだ。文章上達はそれしかないといってよい。
それがパソコンの場合簡単にできるのである。

話しは変わるが随想日記の最大の読み手は実をいうと私なのだ。
数ヶ月前のある日を突然ランダムに呼び出して毎日のように
読んでいる。こんなことを書いていたのかという驚きである。
これは自己対話をしていることである。
あるいは自分を深耕していることにもなる。
これもパソコンだからできるのだ。書斎に移動して読む必要はない。
我が家には書斎はない、いや必要ないのだ??

この一年半で、自分の文章力が飛躍的に向上した。
これは毎日文章を書き続けたことと推敲を毎日重ねたおかげである。
その最大の武器がこのパソコンである。
それとホームページのおかげだ。
誰かとつながっているという動機づけがあったからである。
パソコンは知的玩具です。
痴的にもなるが?!


593, 八ちゃんの時代

2002年11月27日(水)



八ちゃんという言葉が私のアイデンティーである。
8人兄姉の末っ子で、父親の42歳の子供であった。
両親と兄姉と従業員の中で可愛がられ育った。
特に父親に溺愛されていた。
但し物理的には何も与えられなかった。当時は誰もがそうであったが。
今も人好きなのは三つ子の魂いつまでもである。

今でも姉が憎憎しく「あの八ちゃんは何処にいったの?」という。
「しょうがないだろう、あれから五十年経ったのだから」
これが私の答えである。

今考えてみても刺激の強い幼児期だった。
映画のような世界であった。
刺激は強く貧しいが、明るく豊かな世界だった。

今も鮮烈に当時の記憶が残っている。
子供心に当時の出来事を全て受け止めていた

・無尽上がりの??相互銀行のKが成り上がってきたとか。
・十日町のイチムラが近くに百貨店をオープンした。
・同じく三条の香具師が百貨店を開いたとか。
・北越銀行の頭取が何処かの未亡人に熱を上げて通っているとか。

見ていても、聞いていても刺激の強い世界であった。
自殺、夜逃げ・妾の話が子供ながらに面白くワクワクして聞いていた。


592,ーこころにのこった詩ー2

2002年11月26日(火)

            ビートたけし
ー兄弟

兄ちゃんが、僕を上野に映画を見につれていってくれた

初めて見た外国の映画は何か悲しかった

ラーメンを食べ、喫茶店でアイスコーヒーを飲んだ

兄ちゃんが、後で入ってきた、タバコを吸っている人達に

殴られて、お金をとられた

帰りのバス代が一人分しかなく

兄ちゃんが僕をバスに押し込もうとした

僕はバスから飛び降りた

兄ちゃんと歩いて帰った

先を歩く兄ちゃんの背中がゆれていた

僕も泣きながら歩いた

・・・・・・・・・・・・・・・・
ーこれを読んで子供のころの出来事を思い出した
詩的に書いてみるー


小学校の低学年の頃、兄と歩いていた
兄が急に頭に手を当てた

帽子を取ると頭が血だらけだった
兄はそれを見て泣き出した
帽子に穴があいていた

すぐに誰かが空気銃を撃ったのが解った
近くに不良の中校生がいた
彼だろうと思った

兄の手をひいて帰った
その問題は大きくはならなかった
それから10年経ってその少年は殺人事件をおこした

ざまみろと思った

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この文章を考えて寝たため昨日の朝
ビートたけしの兄弟の夢をみた。
夢の中の対談で私が司会者だった。

たけしが兄にふざけて昔貸した200円を返せという。
また二人で読んでいる新聞を取り合いをしている。
兄弟でいつの間にコントをしている。
それがこの詩のように仲がよいのだ。

何か失われた家族を見ているようであった。
また自分の脳の想像力の凄さ単純さに驚かされる。
自分でいっているのだから間違いがない。


591, ある時間の断片ー13

2002年11月25日(月)

             1968年  10月3日
9時半起床。
10時40分学校へ出発。
12時に図書館に行く。途中で石川と会う。
図書館で数人の人と話ばかりで、試験勉強が身に入らない。
試験は予想どおりで、簡単であった。
必死になったのが馬鹿みたいである。

帰寮後、床屋に行く。
夕食後TVを見る。
今の自分が何かあるべき自分とのギャップが大きい。
どうかしているのではないか?
石川に今日言われた。
「かなりいいかげんだ!」と。

そうだ、新潟の六日町の禅寺の雲洞庵にいこう!
これで遅れた分が取り戻せるだろう。
このままだと、その半分以下だろう。

この7日か8日にいこう。
そこで集中して卒論の大筋をまとめあげよう!
同時に人生の将来図ー目標とか理想をつくりあげよう。
イメージにまでにしてしまおう。


590, 愚か者と馬鹿者

2002年11月24日(日)


宗教学者の対談の中に愚か者と馬鹿者の定義をしていた。
・愚か者とは社会一般の常識しか知らない者。
・馬鹿者とは一般社会を離れて見ている者。
そう見ると世間様は愚か者の世界そのものだ。

見るところ80佑愚か者?
愚か者の目で見たら、超越している人は正しく馬を
鹿という文字どうり馬鹿者だろう。

「馬鹿になれ!」とかいうのは愚か者に対する宗教者の視点である。
教養はその視点を時間をかけて積み上げた経験と知識をいう。

私などは愚か者に馬鹿が加わった馬鹿愚者である。
それすら気が付かない愚か者よりマシなのか、
それ以下なのか??

