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  硫黄島からの手紙
2007年01月18日(木)  

監督:クリント・イーストウッド
主演:渡辺謙 / 二宮和也 / 伊原剛志 /2006年

 1945年2月19日、アメリカ軍の上陸とともに始まった硫黄島戦。アメリカ側が5日で終わると考えた戦いを、36日間守り抜いた日本の男たちがいた。指揮官の名は栗林忠道。

 この映画は誘われて二度ほどチャンスがあったにもかかわらず、観ることが優先順位のいくつか下にあって、なかなか観られないでいた。私が観ようと思ったのは、公式サイトを訪問した時に書かれていた、クイント・イーストウッド監督の

 --- 私が観て育った戦争映画の多くは、どちらかが正義で、どちらかが悪だと描いていました。しかし、人生も戦争も、そういうものではないのです。私の2本の映画も勝ち負けを描いたものではありません。戦争が人間に与える影響、ほんとうならもっと生きられたであろう人々に与えた影響を描いています。どちらの側であっても、戦争で命を落とした人々は敬意を受けるに余りある存在です。 --- というメッセージの中にあった。 公式サイト

 これまでにも、戦争映画は随分観たが、私自身が観るとき、どうしても描かれている側に感情移入し心情を重ね敵は敵という感覚をもって観てしまう事に違和感があった。そうしたものを初めて払拭させてくれたのは、スティーブン・スピルバーグの、あくまでも個にこだわり個を重視したプライベートライアンだったと思う。

 戦争映画は戦地に赴いた兵隊達の姿がメインとなるから、ほとんどのシーンは男ばかりである。しかし、何故かこの映画は冒頭から、誰の向こうにも母や妻、そして子どもという家族の姿が見え隠れして仕方がなかった。

 ストーリーそのものは、静かに抑え気味の、大きな或いは派手な演出などというものはなく、あくまでも淡々と地味にクールに描かれているが、背景に横たわる手紙という、より素顔に近い内面を孕んだもうひとつの男の顔が、向こう側にある待つ身の、そして待たせる身の心の奥底を、寄せては返す波のようにひたひたとこちら側に浸透させて余りあるのであった。

 ひとは心に背いた状況を強いられると壊れてしまう。かくも簡単に壊れるものだと思う。死は常にそこにある。誰もが自分だけはと思いながら生きているとしても、ふいにメビウスの輪がひっくり返る点と線、その部分に迷いこんだとき、死は簡単にそこにあるものだと思う。生と死。生きるということ、生き続けるということ、生きなければということ。人は死ぬまで生きなければならない。そうしたメッセージを心の深いところで受け取った。

 名もなく死んで行った、犬死にともされた多くの兵士たち。届くことのなかった手紙。沢山の、とても多くの犠牲を払って今私たちは生きている。平和・・・。ひとが壊れてしまわないための平和、平和な世の中とそして一人一人の平和な心。これほどまでに大切なものは、どんなことをしても守らなければならない。戦争が多くのひとに残した傷跡は深く、二度と同じ過ちを繰り返してはならないのだと強く思う。


 映画を観るにためらった理由のもうひとつに配役があって、渡辺謙という俳優が指揮官栗林中将というほぼメインの役を演じていると知った時、どうしてもラストサムライを想い出してしまって?と思ったのだった。案の定、彼が画面に映ると、サムライあり、兵士ありか、などと頭を過ぎったのは確かで、実はそれが残念だった。彼はトム・ハンクスのようには成り得ないのだろうかなどと思った。勿論優れた俳優であると認めてはいるのだけど。

 個人的に好きな、伊原剛は役どころといい申し分なかったし、中村獅童も適役だと思う、そんな中最も光っていたのはそれほど期待をしていなかったのだけど、嵐の二宮君。彼が、飄々とどちらの側というのではなく、醒めた視線と自失から遠い太さを淡々と演じていたのが、時間が経てば経つほどに蘇るという稀有な存在感を持っていて、それがとても素晴らしかった。



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