堀井On-Line



505, 独り言

2002年08月31日(土)


最近、自宅近くで自転車に乗ったり、歩きながら
独り言をいっている人にたて続き4人にすれ違った。
別に精神に異常をきたしているとは思えなかった。

60歳位の男の人は怒りながら歩いていた。
家内は何回もそれを目撃しているという。
時代がそれだけ世知辛くしているという事か。

今まで見てきた独り言をいっている人は、
明らかに精神の異常な人であった。
独り言は聞いていると本当に内容が重いことが多い。
考えてみれば、この随想日記を公開しているのも独り言といってよい。

25年前になるが、岐阜に向かう丁度通勤列車に乗った。
突如何処かで男が独り言を大声で話し出した。
初めは何気なく聞いていたが、過去に北海道に旅行した具体的内容であった。
それが結構面白く内容なあるものだったことを今でも憶えている。
列車に全員が咳払い一つしないで聞いていた。

知らないうちに頭で思っていることが溢れ出ている状態を
いうんだろう。聞いている方は非常に不気味だ。
50年近く前に長岡駅の周辺に頭のおかしな「たるまのゆき」
という女の浮浪者がいた。独りでぶつぶつ笑いながら歩いていた。

なかなかのインテリで学校の先生をしていたという?
以前に都会である中年の女性が通り向かって怒鳴っていた事もあった。


504, 男時と女時

2002年08月30日(金)

5年ほど前か、何かの雑誌で「男時と女時」の特集をしていた。
国の勢いにしても、会社にしても、個人としても
その時がある。それに反したことをしないで従うこと。

今の日本は正しく女時である。
30数年前の高度成長期は男時であった。
人間もその人により、その時々がある。

駄目ー女時のときは、ただじっとして本を読むか、来るべき時の為の
準備期間と割り切ったほうがよい。
「風車、風の吹く間の昼寝かな」と誰かが、うたっていたが。
「枝葉を切って根を養う」時期と心得てジタバタしないことだ。

男時の時は、全エネルギーを出し切って葉と枝を精一杯張ることだ。
それぞれの立場や職業があるだろうが、大体が10~20歳代は女時として、
知識、経験を蓄え,30~40歳代に男時として、枝葉を張る時期だ。

ラクダの時−30歳まで、ライオンの時−30〜60歳、
そして子供の時ー60歳以上があるが。

今の世界ー先進国は女時に入っているのではないだろうか。
一日のなかでもある。10時から16時辺りが、男時か。
[5時から男]はアフター5からだろうが。


503,  「10,4,2,1の法則 」  -2

2002年08月29日(木)


我々は何時の間にかこの逆をやってしまうことがある。
一つことをやって上手くいかないと次のことを始める。
それはそれでよいが、やめてから次のことをすべきである。

やめないで、次から次に始める。
上手くいって舞い上がって始めるケースも多いが。
力の分散である。飲食店の場合、見ていると本当に多い。

東京TVの「愛の貧乏大作戦」を見ていると面白い。
追い詰められた商店主の店を建て直す番組。
主力の商品がお客に受け入れられなくなり廃業直前になる。

メインの商品の落ち込みを他の商品を広げて逃げてしまう。
更に主力商品の力が落ちる。そのことすらも気づいていない。

上手くいっている店は、商品の絞込みがしっかりしてある。
その店で修行する番組なのだが、その段差が漫画的ですらある。
いろいろな失敗の中でそれに気づいている店主と、
全く気がついてない店主の差が歴然としている。

マクドナルドはハンバーグだけであれだけ大きくなった。
ただハンバーグでは大きくなれない、あとはシステムの構築だ。
それも数十年かけた。

街の大衆食堂は、何でもあるが全て中途半端だ。
その道のプロならまだよいが、素人が中途半端で始めると目が当てられない。
近くの飲食店で死にかけている店がやはり同じことをしている。
拡散はメインの商品の質の低下を引き起こす。

自分がレンズになり、メイン商品に焦点を当て続ける事だ。
そうすれば、そこにはエネルギーが集まる。
自戒も込めて書いている。
私の場合は、客室プライスの価格破壊の徹底と、
それでも利益を出せる仕組みつくりだ。

話はそれたが、時代の変化に対して変化し続けることは難しい。
一つの事を止めて、次の商品の開発は大事なことだ。
商品も事業もだが、メインの深耕を本当にしてからだ。


502, 40才の禁酒ー隠れ酒の味

2002年08月28日(水)


30歳になった記念で、10年間の喫煙を止めた。
大変だったが、それから体調がかなり良くなった。
そして40歳の年に禁酒に挑戦をしてみた。

約半年で頓挫をした。
宣言をした翌日が義弟の結婚式だった。
結婚式場で隣の人に「何馬鹿を言っている!明日からにしなさい!」
と出鼻をくじかれ飲まされた。
まずは幸先が悪かった。

自分を律する手段で周囲の人に宣言をした。
しかし一ヶ月もしないうちに、禁断症状が出た。
そして台所にある料理酒を、皆が寝静まった後に飲み始めた。
その後、水を入れて誤魔化すのだが。
だんだんその酒が薄くなり、家内が気がついたのか首をかしげていた。

そして半年たって、人に勧められて一寸一口飲んでから、
だんだんエスカレートして、最終的には元に戻ってしまった。
約束をしたメイン銀行の支店長が都合の悪いことに?
転勤でいなくなってしまった事もある。
その後その反動で、より痛飲をするようになったのだから始末が悪い。

最終的には、「一人酒をやらない、自宅で日本酒は飲まない、
自分から人を誘わない、自棄酒は飲まない」というルールをつくり
自己規制をしている。
隠れ酒の酒のうまさは格別であった。


501,[10.4.2.1の法則]

2002年08月27日(火)


「エッ!こんな法則聞いたことない」と、経済原則などの
理屈好きの人は興味を示すだろう。

これはチェーン理論のペガサスクラブの渥美先生が「仕入れ原則セミナー」
で教えてくれた原則である。
販売で、特にファッションの販売で使える原則だ。
ワンシーズン3ヶ月の中で導入期、最盛期、仕上げ期がある。
仕上げと次のシーズンとダブルが、大体これを頭において商品を仕入れる。