もっとも社会常識を元々知らない事と、知った上で離れてみる
視点を持つことは別だが。
愚か者はその識別さえできない。
私の知人のある匂いを持った愚者の群れは私が一番嫌う人種だ。
嫌うという事は、自分もその匂いを持っているという事だ。

何か誰にもいえることだから、誰もが考えてしまう問題だ。
「男はつらいよ」の映画のある場面に印象的な場面があった。
ある地方の少し頭の軽い男に誰かが「この馬鹿!」といった。
言われた男が「馬鹿に馬鹿というのが一番馬鹿だ!と母ちゃんが
言っていたぞ!」

私は馬鹿と信じてきた自分が一番愚者だった!!??
おわり!


589, 癒しについて

2002年11月23日(土)



癒しはヒーリングの訳語だ。
ヒーリングの意味は「本来備わっている自然治癒を引き出す事」
をいう。そうすると癒しの意味はそれを妨げているものを
取り除く事になる。

人間の中の元々ある力を導きだす事だ。
気安く癒しを求める事がおかしいといえばおかいし。
安易に傷を治したいというだ。

甘い生き方を更に甘さで埋めようということでしかない。
垂直に自分を突きつめないでー軽く傷を治そうというのが
みえみえだ。

更にゴッドマザーやゴッドファザーが出てきて治そうとする
から傷が深くなるのだ。

このホームページに癒しのコーナーがあるのはいかなる事か?
笑って時間をやり過ごす為だー
傷ついた時や疲れたときの居酒屋の自分のコーナーのつもりだ。

生きていれば傷つくのは仕方がないことだ。
消毒をしっかりしてバイキンよけの薬を塗って時間を待つしかない。

感謝が足りないのが傷口を大きくしている。
縦の自分の関係が浅くなっているから、横の関係に惑わされるのだ。
垂直に自分を掘り下げるチャンスにすればよい。

深いところで変わらなくては、傷が治るわけがない。


588, 服装は着る言葉です

2002年11月22日(金)

本屋をのぞいていたら「服装は着る言葉です」とある服装評論家
の文章が印象深かった。そこに更に他の評論家が
「似合うということと、高い、新しい、華やか、流行とは無関係です」
と書いてあった。
「どう着るかは人生をどう生きるかの自己表示である」
というと、少しオーバーになる。

服と服装は違うという。
服はあくまでパーツである。その組み合わせが服装という。
それもTPOSの場に合わせるので
自己表示そのものといってオーバーではない。

ファッション店はそうすると情報産業そのものになる。
「こういう組み合わせやパーツありますよ。
うちの店のこれで自分を表現したらどうですか」という情報業だ。

真っ赤な胸の開いた服ならさしずめ
「私はさかりがついているメス」と自己表示している?
あのメスサルの尻の赤い状態である?

若いうちから服装にもっと気を使うべきだ。
中年のきんきらのオバサンを見ていると、この人は若い時に
そういう気を使ってないことの自己証明である。

大学に入った時に一番ショックだったのが服装であった。
都会育ちの友人のセンスのよさにコンプレックスを持った。
一枚の開襟のシャツを何気なく着ているが、センスが違うのだ。

中学や高校時は制服でカジュアルを着るチャンスは全くなし。
急に華やかな世界に投げ込まれても、即席で身に付くものではない。
言葉と服装に本当に苦労するのが当時の地方出の悩みであった。
今はTVやマスコミで均質化されているが。

その為に、鈴屋や鈴丹という地方出の為の女性のファッションチェーン店
があった。今は鈴屋は潰れ、鈴丹は消滅直前だ。


587, 方針について

2002年11月21日(木)


ある経営セミナーでなるほどとイヤに納得をした事があった。
「経営方針とは何々をするというのではなく、何々は
絶対にしないという事である」

非常に解りやすいし、ずばり本質をついている。
枠をハッキリ明示して、エネルギーの分散を避けることだ。
何かをする為には何々を守るためには何々はやらないという事を
明示しておく事だ。

家訓などはそういえばそうだ。
住友の家訓は「浮利を追わず」がその典型だろう。

父は「無借金経営」であった。
家訓は
・請け判はするな
・実力以上のことをするな
・質実剛健ー贅沢するな
・肩書きを求めるな−ライオンズやノータリンクラブにはいるな!

