momoparco
  ひとがキスをする時、なぜ目をそらすのか
2007年03月04日(日)  

 昨日、私は比較的早い時間に電車に乗って出かけた。帰り道、時間に余裕があったので各駅停車に乗ってゆっくりゆっくり帰って来た。

 座席が半分くらい埋まっている空き加減の電車の椅子に座っていると、途中駅から乗ってきたカップルが目の前に座った。どうやらフィリッピーナみたいな女性と、たぶん同国の男性だと思う。二人が特別イケメンというのではないので決して絵にはなっていないのだが、その仲睦まじさといったらとても微笑ましいというか、いや本当にもう貴重とも言える光景で。

 愛し合う恋人(あるいは夫婦)が何もかも許し合ったように、ごくごく自然にお互いを最もよく見つめあえるような向きで座り、言葉を交わしながら微笑み合い、かと思うと顔と顔を近づけて囁き合い、そして時々どちらからともなくキスをする。とても自然に幸せを他にも分けているような光景で、私はついうっとりと眺めてしまった。電車の中でのいちゃりんこカップルなんぞ私だって見飽きているくらい見ているが、何かが違っていた。たいていの場合は勝手にしやがれと思い、馬鹿らしくて視野からはずすのに、目が離せなくなってしまった。

 それなのに、目の前の二人がキスをするその瞬間にだけはふいと見ている目をそらしてしまうのは一体何故なのか。

 同じような場面が二度三度、その度に、私は今度もまた目をそらしてしまうのかと思いながら、やはり唇と唇がくっつく寸前にはふいと目をそらしてしまう。

 照れているのではないつもりだ。見てはいけないものを見ているつもりもなく、強いて言えばその瞬間にどちらかの目と視線が合ってしまったらとても私の方が間が持たなそうなのである。なんたって、こちとらひとりなのである。それはもう、やっぱりフェアじゃないからな。うん。ちくしょー。みたいな。

 否、それは。全然違う。一体あの直前の身の置き所のなさはなんだろう。と思いながら、それでも綺麗な光景だなと思っていた。綺麗なのは真剣だからだ。愛し合うことが真剣なのである。その真剣さが伝わってくるのだから不思議だ。それが見てはいられなさに繋がるのである。ひとが真剣に何かをしているとき、そうそうそのひとの目は見ないものではないか。…ではなくて、実は自分の唇まで動いてしまいそうになるからである。(爆)

 だがしかし、電車を降りてから考えた。たとえばあの二人が一週間後には罵り合おうと、憎み会おうと、同じように真剣な光景なのだろうと。つまりはそんな場面も想像がついてしまいそうな二人だった。ひととひとが向き合うという事は、常に真剣であらねばならないということ。愛し合うことも、睦み合うことも、罵り憎み合うことすら真剣であらねばならない。そうでなければ愛じゃない。

 なんて事を、コートもいらないほど暖かな日曜の昼下がり、白昼の妄想をする私はこれまた一体なんだろうと考えながら歩いていた。



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