はじめの導入期に10と横に広げる。
そして何が今シーズンあたるか様子を見る。
いろいろな餌を撒いてみる。その反応を見ながら、6割をカットして、
4割の商品に絞り。それをさらに絞込み2割の商品に絞り、
最後は1割の商品に絞り、そこに在庫を積み上げる。
早くホット商品を探しだし、在庫構成を代えていく。

死に筋を素早く探し見切って、売り場をホット商品に変えるかが
利益を生み出す源泉になる。
これは今、コンビニでABC分析が徹底的に行われている。
常にホット商品で売場を構成しなくては競争に負けるからだ。
「10.4.2.1」はABC分析の具体的法則といってよい。

この原則をいち早く取り入れて徹底した。
それを含めて衣料量販店を任された時、巧く利益を出すことができた。
あとは値札に如何に情報を入れ込み、死に筋のカットに全力を入れた。

何事も素早く「原理原則の知識」を仕入れシステム化をする事
がポイントだ。
これを書いていて、何事にも使えそうな原則ではないかと考えてみた。
人間関係にしても、人生の過ごし方にしてもだ。

まず何事も経験し、いろいろな人に接し、その中で自分にとっての
最後の一に絞っていく。そのためにまずは十という量・種類を経験してみる。
そして最後には一番重要なものに絞っていく。
本もしかり色々の分野を読みながら、最終的に自分の適した分野に
絞っていく。


500, チアリーディング日本選手権

2002年08月26日(月)

「チアリーディング日本選手権」が面白い。
毎年この時期に開催されており、3〜4年連続でみている。

特に去年は熱気に満ちていた。昨年も書いたようだ。
16名の女子を中心にしたチームが、2分30秒の中で、演技を競う。
毎年のように優勝候補の失敗が出て、入賞すらできないことが多い。
高校、大学、社会人とそれぞれの部門で競われる。
年代ごとに技術のレベルが格段アップしている。

一人のミスが全ての苦労を吹き飛ばしてしまう。
一発勝負なのだ。
予選、準決勝を勝ち抜いた12チームで決勝がおこなわれる。

明るさ、美しさ、技術などが競われる。
一人当たり2000辰鯀肝呂覗ったと同じエネルギーを使うという。
会場がほとんど選手かその関係者のため,演技の内容に反応するのがよい。
会場が一体になってしまう。

何があっても笑顔を要求される。
失敗してガタガタになるチームと、たてなおすチームがある。
失敗した選手は、それこそ深い傷になるのではと・・・。

まず昨年の優勝チームが大失敗の連続で脱落。
次に一昨年と3年まえの連続優勝チームもそれで緊張したせいか失敗で
ガタガタ。見ていて気の毒なくらいであった。
全員の集中の連続が要求されるが、何処かで切れる。
去年、世界の選手権を見たが、レベルは近づいたとはいえ大きな差があった。

簡単な練習では、あのレベルの演技はできない。
それがチョッとしたタイミングのミスで消えていくのが残酷だ。
といって、社会人は学生に比べるとほとんどミスはない。
ある程度選手が固定しているからだろう。

人間が純粋に目的のためチーム一丸になって感動をよぶ。


499,幼稚園の砂場で学んだこと

2002年08月25日(日)

アメリカのベストセラーになった「人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」
は、アメリカの議会で評判になり、全米ブームをおこした。
人間がどう生きるか、本当に知っていなくてならないことを、全部幼稚園で教わった。
人生の知恵は大学院などの最高学府にあるのではなくて、幼稚園の砂場にうまっていた。

それは何か??

・何でもみんなで分け合うこと。
・ずるをしないこと。
・人をぶたないこと。
・使ったものは必ずもとのところに戻す事。
・ちらかしたら自分でかたづける事。
・人のものに手を出さない事。
・誰か傷をつけたら、ごめんなさいと、ということ。
・食事の前には手を洗う事。
・トイレに行ったらちゃんと水を流すこと。
・焼きたてのクッキーとつめたいミルクは体にいい。
・釣り合いの取れた生活をすることー毎日、少し勉強し、少し考え、少し絵を描き、
・歌い、踊り、遊び、そして少し働くこと。毎日昼寝をすること。
・おもてに出るときは車に気をつけ、手をつないで、
 はなればなれにならないようにすること。
・不思議だな、と思う気持ちを大切にすること。
・何よりも大事な意味をもつ言葉『見てごらん」

 人間として知っていなくてはならないことはすべて、
 このなかに何らかの形で触れてある。

このような言葉を、こうもまで「そうだ!」と共感するのか。
そうだ、この基本中の基本を我わらは忘れてしまったからだ。

他人のそれは解る、しかし自分のそれは全く解ってないのが人間。
私の場合は、実家の創業期にあった為、そこの全ての出来事であった。
10歳までに経験が人生を決めてしまうのは確かだ、胎教も含め。?

ただ幼稚園で私等はこんな事を学んだろうか?文章としては受けがいい内容だが、
むしろ日本では小学校の中の団体生活で、学ぶのではなだろうか。
火の出るような10歳から15歳までの虐め。
これは永い人生で、抗体をつくるという意味で必要なことだ。

しかしこの文章は人生後半に、改めて価値観を見直す時、おおきなヒントになる。
特に、自分のそのときの事を思い出して、最後の余白に何を書き足すかの
大本がある! 失ったもの、忘れてしまった事が。


498, ワイルド・ダック

2002年08月24日(土)


先日の随想日記の「熊の追跡」の中の(野がもの話)の詳しい内容を、
インターネットで調べ抜粋したものだ。
あまりにも有名の話ですが、復習も含め参考のために。

野鴨の話

ーあるアメリカの地方新聞に掲載されていた実話です。
 アメリカのとある湖に、季節になると野鴨がやってきて暮らしていました。
その湖には老人が住んでいて、毎日渡り鳥に餌を与えることを日課にしていました。

鳥たちはその老人のおかげで何の苦労もなく餌を口にすることができました。
鳥たちは渡り度なので、その習性で餌を求めて湖から他の湖へ旅立つのが常ですが、
毎日老人が運んでくれる餌に慣れてきた鳥たちは考えたのです。
「なぜ、俺達は苦しくてつらい旅に飛び立たなければいけないのか?」
「この湖にいれば優雅に泳いでいるだけで餌を口に出来るではないか。」
鳥たちは、その年旅立つのをやめその湖に留まることにした。