2代目が家を潰してしまうのは、家訓をふみはずてしまう
ケースが多い。家訓に縛られて何もしないのも問題だが。

老舗や名家は代々続いたその家訓が光り輝いている。


586, 不気味

2002年11月20日(水)



株が連日底割れをしている。
日経平均8千円割れも目前になってきた。

さらに悪いのは銀行株の連日の下げである。
UFJとみずほ銀行が50円額面で100円を割ってしまった。
UFJが年内、みずほが来年そうそう国家管理になるという噂も、
現実味をおびてきた。

昨日一日早く週刊朝日が手に入り、木村毅の銀行トップ批判の
記事を読んだ。
日本経済の実情は一般のマスコミが言っている以上に悲惨だ。

団塊年代の世代交代期と情報化による時代の変化が重なっている。
これが今の日本の悲劇的のところだ。
先日もその世代の宿泊客の自殺未遂が自社ホテルであった。

しかし不良会社の清算はしなくてはならない。
イラク戦争のドサクサでやってしまうのが政府の狙いだろう。
次の朝鮮戦争?が控えているから、やはり先倒しで?整理は
しておいた方が良い。イヤやるべきだ!

装置産業の当事者として他人事ではない。
悲壮な話しだが暴風は覚悟はしなくてはならない。
今までが良い時代だったと割り切った方が良い。

実際のところ来年は想像するのも恐ろしい。
事業も社会情勢も。


585, ある時間の断片ー12

2002年11月19日(火)

1968年   10月1日

9時半に起床、11時までボーと過ごす。
その後学校に行く。石川と入れ違いに兼子がくる。
一緒にコピーをとりに校外にでる。そこでフェステバルの行進にであう。
かれの食事に付き合うーそれまで私は終えていたが。
彼も自分に対して自信を持ち始めたようだ。

女性に対してかなり発展しているとか−同棲をしているとか。
彼とボーリング場に行くが満員で時間待ちということそのまま帰る。

帰寮後、風呂に行き試験勉強を1時間半する。
キックボクシングを見た後、石川へ電話のため電話ボックスにいく。
9時半より夜半の一時まで試験勉強。
精神がまだ甘いとつくづくおもう。
就寝。

1968年  10月2日
10時起床、11時に学校に向かう。
食後図書館に行く。石川と隣り合わせで試験勉強をする。
途中に同級の雨宮がくる。彼と話をするが、外国に行きたいとのこと。
必死に将来を考えているようだ。兼子も来る。

図書館の私が座っている場所が溜まり場みたいになっている。
今日の試験はまるで簡単であった。
まじめにやりすぎたのが馬鹿みたいだった。

帰寮後、先輩の佐々木さんと高橋君と食事、その後後輩の
駒村君と米林君と話す。
駒村がのろける。自分がもてるのに驚いているという。

そういえば今日昼の12時半に深井と会う。
彼が今度の土曜日に聖心女子大の彼女等と会うという。
私も行くことになるが、その前に小作とどこか女性と遊びに行く予定
がドタキャンになる。
そう考えていると偶然の一致に彼と出会う。
面白いものだ。彼の誘いを断る。


584, ーこころのかぜをひいたら

2002年11月18日(月)

          ー宗親  
そうかい こころのかぜをひいたのかい
こころのかぜは からだのかぜとおなじだよ
こじらせると はいえん まんびょうになってしまうんだ

そのときは おいらの いざかやにおいてよ
ぶるーの こーなーにおすわり
そこはかぜをひいたひとの せんもんこーなーなんだ

そこで たまござけ のむといいよ
そして にんにくのまるあげを ちゅうもんするのさ
かえりに もうひとつ にんにくあめを おみやげにあげるよ

そしたらすぐに へやにまっすぐおかえり へやをあっためて
そうそう ねることさ

こころのかぜは さむさに とくにゆわいんだ
ひえたこころを まずあっためてやらなくてはね
そして つかれをとることさ

こころのかぜは からだより びみょうなんだ
とくにさむさにね 

だれにも あわないほうがいいよ
ひとにうつしてしまうからね 

ひとり ふとんのなかで なんにも かんがえないで
ゆっくり ねることさ ゆっくり つかれをとることさ 
そして あせをたっぷりかくといいよ
はやく なおそうとしないのが こつなんだ

こころのかぜは こころのかぜは 
こうねつになるからね きをつけたほうがいいよ

こころのかぜは かみさまのさいん
うすぎを しているよという さいんだよ
わるいばしょに いるという さいんだよ


583, 風邪のひき方-こころにのこった詩

2002年11月17日(日)

