日々雑感
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2005年02月23日(水)

東京では春一番が吹いたという。

大学へ行くと、いつもより構内に人が多い。ひとりで、あるいは友だち同士で、どこか緊張した面差しをしながら、皆どこかあどけない。受験生か。そういえば明日は入試なのだ。

同じ日、自分は退学届を出した。形式的なものだし、これで何が変わるというわけでもないのだが、受験生の姿を見ながら、不意に、ああ、終わったのだなあという思いがわいてきた。書類を提出するまでは何の感慨もなかったというのに。

この構内で試験を受けたのも、もうずいぶん前だ。はじめて東京にひとりやって来て、知っている人はもちろん誰もいなかった。あのときもよく晴れており、夕方には何かの植物の匂いがしていた。地元ではまだ雪が残っていたけれども、東京は春を目前としていたのだ。

受験生たちを見ていると、いやでもあのときの自分自身が重なってしまう。たぶん心細そうな顔をした自分が、そのあたりを歩いている気がする。確かにある時期が終わったのだ。終わりというのは、そんなにドラマチックなものではなく、感傷的でもなく、例えばこんなふうによく晴れた日に、あっけらかんとやって来るものなのかもしれない。

そのまま帰る気になれず、すぐには電車に乗らずに歩いてみる。よく入った喫茶店や定食屋を通り過ぎる。もうずいぶん長くここにいたし、正直うんざりもしていたけれども、改めて、自分はここが好きだったのだと思う。好き、というのとは少し違うかもしれない。あらゆるものに何らかの思いがある、くされ縁のようなものか。お世話になったパン屋にも入ってみた。好きだったぶどうパンとクリームパンを買う。いろんな思いをしながら、この道を歩いた。

しばらく歩くと、橋の上から、川べりに梅の花が咲いているのが見えた。春を間近にした頃の青っぽい匂いがして、こういうのを走馬燈日和というのかもしれない。


2005年02月19日(土)

朝から雨。部屋の中にいると寒いので(何といっても息が白い)、いつものように近所の喫茶店に出かける。

斜向かいの席には小さな女の子と若いお母さんがいて、一冊の本をふたりしてのぞきこみながら熱心に話している。「わがまま度40パーセントだって。ママと同じ」。どうやら、心理テストらしい。「あんまりわがままじゃないんだねえ」。共にわがまま度40パーセントの母娘、お父さんのわがまま度が気になるところ。

どこかで見かけた一枚の写真がずっと気にかかっている。冬枯れの木。透けて見える青空。風の音がする。雲が流れる。その空気の匂いまで知っている気がする。実際に見たのか、自分で作り上げた偽の記憶なのかはわからないけれども、いつかのどこかの風景に確かにつながっている。まだ寒いけれども、春も決して遠くはないと感じられる頃だ。そんなふうに、ほんとうなのか嘘なのか、境界が曖昧な風景の記憶を、どんな人もたくさん持っているのではないか。そして、そうした風景は、なぜかどれもなつかしい。

雪どけの下からあらわれる、黒々とした土をふんで歩きたい。無性に木に触りたくなるときがある。


2005年02月14日(月) チョコレートの思い出

はじめてチョコレートをあげたときのはなし。

たしか幼稚園か小学校あがりたての頃だった。2月14日当日、叔母とふたりして外出していたら、とあるお店の一角でチョコレートが山のように売られていたのだ。

今日はバレンタインというものなのだと教えられ、お父さんにチョコレートあげたら喜ぶよという言葉に、よくわからないながらも各種チョコレートの中からひとつを選んだ。その頃、あんまり父親の体調がよくなかったのだろう。色とりどりのマーブルチョコを錠剤に見立てて、ガラスの壜に詰めたものだった。

リボンもかけてもらった包みを手にすると何だかうれしく、上機嫌で歩いていたその帰り道、何がどうなったのか、その包みを道路に落としてしまった(昔からよくこういうことをする)。当然のように粉々。「これはもうダメだね」という叔母の言葉と、赤や青や黄色、原色のマーブルチョコとガラスの破片が混じり合っているあの様子は、ずいぶん時間がたった今でもはっきりおぼえている。よっぽど悲しかったのだろう。

そんなこんなで心浮き立つ思い出もないけれど、ひとつ、中学校のときの担任の先生にチョコレートをあげたとき、あれはほんとに緊張した。何人かで冗談のようにチロルチョコレートを一個あげたのだが、冗談は冗談なりに真面目だった。その先生もこの3月で定年だという。


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