翌年も、翌年も、老人は毎日餌を運んでくれ平穏なのんびりとした日々が
続きました。
ある年のことです、平和なのんびりとした日々に異変がおきました。
餌を運んでくれるはずの老人の姿が急に見えなくなりました。
その年不幸が起きたのです。

老人はその高齢の為に病の床につきそのまま他界したのです。
不幸は重なるものです、その年は気象に異変が起き高温日が続きました。
湖の周りの氷山は徐々に溶け出し雪崩の気配がしてきました。

動物の本能でその事態を察知した野鴨達は、
湖から逃げ出そうと一斉に羽ばたき出しました。
が、一羽として空に舞い上がった鴨はいませんでした。
鴨たちの持っていた力強くそしてたくましい野生の翼は、
飼いならされ飛ぶことを忘れているうちに、すっかり退化してしまったのです。
 翌朝、雪に埋もれたその湖からは、哀れな必要以上に太った鴨たちの死骸が
いくつもいくつも浮かんでいたそうです。

ワトソンという燃える目をした青年が、
ある朝、何気なくその新聞記事を目にしました。
青年はその新聞記事を読み終えた後、しばらく感動に震えていたそうです。
そして、「これこそ、人生の哲学だ!!」と叫んだそうです。
その青年が数人の仲間とイナカの片隅で会社を作りました。
その仲間たちは「ワイルド・ダック!!」野鴨を合言葉に「考える前に飛べ」
をスローガンに現状に甘えることなく活動し続けました。
そのワトソンこそが初代のIBMの創始者でした。
そして、その仲間たちが今のIBM帝国を築いたのです。

ーーーーーーーーーーーー
「挑戦、闘い、変化、機会の開発」−4C主義の継続の必要性を
この寓話が言っているのではなかろうか。

「脱皮できない蛇は死ぬ」という諺にも似ている。
脱皮できない人間の成れの果てが「子狐」である。


497, 最近つくづく思うこと

2002年08月23日(金)

ー創業を振り返ってー

自分で事業を立ち上げる事(創業)ができて本当によかった。
それも26~7歳の時からできたことが幸運であった。
やはり両親に恵まれていたからだと、心の底から感謝している。

創業は本当に大変だが、実際のところ面白い。
自分で考えたことが、目の前で実現していくからだ。
それも甘さと厳しさがそのままストレートで帰ってくる。

本気になると、それだけエネルギーが身体と脳から湧き出てくる。
あと決断を一人でしなくてはならない。
結果としてその積み重ねがよかった。
一人で考えていると、事務所の誰もいない部屋で独り言をいっている。

計画も一人こつこつとする場面が多くなる。
あらゆる仮説をたててみる、その練りが多いほど後で後悔する部分が少ない。
今になっても基本は一緒である。
自分で考え、練り、手順を踏むまでは、ただコツコツやるしかない。

自発的に考え、それをやると苦労が苦にならなくなる。
好きなことをしていと、仕事でも遊びと変わらなくなる。
自分の意思で主体的になりざるをえないからだ。
サラリーマンのマイナス点はその機会が少ない事だ。

長期設備投資という事業が結果として非常にプラスになった。
10年〜20年スパンで将来を予測しなくてはならないからだ。
それも自分の全財産を賭けた博打である。
いやでも考えざるを得ない。それでも読みが浅いと後悔する事が多い。

規模は小さいが、ものの見方は広く深い知識と覚悟を要求される。
間違えば、取り返しがつかない。
その点では、政治家や経済評論家のような見識が広く深く要求される。

それこそ大した事がないのに、言う事だけは天下国家のような難しい話を
するのは、それが必要だからだ。どうしてもそれに直接影響される為だ。


495, 熊(現実)からの逃避-2

2002年08月22日(木)


・1はセックスや酒などの遊びに逃げる。
・2は本を読んだり、自分の生き方や理想を再考再確認する。
・3は実家や故郷に帰るー過去に帰る。
・4は闘う
・他には死んだ振りもあるだろう。

 私の場合は木に登るである。
 
「初め家に逃げ帰り、熊が去った後、木に登りくまの行方と様子を見定めた後、
 水遊びをする。そしてある時期がきたら、再びそこを去る。
そこは休む場所であって決して安住する場所ではない、それだけは
 心しておかなくては」というのは如何なものだろうか。

IBMの理念の「鴨のはなしー残り鴨にはなるな!」を暗示してある。
 またそこには子狐が様子を窺っている。

たとえ話はより深く対象を深める。
人生という道には、曲がり角と行き止まりがある。
迷ったら、今まで来た道を一度戻るのが最短の道だ。

人生には、本当にどうにもならない時がある。
良寛がいった「災難にあう時は、あうがよい」
自然法爾ー受け入れて、あとは時間が経つのを待つのがよい。


494,熊(現実)からの逃避ー煮詰まった時 -1

2002年08月21日(水)

 
 古館伊知郎のトークショーでの話しだが、
 周辺のデレクターなど10人に「あなたは煮詰まった時どこに向かいますか」
 と聞いたそうだ。答えが面白い!

・「実家に帰る」が7人もいたそうだ。
・二人が「ふてね」をする。
・あと一人は、ニクソンが回顧録の中に書いてあるのを真似ているという。
 部屋で「馬鹿を許す、馬鹿を許す、馬鹿を許す」と大声で唱ているという。
 そのデレクターはトイレでやっていたという。

 まあ面白い話だ。
自分なら、過去どうしていたかというと以前にも書いたことがあるが、
それに関連した本を買い込み徹底的に読む。
そして紙に書く、徹底的に。
大体が一週間でいや実際は2ヶ月で終了する。
いろいろと逞しくなった。
要するに自分の心の捉え方一つなのだ。そこのところをキッチリト整理をして
内面にしまっておかないといつまでも尾をひく。

以前にも何回か書いたが、30年前の何かの本で強烈な喩え話があった。

「熊に追いかけられ、そこには1.池がある。 2、木がある。
 3、家がある。 4、鉈(なた)がある。」4の鉈は自分が今回いれたのだが。
ー貴方ならどうしますか?
 