なかなか良い詩があったのでの載せておきます。

明日は「かぜをひいたら」という人生で初めてつくった
詩を載せます。 
散歩で即興でつくってみたので今日一日で何回か修正して
みたいと思っている。


                辻征夫
  かぜのひきかた

こころぼそい ときは
こころが とおく
うすくたなびいていて
びふうになびいていて
みだれて
きえて
しまいそうになっている

こころぼそい ひとはだから
まどをしめて あたたかく
していて
これはかぜを
ひいているひととおなじだから
ひとは かるく
かぜかい?
とたずねる

それはかぜではないのだが
とにかくかぜでないのだが
こころぼそい ときの
こころぼそい ひとは
こころにあがらう
げんきもなく
かぜです

つぶやいてしまう

すると ごらん
さびしさと
かなしさがいっしゅんに
さようして
こころぼそい
ひとのにくたいは
すでにたかいねつを
りっぱに きちんと
かぜをひいたのである


582, NTTと日本の現状

2002年11月16日(土)


このところ光ファイバーを会社や自宅に導入で
NTTの現状を垣間見ることができた。

自社ホテルの電話の使用売上が10年前の十分の一以下に落ちている。
携帯電話に変わった為だ。

各家庭や会社はホームベースとしての据え置きの電話があるが、
使用回数が激減しているのは間違いはない。

そうするとあの電信柱から引き込まれている数兆とか十数兆の
設備投資の価値が激減していることになる。
NTTの知人が「電電公社に入り、こういう目-肩たたき-にあうとは
思ってもみなかった」と言っていた。

この現象が今の日本の大不況と酷似している。
新しい流れに転換できないでいるのが日本だ。

すでに電信柱からデジタルの携帯電話や光りファアイバーの
変わろうとしているが、転換できないでのた打ち回っている。

不良会社の整理も当然しなくてはならない。
電信柱に例えられる旧体制がまだ抵抗している。

有線放送とかいろいろな関連会社も、その脱皮についていけないで。
駄目の者は駄目なのに。その代表が自民党の橋本派である。
実際に利権を握っている為現実が見えてないのだ。

NTTもNTTドコモがあるから救われるが、
今の日本には殆ど見当たらないのが恐ろしい。


581, PDPTV

2002年11月15日(金)

PDPーTVを先週に居間に入れて6日が経つ。
設置に3人で5時間以上もかかった。

パイオニア製で50インチだ。
それにソニーの音響システムを組み合わせて
税込みで76万円だった。あと半年で3割は下がるだろう。
半額はローンにした。

さすがに迫力が違う。
相撲などは音響も含めて会場にいる気分になる。
まだじっくりと見る時間はないが、今週末から見るつもりである。
コンサートや歌謡番組を夜電気を消して見ていると、
その価値を充分感じ取ることができる。

あと15万を出すとソニー製の新型を買えたが、値崩れを起こし始めた
パイオニアにした。ますますお宅になりそうだ。
何か凄く豊かになったような気分だ。

あと数年がたつと、PDPや液晶から有機TVが出てくるそうだ。
ソニーはそれに絞って商品開発をしているという。

こういう時代に、遠出をしないでカウチポテト族になって
いるのに丁度よい代物だ。それとこのパソコンが。
つまらないスナックで飲んでいるより居間の方が刺激的だ。

ただ集中度が高まるので疲れるのも事実だ。
お勧めはあと半年経つと1インチ1万円に下がった時だろう。
それも部屋によっては42インチあたりでよいのでは。

車を小型や軽にしてTVやパソコンにシフトしていく時代だ。


580,  中国の陰と光

2002年11月14日(木)

昨日は三井住友銀行の講演会とパーテーがあった。
常務がパーテーでの挨拶がかなり深刻な内容であった。
ここまできたらハードランニングしかないし、後は自助努力
しかないという。
初めて聞いたが三井住友銀行も持ち株会社をつくって、
本体はそこに残し、後は子会社化していくといいう。
この数年間続くであろう暴風を前にした決起式みたいでもあった。

本題の講演は「現在の中国について」であった。

・「中国脅威論は的外れ」というのが結論であった。
 今開かれている中国共産党大会で、これから20年で経済規模を
 4倍にするという。
 もしそうしなくては中国の未来はないとまで言っている。
・その為には年率7佑寮個垢鯊海韻覆てはならない。
 しかし絶望的の数字である。
 もし発表された数字が成長7佑覆薺偽の数字とみたらよい。
・汚職、農村問題、私的企業の認可等の問題が山積みだという。

こういう問題が共産党の統治メカニズムを弱体化させていく。
孫文が「中国国民は砂のようなもの」と喩えた。
極端な個人主義を言いたかったのだろう。
その為に強烈な統治が必要で共産主義の統治は今までは
有効に働いたが、これからはその解体過程にあるのは納得できる。

中国内部でも地域間賃金格差は十数倍あり、これが8000万人の
流浪の民をつくっている。
現在、中国の内部の矛盾が大きく内部に膨らみだしてる。
あまり日本のマスコミでは言われてないが今までなかったような
情報が多いとか、暴動とかストなど。

いずれにしてもあまり過大評価をしない事だ。
今は光の部分しかみえてないが、背後の影が見すえなくては。
これが結論であった。
国内も世界も今まで経験したことのない時代に一歩踏み出したようだ。


