日々雑感
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2005年03月29日(火) 川の向こう

夢の中に繰り返し現れる風景というのがある。

自分の場合、ある川の景色がそうである。川幅はそんなに広くなく、向こう岸が見えるほどで、橋も架かっている。そして海に近い。

昨日もまた、その川の夢を見る。日も暮れて辺りは暗く、川岸には灯りがともっている。川面に何隻も小舟が浮かび、何かのお祭りなのだろうか、人の声と音楽とで賑やかな中、自分も古ぼけた小舟を出し、向こう岸へ渡ろうとしている。

泳いで渡ろうとしたこともあったし、増水した様子を高台から眺めていたこともあった。夢によって少しずつ違うけれども、確かに同じ場所である。湖から海へと注ぐ水路のそばで育ったのだが、きっとそこが基本形になっているのだろう。

ずっと目にしていた風景というのは、無意識の底に沈んで、何か象徴的な意味を帯びるようになるのかもしれない。そういえば、ある親戚が病気で危ない状態となったとき、「三途の川」のかわりに出てきたのは、いつも通っていた峠道だったらしい。

それにしても、夢の途中で起こされると、その後がもどかしい。消化不良というか、不完全燃焼というか。今日も電話にて起こされた。私は、ちゃんと向こう岸へ渡れたのだろうか。


2005年03月23日(水) とおくへいっちゃうって

阪田寛夫さんが亡くなった。作詞家にして芥川賞作家。享年79歳。ニュースでは「さっちゃん」の作詞家として紹介されていたけれども、「ねこふんじゃった」も、「おなかとせなかが、くっつくぞ」の「おなかのへるうた」も、「うたえバンバン」も阪田さんの詞だ。他に「エーデルワイス」の日本語詞なども。

小説のほうは一作も読んだことはないが、庄野潤三氏の作品に登場する「親友」としての阪田さんならば、よく知っていた。何でもないことが何でもないままに流れてゆく日々の中で(その危うさ、かけがえのなさ)、その幸福な風景の中にいつも阪田さんがいた。だからこそ、訃報を聞いて、真っ先に庄野さんのことが浮かんだのだ。

「僕はいつも尊敬していました。(1950年代に)大阪の民放の同僚で、机を並べていた一番親しい友人。控えめな性格でした。今は一言、よくしてくれてありがとうと言いたい」

昨日まで当たり前のようにそこにいた人がいなくなったとき、ぽっかりと開いたその穴を前に何とかできるほど、いつか強くなれるだろうか。いつかは。

「さっちゃん」の3番の歌詞を思い出す。

さっちゃんがね とおくへいっちゃうって ほんとかな
だけど ちっちゃいから ぼくのことわすれて しまうだろ
さびしいな さっちゃん  
 
合掌。


2005年03月11日(金) 『容疑者の夜行列車』

多和田葉子が面白い。

ずいぶん前に『犬婿入り』を読んだときは、正直「なんだこりゃ」という感じだったのだが、最新刊『旅をする裸の眼』を読んだら、これがとてもよい。そして、つづいて手にした長編小説『容疑者の夜行列車』で、いよいよ止めを刺される。

「パリへ」から始まり最終章の「どこでもない町へ」まで、グラーツ、ザグレブ、イルクーツク、北京、ユーラシア大陸の様々な地名が冠せられた13章がつづく。

夜行列車そのものが、移動してゆく「境界」である。地名も時間も何もかも、すべての意味を引き剥がしながら、線路の音だけが夜の中に響く。窓の外は真っ暗。同じコンパートメントに現れる人たちもどこか輪郭が曖昧で、けれども、それに対する自分のほうは、ほんとうに確かに「ここ」にいるのか?

それぞれ短編としても読めるけれども、これは絶対に第1章から順に読むべきだ。そして、第12章の「ボンベイへ」、つづく最終章に辿りつかねばならない。夜行列車に乗りながら、越えてゆくものは何か。そうした中で「わたし」であるとは、どういうことか。読みながら感じていた漠然とした不安が一気に反転される、そのときの戦慄。すごすぎる。興奮してしばらく動けなかった。

これを読んでしまったら、しばらくは大抵の小説が甘っちょろく感じられてしまうかもしれない、ある意味、罪な一冊と思う。


2005年03月04日(金) 雪の中をゆく

雪の中、世田谷線に乗った。窓の外、積もった雪の感触を確かめるように長靴で歩く男の子が見える。今日は雪だからこっちの靴を履いていきなさいと、玄関先で見送った誰かがいるのだろう。

雪の最中に鈍行列車で帰省したことがある。豪雪地帯として知られる路線に差し掛かったとき、ちょうど外が吹雪となった。窓の向こうは何も見えず、ただ、まっしろ。そこにあるはずの景色も、今自分がいる場所も判然としないまま、何処かへとひとり運ばれてゆく。暖かい車内でエンジン音だけ聞きながら、あの世へと向かう気分というのは、こんな感じかと思ったものだ。

ニュースでは大雪と言っていたが、昼過ぎには止んで、うすぐもりとなる。長靴は履いていなかったけれども、道端に残った雪を踏みながら帰る。


2005年03月03日(木)

友人と飲んだ帰り道、路地裏に救急車がいた。雨に濡れた道路に、点滅するランプの赤色が滲んでいた。そういえば一昨日、通りかかった裏道では、女の子が大声で泣き叫んでいた。いっしょにいた男の子が腕をつかんでなだめていたけれども、人があんな声を出して泣くのを、ものすごく久しぶりに聞いた。

そんなにひどくはないにしろ何かする度に疼く引っかき傷のように、それらの光景はざわざわと心のどこかに残っているが、とりあえず自分は何事もなく、こうやって歩いている。その危うさを知りながら、友人とお酒を飲み、満足して、幸せといってもよいと思う。

夕方から降り始めた雨は止まない。雪になるだろうか。


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