 この答えをじっくり考えておいてください。
        ー参考のために前文の実家が3の家だ。 ー 続く


493, 女の盛り

2002年08月20日(火)

 
 表面的のことだが
・女性の若いときの盛りは、やはり18歳から21歳。
・次は少し社会に揉まれた30歳あたりだ。

・最後の円熟の年増の最高潮が41歳である。
 これは生命保険の偉いさんから聞いたが、正しくそのとおりである。
 妙齢の年頃という頃だ。
 
・往年の大女優がエッセイで書いていたが、
 45歳を境に坂道を転げ落ちるように、衰えが激しくなる。
 姉や従姉妹など見ていると全くそのとおりになっていった。
 色が全体に黒くなってくる。閉経期と一緒だ。
 
 それに図々しさが加わると小母ちゃんになってしまう。
 その時こそ、本当のお洒落が必要になってくるという。
 それと教養が顔に出てくるから更に怖い。

 去年の同級会に出てびっくりした。
 55歳の同級会であったが、見事おばさん化していた。
 男もそうだが、それでも女性ほどではなかった。
 肉体の衰えが、精神を抑えることができないのだろう。

 そこに残るのは品性だけだ。
 そういう意味で、品性は大事である。
 その時にお洒落の意味が出てくるという。
 如何に老いをプラスに表現できるかである。
 けっして若く見せることでない。

 TVタレントや女優を見ていると、その良し悪しが見えてくる。


492,二人のTAKESHI

2002年08月19日(月)


昨夜の衛星2の「二人のTAKESHI」が面白かった。
合成で「コメデアンのタケシ」と「映画監督の北野武」
が対話ー掛け合い漫才をする構成になっている。

全く画面で合成の不自然さがでてない。
ここまで技術が進んだかと驚いてしまう。
彼自身の内面の会話でもあり、内容は哲学的でもあった。

あ互いを辛らつに批判しながら、お互いの立場をハッキリさせている。
時おり二人の吊人形が出てきて、会話をさせたりドツキアイをさせる。
最後にそれを操っているタケシー武?が出てくる。

その会話の場面に、美輪明宏や実兄のタレントを入れたりして、
3人の座談形式の場面を出したりしている。
新しいバラエテーの形でもある。それも二時間も続いた。
コメデアンのタケシはあくまで虚構の世界。
しかし社会そのものも虚構の世界でしかない。
コメデアンはその事を知っている。

映画監督の北野武のスポンサーはコメデアンのタケシと言っていた。
映画の失敗作ができるとタケシのせいにするとも。
内容は強烈な皮肉で辛辣なのが面白い。

殆んど異世界の彼ら?の世界に引っ張り込まれてしまった。
新しい可能性の世界を垣間見た。
面白い時代になってきた。


491,ー恐ろしい夢−

2002年08月18日(日)


昨夜の夢は怖い夢であった。

自分の車のトランクに子供が勝手に入って死んでいた。
その子は誘拐で警察が探している子であった。
躊躇するうちにどうしようもなく、何処かに隠してしまう。
そのうち、段々と不安と恐怖に襲われれる、警察の影がじわじわ近づいてくる。

大体こんなストーリーであった。
何故こんな夢を見たかというと、翌日の随想日記の下書きが
怖い夢であったからだ。脳は複雑な反面単純なものだ。
    ーーー
A,恐ろしい夢の一つに「歯が抜ける夢」がある。

横光利一の夢という随想にも全く同じことが書いてあった。
ある歯がグラグラしているうちに、抜けるのである。
そして他は大丈夫かと触ると、その歯もグラグラして抜けるのだ。
そのうち殆んどの歯が次々と抜けてしまう。
ハッとしているうちに目がさめるか、次の夢に変わるかである。

そして起きて、これは歯が抜ける正夢の前兆でないかと2^3日歯磨きを丹念にする。
そのうち1週間もしないうちに忘れてしまうが、数ヶ月後に同じ夢をみる。
何人に一人かは同じ夢を見ているのではないだろうか。

B、恐ろしい夢で鮮明に残っているのが、絞首刑になる夢である。

イメージとして中近東の兵隊のようで茶色の単色の世界であった。
自分が敵に絞首刑を執行される夢である。
本能的にそれを避けようとしたのか、その瞬間違う場面になって
その違う自分も絞首刑になる夢であった。
その前に訓練か何かで、建物をよじ登っている前段があった。

C,あとは、アメリカ?の牛の屠殺場で牛になっている自分が、
アメリカの若い男に殺される夢である。

その場所がいやに殺伐としているのが印象的であった。

夢には自分自身によって演じられたドラマでもある。
ドラマと同じように構成をもっているー
1、場面ー2、発展ー3、クライマックスー4、結末
1,2で終わる場合もあり。1,2,3で終わる場合もある。

それなりに無意識が途中で色々な演出をするのが面白い。


490, 随想テーマ日記の効用

2002年08月17日(土)

毎日一テーマで、その日思いついたことを書き続けて一年数ヶ月が過ぎた。
何か毎日が、そのために追い立てられている感がする。
多くのエネルギーが、その為に取られていることは事実だ。

しかし、エネルギー対効果比率から考えても充分その価値がある。
「何のために毎日こうも書き続けているのか?」という疑問があると思う。

・それは簡単だ、自分の為に書いている。
・公開することで、あらゆる人に見られていることを意識、
 その為に客観化が必要になるからだ。

・毎日、その都度思いついたことを書き続けることにより、
 過去に考えたことを、一づつ引っ張り出し、外部化をしていく作業が
 記憶と行蔵の整理になる。
・またその時その時の自分の気持ちや心境のメルクマール化が可能になる。

・その時点のホットな情報の中期記憶化・デジタル化をしていることにな  る。
 デジタル化をする事で、あとで組換えの時大テーマの要素の構成部分の
 パーツとしてつかえる。