579,  ある時間の断片ー11

2002年11月13日(水)

1968年    9月29日ー日曜
8時起床、午前中は部屋と寮の大掃除。
気持ちもすっきりした。
午後は3時間、明日のための準備の読書だ。

そういえば最近寮の他の人との距離が出てきたようだ。
仕方がないのかもしれないが、あまり開放をしていると
自分の世界が保てない。
彼らは彼らの価値観があるのだ。
当然のことだが、20数年お互いに違う道を歩いてきたのだから
仕方がないことだ。
これからもまったく違う道をお互い歩くのだから。

そのことを考えれば今の疑問が少しは晴れるだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・

        1968年  9月30日ー月曜
8時10分前起床、そして学校に出発をする。
武澤ゼミに参加する。
武澤先生に皮肉を言われたー少なくとも私のいい加減さを
指摘されたと感じた −
気持ちだけは積極的になっているが、その実はやっていることは
いい加減だということだ。
ゼミ終了後、図書館で卒論のまとめをする。
気持ちが落ち着かず中途半端であった。

校庭であった奥野と中野と話をする。
試験がその後あった、ここは出ないと思っていたところが出てしまった。
もっと駄目押しをしておけばよかった。70点ぐらいだろう。
兼子と池袋駅まで一緒であった。
バスで帰るがこの風景もあと半年で終わりだ。

帰寮後夕食に行くと、寮の佐藤嬢がいる。
少しの時間だが食事をして話をする。

何か毎日が矛盾だらけだ、今日の先生の皮肉が聞いたのか気持ちの
動揺が残っている。
現在の自分はゼミと卒論に気持ちが集中している。
それと就職のことがーこのまま就職してよいのだろか?
今の寮生とあまりに気持ちが違っている、これも仕方がないか?

夜半の一時に佐藤君のところに行き話をする。
彼とは気が合うが、最近気持ちのずれが出てきた。


578,  読書について

2002年11月12日(火)



以前「本を読むときのポイントは何か?」と不意打ちに聞かれて、
瞬時に出た言葉が「読みたいところを探して読む」であった。
小説や本の構造が大事の場合が多いから、すべての本にはいえないが。

「一冊の本からその真髄を一つを掴め!多くのものを得ようとするな!」
そう割り切ってそのノウハウを身につけた時、本屋や図書館は
知識の宝庫に変わる。立ち読みでも多くの知識を得る事が出来る。

勿論(^^ゞしいー自嘲の話しだが,今まで本を読んで一つでも本当に
モノにしてきただろうかというと疑問だ。
「要するに一番のポイントは、結論は何なんだ?」
「読み終わった後に、この本はこういう事がポイントだった」
とまとめていただろうか?何回も自省してみる必要があるのに。
読書の一番の要諦はこれしかないのに。

多くのものを得ようとして何も得る事ができなかったのでは?
また自分の壁がそれを不可能にしていたのでは?
このことを考えてみても、内部の壁が如何に大きく自分を取り囲んで
いるかが解る。自分でこの随想日記を書き続けて、作家や記者などの
物書きの凄さが解ってきた。

文章の中に込められたエネルギーや魂が感じ取れるようになった。
本屋や図書館はエネルギーのルツボである事も。
そこに行きなれない人が行くと便意をもよおすのは、
人間の脳の中枢を刺激されるからだ。


577, 一人旅

2002年11月11日(月)


20代前半に北海道と九州に二回一人旅をした。
他には勤めていた会社で近くの半島に旅行をした。
紀州半島と能登半島だ。これは一泊二日だったが。

一歩家を出れば、あとは旅行代理店とつくった日程どおり
にこなしていけばよい。結構楽しい旅であった。

写真を多く撮っておけばよかったが、そのアルバムも不明だ。
傷心旅行だったり、学生時代の最後の休みの旅行だった。
一人頭の中でブツブツ独り言を言っていた思い出がある。
それがよいのだろう。

一種のロマンチズムで、有り余るエネルギーの捌け口だった。
ただ記憶が鮮明に残っているのが不思議といえば不思議である。

今考えてみれば、一人で外国に出てみるのもよかったが、
あの当時の社会情勢からも、自分の性格からいっても無理だった??
一人旅は一歩踏み出せば、なかなか味がある。

「深夜特急」という沢木耕太郎のドキュメンタリー風の小説がある。
世界の一人旅を目指している若い人の手引書になっている。
7〜8年前にTVでもドラマ風に仕立てられて数回に渡って
放映された。この出来もなかなかよかった事を憶えている。

といって親しい人との旅行と比較すれば、やはり一人旅より良い。
TPOSによるが。


576, ある時間の断面ー10

2002年11月10日(日)

                1968年  9月27日
7時半起床、8時55分に受講するがプリントをもらい損ねる。
受講後、川崎と池永とタッカーホールで話し合う。
石川をチョッと無視をする。たまには薬になるだろう。
図書館で合気道の同期の助川と久々に会う。
昼食を一緒にとり、今後のことを聞く。
彼も大変のようだ。

