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嫌いな食べ物「キュウリ」


2001年10月30日(火) 10月30日8時24分

 嗚呼!嗚呼!時間を無駄に使うとは、どんなに馬鹿らしいことだと知りつつも、其れを酷使する私は一体なんだ?何処にいる、この精神は!冷めた風呂も、全て如何でも良くなるときが来るなんて!
 いや、そうではない。其れは何時もの事だろう。何が如何してそうなのか等ということは、私には判りはしない。勿論、他の人間などに判ってたまるか。友達無くすよ、と言いたければ言えば良い。言いたいだけ言わせてやる。今は貴方に構っている必要も、時間も無いのだ。そんな口が聞ける筈なのに、何故も私はこうして一人、落ち着いているのか?
 時間とは!もう、時間とは!
 単位とは!そして…全ての事柄と、関係と、結びつきやその他については。
 何も考えずに、このまま落ちてしまいたい。

 嗚呼、愛する両親と姉さえいなければ!
 私は苦労する事無く命を絶つことが出来るのに。
 こうも現実という生命に縋りつかなくてはいけないのは、全て私を支配する愛ゆえだ。

 愛している、愛しているよ、私の家族。

 貴方方を亡くしたら、私も直ぐに後を追ってあげよう、いや、寧ろ。


 …命を、絶ちたい。


2001年10月28日(日) 10月28日7時24分

 昨日は某サイトPL、カヲル嬢と、某元PL嬢とお話を。様々に感じたことは画面の裏側には常に普通の人間が居るということ。其れ以外の感受性はまるで働かず、唯単に普通のお友達のように接することが出来たのを唯一の救いとする。悩みが出来ることは面白いが精神的には大して面白い話でもないだろうからね。
 さて、問題は私の内部に潜む「譲歩」と呼べる心についてだった。私は常に其れを重ねて生きている、其れがどの理由から来るか、等というものは全く判りはしないのだが。其の中に人間的、肉体的上下関係というものが深く絡んでいるのは言うまでも無い。
 嫌な話ではあるが、私は自分よりも下の格だと知る人に譲歩等しない。しかし同格だと判る人には、何故か既に譲歩を試みているのだ。此れは昔に母親に「貴方は優しい人ねぇ」と言われたところから続いているのかも知れない。兎に角問題は、其れほどまでに私が他者を許してしまっている所だろう。自分の都合までを無視するほどにしてしまう其れは、時に私の後悔に結びつく。「優しくなろう」等と馬鹿げた思想は持ち合わせては居ない筈なのだが、其れは嘘だろうか?
 嗚呼、どうか私の人間的性質を見極めないで欲しい。…と、言うこと自体が既に譲歩の言葉も含まれているということは判っているのだが。
私は私として生きる価値がある筈だと、何処かで見つける必要がある。


2001年10月19日(金) 10月19日22時42分

 さあ、貴方の言葉は裏返された!貴方はまるで私の犬のように、呼び鈴に反応する犬のように、求め始めた!可笑しいね、なんて可笑しい現象だろう?貴方は私を愛しては居ない、勿論私も貴方を愛しては居ない。其れなのに反応する其の身体は、嗚呼、まるでこの世界の一番の構造を見ているようだ!
 愛とは時に残酷だね?価値とは。壊れかけたこの世界に、何を真実とするだろう、何を嘘とするだろう。私はまるで判らない。きっと私は、この世界に順応し過ぎている、若しくはこの世界に生まれるべき存在として、染まっている。しかし其れは妥協出来るものではないが、如何し様も無い事柄だということは常に認識している。
 こう考えながらも、普通の生活(何が普通か、其れは定かではないが)がもっとも幸せだと、其れも判っている。嗚呼、一体私は何がしたい?何がしたい。何も解決できることが無いことを、もう何年考え続けている。其れでも考えなくてはならない筈だと、思い続けている。
  何も考えない人生は、其れは楽しいだろうね。けれどきっと虚しくなるだろう、その人が少しでも頭の中があるようなら。
 其れとも私は、頭の中が何も無いからこうも考え続けなくてはならないのだろうか。
 答えがあるなら、教えて欲しい。

 一体私は何を目指す?