・書きつづけることで、外部の情報に対する感覚が鋭くなってきている。
・心や内面の公開が、結果的に自分を積極的に主張出来る。

・これをチップに記憶させておけば、数十年先数百年先に見てもらえる。
 結局は波動の蓄積という事かもしれないが、死んだあとも残る。
 
 とりあえず3年1000のユニットを書き続けることが目標だ。
 実際、世界が毎日激変?している。内部の入れ替えがおきていることだ。


489,送り火ー母への追悼文

2002年08月16日(金)

今日はお盆の送り火ーご先祖様があの世に帰っていく日だ。
6年前に亡くなった母の通夜の挨拶の下書き文を書いてみた。
もうあと一ヶ月で7回忌だ。
   机の中から偶然出てきた文を書いておく。

  −通夜挨拶ー         平成8年9月25日20時

本日は母の通夜にお忙しい中,遠方よりご列席いただき
有難うございました。母も心より喜んでいると思います。

この7月半ばまで浮腫で入院していましたが、昨日の9月24日の
12時51分に帰らぬ人となりました。

当初は三週間の入院予定で順調に回復しているように見えましたが、
まさかこれだけ早く亡くなろうとは・・・。
88歳6ヶ月の命でした。

母は生前、今夜飾られている写真を自分で用意して‘私の葬儀に
必ず飾るように!’との遺言でした。本人が一番気に入っていた写真です。
また通夜は明るく華やかに!とのことでした。

私自身29歳の時から21年間、母と同居、
母に手を取られて今日まできたというのが実感でした。
自分でいうのは何ですが、本当に偉大な母でした。
母の死で自分も初めて一人立ちができそうです。

七年前に脳梗塞がでて以来、大木がゆっくり倒れていくように・・・。
そして今日に至りました。その中で一人の人間の「生老病死」
のすざましさを身近で見せてもらいました。
私も死ぬ時は母のように死にたいと思います。

母とは二年前より、早朝長岡ニュータウンの広場までドライブに行き、
誰もいない散歩コースを20~30分、車椅子で一周するのが日課となっていました。
そして途中のベンチで一本の缶ジュースを半分ずつ飲むのが・・・。
正に霊界を二人で宙遊しているようでした。
そして一回ごとに、これが最後かと、これが至福の時かと実感していました。

今夜は通夜参列いただきありがとうございました。
明るい話をするつもりが涙が出てしまいました。

重ねて、参列有難うございました。


488, 毎日が刺激的−2

2002年08月15日(木)



先日のアメリカ第六位のUS航空が倒産した。
ところが、アメリカン航空と並んで世界最大規模のユナイテッド航空が、
やはり倒産寸前という。自動車でいうGMかフォードクラスの会社だ。
アメリカン航空と供に20誘瓩の前年対比の落ち込みだという。
アメリカ全体では−11佑蚤膽蠅曚漂鯒の9.11の落ち込みは激しい。
パン・アメリカン航空など吸収したりしていた10数年前の姿は今や
昔の話。

昨日のニュースで、この一年でアメリカン航空が20佑凌涌と、
客席の9佑虜鏝困箸、生々しい内容の合理化案が出ていた。

特にアメリカン航空が狙われており、9・11以前にテロリストが
アメリカン航空の株の空売りをしていたと噂されている。
その前からサウスウエスト航空などの安売りに体力を奪われていた。

ある日突然思いもよらない事がおきる時代である。
来年はイラク戦争があり、さらに客足は減るだろう。
US航空だけで3万5千というから、ユナイテッドの場合は
どうなることか。組合が強すぎて賃下げなどの合理化が遅れたという。

たった20人のテロリストにより、とんでもない事が起きえる。
これが21世紀ということか。


487,アメリカンインデアン

2002年08月14日(水)

以前‘アメリカンインデアン’について書いてある本を読んで
仰天した。

口伝で代々受け継がれてきた内容が3万年以前のものだたりする。
その内容がどうも正確なのだ。

特に「一万年前にシベリアを通ってベーリング海峡を渡る」
の内容もあるという。
一万年前は氷河期で、海面の水位低くて、海峡は陸路渡れた。
その時の具体的な内容が口伝で詳しく語り継がれている。
その時の渡った員数が55人だったということまで伝えられている。

イロコイ族という種族で、その決まりは今のアメリカ憲法の
原案に影響したいう。
大地震に襲われ各地をさまっよった末に、未開の大地の話を聞いて
シベリアの大地からベーリング海峡を渡る話は、一万年前の話としても
リアルのものだ。
インデアンというと、未開の野蛮人というイメージがあるが、
彼らの世界に、3万年以上の祖先の歴史が延々と語られてきた事実がある。

更にアメリカに渡った後の物語が延々と続いているという。
彼らの口伝ー物語の全体は「一族が学んできた`知恵’の物語」
として構成されている。
「人は力をあわせれば、できない事も可能になる」とか
「判断は迅速に」とか現代でも、いや現代こそ学ぶべき事が多い。
今一度彼らの教えをじっくり学ぶ時期に人類はきている。
奇麗事で言っているのではない、まさしくその時期である。

http://www.aritearu.com/Influence/Native/NativeBookPhoto/SpiritualElders.htm
http://isweb38.infoseek.co.jp/cinema/sitting/


486, 今日はお盆

2002年08月13日(火)



13日のお盆の朝の夢は面白い夢を見る。
両親の夢が多いが、祖先の霊の夢を見ることもある。
祖先の霊が、仏壇から居間の仏像のほうに数人浮いて流れていく夢とかだ。
毎年、早朝お参りにいつも行くから、その緊張感が夢を誘発するのだろう。
今朝も少し見たがあまり印象に残ってない。
明日の朝あたりが面白そうな夢が出てきそうだが。

13日の朝はいつも3箇所のお寺にお参りに行く。
両親の墓と母親の実家の墓だ。
その中でいま一箇所の墓参りの話しをしてみる。

幼児のときから、父が叔父叔母だけで毎年お盆近くに法事をしていた。
父が言うには、「戦前ある土地を買った時その地主から、父が生きている間に、
自分たちの墓参りする約束をした」とのこと。全く親戚縁者がいなかったのだ。

どういう訳か解らないが、いつも姉兄の間でいつも私だけが出席していた。
その時のご馳走が楽しみであった。当時は法事とか葬式はお祭りでもあった。
母が元気なうちは、母といつもお参りをしていた。
母が言うに「永代経のお金を払ってあるから、私が死んだらお参りを
しなくてもよい」とのことであった。