その後ゼミに出席する。体調が悪いせいか議論では絶不調だ。
石川が今日は絶好調だ。彼に独壇場を許してしまった。
どうしたことか?疲れているようだ。


                9月28日
9時起床、また寝すぎたようだ。10時20分に川崎と待ち合わせの
場所に行く。しかし彼はこない、図書館に直行して、卒論のまとめを
していると、石川がくる。12時頃再び待ち合わせのところに行くが
彼はこない。図書館にいるとやっと川崎がくる。

石川と深井と川崎と松村の家に車で行く。
凄い家だ、山の手の家に入るのは初めてだが凄い。
(いや鳩山御殿に、バックグランドでただ飯を食べにいったか!
ーある会合で、映画でいうその他大勢のエキストラで。)

その後松村の家を出て、石川と深井と3人で「赤と黒」というスナックへ行く。
それぞれの性格について話あう。
23時に帰寮後、服を着たまま寝てしまう。
夜半の2時に隣の部屋に先輩の川路さん、満田さんがきて騒いでいた。
それっきり眠れない。


575, つれづれに学生時代のこと  ー2

2002年11月09日(土)



現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを自分の中に
見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
「コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。
午後の人生を余白でなく、新しいページの書き込みの過程として
捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。
可能な限り行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が
必要ということだ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。
両親がそれをしっかりやって死んでいったモデルがある。


574, つれづれに-学生時代のこと

2002年11月08日(金)



学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で
書き写している。
そのときは34年の時空を飛び越えて青春真っ只中の自分に
立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方を
しようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。

自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった


573, 健康機器

2002年11月07日(木)


以前ある人に「ニギニギ」を紹介されてから、散歩の時は必ず持ち歩き、
握ぎ握ぎをしながら歩いている。肩こりや目などに非常に良い。
数種類を持っていてその時々に使い分けている。
海外旅行の時など飛行機や移動のバスの中では、必ず手で握り締めている。

ボチボチや突起物が付いており、それが手のツボを刺激をする。
足と目と手にツボが集中しており、手が気楽に一番やりやすい。
100円ショップに多くの種類が売っており、7〜8種類を持っている。

2週間ほど前に会社の近くの家電の量販店をブラブラしていると、
磁気付きのニギニギがあったので早速買ってみた。
使ってみるとなかなか良い。

また自宅の近くのダイエーをブラブラしていると、
店頭で磁気付きブレスレッドの定価8千円のものが1千円で売っていた。
迷わず買って腕にした。
その夜何か寝ていても気分がよく良い夢を見た、そして翌夜も。

更に再び同じ家電の売り場に再び行くと、アイマスクの磁気入りの物を
売っていた。
これを早速買って夜付けて寝ると頭がすっきりした。

今度はヨドバシカメラに行くと、頭に掛けるイヤホーンの形の
コメカミに磁気を当てる物があった。
これも良い。付けて本やTVを見ると疲れないのだ。

従ってこの二週間で頭や目や肩が非常に楽になった。
腕にブレスレッド、頭にイヤホーン、手にニギニギ、寝室では
アイマスクをしている。まあ馬鹿みたいだが?!
肩こり、目の疲れに間違いなく良い!!


572, ある時間の断面ー9 

2002年11月06日(水)

    

1968年 9月24日
8時前に市川さんが起こしにくる、そのまま寝てしまう。
9時半に目がさめる。
川崎との待ち合わせに間に合わない。
顔を洗い寮を飛び出る。
タクシーで校庭の通称
4丁目の交差ベンチに行く。
5分の遅れだが、待っていてくれた。
その直前に綾部嬢とバッタリ出くわす。

ヨーロッパに行ってきたという。
「すごく良かった、ITAの主催の旅行で行って良かった」と
言っていた。そういえば私が紹介したんだっけ?
石川のガールフレンドだったが、今は上手くいってないと
彼が言っていた。まだお嬢さんだが気持ちのよい人だ。
吉田嬢にも出会う。アメリカに行ってきたという、去年欧州旅行の
グループの一員だった。

川崎と喫茶店に行く。かなり溜まっていた話を一人話していた。
松村に腹を立てていた。
彼の言い分はよく解るが、そう言っていたら人とは付き合えない。
川崎もこの一年で成長したようだが、人間に影がなく好きだ。
帰寮後TVを見て、風呂に行く。さて洗濯だ。