2001年10月12日(金) 10月12日3時55分

 「約束してくれないかい、僕に。セックスに依存しないと」
 「判った、約束する。」
 そうして貴方は私を抱いたね?貴方の気持ちは何だったろう、私を救う為にそう言ったのか?其れとも唯の、私を困らせる為?私を、苛める為?私の中で果てた貴方は、本当に私の為を思ってやったと言える?
 確かに私は、貴方に縋り付いて泣いた覚えがある。何故肌を重ねないと自分の価値を見出せないのかと、泣いた覚えがある。貴方は泣かなくて良いと、私に呟いた記憶も、ある。
 しかしあの時、私と貴方は何だったろう。此れは恋ではない、友情だったね?友情と言って良いと、私に言ったね?
 「今日から、俺は君の友人だ。」
と。私は其の友情を、利用したのだ。貴方も其の友情と、私の依存的部分を利用したのだ。こうして友情は育まれるものか。私の友情は。
 愛するものは女性だと、この際はっきり言おうか。


2001年10月10日(水) 10月10日1時49分

 愛の中に存在する残酷さが好き。私が彼女を見放したのも、彼女から離れたのも、隙を突いて彼女を奪ったのも、或いは彼と肌を重ね、彼をあざけ笑ったのも、其れは全て愛だったね。自分の性に対する全てに悩む振りをして、実際悩んでいたり、自分の全てに混乱が生じていることも、愛かもしれなかったし、実際そうだったろうし、そうだろう。或いは何かの話に突然流れる涙も。
 愛とは何て素敵なことだろう、残酷とは綺麗でなくてはならない。全てこの世界は、良い悪いの判断ではない。私の美的感覚に見合ったものは全て素晴らしく、(一般的に)綺麗だと思われるものでも美しくなければ唯の屑でしかない。其れは私の中の世界でしかなく、他の人が如何だとかそんなことではないが、私の中で美しいと判断されないものに携わりたいとは全く思わない。実際は全くそんなことはありえないのだろうが。
 「貴方は全て美しいかどうかで判断しているね」
 其の言葉は正しい。


2001年10月02日(火) 10月2日19時49分

 此れは私に対する報いだろうか?それとも報酬なのか。どちらにしろ今のこの現象は酷く私を失望させ、酷く私を落胆させ、酷く私を絶望の泉へ突き落とし、もう一方では酷く私を…自己愛という快感に浸らせている。
 全く予想もしない事態だった。私はそうあるようにと願いながら行動を起こしてきていたつもりだったが、(多分)其れが認められると或る意味の疑問が浮かんでならない。私は本当に認められるべき事をしたのか?何が其の人にそうも思わせたのか?そうあるようにと願いながら常に心掛けてきた事項が、果たして本当に合っていたことが、不思議でならない。
 今回の事項はある一定の期間、私の其の行動を止める羽目になるだろう。私は何とか私のこの疑問と、この優越感を比べ見、検討し、解消しなくてはならない。
 シュール・レアリズムとは何か。耽美とは何か。文学とは何か。芸術とは何か。残酷性とは何か。或いは人の生や死について、或いは人の愛について、或いは、人の憎悪について。時の流れや、怠慢なことについて。
 其れは本当に不可解な事柄だった。しかし私は其れを考えなくてはならない立場に立たされた。生きてきた中で、最大級の疑問をもう一度、自分に問い直さなくてはならない立場に立たされた。
 狭い世界だと笑えば良い、其の人はもう一度何も思わずに唯只管生と死を操る人では無いことを認識しなくてはならない。

 ティエリー・ペトルチアーニ、11年生。

 崩壊の美を愛す。

 蛆の湧いた薔薇色の傷口は本当に果たして綺麗なのだろうか。
 彼は全く私とは異なる。しかし断片は私であることは確かであろう。何をもって決め手としたのか。幾ら何時も客観的であった私でも、全く理解出来ない事項。其れは私に転移し、理解出来ない自分となる。素晴らしいこの時間も、窮屈なこの時間も、全ては思春期という言葉の枠の中で収まることが出来るわけが無い。
 私はこの人生と、この自分と、この傷と、この愛について考えなくてはならない岐路に立たされた。

 …。怖いほどに当たった正確診断。cccbc…。


さくま