しかしお盆の時になると、どうしてもお参りに立ち寄ってしまう。
この世では私以外誰もお参りに来ないのだ。
やはりその人の念が60年~70年たっても通っていることになる。
長岡の千住の浄福寺で、名前は福原兵?さん、
明治25年と墓に書いてあった。

今日のサロンでその墓の写真を貼り付けておく。


485, 「我思う故に我あり」-1

2002年08月12日(月)

デカルトの「我思う故に我あり」という言葉は
あまりに有名だが、フランスの‘生’の開祖と言われている
ビランが「我意欲す故に我あり」と、デカルトを否定して定義した。

「キリストの求めよさらば与えられん」もこのことだ。
どこかの女子大の哲学の教授の「我笑う故に我あり」という本があるが、
あまり面白い本ではなかった。

前回家内と「何で私らだけこれだけ感動に多く出会えるのだろ?」
と話し合った。その時の答えは「求めたからさ!」
たったこれだけを殆どの人がしてない。

そこで自分で何か面白いものはないか考えてみた。
「我 実践す 故に我あり」
「我 行動す 故に我あり」
「我 祈る  故に我あり」
「我 感動す 故に我あり」
「我 愛する 故に我あり」
「我 夢みる 故に我あり」
「我 美食する 故に我あり」
「我 セックスする 故に我あり」
「我 読書する 故に我あり」
「我 前進する 故に我あり」
「我 遊ぶ 故に我あり」
「我 闘う 故に我あり」
「我 歌う 故に我あり」

幾らでも出てくる。

「我ーーーーー故に我あり」
自分にとってのそれは何か幾つか考え明確にしておくとよい。
それが自分ともi云える。


484, 思い出のメロデー

2002年08月11日(日)

お盆近くの土曜日になると毎年恒例の「思い出のメロデー」である。
34回というから、私が20歳代前半からになる。

初めからチャンスがあれば必ず見ていた。
幼児の頃から街のど真中で育ったせいか流行歌が常にあった。
その為その歌ごとに思い出が深い。

生番組の素晴らしさは、歌手も失敗を許されない真剣さと
今という共時性がある。
この生番組の中にそれぞれの人が自分の歴史ー自分史を見ているのだろう。
昨日は前半は昭和40年代のポップスが中心であった。
丁度自分の青春時代の歌で感慨が深かった。

40年代はポップスの全盛時代で、もうこれだけの名曲が出ることはないと
いわれている。時代が高度成長期でその雰囲気がその歌をつくりだした。
歌を聴きながら、本当によい時代に生きることが出来たと感謝している。

自分の人生を一言だけでいうと、「恵まれていた」である。
特に時代背景がよかったことを歌を聴いていてつくづく思った。

今回見ていて、いつもの常連が多く出ていなかった。
時代の変化なのだろう。


483, 経営セミナーにて  −2 

2002年08月10日(土)


30~40代にかけて県外のセミナーに100回近くはいった。
それでこのレベルだから、大して有効に働かなかったが。

しかし人生訓にしろ、いろいろ勉強になった。
2000万?はつかったと思う。
しかし土地を二回、転がしすぐ元はとった。
そういう事だけはクールだ。

ある時解った、これはレジャーだと。
レジャーと割り切っていたほうが逆に情報を受け取る事ができる。
副産物として井の中の蛙の自分を確認できることだ。
地方にいるとどうしても王様蛙になってしまう。

結構面白い人に多く会えるのも収穫だった。
全国各地では、その地方では名士様がくる、それがよい。
地方にいると、そういう人を仰ぎ見るが、別にどおって事ががない。
自分のテリトリーの狭さがよく判る。
常に意識をメジャー(全国区)において置かないと、経営判断が
鈍ってしまう。
トノサマガエルはマイナー世界を自覚できない人の喩えだ。

情報の宝庫だが、それを噛み砕き自分の知恵に変えなくては全く
価値はない。どうしても噛み砕けず頭でっかちになってしまう。
それでここ3年は行ってないが。


482, 毎日が刺激的

2002年08月09日(金)


下の息子に一昨日、家内が電話をしたら自分の会社が
買収されて、近くIBMになるという。

Pwc−プライスウオーターハウスという、世界最大のコンサルタント会社で、
ナンバー2を2倍以上引き離している優良会社。
まさかと思って知人に聞いたら、日経新聞に8月1日に出ていたそうだ。

アメリカ最大の倒産のエンロンに関連して、あのアンダーセンが
消滅寸前。会計部門とコンサルテング部門の二つの部門を持ってることが、
今回のエンロンの事件を引き起こした。
その轍を踏まないように、コンサルテング部門をIBMに売却するという。

全世界に12万人の従業員を抱え、IBMより上と見ていたのに。
二分割して吸収される。入社2年目で本人には全く影響はないだろうが。
外資系は劇的なことを平気でする。
初めからIBMに入社したと思えばよい。
しかしあくまで吸収先という事実は変えることはできない。

しかしまたゼロから再教育は最低必要条件である。
本人は長い目でみたら、よい勉強になる。
外資を短期間で二つも経験できるのだから、最大の教育だ。
考え方一つだ!直接本社か、子会社か、関連会社か。

今回IBMのホームページを見て、初めて知ったが
100予仍颪子会社で、関連会社は出資比率で書いてあった。


481, ある信条 -経営セミナーにて

2002年08月08日(木)


30歳代は数多くセミナーに行った。
一番何でも頭に入る時期であった。それと焦りがあった。
700人の席の一番前の真ん中にいつも座って聞いていた。

この豪華の第一線の学者や経営者は自分一人の為に、
講義にきてくれているのだと、思うように聴いていた。
見ていると、日銀の総裁のような面の皮の厚くみえる人でも震えている。

テーマを話しながら結構自分の信条とか信念をいう。
これがなかなか面白い。今でもハキッリ憶えているのがある。

香港の財閥家と結婚して、今はその財閥のトップになっていた
日本女性の話であった。その信条がよかった。
「他人には優しく、自分に厳しく。いつもニコニコ、
 人によかれと思って生きる」を常に自分に言い聞かせているとのこと。