                  9月25日ー水曜日

また寝過ごしだ。全く何たることだ。流されているのだ。
小学生や中学生以下でないか。自分の中の力があるはずなのに
何故流される。この時期一瞬でも大事なはずなのに。

大学の図書館で3時間卒論の本をまとめをする。
その後、小作と石川とウエストサイドで話す。
帰寮後、3時間卒論のまとめをして、就寝。


                 9月26日

朝9時に学校に向け出発。
産関論を30分受講、食事の後掲示板を見るためにタッカーホールに
行くと、ゼミの武澤先生に会う。
「学館の問題」でタッカーホールで説明会があるから是非聞くよう
言われた。偶然深井と会ったので、ホールに聞きに行く。
途中で出て、図書館で卒論のまとめ、その後深井と早稲田の本屋へ行く。
彼の求めていた本がなく、途中で分かれて寮に帰ってくる。
深井もここで変わってきた。

卒業間じかのせいか友人が皆練れて男臭くなってきたようだ。
19時頃に大妻女子大の人が尾形君のところに来るが、
いないので私の部屋で一時間位待つ。
結構面白い子だが、その後市川さんと食事に行く。
一時間本を読んで夜半の一時に寝る。


571,ひしょひしょ話

2002年11月05日(火)

-組織づくりのポイントー
会社を始めるにしても、組織を創るとき一番大事なのは
まず秘書を採用すべき事だ。次に経理そしてその次に
オペレーションー運営責任者のマネジャーになる。

これは逆に考えてしまいがちだが、冷静に考えれば当たり前の事だ。
これが意外と盲点である。これを読んでハッとする人が多いはずだ。
最近は日本もスカウトなどで会社を移動する場合、
秘書を連れて行くケースが多くなった。
それだけ秘書の役割は大きい。

秘書は大学教授の助手の役割と同じである。
的確に指示を出す手助けとー雑務の代行だ。
アメリカの映画を見ていると、会社の大小に関係なく
会社といえば先ず秘書が出てくることを考えれば解ることだ。

その次に大事なのが経理課長だ。
ラインのマネジャーは最も大事だが、まず充実すべきは秘書の
機能である。一人の部下を持つ場合まず秘書としての訓練をして
その機能を入れることだ。次にお金の管理ー経理課長を訓練をする。
運営は最後だ、運営はまずトップの自分がしなくてはならない。


家業で奥さんと一緒に仕事をする場合は、
自分がトップと運営責任者のマネジャーを兼ねるケースが多い。
最近はこの逆のケースの場合も多いが。

出来たら奥さんと仕事をしない方が良い。
一番大事な秘書機能が逆にはたらく?!
更にトップの舵取りを奥さんが口出しをする。
それだけでなく変化を嫌う。女の社長が少ないのはこの為だ。
この見極めがお互いしっかり分けてないと大きい失敗に繋がる。

家業でも職能を明確にしておかなければならない。
もう遅いか??!!


570, 仕事と性格形成−2

2002年11月04日(月)


以前習っていたパソコンの先生が直前まで教員をしていた。
結婚で辞めた後に「人に無性に何か教えたくて仕方なかった」
と言っていた。

警察官は私生活の中でも常に犯罪を探してしまうという。
「できたら子供は警察官とは結婚させるな!」
と父が口癖で言っていた。私生活でも常にあら捜しをしている為、
家庭が暗くなるという。
料理屋も絶対に嫁にはやるなとも言っていた、これはいわずもがだが。
ーこれは今回の内容と違う。

私の親戚に元大蔵省の査察をしていた人がいる。
仕事が面白くて仕方がなかったという。
仲間内で飲むと功績の内容の自慢と脱税の手口の情報交換という。
実直の塊のような人である。

小説家は全てが小説のねたにするのが商売だ。
その為に恋愛もし、乞食もする露出狂とも云える。

私など飲食店にしても、スーパーや専門店に入ると、店員の動きや
レジや店の規模や客層を常に見てしまう。それと順調かどうかをも。
そしていつの間にその聞き取りをしてしまう。
前は近くで開店ををすると、一番客になるのが習性だった。

面白いのは母は常に話の内容を1・5倍にして話していたが、
衣料量販をしていた時に、仕入れの1・5倍の値付けの癖が話しの
内容に出たものだ。最近になってそれに気が付いた。

本人が本来もっている要素とそれがあいまって性格形成になる。
人間は生物の持っている環境の支配を抜ける事が出来ない猿だ。
言葉をもってしまった狂った猿!


569, ケーススタデー   ー2

2002年11月03日(日)


毎週金曜日の15時か16時より2時間開かれる。
ゼミが終わると太陽が黄色に見える位疲れていた。
知的訓練など全くしたことがなかったためか?

二年間コースで初めの一年は課題の本を読んで、それの感想と議論。
二年目の前半は事例研究で、後半は各自が自分で事例を創り、
当事者として2時間ゼミの全員に質問と追及を受け、その結果を討論
する内容だった。私は途中二年目からの編入であったが。

他の人を聞き取る場合は刑事のような内容追及がリアルで面白いが、
自分の場合は追求されて、瞬時に物語を創っていかなければならない。
今でもその全て憶えている。

このケーススタデーは「見聞皆師」にあてはめて考える事が出来る。
現象ー事象の中から真理を探し学ぶ方法にもなった 。
また人間関係だけでなく、営業や経営のベストプラクテス−
ベンチマーキングにも酷似している。

ゼネコンの営業の社内研修でも、これに似たケースでOFF−JT 
が行われていると大手のゼネコンの営業の人から聞いたことがある。
流通やサービス業の他店見学も似ている。

サラリーマンの足の引っ張り合いは善意を装ってくる
陰険版か??????!!

