momoparco
  You make me feel brand new
2007年04月18日(水)  

 テレビのスイッチをプチっとつけると世俗との交信のはじまりである。ある日後ろで、とてつもなく素っ頓狂な、足摺岬じゃなくて銚子のはずれな「もしもピアノが弾けたなら」が聴こえて来た。あまりにも突拍子もない音痴な歌に慄いて振りかえると、そこには眉毛で王将と書いた将棋の駒みたいな顔をした石原良純がいた。絶句。それは住宅会社のCMのようである。(確か)

 「もしもピアノが弾けたなら」は西田敏行が歌った名曲だ。西田敏行のメンはイカシちゃいないがあの歌はいい。それをはずして耳障りな騒音に変えた石原将棋はまったくひどいが、しばらくそれが耳について離れなくなってしまうのだから、あのCMは商業的には○かも知れない。


 ところで、昨年の4月26日(水)は、私の命から2番目に大切な大好きなスタイリスティックスの「誓い / You make me feel brand new 」を生で聴いた日である。誓いの曲については折りに触れてしつこく書いたのだが、私がまだ10代の頃のこと。横浜駅のバスターミナルの周りには、いくつかの高いビルが建ち並び、そのひとつに東急ホテルがある。このホテル、夏になると屋上がビアガーデンになり、その場で流れていた曲である。

 私はバスに乗って自宅へ帰るので、ターミナルにいてバスを待つ間に聴こえたこの曲は、まるで音楽が夜空から降ってくるような感じがした。夜更けの風は心地よくて、午後11時05分の最終バスまで私はいくつものバスをやり過ごしてターミナルのガードレールに腰かけて聴き入った。毎晩。何日も。

 ブラザー特有の高い声と、相当に低目の声とのデュオ。美しいハーモニー。星のないビルの隙間の小さな夜空が音楽と熱く抱擁する。幻想的な風になる。そして私の体に落ちてきた。そんな曲…。そしてその後も、この曲には私の人生に沢山の想い出とエピソードを加えてくれてとても語りつくせない…。

 それをまさか、この目でこの耳で目の前で聴くことが出来るとは想像もしていなかった。それが今から一年前。

 カウンター席しか空いていないと言われていた銀座のライヴハウス<ケントス>。だが、ボックス席はかなり低くてカウンターからは至近距離で彼らが見える。なんと5mもない極上の位置。小さな箱で、集まるひとたちもかつて聴いたひとたちだろう。日本ではない大人の場所、ハーレムの少しお洒落な気分。

 ベージュのスーツを来たスタイリスティックスが登場する。本物の。夢かもしれない、夢でもいい。

 お終いから三番目に始まった「誓い」。この曲は目を閉じて静かに聴こうと心に決めていたのに、低いボーカルが始まると嗚咽が漏れてしまう。高いブラザーの声になれば、わおわおと泣き止めず、結局最後までぼうぼう涙を流しながら聴いた。私はこの曲を、いったいどこで聴いたのだろう。耳で、心で、体で、私は確かに抱擁されていた。音楽に、そこにいるひとに。言葉ではいえない小さな宇宙に。優しい世界。決して味わえるとは思えなかった奇跡の夜。ワルプルギスの夜。頭が混乱、錯乱、何もかもが幸せで全てに感謝しても足りなくて、貧血を起こしてしまうほどだった。

 そしてラストは勿論、言わずと知れた「愛がすべて / Love is the answer」。一旦引っ込んでアンコールの拍手で出てきてこれだ。お定まりとは言え死ぬほど盛り上がる演出である。私は踊りに踊って二人のボーカルと握手した。もうホントに狂うかと思った。「愛がすべて」それだって私の大切な曲なのだ。


 なのに!この半年の間、私はイラついて仕方がない。あのギャッツビーのCMである。一番いいところは♪オーマイラーヴやんっ!!それをギャッツビー、ギャッツビーとしつこくて、んもー、いらいらイライラ。せいぜい1クールで終わると思っていたあのCM、なんとなんとしつこいったらありゃしない。私はどうしてもあの曲が流れると悔しくてキッ!と振り向いてしまう。すると最近はそんな私を馬鹿にするように画面の中でキムタクがくるくる回っているのである。

 だからテレビって嫌いだ。



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