なるほどな!と思った事を憶えている。

ー人間は、そのままだと
 自分に甘く、他人に厳しく。何か人の不幸がないかと考えて、
 いつもブッスとしている。
 教養のないあの子狐がその集約された姿だが。
 考えてみれば、自分でもある。

ところで何時も書いている子狐のモデルは誰?と聞かれる。
もちろんいるが80佑合致している、いや90佑。
実際は過去に見てきた卑小の人間の複合体である。

しかし、誰もが持っている要素である。
だからあれは自分の事ー影と言っている。
先日も「自分が言われているみたい?」と言われたが。
その%の濃いか薄いかである。

話しがそれたが、そこで感じた事は皆明るい事!だった。
それでも多くの人が逮捕されたり、倒産したり、失脚している。
電電公社の会長、地産の会長、フットワークの社長、100円ライターの
東海??の社長とか。そう甘くはない。


480,「心に残るとっておきの話」

2002年08月07日(水)



もう7~8年前に一時ベストセラーになり、
今でもその続編の9〜10集がでている。
最近は読まなくなったが,第8集あたりまでは読んだ。
ということは最近まで読んでいることになる。

先日の「老女の遺書」は、その中で一番印象に深い内容であった。
丁度母親がなくなる前後で、母に重ねてその文章が深く心に沁みた。

いま一つの印象に残っている文章は
ー小学校の時に、雨の中、死にかけていた蝶を拾い乾かして助けて
やった。
その蝶が一日教室に来て,纏わりついていたーという内容で、
「そういうことが本当にあるのか?」という疑問より、
そのストーリに感動した。またあり得ることだと思う。

ー韓国の船員が夜、足を滑らせ海に落ちもう駄目という時に、
海亀が背中に乗せ助けてくれた話とか、
半信半疑であったが、その内容が唐突な奇抜に出来ているのがよい。
「事実は小説より奇なり」の特集といってよいが、それが心温まる
話を中心であるのがよい。

そういう内容が次々と出てきて心温まる内容で満ちていた。
4、5,8集を買って読んだが,全てよかった。
他は図書館で借りて読んだが、人気のある本で殆どが貸し出し中であった。
この日曜日にこのコーナーを見たが、殆どなく6集だけを借りてきた。

現代の万葉集という謳い文句で新聞広告にたまに出てくるが、
内容は一度よむに充分値する。思いもよらないストリーが展開されている。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~red_s/haert/kokoro.htm


479, 楽観と意志

2002年08月06日(火)

「楽観は意志、悲観は感情」
この言葉と出会って、「楽観の意味」が始めて理解できたようなきがした。
そういえば若い時ー理想に燃えていた時、その背後には悲観という不安が
大きな口を開けて足元にあった。

若い時期の楽観はあくまでも虚構のような夢の世界であった。
その正体が意志であった事がこの言葉を知るまで解ってなかった。
それだけ強烈な言葉であった。

悲観はただ流されている喜怒哀楽でしかない。
そういう悲観に占められていた時期の自分は、ただ感情的世界でしかなかった。
鬱の自分はそう感情の世界にドップリつかっている意志喪失の自己の世界である。

常に鬱の人は教養のない感情に支配されている人が多い。
また非行動的の人が多い。行動の、行は仏教語で判断という。
動はあくまで動物の動きでしかない。行動は意志が入った動きだ。
行動的ということは楽観が勝っている状態と云える。

私の周辺の80佑凌佑枠甦囘な感情に支配されている人だ。
また非行動的の人が多い。
行動的かつ楽観的の人はその背後に強烈な意志が隠されている。

楽しかった過去を思い出し楽しみ、将来の楽しみの計画をたてている
今。それに過去の計画を実践している今。

それが楽観であり、意志である。


478,  100円ショップ

2002年08月05日(月)



以前も他のテーマの中で書いたことがあるが、
100円ショップについて書いてみる。
初めは泡沫に見えた100円ショップも社会的認知を得たといってよい。
結構便利で使え勝手のよいものが多い。

今でも月に一回は必ずいく。
先回は、センスを買った。
私の場合、なくす確率が8割である、いや100佑任△襦
それなら割り切って、100円ショップのセンスを買ってみた。
悪くはない、ワンシーズン持てば充分である。
3本買ったが、恐らくあと二ヶ月で二本は壊すか無くすだろう。
でも200円でしかない。

旅行用で便利なものも多い。
飛行機やバスで使う空気枕。
小物をいれる網でできている子袋。
健康機器、ハンカチ、食料いろいろある。

この良いところは、トレードオフの商品が多い。
一つの機能の他は全て殺ぎ落としているのがよい。
初めは、無印良品がそうであった。
しかし、今やユニクロと100円ショップにとって変わろうとしている。

壊れても、欠陥があっても腹のたたない値段が100円だという。
これこそ消費者主体の商品つくりである。また楽しいのだ。
ダイソーの社長が100円で楽しめるデズニーランドといってた。

「商売は少し馬鹿にされるのが一番よい時」
と丸井の創業社長がいっていた。
月賦が認知されだしたときから旨みが無くなったと。

今まで100点ぐらい買ったと思うが、1万円でしかない。
30回位いったとして、楽しみを入れたら十分お釣りがくる。
十数年前アメリカのチェーン店の視察に行った時、
99魅轡腑奪廚帽圓辰燭箸誰も見向きもしなかった。
まさか100円ショップがこれだけ伸びるとは誰も想像できなかった。

時代の変化なのだろう。
いく度に商品の内容が良くなっていくのもよい。
100円だからこそ買える商品だからこそ、その存在価値がある。


477, 人口問題と今後の日本

2002年08月04日(日)



先日平均寿命が発表された。
女85歳、男78歳。
女性の半分以上が88歳の米寿を祝う事ができるという。

童謡で「今年60の爺さんの・・・」と歌っていたが、
いまや爺さんは80歳か90歳である。

100年前の日本の人口は4400万人で、現在までに約3倍になった。
これから100年後は丁度半分の6000万前後になるという。
100年で3倍になり、これから100年で半分になる。
人口のピークは2006年で、翌年から60万人が毎年減っていくという。