現象とあるべき姿の格差を埋める作業だ。
少し違うが、帰納法に似ている。
現象の中の真理の内容を検討して結論に導くという点で??

新しい車が発売されると工場ですべて解体して、
それぞれのパーツで業者やその部門の人達が集まってチェックする
のはどこのメーカーでもやっていたという。
今はコンピューター処理でインターネットをフルに利用している
のだろう。
これの人事管理版が武澤ゼミのケーススタデー?!

管理されるという事はあまり気持ちのいいものではない。
でも組織体としては、それは必要欠くべからざるものである。

ここでいま一つ学んだ事は、
当たり前のことー自分の能力は自分で創りあげるものという事だ。
最後は独りの自覚で自分造りをしなくてはならない。
習慣づくりといってよい。

問題が逸れたが?
私の辛辣さは、露悪ー露善(偽悪ー偽善)を自分や他人の中で
すぐ直感してその原因を構造化するためだろ
ー父もそうだったから、その理論的訓練を受けた事になる。

それよりその結果として自分の無知蒙昧をいやというほど知らされた。


568,  ペイオフー断末魔

2002年11月02日(土)

現在竹中大臣と銀行の国家管理」?を主張している
元大蔵官僚の木村剛氏の書いた話題の小説の「ペイオフ」
がシビアである。

一連の大蔵官僚と政治家の実体が辛らつに書いてある。
まだ半分しか読んでないが、この小説はすでに2年前
に書かれた「通貨が堕落する時」という単行本の文庫版だ。
多くに人に見てもらうために早めに文庫版にしたという。

この二年の時間を経った今、更に悪化して小説の内容の同じように
壊滅に?向かっている。それでも政治家と金融関係者は自分の権益を
守ろうとしている姿は末期の現象そのものである。

もう手遅れかもしれない。
あの地銀の不思議な一連の動きが解ってきた。
実情は隠れた不良資産の在庫が多く残っている。
それを処理する為に取れるところから阿修羅のように引き剥がさざるを
得ないのだ。それと金融監督庁が大蔵省ー財務省から独立して銀行に
手心を加えなくなった事もある。なるほどと1人合点がいった。

これから辛らつな貸しはがしが露骨になる。
それと倒産ラッシュが吹きまくるが仕方がないことだ。
どうにもならない時代だ、悲観でない。
あのゼネコンが次々と潰れるのだ。
株価100円以下の企業はどれが先にいくかの世界だ。
そうすると銀行の幾つかが国家管理になる事は必定。

政変が起こるが、といって受け皿はもっと悪くなる。
それを繰り返しながらハードランデングしていく。
気の小さい国民性か、アメリカにより精神の中枢をやられた戦後日本の
つけがここで清算の時期にきた。

情けないと他人事にいっていられなくなってきた。
このレベルが日本なのだろう。
「皆で渡れば怖くない!ここは地獄の三丁目、よいよい」
とジョークも飛ばしたなる。

是非「ペイオフ」を読んでみる事を薦める。
もう本屋に平積みをしてあるはずだ。
一日一日舵取りをしていくのが今の日本の姿だ。
日本的社会主義者の大元の末期としてみると面白い。


567,ケーススタデー   ー1

2002年11月01日(金)


前回書いたゼミの内容を書いてみる。
人生で、このゼミの訓練が非常にプラスに働いた。

人事管理の具体的事例研究で、討論でその本質を探る手法ー
各部所で起きたトラブルの問題点の原因と解決を考える内容である。

・一週間前に翌週分の「トラブルの現象」の問題のプリントを渡される。
・それを次のゼミで各自が自分の意見を述べる。
・それにしたがって議論を始めるのだ。
・それが終わった時に、そのベストの原因追求と解決案の内容を
 示されるのだ。そしてゼミの結論との誤差を話し合う。

幼児期から両親の自営していた生の会社のケースを見ていた事と、
8人兄姉の末っ子で常に状況を冷静に見ていた為か、
自分の意見があたるのだ。
寮生活でイロイロのトラブルもみていたのもあった。

その為か自分のゼミにおける立場が確立されていた。
それよりも、現象の中にその骨組みをさがして、自分なりの
組み立てをする面白さを知った。

これは後で事業を起こすときに非常に役に立った。
人間関係に対して,直感的に論理だって構図になって瞬間に出てくる
のが最大の武器になった。

良質な上司には可愛がられるが、逆のケースの場合は大変
な事態になってくる。
この男は何を考えているのかを不安になるらしい。
自分はサラリーマンは絶対に無理と社会に入って直感した。

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