日々雑感
DiaryINDEXbacknext


2005年05月19日(木)

この3月に定年退職した中1のときの担任の先生が東京へやって来た。

学校と名のつくところで何人もの先生に会ってきたけれども、こんなふうに連絡をとったり、遊びに行ったり、何かあったら報告したいと思ったり、そう思うのはこの先生だけである。よれよれのジャージを着て、頭はボサボサで、ばかしゃんべ(馬鹿話)ばかりしていたけれども、何があっても先生ならば受け止めてくれると思える揺るぎなさがあった。

火曜日には「先生を囲む会」と称して、やはり同じクラスだった友人もいっしょに3人で飲んだ。浅草橋のやきとん屋の片隅にて、瓶ビールを何本たのんだかわからない(8本まではおぼえている)。友人いわく「やきとんの中心で秋田弁を叫ぶ」、まわりのひとがただばなんだとおもったべな。

その先生、今日ははとバスにて富士山のほうまで行ってきたらしい。21時45分上野発の夜行寝台にて帰るということで、友人とふたり、見送りに行く。

今日は暑かった。上野駅前の温度計は28度を指していた。出発までの時間、何はともあれビールを飲むべく、駅前の「聚楽台」というレストランへ。先生が田舎の中学生だった頃には「東京で聚楽に行った」というと羨望の的だったという。つまりはそれくらいの老舗、そこだけ取り残されたように昭和の匂いが色濃く残るレストランである。

このお店、もうずいぶん前に一度だけ入ったことがある。

東北新幹線の始発終発駅が東京駅になるまでは、秋田から上京するときも東京から帰省するときも、必ず上野駅を使ったし、上京してきた親や親戚に会うのも上野駅が多かった。

弟の大学受験には父親が付き添ってきたのだが、そんなふたりとやはり上野駅で待ち合わせ、この「聚楽台」でいっしょに食事をしたのだった。あのとき確か店内は混んでおり、案内された隅っこのテーブルで、特に話をするでもなく、もそもそとラーメンか何かを食べた気がする。

久しぶりに会う父親が、「東京」の中では何故だか一回り小さく見えて、秋田弁でいうところの「へづね」思いをしたのを覚えている。自分の「ホーム」を離れたばかりの人というのは、どうしてあんなに寄る辺なく見えるのか。

他にも、ひとり初めて東京の地を踏んだとき、あるいは祖父が上京してきたとき、次々といろんな光景が出てきて止まらない。久しぶりに行ってみて気がついた。上野にはセンチメンタルの地雷が埋まっている。危険だ。

ひとしきり飲んだあと、先生をホームまで送ってゆく。終着駅「青森」のプレートが付いた寝台車は上野駅構内のいちばん端で待っている。寝台車の中を見学したり、並んで写真を撮ったり、大騒ぎしたあと、タラップのところで握手をして、やがて先生を乗せた列車は行ってしまった。がらんとした人気のないホームに、友人とふたり残る。まだふたりでよかった。

それにしても先生、ビールを中ジョッキで5杯も飲んだというのに、さらに500ml缶を2本買い込んでいった。寝過ごして青森まで行かないか心配だ。


2005年05月16日(月)

バイトが思いがけず早く終わったので、まだ明るいうちから銭湯に出かけた。サンダルをぺたぺたいわせながら、湯上りで夕方の町を歩く。木の高いところが風に揺れている。

角の店の前では、お店のおじさんが通りがかりのお客さんと立ち話をしている。「昨日の雨はほんとひどかったね」「でも虹出たでしょ」「出た出た」。ついさっき、銭湯の脱衣所でも同じようなことを聞いていた。「昨日、すごかったね。雷も鳴ってね」「でも虹出たでしょ」「そうそう、息子が言うんで、みんなで外出たら、虹出てたのよ」。

どんなにひどい雨でも、びしょ濡れになっても、「でも、虹出たでしょ」、それだけで十分なのだ。虹、見たかった。

しばらくゆくと、耳鼻科の入り口の前にて、小さな女の子がお父さんにしがみついて大声で泣いている。真っ赤な顔に、大粒の涙がぼろぼろとこぼれてゆくところまで見える。お父さんは女の子を抱きかかえて、一生懸命に話しかける。「先生に、痛くしないようにしてくださいって言ってあげるから!」

「痛いの痛いの、とんでけ」というあの言葉を、そういえばずいぶん聞いていないし、口にもしていない。いつの間にか、痛みは自分ひとりで我慢するものになったけれども、「痛くしないようにしてください」と言ってくれる人がそばにいたら、どんなにいいだろうかとも思う。

夕方は人の声が近い。


2005年05月13日(金)

夜、アパートに戻るべくいつもの角を曲がると、路地の向こうに女性の影がある。上下とも真っ赤なパンツスーツ。赤づくめというのは暗がりの中でもそこだけくっきりと浮かび上がり、瞬間どきりとする。

それで、思い出したはなし。

小さい頃は、毎夏、海のそばの広場にて盆踊りが行われていた。やぐらが組まれてお囃子が響き、金魚すくいや綿菓子の屋台もあったと思う。親戚の家がその広場の向かいにあり、ある夏、そこの2階から小さい者たちだけで、盆踊りの様子を眺めていたのだ。

北のほうでも、お盆の頃は暑い。8月の夜の少し重い空気の中で、ぼんやりとした灯りの中を行き交う人びと、今は閑散としている町の中だが、あの晩はずいぶん人出が多かった。

ふと気づくと、そうした人ごみの中に、真っ赤な影がある。

そばにいた親戚の男の子が指差した先に、上も下も真っ赤な服を着た男性がいて、ひとり歩いている。面白がって眺めていたのだが、よく見ると何だかおかしい。そばには大勢人がいるのに、誰もその男性が見えていないかのようなのだ。

急に気味が悪くなり、窓辺から離れてしまったのだけれども、あれはいったい何だったろう。そもそも「ほんとうに」あったことだったのかも、今となっては自信がないが。

ちなみに、今日見かけた女性は、うちのアパート近くの猫広場にて、野良猫たちをかまっていたのだった。このあたりの野良猫は、そろって巨大。化け猫のごとし。


2005年05月06日(金)

だだっ広い草はらに行った。ずいぶんと遠くの方まで見渡せる場所だ。

少し標高の高いその場所に立つと、ぐるりと海に囲まれているように見える。西の水平線上にはまだ雪の残る高い峰が、北の水平線上には深い森を抱く山地が浮かぶ。風力発電の風車がぐるぐると回っている。白く跡を残しながら漁船がゆく。

ふだんは風の強い場所なのに、朝も早いせいかひどく静かだ。紫や黄色の小さな花が咲く中を歩いていると、思いがけず近い場所から、ヒバリの声が聞こえてきた。見ると、一羽の小さなヒバリが、鳴きながら、上へ上へと昇ってゆこうとしている。一生懸命にはばたきながら、なかなかすんなりとは昇ってゆけない。あのさえずりは自分を鼓舞する声か。あるいは、その過程をもヒバリは楽しんでいるのか。そんなふうに考えるのは人間の勝手な思い入れと知りつつ、どの瞬間に声が止むのか、ずっと眺めていたのだけれども、どんどんと舞い上がり、ヒバリはやがて声だけ残して見えなくなった。


ブリラン |MAILHomePage