100年前65歳以上が5佑任△辰燭里、後10年後には28佑砲覆蝓
50年後は37佑鯆兇┐襪箸いΑ9佑┐燭蘿惷擇寒くなる。
周辺は年寄りだらけになる。

よくぞ100年で人口が3倍になったものだ、それも第二次大戦をのりこえて。
更に国民一人当たりの所得が世界のトップクラスになったのだから。
この100年のシステムは奇跡的な効率であった。
そのシステムがもう終わってしまったことは、誰の目にも明らかである。

中世でヨーロッパの人口が飛躍的に伸びたのは、
南米から芋などの穀物の種が流入したことと、アフリカから椰子の実から
取れた石鹸の流入という。
高地で旱魃に強い芋などが飢饉を避ける事が出来るようなった。
石鹸は疫病を激減させた。

日本のそれは工業化と儒教と天皇制度が有効に働いた為である。
今後思い切ったシステムを作らなくては衰退の一途になるだろう。
それよりシステムの均衡縮小をバランスをとりながら目指すのが筋である。

今の若い人たちはこれから大変である。
少し硬い話になったが。
デフレはますます進むし、中国の世界への仲間入りで間接的に生活の圧迫が
厳しくなる。これでもまだ90夕蠅弔ずで背後に控えているという。
中国の人件費のアップは今後無いという。

中国の人件費は日本の100分の1、その中間あたりが落としどころとして、
今の10分の1に無限に近づいていくのが自然である。
子供は一人っ子になっていきざるをえない。

国内需要の右上がりは夢の夢だ。


476,ある老女の遺書ー2

2002年08月03日(土)

25歳で子供が生まれ、子供のために安全で幸福な家庭をきずき、
30歳の女性になり、子供の成長も早く、永遠に続く絆で互いに結ばれ、
40歳の時若い息子たちは成長し、巣立つ日も近く、
50歳の時、再び、私のヒザの上で幼子が遊びたわむれ、
 もう一度私を愛する子供達と私は理解しあう。
夫が死に暗い日が続き、未来を見つめ、恐怖に身震いする。
若い者達はみな子育てに忙しく、私は昔を、愛し合った日々を思う。

私は年老いた女。自然は残酷だ。
老年が私をおろかにみせる。
私の体から優雅さは打ち砕かれた。
活気はなくなり、かって熱く燃えた心も今は石のよう!
しかしこの古い身体の中に、若い少女は住み続けている。

そして今も再び心がときめく喜びの日々を、また苦しかった日々を思い出し、
私の人生を愛し続け、過ぎ去った日々を再びたどる。
永遠に続くものは何もないという厳しい事実だけを残し、
あまりにも短い、あまりにも早く過ぎ去った年月の事を思う。

さあ看護婦さん、あなたの目を開きなさい。
目を開いて私を見つめて、もっとそばによって、
気難しい老女でない、‘私を知って!’

ーーーーー
この文は6年前に読んで非常に感動した本だ。
一人の人間の心の叫びがそのまま伝わってくる。
これを何時か書こうと思っていたが、その時がきたようだ。
いや久々に検査の為、病院に行ったのがきっかけでしかないが。

たったこれだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。
これは詩である、人生を言い尽くした。
必ず誰も思う道だ。


475, ある老女の遺書−1

2002年08月02日(金)



この文は「心に残るとっておきの話」第五集
に乗っていた話で、そのまま写し書きしてみる。

ー老人ホームで孤独に死んでいったある老女のロッカーの中から
見つかった詩、書き置きです。

「何がわかっているのです!看護婦さん、あなたは何わかっているの?
さほど賢くもない年老いた気難しい女、ぼんやりとした目付きをして
行動力も緩慢で、食ものをボロボロこぼしても返事をしない。
(努力して、やってみて欲しいの!}とあなたが大声でいっても、
そんな事少しも気にかけない様子で、靴下や靴はいつもなくしたまま、
何も逆らわず、何をしようというわけでなく、長い一日を入浴と食事で
埋めている。そんなふうにあなたには思え、そんなふうにあなたは
私のことを考えているの?

もしそうなら、看護婦さん、目を開いて、私を見つめてごらん。
あなたのいうままに、あなたにしたがって食事をし、私がじっと
静かにここに座っている間に、私のことを話しましょう。
私が十歳の子供の時、父と母が一緒に暮らし、兄弟姉妹は互いに愛し合い、
十六の若い少女のときはウキウキして、もうすぐ愛する人に巡り会えることを
夢み、やがて二十歳になろうとする時、花嫁になり心は踊り、
永遠に守ると約束した誓いの言葉。
                 ー続く


474, ある小学6年生の作文

2002年08月01日(木)



「僕の夢は一流のプロ野球選手になることです。
 そのためには中学、高校と全国たいかいに出て活躍しなくては
なりません。活躍できるようになるためには練習が必要です。
僕は三歳のときから練習を始めています。三歳から七歳までは
半年くらいはやっていましたが、三年生の時からいままでは
365日中360日は激しい練習をやってます。
 だから、一週間で友達と遊べる時間は5~6時間です。
そんなに練習をやっているのだから、必ずプロ野球の選手に
なれると思います。
その球団は中日ドラゴンズか、西武ライオンズです。
ドラフト入団で契約金は一億円以上が目標です。
僕が自信があるのは投手か打撃です。

去年の夏、僕たちは全国大会に行きました。そして、
ほとんどの投手を見てきましたが自分が大会のナンバーワン
選手と確信でき、打撃では県大会四試合のうちホームラン3本を
打ちました。そして全体を通した打率は5割8分3厘でした。

このように自分でも納得いく成績でした。
そして自分たちは一年間負けを知らずに野球ができました。
だから、この調子でこれからも頑張ります。
 そして、僕が一流の選手になって試合に出られるようになったら、
お世話になった人に招待券を配って応援してもらうのも夢のひとつです。
とにかく一番大きな夢は野球選手になることです」

この文章はイチロウの子供時代の作文である。−「致知」という雑誌より
「夢」と「意思」と「実績からくる自信」が現れている。
それと父親の指導がこの作文の文章からうかがいしれる。

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